徴兵制を導入すると防衛力がガタ落ちの経済学

『電気と工事』(オーム社)2012年11月号掲載のものを修正

 最近の周辺国との領土をめぐる紛争のせいで、世論の中にもきな臭いものを目にするようになってきた。例えば、最近ネットの意見で、日本も徴兵制を導入すべし、というものを見かけた。その理由として、周辺国との緊張が高まっているため、いまどきの若者に根性や防衛意識を叩き込もうというものが大半だ。そういう精神論は正直、勘弁願いたいのだが、困ったことにそういう根性論が勢いを増して、本当に徴兵制とか導入されたり、あるいは大学生に夏休みに自衛隊に入隊させるとか、そういう事態になってしまったらかな~り困る。だって、周辺国との緊張が高まるなか、ある程度の防衛力の向上が求められるのに、若い者がけしからん、という意見だけで、徴兵制や一時的な自衛隊体験入隊が大規模に生じてしまうと、そのことが防衛力を引き下げてしまうからだ。

 徴兵制をいまの日本に導入すればどうなるだろうか。それをポール・ポーストの名著『戦争の経済学』を利用して簡単にみておく。

 最初に結論を書くと、いまの日本が徴兵制を実施すると、1)防衛力が低下する可能性がある、2)若い世代の人的資本の蓄積が歪む(ムダが発生)する可能性が生じる。 ポーストの本は、主に徴兵制からAVF(総志願軍)への転換という先進国の主流の流れを分析したもので、日本の一部の無責任な論説のように、いまの自衛隊のように志願制から徴兵制への転換とは異なる。そのため、このポーストの視点を逆転させる必要がある。

 まず総志願軍の場合は、他の公務員の賃金やまた民間の賃金との競合を考えなければいけない。それに対して徴兵制の場合は、基本的に報酬面をそれほど意識しなくていい。まさしく賃金によらず強制的に兵役につくからだ。そうなると一定の予算の中では徴兵制の方が割安なので多くの人材を集めることができ、総志願軍の方が少なくなる。

 いま総志願軍から徴兵制に切り替えるとしよう。政府が防衛力で利用できる資源は主にふたつ(労働と資本=装備)だ。いま資本に比べて労働が割安になったので、政府は以前よりもより労働集約的な軍備を目指すだろう。つまり資本集約性を高めて兵器や装備の現代化をどんどんすすめていく先進国のトレンドに逆らって、わざわざ『気分はもう戦争』にでてくるような大量人員にライフル一丁みたいな世界をすすめていくわけだ(ちょっと大げさに誇張しているが)。

 さらに人的資源の配分はより深刻なダメージをもたらす。基本的には個々の人に税金を課しているのと同じになる。例えば大学生が半年ぐらい自衛隊に入隊するとか、あるいはボランティアを義務化されたとしよう。これはこの社会に出るまで余計な費用を学生やその親たちに課すことと同じだ。また半年の自衛隊入隊の防衛力アップへの貢献もたかがしれている。大学を四年できりあげさせたほうが無駄が少ない。もし一時的な兵力が必要ならば、現状で削減されている3年ぐらいの任期付き自衛官を大幅増員したほうがいい。

 いま徴兵制の場合は、大規模な兵員に一人人員を追加しても、その人のもたらす労働の限界生産物(その人が自衛隊のサービスに付け加える貢献の量)はたかがしてれいる。つまり一国の防衛力になんの有意義な意味も与えない。ガンダムのアムロかシャアでもないかぎり。この労働の限界生産物がとても低いということは、もちろんその人の適性などは無視してとりあえず軍隊に「防衛意識を高める」「愛国精神の発露」とかいう名目でどんすかいれるときにさらに深刻になる。その徴兵された人の多くは、適性もやる気もない人たちだろう。だからやる気をおこさせるのであ~~る、と大声で叫ぶ人がでてくるかもしれないけど(笑)。そもそも向かない作業をやらすということは、簡単にいうと人的資源のムダ使いだ。わざわざ機会費用が高い人に、その人を徴兵するのが金銭的に安上がりだ、というだけで兵隊業務をやらせるのに似ている。機会費用というのは、以前この連載でもやっつたけど、あることをしたときに他の行為を断念したときに生じるコストのことだ。

 機会費用の簡単なケースをふりかえろう。いまワープロ入力も、また論文作成能力も両方高い人(いまその人を勝間さんと名付ける)が、ワープロ入力能力は勝間さんより劣る秘書を雇うとしよう。自分より入力は劣るが、それでも勝間さんはワープロ入力が余った時間で、さらに論文作成をすることが可能になる。また彼女が自分の新しい可能性を見出すことにその時間と人的資源を使うことができる。しかし徴兵制とは、この選択肢をうばい、勝間さんにワープロ入力を行え、と命ずることに似ている。

 ポーストの本ではヨーロッパ諸国やベトナム戦争後の米国の事例が多く紹介されている。ほとんどが徴兵制から志願制に転換したことが多かれ少なかれムダを省き、軍備の効率化をすすめていることを実証している。日本で徴兵制を叫ぶ人はこの流れを反転させようとしているようにみえる。

 簡単にまとめる。
1)いまの日本に徴兵制を導入することは、軍備の質的な劣化を招き、防衛力をさげる可能性が大きい。
2)若い世代の人的資源の配分をゆがめることで、個人はもちろんのこと長期的な日本の国益の損失を招く。
日本の防衛力を本当に高めたいのであれば、日本の防衛産業を救うために円高デフレを脱却し、さらに防衛費を増額するには、経済規模を緩やかに高めていけばいい(ほかの多くの国もそうしている)。

 また学生たちに一時的にであれ強制的な自衛隊参加なども多かれ少なかれ上記の高い機会費用の問題をクリアできないだろう。せいぜいそれをすすめている人間の「愛国心」や「防衛意識」という個人的感情のおしつけになりやすいだろう。

 ところで注意すべき点をひとつ。ここでも財政再建大好きな政治家や官僚が暗躍するかもしれない。徴兵制は、予算総枠はおさえることができるので、財政再建にはむく可能性がある。まさに視野狭隘の手本だけど。そのためだけに「愛国心」や「防衛意識」を利用する可能性もあるかもしれない。ここは今後も注意したいところ。

投稿者:田中 秀臣
上武大学ビジネス情報学部教授。専門は日本経済論、日本経済思想史。AKB48などのアイドル、韓国ドラマやマンガ、アニメなどのサブカルチャーに関する著作や論文も多い。 著書に『雇用大崩壊』(NHK生活人新書)、『不謹慎な経済学』(講談社)、『経済政策を歴史に学ぶ』(ソフトバンク新書)、『偏差値40から良い会社に入る方法』(東洋経済新報社)、『デフレ不況』『AKB48の経済学』(ともに朝日新聞出版)など。 共著に『エコノミスト・ミシュラン』(太田出版)、『日本思想という病』(光文社)、『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)がある。 Twitter:@hidetomitanaka
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