震災発生以来、日本の復興に尽力したアメリカ軍。「トモダチ作戦」と名付けられ、最大人員約2万人、艦船約20隻、航空機約160機を投入。物資を被災地に運び、自衛隊とともに三陸沖で行方不明者を捜索した。

原発事故に関しても、無人偵察機を飛ばして撮影した写真を日本側に提供するなど、数多くの分野で労を惜しまなかった。仙台空港の復旧にも力を発揮し、被災からわずか5日でメインの滑走路を使用可能にしたのである。

そんななか、「トモダチ作戦」にお礼を言いたいと、とあるmixiユーザーがたった一人で感謝を伝えに行ったのだ。彼は自らの行動を「ありがとう作戦」と称し、4月1日に仙台空港へと足を運んだのである。

彼は「拝啓 トモダチ作戦に参加されている合衆国軍全将兵の皆様」と切り出した手紙を携えて、空港へ。尽力してくれた米軍一人ひとりに感謝の気持ちを伝えたかったという。そして手紙には、彼らに最高の賛辞を与えるため「伊達男」という言葉の説明が添えられていた(伊達男とは、宮城の武将伊達政宗に由来する言葉で、粋な男を意味する。伊達男=米軍)。

さらに、震災で荒地と化した町の本来の姿を映した写真を添えていたのである。英語力が拙かった彼は、mixiで協力を募り、なんとか手紙を完成させたそうだ。

会話に不安を抱いていた彼なのだが、さいわいにも応対してくれた大尉が日本語堪能な人物だった。大尉にお礼を伝えると海兵たちが次々と集まり、「サンキュー、トモダチ!」、「アリガトウ!」と温かく迎えられた。そればかりか、大尉の計らいで現場で指揮を執っていたコゼニスキー大佐と会うことに。大佐と会ったときのことを、彼はブログでこう綴っている。

「改めて事情をお話し、大佐の「あなたが撮ったの?」、「ここはどこの写真?」、「ご家族や家は大丈夫だったかい?」といった質問を、大尉さんに通訳してもらいながらお話ししました」

感謝を伝えに来たはずの彼だったが、大佐からは次のような言葉が飛び出した。

「海兵隊にいて長いが、こんなに嬉しいことはなかったよ」

そして、所属部隊のロゴが入った記念コインをいただいたそうだ。彼にとってこのメダルは一生の宝物になり、メダルに刻まれた「Semper fidelis」(ラテン語で「常に忠義・忠誠・忠実であれ」的意味)は彼の信条になった。物語はこれで終わらない。

彼はこの後に浜辺に移動し、流木などを使って、「ARIGATO」の文字を書いたのだ。「いびつだし、下手くそだからわかってくれるかはわからないけど、まあ、いい自己満足にはなったよ(笑)」と、発見される見込みが薄いのを承知で、砂浜に感謝の文字を書いたのだ。

ところが4月8日になって、この文字が「トモダチ作戦」指揮官、ロバート・トス空軍大佐に発見されたのである。そのときの様子が米軍横田基地のブログで紹介されたのだ。4月3日の出来事として、大佐自身の言葉でこう伝えている。

「走路に向かって最終アプローチをかけた時だった。滑走路27番に向けて800メートルほど離れた砂浜の上空を飛行していた時、ふと下を見るとそこに日本語の「ARIGATO」の文字があるのに気がついた。津波でなぎ倒された松の木を20~30本使ってかたどったらしい。

我々の支援など日本の人々の労力に比べたら、何でもない。それどころか、我々が去った後も彼らの戦いは続くのだ」
と発見したときの驚きを伝えている。

また、「仙台空港においてオペレーション・トモダチに携わった米軍は、すべて本州と沖縄の駐留部隊である。支援活動に派遣された全米軍人に代わって言いたい事は、我々を迎え入れてくれた友人であり隣人の日本の人々を支援できたのは我々にとって名誉だということだ」「日本の皆さん、ARIGATOにはおよびません」として、復興支援について振り返っているのだ。米軍の尽力により、どれだけの被災者が救われ、どれだけの日本人が勇気付けられたことだろうか。感謝をしてもし切れないほどだ。

なおこの内容は、ロケットニュース24の英語版で、海外向けに翻訳される予定である。支援してくれた兵士たちに、そして1人でも多くのアメリカの人々に、たった1人の「ありがとう作戦」について伝えたい。日本を支援してくれているすべての国の人のもとへ、「ありがとう」が届くことを願って止まない。

参照元:なんかいろんなもの。,Yokota Air Base
執筆: 佐藤英典
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