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Vol.93 2012年10月9日
ミャンマー~民主・経済改革で未来を拓く

現在,急速な民主化と経済改革が進むミャンマー。そのミャンマーに国際社会の注目が集まっています。少数民族との完全な和解等の残る課題もありますが,ミャンマー政府の前向きな姿勢に,日本をはじめ世界各国が支援の手を差し伸べています。今回は真の民主化に向けて力強く歩んでいるミャンマーについて紹介します。(※本原稿は2012年10月に作成されました)

ミャンマーという国

ミャンマー

ミャンマーは,インドシナ半島西部に位置する共和制国家。中国ラオスタイバングラデシュインドと国境を接し,東アジア,東南アジア,南アジアが出会う地政学的に重要な場所に位置しています。人口は約6,242万人(2011年 IMF推定)で,ビルマ族が約70%を占め,そのほかシャン族,カレン族,カチン族など135の少数民族が居住。国民の約9割が敬けんな仏教徒で,女性を含めた多くの国民が「徳」を積むために一時的な出家をすることでも知られています。なお,2005年後半から2006年3月頃にかけて,独立以来長年にわたって首都だったヤンゴンから,その北方約300kmに位置するネーピードー(移転後に命名)に首都機能が移転しました。

 
 

豊富な天然資源を有する農業国

田植え風景(写真提供:日本アセアンセンター)
牛は今でも農作業や乗り物として重宝されています(写真提供:日本アセアンセンター)

インド洋やベンガル湾に面し,南北に長いミャンマーの国土面積は約68万平方km(日本の約1.8倍)で,気候は熱帯または亜熱帯に属しています。国土の中央を3本の大きな川が南北に流れており,そのうち中央を流れるエーヤワディー川河口付近は広大なデルタ地帯となっており,ミャンマー最大の米作地帯となっています。ミャンマーの主要産業は農業ですが,機械化が進んでおらず現在も牛や水牛などを使っての農作業が行われています。ルビー,サファイア,ヒスイなど宝石の産地としても知られており,カチン州の山岳地帯は高級なチーク材の産地でもあります。また,天然ガスは東南アジア第3位の埋蔵量を誇っており,インド洋に面した美しいビーチなどの観光資源も含めた経済的なポテンシャルをどのように活かすことができるかが,今後のミャンマーの大きな課題です。

 

独立後,東南アジア指折りの豊かな国に

ミャンマー略史

ミャンマーの歴史は11世紀半ばに成立したビルマ族による最初の統一王朝・バガン王朝に遡ることができます。19世紀には英国領となりますが,アウン・サン将軍の活躍もあり,戦後1948年にビルマ連邦として英国からの独立を果たしました。1960年頃までのミャンマーは,米,宝石,木材などの産地として東南アジア有数の豊かな国として知られていましたが,1962年,軍事クーデターによりネ・ウイン将軍(のち大統領)による社会主義政権が成立すると,主要産業の国有化など社会主義的な経済政策が進められるようになりました。

古都バガンの仏教遺跡群
~遺跡インドネシアのボロブドゥール,カンボジアのアンコール・ワットと並ぶ世界3大仏教遺跡の一つ(右 写真提供:日本アセアンセンター)
 
 

社会主義政権~軍事政権で経済力が低下

社会主義政権下での閉鎖的な経済政策により,ミャンマー経済は長らく停滞を続け,1987年12月には国連から後発開発途上国(LLDC)の認定を受けるまでになります。翌1988年,ネ・ウイン政権退陣を求める全国的な民主化デモにより社会主義政権が崩壊し,デモを鎮圧した国軍がクーデターにより政権を掌握しました。社会主義政策から経済開放政策に転じた軍事政権ですが,民主化運動の弾圧やその指導者アウン・サン・スー・チー氏の拘束・自宅軟禁などに対して国際社会から大きな非難を浴びることになります。米国やEUはミャンマーに対して経済制裁措置及び金融制裁措置を実施し,これはミャンマーの国内産業の発展に大きなダメージとなりました。そうした中,1997年7月には東南アジア諸国連合(ASEAN)への加盟が認められました。

変わるミャンマー[1]~民主化と国民和解

少数民族シャン族の太鼓(写真提供:日本アセアンセンター)2010年11月,新憲法にもとづく総選挙が実施され,同月にはアウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁も解除されました。2011年テイン・セイン現大統領が就任し,ようやくミャンマーは民政移管を果たします。それまで軍事政権を担っていた国家平和開発評議会(SPDC)が解散し,新政府主導による民主化,国民和解(少数民族との和平交渉,停戦合意の推進),そして経済改革に向けた前向きな取組が次々に打ち出されました。そうした流れの中で民主化運動によって政治犯として収容されていた人々が釈放され,国内で政治活動ができないため海外へ移住していた民主化活動家に対しては,大統領自身がミャンマーの新しい国づくりへの参画を求め,これに応じて多くの有能な人材が帰国しつつあります。2011年8月にはスー・チー氏と大統領との対話も実現しており,国家の発展のためにお互いが協力することで合意しました。軍政と対立していたスー・チー氏ですが,テイン・セイン大統領に対しては,「信頼できる人物」と高く評価しています。2012年4月の議会補欠選挙では,スー・チー氏率いる野党・国民民主連盟(NLD)が大勝し,スー・チー氏自身も国会議員となりました。今後のミャンマーの更なる民主化に向けて,テイン・セイン大統領とスー・チー氏との連携が注目されます。

 

ミャンマー民主化の象徴アウン・サン・スー・チー氏

ミャンマー訪問時の玄葉大臣とスー・チー氏との共同記者会見(2011年12月)アウン・サン・スー・チー氏は,ミャンマー建国の父といわれるアウン・サン将軍の長女です。父は彼女が2歳の時に暗殺され,インド大使などを務めた母のもとで成長。やがて英国オックスフォード大学で哲学・政治学・経済学を専攻しました。1985年には京都大学東南アジア研究所研究員として日本への留学経験もあります。80年代後半に母の看病のためミャンマーに帰国したスー・チー氏は,そのまま母国の民主化運動リーダーとなり,1989年7月民主化運動を取り締まっていた政府当局により自宅軟禁措置を課されてしまいます。以後,計3回の自宅軟禁が繰り返され,オックスフォード大学で出会った英国人の夫(1999年死去)と再会することがかないませんでした。1991年には自宅軟禁中にノーベル平和賞を受賞。授賞式は欠席せざるを得ませんでしたが,自宅軟禁の解除後,2012年6月,ノルウェーにて正式に授与されました。

 

変わるミャンマー[2]~進む経済改革

ミャンマー最大の都市であり,旧首都ヤンゴン市街(写真提供:日本アセアンセンター)2011年の民政移管と同時に, ミャンマー政府は経済特区法の制定,労働団体法の施行,そして管理変動相場制への移行など,数々の経済改革政策を断行しました。特に管理変動相場制に関しては,それまで不明朗だった為替レートの統一化が行われ,海外企業がミャンマーでビジネス・投資を展開する環境が整備されつつあります。2012年4月,アウン・サン・スー・チー氏率いる野党・国民民主同盟(NLD)が議会補欠選挙で大勝すると,EUと米国は民主化への動きを高く評価し,制裁措置の緩和や一時停止を打ち出しました。また,現在,ミャンマー議会では外国投資法,農業関連法の改正なども審議されています。

 
 

伝統的な親日国・ミャンマー

「ミャンマー文化・スポーツ交流ミッション」において現地で柔道指導を行うミッションメンバーの山下泰裕氏 長年にわたって日本とミャンマーは歴史的にきわめて良好な関係を築いてきました。アウン・サン将軍などミャンマー独立の英雄たちは,第二次世界大戦中に旧日本軍の訓練を受けました。この時に日本語を覚えた軍人達が戦後になって政府の要職につき,閣僚のほとんどが日本語を解した時代もありました。現在でも日本語は英語に次ぐ人気外国語で,TV番組や映画など日本の映像コンテンツや近年ではアニメ,音楽なども高い人気を集めています。2012年6~7月にかけ,白石隆・政策研究大学院大学学長を団長とし,柔道家・山下泰裕氏,ファッションデザイナー・コシノジュンコ氏,元サッカー日本代表・北澤豪氏らをメンバーに擁する「ミャンマー文化・スポーツ交流ミッション」がミャンマーを訪問。イベントを通したミャンマーの人々との交流のほか,テイン・セイン大統領他関係閣僚や各分野の専門家らと会談を行いました。帰国後,同ミッションは玄葉外務大臣に,今後のミャンマーとの文化・スポーツ交流に関する政策提言(PDF)を提出し,このとき大臣自身もミャンマーとの関係を強化したいと考えていると述べました。

 

ミャンマー民主化を支援する日本

テイン・セイン大統領と握手を交わす野田総理(2012年4月)写真提供:内閣広報室米国・EUによる経済制裁,金融制裁が続いていた軍事政権時代も,日本はミャンマーを国際社会の中で孤立させないよう,常に「対話」の窓口を開いており,経済協力に関しても貧困層支援等に限定しつつ継続してきました。今後は,民主化・国民和解に向けての流れが本格化する中で,ODA(政府開発援助)による「経済協力」はもちろん,政府要人等がお互いの国を訪問する「人的交流」,市場経済の促進支援や投資促進など「経済分野」,そして前述の「ミャンマー文化・スポーツ交流ミッション」をはじめとする「文化交流」の4分野における協力をミャンマーとの変化を確固たるものとするため,バランスよく展開していきます。意欲的に民主化と経済改革を進め,自国の未来を切り拓く方向へと舵をきったミャンマー。今,政府から民間まで,幅広い分野で日本との新しい関係が始まろうとしています。

今後の対ミャンマー経済協力の方針
 
 
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