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“預金封鎖”の真実

2月18日 17時55分

江崎大輔記者

終戦後間もない昭和21年2月16日、時の日本政府は預金の引き出しを厳しく制限する「預金封鎖」を突然発表しました。
日本経済を襲った猛烈なインフレを抑えるためだと国民に説明された「預金封鎖」。
しかし、その政策決定過程を検証していくと、現代の日本にも通じる深刻な財政問題が底流にあったことが見えてきました。
特別報道チームの江崎大輔記者が取材しました。

預金封鎖で国民生活は

突然通告された預金封鎖を国民はどう受け止めたのか。
当時のことを証言してくれる人を探すなか、私は、兵庫県芦屋市に住む大阪市立大学名誉教授の林直道さんにたどり着きました。

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現在91歳の林さん。
当時は22歳の学生で大阪で母と姉の3人で暮らしていました。
当時、一家の蓄えは3万円ありましたが、「預金封鎖」で突然自由に引き出せなくなり、途方に暮れたといいます。
特に、手持ちのお金が不足したことで、ただでさえ足りなかった食料がさらに手に入りにくくなり、川の堤防に生えている草をゆがいて、ごく僅かのご飯とともに食べたこともあったと、当時の窮状を語ってくれました。
林さんは「封鎖」の印が押された当時の通帳を今も保管していて、預金封鎖について「突然の発表に仰天し、恐怖感すら抱いた。こつこつ貯めたお金が使えないということは本当につらかった」とも語っていました。

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預金封鎖はなぜ断行された?

日本政府が預金封鎖を発表したのは今から69年前、昭和21年2月16日でした。

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当時の日本は、物資や食料が極度に不足し猛烈なインフレが起き、経済は破綻しかねない状態にまで追い込まれていました。
そこで政府は流通するお金の量を強制的に減らしインフレを抑えこもうと預金封鎖を断行しました。
時の大蔵大臣、渋沢敬三氏は「政府はなぜこうした徹底した、見ようによっては乱暴な政策をとらなければならないのでしょうか。それは一口に言えば悪性インフレーションという国民としての実に始末の悪い、重い重い病気を治すためのやむをえない方法なのです」と呼びかけ、国民に理解を求めました。

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預金封鎖後、物価上昇の動きは弱まりました。
しかし、それはあくまで一時的で、その後、インフレは収まるどころか、逆に加速していきました。
その結果、預金は封鎖された2年余りの間に価値が大きく毀損しました。
林さんは「何十年もかけて貯めてきたお金なのに、数か月分の生活費しか残らなかった。 戦時中、そして戦後も国民はさんざんな目に遭った」と憤りを隠しません。

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預金封鎖もう1つのねらい

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国民生活を混乱させ犠牲を強いた預金封鎖。
この手荒い措置がどう決まっていったのか。
私は政策決定過程を検証しようと財務省に情報公開請求を行い、当時、非公開とされた閣僚や官僚の証言記録を入手しました。
すると、インフレ対策とは別に、もう1つのねらいがあったことが見えてきました。
それが如実に記されていたのが、渋沢大臣の証言記録です。

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この中で渋沢大臣は大蔵官僚だった福田赳夫氏から『通貨の封鎖は、大臣のお考えでは、インフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか』と問われたのに対し、『いやそうではない。財産税徴収の必要から来たんだ。まったく財産税を課税する必要からだった』と答え、預金封鎖に込めたもう1つのねらいを吐露していました。

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渋沢氏が語った“財産税”とは? それは、国が戦争で重ねた膨大な借金の返済を国民に負わせる極めて異例の措置でした。

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「国債を買って戦線へ弾丸を送りましょう」。
政府は戦時中、国民に国債の購入を促し、国債を大量に発行しました。
その結果、政府の債務残高=借金は急増し、終戦前の昭和19年度末には対国民総生産比204%にまで膨らみ、財政は危機的状況に瀕しました。
このため政府は、借金返済の原資を確保しようと国民が持つ預貯金のほか、田畑、山林、宅地、家屋、株式など幅広い資産に25%から最高90%の財産税(対象10万円超)を課税することを決めたのです。
ただ、財産税を課税するには対象となる国民の資産を詳細に把握する必要がありました。
つまり、預金封鎖には、財産税徴収の前提となる資産把握のねらいもあったのです。
大蔵官僚の証言記録からは財政再建のためには国民負担もやむをえないという当時の空気がうかがえます。
『“天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏みつぶすということはとんでもない話だ” “取るものは取るうんと国民から税金その他でしぼり取る。そうして返すものは返す”』。

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さらに、戦時中を思わせるようなことばもあります。
『「一億戦死」ということばがある。みな一ぺん戦死したと思えば、相続税を一ぺん位納めてもいいじゃないか』。

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東京・北区にある旧古河庭園も財産税で国に徴収された資産の1つです。
申告された財産税の税額は国全体でおよそ400億円に上りました。
預金封鎖と財産税を決めた渋沢氏は後にNHKの番組で、「国民に対してこんなに申し訳ないことはないと思う。焼き打ちを受けると思うぐらいの覚悟をした」と振り返っています。

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預金封鎖現代への教訓

預金封鎖から69年。
国民の負担のもといったん改善した財政は、バブル崩壊後、経済対策として繰り返された財政出動、そして高齢化の進展による社会保障費の増大で再び悪化の一途をたどっています。
国の借金は今年度末に1100兆円を超え、対国内総生産比232.8%にまで膨らむ見込みです。

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日本総合研究所調査部の河村小百合・上席主任研究員は、当時と今では状況が大きく異なるとしたうえで、「国として負った借金というのは国民の借金であり、万が一、うまくまわらなくなれば間違いなく、国民にふりかかってくる。厳しい財政状況を国全体としてきちんと受け止める必要がある」として、悪化し続ける国の財政状況に警鐘を鳴らしています。

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ことしは戦後70年にあたります。
今回の取材で私は、林さんが「戦争は絶対にするものではない」と話していたことが強く印象に残りました。
なぜ日本は借金を重ねてまで戦争を続けたのか?その借金のつけをなぜ国民が負わなければならなかったのか?当時を証言できる人が年々少なくなっていくなか、いち記者として歴史の事実を取材し、伝え続けていかなければならないと深く考えさせられました。

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「預金封鎖」と「財産税」は、今では考えがたい措置で、経済大国となった現代の日本と当時とを安易に重ね合わせるわけにはいきません。 しかし、日本の財政が今、先進国で最悪の水準まで悪化していることを考えると、歴史上の出来事だと片づけてはならない問題だともいえます。 政府は、この夏までに今後5年間の財政健全化計画を策定することにしています。 歴史の教訓を肝に銘じ、同じ過ちを2度と繰り返さないよう現実を直視することが、現代を生きる私たちの責務ではないでしょうか。


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