時論公論 「日韓これからの50年」2014年12月27日 (土) 午前0:00~

出石 直  解説委員

1965年の6月、日本と韓国の外相が握手を交わし国交を回復しました。当時の日本の首相は  安倍総理大臣の大叔父、おじいさんの弟にあたる佐藤栄作氏。韓国側はパク・クネ大統領の父親のパク・チョンヒ大統領でした。
日韓が国交を回復してから来年で50年。しかし、今、両国の間には、深い溝が横たわっています。この時間は、日韓関係のこれまでの50年を振り返り、これからの50年を展望します。

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【65年の国交正常化】
困難な交渉の末、終戦から20年が経った1965年になって日本と韓国はようやく国交を正常化  させました。当時、両国が置かれていた環境は対照的でした。

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日本は高度経済成長の真っただ中、焼野が原から奇跡の復興を果たし、サンフランシスコ平和会議を経て国際社会に復帰、前年の1964年には東京でオリンピックを開催するまでになっていました。一方の韓国は、35年間の植民地支配は終わったものの南北に分断され、朝鮮戦争を経て  パク・チョンヒ氏がクーデターで政権を掌握し軍事政権下にありました。経済再建では北朝鮮の後塵を拝し、政治的にも経済的にも大きな困難に直面していました。

結局、韓国側が求めていた過去に対する謝罪は盛り込まれず、日本が5億ドルの経済協力を行うことで長い交渉は決着しました。共産主義勢力への対抗という冷戦下の政治状況に加え、経済再建を急ぎたいという韓国政府の思惑が優先されたということを、まずここで抑えておきたいと思います。


【冬の時代から春の時代へ】
韓国併合から国交正常化までがいわば“冬の時代”だったとすれば、日韓関係はその後、紆余曲折を経て、やがて“春の時代”を迎えます。

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1998年には小渕首相とキム・デジュン大統領によって「日韓パートナーシップ宣言」が出され、  “未来志向の両国関係”が打ち出されました。2002年のワールドカップの共同開催に合わせて、戦後、皇族として初めて韓国を公式訪問した故、高円宮(たかまどのみや)さまは「近くて遠い国が近くて遠くない国になった」という言葉を残しています。 
ドラマ「冬のソナタ」に端を発する韓流ブームで、日本には韓国ドラマや映画、KPOPなど韓国文化があふれ、ソウルの繁華街ミョンドンには大勢の日本人観光客が押し寄せました。この間、韓国は、「ハンガン(漢江)の奇跡」と呼ばれる目覚しい経済成長を遂げて北朝鮮をはるかに引き離し、1988年にはオリンピックを開催。今では世界第14位の経済大国、G20の一員として政治的にも経済的にも大きな存在になりました。

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【再び冬の時代へ】
しかし、今、日韓関係は再び“冬の時代”を迎えています。
安倍総理大臣とパク・クネ大統領による首脳会談は、オバマ大統領を交えての会談を除いてまだ一度も実現していません。政治レベルの対話は極端に少なくなっています。

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国民感情にも変化がみられます。ことし7月に行われた調査によりますと、韓国に対して 「良い」「どちらかと言えば良い」印象をもっている日本人は20%あまり、日本に対して「“良い”印象」をもっている韓国人は20%足らずでした。逆に「良くない印象」をもっている日本人は5割強、韓国人では7割以上に上っています。

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日本を訪れる韓国人は円安を背景に増えているものの、韓国を訪れた日本人は大幅に減り、ことしはさらに落ち込む見通しです。かつて日本人で賑わっていたミョンドンの商店街は、
今では中国人観光客で埋め尽くされています。

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【悪循環を断ち切るには】
なぜ再び日韓関係は冷え込んでしまったのでしょうか。
今、両国を隔てているのは、何と言っても歴史の問題です。その根は、1965年の
国交正常化交渉にあります。

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国内事情を優先して政治決着を図らざるをえなかった韓国が、民主化して豊かになり、娘のパク・  クネ大統領の時代になって日本に歴史認識をめぐる問題を迫ってきたのは、ある意味、宿命的だったと言えるのかも知れません。残念なのは、歴史認識をめぐる葛藤が、相手国に対する世論を悪化させ、悪化した世論が政治的な歩み寄りを阻むという悪循環を生んでいることです。まずはこの悪循環を断ち切ることから始めるべきと考えます。

 

私なりに3の提案をしたいと思います。
「違いを認識する」
「できることを増やしていく」
「互いが必要とされる存在となる」。

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▽まず「違いを認識する」
日本人と韓国人は文化や歴史面で多くの共通点がありますが、考え方や行動様式には少なからぬ違いがあります。日本人は法や秩序を重んじ、韓国人は道徳や感情を重視する傾向にあります。韓国人はよく「走ってから考える」と揶揄されますが、日本人は「じっくり考えてもなかなか歩きださない」慎重な性格です。もちろん歴史認識をめぐっても違いがあり、これが相手に対する悪い感情につながっています。
たとえ不満や批判があっても“悪口は言わず”胸の中にしまっておく。互いに違うことを認め、違いに寛容になる。これが、ひとりひとりができる日韓親善の第一歩ではないでしょうか。

▽次に「できることを増やしていく」
例えば第三国での共同事業です。インドネシアのスラウェシ島では日本と韓国の企業が協力して  LNG=液化天然ガスの共同開発を進めています。開発リスクを分散するだけでなく、夏場は日本へ、冬場は韓国へとそれぞれのエネルギー需要のピークに合わせた供給も可能になります。


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2018年にはピョンチャンで冬のオリンピック、2020年には東京でオリンピックが開催されます。  キャンプ地を融通しあったり、観光客を共同で誘致したりするなど、地理的な近さを活用した協力もできるのではないでしょうか。他にも、少子高齢化、環境、防災などなど、協力できることはたくさんあります。解決の難しい問題にこだわって立ち止まるのではなく、まずはできることからどんどんやっていく。これも関係改善の近道と考えます。

▽最後に「互いが必要とされる存在になる」
いくら友好親善といっても、お題目だけでは前に進みません。互いが必要とされる存在になるためには、政治的にも経済的にもそして文化的にも、相手から一目置かれる、尊敬されるような国にならなければなりません。


【まとめ】
今月になって、長年いがみ合っていたアメリカとキューバが国交正常化に向けて交渉を開始するという大きなニュースが飛び込んできました。ことし4月にはアイルランドのヒギンズ大統領がイギリスを訪問し、過去の植民地支配や宗教対立をめぐる歴史的な葛藤に終止符を打っています。もうすぐやってくる2015年は、日本にとっては戦後70年、韓国にとっては植民地支配から解放されて70年の節目の年でもあります。困難を乗り越えて国交正常化を果たした先人達の努力に思いをはせ、日韓両国が再び“春の時代”を迎えることを願いたいと思います。 

(出石 直 解説委員)