「特高月報」に見る庶民の本音

 

戦前・戦中の日本には、「特別高等警察」(特高)という恐るべき暴力集団があった。政治的・思想的活動を徹底的に弾圧し壊滅させ、場合によっては横浜事件のようにデッチ上げ、言い掛かりで事件を仕立て上げた。小林多喜二のように拷問で殺された者も少なくない。

この組織は、知識人らの言動、労働争議の動向、「非合法組織」や宗教団体の活動だけでなく、庶民の些細な言動まで嗅ぎまくり、さらには便所の落書まで神経を尖らす偏執的集団だったのである。

 

この組織が丹念に収集していた記録は「特高月報」という極秘の内部文書に記された。お蔭様で当時の日本人の本音がよく分かる資料が後世に残されることになった。愚かしい戦争と天皇制というこの国の負債(笑)、そして東京裁判での訴追を器用にすり抜けた昭和天皇裕仁を嫌い、呪う声も多かったことが一目瞭然である。

物好きにも便所の落書の内容まで記録したような変質者集団が存在したおかげで、「2ちゃんねる」などなかった当時では便所の壁でなければ書くことの出来ない生の感情まで知ることができる。東京都立中央図書館所蔵の「特高月報」(文生書院、複製版)シリーズより引用する。

 

昭和十六年二月 (一)不敬不穏事件調  七.不敬不穏事件竝に反戦反軍事件調

★熊本/不敬落書・・・・熊本市公會堂表玄関婦人便所内壁に男女交接の繪を書き之に不敬字句を記載しあるを二月八日発見す・・・・捜査中(P-23)

 

★長崎/不敬落書・・・・北松浦郡鹿町村歌ヶ浦尋常高等小学校職員室に安置し在りたる御眞影奉安庫前面扉外部に釘又はのみ様の金属を以て

「ザンネンニタエズ」

と落書し且「ペンチ」釘抜等を用ひ奉安庫開扉の爲錠前破壊に努めたる痕跡あるを發見す・・・・捜査中(P-23)

 

昭和十六年三月 (一)不敬不穏事件調  五.不敬不穏事件竝に反戦反軍事件調

★茨城/不穏落書

三月二十三日水戸市泉町廣小路電車停留所南側光州便所内張板に黒鉛筆にて

「天皇をたほせ」

 「日本の天皇のヘノコは一尺五寸」

 「天倒せ」

と落書しあるを發見す・・・・捜査中(P-12)

(「ヘノコ」っつーのはチンポのことか?一尺五寸とはかなりな巨根だねw)

 

★岡山/不敬落書

三月二十七日岡山県浅口郡長尾町構内便所内側に藍色クレオン様のものを以て

「天皇大悪人」

「天皇大国賊」

と落書しあるを發見す・・・・捜査中(P-13)

 

★山口/不敬投書

徳島市西沖原二九四五  山崎福子 一四

三月21日付日附印ある左の如き内容の投書を徳山市役所羽仁清宛に差出す

「天皇陛下の大ばかたれくそたれめ天皇の位を下がれ

・・・・思想上の容疑及び背後関係なく単なる怨恨によると認められ調書を徴し実母に引渡す(P-14)

 

昭和十六年四月  五.不敬不穏事件竝に反戦反軍事件調  (一)不敬不穏事件調

★警視庁/不敬落書

四月十一日浅草区松葉町公衆便所内に

「天皇バカ、天皇ノバカ」

と落書しあるを發見す・・・・捜査中(P-22)

 

★京都/不敬落書

四月十八日南桑田郡篠村山陰本線馬堀駅待合所賃金掲示表下部欄外に鉛筆を以て

「天皇を侵すべし」

「皇族は国の厄介ものなり」

と落書しあるを發見す・・・・捜査中(P-22)

 

「昭和十八年十月  不敬不穏事件調」

(一)不敬不穏文書貼布並に投書犯人検挙状況

静岡県に在りては昭和十二年十月より昭和十八年八月までに六ヶ月間(自昭和十三年、至昭和十六年間犯人満州在住の為中断)継続して不敬不穏文書を貼布或は投書を為せる事件を検挙せるが、状況左の如し。

(1)被疑者     静岡県清閑町七九  無職 佐藤嶂之助(四二)

(2)検挙の状況   昭和十二年十月四日午後八時頃静岡市追手町奮静岡御用邸正面右側堀外二箇所に障子紙に毛筆を以て、

『特務兵殺スナ 犬死ダ 一時金モ何ニモ無用ダ』

『戦地ニアリテハ皆一様ニセヨ 天皇陛下ヲ倒セ

天皇陛下ヲ殺セ 日本ハ共産国ニセヨ』

『国民ニ等級ハ不都合ダ』

と記して之を貼布セル事件発生セルガ更ニ同年同月『天皇陛下殺セ』『共産日本来ル』と記載せる不敬文書四枚並に田上部隊長留守宅宛の同部隊長に対する非難攻撃、特務兵に対する差別撤廃を記載せる反軍反戦的不穏投書を数回に亘り敢行せり(長いので後略)

 

(二)其の他

★不敬落書  (被疑者不明)

九月八日釧路市大町一丁目文洋堂印刷所片垣長は、自宅金庫内に在りたる現金を整理中、五十銭紙幣一枚の表面菊御紋章に『バカ』と記載しあるを発見せり。

 

★不敬言辞・・・・北海道上川郡多寄村第七部落 昭和クローム株式会社 木原組飯場内鉱夫 平松平吉 五〇

被疑者は性粗暴言動過激なるところより豫て注意中の處、九月二五日午後六時二十分頃北海道雨龍郡帆加内村字朱鞠内飲食店『サロン』こと森川ハヤミ方に於て飲食中偶々臨席に於て飲食中の者より軍神加藤少将云々の談片を聞くや、

『加藤少将は何が偉い、あれは結局運が良かつたのだ、俺だつてあの位の事はして見せる、東条首相も何も偉くない、この頃の戦争や政治のやり方は何だ、俺も総理大臣にして見ろ、もっと上手にやつて見せる、天皇陛下が何だ、何も尊敬する必要はない、俺が打殺してやる

と不敬の言辞を放言す

 

★不敬言辞・・・・横浜市港北区北机町七六三  神本佐一 五〇

被疑者は高等小学校卒業後本籍地に於て農業を営み、昭和十六年一月以降居町第三十隣組の組長となり現在に及びたる者なるが、常に大言壮語を為す癖を有し、昭和十七年十二月中旬居町七七八市川吉之助方に於て開催せられたる右隣組会の席上談中五箇条の御誓文に及ぶや組員たる羽鳥喜助外九名に対し、

『勅語は大臣が作って天皇陛下は目を通す丈だ、天皇陛下は飾り物でこんな物は穀潰しだ

と放言し畏くも天皇陛下に対し奉り不敬の行為ありたるもの

 

「昭和十八年十二月  不敬不穏事件調」

★不敬言辞並行為

・鹿児島市上龍尾町九六 西日本新聞鹿児島通信支局記者 中村大海 二九

・宮城県宮城郡清武村大字上今泉 無職 川井満 二六

被疑者中村大海は昭和十七年六月満州国中央警察学校在学中同校洗面所に於て同僚たる被疑者川井満に対し、

天皇の奴は暑い日寒い日知らずに山海の珍味を並べ国民を奴隷扱ひにして太へ面しやがつてしやくに障つて仕様がない、何時かは政体が変る、道理から言つて大統領政治が正しい、一国の長に立つ者は其れ丈の学識と才能を兼ね備へたものが立つのが当り前だ、人民の総てがこの人ならと思ふ人を大統領に立つべきだ、大統領になる人も一年毎に変へなければいかぬ、あれが此の世の本当の穀潰しだ天麩羅で似合つて居る』

と申向け、本年七月初旬鹿児島市冷水町三二有馬ヒサ方に於て同宿者三好光雄に対し、

天皇の奴も今頃は皇后陛下とテクテクして居る事だろう』

と放言し、本年八月中旬午後三時頃鹿児島駅前便所内東側奥の厠内板壁に

『天皇はゴクツブシダ』

と鉛筆にて落書きし(長いので後略・・・・)

 

★反戦落書  (被疑者不明)

本年十二月九日正午頃小田原市緑町四丁目市内電車小田原駅発着ホーム私設共同便所羽目板床上二尺位の個所に青インク萬年筆用のものにて、

『諸君

日本は何故今度の戦争をやつてゐるんでせう

苛烈な戦争を幾萬の生命物資を消費して何が聖戦でせうか

満州支那いや世界を制覇しようとするのでしよう

侵略主義の日本の政治家よ

正義は何時でも勝つ

欺まん何時の時代でも永続きはしない

日本も滅びる時が来たのだ

噫――同胞よ反対せよ』

と達筆に落書しあるを発見す。

 

★反戦言辞・・・・千葉県匝瑳郡須賀村大字高野九六四  農業 山田 祐   三七

被疑者は嘗て日本共産青年同盟に加入し果敢なる運動を展開して検挙せられ懲役三年に処せられたる前歴を有するものなるが、本年七月千葉県木工船補導所生徒募集に応じ、館山市所在県木工船補導所生徒として入所中のものなるが、本年八月下旬並九月上旬夜の二回に亘り生徒寄宿舎に於て時局問題を論談中、同僚生徒花井彌太郎外九名に対し、

『日本は宣戦布告と同時に真珠湾を急襲したが為斯様な戦果を得たもので言わば空き巣狙をしたものだ

宗教と戦争は別物だ、アメリカ人だつて魂は持つて居る、日本がこの戦争に敗けてもアメリカ人は其の国民性として日本人を奴隷にしない、憎むべきは戦争で戦争は罪悪である』

旨放言す。

 

 

さらに「日本終戦史・上」(林 茂/他編 読売新聞社 昭和37年8月15日第三刷)の、

「内務省がとらえた『不穏な言動』」(P196〜)より、1945年8月「特高月報」の、

「最近に於ける不敬、反戦反軍、其他不穏言辞の状況 保安課第一係」から引用する。

【反戦反軍的言辞】

「生活逼迫を訴えて戦争停止を希ふもの」

「無条件降伏を為すも責任を問はるるのは戦争指導者のみにして下層国民の生活に現実以上の悲惨は齎されすと為し敗戦和平を希ふもの」

「上層軍人の特権的生活に露骨なる憎悪感を示すもの」

「戦禍の悲惨を訴へて降伏を希ふもの」

「軍部は自らの無能無定見を隠蔽し只管敗戦の責任を国民に転嫁しつつありとするもの」

「我国の敗戦必死なりとして即時敗戦の交渉を希ふもの」

 

●「諸君、国内の現状で戦争に勝てると思ふか。軍人官吏や戦争成金共だけ不自由なく暮らして行って滅び行く中産階級以下は喰うに米なく衣物なく只働け働け貯蓄せよと怒鳴り付けて居るではないか。戦争に行って皇国を安泰にするには彼等戦争を好いことに儲けて贅沢をして居る奴等を皆殺しにしなければ駄目だ。

戦争の為に死んで行くあはれな我が子を我が夫を殺した者は敵ではなく戦争で儲け戦争で出世する戦争商だ。万朶は散って一将の功になり一億の国民は途端に喘いで軍需商共は肥える一方ではないか」(劇場内落書)

 

●「敵米国軍が我が本土に上陸したら米国旗を掲げれば敵も殺しはしないだらう。早く降伏しないと国民を殺すばかりが能ではない。国民は軍閥の犠牲だ・・・云々」(言辞 犯人検挙)

 

●「日本は到底米英と戦っても勝つ見込みはない。一日も早く降参することが日本を救ふ道である・・・云々」(言辞 犯人検挙)

 

●「こんな勝ち目のない戦争をする阿呆見た事ない。もっと廻りを見てから戦争せい。馬鹿野郎」(落書 犯人検挙)

 

●「前略・・・一体何時迄私共は之の苦しみ之の恐ろしい思ひを続けていったらよろしいので御座ゐませうか。政府や軍部の人間は自分達只掛声ばかりして居て国民をこんなにも沢山死なせてまだまだ毎日ざくざく死なせてよくもまあ平気で居られたもので御座いますね。

一体我々国民を人間と思って居るので御座ゐませうか。戦局が少しでも有利な時にはまるで自分達が勝った様なことを言ひ、少しでも不利な時には国民に塗りつけて何といふ恐しい人々でう。今迄はこんな恐ろしい国だとは思って居りませんでした。今度の戦争で日本といふ国が情も容赦もなく恐ろしい国だということが始めて判りました・・・云々」(徳富蘇峰宛投書)

 

●「食ふ米なしの戦さより負けて腹の肥る方がよからう」(落書)

 

●「戦争に負けても勝っても役人と違って我々百姓には大した関係はない。もし戦争に負けてもこれ以上配給が減るようなことはないと思ふ」(言辞 犯人検挙)

 

●「敵は軍部の偉い人と政府の大官である。自分たちは贅沢な生活をして安全な防空壕に這入って国民にはイモを食はせ申訳けの防空壕で戦争させ毎日空襲のあるたびに何万人と殺して居る」(投書)

 

●「もう一生懸命働いてもつまらぬ。どうせ今度の戦争は負けだ。其の様な事になれば今の内に無条件降伏をした方がよい。無条件降伏をしても百姓をどうして殺すか。兵隊とか手向ひする者は殺されるかも知れんが、俺達は手向ひせず食糧を作って向ふに売込めば良いのだ。

今こそ百姓は政府から奴隷扱ひにされて居る。それ何を出せ何を供出せよと随分酷い事をして居る。今こそ奴隷扱ひだ。アメリカの政治は日本の政治より軟らかいから戦争に負けた方がいまより楽になる」(言辞 犯人検挙) 

 

【不敬言辞】

「敗戦必至を前提として陛下の御将来に不吉なる憶測をするもの」
「敗戦後、戦争の責任は当然、陛下が負い奉るべきなりとなすもの」
「戦局悪化の責任を畏くも陛下の無能力にありしとなし奉るもの」
「戦争の惨禍を国民に与えたる者は陛下なりとして、これを呪詛し奉るもの」
「陛下は戦争圏外に遊情安逸の生活をなしたりものとして、これを怨嗟しまつるもの」

 

◆「日本が負けて天皇陛下はどうなるやらう」

「天皇陛下は淡路島でも貰ふやらう」

「そんなことはない。どこか南洋か外国へ連れて行かれるのやないかと思ふな」(言辞 犯人検挙)

 

◆「戦争に負けた処で吾々は殺される心配はない。殺されるのは天皇や大臣等の幹部ばかりだ」(言辞 犯人検挙)

 

◆「若し戦争に負けた場合は此の責任は陛下が負ふべきもので一般国民には影響はない。アメリカが政治をとってもスターリンがとっても一般国民には変わりはない」(言辞 犯人検挙)

 

◆「天皇陛下は呑気に写真にうつって居るが人の子供をうんと殺してこげな大きな顔をして居る」(言辞 犯人検挙)

 

◆「これ天皇や一寸申告するぞ。貴様はほんとにばかだな。戦争するなら物資を十二分としてからのことだよ。貴様は毎日何をのんべんだらりとして居るか。元寇の役を思ひ出せよ。あの時の天皇様は伊勢に立ちこもられたる為神風にて追い払へたのだよ。貴様は国民を苦しめて毎日のんべんだらりと生活してゐるから見よ伊勢神宮は丸焼けだ」(投書)

 

◆「遺家族の衆、貴方達は一時金が貰へるし扶助料が貰へるのでよい事だ。毎日毎日供出供出俺らなんか天皇陛下が死んだら丁度よいと思ってる」(言辞 犯人検挙)

 

 

・・・・私は昔からボンヤリと、「戦時中の一般の日本国民は、戦争に対して、昭和天皇に対して、どんな本音があったのだろうか?国民全員が一も二もなく戦争継続に賛成だったわけではあるまい?ヒロヒトに対しての反感も無かったわけではあるまい?」・・・・と考えていたのだが、まさにその通りだったのである。当時の国民の中にも、戦争の無意味さを嘆く者、また全ての元凶である天皇(制)に対して不満を募らせる者が決して少なくなかったのである。(酒の席での「放言」で検挙された者など、たまたま密告されただけ、運が悪かっただけではないだろうか?実際はその程度の会話など巷に溢れていたのではないだろうか?)

 

扶桑社の歴史教科書(2001年度版)には、

「物的にもあらゆるものが不足し、寺の鐘など、金属という金属は戦争のために供出され、生活物資は窮乏を極めた。だが、このような困難の中、多くの国民はよく働き、よく戦った。それは戦争の勝利を願っての行動であった」(P-284)

との記述がある。それもまた事実だが、「多くの国民」以外の、上記のように密かに不満を漏らしていた国民も存在したことも知らなければ、歴史を正しく理解したことにはならない。

 

「不敬」な言動を取り締まっていた「特高」も、こうした国民の本音に接して背筋が凍る思いがしたことだろう。こうした世情のなかで終戦後、GHQが天皇制を廃止したとしてもさほど混乱は起こらなかったであろうと考える。(終戦後、天皇制の廃止を望む声も決して少なくはなかった)

 

ところで・・・・当時の日本は、思想的な発言・文書だけが取り締まられていたのではなかった。

「特高月報 昭和十八年十二月 

大東亜戦争に対する在住朝鮮人の動静 (二)流言飛語の他 取締状況」

★造言飛語・・・・

本籍 慶南慶州郡陽南面下西里七〇九 

住所 大阪市都島区生江町六〇四壽楽荘 溶接工 文鎮洙コト 平本久雄 當二十三年

本名は本年三月十二日自己の就労先たる石炭金属工業株式会社天満工場に於て内地人職工上等水兵阿部吉勝よりミッドウェー海戦の体験談を聞き之を捏造して翌十三日都島区赤川町朝鮮人平本泰壽方に於て同家人に対し、

『昨年のミッドウェー海戦の大本営発表は真相とは違って居る、実際は其の時海戦に参加した海軍水兵が帰つて来て話すところによると日本軍は予期しない時に敵機の襲撃を受けて一機の飛行機も航空母艦から飛立たない中に航空母艦四隻共敵機の爆弾の為沈められて了つたさうだ、其の水兵の乗つて居た軍艦伊勢も危くて逃げて来たさうである、新聞に発表されて居る事も信用ならない』

と流布し、更に五月初旬同家に於て、

『朝鮮は内地より配給米が少く一人一日一合で蔚山方面では最近二、三十名の餓死者が出たさうである』

と流布せり。

 

そしてこの朝鮮人は、「言論出版集会結社等臨時取締法違反」として「検挙送局」された。

しかしミッドウェー海戦に於いて日本海軍は「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」という重要な空母4隻を失うなど大損害を蒙った。この朝鮮人の言ったことも概ね正確である。

恐らくこの朝鮮人は、「阿部吉勝」という水兵からミッドウェー海戦の真相を知らされて得意になって吹聴し、そのため摘発されたのだろう。正しい事実を口にしただけで逮捕されるという、信じられないようなバカげた事が、この国では60年前までは当然のように行なわれていたのである。

戦時中、国民は戦局に関する正しい情報を与えられず、「大本営発表」に惑わされ続けていた。南京大虐殺も国民に知らされたのは終戦後だった。真実を知ることも、語ることも許されなかったのである。思想・言論の自由を奪うには、国民の耳目を真実から壟断することも必要だったのである。

 

・・・そして現在、「共謀罪」という名で治安維持法の復活を狙っている自民党政権は、「メディア規制3法案」を成立させることで、政府のお墨付きの情報しかもたらされない世の中の再現を目指していると思われる。

 

2004/09/06 NC4歴史ボード19003、19180より追加し作成。)

2005/12/13 全面的に追加、訂正、見直し)

 

 

 

追記:

戦後、昭和天皇の処罰と天皇制の廃止を望んでいた国民の声を、「戦争責任・戦後責任」(粟屋 憲太郎/他著 朝日選書)収録、P-107〜「東京裁判に見る戦後処理」より引用する。

「国際検察局文書の中には、“Numerical Case Files”という膨大な文書群がある。筆者は吉田裕氏と共同でこの文書を編集して、最近、『国際検察局(IPS)尋問調書』全52巻(日本図書センター、93年)として刊行した。

この文書の中に、『天皇裕仁』(同第53巻収録)というファイルがある。これには天皇への尋問調書が収められているのではなく、天皇戦犯問題をめぐってマッカーサーやGHQにあてた日本人の投書が集められている。」

このファイルには、天皇の戦争責任を否定し、彼を裁かないよう訴える手紙も多く見受けられたという。もっとも「一人で何通も天皇免責・助命の手紙」を書いたと思われる物や、「同趣旨」の物が「上からの組織的な動きによって」書かれたと見られる手紙もあり、多くは「論理的なものではなく、心情的な訴えをしたもの」だという。しかし、「天皇制廃止、天皇戦犯訴追」を訴えた手紙も多く、「長文で論理的なものが多い」という。

「神奈川県の男性は、『東條は総理大臣、陸軍大臣、参謀総長としての責任を負ふべきであり、天皇は国家の元首として、且つ又陸海軍の最高統帥者としての責任を負ふべきであり、天皇制度は軍国主義の温床としての責任を負ふべきであり』『我等は東條を憎むの余り、天皇の責任までも東條に負はせてはならない』『天皇が現在平和主義者であることを声明したとしても、日本の元首として、対米英其の他の諸国に対して戦争を承諾し、空前の惨虐事件を惹起するに至つたその責任は断じて負はなければならない』『日本を真に民主主義化するためには、この原始的、迷信的皇室制度を廃止することを考慮する必要がある』と、マッカーサーに訴えている。」

 

「熊本県の男性は『戦争犯罪人の検挙を望む』として、『今日、政界、官僚の上層部に於て、天皇陛下には戦争責任なしと論ぜられているのは何故であるか。尚又、宣戦の大詔が論議されないのは、吾々にはどうも合点が行かぬ。憲法には、統治の大権は厳として天皇陛下が御掌握なされて居る、宣戦の布告も講和の締結も陛下がなさることになつて居る。而も陛下は大元帥であらせられる。それに何ぞや、天皇陛下に戦争責任なきとは。不合理も甚しいと思ふ。是では天皇の大賢を否定することなり、又、憲法違反となり、天皇の崇厳さもなくなり、憲法も一片の反故となる。彼の宣戦の大詔は此度の戦争の原動力をなして居る。学校、官公署、常会等で朝夕、是を拝聴して国民は大いに発奮した。百の名士の演説よりも彼の崇厳なる大詔に感激した。然るに今日、此の大詔が何の論議とされぬとは不可解千万である』『吾々は天皇陛下の統治の大権を確認して居るものである。又、それ故に戦争責任者の最高は天皇陛下であらせられると思ふ』と述べている」

 

「神奈川県の別の男性は、『天皇制廃止論』として、『明治維新以来の日本の支配者たる軍閥・官僚が彼等の人民に対する支配を強固たらしめる目的の為に非科学的なる神話、伝説を利用し、天皇を神秘化し、神聖化し、現神人(ママ)として国民を教育し、信じ込ませた。その結果、無智なる一般人民は今なほ天皇を神の如くに崇拝している。この状態では人民の頭を民主主義的に切り換へる事は絶対に不可能である。それには天皇の封建制、非民主主義性、軍国主義性を徹底的に暴露してその地位より追放し、日本を共和国にする事が絶対に必要である』『日本天皇は日米開戦を誘発し、遂行せる戦争犯罪人である。日米戦争は開戦前に天皇の出席せる所謂、御前会議に於て天皇の裁可の下に決定せるものである』『天皇は最大の戦争犯罪人である。速やかに彼を逮捕して裁判にかけよ』と訴えた」

 

「東京都の男性は、『私は天皇制廃止を希望するものであります。然して私は共産主義者では有りません。共産主義は私の嫌悪する所のものであります』『新聞や世間では共産主義者以外は天皇制打倒などと云う事を云う者はない様ですが、一般国民は何も天皇制を熱望し、天皇制でなければならないと云うわけではないと思ひます。日本人は成り行きにまかせると云ふ考えであろうと思ひます。私はどうしても天皇制廃止以外には新日本建設はないと思ひます』と述べた」

 

「茨城県の匿名の男性は、マッカーサーに宛て『閣下は日本を民主国家にされると申されました。誠に有り難いのですが、閣下は未だその根本にメスを加へられません。それは天皇です』『閣下は今この小さな犯罪者のみ捕へて居ります。私は天皇をその儘にして閣下が日本国を去られることを恐れるのです』『どうぞ閣下の手によって三千年来日本土民を瞞着し来れる天皇及其一族を処罰して下さい。そして永遠にこの日本に皈れない様にしてください』『人間として彼等をみる時、如何に悪人とは云へ彼等がこの日本を去る日を考えると一抹の哀れさを催さすには居られません。どうぞその日には、日本の津々浦々に弔旗を掲げること、最後の君が代を歌ふことをお許しください。私は名前も住所も申し上げられません。私も刑法の不敬罪を受けたくありません』

不敬罪が存続していた当時、投書という形でGHQに天皇制廃止、天皇訴追訴えたものは、他にもあり、それぞれの論理は異なるが、それなりに問題の核心をついていて、貴重な資料となっている。

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