内容紹介
愛と至誠を貫いた詩人の軌跡
『道程』『智恵子抄』などの詩が、教科書にも登場するほど親しまれてきた日本の代表的文学者。
一方、日本占領軍GHQの言論統制下の戦後では、「侵略戦争」の推進者として断罪された。
高村光太郎研究家が作品を通して多角的に語る日本近現代史・大東亜戦争への新しい視点。
大東亜戦争は侵略戦争なのか?アジア解放の戦いなのか?
典型的な明治人だった光太郎は、天皇と祖国への熱い思いと同時に白人のアジア植民地支配に対する強い憤りがあった。
強大な英米の力を前に祖国の存亡をかけて挑む戦いに、知識人も、大衆も、老いも若きもなかった。
現代ではなく当時の視点で見つめれば、国のあるべきかたちが見えてくる。
戦後のGHQ史観と戦後教育で貶められた高村光太郎と日本の名誉を回復する必読の書。
光太郎には一貫して変わらない軸がある。それを、尊皇愛国も含めた日本的風土文化として捉える。
同時に少年詩というジャンルにもそれを感じる。
祖国が危機的状況に陥れば、誰とても必死の形相になって、祖国や家族や自分に降りかかる試練に
立ち向かおうとするのは当然のことではないのか。
未だに戦争期の光太郎をとりわけ特別な視点からみて断罪している研究者が多いが、
私はむしろそこに奇異なものを感じ取ってしまう。
(本著より)
十二月八日
記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼等のジャパン、
眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治しめしたまふ明津御神なり。
世界の富を壟断するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国に於て否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の爪牙を摧かんとす。
われら自ら力を養ひてひとたび起つ、
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する。
十二月八日を記憶せよ。
出版社からのコメント
「はじめに」より
「よき詩人との出会いは、人生をより豊かなものにしてくれる」
誰か著名な人物の言葉に、そのようなものがあったような気もするが、
高村光太郎は私だけでなく多くの人々にとってそういう詩人であったし、
今後もそういう詩人であり続けるであろう。
光太郎の命日である四月二日には、日比谷公園の松本楼に、高村家の人々や
彼のゆかりの人々、研究者などが集まって、彼を偲ぶ連翹忌が催される。
私も何度か出席したが、こういう場があるのはいいものである。
そういう場でなくとも、初めて出会った人に、
「私は高村光太郎の研究をしているんです」
と自己紹介すると、
「それは、いいですね。私も高村光太郎は好きなんです」
と私と同世代かそれ以上の世代の人々の多くが、笑顔で言葉を返してくれる。
その時、やはり、温かい心の交流が出来た気がして嬉しくなる。
ただ、高村光太郎が戦時中に多くの愛国詩・戦争詩を書いていることを、
ほとんどの人は知らずに、光太郎の詩を好きだと言っている。
だから、そういう詩があることを話し、私がそれらの詩について研究していることを
話すと相手は驚いて、それ以上話が進まなくなったりする。
『道程』や『智恵子抄』で彼を知る人にとって、意外なことなのであろう。
また、光太郎自身も、戦後に、そういう詩を多く書いたことを自分の不明であったと
認め、そして激しく悔悟した。
だから、自己の非を認める真摯な光太郎のその姿に共鳴する人々もいる。
ただ、歴史的事象は、その時代ごとに、様々に解釈されるものである。
一旦、善とされたことも悪となり、悪とされたことも時代の移り変わりとともに
善となる。それが良いか悪いかは抜きにして、歴史というのは、ほとんどの場合、
現代の常識が基準になって解釈されるものである。
この書は、私の基準によって書かれた高村光太郎論であると言っていいかも知れない。
それが、独断的なのか、幾分なりとも普遍的な見解なのかは、読んで頂いてから
判断してもらいたい。
そして大東亜戦争とは、日本人にとって、そしてそれに関わった多くの国の人々にとって
どういう意味があったのか、今一度考える一助にして頂けたらと願うところである。