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短編コラム

戦争に狂わされた人生-「従軍慰安婦」問題の学習をして(弁護士 原野早知子)

学習のきっかけと「従軍慰安婦」問題
  憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」の応援活動に事務所で取り組むにあたり、テーマとなっている「従軍慰安婦」問題を学習することになった。大阪で、中国人の従軍慰安婦の日本政府に対する訴訟に取り組んだ寺沢勝子弁護士に依頼し、従軍慰安婦問題と訴訟について講演いただいた。
  「従軍慰安婦」は国家(旧日本軍)が直接、間接に関与して作った軍隊用の性的奴隷制度である。しかし、日本政府はこれまで、証拠を隠滅し、軍の強制を否定し、国家としての責任を取ろうとしていない。

女性たちの被害と「軍の強制」
  寺沢弁護士が担当した訴訟で原告となった女性たちは、「慰安婦」にされたとき、満年齢で15歳に満たなかった。彼女たちは、村に駐屯した日本軍の「慰安所」に連れて行かれた。
  一人の女性は日本兵から銃底で左肩を殴られ、首に縄をかけられ、後ろ手に縛られた。そのため、今でも、右手と左手の長さが違ってしまったままである。性行為を嫌がると、日本兵から殴られたり蹴られたり、ナイフで脅されたりした。身体が弱って歩けなくなり、父親が「治ったら連れて行く」と言って、やっと「慰安所」から家に帰ることを許された。
  もう一人の女性は、「慰安婦」になって10日で歩けなくなったが、それでも全部で約50日間強姦されつづけた。この女性は、戦後数十年経っても、突然、叫んだり、自分の子どもに鉄の棒で殴りかかったりするなど、深刻なPTSDの症状があったという。
  日本軍による「強制」の存在は明らかなものだと思った。
  私は、弁護士としての活動の中で、性犯罪の被害にあった女性から依頼を受けることがある。女性たちが、被害を思い出すだけで気分が悪くなるなど、苦しみを背負っている姿を見てきた。「慰安婦」にされた女性たちは、長期にわたって、そのような被害を受け続けたのである。心身の傷の深さ、苦痛の大きさは想像がつかない。まさに日本軍と戦争に狂わされた人生であったろう。

「加害者」の戦争
  寺沢弁護士たちは、裁判の過程で「加害者側」元日本兵で、証人となる人を探した。その作業は困難を極めた。というのは、原告の女性たちの住んでいた村に駐屯していた部隊は、その後中国から沖縄へ移動し、沖縄戦で大部分が死亡し、生き残ったのは200名の中隊のうち11名のみだったからである。
  その中の3名が戦争体験の語り部になっており、裁判で、中国大陸での加害行為-八路軍の容疑をかけられた中国人への刺殺訓練、行軍中の略奪・暴行・強姦、病人がいる家に火をかける等-を証言したという。
  証人たちは、中国大陸で戦争犯罪の「加害者」であった。その事実は動かない。しかし、戦争がなければ、犯罪を犯すこともなく平穏な人生を送ったかもしれない。この人たちは、激戦地の沖縄で生き残った人でもある。戦争がいかにその時代の人たちの人生を動かし、強い表現で言えば狂わせたか、ということを考えずにいられなかった。

日本政府への世界の声
  国連では、日本軍の「従軍慰安婦」を「軍事的性的奴隷」と定義し、各委員会が日本政府に対し、事実を認め真相を究明すること、被害者に謝罪し補償することを求めている。
  近時、アメリカ・オランダ・カナダ・EUの各議会においても、日本政府の被害者への謝罪等の必要性を指摘する決議がなされている。被害者の女性たちは既に高齢だが、日本政府は国際社会が勧告している抜本的な解決をせず、放置したままである。
  日本政府は、「女性のためのアジア平和国民基金」が設立され、フィリピン・韓国・台湾の申請者に1人あたり200万円を支払ったと国連等に報告している。しかし、「基金」はあくまで民間のものである。国家としての補償をしたのではない。
  ミュージカル「ロラ・マシン物語」の主人公であるフィリピン女性トマサ・サリノグさんは、「基金」が出来たことを聞いた途端に「私は受け取らない」と断言したという。「慰安婦」にされた女性の多くは同じ気持ちを持っていたのではなかろうか。

私たちへの「課題」
  寺沢弁護士は「若い女子学生が韓国に行くなどして従軍慰安婦の問題を懸命に学ぶ姿に感銘を受けた」という話で講演を締めくくった。
  私たちは、戦争を知っているようで、実は知らないことが多い。事実を学ぶこと、それが、戦後に生まれ育った私たちに課されたものであり、戦後補償問題についての議論もまずはそこから始まるのではないだろうか。

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