放射能とうまい話

 今日店でレジ売ってたら軽めの放射脳の人来た。

「この野菜、安いけど、放射能とかだいじょうぶ?」

「厳格な検査がありますから平気だと思いますが。というより産地が◯◯県ですから、遠く離れてますよね」

「でもねえ……放射能入ってたら怖いでしょ。もう怖くてこわくて」

 初老くらいのおばちゃん。

 どうしたもんかなーと思ったけど、とりあえず

「こういう事故があった時期だからこそ、かえって厳格な検査になってるんだと思いますよ。むしろそういう事故が表面化しなかった時期の野菜とかのほうが、よほど怖かった、ということもあるかもしれません」

 とかてきとーなこと言っといた。

 んでまあ、このときは産地が福島から離れてたから特に問題なく買ってった。

 実際に福島県産の野菜とか入ってくると、いまだに売れない。反射神経的には「えーかげんにせーよ」と思うし、むしろ風評被害とかあって売れなくなってるからこそ、かえって現地の人は一生懸命なんで、ちったー信用してやれよと人情の面では思う。

 しかしそれで終わらせてはどうしようもない。なんでだろうと考えるわけだ。まあ「放射能」の誤用はどうでもいい。なにがそこまで怖いんだと。そもそもあんたは放射能汚染についていったいなにを調べたんだと問いたい。

 まあたぶん調べてない。なんか怖そうだから怖いんだろう。入ってる「かもしれない」から怖いわけだ。実際には汚染の影響なんぞ絶対に及ばないような遠くの産地のものでも入ってる「かもしれない」わけだ。いやいやそんな場所で人体に影響のあるレベルの汚染あったら首都圏壊滅でしょとか思うわけだけど、このおばちゃんにとってはそうじゃなかった。

 これなんかに似てるなーと思った。

 なんだっけ、こういう「あるかもしれない」ものが怖いのって……。

 ちょっと考えた末に「怖い」というおばちゃんの表情を思い出して、気がついた。ありゃオカルトだ。正体不明のおそろしいものがあるかもしれない。「かもしれない」と思うから余計怖い。テレビとかで解説してくれてるけど、これはオカルト嫌いの人がいくら科学的な説明のもとに「幽霊なんかいない」といっても、効果のない人にはないのとよく似てる。まあ幽霊に会ったことないから知らないけど。

 そう考えると、いわゆる「放射脳」の人たちがああも必死になってすべてが放射能汚染されてると力説したがるのも、まあ理屈としてはわかる気がする。幽霊っつーか、もっと広くとらえるとオカルトみたいなもんだけど、まず怖いんだと思う。すごく怖いので、どこにいるかわからない。その結果、いる証拠ばかり探してしまう。いないなんて言っている人は信じられない。科学的思考なんて言ってるけど、発見されていない影響がないとはいえない。だいたい科学なんてものが世界の法則を決めているなんて思えない。反証は自分の経験。こういうものが陰謀論と相性がいいのもよくわかる。なるほど、ちょっとすっきりした。

 まあそんなような。

 余談になるけど、うちの親類に霊感が強いという触れ込みの人がいる。いま住んでる物件を探しに来たときに一緒に来ていて「ここは出るよ」と言ってたんだけども、そのときの反応が夫婦揃って「どこ? どこ? 見える? 会話できる!?」というもので、その人は「あんたたちの前には絶対に出ない」と言ってた。で、それから数年間住んでるけど、ゆうれいなんか見えない!

 

 話を戻して。

 んでこの「なんか怖いかもしれない」って「なんかいいことあるかもしれない」とよく似てるなーとも思った。いや、このやりとりのあと、バイトとちょっとしたやりとりがあって。

 そいつはけっこう体弱くて、特に内臓関連が弱い。にもかかわらず、しょっちゅうレッドブル飲んでる。カフェインけっこう入ってる飲み物を摂取していいはずない。で、そのことを言ってみたんだけど「そうなんですか!」という反応。

「いやだって、飲むだけで元気になるとかちょっと変じゃね?」

「そういう効果のものかと思ってました」

「薬なんかでもそうだけど、なんかの効果があるときには、たいてい裏側に副作用があるわけじゃん。その副作用の部分が作用より小さい、特に無視できるほど小さいときに、まあコンビニでも売っていいかな、っていうレベルものになるわけで。そんでおまえは内臓が弱い。ふつうの人が無視できるほどのものでも、おまえにとってはそうじゃないかもしんないじゃん」

「あー」

 つーか自分の体のことなんだからちゃんと把握しときなさい。

 そんでまあ、このバイトが「うまい話」みたいなものに実によく引っかかる。世のなかのたいていのものは、それが商品である限り、売れるためにはいいことしか言わない。その「いいこと」を完全に額面どおりに受け取るので、見てて危なっかしくてしかたない。

 なんでそんなことになるのかなーと思ったんだけど、以前にこのバイトが言ってたことを思い出した。

「だって、書いてないじゃないですか」

 なるほどなー。書いてないことは存在しないのか。

 で、このバイトと話をしていて気がついたんだけど、どうもこのバイトは、この世には「うまい話」というのがあると信じているようだ。「うまい話」を信じる心理ってのがよくわからんのだが、どうもここには「この世界は相当なところまで、ルールでがんじがらめにされている」ということを知らない、というのがあるらしい。

「うまい話」とやらが成立しない理由は簡単だろう。そんなもんがあったら、みんながそこに殺到してうまくなくなる。情報はすぐに広まる。あったとしてもそれを享受できるのは最初に気づいたごく一握りの人間だけで、そこから先は儲けられない。おまえははたしてその一握りの人間になりうるのか、という話。

 

 放射脳とうまい話。これたぶん疑似科学みたいなもんもそうだと思うんだけど、こういうものを信じこんでしまう背景には「この世のたいていのことは説明されうる」ということ、そして「説明されえないこと」は、いまもそれを解明すべく死力を尽くしている人たちがたくさんいるということ、だからそこから外れるものは死力を尽くした果てにしかないんだということ、まあそんなようなことに対するわきまえから来るんだと思う。現状は、各所における最善の追求の集積としてこのようであるのであって、それを一足飛びに越えるものなどない、ということだ。

 過去にどんな最善が、あるいは最悪がおこなわれたかを知ること、ひいては世界がこのようなかたちであるのはなぜなのかを、たとえ大雑把にでもいいから知ること。そういうものを教養というのだと思う。

 さて、そのことをどうやってバイトに説明したらよいものか、といま考えている。