芸術家の成功の軌跡 Part 2

前回からの続きです。

ジョンは79年に大学へ戻り、80年には美術学修士を授与されましたが、彫刻のクラスは取った事がなく、大学ではプリントメイキングと木工を勉強しました。ですから彼は『彫刻は独学で学んだ』と言っています。

彼はその頃既に、アートの世界で自分が何をやろうとしているか検討がついていました。意識的に主流の抽象主義やコンセプチュアリズムから抜け出そうとしていたのです。彼の同期の心ある友人は彼の意図を聞いて、『そんなことをするのは美術界では自殺行為だ、誰も見向きもしない』と忠告しくれたそうです。それでも彼は自分の感性を信じて、人間的な臭いのする、象徴的な造形の彫刻を制作していきます。

その後ジョンは2、3人の他アーティストと共に作業場を借り、沢山の作品を制作し、ギャラリーで数々の展示会を開いていきます。彼が言うには80年代から90年代は今と違って、アーティストにとって経済的にとても良い時代だったのそうです。

そう言えば私も90年代は、今から考えると、私の一点もののアートジュエリーに随分高額な値段を付けていましたが、結構ギャラリーなどで良く売れました。

彼の話に戻ります。アーティストとして実りのあるクリエイティブライフを送っていた彼ですが、新しい世紀を迎えようとする頃、本人が予期しなかったことが彼の身に起きました。アイデアがまるっきり湧いて来なくなってしまった、属に言う”アーティスト ブロック”です。彼は丸々5年間この状態から抜けられず、まさに七転八倒したと言います。彼は心底苦しんで、そして遂に”アートをやめる”と決断を下しました。その時彼は本当にホッとし、身も心も本当に軽くなったと、しみじみ言っていました。

やめる決意をしたその夜、ジョンが寝ていると、彼の意識の一部分が突然冴え出しました。体は寝ている状態で、意識は半分夢を見ていて、半分は自分が夢を見ている事が自覚している、所謂 ” Lucid Dream(明晰夢 )”です。彼はある映像を見せられていました。最初はその状態に戸惑っていましたが、意識を集中してみると、その映像の中で、彼が過去に制作してきた数々の具象の彫刻たちが、アニメーションのように生き生きを動き回っているのでした。

『私がアートの世界でやるべき事はこれだ!』と突然のインスピレーションに歓喜したジョンは、それからは寝る間を惜しんで、一日平均16、7時間ぶっ通しで働きました。家族が彼の健康を心配するほど、根を詰めてストップ モーション アニメーションの制作に没頭していき、6年の歳月をかけて完成させた作品が、”The Tale of the Crippled Boy: Three Fragments of a Lost Tale”、私達が今回ポートランド美術館で鑑賞した作品群です。

彼に起こった一連の出来事は同じアーティストとして大変共感できます。そしてこの様なドラマチックな形で”アーティスト ブロック”が解消され、その結果、アーティストとして最高に花開いた彼の芸術家人生に大拍手を送りたい気持ちで一杯です。

彼が強調して言っていた事は、『アーティストを続けていくのは決して楽ではないし、”何かを生み出す”行為と言うのは本当に辛いと思う事が多い』ということです。 そして私に『決して諦めないことが大切』とアドバイスをくれました。このアドバイスは彼が体験した事を考えると逆説的です。何故なら彼は本気でアートをやめる決心をし、諦めたからこそ、心身ともにリラックス出来き、あの様なビジョンを見る事ができたのですから。もっと早いうちにリラックスすることができたのなら、ジョンは5年間も苦しまなかったかもしれません。それとも、あの苦しみの期間が長かったから、緊張が解けた時、堰き止めていた水が一気に流れるように、新鮮なアイデアが彼の意識に現れたのか —– そんな事を分析するのは不可能だし、野暮なことですよね。

彼との会話の最後に『今後、貴方はどんな方向へ進んでいくのですか?』という言葉が何気なく私の口をついて出ていました。すると彼から『実は、これからどうするのか全然見当がついていない』という答えが返って来ました。シアトルからポートランドへ戻って来る電車の中で、フッと彼もこれからの事を思ったそうです。でも彼には焦燥感はありませんでした。彼の様子から感じ取れるのは、全力を出し切った人の清々しさです。きっと今度は、新たなインスピレーションが訪れるのを、彼はリラックスした自然体で待つのではないかと思います。

John Frame Website

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