「疑わない」という怠惰について

http://www.watanabemiki.net/journal/post-475.html

 

 読んだ。

 ちなみにクソ長いです。

 正直、真正面から罵倒したいような気分がないでもないっていうか、別の場所のブコメではほぼ罵倒に近いブコメをつけた。俺はこの人はバカだと思う。バカが言い過ぎなら、考え足らずといってもいい。

 ところで、いまの流れだとこの人のことをバカであるとする意見のほうが賛同を得やすいはずだ。しかし俺はひねくれた人間なので、ここで読む人に再考を促す。俺は自分の意見を書くが、それを読んだうえで、もう一度考えてほしい。みんながこの人を叩いていいっていうそういう流れになってるからこの人を叩いているのか、根本的にこの人の言ってることがおかしいから反論されるのか。それとも、実は正しいのは彼であり、俺のほうがまちがっているのか。

 

 まず、この人の意見を補強する立場から書いてみよう。

 飲食業の現場を俺はまったく知らないわけではない。以前の会社の社長が飲食でも店を出していて、ちょいと経験留学ではないけど、しばらくのあいだやってみろってことで、やらされたことがある。

 商売には種類がある。立地やら建物やらに金がかかるタイプと、人件費に金がかかるタイプだ。飲食はかなり強度に後者に入る。総コストのうち人件費が占める割合は、コンビニより相当高い。そりゃあたりまえなんで、コンビニでは完成品が店に到着して陳列して売るまでが最低のラインだが、飲食では原材料があって加工して、それを客に提供して金を回収するところまでが商売だ。やること多いんである。

 また、単純に客の在店時間の違いがある。長い時間いればいるほど、客の側の「経験」の度合いが強まる。単純にいうと、駅前のコンビニでガム一個買うのと、晩飯食う気まんまんで入ったフレンチの店とで、どちらが客にとって「経験」としての意味が重いかって話だ。

 いい経験を与えてやれば、客はリピートする。コンビニではそこに店員の側が関われる比率は相対的に低い。飲食は高い。

 一見の客の取り込みやすさの問題はあるけど、飲食ってのはとにかく固定客商売だ。固定客にいい経験を提供するとなれば、重要なのは人間である。立地よりもなによりも、まず人間なんである。

 さらにピーク時間帯の問題がある。コンビニだと、うちの店みたいに、住宅街のなかにあって、一日中だらだらと似たような客数が来ている店も少なくない。というより、平均的にいっても、朝昼晩にちょっと盛り上がりがあるだけで、そこまで極端な山はないのがふつうだろう。シフトは必然的に24時間にわたって広く薄く、ということになる(もちろんオフィスとか駅前とか極端な立地があるのは承知のうえで、平均してしまえば、ということ)。

 ところが飲食ではそうはいかない。なにしろ食事なんで、必然的にピークが発生する。ピークが発生するっていうことは、そこに向けて一気に準備をして、一気に客を迎えなければならない。この点からも人件費はかかる。

 で、なにが言いたいかというと、とにかく飲食ってのは人件費の管理が大事で、かつ人材の質が売上を大きく左右するってことだ。

 ここで儲けを上げようと思ったら方法は簡単である。まずひとつは人件費を減らせばいい。安月給で長時間働かせれば、確実に利益は上がる。

 もうひとつ、生産性の問題だが、こっちについては実は難しい。というのも、斬新なアイディアやらなんやらとか、作業の省力化とか合理化とかいろいろやったところで、一定レベルまではかならず手間がかかる。あと儲かれば儲かるほど忙しくなる。とはいえ、仕事できる人間とできない人間の格差ってのは確かにあって、能率の違いってのは倍では絶対にきかないレベルにはなると思う。

 小売とか飲食の経験がある方ならご存知だろうが、慣れない人間3人よりも、慣れた人間2人のほうがよほどこなせる作業量は上がる、という現象がよくある。特に飲食はそうなんだが、作業効率を上げる肝になるのは、ひとりひとりの作業速度もそうだが、なによりチームワークだ。阿吽の呼吸で食材やらなんやらを流し、淀みなく客席まで運ぶこと。作業のボトルネックにあたる部分があると全体の流れが滞って、えらい能率落ちる。

 そこで、どうやって能率を上げるかってことになるんだが、これが実は最終的には慣れしかない。感覚的には「頭が考える前に体が動く」というところまで持っていかないと充分な速度には到達しない。そしてそこへ到達するためには、経験の積み重ねしかない、ということになる。なにしろ接客でもなんでも「完全に」マニュアル化できる局面というのは少ない。相手は人間なのだから、対応方法は千差万別だ。

 しかもただ経験を積めばいいわけではない。「早くやらなければならない」という目的意識のもとにやる必要がある。具体的には「急がないと死ぬ」という状況でがんばらないと、あんまり速度上がらない。

 飲食や小売の仕事の特徴に「ひとつひとつは単純作業でも、それを組み合わせて充分な速度で動かなければならないとなったときに、非常に複雑になる」というものがある。そしてそれを達成するためには「きつい状況で本人の意志とか無関係にがんばらされる」というのがいちばん速い。つまり体育会系だ。

 俺もコンビニの商売をやって長いが、モチベーションの低い人間を充分な戦力として活用したいと思うときに、これ以上に効率のいいやりかたを実は知らない。充分な負荷を与えられて、必死にやって、結果が出る。この結果というものも、一定以上のレベルに到達しないと目に見えるかたちにはならない。ならばやらせろと。本人がどう思おうがまずはやらせないと「おもしろみ」に到達することすらできないというわけだ。

 その意味で、リンク先の社長さんが言う「12時間メシ食わずに働く」というのは、レトリックとしてはよくわかる。人間の限界は、ほとんどの場合、当人が思っているよりはるかに高い。常に限界で働けというわけではないが、限界値を知ると平均値はまちがいなく上がる。おまえの限界はそこではないのだ、ということを本人に教えるためにも、負荷をかける方法は非常に効率がよい。そして、ものすごくしぶしぶながら認めよう。そうやって「自分が思ったよりもできるのだ」と知った人間は、まちがいなく仕事が楽しくなる。本来なら寝て遊んでうんこしてエロゲやって生活したい仕事なんか必要悪でしかないと思ってる俺ですらも、いや、そう考えるからこそか、だったら「せめて」仕事は楽しく、と思う。そのための最適解のひとつが「必死にやること」なのだ。ここは否定できない。

 まあ否定するけどな。

 

 以前の会社の社長によく言われた。

 常に120%の力で働き続ければ、いつかそれが100%になる。そうやって人間は成長していくのだ。とかなんとか。

「でもそれじゃ疲れて死にませんか」

「死ぬわけないだろう。どうしておまえが言うことはそう極端なんだ」

「でもそれって、120%が100%になったら次また120%で働くってことですよね。いつか死にますよね」

「人間の限界は本人が思っているよりはるかに高い」

「でも明日死んだら、がんばり損ですよね」

「だからおまえはなぜそう、死ぬことばかり考えるんだ」

「うちの家系の男、全員50より前で死んでるからですけど。確率的には俺も50より前で死ぬ可能性のほうがはるかに高いからですけど」

「……」

「……」

「そういう悲観的な考えかただから」

「楽観的に考えて、明日死んだら目もあてられませんよね」

「人は信念で生きるんだ」

「いや、メシ食って生きるんでしょ。信念で生きれたら金かかんなくて楽ですね」

「おまえはどうしてそう、ああいえばこういうばっかりなんだ」

「社長がまちがってるからだと思いますよ」

「おまえも40年生きれば俺の言ってることがわかる」

「オッケー、んじゃ40年生きてみましょう」

 さて、今年で43歳になります。

 ま、前の社長が43歳のときの羽振りのよさにはかないませんけども、そこそこいい店作ってるという自負はあります。そんで43歳になった俺がどう思ってるかですけども、とりあえず「僕らはみんな河合荘」読んで死んでおります。いまなら青春に49800円出してもいい。買うよ。同じ四十代でも人間いろいろですね……。

 まあ独立したのにはいろいろ理由があるんですけども、ひとつには社長の言う「常に120%」というのが根本から納得いかなかったからです。だって疲れるじゃないですか。そんでこういう人はかならずセットでこう言うんですよ。

「人生は重たい荷物を背負って行くようなものだ。その人生が成功であったかどうかは最後にわかる」

 冗談じゃねえっすよ。40歳だって10歳だって60歳だってひとしく生きてるんすから、最後に勝ちでよかったなあとか思うくらいだったら、ずっと負荷を一定にして気楽に生きたほうがいいに決まってるじゃないですか。不測の事態があって敗北せざるを得ないような人生だったらどうすんすか。今日できることを明日に回すなって言うんでしょ。だったら今日楽しめることを明日に回すなですよ。両立させたきゃ均等にやりゃいいじゃないすか。常に80%で充分です。

 なによりね、この「限界までやる」って考えかた、人間が背負える負荷が全員一緒だったら成立するんすよ。かけていい負荷の社会的コンセンサスが成立するじゃないですか。でも人間みんな同じじゃないですよね。リンク先の社長さんもそうでしょうけど、そういう人たちってみんな頑丈なんですよ。

 ほら、うちの奥さまってアレルギーの問屋なんすよ。アルコールスプレーを離れた場所で噴霧するだけですぐ検知するし、日持ちする洋菓子とかに入ってる保存剤あるじゃないですか、あれのせいで喘息出すんすよ。一定以上の睡眠時間を取れないで体力が削られるとすぐに喘息出ますし。そういう人に「がんばれ」ったって無意味ですよ。食べ物でアレルギー出す人間に「慣れればどうにかなる」とか「不健康な生活をしているからだ」って言う人間が、当のアレルギーの人たちにどんだけ憎まれてるか想像したことありますか。12時間メシなしで働ける店長が一流ってそういうことでしょ。そうじゃない人間は二流なんでしょ。もちろん全員がワタミの店長にならなきゃいけないわけじゃないよ。そりゃわかってる。でもさ、大事なのはそこじゃないよ。あなたがそういうものを理想として持ってる人間だってことだ。頑丈じゃない人間使えないってことでしょ。いらねえんだろ。はっきり言えよ。使えねえ人間いらねえって。弱い人間は死んでもいいんだって。酷使に耐える頑健な人間だけが一流でそうじゃない人間は二流だから社会の底辺でお情けで生きてろってはっきり言えよ!

 俺さー、実はこのリンク先の人がいう頑丈なほうの人間なのね。12時間メシなしで働けるほうの人間なの。たぶんワタミみたいな環境でも充分に生きて成功できるほうの人間なの。でもね、たまたまそうじゃないほうの人間を多く見てる。うちの妹はアレルギーの問屋だったし、うちの奥さまだってそうだ。元同居人は皮膚の問題でえらい目にあってたし、でもそれだけで社会生活諦めるわけにいかないじゃん。そういう人って、自分の体の問題は自分の問題だから、それを言い訳にしたらなにもできないって知ってんだよね。

 昔、知人に農家の息子の人がいてさ、俺もたいがい病気とかしないし、入院の経験すらないんだけど、その人は俺に輪かけて頑丈だったのね。

「なんかまちがって農薬かぶっちまって頭痛がする」

 とかで済ますし、鳥目の俺が右見ても左見てもなにも見えない闇夜で「お、猫がいる」っていって猫つかまえてきて「MK2さん猫好きだろ」って目の前に突き出すような人。いや、その猫、俺には見えないんだけど。しかも黒猫。

 で、その人が言ってたわけ。

「俺は頑丈だから、病弱な人間の気持ちとかはよくわかんねえよ。だから、そいつがつらいっていうんだったらつらいんだろってそのまま鵜呑みにすることにしてる」

 そういうことだよね。

 うちの奥さまが猛烈に皮膚がかゆい、ぜんぜん寝れないって言ったって、本当の意味では俺にはそのつらさはわかんねえよ。わかんねえけど本人がそう言うんだったらそうに決まってんじゃん。一緒に生活してる以上、配慮しないって話はないだろ。

 ましてリンク先の人、政治家めざしてんでしょ。政治家ってなにかっていったら、国全体のことに関わる人でしょ。そのなかに病弱な人、体力のない人、ましてワタミの店長できるほどの体力ない人間が何人いると思ってんだよ。単純に利害の問題だけ考えても「12時間メシ食わない店長が一流」なんて発言がやばいのはわかるだろ。まして成功者なわけじゃん。俺みたいな一介のコンビニ店長なんかとは比較にならないくらい、知力振り絞って、死ぬ気で努力していまの立場にあるわけじゃん。そういう人間が、こういう発言を憚らずにするってことは、それが正しいと思ってるからっていう以外に理由が見つかんねえよ。正しいんでしょ? 理想なんでしょ? その理想が一瞬で何人の人間を圧殺すると思ってる? 法律違反ってんなら話は論外だけど、それだって自分の会社のなかでやってる分にはまだいいよ。建前上は労使の合意がないといけないはずなんだから。でも社外でやんな。まして政治めざしてる人間が公の場でそういう発言すんな。正しさは往々にして人を殺す。

 政治なんて利害の塊なんだから本人の信念はどうあれ、現実的な利益を国民に与えたりいろんなことうまく調整すればそれで勝ちかもしんないけどさ、でもナマの人間としての信念はそう簡単に動かせないよ。俺だって知ってるよ。体力ない人間は使えねえよ。シフトに穴あけられたらこっちが死ぬよ。バカはバカだよ。成功したきゃ12時間くらいぶっ通しで働いてみせろとかよく知ってるよそんなことは。限界まで追い込まれないと人間そう簡単に力出せるもんじゃねえってことくらい知ってるよ。現にそうやって前の社長に叩きこまれたからこそ現在の俺があるんだってことも知ってるよ。そういう意味では感謝すらしてるさ。

 

 でも、それが本当に正しいのか?

 

 俺においては正しかったろうさ。確かに俺はモチベーション低かったし、給料泥棒みたいな社員だったし死ぬことばっか考えてたし体の半分二次元に浸って現実逃避ばかっか考えてて、そういう人間を使いものにしたきゃ縛り付けて働かせるしかねえよ。それでしかわかんなかったことあるよ。

 でも俺はほかのやりかたがあることを知ってるよ。死ぬほどがんばらせるってやりかたがもっとも効率がいい「だけ」だって知ってるよ。そのやりかたが無数の脱落者を生むことも。脱落者を生み出す構造をよしとして組織を運営するなら、そりゃ自分の組織よければほかどうでもいいっていう思考法が根底にあるからだ。勝てりゃいいんだよ。全体のことなんて考えてないからそれ言えるんだ。そこをして俺はバカだって言うんだよ。怠惰だろ。考えてねえんだから。勝ち続ければいいのかもしんないけど、勝敗って相手いるから決まるんだよ。政治の世界で勝ち負けってなに? 日本を強い国にすること? 頑強にして知的なエリートを中心にして? ああそうか国民はお荷物ですか。もっと全国民が死力を尽くしてがんばれば国のトータルのレベルは上がるのに死力を尽くして働かないとはなんたる怠惰な国民だ。豚は残飯を食えですか。このお荷物をどうやって我々のレベルまで引き上げてやろう。すばらしく勤勉な国民を創出し、アジアの覇権を握り世界を支配する経済力を手に入れ、豊かな日本、強い日本を実現するのだ。で、アレルギー体質でフルタイムで働けないうちの奥さまを抱えた俺は日陰者ですよ。非国民ですね。

 12時間メシなしの発言は、そう取られかねないものを含んでる。政治家をめざそうって人がそういう発言を人に聞こえる場所でしちゃうのはあまりにセンスないでしょ。そしてそれが本人の「正しさ」にもとづいてる限り、これは政治的センス云々の問題じゃないって言いたい。

 もうこういうのってキャラの問題もあるじゃない。ずっと「そういう人」としてメディアに露出してるんだから、いまさら簡単に方向性変えるのも難しいよね。ましてその方向での賛同者ってのも決して少なくないんだろうし。

 でもさ、だからって黙ってねえから。反対意見あったら言うから。インターネットってそういう場所だから。向こうはでっかい会社の社長さんで、俺は単なる個人事業主だけど、意見を言えるっていう点では対等なんで。有名だから叩かれていいとも思ってないし、単なるおっさんだからなにも言えないってこともない。だったら言うよ。

 

 さて、俺の言いたいことはだいたい書いた。

 端的に、俺は、あなたの考えかたは、幸福な人間より不幸な人間を多く作ると思っている。死ぬ気でがんばるっていうのがある意味で最適であることを知りつつだ。社会人の実感として「本当は」リンク先の社長さんが言ってることが正解に近いっていうことを知ってる人も決して少なくないと思う。

 でも、効率は悪くても、ほかのやりかたはかならずある。俺はそのことについてずっと考えつづけてきたし、そのやりかたである程度は成功した。俺は、かつて自分が雇われ店長として働いてきた店よりも、いい店を作っているという自負がある。まあ俺の自負なんで、従業員に聞いてみたらそうでもないかもしんないけどさ。

 でも俺、自分のやりかたが正解だなんて思ってないよ。もっといいやりかたはかならずある。あなたは、もっといいやりかたについて常に120%で考えているのか。頭ねじきれるくらいに、自分が経営する組織の幸福について考えているのか。そして政治家になったならば、より多くの、それこそワタミの店長になれないような人たちがたくさんいる国の幸福について考えつづける自信があるのか。

 目的は、なんなのか。勝つこと? 強くなること? 成長すること?

 もし考えた結果が、こうした言動の数々なんだとしたら、俺がいえることはこれだけだ。それはまちがっている。

 もし考えていないのだとしたら、自分の信念が正しいと、なにものにも増して正しいのだと信じているのだとすれば、俺がいえることはこれだけだ。

 あなたは、惰弱だ。

 自分の経験則から来る正しさを信じることは、甘えだ。

 

※追記

 いちおう言っとくと、きれいごとの話をしてるわけじゃないです。金はきれいごとじゃ動かないし、商売してて負けたら潰れるのでおしまいです。潰れる恐怖ってことなら、むしろ一店舗しか経営してないし拡大の意志もさほど持ってない俺のほうがよほどと怖いわ。でも「それでもなお」ってのがあるわけです。

 俺みたいなぬるい考えじゃ拡大できないってのもまあそのとおりでしょう。だから俺には拡大の意志がねえんだよ。むしろ俺のやりかたで拡大できないんなら、それは社会状況のほうがおかしいんで、変えるならそっちだと思ってる。誇大妄想だっていわれても「働く」ってのが人間の生の一部である以上、それを犠牲にするならなんかおかしいだろって。

 まあこのへんは「人生=はたらく」の人にはなに言っても通じないとも思ってますけどね。対等の規模の事業を立ち上げてから言えっていわれておしまいでしょうし。

 でも、何度でもいうけど、これはそういう問題じゃないんです。