魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」1

9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 16:50:11.37 ID:s4r1gUtjP

魔王「どーしてもか?」
勇者「アホ云うな。お前のせいでいくつの国が
 滅んだと思ってるんだ」

魔王「南の森林皇国のことか?」
勇者「空は黒く染まり、人々は貧困にしずんでいった」

魔王「考え無しに森林伐採して木炭作りまくって
 公害で自滅したんだろう」

勇者「公害……?」
魔王「あー。えーっと。そうか、まだ判らないか」

勇者「誤魔化すなっ! 聖王国の大臣憑依だって
 魔族の仕業じゃないかっ!」

魔王「欲の皮の突っ張った大臣が政権奪取と
 王族の姫君大集合ハーレムを作ろうとして失敗しただけだ。
 そもそも逮捕された後に魔族の洗脳とか言い出すのは
 人間の悪人の悪い習慣だと思うぞ」

10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 16:55:18.10 ID:s4r1gUtjP

勇者「ごまかすのか……許せん……」
魔王「誤魔化してない」

勇者「南部諸王国と戦争はどうなんだ。俺は戦場で
 何百という人間が魔族の軍勢に倒されているのを
 この目で見てきたんだ」

魔王「それで?」

勇者「は? 人間世界を侵略してきた魔王、貴様を
 許しはしない!」

魔王「どちらが侵略したかという点については見解の相違だ。
 こちらにはこちらの言い分はあるが、まぁ、戦争してるのは
 事実だなー」

勇者「貴様は悪だ」

魔王「じゃぁ、悪でも良いけど。当然私を殺した後には
 南部諸王国の王族も全部抹殺して回るんだろうな?」

14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 16:59:14.49 ID:s4r1gUtjP

勇者「は? 悪はお前だけだ」
魔王「人間が魔族を殺していないとでも?
 魔族は悪で人間が善だって誰が決めたんだ?」

勇者「……っ」

魔王「そこで『俺が法だ!』とか『俺が神だっ!』とか
 『俺がガンダムだっ!』とか云えたら、お前も
 もうちょっと生きるのが楽なのになぁ……」

勇者「うるさいっ!!」

魔王「勇者は好きだから、この話はやめてやる」
勇者「好きとか云うな」

魔王「この資料を見ろ」
勇者「なんだ、これ……羊皮紙じゃないのか?
 薄くて白くてつるつるだ……」
魔王「プリンタ用紙だ。それはどうでもいい。書いてある
 ことが重要なんだ」

勇者「……えっと、需要爆発……雇用? 曲線?
 消費動向……経済依存率?」

16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:06:53.97 ID:s4r1gUtjP

魔王「わかったか?」
勇者「なんだこれは。邪神の儀式か?」

魔王「違う。経済的視点から見た巨大消費市場としての
 戦争の効用だ」

勇者「……効用?」
魔王「そうだ」

勇者「戦争に意味なんてあるものかっ。
 貴様ら魔族が人間世界を滅ぼすための侵略だ」

魔王「勇者がどーシテもと云うなら、ちゃんと戦ってやる」
勇者「っ」
魔王「話によっては、討たれてやっても良い」
勇者「その首差し出せ」
魔王「だから、半日ほど話を聞け」
勇者「……」

魔王「これは100年ぶりのチャンスなのだ」

18 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:11:55.79 ID:s4r1gUtjP

勇者「良いだろう、話せ」
魔王「じゃぁ、説明する。手元の資料の一ページ目を」

ぺらっ

勇者「表だ」
魔王「グラフというのだ。……これは中央大陸のこの
 50年の消費量と景気を可視化したものだ」
勇者「……え」

魔王「気がついたように、我らが戦争を始めた15年前
 から中央大陸の景気は上昇局面に入った」
勇者「……嘘だっ」

魔王「嘘ではない。2ページ目を見るが良い。
 こちらには各種統計資料が添付されている」

勇者「戦争で数多くの死者が……」

魔王「戦争を始めてから人間世界の人口は順調に増加を始
 めている」
勇者「そんなのは理屈で考えておかしいだろうっ。
 戦争で人が死ぬことはあっても、人が増える道理など
 あるものかっ」

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:15:50.07 ID:s4r1gUtjP

魔王「まぁ、一般解はそうだな。
 しかし、この世界における戦前の常識では違う。
 戦前の――まぁ、この戦前は数百年続いたわけだが
 世界では、人間の死因は疫病と飢餓だったのだ」

勇者「……」

魔王「この二つは非常に強大な敵で
 人間はこの二つを結局500年以上克服できなかった。
 人口は増えるどころか、時に疫病が猛威を振るい
 国単位で滅亡することも少なくなかった」

勇者「疫病も飢餓も人間には御し得ないものだ。
 神が人間に与えた試練と行ってもいい。
 魔族の侵略と一緒にするなっ!」

魔王「まぁ、降りかかるについてはそうかも知れないな。
 しかし、だから克服できないとか、克服してはいけないと
 いうものでもなかろう?」

勇者「それは……」

22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:23:52.82 ID:s4r1gUtjP

魔王「現に戦争が開始されてからこれら二つの
 原因にする死者は30%まで低下した」

勇者「理由は? ……なぜ?  魔族の暴威を見かねた神の恩寵か」

魔王「私は結構長生きしてるが、神など見たことはないよ。
 理由は明白だ。最大の原因は中央大陸危機会議の設立だよ」

勇者「……?」

魔王「つまり、魔族との戦争に対して、人間の王国
 連合を組んだからだ」
勇者「それで、なぜ死者が減るんだ……?」

魔王「食料の多い国が少ない国へ送ったり、医療の
 進歩した国や農業技術の進歩した国が指導を行なった
 からだな」

勇者「それこそ人間の手柄じゃないかっ!」

魔王「その程度のことも魔族と喧嘩しなければ
 実行できない人間が大きな事を言ってはいけないよ」

25 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:31:05.78 ID:s4r1gUtjP

勇者「……」
魔王「そんなに悔しがるな。魔族だって大差は
 ない事情だった」
勇者「そう……なのか……?」

魔王「戦国だったからな。地方豪族や領主が次々と
 王を名乗っては一族郎党血まみれの戦いを送っていた」
勇者「……」

魔王「まぁ、そんな事情で、戦争は人間と魔族を救った」
勇者「……」

魔王「そんなに唇をかむな。血が出てしまうぞ?」
勇者「触るなっ!」

魔王「……君が望まない限り、触れないよ」
勇者「……」

魔王「私の言い分も判ってくれるか?」
勇者「……」

27 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:35:13.26 ID:s4r1gUtjP

勇者「戦争に意味が……結果的にあったかも知れない」
魔王「そう言ってもらえるとほっとするよ」

勇者「だが続けて良い理由にはなってない。
 始めて良い理由にもなっていない。
 お前は戦争犯罪人だ。いますぐ戦争を中止して
 戦争犯罪者として法廷に立つんだ」

魔王「んー」
勇者「私利私欲でやった訳じゃないってのは
 いまの話で、ちょっとだけ判った。
 俺が付き添ってやるから投降しろ」

魔王「それは難しいな」
勇者「なぜだ?」

魔王「理由は二つある。6ページ目の資料を見てくれ」

ぺらり

魔王「ここに消費市場としての『南部諸王国』と
 『中央大陸』の物流の関係が記してある」

29 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:41:53.98 ID:s4r1gUtjP

勇者「物流……?」
魔王「まぁ、早い話、物の流れだ。食べ物や着るものや、
 生活用品から武器、鉄、木材に至るまで全てだな」

勇者「これは『南部諸王国』でどんどん使ってるのか?」
魔王「そうだ。戦争は何でも大量に消費されるからな」

勇者「……『南部諸王国』はどうやって支払ってるんだ?」
魔王「ん?」
勇者「だって物を買ったらお金が必要だろう?」
魔王「ああ、良いところに気がついたな。偉いぞ」

勇者「撫でようとするなっ」
魔王「うっかりだ。そう、許可がない限り触れない。
 私は契約を重視するタイプなのだ」

勇者「どうやって購入してるんだよ」
魔王「中央大陸危機会議決議による、戦時支援基金でだ」

勇者「……?」
魔王「わからないか。つまり、全世界が戦争中の
 『南部諸王国』に義援金を送ってるんだ」

勇者「そうだったのか!! 人間の善の心に祝福を!
 どうだ魔王、これが人間のもつ優しさだ」

31 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:46:14.18 ID:s4r1gUtjP

魔王「まぁ、そのお金で中央大陸の数多くの国は
 自分の国の品物を買ってもらってるんだ。
 つまり、お小遣いを上げて自分の店の商品を
 買わせているだけさ」

勇者「……?」

魔王「このランクの説明は多少難しいかな。……つまり、
 富をため込むってのは『お金持ち』にはなれても
 『豊か』にはなれないんだ。
 お金を渡して、使ってもらう。物もお金も流れが
 よどみなく太いことが豊かなんだよ」

勇者「……難しい」
魔王「まぁ、そう言う物なんだ。
 全部を自分でやったりせずに、得意な分野で協力する。
 これは理論的に正しいことだ。
 麦と塩、木材と鉄を交換することで国も人々の暮らしも
 豊かになる」

勇者「それはまぁ、何となく判る。王立広場の市場みたいな
 もんだろう?」

魔王「うん、そのとおりだ」

33 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:49:30.81 ID:s4r1gUtjP

勇者「でも、この場合、違うだろう」
魔王「違うとは?」

勇者「中央大陸の国家は、戦争で疲弊した『南部諸王国』に
 善意からお金を送ってるんだ。結果として、その物流?
 が良くなったとしても、送ったお金は自分の物じゃないか」
魔王「ふむ」

勇者「つまり特産品同士を交換してるわけじゃない」

魔王「してるんだよ」

勇者「与えているだけじゃないのか?」

魔王「『南部諸王国』は、中央大陸に安全を
 輸出しているんだ。つまり、戦争で血を流して
 人間世界を防衛することでお金を得ている。
 ――見たことがあるんだろう?
 人間世界の『全て』が戦火にまみれていたのかい?」

勇者「……」

魔王「新しく発明された馬車、豊かな光、豊富なご馳走
 毎晩のように舞踏会を開いている国はなかったかい?
 ブドウ畑で酔いしれている貴族はいなかったかい?」

35 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:53:30.25 ID:s4r1gUtjP

勇者「……それは」
魔王「つまり、そういうことだ。人間社会は
 『南部諸王国』の巨大消費と防衛ラインという存在に
 現在依存しているんだ」
勇者「い、ぞ……ん?」

魔王「そうだ、頼っている。溺れているというような意味だな」

勇者「でも、大多数の人間は戦う力なんて持っていないんだ。
 そのためには、『南部諸王国』の戦士団や騎士団に
 守ってもらい、せめて食料を送るしかない。
 その何処がいけないって云うんだよっ!!」

魔王「まぁ、感情的にはそれが真実だろう。
 そこまで否定したりはしない。
 でも同時に、経済的にこの市場が無くなると
 人間社会の物流や為替が破滅するのも確かなことだ」

勇者「破滅……?」
魔王「そうさ。その資料にあるだろう? これだけの
 巨大消費がなくなったら、中央大陸の生産者は
 大ダメージを受ける。特に鉄鋼業や造船業がね。
 このダメージは波及して、数十万の死者がでる」

36 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 17:56:58.63 ID:s4r1gUtjP

勇者「そんな……」
魔王「まぁ魔王の云うことだから嘘かも知れないけどね」
勇者「嘘なのか?」
魔王「少なくとも私は本気だ。もしかしたら避ける方法が
 あるかも知れないけれど、私は知らない」
勇者「……」

魔王「さて、この物流と依存型のいびつな経済構造が
 二つの理由のうち、一つだ」

勇者「まだ……あるのか」

魔王「もう一つは比較的簡単に説明できる」
勇者「……」
魔王「説明が簡単なだけで問題が簡単なわけではないが」

勇者「どういう理由なんだ?」

魔王「魔族との大戦争で人間社会は結束した。
 物流が改善されて、医療技術もひろまって
 疫病と飢餓は少なくなったと云っただろう?」

勇者「ああ、云ってたな」

38 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:00:13.15 ID:s4r1gUtjP

魔王「アレは説明の半分なんだ。確かに物流が以前よりは
 活発になった。以前は国民の半分が餓死するような国の
 隣では大豊作の国があり、協力なんてしなかったからね」
勇者「うん……」

魔王「だが、物流が改善されたとはいえ、この世界の
 食料生産そのものが劇的に向上した訳じゃない」

勇者「……?」

魔王「判らないのかい? ……つまり、まだ餓死者は
 いるんだよ」

勇者「ああ。旅の途中でいくつもの村で、飢えた子供を見たよ」

魔王「そんな世界で、『大戦争による死者』が居なく
 なったらどうなる? 長い戦争で剣を振るう以外に
 生きる術を知らない何十万人もの人間が中央大陸に
 あふれるんだ。彼らは生きているから食料を必要とする。
 人間は増えるぞ? ――でも、食料はそこまで増えない。
 この世界にはまだ輪作の概念すらないんだ」

勇者「そんな……」
魔王「それが現実なんだ」

41 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:04:32.19 ID:s4r1gUtjP

勇者「だって、だって」
魔王「だいたい、何で君は1人でここにいるんだ?」
勇者「……へ?」

魔王「腐っても魔王城だぞ。そりゃ警備をくぐり抜けて
 こんな所まで来れちゃう君は突然変異というか、
 それこそ冗談みたいな奇跡だけど」
勇者「何を言ってるんだ?」

魔王「戦争を終わらせるのは、軍の仕事だろう?
 君は勇者じゃないのか?」
勇者「勇者だよっ。それが俺の天命だっ」

魔王「敵の王の命を単身仕留めるのは
 暗殺者の仕事じゃないのかい?」

勇者「……っ!?」

魔王「多分ね。……人間の王たちも判っているよ」

魔王「この戦争が終わったら、勝っても負けても
 人間は滅びてしまうって」

勇者「……」

魔王「だから君を1人で送り出したんだよ」

44 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:07:55.85 ID:s4r1gUtjP

勇者「……」

魔王「一方的なことを云ってしまったけれど、それは
 魔族の側も事情は一緒でね。知っていると思うけれど
 一口に魔族といっても、その内情は様々なんだ。
 有角族や飛翼族、鉄蹄族。スライムや遊びコウモリ
 なんていう低級なヤツらも沢山いる。
 悪戯好きなだけの種族も多いけれど、有力な氏族は
 ひどく好戦的だし、種族中心主義だ」

勇者「そうなのか……」

魔王「うん、そうなんだ。
 私はね……見ての通り、腕も細いし、ひ弱で華奢だろ?」

勇者「魔法で戦うんじゃないのか?」
魔王「そりゃまぁ、使えるけれど。
 大魔法使いというほどじゃない」

勇者「なら、どうして魔王になれたんだ?」

魔王「要領とタイミングと、なんだろう。
 ……多分、偶然で」

49 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:18:08.19 ID:s4r1gUtjP

魔王「私の一族は変わり者が多くて、魔界の端っこで  長年研究をしていてね。私の専門は経済なんだ」

勇者「経済ってなんだ?」

魔王「信じられないなぁ、人間の文明の程度は」
勇者「なんかむかつく」

魔王「魔族も人のことは云えない。
 この戦争が終わったら、たとえ魔族の側が
 勝ち残ったとしても、前にも増した乱世が始まるよ。
 今度は人間の土地を舞台にして、奴隷を奪い合う
 恐ろしい時代が幕を開けるだろう。
 有力な魔族は人間の王国を次々と勝手に略奪して
 それぞれを自分たちの『植民地』と呼ぶ時代だ。
 裕福になった戦闘的な氏族は
 その富で弱小氏族を従えたり、より大きな戦力を
 調えて魔族統一を目指すだろうけれど
 いまよりもっと混沌とした魔界はたやすく統一なんか
 出来るわけが無くて、いまよりずっと多くの
 血が流れるだろうね」

52 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:22:11.68 ID:s4r1gUtjP

勇者「植民地?」

魔王「他人の土地に攻め込んで支配して、
 自分たちの場所であるかのように利益を吸い上げること」

勇者「許されるわけ、無いっ」

魔王「人間が勝ったら魔族の土地に同じ事をするだろうね」

勇者「人間は、そんなことっ」

魔王「……」
勇者「……」

魔王「しないって、云えないだろう?」

勇者「……」

魔王「まぁ、いろんな世界がそうやって滅びていったんだ」
勇者「世界?」

魔王「ああ、それは私たち一族の研究だよ。
 気にしないで。でも、私は……」

53 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:26:43.76 ID:s4r1gUtjP

魔王「私は、まだ見たことがない物が見たいんだ」
勇者「……」

魔王「勇者になら、判るかも知れないと思ったんだよ」
勇者「何を、だよ」

魔王「言葉では言い表せないけれど」
勇者「お前学者なんだろ?」
魔王「学者……? ああ、うん、そんな物だ」

勇者「じゃぁ、説明しろよ」
魔王「うーん、つまり」

勇者「……」

魔王「『あの丘の向こうに何があるんだろう?』って
 思ったことはないかい? 『この船の向かう先には
 何があるんだろう?』ってワクワクした覚えは?」

勇者「そりゃ……あるけど。わりと、沢山」

魔王「そうだろう? 勇者だものな!」
勇者「何でそんなに嬉しそうなんだよ」

54 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:30:05.56 ID:s4r1gUtjP

魔王「だから、そう言う物が見たいんだ」
勇者「……勇者になりたいのか?」

魔王「近い。でも、違う。だって私は学者
 なのだろうし、いまのこの身は魔王だ……」

勇者「……」

魔王「やってて幸せとは云えないけれど
 責任を感じるし他の誰かに押しつける気はない。
 勇者じゃない私が、勇者になりたいなんて
 そんな夢物語で時間を浪費するつもりはないんだ。
 けれど」

魔王「見たことがない物は、見てみたい」

勇者「……そか」

魔王「だから、もう一度云う。
 『この我のものとなれ、勇者よ』
 私が望む未だ見ぬ物を探すために
 私の瞳、私の明かり、私の剣となって欲しい」

勇者「断る」

57 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:34:02.22 ID:s4r1gUtjP

魔王「だめか?」
勇者「だめ」

魔王「絶対か?」
勇者「絶対」

魔王「交渉の余地はないのか?」
勇者「ない」

魔王「……」
勇者「……ないぞ? ほんとだぞ」

魔王「あると見た」

勇者「くぁ、なんでそこで上目遣いなんだよ。
 学者がとって良い態度かよっ」

魔王「学者であると同時に私は経済屋なんだ。
 経済屋は決して諦めない。どんなことにでも
 妥協して明日を目指すんだ」

勇者「なんだか俺より勇者っぽい」

59 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:39:17.01 ID:s4r1gUtjP

魔王「故事によれば『世界の半分』を交渉材料にするらしい」
勇者「へー」

魔王「余裕たっぷりだな」

勇者「そんなので転ぶ勇者がいるかよ。
 もしいたらそいつは勇者でも何でもない。
 1から出直せって話だ」

魔王「うん、私の知っている故事でも
 結末はそうなっていた」
勇者「ださっ」

魔王「私もそう思う。そもそもその魔王だって
 世界征服が終了していた訳じゃないだろうに。
 自分が所有していない物件の50%を譲渡するなんて
 商道徳にてらしても法的観点から見ても
 契約の有効性に疑問を持たざるを得ない」

勇者「そういう嘘つきだから勇者にふられるんだよ」
魔王「仰せの通りだ」

61 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:44:23.58 ID:s4r1gUtjP

勇者「だからといって魔界の50%譲渡とか云ったって
 俺は絶対うんなんて云わないからな。
 そんな見知らぬ土地なんかもらったってちっとも
 嬉しくない。そもそも賄賂や金品で転ぶなんて
 勇者のすることじゃないぞ。
 人間ってのは、ベッド一個のスペースと、
 毎日腹が満ちる程度の食い物があればそれで充分なんだ」

魔王「清貧の志だな」

勇者「貧しいとか云うな。魔王のクセにっ」

魔王「私としても領土の割譲をテーマに交渉する気はない」
勇者「そうなのか?」

魔王「領土割譲は、後世の統治から見た場合、
 民族問題やプライド上の問題があって、紛争の火種に
 なることもしばしばなのだ。眼前の交渉が重要とはいえ
 後世に禍根を残すのは気が進まない」

勇者「ふぅん……。そういうものなのか」

魔王「そうなのだ。それにだいたい『50%』という
 言い方が良くない。それでは結局『こちらとそちら』が
 再生産されるだけではないか」

66 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:50:17.49 ID:s4r1gUtjP

勇者「どうゆうこと?」
魔王「つまり、世界を分割するのが問題だ、ということだ。
 その分割という発想は、結局現在の問題である
 『人間世界と魔族世界』という対立を
 『勇者の支配地域と魔王の支配地域』という対立に
 問題をすり替えただけだという話だ」

勇者「あー。もっともな話だ」

魔王「だろう? それは交渉でも妥協でもなく
 ただの時間稼ぎに過ぎない」

勇者「ふむ」

魔王「故にその種の論法は却下だ」
勇者「じゃぁ、交渉も失敗だな。時間もちょうど半日だ。
 ……戦闘するような気分じゃなくなっちゃったけれどさ」

魔王「いや、ちゃんと提案はある」
勇者「あるのか?」

魔王「半分などとけちくさいことは云わない。
 でも大地は私の物ではないから差し出せない。
 勇者が欲しい。代価は私にはらえる全て。
 つまり、私自身だ。
 これだけは私の意志で勇者に捧げられる。
 お願いだから私の物になってくれ」

68 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:55:56.79 ID:s4r1gUtjP

勇者「……お、お、おまっ」
魔王「口をぱくぱくさせると間抜けに見えるぞ」
勇者「なっ何をっ」

魔王「交渉の提案だ」
勇者「何言ってるか判ってるのかっ?」

魔王「判っている」
勇者「しょ、正気かっ!?」

魔王「もちろんだ」
勇者「もうちょっと物考えて発言しろ!
 わ、わ、わ、わきまえろっ!!」

魔王「そんなに驚かないでも良いではないか。
 人間世界では15にもなれば農夫の息子だろうが
 宿屋の娘だろうが、そこら中でこのような睦言と
 甘やかな契約を交わして乳繰りあっていると聞く」

勇者「聞くなよっ」

魔王「正確には書物で読んだわけだが。
 ――読んだだけで実体は不明で経験もない。
 これも一つの『未だ見ぬ物』だな」

71 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 18:59:54.23 ID:s4r1gUtjP

勇者「何を」
魔王「優れた提案とは提案した時点で
 提案者の目的の一分を達せられるのだ。
 『純潔を捧げる願い』を告白するなどと
 私の人生に訪れるとは思っていなかった知見だ。
 精神的に平静ではいられないなんて貴重だな」

勇者「まるっきり平静に見えるよ」

魔王「ダメか?」
勇者「だっ、だめっ!!」

魔王「絶対か?」
勇者「ぜ、ぜ、ぜ」

魔王「前回よりもさらに余地があるように見える」
勇者「近寄るなっ」

魔王「許可無い限り触れたりしない。私は奥手なんだ」
勇者「契約主義者ってさっきまでは云ってたじゃないか」

魔王「それは真実だ。『奥手』というのは
 真実にかぶせる演出上の工夫だ」

75 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:05:18.00 ID:s4r1gUtjP

魔王「勇者」
勇者「何だよっ」

魔王「んぅ。話づらいな」
勇者「あんだけ悲惨な未来をぺらぺら解説して
 やがったじゃないか」
魔王「あれは専門分野の講義だったから」

勇者「どんだけ死にものぐるいな専門分野なんだよ」
魔王「経済というのは血が流れない戦争なんだ」

勇者「おっかないよ。戦闘能力のない魔王を
 初めておっかないと思ったよっ」
魔王「怖がらせるのは本意ではないし……。
 混乱させたら申し訳ないと思うけれど」

勇者「……」

魔王「少しセールストークをする」
勇者「うー。押されてる」

魔王「私を独占すると色々便利だぞ?」
勇者「たとえば?」

魔王「家計簿を付けるのが得意だ。完璧を約束できる」

80 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:09:56.32 ID:s4r1gUtjP

勇者「なんだかなぁ。家計簿か」
魔王「それにね」
勇者「?」

魔王「この戦争の向こうに行ける」
勇者「それは出来ないって云ってたじゃないか」

魔王「もちろん、すぐには無理だ。人間の王たちも
 納得はしまい。私が投降しても、それは秘密裏に
 処理されて、偽魔王が立てられるだろう。
 それくらいこの戦争は、人間社会に必要になって
 しまっている」

勇者「……」

魔王「でも、だからこそ、それが『別の結末』を
 迎える事ができるのならば、
 それは私にとってだけじゃない。
 三千世界にとって『未だ見ぬ物』じゃないだろうか?」

勇者「……」
魔王「どうだ?」

88 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:17:09.59 ID:s4r1gUtjP

勇者「それが」
魔王「ん?」

勇者「おまえなんだ」
魔王「うん、これが私なのだ」

勇者「ずっとそんなこと考えてきたんだ」
魔王「戦争を終わらせるのが軍だとすれば
 終わる着地点を模索するのが王の役目だ」

勇者「そのために俺を欲しがったのか?」
魔王「うん、まぁ。そうとも云える」
勇者「……」

魔王「いや、誤解しないでくれっ。
 勇者が欲しいのは本当だぞ?
 向こう側を一緒に見に行く連れが欲しいだろう?
 朝の散歩に一緒に出かけるような気分なんだっ。
 それから家計簿も本当だ。偽りはない。
 なんだったら賃借対照表や生涯賃金提案書も書けるぞっ。
 足りないかっ? 足りないのか?
 そうだな。……あまりにも粗末な粗品だが
 一緒にいるのも得意だ。私は静かな魔王だからな。
 部屋に置いておいても邪魔にはならないことに定評がある
 添い寝とかも多分役に立たないほど下手だろうが
 セット商品についている細々とした備品程度でいいならな
 付けることが出来る」

92 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:24:09.48 ID:s4r1gUtjP

勇者「あー」

魔王「契約詐欺にならないようにあらかじめ
 告げておかなくてはならないのだが、
 私は料理は不得手だ。料理は科学なのだろう?
 わたしにはゲル化や乳化を行なうための
 洗練された手先の技術が欠けているようで
 調理に関して期待してもらっては困る」

魔王「それから、あー。
 世間の、ほら。大多数の一般的な性別において
 男性を有する成人の人間が望むような外見的
 肉体的な美しさには欠けていると思われる。
 運動不足だしな」

勇者「そうか? そ、そんなことないだろ」

魔王「いいや、そんなことはあるのだ。
 これは侍女たちの用意した魔王のお仕着せであって
 欠点が隠れて、と言うか、見えないだけで、
 二の腕とかつまめるのだっ」

勇者「泣きそうになるなよ」

魔王「ぷるぷるなのだぞ!?」

97 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:29:31.81 ID:s4r1gUtjP

勇者「いや、その……大変美味しそうに見えます。
 ……特に胸とかおっぱいとか」

魔王「いや、いいんだ。無用な慰めだ。
 それに地味すぎて、こればかりは申し訳ない。
 思うに我が一族の頭部は長い伝統で
 見てくれよりも中身を重視してきたはずで」

勇者「そうか?」

魔王「私も娘時代、つまり150年ほど前だが
 その時代にもうちょっとこう、何というか
 身なりやお手入れに気を配っておけば
 こんな一世一代の交渉時、リコールにおびえる経営者の
 気分を味合わないで済んだはずなのに……」

勇者「用語が難しいな」

魔王「世の中は色々難しいのだ」

勇者「まったくだな」

100 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:34:36.34 ID:s4r1gUtjP

魔王「とにかく、そう言った外見的な物については
 あまり満足のいく案件ではないのだが、経済を
 中心にした知識と……知識と……。
 それくらいしか誇れないのか、私は」

勇者「……」

魔王「あと誇ることが出来るのは、貞淑さくらいだ。
 私は長命種で、学者の家系の出だからな。
 それに純然たる契約主義者でもある。
 私にとっていったん締結されれば
 この種の契約は魂にまで食い込み
 過去も未来もその一転において鋼に勝る強度を持つだろう。
 ――側近く侍る。健やかなる時も病める時も寄り添おう。
 それは約束できる」

勇者「……」

魔王「どうだ? 私の物にならないか?
 私はあんまり我が儘は言わないぞ。
 『丘の向こう側』に一緒に行ってくれれば
 それだけで満足だ」

103 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:40:31.38 ID:s4r1gUtjP

勇者「沢山殺すことになるんだろうな」

魔王「ああ。……うん。誤魔化さない」

勇者「河が血で染まるほどかな」

魔王「うん、終わるまでは。手を血で汚さない約束は
 できない。私も、勇者も、非道なことを
 沢山することになるだろう」

勇者「裏切り者と呼ばれるかな」
魔王「それは、正体を隠すことも出来る。
 私の誇りにかけて、勇者の伝説は綺麗なままに
 出来るはずだ」

勇者「必要なのか?」
魔王「それは違う。このままワルツのように戦争を
 消耗を繰り返し、屍山血河の平和を享受することも
 この世界に許された選択肢の一つだ」

勇者「それはそれでおびただしい犠牲だろう」
魔王「でも勇者が直接的手を汚さないで済む」

104 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:46:44.08 ID:s4r1gUtjP

勇者「なんだよ契約したくないのかよ」
魔王「騙して契約したくないんだ」

勇者「そか」
魔王「騙して手に入れたものは、一夜で失われる」
勇者「信義に厚いんだな」

魔王「善悪の話じゃない。ゲーム理論で証明された
 商道徳レベルでの話だよ」

勇者「よし、お前の物になる」
魔王「いいのか?」

勇者「いいんだよ。……あー、いっとくけどなっ」
魔王「?」
勇者「おっぱいのためじゃないからなっ!」

魔王「こんなものがいいのか?」 ふにふに
勇者「自分で揉むなっ」

魔王「勇者」
勇者「何だよ、魔王っ」

魔王「触れたい。触って良いですか?」

110 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 19:57:12.81 ID:s4r1gUtjP

勇者「……」
魔王「信用してないな?」

勇者「口調がいきなり丁寧でびっくりしただけだ」
魔王「少しだけだから、触らせてくれ」
勇者「判った」
魔王「……」 おずおず

勇者「魔王、手がひんやりしてるな」
魔王「冷たいか? 済まない」
勇者「いや、気持ちよい」

魔王「私は、勇者のものだ」
勇者「俺は魔王のものになる」

魔王「契約成立だ」 勇者「契約成立だな」

魔王「嬉しいぞ」にこっ
勇者「……。くぁっ。は、はなれろっ」
魔王「そうか?」
勇者「で、最初の一手はどうするんだよ」

魔王「そうだな……まずは、麦から手を付ける」
勇者「麦か……。長い旅になるな」
魔王「もちろん。わたしは勇者と一生離れる気は
 ないんだからなっ」

133 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 23:39:08.74 ID:s4r1gUtjP

――冬越しの村

勇者「うぉ、寒くなってきたな」
魔王「これから冬に向かっていくからな」

勇者「こんな中途半端なところで良いのか?」
魔王「中途半端とは?」

勇者「いや、だからさ。魔王の話によれば
 いまの人間、中央大陸にとって麦は食料として大事だ。
 ってことを基本にしてるんだろう?」
魔王「ああ、そうだ」

勇者「だったら、もっと農業大国の湖の国とか
 紫旗女王国とかさ、そっちに行った方が良いんじゃね?」

魔王「話が聞いてもらえるならな」
勇者「あー」

魔王「勇者もしばらくは姿を見せない方がよいと思う」
勇者「そうか?」

魔王「ああ。あんな風に私の所へよこされたんだ。
 誰かが勇者を疎ましく思っていたのかも知れない」
勇者「んなことないって」

137 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 23:45:31.80 ID:s4r1gUtjP

魔王「それに何処に行って紹介するにしたところで
 説得力を出すためには実際の実験と資料が必要だ」
勇者「そりゃそうだ」

魔王「この村でそのための手はずを整える」
勇者「そう、なのか?」

魔王「うむ。手の者を忍び込ませているのだ」
勇者「手回しが良いな」
魔王「何事も根回しと調整が必要だ」

勇者「この村か」
魔王「ああ、何の変哲もない村だろう?」

勇者「うん、こんな村は沢山知っている」
魔王「『南部諸王国』辺境部では典型的な開拓村だな。
 複合的な大規模農業を中心に小作農や職人たちが
 緩やかな村を形成している」

勇者「魔王軍との戦いもあるだろうになー」
魔王「それでも大地にしがみついて生きてゆくんだ。
 人間はそこがすごいところだ」

139 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 23:49:39.59 ID:s4r1gUtjP

勇者「で、手の者ってのは」
魔王「ああ。小さな一軒家を用意してもらってるんだが。
 どこなのだろうな。この村としか聞いてないんだが」

勇者「あー。そうなのか? 探せば判るんだろうけれど
 そろそろ陽も暮れるし、こんな寒い中をうろつき回るのは
 ぞっとしないなぁ」

魔王「うむ、もっともな指摘だ」
勇者「だよなぁ」

メイド長「まおー様ぁ~まおー様ぁ~♪」
勇者「ば、ば、ばっ」

魔王「おお。この声は」
メイド長「まおー様~♪」

魔王「おお、紹介しよう。勇者!」
勇者「この馬鹿っ。一応人間の村だぞっ!
 まおーまおー叫んでどうするっ!」

魔王「む。そう言えばそうだ。以後注意するように」
メイド長「はい、まおー様!」

142 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/03(木) 23:55:53.42 ID:s4r1gUtjP

魔王「まぁ、大丈夫だ。そんなに怒ってくれるな」
勇者「むー」
メイド長「怒りすぎると皺が取れなくなりますよ」なでなで

勇者「こいつは何なんだ?」
魔王「これは私の側近で、メイドを束ねるメイド長だ」

メイド長「ご紹介にあずかったメイド長です。
 まおー様のことは幼い頃から世話をさせていただいて
 おりますわ。この度は勇者様とまおー様のご結婚
 まことに喜ばしく、お見守りさせていただいてきた
 この身、この胸の内も震えんほどです」

勇者「突っ込みどころはたくさんあるんだけど、
 最大のものは結婚なんてしてないって事だぞ」

メイド長「そうなんですか?」

魔王「期間無制限の相互所有契約だ」
メイド長「あらあら、まさに結婚じゃないですか」

魔王「白詰草とクローバーほどに違う」
メイド長「それじゃ同じものじゃないですか」

145 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:02:31.05 ID:AIDyRnsCP

魔王「あえて名前を変えることによる風情の違いがある」

メイド長「ああ、そうでしたか!
 メイドと召使いと側女と寝室奉仕奴隷のようなものですね」
魔王「それも風情か?」

勇者「……」

メイド長「風情は大事ですよ。男女間の機微の80%は
 風情で構成されていると言っても過言ではありません」
魔王「なんと! それでは殆ど具材がないではないか?」
メイド長「そこがミソなんですよ」

勇者「あのー。寒いんだけど」

メイド長「おやおや、まぁ!」
魔王「勇者が寒いと云っているんだ。どうにかならんか?」

メイド長「では、こちらへ。ご案内しますわ」
魔王「おお、首尾はどうだ?」

メイド長「さほど大きくはありませんが、
 村はずれの古い館を改修してございます」

魔王「でかしたぞ、メイド長」

147 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:12:08.05 ID:AIDyRnsCP

――古びた洋館

勇者「なんだよなんだよ。充分でかいじゃないか」
メイド長「とんでもない。魔王城の1/100以下です」

勇者「あれはダンジョンだろ。一緒にするな」
魔王「いや、私はあそこに住んでたんだがな」
勇者「ああ、そっか」

メイド長「こちらへどうぞ。
 ただいまお茶をお持ちしましょう」

魔王「すまんなー」
勇者「側近って、どんな関係なんだ?」

魔王「うむ。ああ見えてメイド長はわたしの親戚なのだ」
勇者「学者なのか?」

魔王「んー。学者というと語弊があるな。
 学者一族と云うより『好奇心を抑えられない一族』なのだ。
 しかも専門ジャンルを追求してしまう類の。
 彼女は、私から見ると年上なのだが、
 なんだか『メイド道』とやらに目覚めてしまってな」

勇者「ふむ……」

149 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:17:39.88 ID:AIDyRnsCP

メイド長「殿方における騎士道と似たようなものですわ」
魔王「早いな」

メイド長「紅茶でございますよ。
 蜂蜜をたっぷり入れておきましたから」

魔王「まぁ、そんなわけで、ずっと一緒に育ったし
 魔王軍の指揮なんかを任せたこともある」
勇者「おいおい、メイドってそんなことも出来るのか!?」

メイド長「主人のどのような求めにも応える。
 それが私の『メイド道』ですわ」

152 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:25:10.69 ID:AIDyRnsCP

魔王「これは、この館はどういう物件なんだ?」
勇者「そうだ、気になってた」
メイド長「さる貴族の別邸だったらしい建物でございます。
 その貴族……騎士家だったそうですが、その家そのものは
 跡継ぎを戦争で亡くされ、この館は手放されたとか」
魔王「正規の手段で手に入れたのだろうな?」

メイド長「ええもちろんです。
 修繕を依頼した職工の方々への支払いも現金で行ないました」
魔王「うむ」

勇者「……穏当だな、以外に」
魔王「いずれ実力行使でなければ意を通せない相手も出てくる。
 穏やかに通るところで無駄に暴力は使いたくない。
 ……嫌われると困る」

勇者「?」

魔王「なんでもない。
 ……で、我らはこの館に逗留して。んー身分は
 どうしたものかな」

153 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:32:06.31 ID:AIDyRnsCP

メイド長「村長以下主立った方々へのご挨拶は
 すませております。聖王都の神学院で研究なされた
 高名な学者の姫君だと」

魔王「そんなんで通るのか」
勇者「格好さえどうにかすれば余裕だろう?」

魔王「この白衣とローブではだめかな」
勇者「ダメっぽいんじゃね?」
メイド長「ダメでしょうね」

魔王「着心地が良いんだが」
勇者「姫君ってのは着心地度外視で服選ぶんじゃねぇかな」
メイド長「そうですね。視線を意識せざるを得ない服で
 緊張感を維持しているのかと思われます」

魔王「緊張感がないと!?」
メイド長「そうは申しておりません。しかし……」

魔王「なんじゃ」
メイド長「お耳を拝借いたします」

魔王「ふむふむ……」

158 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:35:41.98 ID:AIDyRnsCP

魔王「勇者、勇者」
勇者「どうした?」

魔王「緊張感のない肉は駄肉か?」 じわぁ
勇者「なんで半べそなんだよ」
魔王「そう言われたのだ」
勇者「あー」

魔王「駄肉か? 駄肉なのか!?」
勇者「あー。そのー」
メイド長「お茶のお代わりはいかがでございましょう?」

魔王「ゆるんでぷにってしまうのか?」
勇者「コメントしづらいな」
メイド長「冬場は特に運動が不足しますからね」
魔王「うううう」

勇者「……その、たまには着飾るのも良いんじゃないか?
 目先が変わって。その、風情とか云うヤツだ」
メイド長「さようでございますよ、まおー様」

魔王「そ、そうか……」

160 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:44:06.99 ID:AIDyRnsCP

勇者「で、挨拶がどうとか」
メイド長「ああ、そうでした。
 その学術の研究と、新しい農作指導のために
 この村に興味を持たれてやってくる、というような
 説明をいたしております」

魔王「そうか、話が早くて助かる」
勇者「そうだな、農業ともなれば時間がかかるものな」

メイド長「ええ。……まおー様」
魔王「ん?」

メイド長「魔王軍の方はいかがしましょう」

魔王「ああ。そうだな」 ちらっ

勇者「どうかしたか?」

魔王「勇者と私は、魔王の大広間で決闘をしたとしよう。
 そこで両者共に深い傷を負ったという噂を流せ。
 私はその傷を癒すために冥界温泉で療養中だ。
 勇者は生死不明、一説によると落ち延びたと」

メイド長「かしこまりました」

162 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:48:41.23 ID:AIDyRnsCP

魔王「それでいいか? 勇者」
勇者「ああ。かまわない。俺はどうせ魔王のものだしな」

メイド長「あたあた、まぁまぁ」にこっ
魔王「からかうな」

魔王「この噂で、まぁ1年くらいの時間は稼げよう。
 魔王軍の急進派も何かの策略ではないかと見て
 しばらくは動きを控えるだろう」

勇者「1年か」

魔王「その他にも手は打つ。粘るつもりもあるが
 まぁ、3年と云ったところだろうな、猶予は」
勇者「……」

魔王「その間に『まだ見たことのない結末』を
 見つけなければならない」
勇者「見たいだけじゃなかったのか?」

魔王「……見つけ出さないと、私の持ち主に嫌われる」
勇者「あ、その。そ……そっか。そうだな」

164 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:53:49.41 ID:AIDyRnsCP

魔王「それはいいとして、だ」
勇者「お、おう」

魔王「この地で結果を出したいのは、農法の改善だ」
勇者「のーほー?」

魔王「農業の方法だ」
勇者「農業の方法たって、
 種撒いて芽が出て収穫するだけだろ?」

魔王「その方法を改善する」
勇者「うーん。改善なんてあるのか?」

魔王「同じ土地で麦を収穫し続けると
 どんどん質がわるくなるのはしっているか?」
勇者「あー。聞いたことがあるぞ。
 大地の恵みみたいな物がなくなっちゃうんだろう?」

魔王「この辺りで広く行なわれているのは三圃式農業という
 もので、畑を3種類に分ける。
 それぞれ夏に使う、冬に使う、一年間お休みと分けるんだ。
 そしてローテーションさせてゆく」

165 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 00:59:01.92 ID:AIDyRnsCP

勇者「工夫してあるんだな。ふむふむ。
 いや、まてよ? そもそも何でローテーションするんだ?
 どんどん新しい畑を開拓すればいいじゃないか。
 新しい場所なら大地の恵みもたくさんある」

魔王「ばかもの。
 誰もが勇者のように化物じみた戦闘能力と体力と
 破壊魔法を使えると思ったら大間違いだ」
勇者「そ、そか?」

魔王「開拓には長い時間と労力がかかる。
 それにそうやって開拓範囲を広くすれば、
 収穫や種まきなどで移動しなければならない
 距離も広がるし、魔物や野生動物から防衛しなければ
 ならない敷地も広がってしまう」

勇者「そういえばそうか」

魔王「そこで3分割ローテーションを行なっているのだが」
勇者「ふむふむ」

魔王「この手法をより改善して、
 食料の供給量を増やすのが当面の目的だ」

167 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:06:07.19 ID:AIDyRnsCP

勇者「目的は判った。けれど、具体的にはどうするんだ?」

魔王「輪作……つまりローテーションという概念は良いんだ。
 これを4回転式に改善しようと思う」

勇者「ふむふむ」

魔王「すなわち、大麦を作る畑、クローバを作る畑、
 小麦を作る畑、かぶを作る畑に4分割する。
 この四つをセットにして4年周期で畑を活用するんだ」

勇者「なんか、3ローテと大差がないように聞こえるな」

魔王「3ローテは1周期に一回お休みがあるだろう?
 こちらは4周期にお休みらしいお休みはクローバーだけだ」

勇者「それがそんなに大きい差なのか?」

魔王「差が出る秘密は、麦以外にある。それがカブだ」

勇者「シチューに入れると旨いけど、そんなに作っても
 飽きるだろう?」

169 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:10:12.33 ID:AIDyRnsCP

魔王「もちろん人間が食べても良い。
 麦ばかりだと健康に悪いからな。だがこのカブは
 畜産の使うんだ。具体的に云うと豚の餌にする」

メイド長「豚、ですか?」

魔王「知ってるとおり、この寒くて貧しい地方では
 肉食というのは冬場の重要な栄養素だ。
 冬には充分な果物も野菜も採れないし、
 充分な穀物が無い事の方が多い。
 そこで豚を食べるわけだが、豚は生きているから
 活かしておくためには食料が必要だ。
 冬の間は人間の食糧すら不足するだろう?」

勇者「ああ、そうだな。だから豚は冬になる前に、
 最低限の数を残してしめちゃうんだ。
 それでソーセージやベーコンやハムにして、
 冬の間の食糧備蓄をする。南部諸王国じゃ
 何処でも見られる冬の始まりの風物詩って所だ」

魔王「冬場……つまり農作物が充分では無い時期の
 代替え的補助食料なのに、結局は農業と同じように
 季節に支配されている。これは非効率的なことだ」

173 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:17:28.72 ID:AIDyRnsCP

勇者「……云われてみれば、そうだな」

魔王「そこでクローバーとカブを使う。
 クローバーは夏場の間、豚や羊などの牧草になる。
 畜産をおこなえば肥料も出してもらえるしな。
 カブは冬の間に飼料として役立つ」

勇者「そうかっ!」

魔王「そうだ。この方法は『畑を休ませない』、
 『畑を痩せさせない』、『農作物以外も豊かにする』
 の三つのアイデアで出来ているんだ」

勇者「そこでこの村な訳か」

メイド長「どういう事ですか?」

勇者「この村みたいな、農業も畜産もやって、
 ある程度自給自足の体制の方がこの農法には都合が
 良いんだよ。データ採りの意味でも。
 都市部や、小麦ばっかりを大量生産している、
 それが出来ちゃうような温暖な地域では意味が薄い。
 東方の米みたいな穀物にも効果が薄い。
 『寒くて貧しい地域を救う』アイデアだから」

メイド長「そういうことでしたか!」

175 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:22:32.70 ID:AIDyRnsCP

魔王「他にもいくつかある。北氷海の魚による肥料とか
 、農機具にも改良の余地がある」

勇者「へ? 色々あるんだな」

魔王「難しいのは、農地と村の統廃合だ。
 放牧地にした場合、羊などの動物はコントロールに
 難があるしな。いまの危険な時勢だと、この種の
 『開墾した権利』の縄張り争いは、たやすく利権の
 争いに変化してしまうのだ」

勇者「そうだな、それは予想がつくよ」

メイド長「でも、人間は土地を重視する、
 って、まおー様はいってましたよね。
 話し合いで解決するんですか?」

魔王「そこで魔族だ」
勇者「?」

魔王「魔族で村を攻める。
 どうせたいした守備軍もいないだろう?
 ちょっとした中隊規模で充分だ。
 脅して適度に放火でもしてやる。
 最悪の場合は主立ったものを殺すこともあるかもしれない」

勇者「……」

177 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:26:08.44 ID:AIDyRnsCP

魔王「村人が立ち退いたあとに、魔王軍は駆けつけた
 騎士団と一戦して引き上げる。開拓民は戻ってくる
 だろうが、それは領主の庇護下に入ってのことだろう。
 その状況なら、農地の整理や、村と村との統廃合も
 問題なく行くだろう」

勇者「……」

魔王「幻滅したか?」

メイド長「……まおー様」

魔王「むろん、手心は加える。そもそもこの手法は
 王国側、少なくとも騎士団には内通者というか
 こちら側の理解者が必要だ。
 だがこの種の作戦には事故がつきものだ。
 血が流れないと云うことはあり得ないだろう」

勇者「……」

魔王「だが、わたしは何かをすると決めたんだ。
 このまま、血まみれの夢に似た消耗戦を100年繰り返し
 取り返しのつかない停滞を過ごすつもりはない。
 わたしは『終わった後の物語』が読みたいんだ」

178 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:31:23.17 ID:AIDyRnsCP

魔王「愛想が尽きたか?
 魔王なんて嫌いになったか?
 で、でもダメだぞっ。
 勇者は私のものだから。
 絶対に手放すつもりはないぞっ」

メイド長「……」

魔王「それとも、やっぱり魔王を退治するつもりになったか?
 それならそれで仕方がないが……。
 私は勇者のものだから
 その剣を避けるなんて出来ないけど……」

勇者「それでも……」
魔王「……」

勇者「それでも、救われる人はいるんだろう?
 この3年間の秘密休戦で救われる人はいるんだろう?
 それにその4ローテーションの工夫が上手く行けば
 毎年何万人もの飢えた子供たちが春を迎えられるんだろう?
 ――そして戦争を終わらせるための余裕が、
 人間の手に戻ってくるんだろう?」

179 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 01:34:26.27 ID:AIDyRnsCP

魔王「そうだ」
勇者「なら俺はやっぱり魔王の剣だ」

メイド長「……」

勇者「俺は何をすればいい?
  ……まぁ、うっすらと判っちゃいるんだが」

魔王「予想通りだ。
 勇者には『正義の味方』をやってもらう。
 攻め込んだ魔王軍を撃退する、南部諸王国領主の
 軍事的先鋒だ」

勇者「茶番だな」

魔王「うん。悪の首魁とこんな話をしているいま、
 それは限りなく茶番だろう」

勇者「100回地獄へ行っても救われないな」

魔王「判るなんて云わない」

勇者「でも『その役が』いないと始まらないもんな」

240 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 14:42:09.44 ID:AIDyRnsCP

――冬越しの村

魔王「思ったより難航しそうだな」
勇者「ああ、そうだな」
メイド長「あんなに分からず屋だとは思いませんでした」

勇者「仕方ないさ。俺たちにとっては挑戦だけど
 この村の人たちは、一年不作になっただけで人死が
 出るんだ」

メイド長「それはそうですが……」

魔王「考えてみると、この地よりも魔界の方が
 気候的には恵まれているな」

勇者「そういやそうだな」

メイド長「勇者様は魔界のあちこちに旅されたのですか?」
勇者「ああ、人間では一番の魔界通だと思うぞ」

メイド長「しかし、村長があの態度ですと
 農業技術の改良ですか? 難しいのでは……」

魔王「うむ。……露骨に断ってくるわけでもないので
 対処に困るな」

勇者「村長から見たら、魔王は貴族の令嬢に見えるんだ。
 正面から反対はできないさ」

243 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 14:49:16.30 ID:AIDyRnsCP

メイド長「それならいっそ……」

魔王「却下」 メイド長「しかし、まおー様。目的のために手段は」

魔王「農地改革のために、細かい利権争いをする
 領主や地主を取り除くのはやむを得ない。
 生産性を上げるためには、必要なことだ。
 でもそれは、農業技術が発展して集約農業が
 可能になって初めて出来ることであって
 その技術的な先行試験場で、指導者を
 取り除くことには百害あって一理もない」

勇者「だよなぁ」

メイド長「困りましたね」

魔王「ん……。やはり教育程度がねっくなのか」
勇者「教育?」
メイド長「関係あるのですか?」

魔王「まぁ、いろいろとな。次の段階でと考えていたのだが
 あちこちに手を入れなければ物事が進まないようだ」

245 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 14:54:32.24 ID:AIDyRnsCP

メイド長「何をするのです?」

魔王「考えても見ろ。私たちがこの村で生産性を
 向上させても。それを他の村や王国にも伝えて
 いかなければ、全体的な変化は望めない。
 でも私たちが一カ所ずつ教えて回るのは
 時間的に見ても経済的に見ても不可能だ」

勇者「道理だな」

魔王「だから、新しい技術を覚えて様々な国へ
 伝えるため専門の人員、まぁ、部下でも同盟者でも
 いいんだが、そういった人材も必要だ」

勇者「ふむ」
メイド長「それで、教育ですか」

魔王「ところで聞くが人間界の教育とはどうなってるんだ?」
勇者「そんなこと云われてもなぁ。そもそも教育って何だよ」

246 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:00:09.67 ID:AIDyRnsCP

メイド長「……」
魔王「えーあー」

勇者「いやだからさー。当たり前みたいに
 難しい言葉を使われても」

魔王「つまり、知識を子供や年下の存在に伝えると云うことだ」

勇者「何だ、簡単な説明じゃないか。そんなのは
 人間社会にだって当然あるよ。そもそも教えなきゃ
 赤ちゃんは話せるようにだってならないだろう?
 このあたりじゃ、まずは子供はじいさんか
 ばあさんに預けられて、まとめて育てられるな。
 両親は畑や狩に出かけるから、同年代の複数の家の
 子供がまとめて面倒を見てもらう」

メイド長「効率的なんですね。お年寄りにも仕事が出来ます」

勇者「ある程度年甲斐ったら、農作業の手伝いをすることに
 なるな。魔王みたいな理屈での話じゃないけれど、
 いつ何処に何を作付けするかとか、天気の読み方だとか、
 獣の避け方だとか、そう言う知識は数年も働けば自然と
 身につくもんだ」

249 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:24:38.66 ID:AIDyRnsCP

勇者「それから、この地方の冬は深いんだ。
 雪がどっさり降るし、冬には嵐がやってくることも多い。
 この地方のこんな村では、冬の間は殆ど家の中に
 閉じ込められるんだ。そんな間、農民たちは
 細かい工芸品を作ったり、羊毛で衣類をこしらえたりする。
 子供たちは長い冬の間、村の智慧者たちから
 いくつものお話を教わる。英雄譚や王の話、神々の話だな。
 あー、なんだ。魔族の話も出てくるぞ。
 それから、ちょっと目端の利く若者や村長の子弟は
 読み書きを習ったりもする」

魔王「ふむ」

勇者「都市部だとまた話が違うな。
 都市部で教育と云えば、教会でのミサと家庭教師だ。
 家庭教師ってのは、知ってるか?
 えーっと、物語や読み書きや算術を教えてくれる
 個人用の語り部みたいなものだ。
 裕福な商家や貴族の家では両親が家庭教師を雇って、
 自分の子供に様々な知識と技術を教えさせる」

メイド長「勇者様もその口ですか?」

勇者「まぁ、そうだな。とは云っても、俺の場合は
 剣の教師とばっかりつるんで遊んでいたようなものだけど」

250 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:33:52.38 ID:AIDyRnsCP

勇者「どうだ? 教育ってこういう事の事じゃないのか」

魔王「いや、まさにそう言うことだ」
勇者「人間社会のことも任せておけっ」

魔王「まぁ、で、その人間社会の教育は未開なので」
勇者「未開っ!?」

魔王「む。表現が悪かった。『発展の過程における
 初期的な未発達の状態』だな」
勇者「同じじゃねぇか」

魔王「からかっただけだ」
勇者「くぅ」

魔王「だが、自然な教育だよ。無理がない」
勇者「……」

魔王「とはいえ、こちらは不自然な発展を望んでいるから
 不自然で気合いの入った教育をしなければならない。
 ……だがなぁ、教育って云うのは金がかかるんだ」

勇者「金かぁ。俺勇者だし、勇者の装備を売れば
 そこそこ金にならないか?」

252 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:40:23.28 ID:AIDyRnsCP

メイド長「えーっと、勇者の剣と勇者の盾、
 勇者の鎧ですか……38万Gくらいにはなりますね」

勇者「なっ? すげーだろ?」

メイド長「どれくらい必要なのですか」

魔王「むぅ。そうだなぁ、今年度の予算計画は
 流動的でいくつかのパターンを考えているのだが
 切り詰めた案で5600万G程度かな」

勇者「お、おれの……勇者の……装備が……」
メイド長「落ち込まないでください。勇者様」なでなで

魔王「メイド長。それ以上の接触は禁止だ」
メイド長「はい、まおー様♪」

魔王「なかなかに難儀な話だなぁ」
勇者「まったくだな」

メイド長「まぁ、そろそろ冬になりますし、
 どちらにせよ本格的な農業実験は春からでしょう?
 この冬を使ってゆっくり手を打てばいいですよ」

254 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:43:06.05 ID:AIDyRnsCP

魔王「そうは云っても」
勇者「気は焦るよな。3年しかないし」

メイド長「まぁまぁ、今日は豚肉とカブのシチューを
 作ってあるんですよ」

魔王「旨そうだな」
勇者「ああ、考えてても仕方ないか」
メイド長「では、調理の仕上げがありますので
 わたしはこれで。夕食はあと1時間ほどです。
 お呼びに上がりますので、暖炉にでも当たっていて
 くださいね」

魔王「ああ、頼んだぞ」

ぱたり

勇者「……ふぅー」
魔王「疲れたか? 勇者」
勇者「んー。身体は何も疲れてないんだけどな。
 普段考えないようなことを考えて、頭が疲れたよ」

魔王「ふふふ。そうだろうな」

256 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:46:39.50 ID:AIDyRnsCP

魔王「なぁ、勇者」
勇者「ん?」
魔王「暖炉が暖かいぞ?」
勇者「おう。暖かいな。この地方の寒さも、暖炉の前だと
 多少許せるよな」

魔王「なぁ、勇者」
勇者「ん?」
魔王「そのぅ、良かったらなのだが。隣に来ないか?」
勇者「なんで?」

魔王「この角度が、暖炉が暖かくて気持ちよいのだ」
勇者「そなのか?」
魔王「そうなのだ。ほら、特等席だぞ」

勇者「ん。ほんとだ。あったけー」
魔王「どうだ?」
勇者「自慢そうな顔するなよ、魔王」

魔王「む。……まぁ、たしかに暖炉が暖かいのは
 私の手柄ではないがな」

257 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:50:45.68 ID:AIDyRnsCP

魔王「……」
勇者「……」

魔王「勇者?」ぺ、ぺとっ
勇者「ん?」

魔王「さ、触って良いか?」
勇者「別に良いけど」

魔王「変な意味はないぞ。勇者の髪は暗い色だから
 ちょっと触れてみたくてな。ああ、つんつんしてるな」

勇者「ご先祖様にサムラーイがいたんだ」
魔王「なんだそれは?」

勇者「東方の戦士だよ。鎧も兜も真っ二つにする技が
 使えたんだとさ」

魔王「そうか、勇猛な戦士殿だったんだな」

勇者「一族全員戦いの家系なんだ」

魔王「そうか? それ以外にだって、
 勇者には素晴らしくて良いところが沢山だぞ?」

259 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:54:50.43 ID:AIDyRnsCP

勇者「そうかなー」
魔王「そうだぞ、たとえば、私が側にいても怯えないとか」
勇者「魔王はひ弱だし、女の人じゃん。運動不足だし」

魔王「でも魔王だからな」
勇者「そう言うものかな」
魔王「そう言うものなんだ」

勇者「なんだかしおらしいな」
魔王「さ、作戦なのだ」
勇者「?」

魔王「これから勇者相手に交渉をだな、するのだ」
勇者「何の?」

魔王「それを云っては交渉にならんではないか」
勇者「云わないで伝わるものか」

魔王「事は微妙を要する問題なのだ。出来るだけ誤解を
 受けないようにきちんと説明をしたい」
勇者「話してみれば?」

261 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 15:58:09.56 ID:AIDyRnsCP

魔王「つまり、外は寒いだろう? 冬の嵐到来だ。
 そしてここは暖かくて居心地がよい。
 じきに夕食のお迎えが来るまでは二人は暇で、
 さしあたってやることがないだろう?
 もちろん今後やるべき課題は山積みでそれらに対して
 考察を加えるという任務が巨大にそびえ立っているわけだが、
 勇者は現在頭が疲れているという状況にあり、
 効率的な作業は望めないわけだ」

勇者「あー」

魔王「もちろんこれはわたしの方で考えた草案というのも
 愚かな一私案に過ぎないわけだが勇者の現在の疲労状況を
 鑑みるにこのような俗説民間信仰の類も一概にその効能を
 否定するわけにも行かないのではないかと思えるのだ時に
 戦士はそのような蜜園で疲れを癒すと古書にもある勇者は
 そのような爛れた習慣はないというかも知れないが」

勇者「で、なにをどーしたいんだ?」
魔王「勇者に膝枕してみたい」

勇者「よしきた」ぼふんっ

魔王「あっ。あわっ。勇者……」
勇者「俺は魔王のものなんだ。遠慮は無用だぜ」

265 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:03:32.95 ID:AIDyRnsCP

魔王「勇者」
勇者「んぅ……」

魔王「勇者の頭、もふもふしてるぞ」
勇者「遊ぶなよ」
魔王「撫でているだけだ」

勇者「魔王も良い匂いだぞ?」
魔王「毎日ちゃんと湯浴みしてるからな」

勇者「真面目だな」
魔王「うむ、真面目なのだ。
 勇者のモノになって以来メイド長が容赦なくてな。
 以前は研究続きで一週間着替えないなんて事も
 少なくなかったんだが」

勇者「魔王は太ももすべすべだな」
魔王「そ、そうか? 太くないか?」

勇者「寝心地良いぞ」
魔王「そうか。救われる。勇者は本当に
 寛大な心の持ち主だな」

勇者「あーえーうー。……えろ欲求の持ち主ではあるんだが」
魔王「?」

272 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:12:30.35 ID:AIDyRnsCP

魔王「その、勇者」
勇者「なんだー?」

魔王「さっきの、遠慮は無用というの」
勇者「?」
魔王「あれは本当か?」
勇者「うん、そうだぞ」

魔王「そ、そうなのか」おろおろ
勇者「……どした?」

魔王「う、うむ」
勇者「押し黙るなよ。怖いから」
魔王「私も自分がちょっぴり怖いぞ」
勇者「はぁ?」

魔王「いや、怯えてなどいられるか。
 『まだ見ぬものを求める』。
 それが私の生涯のテーマだったではないかっ」
勇者「??」

魔王「その、勇者……」じぃっ
勇者「何だよ、気軽に云えばいいぞ」

  

ガ タ ン ッ

275 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:24:44.37 ID:AIDyRnsCP

魔王「何だ、あの音は」
勇者「裏手? ……納屋かっ?」

ダダダッ

魔王「えいこれ! 待てと云うのだ!」

――納屋

勇者「ここかっ!」
魔王「真っ暗ではないか」

???「……。……」

勇者(人の気配?)
魔王「しばし待て、明かりの呪文を……」ぽわっ

姉 がたがたがた
妹 ぶるぶるぶるぶる

勇者「……なんだ? 子供だぞ」
魔王「どうしたのだ? 殆ど下着ではないか」

279 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:29:26.13 ID:AIDyRnsCP

メイド長「あらあら、まぁまぁ」
魔王「メイド長」

メイド長「また迷い込んできたのですね」
魔王「こやつらは何なのじゃ?」

メイド長「逃亡奴隷ですわ。この館は長い間無人でした。
 無人の割には廃墟ではありませんでしたし、
 周辺の村とは違う系統の権力に属していますからね。
 そう言う場所は逃げ込む先として使われてしまうんですよ」

勇者「奴隷?」
メイド長「ええ、そうですよ」

勇者「奴隷なんて、そんなのどこから来るんだよ」いらっ

メイド長「そこら中にいるではないですか?
 ここらにいる人間はその殆どが奴隷でしょう?」

勇者「ちがうっ。奴隷なんかじゃないっ!」

メイド長「あら。私の見当違いなのでしょうか」

勇者「奴隷制は野蛮だ。俺たちは許していない」

メイド長「そんなことをおっしゃられても」

282 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:33:04.54 ID:AIDyRnsCP

魔王「この者たちは、農奴なのだな」
勇者「農奴……?」

メイド長「やっぱり奴隷ではないですか」

魔王「農奴と奴隷は違う」
勇者「ほらみろ。この南部諸王国に奴隷はいないんだ」

メイド長「そうでしょうか?」

魔王「農奴は奴隷とは違い、個人財産が認められている。
 家も持てるし、農機具も自前のものがもてる。
 家族と一緒に暮らすことも出来るんだ」

勇者「まぁ、当たり前だな」

姉 がたがたがた
妹 ぶるぶるぶるぶる

魔王「その一方で、職業選択や移動の自由はない。
 主に荘園……地主の農地で、農作業を行なうための
 労働力として、選択の自由無く働かされる存在だ」

勇者「……」
メイド長「……奴隷とは違うのですねぇ。へぇ~」ふんっ

283 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:38:20.18 ID:AIDyRnsCP

勇者「……」ぎりっ

魔王「メイド長、それ以上は云うな。奴隷制は悲劇的かも
 しれないが社会制度の中で経済的にも意味があったのは
 事実なのだ」
メイド長「そうでしょうか?」

魔王「メイド長っ」
メイド長「……差し出口を。申し訳ありません」

魔王「……」
勇者「……」

妹 ぶるぶるぶるぶる

姉「あ、あのぅ……。あ、あさにはでてゆきますっ。
 ごめ、ごめいわく……かけませんから…っ…
 どうか、ひとばんだけ」

メイド長「……」

魔王「メイド長。初めてではないのだろう?
 いままではどのように対処していたのだ?」

285 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:42:32.64 ID:AIDyRnsCP

メイド長「逃亡奴隷……農奴でしたか。それは重罪です。
 付近の有力者との関係も悪くなります。
 すぐさま通報して引き取りに来てもらっていました」

魔王「そうか」
勇者「……」

メイド長「勇者様、ご気分が優れないようですが?」
勇者「……厳しすぎないか?」

メイド長「自分の運命をつかめない存在は虫です。
 私は虫が嫌いです。羽をもがれたようで見るに堪えません」

魔王「……っ」
勇者「あのなぁ!」

メイド長「大事の前の小事ではありませんか?
 このような些末時で付近の有力者の方々の
 心証を悪くされても益のないことだと思いますが」

魔王「そう……だな……」
勇者「魔王……」

メイド長「では」
魔王「いや、連絡は明日の朝まで待つ。
 湯を沸かせ。もう少しましな衣服もあるだろう。
 反論は抜きだ。今回はそうする。もう、決めた」

286 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:47:50.29 ID:AIDyRnsCP

――小さな部屋

魔王「あー。なんだ」
勇者「……歯切れ悪いな」

魔王「私は魔王であり経済屋だ。こういうのは苦手なんだ」
勇者「俺だって勇者で剣士なんだ。苦手だ」

姉「あの、ありがとうございます」
妹 おどおど

勇者「おう、気にしないで良いぞ」

姉「こんなりっぱなふく、はじめてです」
妹 こくり

勇者「そか? なんだかこの屋敷に残されてた古着だけど」
魔王「あー。腹はくちくなったか? 寝床は平気か?」

姉「はい。わらはふかふかで、
 あたたかくて、きれいなへやです」

勇者「こんな小汚い部屋でもか……」
魔王「そう言う境遇なのだろう」

289 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 16:57:08.31 ID:AIDyRnsCP

姉「その、こんなによくしてもらったのですけど」

姉「あしたの、あさには、その……」

魔王「それは……」
勇者「……」

姉「おねがいです、つうほうしないでください。
 いえ、そうじゃなくて」
妹 じわぁ

姉「にげますから。ほんのすこしだけ。よあけから
 すこしのあいだだけ、まってください」

 

ガチャリ

メイド長「何を言ってるんですか。ろくな靴もない。
 服も最低限。お金も道具も何もない。
 街へ行って乞食でもやるつもりですか?」

妹「あ、あぅぅぅ」

勇者「どうにか……。どうにかなんないのか?」

291 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:02:44.67 ID:AIDyRnsCP

メイド長「なりません。奴隷の生活は惨めですよ。
 何も出来ない。何の希望もない。
 自分自身の罪でそう居続けるしかできないと
 自分で自分に言い聞かせながら生きてゆくのです。
 この世の地獄かも知れませんね。
 でもね」

姉「……」

メイド長「やっていることはメイドと代わりはありませんよ。
 主人の意を受けて、主人の言葉なら何でもしたがう。
 主人の夢を叶えるため、そのために命を捧げる。
 奴隷とたいした違いは有りはしません」

魔王「メイド長。私はお前を奴隷だなどと思ったことは
 有りはしないぞ」

メイド長「ええ、まおー様。
 私もそのような扱い、まおー様より受けた覚えはありません。
 でもだからより一層、正視に耐えません。
 私と同じ仕事をしながら、
 自らの手に運命をつかむことの出来ない
 その弱さは、灼かれて死んで償うべきかと思います」

妹「ちがうよっ!! ちがうもんっ!」

292 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:07:38.70 ID:AIDyRnsCP

妹「ちがうよっ、めがねのおねえちゃんはいじわるなのっ。
 わたしたちはちゃんとにげてきたもんっ。
 なにもできないわけじゃないもんっ。
 みやこにいって、ふたりで、くらすんだもんっ」

勇者「……それは」

メイド長「何を夢物語を」

妹「でも、やるんだもんっ」

メイド長「百歩譲ってその熱意を努力と呼んでも
 良いでしょう。しかし、それをなすに当たって
 他者の家に忍び込み、あまつさえその厚意にすがり。
 そればかりか寝床と食事を与えてくれた
 その他者の立場を逃亡によってさらに悪くする。
 そのような方法を是とする。
 それがあなたたち農奴のやりようですか?」

妹「だって、だってぇ!」

メイド長「もう一度云います。
 自分の運命をつかめない存在は虫です。
 私は虫が嫌いです。大嫌いです。
 虫で居続けることに甘んじる人を人間だとは思いません」

姉「……」

294 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:13:49.12 ID:AIDyRnsCP

メイド長「判りましたか?」
姉「はい……」

メイド長「謝罪を」

姉「このやかたのみなさま……きぞくさまには
 ご、ごめいわくを、かけました。ごめんなさい」

メイド長「よろしい」

姉「……」
妹「ひっく……う。うううぅ」

メイド長「……」 じぃっ
姉「……」

メイド長「……それだけですか?」

妹「やぁ……。もどるの、やだよぅ……こわいよぉ」

姉「……いもうと、しずかにして」

297 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:17:39.30 ID:AIDyRnsCP

メイド長「……」

姉「わたしたちを、ニンゲンにしてください。
 わたしは、あなたがうんめい、だと――おもいます」

メイド長「頭を下げる時は
 そのように這いつくばってはいけません。
 せっかくスカートをはいているのですから
 指先で軽くつまみ、ドレープを美しく見せながら
 優雅に一礼するのです」

姉 ぺ、ぺこり

メイド長「……魔王様。この館は魔王城に比べれば
 掘っ立て小屋も同然ですが私1人ではいささか手が
 足りません。メイドを雇ってもよろしいでしょうか?」

勇者「いいのかっ? メイド長。あんなに嫌いだって
 いってたのに。許してくれるのかっ?」

メイド長「嫌いなのは虫です。メイドを嫌う人は
 この世界に存在しません。たとえそのメイドが
 新人であってもです」

魔王「許す。鍛えてやってくれ」

302 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:27:33.55 ID:AIDyRnsCP

――雪の森の中

メイド妹「ゆーしゃーさまー。ゆーしゃーさまー」

メイド妹「ゆーしゃーさまーはどこですかー。
 おいしーパンを、おとどけですよ」

ヒュンッ!

勇者「おう、お使いお疲れ」
メイド妹「わっ。どこにいたの?」

勇者「転移魔法だよ。声、森の中に響いてたぞ」
メイド妹「へへーん♪」

勇者「まぁ、この辺はすっかり安全になったから
 平気だろうけどな。不用心なヤツだ」
メイド妹「ゆーしゃさまに、おとどけものです」
勇者「お!」

メイド妹「おひるごはんですー! クルミのパンと、
 タマネギとベーコンのオムレツですー」

勇者「旨そうだな」
メイド妹「おねーちゃんがつくりましたっ」

勇者「順調に仕事覚えてるな。感心感心」

306 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:33:55.68 ID:AIDyRnsCP

メイド妹「おいしい?」

勇者「美味いぞ! 温かい紅茶がまた泣かせるな。
 走ってきたんだろう?」

メイド妹「うんっ」

勇者「一口飲め?」
メイド妹「うんっ!」

勇者「昼間とは云え、屋外作業は辛いなぁ。
 なんかこー滅入るよ、まったく」

メイド妹「あ、そだ。とうしゅのおねーちゃんから
 でんごんがあった」

勇者「何だ、先に云えよ」

メイド妹「『きょうは、いのしし6とうがのるまだ。
 くまならいのしし2とうぶんにかぞえても、よい。
 それから、かわのじょうりゅうをみてきてくれ。
 はんらんしそうなばしょがあれば、
 まほうでこわすか、なおしてくれ』」

勇者「人使い粗いな」

307 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:39:27.05 ID:AIDyRnsCP

勇者「そういや、学校はどうした?」
メイド妹「ごごは、からだのたんれん」

勇者「お前は鍛錬良いのか?」

メイド妹「まだ、せいとすくないから。
 おなじ年のこ、いないの。ゆうしゃさまに
 ごはんをとどけるのが、ごごのうんどうー」

勇者「お。『年』っておぼえたのか」
メイド妹「とーしゅのおねーちゃんが、
 もじおしえてくれるんだよ」

勇者「忙しいクセにまめだな、魔王」

メイド妹「あと、さんすー」

勇者「算数か」
メイド妹「うまくやると、儲けでうはうは」
勇者「あの経済屋め。『儲け』だけは書けるのか」

メイド妹「損益分岐点、もかけるよ?」

310 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:43:22.75 ID:AIDyRnsCP

勇者「あと、2匹か、イノシシ換算で」

メイド妹「なべー!」
勇者「突然どうした」

メイド妹「いのなべ?」

勇者「ああ、あれは美味いな!」
メイド妹「いのなべにしよー!」

勇者「お前は食い気ばっかりだな」
メイド妹「ゆーしゃさまが、ごはんとってきてくれる」にこっ

勇者「……ああ、そうだな」
メイド妹「ごはんいっぱいは、とても幸せだよ」
勇者「そだな」

メイド妹「けんかないもん。
 そんちょーのあとつぎさまにぺとぺととしなくていいの。
 まいにちあったかい。おふとんほかほか。
 ふくがきれい。おねーちゃんとふたりで
 ずっといっしょにいられる。それは幸せ」

勇者「……」

メイド妹「どうしたの?」

312 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 17:47:21.28 ID:AIDyRnsCP

勇者「いや、勇者って相当に役に立たないなと思って」
メイド妹「?」

勇者「知識があるわけでもなければ、
 金勘定が出来るわけでもない。農業も動物の世話も
 出来ないし、先生は……出来るって云っても剣くらいだ。
 こうなってみるとつくづく思い知る。
 俺、口先ばっかり平和とか云ってたけれど
 平和ってどういうモノなのか、どうすれば平和になるのか
 平和になったらどうすればいいのかなんて
 ちっとも考えてなかったよ」

メイド妹「むずかしーね」
勇者「難しいな」

メイド妹「いのししべーこん、おいしいよ?」

勇者「あれ、好きなのか?」
メイド妹 こくん

勇者「気に入ったのか?」
メイド妹 うんうん

勇者「じゃ、勇者のお兄ちゃんとしては、もうちょい
 イノシシやっつけて、減らしてくるかね~」

316 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:05:28.67 ID:AIDyRnsCP

――館の広間、授業中

魔王「……以上が南部諸王国の現在の経済状態から
 導かれる戦争の最大規模となる」

貴族子弟「……」めもめも
商人子弟「……えっとえっと」
軍人子弟「……」

魔王「私は専門ではないが、古来軍隊が壊滅すると
 されている損耗率は」

軍人子弟「……最後の一兵まで戦い抜くでござる」

魔王「おおよそ30%と言われている。3割だな。
 ゆえに、この常備軍および恒常的な傭兵戦力によって
 戦線維持は難しく、散発的な会戦と拠点防衛が
 現在魔王軍との戦闘の要旨となる」

魔王「ここまでで質問は?」

メイド姉「聖鍵遠征軍はどうでしょう?」

魔王「うむ、あれは例外だな」

317 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:17:58.51 ID:AIDyRnsCP

魔王「聖鍵遠征軍について知っているところを述べよ」

貴族子弟「あっ。はい。聖鍵遠征軍は中央大陸の
 危機会議によって結成された、聖なる遠征軍です。
 目的は邪悪なる魔族を殲滅しこの戦争を終結させること。
 この15年の間に2回おこなわれました。
 南の極点にある魔界門から魔界へと侵攻して
 魔族の重要都市二つを破壊、魔王の都まで
 迫りましたが、神のご加護虚しく魔王の卑劣な
 補給線破壊行為により撤退を余儀なくされました」

魔王「おお。ほぼ満点だな。
 ――このような遠征軍は巨大な兵力を背景にして
 行なわれる。まず第一に必要なのは世界規模での
 戦争終結への熱意だ。ただ一度の大遠征で終戦が
 成し遂げられるのならば犠牲を払う価値があると
 世界中の人間が望んでこそ、その戦いに身を
 投じる参加者が生まれるわけだな」

魔王「もう一つは経済的バックアップだ。
 本講の授業で何度でも扱うが、経済の支援無くして
 社会も戦争行為も成り立たない。人間は食べなければ
 飢えて死ぬ生き物なのだ」

321 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:21:39.10 ID:AIDyRnsCP

貴族子弟「時には金や食料よりも重要なことがある」だむんっ
軍人子弟「算盤をはじいて戦など出来ないでござる。先生」
商人子弟「……そうでしょうか」

軍人子弟「飢えだなんて精神的な弱者の言い訳だ」
貴族子弟「そもそも領主が保護している人民に
 飢えなどは存在しないじゃないですか」

メイド姉「飢えたことがないんですね」

魔王「……次は、南氷海。すなわち南部諸王国と
 極点である、魔王の大陸を取り巻く海についてだ。
 この海は軍事的、経済的な意味で非常に大きな意味を
 もっている。現在魔王軍との戦いのおよそ25%が
 海を舞台に行なわれており……」

 

ちりーん、ちりーん、ちりーん

メイド長「お嬢様、授業終了のお時間です」

魔王「もうそんな時間か。では、本日はこれで終える。
 明日はこの続きだ。それから、剣士様が明日の午後は
 手ほどきに来るそうだぞ」

軍人子弟「まっておったでござる」
貴族子弟「明日はあたりだな」

魔王「では、解散。わたしは長老の家に移動して
 夜間の農業講座をしなければならないのでな」

323 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:36:03.83 ID:AIDyRnsCP

――館の廊下

勇者「よっ。お疲れ」
魔王「疲れた」
勇者「疲れた顔してるよ」

魔王「なぜ私は教育などと言い出したんだろう。
 人間の子供の相手をするのがあんなにも疲れるとは
 思わなかった。あれではまるで動物ではないか。
 理非も交渉も通じない」
勇者「あー」

魔王「なぜあの者たちはあんなにもプライドが高いのだ」
勇者「貴族や軍人や富裕層だからじゃないか?」

魔王「いっそ蛙に変えてしまうか」
勇者「冗談に聞こえないぞ」
魔王「冗談ではない」
勇者「止めておけ」

魔王「そうか」しょぼん
勇者「村長の家に向かうんだろう? 付き合うよ」

332 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:43:21.00 ID:AIDyRnsCP

魔王「む。寒いな」
勇者「雪が降ってないだけましだ」

魔王「寒いぞ、勇者」
勇者「俺はその中で一日中イノシシを追っかけてたんだぞ?
 魔王は家の中にいたんだから文句言うな」

魔王「ちがう。寒いのだ」
勇者「……」

魔王「……だめか?」
勇者「わかった、ほら」ばふっ「これであったかいか?」
魔王「うん、あったかい」

勇者「ご機嫌か」
魔王「ふふん。悪くはない」
勇者「偉そうだな」

魔王「勇者を手に入れて本当に良かった」すりっ
勇者「あー。こほん」
魔王「?」
勇者「おたがいな」

334 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:50:56.62 ID:AIDyRnsCP

魔王「まぁ、なんとか動き出したのだから
 文句を付けるのもおかしいのだろうな」

勇者「まぁなぁ」

魔王「悲しいほどに権威が物を言うのだな。
 貴族の子弟を受け入れて、箔がついたら農民も
 学んでも良いと言い出すのか。新しい農法も
 この春からそれなりの規模で実験開始だそうだ」

勇者「結果が出るのに、時間はかかるだろうな」

魔王「いや、来年からにでも結果は出す」
勇者「出来るのか?」

魔王「秘密兵器を手に入れたからな」
勇者「なんだそれは」

魔王 ごそごそ 「これだ」
勇者「なんだその固まりは?」

魔王「これは馬鈴薯という。作物だ」
勇者「??」
魔王「植物なんだ。こうやって掘り出しているが、
 この丸い部分は土中に出来る」

339 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:54:44.77 ID:AIDyRnsCP

勇者「ふぅん……」

魔王「これはなかなか美味で栄養価の高い食物なのだ。
 そのうえ、このような食用部分が地下に出来るために、
 鳥害を受けにくい。また、痩せた土地や寒冷地、
 固い地面でも成長できるという優れものだ。
 そのうえ、土地あたりの収穫量は、ざっと計算した
 ところ小麦の3倍に当たる」

勇者「まじかよっ!?」

魔王「ああ、大まじめだ」

勇者「神の食べ物か!?」

魔王「いいや、魔界の食べ物だ」
勇者「……」

魔王「異文化、異文明の接触というのは、
 このように大いなる恩恵を生むことがあるんだ。
 たとえ不幸な形の接触であっても、接触は接触だ」

勇者「複雑だなぁ」

341 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 18:59:48.00 ID:AIDyRnsCP

魔王「もっともこの馬鈴薯にだって弱点がない訳じゃない」
勇者「なにがあるんだ?」

魔王「まず、毒性がある」
勇者「ダメじゃん!」

魔王「いや、強い毒ではないし、毒性が発生するのは、
 日光に当たって発芽しかけたものだけだ。
 収穫や保存においてきちんと管理すれば問題ない。
 むしろ冷暗所で保存すれば一年程度は持つはずだ」

勇者「ふむ……」

魔王「また、連作障害がある。この馬鈴薯という植物は
 条件さえ合えば、年に3回程度収穫できるのだが」

勇者「聞くだにすごいな。さすが魔界の植物だ」

魔王「ああ。だが、その分土中の栄養素、つまり
 いわゆる『大地の恵み』を多く消費してしまうんだ。
 必要な種類の恵だけ使ってしまうから、おなじ場所で
 作り続けると出来が悪くなって、病気にもかかりやすくなる」

勇者「ふむふむ」

344 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:06:00.60 ID:AIDyRnsCP

魔王「もうちょっと」
勇者「へ?」

魔王「もうちょっとくつくのだ。隙間があると寒い」

勇者「う、うん……。あー。くっつくとこっちが
 いろいろもにょもにょなんだけど」

魔王「……わたしの身体は気持ち悪いか?」
勇者「いやいや、そうじゃないんですが」

魔王「まぁ、とにかく。この食物も、寒冷地の
 飢饉対策に役立つはずなんだ。毒性の部分は
 気をつけていればさほど大きな問題にはならない。
 どちらかというと、連作障害の方が問題だろうな」

勇者「俺の理性の方にも問題が」

魔王「大地の恵みは時間がたてば回復するが
 それに対してこちら側からも働きかけを行なう方法を
 確立しないと、一カ所に留まって生産量を上げることは
 限界があるだろうな」

勇者「大地の神に祈祷でもするのか?」

346 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:10:57.82 ID:AIDyRnsCP

魔王「そうだな。祈祷の一種だ」
勇者「無神論者じゃないのか? 魔王は」

魔王「私が無神論だろうと何だろうと、
 利用できるものは隙無く隈無く躊躇無く
 利用したおすのが経済屋というものだ」
勇者「ある種の悪魔だな、こいつ」

魔王「大地そのものに、契約の証として捧げ物をするんだ。
 この種の捧げ物は人間社会でも、経験的に行なわれている。
 焼いた食物や動物の遺骸、動物の糞尿や、食べかすなどだ」
勇者「ふむ。なんか捧げ物ってイメージじゃないけど」

魔王「期待しているのは南氷海の魚なんだがな」
勇者「なぜ?」

魔王「捧げ物には魚が良いんだよ」
勇者「買ってきてやろうか? 転移呪文でひとっ飛びだぞ」

魔王「ありがたいが、持って帰れる量ではないと思う。
 畑一つに月50匹。それも毎年だと云ったら驚くか?」

350 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:17:55.33 ID:AIDyRnsCP

勇者「うっわ、そりゃ」
魔王「無理だろう?」
勇者「うん」

魔王「だが、それも問題が大きくてな」
勇者「なんだ? 南氷海に問題でもあるのか?」

魔王「ああ。二つある。
 一つは、勇者も知ってると思うが南氷将軍だ」
勇者「……あの親父か」

魔王「ああ、あの男、魔族の中でも強硬派だからな。
 魔王の私が伏せっているこの時期でも略奪行為を
 続けていると聞いている。銀鱗族、飛魚族、鉄亀族、
 巨大烏賊族、歌姫族を率いる、魔族でも指折りの
 実力者だ……」

勇者「何度か戦りあったことがある。
 ばかでかい図体で、すげー銛さばきだった」

魔王「南氷海で活動するからにはどうあっても
 利害が衝突するだろうな」

355 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:27:04.00 ID:AIDyRnsCP

魔王「もう一つが『同盟』だ」
勇者「なんだそりゃ」

魔王「この話は、もうちょっと伏せておこうかと
 思ってたんだがな。良い機会だから説明しておこう」

勇者「うん」

魔王「正式には『南部独立都市および自由商人による
 経済同盟』と呼ぶ。まぁ、いまでは『同盟』で
 何処でも通じるな」
勇者「聞いた覚えはあるけど、それって有名なのか?」

魔王「名前だけは有名だが、実体をする人間は
 多くはないな。特に商人でない人間にとっては
 意味が薄い」

勇者「つまり、商人の寄り合い所帯だろう?」

魔王「まぁ、そうだ。
 50年ほど前に南部諸王国中心の街にうまれた団体だ。
 交易商人による団体で、団体構成員の交易特権を
 守るために生まれたのが発祥の契機だな」

357 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:32:55.13 ID:AIDyRnsCP

勇者「交易特権?」

魔王「ああ。ある街から別の街に物資を持っていくと
 当然のように、許可が下りたり、降りなかったりするだろう」
勇者「あるな」

魔王「商人たちはその『許可』を求めるし
 手に入れれば守りたがったんだ。
 当たり前だな、その免許のあるなしで、
 商売が出来るかどうかが決まる。死活問題だ」

勇者「ふむふむ」

魔王「時代が下ると、税の機構が整備されて、
 おなじ許可でも税が重かったり軽かったりするようになった。
 こうして王族や貴族は税を通じて経済に接触できるんだ。
 しかしそれは逆に、経済の輩、つまり商人が
 貴族や王族といった支配階級に接触することをも意味する」

勇者「うへぇ、なんだか難しい話だ」

魔王「『同盟』はそういった商人の作った組織の中でも
 最大のものだよ。その規模は想像を絶する」

勇者「へー? どれくらいなんだ? 千人くらいいるのか?」

359 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:38:05.19 ID:AIDyRnsCP

魔王「この場合、人数は問題じゃないんだ」
勇者「そうなのか?」

魔王「経済的な組織だからな。動かせる富の量や
 流通に介入する能力が彼らの武器だ。人数じゃない」

勇者「理屈で云えばそうなるのか。
 ……で、どれくらいなんだ?」

魔王「その商業範囲は、南部を中心にしてではあるが
 この中央大陸全土に及ぶ。
 主要な都市に『同盟』の出張機関がない場所はなく、
 『同盟』の支店がある場所こそがすなわち主要都市だ。
 『同盟』の総資産は誰にも判らないけれど、
 いくつかの歴史的な介入から私が試算する限り
 その総額は天文学的な規模にあがる」

勇者「……」

魔王「少なく見積もっても、南部諸王国全部を
 5回売り買いしてもおつりが来ることは確かだ」

勇者「!?」

362 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:42:11.51 ID:AIDyRnsCP

魔王「そう言う組織なんだ」
勇者「なんだそりゃ!?」

魔王「こと、この南部地方に限って云えば、都市間の
 小麦の流通のおおよそ60%に同盟の息がかかっている。
 その気になれば、領主も王の首もすげ替えられる力を
 『同盟』はもっていることになるな」

勇者「化物かよ」
魔王「まごうことなき化物だ。
 人間の生活は化物の背に乗って行なわれている」

勇者「俺、そのなんとか同盟ってのに頼まれて
 何回か戦意高揚演説したことがあるぞ」

魔王「そうなのか?」

勇者「ああ。魔族を倒しに立ち上がろう、えいえいおー!
 みたいなやつ。そのあとひらひらしたドレスの
 姉ちゃんが出てきて、攻城塔の上でうたってたぞ。
 キラッ☆とかいって」

魔王「プロパガンダだな。数百万Gは儲けただろう」
勇者「おれには謝礼15Gだったんだぞっ!?」

368 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:47:46.85 ID:AIDyRnsCP

勇者「うううう。俺は、俺ってヤツは……」
魔王「そんなに落ち込むな、勇者」

勇者「俺はそんなヤツらに騙されて……」
魔王「経済は君の専門じゃない。無理もないさ」

勇者「俺はそのお姉ちゃんに『憧れてますっ!』
 なんてキラキラ瞳で云われたせいで
 それだけで胸がいっぱいになって
 魔界へ飛び出しちゃうし」

魔王「……」

勇者「帰ってきたら祝勝パレードで
 良い感じのパーティーに招待しますからとか
 依頼してきた青年に言われちゃったりして、
 モテますねとか肘でつつかれて舞い上がったり……。
 いま考えるとあの青年も商人だったんだなぁ」

魔王「……」

勇者「うううう。俺はダメ勇者だ」
魔王「ふんっ。きつい教育が必要だな」

371 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:55:05.85 ID:AIDyRnsCP

勇者「つまり、敵だな」
魔王「あ-。物騒なことを云うな」

勇者「いいや、敵だ。最上級撃魔封殺雷撃魔法で仕留める」
魔王「都市攻略術式を個人相手に使おうと考えるな」

勇者「だって騙したんだぞ」しくしく

魔王「子供か、君は。
 ……そもそも『同盟』には意志なんてないんだ。
 金儲けをするための商人が寄り集まって、
 知恵を出し合い、自分たちの身を守り成長することだけを
 願った組織。もはや肥大してしまって個人の思惑なんて
 欠片も差し挟めないほどに成立してしまった
 『概念』に近い存在なんだ。
 仮に勇者がだまされたとしても向こうに騙すつもり
 なんて無かったし、逆に言えば復讐したって
 痛みなんて感じる機能はない」

勇者「くぁ、余計むかつく」

魔王「敵でも味方でもない。獣みたいなモノなんだ」
勇者「……」

魔王(それでも、あるいは……)

372 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 19:59:02.75 ID:AIDyRnsCP

勇者「むー。知らないことばっかりだ」
魔王「ぼやくな」
勇者「まぁ、いいけどさ。戦ってばかりいる時よりも
 前に進んでいる気がするから」

魔王「……ずっと側にいる」
勇者「うん。俺もだ」

魔王「あー。あー」あせっ
勇者「なんだ?」

魔王「ほら、もう村長の家だ。きょ、今日は
 クローバーによる土中の恵みの結晶化について話すのだっ」
勇者「そ、そか」

魔王「……その」
勇者「うん」

魔王「4時間ほどで、帰るから」
勇者「わかった」

魔王「い、いってくるからな」ぎゅっ
勇者「おう! 行ってこい!」ぎゅっ

419 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 22:46:44.67 ID:AIDyRnsCP

――湖の国、首都郊外

しゅんっ!

勇者「……いいぞ」きょろきょろ

魔王「む。便利なものだな、転移魔法というものは」
勇者「魔王だって使えるだろう?」

魔王「いや、個人長距離移動性能と、目的地の選択の
 関係でここまでの汎用性はない」
勇者「そうなのか」

魔王「術式が違うのだ。機会があれば研究したいが」
勇者「まぁ、いまは目的が先か」

魔王「うん。どこだ?」
勇者「あの丘の向こうだ。念のために顔は隠してな」

魔王「心得た。淑女の服に比べれば、変装の方が
 ずっと着心地が良いぞ」
勇者「あれはあれでよい物なんだがなぁ」

422 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 22:53:25.47 ID:AIDyRnsCP

ざっざっ

魔王「あれか?」
勇者「ああ、あの石造りの建物が、このあたりの
 修道会を束ねる修道院だ」

魔王「宗教ばかりは私たちには判りづらいな」
勇者「俺だって説明しにくいよ。専門家じゃないんだし。
 まぁ、でも『同盟』が化物だとすると
 『教会』だって同じくらい化物だって事だ」

魔王「ふむ。用心するべきなのだな」
勇者「ああ、もちろんだ。お前は特に魔王なんだからな。
 危険人物リストのぶっちぎりナンバー1だ。
 なんせ神の敵だぞ」

魔王「ははは。神など恐れたことはない」
勇者「神の名を叫ぶ人間ってのは怖いんだぞ」
魔王「うむ、それは肝に銘じる」ぶるっ

勇者「さ、いくぞ。一応紹介の連絡だけは
 入ってると思うが……」

魔王「最悪魔法で逃げ出せばいいだろう」

勇者「悪い意味で場慣れしてきたな、俺たちも」

423 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 22:59:20.74 ID:AIDyRnsCP

――湖畔修道会、内部

修道士「こちらでございます、お客様……」

魔王「静かだな」
勇者「うん」

修道士「我が修道院はただいま『沈黙の行』の
 時間です。どうかお気遣い賜りますよう……」

魔王「う、うん……」
勇者(雰囲気に飲まれてるぞ、魔王)

かつん、かつん、かつん……

勇者(独特の雰囲気があるな、修道会ってのは)

修道士「こちらが会議のための部屋となっております。
 もうしわけありませんが、我が修道院は
 午後の祈りを控えております。
 しばらくお待たせしてしまうのですが」

勇者「かまわない。案内ありがとう」

424 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:04:27.16 ID:AIDyRnsCP

魔王「さて、と。潜入は成功だ」
勇者「あとは、院長に面会して交渉か」
魔王「うん」
勇者「今回は出たとこ勝負って事になるのか」

魔王「まぁ、いくつか交渉材料は考えてきてあるんだが。
 というか、そもそもこれは人間側のために考えた
 人間にメリットの多い企画なんだがなぁ」
勇者「相手は宗教屋だからな」

魔王「そういえば、この世界の人間は、なんと言ったっけ?
 その、光の精霊とかを信じているんだろう?」
勇者「ああ、中央大陸の主だった国は全て光の精霊信仰だ」

魔王「勇者はさっきから聞いていれば、
 涜神的な言動が多いが、信仰心は薄いのか?」

勇者「薄いというか、何というか。
 戦場に身を置いて、特に魔物なんかと戦ってると、
 精霊様ってのは身近に感じるんだよ」
魔王「ふむ」

勇者「信仰心が薄い訳じゃなく、友達感覚のつきあいなんだ」
魔王「そうなのか? それはまた珍しい気がするんだが」

429 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:11:19.24 ID:AIDyRnsCP

勇者「まぁ、俺は特別だよ。
 夢のお告げなんかも聞いたりしちゃったしな」
魔王「神は実在するのか!?」

勇者「神じゃない、光の精霊だ」
魔王「ふむ……」

勇者「すごく善人なだけで、竜とか魔王とかと
 似たような存在なのじゃないかな? 光の精霊も。
 面倒くさいことが断れない気の弱い性格なんだと思うよ」

魔王「そんな存在でも、信仰の対象なのだろう?」

勇者「まぁな。それに信仰以外の所でも、
 『教会』ってのは社会の中で大きな意味を持ってるんだ。
 こんだけでかい組織だからなぁ。
 『同盟』なんか人数だけで云えば比べものにならない」

魔王「研究や学術の面でも、か」

勇者「ああ。この世界のそう言った知識は、
 殆ど教会の権力の下にあると云っても
 良いんじゃないかな。以前にも話しただろう?
 都市部の人々は、教会のミサで
 お話や読み書きを教えてもらうんだ」

432 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:17:41.52 ID:AIDyRnsCP

魔王「その組織に期待したいんだがな」

勇者「まぁ、今日のはとっかかりだし、
 失敗しても傷口は浅くて済む。
 『教会』は大所帯だから、内部ではいろんな
 派閥があるんだ。いまはその派閥が『修道会』という
 形で表に出てきている。様々な『修道会』が
 入り乱れているのが現状だ」

魔王「でも、すべて光の精霊を信仰しているのだろう?」

勇者「そうだよ。だから表向き、全ての『修道会』は
 友好的、と言う建前になっている。善の勢力ってことだな。
 でも実際には信仰の方法論が違ったり、過激さが違ったり
 もっと露骨に云えば信者の奪い合いでライバル関係で
 あることも少なくはない」

魔王「なんだか、魔界の部族の領土争いと変わらないな。
 破壊神と煉獄神と暗黒神とにわかれていたほうが、
 まだ判りやすいぞ」

勇者「そう言う宗教があるのか?」
魔王「あるぞ。でも、大半はただのファッションだ」

435 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:22:45.56 ID:AIDyRnsCP

勇者「で、まぁ。この湖畔修道会は修道会の中でも
 実利的、かつ穏健でな」
魔王「ほう」

勇者「農民の生活援護みたいな事を主な活動にしているんだ。
 労働力の提供とか、ブドウ栽培の指導とか、
 戸籍の補完とか、そうそう、病院もやってるよ」

魔王「病院もか!」
勇者「つーか、病院ってのは教会の仕事だろう?
 もっとも病人は受け付けない教会も少なくないけどな」

魔王「……ふむ」
勇者「魔王?」

魔王「どうした?」
勇者「魔王は……。なんだかな、そのう。
 時々すごく寂しそうな顔をするよな。いまみたいな時」

魔王「そうか?」
勇者「ああ」

魔王「そんな自覚はないんだがな」
勇者「そうなのか? なぁ、魔王。魔王には
 どういう風に物事が見えて」

ガチャリ

437 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:30:35.05 ID:AIDyRnsCP

魔王「あー。お初にお目にかかる」
勇者「はじめまして。紹介書は届いてるかと思いますが」

魔王「南部辺境で農業を中心に研究生活を送っている。
 紅の学士と云います。よろしくお願いしたい」

勇者「俺はその介添え兼護衛の白の剣士。
 修道院に入るのは気後れする粗忽者なのだが  ご寛恕ください」

女騎士「……」

魔王「湖畔修道会に来たのは初めてですが
 立派な建物ですね、びっくりしました」

勇者「……あ」
女騎士「……白の剣士ですって?」

魔王「へ」
勇者「あー。それはな。えっと」

女騎士「ゆ う し ゃ ! あなたねっ!!」
勇者「うぁ」

441 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:38:33.95 ID:AIDyRnsCP

女騎士「なにが『白の剣士』よっ。
 いままで何処ほっつき歩いてたのよ!
 もう一年よ!? 一年も音沙汰無しでっ!!」

魔王「どういうことなのだ?」
勇者「いや、その」

女騎士「あなたがあたしたちを放り出したんでしょっ。
 この先に進むのは一人で良いとか何とか
 適当なことほざいてっ!!
 あんな辺境の街で放り出された
 私たちの身にもなりなさいよっ。
 どんだけ心配したことかっ。
 ってか腹立たしかったか!」

魔王「あー」
勇者「だってさぁ」

女騎士「だってもクソもないのよっ!
 あっ。す、すみません。精霊様、クソなんて
 云ってしまいました。懺悔しますっ」

442 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:42:50.89 ID:AIDyRnsCP

勇者「ううう」
女騎士「私はともかく、弓兵さんも、魔法使いちゃんも
 ものすごくへこんでたんだからねっ」

魔王「攻撃力過多なパーティーだな」
勇者「回復は俺と騎士でやりくりをね」

女騎士「話聞いてるのっ!? 勇者っ」

勇者「すんません」

女騎士「……ふぅ。で、いままで何してたの?」

魔王「あー」
勇者「そ、それは」

女騎士「ああ。済みませんでしたっ。学士様。
 席も勧めませんで、今すぐお茶を持ってこさせます」

魔王「は、はぁ」
勇者「どうしたもんかなぁ」

女騎士「わたしは、元聖銀冠騎士団所属の女騎士。
 ゆかりあって、いまはこの湖畔修道会で
 みんなの生活の向上のために勤めています」

444 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:48:48.98 ID:AIDyRnsCP

――湖畔修道会、会議室

勇者「と、まぁ。そんな訳で。魔王にも手傷は
 負わせたんだけどさ。魔物総攻撃みたいな話になっちまって
 退却してきたって訳さ」

女騎士「そうだったの……。まさか、いままでずっと
 怪我の療養を?」

勇者「いや、それはないな。まぁ、色々事情があって
 表舞台には顔を出せなかったって云うか……」

女騎士「諸王国がそこまで手を回したのっ!?」

魔王「――」じぃっ
勇者「いや、なんだそれ?」
女騎士「ううん。いいんだけどっ。判ったわ」

勇者「そっちは何でこんなところで修道院長やってるんだ?」

女騎士「もうっ。
 私は元々の出身がこの辺なのよ。
 騎士の叙勲されたのも教会でだったし教会所属の騎士なの」

勇者「そーいやそうだったなー」

446 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:52:05.81 ID:AIDyRnsCP

女騎士「……実は、勇者が魔王城に向かってね。
 それを諸王国軍本部へと報告して、ひと月たった頃。
 特使が来てね。……勇者が出かけて、その身を顧みず
 魔王に一矢浴びせたって。そう言って、仲間全員に
 恩賞金が出たのよ」

魔王「ふむ」

女騎士「勘違いしないでよねっ。
 私は受け取ってないんだから。
 ……で、そのあとね。
 私たち三人はいままで大きな活躍をしてきたから、
 王国の要職に取り立てるって……」

勇者「そうだったのか」

女騎士「……それって、体の良い引退勧告だよね。
 私はイヤだった。勇者をだしにして出世するなんて
 イヤだったし。だから故郷に戻って、今度はみんなの
 ためになる仕事をしようと思って」

勇者「立派な志じゃないか。いや、女騎士は以前から
 やるときゃやってくれる男気あふれた仲間だと
 思ってたんだよ」

女騎士「…………はぁ」

450 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/04(金) 23:55:54.27 ID:AIDyRnsCP

勇者「で、あとの二人は?」
女騎士「……うん」

勇者「?」

女騎士「……弓兵さんはね。ほら、元々兵士だったでしょ?」
勇者「ああ、そうだな」

女騎士「だからね、諸王国軍に帰ったの。
 恩賞金ももらってた。連合参謀本部の諜報室に
 行くんだって云ってたよ。……その、ごめんね」

勇者「何で謝るんだ? 俺の活躍で報奨金が出たなら
 それってすごく良いことじゃないか。出世もしたみたいだし」

女騎士「……う、うん」

勇者「で、魔法使いは? あいつも金もらってただろ?
 ああ見えて守銭奴だからな。
 『東方の、魔道書、買った……』とか
 無表情のままぼそぼそーっとか云ってたろ?
 あいつは味わいのあるヤツだからなぁ」

女騎士「魔法使いちゃんは、1人で行っちゃった」
勇者「へ?」

女騎士「勇者を追って、魔界へ」

453 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:07:26.45 ID:5kaffl9OP

魔王「……」
勇者「……」
女騎士「……ごっ、ごめんね」

勇者「止めたんだろ?」
女騎士「もちろんだよっ! でも、次の朝。
 荷物が無くなってて、多分……」

勇者「じゃ、仕方ない。気持ちはわからんでも無いけれど
 女騎士が気に病む事じゃないさ。もとはといえば
 俺が1人で突っ込んだせいなんだろうしな」

女騎士「……勇者」

勇者「それより、今日は交渉だの相談だのがあってきたんだ」
女騎士「紹介状にも書いてあったけど……」

勇者「ま……学士」
魔王「わたしだな。改めて挨拶させてもらおう。
 紅の学士と呼んで欲しい。学者だ」

女騎士「初めまして、勇者のもと仲間の女騎士です」

458 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:14:23.98 ID:5kaffl9OP

魔王「今日来たのは、この修道会のお力をお借りするためだ」
女騎士「うかがいましょう」

魔王「まず、これを見て欲しい」

 

とさっ

女騎士「これは?」

魔王「馬鈴薯、と言う植物だ。くわしい情報はこちらの
 羊皮紙にもまとめてあるが、要点をまとめると
 寒冷地でも耕作可能な農作物で、単位面積あたりの
 収穫量は小麦の三倍に達する」

女騎士「っ!?」

魔王「もちろん、いくつかの注意点もあるが
 作物としては多くの優位性がある。栽培もけして
 難しくはない。お解りだと思うが」

女騎士「この作物は、多くの飢餓者を救える」

魔王「そうだ」こくり

461 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:18:19.44 ID:5kaffl9OP

女騎士「どのような助力を当修道会にお望みですか?
 金銭ですか? それでしたらどのような手段を用いても、
 最大限出来うる限りの謝礼を用意させていただきます」

魔王「ほら見ろ、勇者。これがこの作物に対する
 智慧ある人物の対応だ」

勇者「わるかったなぁ、反応が鈍くて」

女騎士「……政治的介入や権力の行使をお望みなのですか?
 何らかの爵位や身分を? 申し訳ありませんが、
 当修道会は王族や貴族にそこまでの影響力は
 保持していないのです。お金の用意できる量も……」

勇者「いや、それはない。  女騎士がそう言うの苦手なのはよく知ってるし」

女騎士「勇者じゃなくて、学士様と話してるのっ」

魔王「金銭的な援助は、それはあればあっただけ嬉しいが
 当面の目的はそうではない」

女騎士「どういったことでしょう?」

467 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:26:57.24 ID:5kaffl9OP

魔王「南部辺境に、冬越しの村という寂れた寒村がある」
女騎士「はい」

魔王「その村に修道院を建てて欲しい」
女騎士「そんなことでよろしいのですか?」

魔王「私ももちろんバックアップをしよう。その修道院を
 中心に、この馬鈴薯の栽培方法を農民に指導して欲しいのだ」

女騎士「それは願ったりというか、我が修道会の理念に
 乗っ取った行動ですが……。そんなことで良いのですか?」

魔王「うん。もちろん、馬鈴薯の栽培が成功した場合、
 付近の村や国に修道院を増やして、その栽培方法を
 広めてもらえないだろうか」

女騎士「その過程でこの修道会の影響も増えますから、
 それはこちらにとっては得ばかりの話ですが、
 学士様にとってはどのような得があるのですか?」

魔王「実はこちらの目的も、馬鈴薯の栽培方法の伝播でね。
 南方寒冷地の食糧事情の改善がされれば目的にかなう」

女騎士「そう……ですか」

468 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:30:44.67 ID:5kaffl9OP

魔王「それに栽培したいのは馬鈴薯だけではない。
 農業の手法改革研究も進めている。
 従来の三圃式農業にかわる、新しい生産性向上の
 手法がある」

女騎士「そうなんですか!?」

勇者「なかなか優れものだぜ」

魔王「そう言った手法を実験的に行なっているのが
 くだんの冬越し村なのだが、成功したとしても
 私達だけでは広く伝えるための組織や人材が
 不足しているのだ。
 そう言った点で協力しあえればと考えている」

女騎士「あなたは、光の精霊様に使わされた
 御使い様に違いありませんっ」

勇者「それはどーかなー」
魔王「……」げしっ
勇者「痛っ!?」

472 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:34:57.42 ID:5kaffl9OP

女騎士「そのようなことであれば、出来うる限りの。
 ええ、私自らが冬越し村へと赴き、修道会の
 総力を挙げて助力いたしましょう」

魔王「ご厚情痛みいる」
勇者「いや、それは……」

女騎士「何か文句あるの? 勇者」

勇者「いや、なんてーのかなぁ。ほら、えーっと」
女騎士「じれったいわね」

勇者「俺って昔から危険をはらんだニヒルな
 勇者じゃない? だから、ほら。
 近くにいると、無用の火の粉が……」

女騎士「そんなのずっと前から体験済みよっ。
 それとも私が冬越し村に行くと何かまずいわけっ?」

勇者「えーっと……それは、そのまおーとか……」

474 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:38:15.85 ID:5kaffl9OP

魔王「協力してくださる修道会の長に
 失礼があってはいけないぞ、勇者」

勇者「ええーっ!?」

女騎士「……余裕がおありですね」めらっ

魔王「余裕など無い台所事情ゆえ、こちらの修道会に
 協力を求めてきたのだ。わたしは契約至上主義者ゆえ
 契約の相手には最大限の敬意を払うことにしている」

勇者(た、たすけてー)

女騎士「ともあれ、二度と会えないかと思った……。
 いえ、一年ぶりに会うことの出来た勇者と一緒に
 このような恩恵の食物をもたらしてくれた学士様も
 光の精霊のお導きというものでしょう。
 わが修道会の天命かと思います」

魔王「いいえ、魂持つものの努力です」

女騎士「……ええ、そうですね。その通りです」

478 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:41:19.55 ID:5kaffl9OP

――湖畔修道会、前庭

女騎士「本当い良いの? 見送りは」

勇者「ああ、かまわない。部屋でも良かったのに。
 どうせ転移魔法なんだから」
女騎士「そりゃそうだけど」

魔王「では、冬越し村で会えるのを楽しみにしている」

女騎士「そうですね、冬の間はさすがに移動できませんから。
 この修道院の後任院長を決めて、春一番でそちらへと
 向かいましょう。修道院建築に関して、当地の領主や
 有力者との間に好意的な合意が出来れば良いのですが」

魔王「そちらに関しては、この冬の間に
 出来る限りの根回しをしておこう」
女騎士「ありがとうございます」

勇者「なんだか仲が良さそうに見えて怖い」
女騎士「何か言った?」

勇者「なんでもありません」

女騎士「では春に!」
魔王「ああ、春にお目にかかろう」

482 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:49:00.34 ID:5kaffl9OP

――冬越し村の春

小さな村人「うんわぁ、やっとこお日様が顔をだしたなや」
痩せた村人「だしたなやぁ。ああ、風がぬるくなってきた」

村の狩人「ほーい。ほーい」

小さな村人「どうしたー?」
痩せた村人「今日は良い天気だなやー」

村の狩人「そうだなぁ。今年はなんだか良い事が
 起きそうな気がするだなー」

小さな村人「さっそくかい?」

村の狩人「ああ、ウサギが4匹も捕れたよ。
 1匹は村長さんの所へ持っていく」

小さな村人「そりゃぁいいな!」
痩せた村人「今年はイノシシの塩漬けがまだたくさんあるしな」

村の狩人「ああ、びっくりしたなや」

小さな村人「これも村はずれの剣士様のお陰だなー」
痩せた村人「うちの息子が、斧を研いでもらっただよ」
村の狩人「熊もつぶしてくれたとかで、
 森の中も少し風通しが良いみたいだなや」

485 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:56:25.53 ID:5kaffl9OP

メイド妹 ~♪ ~♪

小さな村人「おんや。噂をすれば、村はずれの館の姉妹だなよ」
痩せた村人「本当だ。ほーぅい、ほーぅい!」
村の狩人「どこへいくんだーい」

メイド姉「こんにちは、みなさん」ぺこり
メイド妹「あのねー。村長さんの所へ、木イチゴの樽漬け
 を分けてもらいに行くんだよっ」

小さな村人「そーかそーか。えらいな」
痩せた村人「お客さんでもくるんかい?」

メイド姉「はい、そのようです」

村の狩人「そうかそうか。……ふむ。
 ようし、このウサギを、当主の学者様へと
 お届けしてほしいだなや」

小さな村人「おんや、太っ腹だな、狩人さん」
村の狩人「なんの。森を安全にしてくれた
 大恩あるおうちじゃないか。
 ウサギなんて春になったのだからまた取れるだな」

486 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 00:59:34.36 ID:5kaffl9OP

メイド妹「ありがとー♪」

小さな村人「それもそうだ。
 これは沢で取れたクレソンだなや。
 ほら、分けてやるから持っていくと良い」

メイド姉「ありがとうございます、本当に」

痩せた村人「雪解けの屋根修理には是非呼んでくれだな」
村の狩人「そうだそうだ、是非お世話してやんねと」

メイド姉「はい。かならず当主に伝えます」

小さな村人「ええってええって」
痩せた村人「なんだ、みんなにこにこしてからに」
村の狩人「やぁ。やっぱりお屋敷詰めともなると
 本当に2人ともべっぴんさんだねぇ」

メイド姉「……」

小さな村人「ああ、本当だ。俺たちとは全然違うだなや。
 賢くて優しくてべっぴんで、俺たちは、みんな
 2人に憧れてるだなよ」

メイド妹「ありがとー」にこぉっ
メイド姉「……ごめんなさい」

492 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 01:11:23.61 ID:5kaffl9OP

――村はずれの屋敷、深夜

勇者「よっ。ほっ」 ぎゅっ、かちっ
勇者「こんなもんか? 薬草もあるし、あとは
 現地でどうとでも奪えばいいか」

魔王「こんな深夜に完全武装か」
勇者「魔王……」

魔王「私の物のくせに」
勇者「あー。うん。……ごめん」

魔王「なんだその情けない顔は。勇者だろうに」
勇者「後ろめたいとどうしてもこういう顔になるんだよ」

魔王「私はお前の物なんだぞ。そしてお前は私の物だ」
勇者「ああ」

魔王「止められるとでも思ったか?」
勇者「……」

魔王「見くびらないでもらおう」
勇者「え? いいのかっ?」

494 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 01:15:01.77 ID:5kaffl9OP

魔王「ほら」

勇者「これは?」ずしっ

魔王「先々代だったか? の魔王が使ってたという、
 黒玉鋼の鎧兜だ。安心して良い。呪いの類は
 かかっていない」

勇者「……?」

魔王「魔王の私がいなくて、魔界の統治のたがが
 緩んできてるんだ。勇者はその粛正を適当にしてきてくれ」
勇者「お、おう」

魔王「こっちの紙に信用できそうな部族の族長のリストと、
 紹介状をしたためておいた。人捜しなら助力を仰ぐ
 必要もあるだろう」

勇者「いや、あいつはああみえて、その……。
 動じないヤツだから。
 きっと平気でけろっとしてると思うんだ」

魔王「だからといって探していけない道理もあるまい」

499 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 01:18:26.71 ID:5kaffl9OP

勇者「魔王……」
魔王「私が寛大で感謝するんだぞっ」

勇者「もちろんだ。ありがとう」

魔王「……」じぃっ
勇者「?」

魔王「それだけか?」
勇者「なにが?」

魔王「ほら、そのぅ。人間には、その、何だ……
 親しい人と……というか親しい男女が別離をする時の
 特別な風習があるそうではないか」

勇者「えー。あ。ああ」
魔王「……駄肉だからダメか?」

勇者「何でこういうタイミングで
 じわぁって見上げるかなっ!?」

魔王「所有契約の項目外なのか?」 じわぁ

501 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 01:21:29.62 ID:5kaffl9OP

勇者「えー、あー。その」
魔王「やっぱりスキンシップが足りないのか」

勇者「なんでそうなる」

魔王「実は毎週メイド長に説教されるんだ。

 『まおー様はスキンシップが足りません。
 そもそも露出もかわいげも足りてないんですから
 スキンシップくらいケチってどうなります?
 いいですか? 戦争の基本は物量です。
 飽和攻撃で殿方の理性など崩壊させてしまえば
 戦術の必要性すらないのです』

 そう言われるんだ」

勇者「戦術論的には正しいんだが」

魔王「ダメなのか?」
勇者「そ、その。照れくさいぞ。
 そういうのはさ、ほら。
 もっと落ち着いた時にさっ」

504 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 01:24:44.99 ID:5kaffl9OP

魔王「それで良く勇者が名乗れるな。
 それでは臆病者ではないかっ」

勇者「ば、ばか云えっ。俺は勇気にかけては
 世界公認の第一人者、それゆえ勇者ですよ!?」

魔王「では覚悟を決めるのだっ」
勇者「何で開き直ってるんだよ、魔王っ」

魔王「半年だぞ!? 雪の中にこもって
 生活してればアドバンテージが取れて当然だろうに
 なんだか流されるままにずるずると
 何の進展もなく半年もの時間を浪費してしまった事実が
 私を責めさいなんでるのだ。
 そんな状況下でそろそろ修道院の建築も始まり、
 夏の間には完成してしまう上に、
 私の勇者は昔の女を探しに行ってしまうわけで
 精神的に追い詰められない方がおかしいではないかっ」

勇者「あー」

508 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 01:29:15.28 ID:5kaffl9OP

魔王「……」じぃ
勇者「まったくなぁ」

魔王「……」
勇者「……」 ちゅ

魔王「……むぅ」
勇者「なんだよその恨みがましい視線はっ」

魔王「おでこではないか」

勇者「おでこで悪いか。気に入らないなら返せ」

魔王「それはダメだ。勇者の全ては私に所有権がある。
 つまりこのおでこも私の私有財産だ。議論の余地はない」

勇者「むぅ……」
魔王「……」

勇者「残りは帰ってからっ!」
魔王「約束だぞ、勇者。かならずだぞっ!」

しゅんっ!

578 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 14:14:24.81 ID:5kaffl9OP

――村はずれの屋敷、中庭

女騎士「さて、諸君らの手元にあるのは南部諸王国の
 軍において用いられる標準的な武器、ロングソードだ。
 この武器は威力、間合いにおいてバランスが良く、
 鉄の国おいて鋳造された製品で質も良い。
 重量バランス配分がこの種の武器の使い勝手を
 決めるので、手に持って馴染むかどうか、判断の
 参考にして欲しい」

貴族子弟「……」
商人子弟「……」
軍人子弟「ばからしーでござる」

女騎士「何か言ったか?」

貴族子弟「……」ぷいっ
軍人子弟「馬鹿らしいといったでござる。何で拙者が
 女如きに剣を教わらないといけないのでござるか」

女騎士「……」

軍人子弟「白の剣士殿から剣を教わったのは
 別に女に弟子入りするためではないでござるよ。
 女は家の中でケーキでも焼いていれば良いでござる」

581 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 14:20:50.67 ID:5kaffl9OP

女騎士「おい、そこのデブ」
商人子弟「ひゃ、ひゃいっ!? ぼ、ぼく?」

女騎士「剣を両手に持って構えろ」
商人子弟「……ううう」

女騎士「はっ!!」 ギンッ!!

貴族子弟「!?」
軍人子弟「ッ!!」
商人子弟「けけけ、剣がっ!! ま、まっぷた、真っ二つ」

女騎士「はっ!!」 ギンッ!!
商人子弟「み、短くなったっ!?」

女騎士「その気になれば5cmずつ切り取ることも出来るんだぞ」

軍人子弟「ど、ど、どうしてっ」

女騎士「そこのゴザルに云っておく」

583 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 14:25:44.21 ID:5kaffl9OP

女騎士「私は、湖の国の女騎士。かつて勇者と共に
 魔界で千の戦をくぐり抜けてきた女だ」

貴族子弟「ゆ、勇者っ勇者様のっ!?」
商人子弟「!?」
軍人子弟「ま、ま、ま、まさか『鬼面の騎士』!?
 『怪力皇女』!? 『石壁しぼりの女夜叉』!?」

女騎士「色々詳しいじゃないか、ゴザル」

軍人子弟「……」がくがくぶるぶる

女騎士「これは別に怪力じゃない。技だ。
 刃筋を安定させて、力を強度の低い場所に
 集中させれば諸君らでも実行可能だ。
 勇……あー。白の剣士は、素質がありすぎでな。
 なんでも『なんとなーく』でやってしまうので
 教師としては不適当なのだ」

商人子弟「もしかして、白の剣士殿は、女騎士殿の
 弟子だったのですか!?」

貴族子弟「そ、そうかっ!」
軍人子弟「そうでござったか……」

584 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 14:36:22.66 ID:5kaffl9OP

女騎士「う、うむ。そういうような……。
 そ、そういうことだ。とっ、とにかく。
 白の剣士は、勅命を帯びて探索の旅に出ている」

貴族子弟「勅命……王のご命令ですか」
軍人子弟「探索の旅! 男子の本懐でござるな!」

女騎士「そう言うわけで、週に4回の戦闘訓練は
 しばらくのあいだ私が受け持つ」

商人子弟「は、はヒィ!」

女騎士「なに。私は白の剣士とちがって
 理論的かつ実戦的、基本に即した教練方法を
 採用するつもりだ。諸君らの武芸を必ずや
 実用の域まで高めよう」

貴族子弟「勇者の仲間の騎士様に
 剣を教授いただけるとは光栄です!」
軍人子弟「そこまで言われては仕方ない。
 拙者も剣の道を究めるとするでござる」

女騎士「では、手始めに北の森を、走り込みで三周。
 そのあと帯剣して素振りをしながら一周。
 小川へと移動したら、腰まで水につかって
 ロングソードの素振り500回だ」

三子弟「「「ひぃぃぃ!?」」」

587 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 14:41:31.45 ID:5kaffl9OP

――村はずれの屋敷、初夏

 

ひいぃぃぃ! ひぃぃぃぃ!

魔王「今日も元気だな」

メイド長「まったくです。でも、女騎士さんは
 あれで結構楽しそうですよ?」

魔王「そうなのか? 勇者がいなくなって
 お尻に矢が刺さったアナグマのように怒り狂って
 いたではないか」

メイド長「頼りにされると張り切ってしまう人
 なんでしょう。可愛らしい人ですよ」

魔王「む」
メイド長「まおー様より引き締まった身体ですし」

魔王「むぅ」
メイド長「いえいえ。まおー様もスタイルは
 悪くないんですよ? 出るべきところのボリュームは
 それはたいしたものです。えっちではしたない肉体です」

魔王「メイド長の言い方の方がはしたない」

588 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 14:52:32.71 ID:5kaffl9OP

メイド長「しかし肉体性能は、お色気か癒し系ですのに
 ご本人の性格がお色気とも癒しともまるで無関係なのが
 まおー様の泣き所でしょうか?」

魔王「ほうっておけ」

 

がきょ、がちょ

メイド長「なんですか? それ」

魔王「うむ。呼び寄せた職人に依頼していた試作品だ。
 実験して手直しして欲しい部分の指示を
 書き付けておかないとな」

メイド長「何に使う物なのですか?」

魔王「羅針盤といわれているものだ。いま作っているのは
 その改良だな。この二軸のシャフトと、大きなガラス球で
 内部の羅針盤を水平に保つのだ」

メイド長「ふむふむ。改良前はどうやっていたんですか?」

魔王「水の上に磁石を浮かべていたんだ。
 ほら、この内側の、内部に浮かんでいるのと
 おなじ構造だな」

589 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:00:01.62 ID:5kaffl9OP

メイド長「だいたい判りました。でも、随分巨大化
 してしまったわけですね」

魔王「仕方ない。これは試作品だからな。
 実用化されれば、小型化のめども立つだろう」

メイド長「どういう改良なのですか」

魔王「うむ、羅針盤とは方位を知るものだ。
 この内部の水の上に浮かべた磁石が回転して
 北の方角を教えてくれるわけだが……。
 そのためには水面が水平安定する必要があるな」

メイド長「はぁ」

魔王「方位を知りたがるのは船乗りだろう?
 揺れる船の上で、ましてや嵐なんか来たりした日には
 水に浮かべた磁石の方向を安定させるのは至難だ」

メイド長「じゃぁ、いままでどうやってたんですか!?」

魔王「根性だろ」

メイド長「……」
魔王「……」

メイド長「人間ってすごいですね」

591 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:08:37.94 ID:5kaffl9OP

魔王「まぁ、この宙づり自由式であれば
 設置場所に難があるとは云え、揺れる船の上でも
 下部の釣り錘によって水平が保持される」

メイド長「ふむ。根性が無くても出来るわけですね」

魔王「いや。人間であるというのは根性は必須だと
 女騎士殿は云っていたから、根性はやっぱり
 必要なのだろう。
 この改良で軽減されるのは技能だ。
 羅針盤を扱うのは特殊な技術だったからな。
 この簡便な装置で技術者が増えるわけだ」

メイド長「でも、この村には海ありませんよ?」
魔王「うむ。この装置は、売りつける」

メイド長「買ってくれますかね?」
魔王「まともな目利きがあれば、家ほどの
 黄金でも積むだろうな。これで『同盟』と接触する」

メイド長「まおー様の専門ですから、お任せします」
魔王「まかせておけ」

メイド長「ところでお昼は馬鈴薯で?」
魔王「うむ、まことに馬鈴薯の揚げは美味なるぞ」にこっ

595 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:18:25.86 ID:5kaffl9OP

――魔界、黒狼砦

黒狼鬼「うぉろろろ~ん」
黒狼鬼「ろろろぉ~ん」

勇者「うお。何か集まってきたぞ」

黒狼鬼「うろろ~ん! がうっ! がうがっ!」
勇者「おまえらっ。怪我したくなきゃ、引いてろっ!」

 

ザガッ! ガッ!!

黒狼鬼「ぎゃんっ!?」
黒狼鬼「はっ……はっ……はっ……ギャウッ!」

羽妖精「黒騎士サマー。コッチコッチ!」
勇者「判るのか?」

羽妖精「女王サマ、コッチコッチ」
勇者「まかせろっ! 爆砕呪っ!」

596 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:24:56.97 ID:5kaffl9OP

羽妖精「上~コノ上~!」
黒狼衛兵「行かせぬっ」

勇者「なんだ、言葉がしゃべれるのもいるのかっ!?」

 

ギンッ! ギギンッ!

羽妖精「黒狼族ノ成体ダヨォ。
 モット大キナノモ、イルヨォ」

黒狼衛兵「心配するな、貴様、ここまでだっ」

勇者「ほあちゃっ!!」

 

ドビシィッ!!

羽妖精「デコピン!?」
黒狼衛兵「む、無念っ!」

 

バタリ

599 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:30:57.33 ID:5kaffl9OP

勇者「切りがないな」
羽妖精「一杯来ルヨォ」

黒狼衛兵×15「ガフッ、ガフッ! オロローン!」

勇者「面倒くさいぞ、お前ら」
羽妖精「ダ、ダメッ! 塔ヲ壊シチャダメ!」

勇者「む、そうか。上に女王がいるんだっけ。」
羽妖精「ウンウンッ」

勇者「んじゃ、えいっ!」
黒狼衛兵「片手で岩扉をっ!?」
黒狼衛兵「に、逃げろっ」

勇者「ちょっと距離が必要なんだ、この技は。
 ……あんまりうろちょろするなよ、
 急所に当たると死んじまうぞ-。
 えっと、たしか、こうやって
 背中をひねる感じでぇ……」

羽妖精「眩シイヨッ」

勇者「光の精霊直伝、光の封印槍だっ」

601 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:34:49.61 ID:5kaffl9OP

――魔界、黒狼砦の塔の上

 

ドッゴォォーン

羽妖精「ケフッ。ケフッ」
勇者「悪いな」

羽妖精「ヒドイヨォ」

妖精女王「何事ですっ」
勇者「お。この人がそうかな?」

羽妖精「女王サマッ!」

妖精女王「羽妖精ではありませんかっ」
勇者「こんにちは、手荒な訪問で済みません」

羽妖精「女王サマ、コレハ人間ノ雄」
妖精女王「みれば判ります」

勇者「人間です」
羽妖精「アタシ頭イー♪」

602 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:39:17.34 ID:5kaffl9OP

妖精女王「速く逃げてくださいっ。
 魔狼将軍が来るといけません」

勇者「倒した」

妖精女王「まさかっ? 人間にそのような力が。
 しかし、それだけではないのです!
 魔狼将軍の背後にはさらなる実力を持つ
 魔界でも高位の戦士、魔狼元帥が……」

勇者「それも倒した。先週」

羽妖精「!? あ、あなたは」
妖精女王「黒騎士人間ダヨ」

勇者「ああ。黒騎士だ。魔王の剣にして、
 絶対忠誠を誓う魔界の執行官」

羽妖精「カックイイヨネ」
妖精女王「そうですか、確かにその鎧の紋章は魔王様の物。
 いえ、もしやその鎧、魔王様ご自身の物では……?」

勇者「……その問いに答える言葉はないぞ」

羽妖精「カッコツケテルー」

605 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:44:54.63 ID:5kaffl9OP

妖精女王「魔王様の命令に背き、人間をさらっては
 無益な殺生と玩弄を繰り返す魔狼族を粛正されに
 きたのですね」うるうるっ

勇者「いや、ついカっとなっ」
羽妖精「……」じー

勇者「ごほん。そうである。魔狼族の横暴、目に余る。
 人間族に慈悲を掛けるわけではないが、魔王の
 命令は絶対である。逆らうことは許されない」

妖精女王「元は人間族でしょうに。何という忠誠心でしょう」

勇者「ふははは。我は黒騎士。絶対不破の魔王の剣」

妖精女王「魔王様の仰せの通りに」ふかぶかっ

勇者(なんか気分良いな! 魔王の部下も!!)

羽妖精「女王サマー」
妖精女王「何です?」

羽妖精「人捜シー」

606 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:48:53.70 ID:5kaffl9OP

妖精女王「人捜し?」

勇者「ああ。そういえばそうだった。
 あーあー。
 魔王の命令により、我は1人の人間をさがすものなり」

羽妖精「女王サマノトコロニ来テタ人間女ー」

妖精女王「ああ。あの術士ですか……」
勇者「いまは何処に?」

妖精女王「素晴らしい魔法の素質を秘めていましたからね。
 彼女は妖精族の魔法を学ぶと、さらなる奥義を求めると
 云って旅に出ました」

勇者「旅? どこへ」

妖精女王「それは判りませんが……」

勇者「一体何処まで努力すれば気が済むんだ、
 あの無表情小娘。いまでも人間界最強のクセに」

妖精女王「そういえば……」

608 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:53:16.00 ID:5kaffl9OP

勇者「そういえば?」
羽妖精「魔界の果て、時の砂の滝が落ちる滝壺に
 一つの古いベンチがあると。そのベンチに座った
 旅人は星の最果て、『外なる図書館』へ行くことが
 出来ると云われています。
 ――彼女は熱心にその伝承を調べていました」

勇者「『外なる図書館』だな? 判った」

妖精女王「しかしそれは伝説の場所。
 詳しい場所やたどり着く方法は妖精族でも知りません」

勇者「そのようなことは問題ではない。
 魔王の命にしたがいどのような場所であろうと
 必ず見つけ出す」

羽妖精「カッコイー!」

妖精女王「ご無事をお祈りいたします」

勇者「妖精族は元の領地に戻り、いままでと同じく
 その民を治めて暮らすようにとの魔王の仰せだ」

妖精女王「魔界を治める魔王様の治世に幸いあれ」

610 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 15:57:46.97 ID:5kaffl9OP

勇者「えー、こほんこほん。
 魔狼族の生き残りにはきつく申し渡しておく。
 元来魔狼族は誇り高い自由不羈の民のはず。
 穏健派を中心に魔王の民として、その誇りを
 まもるような生き方にするが良いだろう」

妖精女王「妖精族は魔狼族からの迫害さえなければ
 異存はありませぬ。遺恨は伝えぬと誓約しましょう」

勇者「……その寛容、魔王に伝えよう。
 では、時間だ。我は探索の旅に戻らなければ
 ならない。縁があればまた逢おう」

妖精女王「このご恩、けして忘れません」

しゅんっ!!

羽妖精「カッコイー!」

妖精女王「妖精族は救われましたね。
 魔王様にあのような部下がいるとは……。
 ただのお飾り、柔弱で無能な王と云われてきましたが
 何かが変わり始めているのかも知れません。
 魔王様と云えば――あっ」

612 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:01:44.28 ID:5kaffl9OP

羽妖精「ドシタノー?」

妖精女王「魔王様といえば……」

(時の砂の滝が落ちる滝壺――
 一つの古いベンチ
 星の最果て――
 『外なる図書館』――)

妖精女王「『外なる図書館』……」

羽妖精「?」

妖精女王「『外なる図書館』に引きこもる、
 魔族の中でも変わり者の一族がいると……。
 その一族は知識を求め、過去と未来を幻視し
 『外なる智慧』を身につけて、憧れに魂を燃やすと……」

羽妖精「?」

妖精女王「魔王様って、魔王って……
 何なのでしょうか……」

616 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:11:56.87 ID:5kaffl9OP

――南氷海巨大湾岸都市、商業会館

青年商人「ふふぅん、こいつはたまげた。
 全く度肝を抜かれた、まいったな」

中年商人「よう。どうした、呼び出して」

辣腕会計「まだ夕食には早いでしょう?
 どうしたんです?
 湖の国のワインでも暴落しましたか?
 それとも聖王都の為替変動ですか?」

青年商人「まぁ、こいつをみてくれ。
 午前中に届いて、やっと組み立てたんだな、これが」

中年商人「――ッ!!」
辣腕会計「こ、これは……」

青年商人「まぁ、一目でわかるか」

中年商人「これは羅針盤だな? 見たことのない形状だが」
辣腕会計「ですが、見ただけで判ります」

617 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:16:42.64 ID:5kaffl9OP

青年商人「何処のどいつの工夫だかは判らないが
 こいつはたいしたものだ。恐ろしいもんだ」

中年商人「ああ、頭を大石で殴られた気分だ」

辣腕会計「これは……二つの円環で、どんな場所に
 置いても水平が保たれるのですね? さらに
 この重りで安定させるわけですか……」

青年商人「ああ。理屈は見れば判る。
 特別な装置が使ってあるわけでもないが、すごい発明だ」

中年商人「これを見せれば、銅の国の技術士ならば
 もっと小型にも出来るだろう。やったな! おい!
 何処でこんな物手に入れたんだ。
 この功績の価値は、幹部候補生、いや、10人委員会に
 入るのも夢じゃないぞ、お前!」

辣腕会計「ええ、この発明は『同盟』に巨大な利益を
 もたらすでしょう、同志よ!」

青年商人「こいつは世界を変えるな」
中年商人「ああ、世界を変えてしまうだろうな」

620 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:24:36.89 ID:5kaffl9OP

青年商人「さぁて、なかなか」
中年商人「ふむ、たしかに」

辣腕会計「どうしたんです?」

青年商人「いや、なに。これがここにある、
 その意味合いをな」

中年商人「確かに巨大な利益は目の前だ。
 酒樽一杯の蒸留酒のような物。嬉しくてたまらんわな。
 しかし、その酒樽にはもう蒸留酒はのこっていないのかな?
 あるいは罠の可能性は?
 俺たちは商人だ。酔っぱらいじゃぁ、無い。
 そこんところを頭を使わないとな」

辣腕会計「そうですね、ふむ」

青年商人「まず、第一にこれを発明したのは俺じゃない。
 俺にこれをとどけた人間がいるんだ。
 そいつの思惑を考えなければいけないだろうな」

622 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:28:46.83 ID:5kaffl9OP

中年商人「身元はわかっているのか?」

青年商人「まぁ、本人からの手紙にはな。
 『紅の学士』とある。送り主は南部諸王国の西の外れ
 冬越し村というところだ」

中年商人「小さな寒村だな」
辣腕会計「目立った特産品はなかったと記憶していますが。

 ――いや、まてよ」  

がさごそ

青年商人「どうした?」
辣腕会計「確か、報告にその名前が……。
 ああ、ありました。この夏に、湖畔修道会の修道院が
 その村に建築されたようです」

中年商人「湖畔修道会? 湖の国の?
 もうそんな辺境まで勢力を広げたのか?」

辣腕会計「いえ、勢力範囲から遠く離れた場所に突然
 修道院をつくったようです。教化も進んでいないでしょう。
 ですから報告書に特記されていたのでしょうが……」

623 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:32:33.94 ID:5kaffl9OP

青年商人「ふむ。黒だ」
中年商人「関係があると睨んで良いだろうな」

辣腕会計「接触ですか?」
青年商人「それはどうあれ、その必要があるだろう。
 『同盟』がこの羅針盤から得られる利益を
 最大化するためには、この工夫を独占しなければならない」

中年商人「だが、この工夫は、一目見ただけで
 その革新性が判る。革新性が判りやすいってのは
 売る時にはまたとない武器だが、
 真似して作るのも簡単だって云う弱点があるな」

辣腕会計「そのとおりですね」

青年商人「『同盟』がこの羅針盤を部外秘として
 『同盟』所属の船舶だけに装備し、交易優位性を
 あげるにしろ、全中央大陸国家に販売して利益を
 上げるにしろ。発明元のこの学士と交渉する必要がある」

辣腕会計「真似はできても、あちらが他の様々な
 組織や国家に同様の売り込みをしないとも限らない。
 ……そうですね?」

中年商人「場合によっては……」
青年商人「そう言うことにはならんで欲しいな。
 我らは商人なのだから」

625 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:39:19.13 ID:5kaffl9OP

――冬越しの村、夏

小さな村人「ほーぅい、ほーぅい」
痩せた村人「ほーぅい」

小さな村人「なんて良い天気なんだろう」
痩せた村人「まったくだなや、大麦さんもそだっとるよ」

小さな村人「修道院が出来てから、色々教えてもらえるしなや」
痩せた村人「おや、修道士さんだべさ」

修道士「こんにちは、精が出ますね」
小さな村人「こんにちは」ぺこり
痩せた村人「こんにちはだなや」ぺこり

修道士「今日はどうされています?」
小さな村人「わしは川でマスを釣ってきただぁよ」
痩せた村人「わしは薪をつくってただぁ」

修道士「それは良かった」
小さな村人「修道士さんは?」

627 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:42:35.55 ID:5kaffl9OP

修道士「ははは、実はですね。
 試しに作っていた作物が、早くも二回目の  収穫を迎えたんですよ!」

小さな村人「なんだか、修道士さんも嬉しそうだなや!」

修道士「ええ、嬉しいです。大地が恵んでくださった。
 これは光の精霊様が頑張れとおっしゃってくれて
 いるわけですよ。それで、この収穫の報告に
 学士様への所へ行こうかと思いましてね」

小さな村人「そうかそうか、そうだったんだべ」

修道士「ええ。この作物、馬鈴薯というのですが
 甘くてほくほくして大層美味しいのですよ」

小さな村人「そうかぁ、一度食べてみたいだなやー」
痩せた村人「どんな味なんだろう」

魔王「招待するぞ?」
修道士「ああ、これは学士様!」

小さな村人「学士様、こんにちはですだよ」
痩せた村人「こんにちは、学士様。良い天気ですだ」

629 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:44:34.64 ID:5kaffl9OP

修道士「いま、ご報告にうかがおうかと」
魔王「ああ、ありがとう。そろそろかと思っていたのだ」

メイド姉妹 ぺこり

修道士「計画通りに取れました。いやいや、好調ですね。
 荷車二台分はたっぷりと取れたかと思います」

魔王「土壌採集は?」

修道士「指示通り、六カ所でそれぞれ
 樽一杯分づつを保存してあります。それにしても
 我が修道会も農業技術の集積は進めてきましたが
 前代未聞の方法ですね」

魔王「結果が出てくれれば嬉しいのだがな。
 ふむ、これか」

修道士「ええ、良く育っています」

魔王「よし、振る舞いをしよう」
修道士「振る舞い、ですか?」

魔王「こいつを広めるためには、何はともあれ、
 皆に食べてもらわねば始まるまい?
 それには、宴でも開いて振る舞うのが一番だ」

630 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:47:57.94 ID:5kaffl9OP

小さな村人「ほんとうですか? 学士様」
痩せた村人「良いのでございますか」

修道士「どうです?」

魔王「もちろん本当だ。修道士どの、いかがだろう?
 修道院の前庭を借りることが出来ようか?」

修道士「もちろんですよ。でも、この馬鈴薯は売って
 資金に充てるのかと思っていましたよ」

魔王「金はもちろん欲しいが、独り占めするつもりはない。
 飢えなく、皆が豊かになる方法を考えないと、
 先が続かない。そのためには村の皆の手助けが必要だ」

小さな村人「うわぁ、食べてみたいですだ学士様」
痩せた村人「おらのところの畑でも作れるようになるですだ?」

修道士「ああ。もちろんさ。
 作ってみたが、小麦と比べて世話が大変と云うこともない。
 もちろんいくつか気をつけなければならないことは
 あるけれど、それは修道会で教えてあげることが出来る」

632 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 16:52:32.61 ID:5kaffl9OP

小さな村人「さっそく家内におしえてやらにゃぁ!」

魔王「おお、そうだ。宴の支度に手が足りないかも知れぬ。
 奥方の手が空いていれば来ていただけると助かると
 思うぞ。なあ、修道士殿」

小さな村人「あーれ。学士様。奥方なんて照れるだよ。
 うちのはただの母ちゃんだよ。でも、そう云われると
 なんだか母ちゃんも悪い気はせんかもなぁ。
 こっぱずかしいな。でも直ぐに行かせるから!」

修道士「そうですね、ご報告もしたということにして
 私も帰って他の修道士、騎士院長にも伝えて参ります。
 ああ、そうだ。その、料理はどうすればよいでしょう」

魔王「心配ない。いってくれるな?」

メイド姉「はい」ぺこり
メイド妹「いきまーっす」

修道士「それは助かります。まだこの馬鈴薯の調理方法を
 研究した訳じゃありませんからね」

魔王「あー。くれぐれも云っておくが、
 揚げ馬鈴薯だけは必ず作るのだぞ?」

675 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:18:50.82 ID:5kaffl9OP

――冬の国、王宮

王子「じぃ、じぃ~」
執事「なんでございましょう、若」

王子「若はやめろ。俺はもう二十歳だ」
執事「どうしたのでございます?」

王子「じぃは馬鈴薯なる物を知ってるか?」
執事「ははぁん。若も馬鈴薯を食べたので?」

王子「ああ、食べた。美味いな!」
執事「何でも旅の学者がこの地へもたらしたとか」

王子「うまいうえに、俺たちの貧しい国でも
 もっぎゅもっぎゅ……栽培できるらしいな」
執事「さようでございますなぁ」

王子「情報はあるのか?」
執事「ございますとも」

678 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:24:10.25 ID:5kaffl9OP

王子「ふむふむ」
執事「こちらの書類は関連項目でございます」

ぺらり

王子「では、湖畔修道会が主導で栽培を
 推し進めているのだな?」

執事「そうなりますな。また、この湖畔修道会は
 合わせて様々な改良を施しているようで」

王子「ふむ、どのような?」

執事「まずは、四輪作といわれるものですな。触れ込みに
 よれば大地の恵みを目減りさせずに、四年周期で麦作を
 行なう手法です。以前の三輪作にくらべて、小麦はもと
 より豚や羊などを安定して供給できるようですな」

王子「冬のあいだにもか?」

執事「冬のあいだには、家畜にカブを食べさせるそうです」

680 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:30:04.11 ID:5kaffl9OP

執事「それから、えー。農機具の改良、修道学院の設立」
王子「学舎か、ふむ」

執事「さらにこの度作られたのが、『風車』です」
王子「それはなんだ?」

執事「『水車』に似たものですが、川の流れではなく
 風の流れをくみとって、動力にしているようですな。
 修道会が雇い入れた船大工の一派が工夫して作った
 そうですが。我が国北部の高地には、充分な水源が
 ありませんから、普及すれば便利でしょう」

王子「……ふむ」
執事「お気になりますか?」

王子「まぁな。税収が上がっているのは嬉しいが……。
 まぁ、それで戦争を終わらせられるわけでなし。
 しょせんイモでは我が国を救うことも出来ないが
 ……まぁ、なんでも目は通しておかんとな」

執事「そうですね。税収は荘園ごと、村ごとに納め
 させますから、一概にどのくらいの効果があるかは
 判りませんが、修道会が関与すると5%ほど税収が
 上がるようですな」

王子「大きいな」
執事「小さく考えてはいけませんよ。1年足らずの
 あいだにそれだけの改革を見せたわけですから
 来年以降どうなるか判りません」

682 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:35:40.50 ID:5kaffl9OP

王子「冬小麦の収穫はこれからであるしな」
執事「その馬鈴薯なる食物は、年に数回収穫できる
 そうですな」

王子「そうなのか?」
執事「驚きですが、事実のようです」

王子「ふむ」
執事「税収の形には表れないものの、農民の暮らしには
 大いなる恩恵を与えていると云って良いでしょうな」

王子「じぃの云うことならば信じぬ訳にはいかないな」
執事「ありがたいことですなぁ」

王子「何らかの施策をするべきだろうか?」
執事「そうですなぁ。まだ始まったばかりのようですから
 傍観していても良いのではないでしょうか」

王子「ふむふむ」 執事「修道会はこの運動で、我が国を始め、南部諸王国に
 確固たる地盤を築く狙いがあると思います。
 運動の結果を出せれば、向こうから王宮に接触を
 持ってくるかと思いますな」

683 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:41:15.79 ID:5kaffl9OP

王子「そうか。修道会の指導者は……」
執事「女騎士ですな」

王子「挨拶くらいしなくて良いのか? 顔見知りではないか」

執事「まぁ、向こうは現役の時から思い込んだら
 動かない高潔なる気位の持ち主でしたからなぁ。
 私も恨みに思われているでしょうな。
 いわば裏切り者ですから」

王子「そうか……。すまない」
執事「もったいないお言葉ですな、若」

王子「今年は魔族の動きが鈍い」
執事「おそらく、勇者の噂は真実でしょう」

王子「その勇者を、手を下したわけではないとは云え
 死地に追いやったのは我々だ……。
 勇者が生還したという情報はないのか?」

執事「ございませんな」

王子「この戦争、終わるわけには行かぬのか」

執事「いま戦争を終えれば、真っ先に消滅するのは
 我が国でしょう」

687 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:46:23.82 ID:5kaffl9OP

王子「……」

執事「この冬の国、それをいえばおなじ南部諸王国である
 氷の国、白夜の国、鉄の国はそれぞれ気候も厳しく、
 充分な食料も取れません。最下層の国々です。
 いま現在は魔族との大戦争の前線として
 中央大陸全土からの資金援助と食料援助がとどいている。
 中央大陸の盾と云えば聞こえは良いですが
 詰まるところ走狗になっているに過ぎません。
 援助がとどこおれば、人々は全て飢えて死ぬでしょうな」

王子「しかし、それを知らせず、兵をただ消耗させるのは
 兵達に対する裏切り行為だ。茶番ではないか」

執事「ええ、茶番ですとも。
 しかし茶番をする存在が、王族です」

王子「……戦場で雄々しく散るのは良い。
 それは氷海の戦士の直系たる我が血にふさわしい。
 だが民を欺き、その命を代価にして生を購うのは……」

執事「若、辛抱ください。
 どうか、民を見捨てずにいてください」

689 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:55:15.92 ID:5kaffl9OP

――魔界、紅玉神殿

勇者「……うー。疲れた。だるい。腹減った」
火竜大公「や、やるな。黒騎士よ」

勇者「いい加減タフだな、火竜大公」
火竜大公「……退くわけには、行かぬっ」

勇者「おまえ、十回くらいしっぽも腕も切られてるじゃん」
火竜大公「何度でも生やすまでだ!」

勇者「うぁー。どうすれば良いんだよぅ、この変態」

火竜大公「我が命を絶てば良かろう。
 その実力を持っているクセに何を悠長なことをしておる!」

勇者「別に殺したくてやってるわけじゃない。
 編成中の軍勢を退かせてくれれば済む話だろう」

火竜大公「それは出来ぬ。火竜の勇士によって
 『開門都市』は奪還する必要があるのだ」

勇者「あー。やっぱしそれかよぉ」

691 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 20:58:39.54 ID:5kaffl9OP

火竜大公「貴様もだ! 貴様も魔王様直属の執行官で
 あるのならば、人間どもに奪われた魔界の都市を
 奪い返すのが筋という物であろうにっ!」

勇者「それは云うとおりなんだけどさ」

火竜大公「何を躊躇う。人間を皆殺しにすべきではないかっ!」

勇者「とりあえず、魔王は『開門都市』奪還の命令を
 発してはいないんだよ」

火竜大公「魔王がふぬけなのだ!
 わが竜族から魔王が出ていれば、あのような柔弱な弱腰の
 魔王などいただかぬでもすんだろうにっ」

勇者「つまり、魔王に弓引くのか?」
火竜大公「……」

勇者「それは盟約に背くよな。さんざん諸侯が争って
 滅亡寸前まで何回も行った魔界が、なんとかやっと
 つくった協定らしき協定だもんな」

694 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:07:55.39 ID:5kaffl9OP

火竜大公「魔王は『開門都市』奪還の命令を発してはいない」
勇者「うん」

火竜大公「だがしかし、禁止の命令を発したわけでもない」
勇者「あー。気がついちゃってるよ、このおっさん」

火竜大公「諸侯に檄を発して、魔王の名をかたり
 『開門都市』奪還を目指すなら、それは盟約に触れようが
 我が部族だけで向かうのであれば、
 それは王である私の決定だ。
 誰に口を挟まれる云われもないっ!」

勇者「俺に勝てればな」

火竜大公「ならば殺すが良いっ!
 魔界の溶岩の中で生を受けた火竜大公、逃げも隠れもせんっ!」

勇者「なんかもー。難しいなぁ。
 気に入らないヤツ、刃向かうヤツをかたっぱしから
 ぶっ飛ばせた勇者生活が懐かしい……。
 あの頃は殺さないように話をまとめる苦労なんて

 全然しなかったぞ……」

697 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:15:45.78 ID:5kaffl9OP

勇者「火竜大公」
火竜大公「何だ、黒騎士」

勇者「では、俺があの街に先乗りをしよう」
火竜大公「……」

勇者「あの街、『開門都市』は
 魔族があがめる片目の神の聖地だ。
 そこを人間に支配されるのは苦痛だろう。
 それは判る。しかしまた、その聖地の守りを忘れ
 人間世界を攻めるに酔っていた竜族の罪もあると知れ」

火竜大公「それは……」

勇者「言い訳無用。……人間が憎いのは判るが
 あの都市は彼らが戦争で奪ったのだ。
 争いの勝者は神聖だ。その魔界の不文律を忘れるな。
 特にその敗北が油断から成されたのなら、なおさらだ」

火竜大公「……ぐぐ」

701 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:21:37.65 ID:5kaffl9OP

勇者「それに、火竜大公の軍で攻めたところで
 あの街はこの魔界で唯一人間が暮らす街だ。
 たやすく奪還できるとはかぎらない。
 精鋭たる聖鍵遠征軍が守っているのだからな。
 悪くすれば、火竜の民は全滅だ。
 それを望むのか、火竜大公」

火竜大公「そのようなこと、やって見ねば判らぬ!」

勇者「次の春まで時間をくれ」
火竜大公「……」

勇者「黒騎士が、魔王の名にかけて誓おう。
 『開門都市』を取り戻し、魔王の直轄地とする」

火竜大公「魔王の、直轄地に!?」

勇者「火竜の一族の関心は誇りだろう?
 魔王の軍勢が取り戻し、直轄地になるのであれば
 問題なかろう。魔王はその柔弱という評判を払拭できる」

703 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:25:30.11 ID:5kaffl9OP

火竜大公「しかし、もし約束をたがえれば」

勇者「そのときは魔王がまさに弱腰と云うことだろう」

火竜大公「容赦はせぬぞ?」

勇者「ああ、魔王は魔王にふさわしくない。
 そのときは魔王の位を譲り渡そう。黒騎士が約束する」

火竜大公「……」
勇者「どうだ?」

火竜大公「よかろう」
勇者「おー! よかった」

火竜大公「おぬしには男気がある! だれか、だれかある
 公女を呼んで参れ!」

火竜公女「おとうさま、私はここに」
勇者「えーっと」

火竜大公「約束を見事果たした暁には、この公女を
 くれてやる! 妻にでも妾にでもするが良い! がはははは」

718 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:34:44.87 ID:5kaffl9OP

――冬越しの村、村はずれの屋敷

魔王「こっ、これでいいかの?」
メイド長「ええ。あらあら、まぁまぁ。見違えましたね」

魔王「何だ、そのコメントは」
メイド長「勇者様がいなくなってから
 まったくお召し物に頓着なさいませんでしたからね」

魔王「『いなくなって』などと不吉なことを云うな。
 ちょっぴり出張しているだけではないか」

メイド長「ええ、もちろん。まおー様が捨てられた
 女であるかのような印象を持たれてしまったのならば
 その誤解、このメイド長一生の不覚ですわ」

魔王「……」

メイド長「今日は綺麗ですよ、まおー様」
魔王「むぅ。釈然としない」

メイド長「とはいっても、交渉事ですからねぇ。
 多少は見栄えを良くしないと」

720 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:41:44.31 ID:5kaffl9OP

魔王「それにしても、なんというか」
メイド長「?」

魔王「ちょっとビラビラしすぎではないか? このドレス」
メイド長「素敵ですよ?」

魔王「それに襟ぐりが随分深いような気がする」
メイド長「それくらいがお洒落なんですよ」

魔王「ううう」
メイド長「みっともない駄肉なので恥ずかしいですか?」

魔王「ええーい、うるさい! そ、そんなに駄肉ではない!
 女騎士殿もグラマーですとくれたし、みなそういってる。
 ちょっぴり母性的なだけではないかっ」

メイド長「人格的母性のない肉を駄肉というのです」
魔王「ううう。今日のメイド長は厳しい」

メイド長「ちょっと気が立ってるんですよ。
 警備体制を整える関係で」

魔王「どうなっている?」

722 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:49:36.34 ID:5kaffl9OP

メイド長「妖霊と夜精霊を配置しています。
 まぁ、軍でも出てこなければ充分でしょうが……」

魔王「心配か?」

メイド長「相手が貴族や軍人ならばともかく、
 『同盟』の商人ですからね。その点に関しては
 まおー様におまかせするしかないわけで」

魔王「信用なさ過ぎだな、わたしなのか」
メイド長「いえ、お手伝いできないことが不安なのです」

魔王「しかたない。これは避けては通れない関門なのだ」
メイド長「せめて勇者様がいてくだされば」

魔王「勇者に役目が渡るとすれば、それは交渉が
 失敗した時だからな。そうなったら逃げる段階だ。
 だから意味はない」

メイド長「あんまり強がると殿方は不安だそうですよ」

魔王「へ?」

725 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 21:55:31.94 ID:5kaffl9OP

メイド長「まぁ、それはいいですわ」ひらひら
魔王「あしらうな」

メイド長「そろそろでしょうか」

メイド妹「お客様を客間にお通ししました~。
 いまお姉ちゃんがお茶を入れてます~」

メイド長「語尾を不必要に伸ばさない」
メイド妹「はーい♪」

メイド長「まおー様? 準備はよろしいですか?」
魔王「ああ。このボタンをはめてはダメなのか?

メイド長「そのボタンは飾りボタンです。
 はめる目的ではありません」

魔王「上から実験用の白衣を羽織るとか! 学者らしく!」
メイド長「お笑い芸人じゃないんですから」

メイド妹「当主様、おっぱい格好いいよ♪」

メイド長「まったくこの娘は。さぁ、まおー様」
魔王「ああ、しかたない。出陣だ!」

727 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:02:32.75 ID:5kaffl9OP

――冬越しの村、客間

 

かちゃり

青年商人「やぁ、これは!」
辣腕会計「ほほう」

魔王「お待たせして済まないな。私がこの館の当主
 といっても無位無冠の学士だ。紅の学士と呼んでくれ」

青年商人「はじめまして。私は『同盟』の南氷海西方を
 担当しております青年商人です」

辣腕会計「今回のご挨拶に動向させていただいた
 会計でございます。以後、お見知りおきを」

魔王「いや、ご丁寧なご挨拶、痛みいる」

青年商人「正直驚きが隠せません! 学士にして発明家
 農業への造詣も深いとのことで、
 言葉は悪いですが、ご高齢の老師かと想像していたのですが
 こんなに麗しいご婦人にお目にかかる事ができるとは!」

730 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:08:18.18 ID:5kaffl9OP

魔王「そんなに褒められては何を話して良いのか、
 言葉を失ってしまいますな」

青年商人「いえいえ、学士様はその英知だけでなく
 美しさでも我らに光を与えてくれるようですよ」にこにこ

メイド長(商人のお世辞とはいえ、すごい威力ですね)

魔王「交渉を有利に進めようと思う女の浅知恵だ
 どうか笑って許して欲しい」

メイド長(おお。まおー様。気合いの入った防御ですねー)

青年商人「いえいえ。……あのような羅針盤を送られては
 駆けつけないわけには参りませんよ」

魔王「それにしては一月もの時間がかかったのは?」

青年商人「ははは。これはお恥ずかしい。
 私のような駆け出しの商人が、『同盟』において
 今回のような大規模な案件をこなすにあたっては
 様々に根回しが必要でして」

辣腕会計「お待たせして申し訳ありません」

732 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:14:09.35 ID:5kaffl9OP

魔王「さて、では交渉に入りたいと思うのだが
 まずはこれを見て欲しい」

青年商人「これは……?」
辣腕会計「穀物ですか? 見たことはありませんが」

魔王「これは玉蜀黍という植物だ」
青年商人「ほほう」
辣腕会計「玉蜀黍、ですか」

魔王「この食物の特性については、
 こちらの書類にまとめてある。
 これはお持ち帰りいただいて結構だ。
 いまとりあえず、この場では口頭にて説明させて
 いただこう」

青年商人「窺いましょう、学士様」

魔王「この玉蜀黍は一年草でな。最大の特性は水が
 少なくとも順調な生育が望めることだ。むしろ水が多い
 場合は生育に悪影響がある。もちろん最低限の水分は
 必要だがな。発芽の温度として30度が必要となる」

青年商人「30度、ですか」
辣腕会計「かなり高い温度ですね」

734 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:19:17.89 ID:5kaffl9OP

魔王「ああ、そうだ。小麦とはまったく栽培の思考を
 切り替える必要がある」
青年商人「ふむ」

魔王「つまり、この玉蜀黍は、いままで植物の耕作に
 適さないとされていた大陸中央部の荒れ地に
 ふさわしい作物なのだ」

青年商人「……」

魔王「食用として利用する場合は、完全に完熟させて
 乾燥させた粒を製粉してパンのようにすることも出来るし、
 饅頭のようにすることも出来よう。
 この粉には香ばしくてわずかな甘みがある。
 乾燥させることにより、貯蔵、保管にも優れている。
 畜産のための飼料としては、
 大麦やカブの数倍の効率が見込める」

魔王「また、食用外への利用も幅広い。
 油分の多いこの食物は、油を取り出すことが可能だ」

青年商人「……油ですか」
辣腕会計「……」

魔王「うむ。玉蜀黍馬車一台あたり、ビン二本ほどだがな。
 しかも、この油は製粉するのと同時にとることが出来る。
 つまり、両方取れると云うことだ。
 油は食用に用いることはもちろん、様々な用途で使えよう」

736 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:25:56.13 ID:5kaffl9OP

青年商人「たしかに……。油の需要は年々増える
 傾向があります。『同盟』でもとりあつかっていますが」

魔王「商人どの、これは新しい商売の形だと考えて欲しい」

青年商人「……」

魔王「確かに巨大な資本が必要だ。
 その資本をもちいて、いまは全く役に立っていない荒野に
 人を送り、バックアップすることにより開拓を行なう。
 玉蜀黍を栽培するための開拓村だ。
 まったく開拓されていない場所は確かに開拓に
 手間も資本もかかろうが、その分、計画的に物事を
 行なうことが可能だ。整地して区画整理を行なった
 農地での大規模栽培は、現在中央大陸の各所で見られる
 ような小さな農地でモザイクになってしまったような
 農場による農業より遙かに集約的な体制での
 栽培を可能にするだろう」

魔王「しかも、そこで新しくできた開拓村は
 完全に『同盟』の影響下にある巨大な市場になるだろう。
 玉蜀黍以外の作物を始め、木材や塩、鉄、布、
 ありとあらゆる消費物を購入する新しい顧客となる」

青年商人「……」

739 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:31:01.22 ID:5kaffl9OP

青年商人「それは、つまり……」
辣腕会計「……」

青年商人「商品でも、栽培方法でもなく
 『同盟』に、新しい『概念』を売る、と?」

魔王「そうだ」

青年商人「判ります。私には。
 ……いまの話を聞きましたから、その価値が判ります。
 貴女の言葉は……。
 この中央大陸の都市の全てより……。
 いや、既知世界の全てよりも金になる」

魔王「あははは。良い顔だな」
青年商人「はい?」

魔王「女におべんちゃらを言っておる時より数段良い」

青年商人「そうですか? まぁ、しかし。
 いまの話を聞いては真面目にならざるを得ませんよ。
 しかし良いのですか?」

魔王「なにがだ?」

741 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:35:38.45 ID:5kaffl9OP

青年商人「いまの言葉、そして送っていただいた羅針盤。
 すべて『考え方』を基本にしたものです。
 技術でも品物でもない。
 つまり、複製できない物ではない」

魔王「そうだな」

青年商人「私たちがそれらを複製して、貴方とは無関係に
 計画を進めるとは考えないのですか? 貴方の利益は?
 貴方の権利をどうやって守るつもりなのですか?」

魔王「それについては諦めておる」

青年商人「はい?」

魔王「技術も品物も素晴らしい。利益も結構。
 私もお金はあれば欲しい。
 研究したいことがたくさんあるからな。
 しかし、単一技術や独占可能な品物では、
 この世界に与える影響は限定されざるを得ない。
 必要なのは転換と突破だ」

辣腕会計「それは神学的な話でしょうか?
 複雑すぎて、判らないのですが」

青年商人「……」

742 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:39:04.44 ID:5kaffl9OP

魔王「そちらの商人の方は判っているようだ」
青年商人「……」

魔王「どうした?」 青年商人「だとすれば……貴女は……」

魔王「……」

青年商人「選ぶ必要が、あると?」

魔王「選びに来たのだろう?
 交渉という言葉の意味はそれだと心得ている」

青年商人「しかし、それは。貴女は何を望んでいるんですか?」

魔王「戦争の早期終結」
青年商人「……」

魔王「しかも、その形は勝利でも敗北でもない
 形態でなければならない」

青年商人「……それは」

魔王「『同盟』が魔族との大戦における、中央大陸最大の
 スポンサーだと云うことは心得ている」

744 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:43:56.82 ID:5kaffl9OP

青年商人「魔族は人類の敵です。魔族との戦いに
 人類陣営の一翼である我らが全てをなげうって
 協力するのは至極当たり前のことではありませんか」

魔王「それは公的な見解であろう」
青年商人「正式見解です」

魔王「高きと低きを、北と南を、炎と氷を、
 相容れない光と影を仲介し、妥協し、取引することで
 利益を上げるのがお主ら商人ではないか?」

青年商人「あ、貴女は……」

魔王「なんだろう?」

青年商人「『同盟』の味方ですか、敵ですか?」

魔王「取引相手だ」

青年商人「……っ」

メイド長(まおー様~っ! がんばって!)

749 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:51:37.42 ID:5kaffl9OP

青年商人「私は二つの道のあいだで悩んでいます」ぎりっ
魔王「なにを?」

青年商人「人間として、貴女の先ほどの発言は
 裏切り行為です。教会の方針においても異端だ。
 私は貴女をこの場で断罪し、告発すべきかもしれない」

メイド長(まおー様、まおー様っ。森の中に
 黒装束に黒塗りの剣を持った傭兵団がっ)
魔王(控えておれっ)

魔王「敵と味方の2分割では、
 この世界はあまりにも惨めに過ぎよう」

辣腕会計「……部隊の配置が」
青年商人「良い。……試されてるんだね、僕らは」

魔王「……」

青年商人「この先もあると?」

魔王「もちろんだ。大陸中央部の乾燥地帯において
 水車の代わりに利用できる『風車』というものも
 開発してある。森林資源を消費してしまうが
 羊皮紙に変わる新しい筆記資材もめどは立った」

青年商人「貴女は何を見ているんですか?」

753 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 22:57:23.24 ID:5kaffl9OP

魔王「私は学者だが、専門は経済学でな」

青年商人「経済……?」

魔王「耳慣れぬ言葉だろうな。
 物と金の流れ、利益と損害、
 魂持つものが生み出す社会において
 たゆまず流れる交流の歴史と未来がその専門だ」

青年商人「利益と損害、ですか」

魔王「そうだ、商人殿。
 商人殿とおなじものを見ているだけだよ」

青年商人「それをもって、人類全てを裏切れと?
 この戦争を終結させようとする
 貴女の見る夢がどのような色をしているか
 判らないわたしではないっ」

魔王「信じている」

青年商人「わたしの。……『同盟』の。
 我ら人間の、何を信じると言うのです?」

魔王「損得勘定は我らの共通の言葉であることを。
 それはこの天と地の間で二番目に強い絆だ」

756 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 23:00:56.56 ID:5kaffl9OP

青年商人「あはははははは!」
辣腕会計「……商人っ」

青年商人「いや、いいんだ。
 そうだ。まさにその通りだ!
 人間である前に商人たれ。
 教会の敬虔な信徒である前に商人たれ。
 まさに『同盟』の訓辞通りじゃないかっ」

辣腕会計「それは……」

魔王「わたしは純粋な契約主義者なのだ」

青年商人「奇遇ですね、わたしもなんですよ。
 作りましょう。我らが未来を照らす光となる
 契約書を」

辣腕会計「……それでは」
青年商人「ああ、退かせてかまわない」

魔王「冷や汗が吹き出る思いであったよ。商人殿」

青年商人「いやはや。本場の東方商人と渡り合っても、
 これほどの緊張感を味わった事はありません。
 貴女が学士であり、商人でなくて本当に良かった」

758 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 23:07:17.43 ID:5kaffl9OP

魔王「私は無力で腰抜けの存在だよ」

青年商人「いえいえ、王侯貴族だってあそこまでの
 迫力はなかなかにある物じゃない」

メイド長(あったり前ですよ。まおー様は
 これでも王族なんですからねっ!)

青年商人「それにしても……二番目に強い絆、ね」
魔王「……」

青年商人「玉蜀黍の件はいつうごけます?」
魔王「すまないが、いくつかの実験と、苗の
 栽培を残している。動けて次の春から、だろう」

青年商人「充分に早いでしょう。私もこの計画を
 聞いたからには『同盟』内部での地盤を
 固めなくてはならない。
 この巨大利益です、動かすことはたやすいが
 コントロールが聞いてこその権力ですからね」

魔王「あの羅針盤が役に立ってくれれば良いな」
青年商人「せいぜい、利用させていただきましょう」

760 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 23:12:13.90 ID:5kaffl9OP

――冬越しの村、村はずれの館、玄関

メイド長「日も傾いております、お気をつけを」
魔王「近くに隊商をまたせてあるのだろう?」

青年商人「“隊商”ね。ははは」
魔王「それがお互いのためだとしよう。わたしも
 警戒はしていた。お互い様だ」

青年商人「まったく、今日は驚きの連続だ」
魔王「心臓に悪い」

青年商人「そうそう。……二番目に強い、と
 おっしゃいましたね。一番はなんなのです?」

魔王「知れておる。愛情だ」

辣腕会計「――それは」
青年商人「あははははは。ああ! すごい!
 素晴らしいな。一日に二回も、こんな気持ちに
 させられるとはっ!」

魔王「子供でも知っておることだ」

青年商人「たしかに! 私はあなたに言いました。
 二つの道で迷っていると。  あなたを殺すことはすっかり諦めましたからね。
 これはもう……求婚するしかありません」

765 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/05(土) 23:16:11.13 ID:5kaffl9OP

魔王「そ、そ、そ、それはなんだっ!?」

青年商人「なんだって。結婚の申し込みですよ」

魔王「なんて軽率なことを言うんだ。恥を知れ!」

青年商人「おやおや。貴女があまりにも明晰な
 思考をなさるんで、世間並みのたしなみを
 忘れてしまっていました。
 たしかに。持参金も贈り物も無しに求婚するなんて
 先走りすぎましたね」

魔王「わ、わ、わたしには、その」

青年商人「いえいえ。
 このようなことは腰をすえて取り組むタイプですからね。
 粘り強さは決断力とともに商人の重要な武器なのです」

魔王「いやっ。いくら時間をかけられてもそんな事はっ」

青年商人「では、またお会いしましょう!
 次は都か、船の上か。契約は急ぎお届けします。
 愛しの君よ。……そう呼ぶのはかまいませんかね?」

魔王「だ、ダメダメだーっ!!」

810 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:03:26.96 ID:Lbanm5QNP

――冬越しの村、村はずれの館、小さな部屋

メイド妹「~♪ ~♪」
メイド姉「ご機嫌だね」

メイド妹「うんっ。みがくの楽しいねー」
メイド姉「そうね。こんなにあったかくて、
 きちんとした仕事があって。幸せね」

 

きゅっきゅっ

メイド妹「そうだよねー。去年の秋は、毎日、
 夜が来るのがこわかったもんねっ」

メイド姉「うん」

メイド妹「あたしねー。今度は、せーれー様の本で
 勉強するんだよー」

メイド姉「そうなの? がんばってるね」

メイド妹「おねーちゃんもやった?」
メイド姉「やったわよ、結構難しい単語があるわよ?」

817 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:10:38.23 ID:Lbanm5QNP

メイド妹「大丈夫だよぉ。
 ちゃんとした言葉を覚えるとモテモ? えっと……」
メイド姉「『殿方に好意を持っていただける』でしょ?」

メイド妹「うん、そうそう。それ!
 眼鏡のおねーさんがいってた」

メイド姉「メイド長様は、面倒見が良いから」/

メイド妹「怖いよ? すぐ怒るよ」

メイド姉「怒ってないよ。叱っているだけ。
 本当はとっても優しい人だよ?」

メイド妹「そうかなぁ? お尻叩かれたとき、
 ひりひりして椅子に座れなくなったもん」

メイド姉「拾い食いなんかするからです」

メイド妹「昔はおねーちゃんもやってたくせに」
メイド姉「ご飯ちゃんと食べさせてもらってるでしょ?」

メイド妹「うんっ」
メイド姉「じゃ、恥ずかしいことは、しないの」

820 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:14:40.19 ID:Lbanm5QNP

メイド妹「おねーちゃんは、年越し祭はどうするの?」
メイド姉「どうするって?」

メイド妹「村の真ん中で、踊るらしいよ?」
メイド姉「だれが?」

メイド妹「村の男の子と、女の子、たくさん」
メイド姉「私は良いわ」

メイド妹「そーなの?」
メイド姉「メイドの仕事があるもの」

メイド妹「でも、踊って来ていいって、
 眼鏡のおねーさんがいってたよ?」
メイド姉「そう……」

メイド妹「当主のお姉ちゃんも、元気ないね。
 勇者のおにいちゃん、帰ってくればいいのにね」
メイド姉「そうね。――そうだ」
メイド妹「?」

メイド姉「年越しの祭には、何かプレゼントを用意
 しましょうね。館のみんなに」
メイド妹「そうだねっ!」

822 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:18:24.98 ID:Lbanm5QNP

――冬越しの村、村はずれの館、当主の部屋

魔王「えー『試験場の数を増やしたく思う。
 追加の人員の手配をお願いしたい。
 対価は西方貨幣で支払う用意あり』と」

メイド長「……」さらさら

魔王「これは蜜蝋で封をしてくれ」
メイド長「かしこまりました」

魔王「んー。これは?」

メイド長「狩人さんからの手紙ですよ」

魔王「おー。そうか、そうか。望遠鏡を渡したんだった」
メイド長「ええ」

魔王「なになに。使用するに便利、極めて快適か」
メイド長「役立っているようですね」

魔王「精度が低いかと思ったが、固定観測でないなら
 かえって手ごろのようだな」
メイド長「はい」

魔王「よし、では返信だ。『素早い報告、うれしく思う。
 森番の仕事、大変かと思うが、当家では付近の地図測量に
 興味あり。相談したきことがあるので、一度ご来訪願う』
 これで、よしっと」

823 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:23:28.21 ID:Lbanm5QNP

メイド長「こちらもお願いします」
魔王「これは、うん。修道会からの報告か」

メイド長「あらあら、まぁまぁ」
魔王「馬鈴薯の収穫は順調に増加しているらしいな」
メイド長「そのようですね」

魔王「だが、土壌実験によれば
 そろそろ栄養枯渇の兆候が出るはずだ。
 そうなると抵抗力が低下して虫害が出やすくなる」
メイド長「ふむ……」

魔王「この件では修道会へ、再度警告が必要だな」
メイド長「お手紙にしますか?」

魔王「いや、次行ったときでよかろう。
 覚え書きに追加しておいてくれ」

メイド長「かしこまりました」さらさら

魔王「どうだ『紙』は」
メイド長「羊皮紙よりずっと書きやすいですね」

魔王「早いところ量産体制を整えないとな」
メイド長「作るのは簡単ですけれど、
 たくさん作るとなるとまた別問題ですからね……」

826 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:27:54.45 ID:Lbanm5QNP

魔王「うわ、なんだこの束は!?」

メイド長「そちらの束は、『同盟』からですよ。
 納品書、請求書、支払い所、明細書……」

魔王「あー。銅、鏡、ガラス、海砂?
 それに胡椒に、絹に、釘なんていうものもあるな」

メイド長「みんなまおー様が購入リストに入れたんですよ」

魔王「判っておる。
 ちょっと思い出せなかっただけだ。
 必要としているのは誰か判っているか?」

メイド長「それはまぁ、帳簿につけてありますが」

魔王「んー。しっちゃかめっちゃかだな、これは」
メイド長「まさかここまで仕事量が増えるとは」

魔王「しかたない。メイド姉にやらせよう」
メイド長「彼女にですか?」

魔王「無理か?」

828 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:31:42.53 ID:Lbanm5QNP

メイド長「……いえ」
魔王「……」

メイド長「大丈夫です。彼女なら出来ます」

魔王「そうか」 にこっ
 「では、この書類整理は、今日からあやつの仕事だ」

メイド長「悪のメイド軍団が結成できそうな勢いですね」

魔王「どうかしたのか?」

メイド長「いえいえなんでも。……そうだ、
 お茶でも入れましょうか? 丁度、聖王都から
 オレンジの香りの葉がとどいたんですよ」

魔王「うむ、疲れた」
メイド長「でしょう」

魔王「私は疲れたのだぞ」
メイド長「そんなにつっぷして。どうしたんですか?」

魔王「むー」

830 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:34:56.75 ID:Lbanm5QNP

メイド長「膨れているんですか?」

魔王「もう秋だぞ」

メイド長「そうですねぇ、実りの季節です。
 栗がおいしいですねぇ。今年のベーコンも出来が良いようで」

魔王「秋なのに」
メイド長「はい?」

魔王「半年も音沙汰無しだぞ」
メイド長「あらあら、まぁまぁ」

魔王「ちょっと応えにくい会話だとすぐその決め台詞で
 流そうとするのは止めにしたらどうだ」

メイド長「これはメイドの特殊技能なんです」

魔王「連絡くらいくれても良いではないかっ!!」
メイド長「来てるじゃないですか」

魔王「そんなもの、妖精族を助けただの、
 鬼腕族を討伐しただの、そんなことばかりではないか」

833 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:39:54.63 ID:Lbanm5QNP

メイド長「無事で、活躍されているんですよ」

魔王「勇者なのだぞ。こうしている間にもあっさり
 美人が自慢の村娘とか……
 いや、歌姫族のハーピーあたりと
 いちゃいちゃしているかもしれんではないかっ!?」

メイド長「そうですか? 勇者様は童貞ですからね。
 童貞って言うのは変なところで義理堅くて夢見がち
 ですから、きっと大丈夫ですよ」

魔王「ちっとも安心できんではないかっ」

メイド長「そんなにいらいらしていると、
 眉間のしわが取れなくなってしまいますよ?」

魔王「ううう、そんなことになったら勇者に噛みついてやる」

メイド長「さぁさ。談話室の暖炉が暖められています。
 今日はこのあたりにして、甘い紅茶をおいれしますから。  そちらの方でお待ちになっていてください」


魔王「しかしな」

メイド長「これ以上書類と根をつめていては
 それこそお身体を悪くしてしまいますよ?」

837 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:45:30.54 ID:Lbanm5QNP

魔王「むぅ。判った。お茶を頼む」

メイド長「かしこまりました。まおー様♪」

 

がちゃん。
 とっとっとっ……

メイド長「なーんて。……魔王様はおっしゃってますが?」
勇者「うわ、ばればれですね」

メイド長「メイドの勘です」
勇者「毎回ばれてるなぁ」

メイド長「今回のお手紙は?」
勇者「ここで書いていきます」

メイド長「では、こちらにもお茶をお持ちしましょう」
勇者「すんません」

メイド長「いえいえ。メイドの仕事ですから」

勇者「さってと、インク壷と~羊皮紙あっかな
 これでいーか」

840 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:50:51.46 ID:Lbanm5QNP

――冬越しの村、村はずれの館、当主の部屋

ガチャリ

メイド長「おじゃまします。いかがですか?」

勇者「あ、報告は書き終えました」

メイド長「そうですか。……こちらはお茶と
 簡単な夜食になります。今回は馬鈴薯が
 ことのほかよく出来ておりますよ。
 これはクリームで甘く煮たものなのですが」

勇者「旨そうっすねー」

メイド長「……」

勇者「わ、熱っ。んまっ! 今回はぁ火竜族と
 なんとか手打ちで、でもそのためには『開門都市』
 をなんとか奪還しなきゃならなくてですね」

メイド長「……勇者様」

勇者「ん?」

メイド長「やはり今回も?」

843 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 02:53:59.28 ID:Lbanm5QNP

勇者「あー。うん」
メイド長「魔王様を避けてますよね?」

勇者「うー」

メイド長「避けてらっしゃいますよね?」
勇者「うー、うん」

メイド長「……使用人の分際で差し出がましいかと思い
 今まで訊ねずに参りましたが、埒が明きません。
 魔王様には内緒にしておきますから
 何か問題があるのなら相談くださいませ」

勇者「うん……」

メイド長「煮えきらない態度ですね。
 あれですか。酒場の鳥娘に言い寄られたり
 半透明のスライム娘に告白されたり
 爆乳自慢の牛娘に婿宣言されたりしたんですか?」

勇者「うがっ!」

メイド長「どうなんですか?」

勇者「そのう、そういうのがないとは言いませんが」

850 :以下、名無しにかわりましてV
IPがお送りします :2009/09/06(日) 03:01:16.21 ID:Lbanm5QNP

メイド長「大体転移呪文があるのなら  毎日は無理でも、毎週程度には帰ってこられますよね?」

勇者「うん」

メイド長「魔王様がそれに気が付かないくらい
 お間抜けで今回は助かっていますが……」

勇者「うん……」
メイド長「どういうことなのですか?」

勇者「いや、その。さ」
メイド長「はい?」

勇者「……魔王が、あんまりにも俺に頼らないから」
メイド長「……」

勇者「最初にさ、あの魔王の間で『我のものになれ』
 なんていわれてさ『まだ見ぬもの』なんていわれたからさ」
メイド長「……」

勇者「てっきり、勇者の力で、魔族の反乱分子を
 粛清してさ、たとえばゲートを閉じちゃったりして
 そうやって戦争を終わらせると思ってたんだよ」

853 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 03:05:27.68 ID:Lbanm5QNP

勇者「そういう意味で、勇者の力が欲しいのだと」
メイド長「……」

勇者「なのに、あいつ、俺の戦闘能力は当てにしないでさ、
 それどころか、戦わないように戦わないようにしてさ」
メイド長「はい」

勇者「なんかまるで俺のことが大事みたいに
 ……好きみたいにさ。するから」

メイド長「……」

勇者「だって所有契約だろう?
 俺はあいつのものだしあいつは俺のものだ。
 気に入らなかったら命をとられてもいいんだ。
 そういう契約じゃないか」

メイド長「そうですね」

勇者「それなのにさー。あいつさ。挙動不審だし
 言い訳も説明も過剰だし、おっかなびっくりだしさ」

メイド長「……」

勇者「……上手く言葉にならねぇや」

854 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 03:08:45.40 ID:Lbanm5QNP

メイド長「魔王様は、勇者様のことを――」

勇者「判ってるんだ。
 そこまで馬鹿じゃない。
 相手の好意が信じられないから、
 自分の好意を与えられないだなんて
 そんな腰抜けの言い訳じみたことを言うつもりはないんだ」

メイド長「では、なぜ?」

勇者「だって、俺、死んじゃうしさ」

メイド長「……」

勇者「今回のことがどう転ぼうがどう成功しようが
 それでも俺は人間だから、魔王よりも先に死んじゃうしさ」

メイド長「それはっ」

勇者「そんな俺が魔王と想いを重ねるって
 それはなんだかすげぇ不実な気もするんだよ」

メイド長「そんなことはありません」

勇者「そうかなぁ」

856 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 03:12:06.98 ID:Lbanm5QNP

勇者「そりゃ、まぁ。本当かもしれないよ?
 終わりがない関係はないけれど
 終わるために出会うわけじゃないからさ」

メイド長「……」

勇者「でも、なんだかなぁ」

勇者「俺、最後のときに、魔王の困ったような
 泣きそうな顔ばっかり思い出す気がするんだよ」

メイド長「そんな」

勇者「これもびびってるっていうのかなぁ。
 でも、魔王がそういう顔すると思うとつらい。
 勇者って言うのはさ、
 もしかしたら幸せになっちゃいけない職業なのかも
 しれないって。そう思うんだよ」

メイド長「……」

勇者「今の俺は、あんまり勇者って感じじゃないなっ!」

857 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/09/06(日) 03:15:40.56 ID:Lbanm5QNP

メイド長「メイド如きに口を挟める問題でも
 ないのでしょうが、一つだけ」

勇者「うん」

メイド長「勇者様は、魔王様のもの。
 勇者様のすべては魔王様の、我が主の所有物」

勇者「ああ、そうだ」

メイド長「そのことをお忘れなきよう」

勇者「うん」

メイド長「だとすれば、
 勇者様の感じるためらいも思いやりも、
 押し殺している願いや
 憧れるような希望も、
 触れたいという祈りも。
 言葉にならない、魔王様への気持ちさえ。
 それらもすべて魔王様のもの」

勇者「……」

メイド長「それをお忘れなきように」

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