「赤色革命から国民を守る国民大会」 昭和36年1月31日帝都日日新聞

『皇紀二千六百二十一年(西暦1961年)・昭和三十六年一月三十一日(火曜日) 帝都日日新聞 (日刊) 復刊第五千号 (昭和三十三年七月二十二日第三種郵便物認可日曜休刊 昭和三十三年八月八日国鉄特別扱承認第百四十五号) 』 

風流夢譚事件

「赤色革命から国民を守る国民大会」 昭和36年1月30日

帝都の一隅から
             
   昨日の日比谷公会堂における(正午から午後四時まで)「赤色革命から国民を守る国民大会」で、中央公論社への抗議文を、大会代表として赤尾敏、浅沼美知雄の両氏ほか数十氏が持参し(警官三十名出動)代表十五名が、嶋中社長と笹原編集局次長と会見の結果、謝罪文を「中央公論」三月号に大々的に掲載することとなったので、とにかく一応天皇への侮辱を認めたわけだ。しかし、代表の要求した、新聞への謝罪広告掲載と、中央公論社の解散については明答を避けた。
   国民大会の責任者である私は、これでは承知できない。あくまでも主張貫徹に邁進する。「中央公論」もこの際一応解散し立て直して、新しい出版社を作ってやり直したらいいではないか。あやまる時はきれいさっぱりあやまるがいい。そして気持ちを清々して出直すがいい。
 二月六日に私方に最後の回答をするということになったのであるが、私の方としてはどんな回答があろうと、こっちの要求が容れられなければあくまでもドコまでも実際運動をつづける。
 またこちらの要求を全部中央公論が容れたところで二月七日の大阪中之島公会堂において開く国民大会は断じて中止はしない。
 全部こちらの要求が通れば攻撃はやめるが、しかし「中央公論」にこんな問題があったのだ、それについて、天皇のため国家のため、この際国民に向かっていわねばならぬものはあくまでもいう。

 ・・・略・・・
               私は自己の信じる道を進むためには”船万人と雖も吾れ往かん”の意気は永遠に変わることはない。
           &

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昭和史
2011/08/23


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