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コミュニケーション(笑) [よしなしごと]

kasokenさんのモヒカン族と科学原理主義と云うエントリを読んだ。
ちなみにぼくはこのかたの著書を(自腹で買って)読んでいて、そのときのレビューはこちら

「いわゆるモヒカン族と科学原理主義(ここでは疑似科学叩きに懸命な人としておく)は異なるクラスターだという感覚があるのだけど、自分にはその違いの要素が見いだせない」
まずなんで疑似科学叩きに懸命な人科学原理主義と呼ばなきゃいけないのか、なんのためにそう称するのかがよくわからない(でもどうしてもそうお呼びになりたいようで、難しいから安易に使ってはいけないとかいちおう、括弧付きにしておくとかしきりにエクスキューズをつけながら最後までお使いになっている)。よくわからないけれど、科学原理主義と云うことばは(「科学教徒」とおなじく)漠然とした揶揄をこめてレッテルを貼る以外の用例をみたことがないので、疑似科学叩きと云うフレーズと組にしておいてそう云うニュアンスをまずは漂わせておく、と云う、コミュニケーションをなりわいとするひとならではの高度な技巧なのかな、とも思う。ことばの用法に強烈な違和感を感じるんだけど、それはぼくがろくに空気も読めないコミュニケーション弱者だからだ、と云うわけ(でもぼくは自己認識では科学原理主義でだけはないはず、なんだけどなぁ)。
で、この文章、感覚があるの主語はだれなのかが読み取れなくてちょっと読解に苦労した。でもこれ、感覚がある見いだせないも主語は自分みたい。要するに、自分はこう感じるんだけど、どうして自分がそう感じているのかだれか教えて、みたいな話なのかな。

まぁそんなことはよくて。
疑似科学が流行すると、専門家はひたすら批判するが、その試みは成功しているとはいえない。
いや、だいたいの専門家ひたすら批判するようなことはないんじゃないかな。むしろ、ほとんどの専門家は口を開かないと思う(なので菊池誠や天羽優子が目立つ結果になる)。それこそコミュニケーションの文脈を重んじて、空気を読んで黙っているのが、ニセ科学に接した時の科学の専門家にみられる一般的な態度なんじゃないかな。ある意味そのふるまいが専門家の専門性の源泉をみずからつきくずしている部分があるんじゃないか、とか思ったりもするけれど(その意味では自業自得)。
「科学原理主義」(いちおう、括弧付きにしておく)の人たちは、「啓蒙」なり「攻撃」なりを武器として「疑似科学を信じている人たち」に対応している。
まったく意味がわからないのは、たぶんさっきも書いたようにぼくがろくすっぽ空気も読めない読解力に欠けたコミュニケーション弱者だからなんだろうな、とは思う。ただ、「啓蒙」なり「攻撃」なりを武器とする、ってあたりはほんとうにわからない。
なんのための、なにを目的とした武器なんだ? このひとの揶揄する「科学原理主義」のひとたち(ここで何度も表明しているようにぼくはむしろ月の暗い部分に眷属を持つと自認している人間なのでとても不服なのだが、このかたの定義に準ずるとぼくもそこに含まれることになるのだろう)は、なにを目的に「疑似科学を信じている人たち」に対応しているとお考えなんだろうか。
客観性あって初めて、自分の滑稽さを笑えたり、ユーモアが生まれますからね。そして、残酷なまでの客観性って実に痛々しいんだけど、その痛さを引き受けていない人は端から見ていると痛い。
貧弱な読解力に鞭打って必死になって文脈を読み取ると、この部分はつまるところ「科学原理主義」の連中は客観性を欠いているので痛いって云いたいんだろうな、とか思う。違うのかな? 違うとすれば、豊富なコミュニケーション能力を持っていて空気を読む能力に長けているひとには、この文章から違う意味が自明に読み取れるのだろうか。
最後のところだけ反論しておく。ぼくは「科学原理主義」な輩かもしれないけど(くどいけどめちゃめちゃ不服ではある)、たとえばこのエントリのような、「空気を読まない」反論が傍目にとても「痛い」ことは自覚していますよ。コミュニケーション能力に長けた方々による、「痛さを自覚して黙れ」的な空気の醸成をあまり愉快に感じないので、黙っていられないだけで。
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mohariza

<kasokenさんのモヒカン族と科学原理主義と云うエントリ>を、一応 読みましたが、何を云いたいのか?分かりませんでした。

<モヒカン族>は、非科学集団か?と、云うところで、まず、
何と比較しているのか?が、分かりませんでした。

(そのネタもとまで、辿る余力は、今、私にはありませんので、言葉のみの<クエスチョン>を、云っているだけですが・・・。)

「科学原理主義」の人間なんか、私は、誰を指しているのか、分かりませんが・・・、

新聞、ネット上で、<科学者>と称する者が、学術論文なり、
真の発見をした!と称して、発信する言は、
私は、ほとんど、信用していません。

「科学原理主義」の人間とは、そんな 皮相の科学者のことを 指し、
<モヒカン族>(差別用語でしかないが・・・)と云う

深遠の宇宙(:自然の仕組み)を知る人々(人種?)と、

比較して、何を論議しようとしているのか?が、そもそも、分かりませんでした。

(皮相な、コメント読みで すみません・・・。)

by mohariza (2011-01-20 23:28) 

pooh

> moharizaさん

> 「科学原理主義」の人間なんか、私は、誰を指しているのか、分かりませんが・・・

ぼくもよくわからないんですが、このひとの定義上、ぼくなんかを指すようです。おいら呪術なやつなんで、猛烈な違和感を感じるんですけどね。

> 何を論議しようとしているのか?が、そもそも、分かりませんでした。

別に議論とかはしたくないんじゃないかな、とか思います。
おおむね最近使われるコミュニケーションと云う言い回しはバーバル・ノンバーバルを含めた非明示的な支配力の謂なので、コミュニケーターとしてそのあたりを発揮しようとしたのかな、みたいに推測しています。
by pooh (2011-01-21 00:21) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

前から言っている「防衛戦」という話のたとえ話ができましたのでご紹介です。

軍事力も結構持っている大国Aがありまして、その国の隣に軍事力がそれほどでもない小国Bがあるんですね。でもって、小国Bが何をトチ狂ったのか大国Aに攻め込むわけです。大国は最初は侵略されているという事が分からなくて、対応が遅れるわけですが、侵略に気が付いたらそこは大国です。攻め込んだB国の軍隊の何倍もの兵力で、かなり差のある戦いをすることになります。

こういう経緯を考えずに「A国とB国が戦っている。A国がB国の軍隊を叩いている。」だけみますと、「さては、大国Aが小国Bを侵略しているのだな、A国の横暴に違いない」なんて思いこみ易い訳です(笑)。戦っているフィールドをよく見ると、それまでなんの問題もなくA国の領土で平和だった土地なんですけどね(笑)。

例えばドライヤーとか空気清浄機という工業の世界は、「マイナスイオンブーム」以前は、きちんと自然科学的な根拠を積み重ねて製品開発し、その自然科学的に根拠のある性能表示をきちんと行って販売してきた世界でした。つまり自然科学の領土でなんの不都合も無かった訳です。それがマイナスイオン」というニセ科学の侵略を受け、好き放題な売り文句で売られる「マイナスイオン製品」が出てきた訳です。だから自然科学的な考え方からの「根拠がないだろ」という反撃を受けた訳ですね。でも、「どのフィールドで批判が起きたか」を考えないで、力の強そうな自然科学が非力に見えるニセ科学を叩いている姿しかみないと、「強者が弱者を虐めている」としか見えない訳です。そして、その強者を批判するのに「大国の横暴」の代わりに「科学原理主義」なんて言い方がでるのだろうと思います。

by 技術開発者 (2011-01-27 16:44) 

pooh

> 技術開発者さん

> 「どのフィールドで批判が起きたか」を考えないで、力の強そうな自然科学が非力に見えるニセ科学を叩いている姿しかみないと、「強者が弱者を虐めている」としか見えない訳です。そして、その強者を批判するのに「大国の横暴」の代わりに「科学原理主義」なんて言い方がでるのだろうと思います。

洒落にならないなぁ、と思うのが、その「科学原理主義」なんて云い方を平気でしているのが、ぼくらみたいな泡沫ブロガーと比較すると圧倒的な力を持っている著名な科学コミュニケータでいらっしゃる、と云う部分なんですよね。
そう云う強者が、言論によらないノンバーバルな部分でのコミュニケーションの意義を訴える、と云うのがどう云うことか。ぼくなんかからすると、あぁ、このひとは非明示のコンテキストを使って支配したいんだなぁ、みたいに感じられてしまうんですよね。
by pooh (2011-01-28 07:42) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>その「科学原理主義」なんて云い方を平気でしているのが、ぼくらみたいな泡沫ブロガーと比較すると圧倒的な力を持っている著名な科学コミュニケータでいらっしゃる

このあたり、私が皮肉で「日本人は学問を嫌い馬鹿にしている」なんて言う部分なんですけどね。実は現代社会において一番力があるのは大衆なんですね。そして大衆が支持するものが力を持つみたいに見える訳です。でもって、「良く考えられた意見」というのは、大衆のもつ一般的意見とは往々にして相反するものなんですね。大衆がその自分のイメージとは相反する意見に接した時に「なるほど、自分が抱いているイメージとは違うけど、よく考えるとそうだな」なんて、深い意見を考える事に喜びを見いだす面を持っていると、力を持つのは「よく考える者」になります。「自分のイメージと違うから排除」と自分のイメージに適合するものしか受け入れなくなると、力を持つのは「考えずに迎合する者」になります。或る意味で、現代において「圧倒的力を持つ著名な科学コミニュケーター」が「考えずに迎合する者」と成っているのは必然的とも言える訳です。

by 技術開発者 (2011-01-28 08:20) 

pooh

> 技術開発者さん

> 現代において「圧倒的力を持つ著名な科学コミニュケーター」が「考えずに迎合する者」と成っているのは必然的とも言える

逆に考えると、その迎合が力の源泉、と云うことになるのかもしれませんね。
なんだかなぁ、とか感じますけど。
by pooh (2011-01-28 21:27) 

Katase

kasokenさんこと、内田麻理香さんのWEBRONZAの2月2日掲載の記事も読みました。
・「科学リテラシー」って本当にいるの? 
http://astand.asahi.com/magazine/wrscience/2011012800009.html 

この文章もとても歯切れが悪くて、
>「一般人にとって、科学リテラシーは必要か?」と改めて問われると、「無理してまで身につけることはないよね」とついつい思ってしまう。科学リテラシーを「責任ある市民としての必須事項」などとされてしまうことには、どうにも違和感を感じてしまう。

サイエンスコミュニケーターとしての悩みを書いているのだと思うのですが、どうも「科学リテラシー」についての認識が甘い様に思えてしまいます。
ニセ科学に基づいたホメオパシーなどのニセ療法に嵌ってしまわない様にするためにも、一般の人達だって「身を守る為に」科学リテラシーをある程度は身につけた方が良いと思うのですが、こういった視点に欠けているのではないかと危惧します。

ご自分の周囲に、ニセ科学・ニセ療法などの詐欺にあった被害者などがおらず、そういった悲劇を実際に見聞きした事が無いが故の、人生の明るい面しかまだ知らない無邪気なお嬢さんという印象が、(辛口ですが)どうしても拭えません。

実は私、ポスドクを続けるか少し迷った時に(36歳で大学院に修士から進学したので、博士を取得したのは41歳の時でした)、サイエンスコミュニケーターの募集に何件か応募してみましたが、いずれも書類選考で「40歳以上だと年齢が高すぎる。新しい事を覚えるには大変だろうし、イベントで立ち仕事が多いし体力的に大変ではないか」というのが主な理由で立て続けに落とされました。面接すらして貰えずさっさと門前払いされちゃいました。

まあ、おばちゃん博士よりも若くて大衆受けが良さそうな女性の方が「サイエンスコミュニケーター」の適格者なのでしょうねぇ。しくしく。(笑)
冗談はさておき、現在の日本でのサイエンスコミュニケーターの仕事は、採用する人事側としては、「科学についての造詣が深くて」きちんと理解した上で分かり易く正しく一般の人達に科学を伝えて啓蒙する能力が高い人かどうかよりも、まだ未熟でも仕事をさせていくうちに覚えていくだろうしそれよりも「イベントを盛り上げられる華やかさ」のある人を中心に考えられているのかなぁとも思います。

私の方は、華やかではないけれど、地道にブログなどで科学に関する誤解を解いて正しく伝えたり、健康に悪影響を及ぼしそうなニセ情報(ニセ科学)を批判していくことを通して、彼女達とは別途、社会に貢献していきたいと思っています。
by Katase (2011-02-09 03:05) 

pooh

> Kataseさん

この記事、途中から優良なんですね。

> どうも「科学リテラシー」についての認識が甘い様に思えてしまいます。

いや(ご存知かもしれませんけど)ぼくもどちらかと云うと「科学リテラシー」を云々することについては以前から懐疑的なんですね。どちらかと云うとそれは常識の延長にあるもので、あらためて「科学リテラシー」なんて用語で読んで取りざたするべきものではないんじゃないか、みたいな感じで。
ただ、内田さんがそれを云うのはどうかな、とか思います。飯の種でしょ、天に唾してない? みたいな。

> 「サイエンスコミュニケーター」の適格者

いやまぁ、どんな資質が求められるのか、と云う部分については、雇用主の目的意識でしょうし。
ただ、いかにタレント性が高くても、はたして本筋に沿った業務ができるのか、と云うのはあるかと思いますけど。

> 彼女達とは別途、社会に貢献していきたいと思っています。

これからも、あてにしていますね。
by pooh (2011-02-09 07:40) 

技術開発者

こんにちは、poohさん。

>どちらかと云うとそれは常識の延長にあるもので、あらためて「科学リテラシー」なんて用語で読んで取りざたするべきものではないんじゃないか、みたいな感じで。

なんていうか、言葉にすると言葉が一人歩きするような面はありますね。理科教育というのが一時期、とても実利的だった時代があるんですね。私が例として出すのは、「てこの原理」を教えるのに「力点、支点、作用点」なんてことは小難しくは教えないけど、校庭の大きな石を鉄棒と支えの石をつかって動かす事を沢山やらせることで、体感的に身につける様な話ね。

私はそういう実利教育を受けた訳では無いんだけど、なにせ育ったのが田舎でしょ、その当時は結構な土木工事を近所の人が集まっただけでやっちゃうような世界で育ったのね。水路一つ工事するのでも、てこや滑車は使えて当たり前、水準器をつかって傾斜を保てなきゃ水は流れない、なんてね。なんていうか、土木工事に限らず日常生活そのものが理科実験にあふれているようなものなんですね。普段に実利教育されて、学校で理屈をおさらいするような生活なんです。

「科学リテラシー」なんて言葉で言うからなにやらややこしいけど、専門家で無い人間に必要なのは、なんていうか、私が日常生活で体感していたような当たり前の合理性何じゃないかと思います。

by 技術開発者 (2011-02-09 08:47) 

Katase

> poohさん、技術開発者さん

科学リテラシーなんて言葉が大仰だなというのは、ちょっと頷けるところもあります。以前にkikulogでも、科学者じゃないからニセ科学の見分けなんてとてもできないという意見に対して、この様な返事を書きました。

『科学的な論理思考をきちんと身につけていれば、怪しい物事に対しては懐疑的になり深入りする心配は減ると思います。
でもそれ以前に「怪しいものには気を付けろ」という生活の知恵の様なものもあるのではないかと思います。
世の中、オレオレ詐欺とかマルチ商法とか、胡散臭い投資話とか、不安を煽って物を売りつけたりする宗教まがいとか、怪しい詐欺の手口が山ほどあります。怪しげな話に迂闊に乗ってしまう前に、ちょっと待てよというストップをかける知恵は、そういった実例を知ったりして知識を得ることによって誰でも身につけて行くことが出来るのではないかとも思っています。』

なので、poohさんや技術開発者さんの認識と、それほど違っていない部分もあると思っています。
その「ちょっと待てよというストップをかける知恵」を補助するものとして、科学面の情報も入ってくると考えています。
by Katase (2011-02-09 12:40) 

TAKESAN

今晩は。

「常識」というもの自体が社会的文脈に依存して形成される概念であると思うので。

状況として、科学の言葉を濫用して他人を騙す愚か者どもが一定数存在し、時にマスメディアまでもが手を貸す、というのがある。そしてそれに対抗するためには「常識を変える」必要があり、「科学リテラシー」がそこに組み込まれねばならない、と論ずる、あるいはクローズアップするのは重要です。

と、言うか。
科学の知識は「習う」ものなのに、「身に着けていない」人が大半なのが問題で。本来それが「常識とされていくべき」なのに(だから教育に組み込まれる)出来ていない、と考えると、教育だったり社会的な重み付け(と言うか価値付けと言うか)だったり、をきちんと見る必要があるのでしょう。
しようとしているのに出来てない、て事でしょうから。

経験的に言うと、確率統計的な考えとかは、「常識」からはどうやったって出てきません(だから認知心理学的なバイアスの話になったりする訳で)。だけれど、大体の人は「習う」訳です。高校くらいで。制度としては常識的な知識として習得するのが期待されているはず、です。

だのに忘れたり軽視したり、あるいは、統計のウソを見抜いたり確率の問題の面白さを紹介する「大人向け」の本なりが一杯ある、ていうのは由々しき自体で※ そこには、科学の考えなんて身に着けなくとも良い、というようなある種の「教育」がなされている(きた)、のも背景としてあるのでしょう。

※それが、私のような「勉強をし忘れた」人間に対して極めて有用である、のは言うまでもありませんが。
by TAKESAN (2011-02-09 21:09) 

pooh

があ。typo。

優良 → 有料
by pooh (2011-02-09 21:20) 

pooh

> 技術開発者さん

> 言葉が一人歩きするような面はありますね。

そう云う部分はあるんです。なので、ぼくは例えばできる限り略語の利用は控えたいし、本来の意味を離れて別のニュアンスを持たされているようなテクニカル・タームの使用には慎重でありたい、とか思っています(とか云いながらすぐに「他力本願」とか使ってかも ひろやすさんに叱られたりしてますけど)。

> 専門家で無い人間に必要なのは、なんていうか、私が日常生活で体感していたような当たり前の合理性

ただ残念なことに、これは「日常生活で体感」できないと得られない(ヒューリスティックとして活用できるほど習熟できない)んですよねぇ。
by pooh (2011-02-09 21:20) 

pooh

> Kataseさん

> 「怪しいものには気を付けろ」という生活の知恵

いや、結局、最終的にはニセ科学の問題と云うのはそう云うレイヤーにある話なんですよね。

> 「ちょっと待てよというストップをかける知恵」を補助するものとして、科学面の情報も入ってくる

ここに非常に同感します。で、そんなふうに考えれば、べつだんニセ科学を見分けるために要求される科学的な素養はそれほど多くはない、はずなんですよね。だいたいそうでなければ、ぼくなんかがこんなふうに何年間もニセ科学を論じる場所に居続けられるはずがないわけですし(^^;。

PseuDoctorさんの少し前のエントリに「科学者は権威主義者なの?」と云うタイトルのものがあって。
http://pseudoctor-science-and-hobby.blogspot.com/2011/01/s03-01.html

で、こちらのコメント欄に書こうとして、なぜか何回試みても書き込みできない内容なんですが(^^;。
科学は権威です。すくなくとも、ヒューリスティックとして利用可能な権威を提供する源泉として利用可能なシステムです。で、例えば最低限その権威のシステムがどのように構築されているのか、だけを知っていれば、その利用に当たってあまり間違うことはないんじゃないのか、みたいに思っています。「科学リテラシー」と云うのは、この水準の話じゃないでしょうかね。
by pooh (2011-02-09 21:22) 

pooh

> TAKESANさん

まぁこれ、「常識」と云うことばの捉えかたでもあって。そこのところを無定義で使ってる、と云うのはあるんですけど。
基本的にはおっしゃるとおりだ、と思います。

> 「常識を変える」必要があり、「科学リテラシー」がそこに組み込まれねばならない、と論ずる、あるいはクローズアップするのは重要です。

このことそのものは同意です。
ただそれって、「科学リテラシー」みたいないかめしい用語を使わなければできないことでは、たぶんなくて。なんと云うかもうすこし、新しい用語を覚えずにもすむ方法で理解してもらえることのような気がするんですよ。

で、内田氏なんかはそのあたりを上手に話す必要のある商売なのに、なんだか逆に本義を曲げて受け手に媚びるような話し方をしようとする傾向が見えるように思うんですよね。
上記した「科学原理主義」と云う言葉の使い方といい、このかたについては(「科学」のつかない)リテラシーにそもそも問題があるんじゃないか、みたいに感じたりします。
by pooh (2011-02-09 21:28) 

黒猫亭

>>で、こちらのコメント欄に書こうとして、なぜか何回試みても書き込みできない内容なんですが(^^;。

ああ、それ多分書き込み自体は出来てますよ(笑)。あそこは承認公開制なんですが、PseuDoctorさんにコメント対応出来る用意が出来てからの公開になるみたいです。オレも一度書き込みしたんですが、少なくとも一〇日以上経ってから公開されたので、書いた本人がびっくりしました(笑)。

たしか以前、対応する余裕がないので意図的に書き込みが制限されるような仕様にしていると謂うようなことを仰っていました。全体構成が予め決定されていることなどを視ても、簡易ウェブツールとしてブログを採用しておられるのかな、と思います。
by 黒猫亭 (2011-02-10 10:18) 

pooh

> 黒猫亭さん

> コメント対応出来る用意が出来てからの公開になるみたいです。

あぁ、なるほど。
まぁ、日頃お話を聞いていても、そうとう多忙な方みたいですもんね。ぼくもぼくでややこしい方に話を持って行ったりしてますし。
by pooh (2011-02-10 21:57) 

PseuDoctor

済みません、Twitterでは色々と呟いているのですが、ブログまでは手が回らなくて(別にきくちさんの真似をしている訳ではないのです)。

でも、これはミステリなのですが、実は承認待ちのコメントは頂いていないのです。ですから、実際に書き込みは出来ていないという事になります。どうしてかは良く解りません。承認制にしている以外には特に制限をかけていない筈なのですが。不思議です。
余談ですが、Googleのブログにはトラックバックの機能が無いのですね。ちょっと不便ですが、その為だけに引っ越す気にもなれないでいます。

と、これだけで終わってしまうのも申し訳ないので、コメント頂く予定だった内容についても、少し書きます。
「科学が権威である」事と「科学者は権威主義者ではない」事は、特に矛盾せずに両立し得ると思います。ですので、科学者が権威主義者かどうかとは別個の問題として、科学の権威性について述べます。

ごく単純化して述べれば、科学そのものが権威たりうるのは、それが強力なツールであり、かつ、誰でもがそのツールを使いこなせる訳ではないからだと考えます。
例えるなら、古代社会における「火起こしの技術」に似ているのではないでしょうか。火起こしの技は有用で強力なので、それが一部の人達のものである場合には、それ自体が権威性を帯びていた事でしょう。
で、この場合、その権威に盲従して、起こされた火だけを便利に用いる、という態度も有り得ます。火の有用性は確実なのだから、それ以上は追求する必要は無いという態度ですね。また、その一方で、自ら行うかどうかは別にしても、火起こしのメカニズムを知りたいという欲求も有り得る訳です。

問題は、火起こしのメカニズムを解明する事が、権威性を高める方向にも低める方向にも働き得る事です。神秘のベールが剥ぎ取られる事によって権威は低下するかもしれない。しかし逆に、火を操る事に成功した人類の叡智と努力に思いを馳せる事によって、むしろ畏怖の気持ちが増すのかもしれません。

科学の立場からすれば、前者の権威は不要です。それは結局、未知の物に対する怖れでしかない。しかし後者の権威は必要でしょう。大袈裟かもしれませんが、人類の知的営為に対する畏怖の気持ちを失ってしまったら、我々は人間であり続ける意味が無いと思います。

という訳で、科学リテラシーとは、未知に対する畏怖を先人の営為に対する畏怖に入れ替えていく為に必要なものだと考えています(ただ「その目的を達成する為には、どのレベルまでの知識を要するか」などと具体的に考え始めると、これはこれで非常に難しい話になってしまうのですが)。

もう少し言えば、未知なる物に対する畏怖というのは、別の「未知なる物」が現れれば、容易くその座を奪われてしまう。それがニセ科学やオカルトだと思っているのです。
by PseuDoctor (2011-02-12 00:34) 

pooh

> PseuDoctorさん

> 実は承認待ちのコメントは頂いていないのです。

ありゃりゃりゃ。2回書き込んだのに。
Googleにログインすれば書き込めるのかな。なんか今回いただいたコメントみたいなお話、うちだけで展開されるのもったいないのにな。

> 「科学が権威である」事と「科学者は権威主義者ではない」事は、特に矛盾せずに両立し得る

と云うか、あるシステムを活用するにあたって、ファンダメンタルに「○○主義者」になる必要なんかないんですよね。

> 火起こしのメカニズムを解明する事が、権威性を高める方向にも低める方向にも働き得る

以降にお書きのことを含め、これは「敬意」の問題なのかもしれないですね。儀礼的な意味合いではなくて、実利を伴う基準としての「敬意」(我ながらよくわかりませんけど)。
で、これはTAKESANさんがつねづねおっしゃっていることともつながってくるように思います。

> 科学リテラシーとは、未知に対する畏怖を先人の営為に対する畏怖に入れ替えていく為に必要なもの

ぼくは単純に、これに「科学リテラシー」と云う名称を充てることに疑問があるんですよね。もっと普遍性のあることがらのように思えるので。いじわるに云うと、これを科学リテラシーと呼ぶのは、科学コミュニケータと云う職業を成立させるためなんじゃないか、みたいに。まぁそれはそれでいいんですけどね。

> 未知なる物に対する畏怖というのは、別の「未知なる物」が現れれば、容易くその座を奪われてしまう。それがニセ科学やオカルトだと思っているのです。

これはとても強く強く同意します。
その意味では、あらゆる「原理主義」は危険だと思っています。
by pooh (2011-02-12 05:08) 

PseuDoctor

こんばんは。

>Googleにログインすれば書き込めるのかな。
それは無いと思います。私もログアウトした状態で試してみて、出来ましたので。つくづく不思議です。

>ぼくは単純に、これに「科学リテラシー」と云う名称を充てることに疑問があるんですよね。もっと普遍性のあることがらのように思えるので。
そうですね。まず一般的な「リテラシー」があって、その中に「科学リテラシー」が含まれているのだと思います。わざわざ限定する意義は薄い様にも感じますね。
by PseuDoctor (2011-02-12 22:49) 

pooh

> PseuDoctorさん

> まず一般的な「リテラシー」があって、その中に「科学リテラシー」が含まれている

そう、そうなると、まず「なぜリテラシーが必要なのか」と云う議論が先立つものとしてあるわけですよね。そこをすっとばして「科学リテラシー」を語ろうとすると、なんだか不必要に専門化された議論になってしまうようにも思います。
で、ある程度ポピュラーな議論をしようとするときにそう云う手法を選択してしまうのは、やっぱりそもそもそのひとのリテラシーに欠けた部分があるんじゃないか、みたいにも思ってしまうんですね。
by pooh (2011-02-12 23:26) 

katase

私の内田麻理香さんに対するコメントについて、行き過ぎた言及であり失礼だという批判を頂きました。
行き過ぎたことと失礼があったことを反省しております。
内田さんにご迷惑が掛からない様に、そのコメントを削除して頂きたいと思います。
よろしくお願いを致します。
by katase (2011-11-29 02:34) 

pooh

> kataseさん

まず、落ち着いてください。
いまkataseさんに向けられている批判は、ここのコメントを削除しても無化できませんし、回避もできません。また、内田さんはこんなところのコメント欄なんかは読んでいないので、ご本人にも影響はありません。

こちらのエントリにちょいと妙なトラフィックが集まっていたので、状況はある程度把握しています。でまぁ、失礼ながら、こう云う状況はいつか生じるかもなぁ、みたいに思ってました(twitter上では、何人かのかたにときおり釘を刺されてましたよね)。
コメントをいただいた時点では、まぁ愚痴だし、みたいにも思って、たしなめるようなレスはしませんでしたけど。

何かを批判する、と云う行為は、そう云う視線を向けられるもの、でもあります。こんなマイナーなブログのコメント欄での1年近く前の愚痴でさえ発掘されてしまう。あらかじめそう云うものだと考えて、それがいやなのなら日頃から発言に留意する必要がある。
ぼくはkataseさんについて、むいみさんや黒猫亭さんがすこし前からそう云う部分についてだいぶ心配していたのを知っています。

たとえば、日頃kataseさんがよく対話されているpissenlit_10さんのことを、ぼくは以前批判をしたことがあります。それ以来ぼくは彼女には、「アカデミア外の女性が議論に参加するのを見るだけで不快に感じて潰しにかかる学術至上主義のマチズモの権化」と云うレッテルを貼られています。もしぼくが批判を向けられるターンになったとき(批判的な言動を継続していれば、これはいつでも起こりえます)、彼女はいつだってそのレッテルを振りかざしながらぼくへのネガキャンを展開するでしょう。「被害者」として。
それでもぼくは平気です。なぜ平気なのか、と云うと、そのレッテルが不当だ、と云えるだけの日常の言動を晒しているつもりがあるからです。平気で、甘受する。べつにぼくはりっぱな人間ではないのでこう云う落ち度はたくさんあると思いますけど、甘受せざるをえない。

批判をおこなう場に立つ、と云うのは、そう云うことでもあるのです。
もしこのぼくのコメントを読んでもなお削除を希望する場合は、再度コメントください。ただ、こう云う状況で周囲に証拠隠滅とも見られる可能性のある行動をとるのは、お勧めしかねます。
by pooh (2011-11-29 06:21) 

pooh

> kataseさん

あ、あと、ぼくはきのうのエントリを、だれよりもkataseさんが読んでくれるといいなぁ、と思って書きました。
手段を選ばないコミュニケーション・マネジメントは、どこにでも蜘蛛の糸を張っています。
by pooh (2011-11-29 06:54) 

pooh

ぼくが上のコメントで個人のtwitterアカウントを持ちだしてまで例示したことを、kataseさんがわかってくれるといいなぁ。
議論において論ではなく論者としての自分の正しさに執着するとどう云うことになるのか、自分の論が否定されることを論者としての自分が否定されたこととして捉える(逆に云うと、他者の論を否定する際にその論者を否定することが必要だと考える)ような発想をしているとどうなるのか、の例示なわけなんだけど。
by pooh (2011-11-30 12:40) 

pooh

あと、属性から他人の内心を推し量って、それに基づいてなにか云うことの危険性。と云うか、そう云う行動がはたから見てどんなふうに映るか。いやもちろんやってしまいがちだし、たぶんぼくも気づかずにやっちゃってるんだけど、少なくともそれは胸を張ってできるようなことではないし、極力避けるべきだよね。
by pooh (2011-11-30 12:44) 

Katase

Poohさん、どうもありがとうございます。
今回のことで、私が多数の方々からの強い批判がずっと繰り返されてきて、私の性根の悪さについて嫌でも何十編と繰り返されて目にしなければならず、精神的にかなり参っていました。

内田さんについては、大変に失礼なことをしました。自分が年齢を理由に面接などの審査すらしてもらえずに科学コミュニケーター募集に立て続けに門前払いをされてしまった事からの、私怨を混ぜた科学コミュニケーター批判となってしまいました。

あんたは、ほら、こんなに醜い心の持ち主だ、とても許し難いね、と周囲の多くの人達からも次々と言われて、自分がなんて劣った人間なんだろうと心底落ち込みました。

反省の弁を述べても批判はなかなか止まず(Twitter上でなんども自分の至らなさを認めて謝罪しています。あるTogetterではその後に続く私非を認めた謝罪の発言が入れられていません。私がダメな奴と笑われている所で終わってしまっています)、そうして私への批判は延々といろいろな人達から繰り返されて続き、あちこちのブログにも書かれ、こんなにも私は人間として許されない重大な罪を犯してしまったのかと、途方にくれました。

思いあまった自虐のツイートまでも、反省せずにふざけているとまた強い批判の対象となりました。もう、ネットでの発言は止めてしまおうとも思いました。

昨日から気持ちを切り替えて別の話題をするように心がけ、精神のバランスを崩さないように自分をこの問題から一時的にでも切り離すことでなんとか保ちました。

私が今回の件で人の属性を問題にした事は、悪い事でした。ですが、私が常に他人を属性で判断しているというのは、今回の私へのバッシング騒動を発端となったある人物による印象操作によるところも大きいことは知っておいて下さい。

私が普段Twitterなどで親しく交流している人達の多くは、研究者などではなく、ごく一般の人達です。社会の属性ではなく、その人の人柄で判断して、素敵な方、尊敬できる方々とお付き合いをしております。男性・女性、年齢の区別もしていません。

私がいつも相手の属性を元に判断して評価しているのならば、現在の人間関係は成立しません。
自分から学歴を相手に披露することもほとんとんどありません。そういうことで、私を判断してもらいたくないからです。

今回の件で、私が他人をその人の属性で判断してしまう人だというレッテルを貼られた事は、とても痛手です。
by Katase (2011-12-01 21:16) 

pooh

> Kataseさん

えぇと(^^;。
ぼくはKataseさんに、むしろご自分が周りのかたがたにどれほど大事にされているのか、優しくされているのか、と云うことに改めて気づいてほしいと思います。だれが諌めてくれて、だれが擁護してくれているのか。正直、ぼくとしてはどんな錚々たるメンバーがそこに揃っているのか、そのことに気づいてほしい。

> 私が今回の件で人の属性を問題にした事は、悪い事でした。ですが、私が常に他人を属性で判断しているというのは、今回の私へのバッシング騒動を発端となったある人物による印象操作によるところも大きいことは知っておいて下さい。

みなさんに云われていることだと思うんですが、これを口にしてはいけないんですよ。人の属性を軸に語ってはいけない、と云うことを頭でわかっているなら、それをしてはいけないんです(内心はどうあれ)。いけないことをしているのを指摘するのは、印象操作とは云いません。いけないことをしたら(そしてそれがいけないことだ、と自分で思うのなら)謝罪するのです。
まさに最近、それができないひとが他者からどう見えるか、と云うのを目にしたのではないですか? 先入観と内心の印象だけで他者を断罪しようとする行為がどのように見えるのか、目の当たりにされたのではないですか?

ひとに対してその属性で先入観を持ってしまうことはあります。そしてそれがヒューリスティクとして有効に機能する場合もあります。でも、それを論において表に出してはいけないんです。
だれもが内心に表に出せないものを抱えています。表に出さないのがわきまえであるし、理性なんです(そしてそこに突っ込まないのもまたわきまえであるし、理性です)。それができない場合に、言い訳は使えません。

えとですね(^^;。却って失礼なのを承知で云うと。
たぶん身近なみなさんは「あーあ、まただこのひと」みたいには思っていますけれど、改めてレッテルなんかは貼りませんよ。レッテルを繰り返すのは、どっちにしてもそのレッテルを使いたくてしょうがなかったひとだけです。
微妙な云い方なんですが、みなさんだれよりもタフで減らず口のKataseさんを知っているので。それでまったく見捨てられそうにないKataseさんの人徳に、ぼくなんかあやかりたいくらいですけどね。
by pooh (2011-12-01 22:07) 

pooh

> Kataseさん

ついでに云うと。
批判、と云うのは、どうやっても人格攻撃につながるニュアンスを排除することができません。簡単な話、自分の論と自分の人格を裡側で分離して考えることのできないひとにとっては、自分の論への批判=自分の人格への批判、と云うことになります。

そのリスクを冒す以上、相手が感じたのと同じ強度での人格攻撃が返ってくるのは、当然だと考えたほうがいい。でも、あたりまえのことですが、返ってくる人格攻撃に意味なんかないんです。そんなものに拘泥してはいけない。そんなことで、Kataseさんの名誉は傷つきません。……もちろん、これは「他者に対する(その属性に対するものを含めた)人格攻撃」を行なっていない、その場合に限りますけれどね(^^;。

ちなみにもうすこしすれば、上に挙げたtwitterアカウントのひとから、ぼくに対する人格攻撃が始まる可能性が高いです(黒猫亭さんが相手にされたのなら、つぎはぼくです。たぶんapjさんを本気で相手にする根性はない)。そのときは新しいケーススタディが見られると思うので、以って他山の石としてください(^^;。
by pooh (2011-12-01 22:17) 

Katase

もちろん、今回の事で私の為を思って忠告をして下さった方々にはとても感謝しております。
きちんと指摘をして下さるのは必要なことで、それがなく周囲から甘やかされることでスポイルされてしまっている人の姿を見ると、自分の周囲には問題があれば指摘して下さる方々がいて良かったと思います。

問題視される原因を作った自分が一番悪いのだと思いますし、それについては弁解しません。

今回の事で感じた事は、親切心から忠告して下さった方々は、私の謝罪に対して、今後はもっと注意して下さいと矛先をおさめて下さったのに対して、謝罪を何遍も繰り返したあとでも、批判を繰りかえされたり、私に反省を即している人のツイートをRTしてて示した方達がいて、これが複数から同時にいつまでもやられてしまうことが「ニセ科学批判」の人達の攻撃は執拗で集団イジメだと言われてしまう原因の一つではないかと思いました。

この様な事を書くと、また反発されてしまいますが、自分が批判される側に回って実感として感じ取ったことです。必要な批判でも過剰になると、相手をその必要性以上に追い詰めます。
「ニセ科学批判」ではなくても、批判活動を行うグループが陥りがちなことではないかとも思います。

特に公益性があるのではなければ、特定個人への批判・忠告は代表者数人に任せて周囲は様子を見るようにした方がいいのではないかと思います。その方がじっくりと落ち着いて考えることができるでしょう。

>ちなみにもうすこしすれば、上に挙げたtwitterアカウントのひとから、ぼくに対する人格攻撃が始まる可能性が高いです(黒猫亭さんが相手にされたのなら、つぎはぼくです。たぶんapjさんを本気で相手にする根性はない)。そのときは新しいケーススタディが見られると思うので、以って他山の石としてください(^^;。

その方については、私と主にむいみさんの方から助言しておきました。分かって下さってくれることを期待しています。
その方は、現在は黒猫亭さんにあらぬ嫌疑を掛けたことを後悔し、その後に謝罪しています。
私も、むいみさんも黒猫亭さんも、その方をやり玉にあげる気はないし、その必要性もないので、その方の名前を出して取り沙汰はしていません。

Poohさんに対しても、同様な思い込みによる中傷は、今後行わないのではないかと期待しています。
by Katase (2011-12-02 00:13) 

Katase

ある方とやりとりして、私がどうして内田さんに「未熟」という指摘をしてしまったのか、整理が少しつきました。

私は、大学院の博士課程後期で博士論文の為の研究に忙しかった時に、知人が自分の病気の治療をあやしい代替療法に切り替えてしまったのに、余裕の無さと人間関係を損ないたくなくて、どうせ具合が悪くなったら効果が無いと気が付いて病院での治療に戻るだろうと自分に言い訳をして、特に忠告もせずにおいてしまったという、今でもしこりとなっている苦い経験があります。

悪質な代替療法の恐ろしさを知らずに、彼女が深入りしていくのを予想せずに、まあいいかと見過ごしてしまいました。
その後、彼女は病状が悪化しましたが「好転反応」と言われて我慢させられ続け、かなりの金額を巻き上げられた挙げ句、瀕死の状態になると無責任にその代替療法者から捨てられたのです。

彼女の病気は早期発見されていたので、病院での治療を続けていたら完治の見込みが高いものでした。

彼女が末期症状で苦しんでいる様を知り、その酷さに愕然としました。
私は、自分が彼女の周囲で唯一その病気に関しての専門知識を持っていたのに、何も助言もせずに彼女を見殺しにしてしまいました。

内田さんに失礼な評価をしてしまった背景には、自分が年齢によって差別されてその職に就けなかった悔しさもあります。
その他に、内田さんには当時の私以上に社会に影響力をもっている方なのに、その必要性に言及することに効果を持つ科学コミュニケーターという立場から、一般の人には科学リテラシーは必要ないかもという事を書いたことへの苛立ちがあったと思います。

科学リテラシー(身を守るの知恵としての意味で…)が無くて、ニセ科学によるあやしいものを鵜呑みにしてしまうと、最悪の場合命を落とすことがあると実感しています。
でも、それとこれとは別で、内田さんには何の落ち度もありません。人にどう伝えるのか悩むのが当然の立場でしょう。

自分が認識が甘くて未熟だった苦い経験を彼女に一方的に投影してしまったこともあると思います。
自分への許せなさを、無関係な内田さんにぶつけてしまいました。

もっと、寛容でなければならないと忠告されました。
その通りだと思います。

これは言い訳ではなく、全て自戒です。
by Katase (2011-12-02 02:57) 

pooh

> Kataseさん

> 今回の事で私の為を思って忠告をして下さった方々にはとても感謝しております。

ほんとうに。
見捨てられていないのは、Kataseさんにそれだけのものがある、と思われてのことだと思います。見捨てるような言動をされたかたはいらっしゃいましたけど、人間の感情としてはそちらのほうが自然に思われます(^^;。

> 謝罪を何遍も繰り返したあとでも、批判を繰りかえされたり、私に反省を即している人のツイートをRTしてて示した方達がいて、これが複数から同時にいつまでもやられてしまうことが「ニセ科学批判」の人達の攻撃は執拗で集団イジメだと言われてしまう原因の一つではないかと思いました。

だってKataseさん、黙らないんですもん。謝罪が安っぽくみえちゃいますよ。
謝罪のことばはたくさん重ねればいいと云うものではなくて、ちゃんと自分の以降の行動に反映させるのが重要なんです。……って、ぼくがえらそうに説教できた筋合いなのかどうかは置いておいて、ですけどね。

> 必要な批判でも過剰になると、相手をその必要性以上に追い詰めます。

そこに気づかれましたか。
じつはニセ科学の問題に継続的にコミットしている論者は、その部分については一般にKataseさんが思っている以上に慎重です。どの論者も、基本的には「個人」として発言し、例えば自分を「ニセ科学批判クラスタ」の立場において発言することがほとんどない、と云うのはそのあたりがあるからです。
ただし例外があって。おなじ「ニセ科学の問題を論じるもの」に対しては、一般にそう云うふるまいになりません。なぜだか、お考えになってください。

> 特定個人への批判・忠告は代表者数人に任せて周囲は様子を見るようにした方がいいのではないかと思います。

注意深く周りをごらんになっていただければ、ほとんどの場合はそうなっているのに気づかれると思います。ただ、例外はある、と云う話です。

> その方は、現在は黒猫亭さんにあらぬ嫌疑を掛けたことを後悔し、その後に謝罪しています。

そして、その謝罪がどのようなものに見えますか?
彼女がどうだ、と云う話ではなく、どのような行動がどのように見られるものなのか、と云うことです。反面教師としては強烈すぎますが、「自分のただしさ」への確信がすべてをクリアできる根拠にはならない、と云うのをごらんいただきたいと思います。

> 内田さんに失礼な評価をしてしまった背景には、自分が年齢によって差別されてその職に就けなかった悔しさもあります。
> その他に、内田さんには当時の私以上に社会に影響力をもっている方なのに、その必要性に言及することに効果を持つ科学コミュニケーターという立場から、一般の人には科学リテラシーは必要ないかもという事を書いたことへの苛立ちがあったと思います。

後者については、ぼくも批判的に見ていますし、そう云うエントリを書いたこともあるかと思います。
今回のKataseさんのふるまいに立ち返って考えるなら、なにかに批判的に言及するにあたって、それらのことを峻別することの重要さ、と云う話になるかと思います。

> もっと、寛容でなければならないと忠告されました。

違いますって(^^;。
大事なのは論から相手の属性も、そしてご自分の属性も切り離して論じる姿勢です。そのうえで、批判的な言説は必要な強度でおこなえばいいのです。
by pooh (2011-12-02 06:14) 

Katase

>Poohさん

>違いますって(^^;。
大事なのは論から相手の属性も、そしてご自分の属性も切り離して論じる姿勢です。そのうえで、批判的な言説は必要な強度でおこなえばいいのです。

寛容にというのは、過去の自分をもうちょっと許さないと、また苛立ちから相手への不用意な批判をしてしまうだろうということです。
自分にとって、私の知人のケースは強いトラウマとなっているので、どうしてもそれに拘り続ける限り、端々に出てしまう可能性があります。

ニセ科学問題にコミットていると、そういう場面に遭遇する機会が多いので、このトラウマから相手へきつく当たったりしてしまいがちになる恐れがあります。自分でも少し心当たりがあります。

自分の属性についても切り離して論じる重要性は理解しています。
同じ轍を踏まないようにするために、なぜ自分があの様な事を書いてしまったのかをきちんと認識しておく必要があります。

>注意深く周りをごらんになっていただければ、ほとんどの場合はそうなっているのに気づかれると思います。ただ、例外はある、と云う話です。

これが、最近そうとも言えないことが度々ありました。
例えば、あるニセ科学を信じて広めているカリスマ的な人物に好意的な意見をTwitterでツイートした女性に対してある人がそれに対して強く批判したのに応じて、それに気が付いた人達から一斉に彼女に対して批判のメンションが飛んでつるし上げの様になってしまい、しかもいつまでもその人に対する批判が止まず、相手も引くに引けずに泥沼化したケースがありました。外野の人達からその様子が1対多の「集団イジメ」に見えてしまい、「ニセ科学批判」への強烈なバッシングが起きました。

(この悪いイメージはある特殊な言葉を積極的に他人へのレッテル貼りと中傷に使う人達によって、この「つるし上げ」に無関係であった人物の批判にまで利用されてしまいました)

特にTwitterはこれまでのネット掲示板やブログなどでの互いのホームポジションを守った所を拠点とした弁論と異なり、互いの距離が近く、直接に批判攻撃が行くという特徴があります。
PC画面からは、対峙する相手の表情は読み取れません。Twitterのアイコンは表情を変えません。PCの向こう側で、相手は批判に晒されて傷付いて涙を流しながら、自分を保つ為に必死で応戦しているかも知れません。

現在は、Twitterなどの双方向性が高いツールが新たに広まってきたことによるネット利用法の転換期にあるのではないかと思います。
これまで以上に、慎重になった方がいいだろうと思います。

また、震災と原発事故以降、多くの人達に多かれ少なかれストレスが掛かっていて、一般的な傾向として、そのはけ口として攻撃的になりやすくなっている様子も感じます。最近は社会全体的に少し落ち着いてきていると思いますが、何かの起爆剤があると、噴出する恐れがまだあります。

これも同じ「ニセ科学の問題を論じるもの」からの意見として書かせて頂きました。ご容赦下さい。

ニセ科学を批判をすること自体が、意図しない不特定の人達を傷つけてしまう怖れもあります。批判的な行為をする時には、できるだけマイルドに行っていく心がけは必要だと痛感しています。
by Katase (2011-12-02 08:23) 

pooh

> Kataseさん

> しかもいつまでもその人に対する批判が止まず、相手も引くに引けずに泥沼化したケース

これ、ぼくは見ているのかな。togetterとかありますかね。

> Twitterはこれまでのネット掲示板やブログなどでの互いのホームポジションを守った所を拠点とした弁論と異なり、互いの距離が近く、直接に批判攻撃が行くという特徴があります。

これはあると思います。あと、議論が瞬間風速的に高潮して、静まったあとは(あとからの参照可能性が低いせいで)いったいじっさいにはなにがあったのか経緯が曖昧になってしまう、みたいな性格もありますね。それでも多くの場合なまの個々人が直接議論に向き合うかたちになるぶん、へんにしこりだけが残ったり。ついでに云うと文字数制限のおかげで言葉足らずにもなりがちですし(それを避けようとすると、クロネコッティのような運用にならざるを得ない(^^;)。
ぼくがtwitterを(おおやけには)使わなかったり、はてなブックマークのコメントで議論をしようとしないのは、そのあたりがあるからでもあります。

> これまで以上に、慎重になった方がいいだろうと思います。

同意します。
と云うか、存在するツールはつねにフル活用しなければいけない、と云うことではないのではないかと。自分にうまく使えそうなものを使う、と云うことですね。うまく使えそうにないものは慎重に使うか、いっそ使わない。

> 震災と原発事故以降、多くの人達に多かれ少なかれストレスが掛かっていて、一般的な傾向として、そのはけ口として攻撃的になりやすくなっている様子も感じます。

震災後にぼくがあまりエントリを書けなくなっているのは、そのあたりもあるから、だったりします。最大の被害があった地域に隣接する場所に住むものとして、ですね。
黙るべきときには黙らざるをえない。有効な言論をなせない、と自分で感じるときもそうです。

> ニセ科学を批判をすること自体が、意図しない不特定の人達を傷つけてしまう怖れもあります。

そこまで考えて、それでも必要だと感じたときに、批判するんです。他者を傷つける可能性のある場所に、そこを理解したうえで立つんです。

> 批判的な行為をする時には、できるだけマイルドに行っていく心がけは必要だと痛感しています。

マイルドであるがゆえに届かない言説は、逆になす意義がない、とも云えます。むいみさんのおっしゃっていた「他者を傷つける覚悟」と云うのはそう云うことですよ。
とは云え、もちろん工夫の余地はあります。ぼくも精進を続けます。
by pooh (2011-12-02 08:45) 

Katase

>これ、ぼくは見ているのかな。togetterとかありますかね。

「ニセ科学批判は弱いものいじめ」
http://togetter.com/li/179881 

「チェルノブイリへのかけはし」批判者への批判者への集団リンチについて
http://togetter.com/li/179419

相手の方のツイート
http://twitter.com/kaokou11/status/106924238719553536

彼女がこの件について振り返ってみたブログ記事があったのですが、今は見当たりません。彼女の意見表明の役割を終えたので消したのかもしれません。
彼女はごく一般の人です。彼女の社会への影響力は限られたものですし、そこまで強い批判の集中砲火が行く必要はなかったろうにと思いました。本当に彼女に向かって「死ね」とまで言った人がいたのかどうかは疑問ですが、彼女の発言に対してそこまでよってたかって追い詰める必要があったのか。
批判は個々でやっているつもりでも、批判される当人にとっては1対多になってしまいます。

もう済んだことですし、また蒸し返してもどうかと思うのですが、これは特定個人の問題ではなく、誰かが悪者とされた時に、周囲がそれに反応して煽られる様に一斉にその人を叩きだす風潮が最近Twitterなどであるのは、やはり問題ではないかと思います。

Togetterにやりとりが纏められる際にも、収録されていないツイートは見えず、まとめ方によっては平等性を欠いたものになります。
Togetterの問題性は、通常は流れてしまうツイートがピックアップされて多くの人の目にいつまでも触れることです。次々と新たにそれを目にする人が出て、そこに晒されている人に次々と批判しに行くことになります。

有益な情報がTogetterに纏められるケースとは別に、誰かを悪いとしてTogetterに纏めて広めるのは、よほど慎重にした方がいいと思います。
by Katase (2011-12-02 10:01) 

pooh

> Kataseさん

うむむ。これでは集団リンチ的な事実があったのか、と云うのはわからないですね。と云うか記憶をたどると、集団リンチと云うよりはMochimasaさんが強く批判していて、それがRTで拡大した、と云うような状況だったと思いますが、いかがでしょう。

で、それを集団リンチと云うことばで表現するのが適切なのか、と云う話もあるかと思うんですが、そう見えてしまえば確かにもはやある意味そうなんですよ。その点は間違いないし、おっしゃるとおりだと思います。

で、これって基本は、Mochimasaさんの作法がどうだったか、と云う以上の話ではないと思います。で、前のほうのまとめで、その部分はむいみさんがきっちりとMochimasaさんとお話ししているかと思います。で、ぼくはむいみさんの意見にほぼ完全に同意します。
で、Mochimasaさんから見るとどうでしょう。Mochimasaさんの置かれた状況は、じつはここのところKataseさんが置かれてきた状況にそっくりです。Mochimasaさんは議論において間違ってはいない(科学的には)。でもそれがどんなふうに見えるか、その方法が有効か、と云う部分を問われています。
Kataseさんも、本質的に同じことを問われているんですよ。他人ごとではないです。

> 誰かが悪者とされた時に、周囲がそれに反応して煽られる様に一斉にその人を叩きだす風潮が最近Twitterなどであるのは、やはり問題ではないかと思います。

これを問題視しても、そう云う力学が働きがちな仕組みがある以上、根本的な対策はできません。せめて、使う人間が極力意識するようにしなければいけない。その内容を含め。そこが制御できない人間は、使うべきではないんです。
だれか他人の問題であるとか、自分は被害を受けた側の人間であるとか、そんなふうに考えてはいけませんよ。自分は被害者だから、防衛のためになにをしてもいい、みたいに考えてしまうと、先に上げたtwitterアカウントの方のような行動を自分に許容してしまうことになります。それがどんなにひどいことであるか、ごらんになった通りだと思います。
で、ニセ科学の議論にコミットしている論者同士のあいだでは、それを互いに指摘しあい、批判しあう作法があります。安直に党派となってしまわないために、これはとても重要なのです。むいみさんがMochimasaさんに、黒猫亭さんがKataseさんにものもうすのは、攻撃したいためじゃなくて、それが必要なことをご存知だからです。

> Togetterにやりとりが纏められる際にも、収録されていないツイートは見えず、まとめ方によっては平等性を欠いたものになります。

もちろんそうです。編集が入る以上、前提としてそう云うものです。それを事前に認識したうえで読まれ、論じられなければいけない。
たとえば今回紹介していただいた、あとのほうのまとめは、一定数存在する「ニセ科学を批判する人間を菊池誠を頂点とする『キクマコ教団』と云う党派としてひとまとめにしないと、言説の展開上都合が悪い」ひとたちのスタンスから編集されています。そう云うひとたちが実在する以上、なお日常の言動に注意する必要が出てきます。

> Togetterの問題性は、通常は流れてしまうツイートがピックアップされて多くの人の目にいつまでも触れることです。

それが問題点、だとは思いません。そう云うものだ、と云う認識を強く持っている必要がある、と云う話だと思います。

> 誰かを悪いとしてTogetterに纏めて広めるのは、よほど慎重にした方がいいと思います。

もちろんそうです。
すべてのブログ記事、すべてのブログコメント、すべてのブックマークコメント、すべてのtweetと同様、それは慎重になされるべきです。
by pooh (2011-12-02 10:51) 

Katase

>で、それを集団リンチと云うことばで表現するのが適切なのか、と云う話もあるかと思うんですが、そう見えてしまえば確かにもはやある意味そうなんですよ。その点は間違いないし、おっしゃるとおりだと思います。

やられた側?と周囲からどう見えるかというのは視点として大事だと思います。

それと、Mochimasaさん個人だけの問題ではないと考えています。彼のやり方が悪かったでは終わらない部分がかなり含まれていると思います。彼女に批判を続けたのが彼1人であれば、ほぼ1対1の対立だったわけです。どっちもどっちで終わった話になったかも知れません。

意図せずとも周囲が引き込まれて入れ替わり立ち替わりして1対多になってしまう構図については敏感になった方がいいと思います。強い大きな声を持つ人の意見になびいて、叩きやすい人をみんなで叩くという良くない見え方がされてしまうと損です。
これまでみなさんがそう見えない様にと慎重にやってきた事なのですが、これまでとはまた勝手の違うTwitter上では新たな傾向と対策も必要だろうと思います。

直ぐには全員が対応することは難しい問題だとは思います。

リンクしたTogetterは纏めた側の立場によって、2つの立場どうしの二局対立のように見えていますが、その時に議論に加わらなかったどちらの立場でも無い人達からも、1人に対して多数が一斉に批判する結果となってしまったことは、イジメの様に見えて良く思われていなかった様です。
自分達は基本的に悪くなくて、誰か特別に悪い人がいたからそれが原因でこうなったと考えない方がいいと思います。これは自分も含めて気を付けなければと思います。

あのTogetterの後半のMochimasaさんとむいみさんのやりとりは、この全体としての問題においては本質的なものではありません。
Mochimasaさんが発端ではなくとも、別の人が発端であっても周囲の人達が次々に参加して…というのは起こり得る構図です。

Poohさんも同意される様に、特にTwitterは間にクッションを挟まずに本人に直接攻撃が行きますから、そういう問題が起きやすいという感覚を持ち合わせた方がいいだろうと思います。

私自身は、これとは別に、今回の件で自分の悪かった点については、自己保身の為の弁解をするつもりはありません。

by Katase (2011-12-02 13:01) 

pooh

> Kataseさん

> 意図せずとも周囲が引き込まれて入れ替わり立ち替わりして1対多になってしまう構図については敏感になった方がいいと思います。

まったく同感です。

> これまでとはまた勝手の違うTwitter上では新たな傾向と対策も必要だろうと思います。

これも同感です。
と云うか、twitterと云うのは、非常に誰かに「賛同しやすい」ツールなんですよね。で、その賛同している瞬間しか(はためには)見えないケースが多々あるので、そのあたりで発話のさじ加減が難しい。是々非々の議論をしていても、そう見えない切り口が準備されてしまう。
じつは正直、このあたりのマネジメントは菊池誠なんかもけっこう失敗しているのではないか、と思う部分もあったりします。

ただまぁこのへんは、いまの状況になって表面化してきたものです。なので、Kataseさんがいまの時点でその部分に警告を発するのは適切だ、とも思います。

> 自分達は基本的に悪くなくて、誰か特別に悪い人がいたからそれが原因でこうなったと考えない方がいいと思います。

もちろんそうですよね。twitterと云う場に限らず。

> あのTogetterの後半のMochimasaさんとむいみさんのやりとりは、この全体としての問題においては本質的なものではありません。

うむむ。ぼくはそうも思わないのですが。

> Mochimasaさんが発端ではなくとも、別の人が発端であっても周囲の人達が次々に参加して…というのは起こり得る構図です。

逆に、参加するかたがたが、むいみさんの発している警告の内容について留意していれば、ある程度は防げるのではないでしょうか。

いずれぼくは、現時点ではtwitterを使うには力量不足だ、論者として未熟だ、と云う自己認識を持っています。
ただ現状、あの場はとても重要なんですよね。だれかが議論の場としてフォローして、適切な対抗言論を準備する必要がある、と云うのも確かだと思います。
by pooh (2011-12-02 13:21) 

pooh

> Kataseさん

えぇと、あと。

> 私自身は、これとは別に、今回の件で自分の悪かった点については、自己保身の為の弁解をするつもりはありません。

これはわかっています。
ただ、ご自分の言動についての議論がなされている状況で、そこに自ら別の論点を持ち込むのは、「話を逸らしている」と捉えられる可能性が非常に高いですよ。Kataseさんがいろんなかたに叱られるのは、そう云うところがあるから、と云うのもあるかもしれません(^^;。
by pooh (2011-12-02 13:30) 

Katase

>これはわかっています。
ただ、ご自分の言動についての議論がなされている状況で、そこに自ら別の論点を持ち込むのは、「話を逸らしている」と捉えられる可能性が非常に高いですよ。Kataseさんがいろんなかたに叱られるのは、そう云うところがあるから、と云うのもあるかもしれません(^^;。

うう~。すみません。m(_ _)m
そういう邪な策略的な意図はないのですが。
繰り返しますが、私は今回の件では悪かったです。

あとちょっとだけ…。

>逆に、参加するかたがたが、むいみさんの発している警告の内容について留意していれば、ある程度は防げるのではないでしょうか。

Mochimasaさんとお相手の人のやりとりは8/24、むいみさんとのやりとりは8/27。タイムラグが3日もあります。
むいみさんが警告して周囲が状況に気が付いて静まったとしても、それまでの3日間、ず~っと彼女は批判の集中砲火を浴びていたのです。
これは精神的にかなり辛いと思いますよ。
多数の個々の人達が加わることで、結果としてそれが相手にとって過剰に働いてしまうのは、警告を待つのではなく、できれば最初から避けられた方がいいと思います。

今回も実はある人が警告したことから、私への繰り返しの批判ツイートやRTは静まりましたが、それまではずっと人が入れ替わり立ち替わり続けられていました。同じ状況がまた繰り返されたのです。
これは、やはり多くの人達に考えておいて頂きたいことだと思いました。
Twitterの場にいて感じたことです。Twitterは特殊なんだと思います。
(これは、実感してみないと分からないかも知れません)

※今回の件で、私が悪かったのは事実であり、これは全く変わりません。

by Katase (2011-12-02 14:24) 

pooh

> Kataseさん

> そういう邪な策略的な意図はないのですが。

わかってますってば。
ぼくがわかっていてもしかたがないんです。ご自分で気づいて、気を付けてもらわないと。

> これは精神的にかなり辛いと思いますよ。

ひとりは一票しか持ってなくても、積み重ねられれば、と云うことですよね。そう云うシステムから来る力学については、意識的であるべきだと思います。

> 私への繰り返しの批判ツイートやRTは静まりましたが、それまではずっと人が入れ替わり立ち替わり続けられていました。

ここまで云ってきたとおり、この点についてぼくはKataseさんにいっさい同情しません。そう云うものだ、と云う認識を促すだけです。

> (これは、実感してみないと分からないかも知れません)

これは余計です(^^;。
最近はともかく、ここは相当のどたばたな揉め事を経てきたブログです。それらをすべて残しているので、ぼく自身の対応のまずさを含めて、現時点でもそれらをすべて参照可能にしています(So-netからの警告を受けたものを除いて)。見苦しいからリンクは貼って来ませんでしたけど、例示を見たいですか?
「自分のつらい思いは他人にはわからないんだ」みたいに云っているように取られかねない発言は、だめですよ。だれだって、批判をする立ち位置に立ちづづけている人間は、相応の場数を経由してるんですから。
by pooh (2011-12-02 14:36) 

Katase

>「自分のつらい思いは他人にはわからないんだ」みたいに云っているように取られかねない発言は、だめですよ。だれだって、批判をする立ち位置に立ちづづけている人間は、相応の場数を経由してるんですから。

すみません。そうですね。
私などは、まだまだ経験も浅く、修羅場もそんなにこなしてきていないんだと思います。

みなさん、私以上のご苦労をされてきていて、その上でやっておられると思います。

こういうあぶなっかしい、スキだらけの人間ですので、本人としては自覚してなるべく気を付けて行く所存ですが、今後も何かお気づきの事がありましたら、これからもご指摘とご指導をお願いしたいと思います。

見捨てられないように努力していきます。
by Katase (2011-12-02 14:54) 

どらねこ

>kataseさん

横からすみません。

>外野の人達からその様子が1対多の「集団イジメ」に見えてしまい、「ニセ科学批判」への強烈なバッシングが起きました。

これについては私の印象は少し違いまして、「集団イジメ」と見なして批判することが一見妥当なように見えるケースを利用し、それが恰もニセ科学批判者集団の問題であるかのように見えるまとめを用いた印象操作事例だと感じました。

当該まとめの元とされる人物はその切っ掛けとして用いられただけに過ぎないように思います。要するに、その下地がなければ殊更騒がれることもなく、静かに消えていったのではないでしょうか?勿論、その事については批判的な言説をする側が常に気をつける必要のある類の問題と思いますが、その行動も個々人のものですから、こうせよと拘束するような事はできませんよね。

これは余計な話かもしれませんが、思うことを書いてみます。
真っ当な事がキチンと評価されず不当な扱いを受けているのをみて、「それはイケナイ、正されるべきだ」そんな思いを強く持つヒトがニセ科学的なものを表だって指摘する方が多いように思います。オカシナ主張は質されるべきだ・・・と謂うような感じです。でも、それだけじゃ上手くいかないから色々な方法を考えるわけですけれど、そんな思いが強いと、その不満が表に出てきちゃう事も多いんじゃないかな、と思うんですね。これは自分の事であっても、公共性が強い話であってもです。
でも、そんな不平不満をギャラリーは別に望んでいないと思うんですよね。望むとしたら娯楽として楽しむ為にもっとやれと思うぐらいでしょう。それが燃料投下と謂われるものですね。嘘偽りのなさそうな感情ってヘタなドラマよりも好物にするひとはいると思います。私にも残念ながらありそうな感じです。
残念ですが、人には元々そう謂う感情があって、でもそれに負けないよう、それじゃあイケナイと考える気持ちも同時にあると思うんですよ。で、そんなバランス感覚を保っていても周囲の状況が変われば人によっては偏った方向に流されてしまうかも知れません。そんな状況をつくっているのは自分たち一人一人の行動なのですよね。なら、そんな方向に持って行かれないように、自覚のある人はきゅっと引きしめればよいし、難しい人なら黙って見守るのもアリだと思います。

理不尽だと思われるかも知れませんが、誰かに対し、貴方は○○で△△だから悪かったのだ!!と指摘するのを見れば、状況を把握する前から、指摘されている相手は悪いことをしたのだろうなぁ、と思ってしまう傾向が人間にはあるようです。実は無実な人が、容疑者の段階で実名報道され、その後名誉が傷つけられたままと謂う理不尽が現実にあります。問題を殊更大きく採り上げられれば、本人が不利益になるだけです。自分の身を守るのは自分だけです。悪かった事があれば悪いと認め、理不尽には必要最小限の実例を示した反論ぐらいじゃあないでしょうか?例えば、○○の件で一度指摘されてもなおらず、未だにその発言を繰り返している、みたいに謂われているが、繰り返しているかのように見られる事例は実際には今年の1月の話です。とか。で、現在はそのようなことが無いように努めております、と。細々と述べるのは逆効果かな、と思っております。

と、私が細々と書いてしまい申し訳ありません。失礼いたしました。

あと最後に。kataseさんは卑屈になる必要は全くないです。是々非々で。多くの方はそう謂っているとどらねこは解釈してます。
by どらねこ (2011-12-02 15:05) 

Katase

>どらねこさん

ご意見、感謝します。
そう、確かにあの時の「集団イジメ」うんぬんは、一部の人達に上手く利用されてしまいました。

>当該まとめの元とされる人物はその切っ掛けとして用いられただけに過ぎないように思います。要するに、その下地がなければ殊更騒がれることもなく、静かに消えていったのではないでしょうか?勿論、その事については批判的な言説をする側が常に気をつける必要のある類の問題と思いますが、その行動も個々人のものですから、こうせよと拘束するような事はできませんよね。

そうですね。どう行動するのかは、組織ではないので各自の裁量にまかされていることであり、それぞれ状況を見極めてどう関与するかの判断は自由だと思います。

>そんな状況をつくっているのは自分たち一人一人の行動なのですよね。なら、そんな方向に持って行かれないように、自覚のある人はきゅっと引きしめればよいし、難しい人なら黙って見守るのもアリだと思います。

同意します。
私の意見としては、特に一般の人に対して、双方向性の強いTwitter上で1対多の構図になってしまう様な場合には、相手に精神的な負担が掛かりすぎないように、強い詰問調であったり、きつい言葉による批判は避ける方が、落ち着いてやりとりできるのではないかと思います。また、度重なる批判の繰り返しにならない様に、相手の他の人とのやりとりの経緯なども確認した方がいいのではないかと思います。

ダメな事はダメだと指摘していくことは必要ですが、それを伝える方法は何通りもあると思います。
自分としては、目的と相手に応じた接し方の使い分けを身につけて行けたらと思っています。

>自分の身を守るのは自分だけです。悪かった事があれば悪いと認め、理不尽には必要最小限の実例を示した反論ぐらいじゃあないでしょうか?

悪い事をしたとそのまま認めるというのは大事なことですね。
自分にその自覚がないと、つい反論してしまいます。ここが実は難しいところでもあります。
誠実な指摘に対して、きちんと向き合うという姿勢を示すことは、指摘をして下さった方に対しての礼儀でもありますね。いろいろと反省するところです。

>細々と述べるのは逆効果かな、と思っております。

ご忠告、ありがとうございます。

>あと最後に。kataseさんは卑屈になる必要は全くないです。是々非々で。多くの方はそう謂っているとどらねこは解釈してます。

ありがとうございます。

これからもできる限り努力していきますので、私自身の成長の為にも、気付いた点があればみなさんからご指摘を賜りたいと思います。

by Katase (2011-12-02 16:26) 

pooh

> どらねこさん

> kataseさんは卑屈になる必要は全くないです。是々非々で。

同感です。
またあまり卑屈になると、却って上っ面みたいにみられがちだったりもするんですよね。加減は難しいですが。
by pooh (2011-12-02 18:28) 

pooh

> Kataseさん

> どう行動するのかは、組織ではないので各自の裁量にまかされていることであり、それぞれ状況を見極めてどう関与するかの判断は自由だと思います。

なので、相互の批判が大事、と云うのもあります。多くのロジックを共有してきたことで、相互に批判しあう基盤があるのは、とても重要なことだと思います。

> 私自身の成長の為にも、気付いた点があればみなさんからご指摘を賜りたいと思います。

たぶんみなさん、Kataseさんに期待するところが大きいんだろうな、と思うんですよ。まぁみんないっしょなので、お互いさまで。
by pooh (2011-12-02 18:28) 

Katase

>私の意見としては、特に一般の人に対して、双方向性の強いTwitter上で1対多の構図になってしまう様な場合には

と、書きましたが、
また、その人の属性で差別している、と取られると良くないので念の為に説明します。

一般の人としたのは、社会的に影響力を持つ人達と比べて、厳しく批判する必要性が高くないということ(一般人や匿名の人でも発言力が比較的高くてその影響が無視できない場合はちょっと違ってくると思いますが)と、そういう人は普段から批判に慣れていなくて感受性が高い可能性があり、被害意識がより強く出てしまう恐れがあるからです。

そういう意味ですので、差別して見下すというのとは違う意図からです。
また、これは私独自の考えなので、他の人もそうすべきというものではあれません。

by Katase (2011-12-02 18:29) 

Katase

>Poohさん

>たぶんみなさん、Kataseさんに期待するところが大きいんだろうな、と思うんですよ。まぁみんないっしょなので、お互いさまで。

期待に添える器かどうか分かりませんが、努力していきますので、これからもどうぞよろしくお願い致します。
by Katase (2011-12-02 18:36) 

pooh

ありゃ、かぶった。

> Kataseさん

ここはもちろん、考慮すべきです。
で、前にも書いたかと思いますが、批判する側がどれだけ注意深く論と人間を峻別しても、受け止める側は批判=人格攻撃、と受け止める可能性は排除できないんですよね(そのひとが自分の論と自分の人格を分けて考えられるひとでないかぎり)。それはそう云うものだと観じて、でもできる努力をする。

そのうえで、ぼくは言及する相手、その言説の内容によってはそのあたりの配慮を一切省きます。覚悟のうえで、言説の勁さを優先する場合もある。そこはもう、覚悟と判断ですよね。
by pooh (2011-12-02 18:41) 

北風Mk-2

ちょっとズレているかもしれませんが、なんというか「有り様に対する批判」というのは難しいと思うのですね。
「論」の批判でも人格攻撃と受け止められることもありますが、「有り様」については切り分けが難しいですし、批判された方も、最悪、「論」には言い訳や誤りを認めての対応のしようがありますが、「有り様」はその辺りも難しい。
例えば、「ニセ科学」について「説」から「企業の有り様」の方に行くとapjさんのような形にならざるをえない。

また、「有り様に対する批判」として受け止められる余地のある批判まで想定すると・・・。

ただ、じゃあどうすると言う点は私の能力を超えていて、「できるだけ争点を絞り込んで明確にして、誤解(あるいは拡散や伝言ゲームなど)による増幅をさせないようにする」とかしか。
by 北風Mk-2 (2011-12-03 14:27) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 「有り様に対する批判」というのは難しい

難しい、と云うか、実質的に可能かどうか怪しいし、場合によってはそれは内心に踏み込むことになるので、批判する側の立ち位置がとてもとても危ういものになります。

ただ、「やりかたに対する批判」はまぁ、可能ですよね。経緯を踏まえてなすのか、結果を問うのか、いくつか方法がある。
by pooh (2011-12-03 16:19) 

apj

ここで議論が進んでるとは知らなかった。

批判が攻撃性を伴うというのは多かれ少なかれあることだと思うんですが、程度の問題ではないかと。その程度は、具体的な被害発生との距離で決まると思うんですよね。

 たとえば、ホメオパシーを他人に薦めるというのは、それを信じた人から正しい治療を受ける機会を奪うといった被害の内容が具体的に想定され、かつ、被害が生じる蓋然性が高い。だから批判が厳しくなってもまあ妥当かな、と。
 ところが、「有り様が悪い」というのは、被害発生の蓋然性が曖昧で、被害の中身とか程度とかもはっきりしないわけです。しかも、その「有り様」は、表現技術の問題だけではなくて、各々のパーソナリティに起因していることだって多い。技術の部分については議論したり批判したりすることで向上させることが可能でしょうが、パーソナリティについては議論しても批判してもちょっとどうしようもないし、忠告や助言の程度を越えてやり過ぎれば嫌がらせにしかなりません。

 多分、現実の批判は、
(1)被害の具体的内容がはっきりしている
(2)大きな被害が広く発生しうる
(3)被害発生の蓋然性が高い
ほど強く、そうでないほど弱く、というのが、バランスがとれているんだろうと思います。

 論の正しさを争うということもありますが、そのときは、直接の被害云々とは少し違う舞台が必要になるような。こちらの極限で、完全に人工的に舞台を設定するとディベートになるのかな、と思ったり。
by apj (2011-12-03 20:29) 

pooh

> apjさん

議論と云うか、まぁ(^^;。ある意味現場のひとつが動いたままだったんで、そのまま、って感じでしょうかね。

> パーソナリティについては議論しても批判してもちょっとどうしようもないし、忠告や助言の程度を越えてやり過ぎれば嫌がらせにしかなりません。

パーソナリティは変えようがないので、留意して変えることができるとすればその自分での自覚的な取り扱い方とか、表出の方法ですよね。そこを超えて批判するのはあんまり意味がないし、そう云う批判については受けるほうも受け止めようがない。
受け止めようのない批判をおこなう意義は、さてどこにあるか、と云う話でもあろうかと。もちろんデフォルトで意義なし、と云うことにはならないんでしょうけど、おこなう側がそれをどこまで理解しているか。

> 論の正しさを争うということもありますが、そのときは、直接の被害云々とは少し違う舞台が必要になるような。

実地に即してたとえば批判なりをおこなうときに、論の正しさ、と云うのはまず必然的に求められる背景ではあるわけなんですけど、ではさてそれだけでいいのか、と云うと、また違うんですよね。ただしい論に基づくことは、批判が有効になされていることは必ずしも意味しない。

> こちらの極限で、完全に人工的に舞台を設定するとディベートになるのかな、と思ったり。

で、現実にはそんな舞台はまず実在しないんですよね。これはもう、しかたがない。
by pooh (2011-12-04 00:24) 

TAKA

poohさんの言いたいことは分かります。しかしながら、次のような主張は間違っています。「批判者は、批判した後で言い訳をしてはいけない。」
絶対に言い訳をしてはいけない、ということは無いはずです。
むしろ、どんどん言い訳するべきです。長々と言い訳することによって、自分の主張の正しさが、ますます増すからです。
読者達も、「なるほど。そういう理由で批判していたのか。」と納得してくれます。言い訳すればするほど、読者の理解が深まり、好感度が高まり、論者としての信用があつくなるのです。

ちなみに、武田邦彦さんや早川由紀夫さんのように、幾ら批判されても一向に気にせず素知らぬ顔で済ます場合も、読者の好感度がアップします。
まとめると、こういうことです。
「何かを主張した後は、批判されても知らぬ顔を通す。」「知らぬ顔を通すことが出来そうにない場合は、徹底的に言い訳する。」
「その際に、絶対に自分の間違いを認めてはいけない。」「渋々認める場合でも、『間違ったって、良いじゃないか。人間だもの』と自己肯定する。」
これが、後世に名を残す大論者への近道です。

以上、私からのアドバイスでした。このアドバイスを実行して、poohさんが大論者になった暁には何かください。名物をください。
牛タンをください。ずんだもちをください。それが無理ならば、仙台城でも良いです。
by TAKA (2011-12-07 16:32) 

pooh

> TAKAさん

しまった。今日はこう云う芸風か。

> 幾ら批判されても一向に気にせず素知らぬ顔で済ます

人間一般的にそんなに強くないっす。

でもまぁ、そう云う姿勢のひとがなんだか求められているような空気はありますよねぇ。御堂岡啓昭(ani2525)なんかをretweetしてるひとがそれなりの人数実在しているのを見ると、twitterってのもすごいツールだよなぁ、みたいに思うことがあったり。

> 仙台城でも良いです。

あげてもいいですけど石垣しかないすよ。
by pooh (2011-12-07 20:24) 

pooh

なんか全然関係ないエントリのコメント欄を伝言板に使ってるみたいで妙な気分ではあるんだけど。

今日のエントリで取り上げたkataseさんのtweetに噛み付いている連中がいるみたいだけど、読めばなにも中身のない噛み付き方なのがわかるはず。なので、kataseさんにはいちいちめげたり反応したりしないでほしい。と云うか、ああ云うのは反応すると「反応したこと自体が同情集めだって邪推されかねない」ような代物なので、なんにもいいことは起きません。

とは云えぼくなんかはもともと、そう云うのに先頭切って突っ込んでいく立ち位置だったんだけどね。
by pooh (2011-12-08 21:24) 

satomi

poohさん、こんばんは
 
先月から展開されている議論からは離れたコメントで恐縮ですが、元エントリに関連して少々(ていうか長話だけど)。
 
どのメディアで読んだのか記憶にないのですが、何ヶ月か前だったかにkasokenさんが「ふつうの人向けに『科学って何?』を易しく説く」みたいなコンセプトの元で書かれていた短い文章を読んで感じたことがあります。論旨の展開が、科学とは難しいもので一般の人にはわからないものだよね、ふつうに生活する中で科学知識が必要な場面なんて、ほとんどないものだよね、という前提を長々と語って、最後に、でもね、科学は大事だよ、とつなげていく、というものだったのですけれど、読んでいて、なんだか後味の悪さを感じたんですよね。「短文なんだから、さくっと科学の面白さを純粋に語ればいいのに」と思った。
 
「ふつうの人にとって科学は遠くて難しい」というのは事実としてあるかもしれないけれど、ならばなおさら、ゼロの地点から「これって面白いよね」「あれも面白いよね」と積み上げて行って、「気づいていないだけで、ほら、実はそれがみんな科学なんだよ」と持って行けば、ポジティブで面白いのに、と思ったんですよね。でも、kasokenさんの文章からは「科学とは『あっち側』のもの」というネガティブなメッセージ性を感じたし、また、もしかして科学や科学者に対する不信感のようなものをご本人が抱いておられるのだろうか、という印象を受けたわけです。
 
科学コミュニケータやSTS研究者って、「ふつうの人が科学や科学者に対して抱く先入観(というか偏見)に同調することが科学コミュニケータもしくはSTS研究者としての誠実な態度である」という立ち位置にある人たちなの? と、この原発事故以来、ずっともやもやを感じているのです。それが「市民に寄り添う」ということなの? と。なんというか、「科学は『あっち側』のもの」で、「『あっち側』から『こっち側(市民の側)』の手に取り戻すのが正しい姿」みたいなイメージがすごく強く感じられんですよね。「善悪の戦い」みたいな単純な二項対立。不安ゆえに疑心暗鬼になっている人たちを身近に見るたびに、「橋渡しの専門家」は何をしてるの?と忸怩たる思いがしてしまうのです。じゃあ「市民」って誰よ?ということも。
 
by satomi (2011-12-09 00:18) 

pooh

> satomiさん

> ゼロの地点から「これって面白いよね」「あれも面白いよね」と積み上げて行って、「気づいていないだけで、ほら、実はそれがみんな科学なんだよ」と持って行けば、ポジティブで面白いのに

うむむ。

内田さんについて云えば、おそらくそう云う部分を伝えることを自らの任として意識しているのは間違いないと思うんですよ。で、それをそのまま表出させられないなんらかの屈託、みたいなものがあって、それが折に触れてにじみ出てきてしまう、と云うところはあるんだろうと思うんです。
ただまぁ、その屈託みたいなものがどこから来ているのかはわからない。ひょっとすると「科学界を追放された」らしい竹内薫さんなんかとの関わり合いのなかで生じたものなのかもしれませんが、やっぱりわからない。

> 「科学は『あっち側』のもの」で、「『あっち側』から『こっち側(市民の側)』の手に取り戻すのが正しい姿」みたいなイメージがすごく強く感じられんですよね。「善悪の戦い」みたいな単純な二項対立。

科学コミュニケータのかたがたはともかく、一部のSTS研究者はあえて意図的にそう云うイメージを強調している、と云うのはあるように思います。

> 「善悪の戦い」みたいな単純な二項対立。不安ゆえに疑心暗鬼になっている人たちを身近に見るたびに、「橋渡しの専門家」は何をしてるの?と忸怩たる思いがしてしまうのです。

よくわからないのですが、ここのところの議論を見ているかぎり、STS研究者って「橋渡しの専門家」ではないようですよ。有事には役に立たない、と云うのが基本スタンスのようです。これは「一部の」ではなく、ベーシックな立ち位置として。

> じゃあ「市民」って誰よ?ということも。

こっちにも書きましたけど。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2011-11-10
どうも「STS認定市民」と云うような概念がありそうです。対立概念は「エア御用市民」ですね。
by pooh (2011-12-09 06:00) 

北風Mk-2

> ゼロの地点から「これって面白いよね」「あれも面白いよね」と積み上げて行って、「気づいていないだけで、ほら、実はそれがみんな科学なんだよ」と持って行けば、ポジティブで面白いのに

アシモフの科学エッセイとか、「ロウソクの科学」とかも、確かに面白さをポジティブに表していますね。

ただ、スポーツでも、野球のホームランやサッカーのシュートとか、「かっこいいし、これって面白いよね」とやれるけど、どこかで、それは厳しい練習とかに支えられていて「ふつうの人にとってその目に見えるもの(科学の成果物とかプロの選手のプレイとか)は遠くて難しい」ということになる。(プロの存在意義とか、プロの選手になれるのは一部の人間とか)
漠然と書きましたが、上のようなことをある種「真面目に」伝えようとすると、「科学とは『あっち側』のもの」というネガティブなメッセージ性を伴ってしまいがちになる。

この辺の事態が主に何に由来しているのか、はっきりしないんですけど、「扱っているテーマ(とレベル)の問題」もあるのかなあ、と思います。
例えば、将棋のプロの「棋譜」など「真面目に扱うと」普通のアマには全く理解できない。
「TVで移っているプロのプレイ」をスポーツで指導するにしても、「それはある程度の身体能力と技術を伴っていない方には無理です」と言わざるをえない。

「科学として目にみえている成果について」語ろうとすることは、上の2つのようなことに匹敵するのかとも思います。
「そのエッセンスのみに絞って伝わる範囲の事柄を分かりやすい言葉で伝える」作業は、なんというかそれに精通した一流のプロの仕事にならざるをえないので、「橋渡しの専門家」には荷が重いようにも思います。

じゃあ「橋渡しの専門家」って、何をやるんだ、ということにもなるのですが・・・。
そもそも「科学」以外の分野であれば(野球でも歴史でも法律でも)「橋渡しの専門家」はどういうもので、何をするものなんでしょう?
by 北風Mk-2 (2011-12-10 14:17) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> ある種「真面目に」伝えようとすると、「科学とは『あっち側』のもの」というネガティブなメッセージ性を伴ってしまいがちになる。

これはどうでしょう。
基本的にはぼくたちは科学の成果やスポーツの情景を享受すればいいのであって。ただ、充分に享受するためには、それがどんな能力や鍛錬に支えられているのか、と云うことをいくらかでも理解する必要がある、と云うような話のようにも思います。

> それに精通した一流のプロの仕事にならざるをえないので、「橋渡しの専門家」には荷が重いようにも思います。

いや、だって運動選手出身じゃなくても有能なスポーツ・キャスターだっているわけじゃないですか。肝要な部分を見抜いて、それを伝える能力があればいいのでは、と思います。
で、それが簡単だって云っているわけじゃないのですが、少なくともそれはそれで伸ばしうる能力ですよね。水準に達していないとすれば、単純にそれは無能であるか、鍛錬が足りないか、あるいは必要な能力がなにかと云うことについて勘違いしているか、と云う話なんだと思います。
by pooh (2011-12-10 18:06) 

北風Mk-2

>基本的にはぼくたちは科学の成果やスポーツの情景を享受すればいいのであって。ただ、充分に享受するためには、それがどんな能力や鍛錬に支えられているのか、と云うことをいくらかでも理解する必要がある、と云うような話のようにも思います。

う~ん、「充分に享受するためには、それがどんな能力や鍛錬に支えられているのか、と云うことをいくらかでも理解する必要がある、と云うような話」で、「享受する側の視点」だけを伝えることを想定されておられるのであれば、下の私の意見はスジ違いですね。

ただ、「科学的な考え」とか「科学とは」ということを理解してもらうことが目的でもあるなら、これは、スポーツでいえば「情景を享受する」だけでなくて、「(レベルはひくくてもいいけど)プレイヤー視点で」理解してもらうことになる。

もっとも、「ふつうの人にとってその目に見えるもの(科学の成果物とかプロの選手のプレイとか)は遠くて難しい」ということがあっても、「科学とは『あっち側』のもの」というネガティブなメッセージ性を伴わずに上手く伝えられるならそれにこしたことはないですし、単に私の勘違いかもしれません。

>いや、だって運動選手出身じゃなくても有能なスポーツ・キャスターだっているわけじゃないですか。肝要な部分を見抜いて、それを伝える能力があればいいのでは、と思います。

これはその通りで「どういうレベルで何をどう伝える役割で、どういう能力が求められているか」ということだと思います。
「肝要な部分」を技術的なものに重きを置くなら「それを見抜いて、それを伝える」「橋渡し役」として、TV番組での「解説者」というのも「元」選手ですし、「入門書」を書くのも「元」選手だったり「科学者」だったりするわけです。
「肝要な部分を見抜いて、それを伝える能力」の「伝える能力」に重きをおけば、「漫画家」だったり「小説家」だったりする。

>水準に達していないとすれば、単純にそれは無能であるか、鍛錬が足りないか、あるいは必要な能力がなにかと云うことについて勘違いしているか、と云う話なんだと思います。

そういう話だと私も思います。
「どういう仕事に対して」、「必要な能力がなにかと云うことについて」や、「水準に達する」という部分についての、「科学コミュニケータのかたがた」について、私が知らないだけということあるのでしょうけど。
科学者の仕事として、「論文」であれば、審査や同業者の評価などテクニカルな部分で「水準に達しているか」が判断されうる。
「入門書」であれば、「誰向けにどういう内容をどういう表現で伝えているか」で「水準に達している」かが判断されるでしょう。
上で書いた「解説者」「漫画家」「小説家」、何かをわかりやすく伝えるにしても、それぞれ「水準」「必要な能力」があるわけで「科学コミュニケータのかたがた」にも当然。
by 北風Mk-2 (2011-12-10 21:09) 

pooh

> 北風Mk-2さん

> 「享受する側の視点」だけを伝えることを想定されておられるのであれば

ある意味、ぼくの云うことはいまのところ「プロフェッショナルのサービスを受ける側」からの意見、から動いていないですよ。立ち位置として。

> 「科学とは『あっち側』のもの」というネガティブなメッセージ性を伴わずに上手く伝えられるならそれにこしたことはないですし

いやだって、それが必要とされる能力なんだから、やってもらうしかないじゃないですか。その道のプロとして。
ただまぁ、そのメッセージを受ける側として、ぼんやり口を開けていてもちゃんと消化できるようなものが流し込まれてくるのを期待するのも怠惰だよなぁ、みたいにはさすがに思っていて。なので、あくまで受ける側として「咀嚼の努力ぐらいはしようよ」みたいなのもまた、訴えては来てるわけなんですけどね。

> 「科学コミュニケータのかたがた」について、私が知らないだけ

たぶんこう云う、ある種「通訳」的なひとにはいろんなレイヤーでの役割があって。異分野の最先端のアカデミシャン同士を通訳するようなひともいれば、通常は理解できないような水準の学術成果をぼくらみたいな市民(まぁ、御用市民かもしれませんが)が噛み砕けるようなところまで調理してくれるようなひとも、きっといて。
で、あとのほうのひとについて、もっとちゃんとしてよ、みたいに思う、みたいな話でした。だってぼくだって何年も素人なりにニセ科学について論じてきてるのに、ほんとうにそのへんで評価できるひとがいるんだったら、知らないのはへんですもん。コミュニケーションできてない、としか云いようがない。
by pooh (2011-12-11 04:31) 

北風Mk-2

>ある意味、ぼくの云うことはいまのところ「プロフェッショナルのサービスを受ける側」からの意見、から動いていないですよ。立ち位置として。

ここ私の書き方が悪かったですね。
そこの立ち位置は広いけどそこを動くということは想定していません。

ただ、「外国のホテル」にとまった場合でもいいけど、片言の言葉だけしゃべれてそれ以外あまり理解できていない状況でも「プロフェッショナルのサービスを受ける」ことはできるし、その立ち位置からの意見は言えるんですよね。

 ただ、実際は、上のような状態を脱してもらわないといけないし、上の状態でいかに楽しめるかなんてのを「科学とは」でやるわけじゃない。
「ニセ科学」の片棒を担いでもらっても困りますし、「科学」もある程度理解してもらわないといけない。
当然ながら、「稚拙でもいいからサービスを行ってミルとした場合の行う側」の考えを理解してもらうことになる、というだけ。

>だってぼくだって何年も素人なりにニセ科学について論じてきてるのに、ほんとうにそのへんで評価できるひとがいるんだったら、知らないのはへんですもん。コミュニケーションできてない、としか云いようがない。

これも同意です。
知らないのは変というか活躍しているはずというか。
そこらが見えてきていないのは、「もっとちゃんとしてよ」みたいに思うのだけども、能力に帰する以上の何かがあるのかな、とも思えてしまうという。

>ただまぁ、そのメッセージを受ける側として、ぼんやり口を開けていてもちゃんと消化できるようなものが流し込まれてくるのを期待するのも怠惰だよなぁ、みたいにはさすがに思っていて。なので、あくまで受ける側として「咀嚼の努力ぐらいはしようよ」みたいなのもまた、訴えては来てるわけなんですけどね。

いや、poohさんやkikulogとかやられておられるのは承知ですし、そこをどうこう言うつもりは全くないわけで。
ここも、例えば、自分で調べる「面白さ」とかに気づいている人たちなら、そもそも「科学とは」と分かりやすくやすく面白さから説く必要性は薄かったりするのかとも思います。
学校教育や身の回りの技術の「面白さ」を気づいていないのならいいのですが、「面白く」感じない層、面倒や苦痛に感じる層、といったところが対象になっているのであれば、「それが必要とされる能力なんだから、やってもらうしかないじゃないですか。その道のプロとして。」は同意なんだけど、学校教育のプロというか教師ですら手こずる点なので。
もう、この辺にいくと「そのメッセージを受ける側として」というところ、レベルが低い話になってしまうけども、「聞く気があるのか」「調べる気があるのか」いう対象とかそういう話になってしまうのかな・・・。
by 北風Mk-2 (2011-12-11 13:51) 

pooh

> 北風Mk-2さん

ちなみにぼくがkikulogにそれなりの頻度でコメントしていたりしたのはたぶん4、5年前くらいまでで、ここのところは年に多くても数回しか書き込んだりしてないですけどね(みんなあんまりそんな気しないんだろうなぁ、みたいなのはまぁわかる)。

> 「稚拙でもいいからサービスを行ってミルとした場合の行う側」の考えを理解してもらうことになる

あぁ、いやまぁここんところはわかってるつもりですけどね。

> 能力に帰する以上の何かがあるのかな、とも思えてしまう

そうも思うんですけどね。でも、じゃあいいや、ってなるかと云うとそれも違うかな、と。

> 学校教育のプロというか教師ですら手こずる点なので。

ここもまぁそうなんですけど、でもここについてはほんとにそうか、みたいな疑念もあります。ニセ科学の議論においてほんとうはとても重要なプレイヤーであるはずの教育関係者のプレゼンスが異常に低い、と云う感覚もありますので。
by pooh (2011-12-11 15:10) 

pooh

こっちのコメント欄でもうKataseさんにはさんざん云ったんで、もう改めては云わないけれども。
http://togetter.com/li/303171

やっぱり言動には気をつけないと。
(ところでこのまとめでもやっぱりコメント欄は閉じてるのね。一貫した姿勢だこと)
こう云うことにもなるわけなので。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/303171

まぁこう云う敵失を待ち受けて動く、みたいなのは、党派でくくって考えるひとたちにとっては自然なやりかたなので、逆に他者の行動も同種同根のものと考えがち、みたいなのはあるんだろうな。
http://twilog.org/tweets.cgi?id=A_laragi&word=%E8%A2%8B%E5%8F%A9%E3%81%8D
by pooh (2012-05-15 18:54) 

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ゆるがせにすべきではないこと(「科学との正しい付き合い方」内田麻理香)(Chromeplated Rat 2012-02-14 19:04)

へんな話だけど、この本を読まなきゃ、とはそれほど思っていなかった。 科学との正しい付き合い方 (DIS+COVERサイエンス)作者: 内田 麻理香出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン発売日: 2010/04/15メディア: 新書でも、ネット上でいくつかの書評を見て、ちょ…[続く]

コミュニケーション・マネジメント(Chromeplated Rat 2011-11-28 19:32)

コミュニケーション、と云うことばの意味はまぁ、相互に情報を提供しあい、受け取りあうこと、と云うことでそうは外れてはいないのだと思う。ただまぁ、そこにはそのコミュニケーションの目的、と云うのもたぶんあって。

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