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求心力低下「小沢王国」揺らぐ たもと分かつ議員続々

集団離党届の提出前日、岩手県入りしインタビューに答える小沢氏。右隣は新党入りを表明した達増知事=1日、県庁

 民主党を集団離党し、新党「国民の生活が第一」代表となった小沢一郎氏の地元・岩手県で、小沢氏の求心力が低下している。達増拓也知事は民主党を離党し、新党入りを表明したが、県選出の国会議員や県議らには「小沢離れ」が広がる。1993年の自民党離党以降、新生、新進、自由、民主の各党を率い、政界再編を主導してきた小沢氏。強い結束力で同氏を支えてきた「小沢王国」が揺らいでいる。

<異例の地元配慮>
 岩手県関係の民主党国会議員8人のうち、新党参加は5人、3人が民主党にとどまった。県議会の民主党会派(23人)のうち、新党同調者は10人と半数以下だった。
 王国のほころびの予兆は、小沢氏自身の行動にみられた。
 集団離党届の提出を翌日に控えた今月1日。小沢氏は岩手県庁で達増知事と会談し、「大きな理想と夢の実現に向け、共に力を携えていこう」と協力を呼び掛けた。
 その日の夜は盛岡市内のすし屋で、小沢氏系県議ら県連幹部と懇談し、離党と新党結成に向け結束を図った。
 政局絡みで決断する前に、小沢氏が地元にこうした配慮をするのは珍しい。新進党を解党し98年に自由党を結成する際は、小沢氏の秘書が県議全員を集め、入党届にサインを迫ったとされる。
 当時、新進党系会派22人のうち15人が自由党系会派に移行した。この時を経験した元県議は「強引な手法が許されるほど、小沢さんには勢いがあった」と振り返る。
 2009年衆院選で政権交代を実現し、さらに勢いを増した岩手の民主党は、批判的な首長たちに次々と対抗馬を立てて全面対決を仕掛けた。それが地域と県連内に禍根を残した。
 今回、小沢氏とたもとを分かった県議13人には、小沢氏に近い一部の県連幹部の強引な戦い方と平穏を望む地元との板挟みで悩んだ人も多い。「無用な政争の片棒を担がされてしまった」との声が漏れた。

<「説得力がない」>
 こうした不満は東日本大震災をきっかけに高まり、小沢氏のカリスマ性は徐々に崩れ始めていた。小沢氏が岩手の沿岸被災地を初めて訪れたのは、震災発生から約10カ月後のことし1月。住民からは「今ごろ来ても遅い」と冷ややかな声が上がった。
 「小沢氏に異論を唱えても許される雰囲気になってきた」。元新進党県議で自由党には加わらなかった田村正彦八幡平市長は今回の分裂劇をこう読み解く。民主党にとどまる県議たちは今、「王国から普通の県にしたい」と口をそろえる。
 「自民党を離党した93年は、55年体制や自民党政治を終わらせようという小沢氏の主張に説得力があった。今回は先立つ政策がない」と指摘するのは小沢氏の地盤・奥州選挙区選出の県議で、残留組リーダー格の渡辺幸貫氏。「『先生、これ(新党結成)は違うでしょう』と言いたい」
 民主党会派を離脱した小沢氏系の県議10人は近く新会派を結成する。最大会派から第3会派に転落するが、党県連で幹事長の要職にあった佐々木順一氏は「与党から野党になる時、最初は従う人が少ないものだ」と冷静を装っている。


2012年07月16日月曜日


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