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寝台「日本海」きょう最終

2012年03月16日

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25年間、「日本海」を運転してきた長谷川さん。「いつもやりがいを感じて、列車に乗ってきた」と語った=秋田駅

 40年余り青森―大阪間を走り続けてきたJRの寝台特急「日本海」が16日の運行を最後に姿を消す。修学旅行、就職、受験など、多くの乗客の思いを乗せ、鉄路を進んだ。しかし、利用者は減少。車体の老朽化もあって廃止が決まった。

 「日本海」は1968年に寝台特急として運行を始めた。青森―大阪間、1023キロを結んできたが、新幹線、飛行機、高速バスなど、他の交通手段の発達で、昨年の乗客量は10年前の4割に落ち込んでいた。16日のラストランは午後7時31分、青森発、秋田到着は午後10時28分、大阪駅には翌日午前10時27分に着く。大阪発は16日午後5時47分発で、秋田に翌日8時57分に到着する。切符は発売とほぼ同時に完売した。

 日本海の引退を特別な思いで見守る運転士がいる。長谷川義則さん(52)だ。この列車の運転士を25年間、務めてきた。

 「異常ありませんでした」。早朝の秋田駅。4番線に、長谷川さんの声が響く。白い手袋。交代の運転士に敬礼をし、乗務を終えた。睡眠中の乗客を起こさないよう、寝台車の運転は一層、揺れに気を使う。

 秋田運輸区では、一番のベテラン。旧国鉄で運転士をしていた18歳上の兄に憧れて79年に就職し、5年後に運転士となった。以来、秋田―青森、秋田―酒田で日本海を運転してきた。たくさんの乗客の命を預かる責任の重大さ。「腕一本で安全に運行することに責任と誇りを感じた」

 こんな出来事もあった。十数年前の夏、森岳駅から秋田に向かう中、台風の強風で線路に落ちた大量の木の葉でトラブルが起きた。スピードを上げると、くっついた葉で車輪が空回りする。速度をぎりぎりまで落とし、いつもは2、3分で通過する距離に30分近くかかった。踏切では遮断機が下りたままで車が通れず、長い渋滞ができていた。車の運転手たちは何か叫んでいる。怒声を覚悟したが、聞こえてきたのは声援だった。「がんばれ! 日本海」。思わず頭を下げた。

 日本海との別れを惜しむ。しかし、経験を引き継ごうと若手の指導にあたっている。列車の運転は繊細だ。ブレーキや加速のタイミングは、乗客量や天候、地形の勾配などで、一つひとつ異なる。同じ状況はない。失敗談も隠さずに話す。「安全を守る大変さを知ってもらいたいから」

 多くの観光客に楽しみを与えてきた日本海を安全に運行できたことに、誇りを感じている。管理職になった仲間もいるが、退職まで運転士にこだわりたいと思う。「車両は引退するが、日本海からもらった財産は引き継いでいく」(松崎敏朗)

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