日米貿易摩擦

 

1、経過
 第二次大戦後、日本経済が国際競争力を回復するつれ、日本からアメリカへの輸出が増加しはじめた。日本の輸出は「集中豪雨的輸出」ともいわれ、相手国の産業に大きなダメージを与える。そのため貿易問題は政治問題化し、日米貿易摩擦とよばれるようになった。

                                日米貿易摩擦年表

年代 事項  
1950年代 繊維製品摩擦  軽工業
1960年代 鉄鋼摩擦 重工業
1970年代 カラーテレビ摩擦
自動車摩擦
日本、大規模小売店舗法施行(1974年)
ハイテク産業
1980年代 半導体摩擦
プラザ合意(1985年)
牛肉・オレンジ自由化実施(1988年)
米国、包括通商法(スーパー301条)制定(1988年)
日米構造協議開始(1989年)
1990年代 日米包括経済協議(1993年)
2000年代 日本、大規模小売店舗法廃止(2000年)

 まず最初に槍玉にあがったのは、1960年代初頭の「繊維」であった。日本からの輸出によって繊維産業が打撃を受けたアメリカは、日本に輸出規制を求めてきた。政府間で調整が行なわれた結果、1972年の沖縄返還の見返りとして、日本は輸出を自主規制することで決着した。日本は「糸」を売って「縄」を買った、といわれたものである。
 1970年代になると鉄鋼・カラーテレビの輸出が問題となり、さらに1980年代には自動車・半導体・VTRなどが問題となった。

 国際貿易は麻雀と同じで、ゼロ・サムゲームである。誰かが沈めば(=赤字になれば)、誰かが浮く(=黒字になる)。2006年の日米間の貿易は、日本からの輸出が約17兆円、輸入が約8兆円であった。したがって、日本の貿易黒字は約 9兆円になる。2006年のアメリカの貿易収支の赤字が約8300億ドル(約90兆円)であるから、アメリカの貿易赤字のほぼ1割を日本からの輸出が占める計算になる。
  
↑80年代に入って黒字幅が拡大した。  ↑貿易赤字は基軸通貨国の特権?

 

2、ドルの垂れ流し
 アメリカの貿易収支は1971年に80年ぶりに赤字になって以来、毎年赤字を続けている。特に近年はひどく、 2006年は90兆円の貿易赤字であった。普通の国だったらたちどころに外貨が底をつき、貿易黒字に転換させるための努力が必要となる。
 ところがアメリカの場合、輪転機を回せばいくらでもドル紙幣を印刷することができる。しかもそのドル紙幣を世界中の人が欲しがっており、アメリカはドルという紙切れと交換に、ほしいものをいくらでも手に入れることができるのである。これは、みなさんの家にある カラープリンターで、いくらでも1万円札を印刷できることと同じである。
 1971年に「金・ドル交換停止」がなされて以来、アメリカには貿易を黒字にしようという誘因が働かなくなってしまった。その結果、ドルの垂れ流しが続き、そのことは当分止まりそうにない。ホワイトハウスから1キロメートルほど行ったところに、ドルの印刷所がある。現在印刷されているドル紙幣の半分以上は、海外で流通すると言われている。


3、貿易摩擦の原因
 日米貿易摩擦の背景には、ドルを印刷できる権限がアメリカだけにあり、アメリカは国際収支を気にすることなく貿易できるという点があげられる。しかし、より直接的な原因が日米双方にあることも確かである。以下、日米貿易摩擦の原因について考察する。
 (注) なお、国際経済は国内における基本的なマクロ理論の理解を前提とするためたいへん難しい。もし、以下の説明が理解できない人はもう一度マクロ理論の基礎をしっかり勉強しなおしてほしい。

(アメリカ側の要因)
 そもそも今日のアメリカの貿易赤字の発端となったのが、1981年のレーガン大統領の政策である。彼は「減税をすればかえって増収になる」というラッファー教授の提案を受け入れ、総額70兆円に及ぶ大減税を行な う一方で、強いアメリカを作るために軍事費を増額した。その結果、アメリカの財政はたちまち歳入不足に陥り、巨額の財政赤字が発生してしまった。さらに悪いことに、創出された有効需要のために貿易まで赤字になってしまった。財政赤字と貿易赤字、いわゆる「双子の赤字」の発生である。これは、理論的には

     Y=C+I+G+(X−M)

     ただし、Y=総供給、C=消費、I=投資、G=政府支出、
          X=輸出、M=輸入

 において、 「減税によりCが増大し、財政赤字によってGも増大した結果、それらを相殺するためにMが増大せざるをえなかった」と説明できる。したがって、アメリカの貿易赤字の根本原因は、アメリカ自身の財政赤字にあると結論できる。金の裏付けのないドルや国債で赤字を埋め合わせることを可能にしているのは、言うまでもなくアメリカの軍事力である。


(日本側の要因)
 もちろん、日本側にも非がないわけではない。日本人の行動の特徴の一つとして、「貯蓄率が高い」ことがあげられる。ところが、貯蓄をするという行為は、逆に言えば消費をしないということでもある。その結果、日本国内で有効需要の不足が生じ、商品があまり売れなくなる。加えて政府が財政再建政策をとると、国内で行き場を失った日本商品に輸出ドライブがかかり、これが貿易黒字を一層拡大させてしまう。
 すなわち
  Y=C+I+G+(X−M)
において、C、Gの不足(=内需の不足)分を、X(=輸出)の増加によって補う
ことになるのである。

 しかも、貿易で稼いだ資金でアメリカの国債や株式を購入し、アメリカに還流させるため、アメリカ経済には何の問題も生じない。それどころか、アメリカに流れこんだ資金がアメリカの株価を引き上げ、それが資産効果を生み出し、いっそうの過剰消費をもたらしている。悪循環である。今やアメリカは世界最大の借金国で ある。

 以上をまとめると、日米貿易摩擦の原因は次の二つであると言えよう。
  @
アメリカ自身の過剰消費
  A日本の内需不足

 私は二つの原因のうち、@ のアメリカ自身の責任のほうが大きいと思うのだが、中にはAの日本の内需不足とフィフティ・フィフティという人もいる。

 


4、貿易摩擦に対する対応
 日米貿易摩擦の解決のためには、日米双方に努力する余地がある。しかし、アメリカは自らの非を認めず、貿易赤字の原因は日本にあると一方的に主張して、その解決のためにさまざまな無理難題を押しつけてきている。安全保障という一番重要な問題をアメリカに依存している現状では、日本は言いたいことも言えないのかもしれない。これまで、 採られてきた対応は次の通りである。

(1)輸出の自主規制
   日本はこれまで繊維、鉄鋼、カラーテレビ、自動車などで自主規制を行ってきた。

(2)円高誘導(1985年)
 1985年のプラザ合意でドル高是正(=円高誘導)が実施され、日本からの輸出にブレーキをかけようとした。1ドル=240円だった為替レートは、その後2年あまりの間に1ドル=120円になってしまった。これで輸出は止まるはずだったが・・・(→日米構造協議)

(3)日本の内需拡大
 
日本の輸出が増える背景には、日本国内の内需不足があるとして、政府は公定歩合を2、5%まで引き下げ、未曾有の金融緩和政策をとった。しかし、その結果「バブル」が発生してしまった。

(3)現地生産の展開
 プラザ合意後、日本の自動車メーカーはアメリカでの現地生産・販売を本格的に始めた。そうすれば貿易統計上、日本の輸出は増えない。1993年、ついに現地生産台数が輸出台数を上回るようになった。

(4)スーパー301条による報復措置(1988年)
  アメリカは、1988年に包括通商・競争力強化法を成立させ、その301条には「不公正な貿易慣行によりアメリカの産業が損害を被った場合、適切な報復措置をとることができる」とした。これは事実上日本を狙い撃ちしたものであったが、WTO違反という指摘もなされた。

(5)日米構造協議(1989年)
  プラザ合意後の円高でも、日本企業は乾いたぞうきんをさらに絞るような努力を重ね輸出を増やしていった。これに業を煮やしたアメリカは、貿易摩擦対策の第2弾として日本の系列取引や、建設業界の入札などの閉鎖的な市場の開放を求めてきた。

(6)日米包括経済協議(1993年) 
 日米構造協議は1993年からは日米包括経済協議と改められ、より一層の規制緩和や市場開放を迫るようになった。1993年のウルグアイラウンドでは、ついにコメの部分開放が始まったほか、2000年には大規模小売店舗法(大店法)が廃止 された。日本の経常収支黒字削減とアメリカの財政赤字削減というマクロ経済の協議がなされたほか、政府調達、自動車、半導体など分野別協議も行われた。
 

 そのほか、労働時間の短縮や、学校の週5日制導入なども、そもそもは貿易摩擦対策として出てきたことも知っておくべきであろう。


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