『東大オタク学講座』1997年9月26日版 ン1997.Toshio Okada
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第十二講

愛と誠の変態講座


唐沢俊一氏は、ぼくのモノカキとしての師匠だ。と言っても、弟子入りしたわけではなく、僕が勝手に決めているだけだ。「と学会」という「とんでもない本ばかりを研究するサークル」で初めて唐沢さんに会って、いろいろ話しているうちに、「よし僕も、唐沢さんみたいなかっこいいモノカキになってみよう」と思ったのが、この仕事に手を染めるきっかけだった。

 初めて書いた本も、最初は唐沢さんにネタを話して、「おもしろい」と言ってもらえたから、安心して書くことができたのだ。いまだにモノカキ業界の常識など、分からないことは、電話や通信で教えを乞うことがある。

 唐沢俊一さんは、本当の意味での趣味人だ。僕の趣味は、特撮、まんが、アニメにおもちゃと、オタク的ジャンルに集中している。が、唐沢さんの趣味は、そういったものも含まれるが、もっと幅広く、もっとヘンだ。古書古本、ゲイ、占い師業界、薬品、地下芸人、少女小説、一行知識、レディス・コミック、メキシコ映画……。しかもそれぞれの分野で、超一流の知識を持っていらっしゃる。

 この豊富な知識の中から「ヘンなセックス」という話題に絞って、お話をしてもらおうと考えた。

 ホモやレズが「ヘンなセックス」と考えるのは、素人だ。「ヘンな相手」では、まず獣姦、豚とのセックス。これが、初歩の初歩だ。イヤだなぁ。

 いわゆるSMプレイが「ヘンなセックス」と考えるのもアマチュアだ。「ヘンな方法」では、全身三〇〇〇ヵ所に針を刺す。これも、初歩だそうだ。

 最初僕は、「ヘンなセックス」を見ることで、人間の奥深さを知るのも、良い子の東大生諸君には貴重な経験だろうと考えていた。が、唐沢さんの話は最初から容赦がなかった。東大生は引きまくる。終いには僕も、唐沢さんの話やビデオから目を背けてしまった。根性なしである。反省している。

 途中で逃げる学生が続出。本ゼミ始まって以来の、カルトな講義になってしまった。

 

変態進化論

岡田 講義に集まった皆さんに言っときますけど、唐沢さんは別に変なセックス評論家ではありませんよ。まあお友達には変な人がいたりするんですが(笑)。唐沢さんは、少し前までなら「カルト」と呼ばれていたようなジャンル、最近ではスカムとかトラッシュとかいったサブカル用語でくくられるノリの分野を専門としている方です。それで今回は唐沢さんが研究しているジャンルの中で話題を「セックスの多様性」に絞り、できるだけ具体的にお話ししていただきますけど、覚悟しといてくださいね、結構キツくなりそうですから(笑)。

唐沢 『トンデモ超・変・態・系』という本を監修して出したんですが、これは『The Encyclopedia of Unusual Sex Practices』って本(ブレンダ・ラヴ著)の翻訳です。全体の約三分の二程度の抄訳なんですが、まずめぼしい項目はほとんど入れました。

岡田 直訳すると『へんてこセックス大辞典』かな? 内容はどういう……っていうか、タイトルだけで想像がつきそうな。

唐沢 ええ、人間のセックスにおける極限とはどこにあるのか、人の性欲はどれほど多様化するのかというテーマで七〇〇種類もの性行為についてまとめているんですが、最初は笑いながら読んでいられるものの、延々読んでいるうちになんか顔が凍り付いてくるんですよ。

岡田 その中のいくつかが和訳で説明されてますけど、たとえばこの「包皮切除」ってやつ、お金払って皮切ってもらって満足ってのは、なんだか形成外科を新手の風俗とカンちがいしてるんじゃないかって感じですよね(笑)。

唐沢 包茎手術の場合は必要にせまられて切るわけじゃないですか。それは変態じゃないんですよ。必要もないのに包皮を切除することにこそ変態性があるわけです。つまりはここがポイントなんですよ。本来はそんなこと別に必要ないし、そんなヘンなことやらなくたって快楽は得られるはずなのに、それをやらないと満足できない。そういう人々がいるわけですね。で、そういった「特殊な性的嗜好」を七〇〇項目も並べることによってなにが浮かび上がってくるかというと、人間なんてみんな変態じゃないかって結論なんです(笑)。辞典形式だからこの本自体では結論は述べられてませんけど、読んでるうちに出てくる結論として、そうとしか思えなくなってくる。たとえば皆さんがよくやってる正常位ってのがありますよね。この正常位って体位は動物界からみてものすごい変態行為なんです。ふつうはバックですよね。向かい合わせって、ごくごく少数派なんですよ。イモリの黒焼きが精力増強の薬に用いられるのも、水中で腹と腹を向かい合わせて、人間と同じように正常位で交尾する動物だからなんです。人間と同じ形でセックスするからそれにあやかろうって発想ですね。

岡田 バテレンの宣教師が日本に来たとき、「この国は文明化されていない」と言ったそうですね。どいつもこいつも後背位でやってるだなんて未開の地みたいだって。

唐沢 それ、たぶん安土桃山文化の爛熟期じゃなかったのかな。その時期の日本では変態セックスが流≦は≧行≦や≧ってたんですよ。

岡田 あっ、すると江戸時代以前は日本人も正常位だったんですか?

唐沢 いや、文献に残るもっとも最初のセックスは後背位です。日本神話にはイザナギ、イザナミの両神が後背位で性交したってくだりがあるんです。イザナギ、イザナミの夫婦神は最初、セックスの仕方を知らなかったんです。これから子供を作ろうと思ったのにやり方が分からなくて悩んでると、そこへ神様の使いであるセキレイがやってきて、こうやるんだよと教えてくれたんですね。ところがセキレイが教えたもんだから、雄が雌に後ろから乗っかるという後背位だったんです。

岡田 あ、セキレイもバックなんすか。

唐沢 小鳥ってふつうバックですよ。鳥の正常位なんて見たことないでしょ(爆笑)。

岡田 ……うん……見たことない。

唐沢 そのせいかあらぬか、セキレイって漢字で書くと鶺鴒、セナカって字をあてますね。教師がセキレイだったせいで、日本神話上初めての夫婦であるイザナギ、イザナミはずっと後背位だったんです。これは江戸川柳にもなってるんですよ。

 鶺鴒も 一度教えて 呆れ果て

 というの(爆笑)。まあそれはともかく、動物学者のデスモンド・モリスは、正常位のおかげでヒトはサルから進化できたんだと唱えているんです。高崎山や上野動物園では、飼育係が冗談で教え込んだのか正常位で交尾するサルがいるんですけど、一度覚えるともう、すごい夢中になってやるというんですよ。相手と顔を見合わせてお互いの興奮を確認するというのは、それくらい革命的な変態行為だったんですね。その興奮を覚え、快感を得ることへの欲求を得たがために大脳新皮質が進化したと。これがモリスの説です。『二〇〇一年宇宙の旅』の冒頭で、モノリスに触ったサルが進化を遂げますよね。本当はあのモノリスの表面にはでっかく「正常位」って書いてあったんです(大爆笑&拍手の嵐)。じゃあ高崎山のサルに変態行為を教え込めば大脳皮質が進化して人間になれるかっていうと、これ、ならないんですね。やっぱり本能を揺るがすところまでいかないせいか、しばらくすると普通の後背位に戻っちゃうんですよ。つまりサルたちにとっては、人間が教えた正常位という代物はあくまでも遊び、プレイなんです。遊びとしての意味しかなくて、本来の「プレイ」ではない「セックス=生殖行為」はやはり後背位以外にないんです。だけど人間だけは正常位を捨てなかったわけで、これはつまり、人間はもともと変態行為が好きな動物なんです。それで「もっと他の変態行為を」って探し求めてるうちに脳みそが大きくなってしまったと。

 

それ……ほんとに気持ちいいの?

岡田 『へんてこセックス大辞典』で紹介されてる変態プレイの中でも、いわゆるフェチ系のものはまだ理解の範疇というか、ある程度社会に認められつつありますよね、デブ専に走る奴とか、靴フェチとか制服フェチとか、包帯フェチで綾波レイに転ぶ奴とか(笑)。

唐沢 包帯フェチの中でもコアなのが「ミイラ化プレイ」というものでして(笑)。ボンデージというのは拘束っぽいもの全体を指すんですけど、わりとセオリーになってるとこでは性器やアヌス、乳首をさらしたままにして、道具は包帯やハサミ、吊るし用のフック、鎖、パニックスナップ、頭部用ベルト、ギャグ(ボール状の猿ぐつわ)などが使用されます。ミイラ化プレイではこれを徹底的に推し進めて、全身を完全にラッピングしてしまうんですよ。布やら皮革やらでグルグル巻きにされて天井からぶーらぶーら揺れてる状態を楽しむそうなんですけど、なんだか楽しそうですね(笑)。もっとハードなのだと、「串刺しプレイ」ってのがあります。これの実況テープがあるんですが、「トントントン」って大工が犬小屋建てるような音がしてですね、それにかぶさって世にも痛そうな悲鳴が聞こえてくるんです。

岡田 聞かせてもらいましたけど俺、あんな痛そうな声、これまで聞いたことなかったっすよ。

唐沢 これで痛がらない奴がいたら友達になりたくないですよ。それでこのプレイに関してはちゃんと注意事項が書いてあります。「ピアッシングで用いるような殺菌を行うべきである。木まで貫通している釘や針の先端は、皮膚から引き抜く前にアルコール消毒する必要がある。これは出血をともなうプレイなので安全な性行為とは考えられない」。この本、ほとんどの行為にこういった注意書きがあるんですよ。でないとこれを実践する奴が出てきちゃいますから。当然本のトップにも「すべての行為は自分の責任下において行うこと」と断りが入ってるんですが、読んでるうちにだんだん、そのリスクを背負ってまでもやりたいって欲求はなんなんだろうというのが見えてきますよ。次は痛くないのを紹介しましょうか。「肥満女性愛好」。

岡田 ブハハハハハハハハハハハハハハッ!

唐沢 ただのデブ好きですね。だけどその太り具合ってのがそんじょそこらのデブとは比較になりません。岡田さんが痩せて見えるくらいの破壊力です(笑)。

岡田 そうな顔してる人もいるけど、誰もまだ席を立とうとしませんね、すごい。

唐沢 まあまだまだ甘いネタばかりですから。

岡田 これで甘いんですか……はぁ。

唐沢 つかんだところでそろそろかな。はい、次はこれ、「嗜糞症」といって、ウンコ好きですね。この人たちはどういうことやるかっていうと、図を見てください。こういうふうに……(会場、爆笑の渦)。

岡田 うわっ! これすごい! なんですかこれ。ガラステーブルの上でウンコしてるの

唐沢 そうそう。本来は直接ぶっかけるんですが、最近はエイズ問題があるんで、このようにガラステーブルの下に潜り込んで、上に乗った女の子にウンコしてもらうようなのがポピュラーらしいんですよ。もう肛門の開く瞬間までばっちりって感じで、イラストは古屋兎丸さんなんですが、この男がまたいい表情してるでしょう(笑)。……岡田さん、なんか顔が凍り付いてますけど。

岡田 あ、いやちょっと。これセックスなんでしょ? 性的興奮なんすよね。お笑いじゃないんでしょ?(笑)

唐沢 あとすごいのが「皮革嗜好」、いわゆる皮フェチですね。単に革ジャン着たお姉ちゃんがいいとかピンヒールで膝上までのブーツがたまらないとかってレベルならまだマシな方なんですけど、エド・ゲインみたいなレベルにまで達してしまうとちょっと。

岡田 エド・ゲインは皮革だけじゃなくていろんな部位をムダなく利用してましたよね。それでフェチの次が、道具などを使用しないナチュラルな……というか(笑)。変わった性交・快感会得のための身体的技術なんですけど、このうち「健康な男子なら一度は考えたことがあるだろう」ってのがこの「オートフェラチオ」。オートというのは「セルフ」と同義であると捕らえていいのかな。これ、ほんとにできるんですか? もし可能なら日本中の男子中学生に生きる希望を与えられるんですけど(笑)。

唐沢 実はできるんですよ。ビデオで白人が実演してるのをこの目で見ました。

岡田 俺、やったけどできませんでしたよ。

唐沢 そりゃ岡田さんは無理でしょう(爆笑)。でもね、そのビデオがまた感動的なんですよ。本気で「皆さんにお見せしたい」と思うくらい。人間やる気になればなんだって可能なんだという感動がありますよね。ただしオートフェラチオって射精できないんです。イク瞬間は体がピッと反り返りますから構造的に無理らしいんですけどね。だからもしやりたいなら、イク瞬間ぱっと逆立ちしてオート顔射しなくちゃならない(爆笑)。

岡田 世の中不毛だなあ。講義聴いてる皆さんも、もしよかったら御自宅の風呂場でどうぞ。銭湯でやると大問題ですが(爆笑)。

唐沢 さて、次は「聖物愛好」いってみましょうか。

岡田 マリア像とかならコケシ代わりに使えそうですけど、日本じゃあまりないですね、こういうのは。これもフェチなんですか?

唐沢 うーん、むしろシチュエーション系ってとこじゃないですかね。ほら、十字架やマリア像などのキリスト教的アイテムって、単なるモノを超えた強い意味性がありますから。聖物愛好が誕生する元となったのは、一七〜二〇世紀初頭、ことに一九世紀ヨーロッパのキリスト教社会にあった、厳格な宗教的道徳観なんです。抑えつける力があまりにも強かったんで、その反動として「聖なるモノを思いっきり冒涜したい。ああ、なんて淫らなことなんだろうか」という解放感を求めるようになったんでしょうね。これを日本に置き換えると官僚やエリートビジネスマンが幼児プレイやおむつプレイにハマるということになる(笑)。いや真面目な話。あれもストレスからの解放ですからね。責任感とか地位とかの「エリートとしての誇りを」というプレッシャーと宗教的道徳感が入れ替わっただけです。

岡田 この講義に集まった東大生の皆さんも、そのうち何人かはそういうプレイにハマるのかなあ(笑)。

唐沢 若いうちから周囲の期待でプレッシャーかけられてますからねえ。その反動で、責任もなにも問われない赤ん坊の頃に戻りたいって願望が。ただし、幼児・おむつプレイに限ったことではないんですが、この手のものはたとえ興奮しても絶対にセックス=本番はしないというのが王道なんです。やっちゃったら邪道なんですよ。

岡田 やれなくてもいい、この状況が至福なんだという。

唐沢 そうそう。完全にイっちゃってるシチュエーション系プレイの中でもとくに壊れてるのが「放置プレイ」でしょうね(笑)。本人は縛られてただ部屋の隅に転がされてるだけ。それで女王様はというと、部屋の中でラーメン食べてたりするんですよ。「ああっ! 僕ってば女王様から完全に忘れ去られてる。このミジメさが最高!」って(笑)。つまり「なにかされる」というマゾヒズムではなく、「なにもしてもらえない」マゾヒズムなんですよね。

 

解放のための変態、束縛のための変態

岡田 そうしてみると、変態度ってのは束縛への反発力が強いほど高まるんでしょうか。

唐沢 束縛から解放され、自分の殻を打ち破る快感というのはたしかに強いものですし、その快感を得たいがために日夜変態修行を積んでる人々がいるわけですが、その逆に束縛を目的とした結果生まれてしまった変態性や、あるいは性的な多様性=自由をめざした結果、なぜか自分を束縛したいという方向へ向かう場合もあります。これは……うーん、「鎖淫」とでも呼ぶべきなのかな。

岡田 たとえばこれですか? ヴァギナを縫いつけちゃうってやつ。

唐沢 これは未開社会で行われていた一種の貞操帯なんです。ここに説明が書いてありますけど、女性が妊娠したら他の男とセックスできないようにヴァギナを縫い合わせちゃうってやつですね。ただ、これをマゾヒズムとして行う場合、男性からの支配という形ではなく、女性自身による女性否定という形になるんですよ。

岡田 というと。

唐沢 「自分は女性である」ということそのものを、ヴァギナを縫い閉じることで封印してしまうんです。「ヴァギナなんて性交と出産のためだけの器官じゃないか、この穴ぼこが私を女性として規定し、縛りつけている。だからこいつを否定してやるんだ」って心理ですよね。

岡田 その時代その土地の文化に左右されるところが大きいんだなあ。ストレスの大きさや質も文化によって変わりますものね。

唐沢 歴史をひもとくと、日本では大正一〇〜一五年にかけてもこういう変態セックスが流行っています。たとえば今回資料として持ってきたのはこれ、大正一五年頃の『ぐろてすく』という、日本で初めて大々的に売れた変態エロ雑誌。エロではあるんですけど猟奇性も全面に打ち出した構成になっていて、目次を見ると「世界残虐刑罰史」とか「支の泥棒市場」とか「近世詐欺捕物講」とか、犯罪系の企画がブームであったということがうかがえますね。この頃の時代は変態と猟奇の全盛期だったんですけれども、日本がだんだん戦争へと向かっていって、変態どころじゃなくなってしまったんです。日本史上最大の抑圧時代ですね。その抑圧が一気に弾けたのが第二次大戦後なんですよ。カストリ雑誌というのが流行り出しまして、これはズバリ猟奇がテーマです。軍国主義の抑圧から解放されて、変なセックスへの欲求が吹き出したんですね。ちょっと後の方の時期ですけど、ここに昭和二八年発行の『風俗草子』という本がありますんで見てみましょうか。

岡田 あ、見ます見ます。

唐沢 怪奇幻想っぽいテイストで、頭から終わりまでアブノーマルな特集ばかりです。これ見てもらえますか?(巻頭カラーイラストを開く)いきなり女が縛られてますよね。これを描いてる中川彩子って人がほんといい味出してるんですよ。トンデモ系のSMばかりでして、はるか雲の彼方まで届くような高ーい柱に女が磔≦はりつけ≧になってるとか(笑)。もっとすごい作品だと、デパートが並んでてその屋上のすべてに、アドバルーンにくくりつけられた裸の女が浮かんでるとかいうのがあって、そういうわけわかんないのをいっぱい描いてる人です。この女の人は(笑)。

岡田 こっちの特集は、これ、SM指導ですか?

唐沢 「異性六態」ですね。このお爺さんは伊藤晴雨という、日本の責め縛り絵の第一人者です。陵辱の構図とかいって、「これ、こうするのじゃ」なんて指導してるんですが、いい表情でしょう、このお爺ちゃんがまた(笑)。

岡田 こいつ嬉しそうだなあ(笑)。

唐沢 他の企画もこんなのばかりですよ。「臀部マニアの告白」とか、「剃刀マニア」とか「獣の部屋」とか「変態性欲者はこんな殺人をする」、「どんな男がマゾヒストか」、あとこの企画もいいですね。「ソドミー大座談会」と銘打って新宿のオカマを大勢集めての座談会組んでます。

岡田 その時代はホモをソドミーって呼んだんですね。ソドミーって語源はあれですか、聖書に出てくるソドムとゴモラという街の名前……。

唐沢 そうそう、背徳の都ですよ。この街があんまり堕落してたものだから使者がよこされて「そんなことやってると街が滅びちゃうぞ」って警告があったんですけど、マズいことにその使者が美少年だった(笑)。そんな可愛い男の子を差し出されてソドムの連中が黙ってるわけなくて、「滅びちゃったっていいからさあ、君、ちょっとお尻貸してくんない?」とぬかし、それで全滅(爆笑)。

岡田 聖書ってそんな話多いですよね。あれは旧約聖書だったかな。聖人かなんかが逃げてきたんで家にかくまったら、追っ手が押しかけて「おいこら、ここに逃げ込んだ奴をよこさんか」と脅したんですけど、家の住人は「そんな奴知りませんよお。それより旦、うちにゃあ娘が二人いるんですがどっちも生≦きむ≧娘≦すめ≧ですぜ。好きにしちゃっていいっすから」と……。それで追っ手たちが娘をやっちゃってる隙に「聖人様、さあお逃げください」(笑)。ひどい話だよなあ。

唐沢 ほんとに聖書は、ねえ(笑)。オナニーの語源も聖書中の登場人物・オナンなんですよ。これは元来「自慰」を指す言葉ではなく、生殖に結びつかない性行為すべてを指しているんです。これらの物語が成立した当時は、厳しい自然に耐えて民族を発展させようという社会風潮がバックにあったんで、とにかく子孫を産み増やさなくてはならなかったんです。一滴たりとも精液をムダにしてはならなかったんですよ。兄が死んだら弟がその妻を譲り受けて再婚しなければならないとか、そういう社会ルールがあったんです。SMや同性愛、アナルセックスなどのすべてが、生殖せず大地に精液をこぼした「オナンの罪」だったんですね。

岡田 だからこそ生殖を聖なる行為とみなしたわけね。

唐沢 その神聖視があまりに過剰化した結果、セックスから生殖以外のファクターをすべて排除しなければならないってところまで突っ走ってしまったんです。これを突き詰めていくと「精液を女性器内に出す」という部分しか残りませんでしょ? 厳しい禁欲期であったビクトリア朝時代なんて、お互い頭から袋をかぶって性器だけを露出させ、正常位オンリーで感じてもいけないってノリだったそうですよ。

岡田 なんだかマヌケな姿だなあ(笑)。しかし、そこまで抑圧すると反動が恐いような。ハジける要因ってのはあったんですか?

唐沢 やはりキリスト教権威の失墜というのが要因でしょう。とくに、文化人類学による影響がすごく大きい。それまでは、文化の頂点に白人によるキリスト教社会があるんだと考えられていたんです。つまり、どんな未開社会であってもいずれは西洋的、キリスト教的な社会に進化するはずだという文明論ですよね。それで宣教師たちによる布教活動が盛んだったんです。ところがマリノフスキーっていう人が「これはどうもちがうらしい」と唱え出したんですよ。どうも文化・文明というのはそこだけで閉じているらしい。ペニスケースぶら下げてヤリ持ってる連中がいくら進歩しても、キリスト教的なものにはならず、かれらなりの発展を遂げるんじゃないかっていうのが彼の主張です。彼は異文化における法律や刑罰、タブーの研究をしているうちに、かれらの風俗に強い興味を抱きまして、その研究成果を『未開人の性生活』という本にまとめたんです。これを読んだときの西洋人のカルチャーショックといったら、それはもうすごいものだったでしょう。これまで格下の未開人だと思ってた連中が、キリスト教に縛られてる自分たちよりもはるかに豊かな性生活を営んでいたんですから。「俺たちはいままでなんてつまらないセックスをしてたんだろう」って感じですよ。夫婦が寝室を共にするどころか、ベッドの中で会話することすらタブー視されていたんですから。

岡田 良識ある市民や貴族はキリスト教の道徳感に従って禁欲的でお上品なセックスをしなければならなかったという……。

唐沢 厳格に育てられた人の方が、いざハジけたときの暴走ぶりはすごいですからね。未開人たちの性生活をまねてみたら、これまでとは比較にならないくらい気持ちよかった。それでもっと興奮するセックスへの欲求が高まってきたんです。わざわざ足を運んで「君らのセックスを見学させてくれ」なんていう連中まで出てきて、いろんな情報が入ってくるようになったんですよ。時代はちがいますけど、日本でも清水正二郎という人が『世界の性生活』という本を書いています。清水さんは後の胡桃沢耕史さん。この人、清水正二郎の名前でセックス記事ばかり書いていたんですよ。

岡田 『世界の性生活』ってインパクトあるタイトルだなあ。コピーがついてますね。「自由なセックスを実現するために」。

唐沢 この本が受け入れられたのにも歴史的・社会的な背景があるんです。当時はまだ「戦後」というものを引きずっていて、物に対しても精神的な楽しみに対しても国民みんなが飢えていたんですね。戦争で飢え切っていたところへ新しいものがたくさん入ってきて、みんながそれを貪欲に吸収していた、と。そして外から入ってきたものの中にはセックスもあったんです。中国大陸とかに赴いた軍人たちが現地の売春婦や慰安婦と関係して、日本とはちょっと異なったセックスを覚えてきたわけでしょう。そういうものが輸入されて、これまではデカダン趣味人のものであった「変わったセックス=変態的なもの」の愛好者が一気に増えたんです。

岡田 選択肢に幅が出て、変態に磨きがかかったわけね。

唐沢 ええ。ただし幅が広がりすぎると当然飽きがきますよね。「なんかありきたりの変態じゃあもう満足できないなあ。もっと興奮すること、変わったことってないのかなあ」という暴走が始まって、その果てに「まてよ。セックスしないで人を好きになるのって結構興奮するかも」なんて考える奴も出てくるわけですよ(大笑)。

岡田 じゃあ、純愛とかプラトニックな関係というのは変態行為の最果てみたいなものなんですか?

唐沢 「好きになったり欲情したりしてセックスする」というのが普通ですから、セックスしないっていうのは一種の変態行為。さっきの放置プレイに近いんですよ。だから『愛と誠』みたいな純愛というのは、本当は放置プレイなんです(爆笑)。

岡田 「清く正しい関係でいようね。ああ、なんてたまらないんだろう」って(笑)。もどかしさが二人をより燃え上がらせるという。

唐沢 ほんとはセックスしたくてたまらないんだけど、あえてそれを抑圧するというね。『愛と誠』ってほんと、変態ですよ。

岡田 突っ走ってるなあ。いいわあ(笑)。そういうのって流行のサイクルみたいなものがあるんですか? 数年ごとに繰り返されるレトロブームみたいな。いまはコアなマニア層の間で『GON!』とか『危ない1号』とかのディープな鬼畜本が流行っていますけど……。

唐沢 それもまた一つの流れでしかありませんから。次にくる流れはたぶん純愛ですよ。純愛とかヒューマニズム、感動モノなど、泣ける系統のものがブレイクするというのが大方での予想です。その前にライト系というか、セックスも変態もオシャレのひとつとして軽く取り込んじゃう、そういうムーヴメントが来るかも。一部でもうこれは出始めてますね。

 

 

豊かな人生がほしければやっぱり変態にならなきゃ

岡田 変態先進国のアメリカだと、いまはどういうムーヴメントがあります?

唐沢 いま一番ノッているのは、ピアッシングやタトゥーなどの肉体改造・変形系の変態ですね。そうだ、タトゥーやスキンアートの分野で笑える流行があるんですよ。これまでのアメリカン・タトゥーに加えて民族系のトライバル・タトゥーやらなにやらと新しいものがいろいろ出てきてるでしょう。その中にジャパニメーションもののタトゥーがあるんです。背中一杯にヤクザ風のクリカラモンモンを入れてて、でもその中心にある図柄は仏様や竜虎ではなく、モビルスーツ少女(爆笑)。

岡田 あの『ホビージャパン』とかでいまだにやってるやつ?

唐沢 日本のオタクにはとうていまねできないですよ、このハジけぶりとパワーは。ただオタクの人たちは研究熱心ですから、こういうのは比較的正しい形で情報が流れてるんですけど、ゲイシャ・フジヤマみたいな、どこでどうまちがったんだかって伝わりかたをしたものもあるんです。その一つが「コキガミ」というものですね。日本独特の変態プレイとして紹介されたものです。

岡田 日本独特って、知りませんよそんなの(笑)。

唐沢 僕も知りませんでした。初めて知ったときは思わず「こんなのねえよお」とつぶやいちゃいましたよ。説明によるとですね、「コキガミ」というのは八世紀の日本貴族が行っていた装飾芸術で、紙や絹などで性器を優雅に飾りつけるものらしいんです。寝室に入るとき想い人にリボンをほどかせて、中からプレゼントよろしく、というものらしいんですけど。

岡田 日本の変態ってなんか内にこもるというか、猟奇とかグロとか陰気なものへ向かうじゃないですか。それに比べるとアメリカはこう、外へ向かってハジけてるというか能天気というか、そんな感じですよね。やはり文化のちがいなのかなあ。

唐沢 ほんと能天気ですよねえ。どこが興奮するんだかまったく理解できないけど、本人たちのとてつもない楽しみようだけは伝わってくるというのが多いですし。わけわかんないのがありますよ、パイ投げとか(爆笑)。

岡田 ベタなアメリカンコメディとお笑い番組でおなじみのあれ?

唐沢 ゲイ専門のパイ投げクラブで「パイマン」と呼ばれるスタッフが大暴れしたり、一八歳の男の子の例だと、ヤッてる最中にパイを投げつけられるのが一番燃えるそうで、彼は自分のことを「パイセクシュアル」と呼ぶそうです(大爆笑)。

岡田 つまりあれですよね、セックスしてる横にパイが置いてあって、クライマックスで「イクイクイク!」ベチャッ! って(笑)。

唐沢 女性にパイを投げつけるだけの専門ビデオや雑誌まであるんですよ(笑)。喜劇映画のシーンを集めてるんじゃなくて、マニアはその映像を観て興奮してるんです。わりとポピュラーですよ。パイよりハードなのだと「セクシャルシャワー」といって、恋人にお腹の上でゲロ吐いてもらうというのもありますし。わけ分からないのだと「ペニス結合」ってのもありますね。ホモ同士がお互いのペニスを紐で結び合わせて「ああ、僕たち一緒だよ」って喜ぶんです。

岡田 はあ(笑)。

唐沢 紐で結ぶ他に「ドッキング」というのもあって、これはどちらかが包茎でないとできません。先っちょをくっつけ合って、包茎の人が皮を伸ばして相手のをパクっと包み込むんですよ。その一体感がたまらないらしいという。

岡田 えらい皮だね、外人さんのは(笑)。

唐沢 で、文化のちがいということなんですけど、これはやはりキリスト教の影響が大きいですね。あれはわりと生臭いというか、血と肉にまつわる話が多かったりするでしょう。「とりて食らえ、これは我が肉なり。とりて飲め、これは我が血なり」とか言ってパンと葡萄酒を肉と血に置き換えても違和感なかったりとか。そういうのが生まれたときから頭に入ってるわけですから、吸血愛好やスカトロ、カニバリズムなども、受け入れようと思えば受け入れられてしまうんですよ。苦行者が自らの体を傷つけることで神との対話を図るとか、血と肉について考察することで神への理解を高めていけるんです。だから、「眼球舐め」なんてのもあるんです。希少な例らしいんですけど、相手の目玉を舐めないとオーガズムを得られないというんですね。これは心理的にはカニバリズムの一種でしょう。

岡田 日本だと「穢れ」としてそういうのは排除しますものね。

唐沢 「人形愛好」といって、人形をしゃぶったりして興奮するのがあるんです。せめてそのくらいに留めておかないと。

岡田 これはまあ、知ってるやつですね。日本でもいますし。

唐沢 ところがやはりアメリカは過激で、カリフォルニアに住む人形フェチ男がバービー人形食っちゃったんですよ。髪の毛を剃って頭部を飲み込み、その行為で性的興奮を得ていたんですが、X線で調べたら胃袋の中に六人のバービーがいたそうです。この講義に出てる皆さんのお友達にも、お腹の中で綾波プカプカ浮かべてる人がいるかもしれませんが(大爆笑)。話を戻しますけど、だから中世ヨーロッパの哲学者というのは晩年になって大体がおかしくなるんですよ。バリバリ肉食って、パンと葡萄酒がどうしたとか教えられて、それでヴォルテールなんて椅子の手すりに釘を打ち付けて、神様と関係ないこと考えてしまったら自己刑罰でがんがんぶっ叩いて血だらけになったりという具合に。血を流すこと、肉体的な痛みでしか神と接触できない。

岡田 突っ走った変態性が受け入れられにくいのも、血と肉に対する潔癖症的な抵抗感が元になっているのかもね。日本の神道や仏教にだって、豊かな性があふれていたはずなのに。

唐沢 日本がいまいち変態に弱いのはやっぱり宗教的な問題だと思います。キリスト教のようにカニバリズムを原点とする宗派じゃありませんから。東大生の皆さんはストレス溜まってる分こういうプレイに走りやすいんですから、ぜひ研究して、「ああ、ここまでやると行きすぎなんだな」とか、変態行為の安全ガイドラインくらいは勉強してほしいですね。

岡田 チェーンソーの刃は取らなきゃ危ないんだなとか(笑)。

唐沢 そうそう(笑)。世の中には変態的なものがたくさんあり、性というのはもっと豊かで自由なものなんだという認識持ったほうが、確実に自分のセックス観を深められます。深まった上で「普通のセックスしてる自分って、もしかしてつまらないんじゃないか。損してるんじゃないか」と思えたら、あなた方も立派な変態です(爆笑)。まあ「俺はノーマルさ」なんて言われたって、じゃあ一体なにがノーマルなんだか。ノーマルの方が感じるからというなら、変態だから興奮するって人と別に一緒じゃないかってものですしね。だからどんな人だって実は人類みな変態なんですよ(笑)。で、これまで紹介してきたような「変態性欲」という代物を初めて系統的に分析した人というのが、一九世紀のクラフト・エービングという人なんですが、この人、著書の最後のところで「法律とセックス」というのを書いてるんですよ。つまり、これまで宗教とセックスの関係について述べてきたけれど、エービングに言わせると、われわれを縛りつけているものの最たるものは法律である。法律こそがもっともサディスティックかつマゾヒスティックなものであると論じているんです。変態性欲を突き詰めてゆくと法律まで突き詰めていかなくてはならなくなるというんですね。性欲という天賦のものと、法律という人為の最たるものが、ここで一直線につながってしまう。そういうことをいろいろ研究してみると、人間を衝き動かしている根本原理は快楽への欲求なんだということがよく理解できます。

岡田 変態の自覚を持って、楽しく生きてほしいですよね、ほんとに。(教室を見回して)あ、誰か質問のある人います? 自分はこれこれこうじゃないと興奮しないんですけど変態でしょうかとか(笑)。

唐沢 思ってても質問しないでしょう、そんなの。というか質問されたくないですよ。教師が新入生から相談を受けたって話がありますよね、「寮のルームメイト、もしかしたらホモかもしれないんです」って。なんでとその根拠を尋ねたら、「フェラチオしたらウンコ臭かったんです」(爆笑)。

岡田 なんだかな話で締めくくられちゃったなあ(笑)。

 


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