裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

火曜日

唐沢チャウ・シンチー

 強引に読むと“シュンイチ”に聞こえる(と、思う)。朝6時半起床、入浴、ミクシィ。8時朝食、ポンカン一個、リンゴ二切れ、トマトの冷スープ。朝から今日も気 圧乱れっぽい。地下鉄で仕事場へ。

 ちょっとしたことで午前中から3時半ころまでイラつきっぱなし。自暴自棄な文章を書いたり消したり。これも気圧のせいだな。注文した資料類がネット書店から届い たのを読んだりして気を静める。

 昼はオニギリ(梅干)と黒豆納豆、アサリ汁。1時、時間割で『世界一受けたい授業』改編期特番出演の打ち合わせ。製作会社H氏、この回の内容はともかく、レギュラー化に向けての打診みたいなものを露骨にしてくる。しかし言質は与えない、というあたりが何ともテレビ人間らしい。こっちも思わせぶりなことを言っても即は食いつかない。腹芸の見せ合いみたいで、ワキから見ている人がいたらなんともイラついたことだろう。連絡担当のKさん(女性)の父上が、私出演の第一回の放送を見て、面白くて雑学にハマッたとか。
「すぐ雑学の本を買おうと思って本屋に行ったら間違えて雑談の本を買ってしまったので、今度お前、あの先生の本を買っておいてくれ」
 と実家から電話があったそうで、Kさん“意味わかんない”と。

 それはともかく、ちょっと視聴率的には低調だったこのあいだの回(まあ、出演者が地味で内容も固かった)でも、私のところは前回同様まずまずの数字であったらしく、それを反映してか、これまでは麹町の日テレの地図をFAXしてきて、勝手に来てくださいだったものが、次回は“お車差し向けます”になった。ここらへんの実も蓋もなさがテレビ業界らしくて面白い。まあ、数字が落ちればすぐさまにもまた勝手に来いになるのだろう。このドライさは“プロの厳しさ”ぽくて案外好み。

 打ち合わせ終わり、仕事場でメールいくつか。書き下ろし原稿書き出すが文章にもなっていないものしか書けず抛擲。気圧だ気圧だ。川上史津子さんから電話。ザ・ワ ークスのカンさんからも電話。いろいろと打ち合わせをこなす。

 4時、また時間割。アスペクト『社会派くんがゆく!』対談。先日の新刊はすでにアマゾンでは4週間待ちになってしまっているが社の営業がまだ増刷を渋っている。もう増刷とかはアテにならんから、と、某新コンテンツの方に私も村崎さんも関心を移している。これ、うまく稼働すればちょっとオイシイことになるかも、と期待。

 コンテンツと言えば神田森莉さんに今月はじめお仕事の相談を受け、
「これからはコンテンツだ」
 みたいないい加減なことを助言ぽく口走ったら、本当にそっち方面から案外いいお仕事きたそうで、何やら予言したみたいな形になり(私は別に何にもやってないのだが)、面目は立った。しかしこうなると早く自分もソッチ方面で儲けないと、という 気になる。

 対談、ノリがよくいつもより長引いた。途中で何だかどやどやと人が入ってきて、やがて女性タレントらしき若い子のインタビューが始まった。誰なのだか、見たこともない子だったが、担当編集者(兼カメラマン)、インタビュアー、マネージャーにプロダクションの人などいろいろ周囲に人がいて、下にもおかぬ扱い。ワキで鬼畜ばなしをしているこっちを、担当編集者らしい人物が露骨に気にしていたが、おかまい なく対談を続ける。出たら雪がチラついていた。

 仕事投げだし、8時に伊勢丹レストラン街天一で母と食事(K子は語学)。親戚のこと、テレビのこと、歌舞伎のことなどいろいろ話す。メゴチ、イカ、春子鯛、蕗の薹など揚げて貰って、最後は掻き揚げ丼。母は蕗の薹みたいな腹にたまらぬものは食べたくないと言う。イカが柔らかくておいしく、二回頼んだ。ビールと日本酒熱燗。帰宅して少し仕事。それからDVD類見て、海老煎餅サカナに水割り缶。

 寝床読書は金原亭伯楽『小説・落語協団騒動記』。うーん、なんで今頃になってこんなもん出すのかね? 落語協会分裂騒動なら、もっと生々しかった時期にそれぞれの視点で書かれた『御乱心』『噺の咄の話のはなし』そして『圓生の録音室』などの良書がすでにあるし、しかもこれらではみな、関係者が実名で登場する。26年後になって、誰にはばかっているのか小説形式で、しかも登場人物を全て仮名にしているこの本には、以前の類書になかった新しい視点や新資料の呈示などがあるわけでもない。著者が金原亭馬生(作中では草原亭羊生)の弟子だけに、『御乱心』ではあまり描かれていなかった馬生一門のこの事件への対応がやや、詳しく描かれているが、それくらいのものだ。中には『御乱心』から引いたんじゃないか(まあ、あの本しか証言資料がない場面はどうしたってそうならざるを得ないが)としか思えない場面すらある。あと、立川談志(作中では横川禽吾)が『御乱心』以上に独善的で怨念が深く策士で、しかも小心物で馬生にウソを見抜かれ怒鳴りつけられてほうほうの態で逃げ出す三枚目の小物に描かれている。まあ、当時の落語界における談志の位置はこんな ものだったろうな、とは思うが。

 もちろん、あの分裂騒動は、“落語は現代社会の中でどう生き延びていくべきか”という、今なお先送りにしたまま誰もきちんと答を出していない問題のひずみが、最も顕著な形をとって表面に吹き出た大事件であった。そういう意味で、過去の事件にはいまだなっていない。別に新しい視点や事実などなくていいから、もっと自分(当時桂太。作中では桂馬)を中心に置き、彼が一番近しかった馬生と志ん朝(作中では朝光)の、騒動の中で落語に対する思いから兄と袂を分かたざるを得なかった弟の葛藤と、新団体設立が潰えた後、弟をなんとか無傷で協会に復帰させようと動く兄の関係を中心において、そこに著者の落語と芸に対する意見を織り込んで書けば、今でも一般読者が読むに堪える内容のものになったろう。これでは事件当時を知るロートルの落語マニアだけが読む本でしかない(しかも事実関係にはかなりの間違いがあるらしいし)。出版社が本阿弥書店という聞いたことのない書肆。もっと大手のところであれば、編集者がきちんと原稿を指導し、こうして書く方がいいというサジェスチョンをくれたろうが、たぶん担当にそういった経験とコーチ力がなかったのだろう。それでも売れているらしく増刷がかかっているのは、『御乱心』も『噺の咄の……』も現在ではすでに絶版で、手に入れにくくなってしまっているという事情がある。なんとかちくま文庫あたりで、『御乱心』を文庫化できないものだろうか?

Copyright 2006 Shunichi Karasawa