韓国の野球ファンたちは2012年、グラウンドで「帰って来た国民的打者」が再びプレーする姿を目にすることができる。サムスンで活躍していた2003年にアジアのシーズン最多本塁打(56本)記録をマークし、歴代最小試合数および最年少での300本塁打の記録も更新したイ・スンヨプ(35)だ。今月4日、8年間にわたる日本での生活を終え、家族と共に帰国したイ・スンヨプは開口一番「すがすがしい気分」と話した。「新たに野球を始める思いでトレーニングに臨みたい。実力が認められれば、13年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の国家代表として、再び国のために頑張りたい」と抱負を語った。イ・スンヨプは帰国後、竜仁市STC(サムスン・トレーニング・センター)で国内復帰に向けトレーニングを始めた。そんな国民的打者と17日午後、ソウル市瑞草区のコーヒーショップで会った。
■「韓国に帰って来ることができ幸せ」
―韓国に戻ってきた今の気持ちはどうですか。
「私は幸せですが、妻は子どもの教育のことでかなり心配しています。長男(ウンヒョク君)がちょうど小学校に入学したばかりなんですが、制度が違うため苦労しています」
―STCでトレーニングを始めたということは、サムスンへの復帰を決めたということでしょうか。主将のチン・ガビョンも球団側にイ・スンヨプ選手を獲得するよう強く要請したといいますが。
「そうですか、また私を苦しめようとでも思っているんでしょうかね(笑)。サムスンで野球を始めたので、サムスンで終えるのが最善の選択ではないですか。まずは会ってみようと思います」
―国内復帰を決めるきっかけになったのは何ですか。
「最初は世論もあったので、海外で現役生活を終えようと思っていました。そんな中、慶北高校の先輩に当たるサムスンの柳仲逸(リュ・ジュンイル)監督が、私が帰って来たら歓迎するとコメントした記事を読んだんです。デビューした所で引退することができるという言葉に胸がいっぱいになりました。しかし、それよりももっと大切なことがあったんです。それは、野球に対する情熱でした。韓国でプレーしていた時は試合に負けると頭に来て、夜も寝られないことが何度もありました。日本に行った時も初めのうちはそうでしたが、時間の経過と共に徐々にそうした情熱が冷めていってしまいました。当時の情熱を再び思い起こすためにも、環境を変えてみたかったんです」
イ・スンヨプにとって、日本という国は栄光と屈辱を共に味わう場となった。日本きっての人気を誇る巨人の70人目の4番打者として、06年には41本の本塁打を放ち、アジアの大砲としてのプライドを見せつけた。ロッテ(パ・リーグ)と巨人(セ・リーグ)で優勝も1回ずつ経験し、05、06年のオールスター戦にも出場した。しかし、07年からはけがと不振でチャンスを得ることができず、1、2軍を行き来することになった。
―日本での野球生活を満足のいく形で終えることができなかったことに対する悔しさはありませんか。
「2回も優勝を経験したし、オールスターにも出場できました。悔しさは全くありません。むしろ、すがすがしい気持ちです」