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[29468] 蝶は羽ばたいた(銀河英雄伝説)
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/18 20:58
以前より、こちらの投稿掲示板にて『銀英伝短編集(小ネタあれこれ)』と題しまして短編小ネタなどを投稿させて頂きました、投稿名:きららです。

こうした短編小ネタなどをボツリポツリと投稿させて頂いている間には、長編とまでは行かなくても
せめて中編ぐらいには続くものを投稿してみたい、とは想って来ました。
そうした折、先の短編集の中から、もしかしたら少しばかり長いものとして続けられるかも知れないと想えるものが出て来ました。
その短編を元に、あらためて書き直してみたのが本作です。
そのため、最初の部分には元の短編からの引用が混じりますが、あくまでも本人作からの引用です。

題名の『蝶は羽ばたいた』とは、いわゆる「バタフライエフェクト」効果から取りました。
(かねてから温かい御感想を頂いておりました、投稿名:バタフライエフェクト様からは了解を頂いています)
いわゆる<転生・原作知識あり>のジャンルに属しますが、オリジナルキャラクターには原作知識を除いて反則能力や補正は無い積もりです。
逆に原作知識と言う限定された反則のみを特長とする転生者が、それでも生き残ろうとした行動が「蝶の羽ばたき」と成り、
結果として何処で、どのような竜巻を起こすのか、と言ったシミュレーション的な執筆動機も在りました。

とは言え、本編だけでも全10巻+外伝その他と言う長い『原作』全てを書きあらためる程の実力を持ち合わせているとも限らず、
おそらくは『原作』から補完可能な箇所をワープする可能性が少なくありません。

そんな何処までも勝手なSSですが、続く限りは続かせたいとだけは想っております。
出来ましたら、温かく見守って頂ければ幸いです。

※ 今更ながらですが、以下の様に追伸をさせて頂きます。

拙作は「銀河英雄伝説」を『原作』とする2次創作であり、作者本人の意図としては、2次創作としての範囲内と想いながら投稿して参りました。
したがいまして、あらためて以下の文言を加えさせて頂きたく事をお許し願います。

本作は「銀河英雄伝説」を『原作』とする2次創作であり、この2次創作は、らいとすたっふルール2004にしたがって作成されています。

少なくとも作者本人は、その積もりでした。
これからも、2次創作としての節度と『原作』への想いを守りながら、追投稿を続けさせて頂きたいと想っております。



[29468] 第1章『この出会いは王朝の「正史」に残る』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/22 21:14
その時、後のラインハルト・フォン・ローエングラム(当時は旧姓ミューゼル)は孤独だった。

軍務に限らず私生活までも共にしてきた赤毛の友人は、両親の元で精霊降臨祭を過ごすべく、実家に1泊していた。
そう成ると、意外と趣味人でも無い「天才少年」は時間の使い方に困惑する。1人、対戦相手もいないチェスを指したりしていた。

その退屈を破る着信音に呼び出されると、画面の向こう側に姉の友人の1人が現れた。
挨拶。前フリ的な雑談。それから本題らしきものが始まった。
「グリンメルスハウゼン子爵に招待されているそうね」
この場合、いくら天才でも肯定以外には返答しようも無い。
「でもね」何故か戦場でも感じた事の無い危険信号を感じた気分がする。
こうした公式の席ではレディをエスコートするのが公式だ、と言われて年令相応の感情が態度と表情に出て仕舞った。
「あらあら。私を連れて行って、と言ってる訳では無いのよ。でもね、ジークに面白い事を言われたそうね。恋をするのも暇つぶしの方法とか」
いよいよ困惑する「天才少年」に追撃が仕掛けられる。
「心配しなくても、ケーキを相手に恋愛をする積もりはないそうね。アンネローゼのケーキは大好物なのに」
何が言いたい?
「確かに可愛い娘だけれど、中身は賢い娘よ。男なら貴方の参謀ぐらい務まるわ。少将よりも、もっと出世してからもね」
初めて微(かす)かながら好奇心を刺激された。

……リンベルク・シュトラーゼは帝都オーデインの中心市街を循環する環状道路だった。

皇宮と其れを取り巻く貴族の邸宅群を其の外側から守る様に囲っている。
これは例えでは無く、この大通りは環状の内側を守る武装憲兵の出動路として整備されており、
その兵舎は環状道路に沿って多角形に配置され、正門を大通りに直通させていた。

しかし、環状道路の直ぐ外側には普通の人々の普通の生活が存在し、
大通りからホンの1区画だけ外側では、元大佐の未亡人が若手士官を下宿させたりしている。
その下宿の前に、むしろ内側を走っていそうな地上車が迎えに来ていた。
通常、男爵夫人とかを乗せていそうな運転手と屋根の付いた車とは対極に位置しているが、
しかしマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言った明朗活発な淑女ならば、むしろ、こうした車を自ら操縦している方が似合うかも知れない。
通常、こうした車は実質的に2人乗りだが、この車は何故か一応ながら後部座席を有していた。
その後部座席に若い2人を乗せて、男爵夫人は子爵邸まで地上車を走らせた。

……ラインハルトが、こうしたパーティーの類をこれほど楽しんだのは、もしかしたら今回が初めてだったかも知れない。

ジークフリード・キルヒアイス以外で初めて完璧に会話が通じた、その意味では最愛の姉ですら子供のまま甘えるだけだったラインハルトにとっては、
ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフは2人目の話し相手だった。そんな話し相手が隣に居れば、退屈する理由も無い。
無論、友とだけ共有している秘密を今日出会ったばかりの名門貴族の令嬢に気付かれる程ウカツな積もりも無いが、
これまでの、ただ出席しているだけで誰も会話する相手すら居なかったパーティーがウソの様にラインハルトは楽しんでいた。
楽しんだ結果としてラインハルトは、実際に飲んだ酒量以上に心地よく酔った。

伯爵邸から迎えに来た車にヒルダを引き渡した後は、1人テクテクと夜道を歩いて帰宅したが、主観的には丁度いい酔いざましだった。
実の処「いけすかない相手」の1人の筈であるリューネブルク少将も招待されていた事も忘れ、
まして夫人の介抱のために退場した事などには気付かない程だった。
今1人、去年の憲兵本部に出向させられていた時期に記録と名前だけは注目していた、とある人物が会場を警備していた事にも気付いていない。
その人物と直接に面識を持つのは、グリンメルスハウゼン大将の使者としてイゼルローンまで訪問して来た時だった。

結局、この日のラインハルトは1人との出会いだけに終わった、とも言えるだろう。
そして、この見た目だけなら小さなエピソードは、ローエングラム王朝の「正史」に残る事に成る………。

……。

…イゼルローン要塞の陥落後、ローエングラム元帥府。

「……覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが」
………。
「けっこう、キルヒアイス中将だけを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
………。
「……光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯にはまだご理解いただけぬか」

「オーベルシュタイン大佐」若い金の獅子が数秒間の沈黙を破った。
「私にはキルヒアイス以外の協力者も居る。
卿が私に売り込んで来た様な分野の事でも恐らくは好い相談相手であり、その知謀は1個艦隊に勝る」
「ほう?」
初めて、この冷徹な義眼の大佐も意表を突かれた様だ。
「それでも手駒には不足しませぬかな。貴方が手に入れようとしている物は恐らく大きい。
駒はより多くおそろえになったほうがよろしいかと存じます。たとえ汚れた駒でも……」
「誤解して欲しくは無いな。大佐」
ラインハルトは断言した。
「私は宇宙を盗みたいのではない。奪いたいのだ」

……ウルリッヒ・ケスラーは3年の任期を待たずして、辺境星区から呼び戻された。

ローエングラム元帥府を開設して人事権をある程度まで取得出来た事に加えて
イゼルローン陥落と言う突発事態の成り行きから、当時の上位者だった3長官に貸しを売った形に成った結果である。

ラインハルト自身とキルヒアイスたちが軍事力を用いて攻勢に出ている其の背中や足下を防御させる、
その面を含めて相談役としては信任している、
非公式の相談役から元帥府出仕の文官待遇とする際には、彼女が伯爵令嬢である事が遺憾ながらも役に立ったのが帝国の現体制だったが、
その相談役とも協議した結果、やはり実行に当たる実務者としてケスラーを呼び戻して元帥府に所属させた上で、
その元帥府から憲兵本部に出向させる形式とする、と結論付けられた。

そのケスラーとヒルダの人事、そして件の参謀志願の策謀家が、せめて要塞陥落の泥をかぶる犠牲者からは救出した処で、
とりあえず3長官3人分の貸しは買い戻された形に成った。
とは言え、すでにヒルダとケスラーに其の方面の防御を期待していて、今更あれほど効き目の有り過ぎそうな劇薬を抱え込むかは別な話だった。
それに3長官との貸し借りも、どうせ今だけの積もりだと心底では想っていた。
時間の問題、と言うのが本音だった………。

……。

…ケスラー憲兵総監は忙(いそが)しい。

憲兵総監と帝都防衛司令官の兼任に加えて、結局のところ帝国宰相ローエングラム公爵(当時)は社会秩序維持局を廃止して仕舞い
その管轄していた秘密警察の任務まで憲兵隊に引き継がれていた。
ケスラーの有能さと真摯さが任務の重さには耐えられても、身体は1人分しか無い。
防衛司令官としての任務対象が惑星オーディンから惑星フェザーンに移転した機会に、
自分の権限の見直しを部下への適当な委譲も含めて検討せざるを得なかった。
それでもケスラー自身の責任で最終チェックするべき微妙な問題だらけなのが、こうした任務だった。

そうした問題の1つが、とある通信の監視である。
帝都フェザーン駐在の高等弁務官と恒星系1つだけの自治共和国、および現状では惑星エル・ファシルの衛星に成っているイゼルローンとの。
この自治共和国との停戦から帝国と相互の国家承認に至る条件の1つとして皇帝本人が持ち出したのが、初代弁務官の直接指名だった。
それだけに「この」通信の傍受には、皇帝の名誉と言う微妙な問題が付随していた。
しかし、皇帝から指名されてフェザーンに駐在している「奇蹟の魔術師」には、ケスラーですら解釈に困惑させられていた。
傍受されているのを承知でワザと振る舞っているのか?それとも本当に鈍感なのか……

そんな忙しい「大佐さん」を心配する年下の恋人を、カイザーリンは友人として心配していた。正し、何処か暖かく。
実のところ彼女自身も、トンデモなく貧乏性の恋人を選択して仕舞った事は自覚していたのだから。



[29468] 第2章『とある転生者』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/08/26 23:45
現状「とある金髪と赤髪の少年が最も光り輝いていた」のと、ほぼ同年代を迎えていた。
そんな子供の思考の思考としては充分に異常な内心で「私」は誰にも言えない思考を繰り返していた。

もっと幼い頃は、もっと異常だったろう。
何と言っても、見かけは子供なのに精神は成人のものだったからだ。
「私」は転生者だった。

問題は前世記憶の内容だ。

もっとも鮮明なのは『銀河英雄伝説』という題名の小説(!)が存在する時代の記憶だった。
そして次の記憶では、未だ(?)西暦が使用されている時代。
初めて人類が超光速航法を利用して、太陽系外への探検隊を送り出した時代だった。

その次の人生では、西暦から宇宙暦に変わった瞬間の記憶があった。
地球政府との抗争に勝利した筈の、シリウスの指導者たちが自爆して仕舞った後に生まれた。
そして、残された人々が銀河連邦を成立させて行く、同じ時代に生きた。

その次には、銀河帝国の平民に生まれていた。
幸い、流血皇帝だの敗軍皇帝だのの時代を外して、絶対君主なりに真面目な皇帝の時代だった。
おかげで『原作』での「疾風」の親とか「赤毛」の親とかの様な、平凡なりに穏やかな人生を送った。

そして「現世」は、直近の前世と大差の無い環境に生まれ育って来た。
その点では、現世の両親には感謝している。正直に孝行をしたい。
だが、1人ひそかに作成していた『原作』年表に自分の誕生年を当てはめた瞬間、
「くたばれ、オーディン!」と心底の奥で絶叫したく成った。
帝国暦456年生まれ。
「獅子の泉」の元帥と呼ばれた名将たちと同世代のド真ん中だった………。

……。

…結論から言えば、俺は士官学校に進んだ。

自分から志願しなくても、徴兵されればヒラの兵士として戦争を強制される。決して確率は小さくない。
そうならば、少なくとも士官学校に合格出来る程度に成績優秀ならば進学した方がマシだった。
貴族優先の格差社会だけに、平民から徴兵された一般兵士と士官学校の出身者とにはハッキリと差別待遇が存在していた。

無論、両親は特に母親は心配した。
徴兵ならば、年限が過ぎれば戻って来れる。
だが志願しては、まして士官とも成れば其の年限までが長い。
だが“俺”は知っていた。
両親の心配よりも早く、士官学校の出身者でも戦争には行かなくなる事を。
無論、それまでにヤン・ウェンリーとかに殺されなければ、と言う条件付きだったが。

そうした生き残り確率を少しでも大きくするため『原作』知識と言う反則を精一杯に活用して、いくつかのコネを作ろうと試みた。

視点:後世の歴史家

最近のラインハルトはキルヒアイスの視点から見ても機嫌が好い。
私用の通信回線の利用が増えていた。細目に伯爵令嬢からのメッセージをチェックしたり、送信したりしている。
更には、時間を都合して画面を間に会話したりしていた。

ところが、男爵夫人からの通信を受けて画面の前に出てからは、今まで機嫌が好かった分だけ怒りも凄(すさ)まじかった。

視点:とある転生者

いよいよコネつくりのために俺は、正直には眠くなりそうな場所へと細目に出席していた。
音楽会に観劇、詩の朗読会に絵や陶磁器の展覧会など。実は全て、とある1人の貴族が後援者である事が周知の芸術家たちだ。
案の定、2周ほど周回する頃には其の貴族からの呼び出しが来ていた。当然ながら、イソイソと俺は参上した。

「男爵夫人。ここに至っては隠し事も誤魔化しも致しません。貴女との御縁が欲しくてワザと振る舞いました」
『原作』での印象からすれば、こうした悪びれない態度の方が寛容を得られる可能性が在りそうだった。
「私は高が男爵家の当主よ。それにどちらかと言えば、貴族社会では孤立している方だわ」
「孤立と言うよりも孤高で御座いましょう。それに夫人には素晴らしい御友人が御ありです」
彼女にしては可愛らしく疑問の仕草をしていた。
「グリューネワルト伯爵夫人…いいえ、ミューゼル提督です」
「あの子は、まだ准将よ」
「今度は少将に成るでしょう」
実は、ヴァンフリート会戦がダラダラと進行中の時期だった。1つの会戦ごとに帝国軍の全士官が出征する訳でも無い。
「それに、わずか3年前には幼年学校を卒業したばかりの少尉でした」
「そう言われてみれば、そうね」
「あの提督は間違いなく天才です。
地位が上がれば上がるほど大きな功績を立てられるでしょう。
もしも叛乱軍が同じ間隔で攻めて来る様であれば、准将から少将に成るよりも早く中将から大将に成るでしょう」
「それで、あの子に目を付けたの」
「年金を受け取れる頃までは生き残っていたいですし、年金の額も多い方が好いでしょう。ミューゼル提督の部下ならば其の可能性が増えそうです」
男爵夫人は彼女らしく、爆笑と言うには流石に育ちの好い笑い方をしていた。

……次に俺が男爵夫人と接触する機会を持てたのは、軍内部だから入手出来る、とある情報を報告した時だった。

ヴァンフリート4=2から生還したミューゼル准将が少将に、その副官が大尉から少佐に昇進していた。
「どうやって、あの子に取り入る積もりかしら。ただ私から紹介しただけでは、あの子は気に入らないかも知れないわよ」
「提督は御自分が天才だけに有能な人材を御求めでしょう。実のところ私は、私自身よりも提督の御役に立てそうな人物に心当たりが在ります」
夫人は疑問を持ったらしい。そう言う心当たりが在れば、むしろ足を引っ張るとか、出し抜くとかの実例には困らなかっただろう。
「むしろ、そう言った人物を私が提督に結び付ける事で、提督に対して功績を上げられるでしょう」

視点:ジークフリード・キルヒアイス

ラインハルト様は、他人の思惑や策謀で御自分が動かされると言う事は、当然に好まれない。
男爵夫人から「真相」を聞かされて、当たり前の様に怒られた。
フロイラインとの御縁を切られる積もりなど全く無いだけに、尚更おもしろくは無いのだろう。

下宿に居て男爵夫人からの通信を受けた其の晩は、何時も通りにフロイラインと通信されていたが、
翌日、軍務省での用件が片付くなり、例の士官を探し出すように命令された。

視点:とある転生者

軍務省に在る現状での配属先で、現状での仕事をしていると、キルヒアイス少佐が俺を探しに来た。
さあ、ここからが「現世」での人生の分かれ道だ。

悪びれない、あるいは言動に陰湿さのない相手に対する寛大さ
とは『原作』でのフェルナーやバクダッシュに対するラインハルトやヤンの態度の描写だった。
男爵夫人に限らずラインハルトに対しても、多分は有効な筈だ。

「……裏も思惑も男爵夫人に申し上げた通りです。ウソも偽りも在りません」

「確かに、私としてもフロイラインとの対話は楽しい。
それに、これはフロイライン本人よりも伯爵家と言う背景を含めての問題だが、
今後、どこまで信頼して秘密をあかせるかによっては、好い相談役として期待もしている。
その意味では、卿の手土産は私にとって価値あるものだった事は間違いないが、
それだけに、卿の策略にしてやられた気分は、どうしても残る」
そう言いながらも笑っていた。どうやら第1段階はクリアしたか?
「だが、これで手土産は終わりかな?だとしたら、卿自身が私の部下として有能である事を証明してもらいたいものだが」
「いいえ」そう、この時のために伏線を張って置いた。

「閣下はヴァンフリート会戦では、准将として准将相応の艦隊を指揮されました。
次回の戦いでは少将として、そうした准将相応の艦隊を複数ふくめた少将相応の艦隊を指揮されるでしょう。
当然ながら、指揮下に配属される准将たちについては優秀である事を希望されていると忖度します。
例えば、キルヒアイス少佐が准将の階級であれば、当然に1つを任されると想いますが。
実は今回、大佐から准将に昇進した士官たちの中で、双璧と言うべき2人に心当たりが在ります」
流石にラインハルトも興味を示した様だ。
「ほう?このキルヒアイス並みの准将を2人も知っているのか」
「実は士官学校の後輩なのです。
私が最上級生として舎監の手伝いをしていた当時、2年生と1年生だった其の2人を対番にしたのです。
それが縁で、私が飲みに呼び出せば出て来る程度の付き合いなのです」

「対番」とは以下の様な制度を言う。
士官学校は全寮制であり3年生以上は同学年で同室だが
2年生と1年生は、2年生と1年生それぞれが同数ずつで同室に成り、1対1の組み合わせで1年間の生活を送る。
2年生としては「士官」つまりは卒業後は部下を持つ上官を養成する学校としては最初の上官経験であり、
幼年学校からの進学でも無い限り全くの新兵であろう1年生に対しては、1対1での軍隊生活そのもののキメ細かい教育が期待される。

少しばかりラインハルトが興味を示した。
おそらくラインハルト自身はキルヒアイスとの2人部屋だっただろう。
この頃の幼年学校には、貴族の子弟を下級貴族や平民出身の士官学校卒業生よりも早く昇進させるシステムとしての意味も在った筈だ。
「付き添い」付での入学も珍しい程では無かったかも知れない。
しかし「対番」ばかりに興味を示してもいない。直ぐに本題に戻って来た。

「卿よりも後輩と言うことは、准将としても若いな」
そして俺は、疾風と露悪者の名前を告げた。

……その時、7月某日。第6次イゼルローン攻防戦を前に帝国軍の増援艦隊が帝都を出征するのは、同年8月20日である。



[29468] 第3章『戦術シミュレーション』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/08/28 11:21
視点:とある転生者

軍務省に数ある士官控室の1つには、ささやかながら戦術シミュレーションの設備が整(ととの)っている。
シミュレーション・マシンを操作すると、宇宙戦艦のプラネタリウム形のスクリーンに窓が開いて映し出されるのと同じ
コンピューターが艦隊陣形を処理した画像が投影された。

第6次イゼルローン攻防戦の前哨戦。ラインハルト艦隊3000隻の艦隊運動の記録だ。
1戦ごとに、あらゆる戦術パターンを展開しながら、同盟軍を撃滅していく。
だが其の後の1戦で、見事に背面展開を完成させた瞬間、上、下、後の3方向から新手の敵が包囲してきた。
ヤン・ウェンリーの罠だ。
これでヤンの原案通りに1万隻の数が揃(そろ)えられていたら、歴史が変わっていただろう。
しかし同盟軍の司令部が出し惜しみしたか、包囲陣に兵力不足な薄い箇所を見付け出し、そこから突破脱出を果たした。
ここで艦隊の先鋒を疾風が、その相棒が殿(しんがり)を固めていた効果がハッキリと出た。
双璧が居なかったら『原作』通り、全3000隻中の800隻程度は失っていただろう。

そして、要塞攻防戦の本番である。
前哨戦での損害が少なかった分、つまり『原作』での2200隻よりも使えた兵数が大きかった事、
双璧の指揮能力での補正を加えれば実戦力としては更に大きかった事から、それだけラインハルトは戦力に余裕を持っていた。
この余力の分だけ、例えシミュレーションに画像が投影される戦術パターンでは『原作』通りに戦っていても、
その分だけ成果は大きく多く、同時に其の分だけ損害は小さく少なく成っていた。

……そして、第3次ティアマト会戦である。

実の処、イゼルローンからオーディンまでは、8月20日に出発して9月26日に到着するだけの距離が在る。
12月10日に終了したイゼルローン攻防戦に参加していた宇宙艦隊をオーディンまで帰還させ、再編成して、
翌年2月までにイゼルローンよりも同盟よりのティアマト星系まで送り込むのは時間的、距離的にギリギリだった。
よくも攻防戦では少将だったラインハルトを中将に昇進させただけでは無く、中将相応の艦隊を与えて出征させられたものである。
実の処、ラインハルトはオーディンに戻らず、イゼルローンから直接にティアマトへと出撃していた。
ラインハルトだけでは無く、キルヒアイスも双璧も、だった。
そう、少将に昇進していた双璧がミューゼル中将艦隊の先鋒と殿を固めていた。

その結果だが『原作』通り、敵ホーランド艦隊が帝国軍をかき回す。
しかし、それを黙殺する様にラインハルト艦隊は後退した。
そして敵艦隊の陣形と艦隊運動が乱れ切って停止した瞬間、主砲斉射が数回連続して叩き付けられた。

『原作』によれば、ラインハルトは2回の主砲連射で会戦全体を逆転している。
それが「ここ」では1回だった。
ラインハルト艦隊の視点からは右往左往していたホーランド艦隊と、
疾風が先導し其の相棒が後ろから見守って完璧な艦隊運動で後退したラインハルト艦隊
その結果、フリーズ状態に落ち込んだ瞬間のホーランド艦隊を側面に補足したラインハルト艦隊が其の側面方向に一斉回頭するなり
双璧を左右両翼にした横陣からの一斉射撃陣形に変化していた。
両翼の双璧からのクロス・ファイアーが、フリーズから再起動しようとする艦隊と其れをコントロールすべき旗艦との連携を断ち切った。

その後は、このスキに立ち直った帝国軍主力による追撃戦に移っていた。

……フェザーン経由で入手した情報によると、ホーランドは戦死をまぬがれたらしいが、軍法会議が待っているそうだ………。

……。

…俺はシミュレーション・マシンを落とすと、脳内でしか出来ない思案に移った。

こうして、双璧がラインハルトの役に立てば其れだけ、双璧やヒルダをラインハルトに近付けた俺も役に立った事に成る。
だが、やはり『原作』知識を持って居ればこそ「今」の時期的に気がかりな事が在った。

俺はキルヒアイス中佐と連絡を取った。無論、ミューゼル大将の副官として、である。

ブラウンシュヴァイク公爵家が皇帝と貴族と高級軍人を集めてパーティーを開催する。
こうした大掛かりな社交自体は隠しようも無い。それに何時も程で無くとも、何度も開催されてはいる。
だが『原作』知識持ちには、どうしても引っかかっていた。

「中佐。やはり閣下も招待されたのか?」
招待されていた。それにフロイラインをエスコートする、と言う。
(…不味いな…)画面の向こう側のキルヒアイスにも内緒ながら、俺は心配していた。
何せ「悪趣味な柱」1本で助かるのだ。ヒルダを連れている程度のイレギュラ―でも悪い方向へ転がるとも限らない。
しかし其れでは元も子も無くなる。
今度は俺は、男爵夫人を通じて多才なる准将に連絡を取った。

「メックリンガー准将。提督は公爵家でのパーティーの警護を命令されたそうですが?」
「それがどうしたかな?」
(…やっぱり、そうか…)これで更に可能性が高く成った。
「実は気に成るウワサを耳にしたのです」他人には、そう言う事にした。
「クロプシュトック侯爵を知っていますか?」
流石に知らなかった様だ。
「提督が知らなくても無理も無いでしょう。
フリードリヒ4世陛下の即位以前に別の皇帝候補を支持して仕舞い、以来、貴族社会の日陰者に甘んじて来ました。
それが今回のパーティーに出席するために、公爵家に這いつくばる様にして取り入ったらしいのです。
どれ程の屈辱を耐え忍んだ事でしょう。公爵などは勝利者の気分に浸っているそうですが、
もしも、侯爵がパーティーの途中で、会場に何か忘れ物でもして帰ったりしたら……
何と言っても、折角(せっかく)私が取り入ったミューゼル大将も出席されるのですから」
通信画面の向こう側では、口ひげをひねっていた………。

……。

…その時、3月21日。公爵邸の庭のド真ん中で爆発し、ケガ人は出なかった。

そこまでは問題は無かったのだが、むしろ問題は双璧が討伐軍に連れて行かれて仕舞った事だ。
実の処、ローエングラム元帥府を開設する以前のラインハルト艦隊は出征ごとの臨時編成と言って好い。
前回も、こうした意味で双璧は配属されたのだ。
引き留めて独占するだけの権限は大将では未だ無い。そうするためには、後もう2階級は昇進せざるを得なかった。
そして、実は其の事だけが問題では無かった。
俺だけが知っていた。この後で「面倒事」に成る事を………。

……。

…宮廷でこそ失脚したものの、侯爵領に相応しく有人惑星を有した恒星系そのものを私領として確保していた。

その惑星からミューゼル大将を指名してロイエンタール少将からの超光速通信が飛び込んで来た。
討伐軍の勝報から半日も経過しないうちに。

その事を、俺の様なモブ士官が知る事が出来たのは以下の経過による。
ロイエンタール少将からの通信は、直接には先ず軍務省に入り、軍用宇宙船ドックの中の戦艦ブリュンヒルトを呼び出してもらったからだ。
大将に昇進してもラインハルトの処遇は、出征ごとに臨時編成される艦隊の指揮官であり、会議の時にだけ呼び出される立場だった。
そのため会議が無い時には、もっぱら大将への昇進に伴って与えられた専用旗艦に乗っている事が多い。
そして俺は「侯爵領が陥落した」との報告が入った夕刻、理由を作ってブリュンヒルトを訪問していた。
案の定だった。

当然ながら、ラインハルトには今更ミッターマイヤーを見捨てる積もりも無い。
先ずは双璧の代弁者として軍務省に乗り込み、騒ぎを大きくする役目を了承していた。
「帰還途上での死亡は謀殺とみなす」と広言するのである。
当然の様に、ラインハルトを乗せてキルヒアイスが運転する地上車を追走して、俺もブリュンヒルトから軍務省に戻った。
ラインハルトに付いて勝ち組に成りたかったら、ここでの敵前逃亡は論外だった。それに「勝算」は在るのだし………。

……。

…5月2日。クロプシュトック侯爵領から討伐軍が帰還した。

この晩、ラインハルトの下宿でロイエンタールを迎えたのは、ラインハルトとキルヒアイスに加えて俺、
そしてラインハルトは通信画面にヒルダを呼び出していた。

この時点で『原作』以上に話しと騒ぎは大きく成っていた。
何と言っても、当事者たちが侯爵領に未だ居る間にラインハルトが動き出していたのだ。事を大きくする方向で。
それにラインハルトは、この件でも何の秘密も無く伯爵令嬢と連絡を取っていた。
確かに今回に限っては事が大きく、と言うよりは表沙汰に成るほど勝算が大きい。
いくら貴族たちの無理無茶が通る体制とは言え、今回ばかりは明らかに向こう側に非と恥が在るのだから。
その意味では、ワザワザ拷問係を雇ってまで疾風をただ痛めつけようとしたなど、
悪趣味を満足させる引き換えにラインハルトの武器を増やして遣っていた訳だ。
もっとも『原作』ではラインハルトが介入している事を「その」時、始めて知ったのだろうが。
結局「この」拷問係騒動(?)などはスルーされたまま、疾風は生還して来た。
何と言っても、公爵もフレーゲル男爵らの取り巻きも、とっくにラインハルトが事を大きく表沙汰にしていた帝都に戻って来て仕舞ったのだから、
基本的には手遅れだったのだ。

……生還した疾風が相棒と連れ立ってラインハルトに礼を言うために訪問していた頃。

俺は次の「事件」に備えて暗躍していた。
全く「今月」は事が多い。討伐軍の帰還が5月2日。そして次の「事件」が直接にラインハルトたちへと襲い来るのは同月17日だった。



[29468] 第4章『白鳥は征く星の大海』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/04 21:03
5月16日。俺はキルヒアイスに通信を入れた。
「重要な情報を入手した。閣下に報告したい」
どうせ、来年の今頃には追い抜かれている。こんな口をきけるのも今の内だろう。
「ベーネミュンデ侯爵夫人を国務尚書が訪問した」
かつては皇帝が寵愛していた婦人を、現状では未だ後宮の中に在る邸へと、皇帝の意を受けた首相クラスの公人が訪問するのだ。
この訪問自体は隠し切れない。それも、反則で今日だと知っていて確認するのだから。
「侯爵夫人は激昂狂乱している」
実の処、直接に確認できたのは国務尚書の訪問と言う事実だけだったが、その結果を俺は知っていた。
「確か、閣下は明日、男爵夫人に招待されては居なかったか?」

「それがどうした?」ラインハルトが自分で画面に出て来た。
「同じ後宮の中に建てられているとは言え、宮殿の内である以上は威信に相応しく警備されている筈ですから
御自身の館に居られる限り、姉君は御無事でしょう。
しかし、宮殿の外に出ていたならば。
それも人目の在る会場なら兎も角(ともかく)そこから宮殿に戻られるまでの移動途中だったら。
しかも、予報によると明晩の天候は不心得者に都合が好さそうです」
「だが「あの」チシャ夫人でも、そんな直接的な手段は自分の首を締(し)める、くらいの理性や打算は持っていた筈だ」
でなければ、とっくに実行していただろう。確かに。
俺は、今回の訪問を受けて如何に侯爵夫人が狂乱したか、見て来た様に、実は『原作』で読んだままに語った。
ラインハルトとキルヒアイスは天才と其の1番弟子らしくも無い焦(あせ)った顔を見合わせていた。
「差し出口かも知れませんが、ロイエンタール少将とミッターマイヤー少将に連絡をとってはいかがでしょう。
両少将とも、会場から皇宮までの道のりを警備する程度の兵士くらい動かす権限は持っている筈です。
キルヒアイス中佐と御2人だけで姉君を御護りするまでも、今は無いでしょう」

……通信を切った後、俺は1人で想った。

これで『原作』の様な危機一髪よりはマシな方へ行くだろう。
そして、これでラインハルトへのコネつくりは必要にして十分な筈だ。
後は、余分な「蝶の羽ばたき」効果など出ない様に、下手な介入をしなければ好い筈だ………。

……。

…そうしたコネつくりの結果、俺は戦艦ブリュンヒルトに乗っていた。

『原作』ではモブあつかいでも、大将であるラインハルトの参謀がメックリンガー1人切りだった筈が無い。
准将当時でも、合計10名の士官が幕僚として付随していたのだ。
当然ながら、大将相応の艦隊を管理運営する人数のスタッフがメックリンガー参謀長の管理下に配属されていた筈だった。
その人数の1人として俺は、艦隊を管理運営する実務に追いかけられていた。
その先にはイゼルローン要塞、そして惑星レグニツァと第4次ティアマト会戦が待っていた。

そんな追い回されていた業務の中で「知識」に引っかかるものを見付けていた。
ミッターマイヤー少将指揮の集団に所属する戦艦アルトマルク、艦長フォン・コルプト。
「参謀長。報告したい事が在ります」

「これが、どうかしたのかね?」
「帝都に居た頃、不穏なウワサを聞いた事が在るのです」
今回も、この言い方で行く事にした。
「ミッターマイヤー少将の件でブラウンシュヴァイク公爵が引き下がったのは、軍務尚書との間で2つほど密約を持ち掛けられたからだ、とか」
メックリンガーはヒゲをひねっている。
「1つはフレーゲル中将をミュッケンベルガー元帥の幕僚に配属する」
「もう1つは?」
「ミッターマイヤー少将が軍規を正した例の大尉の実兄、コルプト子爵を少将の背中を撃てる位置に配置させる」
「それは…」流石に驚かせた様だ。
「流石に事実を確認するまでは、ウワサの段階で報告は出来ませんでした」

メックリンガーから報告を受けたラインハルトは直属の大将の権限で、ミッターマイヤー少将の集団からロイエンタール少将の集団へと
戦艦アルトマルクを配置し直した。

……ラインハルト艦隊が敵前旋回に成功した時の事に成る。

ラインハルト艦隊の殿(しんがり)を固めたロイエンタール集団の其のまた最後尾で追走し切れず
戦艦アルトマルクは置いてけ堀と成った。帝国軍主力と同盟軍のド真ん中で。

もっとも「それがどうした」だった。
帝国軍の総旗艦からブリュンヒルトに通信が入った時点で、小事に成り果てていた………。

……。

…その通信が入った時、すでにラインハルト艦隊を左翼に配した帝国軍の正面には、同盟軍が布陣していた。

「左翼部隊全兵力をあげて前進、正面の敵を攻撃せよ」
こんなギリギリのタイミングに成ってから、こんな重要な作戦変更を通告されても、対応出来るのは其れこそラインハルトかヤンくらいだろう。
俺は今、キルヒアイスやメックリンガーと並んで、ラインハルトの「玉座」の後ろに立っている。
その前方、プラネタリウム形のスクリーンでは同盟軍のエンジン光が星雲と成っていて
コンピューター処理された画像を見れば、布陣し終わった両軍が対峙している。

ラインハルトは決断した……

コンピューター画像に投影される両軍の陣形の内、片方の左翼部隊だけが味方(?)から離れて前進し始めた。

変化は突然だった。
ラインハルト艦隊の先鋒ミッターマイヤー集団が急速に旋回し始めた。
続いて画像の中で中央集団が旋回し始めると、俺たちの視点で正面に光っていた星雲が左に流れ始める。
殿(しんがり)のロイエンタール集団が旋回し終わると、そのまま敵前あるいは敵味方のド真ん中を横断していった。
流石にラインハルト以下、緊張を隠せないブリュンヒルトの艦橋で
俺は別な理由でも動揺していた。
今や、左から左後方へと流れていく星雲の何処かにヤン・ウェンリーが居る。
『原作』通りならば、何故か感情的とすら言える上官のため「宝の持ち腐れ」に成っている筈だが、
ひと言でも上官がヤンの忠告を聞き入れたならば、立ち往生した弁慶に立った矢の数並に死亡フラグが立つだろう。

敵と味方の間を横断し終わったラインハルト艦隊が再び旋回した時、
流石に俺は安心していた。
ここで膝が笑わない程度には軍人教育も実戦経験も積んではいたが。
そんな俺を誰も気にしない。
それほど、ラインハルトたちの視点でもギャンブルだったのだ。
しかしギャンブルの結果は、とりあえず当たりと出た。
今や、白鳥が陣頭に立つ猛禽の群れが、同盟軍の死角から襲いかかろうとしていた。

……その後「も」俺は玉座の後ろに立っていた。

しかし思い知った。俺には『原作』知識と言う有利はあっても、俺自身の反則的な能力は無い。
反則なのはラインハルトやヤンたちだ。
そんな反則同士の殺し合いに下手な介入をするなど、とてもじゃ無いが恐ろしい。
少なくとも戦術LVでは無理無茶だ。
そうなると…今後、ローエングラム元帥府での俺の立ち回り方は……

何時の間にか、そんな当面の戦いには余分な思案の余裕まで出来ていた。
無論、本来の艦隊スタッフの仕事に手抜きはしていない。
その程度に仕事をしながら思案するスキルぐらいは身に付いていた。
目の前の彼「ら」が反則なだけだった。
その反則の片方は、すでに上級大将への昇進と伯爵家相続のハク付け程度の手柄は立てていた………。

……。

…宇宙艦隊の時代に軍隊へと志願すれば、宇宙戦艦の中で行く年を送り、来る年をむかえる事は在り得る。

正確には、帝都の軍用ドックの中、白鳥の戦艦の艦内だった。
上級大将ローエングラム伯爵は、皇宮での年越しの宴(うたげ)の席からアスターテ会戦へと出征する。
そのために待機しつつ、司令部を含めた乗り込みの士官たちによる年越パーティーが開催されていた。



[29468] 第5章『閑話らしきもの(その1)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/10 16:19
ローエングラム伯爵家は代々の名門貴族それも子爵よりも格上の伯爵に相応しく、有人惑星を有した恒星系そのものを私領として継承していた。
直系が断絶して以降は帝国典礼省の預(あず)かりと成っていたが、今回、相続者が現れた。

当然ながら相続者としては、伯爵領の惑星を訪問しなければ成らない。
しかも、こうした目的の訪問であれば無視出来ない同行者をエスコートしていた。
伯爵家の後継候補と成ってから、余計に近付いて来る様に成った令嬢たちが近付いて来そうな場所では、常にエスコートしていた以上は。

……そんな訳で、何時もラインハルトの後ろに立っていた筈のキルヒアイスも、主君をフロイラインに預けて俺と同行していた。

リゾート目的で建設された人工天体で、ラインハルトが伯爵領から戻って来るのを待つ。
その後は、その前と同様にアスターテ会戦の準備に忙殺される。
そうした忙(いそが)しい中に数日間の閑(ひま)を過ごさなければ成らなく成っていた。

第4次ティアマト会戦の後、ミューゼル大将(当時)の臨時艦隊は解散させられ双璧や多芸多才が転属して行った後まで
新たに編成されるローエングラム上級大将の遠征軍の準備を命令された1人に、俺は残っていた。
その事自体は、俺自身が「それ」を目的に暗躍して来た結果なのだが、ここでキルヒアイスと連れに成る事までは想定していなかった。

そのキルヒアイスはホテルのフロントでチェックインしている。
「ジークフリード・キルヒアイス。帝国軍中佐」
フロントが驚いている。中佐にしては若い事と貴族でも無い事に驚かれている様だが
確か『原作』では「よくそう言われます」とか答えていた筈だ。
だが重箱の隅を突付けば、何時もはラインハルトが先に名乗っていただろう。
「フォン・ミューゼル大将(この時点では正確には未だ)と待ち合わせる事に成るかも知れません」
思わず横から突っ込みを入れていたものの、それでフロントは納得した様だ。

実の処は、ここで失礼してキルヒアイスとは別行動を取りたい気分だった。
確か、ここではサイオキシン麻薬に絡(から)んだ事件を解決する筈だ。
正直な処、フライング・ボールの試合場で5人相手のデスマッチとか、後腐れさえ無ければ敵前逃亡させてもらいたい。
それに先ず、サイオキシンで成り切りのミノタウロス退治とか、ギリシア神話のテセウスでも無いだろうに。
だが振り返ってみると、もう遅かった。
成り切りミノタウロスが、赤毛のテセウスをロックインしている。
仕方が無い。せいぜいキルヒアイス=ホームズのジャマだけはしないワトソンに徹底するとしよう………。

……。

…事件は解決し、ラインハルトとも合流した。

キルヒアイスは何事も無かった、と言う風な報告をしている。
まあ、とりあえずは解決した事件だし、主君に余分な心配をかけたくは無いのだろう。
その事もあってだろうか、話題は何時の間にか品定めに成っていた。

「取らぬ狸…」と言った例えも「昔」には在っただろうが、
これから出征する戦役での戦略ましてや敵と出会ってからの会戦の戦術を、いくら天才でも今から予言できる筈も無い。
そしてラインハルトの性格からすれば、勝った後の事を考え出しても無理は無い。
最終目的は兎も角(ともかく)その前の「元帥府を開設し、永続的に人材を確保する」と言う目標に限れば
後1勝で手に入る処まで来たのだ。
誰と誰を招くか?と言う話題が出ても無理は無かったのだ。

そして「この」話題をラインハルトがキルヒアイスやヒルダと熱心に語っている以上、知らない振りも出来なかった。
何せ、俺は彼らの殆(ほとんど)と士官学校の先輩後輩の関係だった。
結局は貴族出身だから幼年学校だったオーベルシュタイン、最年長のレンネンカンプ、逆に最年少のミュラーを除いて、
俺が新入生の時の最上級生から、逆に俺が最上級生の時の新入生までの範囲に集まっていた。
当然の様に「この」事を意識した学生生活を送って来た。

こうしたコネつくりの場合は、上級生よりも下級生狙いの方が成功の見込みが多い。
学生同士での先輩後輩の力関係は、社会人の複雑な対人関係に比較すれば単純な位、1方向へと片寄っている。
それも階級社会である軍隊の学校だ。
そして時間的にも、例えば俺が新入生の時の最上級生は1年後には卒業して行った。
じっくりと準備をしたり仕込をする時間的余裕は其れだけ少なかった。
まして、学校当局や教官たちの管理下に居たのだから。
幸いにして、最大の「大物」は俺が最上級生の時の2年生と1年生だった。

……最上級生に進級した頃の俺は、それなりに教官たちの信任を身に付けていた。

舎監の役に当たる教官から、寮生の部屋割りの手伝いをさせられる程度に、である。
舎監としても、誰かに手伝わせなければ現実的に人手が足りなかった。
これは同盟軍の例ながらヤン・ウェンリーの同期生が4840名、それも卒業時の数だから入学時には更に多かった筈だ。
特に「対番」と成る新入生と新2年生の名簿を突き合わせる仕事が、手間と人手を喰う。
その手伝いをしている間に、名簿の中から「その」名前を見付け出していた。

「教官。このオスカー・フォン・ロイエンタールと言う2年生ですが」
「あのロイエンタールか?」
入学から約1年で教官から「あの」付きで名前を覚えられるとは彼らしい。まあ其の方が、話も通り易い。
「ヤー。あのロイエンタールです。親の有無で本人を差別はしたくは無いですが、彼の家庭環境が無関係とも思えません」
教官である以上は、それも学生の日常生活に近い処で接触している舎監であれば、ある程度は事情を知っているだろう。
少なくとも自分の仕事に真摯であれば。
「だが、少なくとも将来の士官としては優秀だ」
その教官には肯(うなず)いて置いてから、別の生徒の書類を取り出す。
「こちらの新入生のウォルフガング・ミッターマイヤーですが」
「それがどうした?」
「彼は中流の平民出身ながら、極めて健全な家庭環境で育(はぐく)まれています。彼ならば、ロイエンタールにも好い影響を与えるのでは?」
「うむ」対番制度の建前からすれば、微妙に逆だろう。
「士官としては優秀。対番の上級生としても、新入生の世話に手抜きはしないでしょう」
俺は不自然でない程度に熱心に提案した。ここで「熱心」だったと言う「事実」が重要だったのだ。
俺の将来の生き残りのために………。

……。

…最上級生として舎監を手伝う卒業までの1年間に、俺は寮生たちと接触していた。

その間に、ロイエンタールとミッターマイヤーを対番にしたのは俺だ、と言う事実は何時の間にか当人たちにも知られていた。
しかし、俺が其の事を未来の双璧に思い出させる様に振る舞ったのは、ミッターマイヤーが卒業した時だった。

おおっぴらに飲酒が許可された(寮内では建前が在った)卒業生を、すでに卒業して軍務に就いていた先輩たちが酒と乾杯で祝う。
そんなパーティーの席上、俺はロイエンタールと乾杯していたミッターマイヤーに近付いた。
ミッターマイヤーが入学してからロイエンタールが卒業するまでの間に、まるで『原作』での出会いの後の様に仲良く成っていた。
ロイエンタールが3年生に成って同室で無くなっても、2人の縁は切れなかった様だ。
元々、上級生らしい(?)下級生に干渉する様な集団行動には無関心な孤高気取りだったが、
本質的には好い両親に育てられていた健全人の方が見捨てられなかった様だ。

そんな友人同士に割り込む様にして、ウザがられない程度に絡(から)みながら其れと無く売り込んで置く。
「卿たちは、これから何度でも2人で飲むだろう。だが、時には3人で飲もうじゃ無いか」とか何とか。

そうして置いてミッターマイヤーにだけ聞こえる様にして耳に入れた。
「ロイエンタールは其のうち女性問題で決闘騒ぎを起こすかも知れん。それも1人や2人でも無く。
だが、私的に武器を持ち出したりしたら軍法会議が待っているぞ。
かと言って、親友を見捨てる卿でも無いだろう。
それに1対1なら正々堂々と戦わせるが、相手が多数だったら尚更。
その時は、せめて素手での殴り合いにしろ」
「先輩はマイン・フロイント(わが友)に何を吹き込んでおられるのですかな?」
オッドアイを露悪気味に光らせて、ロイエンタールが割り込んで来た。
「何。義理の妹さんは綺麗(きれい)に成ったかな?と聞いたのさ」
「疾風」と呼ばれる様に成った後だったらヤン相手でも、これ程うろたえたりはしなかっただろう。
「これはロイエンタールの前だったら、危険過ぎる話題だろうからな」
「エヴァは未だ子供です!!」
「そうだな。これから理想通りに育てるのかな?」
父親からは「求婚に7年もかける甲斐性なし」と言われていたが、現実的には花嫁が成人するまで待っていた、とも言えるだろう。
19才に24才が求婚しても問題は無いが、12才に17才が求婚して真剣だったらロリコンだ。
現状は15才と20才。あわてず着実に育みたまえ。
もっとも全体的に言えば「源氏物語」は相棒の方だろうが。
ともあれ、これでロイエンタールの手前はウヤムヤに出来た様だった。

……翌年。心配していた事件が起こった。

ロイエンタールは女性問題から3人同時に決闘を申し込まれた。
ここでミッターマイヤーが介入したため、武器を持ち出しての決闘3連戦から、素手での3対2の殴り合いに落ち着いた。
結果は当然ながら、3人をノックアウトして双璧は立っていた。
後日、ロイエンタールは、当時の自分は大尉でミッターマイヤーは中尉に過ぎなかった事、そもそも全く当事者では無かった事を主張したため、
ミッターマイヤーの中尉昇進は取り消しに成らなかったが、
ロイエンタール自身は大尉からミッターマイヤーと同じ中尉に逆戻りと成った。
俺は、そんな中尉2人に先輩らしく酒をおごり、3人で痛快に酔った………。

……。

…そんな昔話で俺はラインハルトやヒルダ、キルヒアイスたちを楽しませた。当然だが、言わずとも好い事は言わない様に注意していたが。

現状は帝都へと戻る客船の中。
そして帰れば、白鳥の宇宙戦艦に乗ってアスターテへと戦いに行く。
正直、双璧にも来て欲しかった。あの「奇蹟の魔術師」が、この時代の帝国に生まれた場合最大の死亡フラグが待っていた。



[29468] 第6章『奇蹟の魔術師』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/06 22:00
コンピューター処理された艦隊フォーメーションが、画像に投影されている。
次第に接近する両陣営の艦隊の片方に対して、もう片方の艦隊が正面、左、右の3方向から迫ろうとしていた。
1世紀半の以前、同盟軍の大勝利で知られる「ダゴン星域会戦」の陣形だった。

だが、敵は帝国軍であっても同じ敵では無かった。「戦争の天才」だったのだ。
この天才にとっては、未完成の包囲陣など集中するべき兵力の分散に過ぎず、各個撃破の標的でしか無かった。
その事を1人を除いた同盟軍の幹部たちが知った時には、3個艦隊中の2個艦隊が撃滅され、残る1個艦隊も正面中央から突破され始めていた。

……とうとう立った!帝国軍の視点では最大の死亡フラグが。

「負けはしない。自分の命令に従えば助かる。か。ずいぶんと大言壮語を吐く奴が叛乱軍にもいるものだな」
例によって、俺は玉座の後ろに立っている。
その俺の視点からは、キルヒアイスの方を見がちなラインハルトの金髪ばかりが目に入っていた。
「閣下!」
参謀長も副官のキルヒアイスも通さない行き成りの進言など、俺からラインハルトへの場合は前代未聞だろう。
「差し出がましい口をきく様ですが」
決して部下からの忠告に対して耳の穴の小さい上官でも無いが、それでも親友と姉と今では恋人以外の相手には公人としての距離を置いている。
話の内容によっては、切り出すべきタイミングが存在した。
「あれは「エル・ファシルの英雄」です」
流石に天才でも、瞬間だけ疑問符を浮かべた。
「無理もありません。閣下は未だ幼年学校に在籍していた頃ですから」
「ああ…あの我が軍の栄えある先輩方を小バカにしたペテン師か」
「そして第6次イゼルローン防衛線の前哨戦で、ご不快でしょうが閣下をワナに落としかけた敵でした」
「まことか?!」
流石に驚いているらしい。
「間違いありません。お耳に入れる機会を待っていました」
「成程」
どうやら耳には入った様だ。
「今しばらく御不快でしょうが、あの時のヤン・ウェンリーは新手の大兵力を隠していました。それが魔術の種だったのです。
しかし、遺憾ながら現在の閣下には、これ以上の戦力が御座いません。
あの時、閣下が試そうとしていた戦術をヤンが真似ようとしたら、私などでは対応策が分かりません」
美人だけに不快が顔に出ていた。
「ラインハルト様!」
公的な場所では遠慮している2人だけの時の2人称を使ったのは、
あわてたと言うよりは、周りの耳よりも主君への忠誠心が瞬間だけ上回った、と言う事らしかった。

コンピューター画像の中で、同盟軍の陣形中央に隙間が出来始めていた。フォーメーションC4だ。
それを数秒だけ見据えて、金のタテガミを横に揺らしていた。
「卿の忠言には感謝しよう。だが、ヤンとやらがペテンを仕掛ける方が早かった」
「では、どうされますか」
赤毛の副官の言い方は白々しい事が、むしろ見事だ。主君に冷静さを取り戻させるためだけに言っている。
「このまま全速前進!逆進する敵の後背に喰いつけ」
「黄金のグリフォン」が、華麗に敵を撃滅していた時にも見せなかった本性を剥(む)き出していた………。

……。

…現状、ローエングラム遠征軍はアスターテ星域を離れ、イゼルローン要塞へと進路を向けていた。

おそらく、あの怠け者の「奇蹟の魔術師」は、負け戦の後始末にコキ使われている事だろう。
そうして救助された生存者や残存戦力が「ヤン艦隊」に再編される筈だった。

やっぱり「黄金のグリフォン」だの「奇蹟の魔術師」だのは反則過ぎる。あらためて思い知った。
俺の持っている「知識」と言う有利だけで、こんな反則過ぎる同士の直接対決をどうこうするのは、やはり無理無茶だ。
しかし其の「知識」通り、あの後は消耗戦に成っていった。
恐らくヤンの読みは、ラインハルト(とは未だ知らなかっただろう敵指揮官)ならば不毛の消耗戦を嫌う筈だ、と言う事だったのだろう。
確かに「敵」3個艦隊中の2個艦隊をすでに撃滅して、ローエングラム元帥府を開設するだけの武勲は既(すで)に立てている。
今更その後に残った1個艦隊との消耗戦に拘(こだわ)って共倒れにでも成ったら元も子も無い。
だから、撤収するのがラインハルトの視点でも正しい決断だったのだ。
そしてヤンは「生き残る」という目的のために、それを達成する手段を選択した。
やっぱり、この好敵手たちは反則過ぎる。
俺自身が「知識」を活用する仕方は、別な場所での方が有効なのでは………。

……。

…後年。と言っても何年も後では無く、赤子が幼児に成る程度の後年。

ケスラー憲兵総監は忙(いそが)しい。
そのため新帝都フェザーンでは、適当に部下へと仕事を割り振っていた。
そんな中で、俺に割り振られた仕事の1つが、高等弁務官を「不」定期に訪問する事だった。

こうして俺は「奇蹟の魔術師」と直接に対面する機会を得た。
そう機会である。なまじ前世と「原作」知識を持っているため、どうしても同盟側が舞台と成った時はヤンの視点から読んでいた。
帝国側に所属し自分から進んでラインハルト陣営に加わっていても、心底の何処かでは希望していた。

かつての1人の読者としては、ヤンに会う機会が出来たならば聞いてみたい事が幾(いく)らでも在った。
例えば、イゼルローン攻略を前にして「薔薇の騎士」に言った事だ。

「本気で平和が来ると考えていたのですか?」
「来て欲しいとは想っていた。それに私が希望していたのは、せいぜい当時14才の自分の息子が戦場に行かなくて済む程度の長さの平和だった」
「それ以上を望まなかったのは、やはり当時の帝国の体制が相手だったらでしょうか?」
「そうだね。
やはり自由惑星同盟と言う国家の成り立ちがルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに対するアンチテーゼだった。
だがら最終的な和平となると、建国理念そのものに関係していただろう。
国家もイデオロギーも結局は「人間が人間らしく生きるための道具」に過ぎないのにね。
少なくとも民主国家と言うものは、その筈だった。
だから「人間が人間らしく生きるため」と言う目的のために国家や体制を含めた手段が選択されるべきなんだ」
「その選択の結果ですか?ゴールデンバウム王朝と言う「敵の敵」同士ならば、ローエングラム王朝と民主共和政体は共存出来ると考えたのは」
「その通りだ」
ここではハッキリと肯定するヤン。

「だけどイゼルローンを手に入れようとしていた当時には、そこまでは考えは及ばなかった。
確かに、当時のローエングラム元帥は急速に歴史の表に出現しようとしていた。
だが、その後2年も経過せずに「実態はすでにローエングラム王朝」と言う処まで達成するとは其の時点では分からなかった。
私は予言者なんかじゃ無い。何度も間違えたり、考え直したりしながら結論に近付いていった1人の人間だ。
私がローエングラム王朝と何らかの民主共和政体との共存が可能と考え出したのは、
ローエングラム改革が民主化と言う意味では、もう引き返せなくなっていると確信出来た時だった」
そうだろうな。『原作』はヤン視点で書かれていただけに、ある程度ヤンの試行錯誤する思考の軌跡を追っている。

……そんな感じで楽しい議論を続けている間に、あらためて思い出していた。元々ヤンは歴史家に成りたかった筈だった。

「ヤン提督。もしも皇帝が提督を招くに当たって、軍部では無く学芸省へと招かれていたら、ご返事は変わっていましたか?」
「もしかして貴官が言っているのは…」
「ヤー。学芸省では「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂が進行しています。その事業への参加を要請されたら」
「私にとっては、メフィストフェレスの誘惑だね。猫を買収する積もりだったら金貨よりもキャットフードを用意するべきなのさ」
結局の処、イエスとかノーとかは言わなかった………。

……。

…報告のために憲兵本部に戻ってみると、総監は居なかった。

私邸から迎えが来て
「今晩の「大佐さん」は6時間以上眠る責任が在ります」
とか言って連れ戻されていた。

仕方が無いので、報告書は書類にして提出しておく事にしたが、上官への報告は1つでも無かった。
他に報告する中の1つが出張予定の確認だった。
現状、イゼルローン要塞は惑星エル・ファシルの衛星に成っている。
これをもはや何処にも移動させない様に、後付されて来た航行エンジンを破壊するのも停戦合意の1つだったが、
その破壊の後を確認して再びエンジンを取り付けさせないための監視が続けられている。
自治共和国駐在の弁務官による正面からの査察だけでは無く、
われわれ憲兵隊の不意討ち調査で確度を上げて置くのが、結局は双方の利益だった。

その出張予定表と会談の報告書を明日の書類に紛れ込ませながら、
ふと想い出していた………。

……。

…イゼルローンと「奇蹟の魔術師」の名前が互いに結び付けられ始めた頃。

開設したばかりのローエングラム元帥府でウルリッヒ・ケスラーに引き合わされた頃の事だった。



[29468] 第7章『華のローエングラム元帥府』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/22 21:18
同盟領内に在るアスターテ星系からイゼルローン要塞を経由して帝都オーディンまでは、1ヶ月以上の時間的距離が存在する。
その時間の間にオーディンでは、論功行賞のための会議と事務が進行していた。

オーディンの中心市街には、ローエングラム伯爵家が断絶する以前からの邸宅が、当然の様に存在した。
伯爵家相続と同時に、世間体からもミューゼル時代の下宿からは引っ越して来ていたが、
おそらく「リップシュタット」までの短い間ながら姉を迎えて同居していたのは、この伯爵邸では無かったか?
現状での同居人はキルヒアイス。
他にも邸宅の管理だけでも最低限の使用人は雇わざるを得ない。これは平民階級の雇用問題でもある。
其の中に混じって、下宿時代の家主姉妹が通勤して来ていた。

伯爵邸を相続して具体的に利益と成った事は、伯爵令嬢が正々堂々と出入り出来る様に成った事だ。
今も訪問して来たヒルダを応接しているラインハルトとキルヒアイス、そして末座に控えた俺の議題は、つい先日に訪問して来た使者の件だった。
つい先日、ラインハルトがアスターテから戻るのを待っていた様に宮内省からの使者が「恐れ多い内意」を伝えに伯爵邸を訪問した。
その使者には邸宅に付いてきた骨董品を適当に渡して帰らせたが、重要だったのは「内意」の内容の方だった。
「ローエングラム上級大将を帝国元帥に任ずる。同時に宇宙艦隊副司令長官に任ずる」
元帥府の開設のみならず、宇宙艦隊18個艦隊中の9個艦隊の人事権を取得出来るのだ。
当然の様に、この場での話題は、誰と誰を艦隊司令官にするかの議論に成っていた。

先ず1個艦隊はラインハルト直属。次に1個艦隊はキルヒアイスに任せたい。
だが普通、艦隊司令は中将以上を当てるのだが、キルヒアイスは未だ正式には大佐であり
今回の論功で准将を飛び越えて少将に昇進する予定だっだ。これも帝国元帥と成るラインハルトの引きである。
「手ごろな地方叛乱でも起きてくれないかな」ラインハルトが物騒な事を言い出した。
ラインハルトは「能力的にもキルヒアイスは自分の代理人に相応しい実力を持っている」と信頼していた。
そのキルヒアイスならば、地方貴族の叛乱程度は少将相応の兵数規模で鎮圧出来るだろう。
そして鎮圧して凱旋すれば、その功績で中将に昇進させて艦隊を与えられる。
「その機会までは、何のかんのと理由を付けて1個艦隊を空けて置こう」
キルヒアイスは恐縮し、ヒルダは「何のかんの」の理由に属する提案をいくつか提出した。

残りは7個艦隊。
2人は当然ながら、すでに中将に昇進していた双璧だ。
さらに残る5個艦隊には、現状では少将クラスに甘んじているが以前からラインハルトが目を付けていた、
下級貴族や平民出身の少壮士官たちを抜擢する方針だった。
アウグスト・ザムエル・ワーレン…エルネスト・メックリンガー…カール・グスタフ・ケンプ…
…コルネリアス・ルッツ…フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト……

そこまでの名簿が作られた時点で、ラインハルトは何かに気付いた様にヒルダに向かい直して何かをわびた。
「フロイライン、決して私たちは貴女を忘れていた訳では無い。それどころか貴女を元帥府に欲しい」
「私は1人の兵士を指揮した経験も御座いませんが?」
「指揮官は揃(そろ)った。しかし参謀が欲しい。
いや、軍事的な参謀ならば私自身とキルヒアイスで十分だ。
目に見える敵に対しては私たちが陣頭に立ち、武力を持って攻勢に出るだろう。
だが、その足下や背中を別の種類の敵から防御するための相談役が必要だ。
そうした意味でも貴女のセンスと知謀は、1個艦隊の武力に勝る」
「過分の評価を頂きます」
そう言って軽く礼をとった後に続けた。
「しかし其れは、武力とは別の意味で手を汚す場合も在り得る役目かと。
しょせん私は名門の箱入り娘に過ぎません。
むしろ例えば憲兵本部の中などに、能力的にも人格的にも信頼出来る協力者をつくるべきでは」
むしろラインハルトは好機嫌だった。
「貴女は私に助言してくれれば其れで好い。今も適切な助言をしてくれた」
それから真面目な態度で続ける。
「やはり非公式な相談役では無く、例え文官待遇でも貴女を元帥府に出仕させたい」
そうなると元帥府独自の人事権に加えて、ラインハルトが伯爵である事、ヒルダが伯爵令嬢である事が
「この程度のワガママ」を通す役に立ちそうだった。それが帝国の現体制だった。
目的のために手段は選択するものだ。

続いての話題は、ヒルダが助言した「協力者」に移った。
確かにラインハルトがヒルダに求めているのは、直属の相談役である。
やはり実務に当たる実行者が、別に必要だった。
その方面の実務に優秀でラインハルトが信頼出来る誰かを、いったん元帥府に所属させた上で憲兵本部に出向させる。
そうなれば、ラインハルトにも候補者の心当たりは在った。
「かつて私は、ウルリッヒ・ケスラーと約束した。3年を待たずして約束を果たせるだけの地位を手に入れた」
「しかしラインハルト様。3年と言うのはケスラー提督(もう大佐からは昇進しているだろう)の任期の意味ですが」
「お前が反乱を1つ潰(つぶ)した位では欲張り過ぎかな?フロイラインの人事も在るしな。2つ3つ程度は潰す必要が在るかな」
ますます物騒な事を言い出した。

「ところでザルツ大佐」
末席で拝聴していた処へ、急に話題を振られた。
「卿は度々(たびたび)有益な情報を提供してくれた。その実績からしても、卿もケスラーと協力して情報面で活躍して欲しいものだが」
笑顔なんだが口に獲物をくわえたライオンの笑い方にも見える。
「どうかな?ザルツ准将」
確かに、俺を准将に昇進させる程度の権限は元帥府にでもあるだろう。
「ケスラー提督とともに憲兵本部へ出向しろ、との御命令であれば粉骨砕身の努力をさせて頂きます。
しかし准将の件につきましては
ケスラー提督の下で准将相応の実績を上げた時とさせて頂きたい、と愚考いたします」

……後年の憲兵本部特命室長ハンス・ゲオルグ・ザルツ中将。当時のザルツ大佐としては、こう返答するしか無かった……

視点:後世の歴史家

数日後、ローエングラム伯爵に正式に元帥杖を授(さず)ける儀式が執り行われた。

そしてイゼルローン要塞の陥落後、ローエングラム元帥府。
現時点では、ヒルダは未だ正式には元帥府に出仕してはいない。
したがって、今日の場合もラインハルトとヒルダの私的な友人関係による訪問、と言う形式である。
それでも、お互いの地位が「ワガママ」を通させていた。
だが話題は色気の有るものなどでは断じて無かった。

「フロイライン。言う処の我が帝国軍3長官は辞任するだろうか?」
「形式的にも辞表は提出せざるを得ないでしょう。それだけの事態です」
ラインハルトにしても、その程度の質問だけをする積もりも無い。
「私としては好機だろうか?」
現状の帝国軍の序列では、3長官とラインハルトの間に存在するのは幕僚総監クラーゼン元帥1人だけだ。
「今回の閣下は、むしろ3長官が現職に留まれる様に弁護なさるべきです」
「理由は?」
「今回の事態は、閣下であっても思いがけない突発事でしょう。
そんな望まなかった機会に飛び付かなくとも、これから堂々と武勲を上げて自らの手を届かせる積もりで居られたのでは。
むしろ、現状では閣下の上位者である3長官に、ここは恩義を感じさせて置くべきでしょう」
ラインハルトは満足した。
「その通りだ。フロイラインとケスラーの人事の事も在る。その取引材料ならば、むしろ安い…どちらにせよ、今の間だけだ」
それから軽く笑って付け加えた。
「1人分、余るな」
そして、ラインハルトがヒルダと対談している間は脇に控えていたキルヒアイスとも笑い合った。

……ところがヒルダを送った後、別な来訪者が押しかけて来た。

「……覇業を成就されるには、さまざまな異なるタイプの人材が必要でしょう。AにはAに向いた話、BにはBにふさわしい任務、というものがあると思いますが」
………。
「けっこう、キルヒアイス中将だけを腹心と頼んで、あなたの狭い道をお征きなさい」
………。
「……光には影がしたがう……しかしお若いローエングラム伯にはまだご理解いただけぬか」

「誤解して欲しくは無いな。大佐。私は宇宙を盗みたいのではない。奪いたいのだ」

……結局の処、オーベルシュタイン大佐の売込をラインハルトは黙殺した。

しかし、このまま見捨てるのも後味が好くも無い。
「死んだ猪や囚(とら)われの身に成った間抜けの身代わりに罰を受ける程、大佐も罪深くは無いだろう。
それに猪は彼の忠告を無視した結果だったらしいしな。
幸か不幸か、3長官との取引材料は後1人分だけ残っている」
キルヒアイスとヒルダも、ラインハルトに言われて微妙な態度ながらも同意した。

視点:とある転生者

「ザルツ大佐。卿の得てくる情報は興味深いな」
結局の処、とりあえずの俺の役目は元帥府の事務局に所属して、憲兵本部に出向するケスラー少将との連絡役を兼ねる事に成った。
そのため、気心を知るために飲みに来ていたのだが。
「情報源は秘密が原則である事は、私も承知だ。だから詮索はしない。だが例えば……」
ケスラーが例えたのは「カストロプ動乱」だった。

俺はヒルダがラインハルトを訪問して来た時、機会を捕らえて警告した事が在った。
「お父上は、カストロプ公爵家の相続に関係して奔走していらっしゃるそうですが……」
ヒルダが頷(うなず)くのを確認してから続ける。
「公爵領へ御自身で赴(おもむ)かれるのは危険です。人質にされる危険が在ります。
向こう側は既(すで)に其の積もりで準備を始めている可能性が在ります。
おそらくは、キルヒアイス少将に任せる事態に成るでしょう」

だが誠実なるマリーンドルフ伯爵は愛娘の忠告には感謝しながら
「これは私の役目だよ」と言い残して出立して行った。
こう成ると、と言うよりヒルダがローエングラム伯爵邸や元帥府に出入りしていた時点で、
キルヒアイスの任務には「マリーンドルフ伯爵を生かして連れて帰る」と言う任務が加わる。
逆説的ながら、それだけキルヒアイスをカストロプに対して出征させる名目は立て易かった。

当然ながら、俺は戦術的にはキルヒアイスに干渉していない。
そんな余計なジャマをしない方が好い筈だった。

「実に的確な情報だった」
その晩の酒の味は、表現し難(かた)かった。
「そんなに焦(あせ)る必要は無い。
それだけ的確な情報源を秘す卿が、明らかにローエングラム元帥の利益に沿って行動している。
卿の情報は、元帥閣下のために貴重だ」



[29468] 第8章『目的のためなら手段を選ぶ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/20 21:47
ケスラー少将がローエングラム元帥府から憲兵本部へと出向して何ヶ月かが過ぎた頃。

元帥府事務局での連絡役である俺は、ケスラーからの報告を受け付けていた。
殆(ほとんど)単身で乗り込んだケスラーとしては、
憲兵という軍内部の警察組織の中に親ローエングラム派閥をつくる事から始めざるを得なかった。
未だ未だ、その派閥づくりの段階だった。
そんなケスラーからの報告をヒルダを通してラインハルトに提出して、さて事務局の仕事に戻りながら
俺は『原作』知識を想い返していた。

……オーベルシュタインは、正論と評価されながらも好感は持たれなかった。

それは正論である事自体への反発と言うよりも、価値観の相違では無かったか?
極端だが其れだけに分かり易い例が「ヴェスターランド」だ。
キルヒアイスへの贖罪(しょくざい)意識が大きいにしろ、ラインハルトは恐らく夭折するまで、罪悪感から解放されなかった。
逆説的ながら、もしかしたら其の短い生涯で只1回だけだったかも知れない男女関係のトリガーに成った程、彼の精神に傷跡を残していた。
ところが、其れ程の苦悩を主君がフラッシュバックさせていた同じ時、冷然として主君の罪を被っていた。

ラインハルトとオーベルシュタインは、根幹では其れだけ価値観が異なっていた。
そのラインハルトと価値観を最も多く共有していたのは、やはりキルヒアイスだろう。
ヒルダや双璧その他の直属の部下たちも、キルヒアイスには及ばずとも多かれ少なかれラインハルトの価値観に共感していた筈だ。
だからこそ、ヒルダの考察でも価値観の多様性と言う観点からオーベルシュタインの存在を認めていたのだが、
その場合でも同時に「むしろヤンの様な人物に其の役割を」とも考察していた。
ヤンは元々、好敵手としてラインハルトに認められたのだし
ヤンの価値観は、帝国とは異なる多価値観を認める建前の中で育(はぐく)まれたものだった。

何故、そんな事を内心にしろ考察しているか、と言えば
時期的に「アムリッツァ会戦」が近付いている筈だからだ。
もっとも狭い意味での「アムリッツァ会戦」とは、同星域で戦われた1つの戦闘を意味する。
広い意味では、侵攻側の出撃から双方の撤収までの連続した戦役を言う。
この広い意味での「アムリッツァ」で帝国軍が実施した飢餓作戦は、どちらかと言えばオーベルシュタインの価値観に近い、とも想える。
少なくとも「ヴェスターランド」をめぐるラインハルトやオーベルシュタイン、
あるいはオーベルシュタインよりもより多くラインハルトと価値観を共有している筈のキルヒアイスの言動などを追っていけば。

実の処『原作』にも書いていなかった。誰の発案で、どう言う経過をへてラインハルトが飢餓作戦を決断したのかは。
オーベルシュタインは不在、よりラインハルトやキルヒアイスと価値観を共有している筈のヒルダが其の位置に入れ替わっている「現状」で
ラインハルトの決断は、どの程度まで影響されているのだろう………。

……。

…とある夕刻、俺はキルヒアイスに声をかけてみた。

「キルヒアイス中将。元帥閣下は対叛乱軍の戦略をお練りでしょうか?」
ラインハルト本人を回避してキルヒアイスにした辺りが自分ながらセコいが、笑顔のキルヒアイスに御持ち帰りされた。

当然の様にキルヒアイスは中将に成っても、ローエングラム伯爵邸に同居している。
その伯爵邸にラインハルトの方はヒルダをさそって帰っていた。
「ザルツ大佐。以前にも、この顔ぶれで論議した事が在ったな。確か、元帥府に誰と誰を招くか、と言う論議だったが」
元帥閣下に、こう言われたら「ヤー」以外の返答も無い。
「卿には時々、驚かされる。そうした時は結果からすれば有益な情報や提案だった。今回も参考に成る様な情報は無いだろうか」
「それは、お話次第です。ですが…私などが機密に関係しても好ろしいのでしょうか?」
「秘密保持を心得ない卿でも無かろう」その程度には信頼されている訳だ。

……やはりラインハルトは同盟軍迎撃の戦略を練っていた。キルヒアイスとヒルダとの3人だけで。

やはりシミュレーションとしてなら飢餓作戦も検討されたらしい。
だが、最終的には3人の合議で却下された。
ヒルダ曰く
「元帥閣下の目指しておられる事のためには、民衆を敵に回す危険は回避すべきです。
目先の勝利のためには成っても最終的な目的のためには選ぶべき手段では無いでしょう」
そんなヒルダにラインハルトは好い機嫌だ。
「フロイラインの主張では「目的のためには手段を選ばず」とか「目的が手段を正当化する」とかは、中学生向けのマキャベリズムらしい」

そもそもマキアベリが中学生向けの陰謀主義者だと言うのは、彼の主君が毒殺趣味だと言うのと同様、政敵による誹謗中傷だった。
彼が説いたのは「目的を達成するためにこそ手段を選択するべきだ」と言う事だった。

「私の目的は叛乱軍に勝つだけでは無い」
ラインハルトはハッキリと言い切った。
「これまでも私は、ただ叛乱軍に勝つだけでは無く、武勲を上げ私自身が力を手に入れるために戦って来た。だが
元帥府を開設した今と成っては、私の既(すで)に持っている力をより大きく強くするためには別の手段が必要だ。
私が抜擢した部下たちに武勲を上げさせ、力を付けさせる。その部下たちの上に立つ事で、私の力とするのだ」
ラインハルトは笑顔だが、ライオンの笑い方だ。
「私の目的を不純だと想うか?ザルツ大佐」

「ナイン」正直に想っていない。
「敵に対する敗因と成った時に、不純だったと言われるでしょう」
ウソもヘツライも無い。
「負けはしない。私も、私が選んだ提督たちも」
それからラインハルトは其の目的のために選んだ手段としての戦略を語り始めた。
「したがって私は、叛乱軍1個艦隊に其々(それぞれ)1個艦隊を当てる積もりだ。
私が艦隊司令官にした提督たちに、叛乱軍を撃退したと言う実績と実力を示す機会を与えるためにな。
そのための各個同時攻撃の体制を整える事が作戦の基本方針と成る。
これまでに入手した情報では、敵は8個艦隊。私は9個艦隊を持っている。
残る1個艦隊を活用すれば、さらに作戦の選択肢が増す」
俺は脳内で返答を選択した。

「私は閣下は無論、キルヒアイス提督や他の提督方にも実戦指揮官としては及びません。
そんな私が言うのも、おこがましいのですが敵にもヤン・ウェンリーが居ます。
私などではヤンの力量は分かりません。あの「奇蹟の魔術師」をはかる計器に適切なのは元帥閣下でしょう」
「そうだな。1個艦隊に1個艦隊ずつで対処したら、相手がヤン・ウェンリーでも確実に勝てそうなのは、私かキルヒアイス位かも知れんな」
実の処、ラインハルトでも後半歩で殺されかけたのがヤンなのだ。

「それに大佐。その前に敵8個艦隊が全てイゼルローン回廊から出て来て、決戦に応じてくれる必要が在る。
もしも回廊を抜けて帝国領内へ入り込んだ処で先頭集団を叩いた場合、残りの兵力が回廊から出て来なければ、
こちらもそれ以上、攻勢のかけようが無い」
「閣下。敵は民主共和政体であるが故(ゆえ)に好戦的と成る季節なのです」
流石に天才でもラインハルトも帝国の子。キルヒアイスもだ。ヒルダも聡明とは言え伯爵令嬢だ。
西暦21世紀日本だの銀河連邦だのの「前世」持ちでも無い。
「だからこそ、ヤンの騙し討ちまで6度もイゼルローンに攻め寄せたのです。
今回、ヤンがイゼルローンを確保しているにもかかわらず
平和攻勢では無く出兵して来るのも、共和主義者が好戦的に成る季節だからなのです」

「ほう」ラインハルトが又、ライオンの笑顔に成った。
「卿は叛乱勢力にも情報元を持っているらしいな」
それから別な笑い方をして手を振った。
「安心したまえ。私の不利益を図らない限り、卿の情報元の秘密は尊重する」
しかし、どうやら「この」情報はラインハルトの参考には成った様だった………。

……。

…宇宙時代とは言え、宇宙の全ての天体に固有名が付けられている訳では無い。

先ずは有人惑星。次に有人惑星を持つ恒星系が優先される。
無人の衛星などは、例えば(恒星名)4=2と言った符丁で処理される。
いや恒星自体、航路局の割り振った数字とアルファベットだけの符丁で処理されている方が多数派なのだ。

そんな符丁で処理されるだけだった星系がローエングラム元帥府に所属する9個艦隊中8個艦隊の集結地に選択された理由は、
軍事戦略からは明解だった。
イゼルローン回廊を帝国側へ抜けるポイントから惑星オーディンを有するヴァルハラ星系へと結ぶ線上に沿って、
有人惑星を持つ星系の手前に位置していた。
『原作』でのフェザーン回廊から同盟領、後には新領土への3回の侵攻のうち2回の決戦場にランテマリオ星域が
残る1回も隣り合うマル・アデッタ星域が選択された、その全く同様な選択だった。

元帥府事務局の仕事の続きで戦艦ブリュンヒルトに乗せられて、この符丁で呼ばれていた星系まで、俺も遣って来ていた。

後にラインハルト・フォン・ローエングラムによって、この星系と、始まろうとしていた戦役の名が命名される事に成る。



[29468] 第9章『新ティアマト星域会戦(その1)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/04 21:04
戦国日本の島津軍は「釣り野伏」と名付けた戦術を多用した。
しかし、これに類似した戦術は古代から近代までの西方から東方までの様々(さまざま)な軍隊が試し、その幾(いく)つかは成功した。

いわゆるヤン艦隊も「うちの艦隊は逃げる演技ばかりうまくなって」と言うくらいの常套手段だったが
帝国軍それもラインハルト陣営が「釣り野伏」を使わなかった訳でも無い。
『原作』でも双璧が、ガイエスブルグ撃滅後の撤退戦で、ヤンの部下の筈だった相手に対して成功している。

今回「釣り」の役目を引き受けたのはキルヒアイス艦隊だった。
何と言っても、敵と同数の8個艦隊を「野伏」に当てるのが前提であり、1個艦隊で敵8個艦隊を決戦場となる星系まで誘導しなければ成らない。
そして「野伏」8個艦隊と敵8個艦隊が同時衝突した後は、今度は敵にトドメを指す予備戦力と成る。
成功すれば最大の功績が期待出来るが其れだけ難度も高く重要な任務を、ラインハルトは能力的にも最大の信頼を向ける親友に割り振り、
自分は8人の敵の中で自分だけが勝利出来るであろう「奇蹟の魔術師」に立ち向かう予定だった。

……この星系が符丁で処理されて来た理由は、簡単と言えば簡単だ。

恒星だけの孤独な星系であり、直ぐ後方に在る地方貴族の私領とは言え、有人惑星を持った星系の様に命名する価値は無かった。

その恒星を、予想される同盟艦隊の進行方向に対して盾にする位置で、総旗艦ブリュンヒルト以下8個艦隊が待機していた………。

……。

…俺、ザルツ大佐は例によってラインハルトの玉座の後ろに立っている。

「キルヒアイス艦隊旗艦バルバロッサより入電!」
オペレーターからの報告が上がって来た。
9個艦隊中もっとも通信能力が高いのはブリュンヒルトそして姉妹艦のバルバロッサだ。
本来の建造コンセプトからすれば、大将以上の専用艦である筈のバルバロッサに
中将に成ったばかりのキルヒアイスを乗せているのはローエングラム元帥である。
しかし現実に役立っていた。
ブリュンヒルトのスクリーンに窓が開き、バルバロッサからデータリンクされて来た情報が投影される。
同盟軍8個艦隊が次々と、この星系に接近して来つつあった。

だが各艦隊が縦に並んでいても、1匹の「俊敏なる蛇」の様な1つの陣形にまでは成っていない。
当然だ。そのためなら「蛇の頭」に位置しなければ成らない総司令部はイゼルローン要塞に引っ込んでいる。
そして各艦隊旗艦の艦型も識別された。敵第2陣に戦艦ヒューベリオンが確認出来た。

……ラインハルトの命令が下る。

「全艦出撃!!」
敵視点から見れば、恒星の周囲に8条の光芒が見えただろう。
だが其れは、頭上に蛇を持つ顔を刻まれた伝説の盾から8匹の蛇が放たれた様に、同盟軍8個艦隊へと同時に襲い掛かった。

……ラインハルトの読みは当たった。

敵は連携が好くない。
ズルズルと8対8では無く、8組の1対1へと落ち込んでいた。

俺はラインハルトの後ろに立っていながら、俺なりの軍人教育と実戦経験を動員して戦意を保とうとしていた。
「敵はアスターテの敗残者どもだ!」ラインハルトは獅子の吼え声を上げる。
その通り「アスターテ会戦」でラインハルトに撃滅された3個艦隊の生存者と残存戦力を再編成したのが「ヤン艦隊」なのだが
現状、指揮しているのは「奇蹟の魔術師」だ。
ヤンに「汚染」された兵士たちは、もう士気の観点からも敗残兵などでは無い。
逆に、この旗艦がブリュンヒルトだと気付いたら「アスターテの仕返しだ!」とばかり戦意を高ぶらせかねない。
しかし、キルヒアイスも居ないラインハルトの後ろで、こんな足を引っ張る様な発言を表に出したら逆鱗に触れるだろう。

大体、俺ごときに分かる事に「戦争の天才」が気付かない筈が無い。
そして、この「天才少年」には凄(すさ)まじいまでの感性と「目的のために手段を選ぶ」戦略家が混在している。
ともすれば戦意過剰に成りそうな自分をコントロールしつつ、この会戦の目的のために時間を稼ごうとしていた。
自分の抜擢した艦隊司令官たちが其々(それぞれ)に手柄を立てる時間、
そして「釣り」の任務を果たした後は、今度は自分が恒星の向こう側を迂回して来ながら予備戦力として待機しているキルヒアイスが
敵にトドメを指して最大の手柄を立てる時間を、である。

だが、相手はヤンである。
時間稼ぎだけでもラインハルトですら全能力稼動を必要としていた。
ブリュンヒルトの旗艦能力の高さで、情報だけはリアルタイムで入って来ているが、
部下たちに命令する余裕は、ラインハルトでも簡単には手に入らない。
目前のヤンへの対応で手一杯に成りがちだった。

……ブリュンヒルトのコンピューターが解析したヤン艦隊の陣型が、半月型に変わり始めた。

「わが艦隊の右から攻撃を集中する積もりだ。こちらも右を守れ」
ラインハルトが先手を取った。

すると今度は左へとシフトして行く。
「左を防御」

再び右へシフト。
「また右だ。遅れるな」
ケンプには悪いが、ラインハルト相手では同じ戦術でも通用しない様だ。いくらヤンであっても。

……そのラインハルトの後ろに立っていながら、俺ことザルツ大佐は、ヤンの姿を想像するばかりだった。

後の特命室長ザルツ中将ならば、この時の戦艦ヒューベリオンの「円卓」で記録された資料も入手可能だったが。

「流石にローエングラム伯爵は「戦争の天才」だ。つけこむ隙も逃げ出す隙もない」
「逃げるのですか?」あえて常識論を提出するのが役目と心得ている。
「この場での勝敗は無意味だ。周りの味方が負けたら敵中に孤立する。
そしてローエングラム伯爵の狙いも、そこなんだ。私が彼の目の前から逃げ出して、他の味方を助けに行かせない積もりだ。
私ごときを過剰評価してくれるのは光栄だがね」
「成程」
「こうなったら、これしかない。もっとも、敵がこれに乗ってくれればだが……」

……ヤン艦隊副司令官フィッシャーの艦隊フォーメーションは成程、名人芸だった。

半月陣から左右にシフトし続けていた陣型が、何時の間にか三日月型に変化していて、さらにU字型に再編されながら後退して行く。
「あの中に誘い込んで3方から攻撃、私が怯(ひる)んだ隙に味方を援護に行くか……」
残念ながら、相手がラインハルトだった。

やっぱり、ザルツ大佐ごときが手も口も出せる勝負じゃ無い。
俺は、他の敵味方の状況確認に仕事をシフトした。

ミッターマイヤー艦隊は疾風に相応しい速攻で、同盟第9艦隊を振り回している。
ちなみに「疾風」は「第6次イゼルローン戦」時点でラインハルトから命名済みだ。
これに対して双璧の相棒は、今のところ互角なのは敵がビュコックだからだろう。
百戦錬磨に防御を固められては流石のロイエンタールでも閉口するらしい。
だが、第9艦隊を手一杯に追い込んだ疾風が、その疾風らしい素早い転進でビュコックの死角を突付いて相棒に突破口を開かせる。
すると、老将が立ち直るまでの間だけ余裕を持ったロイエンタールが今度はミッターマイヤーを援護し、
その間に再び疾風が第9艦隊を振り回す。

双璧でも片方だけなら、百戦錬磨は互角近くに戦える様だが、2対2に持ち込まれたら連携度が違い過ぎた。
『原作』知識を持っている俺でも、双璧相手のタッグマッチで戦えそうなペアと成ったら、ラインハルトとキルヒアイスくらいしか思い付かない。
後はビュコックの相方がヤンだった場合か。
今のビュコックも、せめて隣がウランフかボロディンでいて欲しかったろうが、
星域侵入時の第1陣だったウランフはビッテンフェルトと「前世」言う処のガチバトル状態。
最後尾の第8陣だったボロディンは、味方の端でルッツと戦っている。

同盟側で互角に戦えているのは、この辺りまでで、残りは帝国側が押していた。
ラインハルトが期待して元帥府に招いただけの実力を示し始めていた………。

……。

…8組の1対1、と言うべき今回の基本方針からは、ラインハルトが天才でも余りに細かい命令までは事前に下し切れない。

そして戦闘が始まってからは、ラインハルトでさえヤンとの戦いに集中せざるを得なかった。
だが、ラインハルトが抜擢した提督たちならば、以下程度の基本方針で必要にして十分だった。
「敵を恒星の方向へ押し込め」
今や、ヤン艦隊を除いた同盟軍7個艦隊は、ジリジリと恒星の方向へ押し込まれ始めた。
そこには、トドメの一撃を期待されるキルヒアイスが待っている。

ラインハルトはブリュンヒルトのスクリーン正面に見えるヤン艦隊から、開いている窓の戦況図に瞬間だけ注意を向けた。
「キルヒアイスはまだ来ないか?」



[29468] 第10章『新ティアマト星域会戦(その2)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/08 23:48
今や同盟軍7個艦隊は、それぞれ正面から帝国軍各1個艦隊ずつに押し込まれながらも、何とか踏みとどまろうとしていた。
彼らとて、最初に彼らを「釣った」1個艦隊が未だ敵に残っている事。
おそらく、現状で彼らの後方に成っている恒星の向こう側に隠れているくらいは想像出来ているだろう。

その同盟軍の後方に、恒星の向こう側から遂(つい)にキルヒアイス艦隊が出現した。
旗艦バルバロッサが陣頭に立ち、急速に接近して行く。
これに対して、未だ何とか対応する時間的距離は残っている、とでも想ったか同盟各艦隊が最後のモガキを見せ始めた。
だが、この時のキルヒアイスは新兵器によって敵を奇襲した。
事前に「例え敵に想像を絶する新兵器があろうとも、それを理由として怯むわけにはいきません」とか演説した同盟軍参謀が居たそうだが、
この新兵器は同盟軍としても「まさか」よりも「やはり」という形で表現される筈だった。
何せ「第5次イゼルローン攻防戦」から遠くない時点で、開発中の新兵器を手土産に亡命しようとした帝国貴族が存在した。
サンプルに持ち出した実物は奪還されたものの「こんな新兵器が開発中である」と言う情報を知っていた亡命者は同盟側に保護され、
侵入していた奪還者は、その新兵器で突破口を開いてイゼルローン回廊に逃げ込んだのだ。

「指向性ゼッフル粒子を放出せよ」
ナノマシンに誘導された見えない粒子が、未だ宇宙戦艦の主砲でも有効射程外の筈の空間を横断して、同盟艦隊に浸透していった。

変化は、少なくとも同盟軍には突然だった。
戦艦バルバロッサが、本来1隻の敵も居ない筈の仮想の1ヶ所を狙って主砲を炸裂させると、
その仮想の1ヶ所から7本の火炎と爆発の道が同盟軍の7個艦隊へと其々(それぞれ)に延びて行き
それぞれの艦列のド真ん中で大爆発した。
この奇襲効果を見逃す様な凡将はローエングラム元帥府には抜擢されない。
同盟軍各艦隊と其々に対決していた各艦隊が好機を逃さず全面攻勢に出て、それぞれが担当していた敵艦隊を突き崩しながら
向こう側から急速接近するキルヒアイス艦隊の方向へと追い遣り始めた。

もはや同盟軍は正面からは帝国軍に押し込まれ、左右は押し込まれて来る味方がジャマし合い、そして後方の逃げ道もキルヒアイスに迫られ
ズルズルと主導権ばかりか艦隊フォーメーションを立て直す余裕すら奪われて包囲殲滅の危機に直面していた………。

……。

…この時、ラインハルトに引き離されていたヤン艦隊だけが、包囲の外に居た。

ヤンは装甲の厚い艦を並べて防御壁をつくり、その隙間から火力で反撃しながら、何とか味方の方へと艦列をシフトさせようとしていた。
これを見抜いたラインハルトもヤンに合わせて艦列を横ずらせ、ヤンにしてみれば味方の生命が賭けられたカバディが続いていた。

「行かしはしない。だが…10万隻の包囲殲滅戦ははじめて見るな」
そんな感想を漏らしたラインハルトが何気なしに横を見て、ヤンの狙いを見破った。
ヤンとのカバディを続けている間に、何時の間にか恒星が、やけに大きく近付いている。
「レグニツァだ!」
例えヤン相手でもラインハルトならば、実行されて分かるほど、してやられはしない。
だが、ここは瞬間だけ遅かった。
恒星から伸びて来たプロミネンスが、ヤン艦隊をブリュンヒルトのスクリーンから隠した。

……ラインハルトは1回だけ肘休めを殴り付けて冷静さを取り戻した。

その後ろで俺は、今更ながら「奇蹟の魔術師」の意味を知っていた。
ヤンは智将のイメージが大きい。その特長は、歴史家として学習した戦史知識の豊かさである、と想われている。
だが敵味方の膨大な生命を賭ける実戦の中で、なまじ莫大な知識の中から1つだけの正解を、どうやって検索しているのか?
ある程度ヤンの内面まで記述された『原作』を深読みしてみれば、想像だけは可能だ。
目前の戦場を、陣頭に立っているからには自分自身の生命すら賭けのチップに成っている最悪のギャンブルを認識しながら、
なおかつ「後世の歴史家」の視点で俯瞰(ふかん)して視る事が出来る
その言わば神の視点を可能にする彼自身の精神こそ、ヤンを「奇蹟の魔術師」にしているのだ。

その意味でもヤンに立ち向かえるのは、やはりラインハルトだけだ。

そのラインハルトは、瞬間だけは見失ったヤン艦隊の意図を早くも見抜こうとしていた。
もっともヤンは、意図そのものだけは隠す積もりも無いと疑わせるほどの猛進をしている。
その猛進の延長線上に位置しているのは……
「戦艦バルバロッサを呼び出せ!キルヒアイス提督にビッテンフェルト艦隊を援護させる」
正面攻撃ならば帝国軍最強なのが黒色槍騎兵だが、その代償が側面や背面の防御だった。
無論、普通の敵に短所を突付かれた程度で負けるほど弱くは無いが、敵はヤンだった。

……後に報告させた戦闘記録と、これも後に入手出来たヒューベリオンの記録によれば、事の顛末は以下のごとくだった。

すでに包囲の環は閉じ、徐々に縮み始めていた。
「包囲の中の敵は密集しているだけに狙わんでも撃てば当たるが、そればかりでも詰まらんな。それにそろそろ左右の味方で窮屈に成って来た」
らしいと言えばビッテンフェルトらしい。
「好し!ワルキューレを出せ。ワルキューレなら、あの中に突入して、もっと敵を倒せるぞ」
だが母艦機能を持つ全艦が全機を発進させ終わるよりも前に、ヤンが出現した。
「敵らしきもの、後方より急速接近」
「全艦一斉回頭!どうせ、そろそろ周りの味方で窮屈だった位だ。包囲の中の敵は任せる。わが艦隊は、この新手の敵と戦うぞ!」
決断が遅い、と言う弱点だけは無かった。
決して黒色槍騎兵は、回頭が間に合わないままの横腹を撃たれたのでは無かった。

だが、ヤンは見破っていた。
「戦闘艇を発進させ終わってない敵艦を識別出来るか?そこへピンポイント攻撃をかけろ」

ただでさえ1隻の防御力を飽和させるヤン艦隊の1点集中砲火が、母艦よりも防御の弱過ぎる誘爆物を露出している処へと狙い撃ちしたのだ。
ワルキューレの誘爆で黒色槍騎兵の艦列には次々と穴が開き、その穴をヤン艦隊の特技、1点集中砲火が抉(えぐ)り続け拡げていく。
それでも尚「怯むな!反撃しろ!わが艦隊に退却の文字は無い!!」などと叫ぶのがビッテンフェルトだった。

「好し、今だ!あの黒い艦隊に残存戦力のすべてを一挙に叩きつけろ。1点突破で味方を逃がすんだ。急げ!」
同時に副官を振り返った。
「中尉。何としてでもビュコック提督の旗艦リオ・グランテを呼び出してくれ」
そしてヤンはビュコックに、こう言った。
「私の艦隊が脱出口を確保します。そのスキに各艦隊の指揮系統を再編成しつつ、イゼルローン要塞への撤退をお願いします…
…ご心配なく。あいにく自滅や玉砕は私の趣味では在りませんから」

……そのヤンを追うラインハルト艦隊の中に、当然に俺は居た。

だが、ヤンに追い付いたラインハルト艦隊と黒色槍騎兵を援護するべくシフトしたキルヒアイス艦隊から、今度は
ダムに開いた穴から溢(あふ)れ出る水流のごとく流れ出た同盟軍の残存艦たちがヤン艦隊を隠した。
このスキにヤン自身も撤収を開始した。
「よし、全艦隊、逃げろ!」とでも命令しただろうか?
尚も味方を逃がすため、追撃する帝国軍の先頭へとピンポイント攻撃で出足を止めながら、ヤンは逃げて行った。

……ラインハルトは、もう1回だけ肘休めを殴り付けて冷静さを取り戻すと、新たな命令を下した。

「全艦隊、包囲殲滅戦から追撃戦に移れ。
どうせ奴らは、この星域からイゼルローンまで逃げ帰らなければ成らないのだ。
彼らの故郷までの道は遠い。脱落者ことごとく、卿らの手柄首にしろ」
とかく戦闘中に発せられる言動は、トキの声まがいの戦意をけしかけるものに成りがちだが、
この場合は、具体的な指示を兼ねていた。

命令を下し終われば当然に通信は切られるのだが、あえて俺はバルバロッサとの回線切断を最後にした。
そして玉座の周りの結界を遮音にして階段の下の艦橋に降りた。
おそらく、結界の中のラインハルトはキルヒアイスに向かって
「ヤン・ウェンリーはなぜ、いつもおれが完全に勝とうというとき現れて、おれの邪魔をするのだ?!」
とでも訴えている事だろう。
それが、もっとも狭い意味での「新ティアマト星域会戦」終了の儀式だった。



[29468] 第11章『新ティアマト星域会戦(その3)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/09 22:20
第2次大戦における「ガダルカナルの戦い」は大日本帝国にとっての「終わりの始まり」として知られるが、
連合艦隊の視点では「吸血戦」の側面を持っていた。

敵航空基地の沖合での戦いである。
夜の間の海戦自体に勝とうが負けようが、夜が開け空爆が始まる前には撤収しなければ成らなかった。
何隻の敵艦を撃沈し自艦は浮いていても、つまりは海戦には戦術的に勝利していても、
空爆から脱出出来るだけの航海能力を減失していれば未帰還の結果が待っていた。
そして退艦者が泳ぎ着くのは、敵の島である。
本来、海軍と言う軍隊は軍艦と言う機械に乗って戦う。水兵に採用してから、そうした機械を取り扱えるよう教育していた。
特に当時ならば徴兵してきた普通の青年に銃を持たせていた陸軍に比較すれば元々、志願兵や下士官(職業軍人)の割合が高かったのだ。
その折角(せっかく)教育した人的資源を危険に晒(さら)す、そんな前提条件の戦いだったのである。

いわゆる「ヤン艦隊」は「アスターテ会戦」でラインハルトに撃滅された3個艦隊を再編成したものである事は知られているが、
なぜ1個艦隊分の生存者や残存戦力を救助出来たか、と言えばアスターテ星系の位置が理由に出来る。
イゼルローン回廊を同盟側に抜けた同盟領内にアスターテは位置し、ラインハルトは勝利してもイゼルローン要塞へと撤収していた。

……『原作』での「アムリッツァ会戦」の様に、辺境とは言え有人惑星の存在する辺りまでの侵攻を許した訳では無い。

だが「その」手前辺りまでは引き込んで『原作』ではイゼルローン回廊に近いアムリッツァ星域で戦われた決戦を戦わせた。
そうして包囲殲滅をしかけた、少なくとも包囲に成功して殲滅しかけた上での追撃戦だった。
会戦の場所と成った星域からイゼルローン回廊の出入り口までの間に、ポロポロと同盟軍の艦列から損傷した艦が脱落し、
そうした脱落艦や、何とか撃沈前に脱出だけは出来た救命艇の乗員が帝国側の捕虜に成って行った。
実の処、正確な統計は後に入手出来る様に成った同盟側資料と突き合わせた結果だが、
狭い意味での会戦で発生した戦死・行方不明よりも、その後の追撃戦での脱落者・捕虜の方が
この戦役での同盟側の未帰還者を増加させていた。

……帝国軍の旗艦ブリュンヒルトの艦上。

すでにイゼルローン回廊の帝国側出入り口が近い。そして実は「あの」アムリッツァも近い。
少なくとも帝都オーディンからの距離からすれば
ちょうど地球上で東京を基点にして、ニューヨークとワシントンDCが近い遠いと言う感覚だろうか。

狭い意味での会戦が戦われた星域から、同盟軍を追撃し戦果を拡大しながら、ここまで来ていた。
そしてブリュンヒルトのスクリーンには、強行偵察艦からの映像が映し出されている。

ここまで収容して来た敵の捕虜の数そして尋問の結果からすると、『原作』での「アムリッツァ会戦」に相当近い損害を与えられた様だ。
だが其の代償として、こちら側の各艦隊も無傷とはいかなかった。
やはり腹を減らせ弱らせた敵では無く、行き成りの全面決戦だったのだ。
結局の処、帝国側の民衆を飢えさせたり、占領軍に対して暴動に追い込んで傷付けたりする代わりに、
ラインハルト軍の兵士が犠牲に成った、とも言える。
だがラインハルト本来の目的が表面化する時は、この事実も「ローエングラム伯爵は民衆の味方だ」との宣伝材料に使われそうだ。

特に黒色槍騎兵は…言わずが武士の情けだろう。
それでも「この」程度の損失は回復可能だけの余力が帝国には残っていた。貴族を平民に寄生させながらでも。
そして同盟側には、おそらく回復余力を超えた損失を与えた筈だ。
だが、それでもヤン艦隊だけは推定3分の2以上が生き残って帰ろうとしている。
最後まで踏み留まって味方を逃がしながら。しかも、ここへ到着するまでに先行する味方からの脱落者を少なからず救助していた。

そのヤン艦隊が殿(しんがり)を全うして、イゼルローン回廊に消えて行く。
見送るラインハルトは、まるで肉に喰らいつく寸前のライオンが尻尾を振っている様な笑顔だ。美人だけに尚更こわい。
ヤン艦隊を最後に、すべての同盟軍がイゼルローン回廊に撤収した事を見届けて、ラインハルトもブリュンヒルトを反転させた………。

……。

…未だラインハルトは、報告を受けるだけの立場では無い。

ブリュンヒルトを反転させると、宇宙艦隊「副」司令長官としてのラインハルトは、司令長官を超光速通信で呼び出した。

「ご苦労だった。ローエングラム元帥」
3長官と纏(まと)めても司令長官は本来、実戦部隊の指揮官だ。
惑星オーディンの地表上では無く、旗艦ウィルヘルミナをヴァルハラ星域周辺に待機させていた。
「優秀にして信頼出来る部下に恵まれました」これをラインハルトは言いたかった。
荘厳に頷(うなず)く司令長官。
「卿と卿の部下たちは、ただ航路局が割り振っていた符号を戦史に残る戦場の名に変えたのだ」
「その件で愚考いたしました事が在りますが」
ラインハルトは礼儀正しい演技で提案した。
「この星系を以後「新ティアマト星系」と呼んでは如何でしょう」
「新…ティアマト、だと?」
「いかにも。小官も軍務に就いている以上は戦史を学習せざるを得ませんでしたが
「第2次ティアマト会戦」における「軍務省にとって涙すべき40分間」には帝国軍人として悲憤慷慨せざるを得ませんでした。
しかし、幸いにして今回は、叛乱軍が同様の涙を流した事で在りましょう」

後日ながら同盟は、艦隊司令として出征した8人の中将の内、ヤンとビュコックを除く6人に対して元帥への2階級特進と国葬をもって報いた。

重々しく司令長官は顎(あご)に拳(こぶし)などを当てていたが、数秒後には天井に鼻先を向けて大いに笑っていた。

かくて後世の戦史では、この戦いは「新ティアマト星域会戦」と呼ばれる事に成る………。

……。

…繰り返すが、帝都までの帰路の長さからすれば「アムリッツァ星域」と大差ない辺りまでブリュンヒルトは遠征して来た。

だが『原作』では、有人惑星が存在する辺りまで侵攻側を引き込んで、飢えさせるまで待ってから攻勢に出ていた。
しかし「今回」は、“その”手前まで「釣る」なり決戦を戦ったのだ。
それだけ決着は早く着いている。
つまり、俺ことザルツ大佐だけが知っている事ながら、皇帝フリードリヒ4世が未だ生きている間に帰り着く計算に成る。
4世が死んだ瞬間、ラインハルトが戦場からの凱旋途中では無く惑星オーディンの地表上に居た場合、どの程度まで影響が出るのか?
だが“この”情報だけは「現世」ではヴァルハラまで持って行く種類の代物だった。

……そんな「前世」からみの事をクヨクヨ考え過ぎた結果か、唐突な夢まで見た。

何回かの「前世」の中で『銀河英雄伝説』と言う小説に嵌(はま)っていた年頃
その頃やはり嵌っていた、とある美少女ゲームの夢だった。
正確には、オマケに付いていたミニゲーム中のエピソードだ。
プレイヤーキャラクターが、何人かのヒロインたちの中でライバル関係だった2人を仲直りさせる話だが、
何とも「シュークリームを作らせる」と言う仲直りの方法だった。
材料集めやら製法やらでドタバタした挙句(あげく)1人のヒロインが作ったクリームを、もう1人のヒロインが作ったシュー皮に包んで食べさせた。
「シュークリームと言う御菓子には、クリームもシュー皮も両方必要なんだ」
と言うオチだった。

確か「シュークリームは甘いお菓子だが、クリームの中の砂糖だけよりもシュー皮に入れた塩の隠し味で更に甘く成る」とかで、
美味しい塩を手に入れようとする、と言うのがドタバタの1つだった。

……だが「前世」と言うのは「現世」に限ったら、結局のところ記憶である。目が覚めればオーディンへと帰るブリュンヒルトの艦内だった………。

……。

…帝都に戻った俺は、元帥府事務局で書類とケスラーとの連絡事項とに追い回される毎日に戻りかけた。

正し、書類は増えていた。当然である。
あれだけの戦いの後始末だ。勝ったから、と言って後始末が減る訳でも無い。
特に手間をとるのは論功行賞である。
ラインハルトは「自分自身よりもキルヒアイスを筆頭とする部下たちに手柄を立てさせる」と言う目的を、ほぼ達成した。
それだけに、元帥府から軍務省へと提出される推薦状その他だけでも書類は増えていた。
そして、そうした書類が全て処理し終わる前に来るべき時が来た。

皇帝が死んだ。



[29468] 第12章『閑話らしきもの(その2)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/22 21:21
*作者が勝手に「アニメ版」『銀河英雄伝説』に対して「ここがこうだったら」などと思っている事です。

vol.54『皇帝ばんざい』のEDは「ワルキューレは汝の勇気を愛せり」だったら、もっと好かったな、と今さら想っています。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

戦艦ブリュンヒルトでのラインハルトの席を、無造作に玉座に例えて来たが
本来の意味での玉座は、銀河帝国の只1ヶ所にしか存在しない。
その本来ただ1つの「玉座の間」にラインハルトが踏み込んでいた。
正面の大扉を通り抜けたラインハルトは、王朝の臣下たちが列を成す中央に出来た回廊を、紅いカーペットを踏んで進んでいく。
そして、玉座を見上げる階段の下まで進んだ。今までならば、ここで留まり膝を屈した。
だが、今日だけは尚も階段とカーペットを踏みしめて昇っていく。
階段の下から見守る群像には、黒地に銀を飾った軍服の背中が今日の儀式のための豪華なマントに隠されていた。

階段の上には待っていた。
玉座の片側には、大公妃のドレス姿も美しい姉が。
その反対側には長身を元帥の軍服に包み、正装の勲章も凛々しい親友が。
ラインハルトは孤独では無かった。
今日のドレス姿もラインハルトの正装に合わせたヒルダを片手にエスコートして昇ってきた。
そのヒルダを片腕から解放すると、キルヒアイスがアンネローゼの側に移動してヒルダに場所をゆずった。

ラインハルトは玉座への最後の一歩を近付く。
その玉座の背もたれの上に付けられていた「双頭の鷲」の飾りは「黄金獅子」に取り替えられていた。
座上に安置された、黄金の冠の頂上に付けられている飾りも同様だった。
その宝冠の前で最後の閂(かんぬき)の様に両方の肘休めに乗せられていた錫杖(しゃくじょう)を片手で取り上げる。
続いて宝冠に両手を伸ばした。
そして頭上に持ち上げる。無造作に、しかし誰ひとりまねしようのない優雅さをもって。

次の瞬間、見上げる臣下たちの瞳に映った。
黒と銀の大元帥の軍服姿を玉座に腰かけさせ、黄金の冠と黄金の髪をひとつに溶けあわせた彼らの皇帝の姿が。

「ジーク・カイザー・ラインハルト!」の唱和が「玉座の間」に響(ひび)き、繰り返されながら木霊(こだま)し続ける。
ローエングラム王朝が、ここに始まる………。

……。

…そんな「玉座の間」の末席。

この即位のオコボレで中将に昇進したばかりの俺ことハンス・ゲオルグ・ザルツ新中将は、当然に唱和していた。

間もなく式典が無事に進行しパーティーにうつると、適当に歓談しながら物想いに浸(ひた)ったりした。

『原作』によると、5月25日付で当面は存続させた同盟との和約を成立させた、和約の名からして其の時はバーラト星系に居ただろうラインハルトは
6月22日に惑星オーディンで戴冠している。
その間隔と同じくらいの時間を、ハイネセン~イゼルローンあるいはオーディン~イゼルローンの移動に消費している記述が在るが、
ハイネセン~フェザーン~オーディンの経路は時間的距離からしてもイゼルローン経由よりも近道な訳だ。
それでも、ラインハルトを乗せた戦艦ブリュンヒルトがオーディンに帰り着いた時点で、せいぜい数日前。
ブリュンヒルトからの超光速通信で指示して準備させて置かなければ、実際的に不可能だったろう。
例えば国務尚書に指名していて、おそらく「この」儀式の取り仕切りが初仕事だっただろうマリーンドルフ伯爵その他に、とかである。

実際に、そうだった。
そして俺は、その準備の事務方に関係していたため、ある程度の楽屋裏を知る立場だった。

……儀式の準備をする側の視点からは、真面目に処理しなければ成らない問題の1つが席順である。

列席者を武官と文官に大きく分ければ、文官側の第1席はマリーンドルフ伯爵自身だったが、武官側の第1席では多少の紆余曲折が在った。
問い合わせるべき武官側からの出席者の殆(ほとんど)がフェザーン回廊からの凱旋途中だった、と言う事情も在ったが
最前列に同格者が2人出来ていたのだ。

大元帥である皇帝ラインハルトに次ぐ元帥と定められたのは、キルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタールの3人だったが
この3人の中から第1席を選ぶならばキルヒアイスだと、双璧も納得していた。
だがキルヒアイスの位置は階段の上、玉座の側でラインハルトを待つ、と決まった。
もしも他の臣下と並べて階段の下から見上げさせたら、皇帝がスネただろう。
残る双璧が互いに譲(ゆず)り合ったため、愛娘ほども武官たちの気心を知っているとも限らない伯爵には決めかねる事に成った。

それに伯爵としても席順だけに悩んでいる事も出来なかった。
某日、伯爵は皇宮を訪問する。
幼帝と言うにも幼過ぎる女帝カザリン・ケートヘンの親権者として皇宮に引っ越して来てから1年足らずのペクニッツ公爵が応接した。

伯爵と公爵が2人切りで、どのような会話を交わしたか、と言う事は後世の歴史家には想像力を少なからず刺激される事だったが、
正確な内容は当の2人しか知らない。
ローエングラム王朝の「正史」に残る事では、以下のごとくである。

数日の間に、何度か伯爵が公爵を訪問し、そして何回目かの密談の後
2人は乳母に抱かせた女帝を伴って、第3者の前に公式交渉の場を移した。
そして女帝を隣の席に寝かせて卓に着いた公爵は
伯爵が宮廷の礼節を墨守しながら拡げた書類を今いちどだけ通読してから、羽ペンを受け取った。
そして書類の末尾に記入した。
―女帝カザリン・ケートヘンの代理人としてペクニッツ公爵―
ゴールデンバウム王朝の、これが終焉であった。

……これに先立つ密談の内容は、結果だけなら明らかに成っている。

女帝には公爵令嬢としての余生が―と言うには余り過ぎているが―新皇帝の名において保障された。
今ひとつ、これに比較すると見た目ささやかとも言えなくも無い談合が伴(ともな)った。

後にローエングラム王朝側が公認(?)した処によると、
数日間に何回か繰り返された談合のうち、残り1回か2回に成った時に公爵の側から提案された事に成っている。
「私も、式典には列席すべきだろうか?」
誠実にして、かつ其れは愚鈍の同意語では無い伯爵も、瞬間だけ公爵の真意を深読みしようとした。
まるで、自ら晒(さら)し者に成る事を希望するのか、とでも錯覚しそうだった。
だが伯爵の誠実さは、愛娘に受け継がれて大きく開花した聡明さと互いに補完し合っている。
直ぐに、この提案が持つ政略的意味に気付いた。

新皇帝が戴冠する、その宝冠をかぶせる役に相応しいのは、生存していれば先帝だ。
元々、戴冠式と言う儀式をわざわざ挙行する目的は「今この瞬間より、この人物が正統の皇帝である、と言う事実を“見せる”」ためなのだ。
だがら、これまで正統の皇帝「だった」先帝が自分の正統性を譲り渡す、と言う政治的意味を其のまま視覚化出来るのならば、それが好い。

「公爵の御英断を尊重しましょう」
そう伯爵は答えたと、これはローエングラム王朝側の公式見解である………。

……。

…俺ことザルツ新中将だけは、想ったものだった。

公爵は知らなかっただろうが、交渉相手が伯爵で好かったのだ。
オーベルシュタインだった場合よりは、確実に冷汗の量が減少していただろう。
また、そう言う経過で無ければ、こんな提案を自分からしたりはしなかっただろうし。

式典当日の「玉座の間」では、公爵は文官最前列の伯爵と並んで、双璧の前に立っていた。
流石に新皇帝への「ばんざい」は免除されている。
末席の俺の耳までには、公爵の声が唱和に加わっていたか、どうかは聞き取れなかったが列席者に並んで挙手の敬礼をとっていた。

式典が進行しパーティーにうつる頃には、そんな公爵を誰も引き留めなかった。
まして末席のザルツ中将ごときが、おせっかいの出来る立場でも無い。

そんな物想いに浸りながら、今宵(こよい)はパーティーを楽しんでいた。
デザートに摘(つま)んだシュークリームは、塩の隠し味が上手で菓子全体が甘かった。



[29468] 第13章『とある秋の日のバラ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/24 08:58
その日、国務尚書リヒテンラーデ侯爵は皇帝フリードリヒ4世の「ご意見」を伺(うかが)いたかった。
もう既(すで)に、主君であり執政者である筈の相手を、執務室などでも無くバラ園に探す事にも慣れていた。

現状「首相」が悩まされている案件の1つが「新ティアマト星域会戦」の後始末である。
戦役には勝利し、叛乱軍には大損害をくれてやって追い返した。
だが大勝利したからこそ、ローエングラム伯爵に悩まされていた。
伯爵は自分の手柄よりも部下たちの武勲を主張している。
もっとも彼自身は既に帝国元帥だから軍での階級としては、もう昇進させようが無いが、
その代わりかどうか知らないが、元帥は腹心でもある最大の殊勲者を、大将を飛び越えて上級大将に昇進させるよう要求していた。
元帥府に出仕する中将たちの中でも最も若く、中将に昇進したのも他より遅かったのも黙殺して。
それに値するだけの武勲を立てているから始末が悪い。
追い抜かれる他の中将たちにしても、元帥府に招いた時点で中将だった2人には大将への昇進を
元帥府に招いた時点で少将から抜擢した残り5人の中将には、本来は大将以上への礼遇である専用旗艦を与えるよう要求していた。
繰り返すが、それだけの武勲を立てているから始末が悪い。

国務尚書が恐れているのは、ローエングラム元帥府が帝国軍内部の派閥として、これ以上に肥大する事だ。
自分の腹心である財務尚書ゲルラッハ子爵などは
「たかが成り上がり者ひとり、いつでも料理できます。吾々に必要なうちは、奴の才能を役立てようではありませんか」
などと楽観的だが、国務尚書は悲観を捨て切れなかった。
「叛乱軍が死滅したとき、あの金髪の小僧も倒れる」
その時「ルビコンを渡る」最初からの予定だった、とまでは断定出来なかったとしても………。

……。

…そんな「首相」の言を背中で聞きつつ、皇帝はバラの手入れを続けていた。

やがて侯爵が沈黙すると、バラに顔を向けたまま侯爵に語りかけるとも無く、独り言を言うとも無く語り始めた。

……ラインハルト・フォン・ローエングラムか…

あれは予よりは、余程マシな皇帝に成るであろう。
驚くには当たるまい。
予は先帝の御子ながら、本来なら忌避されて来た筈の敗軍皇帝の名すら付けられていた不肖の子だ。
そんな予が誰からも期待されないまま、皇帝の何たるかも教えられないままに
ただ放蕩に任せていた頃だったな。あの娘を見たのは……

そうだ。あの娘だ。
今のアンネローゼに好く似た、美しい以上に優しい娘。
だがあの娘には、例えばシュザンナが絡(から)め取られた様な「蜘蛛の巣」は相応しく無かった。
まして「あの」頃の予には、今の権力すら無かった。それは兄か弟のものになると思われていた。
そんな予が、どれ程あの娘に癒(いや)されたか、いや救われたか
予の様な無能者であっても老いただけで付く知恵ぐらい付いた今ならば、尚さら分かる。

そんな「あの」娘に相応しかったのは、彼女が彼女のまま老いていく事だった。
そして、アンネローゼの様な優しい彼女に似た孫娘やローエングラムの様な生意気な孫息子に恵まれる事こそ、彼女には相応しい。
もっとも、あのミューゼルの様な娘婿だけは、彼女には勿体(もったい)無かろうがな。

今度は何に驚いておる?リヒテンラーデ。
予は耄碌(もうろく)しておるのかも知れぬ。戯言(ざれごと)で、そなたをからかっておるのかも知れぬ。

まあ戯言でも無かったら、この帝国は生き返るかも分からぬがな。
ただ、アンネローゼが清らかだった事に、何時か1人位は驚くかも知れぬが………。

……。

…やがて、老いた皇帝はバラから離れた。

「予は少しばかり疲れた。休ませてもらおう」
そう言って柔らかな椅子に身を沈めた皇帝の日向ボッコに付き合っているうちに
侯爵は自分の方が疲れている事に気付いた。何と言っても、身体的にも疲れる年令ではあり、そして精神的にも疲れていた。

……そして侯爵が、昼寝をしていた自分に気が付いた時…

皇帝は眠っていた………。

……。

…ローエングラム元帥府

「あと5年、否、2年長く生きていれば、犯した罪悪にふさわしい死にざまをさせてやったのに」
無論、キルヒアイスと2人切りの時で無ければ言葉にも出さない。
「ラインハルト様、今後の方針ですが」
「そうだな…フロイラインを呼んでくれ。やはり相談しなければな。それからケスラーとザルツに、更に情報を集めるよう伝えろ」
「はい。ラインハルト様」

だがヒルダには何かが不安だった。
皇帝が死ねば君主政である以上、何らかの政変が起こる。
それに対処する政略策謀や戦略を協議している筈だった。それで間違いは無い。
だが、ヒルダにはラインハルトの何処かで手応えに違和感が在った。
引っかかるというよりは、何かが引っかから「ない」のだ。
これが何処の誰かだったら、元々そんな疑問すら持たなかっただろう。
ローエングラム伯爵を覇者にする事だけを目的とする以外、何を切り捨てても冷然としていただろう。
だが、そうするにはヒルダは、ラインハルトと言う1人の青年その人に近付き過ぎていた。

……その日の元帥府からは退出後、ローエングラム伯爵邸。

「元帥閣下…私などでは、いえキルヒアイス提督で無ければ明かす事の出来ない秘密が在る事は今さら承知するまでも在りません。ですが…」
ヒルダは自分が引き返し不能点に近付きつつある事を自覚していた。
この線を越えたら、あの誠実なる父を、マリーンドルフ伯爵家それは伯爵領の領民まで含めるかも知れない全部を巻き込むであろう。
そして、巻き込んだ上で引き返せなくなる。。
だが、これは伯爵家のための政略としても正しい筈だ。
しかし、自分の背中を押しているのが理性だけでも無い事もヒルダは自覚していた。
「…目的のためにこそ手段は選ぶべきなのです。それでは閣下の目的は何なのでしょうか?」
「それがどうした?」
ヒルダは令嬢らしからないかも知れない例え話をした。
ボクシングですら、10秒間だけ敵が立ち上がらなければ勝利と言うルールが前提で無かったら、勝者すらいない殴り合いを続けるだけだろう。
「それで?」
今度こそ、例え話では済まない
次の言葉こそ、最後である事は分かっていた。

「閣下は何のために勝とうとされているのですか?その前に…“誰の”ために戦っておいでなのですか」
3人切りの同席者だったキルヒアイスは、おそらくヒルダに対しては初めてだろう、銃の位置を確認した。
「閣下!私がゴールデンバウム王朝代々の伯爵家の跡取りだと言う事は、ご心配に及びません。
これはマリーンドルフ伯爵家の政略としても、正しい選択だと確信しております」
そして、ヒルダにしては非理性的ながら、その言葉以上の何かを伝えたいとの感情を込めてラインハルトの瞳を正視した。

……ラインハルトは沈黙を破った。

「フロイライン。いや、ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ」
ラインハルトも先刻のヒルダに負けず、真剣に瞳を正視した。
「貴女を「3人目」と認めよう。そうだ。飛び立ちたければ、何時かは大地を蹴り付けなけばならなかったのだ」

そして、ラインハルトは自分の内部に閉じ込めていたものを吐き出した。

ラインハルトの目的は何だったのか?
彼の目的は、少なくとも最初は姉を取り戻すためだった。
取り戻すべき敵が皇帝ならば、皇帝に勝てるだけの力が欲しかった。
だから力を手に入れるために戦い、勝って来た。
だが、皇帝は死んだ。
そして姉は後宮では無用の存在と成った。おそらく姉は、遠からず解放されて来るだろう。
では、ラインハルトの目的は達成されたのか?

しかし、もうラインハルトの戦いは、姉1人のための戦いでも無くなっている。
皇帝の死で始まるであろう政変と権力闘争の中で、戦わなければ其れこそ姉を護る事も出来ないだろう。

「あらためて聞こう。フロイライン」
ラインハルトも、もう笑ってはいない。
「私は“誰”と戦い、その誰かから“何”を奪った時、勝利者と成るのだ?」
「ローエングラム元帥閣下には打倒すべき敵がいます。それは」
そしてヒルダは、伯爵令嬢としては危険すぎるかも知れない、しかしラインハルトには貴重な言葉を発した。
「ゴールデンバウム王朝です」
甘い男女の会話では無かった。だが、ラインハルトとヒルダは少なくとも共犯者には成っていた………。

……。

…その日、伯爵令嬢は初めて門限を破った。

そして、キルヒアイスは2度目の朝帰りをした。
両親の居る実家で過ごした事と、ビアホールの閉店まで店内にいた事を同じくカウントするならば2度目だが。

……皇帝のまま死んだ男の弔いは、帝国が滅びていない限り大葬で執り行われる。

そして「先帝」の寵妃「だった」グリューネワルト伯爵夫人が後宮から暇を戴いて、ローエングラム伯爵邸に身を寄せたのは
大葬の翌日だった。



[29468] 第14章『閑話らしきもの(その3)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/22 23:04
ラインハルト・フォン・ローエングラムあるいは皇帝ラインハルト1世は
ローエングラム王朝の「正史」ならば「大帝」とも呼ばれるだけの業績は残していただろう。
たが、皇帝当人がゴールデンバウム王朝のルドルフ大帝をタブーとしたため、この尊称は忌避された。

そんなラインハルト1世を評価した同時代人の証言で、もっとも公正とされるのは
ユリアン・ミンツ編集による「ヤン・ウェンリー=メモリアル」だと言うのが通説である。
この「メモリアル」でも明記されているが、ヤン自身は自分を軍人では無く歴史家と規定していた。
実際、後半生において何冊かの歴史書を残しているが、それらは全て著作時点で1世紀以上過去の歴史を論じたものであり、
同時代については息子であるユリアンに断片的なメモリアルの破片として残し、息子が編集するに任せた。
それは、自分が歴史の観察者では無く当事者に成って仕舞った自覚ゆえであり
少なくとも軍人としてのヤン自身を自賛する精神とは遠かった、からだとされる。
正しユリアンの評価は、ことヤンに関係する限り
懸命に公正さを保とうと努力している痕跡は認められるものの根幹的に全面肯定である事も通説である。
しかし、ヤン以外の同時代人、特に或(あ)る意味ではヤン最大の好敵手とも言えるラインハルト1世に対しては、
ユリアンを通した好敵手ヤンの評価が、もっとも公正とされている。

このヤン=ユリアン父子によるラインハルト1世評価に対して、しばしば持ち出される比較対照でもある
やはり同時代人の批評としてはパウル・フォン・オーベルシュタインによるものが、やはり通例とされている………。

……。

…オーベルシュタインは爵位を持つ貴族の子に生まれたがために、光コンピューターの義眼を与えられて生き延びた。

そして、例えばキュンメル男爵などとは異なり、義眼を使用している限り幼年学校を卒業し軍務に就く事に障害は無かった。
だが貴族の子弟を、平民出身の士官学校卒業生よりも早く昇進させるシステムとしての意味も持っていた幼年学校である。
そして晴眼皇帝によって空文化されていたとは言え「排除法」はルドルフ大帝が定めたがゆえに廃法とは成っていなかった。
そんな彼が、多感な思春期である筈の年代を、やはり血気さかんな年代の貴族の息子である事だけは同じ者たちに囲まれて送った事が、
彼の人間性と人格の形成に何処まで影響したか、後世の歴史家たちは、ある程度までなら追跡可能である。

退役時に中将に昇進して現役を去ったオーベルシュタイン退役中将は、その後の数年間を学芸省の顧問として出仕した。
当時の同省では「ゴールデンバウム王朝全史」の編纂が進行し続けており、旧王朝に対して独自の批評と史観を持つ彼も参加させる事は、
史書の多面性と言う観点からは期待されたのだ。
そうした痕跡を正式に刊行された「全史」から探す事は、後世の歴史家としては中々の知的刺激を期待出来るとされる。
それを探す事が楽しみに成ったのは
結局「全史」は学者であると同時に、やはりローエングラム王朝に仕える立場の者たちによって記述編集されたものだからだ。
ラインハルト1世はルドルフ大帝になど成りたくは無かった、それが「全史」に影響していた、とされている。

結局のところオーベルシュタイン退役中将は、数年後には学芸省も去ったが
この間に旧王朝が隠蔽(いんぺい)隠匿(いんとく)し続けて来た数々の秘密資料を記憶し、後に個人の責任で何作かの著述を残した。
そしてルドルフ大帝以下、ゴールデンバウム王朝の諸皇帝と取り巻きの貴族たちを、自らの言葉と倫理によって断罪したのである。

そんなオーベルシュタインの鋭過ぎるペンに対しては、獅子皇帝ラインハルト1世ですら
完璧なるNo.1、理想的な専制君主、弱さなど無い完全な皇帝には届かなかったらしい。
もっとも後世の歴史家の中には、そうした1世評価をオーベルシュタイン自身の経歴と結びつける反論も無い事も無い。
オーベルシュタインが自ら1世の元に自分を売り込みに行った時、すでに其の位置は後のカイザーリンに先取されていた。
「だから」と言った反論に更に反論する歴史家たちが、しばしば引き合いにするのが、件の黄金像だったりする。

「ローエングラム王朝の存続するかぎり、皇帝の像を、没後10年以内に、しかも等身大をこえて建設してはならない」
とはラインハルト1世の勅命である。
だが像の材質と台座については言及しなかったため、等身大の黄金像を造った事が在った。
しかも、かつて旧同盟に存在したアーレ・ハイネセンの巨像よりも高い記念塔の頂上に設置する計画だった。
ローエングラム王朝も既(すで)にラインハルト5世の時代である。

流石に、この時は自治共和国から指摘された。
この巨像を破壊させたのはラインハルト1世だが、同時に命令してハイネセン自身の墓所や他の記念物は逆に保護させている。
「ハイネセンが真に同盟人の敬慕に値する男なら、予の処置を是とするだろう。巨大な像など、まともな人間に耐えられるものではない」
とは、その時の1世の言だと伝えられている。
流石に5世は記念塔の計画を中止し、黄金像は「獅子の泉」のプライベート・エリア内に安置されたと伝えられる。

要はオーベルシュタイン個人を落としめてまで、ラインハルト1世への批評を封じようとするのは、
黄金像の件で1世の真意を曲げた行為まがいだ、とでも言いたいのだろうか。
流石に、そこまで言明するのは自分の品格が下がると、大抵の歴史家は考える様だが………。

……。

…何れにせよ、ラインハルト1世を公正に評価しようと試みる歴史家ならば無視は困難である。

ヤン=ユリアン父子とオーベルシュタイン、それぞれが評価した中間の何処かに落とし処を探すのが、通例と成っている。

こうして後世に知己を得たとは言え、生前のオーベルシュタイン自身は不遇だったろうか?それは結局の処、本人しか分からない。
只これだけは史実である。退役中将オーベルシュタインは、老人性の病気で死んだ。



[29468] 第15章『内乱勃発』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/04 21:06
「彼らは正義派諸侯軍などと自称しておりますが、むろんそんなものを公文書には、記せません。と申しまして、叛乱軍と記しますと、自由惑星同盟と自称する者どもと区別がつきません」
これに対する「帝国軍最高司令官」の命令は、こうだった。
「奴らに相応しい名称があるぞ。“賊軍”というのだ。公文書にはそう記録しろ」
意思が通じたと見るや、最高司令官は用件を打ち切った。
「では行くぞ。賊軍の立て篭もるガイエスブルクへ」

ラインハルトの総旗艦ブリュンヒルトが、続いてキルヒアイス艦隊旗艦バルバロッサが飛び立った。
そして…
ミッターマイヤー艦隊旗艦「人狼」
ロイエンタール艦隊旗艦トリスタン
ワーレン艦隊旗艦「火竜」
メックリンガー艦隊旗艦クヴァシル
ケンプ艦隊旗艦ヨーツンハイム
ルッツ艦隊旗艦スキールニル
ビッテンフェルト艦隊旗艦「王虎」……
と次々に飛び立って、地上から逆に流星が蒼穹へと駆け上って行く。

……俺ことハンス・ゲオルグ・ザルツ准将は、逆流星群を見送っていた。

帝都防衛「臨時」司令官ケスラー憲兵中将とともに残された留守番の1人である。
無論、留守番だから、と言って軽い役目でも無い。
その役目の1つが、ヒルダやケスラーあるいは俺が独自に集めた情報を適時、ラインハルトや別働隊を指揮するキルヒアイスに通報する事だった。
無論、その通報はヒルダなりケスラーなりが直接に通信する事も在るだろうし
俺からの情報も、先ず俺がヒルダなりケスラーなりに報告して通報してもらう場合も在るだろう。
その辺りは、留守番組が協力して適切に、と言う事だった。
とりあえずは、信頼されているのだろうか。

早速、俺は仕事に取りかかった。と言っても報告先が出発したばかりだ。それでも他の仕事が幾(いく)らでも存在した。

最優先事項の1つが、惑星オーディンの地表上に存在する武装部隊をケスラー「臨時」司令官の指揮下に結集する事である。
現状、ラインハルト側の地上軍はクーデターを実行したまま占拠していた状態だった。
建前としては幼帝を補佐する帝国宰相と協力しての逆クーデターだったが。
その状態から最高司令官の発した戒厳令を根拠として、ケスラーが帝都防衛司令官としての指揮権を掌握するのである。
実の処、この “逆”クーデターに対するラインハルト陣営の事前準備は「流石」と言うべきだった………。

……。

…準備をすること自体が相手に対する挑発に成る事を恐れず、挑発に乗ってきた時の準備をおこたりなく整える。

むしろ意図的に挑発する事と、挑発が成功した場合の準備を両立させていた。
例えば、リンベルク・シュトラーゼである。
この環状道路は帝都オーディンの中心市街を循環していて皇宮と其れを取り巻く貴族の邸宅群を其の外側から守る様に囲っている。
これは例えでは無く、この大通りは環状の内側を守る武装憲兵の出動路として整備されており、
その兵舎は環状道路に沿って多角形に配置され、正門を大通りに直通させていた。

そうした武装憲兵隊の指揮権を当時の憲兵総監からケスラーに委譲させたのだ。
この時点でのローエングラム元帥は宇宙艦隊司令長官だが、憲兵隊は宇宙艦隊の指揮下には無い。
だが帝国宰相との協力関係にあった司令長官は、宰相からも軍務尚書と統帥本部総長に働きかけてもらい、指揮権委譲を実現させた。
尚書と総長の視点からは、結果的に自爆行為だったが。
更に総監自身が爵位を持つ貴族であり「リップシュタット盟約」に合流する事に成る片方の派閥に近かった事を逆用して圧力をかけた。
こうして実現したケスラー指揮の武装憲兵は、実行の際に役立った。

その時、もっとも直接に障害と成る可能性を持っていたのは近衛師団だったが
近衛すなわち皇帝親衛隊である以上は、皇帝からの直接命令さえ在れば3長官の命令すら従う必要の無い建前である。
そして宰相が幼帝の名前で命令を下していた。曰く
「あくまで玉体と皇宮を守護し奉り、門外の事態には干渉するべからず」
こうして着々と、リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸は来るべき時の準備を整えた。
ローエングラム元帥としても、次の段階の事は兎も角(ともかく)当面の敵に勝つ事を優先していた。目的のために手段は選ぶものだ。

こうして着々と準備が進んで行く事自体、ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム陣営への挑発に成っている事を、
ラインハルトと今や完全な共犯者のヒルダは、実際に着手する前から計算していた。
言ってみれば、挑発する積もりで挑発に乗ってくる事を希望して挑発していたのである………。

……。

…そうした挑発に、挑発された側は狙い通りに乗って仕舞った。

大体、園遊会くらいの偽装で誤魔化(ごまか)し切れる話では無い。
直接に参加した貴族だけでも3千数百名、その上2千何百万の兵数を指揮させるだけの軍人を正規軍から引き抜こうとするのである。
機密保持のデリケートさだけでも想像を絶する。陰謀は秘密であるべき筈だ。
それなのに、盟約文書の結び「大神オーディンの守護」ウンヌンがローエングラム元帥府で笑い話のネタに成っている始末だ。
元々、この3千数百名の貴族すべてがブラウンシュヴァイク派閥とかリッテンハイム派閥とか、だった訳でも無い。
この2つの派閥は次期皇帝の担ぎ出しをめぐって、お互いを直接の敵対者としていたのだ。
それが最も露骨だったのは、むしろ直近の事。先帝崩御の直後である。
だが、幼帝即位と、それに表裏一体のリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸に対抗して野合したのだった。
その後から、対立抗争の時点では中立だったり日和見だったりした中間派も引き込まれた。
更には、親ブラウンシュヴァイクとか親リッテンハイムとかでは無く、反リヒテンラーデとか反ローエングラムとかで後から合流した者も居た。
特に反ローエングラムでは、貴族階級の敵と見なしての参加者もいただろう。直感ながら、これは正しかった。
おそらく、この最後の例えに成るのが『原作』ならばランズベルク伯爵とかだろうか。
何れにせよ元々からして、信頼度と言う視点に限れば集め過ぎだったのだ。

「前世」で『原作』を読んだ限りでは、どの程度のコピーを入手出来たのか分からなかったが
“これ”を証拠に一斉検挙する積もりならば、2ヶ月近い時間だけなら在った。
ヤン曰く
「発生すれば、鎮圧するのに大兵力と時間を必要としますし、傷も残ります。ですが、未然に防げば、MPの1個中隊で、ことはすみますから」
しかし、それでは勝者は帝国宰相リヒテンラーデ公爵に成る。
帝都を逃げ出した貴族たちが武力で反乱を起こし、それを武力で鎮圧してこそ
ローエングラム元帥が内乱の勝利者と成れるのだ。

目的のために手段は選ぶものなのである。

だからラインハルトは待っていた。
ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵が帝都から逃げ出し、ガイエスブルクか何処かに立て篭(こ)もる時を。

そんな共同謀議をラインハルトは、ヒルダやキルヒアイスと3人で続けていた。
当然ながら、ザルツ准将ごときがそこに入り込める理由など無い。
そんな時の俺は推測するばかりだったが
おそらくヒルダがラインハルトの主要な共同謀議者であり、キルヒアイスは同意を求められていた場合が多かったのでは無いか。
知力よりも性質的に、陰謀策略の相談相手には親友が「好い人」過ぎたからこそ『原作』ラインハルトも参謀を欲しがったのだから。
そんな勝手な推測をしていると、
キルヒアイスの徹夜ビールに付き合った思い出をしみじみと思い出す時も、場合によっては在ったりした。
奇妙に大人の味がするビールだった。

そして「リップシュタット戦役」の潜伏期間とも後には言えた、この時期の事をさらに将来に成ってから思い出す事も在った………。

……。

…戴冠を直前にしていたラインハルト・フォン・ローエングラムは、即位後の人事に関係して判断と決定を下していった。

キルヒアイス、ロイエンタール、ミッターマイヤー上級大将を帝国元帥に任ずる。
キルヒアイス元帥を軍務尚書に任じ、国務尚書の主催する閣議へも出席させる。
同じくロイエンタール元帥を統帥本部総長に任じて国内軍司令官を兼ねさせ、ミッターマイヤー元帥を宇宙艦隊司令長官に任ずる。
正し、軍部尚書ならびに統帥本部総長には上級大将として指揮していた艦隊をそれぞれの元帥府に所属せしめ
皇帝親征の際には従軍も在り得る。 
また統帥本部とは別に幕僚総監をおいて皇帝を補佐させ、親征の際には参謀長として従軍させるが
ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフを中将待遇として、これに任ずる。

だが、ここまでの人事案を下されて、国務尚書(予定者)は初めて異議を唱えた。
ラインハルトは皇帝に成る前から「首相」を慰留する羽目に成る。
血族の姉を除けば、ヒルダが最もラインハルトに親しい女性である事は周知であり
戴冠当日も、玉座の直近までヒルダをエスコートする予定だった、
と言うより、しなかったらしなかったで、余計かつ不愉快な憶測を招きそうだった。
同じ様に余計かつ不愉快な憶測回避を理由として、ヒルダの父親に「首相」からの辞任を思いとどまらせたのである。

そんな伯爵と事務方として接触しながら、俺ことザルツ少将(中将昇進予定)は脳内で想ったものだった。
この人は聡明だが、その聡明さが人を騙(だま)すとか落し入れるのと同じ意味に成るには「好い人」だ。
例えばジークフリート・キルヒアイスが、この人くらいの人生経験を積んだなら、こんな感じかも知れない。
もしかしたら『原作』ラインハルトが「首相」に指名したのも、ヒルダのコネ以外に、そんな理由が存在したりしたのだろうか?
そんな事まで考えた時に、何年か前にキルヒアイスに付き合った、奇妙に大人の味がしたビールを思い出していた………。

……。

…何年か後で、そんな回想をするなどとは“当時”の俺ことザルツ准将は想いもしていなかった。

俺は予言者なんかじゃ無い。ただ1つのだけの反則知識を持っていただけだ。
当時の俺は、惑星オーディンの地表上を占領しようとするケスラーの手伝いに追い回されていた。
「リップシュタット戦役」ですら、勃発したばかりの頃である。



[29468] 第16章『流血の宇宙?』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/19 14:50
「1対1でオフレッサーと出会ったら、卿はどうする?」
「すっ飛んで逃げるね」「同感だ」
双璧をしても、逃げても恥にならない相手というものは、確かに存在するのである。
「しかし、こう成るとザルツ先輩には」
「思い出した様に驚かされるな」

出撃の数日前、出撃準備に追走されながらも、ささやかながら作った時間を戦術シミュレーションに活用していた。
ローエングラム元帥が「帝国軍最高司令官」として尚書と総長を兼任する様に成ったため
軍務省と統帥本部と言う軍事情報の集中する2大システムに集中していた情報が活用可能に成っていた。
その中から参照すべき情報を確認していたのだが、
シミュレーション・マシンを操作していたザルツ准将が、とある設定をした。

敵の本城と言うべきガイエスブルクまでの途中に存在する要塞の1つ、レンテンベルクである。
この要塞を攻略するには第6通路を突破して核融合炉を奪取するのが最短ルートだが、その通路に装甲敵弾兵総監オフレッサーを配置したのだ。
これだけ条件が限定されると、双璧ですら正攻法では困難だ。
6回ほど撃退され、その失敗相応の犠牲が出た辺りで双璧はシミュレーションをひと休みした。
「遣り方を代えるべきだな」
「同感だ。疾風も宇宙で無ければ吹きそうに無いな…先輩は、何か在りますかな?」
軽く頭を横に振ってから答えたものだった。
「名高い双璧に、やっとこ准将くらいが勝てる訳も無いだろう。だが…原理原則くらいなら言えるな」
「原則?」
「目的のために手段を選ぶものだ。この場合、目的は?要塞を入手して再利用する事か。
無力化が目的だったら、戦艦の火力を集中して動力炉を直撃しても、むしろ手っ取り早いだろう?
恐らく元帥閣下としては「平民の味方だ」と宣言している手前、平民出身に決まっている兵士を100万単位で虐殺したくは無いだけだろう」
「だったら、降伏勧告をすれば好いでしょう。ザルツ先輩」
その時は、そこまでだった。艦隊の出撃準備に時間を取られていた………。

……。

…仮想が現実化していた。

「では、ミッターマイヤー頼む」
「やはり俺からか」
「俺よりも卿の方が誠実そうに見える。それに下級だが俺の家名にもフォンが付いている」
「分かった。だが多分、もう1回の勧告が要るだろう。その時は卿の方が、こちらが本気だと通じるだろう」
「俺の方が、冷酷そうに見えそうだからな」

結局の処、疾風の誠意あふれる勧告も黙殺され、第6通路には何処かの「奇蹟の魔術師」まがいの1点集中砲火が叩き付けられた。
通路に立て篭(こ)もる側が戦闘手段を限定するために自分で充満させたゼッフル粒子に点火し、核融合炉の手前まで誘爆していた。
この結果に多少は慌(あわ)てながらも、露悪的態度で隠しながら再度また勧告すると、今度は「返答を待って欲しい」との猶予を要求して来た。
数時間後…要塞内の「行方が判明している」最上位者シュターデン大将の名で勧告受諾が伝えられた。
この数時間は、それまで最上位者だった上級大将の行方不明を確認するために費やされていた。

……前線からの情報を入手して、俺ことザルツ准将はホッとしていた。

あの猛獣を捕まえるまでの犠牲もだが、捕まえた後の始末も厄介だ。
『原作』ではオーベルシュタインが提案していた、と言うよりも「あの」劇物でも無ければ思い付きもしないだろう。
だが“それ”を知っていたからと言って、俺が替わりに嫌われ者に成るなぞ、真っ平ご免だ。
それに「前世」で『原作』を読んでいた頃から想っていたものだ。
最初から “こう”しておけば、ラインハルトが劇物に腹いせの方法を提案させる様な、不愉快な事を聞く事も無かっただろう。

……だが、前線から逐次送信されて来る情報に接しながら、何時の間にか違和感を覚えていた。

その違和感が何だったのかに気が付いたのは、とあるキルヒアイス上級大将からの報告に接した時だった。
「ガルミッシュ要塞、開城」
開城?陥落でも自爆でも無く?それに「キフォイザー星域会戦」はどうした?!

表面的な事実だけは、直ぐに判明した。
“賊軍”の副総帥は、分派行動をとってはいなかった。
『原作』での結果的には、1回の会戦で実質的に片付いてはいたが
キルヒアイス別働軍に数の上では対抗する規模の敵軍が、ガイエスブルクの「副」程度はある要塞を拠点に活動していれば、
余分に手間取り位はしただろう。
その手間が省けた分だけ早く、しかし成果は着実に上げつつあったキルヒアイスは、
ガルミッシュ開城と、シュタインメッツ少将らの投降を手土産に、とりあえずはローエングラム本軍との合流を目指す
「8月10日~15日の間に、ガイエスブルク周辺にて合流の見込み」と報告していた。

だが、どうして?“賊軍”は分裂しなかった?
再度『原作』を想い返してみて、想い当たったのはオフレッサーの後始末だった。
当時の読者としても「エグい」と想った遣り方だったが、想い返せば「あの」冷徹なオーベルシュタインが
“たかが”主君の腹いせ、などと言った御機嫌取りのためだけにエグい報復を思い付く筈も無い。参謀長は何と言った?
「貴族どもに相互不信の種をまいてごらんにいれます」
そして結果は、どうだった?「この事件の後遺症は大きかった」と書かれていた筈だ。
更には総帥と副総帥のケンカ別れも「この事件の」後だ。
しかし「この事件」は貴族たちの心理に限っても、それほど影響が大きかったのか?

さらに詳しい「真相」は後日、この時に要塞内に居て生き残った証言者
どうもケスラーが事前に潜り込ませた「草」とかも混じっていそうだったが
兎も角(ともかく)も証言が入手可能に成ってから判明した。

確かに貴族たちは相互不信を、オフレッサーの件から助長はされなかった。
その代わりに別な意味でなら深刻な消失感を、ガイエスブルクの内部に与えていた。
実の処、オフレッサーは盟約に忠実だった。
成り上がりものほど当人次第で、自分だけの成り上がりを許してくれた旧体制に忠実な場合も少なくない。
例えば、幕末の新撰組だ。
逆に、かつての自分の出身階級に対して、ことさら敵対的ポーズを演技すらしてみせる者も居る。
そう言う意味で「金髪の小僧」に対する反感を大っぴらにしていた巨漢である。
そして「強さ」のイメージでも、とりあえず味方で居る間は安心感を与えてくれる虚像ぐらいは周囲に与えていた。
だが「その」勇士は、たかが通路1つすら守護出来ずにアッサリと消えた。
その消失感が、とりあえずは総帥と副総帥を再協力させたらしかった。

だがラインハルトとヒルダは超光速通信で合議しながら、この点については心配していなかった。
「貴族同士を左右に分断するよりも、貴族と平民を上下に分断する方が、ローエングラム陣営の勝因に成る」
との認識を確認し合っていたからだ。
兵数的にも、戦略家としてのラインハルトは計算していた。
分裂した場合に副総帥が連れ出していただろう兵数がガイエスブルクに残っていたとしても、
キルヒアイス別働軍の合流で強化される実戦兵力の方が強い。

実の処、8月15日に要塞外で戦われた艦隊戦の結果は其の通りだった。

しかし同日、俺ことザルツ准将は既(すで)に行動中だった。
独自に情報を分析し、とある事を確認した上で行動を開始した後だった訳だ。

これに先立って、キルヒアイスからの報告に接した後の俺は
ヒルダやケスラーには、こう報告して置いた。
「情報処理と状況確認のために、独自に分析してみます」
この報告自体はウソなんかでは無い。
正し、独自の情報源と突き合わせたのである。俺が持っている1つだけの反則知識と。
その上で、致命的なズレが生じているか、いないかを確認したのだ。

確かめなければ。悲劇が近付いていた。



[29468] 第17章『情報処理と状況確認』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/17 15:24
俺ことハンス・ゲオルグ・サルツ准将は、現状で入手可能な情報を再検討していた。

ローエングラム元帥が「帝国軍最高司令官」として尚書と総長を兼任する様に成ったため
軍務省と統帥本部と言う軍事情報の集中する2大システムに集中していた情報が活用可能に成っている。
その中から「自由惑星同盟と自称する叛乱軍ども」に関連した情報を検索してみたのだ。

とは言っても今頃に成って、ようやっと整理出来る程度の情報が集積出来ていた、とも言える。
フェザーン経由の情報、これとて自治領主の思惑と言う確信犯的なフィルター越しなのは確実でも、こちらは未だ入手可能だったが、
同盟内部へと直接に潜り込ませていたスパイ組織は半壊状態だった。間接的ながらヤンの被害である。
イゼルローン陥落の結果、例えば其のコンピューターから直接に奪われた情報だけでも相当なものの筈だ。
殆(ほとんど)唯一の前線基地として機能し続けていたのだから、それだけの情報が集積され蓄積されていた。
その上その時点までヤンのペテンにしてやられるとは予想もしていなかったために、何の予防処置もされてはいなかっただろう。

イゼルローンだけが落ちたのではない。同盟側へ侵入した後は、イゼルローン回廊以外の後方連絡線が無い。
そうした占拠部隊の殆が、孤立から降伏へと至っていた。それらの捕虜たちからも、それなりの情報を取られただろう。
おそらくキルヒアイスが交換で連れ帰って来た捕虜の中には、少なくない数そうした者たちが混じっていた筈だ。
1つの例がエル・ファシルだ。初陣のヤンが英雄と成って以来8年間、帝国軍の占拠部隊以外は無人の惑星だったが、
めぐり合わせの悪かった占拠部隊は、イゼルローン陥落の巻き添えで降伏に追い込まれ
ヤンに連れ出されて以来、避難生活を送っていた住民が帰還し始めていた。
この惑星では、ことさらヤンが英雄に祀(まつ)り上げられる訳だ。

余談は兎も角、こうした情報が破片ながらも入手出来ていた。
半壊状態の上、当面は息を潜めている組織が何とか送って来たもの、フェザーン経由で入手出来る公開情報やアヤしげな情報、
そうした情報の破片を、俺が持っている「知識」と言う絵に当てはめられるか、どうかを検証してみた。

先ず確かめたのは、当然ながら同盟軍の戦力だ。
やはり「新ティアマト星域会戦」後に再建されたのは、イゼルローンに駐留する様に成った「ヤン艦隊」だけだった。
ビュコック「新」宇宙艦隊司令長官の指揮下に残った戦力は、他には未参加だった2個艦隊だけ。
どうやら「新ティアマト」は『原作』「アムリッツア」に、かなり近い損害を与えたらしい。
人事面での結果も、けっこう確かめられた。
「新ティアマト」で包囲を完成し殲滅し始めた直後、イゼルローンではフォーク参謀が発作を起こし、
作戦面を丸投げしていたロボス司令長官は下すべき命令を決断出来なく成っていた。
事ここに及んで司令部を主導し、敗走して来る味方をイゼルローンに迎え入れたのはグリーンヒル参謀長だった。
フォークは入院、ロボスは退役の形式で軍の実務から遠ざけられたのに対して
グリーンヒルが左遷だけで降級もさせられなかったのは公正だったろう。
『原作』と異なっていたのはキャゼルヌ後方参謀だった。補給に責任を推し付ける様な負け方では無かったからか、
ヤンともどもサッサとイゼルローンに赴任していた。

同盟側に関係して入手出来た限りの情報では『原作』との相異を発見出来たのはキャゼルヌの件くらいだ。
そして現状、ヤン艦隊はイゼルローンを出撃してドーリア星域を経由し、首都星ハイネセンを目指している。

同盟側から先ず検証してみたのは結局の処、どの程度まで『原作』からズレているか、どうかの目安にするためだった。
同盟の他にもフェザーン関係の情報からも『原作』との矛盾は見付けられなかった。
と成ると『原作』そのものの破綻した「世界」では無い筈では?

その上で、いよいよ本命である帝国側の情報を検討し始めた。
先ずは、わがローエングラム陣営だ。
やはり大きいのはオーベルシュタインの不在だろう。
だが、ラインハルトが期待していたのは軍事面の参謀では無い。
自分とキルヒアイスで足りると考えていたし、おそらく実戦面での戦略や戦術に限れば、そうだった筈だ。
現状でブリュンヒルトに乗せている参謀長は、艦隊の管理運営と言う本来の任務に従事させているモブキャラクターだが、
それでも、リップシュタット連合軍に対する戦略戦術に限るならば、あの「戦争の天才」が失敗するとも想えない。

むしろ陰謀策略の方面を担当させたがった筈だし、その意味での主な敵は
すでに反乱を起こしている、つまりは軍事的に打倒出来るリップシュタット連合軍では無く
背中を向けていて今は同盟者と言う事に成っている帝国宰相だろう。
そうなるとオーベルシュタインをブリュンヒルトに乗せて従軍させているよりも
ヒルダとケスラーを帝都に残している方が有効な筈だ。
大丈夫。間違った方向へとはズレてもいない。

そして自軍以外の状況に関係しては、入手出来た情報に限ってみれば『原作』からのズレは今までに表面化した部分以外には確認出来ない。
結局“賊軍”に限れば、最大のズレは副盟主が分裂しなかった事だ。
しかし、それだけキルヒアイスが別働軍の任務を早く済ませて、それだけ早く本軍に合流出来る。
ガイエスブルクに対する戦術ならば、キルヒアイスがラインハルトを補佐するだろう。
だから「ここ」までの心配は、しなくても好い筈だ。むしろ問題は…

……俺が『原作』からのズレを恐れたのは、2つの悲劇が近付いているからだ。

起きてくれない方が好いに決まっている悲劇だが、
逆説的ながら、俺の『原作』知識で回避するためには『原作』通りの経過で近付いてくれる事が前提だった。
その意味では、おそらく「その」意味で対処可能な範囲にズレは止まっている。

それでは、どう対処するか?
おそらく1つめの悲劇は回避出来る。
あの冷徹なる参謀は、何と言った。
「カイザーをお恨みするにはあたらぬ」「卿はカイザーではなく、私をねらうべきであったな」
“その”オーベルシュタインは始めから居ない。
ヒルダに超光速通信で相談するか
キルヒアイスが間に合う様に合流出来る計算に成って来た以上、戦場でキルヒアイスに相談する筈だ。
こちらの悲劇は、回避出来る可能性が高い。

だが、もう1つの悲劇は「そこ」に至る経過が複雑だ。
オーベルシュタイン1人を恨んで済む程、単純な原因の結果とも言い切れない。
それにラインハルトにしても、もしヒルダか誰かから事前に警告されたとした処で、信じたくない事だろう。
信じら“れ”ないのでは無く、信じ“たく”ない悲劇なのだ。
もう1つの悲劇なら在り得ない事でも無いとラインハルトなら想えただろうが。

そう成ると…あらかじめ「この」悲劇を予測して動けるのは俺「現世」ではザルツ准将だけだ………。

……。

…俺はヒルダとケスラーに報告した。

「情報処理と状況確認のために、独自に分析してみます」
と、あらかじめ報告しておいた其の事後報告である。
その経過においてアントン・フェルナー大佐にも確認しておいた事項について、フェルナーからも証言させた。
ここでも『原作』通りにフェルナーは、いっそ清々しく自分から出頭して来ていた。
正し「相棒」のオーベルシュタインは居ない。代わりにケスラーの下に置かれていた。

そのフェルナー曰く
「アンスバッハ准将とは、同じ主君に仕えていた同士として人柄を知っています」
そのフェルナーから得た情報と言う事にして、俺が報告した内容には、ヒルダやケスラーですら真剣な態度にさせられた。
問題は、内容が内容だけに知られたくない相手が居る事だ。
戦場のブリュンヒルトに通信してラインハルトに警告する事は簡単だ。
だが、ラインハルトが勝利した瞬間の足下をこそ狙っているだろう大ムジナが同じ帝都に居る。

「私が使者に立ちましょう。未だガイエスブルクは陥落していません。今からなら間に合う筈です」
オーディン~ガイエスブルクの時間的距離は20日間が公式設定だが、それは艦隊フォーメーションでの設定だ。
駆逐艦とかが単独で派遣されるのであれば、何日間ぐらいは短縮出来る。
ここまではヒルダたちには明言出来なかったが『原作』通りならば9月9日。
8月15日の要塞外艦隊戦が終わった直後の今すぐに出発すれば間に合う筈だ。
ヒルダも「それ」が最善と想ったらしかった。

こうして俺ことザルツ准将は現状、急行する駆逐艦の上に居る。
時に8月も残り数日だった。



[29468] 第18章『断罪烈火』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/27 21:09
宇宙戦艦ブリュンヒルトからの超光速通信を受けてヒルダは、留守を預(あず)かっていた元帥府から応対した。

「フロイライン。やはり貴女の意見も聞いて置きたい事が起こった」
ヒルダは先ず、聞き上手な態度を見せた。
「賊軍に加担した貴族どもの領地が最近、騒がしい。貴女も領主の娘ならば不快かも知れないが」
「幸いにしてマリーンドルフ伯爵領は平穏です。領民たちも平穏に生活しています」
「それで好い。話を戻すが」
ラインハルトは瞬間だけヒルダに向けていた微笑を消した。
「そうして騒がしく成った地方の1つ、惑星ヴェスターラントから、ブラウンシュヴァイク公爵の代官シャイド男爵が追い出された。
そのシャイドは伯父の処まで逃亡して死んだ。
そして、ブラウンシュヴァイクは甥の末路に逆上して、自分の領地を核攻撃する、などと喚いているらしい」
驚愕しながらもヒルダは確認すべき事を確認した。
「どうして其の事をお知りに成りました?」
「ガイエスブルクに連れて来られていた兵士の中に、ヴェスターラントから徴兵されて来た者が居て、脱走して来た」
「それで。ご相談とは何でしょうか?まさか、いかに対処なされるか、ご決断なされていない訳でも無いでしょう」
「すでにキルヒアイスが向かっている」
キルヒアイス上級大将は旗艦バルバロッサの直属を800隻まで選りすぐった高速部隊で固めており、それが今回も役立っていた。
「でしたら、私から申し上げる事は御座いません」
「阻止するのは当然だ。だが其れでメデタシ、メデタシかな?ブラウンシュヴァイクには自分の足を撃った事を思い知らせるべきだ、と想うが」

ヒルダは瞬間だけ思案してから答えた。
「でしたら、この事実を帝国全土に公表なさるべきです。どちらに正義が存在するか、誰もが知るでしょう」
画面のラインハルトは、瞳の中に宿る氷の炎を表に現した。
「その兵士の証言だけで証拠が弱いと御思いでしたら、鹵獲した核兵器なども物証に成さると好ろしいでしょう。正し」
ここでヒルダも念を押した。
「キルヒアイス提督には、あくまでも阻止を優先させてあげてください。手に余れば撃沈も、やむを得ますまい」
ラインハルトは頷(うなず)いたが、ここでヒルダには思い当たった事が在った。
「リッテンハイム侯爵は、この件に対して、どう動きました?」
盟主が失点をおかせば一時的にせよ副盟主には、盟約内部での主導権を大きく出来る機会には成り得るのだが。
「むしろ盟主をけしかけたらしい。あげくに熱核弾頭の半分を提供したそうだ」
「盟約全体が萎縮させられている現状では、内部での意見は過激に奔(はし)りがちです」
むしろヒルダも納得していた。
「おそらく侯爵も、そうした衝動を自分で制御出来る人では無かったのでしょう」

ここまで討議して来て、ふとラインハルトは表情と態度を変化させた。
「フロイライン。私たちの付き合いも、そろそろ其れなりだが」
そう前置きして置いて続ける。
「先刻の貴女には私の用件について別な心当たりが在りそうにも見えたが」
「閣下。その件はザルツ准将から直接に御聞きください。
この通信は、例の御老人も聞いているかも知れません。
むしろ閣下も、ヴェスターラントの件は御老人にも聞かせても好い積もりで通信なされたのでしょう」
ラインハルトは了解して、その後は少しばかり雑談してから通信を切った………。

……。

…その時、超光速通信に乗って帝国全土に向けて放送が流れた。

「帝国全土の臣民に告ぐ。卿らの忠誠に彼らが値するものかどうか、再考すべき時が来た」
ラインハルト・フォン・ローエングラムの演説は、ヴェスターラントの顛末(てんまつ)に関係する事実を混じえながら続いて行く。
故郷の救援を求めた兵士の証言記録が再生され、阻止のため出動したキルヒアイス高速部隊の行動記録が披露された。
そして、高速部隊に拿捕された特務艦と其の艦内に満載された熱核弾頭ミサイルが公開された。
「受け取るが好い。お前たちが、お前たちの護るべき民衆に向けた憎しみの炎を、お前たち自身に返そう」
ふたたび画面がローエングラム元帥の演説から切り替えられると
ガイエスブルク要塞へと急速接近する、先ほど公開されたばかりの特務艦と同型の艦影が放映された。

要塞内部でも話の急展開や「まさか」と言う想いで反応が遅れているものも居たが
メルカッツ上級大将は流石に百戦錬磨だった。
「『ガイエスハーケン』エネルギー充填、照準急げ!発射可能に成れば充填完了を待つな。浮遊砲台も浮上させろ」
だが、要塞主砲の有効射程からは外側に展開した艦隊が、要塞まで届く限りのビームを数の限りだけ乱れ撃ちして来た。
当然に要塞装甲の表面で反射して無効だったが、流体装甲の液面に浮かび上がろうとしていた砲台を引っ込めさせるには有効だった。

そのビームの雨あられが途切れた瞬間、急速接近して来た特務艦が其のまま流体装甲に飛び込み、
続いて、とても無人艦の1隻が自爆した程度では起こりえない大爆発が其の辺りの装甲を引き剥がした。
惑星ヴェスターラント上の居住区の数だけ用意されていた熱核弾頭の、誘爆に他ならなかった。

「浮遊砲台○××○×連絡途絶!状況不明」
「同じく○○×○×救助を要請」
と言った報告ないしは悲鳴がサイレンとともに要塞司令室を飛び交い
そして致命的な事実が判明した。
「ガイエスハーケン損傷!!修理を要す!」

そしてラインハルトは、こう演説を締め括った。
「あらためて帝国臣民に問おう。誰が卿らの敵であり、誰が其の敵から卿らを護るのかを」

……この政略的効果は大きかった。

明らかに“この”放送を境として、ヴェスターラントに習った反抗が帝国全土の、盟約に参加している貴族たちの領地で続発し始めた。
そして、ガイエスブルクへと留守をしている領主の代官を追い出しては、ローエングラム元帥へと保護を求めて来た。
余りに同時多発的だったため、かえってキルヒアイス別働軍の様な纏(まと)まった艦隊を送るのは、逆に非効率的な程だった。
それに其々(それぞれ)に見れば、1つずつの惑星ないしは1つずつの星系の住民保護の問題である。
それぞれの現地には艦隊未満の分遣隊が適時に派遣され、各艦隊の主力と司令官は要塞を包囲し続けていた。

その各艦隊は、主砲で追い払う事の出来なくなった要塞に接近しては攻撃する、嬲(なぶ)る様な波状攻撃を繰り返していた。
誰かの「前世」でのRPGキャラクターがHPを少しずつ削り取られる様に、弱らされて行く要塞の内部では、
平民出身の兵士たちから貴族出身の上官たちへの反抗心が生まれ始めていた。
軍事的にも具体的なダメージをともなっただけに、兵士たちの心理へと与えた影響は其の具体的ダメージよりも大きかったのだ。
その心理的ダメージが、軍隊内の階級に加えて貴族や領主としての特権を振りかざして来た、上官への憎悪に気付かせていた。

その中心に居るべき盟主と副盟主と言えば、互いに絡(から)み酒を絡み合わせていた。
追い詰められている事も分らないほど知力が低い訳でも無い。だが、分かりたくない。
そんな感情が酒に奔らせていたが、同時に互いが「疑いの心から見えない幽霊を生み」合ってもいた。
互いに相手が、自分の首と両者の妻と娘、同時に先帝の血縁者であり彼らの野心を正統化する旗印だったが、
それらを「金髪の小僧」に差し出すのでは無いか?と言う「幽霊」が消えなかったのだ。
そんな幽霊や現実逃避から互いに酒を絡ませ合う盟主と副盟主を横目に
フレーゲル男爵やランズベルク伯爵らの今だ戦意を失わない(破滅の美学に酔っていたかも知れない)若い貴族たちは
宿将メルカッツを巻き込んで最後の戦いの準備を始めさせていた。
メルカッツ程のベテラン戦術家ならば、主砲も撃てなくなった要塞よりも
まだ艦隊戦の方ならばギャンブルの余地が残っている位は知っている。
そう自分にも言い聞かせたのか、黙々として出撃を準備した。
だが、そんな貴族たちと心中する積もりは、もはや平民出身の兵士たちには無かった。

そうした要塞内部の詳細が判明したのは、後に生き残った証言者たちが語り残したからだが、
その中でケスラー中将らが潜り込ませていた工作員たちは、導火線を探しては点火して回っていた………。

……。

…俺ことザルツ准将は、そんな全てをガイエスブルク城外のブリュンヒルトへと急行する駆逐艦の上で聞いていた。

流石に要塞内部に関係した証言までは後日の事だったが、ラインハルトの演説も各地で続発し始めた反抗の情報も、駆逐艦の上で聞いた。
聞きながら、矛盾した思いを想っていた。
(…俺が到着するまでは、要塞に落ちて欲しくない。いや、落ちた後の戦勝式典を開催して欲しくない…)
自分の選んだ主君の勝利を願うのは当然だ。
だが其の勝利が、あと数日だけ遅れる事も願っていた。



[29468] 第19章『黄金樹は倒れた』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/27 21:10
9月7日
俺ことザルツ准将は、旗艦ブリュンヒルトと合流した。

「こちらがフロイライン・マリーンドルフおよびケスラー中将から預(あず)かったものです」
俺が差し出した記録メディアを、ラインハルトとキルヒアイスが再生させると、当然ながらヒルダの挨拶から始まった。
そして、本題である。
先ずは、アントン・フェルナーの証言だ。
「アンスバッハ准将とは、同じ主君に仕えていた同士として人柄を知っています。
あの漢は、ブラウンシュヴァイク公爵が自分に相応しい主君かどうかだけで、自分の信念を曲げません。
私の様な無節操者とは違います。
その事は、むしろ主君が敗者と成った時にハッキリとするでしょう。
例えば主君に縄目の恥や、屈辱的な処刑を避けさせるために自害をすすめながら
その主君の亡がらを手土産に自分だけオメオメと生き延びる、そんな漢では在りません。
もしも、そんな自分の知るアンスバッハでは無い、一見しただけなら恥知らずとも見える行動に出たならば、
むしろ主君の仇を討つため、自分の生命すら捨てた行動に出た、と考えるべきです」
続いてヒルダからのメッセージである。
超光速通信では帝国宰相が不安だったために、ザルツ准将を使者に出した、と告げた。
その帝国宰相の、メッセージ作成時点の行動に関係しても、入手出来た限りの情報を語った。
帝都に残留している、あるいは取り残された貴族たちと密かに、しかし秘密にしては頻繁(ひんぱん)に連絡を取り始めている。
と伝えて来ていた。

「さて、どうするかな。キルヒアイス。いや、アンスバッハに気を付けろ、と言うのは了解した。だが、帝都の老人はどうするかな?」
赤毛の忠臣は困惑していた。
「好いのだ。お前が、こうした相談事には向かない事は分かっている。それで好いのだ」
ラインハルトは同時に自分にも言い聞かせる様だった。
「こうした相談相手としてフロイラインを選択したのは私だ」
キルヒアイスと2人切りの時の口調でも無いのは、ザルツが未だ退出していないからだ。
「そのフロイラインとケスラーは、あの老人と同じ帝都に残した方が役に立つと判断し決定したのも私だ。
お前は、目前のガイエスブルクを落とす事だけを考えていれば好い。
済まなかったな」

そこへ、そのガイエスブルクが動き出した、との情報が報告された。

突撃と言う戦闘行為は、最低でも絶望を勇気に変換する効果は持っている。
正に其の通りの効果によって作り出された攻撃力と突進力で、貴族軍の最後の突撃と攻撃は実行された。
同時に、百戦錬磨のメルカッツが完璧にコントロールしていた。
流石にラインハルト以下の名将たちでも、油断ばかりはしていられない。
だが、そんな狂乱の攻撃力にも限界は存在する。
その攻勢終末点を「戦争の天才」は完全に計算し切っていた。
そして其の瞬間、キルヒアイス高速艦隊の、これこそ完璧きわまる反撃が決まった。

ダイヤモンドを砕くタガネの様なキルヒアイスの一撃は、貴族軍を総くずれとした。
戦術や艦隊フォーメーションのみならず、兵士たちの忠誠心のレベルでも。
少なくない各艦の中で、貴族出身の上官に対して平民出身の兵士たちが報復したあげく、ローエングラム軍へと降伏したのである。

……要塞上空の制空権は、すでに奪われていた。

出撃したリップシュタット側の艦船は殆(ほとんど)撃沈されるか降伏するか行方不明だった。
おそらく不明艦の何隻かは、同盟かフェザーンへの亡命を選んで脱出したのだろう。
今や要塞周辺の空間は、ローエングラム軍の艦隊が流体装甲すれすれで自由行動している。
主砲も撃てず、艦隊も撃滅された要塞が、ここまで近接されては如何(いか)に分厚い装甲に守られていても陥落は時間の問題、
むしろ、防御力や耐久力が高ければ高いほど嬲(なぶ)り殺しも同然だった。

後の証言から知った事だったが、そんな要塞の内部では、撃滅された艦隊の艦内で起こった事と同じ事が起きていた。
むしろ外側からのローエングラム軍の攻撃に催促される様に、要塞内部の平民兵士たちは貴族出身の上官たちに反抗し、これまでの諸行に報復し
そして自分たちを解放すると、要塞の一部を占拠してローエングラム軍に降伏しようとした。
こうして外部への反撃の止まった要塞へと、ついに先駆けと成った双璧が乗り込んで行った。
ガイエスブルク要塞は陥落し、貴族軍は敗北したのである。
ゴールデンバウム王朝…黄金樹は倒れた………。

……。

…そんな要塞内部に、ラインハルトたちの末席に紛(まぎ)れ込む様にして、俺ことザルツ准将も入城していた。

とは言え、落城したばかりだ。味方の攻撃した結果である傷跡も生々しい。
特にガイエスハーケンは、例の核攻撃の後、とうとう修復されなかった。

……後日談ながら、この時の修復が成されたのは要塞そのものがリサイクルされた時だった。

フェザーン交易商人から「同盟側の灯台」と命名された星系が存在する。
その名から想像される通り、フェザーン回廊の同盟側出入り口に位置している。
この星系に未修復のまま放置されていたガイエスブルクを修復した上で移動させる決定が成された。

皇帝ラインハルト1世がローエングラム王朝の新帝都として選んだのは、惑星フェザーンである。
その理由は、帝国本土と新領土を連結するフェザーン回廊の地理的有利だが
軍事的にもイゼルローンの様な拠点を、回廊の両側へと置く事で難攻と成り得る。
しかし、当初「同盟側の灯台」星系がガンダルヴァ、ヴァンフリート星系ともども自由惑星同盟から割譲される3つの星系の1つ
とされた時点では、ヤン・ウェンリーから明け渡させたイゼルローン要塞が移動させられる筈だった。
だが相手はヤンである。結局の処、イゼルローンは惑星エル・ファシルの衛星に成った。

この時に成って、放置されていたガイエスブルクの事を誰かが思い出したのである。
ちなみに「帝国側の灯台」星系には、無傷で開城したまま放置されていたガルミッシュ要塞が移動させられた。
正し、これらは後日談である………。

……。

…その時のガイエスブルクは占領したばかりの敵城だった。

ラインハルトたちの関心が向いていたのは「賊軍」首魁の行方だった。
フレーゲル男爵たちが出撃した後も、盟主と副盟主は要塞の奥深くで深酒を絡(から)み合わせていたが
最終的には覚悟の自決を遂げた、と報告された。

問題は、そう報告して来た最後に残った忠臣たちが、主君の遺体を引き渡す際に条件を付けて来た事だった。
主君の遺族を保護するよう要求していた。

盟主と副盟主それぞれの妻と娘、先帝の娘と孫娘でもあり、この挙兵を正統化する旗印でもある彼女たちは戦役の間どこに居たのか?
『原作』の読者としても疑問に想った事だったが、結局の処“この”ガイエスブルク以上に安心出来る場所は無かっただろう。
おそらく盟約に参加した貴族の中で少なくない者が、この拠点まで家族を連れて来た筈だ。
その彼女たちを貴族への報復に逸(はや)る平民兵士たちから何とか保護しているが、
身の安全を保障した上で、帝都の帝国宰相の下へと送還して欲しい。
それを見送った上で無ければ、彼女らの夫であり父である主君の御遺体を引き渡す事は出来ない。
と、頑強に主張し続けていた。

だが、俺に限れば先入観が在った。
アンスバッハならば、これから自分が仕出かす事に巻き込みたくないのでは?
同時に「条件を飲めば、ご遺体を引き渡す」と想わせる事で、言わば陽動作戦を仕掛けているのでは?

そうした先入観を捨てきれない俺は、戦勝式典が開催される会場の警備を申し出てみた。



[29468] 第20章『マイン・フロイント』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/19 14:53
「私はキルヒアイス上級大将だが、やはり武器を持つのは駄目なのか」
警備の直接指揮に当たる准士官が何か応える前に、なぜか警備責任者を買って出ていたザルツ准将が応対した。
「どうぞ。元帥閣下の御側へ」

視点:とある1人の兵士

確かに奇妙な「上官」だ。
成程、会場の中に居る提督たちよりは2つ、3つ位は下の階級だから式典には出席出来ないだろう。
それでも、自分たちからすれば「閣下」だ。入り口の警備をする様な下っ端じゃない。
それが、ワザワザ自分から買って出ている。
「せめて、近くで式典の雰囲気を感じたくてね」
本当に本音だろうか?

そうしたら、何とも。
他の全員からは預(あずか)かっていた(普通はそうするだろう)武器を持たせたままの出席者を通した。
本当に責任は取ってくれるのだろうな?
その次には、それこそ武器なんぞ持っていなそうな
それどころか、情けなくも元の主君を手土産に式典に出席しようなどと言う軟弱者を逆に止めていた。

「お通し下さい。私は丸腰です。ローエングラム閣下に見分して頂きたいのです」
「アンスバッハ准将」変な上官は変に意固地だった。
「卿が敵ながらアッバレな忠臣である事は認めています。それだけに油断は出来ません」
「今更。こうして旧主の死体を手土産に、お目通りを願おうとしているのに」
「そう今更、卿が御主君の仇も討たず、その御主君を本当に晒(さら)し者にするとも信じられません」
「これは買い被りを」自嘲する様な態度だったが、変な上官は自分の態度を変えない。
「買い被りついでに卿ならば、その御遺体に何を仕掛けていても驚きません」
「まさか、ゼッフル粒子でも仕込んでいるとでも?」ワザとらしく微笑している。
「卿ならば、実行しかねません。ついでに今更、命を惜しむ卿とも思いません」
「これは買い被りを」
「とりあえず、そのケースを開けてもらいましょう。何も無ければ、かまわないでしょう」
流石に、これは冗談では無さそうだ。

視点:とある転生者

心の準備だけは用意していた積もりだったが、実感していた。
神風攻撃から空母を護った駆逐艦乗りには、実は戦後までPTSDとかに悩まされたりした者が、けっこう居たらしいが
そんな気分だ。
平然とした演技を続けるため、先ずは弱敵から各個撃破する事にした。
ガルミッシュ要塞での自爆がスルーされたためだろう、
おそらくリッテンハイム陣営で、ブラウンシュヴァイク陣営でのアンスバッハの立ち位置にいたのだろうモブキャラクターらしきものが
侯爵の遺体も運んで来ていた。そちらの透明ケースから先に開けさせて、兵士たちに検査させる。
それなりに真面目に成りながら、開いたケースの中の死体をしばらく突付いていた兵士たちが「異常無し」の報告をしてきた。
確かに、こちらからは何も出ないだろう。

「それでは、次は卿です」
アンスバッハよ。どうして、そんなに自然体なんだ。覚悟をし切っているのか?
その右手が、どうしても気に成る。

兵士たちが公爵の入ったケースを開き、中の遺体に手を伸ばす。
その瞬間、咄嗟(とっさ)に其の兵士の襟首をつかんで引き倒していた。
同時に兵士の顔が在った場所を光が走った。

やっぱり、さっきから気にしていた指輪はブラスター仕込みだった。
「あらかじめ」知っていたから、咄嗟に狙われた兵士を助けられたものの、俺以外の警備兵たちは不意を突かれていた。
不意を突かれながらも、半ば儀礼的な意味でも在った武器の安全装置を外(はず)して、応戦に移り始める。
だが其の前に、死体からハンド・キャノンを取り出して会場に走り込もうとしていた。
もはや、止める余裕も無かった。

視点:ジークフリード・キルヒアイス

あれは?
確か、アンスバッハ准将。そして手に持っているのはハンド・キャノンだ。
私はブラスターに手を伸ばした。
考える事が出来たのは、1つの事だけだった。
ラインハルト様を守らなければ!

視点:オスカー・フォン・ロイエンタール

俺とした事が、この時ばかりは動けなかった。
その動けない俺、と言うより俺たちの前で、事は進行していった。

ハンド・キャノンを構えて正面のローエングラム侯爵に相対するアンスバッハ。
そして、俺たちの列から1人飛び出して、侯爵の前に立ち塞(ふさ)がるキルヒアイス。
ただ1人だけ携帯(けいたい)を許されていたブラスターを引き抜き、
自分もろとも後ろの侯爵を狙うキャノンの砲口を、逆に狙った。
爆発音と硝煙が、俺たちの硬直を解いた。

音と煙が収まった時、アンスバッハの姿は消えていた。
当然だろう、見事に砲口を狙い撃ったのだ。発射前のキャノンの中で砲弾が誘爆すれば木っ端微塵だ。

おや、キルヒアイスに侯爵が、何か言っている。
俺たちに聞かせる積もりが無いせいか、何時もの俺たちに話す時とは口調まで違っていた。

視点:後世の歴史家

普通名詞の固有名詞化あるいは其の逆は、歴史上いくつかの例が存在する。
ローエングラム王朝時代の「マイン・フロイント」も其の1つの例である。
本来「わが友」を意味する普通名詞だが、この王朝においては皇帝から与えられる名誉ある称号をも意味した。
1代の皇帝から只1人にだけ与えられる「マイン・フロイント」の称号は、他の如何なる栄誉、地位、高官の職権をも超越した
皇帝個人からの信頼の証明とされた。

周知の事ながら、この名詞の称号化は皇帝ラインハルト1世の「マイン・フロイント」ジークフリード・キルヒアイスから始まった。
彼が帝位そのもの以外の、あらゆる報償に値する功臣である事も史実だが、
ラインハルト1世の視点からは終生「わが友」だったのだ。

もっとも彼1人ないしは彼ら1組だけの事ならば、歴史の中の例外事項とされる可能性も皆無では無かっただろう。
ともすれば創業と言う時代には、平和な時代からは例外とされる事も起きるものでもある。
ただ1つの例から定着化へと進む場合には、後に続く模倣者ないしは最初の例に習う者は無視出来ない。
特に第2例でもある第1の模倣者も、である。この意味で無視出来ないのは
第2代皇帝アレクサンドル・ジークフリード1世と「マイン・フロイント」フェリックス・フォン・ロイエンタールだろう。
ジークフリード1世とフェリックスの友人同士としての交際には、指標と成る友人同士が2組存在したと伝えられている。
1組はラインハルト1世とキルヒアイスであり
もう1組はフェリックスの実父オスカーと双璧の相棒ウォルフガング・ミッターマイヤーだと伝えられる。

この初代と第2代の先例からしても「マイン・フロイント」とは、単なる皇帝の「お気に入り」を意味しない。
ひとたび皇帝自身が「マイン・フロイント」の称号を与えた友人からだけは、
どれほど皇帝の感情に不快な忠告をされようとも、その忠告を罪として罰するべきでは無く「マイン・フロイント」の称号を奪い返すべきでも無い。
逆に、忠告を聞かなかった事を理由に「マイン・フロイント」の側から称号を返上する事も可能、
と言うのがローエングラム王朝の不文律とされている。
もっとも、これらの実例は無い、とされているが。

こうした五月蝿(うるさ)い存在を嫌ったか「マイン・フロイント」を持たなかった皇帝も存在はした。
あの黄金像のラインハルト5世も其の1人だが、彼は余り評判の好い皇帝とは言い切れない。
アレクサンドル・ジークフリード1世の子のラインハルト2世が祖母から祖父の名を付けられて以来
黄金像の件以前に名付けた5世の子ジークフリード3世までの皇帝は、ラインハルトかジークフリードの名を持っていたが、
3世の次代で其のどちらでも無い皇帝が出現した。
流石に5世も祖先の名を落としめたと反省した?とは、むしろ王朝側が主張する処である。

視点:とある転生者

煙が収まって、会場の外に居る俺たちにも内部の様子が見え始めた。
会場のド真ん中に爆発の跡だけ残してアンスバッハは跡形も無い。
その向こうの正面では、ラインハルトを背中に隠す様に立ち塞がり銃をかまえたままのキルヒアイス。
そこまで確認出来た処で、俺もホッとした。
流石に今度だけは、開け放したままの扉に懐(なつ)きたく成った。

……だが懐くヒマも無く背中を蹴(け)り飛ばされる羽目に成る。

帝都オーディンのヒルダからラインハルトへと、緊急通信が飛んで来たのだ………。

……。

…普通名詞の固有名詞化あるいは其の逆は、歴史上いくつかの例が存在する。

皇帝(カイザー)と言う称号も、ジュリオ・チェーザレと言う1人のローマ人の名に由来する。
彼の名が「皇帝」を意味する称号と成ったのは
「サイは投げられた!」と宣言して「ルビコン」と言う名の小川を越えたからだった。



[29468] 第21章『ルビコン川の岸辺にサイコロを投げて』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/24 08:59
普通名詞の固有名詞化あるいは其の逆は、歴史上いくつかの例が存在する。
「カイザー」と言う称号も、ジュリオ・チェーザレと言う1人のローマ人の名に由来する。
彼の名が「皇帝」を意味する称号と成ったのは
「サイは投げられた!」と宣言して「ルビコン」と言う名の小川を越えたからだ。
そのジュリオ・チェーザレが決断の切欠としたのが、ローマ元老院との政略的交渉の決裂だった。

その時、通信機の当直だった士官は、占領直後での始めての配置に慣れてはいなかった。
したがって、その専用回線が一方的に受信して一方的に記録した事自体には直接に干渉出来なかったが
それでも直ちに上官には報告して指示をあおいだ。
この時に使用されたのは帝都の軍務省から要塞司令部への直通回線であり専用に割り振られた周波数だった。
当然ながら「賊軍」に占拠されてからは開店休業状態だった其の回線と周波数が突然に使用され
そして送信者は、一方的に受信機に記録させた。

当直士官や報告を受けた直属上官は、受信記録の「頭」部分を再生しただけで、それを更に上へと送った。
送信者は帝都の元帥府で留守を預(あず)かっている、元帥閣下の相談役だった………。

……。

…9月9日。ガイエスブルク要塞では戦勝式典が開催されいていた同日の帝都オーディン。

帝国宰相リヒテンラーデ公爵は、何人かの面会者との約束を取り付けた。
宰相にして公爵であっても、官僚や自邸の使用人の様に呼び付ければ好い相手ばかりとは限らない。
また、そうした相手でも無ければ政略の意味も無い。
それに“今日”までは「賊軍」が生き残っている間は「金髪の小僧」の力が必要だった。
しかし“今日”からは……

「伯爵。弟御には気の毒な事をした。だが、もう其れも終わる」
公爵は帝都に残されていた貴族の1人を呼び出し、当主として弟を説得するよう依頼した。

その依頼の結果、ミュッケンベルガー伯爵は次弟を元帥府に訪問していた。
宇宙艦隊司令長官を副司令長官に譲った処で「帝国元帥」は終身職である。降格される様な下手をしない限り。
したがって元帥府まで閉鎖はしていない。
実の処、ローエングラム元帥が新しい艦隊司令官を抜擢したため押し上げられた元司令などを、ミュッケンベルガー元帥府で引き取ったりしていた。
伯爵が弟を訪問したのは其の元帥府である。

「では、兄上」
「そうだ。宰相閣下は、お前を司令長官に復帰させてくださる御積もりだ」
「しかし、現状の長官は」
「お前だけでは無い。軍務尚書も統帥本部総長も、だ。しょせん最高司令官などと恐れ多い」
「兄上。窓の外を御覧下さい」元帥から兄伯爵への返答は、少しばかり斜めにも聞こえた。
「窓の外が、どうしたのだ?」
そう言って、弟の見せようとしているものを見た伯爵は、絶句した。

現在の帝都はローエングラム最高司令官の命令を受けたケスラー憲兵中将の制圧下だった。
「折角(せっかく)賊軍を討伐したのに、また新しい内乱を始める事に成りかねません。しかも今度は、ミュッケンベルガー家も当事者です」
「だがな、あの生意気な成り上がり者に…」
「そもそも、賊軍を討伐した功績こそあれ、何の罪を問う御積もりなのでしょうか」
伯爵は、弟元帥から逆に質問されて答えられなかった。
「兄上。宰相閣下に言質を取られてはおりますまいな」

だが宰相の方は「罪を問う」準備を始めていた。
2人の高級官僚を執務室に呼んだのである。
典礼尚書と社会秩序維持局長官を同席させたのだった。
「尚書。本来、貴族の階級に在る者の罪を問うのは典礼省の職務だ。だが、これは帝国の安寧(あんねい)に関わる事」
宰相は同席者の間で視線を往復させた。
「ここは黙って見守っていて欲しい」
「どの家門の何方(どなた)の事ですかな。それによって我が省の対応も異なりますが」
「カール“フォン”ブラッケそしてオイゲン“フォン”リヒターじゃ」
「ああ、自分からフォンの名乗りを捨てた貴族の面汚しです。典礼省としては関知する処では在りません」
「では、社会秩序維持局が2人を取り調べようと身柄を確保しようと関知せぬ。と」
「いっさい関知いたしませぬ」

……典礼尚書からの言質を取った維持局長官は、直ちに部下たちに命令を下した。

だが同じ夜の間に、ローエングラム元帥府の留守を預かる伯爵令嬢にも報告が届けられた。
ラインハルトとヒルダは、ブラッケとリヒターに「再建計画」立案を依頼した時点で、
“この”事が宰相に関係しても危険に成り得る事を予想していた。
そのため、ケスラーが憲兵本部に出向して以降に何とか確保していた信頼出来る部下の憲兵に、2人を尾行させていたのである。
その憲兵たちが、自分たち以外の尾行者に気付いた。
そして、流石にケスラーが見込んだ部下たちだけあって「正体」が社会秩序維持局である事も報告出来た。
同時にケスラーは宰相が「前」宇宙艦隊司令長官の兄である伯爵家の当主に「前」軍務尚書から「前」統帥本部総長
そして典礼尚書と社会秩序維持局長官は2人同席させて次々に呼び出していた事もヒルダに報告出来た。

ここに至ってヒルダは、ガイエスブルク陥落で使用可能に成ったばかりの
おそらくは1回切りなら大ムジナの不意を突ける緊急通信を送ったのだ………。

……。

…ヒルダからの緊急通信は、以下の様に結ばれていた。

「可能な限り早く帝都に御帰りください。1歩遅れた方が処刑場の羊と成るでしょう。先手を取るだけの事、何ら躊躇(ためら)う必要は御座いません」

……ラインハルトは、この通信記録を兵士たちに対して放送した。

無論、帝都まで受信可能な超光速通信など使用していない。
要塞内部の有線放送で必要にして十分だった。
そしてラインハルト自身は戦艦ブリュンヒルトの艦上から、兵士たちへの放送を続けた。

「兵士諸君。
卿らは、卿ら自身を解放するため、おごれる貴族と戦って来た。
だが、その解放を政策として定着させるための立案を任せていた2人が、
正に「その」立案を罪として問われたのだ。
これで明らかだ。
しょせん帝国宰相リヒテンラーデ公爵も、卿らと卿らの家族、友人たちを解放する積もりなど無い。
賊軍と同様、ただ卿らに寄生する欲望を争っていただけに過ぎなかったのだ。
卿らに残った最後の敵を倒す。そして卿ら自身の力で、卿らと卿らの家族、友人たちを解放するのだ。
続け!」

宇宙戦艦ブリュンヒルトは其のままガイエスブルクから発進した。
姉妹艦バルバロッサが了解して続く。
そして惑星オーディンへの航路に向けてブリュンヒルトを加速させながら、其の艦上からラインハルトは命令を下し続けた。
「ミッターマイヤー!ロイエンタール!艦隊をまとめ、私を追え。
メックリンガーはガイエスブルクを守備せよ。
他の提督たちも私に続け。
ミュラー中将のみは他の艦隊の進発を見届けた後、最後に進発。
遅れるであろう各艦を収容しつつ続行せよ。
脱落を恐れるな。最終的にオーディンに到着すれば好い。
急げ!!」
ラインハルトの選択は、電撃戦だった………。

……。

…帝国宰相リヒテンラーデ公爵は、宇宙艦隊とは異なる武器での戦いを準備していた。予定通りに。

ガイエスブルクからの時間的距離が20日間と設定されている。
予定では「金髪の小僧」が其れだけの距離をノコノコ凱旋して来た瞬間に、帝国軍3長官を幼帝の名をもって復職させる。
それで前代未聞の「最高司令官」も消え失せる。
「小僧」には其の理由とするだけの罪が在る。貴族階級の裏切り者でもある共和主義者どもの共犯者と言う罪が。
その罪をもって「小僧」に罰を与えれば、宰相だけが勝利者として残るのだ。
だが1週間、早過ぎた。
ローエングラム元帥の艦隊は、20日間と設定された距離を14日間で走破した。

……その夜、ついに宰相は社会秩序維持局長官に命令した。

本来の官僚機構としてなら頭越しに成る、内務尚書の言質も取ってある。
その上で長官に命令したのだ。
「今宵(こよい)のうちに件の2人を逮捕せよ。そしてローエングラムの帰還までに証言を用意するのだ」

だが正しく、惑星オーディンの標準時間で同じ夜
宇宙戦艦ブリュンヒルトが大気圏に突入していた。



[29468] 第22章『翼持つ黄金獅子の飛翔』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/24 09:00
帝都オーディンの中心市街から意外と近くに、貴族たちの狩猟を目的とした人工の森や湖が存在する。
そうした湖の1つに着水した戦艦ブリュンヒルトから指揮をとっただけでは無かった。
キスリング中佐指揮の陸戦隊が元帥府を確保するのも待ちかねた様に自ら元帥府へと乗り込んで
ローエングラム元帥は陣頭指揮をとり続けた。
その元帥府に、各提督から次々に報告が入って来た。

俺ことザルツ准将も、ラインハルトたちの末尾を追走する様に元帥府に到着すると、逐次着信する報告を取り次いでいた。

キルヒアイス上級大将より
ローエングラム侯爵邸およびマリーンドルフ伯爵邸の警護隊と合流。
グリューネワルト伯爵夫人およびマリーンドルフ伯爵父娘の安全確保。
ミッターマイヤー大将より
宰相府を占領し「国璽」を確保せり。
ロイエンタール大将より
リヒテンラーデ公爵私邸を占領。公爵の身柄を確保。

(…これで勝った…)

こうして帝都の長い夜は明けた………。

……。

…翌朝すでに、惑星オーディンの地表上はローエングラム軍に完全占領されていた。

元帥府では、とりあえず脳と身体をリセットさせたラインハルトが決断を下し始めた。
「帝国宰相たるかたを死刑にはできまい。自殺をお勧めせよ」
昨夜のうちに合流して来たヒルダも合意した。
「その方が好ろしいでしょう。処刑と成れば手続きも罪状も必要です」
ラインハルトは瞬間だけ、露悪的な微笑と苦笑を混ぜ合わせた。
「罪状か。滅亡する王朝の宰相であった事が本来の罪なのだがな」
流石に「わが友」が露悪をいさめた。
「ラインハルト様。例え、そうであっても公表するべき事では御座いますまい」
「『君側の奸臣』を討った。とりあえずは其れを名分とするしかないでしょう」
ヒルダも進言を続けた。
「未だ形式的にせよ、玉座の上から幼児1人を追う段階では在りません。むしろ形式を踏む事で、覇権を確立して行く段階かと」
ラインハルトも合意した。

「リヒテンラーデ公爵以外は、どうされますか?」
友人が言外に寛容を求めている事が、ラインハルトだけには感じ取れる。
その事をラインハルトの表情と態度からヒルダも読み取った。
「公爵以外で元帥閣下の御邪魔(じゃま)に成る様な有力貴族は、殆(ほとんど)が賊軍に参加していて、閣下が倒されたでしょう」
ヒルダの言い分は当たらずとも遠からず、だ。
リヒテンラーデの陰謀が未完成だったのはラインハルトが早過ぎたためだが、
有力な陰謀仲間に成るような貴族が、ほとんど居なかった事にも助長されていた。
「これ以上お手を汚さずとも、彼らから閣下の慈悲を求めて来る可能性も小さくは在りますまい」
「フロイラインの言は、聞く価値が在る」

キルヒアイスは更に確認しようとした。
「それでは公爵の一族も、処断しなくて好ろしいのでしょうか?」
「私を恨んで倒そうというのならば、挑戦してくるが好い。力無き権力者が倒されるのはリヒテンラーデに限るまい」
「閣下」ヒルダが居なければ、もっと直接的な忠言をしただろう。
「大丈夫だ。キルヒアイス提督。私には破滅願望は無い。それどころか私は、どうやら自分で考えていたよりも欲深だった様だ」
そして彼だけが可能な、覇者の顔をした。
「お前やフロイラインが協力してくれれば、この帝国だけでは無い。もっと大きなものを奪い取れる」

それからヒルダとキルヒアイスは、ラインハルトを地上の問題に戻した。
「実際的には監視の目は必要でしょう。ケスラー提督の部下たちには手間が加わるでしょうが、それで十分でしょう」
後日談ながら、リヒテンラーデ公爵の遺族の中で性格の強い女性に閉口したケスラーが、
半分以上は冗談ながら女性に詳しそうな戦友の1人に相談した結果から
第2代皇帝の「マイン・フロイント」への因果関係が発生する事に成る。
しかしながら、それらは後日談である。


……追走し損ねた各艦を収容しつつ追走して来たミュラー提督が到着した時、ローエングラム元帥は勝者と成っていた………。

……。

…内乱の年は行き、後世の歴史家は知っているが、策謀と風雲の年が来ようとしていた。

宰相府で開催された年越しパーティーの末席で、俺ことザルツ少将は物想いに浸(ひた)っていた。
そう「宰相府」だ。
ローエングラム元帥は「帝国軍最高司令官」に加えて「帝国宰相」を兼任していた。
ヤン・ウェンリー曰く
「名義の変更がなされていないだけで、実態はすでにローエングラム王朝」だった。

そのヤンも『原作』通りにクーデターと内乱を鎮圧して、イゼルローンに復帰していた。
(…『原作』通りか…)
「修正力がどうの」と言った人外な何かを持ち出すまでも無い。
3つの国家を合計すれば400億もの個人が、それぞれの思惑、感情、利益損失で行動しているのだ。
ザルツ少将ごときが1つだけの反則知識で動き回っても、こんなものだろう。
そして『原作』が破綻していなければ、今年は策謀と風雲の1年に成る。
そして其れは今年だけでは終わらない。そして終わった時には……

未だ『原作』が破綻していなければ、そして「冬バラ園」辺りまで持っていければ「皇帝」ラインハルトは宇宙最強の存在に成っている。
残る敵は、数え方によれば2つだけ。「ヤン不正規隊」とテロのネットワークだけだ。
更にはヤンとは談判が可能な筈だ。
『原作』通りならば
(この時のザルツ少将には、後にヤン自身と会談したりユリアン編集の「メモリアル」を読んだりして分かった事までは、流石に分からなかった)
ヤンは「昨年」同盟に起こったクーデターと内乱がラインハルトの策謀である事を知っていた。
そして自分の手を汚して鎮圧した。後には妻の父となる人まで手にかけながら。
それでもヤンは「この」時の復讐心とかでラインハルトの評価を変えたり
ローエングラム王朝と民主共和政体との共存の可能性を小さく見積もらなかった。
歴史の当事者と成りながら、後世の歴史家の視点で見定める事の出来る「奇蹟の魔術師」の視点は
玉砕以外の道を見付けていた。

だからヤンとは談判が可能な筈だ。『原作』ではヤンの息子ユリヤンが引き継いで成功させた様に。
いや、テロリストどもの暗殺さえ無ければ、ヤン自身が達成していたかも知れない。
残るは、そのテロリストたちだ。
何時の間にか1つのネットワークで闇の中ながら連結していた陰謀家たち。地球教、ルビンスキー、トリューニヒトそして彼らの共犯者たち。
彼らはヤンほども共存可能とも想えない。
彼らとヤンとの違いは、むしろヤンとラインハルトの共通性と解釈するべきかも知れない。

このテロリスト・ネットワークの弾圧とヤンとの談判に成功すれば
ローエングラム王朝は銀河の覇者と成る。

そこまで想って、俺は誰にも気付かれない様に苦笑した。
“今”の時点で「ここ」まで予測出来たら、予言者だ。
ラインハルトやヤンだって予言者なんかじゃない。
彼らは只、神でも予言者でも無い人間でも視る事の出来る限界まで、ものを視ようとして視る事が出来ただけだ。
現時点ではラインハルトやヤンでも、あるいは彼らを翻弄(ほんろう)する積もりの策謀者たちも、すべてを「予言」する事までは出来ないだろう。
俺は其のラインハルトを末席から見上げた。

ローエングラム元帥は、キルヒアイスとヒルダを左右に公人の態度と顔だった。
あい変らず、アンネローゼは弟の公式の場には姿を見せない。
おそらく今日も、ローエングラム公爵私邸で身内だけの、ささやかな新年会を準備して待っているだろう。

行く年は終わり、来る年が始まる。
1人だけが知っていたかも知れない。
猛禽をしたがえる白鳥の翼を持った黄金の獅子が、フェザーン回廊の向こう側までも飛翔するまで、あと1年と少し。



[29468] 第23章『鉄壁ミュラー』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/12 17:09
「総旗艦ブリュンヒルト健在」

しかし、ミュラー艦隊の到着時点で総旗艦の直属艦隊は兵数の殆(ほとんど)が、包囲殲滅の危機に直面していた。
それどころか、敵は包囲陣から引き抜く戦力の余裕が出来た途端、もはや数隻の護衛艦しか居ない総旗艦にトドメを指そうとしていた。
正しく其の瞬間に戦場へと到着したミュラー艦隊は、先ずは其の総旗艦を襲っていた敵分遣隊を狙って逆襲したのだった。

だが、味方も今だ包囲殲滅の危機に在る。いや、殲滅し次第どころか再び包囲陣から戦力を引き抜く余裕が出来次第、
今度こそ敵は総旗艦を仕留めようとするだろう。その前に敵を撃滅するしか無い。そう決断して総攻撃をかけるミュラーだったが、
瞬間のスキを突いた敵が最後に結集した攻撃は、ついにミュラーの旗艦リューベックを総員退艦に追い込んだ。

鳴り響く警報と退艦命令の中で無念を噛み締(かみし)めていたミュラーだったが
シミュレーション・マシンは停止しない。
ようやっと稼動中である事に気付いたミュラー大将が驚愕と疑問の声を上げると、操作役のザルツ少将は平静を演技しつつ回答した。
「敗北条件は「総旗艦の撃沈」か「ミュラー提督戦死」です。戦艦リューベック撃沈は含まれていません」
ハッとしたミュラーはシミュレーションを続行した。
「では、他の艦に司令部をうつす。もっとも近い距離にいる戦艦は何か」

だが当然ながら、今度はミュラーが移乗した新たな旗艦に敵の攻撃は集中して来る。
ミュラーは第3の旗艦と成る戦艦へ、更には第4の旗艦である戦艦へと脱出しながら総旗艦を護り続けた。
そのミュラーの最終防衛線まで遂(つい)に突破した敵が、総旗艦を射程距離に捕らえようとした正に其の半歩前で
隣の星系では敵首都が陥落、戦場には停戦命令が届いた。
シミュレーション・マシンはミュラーの勝利を判定して停止した。

「いったい、どう言う積もりだ?」
主君のラインハルトからして、冗談も混じっているだろうが
「いたけだかなミュラー」は「女気なしのロイエンタール」や「浮気者のミッターマイヤー」と並べて
「皆、彼ららしくない」と評したくらいである。
戦場で指揮をとっているとき以外で年長者を問い詰めたりは、普通しない。
だが当時ミュラーは大将でザルツは少将であり、かつ士官学校に同時に在籍して直接に先輩後輩だった経験が無い。
逆にローエングラム元帥府に抜擢された時点で、ミュラー少将はザルツ大佐よりも上級者だった。

「まあ、ミュラー提督。ザルツ先輩の言い分も聞こうでは無いか」
逆に双璧は、ミュラーの視点では学校での直接の先輩でもあり、元帥府での上級者でもある。
その双璧の視点では、ザルツは義理の在る先輩であり、まったく3すくみだった。

「ミュラー大将。提督には「鉄壁ミュラー」と呼ばれるまでに成長して頂きたいのです」
この言葉にウソは無い………。

……。

…切欠は、とある汚職事件である。

「ジークフリード・キルヒアイスが生きていれば、きっとローエングラム公爵をお諌めしただろうな」
とは疾風が相棒にだけは洩(も)らした溜息だった。と言うのが『原作』での記述だったが
キルヒアイスは生きていた。

科学技術総監から、とある新兵器を売り込まれた最高司令官は其の場で即断せず
補佐官と副司令官との合議まで返答を保留した。
当然の様にキルヒアイスは「無用の出兵」だと軍事戦略あるいは帝国の政策そのものの視点から正々堂々と主張した。
まったくヒルダも同感でありキルヒアイスに共感していたが、同時に一応はウラを疑ってみた。
そこで、ケスラー大将とザルツ少将にウラ取り捜査を依頼して置いた。

当時のケスラー大将は、帝都防衛司令官から「臨時」が取れた事に加えて
「前」憲兵総監の自爆も結果的には機会と成り、後任の総監を兼任する様に成っていた。
当面は憲兵組織そのものの改革に邁進(まいしん)すべきだったが
どうやら今回の件が事実上、総監昇進後の初仕事に成りそうだった。
そんなケスラー大将の下でザルツ少将に与えられた憲兵本部特命室長と言う立場は、何かと自由に動けそうだった。

まあ、本人にしても分からぬでも無い。
全体的な才覚や実績からすれば、好くも悪くも「器用貧乏」と言う処だろうが、
思い出したようにトンデモ無く的確で、何処から入手したのかの見当も付かない
しかし結果からは間違い無かった情報を持って来る。
そんな部下に与える立場としては適所だろう。

早速、そんな立場らしい初仕事をする事にした。
科学技術総監に関係してアヤシゲな密告が在った、と言った感じの報告を憲兵総監へと持っていったのである。
当然に、憲兵隊としても調べざるを得ない。
帝国軍全兵器の情報を管理する責任者が、フェザーンと言う「外国」に買収されていたのが事実なら、完全なるスパイだ。
そこへヒルダからの依頼が重なった。
結果は、科学技術本部の人事活性化だった。

……だが、俺ことザルツ少将だけは、将来の事を考えたら1つだけ困った事が起きていた事に気付いた。

『原作』通りに実行されていたら、ケンプ1人では済まず180万以上もの未帰還者を出して、しかも失敗する戦いだった。
だから潰(つぶ)して悪い筈は無かったのだが
この大敗戦の結果「鉄壁ミュラー」へと覚醒する、と言う側面も在った筈。
だからと言って、その覚醒と引き換えに180万に死んで来い、と言うのは流石に滅茶苦茶(めちゃくちゃ)だ。
しかし「鉄壁」が覚醒しないままで、もしも「バ-ミリオン会戦」が戦術レベルの細かい展開まで『原作』通りだったら……
正直、1人ゾッとした。ガイエスブルクで扉に懐(なつ)きたく成った時の気分だった。

散々考えた末、思いついた事が戦術シミュレーションだ。
あらかじめ「鉄壁ミュラー」をシミュレーション・マシンの中で体験させて置く。
同じ内容を学習しても成果は受け取る側の者で異なる事も在り得るだろうが、ナイトハルト・ミュラー程の人物であれば
例えシミュレーションであっても、あらかじめ経験しているのといないのとでは、いざ其の場に直面した時に違いが出る筈だろう。
ただ、俺が士官学校の教官でミュラーが学生といった立場では無い。
それどころか、こちらは少将で向こうは大将だ。
どうやってシミュレーションを強要させるか。それに不満タラタラでは身に付くまい。

そこで更に思い付いたのは双璧だった。
第1に、俺は双璧にとっては同時期の士官学校で直接に先輩後輩の関係、それも友情の切欠と成った義理が在る事に成っている先輩だ。
それに戦術シミュレーションの事にかぎっても、双璧と俺との間ではレンテンベルクの前例が在る。
つまりは、この件での協力を期待出来る。
第2に、今度はミュラーにとって直接に学校での先輩後輩の関係が在ったのが双璧だった。
そして今でもミュラーが大将ならば、双璧は上級大将。しかも「帝国軍の双璧」と呼ばれるだけの実績も名高い。
双璧ならばミュラーに戦術シミュレーションを強要も出来るだろう。
第3に、仮想ヤン・ウェンリーと言う問題も大きい。
シミュレーション・マシンだけでは相手の強さまでは再現困難だ。
まして相手はヤンである。
ハッキリ言って、双璧が2人がかりでも無ければ、仮想とは言えヤンは再現出来まい。
最後に『原作』ではヤンを「時間切れ」に追い込んでミュラーを粘り勝ちさせる結果をもたらしたのは、双璧だった事だ。
つまりは、双璧に対しても学習効果を期待していたのである。

とは言え、双璧が上官と先輩を盾に強要するだけでは、ミュラーは不服で身が入らなかったかも知れない。
そこで先ずは、双璧にミュラーを飲みに誘い出してもらった。
やはり、新兵器の売り込みが成功していた場合にはケンプ大将の副将として出征できた可能性が、ミュラー当人の耳にも入っていた。
そうなると疾風と並ぶ常識人のミュラーとしても、欲求不満が無いわけでも無い。
だが俺は、あくまでも少将から大将への言葉使いに気を配りながらも、正論で指摘した。
「ご無礼ですが、ケンプ大将とミュラー大将がロイエンタール、ミッターマイヤー両上級大将を相手に
要塞対要塞の戦力互角の戦いをして、勝つ自信が御ありですか?
相手はヤン・ウェンリーです。ローエングラム元帥閣下ですら、戦術レベルで最後まで勝った実績を残せなかった敵なのです」
これがケンプだったら、特に当時は『原作』によれば
「年下」の双璧に上級大将への昇進で追い抜かれている事に焦(あせ)っている様な記述も在ったみたいだが
常識人かつ双璧よりも後輩のミュラーには、そうした事で憤慨する様な事は酒の席でも無かった。
それでも自分とヤンとの力量差を確かめたいとは言い出し、双璧相手の戦術シミュレーションを承知した。

そして俺は、シミュレーションを慎重に設定した。
出来るだけ『原作』通りに、
しかし実現した時に俺が予言者などと疑われない様に「バーミリオン」などの固有名詞は慎重に改変して。
戦術展開そのものには関係しない処で違いが出る様に、つまりは実現した時には偶然に見えそうに。
そしてミュラー提督は、今回のシミュレーションから想う処が、何か在った様だった………。

……。

…だが実の処、もう1つの玉突き現象が起こっていた事には気付かずにいた。

シャフト技術大将と言う人物は、外見だけで判断するのは偏見かも知れないものの
「指向性ゼッフル粒子」とか「移動要塞」とかを発明開発した科学者やエンジニアと言うよりは、むしろ“俗物”に見える。
実の処、総監と言う職務に要求されるのは研究者そのものの才能よりも研究組織の管理者としての有能さだ。
そうした管理者としては、ある意味では有能だったシャフトに管理されながら、直接に研究開発したスタッフが居たのだ。
そしてシャフトの失脚と其れに伴う人事の急変との巻き添えを喰っていた。

そうした人事上の不平と、折角(せっかく)開発した移動要塞がボツに成った不満から
人物的にも「世間知らずの学者」まがいの技術士官が刹那(せつな)的な行動に出ていた事の意味を、俺もケスラーも見落としていた。
ラインハルトやヒルダやキルヒアイスたちにも、一応は報告されただけだった。
この利子は高く付く結果に成る。
何と言っても銀河の向こう側には「奇蹟の魔術師」が存在したのだ。



[29468] 第24章『閑話らしきもの(その4)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/27 21:31
ヤン・ウェンリーは知っていた。
衰退する自由惑星同盟を更に自爆させた内乱が、ラインハルト・フォン・ローエングラムの策謀だった事を。
だが、この事をヤンが恨んだ痕跡は無い。
ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」は、同時代人による最も公正な評価をされたラインハルトを記述している
と言うのが後世の歴史家の通説だが、その文中にも探し出せない。

その理由は「メモリアル」による限り、以下の様だとされる。
ヤン自身が帝国の内乱を予測し、これに乗じて同盟の利益を図る策謀を構想しており
そんな自分と自分の策謀を「勝つことだけ考えていると、際限なく卑しくなるもの」と自己評価していたからだ。
ただ、前線指揮官の1人に過ぎなかった彼には実施出来るだけの権限が無かっただけだった。
そのため、しばしば後世の歴史家は、以下の様なIFに誘惑される。

もしもヤンが前線指揮官では無く「策謀」を実施出来るだけの権限を持った高官直属の補佐者だったら
同盟に仕掛けられたラインハルトの策謀は失敗し、逆にヤンの策謀が帝国を落とし入れていたのでは無いのか?と
しかし「メモリアル」中のヤン自身は「それは誰にも分からない」としか回答していない。

更に「メモリアル」を読み解こうとする歴史家たちが深読みするのは
両国内乱の翌年(宇宙暦798年 帝国暦489年)前半から中期にかけて準備され進行していた策謀を
どこまでヤンが見抜いていたか、についてだ。
後世に残る「メモリアル」を読む限り、ヤンもユリアンも主張している。
ヤンもまた、策謀の当事者以外は知る事の出来ない事は知らなかった。と
少なくともヤンやユリアンは「後出しジャンケン」に成ってから「自分は予言していた」などと主張するのは
歴史家の態度では無いと考えていたらしい。

……当時のヤンは「メモリアル」によれば、別の事を考察していた。

実際に仕組まれた様な策謀によって早まらずとも、ローエングラム改革によって活性化し始めた帝国と
尚も不活性化し続ける同盟のバランスが、何時かは軍事的にもアンバランスに成るであろう事までは予測していた。
その時、同盟が採るべき途(みち)は、民主共和国家の理想に殉教して玉砕する事などでは無く
何らかの方法で民主共和主義の理念を後世に生き残らせる事の筈だ、とヤンは考え始めていた。
そもそも、ローエングラム改革によって帝国が活性化しはじめている事自体
ヤンに言わせれば、ルドルフ大帝へのアンチテーゼの実現であり
理念的にもゴールデンバウム王朝と言う共通の敵の敵に成り得るのである。
高い理念を持ったシビリアン政治家が、この理念に目覚め、同盟市民を説得する事をヤンは願っていた。

……だが当時、同盟の政治指導者はヨブ・トリューニヒトだった。

「メモリアル」は皇帝ラインハルト1世に限らず公正に評価した、同時代人からの証言とされるのが通説だが、
もちろん例外も存在する。
ことトリューニヒトに関係する限り、ヤンもユリアンも自分に偏見が存在する事を自覚しながら記述しているが、
それでも結論は「断罪」だった。
ヤンがラインハルトと並んで英雄伝説の対象と成っている後世
トリューニヒトに着せられた汚名は同時代の人気からは想像も難しかっただろう。

そのヤン=ユリアン父子が偏見を自覚しながらも捨て切れない疑惑が「メモリアル」にも残っている。
父子にも確定証拠を見付けられず疑惑に止めてはいるが。
トリューニヒトは何時から、どの程度までアドリアン・ルビンスキーらの共犯者に成っていたのか?
ヤン自身がラインハルトとの最後の戦いに挑もうとしていた時点では、共犯関係が成立していた事は通説に近い。
そして彼が狙っていた事は「旧」同盟をラインハルトに征服させた上で「旧」同盟領だった新領土もろとも乗っ取り政権首班と成る。
その野望の元に暗躍し続けた事は、もはや「黒に近い灰色」とされている。

視点:とある転生者

俺ことハンス・ゲオルグ・ザルツは、ただ1つの「反則」知識を持っているだけの平凡人だ。
ラインハルトやヤンの戦いに割って入れる戦略家でも無ければ、陰謀家としてもルビンスキーやトリューニヒトに本来かなう筈も無い。
そんな俺でも、知識だけは「反則」だ。
だからヤンですら「後に成ってから」疑(うたが)った様な疑惑を疑う事が出来た。
トリューニヒトは何時から、どの程度までアドリアン・ルビンスキーらの共犯者に成っていたのか?

『原作』でロイエンタールに中断されられた時点での彼の狙いは
「旧」同盟をラインハルトに征服させた上で「旧」同盟領だった新領土もろとも乗っ取り政権首班と成る事の筈だった。
そのために、ルビンスキーや地球教団らのテロリスト・ネットワークまでも利用していた。
しかし何時から?「この」狙いで暗躍していたのか。
そして「こうした」共犯者たちと共犯関係になっていたのか?

『原作』では、ガイエスブルクを動かすよう唆(そそのか)していた時点で、ルビンスキーは近い将来にラインハルトが同盟を打倒すると予想していた。
その前提で以後の策謀をたくらむのだが、同じ統計を同盟元首の職権でトリューニヒトも入手出来ていた筈だ。
そしてトリューニヒトはヤンの軍事力で守られている事を信頼などしていなかっただろう。
でなければ(ルビンスキーに唆されたからとは言え)査問会にヤンを呼び付けたりとか
ユリアンやメルカッツをイゼルローンから引き離したりとかは、流石にしないだろう。
そして帝国に降伏する時も実に未練も無く、
しかも逆クーデターの私兵に使ったのは同盟軍内のトリューニヒト派閥でも無く、憂国騎士団でも無く地球教徒だった。

とは言え、憲兵本部特命室長の権限を持っても、こうした疑惑を裏付ける証拠を見付ける事は、
全てが終わり「旧」同盟側の資料を入手出来る様に成っても困難だった。
本質からして、光の下よりも闇と影に所属していた事実だったのだから。

それに当時つまり
ルビンスキーが科学技術総監の背中越しに軽く小突いて来たジャブは空振りさせたものの
『原作』通りならば「本番」の策謀をたくらみ始めていた筈の頃の俺ことザルツ少将には、
フェザーン回廊の向こう側の情報と成ると、ヤンが査問会に呼び出された事すら確認出来なかった。
確かに、本来ならば非公式な「裁判ごっこ」である。堂々と発表も出来ないだろう。
それにガイエスブルクが動いていない。ヤンをイゼルローンから呼び戻す必然性が無い。

結果として「査問会」そのものが無かった事を確認出来たのは「旧」フェザーン自治領駐在「元」同盟駐在武官を尋問する機会が出来た時だった。
何人か居た中の主席武官は赴任“当時”トリューニヒト派閥の大佐だったため、ある程度のウラ話をしゃべれた。
例えば「ヤンの七光の小僧」の事とか。

視点:後世の歴史家

当時、つまり後年に編集された「メモリアル」では「灰色の疑惑」とした其の暗躍が始まっていたかも知れなかった時期
ヤン自身はチェスの連敗記録を伸ばし続けていた。もう1つの回廊から自分の背中にかけて進行しつつある陰謀にも気付かずに。
そして、他の多数同様に驚愕したと「メモリアル」は主張している。

視点:とある転生者

ケスラー大将が憲兵組織の改革を断行し、その成果を元に本来の任務へと邁進(まいしん)し始めた頃
ハンス・ゲオルグ・ザルツ少将に与えられていた憲兵本部特命室長と言う立ち位置は、何かと自由が利く立場だった。
そんな立場を好い事(?)にザルツ少将は1人、物想いに浸(ひた)っていた。
本部の建物外では雷が、ラインハルト曰く「ルドルフにふさわしいエネルギーの浪費」を続けていた。
帝国暦489年6月某日……



[29468] 第25章『策謀鳴動』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/09/28 23:41
「レオポルド・シューマッハ大佐そしてランズベルク伯爵ですな」
目の前に出現した帝国軍少将の軍服姿の相手は、隠し持っていたブラスターを抜いたシューマッハに対しては両手を上げて見せたものの
後ろにはアサルト・ライフル型のブラスターを2人に対して照準している、最低でも1個分隊の憲兵を指揮していた。
「帝国軍の憲兵本部特命室長ハンス・ゲオルグ・ザルツ少将。お2人を「保護」させて頂く」
「保護?逮捕の間違いでは無いですかな」
「ナイン。憲兵総監ケスラー大将閣下の命令は、保護で正しい。まあ、この記録を見れば納得出来るだろう」

尚も片手を上げたまま、もう片手で武器と誤解されないよう慎重に取り出した記録メディアを再生する。
帝国宰相ローエングラム元帥とフェザーン自治領から派遣された高等弁務官との対談だ。
もっとも其の場に居るのはラインハルトとボルテックだけでは無い。
ザルツ少将以外の知らない『原作』では、ヒルダはアンネローゼを訪問していた事に成っていたが
そのアンネローゼはローエングラム公爵私邸に身を寄せていて、キルヒアイスは生きていた。
高等弁務官を出頭させた帝国軍最高司令官は、自分が副司令官と補佐官を同席させる人数合わせとして
呼び出した相手にも2人まで部下の同行を認めていた。
もっともボルテックは専(もっぱ)ら、自分からラインハルトへと話そうとしていたが。

2人が対面して着席した処から始まった対談は、ランズベルクとシューマッハが聞き逃せない処まで進んでいた。
「皇帝を誘拐して、フェザーンに何の利益があるのかと、そう訊いているのだ」
「………」
「それにランズベルク伯ではいささか荷が勝ちすぎるとも思うが、どうかな」
「おどろきましたな。そこまでお見通しでいらっしゃいましたか」
記録の中のボルテックは感嘆の演技だが、ランズベルクは素で驚愕、シューマッハは「やはり」と言う態度だった。

「すると、密告したのが私どもフェザーン……」
ランズベルクは血の気が消えた色に、シューマッハは怒りの色に成っていく。
「……同盟を討伐なさるりっぱな大義名分を獲得なさることになります。そうではございませんか」
ボルテックは笑った。そしてランズベルクの驚愕は憤慨に変化していた。

尚もボルテックはラインハルト相手だけを相手にする積もりの独演会を続けていた。
「私どもフェザーンは、閣下の支配なさるかぎりの全宇宙における経済的権益、とくに恒星間の流通と輸送の全てを独占させていただきます」
ランズベルクは自分の耳と目をふさぎたい様だが、シューマッハが忠告して止めさせた。
そしてザルツには聞き逃した分だけ巻き戻してからの再生を要求した。

「同盟が皇帝の同盟を受けいれぬかぎり、どれほどすぐれた戯曲であっても筋の進行のさせようがないが、そのあたりはどうか」
「その点は、わがフェザーンの工作をご信頼くださいますよう。策は打ってあります。必要なかぎり」
ここでザルツとか言う憲兵らしくも無い少将は、再生を止めた。
「未だ必要かな」
実の処、この先にはフェザーン回廊ウンヌンと言うラインハルトの戦略に関係する秘密が記録されている。だが
「ナイン」シューマッハは、そう答えた。
ランズベルクの方はと言えば、茫然自失(ぼうぜんじしつ)していた。
「では、2人を保護させてもらう」
シューマッハはブラスターをザルツに渡し、自分の足で歩いて同行した。
ランズベルクはと言うと両側から憲兵に腕をとられていたが、連行に抵抗していると言うよりも
どちらかと言うと、自分で歩く気力を取り戻していない様にも見えた………。

……。

…7月7日。ラインハルト・フォン・ローエングラムの宣言が銀河を驚愕させる。

ラインハルトは先ず、自分とボルテックとの会見の記録を公開した。
ランズベルクとシューマッハが見せられた物と同一である。
続いて、その2人が証言したが
この期に及(およ)んでもランズベルクは「自分の信念は変わっていない」と、むしろ正々堂々と弁明した。
その上で「自分の忠誠にフェザーンは付け込み、自分をだました」と訴えた。
シューマッハに至っては「共に亡命して来た部下たちを人質に捕られ、最初から相互不信と一方的な利用の関係だった」と断言した。
その上で「部下たちには罪は無い。彼らが帝国に残した家族の元へと帰還出来る事を願う」と訴えた。

そして本題と成るローエングラム元帥の演説である。
「私はここに宣告する。不法かつ卑劣な手段によって幼年の皇帝を誘拐し、歴史を逆流させ、ひとたび確立された人民の権利を強奪しようとはかって未遂に終わった門閥貴族の残党どもは、その悪業にふさわしい報いを受けることとなろう。彼らと野合し、宇宙の平和と秩序に不逞な挑戦をたくらむ野心家たちも、同様の運命をまぬがれることはない。誤った選択は、正しい懲罰によってこそ矯正されるべきである。罪人に必要なものは交渉でも説得でもない。彼らにはそれを理解する能力も意思もないのだ。ただ力のみが、彼らの蒙を啓かせるだろう。今後、どれほど多量の血が失われることになろうとも、責任は、あげて愚劣な誘拐犯と共犯者にあることを明記せよ」

……ラインハルトは共犯者が何者であるかは、自由惑星同盟ともフェザーン自治領だとも明言しなかった。

する必要も無かったのだ。
「門閥貴族どもの残党を倒せ!奴らの復活を許すな。平民の権利を守れ」
「門閥貴族どもの共犯者を倒せ!」
その声は最初の演説以降、ラインハルトが扇動するまでも無く自己拡大を続け
兵役志願者たちの数と銃後の協力体制として表面化し始めた。
この「国民軍」こそ、ラインハルトが欲しかったのだ。

「新ティアマト星域会戦」までのラインハルトは建前上、ゴールデンバウム王朝の軍人として同盟軍と戦い功績をあげて来た。
そして現状のローエングラム体制にしても「ダゴン会戦」以来の戦争状態を撤回したわけでは無い。
今更、対同盟戦の大義名分は不要なのだ。必要とするならば、帝国の平民階級に対して、だったのだ。
ボルテックと言うよりは、セリフを教えただろうルビンスキーの詭弁(きべん)に他ならない。
そしてラインハルトは、もう1つの必要にして十分な結果も手に入れた。

「国民軍」結集の熱気の中、今更の様に宰相ローエングラム公爵から発表された。
そう「今更」と想われる雰囲気が、実は無関係でも無い問題だった。
「今回の陰謀に加担した者たちは錯覚していただろう。皇帝の身柄1つのみで、直ちに自分たちには正義が存在すると。
彼らは現在の皇帝が、すでに第37代皇帝だった事まで都合好く忘れていた様だ。
確かに、今の皇帝は未だ幼く子は無い。だが、こうした事態に対処する選択肢が他に全く無いと、誰が断言したのだ」
そして帝国宰相として発表した。
「現帝エルウィン・ヨーゼフ2世の“年少”の再従妹(またいとこ)に当たる、カザリン・ケートヘン・フォン・ペクニッツを皇位継承権者とする」
同時に、こうも発表された。
「継承権者の親権者に当たるペクニッツ子爵を“未成年”である皇帝と“皇太女”の後見人に指名する」
この発表は、直接的には今回の陰謀が無益のみならず無駄でもあった事の宣告だったが、
間接的には、ローエングラム王朝への名義書換が始められた事をも意味していた………。

……。

…この時点での帝国側には、フェザーンや特に同盟側の情報を確認出来る筈も無い。

例えばザルツ特命室長は憲兵本部に所属してはいたものの、帝国側に入って来る情報そのものが少なくなっていた。
特に同盟側の情報と成ると、フェザーン経由の情報ルートが尚さら信用出来かねる代物に成っていた。
フェザーン関係の情報の信用性も本質的には同様だろう。

「茶番だ」
そんな限られた入手ルートの情報から確認出来た限り、フェザーンと同盟の国家元首は
まるで口をそろえた様にラインハルトの演説にコメントすると、多くを語る事を避けた。

シューマッハとランズベルクの証言に出てきた、自治領主補佐官についても
「同盟駐在の高等弁務官と交代した」と言うのが自治領主府からの公式発表だった。
それ以上を少なくとも公式的には、自治領主ルビンスキーは語らない。

そして同盟政府は「茶番だ」と言うコメント以上の関心を政権外への公式発表としては示さなかった………。

……。

…ただ、限られた情報に接した帝国側の中で、ザルツ少将だけは脳内だけで深読みしていた。

確かに幼帝は、実際には亡命して来なかったのだから
例えフェザーン自治領側からの工作を受けたり工作資金を受け取ったりしていたにせよ
知らん振りを決め込んだ方が無難、と言う考え方もあるだろう。
だが帝国国内で結集しつつある「国民軍」の力の向け先が何処になるのか
そもそもラインハルトは同盟が「今回」だけは無関係だからといって見逃す積もりかどうか、真面目に検討しているのだろうか?
不真面目で検討していないのか、真面目に検討していて無能なのかは知らないが、まさかヤンだけは例外だろう。

そしてザルツ少将には「反則」知識が在るだけに、どうしても深読みして仕舞う。
ヤンですら、後年ユリアンに編集を任せた「メモリアル」の段階で文字にした疑惑。
トリューニヒトは何時からルビンスキーらとの共犯関係だったのか。
同盟をローエングラム王朝に売り渡した上で、その新領土ごと帝国の権力を乗っ取ると言う野望のために、何時から暗躍していたのか?
同盟側トリューニヒト政権のリアクション情報が確認出来ない中で、どうしても「疑いの心が見えない幽霊を生む」ザルツ少将だった。

そんなザルツは、もう1つの深読みもしていた。

前回のガイエスブルクの件、そして今回のリアクションが『原作』とズレた理由は推察出来る。
「アムリッツァ」が「新ティアマト」に変わった事と同じ方向性の変化が、より大きく成っているのだろう。
友を永遠に、そして姉も身近から消失した虚無のスキマに
「宇宙を奪う」と言う野望と、オーベルシュタインの説く「中学生向けのマキャベリズム」が入り込んだラインハルトと、
私生活では姉に癒(いや)され、公私ともにキルヒアイスとヒルダの助言と忠告を受けているラインハルトでは
違っていても可笑(おか)しくない。
確かにラインハルトは天才だ。その天才が及ぶ限りの分野では、容易には他人に動かされる彼では無いし
むしろ下手な干渉など許さない激しい感性も天才を形作る部分の1つだ。
だが同時に「天才少年」ゆえのアンバランスも大きい。
そのアンバランスを支える3本の足の役目をする人たちに囲まれていれば、何かが違うだろう。

だが“その”ラインハルトにして、ルビンスキーが持ちかけて来たウラ取引に最後まで付き合う積もりが無い事は変わらなかった。
それはそうだろう。
ラインハルトはフェザーンから、商業権益や1回限りの通行権よりも大きな利益を得ようとしていた筈だ。
“現状”での同盟領を「新領土」とした後にラインハルトが建設する筈のローエングラム王朝の新帝国
その構想の中で、フェザーン回廊の真の価値を見付けていた筈なのだから。



[29468] 第26章『間奏曲「神々の黄昏」を前に(その1)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/02 23:36
「独裁者と言う者は、民衆が内政に目を向ける事を好まない。それゆえに敵を作りたがる」
ローエングラム公爵の宣言から1ヶ月以上も過ぎた8月も半ば過ぎに成ってから、同盟元首は自国民に対して公式の声を発した。
「だがフェザーンは中立であり、それが帝国としても前提条件だ。そして我が同盟の領土は難攻不落のイゼルローンに守られている」
トリューニヒトの肉声と画面の中の笑顔は、後世の歴史書で文字情報を読むだけでは想像も出来ない程の説得力を持っていた。
「そのため、自分が権力闘争で追い落とした筈の残党を引っ張り出したのだ」
それでも何故か、その魔力(?)が通用しないヒネクレ者ばかりが「ヤン艦隊」には集まっていた。
そのヤン視点で書かれた歴史書が後世には多く残る結果と成ったため、かえって同時代人の見ていたトリューニヒト像が伝わり難くなった。
「したがって、わが同盟の親愛なる市民諸君が関心を持つ価値は無い。これは専制国家の内部問題に過ぎない」
どうやら国家元首は「親愛なる市民諸君」を(個人によっては無理矢理だった場合が在ったかも知れないが)安心はさせた様だった。
結局は、同盟内部の問題を優先して(そう見せかけて)帝国の内部問題(?)は黙殺した様である。
それでも未だ同盟には帝国との交戦関係は在っても外交関係は無い。それはそれで
和平か戦争続行かの問題は在ったのだが

しかしフェザーン自治領は、名目はどうあれ帝国とも同盟とも国交関係を持っていた。
そのフェザーンと帝国との外交交渉の経過は
帝国側から何らかの返答を要求された場合のフェザーンからの回答としては
「知らぬ存ぜぬ」に尽きた。
例えば、帝国側からは当事者として暴露された自治領主補佐官については「高等弁務官として同盟に駐在している」で済ませている。
確かに、その補佐官の前任者が帝国駐在のボルテックなのだから、これ自体は在り得なくは無い。正し見え透いてはいるが。

逆にフェザーン側から回答を要求された場合、帝国側の言い分は
「言いたい事は言った」に尽きていた。
片や、帝国領内におけるフェザーン商人の交易活動には何らの規制も加えず
経済制裁の類は全く行われていなかった。
そのため時間とともに、フェザーン本国には交易品と共に楽観論が持ち帰られ始めた。
結局、帝国もフェザーンの商業権益は惜しく中立を続けさせる積もりだろう。今回の事も、せいぜい言いがかり程度に終わるだろう。と。
ラインハルトが欲しかったのはフェザーン回廊そのものだったし、むしろ喰う前に手間をかけて豚をやせさせるまでも無かったのだったが………。

……。

…同盟側やフェザーン側が、そうした状況だった頃。ローエングラム元帥は直属の部下たちを元帥府に招集した。

「どうやら、フェザーンの欲深どもは喉(のど)元を過ぎた熱さを忘れて物欲を思い出した様だ。だが、私は忘れる積もりなど無い」
そのラインハルトの宣告に、部下たちも異論は無い。
「だが、彼らが機会をくれた事だけは確かだ。フェザーン回廊と言う大きな贈り物を受け取る機会を、だ」
列席する提督たちは、それぞれに個性的な反応をした。
ただ最高司令官の左右では、副司令官と補佐官だけが事前に知っていたらしく無反応だったが。

それぞれに視線を交換してから、疾風が口を切った。
「では、今回の件を大義名分としてフェザーンを討伐なさると」
「フェザーン自治領のみでは無い」
それが意味する事は明白だ。
「フェザーン回廊の真の価値は、自由惑星同盟を征服し、帝国の新領土として統治する時に存在する」
居並ぶ勇将たちをしても緊張させた。
「そうだ。同盟を自称する共和主義者たちと帝国の旧体制が始めたままの戦争を、私が終わらせる。
そして、宇宙に新たな秩序をもたらすのだ。
その戦略として惑星フェザーンを、同盟を征服するための拠点とする」

主将の目前でもオッドアイから露悪的な色を隠さないのは、主将も認める彼らしさだった。
「フェザーンの黒狐も、商談の相手が悪かった様ですな」
主将の替わりに答えたのは、側の補佐官だった。
「自分の持っている商品の価値を、それも相手側から見た真の価値を誤解していたのでしょう」
ヒルダはラインハルトに対して追従など言っていない
「その真価を自分の価値観で考えていたのです」
それでも補佐官の答えは上官を満足させた様だった。


……ザルツ少将ごときには、会議へ出席する資格は無い。

機密保持の理由からも会議の内容を詳しく知る事が出来たのは、かなり後日だった。
ただ『原作』と言う1つだけの反則知識は持っているから、ある程度の推測は可能だったが。
そんな俺が1人だけ、脳内で思い出している事も在ったりした。
「前世」持ちだから想い出す事が可能な、ラインハルトたちからは遠い過去の話。
東アジアの島国で革命が起こった時代である。

日本史上「戊辰戦争」と呼ばれる内戦の最中(さなか)新政府軍と旧勢力軍との間で1つの自治領が中立を申し出て来た。
この時、不在だった責任者の代理として応対した若い参謀は、未熟ゆえに驕慢(きょうまん)無礼に振る舞い
かつ旧勢力側への内通をうたがって門前払いに等しい対応をした。
そのため、領民の保護を名分に中立を訴えていた自治領側の指導者も、ついに新政府側との開戦を決意した、と伝えられる。
結果は、内戦の中でも激戦に数え上げられる惨状だった。

だが全ての責任が、ただ1人の参謀の未熟と驕慢そして責任者の不在に帰納するだろうか?
この時に申し出られた「中立」のウラや思惑を深読みせずとも
それは新政府と抵抗勢力との「天下2分」を前提とした「天下3分」に他ならない。
新政府軍の戦争目的つまりは勝利条件が、新政府による「天下統一」だった以上
新政府側の誰が応対しようが「イエスかノーか」以外の回答は在り得なかった。

そして「フェザーン自治領」と言う国家形態そのものが
フェザーン回廊の両側で銀河が「2分」されていた事を前提とした「銀河3分」に他ならない。
そして、ラインハルトの視点では「新帝都」としてのフェザーン回廊にこそ、真の価値を認めていた。

そんな事を1人、脳内で考察していたザルツは、もう1つの疑問も持っていた。
ラインハルトは生き急いでいるのでは無いだろうか?

“今”のラインハルトは姉や友そして恐らくは恋人に囲まれて、間違いなく『原作』からは何かが変わっていた。
それでもラインハルトは「宇宙を奪う」事だけは『原作』通りに急ごうとしている。
それを「知識」が破綻していないから都合が好い、と言うだけの理由でスルーはしていなかったか。
もっとも何故「都合が好いのか」まで考えてから「これはヴァルハラまで持って行くしか無い」と想ったものだ。
そう残り時間だ。もう後3年足らず。
「ガンは征服出来たがカゼだけは出来なかった」時代の、皇帝であれば最高度の享受が期待出来た筈の医療でも
不治どころか正確な病名すら不明な難病。
暗殺や戦死と言った他者の悪意によって強制される悲劇ならば「反則」知識での回避も可能だが
こればかりは知っているだけで、こちらの立ち位置は死神も同然だ。

ラインハルトには時間が限られている。それも、そろそろギリギリで。
その時間切れ前に「宇宙を奪わせる」ためには
『原作』通りに“今”の時点で「神々の黄昏」作戦を発動してもらうしか無かった。

だから、あえて今回のザルツ少将は余計な干渉をしていない。
せいぜい無実(?)の罪で死ぬ事に成りかねないモルト中将辺りをかばう程度の積もりで居た。
変わっていたのはラインハルト自身とヒルダやキルヒアイスたち、あるいは精神的にならばアンネローゼの存在などだった………。

……。

…そのラインハルトは提督たちを解散させた後も、ヒルダやキルヒアイスとの3人で密談を続けていた。

「前」宰相が国務尚書だった頃の国務省をそのまま使用している宰相府の窓からは、皇宮を夜景の中に視認出来る。
この部屋の主がラインハルトに成る前までは不夜城の如く光を放っていた皇宮も
宰相が新しくなって以来、ずいぶんと暗闇に閉ざされる様に変わっていた。
それでも現状では、少しは光が戻って来ている。
ペクニッツ子爵家の(間もなく爵位が上がる事に成っている)家族が同居し始めた分だけ光が戻っていた。
あるいは「見張る対象は1ヵ所に集中していた方が安全だ」と言う理由でケスラー憲兵総監の部下たちに監視されながら
エルウィン・ヨーゼフの世話役を押し付けられているランズベルクとシューマッハは、癇癪(かんしゃく)持ちの幼児に手を焼いているだろうか。

「私には無用だ。あのような虚仮脅(こけおど)しの建物など」
確かにラインハルトには、今夜も姉が待っている家だけで必要にして十分だった。
例え宇宙を奪い取り、新王朝の皇帝と成ったとしても。

しかし今晩は未だ、姉の元には帰れない。
と言うよりも、あの優しい姉に聞かせるには生臭い話をこの3人でする事に成っていた。
「神々の黄昏」と命名される作戦の、より具体的な戦略の練り上げである。



[29468] 第27章『間奏曲「神々の黄昏」を前に(その2)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/02 23:36
「先ずはイゼルローン回廊に兵を動かす。我々以外には、特にフェザーンの黒狐には
『やはり自分で煽り立てた国内の軍事力を持て余して、結局は同盟にぶつけた』とでも、誤解してもらおう。
キルヒアイス上級大将」
「はっ!」
「3個艦隊ほども指揮して、イゼルローンを落とそうとしている、と見せかけろ。
分かっている。要塞を守っているのがヤン・ウェンリーにしてやられた間抜けたちであれば、お前なら落とせるだろう
だが、当のペテン師が今のイゼルローンには居るのだからな。
それに恐らくヤンは、私がフェザーン回廊を突破した時点でイゼルローンを放棄して、私に本土決戦を挑(いど)もうとするだろう。
そのヤンを追って、私との間に挟撃するのだ」
「承知しました」
「そうしてイゼルローンに目を引き付けて置いて、黒狐が自分の誤解に
そして私が件の陰謀を暴露した時点で間違いなく宣戦布告していた事に気が付く時間を与えず、電撃的にフェザーンを落とすのだ。
ミッターマイヤー大将!ロイエンタール大将!」
「「はっ!」」
「フェザーン方面へは快速が要求される」
そうなれば第1陣は疾風をおいて他に無く、それに遅れない事を要求されれば第2陣は双璧の相棒をおいて他に無い。
「他の各提督にも、同盟領への侵攻段階で従軍してもらう。当然、私も陣頭に立つ。作戦名は…」
誰もが聞き逃すまいとした。
「神々の黄昏」
沈黙が感嘆に取って替わられた。

ここまでの基本戦略が主将から示された時点で、すでに惑星オーディンの暦は9月も半ばを過ぎていた。
宇宙艦隊だけでも10数万隻おおざっぱならば兵員2000万以上の軍勢を、最終的には同盟首都まで遠征させる大事業なのだ。
事前準備だけでも数ヶ月がかりに成って当然だった。

しかし、その“大”事業の準備も、帝国国内の熱気の中で着実に進行していた。
旧体制関係者以外の帝国人には分かっていたのだ。
これは自分たちを旧体制から解放した、その解放者の戦いなのだと………。

……。

…そのころ同盟側では、ヤンたちは何をしていたのか。

ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」その他によると
それは同盟議長が「市民諸君」を安心させてから数日以内、フェザーンへの駐在武官赴任が通信されて来る前日だった、とされる。

ヤンは超光速通信の相手に記憶が無かった。いや直属上官のビュコックに対してでは無い。
その上官が通信画面の中央を譲(ゆず)っている、軍服姿では無い人物が思い出せなかった。

……経験豊かなビュコックにして、意外な訪問相手には咄嗟(とっさ)に相手の訪問目的を思い付かなかった。

いや、宇宙艦隊司令長官のオフィスを国防委員が訪問する事そのものが在り得ない筈も無い。
だがビュコックが自覚する処では
前年のクーデター騒ぎの結果として病気続きの統合作戦本部長が引退しそうなため、近く「代行」が取れそうな本部長代行などとは異なり
政略的にトリューニヒト派閥へと入った記憶は無い。
そしてビュコックの様な非トリューニヒト派閥の軍人や、例えばホワン・ルイとかジョアン・レベロとかの野党政治家などが評する限り
ウォルター・アイランズ国防委員とは定評のある人物だった。
後年のルドルフ大帝が銀河連邦首相と国家元首を兼任した先例のため、同盟憲章は最高評議会における2つ以上の兼職を厳禁している。
当時の国防委員長にトリューニヒト自身では無くネグロポンティが就任していたのは、その理由に過ぎなかった。
しかし「トリューニヒト委員長、ネグロポンティ委員長代理」と言うのがビュコックとかホアンとかレベロとかの認識であり
アイランズに至っては「その」代理が派閥なり親分なりの何かスキャンダルをかぶった場合に首をすげ替えるための待機要員、と認識していた。

……その筈のアイランズ委員が、トリューニヒト派閥でも無い司令長官を訪問していた。

「提督。私は3流の政治業者に成り下がっているかも知れないが、これでも政治家を志(こころざ)した若い日も在ったのだ」
何時もならば胡散臭(うさんくさ)く聞こえそうなセリフだったが
「国防関係を専門としようとしたのも、関連予算の大きさだけで決めた積もりは無かった。少なくとも「あの」頃は」
そんな“若い日”を思い出すように成ったのは、最近のトリューニヒト派閥内部の雰囲気(ふんいき)らしかった。
「確かに私は、委員長に成りたくて“彼”の私宅を密かに訪問したりした。夜間に高価な品を持参したりもした」
だが現状では国防委員の1人でしか無い。
「おそらくネグロポンティ氏に何か失態でも無い限りは。だが、それだけ大きな利権に近くない事で、かえって素直に見える事も在ったのだろう」
いや、と首を振る。
「現委員長のアラなり弱点なりを探す目で見たせいかも知れないな。どちらにせよ、今の委員長は議長の楽観論に調子を合わせているだけだ」
要は「その」楽観論を信じ切れない不安が生じ始めたらしい。
「そこで提督。専門家の率直な意見を聴きたい」
いかにも率直そうに、ビュコックへと相対した。
「今回だけは、以前から私たちのグループと顔見知りの軍人では、今の不安を宥(なだ)められるだけだろう」
ここまで聞き上手に振る舞っていた提督も、ここで返答した。
「そう言う事でしたら、もっと適任者が居りますが」

「ヤン・ウェンリー提督か…」
「確かに、議長閣下とかへの愛想は好ろしくないですがな」
「いや…。………。…実は…
私たちのグループと言うよりも、“彼”に取り入ろうとする取り巻きの中から「ヤン軍閥」の危険を語る声が出始めているらしい。
そこで将官クラスの幹部よりは引き抜き易く、しかしヤン提督の私的な感情からは手放したくないだろう「秘蔵っ子」とかを引き抜いてみる事で
政権への従順度を見積もろうとしているらしい。
流石に付いて行きかねた。
いや、私だって現職の国防委員長だったら、利権を手放したくなさに賛成しただろう。ただ現状は委員の1人に過ぎなかっただけだ」
「それは…それは」ビュコックは驚くよりも、むしろ呆(あき)れた。

「だから、流石にヤン提督には聞き辛(づら)い。だが今の同盟最高の名将は彼だろう。その名将は、私に率直な意見をしてくれるだろうか」

……ビュコックは先ず、この通信がシビリアンそれも国防委員の権限で使用される秘密通信である事を告げた。

軍人同士たとえば宇宙艦隊司令部と前線の要塞が通信するだけよりは、ずっと強固な秘密保持が留意されている。
それが民主共和政体のシビリアン・コントロールと言う建前だった。
「この際、わしも便乗させてもらう。つまりは帝国側が耳をすませている事を気にせず貴官の意見を聴いてみたかった」
「では、率直に言わせて頂きます」
その前に、司令長官が言う通りの秘密通信である事を副官に確認させた。
他には紅茶を入れに来たままの「秘蔵っ子」が同室していたが、画面の両側で誰も咎(とが)めなかった。
と言うよりも、翌日の別な通信の件を隠していたから首都側としては何も言えなかった、とは翌日に分かった事である。

「結論から言います。ローエングラム公爵はフェザーン回廊を武力突破して同盟領へと侵攻して来ます」
シビリアンの政治家は絶句し、上官は次の様に反応した。
「ハッキリと言い切るの」
「断言しているのは公爵です。7月7日の演説は其の宣言に他なりません」
ここでアイランズ委員が口をきけるようになった。
「ローエングラム公爵の考えている事が、本当に予測出来るのかね…誤解しないでくれたまえ。提督を疑っているのでは無い」
「今さら自慢にも成りませんが、去年のクーデターをローエングラム侯爵が仕掛けて来るだろう、と私は予測しました」
アイランズの隣ではビュコックが頷(うなず)いていた。
「そこで私は司令長官に警告すると同時に、鎮圧命令を事前に出してもらいました」
数瞬だけ沈黙してから委員は続けようとした。
「それで、今回の提督に対策は在るかな」
「私は前線司令官の1人に過ぎません。責任逃れでは無く、それ以上の勝手な振る舞いを許さないのが民主国家の軍の筈です」
この言葉に先刻よりも大きく頷くと、司令長官は自分からも質問した。
「全ての責任は司令部が、いや、このビュコックがとる。最善と信じる方策を――と言ったら、貴官はどうする」
ヤンは、もう一度だけ秘密通信である事を副官に確認させてから、返答した。
「イゼルローン要塞を放棄します」

アイランズは秒針が何度か動く間、絶句してから確認した。
「……済まんが、私は何か聞き違いをしなかっただろうか?」
「イゼルローン要塞を放棄します」
今度は説明が要求された。
無論ヤンは、シビリアンであるアイランズでも理解出来る様に解説した。
「分かった…もしも…その件で提督の立場が悪くなる様ならば、ビュコック提督だけでは無く私も出来る限り提督を弁護しよう」
そう言われて、ヤンも素直に頭を下げた。感謝してから、こんな事を言い出す。
「実は、もう1つ可能性が無くも在りません。しかし、こちらは可能かどうか不確かです」
「『奇蹟の魔術師』をしても不確かな事が在るのかね?」
「いくらでも在ります。それに、これは戦略戦術と言うよりも科学技術と実務の問題ですから」
そしてヤンは、時期的には首都星に帰り着いているだろう、とある訪問者の件を話題にした。
その前に、またも秘密通信である事を確認しなければ成らなかったが………。

……。
  
…キルヒアイス上級大将はイゼルローン方面の副将として、ケンプとレンネンカンプの両大将を指名された。

やはり今年の初頭、ケンプ艦隊の偵察隊がイゼルローン回廊でヤン艦隊に追い返された事
そして今回が「その後」初めての出征である事
また科学技術総監の失脚で潰(つぶ)れた出征に指名される可能性が在った事なども考慮はされたらしい。
ただ、ケンプの副将として出征する可能性がミュラー大将にも在ったのだが「この」時の人選は、あくまでも副将として、だった。
だから同格者中で最年少のミュラーが候補として考えられたのだが
今回は年令ならば遥(はる)かに年少のキルヒアイスを方面軍司令官として同格の副将が2人と言う形に成る。
そのためでも無いだろうが、同格者中で最年長のレンネンカンプが選ばれた。
なおミュラー大将は、ローエングラム元帥が双璧に続いてフェザーン方面の第3陣として自ら出陣する際、その後衛として第4陣を命令された。
キルヒアイスの視点からは、ようやっと自分の居ない戦場でラインハルトの背中を守らせる同志を見付けた気分だった。

そのキルヒアイス上級大将とケンプ、レンネンカンプ両大将の3個艦隊が
イゼルローン方面へと出征した時をもって「神々の黄昏」作戦は開始される事と成る。



[29468] 第28章『間奏曲「神々の黄昏」を前に(その3)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/09 18:44
そこはフェザーン自治領主の公邸では無い。
アドリアン・ルビンスキーが私的にと言うよりは秘密裏に、惑星フェザーンの(地表上とも限らない)何処かに所有している住居の1つだった。

その住居の主は、1人の女と会話していた。
ルビンスキーの息子の視点からは父親殺し未遂の共犯者だったが、その父親との2重スパイに成った女である。
そう言う相手と承知しながらも、他に話し相手の居ない話だった。
父親を殺す機会を当面では無くした息子はと言えば、同盟首都に居る。
自治領主から高等弁務官へと通信する場合の権限を行使したとしても、超光速通信では物騒過ぎる話題でもあった。
それでも聞く相手くらいは居ないと、ルビンスキー自身の考えも整理出来なかったのだ。

「ボルテックは何をしている」
ローエングラム公爵に暴露された例の対談以降、まったくロクな報告が戻って来ない。
「金髪の坊やに尻尾を振ったのじゃ無いの」
だとしたら……
ボルテックは期せずしてルビンスキーを模倣している事に成る。
もしもボルテックが、帝国とローエングラム公爵の武力を頼んでルビンスキーを裏切ろうとしているのであれば
正しくルビンスキーこそ、ボルテックがルビンスキーに対して行おうとしているかも知れない裏切りと同様な行為を
地球の総大主教に対して行おうとしているのだから。
「ふん。火傷をする覚悟があるなら火遊びをしてみるが好いわ」
「あんたは覚悟しているの」
「宇宙丸ごとなら、燃え尽きた処でかまわんな」

そこへ、留守にしていた自治領主府で当直に当たっていた官僚からの通信が入って来た。
現状では自治領主と言う公職に就いている以上
居場所そのものを秘密には出来ても通信回線の完全な切断までは出来ない。
せいぜい逆探知の対策だけは、万全を期してはいたものの。
自治領主府からの連絡事項は、同盟駐在の高等弁務官つまりは「息子」からの報告だった。

「ヤン・ウェンリーの秘蔵っ子か」
報告内容は、同盟からフェザーンへと赴任する新任の駐在武官についてである。
辞令を受け取りに立ち寄った同盟首都で接触を試みた結果だった。
直接の接触自体からは、当たり障(さわ)りも無い挨拶しか得られなかったが
首都での動きに関係しては、ある程度の情報を入手出来ていた。
イゼルローン要塞のヤン・ウェンリーから、直属上官である宇宙艦隊司令長官への何らかの密書を預(あず)かっていたらしい。
その件と関係するのかどうかは知らないが、その司令長官は
近ごろ急に勤労意欲に目覚めたらしい国防委員の1人と、何やらコソコソ動き回っているらしかった………。

……。

…その訪問者が同盟首都を出発してイゼルローン要塞へと向かっていた途中に当たる時期、帝国側ではローエングラム元帥が演説していた。

当時、同盟軍の情報部門はトリューニヒト政権の秘密警察に成り下がっていた、と言った伝説を創作する者も後年には居たが
当事者たちは真面目に職務を続けていた。
当然ながら、フェザーン自治領を経由して密航して来た“その”亡命者からも、可能な限り有用な情報を入手しようとした。

特に今回の亡命者は「科学技術本部に所属していた技術士官であり、例の指向性ゼッフル粒子などの開発に関係した」と申告していた。
当然に帝国軍の兵器に関係した技術情報を入手しようと、情報部門では技術部門からの応援まで呼んで熱心に尋問したのだが
相手は、世間で研究者と言う人種を想像する通りのテンプレートとすら言える人物だった。
自分が直接に開発した画期的な新兵器を前提とした大胆きわまる新作戦が
思う存分なだけ自分に研究させてくれていた上官の失脚で潰(つぶ)れた事に憤慨していて、
その「大」作戦と新兵器の事ばかり話したがった。
もっとも“その”作戦の内容自体は、同盟軍としても聞き逃せないものではあり、情報部門は上層部へと報告して判断をあおいだ。

その報告が上がってきた時「変テコな秘密裁判ごっこも無く」帝国軍も攻めて来てはいなかったため
宇宙艦隊司令長官には書類に目を通してから問い合わせてみるだけの余裕が在った。
そして当人と面談してみてから、イゼルローン要塞を訪問させる手続きをとった。
情報部門としても異議は唱えなかった。
実の処、件の「大」作戦の事ばかり喋(しゃべ)りたがる技術士官には困惑させられていた。それよりも他の兵器情報も聞き出したかったのだが。
このイゼルローン行きで満足して他の情報に話を移してくれれば、それはそれで好かった。
イゼルローン回廊と同盟首都の往復には2ヶ月前後の時間を要したが
この時点では繰り返すが、ローエングラム元帥の発表前である。それほど事態が切迫しているとは想ってもいなかった………。

……。

…ユリアン・ミンツ少尉がフェザーン自治領に着任したのは10月15日である。

その翌日には歓迎パーティーが開催された。
そのパーティーの主賓などは「おそらく、そんなもの」とでも想っていたかも知れないが
パーティーで交わされた会話を、出席していない筈の自治領主が会場とは別な場所で聞いていた。
会話自体を聞く限りでは、主賓は新しい職場の上官に言論の自由を制限されている様だが
必ずしも其ればかりが会話の内容を限定している訳でも無さそうだ。
「ヤン・ウェンリーか」
どうやら「あの」ペテン師は、新しいペテンの種を仕込み始めたらしい。
その関連でウカツな事を喋らないよう自主規制もしている様だった………。

……。

…事態が切迫しているとは「奇蹟の魔術師」も想ってはいなかった。

この年の初頭、偵察部隊を追い払った後は“帝国軍が攻めて来る事も無く”
紅茶にブレンドした酒の割合とチェスの連敗記録が主な関心事だった。
そこへ投げ込まれたのがローエングラム元帥の演説である。
流石に脳内の畑に生えて来ていた草を抜いて耕作し始めていた。
そして次第に予測していった。「神々の黄昏」作戦を。
こうして脳内の畑を耕作している処へ、事態が急転する前に同盟首都を出発していた訪問者がイゼルローンへと到着した。
この訪問は、ヤンが久し振りに耕作を再開した畑にタイミング好く刺激を与える機会をもたらした。

公正を期するため、戦術シミュレーションでのヤンは、先にガイエスブルク側を受け持った。
そして開始から行き成り、要塞に要塞をぶつけて其れで終わらせた。
この結果に訪問して来た技術者は、絶句してから憤慨した。
「ぶつけて破壊する目的ならば、要塞である必然性が何処に在りますか!」「そうだね」
「同程度の質量を持った小惑星か何かにエンジンを装着すれば、それで済む事では無いですか」
「でも、有効だろう。もっとも、これからその策で来る、ということなら、ひとつだけ方法はあるけどね」
今度はヤンがイゼルローン側を受け持った。

接近するガイエスブルク。その稼動中の通常航行用エンジン12個のうち1個だけを、ヤンは狙い撃った。
航行中、突如として合成ベクトルと重心を不一致にさせられた移動要塞は、操縦者の意志を無視した不制御運動を始めた。
シミュレーション・マシンの反対側からは、自分で設計した技術者が何とか残り11個のエンジンを駆使して制御を取り戻そうとしたが
その余裕を与えず「雷神の鎚」が追い討ちをかけた。
ガイエスハーケンで反撃したくても、制御を取り戻すまでは狙いも付けられない。
その前に動力炉へと「雷神の鎚」が突き通っていた。致命傷である。
「奇蹟の魔術師」の勝利だった。

絶句する技術者をむしろ激励(げきれい)する様にヤンは語りかけた。
「画期的な新兵器だと言っても、結局は道具だからね。
ただ便利な道具だと言う事は間違いないけれど、使う人間が使いこなせなければ「宝の持ち腐れ」に成る事は変わらない。
私ならば、要塞に要塞で対抗する以外の使い方も思い付くと想うけれど」
そのヤンの言葉に、訪問者の眼が科学者らしい輝きを取り戻し始めていた。
先ずヤンは、自分の構想する戦略理論「スペース・コントロール」について要約しながら語った。
「自分の必要な宇宙空間を必要な時間だけ確保する」
そして移動要塞と言うハードウェアを、このソフトウェアに結び付けた。
「確保したい宇宙空間に移動可能な後方支援の拠点を移動させる事で、既存の拠点に拘束されずに目的を達成する」
技術者は「目からウロコが落ちた」様な目をしていた。
「さっきの私が使った戦術だって対処方法は在る。専門家でも無い私が言うのは、宗教の教祖に布教する様なものだろうけれど
エンジンを隠せば好いんじゃ無いかな?
例えば、今回みたいに要塞の外周沿いにエンジンを装着せずに
片側の半球に全部のエンジンを設置すれば反対側の半球を敵に向けるだけで、敵に向けた半球側の装甲を盾にする事が出来る。
無論、敵に向ける側の半球は要塞主砲などの反撃手段が在る側だ。
もう1つは流体装甲の下にエンジンを設置する。
エンジンを稼動する時だけ、例えば流体装甲を凹ませてノズル代わりにする」
もう技術者は、自分の脳内で設計図を書き始めていた………。

……。

…久し振りに帝国駐在の高等弁務官から自治領主に、役に立ちそう(?)な報告が届いた。

「帝国軍最高司令官の副司令官キルヒアイス上級大将の指揮下、ケンプ大将、レンネンカンプ大将の3個艦隊が出発した」
実は後半が重要だった。真の意味からも
「目的は公式発表されないもののイゼルローン方面への出兵である公算大」

この時だけは黒狐も真の意味には気付かなかった。それとも気付かないフリだけだったのか………。

……。

…自由惑星同盟軍は国内84ヶ所に拠点を確保していたが、そのうち何ヶ所かは宇宙戦艦なども建造可能な工廠でもあった。

そうした工廠が存在する星系の1つでは、その星系の小惑星帯に在る小惑星の1つで大規模な工事が施工されていた。
アイランズ国防委員とビュコック宇宙艦隊司令長官の協力の下、推進される工事を利権がらみとでも想ったのか
ジャーナリズムからは何人かが喰い付いてみた、のだったが
在野ジャーナリズムの旗手とされている筈のパトリック・アッテンボローが何やら報道協定らしきものを結んで引き下がったため
「あのパットやビュコックの爺さんまで、アイランズ程度のザコ政治屋に買収されるのか?世も末だ」と嘆かれた、とか伝説が残る。

外形を直系60kmの球形に削られ、内部をくり抜かれて人口惑星イゼルローンに質量を合わせさせられた小惑星には
それぞれ18個ずつのワープ・通常航行用エンジンが取り付けられた。
そして報道協定の下、テスト航行を兼ねながらイゼルローン回廊へと航行して行った。
この小惑星が、イゼルローン要塞の存在してい“た”アルテナ星系にワープアウトしてから丁度(ちょうど)1週間後
宇宙戦艦ユリシーズがキルヒアイス艦隊を発見した。



[29468] 第29章『閑話らしきもの(その5)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/02 23:37
「全ての道はローマに通ず」とは、古代ローマ帝国が其のインフラの充実によって広大な帝国を支配し「パクス・ロマーナ」を達成した事を意味した。

ローマは征服した後の地方自治体や属州に中央集権との絶妙なバランスで自治権を与えながら
帝都である都市ローマから、全ての地方自治体および属州へと通じる街道ネットワークを完備し、そのネットワークを通じて支配した。

この史実は、ローエングラム王朝による新領土すなわち「旧」同盟領の支配にも応用出来る。
元々「自由な惑星の同盟」と名乗っていた同盟の政治体制は、こと内政面に関係する限り、それぞれの有人惑星や星系への権限委譲が大きい。
例えば、中央政府の国家元首の肩書が評議会議長すなわち会議の第1人者を名目とするのに対し、星系1つの自治政府に主席が存在する。
そんな各星の自治政府の上に、占領軍の軍事力が乗っていたのが「冬バラ園の勅令」以後の新領土の実態だった。
しかし、これは利用の仕方によっては帝国側に不都合でも無かった。
直ちに帝国内務省などに地方行政の末端までの責任を負わせるまでも無い。
これら自治政府に末端の「旧」同盟市民を管理させつつ
フェザーン回廊を通じて帝国本土と連結するインフラを
本土と新領土を含めた全体をおおうネットワークとして充実させる事で新帝国全土を支配出来る。
軍事力の次はインフラで支配したローマ帝国の史実の様に。

そのインフラ建設を目的として「工部省」を新設した意義は存在したし
責任者である工部尚書に期待する処も其れだけ大きい。
工部尚書シルヴァーベルヒは確かに、新王朝の足下に穴を掘ろうとするテロリストの標的に成るだけの高価値目標だった。

その工部尚書が首都建設長官を兼任している様に、結節の要(かなめ)である点と線としてのフェザーン回廊も地理的価値は高い。
そして新帝都フェザーンへの遷都も、旧帝都オーディンから官僚たちを移住させて終わり、な筈も無い。
ローエングラム王朝の新帝都として惑星フェザーンを皇帝ラインハルト1世が選択した理由は
フェザーン回廊で只1つの有人惑星、に集約される。
だが「旧」フェザーン自治領は有人惑星1つ、星系1つの「都市国家」に過ぎなかった。
当然ながら、その国家規模に相応しい首都機能しか備えてはいなかっただろう。
例え、有人惑星としての人口は旧帝都オーディンや「旧」同盟首都ハイネセンを含めて群を抜いていても。
むしろ、人口最大の惑星だけに既存の行政機能や関連インフラは惑星そのものの住民と彼らを対象とした地方行政に不可欠だった。
それらのインフラや行政機能まで奪えば征服者=略奪者である。
結局は、人口最大と言っても惑星1つの地表上なら無い筈の無い更地に
帝都の首都機能そのものと成る市街地とインフラを新たに建設するのが、最終的には手間が無かった。

その中心と成るのは、当然ながら皇宮「獅子の泉」である。
「獅子」が獅子皇帝ラインハルト1世を意味するのは明白だが「泉」も無意味な命名では無く
水を取り入れた庭園と建物が絶妙に組み合わされた設計に成っていた。
どうやら、地球時代の代表的な大都市だった紐育に中央公園を建設した先人と同様な発想を
首都建設長官シルヴァーベルヒも持っていたらしい。
だが、この「獅子の泉」の「玉座の間」で戴冠した皇帝は
玉座と宝冠自体は旧帝都から運んで来たラインハルト1世が戴冠した時と同じものだったにしろ
第3代ラインハルト2世が最初と成った………。

……。

…そんな「獅子の泉」の建設地周辺にニョキニョキと言った擬音でも聞こえそうに新庁舎が建設され続けていた。

そうした未だ築数年しか経過していない庁舎の1つの、とある執務室。
周辺の庁舎では大抵の執務室に同じ複製が架かっているだろう、2枚の絵が架けられていた。

1枚は旧帝都での「玉座の間」が描かれていた。
構図の中央では皇帝ラインハルト1世が黒と銀の軍服姿を玉座に腰かけさせ、黄金の宝冠を黄金の頭上と1つにしている。
玉座の左右には皇姉と「マイン・フロイント」そして1世の最終的にはカイザーリンだったヒルデガルドが配置され
階段の下では臣下たちが「皇帝ばんざい」を唱和していた。構図上、最前列に近い数人しか描き切れてはいなかったが。
もう1枚には、基本的に同じ構図で同じ玉座と宝冠が描かれていたが、描かれている場所は異なっている。
それらをとりあえずは旧帝都から運び込んでいた「旧」フェザーン自治領主府の迎賓館でもあり
ラインハルト1世が大本営として接収した事も在る建造物の広間だった。
玉座に腰かけているのは、幼帝として即位する結果に成ったアレクサンドル・ジークフリード1世を抱いた皇太后ヒルデガルド
その左右を守るように、先帝皇姉と「先帝のマイン・フロイント」とが描かれていた。
そして階段の下では、やはり臣下たちが「皇帝ばんざい」を唱和していた。

その2枚の絵が架けられた部屋の当人と客人は、対談していた。

……ラインハルト1世が新王朝の発足時に任命した10人の尚書の中で、新帝都への合流が遅れた2人が居た。司法尚書と学芸尚書である。

後の皇帝ラインハルト1世は帝国宰相として改革を始めた当時から、公平な税制度と公平な裁判を改革の2大原則としており
当然ながら旧体制下での不公平な裁判の遣り直しが司法省の課題と成った。
同時に貴族からみの裁判を担当していた典礼省の実務権限を他省へと移管しており
最終的には新王朝発足時に消滅させる事に成っていたから尚更だった。
結局の処、ゴールデンバウム王朝時代の不公平な裁判とは貴族からみが少なくなかったからだ。
かくて典礼省から引き継いだ件も含めて多数に上(のぼ)る遣り直し裁判の決着を
宰相ローエングラム公爵(当時)に抜擢された司法尚書は期待されたのである。

片や学芸尚書の課題も「現在」を生きている者へと直ちに影響するものでこそ無かったが、
それだけに何代かでの引き継ぎ仕事に成る公算が大きかった。
「ゴールデンバウム王朝全史」の編集である。

どちらにしても、旧帝都オーディンで確保した大量膨大(ぼうだい)な資料証拠を紛失しない様に新帝都フェザーンまで運び込む手配だけで
引越しを遅れさせられていた。

この日、司法尚書と学芸尚書は必ずしも引越しの苦労話だけで会見していたのでは無い。
現状では憲兵総監であるケスラー元帥が、総監と成る以前に個人の依頼で保管していた秘密文書
言う処の「グリンメルスハウゼン文書」の回覧に関係していた。
司法省の遣り直し裁判と学芸省の「全史」編集。
どちらにしても不可欠な資料でもある。
その回覧の順番を討議していた時、ふと話題が反(そ)れた。

「フリードリヒ4世が死の直前に、当時の国務尚書へと言い残した秘話ですが」
学芸尚書の言った事は、司法尚書には斜めに聞こえた。元々、法廷に立って経歴を積んで来たのである。
「文書の当人は、4世よりも早く死んでいますが」
「しかし、その時の会話の内容は昔話だったそうですな。後の4世の友人としては文書の当人くらいしか居なかった様な2人の若い日の」
「ふむ。では其の秘密が文書の中に書かれているかもと?」
司法尚書は慎重に成った。「学者と言う者は専門の事しか考えない」などとまでの偏見は持っていない積もりだったが。
「ええ。文書の当人は当初、先帝陛下に文書を渡そうとした、との事ですが。もしかして其れは……」
「博士。その事を「全史」に書く積もりですかな」

対談の相手が検察官の顔と態度に成っている、とまで言ったら大げさにせよ
司法尚書が態度をあらためた事までは学者でも分かった。
「学芸尚書。我々はローエングラム王朝に仕える臣下です」
「当然でしょう」
「そう、当然です。尚書も学者であると同時に皇帝陛下に直属する内閣に陪席する身です。同じく学者でも在野の学者では無いのです」
「手心を加えろと」
これだけは学者の良心に賭けて言うべきとでも想ったか、学芸尚書も少しばかり言い方が変化した。
これに対して司法尚書は、今度は学芸尚書を諭(さと)そうとするかの様とも取れる言い方をした。
「恐れ多いことですが、我々の仕える現王朝までもが歴史に成るまでは
例え旧王朝の歴史であっても書けない事は在るのですよ。
博士が在野の学者であったらならば、話は別でしょう。
新王朝には旧王朝に比較すれば言論の自由が認められています。
おそらく個人の責任で書かれた歴史書を執筆しただけでは、罪ありとはされますまい。
確信犯的な不敬を犯(おか)す様な悪意でも明らかでも無い限り。しかし」
ここで、もう1回だけ言い方をあらためた
「尚書が作成しているのは、ローエングラム王朝が記述するゴールデンバウム王朝の歴史なのです」



[29468] 第30章『終わりの始まり』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/12 17:11
ゴールデンバウム王朝の時代より銀河帝国軍は、帝都たる惑星オーディンの地表上から飛び立って行った。
その目的が外征であろうと地方叛乱の鎮圧であろうと、宇宙艦隊が艦列を組んで遠征に向かう姿を
地上から逆に天空へと流星群が駆け上る様に、皇宮を含めた中心市街から見る事が出来た。
意図的に見せていたのだ。
出征の度に逆流星群を見せる事で、帝国ないしは皇帝の権力を見せ付けていたのである。

その夜、あえて夜間を選んで殊更(ことさら)逆流星群を目立たせる様に3個艦隊もの出征軍が飛び立った。
当然の様に翌日は、出征軍の目的が公式発表されていないだけに尚更、前夜の話題に関心が向きがちだった。
だが、これもまた陽動作戦の1つとも言えた。
この日、突如として帝都に居合わせた文武の高官が、皇宮「玉座の間」に召集された。
前夜の出征軍に関心を向けていた高官たちは、理由を考えるヒマも無く「玉座の間」に集まった。それだけでも前代未聞だ。
兎に角(とにかく)先例にだけは忠実だった先帝フリードリヒ4世の時代に限らず、
「玉座の間」を使用するような公式の儀式が挙行されるのであれば、数日間から少なくない場合で数週間の準備期間が出席者にも与えられていた。

……そうして「玉座の間」に集められた高官たちが目撃した儀式。

それは玉座から7才の幼児が抱き下ろされ、生後1才未満の乳児が替わって玉座に置かれる、と言う儀式だった。
そして其の儀式は、帝国宰相ローエングラム公爵が最高司令官の軍服姿で主導していた。
目撃者たちは理解させられた。
この儀式は、ただ単に第37代皇帝の時代が終わり、第38代皇帝の時代が始まる事を告げるだけのものでは無かった。
初代ルドルフ大帝から数えて38代の皇帝を即位させて来たゴールデンバウム王朝の「終わり」が始まった、と宣言していたのだ。

同時にゴールデンバウム王朝のみの終わりでも無かった。
キルヒアイス上級大将の指揮する3個艦隊の出撃を持って「神々の黄昏」作戦と帝国軍が命名した
自由惑星同盟とフェザーン自治領と言う2つの国家の「終わり」も始まっていた………。

……。

…戦艦ユリシーズの哨戒報告から、実際の敵襲来までの時間を有効利用するため「ヤン艦隊」の幹部たちは会議室に集合していた。

その会議室にも続報は届く。
「艦型識別。戦艦バルバロッサ」
現状で帝国宰相ローエングラム元帥は帝国軍最高司令官の称号を名乗り
軍務尚書、統帥本部総長そして宇宙艦隊司令長官を自ら兼任している。
これに対してジークフリード・キルヒアイス上級大将は軍務次官、統帥本部次長そして宇宙艦隊では副司令長官を兼任しており
「副司令官」と言うのも彼だけの称号同然に成っていた。
その副司令官を出陣させて来た以上、“この”イゼルローン方面の出兵も本気だと言う事だ。
だが、未だ帝都には最高司令官自身が残っている。そして本気ならば、あの覇者が陣頭に立たない筈が無い。
おそらくは今1つの方面へと……

ヤンは要塞事務監に命令した。
「先週、例の小惑星が来てから始まったプロジェクトを推進。それから出来るだけ正確に、時期見通しを報告して欲しい」

未だ会議中の処へ、さらに続報が届いた。
アルテナ星系外周の監視衛星が緊急通信を発して沈黙。その意味は1つしかない。
会議室から指令室へ、艦隊側のスタッフならばドックへと移動するべき時だった。

……宇宙戦艦バルバロッサのスクリーンに窓が開いて、副将両名の顔が映し出されている。

この両名が選択された理由はキルヒアイスも了解していた。
これから始める戦闘は、陽動作戦と承知の上で難攻不落の要塞に突撃しなければ成らない。
それも、本気で攻め落とそうとしているとしか見えない勢いで。
本質的には優しいキルヒアイスの様な指揮官には、兵士たちには過酷な命令である事も分かって仕舞う。
もっとも、そんなキルヒアイスが方面軍司令官だからこそ
軍事的にも余分な損害が出る手前での加減も出来るだろう。
同時に其れだからこそ、こうした任務でも戦意に不足しないだろう副将が選ばれていた。

その点を考えてみても、ケンプの戦意は低くない。
この1年近く「一度の敗戦は一度の勝利で償(つぐな)えば好い」とのラインハルト様の言葉を実現する機会を待っていた筈だ。
ただ、双璧と呼ばれる両上級大将への意識から余裕を減じている、と言うのは本当だろうか?
片やレンネンカンプである。決して視野は広くない。
だが「陽動作戦と承知の上で難攻不落の要塞に突撃する」と言う命令でも忠実に実行する軍人である事は確かだ。
大佐時代のレンネンカンプを、ラインハルトとキルヒアイス自身の上官に持った経験からも分かっていた。

次の瞬間には、脳内の回想から目前の要塞へと、完全に意識を転換していた。
「撃て!」
何処かの露悪者なら「派手にやるのも今回の任務のうち」とか何とか言いそうな戦闘が、見た目は大真面目に開始された………。

……。

…キルヒアイス指揮下の帝国軍が真面目に攻め寄せるため、ヤンの側も真面目に防戦するしか無い。

そんな見た目は真面目な戦闘が続いて20日間。
帝国軍は決して有利とも言い切れない。少なくとも戦術的にはイゼルローン要塞は難攻である事を再確認する様にも見えた。

その丁度(ちょうど)20日目
今度はミッターマイヤー艦隊旗艦「人狼」とロイエンタール艦隊旗艦トリスタンとが艦首を並べて、帝都オーディンを発進した。
今度も行き先は明言されていない。しかし知るもの以外はイゼルローン回廊だと思った。

……その双璧の目的地が誰の眼にも明らかに成るのは、目的に到着した時に成る。

その明らかに成る時を待たず「この」方面の第1陣である疾風と第2陣の相棒に続いて
第3陣であるローエングラム直属艦隊そして第4陣ミュラー艦隊も帝都から出発していた。
この間1週間足らずの内の某日、何とか時間の都合をつけたヒルダは従弟を病室に見舞った。中佐待遇の軍服姿のままで。

憲兵本部からは特命室長ザルツ少将も便乗していた。
名目としては防衛司令官として帝都を離れらないケスラー総監に代わって、選抜された憲兵たちを引率する事に成っていた。
引率される憲兵たちの任務は、フェザーンでの尋問である。………。

……。

…12月24日「前世」持ちには感傷が無い事も無い日ではある。

だが、当日のザルツはブリュンヒルトの艦上、ラインハルトの後ろにヒルダたちと並んで双璧からの報告を聞いていた。
実の処、フェザーンに関係する限りは双璧の報告を聞いているだけで充分だった。
ラインハルトが見ていたのはフェザーン回廊の向こう側なのだ。

……フェザーン回廊方面の第3陣と第4陣が惑星フェザーンに到着した当日。ラインハルトがフェザーン航路局での時間を過ごしていた頃。

ザルツ少将は早速、尋問を開始していた。
対象は弁務官事務所から逃げ損ねた同盟関係者たちである。
とは言え『原作』にも固有名詞すら出て来なかったモブキャラクターたちだ。
持っていた情報は、それ相応のものでしか無い。
ただ「ヤン・ウェンリーの秘蔵っ子」がフェザーンに赴任して来ていて、当面は逃げ延びている事だけは確認出来た。

実の処、ザルツの脳内では迷っていた。
ユリアンに逃げられるのは、悪意あるサボタージュだろうか?
だがザルツの「知識」では、ユリアンがヤンの替わりとしてラインハルトに立ち向かってくる前に
ヤンとラインハルトの和解は可能な筈だった。それをジャマし“た”のは暗躍するテロリストたちである。
「この」件も含めて、ヤン不正規隊との和解の後に残る最後の敵であろうテロリスト・ネットワークとの戦いでは
ユリアンが地球に潜入して持ち帰ってくる筈の情報は有効な武器に成り得るだろう。
それでは、ユリアンには『原作』通りに地球に旅立ってもらった方が
最終的にはラインハルトの利益なのだろうか?………。

……。

…また1つ、行く年を送り来る年をむかえる。

「乾杯!!自由惑星同盟最後の年に!」
『原作』では第5巻だけの一発キャラクター扱い、にしては名セリフだ。
そんな名(?)セリフを聞き流しながら、俺ことザルツ少将は想ったものだ。

この惑星の何処かでユリアン・ミンツと言う若者は、どんな年越しをしているだろう。
確か、もうマリネスクとかとは出会っている筈だ。
もしかしたら「コソコソお祝いもしないでいたら、かえって胡散臭(うさんくさ)く思われますよ」とでも忠告されているだろうか。
だとしたら、確か「ドラクール」とか言った酒場ででも
ささやかに乾杯くらいはしているだろうか。

……その酒場「ドラクール」

「「「「乾杯。新しい年が、せめて好い年である様に」」」」
流石に口に出しては、無難な事しか言えない。
だが暗黙に了解した本音は
「自由の宇宙(そら)を求めて」である。
そのテーブルを囲んでいるのは、ユリアン・ミンツ、ルイ・マシュンゴ、マリネスクそしてカーレ・ウィロックだった。



[29468] 第31章『動かざることイゼルローンの如し?』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/26 21:56
敵要塞を目前にした宇宙戦艦の上では、年越しも戦場の作法に習うしか無い。
ジークフリード・キルヒアイスは戦艦バルバロッサのスクリーンに開いた窓越しにケンプ、レンネンカンプと乾杯を交わして
そのまま作戦の打ち合わせに移った。

「今さら要塞を正面攻撃しても無益です」
実の処、双璧のフェザーン到着で陽動作戦がバレて以降、キルヒアイスからは仕掛けていない。
「正面攻撃で落とせる要塞ならば、もう何回かは奪ったり奪い返したりしていても好い筈です。
ですが結局、今イゼルローンに居る「奇蹟の魔術師」の奇策が成功した事だけなのです。
そんな敵を恐れる事は、決して我々の恥には成らないでしょう」
そして実の処、最近のキルヒアイスは副将両名の戦意を宥(なだ)める方に回り始めていた。
陽動作戦を本気の攻勢と見せかけるため、戦意の高い副将を選んだ事が裏目に出たとまでは言わなくとも、効き目が出過ぎはしたらしい。

そうした折、姉ブリュンヒルトと並んで旗艦機能の1つである戦場での情報能力も高いバルバロッサは
帝国軍の妨害を潜(くぐ)り抜けてイゼルローンに届けられた超光速通信を傍受再現した。
「全責任は宇宙艦隊司令長官がとる。貴官の判断によって最善と信じる行動をとられたし」
キルヒアイス程の名将ならば、この文面の意味する処は明解だ。
尚更、兵士をムダに死なせる気が小さくなっていた………。

……。

…直接の通信相手である「奇蹟の魔術師」は、部下たちを会議室に集めていた。

「イゼルローン回廊を放棄する」
先ず結論を告げてから、部下たちを納得させるために説明する。

戦術レベルで要塞が難攻でもフェザーン回廊を突破された以上、戦略レベルで無価値化された。
この上は、せめて機動戦力だけでも活用するしか無い。

部下たちは納得はした。だが無念の感情まで、全員が自分で解決出来た訳でも無さそうだ。
「誤解させたかな?私は“ここ”の回廊は放棄するが、“この”要塞まで置いて行くとは言ってないよ」
またも部下たちは驚愕した。ヤンは要塞事務監に説明を引き継いだ。

……事務監キャゼルヌ少将の説明で全員が思い出した。例のプロジェクトが進行中だった事を。

「しかし意外でしたな。あなたは胡散臭(うさんくさ)い「画期的な新兵器」とかをむしろバカにしていた、と記憶していますが」
要塞防御指揮官シェーンコップ少将は何時もの調子だったが、ヤンも平常だった。
「私は、どんなに便利な道具だって使う人間が使いこなせなければ「宝の持ち腐れ」に成る、と考えていただけだよ。
まあ私自身は、間違いなく機械音痴だがね。こうした新規な科学技術は魔法も同然だ。
だけど新しく工夫されて、より便利に成った道具には其の道具なりの使い様が在るものだよ」
「すると、今回の移動要塞も使い道が在るものだと」
シェーンコップの質問に対するヤンの回答は、以下の如くである。

第1に、我々が護って助け出さなければ成らない民間人や非戦闘員だ。
軍民あわせて500万人以上を完全収容するためには、我々が用意する全ての輸送力を総動員しなければ成らないだろう。
(ここでキャゼルヌが補足した)
「輸送船と病院船を全て使用しても民間人だけでも収容し切れない。
艦隊にも民間人を分乗させてもらうしか無いんだ。
大体その事務仕事だけで、どれほど面倒か。うちの部下たちは過労で倒れかねん」
それに、これだけ多数の非戦闘用の船団をエスコートしながら、敵前から脱出しなければ成らない。
しかも何処かの有人惑星に立ち寄って民間人を避難させてから、我々は戦場に駆けつける事に成る。
移動要塞の中に守ったままで丸ごと逃げ出せれば、そうした全てを解決できる。
第2に、目前のキルヒアイス軍だ。
我々がイゼルローンを置いて行けば、さっそく後方支援の拠点に使ってフェザーン方面のローエングラム本軍との両面作戦を展開する積もりだろう。
しかし其のイゼルローンを持ち逃げされたら、帝国側からの後方支援体制を組み直してから進撃するしか、どうしたって無くなる。
それだけでも足止め位には成る。
第3に、艦隊や船団を組んでワープを繰り返しながら航行していけば、そして其の規模が大きくなる程、各艦固有の速度よりも遅くなる。
(艦隊フォーメーションの名人である副司令官と頷(うなず)き合った)
帝国のミッターマイヤー提督は「疾風」の名も高いが、彼の艦隊の艦だけが新発明で速い艦ばかりな訳じゃ無い。
他の艦隊よりも各艦固有の速度に近い快速で機動しながら、フォーメーションをコントロール出来る上手さを評価すべきなんだ。
しかし、ワープするのが移動要塞1つならば、まったく要塞固有の速度で移動出来る。
この事と、途中での寄り道を省(はぶ)ける事が重なれば、数日ぐらいは早く決戦場に到着出来るかも知れない。
今の場合、数日でも貴重だろう。

いま決戦場に到着、と言ったけれど1回切りの会戦で帝国軍を追い払えるとは限らない。
その後の戦略や戦術にも応用が出来ない事も無いだろう。
戦略レベルだと、同盟軍は国内に(副官に確認してから)84ヶ所の後方支援の拠点を持っている。
それらを利用しつつ機動戦を戦うのが通常だろうが
こちらの移動したい処へ拠点ごと移動出来れば84個の固定点に拘束されず
同盟領と言う空間そのものを利用して機動しながら、それだけ柔軟に戦える。
戦術レベルでは言うまでも無いな。イゼルローンの攻撃力と防御力を何処の戦場でも戦術に組み込める。
まあ、相手は「戦争の天才」だ。そんな事は計算済みの戦い方で来るだろうがね。

とりあえず、これだけの使い道は思い付く訳だ。
私自身には魔法の様な新技術でも、専門家が可能だと言っている以上、遣らせてみるだけの価値は在った事に成る。
まあ優秀らしい発明家と、何故か今回だけは協力的な本国の支援と
それから(キャゼルヌに微笑んで)これだけは本当に優秀な実務者に恵まれた事だしね。
「成程」例によって副参謀長が纏(まと)めた………。

……。

…要塞から「ヤン艦隊」が出撃して来た。それも事前情報の通りならば、ほぼ全力で。

そのヤンの動きは、まるで「雷神の鎚」にキルヒアイス軍を誘っている、とも見える。
それでもキルヒアイスには、違和感が消えない。
現状でヤンが、それも全力出撃して来る理由は1つしかない筈だ。
だが非戦闘員を連れて撤退するならば、出て来る筈の護送船団が出て来ない。
しかし「エル・ファシルの英雄」が民間人を置き去りにして逃げる筈も無い。
その上、同盟側へでは無く、逆に帝国軍が居る方向へと出撃して来ていた。

先日レンネンカンプが、無人であろう輸送船をオトリにした奇策にしてやられているが
あの様な策は、実際に脱出する時に追撃を躊躇(ためら)わせるためで無ければ意味が無い。
むしろ次の出撃が本物の脱出だ、と予告している様なものだった。
だが目前のヤン艦隊は、まるで別な動きと陣形を見せている。名将キルヒアイスにして困惑していた。
何せ戦術レベルに限れば、どれほど悪辣(あくらつ)な小細工を遣ってのけるか分からない相手なのだ。

そのヤンは戦艦ヒューベリオンの上で、自らの艦隊をカーテンにしてイゼルローンを隠そうとしていた。

そして其のヤンからイゼルローンの指令室を任せられていたキャゼルヌとシェーンコップは、ヤン艦隊のカーテンで帝国軍が見えなくなった事
つまりは逆に帝国軍からイゼルローンが隠されたことを確認すると、任されていた「仕事」を開始した。
先ずは、球体を半回転させる。全体が銀色の球面だから、知らない者が外から見たのでは気付かなかったかも知れないが。
今までは帝国軍側の半球を盾にしていた側で設置工事を続けていたシステムを
同盟側へと脱出するならばエンジン・ノズルを向けるべき方向へと向けたのである。
続いて、流体装甲の18ヶ所がノズルの形に凹み始めた。

……ヤン艦隊は尚も、帝国軍が追撃してくれば逆撃する体制のまま後退し始めた。

流石にキルヒアイスは、違和感の「正体」に気が付き始めた。
イゼルローン要塞の位置が変わっていたのだ。
しかも流体装甲の10数ヶ所を、まるで宇宙船のエンジン光を拡大した様に輝かせながら尚も遠くなって行く。
キルヒアイスは、バルバロッサのスクリーンに開いた窓越しに副将の1人を見てから
去年つぶれた作戦と其の作戦の前提だった新兵器を思い出した。

ジークフリード・キルヒアイスはラインハルト陣営でも主君に告ぐ名将とされる。
その彼にして「動かざることイゼルローンの如し」と言う常識(?)には不覚をとった………。

……。

…フェザーン回廊を往復する全ての商船を取り締まる事など「物理的に不可能だ」と、とある交易商人は言った。

そこで帝国軍が目を付けたのが、フェザーン人の協力者である。
そうした協力者の1人が情報を持参して来ていた。

「帝国の辺境へと向かう地球教団の巡礼を運ぶと称して出航、実は同盟側へ逆行する、か」
憲兵本部から出張して来ていたザルツとか言う少将は、考え込むフリをした。
「この1人だけ身元の確かな乗客、信者の引率者だと言う地球教の聖職者だが実は、特命室長としては泳がせている」
協力者と付き添って来た駆逐艦長は顔を見合わせた。
「私が他の情報源から入手した情報だと、どうやらアドリアン・ルビンスキーと何らかのウラ取引が在ったらしい」
「では尚更、捕らえて吐かせるべきでしょう」
「大昔の革命家で「宗教とは麻薬だ」とか言った誰かが居たそうだ」
特命室長は「やれやれ」と言った仕草をした。
「そう言う手合は拷問した処で「殉教だ」と逆に陶酔しかねん。
まして司教だったな、そう言った指導者クラスだと殺すだけの結果に成りかねない。
仮に何か吐かせたにせよ、逆に教団に直属する幹部だと、そいつが吐きそうな情報には向こう側も心当たりが在るだろう。
そいつをこちらが捕まえた事が知られたら、折角(せっかく)吐かせた情報を役に立たないよう変更させられる危険もある。
むしろ同盟側へ逃げたまま行方不明に成ってくれた方が、教団側が油断してくれる分だけ有益、と言う考え方も出来る」
そこまで言ってから、少将は艦長が困惑している事に気付いたフリをした。
「卿には卿の上官に対する責任が在るだろう。もしも、この件で上官から責められた時は、ザルツ少将に責任をかぶせれば好いだろう」

……駆逐艦長と商人を帰した後、ザルツ少将は脳内だけで回想していた。

正直、葛藤(かっとう)が無い筈も無かった。だが、1週間足らず前に起こった事件に背中を蹴(け)り飛ばされていた。
何とも、ガイエスブルクが動いていなかった代わりに、イゼルローンをヤン・ウェンリーが動かしていた。
ビリヤード台の何処で、どの玉とどの玉がどんな風に衝突した末にポケットに落ちたかは知らないが
最初にキューを突っ付いたのは、科学技術総監を失脚させる様に暗躍した何処かの転生者だろう。
正直これ以上の『原作』破綻に対して、下俗な言い方をすればビビッていた。

……そんな狂言が自分たちの関係ない処で演じられていた、とはユリアン・ミンツたちが知る筈も無い。

ヤン・ウェンリーがイゼルローン要塞でアルテナ星系を脱出してから6日後に惑星フェザーンを出発したユリアンたちは
ランテマリオ星域で「帰宅」に成功する事に成る。



[29468] 第32章『ランテマリオ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/06 21:28
その年の内には「新帝国暦元年」と呼ばれる筈の、その年の最初の1日。
双璧は年越しパーティーの席上から其のまま、惑星フェザーンを発進した。

同じく年の変わる頃、惑星ハイネセンでは最高評議会の評議員からして、パーティーどころでは無かった。
殆(ほとんど)の評議員は集合していたのに議長が居ない。
いや、問題が問題だけに当事者の筈の国防委員長も委員の1人に委任状を持たせて当人は来ていない。
もっとも委任状は同盟憲章の定める通りの正式なものだった。
評議員の誰かが急病にでも成った時にでも、評議会を開催しなければ成らない事態が起こるかも知れない。
まして銀河帝国との戦争状態に同盟は在って、国防委員長である。
その委員は委任状を評議員たちに確認してもらうと、積極的に会議を盛り立てた。
ウォルター・アイランズは「この」時から約半年間の覚醒で、後世の歴史に名を残す事に成る。

そのアイランズに盛り立てられて、何とか最高評議会は結論を出した。
「何らかの条件付き講和を帝国軍から引き出す目的で軍事的抵抗を続ける」
その結論をもってアイランズは、国防委員長代行として軍部の協力を取り付けるべく、宇宙艦隊司令長官を訪問した………。

……。

…翌2月の初頭。ランテマリオ星域

国防委員長代行の支援を後ろに、何とか3個艦隊から成る決戦兵力を終結させたビュコック「元帥」だったが
身もフタも無い事を言ったら、3個艦隊中の2個艦隊は寄せ集めである。

対する帝国軍側は先駆けの双璧だけでも互角以上に戦えそうにも想えたが、双璧は主将を待つ事を忘れなかった。
そのローエングラム元帥は、後詰と言うよりは今回その攻撃力をトドメ役として期待されている
ビッテンフェルトとファーレンハイト両艦隊のフェザーン到着を待って、これと入れ替わる様にフェザーンから出立した。
その、後続2個艦隊が惑星フェザーンの地表上に滞在していた数日間の間だけ
フェザーン回廊の帝国側に限定して民間航路が再開された。

……そして両艦隊も、味方を追走してフェザーンを飛び立つ。

ファーレンハイト艦隊にザルツ少将も便乗していた。
ビッテンフェルトにしても彼なりの親切心くらいは持っているのだが、曲線的思考の策士タイプは正直に嫌いである。
片や、ファーレンハイトをひと言で言えば「苦労人」だった。

『原作』によれば、フェザーンを9月22日に出立して惑星ウルヴァシーへの到着予定が10月8日、と言う記述も在る。
大体そんな感じで順調に航行、と言うよりは黒色槍騎兵が苦労人を急かしている様にも見える。
「自分たちが到着する前に戦いが始まるのを嫌がっている」事を隠す積もりも無さそうだった。

そんな航行中には小事件も発生していた。
フェザーン回廊の同盟側出口付近を哨戒していた駆逐艦の1隻から連絡が途絶して捜索の結果、救命艇が発見された。
ところが上官に追及された段階で、駆逐艦長と言うよりも協力者として同乗していたフェザーン商人が、ザルツ少将の名前を出した。
そう言う事情でファーレンハイト艦隊旗艦に連絡が入り、ザルツ少将が呼び出された。
そのザルツは、駆逐艦長と協力者の言い分を全面的に認め、むしろ積極的に艦長をかばった。
艦長の直属上官である大佐には、少将の脳内だけに存在する罪悪感の理由など知る事も無かったが
結果として艦長の処分は、軍規の面子以上のものには成らなかった………。

……。

…やがて同盟軍がランテマリオ星域に集結している事が帝国軍にも確認出来た。

「アムリッツァ」が「新ティアマト」に変わったのに「ランテマリオ」で変わっていないが、人外な修正力などは無用だ。
新ティアマト星域を選択したのはラインハルトであり、彼の選択だけが変わっていたのだ。
そして、ランテマリオ星域を選択したのがビュコックである事は変わらない。
フェザーン回廊から同盟首都までの各星系の位置が変わっている訳でも無い。
そしてランテマリオ星域には戦場と成るだけの必然性が在った。
それこそ、ラインハルトが新ティアマト星系を選択したのと同様な理由で。

……そのランテマリオ星域に帝国軍の後続部隊が到着した時点で、両軍は開戦を待っている様に見えなくも無かった。

実際に後続の両艦隊は、途中どこにも寄り道せずランテマリオ星域に侵入したが
その時には先駆けの双璧と合流したローエングラム本軍が、同星域に侵入済みだった。
しかし、戦闘は始まっていなかった。

古来「兵は拙速を聞く」と言う。真言には違いない。手遅れに成っては取り返しなどつかない。
だが同時に準備不足や、戦術的勝利の前に戦略的に勝つ準備をする事を忘れる言い訳などでは無い。
ラインハルトは「拙速を聞く」戦術家であると同時に、それ以上に戦略家として「勝った後に戦う」事を知っていた。

そして「勝った後に戦う」積もりならば予備の両艦隊のみならず、イゼルローン(?)回廊方面の別働軍も待つべき状況だった。
敵が大軍だとは言えない。
艦隊司令官だけでも双璧にラインハルト自身、ミュラー、ルッツ、シュタインメッツ、ワーレンと揃(そろ)っていた。
対する同盟側は第1艦隊の他は寄せ集め2個艦隊、ここで更に「ヤン艦隊」が加わっても艦隊の兵数に限れば、帝国軍の優勢は間違いない。
だが、その数量的な優勢を補いかねない大物がランテマリオ星域に到着していた。

1個艦隊で1万数千隻が艦隊フォーメーションを組みながらワープを連続して何千光年かを移動するのと
移動要塞1つが丸ごと移動するのとでは、どちらが早く到着するか。
確かな事は、その艦隊を構成する各艦の中での鈍速艦が単独航行する方が、間違いなく艦隊よりも早いと言う事だ。

移動要塞イゼルローンは回廊の外に逃げ出しヤン艦隊を収容してワープに入ると
そのままキルヒアイス方面軍を振り切ってランテマリオ星域へと向かった。

同星域に到着したのは、フェザーン回廊側で合流集結した帝国軍が星域内に侵入した同日、数時間前の事だった………。

……。

…流石の「戦争の天才」をして「これは厄介だな」と、そう言わせていた。

フェザーンに待機させていた予備戦力、そしてイゼルローン方面軍も合流し、ほぼ全戦力をこのランテマリオ星域に集結させていた。
だが、前面の同盟軍には宇宙艦隊のほぼ全戦力に加えてヤン艦隊が集結し、何より難攻の要塞が数的優勢を打ち消していた。
おまけに、その“難攻”を預かるのが「奇蹟の魔術師」とあっては流石にラインハルトでも、おいそれとは短期決戦に移れない。
「やむをえん。惑星ウルヴァシーの拠点恒久化を優先する」
長期戦を覚悟したのだ。
尚この時、1隻の駆逐艦が投降したか、要塞に降下したのにまで注意を向けたものは少なかった………。

……。

…途端(とたん)にヤン艦隊の暗躍が始まった。

元々ヤンであれば、自らの艦隊を自国領内での機動戦力として遊撃戦を展開するのであれば
同盟領内、数十の補給拠点を1回の戦いごとに移動して、自在に動き回って見せただろう。
フェザーン回廊を突破されたとなれば、もう1つの回廊を死守する事など愚行としか見定めないヤンだ。
特定の拠点を持たない事で、戦略を柔軟に出来る事を知っていた。
そのヤンが今や、補給拠点を自ら引っ張って歩いているのだ。いよいよもって神出鬼没である。帝国軍は振り回された。

片や帝国軍は、フェザーン回廊を経由して惑星ウルヴァシーまで物資を運んで来なければ成らない。ヤンの暗躍下で。

これに対して同盟軍宇宙艦隊主力の方は、ランテマリオ星域に集結したまま待機している。
この星系が選ばれたのは、ここから後方の恒星系が殆(ほとんど)有人惑星を持っている、と言う理由からだった。
と言う事は自国軍であれば、そうした有人惑星を補給拠点と出来る
だから決戦が先送りに成っても、補給を受け続けながら待機する事が可能だった。
だからと言ってヤンの留守を狙おうなどとすれば、それこそ決戦を挑発する罠であり
その途端にヤンとイゼルローンが出現するだろう。

だが、挑発を承知でヤンに正面対決を挑みたい。その誘惑がラインハルトを誘っていた。



[29468] 第33章『3提督の災難』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/07 21:34
「正面攻撃で落とせる要塞ならば、もう何回かは奪ったり奪い返したりしていても好い筈です。
ですが結局、今イゼルローンに居る「奇蹟の魔術師」の奇策が成功した事だけなのです。
そんな敵を恐れる事は、決して我々の恥には成らないでしょう」
わずか数ヶ月前には、キルヒアイス上級大将が断言している。
その「恐れるべき敵」が「難攻不落」付きで5分後には、このガンダルヴァ星域にワープアウトしてくるかも知れない。
流石に名将揃いの帝国軍でも、これはプレッシャーだった。

「おそらく、ヤンは案外すぐ近くにいる」
同盟宇宙艦隊の主力は、今なお隣の星域と言うべきランテマリオに集結したまま待機している。
古来、数次の会戦の舞台となった戦略上の要処がある。ランテマリオ星域も恐らくそうであり、ここが決戦場となる可能性は未だ未だ高い。
だから帝国軍がその選択をした場合、間に合う様に駆けつけられる様にしている筈だ。
とは言えガンダルヴァと近隣の星域との間に限っても其の大部分は、ただ真空の空間が広がる名すら無い虚空が数光年に渡る。
そもそも遠く煌(きら)めく星々を目当てに、現在位置を計算する意味だけしか無い空間である。
高が直径60kmの球体を探知するためのハードウェアもソフトウェアも無い。
帝国軍が補足し戦いを挑むという意味では、ヤンは行方不明のままだった。

勿論(もちろん)普通ならば、そんな何も無い空間に待機している艦隊など、たちまち補給物資を喰い尽(つ)くして仕舞うだろう。
だが今のヤンは補給拠点を引っ張って歩いているのだ。
片や、ヤンの立場からすれば、帝国軍が惑星ウルヴァシーを拠点としている事は分かっている。
ガンダルヴァ星域を監視していれば好い。
何の事は無かった。西暦20世紀の航空母艦が陸上の航空基地に対して持った有利の再現である………。

……。

…最初の犠牲者はゾンバルト少将だった。

正し、後述する各提督が直面したのが「災難」だったら、ゾンバルトの場合は災難にも数えられない「大惨事」だった。
正規の戦闘部隊である宇宙艦隊ですら「薔薇の騎士」曰く
「こいつは戦闘と呼べるものではありませんな。一方的な虐殺です」と言う結果に落ち入る要塞が
非戦闘用の輸送船どころか貨物を自走式にしただけの輸送コンテナで編成された船団の目前に、完全な奇襲でワープアウトして来たのである。
その後は、虐殺ですらない抹殺だった。

連絡途絶に気付いた帝国軍の派遣した救援艦隊が船団の残骸と救命艇を発見した時には、ヤンとイゼルローンは何処かへとワープしていた。
輸送コンテナは残らず破壊され、惑星ウルヴァシーを恒久基地化する筈の物資は全て消失した。

……兎に角(とにかく)帝国軍としては、先ずヤンを探さないと成らなかった。

とりあえずシュタインメッツ艦隊が捜索に出動し、更に後詰としてレンネンカンプ艦隊を送り出したが
その行く手には既(すで)にヤンが待ち構えていた………。

……。

…そこは名も無いどころかブラックホールも何も無い、星系と星系の空間である。

「?」
ヤン艦隊の布陣は、一見すると正攻法に見える。
イゼルローンの要塞主砲「雷神の鎚」の射程ギリギリに展開していた。だが、ただ射程内に誘う様な陳腐な戦術で来る筈も無い。
シュタインメッツもそう思い慎重に対応していたが、気が付いた時にはイゼルローンとの相対距離が微妙に縮まっていた。

そう今のイゼルローンは動くのである。シュタインメッツとしても知識としては知っていた。
しかし、長年「動かざることイゼルローンの如し」であった要塞だから、その常識が在った。
さらには、周囲に相対的に距離感をつかむような目印の無い星系間の空間だった事
要塞のエンジンを内臓しているのとは反対の半球を向けられていた事
要塞との中間にヤン艦隊がチラついていた事などによって、微速前進を誤魔化(ごまか)されていたのだ。
「うろたえるな!距離的に射程に入ったとて、やつらも味方撃ちなど出来はしない。
半包囲体勢を引いて、要塞の方へ敵艦隊を押し込む様に展開せよ。
それで「雷神の鎚」と我々との間には、やつらがいる」

だが、それこそが最初からのヤンの狙いだった。
広く展開したため必然的に薄くなった中央を、ものの見事に1点突破したのだ。
そのまま背面展開へと続き、先刻とは全く逆の体勢となった。違うのは、要塞から見れば敵との間に味方が居ない事である。
流石に「雷神の鎚」では敵を貫通して味方まで届いて仕舞う。
その代わり、要塞表面に浮かび上がった浮遊砲台がつるべ撃ちに撃ち上げて来た。
もはや半包囲では無く完全包囲だった。

シュタインメッツの戦死がこの時では無かったのは、後詰のレンネンカンプ艦隊の存在だった。
「レンネン」艦隊の接近を探知したヤンは、救援と連携出来ない方向の包囲をあえて開いて、シュタインメッツの残存艦隊を追い立てると
第2の敵に向かい合った。正し、イザ砲戦が始まる寸前、敵前回頭して要塞をめぐる様な艦隊運動を見せる。
「あれは?!止まれ!」
レンネンカンプには見事に見覚えが在った。
回廊攻防戦の際、レンネンカンプ自身がヤン傘下のアッテンボローの罠に掛かった時の艦隊運動そして要塞との位置関係、そのままの再現だった。
当然、レンネンカンプは必死に部下を止める。敗走する味方の援護のためもあって、全速力進発の状態から急停止する
その停止した瞬間に、再回頭したヤン艦隊お得意の1点集中砲火が襲いかかった。

突撃から急停止した出鼻をピンポイント攻撃されて、そのまま全くの壊走に成って仕舞った。
その艦隊をレンネンカンプが何とか再編成した時には
イゼルローン要塞はヤン艦隊を収容して、何処かへとワープしていた………。

……。

…何時もの露悪者のフリをした調子で、双璧の相棒である疾風に語りかけていた。

「してやられたな」
惑星ウルヴァシーに兎も角も建設された、高級士官の集会場である。
「ここまで、移動要塞を使いこなすとはな。シャフトの奴も全く余計な事を」
「こう成ると、奴の裁判で判決が伸びているのは、幸か不幸かと言う処だな、誰にとってだが」
帝国宰相ローエングラム公爵は裁判の公正化を進めており、多くの冤罪事件の再審が認められていた。
その影響がこんな処にも現れていたのである。
とは言え断罪を待つばかりの、もう権力を持たぬ者にまでかかわっているヒマは無い。実の処、それどころでは無かった。
補給。戦略家を気取れば戦術よりも重要とされる問題が、問題化しつつあった。

補給拠点を自ら引っ張って歩いているヤン艦隊。ランテマリオ星域のすぐ後方に有人星域を控えて補給を受けている同盟主力。
片や帝国軍は、フェザーン回廊を経由して惑星ウルヴァシーまで物資を運んで来なければ成らない。ヤンの暗躍下で。

物資の欠乏は未だ表面化していない。またザルツ少将しか知らない「アムリッツァ会戦」の知識は無い。
それでも「アムリッツァ」直前の同盟軍(?)ほどの楽観論者は居ない。だからラインハルトは、ワーレン提督に出撃の許可を与えた。
同盟軍の補給基地を襲い、物資を強奪して来る。だが相手はヤンである………。

……。

…結局の処「ゼッフル粒子」満載の無人船団をつかまされ、スゴスゴ帰還して来る結果に成った。

「もう好い」
ラインハルトも、もう限界だった。ヤン・ウェンリーの挑発だと理解はしている。だが、あえて挑発に乗ってやる。
「私は宇宙を盗みたいのではない。奪いたいのだ」



[29468] 第34章『バーミリオン・キャンペーン』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/26 21:57
その戦いの何処から何処までの範囲を何と呼ぶか、は多少の論議を呼ばなくも無かった。

歴史上の呼び方として、とある戦争全体あるいは戦争の部分を成す戦局や戦線を纏(まと)めて
決戦と言う結果に成った会戦あるいは拠点の攻防戦の名で、つまりは会戦の戦場や攻防戦の対象と成った地名で呼ぶ場合が
幾(いく)つか存在する。
「ダゴン星域会戦」以来の銀河帝国と自由惑星同盟の戦いも、そうした傾向に片寄っている。
それは両国の戦争が、宇宙艦隊の決戦に片寄りがちだった事も原因の1つだったろう。
例えば戦争(War)と戦闘(Battle)の間あるいはWarの技術である戦略とBattleの技術である戦術の間を
Campaignと言う概念(がいねん)で埋める軍事思想も存在するが
とあるアジアの国家の軍隊はキャンペーンの適当な訳語を普及させる前に敗戦して、軍そのものが解体された。

対して「神々の黄昏」と帝国軍が名付けた作戦が発動されてから終結するまでの軍事行動と其の結果もキャンペーンの概念に当たるが
この場合は作戦名の印象が強く、したがって歴史的にも作戦名でキャンペーン全体が呼ばれている。
さらには其のキャンペーンの中で、帝国軍が惑星ウルヴァシーを発進してから戦闘停止が命令されるまでの両軍の作戦行動と戦闘を纏めたものも
また1つのキャンペーンであろう。
この中には、少なくとも2つの戦場で戦われた艦隊決戦レベルの戦闘と他の幾つもの星域を含めた軍事行動や勝敗が含まれ
しかも2つの狭い意味での会戦が戦われた戦場以外にも、キャンペーン全体あるいは戦争全体の勝敗に関係する戦場が少なくとも1つ存在した。
だが通常、そうしたキャンペーン概念に相当する場合も含めて、2つの会戦の片方ないしは戦場と成った星域の名をもって呼ばれる場合が多い。
なぜならば両軍が、それぞれ1人の敵を挑発し決戦に引き出す事を戦略レベルでの目的として行動し
その結果「その」1人と1人が正面衝突する結果と成ったためである。

何より其の2人が「この」時代を象徴する英雄として同時代と後世から見なされるため
2人が直接対決した戦場の名をもって呼ぶ事が同意を得られ易かった………。

……。

…最高司令官は、あらためて部下たちに問う。

「ひとりヤン・ウェンリーに名をなさしめるためか」
「名をなさしめた」3提督の視点からは「災難」のオマケである。
続いて主将と各将との遣り取りが繰り返されたが、結局の処「自分自身でヤンと戦う」と言うラインハルトの決意表明だった。

……ラインハルトから部下たちに命令された作戦は以下の通りである。

キルヒアイス上級大将、シュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレン各大将の艦隊をもってランテマリオ星域の同盟軍を足止めさせる。
3提督の艦隊はヤンのため数を減じているが、敵軍も3個艦隊中の2個艦隊が寄せ集めである以上は大差の無い兵力であろう。
これで指揮をとるのがキルヒアイスならば、他の戦場に干渉させない程度は困難でも在るまい。
「無理をする必要は無い。私がヤンの首をもって彼らを降伏させるまでの時間をつくれれば十分だ。正し」
ラインハルトは友人だけに向ける笑顔をつくった。
「敵の姿を見てその場で戦わないのは卑怯だ、などと考える近視眼の低能まで恐れる必要も無い」
他の各提督も、それぞれの艦隊を指揮してガンダルヴァ星系を離れる。
ヤン・ウェンリーにラインハルト自身を各個撃破する可能性を見せかけ、姿をあらわした処を撃つためだ。
そして、ラインハルト自身も直属艦隊を指揮して同盟首都を目指す。
当然ながらヤンは、ラインハルトが首都に接近する前に出現するしかない。
そこを狙って各艦隊が反転し、ヤンを包囲殲滅する。

ここまでは戦略レベルの作戦だった。それでは戦術レベルの作戦は?ヤンにはイゼルローンがある。
「進むことと闘うことしか知らぬ猛獣は、猟師のひきたて役にしかなれぬ。私は違う。
「雷神の鎚」の射程内に飛び込む様な無謀なマネなどせぬ。
だがヤン・ウェンリーは私を倒す事、すなわち戦艦ブリュンヒルトを沈める事だけが勝利の機会だと知っている。
私のほうから近付いて来なければ、艦隊をもって私を撃つために要塞から出て来るしか無い。
そのヤン艦隊を、反転した卿らが包囲するのだ」
そして、反転包囲までヤン艦隊の攻勢を如何(いか)に防御するか、については紙を重ねてワインを吸い取らせるパフォーマンスを見せた。
「私の前にヤンをつれてくるのだ。生死は問わぬ」

ここにいたって、部下たちからは反論や疑問は無かった………。

……。

…その頃ヤン・ウェンリーが何をしていたかの詳細は、帝国軍に所属していた以上、後日に知る事と成る。

帝国軍が動き始めた事は、間もなくヤンも知った。
もっとも帝国軍の側に隠す積もりが無かったからでも在ったが。
そのヤンは恒例に従って、出撃前には半日間の自由時間を許した。
イゼルローン要塞内部の施設は丸ごと運んで来ている。
それぞれの場所で、それぞれに自由時間を過ごす機会が残っていた。
そうした自由時間を部下や兵士たちに許した時点で、ヤンは決戦を選択していた。

首都星ハイネセンから惑星ウルヴァシーにかけての各星系の位置関係とかは変えられない。
また戦場を選んだのは、ラインハルトとヤンの「暗黙の諒解のもと」だった事も、変わってはいなかった。
そもそも選択の前提条件である
ヤンとラインハルトが互いに相手に決戦を決断させるための挑発を目的として戦略レベルで選択した手段も
ザルツ少将だけが知っていた『原作』と50歩100歩だった。
それぞれの基本的な戦略思想や思考パターンそして「神々の黄昏」作戦と言う環境が大きく変化していないのだ。
ましてヤンがザルツの様な転生者だったら、同盟の運命は何処かで改変されていただろう。
したがって、ヤンの選択は必然だった。

首都に戦場が近付いて仕舞う以前、と言う範囲内で最大限ラインハルトと部下たちが遠く離れる地点。
ガンダルヴァ星系からバーラト星系へと結ぶ線上に沿って、バーラトよりは手前かつ有人惑星を持たない星系。
それがバーミリオン星域だった。

ヤンは自由時間の終わった後、移動要塞イゼルローンをバーミリオン星域へと進発させ、その場でラインハルトを待った………。

……。

…出撃前夜の惑星ウルヴァシー。

ラインハルトにブリュンヒルトへの同乗を謝絶されたヒルダが、キルヒアイスに訴えていた。こう成ると才能の問題よりは人生経験の問題である。
困惑したキルヒアイスは、適当な相談相手ないしは悪い言い方をすればヒルダの向かう先を押し付ける相手を探した。
ファーレンハイトに便乗してウルヴァシーに到着して以来、こう言ったチャンスを探っていたザルツ少将には好都合だった。

……出撃するローエングラム直属艦隊。

その後をヒッソリと言うよりはコッソリと追走していく1隻の艦。強行偵察艦の母艦だった。
正しく、強行偵察艦とは「この」時のヒルダの目的に合ったコンセプトで建造されていた。
直接の戦闘は回避しながら情報を収集するためセンサー類は強化されている。
そして情報を入手したら味方に報告するため、例えば超光速通信などでは危険な敵中から高速で敵を振り切って脱出する。
こうした任務のため特化して建造されているが其れと引き換えに、例えば伯爵令嬢の乗船などには適当とも言い切れない。
乗員の居住性などは、充実していること西暦20世紀の潜水艦の如くである。
当時の潜水艦が本来のステルス性能を発揮するために潜水母艦と言う艦種を必要とした様に
母艦機能を持った艦を艦隊に同行させる事を当然としていたのが強行偵察艦だった。
その母艦をヒルダに提供したのは、ザルツ少将の暗躍だった………。

……。

…他にも前夜の段階でザルツは暗躍していた。

出撃準備と言う忙中の閑をワインと談笑で消費していた高級士官たちの中にミュラー大将を探し出していた。
とは言え大将だの上級大将だのが揃(そろ)った中では、特命室長などと言う職域からしてアヤしい少将がウロウロするのもアヤしい。
そこを酒と談笑の席である事を好い事にミュラーに近付くと
「偶然とは言え、空恐ろしい気分もしなくも在りません」
などと言う言い回しで「例」のシミュレーションを思い出させた。

「おや、ザルツ先輩。ミュラーに何用ですかな?」
などと疾風が声をかけてきた事も好い事に、双璧にも「実は、こんな話で」と言った言い回しで、シミュレーションを思い出させて置いた………。

……。

…双璧を始めとする各艦隊が其々(それぞれ)の方向へと出撃して行った。

その後からローエングラム直属艦隊と前後して、キルヒアイスと3提督の別働軍も出撃する。
当然ながら最も近いランテマリオを目的地とするキルヒアイス別働軍が最初に敵と対峙した。
だがキルヒアイスもビュコックも、互いに同じ目的で行動していた。
ラインハルトとヤンの直接対決の場に、目前の敵がジャマしには行かせない事
同時に可能ならば、駆けつける事である。
互いに「この」2つの目的を天秤に乗せながら、手段として選択するべき戦術を模索していた。
こう成ると睨(にら)み合いや小競り合いがダラダラと続き易い。
ましてキルヒアイスもビュコックも自分の任務を心得る将器と、その任務のためなら自分の短気などコントロール出来る精神を併せ持っていた。

ビュコックもキルヒアイスも分かっていたのである。
目前の「ランテマリオ星域会戦」が「バーミリオン・キャンペーン」を組み立てる部分の1つでしかない事を………。

……。

…そのキャンペーンそのものの名前とも成っていく星域にラインハルトが接近し始めていた。そして、そこにはヤンが待っている事を知っていた。



[29468] 第35章『それぞれの星域にて それぞれに戦う』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/13 22:56
バーミリオン星域の本来なら惑星が存在するには不自然な位置に、銀色の人口天体が存在していた。

それがイゼルローン要塞である事を認めたラインハルトだったが、ここは狭い回廊の中では無い。
要塞主砲の射程外を迂回する様にして同盟首都を目指すかの如く振る舞えば「ヤン艦隊」が其の進路に立ち塞がる様に出撃して来た。
そのままイエロー・ゾーンからオレンジ・ゾーンへ、とローエングラム直属艦隊とヤン艦隊は接近して行った………。

……。

…ラインハルトたちが出撃して行った後のウルヴァシー基地では、ザルツ少将が其れなりに動き回っていた。

何しろ、大将以上の提督ほとんどが出撃した留守である。
特命室長などと言った職域のアヤしい少将でも、それなりに権限が在りそうにも見える。
だが、駐留していた戦力の大部分を送り出した後で出来る事は、結局の処は多くない。
そもそも敵国に相当深入りしていたのだ。
超光速通信などで入って来る状況も、隣のランテマリオ星域以外では「靴の上から足を掻(か)く」様なものだった………。

……。

…ランテマリオ星域で対峙するキルヒアイスとビュコックは、互いに同じ目的で行動していた。

ラインハルトとヤンの直接対決の場に、目前の敵がジャマしには行かせない事
同時に可能ならば、駆けつける事である。
互いに「この」2つの目的を天秤に乗せながら、手段として選択するべき戦術を模索していた。

こう成ると睨(にら)み合いや小競り合いがダラダラと続き易い。
ましてキルヒアイスもビュコックも自分の任務を心得る将器と、その任務のためなら自分の短気などコントロール出来る精神を併せ持っている。
正し「敵の姿を見てその場で戦わないのは卑怯だ、などと考える近視眼」が指揮下に居ないとも限らない。
もっとも、この時のキルヒアイスが指揮していた3提督の中で視野の広さとか、戦意過剰とかの問題を持っていそうなレンネンカンプは
最近2回もヤンにしてやられたためか、キルヒアイスの命令には大人(おとな)しく従っていた。

片や同盟軍にはサンドル・アラルコン少将と言う中級指揮官の1人が居た。
「新ティアマト会戦」以降、従来は中将職をあてていたNo.艦隊が書類上の存在に成る中で各地に駐留していた
少将や准将相応の小艦隊を指揮していた少将の1人である。
今回そうした小艦隊をかき集めて、第14・15艦隊を兎に角(とにかく)も編成したのだが
問題は、とかく疑惑付きな人物だ、と言う事だ。
民間人や捕虜虐殺で告発されていないのは、軍隊内での庇(かば)い合いの結果だとか
前々年のクーデターに参加しなかったのは、個人的な反目のためだとか。
ビュコックとしては、とても何とか集めた決戦戦力を預(あず)ける積もりには成れなかった。
だが本人の視野の広さでは、同格の小艦隊を預かる少将の1人だったライオネル・モートンが
中将に昇進して第14艦隊司令官に任命された事までしか見えない。
流石にビュコックは、アラルコン分遣隊を第14艦隊では無く、ラフル・カールセン中将の第15艦隊に編入していた。

そのアラルコン分遣隊がビュコックやカールセンの命令を拡大解釈して突出して来た時は、キルヒアイスも付け込むスキが出来たか、と想った。
だが百戦錬磨のビュコックは、しぶとい。
全軍のみならず第15艦隊に限ってもアラルコン分遣隊以上の損害は極小化していた。
いや、その分権隊にしても旗艦大破の後の指揮系統を再編しつつ、救えるだけを救っていた。
流石のキルヒアイスをしても、付け込むスキも逃げ出すスキも中々に見つからない。
その通り、ビュコックもまたキルヒアイスを逃がさない様に、ラインハルトを助けに行かせまいとしつつ戦っていた………。

……。

…ラインハルトはヤン艦隊を発見した時点で、指向性をしぼった超光速通信を後方の惑星ウルヴァシー基地へと送っていた。

第2次大戦当時、新兵器だったレーダーの開発に大きく貢献したのが八木博士の発明した指向性アンテナである。
だが、当の八木の母国の軍は其の価値に気付かなかった。
奇襲を重視する余り「闇夜に提灯をつけて敵を探す」事をきらったのだが
実はレーダーのみならず暗号戦でも痛い目を見た日本軍には更に貢献する可能性が在った。
西暦21世紀までテレビアンテナに使用された様に、本来の八木アンテナとは指向性アンテナだ。
すなわち送信アンテナとしては送りたい方向には強く遠く電波を送ることが出来
逆に横から盗み聞きしようとするものには弱く近くしか届かない電波に成る。
20世紀末に登場したステルス軍用機は、反射電波に指向性を持たせる事で敵レーダーをやり過ごしたのだ。

ラインハルトがヤン艦隊発見を通信した場合も、繰り返すが指向性をしぼった超光速通信で後方の惑星ウルヴァシー基地へと送っていた。
後方へ送るのだから直線上に傍受者が居る可能性が比較して低く、かつ横から盗み聞くには弱くなるのが指向性通信波だ。
それに惑星の位置ならば判明済みである。
ウルヴァシー基地は総旗艦ブリュンヒルトの報告を各艦隊の方位へと転送して、返信を待たなかった。
したがって、それぞれの受信者をつきとめる事は通信情報だけでは難しい。
こうして行動中の各艦隊は「バーミリオン会戦」の開始を知った。

……その中にはミュラー艦隊も居た。

ミュラー艦隊は目指して来た星域の手前まで近付くと、その位置で待機しつつ何かを待っていた。
ミュラーが受けていた表向きの命令は、その星系に在った同盟軍補給基地の占領である。
だがミュラーは一見サボタージュに見られかねない一時の行為に出ても、少しでも早く反転して駆けつける方が
今回の「キャンペーン」そのものの目的のために選ぶ手段だ、と想う様に成っていた。
出撃前夜、酒にかこつけてザルツ少将が思い出させたシミュレーションは確かに影響していた。
後日、そうザルツにも告げたのだが、相手の脳内での微妙な感想までは知らなかっただろう。
ミュラーが其の補給基地に接近しなかった事で、未演に終わった人間ドラマの事も。

かくして、ミュラー艦隊が他に先駆けてバーミリオン星域に来援する結果と成ったが
ミュラーの心境が他者にも理解されるとしたら、それは双璧だったろう。

その双璧は、それぞれが表向きの目標に割り当てられた補給基地に形ばかりの攻撃を仕掛けた後は
敵の反撃が届かない処に引いて降伏を勧告する、と言ったフリを繰り返しながら「バーミリオン会戦」の開始を待った。

かくて本気で攻略するよりは早目に反転してバーミリオン星域へと急行する双璧と
向かう先でも在る筈のバーミリオン方面から急行して来る、予定に無かった筈の強行偵察艦が出会う事に成る………。

……。

…繰り返すが、敵国に深入りした超光速通信などは不自由な戦線である。

惑星ウルヴァシーのザルツ少将などが、こうした事情を知るのは後日だった。
リアルタイムで知ることが出来たのは、せいぜい隣のランテマリオ星域ぐらいである。

……そのランテマリオでは、キルイアイスがキレていた。

「キレる」などと言った感情や行動とは縁の無さそうなキルヒアイスだが、少なくとも2つの例外が存在する。
無論、ラインハルトとアンネローゼだ。

何時ものキルヒアイスにしては強引な攻勢で敵軍のうちモートン艦隊を突き崩すと
それを強引に逃げ出すスキと言うよりはラインハルトを助けに行くスキにしようとしたが
「悪女の深情け」の様にシタタカな百戦錬磨に閉口させられていた。
閉口させられてキレていた事に気が付くと
元通り、ビュコックを逃がさない事でラインハルトを間接的に支援する任務に立ち帰っていた………。

……。

…かくて「バーミリオン・キャンペーン」の其々(それぞれ)の局面で其々の戦いが戦われていた。

その時、最も狭い意味での「バーミリオン星域会戦」も同時に戦われていた。



[29468] 第36章『両雄激突』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/26 21:58
「撃て!」ラインハルトとヤンの命令には、意味が在る程の時間差は無かっただろう。
最も狭い意味での「バーミリオン星域会戦」の開始である。

だが後世の歴史家の多くが知っている通り、ラインハルトとヤンが互いに相手の奇策を探り合いながら戦い始めた結果
開始直後には乱戦の形に成りかけた。

無論、ラインハルトもヤンも無秩序な殺し合いなど不本意に他ならない。
ある意味では暗黙の諒解の下に双方が乱戦の収拾に努めた(つと)めたため、会戦は次の段階へと進む。
別な意味では、双方が其々(それぞれ)に予定していた通りの戦いへと………。

……。

…ひとまずイゼルローン要塞に戻って体勢を立て直したヤン艦隊は、再び出撃するなり速攻に転じた。

敵旗艦ブリュンヒルトを目標に突破するのが、最初からの目的でもある。
これに対してラインハルトも、用意していた迎撃戦法を実施した。

「現世」でのハンス・ゲオルグ・ザルツは「前世」で『原作』を読んでいた時
「バーミリオン会戦」でラインハルトが実行した戦術を以下の様に解釈して、1人「シャッフル・ゲート」とか命名してみた事が在った。

先ずは、横陣を前後に並べた縦深陣を左右に2つ用意する。この陣形の例えが「シャッフル」だ。
ラインハルト自身の旗艦ブリュンヒルトは、左右の縦深陣の間の回廊に位置する。
そして戦況を直視しながら、ヤン艦隊の攻撃がブリュンヒルトに届く前に
左右の横陣を「門」を閉ざす様にスライドさせ、その内側の片端同士を接続させてヤンの行く手をさえぎる。
“ここ”を突破されても最初から1つの横陣だった中央を突破されたのでは実は無い。
2つの横陣の其々(それぞれ)片端を突破されただけだから損耗は極小で済む。
元の2つの横陣に戻り、左右から後方に回り込んで位置に付き直すだけだ。
むしろ、強行突破を試みたヤン艦隊の方が消耗するだろう。
後は繰り返すだけである。反転した各提督の艦隊がヤンを包囲するまで。

……その筈だった。だがラインハルトは困惑していた。

「シャッフル・ゲート」に対して何度かの突破を試みた後、ヤンはイゼルローンに戻って仕舞った。

確かにイゼルローンの中に引き篭(こ)もられては、各提督の艦隊が反転して来てもヤン艦隊を殲滅は出来ないだろう。
だが、それでは同盟が戦争に敗北してヤン艦隊とイゼルローンが残るだけだ。
このバーミリオン星域からは、もう次の星系の惑星と言って好い同盟首都を直撃されれば、会戦どころか戦争そのものに敗北する。
それに元のイゼルローン回廊なら兎も角(ともかく)「雷神の鎚」で封鎖出来るほど狭い戦場では無い。
その積もりに成れば、何処からでも迂回が可能なのだ。
そして其れがイヤならば、ラインハルト・フォン・ローエングラムと言う個人を倒すしか無い。
そんな事はヤンも分かっているからこそ、ラインハルトを挑発してまで決戦を挑んで来たのでは無かったのか?

確かに、この時のラインハルトは困惑していた。
その困惑の理由をラインハルトが戦術家として求めていた方向性によるもの、とする説も根強い。
「ラインハルト・フォン・ローエングラムの用兵は先制攻撃をもって、ヤン・ウェンリーの用兵は柔軟防御をもって、それぞれの特長とする」
「戦略家としては人間の限界をきわめていたが、戦術家としての志向は、攻撃にかたむいた」
と言った評価も存在する。
困惑していた真の理由は、彼自身が満足出来なかったからだ。
ヤンをイゼルローンに引き篭もらせたまま、ヤンの背後の権力者を降伏させるだけの勝利には。

そして戦術家としてのヤン・ウェンリーの真の恐ろしさは、敵の心理に完全に付け込む事が出来る事だった………。

……。

…ラインハルトは戦略的にでは無く、心理的な不満を少しずつ感じ始めていた。

ヤンをイゼルローンの中に残したまま同盟の権力者を降伏させるだけでは無く、ヤン艦隊をイゼルローンの外に引きずり出して殲滅し、
同盟を軍事的にも再起不能に追い込みたいと言う欲求に内面から突付(つつ)かれていた。
そして其れを諌(いさ)める事の出来るヒルダもキルヒアイスも、少なくともブリュンヒルトの艦内には居なかった。
ついにラインハルトは「シャッフル・ゲート」の陣形を保ったまま、ヤンが出撃して来るのを待ちきれなく成った。
イゼルローンの中でラインハルトを黙殺するフリすらしている様に沈黙しているヤンを、引きずり出したく成って仕舞ったのだ。

「ヤンをこのバーミリオンに誘い出すために戦略レベルで仕掛けた誘いを、戦術レベルでも試してみる」
旗艦ブリュンヒルトを残して艦隊戦力の大部分をラインハルトは動かした。
「雷神の鎚」の射程外に沿って時計回りに迂回させてみたのだ。
だが其の迂回部隊がイゼルローンの後方、と言うよりはバーラト星系方面へと殆(ほとんど)迂回しそうに成っても
イゼルローンの流体装甲には外側から見える様な変化は起こらない。
「こんな見え透いた挑発に、ヤン・ウェンリーが乗る筈も無いか」
戦略レベルでの挑発に乗って、バーミリオン星域までヤンが遣って来たのは、他に選択が無かったからだ。
自分で仕掛けて置いて、むしろ冷笑すらしたく成ったラインハルトだった。

「もう好かろう」ラインハルトが迂回部隊を反転させて呼び戻そうとした時
ほとんど其れと同時に、ヤン艦隊がイゼルローンから出現した。そのままブリュンヒルトを目指して直進して来る。
「そうか。ヤンも待っていたのか。私がヤンを誘うために分散させた戦力が、最大限に私から離れる瞬間を」
もはや競争だろう。
ヤンの手がラインハルトに届くのが早いか。反転させた艦隊が戻って来るのが早いか。

「だが1つ、計算に無い事が在ったな。未知の技術情報が」
宇宙戦艦ブリュンヒルトはコストすら無視した、実験艦的ですらあるコンセプトで建造されている。
旗艦級戦艦の中でも更に大型艦ながら相当の高速戦艦でも在った。
ただ旗艦として艦隊と行動を共にしていたため、これまでは個艦としての最高速度を発揮する機会には恵まれなかっただけだった。
だが今は、流石に単艦では無い程度の少数しか従えていない。ブリュンヒルト本来の高速での後退が可能だった。
片やヤン艦隊は、この期に及んだからだろう、情報通りならば全力出撃としか見えない規模で進撃していた。
当然ながら艦隊フォーメーションとしての速度には限界がある。
それでも、その限界速度での突進を強行していた。

しかし容易には、ブリュンヒルトとの距離は縮まらない。
その間に今度は反時計回りに「雷神の鎚」を迂回した帝国軍艦隊が、ヤン艦隊の側面に到着しようとしていた。

その帝国軍艦隊の横からの砲撃と突進を受けて、ヤン艦隊の艦列は凹型に湾曲して見えた。だが次の瞬間
「大質量物!急速接近」
その報告が意味する事を理解出来ない様な愚将が、中級指揮官にしてもラインハルトに其れも直属艦隊に抜擢される筈も無い。
そう今のイゼルローンは動くのである。それもランテマリオへの転進で実証した様に、フォーメーションを組んだ艦隊よりも速く。
その速度差の分だけ時間差を付けて始動を遅らせた。
その時間差と「動かざることイゼルローンの如し」と言う従来の常識との両方が、彼らを錯覚させていた。
「敵に接近しろ!「雷神の鎚」を撃たれる前に、味方撃ちを恐れて撃てなく成るまで近接するんだ!!」
だが其れは、凹型に湾曲した艦列ならぬ半包囲陣の中に自分から飛び込む事を意味していた。
そして半包囲陣に残る開口部にも、今や移動要塞が急速接近して来ようとしていた。
ヤン艦隊の副将フィッシャーが名人芸の艦隊フォーメーションを発揮して、ヤンの戦術は完璧かつ急速に実現化されていく。
スクリーンに映し出されるコンピューター処理された陣形としても、見事に再現されていた。
シュタインメッツ艦隊が落とされた時と同様な落とし穴に、ローエングラム直属艦隊の大部分は飛び込んでいたのである。

「してやられたか……」
ラインハルトには始めて経験する敗北感だった。
「おれはここまでしかこれない男だったのか?姉上…フロイライン…キルヒアイス…いや、キルヒアイスは未だ戦っている筈だ」
自分1人の戦いでは無い事を想い出し、自らを叱咤(しった)しようと試みる。
「おれは未だ負けられない!」

……その時、ブリュンヒルトのセンサーが新しい反応をとらえた。

「後方より別の艦隊」
その艦隊はブリュンヒルトの後方から左右をすり抜け、ヤン艦隊との間に立ち塞(ふさ)がった。
「ミュラー艦隊です。ミュラー艦隊が来援しました――助かった!」

……「奇蹟の魔術師」は予言者でも千里眼でも無かった。

ミュラーが表向きの任務である、補給基地への攻撃を放置したまま反転した事など知る筈も無い。まして転生者の暗躍など。

そのミュラーは苦悶していた。
脳内では「偶然とは言え空恐ろしい」シミュレーションが繰り返されていた。あの時「仮想ヤン」だった双璧は、包囲陣内から脱出する味方を救出しようと突入した瞬間に、すさまじい攻撃を仕掛けて来た。
そしてミュラー自身も護るべき旗艦も危機に落ち入ったのだ。
目前ではシミュレーションの設定以上の激しさで、包囲陣内の味方は殲滅されつつある。
その味方と後方の護るべき主将とを天秤に乗せて、ミュラーは決断を迫られていた。
そしてミュラーは、味方の命を天秤に乗せた事の忘却を終生、自分に許さなかった。
この時のミュラーは人によっては、古代インドの魔神にして軍神アスラに例えられた、とも言われる………。

……。

…結果としてミュラーの決断は、むしろバーミリオン星域の外側で貴重な時間を稼(かせ)いだ事に成る。

しかしヤンの包囲殲滅も、すさまじい。
イゼルローン要塞が包囲陣に参加している効果は、浮遊砲台などによる直接の攻撃力だけでは無い。
消耗戦に成った時こそ真の強みを発揮した。
ミサイルやビーム・エネルギーの残り少なくなった艦は補給を受け、反撃を受けて損傷した艦は修復を受けて復帰して来た。
帝国軍などは急ごしらえのウルヴァシー基地まで下がっても期待出来ない、本格的な後方支援をその場で受けられる。
後方まで下がる航行能力を失っていて退鑑命令が出そうな損傷艦までが、しぶとく包囲陣に復帰して来るのだ。
そうして結集された攻撃力が、包囲陣内の帝国軍を必要にして十分まで漸減した段階で、本来の標的である敵旗艦へと向けられた。

……そのヤン艦隊が最後に結集した猛攻撃の前に「鉄壁ミュラー」がアスラと成って立ち塞がった。

その激突の最中、急転が起こる。同盟首都からの停戦命令がヤン艦隊に届けられた。



[29468] 第37章『バーラトの和約』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/26 21:59
当時のラインハルトは帝国軍最高司令官ローエングラム元帥であると同時に、帝国宰相ローエングラム公爵でもあった。
そのため「神々の黄昏」作戦に置いても相応数の文官を旗艦ブリュンヒルトに同乗させて来た。
流石にバーミリオンの激戦場までは連れて行くまでも無い。惑星ウルヴァシーの基地に残していた。
その文官たちを特命室長ザルツ少将は、適当な巡航艦に乗せて惑星ハイネセンまで引率して行った。
「バーラトの和約」とも呼ばれる事に成る条約の、事務レベルでの交渉と作成に従事させるためである………。

……。

…5月25日。ラインハルト・フォン・ローエングラムとヨブ・トリューニヒトが「バーラトの和約」に署名した。

その直前「和約」の細部と付帯条件が煮詰(につ)められていた頃
ラインハルトらと同道して首都星に帰還する成り行きに成った後
辞表を提出したまま官舎で引越しの準備をしていた筈の同盟軍人が呼び出された。
この時のラインハルトが自分自身で会見しなかったのは、単純に「和約」成立の直前で時間に追われていたから、らしい。
だが、いずれ時間を気にせずに会いたい、との希望をもらしたとも伝えられる。
そのラインハルトの代理としてヤン・ウェンリーに会見したキルヒアイスは
煮詰められつつあった「和約」の細部と付帯条件に関係した、実務レベルの交渉を持ち出した。

「バーラトの和約」第5条による軍備制限に先行して、イゼルローン要塞の返還が要求された。
これに対してヤンは、同盟政府に丸投げしようと試みた。
「それでは、そちらの政府と我々帝国軍が“あの”要塞をどう扱(あつか)おうとも提督は関知しない、と言う事でしょうか?」
「出来る筈も無いでしょう」
結果からすれば白々しい、とすら言えるが、好人物のキルヒアイスですら言及はしなかった。
そう言うゲームをしている同士である事は、今さら確認するまでも無い。

続いて第6条である。反帝国活動は今後、同盟の国内法によっても禁止されるが
「和約」以前の帝国から同盟への亡命者の罪を問う、問わないは別の問題であるとの声明が
ラインハルトの名をもって「和約」とは別に発表される予定だった。
その声明の予定を告げた上でキルヒアイスはヤンに問うた。
「メルカッツ提督は戦死なされたのですか?」
今度こそヤンは困惑した。

メルカッツや副官のシュナイダー、さらにはイゼルローンの移動要塞化を実現した技術者などが「バーラト星域会戦」後に行方不明と成っており
書類上は戦死した事に成っている。
「あの時点で、メルカッツ提督たちに対して帝国側からの復讐を恐れた事まで、ローエングラム閣下は追及される積もりは持っておられません」
ヤンは頷(うなず)くしか無い。
「それに、そんな復讐を望んでもおられませんでした」
ラインハルトとヤンとの直接会見でも、復讐者と成るのは帝国内部の旧体制に対してのみだ、と断言されている。
「ですから、今ただちに出頭されれば、このまま同盟領内に留まる事も黙認されるでしょう」
これが幼帝誘拐でも成功していたら、同盟領内に成立した亡命政権の弾圧を大義名分にでも出兵して来ていたならば
間違いなく亡命政権に参加させられていただろうメルカッツを、免罪する訳にもいかなかっただろう。
だが「先帝」と誘拐未遂犯は、帝都皇宮でローエングラム陣営の憲兵総監に監視されている。
「当然ですが「和約」と同盟側の国内法が成立した後の、反帝国活動は見逃せません。今なら間に合います」
ヤンの内心としては、停戦命令に従った時の方が余ほど気も楽だった。

……この前後のラインハルトは、自分でヤンに会えなかったほど多忙だった。

例えば「和約」第2条によって割譲される「同盟側の灯台」星系、ヴァンフリート星系そしてガンダルヴァ星系の実効支配について
あるいは第7条によって駐在させる高等弁務官について、判断と決定はラインハルトだけが許されていた。
当然ながら、ヒルダやキルヒアイスの助言を受けてはいる。

例えば高等弁務官の人事では、ロイエンタール、レンネンカンプと言う2つの案に対してヒルダが反対意見を提出した。
ロイエンタールにはミッターマイヤー、キルヒアイスとともに3長官に任ずる、と言う名分が存在した。
片やレンネンカンプの場合、かつての上官を使い捨てにするが如き発言をしかけたラインハルトがキルヒアイスにも諌(いさ)められていた。
「では、貴女は誰が適任と考えるのかな?」
逆に問われたヒルダは具体的な人名をあげる代わりに、選考理由の方を述べた。
「この任務は単なる武人の任務と異なり、文官や専門家の補佐や助言を受ける事に成ります。
そうした任務である事を心得、むしろ補佐する文官たちを使いこなせる提督を当てるべきです。
逆に自分を補佐させる文官を推挙させてみれば、ご判断の参考に成るかもしれません」

成程と言うべきか、そんな文官の心当たりなど無い事をむしろ自慢すらしそうな提督も居たが
迷わず1人の文官の名をあげた者も居た。
コルネリアス・ルッツ提督がユリウス・エルスハイマーと言う実務官僚の名を出したのである。
この実務官僚はルッツの妹の夫に当たる。その点を突っ込まれる事は当然だが、ルッツは悪びれなかった。
「身内なればこそ、彼の事は知り抜いております。いずれの提督が大任をたまわりましょうとも、彼ならば補佐の任をまっとうするでしょう」
この言を「好し」としてラインハルトは、高等弁務官と補佐者の人事を決断した。

続いて惑星ウルヴァシーの基地司令官には、カール・ロベルト・シュタインメッツを指名した。
実の処、ヤン・ウェンリーとイゼルローンによる「災難」そして「ランテマリオ」での消耗はシュタインメッツ艦隊が甚(はなは)だしい。
逆に再建を急がせる理由をつくるためにも、あえて旧(?)敵国近くでの駐留任務を与えたとも解釈出来た。
片や結果としてルッツ艦隊の犠牲は比較すれば少なく済んでいたのだから
少なくとも高等弁務官と言う、決して軽くは無いが艦隊戦力が必須とも言い切れない任務が
艦隊を失った提督の落ち着き先などには成らずに済んだのである。
とは言え、専用旗艦である戦艦スキールニルその他を除く艦隊の大部分は、副司令官らに預(あず)けられて帝国本土に凱旋する。
犠牲を受け持った艦隊の再建のため、艦や兵が引き抜かれる事は避けられないだろう。

これらは、1つ2つの例に過ぎない。
ラインハルトだけが判断と決定の資格を持っている事は幾(いく)らでも存在した。
その中には不快な事も含まれていた。例えばトリューニヒトの仕官とか。

そしてラインハルトには帰還を急ぐべき理由も存在した。
「バーラトの和約」は皇帝の名をもって有効化される。その皇帝が誰であるかを明確にするためには帰還すべきだった………。

……。

…こうして、ルッツやシュタインメッツそしてシュタインメッツ艦隊の穴埋めに各艦隊から引き抜かれた艦や兵を残して、帝国軍は凱旋した。

その帰還途中の戦艦ブリュンヒルトに、1つの報告が届けられた。
やはりメルカッツは生きていた。
そしてラインハルトは、キルヒアイスを通じてヤンに約束した通りに、同盟領内での身柄の安全を保障した。
当然ながら監視の目は離さない、と言う条件付きだが。
だが、ともすればメルカッツどころかヤン・ウェンリーの事すら忘れそうに成る程、帰還途中でもラインハルトは多忙だった。

帝国宰相が何ヶ月も帝都を留守にしていたのである。
しかもローエングラム宰相の主導による劇的な内政改革が進行中だった。
これだけでも、ラインハルトを待っている仕事は大量だった。

しかもラインハルトは、儀式としても大仕事を準備させていたのである………。

……。

…今日で「バーラトの和約」署名から、丁度(ちょうど)1ヶ月が過ぎていた。

すでに宰相ローエングラム公爵では無く、皇帝ラインハルトを最高行政官とする新体制で日常業務が動き出している。
そんな帝都の憲兵本部でも、ザルツ新中将が特命室長としての活動を再開しようとしていた。



[29468] 第38章『儀式が終わった後 再び幕は上がる』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/18 21:23
新帝国暦1年7月5日
特命室長ザルツ中将は、同じ憲兵本部の建物内に在るケスラー総監の執務室を訪問した。
「閣下、出来れば御人払いを」
ケスラーとの2人切りを確認すると、ザルツは言い出した。
「恐れ多い事ですが、明日に予定されている行幸に関係した事で、聞き捨て出来ない情報を入手しました」
ケスラーとしても、こればかりは冗談でも済まない。
「先ほどメックリンガー上級大将にも確認しましたが」

ハインリッヒ・フォン・キュンメル男爵は、1人の人生で多方面に業績を上げた人々に憧(あこが)れた。
それは何人かの歴史上の人物であり、そして同時代人ではエルネスト・メックリンガーだった。
そのメックリンガーが男爵の従姉から依頼されて、病床を見舞った事が在った。
この時、多才な芸術家であると同時に参謀型の明敏な軍人でもあるメックリンガーは、男爵の病室に違和感を感じた。
それまでメックリンガーが見舞った男爵の様な病人は、代償行為として小動物などを動き回らせたりしていた。
しかし男爵は動物嫌いなのだろうか?

「その病人の嫉妬心に付け込んだテロリストが、男爵邸に潜入している可能性が在るのです」
ケスラーはザルツ情報が結果的には正確だった事を知っている。
「そのテロリストに心当たりは在るのか?」
「地球教と言う宗教組織が疑わしいです。例のトリューニヒトが逆クーデターの私兵に利用したそうですが」
「地球教か」
ケスラーは少しだけ考え込んで決断した。

「行動開始は夜明けと同時だ。玉体を危険に晒(さら)し奉(たてまつ)るのは不本意だが、動かぬ証拠も必要だ。
早過ぎても空振りの可能性が無くも無い。無論、遅過ぎるのは論外だ。
行幸は昼食に合わせる予定だったな。夏の夜明け頃ならば丁度(ちょうど)間に合う」
有人惑星の季節は、標準暦と地球時代の季節に合わせられている場合が結局は多い。
惑星オーディンの中心市街での季節も地球時代の中央ヨーロッパを再現しており、夏至を過ぎたばかりの7月6日の朝日は早い。
「ザルツ中将。卿は地球教とやらのアジトを奇襲しろ。おれが男爵邸に突入するのと同時に、だ」
「閣下が御自分で?」
「今夜のうちに準備すれば、明日の夜明けには間に合う。まあ、明日の面会予定者には迷惑だろうがな。何と言っても、カイザーの御身が大切だ」

……そうした夏の短い夜をロイエンタール元帥が、どう過ごしていたか、憲兵本部の何人かには間もなく知れた。

ロイエンタールとは直接には無関係な理由で、相手の女性が憲兵本部の監視対象だったためである。

視点:オスカー・フォン・ロイエンタール

俺が初めてウォルフガング・ミッターマイヤーの名前を聞いたのは「対番」などと言う制度に基づいて同室者が発表された時だった。
無論、対番の先輩には俺自身が其れまでの1年間世話に成って来たのだし、今度は俺が同じ期待をされているのも理解はしていた。
少なくとも、教官や学校当局、俺より先の先輩たちにイチャモンを付けられない程度には任務を果たす積もりだったが。

だがミッターマイヤーと言う新入生は、俺の予想をことごとく、好い方向で裏切った。

ミッターマイヤーが対番と成った其の次の長期休暇、俺は帰郷する積もりに成れなかった。
父親の資産の分だけ貴族趣味な、しかしロクでも無い思い出と使用人しか待っていない実家よりも寮の共同部屋が
奇妙に居心地が好い事に俺は気付き始めていた。
その俺をミッターマイヤーは自分の帰郷に付き合うよう、執拗なまでに誘った。
正直な処、面倒くさくなったのが其の時の本音だった。

俺は知った。俺の家族は、両親は普通じゃ無かった。
普通の家庭、普通の家族、普通の両親や普通の夫婦と言う見本を俺は見学出来た。
俺の母親を基準に女を知った積もりに成る事も、俺の両親の様な夫婦を基準に男女の関係を知った積もりに成る事も
結局は知った積もりに過ぎなかった。少なくとも理屈の上では理解出来た。
同時に、俺たちを対番にした思惑も理解出来て仕舞ったが。

……そのミッターマイヤーの家族が1人増えたのは、あいつが2年生の時だった。

あいつの対番は、もう俺では無く新入生に成っていて其の世話にも手抜きなどは無かったが、露悪趣味な先輩を見捨てたくも無い様だった。
そんなミッターマイヤーが自分の両親が引き取った12才の少女について語る有様は、あいつを知る誰をも驚愕させた。
あげくは俺の処へと相談に来た。
女の機嫌をとるなら俺に聞くものだ、とでも思ったか。
生憎(あいにく)子供は専門外だ。

そんなミッターマイヤーが俺の事を「先輩」を付けずに呼ぶ様に成ったのは何時からだったろうか。
遅くとも、“あの”事件の後では、そうだった筈だ。

……何と言っただろう?あの女は。

どちらにせよ勝手に俺に惚(ほ)れて、俺が結婚と言うものをどう考えているか、俺の想いを知りもしないで勝手に思い込んでいた女の1人だ。
まったく、俺の他に3人も結婚する積もりの男が居たのだから、サッサと結婚しておれば好いものを。俺を巻き込むからややこしい問題に成る。
俺は兎も角(ともかく)善人のミッターマイヤーまで巻き込まなくても好かろうに。

付き合いの好いミッターマイヤーは
とっくに銃なり刃物なり持ち出していても変でも無いほどに頭に血の上がった相手を3人も前にして俺を弁護していた。
だが、わが友が道理を説けば説くほど余計に血が上がっていく奴らは
ミッターマイヤーにまで向かって「貴様に彼女の何が分かる」などと言い出した。
少なくとも、あの女の考えていた事が分からなかったのは自分たちだろうに。
そうしたら全く付き合いの好い事に「自分はエヴァンゼリンと言う女性を知っている」などと答える有様だ。
おまけに「現在16才で出会った当時は12才」とまで正直にも言って仕舞う。
相手は自分が何を言っているかも分かっているか、どうかも分からないのに。あいつも若かったな。
ついに俺では無くミッターマイヤーを嘲笑する様に(ロリコンに当たるドイツ語)などと言い出したが(コ)までしか音声には出来なかった。
疾風に相応しいコブシが見事に顔面をとらえていた。

正規の試合ならば1ラウンドぐらいが経過した後
俺とミッターマイヤーはコブシとコブシを突き合わせて笑い合い、足元には3人が伸びていた。

……後日、俺は徹底してミッターマイヤーをかばった。

俺自陣がミッターマイヤーと同じ中尉に成る事自体は、大して不満に想う事でも無かったが、
ミッターマイヤーの中尉昇進がフイに成る事を考えてみると、何だが急にバカげた事の様に想えたからだ………。

……。

…そんな笑い話を息子に話して聞かせていたら、息子の母親に抗議された。

「アレク陛下にまで悪影響」ウンヌンと言われては、降参するしか無い。

視点:とある転生者

そんな平和な独白とかを聞く事が出来たのは、何回かの武力による戦いとテロリストとの騙(だま)し合いから、生き残った者たちの特権である。
そんな騙し合いの始まりとして当時の俺ことザルツ中将は、憲兵隊を指揮して夜明け前の闇に隠れていた。

夜闇は白々と明けかけている。
明るさ其のものは黄昏ごろと同程度でも、昼間の明るさに慣れた目の視界が狭くなるとのは逆に
夜目に慣れた目には明るく見え始める程度の暗さの中で、狂信者たちに見付けられないよう隠れながら待機していた。
「ザルツ中将。総監閣下からです」
通信兵から受け取った受信機の中からケスラーの声が聞こえる。
「こちらは成功した。ゼッフル粒子発生装置を押収した。もう言い逃れも出来まい」
「了解。こちらも突入します」
俺は流石に緊張していた。
何せ、降伏してくれる事が期待出来ないどころか、油断したら無理心中させられる相手との白兵戦だと知っていた………。

……。

…皇帝ラインハルトの戴冠後初の行幸は、直前で中止に成った。

カイザーに同行する予定だった1人、キュンメル男爵の従姉は単身で従弟を見舞った。
何と言っても逃亡される恐れどころでは無い身の上である。
流石の憲兵総監も、早々に尋問を断念していた。その上でヒルダを呼んだのである。

今回の事件で残り少ない生命を使い果たした男爵は、従姉に見取られて永遠に沈黙した。

……しゃべらせる相手は他にも存在した。

ウルリッヒ・ケスラー上級大将はローエングラム王朝に仕える憲兵総監であり、民主共和国家の人権運動家では無い。
テロとの戦い、と言う目的のためならば自白剤と言う手段でも選択する。
正し、対象のテロリストが狂信者でもある場合、拷問とかは殉教させてやるだけで欲しい情報は得られないだけだ。

この時、ケスラーは本当に気付かず、そしてザルツは確信犯的に知らんぷりしていた。
7月6日の午前中、ケスラーが表向きは突然に執務室を留守にしたため待ちぼうけを喰わされた面会希望者の中に、ヨブ・トリューニヒトが居た。



[29468] 第39章『地球へ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/19 22:18
地球教徒の生き残り、と言うよりも死に遅れに自白剤を使用した結果は、ひと言で要約可能だった。
惑星オーディンの教団支部は、末端の実行機関でしか無い。
皇帝ラインハルトの暗殺命令を下したのは、惑星地球の教団本部と推定された。

この憲兵総監からの報告を受けて、皇帝はワーレン艦隊に出兵を命令した。

尚、御前会議に先立って皇帝は、キュンメル男爵の親族であるマリーンドルフ伯爵父娘の連座も謹慎も無用とした。
今回の連座を機会に皇帝から父娘を遠ざけようと暗躍する者など居らず、逆に軍務尚書は皇帝を説得したからでもある。
そのため、会議には国務尚書と幕僚総監も列席していた………。

……。

…憲兵本部の職域すらアヤしい中将とかに、御前会議へと出席する機会が在るとしたら、何か在って呼び出された時くらいだろう。

その特命室長ザルツ中将はコンピュター・ネットワークから、とあるデータを検索していた。
憲兵本部に直属する中将とも成れば、その程度の権限くらいは持っている。
そしてフェザーンは帝国軍の占領下であり「バーラトの和約」によって同盟国内にも帝国軍が駐留する様に成っていた。

フェザーン船籍の独立商船「親不孝」号。
申請された航路…同盟首都ハイネセン発、フェザーン回廊を経由して目的地は地球。目的は地球教徒の巡礼を送迎。
ハイネセン出航当日、シュタインメッツ艦隊に所属する駆逐艦に出会ってから
フェザーンに寄港、出航して地球に近付くまでに数度の臨検が記録されていた。
その記録を追ってみれば、本日7月10日現在「親不孝」号は地球に到着する見込みだった。

ザルツにはユリアン・ミンツのジャマをする積もりは無い。
ユリアンには『原作』通り、地球教団とテロ共犯者たちとの情報を持ち出してもらう。それが最終的にはラインハルトの利益の筈だ。
ワーレンに「ヤンの息子」の事を密告するとしても、早くて地球から情報を持ち出した段階以降だろう。

……実の処『原作』知識を持っていれば、ユリアンが留守にして来た惑星ハイネセンの方が気に成っていた。

同盟側の宇宙暦ならば799年7月下旬の「迷走」には『原作』からでも、いくつもの原因が考えられる。
オーベルシュタインの暗躍…そもそも“今”のラインハルトの身辺からは在り得ない。
レンネンカンプの偏見と独断…赴任しているのはルッツだ。
そのレンネンカンプの小賢しい補佐官…ルッツの見込んだ義弟に入れ替わっている。
メルカッツの行方不明と生存のウワサと秘密活動…出頭して来ていて、ハイネセンで所在を明らかにしている。
これだけ『原作』から改変されているとは言え、これらは直接的原因であって間接的かつ根幹的原因が先に存在しただろう。

生き急ぐラインハルト。
この「知識」ばかりはヴァルハラまで持って行くしか無いが、ラインハルトは「夭折の天才」キャラクターでは無かったか。
短い人生を代償に与えられた天才。それゆえに「残り時間」の間に宇宙を奪いたいのでは無いのか。
そんな風に考え出すと、まるで息子の誕生が「時間切れ」と入れ替わりの様だった事までが必然に想えて来る。
ヤンなどは“宿命”と言う言葉は“運命”よりも嫌いらしいが。
まあ、キルヒアイスと飲んだ大人の味のビールから考えても、ラインハルトとヒルダの仲は『原作』よりも早く深く成っている。
アレクの誕生は間に合うだろう。

問題を元に戻すと『原作』でのラインハルトは確かに、ハイネセンでの「事件」を切欠にフェザーンへと大本営をうつしている。
だが、あくまでも「それ」は切欠に過ぎない。すでにラインハルトの予定ならぬ決定では、フェザーンが新帝都なのだ。
そして大本営移転を公表したのも発熱直後だった。やはりラインハルトは「皇帝病」が本格的に発症する前に「冬バラ園」まで到達したいのだ。

キレていた同盟元首。
同盟元首ジョアン・レベロは「疑いの心が見えない幽霊を生む」心理で自分を追い詰めて、そしてキレていた。
「バーラトの和約」が暫定処置に過ぎない事、ラインハルトの目的が同盟の名実ともの征服である事を、レベロは知っていた。
そしてヤンやメルカッツと帝国との因縁が、再侵攻の口実を与える事を恐れていた。
さらに悪い事に、レベロはヤンを信用出来なかった。
「旧」トリューニヒト派閥などとは逆に私心など無く、自国の現状と将来を心配していたからこそ
ヤン個人の信念すら無関係に「ヤン軍閥」が暴走するのでは無いか、との疑惑が消せなかったのだ。

そんなレベロに、さぞ名案(?)らしきものを吹き込む山師や、帝国に取り入ろうとする密告者が存在した。
うたがわしいのは、そうした山師や密告者が「旧」トリューニヒト派閥の取り巻きかも知れない事だ。
トリューニヒトの目的は「帝国に同盟を征服させた上で、その新領土もろとも帝国を乗っ取る」事の筈だ。
地球教団や「旧」フェザーン自治領残党などの共犯者も、そのために利用する意味しか無かった。
そしてトリューニヒトの視点では、同盟の政治家だった頃の取り巻きも利用する存在には変わらないだろう。
ヤン視点で書かれていた『原作』の先入観は承知で、なお策謀をうたがう。

そうしたウラでの策謀や暗躍も必然性の中に入れられるだろう。
それに対して改変されていた事は、偶然性に属する事が多かった。

……イゼルローンが動いた事には驚愕した。

帝国軍の全員が驚いただろうが、俺ことザルツ少将(当時)は俺だけの理由で驚愕した。
しかし結果としては「バーミリオン」と「バーラトの和約」で収束した。
修正力とか何とかでは無く、これこそ偶然性と必然性の問題だろう。
無論、事が戦争それもヤンが相手では何が起きるか知れたものでは無い。
だが、ヤンほどの名将相手だからこそ必然性が大きくなる、と言う側面も在り得た。

ラインハルトが生き急ぎ「宇宙を奪う」事を急いでいる前提ならば「冬バラ園」で収束する必然性が大きい筈だった。

そんな脳内での考察を隠したままザルツは暗躍していた。行動に出したのは7月20日を前にしての、とある超光速通信のみである。
実の処、ラインハルトの同盟征服の足を引っ張る積もりなど、ザルツにも皆無だった。
ただ『原作』レンネンカンプの様な「犬死」をルッツに回避させる程度で好い積もりだったのである………。

……。

…7月30日。惑星地球へと派遣されていたワーレン上級大将から、教団本部の撃滅が報告された。

当然ながら、こうした報告は先ず皇帝に届く。
今回たまたま皇帝ラインハルトは病床に居たが、かわって皇帝直属の高官たちが受け取った。
ザルツ中将辺りまで情報が下りて来るまでには、タイムラグが存在する事は避けられない。

それに「偶然に居合わせたフェザーン商人」とかについて特に注目した報告に成るには、報告者の方がウラを知っている必要が在っただろう。
実の処、ザルツ中将の思惑ではユリアンの“正体”をワーレンに気付かれる様な問い合わせには慎重だった。
当然に“正体”を知ったならば、ワーレンはユリアンを拘束して情報メディアを没収するに違いなかっただろう。
しかし情報の回収ならば、ヤンとの和解の時でも未だ間に合う筈だ。
それよりも「今」下手にユリアンを人質などにしてヤンの悪感情を買った結果「和解」の足を引っ張る事の方が心配だった。
特に「今」は、ヤンの感情も大きく揺れ動いている可能性が在ったのだから。
やはりユリアンには地球からヤンの処まで帰宅させた方が、最終的にはラインハルトの利益に成るだろう。

だがザルツ中将には、地球から当時の帝都オーディンへと立ち寄るユリアンと其の時に出会う機会も、
『原作』が終了する前に地球を訪問する機会も、当面は無かった。

何と言っても彼らの主君の関心と航路が、惑星地球とは別な方向、フェザーン回廊の方向へと向けられていたのである。



[29468] 第40章『同盟迷走』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/20 22:05
ルッツ上級大将は、その日も信頼する補佐官の助言を求めていた。
複数の密告者から、内容的には50歩100歩な密告を受けていたのだ。
そこへ、当時は未だ帝都だった惑星オーディンから超光速通信が着信した。

「ザルツ中将。卿は如何(いか)に想うか?」
憲兵総監に直属する特命室長ならば、武人に過ぎない自分よりは何かの意見を持っているかも(?)とでも考えたのだろうか。
「ルッツ上級大将。小官の意見を申し上げる前に、2つか3つほど無礼かも知れない事をご確認しますが。
先ず、小官の情報源に対しては詮索しないで頂けますか?
それから、提督にはヤン・ウェンリーに直接敗北した経験は無い筈です」
ルッツが頷(うなず)くのを見てから、ザルツは続けた。
「したがってヤン個人に対する復讐心などは、お持ちでは無いでしょう」
高等弁務官よりも、側の補佐官の方が感情を刺激された。
これに対して特命室長は、先ず無礼をわびてから続けた。
「あるいは、弾圧の危険に直面したヤンの部下が提督の身を害したら
御恐れながらカイザーが同盟を完全征服なされる、その大義名分が出来る、と御考えでしょうか?
そのための犠牲ならば「犬死」では無く、カイザーへの忠義だと御考えですか?」
「バカな事を言うな。カイザーが其の様な権道を御好みあるか」
ルッツの返答に頷き、重ね重ねの無礼をわびてからザルツは本題に入った。

「もう同盟政府なり元首なりに、何らかの勧告などはされたでしょうか?」
「ナイン」と言う返答にザルツも安心した様だ。
「何よりもカイザーの御意思を確かめる事が先でしょう」
ルッツもエルスハイマーも即答するには間を置いた。
「それとも、この様な些事(さじ)で御多忙なカイザーをわずらわせるべきでは無いと御考えでしょうか?
自由惑星同盟と言う国家を「何時」滅亡させるかは、恐れ多くもカイザーの戦略と政策によります。
まして今回の当事者たるヤン・ウェンリーは、カイザーが高く評価なさり旗下に招こうとされた人物です。
これは主君の意に阿(おもね)る事では在りません。
主君の御意思よりも先走る事が、われら臣下や部下には許されるか、どうかの問題です」
ルッツにも何か頷ける事が在った様だった。
「御身を大切になされるが好ろしいでしょう。「犬死」とお考えならば、妹御を2重に悲しませるまでも在りますまい」
義理の兄弟は顔を見合わせた。

ひと呼吸置いて、ザルツは付け加えた。
「ヤンの様に歴史家を気取る訳でも在りませんが
地球時代の「13日戦争」までには何回かの核戦争の危機が在ったそうです。
その回避には「ホットライン」とやらが役に立ったかも知れないと」
とりあえずルッツは、ザルツの参考意見を聞いて置く事にした様だった………。

……。

…7月21日。同盟元首ジョアン・レベロ議長の職務室。

「前」政権でのブレーンでも在った、とある大学の学長が意気揚々としていた。
たった今まで難問に苦しんでいた「現」議長に妙策を提案して「現」政権でもブレーンの地位を確立したかに見えていた。

そこへ高等弁務官の面会希望が伝えられて来た。
学長は「計算通り」議長は「来るべき者が来た」と言う顔をした。

「どうやら「例」の密告は、そちらにも届いている様ですな」
挨拶の後、弁務官が本題に入ると、いよいよ学長は「計算通り」議長は「来るべき者が来た」と言う顔を強くした。
ところが
「その件について、わが主君から御預かりして参りました」
こんな言い方で差し出された記録メディアが再生されると、その内容には驚愕させられる事に成る。

「予は、この様な卑劣なる密告など好まぬ。
議長。卿は予にうったえ国家の功労者の正当な権利を援護すれば好い。
強者にこびて自らの法をすらおかし、一時の利益のためには国家の功労者を売るような政権の存続を認める事にこそ、不正義はある」
議長も学長も、それぞれに顔色を急変させていた。
学長の“妙案”こそ、同盟の自殺行為だと通告している事に、メッセージの意味は通じていたのだ。
「さらに予が好まぬ事は、この腐肉喰いどもが同盟と言う国家に寄生して来た者どもだ、と言う事だ。
今度は帝国に寄生するため、この様な卑劣行為で予を喜ばせる積もりだったか。
予の好悪のままに処罰可能ならば、こやつらこそ宇宙を清潔にするために処理すべきだ、とすら想う」
学長は逃走刑事犯をすら連想しそうな態度に成っていた。
「ヤン提督に疑惑が全く無いとも想えぬが、今回の彼は被害者である。予に彼の身命をゆだねられるならば、予は彼を厚く遇するであろう」
高等弁務官の持参したメッセージは、確かに同盟元首に伝えられた………。

……。

…7月22日。ヤン・ウェンリーは昨日と同じく、年金生活者の生活を楽しんでいた。

自分が逮捕や、まして密殺の危機に近付いていた事も、皇帝ラインハルトの「ホットライン」に救われた事も知らなかった。
「奇蹟の魔術師」は予言者でも千里眼でも無い。
ヤンが気にしていたのは遠く歴史上の惑星へと旅立った「秘蔵っ子」の事だった。
まさか、その息子が訪問している惑星と自分が巻き込まれかけた陰謀とが地下水脈で繋(つな)がっていたのだ
と、などとは当の秘蔵っ子が地球土産に持ち帰ったデータを解析してみて、初めて知る事に成る。

……7月24日。ワーレン艦隊が太陽系に接近するのと同日。

高等弁務官は、今度こそ同盟政府に「勧告」した。
余分な密告以前に明確な反帝国団体が存在していた。地球教団である。
皇帝暗殺の未遂事件などと言う極大の反帝国行動を起こしており、近日中には討伐軍が本拠地を討伐する筈だった。
帝国を代表して同盟に駐在しているならば、余分な密告に関心を向ける前に同盟国内での地球教団に注目するのが当然だろう。
したがって、この日が同日となるのも、高等弁務官が誠実に本国と連絡を取り合っていれば理の当然だった………。

……。

…7月30日。地球からのワーレンの報告は「病欠」の皇帝に代わって受けた高官たちを、とりあえずは安堵(あんど)させた。

自分が戦えなかった某提督などは悔しがってみせたりもしたが。
ところが同日。彼らを緊張させ、事後には唖然(あぜん)とさせる報告も届けられた。
同盟首都のルッツからの“緊急”連絡だった。

……24日に高等弁務官から「勧告」を受けた同盟政府は、今度こそ自国の警察力を動かした。

だが、同盟国家そのものの弱体化と民主主義の理想である筈の人権に足を引っ張られている警察だった。
どうしても検挙まで数日を要した。その数日の間に引き返し不能点を越えていたのである。
「あの」憂国騎士団の団員の中で、少なくない数が地球教に入信していた事ですら「事件」が起こって知る始末だった。

……その日。高等弁務官は補佐官とともに業務に勤(いそ)しんでいた。

ルッツには覚えのある感覚がした。ここは戦場では無い筈だが。
あるいは特命室長とやらに吹き込まれた「犬死」などと言う事、そして妹から夫の身命を預かっていた事を気にし過ぎていただろうか。
だが、年令の割には実戦経験で鍛えられていたルッツの感覚は正しかった。
何処から流れたか、同盟軍正規の兵器で武装した憂国騎士団と地球教徒が
帝国の弁務官府が接収していたビルディングに押し寄せて来たのである。

この日。地球からはワーレンが討伐成功を帝都に報告している。
繰り返すが、ワーレン程度に優秀な軍人が誠実に本国と連絡を取り合っていれば、これくらいの推測は可能だった。
片や「勧告」を受けた筈の同盟側は、地球教団の鎮圧に成功していない。
これを軍人としては当然ながら不穏に想ったルッツは、弁務官ビルの警備を帝国軍の遣り方で実施するむね、同盟政府にも報告済みだった。
残念ながら、この兵力配備が役に立ったのである。

ルッツは襲撃者を「素人」とは侮(あなど)らずに正解だった。
正規軍の陸戦部隊ならば1個旅団程度の人数で押し寄せてきた「暴徒」は、自分の命を何処かに忘れた様な突撃を繰り返した。
これが殉教だと信じる地球教徒のみならず、憂国騎士団の団員の中で未入信だった者の中にまで
後で死体からサイオキシン反応が出た者も出た。
そのため戦闘技量としては未訓練で、戦術としても単純に突撃するのみでも「死兵」だったのだ。オマケに武器は本物である。

ついにルッツは、ビルの上部から大気圏内用ヘリなどで兵士たちを撤収させた上で、逆にビルの外から反撃する戦術を選択した。
ルッツ自身も義理の弟を引き摺(ず)りながらヘリに乗り込み、大気圏内に突入させた旗艦スキールニルに乗り込んで
そこから指揮をとった。
もっとも相手が陸戦最強の「薔薇の騎士」だったら、そして実践指揮官が何処かの“不良中年”だったら撤収も困難だったろうが。
しかし「死兵」であっても戦術的には素人だったため撤収は成功し、逆にビルを包囲した帝国軍の反撃で制圧にも成功した。

結果として、最初の緊急通信から日数を置かずに、鎮圧成功の続報が送られていた………。

……。

…報告は、騒乱の発生自体と報告の遅れをわびて終わっていた。

しかし、熱が引いて復帰した皇帝はルッツを責めず、むしろ鎮圧の成功を賞した。

問題は同盟政府の責任である。
同盟元首が個人として関与したかどうか、あるいはウラや思惑を探ろうが、それとも元首個人の善意を信じようが
もはや、同盟軍の武器を使用して皇帝の代理人を襲撃して仕舞った以上は
同盟側の責任を問う問わない、の決定権は帝国側、つまりは皇帝の判断と決定に委ねられた。
そして、ラインハルトは生き急いでいた。

ザルツだけが知っていた「知識」通り、ラインハルトは発症し始めていたのである。
その「残り時間」の間に宇宙を奪いたがっていた。

……ザルツ個人としては「知識」を持っているだけに疑っていた。

その疑いを確認出来たのは、この時ワーレンと同行する羽目になっていた“フェザーン商人”の隠し持っていたデータを照合出来た時だ。

やはり、地球の教団本部からの脱出に成功した後には主導権を取る事に成る大主教ド・ヴィリエ、ルビンスキーそしてトリューニヒトは
この頃より共犯関係、と言うより互いに利用し合い始めていた。
そして『原作』でのヤン暗殺に連続する理由で、ヤンと同盟と帝国を互いに武力衝突させる方向での策謀を仕掛けていたのだ。
これは時系列的には後日に成るが「その時」のヤン・ウェンリーの目的が皇帝ラインハルトに対する条件闘争である事も見抜いていた。
そしてヤンが成功した場合、皇帝ラインハルトに残る敵が自分たちテロリストのネットワークだけに成る事を恐れていた。
だから彼らはヤンを暗殺しようとしたのだ。

これに対して総大主教を取り巻いていた当時の主流派は
皇帝ラインハルトの暗殺と言う、より直接に帝国にダメージを与えられる手段を主張していた。
しかし「キュンメル事件」での失敗とワーレンの出兵と言う展開を前に
ヴィリエやルビンスキー、トリューニヒトと言った共同謀議者たちの意見が強くなり
その結果、同盟首都ハイネセンでヤンが密告されたのである。

……これが、ユリアン・ミンツが入手できた段階での“最新”情報だった。

この情報を確認できた時のザルツの驚愕は「やはり」と言う意味の驚愕だった。
転生者と言う介入者の改変した事とは別な処で『原作』そのままの行動により、歴史のウラ面で暗躍する者たちが居たのだ。

……銀河の歴史は止まらない。いや、加速する事を希望する者たちが加速させていたのである。



[29468] 第41章『フェザーン大本営』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/21 21:08
新帝国暦1年8月8日。皇帝ラインハルトの決断が布告された。
惑星フェザーンへの皇帝大本営の移転である。

9月17日。ラインハルトは宇宙戦艦ブリュンヒルトで惑星オーディンを出立した。
「旧」王朝以来の皇宮の住人だったのは、6月22日の戴冠式から「この」日までの短い月日に過ぎず
そして『原作』通りならば、ふたたび戻らぬ旅立ちだった。

オーディンからフェザーンへの軍事力の移転と集中は、年内の予定とされた。
それは自由惑星同盟への再度の、そして恐らくは最終的な出兵の準備を意味していた………。

……。

…これに先立つ8月30日。先発してミッターマイヤー宇宙艦隊司令長官が進発していた。

その宇宙艦隊に便乗しながらザルツ中将は、どうしても疑惑を捨てられなかった。
騒乱を起こしたのが憂国騎士団と地球教団だけに、そしてトリューニヒトの「目的」を知っていただけに
当人は惑星オーディンで「置いてけ堀」に成っていた「元」同盟元首が関与していた、あるいは黒幕本人では無いのかと。
だいたい「キュンメル事件」での密告のタイミングすら計算の上だろう。
もしも、実際よりも速かったら「あの」時点では本拠地が壊滅していなかった地球教団から、本物(?)の裏切りをうたがわれただろう。
逆に遅かったら、密告そのものが無意味だった。
そのギリギリのタイミングを計算しての密告だったろう。
だが、ザルツと言う名前も知らない「後出しジャンケン」だけが計算に無かっただけだ。

そのため、今回の密告で帝国側に取り入る機会そのものは空振りだったものの
皇帝暗殺に関与した証拠は、地球教団オーディン支部の死に遅れに自白剤を使用しても入手出来なかった。
出来る事なら今回、惑星ハイネセンで起きた騒乱への関与を罪として断罪してやりたい処だが。
同盟は未だ、名目上までも帝国に征服された訳では無く、ザルツには高等弁務官を通じて同盟に勧告するだけの権限も無かった。
元々、保身に関する限りは天才と言うよりも“妖怪”と言うべきトリューニヒトである。
ケスラー憲兵総監をしても、惑星オーディンからフェザーン回廊越しに、惑星ハイネセンでの事件の責任を問う事は困難だった。
それに、もしもザルツが皇帝に直訴出来て、弁務官から同盟政府に勧告してもらっても
現状の同盟当局に黒幕まで確定出来るだけの捜査能力が残っていただろうか?

そのため、せいぜい次善の予定を立てるしか無かった。
『原作』通りならば、これから陰謀の舞台は惑星オーディンを離れて惑星ハイネセンと惑星フェザーンに成るだろう。
そのフェザーンで少しでも早く、対テロリズムの準備をするしか無かった。
同時に上官のケスラーを納得させられそうな出張の理由も。
何せケスラー上級大将は、防衛司令官として(今だ名目上の)帝都を離れられないのだから………。

……。

…同盟当局の統制能力は、首都星を離れた星域でも弱体化し始めていた。

元々「自由な惑星の同盟」の体制は地方自治を建前としている。内政面の視点から見れば有人惑星なり恒星系なりの自治権限が大きい。
だからと言って、1つの自治体が国家からの離脱を宣言しても制止出来なかった、と言うのは明らかに国家として弱統制化していた。

フェザーン回廊を中心とする皇帝ラインハルトの新帝国構想からすれば、辺境と成っていくであろう、今ひとつの回廊の近く
「エル・ファシル」と呼ばれる星系である。
宣言の日付は8月13日。8月8日の皇帝の布告はエル・ファシルにも届いていただろう。ニュースだけなら超光速で届く時代である。

……その同盟政府は、少なくとも公務を停止してはいなかった。

状況最悪の国家と言う大荷物を背負ったまま、背中から降(お)ろす事の出来なくなった同盟元首ジョアン・レベロは
それでも尚、努力を続けていたのである。
旧来の友人であるホアン・ルイの見舞いと助言をすら振り払い、孤高の公務を続けるレベロに
例えば宇宙艦隊総参謀長などは、尚も付き合い続けていた。
「ランテマリオ星域会戦」を含めた「バーミリオン・キャンペーン」の後、燃え尽(つ)きる様に老将が退くと
後任の司令長官を何とかする余力すら国家そのものには不足していた様だったが
その不在を、外見は「パン屋の2代目」にしか見えない総参謀長が支え続けていたのである………。

……。

…新帝国暦1年の10月が始まる頃には、皇帝ラインハルトは惑星フェザーンの地表上に接収した大本営に移っていた。

そして後続の到着と、フェザーン回廊周辺への軍事力の集中を待っていた。
「神々の黄昏」作戦に匹敵する軍事行動の準備だけでも、数ヶ月を必要として当然だった。
ただ今回は、最初からフェザーンを拠点に出来ることだけが違っていたのである。
結局の処、帝国軍あるいは皇帝ラインハルトを11月までフェザーンに留めさせたのは後方支援と実務の問題だったろう。
元々、8月8日に皇帝の決断が形と成った時点では、年内までにフェザーンへと軍事力を集中させる予定だったのだ。
それが11月10日付で黒色槍騎兵を先発させているのだから、むしろ予定は繰り上げられていたのである。

ただラインハルト自身が「バーラトの和約」に自ら署名し、皇帝として発効させて置きながら
降って沸いた様な機会に飛び付くが如く再侵攻する事に対して、むしろ美意識的に躊躇(ためら)ってはいた。
しかし同時に、ラインハルトは生き急いでいた。そして其のラインハルトに全ての選択権が委(ゆだ)ねられていた。

……黒色槍騎兵を先発させた同日。

皇帝ラインハルトは同盟市民に向かって宣告した。
すでに「バーラトの和約」は同盟政府の統制能力において実効力を消失している。
新たなる秩序は新たなる行動と実力によってのみ回復される。と。

やはり「生き急ぎ、宇宙を奪う事を急ぐラインハルト」と言う根幹が、変更されてはいなかった………。

……。

…この宣告を受けて同盟側で起こった事は、とても纏(まと)めては言い切れなかった。

様々(さまざま)の悲劇や喜劇(と言うには深刻過ぎる事態だけに尚さら冷笑的とも言える人間劇)その他が、様々に繰り広げられたのだ。
その中でも後年には伝説化さえされたのが、宇宙艦隊総司令部を訪問した老元帥をめぐる小劇だった。

帰還した司令長官と副官と総参謀長を出演者とした小劇は、当事者の1人でもある副官が証言者と成った事も手伝って、広く長く伝えられた。
その副官が証言する処では、早くも「この」小劇が演じられたのは、皇帝が惑星オーディンからフェザーン大本営へと移動中の頃である。
百戦錬磨の老元帥には、この帝国の軍事力集中と移動が何を意味するかは分かっていた。
そして同盟元首からは、8月に皇帝が表明した頃から復帰要請を受けてはいた。
要請内容が「ヤンを帝国に売ろうとしたら、反撃され逃亡されたから討伐せよ」などと言った
自分は兎も角(ともかく)「旧」トリューニヒト派閥の様な政略理由でも無い限り、将兵が聞きそうも無い命令なんかでは少なくとも無かった。
戦う相手は帝国軍であり、無抵抗であれば其のまま自由惑星同盟と言う国家は滅亡するだろう。
だが、勝ち目の無い戦いである事も百戦錬磨には分かって仕舞う。
自分の戦死は恐れない。しかし其れでも迷う時間は其れなりに必要だった。

最終的には、皇帝ラインハルトの出征を切欠に老元帥は心を決めた。

……その後、それが何時だったかの公式記録は既(すで)に破棄されている某日。

今度は老元帥が、とある退役軍人を呼び出した。
その人物は「未だ軍服の方が似合っていた」背広姿で総司令部を訪問したが、
彼と迎えた老元帥の間で、どの様な密談が交されたか、についても公式には記録されていない。
ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」その他の証言も、歯切れの悪い回想しか残していない。
そのため、後世の歴史家には想像の楽しみを残す結果に成った………。

……。

…先発隊の黒色槍騎兵を先行させた後から、帝国軍の主力部隊も順次フェザーンを進発して行った。

帝国側の宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥が、主力軍を先導していた。
そのミッターマイヤー艦隊に続行してレンネンカンプ艦隊、ケンプ艦隊、アイゼナッハ艦隊と続き
これら先行する各艦隊の後ろを固め、さらに後方の皇帝本軍との連携を確保するのはロイエンタール艦隊である。
今回、統帥本部総長ながら皇帝の参謀長はマリーンドルフ幕僚総監に任せ
総長に任じられる以前からの艦隊を率いて艦列全体の有機的結合に任じていた。

そして皇帝本軍の前衛は軍務尚書ながらキルヒアイス元帥の艦隊が、後衛はミュラー艦隊が固めていた。

逆にファーレンハイト艦隊は、いったん帝国側へと迂回して
「元」イゼルローン回廊「和約」の付帯事項によって「辺境回廊」と呼ばれる事で同意されていた、もう1つの回廊を通過し
帝国軍が「和約」後あらためて拠点を設置していたヴァンフリート4=2付近に待機、以後の命令を待つ事に成っていた。
フェザーン回廊を主要な進撃路とする事は変わらずとも、両面作戦が可能ならば、自ら戦略上の選択肢を捨てるまでも無かった。
それでも、惑星オーディン周辺に待機しているワーレンあるいはメックリンガー艦隊を呼び寄せるよりは、時間的距離としても早かった。

……ミュラー艦隊を最後に遠征軍が飛び立った後の惑星フェザーンの地表上。

ザルツ中将が動き回り始めていた。
フェザーンの留守防衛司令官を拝命した大将にしてみれば、鬱陶(うっとう)しく無くも無かったが
しかしザルツ情報の有益さは直ぐに納得する事に成る。



[29468] 第42章『家出息子たちの飛翔』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/22 17:22
それが何時だったかの公式記録は既(すで)に破棄されている某日。
今度は老元帥が、とある退役軍人を呼び出した。
その人物は「未だ軍服の方が似合っていた」背広姿で総司令部を訪問したが、
彼と迎えた老元帥の間で、どの様な密談が交されたか、についても公式には記録されていない。
ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」その他の証言も、歯切れの悪い回想しか残していない。
そのため、後世の歴史家には想像の楽しみを残す結果に成った。

少なくとも2つの事は確かである。

1つは、ヤンは以下の様な構想を語った、と言う事だった。
7月の騒乱以降、ヤンは自由惑星同盟と言う国家の滅亡を避ける事は困難だろう、と予測していた。
と言うよりも、ヤンほどの戦略家であれば予測せざるを得なかっただろう。
そして歴史家としてのヤンは、皇帝ラインハルトが少なくとも予測可能な近未来までは善政を実施するだろう、とも予測していた。
おそらくは、トリューニヒト政権時代の同盟よりも結果として民衆には公正な施政を。
しかしラインハルトが名君だからこそ、彼ただ1人に全人類をゆだねる事の危険を、ヤンは想わざるを得ない。
ヤンの父が「民衆が楽をしたがったからルドルフが出現した」と教えた事を、ヤンも忘れてはいなかった。

辺境でも好い。1つ切りの星系でも好い。民主共和主義の苗を温存する温室が必要なのだ。
自由惑星同盟も、ほとんど惑星ハイネセンだけの惑星国家から始まった様に。
何時の日か、ローエングラム王朝が名君ならざる様に成った時のために、その時の子孫たちに選択肢を残すべきなのだ。
「多数の凡人が試行錯誤しながら、例え急速で無くても次善であっても、少しでも好い途(みち)を探す」
と言う選択肢を、名君や天才に全てを賭ける政体の他にも。
それがヤンの構想だった。

「それは大変じゃの」
もう1つの伝説は、そう老元帥が指摘した事である。
少し考察すれば理解出来る事だ。
あの皇帝ラインハルトが其の天才と、銀河統一の野望と、ローエングラム改革で充実活性化した国力を持って押し寄せて来る。
これに抵抗して例え1つの星系だけでも、自治と内部での帝国とは異なる政体を認めさせる
それよりは国家の滅亡に義理を立てて玉砕する方が、余ほど簡単だろう。
「じゃから年寄りには、楽をさせてもらうぞ」
そう言って老元帥は、用意していた辞令を突き付けた。
「退役元帥ヤン・ウェンリーを「イゼルローン要塞司令官・兼・要塞駐留艦隊司令官」に再任する」
これに対してヤンがどう答えたか、には様々(さまざま)な伝説が残る。
正し、こうした伝説を語る者の中で少なくない者が、ヤンを英雄扱いしている。
流石に「バーミリオン・キャンペーン」の1つの局面でもある「ランテマリオ星域会戦」に
宇宙艦隊司令長官としてビュコックが参加しているためだろう
ヤンの退役時の肩書と「リップシュタット」当時のラインハルトの肩書を混同する者までは少なかったが。
ユリアンが「メモリアル」でアイマイにしていたのは「給料」がどうとか、と言った問題発言だったから、と言う説も存在はしているが………。

……。

…繰り返すが、この会見が何時だった、と言う公式記録は存在しない。

ビュコックもヤンも帝国軍の目を誤魔化(ごまか)して事を運ばなければ成らなかったからでもある。
ルッツの預(あず)かる弁務官府と其の警備戦力も、シュタインメッツのウルヴァシー駐留艦隊も健在だった。
いや、同盟側の治安維持能力の惨状を名目に、独自の自衛体勢に入っている。
そしてヤンもビュコックも、ルッツやシュタインメッツを過小評価などしていなかった。
したがって彼らの出発の日は、公式記録には残されていない。

「バーラトの和約」の条文によれば、同盟軍は宇宙戦艦や母艦を保有しない建前に成っていた。
無論、条約に署名した瞬間に全ての戦艦や母艦が消失する筈も無い。
実際に実物の艦を処理するまでは、それなりの時間と手間を要した。
まして同盟と言う国家自体が弱体化している上、帝国側からの間接的にしろ制限下に置かれている現状では。
帝国軍としても、ある程度までは納得せざるを得なかった。
片や、同盟軍の宇宙艦艇は帝国軍の様に惑星上への離着能力を持っておらず、そうした艦艇や宇宙艦隊への後方支援の能力を持った拠点を
同盟軍は「バーミリオン・キャンペーン」当時で国内84ヶ所に設置していた。
結果として「処分待ち」名目の艦が、あちらこちらで帝国軍も何分の幾(いく)らかは黙認の下、こうした拠点に放置されていた。

そうした拠点のうち、惑星ハイネセンが在るバーラト星系に比較的近く位置していた拠点の1つから
ヒッソリと言うよりもコッソリと、とある時とある戦艦が出航して行った。
宇宙戦艦ヒューベリオン。その艦名のみならず艦型までも「奇蹟の魔術師」と結び付けられて、帝国軍にも好く知られている筈の艦。
知られているからこそ、ヤンの「退役」とともに優先的に処分される筈だった。
そのヒューベリオンが数十隻と言う、この時代の艦隊規模からすれば少数とすら言えない数のみ従えて
惑星ハイネセンとは逆の航路へと向かった。

戦艦ヒューベリオンの個性とも言える「円卓」には何時の間に手配したか、宇宙艦隊総参謀長が呼び集めていた面々が並んでいた。
その中の1人キャゼルヌ曰く「家出息子の集団」
記号としての自称は必要だからと言う理由で、間もなくヤンが選ぶ事に成る名称では「ヤン不正規隊」の面々である。
キャゼルヌ…フィッシャー…ムライ…パトリチェフ…アッテンボロー…シェーンコップそしてメルカッツにシュナイダー
ヤン夫人も副官席に居る。さらにはスーン・スールがビュコックからの使者の様に加わっていて
「円卓」以外の同乗者としても、シェーンコップの引率している「薔薇の騎士」やホプラン引率する空戦隊が同乗している。
そのポプラン空戦隊の中に、遠からずユリアン・ミンツと出会う少女が同乗している事まではヤンも知らない。
そのヤン自身は「これでユリアンが地球から戻って来ていたら」と、どうしても未練が残っていた。

「家出」と言う言い方は間違いでも無かった。
ヤンは老元帥から、今1つの文書を渡されていた。
「全責任は宇宙艦隊司令長官がとる。貴官の判断によって最善と信じる行動をとられたし」
ここまでなら、以前にも受け取っていたものと同様である。しかし今回は、書類に成っていて続きが在った。
「民主共和主義の理念のために最善と決断した行動に関係しても、自由惑星同盟政府に対する責任は司令長官がとる」
シビリアン・コントロールを建前とする国家の軍隊で、制服軍人から軍人への命令としては法的に微妙な感じもするが、形式は整っていた。
ムライなどは「形式も度がすぎる」とのツッコミを入れた時「パン屋の2代目」は「むろんジョーク」などとボケていたが………。

……。

…このヤンの行動は「戦争の天才」をしても違和感を持たせるものだった。

行動自体がコソコソと帝国軍ばかりか、一般の同盟軍の目からすら隠れようとでもするかの様だった事もあるが
純粋に軍事的な戦略としてみても、支離滅裂としか評価出来ない。
名将ぞろいだからこそ帝国軍を困惑させていた。

解答らしきものを提示したのはヒルダである。
「バーミリオン」直後のヤン・ウェンリーが「一時」メルカッツらを潜伏させる際に依頼した「動くシャーウッドの森」
それがヤンとビュコックの同意する処では無いのか、と見なしたのだった。
「そうして後顧(こうこ)の憂(うれ)いを無くして置いて、心置きなく戦う積もりか。ならば」
ラインハルトは、いかにも彼らしい言葉を発した。
「挑戦を受けざるが非礼だ」

当然ながらラインハルトが、美意識だけで戦略を選択する筈も無い。
ラインハルトもヤンも極めて正統的な戦略家であり、今の帝国軍ならば戦略レベルでの正攻法こそ最も正統な戦略である事を知っていた。
そしてラインハルトは、その通りに実行しつつあった。
さらには前年の「バーミリオン・キャンペーン」に対する反省も、流石に在った。
ヤンに対する戦術レベルでの勝利と、敵首都を落とす戦略レベルでの戦争そのものの勝利とで本末転倒した結果
あと半歩でヤンに逆転勝利される処だったのだから。

したがって今回は、正面から首都星ハイネセンに迫り、今度こそ同盟と言う国家を名実ともに征服する事を優先する。
ヤンが暗躍しようが、その始末は「その」後からだ。
1つには、ヤンとともに「家出」した数が、余りにも少数過ぎた事にもよった。

当然ながら、少数過ぎること自体に情報操作をうたがいもしたが
「ヤン不正規隊」に限らず、同盟軍の残存兵数に関係しての正確な情報を入手しようとすればする程、支離滅裂な結果に成っていた。
同盟軍の軍政軍令が、本当に支離滅裂に成っていた結果でもあったが
「パン屋の2代目」は、その上に悪ノリもしていた。悪意を持って確信犯的に。
ラインハルトが戦略レベルで正攻法を選択した理由の1つは、こうした情報の支離滅裂にも在った。

老元帥と「パン屋の2代目」は、こうして支離滅裂に成っていた同盟軍の残存戦力を、支離滅裂に各自「ヤン不正規隊」を追う様に仕向けた。
帝国軍が圧倒しながら押し寄せる中で、結局は「ヤン不正規隊」に最大限の残存戦力を合流させられる方策だと、そう見定めていた。

……そうして支離滅裂に「ヤン不正規隊」を追う中には、フェザーン船籍の独立商船も居た。

皇帝ラインハルトがフェザーン大本営から宣言し黒色槍騎兵が先発した時「親不孝」号は、フェザーン回廊から同盟側へと入った直後だった。
その黒色槍騎兵が更に先行させた偵察隊から逃げ出して
帝国軍の進路から外(はず)れているだけでは無く、名も無く何も無い星系と星系の間の空間に逃げ込むと
さて、支離滅裂な情報の中から「ヤン不正規隊」の「家出」先を探さなければ成らなかった。
そしてユリアンは、ヤンの思考を追走する事で「帰宅」先を探そうとしていた。



[29468] 第43章『食後に一杯の紅茶』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/23 16:24
ファザーン大本営への移動に先行するミッターマイヤー艦隊に便乗して来たザルツ中将は、
早速「同盟側の灯台」星系まで足を延ばしてみたことが在った。
その星系には「バーラトの和約」時点で同盟側から返還された、イゼルローン要塞が移動させられていた。

地球時代の第1次大戦では敗戦国の艦隊が戦勝国の軍港に連行させられたものの、引渡しを拒否して全艦自沈を選択した、と言う史実も在った。
ヤン・ウェンリーと言う「不良軍人」には、むしろ無縁な精神だとは「反則」知識でも無ければ信じたくも無かっただろうが。
結局の処、相手はヤンである。こと戦術レベルと成ったら、どれほど悪辣な小細工をやってのけるか知れた相手では無かった。
当然に帝国側も、検査も調査もしないで受け取った筈も無かったが
調べるべき容積の大きさ、床や天井、壁の面積の広さを考えたら優先順位を付けざるを得なかった。
例えば極低周波爆弾(爆弾本体よりも例えば要塞の外側から内部に仕掛けられた爆弾を起爆する起爆装置に注目した呼び方)を
外部操作で起爆させられたら致命傷に成りかねない場所とかを、である。

そんな事情のイゼルローンに立ち寄ったザルツ中将だが、ヤンほどに自他とも認める様な機械音痴でも無いものの
コンピューター・システムの専門家でも無い。
しかし当然の様に、要塞を帝国軍が管理するようになってからはシステム管理の専門家が常駐する様に成っていた。
その専門家に半日つき合わさせてメイン・コンピューター・システムを走査してみた結果、以下の様な事が判明した。
要塞外部から「何らか」のキー・ワードを入力すると「雷神の鎚」が封印され、港湾システムが入港状態で固定される様に成っていた。
更に港湾施設から近いサブ・コンピューターに別な「何か」のキー・ワードを入力すると「雷神の鎚」の封印が解除される様にも成っていた。

今度は専門家以外にも要塞司令部から何人かの応援を集めて、キー・ワードそのものの解読が始められた。
直接には専門家に解除させるとしても、どんな語句が登録されているかを先に見破らなければ解除も出来なかったからだ。
先ずは、いかにも同盟側の軍人が思い付きそうなフレーズに始まって、それこそ思い付く限りの同盟語の文章が試された。
そのあげくに元凶(?)のザルツ中将が、冗談が半分以上かも知れない文章を提案してみた。
実の処「こんな時に不謹慎です」程度には気の立っていた者も居なくは無かったが。
結果は“その”フザケた文章が正解だった。思い付いたザルツ自身
「偶然は恐ろしい」とか「ヤンが思想的には不良軍人だ、と言う情報は信じ固いが本当だったらしい」とか驚愕して見せていた………。

……。

…惑星フェザーンに引き返した俺ことザルツ中将は、先ずはケスラー総監に超光速通信を入れた。

その上でフェザーンに到着した、ケスラーよりも更に上の上官へも報告を上げた。報告には付け加えて置く。
「相手はヤン・ウェンリーです。考え過ぎと言う事は在り得ません。発見した小細工が囮の可能性すら在り得ます」
異論は無かった。結果として帝国軍の同盟侵攻の際には、イゼルローンへの滞在時間は極小化される事と成った。

この報告は、本隊とともに到着した副総監への手土産でも在った。
何と言っても憲兵総監は(未だ名目上の)帝都である惑星オーディンから、防衛司令官として動けない。
その代理として派遣された副総監である。
『原作』ではモブキャラクターよりはマシな扱(あつか)いだが、ケスラーが憲兵組織を掌握(しょうあく)し改革する中で抜擢した人材だ。
その信任に耐える人物だけに、特命室長の言い分を聞く耳くらいは持っていた。
「御恐れ多くもカイザーは、すでに工部尚書を「公然の非公式」ながら首都建設長官として職務を遂行させておられます。
もはや帝都防衛司令官が護るべきは、惑星フェザーンで在るべきでしょう。
しかしながら、同時にフェザーンは「あの」黒狐を始めとした陰謀家たちの母星でも在ります。
その意味からも、憲兵総監としての任地もフェザーンとすべきです。
どうか副総監から、総監閣下に意見を上申して頂けないでしょうか」
これに対して「自分では頼りに成らないか?!」などと邪推する様な副総監を、抜擢も自分の代理として派遣もするケスラーではなかった。

副総監と特命室長からの意見上申を受けた憲兵総監は、とりあえず惑星フェザーンに派遣する憲兵の人手は増強する事にした。

……確かに憲兵の人手は、在って困る事など無い。

例えば、エルフリーデの件である。
『原作』と違って彼女の存在は憲兵隊の監視下で公然であり
変な事を皇帝に吹き込まれる心配を、双璧の相棒にさせる様な参謀長も居ない。
しかし彼女が、憲兵総監の指名した監視対象である事は変更されていない。
片や妊娠期間を280日間とすると、5月2日に出産した場合の妊娠初日は計算上7月26日に成る。
当然ながら、黒色槍騎兵を先発させた11月10日時点で妊娠が発覚していても可笑(おか)しくない。

そんな訳で、とある晩のザルツ先輩は、久し振りに士官学校の先輩の顔で双璧と酒を飲んだ。
あの愛妻家らしくも無い発言すらしそうな疾風を宥(なだ)めながら、いかにも先輩らしい忠告をしたりした。
「いっそ、この機会に結婚したら」などと言うザルツには、流石の疾風も驚愕した様だったが
「フラウ・ミッターマイヤーなら、どの様な意見をお持ちかな」などと突っ込まれて、本当に超光速通信を入れたりしていた。
こうして帝国元帥、統帥本部総長の婚約者としても警護対象に成って仕舞い
産婦人科医まで動員しての、事実上の軟禁状態に置かれていた。

……こうした事は、あくまで1つの例である。

特命室長ザルツ中将には、脳内だけの思惑が存在していた。
ザルツだけが持っている「知識」通りならば今回の遠征は
皇帝ラインハルトが武力で戦うという意味では“最後の戦い”に成る可能性が在る。
その場合、ローエングラム王朝に残る敵はテロリストのネットワークだけだ。
さらに言えば、やはりザルツの「知識」が正しい限り、テロとの戦いの戦場に成るのは惑星フェザーンと惑星ハイネセンだった。
そしてケスラー総監の指揮する憲兵隊と帝都防衛の陸戦隊こそ「この」戦いでの主力軍に成る筈なのである。
少なくとも「知識」通りならばヤン暗殺さえ妨害出来れば、そう成る可能性は高い。
そのためにも“最後の戦い”の準備を急ぎたいザルツだったのだ。
ケスラーには出来るだけ早くフェザーンに来て欲しい事も、ザルツには完全な本音だった………。

……。

…片や「目前」のヤン情報にも、ザルツは注意していた。

いったい何時、ヤンが惑星ハイネセンを「家出」したのか正確な情報は入手出来なかったが、支離滅裂なヤン出没の情報を何とか整理してみると
時間的距離に限れば、そろそろエル・ファシル星系に出現しても可笑しくない。
もっとも『原作』では7月25日に「家出」してエル・ファシル到着が12月9日である。
途中で事故が無ければ、ハイネセン~イゼルローンの時間的距離は1ヶ月程度、エル・ファシルはイゼルローン回廊の近くの筈だ。
この空白の時間にヤンが何をしていたか、と言えば11月10日の帝国軍進発を確認しての行動だった。結論だけを取り出せば。

そして有人惑星エル・ファシルを拠点としての準備に何日かけたにせよ、時間的距離ならば数日も無い筈のイゼルローン奪回が
「マル・アデッタ星域会戦」当日前後に成ったのも偶然では無い。
これもヤンが、フェザーン回廊方面からの帝国軍侵攻を完全に見切り、読み切った上で調節したタイミングだった。
老元帥の玉砕だけは、考えたくなかっただけで。
しかし、ラインハルトの進軍は完璧にウラを取ったのだ。

だが“今”のイゼルローン要塞は、フェザーン回廊の出口である「同盟側の灯台」星系に移動させられている。
『原作』の記述では6月7日にイゼルローン回廊の「旧」同盟側出口周辺から帰還を発表して、惑星フェザーン到着が7月1日とも在る。
エル・ファシル星系から「同盟側の灯台」星系までの時間的距離は50歩100歩だろうし
「ヤン不正規隊」の数が、規模情報としても支離滅裂にせよラインハルトの大艦隊よりは小規模だろうが、それほど大きな時間差も出ないだろう。
とすれば、そろそろエル・ファシルを拠点にして準備しなければ「マル・アデッタ」に間に合わなく成りそうだった?………。

……。

…そんな事をザルツだけが心配(?)していた12月初頭

ついに「ヤン不正規隊」がエル・ファシル星系へと出現し、自治政府から大歓迎を受けた。
そして其のままヤンは、エル・ファシルに居座って仕舞ったのである。
少なくとも、ヤン本人はエル・ファシル自治政府と接触し続けており
この星系にも人口や産業の規模相応に存在していたマスコミが書き立てるに任せていた。
無論それだけなら、少なくともザルツは気が付いただろう。
『原作』でもヤンはイゼルローン奪還の実戦指揮をメルカッツに任せ、ヤン個人の代理人としても息子のユリアンを同行させていたのだから。

だがヤンは「辺境回廊」を迂回してヴァンフリート4=2の基地に到着したファーレンハイト艦隊に
『原作』でイゼルローンに駐留していたルッツ艦隊に仕掛けた様なイタズラを仕掛け始めていた。
なまじ「知識」を持っているだけに、ザルツは困惑した。

視点:アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

「リップシュタット連合」側だった俺には、ザルツ中将とやらの面識は其れほど深くない。
それに「辺境回廊」側に迂回する俺は、フェザーン回廊側からの先発隊と殆(ほとんど)前後して出立しなければ成らなかった。

そんな準備を急いでいた俺に面会を求めて来たザルツは
「ヤン・ウェンリー辺りが仕掛けそうな小細工について、自分なりにシミュレーションしてみました。
出来れば「辺境回廊」を抜ける前にでも、ご時間の在る時に御覧ください」
とか言って記録メディアを押し付けて行った。
もっともザルツのシミュレーションが時々、双璧ですら驚かせるものらしいことは聞いていた。
それに、戦術なら兎も角(ともかく)こうした情報策謀と言った辺りなら、むしろ憲兵本部が専門だろう。

視点:ジークフリード・キルヒアイス

ヴァンフリート4=2のファーレンハイト提督から、長文の超光速通信が届いた。

先日来、恐れ多くもカイザーの御命令をよそおった、以下の各通信を受領した。
その1「直ちに同盟首都ハイネセンへ向かえ」
その2「ヤンのワナに気をつけろ。動くなかれ」
その3「先の命令に関係する。基地内の不正を調査せよ」
その4「なぜ動かぬか。ハイネセンへ向かえ」
その5「(何も無かった様に)出撃を命令」
その6「(重ねて)出撃を命令」
その7「予の命令を無視して出撃せぬとあらば……罪状はかならずただすであろう」
まことに恐れ多いが、これらの通信の内、どれが真の御命令か御教え願いたい。
ご足労ながら、画面にて確認出来る相手との直接通話で御願いしたい。

私は軍務尚書として、直ちに提督に超光速通信を入れた。
その5と6だけが本物のラインハルト様の命令だと伝えると、画面の中で提督は絶句していた。
この時、私を含めたラインハルト様の主力軍は「マル・アデッタ星域会戦」の直前であり、
結果として数日以上をヴァンフリート4=2で足止めされていたファーレンハイト艦隊は、急行軍するしか無くなっていた。
近くの筈のエル・ファシルにも、この時は何をたくらんでいたか分からなかったヤン・ウェンリーにも注意を向ける余裕は
私たち本軍もファーレンハイト提督も無くしていた。



[29468] 第44章『不正規隊の帰宅』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/23 23:42
後年。と言っても何年も後では無く、赤子が幼児に成る程度の後年。

憲兵本部特命室長ハンス・ゲオルグ・ザルツ中将が憲兵総監ケスラー元帥から割り振られた仕事の1つが
帝都フェザーンに駐留する高等弁務官を「不」定期に訪問する事だった………。

……。

…その結果ザルツ視点では、あらためて確認出来た。この時「ヤン不正規隊」で何が起きていたかを。

『原作』には6月7日にイゼルローン回廊の「旧」同盟側出口周辺から帰還を発表して、惑星フェザーン到着が7月1日とも記述されている。
エル・ファシル星系からの時間的距離は50歩100歩だろうし、これは大艦隊の記述だ。単独航行する独立商船は、もっと早い筈だった。
したがって、11月10日時点でフェザーン回廊から同盟側へ入っていた「親不孝」号は、計算上12月が来る前に到着可能だろう。

そしてヤンの思考を追走してみたユリアンは、11月10日の帝国軍侵攻を確認した以上、ヤンがエル・ファシルを目指すと結論した。
こうして「親不孝」号は「ヤン不正規隊」と数日の時間差で、エル・ファシルに到着することに成る。

……そのユリアンの「帰宅」を、ヤンは当たり前の様に迎えた。

そして以前の様にユリアンと対話しながら、発動しかけていた作戦の整理と確認をした。

実の処、すでに作戦は始まっている。
何ともヤンは、当然ながら文民政府の承諾は得た上だったが「ヤン不正規隊」の実数を偽装していた。
現状、ヤンと共に有人惑星エル・ファシルのマスコミの前に出現しているのは
戦艦ヒューベリオン以下、惑星ハイネセンを「家出」した時点での最初の「不正規隊」だけだ。
その後、エル・ファシル星系まで其れなりに右往左往しながら移動してくる間に合流した艦隊は、
戦艦ユリシーズを旗艦とするメルカッツの指揮下「同盟側の灯台」星域方面へと行動を開始していた。

だが、作戦実行のタイミングは帝国軍の動きを見切り、読み切った瞬間だ。
したがってエル・ファシルからヤンの急使が追い付ける様に、余裕を持ってメルカッツは行動している。
そして、帝国軍が探知出来ない空間に潜んでいた。
「だけど、こうした作戦は本来、こちらの希望する位置に後方支援の拠点を移動させる事の出来るハードウェアを持っていて成り立つものだよ」
そこに移動要塞イゼルローンの価値を、ヤンは認めていたのだが。
現状、キャゼルヌやフィッシャーには実務面での負担をかけているし、実際にはエル・ファシル星域から離れられる距離にも限界が在る。
それだけ「同盟側の灯台」星域への進発は早めなければ成らないし、帝国軍の動きに対する見切りや読み切りも深く考えなければ成らない。
「それに其れだけ余計に「辺境回廊」から迂回して来る、帝国軍の別働隊の目も誤魔化(ごまか)さないと成らなくなるしね。
そこで、ちょっとした小細工をバクダッシュに試させる積もりだ」
こうした対話はヤンにとって作戦の確認でもあると同時に、ユリアンにとっては帰るべき処に帰った事の確認でもあった。

この後、ヤンはボリス・コーネフとも面談している。

その結果「親不孝」号はトンボ返りの様にメルカッツ艦隊までユリアンたちを送り届ける事に成る。

……この辺りまで聞いて、後日のザルツは想ったものだ。

ザルツが「前世」で生活していた社会での普通の会社ならば
役所や銀行へ届けてあるハンコなんぞは、社長と経理課長しか手に触れられない様に成っていて普通だろう。

そう言った何かを「管理」する場合のヤンたるや、公務では副官をしていたフレデリカの、私生活ではユリアン任せである。
当然に“それ”を直接に管理していたのはフレデリカだった………。

……。

…帝国軍の主力は集結しつつあった。

惑星ウルヴァシーやランテマリオ星系にも近い空間である。同盟軍との最後の戦いが近付いていた。

……その後方「同盟側の灯台」星系では、今日も遠征軍の後方支援に勤(いそ)しんでいた。

その最中、奇妙以前に意味不明な超光速通信が飛び込んで来た。
フザケた文章どころか意味のある単語にすら成っていない、数字と同盟語アルファベットの羅列(られつ)
そんな通信が複数受信された途端(とたん)に、想定外の事が起きた。

……敵へと明け渡す場合に奪還を期して仕掛けて置くキー・ワード、とか以前の話、重要施設ならば当然のセキュリティと言うものである。

要塞メイン・システムの最も深い部分へのアクセスには、要塞司令官の本人確認のみならず、最低でも複数の士官の承認を必要とした。
ヤンの部下ではあるが、直属上官である宇宙艦隊司令長官を通じてシビリアン代表である国防委員会が承認した6人中の4人が
高度に暗号化された承認暗号を入力する設定に成っていた。
その暗号は、あえて無意味にしてある数字とアルファベットの羅列であり、当然に本人が暗証して置く事すら不可能である。
確認者それぞれの責任で保管しているコンピューター・メモリーに記憶させて置く事に成っていた。

この時、ヤンから「不正規隊」を預(あず)かっていたメルカッツの旗艦ユリシーズには
ヤンからフレデリカの保管していたメモリーを預かったユリアンが同乗しており、必要にして十分な4人も「不正規隊」に同行していた。

……ザルツだけが知っていた『原作』で“この”手段が選択されなかったのは、簡単といえば簡単な理由からだった。

問題の6人中にフィッシャー、ムライ、パトリチェフの3人が居たからである。
余談ながら、残る3人はキャゼルヌ、シェーンコップ、アッテンボローだった。
フレデリカが入っていない理由は、委員会に取り次いだのがビュコックならば想像可能である………。

……。

…超光速通信で、5通りの文字と数字の羅列が受信された瞬間、帝国軍には想定外の事が起きた。

イゼルローン要塞の全機能は、戦艦ユリシーズの艦上からユリアン・ミンツが操作可能に成っていた。
直ちにユリアンは、最優先の操作を実行した。
要塞内の生命反応がある限りの全区画、正し病院ないしは何らかの医療機器が作動中の区画
要塞全体の環境浄化システムを兼ねているため、植物を枯らす事の出来ない森林公園などは
その内部から他の区画へ移動出来ないよう閉鎖した上で
閉鎖区画を除いた全区画の環境維持システムを、タンク・ベッドのシステムと同様に書き換えたのである。

数分後、イゼルローンの「冬眠」状態を確認した上で今度は、
要塞にエンジンを取り付けた技術者から預かって来た、自動航行システムを入力した。
移動要塞イゼルローンは、内部からは操作されないまま
戦艦ユリシーズの艦上からユリアン・ミンツに誘導されるままに、ワープして行った。
そこは「同盟側の灯台」星系からはエル・ファシル星系の方向へと数回のワープ程度の距離だけ離れた
しかし、その程度に離れれば帝国軍からは探知困難な何も無い空間
補給拠点の方から近付いてこなければ何時までも艦隊が待機もして居られない、無価値な筈の空間だった。

しかし数日以内に帝国軍の救助隊が、その何も無いはずの空間からの救難信号に呼び寄せられる事に成る。
そして未だ「冬眠」から目覚め切れない戦友を満載した救命艇を救助するのだが………。

……。

…単体の移動要塞は、艦隊フォーメーションを組んでのワープよりも速い。

その速度でイゼルローン要塞がエル・ファシル星系に移動して来ると、惑星エル・ファシルの衛星軌道に落ち着いた。
星系に到着してから衛星軌道に落ち着くまでには、惑星エル・ファシルの地表上で待機していたヤンたちもイゼルローンに「帰宅」していた。

この時のヤンの目的は「1つの星系でも好いから民主共和主義の自治政体を確保する」事であり、
懐(なつ)かしい「我が家」でもあるイゼルローンも感傷は別ながら、目的のために選ぶ手段に過ぎない。
とりあえず「その」1つの星系の候補をエル・ファシルとしたならば、有人惑星エル・ファシルの民間人を護る事が戦略レベルでの目標だった。
その戦略レベルでの目標を達成するための戦術として選択した。
イゼルローンを動かす事が出来るならばエル・ファシルを守る位置に動かす事で、戦略的目標に「難攻」と言う戦術的価値を一致させたのである。

……ザルツ特命室長は、前回のキー・ワード発見の時に警告していた。

「相手はヤン・ウェンリーです。考え過ぎと言う事は在り得ません。発見した小細工が囮の可能性すら在り得ます」
「これが責任逃れだったら、何処かの元議長みたいな保身術だな」
とは、酒の上の冗談ながら評論された。あくまでも冗句である。
結局、ザルツの責任は其の程度ものと認識されていた。
決定者である皇帝からして、ヤン・ウェンリーと騙(だま)し合いが出来る程の戦術家だとは評価していなかったのである。

その皇帝ラインハルトがイゼルローンに起こった事を知る事に成るのは
自由惑星同盟の旗を立てた敵に対してならば、最後の会戦を戦った後の事だった。



[29468] 第45章『民主主義に乾杯』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/25 21:11
「俺に対等の友人など居ない、と言うのか……」
そうヒルダとエミール・ゼッレには聞こえたが、1人称からしてもラインハルトが聞かせたかったのは彼女たちでは無いだろう。
その聞かせたかった「マイン・フロイント」は、ブリュンヒルトの妹艦に乗っていた。

「「民主主義に乾杯!」」
それがアレクサンドル・ビュコックとチュン・ウー・チェンの最後の言葉だった。
少なくとも「マル・アデッタ星域会戦」以後まで生き残った証言者の聞いた限りでは。
その最後の言葉に先立って老元帥が語った言葉が、皇帝を独語させていた。
ラインハルトが求めてきたもの、それは皇帝が好き臣下を求める事ばかりでは無かった。
その事が好き方向へと向かうよう、ヒルダは願わざるを得ない。帝国のためにもラインハルト個人のためにも。
すでにラインハルトは皇帝なのだから………。

……。

…惑星フェザーン。

同盟政府特使を名乗るオーデッツなる者は、特使そのものの任務に失敗した後も同盟側へと帰還しなかった。
そしてフェザーンに到着すると、帝国軍3長官の1人を誹謗中傷して回ろうとした。
ところが回り始めた処で、憲兵隊を引き連れた帝国軍中将に拘束されていた。

民主主義の理想を駆使した論法で不当を訴えるオーデッツの言い分が、ザルツ中将に聞こえない訳でも無い。
ザルツだって「前世」ならば、オーデッツと似た様な民主主義の教育も受けていたのだから。
だが、オーデッツの仕出かした事の“結果”を思い返してみたら“内国安全保障局”が無いからと言っても放置も出来ない。
そのため実の処、オーデッツがフェザーンに到着した時点からザルツは、憲兵に尾行させていたのである。
民主主義の国で育った「前世」を溜息とともに吐き出して、さて、ザルツは報告をしようとした。
こう成ると、惑星フェザーンの留守防衛を拝命していた大将も、ザルツ情報の有益さを認識せざるを得ない。

だが、皇帝の処まで報告が上がる事は「マル・アデッタ」の後まで先送りに成っていた。
その間に「同盟側の灯台」星系から、イゼルローンがワープしていた。

イゼルローンとの通信途絶に気が付いたザルツは直ぐに
フェザーン回廊周辺に残されていた哨戒艦隊を集めて、捜索部隊を編成する事を提案した。
それでも実際に出来た事は、救難信号をたどって救命艇を救助する事だったが。
そして「冬眠」させられていた戦友たちの目覚めを見守る格好に成った。
細かい事を言えば、要塞司令官だった中将が目覚めるなり自決しようとしたため
「卿を罰する権限は、恐れ多くもカイザー御1人に御座います。自分で勝手に自分を罰する事は、その権限を侵(おか)し奉(たてまつ)ります」
などと言う論法で押さえ付けたりした。
押さえ付けたりしながら自分の提出した報告書には「発見した小細工が囮の可能性」とか言った文言を入れていた事に
極(きわ)めて保身的な安堵(あんど)をしたりしていた………。

……。

…皇帝への報告が会戦の終了直後になったのは、ヤンの戦略による必然性からである。

皇帝ラインハルトは「マル・アデッタ星域会戦」の祝杯を床に投げ付けると
私室で「マイン・フロイント」から宥(なだ)められて冷静さを取り戻し
そして取り戻した後では、イゼルローンの件では誰も罰しなかった。

現状での皇帝には、自由惑星同盟と呼ばれて来た国家の命運を終わらせる事が最優先事項だったのだ………。

……。

…イゼルローン要塞がエル・ファシル星系に到着する以前に「マル・アデッタ星域会戦」の情報は惑星エル・ファシルにも届いた。

したがってイゼルローンに「帰宅」した時のヤンは、喪章を制服に付けていた。
だが老元帥への喪章を付けながらも、ヤンは未来のために戦略をめぐらせなければ成らない。
同時に、星系政府のシビリアン代表であるDr.ロムスキーと協議して、ヤンの戦略と構想に同意してもらわなければ成らなかった。
軍人は「第2人者」を越えては成らない。民主国家の「第1人者」はシビリアンで無ければ成らない。
それがヤンの信念(?)だったのだから。

……流石に理想主義者のDr.ロムスキーも「マル・アデッタ星域会戦」の後では、ヤンの言い分が耳に入ってくる様に成ったらしい。

まさか同盟側の全隻がマル・アデッタ星域で撃沈されたか、エル・ファシル星系までの航行能力も残らない程の重傷を受けた筈も無い。
よたよたとエル・ファシルやイゼルローンまで辿(たど)り着く損傷艦が、ポツリポツリと到着したり「ヤン不正規隊」に救助されたりするのを見ていて
理解も出来ないほど物分りが悪かったら、医師としても患者が不安だろう。

そうしてヤンとDr.が協議している間にも、同盟と言う国家には「その時」が迫りつつあった。

実の処ヤンは、ユリアンやフレデリカには自分の不安をうち明けていた。
国家の滅亡を目前にして、自分だけの保身から過激な行動に出る者も、居るのでは無いのかと。
本来は歴史家であるヤンは、いくらでも史実を知っていた。もっとも、こうも付け加えていた。
「実行したならば、彼らは自分自身の処刑命令書にサインしたことになる。皇帝ラインハルトは彼らの醜行を決して赦さないだろうよ」
それ以上の事は、“ここ”エル・ファシル星系で話しても有益では無かった………。

……。

…皇帝ラインハルトは、同盟首都へと迫り続けている。

「マル・アデッタ星域会戦」の直後、ひとまず帝国軍は惑星ウルヴァシーまで引いた。
勝ったとは言え、これだけの会戦の後始末のためには、それなりの後方支援を受けられる拠点まで戻る必要は在った。
先行していてマル・アデッタ星域に出撃する同盟軍とは行き違いの形に成り、急遽(きゅうきょ)反転して来た黒色槍騎兵と
「辺境回廊」から急行軍して来て、同盟首都の手前で反転して来る黒色槍騎兵に出会い、ともに反転して来たファーレンハイト艦隊との
会戦開始の後から戦場に到着する結果に成った両艦隊を加えていた。

それら全軍の再進軍を準備しつつ、皇帝ラインハルトはウルヴァシーで今いちど再考してみた。
無論、準備でき次第、同盟首都へと進撃すると言う戦略自体に今更の変更など無い。
だがヤンが妻子に語った様な助言は、ヒルダにも出来た。

……ここでザルツだけが知っているラインハルトの変化である。

オーベルシュタインは存在せずキルヒアイスが存在していて、ヒルダや姉との心理的距離も異なる。
強い感性を持つ「天才少年」だからこそラインハルトの内面に影響していた。
その“変化していた” 「天才少年」は、ヒルダとキルヒアイスとの3者面談の上
惑星ウルヴァシーを再進発すると同時に、同盟首都へと降伏勧告を送っていた。
同時に、裏切り者を保護する法はローエングラム王朝には存在しない、とも通告していた。

……同盟首都は包囲下に在り続けているとも言える。

「バーラトの和約」によって同盟に駐留していた弁務官府の警護部隊も、ウルヴァシー駐留艦隊も健在であり
ルッツ高等弁務官もシュタインメッツ駐留艦隊司令官も自衛体制を維持しながら同盟首都と直面し続けていた。
その積もりに成れば、独力で首都を落とす事が不可能でも無かったろうが
弓を張り矢をセットしたボーガンの狙いをつけたまま、引き金を引かずに待機し続ける様に、皇帝を待ち続けていた。
そして、皇帝の発した降伏勧告が粛々(しゅくしゅく)として実現される事を、個人的な武勲よりは優先していた。

……ルッツの義理の弟が誰か小賢しい補佐官と入れ替わっていた、とはザルツだけが知っていた。

その日、黙々として執務を続けていた自由惑星同盟の国家元首の執務室に、来るべき人物が訪問した。
ふと書類から上げた視線が認知した相手。黄金の髪と黒と銀の軍服の征服者だった。
この時、秘書官すら居なかった室内には、ジョアン・レベロとは旧来の友人だったホアン・ルイだけが友を見捨てること無く
応接セットに腰を下ろしていたと伝えられる。
片や皇帝の側も、友人でもある軍務尚書と幕僚総監そして室内が狭くならない程度の親衛隊員をともなっていた。

皇帝と国家元首の間では、互いに交す言葉も無かった、とも伝えられている。
多くが語られないまま、この執務室を最後に使用した人物は、友の貸す肩を借りて立ち去って行った。

皇帝ラインハルト1世が、後世「冬バラ園の勅令」の名で残る布告を発するまで、後11日。



[29468] 第46章『閑話らしきもの(その6)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/26 23:11
視点:アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

「辺境回廊」を迂回してヴァンフリート4=2基地に到着した当日、早くもカイザーからの御命令が着信した。

「直ちに同盟首都ハイネセンへ向かえ」

当然の作戦だとは想った。
とは言えフェザーン回廊から先ず帝国本土側へと迂回した後、距離的には遠回りに成る「辺境回廊」を抜けて来たのだ。
どうしても、このヴァンフリート4=2基地から受ける後方支援のため、数日間を消費する必要が在った。
当然ながら、カイザーほどの戦略家が御存知ない筈も無い。
ところが、その数日間の間に別な御命令が届いた。前の御命令とは、まったく整合性が無かった。

「ヤンのワナに気をつけろ。動くなかれ」

当然ながら、矛盾する両方の命令が両方とも本物の訳が無い。
どちらが本物か迷っている処へ、3つ目の通信が来た。

「先の命令に関係する。基地内の不正を調査せよ」

念のためにも調べざるを得ない。
そして、確かにフェザーン商人との微妙な取引をしていた不心得者も居た。
それにしても「神々の黄昏」時点で本国を占領されていながら、商魂たくましい事だ。
いや占領されているからこそ、尚更たくましくなっているのか。
どちらにせよ、カイザーも気が御付きに成る事だ。どうやら最初の命令はニセモノだったらしい。
そこへ、またもニセ命令らしきものが来た。

「なぜ動かぬか。ハイネセンへ向かえ」

バレているとも知らずに、ヤンも未練がましい。
それとも、流石に妙だとでも想ったか、ニセ(?)命令を変えて来た。

「(何も無かった様に)出撃を命令」

いままでの4回の通信が無かったフリをしている。
しかも今度は「この」手で繰り返して来た。

「(重ねて)出撃を命令」

これもニセモノだろうと想っていたら、次の通信で担当者が青く成った。

「予の命令を無視して出撃せぬとあらば……罪状はかならずただすであろう」

もしも出撃を命令していた方が本物だったら、あの御気性の激しいカイザーでは在り得る。
だが、これもヤンの手の込んだニセモノだったら?
いったい出撃命令と出撃を禁じている命令と、どちら(?)が本物なのだ。

ここで俺は、フェザーンを出立する準備中にザルツ中将から押し付けられた記録メディアを思い出した。
成程、カイザー御本人ならば、ご自分の発せられた御命令は御存知なのが当然だった。
俺は急いで、大本営宛に超光速通信を入れた。

まことに恐れ多いが、これらの通信の内、どれが真の御命令か御教え願いたい。
ご足労ながら、画面にて確認出来る相手との直接通話で御願いしたい。

果たしてカイザーからは、どの様な御返答が戻って来るだろう………。

……。

…画面に出て来たのは軍務尚書キルヒアイス元帥だった。今度こそ本物で間違いない。

「問い合わせの在った7つの通信ですが」
5番目と6番目だけが本物だ、と告げられた。
そんな?!ヤンはニセの出撃命令と出撃を禁ずるニセ命令を、両方とも自分で出していたのか?
だが、やっと気が付いた。
出撃を禁ずる命令が本物だったら、逆の出撃命令は「全て」ニセモノと言う常識そのものがヤンのワナだった。
これが出撃を禁ずるニセ命令だけだったら、カイザーが本当に出撃をご命令してきた時に、単純に比較してみるだけだったろう。
だが本物の御命令までが、互いに矛盾するニセ命令の中に紛(まぎ)れ込んで仕舞った。
結果的には、数日間以上をヴァンフリート4=2基地で空費させられていた。

こう成ったら「本物」の御命令を実行するためには、近くの筈のエル・ファシル星系も、そこで何をたくらんでいるか分からないヤンも無視して
同盟首都の方面へと急行軍するしか無くなっていた。

視点:ガルミッシュ要塞司令官

要塞内部が騒がしい。
このガルミッシュ要塞が5つの球体を連結した構造に成っていたのは、正に“こうした”事態のためだったのだが。
つまり球体の1つで反乱でも起こった場合でも、他の4つを確保し通路を隔離して置けば、最終的には鎮圧も可能だ。

しかし「今」のガルミッシュでは、5つの球体の何処で何時、兵士どもが騒ぎ出すか知れたものでは無い。
これでリッテンハイム侯爵が、ある程度以上の艦隊を送ってくだされば未だ当面の沈静化も可能だったろうが。
侯爵はガイエスブルクから動かず、戦艦1隻の増援も来なかった。
そして要塞の外側では、われわれを“賊軍”と呼ぶ敵が接近しつつある。
どうして、こう成った?何処で選択を間違えただろう。

いやリッテンハイム侯爵の派閥に入る選択をした時点で、ブラウンシュヴァイク公爵が勝利者と成る可能性を考えなかった訳でも無い。
その時は、公爵が勝利者と成った場合に軍部から失脚する覚悟ならば、していた積もりだった。
だが、今の要塞司令官としての自分に降伏勧告をしているのは
未だ数年前の以前、自分と直属上官の対談の場には立ち会う事も出来なかった
巡航艦の保安主任でしか無かった赤毛の若造だった。

例え時を逆行する事が叶(かな)い、ブラウンシュヴァイク公爵か、それともリッテンハイム侯爵かと迷っていた頃の自分に
グリューネワルト伯爵夫人を選択する様に忠告した処で、笑い飛ばされるだけだろう。
だが、目前の事態は悪夢では無かった。

ついに要塞司令官として決断し、遠征軍の旗艦に通信を接続させた。

「いかに挨拶すべきですかな?提督。お久し振りとも、それとも始めましてですかな」
直ぐには戸惑っている様だ。
「あの時も直接に対面したのは、提督の上官だったのですからな。それに提督は未だ、確か中尉だった頃の事です」
こう言えば、少しは心当たりでも在るだろうか。
「あの時にには自分はすで(既)に少将。それも統帥本部で相応の職に在った。
その自分が今だ、中将に留まっている間に上級大将。そして別働軍ながら総指揮官とは。
引き立ててくれる主君の選択を間違えましたな。あの時は、リッテンハイム侯爵が正解と想っていましたのに」

やっと相手は、自分に降伏しようとしている敵将が誰であるかを思い出したらしい。
「お久し振りです。アーベントロート中将」

視点:オスカー・フォン・ロイエンタール

キルヒアイス提督は他人の噂(うわさ)話を面白おかしくする性質では無いし、ローエングラム元帥閣下以外には付き合いが好いとも言い切れない。
だがアーベントロート少将(当時)と、巡航艦艦長時代の元帥閣下との間に起こった事の当事者でもあるワーレンが
ガルミッシュの時にも立ち会っていた。
そのワーレンから話を聞いた時、俺の隣に居たミッターマイヤーは妙に考える処が在った様子に見えた。
ふと、からかい半分に問い質(ただ)して見たくなる様な態度だった。

わが友の返答は、こうである。
「当然ながら、俺たちには其の場限りの事でも、相手には相手の後日談があるものだな。そんな風に考えてみた」
「相手が死んでいない限りはな。まあ、こんな時代ではあるがな」

その時は、それだけの話で終わった。それから随分(ずいぶん)と時が過ぎてから、俺は本当に思い付きから確認してみた。
何時だったか、俺たち2人と女の事から殴り合いをした3人の事である。
後始末として、大尉から中尉に成った俺とミッターマイヤー中尉は最前線のイゼルローンへと回された。
相手の3人の方も公平に処分された筈だった。
その後の俺たちは武勲を立てて、あの程度の失点は取り戻した筈だったが
あの時の失態までは、それなりに将来を見込まれていたらしい3人は、どう成っていたのか。

これでも俺やミッターマイヤーは、士官学校の同期では出世頭だ。
いや俺たちや、あれでもビッテンフェルトとかが飛び抜けて早いだけで
それぞれ何千人と居た俺たちの同期の中なら、中佐や大佐でも出世している側から数えた方が早かった。
どうやら例の3人も、その辺りで別に不公平も無く収まっていた。
まあ、ヤン・ウェンリーとかに殺されていなければ、そんな処だったろう。

そして、そもそもの原因だった例の女だ。
結局は父親が見込んでいた、当時少佐の相手と結婚していた。
ただ大佐から准将に成る辺りで、上が支(つか)えているらしいが、それほど不幸そうにも見えなかった。

視点:ジークフリード・キルヒアイス

ガルミッシュ要塞司令官との再開は、私に「あの」奪還作戦の事を思い出させた。当然に「あの」少女の事も。
しかし、その時は思い出す以上の事は何も出来なかった………。

……。

…ラインハルト様が「冬バラ園」に滞在されていた頃。

私も軍務尚書と言う権限を持って、同盟首都だった惑星ハイネセンに進駐していた。
その時の私の権限からすれば、あの時の亡命者の行方を捜す程度は簡単だっただろう。
私としては、含むことなど何も無い。
元々、ラインハルト様からして「あの」メルカッツ提督すら免罪されたのだ。
私は只、彼女が無事で居た事を確かめたかった。

マルガレータ・フォン・ヘルクスハイマーとベンドリングは、2人とも同盟市民として平穏に生きていた。
ただベンドリングは立場上も在ったのだろう、同盟軍に志願して「バーラトの和約」時に中佐で退役していた。

視点:ウォルフガング・ミッターマイヤー

俺だけが知っていた。ロイエンタールの女性問題の「真相」を。当たり前だが、俺はエヴァにだって「この」秘密を明かさなかった。
ロイエンタールには、自分から女性を誘惑した事は無い。本当は両親から、特に母親から与えられなかったものが欠けているだけなのだ。
それだけに俺は「それ」を与えてくれる女性と我が友が家庭を持ち、出来るだけ早く私生活的にも落ち着いてくれる事を願っていた。

だからと言って、リヒテンラーデ家門の女性が妊娠した事を機会に結婚をすすめるザルツ先輩には驚愕した。
しかし、エヴァの意見を求められて超光速通信を入れてみると、彼女は自分で当の女性と話したいと申し出た。

結局、エヴァと件の女性は、すっかり超光速通信を通じての御喋(おしゃべ)り友達になって仕舞い
ついには自分の子供ために考えていた名前をゆずりたい、とまで言い出した。
もっとも、ザルツ先輩から「この」事を聞かされた時には
俺もロイエンタールもヤン・ウェンリーとの戦いを目前にしていて、事後承諾するしか無かった。
こうして、フェリックス・フォン・ロイエンタールは命名された。



[29468] 第47章『冬バラ園の勅令』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/27 21:15
皇帝ラインハルト1世は、その華麗なる業績と散文的な私生活上との落差で後世の歴史家を驚かせているが
惑星ハイネセンでの滞在先を選んだ当時は美術館の冬バラ園を気に入って、花園に隣接するゲストハウスを宿舎に定めた。

その時、その冬バラ園から皇帝は宣言した。
自由惑星同盟と称して来た1つの国家が、歴史上の存在に成った事を正式に。

……早くも翌日。ラインハルトは提督たちを集めた。

最後に残る敵、ヤン・ウェンリーとの決戦の意志を示したのである。
これに対して上級大将クラスは兎も角(ともかく)3元帥と幕僚総監は、それぞれに再考を求めた。
特にヒルダなどは、率直に不利な情況を指摘した。
現状でのヤン・ウェンリーは極論すれば、1つの有人惑星エル・ファシルを防御すれば好い処まで、純軍事的な戦略を限定可能である。
片や、戦術レベルでの最善は「難攻」のイゼルローン要塞を墨守する事だが、
イゼルローンを移動可能とした事で、戦略的目的と戦術的手段を整合させて仕舞った。
この上で戦術レベルでの勝利を求める事は、皇帝ラインハルトの天才を持っても容易だろうか?

疑問形に留めたのは主君への礼儀に過ぎない。それだけ率直に主君をいさめていた。
居並ぶ提督の中には、発言者がヒルダで無かったら怒声を発しそうな誰かが居なかった、とも限らなかった。

皇帝は主君の不快を恐れない幕僚総監をほめたものの、親征の意志を完全には撤回しなかった。

……さらに其の翌日。皇帝の総旗艦に同乗して来た憲兵副総監は、早くも行動を開始していた。

元々、当時の同盟首都で起こった騒乱が切欠での遠征である。
「冬バラ園の勅令」によって法的にも帝国の憲兵が、惑星ハイネセンでも警察力を行使出来る様に成った今
騒乱を起こした2つの反帝国団体、地球教団と憂国騎士団を見逃す理由は存在しなかった。
さほど日数も置かず、ケスラー総監に抜擢されただけの優秀さと勤勉さを副総監は実績で示したが
数日後には「放火犯人」を探す事に苦労する羽目に落ち入った。

もっとも無実の罪人をつくる事を気質として好まない皇帝の友人からの忠言を皇帝が受けた事も助長して
失火と言う「真実と事実」が、誤魔化(ごまか)すこと無く公表された。
その結果、征服された側の人心が動揺する事を憲兵副総監などは心配していたが
帝国軍の双璧が陣頭指揮をとって沈静化して仕舞った。
「成程。あの御2人が帝国元帥で、自分は未だ大将だった訳だ」
副総監は、そう自分を納得させた………。

……。

…副総監が惑星ハイネセンで納得している頃、惑星フェザーンではザルツ中将が安堵(あんど)していた。

ザルツしか知らない「ロイエンタールの審問」などと言う事件は起こっていなかった。
もっともエルフリーデの件にしろ同盟特使の件にしろ、ザルツ当人が “フラグ”を折って来たのだが。
これで恐らくロイエンタールが統帥本部総長を外(はず)される、と言う展開は避けられる筈だ。
それにキルヒアイスが居る。
「マイン・フロイント」を差し置いて、ロイエンタールを“新領土総督”に据(す)える、と言う可能性は小さいだろう。
これで双璧が相撃つ内乱、と言う悲劇はフラグを折れただろうか?………。

……。

…惑星ハイネセンの仮説大本営に、皇帝ラインハルトは提督たちを集めた。

先ず皇帝は、大火の後始末を最小限の混乱で乗り切った双璧を賞した。
続いて宣言する。
「……予はヤン・ウェンリーを予の前にひざまずかせぬかぎり、オーディンはおろかフェザーンへも帰らぬ……」
事は決した。
後年の歴史家が「5月の戦い」と呼ぶ常勝と不敗の対決は、引き返し不能点を越えた。

……皇帝の決断の下、各提督たちの艦隊は出撃準備を整えていく。

惑星オーディンからの主力軍の進発には、黒色槍騎兵とファーレンハイト艦隊が先行を命令された。
キルヒアイスは軍務尚書として、この段階で口を出した。
ビッテンフェルトとファーレンハイトは同格の上級大将であり、その両者を上官の居ない戦場に送り出す事は統帥の原則に反する。
速やかに宇宙艦隊司令長官であるミッターマイヤー元帥を追走させるべきだった。
皇帝は軍務尚書の意見を好しとして、司令長官に進発を命令した。

もはやヒルダも、幕僚総監として実務を処理していた。
事実、先発した両艦隊だけが動いていた訳でも無い。

自由惑星同盟と言う国家を消失させた以上、同盟駐在の弁務官も任務を終了した。
「ルッツ。ご苦労だった。
この上は、今度こそルッツ艦隊の再編成を行え。
そのためにもフェザーン大本営まで戻るが好い。
もっとも予がヤンを倒し、宇宙からルッツ艦隊の相手を無くして仕舞うかも知れんが、予をうらむな。
また、帝国本土と新領土を連結するフェザーン回廊を確保する任務は決して軽視されるものでは無い。期待しているぞ」

さらに帝国本土、未だ名目上は帝都である惑星オーディンに待機する両艦隊のうち
ワーレン艦隊はフェザーン回廊から、メックリンガー艦隊は「辺境回廊」から皇帝ラインハルトの主力軍に呼応する事に成っていた。
そのうちワーレン艦隊はフェザーン回廊でルッツと擦(す)れ違う事に成るのだが。

そして惑星ウルヴァシーに駐留し続けて来たシュタインメッツ艦隊も、同地を発進してエル・ファシルへ向かうよう命令された。
シュタインメッツ艦隊が進発した後のウルヴァシーの空白、あるいは皇帝ラインハルトの本軍が惑星ハイネセンを進発した後の空白を
軍事力に限っても何者が埋めるのか。
それは新領土をいかに帝国の支配体制に組み込んで行くか、と言う事を含めた戦“後”体制にも繋(つな)がる問題だった。
したがってヤンを討ち、全ての戦いを終わらせた時に確定する事に成るだろう。
とりあえずの留守責任者は、皇帝直属艦隊から大将クラスをもって当てられた………。

……。

…そんな「戦後体制」の構築を希望しない者たちが居る。

惑星フェザーンの地下に、そんな者たちが潜み続けている事は「反則」知識なしでも、ある程度以上の想像力さえ持っていれば想像可能だ。
そのためザルツ特命室長に限らず、フェザーンで活動中の憲兵隊は潜伏者たちを追跡していた。
憲兵総監は(未だ名目上の)帝都オーディンを防衛司令官として動かず、副総監である大将は惑星ハイネセンである。
総監直属の中将と言う立場のザルツは其れなりの権限を仕える様に成っていたが、その権限と「知識」を持っても“黒狐”の悪知恵は手強かった。
エルフリーデや同盟特使の身辺に変なヤツらがウロウロしていた事は確認出来たものの、そこから黒狐の穴まで糸をたどる事は困難だった。

……ここでザルツの「反則」知識がチャンスをもたらした。

陰謀とか策略とは、戦場と言う究極的な暴力の場での戦術よりも「後出しジャンケン」効果が大きい場合も在り得た。
ザルツが眼を付けていたのは、ルッツとワーレンの再会である。
かつて「リップシュタット」の時、キルヒアイス別働軍の両翼を成した両将は、当然に再会を喜び合った。
そして「神々の黄昏」作戦以来、フェザーン代理総督に任命されていたボルテックの提案を受けて、互いの歓送迎会を開催する事にしたのだが。
実は、これがザルツの密かに待っていたチャンスだった………。

……。

…その日も「新帝都」建設予定地では、工部尚書・兼・首都建設長官は、彼らしく職務を遂行していた。

そこへ憲兵隊を引き連れた中将が、シルヴァーベルヒを迎えに来たのである。
憲兵中将は、新帝国の創業における工部省の任務を心得ていた。
帝国本土と新領土をフェザーン回廊を中心として連結する、そのインフラの建設によって支配すると言う任務を、である。
であればこそ新帝国の足元に落とし穴を掘ろうとするテロリスト、特に「神々の黄昏」作戦まではフェザーンを母星としていた旧権力者にとっては
シルヴァーベルヒはテロの標的にする価値を持っている高価値目標だったのだ。

そんな理屈をシルヴァーベルヒに論じて、ルッツとワーレンの歓送迎会まで送って行ったザルツ中将は
会の提案者である代理総督には渋い顔をさせながらも、会場の安全を確認した。
アヤしげな何かが発見されたのは、主客の1人であるワーレンの遅参で開会が遅れている頃合である。
「ルッツ上級大将」
中将は其の場に居た再上級者の判断を求める様に、発見したアヤしげな何かを指し示した。

自分の生命の遣り取りならば、さんざん戦場で遣って来たルッツである。
今更、そんなアヤしげな何かを恐れたりはしなかった。
戦場経験を持たず、しかもザルツ中将の主張する通りの高価値目標でもある工部尚書の避難に異論は無かったが………。

……。

…戦場へと進軍し続ける帝国軍の旗艦ブリュンヒルトに届いた報告は、以下の通りである。

死亡者…幸いにして無し。軽症者数名。工部尚書は翌日より職務に復帰。
正し、要入院者1名。コルネリアス・ルッツ上級大将だった。

ザルツにしてみれば、ルッツだけは入院してくれないと後で御節介(おせっかい)の必要も在るだろう、程度の話に過ぎなかった。
無論、他に死人など出さない事が絶対の最優先事項だったが。
その最優先事項つまりは死亡者無しで事件を乗り切る事には成功していた。
当然ながら、事件発生と同時に憲兵隊は犯人を捜索し始めている。
「案の定」有力な手がかりは出て来ない。
おそらくは「代理総督が黒幕だ」と、さぞ恩着せがましく密告して来るだろう。
“内国安全保障局”が存在していない以上、憲兵隊が密告の受付先に成る筈だった。

だが今回だけは「その」密告の事も、ザルツの脳内では先送りされていた。
今回だけは保身でも出世のためでも無く惑星フェザーンから自由に動ける様に成るために
テロを被害極小で乗り切ったと言う功績が必要だった。
爆弾事件の直前に、比較すれば小さい様にしか見えない筈の別な情報も確認出来ていた。
惑星ハイネセンで特殊な患者を対象とする病院から、とある患者が行方不明に成っていた。
その行方不明者が、爆弾テロ以上に銀河の歴史を大きく逆行させる陰謀に操縦されている事を、ザルツだけは知っていた。



[29468] 第48章『風は辺境へと』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/28 22:13
「旧」同盟首都ハイネセンから「元」イゼルローン回廊こと「辺境回廊」までの時間的距離は、フェザーン回廊よりも遠い。
まして帝国軍は、なまじ大軍のために全艦隊が同時に進発する事が実際問題として困難だった。
先ずは先発の黒色槍騎兵とフェーレンハイト艦隊に続いてミッターマイヤー艦隊が進発した。
そして順次、各艦隊が進発して行く。その順序は、ほぼ前年「マル・アデッタ」へと進軍した順番に習っていた。
そして皇帝ラインハルトの本軍も、惑星ハイネセンを後にした。

その頃、帝国本土からも「辺境回廊」を通過してメックリンガー艦隊が侵攻していた。
だが、何事も無くヴァンフリート4=2を経由して皇帝本軍に合流する。
極論すればヤンの戦略的目標が、有人惑星エル・ファシルを防衛する事にまで単純化されていて
その戦術的手段としてイゼルローン要塞が惑星エル・ファシルの衛星軌道に移動させられている以上
もはやイゼルローン回廊ですら無い「辺境回廊」は、ヤンの戦略からも価値を失っていた。
イゼルローン回廊の中で前後から挟撃される危険さえなければ、元々大差のある敵兵数が1個艦隊増えるだけだったのだ。

戦略家としてのラインハルトに、空振りに類する感覚が無い事も無い。
2つの回廊と「旧」同盟と帝国2つの首都星、その間をめぐる史上最長の遠征路に沿って大艦隊を行動させながら、
結局は、たった1つの星域に全軍を集結させての戦術的行動に単純化されて仕舞う。
だがラインハルトは、その単純化が自分とヤンと言う当代の戦略家同士の駆け引きの結果である事には別の側面で快を覚え
その次の戦術的課題を彼らしく期待もしていた………。

……。

…そのエル・ファシル星域への途上にある皇帝の旗艦に、超光速通信が届けられた。

特命室長ザルツ中将は、先ず直属上官である惑星オーディンの憲兵総監に通信を入れて了解を得てから、総旗艦ブリュンヒルトに通信した。

先ず皇帝は、爆弾テロの被害を極小に止めたザルツを賞してから、新たなる報告を聞いた。
「テロリストたちはヤン・ウェンリーの暗殺をも目論でいる可能性が御座います」
「ほう?予の最大の敵手を」
「彼らの狙いはローエングラム王朝の建設する新秩序を妨害する事であり、ヤンの味方などでは在りません。
そしてヤンの目的が、皇帝陛下に対します条件闘争である事を恐れています。
ヤンが只、陛下と戦う事や民主共和政に殉教する事を目的としているのならば「マル・アデッタ」で出撃して来たでしょう。
しかし老元帥を死なせてまでも尚、エル・ファシルを拠点に抵抗し続けている以上
民主共和主義を生き延びさせる事がヤンの目的では無いでしょうか?
そしてヤンが生き延びて、恐れ多くも陛下との何らかの合意に到達した場合
宇宙に残る陛下の御敵が自分たちだけに成る事をテロリストどもは恐れているのでは。
それに対して、陛下との談判を前に例えヤンが暗殺されたとしても、今更ヤンの部下たちが抵抗を捨てる事も出来ますまい。
武力をもって帝国に抵抗する勢力は残る事に成ります。
それが彼らの、暗い思惑なのでは無いでしょうか?」

ザルツの報告を聞いたラインハルトは、流石に自分の考えを確認しようとするそぶりを見せた。
同時に反問して見せる。
「この通信をテロリストどもに聞かれる危険を、卿は考えなかったか?」
「聞いてヤンの暗殺をためらった場合、恐れ多くも皇帝陛下の不利益には成らないと愚考いたしました」
「その様だな」ラインハルトは、いかにも彼らしい笑い方をした。

その笑い顔が消える前に、ザルツが申し出ていた。
「出来得る事ならば、フェザーンを離れてエル・ファシルへと赴(おもむ)きたいと存じます」
「卿が?」
「皇帝陛下の大艦隊よりも駆逐艦の1隻程度ならば身軽でもあり
惑星ハイネセンよりも惑星フェザーンの方がエル・ファシル星域に近いのです。
小官の愚考いたす限りならば、何とか間に合うでしょう」
ラインハルトは「よきにはからえ」的な態度を示した。

……この頃すでに、帝国軍の先発隊はエル・ファシル星域に接近しつつある。

黒色槍騎兵とファーレンハイト艦隊の2個艦隊だが、続いてミッターマイヤー艦隊が到着した。
そのミッターマイヤー到着から数日前に、ビッテンフェルト名義の降伏勧告がイゼルローンに送られたが
これに対してヤン曰く「これが上品で穏当だというわけかい」な返答が通信され、続いてメルカッツの名を「悪用」したワナが仕掛けられた。
しかし、これらの通信に前後して直属上官でもある司令長官が到着したため、戦意満々の黒色槍騎兵も命令されるまま
エル・ファシル星域の外周まで下がって皇帝本軍を待たなければ成らなかった。
ヤン最初の各個撃破策は、結果として空振りに終わった。

司令長官からの報告に皇帝は、ライオンの大笑で受けた………。

……。

…新帝国暦2年4月末

エル・ファシル星域には帝国軍の各艦隊がミッターマイヤー艦隊の後からも順次到着し
惑星ウルヴァシーから進発して来たシュタインメッツ艦隊そして「辺境回廊」を抜けて来たメックリンガー艦隊も合流した。
これら各艦隊の後から艦列を固めるロイエンタール艦隊に続いて皇帝本軍も到着し、陣容は揃(そろ)った。

だが、その大軍と天才ラインハルト以下の名将たちをもってしても持て余していた。
移動要塞イゼルローンが有人惑星エル・ファシルの衛星に成っている。
1つだけの有人惑星の民間人を護ると言う戦略レベルでの課題と「難攻」の要塞の持つ戦術レベルでの能力が、単純化すらされて合致していた。
ここまで戦略も戦術も単純化されて仕舞うと、例え天才と名将たちが大軍をもって押し寄せても
それだけで直ちに解決する問題でも無くなって来る。

そして膠着(こうちゃく)状態がヤンに不利な訳でも無い。

この時の帝国軍に正確な実数までが入手出来ている筈も無いが、同盟瓦解(がかい)後の残存戦力でしか無い「ヤン不正規隊」を養うには
有人惑星1つの生産力とイゼルローン要塞の後方支援能力で、少なくとも当面は足りるだろう。
片や帝国軍は、大軍だけに後方支援への負担は大きい。
その行動線は長大であり、後方支援の拠点は直近でヴァンフリート4=2
もっとも充実した後方支援能力を提供出来る拠点は遠くフェザーンである。

無論ラインハルトほどの戦略家が、短期間で撤収する準備しかして来ないほど無能な筈も無いが
この負担の軽重にヤンが付け込まない、と楽観するほど愚(おろ)かでも無い。
そしてザルツの警告した暗殺者たちが恐れる様に、ヤンの目的がラインハルトの打倒では無く妥協であるならば
膠着したまま戦わずして談判に成功すれば、完全にヤンの狙い通りだろう。
だが、それでは戦略家としてのラインハルト以前に、彼の中の黄金獅子が許さなかった………。

……。

…新帝国暦2年5月上旬

特命室長ザルツ中将の徴用した駆逐艦が惑星フェザーンから急行していた時
すでにエル・ファシル星域では帝国軍と「ヤン不正規隊」との何度かの駆け引きと、少なくとも1回の小競り合いが交されていた。

だが未だ艦隊決戦レベルの全面衝突は起こっていない。
後年、ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」の語る処に曰く
「私が根性悪く穴にひそんでいるものだから、カイザーといえども戦場をほしいままに設定するわけにはいかないのさ」だった。

……ザルツが徴用した駆逐艦の艦名をエルムラントⅡと言った。

当時のミューゼル少佐が艦長を、キルヒアイス中尉が副長をつとめた艦であり
後の皇帝ラインハルトが初めて、小なりとも独立した戦闘単位を指揮した艦だった。
ローエングラム王朝の下では記念艦と成っても好い艦歴だが、当時の帝国軍は軍拡の極に在るとも言える。
宇宙艦隊の「働き者」である駆逐艦を、性能上からも耐用年数の上からも実戦に耐えられる間に現役から外(はず)す余裕は少なく
そもそも当の皇帝が好むまい。
しかし、そうした経歴を持つ艦である事を全く無視も出来なかった。
例えば皇帝や其の友人の後任と言う事に成る艦長や副長の人事とか、艦体や機関の整備とかに、どうしても意が働いていた。

そうした意が働いた結果だろう。
4月22日にフェザーンを出発したザルツは、5月5日にはエル・ファシル星域まで到達出来た。
当然ながら、こんな艦を憲兵本部での職域もアヤしい中将ごときが徴発出来たのも
用件が「皇帝陛下に直接お目にかかりに行く」と言うものだったからだった。
そして、こうした用件だと触れ回った事は、艦長以下のモチベーションにも無関係では無かっただろう。
元々、こう言う経歴の艦を預(あず)かっている事を平素から意識せざるを得ない艦長以下だった。

……こうしてエル・ファシルに到着したザルツだったが、主君の方はザルツどころでは無かった。

「根性悪く穴にひそんでいる」好敵手と、決戦をしたがっていたのだ。



[29468] 第49章『5月の戦い』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/29 18:34
到着直後のザルツ中将が目撃した軍務尚書は、かつて「神々の黄昏」作戦で副将をつとめた両提督を気にしていた。
ザルツの「知識」でも敵がヤンだったと言った戦術的偶然の前に、自分の内面に“死亡フラグ”を立てていなかった、とも言えない両者である。
キルヒアイスの性質とラインハルトへの忠誠心では
そして自分が両提督を指揮した「神々の黄昏」作戦でのイゼルローン方面戦闘から以来、両提督の不平か不満が続いていると考えたら
気にするな、と言うのも難しいだろう………。

……。

…そのケンプとレンネンカンプはザルツの到着以前に、ヤン・ウェンリーを要塞から引きずり出す方策を、それぞれに上申していた。

ケンプが提案したのは元撃墜王らしく、同時に邪道よりは正統に近いだろう作戦だった。
現状、帝国軍の大艦隊がイゼルローンの周辺を取り囲み、双方が技術的に可能な限りの妨害手段を実施しているため
艦隊なら兎も角(ともかく)ワルキューレ戦闘艇などの接近を探知する事は困難である。
そこで、ワルキューレと装甲敵弾兵に援護させた工作隊を送り込んで要塞表面に張り付かせる。
好運にして要塞内部に突入出来れば好し。さも無くとも要塞表面の限られた部分なりとも帝国軍に張り付かれれば
「雷神の鎚」に限らず砲台によって艦隊の接近を防ぐ事の出来ない死角が必ず生じる。
そうなれば、こちらの艦隊の接近には艦隊で対抗するしか無い。艦隊決戦の好機が生まれる。

……ケンプは知らなくて幸いだったかも知れない。ヤン・ウェンリーは自分の不得手な事を他人に任せる名人だった。

ケンプの提案で送り込まれた工作隊と援護部隊に対しても、自分自身で「奇蹟の魔術師」を披露する事も無く
シェーンコップとポプランに任せて追い払っていた。

そのポプランは、自身は堂々の単機戦闘で撃墜王と成りながら
「教え子」たちには3機編隊を基本とする集団戦闘を叩き込んだ。
例えば今回が初陣と成る、とある若い女性パイロットには
「1機でも戦力不足を補う」と言う理由で参戦したユリアン・ミンツとの、2機編隊での戦闘を厳命していた。
この急造かつ片方が新米の2機編隊は、シッカリと撃墜スコアを上げて生還した。

……片やレンネンカンプは、彼(?)らしくも無い権道に類する策略を上申した。

そのレンネンカンプに提案したのがグリルパルツァーだと聞いて、ザルツは納得と驚愕を同時に感じた。
弁務官として同盟に駐在していたのはルッツだったのだから、グリルパルツァーとクナップシュタインはレンネンカンプ艦隊に所属していた。
そのグリルパルツァーの策略と言うのは「ニセ」の内応を申し込んでヤンを誘い出す、と言うものだった。
当然ながら、もっともらしい内応理由は付ける。だか「その」もっともらしい理由と言うのが……
「おそらく今回が最後の戦いであり、もはや武勲も出世も機会は失われる。それならば、いっそ」
「当然ながら、代償としてヤン・ウェンリー軍における相応の地位を要求する」
結局、キルヒアイスとヒルダもラインハルトをいさめ、皇帝は却下した。
ヒルダなどは、もっともらし過ぎると考えているらしい………。

……。

…日数さえ与えられればザルツは、帝国軍内部を査閲したかった。

病院から行方不明に成った元同盟軍准将などは囮で
本命の実行者は帝国軍の内部に潜り込んだ地球教徒と、おそらく彼らにサイオキシンを盛られた依存者の筈だ。
そして少なくとも、駆逐艦2隻を丸々乗っ取るほど帝国軍に浸透している筈だった。

しかし、ザルツが到着してから何日も立たない間に事態は急転する。
暗殺者の動機からすれば、このままイゼルローン要塞に手が出ないままのラインハルトが
もしも、ヤンと妥協でもして仕舞ったら、それこそ最悪だったのだ。

……エル・ファシルに「ヤン不正規隊」が出現して以来「旧」同盟領のあちらこちらから遣って来ていた。

「奇蹟の魔術師」を頼りに帝国の支配を逃れようとする人々を乗せた民間船や
「不正規隊」に合流しようとする「旧」同盟軍の残存艦艇が断続的に到着し続けていたのだった。
しかし当然ながら、帝国軍が到着し始めると惑星エル・ファシルなりイゼルローンまで到達しづらく成っていた。
そして何時の間にか星域の外周部に、まるで山羊や羊が身を寄せ合う様に集まっていた。
もっとも皇帝ラインハルトは「落ち武者」の戦闘艦艇なら兎も角(ともかく)非武装の難民船を害するにはプライドが高かったのだが。
そのため、この船団らしきものに対しては帝国軍も監視するに止めていた。しかし帝国軍内部でも議論としてならば存在した。
かつての「エル・ファシルの英雄」が見捨てておれる筈は無い。
必ず救援のため出撃して来る。むしろ積極的に誘い出す手段とするべきでは無いか?
だが、ラインハルトはプライドが高過ぎた………。

……。

…そんなプライドとは、テロリストたちは無関係だった。

5月8日。

エル・ファシル星系は、ユリアンの様に地球を訪問した経験者には注意を引かされる程度に、太陽系と相似していた。
結局のところ、太陽系に所属する惑星上で進化した生命体に都合の好い惑星は、太陽系に相似した星系で発見され易いのだろう。

その外周、太陽系時代には天王星型惑星と呼ばれた比較的大型の惑星の影に身をすくめる様にして
羊や山羊が群れる様に身を寄せ合う、船団らしきものが身をすくめていた。
その船団らしきものに帝国軍の駆逐艦が1隻、ノコノコと接近してくるなり、非武装船に対して無差別攻撃をかけて来た。
当然に、イゼルローン要塞へと悲鳴そのもののSOSが送信される。
もはや「ヤン不正規隊」も出撃するしか無かった。

避難民を乗せて来た民間船が集まっていた、とは言え「ヤン不正規隊」に合流し損なった戦闘艦艇の数隻程度は混じっている。
最終的には1匹狼によってたかって反撃する牧羊犬よろしく返り討ちにしていたが、それまでの間に非装甲の民間船数隻に被害が生じていた。
奇妙なのは他の帝国軍が、まるで連動していない事だ。
それどころか其の駆逐艦が反撃を受けて損傷すると、別の駆逐艦が接近して来て、まるで口封じの様に味方撃ちをしようとした。
そこへ3隻目の帝国軍戦闘艦が駆け付けた。

ザルツ中将は直訴して、駆逐艦エルムラントⅡから巡航艦に乗り換えていた。テロリストが使用するのが駆逐艦だと“知っていたから”である。
味方(?)を破壊したのみならず、まるで証拠を消そうとするかの様に攻撃を続ける2隻目の駆逐艦に接近すると
船団らしきものの側から追い払う様に攻撃を加えた。
さらに撃沈よりは拿捕(だほ)を狙った攻撃と追撃を加え続ける。
その通り、ザルツとしては証拠が欲しかったのだ。自爆されても困惑する。
巡航艦ならば搭載している戦闘艇も発進させて、テロリストらしい駆逐艦を包囲しながら拿捕しようとしていた。

そうして追い掛け回している処へ、帝国軍の疾風も株を取られそうな速度で到着した艦隊が来た。
「ヤン不正規隊」の先鋒アッテンボロー部隊である。
その後からヤンの本隊と言うより「不正規隊」の、ほぼ全軍が追走して来ていた。
「ヤン不正規隊」を確認したザルツは、地球教団に乗っ取られているらしい駆逐艦をアッテンボローの方へと追いやると
いさぎよく撤収した。

考えてみれば「犯人」が地球教団だ、と言う証拠はヤンの側に発見させた方が好い。
帝国軍側からの発表よりは「捏造」をうたがわれにくいだろう………。

……。

…駆け付けた「ヤン不正規隊」は船団らしきものを収容して、惑星エル・ファシルへと降下させる事には成功した。

大半が貨物船であり、有人惑星の地表上で貨物を上げ下ろしする方が結局は経済的、と言うコンセプトで建造されていたためである。
無差別攻撃で損傷した船や降下能力を持たない船に乗っていた避難民は、その時だけ他の船へと移乗させて惑星へ降下させると
「ヤン不正規隊」自体は帝国軍を牽制しながらイゼルローンまで下がろうとした。
だが流石に帝国軍は、ヤンを逃がすほど御人好しでも無い。
非武装の船団にこそ「あれ」以上は攻撃しなかったが。

もっともヤンを引っ張り出すためだけで、こんな卑劣な行為に出る皇帝ラインハルトだとは、ヤンにしても考えていなかった。
そして実の処、アッテンボロー部隊が撃破した例の駆逐艦の残骸からは、地球教団の紋章やサイオキシン反応の残る死体が回収されていた。

……地球教団に罪をかぶせられた事は“戦いの後”でこそ、ヤンにもラインハルトにも貴重だった。

だが、現状でのヤンの正面には帝国軍の大艦隊が布陣している。
それでも移動要塞を呼び寄せて背後を固めさせ
同時に其のイゼルローンから更に後方には、有人惑星エル・ファシルを護って立ち塞(ふさ)がる形には布陣出来た。

……宇宙戦艦ヒューベリオンの「円卓」

パイロット姿で控(ひか)えていたユリアンがヤンに声をかけていた。
「提督。こう成ったら、旗艦ブリュンヒルトに乗り込んで皇帝ラインハルトと談判しますか?」
ヤンは黒髪をかき回して息子に答えた。
「そうだな。どうやら最初から“そう”するしか無かったみたいだね」
「そう”するしか無い」と言う考え方は、日常から好きでも無かったのがヤンの信念(?)だったのだが………。

……。

…その時、5月10日。

新帝国暦ならば2年だが、宇宙暦では800年である。

「戦後」の帝国側 “大本営発表”でも星域の名をもって会戦名とする事は避けられた。深読みすれば政略的意味だろうか。
同様の理由なのか、新帝国暦2年のみを用いて宇宙暦800年を用いない事も避けられた。
よって、この時の艦隊決戦を、あるいは先立つ工作隊浸透と迎撃戦闘を加えて「5月の戦い」と呼ぶ事が通説である。



[29468] 第50章『両元帥の基地』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/30 12:15
戦略レベルでは、敵よりも大兵力を完璧に戦力化する事が正解である。
正し、戦術レベルでは条件次第で敵に付け込まれる弱点にも成り得る。
「5月の戦い」における帝国軍は其の好い例にされかけていた。

いかに帝国軍が大艦隊でもフォーメーションを展開させる空間は
イゼルローン要塞を頂点としヤン艦隊のシルエットを断面の1つとする錐(すい)形の内側か「雷神の鎚」の有効射程外にしか無かった。
無論、エル・ファシル星域は、かつてのイゼルローン回廊の様に「雷神の鎚」で封鎖されて仕舞う様な狭い戦場では無い。
だが現状の帝国軍は、自らの大軍の利益と戦場本来の広さを活用し切っていなかった。
戦場が狭い回廊では無い代わりに、今のイゼルローンは動くのである。フォーメーションを組んだ艦隊よりも速く。
そのため、帝国軍にとっての艦隊フォーメーション可能な空間そのものが変化し続けていた。
当然ながら、この条件を活用するためには高度の戦術能力が要求されるだろう。
だが、イゼルローン側の指揮官はヤンである。そして、これまでの戦いでヤンは
移動要塞のワープを利用した戦略のみならず、通常航行を応用した戦術の経験値までシッカリと身に付けていた様だった。
ヤン個人に限らず艦隊フォーメーションを実現化するフィッシャー、要塞を管理するキャゼルヌと戦闘面で預(あず)かるシェーンコップ以下
「ヤン不正規隊」全体としても。

そう成ると帝国軍の側は、ヤン艦隊とイゼルローンの両方に注意していなければ「雷神の鎚」の火線上でヤン艦隊の居ない処に飛び出しかねない。
これではフォーメーションに苦労する。大軍であれば尚更。帝国軍は自らの大軍を持て余していた。
そしてヤンは、帝国軍がフォーメーションに不自由している処へ得意の1点集中砲火を撃ち込んでは、局所的に優位をつくり続けていた………。

……。

…5月10日に最初の「撃て!」の命令が下ってから12日まで、この繰り返しである。

「戦争の天才」以下、名将ぞろいの筈の帝国軍も、なまじ大軍であるほど持て余していた。

……そして標準時間で5月13日に日付が変わって早々、今度はヤンが仕掛けた。

ヤン本隊とメルカッツとアッテンボローの波状攻撃で突破口を開き、マリノ部隊を突入させた。
「バーミリオン」で「鉄壁ミュラー」の返り討ちに合ったグエン・バン・ヒューに代わって、ヤン艦隊の「切り込み」役をになうマリノは
その期待に答えるべく猛進する。
この時のヤンがマリノに狙わせたのは、フォーメーションに何かが起きていると見抜いた、とある艦隊だった。
そのレンネンカンプ艦隊に所属するクナップシュタインは「うたがいの心が見えない幽霊を生む」心理を捨てられなかった。
相棒の筈のグリルパルツァーが提案したニセの筈の内応理由が、生真面目なクナップシュタインには尤(もっと)もらし過ぎたのである。
そのためレンネンカンプの命令には何時も通りに従えても、グリルパルツァーとの連携には半歩おくれていた。

その半歩のスキマに突入させたマリノ部隊を錐(きり)の先端とし、追い付いたヤン艦隊全軍を錐の柄(え)とするように揉(も)み込んで
レンネンカンプ艦隊の後方へと突破しようとした。
その突破した出足へ皇帝ラインハルトの本軍が
ヤンの得意技をうばった様なピン・ポイント砲撃を、ダイヤモンドに打ち込むタガネの様に撃ち込んで来た。
ならばと、勢いを止めないまま帝国軍の視点での天底方向へと急降下し
今度は地球時代のジェット・コースターの様に皇帝本軍の床下をすり抜けて、帝国軍そのものを振り切ろうとするかに見えた。

当然、ラインハルト以下の帝国軍に逃がす積もりなど無い。
全艦隊が殺到しようとする中で、ヤンの前に立ち塞(ふさ)がったのはケンプ艦隊だった。
軍務尚書からは戦意過剰を心配されていたケンプだったが、その戦意の高さは少なくとも
ジェット・コースターまがいの高速運動を続けるヤン艦隊を受け止める事は出来た。
そのまま元撃墜王らしくワルキューレ戦闘艇まで繰り出しての接近戦で、味方が殺到して来るまでヤンを押し留めようとする。
これに対してはヤンも、ポプラン戦闘隊を発進させての接近戦で対抗するするしか無かった。

この時もユリアンはカリンとの2機編隊で出撃、前回の戦果がマグレでは無い事を証明していた。

そうして接近戦を続けていたヤンは突然、スパルタニアン戦闘艇まで含めた全艦隊を急速後退させた。
確かに後方からは帝国軍の大艦隊が殺到しかけている時、正面のケンプ艦隊からも一方的に撃たれかねない後退など非常識だったろう。
正し、それはヤン艦隊だけを見ていた場合だ。
イゼルローン要塞が艦隊フォーメーションよりも早く動き回っていた事を
やはり戦意過剰に成ったか、瞬間だけケンプは失念していたかも知れない。

次の瞬間、見落としようも無い白光が宇宙の夜を引き裂いた。

「ケンプ艦隊旗艦ヨーツンハイム…識別不能!状況不明!!」
悲鳴そのものと化した報告を、ラインハルトですら怒(いか)れなかった。

白光が引き裂いた後の空白へと前進再開したヤン艦隊は、今度こそ帝国軍を振り切ろうとする。
急速前進しながらスパルタニアンを着艦させると言う、ウラワザまがいまで使いながらの急進だった。
その後ろから殺到する帝国軍の各艦隊の中でも猛進していたのは、レンネンカンプ艦隊だった。
艦隊司令官のみならずクナップシュタインやグリルパルツァーまでが、先刻“までの汚名の上塗り”を返上せんとばかりに猛進していた。
そして、イゼルローンへと逃げ込もうとするヤン艦隊の艦列尾部に喰い付いた。

これに対してヤンは、尾部に喰い付く敵レンネンカンプ艦隊の更に尾部に喰い付く様に艦隊を旋回させた。
かつて「アスターテ星域会戦」でも実現した「互いの尾を呑み合う2匹の蛇が輪に成った」陣形の再現である。
しかし「アスターテ」の時は、すでにヤンとラインハルトの1対1の対戦に成っていたから成立した陣形では無かったか?
現に帝国軍の各艦隊はレンネンカンプに続いて殺到しようとしていた。
だが「2匹の蛇の輪」が回転して、レンネンカンプ側の半円が先程までのヤンの進行方向に向いた瞬間
流体装甲の表面に浮かび上がった浮遊砲台が撃ち上げて来た。
かつてレンネンカンプが救援し損ねたシュタインメッツ艦隊が落ち込んだ時と同様のトラップに、レンネンカンプも誘い込まれたのだ。

実戦例としても、帝国軍にも3度目のワナである。脱出方法の考案ぐらいはされていた。正しギャンブルも好い処なのだが。

地球時代の太陽系探査機が使用したスイング・バイの様に、イゼルローン要塞ギリギリを振り切って脱出する。
当然ながらヤン得意の1点集中砲火、それも艦砲のみならず要塞砲までが集中してくる砲火に自分から飛び込む事を意味した。
だがこれが、まだ生還の可能性が在るギャンブルだったのだ。

ここでレンネンカンプやクナップシュタイン、グリルパルツァーはラインハルトの抜擢に応えるだけの艦隊司令官だった事を証明した。
先頭に立って1点集中砲火を潜り抜けながら突破口を開いて全艦隊を誘導したグリルパルツァー、中央に在って艦列を維持したクナップシュタインは
レンネンカンプからの命令を達成し、少なからぬ味方を脱出させた。
だが其の艦隊司令官は、これが指揮官陣頭として当然の様に、殿(しんがり)に在って部下の脱出を援護していたものの
味方の脱出に比例する1点集中砲火の密度に直面していた。

「レンネンカンプ艦隊旗艦ガルガ・ファルムル…通信途絶」
総旗艦ブリュンヒルトに、この日2つ目の凶報が届いた………。

……。

…この日5月13日は、皇帝ラインハルト1世の華麗なる戦歴においても、記録に残されるべき日とされている。

ローエングラム元帥府が開設されて以来、ラインハルト直属に抜擢された艦隊司令官の中から、ついにヴァルハラの住民が出たのだ。
それも標準時間1日の間に2名も。

……皇帝ラインハルトは「5月の戦い」の後、戦場からは直近のヴァンフリート4=2基地に衛星そのものの記号とは別の固有名を与えた。

以後、同基地は「両元帥の基地」と呼ばれている………。

……。

…だが其れも後日の事である。戦いは未だ終わっていない。

少なくともヤン艦隊がイゼルローン要塞に逃げ込む前に、帝国軍の残りの艦隊が殺到する時間だけは稼(かせ)がれていた。

今度は「鉄壁ミュラー」に喰い付かれてイゼルローンに逃げ込むチャンスを失ったヤン艦隊に帝国軍は
文字通りに入れ替わり立ち替わりの波状攻撃を仕掛けて来た。
ついに「鉄壁ミュラー」が後退すると、入れ替わりに帝国軍の双璧みずからが往復ビンタの様に襲いかかり
完全にヤンは、イゼルローンに逃げ込むチャンスを失った。
そして双璧の後からも、入れ替わり立ち替わり各艦隊が波状攻撃をかけて来る。

ヤンが恐れていたのは「これ」だった。
元々、数の上では比較のしようも無い。絶対数なら同等で消耗していっても……
いや消耗に対する回復力ならば、とりあえず当面ならばヤン艦隊が有利だ。
直近の拠点でヴァンフリート4=2、もっとも後方支援が充実している拠点はフェザーンの帝国軍と異なり
直ぐ後ろにイゼルローンと言う後方支援の拠点を丸ごと持って来ている。
武器や消耗品を消耗した艦は補給を受け、損傷艦はドックで修理されて復帰して来る。
それどころか何とか不時着だけは出来た艦の乗員を、別の修復可能な艦から入院させた負傷者と交代に乗せて復帰させる事まで
ヤンとキャゼルヌは実行して見せた。

しかし其れでも尚、ヤン艦隊が消失した後の帝国軍には、残存兵数が存在しているだろう。
それがヤンには分かっている。
たが、それでも尚ヤンは簡単には敗れず、絶対数ではヤン艦隊以上の消耗を帝国軍に強制し続けていた。

……常勝のラインハルトと不敗のヤンの戦いは、5月15日を過ぎても終わらない。



[29468] 第51章『常勝不敗』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/10/30 23:51
常勝のラインハルトと不敗のヤンの戦いは、5月15日を過ぎても終わらなかった。

だが5月16日。異変が起こる。

戦艦ブリュンヒルトの「玉座」からラインハルトは指揮を続けていた。
しばらく前から微熱を自覚していたが、しかし戦いに専念しようとする。
ラインハルトの前面ではスクリーンに窓が開いて、それぞれの旗艦に乗っている3元帥が顔を見せていた。
その中の1人であるキルヒアイスが微妙に表情を変化させていたが、しかしラインハルトは友だけに見せる笑顔を作ろうとした。
そうしたキルヒアイスの態度を見て「玉座」後方の控席に座っていたヒルダとエミール・ゼッレの方が立ち上がっていた。

とは言え、主君に対する無礼は心得ている。その無礼の手前を守りながら、ラインハルトに問い質(ただ)そうとした。
これを無用とした皇帝だったが、しかし「玉座」に預(あず)けた身体が重い。
無理に立ち上がって見せようとして、しかし身体は「玉座」から持ち上がらず、今度は意識が夢現に沈み始めていた。
それでも皇帝としての毅然(きぜん)さを保とうとした。
肘休めをにぎる手に力を込めて重い身体を持ち上げると
「どうやら、少しだけ疲れてはいるようだな。短時間だけタンク・ベッドにでも入って来よう。軍務尚書、留守を任せる」
そう言って、兎も角(ともかく)も自分の足で「玉座」背後の専用通路を降りて行った。

……結局、ラインハルトが目覚めたのは翌々日の5月18日である。

急遽(きゅうきょ)ブリュンヒルトに集まった3元帥と独断で呼び集めた幕僚総監が協議した結果
とりあえず帝国軍は、エル・ファシル星域外周まで「ヤン不正規隊」との距離をとり、皇帝の回復と新たな命令を待つ事で合意した………。

……。

…当然、ヤンが知る事が出来るとしたら、後日が在った場合である。

ヤンが知る事が出来た事は、標準時間で5月17日に日付が変わって早々、波状攻撃を繰り返していた帝国軍が後退し始めた事だった。
不審と疑問を覚えながらも、ヤン自身が曰く「脳細胞がミルク粥(がゆ)になって」いる状態まで「不正規隊」全軍が疲労している。
特に戦艦シヴァが損傷して不時着
直ぐ後ろに拠点が移動していたから何とか戻れた程であり、同艦を旗艦としていたフィッシャー副司令官が入院して仕舞ったため
残る指揮官たちに艦隊フォーメーション上での負担が増大した事が疲労を助長していた。
ヤン艦隊の残存戦力はイゼルローンに帰港し、その移動要塞も惑星エル・ファシルの衛星軌道へと戻って行った………。

……。

…5月18日。戦艦ブリュンヒルト艦内。ラインハルトの私室。

夢から現実に意識が戻ったラインハルトが最初に認知したのは「マイン・フロイント」だった。
星域外周まで下がった帝国軍をヒルダと双璧に任せてラインハルト個人の看病をしているキルヒアイスを
軍務尚書として敵前逃亡、などと非難するものは“今”のローエングラム陣営には居なかった。
それよりは彼らのカイザーが目覚めた時に、誰が其の場に居るべきかを優先したのである。
そして、この場合は「その」事が銀河の歴史に関係していた。

「ラインハルト様。申し訳御座いません」
「俺に何をあやまる?」
「ケンプ、レンネンカンプ両提督が「神々の黄昏」作戦で私が副将として御預かりして以来
ヤン・ウェンリーに対する何らかの心理を持っている事は存じていました。
それなのに、この様な結果に成って仕舞い残念です」
「お前のせいじゃ無い。キルヒアイス。
それに、俺はヤン・ウェンリーを憎む気にも成れない。
両元帥や兵士たちの遺族なんかは、また別な気持ちだろうがな」

キルヒアイスは主君でもあり友でもある相手の、未だ頭こそ病床の枕に乗せたままながら瞳はシッカリと開いて自分を見つめている
その視線に自分の視線を合わせてから、次の言葉を発した。
「ラインハルト様…これ以上ヤン・ウェンリーと争うのはおよしください」
流石に即答は戻って来なかった。
瞳は閉じたものの、再び夢に落ちていく様子は無い。そうして考えながらの様に言葉を出す。
「お前もフロイラインも、ずっと俺を止めて来たな…」
やがて瞳を開き、友と視線を合わせて答える。
「わかったよ、キルヒアイス。お前はいつもそうだ。
俺よりたった2ヶ月早く生まれただけなのに、年上ぶって、いつも俺の喧嘩をとめるのさ…だけど、わかった。ヤン・ウェンリーと話しあってみよう。
あくまで話しあってみるだけだ。決裂しないとは約束できないぞ」
キルヒアイスは、過去においては友と其の姉だけに向けて来た笑顔で答えた………。

……。

…皇帝ラインハルトからの、ヤン・ウェンリーとの会談を求める通信が、イゼルローン要塞に届けられた。

とりあえずヤンは正式回答までの猶予(ゆうよ)を求めると、ようやっとタンク・ベッドでは無く自室のベッドに戻れた。
そして生物学的な2大欲求つまり睡眠欲と其の後に来る食欲とを解消させると、ようやく「ヤン不正規隊」は会議を持つ事が出来た。
とは言え、ヤンにしてみれば既(き)定方針だった………。

……。

…皇帝ラインハルトの意を受けて、帝国軍もヤンとの会談の準備を始めていた。

もっとも決裂と再戦を期待して公言する誰かも居たが、元帥たちの様な責任ある立場の者たちは、その責任をまっとうしていた。

……ザルツ中将は、この段階で差し出口をした。

元々、この会談を暗殺者にジャマされない目的で、フェザーンから急行して来ていた。
完全にザルツの「知識」通りならば、暗殺の実行者たちは既(すで)に消えている事に成るが、それで楽観も出来ない。
帝国軍全軍の中で“あの”駆逐艦2隻だけが、地球教に取り込まれた裏切り者とは限らなかった。

ザルツが進言したのは、ヤン側に相応の護衛を認める事だった。
皇帝や3元帥などは「ヤン・ウェンリー軍」の残存艦隊すべてが同行しても平然としていただろうが。
結局ザルツの進言通り、戦艦ヒューベリオンと「薔薇の騎士」の同行が認められた。
正し、ヒューベリオンから会談場所であるブリュンヒルトに乗り移れるのは、ヤン本人と直接の同行者だけである。
実の処、帝国軍の保護下に入るまでの間つまりはブリュンヒルトとヒューベリオンが接近するまで
暗殺者などがヤンに近寄れなければ其れで好かった。

……帝国軍からの通達を受けて「ヤン不正規隊」でも異存は無かった。

全面衝突の切欠に成った「例」の駆逐艦の残骸からは、地球教団が陰謀を策していた証拠を回収していた。
この証拠は、会談そのものを承知すること自体も助長してくれたが同時に
帝国軍以外の、それも正面からの軍事力以外での敵を警戒する理由にも成っていた。

そして帝国軍が認めた、と言う事で「ヤン不正規隊」の名の在る者たち
留守を預からないと成らないキャザルヌと偶々(たまたま)カゼをひいたヤン夫人そして入院中のフィッシャーを除いた
ほぼ全員が旗艦に同乗して行く事に成った。
無論、最終的にブリュンヒルトに乗り移る同行者は別である。
結局、ブリュンヒルトまでヤンに同行する事に決まったのは「不正規隊」の心情的には老元帥の代理人であるスーン・スールだけだった。

それと言うのも、ヤンの方がシビリアン・コントロールの原則に拘(こだわ)り
Dr.ロムスキー以下のシビリアンの代表団に、民主主義の理念を代表させる積もりだったからだ。
その点からも、旗艦級戦艦としての人員収容能力を持っているヒューベリオンの使用を認められた事は、都合が悪くも無かった。

……結果的には何事も無く、宇宙戦艦ブリュンヒルトと戦艦ヒューベリオンは、エル・ファシル星域外周の空間で合流した。

結局、病院から行方不明に成っていた元同盟軍の准将は、手も出せない現実に発作を起こしている処を発見された。
彼を操縦していた策謀者ないしは其の手先は、宇宙の何処かに逃亡していた………。

……。

…ラインハルトの「私情」としては前回の会見同様、ヤンと2人だけでの茶飲み話でもしたかっただろう。

だが、これは高度に政治的な交渉でもあった。
密談の形をとって、後で存在もしていない筈のウラ取引をうたがわれても台無しに成って仕舞う。
だからと言って、皇帝としての謁見(えっけん)の形式をとれば、相手が共和主義を代表しているだけに
全面降伏以外では認めようとしないだろう。
民主共和主義者は、専制君主の前で屈するひざを持っていない。持っていれば、やたら流血をともなってまで抵抗しなかった。
拒絶すれば再戦の理由とすれば好い、と公言した誰かを誰とは言わないが。
しかし、ラインハルトはヤンの話を聞く積もりではいた。何より「マイン・フロイント」との約束だった。

細かい打ち合わせの結果、前回の会見にも使用された皇帝私室に付属した応接室に
ヤンとDr.ロムスキーそして「ビュコック元帥の副官でした」とヤンから紹介されたスーン・スールが招き入れられた。
対してラインハルトの側は、キルヒアイスとヒルダで同席者の人数を合わせた。

常勝不敗の英雄2人の2回目と成る会談内容は、例えばユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」を始めとして
むしろ当事者たちの方が正確な証言を残そうとしていた。
そうした意味でも、政治的きわまる会見でもあった。当然ながら会見での合意内容は、しかるべき形式をもって正式発表された。



[29468] 第52章『8月の新政府』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/01 21:05
宇宙戦艦ブリュンヒルトの「玉座」より、皇帝ラインハルトは宣言した。
会談を終えて戻っていたヤンと出迎えた「不正規隊」は戦艦ヒューベリオンの「円卓」で
Dr.ロムスキーらのシビリアン代表は同艦のゲスト・ルームで聞いていた。

……予、ラインハルト・フォン・ローエングラムは、銀河帝国皇帝として以下のごとく同意した。

1つ。
銀河帝国は皇帝の名の下、エル・ファシル星系の独立と自治を認める。

2つ。
帝国はエル・ファシルの自治政体が民主共和政治である事を認め「エル・ファシル自治共和国」の国名を認める。

3つ。
帝国とエル・ファシル自治共和国は互いに独立国家である事を承認し、通常の国交を結ぶ。

4つ。
帝国とエル・ファシル自治共和国は、互いに武力による不当な侵略からの安全を誓約する。

5つ。
互いの承認と国交に従い、帝国とエル・ファシル自治共和国は駐在する弁務官を交換するものとする。
「これは予個人の希望であるが、帝都に駐在する初代高等弁務官にはヤン・ウェンリー氏を希望する。
ヤン元帥本人は、軍を退役し文民と成る事を条件とした」

6つ。
帝国は、自治共和国が自らの治安と平和を維持する目的での軍備を認める。
正し、互いの安全誓約の範囲内とし、細部に関係しては別途交渉するものとする。
「この1つとして、イゼルローン要塞そのものの返還ないしは破壊は、要求を放棄する。
正し今後、自治共和国の領土外への移動を禁ずるため、ワープ・エンジンのみは帝国側によって破壊されるものとする」

7つ。
この合意以前に「旧」自由惑星同盟ないしは自治共和国へと亡命した者に対しては
新たに帝国に対する侵略行動を実行しない限り、自治共和国での居住を認める。
「例えばメルカッツ提督ならびに同行者に対しては、自治共和国に居住し続けるも帝国本土の家族を招く事も自由である」

………………………………(以下略)

後世の歴史家、と言うよりも「奇蹟の魔術師」を英雄あつかいする宣伝者などは、こう主張するかも知れない。
「この合意を「バーラトの和約」まして「冬バラ園の勅令」と比較しただけでも、ヤン・ウェンリーの勝利は明らかである」
もっともヤン当人は言い残している。
「英雄など、酒場に行けばいくらでもいる。その反対に、歯医者の治療台にはひとりもいない。まあその程度のものだろう」
少なくともヤンが、自分で勝利を主張した事は無かった筈である………。

……。

…宇宙暦800年8月8日。

「8」づくしの“この”日が選ばれた事には、やはり「800年」が意識されたのだろう。
エル・ファシル自治議会での審議をへて、帝国側から皇帝の声をもって公表された合意は、民主主義の手続によっても合法と成った。
そして、あらためて自治共和国の発足が、この日をもって宣言された。

惑星エル・ファシルでDr.ロムスキーを代表として挙行された式典は、星系の外にも超光速通信をもって放送され
ヤンは「新帝都」フェザーンで「旧」自治領時代には「旧」同盟の高等弁務官が使用していた執務室から放送を見守っていた。

ザルツ中将も新帝都に移転した憲兵本部で見ていた。
ふとザルツは、画面が走査したモブ参列者の中に見付けたような積もりがした。
例えばメルカッツである。
だが、そのメルカッツの隣に居た何人かの1人がムライの様な気がした。
“この”会場にムライが居るかも知れないと想うと「前世」日本人らしく連想した歴史人物も居た。

奥野将監。
大石内蔵助を首領とする同志たちのNo.2だった人物である。
だが、47人の中には居なかった。

そのため、もしも大石たち第1陣が失敗した時の第2陣を指揮する予定だった、あるいは…などと様々に脱落理由が推測されている。
だが「前世」ザルツは『原作』でムライがユリアンに申し出る場面を読んだ時に想ったものだった。

元々、大石家は浅野家が本家から分家して以来の譜代家老の家であり、本来の責任は浅野家を存続させる事だった。
極論すれば「松の廊下」の様な大事を起こす主君は押し込めてでも、当時は世継ぎに成っていた主君の弟とかに無事相続させる事が
譜代家老としての大石の責任だったのだ。
だから大石は、当然の様に御家再興を最初の目的とした。
血判状をとってまで同志たちを結集していたのは、再興を台無しにする様な暴走にブレーキをかける事が主な目的だったかも知れない。

だが幕府は世継ぎの弟も処分し、御家再興の希望を断った。
ここで初めて、大石は仇討ちを決断する。同時に同志たちをいったん解散した。
考えてみれば当たり前だ。御家再興のために集めた同志である。
主君の仇を討って、多分は死ぬためには、初めから同志を集め直すべきだった。
そして再結集した同志の中には、奥野が居なかった。

実の処こうして再結集した同志の中からも、決行までには脱落者も出ている。
だが、解散した後に再結集に応じなかった数の方が、実数としてもケタが違っている程に多い。
結果として大石は、仇討ちを実行し始めてから脱落しそうな同志を、あらかじめ脱落させて置いたのである。
その場合、大石としても脱落させる積もりだった「元」同志に理由を与えた1つが、やはりNo.2だった奥野の行動だろう。
果たして、それは只の結果だったのだろうか?

新たに採用された自治共和国の国歌が披露されていた。
ことさら正統性を「新」国歌をもって主張したいだけでも無かった。
元来「旧」自由惑星同盟国歌は、ゴールデンバウム王朝に対するレジスタンス・ソングである。
時には対帝国戦争の扇動にも濫(らん)用された不幸のため
ローエングラム王朝との和解を前提として発足する「8月の新政府」には不適当かも知れなかった。
採用されたのは、かつての銀河連邦国歌である。
「地球・シリウス戦争」の悲劇から民主主義の理想の下に再出発し、銀河のフロンティアを開拓した国歌の誕生を祝った歌が
5世紀の中断の後に、あらためて存在意義を与えられたのだった。

さらにDr.ロムスキーは、自分は「暫定」代表である、と断言した。
民主共和主義における正統政府は、選挙によって成立すると。
そして、その総選挙の告示が其のまま式典に組み込まれていた。

……ヤンはフェザーンに居て好運だった側面があるだろう。

余りにもヤンの人気は高く成り過ぎていた。民主主義が民主的であるがために持っている危険性に対して危険な程に。
あくまで民主主義の理念の下に戦って来たヤンとしては、この危険を回避してこそ自分の遣って来た事の完遂(かんすい)だった。
もっとも本音からしても、そんな事は面倒くさかっただろうが。

……式典はクライマックスに到達する。

参列する群集から上がった歓声は、国名や指導者名と言った固有名詞に対する「ばんざい」では無く
「民主共和主義を未来のために!」だった………。

……。

…銀河の何処か。

かつて地球政府からシリウスに奪われた権力の復活をたくらむ者には
連邦国歌は800年前に自分たちに屈辱を与えた勝利宣言に他ならなかった。

ヤン・ウェンリーとの和解によって、皇帝ラインハルトにとっての武力による戦争は確かに終わった。
だが、ローエングラム王朝による平和までには、まだ軍事力以外の敵が残っていた。



[29468] 第53章『白鳥と高みを行く者の凱旋』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/16 21:27
「5月の戦い」の後、皇帝ラインハルトとヤンとの会見での合意が
エル・ファシル自治議会での審議をへて、民主政治の手続きとしても合法化された結果「8月の新政府」が発足した。
「5月」に合意して「8月」までの時間をかけたのは、むしろ手続きの順序からすれば早い方だろう。

その間、皇帝の方がエル・ファシル星域の外周で待っていても無益であり、むしろ帝国側の行政責任者としては無責任とすら言えた。
したがって、もはや戦闘行為の理由も無くなった以上は、軍を返すべきだった。
6月上旬には、大本営を置いていた惑星フェザーンへの帰還の意志を、皇帝は示していた。
それだけなら「ヤン不正規隊」をふくめて自治共和国側も歓迎と言うものだ。
だが、皇帝はヤンの同行を求めた。

確かに正式に自治共和国が発足すれば、駐在させる弁務官が交換される。
そして皇帝はヤンを希望していた。
しかしエル・ファシルの国内に限っても、これから民主主義の形式に従っても手続きが待っている筈でも無かったか。
結局、白鳥の宇宙戦艦と「高みを行く者」の意味の名を持つ戦艦は
文字通りに艦首を並べてエル・ファシル星域から惑星フェザーンへの直行航路を航行して行った………。

……。

…その途上、ブリュンヒルトとヒューベリオンの間には、しばしば近距離通信が接続された。

ラインハルトとヤンそれぞれの個室を接続した通信の画面越しに、両者は様々(さまざま)な話題を交わした、と伝えられている。

当然ながら、皇帝としての責務を放棄するラインハルトでは無い。
ヤンとの通信は公務の余暇に行われていた。
旗艦に同乗させて来た官僚たちを相手に最高行政官として政務に励(はげ)み、また大元帥として遠征後の軍再編に着手していた。

ヒルダやキルヒアイスからの助言も受けながら、帝国軍を再配置していく。
先ずヤンと交換する高等弁務官としては、ミュラー上級大将をエル・ファシルに残留させた。
実の処「旧」同盟に駐留させていたルッツ高等弁務官やエルスハイマー補佐官が任務をまっとうしなかったとも、皇帝は想ってはいなかった。
むしろ挽回の機会を与えた方が好かろうとも考えていたが、当人がフェザーンで入院中である。
ルッツをフェザーンに戻した段階では、誰かをエル・ファシルに駐在させる事に成るとは、カイザーですら予定していなかった。
そしてヤンを同行させた以上は誰かを交換に残すべきであり
上級大将の中で首席のミュラーがヤンに対する格の上からも、当面は適当と想われた。
当面は、でありルッツが回復すれば交代させるのも好かろう、とも想われた。
何より「神々の黄昏」当時よりラインハルトの後衛を護らせて来た「鉄壁ミュラー」である。
自治共和国側が落ち着いた段階で、ミュラーとルッツを交代させる事も考えられた。
ミュラーにしてみれば、若い頃(?)のフェザーン自治領駐在武官の経験が、今さら活きていた。

「辺境回廊」を抜けて来たメックリンガー艦隊は、逆進して帝国本土へと戻る。

片や「旧」同盟領、今や帝国新領土の治安戦力も配置しなければ成らない。
元々「新ティアマト星域会戦」以後の同盟軍は、中将をあてて来たNo.艦隊に替わって少将や准将の指揮する小艦隊を領内各地に配置していた。
それらと大差ない規模の小艦隊を、現状の帝国軍では皇帝戴冠にともなう一斉昇進も助長して、大将クラスや中将クラスが指揮している。
そうした小艦隊を替わって配置していった。
正し、こうした決して軽くは無い任務を左遷先と誤解させないため
例えばクナップシュタイン“中将”とかグリルパルツァー“少将”はフェザーンに連れ帰られていた。
同時に「旧」同盟軍が有人惑星の外に配置して来た軍事拠点
元々は同盟軍の宇宙艦艇が惑星状への降下能力を持たされていなかったため設置されていた拠点を接収し
これらの小艦隊に都合が好いものは再利用して、利用しないものは破壊する。
こうして治安戦力を配置していく事と平行して、各星の自治行政の機能は活用しつつ
新領土を含めた帝国全体を、フェザーン回廊を中心として再編成しつつ支配して行くのである。

……ザルツ中将だけが知っていた「新領土治安軍」や「総督府」は結局、設置されなかった。

惑星ウルヴァシーから駆け付けていたシュタインメッツ艦隊も、任務完了として皇帝本軍とともにフェザーンに帰還し
フェザーン回廊から駆け付けたものの戦場到着が「5月の戦い」開始後に成っていたワーレン艦隊が、交代してウルヴァシーに駐留する事と成った。
すでにしてシュタインメッツ艦隊とは任務の内容が異なっている。
「旧」同盟首都ハイネセンを初め、新領土各地に配置された治安部隊や小艦隊の中心と成り
万に1つの事が在れば、フェザーン大本営からの後詰まで現状を維持する事が期待されていた………。

……。

…そのワーレン艦隊が、フェザーンへと戻る皇帝本軍と離れてウルヴァシーへと進路を向ける以前の事である。

何処からか勧告が出て、戦艦ヒューベリオンへと通信を入れる事に成った。
通信画面に出て来たのは「旧」同盟軍以来の制服姿の青年、しかしワーレンには見覚えが在った。

……皇帝ラインハルトとヤンが会談した時。

衝突の直接原因と成った「例」の駆逐艦からは、地球教団の関与を示す証拠が残っていた事をヤンは告げ
ラインハルトも自分は命令していないと断言した。
その事も助長したのだろう。皇帝ラインハルトの声によって公表された合意には、以下のような条文も含まれていた。
「両国の友好を破り、宇宙の平和を損なわんとする悪意あるテロリストに対しては、両国は協力して対処する事を可能とする」
これは「バーラトの和約」と同様の反帝国活動の取り締まりを意味せず、地球教団などの具体的なテロ組織が告発されていた。

この段階に成ってからザルツは差し出口をした。念のためと言い添えながら。
そして、ワーレンによる首実検と成ったのである。

もっともヤンやユリアンの側に、地球教団の件でカイザーに隠し事をする積もりも無いし
自分たちが秘蔵していても「宝の持ち腐れ」だとも想っていた。
ただ会談の時には取引材料にするまでも無く、ヤンとカイザーは合意出来ただけである。

こうしてユリアン・ミンツが地球から持ち帰った資料の入った記録メディアは、ヤンとラインハルトの立ち会う中、帝国側へと預(あず)けられた。

下俗に言う“言い出しっぺ”でもあり、憲兵本部に直属する中将でもあるザルツは
旗艦に便乗してフェザーンに戻る途上この記録メディアの中の資料を解析して、上官へと報告する実務を命令された。
とは言え憲兵総監は惑星オーディン、副総監も惑星ハイネセンであり超光速通信で出来る報告でも無い。
報告を受けたのは、通信を使うまでも無く同じ艦に乗っていたヒルダや時には近くで同行している艦との間で往復出来るキルヒアイス
最終的には皇帝ラインハルト本人だった。そして、彼らをしても驚愕させる報告内容だった。

地球教団と「旧」フェザーン自治領主府そしてサイオキシン密売組織の陰謀と共犯関係が、そこには記録されていた。
これに対してラインハルトは、ヒルダとキルヒアイスとも協議した上で、1つの命令を出した。

表向きに旗艦ブリュンヒルトから送信された超光速通信は、以下の如くである。
「皇帝ラインハルト陛下はフェザーン大本営への帰路に在られるものの、帝都オーディンへの御帰還の予定いまだ立たず。
当面は、フェザーンを大本営として、新帝国の建設に専心なされる。
帝都防衛司令官は、皇帝陛下の在られる処を守護すべし。
皇帝陛下のフェザーンご帰着に呼応して、惑星フェザーンに向かえ。
帝都星オーディンにおける現状任務は、しかるべき代理者に委任すべし。
繰り返すが、皇帝陛下のフェザーンご帰着と同時に、同惑星に到着せよ」

これは根幹としては、惑星オーディンから惑星フェザーンへと「遷都令」の先触れとされる。それは其れで間違い無いのだが
しかし今ひとつ、超光速通信などでは危険過ぎた、皇帝から憲兵総監へと対面して命令するしかない意味が存在していた。
そうで無ければ、もう目前に予定されていた「遷都令」と同時に
当然ながら帝都防衛司令官の防衛対象は惑星オーディンから惑星フェザーンと成っていただけだった。
そして、その意味に当事者以外が気付く時が何時に成るか、それが「この」武力以外での戦いの勝敗に連動していた………。

……。

…7月1日。宇宙戦艦ブリュンヒルトと戦艦ヒューベリオンは惑星フェザーンに到着した。

この惑星が、ローエングラム王朝銀河帝国の新帝都として正式に公表されるまで、後28日。



[29468] 第54章『遷都令』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/03 12:39
新帝国暦2年7月29日
新帝都フェザーンが勅令をもって公式に布告された。

当然ながら、旧帝都オーディンに残留していた官僚システムが丸ごと、新帝都へと移転させられるのだ。
この移転をハードウェアとインフラの両面で実現化し充実させるべく、今や公式に首都建設長官を兼任する工部尚書は活躍し続けていた。

……ところが一時的にしろ、移転が待機させられる事態が、早くも勅令の翌日に起こっていた。

正し、待機であって中断でも中止でも無い。
そして翌日だった事は、偶然では無く確信犯的な陽動作戦だった。
言わば、引越し前に引越し先を大掃除する様な事であり、そのため憲兵総監を先に呼んで置いたのである………。

……。

…その大掃除騒ぎが、とりあえずにしても落ち着いて、新帝都建設と旧帝都からの人的移動も再開されていた頃。

8月半ばの某日。工部尚書シルヴァーベルヒが皇帝に上申していた。
当然ながら建設するのが「帝都」である以上、中心と成るのは皇宮である。
その「獅子の泉」の建設計画についての報告だった。
しかし皇帝は、首都圏説長官ほど熱心でも無さそうだった。
そんな主君に工部尚書は報告の仕方を変えてみた。

「御恐れながら皇帝陛下には、帝国臣民に対して、贅沢を禁止なされる御積もりは御座いませんでしょう」
皇帝は心外以前に、言われるとも想っていなかった事を言われた様な態度と顔をした。
「当然だ」
「それでしたら、節度ある贅沢をなされて、見本をお示しに成れれば好いと愚考いたしますが」
「考えて置こう」その答え自体、この「天才少年」が“こう”言った事には疎(うと)いと言う事だった。

「だが工部尚書。卿は以外な面でも柔軟で見識ある人物の様だな」
お返しの様な皇帝の言葉には、また別な答えが返った。
「この件で誰かをお褒(ほ)めに成られるのでしたら、グルック次官にして頂けませんか」
「成程。グルックだったか」
工部尚書シルヴァーベルヒは、その任に必要とされる資質3つのうち2つに自信を持っていると公言していたが、では残る1つは何であったか。
当時は次官として尚書を補佐していたグルックの実績から想像するに、それは官僚システムの管理運営の能力だったろう。
実の処、皇帝ラインハルトも工部省の強大な権限とシルヴァーベルヒの異才は創業と建設の時代が要求するものであり
守成とメンテナンスの時代にはグルックの管理運営能力が適合するだろう、とも予測していた。

話を現状に戻せば
当時のラインハルトは「神々の黄昏」作戦時点で接収したホテルに其のまま大本営、つまりは皇帝の執務室と私室を置き続けており
この時も其のホテル内の執務室での出来事だった。
では、なぜ今まで「其のまま」だったか?と言えば
「神々の黄昏」作戦当時では、直ぐにも当時の同盟領へと侵攻する積もりであり、むしろ求められていたのは拙速でもあった。
そして、フェザーン大本営への移転後も同じホテルを使い続けていたのは、もしかすると単に変更が面倒だったからも知れない。
実の姉からして、後に義理の妹と笑い話をして曰く「光年以下の単位のできごとには興味がない」ラインハルトだった。

ともあれ即決する時には即決するラインハルトは、大本営を「旧」自治領主府の迎賓館に移転する事とし、9月1日に移動する事とした。

工部尚書を返した後、皇帝の側に控えていた幕僚総監が口を添えた。この機会に聞いてみる事を思い付いたのである。
「姉君を、新帝都に御招きに成られますか?」
自信がホテル住まいでは姉を呼び寄せ、まして永住を希望するには不都合だったろう。

……ザルツだけが知っている『原作』で、弟が結婚するまで姉弟が離れていた理由が“今”の姉弟には存在していなかった。

「そうだな。姉上と御話してみよう」

弟としてラインハルトは、姉アンネローゼに超光速通信を入れた………。

……。

…皇帝ラインハルトがフェザーン大本営へと飛び立って以来の事である。

旧帝都の広すぎる皇宮では、皇姉アンネローゼが使用人以外には1人の家族も居ない生活を続けていた。
姉を新帝都に招く事を考えてみれば、その1人くらしをさせていた事にすら罪悪感を覚えるラインハルトだった。

その旧帝都の皇宮でラインハルトと側に控えるキルヒアイスからの通信を受けたアンネローゼは
新帝都への移住そのものは了承した。
正し条件を付けた。
「温めた料理が冷めない程度の距離を保ちましょう」
弟の母代わりとして、精神的な「子離れ」をすべき時期である事を考慮していたのである。
それでも新帝都への移住そのものは拒否しなかった。

ラインハルトは姉の答えに困惑していた。
姉の言い分を言い換えれば、近日に引っ越す予定の大本営の他にも、アンネローゼの住まいを用意することに成るだろう。
困惑したのは、何処へと姉に住んでもらうか、と言う事だった。
この皇帝は自分が贅沢をする事になど全く関心も無いくせに、姉にだけは幾ら贅沢をさせても自己満足すら出来そうに無かったのである。
そのくせ、やはり自分が関心の無い事であるためか、どうにも「こうした」分野の事は苦手だった。

困惑しつつも、ラインハルトは姉が自分を見捨てたのでは無い事だけは理解していた。
少なくとも、友人と恋人に説得されて納得した。
そして困惑しつつも、姉を迎える邸宅を公務の合間に選定する事にした。
皇帝が姉のために選んだのは、旧王朝時代に帝国が駐在させていた高等弁務官の公邸だった。
当時の事であるから爵位持ちの貴族であり、同時に帝国の「面子」も作用していただろう。
少なくとも旧王朝時代を基準としても、姉の生活水準を落とす心配は無い筈だった。
自己満足である事を自覚しながらも、姉を迎える弟も満足した。
安堵(あんど)したラインハルトは、ささやかな公私混同をする事にした。

惑星オーディンから惑星フェザーンへと、彼女としては生涯で初めてと成る恒星間の旅に、当然ながらワープ能力を持った艦船が使用される。
そのために宇宙戦艦ブリュンヒルトを派遣する事にしたのだ。

ヤン・ウェンリーとも和解した現状、惑星フェザーンと惑星オーディンを往復する時間的距離程度の間に
皇帝ラインハルトが陣頭に立つ様な武力発動は無い筈だった。
いささか強弁ながら、平和の到来を意味する政治的意味も存在しただろうか。

艦の側からしても、ラインハルトを乗せない初めての任務である。
そして極ささやかな小艦隊が同行していたが、その中に姉妹艦のバルバロッサが居た。
実の処、これは更なる公私混同である。
姉を迎える栄誉を友にも分けてやりたい感傷から出発していた。どう理由を付けたとして。
その理由を付けるためかどうか、ささやかな無理押しが付け加えられていた。

元々、アンネローゼは家庭的な人である。
自分の世話に他者の手を借りる必要は無く
後宮の人だった当時も、むしろ彼女と同じ立場の他の女性たちが日常生活を使用人に世話させていた様な、そんな生活とは遠かった。

しかし、今のアンネローゼは皇帝の姉である。
子爵夫人や男爵夫人を女官の名目で身辺に置いても可笑(おか)しくない。
少なくとも旧王朝であれば、むしろ其れが当然だったろう。
ローエングラム王朝と言うより皇帝ラインハルトには、そうした旧王朝の大ゲサな部分を冷笑する傾向すら公然のものだったが
しかし、こと姉1人に関係する事だと、基準を変えて仕舞う事が在り得た。

ラインハルトは姉の数少ない友人であるシャフハウゼン子爵夫人とヴェストパーレ男爵夫人を、女官の名目で新帝都に同行する事をすすめてみた。
特にマグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言う才女は、このまま衰退する旧帝都の「旧」貴族社会に埋もれるには惜しいとも想ったのである。
そのため皇姉の御座船として航行するブリュンヒルトを追走しているバルバロッサには、子爵夫妻と男爵夫人が乗せられていた。

……マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと言う貴婦人は、誤解をされている。

マグダレーナが言わば“逆ハーレム”まして貞操観念の無い女の様な誹謗中傷には
当時の貴族社会の悪意ある想像や行動力ある才女への妬(ねた)みが混じっていただろう。
実態としては、男爵夫人は「パトロン」だった。
当時の不公正な社会で、彼女の認識としてはムダ使いにすら成っている若い才能に、本来ならば相応しいチャンスを与えたいだけであり
彼女の視点からなら、そうした若い才能たちは「クライアント」だった。
そして現状でのマグダレーナは「クライアント」たちに新帝都行きをすすめたかった。

未来ある彼らに旧帝都の「旧」支配階級と運命を共にする義理など無く、これから尚も繁栄していくだろう新帝都に相応しい未来が在る筈だった。
そんな時に友人であるアンネローゼと其の弟から誘われた事は「クライアント」たちに新帝都行きをすすめる理由が1つ増える事でも在った。
かくして「引越し前の大掃除」が落ち着いて民間航路が再開された頃のフェザーン行き定期客船に、7人の芸術家が乗り合わせていた………。

……。

…皇姉一行がフェザーン市街地のヴェルゼーデ地区に用意された邸宅に到着した時、すでに惑星フェザーン中心地域の季節は秋も深くなっていた。

「引越し前の大掃除」の関係上、安全に成ってから皇帝は姉を呼んだ積もりだったのである。



[29468] 第55章『引越し前の大掃除』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/04 21:26
「遷都令」の翌日早々、皇帝は大本営に直属する提督たちを招集した。
「私人が住み家を引っ越す前でも、時と場合には引越し先の大掃除をするものだ」

『原作』では別な人物が別な意味を込めて言った、などとはザルツしか知らない。
まして聞いた側の受けた感慨(かんがい)は、まるで異なっていた。

そして専門家である憲兵総監の指示と助言に従うよう、皇帝から各提督たちに命令された。
もっともケスラーは、直接に各提督たちや指揮下の艦隊を指揮する積もりは無い。
提督たちに任された任務は、彼ら本来の宇宙艦隊としての任務である。

かくて惑星フェザーンの地表上から大気圏外へ、帝国軍の各艦隊は発進した。

ミッターマイヤー艦隊を本隊として、アイゼナッハ艦隊、ビッテンフェルト艦隊そしてミュラー上級大将はエル・ファシルに高等弁務官として残留したが
専用旗艦以下の少数を除いた指揮下の艦隊は副司令官らに預(あず)けられて皇帝本軍と帰還していた其のミュラー留守艦隊が
惑星フェザーンよりも新領土側の回廊を封鎖していた。
同様にロイエンタール艦隊を本隊として、シュタインメッツ艦隊、ファーレンハイト艦隊そして今度こそ再編成された
正し「5月の戦い」の後に“両元帥”艦隊の生き残りや修理した艦を引き抜いて来ていて、艦隊フォーメーションも再訓練中だったルッツ艦隊が
帝国本土側の回廊を封鎖していた。

とある独立商人の事務長は何時か「フェザーン回廊の封鎖など物理的に不可能」みたいな事をいったが、どうやら撤回した方が好いかも知れない。

同時に惑星フェザーンの地表上と地下では、ケスラー上級大将が直接に指揮する憲兵隊と首都防衛に当たる陸戦隊が、一斉検挙を開始した。
明らかに其れは、あらかじめ検挙すべき場所を特定していた計画的行動だった。
「旧」フェザーン自治領主府と地球教団の関係を完璧に熟知していない限り不可能な。

……憲兵本部の外部から遮断された屋内では「この」隠されて来た関係を知っていた1人の人物が、暗い笑いの発作をガマンし切れずに居た。

しばらく前まではフェザーン代理総督、そして更に以前は自治領主補佐官だった。
その補佐官だった当時に知っていた。フェザーンの影と闇を。
そのボルテックが突然、惑星フェザーンに赴任して早々の憲兵総監に拘束されたのは、身に覚えの無い密告が切欠だった。
自分を爆弾テロの黒幕として告発する、と言う。
だが、その密告を理由に今居る場所に連れて来たザルツ特命室長とか言う中将は、自分が無実である事など承知していた。
その上で協力を求めて来たのである。
いや、強制した。少なくとも無実を盾に勿体(もったい)をつけようとした瞬間、ボルテックが隠して来た秘密を突き付けて来た。

確かに「キュンメル事件」なんぞか起こって、地球教団が帝国の公然たる敵に成った時点で暴露しているべきだった。
それが皇帝ラインハルトに忠誠を申し出た以上は当然だったろう。
ついつい「旧」自治領主府時代に培(つちか)った策謀家を気取って秘密を抱(かか)え込んでいた処へ何処から入手したのか
それこそ地球の教団本部にでもしか存在しなかった筈の秘密資料を突き付けられて交渉の主導権を取られていた。
後は、知っている限りの情報を提供させられた上で、ルビンスキーたちを油断させるために憲兵本部の中に軟禁されていた。

……惑星フェザーンのみが一斉検挙の対象でも無かった。

無論、新帝都でもあり帝国本土と新領土を連結する中心でもあり、同時に「旧」自治領主府の本拠地でも在ったのだ。
フェザーンに対して最も力点が置かれる事は必然であり、そのためケスラー総監をワザワザ呼び寄せていたのである。

だが資料が暴いた策謀家たちは、経済国家だった当時のフェザーン利権と地球教の精神面からの影響力と
時にはサイオキシンへの依存か密売組織の線からの共犯関係まで用いて
当時の同盟と帝国双方の国家組織に浸透を続けていた。
帝国側で取り込まれた人脈の大部分はローエングラム改革によって失脚していたが
改革者は、直接に「リップシュタット盟約」に参加した敵対者以外に対して、失脚以上の復讐を加えていない。
まして同盟に対しては「バーラトの和約」と「冬バラ園の勅令」で国家そのものは追い詰めながら、個人に対する復讐者とは成らなかった。

基本的には皇帝ラインハルトを評価すべき処だが、今回だけは
あらためて検挙すべき対象が旧帝都オーディンにも「旧」同盟首都ハイネセンにも居た事に成る。
当然ながらケスラー総監は惑星ハイネセンの副総監にも、旧帝都での任務を委任して置いた部下にも検挙リストと命令を発した。
しかし超光速通信などは論外である。もっともらしい出張理由をつけた部下を派遣して命令文書を手渡しさせなければ成らなかった。
7月1日に主君である皇帝から命令を受け、直接に資料を解析した実務者から報告を受けながら、7月30日まで準備を置いた理由の1つである。

その1ヶ月近い間の秘密保持も密かに関係者を疲労させていた。
特に地球の教団本部が壊滅した約1年前の時点での“最新”資料を入手していた事を、絶対に検挙対象に知られては成らなかった………。

……。

…とは言え、フェザーンが最重要対象だった事も事実である。

そのフェザーンでは続々と検挙者が憲兵本部に連行されていた。
だが其の中に、人名としての最重要対象が居ない。
星外への脱出は在り得ない。そのために宇宙艦隊ほぼ総動員の協力体制を取り付けたのだ。
駆逐艦かワルキューレの哨戒に何度か引っかからない限り、帝国本土側へも新領土側へも其れこそ物理的に脱出不能だろう。
「辺境回廊」ほど狭(せま)くは無くとも、回廊の外側の恒星間空間ほどフェザーン回廊は広くも無かった。

……ザルツの脳内考察でも逃げられている可能性は少ない。

『原作』でフェザーンの地下から行方をくらませたルビンスキーが惑星ハイネセンに出現出来たのも
「新領土の叛乱」のドサクサまぎれだったからだ。
“現”に回廊を封鎖している宇宙艦隊が、回廊を出て新領土へと留守にしていて、それも敵味方に分かれて戦っていたのである。
しかも戦った結果、解体された側の軍が名称からも「新領土“治安”軍」だったのだ。
そのドサクサまぎれに回廊を出て、新領土の惑星ハイネセンに潜伏していたのだろうが、同じ真似(?)は出来ない筈だった。

だが、ルビンスキーは惑星フェザーンの何処に居るのだ?………。

……。

…さらに旧帝都から超光速通信が皇帝への接続を要求して来た。民政尚書から皇帝への抗議の申し入れである。

オイゲン・リヒターとカール・ブラッケの思想は
ゴールデンバウム王朝が確信犯的に模倣して来た時代に、彼らと似た様な立場に居た者たちが主張していた啓蒙思想に近い。
だがリヒターが自らの理想を実現する目的のためならば、半歩ずつでの前進と言う手段も選択する事に比較すると
ブラッケは到達すべき理想に到達してこそ、前進と考えがちだった。
そんな相棒をリヒターは「1歩でも半歩でも、前進は前進だ」と諭(さと)すのが常だったが。
そんなブラッケからの抗議申し入れに対して皇帝は、財務尚書との立会いの上での通進接続を認めた。
異存は無かった。むしろリヒターはブラッケが余分な事を言い出さないためにも喜んで立ち会った。

皇帝執務室の画面の中に、新帝都への移転準備で忙殺されている筈の民政尚書と財務尚書が呼び出されると
皇帝は尚書に発言を許す前に、用意しておいた資料を通信回線に連結させた。
ユリアン・ミンツが提供しザルツ中将が解析していた資料の中から、ヨブ・トリューニヒトの名が出た部分を集積した結果である。
その内容は啓蒙思想家であるブラッケやリヒターに民主共和主義の理想を語り
帝国を立憲体制に移行する遠大な構想を説いていた雄弁家の正体を、残酷なまでに暴露していた。

資料の再生が終わると画面の向こう側では、ブラッケが用意していた抗議の言葉を消失し、そんな相棒をリヒターが宥(なだ)めていた。
民政尚書に代わって取り成す財務尚書に対して皇帝は、無かったことにした。
しておく必要が無くも無かった。
あの妖怪的な保身名人は「旧」敵国に連れて来られて1年と少しで、どうやって潜伏先を用意したのか
むしろ感心すらしそうな見事さで、惑星オーディンの地表上から何処かに行方不明に成っていた。

それでも、かつては権力者だった「旧」同盟領なら(ともかく)「旧」敵国だった帝国本土で高額の懸賞金まで設定されては
潜伏も其れだけ困難な筈だ。
何時かは「旧」同盟領かフェザーンへと逃亡するか、あるいは共犯者たちの地下組織に合流するか、するだろう。
最悪なのは「旧」同盟領、それも今は「外国」とハッキリ承認しているエル・ファシルに逃げ込まれる事だ。
特にフェザーン回廊に比較すれば、どうしてもケスラー憲兵総監の目も行き届き難い「辺境回廊」を通り抜けられたら、距離的にも近道だったりする。
旧帝都から「両元帥の基地」まで道沿いの各駐留部隊に対して、トリューニヒトが指名手配されていた………。

……。

…ウルリッヒ・ケスラー上級大将はローエングラム王朝に仕える憲兵総監であり、民主共和国家の人権運動家では無い。

テロとの戦い、と言う目的のためならば自白剤と言う手段でも選択する。
正し、対象のテロリストが狂信者でもある場合、拷問とかは殉教させてやるだけで欲しい情報は得られないだけだった。
今回、その対象は幾らでも存在した。そうして得られた情報を元に、次なる弾圧を用意するのである。

ザルツ中将は転生者だと言う秘密を公言してもいないが、拷問の証拠価値は低く見積もっていた。
そのザルツにしても、自白剤ならば理論上は拷問と異なって、薬が効けば其れだけ本当の事しか喋(しゃべ)れなく成るとも考えていた。
何せ「前世」にすらニュースには成っていた“カルト”などと言う代物が、現状での敵なのだから………。

……。

…そうした状況をある程度までは予測出来るのだろう。

「黒狐」は其れこそ童話が擬人化した狐の悪知恵で慎重に潜伏していた。
そんな潜伏先でも快適と快楽を確保しているのは黒狐らしいが。
しかし今回だけは、策に溺れたことを認めざるを得なかった。
代理総督を名指しで罪をなすり付けようとした密告が、ウラのウラを読まれていた。
それでもギャンブルを降りる積もりなど、さらさら無かったが。

そんな父親を見詰める息子と嫁の態度は、以前よりも変化していた。
帝国軍の「大掃除」以前ならば“ヤン・ウェンリーの息子”がフェザーン回廊どころか地球まで帝国軍の臨検をかい潜って往復出来たのだから
「神々の黄昏」当時に惑星ハイネセンに居た筈の黒狐の息子が、惑星フェザーンまでの片道潜行を出来ない事も無かっただろうが
その息子の目に映る父親は、かつて息子が奪い取ろうとしたものを未だ持っているだろうか。
可能ならば証明して欲しかった………。

……。

…摘発当日から1週間ほどで「引越し前の大掃除」の、とりあえず最初の大騒動は静かに成った。

脱出しようとするテロリストの発見も途切れた宇宙艦隊を惑星フェザーンの地表上に戻して、さて帝国軍と言うよりも帝国政府は
旧帝都からの移転と新帝都の建設と言う大仕事を再開していた。



[29468] 第56章『夏の終わりのバラ』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/05 18:36
新帝国暦2年8月の新帝都フェザーンで、ザルツ中将は真面目に忙(いそが)しかった。
そんな忙中のヒマにザルツは、久々の御節介を実行していた。

かつてザルツは、キルヒアイスと妙に大人の味がするビールを飲んだ経験を持っていた。
だが其の少しばかり後から、ラインハルトは姉と同居し始めた。またヒルダは元々から伯爵令嬢である。
もしかすると、その後それ以上に進展するには都合が悪かっただろうか?
とは言え “現状”ではラインハルトの姉は未だ旧帝都だし、ヒルダの父親も新帝都に来たばかりだ。
もっとも詮索するには臣下の分、と言う事も在った。

未だ皇帝は「神々の黄昏」作戦当時に接収したホテルに大本営を置き続けていた。
精確には私室と執務室、そして其々(それぞれ)に付属する各室や警護用の詰室として其々に1階分ずつを使用していたのである。
そして当然の様に軍務尚書キルヒアイス元帥は、皇帝私室の1階下の私室から軍務省の仮庁舎として接収した建物に通勤していた。

余談ながら最近ヒルダが父親と同居し始めていた邸宅は、その少し前に代理総督だったボルテックから提供されたものだった。
とんでも無い無実の罪をきせられかけて、どうやら自分の地位が如何(いか)に「旧」上司の恨みを買うものであり
危険だったかを再認識したらしい「前」代理総督は、自分から平穏な年金生活に入ることを申し出て
「旧」自治領時代以来の邸宅も進んで(?)提供したのである。
そして提供を受けた側では、旧帝都から移転して来る国務尚書に下げ渡したのだが
この邸宅に父親が引っ越してくるまでのヒルダは、大本営からは近くのホテルに宿泊しながら通勤していた。

若い2人には好い機会だった(?)ろうか。何と言っても“あの”2人である。

……ザルツが本来ならば不敬に当たる事を考え始めたのは「反則」知識を持っていたからだ。

ラインハルト自身の「残り時間」もアレクの誕生も、言わばカウント・ダウンに入りかけている。
そして、幸か不幸か『原作』での切欠だった悲劇は2つとも回避されていた。
あれやこれや自分1人で悶々(もんもん)とした結果、ザルツは御節介な小細工を久々に仕掛ける積もりに成った。
実の処「引越し前の大掃除」の時に死に損なったテロリストたちに自白剤を使用したりしながら忙しくしていると
主君と世継ぎに関係している事を考えれば不謹慎ながら、好い気晴らしにすら成っていた………。

……。

…そんなザルツは、とある事に気付いた。

キルヒアイスの朝帰りである。
旧帝都から憲兵総監が遣って来て憲兵本部の仮庁舎が接収されるまで、特命室長も軍務省に間借りしていたのだが
そのころ軍務尚書として徹夜仕事をしてからホテルの私室に帰る処を何回か目撃していた。
ところが其れが、ヒルダの父親が新帝都に引っ越してから途絶えている。
キルヒアイス元帥の立場も護衛の憲兵が目立たない程度に尾行する位には重要だから、ザルツの立場でも其の程度の情報は入手可能だ。
そんな積もりで思い出してみれば、何時か奇妙に大人の味がしたビールを付き合った時の様な顔と態度だった様な気もした。

……とある日。軍務尚書はザルツ中将から相談事を持ちかけられた。

未だ少佐だった頃のキルヒアイスだけがラインハルトの側に居た頃に接近して来た古参では在る。
ただ、そうした馴れ馴れしさを普段は見せないだけだったが、その意味では珍しいだろうか。
名目は内務次官からの内密の相談が在る、と言う事に成っていた。

内務次官と言っても“内国安全保障局長”では無い。皇帝戴冠と同時に新政権が発足して以来の内務次官は
『原作』では爆弾犯人を逮捕した保障局長に地位をうばわれたモブキャラクターだったが、“今”は新任地に赴任していた。

皇帝ラインハルトは新帝都に駐留させるヤン・ウェンリーと交換にミュラー上級大将をエル・ファシルに残留させたが
同時に高等弁務官を補佐する文官の人事では、軍務を除く9人の尚書を補佐していた次官級から志望者をつのる事とした。
この人事によって自治共和国に対しても、次官に補佐される尚書と高等弁務官が同格であるかの様に見せる政略的意味も在った。
また、その次官の後任に同盟駐留の高等弁務官を補佐していたユリウス・エルスハイマーを等価交換の様に任じる事で
エルスハイマー補佐官や上官のルッツ高等弁務官が、任務に失敗して左遷などされていない事を確認させる意味も在った。
そしてエル・ファシルからフェザーンへの帰途に在った旗艦ブリュンヒルトから
早くも皇帝が国務尚書に通信した指示に従って次官たちに呼びかけた結果、内務次官が応じたのである。

「前」内務次官としては当然だが、皇帝の名による辞令を受け、同時に新任者に引継ぎをして赴任する。
しかし「この」時点で皇帝はエル・ファシルからフェザーンへの帰途であり
後任の次官はルッツ上級大将ともども惑星ハイネセンからフェザーンに戻って待機していた。
片や「8月の新政府」の発足式典にはミュラーの隣で出席しなければ成らなかった。
旧帝都オーディンからエル・ファシルへと赴任するだけなら「辺境回廊」を抜ければ最短だったろうが、それは出来ない。
結局、フェザーンでエルスハイマーへと次官事務を引き継ぎ、帰還早々の皇帝の名で辞令を受けると其のままエル・ファシルへと赴任して行った。

片やエルスハイマー内務次官も「この」時点では「遷都令」前であり、未だ内務省が存在していた旧帝都へは戻らず
そのままフェザーンで近く公表される「遷都令」に従って内務省が移転して来る其の準備に任ずる事に成った。
本来、地方行政を担当する内務省である。
今や新領土と成った「旧」同盟の各地方自治体を新帝都フェザーンに連結しながら再編成するプロジェクトは
すでに新帝都が決定しているフェザーンで今から始めても、悪い事は無かった………。

……。

…内務省が旧帝都から移転し切っている訳でも無いのに、内務次官がフェザーンに居て軍務尚書に相談しているのは、そう言う訳である。

だが、エルスハイマーの相談は完全な私事だった。
妻の兄であるルッツ上級大将が、この前の入院を切欠として急に結婚する事に成っていたのである。
しかし、士官の結婚は軍務省へと報告される、と言う旧王朝の法は完全な廃法に成ってはいなかった。
廃法になっていたのは、爵位持ち貴族と同じ家門の出身者は典礼省の管轄とする、と言う法だった。
したがってルッツの結婚は、軍務尚書であるキルヒアイスへと報告される事に成るのである。

キルヒアイスは了承した。と言うよりもルッツから正式の書類が出て来れば拒否する理由など無かった。
明らかにホッとして見せたザルツは「実は、もう1件」などと言い出した。
シュタインメッツ上級大将が、もう5年来の恋人との結婚を先送りにしている、と言う。
どうして、そんな事を知っている?などと言った質問はしない。
このザルツと言う人物の情報実績と特命室長と言う現状での立場からすれば、可笑(おか)しくも無いだろう。
キルヒアイスが疑問に想ったのは、なぜシュタインメッツが結婚しなかったか?と言うこと自体だったが
ザルツは、こちらの方の回答には勿体(もったい)を付けた。

そして斜め上なばかりか「恐れ多い」事を持ち出した。
皇帝ラインハルト陛下と伯爵令嬢の進展についてである。
流石に聡明なる赤毛の元帥も絶句させられていた。

……結局キルヒアイスは、その店では最も御すすめのワインと、ザルツの提案する小細工を持ち帰っていた。

8月29日。
戦没者墓地の完工式が挙行された。

誇り高い「黄金のグリフォン」にとっても感傷的に成らざるを得ない日だったろう。
まして、その日の他の公務を終了した後、夕陽の中で挙行されれば。
それに「5月の戦い」で初めて出たローエングラム陣営直属からの戦没者である両元帥の名も、この墓地には刻(きざ)まれていた。
正し、名前だけで身体は無い。ケンプには家族のための墓地が旧帝都に用意されていたから、と言う理由ならばレンネンカンプは独身だった。
宇宙の戦いでは、乗艦ともども未帰還、と言う結果が少なくも無いのだ。
この墓地でも、名前だけを刻まれた未帰還者が相当数を占めていた。
そうした事も感傷をさそっただろうか?

……式典そのものは粛々(しゅくしゅく)として終わった。

とある悲劇が回避された結果だとはザルツ中将しか知らない。
「引越し前の大掃除」の結果「不逞(ふてい)のやから」が弾圧された成果だろう、とは出席者たちも考えただろうが………。

……。

…その夜。流石に感傷的に成っている金髪の友人に対し、キルヒアイスは「例」の酒瓶を開封した。

そして、適当な処で軍務省に適当な仕事が残っている事を口実に、ラインハルトとヒルダだけを残して席を離れた。
その夜。しばらく振りにキルヒアイスは、軍務省から朝帰りした。

……翌朝。特命室長ザルツは憲兵総監から親衛隊長への用件を持って来た。

「引越し前の大掃除」の時に死に損なった地球教徒に自白剤を使用した結果、皇帝警護に関係して作成出来た資料を手渡しながら
何気なさそうに「昨夜」の幕僚総監の退出をたずねてみた。

拒否権を使われてザルツは脳内で想ったものだ。
どうやら、第2代の皇帝にも仕える事は出来そうだ。



[29468] 第57章『とある年金生活の希望者』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/06 14:17
ヤン・ウェンリーと言う人物は、無責任に彼を英雄視する者たちを失望させるほど年金生活への憧(あこが)れを公言し続けていた。
しかし宇宙暦800年の8月が9月に変わろうとする頃に成っても、理想の年金生活は今だに遠く
どうやら給料分くらいは、仕事をしないと成らない様だった。

かつて自由惑星同盟がフェザーン自治領に駐在させ使用していた弁務官府と高等弁務官公邸は
ふたたび同様な使用目的のために利用されていた。
とは言え、どうしてもヤンには仮住まい感覚が抜けない。
結局の処、知性よりは感情に属する理由だろう。
この公邸歴代の住人たちとヤンとは、互いに理解を放棄している精神世界の住民だった。

そして公邸や弁務官府の周辺には、常に数台の地上車が停車していた。
Mrs.キャゼルヌの言い分では無いが「公費で盗難の心配をしないで済む様にしてくれている」と考える事にはしていたが。
もっとも、この邸宅の防犯を心配するならば、ワザワザ帝国軍の憲兵隊を当てにするまでも無かった。

皇帝ラインハルトは、ヤンと交換に残したミュラーに付けたのと同数の警護兵数を、ヤンが同行させて来ても認める積もりだった。
その積もりが、ヤンには無かっただけで。
しかし、ヤン当人以外に悪い言い方をすれば悪ノリしたものが居た。

何のかんのと言っても、ヤンに同行してフェザーンまで行きたがった者も「不正規隊」には多かったが
どうしてもイゼルローンなりエル・ファシルに残らざるを得ない者も居た。
例えば、要塞の管理者であるキャゼルヌだ。和解の条件として帝国軍にワープ・エンジンを破壊させる、と言う実務も在ったのだから尚更。
また、エル・ファシル永住を認められたメルカッツも、自治共和国の外へ出る事は遠慮していた。
艦隊を預(あず)かる副司令官の入院が長引きそうな事も助長し、その穴を埋めてもいた。

結局、ヤンの同行者としてはヤン個人の家族である夫人と息子。
駐在武官の名目でアッテンボロー。
警護部隊としては「薔薇の騎士」から選抜中隊。「選抜」と言う事に成ったのは、連隊の各部隊で志願者が出たためだ。
その選抜したシェーンコップに、なぜか本来は空戦隊の筈のポプランまでが警護の名目で遣って来ていた。
もっともルイ・マシュンゴが同行していた事は、ヤンも自分の事よりも息子のために素直に喜んだが。
しかし、シェーンコップの娘でポプランの教え子までが紛(まぎ)れ込んだ事までユリアンのために喜んだら、公私混同の様な気もした。

流石に自分が地球教団の暗殺対象だったと言う事実まで、ヤンも無視は出来なかったが、今は安全の筈だった。
特に帝国側が「引越し前の大掃除」を決行した後であれば………。

……。

…その日のヤンは、ユリアンをカリンと街に送り出していた。

実の処「親」の立場としては、息子に聞かせたくない相談事も自分の友人とはするものだったりする。
その日、高等弁務官公邸を訪問したのは、とある独立商人だった。

ユリアンたちを地球から「帰宅」させた後も「親不孝」号は、フェザーン独立商人の立場から「ヤン不正規隊」への協力を続けていた。
もっとも自治共和国ないしは帝国との条約が成立した時には、シッカリ報酬と成るだけの商業利権は確保していたが。
ヤンの視点からしても、いっそ首尾一貫していて納得出来た。

ともあれ、今日のヤンとボリス・コーネフは其々(それぞれ)の立場から其々に入手できた情報の交換と確認をしていた。
それだけなら基本的にはユリアンにも隠す積もりも無かったが「親」の立場としては…に類する話題が出るかも知れなかったからだった。

……帝国軍のザルツ中将には「反則」知識が在った。“9月1日”に惑星ハイネセンで実施される、とある集会に関係して。

「奇蹟の魔術師」は、人知の限界を超える予言者では無い。入手可能な情報から到達出来る限りの場所まで到達していただけだ。
そのヤンが注目していたのは、帝国軍が7月30日に続いて実行した摘発である。
当日が8月末日だった事、惑星ハイネセンを対象としていた事の意味をボリスと確認していた。

「やはり「あの」集会か」
帰還兵たちが自主的に発案し準備していた慰霊祭が、主催者の予定通りに粛々(しゅくしゅく)と挙行され、終了していた。

「ワーレン提督みずからシトレ「元」元帥を招待して、協力を要請したそうだ」
シドニー・シトレは、現状の自分は単なる私人であり1人の参加者に過ぎない、との前提を置きつつも
自分も予定通りに慰霊出来ることを希望する、と答えた。
「校長らしいな」
そのシトレ校長や主催者たちとは逆の思惑から参加者に紛(まぎ)れ込もうとしていた暗躍者たちは
7月30日と8月末日の2回の弾圧で参加不能に成っていた様だった。

「おそらく旧帝都オーディンは兎も角(ともかく)このフェザーンでも、ハイネセン同様に2回目はあるだろう」
1回目の摘発で拘束されたものには自白剤を使用してでも次の弾圧のための証拠を用意している筈だった。
ある意味では極(きわ)めて素直な民主主義の思想と感性を持つヤンの好みでは無いが、帝国軍の行動は読めて仕舞う。
帝国軍にとってはヤンたち相手とは完全に異なる形の戦争であり、ヤンとカイザーの間で出来た様な和解すら恐らくは不可能な敵なのだ。
「だろうな」
これも素直にフェザーン独立商人らしい気質と発想のボリスも、ヤンに同意していた。

「もっとも帝国側の弾圧だけじゃ無いな。ヤン。あんたのせいでもある」
不敗の「奇蹟の魔術師」や難攻の要塞を当てにして帝国軍に抵抗しようにも、ヤン本人は皇帝ラインハルトと和解して仕舞い
皇帝と同じ新帝都フェザーンに連れて行かれていた。
そして民主共和政治は「エル・ファシル自治共和国」と言う形式で、とりあえずは温存されている。
これでは帝国軍へと抵抗する気力も奮(ふる)い立て難いだろう。
だいたい、皇帝ラインハルトの治世は善政なのだ。大多数の一般住民にとっては、同盟末期の例えばトリューニヒト政権時代よりも。

歴史家“楊文里”としては、ご先祖が生活していただろう古代チャイナ帝国に想いをさかのぼらせていた。

古代チャイナ帝国の後漢王朝は、人口5千数百万人の臣民を養いながら、繁栄から緩やかで穏やかな衰退へと向かっていた。
だが其の統一と平和が破れた後、群雄割拠の果てに「天下三分」が成立した時点で
その三国が何とか作成出来た戸籍上の人口は、三国を合計しても500万人前後だったとも推定されている。

ふたたび漢王朝時代の人口をチャイナ帝国が超えるのは「三国」から「南北朝」の分裂時代をへて
漢帝国に続く長期統一王朝としては2つ目と成る唐帝国の時代、日本史では遣唐使の時代として知られる政権の下と成る。

いかなるイデオロギーや理論よりも、この生々しい数字によってチャイナ帝国の皇帝たちは正当化されるだろう。

ローエングラム王朝の成立以前に人類の総人口が最大と成ったのは、ルドルフ大帝時代の3000億人で間違いない。

だが「アスターテ星域会戦」時点で帝国に限れば250億人、同盟とフェザーン自治領を総計しても400億人にまで減少している。
これは対同盟戦争が大きな理由の1つに違いないが、直接の戦死者のみが原因では無い。

同時期の、とある統計によれば帝国:同盟:フェザーン自治領の国力比率は48:40:12と試算されており
これと250億人:130億人:20億人と言う其々の人口から1人当たり国力を求め、かつフェザーン自治領を1とする指数に換算すると
計算結果は0.32:0.51:1と成る。
この結果から見ても、当時の帝国臣民それも平民階級が戦争のみならず多大な負担の下に疲弊していた事
それが人口減少の理由にも成っていた事が推察される。

片や、同様に疲弊していた筈の同盟の人口が16万人から130億人まで、兎に角(とにかく)も増加していた。
これは帝国からの流入人口が増加の最も直接的な理由と考えるしかない。
特に「アスターテ」当時の同盟は、流入以外の増加力を消失していた可能性が高い。
これは帝国臣民の人種がヨーロッパ系、それも姓名からしてドイツ系に平民階級までもが限定されている事
逆に同盟の人種、人名が地球時代の移民国家並みに“サラダボール”状態である事から推察してみても
それらの系統は帝国から同盟へと流れたと見るべきである。
更には「ダゴン星域会戦」での同盟側の動員兵数から見ても「ダゴン」以前から非公然の地下組織によって
すでに流出と流入は始まっていたのだろう。
最初に同盟と接触した帝国側の戦艦は、そうした流出者たちの追跡者だったのでは無かったか。

話題を戻せば、ローエングラム王朝発足の時点で帝国本土に限っても、人口3000億人分の潜在的居住圏が確保されていたのである。
しかも「この」3000億人は、銀河連邦が開拓時代に持っていた活力と人口増加力を消失した以後の事であり
だからこそルドルフは、社会の再活性化をもって自らを正当化したのだ。

そして皇帝ラインハルト1世が新領土を征服した事は、単純に言っても「その」居住圏を倍増した事でもあった。
更にラインハルト1世の基本政策を言い換えれば、先の0.32:0.51:1だった指数を1:1:1とする事が目標でもあり
それが達成され維持されれば、無理に強制する事も無く自然に人口は増大する筈だった。

……ローエングラム王朝の第8代皇帝の治世下では、帝国の人口統計に重要な通過点が示されている。

帝国本土の人口がゴールデンバウム王朝時代の、新領土の人口が銀河連邦時代の其々の最大人口を、それぞれに突破したのである。
この両者が同時代と言う結果に成ったのは、ローエングラム王朝の皇帝たちが帝都フェザーンの両側をまったく非差別的に統治し
同時にフェザーン回廊は人口の移動に対しても完全に開かれた連絡通路だった理由による。

いかなるイデオロギーや理論よりも、この生きた数字によってローエングラム王朝の皇帝たちは正当化されるだろう………。

……。

…当然ながらヤン・ウェンリーは、後世の歴史家として「この」議論に参加する事は出来なかった。

宇宙暦800年の秋。この時点で今だヤンは、歴史の中に居た。



[29468] 第58章『深く静かなる潜行』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/08 21:38
宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥は「同盟側の灯台」星域にガイエスブルグ要塞を移転し修復する任務に
同じく統帥本部総長ロイエンタール元帥は「帝国側の灯台」星域にガルミッシュ要塞を移転する任務に従事していた。

任務完了してミッターマイヤー艦隊旗艦「人狼」とロイエンタール艦隊旗艦トリスタンは、艦首を並べて惑星フェザーンの大気圏に突入した。

旧帝都オーディンに存在していた軍用宇宙港を新帝都にも再現すると言う、軍務・工部両省の合同プロジェクトは
首都建設長官の異才と実行力にも助長されて着々と実現化している途上だった。
例えば宇宙戦艦ブリュンヒルトとバルバロッサの姉妹は、旧帝都と同様に隣同士のドックに並んで休んでいた。
その「白鳥」と「赤毛」の姉妹に並んでエル・ファシルからフェザーンまで戻って来た筈の宇宙戦艦ヒューベリオンが
本来は商港である軌道エレベーター上のフェザーン宇宙港に入港したままなのは、何処か御愛嬌だったが。
これは帝国と「旧」同盟では設計思想と戦術上の前提が異なっていたのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
余談は兎も角(ともかく)「白鳥」と「赤毛」姉妹と同様に「人狼」とトリスタン姉妹も隣同士のドックに並んで、翼を休めた。

そして港内の通路を移動しながら、早くも携帯型の通信端末を取り出して私信を送っている疾風は、相棒には見慣れたものには成っていた。
だが最近のミッターマイヤーはロイエンタールに向かって「俺を待っているのは1人、卿は2人」などと言ってくる。
微笑と苦笑を同時にするしかない「かつての」女たらしだった。

……大本営で皇帝へと任務完了を報告した後、地上車で帰宅していく。

ミッターマイヤーが、そして彼の両親に引き取られたエヴァンゼリンが育てられた、そして今も両親が暮らしている様な家が疾風を待っていた。
この我が家にミッターマイヤーは完全に満足していた。少なくとも何処かの門に柊の付いた邸宅よりも余程。
そう言った邸宅は資産家の息子であるロイエンタールと有力家門の娘だったエルフリーデの方に似合うものだと、ヒガミも無しに考えた疾風だったが
エルフリーデの方がエヴァンゼリンと隣同士である事の方に安心したがった。
ミッターマイヤーとしては、お嬢様育ちだろうエルフリーデの事を生真面目に心配したのだが
ロイエンタールが父親から相続した資産が在って、ここがフェザーンならばハウス・キーパーとかを通勤させるのに不自由は無かった………。

……。

…エルフリーデがエヴァンゼリンを頼みにするのも無理は無い。

フェザーンに大本営を移してから「マル・アデッタ」へと出撃するまで、双璧もホテル生活をしていた。
そうした面では趣味の好いロイエンタールが選択したホテルは設備もスタッフも充実しており、相棒も文句は付けなかったが
しかしエルフリーデを連れ込んでいた事にだけは笑えなかった。

そのまま双璧が出撃した後、エルフリーデは同ホテルに居残っていた。
身重の箱入り娘でも其の身の回りに関係する限り、プロのスタッフは信用出来たし
特命室長の視点からも、彼女の近くをウロウロするかも知れない変なやつらを監視する手配が遣り易かった。
しかしエルフリーデの精神的な支えとして信頼されていたのは、超光速通信を通じて、でながらもエヴァンゼリンだったのである。
そんな状態で彼女はフェリックスを出産したのだった。

そんな経過をへて、新帝都にミッターマイヤー夫人を呼び寄せてからの双璧の「我が家」は
まるで何年か前のミューセル家とキルヒアイス家の様に寄り添い合っていた。

……その我が家に帰る地上車の中で、疾風は散文的きわまる話題を持ち出した。

元々、愛妻の前で心配させる様な話題をもらす疾風ではない。
だからこそ愛妻の顔を見る前に、“心配事”に類する話題は脳内から出して置きたかったのである。

7月30日から数日の回廊封鎖は、直ぐ近くに惑星フェザーンと言う最大の後方支援が期待出来る拠点が存在していたから可能だったが
それでも数日間の短期決戦には他ならなかった。
無論、双璧をはじめ帝国軍の宇宙艦隊は、取り逃がしたとは想っていない。
テロリストたちが主な目標で間違いなかったが、オマケの様に拘束した刑事犯罪者や密輸業者の数からしても
惑星フェザーンの地下に潜伏していたテロリストたちは惑星外へは逃亡出来ていない筈だ。
さて問題は、これからである。

長期かつ恒常的な哨戒体制をどう構築するかだ。その回答が今回の任務だった。
回廊の両側に、最低でも1個艦隊以上を常駐させて活動させられる拠点を確保出来た。
以後、ローテーションを組んだ艦隊を交代させながら、回廊の両側で出入り口を哨戒し続ける事に成るだろう。

「ワーレンは何時かフェザーンに戻してやりたいな」
男やもめのワーレンは自分の両親、子供の祖父母に幼い息子を預(あず)けて新領土に駐留している。
そのワーレンは私情ながら、ローテーションで交代すればフェザーンに戻って父親らしい事が出来る様にしてやり
新領土には独身の誰かを交代に駐留させるのも好い様に想えた。
「しかし、そう成るとルッツやシュタインメッツも候補から外(はず)れるな」
「それもそうだな」
仕事の話は其れくらいにして置いた。地上車が我が家に近付いていた………。

……。

…こちらは新帝都から離れた「両元帥の基地」である。

同基地では帝国本土から「辺境回廊」を抜けて来る船舶を見逃さず臨検していた。
ヨブ・トリューニヒトその他に対する指名手配を受けていたのである。
もっとも今回の臨検対象は、別に問題ないだろう。

独立商船「親不孝」号。申請された航路、目的は旧帝都オーディンからエル・ファシル自治共和国へと、とある乗客を運ぶ事である。
ここまでだったら見逃せない申請内容だったし「5月の戦い」時点で同船の活動が発覚していたら、最優先で拿捕すべきだったろう。
しかし自治共和国と帝国、と言うよりも皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリーとの和解が成立している現状では、逆に信用するべき船名だった。
少なくとも、ヤンと指名手配の対象との過去から考えれば、密航させるよりも突き出して来るだろう。
そして申請されていた乗客にも納得出来た。
自治共和国への永住が認められたメルカッツの妻子たちだった………。

……。

…惑星フェザーン。地下の何処か。黒狐は最近、しばしば悩まされている頭痛から、しばしの解放を得ていた。

そんな時は、未だに微妙な距離を詰めない息子よりは嫁に向かって語りかけたりする。
こうした話題で好く出る名前として、個人名で皇帝ラインハルトの次に多かったのはケスラー上級大将だった。
憲兵総監・兼・帝都防衛司令官として直接の対手であるのだから当然だし、その下に居る中将クラスの名前まで、いちいち知らない。

そんな黒狐にとってはモブキャラクターみたいな者よりも、関心を持たざるを得ない事が在った。
なぜか彼や共犯者たちの陰謀が、憲兵本部に先読みされている事だ。
「遷都令」直後の一斉摘発は「ヤン・ウェンリーの秘蔵っ子」が地球から持ち出した資料によるものである事は帝国側も隠さない。
むしろ、この資料提供もヤンとの和解を意味するものとして宣伝されてすらいる。
だが当の資料そのものは、“1年”も前に健在だった当時の教団本部から持ち出されたものだ。
“それ”以後に実施された筈の策謀にまで先読みされる理由には成らない。むしろ逆の筈だった。
ケスラー以外の固有名詞に思い当たりが無いだけに、なまじ策謀家の黒狐としては考えざるを得なかった。
こう成ると、余計に頭痛がジャマだった。

……銀河の何処かで黒狐とは互いに利用しようとスキを探り合いながら、やはり策謀をめぐらせている者が他にも居た。

地球教団の大主教ド・ヴィリエは「うたがいの心が見えない幽霊を生んで」いた。
教団内部での主導権は「総大主教」の権威を借りて取り戻したものの
彼の主導で実行される筈のヤン・ウェンリー暗殺と、それに続く銀河の動乱継続は不発に終わっていた。

詳細が判明すればするほど帝国軍の行動は
教団、と言うよりはド・ヴィリエの陰謀に関係した余ほど精確な情報を入手していた、としか解釈出来なった。
それでは何処から其の情報が漏洩したのか?
宗教組織の幹部であり、他者には信仰と言う思考停止を強要しながら
ド・ヴィリエ当人の発想は「転生」などと言った神秘から、トリューニヒトやルビンスキーと同程度の距離を保持していた。
それゆえに、そう言う意味での「幽霊」を生んでいた。



[29468] 第59章『双頭の鷲』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/09 22:23
かつて古代ローマの軍団は、それぞれの軍旗の頂上に銀の鷲を飾っていた。
ゆえにローマ帝国の栄光と強大さを模倣しようとする者たちは、しばしば「鷲」の紋章を採用した。

特に東西に分裂する結果と成ったローマ帝国それぞれの後継者を称する2つの王朝
西ローマ帝国の後継者たる神聖ローマ皇帝を称したハプスブルク王朝と、東ローマ帝国の後継者を称したロマノフ王朝は
いずれも「双頭の鷲」を王朝の紋章とした。
すなわち「双頭」はローマ帝国が東西に2分された事を現す、だが「双頭」の更に頭上には只1つの宝冠が輝く。
それは自分こそが、東西に分裂したローマ帝国を再統一する正統の後継者であるとの主張だった。

そして銀河帝国を出現させたルドルフ大帝が「双頭の鷲」を模倣したのは
おそらくは自分こそが古代ローマ帝国以来の統一と平和を人類に与えるのだ、とでも主張したかったのだろうか?
だがゴールデンバウム王朝の支配による結果は、銀河の2分と戦乱ないしは3分だった。
「双頭の鷲」の頭上に輝く1つの宝冠、と言う図像が象徴する理想を実現したのは
ルドルフの視点からは「簒奪者」である事をむしろ誇りとした、ラインハルト・フォン・ローエングラムだったのである。

―――――――――――――――――――――――――ユリアン・ミンツ編集「ヤン・ウェンリー=メモリアル」より抜粋

この「メモリアル」が皇帝ラインハルト1世に対する、同時代人からの最も公正な評価だと言う事は
後世の歴史家にとっての通説ですらある。

この「抜粋」にも書かれている通り、ヤンは皇帝であるからと言う理由でラインハルトを、共和主義の教条通りには否定していない。
いなかったからこそ「エル・ファシル自治共和国」と言った形での和解も可能だったのだが
その和解を、自分たちが便乗すべき武力で皇帝ラインハルトに抵抗する勢力の消失、としか解釈出来ない者たち
ローエングラム王朝の建設する新秩序よりも、自分たちが権力者と成る事を重要視する者たちが
ヤンとラインハルトの和解の後にも存在していた。

ヤン個人も、そんな者たちに暗殺対象にされた過去は認識していたものの
新帝都フェザーンに滞在していた頃のヤンは、自分に対しては“意趣返し”の危険は少ないだろう、とも想っていた。
その程度の危険ならば「薔薇の騎士」に護られていれば安全だろうと考えていたし、それ自体は間違ってもいなかった。

そしてユリアンの証言する処では、先述のメモランダムをヤンが書き残した当時
帝国では「双頭の鷲」の理想の継続に関係する、世襲王朝ならではの事態が起こっていた………。

……。

…その頃ヒルダは、主君でもあり上官でもある筈の相手との距離感に困惑していた。

さらには自分の父親にも、当人である皇帝やラインハルトに秘密を持てないキルヒアイスにも相談出来ない問題の様な気がしていた。
そんな時に旧帝都からアンネローゼが、新帝都のヴェルゼーデ地区に用意された邸宅に移って来ていた。
以来ヒルダは、幕僚総監として皇帝を補佐する忙(いそが)しさの中で時間を作り、何回かアンネローゼを訪問していた。

そうした何回目かの訪問の時、アンネローゼがヒルダの体調変化を指摘した。

……何処かの転生者だけが知る『原作』で「この」体調変化から始まる事態の表面化を遅らせた「反乱」は起こっていない。

このためアンネローゼがヒルダの相談を受けだしてから、それほど月日も経過しない頃に気が付かれた。
新帝国暦2年は未だ何十日か以上を残している………。

……。

…かつては帝都だった惑星オーディン。ゲルラッハ「元」子爵は悪夢を見ていた。

「元」なのは、ローエングラム王朝が旧王朝時代の貴族制度そのものを廃止したからでは無い。
新体制では新たな貴族階級をつくり出す事こそしてはいなかったが、旧貴族そのものも廃止まではしていなかった。
「リップシュタット盟約」の参加者と「元」帝国宰相リヒテンラーデの共同謀議者を貴族家門としても断絶せただけである。
それで必要にして十分だった。旧体制の支配階級を崩壊させるには。
「当時」の帝国宰相が政争の敗者と成った時、副宰相だったゲルラッハは自ら子爵の家門まで差し出して、助命を願ったのだった。

そしてゲルラッハは、副宰相当時に宰相と共有していた秘密を売って、自分の生命と可能ならば没収から逃れる資産を買おうと試みた。
だが直接の交渉相手である“参謀長”は、機械の様な感情の無い両眼の奥で冷徹に計算していた。

……今や「先帝」たるフリードリヒ4世の秘密は、父帝から“フリードリヒ”と命名された事に始まる。

ゴールデンバウム王朝には、タブーとされる皇帝名が何通りか存在していた。
例えば「ジギスムント3世」や「アウグスト3世」は存在しない。
だが4世には「敗軍皇帝」フリードリヒ3世と同じ名が与えられていた。

そして皇帝の子で在りながら、誰からも皇帝としての期待を寄せられなかった。
4世の戴冠は兄と弟の共喰いの結果だった事は、ゴールデンバウム王朝の「正史」ですら認めている。

そうして誰にも期待されない事を自ら認める様に放蕩に身を任せた結果、4世は女性を妊娠させた事だけは少なくとも28回を数えるが
その28回中で父親より長生きする結果と成ったものは女子2名のみ、続く孫の世代では6才以上まで成長出来た者3名と言う結果に終わっている。
とある皇帝の寵妃などは、合計4回の死産、流産を繰り返した。

余談ながら、この寵妃は少なくとも1回の男子死産は暗殺と想い込み、ラインハルト姉弟が迷惑な八つ当たりを受けたりした。

こうした事実の「点と線」をつなぐウラの真実が隠されていた。
旧王朝では有数の名君とされる晴眼皇帝は「排除法」を有名無実化しており、その結果、後の4世は「死産」を免れていた。
そして最後から2番目の寵妃が4人目を流産した後、宰相の推察する限り4世は
すでに自らの遺伝子を押し付ける子孫をあきらめていたかも知れない。
最後の寵妃に求めていたのは精神的な癒(いや)しであり、彼女は清らかなまま後宮から「解放」された可能性が在った。

……帝国宰相リヒテンラーデ公爵は、ゴールデンバウム王朝銀河帝国の忠臣には間違いなかった。

公爵が「リップシュタット盟約」の盟主や副盟主が皇帝に立てようとしていた候補者を避けたのは
すでに皇帝家の外戚として権勢をふるっていた大貴族派閥の更なる強大化を恐れた事も当然だったが
同時に4世の3人の孫の誰が皇帝と成っても次の世代を継ぐ子孫を残せる可能性は小さい、と認識せざるを得なかった、と言う理由も存在した。
実の処、宰相は早々と、エルウィン・ヨーゼフ2世の“次”の継承候補に目を付けていた。
フリードリヒ4世の遺伝子を直系で受け継いでいないがゴールデンバウム王朝の子孫には違いなく
そして有害な外戚が付いていないカザリン・ケートヘン・フォン・ペクニッツだった。

帝国宰相が自爆覚悟ならば、秘密を暴露する事で「盟約」側の主張する皇帝候補たちを失格させる事も
あるいは暴露を材料とした密談と談合で野心を断念させる事も、理論上ならば可能だったろう。
だが、ひとたび勢力を形作った権勢家と特権階級の派閥が、名分を取り上げられただけで解散するだろうか。
「盟約」よりも遥(はる)かに勝算が立たなかった筈の地方貴族ですら、叛乱が常態化していたのだ。
結局、帝国宰相はローエングラム元帥府の武力をもって「賊軍」を排除する選択をした。
無論、宰相の目的は国家の重荷に成り過ぎるまでに増え過ぎた門閥貴族や権勢家の派閥を
ゴールデンバウム王朝の支えとして適正な数まで減(へ)らす事だった。

その目的からすれば「盟約」の参加者は多過ぎ、宰相の思惑からは役に立つ筈の貴族たちまでが減り過ぎた。
だからこそ、平民出身の兵たちに媚(こ)びて“共和主義者”とまで共犯に成った“成り上がり”軍閥を見逃せない。
それゆえに「賊軍」排除に成功した時点でローエングラム軍閥をも、ゴールデンバウム王朝の忠臣は失脚させようと決断したのである。

……かつての副宰相は、上司だった宰相の秘密を勝者に提供した。

“現帝”たるエルウィン・ヨーゼフ2世を何時でも皇帝から失格させうる秘密を売って、自分の未来を買う積もりだったのである。
だが直接の交渉相手である“参謀長”は、機械の様な感情の無い両眼の奥で冷徹に計算していた。
同時に感情を暴露しない機械の眼の奥には、激情を隠していたかも知れない。
ルドルフの子孫である筈の4世と同様な動機からルドルフの残した王朝そのものを憎悪していた事。
それを動機としながらも、結果としての行動は「ルドルフ大帝の拡大再生産」であった事の矛盾。

しかも「その」拡大再生産の対象がルドルフの王朝からの「簒奪」を決断した動機までも、誤解の結果に落としめられる可能性すら在った。
そうした事までも「元」副宰相は無計算に指摘して仕舞ったのである。
しかし結果として参謀長が実行した事は、冷徹なる計算を根拠としていた。

……計算の結果は、秘密もろとも秘密を知る存在を消滅させる事だった。

そして都合の好い処分理由が遣って来た。「幼帝誘拐」と言う旧体制側からの反撃の陰謀、その共同謀議を理由とすれば好い………。

……。

…悪夢だった。目覚めた「元」子爵は夢だった事に気が付いた。

「あんな」機械の様な眼をした参謀長は「今」の皇帝大本営には居ない筈である。

そして「今」の新帝都に居る“皇帝の参謀長”は
「双頭の鷲」から図像が象徴する理想まで含めて全(すべて)を奪った「翼持つ黄金獅子」
その獅子の子供と関係し始めていた。



[29468] 第60章『翼持つ黄金獅子の子』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/11 21:48
ヒルダは決断するしか無かった。
主君でもあり上官でもある相手に何時かは知らせるべき事であり
当人の実姉に見破られた以上、隠蔽可能な秘密にも成らないだろう。

その日、大本営の執務室では無く皇帝の私室を訪問したヒルダは幕僚総監としての軍服姿などでは無く、何よりアンネローゼに付き添われていた。

しかし、なかなか用件は本題に入らない。
ヒルダは本題に入る事をためらっている様でもあり、ラインハルトと当然に立ち会っているキルヒアイスもアンネローゼの様子をうかがっていた。
そのアンネローゼが何回目かに微笑んだ時、ついにヒルダは決定的な語句を口から出した………。

……。

…本質的に統制出来る情報でも無かった。数日の間には新帝都から自治共和国までも、文字通りに超光速で伝わっていた。

イゼルローン要塞で最も忙(いそが)しいのはキャゼルヌだろう。攻めて来る「敵」が居なくなっても、それは変わらない。
そのキャゼルヌが忙しい中で時間を作り会議室に集めたのは
「5月の戦い」以来、流石に年令も助長してリハビリが長引いていたものの復帰したフィッシャー
年長者なのは同様ながら、家族と同居し始めてから明白に以前よりも若々しげなメルカッツと席の後ろに立っているシュナイダー
そしてムライにパトリチェフ、スーン・スールや防御指揮官“代理”の「薔薇の騎士」連隊長などである。
いわゆる「ヤン不正規隊」のうち、現状では新帝都フェザーンに駐在中の者を除けば、こんなものだった。

「フェザーンのヤンから情報が届いた」
キャゼルヌは本題に入った。
「当然だが高等弁務官の職務として、自治共和国政府にも公式報告は提出されている。結論から言うと、皇帝ラインハルトの恋人が妊娠した」
流石に、何の反応もしない者は居ない。それぞれに其々(それぞれ)の反応をした。
「記憶しているだろうが「バーミリオン・キャンペーン」に先立って、ヤンは断言した。
「ローエングラム公爵(当時)は独身だ。そこがこの際はねらいさ」
その理由を逆説的だが、こうも言っている。
「公爵が死んで、彼に妻子、とくに後継者となる男児がいた場合、部下たちはその子をもりたててローエングラム王朝をつづけていくことが可能…」
そして今、当時のIFが現実に成り始めている」
「1人の女性の妊娠が、これほどの衝撃を宇宙に与える事もあるのですな」
何時の会議でも常識論はムライの役目だ。
「その通りだ」
ひと呼吸を入れてから、キャゼルヌは続けた。

「ヤンが注意を勧告しているのは、IFが現実に成る事を喜ばない者がいる事だ。
ハッキリ言えば、ヤンがカイザーと和解しかけた時
ヤンを暗殺してでも残された我々とカイザーが敵対し続ける事を期待した、テロリストたちだ。
彼らにしてみれば、例えカイザーの暗殺に成功してもローエングラム王朝による新秩序建設は妨害出来ない事に成る。
したがって、カイザーの子供が出産をむかえる以前にテロを強行する危険が大きい」
「成程」

「しかし、それならばテロが起きる場所はフェザーンの筈でしょう。ここはエル・ファシルですが」
常識論ならば、そうだろう。
「ヤンだって、そこまで突拍子も無い事ばかり考えてもいない。
ここエル・ファシルで何か起こるとしたら、陽動か撹乱(かくらん)だろう、とヤンも言って来ている。
だが油断も禁物、だとも言っている。テロリストに常識を期待は出来ないからな」
「確かに「それ」が常識ですな」

「それで?ヤン提督は具体的には何と」
防御指揮官代理に対して、要塞司令官代理の返答は以下の様である。
「今の段階で、それもフェザーンから細かい命令が出来る、と考えるほどヤンも非常識じゃ無い。
結局「用心しろ。油断するな」と言う事だな。
むしろ問題は、自治共和国の“現”政権が何処まで危機感を持つか、の方だな」

「良くも悪くも、今の自治共和国は落ち着いていますからな」
「落ち着いてくれなければ、我々は何のために生命を賭けたか、と言う事にも成るだろうさ」
Dr.ロムスキーが「8月の新政府」発足の時に宣言した通り、それから間もなく選挙が行われて「正式」の政府が選出されている。
そしてDr.は立候補せず、現状では医師の本業に戻っていた。民主共和主義の理想からすれば、むしろ首尾一貫しているだろう。
かくて現状の自治共和国政府は、まったくの「平時」政権と化しつつあった。
無論、その「平時」を勝ち取るために「ヤン不正規隊」は戦った積もりなのだが。

……会議の結論として、日常的な警戒態勢を気をゆるめる事無くチェックとメンテナンスだけは万全に、と言う常識的な線で決着した。

幸いにして、すでに7月30日と8月末日とで2回の弾圧を受けたテロリストたちには
「本命」から遠く離れた「辺境」で陽動を起こすだけの余力も残っては無かったらしい。
だが、それは「本命」に対するテロまで断念する事、あるいはテロを警戒する側が期待出来る事を意味しても無かった………。

……。

…ローエングラム王朝が建設しつつある新秩序に期待しない者たち。

彼らの暗い希望からは当然に、伯爵令嬢の体内で育ち始めた新しい生命が誕生する前の抹殺を希望していた。

……片や「その」暗い希望に対して、職務として対策を実施する者も居た。

憲兵総監ケスラー上級大将は、自分の考えを整理するためだけでも特命室長ザルツ中将と対話してみていた。
「当然、警護体勢は根幹から見直さざるを得ない」
現状ではケスラーのみならずザルツ程度でも、それ位は常識だ。

先ず確認するのは現状だ。
皇帝ラインハルトの身辺は、ケスラー指揮下の武装憲兵や帝都防衛の陸戦隊の内側で更に
親衛隊長キスリング准将の指揮する皇帝親衛隊にも護られている。
その上、軍務尚書キルヒアイス元帥は当然の様に
現状での大本営が「旧」自治領主府の迎賓館だった当時の館長官舎を使用していて、主君の身辺に眼を行き届かせていた。
こうした重複が、異なる複数からの指揮、と言う弊害(へいがい)の原因に成る可能性が無いとも想えないが
現状では皇帝の身辺を護る、という目的の合致が其の害をふせいでいた。

「結局、問題なのは」ザルツにも確認出来た事である。
「これから皇帝陛下、と言うよりも皇帝ご一家に何処に御住まいに成って頂くか、と言う事でしょう」
その通りである。
これから結婚する。
それも下俗に言う「出来た結婚」である以上、現状の様に大本営の中に私室を、と言う訳にもいかないだろう。
警護する側としては、正直に現状の方が都合は好いのだが。

ここでザルツが、面白い(と言ったら不敬か不謹慎かも知れない)事を言い出した。
「姉君の御世話に成る、と言うのは可笑(おか)しいでしょうか?」
ケスラーは頭ごなしに怒鳴ったりせず、とりあえず続けさせた。
「恐れ多くも大公妃殿下が新帝都にいらっしゃいながら皇帝陛下と御同居なされていない理由は
母代わりの御方として精神的な「子離れ」をご考慮なされたから、だそうですが
弟君が御結婚なされる、それも其れこそ恐れ多い事ながら下俗に言う処の「出来た結婚」である以上
これを機会に、出産育児の何処かの段階までは姉君の元に身を御寄せに成られると言う事は、ごく普通に行われている事です。
少なくとも「皇帝である」と言う理由で、こうした場合に普通であっては成らない、と言う考え方とは遠い御方たちでしょう」

ケスラーは考えてみた。
成程“皇帝”を前提にしたら突拍子も無い事の様で
しかし考えてみれば、辻褄(つじつま)が合って無くも無さそうだ。

市井の、とまでいかなくてもローエングラム元帥府を開設した頃のローエングラム伯爵だったら
あの当時だって伯爵としては庶民的な私生活だったが
そして姉の方の伯爵夫人が「後宮」から解放された当時は弟の邸宅に身を寄せていた
あの当時の姉弟ならば、むしろ“普通”の話だ。
逆に、そう言った場合に“皇帝”を理由に普通あつかいされない事の方が、むしろ我が皇帝は御嫌いだろう。

当然ながら、憲兵総監としての目的は場所としての警護対象を限定する事だった。
この提案が受け入れられた場合、対象は2ヶ所、皇帝が執務を終えて帰宅した後では1ヶ所まで限定可能に成るのだ。

……ラインハルトはケスラーを通じての提案を受け入れた。

公人として憲兵総監の思惑を考慮(こうりょ)してみた、と言う事も当然だが、やはり私人として素直に喜びたかった。
むしろ問題は、その後にも存在した。
当事者が皇帝当人の他にも居たのである。
花嫁、花婿の姉、花嫁の父。
そしてやはり、こうした私事に類する様な問題で皇帝の権力を振り回す事の嫌いな皇帝でも在った。



[29468] 第61章『予定された吉事』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/12 17:23
誰かのパクリみたいだが「吉事と言うものは予(あらかじ)め予定して置けるものである。だが凶事は普通、予定などしていない」
正し凶事を予測して、対策を実行して置く事は不可能でも無い。

……ケスラー憲兵総監・兼・帝都防衛司令官は、警護の計画を立てていた。

結婚当日までマリーンドルフ伯爵邸を特別警護するのは当然だが、さらに当然なのが「本命」は結婚後の皇帝一家の警護だという事だった。
皇帝は結婚前日まで大本営の中に私室を置くが
新婚旅行から戻った後の皇帝夫妻は、現状では皇帝が姉を居住させているヴェルゼーデ地区の邸宅に合流する予定だった。
この邸宅で、間もなくカイザーリンと成る女性は出産予定日を待ち、皇帝は大本営の執務室へと「通勤」する事に成る。
その移動中ないしは執務中の大本営と、この「仮皇宮」の2ヶ所を
皇帝が「帰宅」した後は仮皇宮1ヶ所を集中して警護するのである。
これは「敵」に対して「標的」を明白にさせる事にも成るが、味方が死守すべき場所も明確に成っていた。

実の処、旧王朝時代の名門貴族が「他国」に対して見栄を張った邸宅だったため、それなりに広く大きい。
皇姉が希望した「温めた料理が冷めない程度の距離を保つ」目的ならば
仮皇宮3階の両側に皇帝夫妻と皇姉それぞれの私室を設置すれば必要にして十分そうだった。
少なくとも、そうした面でムダな贅沢をする皇帝一家でも無かった。
2階には当然の様に軍務尚書が引っ越して来て、そこから軍務省に出勤する。
そして1階には皇帝親衛隊と、武装憲兵と帝都防衛の陸戦隊からケスラーが選抜した警護部隊が詰める。
ケスラー自身も同じ1階に詰所を用意して、出来るだけ足を運ぶ積もりだった。

さらに、元々ヴェルゼーデ地区は「旧」自治領時代から駐留高等弁務官の公邸が置かれて来た様な住宅地域である。
そうした住宅が仮皇宮の周辺にも並んでいたが、それらを帝国側は極(きわ)めて公正な価格で買い上げた。そこは、この惑星がフェザーンだった。
こうして買い上げた住宅にも、武装憲兵や陸戦隊が詰める様に成った。ザルツ中将などは、地球時代の空母を囲んだ輪形陣を想い出した。

……そのザルツは、ついでにケスラーに提案していた。

吉事の様に予定はしていないが、予測は出来て対策は実施しなければ成らない凶事の対策の1つである。
例えば、フェザーン自治領以来の航路局が蓄積して来たデータを外部記憶メディアにバックアップして、憲兵本部なり軍務省で保管する事だった。
その時、憲兵本部の指示で直接の作業に当たった航路局職員の不審な挙動が見咎(とが)められている。
追求の結果「黒狐」の名前が出て来ていた。
しかし案の定と言うべきか、糸は黒狐まで届かずに切れた。

それでも糸を手繰る間に「旧」同盟首都ハイネセンでも騒乱が計画されていた事が発覚し、ワーレン提督に警報が届けられた。
こうして惑星ハイネセンでは、フェザーンでの「遷都令」以来3回目の摘発が実行され、騒乱は未然に抑止された………。

……。

…無論「本命」が新帝都フェザーンである事は明白だ。

ケスラー総監以下の対テロ戦の担当者たちは手抜きなどせず、捜査と摘発を続けていたが
その同じフェザーンで、皇帝直属の提督たちは吉事の予定を消化するのに忙(いそが)しかった。

と言うのも、新帝国暦3年1月の間に少なくとも3つの結婚式に出席する予定だったためである。

……旧帝都ではオーディンでは、ローエングラム元帥府に直属する提督たちは、何かと言うとクラブ「海鷲」に集まったものだった。

ここ新帝都フェザーンでも早々と其の代替は確保されていたが、この晩も提督たちが集まっていた。
実の処、言ってみれば結婚披露宴の2次会である。
1次に当たるパーティーの性質上、家庭持ちは夫妻同伴であるため、独身者には後まで付き合えない。
そのため双璧や沈黙提督は早々と遠慮していた。
憲兵総監も最近忙しいことは、提督たちにも分かっている。
そして当の花婿が、何時までも花嫁を放置出来る筈も無い。
したがって、ルッツ上級大将とシュタインメッツ上級大将も、この席から居なくなっていた。

「ふん。どいつもこいつも何時の間にか、くっ付きおって」
「陰気で消極的なビッテンフェルトは彼らしくない」とは主君の評価である。
それだけに欠席だらけの席を見回して、本気で詰まらなそうだった。
「大体、らしくない。
1人の女を捨て損ない、赤ん坊の機嫌をとるロイエンタールに
退院土産をお持ち帰りするルッツおまけに、あのヒゲで5年も隠していたシュタインメッツだと」
独身時代なら、こう言う時に突っ込みを入れていた「当時」の女たらしに代わって突っ込んだのは芸術家だった。
間もなくカイザーリンと成る女性が大本営幕僚総監に任じていたが、その任務は「皇帝に助言する」ものだったため
軍務尚書も統帥本部総長も居る以上は後任の必要性が多くも無い。
ただ帝国本土側は新領土側に比較してテロとのかの情報も無く平穏だったため、主君の結婚式に出席する事も可能に成っていただけだった。

「だが、おしゃべりなアイゼナッハ提督や其れこそ以前のロイエンタール元帥並みのミッターマイヤー元帥も、彼ららしくない」
「ふん」
返答代わりに、偶々(たまたま)持っていたグラスをグイ呑みしていた。
「仕方が無いでしょう」
常識論で場を締(し)める役目は、やはりミュラーらしい。
「恐れ多い事ですが、皇帝陛下の御結婚式の招待が夫妻連名に成っていた以上は」

グイ呑みしたグラスをテーブルに置くと、さらに本音(?)がでる。
「そうだな。恐れ多いが皇帝陛下が御結婚なさり、お世継ぎをもうけられるのならば、俺は其れで好い。
その御世継ぎにも、俺は喜んで忠誠を誓約しよう。皇帝ご一家のために戦おう。
だからこそ俺自身は、身軽でいたい」
言った当人以外で戦友たちは、それぞれに微笑と苦笑を交換し合っていた………。

……。

…そして其の時、ちらつく小雪に伯爵家の忠僕が文句を言っていた当日。

ヤン・ウェンリーは退役から久し振りに、第13艦隊結成にも着た「旧」同盟軍の白色の正装を身に付けていた。
実の処「今」のヤンは自分をシビリアンの退役軍人と規定しており、フォーマルな場でも「未だ軍服の方が似合っていた」背広姿で通していたが
しかし皇帝ラインハルトに面会する時だけは軍服を用いた。
専制君主に媚(こ)びている積もりは無い。
自分自身が軍服以外でヤンには会おうとしないラインハルト・フォン・ローエングラムと言う個人に対しても、それが礼儀の様な気がしたのである。

そのヤンが夫人と息子を連れて式場に到着してみると、何組か軍服とドレス姿が寄り添う組み合わせが目に付いた。
とは言え、全員の顔と名前が記憶の中で合致してもいない。ヤンの知力は、別な方面で発揮されるのである。
ヤンが全員を想い出すかどうかとは当然ながら無関係に、ミッターマイヤー夫妻に赤子を胸に抱いたロイエンタール夫妻
アイゼナッハ夫妻にルッツ夫妻やシュタインメッツ夫妻が同伴で列席していた。
無論、独身の提督たちも列席している。
そして花嫁の父と並んで最前列の花婿の姉をエスコートしていたのは、花婿の友人代表だった。

……列席する軍人たちの末席でザルツ中将は、1人だけの感慨(かんがい)を自覚していた。

明らかに『原作』よりも増えていた参列者たちに自己満足していたのである。

もっとも憲兵本部に直属の身である以上、何時までも感動しても居られなかった。
新婚旅行先である山荘で、安全確認の任務を総監から命令されていた。
こうした任務は事前に何回確認しておいても、当日に何か在ったら台無しである。
そのため当の夫妻に先行して、山荘に到着する予定に成っていた。
けれども出立の予定時間までは、“今”の感慨を大切にしたかった………。

……。

…吉事は予定されていた通り、延期される事も無く始まり進行していった。

「おちつけ、宮内尚書。卿が結婚するわけでもあるまいに」

そして予定外の延期出来ない様な「凶事」は、少なくとも式次第の終了までは遣って来なかった。



[29468] 第62章『見えない戦い』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/13 13:14
酒場「ドラクール」で、常連と一見の客が相席していた。

帝国軍の軍服姿を隠す積もりも無いザルツ中将と独立商船「親不孝」号の関係者たち
より正確には、かつてワーレン艦隊が地球教の教団本部に突入した時、潜入していたユリアン・ミンツたちである。
ザルツには、ユリアンたちに確認したい事が在った。

「地球教の総大主教は確かに死んだのか?ですか」
ユリアンも困惑していた。資料を持ち出すだけで手一杯だったのだから。
「敵を間違えたくない。ここだけの話だが」
いかにも密談をよそおいながら続ける。
「今の教団残党で主導権を手に入れてテロを実行させているのは、ド・ヴィリエとか言う大主教らしい。
“今”の総大主教は其のヴィリエの傀儡(かいらい)らしい、ともだ。
もしも其れが確かならば、敵として思考を読むべきはヴィリエとか、になる。
敵は間違えたくない。
宇宙の戦いでも、皇帝ラインハルト陛下が敵とされたのはヤン・ウェンリーだった」
そう言われてもユリアンも困惑する。
何と言っても地球最大の山脈そのものの下に埋もれた処を目撃していた。

「そうか。それではワーレン艦隊を調査してみるしか無いな」
そう言ってザルツは、後は酒をおごった。ついでに思い出したように付け加える。
「ワーレン提督に伝言は無いかな?」

惑星ハイネセンで8月末日に2度目の摘発が実施されてから
新帝都フェザーンでは皇帝、と言うよりは皇帝一家の生活の変化に伴う警護体勢の見直しが始まる前である。
後知恵(?)なら憲兵本部としては、2つの忙(いそが)しい時期の谷間だった。

……惑星ウルヴァシー。

新帝都の憲兵本部から出張して来たザルツ中将は、駐屯地を回って地球での教団討伐に関係した聞き取りを実施した。

しかし、確実に総大主教が死んでいる、と言う証言は出て来なかった。むしろワーレンは心配した。
「こんな風に聞き回っていては、何処かから情報が漏(も)れるのでは無いか?」
だがザルツは「なぜか」楽観していた。

実の処、ザルツとしては確認だったのだ。
むしろ教団側に聞こえる事が目的なのであり、ただワザと流した情報である事を見破られたくないだけだった。
もっとも事実である事は事実なのだが。

ザルツの本心としては「知識」も残り少ない。
それだけに「最後の敵」との戦いでは、出し惜しみする積もりも無かった。

とは言え、こうした布石が生きて来るまでにはタイム・ラグが在る。
ザルツが惑星ウルヴァシーから新帝都フェザーンに戻って間もなく、皇帝の恋人が妊娠していた事が発覚し
憲兵本部は警護体制の見直しに忙殺された………。

……。

…新しい日常も、繰り返している間には日常と成る。

その朝も皇帝ラインハルトは昨日と同様な朝を過ごしていた。
カイザーリンと同じ寝台で目覚め、姉と親友を加えた4人で朝食のテーブルを囲む。
そして地上車で仮皇宮から大本営へと出勤して行く。

当然の様に、皇帝の乗った地上車の前後には親衛隊の車列が並び、沿線は武装憲兵と帝都防衛の陸戦隊が固める。
しかし皇帝本人は時々、同乗している親友にだけは露悪趣味ですらある感想をもらしたりした。
「ルドルフじゃ無いだろうに」
そんな金髪の友人を笑顔で諭(さと)しながら、この時間を共有していた。
やがて大本営の門前に到着すると、軍務尚書は専用車に乗り換えて軍務省へと出勤した。
そのまま道中を警護して来た親衛隊と憲兵と陸戦隊は、大本営の警護に移行した。

皇帝が其の日の分量だけの政務を消化すると、朝の手順が今度は逆に辿(たど)られる。
大本営から仮皇宮まで警護して来た部隊は当然に其のまま、仮皇宮で皇帝の姉とカイザーリンと胎内の皇帝の子を警護して居た部隊に合流する。
したがって、皇帝が帰宅している時間の護りはマン・パワー的にも強化されている。

だが、油断は出来ない。
テロリストは夜の闇を当てにするかも知れなかった。
親衛隊長キスリング准将との命令系統も皇帝の特命で整理されて警護の指揮をとるケスラー上級大将は
忙しい中でも時間をつくっては、仮皇宮に身体を運んでいた。
その結果、カイザーリンに近侍する少女に「親切で頼もしい大佐さん」の顔と名前を覚えられたりしていた。

……ウルリッヒ・ケスラー上級大将は、大元帥たる皇帝ラインハルトに直属する提督たちの中では年長者である。

しかも、どちらかと言えば実年令よりは年上に見られがちな特徴を有しているかも知れない。それが、いくら軍務には遠い少女が見たにしろ
「お年齢(とし)からいって、中佐ぐらいかと思ったんですけれど、高い地位でお呼びした方かいいと思って」などと言われている。
これは、この少女が無知だった、と言うよりも
ケスラーより更に年少で同格や高い階級に在る提督たちの出世が如何(いか)に異常だったか、と言う事だった。
その提督たちよりも、さらに若過ぎる主君が駆け抜けた途(みち)の遠さと其の時間の短さこそ、歴史上の奇蹟だったのである。
最初から其の事を承知していたからこそ、言われた当人も「大佐だったこともある」と笑っただけだった………。

……。

…宇宙の何処か。ケスラーやザルツたちの騙(だま)し合いの相手が居る場所である。

「総大主教猊下は、なぜに御姿を御見せになられぬ」
相手が純真だけにヤッカイだった。
後日、ザルツ中将などは大主教ド・ヴィリエに対して
「たまたま、シリウス戦争の後の地球に生まれただけだ。
同盟に生まれていればトリューニヒトに
フェザーン自治領に生まれていればルビンスキーになって居ただろう」
などと言ったものだが、それだけに対面の純真な信徒を持て余していた。

結局もったいをつけた末に大主教は、信徒たちを総大主教の前に連れて行った。
“地球の教団本部に居た頃そのままの顔と言葉”で説教する総大主教を前にして、忠実な信徒たちは膝(ひざ)を着き頭を垂れた。
そして総大主教が大主教への信任に言及すると、先程までの不平不満を引っ込めた。

しかし信徒たちと並んで同じ礼をとりながらも、大主教だけは信徒たちと異なる憤慨を内心に隠していた。
いや「この」窮地(きゅうち)に自分を追い込んだ者を憎悪していた。
だが憎悪すべきは誰なのか。

直接に自分を追い込んだ流言が、憲兵本部のザルツとか言う中将が妙な事を嗅(か)ぎ回った結果だとは分かっている。
だが、皇帝ラインハルトやケスラー憲兵総監なら兎も角(ともかく)今回はじめてザルツなどと言う名前を聞いた高が中将など
ド・ヴィリエの認識ではザコとしか想えない。
そんなザコが何処で、教団内部ですら自分と今1人(?)しか知らない筈の「秘密」に気付いたのか?
いや、ただ当て推量が偶々(たまたま)的中しただけでは無いか。
しかし楽観するには余りにもヴィリエにとっては危険な「真実」を直撃していた。

宗教組織の幹部であり、他者には信仰と言う思考停止を強要しながら
ド・ヴィリエ当人の発想は「転生」などと言った神秘から、トリューニヒトやルビンスキーと同程度の距離を保持していた。
それゆえに「うたがいの心が見えない幽霊を生んで」いた。

自分からテロの実行部隊としての教団を乗っ取ろうとしている味方の振りをした敵が密告した、と言うのが「現実的」な解釈だった。

……当のザルツは自分の「反則」攻撃の結果まで、リアル・タイムでは知りようも無かった。

ただ自分の持っている1つだけの武器を、有効な間に使い惜しみせずに使っただけだった。
そのザルツは半分ほどの年令の少女に懐(なつ)かれている直属上官を見守ったりしていた。



[29468] 第63章『野心と策謀と誤算』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/13 23:17
ヤン・ウェンリーを身近で知る人たちは、ヤンが必ずしも勤勉を美徳としていない事を知っている。
だが、本人曰く「給料分だけは」何時だってヤンも働いていた。
今日も新帝都フェザーンに存在する公邸から弁務官府の執務室に出勤して、今日の分量だけの仕事に従事している。
当然ながら、自治共和国からは専門の文官や官僚が何人も駐在していた。
しかし、あくまでも高等弁務官はヤンである以上、ヤンがサインしなければ書類は増殖するだけだった。

そして給料の中身には、書類へのサインだけでは無く希望者との面会も含まれていた。
「亡命希望者だって?」
成程、自由惑星同盟と言う国家が存在していた当時から、この建物には「そう言った」希望者が駆け込んでいた筈だったが。

だがヤンの面会を要求していた希望者は、想像の斜め上を飛び去っていた。

「あなたがヤン提督の前に出て来られるとは、想像力の貧困さを自覚しますな」
そう言ったのは背広姿で応接セットの対面に座っているヤンでは無く、護衛よろしく軍服姿で後ろに立ったシェーンコップだった。
それに対してヤンが自分で何かを言う前に「旧」同盟の「元」元首は後ろの軍人を無視して、対面のヤンに話そうとした。

「この部屋は、難民や亡命者をむかえる事が初めてでも無いだろう」
だが、やはりヤンよりも先にシェーンコップが冷笑した。
「ヤン提督と皇帝ラインハルトの合意には確か
「両国の友好を破り、宇宙の平和を損なわんとする悪意あるテロリストに対しては、両国は協力して対処する事を可能とする」
との文言も在りましたな」
「ヤン提督も私がテロリストだと言うのかね」
またもヤンが口をはさむ前に「薔薇の騎士」が言い返した。
「我々(強調)が地球教団から入手してカイザーに提供した資料の中に、何回ヨブ・トリューニヒトと言う名前が出ましたかな」
「私は知らんよ。あの狂信者たちが勝手に書いた事だ」
「今さら何をおっしゃいますかな。その狂信者を逆クーデターの私兵に使っておきながら」
「あの時の停戦命令を根に持っているのかね。あれは……」
「持っていますとも。あんな命令は無視するよう上官を扇動したのは、他ならぬ私ですからな。
しかしヤン提督は民主主義の理念に真摯だったのです。
何処かの誰かみたいに口先では無く、行動と結果でね」
そこまで言うとシェーンコップは、招かざる客人の片腕を拘束した。

そして何時の間にか出現していたポプランが、実に上手いタイミングで片腕をとった。
もっとも、この両人ならロクに軍人としての訓練も受けていない相手には、どちらか1人で充分過ぎただろう。
2人がかりだった理由は、むしろ今に成って制止しようとしたヤンに対しての様だった。
「君たち。「問答無用」と言う行為は民主主義に反するよ」
このヤンの制止に対する「薔薇の騎士」の返答は以下の通りである。
「そうでしょうとも。「話せば分かる」と言うのが民主主義の原則でしょうから。
ですけれどね。この人物は自分から先に、その原則を裏切ったのです。
少なくともヤン・ウェンリー氏ほどの真摯な民主主義者では無い事を、自分から証明しているのですよ」
そして狩猟者の冷笑を見せた。
「ヤン提督本人の、民主主義の原則への真摯さは計算出来たでしょうが、不良な部下たちの思考と行動パターンは誤算でしたな」

そのまま引きずって行きそうな様子に、流石の名演説家も脚本と演出を変更した様だ。
「待ちたまえ。私は有用な情報を提供出来るのだよ」
「ほう?」

「テロリストたちは自壊を始めている。
地球教団の内部に致命的な情報暴露が流れ出したのだ。
「地球の教団本部で総大主教は死亡しており「今」の総大主教は大主教ド・ヴィリエの傀儡(かいらい)だ」
私の観察する限り「この」流言は事実だ。
事実だけに、本部崩壊いらい主導権をとりテロを強行させて来た大主教は、反動も手伝って窮地(きゅうち)に落ち入っている。」
「そして、その大主教とやらは流言の犯人をあなただと言う疑惑を持っている」
「それで居心地が悪くなってヤン提督に泣き付く積もりに成った」これはポプランの突っ込みだ。
瞬間だけ言葉に詰まったが、直ぐに再開した。
「そのため追い詰められた大主教は、これまで以上に過激なテロを主張している。遠からず、自爆的なテロを実行するだろう。
おそらく其の時は大主教自身を含めた、実働部隊の残る殆(ほとんど)が参加する可能性も在り得る。
それさえ返り討ちにすれば、地球教など只のローカル宗教に成り下がるだろう」
「成程。帝国軍が喜びそうな情報ですな」ワザとらしく「薔薇の騎士」は感心して見せる

「そればかりでは無い。最大の誤算をしたのはアドリアン・ルビンスキーだ」
トリューニヒトの弁舌は止まらない。
「今年の初め、皇帝の結婚を狙った破壊工作の先手を取られた事も手伝って、急速に影響力を失いつつある。
何より、本人が病気だ。おそらく手遅れだろう。
銀河時代の医学でも治療や検査を放置していれば、病気は手遅れに成るものだよ」
これには流石の「薔薇の騎士」も何かの反応をした様だ。
「強がって見せても、あれは只の頭痛じゃ無い。専門家で無い私や彼の息子たちにも分かる。
あれは頭蓋骨の何処かに手遅れの病気をかかえている。後わずかの生命だ。
しかし、それだけに自爆テロに走りかねない。今年の初めに無理な工作を強行したのも同じ焦(あせ)りからだ」

ここまで語って沈黙すると、シェーンコップとポプランは何かをうなずき合ってから、ふたたび引きずり出した。
「君たち?!」
「何かを約束しましたかな」「あんたも約束を破っているでしょう。同盟にもヤン提督にも」
今度こそ慌(あわ)てて制止するヤンに対しても
「バーミリオンでは貴方の言う事を聞きました。もう好いでしょう」
と答えていた。

……今日も弁務官府の周囲には、何台かの地上車が停車していた。

「旧」同盟「元」元首の前で門が閉ざされたのと同時に、その1台がスルスルと発進してトリューニヒトに接触した。
明らかに、最初から跳(は)ね飛ばしても構(かま)わない車の動きだった。
続いてドアの1つから飛び出した何者か1人が伸(の)しかかると其のまま車は再発進し、数秒後には伸しかかった何者かが爆発した。
爆発に気が付いた他の地上車が発進したが、そのまま振り切って逃走して行った。
後に残されていたバラバラに成った死体の部分からは、サイオキシン反応が検出された。

……流石にヤンは、シェーンコップとポプランを叱り付けた。

「提督。私は何人殺しましたかな。トマホークで殺した数。銃で殺した数。部下に命令して殺させた数」
「俺だって、スパルタニアンで殺した数だっただけですよ」
「それを言ったら、私こそ歴史上最大かも知れない大量殺人者だ。それでも……」
「今回の事は寝覚めが悪そうですか。ですが
トリューニヒト氏が木っ端微塵(こっぱみじん)に成ったのは提督の責任じゃ無い。
これを聞いたら、皇帝ラインハルトだって、そう思うでしょうよ」
そう言って「薔薇の騎士」は軍服の中から記憶メディアを取り出した………。

……。

…弁務官府から提供された記憶メディアの内容は、帝国軍側や憲兵本部をも驚愕させた。

もっともザルツ中将だけは、驚愕の内容が微妙に異なっていたが。
ザルツは自分の仕掛けたワナが有効だとは「反則」知識で知っていた。
しかし「ここ」まで玉突き効果も「反則」だったとは。

そしてケスラーその他が「まさか」と言う種類の驚愕だったのに対し「やはり」と言う意味の驚愕もしていた。
「黒狐」が手遅れの脳腫瘍だとは、ザルツだけは「あらかじめ」知っていたのだが。
トリューニヒト情報は「その」知識も確認させてくれた。
実の処、ザルツは医療関係の調査をすでに始めていた。
脳腫瘍患者を中心に、身元のアヤしい患者の情報を集めていたのである。
そして、そこだけは『原作』と異なり惑星フェザーンからは逃亡されていない可能性が高かったため、フェザーンの医療関係を洗っていた。
ただ今までは、ザルツがヒマを見付けての調査だったのが、ここに来て憲兵本部が力点を移しての捜査に進展していた。

「先生がヒポクラテスの誓いに忠実である事は尊重しますし、何時もは感謝もしておりますが……」
と言った論法で説得を繰り返した結果、ついに身元不明の脳腫瘍患者を特定していた。
その医師が診断した結果でも、すでに手遅れ。だが患者は治療では無くトンデモ無い手術を依頼したのである。
最終的に脳外科医師は、報酬と引き換えに自分の専門技術を提供し守秘義務を守った。
しかし説得と質問をする憲兵本部の側に、その手術の内容まで知っている「反則」知識の持ち主が居たのである。
結局、職業上からもリアリストである事を要求されるために「反則」である事を想像出来ないまま
本来「ヒポクラテスの誓い」に忠実な医師は、全てを告白していた。

……当然ながら黒狐は、医師から診断と治療を受けた後でアジトを移動していた。

だが憲兵隊は医師から極低周波爆弾の制御装置の事と極低周波の周波数まで告白させた上で、逆探知装置を用意していたのだ。
こうしてフェザーンの黒狐は、憲兵本部が用意した病院に入院した。
同時に逆探知装置は、爆弾テロの標的に成るだけの価値が在りそうな場所にも片端から使われて、黒狐が計画した「火祭り」は未遂に終わった。

なお黒狐と同時に身柄を確保された息子と嫁は、自白剤を使用するまでも無く尋問に答えた。
「あいつは俺が憎み、全てをうばってやろうとした「あの」男じゃ無い」
それが「自白」の最初だった。

数ヵ月後、黒狐の息子と嫁は父親の遺体ともども、とある惑星に送られる。
かつてゴールデンバウム王朝が「当時」の同盟国家を「叛乱勢力」と規定していた頃「矯正区」に指定されていた星だった………。

……。

…地球教団の大主教は、いよいよ確信した。

黒狐の末路と「火祭り」の結末を見て「旧」同盟「元」元首への“天罰”が正しかったのだと。
少なくとも教団内部に対しては、そう説明する事で主導権を取り戻していた。
彼自身は「転生」などという「反則」も在る、と言う発想から遠いのだから無理も無い。
しかし同時に、本来の教団にとっては最大の敵である筈の皇帝ラインハルトに対して
最後の戦いを仕掛けるよう突き上げられる結果も招いていた。



[29468] 第64章『閑話らしきもの(その7)』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/16 21:58
繁栄と発展の時代こそ、光が在れば影も存在した。

第2代の皇帝アレクサンドル・ジークフリート1世と第3代ラインハルト2世の時代は
銀河連邦の前半期以来の人口増加と経済成長の時代の再現とされている。
それだけに、その繁栄のオコボレを手っ取り早く取り立てようとする不心得者は、帝国軍にも功績を稼がせた。
実の処、星間国家の治安能力が弱体化したと成れば、手っ取り早い稼(かせ)ぎを狙う不心得者は常に居る。
それこそ、健康人でも体力が落ちれば風邪くらいは引く様なものだった………。

……。

…ローエングラム王朝の成立以前に人類の総人口が最大と成ったのは、ルドルフ大帝時代の3000億人で間違いない。

だが「アスターテ星域会戦」時点で帝国に限れば250億人、同盟とフェザーン自治領を総計しても400億人にまで減少している。
これは対同盟戦争が大きな理由の1つに違いないが、直接の戦死者のみが原因では無い。

同時期の、とある統計によれば帝国:同盟:フェザーン自治領の国力比率は48:40:12と試算されており
これと250億人:130億人:20億人と言う其々の人口から1人当たり国力を求め、かつフェザーン自治領を1とする指数に換算すると
計算結果は0.32:0.51:1と成る。
この結果から見ても、当時の帝国臣民それも平民階級が戦争のみならず多大な負担の下に疲弊していた事
それが人口減少の理由にも成っていた事が推察される。

話題を戻せば、ローエングラム王朝発足の時点で帝国本土に限っても、人口3000億人分の潜在的居住圏が確保されていたのである。
しかも「この」3000億人は、銀河連邦が開拓時代に持っていた活力と人口増加力を消失した以後の事であり
だからこそルドルフは、社会の再活性化をもって自らを正当化したのだ。

そして皇帝ラインハルト1世が新領土を征服した事は、単純に言っても「その」居住圏を倍増した事でもあった。
更にラインハルト1世の基本政策を言い換えれば、先の0.32:0.51:1だった指数を1:1:1とする事が目標でもあり
それが達成され維持されれば、無理に強制する事も無く自然に人口は増大する筈だった。

……この目標が統計上でも達成されたのは、アレクサンドル・ジークフリート1世の親政下である。

結果として、この第2代皇帝の治世は長い。
幼君として戴冠し、母后による摂政時代をへて成年後に親政をおこない、自らの子である第3代ラインハルト2世の成長を見守るだけ生きた。
その前王朝の何れの皇帝をも超える長い治世をおおざっぱに言えば
父である初代皇帝の創業を引き継いだ建設の時代が母である摂政の実権時代であり
成年後の親政時代は「それ」を安定させ定着させる完成の時代であり
更には、絶えざるメンテナンスを続けた上で次代に引き渡す事で継続させる時代だった。
この「実質的に3人目」の帝王に期待された歴史上の役割は「守成の名君」だったのであり、その期待に答えた。

この「守成の名君」の親政下で、帝国本土=「旧」王朝時代以来の帝国領と新領土=「旧」同盟領の1人辺り国力の統計値が
獅子皇帝ラインハルト1世が征服した「神々の黄昏」作戦当時の「旧」フェザーン自治領のレベルに到達した
と帝国工部省と内務省によって公表されている。

……獅子皇帝ラインハルト1世の直属かで「帝国軍の双璧」と呼ばれた2人の帝国元帥が居た。

初代皇帝ラインハルト1世の時代の宇宙艦隊司令長官と統帥本部総長は、第2代皇帝の戴冠と摂政時代の始まりの時点でも同職に留まった。
そして摂政時代における帝国軍の実働戦力をシフトさせる任務をも遂行(すいこう)した。
実の処「この」時代から後の帝国軍の実質的な“敵”は宇宙海賊の類に成っている。
「この」時代は戦乱の終結に続く平和の到来を受けて、経済社会の活性化から拡大に向かう時代だった。
そうした時代だからこそ、手っ取り早い稼ぎに誘惑される不心得者が出没したのである。

イゼルローン回廊が主戦場だった当時は、同回廊と其々(それぞれ)の首都を結ぶ線上には両軍の主力艦隊が往復しており
当然に海賊は出没していない。
また、もっとも稼ぎ甲斐が在りそうなフェザーン回廊を経由して其々の首都を結ぶ航路は
流石に最重要な経済ルートであるだけに警備に手抜きは無かった。
そして「当時」では、帝国軍が最も多く往復するルートである。

結局「旧」同盟=新領土にしろ「旧」帝国=帝国本土にしろ、お互いとは反対側に変なやつらがウロウロしていたものだった。
当然に「この」時代の双璧も、帝国軍の責任者として目を行き届かせなければ成らなかった。

……そうした帝国軍の戦力再配置や、規模を含めた再編成でも「この」時代の双璧は功績を残した。

その1つとされているのが、宇宙艦隊の戦力をシフトさせた事である。
艦隊決戦はなやかなる時代に帝国元帥までの武勲の途(みち)を駆け抜けながら
新しい時代の双璧は「大艦巨砲主義」の類に感傷以上のジャマは許さなかった。
宇宙艦隊の主力を艦隊決戦に適応進化した宇宙戦艦から、宇宙海賊の捜索捕捉に対応させ易い戦闘艇などの機動兵器の母艦へ
それも使い勝手の好い高速中型母艦へとシフトさせている。
また、略奪と言う目的からは当然に白兵戦と言う手段に訴えて来る海賊に対応して
装甲敵弾兵などの艦内白兵戦戦力を充実させた………。

……。

…そんな時代には相応しい後継者が、双璧の任務を受け継いでいる。

初代長官ミッターマイヤー帝国元帥が文官職(君主政体であるため民主国家で意味する処の政界は存在しない)に退いた後
宇宙艦隊司令長官に就任したミュラー元帥が初代皇帝ラインハルト1世から上級大将に任命された当時の異名は「鉄壁ミュラー」だが
長官時代の「鉄壁」は「海賊狩り」とも呼ばれた。

彼もまた艦隊決戦の時代に「鉄壁」の異名を高くしながら、新しい時代の「海賊狩り」に適応進化した艦隊を
彼自身が適応しつつ指揮し切ったのである。
その「海賊狩り」ミュラーの活躍は、帝国のみならず自治共和国にまで格好のドラマ題材を提供したものである………。

……。

…エル・ファシル自治共和国は着実に歩み続けていた。民主共和主義本来の「遅さ」をも着実さに変えて。

賢明だったのは、はるかに巨大な上に人口的にも経済社会活動でも急激に拡大する帝国に量的な競争をいどむ無謀を心得ていた事だ。
自分たちが民主共和主義の小さな苗を温存するための、ささやかな温室である事を忘れなかったのである。
量的な事を言えば、人口.300万人の有人惑星1つを持つだけの、1つの星系だけから出発した自治国家に過ぎない事も。
忘れなかった上で「人口1人辺り」の経済発展では帝国に、特に「旧」同盟領=帝国新領土に遅れを取らない事を目標とした。
軍事上ではイゼルローン要塞に頼りながら、軍事上の負担よりも民力の活性化を優先した。

そうなれば、当然ながら有人惑星1つ、ないしは星系1つの鎖国経済は論外である。
幸いにして「8月の新政府」成立の根拠と成った合意では
「旧」同盟とフェザーン自治領あるいは旧王朝時代の帝国とフェザーン自治領とが
それぞれに交易していた実績と同レベルの自由交易が相互対等に保障されていた。
その自由交易を、自国の産業を維持しつつ発展させるために最大限に利用するべく、自治共和国は衆知を集めていた。
とは言え「辺境回廊」に近いエル・ファシルには「旧」フェザーン自治領ほどの地の利は無い。
しかし其れが逆に幸いして、そのフェザーンを新帝都とする帝国の経済からの直撃を避ける事も可能だった。

こうして鎖国よりも交易を選択した以上、自治共和国も「海賊狩り」からの利益は受けていたのである。
その忘れて帝国側に付け込まれる程には、自治共和国の「衆知」も愚では無かった。

……結果としては市民生活の水準も、人口増加率も帝国新領土に負けなかった。

そうであってこそ、民主共和主義の理想に拘(こだわ)る意味も存在し続けていた。



[29468] 第65章『リレーされる生命』
Name: きらら◆729e20ad ID:ac7c88fb
Date: 2011/11/18 21:11
新帝都フェザーンではケスラー憲兵総監の指揮下、地球教団に対する捜査と摘発は途切れる事無く継続されていた。
とは言え、摘発してみれば地球教の名を詐称して被害者や他の犯罪者にハッタリをかける刑事犯罪者や其のグループだったりした。
それでも“地球教”を名乗った以上は、本当にニセモノかどうか確認せざるを得ない。
例えば自白剤を使用しても。
ヤン・ウェンリーの様な民主共和主義者には好みでも無いだろうが。

しかし継続している事にも意味が無い訳でも無かった。
皇帝の結婚と新生活の開始から以降、ほとんどのテロ計画は未遂で摘発され、スクスクとカイザーリンは出産予定日に近付いていた。
そして具体的なテロの実行は潰され続けたまま、何時しか新帝国暦3年も5月の終わりが近付いた………。

……。

…新帝国暦3年5月14日。

カイザーリンの出産予定日まで、残り約半月ほどに成っていた“この”日。
仮皇宮には火災も、出産を促進する類のストレスを与える様な騒ぎも起きていない。
それが憲兵総監ケスラー以下の地道な努力の結果である事までは、皇帝たちも理解していただろう。

だが特命室長ザルツ中将だけは、ケスラーの命令で視察して来た報告書を提出しながら脳内で安堵(あんど)していた。
今日もケスラーは、仮皇宮1階の詰所に詰めていた。
ザルツに限らずケスラーの部下たちは、率先してケスラーが「ここ」から動く様な任務や視察を代行するよう努(つと)めていた。
特にザルツは何が何でも14日だけは、ケスラーを仮皇宮に止めて置きたかったのである。
それが抑止力と成ったのかどうか、この日は何も起きなかった。

仮皇宮1階の詰所で、何時もの様に懐(なつ)かれている「大佐さん」への報告を書類にして提出しながら
ザルツは其れと無く「何かは在りませんでしたか?」と確かめてみた。
ケスラーの回答は微笑だった。仮皇宮3階の皇帝の書斎に丸めた紙が散らばっている、と言う。

『原作』と異なりラインハルトは何処かに遠征している訳では無く、ここ仮皇宮で姉や親友とも同居していた。
そのため出産予定日よりも前に、微笑されながら優しく忠告されたのである。
生まれて来る子供の性別は分かっている。西暦21世紀でも先進国ならば可能だった検査だ。
まして帝政では、皇帝の子供の性別は其のまま継承順位に関係していた。
したがって、女児の名前を考える必要だけは無かった。
それでも、これはラインハルトにとっては「天才」と引き換えに関心の薄い分野だったらしい。

何10枚かの紙を丸めた末、皇帝は側に居る「マイン・フロイント」の微笑に気が付いた。
今度は遠慮する「もう1人の」ジークフリードが皇帝夫妻と皇帝の姉から説得されていた。

かくてローエングラム王朝の第2代皇帝の名は、アレクサンドル・ジークフリード1世と成る………。

……。

…5月29日。カイザーリンの出産予定日を6月1日に控えて、仮皇宮では入院準備が整えられつつあった。

この日の朝、すっかり身体の重くなったカイザーリンの隣で目覚めた皇帝は微熱を自覚していたが、あえて楽観して大本営へと出勤しようとした。
だが、カイザーリンと姉と友人に包囲されて寝台に逆戻りさせられた。
とは言え、出産直前のカイザーリンと寝台をともにする事は当然に心配された。
このままカイザーリンを入院させて出産する事も検討されたが、侍医たちが感染する病気では無い事だけは断言したため
とりあえず1日だけ様子を見る事に落ち着いた。

……だが5月30日に日付が変わって何時間も経過しないうちに、仮皇宮はパニックへと落ち入った。

皇帝の熱が高くなり、意識を失ったのである。しかも、これが直接の切欠になって産気づいた。

当然に救急車が駆け付ける。
そして皇帝とカイザーリンは並んで救急車で運ばれ、これも当然に皇帝の姉も付き添って行った。

その結果、警護責任者のケスラー上級大将は仮皇宮の警護をフェザーン中央病院にシフトさせる決断をした。
当然である。仮皇宮には護るべき対象は居らず病院へと移動しているのだから。
もっとも「病院」である以上は病院関係者、まして一般の来院受診者や入院患者にテロリストが紛(まぎ)れ込む可能性を無視出来ない。
元々ケスラーはその点を考慮(こうりょ)して相応のマン・パワーを、カイザーリン入院後の病院警護には投入する積もりだったのだ。
まして仮皇宮から護るべき対象は居なく成って仕舞ったのなら、極論すればカラッポにしても構(かま)わなかった。
目的のために手段は選ぶものだ。
もしも仮皇宮が手薄にでも成ったと誤解してノコノコ襲撃してくれたら、結果として好い囮にすら成るものだった………。

……。

…結果として、仮皇宮にも中央病院にも襲撃者は出現せず、そして生命の営みが遣って来た。

「…キルヒアイス?」ラインハルトは親友の姿を知覚した。
そして自分の現状について質問しようとした時、別な音声が聞こえた。
新しい生命が自分の存在を主張していた。

病院の警護を陣頭指揮していたケスラーは、皇子の誕生と皇帝の意識回復をほとんど前後して知った。
その「頼もしい大佐さん」に、皇帝の家族に付き添って来た近時の少女が飛び付き、歓喜を爆発させていた。

……憲兵本部。

総監が中央病院で陣頭指揮をとっているため、留守を預(あず)かった形に成っていた特命室長ザルツ中将は
「知識」を持つ者だけの感傷から逃げられなかった。

ラインハルトからアレクへと、最初から予定されていた通り(?)に生命が受け継がれて行く。
夭折と引き換えに天才を与えられていた生命が、しかし天才とともに消失する事から脱出して連続して行こうとしている。
「ヤン・ウェンリーなんかは、“宿命”と言う言葉は“運命”よりも人間を侮辱している、とか言っているらしいけどな」
つい、そんな1人ごとまで呟(つぶや)いていた。
それでも、この場合に“宿命” と言う言葉を使う事は、ラインハルトを侮辱しているだろうか?

……そのヤンは、高等弁務官公邸で「旧」同盟軍以来の軍服を用意していた。皇帝ラインハルトを見舞うならば当然だった。

帝国軍は「皇帝不予」を未だ公式発表はしていない。
だが何時の間にか、シェーンコップとポプランが警護の合間に情報を入手して来ていた。
そもそも帝都防衛司令官が警護をシフトさせた事が何を意味しているのか、察知出来ない「奇蹟の魔術師」では無い。

歴史家としてのヤンは、神秘主義が実害をもたらした史実をいくらでも知っていた。
だが同時に「夭折の天才」が何人か実在していた事も知っていた。
「宿命というのは、二重の意味で人間を侮辱している」と言って来たのは
民主主義者として「まちがうにしても自分の責任でまちがいたかった」と言うヤンの信念(?)だったのだが。
そのヤンにしても、歴史上で彼が知っていた「夭折の天才」とラインハルトが重なって見えていた。
余りにも後継者がタイミング好く誕生し過ぎているだけに尚更。
「私は何をバカな事を考えている。
だいたいカイザーが入院したからと言っても、不治の重病とは限らない。ただのカゼか過労かも知れないだろう。
それが多少こじれたか、あるいは其れこそ出産とタイミングが重なったための警備上の都合に過ぎないかも知れないじゃ無いか」

しかしヤンは戦慄していた。
本来ヤンは、歴史の当事者では無く目撃者にこそ成りたかった。
だが、その希望は“こんな”形で実現するのだろうか?


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