2008-10-15 23:00:30

山に登ること②

テーマ:ブログ

10月11日

もう1日休みたい。このまま進めば体がもたなくなる。そう思っていても通信担当の藤川さんが「今日中に上がらないと、12日の好天には間に合わない」と言う。
 
藤川さんはプロのスキーヤーでヒマラヤ経験者ではない。でも、天気の情報を精密に分析し、こっちの体を気遣うこともなく、冷静に上に登れと言う。いつもなら全て自分の判断で決めるのだが、パソコンのグラフで説明されると「栗城思いこみ天気情報」は影をひそめる。僕は3Dには弱い。
 
言われるがままに、標高6900mから7400mのキャンプ4に向かう。ここからは雪も少なくなり、家一軒ほどの氷の塊がゴロゴロと出てくる。その間を縫うように抜けていくと、足が少しずつ動きを止めて行った。前回に高所順応で登ったのが7100m地点。ここから先には、空気の薄さがもろに体に影響してくる。




目には見えなくても、体が空気の薄さを感じとっていた。青色に輝く氷の上を登っていくと、だれかが置いていた大きなザックのようなものが見えた。ところが、腕のようなものがその雪の中から出ている。近づいてよく見ると、白骨化した遺体だった。
 
登る前にシェルパに言われたことがある。
「ジャパニーズガールが目印だ」
これがその遺体か。初めて見る山での遺体。それを見てさらに空気の薄さを感じる。
 
もうここから先は、大きな代償を払わないとこの先にはいけない。お前にその覚悟はあるのか、と言われているような気がした。
 
「その覚悟は僕にありません」ときっぱりと心中で呟きながら手を合わせ、ご冥福を祈った。キャンプ4に着くと黄色いテントがぽつんと立っていた。フランス隊が捨てていったテントだ。中には靴下や使用済みの酸素ボンベが転がっていた。少し異臭がするが、自分のテントを立てるより、ここで少し休み時間を稼いだ方がいいだろう。
 
キャンプ4に着いたのが、午後6時。もう疲れていて1日休みたいが、4時間後にはここを出発し、夜通しで山頂に向かわなければならない。藤川さんは僕の体力と行動時間を見て、ベースキャンプのシェルパと相談して、僕の出発時間を計算してくれた。通常、酸素ボンベを吸っても、キャンプ4から山頂まで9時間はかかる。でも体力も限界になり、無酸素でとなると12時間以上はかかると言う。
 
僕はもう眠たくて、異臭漂うテントの中でウトウトとしていた。食欲もなく、たまに大声を上げて、自分を奮い立たせようとするが、標高7400mの強風の中では気合がすぐにかき消される。
 
標高が高くなるほど全く食欲がなくなっていく。キャンプ4で唯一、口にしたのがココアだけだった。
体は冷え、瞼が重い。それでも出発の時間は容赦なく近づいてきた。
 
午後10時、定時の無線交信だ。これが出発の合図となる。外はまだ風が強い。このテントを出れば、あっと言う間に体は冷えるだろう。この瞬間、なぜ僕は山頂に向かっていくのだろうと考えだした。下山して暖かい御飯を食べる自分と、それを振り切って上に登っていく2人の自分がいた。どっちの自分が本来の自分なのか。自然と足は暗闇の山頂の方へ向かっていった。
 
大きな雪壁を越えていくと、満月の輝く快晴の夜空が広がっていた。月の光だけでヒマラヤの全て見渡せるような気がした。
 
だが、雲ひとつない夜空は気温が低く、両手が凍傷になっていくことがすぐに予測できた。あのジャパニーズガールが、「ここから先は、代償を払わなくては行けないよ」と本当に言っているように思えた。
 
眠気が先に僕の中の頂上にやってきた。このまま寝ないで登って行った方が、死ぬんじゃないのかと思うほどだ。

僕はここで腰を落とし、横になれるほどの穴を掘った。そこにザックを落とし、横になる。目の前には満点の夜空と7000m級の山々が広がっていた。こんなに高いところからでは、星を見ているというより宇宙そのものを見ているようだ。その気持ちよさと寒さがさらに眠気を誘う。
 
両手が冷たい。僕は手袋を胸のダウンにしまい、両手をタマタマ付近に突っ込んだ。タマタマは柔らかく、すぐに温度が下がるホッカイロよりも暖かい。呼吸の落ち着きを取り戻し、僕は浅い眠りに入った。

気が付くと、目をパチパチするのがやっとだった。肺が必死に酸素を取り入れようとしている。時計を見ると30分経っている。僕は極寒の8000m近くで30分も寝ていたのだ。死んでいてもおしくない。去年チャレンジしたチョ・オユーでも寝ていた。
 
寝ていた時、夢の中でだれかと話していた感覚がある。でも全く記憶がない。むしろこの山の中の方が夢ではないのかと思うほどだ。
 
気がつくと右足のかかとに寒さを越えた激痛が走っていた。ありにも痛いのでブーツを脱いでみると、かかとが紫色に変化していた。
 
これは間違いなく凍傷だ。ザックの中にあった予備用の簡易ダウンジャケット取り出し、ナイフでジャケットを切り、中の化学繊維を取り出した。そして、それをブーツの中にいっぱいに押し込み、なんとか凍傷を逃れようとする。それが当たったのか、徐々に右足が暖かくなった。
 
月光も下がり、先ほどまで見えていたマナスルの山頂も消え、暗闇の中に入った。これから寒さもピークに達し、両手をタマタマに突っ込んでも、なかなか温まらない。顔を覆っているフェイスマスクをしたままでは、呼吸が苦しくてまともに歩けない。口と鼻を出してみるが、鼻がすぐに変色してしまうように感じた。さすがにジェットストリーム明けの夜である。気温がどれだけ低いのか、想像するだけ無駄なことだ。
 
午前6時半、頂に囲まれた地形上、無線が完全に通じなくなる。下山後に無線でのやりとりを聞いたのだが、僕は「栗城です!寒い!オーバー!」としか言わなく、ベースキャンプでは僕の動きが全く分からなかったそうだ。

午前7時、陽が地平線の先から上りはじめ、ヒマラヤの氷に青い光が広がっていく。それでも僕の体は温まらない。むしろマナスルの山頂が見え、その距離感が僕の光を奪っていく。

「どこで引き返そうか」

そんな言葉が何度も頭の中をよぎった。

「時間切れだ。栗城はよく頑張ったよ。降りてきて」
そう無線で言ってほしかったが、無線が通じない。
 
背中のザックが重い。ザックを下ろしてみると、長い板が二枚、付いていた。なんとスキーを背負ってきていたのである。かすかに記憶にあったが、本当に持ってきているとは思わなかった。極寒と酸素の薄さが脳機能を低下させ、スキーを持って登っている感覚まで麻痺させていたのだ。
 
通信担当の藤川さんから、キャンプ4に着く前にスキーは置いていった方がいいと言われていたが、僕は8000mの頂上からスキーを滑るのだという変な野心が働いていた。そして、そうした野心で過去、何人の登山家が死んでいったことだろうか。
 
頂上まであと100m。最後の登りである。スキーを持っていくことよりも、スキーを捨てていく罪悪感の方が勝り、結局、スキーを頂上まで持っていくことにした。
 
太陽の光が眩しく、サングラスをしていても目をまともに開けない。こんなにも強い光が地球に降り注いでいたのか。僕らはその強い光とそれから守ってくれる空気の層の中で生きてることを実感した。
 
5回深呼吸して、ようやく足が一歩前に進む。この苦しみはすでに境地に達し、この場で上着を脱ぎ棄て、楽になりたいと思う。

「ありがとうございます。ありがとうございます」と苦しみに笑顔で向き合う。

苦しいからこそ笑顔になり、苦しいからこそ生きていることに喜びを感じる。そう思わなければ8000m峰を無酸素で登ることなどできない。
 
9時45分。山頂の凹凸の間に、タルチョと呼ばれる祈りの旗が見えた。今まで見えなった視界が一気に広がった。
 
登ったというより、「これ以上登らなくてもいいんだ」とい気持ちの方が強かった。無線で無事を伝える。辺りを見渡すと、ここから先に10mほど高い本当の頂上がある。しかし、そこは大きな雪庇の上にあり、そこに登れば確実に落ちることになるだろう。ここがネパール政府公認の頂上だ。これ以上、何もほしくはない。




山頂の栗城
 

僕はザックに手を入れて、カメラを取り出そうとする。何か温かいものを感じながら出てきたのが、あのパン ティーだ。
 
命がけで登り、出てきたのがパン ティー。栗城らしいオチだ。パン ティーを被ってやろうかなと思ったりもしたが、被れば息苦しくなる。そこまでの命賭けのギャグはできない。
 
写真を数枚撮り、早く下山しようとすると、ザックにスキーが付いている。最後の最後までこのスキーは付いてきたのだ。
 
スキーは滑るもの。僕はスキーで滑り下りることを決意した。スキーを履くのに10分もかかる。一つ一つの動作がスローモーションだ。酸素濃度は地上の3分の1。指は凍傷で痺れている。まともに滑ることなどできないのはわかっていた。でもこの瞬間はマナスルの神様が与えてくれたものだと思い、全てをマナスルの神様に託すことにした。滑り出した一瞬。僕は雪山の中で埋もれているところで目を覚ました。
 
滑ったまま気絶していたのかもしれない。その後、命がけで4回ターンを行い。徐々に高度を下げていく。





支援者の子供達が作ってくれたテルテル坊主です。これのおかげで本当に晴れたよ。有り難う。有り難う


7800mほどから呼吸が楽になり、大きくゆっくりとターンをして、ヒマラヤの高峰を眺めながら風になってみた。この一瞬一瞬の光や風は、もう見ることはないだろう。夢のようなわずかな時間は終わり、午後0時。山岳カメラマンが待つ標高6900m地点にまで降りる。

ロシア隊が捨てていったテントの中に入り、体を横にする。無事に下山するまでが登山だが、僕の中ではもう全て出しきっていたため、喉が焼けるように痛い。そして、極度の空腹感。山を登ることよりも、仲間に会い、好きなご飯を食べた方が人間らしいと思った。

当り前のことが、ここでは当り前じゃない。食べる。寝る。大好きな人と会うこともできないこの世界に来た時、自分がいかに生かされ、生きているかを思い知らされる。暗闇のマナスルで命の限りを見たような気がする。

だからこそ、1日1日を大切に生きたいと思う。山を登ることは特別でもなく、すごいことでも何でもない。でも、命の限りを気づかせてくれたこの山は、全てをかけて登っただけの価値があり、太陽の光や全てが僕を生かせてくれていることに感謝したい。
 
今、僕はマナスルを下から眺めながら生気を取り戻そうとしている。山は登るものではなく、見上げるものだ。山に来るたびにいつもそう感じさせられる。


山頂からの眺め、目の前にはヒマラヤの6700m級の山々が広がる









下山途中のマナスルの山頂。この左側をスキーでゆっくりと滑り下りる

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