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[17925] 【習作】BALDR SKY -Cross Dive- (再構成)第八章<2>追加
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2011/08/19 21:18
当作品はバルドスカイの再構成のようなものです。
その性質上、Dive1,2共にクリア済みであること推奨です。
これからプレイされる方、プレイ中の方は控えることをお勧めします。
また、独自設定、解釈等も含まれます。どうかご了承の上、ご覧くださいませ。

久しぶりに文章を書きますが、よろしくお願いします。

この作品は以下のように分類しています。
第〇章:空、もしくはクゥの視点から見る本編。
第〇章間章:それ以外の人物から見る本編の隙間を埋める話。
外伝〇:本編の設定を流用した短編。関係があるようで無い話。



[17925] 第一章 覚醒 -Awake-
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/09/28 21:42
目覚めると、私は白い海に漂っていた
柔らかなシーツの感触
白い布地が陽光に照らされて、
眩しさに開きかけた薄眼を閉じる
おそらくいつもと同じ、平和な一日の始まり
おそらく今日もいい天気
窓から差し込む光がまぶたを閉じても、なお眩しい
さぁ、そろそろ起きて、あいつを起こしにいかなくちゃ

 ――ら…さ

「あいつ」
私にとって、ちょっと特別な男の子
生まれてはじめて出会った、とても大切に思ってしまう男の子

 ――そ……んっ

「あいつ」
とても大切な名前。
でも、何故だろう。今の私にとって、その名前は…。











 「早く起きて、空!! もう時間が無いの!!」











そのありえない呼び声に、意識が一瞬で覚醒した。






第一章:覚醒





急速で浮上した意識が最初に確認したのは、視界一杯に広がる無機質な猛獣。
悲鳴は心の遥か深層に。体に染み付いた動きは、考える前に目の前の物体に刃を向ける。
「ふっ!!」
呼気に合わせ、左手に握るブレードで深紅のウィルスを破壊。
爆発四散するそれを確認すると、ズキリと頭が痛んだ。頭を抑えようとして、腕が鋼鉄に覆われていることに気づく。
「いったぁ…。えっと、確か」
自らの身を見下ろし、彼女はここが仮想空間であることを確認する。
今の彼女は戦闘用電子体《シュミクラム》に身を包んでいる。白と赤を基調とした、もう見慣れてしまった姿。
そこまで意識が行って、唐突に。
目覚める寸前に聞こえた、ありえない声を思い出す。
誰の声よりも聞きなれた、そして同時に、誰の声よりも聞きなれない、そんなありえない声の主。
それを持つ存在を、彼女はたった一人だけ知っている。
恐る恐る周囲を見渡して、見つけた。
「クゥ…!?」
学生時代に出会った、彼女の分身。AIによって再現された、模倣体《シミュラクラ》。
その彼女は、酷いノイズ交じりの声で、それでも必死に訴えてくる。
『そら…、時間が…』
声だけではない。その姿すら、ノイズで酷くぶれてしまっていた。
「ちょ、ちょっと、クゥ!?」
『空…、そら? 気が、つい…。いそ…、この、場…!』
ノイズ交じりの声で、まともに言いたいことが伝わらない。
彼女、水無月 空は、危険を理解しながらも、自らの身をシュミクラムから通常の人の姿へと戻す。
完全に戻りきる時間すら惜しみつつ、空はクゥに駆け寄った。
「クゥ! 何で、一体どうしてここに!?」
『そ…ら…!』
クゥが必死に手を伸ばしてくる。それを見て、空はその手を取ろうとする。
手が触れた、その瞬間。
かつて空を翻弄した、共振現象に近いものが襲い掛かった。
「!?」
『ごめ…、もう、…の、手段…』
《ごめん、もう、この手段しか伝える方法が無いの。辛いかも知れないけど、我慢して》
ノイズ交じりの言葉と同時に、クリアな声が直接脳に刻まれる。
「くっ、な、何なのよ、一体!」
《時間が無いの。私があなたに接触したことに気づかれた。とにかくこの場所に急いで。手遅れになる前に》
「この、場所…?」
聞き返したのとほぼ同時に、クゥからのファイルが刻まれる。
《もうすぐ、 が、   るか 》
一瞬前まではっきりと聞こえていた声が、急に途切れ始める。
《時 切れ  い。空、しん て》
クゥは辛そうな顔で必死に訴えてくる。空は、消えかけているクゥの手を握り締める。
何か、全てが変わる言葉を、クゥは伝えようとしている。
それを受け取らなければならない。
触れている手から、クゥがありったけの力をかき集めているのが判る。


「そら、こお、かえって、くる」


「…え?」
伝えられた、その満足感でクゥが微笑み、その姿が、まるで煙のように消えた。
「クゥ!?」
握っていたはずの手は、もう何の感触も返してこない。
「…帰って、来る? 甲、が…?」
ありえない。だって、彼は、門倉 甲は、あの時に。

『空中尉! どうして除装なんて!?』

呆然としていた空の耳に、切羽詰まった相棒の声が届く。
「レイン?」
『残存するウィルス群が集結しつつあります! 急いで脱出しないと!』
「…ウィルス…、ああ、そうか、ここ、戦場だったわね」
あまりの事に思考停止していた空は、ゆっくりと立ち上がると。

 移行《シフト》

脳裏でシュミクラムのプログラムを再度走らせる。
何の力も無い電子体の自分の姿が、無機質な鋼に覆われる。
同時に、その身に溢れ出す力。圧倒的な万能感。
白と赤に彩られた、カゲロウ・冴。その姿が戦場に再臨する。
「レイン、現在位置を報告して」
『了解!』
いきなり押し付けられた情報。
レインの報告を確認しながら、同時に、空はクゥに託されたファイルを展開する。
それには、ある場所の地図が浮かんでいた。そこに、一体何があるというのか。
「…時間が無い、だったわね」
クゥが何度も繰り返していたその言葉を思い返し、空は脱出の為、シュミクラムを走らせた。



こちらに近づいてくる相棒、桐島 レインのシュミクラム、アイギスガードの反応を確認。
目の前のウィルスを両断、続いて群がってくる物には深紅の波動で弾き飛ばす。
そんな中で、それでも空はクゥの言ったことに意識を奪われてしまう。

 ――そら、こお、かえって、くる

「…ありえないわよ、そんなの。だって、あいつは、死んだのよ…?」
自分の目の前で、甲は、生きながらアセンブラに溶かされて、死んだのだ。
死んだ人間が生き返るはずが無い。
どこかのカルト教団みたいなことを信じるわけにはいかない。
なのに、迷う。それは、そのメッセージを伝えたのが、他ならぬ自分の分身だから。
言ったのがクゥでなければ、歯牙にもかけなかったはずだ。
「…そもそも、何であの子がここにいる訳?」
そう、考えてみれば、クゥは凍結されているはずだ。
蜘蛛型のウィルスに蹴りを入れ、怯んだところをブレードで切り裂く。
「そもそも、私、何でここにいるんだっけ」
口にして、思わず愕然とする。
思い出せなくなっているのか、一瞬そう思ったが。
「いや、違うわね…。大丈夫、ちゃんと思い出せる」
ただ、少し混乱しているようだ。
余裕が出来たときに、整理したほうがよさそうだ、と結論付ける。
『空中尉!』
「レイン、無事だったのね」
『はい。中尉こそ、よくご無事で…』
「こんなとこでくたばってたまるもんですか」
しかし、ウィルスはまだ残っている。
「いろいろ話したいことがあるけど、後にしましょう。レイン、ウィルスの現在位置を教えて」
『了解』
レインから送られたマップデータに、空はげんなりする。
「山のようにいるわね…。離脱妨害の根っこはどこ?」
『確認します』
一瞬の間をおいて、ウィルスを示す光点のうち、ひとつが示される。
「一機だけか」
『指揮タイプもかねているようです。残存するウィルスを集めているのはこれかと』
「もうちょっと遅かったら大惨事だったわね。行くわよ、レイン。こいつを潰して離脱する!」
『了解!』
空のカゲロウ・冴は速さに優れた高機動タイプ。それが本気で走るとなれば、触れるものは多くない。
急速旋廻だろうが、この機体には問題にならない。ウィルス群の間を駆け抜けることくらい、朝飯前だ。
だが、レインの機体はそうではない。機体の能力を全てダッシュに注ぎ込めば、確かに空に並び立つことはできる。
しかし、それは旋廻能力すら犠牲にする前提で、だ。それでは、目の前にいるだけのウィルスにすら対抗できない。
だから、空はブレード…、いや、そのブレードの形状が本来持つべき役割を思い出させる。
全てを打ち抜き貫く、水無月 空の必殺の一手。カゲロウ・冴の本来の武器にして、最大の攻撃。
「いけええええええ!!」
クリティカルアローの一閃が、ウィルス群のど真ん中を駆け抜けていく。
残身の体勢を無理やりキャンセルし、自身の最大攻撃で打ち抜き作り出した一筋の道に飛び込む。
「レイン!」
『チャージ完了…! スタン・フレア!!』
その道を埋められる前に、レインの広範囲に繰り出される閃光弾が、ウィルス群の動きを封じ込める。
そして空に一瞬遅れる形で、レインもまた蜘蛛の糸のような一筋の道に飛び込む。
レインが追随していることを確認し、空は、普段はしまいこんでいる右腕のブレードも開放する。
この速度では弓は撃てない。自身の速度と両のブレードで、道をふさぐウィルスは切り払う。
凄腕<ホットドガー>の称号に恥じない、無茶を無茶とも思わせない超高速の斬撃の疾風が駆け抜ける。
『中尉! 目標ポイントです!』
「ええ、こっちでも目標を確認したわ! レイン、周囲の雑魚は任せる!」
『了解!』
「目標はシュミクラムっぽいけど…、無人機<ドローン>か! 私をそんなんで止められると思うな!」
敵性体は深紅のシュミクラム。機体コードは、ミラージュ。
それはミサイルを放って空を狙おうとする。
が。
「残念でした、っと!」
ブーストを一瞬だけ展開し、ミサイルの脇に滑り込む。同時に、ブレードで両断。
生じる爆風を加速装置代わりに、一気に接近。
もしミラージュに人が乗っていたなら、この挙動を信じられない思いで見るはずだ。
繰り出すのは左のブレード。斬り付け、その勢いのままに回転。右のブレードを畳む。
ターンして、右の肘を叩き込むように、折りたたんだブレードの切っ先をミラージュの頭に打ち込む。
「はああ!」
そのまま無理やり右腕を振りぬき、頭から肩口まで切り裂く。
まだ終わらない。左のブレードから深紅の衝撃波を放つ。それがミラージュの機体を巻き込み、大きく弾き飛ばす。
開いた間合いに一歩、力強く踏み込み、瞬間、空の機体が高速で駆ける。
追いつき、追い抜き、その一瞬に刻む斬撃<クロスイリュージョン>。一回、二回、三回。
そして、四度目は下から打ち上げ、その周囲を旋廻するように自身も空中へ。刃の竜巻<トルネードテンペスト>がさらに無人機を切り刻む。
「これで、おしまい!」
止めとばかりに相手を掴み、自身も急降下、<レイディングホーネット>で大地に叩きつけると同時にその胸を貫く。
すぐさま飛びのく。それを待っていたかのように、ドローンが爆発した。
「撃破!」
『離脱妨害解除確認!』
後ろで雑魚を相手にしていたレインが、すぐさま答える。
「走って!」
『了解!!』
群がってきたウィルスに背を向け、近くの崖から飛び降りる。
「レイン!」
『離脱プロセス、起動!!』
瞬間、世界が形を失い、と1と0の羅列を幻視した。



「中尉、しっかりしてください、中尉…!」
空の耳に、誰かの声が聞こえる。
「ん、んん…」
「中尉! …後方からシュミクラム多数接近!」
「っ!?」
思わず飛び起きて、首を捻る。
「…あれ? 私、ログアウトしなかったっけ…?」
「ええ、確かに離脱しています。急いで撤収しましょう、中尉」
目の前に、金髪の女性。身長は、女性にしては高い方だろう。
「レイン…、ごめん、気を失ってたのかしら」
「離脱が慌しかったですから。それに、神経パルスの洗礼も…」
「あ…」
言われて、思い出す。
そういえば、あの時、自分は基地の自爆に巻き込まれたのだ。
そして気を失い、その後。

 ――そら、こお、かえって、くる

「だから、ありえないって言ってるでしょうが!」
「ちゅ、中尉?」
「あ…」
驚きと心配が半々のレインの視線。
「…いや、ちょっと…。そうだ、それより」
言いながら、空は周囲を見回した。
携行用操作席に身を預け、うずくまる者達。
この作戦に、自分と共に参加した仲間達だ。
「…無事な人は?」
空の質問に、レインは目を伏せる。
「全員の、脳死<フラットライン>を確認しました」
「…そう」
虚無感。死んだ人間は生き返らない、戻ってこない。それが判るからこその。
「…ごめんね、不甲斐ない指揮官で」
僅かの期間の部下達の瞼に、そっと手を当て、一人ずつ、別れを告げていく。
レインも同じように。
「…ちゃんと弔ってあげたいけど、これが限界。ほんとに、ごめん」
「IDは私達のものと摩り替えておきました。これで、私達のKIAが傭兵組合に送られるはずです」
「少しの間なら偽装になるかしらね。…学園生時代の私達には、見せられないわね、こんな光景」
「ええ…。死人を利用するなんて何事だ、と言われてしまいそうです」
焼夷爆薬を仲間達の中央にセットし、立ち上がる。
もうすっかり体に馴染んでしまった敬礼を送り、
「私達もいずれそっちに行くと思う。その時に、また会いましょう」
「さようなら、本当に…、お疲れ様でした」
二人でそれだけ言い残し、踵を返す。
数分後に起こった爆発の振動が、空たちに火葬の終了を伝えた。



地下道から出ると、見慣れた荒廃した清城市。
灰色のクリスマス前には、妹の通院のために何度も訪れていた。
その時に見た光景と、今のこの光景が同じ場所のものとはとても思えない。
「…中尉、ひとまず、どこか休めるところに行きませんか?」
レインに声をかけられ、空は少し考え込む。
引っかかるのはクゥの言葉。
甲が帰ってくる、などというあり得ない予言。
凍結されていて、姿を現すなどあり得ない自分の分身。
そして、データをダウンロードする最中に現れた、甲の姿のNPC。
(………甲の姿のNPC?)
当たり前のように思い出して、その記憶の存在に寒気を覚える。
そう、確かに会った、筈だ。

 ――僕は、オブサーバー。

思わず、眩暈がした。
あり得ないことの三拍子だ。自分の脳チップがおかしくなったのかもしれない。
何せ、神経パルスの洗礼を浴びたわけだし。
「中尉?」
「…うん、そうね…」
休んだほうがいいかも、そう言おうとして。
あり得ないと思い込もうとしていた自分を裏切るように、クゥから託された地図は、確かに自分のチップの中に保存されていた。
開いてみる。
「……」
クゥは時間が無いと言った。誰かに気づかれた、とも。
彼女は自分の分身だ。なら、空が何のために戦っているのかくらい、説明しなくても理解しているはず。
それなのに、こんなところに行けと言う。
考える。
今の自分は、レイン以外の部下を全て失った直後だ。
そして、差し迫って追わなければならない物は無い。
今なら、動ける。いや、今しか動けない。
「レイン、ごめん、休むのは後回し。どうしても行きたいところがあるの」
「は? え、ええ、それは構いませんが、どこに?」
「爆心地<グラウンド・ゼロ>」
言いつつ、空はクゥから貰った地図をレインに示してみせる。
その地図には、爆心地のあるポイント、星修学園跡地で、おそらく今も残っているだろう建造物。
あの灰色のクリスマスで二人が戦火を凌いだ、大聖堂。そこが示されていた。



そして今、空とレインは列車に揺られている。
「レイン、今のうちに少しでも休んでおいて」
「いえ、それを言われるなら中尉こそ」
そんな言葉を交わして、両者共にため息。
「…中尉、そろそろ話していただけませんか? どうして突然、爆心地に行く、などと言い出されたのか。…原点を見直す為、と言うわけでは無いでしょう?」
レインの鋭い目が空を射抜く。なまじ顔立ちが整っているだけに、こういう目をされると迫力が違う。
二年前のおどおどしっぱなしのレインをふと懐かしく思い出して、空は小さくため息。
「きっと全部戦争のせいよね」
「何の話です?」
「レインの性格が擦れちゃった原因」
「…擦れたのはお互い様です」
「そう?」
「ええ。…空さんは、笑わなくなりました」
「………」
その言葉に、空は目を逸らす。とっくの昔に、そんなことは自覚していたから。
レインはしばらく空を見つめ、やがて頭を下げた。
「…すいません、出すぎたことを言いました」
「いいわよ、気にしてない」
友人ではなく、部下としての言葉を少し寂しく思いながら、それで救われている自分もいる。
それにレインが今、部下の立場を使ってこの場を収めようというなら、自分もそれに乗るべきだろう。
『情報を整理しましょう』
直接通話<チャント>でレインに話しかける。
『例の施設で得た情報。見て』
空はレインにいくつかのファイルを送る。
レインの目が少し宙を泳いだ。おそらく展開したファイルを読んでいるのだろう。
視覚情報に割り込むように映る文字ファイルを見る時特有の仕草。
『これは、アセンブラ…!?』
『ほぼ完成状態。後はコマンダーを残すだけ、ってとこね。最悪よ』
『…予想以上に、事は進行していた、ということですか』
『…施設を爆破するなら、ついでにアセンブラも爆破してくれれば良かったのに』
『中尉…』
地下鉄の窓は何も映さない。時折走る電灯と、ガラスに映りこむ無表情な自分の顔。
いつからこんなにも、感情を押さえつけるようになったのだろう。
そんな哀愁にも似た感情もまた抑え付け、疑問を並べる。
『…でも、引っかかるわね。計ったようにアジトを爆破したこともそうだけど、そこにジルベルトが居た事も』
『ジルベルト…、あの男も清城に来ていたのですか?』
『みたいね。あんなのいちいち相手にしたくないけど、あいつを雇っているのが誰か、は気になるわ』
『ドレクスラーの連中を追っていたのか、匿ったのか、ですね』
『あいつらの人格はともかく、持っている技術は一級品だもの。喉から手が出てる連中はいくらでもいるわ』
吐き捨てるように言う。
脳裏をよぎるのは、彼女やかつての友人達が揃って、「先生」と呼び親しんだ、久利原直樹。
あの時何が起こったのか、どうして甲が死んだのか、その真相を彼に確かめ、そして甲の仇を打つ。
その為に、辛い思いも苦しい思いも超えてきた。文字通り、心を擦り減らしてまで。
だが。
『……ねぇ、レイン』
『はい?』
『……ううん、何でもない。ごめん、忘れて』
もし、甲が生きていたら。生きているとしたら、どうするか。
そんな、ありもしない未来を仮定しようとして、あまりの虚しさに尋ねるのを止めた。
レインは訝しげな顔をしている。
変わりに、空はひとつだけ、レインに聞いてみた。
『ねぇ、レイン。オブサーバー、って知ってる?』
『観測者<オブサーバー>、ですか? ええ、それなりに聞いたことはありますが』
『…ごめん、質問の仕方が悪かった。…甲の姿をしたNPCが、あの施設の中にいたの。それが、オブサーバーって名乗ってた』
『オブサーバーを名乗るNPC、ですか? …野良か、それで無いなら奴らの手駒では?』
甲の姿のNPCと聞いて、レインの表情に怒気のようなものが宿る。
おそらく、自身の経験と重ねているのだろう。
『野良、か…。そう、かもね』
言葉を連ねていく中で、一つ一つ思い出していく。
部隊を編成し、作戦を組み立て、ドレクスラー機関を追い詰めるために、あの構造体へ襲撃を仕掛けたこと。
作戦半ばにして、多くの仲間達が倒れていたこと。
ジャミングに阻まれ、レインとの通信を失いながらも、単身奥へと進んだこと。
そこで、ジルベルトの待ち伏せにあったこと。
多くを返り討ちにしながらも、多勢に無勢で、徐々に追い詰められていたこと。
そして。
(…まこちゃんも、あそこに居た)
ドミニオンの巫女、と、ジルベルトは彼女を呼んだ。
その後、データベースにアクセスし、そしてあのNPCと出会う。
よく状況が判らないまま、空はそのNPCと共に施設を脱出しようとして走り、しかし結局間に合わずに倒れ。
そうして、クゥの叫びによって意識を取り戻した。

 ――そら、こお、かえって、くる

(…駄目。希望を持ったりしちゃ駄目。死んだ人は生き返らないんだから。…そんなの、ありえない)
目を閉じ、必死で自分に言い聞かせる。
「中尉?」
「あ」
どうやら、考え事が長かったらしい。
レインが心配そうにこちらを見つめていた。
「…ごめん、考え事してた」
「何か、気になることでも?」
「…そうね」
空は少し言葉を選ぶそぶりをすると、
『施設の持ち主が知りたいところね。あの自爆を仕組んだ奴が必ず居る』
『確かに、そうですね。ですが、どうやって?』
『エディに頼もうと思う。レイン、施設で手に入れた情報から、アセンブラ関係だけデリートして』
『了解』
程なくして、レインから一部検閲したファイルが送り返される。
『ありがと』
『いえ。察するに、それが情報屋との交渉の鬼札、ですか?』
『まぁね。それじゃ、ちょっとエディに声かけてみるから、レインは少し休んでなさい』
空の言葉にレインは頷いて、
『それでは、シュミクラムのチェックをしておきましょう。カゲロウも神経パルスの影響が無いとは言えませんし』
『それは休んでることにならないと思うけど…。まぁいっか、お願いするわ』
レインと自身のシュミクラムプログラムを共有する。
それから空は、窓の外に目を向ける。
気づけば地下道を抜け、外の景色は一面の瓦礫の荒野に変わっている。
(…完成間近のアセンブラに、ドミニオンの巫女…、オブサーバーを名乗る甲のNPC、そして、クゥ)
エディ相手にやりあいながら、空はキーワードを並べ立てる。
(…これから、何が起こるのか。まず差し迫っては…、爆心地、か)
気づけば、終点はもうすぐだった。

全てが変わる戦いが始まろうとしている。
おそらく、空を中心として。






















interlude or prologue

くすんだ灰色の海。
一人の青年が浜辺に座っている。
その目は海を見ているようで、まったく違うところを見ているようでもある。

ふと、青年は顔をしかめた。
ゆっくりと立ち上がる。

それに応じるように、その背中の向こう側。
ただの瓦礫の山のように見えていた『それ』が震えている。

「まだやるのか、お前」

青年は獰猛な笑みを浮かべると、鋼の鎧に身を包む。
ほぼ同時に『それ』は瓦礫の山から本来の姿へと復帰する。

「いいぜ、なら、気晴らしに付き合ってもらおうかぁぁぁあああ!!」






to be continued ...



[17925] 第二章 表裏 -Heads and Tails-
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/09/28 21:53
旧蔵浜跡。到着したのは、もう夕暮れ時も終わるかと言う時間だった。
鉄道で爆心地に近づけるのはここまでだ。
駅を出て、空は荒廃した大地と、それを遮る有刺鉄線を前に立ち尽くす。
「…中尉」
「…大丈夫。別に、はじめて見る訳じゃないし」
それでも、胸に来るものはある。
「……甲」
無意識にその名前を口にしてしまい、空ははっとする。
隣に立つレインの様子を伺うと、彼女もまた辛そうな顔をしていた。
「……」
聞こえてしまったのだろうか。空は気まずい気持ちを抱きながら、荒野へと視線を戻した。
甲はあの時、レインの父親に彼女の星修転入を説得するために、彼女の父親が視察に訪れるというドレクスラー機関の研究所に向かった。
そしてそこで、アセンブラ流出に巻き込まれ、死亡した。
レインはそれを自分のせいだと思っている。
空もそれを知っている。知っていて何度も、そうじゃない、と言い続けてきた。
だが、実際に甲は死んでしまったのだ。
空が何度もそうじゃないと言おうと、空が甲の名を口にすることは、同時にレインを責めるにも等しいのだろう。
例え、空自身にそのつもりが無くても。
「…中尉、ここから、どうやって行くつもりですか?」
幸い、レインは若干影はあるものの、いつものように空の意見を伺ってきた。
「…そうね。ここから先に侵入しようと思ったら、まずは足を確保して、それから夜を待つ、ってことになるわね」
彼女の言葉に救われた気持ちになる自分に内心自己嫌悪を抱きながら、空も答えを返す。
「そうですね…。ですが、その足をどうすればいいのか」
「ほんとね…。車を貸してくれ、何て言ってすぐ貸してくれる人なんていないだろうし」
「この先は進入禁止エリア。無条件での銃撃を宣告されている場所ですしね」
レインに頷いてみせて、焦土の先を見る。
我ながら、よく学生時代の体力でここを歩ききったものだと思う。
その二人の隣に、別の人物が並び立った。
「また、物騒な相談をしているな、中尉」
「え…?」
隣に立った人物の顔を見て、空は目を丸くする。
「シゼル少佐…」
「久しいな、中尉。それから少尉も」
空は思わぬ人の登場に反応が遅れたが、レインはすぐさま対応を取った。
ただし、敬礼ではなく、迎撃の。
『レイン、止めなさい』
『しかし中尉、少佐の現れるタイミングが良すぎます。おそらく監視されていたのかと』
直接通話<チャント>でレインの意見を聞きつつ、空は軽く敬礼する。
「何となく、部隊編成がスムーズだと思っていましたが…」
「あら、察しがいいわね。そう、あの中には私達が手配した傭兵も混じっていた。…全滅したことも知っている」
シゼルの言葉に、空は瞠目する。
「…いつから、私達を張っていたんですか?」
レインは未だに警戒を解いていない。
シゼルを嫌っているのではなく、相手の目的が空を害するものであれば、その時は何が何でも空を守る、その意思故にだ。
「あなた達が清城入りしたときからよ」
「私達の目的がドレクスラー機関の追跡と知っていたから、ですね」
「そう。話が早くて助かる」
レインとシゼルの会話を横で聞きながら、空は心の中で決断を下す。
だが、その流れにするには、相手から話を切り出させなければ。
「フェンリルは何故彼らを追うんですか? 誰かの依頼ですか?」
空は、改めてシゼルに問いかける。
「それを知りたいなら、フェンリルに入隊しなさい。…大佐もそれを望んでいるわ」
その回答は、空としては予想通りのものだった。
だからこそ。
「私達はどこにも所属するつもりは」
「レイン、待って」
今まで空が告げていた返答を代弁しようとしたレインを、空は制する。
「…中尉?」
「……条件があります。それさえ飲んでいただけたら、私達はフェンリルに入隊します」
「…どんな条件かしら?」
「爆心地<グラウンド・ゼロ>内のこのポイントに行きたいんです。フェンリルなら、VTOLがありますよね?」
空の示した地図を見て、シゼルは舌打ちする。
なまじ今まで何度も勧誘しているから、この交換条件を突っぱねるのは具合が悪い。
「中尉、それは…!」
「ごめん、レイン、勝手に決めちゃって。でも、今はどうしてもこの場所に行かなきゃいけない気がするの」
それが気のせいなら、それでいい。
その後をフェンリルに縛られても、あの施設の自爆の裏に見え隠れする何かと渡り合うには、どの道個人の力では限界がある。
ならば、今回のことはいい機会なのかもしれない。
「…私は、中尉の意思に従います」
「ありがと、レイン」
言って、空はシゼルを見る。
「…大佐に確認するわ。とりあえず、二人ともついてきなさい」
「「了解」」




 第二章 表裏 -Heads and Tails-





結論から言えば、空の出した条件は認められた。
門倉 永二、甲の父親である彼は、あっさりとその条件を呑んでしまったのだ。
「…あの、小父さん、条件出した私が言うのも何ですけど、いいんですか? こんな簡単に」
「なぁに、いいって事よ。ちょっと爆心地を観光して戻ってこれば凄腕二人が手に入る。うちとしちゃメリットの方が大きいくらいだ」
いとも容易く言う永二に、空は思わずため息をつく。
おそらく、シゼルは永二なら条件をあっさり呑むことを予想したからこそ、舌打ちしたのだろう。
爆心地の上空を飛ぶと言う行為は、永二が言うほど楽な行為ではないはずなのだが。
「もうすぐ着くな。で、空嬢ちゃん、そこに何かあるのかってのは教えてくれねぇのか?」
「すいません、私も判らないんです。ただ、知り合いが急いでそこに行け、とだけ」
そう言いつつ、眼下に見えてきた大聖堂を見下ろす。
思えば、この戦いはあそこから始まったのだろう。甲を失い、ただ生き残るための戦いが。
VTOLが高度を下げていく。
「…中尉、ここに何があると思われるのですか?」
「……パンドラの箱、かしら」
レインの質問に、空は自嘲気味に答える。
「それは、最後の希望、という意味でですか?」
「災厄満載の箱、って意味のほうが近いかもね」
希望の前にとんでもない物が山ほど出てくるかもしれない。そんなことを考えながら、それでも引こうとは思えない。
「しかし、いつ来ても酷い有様ね、ここは」
シゼルも眼下の荒野を見下ろして、やるせなさ気にため息をつく。
「…着陸完了」
巨体の男、モホークが端的に現状を知らせた。
「了解。それじゃ、レイン、行って来るわ」
「え? お一人で行かれるつもりですか!?」
「私用もいいところだしね」
「駄目です、危険です。私もお供します!」
レインの言葉に、空は肩をすくめる。
「徒労になるかもしれないわよ?」
「それは、今更というものです」
「確かに」
着いてきなさい、と手振りで合図して、空はVTOLを降りて行き、
「酷い有様だな、こりゃ」
先に永二が降りていた。
「…小父さん、いつの間に」
「おう、こんな親父で申し訳ないが、ボディーガードって奴だ」
「大佐!」
VTOLからシゼルが怒鳴り声を上げている。
「おー、シゼル、少し留守を頼む」
「大佐、指揮官がむやみに持ち場を離れては部下に示しが!」
「そー言うときのための指揮官代理だろーが。頼むぞ」
永二の言葉にシゼルはむっとした顔をして、隣にいたモホークに戻る、と一声残して中へ戻っていった。
「いいのですか、大佐?」
「ああ、大丈夫だ。フェンリルは俺がいない程度でどうこうなるような柔な鍛え方はしてない」
言いながら、先頭にたって歩き出して。
「…あの、小父さん、聖堂はあっちです」
「おっとぉ」
空に声を駆けられて、つんのめった。
「そいつを早く言ってくれ」
「すいません、それじゃ、行きましょう」
そう言って、空は聖堂に向かって歩いていく。
荒廃し、罅割れた大地を踏みしめて、辛うじて今も形を留めている聖堂の扉に手をかける。
「……」
一瞬、甲を失った直後の感情を思い出して、それを振り切るように、思い切りドアを開いた。
聖堂の中は、やはり同じように風化が進んでいる。
約二年、おそらく誰も訪れなかっただろう場所だ。
割れた窓からは風雨が入り込んで、僅かにカビが生えている。
金属部には錆びが浮き上がり、触れば壊れてしまいそうだ。
「…建物と言うのは、人がいないとすぐ荒廃する、と言いますが」
「AIの管理からも切り離されているような場所になっちまったからな、ここは」
レインと永二が、それぞれ思い思いに呟く。
空は、ゆっくりと、奥にあるマザーの像に近づくと、
「…マザー、いる?」
静かに、語りかける。
判りきったことではあるが、返事は無い。
だが。
かたん、と。
まるで、空の声にマザーが答えたかのように、像の台座の一部が剥がれて落ちた。
「…え?」
そこには、何かの認証システム。
「おいおい、何だこりゃあ」
「認証システム…、二年前当時なら最新のものです。どうしてこんなところに」
永二が目を丸くし、レインも驚きを隠せない。
空自身も同じ気持ちだ。学生時代、彼女はよくここを訪れていたのだから。
恐る恐る起動キーを入れると、電子音を返してきた。
「…これ、生きてる」
電気など当に来ていない場所のはずだというのに。
そのメッセージウィンドウには、掌紋照合用のプログラムが浮かんでいる。
「掌紋と脳チップのIDを照合する認証システムですね。今も生きているということは、確かにここに何かがある、ということなのでしょうが」
「レイン嬢ちゃん、ハックできるか?」
「やってみます…、って、中尉!?」
空は、まるで当たり前のように、照合ポイントに自分の掌を当てた。
認証プログラムが走り、やがて。
《認証しました。お待ちしておりました、水無月 空さん》
「…え?」
「おいおいおい」
レインと永二が呆気に取られている。
マザーの像がスライドし、三世紀以上昔のゲームのような縦穴が現れる。
「…誰かわからないけど、ここを作った誰かはどうも私に来てほしかったみたいね」
生唾を飲み込み、空は縦穴を見下ろす。
「行くわよ」
自分に言い聞かせるように呟いて、空は縦穴にかけられた梯子に手をかけた。
「おいおい、空嬢ちゃん、そんな先に行くもんじゃ」
「いいえ、大佐が一番最後です」
「って、レイン嬢ちゃんまで…。……ぁぁ、そりゃそうだな」
レインにまで止められ、永二が不機嫌な目で彼女を見やり、その格好を見て納得した。
空ならともかく、レインの格好ではいろいろ問題がある。何せスカートだし。
そんなひと悶着を交え、三人は梯子を下りきった。
目の前には、扉。
「…手動式ね。珍しい」
如月寮のそれを思い出し、空は少し切ない気持ちを抱きながら、それを開いた。
その先には。

「……………………………何、これ」

それだけ言うのがやっとだった。
レインも、永二も言葉を失っている。
部屋の中にある、三つの培養槽。
そのひとつだけが、稼動している。
培養液の中で、静かに眠るその姿。
それは。

「…こ、う…?」





 ――そ…ら、やば…、に、げ…! ニゲ…ロ…!!





死ぬ間際まで、必死になって空を案じて、逃げるように言い続けた、あの少年の姿。




 ――あのな、自分で「ぷいっ」とか言うか、普通!?

 ――そりゃ、ちょっとは、心配だったけど…

 ――変だな……、俺がお前を慰めてやろうと思ったのに

 ――だったら、感謝すべきだよな。俺に美味いもの食わせたかっただけなんだから

 ――なっ…!? 折角、励ましてやったのに…!?

 ――…俺達、付き合わないか?

 ――別に、俺もお前とイブを過ごしたくないって訳じゃなくてだな…




「…こお…? …こう、甲、甲…!」
眠る青年の姿に魅入られたかのように、空が培養槽に歩み寄っていく。
その瞬間。
眠る彼の顔が、明らかに歪んだ。
「!?」
同時に、培養槽を管理するデータが異様な警報音を吐き出す。
「な、何だぁ!?」
とっさにレインと永二が計器に駆け寄り、驚きの声を上げる。
「洗脳<マインドハック>警告!? どうして、誰が!?」
「こいつぁ、ドミニオンの反応じゃねぇか! どういうことだ!?」
聞いた瞬間、空はすぐさま神経接続子を取り出した。
判らないことだらけだ。
眠る彼が甲なのか、それとも違うのか。
戻ってくるって言うのはこのことなのか。
何故、ドミニオンが彼に洗脳を仕掛けてくるのか。
それでも、やらなければいけないことは判っている。
だから、空は。
「没入<ダイブ>!」
すぐさま、ネットの海に飛び込んだ。
彼が甲であるにしろ、そうでないにしろ。
この姿の存在が苦しんでいる今を、見過ごすことは出来なかったから。



仮想の海、1と0の螺旋を駆け抜け、同時にシュミクラムに移行。
同時に、真下にいるドミニオンのシュミクラムの首に、降下しつつ<レイディングホーネット>で一撃。
ギロチンのようになった一撃で、そのシュミクラムの首が飛び、爆発する。
中のパイロットは確実に脳死だろうが、仕方が無い。
狂信者の集団は、殺さなければ止まらないのだから。
それより、なによりも。
「あんた達、無抵抗の相手に何群がってんのよ!!」
水無月 空は、何よりも弱いものいじめを嫌う。
学園時代だろうが傭兵になろうが、そこは今も昔も変わらない。
まして、その先にいるのが、甲かもしれない、誰かなのだから。
防壁に群がっていたシュミクラム達を<スライスエッジ>の連撃の旋風に根こそぎ巻き込み、破砕する。
だが、すぐさま第二陣。身構える空。
『おいおい、嬢ちゃん、一人で先走るのはナシだぜ』
その言葉と共に、ニーズヘッグ、門倉 永二のシュミクラムが飛び込んでくる。
『中尉、私はここからサポートします。無抵抗の人間への洗脳にしては、明らかに投入戦力が多すぎるのが気になるので』
「了解、お願いレイン! 小父さん、半分は任せます!」
『半分といわず、全部でもいいんだがな?』
「あんまり欲張りすぎると、ろくな目にあいませんよ?」
言い合いながら、空は第二波に向けて、弓を構える。
大技ではない。小さな光の矢を連続で繰り出す。
だが、それは標的に触れれば青白い閃光と共に相手を弾き飛ばす。性質としては機雷に近い。
それによって、敵集団が大きく乱れる。
『よっしゃあ! いくぜ!!』
永二の声が響き、ニーズヘッグの巨体が宙を舞った。
アドヴェンドの巻けず劣らず頑丈な巨体が、ニーズヘッグの繰り出したドロップキックで吹き飛び、一撃で爆砕される。
あんな半分ふざけた豪快な技を決められる、というのはそれだけで桁違いの凄腕だという証明でもある。
そういう形で証明しようとは、空自身はあまり思わないけれども。
それに、そんなことに構っている暇はない。
背後の防壁に取り付かれでもしたら、それこそ大変なことになる。
(でも、一体なんで? …そういえば、時間が無いって言ってた)
クゥがしきりに言っていた言葉を思い出す。
それは、この襲撃のことだったのか。
なら、気づかれたというのはドミニオンに対してか。
だが、何故ドミニオンがこの、甲の姿をした何者かに洗脳を仕掛けるのか。
「ああもう、理解できないことのオンパレード!!」
苛立ち混じりにブレードを叩きつける。
『嬢ちゃん、そもそもこの情報は誰から貰ったんだ!?』
「知り合いです! それ以上は今は言えません!」
この状況でクゥの機密を守ろうというのだから我ながら健気だ、と内心自画自賛してみる。
そんなことを考えながらでもなければ、今の状況に気が狂ってしまいそうだった。
だが、そんな彼女の防衛本能すら一足飛びに飛び越える事態が起こった。
『これはこれは、悪魔狩りの聖戦を妨げる者がいると聞いてやって来れば、我らが女神ではないか』
「…え?」
朗々とした男の声。永二の動きが止まる。それだけではなく、ドミニオンのシュミクラム全機が二人から間合いを取り、動きを止めた。
『…んな馬鹿な。てめぇ、何でここにいやがる、糞神父!!』
『久しいな、永二君。簡単なことだよ、私が蘇った、それだけのことだ』
神父、その呼び名で呼ばれる人物のことを、空は良く知っている。
「…ドミニオンの、グレゴリー神父…!」
『いかにも。私がドミニオン教団教主、グレゴリー神父である』
ドミニオンのシュミクラムの列が割れ、漆黒の異形の機体が姿を見せる。
『先代をよくお勉強したみたいだな、おい。だったら先代と同じく、頭を吹き飛ばしてあの世に送り返してやるよ』
永二がショットガンを顕在化させ、神父の頭に向ける。
『ふはははは、相変わらずだね、永二君! 結構、実によろしい! だが!!』
言いながら、神父は空を見つめる。
ウィンドウに映るガラス玉のような目が、空を捉えた。
「…っ」
『空君、君は自分が何を守っているのか、理解しているのかね?』
「な、何って…、これは、この人は」
『不可思議なことだ。死者は蘇らない。そう信じるが故に、君は彼女と敵対したというのに』
「っ」
その言葉に、空は神父を睨み付ける。
「あんたが…、あんたがあの子に妙な幻想を植え込んだの!?」
『それは否だ。彼女は自らの意思でここにいる。信じたのは彼女自身の、意思』
言いながら、神父はわざとらしく両手を広げ、天を仰ぐ。
『彼女は彼と出会うことが出来るだろう、我らが教義を信じるが故に。しかし悲しいかな、君と彼は決して出会うことなどできはしない』
「………っ」
耳を貸すな、そう理性が叫ぶ。
『そう、私は悲しい。君の辿る運命を私は知っている。君は決して彼とは出会えない。何故なら!』
聞いてはいけない。
心のうちから必死に叫ぶ何かがある。
だが。
『君と甲君は、同じコインの裏表。裏が表になる時、表は裏になるように。甲君が蘇るならば、それは同時に君が死ぬことを意味しているのだから!』





     ――――けどね、どこにも、そんな世界は





「黙れえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!」



脳裏によぎった何かを振り払い、自分でも理由が判らない程の激しい怒りの絶叫と共に、空は神父に斬りかかる。
神父は悠然と構え、動かない。空の繰り出す刃が神父を捕らえる。
その刹那、その前に純白の機体が躍り出た。
「!?」
『っ』
光の翼で空のブレードを受け止める。
一閃を阻んだその妖精のようなシュミクラムを愕然と見る。
「…ネージュ・エール…!? まこちゃん…!!」
『…!』
一合打ち合い、共に離れる。
『君が甲君と出会う術はひとつ。肉体を捨て、我らが教義に殉じることだ。さすれば愛しい者との再会も叶うであろう』
神父の声が聞こえる。
それを無視して、叫ぶ。
「まこちゃん、あなた、自分が何をしようとしてるのか判ってるの!?」
『判ってます。お姉ちゃんこそ、自分が何を守っているのか、判っているんですか!?』
「…っ、まこちゃんは、彼が何なのか知ってるって言うの?」
『その先にいるのは、悪魔の化身です。私達の教義を覆す、ドミニオンの怨敵です』
きっぱりと言い放つ。
その勢いに気おされ、空は思わず後ずさってしまう。
と。
『へぇ、そりゃいいことを聞いた。じゃあ、こいつを何が何でも守り抜けば、てめーらへの嫌がらせになる、ってことだな?』
永二がにやりと笑い、それと同時に二機のシュミクラムが没入してくる。
「…少佐、モホーク中尉!?」
『まったく、こんなことになるとは。中尉、高い取引になったな』
シゼルが仏頂面で言う。
『状況はよくわからんが、助太刀する』
モホークはすぐさま剛剣を構える。
『ふむ、これはいかんな。巫女よ、速やかに処理せよ』
『…はい』
瞬間、防壁が何もしていないのに開かれていく。
「しまった!」
『くっ、セキュリティがどんどん無効化されて…! 中尉、防壁が全て解放されてしまいました! このままではコアが剥き出し状態です!』
『ちぃっ、フェンリル散開! 一機も通すな!!』
『『了解!』』
レインの叫びに永二とシゼル、モホークが散り、襲いかかろうとするドミニオンのシュミクラムを押し留める。
だが、一機、その上を飛び越え、疾走する。
「まこちゃん!!」
『追え、中尉! この場は任せろ!!』
「すいません!」
空はカゲロウ・冴の機動力を全開にする。回避など考えない、機体の能力全てを注ぎ込んだ、正真正銘の全速力。先行したネージュ・エールを追いかける。
並のシュミクラムならば、ものの数秒で捉えられる速度。
だが、真のネージュ・エールもまた、高機動型。それも、光体翼による飛行を可能にしたタイプ。それが空と同じように、全速力で走る。
機動性においては五分か、下手をすると後れを取っている。
「くっ、レイン、足止めできない!?」
『駄目です! さっきから試みていますが、設置したトラップも悉く無効化されて!』
回廊が開けた。
「まこちゃん!」
だが、真は今まさに、その拳をコアに叩きつけようとしているところだった。
『お姉ちゃん…、見ててください、今、お姉ちゃんを混乱させる悪魔を、この偽者を排除しますから!』
「待ちなさい、まこちゃん!!」
だが、真は止まらない。
逆に何かに急かされるように、拳を振り上げ。
「だめ、止めて、まこちゃん、駄目ええええええええええええええええ!!!」
彼が何なのか、理解し得ないまま、それでも空は必死に叫ぶ。
拳が振り下ろされる。
刹那。

『え?』

真の手が、止まった。
いつの間に現れたのか、コアの前に両手を広げて立つ人影がある。
真を止めるように両手を広げ、毅然とした目で白のシュミクラムを見上げる姿。
懐かしい星修の学生服に身を包んだ、青年。
『先輩?』
「……」
彼は、沈黙を保ったまま、真を見つめる。
「甲…?」
呆然と、空もその名前を口にして。
「…いえ、違う。あなた…、オブサーバー?」
空の問いに、彼は頷く。そうして、ネージュ・エールを見据え、彼は静かに口を開いた・
「真、何故、空と戦うの?」
『え?』
「空は真を決して裏切らない。なのに、何故真は空から逃げるの?」
『それは…っ』
その詰問に、真のシュミクラムが後退する。
それは、一種異様な光景。戦闘用電子体が、生身の電子体に気圧される姿。
そしてその問いは空もまた持っていたものであり、答えられることの無かった疑問だった。
『…っ』
ウィンドウに移る真の顔は、唇を噛んで何かを必死に耐えている様な、そんな姿で。
「まこちゃん…?」
『私だって…、でも、私は、私にはこうするしか…!』
直後、別のウィンドウが開いた。
『巫女よ。使命は果たせたのかね?』
神父だ。
『あ、いえ、それは…』
『ふむ。ならばそれもまた神の導きであろう。この場は彼らに花を持たせてやろうではないか』
『…はい』
真が目を伏せるようにして頷く。
『てめぇ、逃げるのか神父!』
『何、焦らずともまた会えるであろう。それでは諸君、御機嫌よう』
神父は大仰に一礼し、ウィンドウが消失する。
それを追うように、真のシュミクラムも踵を返した。
「まこちゃん!」
『…っ』
《ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい》
「!?」
真の心の声が流れ込んできて、空は思わず足を止めてしまう。
それを隙と見て取ったのか、真はシュミクラムを走らせた。
「あっ」
その姿がみるみるうちに小さくなり、やがて見えなくなる。
『…ドミニオン全機の撤退を確認しました。中尉、大丈夫ですか?』
「…ええ」
空はレインに頷き返して、背後のコアを振り向く。
その前には、まだ、オブサーバーを名乗る彼がいた。
「……」
「……」
いろいろ聞きたいことがある。聞かなければいけないことが山のように。
だが、結局口を着いて出た言葉は、もっとも単純な問いで。
「あなたは、一体何なの?」
その正体を問い質すだけの質問。
「…オブサーバー」
「そうじゃなくて、あなたは…、甲なの?」
その言葉に、彼ははっきりと首を横に振る。
「違う。僕は甲じゃないし、甲とも関係ない。それに、門倉甲は死んだ。空は知っているはず」
躊躇い無く言い切ったオブサーバー。まるで、そう答えることが決められているように。
その断言に、空は何かを言おうとして、
「それは…っ」
結局、言えないまま止まる。言葉が見つからなかった。何を言おうとしたのか、自分でもわからない。
なのに。
「…そう、甲は死んだ…、でも、ここにいる…? 矛盾がある、これは…何? エージェントは言ってた…。帰って、くる?」
オブサーバー自身が、自分の言葉の矛盾に混乱しているのが判る。
その彼が口走った言葉は、空自身も聞いた言葉。
「帰ってくる、って」

 ――こお、かえってくる

クゥの言葉が脳裏をよぎる。
「ねぇ、あなたは知ってるの!? 甲が帰ってくるって、どういう…!?」
オブサーバーの言葉を必死で否定しようとして、
『空嬢ちゃん、何かあったのか?』
「え、あ、大佐?」
永二の声に気をとられて、オブサーバーから意識をそらした、その一瞬。
その僅かな時間で、彼は姿を消していた。あるのは、脳チップのコアを示す結晶体だけ。
しばらく呆然とそれを見つめ、やがて、空は自嘲気味に呟く。
「…そんな奇跡があるなら…」
そんなことを考えそうになって、空は慌てて頭を振ってそれを振り払い、ログアウトした。

後にはただ、コアの輝きだけが残っている。








To Be Continued ...



[17925] 第二章間章 基点世界
Name: 凪葉◆65cb7d48 ID:3feb154a
Date: 2010/09/28 22:04
(第六章<2>にて、プラグイン・基点世界を入手していますか?)


(プラグイン・基点世界をオンにします)
(全ての始まりの世界を垣間見ることができます)






くすんだ海のほとり。
立て続けに降り注ぐ光の槍をかいくぐり、白の精霊は黒い魔獣の懐へと入り込む。
鞘に収めた一振りの刀がその手に現れ、一瞬の後、精霊は魔獣の遥か上空へと移動する。
魔獣の腕の一つが切り落とされて地に落ちる。
にも拘らず、魔獣はその顎を大きく開いた。
空中を舞う白の精霊目掛け、破滅を撒き散らす炎を撃ち放つ。
しかし、白の精霊は天を疾走、炎を避けると同時に獣の真上から槍を突き立てる。
獣は獣はその身を翻すと、その巨体からは似合わぬ速さで、精霊から大きく距離を取った。

「…何だ?」

精霊を身に纏う青年は、ふと疑問を抱く。
この化け物を相手に戦ったのは、もう数え切れない程。
そして、もはや負ける理由すら思いつかないほどに勝ち続けてきた。
だが、だからこそ。
この戦いで既に何度も、時間を稼ぐように間を計る。
何かを待っているかのように。

「…まさか」

青年は意識を切り替える。
既に馴染んだ、ここではない別の場所を見る感覚。
その先。
姿が見えた。
声が聞こえた。




 眠る青年へ忍び寄る悪意。
 それを守り、戦い続ける彼女。
 その彼女の大事な妹。
 その妹の手で、殺されようとする、青年。




「…オブサーバー!! 真ちゃんを止めろ!!」
絶叫。
干渉の意思を飛ばす。
それに阻むかのように、獣が飛び掛ってきた。
青年は精霊の手に、金色に輝く一振りの剣を握らせる。
「邪魔すんじゃねぇええええええ!!」
斬撃が黒い魔獣を袈裟に切り裂く。
魔獣が再び瓦礫に戻る。
それを確認するよりも早く、自分の発した意思の行方を確認する。




 妖精の手は、観測者の前で、停止する。
 白と赤に彩られた精霊から、逃げるように妖精は去る。




青年は身に纏っていた精霊を解き放つ。
その身のみで再び浜辺に降り立つ。
「…あれは…、俺の体か?」
観測した事実に戦慄する。
今まで見たことの無い世界。初めて観測する事象。
そして。
青年は、瓦礫と化した魔獣を振り返る。
「…こいつ、まさか…」
思いついた予測。
神の如く世界に干渉する術を得ていようと、その予測が事実であれば。
思えば、確かに兆候はあった。
それを思いながら、青年、門倉甲は、自らが滅ぼした巨大な魔獣を見つめる。
動かない。だが、それは死んだのとは違う。
この化け物の本体は別の場所にいる。
だが、甲は自らの手でそれを討つ事はできない。
甲がこの場を離れれば、こいつはすぐにでもこの場を乗っ取って、分岐世界に最悪の干渉を開始するだろう。
そして、同時にこの世界のAIネットワークそのものを食い尽くす。
この世界での甲の役割は、この化け物への対抗因子。自分の意思を持ち、自分で戦うことを選択する、生きた攻勢防壁<ブラック・アイス>。
その役割の間に、甲はいつの間にか、無数に分岐する別の可能性の世界へ干渉する術を得ていた。
AI群と半ば同化してしまったのか、それともAI群が自分の望みをかなえてくれたのか、それは判らない。
ただ、そうしていつしか、この世界は様々な分岐世界の基点となった。



いつか、水無月空は分岐を樹形図に例えた。
灰色のクリスマス以降、水無月空が生きる世界と、門倉甲が生きる世界。
最初は。
灰色のクリスマスが起こった時点で、世界はいずれ滅ぶ定めだった。
どちらが生き残ろうと、最終的には人類は滅んでしまうように出来ていた。
そんな手遅れのような世界に、甲が手を加える。
彼の代理人、自身のシミュラクラを端末として使うには、該当世界でシミュラクラがリンク途絶状態でなければならない。
エス経由で繋いだ微弱なリンクと、本来のリンクでは当然、本来のリンクのほうが優先されるから。
だから、甲が干渉を許されたのは、甲が死に、空が生きる世界に限られた。
けれど、それはむしろ望むところだった。
幾たびの可能性を模索し、情報を駆使し、その合間で『奴』の侵食を跳ね返す。
だが、その過程で、いくつかの悲劇も生まれてしまった。
例えば、空の心が壊れてしまう世界。
例えば、空が真を殺してしまう世界。
例えば、空が自ら死を選んでしまう世界。
例えば。



空が、基点に至ってしまう世界。



甲が『基点世界』と呼ぶこの世界を、空は世界0と呼んだ。
時には空の傍のシミュラクラの目を通して、空の見る世界を覗き見た。
自分と同じように何かを求め、干渉し、探し続ける空を見た。

(甲、空を助けて。シミュラクラの僕じゃ、空を助けてあげられない。甲じゃなきゃ、空は助けられない)

自分の分身が、泣きながら訴えてくる声を聞いた。
手を捜した。
永遠に泣き続ける空の姿なんて見たくなかった。
そうして、一つの賭けに出た。
水無月空が干渉した世界から、門倉甲のリンクをシミュラクラに繋ぎなおし、シミュラクラを自決させる。
あの世界では、死は眠りと同義。深い眠り、自我融合に陥ったシミュラクラに、甲としての無数の経験が焼き付けられ、同化する。
シミュラクラは、無数の門倉甲の経験と同化し、クゥの手を借りて、シミュラクラであり、同時に門倉甲として蘇る。
その世界で最後に彼が悟ったように、まさしく、「空を救うため」に。
ただし、それはマシーンなどではなく、どんなにあがいても、水無月空へと手が届かない無数の世界の門倉甲の希望として、だ。
そうして『奴』に食い尽くされていた空を、手遅れになりながらも、ぎりぎりのところで救い出し、共に深い眠りに落ちていった。
シミュラクラと同化して生まれた「甲」に対になるかのように、空もクゥと同化して、新たな「空」として。

それが、手遅れだと思われた世界0の至る終焉。



けれど、世界0を終わらせながら、尚も『奴』の干渉の影がある。
もう一つ、世界0が存在しているとしか思えない、そんな状況。
あるいは、『奴』自身が干渉者として存在する世界。

『奴』、すなわち、ノインツェーンがノインツェーンに干渉する、彼自身のネットワークの存在。

もし、そんなものが出来ているなら。
たとえいくつもの分岐を作り出しても、おそらくいずれ『奴』に汚染されて滅びの道に至ってしまう。

基点の世界では、甲とノインツェーンによる、干渉者の席の椅子取りゲーム。
世界0なら、空とノインツェーンによる、代理人を手駒とした陣取りゲーム。
だが事ここに至って、干渉者同士の戦いも、新たな局面に入り始めているのだろうか。



「空…」



オブサーバーに必死に問いかける水無月空の姿を見て、甲は唇を噛む。
名乗れない。名乗るわけにはいかない。
起点に至った甲は、「水無月空が生きている世界」へ干渉してきた。
自分が愛した水無月空を、守れなかった水無月空を、守りたいが故に。
だが、いや、だからこそ。



 観測者が口にした言葉。
 少女は反論しようとする。
 けれど、その言葉は口に出来ないまま、消えていく。



自分の似姿を自身の端末として動かす。
けれどその行動は、その性質を知るものに「門倉甲」の存在を知らせてしまう。
だから、絶対前提として、オブサーバーにはある問いに対して定めた答えを持たせた。
水無月空が、そしてあの頃の友人たちが、過去の亡霊に縛られないように。
決して手の届かない、起点の世界の門倉甲を求めてしまわないように。
門倉甲との関係を問われるならば。
門倉甲は死んだのだと。観測者とは一切関係が無いのだと。
そう、答えるように。
空が呼んだ、代理人<エージェント>という名では、その裏側の存在を隠せない。だからこその、観測者<オブサーバー>という名。己の意思で観測し、干渉を行う者として。
けれど、突き放せば突き放すほど、甲の意思は磨り減っていく。




「…くそっ」




空の悲しそうな顔を見るたびに、甲は全てをぶちまけてしまいたくなる。
自分はここにいるのだと、告げてしまいたくなる。
けれど、空は、そして自分も、どう足掻いた所でそこに行くことは出来ない。
初めから居ないと、関係がないと言う続けるのと。
別の世界で甲は生きていると、でもそこに行く手段は無いと言うことと。
果たして、どちらが空を傷つけずに済むのか。
甲は目を閉じ、浜辺に仰向けになった。




「……空の馬鹿野郎。俺の事なんか、さっさと忘れちまえばいいのに…」











くすんだ色の海のほとりに、その言葉を一度の区切りにして、再び静寂が戻った。

















[17925] 第三章 原罪 -Original Sin-
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/09/28 22:25
「中尉、よろしいですか?」
部屋の外からレインの声が聞こえてくる。
「ええ、何かあった?」
空の返事を聞き、ドアを開いてレインが姿を見せる。
「まもなく清城です。大佐から、歓迎に備えておいてほしい、と」
「了解」
仮眠のおかげで多少は軽くなった体を伸ばし、空はジャケットを羽織る。
それからレインに視線を向けた。
「…あれから問題は?」
「今のところは何も。…しかし、一体何故あんなところに。中尉、その『お知り合い』というのはどなたなのですか?」
おそらく、レインは『彼』の所在を教えた存在を危険視している。
気持ちはわかるつもりだ。空自身も、レインと同じような立場なら疑念のほうが先に立つ筈だから。
「…うん。それについては、アークで話すわ。私自身も、あの子の事で確かめたいことがあるから」
クゥが何故あそこに居たのか。そして、オブサーバーとは。
模倣体の作者である亜季ならば、何か糸口を握っているかもしれない。
ふと、空は自分のジャケットの胸ポケットに納めてある、ある物に触れた。
(カゲロウを戦争に使ってる私が会いに行っても、いい顔しないかな)
空の手に触れているもの。
それは一つのカートリッジ。カゲロウのインストールキットだった。





第三章 原罪 -Original sin-





作戦室に向かう途中で、永二と鉢合せした。
「おう、起きたか空嬢ちゃん」
「すいません、新入りが真っ先に休憩を貰ってしまって」
「気にすんな。…あんなもの見たら、ショックの一つ二つ当たり前だ」
おそらく、永二も同様に混乱しているのだろうが。
「あの、小父…大佐、『彼』は?」
「ああ、起きる気配もねぇ。心臓は動いてるし呼吸もしっかりしてやがる。が、意識だけがねぇ」
「…それは、おかしいですね。通常、クローン体でもあのレベルまで培養されていれば自我が芽生えるはずなのですが」
結局のところ、『彼』、甲の姿をした何者かの実体は、フェンリルの中でも選ばれた者達によってこのVTOLに運び込まれた。
その間、外的な刺激に一切反応を示さないまま。
明確に反応したのは、あの洗脳時の時くらいだ。
「…嬢ちゃん、情けねぇ話なんだが、俺は甲とまともに顔合わせたのはほんとに大分昔のことだ。だから、嬢ちゃん達の見解を聞きたい」
「何ですか?」
空は永二の目を見返し、先を促す。
「…あれは、甲だと思うか?」
「………」
空も、レインも。その問いに答えるすべは無い。
まして空は。
甲が死んだ、その瞬間を目の当たりにしているのだ。
それを見せ付けられて、実は生きていました、等と言われても信じられない。
「…わかりません」
結局のところ、空にはそれ以外の回答が無かった。
「そうか…。そりゃそうだな。すまん、変なことを聞いちまった」
永二は頭を掻いて一言侘び、レインは空を気遣わしげに見守る。
その時だった。
『大佐、緊急事態です』
「何だ、シゼル」
『SAMの射出を確認しました。種別はツルゲーネフ、弾数8』
「そんなもん緊急でもなんでもねぇだろ」
余裕の顔で永二は言い、
「ECM展開、発射地点を確認。って、もうやってるか。とりあえずすぐ作戦室に向かう」
『了解』
直後、大きな爆発音が響く。それを合図にするように、三人はすぐさま走り出す。
「全ミサイルを迎撃したようです」
レインが状況を教えてくれる。
「小父さ…じゃなくて、大佐、相当恨まれているみたいですね」
「はっはっは、狂信者、ゲリラ組織、犯罪組織にCDF。どれもこれも心当たりがありすぎるな!」
「…中尉、就職先はもう少し選ぶべきだったのでは?」
「そのようね」
言いながら、三人とも作戦室に飛び込む。
「わりぃ、遅くなった! 状況は?」
「SAMは全機撃墜、しかしCIC防壁に取り付く機体があります。現在、モホークが先行して迎撃中です」
シゼルがすぐに応える。
「よし、ここから先に指揮は俺がとる。シゼルも援護に出ろ」
「了解!」
応えるが早いか、シゼルはモホークの隣の操作席に入り、神経接続子を首に差し込む。
「私達も出ます!」
「二名は待機だ! まだ一緒に演習もしていないからな!」
空の言葉に切り返し、シゼルはすぐさま没入する。
『第二波の射出を確認。ツルゲーネフ8。次いで第三波。スターリングラード8』
「よほど目の敵にされているようですね…」
AIの報告に、レインが眉をひそめる。
「ま、この程度じゃこいつは落ちん。言ってみれば空飛ぶ要塞だからな」
余裕を崩さず、永二が応えた、その瞬間。
いきなり、クルーの一人の悲鳴が響いた。
『警告、洗脳攻撃を確認』
「っ」
空が慌てて駆け寄り、強制離脱キーを叩く。
「レイン、状況見て!」
「了解!」
空より一瞬遅れて、レインがクルーの座っていたコンソールを確認する。
「戦闘情報中枢<CIC>にウィルス侵食! 先ほどとは別口の攻撃です! 妨害により、対空迎撃機能に障害が発生!」
「さっきのは陽動か、くそったれが。シゼル、モホーク、CICへ行けるか!?」
『現在交戦中、3分猶予を!』
「いえ、私が出ます! レインもサポート引き継いで!」
言うと、空は永二を見据える。その視線に応えるように頷くと、永二はすぐさま他のクルーに指示を出す。
「よし、嬢ちゃん達のIDを登録しろ! 急げ、3分以内に敵を排除しろ!」
それとほぼ同時に、サポートを引き継いだレインの手で警報音が解除され、モニターが復活する。
「行って来ます!」
「気をつけろよ、空嬢ちゃん」
そして、空は電脳の海へ飛び込んでいく。



1と0の螺旋の海。その中で鋼鉄の鎧に身を包み、空は構造体に降り立つ。
目の前にはCIC中枢を示す構造物。
「敵確認…! 排除開始します!」
猶予は3分。目標数は20弱。ウィルス強度は一体だけが重ウィルス、残りは雑魚。
ただし、自爆攻撃を仕掛けてくるアイランナーMには注意。
「…よし、いける!」
すばやく敵構成を把握。距離を取って一体ずつ打ち抜くなんて時間は無い。
はじめから自分から前に出る。まずはスコーピオン。空中へ飛び上がり、スタン性能を備えた<メテオアロー>で打ち抜く。
動きが止まった瞬間に一気に近寄り、双葉刀で連続で切り裂く。
爆散する一体目を確認すると、アイランナー達が一気に飛び込んでしがみついて来る。
体当たりの衝撃に顔をしかめながら、それでも空は狼狽するどころか、むしろ待ちかねたとばかりにブレードを構える。
(かかったっ!)
自らを刃の旋風と化して、アイランナー達を纏めて上空へ巻き上げ切り刻む。
溜まった熱がそのまま攻撃に転換される<トルネードテンペスト>が、ウィルス達の耐久力を削り取り、破壊する。
標的が動きを止めた一瞬を狙ってしがみ付き、自爆する。そのアイランナーMの性能を逆手に取ったのだ。
ここまで30秒。
厄介な自爆ウィルスは今の攻撃で全滅。後はスコーピオンとクロガネが残っている。
まるで警戒するかのように間合いを取ろうとする彼らを見据える。
鋼の体であるシュミクラムには呼吸と言う概念は無い。だが、空は小さく息を吸い込む。
そして、鋭く吐き出す。同時にダッシュ、スコーピオンの一体に狙いを定め、すれ違いざまの<クロスイリュージョン>。
反転し追撃、3撃目はキャンセルし、ショートボウの連続射出<ソニックショット>で止めを刺す。
その間に背後に回っていた別のスコーピオンを、双葉刀の逆手部分で、振り向きもせずに貫く。
刃を引き抜き、振り向きざまに一撃、上空へ打ち上げ、弓の一撃で追撃、破壊。
残り3体。
クロガネの繰り出してくるレーザーや雷撃を飛び越え、目標に据えたスコーピオンの体のど真ん中をブレードで貫く。
そのスコーピオンを突き刺したまま振りかぶり、最後に残った同型機に叩きつけてやる。
サーチダッシュで間合いを潰し、<スライスエッジ>で、二体纏めて両断。
残るはクロガネのみ。
繰り出してくるレーザーを上空へ飛ぶことで避け、<メテオアロー>で迎撃する。
電磁場に囚われたクロガネの動きが止まり、空は先ほどと同じ、大剣で一気に斬りかかる。
3太刀目まで浴びせて、4撃目は思いっきり吹き飛ばす。
体勢の崩れたクロガネに向け、空は、最強の武装の力を解放する。
「ラスト…!」
クリティカルアローの一閃が、クロガネの体を打ち抜いた。
爆発し、飛び散る破片の中、空は残り時間を確認する。
1分を切った所だ。余裕で間に合った、と言うべきだろうか。
『CIC復活、対空迎撃機能再起動、ECM再展開します!』
レインの言葉が決着を告げる。
『助かった、中尉』
シゼルの労いの声。
『お疲れさん、空嬢ちゃん。…しかし、ほんとに強くなっちまったもんだな』
どこか寂しげな永二の声。
空は少し目を閉じると、
「残存するウィルスは?」
『全機撃破を確認。状況終了です。お疲れ様でした、中尉』
レインの言葉に頷いて、空は離脱プロセスを起動する。
構造体が0と1の海に切り替わり、体が浮上するかのような感覚。
一度目を閉じ、開きなおす。没入地点が変わっているなどということも無く、フェンリルの作戦室のコンソールの上に戻ってきた。
「……」
没入していたクルー達も戻ってきているのだろう。
空は小さく安堵の息をつくと、立ち上がる。
「戻ってきたか、中尉」
「少佐達もご無事で」
「おかげさまでね」
シゼルが微笑む。それから表情を改め、
「直に空港に着陸する。僅かな時間だが休んでおけ。着いてからまた忙しくなる」
「了解。ところで少佐、レインは?」
「少尉には負傷したサポートクルーの代わりを勤めてもらっている」
視線で示された方を見ると、コンソールでてきぱきと指示を出しているレインの姿が見えた。
「…落ち着いたら、レインも休ませてあげてください」
「ああ、判っているわ」
シゼルの返答に空は敬礼を返して、作戦室を退室した。



背後にドアの閉まる音を聞く。訪れた先は医務室。
そこには、先の戦闘のさなかでも目を覚まさなかった『彼』が居る。
胸ポケットのカートリッジに触れた。それからそれを取り出し、自身に接続する。
シュミクラムのインストールプログラム。それと一緒に収めてある、走り書きのようなメモの山。
《シュミクラムに乗る時は、自分の為に。人の大儀の為には乗らない》
《シュミクラム戦は、可能な限り有線で》
《備えよ、常に!!》
《コンボの心得1》
おそらく、甲がカゲロウを使い続ける中で知ったこと、教わったことをこの中に収めていたのだろう。
空自身も、このメモのおかげでずいぶん助けられた。
今だって、洗脳されたクルーの強制離脱キーを叩きに走れたのは、このメモを繰り返し見ていたからだ。
可能な限り有線で接続すること。その方が、第三者が強制離脱させやすい。そのままの状況が目の前であった。
空は、そのメモファイル越しに、『彼』を見つめる。
「…甲」
彼の顔と、手に触れるカートリッジの感触が、空に二年前を思い出させる。



灰色のクリスマス、その数日後。
レインの視界を借り、彼女を背負って、必死で荒野を歩き続け。
それでも女の体力では限界がある。
力尽きて倒れこみ、もうここまでか、と覚悟した時だった。
「空さん、あれを!」
「…え?」
レインが指差す上空。彼女の視界に移る、降下してくるVTOL。
救援に来たそれには、空がよく知っている名前が浮いていた。
門倉運輸。
門倉。
だから。
「……馬鹿、このお迎えは、いくらなんでもセンス無さ過ぎるわよ」
空は最初、死んだ甲がふざけた振りして迎えに来てくれたのだと思ったのだ。
けれども、そこにはやはり甲など居なくて。
そして、それは正真正銘の救援で。
久しぶりに飲んだ水。それでも、空にはよく味が判らなかったことは覚えている。
同じように救助された人たちが、そのVTOLにはたくさん乗っていた。
そんな中で、そのVTOLの主が彼らに言ったのだ。
「あー、疲れてるところ悪いんだが、この中で星修学園の如月寮ってとこを知ってる奴、いないか?」
その言葉に、空は手を上げた。
「知ってます…。私、そこの寮生でしたから」
「ほんとか!? …!?」
その人は空の言葉に駆け寄ろうとして、空の顔を見て硬直した。
「…あの」
「あ、ああ…。いや、まさかな。それで、嬢ちゃん。あんた、寮生だって言ったな。…門倉甲って奴が、その寮に住んでるはずなんだが」
「え」
言葉を失った。
甲を探している彼が、どこと無く甲に似ていることに気づいたから。
「あなたは、ひょっとして、甲、の?」
「…ああ、どうしようもない馬鹿親父だ。それで、とりあえず如月寮に行きてぇんだ。うちの坊主、生きてるならそこに戻ってるかもしれないからな」
「……」
その言葉が叶わないことを空は知っている。この場に居る誰よりも。いや、きっと世界中の誰よりも。
「…甲は」
「あん?」
「甲は、…甲はもう」
涙がこぼれる。その先を口にしたくない。でも。
だが、彼は静かに泣いている空の頭に手を当て、首を振った。
「…そうか、あんたは、知ってるんだな。甲が、どうなっちまったのか」
「……」
力なく、頷く。
「そうか…。なぁ、嬢ちゃん、如月寮の場所だけでいい。教えてくれねぇか?」
「…はい」
そして、空は彼、永二に如月寮の場所を教えた。
その後、VTOLは如月寮の辺りまで飛んだらしい。
らしい、というのは、空はその辺りの時間は力尽きて眠っていたからだ。
空の代わりに、レインが廃墟となった学園を確認したと聞いている。
目を覚ました空に、永二が声をかけてきたのはその後だ。
「…あんた、甲の彼女だったんだってな。まったく、こんな可愛い嫁さん紹介する前に逝っちまいやがって」
「どうして、それを…?」
「あんたと一緒に拾ったお嬢ちゃんから聞いた。…こいつは、あんたが持つべきだろう」
そう言って、永二から渡された何かのカートリッジ。如月寮だった廃墟に落ちていたというそれ。
中身が気になって、それにアクセスしたのはその夜のこと。
カゲロウのインストールキット。
そして、さまざまなメモ。
「甲…」
その中で、唯一パスワードのかかったファイルがあった。
とりあえず、甲の誕生日を入力してみる。エラー。
いくらあいつでもそこまで単純じゃないか、と、どこか麻痺した感覚で考え、次に試したのは、インストールキットに残っていた三つの履歴の日付。
それもエラー。
最後は、あるわけないと思いつつ、自分の誕生日を入力。
認証。
「……え?」
半ば呆然としながら、空は開かれたファイルを見る。
日付は飛び飛びだった。だが、最初の内容はあまりに衝撃的だった。
反AIに襲われ、無我夢中で抵抗したこと。そして、必死だったとはいえ、危うく人を殺しかけたこと。
その恐怖を決して忘れないように、甲はその記録を残していた。
次に、アリーナでのデビュー戦初勝利の記録。リミッター無しでの殺し合いの経験とは対照的な、興奮に彩られた記録。
千夏のこと、ジルベルトのこと。
クゥのこと。
菜乃葉のこと。亜季のこと。
真のこと。先生のこと。レインのこと。
……空のこと。
飛び飛びにも、いろんなことが残してあって。

《今日から、空と付き合うことになった。自分でも無愛想な言葉だったと思う。
 まったく何なんだ、『俺達、付き合わないか?』って。もうちょっと良い言い方なかったのか、俺は》

あの時のことを記したメモに行き当たった。



《こんな返事に、よく空は頷いてくれたよな…。それも満面の笑顔で。俺なんかでほんとにいいのかな、あいつ。
 認めたくないが、何か流されやすいみたいだし、俺。でも、空を選んだのは俺の意思だ。絶対、傷つけたくない。守りたい。
 恥ずかしいこと言ってるな。
 何となく、パスワードをあいつの誕生日に変えてみた。これであいつの誕生日を忘れることは無いだろう。
 あいつにばれないようにしないとな。絶対、大爆笑されちまう》



いつの間にか、空は思い出だけではなく、本当にそのファイルを開いていた。
「…バカ甲、ほんとに、似合わないわよ、このバカ」
カートリッジを胸に抱きしめ、空は呟く。
走り書きのような日々のメモに記されていた、不器用な甲の思い。
自分の気持ちには不安を拭えなかったくせに、甲の気持ちは素直に信じられた。
だからこそ、その思いが理不尽に奪われた理由を知りたいと思った。
甲の残したメモを全て頭の中に叩き込んで、自らもまたカゲロウを纏う。その道を選んだ。
「…ねぇ、あなたは、本当に甲なの? これを書いた甲はあなたなの?」
眠っている青年は応えない。空はその頬に手を触れる。
暖かい、人の温もり。

 ――…そう、甲は死んだ…、でも、ここにいる…? 矛盾がある、これは…何? エージェントは言ってた…。帰って、くる?

オブサーバーの言葉が脳裏をよぎる。
「…死んでまで人を振り回さないでよ、バカ甲」
目を伏せて、小さく呟く。
その瞬間だった。
『匿名のコールです』
「!?」
カートリッジを外し、空は医務室を飛び出す。
眠っているとはいえ、『彼』の前で血なまぐさい話はしたくなかった。
『よう、中尉、俺だよ、俺…』
「どうしたの、エディ!?」
『すまん、すぐ来てくれ…、えらい事が判っちまったぜ』
「えらい事、って」
『会って話すからよ、いつものアジトじゃねぇぜ、清城の方だ』
それだけ言って通話は切れた。
空は少し目を閉じる。カートリッジをいつものポケットに戻し、フェンリルの作戦部へ通話。
すぐに繋がると、永二の通話ウィンドウが開く。
『おう、どうした、空嬢ちゃん』
「入隊前に接触した情報屋から連絡がありました。トラブルが起こったらしく、すぐ来てほしいと」
未知の事態への緊張が空の言葉を硬くする。
『そうか。いいタイミングだったな、今着陸態勢に入ったところだ』
シゼルのウィンドウが続いて開き、状況を知らせてくる。
『バイクは乗れるな? 急ぎならそれを使え。それから少尉、お前も一緒に行け』
『了解!』
レインの返事が聞こえてくる。遅れてウィンドウが開き、レインの顔が映る。
「それじゃレイン、一足先に格納庫に居る。急いで」
『了解、着陸完了は2分後です』
『すぐにハッチを開く。無茶をするな。こちらもすぐに応援を出すよう手配する』
「了解」
空はすぐに格納庫へ走る。
移動用のジープの脇に、カスタマイズされた二輪車。
空はそれに跨ると、神経接続子を取り付ける。視界に走行用のさまざまなデータが映る。
長い髪はこうなると少し邪魔だ。片方の白いリボンを無造作に解くと、それを使って首の後ろで纏め上げる。
「中尉!」
「乗って、レイン!」
後ろにレインが飛び乗るのを確認すると、ほぼ同時に着陸を知らせる振動。続いてハッチが開く。
バイクを起動させると、空は一気にアクセルを全開にする。
第二世代<セカンド>にとっては、神経接続子を取り付けて起動するマシンならば、箸を扱うより簡単に扱える。
空の操るバイクが一気に飛び出した。



十人中十人が「荒っぽい」と評価するだろう高速ドライブ、空はドリフトするかのようにタイヤを横滑りさせて、ある建物の傍で停止する。
が、どちらも修羅場は相当に潜って来た軍人。空もレインもまるで堪えた様子も無く、バイクから飛び降りる。
「レインはここで、周囲の警戒をお願い」
「了解」
レインが頷くのを確認して、空はエディの根城の入り口に声をかける。
「エディ、いる? 水無月だけど。入っていい?」
しばらくして、声が返ってくる。
「中尉か? …誰か仲間連れてきてないか?」
「安心して、入るのは私一人」
空が返した言葉を吟味するような沈黙の後、ロックが解除された。
「入ってくれ」
エディの言葉に従って、空は情報屋の根城に足を踏み入れる。
奥に居た情報屋の顔を見て、空は目を細めた。
「その様子じゃ、相当やばいところに踏み込んじゃったみたいね」
「ああ…、おかげで夢見が悪いったらありゃしねぇ」
エディの手には銃が握られ、その顔は強張ったままだ。
「聞かせてもらえる?」
「ああ…。その為に呼んだようなもんだからな。最初に…」
エディから語られる情報を、空は逐一頭のメモに走り書きしていく。
ドレクスラーのメンバーを匿っていたのは、清城市長の阿南よしお。ここまでは予想通り。
だが、彼にはNPC密造屋との繋がりがあった。そしてその密造屋が、さらにドミニオンと繋がっていた訳だ。
阿南にとってはドレクスラーの面々は少し高性能な程度の密造ナノを作らせる以上は望まない存在。
だが、ドレクスラー機関の学者達はその裏で、ドミニオンの指示でアセンブラを作ってしまっていた。
目的は、汎用ナノにアセンブラを紛れ込ませ、世界各地で一斉に起動する、超大規模な同時多発テロ。
成功してしまえば、人類全てが滅んでしまうだろう計画だ。
「…なるほど、阿南にしてみれば肝が冷えるじゃすまない衝撃でしょうね」
「ああ、だから真っ先に科学者を始末し、証拠隠滅を図った。中尉が巻き込まれた自爆ってのはそれだろう」
「そういうことか。ってことは…」
あの場にいた妹、水無月 真は、認めたくは無いが間違いなくドミニオン側だ。ならば、それと敵対したジルベルトは阿南の側、と見れる。
「こっからが本題だ」
「今までのも結構大変な話だったけど、さらに上がある訳?」
「ああ。中尉から貰ったデータ。あれを流したんだが、見返りにドミニオンのアジトの情報が入った」
「何ですって!?」
掴み掛らんばかりの空を制するように、エディは手を上げる。
「まぁ待て。商談だ。その情報を得たのと引き換えに、狂信者共に俺の存在が割れちまった。となれば、ここらが仕舞い時だろう」
「…なるほど、清城を出るまで護衛しろ、か。良いわ。そのアジトの情報と引き換えでね」
「商売上手だねぇ、中尉は。いくらか色付けてくれればいいけどな。もしくは体」
そこまで言ったエディの額に、いつの間に抜いたのか、空の銃が突きつけられる。
「…こ、後半は冗談だ」
「そんな冗談言える余裕があるなら、色つける必要は無さそうね」
「はは…。薮蛇突いちまったぜ…」
小さくため息をついて、空は銃を下ろし、
『中尉、気をつけてください!!』
レインのチャント。ほぼ同時、奥の扉が叩きつけられるように開かれ、黒衣の男が飛び込んでくる。
「っ」
既に銃を抜いていたのが不幸中の幸い、すぐさま相手の急所を避けるように狙い打つ。
しかし、今はそれが仇になる。
銃撃を浴びつつも、侵入者は手に持っている銃を最後の力で撃ち放つ。
ターゲットはエディ。彼の体が吹き飛ぶ。
「くっ」
判断を違えた事を悔やみながら、侵入者のその腕目掛けて銃撃。侵入者の腕から銃が零れ落ちる。
「中尉! 申し訳ありません、ジャミングで察知が遅れました!」
「細かい話は後! エディの手当てを!!」
空はレインに叫び、侵入者を確認する。二の腕に逆十字の刺青。
(やっぱり、ドミニオン…)
油断無く銃を構えながら、空は男に近づく。
「諦めなさい。下手に動けば、死ぬわよ」
が、その直後。
「神父様、真世界へ旅立つことをお許しください!!」
その言葉の直後、強く歯を食いしばり、吐血する。
「…っ、即効性の毒…」
空はその死に様に哀れみを込めた視線を向け、踵を返す。
「レイン、エディは?」
「…」
レインは止血をしようとはしているようだが、その表情がもはや、間に合わないことを告げている。
「エディ、しっかり」
「は、はは…、げほっ、正夢ってなぁ、あるもんだなぁ」
エディの手が宙を彷徨う。空は、その手を握ってやった。
「中尉…、最後…の…、サービスだ…」
「エディ」
「NPC密造屋……ドミニオンのアジトに…、ごほっ、…繋がってる…」
「…っ」
空は手を握り締め、頷く。
「後は……、俺のチップに…」
エディの手から力が抜ける。レインが脈を取り、首を横に振った。
空はそっとエディの手を彼の胸に置き、苦しげに開かれた瞼を閉じてやる。
「…レイン、警戒してて。情報をサルベージする」
「了解」
空は神経接続子を取り出し、エディの遺体に接続する。
いくつかのデータ、厳重なプロテクトが施されている。
(エディらしいわ)
そのデータを自分のチップへそのまま移そうとして、直後。
「中尉、ドミニオンのシュミクラムが接近中!」
「チップ内の情報まで消し去るつもりね。レイン、後はお願い。時間は私が稼ぐ」
「了解、お気をつけて!」
近くにあったエディにコンソールに駆け寄り神経接続子を接続、空は没入プロセスを稼動させる。
第二世代<セカンド>であれば、無線でのシュミクラム戦すら不可能ではない。
それでも空は有線を選ぶ。甲が学んだことが、自分を生かす。守ってくれる。
「行くわよ、冴…!」
そして、空はネットの海へ飛び込んだ。



1と0が形を結び、ぼやけた五感が線を結ぶ。
鋼鉄の鎧を身に纏い、カゲロウ・冴が無名都市に降下する。
「…そっか、仮想でのエディのアジトってここだっけ」
呟いて、空は戦闘態勢に移る。
『中尉、敵は一個分隊です、お気をつけて!』
「了解!」
レインの解析した敵構成と数にすぐに目を通す。
次いで、レーダーに反応。
数が多い上に、敵は狂信者。おまけに場所は無名都市。シュミクラムの戦闘に巻き込まれれば、何も出来ないような人が溜まっている場所だ。
出来るなら、無駄に被害は広げたくない。
シュミクラムが爆発した際の破片だって、一般の電子体に当たれば大怪我をさせてしまう可能性もあるのだから。
(離脱妨害を積んでいる敵だけを狙って、後は適当に時間を稼ぐか)
この場での勝利条件は敵を全滅させることではなく、データをサルベージする時間を稼ぐこと。
無理を押す必要は無い。
「レイン、アンカー張る奴に気を配って。用が済んだらすぐ離脱できるようにしておきたい」
『心配ありません。解析、対処は用意済みです』
「言うまでも無かったか」
言いつつ、二振りの双葉刀を構える。
直後、建造物の陰から飛び出してきたシュミクラム。
「…開戦<オープン・コンバット>…!」
小さく、口の中で含む程度に呟き、空はカゲロウ・冴を走らせる。
ドミニオンのシュミクラム、クラウンがその包丁のような蛮刀を振りかざして突っ込んでくる。
空はその蛮刀を右の双葉刀で叩き落し、体勢の崩れたクラウンの頭に踵を落として大地に叩きつける。
動けなくなるように右足だけブレードで貫く。
それから大分遅れて、動きの遅いタイプのシュミクラム、トレスとアイアンファイルが姿を見せる。
が、空は既に双葉刀を弓に切り替えて構えている。電子で編み上げた矢を無造作に撃ち放つと、機動性の鈍い二体は肩と左足を矢に貫かれ、崩れ落ちる。
『中尉、アンカーの起動を確認しました。標的転送します』
「了解っ、あいつか!」
背後にあるエディのアジトを守るように構えていた空は、この瞬間一気に動いた。
機体を宙へ踊らせ、ブーストを全開にする。見えるのは、オールター。まず最初のアンカー所持機体。
崩れ落ちた二体を飛び越えるように空中を疾る。抜け様に立ち上がろうとしていたトレスを切り伏せる。
高速で接近するカゲロウ・冴。それに気づいたオールターが、慌ててミサイルで迎撃しようとする。
それに対して、空は<ソニックショット>で打ち落とす。爆風の中を駆け抜け、肉薄。
この機を逃さず、右の大剣で斬り付ける。開いた間合いをつめるようにさらに一歩。左の双葉刀を変形、折りたたむと逆手に持ち帰る。
「ぶっとべぇええ!!」
双刃のカタール状になったブレードで思い切り貫き、刃の間にエネルギー波を形成。パイルバンカーのように撃ち放つ。
波動に吹き飛ばされたオールターが爆発する。
その廃熱の隙を突こうと、残っていたクラウンが襲い掛かってくる。
「くっ」
刃が肩口を僅かに掠めた。だが、支障は無い。ブーストで間合いを取り、溜まっていた熱量を放出する。
『アンカー解除確認!』
「サルベージ完了までは!?」
『あと1分ください!』
「わかった、任せて」
レインの言葉に、空は再び構えを取る。
が、その直後だった。
『全員引きなさい』
全方位通信。ドミニオンのシュミクラムが動きを止める。
『み、巫女様!?』
『聞こえなかったのですか? この場は全員引きなさい』
空はゆっくりと近づいてくる白い妖精を、信じられない思いで見つめる。
「まこちゃん…」
ネージュ・エールは狂信者達を睥睨すると、
『それとも、私に逆らうつもりですか?』
『っ、か、かしこまりました!』
慌てたように、狂信者達が撤退していく。
それを見送って、ネージュ・エールのパイロットのフェイスウィンドウが表示される。
「…まこちゃん」
変わりようも無く、彼女の妹の顔が映る。
『…お姉ちゃん』
黙って見つめ合う二体のシュミクラム。二人の姉妹。
最初に口を開いたのは、空。
「…どうして、部隊を引かせたの?」
『…話を、したかったんです。聞きたいことがあるんです』
伏し目がちに、真は言う。
「聞きたいのは、『彼』の実体のこと?」
『それもあります。でもそれより、…オブサーバーさんって何なんですか?』
真の言葉に、空は首を振る。
「私も、それは知らない。あの時だって、会ったのは二回目なんだから」
『そう、ですか…』
どこか落ち込んだような妹。

  ――空は真を決して裏切らない。なのに、何故真は空から逃げるの?

オブサーバーの残した言葉が脳裏をよぎる。
今なら、聞けるだろうか。真が何故、空から逃げ出すのか。
「まこちゃん、教えて。どうして、ドミニオンなんかに居るの?」
『…ドミニオンだけだったんです。追われていた私を匿ってくれたのは』
「追われていた、って」
真は確かにセキュリティを無効化する、稀有な能力の持ち主。電脳症という病気の結果とはいえ、使い方次第では戦局すら左右する。
それを考えれば、決して真を狙う存在が無いとは限らない。
軍人として、世界の汚れた部分を知る今だからこそ、空は真の能力の危険さを深く理解できる。
だが、だからと言って。
「だったら…、だったらこれからは私が守る! だから、ドミニオンからはもう抜けて…!」
空は叫ぶ。
「確かに、二年前の私はまこちゃんを探しきれなかったし、それだけの力も無かったけど、今は違う! だからまこちゃん、お姉ちゃんと一緒に帰ろう!」
『…できません』
なのに、真は首を横に振る。
『もうそんなの、無理なんです…、お姉ちゃん』
「どうして…、何で!?」
真は俯き、それから、空の問いには答えずに。
『考えたこと、ありませんか? この世界は、よく出来た仮想の世界。本当の世界は、別にあるって。私達は、AIの見ている夢の中にいるんだ、って』
ドミニオンの教義。
この世界は、悪い神様が作った偽りの世界。故に、この世界に縛り付ける実体を捨てる。
「この世界が、偽者だって言いたいの?」
言葉を交わしながら、空の心は凍えていく。あれほど大事に思っていた妹が、まるで手の届かない存在になってしまったようで。
『精緻すぎて誰にも偽者だと気づけない偽者。それがこの世界なんです。でも、偽者である以上、必ず矛盾がある。その矛盾を暴くまで、私はドミニオンに居なきゃいけないんです』
違う、と思った。
どうしてそう思ったのか、自分でも判らない。
ただ、真がドミニオンにいる理由は、そんなものではないと。
「…嘘ね」
だから、空は断じる。
真の表情に皹が入る。
「ううん、全部が嘘じゃないかもしれない。でも、それが本心じゃない。そうでしょ? まこちゃん」
世界でただ一人、水無月 真の姉だからこそ判る。
「だってそうじゃない。この世界の矛盾なんて、ドミニオンに居なくても探せる。私のところに戻れない理由になんてならない」
『…っ、ドミニオンじゃなきゃ駄目なんです…!!』
叩きつけるように、真が叫ぶ。
『だって、ドミニオンじゃなきゃ、アセンブラが使えない!』
「な…、何言ってるの!?」
信じられない言葉。
エディから聞いたドミニオンの計画が脳裏をよぎる。
アセンブラを汎用ナノに紛れ込ませ、世界中で同時に起動する。悪夢と言う言葉すら生温い、最悪の大規模同時テロの計画。
『矛盾が見つけられなくても、アセンブラを使えばこの偽者は壊せる。そうしたら…っ』
真が半狂乱になって、叫ぶ。
『そうしたら本当の世界に生ける…! そこには先輩も生きてる! お姉ちゃんに、先輩を返してあげられる…!!』
思わず、空は息を呑んだ。
真の口走った、先輩という言葉。彼女にとっての門倉甲。
(何で? 何で、私に甲を返してあげられる、なんて…?)
その言い方は、まるで。
まるで、真が。

 ――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい

あの時、去り際の真が残した思念。
ウィンドウの中の真は泣いていた。
『その為には何だってする! だって…』
泣きながら、その言葉を叫ぶ。


『だって、私が先輩を…殺しちゃったんだから…!!』


今、真は何を言ったのだろう。
聞こえてきたのに。はっきりと聞いていたのに。
その言葉の意味が、理解できない。
からん、からん、と。
カゲロウ・冴の手から、ブレードが落ちる。
その音にはっとして、真は涙にぬれた顔を上げる。
『あ…』
おびえた顔。大事な妹が、自分を見て、そんな顔をしている。
(ああ、だからだったんだ。まこちゃんが私を頼ることも出来ずに、私から逃げ出していたのは)
そんなことを、頭の片隅で理解する。
『っ』
耐えられない、とばかりに真のシュミクラムが身を翻す。
空は動けなかった。手を伸ばすことすら出来なかった。
ただ、判ったことが一つだけ。
(…ああ…、また一つ、私、大事なものを失くしちゃった…)




現実に戻る。
「中尉! 大丈夫ですか!? …中尉?」
「………うん、大丈夫」
感情に蓋をする。
やるべきことはまだ沢山あるのだから。
「エディのデータは?」
「サルベージ終えました」
「よし。…エディを弔ってあげたいけど、時間は無いわね」
焼夷爆薬も、この街中で使うには危険すぎる。
「…彼の脳内のデータと、操作席内のデータベースにあった記録、全て削除してあります」
「身元不明のご遺体の出来上がり、か。…CDFに連絡。何もして上げないよりはね」
「了解」
匿名の電話で彼の遺体の引き取りを頼み、次いで、フェンリルベースへ連絡を入れる。
重要な情報を得るも、ドミニオンの襲撃を受け、情報屋が死亡した。
そう報告を入れると、VTOLではなくアーク本社へ向かうように指示された。
永二達もそちらに向かうらしい。
停めてあったバイクの元に戻り、空はジャックを接続する。
視界に走行データが映る。だが。
「…中尉?」
レインが訝しげに空を見た。
空は、バイクに跨りもせずにじっと立ち尽くしている。
やがて、何もしないままジャックを引き抜いた。
「…ごめん、レイン。運転変わって」
「え? ええ、構いませんが」
レインが代わりに自身のジャックを接続する。そして、空に声をかけた。
「中尉…、やはり、何かあったのですか?」
「…うん、まぁね。大丈夫、すぐ…落ち着くから」
レインと交代して、空はタンデムシートに腰を落ち着ける。
その様子に、レインは声をかけられず、黙ってバイクを動かした。
走り出したバイク。空は吹き付ける風に頬を晒す。
(甲、私…)
胸ポケットのカートリッジに手を触れる。
ひとすじの雫が、風に乗って消えていった。






to be continued ...



[17925] 第四章 双子 -Kuu-  <前編>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/09/28 22:37
「…しばらく見ない間に、随分大きくなったのね」
アーク本社を前に、空はそんな感想を漏らす。
「中尉、以前ここに来たことが?」
「子供の頃にね。言ってなかったっけ。戸籍上の私の保護者、アークの社長、橘聖良小母様なんだけど」
「…それは初耳です」
何気なく言う空に、レインは呆気に取られている。
「まぁ、身元を引き受けてもらってるくせに、2年も音沙汰無しだったから…、愛想付かされてるかもね」
自嘲気味に言って、空はエントランスをくぐった。レインもそれに付き従う。
と、すぐのところで門倉運輸の制服を着た三人が何か話しているのが見えた。
「お、来たな、嬢ちゃん達」
「大佐。それに」
シゼルとモホークもそれぞれに身振りで応えてくる。
「皆さん、どうしてここに?」
とっくに会見中だと思っていたのだろう、不思議そうなレインに、永二が頭を掻く。
シゼルが代わりに、その問いに答えた。
「お前達を待っていた。社長はどうも、お前達…、特に中尉に会いたいようだったからな」
「私に、ですか?」
空は驚いて目を見開く。
(…恨み言でも言われるのかしら)
と、永二が何ともいえない目で自分を見ていることに気づいた。
「…あの、何か?」
「あー、いや、なんでもねぇ」
言いつつ、やっぱあん時の子だったのか、と意味の判らないことを言う。
『簡単で良い。とりあえず報告を聞こうか』
フェンリルの直接通話で、シゼルから促される。
空はレインに目配せすると、
『清城で懇意にしていた情報屋から入手した情報です。…その情報屋は、ドミニオンの襲撃により死亡しましたが』
空の報告に合わせ、レインが3人に情報を送る。
『…む』
あまり表情を動かさないモホークすら、内容に眉を動かした。
『おいおい、まじか』
永二もまた、もたらされた情報に驚嘆の意を隠せない。
『…あいにく、まだプロテクトを解析しきっていません。詳細が判るのはこの解析を待って頂くことになりますが』
申し訳なさそうに言うレインに、永二は首を横に振る。
『いや、十分だ。しかし、これだけの情報を掴める奴が死んじまったってのは惜しいな…』
『きっと、彼もその評価を聞いたら喜んだでしょうね』
エディの顔を思い出しつつ、空は目を伏せる。
「っと、とりあえずはここまでだ。聖良さん…、社長のアポイントの時間だ」
永二が言い、彼を先頭に空達は社長室へ向かった。







第四章 双子 -Kuu-





唐突に風景が変わる。仮想を髣髴とさせる内観から、明らかな仮想のそれへと。
「…強制的にダイブされていますね」
「実体は自動的にアークの手で管理される。セキュリティとしては一級品ってわけだ」
レインの驚きの声に、何度も訪れているのであろう永二が解説する。
空は特に感慨深い様子も見せず、淡々と最後尾を歩いている。
ふと、モホークが歩調を緩め、空の隣に並び立った。
「…暗いぞ」
「え?」
初めて気づいたように、空はモホークを見上げた。
「何かあったのか?」
「…少しね」
「そうか」
空の答えに、モホークはしばし沈黙すると、
「…嵐に耐え抜いた物だけが、巨木となって地に根付く」
「え?」
「人もまた同じだ。」
「……」
それだけ言うと、モホークはまた歩調を戻し、数歩先の位置へ戻る。
(…嵐に耐え抜いたものだけが…、か)
無意識に、空はカートリッジを収めてあるはずのポケットへ手を伸ばして。
何の手ごたえも返してこないことに、一瞬驚く。
(…ああ、そっか。ここ、仮想だったっけ)
あのカートリッジには電子体アイテムとしての性能は無い。
本当はそうしてしまいたかったが、その結果、何かろくでもないものを封入してしまいそうで怖かったから。
空は諦めて手を下ろし、それでも問いかける。
(ねぇ、甲。あなたなら、耐えられた…? この現実に…)
俯き歩く空を、レインは心配そうに振り返る。
「……」
何度も声をかけようとしながら言葉が見つからず、結局彼女も俯いてしまう。
さすがに見かねて、シゼルが声をかけようとした、その時。
「いらっしゃい、フェンリルの皆さん」
どこか無機質な声が聞こえてきた。
それで空はやっと気づく。いつの間にか、仮想の社長室の前まで来ていたようだ。
「お久しぶりです、聖良さん」
「ええ、お久しぶり。どうぞ、お入りなさい」
ドアがスライドして、その向こうに電脳の魔女が立っている。
「随分遅かったのね、永二さん」
「ま、ちぃっとばっかり拾い物があったもんでしてね」
「報告にあった『彼』ね。星修学園大聖堂の地下、そこで見つけたのは確かなのね?」
「嘘ついたってしょうがないでしょう。信じられない気持ちは判りますがね。俺だって正直信じられねぇ気分だ」
おそらく、『彼』の事をすでに報告していたのだろう。
確かに、フェンリル単独で抱えるには謎が大きすぎる問題だ。
「聖良さん、あいつの件、何か判った事とか無いんですかね?」
「申し訳ないのだけど、まだ何も判っていないの。死者蘇生実験に関わる可能性のある一件を任せられるような研究者は、そう多くないから」
「死者蘇生って、そんな大袈裟な」
永二は苦笑交じりに笑い飛ばすが、横で聞いていた空はそれを聞いて目を伏せた。
甲は死んだ。空の見ている前で、確かに。
それが今、肉体だけとはいえ生きている可能性がある。それが、『生き返った』と言わずにどんな表現があるのだろう。
「ところで」
聖良はそこで、空を見た。
「お久しぶりね、空さん」
「…はい。ご無沙汰しておりました」
「いいえ。無事で居てくれたならそれでいいの」
少しばかり目を細めて、聖良は言う。ひょっとしたら、笑ったのかもしれない。
「永二さんの元にいるのなら、よほどのことが無い限り安心ね。後は、真さんの事だけれど」
「……」
真のことに触れられ、空の顔から表情が消える。
おそらく聖良は、空が真と接触したことを知っている。
いや、この場にいる全員が、真が今どこにいるのか、何に加担しているのか、あの『彼』への洗脳があったあの時点で気づいたはずだ。
「空さん、お願いがあるの」
「はい」
「真さんを連れ戻してほしいの。あの子は、その力以上に危険な立ち位置にいるから」
「…それは」
少し前なら、当たり前だと頷いただろう。
だが、今はそれが出来ない。真が自分のところに戻ってくることが、想像できないから。
「…努力、します」
だから、そんなありふれた返答しかできなかった。
しばらくの間、そんな空を見つめて、聖良は永二に向き直った。
「永二さん、『彼』を調べる上で連れて来て欲しい医者がいるのだけど」
「…連れて来るって…、ひょっとして『あいつ』か!? いや聖良さん、あいつが素直にアークに手を貸すとは俺は思えんのだが」
「そうね。けれど、彼の事情を知れば必ず協力してくれるはずよ。それに、空さんもいるから」
「え?」
よく判らない話の流れで、何故か自分の名前が出てくる。
永二は「それはそうだが」と頭を掻くだけで、説明してくれそうに無い。
ならシゼルは、というと、『あいつ』の話題が出た瞬間から、あからさまに目を合わせないように明後日の方へ視線を向けている。
そしてモホークは、相変わらずの無表情。
「しかたねぇ。嬢ちゃん達、ちっとおつかいを頼まれてくれねぇか?」
「そのお医者様を連れて来れば良いのですね?」
レインが答え、永二は頷く。
「そういうこった」
「了解。それじゃあ、これから行ってきます」
正直、先ほどの真の事で気まずい思いを抱えていた空にしては、このおつかいは都合が良かった。
話の内容からすれば、少し問題のある人物のようではあったが。
「あ、中尉。私も行きます」
「…なら少尉、地図を持って行け」
シゼルが苦虫を噛み潰したような顔で、レインにファイルを送信する。
「んじゃ、頼むぞ、嬢ちゃん達。……気をつけてな」
何となく、永二の言葉に妙な含みがあったのは気のせいだろうか。



スラムの真っ只中。
こんなところにいる医者が真っ当な医者とは思えないが。
そんなことを思いながら、空は先導するレインの背中を見る。
「…この辺りの筈なのですが」
「レイン、その医者ってどんな人なのか調べられない?」
「はい。名前はDr.ノイ。お金次第でどんな境遇の人でも診る、いわば闇医者です」
「天下のアークが闇医者を頼るって…。……ノイ?」
空は聞き覚えのある名前に眉をひそめる。
「…ご存知なのですか?」
「ん…。たぶん違うわ。あの人、一応でも正規の医者のはずだし」
脳裏に浮かんだ子悪魔顔を振り払いながら、空は答える。
「たぶん、同じ名前の別人だと思う」
「そうですか…。お知り合いなら話も通しやすかったでしょうけど」
「…どう、かしらね」
昔の苦い記憶が蘇り、空は小さくため息。
と、レインが固まる。それから目を閉じては開きなおし、周囲を見回しては目を閉じる、という不審な行動を繰り返した。
「レイン? どうしたのよ?」
「…中尉、あの、言い辛いのですが」
レインは控えめに指差す。その建物を見て、空は目を瞬かせた。
ありていに言って、アダルトショップ。それも相当いかがわしい系。
「…あそこが、目的地のようなのですが」
「………ごめん、レイン。どうも私の知り合いみたい」
こんなことで判断したくなかった、と、空は思いっきりため息をついた。
「え、あの?」
「私の知っているノイ先生なら、ああいう趣味の人だったから。行くわよ」
空は言いつつその建物に歩み寄って、一瞬躊躇ってから、ドアを潜った。
「いらっしゃい、同好の友よ。初めて見るお客だね」
かけられた声に、空は思わず半眼になった。
「そういう客としては初めてでしょうね。残念ながら、私が求めているのは本業のほうですけど、ノイ先生?」
「…おや」
カウンターに座っていた少女が、空を見て「珍しいものを見た」と言わんばかりの顔をする。
「君はひょっとして、水無月 空君か?」
「ええ。お久しぶりです、ノイ先生」
とことこと歩み寄ってくると、ノイは空を見上げた。
「うむ、本当に久しぶりだな。…よく無事だったものだ」
「ええ、お互いに。…医者は廃業されたのですか?」
その会話の最中、レインがおっかなびっくり入ってきた。
目に映るいかがわしい物品を見ては、赤くなったり青くなったり忙しい。
「おや、今日はお客が多いな。いらっしゃい、何がお好みかな?」
「ええ!? い、いえ、わ、私はそんな、あの、し、失礼しますっ」
「レイン待ちなさい」
面食らって慌てて店を出ようとするレイン。その彼女の襟首を素早く掴んで、空はノイに冷たい視線を送る。
「ノイ先生、彼女は私の相棒です」
「何だ、こっちの客じゃなかったのか」
空は何度目かのため息をつく。
本心で言えば、自分だってこの店から逃げ出したいくらいだ。
ノイの性的嗜好に多少の予備知識が無ければ、間違いなく自分もレインと一緒に逃げていただろう。
「とにかく、ここじゃ落ち着きません。せめてこういうのが無い部屋で話させてください」
適当に飾られている物品を指差して、そう言う。
「ふむ、いいだろう。元主治医として、君の経過も聞いておきたいしな」
彼女に案内され、空とレインは奥の部屋へと案内される。
そこには、先ほどの部屋からは想像も出来ないほど、最新の医療設備に満ちた空間があった。
レインがそれを見て、ほっと一息つく。
が、それを見たノイはニヤリと笑って、
「さて、ここに来た理由は何かな? 性病の治療かね? それとも義体化かな? 今なら同性愛の必需品になるだろうパーツの掘り出し物もあるぞ?」
「んな!? せい、ど、どうせ…!?」
レインが顔を真っ赤に染める。
「ノイ先生、そういう冗談はもう結構ですから」
ここに来て何度ため息をつかされたんだろう、と思いながら、空はノイを諌める。
「ふふ、まぁ冗談はこれくらいにしておこうか」
言いながら、空とレインそれぞれに椅子を勧める。
「しかし空君、君が着ているそれは、どう見ても軍服のように見えるのだが」
「ええ。今はPMCに所属しています」
言いながら、空はフェンリルに入隊したときに貰った名刺データをノイに送る。
「門倉運輸…。驚いたな、永二のところじゃないか」
やはりノイと永二は知り合いだったらしい。
それから、ノイは少しの間目を閉じると。
「水無月 空中尉、傭兵組合の電脳将校の中でも相当の凄腕、か。二年前の君からは想像も出来ないな」
「…いろいろありましたから」
静かにそう言う空に、ノイは気まずそうな顔で「悪かった」と一言詫びる。
それから、話題を切り替えるように一つ咳払いし、
「さて、ここを尋ねてきたということは、何か用があるのだろう?」
「ええ。アークからの依頼を」
「それは断る」
言いかけた空の言葉を遮り、ノイは言う。
「あそことはいろいろとあってな。統合よりはマシとは言え、出来れば関わりたくないのだよ」
苦笑交じりに続ける彼女に、空は目を瞬かせる。
「ノイ先生にも、苦手なものがあったのですね」
「君は私をどう評価しているのかね?」
憮然とした顔をするノイに、空はそれでも続ける。
「けれど、内容だけでも聞いてもらえませんか?」
真剣な空の目に、ノイは肩をすくめて腕組みをする。
どうやら、話だけは聞いて貰えるらしい。そう判断し、空は続けた。
死んだはずの門倉 甲。それと瓜二つの『彼』を見つけたこと。
クローン体だとしても、成熟していながら意識反応が無いこと。
それらを話すと、黙って聞いていたノイは考え込むように目を閉じた。
「…なるほど、死者蘇生実験の可能性、か」
ノイは聖良と同じ評価を下す。
「医学の究極の目標である死者蘇生。だが、その実験はいつもろくでもない結果をもたらす。君達もフランケンシュタインという名前くらいは聞いたことがあるだろう」
「ですけど、それはフィクションでは?」
レインの言葉に、ノイは頷く。
「ああ、あの話自体はな。…だが、今世紀最大の狂人と言われるあのノインツェーンでさえも、死者蘇生の技術にだけは手は出さなかったくらいだ」
その名前に、空もレインも沈黙する。
「いつからか研究者の中でも禁忌とされる実験の代表格。ノインツェーンでさえ触れなかったその禁忌に触れたものがいる、か」
「あの」
ふと、空は口を挟む。
あり得ないと思いつつ、『彼』がそんな禁忌に触れた存在とは思いたくなくて。
「蘇生じゃなく、そもそも死んでいない、という可能性は…無いんですか?」
「ふむ。私は君の話から判断したのだがね。そもそも、その甲君、だったか。彼が死んだと言ったのは君だぞ?」
「それは、そうなんですけど」
空は何と言えばいいのかわからないまま視線を迷わせ、結局口ごもった。
「他に何か無いのかね? 『彼』の周囲で起こった事とか、何でもいい」
その言葉に、空はあの洗脳を思い出す。その時に神父や真が言った言葉も。
「…『彼』を見つけたその時に、ドミニオンが『彼』の脳に洗脳を仕掛けてきました」
「ほう?」
「その時に、『彼』を悪魔の化身、と」
そう言うと、ノイは唇を歪めた。どこか凶暴さすら感じる笑みの形に。
「そうか、ドミニオンが悪魔の化身と呼んだか…!」
「え?」
そんな笑みを浮かべながら、ノイは立ち上がる。
「いいだろう、その依頼、請け負った!」
喜色満面の笑みを浮かべながら準備を始めるノイを見て、空とレインは顔を見合わせた。
『どういうことなのでしょう?』
『さぁね』
チャントでそんな言葉を交える。
と、レインはふと思い出したように、ノイの背中に声をかけた。
「あの、先生」
「ん、何だね?」
「その、ついでと言っては何なのですが、診察をお願いしたいのですけど」
「それは、『彼』ではなく、かね?」
「ええ、中尉を」
「はぁっ!?」
思わず空が立ち上がって振り向く。
「な、何言い出すの、レイン!?」
「中尉。あまりに平然とされているので私も少し忘れかけてましたが、中尉は論理爆弾<ロジックボム>に巻き込まれたのですよ?」
「あ…」
ここ最近いろいろありすぎて、そんなことは忘れかけていた。
「論理爆弾、だって?」
ノイは半眼になって、空を見る。
「君はまた、そういう大事なことを話さないで診察をすっぽかすつもりだったのか」
「あ、いえ、今回は純粋に忘れていただけなのですけど」
背筋に寒いものを覚えながら、空はノイから目を逸らす。
「ふむ、いい機会だ。二年分みっちりと診察してやろうじゃないか」
「……」
観念して、空はため息をついた。
「……………おねがいします」
おとなしく医療用コンソールに移る空。彼女の首筋に自身の神経接続子を取り付け、ノイはしばし目を閉じる。
「……」
かなり長い沈黙の後、ノイはジャックを外してレインに問いかけた。
「あー、えっと、君」
「あ、レインです。桐島レイン。階級は少尉」
「そうか。少尉、先ほど君が言っていたことを確認するが、空君は論理爆弾に巻き込まれたのだったな?」
ノイの質問を、レインは頷いて肯定する。
「その通りです」
「…でありながら、空君は今の今まで、異常らしい異常を訴えていないのだね?」
「はい」
レインの答えに、ノイは口元に手をやってうなる。
「あ、あの、ノイ先生?」
少し不安になって、空はノイに声をかけた。
「空君、君にも質問だ。何かを思い出せなくなっているとか、幻覚が見えるとか、そういうことは無いのだね?」
「え、ええ。まぁ、確かに気が付いた直後は記憶が混乱してましたけど、今は別に」
「…むむむ」
ノイは納得いかない、と唸り声を上げる。やがて諦めたように、ノイは息を吐いた。
「とりあえず、説明しよう。空君、君の脳チップは半壊している」
「……は?」
ノイの言葉に、空は呆然とする。
「ああ、物の見事に半壊だ。脳に多少なりとも異常が出るのが普通だと言うくらいにな」
「…でも、私は何も」
「そう、それが不思議だ。この状況なら、記憶が穴あきチーズになるなり、人の顔と名前の認識が出来なくなるなりのことは起こる」
「中尉、一応念のため、今見ている私の顔の特徴を並べてみてもらえませんか?」
レインに言われ、空は肩を竦める。
「腰まである長い金髪に整った顔立ち。目は青…碧眼って言うんだっけ? それからちょっと釣り目気味」
「……私が見ている少尉の顔立ちも似たようなものだな」
「どうやら、認識に誤りはないようですね」
レインは安心して微笑する。
「とりあえず、修復ナノは打って置こう。今は何も無いが、後々どうなるかわからないからな」
「…はい」
無駄な抵抗はせず、空はノイの取り出した無針注射器<シリジェット>の前に首筋をさらけ出す。
「しかし…。何というか、あれだな。破損した脳に誰かが修正パッチを当てでもしたのかね」
「人の頭をバグ入りプログラムみたいに…」
ナノを注入されて少し妙な気分になりながら、不機嫌そうに空はぼやく。
「まぁそう言うな。何も無いのはいい事だが、やはり不思議でね。経過は見る必要があるが、とりあえず今日の診察は終了だ」
「ありがとうございます」
ほとんど形ばかりの礼を言い、空は立ち上がった。
「中尉、大丈夫なのですか?」
「ええ、問題ない」
心配するレインに一言答え、ノイを見た。
「君達はこれからアークへ戻るのかね?」
「ええ、そのつもりです」
「そうか。私は後から行こう。いろいろと片付けねばならない物もあるのでね」
そう言うノイに見送られ、空とレインはアークへの帰路に着いた。



「そう、協力は得られたのね」
アーク本社に戻ると、二人はすぐに社長室へ呼び出された。
永二達は一足先にベースへ戻ったようだ。
空はノイが後ほどアークを訪れることを報告する。
「ありがとう。彼女は私の知る限りで最高の医者。『彼』を任せる上で彼女以上は無いと思うわ」
「…だと、いいんですけど」
彼女の性格を多少なりとも知る身としては、腕はともかく人格に全面的な信頼は置けないのだが。
「アーヴァルシティにあなた達のアカウントを登録しておいたわ。少し休んでいきなさい」
「え?」
唐突に言われた言葉に、空はレインと顔を見合わせる。
「あの、アーヴァルシティは確か、アーク社が管理するネット仮想都市、でしたよね?」
レインが確認する。
アーク社の作り上げた、近未来都市をモデルにした仮想空間の都市構造体、アーヴァルシティ。
リミッターの無いそこは、仮想でありながら現実と同じ感覚で過ごすことが出来る場所として知られている。
アカウントの取得には厳正な審査が必要なのだが。
「…あの、いいのですか? 私達傭兵に、そんなのを気軽に渡してしまって…」
「構わないわ。ゆっくりして行きなさい」
聖良はそれだけ言うと、目を閉じる。会見終了の合図だ。
空は一礼すると、レインを促して退出しようとし、
「あの、小母様。最後に一つだけ」
「何かしら?」
「亜季先輩は、ここにいるんですか?」
「ええ。あの子もアーヴァルシティにいるわ」
「…わかりました。会いに、行ってみます」
「そうしてあげて。あの子も喜ぶはずだから」
空はもう一度礼をして、社長室を出る。
後ろでドアの閉まる音を確認して、転送プロセスを起動した。
「行かれるのですか?」
「ええ。…レインはどうする?」
「そうですね、よろしければ、私もお供させてください」
空は頷くと、プロセスにアーヴァルシティのアドレスを入力し、始動させた。
周囲の空間が歪み、一瞬1と0の羅列に分解される。
そして、それが再び像を結びなおした。
再び認識できる世界になった時、それは先ほどまでとはまったく違う空間。
「…」
近未来型仮想都市、アーヴァルシティ。仮想とは言え、青空を久しぶりに見た気がする。
「…凄いですね、これは」
「…ええ」
二人でその場で立ち尽くしていると、歩み寄ってくる一人のNPC。
星修の制服に身を包んだ、覚えのある顔立ち。
「あ…」
甲によく似たそれは、彼とは似ても似つかない笑顔を浮かべて、
「ようこそいらっしゃいました、お客様。アーヴァルシティは初めてですか?」
「…ええ」
レインはどこか瞳に嫌悪を宿して、空は逆に無感動に頷いた。
「西野亜季という人を探してる。どこにいるか教えて」
「承っております。ご案内するよう指示されておりますので」
「結構よ。場所だけ教えてくれれば、こっちで勝手に行くわ」
「承知しました。こちらになります」
NPCは事務的に、アドレスを教える。
空はそれを受け取ると背を向け、それから小さく呟いた。
「…ごめん、あなたを嫌うわけじゃないけど」
答えが返ってくるはずがないと知りつつ、邪険にしてしまうことを詫びる。
だが。
「……気にしなくて良い」
どこかたどたどしさのある声が、それに答えた。
「…!?」
はっとしてNPCを振り向く。
レインも、信じられないものを見たような顔をしている。幻聴じゃない。
「…オブサーバー?」
「お客様? どうかされましたか?」
あくまでも作られた笑顔を浮かべる、甲に似せた人形。
空は首を振ると、なんでもない、と一言だけ返した。
NPCは丁寧に一礼して去っていく。
「…レイン、今の、見た?」
「はい。…確かに、甲さんをモデルにしたNPCが、時折人間のような反応を返す、という噂はありましたが…」
レインは去っていくNPCの背中を見送りながら、そう答えた。
「…ですが、やはり良い趣味では無いですね」
「形だけでも留めておきたかった、そういうことなのかもね」
空はNPCから視線を外すと、教えられたアドレスとアーヴァルシティのマップを照合しはじめた。
「中尉、亜季さんに会われるのですか?」
「うん。少し、聞きたいことがあるから」
「わかりました。…私は、少し散歩でもしています」
気を使ってくれているのかもしれない。
空は、その好意に甘えることにする。
「わかった。それじゃ、また後でね」
「はい」



案内役のNPCから受け取ったアドレスを頼りに歩いていくと、土手の小道に行き着いた。
(近未来型って割には、この辺は何だか牧歌的ね)
少し懐かしくなる。
こんな道を、二年前は良く歩いた。

――おねぇちゃ、はやく、はやくっ……!
――真ちゃん、今日は元気だな

(甲が一緒なのが嬉しいのよ。それをせめて、態度で示してる…)
脳裏をよぎった光景に、同じ言葉を返して。
溢れそうになった感傷をまた、無理やり押し込んだ。
「…っ」
俯いて唇を噛み、しばらくして、息を吸い込み、吐き出す。
落ち着いたのを自分で確認して、改めて顔を挙げた。
と、後ろから視線を感じる。レインが追ってきたのだろうか。
空は何でもない顔をして、
「何、レイン、私を心配してくれたの?」
そう言って振り返った。その先には。
レインではない、それでもよく知る少女が立っていた。
「……そ、空先輩?」
「なのは、ちゃん?」
若草 菜ノ葉。如月寮で共に暮らしていた、一つ下の後輩。真の親友とも呼べる少女。
「…っ」
くしゃり、と顔を歪めて、
「そらせんぱい、ほんとに?」
「…久しぶりね、菜ノ葉ちゃん」
「ふぇっ…、せ、せんぱいぃぃ!!」
しゃくりあげて、菜ノ葉が駆け寄って抱きついてくる。
「…ごめん、長い間連絡しないで」
菜ノ葉の涙に面食らいながら、それでも空は軽く抱き返した。
「ふぇぇ、そ、そらせんぱいっ、ぐすっ、も、もうあえないかもって、みんな…っ」
完全に大泣きし始めた菜ノ葉を見て、空はやっと理解する。
二年間、甲や真のことばかり気にしていたけれど。
自分を心配してくれていた、大事な「友達」はちゃんといたのだ。
「…ごめん、ごめんね」
本当に、そんな当たり前で、大事なことを忘れていたなんて。
「…ほんとに、ごめんね」
情けなさと後悔と、それから少しの嬉しさと。
潤む目を、空は何とか誤魔化すのだった。





















Interlude


もうずっと長いこと、ここにいる。
ずっと長いこと、夢を見ている。
夢は多くが酷い夢だ。酷い夢なのに、醒める事が出来ない。
だが、酷い夢を繰り返すうちに、最後に良い夢になる。
そんな繰り返しだ。

だけど。

今見ている夢は、一番多く見た夢だ。
どれだけ繰り返しても、一番ほしい物に届かない夢。
どうしたら、それが見れるのだろう。
どうしたら。どうすれば…。














To Be Continued ...



[17925] 第四章 双子 -Kuu-  <後編>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/09/28 22:47

「…ごめんなさい先輩、こんな大泣きしちゃって」
落ち着いた菜ノ葉に、空は首を横に振る。
「ううん、私の方こそ、二年も誰とも連絡取らなかったから」
「先輩…」
辛そうな、悲しそうな、そんな目を向けられて、空は目を逸らした。
そうして、少し話を逸らそうとする。
「ところで、菜ノ葉ちゃんはどうしてここに?」
「え? 私は当然…、って、ひょっとして先輩、ここに来るの初めてですか?」
「…え、ええ」
頷くと、菜ノ葉は少し考えて、よし、と一声。
「だったら、ぜひ来てください! 凄いものがありますから!」
「え? あ、ちょっと!?」
空の手を引き、菜ノ葉は走り出す。
その勢いに釣られて、空も走り。
流れていく風景が、余計に郷愁を煽る。
(おかしい。何でこんなに見覚えのある風景が続いて…?)
そこまで考えて、気が付いた。
グラウンドが一望できるこの道。通り沿いにある桜の木。
ここは。
「…!」
気が付けば、空は菜ノ葉を追い抜いていた。
地図などもう必要なかった。この道は、二年前から体で覚えている。
だから。だからこそ。
その先にそれが見えたとき、空は呆然と立ち尽くした。
「…あ」
どこか古臭い建物。
菜ノ葉や亜季、雅、千夏、真、そして甲。彼らと共に、過ごした場所。
「…如月寮…」
呆然と呟く。
その空の後ろから、菜ノ葉がゆっくりと近づいてきた。
「…亜季先輩が、仮想に再現したんだそうです。私、始めて見たときは泣いちゃいました」
菜ノ葉の声がどこか遠くに聞こえる。
目の前の如月寮と、二年半前に訪れた如月寮が重なる。
そして、その前に立っていた甲を幻視して。
「……っ」
空は、慌てて頭を振った。今と昔とが混同しかけて、封じ込んだ物が溢れ出そうになる。
けれど、こんなものを前にさせられて、全てを封じ込むことなんて出来なかった。
「…ずるいよ、こんなの」
「先輩…」
「こんなのあるって知ってたら…」
知っていたら、きっと、ここには来なかった。
知っていたら、絶対、もっと早くここに来た。
矛盾した感情。懐かしくて、嬉しくて、悲しくて、苦しくて。
菜ノ葉は改めて空の手を取る。
「空先輩」
「…うん」
ただ、名前を呼ぶだけの菜ノ葉に、空は頷いた。
菜ノ葉に手を引かれ、如月寮の玄関を開く。古臭い、手動式の扉。
「ただいまー!!」
殊更に明るく、菜ノ葉が声を上げた。
それに応えるように、足音が二つ。
「おかえり、菜ノ葉ちゃん」
「おかえりー。菜ノ葉、ごはん…」
そんな言葉と共に、声が近づいてきて。
「…あ」
姿を見せた二人が、同時に足を止める。
先ほどまで気だるげにしていた女性が、空を見て目を見開いて呟く。
「……空?」
西野 亜季。この寮の最年長。この寮に住んでいた人たち全員にとって、姉のような存在だった彼女。
「…えっと…、亜季先輩、その、お久しぶり、です」
空は、そんな言葉を返して、もう一人、トレンチコートを羽織った青年が苦笑交じりに言う。
「違うだろ、空。さっき菜ノ葉ちゃんが言ってたろ」
「雅…」
須藤 雅。甲の親友だった彼。清城で一度会った時には、酷く邪険に扱ったのに、そんなことは関係ないとばかりに言う。
「そうですよ、空先輩。…おかえりなさい、先輩」
「うん、おかえり、空」
菜ノ葉と亜季に言われ、空は俯いて、堪えるように下唇を噛んで。
三人は黙って空を見守る。
やがて、ゆっくりと、空は顔を上げて、
「…ただいま」
どこかぎこちない笑みを浮かべて、空はそう答えた。



せっかく空先輩が帰ってきたんだから、と腕まくりして料理に挑む菜ノ葉を見送り、空は居間で亜季と雅と共にテーブルを囲む。
「…ほんとに、何もかも再現してるんですね」
記憶のままのこの部屋を見て、空はしみじみと呟いた。
「うん。けれど、まだ途中。一人一人の部屋までは再現出来てない」
亜季の答えを、少しだけ残念に思い、同時にほっとする思いも抱く。
「…空、前に清城で会ったときはろくに話も出来なかったけど…、その格好、やっぱお前」
どこか痛ましそうに聞いてくる雅に、空は小さくため息をつく。
「…今は門倉運輸の保安・電脳サービス課勤務よ」
「それ、叔父様の所の…」
「…フェンリルの電脳将校、か。お前がシュミクラム使うなんて、考えもしなかったぜ」
「それを言うなら、雅がCDF勤めって方が違和感感じるけど?」
その話題から、自身のシュミクラムに話題が移ってしまいそうで、空はつい話を逸らしてしまった。
「ははっ、違いない」
が、雅は気にした様子も無く、笑いながら答える。
「…けど、すまん、空。菜ノ葉ちゃんには、俺がCDF勤めってのは話してないんだよ。…ちょっと、話しづらくてな」
「…折を見て、ちゃんと話したほうが良いわよ。あの子、仲間外れ嫌がるでしょ」
言いながら、どの口が言うんだ、と内心で自嘲する。
「そうだな…。まったく、空の言うとおりだ」
苦笑する雅。
と、噂をすればとばかりに、菜ノ葉の声がする。
「もうすぐ出来ますよー!」
「お、んじゃ俺は盛り付けでも手伝ってくるか」
立ち上がって台所へ向かう雅を見送る。
ふと、亜季と目が合った。彼女は少し気まずそうに、言う。
「…あの子達を見た?」
「…甲に似たNPC達、ですか?」
「そう。…嫌な思い、させた?」
「いえ」
首を横に振る。
「…悪意が無いなら、私が怒る理由はありませんから」
「でも、悪意が無いからこそ、怒られなきゃ判らないこともある」
亜季は目を逸らして、続けた。
「私は、あの子達の笑顔が怖くなるときがある。いつか、あの子達の作り物の笑顔で、本当の甲の笑顔が上書きされちゃうんじゃないか、って」
その言葉に込められた後悔や恐怖、悲しみ。
全てがよく判るからこそ、空は何も言えなくなる。
きっと甲を忘れたくないから、NPCとしてでもその形を残したかったのだろう。
だがそのせいで、一番忘れたくないものを失う恐怖に怯えている。
ふと、亜季は『彼』のことを知っているのか疑問に思った。
(…でも、もし知らなかったら、そして、『彼』が甲じゃなかったら)
その不安が、それを聞くことを躊躇わせた。
「お待たせしましたっ」
ちょうど、菜ノ葉の声が割り込んでくれた。
少しほっとして、空は料理を運んでくる菜ノ葉を見上げる。
「菜ノ葉ちゃんの料理、久しぶりね」
「ちょっと気合を入れてみました」
並べられていく料理を見て、ふと違和感。
(…あれ? …ニラ料理が、無い…?)
確か、菜ノ葉の一番得意なレパートリーだったはずなのに。
問いかけようとして、

 ――うげ、またニラかよ…
 ――もう、ニラは体に良いんだから、食べなきゃ駄目だよ?

あの頃の定番のやり取りを思い出して、止める。
(…ああ、そうか。きっと甲を思い出しそうになるから、作れないんだ…)
こんなところにもあった、傷跡。傷を負っていたのは自分だけじゃないなんてことは、判っていたつもりだったのに。
「先輩? どうかしました?」
いつの間にか、皆席について、食べ始めようとしている。
「え? あ、ううん、何でもないわ。…いただきます」
誤魔化すように慌てて箸を手にとって、口に運ぶ。
仮想とは言え、久しぶりに口にする暖かい手料理は、本当に美味しかった。
他愛無い雑談を交えてする食事。
ずっと忘れていた、懐かしい光景。
料理を食べ終えることには、いつの間にか、寮の外は暗くなっていた。
「ああ、もうこんな時間かよ」
雅が苦笑いしながら、立ち上がる。
「どうもここに来ると時間を忘れちまうな」
「どうせなら、今度は奥さんも一緒に連れてくると良い」
亜季に言われ、雅は腕組みする。
「そう言ってくれるのはありがたいっすけど…」
あまりに自然に言葉のキャッチボールが成立していて、空は危うく聞き逃すところだった。
「…って、ちょっと待って、雅、今、奥さんって」
「え? ああ、言ってなかったか? 俺、結婚したんだよ」
「…そ、そうなんだ」
本気で驚いた。
いろいろ言葉を捜して、やっと、言いたい言葉を見つけ出して、
「…うん、おめでとう、雅」
「はは、ありがとよ」
少し照れたように笑う雅が何故だか眩しくて、空は少し目を逸らした。
あの灰色のクリスマスを越えて、雅は今現在を前向きに精一杯生きているんだろう。
「それじゃ、俺は戻るよ」
「あ、それじゃ、私もそろそろ」
菜ノ葉も立ち上がる。
「もうバイトの時間ですから」
「そっか」
二年。やはり、その時間は皆の生活に多かれ少なかれ変化を与えている。
菜ノ葉と雅を玄関先で見送って、ちょうどその時。
『門倉運輸からコールです』
AIメッセージが着信を知らせる。
「あ、先輩すいません、コールが」
「ん」
亜季が頷くのを見て、空は通話状態に切り替える。
『おう、空嬢ちゃん。まだアーヴァルシティか?』
永二の確認に、空は頷く。
「ええ」
『中尉は今日はそこでゆっくりしてこい。打ち合わせは少尉に代わりに出てもらう』
「あ、いえ、私も戻ります」
『いいから休め。…何があったのか知らんが、そんな心境で戦えるほど戦場は甘くない』
シゼルに厳しく言われ、空は俯く。
「…了解」
どうやら真の事で落ち込んでいる事が、思った以上に心配をかけていたらしい。
『ま、少しは羽を伸ばしとけ』
「…はい」
空が頷いたのを確認して、通話が切れる。
「…叔父様たち?」
「はい。今日は、ここに泊まって来い、と言われました」
「そう。それは大歓迎。でも、一つ問題が」
亜季はそう言うと、こめかみを押さえた。
「実は、空の部屋はまだ再現できてない。菜ノ葉と雅の部屋も途中…」
「そうなんですか」
「…居間で寝る?」
言われて、空は頷いた。
「ええ。そうさせてください」
「ん、わかった。待ってて、布団の一枚くらいならすぐ組める」
言いながらイメージジェネレータを起動する亜季。
待つ間、少し手持ち無沙汰になって、空はふと、あるドアに視線を向けた。
甲の部屋だった場所だ。
「…その部屋なら、再現できてる」
空の視線の先に気づいたのか、亜季が声をかけてくる。
「え?」
「…するつもりは無かった。けど、気が付いたら作ってた」
それを背中に聞きながら、空はそっと、扉を開いた。
「…ぁ」
記憶のままの、甲の部屋。
あまりにそのままで、名前を呼べば返事でも返ってきそうだ。
そういえば、この場所だった。
ハウリングに苛まれながら、それでも甲を求めてしまう気持ちを消せなくて。
いつからか、それを受け入れて。嫌われていると思い込んでいたのが、実は違うと判ったときに、それはもう歯止めが利かなくなった。

 ――そら、こお、かえって、くる

唐突に、その言葉が頭をよぎる。
深呼吸して、空は亜季を振り向いた。
「亜季先輩、お願いがあるんです」
「…何?」
驚いた顔の亜季をまっすぐに見据え、空は言った。
「私を、クゥに会わせて下さい!」
「…!?」
頭を下げる空。亜季は驚いて、それから少し考えて。
「…理由、話してくれるね?」
「……数日前にある構造体で、私、クゥに会ったんです。その時に、クゥが私に言った言葉、その真意を聞きたくて」
亜季は、じっと空を見つめる。
「…何を言われたのかは、教えてくれない?」
「それは…、まだ、言えないです」
搾り出すように答えた空に、亜季は小さくため息をつく。
「ハウリングの兆候を感じたら、空に強制離脱をかける。それが条件」
「…え?」
「条件。呑める?」
「…はい」
「ん」
亜季は頷いて、空に手を差し出す。空もまた、亜季の手を握り返す。
「…『移動<ムーブ>』」
電脳の魔女が、呪文を紡ぐかのようにそれを口にし、直後、景色が歪む。
一瞬の後、移動した先は。
「…空、ここに来たことはある?」
「何度か。まこちゃんを追いかけた時だったり、…最初にハウリングを起こした時にも、ここで」
亜季のプライベートスペース。彼女の独特なセンスが具現化した場所。
しつらえた二つの扉を見て、亜季はどこか辛そうな顔をした後、その片方に歩み寄った。
そっと扉に手を伸ばす。
しばらくの沈黙。やがて、かちり、と音がした。
「…おいで」
そう言って、亜季は扉を開けた。入っていく。
空も亜季を追おうとして、扉を潜る直前で足を止めた。
(…ハウリング…、怖いな。でも、知らなきゃ。クゥが言った言葉の意味を)
意を決して、踏み出す。
仮想の草原は、何度か訪れた時そのままの景色だった。
亜季は少し歩いた先で、立ち止まっている。
「…先輩?」
「…? おかしい。クゥの気配が無い」
「え?」
中空に焦点を当てた、電脳の魔女特有の視線。
おそらく、データを洗っているのだろう。
「ずっと凍結してたはず。動けるはずが無い。…どこにいる?」
ぶつぶつと呟いている亜季。おそらく、プログラムを操作して探索しているのだろう。
空はそれを見守って。
「………え?」
亜季の死角になる位置から、こそこそと近づいてくる人影が居た。
空の視線に気づくと、「しーっ」と人差し指を立てる。
亜季は気づいていない。
「あ、亜季先輩、あのー…」
人影は空が亜季に声をかけた瞬間、身振り手振りで必死に「やめて」と伝えようとし始める。
「…ひょっとして、私がいるから会いたくないのかも。あの子、私を恨んでるだろうから」
「あ、あの、亜季先輩」
空の声が届いていない。
人影は、ついに亜季の背中の傍に到着し、思いっきり息を吸い込むと、
「わっ!!」
「うわぁ!?」
いきなり背後で大声を上げた。
驚いた亜季がひっくり返る。
「うわ、亜季先輩!?」
「あははははははっ! 驚いた? 亜季」
お腹を抱えて大笑いする人影、少女。
空に助け起こされながら、亜季はその少女を呆然と見る。
「クゥ…!?」
「あなたね、目覚めて早々いきなり何してるのよ…」
ため息をつきながら、空はクゥを嗜める。
「いやほら、凍結された件はこれでチャラにしようかなー、とか思ったり」
「あのね」
「だって、私が恨んでる、とかナンセンスなことばっかり言うんだもん。あんまり言うから、このくらいしたほうがいいのかな、と」
笑顔でそう言うクゥ。
亜季は呆けた顔でクゥを見て、
「クゥ…、私を、恨んでないの?」
「恨むわけないし、仮に恨んでたとしても今のでチャラ」
にっこりと笑うクゥを見て、亜季は涙を溢れさせ、慌てて目元を拭う。
そこで、ふと気づいたように、亜季は空を見た。
「空、気分は?」
「え?」
言われて初めて、気づく。
リンクは、ある。確かに感じる。
だが、二年前のように無制限に感情が流れ込んでくるようなことは無い。
「ハウリングなら大丈夫。AIも、あのことは本当に反省したから」
クゥは申し訳なさそうな顔で、言う。
ころころと変わる表情。
「…というか、あなた、本当にクゥ?」
二年前のクゥを思い出して、空はふと尋ねてみる。
感覚的な部分では、とっくに空は彼女を自分の分身、クゥだと認めている。
ただ、あまりに人間的に、もっと言うなら、二年前の自分に良く似ていて。
「確かに、あの頃に比べてずっと人間らしくなった。何があった?」
「何かあったって言うか…」
うーん、と悩むクゥ。
「ずーっと夢を見ていた、というか…」
いまいちはっきりと説明できないなぁ、とクゥはぼやき混じりに頭を振った。
空は亜季に視線を向けてみる。
どうやら、亜季はクゥの説明で事情を把握できたらしい。空の視線に気づいて、簡単に説明をくれた。
「模倣体<シミュラクラ>の電子体が凍結されていても、クゥの意識は起きていて、空とのリンクを頼りに外を見ていた。空が見たもの、感じたものをクゥも見ていた、感じていた」
「…それが、夢、ですか?」
「なるほどー、さすが私の生みの親」
同じ顔の二人が、それぞれ驚きと納得の声を上げる。
「というか、あなたは自分のことくらい自分で説明しなさいよ」
「えー、だって何か人間よりになりすぎちゃったせいか、思考がシングルタスクになっちゃってるんだもん。頭がよく回らないの」
「意味判らないわよ…」
そして、一番意味がわからないのは、こんなにも簡単に打ち解けてしまっている自分自身だ。
そういえば、出会った頃に甲に言われた言葉がある。
曰く「あまりに天然過ぎて突っ込みたくなってくるだけだ」と。
(…ああ、なるほど)
非常に不本意だが、納得してしまった。
「空、何か失礼なこと考えてる?」
クゥに半眼で睨まれた。
「別にそんなことは…」
明確な感情や思考は伝わらなくても、ある程度のシンパシーのようなものはあるらしい。
考えた事に鋭く反応したクゥから、空はすっと目を逸らした。
「そういえば、空。クゥに聞きたいことがあるって言ってたけど」
亜季に促され、空は頷く。
「あのね、クゥ。数日前に私に会った時に言った言葉のことだけど」
「ごめん、待って。…そのことなんだけど」
クゥは空の言葉を遮って、申し訳なさそうに、言う。
「…私も、見てた。空が、『クゥ』と会ってるところ」
「え?」
「空が会った私は、私じゃないの。よく判らないけどあの瞬間、水無月空のシミュラクラ『クゥ』は、ここにいる私以外に、もう一人居た」
クゥの言葉に、空は絶句する。
「一人の人間に接続可能なシミュラクラは一つだけのはず。クゥが二人になるなんて事、ありえない」
亜季が自分の知る知識を裏切るクゥの言葉に、慌てて否定の言葉を並べる。
「それはよく知ってるけど…。でも、私はずっとここにいたよ?」
手がかりを求めて来た筈が、余計に妙な謎を抱え込んでしまった気分だ。
頭を抱えそうになる。
ここに来ても何の手がかりも無いのなら、どうすれば『彼』の真実に近づけるのだろう。
甲は死んだのか、それとも、そうじゃないのか。

 ――そ…ら、やば…、に、げ…! ニゲ…ロ…!!

「っ」
蘇りかけた悪夢を振り払う。封じ込める。
そんな空を見ていたクゥが、真剣な顔で亜季に声をかけた。
「…亜季、お願いがあるんだけど」
「何?」
「少しだけ、空と二人にしてくれないかな?」
クゥの言葉に、亜季は空とクゥを見比べる。
空もまた、突然のクゥの言葉の真意を測りかねる。
やがて、亜季は念を押すようにクゥに尋ねた。
「…ハウリングは起きない?」
「大丈夫、それは保障する」
「…なら、わかった」
頷いて、亜季はムーブし、姿を消した。
それを見送ってから、空はクゥを見つめる。
「私に、何か話し…、!?」
唐突に、クゥに抱きしめられた。
驚きと戸惑いで、空は目を白黒させる。
「な、何…?」
「…駄目だよ、空」
静かに、そして、優しく、クゥは言う。
「…クゥ?」
「辛いときは、ちゃんと泣かなきゃ駄目。甲のこと、真のこと、ずっと抱え込んだままじゃ見てて辛いよ」
「…!」
二年前の自分の姿が、静かにささやく。
「私は、あなただから。ここには、空しかいないから。だから、弱音だって今なら言えるよ?」
言葉が、感情の蓋に皹を入れる。
「何、言ってるのよ。私は、別に、弱音なんて…」
「隠さないで。私相手に、隠し事したって意味無いよ」
そう言って、クゥは空の顔を正面から見た。
「私は知ってる。全部、判ってるもの。空が堪えてた辛さも、悲しみも、涙も、全部。だから、我慢しなくて良いよ」
無理やり抑え付けてきたそれが、溢れそうになった。
「っ、だって、私には、泣くより前にやることが…!」
「違うよ、空。…甲が好きだったのは、笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだり、そんな真っ直ぐな、水無月空だったんだから。そんな空を、自分で殺しちゃ駄目だよ」
一つ一つ、引き剥がされていく。
力が抜けて、膝を付く。
「でも…っ、だって…っ」
それでも、涙を堪えようとしてしまう。
感情を抑え付けようとしてしまう。
二年間、ずっとそうしてきたのだから。
「往生際が悪いなぁ、空は」
クゥが体を離して、俯いた空の頭をそっと撫でた。
「うるさいわよぉ…っ」
反論しようとして、クゥの顔を見上げて。
クゥもまた、その頬を涙に濡らしていて。
「っ、ひっく、うぁ…」
「ね、泣いちゃえ、空」
もう一度抱きしめられたら、もう駄目だった。
二年分の悲しさが、辛さが、涙が、全てあふれ出してくる。
「うあぁっぁあああ! こお、まこちゃ…、うぁああ、うわあああああぁぁぁ…!!」
仮想の草原に、空の嗚咽が響いた。



泣きつかれて眠った空に膝枕をして、クゥはその髪をそっと梳く。
「…あーあ、少し痛んじゃってる。綺麗な髪だったのに…」
「んぅ…、うるさぁい、こぉのばかぁ…、ん…」
寝言に、クゥは小さく笑った。
空の寝顔は幸せそうだ。きっと、如月寮の頃の夢を見ているのだろう。
断片的でも、楽しそうな感情が伝わってくる。
辛い記憶と一緒に、幸せな記憶まで封じ込んでいたから。
「…クゥ?」
声をかけられ、クゥは顔をあげた。
「亜季」
「…空、どうした?」
「……泣きつかれて、寝ちゃった」
「そう。…空も、辛かったんだろうね」
そっと、亜季も空を見守るように腰を下ろした。
少しの間の、沈黙。
やがて、クゥが口を開いた。
「ねぇ、亜季」
「何?」
「私、また眠らないと、駄目?」
「……」
「私、空の力になりたい。見てるだけは、もう嫌だよ」
静かな、それでいて強い意志のこもった言葉に、亜季は返す言葉を持たない。
「…駄目なのかな、やっぱり」
「いいえ、駄目ではないわ」
唐突に、その言葉が割り込んだ。
クゥと亜季の前に、ホログラムの姿で聖良が姿を見せる。
「お、おおお、伯母様!!」
無断で凍結を解いてしまったことがバレて、亜季が慌てて立ち上がる。
「…駄目じゃないって…?」
「あなた達を見ていたの。…ありがとう、クゥさん。空さんを救ってくれて」
「え、そんな、救うとか大げさなものじゃ」
恐縮するクゥ。聖良は少しだけ微笑むと、首を横に振る。
「いいえ、あなたはそれだけの事をしてくれた。…亜季さん?」
「は、はい!」
「今すぐ、凍結の完全解除をお願い」
「え?」
亜季とクゥが驚きで固まる。
「伯母様、それじゃぁ…!」
その問いに聖良は頷いて、
「クゥさん、空さんをお願いね」
「…はい!」
クゥは力強く頷く。それから、亜季に目を向けると、
「よかった、クゥ…!」
「うん…!」
嬉しさで涙を浮かべた亜季に、クゥは満面の笑顔で頷いた。
と、聖良は亜季に向き直り、
「ああ、そうそう、亜季さん」
「はい?」
「無断でシミュラクラの凍結を解いたことは別問題よ。ちゃんと始末書を提出すること」
そんな、死神の鎌を振るってみせた。
「そ、そんな、伯母様ぁ…」
「ぷっ…、あははははっ」
がっくりと崩れ落ちる亜季を見て、クゥは思いっきり笑ってしまった。




いつから眠っていたのか、どれだけの間眠っていたのか。
何だか、すごく懐かしくて幸せな夢を見ていた気がする。
そっと目を開ける。
「…ん」
目を覚ますと、そこは寮の居間だ。
体を起こす。
「えっと、何があったんだっけ」
「あ、起きた」
唐突に、声が聞こえた。
一番身近で、それ故に聞きなれない声。そして、だからこそ良く知る声だ。
慌てて声の主を探すと、台所の方からその主が姿を見せた。
「おはよー、空っ」
「…クゥ!?」
びっくりして、素っ頓狂な声が出る。
「な、何で、どうしてここに!?」
「何でって…、空、この如月寮だって仮想だよ?」
どうやら、寝ぼけてリアルと仮想を勘違いしていると思われているらしい。
もちろん、空は寝ぼけていないし、ここが仮想だということも理解しているが。
「そうじゃなくて! その、凍結とかは!?」
「あ、それね、無期延期になったみたい」
にっこりと笑顔で、他人事のように言うクゥに、空は言葉を失う。
と、眠気眼を擦りながら、亜季も居間に入ってきた。
「おはよー…、ごはん、まだ?」
「まっかせて、すぐ作るからっ」
「…ああ、うん…」
台所に行くクゥの背中を見送る空。
何か大事なことを忘れている気がするが。
「亜季先輩、クゥの凍結無期延期、って…?」
「ハウリングが起きない以上、凍結する理由が無い、というのが理由の一つ」
いつも以上にぼんやりした口調で答えつつ、亜季はテーブルの傍に腰を下ろした。
「他にもいろいろ理由はあるけど、とりあえずは、それで…。……すぅ」
いきなり寝息を立てだした亜季。空は慌てて彼女を揺り動かす。
「…って、亜季先輩、いきなり寝ないでください!」
「うう、眠い、お腹すいた…。ご飯食べて寝る…。寝ながら食べる…」
「出来るわけ無いでしょう!? …って、亜季先輩、まさかこの二年でそんな芸当会得してたりしませんよね…?」
「残念ながら未修得…。間違ってお皿を齧っちゃったときに諦めた…」
「挑戦したんですか!?」
二年前ってこんなに突っ込み役に回る立場だったっけ、と疑問に思いつつ。
ふと、亜季が笑っていることに気づいた。
「…先輩?」
「やっと、空らしくなった」
「え?」
「昔もそう。ぐーたらな私や甲を、いつも空が引っ張り出してた」
「…亜季先輩」
「クゥに感謝」
嬉しそうな亜季に、空は戸惑い、台所のクゥを見て。
「……よっし、完成! 見て見て、このわざとらしいコバルトブルー味!!」
無駄に得意げなクゥの姿を見上げ。
それでようやく、忘れていた大事なことに思い当たる。
「…そうよ、私の分身が料理得意なわけ無いじゃない…」
「…そうだった。今日の朝ごはん、無し決定…」
朝からいきなり疲れた気分になり、空と亜季は揃って肩を落とした。
結局、仮想の朝食は普段と変わらない、軍用レーションを分け合うことになる。
「新鮮な味。結構いけるかも」
「…そ、そうですか? 私はもう食べ飽きたんですけど…」
「うー、初めて皆で食べる食事がこんなのなんて…」
三者三様の感想を口にしつつ。


その日、水無月 空は、少しだけ、昔の自分に戻れた気がした。










To be continued ...



[17925] 第五章 旧友 -Dears-  <前編>(一部修正)
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/04/29 23:40

「そ、そらさんがおかしくなったあぁぁぁぁぁああああああああああ!?!?!?」
如月寮の居間で郷愁に耽っていたら、いきなりそんな声が聞こえてきた。
「…今の、レインの声よね?」
空は立ち上がり、ふと、もの凄い嫌な予感に囚われた。
慌てて居間を飛び出し、玄関先へ。
そこにはレインともう一人。
「あああこれはひょっとすると私の至らなさが原因でで空さんのストレスが限界に達して退行を起こしてしまったとかでしょうか私何と言うことを甲さんに何と申し開きをすれば」
「ちょっと…。もう失礼だなぁ、レインは。私のどこがおかし」
「ちょっとクゥあんたこっち来なさい!!」
「うわわわわ!?」
よりにもよってと言うべきか、軍服姿でレインの前に立っていたクゥの腕を引っつかみ、手近な部屋に放り込んで。
改めて、レインに向き直る。
「…あ、あの、レイン、今のはたぶん単なる回線性錯乱<ワイプアウト>だと思うんだけど…」
が、レインは先ほどよりも目を丸くして、
「そ、そらさんが分裂したぁぁぁぁぁあああああああああ!?!?!?」
「ああもう……、どうしろっていうのよー…」
思わず、空は頭を抱えてしまった。









第五章:旧友 -dears-







「NPC、ですか? …この子が?」
軍服姿からいつもの見慣れた服装に戻ったクゥを、しげしげと見つめるレイン。
あれから落ち着かせるまで大変だったのだが、レインとしてもパニックになるのは当然だろう。
何しろ、レインの良く知る水無月空が、一夜明ければ二年前の性格に逆戻りしているのだから。
度重なるストレスで退行を起こしてしまったのか、と本気で考えたらしい。
が、その直後にもう一人水無月空が現れたわけで。
もう何が何だかわからない、とりあえず叫ぼう、というのも無理も無い話ではある。
「信じられません…。どう見ても実体を持つ電子体にしか…」
ようやく落ち着いた頃に、改めて空はクゥの紹介と彼女の事情を説明した訳だ。
あんまりじろじろ見られるせいか、クゥは自分のスカートを抑えて、一言。
「スカート捲ったりしないでね」
「し、しません! 何ですかそれは!?」
あまりに斜め上を行く発言に、レインは慌てて否定する。
「だって、あんまりじろじろ見るんだもん。…雅と始めて会った時にも捲られたし」
「いや、レインと雅一緒にしちゃ失礼だと思うけど」
呆れた様な空の一言。
その一方で、「雅、後でシメる」と物騒なことを考えていたりもする。
とりあえず、レインは一歩間を広げる。妙な誤解をされるのは避けたかったのだろう。
それから、改めてクゥを見て、空を見る。
「それでは、中尉、この子…、クゥさん、でしたか。彼女も連れて行かれるのですか?」
その言葉に、空はクゥをもう一度見る。
「本気なのよね、クゥ」
「うん。そりゃリアルの出来事にそこまで深くは関われないけど、ネットのことなら必ず役に立てるから」
言い切るクゥに、苦笑する。
「だそうよ、レイン。………レイン?」
何故か、レインは呆気に取られた顔で空を見つめていた。
「どうしたのよ、レイン」
「あ、いえ、失礼しました。…空さんの笑っている顔を、久しぶりに見たもので」
「…私、笑ってた?」
何となく、手を自分の頬に当ててみる。
もちろん、そんなことで自分の表情が判るわけが無い。
「ええ。傭兵になってからの空さんは、苦笑すらしませんでしたから」
「そして付いた渾名が鉄面皮、と」
肩を竦める。
二年前の自分を知る友人たちが知ったら笑われる渾名だ。特に、千夏辺りに。
その名前を思い出して、空はふと、背後の如月寮を振り返った。
「…千夏、か」
真はドミニオンに。亜季はアークに。雅はCDFに。菜ノ葉は、所在の詳細は不明だが、清城のどこかでバイト暮らし。
死んでしまった甲を除けば、所在不明なのは千夏だけ。
「空、お客さん?」
と、亜季が奥から姿を見せた。
「ええ」
頷いて、亜季からレインが見えるように移る。
「こんにちは。空中尉の部下で、桐島レインと申します」
「ん、西野亜季。よろしく」
亜季は首だけで礼をして、空に向き直った。
「空、行くんだね?」
「はい。でも、時間が許すなら、また…」
また来ます、と言いかけて、空は口ごもり。それから、別の言葉で言い直した。
「また、帰ってきますから」
「…うん」
亜季は頷く。
レインとクゥを促して、行こうとして。
ふと、思い立ったことがあって、空は亜季を振り返った。
「…先輩、あの、いくつかいいです?」
「何?」
「千夏、どうしてるか知ってますか?」
「…生きていることだけは知ってる。どこでどうしているのかまでは…」
「そう、ですか」
亜季も知らない、千夏の所在。
でも、生きてはいるなら、いつか会えるかもしれない。
それから、本当に聞きたかった事を、問う。
「…先輩、突拍子も無い質問ですけど」
「ん?」
「……甲が、帰ってくると言われたら、亜季先輩なら信じますか?」
その言葉に、後ろで聞いていたレインが絶句している。
クゥは静かに空を、そして亜季を見つめている。
亜季は少し考えて、頷いた。
「信じる」
「…嘘かもしれなくても、ですか?」
「うん、私は信じる。どんな形かは知らない。生き返るのか、生まれ変わるのか、その辺りは判らないけど、私は信じる」
「…なら」
自分も、信じても良いのだろうか。
そんなことを考え、瞬間。

 ――甲君が蘇るならば、それは同時に君が死ぬことを意味しているのだから!

神父の言葉が脳裏を過ぎる。
「…甲が戻ってくるには、誰かが、…例えば、私が、死ななきゃいけないとしても、信じます?」
「それなら、信じない」
あっさりと、亜季は言い切った。
「え?」
「空、甲を馬鹿にしてる? 甲は誰かを犠牲にして喜ぶような子だった?」
「……あ」
その通りだ。
門倉甲という馬鹿は、誰かの為に自分が傷を追うことは許せても、逆は許せないような馬鹿だ。
水無月空が惹かれた、門倉甲という男は、そういう男だった。
だったら。
「…ありがとうございます、先輩」
「迷いは晴れた?」
「少しは。…また、相談に乗ってください」
「当然。私は空の先輩。私は後輩を見捨てたりしない」
優しい笑顔で、亜季は頷く。
空も頷き返して、待たせている二人に声をかけた。
「レイン、クゥ、お待たせ。行きましょ」
「は、はい」
レインとクゥはそれぞれ頷いて。
「レイン、クゥ、空をよろしく」
「まっかせて、亜季」
「もちろんです」
「もう、先輩の方が心配ですって。たまには、リアルに戻ってくださいよ?」
「う、薮蛇。努力はする」



如月寮が見えなくなる頃、レインが口火を切った。
「中尉、甲さんが帰ってくる、というのは、一体…?」
「…ほんと、何なのかしらね。その言葉に従って爆心地行ってみれば、『彼』がいてさ」
背中越しに空が答える。
レインは彼女の背中を見ながら、もう一歩踏み込む。
「…その『お知り合い』という方について、そろそろ教えてはいただけないんですか?」
「あ、それ私」
いきなり、クゥが答えた。
驚いて、レインが隣を歩くクゥを見る。
そのせいでレインは気づかなかったが、空もまた思わぬ発言にクゥを振り返っていた。
「AI経由で『彼』を見つけたんだけど、どういう状態なのか私には判断できなくって」
「そ、そうなのですか?」
「うん。死んだと観測されたものが生きてたんだよ? 矛盾した現象を解き明かすには、人の観測を得るのが一番早いから」
「…それで、空さんに?」
「そーいうこと」
レインにそう答えているクゥを見ていると、別方面で空に向けられた通話が届く。
『と、いうことにしとこ。もう一人の私のことは説明するの大変だから』
『…そうね。でも、いいの? AIは隠し事しないものじゃなかったっけ?』
『人を勉強するなら隠し事する事も覚えなさい、って聖良おばさんに言われたんだけど』
『そーいうものかしら…。…ちょっと待って、それって私にも何か隠してるって事?』
『……べ、勉強中なので大目に見て!』
チャントに似た言葉のやり取りを交わして、空はレインに見えないようにため息一つ。
『いずれ、ちゃんと話しなさいよ?』
『うん。確証を得たら話して良いって言われてるから』
誰に、とは聞かなかった。
人間のようになってはいるが、やはりクゥはAIの端末なのだろう。
もともと、聞かれれば答えるのがAIの基本スタンス。それ故だろうが、クゥは隠し事が非常に下手らしい。
前後の会話を総合すれば、クゥの凍結が解除されたもう一つの理由も見えてくる。
おそらく、聖良がクゥに何かを頼んだのだろう。それは、空には今現在教えられない類の事。
空ではなくAIの端末であるクゥに頼んだということは、彼女でなくてはならない理由があるということか。
(どこもかしこも謎だらけね…)
そんなことを考えていると。
「そういえば、あのレーションって酷い味だよねぇ…。初めて物を食べるって事やったけど…」
「え? クゥさん、ひょっとして今まで食事ってしたこと無かったんですか?」
「うん。二年前はそこまで成熟してなかったし、それ以降はずっと凍結されて寝てたから」
レーションの味を思い出したのか、喉の辺りをさするクゥ。
「あのコバルトブルー味を食べるよりはマシだったと思うけどね」
「…ふーん、そーいうことを言うんだ、空は」
にたぁ、と何か不吉な笑みを浮かべるクゥ。
何を言うつもりだ、と身構える空。
クゥはレインに近寄ると、耳打ちするように、
「レインさ、空の料理の腕って知ってるよね?」
「え? …ええまぁ。私も人のことを言える腕ではないですが…」
料理の話題はレインにしても少々耳に痛い。が、クゥは本題はそこではないとばかりに続ける。
「そんな空の手料理を、なんと完食してのけた人のことは聞いたことある?」
「ええ!? そ、そんな方が!?」
「わ、わあああああああああ!? ちょ、ちょちょちょっとクゥ、あなた何言う気よ!?」
とにかくヤバイと思った。
後にも先にも、空の失敗料理を完食してのけた人間なんて、彼しか居ない訳だし。
しかも当時のクゥと自分には、今のリンクと違って制限無し。
ということは。
「空ってばさ、自分の失敗料理を無理して食べてくれた優しい彼に、実はかなりキュンってしちゃってたのよねー」
「まぁ…」
クゥとレインの目に晒され、空は後ずさる。
「そうですか…、やっぱり甲さんは優しい人なんですね」
「だ、誰も甲とは言ってないじゃない?」
悪あがきと自覚しつつ、空は言う。
「いえ、判ります。そうですか、そんなことが…」
「ね、微笑ましいでしょ?」
「ええ、ほんとに」
何だかしみじみとしているレインである。対して、クゥは相変わらずニヤニヤと。
何だか腹が立ってきたので、空も切り返しをかける。
「そ、そういうクゥだっていろいろあったでしょうが。私知ってるわよ? 成長途上なのを良いことに、甲にべったりくっついて」
「うっ!? い、いやそれは何というか子供が親に甘えるみたいな感覚で!?」
「『はぐ~♪』なんて甘えちゃってさ」
「わああああああ!?」
立場逆転。二年前の黒歴史のあばき合いとなる。
「あーそうか! 一時変な夢見たって思ってたけど、浜辺で甲の前で裸になる夢見せられたのは、あれクゥのせいね!?」
「うわああ!? な、何てこと思い出させるのよ空は!? そ、そういう空だって、甲の顔にお尻乗っけたりしてたでしょ!?」
「あ、あれは事故、事故だもん!!」
現実と仮想に分かれた双子の口喧嘩。それがどんどん妙な方向へ加速していくのを、レインは微笑ましく見守っていると。
ふと、双子の視線が同時にレインを捕らえた。
「な、何ですか?」
「何かレインだけ他人事みたいなのってずるいと思わない? クゥ」
「思う」
「あ、あの?」
突然矛先が向いたことを察して、レインの頬に冷や汗が流れる。
「…甲の靴箱にパンツ入れてたわよね、レイン」
「!?」
レインの表情が罅割れた。
「な、なななななななぁ!?」
「その後は甲の靴をチョコまみれに」
今度はクゥ。
「や、やめてー! やめてくださいー!? 人の黒歴史掘り返さないでー!!」
耳を塞いでぶんぶんと首を振るレイン。
「と、というか、靴箱に置くように言ったのは空さんでは!?」
「それだけは一回も言ってないわよ!? 大体、靴箱に置いたらあの馬鹿の靴の匂いが移って酷いことになるでしょ!?」
空としても、確かに当時いろいろ間違った計画を立てた覚えはあるが、それだけは勧めていないと断言する。
横で聞いていたクゥが、首を傾げた。
「そもそも、レインは何で靴箱に?」
「え?」
ふと我に返って、レインは冷静に記憶を辿ると。
「…真さんに、言われた覚えが。確か…、恋愛小説のお約束だとか?」
「ま、まこちゃん…」
あの頃の真なら、確かに言いそうだと思う。
そこまで思って、空は。
「…」
ふいに、言葉を無くした。
「空?」
「…空さん」
レインとクゥの二人は、そっと彼女の顔をうかがう。
「…ごめん、ちょっと…」
大泣きして、少しは吐き出せても、それは全部じゃない。
今も傷は癒えないまま、血は流れ出るままで。
空の悲しみが伝わってきてしまったのだろう。クゥが黙って、彼女の手を握る。
甲の話。真の話。
幸せだったあの頃。
大切な思い出。
(…きっと、もう戻れない)
そうして、空は思い出を振り切ろうとして。
ふと、気づく。
(……きっと?)
それは、確定していない言葉。
戻れないかもしれない。でも、絶対じゃない。
亜季は言った。信じる、と。
「…空さん?」
空の様子が変わったことに気づいたのだろうか。
レインがおそるおそる、声をかける。
「…いつから、私、諦め良くなっちゃってたんだろう」
「え?」
「…まだ、決まったわけじゃないんだ。私が決め付けてただけ。…まだ、頑張る余地はあるはずなんだ」
自分に言い聞かせるように。
決意を確かめるように。
一つ一つ、口にする。
「ねぇ、レイン」
「は、はい?」
「もし、甲が今の私と同じ境遇だったら、どうするかな?」
それは、ずっと口に出来なかった、意味の無い問い。
でも、本当は意味がないんじゃない。
「…それは、空さんが一番知っているのでは?」
レインの答えに、空は頷く。
「…そうね。うん。あいつ、馬鹿だからね」
少しだけ笑みを浮かべながらそう言った。
それから、空は顔を上げた。
(甲が、帰ってくる、か…)
後ろ向きではなく、前を向く為に。
一生懸命生きた先に、甲と出会える未来があるかもしれない。
亜季の言うように、どんな形かは判らなくても。「彼」が甲として目覚めるにしても、そうでないにしても。
辛さとか悲しさとか、空の心を押し潰していたそれらを大泣きして多少でも吐き出してしまえば、水無月空本来の真っ直ぐな思いが顔を出す。
根拠の無い希望を信じられるほど子供ではないけど。
でもいつか、また甲に出会えるときに、胸をはれる自分である為に、もう一度前を向こうと。
その横顔を見て、レインはやっと、あの頃憧れた空が少しずつ戻ってきていることに気づいた。
クゥは安心したように肩の力を抜き、空の手を離した。
漠然とでも、空の心の流れを感じていたのか。空はクゥに視線だけで問いかけると、彼女は困ったように笑うことで肯定した。
クゥに心配をかけていた事を恥ずかしく思い、改めて空は一つ頷くと、
「ん、よしっ」
気合を入れるように、一声。
「空さん?」
「うん、少しは前を向かないとね、って思ったとこ」
「…そう、ですね」
彼の死に囚われていることは否定できなくても。
レインは、躊躇いがちに頷く。
そんなレインを少し困ったように見て、空は彼女の胸元を指差すと、
「甲に自殺の手伝いさせたら許さないわよ?」
「え? …ええ!? 空さん、これのこと、ご存知で…?」
驚くレインに、空は苦笑する。
「何となくね。あのクリスマスの前後から付けだして、大事にしてたし…」
「…空さん、あの」
「指摘したら返すって言われそうだったし。私には、あれがあるしね」
言って、空は先に歩き出す。
「あ、ちょっと、空!」
「空さん!?」
慌てて追いかけるクゥとレイン。
「で、でも…」
「だったら、お願い。それはレインに持っててほしいの。…私ばっかり甲の形見持たせられたら、潰れちゃうよ」
どこか困ったような笑みを浮かべて、空はレインを振り返った。
「ずっと私と一緒に戦ってくれるなら、それも分かち合ってほしいな」
「…空さん」
「だから、先走ったりしないで、困ったときは私を頼ってよね? 親友さん?」
暗に、勝手に死ぬなど許さない、と言われて、レインも苦笑する。
「了解しました、親友さん」
どれだけ暗い物を抱え込もうが、水無月空は水無月空。桐島レインは、いつも彼女には適わない。
けれど、それでも良いと思う。
レインが降参の声を上げて、しばらく黙っていたクゥが口を開いた。
「仲直りってとこかな?」
「いえ、別に喧嘩をしていたわけでは」
レインがそれに反論しようとして、ふと言葉を失う。
「…いえ、そうですね。喧嘩ではなくても、あのクリスマスの日からどこか距離を置いていたかもしれません」
その最たる理由、門倉甲のことを、特に。
それを思って、空はクゥを振り返った。
「…クゥ、あなた、ひょっとして甲の話題振ったの、わざと?」
「まさか! 空、自分が計算して口喧嘩吹っかけるような性格してると思う?」
自虐になるが、そこまで自分は計算高くない。
となれば当然、シミュラクラのクゥにだってそんな性格はしていない。
「けど、二人が甲の話題避けてるのは知ってたから…、少しは意図的なものはあったかも?」
自分でもよく判らない、と言いたげなクゥを見て、空とレインは顔を見合わせ。
揃ってため息をついた。
「ま、いいか」
「そう、ですね」
「結果オーライ、ということにしとこっか」
何はともあれ、二年越しに親友に戻れたのだ。
気が付けばムードメーカーのようや役割になっているクゥに、空は言葉にはせず感謝する。
そうして、アーヴァルシティのログアウトポイントまで戻ると、空とレインはクゥを振り返った。
「それじゃ、クゥはここで待ってて。基地に戻ったら、フェンリルのCICにアクセスできるようにしてもらうから」
「うん、わかった。甲のお父さんと会うの初めてだし、ちょっと楽しみ」
「さっきみたいな悪戯しないでよ?」
「本当に…。心臓に悪いですから、あれ」
そんな会話を交わして、離脱プロセスを起動する。
「何かあったら連絡するから」
「うん。こっちでも、ネットに異変があったらすぐ教えるね」
「クゥさん、私にも連絡いただけますか?」
「まっかせといて」
離脱する二人を手を振って見送って、クゥは振り返る。
「…あ、甲の」
甲を模したNPCが、じっとクゥを見つめていた。
ふと、クゥは思い立って、そのNPCのIDをチェックしてみる。
「…!?」
「橘聖良の頼みは、僕を探すこと。違う?」
「…あなた、オブサーバー…!?」
表情に乏しい、それ故に作り物とは違う、自分の表情を持つNPC。
「…あなた、甲の、シミュラクラ…」
「……」
オブサーバーは、クゥをじっと見つめ、やがて、口を開いた。
なのに何を言ったのか、クゥには理解できなかった。
何故なら、突然彼女の意識が暗くなっていったから。
「え、あれ…?」
戸惑いながら、理解する。
ああ、これが、人間の「気を失う」って言う感覚なのだと。



一瞬何か負荷を感じ、空はよろめいた。
「っ」
アーク本社の現実側の廊下。バランスを崩し、その壁に手をつく。
「な、何…?」
眩暈というよりは、ノイズ。
目を擦り、改めて開く。
目の前に、巨大なウィルスがそびえている。
「!?」
驚く空とは対照的に、その体は勝手にそのウィルスに飛び掛る。
いつの間にか、その体は鋼に包まれていて。
(シュミクラム…!?)
ログアウトしたはずなのに。
いや、それどころか、自分の意思に反して体が動いている。
両手に構えたブレード。降り注ぐレーザーとミサイル。その中をかいくぐり、巨大なウィルスに挑む、自分の意思を離れたカゲロウ・冴。
(何なの、これ…!?)
そのカゲロウ・冴に、突然伸びる鎖。その鎖の先に結ばれた機雷。
(…まずい!?)
カゲロウ・冴もそれに気づいて、回避を取ろうとする。しかし、間に合わない。
爆発をもろに喰らい、吹き飛ばされる。
体は意に反して動いているくせに、痛みは自分にも襲い掛かってくる。
(つぅっ!? この、何でも良いから、私の言うこと聞きなさいよ、冴!!)
なのに、カゲロウ・冴は空の意思に従わない。
体のあちこちに損傷を追いながら、それでも立ち上がる。
巨大なウィルスと、チェーンソーを武器とする黒のシュミクラム。
(神父…!!)
今の攻撃は、神父のそれか。
と、先ほどのダメージのせいか、カゲロウ・冴の膝が折れる。
明らかな隙。神父が飛び掛り、巨大なウィルスが宙を舞う。
(…あ)
回避できない。
そんな絶望感に襲われ。
そのカゲロウ・冴の前に、何かが飛び込んできて。
「…空さん!?」
レインの叫び声に、唐突に引き戻される。
「…あ」
「空さん、大丈夫ですか!?」
いつの間にか、廊下に座り込んでいる。
目の前には、心配そうなレインの顔が。
白昼夢、と言う単語が頭を過ぎる。夢だと気づいた瞬間、安堵のため息と、恐怖の冷や汗とが同時に溢れた。
額に滲むそれを手で拭いとり、レインに頷く。
「ごめん、大丈夫…。何だろ、今になって、論理爆弾のショックでも来たのかな」
「ノイ先生に見てもらった方が…」
「そうね…。その方がいいかもしれない」
頭を振って立ち上がり、ふと、白昼夢の最後に現れた「何か」に思いをはせる。
(…カゲロウ?)
白と青に縁取られた、空のカゲロウ・冴のベーシックモデル。
その背中が見えた気がしたのだが。
(…前にクゥとリンクして見た夢みたいね。あの時は、無名都市だったっけ)
あの夢は今もリアルに覚えている。
千夏を庇おうとして生身でシュミクラムの前に飛び出した時の恐怖と。
二人をを守る為に飛び込んできた、甲のカゲロウの背中を。
郷愁に耽りかけ、空は改めて頭を振った。
「とりあえず、ノイ先生に見てもらうのは後。一先ずフェンリルに顔を出さないと。クゥも待たせてるし」
「大丈夫ですか?」
「当面は問題ないと思うわ」
とりあえず問題ないと判断して。
ふと、気になってクゥとのリンクを確認してみた。
(…? 何だろう。何か…?)
言葉に出来ない違和感を感じたが。
(気のせい、かな…?)
結局、その違和感については胸のうちで首を捻るに留まった。



「…クゥ、クゥ!?」
亜季の腕で揺り動かされ、クゥは意識を取り戻す。
「…亜季?」
「よかった…。どうしたの、一体。何があった?」
心配そうな亜季に見つめられ、クゥは記憶を辿る。
だが、AIの端末にあるまじきことに、自分に何が起こったのかがさっぱり理解できない。
「…なんだろ、わかんない。探し人に会った気がするんだけど…、よく覚えてない…。うわ、何このタスクのエラーログ」
セルフチェックをしてみると、酷い量のエラーメッセージがログを埋め尽くしている。
その後、修復もきちんとされているようだが。
「うー、気持ち悪いなぁ。亜季、私のエラー直してくれた?」
「? 違う、私じゃない。私、今来たところだから。この周囲のプログラムで凄い量のエラーが出たって、叔母様に言われて」
「…じゃあ、誰が直してくれたんだろ…? …?」
ふと、エラーログの最後に、妙なメッセージが残っていた。
(…何これ?)

 <クゥ、ごめんね>

ただ、それだけのメッセージ。
けれど、不気味さよりも悲しさを感じたのは何故だろう。
(…よくわかんないけど。でも、もう一度会わなきゃ。甲のシミュラクラ…オブサーバーに)








To Be Continued ...



[17925] 第五章 旧友 -Dears-  <中編>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/05/03 00:05



「遅かったな」
フェンリルベースに戻ると、少し不機嫌そうなシゼルに出迎えられた。
「また具合を悪くしたそうだが?」
いかにも「体調管理がなっとらん」と言わんばかりの視線に、空はレインを恨めしげに見て、
「申し訳ありません、少佐」
一先ず、素直に頭を下げる。
その態度にとりあえず溜飲を下げたのか、シゼルは手振りで付いて来い、と合図する。
「どうもきな臭いことになってきた。米内の名は知っているな?」
「反AI派の議員ですね? 現市長の阿南の対立候補の筆頭でもあったはずですけど」
「その通りだ。それが今日になって突然政治集会を開くらしい」
空は眉をひそめる。レインもすぐに状況を分析した。
「…あの構造体は阿南の私物のようでした」
「ドレクスラーの連中を阿南が匿っていたことも、エディは掴んでた。もし、エディ以外の誰かが同じ情報を掴んでいたら」
そして、その人物が即物的な、金銭を重要視するタイプならば。
間違いなく、阿南の政敵に情報を売りつける。
そのことに思い至って、空とレインはシゼルの背に視線を向けた。
「そうだ。おそらく、米内は阿南とドミニオンに繋がりがあったことは掴んだ筈だ」
振り返らないまま、シゼルは二人の推測を肯定する。
その会話を交わしながら、フェンリルの作戦室へ入る。
「おう、来たな、嬢ちゃん達」
「遅れて申し訳ありません」
「ま、遅刻じゃないだけマシだ。それに…」
作戦室で待っていた永二は、モニターに浮かぶ聖良に目を移す。
「小母様?」
『皆さん揃ったようね。永二さん、よろしいかしら?』
「俺としちゃ、いまいち承服しかねますがね。何だってクソッタレな議員の護衛をせにゃならんのか」
状況が判らない空とレインの為に、文句も兼ねて簡単に状況を説明したのだろうが。
「それは、米内議員をガードしろということですか?」
レインが確認するように、聖良に質問した。
『誤解しないで。米内議員自身が最終的にどうこうなるのは構わないわ。ただ、彼がある情報を握っている可能性があるから』
「そいつは一体何なのか、くらい聞かせてほしいとこなんですけどね、聖良さん」
『そうね。…南米の片割れ、と言えば、判るかしら?』
「…っ」
永二の顔が引きつり、一瞬確かに空を見た。
「…米内の野郎が、あの子に関わってるって言うんですかい?」
『その可能性がある、というだけですけど。それを確かめないうちに消されるのは、少々困るというだけね』
永二と聖良の間でだけ通じる符丁なのか、その場で聞いている多くのクルーは理由が飲み込めていない。
だが、永二がため息混じりに頭を掻いた時点で、彼が不本意ながらその依頼を飲むつもりなのは判ったようだ。
「あの、小父さん、どういうことですか?」
一瞬でも向けられた視線。それが「南米の片割れ」に、自分が関わっている事を示しているように思えて、空は問いかける。
「…あー…。とりあえず、今は聞かんでくれると助かる」
「…はぁ」
当面、話すつもりは無い、と言うことだろうか。
『別に片手間で構わないわ。フェンリルの立場に悪影響を及ぼすようなら、遠慮なく見捨てて撤退して』
「わっかりましたよ、ったく。米内議員のガード網を洗い出せ。んで、要所を補うぞ」
指示を出し始める永二。
「大佐、我々は演習に入ります。急造でも何もしないよりはマシでしょう」
「おう。モホーク、お前も行け」
「了解」
どうやら自分の用件を話す暇がなさそうだ。
空は内心ため息をつきつつ、クゥに意思を飛ばす。
『クゥ、ちょっと』
『うー、なにー?』
『…どうしたの? 何かぐったりしてるみたいだけど』
明らかにクゥの返答に力が無い。
『あー…ちょっとエラーが…』
『エラーって、大丈夫なの!?』
『うんまぁ、ちょっと疲れてるだけ…。それより、空のほうには影響なかった…? 突然リンク切れたりとか』
『え?』
ふと思い返すのは、あの時の白昼夢。
『…うん、詳しいことは後で話そう? とりあえず、こっちに来てもらう件だけど、演習終わってからになりそう』
『うん、わかったー…。私も調子戻るまでもう少し休みたい…』
『わかったわ。…無理しないでよ』
仮想側の妹の具合の悪そうな声に後ろ髪を引かれながら、空は演習へ入る。



目の前で、シゼルの機体が身構えている。
空もブレードを構え、戦闘態勢に入る。
『今日の訓練の最終メニューだ。中尉の全力を確認する』
シゼルの言葉に、空は頷く。
傭兵協会でも凄腕と呼ばれる程の腕を持つ、水無月空。
その手の内の全てを知るものは、ほとんどいないと言って良い。
唯一、相棒のレインだけがその奥の手まで知っているだけだ。
だがこれから先フェンリルで行動する以上、自分がどの程度の力があるのかははっきり示しておかねばならない。
『中尉、お気をつけて』
「心配しないで、レイン」
言いながら、空は深呼吸する。
『では行くぞ、オープンコンバット!!』
シゼルのその声を合図に、二機が動く。
フェンリルベースの演習用構造体、通称狼の庭は、多くの障害物に遮られている。
(…クリティカルアローは使い辛いかな)
何より、シゼルも永二を除けば、このフェンリルで一番の凄腕。
そう簡単に当たってくれるとは思えない。
両手の多様な可変性を持つ双葉刀。空自身もその全てを使いこなせているとは言いがたい、カゲロウ・冴の基本兵装を水平に構える。
「いけっ」
繰り出されるのは、深紅の衝撃波。
軌道は水平にしか飛ばないが、この衝撃波には切り札のクリティカルアローにすら無い、特殊な性質を持つ。
シゼルの機体、フレスベルグが、障害物を盾に衝撃波を避けようとする。だが、
『何!?』
とっさにシゼルは機体を空中へ踊らせた。
この衝撃波は、威力こそ低めだがあらゆる障害物をすり抜ける。
意表を付かれながらも回避するシゼルは、やはり凄腕の名に恥じない腕ということか。
空はすぐさま空中のシゼルを捕らえるべく、機体を宙へ躍らせる。
が、シゼルがとっさに繰り出した数本の投げナイフに阻まれる。
初動を阻まれ舌打ち、僅かに怯んだ空の隙をシゼルは逃さない。
サーチダッシュで真っ直ぐに突っ込んでくる彼女、空はブーストで旋廻しながら背後に回り込む。
それに応じるようにシゼルはブーストを切り替え、同じ距離を保つように向き合うように旋廻。
ほぼ同時に、シゼルはダブルサブマシンガン、空は左の弓を構え、連射。
互いの中央で火花が散る。刹那。
『はぁぁぁぁぁああああああああ!!』
一気にシゼルが踏み込んできた。
「っ!?」
予想外の行動に、空はブーストを使って間合いを開こうとする。
だが、振り切れない。それどころか。
(追いつかれた!?)
『戦場の厳しさを、思い知れ…!!』
瞬間、四方八方からシゼルの繰り出す斬撃が襲い掛かる。
「っ!?」
三撃目まではブレードで捌けたが、四撃目が肩を掠め、五撃目がまともに入る。
続いて六撃目、七撃目。
「くぅぅ!」
事ここに至って、技のからくりを理解する。
チャージしたフォースを使い、通常を超えた挙動を可能にした。
今のが、恐らくフレスベルク特有のフォースクラッシュ。
大きなダメージを受け、空のカゲロウ・冴が膝を付く。
(損傷、結構厳しいな。とんでもないもの貰っちゃったか)
だが、まだ動ける。
シゼルもそれを察している。止めとばかりに突っ込んでくる。
が、空はその身を空中に躍らせる。
その身を反転させ、真下のシゼルとその周囲に狙いをつける。
「黙ってやられるとっ…!!」
『いかんっ』
フレスベルクが離脱するより、空の攻撃のほうが早い。
まるで撒き散らすように、シゼルの周囲に青白い光の矢が飛び散り弾ける。
機動性重視のフレスベルクの足を封じるための一手。
機雷のような矢が消え去るより早く放熱を追え、もう一度空中へ。
発光体の電磁場を飛び越えようとするシゼルの前に回りこむ。
シゼルもそれを読んでいたのだろう。すぐさまブレードの抜き打ちを仕掛けてくる。
空もそれに打ち合うように、ブレードを繰り出す。
空中で数度に渡るのブレードの打ち合い、弾き飛ばされるように両者が離れ。
離れると同時に、矢と銃弾が交差する。ブーストで両者共に回避。
シゼルは放熱の為、一度間合いを取ろうとし。
空は逆にシゼルに詰め寄る。
オーバーヒート間近なのはお互い様のはずだ。
意図を読めず、シゼルはさらい間合いを開こうとして。
空は、その間合いを一瞬で潰す。
まるで、先ほどの光景の反転。同時に、シゼルも空が何をしようとしているのか理解する。
『まさか!?』
「さっきの、お返しです…!!」
両腕に握るブレードを上下から掬い上げるように繰り出す。
両のブレードで捕えた瞬間、カゲロウ冴はフレスベルクの真上に移り、その身を回転させる。
「たぁぁぁあああああああ!!」
サイクロンブレイク。溜まった熱量の分だけ、その全身で真上からドリルのように相手を削りぬく大技。
『ぐうううぅぅ!!!』
先ほどの空のように何撃かを回避することは、この技に対しては難しい。
大きなダメージと共に、空の機体が離れ、シゼルの機体が倒れこむ。
すぐさま放熱処置。放熱を終えると同時にシゼルがよろめきながら立ち上がる。
『つっ、ふふ、やるじゃないか、中尉…!』
「少佐も…」
シゼルはなおも構える。空も応じるようにブレードを構え、
『そこまでにしてくれたまえ、空君』
思わぬ声に乱入された。
「…ノイ先生?」
空が声をかけると、フェイスウィンドウにノイの意地悪げな笑顔が浮かぶ。
『の、ノイ!? 何でお前が訓練に割り込む!?』
『なぁに、愛しい愛しい私のシゼルがこれ以上傷つくのが耐えられなかっただけだよ』
「え?」
思わず、空は目の前のフレスベルクを凝視する。
「い、愛しい…?」
『黙れノイ…! そもそも何のようだ!?』
半分焦ったように、シゼルはノイの真意を問い質そうとする。
対するノイはすっ呆けたような顔をすると、
『ああそうだ、忘れていた。空君、君に経過報告だ』
「経過報告?」
『うむ。『彼』の診察の途中経過だ』
その言葉に、空はフェイスウィンドウに噛付くように詰め寄った。
「結果が出たんですか!?」
『待て。まだ途中だと言ったぞ?』
「あ…」
『とりあえず、訓練はそれで終わりだな? 後で作戦室に来てくれ』
ノイのフェイスウィンドウが消え、何となく間を外された二人はとりあえず構えを解く。
「えっと、この場合、勝敗とかは…」
『…引き分けにしておいてくれ』
「…了解」
その言い方では、シゼルのほうが負けていたような形だが。
空としては、別に決着を付けなければいけないようなものでもない、というのが本音ではあった。
とりあえずはログアウトし、レインとモホークと現実側で合流。
慌しく作戦室へ戻ると、モニターには既にノイの姿が映っていた。
待っていたのだろう永二が、四人の到着を確認して、モニターに視線を移す。
「で、ノイよ。全員揃ったわけだが、そろそろもったいぶらずに教えてくれ」
永二の言葉に、ノイは頷く。
『もちろんだ。その為に集まってもらったわけだが、同時に頼みたいこともあってな』
「頼みだぁ?」
胡散臭そうに、永二がノイを見る。
シゼルも同様だ。
『うむ。まぁ、それは後で話そうか。では、最初に…』
ノイが資料を出した瞬間、クルーの一人が声を上げた。
「大佐、米内に動きが!」
「…おいおい、何つータイミングだよ」
『何だ、仕事か』
ノイが拍子抜けした顔で見ている。
「あ、あの、ノイ先生、要点だけでも!」
少しでも判断の材料が欲しい空が、ノイに詰め寄る。
「中尉、半端に聞いても混乱するだけだ。後の作戦に差し支えるぞ」
だが、シゼルに止められ、項垂れて諦める。
頭を掻いていた永二が、ため息を一つつくと、
「ノイ、話はまた今度だ。フェンリル動くぞ、適当にな」
「「「了解!!」」」
その場の全員が唱和し、作戦室内が慌しくなる。
『ふむ、仕方ない。作戦終了後に連絡をくれ』
「ああ、わかった」
頷いた永二を確認して、ノイの姿を移していたモニターが閉じる。
「作戦内容っつってもたいした事じゃない。リアル側で米内の動きを観察しつつ、ネットに目を光らせる程度だ」
とても本腰を入れているように思えない概略に、レインが怪訝そうに尋ねた。
「今消されるのは困る、と言われていたようでしたが?」
「だからと言って、俺たちが米内と繋がりがあるように思われるのも困る」
苦虫を噛み潰したような永二の表情。
「消されちゃ困るが、現時点じゃ致命的なもんでもない。米内自身が生きてなくても、後々奴のデータベースでも漁れば良いしな。ついでに言えば、守らにゃならんほどの君子でもない。っつーよりむしろありゃ小悪党だな。守った礼に欲しい情報が貰える訳でもない。ぶっちゃけ労力の無駄だ」
「まぁ、その辺りは概ね同意しますが」
酷い言い方だと思いつつ、否定する材料も無い。
シゼルが代表で答え、空やモホークも頷く。
「一応、主要な狙撃ポイントはある程度抑えてあるが、清城のスラムはちょっと腕が立つスナイパーならどこからでも撃てちまうからな…。ったく、危機管理がなってねぇ」
「大きな獲物を前に焦っている。上に立つものとして三流以下だ」
モホークが手厳しく評価する。
「その情報が大事なら、むしろ仮想側からこの機に乗じて確保しますか?」
「…嬢ちゃん、なかなか過激なこと言うな」
レインの言葉に、永二も不敵な笑みを浮かべる。
「が、そいつぁまた今度だ。政治集会中の奴浚ってもすぐ足が付く」
「確かに。米内の裏にはGOATも控えていますしね」
そう言いつつも、レインはいくつかのプランは検討していたようだ。
いつの間にやら、悪の集団の悪巧みのような雰囲気になっている。
「ま、とりあえず適当に様子見だな。んで、俺らの監視網に引っかかるようなら止めりゃ良い」
「下手に表立って止めると、暴動の的になりかねんしな、あの場所は」
シゼルが補足し、空とレインが頷く。
「うっし、それじゃ動くぞ。用意は良いな?」
永二はそう言うと、主要メンバーを見回した。全員が頷く。
「んじゃ、出発だ」
相変わらず気乗りのしないまま、永二の号令が出たのだった。



『クゥ、聞こえる? 具合は?』
『あ、空? 何かリアル側、ちょっときな臭くない?』
『ちょっとね。で、質問に答えなさい』
『あ、具合は大丈夫。もう完璧!』
元気一杯と言いたげなクゥの返答を受け、空は少し考えると、
『なら、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど』
『どんなこと? 私に出来ることなら何だってするよ。その為に来たんだから!』
『ありがと。それじゃぁ…』
周辺を確認する。
目立たない所で米内議員の演説台を確認する。
永二やシゼル、モホーク、そしてレインと共に、裏路地の入り口辺りから状況を確認している状態だ。
現状、現実側で急な行動は必要なさそうな状況。
ならば、と、空はレインを横目で捕える。
『レイン、クゥに繋いで』
『え? あ、はい』
すぐにチャントで指示を出す。
セカンドであれば、例え端末が無かろうがネットの動きくらいはチェックできる。
サポートのレインならば、前衛タイプの空よりもより詳しく見れるだろう。だが、ネット内で活動する電子体程には情報を回収できない。
ならば、常にネット内にいる電子体と情報を共有すれば。空が考えたのはそういうことだ。
『クゥ、レインの指示に従ってもらえる?』
『ネットの状況を確認するのね? おっけー、レイン、どこから見れば良い?』
『そうですね…。まず、米内周辺のアクセスポイントを』
レインが指示を出した瞬間、あっという間にアクセスポイント周辺の構造図が転送されてくる。
『…早いですね』
『腐ってもAIの端末だからね、このくらいは朝飯前。とはいっても、サポートは初心者だからレインに指示貰わないと…』
『わかりました』
レインの指示をすぐさまこなしていくクゥ。
二人の手で本来解析に相当時間のかかるはずの構造図と周辺の電子体の動きが手に取るように判る。
「人を集めすぎだな…」
その横で、永二が渋面でぼやいている。
「…何かあれば、すぐにでも暴動が起こるだろう」
「暴動を抑えるはずのCDFは阿南の手の内だ。おそらく、まともな動きは期待できまい」
モホークの言葉に、シゼルが答える。
と、空がずっと何か考え込んでいる様子なのを見て、永二が声をかけた。
「…嬢ちゃん? さっきから黙りこくって、どうした?」
「ええ…。レイン?」
「はい、情報出揃いました。共有します」
レインから共有された構造図周辺の動きを見る。
「…おいおい、この短時間でこの解析度ってどういう裏技だ…?」
「…それなんですが」
空は少し苦笑して、米内の動きを一瞥する。
演説台の上はマイクの調整を行っている段階だ。おそらく、間もなく始まるだろう。
「詳しい説明は後にしますけど、星修時代に私の代理人<エージェント>として動いてくれてたNPCの手を借りたんです」
「NPCだと?」
「はい。名前はクゥ。アーク本社に行った時にまた協力を頼んで、今も構造体周辺を確認してくれてます」
「そりゃ、まさしく裏技だな…」
永二に評され、空はまた苦笑いする。
確かに、自分以外の誰もこんなエージェントなど持っていないだろう。
『空、動いた! 何かいる!』
突然、クゥの声が響く。
データの共有中だったせいか、永二やシゼル、モホークにも聞こえたらしい。
『何だ、今の声がそのクゥって子か!?』
『うわ!? いつの間にデータ共有してたの!?』
どうやら、共有中だったことにクゥ自身が気づいていなかったらしい。
シングルタスクで頭がよく回らない、というのはどうも本当らしい。
『話は後! クゥ、その何かのデータ回して! レイン、解析お願い!』
『う、うん、判った』
『了解!』
『手伝おう』
『お願いします』
共有するデータに、シュミクラムの反応が混じり始める。
『十中八九、米内へのマインドハックを狙っていますね』
『そろそろ演説が始まるな…。どうしますか? 大佐』
『大掛かりには動きたくねぇが…』
レインとシゼルの状況報告に、永二が少し考え込む。
『一先ず、軽くかく乱してやるか。空嬢ちゃん、行けるか?』
『はい』
『よし、それとモホーク、援護に回れ。レイン嬢ちゃんは引き続き、クゥって子と協力して解析』
『『『了解』』』
『俺とシゼルはガードに回る。無理はするな。別に意地でも守らにゃならん相手じゃない』
『わかってます。クゥ、小父さんの指示をよく聞いてね』
『大丈夫、まっかせて』
仮想の妹の自信たっぷりの声に後押しされ、空はネットへダイブする。
(無線のシュミクラム戦か…)
可能な限り有線で、という教えがあるが、今回はその限りに無い。
若干の不安を押し殺して1と0の海を潜り、空はシュミクラムを纏ってアクセスポイントへ降下する。
次いでモホークの機体、メギンギョルドが着地する。
「モホーク、よろしくね」
『うむ』
アクセスポイントの円形のフィールドの只中。
レインからの報告が入る。
『敵シュミクラム部隊の解析完了、ドミニオンに偽装していますが、別の部隊です』
「どこか判る?」
『…非正規の傭兵部隊のようだな』
『覚えのある機体が混じっています。見たくも無い顔を見る羽目になりそうですよ?』
レインの嫌悪の混じった声に、空は正体を理解する。
『もうすぐ視認距離に入るよ。…うん、私も判る。これ、ダーインズレイブ!』
クゥの断定と同時に、ドミニオンのシュミクラムと、特徴的な黒い機体が現れる。
「別に、この先にいる奴には縁も借りも無いけど」
空は言いながら、ブレードを構える。
『ここは通さん』
シンプルな一言と共に、モホークも構える。
立ちはだかる二機を、ダーインスレイブの集団もまた敵と見做したらしい。
先発隊が次々と戦闘態勢に入る。
「…行くわよ、オープンコンバット…!」
その言葉が合図。カゲロウ・冴が地を蹴り、メギンギョルドがミサイルを撃つ。
ダーインスレイブも応じる。シャドーランとクラウンが、飛び込んでくる空を迎え撃つ。
クラウンの繰り出す斬撃を左の双葉刀で受け流し、右の刀で一撃。
よろめくクラウンをカバーするように、シャドーランが横から剣戟を繰り出す。
その剣の腹を狙い、空の繰り出す回し蹴り。剣を弾き飛ばす。
丸腰になったシャドーランの腹に、モホークが投げ放った剛剣が突き刺さり、上下に両断する。爆発。
その間に空はよろめいたクラウンの首を刎ね、さらに空を狙うウィルス達に向け、ボウガンを連射。
足を止めた隙に間合いを取り直し、放熱。
それを隙と見て取ったのか、ウィルス達も群がってくる。
主な攻勢はスコーピオンとタッドボール。
「…っ」
スコーピオンの撃ってくるエネルギー弾が装甲を削る。
それに耐えつつ、タッドボールを捕える。ブレードで腕を切り落とし、
「ボールはボールらしく…してなさいっ!!」
思いっきり蹴り飛ばす。その先にいたスコーピオンを巻き込んで爆発。
直後、モホークが上空へ撃ち放っていたミサイルが落下してくる。
複数のウィルスやシュミクラムがその爆風に巻き込まれる。
隙だらけになったうちの一体、シャドーゲイルに狙いを定め、空中へ飛ぶと共に高速の斬撃。
大剣に変化させ、着地の暇も防御する暇も与えず立て続けに斬り付け、破壊する。
『おおおおおおおおおお!!』
モホークの雄叫びが響く。構えた巨大なガドリングガンが、中継点の柱ごと数機のウィルスを蜂の巣に変える。
「現実の状況は!?」
『米内の演説が始まった』
『空、あいつがいた!』
シゼルの答えと、クゥの報告が相次ぐ。
「やっぱいたか…」
『…知り合いか?』
モホークの問いに空は頷く。
直後、空とモホークを包囲するように何機ものシュミクラムとウィルスが出現する。
「…相変わらずの手口ね、さっさと出てきたら? ヘタレ悪党」
『劣悪種の雌犬が、いい加減に口に聞き方を覚えたらどうだ?』
姿を見せる、鋭角的な毒々しい紫のシュミクラム、ノーブルヴァーチュ。
『そればかりか、俺の仕事の邪魔をしおって…。どうやって基地の自爆から逃れた?』
苦々しげに言う欧州系の顔立ちの男、ジルベール・ジルベルト。
空は汚物でも見るような目でその男を見返すと、
「あなたと違って日ごろの行いがいいからね」
『ふん、まぁいい。あの程度で死なれては俺の鬱憤は晴らせんからな』
そして、その顔を毒々しい愉悦の笑みに歪める。
『貴様を苦しめて、汚しぬいて、絶望のどん底まで叩き落してからあの世の門倉に送りつけてやらねば、俺の味わった屈辱を晴らすことはできんからなぁ!!』
半ば自分の言葉に酔ったように続けるジルベルト。
『そうだ、貴様と、もう一人の雌犬、どちらともだ! ああ、もう一人いたな、渚とか言うあの女だ』
「…あなた、ほんとに馬鹿ね」
唐突に、空は口を開いた。
『何だと?』
「フォースのチャージが終わってる敵を前に無駄の極みのご高説。三流以下よ、あなた」
その言葉に、ジルベルトの顔が青ざめる。
空は両手のブレードを水平に構えると、
「モホーク、伏せて」
『うむ』
メギンギョルドが身を屈める。カゲロウ・冴が軽くジャンプする。
『き、貴様ら、何をぼおっとしている!? 水無月を殺せえええええ!』
ジルベルトの指示が飛ぶ。
しかし、遅すぎる。
「はぁぁぁぁああああああああ!!」
カゲロウ・冴がその身を捻り、空中で2回転。
その瞬間、カゲロウ・冴を中心とした周囲36方向へ、深紅の衝撃波が二重に撒き散らされる。
『ぬ、ぬおおおおおおおお!?!?』
テンペストエッジ。包囲していたウィルスやシュミクラムが、根こそぎその波動に巻き込まれ、中継点の壁に叩きつけられる。
ジルベルトだけが味方を盾にして辛うじてやり過ごし、鞭を構える。
フォースクラッシュは戦局を逆転しうる切り札であると同時に、その直後は必ず放熱を必要とする諸刃の剣。
ジルベルトはそれを狙おうとして、
「モホーク、雑魚をお願い!」
その言葉と同時に、空が既にジルベルトに斬りかかって来ている。
『ば、馬鹿な!?』
「このっ!!」
空の繰り出したブレードを辛うじて避け、ジルベルトは大きく間合いを取る。
空は追撃しない。
『き、貴様、今、一体何を…!?』
理解を超えたものを見る目で、ジルベルトが空を見ている。
「ふーん、劣悪種に教えを請うわけ? 自称、優越種が?」
『くっ』
ジルベルトは屈辱に顔を歪める。
放熱の終えた空は、すぐにジルベルトを追撃する。
対するジルベルトは、間合いを開こうとブーストダッシュを繰り返す。
『おい、プランを第二に変更しろ!』
そんな指示が飛ぶ。だが、
『…シゼルさん、ここ!!』
『C班、このポイントの人間を確保しろ!』
クゥとシゼルのやり取りが空に届く。
どうやら、クゥが狙撃に気づいてシゼルが妨害を指示した様だ。
同時に、空の斬撃が繰り出され、ジルベルトが電磁鞭で受け止める。
「狙撃も失敗ね。年貢の納め時よ、ヘタレ悪党」
『ふん。真に優れた人間は、奥の手はいくつも用意しておくものだ』
獰猛な笑みを、ジルベルトが浮かべた。
(こいつ、本気で奥の手がある…!?)
決着を急ぐべきだと判断した、その瞬間だった。
『ぐっ!?』
『なっ』
『きゃ…!?』
リアルに残った永二とシゼル、レインの声。
「何、どうしたの!?」
『…な、なんて事を…!』
クゥの声が震えている。
『ふはははははは! 見たか、水無月!!』
得意げなジルベルトの声。
状況が判らず、空は思わず叫び声を上げる。
「あなた、一体何したのよ!?」
『中尉、ログアウトしろ、暴動が起こる』
モホークの声に珍しく焦りがある。
「え!?」
『こいつら、米内の演台に爆弾を仕掛けてやがった!』
『議員はおそらく死亡、民間人にも多数の被害者が…!』
永二とレインの言葉に、空は信じられない思いでジルベルトを睨みつける。
「ジルベルト!! あなたはああああああ!!」
『ははははははっ、足掻け足掻け、劣悪種共!!』
もはや躊躇いも無い。クリティカルアローを展開し、ジルベルトを撃つ。
が、直撃の瞬間、ジルベルトの機体が消失した。
「くっ、ログアウトされたか…!」
『空嬢ちゃん、急げ、逃げるぞ!』
「…っ、はい、今戻ります…!!」
唇を噛み、ログアウトする。
飛び込むような気持ちで実体に戻ると、既に悲鳴と怒号が響く真っ只中だ。
「くそっ、まとまって逃げるのは無理だ!! 全員散れ、基地で落ち合うぞ!!」
「「「「了解!」」」」
『私、ネットから出来るだけサポートする!!』
「おう、頼むぞ!」
クゥの声に応じ、五人は暴動の最中から脱出を試みる。
「中尉、お気をつけて!」
「レインも、こんなことで死なないでよ!」
レインの言葉に空も返し、走る。
『CDFより警告します。直ちに解散し、この場を――』
機械音声の警告が響く。
CDFのVTOLが飛び交い、一瞬の静寂。
直後、CDFの実力行使を恐れ、恐慌に囚われた人の波が襲い掛かる。
「っ」
成す術も無く巻き込まれ、空は必死にその波の中を泳ぎ続ける。
何か柔らかい物を踏みつけた気もする。その度に全身が総毛立つ。
「~~~~っ」
呼吸すらままならない、無限とも思える時間。
気が遠くなりそうになった、その瞬間。
空は、吐き出されるように、人のまばらになった路地に出た。
「ふぅっ、はぁっ」
荒い息を付き、よろめくように数歩歩いて。
誰かにぶつかった。
「っ」
とっさに身構え、
「…え」
「な」
ぶつかった相手と、目が合う。
「……千夏……」
「空…!?」


それが二年ぶりの、恋敵との再会だった。





To Be Continued...



[17925] 第五章 旧友 -Dears-  <後編>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/05/07 20:19

「…空、あんた、どうしてこんなとこに…」
「…それは、こっちの台詞」
あまりの不意の再会に、空も千夏もまともな言葉が出てこない。
ただ、それでも。
傭兵として培ってきた経験が、勝手に目の前の旧友を分析してしまう。
二年前より、明らかに影を背負っているのは、おそらく自分と同じ理由。
門倉甲を失った、そのことが根になっている。
身を包むように纏っている外套。それはおそらく、所属を隠す意味もあるのだろう。
そして、その手に提げた大きなバッグ。僅かに開いた口から除く、金属の光沢。
「…千夏、あなた、まさか」
「空、あんたその格好、軍の…」
互いの言葉が重なる。
それで空は、理解する。
千夏も同じなのだ。空が千夏の外見から推察を試みたように、千夏もまた、空に対して同じことを試みた。
傭兵として、軍人として、叩き込まれてきた経験のままに。
それはつまり、千夏もまた空と同じように、軍関係の何かに所属しているということで。
「…そこをどいて、空」
千夏の声に険が混じる。二年前だって聞かなかった、威嚇するような声。
「…そのカバン、どういうつもりだったの?」
けれども、そんな言葉で怯むほど、空の潜った修羅場は生ぬるくは無い。
「…聞きたいのかい?」
嘲笑と自嘲、入り混じった笑みで千夏は応じる。
これが、あの渚千夏か。
空は言葉を失い、ただ千夏のその笑みを見つめるだけだ。
その時だった。
「いたぞ!! あの女だ!!」
「っ」
通り過ぎたはずの暴徒の足音と、声。
驚いて空は振り返る。一人が指差し、それに率いられるように群がってくる。
「くそっ」
千夏の顔に焦りが滲んでいる。
暴徒の群れを見て、空を見て、唇を噛んで。
(…この馬鹿、私を抜けば良いだけでしょうが…!)
この状況で千夏は、空が自分を売るのでは、などとふざけた事を考えてでもいるのか。
それこそ、馬鹿馬鹿しい考えだ。だから、水無月空は躊躇わない。
諦めの良かった自分とは、もう別れると決めたのだから。
「この馬鹿っ、ぼうっとしてるんじゃないわよ!!」
「え!?」
千夏の腕を掴み、空は引っ張る。
「ば、ばか、空!」
「あの女もグルか! やっちまえ!!」
群がってくる暴徒に背を向け、空は千夏の腕を引いて走る。
「な、何やってんだよ、空!?」
「煩い! あなた私に友達見捨てろって言うわけ!? それこそふざけんじゃないわよ!!」
「あんたって奴はっ…。手ぇ離せ! 走り難い!!」
千夏の言葉を受けて、空は彼女の腕を握っていた手を離す。
横に並んだ千夏の顔を見る。
苛立ちの混じった顔。
「ずいぶんと荒んだわね、千夏!」
「お互い様だね! 軍服なんて着て、何のつもりだい!?」
「このご時勢、コスプレで着るもんじゃない事くらい判るでしょ!」
「はっ、そりゃそうだね!」
暴徒の怒号に消し去られないよう、互いに声を張り上げる。
同時に、
『クゥ、サポートして!』
暴動の起こっていない場所へ抜けようと、クゥにサポートを頼む。
だが。
『…クゥ? ちょっと、クゥ!?』
『……っ、っ、……!!』
聞こえてきたのは、酷いノイズ。
何かで妨害されているかのような。
(嘘、私とあの子のリンクに割り込める奴がいるの…!?)
シミュラクラとそのモデルの間にあるリンクは、通常の接続とは遥かに次元が違う。
ジャマーが有ろうが無かろうが、その間の意思疎通を阻むことなどできるはずが無いのに。
「空、こっち!」
「っ」
千夏の声に我に返る。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
「ったく、しつこいね!」
「はぁっ、はぁっ、あなた、タフね」
息の上がり始めている空に対して、千夏は未だに涼しい顔だ。
空を一瞥するだけで、千夏はそれに答えない。
次の裏路地の角を曲がったところで。
「いたぞ!」
暴徒の怒号が前方から聞こえた。先回りされている。
後ろからもその声が、今もついてくる。
「ここまでか…」
空は唇を噛んで、胸元のカートリッジを上着越しに握り締める。
(…甲、ごめん、こんなことで死ぬなんて…)
そう、覚悟を決めたときだった。
「…ったく」
千夏が持っていたカバンから、その中身を引きずり出す。
「…え!?」
何でもなさそうに振りかざしたライフル。
「ち、千夏!」
「撃ちはしない。これは、こう使うんだよ!!」
まるで金属バットでも振るうかのように、千夏はライフルを振りかぶって、前方の集団へ飛び掛る。
「うわぁ!?」
「怪我したくなかったらどきな!!」
「ば、馬鹿! 火に油注いでどうすんのよ!!」
そんな非難の声を上げながらも、怯んだ暴徒の合間を縫って千夏と空は駆け抜ける。
「他に手があるなら教えて欲しいね!」
「~~~!」
確かに、そんな手は無かったが。
瞬間。
「あっ!」
何かに足を取られ、空が転倒する。
「空!?」
「今だ、やっちまえ!!」
その声が、妙に遠くに聞こえた。
暴徒がやけにゆっくりと迫ってくるように見える。
思考が定まらない。
(千夏だけでも逃げ切ってくれるといいけど)
どこか、そんな間が抜けたことを考え。
ふと、その体が宙に浮かぶような感覚がした。
次いで、異様な速度で揺さぶられるような。
「え、ええええ!?」
「叫ぶんじゃない、舌噛むよ!」
気づいたときには、千夏の小脇に抱えられるようにされていた。
おまけに、先ほど以上に千夏の足が速い。
「な、ななな、なぃぅっ」
「ほらみろ」
千夏から冷たい目で見られているように感じて、空は涙目を堪えつつ、
「こひは…らんなるひこ…」
「ああそうかい。もっと飛ばすから歯ぁ食いしばっとくんだね!」
「っ」
その言葉通り、先ほど以上に千夏の足が速くなる。
これなら、確実に暴徒を振り切れるだろう。
その余裕が、空の思考を取り戻させる。
(…こんなの生身の人間が出来ることじゃない…。千夏、ひょっとして…)
けれど、そんな事に思い至るなら、冷静さなどいらなかった。



フェンリルのCICの能力を借りて、散り散りになっている空達のサポートを引き受けていたクゥは、というと。
「レイン、そっち右! 小父さんは真っ直ぐ突っ切って!!」
『了解!』
『すまん、助かる!』
「シゼルさんはそこでしばらく待機して、そこなら当分は安全だから」
『判った』
「モホークさんは、…うん、五分後に間隙が出来る」
『心得た』
残る四人の脱出を必死の思いで補佐している。
「っ、空、早く返事してよ…! さっきから何で空にだけ通じないの!?」
リンクは確かに感じる。それが空の無事を知らせるだけで、空へのサポートだけがどうしても出来ない。
『クゥさん、空中尉との連絡は、まだ…?』
「うん…、おかしいよ、こんなの」
声に不安を滲ませて、クゥは頷く。
『無事なのは確かなんだな?』
「それは間違いない。空が死んだら、私もその時点で消えちゃうから…」
それがシミュラクラの絶対的な宿命だ。
(…でも、レインや小父さんとのチャントは通じるのに、私と空の間だけ妨害しかけるなんて…。こんなことできるとしたら)
脳裏の過ぎった、彼の顔。
門倉甲のシミュラクラ、オブサーバー。
(でも、何で? 甲のシミュラクラである彼が、どうして私達の妨害をするの?)
絶対的に信じて良い存在の分身がやったであろう、自分達の行動への妨害行為。
それとも、オブサーバーとは別の存在がやったのだろうか。
それならば、誰が。
(もう、考えても判んないよ。イヴと接続できれば答えも判るはずなのに…っ)
人に寄り過ぎたクゥ精神では、AIの中核たるイヴとの接続を試みることができない。
無邪気に人に近づきすぎた自分を反省する。
シミュラクラの存在理由は人を学ぶことでも、空を助けるためにはAI寄りに精神を置いておかねばならなかったのだ。
今更戻ることはできないが、だからと言って後悔しない訳にはいかない。
「…ああもう、どうしたら…」
「今の観測状況は、3の世界に良く似ている」
「え?」
唐突に生じた声。
振り返る。
「…オブサーバー…!」
甲の分身が、そこに立っていた。
「…けれど、水無月空では、4には辿りつけても3には届かない。空は甲とは違うから」
「…何、言ってるの?」
オブサーバーは台本を読み上げるように、ただ一方的に言葉を紡ぐ。
「けれども、3の因子無くして5は紡げない。故に、無理やりにでも3の因子を構成する必要がある。5に至るには、渚千夏の協力が不可欠」
「…千夏の?」
そこで初めて、オブサーバーはクゥを正面から見た。
「…クゥ、君ならば理解できる。人である空では理解できなくても、AIであるクゥならば、いずれ答えに届く」
「な、何が言いたいのかわかんない! オブサーバー! あなた、一体何を求めてるの!?」
その問いに、オブサーバーは酷く寂しそうな、悲しそうな。
そんな、見る方が辛い気持ちになる表情を浮かべて。
たった、一言、告げる。
「…届けたいんだ、笑顔を」
その言葉だけ残して、オブサーバーは唐突に消えた。
「あ、ちょっと!」
先ほどまでオブサーバーの立っていた場所に駆け寄るも、もう彼がいたことを証明するものは何もない。
クゥはオブサーバーの消えた場所を見つめて、彼の残した言葉を繰り返した。
「…笑顔…?」
あの、甲の分身が最後に見せた酷く辛そうな顔が、焼きついて離れなかった。



清城の地下道に入り込んだ空と千夏は、暴徒の足音が遠ざかっていくのを確認する。
「…とりあえずは行ったか。まぁ、しばらくは大人しくしてた方が良さそうだね」
「…ぅぅ」
「で、あんたはまだグロッキーなのかい?」
「あ、あたりまえでしょ…! あれなら、VTOLの空中戦で揺らされてるほうがマシだわ…!」
空は青い顔で、千夏を見上げて力無く文句を言う。
助けられたのは判っているから、本気で言っているわけではないが。
だからと言って、小脇に抱えられ、おそらく時速60キロ近い速度で、しかも上下左右に揺らされて。
そんな速度が一瞬でゼロになったかと思えば、直後にまたすさまじい加速。
ついでに、前髪に壁だの地面だのが掠める事数回。
生きた心地がしない、という経験には幸か不幸か不自由しない身であるが、そんな空をして、今回のこれはベスト3に入ると断言する。
「あんなとこで転ぶほうが悪いね」
「それは…、判ってるわよ…」
「酔い覚ましのドラッグでも持ってないのかい?」
未だに気分の悪そうな空に向けて、あきれた様な口調で千夏は言う。
その言葉に、空は嫌そうな顔。
「私、下戸…。そもそも飲まないから、そういうの持つ意味が無いし…」
「ああ、そういややたら弱かったね、あんた…」
空の返答に、千夏が何か思い出したように言う。
「…? 私、千夏の前で飲んだことあったっけ?」
空としては、そんな記憶などさっぱり無いのだが。
どこで、自分が酒に弱いということを知られたのだろう。
対する千夏は、口を滑らせたとばかりに黙り込む。
先ほどまでのどこか気軽な雰囲気が、唐突に消え去っていく。
「…千夏」
「うるさいよ。…昔のことは、思い出したくないんだ」
「…」
感情を押し殺すように、千夏は言う。
空も、その気持ちは痛いほど判る。判るけれど。
「…千夏」
「聞きたいのは、腕のことかい? それとも、足のことかい?」
機先を制するように、千夏はどこか自嘲気味に言う。
本当に聞きたいのはそんなことじゃない。
だがそのことも、決して気になっていない訳では無かった。
空は少しだけため息をついて、
「…灰色の、クリスマスの時?」
「…そうだよ。あの時に、あたしは生身のほとんどを焼かれた。今は全身義体さ」
やはり、と思う。
あの暴徒に追われている最中、空を抱えてあの速度で走るなど、生身では決して不可能だから。
「…クローニング、受けられないの?」
「受ける気もないね。今は、この体のほうが都合が良い」
「…狙いは」
空は少しだけ目を閉じ、意を決する。
「ドレクスラー機関を、先生を、追う為?」
「…口が軽いね、空」
それは、遠まわしの肯定。
「…あんたも知ってるはずだ。久利原直樹が、あの日以前からどこかおかしかったこと」
「…」
空は沈黙で答える。
そう、空は知っていた。
あの如月寮の仲間達全員が、先生と呼び慕った久利原直樹が、何かに怯え、そして対抗しようとしていたこと。

 ――私がもし道を違えるようなら

あの時、灰色のクリスマスの少し前、直樹がそう言って空に託した、一つの鍵。
今もはっきりと覚えているその言葉。
そう。
それを知っているから、覚えているから、空は、直樹が意図してあの事故を招いたとは思えない。
真実はきっと別にある。だからこそ、空は直樹を追う。あの時何が起こったのか、その結果、どうして甲が死んだのか。
その真実を知った上で、討つべき敵を討つ。
「…あいつは、意図してアセンブラをばら撒いた。あたしらを裏切ったんだ。…絶対許さない。あんただってそうだろ!?」
憎悪に満ちた千夏の顔。
千夏もまた、直樹を慕っていたから、だから。
その事を思い、空は意を決する。
それを知った千夏が、どう判断するかは判らないけれども。
「…千夏は、知ってる? 先生が、自分が道を違えてしまった時のことを考えてたこと」
「…え?」
「その鍵を、先生は甲に託してた。きっと、こんなことが起こった時に対抗する為に」
「な、何言ってるんだ、あんた…」
千夏が信じられない、と首を振る。
「『私がもし道を違えるようなら、甲君に伝えて欲しい言葉がある』」
あの時の直樹の言葉を、空は一字一句覚えている。
そうしなければならないと感じたから。
それを、そのまま繰り返す。
「『私と君が交わした『消去された約束』を思い出せ、と。それは必ず、AIが記憶しているはずだから』」
「…何だい、それは…」
「…私が、先生から託された鍵。甲に伝えるはずだった、行き場をなくしたメッセージ」
千夏の表情に皹が入る。
今まで自分を支えていたものが揺るがされる感覚に、怯えているのだろうか。
「…っ、それでも、あいつがアセンブラを作ったことに変わりは無い! あんなものを作らなければ、あんな悲劇は…!!」
判っている。
空だって、半信半疑なのだ。
しばらく、千夏は黙り込む。
空も、同じように沈黙を守った。
考えることは山ほどある。
クゥとの通話は今も復旧しないまま。理由も不明の状態。
千夏の義体のこと。自分の体を動かす事を好んでいた千夏にとって、全てが作り物になった今はどうなのか。
直樹のこと。託されたメッセージ。
甲のこと。今だ目覚めぬ、『彼』の真実。
「…やっぱり、あたしのやることは変わらない」
ふと、千夏が口を開いた。
「どんな手を使ってでも、灰色のクリスマスの再来を防ぐ」
その目は、氷のように冷たい。
空の言葉は、明かした事実は、千夏に影響を与えたのか、それすら判らない。
「どんな手でも、って…」
「…どんな手でも、さ。グングニールでこの街を焼かなきゃアセンブラを止められないなら、あたしは、あたしらは必ずそうする」
「千夏…」
「…アークだろうが何だろうが、灰色のクリスマスを防ぐためなら、何だって敵に回す」
それは、どこか自分に言い聞かせているようで。
「…空、その結果、あんたと敵になってもね」
「…っ」
でも、その目は限りなく、本気だった。
千夏は立ち上がると、空に背を向ける。
「…もう大丈夫だろう。あたしは行くよ」
歩いていく千夏の背中を見て、空は必死で頭をめぐらせる。
このまま去らせたら、千夏はずっと敵として経ち続ける。そんな予感がした。
(どうしたら…、どうしたらいいの…!?)
空の手が、無意識に胸ポケットに伸びる。
そこに収めてあるカートリッジの感触を確かめたとき、空は反射的に、千夏の背中に声をかけた。
「待って、千夏!」
千夏は足を止め、肩越しに振り返る。
その彼女に向け、空はカートリッジを投げ渡した。
危なげなく受け止め、千夏は胡乱気にそれを見下ろす。
「…何だい、これ」
「繋げば、判る」
「…」
無言で、千夏は神経接続子を取り出し、カートリッジを繋ぐ。
少し目を閉じて、驚いたように、目を開いた。
「…これ」
「…千夏、答えて。それを手にして、それでもさっきと同じことが言える?」
「…っ」
千夏が唇を噛む。
「…何で、あんたがこれを持ってるんだよ…。あんたは、いつも卑怯だ…!」
搾り出すような声で、千夏はそんなことを口にした。
空は沈黙で、千夏の答えを待つ。
やがて、千夏はカートリッジとの接続を解除し、空にそれを投げ返してきた。
「…千夏」
「…じゃあね、空」
千夏は、明確な答えを返さないまま、逃げるように去っていく。
今度は、空は声をかけられなかった。



しばらく後、空は周囲を伺いながら、地上へと出る。
「よう、空」
「え? …雅」
まるで待っていたかのように、雅がそこにいた。
「…どうしたのよ、こんなとこで」
「暴動に巻き込まれた被害者の事情徴収、ってとこか」
「…よく知ってるわね」
失笑する。
雅も同じように笑うと、
「如月寮に顔出してから、随分とらしくなったんじゃないか?」
「…そうかもね」
雅の言葉に、空は肩をすくめる。
「で、本当の用件は?」
「あー、まぁ、何つーかだな」
雅は肩を竦めて、
「時間、あるか? 行き付けのバーで話したいんだが」
「…時間はあるけど、私、お酒は駄目よ? ミルクでいいなら付き合うわ」
「ああ、そういやチューハイ一本で潰れてたもんな」
「…雅まで、何で知ってるのよ?」
千夏と雅と、二人ともが同じようなことを言う。
首を傾げながら、雅の案内でバーに入る。
「おう、刑事さん。今日は女連れかい?」
「まーな。昔の友人だよ」
「浮気は感心しねえな」
「ばーか、俺は奥さん一筋だっての」
カウンターのバーテンとそんな軽口を叩き合う雅を見て、本当にここの常連なのだと判る。
そして、奥の席へと通された。
「で、私をナンパした理由って何かしら?」
「空こそ、俺のナンパを受けた真意ってのがありそうだが…、まぁいいや。とりあえず」
雅は適当に注文をして、それから空に向き直った。
「…お前らのKIAの偽装がばれた。指名手配がかけられるのも時間の問題だ」
「長くは持たないと思ったけど…。指名手配ってのは何の容疑?」
「ある構造体へのテロ行為だな」
「…まぁ、当たらずとも遠からず、か」
空は肩を竦め、運ばれてきたミルクを一口。
「…う。これ、少しアルコール入ってない?」
「ん? …あー、そういう可能性はあるな」
「…はぁ、パス。こんなのこれ以上飲んだら潰れちゃうわ」
「ほんと弱いな…。俺からしたら、たいしたことないレベルだと思うが」
苦笑しながら、雅はノンアルコールを強調して、改めて注文する。
「…聞きたいのは、その構造体の件よりは、むしろ千夏のことだな」
「…雅、千夏に会ったの?」
「ああ、ほんのちょっと前にな。お前があそこにいるって聞いたのもそん時だ」
千夏がどういうつもりで雅に自分の居場所を教えたのか、正直判らない。
悪意があってそうするなら、雅ではなくCDFそのものに垂れ込めば良いだけの話だ。
空が千夏の真意を掴みかねていると、雅は目を伏せ、小声で口にした。
「…あいつ、指名手配されてる」
「え」
驚いて、空は目を見開く。
「どういうこと?」
「スパイ行為らしい。限られた人間しか知らされていないし、俺は本来、知らない側の人間だったんだが」
それはおそらく、組織内の不穏な行動を調査した、ということか。
阿南の下でそんな行為をすれば、目を付けられてもおかしくない。
「…雅、出世どころか長生きもできないわよ?」
「お互い様だろ。…空、お前、千夏の身元知ってるか?」
「ううん…。聞かなかった」
「そうか。…推測はできるが、聞きたいか?」
雅の挑むような目に、空は頷く。
対して、雅はため息一つ。
「…あいつ、たぶん統合…、それも、GOATだ」
「根拠は?」
「知ってる側の人間は、全員が市長の息のかかった連中だ。奴の私兵も混じってな。それと、最近GOATが清城に介入しようとしてる話は聞いたことがあるだろう?」
「…でも、千夏は星修出身のセカンドよ? 反AIのGOATになんて…」
そこまで言って、空は言葉を飲み込む。
千夏には、ある。AIを拒絶する理由が。
甲が千夏ではなく、空を選んだ理由が、AIの起こしたハウリング。
(でも、いくらなんでも、それだけで…)
自分の考えに、空は困惑する。
「…ま、推測は推測だ。外れてる可能性だってある」
「…そうね…。テロリストじゃないことだけは祈るわ」
「そうだな…。で、空、お前の聞きたいことってのは何だ?」
雅に問われ、空は少し沈黙すると、
「…たいした事じゃないわ。少し前に、ドミニオンに殺された情報屋がいたはずだけど」
「ああ、そんな話があったな…。チップを洗おうとして、綺麗に消去されてて捜査一課が泣いてたぜ。…知り合いか?」
「ちょっとね。…弔ってはくれた?」
「一応な。身元不明の上にCDFのやる埋葬だ。ろくなもんじゃないが」
「…いいわよ。このご時勢だもの。ちゃんと墓の下に入れてもらえるだけマシだと思うわ」
運ばれてきた水を含む。
今度は本物の水だった。
「それと…、雅、ジルベルト、覚えてる?」
「ああ、あの胸糞悪い奴だな…」
「ええ。清城に来て二度会った。…どこに雇われてるか、知らない?」
「…聞いたら後悔するぜ?」
雅は苦虫を噛み潰したように言う。
「どういうことよ」
「CDFさ。正確に言えば、市長の私兵だ。CDFと同等の権限を与えられて、好き放題してやがる」
「…ってことは、雅、ひょっとして」
「心配するな、俺は直接事は構えてないさ。幸か不幸か、あいつは俺の顔忘れてるみたいだからな。…そうか、空と事を構えてやがったのか、あの野郎」
「…暴動の原因も、あいつみたいだった」
「そうか…。畜生、俺のほうが後悔してるぜ」
雅は思いっきり酒を煽る。
「…ごめん、変なこと教えちゃったね」
「いや。…空、お前の目的は、あいつの動向だな?」
雅の言葉に、空は頷く。
「判る範囲で良い。あいつは野放しにできない。今回のことで痛感したわ。放っておいたら、全く関係のないところに被害が出る。次は確実に…」
決意を込めた目で、空は言う。
「ああ…。くそっ、本当なら俺の手で逮捕してやる所だってのに」
「雅は無茶しちゃ駄目だからね。奥さん、未亡人にする訳にはいかないでしょ」
そう言って、空はグラスを掲げた。
「そう言えば、遅くなったわね」
「ん?」
「雅、改めて、結婚おめでと」
「…ああ、サンキュ」
水と酒という組み合わせではあったが、グラスを軽くぶつけ合った。



「じゃあな、空、気をつけろよ」
「雅もね」
そう言いあって、二人は別れる。
暴動はどうやら一応は収まったらしい。
上空を飛び回っていたVTOLも、今はだいぶ大人しくなっているようだ。
『…ら、空、空!?』
『…クゥ』
と、ようやくクゥからのメッセージが届いた。
『空!! あぁ、やっと通じた…。大丈夫? 怪我とかしてない!?』
『平気。それより、クゥこそ何かトラブルがあったの?』
『私自身は何も無いんだけど…』
言いよどむクゥに、空は少し考え込む。
『…通話が普通になってた理由、何か知ってるの?』
『…うん。あのね、オブサーバーの事なんだけど』
クゥは言葉を捜しているようだったが、やがて諦めたように、
『空、落ち着いて聞いてね。オブサーバーの正体。私が、聖良小母さんに頼まれたこと』
『…オブサーバーの、正体?』
『オブサーバーは、甲のシミュラクラなの。甲にも、シミュラクラが居たんだよ』
その言葉に、空は意外なほどショックを受けなかった。
どこかで予想していたのだろうか。むしろ、納得する気持ちのほうが大きかった。
あの時のハウリングに、甲が巻き込まれてしまった理由。
明らかに他のNPCとは違う、オブサーバーを名乗るNPCの存在。
『…あんまり、驚かないね』
『そうね。…それで、話に続きがあるんでしょ?』
『うん。私と空のリンクに割り込めるとしたら、同じシミュラクラのオブサーバーしかありえないの。でも、そんなことする理由が思いつかなくて』
困惑したように、クゥは続ける。
『3とか4とか、5は紡げないとか、よく判んない事言ってたけど』
『…』
空は、何故か量子のサイコロを思い出した。
あの時、甲から貰ったプレゼントだ。
けれど、何故、そんなものを思い出すのだろう。
『あ、そうだ。空、一つ残念なお知らせが』
『何よ?』
『…空の帰りが遅いから、ノイ先生、説明とか後に回して調査に戻っちゃった…』
『……え、ってことは、『彼』の件の説明、また今度ってこと…?』
『爆心地の施設調べに、フェンリルのVTOL使って行ったよ』
『…雅と飲んでる場合じゃなかった…』
収穫が無かったわけではないが、さすがに少しだけ、空は後悔してしまった。








To Be Continued ...






...download
   プラグイン「永二とカートリッジ」を入手しました。
   外伝一「例えばこんな親父殿」を見ることができます。
   プラグインをオフにします。





[17925] 第五章間章 変成
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/05/19 23:33



「うぎゃああああああああああああ!?!?!?」
その場所に、悲鳴が響き渡る。
「ひぃっ、ひぃっ、ひぃ…」
プライドも何もなく、床を這い蹲るようにして逃れようとする男の背中に、ピンヒールを履いた足が突き刺さる。
「ぐぎぃ!?」
「ほらぁ、逃げるんじゃないよ、ジルベルト」
「き、きさ、きさま…」
這い蹲ったジルベルトが見上げた先。
西洋系の顔立ちをした女がいる。
「き、貴様、一体突然現れて何を…!?」
部屋の片隅で震えていた、この荒んだ時代には似つかわしくない程の脂肪を溜め込んだ男が、やっとの思いで口を開く。
「ん? あぁ、自己紹介してなかったかねぇ?」
女は妖艶という言葉で形容するしかない笑みを浮かべると、
「あたしは、こいつの飼い主だよ。ダーインスレイブなんておもちゃをこいつにくれてやったのも、あたし」
「き、貴様、足をどけろ…。一体誰を足蹴にしていると思っている!?」
ジルベルトがなけなしのプライドで、女に叫ぶ。
だが、女はにやりと笑うと、
「ん? 畜生を踏み付けて何が悪いの?」
その言葉と同時に、その足を捻り、捻じ込む。
「ぎゃあああああああ!?!?」
また、ジルベルトの悲鳴が上がった。
「あははは、そうそう、その声だよ。あんたのその声がお気に入りなんだ。もっと聞かせなよ、ジルベルト!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
だんだんと掠れていく声を聞き、女は悦に入った顔をする。
それを見ていた男、市長の阿南よしおは、その顔を蒼白にする。
「ああ、悪いね。自己紹介が途中だった。あたしはマイラ・シェルイール」
「ま、マイラ、だと…?」
その名に何か覚えがあったのか、阿南の顔が白を通り過ぎて青くなる。
「ふふ、ジルベルト。あんた、面白い獲物を追ってるみたいじゃないか、このあたしに内緒で。なぁ、あたしに譲りなよ」
「ひ…、は…」
呼吸するのがやっとという状態のジルベルトを見下ろし、マイラは笑みを浮かべる。
「そうかい、譲ってくれるかい。ふふ、良い子だねぇ」
そう言いながら、マイラは視界にひとつのデータを映し出した。
ジルベルトのノーブルヴァーチュから写し撮った、あるシュミクラムの映像。
「ふふ、いいじゃないか、これ。パイロットも実にあたし好みだ…」
機体のデータと、そのパイロットの名が映し出される。
その機体は、カゲロウ・冴。パイロットの名は、水無月 空。
「さぁて、市長サン。商談といこうじゃないか」
「な、何だね、一体…!?」
「特に対したことはないさ。・・・グレイプニルを受け入れて欲しい、それだけだよ…」
その名をマイラが口にした瞬間、阿南の顔色は青から紫にまで変色した。



Global-union Observation Artificial-intelligence Team
統合軍対AI対策班。
通称GOAT。
AIの暴走を食い止めるという名目で作られた組織。
その一室にいる男は、机の上の模型を眺めている。
その模型は、二年前にある青年が持ってきたものだ。
以前から、彼の娘の事で相談に乗ってもらっていた少女から、渡して欲しいと頼まれた、と。
彼の眺める模型の向こう側に、一人の青年の姿を幻視する。
以前から何度か会っていた、どこにでもいる普通の青年。
それが、あの時だけは、何があろうと決して引かない、鋼の意思でもって彼の前に立った。
「…まったく」
近いうちに、清城に行く。
そこは、ある意味で彼の故郷だ。
そして、そこから程近い場所に、二年前の惨劇の舞台がある。
だからだろうか。こんなことを思い出してしまったのは。
「長官殿」
声が聞こえた。
「入りたまえ」
彼はドアの外にいるはずの人間に、声をかける。
すぐさまドアが開き、彼より少し年若い男が入ってくる。
「準備はどうかね?」
「万事滞りなく、というところです」
男は、彼の質問に淀みなく答える。
「そうか」
「しかし、何度も言いますが、このような作戦など必要ないのではないですか?」
「何度も同じ答えを言わせないでくれ。弓削崎副長」
「…はぁ。長官殿はお優しすぎます。S級AIを擁するアーク、密造ナノを流通させる清城。そこに、今度はドレクスラー機関。…ここまで揃えば、グングニールの使用許可も下りるでしょう」
「ドレクスラー機関の潜伏は確認したが、アセンブラはまだ確定ではない。あの場所には、ただ平穏に暮らす人々もいるのだ」
「…密造ナノの恩恵を受けなければ生きていけないような人間など、価値があるとは思えませんが」
そこまで言い、男は目を細める。
「むしろ長官殿は、私情を挟んでおられるのでは? 聞けば、今現在、あの場所にはご息女がおられると言うこと」
「妙な勘ぐりは止めたまえ。それが必要であれば、その時に判断を下す」
答えて、彼は男に背を向け、続けた。
「我々は統合軍だ。である以上は、常に人々を守り、被害を最小にする努力をせねばならない。安易にグングニールによる解決は望んではならん」
「…了解」
不承不承、という感じの答えを背に受ける。
それからすぐに、ドアが開いて、閉じる音がした。
机の上にある模型を振り返り、彼は疲れた顔で、呟く。
「…あの時から、私の願う未来からは離れていく一方だ。…空君、そして、甲君。君達は、今の私をどう思うかな…」



清城の廃墟の一角。
渚千夏はそこに潜んでいた。

――千夏、答えて。それを手にして、それでもさっきと同じことが言える?

水無月空の放った別れ際の言葉は、凍らせていた心に亀裂を入れた。
「…畜生、卑怯だ…! 卑怯だよ、空…!」
ふとしたことで溢れそうな感情を、必死に押し留める。
今の自分に必要なのは、憎悪だけでいい。そのはずだったのに。
久利原直樹に対する、この身を焼き尽くさんばかりの、憎悪という暗い炎だけで。
なのに。

――千夏は、知ってる? 先生が、自分が道を違えてしまった時のことを考えてたこと

「…忘れろ…! 空がどう言おうと、あたしがすることに変わりなんて…!」
そう。
渚千夏は、どうあろうと水無月空を受け入れることはできない。
それは、二年前のことよりも、むしろこれからしなければならないこと。
ドミニオンの巫女の捕縛。
千夏は、当に巫女の正体に気づいている。気づいた上で、それが任務であるが故に、手を下そうとしている。
任務、だから。
なのに。
千夏は見てしまった。あのカートリッジのメモの一つを。
自分が消し去った、背負いきれずに書き換えてしまった、カゲロウ・凛と共に教えられた一つの言葉を。
『シュミクラムに乗るなら、自分の為に。人の大儀のためには乗らない』
思い出してしまった。いや、忘れてなどいなかった。忘れた振りをしていただけだ。
亜季から甲へ、甲から千夏へ、シュミクラムと共に預かった最初の心得。
当時は深く考えなかった言葉。
空もまた、甲からその言葉を受け取って、戦っているはず。
自分は、どうなのだろうか。
「…ちくしょう…」
今度の敗北感は、二年前の比では無かった。



ある構造体。
NPCや電子体の墓場。
その真っ只中で、一人の少女が立ち尽くしている。
少女はどこか、死んだ目で立ち尽くしていた。
「真ちゃん」
青年が彼女に歩み寄る。
しかし、その挙動は明らかな作り物。笑顔も、込められた優しさも、何もかもが。
「っ」
少女は手を青年に向けて手をかざす。
青年は、青白いノイズに飲まれて、虚空に消えた。
「…お姉ちゃん…、先輩…」
どうして忘れられないのだろう。
忘れてしまっていたはずなのに、思い出してしまったのだろう。
思い出さなければ、何も知らないままなら、姉の言葉に縋れたのに。
水無月真は、両ひざを付き、崩れ落ちる。
「何で…、何で私は、本当の世界に居ないの…? 助けて…。助けてよぉ、お姉ちゃん…、先輩ぃ…」
泣き崩れる。
その彼女の背中を、遠巻きに神父が見つめている。
そのガラスのような目が、その時だけは何故か悲しみに満ちているように見えた。



ノイと共にVTOLで爆心地に来ていた永二は、信じられない報告に耳を疑った。
「グレイプニルが来てやがるだとぉ!?」
「は、はい! 間違いありません。先の清城入りの時の襲撃時に、構造体の一部に、孔雀の絵が…」
「…性懲りもなくふざけた挑戦状を叩きつけやがって」
永二は苛立った顔をする。
「ふむ。グレイプニル、と言うと…。南米でフェンリルとやりあった傭兵部隊だな」
自分の調査の手を止め、ノイが永二に声をかける。
「ああ。金さえ貰えば何でもする、傭兵の仁義ってのとは対極の連中だ」
形こそ傭兵部隊だが、実質はテロリストに近い。しかし、そこに信念など何一つない。
いや、金儲けこそが信念、とでも言って良い集団だ。
だが、その中でもリーダーたる女はさらに異色。
「孔雀の絵ってことは、よりによってリーダー自らか」
「そんなに性質が悪いのかね?」
「ああ。おめえが可愛いくらいだ」
「ほお。それは極悪だな」
「…てめーで言うか」
飄々と受け流すノイを半眼で見返して、永二はため息をつく。
「…ほんとにろくでもない女だよ。俺の知る限り、20年は見た目変わっていやがらねぇ」
「ふむ。若さに取り付かれた女か」
「どうだかな」
女リーダーの顔を思い出して、永二は忌々しそうに、大きく息を吐いた。
そんな彼の顔を見て、ノイは肩をすくめる。
「ふむ。まぁ、今考えても仕方の無いことは置いておいてだな」
「なんだよ?」
訝しげな永二の顔を見て、ノイは僅かに心配そうな顔をした。
「…永二、私はどうも、君の行動に嫌な予感を感じるんだが」
「はぁ?」
「直球で聞くぞ? …永二、君は、バルドルを破壊しに戻ってきたな?」
「……」
永二が沈黙する。
ノイはやれやれ、とばかりにため息をつく。
「…誰から聞いた?」
「女社長からだよ。誰も知らないだろうし、君も対外的には『八重の言葉を信じなかった』と言っているが…」
「ちっ」
舌打ちする。
「…だったら、顛末も知ってやがるだろ」
「ああ。防衛機構にやられて、半死半生で戻ったそうだな。…今なら勝てると思うのか?」
「…勝算は、はっきり言って無ぇがな。そのくらい、あの中の化け物は飛びぬけてやがる」
「全く。数世紀前のシュミクラムデータを超えられん、というのは、現代に生きる者として情けないが」
そこまで言って、ノイは自分が見ていた爆心地の施設のあるデータに気づく。
「…ほう。どうやら永二、君の神風は叶いそうに無いぞ?」
「はぁ?」
永二は眉をひそめて、ノイに渡されたデータを見る。
「…おい、ノイ、こいつは…!?」
「よかったな、永二。君に立派な足かせが付いたわけだ」
ノイの見せたデータには、あるシリアルナンバーが映し出されている。
門倉甲の脳チップのシリアルナンバー。同じもの一つとして無い、アークのライブラリーに登録された彼の脳チップのナンバーだ。
そのデータは、甲のシリアルナンバーと、『彼』の脳チップのナンバーが一致したことを示していた。
それはつまり。
「…『彼』はクローンなどではなく、門倉甲、その本人である可能性が極めて高い、ということだな」
ノイはますます楽しそうな笑みを浮かべ、データの解析に取り掛かった。



そして、遠く、遠く、離れた場所。
瓦礫の山の上に腰掛け、眠るように世界を眺める者が一人。
ゆっくりと目を開くと、その手を空にかざした。

「…やっと、届いた」

その手に握る、一つの結晶。
運命を変える、一握り。






To be continued ...



[17925] 第六章 悪魔 -Observer-  <1>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/06/04 21:05

カゲロウの背中が見える。
(こう…? 甲!)
手を伸ばそうとして、でも、その手は届かない。
『違う。俺は甲じゃないし、甲とも関係ない』
彼は、他ならぬ門倉甲の声で、門倉甲であることを否定する。
離れていく。
(待って…! 待ってよ、甲!!)
『間違えるな、空。お前は生きてるんだ。死人の影を追いかけても、良いことなんて何もない』
空はカゲロウの背中を追いかけようとする。
なのに、手は届かない。
(甲、待って、甲!!)
離れていこうとするカゲロウが、足を止めた。
呆れた様に、肩越しに振り返る。
『頑固な奴だな、お前は…。言ったろ、俺は甲じゃない。…だから、俺がまた消えたって、悲しむことなんてない』
(え?)
『…すまない、空。真ちゃんと、仲良くな』
その言葉を最後に、カゲロウが唐突に消える。
(あ…)
暗闇に、空は残される。
どうしようもない絶望感があふれ出して、なのに。

『…ごめん、甲』

自分じゃない、自分の声が聞こえる。

『私、やっぱり止められない。ここでなら貴方を探せる。だったら私、貴方を探したい』

自分じゃない自分の、決意の声が、届く。

――これは、あなたの可能性。

唐突に、そんな声がした。
いや、正確に言えばそれは声じゃない。
頭の中に流れ込んでくるような、直接浮かび上がるような、肉声を伴わないメッセージ。

――あなたが辿るかもしれない未来。彼が見せない、あなたの未来。

気がつけば、空は真っ暗な闇の中で漂っている。
周囲を確認する。誰もいない。
(あなたは、誰? 今のは、あなたが見せたの!?)

――私は、

暗闇に、おぼろげな像が見える。だが、それが誰なのかはっきりは見えない。

――私は、エージェント…








空は、そこで目が覚めた。













第七章:悪魔 -Observer-










「…変な夢見たような」
寝起きの、あまり良く回っていない頭で夢の内容を思い出そうとするが、よく思い出せない。
とりあえず、伸びをする。
そこは、仮想の如月寮、その中の自分の部屋。
雅と別れた後、この如月寮を訪れた時に案内されたのだが、亜季が作ってくれていたらしい。
引き出しには、灰色のクリスマスできっと焼けてしまっただろう、自分がつけていた日記まで再現されていた。
「……」
机の上に飾ってあるのは、亜季が気を利かせたのだろうか。甲と自分の写真だ。
いつのデータなのか、至近距離で口喧嘩している所が写っている。
喧嘩の真っ最中のくせに、二人とも妙に楽しそうだ。
写真を見ながら、空はふと、呟く。
「…会いに、行ってみようかな」
きっと、今も眠っているだろう、『彼』に。
口に出してしまうと、あっさりと心は決まった。
手早く身支度をして、廊下に出る。
「あ、空先輩。おはようございます」
「菜ノ葉ちゃん。おはよう、来てたのね」
昨日に引き続き、と言うべきか。菜ノ葉が花束を持って駆け寄ってくる。
「はい。…あれ? その部屋って、確か」
空が出てきた部屋を見て、菜ノ葉は首を傾げる。
「うん、昨日、亜季先輩が作ってくれたの」
自分の部屋を振り返って、目を細める。
が、菜ノ葉は何故か半眼になって。
「あの…。変なもの、ありませんでした?」
「は?」
「だって亜季先輩、私の部屋作ってくれたとき、酷かったんですよ?」
「…酷いって?」
「…観葉植物が、ウツボカズラに…」
「……それはまた何と言うか」
一体全体、亜季の中では、菜ノ葉は何を育てていたことになっていたのだろうか。
しかしその割には、空の部屋や甲の部屋は綺麗にできていたが。
甲の部屋はともかく、空の部屋にそういうことがなかったのは。
あれで、亜季はかなり人に気を使うタイプだ。
死闘で疲れている空を、さらに疲れさせるようなふざけ方は避けたのかもしれない。
(…ひょっとして、亜季先輩ってば、菜ノ葉ちゃんにじゃれてる?)
苦笑して、それから空は菜ノ葉の持っている花束に目を移す。
「それ、カーネーション?」
「あ、はい…」
菜ノ葉は、どこか寂しそうに頷く。
「甲の部屋に、飾ろうかと思って。甲、カーネーション好きだったから」
「…そうね」
けれど、その「好き」は辛い思い出と紙一重だったことも知っている。
少ししんみりしてしまった空気を払いのけるように、菜ノ葉は慌てて、
「あ、そうだ! 先輩、クゥちゃん起きてましたけど、大丈夫なんですか!?」
「あ、クゥに会ったの?」
「はい! もう、びっくりしました…。って、そうじゃなくて!」
菜ノ葉は、恐らくハウリングのことを心配しているのだろう。
あの時、空が調子を狂わせていたのは、如月寮の面々なら誰でも知っている。
「うん、大丈夫。今は、双子みたいなシンパシーがある程度だから」
「そうなんですか? …なら、良いんですけど」
不安そうな菜ノ葉を安心させるように、空は菜ノ葉の頭に手を置く。
「ありがとう、心配してくれて。大丈夫だから」
「はい…」
と、その直後だった。
「な、なのは~~~!! お鍋吹き零れてるー!!」
クゥの声が聞こえてきた。
「ええ!? ご、ごめんなさい、先輩、ちょっと行ってきます! クゥちゃん! 火、火弱めて!」
花束を抱えたまま慌しく台所に向かう菜ノ葉を、苦笑しながら見送る。
それと入れ違いで、亜季が寝ぼけ眼で姿を見せた。
その格好を見て、空は眉間に手を当てる。
「あ、亜季先輩…」
「あー、そら。おはよう」
着崩れた格好。いくら今は女性ばかりだとは言え、胸元が半ば露出しているこの格好はいくらなんでも。
「お、おはようございます…。それよりも、何なんですかその格好…!」
空は亜季の手を引っ張って、彼女の部屋にもう一度戻る。
凄まじいチューンナップの施されたコンソールが目に入ったが、とりあえずそれは関係ない。
「あーもう、寝癖付いてるじゃないですか!」
自分の化粧ツールからブラシを実体化させる。
「うう、何か寝た気がしない…。頭の中を文字が飛び交っている…」
「文字って…、何してたんです?」
亜季は少し恨めしそうに空を見ると、
「始末書」
「…は?」
「…ああ、その時空は寝てたね。クゥの凍結を無断で解いたことで、始末書を書かされてる」
「え? でも、凍結って無期延期って…?」
「それはそれ、これはこれ、らしい」
「それは、すいません…」
原因が自分では恐縮するしかない。
とはいえ。
「でも、何でそんなに疲れてるんですか? 亜季先輩なら始末書くらいイメージジェネレーターですぐに」
「できたらやってる」
亜季はむすっとした顔で、答える。
空は亜季の長い髪を整えながら、首を傾げた。
「できないんですか?」
「やろうと思えばできる。でも、アークの始末書は、手書き」
「はい?」
「叔母様の作った専用の原稿用紙とボールペンで書かされる。一字でも書き損じたらページ丸々一枚書き直し…」
亜季がツールボックスから、原稿用紙の束とその上に置かれたボールペンを具現化させて見せる。
「原稿用紙には複製防止機能付き。おまけに叔母様特性のシリアルコードが仕込まれてるせいで、書き上げ済みをイメージジェネレーターで作って提出してもすぐバレる…」
「……えっと」
何というか、手が込みすぎである。
ウィザードを多く擁するアークならでは、と言えばその通りなのだろうが。
「…空、代わりに書かない?」
「…遠慮します」
「…ちなみにノルマは10枚…」
「…進展は?」
「まだ半分…」
がっくりと肩を落とす亜季。
しかし、始末書と言うよりは、小学生が書くような反省文ではないだろうか。
そんな感想を胸に秘めて、空は亜季の寝癖まみれの髪が綺麗に整えて、
「えっと、とりあえず、髪綺麗になりましたから、ご飯食べません?」
「ん、そうする」
半ば誤魔化すように、亜季を居間へと引っ張っていった。



「ああ、あれは亜季さん専用」
食後、『彼』の診察が行われている場所を聞こうと聖良を尋ねた空は、何となく始末書の事も聞いてみたのだが。
「…せ、専用なんですか?」
「そう。あの子も困った子だから。減給もクビもまるで堪えない。あの子を反省させるには、面倒なことをわざとさせるのが一番なの」
「…それで、手書きの始末書、ですか?」
何と言うか。叔母と姪のコミュニケーション、ということなのか。
しかし、誰の発案なのだろうか。
「…私もよく八重さんに書かされていたし」
「…え?」
何だか聖良が妙なことを口走ったような気がして、空は思わず彼女を凝視した。
「何でもないわ」
「…えっと…。わかりました」
よく聞こえなかったが、とりあえず空は何も聞かなかった事にする。
「ところで、空さん。甲さんにシミュラクラがいたと言うことは、もう聞いているわね?」
「はい」
「そう。クゥさんの報告では、甲さんのシミュラクラは、オブサーバーを名乗って行動している、ということだけれど」
「…ええ、その通りです」
頷く空。聖良はそれを見て、目を閉じた。そのまま続ける。
「…空さんは、シミュラクラの性質は知っているわね?」
「モデルとリンクされ、感覚性<クォリア>を学習するNPC、ですよね」
「ええ。本当はもう少しいろいろな役目があるのだけれど、一番大きな役目はそれね。そして、それはモデルとなる人間とのリンクが不可欠」
聖良は改めて目を開くと、空を真っ直ぐに見つめた。
「それ故に、シミュラクラはモデルとなる人間とのリンクを失えば、起動できなくなる」
「…つまり、オブサーバーが行動している以上、甲が生きている、ということですか?」
僅かな期待を押し殺し、空は尋ねた。だが、聖良は首を横に振る。
「いいえ。生きている生きていないの問題ではないの。そう、仮に『彼』が甲さんであるとしても、それだけではオブサーバーは起動できない」
「え?」
「モデルとの間のリンクこそが不可欠なの。空さん、『彼』は洗脳<マインドハック>を受けたでしょう? その対策として、『彼』がここに運び込まれてすぐ、私達は『彼』とネット空間との接続全てを切断しているの」
「…それって、つまり」
「『彼』が甲さんであるにしろ、そうでないにしろ、今現在、甲さんのシミュラクラ、オブサーバーはその起動条件が満たされた環境に無い、ということ」
ならば、オブサーバーとは一体何なのか。
彼は甲との関わりと問われる度に、同じ言葉を繰り返す。
自分は甲ではない、甲とも関係ない、と。
「…空さんは、一年前に清城で起こった、NPC密造業者の大量摘発事件はご存知かしら?」
唐突に、先ほどまでの話題とは全く異なることを、聖良は口にした。
少々面食らいながら、空は記憶を辿る。
「え? ええ、ニュースで見たことがあります。清城のCDFにしては頑張ったな、って思ってましたけど」
「あの時摘発された密造業者には、ある共通点があるの」
聖良はいくつかのデータを投影する。
その中には、NPCの海賊版を作っていたらしい業者のデータが。
そこまで見て、空はふと、気づく。
「…え、あれ?」
「気づいたかしら?」
「これ、摘発された業者全てが、甲のNPCの海賊版を…?」
密造業者の作っていた海賊版NPCの一覧に、全て甲の似姿であるNPCが登録されている。
「あの時、CDFは自ら動いたのではなく、動かざるを得なかったの。NPCの密造屋、その内部情報が、ある日一斉にネットに流出したから」
それは、単なる偶然かもしれない。
たまたま流出したデータにある密造業者が全て、甲のNPCの海賊版を作っていただけかもしれない。
だが、空の直感は全く違う。
甲のNPCが、密造業者や人身売買組織のデータをわざと流出させたのではないか。
正確に言えば、NPCの中に紛れ込んでいた、オブサーバーが。
摘発は、その流出を無視する訳にもいかなかったCDFが、やむなく行ったことだと言うことだろう。
NPC密造は立派な犯罪行為。それが明るみに出ていながら何もしないなど、GOATを代表する統合軍に清城への介入の口実を与えてしまうことになる。
「…偶然なのか、そうでないのか、私達には判断ができなかったわ」
聖良は思い返すように、静かに語る。
「アーヴァルシティの甲さんのNPC達はね、元は海賊版だった子なの。それを回収して正規のIDを与え、アーヴァルシティの案内役としての任を与えて調整しなおしたのが、あの子達」
「…そんな」
「ありえないと思いつつも、甲さんをモデルにしたNPC達の中に、少しでも甲さんの心が宿っていることを期待してしまった。だから、処分ではなく、再調整を行ったの」
だとすれば、経緯がおかしくなる。
海賊版が作られるようなNPCは、元々の人気が高いが故にそういう標的になる。
知名度が全く無ければ作られることなど無い。
にも拘らず、甲のNPCはアーク社で量産される前に、海賊版として一度は売り出された。
「何故、甲のNPCの海賊版が作られたんですか?」
「理由は判らないわ。けれど、原因は判る。その事件の少し前に、甲さんのシミュラクラのデータが盗み出されたの」
「盗む、って…。アークのセキュリティを突破できるような凄腕がそうそういるとは」
そこまで言って、脳裏に思い浮かんだのは、自身の妹。
水無月真。彼女は、ネット上のセキュリティを透過してしまう能力を持っていた。
「…まさか、まこちゃんが…?」
恐る恐る、聖良に尋ねてみる。だが、彼女は首を横に振った。
「それは判らないわ」
そう答え、だが、付け足すように続ける。
「…ただ、彼女である可能性は、高いわね」
「そんな、どうして!?」
「シミュラクラのデータ以外に手を触れた形跡が無かったの。それは、シミュラクラという存在を知りえなければ、そして始めからそれが目的でなければ成しえないことよ」
「…そんな…」
確かに、真はシミュラクラの存在を知っている。あの頃も、真はクゥとよく一緒に居た。
だが、ならば何故、甲のシミュラクラの存在に思い至ったのか。
甲にシミュラクラが存在する、というのは、亜季と聖良以外に知る者は居ないだろう。
他ならぬ甲自身すら、その存在を知らなかったはずだから。
しかしそれでも、ひょっとしたら。
「…まこちゃんは、あの頃から甲のシミュラクラの存在を知っていた…?」
「可能性はあると思うわ」
ネット上では自由奔放と言ってもよかった真。
ならば、ネットを歩き回っている最中に、甲のシミュラクラに会ったこともあるのかもしれない。
凍結されていたとはいえ、その存在はネットに確かにあったのだから。
だが、何故データを盗み出したのか、そして、何故甲のNPCを作り出したのか。その理由が判らない。
空は妹の不可解な行動に頭をめぐらせるが。
「空さん、その上で、個人的にお願いがあるの」
聖良のその言葉で、思考を中断する。
「あ、はい」
「甲さんのシミュラクラのデータを回収して欲しいの。オブサーバーを名乗るNPCが、どうして行動可能なのか、それを解析するのに必要だから」
「回収、と言われても。今どこにあるのかが…」
「あなたが先日持ち込んだデータ、あれには一年前の摘発を逃れたNPC密造業者の構造体のデータがあったわ。そこにあるかどうか、まずはそれから調べて欲しいの」
「…判りました」
エディは言っていた。NPC密造屋が、ドミニオンと繋がっている、と。
そして、真はドミニオンにいる。
「データの解析は、もう終わりそうなのですか?」
「というよりは、もう終わっている、と言うべきね。直にフェンリルでブリーフィングがあるはずよ」
「判りました」
空は頷く。
「長話をしてごめんなさいね。さぁ、『彼』の所に行っておあげなさい」
「…はい。ありがとうございます、小母様」



現実側に戻り、空はアーク本社の一室を訪ねる。
極秘事項に該当しているらしく、聖良の認めた人間しか入ることが許されないようなセキュリティが施されていた。
『照合完了、登録No.025436343 水無月空』
電子メッセージと共に、その部屋のドアがエアを吐き出し、スライドする。
「…失礼します」
部屋の中は無人だ。
診察を担当しているはずのノイは、今現在爆心地のあの施設を調べに出ている。
空は少し躊躇うが、意を決して中へ踏み込んだ。
『彼』は医療用カプセルの中で眠っている。
今のところはまだ、目覚める兆候は無いということだが。
空はそのカプセルの傍に椅子を引っ張ってくると、腰を下ろした。
「…甲」
自然と、空は『彼』をそう呼んだ。
「…何でかな。私、あなたが甲だって、確信しちゃってる。根拠なんて何も無いのにね」
カプセルケースの蓋に手を触れる。
しばらくそうして、空はまた、そっと口を開いた。
「ねぇ、甲。雅さ、結婚したんだって。奥さんの顔はまだ見てないけど、ちょっとびっくりしたよ」
無意識に、空はあの頃の仲間達の近況を話し始めていた。
「菜ノ葉ちゃんは、バイトして暮らしてるみたい。…甲のこと思い出すから、ニラ料理作れなくなっちゃってるの。…何だか変な話よね。一番食べたがらない人が居ないから作れない、って」
「亜季先輩、今はアークで働いてるよ。でも、相変わらずみたい。クビも減給も堪えないからって、小母様から特性の始末書用意されてた」
「レインのこと、覚えてる? 今も、私を助けてくれてる。なんだか、だいぶ磨れちゃったけどね…。時々、おどおどしてた頃のレインが懐かしくなるよ」
「…昨日ね、千夏に会ったの。千夏も、凄く辛い思いをしてきたのかな…。…私、ひょっとしたら千夏と…。ごめん、こんなこと考えちゃ駄目だよね」
「まこちゃんは…。自分が甲を殺しちゃったって言ってた…。聞いたときは何も言えなかったけど…。私、今度はちゃんと話を聞いてみる。目が覚めるまでには、ちゃんと仲直りしておくからね」
「…私のことは…。別に、いいよね。今、ここで元気にしてる。…してる、けど」
ふと、言葉が止まる。
「…話、したいよ、甲。もう一度、あなたと話がしたい…。話が、したいよ…」
俯いて、搾り出すように、空は小さく言う。
それからしばらく、その部屋には計器の電子音だけが響く。
空は俯いたまま。
甲は、眠ったまま。
ただ、時間だけが過ぎていく。
やがて、空は立ち上がった。
「…ごめんね、一方的に話しちゃって。…また、来るから。その時にはちゃんと起きて迎えてよね、甲…」
言い残して、空は部屋を出ようとして。
「――――」
何かが聞こえた気がして、空は振り返った。
「…甲?」
呼ばれた気がした。駆け寄り、もう一度、カプセルの中の甲を覗き込む。
だが、何も変わった様には見えない。
幻聴、だったのだろうか。
「…馬鹿。ねぼすけ。…寝言でも、もっとはっきり言ってよ…」
後ろ髪を引かれる思いで、空は改めて、その部屋を後にした。



清城の街を歩く。目的地は、街のネットカフェだ。
そこからネットへダイブし、エディの調べたNPC密造屋に潜入する。
アークからダイブしない理由は、この潜入行為自体が法に抵触しかねないからだ。
空が所属するフェンリルはあくまでも民間業者。CDFのような立ち入り調査の権限は持たない。
万一捕まるようなヘマをすれば、アークまでそのリスクが及ぶ。
『クゥ、状況は?』
『正直長居したくない場所…。目のやり場に困るって言うか』
一足先にそのNPC密造屋が存在すると言う、無名都市の「愛と快楽のフォーラム」に入り込んでいるクゥから、返事が返ってくる。
『そういうことじゃなくて』
『ごめん、判ってる。とりあえず、今確認してる範囲は一般のお客さんしかいないみたい』
空はクゥと交信しながら状況の推移を確認する。
『…ところどころにCDF所属の人がいるのかな。でも、あんまり仕事はしてなさそう』
『それは恐らく、阿南の私兵だな。気取られないようにしろ』
『了解』
シゼルの指示が飛ぶ。
空と共に移動していたレインが、小さく口を開いた。
「近いうちに、クゥさんに仕事を取られてしまいそうです」
「相手はAI何だから仕方ないわよ。レインはリアル側で頑張ればいいんじゃない?」
「そうでしょうか…?」
少し肩を落とし気味なレインの背中を軽く叩いて元気付ける。
「そうそう。それに、クゥはある意味特別だからね」
言いながら、ふと思う。
神経接続子を用いて、端末からネットに没入する第一世代。
それを用いずとも常時ネットに繋がり、どこからでも没入できる第二世代。
ならば、ネットで生まれ、ネットで生き続けるクゥは、第三世代とでも言うべきかも知れない。
そんなとりとめもないことを考えていると、何か見覚えのある物を見た気がして、空は足を止めた。
ネットカフェの間近、その場所から出てきた誰か。
「どうしました? 中尉」
「あ、ううん…」
何か、見覚えのある影が歩いていた気がするのだが。
そう、小柄で特徴的な緑の髪。
「…今の、菜ノ葉ちゃん?」
「え?」
レインは空の見つめている方を見直すが、既にもう姿を消している。
「追いますか? 中尉」
「…ううん、今はそれどころじゃない。作戦開始まで間が無いし、急ぐわよ」
「判りました」
菜ノ葉が出てきたらしきネットカフェに入り、カウンターに目をやる。
『店員はいないか』
『むしろ好都合です。急ぎましょう』
『そうね』
それぞれ、棺おけの様なコンソールに身を預ける。
ダイブする直前、クゥから空限定のメッセージが届いた。
『…そらぁ、ごめん~』
『何?』
『すっごいまずい人に捕まった…』
『捕まったって…、ちょっと待って、今どこ!?』
すぐに、クゥからアドレスが転送されてくる。
『すぐ行くから!』
『…ぅぅ、何と言えばいいのか~』
焦っているというよりは困っている、そんな感じのクゥの様子に首を傾げながら、空はアドレスに従ってダイブした。
1と0の海を潜り抜け、荒廃した街の真っ只中に降り立つ。
「クゥ!?」
すぐさまクゥの姿を探して周囲を見回し、思わず絶句した。
「よう、空」
「ご、ごめん、空…」
首根っこを捕まれた様な格好で項垂れているのは、クゥ。
それを捕えているのは。
「ちょっと署までご同行願おうか?」
「ま、雅!?」
悪戯じみた笑みを浮かべながら、雅は言う。
空はため息混じりにクゥを睨みつけると、
「…すっごいまずい人ってのは、雅のことか」
「うん…」
「こっちも驚いたんだけどな。空がえらく懐かしい格好をして歩き回ってるから、とりあえず声をかけてみたんだが。まさかクゥちゃんだとはな」
雅はクゥをとりあえず開放すると、空を睨みつける。
「…で、お前は何の用事だ?」
「……」
空は沈黙したまま、雅を睨み返した。クゥはおろおろと二人の顔を伺う。
「…場合によっちゃ、マジで同行願わなきゃならねぇ」
そういった直後、予想外のアクションが起こった。
『お前らも、阿南狙いか?』
「!?」
驚いて、空は雅の顔を凝視してしまう。
『嘘、チャント!? 何で雅が!?』
CDFは大部分が阿南の私兵にされている。
もちろん全てがそうではない。だが、その類の人達の連携と反乱を防ぐ為、CDFではチャントの使用は禁止されているはずだ。
大義名分は、CDF内の内通者防止の為、ということになっているが。
「さって、何も答えてもらえないんなら、話の続きは署でして貰うことになるが?」
『無断使用って奴さ。普段はツールの底の方に隠した上に偽装までしてるから、そうそう使えないんだけどな』
「そうは言われてもね。身に覚えも何も無いんだけど。私は妹を探しに来ただけだし」
『…驚いた。そこまでして雅も阿南を追ってるの?』
表面上は緊迫した会話を装いつつ、空は雅の真意を問う。
雅はクゥを一瞥して、肩をすくめた。
「ま、確かに未成年がうろつくには問題のある場所だな」
『ああ。CDFにだってまともな連中は居る。今の状況を変える努力は俺達だってやってるのさ』
『その為に、一先ずは阿南のスキャンダルを狙うのね』
答えながら、空は内心舌を巻く。
チャントは互いの間でのみ成立する音声通話。とはいえ、チャントを交わせば、多少なりとも特有の仕草というものが生じる。
視線のやり取りであるとか、表面上の会話に隠すにしろ、その会話が内容の薄いものになるとか。
にも拘らず、雅は横で聞いていたとしても、チャントの使用を察することができない程に隠し切っている。
恐らく、そういうスキルを得なければならない事情があるのだろうが。
空はクゥに目配せをする。
『…状況をシゼルさん達に伝えれば良い?』
『お願い』
端的に意思の共有を行い、クゥにフェンリルの仲間達へ連絡を頼む。
「雅こそ、こんなとこで何してるのよ。奥さんの居る警察官が来るところじゃないと思うんだけど?」
「おおっと、こりゃ薮蛇かな。ま、野暮用があってな」
「野暮用ねぇ」
肉声で肩をすくめながら答える。
『空、どうするの?』
『…目的は同じだけれど、できればお引取り願いたいところね』
クゥに応じながら、空は一歩前に出る。
「まぁ、軽い事情徴収程度なら応じてあげるわ。ただし、私だけね」
「へぇ、随分協力的だな?」
「妹に変な手を出して欲しくないだけよ。…スカート捲りとか」
「うげ、何で知ってんだよ…!」
雅と腹の探りあいのようなやり取りを交わして、空はクゥを振り向いた。
「クゥ、先に『戻って』なさい」
「う、うん。気をつけてね」
言って、クゥの姿が消える。
一見ログアウトのように見えるが、恐らくそう偽装したムーブだ。
彼女を見送って生じる僅かな間。多少の空白ならばそれは不自然ではない。その隙に、要項だけ尋ねる。
『…監視ついてるの?』
『まぁな。俺も一応危険分子だし』
『…ちょっと待って』
その場を離れたクゥと、フェンリルとのチャンネルを開く。
『レイン、どう?』
『やはり尾行が居ます。雅さんを囲むように数名。一部クゥさんを追ったようです』
レインの報告に重ねるように、クゥからも報告が連なる。
『わざとつけられたままにしてるんだけど、どうしよう?』
それに対して、今度はシゼルから。
『上出来だ。不自然に振り切ったら変に警戒されるからな』
『…阿南の私兵とはいえ、CDFだ。今の段階で事は構えたくは無い』
モホークも答える。
「…で、どこで事情徴収してくれるのかしら?」
「そうだな…」
雅は不敵に笑うと、
「ここなんかどうだ?」
言いながら、無名都市の地図の一角を示してくる。
「…!?」
その場所は、これから空達が潜入しようとする店のポイントだった。
「…雅、あなた…、既婚者がそういうところに誘うってどういうつもりよ?」
『…どこまで知ってるの?』
「ま、俺も腐ったCDFなもんでね。付き合ってくれたら妹さんには手ださねーよ」
『ってことは、ビンゴか。頼む、一口噛ませてもらえないか?』
カマをかけられたことに気づき、空は雅を睨みつける。
だが、彼はあくまでも笑みを浮かべたままだった。






To be Continued ...



[17925] 第六章 悪魔 -Observer-  <2>
Name: 凪葉◆65cb7d48 ID:3feb154a
Date: 2010/07/30 01:38

『お前はこの作戦中、フェンリルの一員として動いてもらう。階級は准尉扱い。上官の命令には絶対服従だ。いいな』
『了解っす』
『返事は了解<ヤー>だ!』
『や、了解<ヤー>!』
シゼルと雅のやり取りを見ながら、空は少し考え込む。
『どうしました? 中尉』
『ん…。レインは、一年前の密造屋の摘発事件は覚えてる?』
『ええ。ここはその摘発を逃れた業者のようですね』
レインは勤めて無表情で答える。
周囲にはあまり長時間聞いていたくない嬌声が響き渡っている。
『しかし、クゥさんのおかげで助かります。電子体レベルでのヒドゥンモードなんて普通できませんし』
『といっても、あんまり長時間はできないよ? シュミクラムレベルの解析装置持ち出されたらすぐばれるし』
フォーラム内部にクゥの繰り出した裏技を使って侵入したメンバーは、合計六人。
空、クゥ、レイン、雅、シゼル、モホークだ。
『ブリーフィングでも説明したが、この先には脳内物質の感知装置が仕掛けられている。本来なら媚薬<バーチャルドラッグ>を使って突破するところだが』
シゼルは言いながら、クゥを振り返った。
クゥは頷くと、
『レイン、ちょっとツール貸して?』
『ええ。手伝います』
『うん』
レインのツールを一部借り受け、クゥは感知装置に目を向ける。
時間にして、数秒。
『…よし、くぐって!』
クゥが素早く指示を出し、空が先頭を切って感知装置を潜る。
反応は無い。
『ひゅぅ、すげぇな、クゥちゃん』
『サポートとしては、複雑ではある』
雅がチャントで器用に口笛を吹き、モホークはいつもの無表情で空に続いた。
シゼル、レインと続き、最後にクゥが抜ける。
『クゥ、足跡も消せるか?』
『もちろん』
そのやり取りを背中に聞きながら、空は構造体の地図を表示する。
エディから最後に受け取った情報、それを解析した結果のものだ。
『大佐、侵入完了しました。約一名、部外者が混じりましたが』
『ははは…』
雅が頭を掻いている。
そもそも、雅を同行させることをどうやって認めさせたのか。
空やクゥ、レインが保障したから、と言う訳ではない。
雅自身が一つ、切り札を持っていたからだ。
今現在、阿南の使いとして来ている筈の私兵の規模と構成。そして、最近加わった新たな傭兵団。
『グレイプニルのことなら、今しがた俺も聞いた。気をつけろよ、お前ら』
あの永二が、本気で警告してくる。
『…それほどに、手強い相手なんですか?』
『手強いっつーより、手が読めねぇ』
通話の先の永二が、苦い顔を見せた。
グレイプニル。金さえ払うならば何でもする、非正規のPMC。その規模はフェンリルを上回る。
一騎当千の実力者の集まったフェンリルならば、多少戦力で上回れたところでたいした問題ではない。
だが、グレイプニルの異質さはその先にある。
『単純に言えば、有能な奴は下っ端で泥まみれにされて、無能な奴が上官で無様に踊る。そういう部隊だ』
『それだけ聞くと、たいした部隊じゃなさそうだけど…?』
クゥが首を捻る。
『ああ。グレイプニルの大部分の部隊はそういう構成ってだけだ。けどな、そういう無能な奴が指揮官だからこそ、セオリーってもんが通じねぇ』
ふと、空はジルベルトを思い出す。
あの男はどう見ても、人の上に立てる資質など無いはずだ。
にも拘らず、あの男はダーインスレイブというPMCを率いている。
『さっきも言ったがな。有能な奴は泥まみれ、無能な奴は無様に踊る、そういう姿を見るのが好みなんだとよ、あの女』
『その上で、あの女は本物の凄腕だ。…大佐とやりあって、その上で無傷で逃げ果せる程な』
永二の嘲笑する翼竜<ニーズヘッグ>と正面からやりあえば、無事に済むものなどそうは居ない。
だが、永二やシゼルの言う「あの女」はそれを成し遂げた。
それだけで、並大抵の腕ではないことは判る。
『…えーっと、CDFの兄ちゃん。あんたは、グレイプニルの女と会ったのか?』
『いえ、幸いにも遠巻きに見ただけっすよ。けどまぁ、それだけでもあいつはヤバイって思いましたがね』
雅は苦虫を噛み潰したように、答える。
永二は頷くと、
『そいつぁ幸運だったな。…よし、作戦を一部変更する。この状況であの女の部隊とやりあいたくねぇ。可能な限り手早く済ませるぞ』
『『『了解』』』
全員が声をそろえ、答える。
『シゼル、モホークはボスを探して捕らえろ。空嬢ちゃん達はセキュリティコアを落とせ。聖良さんの依頼も頼むぞ』
『あ、あの、俺は?』
『雅はこっちについて来て』
『了解』
空の指示に雅が頷くのを確認して、永二はクゥに視線を移す。
『クゥ嬢ちゃん、場合によっちゃ、自分の判断で切り札を切ってくれ』
『へ?』
面食らった顔をするクゥ。困った顔で空を見る妹に頷き返して、
『頼りにしてるからね、クゥ』
『う、うん!』
クゥは緊張した面持ちで、大きく頷く。
『よし、全員行動開始だ。くれぐれも無理をするな』
シゼルの指示を合図に、メンバーは二手に分かれる。
空のチームは、クゥとレインが構造体の地形図を照合しながら先導して歩く。
シゼルのチームのサポートであるモホークにも、同様のサポートはされているはずだ。
『…雅』
『あん?』
『…あまり詳しく聞けなかった、入る前に聞いた話。続きを聞かせて』
『…ああ、あれか』
雅は視線を中空にさ迷わせ、
『…どこまで話したっけか?』
『…雅がここに当たりをつけた理由よ』
雅はそもそも、空たちのようにドミニオンとの繋がりを嗅ぎ付けて来た訳ではなかった。
一年前の摘発事件。摘発されたNPC密造屋が全て甲のNPCの海賊版を作っていた、偶然かそうでないのか、判断のつかない事件。
だがそれ以降、NPC密造屋の業界では「破滅を呼ぶ人形」という悪名を背負っている。
ドミニオンが『彼』を悪魔の化身と呼んだことと符合するのは、これもまた偶然なのか。
とにかく、そんなNPCをなお作っている業者がここにあるというのだ。
そして、阿南がそこに出入りしている事実。
雅は、親友たる甲の人形を不法に作成させている何者かの正体と、その理由を探るためにここに来たらしい。
『そもそも、一年前の流出に噛んだのは俺自身なんだ』
『え?』
『…いや、頭がおかしくなったって思われそうな出来事だけどな。ある日突然、俺にコールが入ったんだよ。…門倉甲の名義で』
『な…!?』
驚いて、目を見張る。
雅は頭を掻き毟ると、
『今でもよくわかんねぇ。呼び出されて行ってみたら、そこには甲に似せたNPCが待っててさ…。ただ、クゥちゃんのことを知ってたおかげで、そいつはただのNPCじゃないってすぐ判った』
『…ひょっとして、そのNPCが業者のリストを雅に渡したの?』
『ああ、ご名答。それだけ押し付けて消えちまった。…甲の電子体幽霊が、NPCに乗り移りでもしたみたいだったぜ』
苦笑しながら雅は言い、空を見る。
が、空は雅の語る話を吟味し、一つの予想を立てていく。
そして、一つの質問を繰り出した。
『…雅、そのNPCに甲との関係を聞いた?』
『当たり前だ。返事はにべも無いもんだったけどな』
ならば、と。
空は自分が問いかけ、それに対して帰ってきた言葉を口にする。
『…僕は甲じゃないし、甲とも関係ない。門倉甲は死んだ。…そう、言わなかった?』
『…おい、まさか』
ぎょっとしたような雅の顔を見て、空は予想が的中したことを悟る。
間違いなく、雅が会ったNPCはオブサーバーだ。
『…私も、何度か会ってる』
『…俺の見間違いでも何でもなかったってことか。なら、あいつは何者なんだ?』
『甲の模倣体よ。私とクゥみたいな関係。そして、甲とのリンクがその存在に不可欠にも関わらず、リンクの無い今も行動している不可思議な存在』
言いながら、空は考える。
オブサーバーの持つ矛盾について。
リンクが存在しない今でも、行動を行う模倣体。
門倉甲とは無関係と言いつつ、言葉の端々にはその欠片が浮かんでいる。
そして、その名前。
なぜ、オブサーバー…、観測者を名乗るのか。
エージェントを名乗らない理由は。
(…? え、いや、そんなのを気にする理由なんて無いんじゃ…)
最後に浮かんだ奇妙な疑問に、空は自分で首をかしげる。
まるで、自分以外の誰かがふっと投げ込んだような疑問。
(自分以外の、誰か?)
先を歩くクゥを見て、直後。

――あの瞬間、水無月空のシミュラクラ『クゥ』は、ここにいる私以外に、もう一人居た

他ならぬ彼女が言った言葉が、脳裏を走る。
瞬間、何かがかちりと嵌まる感じがした。
自分の、爆心地の施設の場所を教えた、水無月空の姿を借りた、クゥではない誰か。
その正体が、まるで知っていたかのように答えが浮かぶ。
(あの子が…エージェント)
その名前を思い浮かべた、その瞬間だった。












くすんだ海辺。
空は、いつの間にかそこに座り込んでいた。
足元には、黒い瓦礫が。
首筋からは、何かに繋がっているジャック。
(…ここは?)
ふと、空は自分がその手に何かを握っていることに気づく。
それを見ていると、何だか小さな達成感のようなものがあふれて来る。
ジャックから何かが伝わってきたような気がした。
それを放棄しろ、そう言われた様な気がした。
それでも、空はそれをそっとかざしてみる。
「…やっと、届いた」
小さくつぶやいた。
感慨深げに目を閉じ。



次に目を開いたとき、目の前には黒い巨大なウィルスがいた。
(な…!?)
これは覚えている。あの時の白昼夢に現れたウィルス。
「あああああ!!」
気がつけば、叫んでいた。
衝動。あの中に、自分にとって掛け替えの無いものが囚われている。
助けなければ。絶対に。何があっても。
その為に、ここまで来たのだから。
その為に、彼が来てくれたのだから。
いつの間にか纏っていたカゲロウ・冴のその腕が、黒いウィルスのひび割れた装甲にかかる。
「うああああああああああああ!!!!」
絶叫、力任せに装甲を抉じ開ける。
その中で、いろいろな無機物に繋がれ、侵された小さな少女がいる。
『やらせんぞ、水無月空ぁぁあああ!!』
はっとして振り向くと、チェーンソーを携えた漆黒のシュミクラム。
だが、白と青で縁取られたシュミクラムがそれを弾き飛ばす。
『ぐぅ、おのれ、悪魔め…。だが、君ももう動ける状態ではない。無理に分身に自分の意識を刷り込ませた代償だ。このエスの浜辺にある有象無象の無意識が、君の意識と共に分身に流れ込んでいる。それではもう、その分身は持つまい!』
『…関係ない。空を救えるのは彼だけ。僕は、空とあの子たちが救えるならそれでいい!』
『その程度のこと、俺たちはとっくに覚悟の上だ。てめぇも覚悟を決めやがれ!!』
何故か白と青のシュミクラムは、同じ声で違う人物が話しているような言い方をする。
『ふはははは、よかろう! 君という悪魔を殺し! 我らが神の望む未来に! 君の首を供えようではないか!!』
漆黒のシュミクラムが身構える。なのに、白と青のシュミクラムは。
カゲロウは、ゆっくりと空を振り向く。
黒のシュミクラムは、神父は言った。カゲロウはもう殆ど動ける状態ではないと。
戦える状態ではないのだと。
「…甲、下がって! こいつは倒したから、あとは私が!」
叫ぶ。その瞬間、カゲロウ・冴を捕らえようと、黒のウィルスから無数のワイヤーが伸びてくる。
「な、こいつ!?」
巻きついたワイヤーを、カゲロウが投げ放った金属製のブーメラン<ラディカルスピナー>が切断していく。
『油断するな、空! そいつはしぶといぞ!』
「で、でも!」
『…それに、俺は甲じゃないって何度言えばいいんだ?』
「馬鹿! あなたが甲じゃないなら何だって言うのよ!!」
『通りすがりの電子体幽霊。それ以上でも以下でも無いさ』
「こんな時にふざけないで、甲!」
ブレードでワイヤーを払いのけながら、空は叫ぶ。
『頑固な奴だな、お前は…。言ったろ、俺は甲じゃない。…だから、俺がまた消えたって、悲しむことなんてない』
その言葉に、空ははっとする。
カゲロウがいつの間にかその手に握っている、あれは何なのか。
『ぬぅ、貴様、まさか!?』
『…すまない、空。真ちゃんと、仲良くな』
そうだ、カゲロウはもう戦えない。
それでも、敵を止めようとするなら。
「まさか…!? 待って! やめて、駄目!! 甲ぉぉ!!」
『…さぁて、ゾンビ神父、悪魔直々のお迎えだ。一緒に地獄へ帰るぞ!!』
『ぬ、ぬぉぉおおおおおおおお!?!?!?』
カゲロウが駆ける。
握ったそれを神父の機体に叩きつける。
瞬間。
凄まじい爆風が、カゲロウ・冴と黒いウィルスに襲い掛かる。
「うそ…、甲? やだ、待ってよ、甲…!? こう、こおおおおおおおおおおおおお!!!!」



気がつけば、また変わっていた。
やはり同じ浜辺。
だが、空はその手に、真を抱いていた。
(まこちゃん…?)
大事そうに、空は真を抱きしめ、それから地面に横たえた。
「…ごめんね、まこちゃん。私、最低の姉だよね。でも…、もう、この気持ちに嘘つけないから」
空は、そっと立ち上がる。
そして、シュミクラムにシフトする。
目の前には、今なお動こうとする巨大なウィルス。
「…こいつと戦い続けることになっても」
真の体に、ムーブの兆候が出始める。
空が仕掛けたものだ。安全な場所まで、真を移動させるための。
「…ごめん、甲」
真が消えるのを確認して、空はブレードを構える。
「私、やっぱり止められない。ここでなら貴方を探せる。だったら私、貴方を探したい」



そしてまた。
今度は、目の前にカゲロウが立っている。
(……い、や)
体が、意に反して動こうとする。
手にしたブレードを、カゲロウに向け。





















「空、駄目! それ以上覗いたら壊れる!!」






















何かに引き上げられるような感覚。同時に、空は構造体の中で座り込んでいた。
「…え?」
「おい、大丈夫か、空!」
「中尉!」
呆然とした顔で、空はレインと雅を見上げる。
「…えっと、ここは…」
「落ち着いて、空。ここは、NPC密造屋の構造体だよ」
自分の顔を覗き込むようにしているクゥが、言い含めるように告げる。
「…あ」
それでようやく思い出す。
果たして自分は白昼夢を見ていたのか、それとも。
「…空」
クゥは辛そうな顔をして、それから彼女を抱きしめた。
「え、ちょっと、クゥ!?」
「…空、お願いだから、今の夢は忘れて。思い出さないで。…それは、私が代わりに覚えておくから」
「…クゥ?」
「…判っちゃった。そうだったんだ。…私は、『私達』だったんだ…」
いつの間にか、クゥは泣いていた。
レインと雅はどうしたらいいのか判らず、黙って立ち尽くし。
空は、よくわからないままに、それでもクゥが泣いている理由がなんとなくわかって。
そっと、その背中をあやしてやる。
「…ありがとう、クゥが、引き上げてくれたのね」
「うぅ、空、そらぁ…」
少しだけそうして、クゥが落ち着くまで待って。
空は立ち上がった。
「ごめん、妙な時間を食わせちゃったわね」
「いえ、それより中尉、大丈夫なのですか?」
レインの心配そうな目に、空はクゥを見る。クゥは少しだけ俯いて、それから頷いた。
それに頷き返して、空はレインに答える。
「たぶん大丈夫。まぁ、戻ってから診察は受けるから」
「そうしてください。この任務が終われば、ノイ先生も戻られるでしょうし」
「無理すんなよ、空」
レインと雅に次々に言われ、空は肩をすくめる。さすがに反論の言葉は無い。
こんな形で白昼夢を見たのでは、心配されるのが当たり前だ。
しかし、今はそれ以上に急ぐことがある。気を引き締め、意識を切り替える。
「急ぐわよ。時間のロスを取り戻さないと」
「「「了解!」」」
空の指示に三人が声を揃え、走り出す。
電子体が抜けるための通路を駆け抜け、広い空間に飛び出す。
「セキュリティコアまでウィルスが何箇所か配備されてますね」
「…大丈夫、警報は殺せそう」
レインが解析し、クゥが対処できるか検証する。
すぐさま空は判断を下す。
「わかった。レイン、クゥをお願い。雅、手伝って」
「おう!」
空、レイン、雅がそれぞれシュミクラムにシフト。レインは足元のクゥをその手に乗せる。
空のシュミクラムを見て、雅が声を上げた。
『…空、お前のそれって、まさか、カゲロウか?』
「そうよ」
端的に答える。
フェイスウィンドウの中の雅は、信じられないと言わんばかりの表情で、続ける。
『…確かにカゲロウには自己進化機能がついてるけど、その機体…』
雅のカゲロウ、黄色を基調としたカゲロウ・鎧と比べれば、空のカゲロウは明らかに一線を画している。
むしろ、本来のカゲロウには雅のカゲロウ・鎧の方が近い。
だが、原型からそこまで離れてしまうほどの進化を遂げるということは、つまりそれだけの戦闘と戦場を潜り抜けてきたということ。
空は意識して笑ってみせる。ただし、その笑みは狩人の笑みだ。
「行くわよ。遅れないでね、雅…!」
『あ、ああ…!』
白地に赤で縁取った、カゲロウ・冴が鋼の回廊を駆ける。
それに僅かに遅れ、カゲロウ・鎧が走る。
廊下を隔てるシャッターを開き、その先にいたウィルス群と相対する。
両手に双葉刀形のブレードを構え、立ち止まらずに空は飛び込む。
(敵構成・タッドボール4、スコーピオン5、アイビーム4、モラモラ6…さすがに多いわね)
当然、タッドボールのような飛び込んでくる敵はすぐに空と雅を狙ってくる。
だが、空の得意な空中戦はアイビームが打ち落としにくる可能性が高い。
(なら…!)
タッドボールやモラモラの大部分を赤の衝撃波で吹き飛ばす。一歩後退。
入れ違うように雅が飛び出す。
衝撃波の的から外れていたタッドボールに手錠式のクォウトワイヤーを放ち、目の前まで引きずり出す。
スタンロッドの一撃、完全に動きが止まる。バズーカをゼロ距離で撃ち、破壊。
入れ替わるように、残っていたモラモラ達が突撃してくる。
「はぁぁぁああ!!」
双葉刀を大剣に切り替え、向かってくる彼らに合わせて斬撃。2体が腹を裂かれて制御を失い、壁に激突して爆発する。
「雅、援護頼むわよ!」
『おう!』
再度衝撃波を放って、敵の隊列を崩し乱して、空は一気に突っ込む。
すれ違いざまに、残っているモラモラの2体を両断。
合わせるように、雅の繰り出したミサイルランチャーがスコーピオン達を牽制する。
スコーピオン達の上空で機を伺っているアイビームに狙いを定め、跳躍。
上空を自由に動けるアイビームは、回避能力は高いが耐久力は低い。
空中に踊り出たカゲロウ・冴を叩き落そうと、飛び掛ってくるアイビーム達。
それを視界に捕らえ、空はブーストを開放。体当たり攻撃を回避し、射程圏に纏まったアイビーム達に弓を引く。
(この瞬間を逃す手は無い…! フォースクラッシュで一気に決める!)
空中から、さらに上空へ。アイビーム達が固まった箇所を見下ろすように狙いをつける。
電圧の塊の矢を放つスタンアロー、その発展形。フォースを注ぎ、通常を超えた挙動を可能にする。
フォースクラッシュ<ライオットフォール>
矢継ぎ早に繰り出される無数の矢がアイビーム達はおろか、周囲にいた他のウィルスも巻き込んで、行動不能の磁場を形成する。
「これで、とどめ!!」
最後に一呼吸置き、一際大きなエネルギーの矢が動けなくなっていたウィルス達を吹き飛ばす。
『ひゅぅ…、とんでもねー…』
見ていた雅が、畏怖と感嘆とが入り混じった声を上げる。
「気を抜かないで! まだ残ってるわよ!」
事実、空のフォースクラッシュはウィルス群の大部分を破壊したが、まだわずかに動いているものも残っている。
『おおっと、悪ぃ! けどまぁ、ここまでぼろぼろなら!』
言うが早いか、雅は大量のミサイルを空中へ打ち上げる。
『数撃ちゃ終わるだろ!!』
降り注ぐミサイルの雨が、残ったウィルスたちを吹き飛ばした。
それを確認し、周辺を再度見回す。
どうやら全滅したらしい。
「…まず、第一関門か」
『急ぎましょう、中尉。警報は殺してありますが、見回りが来ないとも限りません』
「そうね」
追いついてきたレインのアイギスガードと、その肩に腰掛けているクゥに頷いて、
「雅、行くわよ」
『おう』
先頭を切って走る空のカゲロウ・冴。それを追い、雅とレインが続く。
『…けど、空。お前、いつカゲロウを手に入れたんだ?』
「…灰色のクリスマスの数日後かな。形見代わりに、カートリッジを貰ったの」
『カートリッジって…、カゲロウのインストールキットか! …あの惨禍でよく無事だったな』
「ええ、ほんとに…」
『そうか、それでお前が…。何か、因果を感じるな』
雅は少し感慨深げに言う。
『…あのNPCを見たせいかな。俺には、死んだ甲がお前を守るために、カートリッジがお前に渡るように仕向けたように思えるぜ』
「馬鹿言わないで。…甲なら、あの状況でシュミクラムなんて絶対託さないわよ」
それは、まるで自分の代わりに戦え、とでも言っているようだから。
甲ならば、絶対にそんなことは言わない。
そして、それが判っていて尚、空はカゲロウを駆って戦う道を選んだ。
『…そうか。…そうだな、確かに』
雅も空の思いを察したのか、そう言って頷いた。
『セキュリティコアはもうすぐです。あと2区画ほどですね』
レインが言う。
と、
「ごめん、待って!」
クゥが突然声を上げた。
「クゥ、どうしたの?」
「ごめん、空! 少し別行動させて!」
「え?」
「感じるの! オブサーバーが近くにいる!」
クゥは言うが早いか、アイギスガードの肩からひらりと飛び降りる。
『あ、ちょっと、クゥさん!?』
足を止めたカゲロウ・冴を見上げ、クゥは必死に訴える。
「会わなきゃいけないの。空、お願い…!」
「…わかった。必ず追いつきなさいよ」
「うん!」
そして、クゥは区画の電子体用の通路に駆け込んでいく。
『よかったのですか? 中尉』
「うん。…きっと、何か理由があるんだと思うから」
空達はクゥを見送り、改めて先へ向き直る。
「セキュリティコアはもうすぐだったわね。急ぐわよ!」



電子体用の通路を駆けるクゥは、やがて足を止めた。
「…いるんでしょ、オブサーバー」
その言葉に答えるように、通路の影から、星修の学生服に身を包んだ少年が姿を見せる。
「…何か、用なの? クゥ」
戸惑いというより、牽制。
「…不思議だね。同じAIの端末、シミュラクラなのに、私はこんなに隠し事が苦手なのに対して、あなたは本当に慣れてる」
「……」
黙り込んだオブサーバーを前に、クゥは辛そうな、悲しそうな顔を浮かべる。
「…あなたも、そうなんだよね? …世界0にいる彼に」
「違う。0は、もう終わった世界。世界0は、眠りについた」
「でも、彼はそこにいる」
クゥはオブサーバーの言葉を受けながら、なおも断言する。
「…今なら、判るよ。世界0も、本当の始まりじゃなかったんだって。本当の始まりは、もっとずっと前にあったんだって。そりゃ適わないよね。その時間そのものがシミュラクラとして積み重ねたリンクと経験値、あなたの人格をとっくに決定してたんだ」
「…僕も聞きたい。0が眠りについた以上、エージェントはもう起動しないはず。なのに、どうして君はエージェントになれた?」
「その答えは、私じゃ答えられないかな…」
苦笑して、クゥは目を閉じる。
「…いいよ。今度は、私も判ってるから。話したいんだよね。…ずっと、話したかったんだよね」
そして、囁くように、この場にいない誰かに向けて、クゥは言う。
「…うん、大丈夫。さぁ…、『使って』いいよ」
クゥがそう口にした瞬間、彼女の纏う雰囲気が一変する。
オブサーバーはその事に気づいたはずだった。だが、それでも無言のまま彼女を見つめる。
彼女はまだしばらく黙って目を閉じ、やがて、ゆっくりと顔を上げた。
嬉しそうな、悲しそうな、辛そうな、そんな、泣き出しそうな笑顔を浮かべ。
確かめるように。
恐れるように。
期待するように。
懇願するように。
そっと、そっと。
「…いるんだよね、そこに」
「……」
「…ずっと、あなたをさがしてた…」
「……」
沈黙を守っていたオブサーバーが。
いや、その雰囲気は、いつの間にかどこか幼い少年のそれでは既に無く。
彼は、彼女を見つめて、言う。
「……空」
その名を呼ばれた彼女の目から、涙が一筋零れ落ちる。
「…やっと、やっと見つけたよ。…甲」







To Be Continued ...







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[17925] 第六章 悪魔 -Observer-  <3>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:3feb154a
Date: 2010/09/29 00:38


互いの分身を橋渡しに、彼らは初めて向かい合う。
「…やっと、やっと見つけたよ。…甲」
彼女にその名を呼ばれ、彼は苦しそうに顔を歪めた。
「空…、お前…」
彼女は、ただ涙を流しながら甲を見つめる。
「…伝えたいこと、あったの」
呟き、それから、困ったように目を伏せる。
「…いっぱい、伝えないといけないことがあったのに…、何言えばいいか判んないよ…」
俯いて、辛そうに、うわ言の様に続ける彼女。
「そう、伝えたいことがあって、だから、こんな無茶までして…、っ!?」
突然だった。
いきなり、彼女の視界が暗くなった。ついで、軽い衝撃。
「…いい。今は何も、しゃべるな」
「…こう…」
「馬鹿、俺なんかを追わないで、自分の世界で普通に暮らしとけよ…」
「…うっさい…、ばか…」
彼は、彼女の頭を自分の胸に押し付け。
彼女は、彼の肩をすがり付くように掴んで。
ただしばらくの間、そうしていた。





「…?」
水無月空は、ふと何だか不思議な感覚を覚える。
『どうしました? 中尉』
「ん…、クゥに何かあったのかな…。何か悪い感覚じゃないけど…、なんだろ」
言葉にし辛い、不思議な感覚を持て余しながら、空は最後の隔壁を開けた。
「ここがセキュリティコアね」
シュミクラムを除装して、空は仮想の床に降り立つ。
それに続くように、アイギスガードとカゲロウ・鎧もそれぞれ除装し、レインと雅が降り立つ。
「ここからは私の仕事ですね」
レインはコンソールに駆け寄ると、幾つかのツールを展開し、コンソールと連結する。
「手早いな、お前んとこのサポートは。もう二つほど防壁落としてるぜ…。CDFにもこれくらいのサポートがいたらな」
「言っとくけどあげないわよ。CDFなんて危ないとこに嫁に出せるもんですか」
「まぁ、阿南がいるうちはそーだろうなぁ」
「あ、あの、中尉、嫁って…」
空の一言に困った顔をするレインだが、ふと眉をひそめる。
「あの、雅さん、これを」
「ん?」
レインの示したデータを見て、雅は渋面になった。
「こいつぁ…」
「どうしたの?」
「甲のNPCの生産データだ。やっぱごく少数だが、ここで作られてる」
「…確か、破滅を呼ぶ人形、って曰く付きなんだっけ」
言いながら、空もデータを確認する。
確かに、他の海賊版NPCと比べれば製作数は極端に落ちるが、その履歴が残っている。
「…レイン、甲のNPCのマスターデータは?」
「今確認中です。…どうやら、数時間ほど前に持ち去られていますね」
「そう…」
空は肩を落とすが、雅はニヤリと笑う。
「諦めるのは早いぜ、空」
「え?」
「俺は刑事だぜ? 痕跡辿って追いかけるのはむしろ本職さ」
言いながら、雅は自分の展開したツールをコンソールと連結し、
「レインさん、このツールを使ってみてくれ」
「これは?」
「CDFの追跡ツールさ。最大一週間前までの、構造体を歩いた電子体の記録を引きずり出す」
「…それは便利ですね…」
「悪いがやれないけどな」
そんな会話を繰り広げる二人。
やがて、一つの記録が浮かび上がる。
「中尉、結果が出ました」
「どう?」
「ええ、アクセスログと滞在時間、様々な条件から、恐らく持ち去ったのは…」
そこで、レインは少し言いよどみ、雅をちらりと見て。
「…ドミニオンの巫女です」
「っ!?」
レインのコンソールを覗き込むと、白いシュミクラムが浮かび上がっている。
彼女もこのシュミクラムのパイロットが水無月真、空の妹であることは知っている。
雅に隠しておくべきだと判断してくれたのだろう。
「…これが、ドミニオンの巫女、だって?」
だが、雅もそのシュミクラムを見たことはある。
「…ニュービーズで俺達を助けてくれた機体じゃないか…。それが、今はドミニオンにいるってのか」
「その口ぶりだと、直にやりあったことは無いみたいね」
「ああ。…空はあるのか?」
「…一応ね」
言いながら、空は聖良の推測が当たっていることを半ば確信する。
甲のシミュラクラのマスターデータを盗み出したのも、それを使って甲のNPCを大量に作り出したのも、水無月真、彼女だ。
「一体、何が狙いなのでしょう…」
「ドミニオンのやり口を考えれば、俺達如月寮の関係者を混乱させるため、って言えるけどな」
「…そうですね。そして、それは不本意ですが、かなり有効な手段でもあるでしょう」
雅の言葉に、レインは苦々しく頷いて、空を振り返る。
確かに、ドミニオンのやり口ならば雅やレインの推測は正しいだろう。
だが、そこに真の意思を加えるならば、大きな違和感がある。
自分が甲を殺したといった真。空に甲を返してあげられると言った真。
(…やっぱり、何かある)
会わなければならない。今度こそ、真の意志を確かめなければいけない。
その決意を感じ取ったのか、レインは空の顔色を伺うように、声をかけた。
「中尉?」
「…レイン、巫女を追える?」
「足跡だけは。しかし、やはり途中で途絶えています。というより、本来通れない所を抜けているようですね」
「そう…。やっぱりか」
真にとって、ネットの構造体の壁はあって無いようなもの。それは彼女の行動を阻むものにはなりえない。
「…ひとまず、セキュリティを掌握しきって。それから…」
「おい空、レインさん! こいつを!」
レイン同様に記録を探っていたのだろう雅が、慌てたように二人に構造体の一部の映像を見せてくる。
空とレインは眉をひそめてそれを確認して、
「なっ!?」
「これは…!?」
そこには、あまりに酷い光景が繰り広げられていた。
傷つけられ、痛めつけられた電子体の少女達。
それにさらに鞭を振るう男。
泣き叫ぶ力すらもう尽きかけた彼女達に、振るわれる鞭の音。
「…ジルベルト…っ!!」
『はーっはっは!! どこかで見ているのだろう!? 水無月!! さっさと来ないと、こいつらが死ぬことになるぞ!?』
映像の中で、ジルベルトが高笑いをあげている。
「…これは…、間違いありません…、NPCではない、普通の子達です…!」
「…!」
レインの言葉を聞くや否や、空はやおら立ち上がると、即座に踵を返す。
「ちゅ、中尉!?」
「待て、空!」
「待てるわけ無いでしょうが! レインは少しでも早くセキュリティを落として! 雅はレインの護衛!」
言うだけ言い残して、空はセキュリティコアを飛び出す。
ほぼ同時に、シュミクラムへシフト。
「レイン、ジルベルトはどこ!?」
『落ち着いてください、中尉! これは記録映像です! あの男は中尉がここにいることを知ってやっているわけではありません!』
『明らかな挑発行為だ! 乗っちまったら思う壺だぞ!』
「だからって見捨てられると思うの!?」
あんなのを見せ付けられて、黙っていられるわけが無い。
『だから、俺も行くっつってんだよ!』
その言葉に振り返ると、カゲロウ・鎧が少し離れたところではあるが、走ってきていた。
「雅…」
『あのな、空。こういうのは刑事の仕事だ。何より、頭に血が上ってやれることじゃねえ』
雅は落ち着いているように見えるが、その言葉の底に明らかな怒りが根付いている。
怒りを覚えながら、決してそれだけに振り回されないようにしているのだろう。
「…けど」
反論しかけた、その直後だった。
警報が響き渡る。
「何!? バレた!?」
『違います! 別口の侵入者です!』
「何だってこんな時に!」
直後、稼動し始めたウィルスが空たちにも狙いを定める。
「とばっちりもいいとこだわ!」
『やるしかねぇな』
背中合わせに立ったところで、別の通路からウィルスが吹き飛ばされてくる。
何機かの小型ウィルスを巻き込みながら、壁に叩きつけられた鋼を見て、それをやってのけたであろうシュミクラムに目を移した。
「侵入者って…、あいつか」
姿を見せたのは、真紅のシュミクラム。その背には滞空用のウィングを搭載している。
その真紅のシュミクラムはこちらを確認するや否や、銃を突きつけ。
雅のシュミクラムを見て、僅かに戸惑った素振りを見せる。
「待って! 私達は敵じゃない!」
周りのウィルスをけん制しながら、空はパイロットへ通信を送る。
が、雅は正体不明のシュミクラムに、驚くほど気安く話しかけた。
『そのシュミクラムも手配書回ってたぞ。お前、一体何しでかしたんだ?』
真紅のシュミクラムは銃をおろすと飛び掛ってくるウィルスを足蹴にして、雅の問いにため息混じりに答えた。
『…ちっ、CDFの雅がいる時点で正体の隠しようも無いか…』
その声と共に、フェイスウィンドウに、渚千夏の顔が表示される。
『千夏…!?』
『まったく、とんでもない所で再会するもんだね。で、あんたら一体何の目的で』
険呑な空気を纏いながら、千夏は空と雅を睨み付け、問いかけようとして。
「そんなんどーだっていいでしょう!?」
『は?』
思わぬ空の言葉に、千夏の目が点になる。
「お願い、手を貸して、千夏! ここに電子体で誘拐された女の子達が捕まってる! 」
空は飛び掛ってきたウィルスを切り捨てつつ、空は千夏に叫ぶ。
『あ、いや、ちょ、ちょっと空、あんたね…』
あまりの必死の懇願に、警戒して険しくなっていた千夏の顔が戸惑いで解けてしまう。
それを見て取って、雅は笑いながら、同じくウィルスにバズーカを叩き込み、
『あーあー…、気勢削がれちまったな、千夏』
『~~~っ、ああもう、あんたはほんと、いっつも卑怯だ…!』
ぶつくさと言いながらも、千夏はさらに向かってくるウィルスに二段蹴りを見舞い、
『…仕方ないね。貸しとくよ、空!』
「いつか、三倍にして返すわよ!」
ウィンドウの仏頂面の千夏に答え、空はウィルス達から一度間を取る。
その空のカゲロウ・冴と背中合わせになるように、雅のカゲロウ・鎧と、千夏のクリムゾンロータスも立つ。
「…じゃあ、ひとまずはここから叩くわよ」
『あんたが仕切るんじゃないよ。同じ中尉でも、あたしは正規の軍人なんだ』
『ま、即席のトリオだが、行けるとこまで行ってみようぜ!』
そんな会話を交え、空はフォースを開放、ブレードを水平に構える。
それに応じるように、千夏は大きく空中へと舞い上がる。
対する雅は、素早く察して身を伏せる。
「はあああああああ!!」
ジルベルトの部隊と戦った時にも使った、テンペストエッジの真紅の刃が、周囲を囲んでいたウィルスたちを吹き飛ばす。
『おっとぉ! お前は残っとけよ!!』
が、雅の繰り出したクォウトワイヤーが、鉄の巨体を引きとめ、目の前に引きずり出し、
『くらえええ!!』
スタンロッドの連撃が叩き込まれる。
『そら、千夏!』
最後の一撃を受けて体を泳がせている鉄の真上から、千夏の蹴りが落ちてくる。
『ぶっ壊してやる!』
その言葉通り、千夏の繰り出した一撃が、鉄の体を破砕する。
だが、その一撃の直後に生じた隙を狙い打って、アイランナーMが千夏に襲い掛かろうとし、
「はぁぁぁぁ!!」
その前に空が飛び込み、大剣に変化させた双葉刀、スライスエッジの3連撃が全てなぎ払う。
しかし、そうしている間にもさらにウィルスが増えてくる。
『きりがないな、おい!』
無人ウィルスにしろ、これだけの量を相手にすれば無傷とはいかない。
『しかたないね…。突破口を開く! 空、どっちだい!?』
千夏に問われ、空はすぐに座標を転送する。
「そっち!」
『了解! それじゃぁ、遅れるんじゃないよ、空、雅!』
瞬間、千夏の機体が白光を纏い、巨大な槍となってウィルス群に突っ込む。
『はあああああああああ!!!』
『ほんとに蹴り技好きだなお前!』
恐らく、千夏のフォースクラッシュなのだろうその技に、雅が呆れ半分でコメントする。
しかし、その技で開かれた道を追うことは忘れない。
「レイン! 次のルート!」
『了解! 今転送します!』
ウィルスの包囲網を突き破り、空はレインから受け取ったルートを確認する。
「こっちよ、付いて来て!」
『だから、あんたが仕切るな!』
千夏の文句を背に浴びながら、空はカゲロウ・冴を走らせる。
『しっかし、即席トリオの割にはいいコンビネーションだったんじゃないか、さっきの』
『……まぁ、そうだね』
雅の言葉に、少々憮然とした響きを交えながらも、千夏が頷く。
後ろをついて来るクリムゾンロータスをちらりと振り返り、
「それぞれ場数を踏んでるせいかもね。私は特に、いろんな人と組まないと行けない立場だし」
『知ってるよ。傭兵協会に水無月空で問い合わせたらすぐに判った』
千夏の言葉に、空は肩をすくめてみせる。
「素性がはっきりして安心したでしょ?」
『何の皮肉だい?』
『お前の身元が不明になってることに、だろ』
『……』
雅に一言苦言を言われ、千夏はバツが悪そうに、少し目をそらす。
空はそこは追求せず、ルートの先を見据えた。
「急ごう。お互い、やることは山積みみたいだしね」



一頻り静かに彼の胸に額を押し当てていた彼女は、そっと顔を上げた。
「…この世界の私が戦ってる。…私だけ、泣いてちゃダメよね」
「…空」
彼女は寂しげに首を横に振ると、毅然とした顔で彼を見つめる。
「私に、聞きたいことがあるのよね?」
「…ああ」
彼は頷くと、少し苦笑いを浮かべる。
「大体は予想がついてるがな。…この世界の空が記憶障害にならなかった理由も」
「うん。私が、自分の記憶をパッチとして使ったから。壊れていた記憶に、私の記憶を重ねて修復した」
「…あの時だな。エージェントの体を借りてこの世界の空の前に現れたときに、ハウリングを利用して」
「そう。…でも、予想外の副作用も出てしまった。記憶だけをパッチするつもりが、私の意志までこの世界の空に紛れてしまった」
「その弊害が、クゥ。シングルタスクになっていたのは、お前がシミュラクラの思考タスクに住んでしまったから、だな」
「ほんとに、大体わかってるんだ。…その通り」
彼女は少し苦笑する。
「…それに、半壊した脳チップにも関わらず、記憶障害を避けるようにパッチをかけたことにも弊害が出てしまった。修復が進めば進むほど、時折無作為に、私が経験した記憶にアクセスしてしまうようになった」
申し訳なさそうに、目を伏せる。
「クゥが気づいてくれなかったら、私の記憶でこの世界の空を潰してしまう所だった」
「…それでも、そこまでして、この世界の甲のことを伝えたかったのか」
「あたりまえじゃない。…私だって、空なんだよ? …甲と、一緒に生きている世界を夢見ていたのは、世界0の空だけじゃない」
強いまなざしで見据えられて、彼は小さくため息をつく。
それから、再び問いかける。
「あの、この世界の甲のことは、どうして知ったんだ?」
「…教えてくれた人がいたの。甲も、よく知ってる人」
「…そうか。やっぱり、あの人か」
どこか感慨深げに。
それから、少しだけ考え込むと、彼は彼女から顔を背けながら、それでも尋ねる。
「…どうして追ってきた?」
「…言わなきゃ判らない?」
「…いや。…ただ、馬鹿なことをしやがって、とは思う」
「人のこと言えるの? …ずっと、一人で戦って…」
「……お前、俺のことが好きなのか判らないんじゃなかったのかよ」
その言葉に、彼女は首を横に振った。
「それは、0の私でしょ? 私は違うもの。…二度も、目の前で甲に死なれたら、嫌でもわかる」
「……」
そう。
アセンブラに侵されて死んだ時と、神父もろとも空の目の前で自爆したとき。
「私は、甲を亡くしたくなかった。ずっと一緒に居たかった。何より、私の知らないところで、ずっと戦ってるあなたの力になりたかった」
「…空」
「…やっと追いついた。あなたに、私はここにいるって、思い知らせてやれた」
少し得意げに、彼女は笑う。それに対して、彼は何かを押し殺すように。
「…それでも、並行世界を追うなんて馬鹿げてる。今ここで会えてることだって、本来おかしいんだ。お前だって、何時までもここには居られない事くらい、判ってるはずだろ」
「判ってる。でも、前にも私、言ったことがあるよ?」
「何を?」
訝しげに問う彼に、彼女は笑って、答える。
「私たちは24時間、ネットで繋がっている。AIが違う世界すら繋ぐなら、私たちもまだ繋がってるよ」
「……な」
あまりの突拍子の無い言葉に、彼は目を見開いて。
「……くっ、ははっ、はははははっ」
やがて、堪えきれないとばかりに笑い出した。
「な、何で笑うのよ!?」
「いや、ああ、全く。ほんっと、お前は空だよ、どこまでいっても、お前は空だ」
「はぁ?」
「気にするな。…ああ、そうだな。空」
やがて、彼は意を決して、彼女を見つめる。
「この世界でお前がやりたいことは、俺が全部引き継いでやる。だから空、お前も俺に手を貸してくれ」
「…甲…?」
「終わらせよう。世界が違かろうが、もうどうでもいい。俺とお前が力を合わせれば、必ずあいつを超えられるはずだ」
「うんっ、私、その言葉待ってた…!」
力強く、彼女も頷く。
「私は、この世界の空に悪影響が出るから、これ以上ここには居られないけど…。でも、私の世界に戻ったって、必ず甲の力になってみせるから」
「ああ。…空、これを持って行け」
そう言うと、彼はその手に、結晶のような何かを具現化させる。
それを彼女に手渡すと、彼女は首をかしげた。
「何、これ?」
「お守りだよ」
言って、彼はもう一度、彼女を抱き寄せる。
「あ」
「…一時でも、お前の声が聞けてよかった。お前と話せて、嬉しかった。…許されるなら、また会おうぜ、空」
「…うん、必ず。また会おうね、甲」
そうして、彼は彼女から身を離し、そうして、その心を観測者に戻す。
彼女もまた、その結晶が消えると共に、本来の人格に戻っていく。
しばらく黙って向き合う、二人のシミュラクラ。
「…お互い、やるべきことはわかったよね、クゥ」
先ほどまでの声とは違う、どこか幼い少年の声。オブサーバーのその声だ。
「うん。ありがとう、オブサーバー。空を、甲に会わせてくれて」
「…苦労した。甲は、意地っ張りだから」
珍しいオブサーバーの冗談に、クゥは笑う。
「…さぁ、私たちは、私たちの世界の為に戦わなきゃね」
「うん」
言って、オブサーバーは何かに気づいたように振り向く。
「オブサーバー?」
「…もう行って、クゥ。僕は僕で、会わないといけない人が居るから」
「…判った。…またね」
クゥは踵を返し、走っていく。
それを見送って、オブサーバーは視線を返す。
その先に何かを見据え、唐突にその姿を消した。



『中尉! その先に標的の反応です!』
「いたか、ジルベルト!!」
叫んで、蹴破るように隔壁を開く。
突如飛び込んできたカゲロウ・冴に、ノーブルヴァーチュを駆るジルベルトがうろたえる。
『んな、水無月!?』
『あたしも居るよ。久しぶりだね、ジルベルト』
空に少し遅れて、千夏のクリムゾンロータスも飛び込んでくる。
続いて、雅のカゲロウ・鎧。
『ふ、ふはははははっ、劣悪種にも群れを成す程度の知恵はついた訳か! …!?』
三人を嘲笑しようとしたその瞬間を突いて、空はカゲロウ・冴を走らせる。
一気に懐に飛び込み、スライスエッジの一閃を見舞う。
『ぐぬぉ!?』
辛うじて避けるが、胸の部分に浅く傷が走る。
空はブレードを構えたまま、告げる。
「御託はどうでもいいわ。私はあなたをこれ以上、生かしておく気は無いの」
冷たい死の宣告。その殺気に、ジルベルトは後ずさる。
『…これは、相当スラムでの爆弾が気に障ったみたいだね。誇っていいよ、ジルベルト。あんたは空をここまで怒らせた初めての人間だ』
『…その結果がこれってのは、心底真似したくないがな』
千夏と雅も、ジルベルトを囲むように移動する。
『き、貴様ら!? 3対1とは卑怯な!?』
「黙りなさい」
冷たく告げ、それを合図に三人が一気に詰め寄る。
『ちぃ!?』
とっさに飛びのき、ジルベルトが何かをばら撒く。
『中尉、ウィルスシードです!』
「逃さない…!」
ウィルスの壁に阻まれようが関係ない。必ず打ち抜く。
その決意を込め、左のブレードを弓に、右のブレードを矢に。
クリティカルアローの一閃を、
「貫いて!!」
放つ。
『ぬ、ぬおおお!?』
ウィルスを盾に逃げ出そうとしていたノーブルヴァーチュの肩口に、クリティカルアローが突き刺さる。
だが、倒れない。ほうほうのていで、尚も逃げ出すジルベルト。
「くっ、急所をはずした…!」
『追いな、空!』
「千夏!?]
舌打ちする空に、千夏が声をかける。
『ウィルス共の相手は引き受けてやる。あたしの目標はあいつじゃないしね。雅も』
『いいのか、千夏』
『ウィルス程度に遅れを取るほど、温い修羅場潜っちゃ居ないよ』
「わかった。あとお願い、千夏!」
叫ぶように言い、空と雅はジルベルトを追う。
『、急いでください! ジルベルトは女の子達を人質にするつもりです!』
『ったく、相変わらず腐ったやろうだな!』
雅が苛立ったように叫ぶ。
『中尉! こちらはボスを捕捉した!』
シゼルの声が聞こえてくる。
業者のボスを見つけたのだろう。
『殺すなよ、シゼル! 空嬢ちゃんの方は…』
「すいませんが、奴はここで止めを刺しておきます! 情報より後顧の憂いを断っておきたいので!」
『全く。自分より怒っている人間が居ると冷静になるというは本当だな』
自嘲気味にシゼルが言い、
『だが、深追いするなよ、中尉。ダーインスレイヴとグレイプニルには繋がりがあるのを忘れるな!』
「了解!」
答えながら、空はジルベルトが逃げ込んだと思われる隔壁を開く。
『中尉、そのあたりに電子体の反応があります!』
「え!?」
『見つけた! ありゃ浚われた子達か!』
「…まずい、ジルベルトは!?」
こんな場所で戦うことになったら、あいつはどんな手を使うか判らない。
だが。
『心配しないでいいよ。あのバカは追い出してやったからさ』
その言葉が、唐突に割り込んだ。
背筋が粟立つような、肌の裏がざらつくような、そんな感覚を覚える。
「な…!?」
『まさか、そこにいやがったのか…!?』
声が中継されたのだろうか、永二の焦った声が聞こえた。
『シュミクラム反応…! そんな、一体どこに…!?』
ヒドゥンモードで隠れていたにしても、レインの探査を誤魔化す程。
それに、レイン自身すら気づいていないのだろうか。僅かに声が震えている。
身構える。
やがて、そいつはゆっくりと姿を見せた。
形状はアークのシュレイク・テトラによく似ている。
だが、その色彩は毒々しいまでの極彩色。
『…シュミクラムデータ、転送します…!』
『逃げろ、空嬢ちゃん! そいつとまともにやりあうな!』
永二の声が聞こえるが、少女達を置いて逃げるわけにも行かない。
だが、先ほどから感じるこの寒気は。
「っ…」
シュミクラム、アイン・ファウ。孔雀の名を冠する、グレイプニルのリーダー機。
『初めまして、と言っておこうかねぇ。あたしは、マイラ・シェルイール。あのバカの飼い主さ』
そう言って、フェイスウィンドウにその姿を見せたマイラは、無邪気に笑って見せた。











to be continued ...



[17925] 第六章 悪魔 -Observer-  <4>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:d5e49285
Date: 2010/10/08 23:12



水無月空は、沸き上がるそれを押さえ込みながら、マイラ=シェルイールを睨み付ける。
『雅』
チャントで背後に居る彼に、
『今すぐ逃げなさい…! これは命令だから…!』
『な…!』
『早く、その子達を連れて逃げて!』
事実、空も目の前の機体が放つ異様な気配に気圧されつつあった。
ただ、同時に言葉にし辛い違和感も感じる。
どこかで、この感覚を知っている気がするのだ。
『さぁて、遊ぼうか、水無月空』
アイン・ファウ、極彩色のその機体がゆっくりと近づいてくる。
まるで、獲物を品定めするかのように。
『相手は小父さん、フェンリルの門倉永二すら警戒する凄腕なのよ!? 私でも抑えきれるか判らない!』
『だったらなおさら、俺も一緒に戦うべきだろうが!』
『馬鹿いわないで! 雅、あなたに殺す気で人が撃てるの!?』
『っ…、必要なら、できるさ…!』
『それじゃ間に合わない! 覚悟をいちいち固めてる間に逆に殺されるわよ、こいつ相手じゃ!』
チャントで言いながら、空は両のブレードを構える。
呼吸を整え、飛び込む。
「はあああああああああ!!」
先手必勝。クロスイリュージョンの高速斬撃。
だが、いともたやすく、マイラはそれを避けてみせる。
「っ!?」
『ふふ、どうしたんだい? 鬼さんこちら』
「このっ」
空の繰り出す連続攻撃を、まるで羽毛が舞うかのように、マイラは避け続けてみせる。
(おかしいっ、いくらなんでも、かすりもしないなんて…!)
シゼルは言っていた。
永二と戦い、なおも無傷でその場から逃げおおせて見せた凄腕、と。
纏わり付く違和感。拭い去れない恐怖感。
その狭間で、それでも空は抗う。
テリブルスクリュー、左のブレードで相手を捕らえようと、踏み込み。
(…!?)
今まで以上の違和感。まるで、思考に割り込まれるような。
刹那、空が突き出した左腕を壊れ物でも扱うかのように、ぞっとするほどにやさしく、マイラの腕が掴む。
『おやおや、鬼が逆に捕まっちゃったねぇ? この場合、どうしたら良いと思う?』
「~~~~!!」
声にならない悲鳴を上げ、空は思い切り飛びのく。
(…ありえない…、何なの、こいつ…!?)
自分がまるで子ども扱い。
ここまで差があるというのか。
その身を鋼の体としているからこそ、精神的な反応が表に出ずに済んでいる。
もし生身であったなら、恐らくこの圧倒的な差に震えを隠せなかったはずだ。
いや、おそらく、現実にある空の体は今現在、冷や汗にまみれて震えているだろう。
「っ」
それでも、奥歯を食いしばって立ち向かう。
『空…!』
雅が、少女達を全員抱えあげたのを確認する。
『早く行って!』
チャントで答え、空は今一度、マイラへと挑む。
だが。
『違うだろ、水無月空。鬼が捕まったら、退治されるもんだよねぇ?』
瞬間、飛び込んだ空の左肩に、マイラがいつの間にか放ったナイフが突き刺さった。
「ぐぅ!?」
予期しない激痛、走っていたカゲロウ・冴の体勢が大きく乱れる。
『ふふ、今度は鬼が追われる番だよ? さぁ、存分に逃げて見せな』
目の前に肉薄され、空はブレードで切り返す。
だが、それすら虚空を薙ぐばかり。
(…落ち着け、空。違和感の正体を見極めろ…!)
先ほどから感じる、どこかで感じたことのあるこの違和感。
この女を前にした瞬間から、この女が現れた瞬間から、根拠も何も無く感じる圧倒的な圧力。
戦場を潜り抜け続けた者が纏うそれと似ているようで、何かが違う。
恐慌に陥りそうになる自分を必死で繋ぎとめ、その部分に僅かな活路を見出そうとする。
遊ぶように追ってくるマイラから、必死に距離を取り、反撃し、また距離をとる。
『くそっ、どうなってんだ、レイン嬢ちゃん!?』
『どうして!? セキュリティコアは落としているはずなのに!?』
永二とレインの声が聞こえる。
『まさかこの状況で、さらにドミニオンの巫女が動いているのか!?』
シゼルが口にした言葉。
それが、空の中の何かと噛み合った。
(まさか、こいつ…!?)
瞬間。
間合いを取り続けていた空は、何かに足を取られた。
「!?」
慌てて体勢を整えようと振り回した右腕も。
いや、左腕も、そしてその体も。
「んなっ、これは…!?」
『はい、捕まえたー。鬼ごっこは終わりだね、水無月空』
カゲロウ・冴をいつの間にか捕らえているそれは、張り巡らされたワイヤー。
それがまるで、蜘蛛の巣のように空を捉えて離さない。
有線のワイヤービット。
アイン・ファウの肩口から伸びるワイヤーが幾つかのビットに繋がり、そこから更に空を捉える蜘蛛の巣を形成している。
「…孔雀って名前に合わない武器を使うじゃないの」
『名前に騙される方が悪いと思うけどねぇ。ま、その状況じゃ負け惜しみにしか聞こえないけど』
くつくつと笑いながら、マイラは身動きを封じられた空に歩み寄る。
睨み付ける様にそれを見返すカゲロウ・冴の顎を人差し指で持ち上げ、品定めするかのように見据える。
『ふふ、良い機体だ。あんたもあたし好みの目をしてる。なかなか折れない女の目だ』
嬉しそうに、だがぞっとする笑みを浮かべ、続ける。
『そういう目をしてる奴を屈服させるのが、あたしの趣味でねぇ』
「っ、油断、してんじゃないわよ!!」
瞬間。
空は頭の中で無理やり練り上げたイメージをシュミクラムに預ける。
それは、どこで見たのか判らないイメージ。
白地に青で彩った、甲のカゲロウが繰り出していた、その技。
身動きすら封じられ、ブレードを振るうことすらままならない今の自分でも使える、唯一の攻撃。
コレダー、カゲロウ・冴の全身から、電撃が放たれる。
その電撃が密着していたアイン・ファウを襲い、
『ふふふっ』
なのに、欠片も効いた節を見せない。
「な…!?」
『このカラーリング、ただの趣味じゃないんだよねぇ。電撃系の攻撃を無効化する特殊な処置をしてあるのさ。残念だったねぇ』
「っ」
空は思わず息を呑み、
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!』
ついで響いた雄叫びに身を震わせた。
「ば、馬鹿! 雅!!」
『あれ、まだいたのかい、あんた』
冷たい目で雅のカゲロウ・鎧を見やり。
その腕から不意に伸びたブレードが、飛び込んできた雅の左足に突き刺さる。
『ぐうっ!?』
悲鳴を押し殺し、雅はマイラに肉薄したままスタンロッドを構え、
「雅、逃げて! そいつにそれは通じない!!」
『見てたさ…、けど…、内側はどうだよ!?』
言いながら、スタンロッドをアイン・ファウの装甲の継ぎ目に突き刺そうと振るう。
『ばかだねぇ、そんなの、当たってやると思うわけ?』
マイラは冷笑交じりに、突き刺したままのブレードでさらにカゲロウ・鎧の左足を抉り、切り裂いて。
『がああ…!?』
『邪魔』
ついで繰り出されたマイラの蹴りが、カゲロウ・鎧の顔面を蹴り上げ、吹き飛ばす。
「雅!?」
叫び、空は拘束から逃れようともがく。
(何か、何か手は…!)
必死になって手を模索する。
あの時、ジルベルトを相手にフォースを使い切ってしまったことを後悔する。
怒りに身を任せた結果がこの様か。
(…いや、でも!)
それでも、まだ手はある。
周囲のワイヤーを掴み、身動きできないままでも、繰り出せる攻撃に希望を託す。
ワイヤーは幸いにもマイラの機体に繋がっている。
「やあああああああああああ!!」
今一度繰り出す、放電攻撃。
ワイヤーを伝ってビットを襲い、そこから更にマイラへと電流が伸びる。
だが、先ほどと同じ。全く効果を見せない。
『…ふむ。ちょっと邪魔だねぇ。ま、獲物は捕らえてるし、いいか』
肩口から伸びていたワイヤーが切断される。
それは良い。どの道マイラにこの技は通じない。
それでも、ビットにならどうか。
だが、マイラは空の抱いた希望をあざ笑う。
『ああ、ビットもあたしの機体と同じ処置してあるからね。ま、無駄な抵抗するだけしてみなよ』
「うっさい、望むところよ!!」
尚も繰り返す放電。
しかし、ビットもやはりびくともしない。
その空の姿を面白そうに見て。
『おい、こっち、忘れてんじゃねえぞ…!』
響いた雅の声に、眉をひそめた。
「雅!」
左足を大破させながら、それでもカゲロウ・鎧は立ち上がる。
『…ふうん。意外と壊し甲斐がありそうだねぇ』
それが、ある意味の死刑宣告であることに、空は気づく。
マイラの興味を引いてしまうこと、それが即ち、それと同義なのだ。
『くらえ!!』
ばら撒かれたミサイルを見て、マイラは左腕から、今度は電磁鞭を展開する。
ジルベルトの使うそれと全く同じそれ。
『亀より遅いねえ』
そんな一言と共に、全てのミサイルを鞭だけで狙い撃ち、破壊する。
『んな…!?』
『ほらほら、亀より遅いんなら止まってちゃだめじゃないか。なおさらウサギに追いつけないよ?』
無邪気な笑い声がより悪意を感じさせる。
左足に重傷を負った雅では、動くことすら容易ではないのに。
だが、雅は残った右足で空中へ飛びあがると、
『おおおお!!』
ブーストを使ってアイン・ファウへと挑みかかる。
『おっと、ピッチャー、投げましたーってとこかねぇ?』
だが、マイラはそれでも余裕の笑みを崩さない。
半身になって、ブレードをバットのように構えてみせる。
『一本足打法ー』
『ざ、けんなぁあああああああああああ!!』
空中で反転して繰り出した、雅の渾身の回し蹴り。
ブーストの加速とも相まって、更に速く、かつ威力の増したはずのその一撃。
それを。
『嘘だよ、ばーか』
容易く避けたばかりか、カウンターの一撃すら叩き込む。
『ぐああああああ!?!?』
「雅ぁぁ!!」
ワイヤーに絡め取られた空は、目の前で吹き飛ばされた雅の機体に悲鳴を上げる。
「くっ、このぉぉお!!」
幾度となく繰り返した、自分を核として放つ電流が、ワイヤーを伝って自分を捕らえるビットへと襲い掛かる。
だが、結果は変わらない。
電圧に対する防御を固めたアイン・ファウとその兵装には、空の俄仕込みのコレダーでは届かない。
『ふふ、飽きないねぇ、水無月空…。そういう無駄な努力をする子はスキだよぉ?』
「無駄かどうか…! うぁぁぁあああああ!!」
もう一度繰り返す。
(まだなの!? 早く…、早く…!!)
空の狙いは、ビットの破壊では既に無い。
それでも、必死の思いにも関わらず、その時はまだ訪れない。
『ぐっ、くぅ…』
「刑事さん…!?」
構造体の壁際で身を寄せ合っている少女達からすら、悲鳴じみた声が上がる。
その声に、空も首をめぐらせ、なお立ち上がろうとするカゲロウ・鎧を見る。
「雅!!」
『へぇ、まだ立つのかい? CDFの癖に根性あるね、あんた』
『お褒めにお預かり、至極光栄…。ぐぅ!?』
ほんの一瞬。
それだけの時間で、カゲロウ・鎧の腹部に、アイン・ファウの膝が打ち込まれる。
『なら、どこまで耐えられるかなー? ふふふ』
崩れ落ちる雅の頭を、マイラが踏みつけ、その背中にニードルを打ち放つ。
『ぐっ……!?』
『おやおや、悲鳴は押し殺すもんじゃないよ…。聞かせなよ、あんたの歌をさぁ!!』
『うる…、せぇ…!!』
瞬間、カゲロウ・鎧の背部のランチャーが口を開く。
『む』
『諸共吹き飛びやがれ…!』
『やだね』
軽い調子でマイラは雅の頭に体重をかけながら飛びのく。
ミサイルは全て虚空を薙いで、壁に激突する。
にも関わらず、カゲロウ・鎧は立ち上がる。
『まったく、諦めが悪いねぇ』
「雅、もういい! 逃げて! こいつはあなたが勝てる相手じゃない!!」
もう、立っているのもやっとのはずのカゲロウ・鎧。
雅は、それでも身構える。
そうして、自分に言い聞かせるかのように、口を開く。
『…おい、三本の矢って、知ってるか…?』
『…はぁ?』
『俺の、中にはな…! その、三本の矢が、あるんだよ…! 決して折れねぇ、三本の矢がな…!』
言いながら、一歩。
『一つ目。俺が、刑事だってことだ。刑事は…、弱い奴を守って、力のない奴の代わりに戦うもんだ…。俺の後ろに、そう言う子達が居る以上、俺は、ぜってぇ、逃げたりしねぇ…!』
「刑事さん…!」
少女達が悲鳴じみた声をあげる。
「雅…、くっ、あああああ!!」
その声を聞きながら、放電を空は繰り返す。
(早く…、早く! 雅が殺される…! 甲、力を貸して…!!)
心のうちで必死に叫ぶ。
『二つ目…! あいつは、…門倉甲って、俺の親友は、後ろに傷ついてたり、苦しんでたりする奴がいる時は、絶対に逃げたりしなかった…!
 その親友の俺が、あいつに泥塗る真似ができるかよ…!』
さらに、一歩。
『ふうん。で、三つ目は?』
『三つ目は…! ここで逃げたら、今度生まれる俺のガキに、一生胸を張れねぇ親父になっちまう…。それだけだ…!!』
もう、一歩。
『この三本…、折れるもんなら…』
そして、走る。
『圧し折ってみやがれええええええええええええええええ!!!』
その身そのものを肉弾と化して。ありったけのエネルギーをつぎ込んで。
「だめ、雅あぁぁぁぁああああああああ!!」
だが、それでも空には判ってしまう。あれでも、まだマイラには届かない。
確実に、その捨て身は避けられてしまう。
『なるほどねぇ…。ま、別にそれ折る必要なんてないけどさ』
そして、死神がぞっとするほど冷たい声で告げる。



『まぁ、いいや。あんた飽きた』



渾身の肉弾は容易く避けられる。
力を失って倒れこんでいく、カゲロウ・鎧。
空は必死の思いで、何度目かの電撃を放つ。その瞬間。




  -charge-



待ちかねたマシンボイスが響く。
そう、空が本当に希望を託していたのは、例え無駄な攻撃でも繰り返すことで繋がる、起死回生を賭けたフォースクラッシュ。
「…! 間に…、あええええええええええ!!」
フォースを開放する。つぎ込む先は、カゲロウ・冴の真の切り札に。
ワイヤーの束縛すら超え、僅かな隙間を縫ってブレードが閃き、周囲のワイヤーが細切れになる。
マイラが驚いた素振りを見せるが、その振り上げたブレードは止まらない。
「雅ぁぁぁああああああ!!」
振り下ろされる。
空が走る。通常をはるかに超えた速さで。





なのに、間に合わない。





絶望にも似た、確信が頭をよぎる。
自分は、雅を救えない。
自分一人では。





瞬間。







アイン・ファウを取り囲むように、無数のガドリングビッドが姿を見せた。






『な!?』
今度こそ、本当に驚愕したマイラの声が響く。
そして、もう一つの声。
『当たってぇ!!』
同時に、ガドリングビッドが掃射を開始する。
『ちっ!』
とっさに、マイラが回避に移る。
雅はそのまま倒れこむが、致命傷は負っていない。
空は飛びのいたマイラと、倒れ付した雅の間に機体を割り込ませる。
そして、マイラを狙ったガドリングビットを確認した。
「…これ…!?」
空は、半ば呆然として、いつの間にか姿を見せていたそれを見つめる。
「…まこちゃん…!?」
ネージュ・エールが。
水無月真、彼女のもう一人の妹が、そこにいた。









To be continued ...



[17925] 第六章間章 水無月真
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:d5e49285
Date: 2010/10/09 23:39



オブサーバーにとって、仮想の世界の距離など全く無意味なものだ。
その気になれば、仮想のどこに誰がいるのかすら、正確に把握できる。
それだけの経験と観測を繰り返してきたのだから。
だから。
本気でオブサーバーが「探す」と決めれば、そこから逃れることなどできるものは存在しない。


そう、たとえ、水無月真であったとしても。



「…こんなところで、何をしてるの?」
クゥとの邂逅の後、オブサーバーが会わなければならない人、と言ったのは、彼女だった。
突如として背後に現れた彼に、真は驚いて離れる。
「せ、先輩…!? あ、いえ、違う…、オブサーバー、さん…?」
真の確認にも、オブサーバーは頷かず。
ただ、先ほどの問いかけを繰り返す。
「真、こんなところで、何をしてるの?」
「何って…、私は」
言いよどむ。オブサーバーという存在を測りかねて。
だが、オブサーバーは淡々と、それでいて吐き捨てるかのように、断罪する。
「答えられるわけが無いよね。だって、何もしていないんだから」
「っ!? そ、そんなことありません!」
「嘘。今も何もしてない。ただ愚図って泣いてるだけ」
「ち、違います!」
「違わない」
先ほどまでクゥに、そして彼女に向けていた視線とはまるで違う、冷たい目で、オブサーバーは真の反論を切って捨てる。
「だったら、あなたこそ何なんですか!? あなたはいったい、何をしてるんですか!?」
振り切るように、唐突に浴びせられた断罪から逃げ出すように、真は叫ぶ。
オブサーバーはただ黙って、それを聞くだけ。
「あなたは…、先輩のシミュラクラなんですか!?」
「だとしたら?」
挑むように答えるオブサーバーに、真は怯む。
「僕が、門倉甲のシミュラクラなら、真はどうするの? 何か変わるの?」
「それは…!」
真は、答えられない。
代わりに、真はオブサーバーを睨み付ける。
「そんなこと、そんなことありえません! だって、だって…!」
「そう、シミュラクラを基にしたNPCを使った計画は、全て阻まれてしまった。僕がそうしたから」
「!?」
つかつかと、オブサーバーは真の目の前まで歩いていく。
自分より頭二つ背の高いオブサーバーの姿を見上げ、怯えるように、真は後ずさる。
だが、それでありながら、尚、真はオブサーバーを睨み付けた。
「やっぱり、やっぱり神父様は正しかった…! あなたは、やっぱり悪魔なんですね…!」
「…好きに呼べば良い。で、僕が悪魔なら、真、君がやろうとしたそれは何なの?」
「あれは! あれは本当の世界への導を知るための方法だったんです! 全て、お姉ちゃんを先輩に会わせる為に!」
だが、オブサーバーはその言葉に何の感銘も受けた様子も見せない。
ただただ、冷たい目で、感情の篭らない言葉で、告げる。
「甲を、空を、免罪符にしないで」
「え…?」
「二人は必死に戦ってる。そんな二人を冒涜するような真似は許さない」
感情の篭らないその声。だが、とても強い思いの篭った声。
「僕が悪魔? なら、罪も無い人を巻き込む君は何? 関係の無い子達を生贄にして、死んだ人を蘇らせる。ねぇ、これこそ悪魔の所業じゃないの?」
「や、やめて…、やめてください! 聞きたくない!! 黙れ、黙れ黙れ黙れえええ!!」
耳を塞ぎ、真は叫ぶ。
叫びながら、その身をシュミクラムへと変えていく。
『滅ぼしてやる…! 私を狂わせる悪魔…! 私の前から消えちゃえええええええ!!』
それを見上げて。
瞬間。
オブサーバーの気配が大きく膨れ上がり。
ネージュ・エールの振り下ろした腕が、同じ鋼の腕で受け止められた。
『…そ、そんな』
『…いつもそう。真は、自分のやったことを受け入れられないで、逃げ出すだけ。逃げ出す過程でもっと酷いことになって、そこから更に逃げ出す。悪循環』
ネージュ・エールの前に立つそれは、間違いなく、カゲロウ。
ただ唯一違うのは、そのカゲロウが、白地に緑を纏っていることか。
『そ、その機体は、一体…!?』
『…カゲロウ・陰。<僕達>が戦うための、力』
答えながら、カゲロウ・陰はその右手に、パイルバンカーを装着する。
『…真、今のまま、現実から逃げ続けるなら、僕がここで、引導を渡してあげる』
『あ…、あ…!』
怯え、震えて、ネージュ・エールは後ずさる。
知っている。
ネージュ・エールは、水無月真は、何度も、何度も。
無数の世界で、あの鋼の杭に胸を貫かれて滅んできた。
そんな彼女を、カゲロウ・陰は静かに見つめる。
やがて、真の目の前に新たに、今まで見たことの無い世界が見える。
『…見せてあげる。そして考えて』



アーク本社、アイリスバルブ。
その真上で、真は、ネージュ・エールは、白地に赤を纏った機体と対峙する。
『どうしても、止める気は無いのね』
何かを押し殺した声が、真の耳に届く。
『…お姉ちゃんこそ、邪魔をしないでください。もうこうなったら、アセンブラでしか世界を救えないんです…!!』
『そう』
自分の叫びに、白地に赤の機体は、カゲロウ・冴は、悲しそうに、ブレードを構えた。
『…まこちゃんは、もう、戻れないところまで行っちゃったのね…』
『お姉ちゃん…?』
『…こんな形で終わりたくなかった。でも、これもたぶん、お姉ちゃんの務めなんだよね』
自分に言い聞かせるように言い、真の目に、空の、大好きな姉の、悲しそうな透明な笑顔が、今まで一度だって見たこと無い、絶望に満ちた笑顔が映る。
『さようなら、大好きなまこちゃん。せめて、私の手で、眠らせてあげる…!!』
瞬間、カゲロウ・冴が真っ向から飛び掛ってくる。
(知らない、こんな世界、知らない…!)
どこかで、叫ぶ。

―― そう、知るはずがない。この世界は、誰にも見せる気なんて無かった。イヴに頼んで、この世界の結末は、どこにも伝わらないようにまでしたのだから。

鬼気すら纏ったカゲロウ・冴の攻撃が、ネージュ・エールの光体翼を切り裂く。
(どうして!? 何で私、お姉ちゃんが戦ってるの!? 私、こんなことしたくないのに…! そうだ、降参すれば…!)
混乱した思いが、安易な逃げ場に縋ろうとして。
それが、致命的な隙となったのだろう。
ブレードが、ネージュ・エールの胸を貫いた。
『あぐっ…!?』
苦痛の声。カゲロウ・冴はそれでも手を緩めない。
袈裟切り、逆袈裟、連続する突き、電圧の矢、赤い衝撃波、無数の矢。
そして。
(痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、やだ、やだ、やだ、やだ、もういや、もういや、助けて、助けて、助けて)
激痛が思考を焼く。
もう何も考えられない。
(死んじゃう、死んじゃう、死にたくない、そんなのいや、助けて、誰か、先輩、先輩、助けて)
ふと、衝撃が僅かに緩む。
(助けて、お姉ちゃん…!)
『…ごめんね、まこちゃん。私も、すぐに行ってあげるから。二人で、甲に謝ろう』
激痛で赤く染まった視界の果て。
やけにはっきりと見えるカゲロウ・冴が、その矢を放つのが見えた。
(あ、あははは…、私、お姉ちゃんに殺されるのに…、何言ってるんだろ)
それを最後に、ネージュ・エールの頭部は、クリティカルアローによって、粉砕された。



爆発し、電子体すら残らないその場所に、除装した水無月空が降り立つ。
もう光も映さないその目は、ゆっくりとその中心部へ歩いていき。
『中尉! 中尉、ご無事ですか!?』
「レイン? …ありがとう、今まで、ほんとにお世話になりっぱなしだったね」
『中尉…?』
「ふがいない上官でごめん。小父さん、レインのこと、よろしくお願いします」
『空嬢ちゃん!? おい、まさか、何する気だ!?』
「妹が待ってるんです。…寂しがりやだから、早く行ってあげなきゃ」
空は、その手に焼夷爆薬を構成し、起動する。
『中尉!!』
『やめろ、空嬢ちゃん!!』
「皆さん、本当に、お世話になりました。向こうに行ったら、甲に、良くしてもらったって、伝えますね」
本当に、空はきれいに笑って。
直後、彼女を中心に、焔が広がって。



気が付けば、泣いていた。
いつの間にか除装して、構造体の床に這い蹲るようにして、真は泣いていた。
「私…、私…!」
「…どうするか、考えて」
「考えろって、どうすればいいんですか…!? こんなの、私、判らない…!」
大好きな姉にあんな顔をさせた。
大好きな姉に殺された。
大好きな姉を、死なせた。
大好きだった。
今だって、大好きなのだ。
ただ、掛け違えたボタンを外して元に戻そうと、必死になっていただけなのだ。
なのに、どうしてあんなことになったのだろう。
判らない。
何もかもが判らないのに。
「…だったら、そこでずっと這い蹲ってればいい。少なくとも、それで空に真を殺させずに済む」
「っ」
優しさなんてどこにもない言葉。
真は、その瞳に憎しみすら宿して、オブサーバーを見上げる。
「あなたは…、あなたは、先輩じゃない…! 絶対、先輩じゃない!」
「…だったら、それは君が、甲を理解していないだけだよ」
言い残して、オブサーバーは踵を返す。
離れていく。
遠くなっていく。
真は、それを睨み付けて。
オブサーバーは、ふと、足を止めて、肩越しに振り返った。
そうして、笑う。初めて。
まるで、甲そっくりの、強気な笑顔で。
「とりあえず、僕を見返して見せて欲しいところだけどね」
「…!!」
怒りの感情に任せて、真は立ち上がる。
「見返して見せます…、あなたなんかに、絶対、負けてなんかあげません!!」
「期待してる」
甲によく似た笑顔をするオブサーバーを睨み付け、真は叫ぶ。
「その笑顔で笑わないで!! あなたは、あなたは先輩とは…!!」
その言葉を最後まで届かせる前に、オブサーバーは姿を消した。
真に見つめる先には、もはや何も存在しない。
ただ、その虚空をしばらく睨み付け、それから、目を伏せた。
「…あなたは、やっぱり、先輩そっくりです…」
いくつもの夢で、甲と戦ったときも、やはり厳しかった。優しくなかった。
真は踵を返す。
何ができるかなんて判らない。ドミニオンであることも、まだ捨てられない。

それでも。
夢とは言え、姉のあんな笑顔を見たら。

シュミクラムを身に纏う。
この場所で、姉は戦っている。
少しでも良い。本当の意味で、自分にできる何かがしたいと。

たぶん、水無月真は、そのとき初めて思った。





  to be continued ...



[17925] 第七章 疑念 -Resistivity factor- <1>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/03/09 21:11

『ぐっ…』
雅のうめき声が背後から聞こえる。
「雅、生きてる!?」
『な、なんとかな…。けど…』
雅の言いたい事は判る。
ドミニオンの巫女、そのシュミクラム。
先ほどそう知らされたばかりのネージュ・エールを、空は「まこちゃん」と呼んでしまった。
それを聞いたのだろう。雅の目に、苦痛の他に疑念が混じっている。
空は目を伏せ、簡潔に言う。
「後で話す」
『…ああ』
そうして、空はマイラを睨み付けて立つ真の隣へ。
『…お姉ちゃん』
不安げに揺れる声に、空は軽く返す。
「細かいことは後回し。まこちゃん、手、借りるわよ」
『…はい!』
極彩色のシュミクラム、アイン・ファウを睨み付け、カゲロウ・冴は今一度、ブレードを構えた。






 第七章 疑念 -Resistivity factor-






マイラは並び立つ姉妹のシュミクラムを見て、相変わらずの小馬鹿にするような笑みを浮かべる。
『おやおや、巫女様の素性が、水無月空の妹とはねぇ。ふふ、これは驚いた』
全く驚いた節を感じないわざとらしい言葉。
『これ以上、手出しはさせません…!』
真は光体翼を広げ、身構える。だが、その表情は明らかに硬い。
間違いなく、真も「あの違和感」に苛まれている。
(そうよね…、たぶん普通は、「あの違和感」の正体に気づけない)
恐らく、世界がどれだけ広かろうと、それを看破出来るのは自分だけだろうと思う。
そして、それを証明するために。
空は、カゲロウ・冴を疾らせる。
『おっと…』
先ほどまでと同じように、ふざけ半分で避けようとするマイラ。
同時に、自分の感覚に割り込むように入り込む何かを感じる。
視界の全てが気づかないままブレを起こすような、奇妙な感覚。
だが、それでも。
(…そう、この感覚は…、知ってる、対抗できる!!)
普段ならブレードを振るう距離。自分の中のあらゆる感覚がそう訴える。
だが、空はそこから、さらにもう一歩踏み込む。
『!?』
初めて、マイラの顔が驚きに歪んだ。
「はあああああ!!」
スライスエッジの一閃。それが、僅かではあるが、アイン・ファウの装甲を削った。
かすり傷ではあっても、初めてマイラに一撃を加えた瞬間。
『…へぇ』
マイラの顔からふざけた笑みが消える。
『驚いた。まさか当ててくるとはね』
「もうネタは割れたわよ、マイラ・シェルイール」
空はもう惑わされない。わざわざ尋ねて答え合わせをする必要ない。
もう、確信して言える。
マイラ・シェルイールは、真と同じ。
電脳症という病がもたらす、特異な能力の持ち主。
ただそこに存在する、ただそれだけで周囲の電子体に恐怖を刷り込む能力者。
原因不明の彼女への恐怖は、直視することすら恐れさせ、近づくことを躊躇わせる。
永二ほどの使い手が彼女に触れられなかったのも、その感覚に苛まれ、自分でも意識しないまま混乱し、間合いを詰めきれなかった為だろう。
真のビットだけは回避しなければならなかったのも、自動制御の武器にはその能力は及ばないから。
だが、原因不明の恐怖に苛まれていたからこその混乱も、それが電脳症によるものだと判れば話は別。
自分が何故恐れているのかを理解すれば、それに対抗する気構えを作れる。
それさえできれば、彼女の異質な防御は貫ける。
その確信を瞳に宿し、空はマイラを睨み付ける。
だが。
マイラは再び、笑みを浮かべて見せた。
『なるほどねぇ…。南米の研究も無駄じゃなかったってことかねぇ』
「…え?」
また南米。
その言葉は、米内の暗殺事件の時にも橘聖良が口にした。
それと同時に。
『!!』
真の顔に動揺が走る。
『こ、このぉ!!』
まるで、それ以上しゃべらせない、と言うかのように、真がビットを展開する。
『ふん』
つまらないものを見るかのような声と共に、アイン・ファウは両手を広げる。
同時に、そこから放たれたワイヤービットが、真の繰り出したビットを相殺する。
しかし、真も止まらない。次いで繰り出したレーザーは不規則な軌道を描きながら、マイラを襲う。
だが、
「まこちゃん!」
『え!?』
空は真を突き飛ばし、自らも回避行動に入る。
一瞬違いで、彼らの居た場所を波動が薙ぐ。
「気をつけて、こいつ、電磁系の武器は効果が無いわ!」
『え…』
直撃したはずの真のレーザーすら涼しい顔で受けながら、マイラは波動砲で反撃をしてのけたのだ。
『さぁて、もう少し遊んでもらうよ、お二人さん』
笑みを交えた声で告げるマイラ。
それに対して、空は応える。
「そうそう遊べるとは思わないで欲しいわね」
意識を研ぎ澄まし、集中する。
隣で真も改めて身構えるのを確認する。
「行くわよ…! オープンコンバット!!」
空が右へ、真が左へ。
マイラは両者に挟まれる位置に居ながら、笑みを崩さずにその場で一回転する。
そこから振り回されるワイヤー。軌道の途中にあった機材があっさりと切り裂かれる。
それを空はブレードの打ち下ろしで切り裂き、真は光体翼で焼き切る。
お返しとばかりに、真が数機のガドリングビッドを開放。
弾幕を踊るように回避するマイラの懐へ、空が一気に飛び込む。
「鬼さんこちら、だったわよね、さぁ、来て上げたわよ…!」
言うが早いか、繰り出すスライスエッジの3連撃。
それをマイラもまた、ブレードを展開して捌いてみせる。
『おお、やるやる。あたしに受けをさせたのは久々だねぇ。永二以来かな?』
それにも動揺せず、空は尚も追撃。面白がるように、マイラは同じくブレードで受け止める。
鍔迫り合いのような形になった瞬間。
『やああああああ!!』
その背後を取って、真のネージュ・エールが構える。直後、繰り出されるサマーソルト。
『あーあ、せっかく隙をくれてやったのに』
『な!?』
背面から放たれたワイヤービットが、瞬く間にネットを構成し、白い妖精を捕らえてしまう。
体勢を崩した真が床に倒れこむ。
「っ」
とっさに、空はマイラとの立ち位置を入れ替えるように動く。
そして、驚くほどすんなりと、その入れ替えができてしまう。
「…こいつ…!」
『さぁ、どうするんだい、次は』
この期に及んで尚、この女はこの状況を楽しんでいる。
真を捕らえているネットを切り裂いて彼女を解放し、空は深呼吸。
《…お姉ちゃん、提案があります》
直後、立ち上がった真からのメッセージ。自分の考えを直接伝えてしまう、彼女の電脳症の症状によるもの。
それに、空はマイラに向けて身構える形で応える。
《私の武器の大部分はあの人には効きそうにありません。でも、動きを限定するくらいはできるはずです》
ネージュ・エールの翼が大きく広がる。
《その隙を逃さないでください。お姉ちゃんの全力を》
空は頷く。
瞬間、真が真正面からマイラに向けて躍り出る。
『いきます…!!』
電圧を高めて形成する光体翼。それを叩きつけるように動くネージュ・エール。
『ふふ…』
効かないことが判っているからこそ、マイラは回避を取らない。
だが、真にとってもそれは想像の範疇。
本命は、次の一撃。フォースを開放する。
光体翼がさらに力を増し、ネージュ・エールが纏う白光が、その姿を妖精から神鳥に変える。
『いっけええええええええ!!』
『おやおや…』
渾身の体当たり。それすらアイン・ファウの装甲に多少の負荷を与える程度しか効果が無い。
だが、それでも、ネージュ・エールはアイン・ファウを壁際に向けて押し込む。
そう、真にとって、それ以上の戦果は無い。
『お姉ちゃん!!』
壁際、止まった動き。
その真上。
「叩き――」
ブレードを大上段に構えた空が居る。
『おお』
気づいたマイラが声を上げる。
その緊迫感の無さ。
それに構わず、空は降下しながら思い切り降りぬく。
「斬る!!」
構造体の壁ごと、アイン・ファウを真っ二つに切り裂く。

だが。

『はーずれー♪』
『え…!?』
「な…!?」
真が押さえ込んでいたはずのアイン・ファウが姿を消している。
まるで、壁に解けて消えたように。
いや。
「…そうか、電脳症の…!」
『ふふん、判ってたのに考えが足りてなかったねぇ、水無月空』
くすくすと笑いながら、マイラはまったく別の壁の中から、すり抜けるように姿を見せる。
『くっ』
改めて戦闘態勢を取る真。
と、その瞬間に、構造体に再び警報が響く。
「…!?」
『おっと。これは、奴らのお出ましかねぇ』
興がそがれた、と言わんばかりの詰まらなそうな声。
同時に、真もどこか怯えたような挙動を見せる。
『中尉、GOATです!』
「…判った」
空はレインの通信に返答し、マイラと向かい合う。
と、もう一度マイラのフェイスウィンドウが開いた。
『いや、なかなか楽しかったよ、水無月空』
「そう、それはありがとう。そう思うなら、ここでおとなしく倒れて欲しいけどね」
答えながら、身構える。
だが、からくりは解いたとはいえ、今の攻防でも判るように、その実力の差が埋まった訳ではない。
空と真、二人掛りで辛うじて持ち返した所なのだ。
その真も、自身がドミニオンに所属する以上は、GOATがここに来るならこのまま留まるわけにも行かないだろう。
『ま、ここは見逃してやろうじゃないか』
「…」
言いながら、マイラは構造体の壁に半身を刷り込ませ、残る腕で暢気に手を振ってみせる。
『ばいばい、水無月空、それに水無月真。また遊ぼ』
『…っ、ふざけないで下さい!』
その壁ごと吹き飛ばす、と言わんばかりに、真がラインレーザーを繰り出す。
だが、それは壁に穴を開けただけで、肝心のシュミクラムの姿は無い。
「…逃げた、いや、見逃された、か」
最後の最後まで、あの女は空と真を相手に遊び通した。
カラクリを見破ってもこの様だ。本気で殺しに来られていたらどうなっていたか判らない。
ひとまず除装し、激戦を間近で見る羽目になった少女達に駆け寄る。
「皆、大丈夫?」
「は、はい…」
と、少女の一人がおずおずと口を開いた。
「あの…、あなたは、巫女様の…?」
「…ええ」
小さく頷く。
「あ、あの…、お姉さん、巫女様を怒らないでください。あの方は、私たちに優しくしてくれました…」
恐らく、ドミニオンの巫女たる真と、軍服を身に纏う自分とを比べて、穏やかではない関係だと考えたのだろう。
除装しないままのネージュ・エールをちらりと見て、空は頷いた。
「心配しないで。別に、あの子とケンカしに来た訳じゃないから」
そう言って、空はツールボックスからナイフを具現化させ、少女達の首に付けられていたアンカーを切断していく。
それから、背後を振り向く。
真が、傷ついた雅のシュミクラムに肩を貸している所だ。
『急いで離脱してください』
「…まこちゃん」
『GOATが動いた以上、あの方も動きます。それより先に…!』
真の言う、あの方、が誰なのかはすぐに判った。
グレゴリー神父。
確かに、消耗した今の状態では戦うのは厳しい。
雅に至っては動くことすらままならないほどなのに。
『レイン』
チャントでレインに呼びかける。
『セキュリティコアは抑えました。業者のボスは少佐が。今、モホーク中尉がそちらに向かっています』
『クゥは?』
『私も今、レインと合流したところ。それより、そっちに向かってるシュミクラムがいる。急いだほうが良いよ』
クゥの警告に頷き、空は彼女達を振り返る。
「急いで。ムーブ可能ポイントまで移動しないと」
『空、その子達を抱えるくらいなら今の俺でもできる。お前は、露払いに専念してくれ』
「雅…。うん、わかった」
ぼろぼろではあるが、カゲロウ・鎧の腕に少女達を抱える。
正直、この状況で空が手を塞ぐわけには行かない。
全員がカゲロウ・鎧の腕に保護されたのを確認し、空は再びシュミクラムに移行する。
『施設各地でGOATと密造屋との戦闘が始まっています…!』
『こちらは目的は果たした。少尉、そちらはどうだ?』
『情報の回収まで残り30秒です。終了しだい放棄、撤収に移ります』
『モホーク、そっちは?』
『合流まで1分』
『よし、中尉は』
「こっちも移動を開始します。モホーク、離脱可能ポイントのデータをまわして」
『了解』
『方針は決まったな。各員撤収開始!』
シゼルの号令に頷き、空は真を振り返る。
「まこちゃん、お願い。この子達を無事に送り届けるまででいいから、手を貸して」
『…お姉ちゃん』
「…聞きたいことは山ほどあるわ。でも、今はそれどころじゃないし」
言いながら、空はネージュ・エールの傍まで歩み寄ると、
「お説教なら、誰かにされてきたみたいだしね」
『え…!?』
「へこんだ顔してるわよ。もう」
苦笑しながら、カゲロウ・冴はネージュ・エールの頭を軽く撫でる。
呆然と、真は空を見上げ。
『そこまで。全員、止まりな』
突如割って入った声に、空はゆっくりと振り返った。
真の表情に皹が走る。
振り返った先に居たのは、クリムゾンロータス。渚千夏が駆る、かつてカゲロウの一つだった機体。
『…千夏』
『真…、いや、ドミニオンの巫女。あんたを捕縛する』
その言葉に、真は一歩後ずさり、光体翼を広げる。まるで、威嚇するように。
「こっちに来てる機体ってのはあなただったのね…」
空は深紅の機体を見つめ、抑揚無く呟く。
『まて、千夏…! 真ちゃんを捕縛ってどういうことだ…!?』
苦痛を堪えつつも、雅が叫ぶ。
その彼を空は右手を上げて制し、
『モホーク』
空はチャントで呼びかける。
『む?』
『こっちは厄介ごとに捕まった。女の子達は雅に託して何とか離脱させるから、後の保護をお願い』
『…いけるか?』
心配されているのだろう。マイラとの激戦の直後だ。
『ま、何とかするわ』
『よし』
返事を受け、今度は空は雅に向けて、
『雅、合図したら離脱して。その子達はフェンリル経由でアークに保護して貰って』
『空、だが!』
『警官として、あなたが今優先しないといけないことは何?』
『…くっ、すまん。確かに今はこの子達を優先するべきだ…』
矢継ぎ早に対策を講じ、空は真と千夏の間に入る。
『お姉ちゃん!?』
自分を庇う様に空が立ったのが信じられないのだろうか。
真が驚愕の声を上げる。
空は微笑し、千夏を睨みつける。
「…ここでまこちゃんを庇うのは、公務執行妨害って奴になるのかしら?」
『なるだろうね』
「なるほど。まぁ、悪名高きフェンリルの一員としては箔がつくわね」
何でもないことのように言い、空はブレードを構える。
『…やっぱり、あんたはそうするだろうね』
「予想してても、やらざるを得ない、ってとこ?」
『こちとら任務なのさ』
ドミニオンの巫女である真を、GOATである千夏が追う。
この事自体は決して違和感を感じる構図ではない。
ただ一点。
「捕縛、って言ったわよね」
『ああ』
「…どうして?」
『……殺したくないから、じゃ、理由にならないかい?』
それも理由だろう。ただ、千夏は以前言ったのだ。
空はそれを覚えているから、だからこそ、その建前の裏側に気づく。
「灰色のクリスマスを防ぐためなら、何だって敵に回すって言うくらいのあなたにしては、かなり甘い理由だとは思うけどね」
『…ちっ、口が滑ったね』
以前、地下道で交わした言葉のやり取りを持ち出され、千夏は舌打ち。
やはり、裏がある。真を捕縛する、その理由が。
『お、お姉ちゃん…?』
《何で? 何でお姉ちゃんが私を庇ってるの…!? だって私、先輩を…!》
混乱した妹の『声』が聞こえてくる。
それに今は答えず、空は千夏を睨みつけながら、雅に合図を出す。
「行って、雅」
千夏は雅には手を出さない。本当に目的は真なのだろう。
あまり嬉しくない確信だが、この場はありがたい。
『あ、ああ…』
カゲロウ・鎧が満身創痍の体を引きずりつつ、抜けていく。
千夏はそれをちらりと視線を移しただけで、追う素振りも見せない。
ただ、一言。
『あれが、さっきあたしを協力させてまで開放しようとした女の子達、か』
「そういうことよ」
空の答えを聞いて、千夏から安堵の呼気がかすかに聞こえた。
ひょっとしたら、千夏も気にしていたのかもしれない。非情を、鉄面皮を装っていても、その内心は。
(…もし、そうなら)
だが、それを引きずり出すには、千夏が縋れる理由がいるだろう。
「まこちゃん、私があなたを庇うのが信じられない?」
『え…!?』
「答えなんか、わざわざ言わなくても判ると思うんだけどな」
覚悟を決める。
もう諦めないと誓ったのだ。
ならば。
「私は、あなたのお姉ちゃんだもの。姉は何があっても、妹を見捨てたりなんてしないものよ」
『あ…』
《そんな…、嘘…、こんな…、だって…!》
動揺している真の声が聞こえる。
『ずいぶん大見得切ったね。灰色のクリスマス以降は、そういう兄弟姉妹なんてざらにいるけど?』
言いながら、千夏も臨戦態勢を取る。
「そう。だったら言い直す」
呼応するように、空もブレードを構えた。
「私は、水無月空は、何があっても、まこちゃんを見捨てたりなんてしない」
言いながら、やっと言えたと、伝えられたと思う。
言いたかった事、伝えたかったこと。
あとは、真がどう考えるかだ。
その時間を手に入れるためにも。
そして、この目の前の不器用な馬鹿をどうにかするためにも。
「そんな薄情な兄弟姉妹とこの私を、一緒にしないで…!」
水無月空は、目の前に立ちはだかる理不尽に、そのブレードの切っ先を向けた。


















Interlude


とてもとても長い、夢を見ている。
いくつもいくつも、夢を見ている。
でも、今見ている夢は、初めての夢だ。
届くのかもしれない。一番欲しいものに。
そんな夢を見る。

(違う、それは君の夢じゃない)

誰かの声が聞こえた。

(それは彼の夢。君の持つべき夢はそうじゃない)

そうじゃ、ない…?
持つべき、夢?

(道は作る。あとは君次第。長い夢はもうすぐ終わる)

持つべき、夢…。
もうすぐ、終わる…。
聞こえる声が遠くなっていく。


俺が、欲しい夢…。
決まってる。俺は、俺はずっと…。
ずっと、あいつに…。




















To Be Continued ...



[17925] 第七章 疑念 -Resistivity factor- <2>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/03/09 21:10



動いたのは、どちらからか。
白地に赤を纏うカゲロウ・冴と、深紅に染められたクリムゾンロータス。
両者の間合いが急速に狭まり、繰り出される斬撃と蹴撃。
空の繰り出した斬撃を、千夏は裏剣で叩き落し。
千夏の繰り出した蹴撃を、空は残ったブレードで受け止める。
『引く気は無いね、空!!』
「それはこっちのセリフ!」
言い返し、空は今一度スライスエッジを繰り出す。
千夏はバックステップでそれを避け、空の側面に回り込みつつ、蹴りを繰り出す。
即座にソニックショットで迎撃。
その弾幕を無視して千夏は踏み込み、足を振り上げ斬りつけるように叩きつける。
「っ!?」
攻撃直後の僅かな硬直を付かれ、カゲロウ・冴の肩口に命中。
『どうした、空!?』
ここぞとばかりに、千夏は蹴り技を集中させてくる。
捌き、防ぎつつ、それでもダメージは蓄積する。
「っ、私怨込めてるでしょ、千夏!!」
『はっ、だったらどうだっていうんだい!?』
「ぶった切る!!」
言うが早いか、空は一瞬で千夏に一撃を見舞いつつ、その背後へ回り込む。
『っ!?』
「今度はこっちの番…!」
『させると思うかい!?』
空が飛び込もうとし、千夏は後方へ飛びのく。
間合いが外れた、そう思った瞬間、クリムゾンロータスのウィングが稼動する。
ハンティングキック、瞬間の隙に間合いを詰められて繰り出されたその一撃で、空は空中へ打ち上げられてしまう。
「しまった…!」
『はああああ!』
この機を逃さない、とばかりに千夏が吼える。
ギャラクティックストライク。一気に大地に叩きつけられる。
直後にカカト落とし。
再度浮き上がったところに、ビームブレイドを纏ったサマーソルト。
『くらいな!!』
そしてブーストキック。
「あぐ…っ」
一連のコンボに抗う術も無く、空は倒れ伏す。
『お姉ちゃん!?』
真の悲鳴が聞こえる。
(…確かに、強い)
空は起き上がりながら、千夏を見つめる。
(…損傷レベル中破手前…。大丈夫、まだいける…!)
カゲロウ・冴の状態を確認し、空は再度構えを取る。
そんな彼女を見据え、クリムゾンロータス、千夏は感情を押し殺した声で言い放つ。
『傭兵協会の凄腕ってこんなもんなのかい、空』
その言葉に、空は苦笑する。
確かに、今のざまを見ればその通りだ。
だが、お互い様とも言える。
本物の凄腕は、一度敵を空中へ打ち上げたなら、もう一度降りてくるその時には相手を破壊しつくしている、と言うほどなのだから。
今、現に空が立ち上がれている時点で、その言葉をそっくりそのまま切り返すことはできる。
が、空は全く違うことを返してやった。
「安心した? GOATのあなたにとっちゃいいことでしょ?」
『…っ、どこで知った…!?』
確かに、千夏の口から自分がGOATであるということはまだ聞いていない。
それでも、正規の軍人だ、とは言っている。
そして、今ここに来ている統合軍の部隊。
「状況証拠は一杯あるみたいだけど?」
『…余裕あるね、あんたは』
「こういう切羽詰った状況、別に初めてじゃないしね」
言いながら、呼吸を整える。
「今度こそ、こっちの番にさせて貰うわよ」
『お断りだね…!』
千夏が飛び込んでくる。
それを飛び越えるようにして回避。
体を入れ替え、下方を睨みつけ、弓を構える。
打ち出されるメテオアロー。その波動にとらわれ、クリムゾンロータスが動きを止める。
『な…!?』
「行くわよ…!!」
的と化したクリムゾンロータスめがけ、一気に急降下する。
『ぐぅっ!?』
レイディングホーネット、その一撃がクリムゾンロータスの重装甲を削り取る。
「切り裂いて…!!」
そして、トルネードテンペスト。刃の旋風が千夏もろとも、空中へと舞い上がる。
クリムゾンロータスは両腕を交差し、少しでもダメージを軽減しようとしているのがわかる。
そして、今の一撃でも、勝負を決定付けるダメージには至っていない。
損傷レベルなら、まだ空の方が酷い程だ。
だから、手を緩めない。
上りきれるところまで上った瞬間、今度は高速ですれ違いざまに見舞う三連斬。
三撃目を見舞った直後の移動をキャンセルし、そのまま肉薄して追撃に繰り出すスライスエッジの連斬。
仰け反ったところにさらに踏み込み、更に上へと切り上げる。
(まだ、ガードを崩せない…、千夏、コンボの終わり目を狙ってる…!!)
完全に防御に集中している。だが、そのクリムゾンロータスのカメラアイに、確かな殺気がぎらついている。
そのガードを崩そうと、テリブルスクリューを繰り出す。
『うぐ…!!』
さすがに今の一撃は効いたのか、うめき声が混じる。
が、空もオーバーヒートが近い。
ここでカウンターを貰えば、それこそ致命打になる。
だが。だから。
「…悪く思わないでね、千夏」


研ぎ澄ます。


感覚を。
思考を。


一つにする。


カゲロウ・冴を。
水無月空を。


クリティカルアロー。
あれはカゲロウ・冴が生まれたときから持ち合わせていた、一つの形。
もっとも使い慣れた、空の信頼するフォースクラッシュ。


だが。


本当のカゲロウ・冴の切り札は、それとは別。
水無月空が、凄腕である為の、最大の手札。
その手札を、白日に晒す。

「そろそろ、やっつけてあげるから…!!」


























                               イニシャライザ


















刹那、カゲロウ・冴が蒼光を纏う。
その直後、更に苛烈に刃の嵐が襲い掛かる。
熱量など関係ないと言わんばかりに。
「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
空の気迫の叫び。周辺全ての動きが遅く見える。
まるで、自分が仮想の支配者にでもなったかのような、圧倒的な力。
『な、なに…!?』
怒涛のラッシュを前に、動揺した千夏の声が聞こえる。
僅かにガードが揺れる。そんな動きすら、今の空は見落とさない。
生じた隙間を打ち抜けとばかりに、ブレードを打ち込む。
『がっ!?』
斬りつける。叩きつける。薙ぎ払う。捻じ切る。
ありったけのカゲロウ・冴の攻撃が、クリムゾンロータスに叩き込まれ。
そして、吹き飛ばす。
宙を舞うクリムゾンロータスに向け、空は両のブレードを合わせて巨大な弓と化し、狙いを定める。
そして、躊躇い無くその矢、クリティカルアローを打ち放った。






『何で、外した?』
構造体の床に大の字になって倒れこむクリムゾンロータスを見下ろし、カゲロウ・冴は肩をすくめる。
「言わなきゃ判らない?」
『…いっそ、殺して欲しかった』
「でしょうね」
フェイスウィンドウに映る千夏の顔は、何かが抜けて行ったような、力のない顔をしている。
『千夏、先輩…』
真が恐る恐る歩いてくる。
『もう何もしやしないよ。…ったく、姉妹揃って天才だよ、あんたら』
千夏はため息混じりに、真に向けて言う。
『あ…』
「千夏、いろいろ聞きたいことはあるんだけど」
空は言いながら、クリムゾンロータスを小突く。
「とりあえず後にしてあげるから、さっさと自己修復起動しなさい。直せる範囲、表面部分しか痛めつけてないつもりよ?」
その言葉に、千夏は渋面になる。
『手心加えたって言うのかい?』
「最後の一撃外してる時点で似たようなもんでしょ」
『~~~~っ』
空は苦笑交じりに言い、千夏は尚のこと顔をしかめながら、言われたとおりに自己修復プログラムを起動する。
それを待つ間、こちらに向かっているだろうクゥとレインに連絡を取ろうとして、
『…!? だめ、お姉ちゃん、千夏先輩、急いで逃げて!!』
急に真が慌てだす。
「え?」
『真…?』
『待ってください、神父様! この人達は…!』
悲痛な声で真が訴えた、その直後。
三人が居た構造体が歪みだす。
(違う、これ…、強制移動!?)
気分が悪くなりそうな視界の変動。
(そうだ、エディが言ってた。NPC密造屋が、ドミニオンと繋がっているって…)
変動が収まった時、周囲の壁は不気味な意匠の施されたそれに変わっていた。
そして。
『ようこそ、空君、千夏君。我らドミニオンは君たちを歓迎しよう…』
漆黒のシュミクラムが、信徒達と共に近づいてきていた。




「…!?」
アイギスガードの肩に居たクゥは、慌てて立ち上がる。
「と、っとととぉ!?」
当然、全速力で走っているシュミクラムの上でそんなことをすれば、バランスを崩す。
『ちょ、クゥさん!?』
「あっ、あぶなっ、あぶなー…」
殆どしがみつくようにアイギスガードの肩に座りなおし、一息。
『な、何してるんですか…』
「ごめん…。っと、それどころじゃないの! 空の居場所、今どうなってる!?」
『え? …な、これは…!?』
レインの動揺した声。
『空中尉の座標が目まぐるしく変動して…、これでは場所が特定できません…!』
やはり、自分の直感が間違っていないことを確信し、クゥは進む先を睨みつける。
「やっぱり、空、どっか変なところに飛ばされたんだ…」
『ドミニオンの仕業、でしょうか』
「たぶん。はやく追いかけなきゃ」
急かすクゥに、アイギスガードが頷き返し、再度走る。
『しかし、空中尉達がいた場所に今から行っても…』
「それは…」
クゥも答えられず、だが、それでも先を見つめる目は背けない。
何かあるはずだ。
そう、自分にしかできないことがある。
シミュラクラである自分と、オリジナルである空との間にある、この繋がり。
「…リンクを辿ってみる」
『え?』
「意識してリンクを辿るのは凄く怖いけど…。ハウリングなんてもう絶対起こしたくないし。でも、今はきっと、これしかない」
共有情報に制限をかけている今のリンクを、意識的に強化する。
そしてそのリンクを辿り、空の居場所を特定する。
だが、それは同時に共有情報の制限が緩んでしまうことにもなる。
ハウリングが起こってしまう危険を孕んだ、できれば避けたい行為だ。
それでも、クゥは選ぶ。
その結果、空に怒られるとしても、ここで何もしないよりは、きっと遥かにマシだ。
何より、見ているだけが嫌だったからこそ、自分はここに来たのだから。
「…リンクリミッター、レベルダウン」
自分に言い聞かせるように、クゥは呟く。
今までおぼろげだった空の感情が、はっきりとわかるようになる。
懐かしく、安心する繋がり。
(だめ、空の心は空のなんだから…!)
そこに触れたいと訴える自分の本能を捻じ伏せ、空が居る場所を探そうとして。
声が、聞こえた。



「…ずいぶんな歓迎ね、神父」
カゲロウ・冴は、千夏と真を庇うように前に立つ。
多少は自己修復できたが、このまま戦うのは正直厳しい。
少しでも時間を稼がなければならない。まして、千夏は自分が痛めつけたのだから。
『し、神父様…』
『おお、我が巫女よ、よく神の花嫁を連れてきてくれた』
その言葉に、空は自分でも判らない怖気を感じる。
同時に、一度だけ垣間見た、カゲロウに刃を向けた、自分を思い出す。
対してまだ立ち上がりきれない千夏は、真を見上げ、
『真、あんたまさか…』
そんな、疑念の言葉を向ける。
『あ…わ、私は』
うろたえる真。が、空はため息混じりに、一言。
「千夏。あほなこと言わない」
『な!? あ、あほな事とは何だ! この状況なら』
「あのね。さっきまこちゃんが私たちに、早く逃げろって言ったの聞こえなかった?」
『だ、だからって…』
「神父得意の話術でしょーが。落ち着きなさい」
千夏はバツが悪そうな顔をすると、何とか立ち上がる。
「まこちゃん」
『あ…』
「この場でドミニオンを抜けろとまでは言わない。ただ、私は絶対まこちゃんを見捨てない」
『お姉ちゃん…?』
「だから、どうするかはまこちゃんが決めなさい」
言いながら、空はブレードを構える。
『巫女よ、どうしたのだ? 戻ってきたまえ』
『わ、私は…、神父様…』
唇を噛み、目を伏せる真。
その真の背中を、千夏が蹴り飛ばした。
『いたっ!?』
『今決められないんならとりあえずどっか行きな。あたしらはこれから、こいつと戦うからさ』
『ち、千夏先輩…』
呆然と呟き、ネージュ・エールは後ずさる。
そして、
<ごめんなさい…!>
そんな心の声を残して、踵を返した。ドミニオンからも、空たちからも背を向けて。
空は振り返らない。
(うん、今はそれでいいよ、まこちゃん。ゆっくり考えて、それからでいい)
この場でドミニオンに戻る選択をしなかっただけで、空にとっては十分だ。
『まったく。あまり真君を惑わせないでくれたまえ』
「どっちがよ。真実とか虚構とか意味のわからないこと吹き込んで」
『ほう、君はこの世界が真実のものだと、本気で考えているのかね?』
「どっちでもいいわよ、そんなこと」
空は言いながら肩を竦める。
『甲君は死んでしまったというのにかね? 真君は、君に甲君を返すために必死なのだよ?』
空は目を閉じる。
眠る『彼』の姿を思い出す。
根拠も無く、彼が甲だと確信している自分が居る。
『…どういう意味だい? 真が、どうして甲を』
『巫女は罪を抱いている。自分が甲君を殺してしまったのだという、拭いきれない罪を』
『な…!?』
千夏が絶句する。
『空…、あんた』
「知ってるわ。あの子がそう言ったのも聞いた」
淡々と、千夏に答える。
「でも、私の答えは変わらない。私は何が会っても、まこちゃんを見捨てない」
『…空、あんた』
「千夏には悪いけどね。門倉甲の彼女で、水無月真の姉である私がそう決めた。誰にも文句は言わせない」
強く、はっきりと。
自分の思いを口にする。
と、神父が顔をゆがめた。
『ふ』
そして、
『ふはははははははは!!!! さすがだ、流石なり、水無月空ぁぁあ!! それでこそ、我が神が選びし花嫁よ!!』
言いながら、神父のシュミクラム、バプティゼインがチェーンソーを天に掲げる。
『だぁからこそぉ! 君達を神の御許に送り届けるためにぃ! 全力をぉ! 尽くさねばなるまいぃぃぃ!!』
その言葉が合図だったのか、空と千夏をドミニオンのシュミクラムが取り囲む。
『その傷ついたシュミクラムでどこまで抗えるか、見せてもらおう!!』
神父の言葉。
だが、空は言う。どこまでも、強気に。
「知らなかったの? 神父」
『…何?』
「私は一人じゃない。こういう時、必ず手を貸してくれる親友が居る」
『桐島レイン君のことかね? だが、彼女とて、簡単にここは特定できんよ』
孤立していることは変わらない。言外に神父は言う。
だが、それでも空は崩れない。
「そしてもう一人。本当に頼りになる妹が居る」
言いながら、空はありったけの意思で『妹』に『自分』を伝える。
「あの子ともいろいろあったけど。それでも私は信じてる。まこちゃんと同じようにね」
彼女も探してくれていたのだろう。
簡単に、はっきりと、空の中でそれは繋がる。
それを感じて、空は笑った。
「あの子なら、私を見つけてくれる。絶対にね。神父、あなたは――」
そして、力強く言い放った。



そんな、空の声が聞こえた。
ハウリングなんてことをしでかした自分を、それでも受け入れてくれただけでも、クゥにとっては嬉しいことだったのに。
この状況で、空は自分を信じてる、と言ってくれた。
「…空…!」
だから、応える。自分と空だからこそできること。
(今ならはっきりと言える。私は、空のシミュラクラとして生まれてよかったって)
空から伝えられた『自分』を抱きとめ、繋ぐ。
「レイン! 空の居場所判ったよ! 今からムーブする!」
『…はい!』
空とのリンクだけで十分。アドレスなど関係ない。
レインのアイギスガードの肩の上で、クゥはムーブプログラムを起動する。
並立してもう一つ。
(決めた。出し惜しみしてたつもりなんて無いけど、空があそこまで言ってくれたんだもん。もう、決めた!)
周囲が一度1と0とに分散し、それが再び集まって構築される。
微妙に移動ポイントがずれたのだろうか、眼下に空達を囲むドミニオンが見える。
だが、むしろ好都合だ。
クゥは躊躇いなしにアイギスガードの肩を蹴った。
「先に言ってくる、レイン!」
『お気をつけて! 私は周囲のトラップの排除を行います!』
レインの声に見送られ、クゥは宙を舞う。
「行くよ…! 移行《シフト》!!」



そして、空は力強く、言い放つ。
「神父、あなたは、『私たち』を見誤った…!!」
それに応えるように。
『クゥ式ぃぃ…!』
上方から、彼女の声が聞こえる。
『ぶーすとぉぉお! きぃぃぃぃいいいいいいいいいいいっっっっく!!!!』
白と朱色の彗星が、神父を思い切り蹴り飛ばし吹き飛ばす。
『ぐおおお!!?!?』
『し、神父様!?』
仰向けに吹き飛ぶ神父とは対照的に、空の隣に降り立つ白と朱色のシュミクラム。
「やっぱ来てくれたわね、クゥ」
『当然!』
フェイスウィンドウに浮かぶ、仮想に生まれた双子の妹の顔。
そして、カゲロウ・冴に並び立つもう一つのカゲロウ。
右手にカゲロウ・冴と同じ弓状の双刃刀。
左手には、騎士のそれを思わせるような、白に朱色で縁取った盾。
カゲロウ・冴をサポート仕様にチューンナップしなおした、クゥの機体。
それは、カゲロウ・冴の出した右拳に自分の右拳を軽くぶつけ、
『カゲロウ・星、ただいま参上! なんちゃってね!』
そう、高らかに宣言した。










to be Continued ...



[17925] 第七章 疑念 -Resistivity factor- <3>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/05/18 01:22



現実と仮想。
異なる法則の元に生まれながら、誰よりも深く繋がった存在。
現実に生きる姉と、仮想に生まれた妹。
違う世界に生まれながらも、同じ魂を共有する二人が、今改めて並び立つ。

カゲロウ・冴とカゲロウ・星。

「さぁて、暴れるわよ、クゥ!」
『おっけー!』
周囲を睨みつけ、狩人の笑みを浮かべる空に応えるように、クゥもまた身構える。
が。
『って、ちょっと待て! クゥ!? 何で!? 凍結は!? シュミクラムって!? あんたNPCじゃないの!?』
後ろで矢継ぎ早に質問を繰り出す千夏。
そのクリムゾンロータスの頭を、近づいてきた青い機体が殴り飛ばした。
『あだ!?』
『失礼。ですが見苦しいですよ、渚中尉』
空は肩越しに振り返り、その姿を確認する。
「レインも、来てくれたのね」
『勿論です。周辺のトラップは全て排除しました』
『おお、早い。私手伝う暇無し…』
『ふふ、そうそう弟子に後れを取るわけには行きません』
『さすがししょー!』
いつの間にやら師弟関係が出来上がっているレインとクゥのやり取り。
それを横目に、恨めしげに千夏が空を睨みつけてくる。
『空…』
「心配しなくても、後でちゃんと話すわよ。だから」
そこまで言って、千夏はため息をついて頷いた。
『仕方ないね。実力の程は知らないけど…。頼りにしていいんだね? クゥ』
『もちろん!』
包囲網の真っ只中、4人の少女達はそれぞれ背中合わせに立つ。
その彼女らを見ながら、神父がゆっくりと立ち上がる。
『ふ、ふはははは…。まさか、化身たるエージェントまでが共に居ようとはな…! なるほど、これは分が悪いようだが』
言いながら、神父はそのチェーンソーを唸らせる。
『我が神の花嫁を迎える最大の機会!! 逃してなるものかぁぁぁ!!!』
それが合図。
空たち4人を包囲する、何十ものシュミクラムが一気に飛び掛ってくる。
それに対して。
『クゥさん!』
『了解!』
レインとクゥが武装を展開。
『スタン・フレア!!』
『びりびりファイアー!!』
二機のサポート機が背中合わせに繰り出した、スタン・フレアが大部分の動きを止める。
その瞬間、空と千夏がそれぞれの方向へと飛び出した。
「クゥ、あんたそのネーミングセンス何!?」
とはいえ、空はついクゥのとぼけたセリフに文句をつけてしまう。
『あんたの分身だろ、早く何とかしろ!』
「う、うっさいわね!」
空の繰り出すスライスエッジの3連撃が動きの止まったオールターを切り伏せれば、負けじと千夏の放ったレッグスラッシャーが、アドヴェントを吹き飛ばす。
間隙を縫い、レインのスナイパーライフルがそれに追撃を仕掛け、そのレインの背後を取ろうと迂回してきたトレスを、クゥがソニックショットで迎え撃つ。
『私のネーミングセンスは空譲りだと思う!!』
「誤解を招くようなこと言うな!!」
クゥの反論に溜まらず言い返しながら、アイアンローラーの突進攻撃をダウンスマッシュで装甲ごと弾き飛ばす。
その落下地点にレインが飛び込み、槍で貫く。
『空中尉、認めた方が楽だと思いますよ』
「レインまで!?」
『ほらみろー!』
思わぬ増援に、空は悲鳴をあげ、クゥが歓声を上げる。
そんなやり取りを交わしながらも、クゥはシールドチャージでクラウンを吹き飛ばし、それを空がトルネードテンペストで巻き上げ、破砕する。
『雑談している場合かね!!』
瞬間、神父が飛び込んでくる。
標的になった千夏は、すぐさまバックステップで身をかわす。
『まずは手負いから、ってか!?』
『いいや、目立つからだよ!』
すっとぼけた事を言い返す神父。
だが、振るわれるチェーンソーはふざけてなどいない。
構造体の柱を容易く切り裂き、それが崩れ落ちて目くらましを作る。
「千夏!?」
『空、そっちだ!』
その言葉に、空はとっさに身構える。
『ここだよ、空君!! こ・ん・に・ち・わあああああ!!!』
いきなり上空から、大上段にチェーンソーを振りかぶった神父が振ってきた。
ブレードで何とか受け流し、間合いを取る。
それを隙と見て取ったのか、何機かの信徒が群がってくる。
『させるか!!』
が、クゥがその前に立ちはだかり、シールドユニットから磁場を放出。
バリア状に広がったそれに弾かれた彼らに向け、クゥは右手のブレードを鋏状に切り替える。
飛び込み、一体をそれで掴みあげると、周りの機体を巻き込むように投げつける。
その背後では、体勢を立て直した空が神父と切り結ぶ。
『君は! 何を求めて戦うのかね!?』
「人生相談なら、亜季先輩に頼むから間に合ってるわよ!!」
『甲君は死に! 真君は世界に絶望し!』
「それがどうしたの!」
もはや揺るがない。
空はもう、『彼』が甲だと確信したのだから。
空はもう、真を信じると決めたのだから。
なら、揺るぐ理由が無い。
「数日前ならわかんなかったけどね、説法くれるのが遅いのよ、変態神父!!」
『そうか! ならば、確固たる信念を持った君にお祝いの品をあげようではないか!』
言いながら、神父が空に向けて両手を広げた。
『さぁ! さぁ!!』
怖気が走るほど歓喜に溢れ、神父が無数の機雷を解き放つ。
だが、空はとっくにレインの位置を把握していた。
「レイン、チャフ!!」
『了解!』
すぐさま指示を発し、レインと位置を入れ替える。
彼女の散布したチャフに反応し、機雷が悉く目標を捕らえぬまま爆発する。
その爆風を縫い、クリムゾンロータスが駆け抜ける。
『ぬぅ!?』
『少尉!』
一番近くに居たレインに声をかけ、回し蹴りを見舞う。
とっさにガードしたようだが、それでも吹き飛ばされて大きく間合いを外れる。
その先に回りこんだレインが、ショットガンを構える。
『零距離…!』
『ふ、そうはいかんね!!』
吹き飛ばされつつも、神父は両腕を広げ、自ら回転する。
『しまっ』
ガードの間に合わないレイン。
が、その間にクゥが割り込み、シールドで受け流す。
そして、その僅かに稼いだ間で十分。飛び込める。
『これが私の必殺…、受けてみなさい!!』
ゼロレンジブラスト、シールドキャノンを神父に突き刺し、その後ろに居る信徒ごと連続砲撃に巻き込む。
『ぬぅぉぉおおおおおっっっ!?!?!?』
悲鳴を上げながら吹き飛ぶ神父。
追撃を仕掛けようと、空、クゥ、千夏が身構え、
『神父様ぁ!!』
残っている信徒が肉壁になって彼女らの前に立ちはだかる。
『ちぃ!』
千夏が舌打ちする。
だが、空は止まらない。
どれだけ壁が厚かろうが、貫ける技があるから。
「クゥ!」
空は両のブレードを頭上に掲げながら、クゥに目配せする。
既に思考がシンクロしていたのか、クゥもまた、シールドとブレードの両方を頭上に掲げている。
それぞれが一つに重なり、二人のそれぞれの手に、巨大な弓が生まれる。
「『ぶすっと行っちゃって!!』」
声が重なる。
クリティカルアローの、双閃。
分厚い信徒達の壁を打ち抜き、その先に居る神父を貫く。
両のチェーンソーごと腕を吹き飛ばされ、神父が倒れこむ。
「畳み掛けるわよ、皆!!」
『『『了解!!』』』
見事に重なった三人の返事。一気にケリをつけようとして。
『オオオオオオオオオオオオオオ!?!?!?』
信徒達に悲鳴とも歓喜ともつかない声が上がりだす。
それが一瞬の間。
それをこじ開けるように、その胴に重傷を負い、両腕を吹き飛ばされたはずの神父が不敵に笑い始めた。
『くくくくく…、はぁぁぁああはっはっはっはっは!!!』
『何が、おかしい!!』
もはや止めを刺すのみ、恐れる理由など無いとばかりに、千夏が突っ込む。
その彼女の前に、信徒が立ちはだかる。
その腕に、巨大なチェーンソーを生じさせて。
『はぁぁぁぁあはっはっはっは!!』
その信徒も、まるで神父の様に高らかに笑いながら、チェーンソーを振り回した。
慌てて回避行動に移り、何とかやり過ごすが。
「な、何よ、これ…!?」
『強い、君達は素晴らしく強い。だが、私も負けるわけにはいかんのだよ…』
ゆらり、と幽鬼のように立ち上がり、神父は狂気の笑みを浮かべる。
『我が同胞達よ…、今一度問おう。例えその身が新世界へ至らぬことになろうとも、神が求める花嫁を神の身元へ捧げる為に、その身命を賭す覚悟はあるかね…?』
その言葉に、信徒達は歓声で持って答える。
『空…、何これ、凄くいやな感じがするよ…!』
クゥが蒼白になって訴える。
空だってそのことには気づいている。
だが、動けない。
何が起こるのか、何が起ころうとしているのか。
危険だということは判るのに、その危険の正体を見極めきれず、動くに動けない。
そんな彼女達を嗤い、神父は高らかに叫ぶ。






『ならば!! 授けよう!! 我と同じ!! 神の!! 爪の!! 一欠片となる権利をおおおおおおおお!!!!』


『『『『『『『アあアァぁアァあァァぁアァアああァァアぁアァアあアァぁぁァァアあァアぁぁアアあァァアア!!』』』』』』』






狂気の声が上がる。
群がっていたいくつものシュミクラムが、膨れ上がる。
その腕に巨大なチェーンソーが生まれる。
膨れ上がった体は黒く染まる。
その姿は、まるで。
『そんな…、これは、一体…!?』
『ありえない…! 電子体が変質したとでも言うのかい…!?』
レインと千夏が後ずさる。
『し、神父!! あなた、まさか…!!!』
何かに気づいたのか、クゥが悲鳴を上げた。
『『『『『ふはははははは!!!! 仕方あるまい!? 既に空君とエージェント、君達がそろっていること自体がおかしいのだ!! ならば、こちらも相応のルール違反をせねばなるまい!!!』』』』』
空たちを囲んでいた十数体のシュミクラム。
それが全て、変質した。
黒き狂気の顕現。グレゴリー神父が駆る、バプティゼインに。
「っ、離脱、できそう?」
『空!?』
「冷静に彼我の戦力を分析して、千夏! …これで勝てると思うほど馬鹿じゃないでしょ」
『…っ、確かに、その通りだね』
唇を噛みながら、周囲を見回す。
『しかし、この状況では…!』
レインが言うのも判る。
ここから離脱するのは至難の業だ。
空だけなら、イニシャライザを使って全力で逃げを打てばいいが。
「…いや、たぶんそれしかないわね」
呟く。
『中尉?』
「皆、聞いて」
自分だけなら逃げ切れるなら。
「ここは、私がひきつける。奴らの狙いは私だから」
自分が囮をやるべきだろう。
『な!? 何言ってるの空!?』
「私一人なら、イニシャライザを使えば逃げ切れる。だから、何とかあなた達が逃げ切れるだけの時間を稼いで、私も後を追う」
『馬鹿、何死亡フラグ立ててんだい!?』
千夏にまで言われ、空は苦笑する。
「死ぬつもりは無いわよ。それに、千夏は知ってるでしょ、身をもって」
『っ』
先ほど、自分が受けた不可解な技。
空が言っている「イニシャライザ」とはそのことだと思い当たる。
『ですが、それでもあまりにも危険過ぎます! それなら私が!』
「レインじゃ無理。アイギスガードの機動性じゃ、振り切れない」
『それで中尉を置いていくよりはマシです! それで空さんにもしものことがあったら!!』
「ごめん、レイン。この言葉は卑怯だけど…」
空は小さく息をつく。
「命令よ、桐島レイン少尉。クゥと千夏と一緒に、離脱しなさい」
『…!?』
レインが息を呑む。
『相談は済んだかね?』
ゆっくりと神父たちの包囲網が狭まってくる。
「いいわね? それじゃあ」
空は覚悟を決め、ブレードを構え、
































『そっちがルール違反をするなら、僕らもルール違反をするまでだ』








































突如、そんな声が割り込んだ。
瞬間。
蛇行を繰り返す巨大な波動砲が神父達をなぎ払った。
『『『ぬおおおおお!?!?!?』』』
『これ、シウコアトル!?』
突然の援護攻撃を見て、クゥが歓声交じりの声を上げる。
その声に我に返り、空は残る二人に声をかける。
「全力で撤退! 私も含めてね!!」
『や、了解!!』
『誰かわかんないけど助かった!!』
シウコアトルでなぎ払われてできた空隙を、4機が駆け抜ける。
『ぬうう、ま、待て!!』
「誰が!」
言い返して。
空とクゥ、レイン、千夏は、何とかその場から離脱する。
『しかし、ここはまだあの正体不明の領域です。油断しないでください』
レインから念を押され、空は頷く。
『しかし、さっきのは一体誰だ? 何か、覚えがある声だった気がするけど…』
千夏が首を傾げる。
たしかに、彼の声と比べれば若干幼さがある為、声だけでは気づかないかもしれない。
空はクゥと顔を見合わせ、
「…お化け、いや、生霊、かな?」
『空、それはちょっと酷い』
『はぁ?』
微苦笑でごまかし、後方を振り返る。
(ありがとう、オブサーバー)
直後、アンカーの解除が知らされた。
「よし、脱出するわよ」
『あー、何か結局あんたに仕切られっぱなしだよ…』
千夏の苦情を聞き流し、空達は無名都市へと帰還した。





移動と同時に除装し、彼女達は無名都市の路地に降り立つ。
同時に、GOATの制圧作戦を見上げることになった。
「…あー、そういえばこういうことやってたわね」
いろいろあって忘れてた、と空はため息をつく。
「うあー、疲れたー!!」
言って、クゥが尻餅をつくかのように、路地に座り込んで足を投げ出した。
「行儀悪いわよ、クゥ…」
「いいじゃん、頑張ったんだから」
「それとこれとは話が別」
「むぅ」
むくれるクゥを見て、レインが苦笑する。
「…空」
と、半目で見る千夏に、空は肩をすくめた。
「…えーっと。紹介するわ。妹のクゥ」
「そうじゃないだろ! 空、あんたこの子とは…」
「うん、いろいろあったけどさ」
そこまで言って、空はふと気づいて、千夏に笑いかけた。
「何、心配してくれてるの?」
「…」
ふん、と顔をそらされた。
空は苦笑する。
と、千夏はそのまま歩いていく。
「渚中尉?」
レインに声をかけられ、千夏は足を止める。
大きく深呼吸して振り返ると、そこには「軍人」渚千夏がいた。
「…少し、気を抜き過ぎた。あたしはGOATだ。…あんたらの敵、なんだよ」
そう言って、踵を返す。
「今回はいろいろあって協力しただけだけど。もし、あの時の同じことがあったら」
あの時。
真を捕縛する、と言ったときの事か。
空はため息をつく。
「千夏、あなたがどう思ってるかわかんないけどさ」
そうして、背中を向けたままの千夏に、微笑みかけて。
「私は、あなたのこと、友達だって思ってる。だから、あの時と同じようなことがあるなら、何度だって止めてあげる」
「…っ、殺し合いした人間に言うことか」
「殺し合いまでした友達だから、じゃない?」
「…馬鹿だね、あんたも」
振り返らないまま、それだけを言って、千夏は歩いていく。
「…よかったのですか? 中尉」
「いいんじゃないかな」
肩をすくめて、空は苦笑した。
と。
『中尉!!』
いきなり、チャントが飛び込んできた。
シゼルだ。
『あ、少佐…』
『無事なら無事とさっさと報告しろ!! まったく…』
『す、すいません…。水無月以下、桐島レイン少尉、クゥ、全員無事に離脱しました。そちらは?』
『こちらも撤収を完了した。GOATの制圧に巻き込まれると面倒だ。そちらも早くログアウトしろ』
『了解』
頷いて、クゥとレインに向き直る。
「さ、帰ろうか」
「ですね」
「疲れたー。ねぇ空、如月寮行ってていい?」
「はいはい。呼んだら来なさいよ?」
「やった! それじゃ行ってきまーす!」
ムーブしたクゥを見送って、空とレインもログアウトプロセスを実行する。
本当に、いろんなことがあった。
密造屋に侵入し、白昼夢を見て、ジルベルトを追い、監禁された少女達を見つけ、マイラと激戦を繰り広げ。
真に助けられ、ドミニオンのアジトに飛ばされ、千夏と戦い、神父達と戦い、神父がどういうわけか分裂し。
(そういえば)
視界が1と0に分裂していくのを何とはなしに見ながら、空は疑問を感じる。
感覚が現実に戻り、なんとなく、胸ポケットにあるカートリッジを確かめ、握り締め。
(…どうして、あの時)
マイラと戦ったとき。
あの時の、感覚に割り込まれる違和感。
無理やり恐怖を刷り込まれる感覚。
それを。
(どうして、まこちゃんと同じ感覚だ、なんて思ったんだろう)
自分は、真を怖いと思ったことなんて無いはずなのに。
(…南米)
マイラが意味深に呟いた言葉。
永二と聖良の間にあった符丁。
(……それに何か、あるの?)
真は知っていた。
自分は知らない。
いや。
ひょっとしたら、甲と出会う以前にあった事故で無くした記憶が絡んでいるのだろうか。
(…私が知らない、私が関わっている、何かが、ある?)
それが、小さな、疑念の始まりだった。








to be Continued ...



[17925] 第七章間章 家族
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/05/20 22:02


砂煙を巻き上げ、風が吹き抜けていく。
2年前の惨劇の残骸が、今も手付かずで放置されている。
「…確か、この辺だったよなぁ」
永二はその荒野とも言える場所を歩いていた。
爆心地。
今はそう呼ばれている、旧星修学園跡。
そこから少し離れた場所だ。
如月寮、その跡地。
かつて、気を失うように眠った空の代わりに、レインが案内する形で訪れた場所。
「…今更来たところで、意味があるわけじゃねえだろうが…」
手向ける花も持ってきていないし、何より、今はもう、花を手向けていいのかすらわからない。
死んだと聞いた。AIに聞いてもそう答えられた。
だが、『彼』を見つけてしまった。
ノイ曰く、そのDNAから脳チップのIDに至るまで、全てが自分の息子と一致してしまう『彼』が。
「…あー、くそっ」
空は、どういう気持ちなのだろう。
もはや娘同然とも言える彼女を思いやる。
南米で保護してから、ある時まで。
時折連絡すらしてくれていたあの少女。
「…不公平だよな…。ああ、ほんっと不公平だ」
言いながら、どっかりと腰を下ろす。
独り言だ。誰に言うでもない。
だが、永二は部隊の総大将、愚痴は零せても、弱音は見せられない。
だから、独り言でしか口にできない。
「…なんで、このクソ世界ってのは、いい奴ばっかりが苦しむようにできてんだよ…」
八重が逝ってから、徐々に狂い始めたような、そんな気がする。
甲、そして、空。
ふと、足音が聞こえて、永二は振り返った。
「や」
「ノイか。撤収の用意は済んだのか?」
「うむ」
軽く頷き、周囲を見回す。
「…聞いたことがある。確かこの辺りだったな。彼女らの寮とやらは」
「ああ」
頷いて、永二は立ち上がる。
「…ノイよ」
「何だね?」
「一つ、確認しとこうと思うんだが」
振り返って、永二はノイを見下ろす。
「…空嬢ちゃんの診察は、今もやってんのか?」
「2年ブランクがあった。まぁ、当然だがね。…君が保護してくれたことを教えてくれていれば、そんなことは無かっただろうが」
「そいつについては一言もねぇ。最近まで、ただ似てるだけだって思ってたからな」
「最後にあったのは何年前だ? …まぁ、あの年の女の子というのは成長著しいからな。そう簡単にはわからんかもしれん」
「そう言って貰えりゃ助かる」
肩をすくめ、それはともかく、と置いておく。
「…わかっているよ、聞きたいことは」
ノイもどこか辛そうな目をした。
「結論から言えば、『処置』はまだ生きている」
「…そうか」
僅かに安堵の息を、永二は漏らした。
「だが、正直綱渡りだよ。今、空君の電脳内には、脳チップ修復用のナノマシンが入っているからな」
「…? どういうこった?」
「聞いていないのか? …彼女は、清城での最初の戦いで論理爆弾の爆発に巻き込まれたんだぞ?」
「んな…!?」
本当に始めて聞いた、とばかりの反応を返してしまう永二。
ノイはため息をつく。
「永二。息子といい、君は少々、放任主義が過ぎないか?」
「…うっせぇ」
そっぽを向いて瞠目。
「まぁ、続けるぞ。それで、彼女の脳チップはそのショックで半壊。その修復の為にナノを入れた」
「…そいつが、『処置』まで回復しちまう可能性は?」
「高くは無い。せいぜい10%前後、と見積もっている。戻った後診察して、経過を見るつもりだ」
「そうしてくれ」
その言葉の後、しばらく会話が途切れた。
だが、永二にしろノイにしろ、思い出していることは共通なのかもしれない。
二人とも、どこか苦渋に満ちた顔をしているのだから。
「…もし、甲に知れたらぶん殴られそうだな」
思わず、そんなことを口にした。
「その時は私も殴られるな」
「あいつは女は殴れねぇよ。シュミクラム戦ならともかくな。だからその分俺が殴られるだろ。三人分な」
「そうか。そういうところは君に似たのだな」
「どうだかな」
言いながら、永二は踵を返す。
「戻るぞ。シゼルから連絡が入った。向こうの作戦は終わったらしい」
「そうか。ならばいい加減説明してやらんとな。いい報告になればいいが」
「なるだろうさ」
そう言って、永二は黄土色の雲を見上げる。
「…いい加減、そのくらいの救いがあってもいいだろうよ、あの子には」
「…そうだな」
ノイも、重々しく頷く。
「空君が知ったら、どう思うだろうな?」
「そいつは、絶対あっちゃいけねえことだろうが」
「ああ、判っている。だが、あの子達は私にとっても妹のようなものだからな…」
永二の数歩後ろを歩きながら、ノイはため息をついた。
「…空君の記憶を弄ったのが私だ、などと知られたらと思うとな」



――アーク本社、社長室。
橘聖良の周辺を、いくつかの資料の羅列が取り囲んでいる。
いつものような、仕事の光景だ。
それがふと、消失した。
聖良はネットの魔女特有の、中空を見ていたその目を一度閉じ、静かに口を開く。
「立ち入りを許可した覚えは無いのだけれど。どなたかしら?」
その言葉に反応するかのように、社長室の片隅から、数歩の足音が聞こえた。
目を開き、そちらを見る。
「…そう、あなたが。直接顔を合わせるのは、何年かぶりかしらね」
「…確か、そう」
彼は苦笑交じりに続ける。
「僕が、当時の甲の感情にひきずられてやらかしてしまって以来」
「…今は、オブサーバーを名乗っているそうね」
門倉甲の姿をしたNPC。彼を模倣したシミュラクラ。
名前も与えられないまま凍結させられた、仮想と現実の狭間に生まれた子供の一人。
聖良の心に刺さったトゲが、チクリと疼いた。
それをおくびにも出さず、彼女は続ける。
「私より先に、亜季さんのところに顔を出すべきではないのかしら」
その言葉に、オブサーバーは首を振る。
「…亜季には知られたくない。今はまだ」
そうして、しばしの沈黙。
聖良は探る。彼がどうして自分の前に現れたのか。
彼に関わる矛盾に答えてくれる為ではあるまい。
「…用件は?」
「門倉甲のリンクを戻して欲しい」
もったいぶるでもなく、彼は言う。
だから聖良も、理由ではなく結論で答えた。
「できないわ」
「…ネットに繋げば、無防備な甲が晒されてしまうから?」
「そうね」
「なら問題ない。それは僕が守るから」
あっさりと言い切るオブサーバーを、聖良は見据える。
しばし見つめて、目を閉じた。
「話にならないわね。あなたの何を信じればいいのかしら?」
「…」
「本来なら、あなたは機能停止していないとおかしい存在よ? それなのに稼動している。そんな異常な状態にあるあなたの何を信じろと?」
この言葉は、聖良には賭けだった。
とはいえ、勝算は十分にある。
自分や亜季を避け続け、その行方をくらまし続けて来たオブサーバーが、このタイミングで姿を見せたこと。
そして、その要求。
必ず、それを通すために手札を切ってくる。
問題は、どれだけ多くの手札を切らせることができるか、だ。
オブサーバーは目を閉じ、考えている。
恐らく、自分が動くに足るだけの情報が無いか、探しているのだろうが。
やがて、オブサーバーは目を開いた。
何故か、困ったように。
「…ダメかな? おかあさん」
びし。と、何かが鳴った気がした。
「な、ななななな、なにを、いっているのかしらね」
「声裏返ってるよ?」
「そんなことはありません」
永二や亜季辺りが見たら、目を疑うほどに動揺している。
その証拠に。
「…やっぱり甲にもかあさんって呼ばれたかったのか…。世界0のあれは偶然じゃ無かったってことか」
オブサーバーの呟きすらよく聞こえていないようだったから。
「こほん」
わざとらしく咳払いをする聖良。
「…ど、動揺してしまったのは認めますが、それとこれとは別です」
「…ケチ」
「…………」
拗ねたように言うオブサーバーに、聖良はまたかなり揺れたようだが。
何とか耐え切ったようだ。
「…そもそも、甲さんのリンクを繋ぎなおして、何をするつもりなのかしら?」
「甲を起こす」
「…? どのように?」
「…それは、まだ言えない。奴はどこにでもいるから。コチラの手札は可能な限り伏せておきたい」
「…奴?」
「…あなたが、一番警戒しているものが」
「!?」
その言葉に、聖良は浮ついた心を無理やりいつもの状態に押し込んだ。
「どうして、あなたがそれを知っているのかしら。甲さんのシミュラクラであるあなたが、甲さんの記憶を持っているとしても、その中に彼と繋がるものはないはず」
「…一つだけ、僕のことを答える」
オブサーバーはそう前置きして、続けた。
「オブサーバー、それは僕の名前じゃない。僕達を示す記号。僕達は、無数の世界に跨って世界を見つめる観測者《オブサーバー》。その知識は世界を超えて、僕達すべてに共有される」
「…だから、彼のことについても知っているというの?」
「そう」
「…でも、ならば」
聖良は、そこで二つの樹形図を宙に広げて見せた。
「…これは、あなた達が知っているものなのかしら?」
聖良の持つそれは、灰色のクリスマスの時に起こった不可思議な現象に合わせるように届いた、差出人不明の樹形図。
それは二種類ある。
片方は、大前提を失うことでもはや意味を無くしているが、もう一つは。
「この樹形図は、甲さんと空さん、どちらが生きているか、その前提でどちらかを選ぶことになるようね。でも、両者の作り手はまるで違うわ」
オブサーバーは答えない。
ただ、その樹形図を哀しそうに見つめている。
その目を見て、聖良は思わず尋ねてしまう。
「…何故、そんな目をするのかしら」
「あの二人は、それだけの世界を経験しながら、決して、人の歴史の中では交わることができなかったんだね」
「…」
その言葉に込められた、あまりに深い無念の思いに、聖良は何もいえなかった。
やがて、オブサーバーは静かに微笑む。
「…あなたをどう呼べばいいのか、本当はわからない。ただ、亜季が僕らの生みの親なら、その親であるあなたは、僕らの祖母なのかな?」
「…?」
「失礼かもしれないけど…。おばあちゃん、僕とクゥのお願いを聞いて欲しい。…甲と、空を出会わせたいんだ。届けたいんだ、二人が本当に望み続けた未来を」
「…あなたは」
「どうか、お願い…」
頭を下げてくるその姿に、聖良はもう何も言えなかった。
血の繋がりがあるわけでもない。
ただ、こんな風に頼られることなど、殆ど無いに等しかったから。
「…わかりました」
「!」
「但し、条件が一つあります」
「な、何?」
聖良は戸惑うオブサーバーの姿を見て、微笑んだ。
「…全部終わったら、今度はクゥさんと一緒に普通に遊びに来なさい。孫と遊ぶというのも楽しそうだから」
「うん、約束するよ」




――世界0’
自らそう呼ぶ世界で、彼女、基点を追い続けた空は水面に顔を映した。
「んー、何かバランス悪いな。やっぱり波紋で揺れるから難しい」
自らの髪飾りを先ほどから外しては付け直しを繰り返している。
基点の甲から、別れ際に貰った結晶に封入されていたものだ。
鈴でもなく、白いリボンでもない。
向日葵を象った一対の髪飾り。
これに加えて、封入されていたプログラムもあったが、そちらはすぐに自分のツールボックスにインストールを済ませた。
恐らく、本命はそちらだろう。
この髪飾りは、自分がつけるには少々子供っぽいような気もするし。
だが、それでも付けていたかった。
当たり前だ。数え切れない年月を超えて、届けられたプレゼントなのだから。
「でも、何であいつ、こんなの持ってたのかしら」
首を傾げる。
「うーん、イメージジェネレータの使い方、覚えておけばよかったな。鏡の一つくらい作れればいいのに」
5桁に届きかねない年月がありつつも、全てを観測と追跡に費やした為、それくらいのこともできない。
やったことに後悔など欠片もないが、それにしても、だ。
それから、水面を覗き込んでいた体を起こす。
また、自分に繋がっている「それ」から、それを手放せ、と思念が流れ込んできた。
「…冗談じゃないわね」
そんなものに屈してなどやらない。
それから、今一度世界を覗く。
明確なリンクを構成できない以上、干渉はできない。
だが、あの世界のクゥは自分を認識してくれた。だから、見るだけならばできる。
「…『甲』、待ってるからね」
待つのには慣れている。
それに、今度のそれには、希望があったから。
だから、それはもう、苦痛ではなかった。

そして、それは、『それ』には、どうしようもないほどに、苦痛だった。





――そうして、また、どことも知れない場所で、彼は夢を見る。
いや、それは夢ではないのかもしれない。
それは、自分のルーツを探るものだったから。
道は作る、と。
そう告げられて。
自分の願いは別のはずだと言われて。
記憶を辿る。
自分の生まれ。
自分の育ち。
自分の記憶。
自分の、大切な人。

――…ごめんね、一方的に話しちゃって。…また、来るから。その時にはちゃんと起きて迎えてよね、甲…

そんな、声が、聞こえた気がした。
…待ってくれ…、俺は…、俺は…!


空…!!












to be continued ...





...download
プラグイン「最初の干渉」を入手しました。
第0章「甲」を見ることができます。
プラグインをオフにします。



[17925] 第八章 海 -Es- <1>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/08/10 22:07



アーク本社。
その廊下を歩きながら、空は感嘆のため息をつく。
「…ここだけで何でも揃うんじゃないの?」
今だ眠り続けている『彼』のことでも判っていたが、当然のように入院できるような病室があることに困惑も覚える。
一応、アークは一企業のはずなのだが。
その病室のネームプレートを確認する。
須藤雅。
その名前を確認して、空はノックした。
「雅、居る?」
返事は無い。
が、おそるおそるドアが開いた。こちらを伺うように顔を覗かせたのは。
「…あの、どなたです?」
「…すいません、間違えました」
思わずドアを閉じて、ネームプレートを確認しなおしてしまった。
間違いなく、雅の名前がある。
(…あれ?)
深呼吸して、もう一度ノックする。
「あ、あのー、ここ、須藤雅の病室であってます?」
改めて顔を覗かせた人物に、恐る恐る尋ねてみる。
「ええ。雅のお見舞いですか?」
「あ、えーと…」
「茜ー、だれだ?」
「あ、うん」
言いながら、『彼女』はドアを開く。
ベッドの上からこちらを見た雅は、「おお」と声をあげ。
「無事だったんだな、そっちも」
「…どう見ても無事じゃないみたいね、そっちは」
暢気にそんなことを言って来る雅にため息交じりに返して、それから空は茜と呼ばれていた女性に目をやった。
「えっと、もしかして、あなたが?」
「?」
彼女は首を傾げてくるが、雅が代わりに答えてくれた。
「ああ、俺の奥さんだよ」





第八章:海 -ES-





「…え、ほぼ無理やり連れてこられたの?」
「ええ…。生きた心地がしなかったわ…」
頷く茜に、空は同情を込めた視線を向けてしまう。
何でも、いきなり家にフェンリルの人間が押しかけて、拉致まがいの手段で家から連れ出されたらしい。
「でも、正直そうしてしまうのも無理は無かったみたい。連れ出されて少し離れた直後に、家のあたりから火の手が上がってたから」
「俺が阿南を探ってるのがバレたせいだと思うが…」
雅が悔しそうに顔を伏せる。
「…マイラの仕業だと思う?」
「たぶんな」
空の問いに雅は頷いて、続ける。
「フェンリルが気を利かせてくれてなかったら、こいつどうなってたか」
「別にそっちは今更どうでもけどね」
あっさりと茜が言い切ってしまう。
自分の命の危機まであったというのに、肝が据わっているというべきか。
「ず、ずいぶんとあっさり…」
「CDFの反体制派の妻なんてやるくらいだもの。このくらいの覚悟はしてる」
「…雅、あなたかなり尻にしかれてない?」
「ずばりだ」
苦笑する雅に肩をすくめて、茜に向き直る。
「でも、やっぱりごめんなさい。無理やりでもこいつを置いて行くべきだった」
「気にしないで。どうせこの人が無理やりついて言ったんでしょ?」
「はは…」
ベッドの上で頭を掻いている雅をもう一度睨みつけ、茜はため息一つ。
「それに、ここは安全みたいだから。よく眠れる場所に来れただけで十分」
「…そっか。うん、そうね」
確かに、雅の立場ならいつ今回みたいなことが起こってもおかしくなかったはずだ。
と、空にレインから通信が入る。
『中尉、大佐とノイ先生が戻られました。すぐミーティングを始めるそうです』
『判った、すぐ戻る』
すぐにそう答え、空は席を立った。
「ごめん、ミーティングするみたい。戻らないと」
「そうか。…気をつけろよ、空」
「ええ。雅もあんまり茜さんに心配かけちゃダメだからね?」
やぶ蛇を突いた、と言わんばかりの苦笑いを浮かべる雅と、その通りだとしきりに頷く茜に手を振って、空はその場を後にした。



「水無月、入ります」
そう告げて、空はミーティングルームに入った。
中には既に、永二、シゼル、モホーク、レイン、それにノイが集まっている。
彼らを見回して、空は首をかしげた。
「…クゥは?」
「ここー」
真上から声が降ってきた。
見上げて、空はジト目になる。
「またそんなとこに浮かんで…」
「だめ?」
「ダメ」
空にあっさりと却下され、クゥはすとん、と床に降りてくる。
今まで誰にも注意されなかったのだろうか、と内心首を傾げるが。
「…さて」
永二とノイの雰囲気が硬いことに気づいた。
あのシゼルが言葉少なになるほどに。
「お前らの方の報告は大体受けている。今度はこっち側からだな」
永二が言い、その場の全員にデータが送られてくる。
「…これは、爆心地の…」
「あの施設のデータ、ですね」
空とレインは、見覚えのあるその映像データにそうコメントする。
「…この施設なのだが」
ノイが咳払いを交えて、説明を始めた。
「もともとはクローンの培養施設だ」
彼女の言葉に、空とレインは顔を見合わせ、ノイを凝視する。
「…この辺りの説明は、作成者本人にしてもらいたいのだが、いいかね?」
その言葉に、ホログラムが浮かび上がる。
橘聖良、その人が。
『…ええ。幾つかの経緯は、ここから話さなければならないでしょうし』
「…ってことは、聖良さん。やっぱ亜季ちゃんは…」
『既にその辺りの推測はできているのね、永二さん』
どこか申し訳なさそうに、聖良は永二に答える。
それが永二の推測への肯定となったのだろう。永二は天井を仰いで、大きく息を吐いた。
「あの子の名前は亜季ちゃんだ。八重じゃねぇ。それを信じましょう」
『ありがとう、永二さん』
「…?」
そのやり取りに、何人かは不思議そうな顔をするが、
『…あの場所は、私の過ちを葬った場所』
聖良はそう言い、どこか遠い目をする。
空は、あの聖良がこんな弱い顔をすることに、初めて気づいた。
甲の母、電脳症で亡くなった門倉八重。
彼女がなくなる前に、その電脳症への対策としてそのクローンを作り出そうとした場所。
亡くなってからは、聖良が失われた彼女に固執する余り、八重の記憶を刻まれてしまったデザイナーズチャイルドの生まれた場所。
即ち、西野亜季。
「…亜季先輩が、デザイナーズチャイルド…?」
呆然と、空は口にする。
『…でも、八重さんの記憶に振り回され、抵抗するあの子を見て気づいたの。…死者は、どうやっても蘇らない』
その言葉に、空は背筋が凍る。
それはある意味、彼を否定する言葉だ。
甲は、死んだ。
自分の目の前で、間違いなく。
聖良はただ、告げていく。
『だから、私はあの子が生まれた場所を星修の地下に沈め、その上にマザーの像を据えた。愚かな私自身への戒めとして』
「…でも、それを誰かが見つけたんですね?」
レインの言葉に、聖良は頷く。
『…『彼』は亜季さんにバルドルへのハッキングを依頼したことがあった。恐らく、その場所にあった亜季さんの、そして八重さんの記録を復元したのでしょうね。…流石は、アセンブラの開発者というところかしら』
「まさか…久利原先生…!?」
自分達の恩師。そして今、アセンブラを暴走させた犯人である疑いをかけられ追われている、ドレクスラー機関の責任者。
その名を確認してみれば、聖良は静かに頷いて、それを肯定した。
「やはり、そう繋がるか」
ノイが納得したように頷き、空に向き直った。
「あの場所はクローンの開発設備だったが、現在はそのあり方を変えていた。急造で、マトモに動くかも怪しいような代物だったがね」
聖良から説明を受け継ぐかのように、ノイが続ける。
「ある条件が満たされたとき、あの施設は稼動するようになっていた。7人分のパーソナルデータと共にね」
「7人…?」
空は呆然と呟く。
7人。
菜乃葉、千夏、亜季、雅、真、甲、そして、自分。
あの時の、如月寮の、7人。
「そうだ。ただ、パーソナルデータが完成していたのはそのうち4人だけだった。一人はおそらく、流用だろうがね」
『では、その1人というのは亜季さん、ということね』
「その通りだよ」
聖良の確認に頷いて、ノイは続ける。
「残り3人は絶対に譲れなかった何かがあったのだろうかね。他の3人より先に、急いで完成させたような形跡があった」
「その、3人というのは…」
「当然、1人は門倉甲だ。残り二人は、…水無月真」
そして、ノイは最後に空を見つめ、告げる。
「最後の1人は、君だよ。水無月空君」
「え」
符合した。
空の中で、何かが。

――私がもし道をたがえるようなら、甲君に伝えて欲しい言葉がある

自分と、甲。久利原直樹からの何らかの預かり物を受け取っている二人。
(なら…、まこちゃんも…?)
空が思考を巡らせる中で、クゥがノイに聞いた。
「それじゃあ先生、起動条件って何?」
「そこだ。私はそこが引っかかって仕方が無い」
そう言いながら、ノイはそれでも説明を続ける。
「…あの施設は、パーソナルデータに登録された人間のDNAがアセンブラによって解体されてしまったとき、即座にその対象を回復させることを目的としていた」
「そ、それでは…?」
レインが恐る恐る、それを確認する。
「空君、一つ確認させてくれ。門倉甲君の、直接の死因は何だ?」
「っ」
その問いに、空はあの悪夢の光景を思い出す。
「…そ、それは…」
「灰色のクリスマスで死んだ。その言葉で多くの人はこう思うはずだ。『暴走したアセンブラを焼き尽くすために照射されたグングニール、その余波によって死亡した』とね」
「俺も、そう思っていたが」
永二の言葉に、空は俯く。
そうだ、あの光景のことを、空は誰一人にも告げていない。
レインにすら、「甲が死んだ」ことは告げても、「どのように死んだ」か、なんて話していない。
話す意味も無いことだったから。
だが。
「…そうだよ。甲は、グングニールじゃない。アセンブラに殺されたの」
言葉を失っていた空を庇うように、クゥが答える。
「そうか。それだけで十分だ。今となっては、それが幸運だったとも言えるな。それ故に『彼』の回復のための条件がそろい、彼はあの場で保護されることになった訳だから」
そう言い、ノイは空の傍に近寄ると、その手を握った。
「空君、しっかり聞いてくれ」
「え?」
「DNA的にも、脳チップのIDからも、状況証拠は全て、『彼』がそうであることを告げている。最後は、君が決めることだ」
「…」
「答えてくれ、空君。『彼』は、門倉甲か?」
その問いに、空は目を閉じ、そして開く。
答えは、当に出ていた。とっくに空は、そう確信している。
「…はい。私は、あいつが甲だって確信してます」
「そうか」
ノイは頷き、続ける。
「ならば、これからは私も『彼』を甲君と呼ぼう。その甲君だが、…脳波が徐々にはっきりしてきている」
「え」
その言葉に、空から表情が抜け落ちる。
脳波がはっきりしてきている。
その意味を、計りかねる。
「ごく僅かな誤差ではある。だが、ゆっくりと、彼は目覚めの方向へ向かっている」
「!?」
空は目を見開いた。
「ノイ先生、それは、本当ですか…!?」
レインの言葉に頷いて、だが、少しだけ言葉を濁す。
「少しずつ、だ。実際に目覚めるのは一年後かはたまた十年後か。完成しきっていないあの施設が出した結果としては立派なものだとは思うが…」
そこまで言って、ノイはふと、表情を緩めた。
「…目、覚まして、くれるんですよね…?」
空は、泣いていた。
恐らく、数年ぶりに、嬉しくて、泣いていた。
「ああ。いつか、ははっきりとは言えないが、いつか必ずな」
「…あいつ、帰ってくるん、ですね…?」
「ああ」
ノイは肯定する。たぶん、それは気休めだろう。
一度アセンブラに完全に分解され、すぐに回復されたとは言え、それでも2年昏睡状態を続けていたのだ。
脳に欠損が出ていないとは限らないはず。
だが、ノイは肯定した。
「目を覚ましたら、思いっきりぶん殴ってやるといい」
「そう、ですね…っ」
泣き笑いの空に、クゥが近寄る。
「空…」
現実では肉体を持たないクゥが、それでも空を抱きしめようと腕を回す。
「空さん…っ」
レインも、感極まったかのように瞳を潤ませ。
「う、ああっ…」
帰ってくる。
甲が、帰ってくる。
もう取り戻せないと思っていた、甲が。
(ああ、なんだ…)
泣きながら、空は理解した。
(結局私って、こんなにも、甲のことが…)



一頻り泣いた後、空が落ち着いたのを確認して、ノイは改めて全員に向き直った。
「実は、聖良社長。少し見て欲しいものがあるのだが」
『何かしら?』
「いや、相当骨董物だぞ、これは」
言いながら、それでもノイはどこか面白そうに聖良に何かを送る。
それを聖良も見たのだろう、目を見張った。
『これは…』
「どこから見つけてきたんだ、と言いたい気分だよ。まさか花が摘めなかったころの脳チッププログラムとはね」
『…そうね。これはどこに?』
「甲君の頭の中だ。恐らく、回復中に自動的にインストールされたのだろう」
言いながら、ノイは含み笑いを漏らす。
「問題は、これをおそらくあの久利原直樹が用意した、ということだ」
ノイの言葉に聖良は頷くと、永二に向き直った。
『……永二さん』
「なんすかい?」
『今後作戦に参加する全ての人間に、これを持たせておいて。お守り代わりにはなるかもしれないわ』
「この骨董品をですかい? まぁ、聖良さんが見て毒じゃないって言うんなら異存はありませんがね」
肩をすくめ、永二はとりあえずその場の全員にそれを配った。
空にも当然、それが送られて来る。
「…自動修復プログラム?」
「製作日は…本当に数世紀前ですね。こんなものがまだ残っていたのですか」
レインが驚嘆の声を上げる。
「ほんとにお守り程度の気がするがなぁ」
気が進まない、と言わんばかりの永二に、空は笑いかけた。
「そう言わずに。お守りなら持っていて損は無いと思いますよ?」
そう言った瞬間、その場の全員が何故か空に注目した。
「え、な、何?」
「いや、納得した。甲が惚れる訳だ」
「空さんのその笑顔、久しぶりに見ました」
「へ?」
永二とレインの言葉に、思わずぺたぺたと自分の顔を触ってしまう。
そんな空を見て、クゥがうんうんと頷く。
「うんうん、よきかなよきかな」
「…あんたが何言ってるのか、私ですらわかんないんだけど」
そんなクゥをジト目で見て。
それから改めて、咳払い一つ。
「と、とにかく。これって何なんですか?」
「まぁ、お守り以上の意味は無いな。一応持っておいたほうがいい、という程度だよ」
「…はぁ」
頷いて、空はそれをインストールする。
その瞬間、何故か向日葵のイメージが走り抜けた。
「…?」
なんとなく首を傾げてしまう。どうしてそんなものを見たのだろう。
(…でも、何か、暖かい感覚…)
何度か見た白昼夢とは違う、何か大切な、暖かいものがそこにあった気がする。
空はそれでもひとまず、その感覚を置いておく。
「ノイ、これでうちのバカ息子の件の報告は終わりか?」
「ああ。時間を取らせたな」
「よし。んじゃ、ひとまず解散だ。シゼル、モホーク、少し動きたいことがある。付き合え」
「は? はぁ」
フェンリルの腕利き二人を伴い、永二が出ようとして。
「え、あの、おじさ…、じゃない。大佐、私達は?」
「空嬢ちゃんはノイに診察してもらえ。念入りにな。白昼夢を見たという報告は聞いてるぞ?」
バツが悪くて空は目をそらしてしまう。
「レイン嬢ちゃんはどうする? 判断は任せるが、できれば俺らを手伝ってくれると助かる」
「…中尉」
レインはあくまで、空の判断に従うつもりらしい。
空は頷くと、
「私の分までやってきて」
「それは厳しそうですが…わかりました」
頷いて、レインも永二達についていく。
『空さん、いいかしら?』
「はい?」
『クゥさんを借りたいのだけれど、いいかしら?』
「あ、はい…。クゥ、用事は?」
「ん、大丈夫だよ」
クゥは空と聖良二人に頷く。
『では、クゥさん。私についてきて』
「はーい。行ってくるね、空」
「迷惑かけちゃダメだからね」
「わかってるってば」
そう言って、クゥは聖良と連れ立つように姿を消した。
残ったのは、ノイと空。
「…さて。それじゃ空君、医務室にご足労願おうか?」
「…はーい」
気は進みません、という意思を前面に展開しつつ、空はノイの後をついていった。



昔から、ノイの治療はあまり好きではなかった。
記憶を取り戻したい、という気持ちはあったが、その成果は芳しくなく。
それどころか、治療を受けるたびにどこかもやか強まるような、そんな感覚もあった。
これが記憶を取り戻すための治療なのか、正直疑問を感じていた時期もある。
もっとも、それ以外にもノイの診療から逃げ出したい理由はいくつかあったが。
「…ふむ」
脳チップの修復ナノの様子を見て、ノイは頷く。
「8割がた修復は終わったようだな。もう一発くらい論理爆弾を喰らっても生きてはいられそうだ」
「…冗談じゃないです」
「はっはっは」
暢気に笑い、それからノイは空の正面に腰掛けた。
「…空君、記憶の方は、あれからどうなのかね?」
「え?」
真剣な目で、ノイは聞いてくる。
その目を見て、空はふと、あのキーワードを思い出した。
即ち。
「……南米」
カマをかけるつもりで、空はその言葉を口にする。
だが。
「…南米が、どうかしたのかね?」
ノイはいたって普通に、そう返してきた。
「…あ、いえ。その…」
「その様子だと、あまり進展はなさそうだね」
苦笑するノイ。
この人が何を考えているのか、いくつもの修羅場を巡り抜けて尚、読み取ることができそうに無い。
カマかけも外したようだ。
「正直、そっちの処置もしたいところなのだが、今は脳チップの修復中だからな。下手に処置をして競合を起こしたくない」
「…そう、ですね」
どちらも脳に直接関わるような内容だ。
それは避けたほうがいいことくらい、素人の自分でも判る。
「…あの、ノイ先生」
「ん?」
「…私、ネットで事故にあったんですよね?」
「…ああ、そうだ」
「どんな事故だったんですか?」
それは、今まで疑問にすら思わなかったことだ。
考えてみれば、そんなことすら聞いていないことに驚いてしまう。
「…ふむ」
ノイは少し言葉を選ぶような素振りを見せると、
「空君、君は自分がAIとの親和性が高いという自覚はあるな?」
「え? ええ」
「幼少のころの君は、それが悪い方向に働いた。電子体で歩いていた君は、何の変哲も無いNPCとの間で妙な現象を起こしたんだ」
「え」
それは、ハウリングのようなものだろうか。
確かに、あれが酷くなれば記憶の一つ二つ亡くしてしまうかもしれない。
「結果、そのNPCは暴走して自壊。君は昏倒し一部の記憶を失った」
「…そんなことが」
どこか他人事のように、空は頷いた。
ノイは空から顔を逸らさない。
「と、まぁ、そんな経緯だ。私としては、君がNPC恐怖症にならなかっただけマシだと思っているよ」
「…は、はぁ」
最後にそんなふざけ半分の結論を交えて、ノイは回答を終える。
そして、テーブルの上にあったコーヒーを一息に飲み干した。
まるで、緊張して喉がカラカラだったと言わんばかりに。
そう。

嘘をつくことで、緊張していたような。

そんなことに思い至ったのは、軍人として尋問の訓練すら受けていた経験だろうか。
「? どうかしたのかね?」
「あ、いえ」
疑いたくは無い。
だが、確認しなければいけない。
ノイは嘘をついたのかもしれない。そうでないかもしれない。
嘘をついたのなら、どこが嘘だったのか。どこが嘘ではないのか。
空は極力その考えを表に出さないようにしながら、立ち上がった。
「あの、診察はもう終わりですか?」
「ああ。そうだな」
いたって普通の様子のノイに、空は先ほどの疑いを投げ捨てたくなる。
大恩ある主治医を疑うなど、あってはならないことだろう。
だが。
「それじゃ、失礼します」
「ああ。とりあえず、今日はゆっくり休むといい」
「はい、そうします」
そう言って、空は病室を出た。
背後でドアが閉まるのを確認して、空は天井を見上げる。
いや、見たのはその先にあるだろうもの。即ち、アークの社長室。
(何か、ある)
自分の失われた記憶の中に、何かが。
それを調べだす方法を、空は考え。
その瞬間。
『渚千夏さんから、コールです』
そのAIメッセージが脳裏を走った。



to be Continued ...



[17925] 第八章 海 -Es- <2>
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/08/19 21:18


無名都市の一角。
水無月空は、人気の無いそこで灰色の雲を見上げている。
そこに近づいてくる人影があった。
「…ずいぶんと早いね」
「まぁ、考え事もあってね」
渚千夏に答えを返して、空は微笑する。
「さて、私を呼び出したのは、果たしでどっちの千夏なのかしら?」
ふざけ半分、そしてもう半分は挑戦的に。空は千夏に、そんな視線を向ける。
「…どっちってのは?」
恐らく、意味はわかっているのだろう。
判っていて、その上で千夏は聞いてきている。
たぶん、それがある意味で答えだ。
空は肩を竦める。
「もうちょっと考えた方がいいんじゃない?」
「…お見通しかい?」
「なんとなくね。…アーヴァルシティの入場権。違う?」
「…流石だね」
千夏はそう言って微笑する。
アークだろうが何だろうが、何だって敵に回す。この街で再開したとき、千夏が言い放った言葉だ。
今思えば、あれは彼女のSOSだったのだろうか。
空は小さくため息をつくと、ジト目になって。
「千夏、聞きたいことがあるなら回りくどいことしない。私はちゃんと聞いたらちゃんと答える。先輩を馬鹿にしない」
「…あんた、何言ってんの?」
「え? 亜季先輩の真似」
「…似てないからやめときな」
「そう? おかしいな、結構いけてると思ったのになぁ」
本気で言っているのか、空は残念そうに肩を落とした。
千夏は千夏で、空からはもう少し敵対的な反応を予想していたのだろう、拍子抜けしたような顔をしている。
「…あんたさ、何かあった?」
「ん?」
「…この間会った時と、違い過ぎる。悲壮感みたいなのが消えちまった。…まさか、諦めたのか?」
何を、とは言わない。
それは、空の中にも確かにあったものだ。
甲の仇打ち。
たとえ甲が帰ってくるとしても、甲をあんな目にあわせた誰かが消えるわけではない。
「…そうね、たぶん、不公平よね」
「え?」
「…千夏、取引しない?」
「何をだよ」
空は、千夏をじっと見つめる。言葉を慎重に選ぶ。
「…千夏、亜季先輩に会いなさい。そこで、あなたが持っている疑問も何もかも、亜季先輩にぶつけること」
「…それに意味があるとでも? 亜季先輩はアークの」
「そうね。『GOATの渚千夏』相手じゃ教えてくれないかもしれないわね」
その言葉に、千夏は息を呑む。
どっちの渚千夏が、亜季に問いを放つか。
GOATで駄目ならば、もう一つは。
「亜季先輩なら言うわよ。先輩を馬鹿にしない、って」
「…取引、だろ。なら、あんたから私に提供するものって何だ」
「あなたが、一番会いたい人に会わせてあげる」
その言葉に、千夏から顔色が抜け落ちる。
「…どういう、意味だい?」
「さぁ? 私から悲壮感が消えたって言うなら、その辺り、想像つくんじゃない?」
「…ば、馬鹿なこと言うな!」
千夏が銃を抜いた。
空は構えない。
「あんた、ほんとに空なのか!? ドミニオンのNPCとかじゃないのか!?」
あんまりな言い草に、空は流石に目が据わった。
そっぽを向いて、ぶつぶつと言う。
「あー、思い出したくないけど、甲のファーストキスの相手ってあんただったわよね。歯ぶつけ合って痛がってるところに遭遇して、ほんとどうしようかと思ったわ」
「な、なな!?」
「そういえば、シャンプー切れたー、とか言い訳して甲を風呂場に呼び込もうとしてたこともあったっけ? 裸で待ち受けるとか何考えてるのかと」
「ちょ…!?」
「他に何があったかなぁ、あんたの恥ずかしい過去」
「ま、待った! もういい、もういいから!!」
完全に『GOATの渚千夏』の仮面を引き剥がされて、千夏は悲鳴じみた声をあげる。
「くそっ、何かあんたに勝てる気がしない…!」
「吹っ切れた人間甘く見ないことね」
答えて、空は笑う。そうして彼女に手を振りながら背を向ける。
「じゃ、取引成立ってことで」
「こ、こら! あたしはまだ…! そもそもギブアンドテイクが全然成立して無いだろ!」
「千夏」
空は千夏を肩越しに振り返って、言った。
「…生きてるよ、甲。生きてるんだよ」
その言葉に、千夏が凍る。
空の言った言葉が信じられないのだろう。
「嘘だ」
いやいやするように、千夏が首を振る。
その彼女の反応も無理は無いと思いながら、それでも空は続けた。
「『如月寮の渚千夏』が門倉甲に会いたいというのなら、周りがどう言おうが私は全力でそれを後押しする。それが、私からあなたに送るギブだよ」
「…な、…あ、あんたは…」
あえて、空は千夏に背を向けた。
たぶん、千夏は今の顔を見られたくないだろうから。
しばらく彼女の息遣いだけが聞こえる。
そして、
「…卑怯だよ、あんたは…。いつもいつも、ほんとに…、卑怯だ…!!」
それが、千夏の了承の言葉だった。



リアル側のアーク本社を歩く。
社員の半分はダイブしているのか、規模の割りに歩き回る人はそう多くない。
空はそんな中、ある一室のドアを開く。
「しつれーしまーす…」
ついつい小声になりながら、空はその部屋へ滑り込むように入った。
「すご、アーク社製の最新型コンソール…。こういうとこからダイブできたら体痛くならないかなぁ」
いつもいつも携帯端末やらネットカフェの硬いベッドやらからダイブする身としては、この環境はかなり羨ましい。
酷い時は無線なのだし。
「えっと、亜季先輩は…、いた」
コンソールの中で、童話の眠り姫のように眠っている亜季を見つける。
いや、ガラスの中で眠っていることを考えれば、白雪姫だろうか。
(…いや、あれは棺だっけ。不穏過ぎるわ)
後者の感想は頭から追い出して、通話する。
程なくして、仮想側の亜季と通信が繋がった。
『空?』
「あの、先輩。今先輩の仕事場に居るんですけど」
『嘘、何で?』
「ちょっとこっち側で無いとできないお話が」
すぐにコンソールの中の亜季が目を開いた。
「うわ…ほんとだ」
驚いて、それから少し困ったような顔に。
「どうしたんですか?」
「…後輩にダメな姿見られた」
「…」
正直今更だ、なんて言えなかった。
「え、えーと…。先輩、とりあえず別のとこいきません?」
空はポケットに突っ込んでいる右手の感覚を確かめながら、言う。
声が上ずっていないだろうか。
「わかった。その前にシャワー…」
そう言うと亜季のコンソールの蓋が開いた。中から、亜季が体を起こす。
と。
「うわ!? ちょっと、先輩、裸!!」
「んー?」
とりあえず右手に握っていたものは置いておいて、手近な服を亜季に押し付けた。

十数分後。

未だにダルそうな亜季がシャワー室から出てくるのを待って、空はため息をついた。
「…つかぬ事をお伺いしますが、何日ぶりのログアウトです?」
「えーと…5日ぶり?」
「…RPG(現実恐怖症)ですか」
思わずため息。
もっとも、今の荒廃した清城を見るより、如月寮に居たほうが心が休まる気持ちは理解できる。
「それで、空。話って」
「ええ。それなんですけど」
空は亜季に近寄って、先ほどから右手で感覚を確かめていたものを、亜季の体に押し付けた。
「…!?」
「…すいません、亜季先輩。ちょっと誘拐されてくれませんか?」
亜季のお腹に押し付けたそれ。筒状の何か。
つまるところ、脅迫だ。
「…空、普通それはちょっと、とは言わない」
少々汗を流しながら、恐らく空の表情が本気でないことに気づいたのだろう。
僅かに余裕を取り戻して、亜季は空を見つめる。
「すいません」
「…後でちゃんと事情は説明する」
「もちろんです」
亜季はため息をついて、気だるげに歩き出した。
その背中に、筒状の何か、というよりは本当にただのプラスチックのパイプだったのだが。
(さすがに本物の拳銃を突きつける気にはならないしね)
本当の戦場で生きていた人間なら、まず騙されないハッタリだ。
後でちゃんとネタ晴らしはしておこうと思う。
と。
先ほど交渉を成立させた千夏から、チャントが届く。
『空、場所の確保は済んだ、アドレス送る。けど、…あんたどうやって亜季先輩連れ出すの?』
『うん、頑張ろうね、共犯者』
『ちょっと待て、不穏過ぎる単語が聞こえたんだが』
チャントで聞こえる千夏の焦りが混じった声に、空は笑いそうになる。
そんな空を見て、亜季は首をかしげた。
「…空、何かあった?」
「ええ、ちょっと」
どうも今日の自分はテンションが高い。普段思いつかないようなことを仕出かしている。
亜季を誘拐するなど、昨日の自分が思いつく発想ではないだろう。
(あー、たぶん欲張りなんだ、私)
甲が帰ってくる。甲を取り戻せる。
たぶん、それがきっかけ。
絶対に取り戻せないと思っていた彼が取り戻せるなら、あの頃の如月寮も取り戻したいと思っているのだ。
ずいぶん乱暴な手だとは思うが、あの頃の自分はもともと後先考えて動く性質ではなかったと思う。
(うん、たぶん、私らしいんだよね、これが)



そうして。
水無月空が仕出かした、「乱暴すぎるセッティングの対談」が完成する。



「うん、よし」
待っていた千夏を見て亜季は全てを察したのか、まずは空を睨みつけると。
「空、正座する」
「あ、あはははははははー…」
(うわー、怒ってるよー?)
当然である。
「千夏も」
「あ、あたしもですか!? いや、まさかあたしは、空が先輩誘拐するとか思いもしなくて!」
「そっちじゃない。音信不通の件」
「あぐ」
ぐうの音も出なくなった。
結局二人して亜季の目の前に正座する。
「全く。二人とも、聞きたいことがあるなら回りくどいことしない。私はちゃんと聞いたらちゃんと答える。先輩を馬鹿にしない」
「「…うわぁ」」
「何?」
「「い、いえ、何でも」」
対象が千夏だけじゃなく空も含まれただけで、その他は空の物まねと一言一句同じ言葉が放たれてしまった。
偶然とは言え怖いものがある。
「まったく。反省してる?」
「「してます」」
「ほんとーに?」
「「はい」」
頷く二人にため息をつき、それから少し表情を緩めた。
「…はぁ。クゥが二人がシュミクラム戦したとか言うから心配してたのに、何か気が抜けた」
「あ、そう、それもだよ! あたしどうしてクゥが起きてるのかちゃんと理由聞いてない!!」
「あれ? 説明しなかったっけ?」
「あれで説明になったと思ってんのかあんたは!」
正座させられながら、隣の空に食って掛かる千夏。
「まぁうん。いろいろあったのよ」
言葉を濁すのではなく、ほんとうに語りきれないから。
万感の思いを込めて、空はそれだけを口にする。
「実際、クゥが起きてから空が明るくなったのは確か。そうじゃなかったら多分」
亜季がそういって、据わった目をしてみせる。
「今も四六時中こーんな顔してる」
たぶん、清城に来たばかりの頃の空の顔だろう。
(あー、私あんな顔してたのかー)
なるほど、鉄面皮だ。
そんな感想を抱いていた空に対して、千夏はというとため息混じりに。
「…物まね、流行ってるんですか?」
「どういうこと?」
千夏の言葉に、亜季は首を傾げる。
空は苦笑。
亜季も少々気が晴れたのか、一息つく。
「はぁ。もう足崩してよし。本題」
そう言われて、空と千夏は同時に足を崩して、
「千夏、何が聞きたい?」
楽にした千夏を見つめて、亜季は本題を切り出した。
千夏も改めて居住まいを正す。
「…あたしが知りたいのは、マザーのデータ…。灰色のクリスマスの原因はAIの暴走にある。それが発覚したらアークの立場は微妙になるから、アークはマザーを自爆させ、全てを闇に葬った。…あたしらは、そう考えてます」
あたしら、というのはGOATのことか。
だが、それよりも。
「…マザーが、暴走した?」
いくらなんでも、それは極論だろう。
だが、反AIにとっての灰色のクリスマスとはそういうものなのかもしれない。
「なるほど。結局のところ、千夏がGOATにいるのは、マザーに裏切られた、そんな疑惑のせい、と」
「…」
亜季の確認に、千夏は俯く。
それを見て、亜季は考え込むように一人呟いた。
「…あいにく、ここにはデータは無い。私も全ては知らない。…なるほど、だから空、私を誘拐したね?」
それから彼女にジト目で睨まれ、空は目を逸らす。
「全く。そういうとこは甲とそっくり」
「…えーと」
それは喜んでいいやら悲しんでいいやら、と空は内心でぼやいてみる。
一方で、意味を測りかねたのか、
「え、あの?」
千夏が空と亜季を見比べる。
「空、私が千夏に答えやすいようにしたつもりらしい。誘拐されて機密事項を話すのは、ある意味不可抗力」
その言葉に、千夏は呆然と空を見つめた。
「…そ、空、あんた…!?」
そんなに予想外だったのだろうか。なんとなく腹が立ったので、空はそっぽを向いた。
「ノーコメント、話すことはありません」
まるで政治家のような返答に、亜季は空に近づくと。
ごつん。と、拳骨を落とした。
「~~っ!?」
「空の馬鹿。私の立場とかどうでもいい。後輩は素直に先輩に甘える」
「だ、だって、先輩、また始末書とか書かされますよ?」
「…もう一発、いく?」
「…」
反論を止め、空はため息をついた。
この後の空の立場を心配して、亜季が本気で怒っているのが判ったからだ。
それこそ、この間のような始末書程度では揺るがない程に。
「…でも、ある意味では都合がよかった。仕込みができないのは不安だけど、ここからなら足はつきにくい」
「え?」
「その前に」
言って、亜季は改めて空を見る。
「空にも、聞きたいことがある?」
「…そうですね。一つだけ、あります。個人的な用事ですけど」
それは、自分の記憶に関わること。
「私が如月寮に、いえ、星修に入学する以前にネットで巻き込まれた事故について」
亜季なら、それを調べることができるかもしれない。
ノイが隠した何かを。
「事故!? あんた、そんなことあったのかい?」
千夏が聞き返してくる。
「ちょっとね。私自身はそのこと殆ど覚えてない。事故も含めた以前の記憶がところどころ飛んじゃってるの」
淡々とそう答える。
正直、今を持ってどこかその事故のことは他人事なのだ。
が。
「あんた…、意外と過去があるキャラしてたんだね…」
「どーいう意味よ」
千夏から放たれたあんまりな感想に、思わずギロリと睨みつけた。
それから、先ほどから口を開かない亜季に気づいて、空は訝しげな視線を向ける。
「…亜季先輩?」
「ん…」
何かを悩みながら、やがて意を決したのか、亜季は口を開いた。
「ごめん、空。…それだけは、答えられない」
「え?」
「私はそれを知ってる。でも空、知らないほうがいいことっていうのは、確かにある。これは、本当にその類。絶対に、知らないほうがいい。それに、これは何の真実にも繋がらないし、今知らなければいけないことでもない」
空は黙ってその言葉を聞く。
どういうことなのだろう。
どうして亜季は、自分に何があったのかを知っているのだろう。
「お願い、空。その疑問は忘れて。絶対に、触れちゃダメ」
亜季の言葉とノイから続けられていた治療。
その間に存在する、決定的な矛盾。
アークの機密や自分の立場を「どうでもいい」と切り捨ててしまうほどの亜季が、「答えられない」と秘密を守ろうとする程の、何か。
それを思い出すための治療をしていたはずのノイ。
いや、今思えば、あれは本当に記憶を取り戻すための治療だったのだろうか。
むしろ、亜季の今の言葉と、あの時のノイの「嘘をついたような緊張」を思えば、あの頃受けていた治療は。
あれは、記憶が、蘇らないようにする為にされていたことなのではないのか。
「…わかり、ました」
そこまで思い至りながら、それでも空は追求できなかった。
亜季は、親しい人を守るためなら何でも切り捨てる人だ。
その彼女が、秘密を守ることを選んだ。たぶんきっと、他ならぬ空の為に。
その事実を信じようと思った。
自分の中のブラックボックスは、開けてはいけないパンドラの箱なのかもしれない、と。
「…ごめん」
「いえ」
その亜季の態度に不信感を持ったのは、むしろ千夏の方だ。
「待ってください、先輩。どうして答えられないんですか? 空のことなら、空には知る権利があるはずだ!」
「千夏…」
思わぬ千夏の言葉に、亜季は目を閉じる。
それから、強い目で千夏を見つめた。
直後、千夏の目が驚きに染まる。それから、まるで挑むような目を亜季に向けた。
この仕草には覚えがある。チャントのそれだ。
やがて、千夏が怯み、肩を落とした。
「…ごめん、空」
その謝罪が何だったのかは判らない。
ただ。
「…気にしないで」
そう、返した。
「…空、千夏」
「はい?」
千夏は返事をしない。ただ、視線だけを向けた。
「…もう一つの問い、灰色のクリスマスの真実、マザーのデータ。…代わりというわけじゃないけど、これに答える。ただし、二人に手伝ってもらう」
「っていうことは、先輩」
空は、亜季が何をしようとしているのか、既に察せた。
千夏もそうだろう。
果たして、亜季の答えは、空の予想したとおりのものだった。
「アークにハッキングする。二人には私のガードをお願いする」



一方。



「…えーっと、聖良おばさん、どこまでいくの?」
中継点から中継点へ、そしてまたどこか判らないような構造体を抜け、中継点。
クゥもさすがに判ってくる。
居るかもしれない追跡者から、アクセス元かアクセス先を誤魔化すための複雑な途中経由だ。
だが、実際に聖良が何をしているのか正直理解できない。
(うーん、AIの端末の私が理解できないとか…。聖良おばさんってほんとに人間? 実はシミュラクラなんじゃないの?)
そんな発想をして、クゥは頭を振った。いくらなんでもそれは無い。
と、気がつけば今まで通っていない場所に出ていた。
「…あれ?」
「この先が終点よ」
言って、聖良はすべるように歩いていく。
「…って、ここって、誰かの脳チップの中…」
いつの間にこんなところに入り込んだのだろう。
洗脳<マインドハック>を仕掛けていた様子は無かったし、そもそもこの脳チップの主は抵抗すらしてこない。
そこまで考えて、その先にいる彼を見てクゥは驚きの声を上げた。
「…オブサーバー!?」
「やあ、クゥ」
気楽そうに片手を上げる彼に、クゥは聖良とオブサーバーを見比べる。
「え、何で、というか、ここどこ!?」
「…クゥ、AIの端末として恥ずかしいよ、その動揺」
「う、うっさい!!」
オブサーバーから手厳しい評価を貰い、クゥは顔を赤くしながら食って掛かる。
「というか、質問に答えなさい!」
「…人に物を聞くときはお願いしますと言う物だよ?」
「あんたほんとに甲のシミュラクラ!?」
クゥが思わず放ったその疑問に、オブサーバーは苦笑する。
「そうね、確かにあなたは甲さんと似ているのは姿だけ。…あなたは、一体誰の思考をモデルにしたの?」
が、聖良の問いにオブサーバーは今度はため息をつく。
クゥは、オブサーバーのリンクの先に誰が居るのかは知っている。
だが、恐らくオブサーバーは自分の先に誰が居るのか、クゥ以外の誰かに話すつもりは無いのだろう。
「通りすがりの電子体幽霊」
「は?」
「僕のリンク先」
そんな煙に巻くような返答を返して、オブサーバーは脳チップのコアを見上げる。
「クゥ、この場所は甲の脳チップの中。今、甲の意識は眠っているから、防壁の再構築をしないといけない」
「…あ、察せた。防壁の構築までの間、私にここのガードをしろってことね」
「君だけじゃない。僕もやる」
オブサーバーの答えに、クゥは目を瞬かせる。
「…僕も、って。オブサーバー、シュミクラムは…?」
「ある」
あっさりと答え、回廊の先を見た。
「…」
鋭い目でその先を見つめている。
「では、クゥさん、私は防壁の再構築、およびネットとのリンクの回復に回ります。クゥさんは甲さんを守ってあげて」
「あ、はい」
聖良の頼みに頷いて、彼女の移動を見送る。
それから、オブサーバーに目を向けた。
「…ねぇ、オブサーバー」
「何?」
「…あなた、名前って無いの?」
その問いがよほど意表をついたのか、オブサーバーは目をぱちくりとさせた。
「…なんで?」
「だってほら、『私たち』が名乗ったのが『エージェント』で、『あなたたち』が名乗ったのが『オブサーバー』なんでしょ?」
「…そうだけど」
「でも、『エージェント』にはクゥって名前もある。…あなたには無いの?」
オブサーバーは目を閉じると、クゥに背を向けた。
それから、静かに答える。
「…願掛け、って概念、クゥは判る?」
「え?」
「僕の名前は、『僕達』の願い事が適うまで名乗らない。そう決めてるんだ。確かな自我を、僕達が得たその時に」
「…だから『あの人』も、あなたをオブサーバーと呼ぶの?」
「そう」
頷くオブサーバー。
それから、彼は通路の先を見つめた。
と、クゥとオブサーバーの二人と、甲の脳チップのコアを阻むように、最初の防壁が形成される。
「はや…」
「橘聖良印の防壁。そう簡単には破れないはず。…でも安心はできない」
オブサーバーの言葉に、クゥは頷く。
「…そうね。私たちの敵は…『あいつ』だものね」
クゥは知っている。
ここではない別の世界で、人の歴史が終わってしまった世界で。
ようやく出会うことができた甲と空を殺し合わせた、あいつの存在を。
「…でもおかしい。甲のリンクが戻れば、すぐにでも攻めてくると思っていた。…他に何か、気にしていることがある?」
オブサーバーの疑問に、クゥは寒気を覚える。
『奴』が絶対的に憎んでいた存在、甲。
ならば。
『奴』が絶対的に執着していた存在は。
「…まさか」
クゥはとっさに、空の位置を割り出しにかかった。
「クゥ、どうしたの?」
「…嘘」
クゥの顔が青ざめる。
「空、Esに向かってる! 何で、どうして!?」
「!!」
クゥの言葉に、オブサーバーまで顔を青くした。
「クゥ、ここはいい! 空を止めて!」
「うん!」
クゥはすぐに駆け出した。
ダメなのだ。干渉者同士の戦いがこのレベルまで至っている状態で、Esに踏み込むことだけは。
それは、間違いなく危険なことになりかねない。

そう。

Esは無数の世界のAIが繋がる場所。
その海を通して、かつて甲が空を助けに来た様に。
空が甲と共に真を呼び戻したように。
『奴』の今の経験量を省みれば、Esの海ならば。



































ノインツェーン自ら、この世界の空に手を伸ばすことができてしまう。





































to be Continued ...



[17925]     外伝一 例えばこんな親父殿
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:30aa1519
Date: 2010/05/13 22:55
―――プラグイン「永二とカートリッジ」をオンにします。

オブサーバーからの諸注意。
「この話は、本編の設定を流用してるけど、どの辺りの時間軸で起こった事かは、実は僕でも解析不可能。
 別に見なくても本編見るのに支障はない…、というか、見たほうが支障が出る可能性すら有る。
 それでもいい? よければスクロールをどうぞ」












フェンリルベース。
水無月空は、甲のカートリッジを繋いで、ぼんやりしていた。
甲のメモファイルを復習している、と言っても良い。
「空ー?」
と、視界にクゥが姿を見せる。
もちろん、リアルで姿を見せたわけではない。
自分の姿を脳チップ経由で視界に重ねているだけだし、声も似たような方法で伝えている。
「ああ、クゥ。どしたの?」
「どしたの、って。暇なら演習付き合ってよ」
「私、一応待機任務中なんだけど?」
「…そんな暇そうなのに?」
「暇の代表格に言われたくないわね」
ネットの双子の妹に半眼で言い返し、空はため息一つ。
クゥは空がジャックで繋いでいるカートリッジを見て、首をかしげた。
「そういえば、それ、甲のだよね?」
「うん。…小父さんから貰った物だけどね」
「うん…、それは判るんだけど。どうして小父さん、それ甲のだって判ったんだろ」
「そりゃ、シュミクラムとかメモファイルが…」
ふと気づく。
カートリッジ内に甲を特定できる記述なんて一つも無い。
唯一の例外はあのパスワードのかかった日記くらいだが、おそらく永二はあれを開いていない。
というより、開けない、と言った方が良いだろうか。永二が空の誕生日を知るはずが無いし。
「…え、と」
「ね? 不思議じゃない?」
言われてみれば、その通りだ。
空が知る限り、甲は父親を毛嫌いしていた。
甲がシュミクラムを手に入れたのは、空が甲と出会った時より前のこととは言え、時期にそれほど差があるわけではないし。
甲の父親への反感を鑑みるに、自分からシュミクラムを手に入れたなんて連絡はしないはず。
にも拘らず、永二はカートリッジに入ったシュミクラムやメモのデータを見て、それを甲と結びつけた。
「…レインが教えたとかじゃ?」
「かなぁ? レインに聞いてみる?」
「…そうね」
空はジャックを引き抜いて立ち上がると、チャントでレインに呼びかける。
『レイン、ちょっと良い?』
『はい? 何でしょう、中尉』
『いや、割とどうでも良いことではあるんだけど…。甲のカートリッジのこと』
『何か不具合でもあったんですか!?』
空の言葉に、レインが慌てて声を上げる。
おそらく、空がこれを大事にしていることを知っているからだろうが。
『大丈夫、そういうことは無いから落ち着きなさい…』
『は、はい…』
『空に落ち着けって言われるって相当だよ、レイン』
『あなたは黙ってなさい』
隣でニヤニヤ笑いながらチャントに割り込んできたクゥを睨み付ける。
『レイン、このカートリッジ拾った時、これが甲のだって小父さんに教えた?』
『え? いいえ、私は空さんから教えてもらうまで、それが甲さんのだということすら…』
『…ってことは小父さん、これの持ち主が甲だって、自分で気づいたって事よね』
『だと思いますが…。あの、空さん?』
『ごめん、ちょっとそれ気になっただけ』
『はぁ…』
レインの不思議そうな相槌を最後にチャントを切り上げ、空は腕組みする。
「…だめだ、妙に気になってきた」
「ね、ね、だよね、だよね!」
同意を得られて嬉しそうなクゥに、空はジト目を向ける。
「…クゥ、あなた、しれっとハウリング起こして私巻き込んでない?」
あらぬ誤解。クゥはむっとした顔で、きっぱりと、
「それだけは無い!」
と、断言する。
「まぁ、いっか。とりあえず、小父さんに聞いてみよう」
「えー!? こういう時って聞き込みから行くもんじゃないの!?」
「…ねぇ、クゥ。あなた、私のシミュラクラ、だよね?」
「そだけど?」
「……」
何故か頭が痛くなった。



「…な、何?」
空の素朴な疑問に、永二は顔を引きつらせた。
周囲のクルーはすぐさま目を逸らす。
シゼルは、というと。
「…くくっ」
永二の反応がおかしかったのか、必死に笑いを押し殺している。
この少佐にしては珍しい反応だ。
「あの、小父さん?」
「あーっと、悪いな、嬢ちゃん。俺はこれから聖良さんに報告にいかにゃならんことがあってだな」
「そのようなものがありましたか? 大佐」
シゼルがいつに無く楽しそうに言うのを睨みつけ、永二は一言。
「うるせぇ! てめぇも来い、シゼル!」
「了解。ということだ、中尉」
何が「ということだ」なのかさっぱり判らないが。
どうやら、永二にとっては何か聞いて欲しくない理由があるらしい。
永二とシゼルが出て行った方をしばし見送って、空は首を傾げる。
今度はクルー達を見回した。誰も空と目を合わせない。
重力の関係ない虚像のクゥは、空中をふわふわ漂いながら、クルー達の目の前に行ってみたりしている。
それからも目を逸らすクルー。
「むぅ、何を隠してるんだろう」
しばらくして作戦室の天井付近で、逆さになって腕組み。
空としては、スカートでふわふわ漂うのは、内側が見えそうなのでやめて欲しいのだが。
前に一度それを言うと、そういう場合は検閲をかけるので大丈夫、とのこと。
数名の男性クルーが妙に悔しそうな顔をしていたのはそういうことか、と納得したのは記憶に新しい。
某翼竜が逆に現実の厳しさに嘲笑されて、「絶対領域のロマンってのはそういうもんじゃなくてだな」とかぶつぶつ言っていた覚えもある。
「…中尉、その質問はやめておけ」
モホークが一言。
「モホーク? 何で?」
「うむ。俺も詳細は知らんが、人には聞かれたくないことの一つ二つあるものだ」
「…このカートリッジが甲のものって判ることが、聞かれたくないことなの?」
「おそらく」
「…なんで?」
そんなに嫌な思い出でもあるのだろうか。
にしては、シゼルは笑っていたが。
「…うー、空、CICの過去ログ除いちゃダメ?」
「あれロックかかってるでしょうが。というか、それ以前に手段は選びなさい」
「はーい。うー、きーにーなーるー」
くるくる回りながら、逆さのまま天井付近で漂うクゥを見上げ、空は溜息。
「…昔、こんな映画を見たことがあるような」
「あ、レイン」
作戦室に出てきたレインは、天井のクゥを見上げて一言。
「確かに、俺も見た覚えがある」
「…どんなの?」
「宇宙船のAIが、個人の人格を持っていて、虚像を投影することができる、というところですか」
「…まんまクゥじゃない、それ」
「私は投影してるわけじゃないけど」
クゥが少し不満げに言う。
「よく浮いていた」
モホークの発言に、空は意外そうな顔をして、
「モホークもそういうの見るんだ」
「うむ。…昔、付き合いで見た」
「付き合い?」
「うむ」
この寡黙な大男を映画鑑賞に付き合わせる猛者と言うのは一体誰なのか。
それを問いかけてみると。
「戦士に過去は必要ない」
そんな返答が帰ってきた。
「…聞かれたくない事の類な訳ね」
場面を選べばもう少しカッコいい台詞だっただろうに、と何か勿体無い気分になる空である。
「う~~~」
と、天井付近を漂っていたクゥが、ゆっくりと落ちてきた。
「…ちょっと、あなた何で目回してるのよ」
「悩みすぎて回りすぎた~。目がぐるぐる~…」
NPCも目が回ったりするのか、とどうでも良い事実を確認しつつ。
(私、絶対こんなんじゃなかった…!)
目の前の自分の似姿を前に、そんなことを思う。
と、レインがへたり込んで目を回しているクゥを見て笑っているのを見て、
「…レイン、何でそんな微笑ましそうなのよ」
「いえ、昔の空さんそっくりだな、と思いまして」
「……まぢで?」
どうやら、他人の意見は違うらしい。
何だか非常にショックを受けて、悔しいので空はクゥの頭を小突こうとして。
当然、リアル側に実体を持たないクゥの頭をすり抜けた。



ところで、同時刻。
「っくしゅん」
「あれ? 亜季先輩、風邪ですか?」
「ん、不明…。でも、仮想で風邪ひくのは相当に器用…」
仮想の如月寮にて、そんなやり取りがあったそうだ。
その場に居合わせた若草菜ノ葉は、「でも、亜季先輩なら仮想でも風邪引けるんじゃないかな、何て思っちゃいました…」と証言する。
閑話休題。



古参のフェンリルクルーはどういうわけか、揃って口をつぐんでしまった。
例外はシゼルくらいだが、その彼女は永二に連れて行かれてしまっているわけで。
「…少佐が戻ってくるのを待つべきかな?」
「えー? その頃には忘れちゃいそうだよ?」
「…いや、むしろそのくらいで忘れる程度の疑問なら別に良い気が」
クゥのどこかボケた発言に、空はため息混じりに答える。
レインに言わせれば、二年前の自分に本当にそっくりらしいが。
ということは、二年前の甲は自分と話す度にこんな気分だったとでも言うのだろうか。
天然過ぎて突っ込みたくなる、と言うくらいだったし。
しかし、その対応を見て、「嫌われてる」なんて思う自分も果たしてどうか。
「…はぁ、何というか。子供か私」
「え?」
「何でもない。二年前の子供っぷりに泣きたくなっただけ」
「…はぁ?」
とりあえず、その辺は今回の件にはあまり関係ない。
「まぁ、妥当な線を当たるなら、どこかで見た、ってとこだろうけど…」
「どこってどこで?」
相変わらず、何故か逆さまで浮いているクゥの訝しげな目に、空は肩をすくめる。
「それが判らないから、どこか、なんでしょうが」
「えー」
期待外れ、と言外に滲ませたブーイングが飛ぶ。
「でも、甲はシュミクラム手に入れた後、アリーナによく顔出してたから…」
そこまで言って空は、はたと思い当たる。
どうやらクゥも、同じ可能性に気づいたらしい。
顔を見合わせ、揃って、
「「ニュービーズインパクト!」」
シュミクラムに乗り始めて間のない新人達限定で行われる大会。
甲が雅と千夏と共に出場し、真も特別枠で出場していた、アマチュア大会だ。
「確かに、あれで見たって言うんなら判る。あの大会、基本的にパイロットのプロフィールも閲覧できるようになってるし」
「匿名希望ってしてたのはまこちゃんだけだったっけ?」
「そう。もともと、あの大会はシュミクラムで名を上げたい人が出るから、匿名希望してまで出る人なんてそうはいないしね。むしろ、このシュミクラムは私のだ、って知って欲しい人の方が多いはず」
おそらく、甲や雅はそっち側の類だ。千夏はどうだか判らないが。
名を伏せて出場したのは、戦うためじゃなく治療の一環として出場していた真くらいだろう。
「ということは、小父さんはそれを見た可能性がある、と?」
「たぶんね。でも、ニュービーズインパクトの出場者だって結構一杯いたしなぁ…」
空自身は出場していないが、真と、ついでに甲の応援(当時は頑なに「用事のついで」と言い張った)で何度か見に行っていた。
その時に見たトーナメント表から、結構な人数が参加していたのを覚えている。
「『むむ、こいつは伸びる!』ってビビッて来たのがたまたま甲だったとか」
「…ありえそうだけど何か嫌ね、それ」
もしそうなら、親子揃って筋金入りのシュミクラム馬鹿だ。
「けど、あの大会、確か州内大会だったはずなのよね…。当時州外にいた小父さん、見れたのかしら」
ふと首を傾げる。
いくら年代が進もうが、地域によって放送する番組が違うのは変わらない。
これはむしろ、供給よりも需要の問題だ。地球の反対側でやっている新米パイロット同士の大会など、よほどの奇特な人でない限り見ないだろうし。
が、その答えを、あっさりクゥが持ってきた。
「あ、それ大丈夫みたい。PMCともなると、世界中の情勢を掴んでいないと仕事できないみたいだしね。このVTOL、全世界のニュースその他を受信できるように設定してあるみたいだよ」
「…いつ調べたのよ?」
「ん、ちょっと前。私だって、サポートとして日々勉強に励んでるんだよ?」
胸を張って威張るクゥ。だが、空は半眼で見返すと、
「…本音は?」
割と冷たい声で問い詰めてみる。クゥが一筋汗を流した。NPCの癖に芸が細かい。
「…暇だったから何かテレビでも見ようかと」
「そんなことだろうと思った」
ため息をつく空。
「で、今度はチャンネルが多すぎて混乱してきて、結局私に絡んできたってとこね?」
「おお、ご明察。さすが私のお姉ちゃん!」
「はいはい」
適当に応じてやる。
そんな空の反応にむくれた顔をして、それからクゥは何か思い出したように、
「あ、そういえば、チャンネル履歴ちらっと見たんだけど」
「何でそんなの見るのよ?」
「え、だって履歴見たほうが、面白い番組判りそうだったし。…ニュースばっかりだったけど」
「でしょうね」
「でもでも、その中で一つだけ、異色なのがあったの。可愛い動物キャラクターのアニメ」
「は? それって、フェンリルの誰かが見てるってこと?」
「うん。定期的に入ってるから、どうも欠かさず見てるみたい」
「…モホークだったら大笑いするけど」
「案外シゼルさんだったりして」
そんな話題を経て。
とりあえず、ニュービーズインパクトの話題が出たせいか、妙に懐かしくなり。
空はクゥと一緒に、ニュースのバックナンバーから当時の中継を探してみた。
クゥが引っ張り出してきたニュービーズインパクト開催時のニュースなりネットマガジンなりに、二人で目を通していく。
「シュミクラムマガジンにもいろいろ記事載ってるね。大体はネージュ・エールみたいだけど」
「そりゃ、一機だけで参加した上に当時の参加者の中でも飛びぬけた実力者ともなればね」
おまけにパイロットは正体不明。
記事の中では実はプロじゃないか、とかいう憶測が飛んでいる。
反論するように、動きがプロにしては拙いと駄目出しもされているが。
と、クゥが空に自分の見ていたデータを移して来る。
「ほらほら、空、これカゲロウの記事だよ」
「ほんと? …統合のアイゼン・ヴォルフの改造機と思われる、って…、うわ、よく見てるわ…」
亜季はこのアイゼン・ヴォルフを改造して、カゲロウを作り上げたらしい。
ついでに、クゥに回してきたデータの続きを閲覧してみる。
「…これは、何? 珍場面集? …ヘタレ悪党の暴挙を珍場面に混ぜてるんじゃないわよ!? 当の甲達にとっちゃ一大事だったのに!」
「マスコミの無遠慮さって奴かなぁ」
ジルベルトがウィルスを撒き散らしている姿と、それに立ち向かう甲のカゲロウの写真まで付いている。
シュミクラム好きの甲がこういったネットマガジンを読まないわけがないから、おそらく本人も見ただろうが。
果たして甲はどんな気持ちでこれを見ただろうか。何となく心中察する空である。
「と、空、見つけた!」
言うが早いか、クゥからデータを共有される。
「ん、これは…、本戦の一回戦?」
「みたいだよ」
過去の記録映像の中で、今の空にしてみれば明らかに鈍い動きで戦う三色のカゲロウの姿がある。
「空も出ればよかったのに」
クゥに言われて、空は苦笑して肩を竦める。
「…ほんとにね」
そうしたら、あの二年前もまた違う形になったかもしれない。
ハウリングなんかに頼らずに、甲と恋人になっていたとか。
青春真っ只中のかつての学友達の姿が眩しくて、少し目を逸らして。
「…え」
その先で、何だかありえないものを見てしまった気がした。
「どしたの? 空」
「…あのね、クゥ、ここ見て」
とりあえず、共有している映像の一部にマーキングを入れてやる。
「隠したいはずよ、これ…」
「……ねぇ、空、私こういうの知ってる」



戻ってきた永二とシゼル、というよりは永二個人を、空は何だか申し訳ないような、クゥは笑いを堪えるような顔で迎えた。
その顔を見て、永二は何かを悟って引きつった顔を。
シゼルは対極的に、その反応も無理もない、とばかりに大きく頷く。
「中尉、どうやって知った?」
「えーっと…、何となく懐かしくなって、ニュービーズインパクトの記録映像を…」
「ああ。確かに、あれには映っていたな」
「くっ」
永二が苦虫を噛み潰したような顔をする。
シゼルはそれを見て、笑いをかみ殺す。
「凄い応援っぷりだったよねぇ。あれ、ハンシンって言う昔の野球のチームを応援するおじさん達のスタイルそっくり」
クゥが笑いながら言った。
そう、空が見つけたありえないもの、とは。
頭に「必勝・門倉甲!」という鉢巻を巻いて、どこで作ったのか、白と青のはっぴを羽織って、同じく白地に青のメガホン片手に叫びまくって応援する永二の姿だったりする。
「…ああ、そうだよ。確かに、息子のデビュー戦の応援につい熱を入れすぎちまったよ、俺は」
不貞腐れたように言う永二。
空は笑って良いのか悪いのか、非常に対応に困る。
「中尉、実はな」
「何ですか?」
「あの大会期間中、フェンリルクルーが大佐の職権乱用の犠牲になってな。皆あの格好で仕事をしていたの」
「…はい?」
えらくしみじみと言うシゼルの明かした事実に、空は目が点になる。
「ああ!? てめぇ、シゼル!?」
焦ってシゼルの口を塞ごうとする永二だが、シュミクラム戦ならばともかく、生身で義体化したシゼルを取り押さえることなどできるはずもない。
さらりと永二の手をすり抜け、シゼルは空にデータを送りつけてくる。
「まぁ、こういう形で寝首を掻くのも一興と言うことで。確か、そう判断したならいつでも殺しに来い、でしたよね、大佐?」
「だからってこういう形はあんまりだろうが!? あ、てめぇ、シゼル待ちやがれ! この野郎、減給だこらぁああああ!!」
何だか大騒ぎして走り去っていく、フェンリル中核の二人を見送る。
空の傍らに降り立って、クゥは首を傾げた。
「…何か、シゼルさんの意外な一面も見た気がする」
「少佐、小父さんに相当苦労させられてるみたいだしね…。たまには仕返ししたかったのかも」
空も呆然とした声で答え、一応シゼルから貰ったファイルを開いてみる。
「うわぁ」
「何々? 共有して共有して」
クゥに催促され、データを共有してやると。
「…うわ、凄いこれ。甲達が勝つたびに祝杯挙げてたの?」
「もっと凄いのは、棄権した後よ…。見てこれ、横断幕張ってある」
「うっわ…。『甲の素晴らしき健闘と英断を称える』って…」
「まぁ、確かにあの時の雅と千夏は戦える状態じゃなかったけど…。この写真データ、小父さん号泣してるし」
「というか、これ撮ってたシゼルさんって、このデータどうするつもりだったのかな?」
「…甲に見せるつもりだったんじゃないの?」
「…甲、逆に引かないかな、これ」
実際、空とクゥはちょっと引いている。
「…まぁ、何はともあれ、最初の疑問は解決よね」
「…そだね。知っちゃいけないことを知った気分だけど」
姉妹揃ってため息をつく。
世の中には、いろんな意味で知らないままのほうが良いことがある、ということを実感した二人だった。



のだが。



「ねぇ、空。今度はあの動物キャラのアニメ、欠かさず見てる人誰なのか気になってきたんだけど」
「…自重しなさい」
好奇心旺盛な妹が、作戦室で突然言い出したことに対して、空は思いっきりため息をついた。
その後ろで、シゼルがぎょっとした顔をしていたことには、たぶん誰も気づかなかったと思われる。
あくまでも、たぶん。


外伝一:例えばこんな親父殿~あるいはある親馬鹿の記録映像~ 完



[17925]     外伝二 第零章 甲
Name: 凪葉◆edfacfa9 ID:bc02fa6e
Date: 2011/08/12 00:51



届かない。
どれだけ手を伸ばしても。
目の前のそれが信じられない。
解けていく。
消えていく。
ただ、それを見ていることしかできない。

こぉ、たすけ、たすけて…。







「うわあああああああああああああああああああ!!!」









第零章 甲 -Before the Cross Dive-








門倉甲は、「如月寮」の自分の部屋のベッドで飛び起きる。
あまりに酷い寝汗。
「…な、何だ、今の…」
よろめく様にベッドに座りなおし、荒い息を落ち着けようとして。
夢の中の、彼女の姿がフラッシュバックする。
「…そら…?」
たまらなく不安になった。
殆ど蹴り飛ばすように自室のドアを開き、駆け出す。
「あ、甲、今日は早い――」
甲の顔を見て声をかけようとした菜乃葉の傍を駆け抜ける。
「…? 甲?」
怪訝そうな菜乃葉の声にも足を止めず、甲は二階への階段を駆け上る。
(…空…、空…!!)
同じ建物なのに。歩いても1分とかからず往復できてしまうような廊下なのに。
何故か、酷く遠い。
(空…!!)
目的の部屋の前にたどり着く。
ノックも忘れ、ただ闇雲に。
「空!!」
「へ?」
突如開け放たれたドアに、空が振り返る。
着替え中だったのか、上半身は下着姿。
「な、ななな、こ、こお、あんた」
「……」
赤くなっていく空の顔を見て、甲は安堵とかいろんなものがない交ぜになって。
思わず、空に駆け寄って抱きしめていた。
「ちょ、え、ええ!? な、こ、甲、何、何!?」
驚いてもがく空。
が、ふと、その動きが止まる。
「そら…、よかった…」
甲の呟いた声が、震えている。
「甲、あんた…、泣いてるの?」
「…っ」
「…もう。どうしたのよ、一体」
怒りとかより、戸惑いと呆れと、それよりも大きい、保護欲、というのだろうか。
そういうものに身を任せ、空は甲の背中をあやすように叩いてやる。
「わりぃ…。なんか、どうしちまったんだろう、俺…」
「しっかりしなさいよ、男でしょ?」
「はは…、全くだ」
言いながら、甲は体を離そうとして、
「ま、いいわよ」
空に止められた。
「もう少し、こうしててあげるから」
「…空」
その温もりを感じて、甲はまた、涙を零してしまいそうになった。

と。

「あ、ああああ!? ちょ、ちょっと甲!? 空!? あんたら朝から何してんだい!?」
甲の肩越しに背伸びしてドアの方を見ると。
真っ赤になった菜乃葉。怒り狂っている千夏。
興味津々な様子の真。眠そうな亜季。にやにや笑いの雅、と。
如月寮全員揃っていた。
「あ、いや、その…」
はじかれた様に離れる二人。
とたんに、雅が菜乃葉と千夏の二人掛りではじき出される。
「お、おお!?」
「あんた見るなこの馬鹿!」
「そ、空先輩! 服!」
「…あ」
「おねちゃ、はい」
「う、うん、ありがと、まこちゃん」
「甲も、そのまま振り向かずにこっちに来る」
「…あ、ああ。わかったよ、亜季ねえ…」
泣いていた事を隠すように俯き気味に、甲は部屋を出ようとして。
「甲」
「…?」
「…あとで、ちゃんと事情は聞くからね」
「…ああ。悪い、なんか、いろいろと」
「まったくよ」
仕方ないなあ、と言外に滲ませた苦笑交じりに言葉。
それが、何故か。
たまらなく、愛おしく感じた。



で、その事情を聞くと言う空の発言だが。
「では、被告人門倉甲。弁明を」
何故か、如月寮緊急裁判と化した。
「…いや、被告人、って…」
文句を言おうとしたら、半眼で睨む菜乃葉と千夏と目が合った。
いろいろあって、甲はこの二人には妙に立場が弱い。
反論は立ち消えに。
「あのさ、一番の被害者は私なんだけど…」
「空は黙ってな」
「黙っててください、空先輩」
「…はい」
同様に、空も妙に立場が弱い。
何故か甲の隣で正座してしまう始末である。
「こ、甲のせいだからね…!」
「う。さすがに一言も無い…」
挙句、夢に振り回されてやったことだ、などと言ったらどういう目で見られるか。
「で、だ。甲」
横で面白そうに見ていた雅が、一言。
「じっくり見たんだよな? あまつさえ、触ったんだよな?」
「は?」
「感想の一言くらいねーの?」
「…?」
雅の言っていることがわからない。
「ちょ、雅、あんた何聞いてんの!?」
「雅先輩…」
「いや、大事なことだと思うんだけどな。空がどこまで許したか、とか、挽回を狙う二人には」
「「余計なお世話!!」です!!」
千夏と菜乃葉に怒鳴られ、雅は降参とばかりに両手を上げる。
と、甲の袖をくいくいと引っ張る人物。
「…真ちゃん」
「せんぱ、…かんそう」
「…いや、真ちゃん?」
「どきどき」
「まこちゃん!!」
「ひぅ!?」
びくん、と震えて亜季の背中に逃げ込む真。
が、興味は消えてません、とそこから期待に満ちた目を甲に向ける真である。
甲は首を捻りながら、とりあえず、返答する。
「…いや、すまん、何の感想を求められてるのかよくわかんないんだけど」
「「「は?」」」
「甲、空の着替え中に部屋に入ってた。そのこと」
亜季が端的に言う。ただし、半眼。
「…」
甲は、というと。
呆けた顔をして、それから隣の空を恐る恐る伺う。
「…そ、そうだったのか?」
「そうだったの。まぁ、そんなことだろうと思ったけど」
そういう邪な気持ちがあったら蹴り飛ばして追い出している、と空は付け足す。
「…全く覚えてない」
半ば呆然と呟き、小声で付け足す。
「くそっ、ちょっと勿体無いな」
「「「「甲?」」」」
空、千夏、菜乃葉、亜季、それぞれに睨まれて乾いた笑いを上げる。
「はぁ。なんか何を追及したらいいのか判んなくなったよ…」
「そもそも、甲、何で空先輩の部屋に飛び込んだの?」
「…う」
甲は気まずい気分で、目をそらす。
「はい、そこまで」
「え?」
唐突に、亜季が打ち切り宣言を下す。
「別に邪なものはなし。なら、甲がその理由を話す義務があるのは空だけ」
「…で、でも亜季先輩」
食い下がろうとする千夏に、亜季は黙って首を横に振る。
「男が泣いてた理由を無理に知ろうとするのは、よくない」
「げ」
甲はぎょっとして亜季を見る。
「…み、見てた? 亜季ねぇ」
「姉を甘く見ない」
「…御見それしました」
思わず平伏してしまいそうになる。
「ま、寮長の決定だ。あとは二人で話してこいよ」
雅の言葉に、甲と空は顔を見合わせる。
「…時間、あるか? 空」
「まぁ、一応」
「んじゃ、ちょっと付き合ってくれ。…いつもんとこ」
「うん」
二人連れ立って出て行くのを見送り、残りの面々はため息。
「いつもんとこ、だって」
「そんな場所、もうあるんだね…」



ちなみに、そのいつものとこ、というのは。
如月寮の外。
付き合う前から、よく二人で話をしていた場所だ。
「…夢?」
「ああ。ろくでもない夢。馬鹿みたいだろ? この年で夢にうなされて飛び起きるとかさ」
「…全くね。で、怖い夢みて私に泣きついて来たってことよね?」
「全くそのとおり。情けねえったら無いぜ」
ため息をつく甲。
その顔を覗き込むように、空は位置を変える。
「…よっぽど、酷い夢だったんでしょ」
「え?」
「顔色。まだ、悪いわよ」
「…そうか?」
自分じゃわからない。
自分の顔を触ってみても判るはずがない。
ふと、空の顔を見ると、空は何か考え込んでいるようで。
そして、少し赤くなりながら、うん、と一つ頷く。
「ご、誤解しないでよ、甲。これは、元気を上げるためにすることなんだからね?」
「は?」
呆けた声を上げた直後。
空の腕が甲の首に回り、唇が重なる。
「…!?」
1秒にも満たない時間。
真っ赤になった空の顔が目の前にある。
「…元気、でた?」
「……お、おまえなぁ」
出ないはずが無い。いろんな意味で。
恐らく、負けず劣らず赤い顔をしているだろう。
甲は精一杯、にやけそうな顔を押さえ込んで不機嫌そうにして。
「は、恥ずかしい奴だな」
「う。こ、怖い夢見て泣き付いてきた奴に言われたくないわね!」
「ぐ」
どうやら、そのネタがある限り当分立場は弱そうだ。
思わず天を仰いでしまう。
そして、一息。
「…ありがとな、空。元気でた」
「…うん」



そう。元気は出た。
だが、だからといって、あの夢がただの夢だとは思えない。
だから。
「…むう」
首を傾げる。
本当は思い出したくない夢だが、思い出さないわけにもいかない。
あの夢。
そこで、空が立っていた場所を思い返す。
(…そもそも、あれ、外部電話、だったよな)
それは、個人同士の通話に使われることはそれほど多くは無い。
如月寮にも一応あるが、どちらかといえば着信用だ。
それを使って電話をかける、ということは甲の知る限り、全く経験が無い。
実は、如月寮の固定電話を使って電話をかけろ、と言われても自信が無いくらいだ。
(…いや、それはこの際関係ねぇだろ)
自分に突っ込みを入れつつ、甲は町を歩く。
あの時見た景色と似ている場所を、探して歩いている。
空には、少し気晴らしに散歩してくる、と言って出てきた。
落ち着いて、それで話せることができたら話なさいよ、と言われて送り出された。
何だかんだで気遣ってくれるのが、ちょっと嬉しい。
だから。

――こぉ、たすけ、たすけて…。

「っ!?」
フラッシュバックしたそれに、甲は思わず膝を付きそうになる。
震え、溜まらない恐怖。
(くそっ)
周囲の人達が驚いたように見つめている。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫です…」
声をかけてくれた人が居るが、その人の顔もまともに見れない。
正直、一瞬で恐怖の箍が外れて泣き出しそうな顔をしているから、見せられない。
「あ、あの」
「大丈夫、大丈夫ですから、…すいません、急ぐので」
目の前の細い手だけ認識し、やんわりとそれを押しのけ。
「あ、あの、甲様…じゃなくて、あの甲さん…!?」
何だか自分のことを呼んでいたようだが、なら尚のこと。
今の自分の顔など見せられるわけが無かった。
だから、声をかけてきたのが誰なのか、確かめる余裕も無く。
甲は、思い切り走り出した。自分を苛む悪夢から逃げ出すように。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
どこをどう走ったのか判らないまま、息苦しさに耐えかねて甲は足を止めた。
膝に手をついて項垂れ、荒い息を繰り返す。
「…くそっ」
落ち着いた、と思った尻からこの様だ。我ながら呆れてくる。
「…情けねぇ」
呟き、のろのろと顔を上げる。
(…参ったな、どこだ、ここ?)
呼吸を落ち着かせながら、甲は周囲を見回した。
この辺りは来たことが無い。頭を掻くと、甲はネットへアクセスする。
(…えーと、マップ)
自分の周辺の地図を開く。
(ここが、ここで…。うわ、どんだけ走ったんだ、俺。意外と体力あったんだな…)
我を失うほど走ったとはいえ、そろそろ蔵浜が近い。
(…どうせだから、そこまで行くか?)
そんな突拍子の無いことを考える。
本来電車で行くような距離を、二本の足で。
「…あほらし」
思わず呟き、苦笑。
それでも、せっかくだからとこの辺りを歩いてみることにする。
都市の中心から離れているのか、どこか穏やかな街並みだ。
(…空と一緒に来るのもいいかもな。…あー、いや、あいつじゃ退屈するか?)
そんなことを考える。「この辺なんもないじゃないー!」と騒いでいる空の姿が容易に想像できた。
同時に。
「っ」
あの「夢」。
先ほどから、空のことを思うたびにあの夢が脳裏を走り抜ける。
考えたくない。
何故そんなことが起こるのか、考えたくないのに。
甲は、もう、どうしてここまでこの夢が気になるのか、理解してしまっていた。

空が、死ぬ。

あの、意地っ張りで不器用で天然で、だが明るくて優しくて。
いつの間にか、自分の心に当たり前のように入り込んできていた、あの少女が。
「……ただの、夢、だろ…?」
そう自分に言い聞かせても、もう納得なんてできなかった。
同時に、理解する。
あんな始まり方でも。
いや、あんな始まり方でなければ気づかないほどに。
門倉甲の中に居る水無月空への思いは、当たり前になっていたのだ。
だから。
「…探そう」
なんとなく気になる、から、絶対に探し出す、に。
あの夢が、ただの夢で済むならいい。
それなら、夢が気になりすぎて少しおかしかっただけ、と言って笑って誤魔化せばいい。
でも、ただの夢じゃないなら。
色あせない、ぼやけないあの夢を思い出し、吐き気と怖気を堪えて。
「あの場所を探すんだ…!」
空を、その場所から遠ざける。
それで何か変わるのかは判らなくても。



「……遅い」
水無月空は玄関先をうろうろしていた。
「…気になってる?」
そんな空を気にしたのか、亜季が後ろから声をかけてきた。
「そりゃ、気になりますって…」
答えて、また玄関に意識を戻す。
「と言っても、空?」
「はい?」
「甲が散歩に出て、まだ一時間も経ってない」
「……え!?」
慌てて時間を確認する。確かに、その程度の時間しか経っていない。
もう3時間は越えていると思っていたのに。
その事実を突きつけられ、空は一気に顔が熱くなった。
これでは、まるで。
「甲が傍にいないのが耐えられない~、って感じだな、空」
「っ、雅!!」
いつの間にか現れて茶々を入れてきた雅を怒鳴りつける。が、自分でも照れ隠し以外の何者でもないように思えて仕方ない。
「うー…」
うめき声。
その癖、玄関から離れる気にはならない。何をしているんだろう、自分は。
そんなことを考えていると。
玄関の向こうに人影が見えた。
「!!」
思わず反応する。
が。
「こんにちは、お邪魔するよ…、って、どうしたんだい? 玄関先に集まって」
直樹だった。
「…あ。いえ」
(言えない。甲が帰るのを待ってます、なんて絶対に。いや、そうじゃなくて。待ってなくて)
心中で誰にとも無く言い訳する。ひょっとしたら、クゥに対してかもしれないが。
そこはかとなく赤面しながら手を振る空に、直樹は首を傾げる。
「…それより先生、今日、菜乃葉ちゃんのお勉強の日でしたっけ?」
「ああ、いや。今日は別件でね。君に用事があったんだが」
「へ?」
その言葉に、空は呆気に取られ。
「いやいや、駄目っすよ先生。こいつ甲の彼女になったんすから」
「ちょ、雅!? 何言ってんの!?」
よくわからない話題の飛躍をさせた雅に食って掛かる。
「そう、なのかい?」
確認するように亜季に目を向けた直樹だが、亜季に頷き返されて空に視線を戻す。
「そうか…。なら、尚のこと都合がいいかもしれないな」
「え?」
「少し、時間をもらえないかな、空君。すぐそこで済む」
「は、はい」
どこか焦った様子の直樹を見て、空は頷く。
それを確認すると、直樹はほっとしたように微笑むと、外に出て行った。
それを一度見送り、それから雅と亜季を見る。
二人とも直樹の姿を怪訝そうに見ているが。
「…どうしたんだろう、先生」
亜季が不安そうに呟くのが印象的だったが。
「空、先生の力になってあげて」
「え?」
「何だかよく判らないけど、先生は悩んでいるみたいだから」
空は頷いて、自分もまた、玄関の外へ出る。
少し離れた庭の真ん中で、直樹は静かに青空を見上げていた。
「…先生?」
「…空君、君に頼みがある」
「え?」
直樹は静かに、ただ確かな決意を込めて、空にそれを告げた。
「私がもし道をたがえるようなら、甲君に伝えて欲しい言葉がある」
「道を…? って、先生…!?」
その言葉の意味を、空は理解してしまった。
奇しくも、見学した実験で暴走したアセンブラの姿を見てしまった、あの時のせいだろう。
つまり、アセンブラの兵器転用。
「すまない、空君。今は何も聞かずに、頼まれてくれないだろうか」
直樹の真剣な表情に気圧され、空は頷いてしまった。
直樹は申し訳なさそうな顔をして、続けた。
「甲君に伝えて欲しい言葉は」
そして、空はその続きを絶対に忘れないように刻み込もうとする。
ここまで真剣に告げようとする直樹を裏切らないように。
「私と君が交わした『消去された約束』を思い出せ、と。それは必ず、AIが記憶しているはずだから」
「『消去された約束』…?」
「そうだ。……それを思い出させるカギを、君に託す」
「…先生?」
直樹は、どこか悲しそうな顔をしていた。そうして、また青空を見上げる。
「鍵となる言葉は…、忌むべき神の名をかたる機械と、我らが取り戻すべき、あの青空を組み合わせよう」
それから、一度目を閉じ、直樹は空を見据える。
「決して忘れないでくれ。この言葉を託す。君の名前も取り入れ…、『BALDR SKY』…と」
「『BALDR SKY』…」
「…時が来るまで、いや、そんな時が来ないよう、私も努力するが…、そうなってしまうまで、その言葉は決して口にしないでくれ」
「…はい」
頷く。
だが、それでももう一つだけ、疑問があった。
「…どうして、私に?」
直樹はその問いに、静かに笑った。
「…君が一番、甲君に似ているからかな」
「え?」
「守りたい意思、戦い抜く意思。君は、たぶんそれを持ち合わせている。甲君がその道に踏み込んでも、彼を支えきれる強さが君にある」
「…」
「だから、君に託した。…頼んだよ、空君」
「…はい」
頷き返した空に、満足げに微笑むと、直樹は踵を返した。
「先生?」
「すまない、空君。私には時間が無いんだ…」
振り返らず、直樹はそれだけ告げて歩いていく。
空は、それを黙って見送った。
そうすることしか、できなかった。



「…ここだ」
探すと決めて、それから2時間ほど。
まるで知っていたかのように、たどり着いた場所。
ドレクスラー機関、研究所。
「…なんで、ここなんだ?」
どうして、空はこんなところに居たのだろう。
呆然としながら、甲は研究所に近づく。
外にある外部電話。もう滅多に使われない公衆電話だが、一応整備はされているようだ。
研究所周辺はネットへアクセスできない状況が想定されるから、こういったものも用意されるのだ、とどこかで聞いた覚えがある。
あれは、いつだっただろうか。
と。
「…っ!?」
ぞくり、と。
はっきりと、悪寒と判るそれが背筋を走り抜ける。
思わず周囲を見回し、やがて。
「…?」
監視カメラの一つだろうか。そこに目が留まった。
「なん…だ?」
何故か、それが気になった。
それは機械だ。ただの、どこにでもある何の変哲も無い機械に過ぎない。
当然、変形して暴れるようなギミックがついているわけでもない。
なのに、今、自分が悪寒を感じた何かは、そこから来たかのようで。
「おや?」
ふと、かけられた声に、甲は魅入られていたような感覚から引き剥がされた。
「あ…」
こちらに近寄ってくる男が居る。
「軍のおじさん…」
桐島大佐。そう名乗っていた軍の人だ。
「珍しいところで会うものだね。こんなところでどうかしたのかね?」
彼はそこまで言って、ふと得心がいったのか頷く。
「そういえば、君は久利原博士の教え子だったか。彼を訪ねてきたのかね?」
「え、ああ、えっと」
返答に困って、甲は頭を掻く。
「…今回は、ちょっと違って。えっと」
夢に振り回されたことはぼかして、少し情けない言い訳を思いつく。
「…ぼうっとして歩いてたら道に迷ってしまって、今しがたここに迷い出たところです」
「それはよくないな。渚君とケンカでもしたのかね?」
「…あ、あー…」
非常に困った。
そういえば、この人の前では大体千夏と一緒だったのだ。
ということは、この人の中では自分の恋人は千夏なのかもしれない。
そんなことに思い当たり、またも甲は頭を掻いた。
「…いえ、千夏は関係ないですけど…」
そこまで答えて、ふと何かが繋がった。
桐島大佐。そして、ついこの間知り合った、あの少女。
桐島レイン。
「どうかしたのかね?」
「あ、いや、あの…」
何故だろうか。確信に近いものがある。
「あの、おじさん、娘が居るって言われてましたよね。空に相談してた…」
「あ、ああ。全く、この年になって不甲斐ないものだが、娘のことになるとからっきしだよ…」
力の無い笑みを浮かべる桐島大佐に、甲も苦笑を返す。
「今度も空君から、娘のことで話があると言われていてね」
その言葉に、びしり、と。
何かが、軋んだ。
「あ、えっと、それって、クリスマスの…?」
何故、自分はクリスマスだと判ったのだろう。
口をついて出た言葉に、甲は自分でも疑問を抱きながら。
「その通りだが…、空君に聞いたのかね?」
「え、ええ。あいつ、その日の昼間は用事があるって言ってましたから」
「そうか。…全く、自分の娘と同い年の子に何度諭されたか判らんよ」
苦笑して、彼は研究所を見上げる。
それから、甲を見て。
「…どうしたのかね? 顔が青いぞ」
「え」
甲は、自分の顔に手を当てる。自分の手で冷たいと判るほど。
「具合が悪いなら、せめて駅まで送ろう。部下に車を回させるから少し待ちたまえ」
「あ、いえ、大丈夫です。少し休めばよくなりますから」
「無理はするものではない」
諭され、甲は力なく頷いた。
それから数分後、桐島大佐の手配した車に乗り、甲は駅まで戻ることになる。
そんな中でも、繋がってしまった経緯に、身震いが止まらなかった。



「クリスマスの予定を代われ…? 何言ってるのよ、甲」
その日の夜。
改めて空の部屋を訪ねた甲は、単刀直入にそう切り出した。
「頼む」
一言、そう言って頭を下げる。
「いや、っていうか、甲、経緯の一つも知らないでしょ?」
「知ってる。桐島さんから聞いた」
「…へ?」
呆気に取られたような顔をする空に、甲は内心で手を合わせる。
カマ掛け半分だ。
空とレインの繋がりなんて判らない。だが、空は過去何回か、自分とのことで一方的な判断で妙な誤解を引き起こした経験がある。
それをちゃんと反省しているなら、今回の件、桐島大佐だけでなくその娘とも話をしたことがあるはずだ。
「…あんた、また?」
「は?」
「…ほんと、不幸な女の子に惹かれちゃう性質だったりするんじゃないの?」
「…えーと」
何だか意図しないところに話が行ってしまい、甲は目を泳がせてしまう。
「はぁ。レインってば…。いくら甲だからって、鳳翔で苛められてることまであっさり話すかなぁ」
その独り言まで聞き遂げて、甲は驚きの声をあげそうになるのを必死で堪えた。
「あ、ああ…。やっぱそういうの許せないだろ。それに、桐島さん、星修には何度か来てたしさ。だったら転校してもらったほうがってさ」
「そうよね…。はぁ、あー、うー」
「な、何だよ」
うめき声を上げた後、空がジト目で睨んでくる。
「…この天然女たらし」
「酷く理不尽な言いがかりだなおい」
「事実でしょうが」
「どこが…」
言いかけて、ふと。
千夏と菜乃葉、おまけにクゥの顔が頭をよぎってしまい、反論が立ち消えてしまった。
確かに、傍から見ればそう見えるのかもしれない。
「判ったわよ…。レインだって、甲が頑張ってくれた方が嬉しいだろうし…。うー、やっぱり女って友情より恋なのかなぁ…」
「…?」
うな垂れてぶつぶつ言っている空を見て、甲は首を傾げる。
恋と言ったか、今。
「…いや、桐島さんに好きな人居るのは知ってるが…、それが何で関係あるんだ?」
「アホ、バカ、鈍感、間抜け、相馬透」
「…俺が何をした。あと昔の英雄の名前を悪口に混ぜるんじゃねぇ」
「だって資料にすら超が付く鈍感だったらしいって書いてたじゃない」
「書いてあるけどよ。…って、お前、調べたのか? シュミクラムのことを?」
「………た、たまたまよ、たまたま。なんとなく、きになっただけっていうか。うん」
声が上ずっている。
そんな空を見て、甲は小さく笑う。
ひょっとすると、自分の趣味のことを少しは知ろうとしてくれたのだろうか。
「何よ」
「何でもねーよ」
「嘘、絶対なんかある」
「何でもねーって」
微笑ましい気持ちになりながら、甲は本題に戻す。
「それより」
「…クリスマスの昼間?」
「そう」
「…何だか妙に拘るわね。私とクリスマス過ごすの嫌になった?」
空は拗ねた様な目で甲を見て、そんなことを言い出した。
「な、何言ってんだよ。別に、俺もお前とイブを過ごしたくないって訳じゃなくてだな…」
何故かしどろもどろになってしまった甲を、空はしばらくジト目で見て、それからため息を一つ。
「わかったわよ…。まったく、レインが可愛いからってそんな一生懸命になっちゃってさ」
その言葉に、甲は目を逸らして。
「そんなんじゃねーよ」
「じゃあ、何なのよ」
「…ほんと、そんなんじゃ、ねぇよ」
言える訳が無かった。
その日、その場所にいた空が死ぬ。そんな夢を見たから、だなんて。
そんな何の根拠も無いようなこと、言える訳が無かった。



そうして、その日が来る。



「ねぇ、甲。ほんとに大丈夫? 顔色悪いわよ?」
「大丈夫だって。悪いとしたら今日までだ。明日からはすっきりしてるさ」
ただの悪夢なら、何も起こるはずが無い。
きっと神経質になっているだけだ。
あの日から、そんなことを言い聞かせながら、それでも空をあの場所へ送ることだけはできずに。
結局、甲はクリスマスの日を迎えた。
「それより、俺はお前の方が心配だけどな。うっかり待ち合わせ場所と反対に行くような電車に乗るとかな」
「あ、あのねぇ。ここから待ち合わせ場所に、どうして電車がいるのよ」
「お前ならありうる。北海道行きの夜行列車とか」
「あほかっ」
そんな話をしていると、少し気が楽になった。
「あんたら、玄関先でいちゃついてるんじゃないよ」
「甲、時間だよ?」
「っと」
千夏と菜乃葉に言われ、甲と空は居住まいを正す。
「んじゃ、行ってくる」
「う、うん。…甲?」
「ん?」
「気分悪かったら、帰っていいんだからね?」
「…ああ。サンキュ」
空の心配そうな目に見送られ、甲は玄関の戸を閉めた。
残された空はその戸をじっと見つめて。
「…そんなに心配なら、一緒に行けばよかったんじゃないかい?」
「それは、そうだけどさ…。甲ってば、お前は残れ、の一点張りだもん…。普段は優柔不断なくせに、何かあの時は絶対引かないって感じだし」
「ふぅん…」
空の言葉に、千夏は面白くなさそうに唇を尖らせ、自分の靴を手に取った。
「どっか行くの?」
「バイク。もうすぐ仕上がりそうなんだ」
「そっか」
そう言って靴を履き始める千夏をなんとなく見ていると。
突然着信が入った。相手は直樹だ。
『甲君と菜乃葉君は?』
単刀直入、と言わんばかりに聞いてくる直樹に、空は首を傾げる。
「先生? どうかしたんですか?」
「二人なら、今出かけましたけど?」
空と千夏の返答に、直樹は眉をひそめて。
「そうか。二人に連絡して、すぐ戻るように…」
「何かあったんですか? それなら、先生が直接連絡した方が」
空の言葉に、直樹は不自然に黙り込む。
「…先生?」
訝しげに尋ねた空に、直樹はどこか不自然な笑みを浮かべると。
「そうだな…、ああ、ぜひ、そうするよ」
そう、答えた。
(…?)
何だか様子がおかしく思う。
「先生、相変わらず、調子がよくないんですか?」
千夏に気遣われ、直樹は少し疲れたような顔をすると、首を振った。
「いや、大丈夫、少し寝ぼけていただけだ。ところで君達は、今日はこっちには来ないのだね?」
「はい…」
「それは残念だ。きっと今晩は素晴らしい夜になるはずだよ」
何故だろう。そのときの直樹の笑みが、何かどす黒いものが見え隠れした気がした。
「あ、あの」
空が何か声をかけようとしたが、通信は一方的に切られてしまった。
「先生、調子悪そうだよね」
千夏の心配そうな声に、空も頷く。
「発表会、明日よね。…疲れ、溜まってるのかな」
「本当にね…。せっかくの晴れの舞台なのに」
「よし、こうなったら、手料理でも差し入れに」
「んなことしたら発表会台無しになるだろ。やめときなよ」
「う」
千夏の半目の突っ込みに、空は返す言葉も無い。
実際、甲を寝込ませたことが何度あるやら。
(あいつも律儀に一口は必ず口つけるんだから…)
それが判っていて作る方も作る方なのだが。
「さて、んじゃ行ってくるよ。あんたも、変なことしないようにね」
「変なことって何よ…」
出て行く千夏を見送って、空はため息。
「…そういえば、まだ日記、つけてないな」
デートまでの時間で、日記をつけたり服を選んだりしていようか。
そんなことを考え、空は自室へ戻っていった。



(そういえば、カートリッジの記録、最近つけてないな)
最後に書いたのは、空と恋人になった時だろうか。
電車に揺られながら、甲はふとそんなことを思い返す。
(…ここんとこ、夢に振り回されてるからな…。今日が終わったら、存分に自分を笑って書いてやるか)
そんなことを思うと、ふと、菜乃葉がじっと見つめていることに気づいた。
「何だ、菜乃葉」
「んー。甲、ほんとに顔色悪いよ? 大丈夫?」
「ああ、まぁ、ちょっと緊張してるだけさ」
言って、視線を窓の外に向ける。
(そういえば夢のことにかかりきりで、空へのプレゼント、ちゃんとしたものまだ選んでないな。向こうついたら少し店回るか)
いくらなんでも、レインから貰ったものを空に渡しておしまい、というのは酷過ぎるだろう。
あの状況じゃ、それ以外の選択肢が無かったとは言え、レインには悪いことをしてしまった。
(…ある意味、今回のはそれに対する罪滅ぼしだよなぁ)
ため息をつく。
手には、空から渡された宇宙船の模型。
前に一緒に買い物に言ったときに空が買っていたもの。
どうも、桐島大佐に渡すつもりだったらしい。
「心はいつまでも子供、ね…。あの人もそうなんかね」
「誰のこと?」
「軍のおじさん」
「?」
そういえば、菜乃葉は会った事が無かった。
どう説明したものか悩んで、やがて、
「あー…、空の友達?」
「そ、空先輩、ほんとに顔が広いんだね…」
「全くだ」
本当に同意する。
「あ、そろそろ着くよ」
「ああ」
菜乃葉が言ってからほどなくして、列車がホームに入る。
「菜乃葉は、まっすぐ研究所に行くんだよな?」
「そうだよ。甲は?」
「俺は、ちょっと寄る所がある」
「そっか…」
少し菜乃葉が残念そうだが、仕方ない。
列車のドアが開いて、乗客が降りていく。
甲と菜乃葉もそれに混じってホーム、それから改札へ。
「それじゃ、先生によろしくな」
「うん。甲も、がんばってね」
「ああ」
そこで、菜乃葉と別れる。
とりあえず、近くの小物店でも覗こうと、歩いていく。
いろいろと覗いては、女物のお店故に居辛くなって外へ出て別の店へ、というのを繰り返して。
ふと、目に止まったものがあった。
「…」
思い出したのは、この模型を自分に見せた時の空の笑顔。
あの笑顔を見て、胸が高鳴ったのを覚えている。
向日葵のような、あの笑顔を。
「…向日葵の、髪飾りか」
即決だった。
子供っぽいと怒られるかもしれないが、仕方ない。
あのペンダントより、こっちのほうが空に似合うと思ってしまったのだから。
「あの、彼女へのプレゼントなんです、包んでもらえますか?」
そう、レジで言う瞬間だけは非常に困ったけれど。



その時。-7時間前。




姿を見せた甲を見て、桐島大佐は驚いた顔をした。
「空君から急用で代理が行く、とは聞いていたが」
「すいません、ほんとは俺が無理言って代わってもらったんです」
苦笑交じりに、甲は答える。
桐島大佐も笑いながら、甲に席を勧めた。
それに応えて甲は高そうな椅子に座り、その対面に桐島大佐も腰掛ける。
「その後はどうかね。見たところ、あまり本調子では無いようだが」
「あはは…、そうですね、最近少し夢見が悪くて」
「眠れていないのか。それはよくないな」
心配そうに見てくる桐島大佐に、甲は「ご心配ありがとうございます」と頭を下げる。
「あ、これ、空から、おじさんに、と」
「空君からか。どれ」
袋から取り出した宇宙船の模型の箱に、桐島大佐は顔を綻ばせる。
「宇宙船か」
「あいつ、いくつになっても男ってのは心は子供だから、とか言ってましたよ」
「はは。いや、真理だと思うよ。あんなことが無ければ、私もまだ宇宙飛行士への夢を追っていただろうからね」
あんなこと、と口にした言葉に、甲は首を傾げる。
桐島大佐はその言葉をなかったことにするように、宇宙船の箱を目の前のテーブルに置いた。
「…君は、門倉甲、だったね、確か」
「ええ」
「…実は前から聞きたいと思っていた。君は、…門倉永二か、門倉八重という名前を知らないか?」
その言葉に、甲は目を見開く。
「…それ、俺の両親の名前です。親父と母さんを、知ってるんですか?」
甲の問い返しには応えず、桐島大佐は目を細める。
「そうか。…なるほど、あの人と、あのバカと、どちらの面影もあるわけだ」
だが、その言葉が全ての肯定だった。
「…親父に似てるとはよく言われますが、母さんに似てると言われたのは初めてです」
「そうかね?」
「ええ」
苦笑交じりに、甲は頷く。
「…永二は…、父君は元気かね」
「…たぶん。どっかでまた人殺ししてるんじゃないですか?」
PMCを率いる父親を思い出し、甲は少々吐き捨てるように応える。
過分に嫌悪を滲ませたその答えに、桐島大佐は目を見開いた。
「…君は、ひょっとして知らないのか?」
「え?」
「ああ、いや。…そうか、あのバカは…。いや、忘れてくれ。あいつが話さないことを、私が話すわけにはいかないからな」
「…あの、どういうことですか?」
「…永二は救いようの無いバカだという話だよ」
どこか憮然としたように、桐島大佐は腕を組む。
「…あまり、私も人のことは言えないがね」
「?」
桐島大佐は自嘲気味に笑うと、窓の外に視線を向けた。
「娘のことは、君に話したことはあったかな?」
「ええ。…先日、実際に会いました」
「そうなのか。やはり、世間は意外と狭いな」
そう言って、桐島大佐は苦笑する。
「…おじさん、桐島さん…、娘さんが、学校で苛められているって話、知っていますか?」
「…何?」
初耳だったのだろう。
彼は甲をまじまじと見つめてきた。
「俺も、空から少し聞いただけです。でも、時々娘さんを星修で見かけたことがあります。…そのいずれも、一人で」
だからたぶん、それは、そういうことなのだろう。
誰だって、辛い場所に好んで居たい訳がない。
桐島大佐は、視線を窓の外に移す。
「反AIの鳳翔学園。セカンドである娘さんは、それだけで排他の対象になるのかもしれません」
甲は、そう続ける。
桐島大佐は少し目を閉じると、甲を射抜くように見つめた。
「…君は、エイリアニストという言葉をどう思う?」
「え?」
AI派の人間に対して、反AI派が侮蔑の意味を込めて使う言葉。
それをどう思うか、なんて決まっている。
「…胸糞悪くなります」
「そうか」
言って、桐島大佐は椅子にもたれかかる。
「娘の話からそれてしまうが、少し戯言に付き合ってくれ」
「え?」
「…AI派と反AI派。どちらが正しくて、どちらが間違っているのか」
その言葉に、甲は目を瞬かせる。
「どういう、ことですか?」
いつだったか、空が言っていた気がする。
反AIの親と、AI派の友達の話。たぶん、あれは彼とレインのことだ。
なら彼は、正しいのは反AI派だ、と言うのだろうか。
そう思い、身構えていると。
「…文明は進化した。疑いようも無く、生物的AIの助力を得て、見違えるほどに」
言いながら、彼は天井を見上げる。
「アセンブラ。恐らくあれもその一つだろう。正しく使えば、この荒廃しかけた世界すら癒せるほどに」
甲は、素直に驚いた。
反AIの人が、AIを認める発言をするとは思わなかったから。
「AIそのものが悪いとは言わない。…危険なのは、それを無制限に求める人々だ。人類の導を、AIに求めた人間」
ぞくり、と、悪寒が走った。
甲も会ったことがある。あのアリーナで。
おぞましいほどのAIへの狂った妄執を纏った人間と。
「君も、心当たりがあるようだね」
「…はい」
「私は、そういう奴らこそが許せない」
そう言った彼の目には、明らかな強い光があった。
「だからこその、反AI思想、なんですか?」
「そうだ。…だが、反AI思想も行き過ぎればただの暴力でしかない」
「…」
そう。それも知っている。
ジルベール=ジルベルトが体現した、あの悪意を。
「結局、どちらが正しいも間違っているも無いのだよ。ただ、どちらかに傾倒し過ぎるのが危険だというだけの話だ」
桐島大佐はそう言い、力無い笑みを浮かべる。
「…レインがAI派であることは否定しない。ただ、知って欲しかっただけだ。反AIという、自分とは反対の人間達の考え方をね」
「それで、鳳翔に?」
「ああ。だが、どうやら裏目に出てしまったようだ…。全く。儘ならない物だ」
たぶん、お互い言葉が足りなかったが故に。
レインは反AIを知るのではなく、逃げ出す方向にしか進めなかったのだろう。
ただ知って欲しかった。その言葉を、彼が娘に告げていたなら、彼女は何か変わったかもしれない。
だが。
「…でも、今からそれをレインに告げても」
「ああ。空君にも何度も言われたよ。親の意思だけを押し付けるのは、きっとよくない、とね」
桐島大佐は、そう言って苦笑する。
その言葉を、甲は自身に反芻する。
親の意思の押し付け。そういえば、自分は永二からそんな類のことをされただろうか。
(いや、接し方が判らずに放り出されているだけだろ。あのクソ親父がそんな殊勝な玉かよ)
頭を振ってその感傷を追い出し、甲は改めて桐島大佐を見る。
「それじゃ、娘さんのことは」
「ああ。星修への編入手続きをしよう。君と空君と、渚君も居れば、きっとあの子もいい方向に変わるだろう」
「…ええ。俺はともかく、空と千夏なら、必ず」
甲は、そう言って強く頷いた。



その時。-3時間前。



「宅配便でーす」
如月寮にそんな声が届き、空は慌てて駆け下りた。
「はいはいー!」
「受け取りのサインお願いするっす」
小包と一緒に、電子伝票に自身のサインを刻んで、送信する。
「うっす、毎度あり」
忙しいのだろうか。あまり愛想らしいものも無く、宅配便の人は去っていく。
けれど、待っていたものは届いた。
「…甲、喜んでくれるかな」
胸に下がっているペンダントを見て、空ははにかんだ笑みを浮かべた。



その時。-2時間前。



「…ここ、どこだよ」
ちゃんと星修に戻るための列車に乗ったはずなのだが。
どこをどうして、自分は北海道行きの夜行列車になど乗ってしまったのだろう。
時計を見る。
空はもう待っているかもしれない。
帰りが遅ければ、あの場所に来てしまうかもしれない。
それだけは。
「戻らないと」
その顔は、明らかに血の気が引いていた。



その時。-1時間前。



「あれ、甲まだ来てない…?」
待ち合わせの場所に来た空は、首を傾げる。
着替えと髪型のセットしなおしで、既に20分ほど時間から遅れているはずなのだが。
「全く。二人して遅刻ってどうなのよ…」
言いながら、時計を見上げた。



その時。-30分前。



「何で列車止まってるんだよ!」
文句を言いながら、空の番号を呼び出そうとする。
なのに、通じない。
「くそ、どうなってんだ」
研究所最寄の駅にまでは戻れたが、そこから列車が動かない。
完全に足止めされてしまった。
「そうだ、研究所前に電話あったよな」
甲はそれを思い出すと、全力でそこへ向かった。

























そして。その時。










「空、今どこだ?」

「それはこっちのセリフよ。甲こそ、どこなのよ」

「あ、俺は…、すまん、まだ研究所前なんだ…」

「ええ!? 何でそんなとこいるのよ!?」

「俺が聞きたいよ…。買ったチケットは間違いなく星修行きで、乗り場どおりに従ったのに北海道行きの夜行列車に乗ってるとか意味わかんねぇ」

「まったく。出る間際に私に変なこと言うからバチがあたったのよ」

「あー…、かもなぁ」

「…珍しく殊勝じゃない? 何、まだなんかあるの?」

「いや、実はな。列車が動いてない。そっちに戻れない」

「…あんた、どんだけ日ごろの行い悪いのよ」

「う、うるせえなぁ…」

「…うーん。戻って来れそう?」

「歩いたら日付変わるな」

「ま、仕方ないわよ。いいんじゃない? 夜空の下で散歩するのも」

「千夏にバイク借りれればいいんだけどな」

「何? 私にそれ借りて迎えに来いって? さすがにそれデリカシーに欠けない?」

「そ、そうか?」

「少なくとも、甲ならともかく私がバイク貸してとは言い切れない」

「そっか。まぁ、なるべく早く戻るから。お前はどっか風邪引かないところにでも入ってろよ」

「馬鹿いわない。私からもそっち行くからさ。途中で合流しよ?」

「…そうだな。…っ」

「え?」

「サイレン…。嘘、だろ…」

「え、甲? どうしたの?」

「いいか、空、すぐそこから離れろ」

「な、何? いきなりどうしたのよ」

「いいから!!」

「ちょ、ちょっと?」

「と、とにかく、俺急ぐから、お前もとにかく、そこから、いや、いっそ清城まで行け。いいな!」

「あ、あのね、列車動いてないって言ったの甲でしょ?」

「とにかく、通信切るから…、あ」

「甲? どうしたの?」

「見るな、空。…通信切れ、早く!」

「どうしたのよ、自分で切るって言ったくせに、急に私に切れとか。それに、何でそんな怖い顔…、あれ? 甲、何か、映像乱れてる?」

「見るな!! 逃げろ、はや…!!」

「え、な、何? なんなの…、ねぇ、甲!?」

「そ…ら、やば…、に、げ…! ニゲ…ロ…!!」




























「な、なによ、なにこれ!? い、いやああああああああああああああ!!!!」

























「どいて、どいてよ!!」
空は、人の波の中を掻き分け、流れを必死で逆走する。
「待ちなさい、君!!」
「は、離して!!」
「駄目だ! ここから先へは誰も行かせない! 避難命令が出ているんだぞ!?」
「いいから! 通して、通してよ!! あそこには、あそこには、私の…、私の大事な人が居るの!!」
「もう誰も生きちゃ居ない! 君まで死ぬつもりか!?」
自分の腕を掴むそれを必死で振りほどこうとして。
空の目に、一条の閃光が飛び込む。
「あ…」
「まさか、グングニール…!?」
瞬間、人々が一斉に走り出して。
空は、そこからはじき出され。
「あああああ!?」
直後、押し寄せた熱風と、衝撃波。
奪われる視界。
それでも。
「行かなきゃ…、だって、あそこには、甲が…!!」
それは、ある意味で断末魔だったのかもしれない。
「甲があそこに居るんだから…!」
声として叫べていたのか、それすら判らない。
轟音に何もかもかき消される中で、それでも。
「甲、こお、こおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
















研究所前。
門倉甲が居た場所。
そこに、小さな包みが落ちている。
そこに。
真っ白な光の槍が、突き刺さった。







































































「…箱舟計画のプランを流用して電子体を保護。やれるな?」
『やってみせる』
「頼む。…くそ、どこまで行っても俺は俺だな」
『きっと、だからこそ甲』
「ああ…。頼むぞ、『カイ』」






空の悲鳴が聞こえる中、そんなどこかで聞き覚えのある声が聞こえ。
門倉甲の意識は、静かに闇が満たされた。






to be Continued Episode:01 Awake ...


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