24日から27日まで、3泊4日で行って来ました。
 既に、このブログでも書いたように、沖縄には何度も行っているので、大方のことは分かっていましたが、やはり、日程のテーマがずべて「平和」であり、いろいろな説明を受け、また初めて行く場所もありましたので、多くのことを学ぶことが出来ました。

 日程の初日に、実際に沖縄戦を体験した、ひめゆり学徒隊の生き残りである語り部さんのお話しをお聞きしました。「語り部」というのは、本来「昔から語り伝えられる昔話民話神話歴史などを現代に語り継いでいる人」(ウィキペディアより)ではありますが、今回の語り部さんは、ご自身の体験をお話し下さいました。ですから、そのお話しは真に迫るものがありました。

 今回の全日程を通じて、テーマは「命の大切さ」だったように感じます。
 「平和使節団」ですから、勿論大きなテーマは「平和」ということになるのだと思いますが、その中でも「命」を感じる場所が多かったという意味です。

 また、語り部さんがひめゆり学徒隊の生き残りであることや、沖縄戦を語る際には、学徒隊がガマの中に作られた病院に看護要員としてかり出されたこともあり、何箇所も見学したガマでの悲惨な状況が語られる際の「視点」の多くは、学徒隊を中心としたものでした。


 ガマ(沖縄県沖縄本島南部に多く見られる自然洞窟のこと/ウィキペディアより)に実際に足を踏み入れ、懐中電灯では照らしてはいましたが、真っ暗な中で説明をお聞きした学徒隊の悲惨な体験は、本当に衝撃的でした。

 私はいくつかの壕を見たことがありますが、どれもが足元はコンクリートで整備され、見学者用に準備された電灯もあるものばかりでした。ですから、今回の経験は、本当に強く印象に残りました。
 長く、険しい石段を登るなどの体力的な負担が大きかったことも強い印象につながったかも知れません。

  沖縄戦では、ガマに多くの民間人が避難しました。数十人が避難したガマもあれば、1,000人規模で避難したものもあります。そしてそこには多くの「けが人が運び込まれました。

  特に、チビチビガマでは悲惨な集団自決が行われました。
  私たちの一団がチビチビガマの入口に着くと、ちょうど居合わせた北海道から来ていた団体が地元の方から説明を受けていました。本来有料でしか聞けない解説を、私たちは横で聞くことが出来ました。そのためにこちらのスケジュールが大幅に変更になりましたが、「命の大切さ」が強く印象に残ることとなりました。
 
 一つ驚いたことがあります。
 嘉手納空軍基地の直ぐ横に「安保の丘」という、高さ5~6メートルの盛土があり、基地の中を見ることが出来ます。私が前回来た時には、この「丘」に登って、基地の中を見ました。それしか基地の中を覗き見る手段はありませんでしたから。
 しかし今は、直ぐ目の前に「駅の道かでな」が出来、4階建てのビルが建っています。4階には展望台があり、「丘」とは比較にならない程基地の中がよく見えますから、「丘」に上っている人は誰もいませんでした。勿論、私たちも展望台に上りました。
 運転手さんの説明によると、米国側が安保の丘から見られるのを嫌い、このビルを建てることに合意したとのことでした。
 時代の移り変わりを感じたということです。

 なお、詳細な報告書は、改めて平和使節団事務局宛てに提出することになっていますので、これから作成します。
 

 なお、現地での私の取った行動の一つが誤解を招く行為をしてしまいました。
 今後、そのようなことがないよう気を付ける所存です。