――遡ること13時間前
『EC因子保有者の復元完了』
彼女が気がついた時にはいつもの病室とは違う路地裏のゴミ溜め地帯にいた。人目がほとんど無く外食の残飯のゴミで溢れていて、よく野良猫が残飯を漁りに来る。自分がよく知るあの黒猫は確かここから残飯を漁ったこともあった。同時に服装にも違和感がある。病院で目覚める時のパジャマ姿ではなく魔法少女としての姿でもない。黒いノースリーブのシャツに黒いズボンの黒一色の黒衣だった。なぜこんなところでこんな姿でいるのかと疑問に思ったら、側にいる存在が声を出した。
そこには表紙と裏に銀十字の装飾がされた黒い本が浮いていた。
『EC因子保有者の復元までの経緯を説明しますか?』
そいつは電子的な音声で喋っていた。こいつは紛れも無く生物と言うより機械の類だ。そして自分がここにいる理由を語ってくれるのだろう。そう思い続きを促した。
「続けて」
『リアクター=シュトロゼック5thとの誓約後、EC因子保有者は当世界に現出。しかし、別の存在がほぼ同時に割り込んでたために拒絶反応。肉体の一部情報を複製して複製元と肉体を分離』
シュトロゼック5thというのはミリィのファミリーネーム……シュトロゼックからきているのだろう。リアクターという風に物扱いされているのはおそらくそういう存在だからだ。5thというからにはミリィの“先輩”あるいはきょうだいが4人いることになる。
EC因子保有者というのは私、暁美ほむらなのだろう。当然だ、未知の存在となんらかの理由で誓約というのをしたのだ。何らかのリスクがあってしかるべきなのだ。しかも因子保有者=キャリアー……まるで何かの病原菌の運び屋みたいに思ってしまう。しかし、複製元と分離とは……つまり今この世界に暁美ほむらという存在は私を含めて二人もいることになるのではないのか。いや、自分は魂でやってくるために今ごろあの病院にあるのは死亡原因不明の遺体だろう。魔法少女の魔女化の末路で置き去りにされた元の体の遺体と似たように思えた。
『複製後、それだけでは肉体の復元が不可能だったため、成分を収集。収集後、当場所で防護服を生成の上、最適化し復元が完了』
肉体を復元とはそれまたえげつないことをやったのだとほむらは思った。防護服というのは魔法少女としての服装とは方向性が違うこの姿なのだろうと踏んだ。
『報告は以上。当武器管制システム、銀十字の書はEC因子保持者の保護を最優先とします。リアクターの所在が不明のため、戦闘は非推奨』
そう告げた後、黒い本は消えた。私の保護を最優先とすると事務的に告げたことで少し頭痛をした気がした。私の保護を最優先とするならば、場合によってはまどかを見捨てるという選択を強いるかもしれない。ミリィが不在の現在では戦闘は非推奨と言った。まどかを助けるためにはあがいてあがいてあがきつくすしかないのでその警告は半ばあきらめることにした。その状態でミリィと合流することは必然的な事項となる。
同時に私の中には何かが埋まったような感覚がある。これはかつて魔法少女だった頃に能力の要だった砂時計の存在を側に感じられたのとほぼ同じ理屈なのだろう。
あのディバイダーという武器は出ないのかどうか、銃を取り出すイメージをしてみる。ふと頭に思い浮かんだ言葉があったのでそれを口にしてみた。
「EC……ディバイダー」
その言葉によってディバイダーは右手に収まるように出現し、セット扱いからか銀十字の書が側に出現した。改めてディバイダーをよく見る。弾丸は装填されてないが銃としての構造はS&Wの45口径のリボルバー拳銃に近く、シリンダーをスイングアウトさせて45口径の弾丸を入れることはできるのだろう。米軍基地から45口径の弾薬を盗んでそれを入れてみてもいい。銃身の下に添えられた剣はかなり頑丈なようでかなりの戦闘に耐えれるかもと踏んだ。
だが、ただの銃であるはずはない。EC因子とやらを保有して、魔法少女であることを上書きしてまで手に入れた力だ。それを試したいところだが……今は別の懸案事項が頭にあった。
銀十字の書の説明では今の自分の肉体はコピー元から分化コピーした存在だ。その元の体は魂の抜けた抜け殻……いや待て。確か銀十字の書は『別の存在の割り込み』があったと言わなかったか?
確かめなければならないと思い、病院へ向かった。
病院へ向かう途中、ほむらは復元されたという自分の姿を確認するために女子トイレに入った。そこで改めて自分の姿を確認する。顔立ちと体系以外は劇的に変わっていた。青い透徹とした瞳は血のような真紅に、まどかがきれいだねと言ってくれた黒髪は灰かぶりのように灰色に染まり、体の一部に赤い鳥の羽のような刺青が入っていた。これがEC因子保持者としての影響だろうかと一人ごちた。
改めての確認のために一つ前の世界の失敗がなんだったのか思い出そうとする、しかしその内容はむちゃくちゃに引き裂かれていた。
――噴水の前で時を止めてまどかと契約寸前だったインキュベーターを射殺した私
――“委員長の魔女”をパイプ爆弾で爆殺した私
――まどかに泣きついて吐露する私
――白い魔法少女を射殺した私
昔の頃のループと混じってむちゃくちゃになっている。時系列すら定かじゃない。
銀十字の書が言うには自分はリアクター=シュトロゼック5thことミリィ・シュトロゼックと誓約をした。確かにこの路地裏で目覚める前に誓約をした記憶もある。だが、なんの失敗をしたために“未知”である彼女と誓約に至ったのか思い出せないのだ。普通だったら誓約とかそういうのを無視して強引に連れて行くところだが。
思い出せない以上、そのことは考えないことにした。
人目を避けて、街中を進み行く。なぜか猫やカラスの一匹もこちらに気づかないのが気がかりだったがここは魔女の結界でもなく、紛れも無い現実だ。そのことを疑問に思いながらも目的地へとたどり着いた。そこは見滝原総合病院をある地点から見渡せるデパートだった。
そこのデパートの非常階段を登っていく。ある一定の高さに差し掛かれば、自分の病室を見下ろすことができる位置だからだ。
自分の病室を見れる辺りにさしかかると、そこには“自分”がいた。何かに悩んでいるのか悶々としている。入院していた頃の自分は退院後の生活をどうするのかと悩んでいたことがあった。しかし、あの“自分”は違うことに悶々としていて、何より目が座っている。自分が目が座るようになったのはかつて何度もループを重ねていた頃の序盤、三度目の世界でまどかに頼まれて彼女の魔女化寸前に介錯をした結果、壮絶な覚悟を秘めて視力を矯正して眼鏡を外した。あの“自分”が何週目かはわからないが、間違いなくそれ以降の“自分”だった。
次の行動は決まった。“彼女”と接触するために町中を駆ける。今は特異な姿の防護服と戦う関係のディバイダーと銀十字の書以外は何一つ無い。町の人々、そしてあのインキュベーターに見つかれば厄介なことになるのでまず身を隠す。
身を隠すためにはまずいくつかを調達もとい窃盗をしなければならなかった。そんな窃盗をする魔法少女の代表格である佐倉杏子は確か、彼女自身にとってのトラウマとなった一家心中のできごと以来、魔法は自分のためにしか使わないと決めている偽悪者だ。そんな天涯孤独な彼女が何をして生活していたのかと言うと魔法少女の力でATMを破壊して、それで得た資金であちこちのホテルをぶらぶらとしていた。戦闘は非推奨だと言われたがとりあえずはお金が必要だったからやむを得まい。
人が通らないルートを中心に駆けていく。今の奇異な姿の自分を見られたら注目の的にされてしまうだろう。人目につかないように複雑に経由してようやく人がいないATMがある場所へとたどり着いた。ATMボックスだ。今時珍しい公衆電話が入った電話ボックスを長方形状に幅広くした感じと言えばいいのだろう。自動ドアの前には監視カメラ。自動ドアを開けた内部にはATM一つと内部監視用の監視カメラだった。
「こんなことに使うのもなんだけど……」
ディバイダーを出し、ブレードを向けて構える。跳躍してATMの外の監視カメラをブレードで一閃、振り向きざまに適当に側にあった小石をATM内部の監視カメラに軽くぶん投げた。
だがそれで得たのは予想外の結果だった。
一閃された外側の監視カメラは真っ二つになるどころか強力な膂力で100m近くも断片が打ち上げられ、小石を投擲された内部側の監視カメラはカメラだけを壊すどころか、自動ドアとボックスを含んだATMボックスそのものがはじけ飛んだ。まるで銃弾を打ち込まれ、打ち込まれた石の射入口は普通の穴でも弾丸が出て行く外側がはじけ飛んだ……銃弾でもぶち込まれた満タンのペットボトルのように。
剣としてのディバイダーと腕力を試してみたがオーバーキルにもほどがある威力だった。あくまで軽く投げただけがこうなるとは思いもしなかった。
思考を再開して、ATM内部の現金を携帯できるだけ取ってお金を取っていく。ATM破壊は予想外な威力があり過ぎたためにもうすぐ人が来るのだろう、いそいでその場を後にした。
結果として、見滝原総合病院で払う予定だった現金を引き落とせなかった人たちがさらに遠くのATMへとお金を引き落としにいったことを追記しておく。
おぼろげな記憶の中では確か、まどかと契約寸前だったインキュベーターをギリギリのところで殺害して契約を止めたことがある自然公園である見滝原自然公園。ほむらは最後の調達をするために自然公園にきていた。ここは森林などもあったりして身を隠すのにうってつけの場所だ。
最後の調達物を持っている対象を見る。今この自然公園でランニングをしているのは……女性一人のみ。汗まみれのジャージでも奪えというのか。もう仕方がない。まともな意味での衣服を調達する必要がある。衣服店から盗みたいが、アレは商店街の中であるために完全に見られてしまうために、論外だった。
気配を消し、ランニングをしていた女性を背後から襲って気絶させる。その場にあった木から葉をはいでそれを指の上に被せることで女性の各所から指紋が検出されないようにし、適当に身包み剥いで、防護服を解除して裸身の上にジャージを着て、日光避けのサングラスをかけ、灰色の髪をアップにまとめて帽子にひっつめる。指紋隠しに使った葉をトイレに流し込み、女性をトイレの個室に押し込んでその場を後にした。
現金は既に得ているので、財布の中身だけは女性の側において、財布だけを取った。自分のこの体は複製されたものだ。例え双子や複製であっても指紋だとかの細かい差異が生じ、なおさらこの日本では戸籍上には存在しない人間である自分の記録なんてないから仮にミスして指紋が検出されても問題は無い。
今更自分の目的のためにはまどか以外の命は割り切ってはいるが、最低限の情けとして下着は取らずにおいたために、ジャージの下は下着なんてなく裸に近い。秘部を風が通る感覚がするが、恥ずかしいなんて心は当の昔に捨てたから問題は無い。携帯電話である場所に電話をかけたかったが、インキュベーターが暗躍を続けている現在でも現代の日本警察をなめてはいけない。常識的な技術の範囲ならば簡単に履歴をたどられるために女性の携帯電話を奪うのは諦めた。カードは取っていない、カードというものは個別に番号が設定されているために追跡されたら面倒だったからだ。
内心、ごめんなさいと思うもまどかのためと切り捨てた。衣服と現金入れのために襲われた女性は実に不憫ではあるが無視する。
ある程度は人に見られても問題はない状態になったので、急いで町へと走っていく。今は携帯電話やスマートフォンは全盛となっている今、本当に珍しい存在となっている公衆電話の場所へと行く。この街の地形は幾度ものループで完全に把握していたがそれでも数少ない公衆電話へと走るのは面倒だった。
公衆電話へとやっとたどり着き、財布の中に詰めた現金の中から100円玉を取り出し、硬貨挿入口へと入れる。
そして、私は病院にいるであろう、“私”に電話をかけた。
コール音。
『はい、見滝原総合病院です』
受話器にジャージの中にあった汗拭きタオルを被せて、くぐもった声にすることで自分の詳細を把握されないようにしておく。奴らに存在を探知されないためだ。
「私……そちらで退院しようとしている暁美ほむらさんの親戚なのですが、ほむらさんに繋ぐことお願いできますか。代わる前には『まどか』という伝言をお願いします」
私自身が誰なのかを把握させずに『まどか』という符丁で“私”に繋げるように頼んだ。暁美ほむらと鹿目まどかの関係を知るのは現時点では暁美ほむら自身しか存在していない。いくつかの世界でまどか自身が一つ前の世界のできごとを夢でおぼろげに見て私のことを知ると言うことはあったが、結局それが正しく奴に対する警告になったことはない。
まどかを“闇”に決して関わらせないと誓っている“私”ならば、この意味はわかるだろう。
『わかりました。少々お待ちください……それでは、暁美ほむらさんに代わります』
向こうの受話器から“私”が受話器を取った音をマイクが拾い、物音がする。こちらの受話器から汗拭きタオルを取り、そのままの声で“私”へのメッセージを告げた。
「奴を殺す場所に今夜2時に一人で」
内容を端的に告げ、そのまま通話を終了した。インキュベーターに悟られないようにするためだ。奴らは人間を家畜としてしか見ていない。遥か昔から人間を自分たちの種族の反映のための燃料として利用するべく観察を続けていたために人間の技術をもあらゆる面で上回っているのはほぼ間違いは無い。“闇”に関わる話題を長く話し込んだら奴らに傍受される危険性があったので一言に絞った。
そして、今の会話を傍受されたとしてもそれに対するデコイの作業もしておかなければならない。そう思った私は見滝原自然公園へと足を進めた。
見滝原自然公園に着いた後、ダミーとしてまず適当にインキュベーターを一、二匹殺害することにした。あの会話が傍受されれば、今日インキュベーターが殺害される場所にインキュベーターたちの監視の視線はいく。本来の合流場所を悟られないようにするためのデコイが必要だった。
見滝原自然公園の近くに奴らの一匹の姿を見た。会話をした公衆電話の場所を探知され、もう内容を傍受されたのだろう。無表情なまま通話をした人物を探しているそいつを最初のデコイにするべく右手にディバイダーを出現させ、構える。
『遮蔽機能付与 yes/no ?』
その質問が銀十字からあったので脳内でyesと叩き込む。サイレンサーみたいな機能なのだろうかと考察し、底が知れないものだと思った。
遥か遠距離の四足歩行に白い肌に赤い目の無表情な生物……少女たちの警戒心を解くためにキュゥべえと名乗ってその実おぞましいことをするインキュベーターへと照準を固定。ディバイダーの銃口から火を吹かせた。
同時に銀の閃光が銃弾の軌道を描くかのように走る。驚くことに音は全くしなかった。
インキュベーターはそれを認識することも無く頭を風船のように破裂させた。見間違えも無く、その個体は死んだ。
以前までの重火器だったら、時を止めての一斉射撃による回避不能攻撃を除いてインキュベーターはある程度は感知して乱数回避のごとくある程度は回避したが、このエネルギーの弾丸には反応すらなかった。つまりはディバイダーによって完璧なステルス性能を付与できたということだ。
このディバイダーはかつて見た魔法少女になったまどかが持っていた弓みたいなものだろう。まどかの弓の場合は魔力を矢として放つ、このディバイダーは得体の知れないエネルギーを弾丸として放つということだ。
死体処理のために新たにインキュベーターがもう一匹くるが、それが突然として動きを止め退却していく。なぜならば、そこで自然公園をランニングしていた男性が気づかないはずのことに“気づいた”からだ。
「なんだこいつ……見ない生物だな。UMAか?」
その男性はインキュベーターの死体を目にして、それを掴み取ったのだ。
あり得ないことに対して観察する。インキュベーターは奴らが契約させたいと思った少女をはじめとした“闇”の関係者にしか姿を認識させることは無い。奴らは有史以前から人類へと干渉を続けてきたが、未だに姿が公になっていないのは彼ら自身が悲劇の連鎖である魔法少女システムと共に公的に存在を認識されると困るからだ。それを防ぐために妖精だの魔法の使者だのを名乗って少女へと近づく。奴らは真実を隠して事実の一側面だけの曲解しやすい事実を言ってミスリードさせるが、後にも先にも一部の嘘だけはあった。嘘をつくのは自称する時ぐらいで魔法の使者だの妖精、インキュベーターという本名をもじったキュゥべえと名乗ったりだった。実際には地球外生命体なのにだ。そのために常に奴らは人類に言っていない何らかの技術で遮蔽を続けてきたが、それが解かれたのだ。
おぼろげな記憶の中ではインキュベーターの危険性をまどかたちだけじゃなく、他の一般人にも認識させるために一般人の視界の範囲の中にいたインキュベーターを時間停止による全方位射撃で殺害したことはあったが殺害できても遮蔽を解除できなかった。むしろ、その後一般人の目の前で自分の死体を淡々と食って死体処理をするという理解したくない異常な価値観に伴った行為があっても、一般人は気がつくことはなかった。それ以降、死体の状態でも発揮される完璧な遮蔽技術で以降は一般人に認識させるという行為はやめた。
だが、このディバイダーから放たれたエネルギー弾が奴らの何らかの技術による遮蔽を強制解除させた。ひとまず特性の一つがわかったことに内心よしとする。インキュベーターの死体を拾った男性をもう少し観察を続けたかったが、このままの地点にいると他のインキュベーターに狙撃地点を割り込まれ、明確に認識されると後々に面倒なことになると思ったのでそそくさと証拠を抹消して退却した。
退却した先にはまだこちらには気づいていないがインキュベーターがいた。こちらの方は狙撃をした私を探すのではなく、住宅街へと走っていた。さっきのインキュベーターを遮蔽強制解除で殺害したからかいつもまどか目掛けて進むルートとは全く異なっていた。
――まどかにこいつを近づけるとまずい。
そう思い至った私は気配を消しながら、先回りして建物の壁に隠れる。インキュベーターは目標へと合理的に近づくのでルートはまるわかりだった。
私に気がつかずに十字路を通り過ぎて行ったインキュベーターを背後から発砲。どうせ、奴らは感情なんて持ち合わせていない。撃たれてもただ撃たれたという事実を認識するだけでそれ以上のことなんて何も考えはしない。
先ほどの狙撃よりもかなり距離が近かったために認識される危険性は高い。故にこちらに視線を向けられないように頭の感覚をシャットアウトさせるために一発叩き込んで頭を破裂させ、完全に機動を停止させるために後ろ両足に二発叩き込んでもいだ。
もうこれでこちらの存在を認識されることはないと踏み、とどめにの銃弾を三発、奴らの背中の本来の口を避けるように胴体に撃ち込んだ。インキュベーターはもう動かなかった。背中の口はグリーフシードとかの感情エネルギーの産物を回収するための本来の口だ。頭部にある口は人間から警戒心を解かせるためのダミーに過ぎない。
今射殺した死体を死体処理の担当をする他のインキュベーターや誰にも渡らないようにするために持ち去って合流予定場所へといく。これで多少は“自分”が私を信用するはずだと思って。
そして、私が待っていたいつもインキュベーターを殺害する場所……まどかの家に“私”がやってきた。魔法少女としての服装に目が座っていて袖の中にベレッタM92FS自動拳銃をいつでも発砲できるように構えている、それはまぎれもなくループを重ねてきた今までの自分自身だった。
「自分自身と話をするのは変な気分にはなるけど……こうして対面をするのは初めてなのかしら、“私”」
なんとも変な気分だった。しかし、これは有利な展開になるのかもしれない。
「それで……どうして私がもう一人いるの?」
「私は……時間遡行空間の中でインキュベーターとは違う少女と誓約した」
そう言い、右手に持ってたインキュベーターの死体を屋根の上に置き、“私”にかざして見せたのは継ぎ目の無い銀の腕輪がはめられた右腕とソウルジェムが消失した左手だった。左手にはめられていたソウルジェムが消失していることに思わず“私”は愕然とするも、話の続きを促してくる。
「これ以上ここで話すとそのうちインキュベーターに嗅ぎ付けられて面倒なことになるから、家で続きを話しましょう」
ここではこれ以上は話せない。自宅……とは言いにくいがアパートの部屋での続きを促し、防護服を解除してやぼったく汗臭いジャージ姿となって、私たちの家へと足を進めた。ついでにインキュベーターが今晩侵入する予定だったルートに“ほむら”が前の時間軸の世界で使われずに残っていた武器であるサイレンサーを装着した拳銃とワイヤーを使った簡素なトラップを仕掛け、今晩限りは侵入されないようにし。先ほどまで持っていたインキュベーターの遺体をナイフでバラバラにした上で公園のトイレに押し込んで流した。
数十分後、簡素なアパートにある私“たち”の部屋へと着いた。
一人暮らしをすると両親に告げたために『暁美ほむら』とだけ刻まれている表札がある扉を開き、魔法少女の力で空間を広げたり資料を閲覧し易くする改造を施す前の6畳一間のごくごく質素なアパートの部屋へと入った。
ちゃぶ台の前に腰かけ、他の荷物を壁へと追いやってまどかの家の前ではできなかった話の続きを“ほむら”が促す。
「さて、続きといきましょうか。そのインキュベーターとは違う少女と誓約して何が起きたの?」
「私は……彼女と誓約をした時、魔法少女とは別の存在へと書き換えられ、魂がこの世界へとやってきた時に人間とも魔法少女とも違う存在へと復元された。どういった内容かは詳しく聞く前にはぐれたからわからないけど、少なくともインキュベーターとは違って彼女は信用できる」
その言葉に“私”は同意した。ここにいるのは別々の存在であっても、元は同じ人間だ。始まりの悲しみから今に至るまで数えることすら飽きることを積み重ねている。自分が言うのだ。それは信頼に値する。
「その誓約をしたという少女は?」
「彼女の名前はミリィ……ミリィ・シュトロゼック。今の私にとっては必要不可欠な存在だけど、誓約直後に時間遡行空間の中でどこからか流れてきた拘束台にぶつかってしまって引き離されてしまったわ。あの空間の性質を考えると同時期にこの世界のどこかにいると思うのだけれど」
今にして思うとミリィやディバイダーと銀十字の書の全く違う異質な技術を考えると、さしずめ自分たちが知る世界とは全く異なる世界から拘束されるほどの理由で廃棄されたのだろう。廃棄された後、何らかの原因で暁美ほむらだけが通るあの一ヶ月の旅路の時間遡行空間に漂流してきたということになる。
「とにもかくにもミリィと合流をしないといけないといけないってことね。もし、現出先が魔女の結界だったら目も当てられないし」
「ええ、そうなるわね。彼女と引き離された後、気がついたら私はエイミーがよく食事漁りをするあの路地裏にいて……さっきも言ったとおり、こいつが言うには復元されたらしいのだけど」
そう言ってほむらが左手に出現させて取り出したのは銀十字の装飾が施された黒い本だった。それは“ほむら”がこの世界で目覚めた時に側にあった物だ。
「復元……ね。ループ開始基点の病室で見たあの肉塊はあなただったのね。そういえば病院からは人体の構成成分の物質に私と同じ血液型の血液パックがごっそりと消失する騒ぎがあったけど……多分、そいつが盗んであなたをここまで復元したのだと思う」
「ええ、こいつ……銀十字の書は今の私……魔法少女をやめてEC因子保有者なる存在に変貌した私の戦闘管制システム。私の体を復元してくれたけど、こいつは自分と私の存在維持を最優先にする」
「あなたの存在を最優先……ということは私たちの大切なまどかを守ることよりも……」
“ほむら”は一番大切な少女の生家の方向へと視線を向け、その部屋の主を思ってどこか苦々しい表情を見せる。
「ええ、今の私は下手をすれば銀十字に操られてまどかを殺しかねない。だから……」
「私には最終防衛線でいろということなのね」
そう言い、二人のほむらは沈黙した。“ほむら”が口を開く。
「いくつか補足を聞きたいのだけどいいかしら?」
「ええ、何?」
「そもそも、なんであの肉塊で出現したの?」
「こいつが言うには拒絶反応が起きたのは別の存在が同時に割り込んでたために肉体を一部複製したとのことだけど」
別の存在の同時割り込み。それには彼女たち自身が何より心当たりがあった。
「ああ、なるほど。その同時に割り込んでたというのはループ直後の私だったのね」
そして“ほむら”はほむらに会ってからずっと抱いていた違和感を口にした。
「そして……あなたからは気配というものを全く感じられないの。視覚では確かに存在しているのに、現実感がないのはなぜ?」
「……ECディバイダー」
その言葉と共にほむらの右手に歪な銃剣、ディバイダーが最初からそこにあったかのように現れた。
「ミリィと誓約をした後に持ち込んだ武器、ディバイダー997。把握している限りのこいつの特性は隠蔽系。事実、夕方のときにデコイとしてインキュベーターを殺害した時はまったく気づかれなかったから」
「でも……これは利用価値があるかもね。私の見立てだけど、気配だけじゃなく視覚や他のものも隠蔽できるんじゃないの?」
「それは良さそうね」
「最後に……あなたは本当にまどかを救いたいの?」
「愚問ね、それは」
「まあいいわ……それでこれからどうするの?私はインキュベーターを適当に狩りつつまどかに近づかせないようにするつもりだったけど、あなたがいたことで大幅に予定が変わった。」
「私はミリィを探さないといけない。偶然ではぐれたとはいえ、この世界にいるはず。魔法少女ではなくなりEC因子保有者なる存在に変わったこの体のことをもっと知らなければならないから」
あの時間遡行空間は一ヶ月の旅路そのものだ。だから、別の時代に出てくるなんてことはまずありはしない。さすがに……別の国や紛争地帯にリリィが現出していたらえらくまずいことにはなるだろうが、そんなことはないと信じたい。
「なら、あなたはミリィを探しながら適当にインキュベーターを狩って、私はまどかの側にいてそこからインキュベーターを狩っていくわ」
「ええ、それで決まりね」
「じゃあ、ここから奴らの言うクソったれな運命への反撃開始といきましょうか」
“ほむら”はほむらへと手を差し伸べる。
「ええ、ここから始めましょう、私たちの物語を」
ほむらは差し伸べられた手をパンと音が鳴らんばかりに取り、反撃を開始して本当の未来を、物語を始めようと決めた。
「ところで……この世界に来てから全く寝ることが無かった私の布団は?」
ほむらの最後の一言で決意が台無しになった。
893な人たちの事務所から拳銃やショットガンの弾薬を拝借しながら、ついでに布団も盗んだ。面倒だった。実に面倒だった。
これだったらホームセンターでほむらがATMから盗んできた現金で買ったほうが良かったのではないかと思ったが残念ながら24時間開いているホームセンターなんてなく、開いているのはコンビニぐらいしかない。というわけで武器の追加拝借と893な人たちが寝る布団を盗んだ。インキュベーターとまでは行かないが、一応は弱い立場の人間を薬物や恐喝で金を巻き上げている連中だ。同情なんてしてやる気はなかった。
“ほむら”が布団の調達を行っている間、ほむらは一人これからやることを精査していた。
今度は違う。今までにないくらい違う。それはこの右腕にはめられた継ぎ目のない銀の腕輪がその証だった。そして、自分は魔法少女では無くなった。指輪の形で収めているソウルジェムが消失していることからこれは明らかだ。
探さなければならない、自分の大切な少女を怪物へと堕とそうとするあのインキュベーターを適当に駆除しつつだ。ミリィと名乗ったあの少女はまともな存在ではないのは明らかだろう。ただ……万が一、インキュベーターが興味本位でこちらよりも先にミリィに接触しても存在を知られる程度にしかならないのということを、このディバイダーを持つ私自身だからこそなんとなくはわかる。
行方不明となったミリィへと全て聞かなければならない。
そして、この世界での出現やもう一人の自分がいたと言うことですっかり混乱していたがインキュベーターの駆除や魔女狩りだけではなくやらなければならないことがある。あの女を殺すことを。
美国織莉子。彼女は魔法少女の裏のシステムを理解していてまどかの魔女化の果ての末路である“救済の魔女”の出現をその能力で知っているために大体はほむらの転校以降の時期に陽動として織莉子のことを慕う呉キリカが契約して、魔法少女たちに残酷な真実を教えながら真実に耐え切れなかった魔法少女を殺しまわり、そして“救済の魔女”を出現させないがために織莉子がまどかを殺す。
ただ、この未来になる確立はかなり低い。理由としては織莉子が予知に“救済の魔女”の姿を見ても、それがまどかだということに結論づける確立がかなり低いことが理由として挙げられる。そして、その要素の一つとしてインキュベーターにまどかのダミーとして千歳ゆまを魔法少女へと契約するように誘導する。
この二人は残酷なシステムを理解していて自分たちの世界を守るために魔法少女に関わる全てを消し去ろうとしている。だから、あの女の殺害は必須だ。
そのことを思いながら、ほむらは“ほむら”が帰ってくるのを待っていた。
“ほむら”はようやく布団を調達してきて、二人が寝る分の布団を敷いてようやく二人は就寝した。
これは夢だと“ほむら”は思った。最後の記憶は肉体の休養を得るために布団に入って寝たことだからだ。夢と自覚している夢は明析夢――。
夢と自覚している中、そこは屍の山だった。自分が歩いている地面も、盛り上がっている地面も何もかもだ。屍たちはどれもこれも同じ顔をしている、それは全て“ほむら”自身だった。
――何て、タチの悪い夢……
早く覚めろと“ほむら”は思ったがそうはいきそうにないことをカンからなんとなく理解していた。まだ何かがあるということを。
沈黙していた刹那、“それ”は起きた。屍のほむらたちが一斉にぎょろりと目を見開いて、“ほむら”を一斉ににらんだ。
その屍たちは叫ぶ
――ワタシヲウバッタナ
――ワタシヲカエシテ
――ワタシタチヲカエシテ
――ワタシタチノミライをカエシテ
――カエシテ
――カエシテ
「……っ!!」
なんだったのだ、今の悪夢は。タチが悪すぎたために起きてしまった。せいぜい悪夢を見るとしたら、今まで過ぎ去った時間軸での“まどか”たちの凄惨な末路がエンドレスに否応無く見せ付けられるものだったが、それらとは全く性質が異なっていた。
今までの時間軸では決してあんな悪夢を見やしなかった。
つまり、あんな悪夢を見たのは少なからず隣で本当の14歳の少女のように安らかな寝顔をしているほむらが関係しているのだろうか。
そんな憂鬱な気持ちを示すかのように外は雨が降っていた。
朝食を取った後、ほむらは一人、外に出た。雨の中でレインコートを着込んで魔女を探し歩いている。そこにかかるのは頭の中に響くもう一人の“自分”の声。
《ねえ……いくらなんでも便利すぎない?》
《それにはうなずけるわ》
銀十字がほむらの思考を読んだ……あるいは復元の際に全ての記憶を閲覧されてるかもしれないが、ほむらたちが最大の怨敵たるインキュベーターに察知されない連絡方法を考えあぐねていたら突然の提案があった。自分自身とほむらの保護を徹底とする目的である銀十字がだ。
何なのかと耳を傾けたら、『敵からの隠蔽のために“製造元”の暗号念話の使用を推奨』という言葉と共に突如として空間にウィンドウを出し、ディバイダーを持っていない“ほむら”でも一からわかるような丁寧かつ合理的なマニュアルがそこに表示され暗号念話というものの詳細を知った。
ディバイダーをはじめとしたほむらが関わったものはインキュベーターの感情エネルギーとは全く違う技術であることはわかっていたがかなり機械的だった。無感情と言う意味ではなくそのままの機械だ。銀十字がやったことを思えば、ある言葉を思い出してくる。
――行き過ぎた科学はもはや魔法と何の変わりは無い
つまりは、ディバイダーと銀十字の書の製造元は機械的な技術が発展した末に魔法紛いな技術へと至った文明なのだろうと思い至った。
そんなものの製造元はどこなのかと考えたが、今までのループ経験上インキュベーターがやってきた外宇宙ではないということはありありとわかっていたために、ほむらたちが知るどの時間軸にも宇宙にも該当しない本当の意味での異世界の文明だと一応は結論づけた。
まあ、こいつは機械であるために感情的なものはなく必要なときに必要なことしかしないということは理解できた。だから、最後の異分子であるミリィと早く再会しなければならないと決まった。
その結果、インキュベーターに察知されることも無く暗号念話でリアルタイムにお互いの状況を連絡しあいながら歩いていた。
歩道を歩き陸橋を上っていき、雨に晒される中いくつもある建造物を見上げたとき、そこに落書きを組み合わせたかのようで歪なマーク……魔女の口づけがあることが“視えた”。通常の視力どころか魔法少女の強化された視力でも見つけにくい高層マンションの屋上の物干し竿がかかっている場所に“敵意と呪い”が“視えた”のだ。
《見つけたわ》
ほむらはそれに違和感を抱かなかった。ただ、敵意と呪いが視えることを当然のように感じていたからだ。
《どこに?》
《見滝原ハイラウンズヒルの屋上の物干し竿に魔女の口付けが刻まれているのが見えたわ。場所が違うけど……“委員長の魔女”のオリジナルかもしれない》
ほむらたちが殲滅すべき魔女と言っても“ワルプルギスの夜”のような例外を除けば主に二種類に大別される。まずは魔法少女の魔女化、もう一つは魔女の使い魔が人間を食らうことによって親元である魔女と同じ姿へとなる。前者の場合は魔女が呪いを出す場所で引きこもる結界で結界の扉にはその魔女固有のマーク……魔女の口づけが刻まれている。後者の場合は使い魔が成長した果てにグリーフシードとなり、そのグリーフシードが使い魔が魔女へと成長しきった場所にグリーフシードが突き刺さっているという形でわかる。と言っても、後者がそれなのは魔女の孵化寸前であり、完全に魔女となれば前者とほぼ同じになる。
今回、ほむらが見つけたのは魔女の口づけが見えた前者だ。それも他の時間軸でかつて遭遇した場所とは違う。おそらくは“オリジナル”だ。
《高層マンションの屋上の物干し竿に刻まれている魔女の口づけが見えるってどういう視力なのよ……まあいいわ今はどこに?》
《流草台3丁目の交差点前の陸橋》
《わかったわ、合流するから待ってて》
その言葉と共に“ほむら”からの暗号念話の回線はオフになった。
ほむらは思う。自分は記憶がちぐはぐだ。時系列の順番がわからず、かろうじて自分は暁美ほむらだという認識でやっと自我を保っている。そんな自分がこの世界に存在してもいいのだろうか。本来、自分はもう一人の体から肉塊が拒絶反応で弾き出されたみたいにこの世界から弾き出されてあの路地裏で人知れず野たれ死ぬべきだったのではないのか。
そんなことを一人思いながら、ほむらは“ほむら”を待ち続けた。
「待たせたわね」
雨の中、傘をさしたまま“ほむら”はやってきた。
「……行こうかしら」
「ええ……」
雨の中、レインコートと傘の二人は無言で歩み行く。
見滝原ハイラウンズヒルを目指す中、側にあった民家から声をかけられた。その声は老年の男性の声だ。
「お嬢ちゃんら……見滝原ハイラウンズヒルに行くのかい?」
民家の柵から見えた老人は雨天の中、植木や盆栽を移動させていたからレインコートのまま作業している。
「ええ、それが何か?」
「悪いことは言わん。あそこに行くのはやめときなあ、あそこは呪いのマンションだからさ」
年を取った老人たちの間の噂なのだろう、しかしほむらが見たアレがあるということは文字通り呪いのマンションだった。
「呪われたマンションですか……?」
「そうじゃ。お嬢ちゃんたちはどうしてあそこに向かうんだい?」
「……」
「最初は興味本位でしたけど、今決めました。私たち……霊能者なのでお払いをしてあげますよ」
とっさにでっち上げた嘘だが、ほむらが告げた呪いを無くすという意味では嘘はついてはいなかった。
「……」
「ええのかい?」
「ええ」
「……はぁ、お願いします」
「ところで、あのマンションは何で呪いのマンションと呼ばれるようになったのでしょうか?」
そのでっち上げの嘘に“ほむら”は内心飽きれながらも、聞くことにした。
「一ヶ月ほど前じゃったか……あそこで暮らす住民たちが次々と変死しだしたんじゃよ」
「そうですか」
老人から始まった語りにほむらは合いの手を打っていく。
「それじゃからか、せっかくの新築なのに入居者が減っちまって……今は暮らしてる人がほとんどおらん呪いのマンションと言われだしたよ。あの子がいれば、周りの人たちに叱咤うったり呪いを解いてやるとか言ってどうにかしてくれたかもなあ」
「あの子……とは?」
「見滝原高校の風紀委員長だったお嬢様がいてさあ、その子は本当にええ子じゃったよ。高校の風紀だけじゃなく、近所にも割りと顔を出してくれてさあ面倒見がよくて特にわし等にとっちゃ一番ありがたかったよ。あの呪いのマンションが噂になってからは全く姿を見なくなっちまった。みんな、あの呪いのマンションの最初の犠牲者になったとか言っちょるよ」
「そうでしたか……」
思わぬところで“委員長の魔女”の元となった魔法少女のことを聞くこととなった。
「いいさいいさ……こんな老いぼれの話を聞いてくれただけでも嬢ちゃんたちには助かったと思っとるよ」
「ありがとうございました」
そうは言ったが、これから行うことはその少女への最後の弔いともなる。民家を通り過ぎ、人知れず手を合わせたほむらと“ほむら”は老人たちの視界に入らないようにしながら見滝原ハイラウンズヒルへと足を進めた。
見滝原ハイラウンズヒルは比較的最近できたばかりの場所だ。そんな場所に魔女となれば、ほむらのループ直前で魔女化したことになるのだろう。おそらくはかつて住民の魔法少女だったかと思われるが今は関係ない。しかし、この場所は大いに問題があった。それは……
「いくら最新鋭だからと言って、オートロックのマンションだなんて、面倒くさい話ね」
誰かが出入りするのに乗じて時間を停止して入ると言うことも考えたが、今は雨天でしかも魔女の影響で入居者が極端に少ない。出入りしにくいのは当然だった。
「……このまま上にどうやって上がろうかしら?」
「当然……」
“ほむら”は砂時計だけを左手に出現させ、砂時計の仕掛けを作動させた。
――時間停止
魔法少女としての戦闘服となった“ほむら”はほむらの手を取り、停止時間の中で動けるようになったほむらと共に跳躍した。
ベランダの縁に着地し、さらに上のベランダに着地する。
それを十回以上繰り返し、時間停止を解除させると共に屋上へとたどり着いた。
そして、そこである意味予想の範疇に入っていながら見たくないおぞましい光景がそこに見た。
そこには、ほむらが陸橋から見た魔女の口づけが刻まれた物干し竿の下にかつて人間だったモノがそこにあった。眼鏡の下の眼孔にはぽっかりと穴が開き、そこには蛆がその身を突っ込んで食べている。体中が無数の蝿にたかられ、死体に生みつけられた卵から孵った蛆に肉という肉を今も現在進行形で食べられている元少女の遺体だった。かろうじて原型がわかるのは無機物であるために食べられずに残っている雨ざらしとなった眼鏡だ。
「慣れたくないわね……この光景は」
「ええ……」
魔女と化した魔法少女は魂=ソウルジェムがグリーフシードとなることによって、その肉体は意味を成さなくなり放置されてしまう。魔女化の現場での魔女と相対をしようとした場合、さほど時が経って使い魔たちに死体処理をされてない限りは元魔法少女の遺体を見ることが多かった。
遺体が残っているのはある意味残酷だが、結界の中で魔法少女が死ぬ場合よりは死体が発見される確率が高い分、まだマシだ。
「入るわよ」
そう促した“ほむら”にほむらは後を追い、その結界へと入った。
雨ざらしの外とは逆に、その結界は青空だった。普通からすれば明るい場所に思えるが、現実との差異があり過ぎて逆に歪だった。
地面がない青空の中にいくつもの洗濯干しのタコ糸が引っ掛けられた白Tシャツと共にぶら下がっていて、清潔すぎるその場所と物がその魔女が魔法少女だった頃の過去を端的に示していた。
初めて魔法少女になった頃はタコ糸に掴まっているのが精一杯だったなと“ほむら”はそれを見て懐かしく思う。当時、先に魔法少女になっていたまどかともう一人の少女は舞うようにタコ糸を駆けていった。
改めて考えてみると厄介だとも思う。この結界は足を付けれるのがタコ糸しかない。空を飛ぶことに特化している魔法少女でもない限り、タコ糸を頼りにして進まないとさっ逆さまに落ちて死んでしまう。同時に足を付くことができるのがタコ糸しかないということはこの結界の支配者である“委員長の魔女”に簡単にほむらたちの存在を知られてしまうということだ。
ほむらと“ほむら”は結界に入ると、ほむらは戦闘防護服の姿になり、二人はそれぞれディバイダーとベレッタM92FSをその手に持った。
『E-C Divider Code-997 Start Up. Bullet Mode “White Bullet”』
戦闘態勢となり結界に降りた二人のうち最初にタコ糸に足を付いた“ほむら”に反応して、その斥候かつ侵入者排除の意図の元にマリオネットの糸のように操られた女子学生の下半身に制服のスカートとスケート靴を付けただけの姿をした使い魔たちが頭上から降ってくる。
一方でほむらはどうしているのかと言うと……飛んでいた。跳躍とかそういうのは無しにほぼ無制限で飛行していた。足場であるタコ糸は不要とばかりに。
『飛行』
銀十字の書から何やら聞こえる。『飛行』と。なんだそれは、保護のためならほとんどなんでもありだとでも言うのか。
そういったことを口にはせずに“ほむら”は無駄なくバランスを持って走り出す。
それに続いてほむらは飛行して“ほむら”に続く。
ほむらと“ほむら”の侵入を排除するかのように。糸で操られた使い魔たちが更に降ってくる。
「見せてみなさい!あなたが手に入れたその力が何なのかを私に見せなさい!」
“ほむら”のその声と共にほむらは飛行しながらディバイダーを構え、“ほむら”はベレッタM92FSを駆けながら構える。
本来、ほむらたちは数多ものループの蓄積により、この辺り一体の魔女の力と性質に弱点を把握しており、単独での撃破は簡単だった。そんな二人がなぜ一緒に来たのか……それはほむらが魔法少女をやめて手に入れた力であるディバイダーと銀十字の書がどういったものなのかを確かめるためだった。
ほむらがまず進路上に落ちてくる使い魔をディバイダーからのマグナム弾とほぼ同じ亜音速のそのエネルギー弾で砕く。続けざまに“ほむら”はタコ糸を滑走してくる使い魔に9mmパラベラム弾を二発叩き込んでタコ糸上から排除する。
それに遠方にいる魔女が察知したのか、ほむらの進路上には雨あられのように使い魔たちが降ってき、“ほむら”が駆けるタコ糸の上にはおびただしいまでの使い魔たちがスケートで滑走してくる。
この群れは相手にする必要がないと判断した“ほむら”はいくつも並んでいる別のタコ糸に跳び移り、バランスを崩さないように続けざまに駆けていく。
ほむらはディバイダーの照星に入れた使い魔たちに向けて引き金を引き、ディバイダーで次々と撃ちながら空を駆けていく。
二人は無駄なく、最低限の相手しかせずに早くかつ猛烈な火力を持って進軍していた。
そしてタコ糸の集約地点である結界の最奥には魔女がいた。
タコ糸をその六本の腕に集約していたその魔女は巨大な首が無い巨大なセーラー服の女子学生の胴体に生えるのは四肢ではなく、六本の腕……比較的に元が魔法少女、ひいては人間であることを僅かに残している数少ない魔女だった。それが“委員長の魔女”。
最奥まで侵入した二人の侵入者に魔女は怒りの叫びを上げ、その六本の腕を別個に動かして結界中のタコ糸を縦横無尽に動かす。これに絡み取られれば、使い魔たちに切り刻まれるだけだろう。しかし、二人ともそうなる気は決してない。
“ほむら”は“委員長の魔女”にタコ糸を動かされる前に、空を落ち続けていた使い魔を踏んずけるように跳び移る。跳びざまにさらに別の落ちている使い魔へと跳び移る。
この最奥では使い魔に攻撃するのはむしろ不利だった。唯一の足場であるからだ。かと言って排除しないままだったら、“委員長の魔女”が動かして使い魔のそのスケート靴のブレードを向けてくるだろう。
だから一匹のみを足場にせずに次々と跳び移る。それがここにはいないある魔法少女を伴わない場合での“委員長の魔女”との戦いの定石だった。
一方でほむらは空中に魔法陣の形を展開した足場に佇みながらディバイダーの銀の閃光で、“ほむら”の足場確保の邪魔にならないように取捨選択して次々と落ちてくる使い魔たちを狙い撃ちにする。
3時方向、11時方向、9時方向、12時!
時には、真横、左斜め、正面に落ちてくる使い魔たちを最低限の動きで鴨撃ちのように撃ち抜いていく。
「銀十字、ホワイトバレット装填!」
最後のホワイトバレットを撃ちざまに銀十字に自分の生死に繋がる言葉を放つ。こいつは暴れ馬のロデオみたいなものだ。油断したらあっという間に周りを無差別に攻撃しかねない。だからこそ、あえて自分を危険に晒して行動に縛りを与える。先ほどまで打ち続けて、気づいたが6発ごとにシリンダーが回転したのが確認できた。つまり、今の弾丸のモードがホワイトバレットである限りは36発が装弾数ということになる。そして、今ほむらは正面に落ちてきた使い魔を撃ち抜いたと同時にシリンダーの中の6回転分を全て撃ち尽した。あとに残るのは確認できる限りではディバイダーの刃だ。
その安全を目的とする命令に応対した銀十字の書が勢いを付けて開いてページが6枚飛び出し、ページが弾丸へと変成してほむらの左手に収まる。
拳銃のような形状のディバイダーを見てずっと思ってきた疑問である装弾数に対する回答としてそれを見たほむらはディバイダーのシリンダーをスイングアウトさせて薬莢を全て廃莢し、銀十字の書のページが変成した弾丸を装填する。装填し、シリンダーをスイングインさせてホワイトバレットをフル装弾した。
そのまま、まだまだ降ってくる使い魔たちの奥にいる魔女本体をにらみつけ、空を見上げる。
空から降ってくる使い魔たちが鬱陶しい……殺してやる。皆殺しにしてやる。
その戦慄とした思考に気がつかないまま、“ほむら”へ滑走してくる使い魔のうち三体が空に浮かんでいるほむらをターゲットにしたのか、跳び上がってそのスケート靴の刃を向けてくる。
「邪魔よ」
『Bullet Mode Select , Mode Silver Bullet』
ディバイダーが状況に合わせてタイプを変更した弾丸に切り替えられ、どうでもいいとばかりに振り向きざまの早撃ちで跳び上がって来た使い魔全てを一発で散弾の様にして放たれたシルバーバレットでまとめて打ち抜いた。跳び上がって来た使い魔を囮にしたからか空から降ってくる使い魔の数体が至近距離に差し掛かってた。遅いとばかりにディバイダーを振るいそのブレードで両断する。
『識別不明素材、異法則確認。結合分断の解析開始』
銀十字が何か言ったが、今はそれを無視して落ちてくる使い魔を斬っては撃つ、撃っては斬り、撃っては撃ち、斬っては斬り、あるいは蹴り飛ばして翻弄する。
例えどんな力であってもまどかを助けると誓ったからには歩みは決して止めない。止めてたまるものか。
ほむらの思考を読み取ったからか、銀十字の書が開かれ、無数のページが使い魔たちが降ってくる空に舞う。空に舞ったページは全て、描かれた意味不明の文字が銀色に光りだす。
『飽和爆撃で殲滅します。Silver Bomb Zero…Count Start』
「爆撃っ!?」
『5,4,3,2,1…Attack』
“ほむら”の驚きをよそに銀十字の書によってページが爆弾となり、使い魔の殲滅を目的とした大爆撃が空を覆い尽くした。それは焔、希望も絶望も関係なく全てをゼロへと還して焼き尽くす焔だった。
その爆風の衝撃波に思わず、“ほむら”もバランスを崩す。落ちそうになったが、すぐさま砂時計からRPG-7対戦車ミサイルを取り出し、おおまかに爆風とは正反対の方向へ向けて発射し、その反動で前後に揺れるバランスを元に戻した。
拳銃とほぼ同様の性能だけじゃなく、大爆撃も可能とは本当に壊れてる意味で過剰な性能だとほむらは思った。そこに空に浮いているほむらから少し離れているからか、暗号念話で声がかかる。
《試してみたいことでもあるから私の後ろに下がって》
《かまわないわ》
ほむらの言葉に“ほむら”は使い魔から使い魔への跳び移りを続けながら、ほむらの後ろへと後退した。
ほむらはディバイダーを右手で構え、照準を“委員長の魔女”へと向け、ディバイダーの撃鉄を引く。これは撃鉄を引かなければならないということが頭に刻み付けられていたからだ。ディバイダーの銃口に銀色の光の塊が生成されそれを覆うように円環状魔法陣が展開されて銀光の塊が肥大化していく。
銀光の塊はほむらの身長の二倍にも膨らみ、ミリィから叩きつけられた情報の奔流の中にあった言葉をおもむろに呟く。
「ディバイド……ゼロ」
その言葉と共に引き金を引きシリンダーが回ると共に撃鉄が落とされ、ほむらの腕に全く“反動が来ず”に膨れ上がった銀光から膨大な銀の奔流が解き放たれた。
銀の奔流は使い魔たちごと魔女を飲み込み、結界そのものを貫通破壊して結界の外へと激流のようにして出て行った。
「なんてバカげた威力……」
そのバカげた威力を前に“ほむら”は思わず喉をうならす。過去にある魔法少女が自分の魔力を必殺の砲撃として出したことは何度も見たことはあったが、せいぜい魔女を貫通するぐらいで結界そのものを破壊したことは無かった。だが、ディバイダーと銀十字の書という未知の武器を得たもう一人の自分ははるかにバカげた威力の技(?)を持ち合わせていた。これでまだ不完全だというのだから、それを埋めるミリィと合流したらもっとありえない威力の攻撃のバーゲンセールにでもなるのではないのだろうかと戦々恐々とした。
魔女を倒したら魔女が落とすグリーフシードは……あんなエネルギー砲撃を前にすれば消滅なんて当然だった。消滅させるなんて計算外にもほどがあった。正直、今回は魔法少女としての戦闘態勢に移行したことと砂時計からRPG-7対戦車ミサイルを取り出した以外はさして魔力を消費するような行為はしていなかったためにグリーフシードを使わなくても問題は無いが。
『異法則解析率、25%……』
銀十字の書の作業続行中のような音声が聞こえると共に結界は崩壊していった。
結界が崩壊し、ほむらと“ほむら”が佇んでいたのは魔女の元となった魔法少女の腐乱遺体がある屋上の元の景色だった。だが、雨天のままかと思っていたら違っていた。雨雲にぽっかりと穴が開いていたのだ。ほむらたちは知る由もないが、この穴は結界を貫通したディバイド・ゼロが雨雲に空けた風穴だった。雨雲と雨雲の隙間から流れる太陽光であるレンブラント光線が幻想的に見えるその光景に思わずほむらと“ほむら”は見蕩れる。
そこに、おもむろに“ほむら”は銃を空へと向ける。
「せめてもの手向けよ」
そう呟いた“ほむら”は雨の中、ベレッタM92FSを空に向けて発砲した。雨の中、遠く高く響く銃声――。
話に聞いたこの元魔法少女への追悼の意と共にこの遺体を一般の目に晒させる発砲だった。雨雲に穴を開けたディバイド・ゼロだけじゃなく、この銃声が聞こえた人たちがこぞって集まるのだろう、そしてもう見滝原ハイラウンズヒルの『呪いのマンション』の噂はこれでおしまいだ。
「逃げるわよ」
「ええ」
手を差し伸べた“ほむら”の手をほむらは手に取り、“ほむら”は盾の砂時計の仕掛けを作動させ、カバーに覆われていた両端のマゼンタ色をした一ヶ月の時を流れる砂と中央の時計仕掛けを露出させる。
――時間停止
手を繋いだ“ほむら”とほむらの周囲の世界がモノクロへと染まり、全ての光景が止まる。そしてそこを動くことができるのは時間を停止させた張本人である“ほむら”と、彼女と手を繋いだほむらだけだ。
モノクロの世界の中をほむらと“ほむら”は見滝原ハイラウンズヒルから飛び降り去っていった。
その銀光は当然のようにあちこちから見られていた。常識の側でも、非常識の側でも。
非常識の代表格であり、二人のほむらにとっては怨敵たるインキュベーターは雨天の中、ただ考えていた。
『あの銀光、なんだったんだろうね』
まともじゃない威力をしていたけど、アレほどの威力を持った攻撃ができる魔法少女なんてこの近隣にはいない。その可能性が唯一ある鹿目まどかはまだ契約をしていない。彼女の家に近づこうとしたら、そのルートを予測されていたかのように反応する暇すらなく正体不明の攻撃によって個体の一つが殺害された。
有史以前から人類に干渉してきたインキュベーターは人類社会に深く確実に張り巡らした情報網で人間にとっての非常識の情報を得ていた。自分たちの邪魔になる存在の把握に排除をそれで行ってきたのだ。昼ごろに盗聴した中にあった『奴を殺害する場所に今夜2時に』という少女の言葉も聞き逃してはいなかった。だから、あちこちに警戒網を強めて、一体でも殺害されればすぐにそこへと行くようにした。だが、結果としては相手のほうが自分たちの思考と行動パターンを理解した上で行動を読んだのだ。そのために殺害された場所に行ったが、空振りに終わってしまった。
おそらく、殺害した存在は自分たちインキュベーターのことを知り尽くした上で反応や感知させる暇すら与えずに殺害したのだ。魔法少女の助けを借りたのならば自分たちがもたらした技術による産物のために追跡可能なはずだが、痕跡を掴むことすらできなかった。そんな存在はもはやイレギュラーだ。
この見滝原には自分たちの知らないイレギュラーな存在が来ている。おそらく、イレギュラーは何らかの理由で巨大な資質であることを知った鹿目まどかの契約の阻止を目的としている。でなければ、彼女の家に向かった個体がピンポイントで殺害されるわけがないのだ。無駄に体をさらに破壊されるのは勿体無いために、これ以上の鹿目まどかの家への追跡はそれでやめにした。
しかし、だからと言って彼女を諦めたりはしない。彼女は自分たちの文明の反映にとって最上級の得になる存在だ。絶対に逃がしはしないと傲慢に思い、インキュベーターは路地裏の闇へと入っていった。
それが彼らのいる場所。華やかのような嘘に騙されて、一度入ってしまえば全てが裏切られ二度と戻ることができない闇――。
白闇は深く静かに蠢いていた。
End...
はい、最初はほむらと”ほむら”の邂逅だけだったのが、膨れ上がって”委員長の魔女”戦を入れてしまいました。こうして書く立場になってわかりますけど、本当にプロの作家さんたちがすごいということがありありとわかります。私ももう少し勉強が必要ですね。