わずか数時間で「通報基準」の7倍!100倍を超えた作業員も!
「封印された内部被曝」福島第一原発衝撃の実態

2011年05月13日(金) FRIDAY
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「B服はマスクをしないので、内部被曝したのだとしたら、この時でしょう。ただ、点呼を受けた後、私はすぐ避難しました。それ以後、福島第一原発には立ち入ってません。時間にして数時間の滞在です。最初の地震で格納容器が壊れ、大量の放射能漏れが起きていたとしか考えられません。確かに、1号機の建屋にはあの時、穴があいていましたから・・・」

震災翌日の3月12日、高温の燃料棒と水が反応してできた水素が爆発。1号機の建屋上部が吹き飛んだ[PHOTO]東京電力提供

 落合さんが語気を強める。

「実はWBCでの検査を受けたのは4月6日。震災から約1ヵ月も後なんです。まさか内部被曝しているなんて思ってなかったから、気にもしてなかった。その後の福島第一の惨状を見て『もう原発では働けないな』と思って、『解除』(原発での作業員登録の解除)することにしたんです。解除するには、WBCで作業後の体内放射線量を測定しなければならない。その過程で内部被曝が発覚したというわけです。

 WBCでは、体内に取り込まれた放射性物質が何なのかまでは分かりません。例えば、原発周辺で大量に検出されているヨウ素131なら半減期は8日。すでに数値は半分以下になっているはずです。ならば、被曝直後はいったい何cpmだったのか・・・」

 彼が記者に差し出した書類を見ると、責任者名のところに「柏崎刈羽」という文字が書かれていた。

壊れた福島第一原発事務本館。IDカードや財布など貴重品を原発内に置いたままにしている作業員も多い[PHOTO] 東京電力提供

「福島第一原発に3台ほどあったWBCは震災で壊れてしまったんです。だから、原発作業員を辞めようと思ったら、WBCがある新潟(柏崎刈羽原発)に行って、測ってもらわなきゃいけない。書類にあるように一緒に受けた8人中7人が基準値オーバーしています。中でも私の数字が突出して高い。地震直後に被曝したと思っていますが、もしかしたら、私が原発の20〜30km圏内に位置する南相馬市内に避難していたからかもしれません。累積被曝した可能性がある。なぜなら、福島県外に逃げた同僚は約1700cpmだったからです」

 そして同じ日に、福島第一原発構内で仕事をしていた作業員もまた、落合さんと同じ不安を口にするのだった。

自宅待機となった作業員

 櫻木潤さん(30)は福島第一原発で働き出して3年目の若手作業員。被災場所は1号機の原子炉建屋内だった。

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