一時の休息を終えて、マ・クベは斬込隊をザンジバルの格納庫へと集められた。
整備隊員が撤退した基地の格納スペースの機材は、連邦軍の凄まじい砲爆撃の影響で、使い物にならない。もとより、その機材を使いこなせる整備兵達は先の脱出船団で脱出している。
集まった男たちは、先の戦いにおいて撃破されたもの、負傷したものを僅かに10名足らず。皆の目に疲労の色が見える。
マ・クベは静かに息を吐くと、男たちに語りかけた。
「諸君、はじめに言っておこう。これまでご苦労だった。諸君の働きには正直、驚いている。皆の分のジオン十時勲章を申請しても足りないくらいだ。諸君は、私の予想を遥かに超えた勇敢さと卓越した技量をもって、この貴重な時間を稼いでくれた」
そこで、一度言葉を切ると、居並ぶ男たちの顔を一人、一人、確かめる。
負傷して、ここに集まれなかった者達や、地上で屍をさらしている者達に思いをはせる。驚くべきことに、マ・クベはこの部下たちに私情を持ち始めていた。それまでのマ・クベにとって部下とは駒だった。平等に価値があり、目的の為にいかに効率よく使うかが重要であり、彼らの死は問題ではない……はずだった。
だが、今は彼らを死なせたくないと思っている……
我ながらロマンチストに過ぎる考えだと言うのは分っている。それでも、彼らと共に生きる時間は掛買いの無い価値がある、そう思えた。
「諸君に最後の命令を告げる。このザンジバルで、斬込隊は宇宙へ脱出せよ」
その言葉を発した瞬間、その場に集まった男たちが、一斉にどよめく。
皆、死ぬ覚悟を決めて、この場に集まったものたちだから、困惑しているらしい。
何を今更と言う思いもあるのだろう。いま一つ飲み込めていないような、表情のものが殆どだった。
「ふざけるな!!」
どよめきを切り裂くような、厳しい怒号が響きわたった。
「今更、怖気づいたってわけですか!! 中将殿、あなたを敵前逃亡で拘束する!」
声の主はイワモト曹長だった。
拳銃を片手に構え、銃口はしっかりとマ・クベを睨んでいる。
驚いた周りの男たちが道を明ける。まるで海を割った大昔の聖人のように、曹長は悠々と前へ出た。快活な普段のイワモト曹長とは、似つかない感情を押し殺した顔だ。
「なんのつもりかね?」
目の前に突きつけられた銃口を見ても、マ・クベは落ち着いていた。と言うより、曹長の突然の豹変の方に驚いていた。彼はそこまで愛国心旺盛なタイプではなかったはずだ。実際、周りの方もそんな認識らしく、女房役のメルダース少尉が困惑した目で曹長を見ている。
「ウラガン少尉にお聞きしました。ギレン総帥からの無差別核攻撃命令も無視されたそうですね」
「……ウラガン」
じろりとウラガンの方を見ると、気まずそうに目をそらした。曹長はさらにマ・クベに詰め寄ると、マ・クベを盾にするように背後に回った。
「曹長! やめろ!!」メルダース少尉が鋭く静止かける。
イワモト曹長が少尉の方を見て、にやりと笑った。その悪餓鬼のような笑いに、肩透かしを食らったメルダース少尉が、怪訝そうな顔をする。
「少尉殿! マ・クベ中将は一人で、このオデッサへ逃亡するつもりだったのです!!」
曹長の言葉に皆が再びどよめいた。突然の暴露に、たまらずマ・クベもうろたえる。
すっかり困惑したメルダース少尉が、曹長に向かって尋ねる。
「曹長? それは、中将閣下がお一人でここに残るつもりだったということか?」
「その通りです」
きっぱりとした曹長の言葉に、斬込隊の面々はみな驚きの声をあげる。マ・クベはいらだたしげに唇を噛むと、今回の企みをなしたであろう副官をにらみつけた。
にらまれた当人が、さらに小さくなって顔を伏せた。
「脱出はゲラート・シュマイザー少佐のご好意で、フェンリル隊が支援してくれる事になっている。だが、私はこの基地の司令官だ。最後まで残る義務がある」
「詭弁はそこまでです。マ・クベ中将、あなたをザンジバル艦内に監禁します」
ため息混じりに言うと、後ろに回った曹長がプラスチック製の簡易手錠をかける。マ・クベの手にプラスチック製のコードを掛けながら、曹長が耳元でそっとささやいた。
「すみませんね、中将殿。この戦場の主役を、ギャンに持ってかれるわけには行かないんですよ」
『俺だけ、生き残っちまったな……』
その瞬間に、触れた曹長の手から、様々な想いが流れ込んで来る。
悔恨・信念、自分の生き筋を見据えた一人の男の純粋な思い。
「曹長、君は……!」そう言いかけて、マ・クベは途中で止めた。
彼にはどんな言葉も無駄だと言うことが、さっきの一瞬で十分すぎるほど分ってしまった。唖然としている斬込隊の面々を尻目に、マ・クベは曹長に連れられて、格納庫を後にした。
イワモト曹長はマ・クベを司令官用の寝室に放り込むと、手錠を解いた。
「すみません中将閣下。しばらくおとなしくしててください」
相変わらずの人懐っこい笑顔を浮かべ、曹長はきびすを返した。
「待ちたまえ」
そのまま出て行こうとする曹長を、マ・クベは呼び止めた。振り向いた曹長が、怪訝そうな顔をする。
「13番格納庫に、私のグフがある。あれを使いたまえ」
イワモト曹長はぴたりと動きを止めると、背を向けたまま答えた。
「気づいておられたんですか?」
「……つい今しがたな」
「まいったな……」
振り返った曹長はまるで、いたずらを見つかった悪餓鬼のような顔をしていた。
「こんな時代ですから、死に方くらいは自分で選びたいんです」
「嘘をつくな曹長。他に道があっても、君は選ばずにおれなかったんだろう」
「お見通しですか……やっぱり、中将殿にはかないませんね。中将殿にはここで死んでもらっちゃ困ります。あなたは、人に最良の死に場所を与えてくれる人です」
「……」
底の見えぬ曖昧な笑顔で話す曹長を、マ・クベは黙って見つめていた。
「メルダース少尉殿と斬込隊の連中をよろしくお願いします」
「まるで、死神だな……私は」
マ・クベが自嘲気味に笑うと、曹長はおどけたように言った。
「……自分の生き方は、自分にしか見つけられませんから」
そう言うと、曹長はにっこり笑って敬礼をした。
「イワモト曹長、君は英雄になってしまうのだな……」
部屋の入り口に消えた曹長の背に、マ・クベは苦く呟いた。
イワモト曹長は地下の擬装出撃口の下で息を殺していた。
通信機の中に散発的な敵の通信が入ってくる。どうやら連邦軍は侵攻を再開したらしい。順調に市街地の中に入ってきているようだ。上は凄まじい砲爆撃で瓦礫の山になっていることだろう。
なかなか、綺麗な町並みだったのにな、と暗いコクピットの中で曹長は誰に腕もなく呟いた。
「さて、中将殿は一体どんな清水舞台を組んでくれたんだ?」
真新しい合皮製シートの匂いが鼻をつく、長身のマ・クベ中将に合わせてか、シートは少し大きかったが、包み込むような感じが心地良い。
敵が市街地に入るまでは動けない。
イワモト曹長はマ・クベ中将から受領した機体を確かめることにした。
「こいつはすげぇ」
ジオニック社が賄賂とするためか、コクピット内装はもとより・ジェネレーター・システム・装甲に至るまで最良の部品で組まれている。センサーや通信能力は通常の指揮官仕様よりも大分強化されている。これは、通常の指揮官仕様は中隊長用だが、マ・クベの場合は方面軍司令官だからだろう。機密保持システムまで組まれている。
カタログデータ上は一般機と大差ない性能と言う事になっているが、これだけ良い部品を使ってセッティングとチューンを施しているのだから、性能が悪いはずが無い。
「派手な外装は伊達じゃねえわけか。あの人らしい」
どうしようもなく、血が滾ってくる。人知れず笑みがこぼれるのは仕方の無いことだ。どうやら中将閣下は、冥途の道連れに最高の花嫁を用意してくれたらしい。
「ヴァージンロードが黄泉路ってのは……」
待機状態の薄暗いコクピットの中を見回すと、愛しさをこめて呟いた。
「……俺たちには似合いだな」
そう呟いた曹長の笑みは、なんとも形容しがたいものだった。
『――Requiem aeternam dona eis, Domine:
et lux perpetua……Te decet hymnus, Deus Zion――』
突然、通信機が大音響でイントロイトゥス(入祭唱)を歌いだす。市街地各所に仕掛けられた中継アンテナによって増幅された、基地からの大出力通信波だ。
通信機が詠う砂交じりの音楽に身を委ねながら、機体を起動する。
メインジェネレーターが快調な作動音を上げ、モニターに管制システムが立ち上がる。
「モーツァルトのレクイエム(鎮魂歌)とは、まったく、中将殿は良い趣味をしてる」
「連邦の連中は、さぞや面食らってる事だろう」そう思うとたまらず笑みがこみ上げてくる。この場にはおあつらえの曲だ。
突如、凄まじい震動で出撃口がゆれた。上から落ちてきた擬装のかけらが機体に当たる。脱出部隊のうち上げがはじまったらしい。
イワモトの脳裏に、若い戦友の顔が浮かぶ。
「そういや、こっちも同じタイミングだっけ……少尉殿、どうかお元気で」
最初に声をかけられた時は内心、焦ったものだ。
話してみれば、若くて、とっつきやすい上官だった。
共に命をかけて戦った瞬間、戦友になった。
電光のように出会い、そして別れを告げた戦友(とも)。短い時間であったが、その全ての記憶が輝いているように思える。
兄弟のような、親子のような、親友のような、そのどれでもないが、暖かさにあふれた関係。その全てが「曹長」、「少尉」、の呼びかたに篭っていたと思う。
「だから少尉、あなたに死んでほしく無いんですよ…」
暗いコクピットの中で曹長はポツリと呟いた。
「待て! 曹長ぉぉぉぉぉ!!」
絶叫と共に飛び起きたメルダースは、荒い息を吐きながら周りを見回した。消灯してあるのだろう。周りがほとんど見えない。
寝汗だろうか、外気に触れてひんやりと背中が冷たくなる。
「ここは……?「私の寝室だよ」」
突然右奥の扉が開き後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。逆光の性で顔が良く見えないが、この通りの良いテノールは、忘れられるものではない。
「マ・クベ司令!」
起き上がって敬礼をしようとすると、マ・クベがそれを手で制して。左側にあったデスクのイスに座った。
「どうやら、起きた様だな」
「自分は、何故ここに?」
「曹長が、私をここへ軟禁して、しばらくして、君の事を抱えてきたんだ。薬でも使ったのか、君は酷く良く眠っていたからね」
「それで、曹長は私をここに寝かせたんですか!?」
「いいや、ベッドに寝かせるよう指示したのは私だ。曹長はソファーにでも置かせてくださいと言っていた…」
「な、なら、なぜ?」
絶対にありえないとは思うものの、一瞬、言い知れぬ危機感が背筋から尾てい骨を走り抜ける。
「別にどうという理由は無いが、寝ているものが居て、寝室は開いている。ならば、他に持っていくのも野暮というものだろう」
マ・クベが、さも当然と言わんばかりに答える。
「はあ、そうですか…」
なんだか釈然としない気持ちで、メルダースは引き下がった。相手は上官だ。これ以上、追求するのは失礼に当たる。
「そんなことよりだ。どうして、君は寝ていたのかね?」
言われて、メルダースは薄ぼんやりした記憶を探った。
「へ? 確か曹長のことを止めようとして・・・・」
「待て、曹長っ!」
息を切らせながら、メルダースは司令官のオフィスから出てきたイワモト曹長を捕まえた。
「少尉どの。そんなにあわててどうされたんですか?」
「話は聞いたぞ! お前、まさか、中将殿の代わりに残るつもりか?」
曹長は困ったように笑うと、「その通りです」と答えた。
「何故だ! 何でそうも死にたがる!!」
「死にたがっているわけじゃありませんよ…ただ」
曹長は急に真面目な顔になると、じっとメルダースの目を見つめた。
「自分の生きる戦場(ばしょ)はここです! 自分はここで、グフと共に生きるんです!!」
曹長の目からは、並々ならぬ決意と信念が見えた。だが、メルダースにはどうにも納得しきれかった。否、納得したくなかったのだ。
「なんでそうグフに拘る!! 連邦軍は次々と新型のMSを作っている。お前が倒したガンダムだって、いずれ量産される! そんな時に、センチメンタリズムだけで勝てると思うのか?」
曹長に生きて欲しい、そう願っているはずなのに、高ぶった気持ちが、自然と声を荒げる。
「そして、俺たちジオンだって、新鋭機を作っている! 貴様ほどの腕があれば、どんな機体だって乗りこなせるだろ。新兵器だって、いずれ旧型になる! そんな当たり前のことが何故理解できん!!」
曹長はぐっと俯くと、押し殺したような声で言った。
「…なら、旧型はどうすれば良いんですか? 乗り換える方は良い。なら、乗り換えられた方はどうなるんですか!? 投棄され、戦うことも無く朽ちて行けと?」
「いい加減にしろ、曹長! 貴様はMSじゃないんだ!! 兵器なんぞに自分を重ねて自己憐憫に浸って満足か!? どうして前を見ようとしない!!」
「同じですよ! 自分の生きる戦場はここです!! 見つけてしまったんです! 自分が自分で居られる場所を!! それに気づいてしまった人間はどうすれば良いんですか!?」
「……」
絶叫のような曹長の声が、人の居ない廊下にこだました。一瞬、底の見えない崖下から助けを求められているような錯覚を覚え、言葉に詰まる。
「自分には……此処しかない。……そう、決めたんです」
曹長の決断に、心の片隅で納得している自分が居る。それが苛立たしくて、悔しくて仕方ない。
「だが、それは貴様の我侭だ……俺が貴様に生きて欲しいと思うのもな」
もう、きっと止まらない。そんな思いを吐き出すかのように大きくため息をついた。
「分った。俺も付き合ってやる。最後の舞台はグフで派手に決めてやろう!」
メルダースがそう言うと、今度は曹長の方がうろたえる。
「しかし、それは…「俺が決めたことだ」」
言い終わる前に、言葉を遮る。もはや、迷いは無い。
曹長は何も言わず、ただ諦めたように頷いた。
「少尉殿、水杯(みずさかづき)を交わしてもらえますか?」
「水杯?」
メルダースが怪訝そうな顔をすると、曹長がいつもの無邪気な笑みを浮かべた。
「水杯ってのは、旧世紀の飛行機乗りが、決死の任務の前にやった儀式みたいな奴です」
そう言って、小さな皿のようなものを手渡してきた。そう言えば、昔、学校で習ったような気がする。日本ではこれがグラスの代わりなのだ。
「曹長、それで中身はどうするんだ?」
顔を上げた瞬間、鋭い拳が顎の先を掠めた。思わず取り落とした杯が、地面に落ちて砕けちる。
「そうちょっ・・どういう」
がくりと膝から力が抜け、全てを言い終わらぬうちに、メルダースは地面へと崩れ落ちた。
「すみませんね少尉。これも自分の我侭です」
薄れゆく意識の中に見たイワモト曹長の笑みは、どこかさっぱりとしていた。
「曹長、どうして・・・・」
メルダースはぐっと自分の拳を握った。直ぐに寝台から起き上がると、オフィスの出口に直行した。自動ロックが冷たく彼の行く手を阻む。
「開かない!」
「そのドアはロックされている。メルダース少尉、我々は軟禁されているのだ。出れんよ」
後ろから来た冷静に言葉をかけると、メルダース少尉は、振り返りざまに彼の肩をつかんだ。
「マ・クベ中将! 自分はどうしても曹長のところに行かねばならないんです!!」
肩をつかむ力、こちらを見る眼差しその全てが彼の必死さを物語っていた。マ・クベの細くしまった腕に、ギリギリとメルダースの指が食い込む。
マ・クベは気にせずに話した。
「メルダース少尉、私は全て知っている。イワモト曹長の気持ちも、君の彼と共に生きたいという願いも、私には良くわかる。理解も出来る。だが、もう、間に合わん」
刹那、凄まじい震動に襲われる。
「まさか!?」
「そうだ、このザンジバルはまもなく宇宙へと脱出する」
「そんな…」
メルダース少尉が打ちひしがれたような声を上げる。
「我々に出来ることは、もう無いのだ…」
言葉の最後でマ・クベは唇を噛んだ。
「くそぉぉぉぉぉぉっ!!!」
激情のままに両手を床へ叩きつけた。絨毯の下の装甲番が鈍い音を立て、握り締められたこぶしの上に数滴、暖かいものが落ちる。
それが、情けなくて悔しくて、メルダースは床に伏した。
なお抑えきれぬ激情がメルダースの口からこぼれ落ちる
「曹長、共に逝けぬ俺を……許してくれ」
零れ落ちた慟哭は、艦船用大型ブースターの轟音に飲まれた。
遠隔で擬装を爆破、バーニアに点火する。
通信機から流れてくるレクイエムに耳を傾けながら、イワモトはにやりと笑った。これで通信もIFFも作動しない。
『――Kirie, eleison. Christe, eleison. Kirie, eleison.――』
「オデッサ・フィルの特別演奏だ。チケット代は……高くつくぜ」
入祭唱が終わり、キリエに差し掛かったところで出撃口から飛び出した。
景色に色がついた瞬間、バーニアを切る。接敵警報、熱センサーが画面せましと光点を映す。
フェンリル隊は別働しているため、この区画には自分しか居ない。
「見渡す影は全て敵…か」
向こうも気づいたのか、光点が一斉にこちらへ向かってくる。
湧き上がる高揚感が、心臓を蹴り上げる。
「さあ、来い新型(ルーキー)ども! 旧型(ベテラン)の意地を見せてやる!!」
ヒートサーベルの抜き放ち、灼熱の刃をたぎらせた。
「それ」と我々との出会いは、鎮魂歌の鳴り響く奇妙な戦場だった。
私は、あの日、通信機が唱っていた「怒りの日」を生涯忘れることが出来ないだろう。
その日は、敵を灰燼に帰す日となるはずだった。我々が勝利を得る日になる筈だった。
しかし、裁かれたのは我々の方だった。皆が必死で生きようとし、皆が死んだ。
「それ」は恐ろしかった。ただ、恐ろしかった。そして、何も残らなかった。
「戦場の黙示録」序文より抜粋
「こちら第三小隊、パターソン少尉! 本部!! 応答しろ!!」
「クソッタレ!!」パターソンは苛立たしげに悪態をつくと乱暴に、通信機を切る。
敵がほとんど撤退していたとはいえ、やけにあっさりと上陸できた事に、疑問を持つべきだったのだ。
おかげで、通信機から分けの分らない音楽が流れ始めたと思ったら、敵が脱出を始めても手も足も出せない。
何しろ昨日の戦闘で、支援装備の機体が軒並みやられ、部隊の再編待ちで後方待機。それでなくても通信妨害で、支援要請も出せない。つまり、指をくわえて見てるしかない訳だ。
「マ・クベのカマ野郎! 下らねぇ置き土産置いてってくれるじゃねぇか」
思ったとおりの陰険さを持っていた敵の指揮官へ悪態をついていると、後ろに居たジムがパターソンの機体の肩を掴む。
『小隊長! どうしますか?』
部下が、接触回線で語りかけてくる。
パターソンが指示を下す前に、熱センサーが接敵を知らせる。
「敵!? しかも、すぐ近くじゃないか!!」
他の連中も気づいたようで、センサーに映る味方の光点が一斉に近寄ってくる。
『小隊長! 他の隊に任すことはありません。うちの隊でやっちまいましょう!!』
「罠かも知れん! 不用意に先走るなよ」
若い部下をたしなめると、お互いの機体の肩に手を置いて、接触回線をつないだまま、注意深く前進する。
突然、現在地の各所で小規模な爆発が起きると、センサーの光点がまばらに消えた。
どうやら、対MSようのトラップに引っかかったらしい。念入りに砲爆撃したが、まだ、置き土産が残っていたらしい。
「迂闊には動けないな……」
何とか外部の情報を集めようと、パターソンは通信機のスイッチを入れた。
しかし、流れてくるのは合唱ばかり、回復するきざしは見えない。
「まったく、戦場以外で聞くなら、まだ、ましなんだが……」
『―― Dies iræ, dies illa! solvet sæclum in favilla:! teste David cum Sibylla……』
「それ」が彼らの前に姿を現したのは、ちょうど曲目が「怒りの日」へと変わったときだった。
大出力広域通信波によって奏でられた鎮魂歌。
その激情をかきたてる様な旋律に乗って、一機のグフがジムの小隊へと斬り込んだ。
ビルの間を超低空で飛びぬけたグフは、いきおい目の前の敵にヒートサーベルを突きたてた。
コクピットにつきたてたそれを蹴りで、引き抜き、振り返りざまに、後ろに回り込もうとしていたジムを袈裟に斬る。
さらに、重心を落としたまま、すくい上げるように斜め前にいた機体の足を切り飛ばす。
身を翻して、後方の新手からの射撃を交わす。
片足で、擱座していた先ほどのジムに、75mm機関砲を掃射。ビルの残骸の陰に入る。
一瞬、遅れて凄まじい轟音と衝撃波を放ってジムが爆発する。僅か数十秒のうちに一個小隊を片付けてしまった。
「すげぇな…なんて腕してやがる」
そう、呟いたのは、高性能スコープで状況を観察していた、レンチェフ少尉だった。レンチェフと部下のリィ・スワガー曹長は狙撃部隊が置いていった狙撃戦仕様のザクに乗って、市街地を見渡せるこの場所に待機していたのである。
『本当ですね。しかし、いつまでも高みの見物ではまずいですよ少尉』
スワガー曹長が静かに言う。確かに先ほどの爆発を見たのか、散兵てきだった敵部隊がわらわらとイワモト曹長の方を目指している。
「だから、目を光らせてるんじゃねぇか」
『そりゃそうですけど…』
「連中の注意が完全に、イワモト曹長に向いたら、少佐たちが行動を起す。それまでに別働隊がいることを悟らせるわけにはいかん!」
『それじゃあ、イワモト曹長が危険になったらどうするんですか!』
温厚なスワガー曹長が珍しく声を荒げる。レンチェフは気にした風でもなく、にやりと笑った。
「そんときゃ、予定が前倒しになるだけさ」
それを聞いたスワガー曹長が呆気に採られた顔をして、ため息混じりに笑った。
『…了解しました。少尉殿』
苦笑を浮かべるスワガーに、レンチェフは監視に戻るよう即した
「まあ、そんなに心配することも無さそうだぞ……ありゃ、まさに鬼だ」
高性能スコープのレンズには、鎮魂歌の流れる街の亡骸と、そこへさらに屍を積み上げていく単眼の鬼の姿が映っていた。
「ん? どういうことだ」
唐突にレンチェフは怪訝そうな顔をした。
『敵、引いてますね』
まるで潮が引くように、連邦の部隊が下がり始めた。
「まずいな…」
そう、レンチェフが呟いた瞬間。遥か海のかなたで波以外のものがきらめいた。
「しかし、きりが無いな」
そう言って、イワモト曹長は荒い息をつきながらシートに倒れ込んだ。数秒、息を整えると、移動しながら期待のチェックをする。
大分、手荒な使い方をしたので関節やジェネレーターにもかなり負荷がかかっている。機関砲の残弾はすでに無く、ヒートソードは折れてしまっている。シールドは弾痕や破片でボロボロだが
運よく敵が引いてくれたおかげで、何とかなったが…。これ以上、続いたら持たなかった。
そう思った瞬間、凄まじい衝撃が機体を襲った。
「砲撃か!!」
敵が引いた理由はこれだったのだ。
それも、一つだけでは無い。おびただしい数の衝撃が襲い掛かってくる。計器が吹き飛び、コクピットの中が真っ暗になった。
バランスを崩した機体が倒れ込んだ衝撃で、曹長は気を失った。
もう、疲れた。何機やったか知らないが、これでもう良いじゃないか。暗い闇の中でダレかが曹長に囁く。まとわりつくような倦怠感が体を取り巻き、酷く眠い。
もう、休もう。これ以上はむりだ。そんな声が渦巻く闇の中で、曹長はほんのかすかに光を感じた。
『…大丈夫。あなたはまだ行ける。どこまでだって、あなたと共に……』
どこか懐かしさを感じる、優しい声が、語りかけてきたような気がした。
『…っ! ……う長! 曹長! イワモト曹長! 大丈夫か!!』
通信機からがなるような声が聞こえる。
「…レンチェフ少尉?」
『あんだけ…撃を食らって生きてる…は運の良いやつ……』
通信機越しの声に明るい色が混じる。通信が使えるということは、市内各所に設置してあった中継アンテナは大分やられたらしい。
『生きてるな…さっさと脱出…ろ! 敵の再侵攻部隊……迫ってる!』
『少尉! 11時…新手です!!』
オープン回線に割り込みで、緊迫した声が入る。
「レンチェフ少尉殿! 俺のことは構わず引いてください!!」
怒鳴りながら、曹長は一瞬、その呼び名を懐かしく思った。
『馬鹿野郎! どのみち俺たちは時間稼ぎをせねばならん! 貴様はついでだ!! さっさと逃げろ!!』
言うだけ言って、通信は途切れた。イワモトはふっと笑って、ため息をつくと、機体をチェックした。
左腕は損壊し、シールドは使用不能。各部、衝撃によって大小さまざまな損傷を伴い。まさに満身創痍の状態だった。
「まったく、機体も乗り手も揃ってボロボロか…」
苦笑しながら、こみ上げてきた血を吐き出した。見ると、コクピットを突き破った砲弾の破片が、腹に刺さっている。
士官用の高級なシートが血でぐしゃぐしゃだ。
「まだ、いけるさ……」
曹長は、操縦幹を握りなおすと、ジェネレーターの駆動スイッチを入れた。
軽快とは言わないまでも、駆動音が聞こえてくる。ひびの入ったメインモニターに外の景色が移る。幸運なことにメインモニターは生きているらしい。
「俺とお前なら、何処までだって……そうだろ?」
恋人に語りかけるように呟いた。答えなど帰ってくるはずも無い。だが、うなるジェネレーターの駆動音が、曹長には答えに聞こえた。
「…やっぱり、あったな」
コンソールをいじって、機密保持システムを作動する。
『システム作動、ジェネレーターのリミッターを解除しました』
メッセージが画面に現れた直後に、タイムリミットが表示され、カウンターの数字がどんどん減っていく。
「それじゃあ、行こう…」
満身創痍の単眼に最後の灯がともった。
傍らで残骸となっているジムから、ビームサーベルを引き抜く。接触動力回線に合わせて光の刃を発生させる。本来なら出力不足だが、リミッターを解除しているからこそ出来る荒業だ。
機体をスタートさせる。センサーは敵の光点で埋まっているのに、接敵警報は鳴らない。壊れてしまったのだろう。だが、今の曹長にはそんなことはどうでもよかった。
ただ、目の前の敵を斬り伏せる事にのみ集中する。
視界が、やけに開けて見えた。60mmをバルカンの弾道すら見える気がする。
深く、もっと深く、敵の軍勢の中を斬り進む。
脇をすり抜けては、胴を薙ぎ。振りかぶった懐に飛び込んで、胸を突く。ヒートロッドで足を払いメインカメラを踏み潰して、ひたすら前に進む。
後ろは振り返らない。ただ、前へと進んでいく。
時折、頭上を飛び越えてビームが敵をなぎ払う。フェンリル隊の二人が援護してくれているのだろう。必死で自分を生かそうとしてくれる二人の思いが伝わってくるようだ。
だが、まだ終わりでは無い。敵の動きも狙いも全てが電光のごとく頭にひらめいてくる。そして、機体はまさに自分の体だった。
「そうか、俺はこの瞬間の為に生きていたんだ……」
目の前のジムをショルダータックルで吹き飛ばした瞬間、突然、目の前開けた。目に飛び込んできたのは、赤々と燃える太陽だった。それが海を紅く染めて、波間のきらめきが目を突いた。
「……」
後ろを振り返ると、さらに沢山の機体に周りを取り囲まれていた。恐怖と殺意が槍衾のように突きつけられる。この死が積み重なる場所で、彼らは皆、明日を求めていた。
曹長は、急に全てに納得できたような気がした。
「そうか、これが生きるって事か……」
そう、呟いた瞬間、カウンターが0を指した。
「少尉殿、一足先に地獄でやってます」
最後の言葉は、凄まじい閃光と衝撃波に飲み込まれた。
マ・クベとメルダースが、軟禁を解かれたのは、青く輝く地球の姿を確認できる頃になってからだった。
マ・クベは副官をとがめることもせず、ただ、地球の方向へ敬礼するように命じた。
数分間の長い敬礼の間、メルダースは司令官の顔が、自分と同じもので濡れている事に気づいた。
あとがき
な、長い…。皆様、更新が大幅に遅れてしまって申し訳ありませんでした。修羅場の試験も終わり、ようよう書き進めていたら、こんなとんでもない長さになってしまいました。
それでも、かき終えることが出来たのは、日々増えていくPVや皆様の感想があったからです。本当にありがとうございました。これで、外伝は終了です。本編に戻ります。
曹長の決断は日本人特有のものですw 「武士道とは死ぬことと見つけたり」と言う奴で、人間は必ず死ぬ。死んで人の人生は完成される(完成すると言うことは終わるということである)。その瞬間まで、どう生きるかに価値がある。という相反する理念、そんなものを出したかったのかなぁとか思います。結構、異論とかもあるかもしれません。
まあ、ちょっと図々しい話をすれば誰かが3次で曹長のこと書いてくれたらうれしいなあなんて思いますw ごめんなさい、調子乗りました。
とにもかくにも、読んでくださった読者の皆さん。ありがとうございます。皆さんの声で此処まで、書いてくることが出来ました。これからも、よろしくお願いします。