猛暑が激しい7月の最後の日―――明治神宮野球場は、この猛暑に負けないほどのかつてない熱気に包まれていた。
全国高等学校野球選手兼大会東京都西地区予選大会決勝―――。
夏の甲子園連続出場を狙う名門―――稲城実業高校VS6年ぶりの甲子園出場を狙う名門―――青道高校。
お互い一進一退の攻防を繰り広げて、試合は終盤に進み。
最終回4対5で稲実が一点リードの有利な状況を迎え。
二死二三塁―――なんとしても点が欲しい青道側。一打出れば同点。もしくは逆転という絶好の舞台。球場が熱くならないはずがない。
各チームの応援やブラスバンド等の音楽が大きく響き渡る中で次の打者打席に入る前の最後の素振りをしていた。木製のバットの風切り音と振って生じる風圧が投手に届くほどのスイングは彼がどれだけバットを振ってきたのか伺える
青道の白いユニホームに身を包んだ170センチの中肉中背に、所々跳ねた癖毛の黒髪と目付きの悪い吊り目。適度に整った顔に自信満々な笑みを浮かべる口許。
ヘルメットを脱いで、頭に巻いた青いバンダナを巻き直して締めるとヘルメットを被り、白の皮手袋のマジックテープをしっかりと付け直すと少年は歓声が響く中、左打席に向かう。
『5番レフト―――青峰舷弥』
「「「「「行けぇ―――――!!!絶対に決めろ青峰!!!」」」」」
「流れは間違いなく俺達に向いてるぞ決めて来い!!」
「しっかりボールを見ろよぉ舷弥ぁ!!いきなりビュッて振るんじゃないぞ!!」
「成宮の球は力んでいるでヤンス!!」
「決めねえとシメるぞ!オラァ!!」
「ウガァァァァ!!(後の俺に遠慮なく決めて来い!!)」
アナウンスの紹介が終わり。監督やベンチメンバーの大きな声援を受けて、左打席に入る。
両手とバットを前にユラリと真っ直ぐ伸ばして自然体でリラックスしつつバットを構える。
スイングの瞬間に全身の筋肉を動かすことで、より大きな力を発揮する神主打法と呼ばれる打法である。
ラララララ♪ラッララララ~♪
「「「「「負けないで!!♪ほらそこに!!♪」」」」」
舷弥のヒッティングマーチを青道側の応援がブラスバンド演奏に合わせて歌い出す。いや、歌うというよりも舷弥に向かって叫んでると言った方がいいかもしれない。
(必ず勝つ!!!俺が絶対に先輩達の夏を終わらせたりなんかしない!!!)
野球の楽しさを厳しくも教えてくれた先輩達の恩義に報いる為に自身の心に活を入れると、ピッチャーに集中していく。その瞬間から舷弥の耳には何も聞こえなくなり、グラウンドにいる野手9人とボールしか見えなくなった。視線は真っ直ぐ投手を殺気を込めて睨み付け、必ず勝つという闘志は肌で感じるほどの闘気を生み出す。
『さあ!青道の天才スラッガー青峰舷弥!関東№1サウスポーの成宮鳴を打ち崩せるか!』
(最初は間違い無くクリス先輩が言ったとおりにリーダーに打たれて感情が昂ぶっている成宮は力付くで俺をねじ伏せに来る筈。狙うはそのストレート!!)
青道の記録員をしている滝川・クリス・優の言うとおりにランナーがいるにも拘らずにワインドアップで全力でねじ伏せに第一球を投げる。
セットで投げずに勝負に来る事から成宮がどれだけチームに信頼されているのか伺える。
だが、それは舷弥も同じ事である。
サウスポーから投げ出される自身の最高球速であるキレのある148km/hの速球がキャッチャーが構えるインコース低めに向かう。
自身の得意である速球を狙っていた舷弥―――コースは厳しいが、迷う事無くバットを振り抜いた。
カキーン!!
快音が鳴り響き、味方が歓声を挙げる。誰もがライト線ギリギリに大きく舞い上がって飛んだ打球に注目した。
この打球の行方は、今はまだ誰も知らない。
本当の物語と異なった物語はこれから始まるのだから・・・・・・。
そう―――全ての始まりは約6ヶ月と少し前の冬―――親友の付き合いで青道高校野球部の練習を見学する事から始まる。
♦ ♦ ♦
山形県―――天津市寺坂町。
山に囲まれたこの町の山奥で一人の青峰舷弥は大きな伐採斧を両手に握り締めて、何度も何度もコンコン!!と音を鳴らしてもうダメになった大きな木を次々と切り倒していた。
青いバンダナを頭に巻き、手拭を首に掛け、寒い季節だというのに黒のランニングシャツに長ズボンと長靴という姿で重さが10kg以上ある斧をバッティングの様にフルスイングして体の重心や腰の回し方に手の返し方など完璧に振り抜いて木を切断する。
「ふぅ~とりあえずこれでノルマの5本達成だい」
首に掛けた手拭で汗を拭って一息を入れると切り倒した木の後に座り込んでズボンのポケットに入れていた水筒のお茶を飲む。キンキンに冷えた緑茶が体に染みる様に行き渡る。
彼の名は青峰舷弥―――寺坂中学校に通う15歳の地元では有名な勤労ヤンキーである本人は気付いていないが語尾に「~い」を付けるのが口癖になっている。
幼い頃に両親が共に病で他界して、父親の親友だった野球好きな極道―――垣内善司の下でお世話になっている。舷弥がこのバイトを始めてから5年。当時は一本も切り倒す事が出来なかった木も今では早く倒せる様になっていた。
「さてと・・・事務所に帰るか・・・「おお、やっぱりここにいたでヤンス!」」
「カンタかい」
声が聞こえた方を振り向くと、野球部のユニホームを着たグルグル眼鏡を掛けた少年が急な山道の坂を上がって来ていた。
彼の名は神田カンタ―――舷弥の数少ない普通の友達で語尾に「~ヤンス」を付けるのが口癖のオタク野球馬鹿であり。寺坂中学校野球部の主将でもある。
「どうしたんだよ、こんな所まで来るなんて珍しいじゃねえかい。新しい玩具を買う為に金でも貸して欲しいのかい?」
「そうそう・・・って!?違うでヤンス!!実はお願いがあって来たんでヤンス」
「お願い?金に関係する事じゃないんなら、別に構わねえよい」
「まずはこれを見てくれでヤンス」
カンタが手に持っていた一枚の名刺を舷弥に手渡す。それを怪訝な表情で見ると、そこには野球関係者の名前が書かれていた。
「青道高校野球部。副部長・・・高島礼?男か?女か?」
「女でヤンス。大きな谷間が見える」
「何ぃ!?カンタお前大人の階段に一歩踏み出したと言うのかい!!やるなぁ・・・」
「何如何わしい変な想像してるでヤンスか!オイラに青道高校のスカウトが来たんでヤンスよ!」
「へぇ~良かったな。スカウトが来るって事は名門なんだろ?」
カンタは選手としてはかなり魅力のある天才捕手である。強肩でリードも頭脳的。野球に関する知識も豊富で弱小だった寺坂中学校を全国に出場させるだけの指導力もある。
全国でかなり活躍したみたいだから、スカウトの一人や二人来ていても別に不思議は無い。
「実は明日の日曜日に東京に行って青道高校野球部の練習を見学するんでヤンスけど、一人で東京に行くのが不安だから一緒に来てほしいんでヤンス」
「電車代はどうするんだよ?俺は余り金なんか出せねえぞい」
舷弥は、はっきり言って貧乏人である。両親が亡くなって以来、自分の事に関する事は全て自分で金を出しているからである。
保護者の垣内から金を借りてもいいと思うが、金にうるさく、極道であるだけに利息が十一で借金が増える一方になる為借りるなど論外だった。
「その心配は無いでヤンスよ、オイラが電車賃など自腹で出すでヤンスから」
「ならいいや、見学が終わったら飯は俺が奢るから何か上手い物でも食って帰ろうぜい」
「交渉成立でヤンス」
お互いがっちりと握手を交わす。
「それっじゃ帰るかな・・・競争しようぜカンタ!山の麓にあるコンビニまで」
「フフフフ・・・良いんでヤンスか?オイラはこう見えてもかなり早いでヤンスよ」
指先で眼鏡をクイっと上げて自身満々な笑みを浮かべるカンタ。だが、舷弥はそれを見て不敵に笑う。
「お前こそ俺に勝てると思ってんのかよ・・・・・・合図は任せらい」
「OKでヤンス」
お互い荷物を鞄に全て仕舞い込んで、肩に下げるとスタートの体勢を取る。
道は急な坂の一本の下り道。
お互い足には自身がある。負ける等とは微塵も思っていない。
「よ~い、ドンでヤンス!」
合図と共に二人は坂道を下って走り抜ける。スタートはカンタが僅かに早かったが、すぐに舷弥が追い抜いてどんどん引き離す。
それを見たカンタが驚愕する。
(何て足でヤンス!オイラは50メートル走6秒フラットでヤンスよ!なのに負けてるでヤンス!おまけにあの重い斧まで背負ってるのにどうしてでこの差でヤンスか!)
10秒もする頃には、舷弥の姿は見えなくなっていた。
山の麓にあるコンビニの駐車場に先に着いて、中に入って週刊誌を読んでいると、息を切らしたカンタが入っていた。
「俺の勝ちだな。レモンティーとドーナツを奢れよい」
「・・・分かったでヤンス」
笑いながらカンタに言うが、カンタは真面目な顔で舷弥を見て色々考えていた。
(とんでもない奴だとは知っていたでヤンスけど、想像以上でヤンス。もし青峰君が野球を始めたらとんでもない選手になるかもしれないでヤンス)
木を切り倒し続けて鍛えられた身体の並外れた力と天性の柔軟な身体とさっき見せた俊足。
そのどれもが、超一流のアスリート並の身体能力を間近で見て思ったカンタの考えは後日当たる事になる。
「うおぉぉぉぉ!喉に詰まった!」
ドーナツを喉に苦しませて苦しそうにする舷弥を見て、カンタはさっきまで思っていた事は忘れる事にした。