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[9509] 神と俺のコイントス ネギま オリ主TS物
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:8bad291c
Date: 2009/11/14 22:11
本作はネギまのオリ主ものです。
ところどころバトルとシリアスを入れようかと考えておりますが基本はギャグです。

注意事項としては

独自設定が多々あること。
主人公たちがかなり強いこと。
オリ主がしょっぱなで性別転換すること。
ときおり三国志、封神演義、神話などの登場人物をオリキャラ化して登場させること。

などがあります。
以上のものが嫌な人は読まない方がいいです。

それでも読んでやってもいいという方はどうぞ読んでください。
すちゃらかんは国語でヤヴァイ点数をかなりとってきたような人間なのでつたない文になってしまうかもれませんがお付き合いいただければ幸いです。



僭越ながらpixivにこの作品のオリジナルキャラのイラストを投稿してみたりしています。
正直言って下手の横好きですが、少しはこの作品を楽しむ足しになればと描きました。
もちろんイメージと違う、こういう姿の方が面白く読める、というようでしたらすちゃらかんの絵は気にしないで下さい。
あと完全な自分絵ですのでそれも要注意です。
毎回顔や絵柄が変わってしまう未熟ものには他人の絵柄を真似るのはまだ難しく……

興味がお有りの方は是非見てやってください。
タグ検索で 神と俺のコイントス で検索するとすちゃらかんの描いた絵がまとめて出てくると思います。


11/14 26話削除



[9509] 第1話 神と俺のファーストコンタクト
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:8bad291c
Date: 2010/03/29 02:36
神と俺のコイントス


空を埋める満天の星々。
それに向かって手を伸ばす。
とても小さな己の手。
星を掴むどころかそのはるか手前の木の実すらつかめそうにない小さな手。
しかしそれでも、天に届けと握りしめる。
それが自分の始まり。






第1話  神と俺のファーストコンタクト






朝起きたら執事服の似合いそうなダンディなおっさんが妙なポーズを決めて立っていた。





セーラー服姿で。





体はおろか思考まで凍りつく。
よく肉食獣の様だと称される目を見開き、たっぷり3分ほど硬直して風間誠次はベッドから足を下ろした。
柄も何もない掛け布団の掛けられた飾り気のないベッド。
まあ男の部屋のベッドに可愛らしいプリントだらけのベッドがあったらそれはそれでミスマッチである。

そこは誠次の自室だ。
といっても今いるのは誠次の家ではない。
彼の家はとある片田舎の山奥。
殆ど人の寄りつかない小さな屋敷だ。

ここは誠次の通う高校の男子寮だった。
麻帆良学園。
世界最大規模の学園都市。
小学校から中高ときて大学まである、学生と言う人生のそれなりの期間を占める時期をその中だけでも過ごせる充実した街だった。
今は屋内ゆえ見えないが、少し上着でも羽織って散歩に繰り出せば、西洋の街並みを参考に作られた洒落た街が誠次の目に移るだろう。

全体的に完成された都市で、各種施設も充実し買い物娯楽もほぼすべて街の中で済ませてしまえる。
実際誠次もこの麻帆良に来てからたまにしか街の外まで足を運んでいない。

施設の充実と言う点ではそれは学園周りにも当然行きわたっており、男子寮とはいえ小汚なさや古臭さはそれほどなく、非常に生活しやすい環境ではあった。
友人のリサーチによると女子寮の方はさらに綺麗だそうだが、誠次にはあまり興味はなかった。
というかむしろ何をリサーチしているんだとツッコみたい。

まあ今はそんなことを考えてもしょうがない。
いい加減現実逃避をするのをやめて、ベッドに腰かけた状態で眼前の物体を眺める。

体つきはスマートだ。
無駄な肉がなく、それでいて痩せすぎてはいない。
理想的な体型と言っていいだろう。
顔は先ほど述べた様にダンディと言っていい、整ったものだ。
外人的な彫りの深い顔立ちに、ヒゲがいい感じに風格を出している。


だがセーラー服。


これが全てをぶち壊しにしていた。
良い格好をする必要はない。
普通の格好をするだけで見れるものになりそうなおっさんだがセーラー服ではどうにもならない。

ただの変態だ。

誠次は起きぬけのショッキング映像で痛みだした頭を抑え、眼前の物体(人と呼びたくない)へと低く押し殺した声をかけた。

「オイあんた……」

「私は……」

物体は誠次の言葉を遮る様に口を開くと、ポーズは崩さぬまま顔をグリンとこちらに向けた。
厳かとも取れる声音で続ける。




「私は神だ」




誠次は物体の発した言葉を心の中で反芻する。
一度では理解できなかったのだ。
5度ほど反芻して、ようやく理解する。
そして行動を開始した。

「だあっしゃあああああ!!」

気合の声と共に渾身の力を込めて拳を「物体」の顔面に叩き込む。
「物体」は悲鳴を上げる事すら出来ずに錐揉みしながら吹っ飛んだ。
そして勢いよく壁に激突し、そのまま壁に突き刺さって止まる。

「ただの変態じゃなくて筋金入りの変態だったか」

動かなくなったソレを睨みながら吐き捨てる。
毒づきながら枕もとに置いてあった携帯を手に取った。

そして迷わずボタンを押す。

1、1、0と。
言わずと知れた警察への通報番号である。
罪状は何になるのだろうか。
不法侵入か。
猥褻物陳列罪あたりを適用できないだろうか。

頭の中で電話に出た警察の人間にどう説明するか言葉をくみ上げながら、聞きなれた呼び出し音の後返事が来るのを待つ。

すると近くからジリリリンと古めかしい呼び出し音が響いた。
電子音が主流になった今ではめっぽう聞くことのなくなったベル式の呼び出し音だ。
無論のこと誠次の携帯電話の着信音はそんな音ではない。
購入時から全くいじっていない電子音だ。
見れば壁に突き刺さっている筈の男が何時の間にか傷一つない姿で部屋の床に正座し、ポケットから電話を出しているところだった。
携帯電話ではない。公衆電話として置いてある様な奴だ。
当然だが到底ポケットに入るような代物ではない。

唖然として見つめる誠次の前で男は受話器をとった。

「もしもし私だ。神だ」

声は誠次の耳もとの携帯電話からも聞こえてくる。
110に掛けた筈なのだが、どうやら眼の前の男の元につながったらしい。

誠次は無言で電話を切ると発信履歴を調べた。

表示される番号は110。
やはりあっている。

もう一度かけてみる。

(1、1、0、と)

心の中で読み上げながらボタンをプッシュする。
プルルルルという聞きなれた音。
近くで鳴りだす古めかしい電話の音。
男が手元の電話の受話器を取る。
同時に耳もとの誠次の携帯電話から声が響いた。

「もしもし。神だが」

誠次は立ち上がり、男のもとに行くと緑色の受話器ををむしり取った。

「をいコラ」

怒気を込めて告げる。

「なんで110番にかけてお前んとこにかかるんだよ」

男はさも当然とでもいう様に頷くと、

「それはな……私が神だからだ」

「いや意味解らんし。おおかた俺の携帯に細工でもしたんだろう?ほれ戻せサッサと戻せやれ戻せ」

男の額にぐりぐりと携帯の角を押し付ける。
それなりに力を入れているのだが男は眉ひとつ動かさない。
痛覚が欠けているのではと疑いたくなるほどに平気な顔で、こちらの問いに答えてくる。

「お前の携帯電話に細工などしていない。単に神の力でお前の通話を私の携帯電話につないだだけだ。戻せと言われても戻しようがない。その携帯は何一つ変わっていないのだからな」

誠次は訝しげに眉をひそめると押し付けていた携帯をひっこめ、代わりに人差し指を男の鼻先に突きつけた。

「神の力だあ?寝言は寝て言え。それとその公衆電話もどきはケータイじゃねえ」

「寝言ではない。ゴッド・パウワァだ。それと携帯しているのだから携帯電話だ。何の問題がある?」

二人して睨みあう。
もっとも険悪な眼差しで唸っているのは誠次の方で男は泰然としたものだが。

数十秒ほどして誠次は根負けしたように嘆息した。
携帯を後ろのベッドに放ると、虫でも追い払うかのような仕草で手を振った。

「わかったわかった。お前は神の力を持ってる。そういう事にしてやるからとっとと出てってくれ。そして二度と俺の前に現れんな」

心底うんざりした様子の誠次の言葉に男は不満げに眉を寄せた。
体を反らし、両手を高く掲げたみょうちきりんなポーズを決めながら男は言う。

「ふっ。どうやら信じていないらしいな。ならば見るがいい!神の力を!」

高らかに宣言し男は右拳を胸の前で握りしめた。
そのまま真剣な表情で唸り始める。

「ぬふおおおおおおおお!」

窓の外で雷鳴が鳴り響き、雷光が閉まったカーテン越しに誠次の部屋を照らし上げた。
その気迫に誠次は息をのみながら男の見せる神の力とやらを待つ。

「はあっ!!」

裂帛の気合いと共に男が右手を開く。右手の中に一輪の花が表れていた。
薄闇に閉ざされた部屋を沈黙が支配する。
男はどうだと言わんばかりの自信満々な表情で花を片手にこちらを見ている。
誠次は大きく息を吸い込み、男の顔に狙いを付けた。

「手品じゃねぇかぁぁぁぁ!!」

咆哮と共に全身全霊でドロップキックをお見舞いする。
男の体がボールの様に吹っ飛び、壁に人型のへこみを生んで止まる。
半分ほど壁にめり込んだ男はよっこらしょと言いながら体を引っこ抜き、体についた埃を払った。

そして息を荒らげる誠次を眺めながら明らかにわかっていない口調で呟いた。

「全く何が不満だと言うんだ」

「何がと聞くか……」

やれやれと首を振る男に誠次は震える声で唸る。
誠次はまなじりを吊り上げると、己の最大声量で叫んだ。

「もういい!でてけ!テメェみたいな変態の相手なんざうんざりだ!いま直ぐ出てけ!即出てけ!!10秒以内に俺の視界から消えろ!」

「むう……」

男は訝しげに眉をひそめる。
何を怒っているのか解らないという様子だ。

首をかしげ、腕を組みながら歩き出す。

なぜかドアでは無く誠次の方へ。
そして誠次のすぐ前まで来るとぐるりと誠次の体を迂回して後ろに回る。

誠次はこめかみに血管が浮き上がるのを確かに感じながら右拳を握り締めた。

「誰が後ろにまわれっつったぁぁぁぁ!!」

咆哮と共に振り向き、昇竜拳じみたアッパーを叩き込む。
唸りを上げる拳が男の顎をとらえ、砲弾じみた速度でその体を上へと吹っ飛ばした。
轟音と共に男の体が頭から天井へと激突した。

男は天井に突き刺さり、首から下だけをぶら下げている。

誠次は大きく息を吸い込み、ゆらゆらと揺れる男の体に怒声を叩きつけた。

「俺は出てけっつったんだ!つまんねぇことしてんじゃねぇ!」

「ふと思ったのだが」

突然後ろから響いた声にびくりと体を震わせる。
恐る恐る振り向くといつの間にか男が後ろで顎に手を当ててこちらを見ていた。
先程男が突き刺さっていた場所を確認すると人の頭位の穴が開いているだけで何も無い。

「お前は少し乱暴だな」

言ってパチンと指を鳴らす。
すると信じられない事に壊れた壁や天井が、時間が巻き戻るかの如く修復されていく。
床に散らばった破片たちが重力に逆らって浮かびあがり、それぞれの本来あったところへと飛び込んで行った。
まるでパズルのように破片たちは隙間なく詰め込まれていき、数秒後には破壊された後などかけらもない綺麗な天井と壁が誠次の前に現れた。

その様を呆然と見詰めていた誠次に不思議そうに男が問いかけた。

「何を驚いているのだ?」

驚愕の抜けぬ声で誠次は答える。

「何をって……んな魔法みたいなもん見せられれば誰でも驚くと思うが」

男は修復された壁と殴られた時に落とした花を見比べながら、

「ふむ。物体のゼロからの創生で驚かずに単なる修復で驚くとは。やはり人間はわからん」

男が手を広げると光と共に床の上の花が消失し、男の手の中に現れる。

「おお!」

驚愕の声を上げる誠次に気を良くしたのか、男は得意げな顔で鼻を鳴らす。
花はそのまま浮き上がり、空中で淡い光と共にひまわりへと変化し、男が指をならすと光の粉になって消えた。

「おおお!」

更なる驚愕の声に男は胸を逸らす。

「ふん。どうやらようやく信じる気になったようだな。私が神だと」

「いんや全然」

誠次がきっぱりすっぱり告げると男は驚愕に目を見開いた。
信じられないというようにこちらを見つめ、問いかける。

「何故に?」

「何故ってお前」

誠次は男の脳天から足の先までを視線でなぞると、

「セーラー服姿で人の部屋に忍び込むおっさんを神だと認める奴なんぞ、この世にゃいないと思うが」

そう告げた。
その言葉にショックを受けるかと思いきや男は低く笑いだした。

「愚かな。神たるこの私のサービスに気付きすらしないとは」

笑う男に誠次は半眼になって呻く。

「どんなサービスだ。それは」

誠次の言葉を聞くや否や男はビシリとポーズを決めた。
そのポーズの意味はわからない。
今までに見たこともないポーズだった。
男は左手を胸に、右手を天にかざし、視線だけはぴったりと誠次に固定したまま、

「神である私は何でも知っている。お前が実はセーラー服好きで、麻帆良の女学校の制服がセーラー服でないのを常日頃から憂いている事も」

「人聞きの悪い事を言うな。セーラー服姿も見てみたいっつっただけだ」

男は目を見開き、

「ならば……嫌いなのか?」

「いや嫌いじゃねぇけど」

「それみたことか!!」

言いながら懐から取り出した扇子と腰を激しく振り出す男に誠次は頭を抱える。

「で?俺がセーラー服好きなのとお前の恰好とどう関係があるんだ?」

呻くように言いながら、男の手から扇子ををもぎ取る。
男はぴたりと動きを止め、

「お前の渇きを癒してやろうと思ってな」

「お前が着てどうする!おっさんのセーラー服姿なんぞ見たくもないわ!」

叫びながら扇子を床に叩きつける。
男は投げ捨てられた扇子を目で追ったあと、

「それは計算外だった」

悪びれもせずにそう言い放った。
誠次は盛大に痛む頭に左手をあてた。
風邪の時よりも遥かに酷い頭痛な気がした。
もっとも、この上なく健康に過ごして来た誠次は、かなり軽い風邪しか引いたことはないのだが。
呻く。

「学校行くまでもう少しだけ寝たいんで、そろそろ帰ってもらえねえか」

言葉の上でこそ頼む形を取っているが、込めた気迫は命令に近いそれだ。
というか命令のつもりで言った。
だが男にはその誠次の意図は伝わらなかったようだ。

「それは困る。私はまだ目的を何も果たしていない故」

ポーズをとりながらそう答える男に誠次は訝しげに眉をひそめる。

「目的ぃ?どうせ碌な事じゃあるまい。どうでもいいから帰れ帰れ」

しっしっと手を振る誠次に男は不満げに唸ると。

「そういうわけにもいくまい。ことはお前に関わることなのだからな」

「俺にかかわるだぁ?」

誠次は嫌そうに眉間にしわを寄せて唸る。
絶対ろくでもないことに違いないと直感が告げているのだが、ほうっておくと大変なことになる気もした。

そのためいやいやながら男の言葉に耳を傾ける。

男は誠次が聞く体制に入ったことを確認すると朗々とよく通る声で告げた。

「実は最近暇でな。なにか面白いことがないかとあちこち見て回っていたのだ」

「ほう」

とりあえず相槌を打っておく。
どう対応するにせよ、話を最後まで聞かないことには判断はできない。
男は鷹揚に頷くと、

「そこで私はこの麻帆良学園においてついに、実に面白そうな連中を見つけたのだ」

「面白そうな連中ねぇ」

その言葉に納得しないでもない。
確かに麻帆良は個性的で気質的に元気のいい連中が多い。
この麻帆良なら確かに面白そうな連中の一つや二つ簡単に見つかるだろう。
かくいう誠次の友人にも面白い奴は結構いる。

「ただ彼らを観察するのでも面白そうだったが、もっと面白くできないかと思ってな」

「ほう」

雲行きが怪しくなってきた。
誠次は眉間の皺をより深くした。
いやな予感がしたのだ。
だがそんなこちらの心情などまったくお構いなしに男は楽しそうに語り続けた。

「そこで同じ麻帆良に興味深い奴がいることに気付いたのだ」

「ほほおう」

言いながら組んでいた腕を解き、握って開いてを繰り返し、準備する。
それに気づいているのかいないのか、男は拳を握って力説する。

「そこでそいつを件の面白そうな連中の中に放り込み、それを眺め、ときには私自らひっかきまわして楽しもうと思ったわけだ!」

「なるほど。その興味深い奴ってのが俺か!」

男は左手を天に掲げ、右手でびしりと誠次を指さす。
なんのポーズだろうか。やはり覚えはない。

「その通り!」

「絶対嫌じゃボケ!!」

指された右手を弾きながら叫ぶ。
男は驚愕の顔で両手を戦慄かせると、

「なんと!神の意志に逆らうと!?」

「やかましい!俺はお前を神だなんて認めてねぇ!」

男はまじめな顔で顎に手を当て、からかうようないやらしい笑みを浮かべて言った。

「照れ屋なのだな」

誠次は確かにこめかみ血管が浮き上がるのを確かに感じた。
怒りに震える声で呟く

「殺されてぇのか?お前は……いいんだぞ。俺はここでお前の顔面を叩き潰しても」

胸倉をつかみ上げ、ただでさえ鋭い目つきをさらに鋭くして睨み上げる。
だが、男は誠次の放つ殺気などはじめから無いかのように、嘆息して肩をすくめて見せた。

「やれやれ血の気の多いことだ。そんなことでは日々いさかいが絶えないのではないか?」

「余計な御世話だ。お前ほど俺の神経を逆なでする奴は普通いないから問題ないんだよ」

男は何気なく誠次の手に触れるとあっさりと胸倉をつかむ手を開かせてしまった。
力を吸い取られたかのようにあっさりと開く自分の手を驚愕の面持ちで見つめながら誠次は低く唸った。
男は涼しい顔でしわの寄ったセーラー服を叩いて整えると言葉を紡ぐ。

「残念だがお前に拒否権はない。人はすべからく神の言葉に従うものだ」

「てめえ……たいがいにしとかねえと本気で頭蓋をへこますぞ」

険悪に言う誠次に男は苦笑して手を振った。
井戸端会議のおばちゃん並に軽い仕草である。

「まあまあ。そう邪険にせずに軽い気持ちで入ってみるがいい。面白いクラスだぞ」

「クラブですらねぇのかよ!違うクラスなんかに入れるわけねえだろ!」

叫ぶ誠次に男はかっと目を見開き、吼える。

「案ずるな!そのためのゴッドパワーだ!すでに根回し、手続き、細工は済ませてある!」

「何しとんだお前は!無茶苦茶なことすんじゃねえ!」

「貴様もあきらめて2-Aに入るがいい!」

叫び返そうとして誠次は訝しげに眉を寄せた。
誠次の記憶では2-Aはそれほど面白いクラスとは言えない。
むしろ自分のいるクラスの方が面白いと言っていいぐらいだ。

「2-A?あそこはどちらかというと真面目なクラスなような……」

誠次の言葉に男はさもありなんと頷いた。
意地の悪い笑みを浮かべ、口を開く。

「当然だ。お前の通う男子高校ではないからな」

男の口から吐き出された無茶苦茶な言葉に誠次は叫び声をあげる。

「男子中かよ!行けるわけねえだろ!」

その言葉に男が心外だと言わんばかりに声を張り上げた。

「違う!女子中だ!」

「なおさら行けるかあああああ!!」

力の限り絶叫しながら拳を男の顔面に埋め込み、そのまま地面に叩きつける。
フローリングの床が軽く陥没し、埃を巻き上げた。

鼻息荒く、床に沈んだ男の背に言葉を吐き捨てる。

「男の俺が女子中に行くだ?お色気シーンが売りのハーレムマンガじゃねえんだ!そんなことできるわけねえだろ!」

男はがばと身を起しこちらをびしりと指さすと、非難するように言い放った。

「ハーレムだと!現実を甘く見るな!ちょっと顔がいいからって図に乗るんじゃない!」

「ハーレムマンガ“じゃねえ”っつってんだ!その単語にだけ反応すんじゃねえ!」

ひとしきり叫んで荒くなった息を整えながら誠次はゆっくりと言葉を紡いだ。

「俺が女子中に行くなんて絶対無理なんだよ。お前もあきらめて帰れ。迷惑にならん程度にそのクラスを見物してろ」

男はふむと唸ると右手の人差し指をぴっと立てた。

「お前は自分が男だから女子中には行けんと行っているのだろう?」

その言葉にしぶしぶだが頷く。

「まあ他にもいろいろ問題はあるが、最大の理由はそれだな」

男は誠次の言葉に得意げな笑みを浮かべると歯を輝かせてサムズアップしてきた。

「ならば安心しろ」

自信たっぷりな言葉に誠次は嫌そうに顔を歪めながら一歩退いた。

「どう安心しろって言うんだよ」

男は誠次が一歩引いた分前に歩み出ると、ぐいと顔を近づけてきた。
息のかかる距離で男が言い放つ。

「私が神の力でお前を女に変えるからだ」

「絶、対、いやじゃわボケが!!」

荒々しく怒鳴り、男の体を押しのける。
男に指を突きつけ、

「何が悲しゅうてお前の気まぐれで人生狂わせられなきゃならんのだ。冗談じゃない。あきらめろ。そして帰れ!」

男は鷹揚に頷き、腕を組んだ。
厳かな声音で言う。

「お前は絶対に女になって2-Aに行きたくはない。だが私も引く気はない。私たちの意思は真っ二つに分かれたわけだ」

誠次は不機嫌そのものの顔で吐き捨てた。

「変態の気まぐれに俺が付き合う義理はねえがな」

「神たる私が人間風情の都合を気に掛ける義理もない」

当たり前のことのように言い放たれた言葉に誠次が青筋を浮かべながらバキボキと指を鳴らす。
その様子を涼しい顔で流した男は懐に手を差し入れる。

「だが私は寛大だ。お前にチャンスを与えよう」

何かを取り出した。
コインだった。
百円玉とかそういう安っぽい代物ではない。
金色で精緻な細工の施された立派な代物だ。

「いわゆるコイントスというやつだ。表が出たら私は実行する。だが、裏が出たらあきらめて帰ってやろう。結果は神のみぞ知るというやつだ」

「だからそもそも俺には付き合う理由がねえっつってんだよ」

不機嫌に唸る誠次を無視して男は続ける。

「ちなみに人の顔が書いてある方が表で、建物が書いてある方が裏だ」

「だからな……」

腹の底から絞り出すように唸る誠次。
そうしないと声が出てこなかったのだ。
だがそれをあくまで無視して男は目を見開き、雷鳴を背負って叫んだ。

「刮目せよ!!これはお前の運命を決めるコイントスである!!」

言ってコインを弾く。
コインは金色の輝きを撒きながらくるくると回転して宙を舞った。
男の頭の少し上で停止し、重力に引かれて落ち始める。
男はコインを右手の甲で受け止め、素早く左手で押さえつけた。

数秒して男はゆっくりと左手をどけた。
これまたゆっくりと視線を落とし、コインを確かめる。

コインは人の顔の面が上になっていた。
男が厳かに言う。

「表だな」

確かに人の顔が上に出ている。それは間違いなかった。
誠次は無言で歩み寄ると男の手からコインを取り上げた。

「……おい」

凶悪な笑みを浮かべながらコインを裏返しながらつきつける。

「両面とも人の顔なんだが……どういうことだ?」

殺気すら込めた言葉に男はふっと笑うと、

「言っただろう。結果は神のみぞ知る、と」

「インチキじゃねえか!!」

叫びながらコインを男の眉間に叩きつける。
男の首が勢いよく後ろに倒れ、戻って来た頭の額の部分には綺麗に赤いコインの跡がついていた
だが、男は痛がる風もなく、掲げた右手に光をためだす。

「まあ何はともあれ表が出たわけだし」

「ちょっと待てっ……!」

「いざ!これが神の力だ!!」

まばゆい光が部屋を埋め尽くし、男の右手から一条の稲妻が迸った。
稲妻は誠次の体を打ち据えると、その全身を覆い尽くす。

「がああああああああああ!!」

激痛が誠次の体を襲った。
全身が焼き尽くされるような灼熱感が走り、触覚嗅覚聴覚が一瞬で吹っ飛ぶ。
次第に視界が虫食いのように黒く染まっていき、やがて視覚が消滅する。
すべての細胞一つ一つがバラバラに引きちぎられるような痛みが容赦なく誠次の意識を叩き潰し、大地も空もない闇の底に落ちたような浮遊感が体を襲った。

体が崩れていく。
感覚の消えゆく中、そんな感覚を覚えた。
突然ぷつりと痛みが消える。
痛覚も消えたのだろう。
自分が魂だけの存在なったようなそんな不安定な感覚。
吐き気を催すその中で、光の粒が収束するイメージが誠次の頭に浮かんだ。
光はゆっくりと、その形をはっきりとさせていった。
まるでどこかにある設計図の通りに光の粘土をこねあげていくかのよう。
五感の消えたはずの誠次の目に、その設計図が映ったような、そんな錯覚が生じた。

突如として感覚が戻ってくる。
浮遊感が消え、足の下に確かに床の感触を感じた。
拳を握ってみると確かに感触が返ってくる。
ゆっくり目を開くと、先ほどと変わらぬ部屋の光景が飛び込んできた。

眼前では男が満足げに頷いている。

「終わった……のか?」

「うむ完璧だ」

恐る恐る己の体を見下ろす。
昨日寝た時と同じパジャマ。
だがその胸の部分を立派な二つの膨らみが押し上げていた。正直きつい。
両手で触ってみる。柔らかい感触が両手に返ってきた。
下のほうも触ってみる。
あるはずのものが跡形もなく消えていた。

「見るがいい!生まれ変わった己の姿を!」

男が体の後ろから服屋に置いてあるような大きな鏡を取り出す。

「どっから出した、今……」

ツッコミを入れながら鏡に映る自分の姿をじっくりと眺める。

少し伸びたざんばらの黒髪。肉食獣じみた鋭い目つきをしたちょっと恐めの美女が鏡に映っていた。
明らかに女の顔なのだが、もとの誠次の面影も残っていた。
自分に姉か妹がいたらこんな感じなのかなと思わないでもない。

身長は前と同じ170後半ぐらいで、出るとこ出て引っ込むところ引っこんでいる見事なプロポーションだった。

「ま……まじで女になっちまっている」

震える声でいう誠次に男は鏡を体の後ろに戻しながら

「無論だ。私は神だぞ。これぐらい朝飯前だ」

その能天気な声に、驚愕によって頭の隅に追いやられていた怒りが舞い戻ってくる。
誠次は近くにあった男の胸倉を乱暴に掴んで引き寄せると、声でその横っ面を殴ろうとするかのように激しく言葉を叩きつけた。

「得意げになってないで戻さんかい!!」

「はっはっはっはっは」

胸倉を掴んでがくがく揺らすが男は気にした風もなく笑っている。
どこからともなく服を取り出し、それを見せてきた。

魔帆良女子中の制服だ。
男はそれを持ってにじり寄りながら

「さあ!これを着ていざ2-Aに行くがいい!!」

「ぜ・っ・た・い・嫌じゃあああああああ」

絶叫が誠次の部屋でこだまする。
窓の外から夜明け特有の半端な光が差し込み、部屋の二人を照らしあげていた。












修正あとがき?
読み返してみると、際立って地の文が少ない気がしたので足してみました。



[9509] 第2話 戦艦SEIJI、味方無し(特に意味はない)
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2010/03/17 12:32
神と俺のコイントス02





第2話





誠次は困り果てた顔で唸っていた。
残念ながら不可思議な力で性別を変えられてしまった時の対処法など誠次の頭には存在していない。
女になってしまった体を今までと同じ男子高校の制服に包みながら、誠次は昨日まで通っていた高校の前で唸っていた。
女が着ることなど想定してない男子校の制服に締め付けられる胸の苦しさが苛立ちを加速させていた。

どうしたものか。
風間誠次の親戚を名乗り、新たな人生を送るか。
戸籍も後ろ盾もなくそんな真似をできるとは思えない。
何事もなかったかのように風間誠次として今まで通りの生活を送るか。
いきなり女になるなんて超常受け入れられるわけがない。
なぜこうなったのか問われて、正直に話しても誰にも信じてもらえないのは明白だ。

「そうか!いっそニューハーフを名乗ってしまえば風間誠次が女でも問題は……!」

そこまで言って口をつぐんだ。
嘆息と共に頭を抱える。
無理だ。
ニューハーフを名乗るなら、女口調で女っぽい仕草をしなくてはならないだろう。
だがそんな生活には耐えられそうにない。

「どうすりゃいいんだ?」

泣きたい気分で誠次は呟いた。
昨日の変態を捕まえて戻させるのが一番なんだろうがそれも難しいだろう。

怒り狂った誠次に詰め寄られながら、やたら格好いい顔でたとえ殺されても戻すつもりはないと告げる男に堪忍袋の緒が切れるのを感じたのを覚えている。

怒りのままに男を血みどろになるまで殴り続けてやったが、男はさしてこたえた風もなく、一瞬で殴られる前の無傷な姿に戻ると「ジョニーが呼んでいる」とか言いながら壁をすり抜けて後ろ向きに走り去って行った。

ここで立ち往生していても仕方がない。
勇気を出してクラスにでも行ってみようか。
意外とナチュラルに受け入れてもらえるかもしれない。
「はっはっは。大変だったな~」とか言って普通に今まで通りの学校生活に……

「んなわけなかろ。うう、ちくしょう。いっそ山にでもこもろうか」

それが一番な気がしてきた。
丁度おあつらえ向きにとある田舎の山奥に親戚の家が一軒ある。
誠次も住んでいたことのある家だ。
そこで誰ともかかわらずに仙人の如く隠居するのもいいかもしれない。

うつろな眼差しで虚空を見つめる誠次には後ろから近づく人影になど気づける由もなかった。

「超美乳のかわいこちゃんめ~っけ」

突然軽薄な声と共に胸に妙な感触が走る。
視線を下ろすと後ろから伸びてきた腕が誠次の胸を鷲掴みにしていた。
無理やり首を回して後ろを見ると、そこには見慣れた顔があった。
2枚目と3枚目の中間の整っていはいるがひょうきんな色を宿す顔。
安っぽい金色に染められた髪が肩口まで延ばされており、口元にはへらへらした笑みが浮かんでいる。

「ダッ、ダイゴ!」

思わず声が裏返る。
あっさりと知り合いに遭遇してしまった。
須藤大吾。誠次の友人の一人だった。
いつも女性を見ては真面目な顔で胸に点数をつけている変人ではある。

どうしたものか。
ごまかすか。カミングアウトするか。
誠次の心に嵐が吹き荒れる。
だが背後のダイゴはそんな誠次の胸中など知る由もなく、どこか抜けた声で残念そうにつぶやいた。

「う~ん。バストは俺の人生で見てきた中でも最上級だし全身のフォルムも素晴らしいんだけど、ちょっとというか滅茶苦茶筋肉付きすぎだな~。なんつうか冗談抜きに鋼みたいだ。男ならカッコイイけど女でこれは……」

言いながら誠次の胸を揉みしだく。

その感触にしばし沈黙したのち誠次はとりあえず考えることをやめて振り返った。
そのまま悪友の頬に思いっきり拳を叩きつける。

「やめんかあああああああ!!」

「ぶべらっ!」

妙な悲鳴と共にダイゴの体が錐揉みしながら吹っ飛んだ。
5メートルほど飛んで完全に壊れた姿勢で地面に突っ伏す。
首根っこを掴んで引っ張り起こしてやるとダイゴはうめき声をあげた。

「う、うう……」

殴られた頬に手を当て、怪訝そうに誠次の顔を見やる。
視線が頬と誠次の顔を往復するにつれてダイゴの顔に驚愕の色が現われてくる。
きっかり30秒後、ダイゴは驚愕の叫びをあげた。

「こ、このパンチ……誠ちゃん!誠ちゃんなのか!?」

「お、おう」

興奮冷めやらぬ様子で詰め寄ってくるダイゴに、誠次は一歩引きながら答えた。
さりげなく胸に伸ばされる手を弾くことも忘れない。

「どったの誠ちゃん?俺には誠ちゃんが女になってるように見えんだけど」

「いやまあこれには深いわけがあってだな……」

言うかどうか思い悩む。
正直な事を云ったところでクレイジー扱いされるのがオチな気もする。
だが言い訳もなしでは怪しいことこの上ない。

言葉に詰まる誠次をどう思ったのかは知らないがダイゴはからからと笑うと誠次の度肝を抜いた。

「ま、いいか」

「いいのかよ!」

思わずツッコむ。
普通友人が突然女になって現れたりしたら困惑していろいろ問いただすもんだろうに。
何を普通に受け入れているのか。

「いやだってさ。手術して女になるニューハーフの方々とかいるわけじゃん。だったら誠ちゃんが女になることもあり得ないことじゃないのかな~ってさ」

あっけにとられながらもどうにか口を開く。
軽く受け入れられたのならそれに越したことはないのだが、どこか納得のいかないところもあった。

「そ、そうか。まあ受け入れてもらえるのは嬉しいというか何と言うか微妙なところだが」

困惑する誠次にダイゴは笑顔で爆弾を落とす。

「それにしても誠ちゃんに女体化願望があったとはね。むしろそっちの方が俺には驚きかな」

たまらず誠次は声を張り上げた。
いただけない。あまりにいただけない勘違いを正さないという選択肢があろうか。

「うをい!言っとくがこれは俺の意思じゃねえからな!」

誠次の切実な叫びにダイゴは笑みを崩さぬまま冷汗を一筋流した。

「ウッソ。マジで?それは……なかなかに壮絶だあね。ショッカーに改造された仮面ライダーに匹敵する体験じゃん。貴重だね。もちろん俺は味わいたくないけど」

「他人ごとだと思って気楽に言いやがって」

不機嫌に唸る誠次に、ダイゴは一転して軽い調子で笑いながらばしばしと誠次の肩を叩いてきた。

「まあまあ。いきてりゃいろいろあるさ」

「なんつーか、そんな一言で片付けられる次元の話じゃないと思うんだが」

言って誠次は嘆息した。
いつの間にかこちらの胸を触っているダイゴの手をきつくつねり上げながら、残った手で頭を抱える。
するとそれを見たダイゴが怪訝そうな顔をした。

「なあに悩んでんの?誠ちゃん」

だが声音に緊張感は、正直無い。
ダイゴの気楽な声に誠次は顔を向けながら、

「いや、俺はこれからどうするべきなのかなあと」

「うーんそうだねぇ」

ダイゴは少し真面目そうな顔で唸るとぐりんと顔をこちらに向けてきた。

「俺とお茶しない?」

とりあえず顔面に拳を埋めておく。
誠次はそのまま、大きくのけぞったダイゴに怒声のコンボを叩きつけた。

「アホかっ!俺は男だぞ!見境ってもんはねえのか、お前には!」

叫ぶ誠次に、ダイゴもまた素早く体を起こすと、憤慨したように声を荒らげた。

「何を言う!俺はかわいこちゃんにしか声をかけん!」

腕を組んで自信たっぷりに言い放たれたその言葉に、誠次は親指で自分を指しながら、無駄に真剣な表情のダイゴの顔を睨み据える。

「だからなんでその“かわいこちゃん”に俺を入れるんだっつってるんだ!」

「自信を持て!誠ちゃん!いまの誠ちゃんは確実にAランクはくだらないかわいこちゃんだ!」

「違ああああう!!そもそもなんだ!Aランクって!?」

ぜいぜいと息を荒らげる誠次ににっこりを笑ったダイゴが肩に手を掛ける。
その笑顔は雲ひとつない青空のように澄み渡っていた。

「心配するな。もちろん俺のおごりさ」

「何の話をしとるんだお前は!」

叫ぶ誠次にダイゴは不満そうに口をとがらせると、たしなめるように言う。

「駄目じゃないか誠ちゃん。折角女になって声も美女っぽい感じになったのに。声が嗄れたらもったいないぞ」

「何の心配をしてるんだっ。おのれは!」

「はっはっはっはっは。だまされたと思って俺とお茶しようゼ。いいじゃん。お前はダチと飯食ってるだけと考えて、俺はかわいこちゃんとお茶してると思えばあら不思議。二人とも楽しめて万々歳さ」

爽やかに、だがどこか底の抜けた鍋を彷彿とさせる笑みを浮かべながらダイゴが言う。
頭痛のしだした頭を抱えて誠次は呻いた。

「こ・い・つ・は・~」

そのときだった。遠くから何かが聞こえてくる。
それは風の音のようでもあったし、人の声のようでもあった。
無意識に耳を凝らしてその音を拾う。

「…………っは……………………は………………」

だんだんと近づいてくるその音は、妙に空にこだまして方向を特定させない。
誠次は無言で、またもこちらの胸を触ろうとしているダイゴの鳩尾に拳を叩きこみながら音が近づいてくるのを待った。

しばらくするとそれは人の声だと判別できた。
さらに待つと笑い声とわかる。

「はあーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

高らかに笑いながら何者かがすさまじい勢いで駆けてくる。
走行の軌道で土埃が舞い上がっていた。

「はあーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

やかましいぐらいの笑声の主は誠次の横を通り過ぎた瞬間、車の急ブレーキじみた音を足元から響かせながら急停止して見せた。
地面に靴とすれたブレーキ跡が黒く残っている。

立ち止まったのは20代後半の男だった。
体育会系のさわやかな笑みを浮かべながらやたら元気な声であいさつしてくる。

「おはよう!須藤に風間!ちゃんと朝飯食ってきたか!」

これを親しみやすいととるか暑苦しいととるかは人それぞれであるが、ちなみに誠次は中間であった。
しかもこの男これで数学教師である。
年がら年中ギア全開で行われる授業は不思議とわかりやすいというのだから侮れない。
この良くも悪くも個性的な教師が誠次の担任だった。

「どうした風間!暗い顔して!悩みがある時は運動だ!スクワットでもするがいい!」

ちなみにこの男、生徒が宿題を忘れると教壇の横でスクワットをさせることで有名である。
そしてなぜか忘れた者が二人以上いるときは自分まで一緒になってスクワットをやりだす。

面白いといえば面白いが、謎である。

先生は爽やかに白い歯を輝かせながら、

「友達同士仲がいいのはいいことだがほどほどにしないと遅刻するぞ!とくに風間は今日から女子中の方にいくんだろう!?」

強烈な爆弾を落としていった。

「ちょっと待てえええええ!」

思わず絶叫する。

「何だそれ!?なんで俺が女子中に行くことになってんだよ!」

すると先生は困ったように眉を寄せた。
無駄に活力のこめられた声で答えてくる。

「そう言われてもな!先生は上からそう伝えられただけだ!」

「おかしいだろ!男の俺が女子中なんて!」

誠次自身は至極当然なことを言っているつもりだ。
だが先生は無意味にガッツポーズなどとりながら、

「だが今のお前はどこからどう見ても女だ!ならば女子校に行くのは当然!」

「そこにも疑問を挟むべきだけど、百歩譲って女子校にいかにゃならんとしても行くべきは高校だろう!なんで中学なんだよ!」

「だからそれを先生に言ってもしょうがない!」

「くっそーー。何がどうなってやがるんだ」

そのとき昨日の変態の言葉が脳裏をかける。

『すでに根回し、手続き、細工は済ませてある!』

誠次はこみ上げる怒りのままに噛みしめられた歯の間から声を漏らした。

「おのれええええ。あのセリフはこういう意味か。マジで殺しとくべきだったか。あの変態」

全身から鬼気を噴き出す誠次の肩をダイゴが叩いた。
振り向くと驚くほど真剣な表情でこちらを見つめている。
その顔には一片のおふざけも感じられなかった。

「誠ちゃん……誠ちゃんが女子中に言っても俺たちは親友だ」

「お、おう」

その妙な迫力にのまれて誠次は生返事を返す。
ダイゴは頷くとその真面目な顔のままで口を開いた。


「だから向こうで見つけたかわいこちゃんを俺に紹介してくれ」


とりあえず脳天に拳骨を落としてやった。















学園長室。
質のいい調度品で構成された広いその部屋で誠次は二人と向き合っていた。
ダイゴとも別れ、途方に暮れている誠次に高畑を名乗る男が「話があるから学園長室に来てくれ」と言ってきたのが今から15分前。
言われるままに後をついて、学園長室に来たのが2分前だ。

学園長らしいやたら後頭部の長い老人と無言で睨みあって今に至る。
これで高畑とやらの方が学園長だとしたら驚きだが、まあそれはないだろう。
なんかどっかで聞いたことがある気がするし。デスメガネとか。

先に沈黙を破ったのは学園長だった。

「お主が風間誠次君じゃな」

「ああ」

ぶっきらぼうに返答する。
相手はこの魔帆良の学園長なのだが、どうにも敬語で話す気になれなかった。
眼だ。
不審の色を宿してこちらを探るように見るその眼が気に入らなかったからだろう。
学園長は一度息を吐いて、鬚をなでると口を開いた。

「今朝がたのことじゃが、この魔帆良女子中の名簿や書類に細工がしてあるのが発見された。風間誠次という人間が新しく入ることになっておったのじゃ。それと同時にかかわりのある教師にもいつの間にか通達がいっておった」

頭を抱えて呻く。
あの変態の仕業に間違いあるまい。

「常識で考えて男の、しかも高校生が女子中に入ることなどあり得ない。だがそれを怪しむものは誰もいなかった」

担任と友人の様子を思い出す。
彼らも誠次が女になっていたことにさしたる疑問も持っていなかった。
今にしてみればあれも変態の力によるものなのだろう。

まあダイゴに関しては変態の力抜きでも、美女の知り合いが増えることは嬉しいことだとかぬかして受け入れそうではあるが。

嘆息する誠次に学園長は射抜くような眼差しを向けた。
誠次はいぶかしげに眉を寄せる。
学園長に睨まれるようなことをした覚えなどなかった。
だが、事実学園長は誠次を睨むように見ている。

「偶然魔法の力を知って、自分だけの特別な力だ、いけると踏んだのじゃろうが、残念だが魔法は世界に普及しておる。お主の思い通りにはいかんよ」

「は?」

意味が分からずに問い返す。
だが学園長はそれを無視して続けた。

「書類と学園の者にかけられた暗示はわしらの方で解いておく。お主もあきらめてもとの姿に戻って高校に戻るのじゃ」

沈黙する。
ゆっくりと噛みしめるように学園長の言葉を読み解いて、意味を理解した瞬間誠次は絶叫した。

「ちょっと待てい!あんたらひょっとして俺が自分の意志でこんなことやってると考えてんのか!?」

悲鳴にも近い叫びを上げる誠次を学園長は胡乱気な眼差しで見ると、当然だと言わんばかりの声音で答えた。

「そりゃそうじゃろう。こんなことやって得するのはお主だけじゃ」

ずんずんと歩み寄って学園長の前の頑丈なデスクに手を叩きつける。
強烈な衝撃とともにデスクが陥没し罅を走らせた。

「なにが悲しゅうて男の俺が望んで女になって女子中に通わにゃならんのだ!得する事なぞ何もないわ!」

学園長は陥没したデスクを一瞥し、次にこちらに呆れを含んだ視線を送ると、

「どうせたくさんの女の子に囲まれた生活を送ってみたいとかそんなこと考えたんじゃろう?女になれば簡単に女の子たちの着替えや入浴シーンを覗けるからの」

「見抜いてんだぞ、みたいな顔でふざけたことぬかしてんじゃねえ!一時の性欲を満たすためにその後の人生棒に振るかっ!その後頭部の分脳みそでかいんじゃねえのか!空かそこは!?」

「なっ!わし仮にも学園長じゃよ。もう少し言葉づかいに気をつけた方がいいんじゃないかのう」

「最悪最低の冤罪かけてくる相手に言葉づかいを正す義理などないわ!」

学園長はやれやれと嘆息しながら背もたれに身を預けた。
半眼で誠次を見つめる。

「一般人が偶然魔法の力を手に入れた場合、たいてい調子に乗って暴走するんじゃよ。そしてすぐに鎮圧され、魔法の力を手に入れても世の中を思い通りになど出来ないと知るわけじゃ。お主ももうあきらめなさい。ここでねばっても女子中には入れんぞい」

「いつ俺が女子中に行きたいっつったよ!俺は純然たる被害者だ!」

「被害者?」

訝しげにこちらを見る学園長たちに誠次は血走った眼でまくし立てた。

「今朝いきなり神を名乗るセーラー服着たおっさんがあらわれて、暇つぶしに俺を女子中に放りこむとか言ってきたんだ!断ったら無理やり俺を女にして逃げてったんだよ!」

「むう……」

繰り返し叫んだことで荒れた息を整えながら誠次は学園長を睨み据える。学園長はフォッフォッフォとバルタン星人のような笑い声を上げると、

「錯乱したふりをしてもダメじゃぞ」

「違ああああう!!俺は正気だ!」

「それはそれで問題じゃのう」

「う・があああああああああ!」

頭をかきむしり、天を仰いで絶叫する。
凄絶な様相に冷や汗を垂らした高畑がなだめかけた。

「まあまあ。少し落ち着いて」

肩に手をかけようとする高畑の前で誠次がぐりんと首を回す。
そのまま地獄の底から響くような声で叫んだ。

「誰だ今笑ったのはああああ!」

「いや誰も笑ってな……!」

「そこかああああああああ!」

慌てて言う高畑を無視して誠次は何もない場所に向かって拳を繰り出した。

壊れた。
高畑達の視線に痛々しいものが混ざる。
そしてそのまま凍りついた。

「ぐふぉおおおう!!」

何もない空間から悲鳴とともに男が殴りだされたのだ。
セーラー服をきたおっさんが。
強烈な代物に高畑と学園長の時が止まる。

男は血をだくだく流す頭を押さえながら床を転げまわった。

「へこんだ!頭蓋がへこんだ!」

男はひとしきり転げまわるとけろっとした顔で立ち上がった。
その顔にはもう血の跡もない。

「何をするのだ誠次。今のはわたしじゃなかったら大変なことになっていたぞ」

不満げに口をとがらせる男の顔にもう一度拳を埋め込みながら誠次は叫んだ。
顔面を抑えてのけぞり、のけぞりすぎて頭ブリッジをしている男に指を突き付ける。

「大変なことになってしまえ変態め!お前のせいで俺は人生狂わされたばかりかいわれのない冤罪までかけられてんだぞ!」

男は数秒前まで苦しんでいたのが嘘のようにあっさり起き上がると、真顔でこちらの目を見据え、頷きながら言ってきた。

「うむ、知っている。ずっと見ていたからな。……面白かったぞ♪」

「死にさらせああああああ!」

絶叫とともに渾身の力で殴り飛ばす。
男の体は砲弾の如く吹っ飛び、学園長室の壁をぶち抜いて向こう側に消えた。
人間離れした筋力なのだが、セーラー服ダンディのショックが強すぎて学園長たちはそちらに気が回っていないようだった。

据わった眼で肩で息をする誠次に困惑した声がかかる。

「な、なんじゃね。今の個性がオーバーフローしとる男は?」

その問いに誠次は、憎々しげに吐き捨てた。
荒れた息のせいで言葉がとぎれとぎれになる。

「だから、さっき言った、神を名乗る、変態だ」

壁の穴を見つめながら学園長が旋律の表情で呟く。

「本当の話じゃったのか……」

「まったく酷い話だ」

突如として後ろから響いた声に学園長はのけぞった。
驚愕の眼差しで高畑が見る。
そこには壁の向こうに消えたはずの男がいつの間にか立っていた。

「神の気まぐれに振り回される哀れな子羊を助けるどころか犯人扱いとはな」

「むう……それはすまんかったと思っとる。……ってお主にだけはひどいとか言われたくないぞい。誠次君の話が本当ならすべての元凶はお主じゃろうに」

非難された男はなぜか高速回転してビシリとポーズをとると高らかに告げた。

「その通り!すべての元凶は私だ!」

「開き直ってもダメじゃぞ。そもそも何者なんじゃお主。誰にも気づかれずに書類を改竄したり、先生方の認識を操作したり。ただものじゃあるまい」

詰問する学園長に男は不敵な笑みを浮かべると、

「私が誰かと聞くか。ならば答えよう!」

男は意味もなくポーズなどとりながら全員を見渡した。
よく通る声で告げる。


「私は神だ」


痛いほどの沈黙が世界を支配した。
学園長も高畑も軽く眼を見開き、言葉を失って硬直している。

念のためもう一度言っておこう。
この男はセーラー服を着たダンディなおっさんである。

信じる奴などいない。

学園長は軽い嘆息とともに吐き出した。

「そうか。神か」

思わず肩をこけさせる。
学園長に詰め寄り、非難するように問いかけた。

「うおい!信じんのかよ!」

学園長は表面上は表情を変えないままこちらに視線だけを向けて声をひそめて答えてくる。

「失礼じゃな。誰があんな終焉の具現(セーラー服のおやじ)を神だと認めるものか。話を合わせて情報を聞き出すだけじゃ。お主も合わせなさい」

無言で頷いておく。
隣で高畑が苦笑しているがまあ大した問題ではないので無視しておこう。

「むう失礼な奴だ。ばっちり聞こえているぞ」

不満げに言う男に舌打ちしながら誠次は腕組みして唸った。
学園長は視線を男に戻すと鋭い口調で問い詰める。

「お主が誠次君を無理やり女に変え、女子中に入れようと画策した。間違いないかの?」

「うむ。その通りだ」

鷹揚に頷く男に学園長はさらに問いを重ねる。
その言葉には虚偽は許さないという言い知れぬプレッシャーがあった。
男はさして気にした風もないが。

「何が目的じゃ」

視線は鋭い。
普段の飄々とした姿からは想像もつかない。
まあ誠次は普段の飄々とした方を知らないのだが。

男は学園長に負けず劣らぬ鋭い視線を送ると厳かに言い放った。

「暇つぶしだ」

その言葉に学園長は嘆息とともに片目をつむる。
残った眼で男の姿を眺めながら、

「それを信じろと?」

「無論だ。事実だからな」

責めるような言葉に男は頷いた。

「お主が誠次君を入れようとしたのは、知っての通り特別なクラスだ。それも今は大事な時期。どう考えても何か企んでいるとしか思えん」

「性格、才能、過去、素性。ひと癖もふた癖もある面々を一か所に集めたクラスで、もうすぐ英雄の息子もやってくる。不確定要素は抱き込みたくないといいたいわけだ」

誠次はきょとんとした表情で話を聞いている。
全く意味が分からなかった。
そもそも誠次は一般人である。ついていけるわけもないのだが。
苦い表情で押し黙る学園長に男は肩をすくめる。

「それでお前たちは私が何をしようとしていると疑っているんだ?暗殺か?諜報か?スプリングフィールドだけでなく関西呪術協会の長の娘もいるし、ああ……“あの娘”もいたな」

部屋の空気が凍りつく。
学園長の気配もより鋭いものになっていったし高畑もポケットの中で拳を握っている。
誠次は意味のわからない状況にただ眼を白黒させていた。

誠次は春野さんがだれかなど知らないし、関西呪術協会と言われても関西に呪術の協会があるんだなあということしかわからない。“あの娘”などどの娘だよという感じだ。
だが学園長たちには重要なことだったらしく一触即発の空気を醸し出している。

「そんなに疑わしいのなら魔法でも何でも使って私の心を読めばよかろう?特別に受け入れてやる」

言われて学園長は何事かを呟いた。
その指先に光がともっている。

「真面目くさった顔で疑ってくれているところ悪いが、私は面白そうなクラスに面白そうな奴を加えてもっと面白くしてそれを見て楽しみたいだけだ」

「嘘はいっとらんようじゃの」

学園長は深く嘆息すると背もたれに身を預けた。
沈痛な表情で告げる。

「お主はただ誠次君を加えた2-Aを観察したいだけ。これでいいんじゃな。わかった。受け入れよう」

「うええええええ!最後の砦があっさり落ちた!?」

驚愕の展開に悲鳴を上げる。
あまりの驚きに声が裏返りかけていた。

「学園長!」

高畑が避難するような声を上げる。
高畑は学園長に詰め寄ると。

「あの男に悪意がないとしても、男子高校生である誠次君を2-Aに入れることなんてできません。まして誠次君自身もそれを断固として拒否しています。あの男の気まぐれで……」

「あの男……ロキじゃ」

言葉を遮って告げられた名前に高畑の動きが凍りつく。
高畑は驚愕の面持ちで男を見つめた。
誠次もまた驚愕の眼差しを向ける。

「お前……名前があったのか」

さりげにひどいセリフなのだがツッコむでもなく男は軽く肩をすくめると

「ロキというのは魔法使い達が勝手に呼んでいる名だ。私に名はない。私は唯一無二の神。神と呼べ。神様、でも構わんぞ」

「いや例えこの世の終わりが来ようとも、お前を様付で呼ぶ日などこないと断言してもいいが」

誠次はぐるりと学園長に顔を向けると男を指差して問いかけた。

「で、こいつがロキとか呼ばれてるやつだって事と俺の女子中入りを受け入れちゃうことに何の関係があるんだよ」

不機嫌にそう告げる誠次に高畑が沈痛な面持ちで答えた。

「彼は神を自称する超能力者で、行く先々で悪戯をすることからロキと呼ばれるようになったんだ。正直なところ僕たち魔法使いは彼に頭が上がらないんだ」

「悪戯野郎にか?」

納得いかなげにうなる誠次に、高畑は言葉を続ける。

「悪戯だけじゃないんだ。彼がやったのは。世界各地で起きた災害から人々の命を救ったり、紛争を止めたりと、僕たち魔法使いの手が届かなかった数えきれない人の命を救っている。ふらりとあらわれて何でもないことのようにね。極めつけが1999年の隕石騒ぎだ」

「ああ、あれか」

1999年に地球との衝突軌道にある巨大隕石が発見された。
ノストラダムスの予言はこのことだと大分騒がれたものだ。
かくいう誠次もダイゴと一緒にポテトチップスをつまみながら「大変だね~」と語りあったものである。
女っけのない誠次に世界滅亡の前の餞別だと言って大量のエロDVDを持ってきたダイゴの頭を軽くはたきつつ、誠次の田舎の山の話やダイゴのナンパ話などいろいろと語りあった。
だがまあ騒ぐのも面倒だったので結局二人でゲームして過ごしたのだが。

騒ぐ周囲と一線を画しながら、なんだかよくわからないうちに件の隕石はアメリカの新型ミサイルによって破壊されたというニュースが流れた。
世間というものは喉元過ぎればあっというまに熱さを忘れるもので、2カ月もしないうちに隕石のことについて話題が上ることもなくなった。

「あの隕石を未然に防いだのが彼だ」

高畑の言葉に誠次は訝しげに眉を寄せる。

「お前がぁ?」

「うむ。まあ人間どもの自滅ならまだしも、天災による滅びなら救ってやるのが神の役目かと思ってな。ちょっと行って壊してきた」

「んなコンビニ行くようなノリで言われても」

男は胸をそらして誠次を見下ろすと、傲然と言ってくる。

「私の力が理解できただろう。何だったら神様と呼んで崇め奉ってくれてもいいぞ」

「そんな日は永遠に来ないと断言してやろう。つーかお前が世界を救ったとしても気紛れで俺の人生狂わせる行為が正当化されるわけじゃないし」

半眼で告げた言葉に男が悔しげに唸る。

「むう。余計なことに気付きおって。黙って2-Aに入ればよいというのだ」

滅茶苦茶な言葉に誠次の喉が唸りを上げる。
拳をふるふると震わせて誠次は言った。

「なんか本気で殺したくなってきたなコイツ」

「はっはっは。やめておけやめておけ。私がいなかったら人間なぞ500年以内に自滅するぞ。魔法使い達が頑張っても100年延ばすのが関の山だ」

能天気に笑うその顔にさらに殺意が募るのだが、男は何ら気にもせずに続けてきた。

「お前もあきらめて状況を楽しめ。2-Aは美少女ぞろいだぞ。数十人の美少女に囲まれて学園生活を送れるなどそうそうないことだ。おまけに今のお前は女だ。普通に女風呂にも入れる。美少女達の裸が見放題だ。やったね♪」

「だ・か・ら・一時の性欲のために人生棒に振るつもりはないっつってんだ!」

男の首を締めあげながら獰猛に唸る。
男は顔色を青く変色させながらも真顔で言ってくる。

「それは女性蔑視というものだ。女には女の人生がある。女になったからと言って人生を棒に振ることにはなるまい」

「俺にも男としてのプライドがあると言っとるんだ!」

叫ぶ誠次に男は呆れたように言ってきた。

「むう。注文の多い男だ」

ぶちりと何かの切れる音がした。

「ぎがああああああああ!」

奇怪な叫びをあげながら男の体を天高く持ち上げる。
首をつかむ右腕の先からメキメキと音が響く。
男はどす黒い顔色をしながら、案外平気そうに困ったような顔で口を開いた。
カレーに使おうと思っていた野菜が冷蔵庫に入っていなかったときのような困った顔だ。

「ぬう。それ以上力を入れられると首の骨が折れそうなんで、いい加減放してほしいのだが」

「コ・ロ・ス・ゾ!お前はあああああ!」

どす黒い殺意とともに絶叫する誠次に対し男はからからと笑って見せた。

「はっはっはっは。それは無理というものだ。お前の力では私を殺すことなどできんよ。ほれお前もいい加減あきらめて私の首を離してくれるがいい。そして2-Aで新たなレディ・ライフを送るのだ」

「…………………………」

誠次は無言で男の体を振り上げる。
突き抜けるような怒りに言葉すら出てこなかったのだ。
声無き叫びとともにそのまま渾身の力をこめて床に叩きつける。
床の砕け散る感触とともに手の中でも何かが砕ける感覚が返ってきた。

床の穴から右腕とそれにつかまれた男の体を引っこ抜き、誠次は荒い息をついた。
男の体をゴミのように放り捨てる。
死んだと思われた男は地面に放り出されると普通に立ち上がってきた。
首が途中で変な方向に曲がっているのだが平然と口を開く。

「死にはしないが普通に痛いのでもう少し遠慮というものを覚えてくれないか」

その顔面に拳を埋め込んで昏倒させ、誠次は学園長に食って掛かった。

「あんた!魔法使いなんだろう!俺を元に戻せないのか!?」

「幻術を応用した性別転換なら簡単じゃったんじゃろうが、お主の場合、遺伝子レベルで女に変えられておる。少し難しいのう。それに直せたとしても。わしらが直してロキが変えて、わしらが直してロキが変えて、とどうどうめぐりになることは間違いない」

絶望的な答えに唸りながらも誠次は可能性を模索する。

「男に戻れないとしてもあんたらの魔法で俺を高校に行っても不自然じゃないようにできないのか?」

「出来んこともないじゃろうがやはり最終的にはあの男を説得するしかないぞい。今でこそわしら裏側の人間はお主の2-A入りに違和感を感じているが、あの男がその気になったらわしら裏側のものも普通の先生同様に疑問をもたなくなるじゃろう」

学園長の言葉に男は頷こうとして、首が折れていてうまく頷けないことに眉をしかめた。
手を添えて無造作に首を戻す。
光が軽く首の回りを舞うと、もう男の首は治っていた。
改めて頷く。

「その通りだ」

「んでそんな回りくどいことを」

問う誠次に男は指を左右に振り、わかっていないなあと笑うと、

「違和感を完全に消してしまうと騒動の種が減ってしまうだろう。もったいない」

「いっぺん死ね!お前は!」

叫ぶ誠次の肩に男が手をかけた。
振り向くと男がにっこりと笑みを浮かべている。

「あきらめろ。さもないと魂まで細工するぞ」

ばっと学園長に視線を飛ばし、叫ぶ。

「学園長!」

学園長は通夜の席のような沈痛な表情で告げてきた。

「犬にでも噛まれたと思って……」

「高畑先生!!」

高畑はひきつった苦笑とともに言う。

「いい娘達だよ」

「味方はいないのか味方はああああああああああ!!!」

学園長室に悲痛な絶叫が響く。
だが、それに応えるものは誰もいなかった。



[9509] 第3話 それだけは勘弁してくれ
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2010/04/03 10:30
神と俺のコイントス






第3話  それだけは勘弁してくれ






少女少女少女少女。
見渡す限り少女ずくめ。
少女たちがずらりと並んだその光景はなかなかに壮観である。

最も少女と呼べないぐらい大人びた連中もいるのだが。

(ぱっと見俺より身長高い奴も何人かいるな。本当に中学生かよ)

逆に小学生じみたやつまでいるのだが、小さいのは誠次の友人にもいたからさして驚きはなかった。
チビといわれると激怒するくせに映画館や遊園地などは子供料金で入る。そういう奴だ。

(冷静に考えると俺も身長178あるから、中学生やるにゃでかすぎるんだよな)

自身の数奇な運命に内心で嘆息する。

それにしても神(神だと認めるつもりはないのだが、その呼び名しか認めないというのだからしょうがない)の言うとおり可愛い娘の多いクラスである。
そういう方面に疎い誠次でもわかるぐらい整った顔立ちの娘ばかりだ。
中学生離れした胸の持ち主も多い。
ダイゴが見たら狂喜しそうな光景である。
ついでに言うとなぜか外国人っぽいのも多い。
見れば見るほど妙なクラスだ。

誠次は改めて周囲を見回して嘆息した。
たいていの少女は興味深げにこちらを見ているのだが、一部そうでない者たちもいる。
事情をある程度知っている裏側の連中ということなのだろう。
自分が女でこのクラスに居たとして、男が入ってくるなどと知ったらそりゃあ嫌がる。

やたらと長い金髪をした人形みたいな綺麗さをもつ少女はつまらなそうにこちらを一瞥して、興味を失ったようにあくびをしている。
眼鏡をかけた少しニキビのあとが見える少女は怪しむようにこちらを見ると、忌々しげに舌打ちして視線を下に向けた。
艶やかな黒髪をサイドでまとめた少女はあからさまな不審と嫌悪の視線をこちらに向けてきている。
色黒の背の高い少女はこちらを見て苦笑していた。

担任である高畑が白いチョークで黒板に名前を書く。
なかなかに綺麗な字だが、それを見て誠次は再び嘆息した。

「今日からこのクラスに転入することになった風間君だ。みんな仲良くしてやってくれ」

『ハーーーーーーイ』

少女たちは声を揃えて元気に挨拶する。
その明るさとノリの良さに思わず口元が緩む。
中学生とはこんなものだろうか。
自問して否と答える。
自分が麻帆良にやってきたのもちょうど同じ中2のころだが、そのときのクラスメートはもう少し無関心だったように思う。
高畑の紹介に合わせてできるだけ自然な笑みを浮かべて名乗った。

「風間誠亜だ。よろしく」

そう風間誠亜だ。
2-Aに入るにあたって、性別転換という超常を隠すために風間誠次の親戚の女を名乗るよう言われた。
それにあたり新しく考えた名前が風間誠亜だ。
とくに深く考えずに語感で決めたが割と気に入っている。

なんでも神の力で自分が風間誠次だと知られても普通に受け入れられるよう細工してあったらしいが、魔法使いたちが嫌がったため隠すことにした。
風間誠次が転入してくることを知っていた先生方には書類ミスだったと通達され、誠次は転校、女子中に入ってくるのは誠亜だとされたのだ。
誠次が女になっていることを知っている一般人はみなその記憶を消されたらしい。
ただダイゴだけは慈悲とやらで言いふらせないよう暗示をかけるだけで済まされた。

これまで築き上げた人間関係をすべて白紙に戻してしまうのは可哀そうだと神が主張したのだ。
学園長たちは最初渋ったがよくわからないうちに神が論破した。

個人的には嬉しいことだが、どうせ情けをかけるのなら女子中入りそのものを無しにしてほしいもんである。

「それじゃ何か聞きたいことがある人は手を挙げて」

『ハイ!』

高畑の呼びかけにたくさんの少女が一斉に手を上げる。
根掘り葉掘り聞かれるのはぼろが出かねないためあまり歓迎できないが、ある程度興味を持ってもらえるのはいいことだ。
最低でも神が飽きるまで彼女らとは付き合っていかなくてはならないのだから。

高畑が手を挙げた少女の一人を指す。
少女は明るい声で聞いてきた。

「趣味は何ですか?」

そんなことを聞いてどうするのやら。
まあ趣味が共通すれば会話のきっかけにもなるし意味のない質問ではない。
自分の趣味は何だ。
考えて誠次は首をかしげた。
言われてみるとあまり趣味らしい趣味がない。
都会に来て、ゲームや漫画もたしなむようになったが、物のついでやダイゴの付き合い程度で終わる部分も多く、趣味といえるほどのものじゃない。
テレビは苦手だ。
なんだか喧しく感じる。

「趣味……トレーニング……かな」

歯切れも悪く言う。
小さいころから毎日欠かさずトレーニングをしているが趣味というのともなんか違う気がした。
体を鍛えること自体が楽しいわけでもないし。
だが、他に思いつかなかったので言ったのだが失敗だったかもしれない。
少女たちは微妙な表情をしている。
一部こちらに興味を示したものもいるようだが。

「他に質問はないかな」

微妙な空気を振り払うように言った高畑にまた生徒達が答える。

「好きな言葉は?」

「一撃必殺」

迷いなく答える。
この言葉こそが誠次の一番好きな言葉であり、彼のポリシーだ。
何やら中国人っぽい少女の内、少し色黒の方が目を輝かせたように見えたが気のせいだろうか。

「特技は何?」

「特にないけど鍛えてるから人より力が強い自信はある」

答えるとすぐに次の少女が問いを発す。

「好きな男のタイプは?」

その問いに思わず頬がひきつった。
まさかこんな問いをされる日がこようとは想像だにしていなかった。
見れば隣で高畑も苦笑している。

「と、とくにないかな」

震える声で答える。

「そろそろ終わりにしようか。それじゃあ……」

言って高畑が誰かを指名した。

立ち上がらんばかりに元気よく手を挙げていた小学生じみた双子の片割れが見たまんまの勢いで問いを発する。

「好きな食べ物は何ですかー?」

「ダイ……」

ダイゴの飯ならなんでも。
そう言いかけて踏みとどまる。
新たにこの学園に入ってきたはずの誠亜がいきなり男子、しかも高校生のダイゴと面識があるというのも不自然かもしれない。
いやそこは大した問題じゃない。
誠次つながりで知り合っていたとすればなんとでもなる。
問題は多感な女子中学生たちに、女である誠亜が年上の男の料理が好物だなどと言えばいらぬ想像を掻き立てるに違いないということだ。

ぎりぎりで踏みとどまった自分を褒めながら、誠次は無難にカレーと答えようとした。

その時だ。
頭に聞き覚えのある忌まわしい声が響いてきた。

『あーこちら神。聞こえているか誠次。いや誠亜』

聞こえてくるのは誠次が女子中に入る原因となった男の声である。
軽く視線で周囲を探るが声に反応した様子はない。
自分にしか聞こえていないのだろう。

聞こえているかと言われても返事のしようがない。
でかい声で返事するわけにも行くまい。
突然一人で喋り出したら電波だ。

『頭の中で喋るイメージだそれで聞こえる』

『聞こえてるよ。何の用だ?』

不機嫌に返す誠次に神は気にした風もない。
挨拶でもするような気軽さで言ってきた。

『今現在。危ない筒でそちらを狙っている。吹っ飛ばされたくなければさっき言いかけたことを言え』

『冗談じゃねえ!何考えてんだ!学園長たちを敵に回すつもりかよ!』

思わず冷や汗を流す誠次を少女たちはいぶかしげに見ている。
高畑は何か感じ取ったのか少し鋭い目つきで周囲を見回していた。

『案ずるなこの筒の弾には炸薬の代わりに脱げ魔法が籠められている。爆発してもお前が裸にされて恥をかくだけで怪我人は出ない』

頭に響く声に誠次は半眼になって返す。

『なんだよ脱げ魔法って』

『対象の持っているものと服を一瞬で吹っ飛ばす魔法だ。魔法使い達がよく使う』

『……魔法使いに対するイメージが変わりそうだ』

「誠亜君?」

訝しげに高畑が聞いてくる。
それにあいまいな笑みを返しながら誠次は神に言葉を送る。

『なんで面倒になりそうなことをわざわざ言わにゃならんのだ』

不機嫌に告げる言葉に神はさも当然と返す。

『その方が面白そうだからだ。ほれお前が黙ってるから皆不思議がっているぞ。言うか脱ぐか二つに一つだ』

『くたばりやがれ』

毒を吐きながら誠次はクラスの娘たちに意識を戻した。
いやいや口を開く。

「ダイゴの飯ならなんでも」

沈黙が支配した。
少女たちは軽く眼を見開いて誠次の言葉の意味を吟味している。
きっかり5秒後大音声が教室を揺らした。

「「「「「ええええええええええええええ!!」」」」」

少女たちは一斉に立ち上がりながらこちらに次々と声を投げかけてくる。

「ダッ、ダイゴって男の人ですよね!」

「そ、そりゃまあダイゴなんて名前の女はそうそういないと思うが」

剣幕に気圧されながらも答える。
また別のところからも問いかけが飛んでくる。

「好物ってことは何度も食べてるってことよね!?」

「まあそれなりに……」

少女たちはどこか熱のこもった眼差しでこちらを見ている。

「キャー!それってやっぱりアレってことよね!?」

アレってなんだと言いたい。
髪の長い少女が生暖かいものを見る眼で口元に手をあて、笑いながら聞いてくる。

「ダイゴ君の得意料理はなんなんですか?」

突っ込みたいところはいっぱいあるが誠次は一応答える。

「和・洋・中・伊・仏・印。何でも作れるし、どれも同じぐらい美味いな」

おお~~と関心の声が響く。
ちゃらんぽらんな見かけとは全く似合わない特技である。
ただのおっぱい好きではないのだ。
世界的シェフを両親に持つダイゴは幼いころから料理を学ぶ機会が多かったらしい。
驚異のレパートリーと腕を誇るダイゴの料理は友人の間でも大人気だった。
もっともダイゴの料理を馳走になれるのは誠次を含め特に親しい数人だけだったが。
高級食材使えば美味いのは当たり前。普通の食材使って超美味く作れて初めて一流だというのがダイゴの持論らしい。
高級ホテルで厨房を任されれてる父親とは料理方面ではウマが合わないと時々漏らしていた。
もっともほかのところでは非常に気が合うらしく、一度家に遊びにった際、二人は料理について論争していたと思ったらいつのまにか胸談義で意気投合していた。

白熱するおっぱいトークについていけずに誠次が困っていると、現れたダイゴの母が二人の頭をお盆でひっぱたいて去っていったのが印象に残っている。

その時のことを思い出して苦笑していると、誰かは分からないが気楽なノリで問いかけが飛んできた。

「超包子とどっちがおいしいですか~」

どしてそういうこと聞くのか。
このクラス確か超包子のシェフとか従業員とかいるはずだ。
超包子に行ったときに見た顔がいるし。
これでダイゴとか答えたら印象悪くなるじゃないか。

「ほほう。それは是非とも聞きたいネ」

なにやら眼を輝かせているのがいる。
色の白いほうの中国人だ。

誠次は苦笑しながら答えようとする。

「だいたい同じ……」

<須藤さんの方が上手ですよ>

だがそれを遮るものがいた。
少しふっくらとした少女で温和な空気を醸し出している。
確か超包子のシェフじゃなかろうか。

<少し変わっていますけど料理人としては凄いですよ>

おお~~とまた感心の声が上がる。
誠次は内心で苦笑した。
あまり持ち上げてくれるなと言いたい。
しょせん変人だし。

「あの!」

ショートカットの少女が胸の前で拳を握りながら言ってくる。

「やっぱりダイゴさんとは恋人なんですか?」

背筋が凍りついた。
あいつと俺が恋人……なんて、なんて恐ろしいことを言うのか。
予想できることではあった。
こういう反応が返ってくることは。
だが、それでもなおその恐ろしいセリフは容赦なく誠次の心を打ちすえた。
鳥肌が立つ。
隣では高畑が苦笑していた。
誠次はひきつった顔で噛みしめるように言う。

「絶・対・それはない」

静かなる気迫を発する誠次に少女たちは気圧されたように頷いた。

「なーんだ、違うのかー」

そこ。なぜに残念そうなのか。
窓の外から笑気を感じて誠次は鋭い視線を送った。
おそらくあの変態が爆笑しているのだろう。
殺意で人を殺せたなら3人ぐらい殺せそうな目つきで睨んでおく。

横では高畑が手を叩いて皆をまとめていた。

「それじゃあ質問はこのくらいにして。まだ何か聞きたいことがあったら休み時間にでも聞いてくれ。新しい学校で分からないこともいろいろあるだろうから、みんな教えてあげて欲しい。誠亜君の席は一番後ろの空いているところだから。それじゃあHRを終わりにするよ。」

誠次が席に着いたのを確認すると、委員長らしき少女の合図で全員が立ち上がって礼をする。

高畑が出ていくと同時にどっと人が駆け寄ってきた。
あっという間に誠次の周りに人の壁を作ってしまうと、好奇心に充ち溢れた表情で口々に質問しだす。

「ちょちょちょっと待ってくれ。そんな一気に言われてもわからん」

困ったように言うと周囲の少女たちは笑いながら頷いた。

「そうだよねー。聖徳太子じゃないもんねー」

「しょうとくたいしが誰かは知らんが。一人ずつ聞いてくれ……どした?」

誠次が答えると、周囲の少女たちは驚いたようにこちらを見る。

「誠亜ちゃんってひょっとして……」

「ひょっとして、なんだよ」

聞き返すと少女はあわてたように手を振った。

「ううん何でもないよ。アスナー。仲間が増えるかもよー」

その言葉に髪留めに鈴をつけたオッドアイの少女が微妙な顔で返事している。
何の仲間だろう。

『ククク。いいぞ。もっとやれ』

『お前は黙ってろ』

頭の中に響く声を切り捨てる。
不機嫌に唸っていると肩をつかまれた。
振り返るとそれほど長くない髪を後ろでまとめた少女がメモを片手にこちらを見ていた。
たしかHRの質問タイムで最初から手を挙げていたのに当てられなかった子だ。

「ふっふっふ。この妙な時期の突然の転校。あたしの情報網にも一切前情報がなかったことも怪しいわ。あたしの記者の勘が事件のにおいをかぎつけたわよ。さあ洗いざらいはいてもらうからね!」

何となく高畑が彼女を指さなかった理由がわかった気がする。
だが、もう遅い。

誠次には苦笑しつつ一言告げるのが精いっぱいだった。

「……お手柔らかに頼むよ……」

















「あー疲れた。女子中学生って凄いわ」

嵐のような質問攻めにあった放課後。
寮のベッドに突っ伏しながら誠次は呻いた。
男子寮ではない。女子寮の一室だ。
もと男である誠次を女子寮に入れるのは問題があるだろうに、てっきりアパートでも紹介してもらえるのかと思っていたが、女子寮の一室をあてがわれてしまった。

こっちの精神的にも女子寮は御免こうむりたかったのだが、学園長には他に空きはないといわれた。

あの学園長、楽しんでいるように見えたのだが……気のせいだろう。きっと。

枕に顔をうずめたまま大きく息をする。
使われていたわけじゃないので女の子の甘い匂いがするわけでもなく、鼻に届くのは生活臭に欠けた清潔なシーツのにおい。

それが残念というわけではないが誠次は一つ嘆息した。
なかなかに強烈なクラスだった。
確かに楽しそうではある。
だがそれ以上に大変そうだ。
体力には自信があったのだが、今日一日で大分消耗した。

「とりあえず……着替えるか」

誠次の纏う制服は誠次自身すら知らないスリーサイズをどう図ったものやら体にぴったりだった。
だからと言って制服はいつまでも着ていて気の休まるものではない。
くつろぎやすい部屋着に着替えてゆっくりしたい気分だった。

億劫な体を動かし、クローゼットの前に立つ。
男だったころに着ていた服は一応全部持ってきている。
胸がきつかったりして着れないものあるのだが、大きめのTシャツなどは普通に着れる。

クローゼットの扉に手をかけ、欠伸とともに開いた。
開いて動きを止める。
入れた覚えのない服がハンガーラックにかかっていた。

大量のセーラー服が。

ゆっくりと首を回す。
部屋の入口のところで、扉をわずかに開いてその隙間から神が覗いていた。
ニヤニヤと笑ってこちらを見ている。

誠次はセーラー服を片手に扉へと大股で歩み寄っていった。
扉を開き、冷たい眼で神を見下ろす。

「なんの嫌味だ。これは?」

だが神は低い含み笑いを洩らすと、

「ふっふっふ。素直に喜んでいいんだぞ」

「何をだよ」

不機嫌に言う誠次に神は軽く笑うと。

「これからはいくらでもセーラー服の女子が見れるぞ。なに簡単だ。お前が着て鏡の前に立てばいい」

「で、お前はそこで何をしてるんだ?」

問うと神は鷹揚に頷いて見せた。

「うむ。セーラー服を着て鏡の前でポーズをとったりニヤニヤしているお前を写真に収めてからかってやろうかと」

扉を閉めた。
しっかりと鍵もかける。
嘆息しつつ。セーラー服をクローゼットの中にてきとうに放り込んだ。

クローゼットの中から比較的ゆったりした部屋着を引っ張り出し、制服を乱暴に脱ぎすてて部屋着にそでを通した。

ベッドにもう一度突っ伏そうとして、聞こえてくるノックに顔をしかめた。
神の奴ならノックなどしない。
よくわからない超能力で鍵をあげて勝手に入ってくるだろう。

「うーい」

頭をがりがりとかきながら無造作に扉を開ける。
そこに見えた顔に少なからず驚いて誠次は動きを止めた。

「ダイゴ?」

「おいーっす。今日は誠ちゃんの女子中入りを祝してプレゼントを持ってきたよん」

紙袋を右手に提げたダイゴが能天気な笑みとともに部屋に入ってくる。
さりげなく胸を触ってくるので腕にきつめに手刀をいれた。

「殺風景な部屋だねぇ~。まあ入りたてだし当然か」

部屋を見回して言うダイゴ。
誠次は台所に向かい、冷蔵庫を開いて、舌打ちした。
見事なまでに空っぽだ。
飲み物一つ入っていない。
誠次がこの部屋をあてがわれてからまだ一度も買い物に行っていないのだから、当然と言えば当然だ。

食器棚からコップを二つ取り出し、水を注ぐ。
部屋の中央で周囲を見回しているダイゴにそれを手渡しながら問いかけた。

「よく入れたな。女子寮って男子禁制って感じがあると思うんだが」

「はっはっはっはっは。まあ細かいことは気にすんな誠ちゃん」

笑うダイゴに誠次は半眼になって呟く。

「忍び込んだのか?」

「そんなおおげさなもんじゃないさ~」

視線をそらしつつ言うダイゴに誠次は嘆息すると一口水を飲んだ。

「前にもやってたんじゃないだろうな」

「はっはっは。そんなことはしないよ」

「まあいいけど。あんま問題になるようなことはすんなよ」

言う誠次にダイゴは顎に手をあてて唸ると。

「堂々と誠ちゃんに会いに来ました~つって入ってきたら、それはそれで面白い噂が立つと思うけど」

「それは……面白くないな」

今朝とていらぬ誤解を受けかけたばかりである。
顔を青ざめさせる誠次に対し、ダイゴはからからと笑うと、

「まあ、俺は構わないけどね~」

「構えよ」

力なくツッコミを入れつつ、誠次は嘆息した。
ダイゴの手の紙袋が目に入り問う。

「で、プレゼントってなんだよ?」

「むふふ~なんでしょう。あててみ」

楽しそうに言うダイゴに誠次はとりあえず適当に今欲しいものをいってみた。

「飯か?」

「どこの食いしん坊さんですかあんたは。それはまた今度だあね」

紙袋を見ながら今度はもう少し真面目に考える。
あの紙袋に入りそうなもの……

「菓子か?」

「ブー。食べ物じゃないよ」

「服」

「おしいね」

誠次は頭をかきつつ答えた。

「ギブアップだ。何なんだよ」

「ふっふっふ。これからの誠ちゃんに欠かせないものさ」

言ってダイゴは紙袋の中に手を突っ込んだ。
だいぶ勿体ぶった後、勢いよく抜き放つ。
その手に握られた物体は。


「ブラ……ジャー?」


「そう!ブラジャーだ!服は男だったころから着てた服も着れないことはないけど、こればっかりは持ってないはず!レディライフを送ることになる誠ちゃんのために俺が買ってきました!」

そう叫んで紙袋をひっくり返す。

バラバラと出てくるブラジャー。ブラジャー。ブラジャー。
色気もくそもないスポーツブラから清純なイメージの白のレースやら色気重視の黒いのもある。何の冗談か透けてるのまであった。

誠次はがくがくと震えながら後ずさる。

「い、いらねえよ。ブラジャーなんて。つーか下と違ってなくても困らねえし」

ダイゴはその中の一つ、黒のレース生地を右手に、白のレースを左手に持って誠次ににじり寄った。

「だ~め~だ~よ~。誠ちゃんはもう女の子なんだよ。ちゃんと身だしなみに気を使わなきゃ。それともそれだけのバストを持ちながらノーブラで行く気だったのか~い?」

後ずさりすぎて背中が壁にぶつかる。
誠次は頬をひきつらせながら裏返った声で言った。

「別に問題ねえだろ!怪我するわけじゃあるまいし!」

しかしダイゴは信じられないことを聞いたといわんばかりに手を戦慄かせ、ブラジャー両手に詰め寄った。

「何を言うんだ誠ちゃん!それで胸の形が崩れたらどうするつもりだ!それだけの美乳を持ちながらそれを保つ努力を怠ることは罪だよ!それも許されざる大罪だ!」

そのかつてない剣幕にかなりビビりながら、誠次は苦笑いを浮かべる。

「なにもそこまで……たかが胸じゃねえか」

ダイゴは一歩飛び退るとこちらの胸をビシリと指さして叫んだ。

「わかってない!わかってないよ!誠ちゃんは自分の胸の素晴らしさを全然わかってない!大きいだけじゃない。形、弾力、そして全体とのバランス。すべてにおいてパーフェクトな誰もがうらやむバストだ!」

なにやら暴走を始めかけているダイゴを慌てて止める。

「わかった!お前が乳好きなのはよくわかった!それが行き過ぎて俺にブラジャーを強要したがってることも!だが俺にも男としてのプライドがある。ブラジャーだけはつけるわけにはいかん!」

二人の間で視線が火花を散らす
たっぷり1分ほどにらみ合ってどちらともなく視線を外す。
ダイゴは一度嘆息するとコップの水を飲み干した。

「しかたない。誠ちゃんにはブラジャーの重要性をみっちり享受してやろう」

「いやきっぱりと遠慮させてもらう」

「いいかい。そもそもブラジャーの始まりとは……」

「聞けよ」
















30分後。




論破された。



誠次は手の中のブラジャーを見下ろして頬をひきつらせた。
なんというかこれをつけてしまうと男としての大事な何かが修復不可能なほどに壊れてしまう気がする。
油の切れた機械のような動きでダイゴの方へ首を向けた。

「な、なあ。また今度にしないか。ほら。サイズもあってないかも知んないだろ」

「はっはっは。その心配はいらないよ。オレは服の上から見ただけでも女の子のバストサイズを完璧に把握できるからね。ぴったりのはずさ」

笑いながら退路を断ってくれる親友に低いうなり声をあげながら、誠次は親の仇でも見るかのように手の中のものを睨みつけた。
別にブラジャーに罪などないのだが恨まずにはいられない。

5分ほど葛藤して誠次は諦めのため息をついた。
諦念とともに服の上を脱ぎ捨てる。
瞬間、

「NGィィィィィィィ!」

響き渡る叫びに誠次は身を震わせた。

「な、なんだよ?」

わけがわからないと戸惑う誠次にダイゴは目を閉じたままビシリとこちらを指さした。
眼を閉じているので指の示す先はだいぶずれているのだが。
だがそれには構わず、ダイゴは言ってきた。

「誠ちゃんはもう女の子だ!だからもっと恥じらいを持ちなさい!」

「恥じらいぃ?」

胡乱気な眼差しの誠次にダイゴはきっぱりと告げる。

「そう、恥じらいだ!たとえば男の目のあるところでは裸にならないとか!」

力強い言葉に、しかし、誠次は半眼で言った。

「俺に恥じらいがどうのというんなら俺の胸触ろうとすんのもやめろよ」

「それはヤダ」

「お前な……」

ダイゴはしゅたっと手を上げると空になった紙袋を持って立ち上がった。そのまま入口へと向かう。

「それじゃ俺はもう行くけど、ちゃんとつけるんだぞー。あと、女の子らしい服も少しは買うこと。さもないとまたオレがまた滅茶苦茶可愛いやつ買って持ってくるからなー」

「可愛い服なぞ死んでも着るもんか」

精一杯の抵抗として不機嫌に唸っておく。
ダイゴはまだ目を閉じているのか2度ほど壁にぶつかってから部屋を出て行った。

それを見送り、手の中のブラジャーを見て深く深く息を吐いた。

これもみなあの変態神のせいだ。
いつか殺してやる。

どす黒い決意をしながら誠次はもう一度嘆息する。
鏡の前に立ちながら恐る恐るブラジャーを身に付ける。
背中のホックをかけて装着完了だ。

「なぜだろう……泣きたくなってきた」

鏡に映る己の姿を見ていると自然と涙がこぼれそうになってくる。
不自然さはない。
今の誠次の体は間違いなく女なのだから。
だがその不自然さの無さが逆に哀愁を誘った。
心の中で何かが壊れたような感触が確かにあった。

どばんという激しい音とともに扉が開く。

「誠亜ぁ!何か面白いことになってないかぁ!」

こちらの心情などまるで意に介さない神の声が響き渡る。

誠次はそちらに向かって床をずしんずしんと踏みしめながら歩み寄る。
こちらの姿を見てとった神が口に手をあてて噴き出した。

「プッ。何だ誠亜。その格好は。とうとう女性に目覚めたのか?」

拳を振り上げる。
そのまま持てるすべての力でもって神の顔面に突き刺した。

「ノックしろやあああああああああ!」

魔帆良女子寮に血の華が咲いた。










どうもすちゃらかんです。
今回はちょっと神濃度薄めのダイゴ濃度濃い目になりました。
微妙にギャグも薄いかな。
ダイゴの意外な特技発覚。
だがそれとどうじに変人ぶりにも磨きがかかったように思えます。
ダイゴは次回からは少し出番減るかと。
とか言ってダイゴの混ざるネタを思いついたら出てきますが。
拙作ですが今後ともよろしくお願いします。




[9509] 第4話 お前に俺の気持ちがわかるか!? 修正追加
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/11/13 07:10
神と俺のコイントス







第4話  お前に俺の気持ちがわかるか!? 修正追加







風呂に入ろうと思ったら水管工事の恰好をした神が風呂をいじっていた。
誠次に発見されるや否や神はバケツ一杯の墨を誠次にぶっかけ、壁をすり抜けて逃げて行った。
服は脱いでいたので、数少ない着れる服がダメになることはなかったが全身真っ黒になってしまった。
こめかみに青筋を立てながら風呂の蛇口をひねるがお湯が出ない。
お湯どころか水すら出なかった。
シャワーも同じだ。

わけのわからん状況に腹を立てながら台所に行くとそこの水まで止まっていた。

どう考えても神の仕業なのだが、意味が分からなかった。

首をかしげていると、体の墨が固まってきて体に張り付いた。パリパリとした感触がたまらなく不快なうえ、非常に墨くさい。

おまけに風呂も水も止まっているので体を洗うこともできない。
そんなとき何の嫌がらせだと唸る誠次の頭上から一枚の紙が落ちてきた。
そこにはこの女子寮の大浴場の場所が記された地図が描かれている。

なるほどつまり

「ここでのハプニングを希望しているわけか」

誠次は獰猛な笑みと共に手の中の紙を握りつぶした。










大浴場にたどりつくと誠次は軽く更衣室を覗き込んだ。
先客はいない。

ずらりと並んだ衣類かごを覗き込んでも服は見当たらない。
どうやら狙い通り女子たちのいない時間にこれたようだ。

安堵の息とともに誠次は着ていたシャツに手をかけた。
慎重にひっぱり上げて脱ぐ。
しかし、やはり体から固まった墨がパラパラとはがれ、シャツについてしまった。
舌打ちしながらはたき落す。
墨を付けずに脱ぐのは諦めズボンを無造作に脱ぎ、大きく振って墨のかけらを払い落した。

下着も脱ぎ去り、腰にタオルを巻いて浴場に向かおうとする。

そのときちょうど聞こえてきた扉の開く音に誠次は振り向いた。
入口には黒髪をサイドポニーにした少女と色黒で背の高い少女が軽い驚きと共にこちらを見ている。
クラスメートのはずだが名前はまだ知らない。

誠次が何か云うよりも早く、サイドポニーの少女が不機嫌に吐き捨てた。

「ふん。お前と共に風呂に入るつもりなどないからな」

「まあそうだろうな。俺が女でもそうする」

とりあえずそう言うと少女はさらに不愉快そうに眉をひそめた。
何が気に入らんのだ。同意してやったのに。

「被害者らしいし、学園長の命だから追い出さないでやるが、ほかの生徒が入らない時間を狙うぐらいの気遣いはしたらどうだ?」

「したつもりなんだが。女の子たちはみんなこんな早い時間に風呂入るのか?」

首をかしげて問い返すと少女は言葉を詰まらせた。
そのまま難しい顔で黙り込む。
なんとなくだがこの子が一番こちらを目の敵にしている。
まあ無理もないことなので文句も言えないが。

少女はしばらくこちらを不機嫌に見ていたが突然何かに気づいたように目を鋭くした。
探るようにこちらを上から下までじろじろと眺める。
どこか怪しむような色が強くなっているように感じる。

「なんだよ?」

「お前……」

少女は何かを言いかけるとそのまま踵を返して去って行った。
わけがわからずそれを黙って見送っているともう一人の色黒の少女が苦笑しながら言ってくる。

「気難しい奴でね。気にしないでやってくれ」

「いやまあしょうがない部分も大きいし」

誠次は頭をかきながら答えた。
パラパラと落ちる墨のかけらに舌打ちする。
少女は先のサイドポニーと同じようにこちらの体を上から下まで視線でなぞると、呆れたように言ってきた。

「ひどい有様だね。真っ黒じゃないか」

誠次は不機嫌に唸るように告げた。

「忍び込んだ変態が俺の部屋の水を全部止めて、墨をぶっかけて逃げたんだ。ここで女の子とニアミスして慌てふためく俺を見て笑おうって魂胆なんだろう」

少女は苦笑しながら人差し指と親指で丸を作りながら言ってきた。

「大変だね。よかったら祓おうか?有料だけど」

「いくらだ?」

0秒で真顔で返す誠次に少女は苦笑いで答えた。

「冗談だよ」

肩を落として項垂れる誠次に少女は汗を一筋流す。

「まあ……頑張ってくれ」

「あんたは割と好意的なんだな」

少女は少し意地の悪い笑みを浮かべると、

「立場を利用して女の子の裸を見ようとしないぐらいには紳士的だとわかったからね」

それに誠次も苦笑する。

「今日は体育があったからいつもより早く風呂に入ろうとする子たちもいるはずだ。あまり長湯をしないほうがいいよ」

「忠告どうも」

少女はそれだけ言うと踵を返した。
だが、扉の所で一度振り向くと、

「隠すなら胸も隠した方がいいよ。それじゃまるで男みたいだ」

そう言って去って行った。
言われて自分の体を見下ろす。
下だけ隠して豊かな胸がむき出しになったその姿は確かに不自然だ。

無言で腰に巻いたタオルをほどくと胸の前に持って誠次は浴場に向かった。扉を開けて目に入った光景に思わず息を呑む。

そこはまるでプールか何かのようだった。
広い湯船に洒落た内装。
白い照明に照らされたそこは華やかだった。

「あきらかに男子寮のよりグレードが上じゃねえか。差別だぜ」

寮の前の立派な桜並木もそうだ。
寮の建物自体も女子寮の方が新しくてきれいである。
なんだか女子の方が優遇されている気がする。

いつまでも愚痴っていてもしょうがない。
誠次は周囲を見回し洗い場を見つけると、そちらに向かった。
小さな椅子を引いて腰を下ろすとシャワーで頭からお湯をかぶる。

溶けだした墨が黒い流れを作る。
意外とあっさり流れ落ちる様を見るに普通の墨より洗い流しやすい代物なのだろう。
そんなところに気を使うぐらいならはじめからいたずらなどするなと言いたい。

あらかた流し終わり、石鹸をつけて体を洗う。
それを終えるとシャンプーで頭を洗った。
女になった際髪が伸びたので少々手間がかかる。

すっかりきれいになった体に満足しながら誠次は湯船につかり、天井を見上げながら呻いた。

「女子中なんて環境ですごさにゃならんだけでも大変だってのに、あの変態のいたずらまであるんじゃあなあ。マジで身が持たんよ」

照明に手をかざす。
男だったころに比べるとやはり指が細くなっているし、体全体も女らしくなっている。
ちゃんと調べたわけじゃないのでわからないが、神を殴った時などの感覚からすると筋力自体は衰えていないようだが。

「なんかサイドポニーには嫌われてるしなあ。まあしょうがないんだが」

握りこぶしを作る。
握りしめられた拳から帰ってくる力は今までと変わらない。
というか10年以上かけて鍛え上げた力をこんな事で全部消されたらさすがに泣くが。

「ああ~~いい湯だ。これからもときどき人のいない時間を狙って来ようかな」

くつろいだ表情で深く息を吐きながら誠次は大きく伸びをした。
だらけた表情で口を開く。

「でもまあ今日はもうあがらねえとな。鉢合わせしちまう」

「それは困るな」

誠次は立ち上がろうとして聞こえてきた声に動きを止めた。

半眼で背後の人影を見つめる。
そこにはセーラー服姿のダンディなおっさん。
神だ。

「おい……ここは女湯だぞ」

目一杯冷たい目で見てやるが神は真顔で答えた。

「問題ない。私は神だ」

「神だろうとなんだろうと男がここにいりゃ大騒ぎになると思うが……ほれほれ女の子たちとはち合わせる前に出るぞ変態」

立ち上がる誠次に対し神は人差し指を左右に振りながら言った。

「そういうわけにはいかんよ。今お前が風呂からあがってしまったら何も起きないではないか」

誠次は頭に手を当てながら呻く。

「何も起こさないために今あがるんだよ」

湯船の縁に足をかけたところで、神が大浴場に不思議に反響する声で歌いだした。

「羊が一匹。羊が二匹。羊が三匹……」

「何のつもりだ?」

訝しげに眉をひそめる誠次がふと見ると神は三人に増えしかも羊の気ぐるみを着ていた。

「羊が四匹。羊が五匹。羊が六匹……」

歌と共に気ぐるみを着た神の数は増えてくる。
しかもみなで腕を組んで踊りだした。
とりあえず黙らせようとして誠次は突然襲い来た睡魔に体をぐらつかせた。
視界がゆがんで見えるほどの強烈な睡魔が誠次の意識を引きずり落とす。

湯船に膝をついて誠次は頭を振った。
瞼が重い。
思考が減速する。
世界がしだいに暗くなり、体から力が抜け、とうとう誠次は湯船の縁に突っ伏した。

「テメエ。何を……」

「ではお休みだ誠亜」

閉ざされる意識の中その声だけが不思議と誠次の耳に残る。
世界が闇に閉ざされてから誠次の意識が落ちるまで数秒とかからなかった。












息苦しさと共に誠次は覚醒した。
息を吸おうとして口に流れ込んでくるお湯に一瞬パニックを起こす。
混乱する精神を1秒で落ち着かせると誠次は周囲を確認した。
はっきりしない視界に、全身の暖かい感触。
お湯の中に沈んでいると理解した瞬間、誠次は全力ではね起きた。
跳ね飛ばされたお湯が盛大にしぶきを上げる。

「殺す気かあああああああ!」

空気にありつけたと同時に誠次は叫んだ。
叫んでから周囲を見回す。
そこには見覚えのある少女たちがみな、驚いたような顔でこちらを見ていた。

すぐ近くで湯船につかっている少女――確か神楽坂アスナだ――が軽く眼を見開いたまま言ってくる。

「ご、ごめん。気持ち良さそうに寝てたからもう少しほっといてもいいかって思ったんだけど。沈むなんて思わなかったから」

「あ、ああ。いやアスナに言ったわけじゃないんだ。気にしないでくれ」

周囲を視線で確認する。
ずらりと並ぶ一糸纏わぬ少女たちの姿。
まんまと神にはめられたわけだ。
こうなったら何か面倒が起きる前に出るまでだ。
見た感じ神はここにはいない。
覗いてはいるのだろうが、ここにいないのならできるちょっかいも限られよう。

湯船から出ようとして、かけられた声に動きを止めた。

「さっそく使ってるんだ。どう。広いでしょここ」

「びっくりするくらいにな。まるでプールだ」

いったいどれだけ金がかかってる事やら。
麻帆良は施設面で本当に恵まれている。
そうダイゴが言っていた。
もっとも誠次は麻帆良以外など知らないため比較できないのだが。

「どう?2-Aは?やっていけそう?」

「いいクラスだ。楽しくなりそうだよ」

さっさと立ち去ってしまいところだが、話を持ちかけてくれているのにそれをぶっちぎって去ったら失礼に値するような気がした。
会話の合間を見て、適当な理由をつけて退散するのがいいだろう。

「誠亜さんって結構背おっきいよね」

まあそうだろうホントは17歳だし。
誠次は内心苦笑しながら答えた。

「誠亜でいいよ。なんかむずかゆい。もっと大きいのもいるだろ?色黒のと糸目の。えーと……」

名前が出ずに言葉を止める。
というかまだ名前を聞いたことがない気がする。
アスナはすぐ思い当たったのか、ああと言って答えた。

「龍宮さんに楓ちゃんね。まあアレはホント規格外だし」

大人の女性だってあれだけの長身はそういない。
中学生であれだというのだから驚きだ。

「背も高いし胸も大きいし。うらやましいな~」

声に振り向くと小柄な双子の片割れが誠次の湯に浮かぶ胸を凝視していた。
苦笑しつつその頭をなでる。

「いやまあお前らもまだこれから伸びるだろうし」

誠次の言葉に彼女はキラキラと目を輝かせると身を乗り出して言ってくる。

「ホント!?あたしもナイスバディの大人の女性になれる?」

その期待に満ちたまなざしに誠次は少し眼をそらしていった。

「まあ……遺伝がかかわってくる分もあるから一概にどうとは言えんが」

今度は一転して不満げな眼差しで口から下を湯船につけて去っていく。
それを見て苦笑しながら誠次は立ち上がった。

「のぼせそうなんで俺はもう出るわ」

言って誠次は反応がないのに眉をひそめた。
訝しげな眼差しでアスナを見ると唖然とした表情でこちらを見ている。

「?」

訳が分からず周囲を見回すと個人差はあれどみな驚いたようにこちらを凝視している。

誠次は不安になって自分の体を見下ろした。

(特に問題はない……よな?)

体をひねって背面も見るが不審な点は見当たらない。
だが相変わらず周囲の少女たちは誠次の体をじっと見つめていた。

「どした?まだ墨でも付いてるか?」

「いや、墨なんて付いてないけど……」

アスナはそう言うと自然な動きで歩み寄った。
誠次の前までくると右手を伸ばし、その人差し指でそっと左わき腹をなで上げる。

「うひゃう!」

くすぐったい感触に思わず声を上げる。
あげた後でまるで女の子のような悲鳴の上げ方に軽く赤面した。
突然の奇行に目を白黒させる誠次を無視してアスナは今度は誠次の胸の双丘を優しく左右に開く。
そして胸の中心を凝視した。

「ど……どした?」

問いかけるとアスナは唾を飲み込んで誠次の胸の谷間に隠れているそれを恐る恐る撫でる。

「これ、痛くないの?」

「うんにゃ。痕があるだけで完全に治ってるからな」

アスナが触りながらこれと評したのは誠次の健康的な肌に刻まれた傷跡だ。
ブラジャーなどで胸を寄せると乳房の間に隠れて見にくくなるが、そこには大きな傷跡がある。
脇腹も同様だ。

アスナはわき腹の傷に視線を移しながら、どこか呆としたまま口を開く。

「これって爪痕よね……・いったい何があったの?」

言ったあと、我に返ったように自分の口を手で塞いだ。
すまなそうに言う。

「ゴ、ゴメン!言いにくいことだったら別に言わなくてもいいから!」

なにやら慌てたようなアスナを不思議そうに眺めながら誠次はきょとんとした顔で答えた。

「は?別に言いにくいもくそもないけど。その傷は……え~と確か5歳のころに熊に襲われた時の傷だな」

「こんな痕が残るような怪我してよく無事だったわね」

感心したように言うアスナに誠次も頭をかきながら答えた。
無意識に腹の傷をなぞる。

「ん~。何かすごく腕のいい医者が爺さんの知り合いに居たらしいね。」

もっと跡が分からないように治療もできたらしいが、誠次はあえて跡だけは残すことを望んだ。
自分への。
ぬる過ぎた自分への戒めとして。
胸の傷もまたしかりだ。

「じゃあさ。その胸の傷はどうしたの?」

問われて誠次は視線を宙に上げた。
何と答えようか。
ありのままを答えるわけにはいくまい。
この傷をつけたのは基本一般人には知られていない存在なのだから。

「なんつうか。とがった石がぶっ刺さった」

皆その傷を負った時の事を想像しているのか表情を小さく歪める。
この分だと背中の傷は見せない方がいいだろう。
胸の傷と同じ位置、肩甲骨の間あたりに似たような縦長の傷がある。
これを見れば否が応でも更なる想像を掻き立てる。
幸い、今誠次がいるのは湯船の端なので、隠すのはそう難しくないが。

「まあ気にしないでもらえるとありがたいね。正直俺からすればこの傷もこれのもとの怪我もいい発破だったし」

からからと笑いながら言うと、少女たちも小さく笑みを浮かべた。
その瞳に微かな同情の色などは見えても嫌悪の情は見えない。
まあ、それから言っても2-Aの良さなのだろう。

一言告げて湯船を出ようとすると、まだアスナがこちらの体を見つめているのに気がついた。

誠次は訝しげに眉を跳ね上げた。
そんな間もアスナの視線は誠次の体をなぞっている。
傷を見ているわけではないようだが。

「なあ……何見てるんだ?」

たまらず問いかけた誠次にアスナは感心したような口調で返した。

「いやもの凄い筋肉だなあと」

言われて自分の体を見下ろす。

「そうか?」

問うとアスナは人差し指で誠次の体のあからさまに筋肉が見えている部位をつつく。

「そうだって。腹筋だって完全に割れてるし腕だって脚だってほら」

「まあ結構鍛えたからな。って、触んのやめてくれって」

だが、誠次の訴えにもかかわらず体を触る手は減るどころか増えた。

「むう。全身これ鋼の如し。凄まじく鍛えこまれているアル。ひょっとして誠亜なにか武術やってるアルか?」

振り向くと後ろから誠次の腕をぺたぺたと触っている少女の姿。
色黒の中国人。確か古菲だ。

「あ、ああ。我流で人に自慢できるほどのもんじゃないけど一応。ところでさわんのやめてくんないか。地味にくすぐったい」

苦笑しながら告げるが、古菲は変わらず誠次の腕を掴んで握って硬さを確かめている。
今度勝負するアルと息巻く彼女にあいまいな返事を返しておいた。

「おお~。かちかちだ~」

なんだか双子の元気な方が横っ腹にぽすぽすとパンチを打ち込んでいる。
それを大人しい方が止めようとしているが効果はない。
それどころか元気な方に誘われて触り出した。
別に痛くはないが気になることには違いない。

「細マッチョやな~」

ほわりとした笑みを浮かべながらこちらを見てるのは長い黒髪の大和撫子、近衛木乃香だ。優しく親しみやすい人柄が印象に残っている。
とりあえず今はこの娘たちを止めてほしいのだが。

唸っていると双子たちと反対側の腹がつつかれた。

「うーん。でもこれちょっと鍛えすぎじゃないかなあ。女の子としてどうよこれは」

少女(まだ名前と顔が一致していない)が難しい顔で唸っていた。
誠次は苦笑しながら、

「強くなることを優先した結果だ。それよりもそろそろマジでやめてくんないかな」

汗を一筋たらしながら言うが周囲の少女たちはやめる気配はない。
それどころか触りに来ていない少女たちまで誠次を囲んでなにやらざわざわと騒ぎ始めた。

途方に暮れた顔で誠次は天を仰いだ。
深く嘆息する。

「なんか……珍生物にでもなった気分だ」

その呟きは白い天井に吸い込まれていく。
まあいいかえれば天井以外には聞いてもらえなかったわけである。





















「つまらんぞおおおおおおおおお!」

誠次が自分の部屋の扉を開けるや否や、当たり前のようにそこに鎮座していた神はそう叫んだ。
わけのわからない文句に誠次は眉間にしわを寄せて返す。

「はあ?」

不機嫌そのものの声を無視すると、神はその場で一回転して誠次をビシリと指した。
そのまま高らかに叫ぶ。
隣の部屋まで聞こえそうなもんだがまあたぶん聞こえないんだろう。

「まったくもって面白くない!欲望のままに女子のやわ肌を凝視するでなし、紳士を気取って眼をそらすでなし、欲望と理性に揺れ動きながら目をそらしながらチラ見するでなし!女子と同じ風呂に入って体をぺたぺた触られておきながら顔一つ赤らめずに何をナチュラルに接しておるか!」

「やっかましい!」

咆哮とともに神の顔面に拳を叩きこんだ。
唸る豪拳が一撃で頭蓋を砕き、衝撃を中にぶちまける。
神は悲鳴すら上げられずに血しぶきとともに倒れ伏した。
押さえられた手の下からだくだくと赤い血が流れ出している。

神は十秒ほど悶絶したあと震える声で言った。

「ちょっ、ちょっと待て誠亜。いつもよりだいぶ強いんだが。お前手加減って言葉知ってるか?」

神の言葉を無視して誠次は両の拳を握り締める。

「お前に……」

ゆらりゆらりと神のもとへと歩みを進める。
ただならぬ気配を感じたのか神は顔を青ざめさせた。
後ずさる神の体を踏みつけ、誠次は悪鬼の形相で拳を振り上げた。

「お前にわかるか。女の子の裸を見ても全く、欠片も興奮しない自分に気付いた時の俺の気持ちが……」

神は踏みつけられたまま顎に手をあてて言う。

「どうやら……精神が肉体に引っ張られているようだな」

「………………」

無言で神を見下ろす。神は少し息苦しそうに呻いた後、ムカつくくらい明るい声で言い放った。

「名実ともに風間誠亜の誕生だな!」

誠次は全体重を神を踏みつけている足に乗せながら腰を曲げて神の顔を覗き込んだ。
一転して天使のような微笑みを浮かべて口を開く。
顔立ちが整っているだけにさまになる。
だがその柔らかな微笑は安らぎではなく背筋を凍てつかせるような何かを感じさせた。

「あのな神。俺は生まれ持った自分に愛着がある。風間誠次でいたいんだよ。例え体を女に変えられても心だけは男であり続けたかったわけだ。それを踏みにじられて俺はとても怒っている。このままお前をゴキブリのように踏みつぶしてやりたいと思うくらいにはな。さあ。何か俺に言っておきたいことはないか?言っておくべき言葉はないか?」

あくまで優しく告げる。
内容と裏腹な口調が返って威圧感を生んでいた。
神は冷や汗を流しながら真顔でひとしきり唸った後口を開く。

「ぬう……神たる私をゴキブリに例えるとは。少々敬意に欠けるのではないか?」

誠次は笑顔のまま拳を振り上げ、。

「そうか……それが答えかあああああああ!!」

鬼の形相で振り下ろした。

「ぎゃあああああああああ!!!」

一撃では終わらず、連撃は続いた。
ひたすらに、ひたすらに穿ち、潰し、砕きつくす。
体力の続く限り誠次は拳を振り続けた。
ひたすらに打ち続け、少し息が切れたあたりでようやく拳を止める。

荒れた息を深呼吸で整えながら誠次は床の上の血達磨を見下ろした。

神は無残な姿でぴくぴくと痙攣している。

それを見て多少は溜飲も下がったのか、誠次はだいぶ晴れやかな顔で息を吐いた。

「まあ俺ってもともとソッチ系の欲が薄い方だったしな。まだそれほど深刻な事態にはなってないだろう」

「なら何も……ここまで殴らんでも……よかったのではないか?」

血達磨の神がとぎれとぎれに言うが誠次はそれを鼻で笑った。

「ふん。俺もやられっぱなしじゃねえってことがこれでわかったろ。もう悪戯は」

「だが断る!」

誠次の言葉を遮って神は叫ぶと回転しながら飛びあがった。
着地するころにはもう既に傷がすべて治っている。

神は鋭くポージングすると誠次に向って言い放つ。

「たとえ殴られようと、私は面白いことのためなら動くことをやめないだろう!そしてお前もいつかそんな私の威光の前にひれ伏す時が来るのだ!そのときまでひと時の安息を謳歌するがいい!」

叫ぶだけ叫んで閃光を残して消えうせる。
テレポートかな何かを使ったのだろう。

それを見送った誠次はしばらくの間立ち尽くしていたが、かぶりを振って心底疲れたような声音で呟いた。

「いいや……もう寝よう」












あとがき

どうもすちゃらかんです。
自分で設定した体に傷があるということを素で忘れ、あとになって思い出して登場させるというミスをしてしまいました。すいません。
ということで修正です。
傷のくだりを入れました。



あと、またですがpixivに絵を投稿させてもらいました。
今度は作中の場面のイメージ的な感じです。一枚違いますが
タグ検索で 神と俺のコイントス と検索するとすちゃらかんの絵がまとめて出ると思います。



[9509] 第5話 こんにちは森のクマさん
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:b6948e00
Date: 2009/11/13 07:12
神と俺のコイントス








第5話  こんにちは森のクマさん









鬱蒼と生い茂る木々。
右を見ても左を見ても見えるのは木ばかり。
足元には草花に交じって木々の根が張り出し、歩く者の邪魔となっている。

誠次は今山に居た。
この麻帆良、学園の敷地内に山がある。
凄まじい学園都市である。

誠次はその山の中をどこか懐かしい気分で歩いていた。

「田舎の山を思い出すな~」

感慨にふける誠次の後ろから空気を読まぬ声が響く。

「ぬう。虫けらどもめ。神にたかろうとは僭越至極。滅ぶがいい。そりゃそりゃ」

セーラー服に登山家が背負うようなごついリュックをしょい、何やら後ろで怪しげな踊りを披露している神を誠次はジト目で見やった。
ひたすらに怪しい踊りだが効果はあるようで、神の少し前を飛んでいた蛾が突然力尽きたかのように落ちて行っている。

「お前虫が嫌いならなんでついてきたんだよ」

誠次の問いかけに神は体は踊りをやめないまま、首だけをこちらに向けて答えてくる。
その様は一言で言うなら異様だったがこの神については今さらである。

「なんか面白いことが起きないかと思ってな」

悪びれもせずに言う神に誠次はわざとらしく嘆息する。

「だったら虫ぐらい我慢しろよ」

踊る神をおいてけぼりに誠次は歩き出した。
気配から察するに神も一緒になって歩き出す。
視線だけで確認すると神は怪しい踊りを続けたまま器用に歩いていた。

「こんにち……は……」

声をかけられ振り向くと、思い思いの動きやすそうな格好をした少年少女たちが歩いて来ていた。
男3人の女2人だ。
みな高校生ぐらいで背中にリュックをしょっている。

山岳部だかハイキング部だか、そんなところだろう。

彼らは一様に目をまん丸に見開いてこちらを見ている。
いや、こちらというより神をだ。

ダンディなおっさんがセーラー服を着て山に居たら誰だって驚く。
どこに居ても驚く。
おまけにそれが、この上なく怪しげな踊りを披露しているのだからなおさらだ。

神は人の目があっても踊りをやめるつもりはないらしく首から下だけ踊りながらぐりんと首を5人組の方に向けた。
女の子たちの口からか細い悲鳴が漏れたがそんなことを気にする神ではない。

「こんにちは」

神のあいさつに5人組はあいまいな笑みを浮かべると逃げるように誠次達を追い抜いて行った。
かなり濃く木が生えていることもあり、その姿はあっという間に見えなくなる。

こちらが一体どう思われたかを想像すると気が重い。
誠次は万感の思いを込めて肺の中の空気を吐き出した。

「ため息ばかりつきおって、辛気臭い奴め」

聞こえてきた言葉に青筋が浮かぶ。
凶悪に笑みながら誠次は振り向いた。

「誰のせいだと思ってんだ?」

唸る誠次を無視して神は真顔で言う。

「歌でも歌ったらどうだ。なんだったら私が歌ってやろう」

「慎んで遠慮するよ」

心底嫌そうに返すが神はやはり無視して歌いだす。

「あ~る~晴れた~ひ~る~下がり~ま~き~ば~へつづ~く道~」

「ドナドナかよ。その歌こそ辛気臭いじゃねえか」

半眼で告げ、誠次は振り向いた。
どこから出したものやらマイクを片手に熱唱する神に歩み寄る。
神の手からマイクをもぎ取ろうとした瞬間、静かだった森につんざくような悲鳴が響きわたった。

「なんだ!?」

驚く誠次に対し、神はあくまで冷静に言ってきた。

「足でも踏み外したか。あるいは何かに襲われたか。そんなとこだろう」

「ほうっておくのは寝覚めが悪いな。行こう」

誠次は神をおいて駆けだす。
足場の悪い森を飛ぶように駆け抜けた。
並び立つ木々が前から後ろへと流れるように駆け抜けていく。

誠次が駆ける間も悲鳴は続いており、方向を見失うということはなかった。

一本の木をよけて抜けた瞬間少し開けた場所に出た。
そこに先程の5人組がいた。
必死の形相でこちらに向かって走っている。
それはまるで何かに追い立てられているかのよう。
訝しむ誠次にこたえるかのように、木々の壁の向こうから、一抱えもある木をなぎ倒しながら巨大な熊が現われた。

雄たけびと共に両腕を振り回して走ってきている。
唖然としてその様を見るが誠次はすぐに我にかえり、踵を返して5人組に並びながら叫んだ。

「なんで学内の山に熊がいるんだ!学園は何やってる!」

焦燥に満ちた誠次の声に能天気な神の声が答えた。
神もまた誠次の隣を走っている。スキップで。

「気づいていないんだろう。学園とてこんな広大な森のすべてを把握しているわけではあるまい」

「面白くなってきた、みたいな顔して言うんじゃねえ!」

怒鳴りながら後ろを振り向く。
熊は凶暴な叫びを発しながら激走している。

(このままだと追いつかれるな)

冷静に判断する。
誠次一人なら普通に振り切れる。
だがこの5人組の足ではすぐに追いつかれるのは目に見えていた。
ここに居るのが誠次だけ。あるいは誠次と神だけなら迷いなく振り切るところだが、あの熊の前に5人を置いて行く気にはなれない。

(適当に熊の気をひいてこいつら逃がすか)

考えて誠次はポケットに手を突っ込んだ。
何か熊の気を引けそうな物がないか探す。
携帯ぐらいなら入っているが他には大したものは入っていない。
肉の塊でもあればよかったのだが、そんなものを持って散歩するバカはいない。

石でも投げつけるか。
そう結論づけたところで隣を走る実に楽しそうな神の姿が目に入った。

「肉の……塊……」

思わず口に漏らした言葉に神がびくりと身を震わせた、戦慄の眼差しでこちらを見る。

「お前……何を考えている?」

答える代りに走る神の前に足を差し入れてやった。
ただでさえ足場の悪い森の中。さらにはスキップなどという変な走り方をしていた神にそれがかわせようはずもない。
あっけなく転倒して、神は地べたに顔をうずめた。

「げ、外道ぅぅぅぅぅぅ!」

神の叫び声もあっという間に後ろに流れていく。
誠次はそれを無視して少し前を息も絶え絶えに走る5人組に声をかけた。

「今のうちに逃げるぞ!」

誠次の言葉にリーダー格らしい少年が叫びをあげた。

「ちょっと待て!いくら変な奴でもあれはひどいんじゃないか!?」

なぜか非難され、誠次は心外だとばかりに口を尖らせた。

「俺だってひどい目にあわされてる。おあいこさ」

「いやだってあれ死ぬだろう!」

「ふん、あれぐらいじゃ奴は死なんよ。むしろどうしたら死ぬのか知りたいぐらいだ。ほれお前らもサクサク足を動かせ」

言う誠次に少年は戦慄を顔に浮かべながら言う。

「ほんとに……彼を見捨てる気なのか?」

恐怖をにじませた少年の言葉には答えず誠次は後ろを振り向いた。

「あれが人食い熊で腹を空かせて人を襲ったんなら神で時間が稼げるが、縄張りに入った奴を皆殺しにするために襲ったんならあまり効果はねえな」

「本気だぁぁぁぁぁぁぁ!」

なぜか涙目になりながら少年が叫ぶ。

「グオオオオオオッ!」

雄たけびが森に轟いた。
見れば後ろの方から熊が猛スピードで迫ってきている。

「チッ!神の奴では足止めにもならなかったか!ほれほれ、あんな怒り狂った熊に追いつかれたら死ぬぞ。死ぬ気で走れ」

少年少女たちはそれぞれ必死の形相でかけ続ける。
誰しも死ぬのは嫌である。

「こ、このままじゃあ追いつかれちゃうよぉっ!」

5人組の一人、気弱そうな眼鏡の少女が悲鳴を上げる。
後ろを見ると熊との距離がだいぶ縮んでしまっていた。
誠次は荒々しく舌打ちする。

「神の奴め、いつもは鬱陶しいぐらいあっさり復活するくせに肝心な時に寝やがって」

「君って人は……」

リーダー格の少年がぞっとしたような声音で呟く。
だが実際問題これはピンチだ。
ふだんから山を歩いているであろう5人組も、熊に追われているという恐怖からか必要以上に体力を消耗しており、どんどん走るペースが落ちてきている。
石かなんかを投げ付けて自分に引き付けるというのも考えたが、一人と五人。熊がどちらを優先して潰そうとするかわかったもんじゃない。

意外と冷静に思考する誠次の視界から少女が一人消えた。
とっさに足を止めて振り向くと、先に悲鳴を上げた眼鏡の少女が木の根に躓いて転んでいる。
ようやく仲間たちも気づいたのか、振り向いて悲鳴を上げた。
少女のすぐ後ろに熊が迫っている。

もう一人の少女が目を手で覆い顔をそむける。
少年たちが恐怖で顔をゆがめていた。

そんな中リーダー格の少年が動き出す。
倒れた少女に向かって駆けだしたのである。
それにつられて残った少年たちも駆けだした。

いまどきなかなか根性のある奴らである。


それを感心するように見ながら誠次は意識を研ぎ澄ました。

「さて、こうなったら12年前の雪辱を晴らすのも一興か」

足に力を収束させ全力で地を蹴る。
一瞬で少年たちを追い越し、倒れた少女も飛び越えて熊に肉薄した。

熊は獲物は誰でもよかったのか即座に目標を誠次に切り替えて剛腕を振るう。
人の体など一撃で破壊するそれが空を裂くなか、誠次は腰だめに構えた拳を強く握った。
優に2メートル半はある熊の頭上で。

「一撃……」

強大な筋力に腕がミシミシと音を立てる。
いまだにこちらに気づいていない熊を見下ろしながら誠次は文句なしに渾身の力を込めた拳を撃ち放った。

「必殺!!」

大気を突き破る鋼のような豪拳が熊の頭蓋を打ち砕かんと唸りを上げる。

その瞬間、木々の間からなにかがすさまじい勢いで飛び出してきた。
それはそのままの勢いで誠次にぶち当たる。
誠次とそれは空中で互いに弾きあうと同時に地面に着地した。

誠次はとびだしてきた人物を見て驚愕の声を上げる。

「お前……楓!?」

「待つでござるよ誠亜殿!その熊を殺してはならんでござる!」

そこに居るのは同じクラスの少女、長瀬楓だ。
誠次を超える長身。あいてるかどうかわからない糸目で、今は忍者みたいな服を着ていた。
楓は表情にわずかに焦燥をにじませて、熊と誠次を見つめている。

「この熊は本当は心優しい奴なのでござる」

誠次は仕草で五人組に行けと示しながら視線を熊に固定したまま毒づいた。

「現にこいつは人を襲ってるじゃねえか」

転んだ少女を支えながら少年たちが逃げ去っていくのを確認して、誠次は再び腰だめに拳を構えた。

「きっと何か理由があるでござる。だから……」

訴えるような声に誠次はしばらく無言で熊を睨み、嘆息した。
拳を解いて楓を見る。

「わかったよ。で、どうすんだ?」

楓の顔に安堵の色が浮かぶ。
楓は誠次の隣に並びながら、唸り声をあげている熊を見やった。

熊は動物的勘か何かで死の気配を感じ取ったのだろう。
眼前に居るのは自分を殺しうる存在だと。

襲い掛かりはせずにこちらを睨んでいる。

「まずは理由を突き止めないとならないでござる。でないと巣穴に戻してもまた出てきてしまうでござろう」

「理由ねえ。俺は熊の考えてる事なんぞわからんぞ。忍者の術にゃあ動物の言葉がわかるやつでもあんのか?」

軽く冗談を含めて誠次が問うと楓はニンニンとかいいながら言ってきた。

「拙者は忍者じゃないでござるよ。残念ながら拙者も動物の言葉はわからないでござる」

忍者じゃないって。
しゃべり方も服も完全に忍者のまねしてるくせに忍者と呼ばれて否定するとは。
内心でつっこみを入れながら誠次は頭をかいた。

「どうすんだよ。あれか。死なない程度に痛めつけて人の恐怖を刻んで送り返すか?」

「それはむしろ悪化すると思うでござるよ」

そのとき熊を前に頭を悩ます二人の耳に謎のファンファーレが鳴り響いた。
ファンファーレが終わると共に声が森に響き渡る。

「お困りか!この外道め!」

あらわれたのはやはり神だった。
怒り狂った熊の前に置き去りにしてやったというのに怪我らしい怪我はない。
まあこいつだしと勝手に納得しながら、誠次は答えた。

「なんだよ。俺のどこが外道だよ」

「熊から逃げる私の足を引っ掛けて転ばせておいて自覚も反省も無しか!」

外道と書かれた鉢巻きを巻き、外道廃絶と書かれた旗を背負って叫ぶ神を誠次はうるさそうに追い払う仕草をしながら、

「お前なら絶対死なないと思ったからやったんだよ。現にあの連中はむしろ俺をおとりにして助けてやろうかと思ったぐらいだ」

ふいに肩を叩かれて振り向くと楓が驚愕に目を見開きながら神を指さしていた。

「せ、誠亜殿。そちらの御仁はいったい……」

「気にするな。神という名の変態だ」

淡々と告げると楓は冷や汗を浮かべながらうなずいた。

「なるほど。カミ殿でござるか。拙者は長瀬楓でござる」

「うん?なんか違う気がしたんだが……気のせいか。神だ。よろしく」

言って神はびしりとポーズをとった。
その瞬間楓がわずかに身を震わせて誠次の影に隠れるような位置に半歩動いたのだが、神は気づかなかったのかどうでもいいのか、構わず続けた。

「何かお困りのようだな。助けてください神様といったら助けてやらんこともないぞ」

「寝言は放っておくとして、どうやって熊の暴れている理由を探る?」

無視されて神が不満そうにしているがやはり無視する。
楓も誠次にならって、というよりあまりかかわりあいになりたくないのか神を無視して答えた。

「熊が人を襲う理由としては縄張りに入られたとか人に突然会って驚いたとかがあるでござるが、あの熊はそんなことでは人を襲ったりしないでござるよ」

「じゃあなんでだよ。言っとくが俺は熊なんて一度しか会ったことねえからわからんぞ」

「熊との意思疎通を図りたいのか」

割り込んできた声に誠次は振り向かずにああと答えた。
神は世間話でもするようなノリで続ける。

「ならこれで練習するがいい。そらちょうどよくこんなところに小熊が」

振り向くと神が一頭の小熊を抱きかかえていた。
小熊は嫌そうに神の手の中で暴れるが、さして力を入れてる風もないのに神の手はびくともしない。

楓は横で口をぽかんと開けている。
誠次は震える声で問いかけた。

「お前……それどこから……?」

神は当たり前のように真顔で答える。

「うむ。少し前に偶然巣穴を見つけてな。興味本位で連れてきた」

三人ともに声を発さず沈黙が森を支配する。
楓も誠次も神も動かずににらみ合っていた。
風がざわざわと木々の葉を擦り合わせる音が森の中を闊歩する。

「はあーはっはっはっはっはっは!」

沈黙を破ったのは神だった。
神は突然身をひるがえすと高笑いと共に駆けだした。
小熊を抱えて。

「全部お前のせいじゃねえかああああああああ!」

絶叫と共に誠次がその後を追う。

「ま、待つでござるよ!」

その誠次の後を楓が駆ける。

「グオオオオオオオオ!」

さらにその後ろを子供を見つけてさらに暴走した熊が追いかけた。

麻帆良の森を舞台に一大鬼ごっこが始まった。












「ちっくしょう!何であんな走り方であんな速いんだ!」

誠次は森の中を風の如く駆け抜けながら毒づいた。
相変わらず誠次と小熊を頭上に掲げながらダカダカと変な走り方で駆け抜けていく神との距離は縮まる気配を見せない。

隣を楓が悠々と走っていた。
二人ともまるで平地を走るがごとく。木の根や岩の多い森の中を駆け抜けていく。
その速さは先程五人組とともに走っていた時とは比べ物にならず、すでに熊はだいぶ引き離されてしまっていた。

不機嫌に唸る誠次に楓が少し驚いたように言った。

「それにしても誠亜殿。なかなか速いでござるな」

「山で育ったからな。山歩きは得意な部類だよ」

答えると楓は少し困ったように呟いた。

「そういうことではないのでござるが」

誠次はむかつく走り方で前方を走る神の背中を睨みつけながら舌打ちした。

「埒が明かねえな。楓。なんか手裏剣とかそういうのもってねえか。忍者マニアだろう?」

「忍者マニ……!」

絶句する楓を横目に誠次は不思議そうに問いかけた。

「なんだ。違うのか?ひょっとしてホントの忍者なのか?」

楓は何やら葛藤した後、少し悲しそうに答えた。

「に、忍者マニアでござるよ……はは……」

言いながら懐から数本のクナイを出す。
一転して真剣な表情になると楓は鋭くそれを投じた。
空を裂くクナイが神へと飛来するが、神が強く地面を踏みつけるとなぜか畳がめくれあがりクナイを受け止めた。
それを見た楓が素っ頓狂な声を上げる。

「畳ぃっ!?なんでござるかあれは!?」

「細かいことは気にすんな!それがあいつと付き合ってくのに必要不可欠なことだ!」

「細かくないでござるよ!何で森の中に畳が!?」

言っている間も神はポケットからスイカ大の袋を取り出している。
それを見た楓が唖然とした口調で言った。

「誠亜殿。今カミ殿のポケットからあり得ない大きさのものが出てきた気がするのでござるが」

「気にすんな」

言葉短に答えながら誠次は神を見つめた。
神は袋のなかのものを地面にぶちまける。
それは大量のビー玉だった。

誠次と楓は同時に跳躍した。
猿のように木々から木々に飛び移ってビー玉のばらまかれた地面を通過する。
楓はまさしく忍者の如く木々の枝の上を跳んでいた。

それを見た神は難しい顔で唸るとリュックの中に手を突っ込んだ。
そしてずるりと巨大なバズーカ砲を取り出す。
むろんリュックに入る大きさではない。

「誠亜殿……」

「気にすんな」

同じ言葉を吐いて誠次は神のバズーカを睨みつけた。
神はダカダカと妙な走りで、しかも後ろ向きに走りながらバズーカを構えている。
小熊は神の頭の上で眠らされていた。

神の指が引き金を引くと同時に黒いネットが発射された。
捕獲用のネットを発射するバズーカだったらしい。

それを見るや否や誠次は地を這うような低姿勢で駆け抜けた。
飛来するネットを潜り抜ける。
楓はあっさりとネットを飛び越えている。

楓は前を走る神に向かって声を張り上げた。

「小熊を返すでござるよカミ殿!」

「はははははは!やなこった!」

神はバズーカを投げ捨てながら返した。
そのまま妙な走り方で走り去っていく。

「なっ!なぜでござるか!?」

「その方が面白そうだからだ!」

「おもしろっ……!」

楓は絶句したあと、怒気を込めて言い放った。

「そんな理由で子を親から奪っていいと思っているのでござるか!」

そのことばに誠次は胸中で呟いた。

(……何故だろうな。いたってまともな反応のはずなのに新鮮に感じる)

だいぶ神に毒されているようである。
義憤に燃える楓に誠次は淡々と言った。

「あいつは説得しようとするだけ無駄だ。面白いことのためなら血みどろになるまで殴られても全く懲りない男だ」

「厄介な御仁でござるな」

楓が呻く。
その間も神は何やらリュックの中を探っていた。
黒い球体をいくつもばらまく。
握りこぶしよりふたまわりほど大きいその球体にはあからさまな導火線がついていた。
よく見ると『脱げ』と大きく書かれている。

「よけろ楓!あれはたぶん『脱げ爆弾』だ!爆風に当たると服を吹き飛ばされて裸にされるぞ!」

「なんでござるか!『脱げ爆弾』って!」

いいながらも誠次と楓は地を強く蹴って強引に加速し、爆弾を追い抜いた。
後ろの方で爆音がこだまする。

爆発の余波が誠次と楓の服と髪を揺らすが余波には服を飛ばす効果はないらしい。

「おのれちょこざいな!」

神は叫ぶと同時にまたリュックの中に腕を突っ込んだ。
そこから何かを取り出そうとして、張り出した木の枝にしたたかに頭をぶつけた。
疾走の勢いのままに転倒する。

「しめた!チャンスだ!」

誠次は駆けだした。
神は頭を押さえて悶絶している。
横では小熊が地面に放り出されてなおすやすやと眠っていた。
先に神を殴ろうかそれとも小熊を拾おうか。
一瞬意識をそらした誠次を衝撃が襲った。
突如として巻き起こった爆風にに吹き飛ばされ、地面をごろごろと転がる。

舌打ちともに起き上がると、いつの間に立ち上がったのか神が無様に地面に転がるこちらの姿をカシャカシャとカメラに収めていた。

神はこちらが体勢を立て直したのを見るとすぐさま熊を抱えて走り去って行く。

「大丈夫でござるか?」

問いかける楓にこちらに来ないよう仕草で示しながら自分の足を見下ろした。
長ズボンをはいていたのだが膝より少し上まで布が吹き飛んでおり半ズボンと化している。

誠次は憎々しげに言った。

「やられたな。おそらく『脱げ地雷』だ。このあたりに埋められているに違いない」

「いや『脱げ地雷』って……」

「後で回収させにゃならんな」

楓は何か納得がいかないようであったが、結局言葉を飲み込んだ。
今は神を追う方が優先だと考えたのだろう。
誠次が跳躍して木の枝の上に飛び乗ったのを見て、楓も木の枝に飛び乗った。
そのまま二人で枝から枝へ跳躍していく。
神の姿はもう見えなかった。








離された距離は誠次達が思っていた以上に大きかったらしい。
結局行けども行けども神の姿は見えることはなかった。

森の中で二人で向かい合って頭を悩ませた。

「完全に見失ったな」

小石四つを片手でお手玉しながら誠次が言う。
楓も重苦しい顔で頷いた。

「早く探し出さないとまたあの熊が人を襲ってしまうかもしれないでござる」

「熊が撃ち殺されるのが先かもしれねえな」

淡々と告げた言葉に楓が少し非難するような視線を向けるが、結局何も言わずに押し黙った。
代わりに問いを口にする。

「何か心当たりはないでござるか?カミ殿の行きそうな所に」

誠次は静かに首を横に振った。

「別に付き合いが長いわけじゃないからな」

その答えに楓が落胆の吐息を吐く。

「だがやみくもに探しても日が暮れちまう。考えるしかねえな。畜生。考えるのは苦手なんだよな、俺」

言って誠次は空を見上げた。
木々の間から覗く青空を。

「野郎は面白いから、事態を面白くしたいからあの小熊を連れ去った。だから事態を終息させちまうようなことはしないはずだ」

「というと?」

「小熊を親のもとへ帰す。これもゲームエンドだ。それと同時に親熊が人里に下りて撃ち殺されても事態は終わっちまう。だから親熊が人里に下りそうになったら小熊を見せて誘導するなり、得意のゴッドパワーとやらで森に引き戻すなりするはずだ」

「なら親熊に張り付いていればいずれ現れるのでござるか?」

希望が見えたというように表情を少し明るくする楓に誠次は難しい顔で言った。

「うーん、どうだろうな。俺達が張り付いていたら直接姿を見せずに済むゴッドパワーの方をとるかもしれねえ。いっそのことなんもかんも無視して家に帰ったら野郎も飽きて小熊を親のもとに返すかもしれねえな」

「それは少し無責任でござるよ」

非難する楓に誠次は頭をかいて嘆息した。
困ったように首をかしげていた楓は何か思いついたようにぽつりとつぶやいた。

「逆にカミ殿をおびき出すことはできないでござろうか?」

誠次は表情を引き締めて答えた。

「できないことも……ないかもな。野郎のことだ。何か面白い事が起こればそれを見に現れることはじゅうぶんありうる」

「面白いこと、でござるか。どういうことが面白いのでござろうか?」

その問いに誠次は嫌そうに顔を歪めた。

「ドタバタ騒ぎ自体が好きな方だろうな。そのドタバタ騒ぎに巻き込まれて俺が苦労してるさまを見るのも好きなはずだ」

「そう都合よくドタバタ騒ぎがあるとは限らないでござるよ。あったとしてもそれを拙者達が見つけられるとは限らないし、さらに拙者達の見つけたそれをカミ殿が見つけられるとは限らないでござる」

「それは……たぶん俺達が見つければどうにかなる。神の奴はたぶん俺達のことを何らかの方法で監視しているはず。面白いことを見逃さないためにな。だから俺達の周りで面白い事が起これば奴も気づくはずだ」

そこまで行って誠次は嘆息した。気乗りしない様子で言う。

「問題は楓の言った通りそうそう都合よくドタバタ騒ぎを見つけれないってことだ。だから不本意ではあるが“俺達自身”がなにか騒ぎなり面白いことを起こした方がいい」

「むう……漫才でもするでござるか?」

「そういうのは違うんじゃねえかなあ」

誠次は切り株に腰を落としながら、楓は木の幹に背を預けながらともに頭をひねる。
5分近くああでもないこうでもないと意見を出し続けた。

そして何度目になろうか。楓が口を開こうとして止めた。
口に出すべきかどうか逡巡しているのが見て取れる。
しばらくして楓は決心したようで咳払いを一つした。
微妙に顔が赤くなっているのに猛烈にいやな予感がしたのだが誠次は止めずに聞くことにした。

「古来より敵の気を引くのに使われてきた方法があるでござるよ」

「ほう」

楓はそこで一瞬口をつぐんで意を決したように言った。

「色仕掛けでござる。拙者と誠亜殿でえっちなことをしてるふりをすればカミ殿も出てくるのでは……」

「……………………勘弁してくれねぇか。わりとマジで」

「う、うむ。それがいいでござるな。拙者も自分で言っといてなんでござるがこれは無いと思ったでござるよ。それにすぐに演技だとばれてカミ殿はでてこないでござろうし」

誠次はそれに乾いた笑いを洩らしながら、

「いやたぶん出てくると思うぞ。演技だとわかった上で、恥ずかしいのを必死に我慢してエロ演技してる俺達をみて爆笑するために出てくるはずだ」

「…………本気でたちが悪いでござるな」

冷や汗を流しながら言う楓に頷きながら誠次は頭を抱えた。

「どうしたもんか……」

「しかたない。片っ端からやってみるでござる」







「おお~ロミオ~」

「ジュリエット~」

演劇。
誰もいない森の中で二人だけで演劇のまねごとをしている様子はこの上なく異様だ。そして事情を知っているものから見ればさぞや滑稽だ。
しかし効果なし。






「どうも~誠亜です~」

「楓でござる」

誰もいない森の中で漫才のまねごとを以下略。









「その時柱の影から……」

誰も居ない森の中で怪談大会を以下略。










「これもダメか」

6つ目ほどを終えて誠次は嘆息とともに声を吐き出した。
相変わらず神の出てくる気配はない。

楓の顔にもわずかだが疲れと焦りの色が見えた。

「誠亜殿。拙者思ったのでござるが。ひょっとしてカミ殿は先ほどの作戦会議を見ていて、拙者達が一番嫌がっているアレをやるまで出てこない気なのではござらんか」

誠亜は無言で目をそらした。
それは誠亜が気づいていながら気づかないふりをしていた可能性である。

「こうなったらやるしかないでござるよ。アレを」

「いや、他の手段を探そう」

額に汗を浮かべながら誠次は言うが楓は構わずにじり寄ってきた。

「誠亜殿。あの熊の親子を救うために力を貸してほしいでござる」

「いやなにも熊のためにそこまでせんでも」

楓が近づいただけ誠次は後ずさる。

「あの熊たちも友達なのでござる。それとも誠亜殿は熊ごとき死ねばよいと?」

「いやそこまで言わねえけど」

どしんと背中に響く感触。
振り向けば木の幹がそこにあった。

「さあ腹をくくるでござるよ」

「ちょ、ちょっと待て!」

「大丈夫。所詮ただの演技。ホントにするわけではないでござる」

「いやだから待って。まっ、キィィヤァァァァァァァァァ 」















突然聞こえてきたその音はまあ擬音で表すならパシャリという音だった。
それを耳にした瞬間、誠次と楓は一斉に振り向いた。
双方ともに微妙に顔が赤いのはエロいことしてる演技などやはりこの上なく恥ずかしかったからである。
二人同時に声を張り上げる。

「神!」
「カミ殿!」

同時に音の源を見やって同時に凍りついた。

そこにいたのはカメラを構えた神……ではなくそれほど長くない髪を後ろにまとめた好奇心の塊のような眼をした一人の少女――朝倉和美だった。
朝倉は手の中のカメラで一心不乱にこちらの姿を撮りまくった後、感極まったように言う。

「くぅぅぅ!まさかこんな劇的瞬間に立ち会えるとは!“四天王”の一角と謎の転校生の禁断の愛!これは近年まれにみる大スクープだよ!」

言って再び写真を撮り始める。

「ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!」

その音に誠次と楓は同時に我に返った。
楓は誠次の上から飛びのき、誠次は腹筋の力で跳ね起きる。

「朝倉殿!?なぜここに!?」

若干裏返りかけた楓の声に朝倉はカメラのレンズ越しに楓の顔を見ながら答えた。

「ん~?なんかたまたま通りすがったおじさんが、森の中でたった二人で演劇やら漫才やらやってる変なコンビがいるって話しててさ。スクープにならないかなあって思って場所を聞き出して来たんだけど。いやぁ、もっとすごいもんが撮れたよ」

「神ィィィィッ!!」

頭を抱えて絶叫する。
朝倉はそんな誠次の狂乱など気にもならないのかメモとペンを片手に生ぬるい笑みを浮かべる。

「それで二人はいつからそんな関係なの?なれそめは?一目ぼれ?それとも戦いの中で愛がってやつ?見た感じ楓っぽかったけどどっちが攻め?」

矢継ぎ早に繰り出される質問に少したじろぎながら楓が手を振る。

「朝倉殿。違うのでござるよ。これには深いわけが……」

「ふっふっふ。ダメダメ。ネタは上がってんのよ。この真実の探究者、朝倉和美に見つかったのが運のつき。さあキリキリはきなさい!」

「あれは演技だ!とある馬鹿をおびき出すための演技なんだよ!」

誠次の必死の叫びに朝倉はぱたぱたと気の抜けたうごきで手を振った。

「まぁたまたぁ。うそつくならもっとマシなウソつきなさいって。で、結局のところどうなのよ?」

「なぜ信じないぃぃぃぃ!?」

いっそ朝倉に当て身を入れて気絶させてカメラのデータを全消去するか、などと誠次が危険な考えに染まりかけたとき、爆笑が森に響きわたった。

「ブファッハハハハハハハ!!」

見ると朝倉の後ろの方で腹を抱えて笑い転げている男がいた。
服は普通のスーツになっているが間違いない。神だ。
その横では澄んだ瞳できょとんとこちらを見つめる小熊の姿。
神は笑いすぎで苦しそうに痙攣したあと再び爆笑を響かせた。

「つ……つ……」

誠次の喉が張り裂けんばかりの叫びをあげる。

「つかまえろああああああ!」

絶叫とともに大地を蹴りつけた。
疾風すら凌駕するスピードで誠次の体が撃ち出される。
同じように、否、それを凌駕する速さで楓もまた疾走していた。

あわてて立ち上がった神が小熊を拾い上げるより早く、その心臓に熊を討とうとしたとき以上の力をこめて拳を叩きつけた。
神の体が弾丸の如く吹っ飛び、激突した木を一本へし折ってその向こうの木にぶち当たった。
すかさず楓の投じたクナイが神の服を木の幹につなぎ留め、さらに投じられた鎖鎌が鎖で神の体を木の幹に縛り付ける。
回転した鎌が神の頭の5センチ横に突き立つと神の頬を一筋の汗が伝った。

「あ、あんたらどうしたの?急に」

唖然とした声で朝倉が言うのを無視して誠次は指をバキボキならして神に歩み寄る。
その顔にはいわゆる“殺す笑み”が浮かんでいた。

「やってくれたなぁ神ぃ。どうなるかわかってんだよなぁ」

「誠亜殿それは後にするでござる。今は小熊を親のもとに帰すのが先決でござるよ」

楓の言葉に舌打ちして誠次は拳を引っ込めた。
楓は小熊を抱き上げてあたりを見回す。

「さて、問題は親熊がどこにるかでござるな。人里に下りてなければ良いでござるが」

心配そうにいう楓に誠次は軽く微笑んで首を振った。

「いや心配いらねえよ。……来た」

誠次の言葉に応えるように木々の間からのっそりと親熊が姿を現す。

「く、熊!?」

大きな驚愕とわずかな恐怖の声を上げながらも朝倉はカメラをクマに向けている。

熊は低いうなり声をあげながらゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。
その眼には強い警戒の色が窺える。
無理もない。
こちらには磔になっているとはいえ、小熊をさらった張本人と親熊本人を殺しに飛びかかった者がいるのだ。

小熊を抱いて歩みだす楓の背に声をかける。

「気をつけろよ」

しかし楓は穏やかな笑みを浮かべながら首を横に振った。

「心配いらないでござるよ」

ゆっくりと熊の前に立つ。
そしてそっと小熊を地に下ろした。
親熊は鼻を小熊にすりよせると、一声鳴いて踵を返した。
小熊を連れて森の中へと戻っていく。
木々の合間に消える直前、一度だけ振り返り、頭を下げて去っていく。

「これで終わりだな」

「うむ。助かったでござるよ誠亜殿」

たがいに笑みを浮かべて握手する。

記者根性か一部始終を写真に収めていた朝倉は納得がいかないように問いを発した。

「んー?なになに、つまり何がどうなってるわけ?」

その問いに誠次は口元に凶笑を刻み、神の頭をわしづかみにした。

「つまりこの馬鹿が、興味本位で熊の巣穴から小熊を連れ出し、怒った熊が暴れると騒動の激化を望んで小熊を連れて逃走し、撒かれた俺達が奴をおびき出すためにいろんな演技をし出したのを見てそれとなくあんたに知らせ、あんたに見つかって慌てふためく俺達を見て楽しもうとしたんだよ!」

ちなみに言葉の区切りごとに腕に入れる力を増している。
終わるころには神の頭蓋がメキメキと危ない音を立て始めていたが咎める者はいなかった。

誠次は黒い殺意を背負いながら朝倉に目を向ける。

「朝倉ぁ。まさかさっきの俺達の演技を真実であるかのように記事にしたりしないよなぁ」

朝倉は微妙に顔を青ざめさせながら、

「あっははは。誤報とわかっててそれをそのまま記事にはしないよ。あたしは記者。真実を伝えるものだからね」

言って朝倉はカメラを構えた。

「まあインパクトは減っちゃうけどちょっといい話的な記事のネタにはなるし、あたし的にはそれで満足しておくとするわ。ねえちょっとその犯人の顔も撮っときたいから手をどけてくんない?」

いわれて誠次は仕方なく手をどけた。
アイアンクローから解放された神はカメラを向けられているのを見て、とりあえず何も考えずに凛々しい表情を作る。

それを呆れた顔で眺めていた誠次に楓が声をかけた。

「何やら大変なようでござるな。もし困った事があったら拙者を頼ってくれていいでござるよ。拙者達は同じクラスの仲間でござるから」

「ああ。よろしく頼む」

笑みを浮かべて言う誠次。
傾きかけてオレンジ色の混ざり始めた日の光が二人の顔を照らしていた。

「うむ。すべて一件落着であるな。きれいに終わったようだし、そろそろこの鬱陶しいクナイと鎖鎌をどけてくれてもいいぞ」

自分のやったことの責任をなんら感じていない声で尊大なセリフを吐く神に誠次が振り返った。
天使のような微笑みとともに拳を握る。

「お・ま・え・は・もう少し反省しろおおおおおおおおお!!」

咆哮とともに拳打の嵐が荒れ狂う。
魔帆良の森の中に悲鳴が響き渡った。


















後日。
朝倉和美の部屋。

「あっれ~。あのカミって人の写真だけピンぼけてる。どうなってんだろ?」



[9509] 第6話 こだわってます
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/11/13 07:12
神と俺のコイントス






第6話  こだわってます






最近桜咲刹那に嫌われている。
いやもともと嫌われていたのだがその度合いが酷くなったような気がするのだ。

ふと視線を感じて振り向くと彼女がこちらを睨んでいることが多々あった。
この前の脱衣所での遭遇以来視線がきつくなったようにも感じる。

何が気に入らないのか。
まあ男がクラスメートにいるのが気に入らないのだろうが、それにしてもやはり気になるものは気になる。

体育のための着替えのときも当然睨まれたし、なぜか体育をしている最中も睨まれた。
意外に多いのが、

「誠亜おはよ~」

「おう。おはよう」

誠次はこのかの挨拶に応えながら、振り向いた。
こちらを睨んでいる刹那と目が合う。
そう、意外に多いのがこのかと話しているときにこちらを睨んでいるパターンだ。

「なあこのか」

このかを呼びとめる。
刹那の視線がさらにきつくなるがここは無視した。

「なに?」

「このかってひょっとして刹那と知り合いか?」

そう問うとこのかは少しだけ寂しそうに笑う。

「うん。そうやよ。幼馴染……みたいなもんや。せっちゃんがどうかしたん?」

まさかお前と話してるときいつも睨んでくるんです、とは言えない。
いや別に言ってもいいのだがここは言わないでおく。

「いや、なんでもねえよ」

手をパタパタと振るとこのかはそうといって自分の席に向かっていた。

もう一度刹那の方を見るとすでに視線をそらしていた。

(なるほどねぇ。幼馴染に悪い虫がつかないよう見張ってるわけだ)

確かに男であるのに女であると偽ってここにいる現状は、皆を騙してると言えなくもないのだが、正直自分の意志ではないので勘弁してほしいところである。

誠次が嘆息していると陽気な声が響いた。

「おーっす、誠亜!今日もカチカチかー?」

次いで軽い衝撃が腹に走る。

「よーし!今日もカチカチだ―!」

「お、お姉ちゃん。駄目だよ」

挨拶代りに腹にパンチを打ち込んできた少女に誠次は苦笑しながら口を開いた。

「おはよう史香、風香。それと毎朝人の腹にパンチくれるのはやめてくれないか」

風呂場で誠次の筋肉質な体がみんなに騒がれて以来、この少女は毎日誠次の腹にパンチをしてくるようになった。
こんな小さな子のパンチなどそれこそ痛くも痒くもないが一応言っておかなければなるまい。
まあどうせすぐに飽きるだろうから誠次もあまり強く言っていないのだが。

案の定鳴滝姉妹はこちらの注意などどこ吹く風で自分の席へと駆けて行った。

誠次も自分の席に向かう。
たどり着くと誠次の椅子が倒れていた。
まあ騒ぎも多いクラスだ。
誰かが引っかけて倒したんだろう。
誠次は無造作に倒れた椅子を蹴り上げる。
椅子はくるくると回転し、綺麗に足から着地した。

鞄を机の上に放って椅子にどっかりと腰を下ろす。

「おお~~」

周囲から小さな歓声が沸き起こる。
別に格好つけようとしたわけじゃなく、かがむのが面倒くさかっただけなのだがまあいいかと適当に手を振っておく。

ふと強い気配を感じて振り向くと刹那がまたこちらを睨んでいた。
別に今のは睨まれるようなことじゃないと思うのだが。

(なんなんだろ。ホントに)

おおむね良好な新しいクラスでの人間関係で一番の問題といえるだろう。

『なにやら嫌われているようだな』

頭に響く神の声。
まあ正直言って刹那の問題などこっちの問題に比べれば小さなことではあった。

『余計なことすんなよ』

釘をさすように告げる。
だが神は不敵に笑うと

『余計なことなどせんよ』

『訂正する。なにもすんな』

『はっはっはっはっは』

神は笑声を響かせる。
まったくこちらの言うことを聞く気のない神に嘆息しながら誠次は窓の外を眺めた。
今日の天気は曇り。
薄暗い灰色の曇天が誠次の気分をさらに落としていた。
























眼の前のテントを眺め、誠次は首をかしげた。
魔帆良の森の中の一部。川に面したそこには緑色のテントが張られていた。
誠次は周囲を見回して嘆息した。
本来森や山は好きな部類なのだが、ここにいると先の楓とクマの一件を思い出してしまうのだ。
クマに追いかけられたり、神を追いかけたり。
まあそれは問題なかった。
問題は神をおびき出すためにしたアレである。
あのエロ演技は容赦なく誠次の心を抉ったのだった。
美人である楓のエロい姿に興奮したり気まずさを覚えたわけではない。
それならどれだけよかった事やら。

たとえ体を女にされようと心は男であると信じている、というか信じたい誠次にとって、あの姿を見ても反応しない自分を認めるのは多分に苦しいことだったし、ましてやエロいことしている女性の真似をするなど男としての自負をプライドをゴリゴリと金やすりで削り落すようなことだった。

誠次はかぶりを振って忌まわしい記憶を追い払った。
気分を変えるように隣で道具を並べているダイゴに問いかける。

「なんだって急にキャンプなんだ?」

問われてダイゴは顔をあげた。
恐れを含む眼差しで顔を川の方、しいては学園のある方に向ける。

「今日、姉貴が魔帆良の友達んちに来てんだよね……」

「あーー」

それだけで誠次は理解した。
ダイゴは実の姉を大の苦手としているのである。
須藤麻美。
正確な年齢は知らないが(聞くと怒るのである)見た目からしてダイゴとそれほど年は離れていないように見えた。
もっともダイゴの母も20代にしか見えない驚異の若々しさを持っているのであまり見た目は参考にならないが。

彼女の恐ろしさは人をおちょくるのが大好きだということである。
さんざん麻美が飽きるまでおちょくられ続けるつらさは同じく神におちょくられている誠次はよくわかる。

おまけに神は振り回された恨みを拳で返せるが麻美の場合はそうもいかない。
もうひとつの恐ろしい点は彼女が大の酒好きでなおかつダイゴや誠次にも無理やり飲ませようとすることである。

彼女に付き合わされて倒れるまで飲まされた次の日の二日酔いは誠次達にとって忘れられない悪夢である。

「あんのじょう『今日みんなで飲むからあんたも来なさい』ってさ~。それでとっさに今日はキャンプするから遠慮しとくって答えたわけさ。言った以上キャンプしないとあとでどうなるか分かんないしねぇ~」

言ってダイゴは手の中で包丁をくるりと回した。
誠次は袋の中の食材を覗いて呟く。

「キャンプだってのにえらい材料豊富だな。調味料まで持ってきて」

「やるからにはしっかり作らんと気が済まないからね~」

妙なところで凝り性な友人に苦笑しながら誠次はあたりを見回した。
ある一点を見つめて眉をしかめる。

(気配が三つ。一つは……このかに似てる気がするが)

すでにあたりは暗くなってきている。
一概には言えないが女子中学生が森を出歩く時間ではないことは確かだ。

気のせいだとスルーしてもいいが、放っておいて何かあったら寝覚めが悪い。

「ダイゴ。俺、少し散歩してくるわ」

「う~い。あんま遅くなんなよ。先食っちゃうからな」

「そうならないよう努力するぜ」

軽口を叩きながら地を蹴る。

ダイゴから見えないところまでくると誠次は一気に加速した。
風のように気配を追って夜の森を駆け抜ける。
光は木々の枝葉に遮られ、外以上に暗くなっていた。
幸い誠次はわりと夜目の利く方なので木の幹に激突したり、根に躓いたりすることもなかったが。

気配はあまり速くないようで、簡単に距離が詰まっていく。
これで相手が楓並みの敏捷性の持ち主だと追いつくのも一苦労なのだが、この気配は正直遅い。

誠次は闇の中を駆ける人影を見つけると木々の枝に飛び移った。
人影の視界に入らないよう、枝を飛び移って人影を追い越す。
眼を凝らしてみると、見慣れない男がこのかを米袋のように担いで走っていた。
黒髪黒眼の青年で平凡な顔立ちをしたいまいちパッとしない男である。
陰陽師のような独特の服を身にまとっているが、正直服に着られている感がある。
もう一人は

(ガキかよ!)

もう一人は年端もいかない少女だった。
7、8歳程度だろう小さな少女だった。
長くのびた金髪はぼさぼさで、着ている服もかなりぼろぼろである。
身なりを整えればそれなりに可愛いのだろうが今はひたすらに貧相だった。
そして何より特徴的なのは頭の上の大きな耳だ。
俗に言うネコミミがついていた。
しかもピョコピョコ動いている。
作りものでないのは明らかだ。
あれだけ生物的な動きをしていながら作りものだった場合、そのこだわりに驚愕するところだが。
普通の人間にはネコミミなど生えてはいない。
すくなくとも誠次の知る限りではそんな人間はいなかった。
つまり彼女は……

(……ぶっちゃけどうでもいいや)

誠次はそう切って捨てると彼女らの動きに意識を戻した。
少女は気の強そうな猫じみた目つきで油断なくあたりを見回している。
もっとも油断なくといってもこれだけ近くにいる誠次に気づけてないあたりまだまだだが。

このかは意識がないようでぴくりともしない。
パッと見誘拐であるが、それならこんな子供を連れてくるのも妙な話だ。
誘拐のエキスパートとしてでも育てる気だろうか?

訝しげに見下ろす誠次に気付かず男が口を開く。

「ククク、関西呪術協会の長の娘。そしてこの膨大な魔力。これでオレも上にのし上がれるというものだ。見ているがいい」

悪役決定。
あからさまである。
誠次は嘆息しつつ枝の上から飛び降りた。
唐突な登場に二人は驚愕の眼差しでこちらを見る。
つたないながらも拳を構えて戦闘態勢をとる少女にやりにくさを感じながら誠次は口を開いた。

「こんな時間に女の子かついでどこ行くつもりだ?俺にはあんたらがこのかを誘拐しているように見えるんだがな」

男は「見られたからには死んでもらう」とか言ってくるのかと思いきや突然人のいい笑顔を浮かべると、

「いやぁ~じつは森の中でこの子が倒れてるのを見つけてね。交番に届けに行く途中なんだ」

少女が困惑した顔をするのを無視して誠次も笑みを浮かべて答えた。

「そうか~そりゃ御親切にどうも。このかは俺のクラスメートでね。俺が彼女の部屋に連れ帰ってやるよ」

男は額に汗を浮かべながら視線をきょろきょろと巡らせた。

「いやいや発見者として最後まで責任持って運ばせていただくよ」

「おやおや。そっちは森の深部だぜ。交番目指すなら逆さ」

「いやこれはうっかり。すまないね」

言って男はこのかをかついだまま誠次の指差した方向へ歩き出した。
誠次もそのあとに続く。
男は一瞬嫌そうに顔を歪めると、また温厚そうな顔を取り繕った。

「べ、別についてきてくれなくても大丈夫だよ」

「いやあんたほっとくとまた迷いそうだからな」

「大丈夫さ!こう見えても方向感覚はいい方なんだ。というか君についてこられると困……いやなんでもない」

「さっき思いっきり方向間違えてたばかりじゃねえか」

「いやあれは」

おろおろと挙動不審になりながらなおも言いつのる男に少女が声をかけた。

「なあ……いつまで続けるんだ?」

男は焦燥に満ちた声で口元に人差し指をあてる。

「シーーッ!何を言うんだ!せっかく騙せてるってのに」

「いや騙せてないよ。あの兄ちゃんどんどん馬鹿を見る目になっていってるもん」

男は心底驚愕したようにこちらを見る。
誠次はそれに頬を掻きながら答えた。

「いや。あわせてやったらどこまで行くのかなあと、興味がわいてな」

多分に呆れを含めて言ってやると男は震える声で呟いた。

「ば、馬鹿な。オレの完璧な演技を見破るとは。貴様何者だ?」

誠次は小さく嘆息すると半眼で告げた。

「あんな演技と穴だらけの嘘で切り抜けられると思ってたことの方が驚きだよ」

男は舌打ちすると踵を返して逃げ出した。
肩越しに少女に向かって叫ぶ。

「ティー!時を稼げ!もちろん倒してしまっても構わんぞ!」

そのまま走り去っていく。速くはないがまあ人一人抱えているのだから仕方ないことでもある。

誠次は追いかけようとして足を止めた。
割り込むようにティーと呼ばれた少女が誠次の前に立ちふさがっている。
誠次は頭をかくとティーに語りかけた。

「あー。どいてくれないか?」

ティーは右拳を引いた姿勢で誠次を睨みつけると敵意に満ちた声音で言う。

「それではいそうですかと引けるもんか!」

取りつく島もない返答に誠次は言い含めるように言った。

「あのな。誘拐は立派な犯罪だ。悪いことはしちゃいけませんって親に習わなかったのか?」

「親なんか顔も知らないよ!」

「……そりゃ悪かった」

叫ぶティーに誠次は素直に謝罪する。
ティーはきつい眼でこちらを睨みながらじりじりと間合いを調節している。
その眼に実戦への恐怖が宿っているのを見て誠次は心の中で呻いた。

(やりずれぇ……)

年端もいかない少女、それも素人気味なのを相手に戦うなど正直気分が悪い。
相手がナイフなり銃なり持っていたならこっちもある程度割り切れるのだが、この少女は無手である。

こんな小さな少女のあんな細腕で繰り出された攻撃など正直問題にもならない。
負けることはないだろうが、こんな幼女をぶん殴るなど寝覚めが悪すぎる。

「なあ。お前じゃ俺には勝てんよ。怪我したくなかったらそこをどいてくれ」

だがティーはかたくなに道を譲らず怒声を上げてきた。

「うっさい!この仕事に成功したらいっぱいお金がもらえるんだ!そうしたらおなかいっぱいご飯が食べられる!もっと仕事してもっと稼げば屋根のある家に住むのだって夢じゃなくなる!」

誠次は絶句するとともに拳を握りしめた歯を噛みしめて胸中で絶叫する。

(やりずれえええええええええ!!)

今のセリフでティーがどれだけ不憫な状況に居るのかわかってしまった。
この少女をはっ倒し、このかを奪還するのはそう難しいことじゃないだろう。
だがそうすればティーはもとの生活に逆戻りである。
といってもこのかを渡すわけにもいかない。

(結局のところどっちを選ぶかってことだ)

黙考する。
そしてすぐに答えを出した。
見ず知らずの少女よりクラスメートのこのかをとる。
ティーは別にもとに戻っても死ぬわけじゃないしチャンスが消えてなくなるわけじゃない。だが、このかは連れてかれたらどうなるかわかったもんじゃないのだ。

誠次は意識を引き締めてティーを見据えた。

「悪いがどかないんならはっ倒して行くぜ」

だがティーは不敵に笑うと拳を突きつける。

「あたいをそこらの子供と一緒に見てると痛い目見るぞ」

誠次は無造作に踏み出した。
この少女が何をしても対応できるという自信からである。
無防備な姿に馬鹿にされたと感じたのかティーは目を細めて誠次を睨んだ。

次の瞬間、ティーの体が残像を残すほどのスピードで弾きだされる。
そのスピードのまま驚愕に目を見開く誠次の腹に渾身の一撃を叩きこんだ。
衝撃が誠次の体を貫き、その体を吹き飛ばす。
誠次は5メートル近く地面を滑り、一抱えほどある木の幹に激突して止まった。

衝撃に舞い落ちた木の葉を払いながら誠次は呻く。

「っつ~~。信じられん。何だ今のは。ガキのパワーじゃねえぞ。いや力を使ったんならこれぐらいいくか」

誠次は殴られた腹をさすりながら、ティーを見やる。その幼い体から“力”が立ち上っていた。

「つーか。その幼さでよくもまあ……」

感心したように言う誠次にティーもまた驚愕の面持ちで誠次を見つめた。
感情のままに叫ぶ。

「あ、あたいのパンチを腹筋締めて受け止めた!?何食ったらそんなんなるんだよ!?」

誠次は軽く胸を張りながら真顔で言った。

「たゆまぬ鍛錬のたまものだ。お前も本気で鍛えりゃこれぐらい」

「なるかっ!」

ティーは大きくかがんでクラウチングスタートじみた体勢をとると獰猛に唸った。
だが残念ながらその気迫はライオンには届かず猫どまりだ。

「くっそー!もう一発ぶち込んでやる!」

ティーの足元に力がたまっていく。
それを感じ取りながら誠次は拳を構えた。

「一撃……」

ティーが雄たけびを上げる。

「突撃ぃ!」

再びティーの体が残像を残すほどの速度で撃ち出される。
今度は軌道が若干高い。
こちらの頭を狙っているんだろう。
誠次は冷静にティーの動きを見ながら踏み込んだ。

「必倒!!」

叫びとともに拳を突き出す。
拳はティーの鳩尾に突き刺さり、彼女の小さな体を容赦なく吹き飛ばした。
悲鳴も上げられず5メートル以上吹き飛んで地面に転がる。

相手は子供。
大怪我させないよう手加減はしたがさりとてすぐに動けるほど手を抜いてもいない。

見ればティーは身を貫いた衝撃にひきつるような息をして身を震わせていた。
少しすると苦しげに咳きこみだす。

幼い少女が地面にうずくまって激しくせき込む姿にやはり罪悪感がつのる。

(いや俺の技は一撃必殺。強めに打ちこまにゃならんのだ)

自分に言い聞かせ歩みを進めた。
ティーの横を通り過ぎる。

走り出そうとして、足を引っ張られる感触に足を止めた。
見下ろすと苦しげに咳こみながらティーがこちらの足を掴んでいた。

「ゴホッ。行かせない……ご飯……お家……ゲホッ」

痛みと苦しさのためかボロボロと大粒の涙をこぼしながらティーは誠次を睨みつけた。

(や……やりずれぇ。やりずらすぎる)

誠次は頭を抱えたい衝動にかられながらも足を強引に動かした。

「攻撃食らって泣くくらいなら戦いなんてすんじゃねえ。お前にゃまだ早いんだよ」

言って足をつかむ腕を振り払おうとした瞬間、夜の闇を引き裂くような叫びが響いた。

「うわああああああ!!」

誠次の体が浮遊感とともに加速する。
視界が回転し、衝撃が全身を襲った。
ティーに投げ飛ばされて木に叩きつけられたのだと誠次が理解した時には、ティーが全身のばねを使った突きを放ってきていた。
誠次は身をよじって突きをかわす。

空を切った拳は後ろの木を抉って止まった。

木の幹を蹴って距離をとった誠次は驚愕とともにその小さな少女を見つめた。

「なんちゅう頑丈さだ。力を使える奴はこんなに頑丈なのか」

ティーは相変わらず、というか先ほど以上に号泣しながら誠次を睨みつけていた。

「ぶっ飛ばしてやるううううう!!」

雄たけびとともに殴りかかってくる。
力を纏っているためそれなりの速さだが先ほどまでの突進技は使ってない。
問題なく回避できるレベルだ。
誠次は半身になってティーの拳をかわすとくるりと振り向いた。
着地に失敗して転びながらもティーは俊敏な動きで起き上がり再び誠次に殴りかかる。
誠次は闘牛士のようにひらりとかわした。

「かぁわぁすぅなああ!!」

「そういわれてもなあ」

感情のままに突撃しているだけなのでかわすのはわけない。
十度ほどかわしたところでティーは動きを止めて叫んだ。

「まじめに戦え!反撃してみろぉ!」

涙まじりに叫ぶティーに誠次は腕を組んで唸ると目をかっと見開いて叫んだ。

「断る!俺は二撃目は打ち込まん!」

わけのわからないことを聞いたショックかティーはきょとんとした顔で誠次を見詰めた。
それを見て誠次は高らかに叫ぶ。

「俺の拳は一撃必殺!一撃で仕留められなかったならそれは俺の負け!俺とお前の戦いはお前の勝ちだ!」

呆気にとられたティーはぼうとした口調で呟いた。

「あたいの……勝ち?」

誠次は大きく頷くと、

「うむ!悔しいがお前の勝ちだ!」

ティーは涙をぬぐうと晴れやかな笑顔で言った。

「じゃあお前はもうくらいあんとを追わないんだな!?」

誠次もまた笑顔で応える。

「それとこれとは話は別だ」

「え?」

動きを止めたティーを置いて誠次は跳躍した。
叫びながらあっという間に森の中へと消えていく。

「はーっはっはっはっはっはっは!待ってろこのか!今俺が行くぅ!」

「ちょ、ちょっと待て!何だそれ!めちゃくちゃだぞ!」

ティーも叫びながら誠次の後を追って駆け出した。
障害物の多い森の中を風のように駆け抜けていく誠次とは対照的にティーはたびたび躓いて転びながら走る。
眼尻に涙を浮かべながら必死に走るがあっという間に誠次の姿は見えなくなった。

「バッカヤローーーーー!」

夜の森に幼い少女の怒声が響き渡るのだった。











あとがき
どうもすちゃらかんです。
今回はちょっとバトルです。
作品初バトルで7歳児に敗北した主人公。それでいいのか?
誠次の戦士としてのキャラコンセプトは『相当強いはずなのになぜだかなかなか勝てない奴』です。
一撃必殺にこだわりすぎるところは前に描いてたオリジナル漫画のキャラからもってきました。
受け入れてもらえるか不安ですがこのまま頑張っていこうと思っております。
今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第7話 風魔小太郎
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:b6948e00
Date: 2009/06/26 03:21
神と俺のコイントス








第7話  風魔小太郎









このかを連れた陰陽師を見つけると、その周りには3体ほどの鬼としか形容できない生き物がこん棒や剣など思い思いの武器を持っているのが見えた。
常人では到底かなわぬ破壊と恐怖の象徴を前に誠次は口元を釣り上げた。
凶笑を浮かべながら間合いを詰めていく。

(6年前の借りを返してやるぜ)

接近するこちらに気づいたのか鬼たちが武器を構えてこちらを見た。
だが誠次は構わず地を蹴って己の体を加速させる。
鬼たちの反応でようやく気付いたのか陰陽師はあわてて鬼たちの後ろに隠れた。
慌てるあまりこのかをとり落す。
どさりと音を立てて倒れるこのかの姿を見て誠次は熱くなっていた頭が冷えて行くのを感じた。

自分に言い聞かせる。

(落ち着けって。今はこのかの救出が優先だ。だいたいこの鬼たちは6年前のとは別もんだろうに)

鬼たちまであと2メートル。
鬼が自分の身長ほどもある棍棒を振り上げる。
だが誠次はそれが振り下ろされるより早く跳躍して木の枝葉の中に飛び込んだ。
誠次の姿を見失い、鬼たちは陰陽師を中心に円形に並ぶ。

きょろきょろとあたりを見回す鬼たち以上に周囲を確認しながら陰陽師がこのかを拾おうとする。

その瞬間、木々の中、陰陽師の真上から誠次が飛び出した。
腰だめに構えた拳を陰陽師に向かって叩きつける。

「一撃ぃ必殺!!」

叫びとともに突き出された豪拳は大気を裂いて陰陽師に迫る。
陰陽師は声も上げられず、眼をまん丸に見開いてこちらを見ていた。

剛拳が陰陽師の頭を砕く寸前、一枚のお札が間に入り込んだ。
お札は拳を受け止めようとするが、誠次はさらに力を込めてむりやり拳を叩きつけた。
陰陽師の体が地面に叩きつけられて跳ねる。

誠次は呆気にとられた鬼たちを尻目にこのかを抱きかかえた。
我に返った鬼たちが武器を構えるが、誠次の抱きかかえたこのかを見て動きを止める。
誘拐対象を殺すわけにはいかない。
だがこのままでは攻撃ができない。
その一瞬の逡巡を利用して誠次は鬼たちの間をすり抜けた。
慌てる鬼たちが陰陽師の方を向く。
おそらくあの陰陽師が主人か何かで指示を仰いだのだろう。

誠次は内心でほくそ笑んだ。

(いいの入ったから動けねえよ)

「追え!逃がすんじゃない!」

あの陰陽師の怒声が響く。

(あれ?)

誠次が不思議そうに振り向くと陰陽師は頭から血を流してふらふらしながらも普通に立って鬼たちに指示を飛ばしていた。
どういう原理で動いてるのか知らないが間に割り込んだあのお札でだいぶ拳の威力が削がれていたということか。

人一人抱えているというのに誠次は飛ぶように森を駆けて行った。
このかの体で足元が見えないのだがそれを感じさせない安定した走りである。
一方鬼たちはその体の大きさが災いしてか木々の枝が邪魔になって思うように走れないでいた。
追いつかれる心配はなさそうである。

3分ほどしたころには鬼たちの姿はとっくに見えなくなっていたし、気配もだいぶ遠くなっていた。
このか救出作戦はおおむね成功といったところか。
だが誠次は視線を前に戻しながら嘆息した。

「また一撃で仕留められなかった。これで0勝4敗0引き分けか。人生初白星はいつになるのかねえ」

呟きは風に流れ、夜の森に消えていく。

誠次はかぶりを振ると呟いた。

「さてこれからどうすりゃいいんだろ。ただ連れて帰るだけじゃまた狙われる危険があるからなあ。やっぱ警察かな」

誠次は足を止めぬまま思索し、結論に達した。ぽんと手を叩こうとして両手がふさがっているのを思い出す。

「とりあえず森を出て人目のあるところに行こう」

言って誠次はさらに加速した。
ダイゴのキャンプ地点の近くを通らないよう迂回しながら、またあの鬼たちがそちらに間違っていかないようわざと強く地面を踏んではっきりと足跡を付けながら走る。

しばらくして行く先にまた人の気配があるのを感じた。
気配の数は一つ。
何となくティーの顔が浮かんだが誠次は否定した。
ここは誠次がティーを撒いた場所とはだいぶ違う。
少し慎重に迂回しながら気配を探る。

「…………これは……刹那か!」

確か刹那はある程度魔法などのことも知っている裏側の人間である。
手を貸してもらおうと誠次は木々の間を抜け、刹那の前に飛び出た。

「よう刹那……」

口を開いてすぐさま止めた。
いや止めざるを得なかった。
あろうことか突然刹那が手に持った長大な野太刀を抜き放ちざまに切りつけてきたのだ。

すんでのところで跳躍した誠次は刹那の頭をとびこえ、背後に着地した。
誠次が何か言う前に刹那は振り向きざまの斬撃を放ってくる。

空を裂く一閃は誠次の首へと迸り、その首を落とさんと唸りを上げた。
誠次はこのかをかかえたまま無理やり身をそらして斬撃をかわす。

刹那の刀はそのまま跳ね上がり、今度はまっすぐ振り下ろされた。
斬閃は大きく身を反らした誠次の脚を切断せんと走る。

誠次はそれを足の力だけで無理やり跳躍してかわした。
空中でブレイクダンスのように足を回転させ、身をよじって木の幹に“着地”した。
そのまま木の幹から“跳躍”して近くの木の枝へと飛び移る。

誠次は落としそうになったこのかをもう一度抱きなおしてバランスを取ると、眼下の刹那に向かって怒声を叩きつけた。

「いきなり何しやがる!!」

だが刹那はこちらの言葉など聞こえていないかのように敵意に満ちた目で誠次を睨みつけると油断なく刀を構えた。
その構えにはほとんど隙がなく、ティーのようなにわか仕込みとはまるで違うことがわかる。

「ふん。この目で見てもにわかには信じられんな。人間が気も使わずにこれほどの動きができるとは。知らなければ不意を突かれていただろう。だが知ってさえいればいくらでも対処のしようがある。むしろ気を使う普通の忍の方がよほど難敵だ」

誠次は訝しげに眉をひそめる。

「はあ?気ぃ?つーかお前何言って……」

「問答無用!」

刹那は誠次の言葉を遮って誠次の立つ木の根元へと駆け寄る。
そして無造作に両断した。
一抱え以上ある木が驚くほどにあっさりと切れ、ゆっくりと倒れていく。

誠次が跳躍して木の下敷きにならない位置に着地すると狙ったように刹那が突貫してきた。

誠次は舌打ちとともに飛び退る。
だが絶対的なスピードが刹那の方が上だった。
あっというまに追いつかれる。

刹那が大上段に刀を構えるのを見て誠次はこのかの体から手を離した。
地面に落下するこのかの体を右足で受け止める。

そして振り下ろされる唐竹割の一撃を両の手で白刃取った。

刹那は軽い驚愕の色を顔に浮かべるがすぐに真剣な表情に戻ると力任せに刀を押し込んで着た。
じりじりと刀が誠次に迫る。

「お前何考えて……」

刹那はまたしても誠次の言葉を遮るように叫んだ。

「お嬢様を返せ!風魔小太郎!!」

「……………………………………は?」
























呼気とともに鋭い風切り音が響く。
何度も何度も。
一定のリズムで繰り返され続ける。
サイドでまとめた黒髪。
麻帆良女子中の制服を着て一心不乱に刀の素振りを続けていた少女――桜咲刹那は手を止めて息をついた。
額ににじんだ汗をぬぐう。

刀を正眼に構えながら呟いた。

「風間誠亜……か」

突如として2-Aに現れた元男といういかがわしい人物である。
心ない超能力者によって女にされたあげく、女子中の2-Aに入るよう仕向けられたらしい。
一応被害者ということになるのだが、だからと言って納得できるものではない。
女子中という男子禁制の世界に土足で上がりこんでいる存在。

おまけに女子たちに遠慮することもなく自然にクラスメートたちと会話し、学園生活を送っている。
体育の着替えの時も普通に居るし、時間は意図してはずしているようだが大浴場も利用しているらしい。
まあ女子たちの着替えを見るでも目をそらすでもなく、いうなれば気にも留めてない節があるのが不思議であるが。

そして刹那が命に代えても守りたい存在――お嬢様こと近衛木乃香とも平然と親しくしている。

もし誠亜がもとは男だと知れば皆こんなに親しくすることもなかっただろう。
クラス全員を騙しているにも等しい行為。

どうしても好きになれない存在だった。

疑念が生まれたのは大浴場の脱衣所で遭遇したあの日だ。

その異常なまでに鍛え抜かれた体を見たとき刹那は確信にも近い思いを抱いた。
こいつはただものじゃない、と。
超能力者に女にされた、裏のことなど何も知らない一般人だというのは真っ赤なウソだと。

それから事あるごとに誠亜を観察した。
もしかしたら何か特別な任を帯びて潜入したかもしれないのだ。
もし、何らかの任務で来た特殊な訓練をされた人間なら、女子たちの着替えを前に平然としていたり、女の子ずくめの状況において、まるで自分も女であるかのように自然に溶け込んでいるのも納得がいく。

何が目的か。
それを考えたとき真っ先に思いついたのはこのかのことだった。
関西呪術協会の長の娘にして膨大な魔力の持ち主。
わざわざ女子中に潜入などという面倒なことをするだけの価値がある。

もしそうならばこのかお嬢様と仲良くしようとするのも頷ける。
親しくしておけばお嬢様を攫うチャンスを作りやすくなる。

「私が守らなくては……お嬢様を!」

言って刹那は再び愛刀夕凪を振り上げた。

「悩んでいるな」

振り下ろそうとして突如聞こえてきた声に振り向いた。
気配はなかった。
おまけに真剣を振り回している姿を見せないために人払いの結界を張ってある。
一般人が入ってこれるわけがない。

振り向いてそれが目に入った瞬間、心が凍りつく音が確かに聞こえた。

そこにいたのは恐るべき生命体だった。
ひげを生やしたダンディなおじさんがカバの上に乗って妙なポーズをとっていた。
セーラー服を着て。

心は凍りついたが体は素早く反応した。
夕凪の刃を問答無用で叩きつける。
しかし男はポケットから取りだした何かで刹那の斬撃を受け止めた。
神鳴流剣士の刹那の斬撃を。

刹那は呆然とそれを見た。
男の手に握られた茶色で細長い(ポケットに入る長さではない)物体は、

「ゴ、ゴボウ?」

男の手に握られているのは正真正銘野菜のゴボウだった。
無論そんなもので気で強化された刀と力で放たれた斬撃を止められるはずはない。

「貴様……何者だ?」

恫喝するように問うと男は口元に不敵な笑みを浮かべた。

「私がなぜカバに乗っているか知りたいか?」

「いやそんなことは聞いてない。何者だと聞いているんだ」

刹那は一歩引いて刀を構えながら鋭く言った。
男は刹那の言葉に頷くと厳かに告げる。

「さもありなん。なら教えてやろう」

言って男はカバの上でポーズをとった。

「カバの英語名。ヒポポタマスという響きが面白いからだ!」

……この男、まるでこちらの話を聞いていない。
刹那はこめかみをひくつかせながら夕凪の切っ先を突きつけた。

「質問に答えろ!貴様は何ものだ!?」

「悩む少女に手を差し伸べてやるのもまた一興。さあお前の悩みを言うがいい!」

「聞いてるのか!?」

「うん、なんだ?恋の悩みか?それとも剣の道で伸び悩んでいるのか?」

「貴様!!」

声を荒らげる刹那に男は軽く肩をすくめると、

「お前は少しうるさいな」

などとのたまった。
刹那はこみ上げる怒りを抑えて震える声で言う。

「誰のせいだと……」

「私の正体は教えられない」

突然真顔で告げられた言葉に刹那はきょとんと見返した。
すると男は不思議そうに刹那を見下ろす。

「なんだ。お前が聞くから答えてやったというのに何を呆けている?」

おちょくられている。
それをはっきりと理解して刹那は怒りのままに吐き捨てた。

「去れ!貴様と話すことなどない」

そう言って素振りを再開しようとする。
それを見て男は意地の悪い笑みを浮かべた。

「風間誠亜について知りたいんじゃないのか?」

その言葉に刹那は刀を振る手を止めた。

「知っているというのか?」

男は不敵な笑みとともに鷹揚に頷いた。
指を3本立て、刹那に語りかける。

「突然だが忍者の集団と聞いて何を思い浮かべる?」

「本当に突然だな」

おちょくられた経験から、またおちょくる気なのではという思いでつい不機嫌に返した。

「だが関係のあることだ」

そう言われて刹那はしかたなく思いつく名前を挙げる。

「まずは甲賀忍者だな」

クラスメートの長瀬楓もまた甲賀忍者だ。それゆえにまず最初にこの名前が頭に浮かんだ。
それに男は満足げにうなずくと立てていた薬指を曲げた。

「あとは伊賀忍者か」

甲賀と対をなすそれを告げると、男は今度は中指を折り曲げた。
男は何も言わずに待っている。
指はあと一本残っている。
あと一つあるということか。

刹那はしばし記憶の中を捜し、首を横に振った。

それを見た男は最後の人差し指を曲げながら言う。

「風魔という名を知っているか?」

首を横に振ると男は両手を腰にあてて含み笑いを洩らす。

「風の魔物と書いて風魔だ。古くは北条家に仕えた忍たちの名で、彼らは風間という土地を発祥の地としており、風間が転じて風魔となった。そして風魔の頭領は代々小太郎の名を継ぎ風魔小太郎と名乗っている」

「風魔……風間……まさか!!」

驚愕に目を見開く刹那に男はくつくつと笑った。

「風間、風魔。ひねりのない名前だな」

強く夕凪の柄を握り締める刹那をよそに男は続けた。

「極限まで体を鍛え、気を使わずに戦闘できるようにすることで気を察知できるものからも隠れることができる。そうすれば暗殺や隠密行動が容易になるな」

刹那は悔しげに、焦燥をこめて呻いた。

「くっ。奴の狙いは何だ?」

「ふむ。それは知らんが、とりあえず近衛木乃香という少女なら現在進行形で誘拐されているぞ」

あまりにもあっさりと告げられたために刹那は一瞬言葉の意味を理解し損ねた。
その言葉が浸透した瞬間、刹那は叫んだ。

「なぜそれを早く言わない!!」

男は胸倉をつかまれながらも笑いながら手を振る。

「こんなことをしている暇はないのではないか?」

緊張感のない男の声に刹那は舌打ちしながらカバの上から飛び降りた。

「くっ!お嬢様。どうかご無事で!」

「今は森にいるぞ」

なぜそこまで知っている。そう問おうとして振り向いたところに男はいなかった。
そこには頭の上にゴボウを乗せたカバが眠そうな顔でたたずんでいるのみだ。

刹那は夕凪を鞘におさめ、駆けだした。
胸の中を焦りの炎が焦がしていた。






















刹那の手から放たれた斬撃が誠次の鼻先をかすめて過ぎる。

「お嬢様を攫うためにわざわざ女に変身してクラスに紛れ込むとは用意周到なことだな!」

「なんの話だ!」

叫びながら誠次は刹那の斬撃をかわす。
その動きには正直言って余裕がない。
そもそも誠次には実戦経験がほとんどない。
おまけに戦い方も完全に我流だ。
刀を相手取る戦い方などほとんど知らない。
本能に従うようにしてかろうじてかわしていた。

誠次は素早く動いて、木を盾にした。
一抱え以上ある木が二本隣接して生えており、そう簡単には切られない。

「斬岩剣!」

一喝とともに繰り出された横薙ぎの斬撃はバターでも切るようにあっさりと二本の巨木を切断する。

誠次は度肝を抜かれながら飛び退った。

「うっわなんであの華奢な腕でこんな斬撃出せるんだ!?って“力”使ってるからか。ちくしょう。ティーといい刹那といいまるで“力”のバーゲンセールだな」

誠次は呻きながら腰を低くして構える。
突進してきた刹那の袈裟がけの斬撃を誠次は身を捌いてかわした。

「少しは反撃したらどうだ風魔小太郎!」

「誰が風魔小太郎だ!」

叫びながら弾丸じみた突きをかろうじてかわす。
刹那はそのまま突き出した刀を横薙ぎに振るった。
ブリッジのように大きく反り返りながら誠次は首を狙った斬撃をかわし、そのままバク転で距離をとる。
だが刹那は先んじて動いていた。
ティーが使ったのと同じ突進技を使い、残像を残して先回りする。
そして地に足が付いていない誠次めがけて鋭い斬撃を放った。
誠次は舌打ちとともに腕の力だけで無理やり体をはね上げて斬撃をかわす。

「皆を欺きお嬢様を狙った罪。断じて許さん!」

「皆を欺きってのは完全には否定しねえけど、俺がいつこのかを狙ったよ!」

「とぼけても無駄だ!」

「とぼけてなんていませんけど!?」

誠次は大きく跳躍すると木の枝に飛び乗った。
すぐさま跳躍した刹那が誠次の乗る枝を根元から切り落とす。

「最初に会ったときから気に食わなかったんだ!」

「多分に私怨まじってるだろソレ!」

誠次は叫びながら別の枝に飛び乗った。
刹那は今度は飛ばずにその場で刀を振る。
弧を描いて斬撃が飛び、誠次の頭に襲いかかった。
誠次はわざと枝から飛び降りてかわす

「そもそも男が女子中に来るなど!」

「文句あるなら神に言え!」

「人災だというのに運命を呪えと?」

「俺じゃなくて人災の元凶を呪えといっとるんだ!」

「お嬢様を狙うなど万死に値する!」

「戻ったぞオイ!お前混乱してるだろ!?」

振り下ろされた刀を誠次が白刃取りした状態で再び止まる。

力と力がせめぎ合う中、一本の大木が倒れこんできた。
誠次と刹那は同時に飛び退る。
土煙の向こうから大きな影が歩いてくる。
ずしんずしんと地を揺らしながら歩み出てきたのは3体の鬼だった。
その後ろに陰陽師の姿も見える。
だがティーの姿は見えなかった。
迷子にでもなっているのだろうか。

陰陽師は若干息を切らしながら言ってきた。

「やっと見つけたぞ女。一人増えたようだがまあいい。このかお嬢様を渡してもらおうか。やれ!鬼ども!」

命令に従って鬼たちが動き出す。
自信に満ちた陰陽師とは対照的に誠次は面倒くさそうに嘆息した。
刹那は鼻で笑って疾走する。

残像を残して一瞬で鬼たちの中心に達すると刀を持った腕を引き絞る。

「百烈」

鬼たちがようやく刹那に反応するが遅すぎる。
すでに撃鉄はあげられている。
あとは引き金を引くだけ。
裂帛の気合とともに斬撃が放たれる。

「桜華斬!」

全周すべてを薙ぎ払う強烈な斬撃が鬼たちの体をまとめてなます切りにした。
白い煙のように消えていく鬼たちを見て陰陽師が唖然とした顔で刹那を見つめていた。

「くっ、しょうがない!こうなったら私自ら……」

言って大仰なしぐさで懐から抜き放った札を掲げる陰陽師。

だが次の瞬間、どこからともなく信じがたい速度で爆走してきたカバにはねられ、木に激突して気絶した。

欠伸をして地面に横になるカバを呆然と見つめながら誠次と刹那は立ちつくした。
やっとの思いで言葉を口にする。

「カバ……?」

「ヒポポタマスと呼べ。その方が面白い」

カバを追うように響いた声に誠次は振り向いた。
木々の間から神が悠然と歩いてきている。

何か文句を言ってやろうとして刹那に遮られる。

「お前……なぜここに?」

その問いに神は軽く肩をすくめると、

「なかなかに面白かったが飽きたのでな。そろそろ終わらせよう思って来たのだ」

「面白……飽きた……?」

眼を白黒させる刹那をよそに誠次は嘆息交じりで言った。

「話が見えてきたぞ。つまりはまたお前の仕業ってわけだな神」

「はっはっは。なかなか面白かっただろう?」

軽く笑う神に誠次もまた笑みを浮かべた。
もっともだいぶ物騒な笑みだが。

「はっはっは。面白い冗談だなオイ。おかげさまでクラスメートに殺されるところだったぜ」

刹那はいぶかしげに眉をひそめると、

「お前たち……知り合いなのか?」

問う刹那に誠次は神の方を指差す。
指差すついでにこめかみに抉りこむように人差し指を突きこんだ。

「こいつが神。俺を女に変えて無理やり2-Aに放り込んだ張本人だ。それだけじゃ飽き足らず面白いことのためとかほざいていろんな悪戯をしてやがる」

「うむ神だ。はじめましてではないがよろしく」

言って手を差し出す神を無視して刹那は一歩退いた。

「ま、まさか誠亜……さんが風魔小太郎だというのは……」

誠次は苦笑しながら答えた。

「真っ赤な嘘だよ。あんたを騙して事態をややこしくしようとしたこいつのな」

「失敬な。私は風魔一族について語っただけだ。誠亜=風魔小太郎などとは一言も言ってないぞ。勝手に二つを結びつけたのはその娘だ」

不満げに言う神を誠次は半眼で斬って捨てる。

「ただの詭弁だな」

「そうとも言う」

存外あっさり認めて神はポーズをとった。
誠次は額に手をあてて嘆息する。

一発頭をへこませてやろうとしたところ、刹那が勢いよく頭をさげてきた。

「す、すみませんでした!お嬢様を助けてくれたというのに、礼を言い助けるどころか斬りかかってしまい、本当に……」

誠次はからからと笑って

「まあいいっていいって。そんだけこのかのこと心配してたってことだろ。結局俺もけがはなかったわけだしさ」

「……すいませんでした」

なおも頭を下げる刹那を真面目な子だなあと見ながら誠次は刹那の肩を軽く叩いた。

「どうしても気になるってんなら、そうだな……ほんの少しだけでいいから俺の2-A入りを受け入れてくれ。それでチャラにしよう。まあもっともこの神の頭を小突いて俺を男に戻してもとのクラスに戻れるようしてくれたら一番うれしいんだけどな」

冗談めかして言うと刹那もクスリと笑った。
刹那は地面に横たえられたこのかを抱きかかえると、ふと思いついたように言ってきた。

「お嬢様を運ぶ途中、何かしなかったでしょうね……たとえば胸を触ったりとか」

誠次はどこか乾いた笑い声をあげながらふと視線を虚空に上げ、

「そういうことしたくなるんならどれだけよかった事か。……なんか女になった影響かなんかで女性を異性と見れなくなってきててなぁ。うんでもまあまだ俺の心は男だ。いや男のはず。男だよね。男だといいなあ」

虚無すら湛えた瞳で呟く誠次に刹那はあわてたように言う。

「だ、大丈夫ですよ。……まあ頑張ってください」

落ち込む誠次と慰める刹那。
奇妙な光景が夜の森で展開される。

神はそれを眺めながら右手をシュタッとあげて言った。

「うむ綺麗に終わったようなので私はそろそろ帰らせてもらおう」

踵を返すその肩を誠次はがしりと掴んだ。
指が食い込むほどの力で握りしめる。

「おいおい神ぃ。まさかこのまま帰れるなんて思ってねぇよなあ」

「HAHAHA。DAMEかね?」

妙な発音で言う神に誠次もまた妙な発音で答えた。

「HAHAHA。DA・ME・DA」

誠次は問答無用で拳を振りかぶる。
鶏を絞め殺したかのような神の悲鳴が森に響いた。

「おおりゃああああああああ!」

「ぎゃあああああああああああ!」

拳打の嵐とともに血しぶきが舞う。

「どおおりゃあああああああ!」

「ぎょおおおおおおおおおおお!」

「ちょちょちょちょっと待ってください!」

刹那に止められて誠次は不満げに振り向いた。
拳についた血を振り払いながら、

「なぜ止める?……ああお前もやりたいのか。よし存分に殴るがいい。たぶん何やっても死なないから遠慮はいらんぞ」

「違います!さすがにそれ以上やるとまずいと思うのですが。もう血まみれですし」

誠次はパタパタと手を振ってこたえる。

「いや大丈夫だって」

「ぬううううう!痛いではないか!」

神はガバリと起き上がり、両手で誠次を指差した。
その時には既に神の体は無傷な状態に戻っている。

誠次はそれを指差しながら。

「ほら大丈夫だ」

「……そのようですね」

刹那は多分に呆れの含まれた眼で神を見つめる。

誠次は嘆息すると頭をかいて言った。

「このかのことは刹那に任せていいか?」

「はい。ほかの魔法先生にももう連絡しました。あとは任せてください」

「うーい。じゃあ俺はもう行かせてもらうぜ。……ダイゴの飯まだ食えるかな。だいぶ遅くなっちまったが」

誠次はぶつぶつと呟きながら森の奥に消えていく。



それを見送った後で神はカバへと歩み寄った。寝ているカバの顔をぺちぺちと叩き、起こす。
そのまま神は立ち上がったカバにまたがり立ち去ろうとした。

「ま、待ってください」

刹那は神を呼びとめた。
神は首だけを180度回して振り向くと平然と言ってきた。

「なんだ桜咲刹那?私に何か用か?」

刹那は神に問われ、視線を反らして逡巡した。
だが意を決して口を開く。

「あなたは……誠亜さんの体を完全に女に作り替えたそうですね?」

「うん?そうだが?」

刹那はひたりと神の目を見つめた。
無意識に夕凪の柄を手が白くなるほどに強く握りしめる。

「もし……もし私が……」

「可能だ」

蚊の鳴くような声で言う刹那の言葉を遮って神は言った。
刹那は驚いたように神を見る。
神は世間話でもするかのような口調と表情で続けた。

「私は神だ。無論可能だが、お前の背中のソレはこの先役に立つぞ。それがないせいで勝てるはずの相手に負け、守れるはずのものを守れんこともあるかもしれん」

刹那は唖然とした顔で神を見つめた。
自分の言いたかったことを先読みしたばかりか自分の素性まで見抜いている。

神は一度首を元に戻すと今度は腰から上を180度回転させて刹那の方を向いた。

「ついでに言うと肉体の大幅な変質は精神にも影響があることが誠亜で立証されている。あまりお勧めは出来ん。リスクをよく考えた上でどうしてもというのならもう一度私のもとに来るがいい」

言葉を失う刹那を置いて神はねじれた体を戻し、天を指差した。

「ゆけい!ヒポポタマス!」

掛け声に応えてカバがのたのたと歩きだす。
まるで目に見えない階段があるかのように天へと昇って行った。

刹那は動くこともできずにそれを見送る。
彼女は連絡を受けた魔法先生がやってくるまでずっとそこに立ち尽くしていた。











あとがき

どうもすちゃらかんです。
神と俺のコイントス第7話でした。
時系列が行ったり来たりしていて読みにくかったかもしれません。
すいません。

ただしょっぱなで刹那と神の会話を書くと、その先どうなるかがその時点でわかっちゃうのでこうしました。
時系列順にした方が良かったでしょうか。

とりあえずこれで刹那からの風当たりはだいぶましになる予定です。

もう少し長い話だったのですが長くなりすぎそうな気配があったのでいったん切りました。
次回は多分ティーがメインになると思います。

拙作ですが今後ともよろしくおねがいします。



[9509] 第8話 迷子から始まるストーリー
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/06/27 20:14
神と俺のコイントス









第8話  迷子からはじまるストーリー










鬱蒼と生い茂る木々は月明かりを遮り否応なく暗さを深くし、視界が利かないことが恐怖心を強める。
動物すら眠り込んでいるのかあたりは沈黙に包まれていた。
時折吹く風に揺らされた梢の音はまるで魑魅魍魎の声のように聞こえていた。
がさりと震える木々の音に何度身を震わせたことか。
密度の高い生え方のせいで強い圧迫感が生じ、木々自体がのしかかってくるかのような重圧を感じさせた。
今すぐここから逃げ出したい気持ちがわきあがるが、木ばかりで構成された景色はどれも同じように見え、森の外へと出る道を見つけることも容易ではなかった。
森を歩きなれているわけでもなく、この麻帆良の森に詳しいわけでもない。
さらにはまだ幼い彼女には到底道を見つけることは出来なかった。

まあわかりやすく言えば夜の森は不気味で怖く、おまけにそんなところで迷子になっているということだ。

ぼさぼさの金髪を長く伸ばし、頭に猫耳を生やした7歳ぐらいの少女、ティーは再び響いた物音に身を震わせた。

きょろきょろとあたりを見回し、何もないことを確認しておっかなびっくり歩を進めていく。

「怖くなーいこわくなーい」

自作の歌を歌いながらティーは歩き続けていた。
自分の負けだと宣言して颯爽と逃げて行った狼じみた眼をした女を追いかけるも、あっさりと撒かれ、それでもあきらめずに闇雲に探しまわった結果、ティーは自分がもうどこにいるのかわからなくなっていた。

「あれ?ここさっきも通ったような」

このセリフももう10回目である。
実際に同じところを通ったのは3回ぐらいなのだが幼いティーにはそんなことは分からなかった。
自分がまるで無限迷宮に迷い込んだかのような不安感が身を支配する。

ガサリと響く音に身を震わせる。
恐る恐る振り向いたティーの眼に入ったのはスーツを着た普通のおじさんだった。

「おや?どうしたのだ。こんなところで」

「うっさい!散歩だ」

ティーはぶっきらぼうに返す。
怖がりであると同時に強がりであるティーは素直に助けを求めることができなかった。

男はニヤリと笑うと顎に手をあてる。

「ははあん。さては迷子だな」

「ちっ、ちがわい!」

両手を振り回して否定するティーに男は笑みを浮かべるとかがみこんだ。
視線の高さをティーに合わせる。

「おじさんが案内してあげよう。ここは怖いお化けがたくさん出るからね」

「おっおばけ!?」

思わず悲鳴を上げる。
男は頷くと語り出した。

「ここは昔合戦上でね。その戦で死んだ物達が恨みを持ってお化けになって出てくるんだ。この森の深くにうっかり迷い込んだ人間に自分たちと同じ苦しみを味あわせ、殺すためにね。そうやって殺された者もここのお化けの一員となってさらに多くの人間を殺すわけさ」

真っ蒼な顔をして震えるティーに男は立ち上がって手招きした。

「さあ急いでこの森から出ようか」

だがティーは震えながらも虚勢を張る。

「ふ、ふん!お化けなんていないやい!だからあたいは平気だよ!」

男は困ったように笑ってティーの頬に手を伸ばした。

「いやぁお化けはいるよ」

言葉とともに男の手の肉がぞろりと削げ落ちた。
呆然とするティーの前で男の顔を見ると顔の肉が腐り落ちていく。
肉と一緒に右の眼球がボトリと落ちた。
体の随所が急激に腐り、白い骨が露出する。
スーツも血と泥に汚れ、あちこちに切り傷や噛みちぎったような傷が生まれた。
腐り落ちた喉で不気味に反響する声を発す。

「ほら。ここに」

「うわああああああああああああああ!!」

絶叫とともに駆けだす。
全身に気を纏い、必死に足を動かす。
風を裂いて走るティーの鼻に腐臭がとどく。
足を止めずに振り向けば、先ほどの男が腐った体でふらふらとしながらこちらについてきていた。

喉の奥で悲鳴をあげ、駆ける。
瞬きも忘れ、見開かれた眼からはとめどなく涙があふれた。
歪む視界に構わず走り抜ける。
木の音に躓いて転ぶが、死に物狂いで体勢を立て直して駆けだした。

後ろのゾンビは一向に距離が離れない。
そればかりか前方の地面が盛り上がり、中から別の死体が現れた。
鎧を着て刀を持った死体は夢に出そうなおぞましい叫びとともに飛びかかってくる。
それをとび越えたティーは着地とともに瞬動を使って飛び出した。
ひたすらに瞬動を連射する。
こんな障害物の多い森の中で瞬動を使うなど危険極まりないことだが、後ろから迫る恐怖に比べればよほどましだった。

距離を一気に話し、少し開けたところでティーは足をもつれさせて転んだ。
恐怖と緊張で疲れ切った体に鞭を打って立ち上がる。
荒い息をつきながらあたりを見回す。
死体達の姿は見えなかった。

安堵の息をつく。
その瞬間、

「ツカマエタ」

くぐもった声とともに後ろから何かが抱き付いてきた。
振り返ると片足のなくなった女の死体がこちらの体を捕まえている。

「あ……」

ティーの喉がひきつったような音を出した。
涙を流しながら絶叫する。

「ああああああああああああああああ!」

体を捕らえる腕を引きちぎり、渾身の力をこめて殴り伏せた。
地面に叩きつけられた死体を踏み砕く。
何度も何度も何度も。
泣き叫びながら踏み砕く。

上半身が原形をとどめなくなった死体はそれでもなおティーに向かって這いずってきた。
腕が、下半身が単独で迫ってくる。

ティーは短い悲鳴とともに後ずさる。

踵を返して逃げ出そうとして森の木々の間からぞろぞろと出てくる死体達に足を止めた。
右を見ても左を見ても、果ては後ろを見てもすべてずらりと並んだ死体達が目に入る。
おまけにその死体達の向こうからは制限なく死体があらわれている。
軽く見積もっても200以上いた。

鎧を身に纏ったものから、学校の制服を着た少女まで。
様々なな恰好をした死体達がゆらゆらとこちらに向かって歩いてくる。
後ずさろうとして足を引っ張られて転んだ。

見ればティーの足を骨だけになった腕がつかんでいた。

「あ……う……」

すぐそこまで迫った死体達が一斉にティーへと腕を伸ばす。

「オマエモ……コッチヘ……」

ぷつりと理性の糸が切れる。

「いやあああああああああああああああ!!」

張り裂けんばかりの悲鳴を上げる。
きつく眼を閉じ、頭を抱えてうずくまる。
ひたすらに涙を流して泣き叫び続けた。


肩がつかまれる。
声にならない叫びとともに肩にかかった腕を振り払った。
そのまま転がるように逃げる。

振り向くと一人の青年が腕を抱えて悶絶していた。
肩まで伸ばした金髪はあからさま過ぎる金色が染料っぽさを出している。
整ってはいるがよく言えば親しみやすい、悪く言えばひょうきんな顔の青年だ。

言葉が見つからず、呆然としているティーに青年は腕をさすりながら近づいてくる。
ティーの前でかがみこむと自然にほほ笑んだ。

「大丈夫?なんか泣き声が聞こえたんで来たんだけど」

ティーは震える声で問いかける。

「あ……え……人?」

青年は少し困惑したように眉をひそめる。

「うーん、人かって聞かれたのは生まれて初めてだなぁ。うん。人だよ」

人だと証明しているつもりなのか両手を掲げてぱっぱっと開いては閉じる。

ティーは恐る恐る周囲を見回した。
小さく呟く。

「お化け……は?」

青年は訝しげに言う。

「お化け?そんなんいるわけないじゃん」

ティーは恐怖がぶり返したのかヒステリー気味に叫んだ。

「いたんだ!おじさんがここは昔合戦場で、そこで死んだ魂が生きているものを恨んで殺そうとするって!」

青年は涙をにじませるティーの頭を優しくなでる。

「俺は5年以上この麻帆良にいるけど、この森に幽霊が出るなんて聞いたことない。それにここが昔合戦場だったなんて嘘だよ」

「でもいたんだ!追いかけられたんだ!」

「でももういない。だから大丈夫だよ」

青年は震えるティーの体をそっと抱き締めた。
柔らかな温もりがティーの心を落ち着かせる。
青年はしゃくりあげるティーの背中をポンポンと叩きながらずっとそうしていた。

「おなか減ってない?ご飯でも食べて気分転換しようか」

告げられた言葉に無言で小さく頷く。
青年はゆっくり立ち上がると手を差し伸べた。

「俺は須藤大悟。君は?」

「……ティー」

ティーは応えながらも座り込んだままで動こうとしなかった。
青年――ダイゴは不思議そうに首をかしげる。
だがティーは動かなかった。否、動けなかった。
視線をそらす。
ダイゴはいぶかしげに視線を巡らせた。
その視線がティーの足元に移る。
地面に座り込んだティーの足元がぐっしょりと濡れていた。
ティーの顔が真っ赤に染まる。
眼尻にわずかに涙が浮かぶ。
恐怖の涙ではなく羞恥の涙だ。

ダイゴは何も言わずにティーの体を抱き上げた。
突然のことに戸惑うティーに人好きのする笑顔を見せて歩きだす。

ティーはあえて何も言わないダイゴの優しさを嬉しく思いながら、彼の腕に体重を預けた。
そこには不思議な安心感があった。




















「おいしい!」

歓声がテントの張られた森の中に響く。
ダイゴはニコニコと微笑みながら目の前で一心不乱に料理を口に運ぶ少女――ティーを眺めた。

「おいしい!本当においしい!」

先ほどから何度もおいしいと連呼しながら食べ続けている。
それ以外評価の言葉が思いつかなかったのだろう。
ただ感動を表わしたくて、それでも言葉を思いつかなくて、だから『おいしい』という言葉を繰り返す。

ダイゴとしては自分の作った料理でこれだけ喜んでもらえるというのは料理人冥利に尽きるというものだった。

ところがだんだんとティーのスプーンが動きを遅くし、やがて止まってしまう。

「どうしたの?」

問うとティーはふるふると首を横に振った。
スプーンを持つ手が震えている。
眼からはとめどなく涙が溢れ、口からはとぎれとぎれの言葉が漏れた。

「こ……んな……こんな美味しいご飯……生まれて……初めてだ……」

ダイゴの顔が一瞬だけ悲しげに歪む。
だがすぐにほほ笑みの形に戻ると、

「ならもっと食べてよ。おかわりもある」

「ホントか?」

「うん。誠ちゃんの分だけどまあいいさ。誠ちゃんも分かってくれるよ」

笑みとともに言った言葉にティーは少し俯き気味に言った。

「あり……がとう」

「うん?」

意味が分からず問い返すと今度はもう少し大きな声で言ってくる。

「ありがとう……こんな誰とも知れないガキを助けてくれて、ご飯までごちそうしてもらって……だからありがとう」

ダイゴは苦笑とともに返す。

「気にしないでいいよ。まあ感謝してくれているというのなら……」

言葉を待つティーにウィンクしながら、

「笑って。泣いたままよりきっとその方がおいしく食べれるよ」

ティーはしばし呆然としたが、服の袖で涙をぬぐうとぎこちないながらもにっこりと笑った。

今持っている皿の料理を平らげ、おかわりも食べきった。

「ごちそうさま」

「どういたしまして」

笑みを絶やさないダイゴにティーは問いかけようとして一度口を閉じた。
しばし逡巡したのち、膝の上で拳を握りしめ、か細い声で問う。

「ダイゴは……気にならないのか?」

「何が?」

問い返すとティーは手が白くなるほど拳を握り、蚊の鳴くような声で言った。

「その……頭の……猫の耳を」

ダイゴは言われて初めて気づいたかのように口を開く。

「猫の耳?ああそういえばあるね」

ティーは続くであろう言葉に身をすくませた。
幾度となく掛けられてきた身を裂くような言葉。
覚悟をしていても、わかっていてもやはりつらい。

「うーん。で、それが?」

だが帰ってきたありえない答えにティーはきつく閉じていた眼を開き、呆然とダイゴの顔を見た。

「それが?って……猫の耳だよ。そんなもの普通の人間にはついてないだろ!?」

「まあ……そうかな。で、それがどうかした?」

心底不思議そうに問い返すダイゴをティーは唖然とした面持ちで見つめた。

「だってだって!絶対あるはずないものがあって、普通の人間じゃなくて……」

そこまでまくしたてて、ティーはうつむいて唇をかんだ。
震える声で言う。

「……気持ち……悪い……だろ……」

今まで何度も言われたことがあるのだろう。眼尻に涙を浮かべて言う。

だがダイゴは顎に手をあてると眉間にしわをよせ、難解な数式に挑む学者のような顔で唸った。
首を傾げて虚空を見上げる。
しばらくそうしていたダイゴは視線をティーに戻して言葉を紡ぐ。

「うーん。正直その理屈は全く理解できないや。なんで猫の耳が生えてるのが気持ち悪いことになるんだ?」

「だって!」

身を乗り出すティーを見つめながら、ダイゴは2×2は4だろとでも言うような、いまさら論ずるのも馬鹿らしい当たり前のことを確認するような口調で言った。

「角が生えていようが、動物の耳が生えていようが、尻尾が生えていようが、翼が生えていようが、正直どうでもよくない?君は背が少し高い人間を見ていちいち騒ぐの?」

その言葉にティーは明いた口がふさがらないようすだった。
わかってしまったのだ。
本当にダイゴにとって猫の耳が生えていることなど、少し背が高いぐらいのことでしかないのだということに。

驚いたように、だがどこか嬉しそうにティーは笑った。
ダイゴもまたくつくつと笑う。

「そういえば前も似たような問答をしたことがあったかな」

ダイゴの呟きにティーが興味深げに問うてくる。

「へ~。いつどこで?」

ダイゴは記憶の中を探り、目的の記憶を探し当てる。

「確か俺がまだガキの頃だね。京都の山奥でかわいい女の子に偶然会ったんだわ。とりあえずナンパしたんだけど、その娘、背中に真っ白な羽が生えてたんだよね。そのとき今と同じような問答をした覚えがあるよ」

「ふ~ん。それでどうなったんだ?」

「どうなったって?」

「ナンパの成果だよ」

言われてダイゴは苦笑した。
頭をかきながら、

「いや~駄目だったわ。なんつーか逃げられた。そりゃもうびっくりするぐらいの速さで」

二人でケラケラと笑う。
緩やかな時間が過ぎる。

唐突にガサリと物音がした。
ティーが身をこわばらせてそちらを向く。
そこからのんびりと歩み出てきたのは狼のような鋭い眼をした美女――誠次だった。

「いよーっす。まだ飯あるか……」

誠次とティーはお互いの姿を確認すると硬直した。
互いに驚愕の表情で彫像のように固まっている。

先に復帰したのはティーだった。

「あああああああああ!お前!」

誠次は頬を掻きながらダイゴに向って問う。

「どったのこの子?」

「森の中で迷子になってるところに出くわしてね。食事に誘ったんだ」

「ふーん」

誠次はそれで十分だったのか周囲を見回した。

「悪いけど誠ちゃんの分はティーに食べさせちゃったよ。ああティーってのはこの子のことね」

誠次はちらとティーを見つめ、にやりと笑うと。

「美味かったろ?お前になら別にやっても構わんわ」

ティーは毒気を抜かれたように誠次の顔を見つめていた。
誠次は再び周囲を見回し、ある一点で視線を固定させた。

その視線を眼で追ったティーの顔が真っ赤に染まる。
そこには一枚の布切れが木の枝に干されていた。

濡れてしまったため、軽く水洗いして干した下着である。

誠次はそれを真顔で見つめた後、ティーに向かって無造作に言葉を放った。

「もらしたのか」

「……………………!」

ティーは顔を真っ赤に染めて無言でぶんぶか足元の石を投げ付けまくる。
それをひょいひょいとかわす誠次を見ながらダイゴは嘆息した。

「なんで女の子にそゆこと言っちゃうかなあ。誠ちゃんは」

「はっはっはっはっはっは」

力尽きて石を握りながら肩で息をするティーを見ながら誠次は言った。

「しっかし迷子になったぐらいでもらしたのか?」

「誠ちゃん!」

叱咤するダイゴの声に誠次は片眉をはね上げる。
ティーが激高して叫んだ。

「迷子ぐらいでもらすもんか!あたいはお化けに追いかけられたんだ!」

「お化けぇ?んなもんいるわきゃねぇだろ」

端から信じる気配の全く無い誠次にティーが声を荒らげた。

「いたんだ!あたいが迷子になってたらおじさんが話しかけてきて、お化けが出るから早く出ろって!」

その剣幕に誠次が思わず言葉を呑む中、ティーは震えながら続けた。

「あたいが……お化けなんていないっていったら……おじさんの体が腐り落ちて……そのまま追いかけてきて……必死に……逃げたけど……どんどん……出てきて……つかまって……ふりほどいたら……囲まれてて……死体が……迫ってきてぇ!!」

ボロボロと涙を流すティーを前に誠次もダイゴも押し黙る。
怒りの念をこめてダイゴは毒づいた。

「悪趣味な奴もいたもんだ」

誠次は無言で踵をかえし、森に足を向ける。

「誠ちゃん?」

誠次は能面のような無表情で、だが眼を炯々と輝かせ、平坦な口調で言った。

「ダイゴ。俺ちょっと行ってくるわ。まだこのあたりにいるかもしれねえ」

その背中を見送る。
ティーが困惑したように見ていた。



そのときだ。
場の何もかもをぶち壊すような能天気な声が響く。

「ヲホッ!何やらいい匂いがするな。私にも分けてくれい」

スーツ姿のひげを生やしたダンディなおじさんが現れた。
誠次の顔が嫌そうに歪む。
だが誠次が何か言うよりも早く悲鳴が夜の森を引き裂いた。

「あああああああああああああああ!」

男の顔を見たティーが狂乱じみた勢いで後ずさり、ダイゴの胸に飛び込んでくる。
それを抱きとめながら、ダイゴは困惑した表情で男をみた。
誠次もまた同じだ。

とことん状況がわかってないのか男は軽い口調で呟く。

「む?お前はさっきの小娘」

轟音が轟いた。
わずかに大地の揺れが感じられるほどの強烈な踏み込みとともに繰り出された渾身の剛拳が男の体に突き刺さり、その体を吹き飛ばした。
男は木の幹にぶち当たりそれを粉砕して向こう側に抜けた。
さらにもう一本をへし折り、3本目を半分ほど抉ったところで止まる。

折られた巨木が重音とともに地面に倒れこむ。
巻きあがる土煙の中へと誠次が声を投げかけた。
いくつも青筋を浮かべ、凶笑を浮かべながらだらりと垂らした両手の指をゴキゴキと鳴らす。

「なぁるほどなぁ。悪趣味な奴がいると思ったらお前だったかぁ。殴られ方が足らねぇと余った活力で子供をいじめはじめるわけかぁ。今度からはきっちり殺りきらないとなぁ」

「せ、誠亜。正直これはシャレにならんのだが」

「なにか言うべきことがあるかぁ神ぃ。今なら聞いてやらんこともないぞぉ」

地獄の鬼すら連想させるどす黒い殺気を撒きながら誠次は男ににじり寄っていく。
男は口元に一筋血を流しながら、

「うむ。やはりからかうのは誠亜に限る。子供が相手だと若干罪悪感が邪魔して楽しみきれん……」

誠次は憤怒の形相で拳を振りかぶる。

「俺がお前の辞書に刻んでやる!反省の2文字をなああああああああああああ!」

「待て!魔がさしただけなんだ!済まなかったと思ってぎょあああああああああああああああああ!」

何かが潰れ、砕ける音が夜のしじまに連続して響く。
一秒間に6回近く響く破砕音は1分近く続いた。

その頃になるともう悲鳴もかすれるような声になっている。

しばらくすると誠次が血まみれの何かを引きずって現れた。
ダイゴは誠次に問いかける。

「ソレは何?誠ちゃん」

「んあ?こいつは自称『神』。俺を女に変えた超能力者だ」

それを聞いてダイゴは目を細めた。

「超能力者?ひょっとして……」

それに誠次は右手の死体(そう見てもそう見える)を掲げると頷いた。

「そう。こいつだ。ほれ神。さっさと起きてティーに謝るがいい」

言って男――神の頬と思われる場所をぺちぺちと叩いた。
血まみれなうえぼこぼこなため確証はないが。

「う、うう……死人に鞭打つとは外道か貴様」

それに誠次は半眼で告げる。

「死んでねえだろ。ほれほれティーの心臓に悪い。さっさと怪我治せ」

「しょうがないな」

言うや否や神の傷が消える。
少し驚いたがまあ誠次を女に変えるなどという離れ業をする男だ。これぐらいはできるのだろう。

ダイゴは胸の中のティーの頭をなでると優しく語りかけた。

「ティー。大丈夫だよ。アレはお化けじゃない。超能力者だそうだ。超能力で君を驚かしたんだ。だろ?神さん」

「うむ。だがカミさん(妻)ではないからしてあしからず」

なおも下らんところに突っ込む自称神に嘆息する。

胸の中のティーが眼尻に涙を浮かべながらこちらを見上げて問う。

「ホント?」

「ああホント」

神が深々と頭を下げる。このときだけは神妙な表情をしていた。

「驚かしてすまなかった。あれは全部私のゴッドパワーによる悪ふざけだ。幽霊は実在しないとは言わないが、ここにはいないしそうそう出会うもんでもない」

それを聞いてティーが安堵の息をついた。ダイゴの服を握る力がやっと緩む。

誠次は嘆息とともに神の頭を軽く小突くとダイゴに向って言ってきた。

「それで?その子どうする?」

たしかにそれは早急に決めねばならぬ問題だ。
ティーは息をのんだ。

「ティーちゃん。家は?」

ダイゴが問うとティーは小さな声で答えた。

「ある街の路地裏に……住んでる」

不安に満ちた顔でダイゴたちを見回した。
何か言いたい、否願いたいことがあるがそれがあまりに身勝手であることを理解し、口にできずに終わる。

それでも思わず口に出した。

「あたいはおじょーさまを狙う手伝いを……だから突き出すのが……でも……」

どんなに小さい声でも今まで聞き洩らさなかったダイゴと誠次だが今回は聞こえていないのか普通に会話を続ける。

「誠ちゃんはどう?」

「俺は構わんぞ。お前は?」

「う~ん。俺も構わないさ~」

何のことかわからず眼を白黒させているティーを無視して誠次は言う。

「お前のとこがいいんじゃねえか。今までまともなもん食えてなかったわけだし毎日美味いもん食えた方がいいだろ」

「でも男子寮に女の子をかくまうのはマズくないかな。ばれた時がさ。俺としては誠ちゃんの方で預かって、俺がご飯作りに行くってした方がいいと思うけど」

「それもそうか」

ティーはダイゴたちが何を話しているのか悟り、信じがたいものを見たように目を丸くした。

「あたいを……かくまってくれるのか?」

誠次は悪戯めいた笑みを浮かべると。

「お前が毎日10人前とか食うんだったら俺達だけじゃ面倒見切れんけどな」

ティーはぶんぶか首を横に振る。

「あり……がとう」

涙をにじませながらそう言うティーにダイゴと誠次は頬を緩ませた。

「とりあえずお前は俺が預かることになる」

誠次がそう言うとティーはちらりとダイゴの方を向いた。

「あたい……ダイゴの方が」

それにダイゴは困ったように眉を寄せた。

「晩ご飯は作りに行くからさ」

ダイゴにも言われティーは首を縦に振る。
誠次はよしと腰に手をあてると、

「さて、今日はどうする、ティー?ここでキャンプするか俺の部屋に来るか」

「ベッド……あるか?」

「ああ」

「じゃあ部屋に行く」

少し眼を輝かせて応えるティーに誠次は笑う。

「よっしゃ行くか」

言って木の枝に干されたティーの下着を無造作に取ってティーに放った。
手招きして踵を返す。
ティーは置いて行かれまいと慌てて立ち上がった。
ダイゴに深々と頭を下げてから誠次の後を追う。

その姿を見送ったあとダイゴは食事の後片付けを始めた。
ふと周囲を見回すと神が顎に手をあてて唸っている。
異様なことに頭の上にぱらぼらあんてなを乗せている。

「むう私の面白いことレーダーに微弱ながら反応が。匂う。匂うぞ面白い事件の匂いが」

本当にこの男の辞書には反省の2文字がないらしい。
ダイゴは一言いさめようとして口を開きかけた。

「タマ!」

呼びかけとともに森の奥から一頭のライオンが姿を現す。
神はそれにまたがると颯爽と森の中へ消えて行った。
それを見つめて嘆息する。

「誠ちゃん。がんばれ」
























誠次は扉の開く音に反応して首を回した。

寮の部屋に備え付けられた小ぶりな風呂を使って体を洗ったティーが体から湯気を立ち昇らせながら出てくる。
ただでさえ急に女に変えられてあまり服を持っていない誠次だ。
無論子供服など持っていなかった。
ゆえにティーが今着ているのは誠次のパジャマである。
必然的にぶかぶかで手が袖から出ていない。
まあこれはこれでかわいらしさがあるのだが、誠次は服もそろえにゃなと内心で呟いた。

自分もシャワーを浴びようと誠次は立ち上がった。

「ティー。あっちに冷蔵庫があるから喉が乾いたら飲むといい。テレビのリモコンはテレビの上だ。つかれてるだろうし寝たいならベッドで寝ちまっていいぞ。俺は床でいい」

ティーが頷くのを確認して誠次は風呂場に入って行った。






誠次が風呂から出てくるとティーがテレビの前で子犬のようにプルプル震えていた。
心配して見に行くと眼尻に涙を浮かべながらテレビを凝視している。
誠次は訝しげにテレビを見る。

どうやら映画のようだ。時計を見るとちょうど毎週映画をやってる時間だった。
画面の中ではなにやら何人かの男女が必死に駆け回っていた。
アクション映画だろうか?
そう思って眼をそらしかけた瞬間、大きな音とともに突然画面に恐ろしい悪霊が出現した。
そのまま主人公勢に襲いかかる。
なかなかにインパクトがある。
ティーなど20センチ近く飛び上がっていた。

誠次は半眼で告げる。

「お化け関連で怖い目に会ったばかりだってのに何でホラー映画なんて見てんだ?お前」

ティーはプルプル震えながら、

「ホラーだとは知らなかったんだよぅ」

「ならホラーだと分かった時点で見るのやめればいいだろう」

誠次は呆れながらチャンネルを変えようとリモコンを持った。
ボタンを押そうとした瞬間ティーが飛びついてくる。

「や、やめろよ!途中で見んのやめたら怖いだろ!」

「いや最後まで見た方が怖いと思うが」

ティーは誠次の手からリモコンを奪うとテレビの前に座った。
おそるおそる画面を見る。

震えながらテレビを見るその姿に誠次は嘆息しながらいった。

「やっぱやめといた方がいいと思うぞ」

「うっさい。主人公たちが助かる姿を見ないと安心して眠れないよ」

泣きかけながらもそういうティーに誠次は頭をかいてどっかとティーの隣に座り込んだ。
ティーは何も言わないが誠次の腕をぎゅっと握ってきた。
無言でティーのホラー映画鑑賞に付き合う。


よくわからないが悪霊の封じられた封印を解き放ってしまった主人公たちが幽霊屋敷と化した広大な屋敷から逃げ出すという話らしい。

この映画をつくった人間はなかなかに人の恐怖という感情を分かっている。
絶妙なタイミングで恐ろしいシーンを流し、見る者の恐怖をあおりたてている。
時には安心できるシーンをつくり見る者に一時の安息を与えておきながら更なる恐怖展開でどん底に起こす。
あまり映画を見ない上にホラーなど全くと言っていいほど見ない誠次にはそれほど深く見ることはできないが、それでもあまり面白い話ではなかった。
なんというかひたすら怖さだけを追求したという感じだ。

クライマックスに近づけば近づくほど、悪霊も怖さを増していき、ティーのこちらの腕を握る力も強くなっていく。
やはり心配になって誠次は語りかけた。

「なあ。やっぱりやめた方がよくないか?」

ティーはふるふると頭を横に振る。

「見る」

誠次は嘆息しつつ画面に視線を戻す。
仲間を悪霊にやられながらも主人公たちがとうとう屋敷を抜け出したところだった。

10人いた仲間も既に3人まで減っている。
だがそれでも全滅はしなかった。
主人公たちは歓喜に身を震わせている。

横ではティーも安堵の息をはいていた。
瞬間、轟音とともに屋敷から逃げ出したはずの3人を悪霊が襲う。
なすすべもなく3人は殺され、悪霊の笑い声が響きわたった。

最後に屋敷が映し出され、悪霊の後ろ姿が移って画面が暗転した。

「え?」

次に来週の映画の紹介が始まるがそんなものはティーには見えていない。
眼を見開きがくがくと震えながらテレビを見ている。

「え……?これで……終わり……?」

「みたいだな」

ティーは次いで大粒の涙をぽろぽろと流しながら誠次の顔を見つめる。
痛いぐらいに強くこちらの腕を握りしめていた。

「で、でもみんなやられて終わりなんて……」

「……ホラー映画だとよくあるんだろう。たぶん」

「あうううううう」

誠次はテレビの電源を消すとティーの頭をなでた。

「もう寝るぞ。寝て忘れろ」

誠次は言って立ち上がった。
掛け布団を持って床に横になる。

「セ、セーア」

「あん?」

聞き返すとティーはおなかの前で両手を擦り合わせた。

「な、なんでもない」

「そうか。じゃあもう電気消すぞ」

ティーが頷くのを見て部屋の電気を消した。
あたりが闇に包まれる。

一瞬聞こえてきた小さな短い悲鳴に、心の中で神に毒づきながら床に横になる。

掛け布団をかぶって寝る態勢に入った。

いざ寝ようとしたところでもぞもぞと背中で動く感触を感じ誠次は振り向いた。
なんかティーがくっついていた。

「なにしてんだ?」

「うっさい」

言葉短に返ってくる。
誠次は嘆息しながら、

「ベッド使わねえなら俺が使うぞ」

「好きにしろよ」

ぶっきらぼうに答えが返ってくる。

誠次は立ち上がってベッドに移ると今度こそ寝ようと枕に頭をうずめた。

またしてももぞもぞとうごめく感触。
見るとまたティーが潜り込んできていた。

「……ひょっとして怖くて一人で寝られないとか?」

「うっさい。悪いのはあたいじゃない。悪いのは神とあの映画だ」

誠次は嘆息すると小さく震えるその体に腕をまわした。

「こうしてやるからさっさと寝ちまえ。神には改めて言っとくわ」

「うん」

5分もしないうちにティーは静かな寝息を立て始める。
よほど疲れていたのだろう。

誠次は苦笑しながら目を閉じた。
こちらの服をぎゅっとつかむ小さな手の感触や体温が誠次の体を緊張させる……などということはかけらもなく、誠次もまた一分もしないうちにまどろみの世界へと旅立った。















「……ア。セー……。セーア。セーア」

微妙な発音で己の名を呼ぶ幼い声とゆさぶられる感触に誠次は目を覚ました。
窓からはもう白い光が差し込んでおり、すでに朝であることが窺える。

「セーア。セーア」

誠次は身を起こすと欠伸とともに大きく伸びをした。

「んあ?どしたティー」

問うとティーは視線を落とした。頬を朱に染めてもじもじとする。

「セーアごめん。……やっちゃった」

「やっちゃったぁ?」

何をだよ、と問おうとして誠次は何やら冷たい感触に口を止めた。
ゆっくりと布団を持ち上げる。

そこにはぐっしょり濡れた布団があった。くっついて寝たためか誠次のパジャマもかなり濡れている

「そ、その……怖くてトイレに行けなくて……」

誠次は右手を持ち上げた。
ティーは叩かれると踏んできつく眼を閉じて身をすくめた。
誠次はその頭に手をポンと置いて嘆息とともに口を開く。

「とりあえずもう今後はホラー映画観んのやめろ。あと寝る前にはトイレ行くこと」

頷くティーに頭をなでてやりながら誠次はベッドから腰を下ろした。
見事に世界地図の描かれた布団をみて腰に手をあてる。

「さて、洗って干すか」

「ごめん」

「気にすんな。恐怖体験をした直後だ。しょうがねえさ」

言って誠次は掛け布団を取り払う。
濡れた敷布団をとりだそうとした瞬間、


パシャリパシャパシャパシャ


とっさに周りを見るが予想していた姿は見えない。
最後に残った可能性、上を見るとそこには神が家庭内害虫(G)のごとく天井に張り付いていた。

神は左手と両足で天井にへばりつきながら右手のデジカメでこちらを激写している。

「なにやって……テメェッ!」

神の狙いに気づいて誠次が声を荒らげると神は高らかに笑った。

「ふははははは!貴様とその布団の世界地図は確かにこのカメラに収めた!これをみた皆はどう思うかなぁ。そう風間誠亜おねしょ疑惑のたんじょブクワァッ!」

勝ち誇った顔で天井でほざいていた神は咄嗟に飛びあがったティーの拳で撃ち落とされた。

「う、うう。ぬかった。まさか小娘の方が攻撃してくるとは。だぁが負けぇん!!」

神はガバリとたちあがると部屋の窓へと疾走した。

「必ずやこのスクープをクラス中に広めてみせる!」

そのまま窓を突き破って外へと飛び出して行った。

「させるかあああああああ!」

誠次もまた絶叫しながら飛びだす。

神は走りながらポケットから何か取り出す。
ポケットかのびた糸の先にあるのは白い紙コップ。
糸電話だ。

「あ~もしもし朝倉か。私だ。神だ。実は非常に面白いネタがあるんだが……」

「さらにさせるかああああああああ!」

新しいメンバーを加えることとなったが結局あまり変わらないようである。
というか神がいる限り変わらない。
そんな予感が誠次の胸にあった。











あとがき

どうもすちゃらかんです。
神と俺のコイントス第8話でした。

今回はティーメインです。
なんというかあまりギャグが入れられませんでした。

ちなみにティーはネコミミが生えてる(亜人?)ということでわりと大変な生活を送ってきたようですがあまりそこを掘り下げることはありません。
普通ならそう言うのを掘り下げて物語を深くしようとするのでしょうが、そうすると読後感が悪くなる気がするんです。
個人的に神と俺のコイントスはラストとかちょっとはシリアスになるかもしれませんが、基本ギャグでいきたいのであまり重苦しくしたくないのです。

ネギが出てくるのにはもう少しかかると思いますがどうぞお付き合いください。



[9509] 第9話 ティーの平日(休日ではない)
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/07/02 17:30
神と俺のコイントス







第9話  ティーの平日(休日ではない)







神楽坂明日菜は早朝の街道を走っていた。
肩には新聞が詰まったカバンをしょっている。

彼女は毎朝新聞配達のバイトをこなしながら学校に通う苦学生だった。
だが、本人はすでに慣れたもので、いまやそれほど苦に感じてはいない。
始めたころは早起きがきつかったのだが、今ではもう平気だった。

普通新聞配達はバイクや自転車などを使うのだろうが彼女は自分の足で走ることにしていた。
人一倍すぐれた健脚の賜物である。

規則正しいリズムで歩を刻みながら新聞を配達していく。
いつもと変わらぬ作業。
いつもと同じように早朝の冷たい空気はアスナの心と体を引き締めてくれていた。

そのときだ。
なにか後ろの方から足音が聞こえてきた。
叫び声も聞こえる。

気になって振り向こうとした瞬間、ソレはアスナの横を凄まじい速度で通り過ぎて行った。

ソレはいうなれば悪夢の権化だった。
ひげを生やしたダンディなおじさんがセーラー服を着て後ろ向きに爆走していた。
しかもその手には大量の女性ものの下着が抱えられている。
その男はアスナの後ろに向かって高らかに言った。

「フハハハハハ!大人しくノーパンで学校に行くがいい!そして恥ずかしがれ!私はそれを見て爆笑する!」

次の瞬間また別の何かがアスナの横を驚異的な速度で通り抜けていく。

「殺す!今日こそはマジで殺す!」

もともと狼を彷彿とさせる鋭い目つきをさらにきつくしてその人――クラスメートの風間誠亜はパジャマ姿で前方の男の人を追いかけていった。

あっという間にその姿が小さくなっていく。

「返さんかああああああああ!」

「はーっはっはっはっはっは!」

叫びながら彼方に消えていく二人をアスナはただ見送った。見送るしかなかった。

3分ほどその場に立ちつくした彼女は何も見なかったことにして再び駆けだした。

「今日はいい天気だー」

意味もなくそんな事を言ってみる。
そう。何もなかったのだ。


















風間誠亜がとけていた。
桜咲刹那は困惑気味に机に突っ伏してそのまま溶け落ちそうなぐらいにだれている誠亜に話しかける。

「大丈夫ですか?誠亜さん」

誠亜は刹那の方へと顔を向け、力なく呟く。

「夜明けごろに神が来てな。突然ノーパンで学校行けとか言い出した」

刹那がひきつった笑みを浮かべる。
それに構わず誠亜が頭を机に横たえたまま続けた。

「断ったら、履いてたものも含めてパンツ全部テレポートで盗んでった。それを追いかけまわしてやっと捕まえてぼこったのが30分前だ」

「壮絶ですね」

「なんかもう今日はどっと疲れたわ。なにもしたくない気分。このまま帰ろうかな」

ぐったりと告げる誠亜に刹那は教室に備え付けられた時計を見ながら言った。

「まだ1時間目も始まっていませんよ」

「いやもういいかなあってさ~」

そのままとろけていきそうなぐらいのだらけっぷりを見せる誠亜。
その机を何者かが叩いた。

「誠亜!今日こそワタシと勝負するアルよ!」

少し色黒の中国人少女――古菲が息巻いて言う。
だが誠亜は欠伸とともに言った。

「今日は疲れてるからまた明日な~」

だが古菲は引き下がらなかった。
肩を持って誠亜を引き起こすと半ばまで閉じられたその眼をひたと見据えて言う。

「昨日もそう言って相手してくれなかったアルよ」

誠次はしばし考え込み口を開いた。眠気のせいで思考が鈍っている。

「昨日も神に振り回されたからさ~」

「一昨日も相手しくれなかったアルよ」

「一昨日も神に振り回されたからさ~」

「一昨昨日も相手してくれなかったアルよ」

「一昨昨日も神に振り回されたからさ~」

「その前の日も相手してくれなかったアルよ!」

「その前の日も以下略」

古菲はう~~と唸り声を上げると誠亜の体をパッと離した。
誠亜の体がゴツンと机にぶつかるのだが構わず古菲は指を突きつける。

「駄目アルよ!今日という今日は」

突然電子音が鳴り響く。
周りの者が一瞬視線を巡らせるが、その源は誠亜にあったようだ。
誠亜がのたのたとポケットから携帯電話を取り出している。
しかし味気ない着信音である。
おそらく買った当初から設定をいじっていないのだろう。
まあ刹那も似たようなものなので人のことは言えないのだが。

「は~い。風間で~す」

誠亜が電話を取った瞬間、幼い声が響いてきた

『セーアァ!とーすたーが火ぃ噴いたぁ!』

次の瞬間、誠亜が開いていた教室の窓から身を躍らせた。
突然の凶行に刹那は窓に駆け寄る。

「ちょっ!ここ3階……」

刹那が窓から顔を出した瞬間、強烈な突風が吹き抜けた。
思わず目を閉じた刹那が眼を開いた時には誠亜の姿はどこにもなかった。

「あああああああ!逃げたアル!」

同じように窓から外を見ている古菲が叫ぶ。
それに苦笑しながら刹那は呟いた。

「何者なんだあの人は?悪人じゃないんだろうが……というかあの声は誰だ?」

隣で地団太を踏む古菲を無視して刹那は窓の外を見つめ続けた。
















ティーは夢中になって指を動かした。
テレビ画面の中ではライオンみたいな髪形をした巨漢の戦国武将が二又槍を振り回してバッサバッサと兵士たちを討ち倒していっている。
順調に敵を倒していた戦国武将だが後ろからの不意打ちによろめいた。
敵陣深くに斬りこんでいたのが災いした。よろめいた戦国武将は前から後ろからと次々と斬りつけられて行く。

「ああ~~!ああ~~!」

ガンガン減っていくライフに思わず悲鳴を上げる。
必殺技を使おうとしてどのボタンかわからないのに焦る。
ティーは体に気を纏って凄まじい速度で説明書をつかみパラパラとめくった。

「○ボタンだ!」

○ボタンを押すとカットインとともに戦国武将が咆える。

『虎はなぜ強いと思う!?』

戦国武将は手に持った二又槍を高速で∞の字に振り回した、前後左右の敵兵士がまとめて滅多切りにされる。
戦国武将は10秒近く周囲を切り刻み続けると最後に数回槍を振り回して吼えた。

『もともと強いからよ!!』

周囲の敵の掃討は完了した。
これでしばらくは安心だ。ティーは安堵の息をつく。
回復アイテムを探そうとした瞬間どこからともなく銃弾が飛んできた。
次々と飛来する銃弾に戦国武将はなすすべもなく貫かれる。

「ああ~~!!」

残りライフがわずかだった戦国武将はその銃撃にとうとう倒れる。
画面にゲームオーバーを示す文字が表示された。

「う~~」

ティーは唸りながらゲームの電源を消した。
横に置いておいたコップ一杯の麦茶を飲み干す。

ティーにとってはテレビゲームなど生まれて初めての体験だった。
一人でいるとき暇だろうと誠亜がひっぱり出してきたものである。
そもそもダイゴに勧められて買ったものの誠亜自身はそれほどはまらなかったらしく、隅に追いやられていたのだ。
電源の付け方。コントローラーの使い方。基本的な操作方法などを教えてもらった。
適当に選んだゲームだがなかなか面白かった。

ティーはふと時計を見る。
もうお昼時だ。
普段は誠亜やダイゴがお弁当を買ってきておいてくれたり、作っておいてくれたりするのだが、今朝は夜明けとともに現れた神が誠亜のパンツをすべて盗み出すという凶行に出たため、それどころではなかった。

面倒を見てもらっている以上少しぐらい自分で頑張らないとと自分で食パンを焼こうとしたのだが、突然火を噴いたトースターに驚き誠亜に助けを求めてしまった。

誠亜はすぐに助けに来てくれた。
どんな手段を使ったのか知らないが、すぐに助けに来てくれた。
手際よく部屋の隅に置いてあった消火器でトースターの火を消す。
火を消し終えるとティーに火傷がないか案じ、無事だと告げると安堵の息を吐いて、2,3話してまた学校に向かっていた。

時間はお昼時だ。
ティーは外に出ることにした。
クローゼットの中に設けられたティーのコーナーから服を取り出す。
この服は前の休みのときに誠亜とダイゴとともに買ったものだ。
楽しく服を選んでいるティーを店員がほほえましげに見ていたのを覚えている。

白のワンピースを着て白の鍔広の帽子をかぶる。
鏡をのぞき、帽子で猫の耳が隠れているのを確認した。
次いでテーブルの上においてあった財布を持つ。
誠亜たちに頼んで買ってもらった猫の顔の形をした財布だ。
中には誠亜がくれたお小遣いが入っている。
開けてみる。
中には500円玉が3枚、金色の輝きを放っていた。

それに満足して扉に向かう。
誠亜に言われたことを確認した。

「戸じまりはちゃんとすること。補導されないよう注意すること」

復唱しながら財布をしっかりポケットの奥に押し込み、寮の部屋の扉を開ける。

扉を出たところでティーは後ろを振りかえった。
なにかまだ注意されたことがあったような気がしたのだ。
しばらく考えて答えが出なかったティーはまあいいやと気にしないことにした。












ティーは敵を睨むような顔で眼前の看板を睨みつけた。
緊張に早まる鼓動を抑えつつ、拳を握る。
正直初めての実戦以上に緊張していた。

長年追い求めていたものが目の前にある。
これを見ていったい何度、嫉妬と羨望の念を抱いたことか。
いつか必ずと誓いながら届かぬそれに何度悔しい思いをしたことか。
しかし、今日という今日こそは夢の一つをかなえる時だ。

ティーは頬を叩いて気合いを入れなおし、そこに入って行った。

マクドナルドに。

自動ドアが開くとともに明るい声が響く。

「いらっしゃいませー」

ぎくしゃくと、緊張で右手と右足を同時に出しながらティーはレジカウンターに向かう。

「ご注文はなにになさいますか?」

店員のお姉さんが聞いてくる。
7歳のうえ小柄なティーのためにメニューを見やすいよう動かしてくれた。

「あ、ああああの!」

緊張で舌がもつれる。
だが店員はほほえましいものを見るように笑顔で待ってくれている。

(うわあ~。いっぱいある。どれにしたら……)

あんまり待たせちゃダメだろう。
一所懸命にメニューを見回すが美味しそうなものがいっぱいあってすぐには決められない。
早く決めなきゃ。でも決まらない。
ぐるぐると思考を回転させるティーの耳に聞き覚えのある声が響いた。

「少しは落ち着け。多少迷ったところで文句は言われん」

声をたどって下を見ると足もとに猫らしき生物がいた。
らしきといったのは明らかに猫ではないからだ。
その生物、猫の体にダンディなおじさんの頭がついていた。
あまりと言えばあまりな姿に思わず言葉を失う。

だがその生物――神の頭をつけたネコは気にした風もなく続けた。

「お前は食べたいものがいっぱいあって悩んでいるのだろう?ならそう難しく考えることはない。“まずは”何を食べようか。そう考えろ。今日選ばなかったハンバーガーはまた来たときに食べればいい。お前はもういつでも食べに来れるのだからな」

まずは何を食べようか。
そう考えるとやはりオーソドックスなのがいいだろう。

「チ、チーズバーガーセットを下さい」

「はい。お飲み物は何になさいますか?」

言われて慌ててメニューの飲み物欄を見た。
コーヒーは苦いし、ジンジャエールってなんだろう。
ファンタは炭酸果汁ジュースだったはず。コーラは誠亜の部屋の冷蔵庫に入っていたので飲んだ事がある。

「ファンタでお願いします」

「こちらでお召し上がりですか?」

「お、お持ち帰りで」

「525円になります」

ポケットの中から猫さん財布を取り出し、中から500円玉を二枚取り出す。

「1000円のお預かりです。475円のお返しになります」

おつりを受け取り、財布に入れてポケットにしまう。
お姉さんが品をとりに行くのを見ながらホット一息ついた。
ついでになぜかまっとうなアドバイスをくれた神にお礼を言おうとするが、すでに神頭のネコはいなくなっていた。

紙袋に入れられたチーズバーガーセットを持って店を出る。
適当にぶらぶらと歩いて、公園を見つけた。
ベンチに座って、紙袋を開ける。
紙に包まれたチーズバーガーを取り出し、紙をとってかぶりついた。

「おいしい」

念願のハンバーガーに思わず声を洩らす。
ダイゴのご飯の方がおいしいが、誠亜やダイゴの言うとおり、ジャンクフードにはジャンクフードのよさがあった。

次々と、だがしっかり味わいながらティーはハンバーガーを平らげていく。
ポテトもファンタもあっという間に食べきってしまった。

ほうと一息ついてから食べ終わったごみを紙袋に入れて30メートルほど離れた場所にあったゴミ箱に放り込む。

いっぱいになったおなかをさすってティーは周囲を見回した。
綺麗に整理された町並み。
ティーにとって手の届かない雲の上の場所だったそこに今立ってる。
こちら側に来れたというだけでこれほどまで見え方が変わってくるなんて。

あの時仕事に成功していたらどうなっていただろうか。
自分は少しのお金を持ってまだあの場所を這いずっていたのだろう。

偶然出会った二人の優しい人を思う。
彼らと出会えたのだから神によって驚かされたのも無駄ではなかったのだろう。

「くおらああああああああ!」

誠亜の叫び声を聞いてティーは振り向いた。
見れば誠亜が制服姿で爆走していた。
その先をカラスのきぐるみを着た神がきぐるみの羽の部分をバタバタとはためかせて空を飛んでいる。
その周囲を20羽近いカラスが飛んでいた。そのうちの一羽がなにやら弁当箱らしきものをくわえている。

ティーが声をかける間もなくそのまま神と誠亜は走り去って行った。

「大変だなあセーア」

どうにかしてあげたいとも思うのだが幽霊騒動いらいどうにも神に対する苦手意識ができていた。
とりあえず追いかけることにする。誠亜の走り去って行った方向に2分ほど進むと人だかりができていた。

なんの集まりか気になるところだがあいにくと人の壁の向こうは見えなかった。

仕方なくティーは近くの木に登る。
人の輪の中心には誠亜がいた。
なにやら疲れた表情で弁当箱片手に立っている。
その向かいではシニョンを二つ付けた色黒の中国人少女が構えている。構えからして中国拳法だろう。

「さあ勝負アルよ誠亜!」

「なあ先に弁当食わせてくれねえか」

「駄目アル!弁当食べるのを待ってたら昼休みが終わってしまうアル!」

誠亜は嘆息とともに弁当箱をカラスのきぐるみを着た神に預ける。
そしてどっしりと腰を落として右拳を引いた。

「いくアルよ!」

掛け声とともに中国少女が鋭く踏み込む。
瞬きの内に誠亜の懐に飛び込むと拳を打ち込んだ。
誠亜はそれをよけるでもなく防御するでもなく、そのまま体で受けた。

それに何を感じたか、中国少女は拳を突き出しきる前に咄嗟に飛びのいた。
それをうけて誠亜もまた突き出しかけた拳を引っ込める。
中国少女はすぐさま誠次の懐に飛び込みなおすと怒涛の連撃を繰り出した。
比較的軽めの打撃をとにかく数打っている。
誠亜はその連撃を弾き、受け止め、受け流した。
だが誠亜は反撃することもなくひたすら防御に徹している。
おそらくはティーと戦った時のことを考えると決定的な隙を窺っているのだろう。
誠亜はどうも一撃必殺にこだわるきらいがある。
なかなか反撃しない誠亜を不審に思ったのか中国少女が眉根を寄せる。

そして大ぶりな一撃を放った。
すかさず反撃しようとする誠亜。
だがまたしても中国少女が攻撃をやめて引いたおかげで誠亜も拳を止めざるを得なかった。

中国少女がにやりと笑う。
おそらく今ので誠亜が大きな隙を待って一撃必殺を狙っていることはばれただろう。

好きの少ない小技で攻めてくるはずだ。

だが、ティーの予想に反して中国少女は隙の多い大技で攻めてきた。
激しい踏み込みとともに右の拳を突き出す。
誠亜はこれを好機と拳を身をよじってかわし、カウンター気味に渾身の一撃を叩きつける。

「一撃必倒ぉ!」

空を裂く、熊すら倒す拳が中国少女の胸に迫る。

(取った!)

ティーは胸中で歓声を上げた。
だが、次の瞬間、中国少女の腕が誠亜の拳をそっと反らした。
驚愕に目を見開く誠亜の腹に踏み込みとともに肘を埋め込んだ。
誠亜の体が地面と平行に吹き飛び、地面を滑って止まった。

アレぐらいでどうにかなる誠亜ではないだろうが、一撃打ち込んで返されたのだから負けを認めるだろう。

ティーは木の上から飛び降りて、地面に大の字になっている誠亜のとなりに着地する。

「負けちゃったなー」

軽く言うと、軽く答えてきた。

「そうだな。負けちゃったなー」

中国少女は構えを解くと人差し指を立てて言ってきた。

「なかなかよかったアルが、少し焦りすぎよ。誘いを見抜けないようではまだまだね。もっとクンフーをつんで、また勝負するアル」

勝敗がついたとみるや野次馬は散り散りになっていく。

「やっぱ古菲部長の勝ちかー」

「しょうがねぇってあの人強いし」

口々に話しながら去っていく。
古菲というらしい中国少女が誠亜に歩みいよって手を差し伸べる。
誠亜は軽い掛け声とともに腹筋の力で跳ね起きた。

それを見た古菲がファイティングポーズをとる。

「ム。意外とピンピンしてるね。ひょっと狸寝入りだたか?」

誠亜は首を横に振りながら、

「俺は一撃必殺がモットーでね。一撃をしのがれちまったから俺の負けさ」

「むう。どこか納得いかないアルが、誠亜がそういうんならしょうがないアル」

言ってそのまま立ち去っていく

「見てたのか?」

「うんまあ」

答えると誠亜は嘆息とともにティーの頭をなでた

「どしたんだ?こんなところで」

「マクドナルドに行ってた。前から行きたかったから」

「そうか。それは良かったな。じゃあおれはそろそろ行くぜ。まだ午後の授業があるしな」

言って誠亜は神の手から弁当箱を奪い取った。
そのまま教室に戻ろうとして、鳴り響いた予鈴に硬直した。

「弁当……結局食えなかったな」

少し悲しそうに言う誠亜にティーは嘆息した。

だが誠亜はすぐに切り替えたようでティーに向かって言う。

「お前もあまり遅くならないうちに帰るんだぞ」

「ん。もう帰るよ」

軽く手を振って踵を返す誠亜にティーはブンブンと大きく手を振った。
誠亜が完全に去って行ったあとティーも寮に帰ることにした。

桜並木を通って女子寮にたどり着いたティーだが、そこで大きな問題が発生した。

部屋の番号をどわすれしたのである。

雰囲気と過去の記憶を必死に探るが答えが出なかった。
ひとしきり廊下をうろうろとしたところで声をかけられた。

振り向くとこの女子寮にいる女生徒だろう。
誠亜に比べると大分小柄だ。
前髪を短く切っておでこを広く見せている。

「お嬢さん。どうかしたですか?」

問われて答えようとしてティーは言葉を止めた。
少女の手に持った恐るべき名のジュースを見てだ。
抹茶コーラ。
ただでさえジュースなどの嗜好品には縁遠かったティーである。
全く味の想像がつかなかった。
とりあえずマズそうだというのだけはわかる。

「どうかしたですか?」

言いなおされてティーは我を取り戻した。

ふとなにかがひっかかった。
だが結局そのなにかが何なのかわからなかったので無視することにする。

「セーアの部屋どこか知ってる?」

問われて少女は首をかしげた。

「セーア?ああ。誠亜さんですか。それならそちらですよ」

指差されたのはティーの眼前の扉の隣だった。

「ありがとう」

ぺこりと頭を下げて示された扉の前に立つ。
ポケットから鍵を取り出し鍵を開けると、部屋の中へ入る。
扉の前に立ってから一度もよそみをしなかったティーには少女が驚愕の表情で自分を見ていることに気付けなかった。



結局、誠亜のした注意の一つ、部屋を出入りするところをあまり見られるな、というのをティーが思い出すことはなかった。

























(はて。何か面白いことはないだろうか。)

神は胸中で呟いた。
ここ最近は毎日のように悪戯をしてきたためか微妙にネタ切れ気味だった。
いや悪戯のネタはいくらでもあるのだがいまいちぐっと来ないのだ。
神は顎に手をあてて考え込んだ。
ふむと呟くと2-Aの教室に転移する。
空間ゲートを開くと気付かれやすいので存在座標を強制改竄することによって転移する。

した後でゲートそのものに認識阻害をかければよかったかと思いなおす。
まあどうでもいいことだった。

こちらに気づいたものはいない。
神がだれもこちらに気付けぬよう認識阻害をかけたのだ。
魔法使いだろうがなんだろうが気づけるはずがない。

(さて何をしようかな)

神がそう考えた瞬間、扉をぶち開けて一人の少女が教室に飛び込んできた。

「みんな大変だよー!」

その少女は大変だと繰り返しながら教壇に立つと黒板に一枚の紙を張り付けた。

「風間誠亜に隠し子発覚だよ!詳しいことはここに書いてあるから読んで!」

「えええええええええええ!」

教室中から驚愕の叫びがあがり、多数の少女が黒板の紙の前に殺到する。

「ここ最近風間さんが6,7歳の小さな女の子と一緒にいるのが目撃されている!あたしが撮影できたのは高校生ぐらいの男の人と一緒にその子を連れて服屋に入るところだけだけど、この子が風間さんの部屋に入るところが夕映に目撃されているわ!」

「ウッソ!じゃあまじで~」

「相手は誰?やっぱダイゴさん?」

少女たちのボルテージは加速度的に上がっていく。
ストッパーがいないのかとどまるところなしといった様相だ。

(というか14の、実年齢で言っても17の人間に7歳の娘がいるわけないのだが、どうして気付かないんだろうなこいつらは)

内心少々呆れながら、神はクラスを見回して呟いた。

「だが面白そうだ。放っておこう」

神の言葉を聞き咎める者はいない。
外でカラスが鳴いていた。











誠次は教室に入ると同時に注がれた生暖かい視線に戸惑って足を止めた。
しかも一つや二つではない。
数十もの視線だ。

(なんだ?)

内心で呟く。
次の瞬間、大量の生徒達が誠次のもとに殺到した。

そのさまに一瞬たじろぐが続く言葉にさらに言葉を失う。

「キャー!誠亜ちゃん隠し子がいるってホント!?」

「相手は誰!やっぱりダイゴさん!?」

「ねぇねぇ何歳なのあの子!?」

「名前は!?」

やつぎばやに繰り出される質問に誠次は混乱していたが、質問の意味を理解すると同時に叫んだ。

「ちょちょちょちょっと待てえええええええ!俺の隠し子!?どっから出てきたそんな話!」

「ふっふっふ。ごまかそうったって駄目よ」

後ろから聞こえてきた含み笑いに誠次はこめかみをひくつかせながら振り返った。
そこには朝倉が腰に手をあて、不敵な笑みを浮かべてそこに立っている。

「朝倉……お前か」

毒づく誠次には構わず朝倉はどこからともなく一枚の写真を見せてきた。

「げっ」

思わず呻く。そこには服屋に入る誠次とダイゴ、そしてティーの姿が写っていた。

「ネタは上がってんのよ。他にもあんたとこの子が一緒にいるところを目撃した子も結構いるんだから。極めつけに夕映がこの子が鍵を使ってあんたの部屋に入るところを目撃しているわ」

得意げに言う朝倉に誠次は呻いた。

(ったく。ティーのやつ。部屋に入るところをなるべく見られんなって言ったのに)

「さあ~。洗いざらい話してもらうわよ」

メモを片手ににじり寄ってくる朝倉に誠次はひきつった笑みを浮かべた。

「い、いや知らないって。そんなやつ」

「うそおっしゃい!ならこの写真に写ってるあんたと男の人と子供は誰なのよ」

写真を突きつけ詰問する朝倉。後ろではクラスメートたちが頷いていた。

「知るか。他人の空似だろ」

「じゃあ夕映が見たあんたの部屋に入って行った女の子はなんなの!」

「寝ぼけてたんだろ」

苦し紛れに答えを返す。
視界の端でスーツ姿の神がにやにやと見ているのを見て殺意がわきあがる。
助けろと言ったところで無駄なんだろう。

「服屋に入ってった子と夕映の見た子は一致するのよ。こんな偶然があると思う!?」

「いやそれはだな……」

言葉に詰まる。
そもそも一緒にいるところを写真に撮られてしまっているのでは言い訳するにも限度がある。
だがだんじて隠し子だなどと認めるわけにはいかない。
相手がダイゴだなどとなおさらだ。
そもそもティーのことがばれるのはいただけない。
彼女は学園長の孫を誘拐する手伝いをするために麻帆良にやってきたものだ。
もうそんなことはしないとはいえそれで魔法使いが納得するとは限らない。

何か言いわけしようと口を開きかけた瞬間、幼い声が教室に響きわたった。

「セーアー。おべんとーー」

なにやらティーらしき少女が弁当箱を掲げて教室の入り口に立っていた。
胸中で泣きながら呟く。

(ありがとー。でもちょっとタイミング悪いかなー)

そんな誠次の思いにも気づかず、ティーは弁当を持ってパタパタと歩いてくる。

「セーア。はい弁当」

差し出される弁当を苦笑とともに受け取りながら誠次はどうすべきか考えた。
誠次が答えを出すよりも早く周囲の少女たちが反応する。

「この子が!?確かに写真と同じ」

「夕映。この子が?」

「はい。この子で間違いありません」

「可愛いじゃない」

盛り上がる年上の女子たちにティーはきょとんとした眼で周囲を見回した。
無意識のうちに誠次の体に抱きつく。

「ねえねえ。君、名前は?」

ペンをマイクのように向ける朝倉にティーは困惑しつつ答えた。

「ティ、ティー」

朝倉は質問に答えが返ってきたことに目をきらりと輝かせて、

「それじゃあもう一つ。ティーちゃんは誠亜の娘なの?」

あまり勘繰られるのは良くないがここでティーが否定すれば疑いは晴れる。
あとはさっさとごまかしてティーを返して終わりにしよう。
そう黙考した誠次の服を握りながらティーは口を開いた。

「セーアがかーちゃん……?」

ティーは呆然とそう呟いた後、頬を朱に染めはにかむように微笑む。

「いいな……それ」

「ちょっ!」

「「「「かわいいいいいいいい」」」」

少女たちから歓声が上がる。
それとともに朝倉がさらに詰め寄ってきた。

「これで決定ね!さあもう言い逃れはできないわ。きりきり吐きなさい!」

「ぐっ。しかし」

返す言葉を見つけられずにいる誠次に後ろから声がかかる。

「くっくっく。ティーのあの笑顔を壊すことだけはしてはならんよなあ」

「黙れ。んなこたあわかってる」

いつの間にか誠次の後ろに回り込んだ神の言葉に誠次は低く呻いた。

どうしたもんか。
確かに誠次の服を掴んで微笑むティーの姿は幸せそうに見える。
今のティーに向かって母親呼ばわりなどまっぴらだという気にはなれなかった。

「相手はやっぱりダイゴさんよね。二人の馴れ初めは?」

まるで記者のようになにやらたわけた質問をしてくる朝倉を無視して誠次は頭をかいた。
しゃがみ込み、ティーの目を見つめながら微笑む。

「ティー。ねーちゃんじゃだめか?」

「え?」

不思議そうに見つめ返すティーに誠次は頭を撫でながら続ける。

「俺は母親って年じゃないだろ。だからさ、かーちゃんじゃなくてねーちゃんじゃだめか?」

「……ねーちゃん……」

ティーはしばらく言葉の意味を噛みしめていたようだが、微笑むと同時に抱きついてきた。

「ん……いい。セーアはあたいのねーちゃんだ」

それを抱き返しながら誠次も微笑んだ。

「ふむ……なにやら面白い話というよりいい話になってしまったな」

後ろで呟く神を半眼で睨む。
それを気にした風もなく神は苦笑すると、

「まあこれはこれでいいか」

周囲の少女たちは微笑んでこちらを見ていた。なかには涙ぐんでいたりする者もいる。

「んー。つまりどゆこと?ティーちゃんは誠亜の隠し子じゃないの?」

眉間にしわを寄せて言う朝倉にティーが不思議そうな眼差しで答えた。

「?あたい7歳だよ。14歳のセーアの隠し子なわけないじゃん」

7歳の少女にそう言われ周囲の少女たちはうっ、と呻いた。
言われてみれば当然のことだ。それに7歳児に指摘されるまで気付かなかったというのがきつかったのだろう。
ティーはこちらに抱きついたまま言う。

「あたいずっとある街の路地裏にひとりで暮らしてたんだ。それでこの麻帆良にきていろいろあって、セーアとダイゴが拾ってくれたんだ」

さらりと出てきた過酷な過去に周囲の少女たちが言葉を失う。
そのなかの一人の少女がティーに抱きついた。

「大変だったんだね~!」

勢い良く抱きついたため、ただでさえ小柄なティーは思わず倒れこむ。
それと同時にかぶっていた帽子がはらりと落ちる。

「あっ!」

ティーの喉が小さな悲鳴を上げる。
帽子が脱げてティーの頭にある大きな猫の耳があらわになる。

ティーの表情が恐怖に歪む。
それを見た瞬間誠次は大きく開いた右手を天にかかげ叫んだ。

「神!」

ためらいなく奥の手を発動させようとして、誠次は神に止められた。
神はティーの方を見ながら首を横に振る。

ティーに抱きついた少女はきょとんとした表情でティーの猫耳を見つめていた。
きつく眼をとじたティーとは対照的に軽い表情で猫耳を触った。

「かーわいいーーー。ねえみんな見てよ。ホントに生えてるよ」

「ウッソ!ホントだふわふわしてるし動いてる。かわいいー」

周囲の少女は口々に可愛いと言いながらティーやティーの耳を触る。
ティーは不思議そうに口を開いた。

「気持ち悪く……ないのか?」

「んー、なんでー?」

軽く返す少女たちにティーの顔も緩む。
誠次はほっと胸をなでおろした。
これでクラスの皆がティーのことを気持ちわるいだのなんだのといったら、ティーの心に深い傷ができてしまうところだ。

このクラスのおおらかというか気の良さに感謝する。

ところが輪から少し離れた一人、眼鏡をかけて皮肉気な眼差しをした少女――長谷川千雨が呆れたように、同時に不愉快そうに毒づいた。

「おいおい。猫耳がマジで生えてるなんて、どう考えても普通じゃねえだろうが」

どうやら悪い意味で一般的な感性の持ち主もいるようだ。
誠次が動き出そうとした瞬間、千雨の隣に神が現れた。
千雨のこめかみを指でつついて囁く。

「変じゃないさ。猫耳ごとき大したことじゃない」

神がそう言った瞬間千雨は不愉快そうな表情を消し、呆けたように呟いた。

「そうだな。猫耳ぐらいこの麻帆良じゃ別に変じゃないか」

そう言って自分の席に戻っていく。

「助かったぜ」

誠次がそう呟くといつの間にか隣にいた神が苦笑する。

「なに。私が好きでやってることだ。気にするな」

そう言って神は一度大きく息を吸うと、眼をかっと開いて一喝した。

「他言無用!!」

その言葉に反応するものはいない。
やはり神の存在はクラスの皆には気付けないようになっているのだろう。

「今のは?」

誠次が問うと神は軽く肩をすくめて応える。

「暗示みたいなものだ。これでクラスの連中はティーのことを言いふらせなくなった」

「重ね重ね悪いな」

「気にするな。単に私がどろどろした差別劇なぞ見たくないのでやっただけだ」

「そうか」

言って誠次は苦笑した。
心の中で少しだけ。ほんの少しだけ神の評価を上げる。

そして小さく呟いた。

「……いいクラスだ」
























2-Aの教室の前の廊下。
二人の男が立っていた。

「よかったんですか学園長」

温和そうな表情でたたずむスーツ姿の男――高畑がそう問うと学園長はフォッフォッフォと笑い声をあげた。

「なにか問題があるかね?」

「彼女は一応このか君を狙った陰陽師に雇われていた者ですが」

学園長は白いひげをなでると片目を開けて言う。

「あの子がまたこのかを狙うことがあると思うかね?」

それに高畑は苦笑しつつ答えた。

「ないでしょうね。彼女の目的であった食べ物と家、さらには家族まで手に入れたのですからこれいじょうこのか君を狙う理由がありません」

学園長は口元に笑みを浮かべて言う。

「なら問題はないじゃろう?」

「そうですね」

そう言うと学園長はフォッフォッフォと笑いながら去っていく。
高畑もまた笑みを浮かべて教室の扉に手をかけた。
中からはまだ楽しそうな声が聞こえてきていた。


















あとがき

どうもすちゃらかんです。

今回、少し誠次視点が少なめでした。
それでもギャグを入れようと苦心したのですがうまくいったかどうか。

もうそろそろネギが登場して話が原作と絡んできます。
それにあわせて赤松板に移動しようかどうか悩んでいるのですが……どうしよう。

移動するとしたら新話投稿時にあとがきにでも「次話投稿時に赤松板に移ります」みたいにかいてから移動しようと思っているのですが。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第10話 HAHAHAこいつが教師?そんな馬鹿な!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2010/01/07 13:17
神と俺のコイントス10












第10話  HAHAHAこいつが教師?そんな馬鹿な!











朝起きて無意識に金髪の幼い姿を確認している自分に気づいて苦笑する。
それだけ彼女が自分にとって日常となりつつあったのだろう。
そして彼女がいない状況にわずかの寂しさを感じているということか。

(アホらし)

誠次はベッドから降りようとして動きを止めた。

「寂しがるぐらいならティーをダイゴに預けなどしなければ良かろう?」

いつの間にかベッドの脇に立っている神を半眼で睨む。

「無断で人の部屋に入るな。それと人の頭の中をのぞくんじゃねえ」

呻くように言って誠次は欠伸をした。
にじんだ涙をぬぐいながら真顔の神を眺める。

「いやしかし、なぜ急にティーをダイゴの方に預けると言ったのだ?前にお前たちが言っていたように男子寮の方に預けるのはリスクが大きい。ダイゴ周りの人間もみんながみんな2-Aのような気質のものというわけではないしな」

言われて誠次は天井を見上げた。淡々と告げる。

「先を見越して……かな。いつまでも、ティーが大人になるまで俺達が隠しながら育てるってわけにもいかないだろう?折を見て彼女を正式に引き取った方がいい。そうすりゃ彼女を学校に行かせることだってできる。吸血鬼や半妖、忍者なんかを平気で受け入れる学校だ。猫耳ぐらいわけねえさ。そして引き取るならきっとダイゴの方がいい。だからあいつのところにも預けるんだ」

「なぜダイゴの方がいいのだ?」

問われて誠次は苦笑した。
ベッドから降りてキッチンに向かう。
コップに水を注いで眠気覚ましに一気に飲み干す。

「“家族”さ。ティーはずっと一人で生きてきた。だから家族のぬくもりがあるところの方がいい。ダイゴんちは姉が一人に両親がいる。個性的だがいい奴らだ。それに比べて俺の両親は物心つく前に死んじまってて、家族らしい家族といやあ超然としてて何考えてんのかわからねえじいさんとしょっちゅうふらりと居なくなる姉さんだけだ。どっちがいいかは明白だろ?」

神は納得したように頷くと顎に手をあててにやりと笑った。

「なるほどな。しかしお前の家族か。一度会ってみたいものだ。どんな奴なのだ?」

誠次はんーっと唸って答えた。

「さっきも言ったようにじいさんは超然とした人だ。俺の住んでた山の奥に屋敷がポツンとあってそこに住んでるすらりとした初老の老人がいたらそうだな。姉さんはしょっちゅういなくなるから遭遇率できるかは知らねえけど、その屋敷に黒い髪をかなり長くのばした14,5歳ぐらいのやたらテンションの高い女の人がいたらその人だ」

神の表情が訝しげに歪む。
10秒ほど黙考したのち、問うてきた。

「14,5歳でなんで“姉”なんだ?」

誠次はからからと笑いながら答える。

「だって俺が4歳のころから14,5歳ぐらいだったし。なら姉さんって呼ぶのが普通だろ?」

当然のことのように告げると神は冷や汗を一筋流しながら言った。

「今何か妙な発言があったような気がするんだが」

「んあ?」

訳が分からずに誠次は問い返す。
すると神はこめかみに手をあてて言ってきた。

「13年前からずっと14,5歳の姿というのはあからさまにおかしいと思うのだが」

言われて思考する。
自分が4歳のころ14,5で、そして17になった今でも14,5。

「ホントだ!変だ!」

「今の今まで気づかなんだのか!?」

誠次は戦慄をにじませながら呟く。

「そういやあ二人で街に行くって時にデートだとかぬかしてたからじいさんに『年考えろや』っつったらふたりして意味ありげに笑ってたな」

「貴様の家族がますますわからなくなってきた」

呻く神に誠次はしばらく頭を悩ませていたが突然、表情を明るくするとあっけらかんと言った。

「まあいいや」

「いいのか!?」

誠次はけらけらと笑いながら、

「だってダイゴの母親だって20代半ばにしか見えないぐらい若々しいぜ。似たようなもんだろ」

「いや違うと思うが……」

なおも言いつのる神を無視して誠次は冷蔵庫から昨日コンビニで買っておいたカレーパンを取り出した。

「んー?今日はいつもより遅いな。急いで食うか」

呟きながらカレーパンを口に詰め込んでいく。

最後の一口を飲み込んだところで神が思い出したように言った。

「そう言えば今日は……」

そこまで言って口をつぐむ。
そのまま怪しい笑みを浮かべた。

誠次は半眼で呻くように問う。

「今日は……なんだよ?」

「ククク何でもない。気にせず登校するがいいぞ」

「急激に不安になってきた」

言いながらもたちあがって部屋の壁に掛けてあった制服をとる。
神を窓から放り捨て(ここは二階だが気にしないことにした)服を乱雑に脱ぎ放った。
適当に制服を着て自分の体を見下ろす。

「どうにもスカートってのは好きになれねえなあ。スースーする。刹那みたいにスパッツでもはこうかなあ」

呟く誠次に神が呆れたように言う。
さきほど放り捨てたはずだがいつの間にかそこに居た。

「そんなくそ長い靴下はいといてスパッツなぞはけるわけなかろう」

言われて誠次は自分の靴下を軽く引っ張った。
太ももの半ばまであるサイハイソックスという珍しい種類の代物だ。

いままでズボンをはいていたのに急にスカートをはくことになり、肌寒さに頭を悩ませていた時にクラスメートの綾瀬夕映がはいているのを見てこれはいいと求めた代物である。

いくつか服屋をめぐったのだがなぜか見つからず、ダイゴに聞いたところ、ずり落ちやすいとか、これをはいていると下着が見えかねない短いスカートをはかなくてはならないなどの理由から敬遠されているのだと蘊蓄を聞かされた。
前者はわかるが後者は理解できなかったのだが(別に長い靴下に長いスカートをはいてもよかろうに)とりあえず入手が困難だということはわかった。
結局神に作らせたものをはいている現状である。

「ん~?いんじゃねべつに?」

「そんな妙なはき方するぐらいなら素直にタイツにしたらどうだ?」

言われて誠次はぽんと手を打った。

「をう」

それを見つめながら神が言う。

「うすうす感づいていたが、お前って少し頭の回転が悪いな」

神の言葉に誠次は憤慨したように言った。

「失礼な。ねーちゃんには頭の鈍いところも可愛いって言われてたんだぞ」

「……その言葉、頭が悪いってのは否定してないって気づいてるか?」

「……ホントだ!」

神は半眼になると平坦な声音で言う。

「うすうす感づいていたが、お前って頭の回転が悪いな」

「“少し”が抜けた!?」

叫ぶ誠次に対し、神は右の手首のあたりを見ると驚愕したように言ってきた。
腕時計を見るようなしぐさだが、そこに腕時計はない。

「もうこんな時間か!まずいな。このままでは間に合わない」

「なんの話だ。今から出てもラッシュにゃ巻き込まれるが間に合わないってこたないぞ」

言って鞄を肩に担いで扉へと向かう。

「いやこちらの話だ。気にするな」

パタパタと手を振る神に誠次は猛烈に嫌な感覚を覚えて呻いた。

「すっげえ怪しい。決めた。今日は遅刻していいからゆっくりいく」

神は驚愕の眼差しでこちらを見ると人差し指をこちらに向け糾弾するように叫んだ。

「ええい何という理不尽!それでは何も起きないではないか!」

「理不尽じゃねえ。何もかもお前の思う通りに動いていたらこっちの身が持たねえよ」

誠次は毒づいて扉の取っ手に手を伸ばす。

「むうそんなつれないことを言うでない。せっかくお前のために足を用意したというのに」

「ああ?」

胡乱気な眼差しで振り向く。
見ると神が得意げな顔で手を叩く。
それに応えるように誠次の部屋の扉が開いた。いや蹴破られた。

ぶつけないよう少し頭を下げて入ってきたのは一頭の馬だった。
それもただの馬ではない。
燃えるような鮮やかな赤色の毛並みをした馬だ。

馬は神の横に行くとおもむろに顔だけこちらに向けた。

「見ろ!立派な馬だろう!私がこれで送ってやろう」

「車ですらないのかよ。ていうかドアどうすんだよ」

神はおもむろにその馬にまたがりながら答える。

「ううむ。ここは女子寮の中だし、少しドアがないぐらい問題ないだろう」

「問題あるよ。今すぐ直せ」

誠次が半眼で毒づくと神は嘆息しながら馬の上で体の向きを180度回転させた。右腕をドアにかざす。

「では直すぞ」

言って神の手に光がともった瞬間。

ヒヒィィィィイン

高い叫びが部屋に響いた。
馬は大きく竿立ちになるとそのまま壁に向かって突っ込んだ。

「む?」

どこをどうやったものか手綱が神の首に絡まる。
だがそんなことはお構いなしに馬はその体で部屋の壁を突き破った。
木材や断熱材の破片をまき散らしながら朝日のもとにその赤い雄姿をさらして消えて行く。
無論手綱を首にからめられた神も一緒だ。

「たぁすけてぇええええ」

「……」

誠次は無言でドアに近寄ると、片手で持ち上げ、もとあった姿にできるだけ近づくよう立て掛けた。

キャアアアアアアアアアア

外からつんざくような悲鳴が響いてくる。
それに応えるようにドアがまた誠次の方に倒れてきた。
誠次は一度嘆息するとドアを蹴り上げる。
勢いよく一回転したドアに鋭い前蹴りをお見舞いした。
轟音を立てて、外周に若干を罅を入れながらドアがめり込む。

誠次は素早く踵を返すと鞄をひっつかんで壁の大穴から身を投じた。

少し離れたところで大きな土煙が上がっているのが見えた。














「うーむさすがは赤兎馬。かの三国志の武将、呂布の愛馬よ。とても馬とは思えん速度だ」

「言ってる場合か!!」

首に巻きついた手綱で引っ張られながら神は感慨深げに言った。
それに怒鳴り返す。
眼前の馬が歴史上の著名な存在であることには驚きだがまあ神ならありなのだろう。
あいにく歴史などほとんど知らない誠次だったが、ダイゴに勧められたゲーム三○無双によって呂布と赤兎馬の名前ぐらいは知っていた。

風を引きちぎりながら疾走する。
その馬はまるでこの道は俺のものだと言わんばかりに車道を爆走していた。
あるときは車の間をすり抜け、ある時は車をとび越え、またある時は車の天井を踏み越えて走行する車を飛ぶように追い抜いていく。
あまりの速さに神を引っかけた手綱が地面と平行になっている。
それにつかず離れず走りながら誠次は舌打ちした。

ぶら下がっているのが人間だったなら首がしまって大変なことになっていただろう。
それ以前に神は何度か車に叩きつけられているので、常人ならそれで大怪我だ。
だがまあ神なので心配はいらないんだろうが。

なぜ付かず離れずなのかというと、この馬誠次が追い付こうとスピードを上げると自分もスピードを上げるのだ。
最初は普通の馬より少し速いぐらいだったのに、今じゃ道路を走る車が流れるように後ろに離れていっている。

道行く人々、運転席でハンドルを握っているもの、この様子を見かけた多くの者達が目を丸くしてこちらを見ている。

だが幸い事故などは起きていないようだ。
だがいつまでもラッキーが続くとは限らない。
危惧する誠次に対し、馬はこちらをちらりと一瞥するとにやりと不敵に笑った。
比喩ではなく本当ににやりと笑ったのである。
次の瞬間赤兎馬が天を翔けた。
高い高い跳躍で近くの4階建ての建物の屋上へと飛び乗る。
そのままこちらを見下ろして一声いなないた。

「チッ。馬じゃねえぞアレ」

誠次は荒々しく舌打ちすると馬の飛び乗った建物の壁に向かって跳躍する。
その壁を蹴ってさらに高くへ跳躍した。
ちょうど反対側にあった電柱を掴んで一回転すると、さらに電柱を蹴って飛びあがる。
再び建物の壁に張り付くと、壁を蹴って屋上の縁に指をかける。
そのまま片手の力で自分の体をはね上げると、3回転ほどして屋上の中央に着地した。

そこには赤兎馬が待っていた。
不敵な表情でこちらを見ている。
神が何やら首の手綱を外すそうと四苦八苦していた。

「ようしここまでだ。大人しく馬小屋に帰るがいいぜ」

だが、赤兎馬は挑発的に鼻を持ち上げると高くいななく。

「ヒヒィィィン!」

「我が走りを止めたくば力ずくで来い、だそうだ」

神が真顔で通訳すると赤兎馬はそれに頷いた。
なにやら人語を解しているような気がするが気のせいだろう。
赤兎馬は踵を返すと、ビルの反対側へと跳躍した。
少し手綱が緩んできていた神が再び引っ張られて悲鳴をあげていたが、それを無視して誠次は追うように飛ぶ。

ずしんと重々しい音を立てて着地すると、誠次は顔をあげた。
無数の驚愕の視線が注がれていた。
誠次は周囲を見回して舌打ちした。
それは麻帆良名物通学ラッシュだった。
数えきれない学生たちが唖然とした眼で誠次を、そして何より赤兎馬を見ていた。

赤兎馬はその視線に気分を良くしたようにいなないて駆けだした。
学生たちが蜘蛛の子を散らすように逃げだす。
そのさまは歩行者天国を爆走するバイクから逃げるようなものだ。
もっともバイクでもこんなスピードを出しはしないが。

「待たんかああああああ!」

叫びながら追いかけると馬は挑発するように鳴いてスピードを上げる。
それに引き離されぬよう駆けながら誠次は少し前を引っ張られて宙に浮く神を怒鳴りつけた。

「おい神!あの馬止めろ!このままじゃ怪我人が出るぞ!」

だが神はまるで危機感など感じていない顔で言う。

「はっはっはっは。止められるもんなら止めているさ」

「使えねえなオイ!何とかしろよ。さもないとこうやってお前の脚掴んでブレーキ掛けちゃったりするんだぞ」

「ぬああああああああああ!首が!首が千切れるうううううう!」

悲鳴を上げる神に対し、誠次はさらに足に力を込めた。
赤兎馬もまた止められまいとさらに力をこめて踏み出す。

「よ、良かろう!ならこれで!」

神がようやく何かの道具を取り出したのを見て誠次は神の足を離して並走した。

「よしやれ!」

「うむ!」

威勢良く頷いて神がボールにトランペットの先端がついたようなアイテムのスイッチを押した。



パラリラパラリラパラリラパラリラパラリラパラリラ


「なんの意味があるううううううう!?」

誠次は絶叫しつつ隣で揺れる神の頭に拳を叩きこんだ。
馬に引っ張られて宙を浮いている状態ではその拳に耐えることなど出来ず、神の体はきりもみしながら飛んでいく。
だがすぐさま赤兎馬に引っ張られる力でもとの位置に戻ってきた。

「赤兎馬がこんなに我の強い馬だったとはな。これを従えるあたりやはり呂布は優れた武将だったのだろう」

「感心している場合か。このスピードでぶつかったら普通の人間はただじゃ済まねえぞ」

言っている間も赤兎馬は通学ラッシュの中を爆走し続ける。
どうやら神の起こした暴走族音は意外に人々の注意をこちらに向ける効果を生んだようで、みな慌てて道をあけるので事故はなかった。
道が開いたことで赤兎馬がさらにヒートアップしている気もするが。

「しかたない。こうなったらやっぱ手綱を掴んで無理やり止めるしかねえな」

そう言って回りこむ誠次に神は真顔で問いかけた。

「そういいながら貴様はなぜ私の足の方に回り込むんだ?」

それに誠次はどこか無責任な笑い声を上げると、

「はっはっは。気にすんな。とりあえずお前の首の強度を信じているとだけ言っておこう」

「果てしなく嫌な予感。かくなるうえはヒヒィイィィィン!」

突然神が馬の無きまねをすると赤兎馬は驚いたように後ろを振り向いた。
そして神の足をつかもうとしているこちらの姿を見ると、瞳を燃え上がらせて地を蹴った。
その真紅の体が加速する。
強靭な脚力によって爆発的に加速した赤兎馬にみるみる引き離されていくのを見て誠次は大きく息を吸い込んだ。

「逃がすかあああああああ!」

大地を踏みぬかんばかりに力をこめて疾走する。
一度は離れた赤兎馬の姿、そしてそれに引っ張られる神の姿がじりじりと近づいていく。

一瞬で後ろに流れていく別段見覚えもない少女の姿にふと今自分たちがどれぐらいのスピードを出しているのか気になった。
むろん誠次には車のように時速を表示するメーターなどついていないのでわかるわけはないのだが、とりあえず一般に知れ渡っているまっとうな動物では絶対出せない速度を出しているのは間違いない。

「ていうか何もんだあの馬。ウマじゃなくてUMAだろ」

毒づく誠次の耳に神のとぼけた声が響いた。

「あ」

「なんだよ!」

耳元で鳴り響く風切り音に負けじと声を張り上げる。
すると神は緊迫感に欠ける声で答えてきた。

「いやなに、この馬の前に立ちふさがる勇気ある若者がいるようなのでな」

「のんきに言ってる場合か!」

叫びながら誠次は渾身の力で地を蹴った。
赤兎馬を追い抜き、その前で呆然と突っ立ている少女に飛びつく。
短い悲鳴を上げる少女を抱きかかえながら地面をごろごろと転がる。
出していたスピードがスピードだ。
激しく地面に打ち付けられるがその程度でどうにかなってしまうようなやわな鍛え方はしていない。


「めぎゃんっ!!」


何やら甲高い悲鳴が聞こえる。
おそるおそる振り向くと、赤兎馬にはねられて宙を舞う少年がいた。

「うをいいいいいいいいいい!」

悲鳴のような叫びをあげながら駆けだそうとするが、誠次が受け止める間もなく少年は首から地面に突っ込んで激しく地面を転がった。
土煙を纏いながら地面に突っ伏す少年はぴくりとも動かない。

「ちょっとちょっとまずいんじゃねえのか!これは!?」

「うむ確かにまずいな。このままでは始まる前に終わってしまう」

うしろから突如聞こえてきた声に誠次は振り向いた。

「なにのんきに言ってんだ。これほとんどお前のせウオワアアアアアアアアア!」

振り向いてすぐ悲鳴を上げる。
そこには神がいた。
しかしその神には首がなく、首から上はまるでサッカーボールか何かのように小脇に抱えられていた。

しかしその不気味さなど知らんと言わんばかりに神は含み笑いを上げる。

「ふっふっふ。首に引っ掛かっているのなら首を取ってしまえばいいのだと気づいてな」

「背中に手が届かんならまごのて使えばいいみたいな軽さで言うなよ。ていうかいいからはよ乗せろ。いろんな意味で注目を集めてる」

「何っ!注目を!?」

「ポーズはとらんでいいっ!首を乗せろ!」

神は首を載せるとぐりぐりと体に押し付けた。
それでもうOKなのか、神は2,3度首をひねって見せる。

「しかたない。応急処置をしよう」

言って神はその10歳ぐらいの赤毛の少年の横に座り込んだ。
袖をめくって脈をとる。

「ねえ、大丈夫なのソイツ?」

問われて誠次は振り向く。
今になって気づいたが先ほど誠次が助けたその少女はクラスメートの神楽坂明日菜だった。
二つにくくった髪と髪止めの鈴。オッドアイが印象的な少女だ。

「それをいまから確かめるんだよ」

誠次がそう言ったのを見計らったかのように神は目を見開き、愕然とした面持ちで叫んだ。

「脈が……無い!」

「ええっ!」

驚くアスナに対し、誠次はいたって冷静に、半眼で告げた。

「そりゃあ掌じゃあ脈はとれねえだろ」

言われて神は手の平にあてていた指を手首に移した。

「うむ。どうやら脈はあるようだ」

「どっか怪我してんじゃねえか?あんだけの勢いではねられたんだ」

誠次が問うと神はどこか面倒くさそうに少年の顔を叩きながら答えた。

「問題ない。というか問題ないことにした。応急処置も看病もこれ以上やっても別に面白くもなんともないからな」

「お前な……」

頭痛のする頭を抱えながら誠次が呻く。
すると少年が小さく呻いた。
パチリと目を開くと飛び起きて周囲を見回す。

「う、馬!馬が!赤い馬が通常の3倍のスピードで!!」

何やらよくわからないことを口走る少年に神は立ち上がりながら口を開く。

「3倍なんてものではなかったが」

どうでもいいツッコいをする神にアスナが呆れたような表情を浮かべる。

「そういやああの馬どうしたんだ?公道を走られたら面倒なことになるだろ」

誠次も誠次でどこかずれたことを問う。
神は鷹揚に頷いて天を見上げると、

「うむ。なんか速さの限界に挑んでくるといって旅立っていった」

「迷惑な」

「いやそんな問題じゃないでしょ」

アスナの突っ込みに誠次達は顔を少年の方に向ける。
少年はまだ混乱しているようだが、そんな少年に神は優しく語りかけた。

「あの馬は赤兎馬。かつて三国志の時代に名高き武将、呂布が乗った伝説の馬だ」

少年は幾分か落ち着いたようで、だがそれでも戸惑いの残る声で言った。

「あの……三国志ってずっと昔の話ですよ。なんでそんな馬が」

「私が呼び出した」

場が凍りつく。
アスナも少年も、さらに今気づいたが少し離れた所にいたこのかも凍りついていた。
そんな面々に対し、神はふっと自嘲の笑みを浮かべる。

「むしゃくしゃしてやった。今は反省している」

そこに誠次が無表情に絶妙な合いの手を入れる。

「だが」

それにこたえるように神はビシリとポーズを決めて言い放った。

「自重はしない」

「駄目じゃないか」

後ろからかかった声に神がぐりんと首を回す。
まわしすぎて首がボトリと落ちた。
一瞬息を呑むアスナ、このか、少年、そして今現れた高畑を尻目に誠次はぽつりとつぶやいた。

「あ。くっついてなかったんだ」

「そのようだな」

何事もなかったかのように首を乗せる神。
呆気にとられているアスナたちを無視して誠次はめんどくさげに言った。

「もうボンドかなんかでつけとけよ」

あんまりと言えばあんまりな物言いに、しかし神は真顔で答えた。

「あいにくと神用ボンドは手持ちがない」

「なんだよ神用ボンドって」

聞こえてきた妙な単語に誠次は眉根を寄せて呻いた。

「読んで字のごとく神用のボンドだ。紙用ではない。髪用でもないぞ。マルカミデパートにも入荷は一週間後でな」

またも聞こえてきた言葉に誠次は頭を押さえる。

「マルカミデパート?」

「うむ。神の神による神のためのデパートだ」

「さぞかしふざけたデパートなんだろうな」

皮肉をこめて言う誠次に神はお返しとばかりに爆弾を投下した。

「オーナー、店長、従業員に至るまでスタッフはすべて私の分身だ」

「なんだその地獄のような空間は。頼まれても行かねえぞ俺ぁ」

「無論レストランコーナーのウェイトレスも皆私の分身だ」

「訂正する“地獄のような”ではなく地獄そのものだ。そして死んでも行かねえ。そんなトコ」

「オホン」

聞こえてきた咳払いに誠次と神は同時に振り向いた見れば高畑が呆れを含んだ視線でこちらを見ている。

「それで?一体何の騒ぎなんだい、これは?」

「かいつまんで話せば『馬が走った』といったところだな」

答える神に高畑は汗を一筋流しながら言う。

「かいつまみすぎだよ。もう少し詳しく言ってくれないかな」

神に任せていてはいつまでも終わらない気がしたので誠次が代わりに答える。

「まあ要点を言えば神が赤兎馬を呼び出したらそれが暴走してあちこち走りまわった挙句、そこのガキを轢いちまったってわけだ」

高畑はその言葉に慌てたように少年を見た。

「なっ!それでネギ君は無事だったのかい!?」

「うむ無事だ。というか“無事だということにした”。面倒くさかったのでな」

その言葉に高畑が安堵4割非難4割、ついでに戦慄2割ぐらいの表情で神を見る。

「それにしても赤兎馬って……なんてもの気軽に呼び出してるんだい君は」

「なかなかに速かったぞ」

反省の色など髪の毛一本ほども見えない神の様子に高畑は嘆息しつつ、ネギに声をかける。

「大丈夫だったかい。ネギ君」

「うん。どこも痛くないし」

自然に話す二人にアスナが困惑したように問う。

「え?二人は知り合いなんですか?」

「うん。まあね」

答える高畑。
いっぽう誠次は少年の顔を見ながら真面目な顔で呟いた。

「葱……ひょっとして名字は深谷か?」

「どこの埼玉産野菜だ」

ポケットから取り出した1メートルほどのハリセンで誠次の頭を叩く神。
スパンというこぎみいい音とともに誠次の頭が揺れる。

役目を終えたハリセンをぐしゃぐしゃと握りつぶし、そのまま片手で握って開くともう手の中には何もない。
感心したように神の手元を見るこのかにぱたぱたと手を振りながら神は口を開いた。

「そいつの名はネギ・スプリングフィールド。ウェールズの方の出身で、まあ言えることから重要なことをピックアップするなら大学卒業並の頭脳を持った天才少年で今度お前たち2-Aの新しい担任になる人物だ」


「ええええええええええええええ!」

少女たちの絶叫が響き渡る。
あたふたと慌てるアスナとあらあらと口元に手をあてるこのかに対し誠次は半眼で呟いた。

「神。今度は何の遊びだ。あんま被害が周囲にまで広がるようなまねをされると俺としても『スペシャルコース・滅殺』あたりまで視野に入れにゃならなくなってくるんだが」

「なんだスペシャルコースって。言っておくが今回のことは私が仕組んだことじゃないぞ。学園長や高畑など“アッチ”皆で仕組んだことだ」

神の言葉に誠次は戦慄の表情を浮かべた。
ついでに嫌そうに眉を寄せる。

「なんてこった。“あちらさん”も神と同類だったとはな。先行きが不安でならないぜ」

吐き捨てた誠次のセリフに高畑がひきつった笑みを浮かべる。

「彼といっしょくたに扱われるのは心外だなあ」

誠次は高畑に視線を向けながらアスナを指差して言った。

「なに言ってやがる。いくら頭がよかろうと10歳のガキを先生にしようなど言語道断。普段神のやってるぶっとび悪戯となんの差がある。見ろ。アスナなんてショックのあまり泣きそうだぞ」

「いやその娘の場合、多分に高畑に対し好……」

「キャアアアアアアアアアア!」

悲鳴とともに繰り出されたビンタが何か口走りかけた神を張り飛ばす。
勢いよく回転して倒れる神を視界の端にとらえながら誠次はアスナを眺めた。
アスナは涙目になってまくしたてる。

「あたしこんな子嫌です!さっきだってイキナリ失恋……いや失礼な言葉を私に」

涙ながらの訴えにネギというらしい少年は空気を読まずに片手をあげて告げた。

「いやでも本当なんですよ」

「本当言うなー!」

こつんと足に当たる感触にふと足元を見下ろしてみる。
倒れた衝撃でまた取れたのか神の首が落ちていた。
体がのたのたと回収に来ている。
誠次は無言でその首をあさっての方向へ蹴り飛ばした。
生首(まだ生きてるのでまさに生首だ)蹴りこまれてギャラリーがパニックに陥るということもなく、気がつけば周囲にはほとんど人がいなかった。
冷静に考えればまあ通学ラッシュは遅刻ギリギリに生徒が殺到する現象をいうのだから、皆遅刻せぬようすでに行ってしまったのだろう。
もう開き直って遅刻上等、と歩いているものと、遅刻より好奇心を優先したわずかなものしかいない。
飛んでった首を追いかける神の体に足を引っかける。
勢いよくこけるその姿に内心ほくそ笑んで、次の瞬間凍りついた。
眼をそらし、先ほど見えたものを記憶から排除する。
何が見えたかというと、まあ今日の神の服装は誠次が出会ってから最も着ていた率の高いものだったとだけ言っておけばよかろう。
おっさんのパ(以下略)など悪夢以外の何物でもない。

そらした視線の先ではアスナが涙を流しながらネギの胸倉をつかみ上げているところだった。

「大体あたしはガキがキライなのよ!あんたみたいに無神経でチビで……」

まくしたてるアスナに対し、ネギは不満そうに頬を膨らませている。
とりあえずアスナを宥めようと近づいて、誠次はネギに収束する力の気配に目を丸くした。
慌てて割って入る。

「ちょっと待て……」

だが止まらない。
それは最悪のタイミングでさく裂した。

「ハクシュン!」

くしゃみ一発。
弾かれるように誠次とアスナの服が体から吹き飛ばされた。
かろうじて下着だけは残っているのは慈悲だとでも言うのだろうか。
まったくもって味気ない白の下着を着た誠次と上は同じようなものだが、下はくまパンのアスナが二人往来で立ち尽くす。

先ほどの力の収束や現状を鑑みるにこれは前に神の言っていた脱げ魔法なのだろう。
アスナのあげる甲高い悲鳴を聞きながら誠次は能面のような無表情で眼前の小僧を見下ろした。

ネギは憤懣やるかたないといった面持ちで不満げにしている。

この表情から見ても一切の罪悪感は感じていないのだろう。

静かな、とても静かな世界。
そこで誠次は天の声を聞いた。



YOUやっちゃいなよ。



にこりと微笑む。天使のような微笑みにネギは毒気を抜かれたようにぽかんとする。
微笑んだまま誠次は思い切り右足を振り上げた。

鈍い音とともにネギの体が40センチほど浮き上がり、そのまま地面に落ちた。
泡すら噴きそうな勢いで痙攣しながらうずくまる。股間を抑えて。
誠次の、常人離れした肉体を持つ誠次の蹴りがヒットしたのだ。
そのダメージたるや推して知るべし。

「ねっネギ君!」

慌てて駆け寄って背中をさする高畑。
だがそれらすべてを傲然と見下ろして誠次は怒気に染まった声で叫んだ。

「往来で女剥こうたあいい度胸だ!ガキだからって許されると思うなよ!!」

その言葉にざわざわとわずかに残っていたギャラリーがざわめく。

「ねえどうしたの?」

「なんでもあの子があの二人を脱がしたらしいわよ」

「へ~。人畜無害そうな顔してね~」

「せ、誠亜君!」

高畑が何やら慌てたように言ってくるが、無視して誠次は踵を返す。

「神!服!服出せ!」

誠次は言って無造作に手を出す。
神はその手になぜか雀を乗せながら答えた。

「むう。なんというかお前はもう少し恥じらいというものを持ったらどうだ。見ていてつまらん」

誠次は手の平を掲げて雀を放ちながら毒づいた。

「お前を楽しませるためにいるわけじゃねえからな。いいから服出せって」

神はつまらなそうにむうと唸ると、すたすたと大股で誠次のもとへと歩み寄ってきた。
そのまま誠次の前に来ると、誠次の胸の谷間に人差し指と親指を突っ込んで、そこからずるりと服を取り出した。

「ほれ」

言いながら麻帆良女子中の制服を広げてみせる。
誠次は震える拳を振りかぶった。

「どこから出しとんだお前はあああああ!!」

絶叫とともに神の体を打ち上げる。
天の日に神の影が重なった。

天高く、10メートルぐらい飛んでいく。
殴られた瞬間神が取り落した制服二人分を拾いながら誠次は嘆息した。
心底疲れたように呟く。

「面倒なことになりそうだ」







あとがき

どうも。だいぶ更新遅れてしまいました。申し訳ありません。
とりあえずタイトルに(仮)とかつけて好きなように書いてみてあんまり反応が悪いようなら書き直すかといったところで落ち着きました。

今回の話ですが僕は別にネギが嫌いというわけではありません。
ただ書いてたらいつの間にかこんな話になりました。

ところでだいぶ慣れてきたので、次の話を投稿する時に赤松板に移ろうと思います。
拙作ですが、是非赤松板の方に行ってからも読んでください。

それでは今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第11話 デェストロォォォォイ!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/10/08 09:53
神と俺のコイントス11







第11話  デェストロォォォォイ!







ネギに服を剝かれたその日に学園長たちに呼び出されてされたのはネギの魔法がばれるようなことはするなということだった。

だったらそもそも使うなよ、と言ってやりたいところだったが、ここは大人の対応として少し遠慮気味に「だったら使わなければいいことでしょう?被害を被ったのならそれ相応の対応をしますよ。それともなんですか?服をはぎとられても魔法の秘匿だが奇特だかのために『自分で脱ぎましたー』とか言えとでも?それじゃあ俺の方こそ奇特ですよ」
というだけにとどめておいた。
どこが遠慮気味なのかという意見もあるだろうが、そこはそれ誠次にしては珍しく敬語なのである。

ちなみに「何!?誠次が奇特なことをした!?それは是非見たい」とか言ってドラ○もんの如く学園長の机の引き出しから出てきた神は一発ぶん殴って黙らせた。


このネギという少年、なんだかとっても抜け目あり。
人に隠せと言っておきながら少年本人が隠していない。
初めて教室に入って来た時も力の壁を周囲に張り巡らせてそれで黒板消しトラップを受け止めて皆の視線を集めたりしていた。

神が言うにはその後も倒れそうになった宮崎のどかを助けようとして魔法を使って、そこをアスナに見られ、彼女の記憶を消そうとしてスカートとパンツを消した揚句にそこを高畑に見られるという醜態を演じたらしい。

それに関しても何らペナルティは課せられていないようだ。
ずいぶんと優遇されている。

何でそんなことまで知っているのか、まさかクラスメート全員の私生活を監視しているのかと神を詰問してやったところ、封印されし全知のかけらを引きずり出してどうのこうのとよくわからないことを言い出したのでとりあえず殴っておいた。

まあ被害を受けたのはアスナであるし、そのアスナが別段これといって復讐を考えていないというのであれば誠次としても首をつっこむのはアレなのだろう。

もっともアスナ自身がネギにお仕置きという名の復讐を望んでいるというなら誠次としても春野葱を『武っ血KILL』(ぶっちぎる)のもやぶさかではないが。

「えーと、じゃあこの英文を……」

誠次が物騒なことを考えているとも知らずにネギは笑顔であてる対象を探している。

そらすそらす。
面白いぐらいにみんな眼をそらす。

ふと眼があった。
あってから自分も眼をそらすべきだったかと後悔する。

「風間さん。訳してください」

「わかりません」

即答されてネギが凍りつく。

「えーっと。わかるところでいいから訳してみてくれませんか?」

言われて誠次は手元の教科書に眼を落した。ネギの指定する英文(たぶん)を眺めて心の中で読み上げる。

(The fall of Jason the flower.……fallってなんだっけか?落ちるだったか?ジャソン?ひょっとしてジェイソン?flowerは確か花……だった気がする)

頭の中では仮面付けてチェーンソー持った殺人鬼がラフレシアのような大きな花に落下して食べられる光景が映っている。
それを振り払いながら誠次はかつてダイゴに試験勉強させられたときのことを思い出していた。

(え~っとこういうときは何を意識して見るんだったっけか?)

『構文じゃないのか?』

突如頭に響く声に慌てずに返す。

『ああそうそう。構文だ。そして人の頭の中を気安く覗くな。This is a penではthisがなんかでisが何かでpenがなんだっけ?』

『全滅ではないか。ここまでひどいとはな』

頭の中に響く呆れたような声を無視して黙考する。

『んー。俺的直感によるとthisがjasonでpenがflowerに対応していると見た』

『こんな初歩的なレベルで直感に頼ってる時点でかなり終わってると思うのだが』

『黙れ。あれisはどこに対応してるんだ?』

「あのー風間さん。英訳を~」

言われて誠次は顔をあげた。
晴れやかな顔で言う。

「まったくわかりません」

どっと笑いが巻き起こる。
ネギは困ったように次なる犠牲者を探し出した。

『お前もたいがい馬鹿だな。それでももと高校生か?』

呆れたような声に欠伸交じりに応える。

『勉強なんてほとんどやってこなかったからなあ』

『それにしてもひどい』

『いーんだよ。別に……』

誠次の言葉を遮って強烈な風が教室内を吹き抜けた。
見れば教室の前の方で、いつかの焼き直しのようにアスナが下着姿になっていた。
周囲のものからは笑い声とともに「何を脱いでいるんですの」という言葉が投げかけられている。

今回はまずいと思っているらしくネギもあたふたと腕を振り回している。

誠次はカッと目を見開いてネギを睨みつけた。同時に強い殺気を叩きつける。
なんかもうビキュゥゥゥゥン!とか擬音がつきそうな感じで。
というか実際頭の中で響いている。おそらく神が鳴らしているのだろうが意図は不明だ。
おそらく特に何の意味もなくノリで鳴らしているのだろう。
瞬間ネギが股間をおさえ、股を閉じて眼をつむる。
条件反射の行動。
どうやら先日の蹴りの痛みはだいぶネギの中枢へと刻みこまれたようだ。

それにわずかながらの満足を覚えながら誠次は嘆息した。

始まってすぐこれではこの先どうなる事やら。
神がネギの参戦(赴任に非ず)を待ち望んでいた理由がわかった気がした。



















駆け抜けていく小さな後姿。
風に揺れる赤い髪は我らが担任ネギ・スプリングフィールドのもの。

それを目の当たりにして誠次は一喝した。

「神!俺を殴れ!」

「どっせええええええい!!」

神の放った強烈なコークスクリューが誠次の横っ面に突き刺さる。

誠次はきりもみしつつふ吹っ飛んで地面に倒れ伏した。

「ク……クククククククク」

倒れ伏す誠次から低い低い声が漏れる。
流れ落ちる一筋の血を拭いながら誠次はゆらりと立ち上がった。
幽鬼のような表情で、悪鬼のような瞳で言う。

「神……俺は男か?」

「どこからどう見ても女どぅぶはっ!!」

戯言を抜かす神を殴り伏せながら誠次は叫ぶ。
周囲の目など気にする余裕は彼にはなかった。
無かったとしても神がどうにかするのではあろうが。

「そう!俺は男だ!体は女でも心は男なんだ!」

「いまさら何なのだ?」

床にできた自分の顔型を足で払うだけで消しながら神が問い返した。

「その俺が……その俺が……」

訝しげに見る神の前で、うつむいた誠次は肩を震わせている。

神が何か声をかけようとするよりも早く誠次は両の拳を振り上げ、天を仰いだ。
あまつさえ血涙を流しながら絶叫する。

「なんでガキに!しかも男にときめかにゃならんのだああああああ!」

その勢いに無表情に一歩引きながら神が呟く。

「ああネギか。まあ顔立ちは整っている方だし、抜けているとはいえ根は真面目な奴だしな」

「うぎれぎぎゃああああああああああ!」

かなり壊れた絶叫を喉から迸らせながら誠次が壁に拳を打ち込む。
その破壊力に耐えきれなかった壁が直径2メートルほどの円形に陥没する。
そのまま誠次は頭を思い切り壁に叩きつけだした。
クレーターから無数のひび割れが広がり悲鳴のように破片をパラパラと落す。

神はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると顎に手をあてて流し眼で言った。

「女として可愛らしい少年に恋心を抱いてしまったわけか」

ズドン。

凄まじい音ともに壁全体に無数の罅が走り、とうとう誠次の前の数メートルほどの壁が崩落する。
ガラガラと崩れゆく壁の破片の中で額から血を流した誠次がゆらりとこちらを向く。
その眼はもはや人のカテゴリーに当てはめるのをためらうようなどす黒い殺意に染まった怪物の眼だった。
悪鬼羅刹という言葉すら生温い。真の怪物の眼だ。

はてと考えて神は思い当たる。
この殺意は何に対するものか。
おそらく何に対するものでもあるまい。
ただ自分が、男でありたいと願う自分が子供、それも男にときめいている。
その受け入れがたい事実が、そんな現象を引き起こしている要因すべてが憎いのだろう。

はてこのまま放っておいたらどうなるか。
そう考えて神は2秒で答えを出す。
男の子供なぞにときめく理由で誠次が真っ先に思い当たるのが“女になったこと”だ。
放っておけば十中八九その怒りはこちらへ向く。
別に受けてもいいのだが、放置すれば誠次は神を殴り潰してことは終わりだろう。
それでは味気ない。
もっと面白くできないか。そう悩む神の前で誠次は頭を抱えて絶叫する。

「なぜ俺があああああああああ!!」

ふと思いついたことを言ってみた。

「ひょっとして……人生初TO・KI・ME・KIだったか?」

「っがあああああああああああああああああ!!」

誠次が咆哮とともに拳を反対側の壁に叩きつける。
今度は一撃で崩れた。
1メートルほどの穴があく。
荒い息をついて、獣のような眼差しで世界すべてをやぶにらみにするその男に神はどうしたものかと息を吐いた。

「なぜ俺がなぜ俺がなぜ俺が……」

何やら爆発寸前、もう導火線の先に火のついてしまった爆弾を思わせる危うさを持った誠次。
いくら神でもその爆弾を放置するような真似はしない。

「惚れ薬のせいだろう」

ゆっくりと誠次がこちらを向くのになんら表情の変化を見せずに神は続けた。

「お前の考える通り、女になったからというのもある。体が男ならそもそも効かんからな。だがあの小僧にときめいたのはあの小僧が飲んだ惚れ薬のせいだ」

「ホレ……グス……リ」

誠次は神の言葉の意味をゆっくりと反芻しているようだ。
そして次第にその瞳の焦点が確かなものとなっていく。
それと同時に誠次の中で渦巻いていた、形無い殺意が確固たるものとしてあふれ出してきた。
行き場のなかったどす黒い憎悪が獲物を与えられて獰猛に唸る。

「まあぶっちゃけるならそのときめきの原因は私と」

「ネギィィィィィィィィィィィィィィ!!!!」

そして吼えた。
誠次は一瞬で神のもとへとたどり着くとその顔面に拳をぶちこみ、そのまま渾身の力で壁に叩きつけた。
壁は一瞬で粉砕され、壁の破片とともに神の体が外に投げ出される。

いくら神でも導火線に火のついた爆弾を放置するような真似はしない。
なら神ならどうするのか。
押し付けるのだ。火種を。導火線の根元に。

神は浮遊感と痛みの中でにやりと笑った。

「さて……どうなるかな」





















ネギは困り果てた顔で周囲を見回した。
予想外だ。
いや予想はできたことだ。
あの惚れ薬は自分の作ったものなのだから。
だがあれを自分が飲むことになるとは思ってもみなかった。
ついでに言うと言葉では理解していてもしっかりとは理解できていなかったのだろう。あの惚れ薬の強力さを。
飲んだらたちまち効果が出た。
抱きついてくるもの、花束をくれるもの、食べ物をくれようとするもの、服を脱がせようとする者。
好意の示し方は人それぞれだったが、例外なく周囲の女性たちがネギに好意をもった。
そして行動に移した。

押し寄せる女の子たちから逃げ出し、逃げた先で会った女の子たちにまた追いかけられる。

そんなことを幾度か繰り返し、自分がどの棟のどの階にいるのかもわからなくなってきたころ。
ネギは聞こえてくる足音に恐る恐る壁の影から顔を出して確認した。
4人づれの女の子の集団が来るのを見て素早く壁の影に隠れながらネギはその集団が通り過ぎるのを待った。
少女たちは特に変わった様子もなく通り過ぎていく。
どうやらこの惚れ薬、相手がこちらを認識した時点で何らかの強い効果が発現するようだ。
そうでなければ効果範囲に入った女性たちが無差別に突然ネギの存在に気づいてアタックを仕掛けてくることになっていたはず。

とりあえず一つの難をしのいだことに安堵の息を吐く。

その瞬間ぽんと肩に手を置かれ、ネギは振り向いた。
振り向いてそれが女性であったことに焦る。
また惚れ薬の効果で迫られてしまう。

「あっ!だ、駄目ですよ!今僕は……詳しくは言えないけどあまり女の人に近づかない方がいいんです」

だがその女性は微笑むだけで何もしない。
訝しげに思いながら改めて女性の顔を見た。
それは見覚えのある顔だった。
彼の担当するクラスの生徒なのだから見覚えがあるのも当然なのだが、それ以上にネギにとってそれは忘れられない顔だった。

忘れもしない就任初日、ネギのことを轢いた赤兎馬の後を追いかけてきた女性。
そして、ネギがクシャミで服を吹き飛ばしてしまった女性。
なにより、そのネギの大事なところを思い切り蹴り上げてきた女性だ。
彼女――風間誠亜の顔は痛みとともにネギの心に刻み込まれていた。

彼女は何もしていない。
ただ微笑んでいるだけだ。
微笑んでいるのだから怒っているわけではないようにも思えるのだが相手が相手だ。
彼女は前にネギの大事なとこを蹴り上げる前も微笑んでいた。
正直この人の笑顔はあまり安心できない。
何というか猛獣の檻に放り込まれた餌のような気分になるのだ。

「ネギ先生」

明るい声音で言う。
一体何事だ?
ネギは自問した。
自分で言うのもなんだが彼女に笑顔を向けられるようなことをした覚えがない。
むしろ怒られるようなことなら現在進行形でしてしまっているところだ。
ならばこれは“殺す笑み”なのか。
でもそこまでされるほどのことはしていないはずだ。

思考に集中するあまりネギは気づかなかった。
その笑顔に、その瞳に、その声に集中するあまり気付かなかった。

誠亜の指が万力のような力でネギの肩を締め付けていることに。
顔がさあっと青ざめていくのが自分でもわかる。見れば誠亜の顔は悪鬼のような形相に変わっていた。
殺意すらこもった声で吼える。

「死ねええええええええええええ!!」

空を裂く拳がぎりぎりで首をすくめたネギの頭上を通り過ぎ、後ろの壁に突き刺さって木っ端みじんに打ち砕いた。
1メートルほどの穴を壁にあけた拳を引きながら誠亜が獣のような息使いでネギを見下ろす。
まさに彼我の関係は猛獣とそこに放り込まれた餌だ。

「うわああああああああああ!」

臆面もなく悲鳴をあげながら駆けだす。

(なんでなんでなんでなんでなんで!)

心の中で繰り返しながらネギは足を動かす。
確かに彼女を怒らせるようなことをしたかもしれない。
あの蹴り一発では彼女の溜飲はさがっていなかったのかもしれない。
だがそれは命を狙われるほどのこととは思えなかった。
誠亜の振るう拳は当たれば普通に死もあり得る代物だ。
命を狙われる理由が分からない。
だが事実誠亜は襲ってきていた。
背後の彼女は凄まじいスピードで追ってきている。
たまらず魔法で体を強化して地を蹴った。
先ほどまでとは比べ物にならない速度で風のように駆け抜ける。

「これなら……」

「ネェェギィィィィィィィィ!」

ネギの言葉を遮って怨嗟の声が響く。
すぐ後ろに誠亜が迫っていた。
振り上げられた拳が鎌首をもたげた蛇のように恐ろしいものに見える。

めいっぱい体を前へ抛り出す。
つい一瞬前までネギの体のあった床を誠亜の拳が撃ち抜いた。
1メートル近く陥没した床を蹴ってさらに肉薄してきた誠亜の拳をネギはブリッジのように身を反らしてかわす。
外れた拳の突き刺さった教室の扉が真っ二つに割れながら吹っ飛んでいく。
その扉と自分の体が一瞬重なって見えてネギは悲鳴とともに駆けだした。
つきあたりで90度曲がり、見えた階段に飛び込む。
一段飛ばしならぬ全段飛ばしで一気に駆け下り、というか飛び降り、一気に下の階へと向かう。
そのまま手近な教室に飛び込むと勢いよく扉を閉めた。
壁に張り付いて息を殺して鬼の通り過ぎるのを待つ。

コツコツコツ。

何かを探すようにゆっくりとした足取りで歩いている。
足音が真後ろに来る。
一瞬止まる足音にむしろ自分の息を一瞬止めながらネギはひたすらに通り過ぎてしまうのを待った。

コツコツコツ。

足音が遠ざかっていく。
それが戻ってこないのをしばらく確かめてネギは安堵の息を吐いた。

「はああああああ。助かっ」

「オオオオオオオオオオオッ!」

咆哮とともに壁が突き破られる。
ネギは頭の2センチ横を通り過ぎていく拳を見開いた眼で見送りながらひきつった息を漏らした。
壁を突き破りながら入ってくる鬼の姿にネギは地面を這いずりながら悲鳴を上げた。

「なんで……」

尻もちをついたネギを見下ろしながら誠亜は地獄の鬼のような声で言う。

「ダァァイ(die)」

「なんでええええええええええええええええ!」

麻帆良女子中の校舎に少年教師の悲鳴が響く。
命をかけた鬼ごっこが始まろうとしていた。




















「何をやっているんだ?あれは?」

女子中学生離れした身長とプロポーションを持つ色黒の少女、龍宮真名は隣にいる少女に問いかけた。
隣にいる艶やかな黒髪をサイドでまとめた少女――桜咲刹那は興味なさげに龍宮のさす方を一瞥して答えた。

「さあな。追いかけっこでもしているのだろう」

ぶっきらぼうな言い草に苦笑しながら龍宮もまた視線を向けた。

「ずいぶんと殺傷力の高い追いかけっこだね。私ならやりたいとは思わないよ」

若干の皮肉交じりに言うと刹那は仕方なくというふうにそちらを見た。
5秒ほどそれを眺めて改めて言う。

「誠亜さんがネギ先生を追い回しているようだな。別に放っておいてもいいだろう」

「ついでに言うと誠亜さんはさっきから一発で壁や床を砕くような攻撃をネギ先生に向かって放っているね。あれが一発でも当たったらまずいことになるんじゃないか?」

刹那は半眼でネギに殴りかかる誠亜とその攻撃をなんとかかわしているネギ先生を眺めた。
ゲームオーバーが死につながる鬼ごっこのようだ。

「どうせまたネギ先生が何か誠亜さんの逆鱗に触れるようなことをやったんだろう。あの人、赴任初日で初対面のアスナさんと誠亜さんの服を魔法で吹き飛ばして、誠亜さんに股間を蹴りあげられたらしいしな」

ここ数日でわかったことだがどうやらこのルームメイトはあまりネギ先生にいい感情を抱いていないらしい。
頭がいいとは言え10歳の少年に教師が務まるのかという不審もある。
そしてやはり大きいと思われるのが彼女の大事な“お嬢様”と同じ部屋にあっさり上がりこんでいることだろう。
学園長の決定ということで仕方なく認めているのだろうが、納得のいくものでもないのだろう。
もと男の風間誠亜が入ってくることがなかなか受け入れられなかったのと同じように。

理屈で言っても、どこか魔法の秘匿に対し意識の欠如しているネギをこのかのそばに置くのは、このか嬢には基本こちら側のことは教えないというこのかの親の方針にも反することだ。
理屈ではない感情の上ではいわずもがなだ。

「それにしても誠亜さんの様子が変じゃないか。“あの”ネギ先生を大怪我なんてさせたら彼女の立場もだいぶ悪くなるはずだ。それがわからない彼女じゃないと思うんだが」

龍宮がそう言うと刹那は不思議そうに首をかしげた。

「そうか?なんか誠亜さんはあっさり人を半殺しにするイメージがあるんだが。ああ。あれは相手が神だからか。そう考えると確かに妙だな。まさに怒り狂っているという感じだ」

さりげなく刹那の口から出てきた物騒な言葉に苦笑を返しながら、龍宮は口を開こうとしてやめた。
後ろから声をかけられたためだ。
念のために言っておけば龍宮はたとえどこにいようとも、一定のレベルで周囲の気配を探っている。
奇襲に対応するためだ。
それはこの平和な麻帆良に来てからも欠かしたことがない。
同じように裏側で生きてきた刹那もいる。
そのどちらにも気づかせずにこの背後の気配の主は接近して見せたのだ。

「そう。奴は今“怒り狂っている”」

軽い驚愕とともに振り向き、今度は強い驚愕の念とともにそれを見た。
いつの間にかそこにはセーラー服姿のダンディなおっさんが立っていた。
意味のわからないものを見たショックで多分に戸惑いながらも、龍宮はそれを表には出さずに問いかけた。
セーラー服オヤジにではない。隣で額に手をあてている刹那にだ。

「なんだコレは?」

「神……らしい。誠亜さんを女に変えた張本人だ。私もこいつに扇動されてお嬢様を助けてくれた誠亜さんに斬りかかってしまったことがある。聞く話では他にもいろいろと騒ぎを起こしているようだな」

刹那の説明に龍宮は半眼で神を眺めた。

「で、その神がなぜここにいるんだ?」

刹那もまた半眼で神を見る。

「どうせあの騒ぎもこの人のせいなんだろう」

冷たげに告げる刹那に神はどこからともなく三角マークの書かれた札を出しながら言う。

「残念ながらそれは微妙に外れだ。どれくらいはずれかというと7割ぐらい外れだ。むう……7割外れだとどちらかというと微妙に当たりといった方がいい気がしてきたんだがどうだろう?」

真顔で問うてくる神に軽い頭痛を覚えながら龍宮は呻いた。

「知らないよそんなことは」

すると神は突然ポケットからパラボラアンテナを取り出して頭に乗せた。嘆息しつつ呟く。

「仕方ない。赤兎にでも聞いてみるかな」

「赤兎って噂に聞く君の呼び出した赤兎馬のことだろう。馬に聞いてどうするんだ」

龍宮が告げると神は指を左右に振りながら不敵な笑みを浮かべた。ちなみにそんな仕草をしながら真顔なせいでかなり異様な雰囲気を醸し出している。

「甘く見てもらっては困るな。赤兎はそんじょそこらの馬とはわけが違う。あくなき速さへの挑戦に燃える漢よ。この前も新幹線より早く走れるようになったと言っていたしな」

何気なく言われた言葉に龍宮と刹那はそろいもそろって冷や汗を流す。

「新幹線より速く……本当に馬なのか、それは?むしろUMAじゃ」

戦慄の表情で言う刹那に龍宮もまた口を開く。

「どちらかというと私は、その新幹線より速いというのが数値の上で越えたという意味なのか、正真正銘直接比べたものなのかが気になるね」

神は頭の上のパラボラアンテナを手で押しつぶしつつにやりと笑った。

「まあ赤兎は普通より少し速く走れる馬だがメーターが付いているわけでなし、自分が今時速何キロ出しているかなどわからんとだけ言っておこう」

「それはつまり……直接比べたという方の答えでいいんだな」

微妙に頬を引きつらせながら刹那が言う。
新幹線と並走し、あまつさえ追い抜いていく赤い毛並みの馬。
一大ニュースだ。
あの赤兎馬の存在を隠すためにきっとかなりの人数の魔法使いが働いたことだろう。

突如響いてきた轟音に目を向けるとちょうど誠亜のパンチでひときわ大きく壁が崩れたところだった。
ネギも特に問題なく逃げおおせているようである。
ところどころ擦り傷を負っていたり、土煙の色に染まりかけているのだが一発ももらっていないようである。

「逃がすかああああああああああ!」

「逃がしてくださいいいいいいい!」

凶気(NOT誤字)に染まった誠亜の叫びと半ば涙声のネギの叫びが響く。
全員でそれを眺める。
30秒ほどしたところで神が視線をこちらに戻しながらポツリと呟いた。

「さて何の話をしていたか……」

刹那もまた視線をこちらに戻す。

「あなたの呼び出した馬がまた面倒を起こしていたという話だったような」

「ああ赤兎が自分の速さが何キロかわからんという話だったか」

龍宮もまた視線を刹那に戻しながら(あまり神は長時間直視していたい代物ではない)、

「それだけ優れた馬のくせに自分の速さが分からないのか?」

単純に不思議に思って聞いたのだがどうやらある種の皮肉と受け取ったらしく、神は若干不満げに返してきた。

「むう。別に自分の速さを数値で言い表せる人間などレーサーぐらいしかいないだろう。そう言うお前たちだって自分の走ってる速さを時速なり分速なりで言い表せるのか?」

「言われてみるとそうだな」

このわけのわからない存在に諭されるというのも釈然としないものがあったが、これと言って間違っていることは言っていないので同意しておいた。
そんなこちらの様子に満足したのか神はからからと笑いながら、

「というか赤兎は大昔の中国から引っ張ってきた奴だしキロなんて単位は知らないがな」

場が凍りつく。
刹那が震える声で問いかけた。

「も、もしかしてお前の連れて来た赤兎っていうのは……」

「そろそろ返さないと呂布が困ってるかもなあ、と今現在思っている」

友人に借りているゲームをそろそろ返さなくては、というような口調で告げる神に龍宮は盛大に痛み出した頭を抱えて言った。

「今すぐ返してきなよ。歴史が変わったらどうする気だい?」

「そうだなあ。明日あたり行ってくるか」

笑う神に龍宮と刹那がそっくりな仕草で嘆息する。

再び聞こえてくる轟音。
見れば誠亜が天井を突き破ってネギに奇襲をかけたところだった。

拳はネギの頬をかすめて床を打ち砕く。

「かすったあああああ!今かすったああああああ!」

ネギの悲鳴が響き渡る。
それをまた3人で30秒ほど眺めて、今度は龍宮がぽつりと呟いた。

「結局アレはなんでああなったんだい?何やら3割ぐらいあなたのせいらしいけど」

神がどこから出したのか湯のみでお茶を飲みながら答える。

「んー、ぶっちゃけて言うならネギ・スプリングフィールドの飲んだ魔法の惚れ薬が原因だな。どうやら行く先々で少女たちに追い回されて逃げていたらしいが、近くを通りがかったときに誠亜にも作用してな。お前たちも知っての通り誠亜は私によって女に変えられた者だ。精神が体にひっぱられ気味で男としてのアイデンティティを失いかけているときに、魔法薬で男にときめかされたのに激怒してな。ああなった」

「なるほど」

龍宮が頷きながら言うと神はふうと息をついて付け加えた。

「どうやら人生初トキメキだったようで」

「……な、なるほど」

少し引きつった表情で刹那が頷く。

向こうでは誠亜が放り投げた机が砲弾のようにネギの隣を通り過ぎて、壁と激突して粉々になったところだった。

それを3人で眺めながら、というより眺めることしかしない神と刹那の二人を眺めながら龍宮は一筋の汗を垂らしながら問いかけた。

「ええと……止めなくていいのかな?だいぶまずいことになってきていると思うんだが」

だが至極まっとうなはずのその問いに神は心底不思議なものを見る目で問い返した。

「止める?なぜだ?せっかく面白くなってきたというのに」

「面白くなってきたじゃないよ。あなたの行動理念はそれだけなのか?」

非難するように、というより非難のつもりで言った言葉に神はしばらく首を傾げていたが、やがて得心が言ったように手を打った。

「ああ!つまりもっとスパイスを加えろと。確かにこのままだとあまり進展がなさそうだしな」

ここまでくるともう戦慄すら覚える。
これほどまでにたちの悪い者にはそうそう出会えまい。

「私の言葉からその結論を導き出したのか。私は今、無性にあなたの思考回路を覗いてみたい衝動にかられているよ。ぱくっと割ってみていいかい?」

多分に皮肉をこめて言葉を叩きつけると神は顎に手をあてて唸った。
少しして、頭に手をあてる。

「割ってもあまり面白くないぞ」

そのまままるで鍋の蓋を持ち上げるような気軽さで頭の上の部分を持ち上げた。
刹那と同時に思い切り噴き出す。

「なななななななな!」

刹那は驚きのあまり神の頭を指差してなの音を連呼している。
そのさまを楽しそうに眺めながら神は開いた頭の中に手を突っ込んだ。
そのままパック詰めの味噌汁のもとを取り出す。
そしてそれをにこやかに差し出した。

「うむ。くれてやろう」

「「いらん!」」

綺麗にハモって全身全霊で拒否する。
そんな場所から取り出した味噌など死んでも受け取るものか。

頭の中に味噌を戻して頭を閉じる神の姿に、世界の理とかそういうものの歪みを一瞬感じたが、それを振り払うように刹那に問いかける。

「で、刹那はどうなんだい?」

「ん?何がだ?」

必死に神から視線をそらしている刹那が上の空で答える。
それに苦笑しながら龍宮は続けた。

「だからネギ先生だよ。助けに行かないのか、とね」

そう問うと刹那はつまらなそうに鼻を鳴らした。

「フン。放っておけ。話を聞くに完全に自業自得じゃないか」

刹那は半眼で完全にバーサーカーと化した誠亜に追い回されるネギを一瞥した。
眼を閉じて肩をすくめる。

「これもいい機会だ。この機会にネギ先生ももう少し……」

「あ、近衛木乃香」

何気ない神の呟きに刹那が凄まじいスピードで振り向いた。

見ればふらりと階段からあらわれたこのか嬢がいつも以上にふわふわした表情でネギに抱きついたところだった。

「や~ん。ネギ君やっと見つけたわ~」

それにネギが反応するよりも早く、一人のバーサーカーが床を突き破って現れる。
一階下から天井を破ってきたというのにそのまま2メートル近く飛び上がって叫んだ。
その瞳には欠片の理性すらうかがえない。

「デストロォォォォォォォォイッ!!」

「おおじょおおおさまあああああああああ!!」

瞬転、刹那が絶叫しながら凄まじい速度で駆けていく。
その速さたるや普段侵入者などの撃退で龍宮が組んだ時をはるかに上回っていた。

それを見送った神はわななきながら力強く言い放った。

「なんと!まだ面白くなるというのか!」

「面白くないよ。止めなよ」

盛大に嘆息しながら龍宮は呻く。
だが神はいたって不満そうに眉を寄せた。

「いやだね。そんなに私に働かせたければ力づくで来るがいいさ」

言って龍宮から興味を失ったかのように刹那を加えてよりカオスになり始めている“事件現場”に視線を移した。

「なるほど。力づくか」

龍宮は口の端を歪めながら呟く。
それに神は振り向きもせずに答えた。

「んー。力づくだ~」

次の瞬間、龍宮は素早くどこからともなく二丁の拳銃を取り出した。
長年、ともに闘ってきた無二の相棒。
二丁のデザートイーグルを。
とても女の子が片手で扱える代物ではないが、そんな理屈この龍宮真名の前ではなんの意味ももたない。
玩具の銃のように軽々とそれをとりまわす。
龍宮が神のこめかみに銃口を押し付け、トリガーを引いた瞬間、神の頭が突然ぶれた。
まるでコマ落としのように神が体を反らしていたのだ。
吐き出された弾丸は空を切る。
だが次の瞬間、神の胴体に押し付けられていた反対の銃が咆哮を上げた。
それすらよくわからない謎のひねりでかわすと神は一瞬の早業で自分の肩口に向けられていた銃に触れた。

構わず龍宮がトリガーを引くと、重々しい銃声とは似ても似つかない軽い音とともに銃口からいくつかの花が飛び出て来た。

神は余裕の表情で笑う。

「まあ銃なんかで私をどうこうしようとすること自体ナンセンスなんだがね」

それに龍宮もまた余裕の笑みを浮かべた。

「そうかい?」

言うや否や細工された銃を離す。
手品のように袖の中から500円玉を取り出すとそれを親指で弾いた。
弾丸の如く神の横っつら目がけて突き進む500円玉だが、神が視線を向けた瞬間、千円札へと姿を変える。
ひらひらと舞い落ちるお札を前に神が肩をすくめた。

「無駄だというに」

鋼の咆哮が響く。
崩れ落ちる神の姿を見下ろしながら龍宮は言った。

「そうでもないさ」

指弾をカモフラージュに神の足に向けて撃ちこまれた弾丸。
弾頭が鋼でないため死にはしないが骨ぐらいは確実に折れているだろう。

「ぐわあああああああああああ!」

盛大な。
少々盛大すぎる悲鳴をあげて神がのたうちまわる。
それを見下ろして龍宮は嘆息した。
そのまま銃をしまう。
神に声をかけようとして、突き飛ばすようにそばを駆け抜けていった人影に言葉を飲み込む。

「神いいいいいいいい!」

叫びながら倒れ伏す神に駆け寄っていく男。
それは神だった。
倒れているのと同じ顔した男がカウボーイみたいな恰好をして、倒れている方の神を抱き起こしていた。
気がつけば倒れている方の神も雰囲気は違うがカウボーイスタイルになっている。

「神!しっかりするんだ!お前はこんなことで死にはしないはずだ!」

あとからやってきた神は必死に声をかける。
だが撃たれた神は顔面も蒼白で息も絶え絶え。とても助かるようには見えない。
とぎれとぎれに

「グ……私はもう……駄目だ。神……お前に……頼みがある」

「なんだ神!」

盛り上がる二人にマガジンに残ったすべての残弾を叩きこみたい衝動が沸き起こる。
だめだろうか。
わりと本気で悩みながら龍宮は腰のデザートイーグルにそっと触れた。
気がつけば寸劇は佳境に入っていた。

「妻と息子に……よろしく……たの……む……」

撃たれた神の手が力を失い地に落ちる。
それを見たもう一人の神が悲しみに顔を歪め、天を仰いで涙した。

「神ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」

次の瞬間、全く同時に神二人で立ち上がりサタデーナイトフィーバーのポーズで告げる。


「「飽きたな」」


龍宮は無言で両腰の銃を引き抜くと容赦なく神の頭に照準を合わせて、弾の続く限り撃ち続けた。

「はあーはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」

神二人は高笑いをあげながら龍宮の銃弾をかわしつつ走り去っていく。

弾を打ち尽くした銃にリロードすることも忘れて龍宮は憮然と呟いた。

「悪戯好きの神。ロキとはよく言ったものだね。現存している分こちらの方がたちが悪い」

その呟きを聞くものはいない。























桜咲刹那は緊張の面持ちで眼前に立つ鬼を見据えた。
鬼といっても本物ではない。
クラスメートの風間誠亜の変わり果てた姿だ。
無茶な破壊活動の反動か裾がぼろぼろになった麻帆良女子中の制服に悪鬼のような形相で、吹きつけるような殺意をネギに叩きつけている。

改めて対峙するとどう考えても様子がおかしい。
怒り狂ってるという次元じゃない。
完全に理性を失っているように見える。

それほどまでに惚れ薬によってネギにときめかされたのが許せなかったのだろうか。
前に森で話をした時は精神が女の肉体に引っ張られていることに、少なからず悩んでいるようだった。
そこにきて魔法によって男にときめかされたのだからショックも大きかったのだろう。
しかも人生初ときめきとか言っていたし。

だからと言ってこのかを傷つけさせるわけにはいかなかった。
このかは今、ネギを抱きかかえて頬ずりしている。
そのネギは尻もちをついて恐怖の眼差しで誠亜を見ていた。
自分が割って入ったことで少なからず安堵の息を吐いていたようだが。
改めてみると、確かにネギ先生を見ると胸の鼓動が激しくなって、無性に抱きしめたくなる。
頬も紅潮しているかもしれない。

これが惚れ薬のせいとわかっていると、かえって不自然な好意が怒りと不快感を生んでいた。
魔法にせよなんにせよ心に勝手な干渉されるのは気分が悪い。
心を踏みにじる行為だと言い換えてもいいだろう。
ふつふつと怒りがわいてくる。

こんな奴なんで守らなくては、という穿った考えも頭をもたげ始めていた。

だがこのかを守るためには誠亜さんを倒さなくてはならない。
生半可なことではないだろう。
ただでさえ人間離れした身体能力の持ち主である上に、今はうっすらと気の力すら感じられた。
あの身体能力が気で強化されたらどうなるか。
想像するだに恐ろしい。
理性を失いかけているとはいえ、容易に倒せる相手ではないだろう。
怪我をさせてしまうかもしれない。
誠亜もまたある意味では被害者だというのに。

(…………?)

ふと気づいて刹那はネギの顔を見下ろした。
幸せそうなこのかの顔を見て、そのあときょとんとこちらの顔を見返すネギの顔を見る。
ふと何気ない口調で刹那は呟いた。

「ああそうか……別にお嬢様をお守りするだけなら誠亜さんを倒さなくてもいいのか」

ネギがぎょっとしたようにこちらを見る。

「あ、あの~~」

冷や汗を浮かべてひきつった笑みを浮かべるネギに刹那は淡々と言った。

「ネギ先生は四字熟語は好きですか?」

突然の無意味な質問。
だがネギは真剣に頭をフル回転させた。
直感で悟ったのだ。
ここが自分の生命線だと。

「え、ええと……四字熟語じゃないですけど援軍到来とか一発逆転っていい響きですよね」

しかし刹那はふるふるとかぶりを振ると沈痛な面持ちで告げた。

「代わりにこの言葉を送りましょう。自業自得。因果応報」

言うや否や刹那はこのかを抱きかかえて跳躍する。
窓の外にちょうどあった街灯に飛び乗ると、一度ネギを振り向いた。

「た、助けてくれないんですか!?」

何処か懇願の色を含む問いかけに刹那は軽く眉間にしわを寄せて答える。

「まあ私にとっての最優先事項はお嬢様の安全です。さらには誠亜さんには前に攫われたお嬢様を救ってもらった恩があります。なによりも今誠亜さんが怒り狂っているのはネギ先生の惚れ薬によって心を土足で踏み荒らされたからです。先ほども言いましたが自業自得かと」

「そ、そんなあ」

もはや泣きそうな表情でじりじりと誠亜から後ずさるネギ。
それに背を向けながら刹那は付け足した。

「一応高畑先生に連絡はしておきます。たぶん5分くらいで来るでしょうからせいぜいそれまで頑張って逃げてください」

そう言って刹那は街灯から飛び降りた。
周囲に不思議と人影はない。

これだけの大騒ぎなら野次馬が集まってもいいと思うのだが。
だれか魔法使いが人払いの結界でも張ったのだろうか。
しかしそれならネギを助けに入るはずだ。
ならばネギ自身が?
自問してそれはないと答えを出す。
ただでさえ魔法の秘匿に気の回らないネギだ。
こんな絶体絶命の状態でそんな気遣いができるわけがない。
なら他に誰が?
考えてこの事態を終始見ていたものがいることに思い当たった。

「ああ、あの人か」

呟いた刹那にこのかが少し戸惑い気味に問いかける。

「あ、あの……せっちゃん一体どうしたん?急に抱きかかえたりして」

「あ……」

刹那は軽く眼を見開いてこのかを見るとそっと地面に下ろした。

「私はもう行きますが、お嬢様。今日はくれぐれもネギ先生と誠亜さんの近くにはいかないようにしてください。では」

言って踵を返して駆けだす。
駆けながら内心で毒づいた。

(何やっているんだ私は。……いやこれでいい。私はお嬢様を影からお守りできればよいのだ。このままで……いい)

そう自分に言い聞かせながらも胸の奥でチクリと痛む何かがあるのは否定できなかった。

逃げるようにこのかから離れていく。








刹那が高畑先生への連絡を思い出したのは5分後だった。
























「以外にあっけなく終わったな」

地に倒れ伏す誠亜を見下ろして神は呟いた。
それに応えるように、誠亜の頭の前で紫煙をくゆらせながら高畑が神を咎める。
その少し後ろではネギが安堵の息をついていた。

「こんな大ごとになるまでなぜ放置したんだ?」

高畑の詰問に神は不思議そうに首をかしげた。

「ん?その方が面白いからだが?」

いつもどおりと言えばいつもどおりの神の返答に高畑は深く嘆息しながら誠亜を見下ろす。

「これだけ大暴れしたんだ。校舎もかなり壊されたし、ネギ君に至っては命の危険にさらされた。残念だけどそれ相応の責任を取ってもらわなくてはならないよ」

判決を告げる判事のように言う高畑に神は無表情に、わりとどうでもよさそうに答えた。

「んー。まあ良かろう。火に油を注いだものとして誠亜の分の責任とやらは私がまとめて支払おう」

意外に殊勝な言葉に高畑が目を丸くした。
ネギは事態がよく分かっていないのか眼をぱちくりさせている。

「それで、そちらの責任の方だが……」

続く神の言葉に高畑は訝しげに眉を寄せた。

「こちらの責任……?」

問い返す高畑に神は相変わらず、世間話でもするような軽さで言う。

「言っておくが誠亜の暴走は9割方その小僧の作った魔法の惚れ薬が原因だぞ」

その言葉にネギが息を呑む。
あの暴走の責任が自分にあるといわれて驚愕しているようだ。
ネギ自身は全ての異性に好かれる薬を作ったのだから、それで人が怒り狂って暴走するなど納得できない部分もあるに違いない。

「ただ惚れさせられて、そのことを自覚しただけでは、怒りはしても理性を失ったりはせんよ。惚れ薬の強制的な精神干渉とそれに抵抗しようとする誠亜自身の精神作用の鬩ぎあいが精神バランスを崩壊させ、怒りを鍵に暴走したのだ。私の責任は誠亜を惚れ薬の効く女にしたことと事態を終息させようとしなかったこと。誠亜の責任は薬に流される弱さも、完全にはねのける強さも持っていなかったことか?」

神はそこまで言って地面に倒れている誠亜を担ぎあげた。
高畑の方を向いて淡々と言う。

「さて。では双方の責任の取り方についてでも話し合おうか?」

高畑が苦虫を噛みつぶしたような表情で押し黙る。
ネギは多分にショックを受けているようだった。

その二人を神は無表情に眺める。
30秒ほどして突然神は肩を震わせてくつくつと笑い始めた。

「ククククク。まあいじめるのはこれぐらいにするとして、私としては私の力で全部うやむやにするという選択肢を提案するのだが、どうする?」

高畑はネギと誠亜をそれぞれ一瞥すると深々と嘆息した。

「わかった。それでいこう。というかはじめからそのつもりだったんだろう?どうせこれだけの騒ぎなのに裏側の人間以外には気づかれていないしネギ君も大怪我しないようになっていたんだろうね」

神は意地悪く笑う。

「責任うんぬんなどと言って女子中から追い出そうとしなければ、私も別にいじめたりはせんよ」

ネギは少し離れたところで小さくなっていた。この騒ぎの元凶の一人として責任を感じているのだろう。

「ふぁあーっはっはっはっはっは!せっかくトラブルメイカーも増えて面白くなってきたというのに途中退場など絶対させぬわあ!!」

もっともかけらも反省していない者もいるが。

こうして誠亜の知らぬうちに、もと男子高校生だというのに女子中に通うという異常から解放される可能性の一つが摘み取られたのだった。








あとがき

どうもすちゃらかんです。
はじめに宣言しておきますがすちゃらかんは別にネギアンチでも魔法使いアンチでもありません。
ただ書いてたらなぜかたまたまこうなりました。
不快に思った人がいたら申し訳ないです。

なんか高畑先生が少し嫌な奴になっている気がしますが、ネギ・スプリングフィールドの道を妨害する要素の排除と誠次を悪戯女子中生活から解放して男子校に戻す一石二鳥を狙ってのことなので、嫌な奴として書いたわけではありません。


ところでこの話の投稿時に赤松板に移りました。
初めて見る方も今までも見てくれてた方も今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第12話 なんかすごいのが来た。来てしまった
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:b6948e00
Date: 2009/09/27 15:18
神と俺コイントス12















第12話  なんかすごいのが来た。来てしまった















神楽坂明日菜はいつもと同じように新聞の詰まったカバンをたすき掛けに担いだ。
ただし今日は二つだ。
同じく新聞配達のバイトをしている人が風邪で休んだのだ。
そこでその人の分まで自分が行こうと申し出たのである。

「大丈夫かい?凄い量だよ。アスナちゃん中学生だし女の子だしよ」

事務所のおじさんが心配そうに言ってくる。
だがアスナは溌剌とした笑みを浮かべると、元気よく言った。

「大丈夫ですよ!私体力だけは自信ありますから!任せてください!」

「そうかい?でも気を付けるんだよ。最近なんか妙なことを叫びあいながら街中を駆けまわる二人組がいるらしいからね」

脳裏に浮かぶのはパンツをめぐって追いかけっこをしていたクラスメートの姿。

「あ~。たぶんその二人のうち片方は被害者だと思いますよ。それじゃあ」

苦笑しながら、駆けだす。

途中すれ違った警官に挨拶しながらアスナは左右の足を前に出しつづけた。
おじさんの言っていたことを思い出す。

「やっぱり誠亜さんのことよね。噂になってるってことはあたしが見たとき以外にもあんなことやってんのかな?」

だとしたらご愁傷様である。

不意にいつもの倍の量の新聞の重みによろめく。
アスナは鞄を見下ろしながら呟いた。

「やっぱちょっと重かったかな」

ちょっとだけ後悔していると声がかけられた。

顔を上げると彼女の担任のネギが杖に乗って朝日を背に宙に浮いていた。
ネギはにこりと微笑む。

「おはよーございますアスナさん。朝早くからごくろーさまです」

アスナは驚愕の表情で叫んだ。

「あ、あんた空飛べるの!?」

ネギはそれに応えるように杖から降りた。
軽い足音が響く。

「ええ。配達手伝いますよ!速いんですよーコレ」

その姿に興奮冷めやらぬ様子でアスナも言う。

「うわーうわー。すごいじゃん!あんた本当に魔法使いなのねー」

感心したよう言うと、ネギは杖に跨ってアスナを促した。
アスナも期待に満ちた眼で杖に乗る。

「じゃあ行きますよ~」

そう言って浮上するが少ししか浮き上がらない。
挙句はぷすんぷすんとガス欠のような音を出し始めた。

「なによ?浮かないじゃん」

期待していただけに不満そうにアスナが言う。
それにネギは首を傾げるとアスナに問いかけた。

「おっかしいなー。アスナさん体重何キロですか?120kgくらい?」

とても乙女に向けるものではないセリフを吐かれてアスナが青筋を浮かべてネギの頭を小突く。
そのまま無言で駆けだした。
その後をネギが杖で追う。

早朝の追いかけっこを始めた二人は、まったく同時に足を止めた。
眼の前の小さな交差点で、角から出てきた大きなトラックが前を横切ったからだ。
大きなコンテナを積んだ運送用トラックだ。
トラックはさほど広くもない道を壁にこすることもなく進んでいく。
バスやトラックの運転を見るたびに思うが、よくあんな大きなものをどこにもぶつけず乗りまわせるものである。

一昔前にテレビ番組でやっていた電撃イ○イラ棒がふと脳裏をよぎった。

隣に並んだネギが感心したように口を開く。

「よくぶつけずにできますよね~」

奇しくも同じことを考えていたことに苦笑してアスナは軽くネギの額を指ではじいた。
苦笑する。


轟音。

眼を丸くするアスナとネギの眼前でトラックのコンテナ部分を突き破って、何かが飛び出してきた。
ソレは20メートルほど吹っ飛んで、地面を転がって止まる。
よく見ればそれは二人の人間だった。
さらに言うならば片方はアスナもネギもよく知っている人物である。
残りの一人にも見覚えはある。

二人のうち、体が変な形に折れ曲がっていない方、クラスメートの風間誠亜は激しくせき込んだ後、顔をあげた。

「ちっくしょう!なんだあのパワーは!?500メートルはぶっ飛んだぞ!神を盾にしてなけりゃ今の一発で終わってた!」

それに応えるように明らかにやばい折れ曲がり方をした男のほうも立ち上がった。
メチリと生々しい音を立てて体を無理やり元に戻すと。もうつぶれていた部分も治っていた。

「500メートルは言いすぎだな。400メートルぐらいしか飛んどらん」

真顔で指摘する男――確か神だ――に誠亜が獰猛に唸る。

「んなこたぁ問題じゃねぇんだ……」

誠亜の言葉を遮るように甲高い音が早朝の白い日のもとに響きわたった。

瞬間、金属製のコンテナがど真ん中で真っ二つに裂け、一人の男が飛び出してくる。
一言で言うならばそれは異様な男だった。

無論、セーラー服を着たダンディなおじさんというのも十分異様なのだが、それとは別に異彩を放っている。
2メートルを超すであろう長身で、大昔の中国っぽい鎧に身を包んで、手には巨大な戟を持っていた。

男の全身から吹き出す鬼気にアスナとネギは凍りついた。
生まれて初めて叩きつけられた本物の殺気に二人は指先一つ動かせずにただ震える。
ネギに関しては先の惚れ薬騒ぎのときに誠亜に向けられてある程度免疫はできていたはずだが、それですら動くことすらできないほどの覇気を男は纏っていた。
まるで自分の体がもともと動くことなどない石像にでもなったかのように体が動かない。

いや、違う。
動こうとという考えを持てなくなっていた、
攻撃も逃走も、選択肢のうちからいつの間にか抜け落ちてしまっている。

男は赫怒に燃える瞳で高らかに言い放った。

「盗人めが……去ねいっ!!」

叫ぶと同時に隣に転がる切り落とされたコンテナの後ろ半分に手をかけた。
そしてそのまま片手で投げつける。

信じがたいことに巨大なコンテナの半分がボールのような気軽さで、砲弾のような速さで大気を突き破りながら誠亜たちめがけて突き進んだ。

呆然と立ち尽くすアスナたちとは違い、誠亜はすかさず動いていた。
神の頭をひっつかむと飛来するコンテナめがけて全力で投げつける。
コンテナと同じように砲弾じみた速度で飛んだ神の体がコンテナの鋼の壁に激突して跳ね返る。それを見て誠亜は荒々しく舌打ちした。
大地に罅を入れながら跳躍してコンテナをかわす。

「くっそ無理だったか!」

言いながらも空中で跳ね返っていた神の体をひっつかむ。

「どう考えても質量的に無理だろう。少しぐらいは頭使え。鈍いなら鈍いなりにうまく使ってやらんとすぐ死ぬぞ」

明らかに即死級のダメージを負っているはずなのだが傷らしい傷もなく神がつっこんだ。

誠亜は憮然とした表情で地を見下ろし、男の姿を探した。
そしてその姿がないことに驚愕する。
一歩も動けず顔だけ振り向いていたアスナはクラスメートに警告するために叫ぼうとする。

だが遅すぎた。

男は。
吹っ飛んで立ち並ぶ家々の石塀を粉砕して止まっていたコンテナの影にいる男は、方天画戟を持っていない方の腕でコンテナをつかんだ。
いかなる力が働いたものか鋼鉄製のはずのコンテナに指が食い込んでいる。

「ぬあ!」

雄たけびとともに男が腕を振るう。
コンテナが弧を描き、空を裂いて空中の誠亜たちに叩きつけられる。

「なんのおっ!」

誠亜が苦し紛れにコンテナと自分の間に神の体を持ってくる。
しかし、それだけで衝撃が殺せるはずもなく、誠亜の体がボールのように吹っ飛ばされた。
そのまま地面に叩きつけられる。
軽く地面を陥没させる破壊力に誠亜の喉が声にならない悲鳴を上げる。

口の端から血をこぼしながらすぐさま立ち上がる誠亜に向けて男はコンテナを蹴り出した。
誠亜は眼を見開いて顔の前で両腕を交差した。
そのまま受け止めようというのか。
まったくもって無謀だ。
あれだけの大質量の突撃を人間が止められるはずがない。

ネギがあわてて何かしようとしているが何もかもが遅い。
今から魔法を唱えても間に合わない。
それは素人であるアスナにすらわかった。

コンテナが誠亜まであと15メートルほどまで迫った瞬間、男の顔に凶暴な笑みが浮かんだ。

「オオオアァッ!!」

咆哮一閃。
全身のばねで撃ち放たれた戟の斬撃が大気を破壊した。
生まれ出た衝撃波がアスファルトを、石塀を、電柱を粉々に粉砕しながら驀進する。
果ては鋼鉄のコンテナをぐしゃぐしゃにひしゃげさせて何もかもを吹き飛ばした。

吹き荒れる暴風に思わず目を閉じていたアスナたちが恐る恐る目を開くと、そこにはまるで爆撃でも食らったかのように木っ端みじんになった街並みが広がっている。
あまりの惨状に言葉を失うアスナとネギ。
塀など一つとして残ってはいないし道路に面していた家には跡形もなく吹き飛んでいるものもあった。
並び立っていた電柱や街灯は一つ残らず粉砕され、向こうの方では原形をとどめていないコンテナが大地に深々と突き刺さっている。
さらには一件のアパートがまさしく戦車砲でも食らったかのように大穴をあけていた。

大穴の中のがれきの山からやたら長い靴下に包まれた脚が覗いていた。
あんな靴下をはいている人間はそうそういない。
ならあれは……

最悪の想像に身を震わせるアスナの前で男は口元に笑みを浮かべた。
殺意をにじませた怒りの笑みではない。
面白い得物を見つけた狩人の笑みだ。
男は低くよく通る声で言う。

「ほおう。咄嗟に後ろに飛んでダメージを軽減したか。それだけじゃないな。体そのものも並の頑丈さじゃない」

男はそう言って大穴に向けて手招きした。
瞬間、がれきを吹き飛ばしてアパートの大穴から一つの人影が飛び出してくる。

空中で一回転して地面に降り立った誠亜は荒い息をつきながら男を睨みつけた。
ひどい有様だ。右足の靴下はぼろぼろになって、布のほとんどが破れている。
左腕の袖も似たような感じだった。
ボロボロになったコートを引きちぎって投げ捨てる。
体の各所で服が破けているが不思議と服の下の体は軽傷だった。
視線をぐるりと巡らせて、近くの民家の壁に直立の姿勢で突き刺さっている神を見て、毒づく。

「つかえねえ」

そんな誠亜を見下ろして男は不敵に笑った。

「面白い。実に面白いぞ小娘。まだ何かあるなら見てやらんこともない。やって見せろ」

言って、戟を構える。
一分の隙もない構えだけでもその男がどれほどの強さを持っているのかわかるというものだ。

それを見て誠亜は眉間にしわを寄せた。
いつもの10倍ぐらい険しい眼で呟く。

「どうやら……出し惜しみする余裕はねえみたいだな」

腰を落とし、両の手を胸の前で打ち合わせる。
ギラリと目を輝かせ、黒く幻視しかねないほどの鬼気を発して、低く押し殺した声で告げる。

「とっておきを見せてやる。構えろ、呂布。さもなきゃ一撃で死ぬぜ」

その言葉に、その気迫に男は喜悦に顔を歪ませた。

「……来い小娘!」

男――呂布と呼ばれたがひょっとしてあの呂布だろうか?――の言葉に誠亜の眼が見開かれる。
それと同時に爆発的な光が誠亜の体を包む……ということもなくどさりと重めの音を立てて誠亜の体が倒れ込んだ。
そこにはいつの間にか真っかな毛並みの立派な、立派すぎる馬が右の前足をあげてたたずんでいた。
心なしかその蹄が煙を上げているように見える。
その姿にネギが冷や汗をかきだす。
はねられたときの事が記憶に残っているのだろう。

呂布はそれを見ると深く嘆息した。
何処かふてくされたように告げる。

「赤兎……余計なことを。こいつの言っていたとっておき。久々にこの俺も楽しめるかと思ったのだが」

赤兎と呼ばれた馬はそっぽを向いていなないた。
呂布が赤兎と呼ぶのだからやはりこれも三国志に出てきた赤兎馬なのだろうか。
なぜそんなものがこの現代にいるのかはなはだ疑問だが、彼らが今ここに確固としているのだからありえないだのなんだのと論ずるだけ無駄なのだろう。

呂布は憮然と眉を寄せていたが、明暗を思いついた少年のように笑みを浮かべた。
どすどすと大股で後頭部から煙をあげて倒れる誠亜に近づくとその体を担ぎあげる。

そして宣言した。

「この小娘は呂奉先の名のもとに俺が貰った!それで我が愛馬、赤兎を盗んだ罪は不問にしてやる!返してほしくばそれに見合う何かを持って来るがいい!」

「ええええええええええええええ!?」

思わず絶叫する。
二人慌てて、詰め寄ろうとするが呂布に一瞥されると一様に足が止まってしまった。
特に殺気をぶつけられたわけでもない。だが、体は凍りついたように動かなかった。
その時だ。

「ま、待て!僕の生徒をどうするつもりだ!」

ネギが震える足を前に押し出して、呂布に向かって声を張り上げた。
手が白くなるほどに杖を握り締めるのは恐怖のあかしか。
しかし、決して眼をそらすことなく、その豪将の眼をひたと見つめる。

「言っただろう。俺が貰うと」

「そんなことはさせない!ラステル・マ・スキル……」

決死の覚悟で呪文を唱えだすネギを、しかし呂布はつまらなそうに見下ろすと鼻で笑って跳躍した。
そのまま赤兎馬に飛び乗ると馬の腹を蹴る。
赤の馬は高いいななきとともに大地を蹴ると爆発的に加速した。
あっという間に豆粒のようになり、大きく跳躍して天に昇って行った。

地上から50メートル弱だろうか。
そこに赤黒い円形の穴が開いていた。
赤兎馬と呂布はそのままその穴に飛び込んで消えてしまう。
それを合図にしたかのように穴も閉じてしまった。

「くそっ!」

ネギが叫んで杖にまたがり、穴の消えた空へと飛んでいく。
しばらく穴のあったあたりをぐるぐると回っていたが、あきらめたように降りてきた。

「どうだった?」

アスナの問いにネギは力なく首を横に振る。

「駄目です。ゲートらしいものはあとかたもありません。僕は……どうすれば……」

「そんなの……あたしにだってわからないわよ」

二人でうつむく。
とんでもない事態になってしまった。
2-Aの仲間が攫われた。しかも相手は三国志の時代におり、おまけに最強の猛将呂布だ。
呂布と戦えるだけの人員を集められたとしても過去に行く手段がない。
まさに八方塞がり。

「そもそもなんで三国志の武将が現代にいるんですか!?」

「うむ。それはだな」

ヒステリックに叫ぶネギに後ろから声がかかった。
そこには傷一つない神が立っている。
驚く二人をよそに神は周囲を見回して嘆息すると右手の指をパチンと鳴らした。
その瞬間、先ほどまでの破壊など最初からなかったかのように、もとどおりの町並みが現れた。

さらに驚く二人に神は顎に手をあてて語りだす。

「お前たちの知っての通り先日赤兎馬を呼び出した私だが、さすがにそろそろ返そうと思ってな。三国志の時代に赤兎馬を連れていったのだ。しかし運悪くあの呂布に見つかって、さんざん追いかけまわされたあげく元の時代にもどるゲートにも飛び込んで着てしまう始末。そして現代でも追いかけまわされて、たまたま誠亜に遭遇し、奴を巻き込んで今に至るわけだ」

唖然とした表情で固まる二人。
肩を震わせ、一斉に叫んだ。

「な、なにやってるんですかあああああああ!!」

はっはっはっはと笑う神にじれったいものを感じながらアスナは地団太を踏む。

「アンタのせいで誠亜さん連れてかれちゃったのよ!返してほしくば見合う何かをもってこいって!」

「時間を超える魔法があればどうにか出来ますけど、そんなものは……」

対照的にうつむくネギ。
神の胸倉を掴んで揺さぶり続けていたアスナはふと動きを止めた。
神の眼を覗き込みながら口を開く。

「ね、ねえ。あんた“返しに行った”って言ったわよね?あんたひょっとしてタイムスリップできるんじゃ……」

「うん?できるが?」

当たり前のように返す神にネギとアスナは同時に凍りつく。
そして解凍されると同時に絶叫した。

「さっさと助けに行けえええええええええええええ!」
「さっさと助けに行ってくださいいいいいいいいい!」

叩きつけられた二つの拳が神の体を天高く打ち上げるのだった。






まず時を超える前に寄るところがある。
そう言って神が向かったのはコンビニだった。
昨今のコンビニの常、24時間営業のためこんな早朝でもやっている。

神は無造作に扉へと歩み寄ると……ガラス扉に頭をぶつけた。
訝しげに首をかしげ、一歩引いた後また扉の前に立つ。
眉を寄せながら視線を上げた。
扉の上、人の接近を感知するセンサーを睨みつけるとその前で手をひらひらと振る。
やはり開かない。

「むう。自動扉のくせに自動で開かないとは。何のための自動扉だと思っているのだ。貴様など自動扉ではない。手動扉だ。名前を書いてやろう」

「何やってるんですか?」

超油性と書かれたマジックを片手に扉に向かう神にネギは呆れたように言った。
ネギが近づくと、扉はあっさりと開いた。
しかし神が近付くとうんともすんとも言わない。

アスナが扉の前に立つと自動扉は普通に開く。

「今だ!」

言いながら神が扉に駆け込む。
すると狙い澄ましたかのようにすごい勢いで自動扉が閉まった。
体を思い切り挟まれて神が悲鳴を上げた。

「あいたっ!なんだ!?私に何か恨みでもあるのか!?」

しかし扉は答えない。まあ扉なのだから当然なのだが。

「そうか貴様がその気ならば……」

神が不敵に笑うとその体は自動扉を容赦なくすり抜けた。

勝ち誇った顔で自動扉を見つめる。

「何やってんのよ」

呆れたように言いながらアスナが入ってくる。
それに神はふんぞり返りながら答えた。

「神に反逆する愚か者に力の差を見せつけてやっただけだ」

「それで。何なんですか?必要なものって」

ネギの問いに神は神妙な顔で頷くとかがみ込んだ。
棚に陳列されたものをいくつか手にとって笑う。

「いやあ。やっぱ旅行に行くならお菓子だろう」

ネギが憩いよくこける。
同じようにずっこけたアスナは勢いよく立ちあがると無言で靴底を神の顔面に埋め込んだ。
くっきりと足型を付けた神がグミやらチョコやらポテトチップスやらを抱えながら立ち上がる。

「お前たちも好きなものを買うがいい。意外とたくさん入っているから遠慮はいらんぞ」

「意外とって……ああああああ!それ僕の財布じゃないですか!」

「その通り!だから私の懐は痛まん。ゆえに好きなだけ買うがいい!」

かなり駄目なことを自信たっぷりに言い放つ神にネギが食って掛かる。
それを半眼で眺めながらアスナは口を開いた。

「あのー」

だがそれよりも早く大人し眼の声がかかる。

一言で言うならばそれは可愛らしい声だった。
小学校1年とかそんなあたりを連想させる可愛い声だ。
振り向くと、レジの向こうで店員のお姉さんが微笑んでいた。
高校生ぐらいだろうが少し小柄な人だ。
年齢と声が全く釣り合っていない。
コンビニ店員の制服に身を包んだその人は微笑んだままレジの影から何かを取り出した。
幼子のような声で告げる。

「お客様。買わずに騒ぐのなら出て行ってください♡」

その言葉に、というよりその手に握られた釘バットにアスナたち3人は顔を青ざめさせると逃げるように店を飛び出して行った。


念のためにかなり離れたところまで逃げた後、神はぽつりと呟いた。

「まあ悪ふざけはそろそろ終わりにして、まじめにやるとしようか」

「アンタね……」

青筋を浮かべて唸るアスナをよそに神はふうむと考え込んだ。

「やはり相手が相手だ。もう少し戦力を整えよう」

ネギが拳を握って力説する。

「わかりました!じゃあすぐに学園長に連絡しましょう!魔法先生達の力を借りれればきっと……」

携帯電話を取り出してボタンをプッシュし始めるネギに対し、神はかっと目を見開いて一喝した。

「待てい!!」

声と同時に神の右手がばね仕掛けで飛びだす。
容赦なくネギの横っつらに突き刺さった拳はネギの小さな体を3メートルほど吹き飛ばす。
ばねを手繰り寄せて拳を手首にはめ込みながら神は言った。

「魔法先生どもでは面白くない。メンバーは私が選ぼう」

ビシリとネギを指差すがはめ込む時に向きを間違えていたため手がねじれていて指先が微妙にずれている。

「では行ってくるぞ~~~」

間延びした叫びを残しながら神は走り去っていく。
それを見送りながらアスナは隣を見下ろした。
神のスプリングパンチで地に沈んだネギを見る。

「むーー!むーー!」

なんかロープでぐるぐる巻きにされていた。
口には猿轡まで噛ませてある。
嘆息しながら解こうとすると、バチリと静電気のようなものが走って触れない。
かすかな戦慄とともに呟く。

「魔法先生を呼ばせないため……?どんだけ“面白さ”を優先してんのよ」

神が助っ人を連れてきたのはそれから3分後のことだった。













「というわけで!こうして勇者たちがそろったわけだ!」

「何がというわけなんだい?」

半眼で呟いたのは色黒の背の高い、とても中学生とは思えないクラスメート、龍宮真名だ。
それに神は肩をすくめてかぶりを振った。

「やれやれ察しの悪い奴だな。斜め45度的に察しが悪い」

神の言葉にもう一人の少女、黒髪をサイドでまとめた桜咲刹那は眉間にしわを寄せてつっこむ。

「まったくもって意味がわからん。大体私たちは寝ていたところを有無を言わさずに連れてこられたんだぞ。事情を理解しろという方が無理だ」

そうなのである。
龍宮と刹那は戦闘服どころか制服ですらない。パジャマ姿だった。
本当にいきなり突入して問答無用で連れてきたのだろう。

ふと気づいてネギがどこか気まずそうに視線を泳がせているのに気付いた。

「どうしたのよ。ネギ」

「い、いやなんでもないです!なんでもないんですよ」

ネギはあわてたように腕を振った。
その様子にアスナは訝しげに眉を寄せる。

「たぶんこの前暴走した誠亜に追い回されたときに、あっさり見捨てられたので苦手意識でもできているんだろう」

「い、いえそんなことは……!」

「ぶっちゃけ小僧の心の機微など今は知ったこっちゃないので、要件に移りたいと思う」

神がそう言うと、突然あたりが暗くなり雷鳴が轟き始めた。

「余計な演出はいらないよ」

あっさり龍宮に切って捨てられ、神は不満げに腕を振った。
すると空に立ちこめていた暗雲はあっという間に晴れ、雷鳴もなくなる。
神は両手を掲げると高らかに言い放った。

「お前たちは勇者だ!お前たちにはこれから魔王に攫われた姫を救い出しに行ってもらう!」

全員凍りつく。
一番に復活したのは刹那だった。
深く嘆息すると踵を返す。

「くだらん。単なる悪ふざけなら私はもう帰らせてもらうからな」

歩きだす刹那に続き龍宮もまた踵を返した。
その二人を呼びとめようとして、アスナは隣から響いた声に言葉を飲み込んだ。

「待ってください!攫われた誠亜さんを助けるために力を貸してほしいんです!」

ネギの訴えかけに二人は同時に振り向く。
その顔には少なからず驚きの色が見て取れた。

「誠亜さんが……攫われた?」

軽く眼を見開いて問う刹那に神は鷹揚に頷く。

「うんむ。その通りだ」

一瞬で間合いを詰めた刹那が踏み砕かんばかりの力で神の足を踏みぬいた。
突き抜ける痛みに神がうずくまる。
その神を傲然と見下ろしながら刹那は拳を握って叫んだ。

「なにやってるんだお前は!そういうことは早く言え!」

「ぬうう」

唸りながら立ち上がる神に今度は龍宮が語りかける。

「誘拐とは穏やかじゃないね。相手がどこの誰かは分かっているのかい?」

神は2,3度踏まれた足を振ると、真剣な表情で頷いた。

「無論だ。この神に抜かりはない。敵の名は呂奉先。三国志最強の猛将呂布ぶぐふぁっ!」

神の言葉が終るのを待たずに龍宮の手元からはじき出されたコインが神の眉間を撃ち抜く。
神は綺麗に一回転半して首から地面に突っ込んだ。
そのまま頭で逆さに直立しながら抗議の声を上げる。

「いきなり何をする?」

「うるさいよ。どうせあなたの仕業なんだろう?赤兎馬を返しに行って見つかった挙句、そのまま連れて来てしまったぐらいしか考えられないからね」

言いながらも龍宮の手にはいつの間にか次弾が装填されている。
それに気づいているのかいないのか神は感心したように言った。

「さすがというべきが。素晴らしい洞察力だ。じっちゃんの名にかけて真実はいつも一つというやつだな」

「なんか混ざってる……」

アスナがポツリというがやはり神は相手にしない。

「まあそういうわけで戦力増強のためにお前たちを呼んだわけだ。まあなんだ。報酬が欲しければちゃんと払うぞ。ユーロとかペソで」

「なぜユーロ?」

首を傾げるネギに神は当然のことのように答えた。

「ただの悪戯心だ。意味などない」

アスナたちはみんな揃って嘆息する。

「……まあそういうことなら手を貸さんでもないが……」

呟く刹那に龍宮が嘆息しつつ続けた。

「それなら最初に言って欲しかったね。こんな服では戦えないし、武器だって部屋の中だ」

それに神は胸を張って鼻を鳴らす。

「ふん。問題ない。いっただろう。この神に抜かりはない。見るがいいゴッドパワー!喰らえ!」

叫ぶや否や、どこからともなく出したロケットランチャーを刹那と龍宮に向けて発射した。

しかしそれをただで食らう二人ではない。
龍宮は指弾を、刹那は手刀による気の刃を放ってロケットランチャーの弾を撃ち落とす。
瞬間、爆風の代わりに真っ白な閃光が世界を満たした。
誰もがそのあまりの眩しさに目をつむる。
アスナもまたその一人だ。
アスナがゆっくりと目を開くと、そこには同じように眼に手をかざして光を防いでいた刹那達がいた。

二人は不思議そうな顔であたりを見回している。
その姿を見てアスナは驚愕の表情で二人を指差した。

「な……な……」

隣ではネギも言葉を失っていた。
二人はアスナたちの視線と指の向きに、自分の体を見下ろした。
そして絶句する。
先の閃光で彼女らの服が変わっていたのだ。

刹那はピンクと白でフリルがふんだんに使われた、一見して可愛らしい服だ。
しかしその服を言い表すもう一つの言葉がある。
すなわち魔法少女、だ。
ご丁寧にピンクと白で羽やら珠やらが配されたこてこての剣まで手に持っている。

一方龍宮はまた違った仮装だった。
青と白で構成された近未来的な鎧やら肩あてなどを纏っている。
これまたこれを言い表すもう一つの言葉あった。
すなわちガン○ム。
ガ○ダムの肩や腕、胸、脚の装甲というか外側を鎧のように纏った姿だ。
腰の部分にはビームライフルらしき代物がつるされていた。

「うむ!完璧だ!」

「何がだ!」

叫びながら刹那は頬を赤らめ、手に持った剣の腹で神の頭をひっぱたいた。
衝撃に頭をがくんと揺らしながら、神は頷く。

「完璧ではないか。まあ私自身何が完璧なのかは説明できないがきっとこれは完璧だ」

龍宮は軽く青筋を浮かべながら腰のビームライフルを手に取ってみる。

「いろいろと言いたいことはあるが、とりあえずあなたにこんな趣味があったとはね」

皮肉気に告げる龍宮に神は笑いながら答えた。

「はっはっは。私にそんな趣味はないぞ。単に妙な格好をさせられて恥ずかしがったり戸惑ったりしているお前たちを見て爆笑しよぐぶふぉっ!」

ビーム的な音とともに発射されたビームが神の右胸を貫く。
倒れゆく神を見下ろして龍宮は嘆息とともに手に持ったビームライフルを下ろした。

「戦闘が発生するのなら使い慣れた武器と恰好が一番に決まっている。協力してほしいのなら戻すんだね」

「一理ある」

あっさりと肯定して神はうごめいた。
同時に胸に風穴をあけられた神の体から、種から草花が生えるように神の体が生えてくる。
その姿を呆然と見ながらアスナは呻いた。

「な、なんか滅茶苦茶ね、この人。ネギの魔法使いとかそう言うのが霞んで見えるわ」

それにネギが苦笑する。
撃たれた方の神の体が砂のように崩れるのを一瞥しながら神は指を鳴らした。

同時に刹那と龍宮の服が光った。
すると二人とも動きやすそうな普通の服になり手には銃や刀などを握っていた。

これが二人の使い慣れた武器なのだろう。

「さてまあこれで準備もすんだわけで……」

「行きましょう!誠亜さんを助けに!」

ネギが意気込んで言う。

アスナとネギはエイエイオーと掛け声をかけて拳を振り上げた。
龍宮と刹那は拳こそ振り上げないが、やる気は十分なようだった。
あがるボルテージをそれをぶち壊すように能天気な声が響く。

「んー。んじゃま行くとしますか。ゲートを開くからお前たち私より後ろに下がれ~」

頭をかきながら神が言う。
全員が下がったのを見届けると神は右手を掲げた。

「開け。時空の……」

突然轟音とともに光の円が何重にも現れた。
円と円の間には漢字のような複雑な紋様がずらりと並んでいる。
雰囲気は本などに登場する魔法陣のようだが、少し雰囲気が違った。
強いて言うならば少し中国風味がまじっているといったところか。
そこから吹き出す風にアスナたちは吹き飛ばされそうになりながらも、叫んだ。

「ちょっとちょっと!なんなのよコレ!!」

そう問うと神はどこか訝しげに眉を寄せた。
台風のような風の中、よろけるどころか姿勢一つ変えずに眼の前の中華風の魔方陣を見つめる。

「いや私はまだゲートを開いていない」

「じゃあ一体何なんだ!!」

風の音に負けじと声を張り上げる。
今も陣は大きく複雑になっていっており、発せられる光も強くなっていっていた。

「これは……仙陣?いやしかし連中はとうの昔に仙界に引っ込んだはずだが……」

一人呟く神。
唐突に刹那と龍宮が各々の武器を構えた。
ネギも慌てて自分の杖を構える。

次の瞬間、光の陣から幾条もの雷があふれ出した。
それと同時に人影が映りだす。
水の膜を突き抜けるように何者かが歩み出してきた。
その姿は陣の光によって逆光になっていてシルエットしかわからない。

人影が陣から離れると、光は急速に弱まっていった。
紋様が大気に溶けだすように解けていき、円がぼやけて消えていく。
陣の光が弱まるにつれて次第に人影の姿が明らかになってくる。

それは美女だった。
アスナ、龍宮、刹那とタイプは違えど疑う余地もない美少女に囲まれても遜色ない整った顔立ち、少し鋭い双眸もある種の魅力となっている。
ゆったりとした、煌びやかな装飾が至る所に刻まれた中国の方の衣装に身を包んだ姿は絢爛ですらある。
そして決して服に着られてはいなかった。

その美女は閉じていた眼を開くと、両腕を振り上げた。
そのまま天に向けて絶叫する。

「あいるびーばあああああっく!!麻帆良よ!私は帰って来た!!!」

その声に唖然とした面持ちでアスナはその人物を見た。
見ればネギをはじめとする誠亜救出部隊の面々も驚いたようにそれを見ている。

彼女はおもむろに背負っていた箪笥ぐらいの大きさの箱を地に下ろす。
そしてその場に集まった面々の顔を順に見回した。

誰もが言葉を失うなか、やはり神は空気を読まずに呟く。

「アイルビーバックは違うだろう。やはり英語駄目だなおま……」

言葉は途中で止まる。
いや止められた。
勢いよく振り下ろされた方天画戟が深々と神の頭に突き刺さっていた。
噴水のように鮮血を吹き上げながら、真顔で神が問う。

「いったいどうやって戻ってきたのだ、誠亜?ただの武将やその周りの人間に時間跳躍などできんと思うが」

問われた誠亜――服は全然違うし、髪もかなり伸びているが間違いなく誠亜だ――は獰猛な笑みとともに答える。

「通りすがりの仙人とやらが助けてくれたんだよ」

「なるほどな。あの時代にはまだ奴らも下界にいたのか」

うんうんと頷いて神は踵を返した。
そのまま逃げ去ろうとして頭に突き刺さった方天画戟の柄を誠亜に押さえられる。

「待てやコラ。なに逃げようとしてんだ」

神は乾いた笑みを浮かべながら答えた。

「はっはっはっはっは。まあ無事に帰ってこられたわけだし一件落着だろう?私は急用を思い出してな。すぐに火星あたりまで逃げ……いや遠出しようと思うのだが」

誠亜もまた乾いた笑いをあげながら地味にぐりぐりと方天画戟の柄をひねる。

「くふはははははははは。一体何ヶ月たったと思ってんだ?毎日毎日化け物には振り回されるし、貂蝉には着せ替え人形にされるし、董卓はハンサムだけど超エロおやじだし、挙句は生で虎牢関を体験させられたわ!!武器の一振りで数百人単位で人がぶっ飛ぶ化け物についていけだ!?ふざけんなあっ!!」

号泣しながら叫ぶ誠亜に神が冷や汗を流しながら口を開く。

「ぬう……何か風向きが悪いので話題を変えて誤魔化そうと思う。ところでそのでかい荷物はなんなんだ?」

「帰る時に呂布たちがくれた土産だよ。服とか宝とか色々だ。それとそういう本音は口にするもんじゃねえぞ」

誠亜は無造作に方天画戟を神の頭から引き抜く。
一際大きく血が噴き出すが、誠亜はそれを浴びないように軽く右に跳躍した。

明らかに致死量噴き出しているが神は顔色一つ悪くしないでさらりと頭をなでる。
すると無傷な頭が現れた。

誠亜は再びタンス大の荷物を背負い方天画戟を担ぐと神の頭をひっつかんだ。
そのまま引きずっていく。

「さあー神。今日はとことん付き合ってもらうぜ。俺、前からお前がどこまで壊されても生きていられるのか興味があったんだ。とりあえず返り血がついてもいい服に着替えたら早速実験開始と行こうぜ」

凄まじく物騒なことを言いながら呆然と立ち尽くすアスナたちの前から歩み去っていく。

「たとえミンチにされても私は死にゃしないのでやるだけ無駄だぞ。私が痛いだけだからやめてくれやがるがいい」

神は神で相変わらず言葉の端にも反省の片鱗も見えない。

「はっはっはっは。俺は向こうでいろいろ学んだぞ。お前も時と場合に合わせた口のきき方を覚えたらどうだ」

犬歯を見せる笑みを浮かべながら誠亜が言う。

「だが断る。私は神。退かぬ媚びぬ省みぬ。アレこれなんのネタだったか?まあいいや。天上天下唯我独尊を地でいかせて頂こうと思うのだがこれいかに?」

頭に誠亜の指が食い込んで血が流れているが眉一つ動かさずに神が言う。

「「はっはっはっはっはっはっはっはっはっは」」

最後は二人同時に笑い声を上げる。

「誠亜……無事だったのかい?」

龍宮が問いかけると誠亜は苦笑しつつ答えた。

「ん~。いろいろ大変だったけど一応無事だったかな。お前らこそどうしたんだ?」

「あなたを助けようということで集められたんですよ」

刹那が答える。
それに誠亜は軽く頭を下げた。

「そうだったか。それはありがとう。見ての通りなんとか帰還できたよ。とりあえずただいまと言っておこうかな。神の奴が迷惑をかけたし、こんどご飯でもおごるよ」

「いや気にしないでいいよ。君が無事帰ってこれて何よりだ」

龍宮が苦笑とともに返す。
それじゃあなと言って歩み去っていく誠亜たちをアスナたちは二人が角を曲がって見えなくなるまで見送っていた。

そこで刹那が呟く。

「誠亜さんが無事に帰ってきたのだから万々歳のはずなんだが……これはなんていうのか……」

それに龍宮が答えた。

「肩すかしってやつだね」

全員が各々の用を果たしに動き出したのはそれからきっかり10分後だった。

それまで4人はずっと立ち尽くしていた。









あとがき。

…………あれ?なんかうまくいかなかったです。
せっかく赤兎馬を出したんだし呂布も出そうかと思ったわけですよ。
最初はいつかのパンツ事件の時と同じでただ呂布に追い回される二人をアスナが見かけるだけで終わっていたのですが、ちょっと膨らませてみようと思いたち、実行したらこうなりました。
おかしいなあ。
何がいけなかったんだろう?

とりあえずわかったのは己の未熟さのみ。

呂布を出したのはやりすぎだったでしょうか。
ダメな様なら当初の予定通り、通り過ぎるだけのバージョンで書き直す事も視野に入れております。

拙作ですが見捨てずにおつきあいいただければ幸いです。



[9509] 第13話 帰還後第一イベントはドッジ。ドッジ!ドッジボォォォォォル!!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:063925a0
Date: 2009/10/08 09:22
神と俺のコイントス











第13話  帰還後第一イベントはドッジ。ドッジ!ドッジボォォォォォル!!










不思議なもので、あれだけ帰りたい帰りたいと思っていたにもかかわらず、実際に帰りついてみるとやはり胸には一抹の寂しさがあるのだった。
望まぬものであったとしても何ヶ月も過ごせば愛着もわくというものなのだろう。
手の中のそれを見下ろしながら誠次はひとりごちた。

(大変っちゃ大変だった。それこそ命がけですらあったけど、楽しかったってことなんだろうな)

苦笑してふと感じた気配に顔をあげた。
寮の階段をかなり速めの速度で上ってきている。
速度的には階段を6段飛ばしぐらいに駆けのぼればこんなスピードだろうか。
誠次は口元に笑みを浮かべながら気配が自分の部屋の扉の向こうにたどり着くまでじっとそこを見つめていた。

ノックもなしに開いた扉から飛び込んできたのは金髪をはね散らかせた7歳ほどの愛らしい少女だった。

「セーアー!おじゃましまーす!!」

溌剌とした声と表情で飛び込んで着た少女――ティーは飛び込んだ姿勢のまままるでビデオの一時停止でもかけたかのように動きを止めた。
両手を上げ、片足を上げたその姿はなんだかグリコのあのマークを彷彿とさせる。

そのままの姿勢でティーは言う。

「ど、どうしたんだセーア!そんな綺麗な服着ちゃって!!」

言われて誠次は自分の体を見下ろした。
貂蝉からもらった服の中では質素な方の服だ。
それは装飾という点でも生地という点でもだ。
明らかに上等だとわかる品は祖父のもとに送ってきちんと管理してもらうことにした。
なぜだかあの祖父は大昔の服をたくさん持っていて、街に下りる時でもなければそういう服を着ていることが多い。
だからこそ正しい保管方法を知っているだろうと踏んでの選択だ。
よって誠次の手元に残っているのは“アッチ”で普段着的に着ていたのや、それより少しいいもの程度である。

しかし現代の日本でそうそうお目にかかれる代物ではないし、一般的な洋服に比べれば綺麗だろう。

何となく何ヶ月も着ていたものだから当たり前のように着ていたが、冷静に考えれば奇抜かもしれない。

誠次は作業を止めてティーに顔を向けた。
軽く微笑んで言う。

「友達からのもらいもんだよ」

誠次は手の中のものを壁に立て掛けるとティーのもとへと歩み寄った。
そっと抱き締める。

「え?え?」

戸惑うティーをよそに誠次は感慨深げに呟いた。

「ん~。なんていうか懐かしいなあ……」

そんな誠次を不思議そうに見上げるとティーは首をかしげた。
それに伴いかぶっていた帽子がずれ、大きな猫耳がぴょこりと顔を見せる。

「なに言ってんだよ。ついこの間会ったばっかだろ?」

その言葉に誠次は苦笑しながら返す。

「そうだな」

誠次はティーの体を離すと一度軽く頭を撫でて壁に立て掛けたものを手に取った。
それをじっと見つめ、満足げにうなずくと白い綺麗な布で軽く拭いた。

初めてそれに気づいたのか、ティーは猫のようなつり気味の眼をまん丸に見開くと戸惑い気味に指差した。

「セーア……それは?」

問われて誠次はやはり軽く笑みながら答える。

「友達からのもらいもんだ」

言いながら誠次は手の中のソレ、方天画戟を壁にしつらえられた置き場に立て掛けた。

「あれ?ダイゴはどうした?」

「晩ご飯の買い物行ってから来るって」

若干の戸惑いを残しながらティーは答えた。
相槌を打ちながら誠次は軽くティーの頭をなでる。
ティーはそれにくすぐったそうに笑うと、今度は少し不満そうに口を尖らせた。

「聞いてくれよセーア。けーじよりただかつの方が動きが派手で強いんだよ!」

唐突にそう言われて誠次は首を傾げる。

「ん?何の話だ?」

「ああごめん。ゲームの戦国無双の話だよ」

「ああ」

たしか誠次がティーに貸した戦国武将を操って戦うアクションゲームだ。

「それで、なんだって?」

誠次が問うとティーは両手をぶんぶか振りながら答えた。

「だ~か~ら~!1ではけーじが最強キャラだったのに2では新顔のただかつが最強になってるんだよ」

不満げに言うティーに誠次は眉根をよせる。

「なんかいかんのか?」

「うーん。言われてみるとそれほど問題じゃないかな」

ティーも存外あっさりそう言うと今度は腕を組んで唸った。

「ひと通り気に入ったキャラをやったんで、今度は三国無双にも手を出してみたんだ」

「ふーん」

適当に相槌を打ちながら誠次は冷蔵庫から2本コーラを取り出した。
日にちは大丈夫かと賞味期限の数字を探して缶の上面側面底面をのぞく。
のぞいた後、誠次の時間的には何ヶ月も経っていてもこっちの時間的には1日しか経っていないことに思い当たり苦笑する。

右手に一本左手に一本持ち、右手の人差し指で器用に右手の缶のふたを開ける。
それを飲みながら左手の缶をティーに渡した。
ティーはそのプルタブを持ち上げながら言った。

「それに出てくる虎牢関の呂布が強すぎてさ~」

「ブフゥゥゥゥゥ!!」

ティーの口から出てきた名前に思わず誠次は口の中のコーラを噴きだした。
それに眉をしかめたティーが言う。

「ばっちぃなあ。どうしたんだよセーア」

「い、いや。なんでもない」

まさかその時代に行っていましたなどと言えるはずもなく誠次は言葉を濁した。
ティーは訝しげに誠次の着ている服と壁に立てかけられた方天画戟に視線をやる。

何を言われるのか。
どう返すのか。
数パターンの返答を頭の中で組み上げながら誠次はティーの言葉を待つ。

だがティーは結局思いつかなかったのか何も言わずにコーラをぐびぐびと飲み始めた。

そのときだ。
バタンと勢いよく扉が開いて何者かが飛び込んで着た。
それはダイゴだった。
スーパーの袋を両手に提げてくるりと一回転しながら入ってくる。

「こんにちばんわ!誠ちゃん元気にして……た……?」

ダイゴはこちらの姿を見ると同時に言葉を止めた。
どさりと両手の袋を床に落とし、両手を戦慄かせ、驚愕の表情を浮かべる。

「?」

ダイゴの妙な反応に眉を寄せる誠次。
だがそんなことにはお構いなしにダイゴは跳躍した。
両手を揃え、プールに飛び込むかのようなそのジャンプはぶっちゃけルパンが不二子に向って飛ぶときのジャンプだった。

「チャイニーズ誠ちゃ~ん!いったい何のサービス!?でもたまらーん!」

いうなればルパンダイブで突っ込んでくるダイゴに対し咄嗟に誠次は動いていた。

「何さらすぁ!」

振り上げた右手で思い切りダイゴの頬を張り飛ばす。
強烈無比なビンタにダイゴの体がきりもみしながら飛んだ。
2メートルほど飛んで、床に突っ込むダイゴ。
訪れた一瞬の静寂を破ったのはティーだった。

「う、うわあああああ!ダイゴ兄ぃぃぃぃぃ!」

倒れ伏すダイゴに駆け寄り、その頭を抱き上げて誠次に向って非難の声を上げる。

「セーア!いくらなんでもやりすぎだろ!ダイゴ兄も悪いけど手加減ぐらいしてくれてもいいじゃないか!」

誠次はそれに戸惑いながら答えた。

「あ。ああ。悪い。つい癖で」

ダイゴが打たれた頬をさすりながら起き上がる。

「い、いいんだ。ティー。今のは確かに俺が悪い。でもまあ次からはもう少し手加減してくれると嬉しいかな」

「す、すまん」

謝って小さくなる誠次にダイゴは立ち上がりながら問いかけた。

「で、結局その服はどったの?」

「うんまあ友達からのもらいもんだ」

それにダイゴは軽く首を傾げると

「うーん?友達ってーと誠ちゃんのクラスの中国人の娘?」

「うんにゃ」

首を横に振るとダイゴは先ほど落としたスーパーの袋を拾い上げながら言った。

「じゃあ今度紹介してよ。是非ともその人に言いたいしね。GJと!」

「GJかよ!」

つっこんだ後、誠次は頭を掻いて苦笑した。

「まあ紹介するのは無理だろうなあ」

その言葉に何か感じたのかダイゴはそれ以上何も言わずに、食材のつまったスーパーの袋を持ち上げた。

「今日は何食べたい?ひと通り買ってきたから何でも作れるよ」

小さなところで気の利く親友に感謝しながら誠次は答えた。

「じゃあ中華以外で」

その言葉にダイゴは驚いたように目を丸くする。

「どしたの?誠ちゃん中華好きじゃん」

「いやなんとなくな」

三国志の時代では毎日のように中華だったので、久しぶりに違うものが食べたかったのだが、突然そんなことを言われれば戸惑うのも無理はない。
こっちにとっては数か月でもダイゴたちにとっては1日なのだ。

「ダイゴ兄!あたいハンバーグ食べたい!」

微妙な空気を無視して右手をあげて言うティーにダイゴは笑うと

「それじゃま今日はハンバーグにしますか」

スーパーの袋とともにキッチンに入っていく。

途中で一度振り向くとサムズアップして笑った。

「あえてもう一度言おう!誠ちゃん!実にグッドだよ!」

「ありがとう」

苦笑しながら答える。

しばらくして食材を刻む音が響き始める。

それに耳を傾けながら誠次は自分の服装を見下ろした。
そして壁の方天画戟を見つめる。

「まあいいか」

一言そう言うと、手の中のコーラを一気に飲み干した。
隣でティーがあっと声を上げる。
あまりをもらうつもりだったのか少し悔しそうにしているティーの姿に笑みを漏らしながら胸中で言う。

(帰って……来たんだな)

そう思うと実に感慨深かった。


















「手伝わんのか?」

そう問われて桜咲刹那は顔をあげた。
晴れやかな蒼天の下、視線の先では体操服に身を包んだクラスメートたちがコートの中でやる気に満ちた眼で相手を睨んでいる。
それに相対するは聖ウルスラの面々。つまりは高校生だ。
教会のシスターが着るようなデザインの制服のままで立っている。
何やら体育のために屋上に来たところすでにこの高校生連中がいたらしい。
この麻帆良は敷地の広さや学生の数に対して運動用コートの数がかなり足りていない。
とはいえ高校生たちの校舎は隣の隣なのでたまたまここに来たという可能性は低かろう。
前も既に使っていた場所を追い出されただのなんだのといろいろあったらしいが正直言ってあまり興味はなかった。

話がどう展開したのかは知らないがこのドッジボール勝負に負けるとネギ先生が高校生たちに奪われるらしい。

もっとも、学生たちの口約束ぐらいで教員の担当が変えられることなどまずないので、この勝負はいわば茶番だった。

だからこそ刹那は嘆息交じりに応えた。

「くだらん。第一私たちが参加したらパワーバランスが滅茶苦茶になるだろうに。勝負にもならんぞ」

現に刹那をはじめ、龍宮、楓といったハイスペック連中は見学している。
同じように見学しているエヴァンジェリンとその隣の茶々丸が花火らしきものをうちあげていた。
チアリーディング部の3人がチア衣装で応援しているが、いつ着替えたのだろうか疑問だ。
刹那が来た時には同じように体操服姿だったのだが。

「そうか。だが誠亜さんはやる気のようだぞ」

言われて視線を向けると誠亜が腕を組んで仁王立ちしていた。
覇気すら纏っている。

刹那は嘆息しつつ呟く。

「あの人は……」

覇王の貫録を見せる誠亜に高校生一同は少し気圧されているようだ。

戦いは女子高生チーム11人とネギチーム22人によるドッジボール対決。
女子高生のリーダーらしき人物はハンデと言っていたが、その実2-Aに有利でも何でもない。
一つのコートに22人もいたら動けるものも動けない。

まあだからと言って女子高生チームに有利かと言えば一概にそうとは言えなかった。
人数が多くて動きにくいというハンデも、内野の者達があてられて行って女子高生チームと同じ11人になった時点でなくなる。
ドッジボールという競技が、内野の者を全員あてるか制限時間が過ぎた時点で内野に残っていた人数の多かった方が勝ちというルールである以上、2倍の人数というのは必ずしもどちらに有利というのではないのだ。
まあ女子高生チームがこの数の差を有効に使うには2-Aチームの中の運動神経のいいものを正確に見つけ出し、それらを動きにくさが残っているうちに倒す必要があるだろう。

そのことに気づいているのかいないのか。
自分たちの有利を疑っていない2-A勢と女子高生勢双方の顔を見比べながら、刹那は片目を閉じて呟いた。

「茶番だ」

その言葉に龍宮が苦笑する。
その時だ。


「はあーはっはっはっはっはっは!」

聞き覚えのある、だがあまり聞きたくはない笑い声が響き渡った。
皆は突然響いた謎の声に困惑したようにあたりを見回している。

だが一部、違う反応をする者がいた。
刹那や龍宮、楓にアスナなど、そして誰より誠亜だ。
全員一様に嫌な表情で額に手をあてていた。

耳を澄ませばバタバタとヘリコプターのプロペラの回る音が聞こえる。
上空には小さいがヘリのものらしき影があった。
プロペラ音に負けじと笑い声は風を貫いて降ってきていた。

「はあーっはっはっはっはっはっは!とうっ!」

掛け声一つ。声の主がヘリから飛び降りたのが影から見て取れた。
主は凄まじい速度で落ちてくる。
風を貫きながら落下するソレは一切の減速なしに屋上コートへと激突した。
大砲でも打ち込まれたかのような轟音とともに粉塵がまき散らされる。

誰もが言葉を失い立ち尽くす中、静かに風が立ち込める土煙を吹き払った。

刹那をはじめそこにいた全員の目に映ったのは、上半身が屋上の床に突き刺さりピッチリと伸ばした下半身が柱のように立っている謎の男の姿だった。

誰もが硬直する中、誠亜が嘆息しつつそれに歩み寄った。
そのまま無造作に片手で引き抜く。
大根のように引っこ抜いた男を誠亜は放り捨てる。
大地に落ちて一度バウンドした男はガバリと跳び起きると、この上ない綺麗な気を付けの体勢で叫んだ。

「その勝負私が受け持った!」

両腕を天にかかげ、そのままビシリと両腕で両チームを指差す。

「私が審判だ!!」

その男はやはり神だった。
ダンディなひげが風にわずかに揺れている。
いつものセーラー服ではなく白のタンクトップに白の短パン。
マラソンランナーあたりが着そうな服装だ。
いつもに比べればはるかにましな恰好だが、やはり神という単語からはかなりかけ離れたところを疾走する格好である。

「なるほどー」

「この人が審判かー」

明らかに怪しい男なのだがそんなことにはお構いなしに2-Aも女子高生たちも一部を除いて受け入れていた。
おそらく何らかの力が使われているのだろうが、あいも変わらず超能力のバーゲンセールな奴である。

「…………あの人は……」

先ほど誠亜に言った時の2倍ぐらいの間を開けて刹那は呟いた。
龍宮もまた半眼で神を見つめている。
だがそんなこちらの様子など完全に無視して神は高らかに言った。

「教師、ネギ・スプリングフィールドの身柄を賭けた真剣勝負。存分にはげめぃ!!」

「「「オーーーー」」」

ごく一部。
もともと神を知っている面々を除いた全員が拳を振り上げて叫んだ。

「始めィ!!」

神が告げるとボールが2-Aチームに手渡された。
受け取ったアスナがさっそくその運動神経のよさを発揮する。
躍動感のある動きでボールを放ると、勢いよく飛んだボールが女子高生チームのうちの一人を打ちすえた。

アスナは仲間とハイタッチするとびしりと女子高生連中のリーダーを指差す。

「このドッジボール勝負絶対勝つわ!年下だからってなめてると痛い目にあうんだから!」

さっそく一人を失った女子高生チームだがその表情にはまだ余裕の色が見て取れる。

「ふ……やるじゃない。と言いたいところだけど何も分かってないわねあんた達。やっぱりそこの子供先生は私たちのモノのようね」

確かにアスナたちも分かっていないが、女子高生たちもわかっているのやら。

「行くわよ子スズメ達!」

リーダー格らしき女性が軽くボールを投げつけると、それは2-Aチームの何人かをまとめて外野送りにする。

さっそく多すぎる人数があだになっている。
刹那が眺めるうちに次々と2-Aの面々はボールをあてられて行った。

どいてだのうごけないだのといまさら騒いでいる。

「ちょっと皆さん!今のは大した球じゃないでしょう!もっとボールをよく見なさい!」

叱責する雪広に朝倉が返す。

「こんなギューギューじゃ動けないって」

その言葉に雪広とアスナはようやく気付いたように声を上げた。

「あっ!ドッジボールで数が多いのは全く有利じゃない!単に的が多くなって当てやすいだけ!?」

「じゃあ22対11ってあんまりハンデにならないじゃないの!?気づきなさいよーー!」

「いいんちょだってその条件のんだでしょーー!!」

いまさら騒いでいる二人を眺めていると隣の龍宮が声をかけてきた。

「彼女らはようやく気付いたようだよ」

「どちらかというと私は神が何か余計なことをしないか心配でならん」

その言葉に龍宮は神の方を一瞥すると、まじめな表情で言った。

「いや、今回は神だけじゃだめかも知れないよ」

「?」

訝しげに眉をひそめる刹那に龍宮は苦笑を返すと、視線をドッジボールに燃え上がる面々に向けなおした。

2-Aの面々は密集していてはいい的だと慌てて散らばり出した。
これで大人数故のよけにくさというハンデはだいぶ薄れたが女子高生のリーダー格に焦りはない。
こうなる前にアスナや古菲などの運動神経がいい面々を潰さなきゃダメだろうに。

「こうなるのも予定通りよ。次に狙うのは……」

言ってリーダーはボールを持った手を振りかぶった。

視線から推測するに狙われているのは鳴滝史伽だろう。
体も小さく気もあまり強くない。
当てやすさではかなり上に位置している。

「どー見ても取る気のない奴!」

案の定リーダーは敵に背を向けて逃げていた史伽に向けてボールを投げつけた。
ボールは史伽の後頭部に激突してリーダーの手元に跳ね戻っていった。

「ひどいです!後ろから頭に当てるなんて!」

ネギが非難するがリーダーは悪びれる風もなく不敵に笑った。

「後ろ向いているのが悪いのよ!」

そもそもドッジボールは頭は無効だったような気がするのだがここではそのようなルールはないのだろうか。
まあ審判が神である以上そんな細かいルールはあってなきがごとしだろう。
リーダーはそのまま史伽と同じように背を向けていた宮崎のどかを指差す。

「次はあんたよ!」

宣言してどうする。
内心ツッコミを入れながら事態を傍観する。
宮崎に向けて投げられた鋭い球は咄嗟に割って入ったアスナによって受け止められた。

「大丈夫本屋ちゃん!?後ろ向いたら狙われるだけなんだからね!」

言うや否やアスナは女子中学生の底力を見せてやるだのなんだのと言いながらボールを振りかぶる。

その時だ。
刹那は脇腹をつつく感触に視線を横に移した。
そこでは真面目な表情で龍宮がこちらを見ていた。

「何だ?」

問うと龍宮は視線で神を指した。

「どう思う?」

主語が抜けているが先ほどのアイコンタクトでそれが神のことを言っているのだと察する。
刹那はしばし神を見つめた後返した。

「どう思うって……別にいいんじゃないのか?何も起こしていないんだし」

それに龍宮は軽く首を横に振った。

「確かに今はな。だが奴の顔を見ろ」

言われて刹那は仕方なしに神の顔を見つめた。
改めて観察するとどこかつまらなそうに、そして不満げに少女たちの試合を見ている。

なるほどこれは……

「今にも何かやらかしそうだな」

そう言うと龍宮も頷いた。
ある種の警戒を含む眼で神を見る。

どよめきに視線を向けると女子高生連中が制服を脱ぎ、その下に着ていたらしいユニフォーム姿で立っていた。
胸には麻帆良ドッジと英語でプリントされている。

よくわからないが関東大会で優勝したらしい黒百合というチームのようだ。

しかしそれを聞いた2-Aの少女たちは驚くでもたたえるでもなく皆で顔を寄せあわせてひそひそと話しだした。

「高校生にもなってドッジ部って」

「小学生ぐらいまでの遊びちゃうの?」

「関東大会ってあいつらしか出なかったんじゃない?」

失礼な連中である。
ドッジボールとて別になに恥じる必要のない普通の、れっきとしたスポーツだろうに。

ネギだけは素直に称賛して拍手しているが、かえってそれも黒百合の面々には刺となっているようだ。

「うるさい余計なお世話よ!ビビ!しぃ!トライアングルアタックよ!」

直球すぎるネーミングにまたも笑いが沸き起こる。
だがそんな面々には混ざらず、雪広が真剣な表情で言った。

「ネギ先生気をつけて!私が受けて立ちますわ!!」

雪広は余裕の表情を浮かべると、

「さあ来なさいおばサマ方!2-Aクラス委員長の雪広あやかがネギ先生をお守りしますわ!」

たかが2,3歳の違いで女子高生をおばサマ呼ばわりできる感性は正直理解しかねるが、挑発としては十分な働きをしたようだ。黒百合のリーダーは目に見えて怒気を纏う。

それにしても雪広。
名前の通りトライアングルにパスが回されるたびに女の子らしい可愛い悲鳴をあげて縮こまっている。
先ほどの威勢はどこに行ったのやら。

「く……パスの軌道が読めませんわ。トライアングルアタック。一体どんな陣形ですの」

「だから三角形やん」

ふと気になって短パンタンクトップの審判に目を移す。

そこには先ほどの雪広のボケがお気にめしたのか少し表情を和らげた神がいた。

それを見つめながら横の龍宮にだけ聞こえるような小さな声で言う。

「なあ龍宮。奴がまだ何もしていない今のうちに首筋あたりに一撃入れて黙らせた方がいいと思うのは私だけか」

「どうだろうね。黙らせられるのならそれに越したことはないが、あの神に生半可な攻撃が効くとは思えない。下手に刺激して暴走されても困るからね」

「そうか」

気がつけばすでに双方の人数はほとんど同じになっていた。
2-Aの中には不安そうにしているものもいるが、ここからが本番だ。
幸い、アスナ、古菲、超といった運動神経のいい者もそこそこ残っている。

神を警戒しながら試合を観戦していると黒百合がバレーボールのトスのようにボールを打ち上げた。
それを追うようにリーダーが高々と跳躍する。

「必殺、太陽拳!」

ちょうど太陽が背に来るように計算された跳躍でアスナの眼をくらませる。
そのままバレーボールのアタックのようにアスナに向けて打ち下ろした。

体制を崩していたアスナにかわすすべはない。
当たる。
誰もがそう思う中、一人の少女が動いた。

龍宮ほどではないにしろ中学生にあるまじき長身とスタイル。
長そで長ズボンのジャージの上からでは分かりにくいが、細身ながらも鋼のような体をもった狼のような眼をした少女。

風間誠亜だ。

今まで不気味なほどに大人しくしていた彼女がついに動き出した。

いつの間にかアスナの隣に立っていた誠亜は無造作に右足をボールとアスナの間に差し込んだ。
そのまま足で受け止める。
弾いたのではない。受け止めた。

ボールが足に触れた瞬間から少しずつ力をかけ、ボールの勢いをじりじりと殺していく。
そしてついにボールのスピードがゼロになると誠亜は足の甲の上にボールを乗せて不敵な笑みを浮かべた。

その離れ業を見た黒百合のメンバーたちに動揺が走る。

誠亜は足の上のボールを軽く上に放って右手でつかみ取った。
左手を腰に当て、低く笑う。

「クククク。これで条件はタイ。そろそろ俺も動かせてもらうとしよう!」

しかし黒百合のリーダーも負けじと言い返す。

「くっ、子ザルが!大道芸一つでいい気になるんじゃないわ!」

その言葉を誠亜は鼻で笑うとボールを持った腕を大きく振りかぶった。

「大道芸だけだと思うな!」

一喝とともに持ち上げた足を地に下ろし、全身のばねを使ってボールを撃ち出す。
信じられないことに反動で誠亜の足元に罅が走った。

発射された砲弾は大気を突き破って轟音とともに飛翔する。
何か光の軌跡すら幻視しかねない凄まじい一球が容赦なく黒百合のコートへと飛び込んで行った。
凶弾はいまだ反応すらできていない黒百合の一人に綺麗に突き刺さる。
ボールは跳ね返ることもなく、そのまま被害者ごと地面と平行にすっ飛んでいった。

そのまま一人の少女を壁に埋め込み、ようやく勢いを失ったボールが思い出したようにてんつくてんつくと地に落ちる。

油の切れた機械のようなぎこちない動きで黒百合のメンバーが振り返る。
そして壁に埋まったチームメイトを見た瞬間一様に顔を真っ青にした。

「見たか!これが俺の力だ!」

両腕を腰に当て、胸を張って誠亜が言う。

「「「「えええええええええええええええ!!」」」」

驚嘆、恐怖、不審、焦燥。様々な感情のこもった悲鳴が上がる。

それをどこか遠くから見るような心持で刹那は戦慄をにじませた声で言った。

「なあ龍宮、大変だぞ。誠亜さんがなんか変だ」

同じように冷や汗を浮かべた龍宮が視線をぴたりと誠亜に固定したまま答える。

「そのようだね。これはゆゆしき事態だよ。本来神のストッパーたるべき人物がむしろあちら側に行ってしまっている。代わりに誰かが止めないと行くとこまで行ってしまう」

味方外野から渡されたボールを片手に第二の被害者を探す誠亜を眺めながら刹那は呟いた。

「誠亜さんはどうしてしまったんだ?アレか?一般常識とかそういうものをまとめて三国志時代に忘れてきてしまったのか?」

「単に自分の時代に帰ってきてハイになっているだけというのも考えられるけどね」

龍宮の返答に刹那は嘆息しつつ答えた。

「そうであることを祈るよ」

誠亜のターゲット選定は終わったようだ。刹那の視界の中で誠亜がボールを振りかぶっていた。
止めなくてはなるまい。
そうひとりごちて立ち上がった刹那の耳に響いたのは甲高いホイッスルの音だった。

その場の全員が音の源に目を向ける。

それを吹き鳴らした張本人である神は白いホイッスルを口から離すとポケットの位置から一枚のカードを取り出した。
ちなみに見たところ神の履いている短パンにポケットはない。

神はそのカードを掲げて宣言する。

「風間誠亜。レッドカード退場」

「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!なぜだ!?一体どこに違反があった!?」

誠亜が自覚ゼロの驚愕の叫びをあげる中、刹那もまた驚愕の念を抱いていた。
あの神が事態を収拾させるようなことをしたのがにわかには信じられなかったのだ。
隣を見ると龍宮もまた同じような表情で神を見ていた。
なぜかさらに隣の長瀬楓も似たような表情だ。

そんな刹那達の驚きなど欠片も歯牙にかけず、神はレッドカードを短パンのポケットの位置にしまいこむ。
くどいようだが神の短パンにポケットなどない。

詰め寄る誠亜に神は肩をすくめると、さも当然と口を開いた。

「いやだってお前を放置していたらつまらんワンサイドゲームになるじゃないか」

「ぬううううううう」

誠亜はひとしきり唸った後、一歩分飛びのいた。
右の人差し指を神の鼻先に突きつけて叫ぶ。

「ならば!一人仕留めるごとに相手チームに移動するのはどうだ!これならばワンサイドゲームにはならん!」

「何血迷ったこと言ってるんですか!ここにいる者を全滅させるつもりですか、あたなは!」

あまりと言えばあまりな発言に刹那は思わず声を上げた。
それに誠亜はちらりと視線をこちらに向ける。

だが誠亜が何か言うよりも早く、神がぽんと手をついた。

「なるほど。それはそれで面白そうだ」

しょせん神は神か。
頭を抱えて叫びたい衝動がわきあがるのを抑えながら刹那は呻くように言った。

「誠亜さんが加減して他に合わせればいいことでしょう」

ごくごく当たり前のことを言ったのだが誠亜はどこか不満そうに眉を寄せている。
神は刹那の言葉を思案しているのか顎に手をあててふうむと唸っていた。

そして何か天啓を得たかのようにこちらに振り向いた。
心なしか眼を輝かせて言う。

「いや待て!誠亜を他に合わせるより他を誠亜に会わせた方がきっと面白いぞ!」

「余計なことを考えるな、お前は!」

つっこむ刹那の後ろで誠亜が燃える瞳でガッツポーズをとっている。

「よっしゃ、バッチ来い!!」

「誠亜さんも大人しくしてください!!」

言ってる間も神はヨガじみた怪しげな踊りを始めるとよく通る声で叫んだ。

「喰らえゴッドパウワァ!」

「やめろと言っている!!」

刹那の奮闘もむなしく神から放たれた無上の雷はその場にいた生徒達を撃ちすえた。

2-Aも黒百合も、例外なく淡い光を纏いだす。
その輝きは気や魔力と似ているようでまた違うものだった。

黒百合のリーダーが自分の体を見下ろして半ば呆然と呟いた。

「力が……力がわいてくる!これならいける!あのアクセル全壊壊滅狼娘を倒せる!」

「誰が狼娘だ!」

誠亜のツッコミを無視してリーダーは自コート内に転がっていたボールを拾い上げるや否や先ほどのお返しと言わんばかりに誠亜に向けて投げつけた。
銃弾じみた速度で放たれたボールが一直線に誠亜へと迫るが誠亜は不敵な笑みを浮かべて右腕を前に構える。

「甘いわ!!」

着弾の衝撃が轟音となって周囲に轟き誠亜の体が数メートルスライドする。
だが誠亜は決して体勢を崩さぬまま、リーダーの放った豪球を受け止めた。

それを見たリーダーが不敵に笑う。

「ふっ。一筋縄ではいかないようね。でも望むところよ!来なさい!」

「上等!」


弾丸級の速度でボールが飛び交う。
空を突き破る豪速球をリーダーが受け止めれば、反撃の弾をアスナが受け止める。
反撃の弧を描くカーブボールを黒百合の一人が取りこぼせば、4メートルほど離れた場所にいたはずの仲間が一瞬で滑りこんでボールをノーバウンドで拾う。
地面すれすれを飛翔するボールを宮崎が眼を閉じながら3メートル近く跳躍してかわせば、黒百合の外野が空中の宮崎を狙う。

避けられない弾(もはや球にあらず)に宮崎が眼を閉じて悲鳴を上げるもすんでで割って入った古菲がそれを受け止めた。

眼前で繰り広げられる超人決戦にしばし放心した刹那だがはっと我に帰ると神に詰め寄った。収めたままの夕凪の鞘の先で神のこめかみを抉る。

「おい神。アレは大丈夫なんだろうな?」

「しーんぱいいらんさ~。連中の記憶はあとで適当に調整しておくさ」

こちらに視線一つよこさない神に若干のいらだちを感じながらも刹那は夕凪をひねる力を増しながら言葉を重ねた。

「そうじゃない。あんな無茶なブーストをかけて体は大丈夫なんだろうなと聞いているんだ」

神の力で強化されたものの中には刹那が命に代えても守りたいと思っている近衛木乃香もいた。
もしなんらかの害があるならば今すぐにでもやめさせなければなるまい。

「ん~、大丈夫だろう」

はっきりしない返答に刹那は無言で鯉口を切った。
それを横目にした神は軽く肩をすくめて嘆息すると人差し指を立てて言った。

「地獄の筋肉痛で半日ほど動けなくなるぐらいで済むはずだ」

「反動あるんじゃないか!今すぐやめろ!!」

怒声を上げる刹那に神は僅かに舌を出して答える。

「やなこった」

「…………っ!」

憤怒に目を見開いて刹那は夕凪を抜き放った。
高速の居合で抜き放って、収める。
常人には到底視認不能な速度で行われるがために騒ぎになる心配はない。

頭を掠めるように刀を振るい、髪をひと房切り落とす。

そう狙って一閃した刹那は帰ってきた異様な手ごたえに眼を見開いた。
弾かれたのだ。
気によって強化された斬撃が。髪の毛に。
しかし髪がとてつもない硬度を持ったわけではない。
かといって障壁に弾かれたわけでもない。
いうなれば普通の強度の髪の毛に弾かれたのだ。
岩すら切り裂く刹那の斬撃が。

驚愕に目を見開いたまま、今度は刹那は数か所に思い切り斬り込んだ。
後頭部、胸、腕へと高速の居合が喰らいつく。

だがその全てが先ほどと同じように弾かれた。
障壁はない。
服も髪も体も鉄の用のように固いわけでもない。
だが弾かれる。
髪の毛一本、布一枚、薄皮一枚傷つかない。

全くもって理解できない現象だが、わかったことがただ一つあった。
今の神は攻撃では止められないということだ。

己の無力さに歯嚙みする刹那を一瞥すると神は真剣そのものの表情で口を開いた。

「なあ。今思ったのだが別に誠亜レベルにとどめておく必要はないのだよな。いっそいけるところまで行ってしまった方が面白いとおもわないか」

「やめんかぁっ!!」

精一杯の抵抗として力の限り言葉を叩きつける。
だがやはり神は完全にシカトすると右腕を天にかざした。

「今こそ宿れ!ぶっちぎりの超パウワァァァァ!」

神の声に応えるように少女たちに宿る光が一気に強さを増す。
それと同時に2-A、黒百合双方のテンションが際限なく上がっていく。
なんだか眼がぐるぐると渦を巻いているような気すらしてくる。
悪い言い方をすれば見学しているものを除いたほぼ全員が眼が完全にイッっている。

「喰らえっ!」

叫び声とともにアスナの投げた球は何か物凄い光を纏いながら弾丸を軽く凌駕する速度で黒百合のリーダーに向けて突き進んだ。

「くっ!生意気なっ!」

リーダーは左手を前にかざし、それを右手で支えてアスナの渾身の一球を受け止める。
ボールに込められていた力が爆発を引き起こし、爆風で皆の髪を嬲った。

「う、受け止めた!?」

驚愕の叫びをあげるアスナにリーダーはお返しとばかりにボールを振りかぶった。
ボールにはアスナのとき以上の力が籠められている。

「今度は私がプレゼントしてやるわ!死ねぇっ!」

リーダーは咆哮とともにボールを投じる。
アスナの球を遥かに凌駕する力でもってボールは突き進んだ。
死ねってなんだ死ねって。
これはドッジボールなはずだが。
本当に死にそうな気がするから怖い。

アスナの回避は間に合わない。
それどころか防御すらできそうになかった。

しかしてその絶体絶命の危機に疾風すら生温い何かが駆けつけた。

刹那ですら捉えられないほどのスピードで割って入った誠亜がただでさえ鋭い目つきを3倍ぐらい険しくしてボールをつかみ取っていた。
他の面々の例にもれず誠亜もまた神の力の影響下にあるようだった。
瞳の中が渦巻いている。

誠亜は獰猛な声で告げた。

「死ぬのはてめえのほうだ……!!」

誠亜は膨大な力を湛えた右手で持ったボールを振りかぶる。

「す、すべての力を指先だけに集めて……!」

驚愕に目を見開くリーダーに向けて誠亜が渾身の力でもってボールを撃ち出す。

「魔貫光殺放うけてみろおおおおおおお!」

ボールは一直線の光の帯を残しながら音などとおに置き去りにする速度で撃進した。
その弾道に沿うように螺旋状の光が並進している。

眼もくらむような閃光が屋上コートを埋め尽くした。

閃光のおさまらぬうちに、刹那は目の前に手をかざしながら詰問した。

「おい。何か撃ったぞ。どうなっている?」

多分に怒気を含めたのだが神にとってはどうでもいいことのようだ。
何食わぬ顔で答える。

「ん~ドラゴ○ボールだな。私は漠然と“力”を与えただけだ。それがどういう形で表れるかなど知らんよ」

閃光がおさまったあとには右肩から先のユニフォームが消し飛び、右肩に血を滲ませたリーダーが不敵な笑みを浮かべて立っていた。

右肩を指差しながら言う。

「掠ってすらいないのに風圧だけでユニフォームが破れ飛んだわ。なかなかの技ね。まともに受けていたらアウトだった。でも当たらなければ意味がない」

それに相対する誠亜もまた不敵に笑っていた。自分の必殺投法が破られたというのに、だ。

それを不審に思ったのかリーダーが訝しげに眉を寄せる。
こつんとかかとに当たる小さな観測にリーダーはふと後ろを振り向いた。
振り向いて凍りつく。
そこには大穴をあけた壁と、その下に倒れ伏す一人の黒百合のメンバーがいた。

「し、しぃ……」

震える声で仲間の名を呼ぶ。
だが返答はなかった。
しぃと呼ばれた少女は白目をむいて気絶している。腹の部分のユニフォームが無残に破れていた。

「ま、まさかさっきの一撃は私を狙ったものではなく私の後ろのしぃを……」

返答は誠亜の笑みで十分だった。
リーダーの肩が震えだす。
こめかみに青筋が浮かび上がった。

「ゆ、許さない……絶対に許さない」

リーダーの体から絶大な力があふれ出す。
それと同時に赫怒に染まる声で咆哮した。

「もう子供先生などいるものですか!!校舎もろとも粉々に打ち砕いてあげるわ!!」

吼えるとともに大きく跳躍する。
40メートルほど上空でボールを持って捻った右手の甲に左手を添えた。
これまでのどの攻撃も比ではない強大な力がリーダーを中心に渦巻く。

「神!凄まじく物騒なこと言ってるぞ!今度こそ彼女らを止めろ!」

胸倉を掴んで揺さぶりながら言うが神はまるで取り合わない。

「ファッハハハハハハハ!心配するな!私が監督している以上怪我人などでん!面白くなってきた!面白くなってきたぞ!!」

軽いパニックになりかけている屋上の現状が目に入っていないかのように神は天に向かって哄笑する。

相変わらず見学者そっちのけでドッジボール(?)はヒートアップしていた。

「避けられるものなら避けてみなさい!あなたは助かっても校舎は粉々よ!!」

「考えたな畜生!やるしかねえ!3倍界王拳だ!」

誠亜の体が今までとは異なる赤い光に包まれる。
それと同時に誠亜から感じられる力と闘気が膨れ上がった。

莫大な力と力がにらみ合い、大気が緊張に軋む中刹那は強烈な脱力感に身を傾がせた。
このかの身を案じるが故の焦りや、こちらのことなど何一つ鑑みない神への怒りに荒れ狂っていた心が白く染まっていく。


「私のギャリック放は絶対に食い止められないわ!校舎もろとも麻帆良の塵になりなさい!!」

刹那の顔に乾いた笑みが浮かぶ。
そして疲れ切った声で告げた。

「もう知らん」

それだけ告げると刹那はこのかを連れて離脱するために駆けだした。










あとがき

どうもお久しぶりです。すちゃらかんです。
ちょっと個人的用事でパソコンに触れない日々が続いておりました。
まあひと段落ついたのでこれからは一定のペースを保って執筆できれば、と考えております。

今回の話ですが、久しぶりなためか思うようにネタが思いつかず、それでもギャグ濃度を上げようとした揚句、もろパロディをしてしまいました。
今後はあんまやらないようにしようと思っております。
ちなみに大したことじゃありませんが、技名の『砲』が『放』になっているのは、誠亜たちのわざがボールを放る技だからです。

拙作ですが、見捨てずにお付き合いいただければ幸いです。



[9509] 第14話 図書館島には危険がいっぱい え?違う?
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/08/28 05:54
神と俺のコイントス14














第14話  図書館島には危険がいっぱい え?違う?














風間誠次はどうにも勉強というものが苦手だった。
初めてそれに触れた時点から大きな苦手意識があったのだ。

大げさな言い方かもしれないが遺伝子レベルで苦手だった。
祖父から話を聞くに、祖父の子すなわち誠次の父は祖父母譲りの頭の良さを持っていたらしい。
どうやら誠次はこと頭脳に関しては母親に似たらしいのだ。
誠次の母親は頭が悪く、その分直感が鋭い人だったらしい。
実際に勉強を始めてからもどうにもはかどらず、挙句、頓挫したのである。

その結果、実年齢でいえば高校2年生であるにもかかわらず、中学2年生の中に紛れてもなお最低辺を行くほどに誠次は勉強が駄目だった。

彼が2-Aの『バカレンジャー』に数えられていないのは何ということもない。
もうレンジャーの色がないというだけにすぎないのだった。
中には誠次のことを戦隊モノで途中参加する味方というイメージでバカシルバーなどと呼ぶ者もいるがおおむね2-Aの認識はバカレンジャー予備軍である。
ついでに言うがバカウルフと呼ぶ者が結構いるのだが誠次は断じて認めていない。
誰が狼だ。

もっとも予備軍といっても、途中で勉強を放棄した誠次の馬鹿さは決して、バカレンジャー達に劣るものではない。
むしろ勝っていた。

誠次が特に苦手な教科というのがいくつかある。
それが数学と英語だった。
だが勘違いしてはいけない。
数学と英語以外の教科ができるわけではない。

数学と英語に苦手意識があるだけなのだ。
点数を比べるならばそれほど大差はない。
ならばなぜ数学と英語が苦手なのか。

それは誠次が勉強した教科だからだ。
理科や社会、国語などは少しかじっただけで諦めたのに対し、数学と英語はそれなりに勉強した。
勉強して、出来なかった。
それゆえの苦手意識なのだ。
正直言ってかなり周囲から遅れていた誠次は遅れた分を追いつかせるのに必死で結局英語も覚えきれなかった。

ボキャブラリーも貧弱だし、文法もろくに理解していない。
それこそ中学1年レベルで。


というわけで

英単語野球拳など誠次にできるわけがないのである。
バカレンジャーと一緒に、下着と太ももまでの靴下だけという格好になりながら誠次は嘆息した。
周囲には古菲、明日菜、楓、夕映、まき絵といったバカレンジャーの面々が並んでいた。
さらにその周囲をはやし立てるようにクラスメートたちが英単語の書かれたボードを持って楽しそうにしている。
アスナたちは、スカートがまだ残っているものもいれば、スカートはおろかブラジャーすら脱がされているものいる。アスナとか。

『お前は恥じらいがないから本当につまらんな』

『黙れ』

頭の中に響いてきた声にぶっきらぼうに返しながら誠次は再び嘆息した。
新たなボードを持った少女がアスナににじり寄っている。
アスナがもう脱ぐものがないと悲鳴を上げているがもっともだ。

どうでもいいことだ。
誠次は胸中で呟く。
誠次が今現在予定している進路には学校の勉学などかほども役に立たない。
勉強ができないことなど誠次にとってリリアン編みができるできない程度の意味しかなかった。
コップ一杯の水を飲んで産地をあてれる程度のどうでもいい技能にすぎなかった。

「次は誠亜だよ!howeverの意味は?」

「知らん」

ぶっきらぼうに告げると周囲の少女たちがさらにテンションをあげて脱げとはやし立てる。
誠次はそれに苦笑して太ももまでを覆う長い靴下に手をかけた。

窓の外に感じていた神の気配が消えうせる。
飽きて別の面白いものを探しに行ったのだろうがどうでもいいことだった。












「は?図書館島?」

突然の申し出に誠次は問い返した。
寮の誠次の部屋。その入口をはさんで誠次はアスナと向かい合っていた。
アスナはいつも二つにくくっている髪をまっすぐ垂らし、鈴のついた髪留めを右手に持ちながら頷いた。
ほんのりと立ち上る湯気や湿り気を帯びた髪。かすかに上気した肌を見るに今まさに風呂から上がったところなのだろう。

「そうなのよ。あたしたちみんなで図書館島の地下に行くことにしたから」

着替えやタオルを手にしているところから鑑みるに大浴場から直接来たのだろう。

「ほう。で、なんで俺のところに?」

首を傾げる。
そんな誠次の態度をじれったく感じたようでアスナは眉間にしわを寄せて言って来た。

「だ~か~ら~。誠亜もなんて言うか頭悪いでしょう!?」

「いきなり毒はくねえ。まあ否定はしないけど」

苦笑する誠次にさらにもどかしそうにアスナは詰め寄った。

「だからそうじゃなくって!誠亜も勉強できないんだから一緒に行かないといけないでしょ!?」

「なんで?むしろ俺には勉強できないのと図書館島を結びつけることの方がわからんのだけど」

さらに首を傾げる誠次にアスナがどういったものか言葉を探す。
するとアスナの影からひょっこりと別の少女が顔を見せた。
前髪を短く切りそろえ、おでこを大きく出した小柄な少女だ。

その少女、綾瀬夕映は怪しげなジュースを手に微妙にとじぎみな眼で誠次を一瞥した。

「アスナさん。その言い方では伝わるものも伝わりませんよ」

ばつの悪そうに頬をかくアスナを尻目に夕映が前に出てくる。

「私たちは今日図書館島地下へと潜ることになりました。かの地にあるという頭が良くなるという魔法の本を手に入れるためです」

「魔法の本んん?」

眉をひそめて言った誠次に夕映が表情の薄い顔で言葉を続ける。

「胡散臭く思うのも確かですが、そんなものにでも頼らなければならないほどに事態は切迫してるです」

誠次は欠伸を噛み殺しながら問いかけた。
なかから何事かとこちらを覗いているティーを軽く苦笑して何でもないと追い返す。

「なんかあったっけ?」

「実はですね」

「あああああああああああ!!」

部屋の中から甲高い悲鳴が響く。
全員揃って振り返ると。
テレビの前でゲームのコントローラーを握ったティーが涙目で震えていた。
こっちに気を取られている間にゲームオーバーになったらしい。

「実は今回のテストで2-Aが最下位を脱出しないとわがクラスは解散になるんだそうです」

「穏やかじゃねえな」

言いながらも誠次はどこか冷静に考えていた。
2-Aが解散になったら自分を女子中に混ぜるうまみがだいぶ減るのだし、ひょっとして解放されるのではないかと。
打算的なことを考える自分に嘆息しながら誠次は頭をかいた。

そんなこちらの様子を見た夕映はさらにたたみかけるように言う。

「さらには、特に成績の悪かった生徒は小学校からやり直しだとか!」

「は?」

一瞬意味が分からず誠次は思わず問い返した。
片眉をはね上げて頭をかく手を止める。

「ですから、小学校からやり直しです」

繰り返す夕映の言葉に誠次は立ちくらみがした。

眼前のアスナと夕映が小学生に混じって集団登校する姿を思い浮かべる。
そしてその隣に自分を置いた。

最悪だ。
考えるまでもなく最悪のシナリオだった。

「正直な話、んなアホなことがあるか、って言いたいところなんだが」

「それは確かにそうですが……」

口ごもる夕映。
自分で言ってその突拍子の無さを改めて実感したのだろう。
いくら成績が悪くても小学校送りはありえない。
そう断じようとして、誠次は動きを止めた。

冷や汗をだらだら流しながら凍りつく。
そんなこちらの様子を訝しげに見ながらアスナは首をかしげた。
しかし夕映はこちらの様子になど気付いていないようだった。

「確かにそうですね。言われてみればまずあり得ないことです。やはり今回のこともデマ……」

「いや」

結論に達したらしい夕映の言葉を遮って誠次は静かに告げた。
感情の抜け落ちた平坦な声音で告げる。

「たった今噂は現実のものになった。学園長の意向がどうあれ今度のテストで2-Aが最下位を脱出できなければバカレンジャーの俺達は小学校送りになるだろう」

「そ、そうなのですか?」

戸惑い気味に問う夕映に誠次は一度頷いた。
アスナは何か察したのか真剣な表情で背後を睨んでいた。

そこには誰もいない。
そう。誰もいないのだ。今は。

だがつい先ほどまでそこには一人の男がいた。
神が立っていたのだ。とてもいい笑顔で。

「行くしかねえようだな……図書館島に!」

決意も新たに誠次は言う。
突然の決意表明に夕映は訝しげに、アスナは何かをうすうす感じ取った顔で誠次を見ていた。







すでに日も暮れ、あたりには誰もいない。
ましてやそこが図書館島、しかも無意味に巨大なその建物の裏手ならなおさらだ。
誠次はバカレンジャーの面々とともに、そこにいた。
皆麻帆良女子中の制服に、登山用のリュックを背負っている。
ただ古菲だけがチャイナ服だった。
ついでに言うなら隣で眠そうにしているネギもパジャマ姿だ。
おそらく無理やり引っ張って来たのだろうがそれでも杖はちゃんと持ってきているのはさすがだった。
その割にはネギの体からいつもの力が感じられないのだが。

誠次は無言で目の前の大きな扉を見上げた。
自分の身長の3倍はあろうかという大きな扉だ。
見れば見るほど不思議な建物だ。
別段、邪気を感じるというわけではない。
むしろこの建物は“整っていた”。いやむしろ整いすぎているといっていい。
“整っている”からと言って何か悪い事があるのかと言われれば、答えは否だ。
強いて言うならば超常の関わる地だと宣言してしまっているに等しいくらいか。

(なんの因果で俺が図書館なんぞ……)

別に図書館が嫌いなわけではない。
勉強は苦手だがあの独特の静かな空気は心を落ち着かせるのにはちょうど良かった。
もっとも同じ静かさならば、人の入り込まないほど山深くの方が誠次好みだが。
まあしょうがない。
誠次とて小学校からやり直しは嫌だった。
それに今から真面目に勉強しなおしてどうにかなるとは思えない。
自分の勉強のできなさはそんな生温いものではない。

扉に両手をかけて押し開く。
その大きさからは想像すらできないほどに扉は軽かった。
これなら力の弱いものでも開けられるだろう。
それこそ女子中学生でも。

扉を開けると同時に視線を感じて誠次は眼を鋭くした。
正確には視線ではない。
こちらを窺う気配とでも言うものだった。

特に悪意は感じないが、神という前例がある。
アレはさしたる悪意もなくこちらを危機に陥れる。

誠次は無言で眼を細めた。
ただでさえ狼のようで威圧感のある眼がさらに怖くなっているのだが本人はそれに気づいていない。

「どうしたの誠亜?」

後ろからアスナが声をかけてきているが無視して誠次は意識を研ぎ澄ます。
深く深く。広く広く。
埋没させ、広げていく。

(見つけた)

内心でほくそ笑む。
えらい深部だがそこにこちらを窺う存在の気配を感じ取る。
気配からして人間だろう。まあ多少の違和感はあるが。
それとその近くにも大きな気配がある。こちらは明らかに人間じゃない。
十中八九化け物の類だろう。
闘って勝てるかどうかは分からないが、相対したとしても皆を抱えて逃げるなり、時間を稼ぐぐらいなら問題ない。
間違っても恐怖で脚がすくむなどということはありえない。

ぶっちゃけ呂布の方が強いし恐ろしいからだ。

方天画戟の一振りで兵士が数百人単位でぶっ飛ぶ化け物と6か月以上一緒にいたのだ。
強いものに対する耐性は十分すぎるほどについていた。

「どうしたですか誠亜さん」

同じ問いかけを今度は夕映がする。
誠次は何でもないと首を振ると、扉の向こうの真っ暗な空間を親指で指した。

「さて。ちゃっちゃと行こうぜ」

それにアスナたちが頷く。
だが一人、まき絵は不安そうにしていた。

「でも、大丈夫かなー。下の階は中学生部員立ち入り禁止で危険なトラップとかあるらしいけど」

「どんな図書館だ……」

呆れたようにつっこむ。
ちなみに誠次は校舎の方に配された小さな図書室にしか行ったことがない。
図書館島は初めてだ。
だがアスナは特に不安がることもなく笑った。

「大丈夫。それはアテがあるから」

言うとアスナはまだ寝ぼけているネギに話しかける。
周囲の者には聞こえないような小さな声で耳打ちした。

「ほらネギ出番よ。魔法の力で私たちを守ってね」

ひそひそ声なのだがわりと耳の言い誠次にはまる聞こえだった。

「え?僕魔法は封印しましたよ」

頼りにしていたネギが役に立たないと知ってアスナが驚愕の悲鳴を上げる。

「えええええええええええ!」

いまさら慌てるアスナに苦笑しながら誠次は扉をくぐって、下を見下ろした。
扉の先は螺旋階段になっており、中には一切の光源がない。
らせん階段故に少し先しか見えないため、無限に続いているような不気味さを宿している。
だが基本、その程度の不気味さで根を上げるようなのはバカレンジャーにはいないようだ。
まき絵を除いて。
涙目になっている彼女に苦笑しながら誠次は歩みを進めた。
真っ暗な中、確かな足取りで階段を下りていく。

「誠亜さん。明かりなしにどんどん歩くと転びますよ」

誠次の後ろを歩く夕映が言いながらヘッドライトをつける。
しかしその光を当てにすることもなく誠次は手をひらひらと振って降りていく。

「ん~。大丈夫。見えてるから」

嘆息した夕映がとうとうと図書館島の蘊蓄を語りだす。
それを半分以上聞き流しながら誠次は歩みを進めた。

10分ほどしただろうか、夕映の蘊蓄も終わり、皆思い思いに談笑しながら歩く中。
誠次は不機嫌に呟いた。

「えらい長いなこの階段。どこにつながってるってんだ」

「確かに妙です。この階段はこんなに長くないはずですが」

夕映もまた訝しげに眉をひそめている。

「迷ったのか?」

問う誠次に夕映が半眼で返す。

「いえ、一本道で迷いようがないと思いますが……仕方ありません地上と連絡を取って確かめてみましょう」

夕映は携帯を取り出すと素早く番号をプッシュした。

しばらくして顔を上げる。

「圏外です……」

「まあ建物の中に入るだけで圏外になったりするからな」

図書館の中が圏外なら通信手段に携帯を選ぶなと言いたいがまあアマチュアなのだし仕方なかろう。
しかし夕映は真剣な表情で首を横に振った。

「今まで何度も図書館島に潜っていますがこんなに早く圏外になったことはありません」

いまいち緊張感のない顔で古菲が首を傾げる。その後ろではまき絵が今にも泣きそうな顔で楓の服を掴んでいた。

「つまりどういうことアルか?」

夕映が一筋汗を流しながら答える。

「つまり今ここで我々には計り知れない何かが起こっているということです」

沈黙が世界を支配する。
誰もが一抹の不安を胸に互いの顔を見ていた。

「どうするでござるか?」

楓の言葉に夕映が地図を広げる。
ひとしきりそれを確認したあと、それをしまって言った。

「戻りましょう。いったん体勢を立て直すべきです」

そうだな、と言いかけて誠次は口を開くのをやめた。
無言で天井を見上げる。

かすかだが何か音が聞こえていた。
楓も同じようで眼をわずかに開いて天井を見ている。

「誠亜どうしたの?」

「ああ」

問いかけるアスナに誠次は生返事を返す。
音はだんだんと大きくなっていった。
何かが高速で回転するような、そして何かが削り取られるような音。

「あの、何か音がしませんか?」

不安げにネギが言う。
その頃には音は皆に聞こえるほど大きくなっていった。

「これ……何の音?」

不安げにまき絵が問う。

「んー、なんて言うかドリルみたいな音やね」

相変わらずどこかふわふわした口調でこのかが言う。

それに誠次はニヤリと笑った。
ひきつった笑いだった。

「正解だ」

チームの最後尾まで一気に駆け上がると、呆けている面々に向かって声を張り上げた。

「馬鹿でかいドリルが階段を下ってくるぞ!お前ら全員走れ!!」

その言葉に皆の顔が一斉に青ざめる。
その瞬間銀色のドリルが壁を削り取りながらその姿を見せた。

「きゃああああああああああ!」

悲鳴とともに全力で階段を駆け降りる。
ドリルは石の壁を軽々と削り取りながら追いかけてくる。
こんなものに巻き込まれれば命はない。

階段を数段飛ばしでかけ下りる。
幸いだったのはここにいるのが普段から図書館島を探検している面々とバカレンジャーだということか。
バカレンジャーは勉強ができない代わりに基本身体能力が高い。
もしそうでなかったなら危ないことになっていたに違いない。

やかましい切削音に苛立ちを覚えながら殿を走り続ける。
誠次とドリルの間には1メートル以上の間が空いており、スピードもそれほど速くはない。
問題なく逃げ切れそうだった。
そう誠次が内心安堵の息をついた瞬間、ドリルが進行速度を上げた。
誠次の背負っているリュックがドリルに巻き込まれ、はじけ飛ぶ。

「お前ら!ドリルがスピードアップしたぞ!もっと急げ!!」

「いやああああああああああ!!」

まき絵の甲高い悲鳴がどこまで続いているのかわからない螺旋階段に響きわたる。
バカレンジャーズは時折足をもつれさせながらも必死に階段を駆け降りる。
この階段がどこまで続いているのかわからないのが大きな問題だった。
このまま逃げ切れるのならそれでもよいが、途方もなく距離が残っているのなら皆の体力的に危なくなる。
なにか手を打たなくてはならないだろう。

誠次は視線で何かを殺せそうな眼で背後のドリルをにらんで毒づいた。

「ちっ!よもや図書館島がこんなデンジャーな場所だったとはな!こんなところを探検するなんて図書館探検部は強者だぜ!」

「そんなわけ、ないでしょう!」

夕映が息を切らしながらもつっこんでくる。
大した根性だと感心するがすぐに後ろから聞こえてきた音に肝を冷やす。

ポン・ポンと音がなりだす。
その音はいうなればF1なんかでスタートを切る時の秒読みの音だ。

前方に怒鳴り声を上げる。

「楓!古菲!加速するぞ!!」

叫びながら己も動く。
自分のすぐ前を走っていたこのかとアスナを小脇に抱えて、全力で地を蹴った。
前方では楓がまき絵と夕映を、古菲がネギを抱えて同じように加速している。

次の瞬間、ドリルが怪しげな回転音とともに急加速した。
容赦なく石壁を破壊しながら追いすがる。

「いやー!いやー!足が当たる足が当たる!誠亜もう少し前に持って~!!」

アスナが涙を流しながら叫ぶ。
誠次は歯を喰いしばって階段を駆け降りる。
人二人を抱えてこんな速度で階段を下りるのはなかなかに難しいことだったが、泣き言を言っていられる状況ではない。

「どこまで続いているアルかー!!」

古菲が悲鳴のような声を上げる。
先の見えない不安が皆を焦らせているようだ。
大量の情報に振り回されそうになるのであまり好きではないのだが仕方ない。
誠次は意識を集束させ走らせる。
数秒して声を張り上げた。

「もう少しある!!足緩めんな!!」

誠次の言葉に皆の顔に焦燥が浮かぶ。
楓が軽くこちらを振り返って問うた。

「なぜわかるのでござるか!?」

左右の足を一所懸命に前に出しながら誠次が叫び返す。

「森羅万象全てのものには氣が宿る!それを見りゃどこにどんな何があるかはすぐ分かんだろ!!」

「いろいろつっこみどころは満載でござるが、わかるのなら出口まで具体的に後どれくらいか教えてほしいでござる!」

「今のスピードなら後1分だ!」

1分それくらいならどうにかなると実際に走っている楓と古菲の顔に安堵が浮かぶ。
もっとも抱えられている面々は、それがどれくらいの危険度なのか理解できないためか不安そうだが。

安堵する誠次を含めた3人に冷水をぶっかけるかのように背後のドリルから合成音声が流れる。

『爆発30秒前』

「おぃぃぃぃいぃぃぃぃ!!」

思わず叫ぶ。
全員の顔が面白いぐらい青ざめた。
今までにもまして必死に駆ける。
背後でのカウントは無情に続く。

『29,28,27、26……』

残り26秒。
残念ながらどう考えても間に合いっこない。
切り札を使うか。
そう考えたところでドリルのカウントダウンが止まる。

訝しげに眉を寄せるとドリルから若干の戸惑いを含む声が漏れた。

『アト何秒ダッケ?』

「をいこらロボット」

思わず半眼でつっこむ。
しかし誠次の抱えるアスナはこれ幸いと声を張り上げた。

「100!あと100秒よ!!」

これで本当にこのドリルが残り100秒だと勘違いすれば間違いなく間に合う。

『100秒?ソンナ多クハナカッタヨウナ……』

だがそんなに甘くなかったようだ。
ドリルが何か悩むような声を上げる。
だがこれはこれで時間稼ぎになっている。
しかしとんだバカドリルだと胸中で笑う。

『ウウム。美少女ノせくしーしょっとをヲ見レバ100秒ノ気ガスルカモ』

前言撤回。
こいつはエロドリルだ。
切り札を使って粉々にしてやろうかと一瞬真面目に考える。
しかし、前方を走る古菲は真面目に受け取ったようで焦燥に満ちた声で言い放った。

「じゃ、じゃあアスナのパンチラでどうアルか!?」

「ちょっとおおおおお!!」

アスナが抗議の叫びをあげる。
だが意外にもドリルは渋い声で唸った。

「ウウ~ム。残念ダガついんてーる娘ノぱんつナラサッキカラちらちらト見エテルシ」

「えっ!ウソ!」

慌てて自分のスカートを両手で押さえようとするアスナ。
突然の動きに誠次は大きくバランスを崩しかけた。
転倒しそうになる体を無理やり保って階段を蹴り飛ばす。

「アスナ!無茶な動きをすんな!!」

「ゴッ、ゴメ……」

ばつの悪そうに謝るアスナの声を遮ってドリルの拗ねたような声が響いた。

『せくしーしょっとガ無イナラ残り10秒ダ』

「スクラップにするぞクズ鉄が!!」

思わず怒鳴りつける。
だが出口はもうすぐそこだ。
階段から飛び出して物陰に隠れる時間は十分にある。

『9,8……』

口元に笑みが浮かぶ。
出口を通った後の回避のために両手の明日菜とこのかをしっかりと持ち直す。
うしろでは相変わらずカウントダウンは続いているがもう意味はあるまい。

『7、6、以下略。爆破』

「略すなああああああああ!!」

絶叫しながら無理やり体を投げ出した。
階段から脱した瞬間、全力で足を地面に叩きつけて体を横に跳ね飛ばす。

『れっつぼんばー』

抑揚のない合成音声でドリルが告げる。
その瞬間大爆発が図書館を揺るがした。
噴き出した爆風が大きな部屋を赤々と照らしあげる。

それをぞっとした表情で見ながらアスナが呟いた。

「しゃ、シャレにならない……」

誠次もまた脇に抱えた二人を地面に下ろしながら頷いた。

「恐るべきは図書館島か」

「だから、違います」

夕映が荒れた息を整えながら言う。

「こんな危険な罠、いえ、危険すぎる罠は今まではありませんでした。何者かの悪質な改変があったとしか思えません」

未だ炎を上げるドリルを震えながら見ているネギの横で古菲が人差し指を立てて言った。

「ひょっとしてワタシ達が魔法の本を狙ってるのを知って、警備を強化したんじゃないアルか?」

「その可能性は否定しきれませんが……」

誠次はそれを眺めながら自然な動きでネギの後ろへと回りこんだ。
身をかがめ、耳もとで囁く。

「おいネギ」

「えっ?あ、はい」

驚いたようにネギがこちらを向く。
誠次は構わずネギにしか聞こえない小さな声で問いかけた。

「魔法を封印したっていったが、どれくらいで解けるんだ?お前が魔法を使えるのと使えないのじゃだいぶ難易度が変わってくるんだが」

するとネギは申し訳なさそうにうなだれた。

「すいません。この封印は3日間はとけないんです。こんなことになるとは思えなくて」

その頭をくしゃくしゃと撫でて誠次は身を起こした。

「いや、お前のせいじゃねえよ」

言ってあたりを見回すが周囲に気配はない。
かといって気配を読むだけでは人の意思の介さないトラップや機械は探りきれない。

大量の本棚が立ち並び、幾回にも及ぶ広大なスペースが一つにつながっている。
呆れるほどに広大な図書館だ。
話を聞く分にはさらに地下にも続いているというのだからその蔵書量はどれほどのものか。

「つ、次はどんな罠があるんでしょうか?やっぱり大岩とか」

アワアワとあたりを見回すネギに誠次は嘆息する。

「皆目見当もつかんが、大岩ならドリルより組みしやすそうだな」

ネギは不安げに左手を本棚に添えながら歩く。

「皆さん注意してください。この図書館は貴重書狙いの盗掘者を避けるために罠がたくさん仕掛けられています」

「え?」

夕映の忠告にネギが呆けたような声を上げる。
それと同時にネギの左手の先でカチリと硬質な音がした。

瞬間、本の隙間から一本の矢が飛び出す。
空を裂いて飛ぶそれはネギの体に当たる寸前で横合いからのびた手につかみとられた。
楓はつかみ取ったそれをパキリとへし折った。

ネギが青い顔でそれを見つめる。

「シャ、シャレにならない……」

アスナが先ほどと同じ言葉を呟く。
誠次は無言でそれを眺めながら淡々と口を開いた。

「お前が知ってるってことは、これはもともとある罠なんだな?」

それに夕映が無表情に頷く。
誠次は眉間にしわをよせて毒づいた。

「やっぱりデンジャーじゃねえか図書館島。今回のことがすんだら二度と来ねえ」

「言っておきますが地上部分はごく普通の図書館ですよ。危険なのは地下だけです」

夕映が不満げに言う。図書館島を悪く言われるのが気に入らないのだろう。
手をパタパタと振って降参の意思を示しながら誠次は息を吐いた。

「うひゃう!!」

突然聞こえてきた悲鳴に視線を向ける。
見ればまき絵が地面に突き立った矢を前に腰を抜かしているところだった。

古菲が笑いながら手を差し伸べる。

「アハハ。注意するアルよ~マキエ~」

それを眺めていた誠次は唐突に眼を見開いて首を傾けた。
先ほどまで誠次の頭のあった場所を風切り音とともに一本の矢が通り過ぎる。
続く4本の矢をすべて右手の指の間に挟み取っていく。

振り向くと楓も同じように両手の指の間に多数の矢をはさんでいた。
ネギやアスナが驚いたようにあたりを見回している。

誠次は嘆息とともに夕映に問いかけた。

「念のために聞いておくがこいつらはいつもはいんのか?」

「断じていません。図書館は変態空間じゃないです」

憮然とした表情で夕映が答える。
その言葉に肩をすくめながら誠次はあたりを見回した。
そこにはへのへのもへじの仮面をつけた全身タイツの集団が弓や斧を持ってこちらを囲んでいた。

誠次は狼のような眼を半分とじながらどこか呆れたように告げた。

「大変な探検になりそうだ」












ここはどこだろうか。
そこは図書館島の地下だ。
しかし図書館島の地下であるにも関わらず空には青空が広がっており、空間的にも少々広すぎる。
図書館島地下の一部を神がてきとーに空間をいじって、てきとーにものを組み替えて作った場所である。
ところどころ木の根の張り出したそこでソファに寝そべってテレビを見ている男がいた。
整った顔立ちに髭がダンディズムを醸し出す、なかなかに見栄えのするおじさんだった。
だがその体を包む服はあろうことかセーラー服である。
神だった。

神は手の中の湯のみのお茶を一口すすると、その熱さに眉をしかめる。
冷やそうと念じると、お茶の温度が数℃下がる。
もう一度すすると今度は適当な温度だった。
満足げに視線をテレビに移す。

テレビの中では誠次をはじめとしたバカレンジャーズの面々が謎の仮面集団に囲まれているところだった。
くつくつと笑いながらそれを眺める。

これからどんな罠を仕掛けてやろうかと考えを巡らせながら神は手元のポテトチップスを口に放り込んだ。
パリパリと噛みながらテレビを見る。

すると突然、空間をこじ開けて何者かが入り込んできた。
体を起こして覗くとそれは一人の男だった。
年は若い。見た目は、だが。
ローブに身を包んだあからさまに魔法使いという男だ。
柔らかな顔立ちで明確な2枚目である。

男に続いてこんどは大きなものが入ってくる。
空間の穴を狭そうに身を縮めて入って来たのはドラゴンだ。
腕が翼と融合している。
なかなかに大きく両翼広げれば何十メートルにもなろうか。
100メートルいくかもしれないが別段そんな些細なサイズの違いは問題になるまい。

男は微笑を浮かべたままこちらに歩み寄ってくる。
ある程度近づいたところで笑みを崩さぬまま言ってきた。

「困りますね。この図書館島であまり無茶をされては。私が怒られてしまいます」

神はその男とドラゴンを一瞥すると口元を笑みの形に歪めて言った。

「初めましてだなアルビレオ・イマ。それともここは空気を読んでクウネル・サンダースと呼ぼうか?あるいは皮肉をこめてケンタッキーおじさんの名前で呼んでもいいがな」

二人の視線が蒼天のもとでぶつかりあった。



[9509] 第15話 紅色の狼&そいつの名はニョロ
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/09/02 15:55
神と俺のコイントス15










第15話  紅色の狼&そいつの名はニョロ











ただひたすらに両足を動かす。
飛来する矢は捉えられないが、確かに耳に届く風切り音はネギの心に恐怖を刻んでいた。
へのへのもへじの全身タイツ集団は次々と矢を射かけてきていた。
不幸中の幸いは、へのへのもへじたちの動きが一般人をそう逸脱したものではないことだ。
そうでなければさすがに防ぎきれなかっただろう。

ネギは目の前でめまぐるしく動く二人を見て、改めて感心した。
ネギの前では二人の少女が飛びくる矢を素手で弾いていた。

双方ともに中学生にあるまじき長身で、片方は開いているのかわからない糸目でもう片方は狼のような鋭い目つきが印象的だった。
二人ともネギの生徒で糸目が長瀬楓、狼目が風間誠亜である。
この二人、口調も特徴的で楓は自分を拙者と呼び語尾にござるを付ける侍口調、誠亜は自分を俺と呼ぶ完全な男口調で話す。

二人はアスナとネギ、まき絵、このか、夕映をはさんで両側に位置して、飛びくる矢を弾いている。
ネギとアスナ、まき絵は涙目になりながら必死に足を動かした。

アスナもまき絵もこのかも夕映も一般人。ネギも今は魔法を封じているので普通の子供と何ら変わりない。
当然矢が当たれば刺さるし、場所が悪ければ死ぬこともありうる。
身近に迫る死にネギは早鐘のようになる心臓を持て余していた。
もし魔法が使えるのなら、普通の矢なぞ魔法障壁に阻まれてネギには届かない。

いつもあるものがない。
いつもできていることができないだけでこんなにも恐怖が増すとは、ネギの人生初の発見だった。

空を裂いてネギの頭めがけて飛んできた矢を楓がつかみ取る。
そのまま楓は体を回転させると、反対側から飛んできた3本の矢をつかみ取った。
素早く跳躍すると、まき絵の後ろに回り込み、後方から飛んできた4本の矢をすべてつかみ取る。

同じように誠亜がアスナめがけて飛んできた矢を無造作に右手で打ち払う。
このかを狙った矢を手のひらで受け止め、もう一度アスナの足元を狙った矢を右の回し蹴りで弾く。
楓が正確に矢をつかみ取っているのに対し、誠亜はかなり力任せに弾いていた。
それなりの回数矢じりが体にあたっていると思うのだが、なぜか誠亜の体に出血らしい出血はない。
つくづくなにものなのだろうか。

へのへのもへじたちは矢ではらちが明かないと思ったのかそれぞれ手斧を持って飛びかかってきた。
かなりごつい手斧で、肉厚の刃にところどころ赤黒い染みが付いているのが気になるところではある。

無言でへのへのもへじが凶悪な手斧を振りかぶって迫る様はかなり怖い。

「ひっ!」

まき絵が思わず悲鳴を上げる。
どこか緊張感のないこのかをアスナがかばってへのへのもへじを睨みつけていた。
へのへのもへじは無表情に、だが確かな力をこめて斧を振り下ろす。
その斧は人の頭ぐらい簡単に勝ち割れるだけの威力を宿しているようだ。
アスナがへのへのもへじを蹴り飛ばそうとした瞬間横合いから何かが素早く割り込んできた。

「近づいたらこっちのものアルよ!」

褐色の肌のチャイナ服の少女、古菲は不敵な笑みとともに拳を人形に打ち込んだ。
激しい踏み込みに床に罅が入る。
拳の全破壊力をまともに受けた人形は思い切り地面と平行に吹っ飛んで本棚に激突し、動かなくなった。

さらに頭上から別のへのへのもへじが襲いかかる。
古菲は間に合わないタイミングだが、風よりも早く楓が飛びついた。
空中でへのへのもへじの腕をつかみ取り、そのまま関節を極めて床に抑え込む。

「なんなのよこいつら~!」

アスナが思わず悲鳴を上げる。
わかりませんよ。
そういおうとしてネギは眼を見開いた。
アスナの後方。
なにもない虚空からへのへのもへじの上半身が這い出していた。

「アスナさん!!」

思わず叫ぶ。
危ないと続けようとして、もう間に合わないと口をつぐんで駆けだした。
へのへのもへじはすでに斧をアスナの頭めがけて振りおろしている。

駆けだしたあと気がつく。
今の自分は魔法が使えないということに。
魔法の力があればまだ分からないが今の自分の身体能力では間に合うはずもない。
あのまま注意を促せば、不思議と身体能力の高いアスナのことだから間に合ったかもしれないのに。
致命的なミスを犯した自分に胸中で怒声を上げながらネギはもう一度口を開こうとした。

そのネギの前で斧の分厚い鉄の刃がアスナの頭に喰らいつく。

その光景がスローモーションで見える中、寸前で横から凄まじい勢いで突っ込んできた何かに激突されてへのへのもへじが吹っ飛んだ。
数メートル離れたところから一歩で距離を詰めた誠亜がへのへのもへじの頭をつかみ取り、反対側の本棚に叩きつける。
本棚が衝撃に小さく砕け、収められていた本が破れ飛んでページを散らす。

一瞬夕映が抗議の声をあげかけて飲み込むのを感じたがさすがに声には出さなかったようだ。

ほっと安堵の息をつくネギにアスナの叫びが届いた。

「ネギ!危ない」

「へ?」

あわててあたりを見回すが、何も見当たらない。
訝しげに眉を寄せるネギはふと嫌な予感がして視線を下にやった。
そこには床から上半身を生やし、斧を振りかぶったへのへのもへじの姿。

慌てて飛び退る。
しかしただの9歳児と化しているネギの跳躍力などたかが知れている。
無情にも斧は振り下ろされる。

思わず目を閉じたネギの耳に聞こえたのは自分の肉と骨が鋼の刃に切断される音ではなく、何か固いものが砕けるような音だった。

恐る恐る目を開けると。
そこには頭が粉々に砕け、鮮血をぶちまけたへのへのもへじとそれをなしたであろう一本の足が見えた。
足をたどっていくと、凶笑を浮かべた誠亜の顔に行き当たった。

誠亜はへのへのもへじの頭を踏み砕いた足を自分の方に引き寄せると、その場でくるりと体を回転させ、後ろからナイフを片手に飛びかかってきたへのへのもへじの首に引っかける。
誠亜はそのまま跳躍すると渾身の力でへのへのもへじを床に叩きつけた。
ごきりと生々しい音を立ててへのへのもへじが動かなくなる。
誠亜はそれを一瞥すらせずに、視線をこちらを攻めあぐねてうろうろと様子をうかがっているへのへのもへじたちに向けた。
右手にはアスナを助けるときにつかみ取ったへのへのもへじをぶら下げている。
その右手のへのへのもへじが急に暴れ出した。
誠亜の右腕を掴んで、動かすまいと押さえつける。

それをチャンスといままで様子を見ていたへのへのもへじが一斉に飛びかかった。

誠亜は動けないはずだがその顔に焦りはない。
泰然とした態度でへのへのもへじたちを眺めている。

へのへのもへじが誠亜に刃を振り下ろすより早く二つの風が誠亜の横を通り抜けた。
疾風のごとき素早さでへのへのもへじへと距離を詰めた古菲と楓はそれぞれ拳の一撃でへのへのもへじを打ち砕く。
飛びかかってきたときの3倍近い速度でへのへのもへじたちが吹っ飛んでいく。

それを見届けた誠亜はつかんでいるへのへのもへじの頭を無造作に握りつぶした。
ぐしゃりと言う生々しい音と共に赤い液体が弾け、誠亜の手を染める。

へのへのもへじたちは叶わないと悟ったのか次第にネギたちから離れていく。

命の危機から離れて頭が正常に回りだすと改めて眼の前の光景が目に入った。床に横たわるへのへのもへじの仮面をかぶった全身タイツの謎の人物。
いやかぶっていた、というべきが。
二人は頭を粉々に砕かれ、一人は首の骨を折られて血の海に沈んでいる。
どう見ても死んでいる。
さあっと顔が青ざめていくのがわかった。

「誠亜さんなんてことするんですか!」

誠亜に詰め寄るが誠亜は逆に不思議そうにネギを見下ろした。

「は?何が?」

まるで罪悪感など感じていなさそうな顔にネギはさらに詰め寄ってへのへのもへじの死骸を指差した。
感情のままに叫ぶ。

「これどうみても死んでますよ!!なにも殺す必要は……」

声を荒らげるネギを誠亜は軽く突き飛ばした。
たたらをふむネギの前で誠亜が上体を反らして横、本棚同士の間から突き出された槍をかわした。
眼の前を通り過ぎる槍の柄をつかみ取るとそれを無理やり引き寄せる。
勢いよく引っ張られて前のめりになったへのへのもへじに向かって誠亜は体のひねりを駆使した渾身の貫き手を打ちこんだ。
空を裂く手刀がへのへのもへじの左胸を貫通して背中から顔を見せる。
噴き出した血が誠亜の顔を赤く染め、おぞましい怪物のように彩った。

息を呑むネギの前で誠亜は腕をへのへのもへじの体から引き抜くとその首を掴んで右に差し出した。
回転しながら鋭く飛んできた斧が胸を貫かれた死体に突き刺さる。
誠亜は死体を放り捨てるといつの間に回収したのか手に持った手斧を振りかぶった。
身を反らして力をため、それを投じる。
風を引きちぎって飛ぶ斧は斧を投げた姿勢で固まっていたへのへのもへじの頭を一撃で爆砕する。
その衝撃に撒き散らされた赤黒い血はべったりと背後の本棚を汚した。

「誠亜さん!!」

眼の前の惨状に気圧されながらもネギは叫んだ。
誠亜は面倒くさそうにネギを一瞥する。

「なんだよ?」

言いながら、本棚の上から飛びかかってきたへのへのもへじの一撃を軽く身を反らしてかわして無防備なへのへのもへじの体を叩き落とした。

「大した話じゃないんなら後にしてくれ。粗製品とは言え油断は出来ないんでね」

眼の前で行われた殺人行為に目を見開いて固まるネギたちを軽く一瞥して、床に倒れるへのへのもへじの首を踏み砕く。

心臓の鼓動がやたらと大きく聞こえている。
喉がからからと乾いていたかった。
視界がぐらぐらと揺れている気がする。
こんなことが許されていいはずがない。
たとえ怪しい襲撃者だとしてもその命をむやみに奪っていいはずがないはずだ。
しかもそれをやっているのは自分の生徒だった。

止めなくてはならない。
確かに誠亜は乱暴なところはあったが、それでも眉一つ動かさずに人を殺せるような悪人ではなかったはずだ。
何が彼女を変えたのか。
思い当たるのは少し前の事件。
呂布に攫われて、かえってきた誠亜は「生で虎牢関を体験させられた」と言っていた。
虎牢関といえば三国志で語られる虎牢関の戦いだ。
戦争を経験させられたのなら、それで人の生き死にに対して感覚がマヒすることもあるかもしれない。

誠亜がまた両手につかみ取った二人のへのへのもへじの頭を叩きつけて粉砕する。
首から上がなくなった二人のへのへのもへじを放り捨てながら誠亜はまたあたりを見回した。


眼の前で再び行われた殺人行為に頭の中がかっと熱くなるのを感じた。
止めなきゃならない。
沸き起こる衝動に突き動かされるままにネギは踏み出した。
魔法の力をもたぬ今の自分に止められるかはわからないがそれでもやらなくてはならない。

ここでこの惨劇を止められなければ自分にマギステル・マギになる資格などない。
誠亜の顔を見上げる。
別に殺気を向けられているわけでもないのに、なにか怪物を前にしているかのように言い知れぬ恐怖が胸に湧きおこってきた。
それを押さえつけて声を張り上げる。

「誠亜さ……」

「しかし良くできてるでござるな。この人形。人間にしか見えぬゆえ誠亜殿がこやつらの頭を踏み砕いた時は驚いたでござるよ」

横から割り込んで着た声にネギは凍りついた。
そんなネギの様子などきづいていないかのように誠亜は足元の白い破片を拾い上げて眉をひそめた。

「だな。たぶん骨と筋肉、血液は本物の人間とそう変わらないんじゃないのか。かなり脆くはあったが。でも逆に脳も内臓も一切入ってねえ。こいつを作った奴はどういうつもりだったのかね。妙なところで人間に似せているくせに中身を一切いれないんじゃ人間に偽装する意味がない。人に偽装する必要がないんなら骨格や筋肉を人間と同じにするメリットがない」

楓はどこからともなくくないを一本取り出すとそれを投じた。
弾丸じみた速度で飛んだそれは遠くでこちらをうかがっていた最後のへのへのもへじを貫く。

「誠亜殿はいつから気づいていたのでござるか?」

誠亜は頭をかこうとして自分の手が血でべったりと汚れているのを見て舌打ちした。
スカートで拭いながら答える。

「最初に見た時だよ。氣の流れが生きてるもんの流れ方じゃなかった。どっちかというと物の氣だったからな」

古菲が地面の血の海を踏まないようによけながら近づいてきた。

「どうりで手応えがおかしいと思ったアルよ」

こんどこそ頭をかきながら誠亜がこちらに振り向く。

「で、ネギ何か用か?俺の名前を呼んでたみたいだけど」

「い、いえ……なんでもないです……」

ばつの悪い思いでごまかす。
浮かべた笑みはひきつっていた。
なんだか限りなく空回りだったようだ。
どうやらこのへのへのもへじは人間ではなかったらしい。
よくよく見ると砕かれた残骸にも血のような赤い液体こそあれ、他の物が何一つ入っていなかった。

あの恐怖もそれに立ち向かった決意も完全な一人相撲だと悟ると不思議と泣きたい気分になってきた。

「なんでもないんです。なんでもないんですよ。はは……」

乾いた笑いを上げるネギを不思議そうに見下ろしたあと誠亜はアスナたちの方に振り向いた。

「とりあえずひとまず敵は殲滅したわけだし、いまのうちに先に進も……う……か……?」

言葉を失う誠亜にネギは訝しげに眉を寄せると視線を誠亜と同じ方向に向けた。
そして同じように凍りつく。

泣いていた。
そこには涙目で震えるアスナの姿があった。
あまつさえその後ろではこのかとまき絵が気絶している。
夕映は気絶こそしていないが顔にたっぷりと冷や汗をかいていた。

「ど……どったの?なんで泣いてんの?」

激しく動揺しながら誠亜が問いかける。
それを聞いた瞬間アスナがネギの手から杖をむしり取って誠亜めがけて投げつけた。
誠亜はそれを軽く身を捌いてかわす。

「ああああああああんたねえ!本気で聞いてんの!?」

凄まじい剣幕で叫ぶアスナに誠亜は戸惑ったように頬をかいた。
そして頷く。

「おう。ていうか後ろの二人は何で気絶してるんだ?ひょっとして攻撃があたってたか?」

「あああああああもおおおおおおおお!いい!?目の前であんな惨殺ショー見せられて平気でいられるわけないでしょう!」

全くもってもっともな主張なのだが誠亜はなぜか首を傾げた。

「だってただの人形だぞ、アレ」

「私たちにそんなことわかるわけないでしょう!!」

脳裏の恐怖映像を振り払うように声を張り上げるアスナを手でおさめながら誠亜はひきつった笑みを浮かべた。

「というかむしろ人じゃないからと言って、人と同じ姿形をしたものを容赦なく破壊できる誠亜さんの神経が理解できないです」

さらに床にぺたりと座りこんだ夕映が責めるように誠亜を睨む。
だが誠亜は困ったように腕を組んだ。

「うーん。心も魂もねえ人形を人間と似た姿だからって特別扱いして騒ぎ立てる方が俺には理解できんのだが……悪かった悪かった。次からはちゃんと怖くないように倒すからなんて言うかその眼をやめろ」

降参降参と両手を上げる誠亜にアスナは頬を膨らませながらもしぶしぶ引き下がった。

「じゃあ出発するでござるか。このか殿たちはどうするでござるか?」

「しょうがない。起こすか」

このかとまき絵を起こそうと二人に近づく誠亜をアスナがつかみとめた。
そのままじジト眼で誠亜を見つめつつ言う。

「このままでいいわ。また敵が出てきたとき誠亜さんがスプラッタショーを再開する可能性があるし」

「だから悪かったって」

すまなそうに言う誠亜に多少は溜飲も下がったのか、アスナは誠亜の額をパチンと弾くとこのかをおぶった。
それにならって楓がまき絵を抱きかかえる。

全員で歩き出そうとするとおずおずとした声がかけられた。

「す、すいませんが手を貸してもらえませんか?」

恥ずかしそうに言ったのは夕映だ。
誠亜が歩み寄って手を差し出す。
夕映はそれを握って引っ張ってもらって立ち上がりながら言った。

「すいません。腰が抜けたもので」

言う夕映は半眼である。

「いろいろすまんかった」

誠亜が頭を下げて謝罪する。

「まあ私たちを守るための行為だったのだし、そう文句も言えないのかもしれないですが、私たちは誠亜さんのように割り切れはしないというのを覚えてほしいです」

「すまんかった」

謝る誠亜にもういいと仕草で言いながら夕映は体を支えるように本棚に手をついた。
そして手についた感触に視線をそちらに向ける。

そこにはへのへのもへじの血でべっとりと汚れた本達があった。
夕映はそれを無言で見つめる。
表情には出ないし、声にも出さないがその瞳には確かな悲しみがある。
本当に本が好きなのだろう。

「夕映さん……」

夕映はそっと血に濡れた本の背表紙をなでると少し後ろ髪を引っ張られるような表情で振り向いた。

「しかたありません。今は先に行きましょう。ここで立ち止まっていてはすべてが無駄になってしまいます」

全員でぞろぞろと歩きだす。

「ああ~。ホントすまんかった」

先ほどの夕映の表情に感じるところがあったのだろう。
今まで以上にすまなそうに誠亜が謝罪を口にする。

「もういいですよ誠亜さん。さっきも言いましたが誠亜さんは私たちを守るために戦ったのだし、本当に悪いのはあの悪質な人形を仕掛けた黒幕です」

「悪質?」

その言葉に思い当たる節がなかったのか、誠亜は問い返した。
それに夕映は頷く。

「あれはこの上なく悪質なものです。相手に死の恐怖とともに“殺し”の恐怖を当たえ、さらには殺人という非日常を目の当たりにすることにより恐慌状態を引き起こすものです」

「殺しの恐怖?」

「誠亜さんは一目で気付いたようですが、普通の人なら相手を殺してしまったと考えます。誠亜さんは言っていたですよね。かなり脆い、と。おそらくそれは普通の人を殺さずに無力化するつもりで攻撃しても死ぬように設定された脆さだと思います。これを悪質と言わずに何というのですか」

それだけのことを簡単に推理して見せる夕映の洞察力に少なからず感心しながらネギは話に耳を傾けた。
ふと誠亜が足を止めた。
難しい顔をして唸る。

「妙に手の込んだ……なんか引っ掛かるな。こう喉まで出かかっているんだが」

俯き気味に考え込む誠亜の背中を最後尾を歩いていた古菲が叩く。
彼女はからからと笑いながら言った。

「何ぶつぶつ言ってるアルか?みんなもう先に行っ……」

言葉が突然終わる。
一瞬何が起きたのかわからずネギも誠亜もきょとんと眼を瞬かせた。
視線の先には今まで通り、このフロアの出口がある。
そこを通って階段を降り、下のフロアに行く。
そこにあるのは変わらに光景だ。
ただ一点を除いて。

「ぐっ……つ……」

壁に叩きつけられた古菲が苦しげに呻いていた。

次の瞬間、隣にいた誠亜が何かに押しつぶされる。
黒い何かがネギの視界の端を通り過ぎたと思ったら、誠亜がそれに押しつぶされて床に叩きつけられた。
床が陥没してあちこちに罅を走らせる。

悲鳴すら上がらない。
ネギは呆然とした面持ちで振り向いた。

そこにいたのは犬だった。
ただしとてつもなく巨大な体躯を持った3つ首の犬だ。
その大きさは犬の範疇を超えている。
正直言って象よりもずっと大きかった。
3つ首の犬は獰猛な唸り声をあげながらネギたちを睥睨する。

あまりにポピュラーなそれはさして考えるまでもなく名前が浮かんだ。

ケルベロス。
3つの首を持つ冥界の番犬。

アスナと夕映が息をのむ。
楓が素早く二人の前に前に回り込んだ。
己の方に来るようネギの名を呼んでいる。
古菲を殴り飛ばし、誠亜を叩き伏せたのは間違いなくこいつだろう。
その鋭い牙と強靭な顎。その大きな体躯から見て、魔法の力をもたぬネギなど一瞬で喰い千切れる魔物だ。

現実感のない光景に理性がついていかない。
ケルベロスはその6つの瞳で一同を睥睨すると、硬直しているネギめがけて一気に喰いかかった。

その段階になってやっとネギは我に返る。

「ッ!ラステル・マ・スキル」

慌てて杖を構え、呪文を唱え始める。
唱え始めた後自分が魔法を封じたということに思い当たり呆然とする。
どうすればいいのか。
まったく思いつかなかった。

ただ不思議と落ち着いた気持ちで自分に向ってくる牙の並んだ顎門を眺める。
自分はここで死ぬのだろうか?
マギステル・マギになることもなく。
父親を見つけることもなく。

こころは澄み渡っている。
死ぬ前には走馬灯を見るとよく聞くが、ネギの脳裏には何も浮かんでこなかった。
ただ眼前の光景を見つめるだけである。
だがたった一つ浮かんできた言葉があった。
ネギは淡々とその言葉を口にした。

「悔しいな」




衝撃が体を貫いた。
骨の髄まで突き抜ける衝撃がネギの小さな体躯を揺らす。
ネギの体だけではない。
衝撃は周囲のすべてを撃ち抜いた。
広大極まりない図書館のフロアが激震する。
本棚が浮き上がり、落下して本を床に放りだした。

何が起きたのか理解できない。
眼前の光景が一変していた。アレだけ殺気をばらまいていたケルベロスがいなくなっていた。
変わりに一人、人が立っていた。
その人は全身を真っ赤に染めあげながらそこに立っていた。
右腕を振り上げた状態で立っていた。
かなり長いざんばらの髪が血に塗れ、顔にべったりと張り付いている。
麻帆良女子中の制服であるブレザーもシャツもチェックのスカートもどす黒い紅に染まっていた。

呆然とそれを見つめるネギの前でバケツをひっくり返したような雨が降った。
紅い雨だ。
紅雨が少女の体をさらに紅く染めあげていく。

この上なく禍々しい笑みを浮かべたその少女が自分の生徒である誠亜だと気付いたのは30秒以上たってからだった。

ズシンと重い音が響く。
何事かと覗き込んでネギは眼を見開いた。
そこにはケルベロスがいた。
ケルベロスはいなくなったわけではなかったのだ.。

なぜケルベロスが突然消えたのかネギは理解した。理解して戦慄する。

ケルベロスは殴り飛ばされたのだ。

先ほどの重い音は打撃の衝撃で打ち上げられたケルベロスの体が落ちてきた音だったのだ。

ネギは目の前に横たわるケルベロスを見てごくりと唾を飲み込んだ。

それは下半身しかなかった。
そう下半身だけだ。
腰より前はどこにもない。

ふと天に向けられた誠亜の拳が目に入り、ネギは上を見上げた。
そして天井が目に入った。
数階分吹き抜けになった構造上かなり高い位置にある天井だ。
そこが真っ赤に塗りたくられていた。

考えるまでもない。
誠亜の拳がケルベロスの上半身を跡形もなく吹き飛ばし、その血と残骸が天井に叩きつけられ、張りついたということなのだろう。

一体どれほどの力があればそんなことができるのか。
ふとネギの脳裏をかつてタカミチが拳で滝を真っ二つに割って見せてくれた光景が浮かんだ。
だが誠亜の体からは魔力は感じられない。

無意識に神経を研ぎ澄まして違和感に気づく。

誠亜自身の体には魔力は感じられないが、誠亜の周囲にたゆたう魔力がかなりの勢いで渦を巻いていた。
同じ向きではない。
ある時は横向き、あるところでは縦向き。
縦横無尽に魔力が舞い踊っている。否、舞い狂っている。

誰もが言葉を失う中、誠亜が口を開いた。
低い声で唸るように言う。

「つまらねえ真似しやがって。ようやくわかったぜ。冷静に考えりゃテメェ以外いねえんだよな。むしろなんでそれに気付かなかったのやら」

誠亜は拳を下ろすと凄絶な眼差しで空中の一点を睨みつけた。

「ホラーゲームを力で突破されたからってさらにでかい力を安直に放りこむなんざ考えが浅ぇんだよ。まだ繰り返すのはお前の勝手だが、今の路線でいく限り俺は“力”で全部ブッ壊してくぜ。つきあってほしいならアスナたちでも安全に付き合えるように趣旨変えするんだな」

誠亜はそこに相手がいるかのように天に向かって吼えた。

「聞こえてるんだろう!!神!!」













「呼ぶならばクウネル・サンダースでお願いします。気に入っているのでね」

クウネルは微笑を浮かべながら眼前の男に語りかけた。
オールバックの髪に髭を生やしたダンディな男だ。
だがその身にまとったセーラー服がいろいろなものをぶち壊していた。

図書館島の地下という限定空間内に際限のない広さの空間をたやすく生み出す力はさすがに神と名乗るだけのことはあるといったところか。

神。
魔法使い達の間での通称はロキだ。
だが本人はロキという名を認めていないらしい。

神が来たのはネギ・スプリングフィールドがやってくる少し前だったらしい。
魔法先生の多くがネギを狙っているのだと警戒した。
もっともそれはすぐに間違いだとわかり、今度は別の意味(悪戯)で神を警戒しなくてはならなくなったのだが。

神がその力で引き起こした騒動は数知れず。
その主な被害者は風間誠亜というもと男子高校生の少女のようだが、毎回被害を出す神の暴走には魔法使い達もほとほと手を焼いているようだった。
魔力の満ちる学園祭の間しか出れないクウネルには傍観すべき事柄でしかなかったが、今日この日ことが図書館島に及んでしまったのである。
正直にいえば神と名乗り、称されるほどの存在とことを構えるのはあまり歓迎できたことではないのだが、いま現在神の悪戯によって危機にさらされているのはかつての友の息子だ。動かないわけにはいかなかった。

実際に相対してみて感じたのは普通の男だということだった。
神々しいオーラを纏っているべきだとまでは言わないが、それでも何か明らかな格の違いぐらいは感じるかと思っていた。
しかし今目の前にいる男からは強大な存在感も力も感じられない。
普通の男にしか見えなかった。

その男がこちらを見ている。
神は一度クウネルの姿を上から下まで一瞥すると立ち上がった。
軽くソファーの背もたれをなでるとソファーが光の粒になって消滅する。
次いで神が軽く指を曲げると、テレビが浮かび上がって神の前にやってきた。
神がパチリと指を鳴らすとテレビの姿がぶれて代わりに空中に大きなモニタが出現した。
モニタの中ではネギたち図書館島に入ってきた面々がへのへのもへじの仮面をつけた全身タイツの集団と激闘を繰り広げている。

「で?何の用だったかな、クウネル・サンダース」

にやりと意地の悪い笑みを浮かべる神にクウネルもまた笑みを崩さず返す。

「いえなに。単刀直入にいえばあなたに出て行って頂こうと思いましてね」

二人の間で視線が火花を散らす。
後ろに控えたドラゴンが不安そうに身じろぎした。
野生の勘で神の力を感じ取っているのだろうか。

「残念ながら私は今遊んでいる最中でな。それが終わったなら出て行ってやろう」

肩をすくめて言う神にクウネルはローブの袖から右手を出して人差し指を立てた。

「これでも私はこの図書館島を管理する役目も負っていましてね。正直荒らされるのは困るのですよ。それに、あなたの悪戯は少々危険度が高すぎる。特に今回はね」

「多少の危険を伴わねば怖がってなどくれまい?いうなればこれはホラーゲームなのだよ。無力な少年少女が恐怖の中怪に追いかけまわされるというな」

悪びれもせずに言う神にクウネルは小さく嘆息した。

「たしか同じようなことをいたいけな7歳児にやって殴られてませんでしたか。また同じ目に遭いますよ」

「ふむ。そんなことは面白いことの前では些事に過ぎんな」

迷いなくそう答える神の姿にクウネルは苦笑した。
人の人生を蒐集してきたクウネルから見ても神の本質は見抜けなかった。

「あなたは変わっていますね」

そう言うと神は驚いたように目を開いた。

「いまさら何を」

自覚はあったのか。
わずかながら驚きながらクウネルは口を開いた。
クウネルの言いたかったのはそんなことではない。

「強力無比な力でさんざん人をからかい、迷惑を振りまいて去っていく悪戯好きの神。かと思えばその力でもって私たち魔法使いでは救いきれない人々を救う。一体どちらがあなたの本質なのか……」

神が肩を震わせてくつくつと笑いだす。

「難しく考えるからわからないのだよ。私という男は実に簡単だ。ただ己の欲望に従い、その力を振るう悪神。それが私の正体だよ」

「悪神と名乗るにはやってる悪戯は小さなものですね。おまけに人助けもする悪神ですか」

軽い皮肉をこめて言うが神はさして気にした風もない。
神は手の平を上に向けるとその上にワイングラスを生み出した。
虚空から出現したワイングラスにさらに虚空から湧き出てきたワインが注がれる。
魔力は感じられない。
魔法を使わずにこれだけのことをして見せるのだから確かに神と名乗るのも無理はないか。

「前者は私が“やりたい”と思うのが小さな悪戯だというにすぎない。後者もまたしかりだ。ただ私が『見殺しにするのは寝覚めが悪い』『大した労力ではないのだから救ってやろう』と思ったから救っているにすぎん」

うすら笑いを浮かべながら言う神にクウネルは肩をすくめた。

「あなたにちょうどいい言葉を思いつきましたよ」

「あててやろうか?」

二人同時に言葉を結ぶ。

「「天上天下唯我独尊」」

二人で無言で見つめあう。
沈黙が場を支配し、時折思い出したようにクウネルの連れてきたドラゴンが羽を動かす音だけが流れていた。
沈黙を先に破るのはクウネル。
若干の呆れを含んだ声で言う。

「2000年もの間そうやって生きて来たのですか?」

神の片眉が跳ね上がる。
自分の年齢を言い当てられるとは思っていなかったのだろう。
2000。
普通に考えればかなりの長寿だが、神と名のつく存在の年齢にしては少ない。
半端な推測では出てこない数字だ。

神が興味深げに眼を細める。

「ほおう」

一瞬。
一瞬だが途方もなく巨大で途方もなく深い何かを見た気がした。
だが目の前にあるのはあいも変わらず視覚的破壊力抜群の変人だけだ。

神は面白そうに笑うとクウネルの眼を真っ向から見つめた。

「その通りだ。私は生まれてから2000年こうして生きてきた。天上天下唯我独尊。結構なことではないか。私は唯一無二の全知全能の神。私が好きに生きて何が悪い」

「そんなことを言っているから封印される羽目になるのですよ」

神はちらと視線をそらすと腕を組んで言った。

「さぁてなんのことやら」

とぼける神にクウネルは構わず話を続けた。

「私が調べた分ではあなたはこれまでに4度ほど封印されています。確かにあなたは強力な力を持っているかもしれない。私たちでは倒せないかもしれない。ですが封じることならできるのですよ」

神は大きく息を吐きだすと、苦笑して言った。

「ふむ。それでお前は封印されたくなければネギ・スプリングフィールドに手を出すなとでも言いたいのかな?」

「そんな脅しではあなたは動かないでしょう。あなたは何度も封印されている。だからこそ封印にどれだけの準備と戦力が必要になるかも把握しているはず。私ひとりの一存でどうこうできないことは自明の理ですからね」

相変わらず微笑を崩さぬクウネルに神は訝しげに眉根を寄せた。

「わかっているならなぜ封印などという話題をだしたのだ?」

「好奇心ですよ」

そう言ってクウネルはドラゴンの体をなでた。
神を前に若干緊張の色が見えたドラゴンが少し落ち着く。

「あなたを封印するにはかなりの手間と戦力が必要になる。それこそ生半可なものではありません。そうまでして封印する必要があなたにあるのか」

神はにやにやと笑いながら、だがどことなく関心の色を含めてクウネルを見ている。

「たかが悪戯ごときを理由に封印するにはあなたは強大すぎる。なにか別の大きな理由があったと考えるのが妥当です。ところがその理由が分からない。魔法使いとして調べられる範囲ではまるでこじつけたかのような、見るからに嘘だとわかる理由しか出てきませんでした」

クウネルはモニタに一瞬視線を移す。
画面の中では狼のような眼をした少女――風間誠亜が容赦なく神の用意した人形を粉砕しているところだった。

「あなたには何か大きな目的がある。そしてそれは魔法使いが神に決戦を挑むに足る目的であった」

そこで言葉を一度切る。
神は相変わらず黙ってこちらの話を聞いていた。
生徒の発表を見守る教師のようなというには少々意地が悪い表情だが。

「そしてそれは魔法使いにとってあまり知られたくない理由だった」

ぱちぱちと気の抜けた拍手が鳴りだす。
それは神が苦笑とともにしているものだった。

「合格だ。で?私の目的は何だと思うんだ?それが言えねば満点はあげられんぞ」

クウネルもまた苦笑で返す。

「それを聞こうと思いましてね。何せあなたのやってきたタイミングが良すぎる。やはりいやがおうにも警戒してしまうのですよ」

神はそれを聞くとつまらなそうに鼻を鳴らした。

「フン。黄昏の姫巫女に英雄の息子か。学園長とも同じような問答をしたような覚えがあるのだが、あえて言うのなら私はアスナにもネギにもさして興味はないな。『騒動のスパイスにでもなればいい』程度の認識だ。目下として私の最大の関心はいかに誠亜で面白くあそぶか、ということに向いているよ」

神は視線をモニタに移すと指を鳴らした。
神の背後に光の粒子とともにソファが出現し、神はそれに腰かける。

「私のかつての大望が知りたければ自分で調べ上げろ。この話は終わりだ。ところでふと思ったのだが……」

言って神は妙に熱心な視線をクウネルに向けた。
いやクウネルの隣のドラゴンか。
神の視線はクウネルとドラゴンを行ったり来たりしている。
神は真剣そのものの表情でこちらを見つめ続けた。

「何か?」

その態度に訝しげにクウネルが問いかける。
だが神はそれに生返事を返すと手の指で長方形を作ってクウネル達をそのうちに収めた。
よく写真や絵の構図を考えるときにやるあれである。

「何か?」

もう一度同じ質問を投げかける。
今度はかなり不審の色をこめてだ。

神は厳かに頷くとすっとこちらを指差した。
ドラゴンを見つめながら言う。

「ドラゴンを侍らすのってさりげなくかっこよくないか?」

「いや突然そんなことを言われましても」

呆れに汗を頬に浮かべたクウネルに神は妙なポーズとともに左手を差し出した。手の平を上に向けて。

「ぶっちゃけソイツをくれ」

「あげませんよ」

ズバッと斬って捨てると神は戦慄の表情で戦慄いた。

「貴様……ケチだな!」

「なぜあなたが責める側になっているのですか」

「それは私が神だからだ!」

「意味がわかりませんよ」

いきなりくれと要求されたドラゴン自身はひどく警戒したように神を睨みつけている。

その神はというと不満げに口を尖らせてクウネルの隣のドラゴンを見ている。
そして傲然と腕を組んで胸を反らすと声だけは厳かに言い放った。

「フン。くれんというのならしかたない。自分で用意するとしよう」

言って右手を天にかざす。

すると突然世界から青い光があふれ出した。
虚空から出現した青い粒子が形を変えながら大きさを増していく。
見上げるほどに増大したところで粒子は形を整え出した。

「何をしているのですか?」

突然の現象に思わず問う。
しかし神は仕込んだ悪戯を開放する寸前の子供のような表情で答えた。

「まあ見ておれ」

粒子はやがて巨大なドラゴンの形を取り出した。
光の形が固まると次第に光の下から色がわき出すように彩色され、体の質感があらわれて行く。

完全に光がおさまった時にはそこにはまぎれもない一つの命が屹立していた。
地を揺るがす咆哮を上げるそれを見てクウネルは呟いた。
その声には少なからぬ驚愕がにじんでいる。

「エンシェント……ドラゴン……」

そう今クウネルの前に立つそれはまぎれもなく強大な力を持つエンシェントドラゴンだった。
あまりのことに言葉を失うこちらを無視して神は誇らしげに言った。

「どうだ。お前のドラゴンよりそこはかとなく見栄えが良いぞ」

言って神は傍らのエンシェントドラゴンを見上げ、少し不満そうに口を開いた。

「しかしこいつは少々大きすぎるかな。絵的に私との対比が良くない。私にフォーカスするとエンシェントドラゴンが足しか見えんし、ドラゴンにフォーカスすると私が豆粒だ。サイズ情報を改竄した方がよかったか……」

ひとしきりぶつぶつと呟いてのち、神はそこで初めて気づいたかのようにクウネルに視線を向けた。
わかってはいたが改めて目の当たりにするとこの男の規格外さが身にひしひしと身に染みた。

神はクウネルの表情から何を感じ取ったのか、不敵な表情を浮かべて何度も頷いた。

「さもありなん。だが安心するがいい。クウネル・サンダース」

突然よくわからないことを言い出した神をクウネルは見つめる。
隣ではドラゴンがエンシェントドラゴンの威容に多分に委縮していた。

神は大笑すると胸を張って言う。

「これは私が意味情報から構築してゼロから創造したものだ!決して魔法世界から盗んできたものではないので先の赤兎馬騒ぎのようなことにはならん!!」

どこかずれたことを自信満々に言う神にどういったものかと黙考する。
だが神はお構いなしと言葉を続けた。

「これで私もドラゴンを侍らせ王者の風格をぶふぉあヴぁっ!!」

言葉の後半が悲鳴に変貌する。
クウネルは目の前の光景を淡々と分析した。
神の姿が見えない。
代わりに神のいた場所には巨大な足がある。
そこから導き出される答えは……

「ぬぇぇぇい!生みの親を踏みつけるとは何たる親不孝者!成敗してやるそこに直ぶげふぁヴっ!」

重々しい地響きとともに今一度エンシェントドラゴンの足が神の体に叩きつけられる。
神は完全に踏みつぶされながらも普通に生きているらしく抗議の声をあげていた。

エンシェントドラゴンの足の隙間から紙のようにぺらぺらになった神が這い出てくる。

神、というか紙はぺらりと(びしりとではない)エンシェントドラゴンを指差すとどこか薄っぺらい声で叫んだ。

「おのれトカゲめ!しかし私は神。紙でもなければ髪でもない。寛大なる心で許してやらんこともないので這いつくばって謝罪するがげヴぁふぁヴぃぶっ!!」

三度目の踏みつけが神の体をさらに押しつぶす。
エンシェントドラゴンは踏みつけた足をぐりぐりとねじって駄目押しをする。

なんだこれ。
思わずクウネルは半眼になってそれを見つめていた。

エンシェントドラゴンの足の10メートルほど隣の土が盛り上がりそこからモグラの如く神が這い出してきた。

神は体中に土をつけ、憤怒の形相でエンシェントドラゴンを睨みつけた。
上体を反らし、両手でエンシェントドラゴンを指差して咆える。

「ぬがあああああああああ!仏の顔も3度までだ!たたっ殺してやる!!」

「3度目ですよ」

神の動きが止まる。
体の向きはそのままにフクロウの如く首だけをぐるりと回してクウネルを見た。
その神にクウネルはニコニコと微笑みながら言う。

「まだ3度目ですよ」

神が驚愕に目を見開く。
右手を頭の後ろにまわし、人差し指と中指でちょんまげを形取りながら左手はペンギンのようにパタパタと動かす。
全く意味不明なポーズだが考えるだけ無駄なのだろう。

「なんだと……!ならば私はあと一撃耐えねばならんということか。なんという縛りか。おのれ。この悔しさを言葉にしたい。よし!この葛藤を仏三度ジレンマと名付けよう!!」

「名付けなくていいです」

心なしか隣のドラゴンすら呆れたように神を見ている気がする。

一人で何やら納得したらしい神は矮小な人間を睥睨するエンシェントドラゴンを見上げると高らかに叫んだ。

「さあ来るなら来い!だがその時が貴様の最期だクソトカゲ!言っとくが貴様の攻撃では私を殺すのは不可能だからして……」

ペッ。ビチャリ。

神は言葉を止めた。
クウネルはそれを少々の驚愕と大部分の笑いだしたい気持ちを抱きながら眺めた。
神の体が震えだす。

神に唾を吐きかけたエンシェントドラゴンはもう神から興味を失ったのか翼を広げて飛び立った。
だいぶ空高くまで飛翔して、一度地上を見下ろす。
置き土産だといわんばかりに口内に膨大な魔力を集束させた。

クウネルはあわてて呪文を唱えだす。
アレを撃ち込まれてはただでは済まない。
まがいなりにもエンシェントドラゴンなのだ。

「ク、クフフフフフフフ。忘れるなよトカゲめが。貴様は4撃目を打ち込んだのだ」

青筋を浮かべながら不気味な笑みを浮かべるエンシェントドラゴンの唾液まみれの神は殺意に満ちた声で叫んだ。

「ニョロオオオオオオオオオオ!!」

思わず肩をこけさせる。
なんなのだニョロって。
呆れを瞳に浮かべた瞬間、腹の底から突き上げる威圧感に息をつまらせた。
隣のドラゴンもまた絶対的な恐怖に身をこわばらせている。

神が告げる。

「喰い殺せ」

次の瞬間クウネルの前に巨大な壁が出現した。
何かの防御術だろうかとも思うが違う気がした。
同時にあれだけ荒れ狂っていたエンシェントドラゴンの魔力が跡形もなく消えてなくなっていた。

眼の前の壁を見つめる。
材質は分からない。生まれてこのかた見たこともない物質だった。
視線を右に向ける。
ほとんど無尽蔵な広さを持っているように見えるこの空間だがその遥か彼方まで白い壁が続いていた。
左を向く。
やはりそちらにも延々と白い壁が続いていた。

「これは……なんでしょうか」

今度は視線を上に向ける。
同じように遥か彼方まで続いているように見えたが、左右と違ってこちらには限りがあった。
もっとも魔法で強化してやっと見えるかどうかだが、ずいぶん上の方に切れ目があった。
良く見るとこの壁の表面は微妙にカーブしていることがわかる。

(これは壁というより途方もなく大きな柱のようなものなのでしょうか)

そしてその柱のすぐ上にはまた別の柱が連なっており、そのまた上にはまた別の柱がある。
あまりにも距離がありすぎてよく見えないがどうやらそうなっているようだ。
そうして柱が連なり、左右と同じようにはるか上方彼方まで続いている。

「これはいったい……」

小さく呟いてクウネルは隣のドラゴンが激しく怯えているのに気がついた。

ふと神の言葉が思い出される。
あの男は「喰い殺せ」と言った。
ならばこれはまさか

「……生物……?」

「失敬な奴だな。ニョロが生物でなくて何なんだ」

突然後ろからかけられた声にクウネルは振り向いた。
そこにはいつの間に移動したやら神が不満そうに立っていた。

轟震が世界を穿った。
天が地が巨人の手でひっかきまわされているかのように震える。
それが音なのだと気付くのに数十秒かかった。
それが眼前の壁の鳴き声なのだと気付いたのはさらにあとだ。

その轟音を平然と聞いていた神は満足げに笑う。

「そうかそうか。美味かったかニョロ。そいつはよかった。急に呼び出して悪かったな。もう帰ってもいいぞ」

やはり神の言葉の通りコレがエンシェントドラゴンを喰い殺したのだろうか。

「ん?何?もう少し食べたい?駄目だ。癖になってはいかんからな」

またも咆哮が世界を揺るがす。
鼓膜が破れそうな大音量なのだが神は平然としている。
神がジト眼で壁を見つめて言う。

「ニョロ。念のために言っておくが魔法世界のエンシェントドラゴンを食べに行ったりするなよ」

巨大な壁がびくりと震える。

神はさらにジト眼で壁を見つめた。

「言っとくが、あまりオイタが過ぎるようなら仙界に放り込むからな。ニョロ」

先ほどより大きく壁が震える。
そして大音量ながらどこか落ち込んだような鳴き声が響き渡った。

瞬間、凄まじい勢いで壁が上へと流れていく。
反射的に壁の動きを眼で追った。
壁は実に3分以上流れ続け、とうとう壁が目の前から消失した瞬間一気に視界が開けた。

空を何かが流れている。
とてつもなく巨大でとてつもなく長い何かがはるか地平の彼方へと飛んで言っていた。
頭がとっくに地平線の向こう側に消えているというのに尾っぽがクウネルのすぐ真上にある長さも非常識だが太さも凄まじい。
目算だが直径40キロはあった。
長さはどれほどのものか想像もしたくない。

地平線の向こうに消えていく巨大な生物を眺めながらクウネルは呆気にとられた様子で言った。

「なんですか。今のは?」

神はその問いに振り向くと、まるで何でもないことのように答えた。

「ん?私のペットのニョロだが?」

「いえそういうことを聞いているのではなく」

嘆息交じりに言うと神は眉間にしわを寄せて押し黙った。
本気でこちらの言いたいことが分からないのだろう。

しばしして神は何か思い当たったのかああと頷いて口を開いた。

「お前たちにわかりやすく言うのなら『リヴァイアサン』だ」

「リヴァイアサン……」

あまりの荒唐無稽さに呆れの感情すら湧き上がる。
リヴァイアサンと言えば陸のベヒーモス、空のジズに並ぶ神話の怪物だ。
そんなものを気軽にペットにしないでほしい。

クウネルの心境などお構いなしに神は唐突に難問にぶち当たったかのように難しい顔で唸るとぐるりとクウネルの方を向いた。

「ところでお前は何しに来たんだったか?」

深く嘆息して言う。

「図書館を荒らさないようにすることと生徒達を危険な目にあわせないよう要求しに来たんですよ」

「ああそうだったか。しかしだな……」

神の言葉を遮ってモニターから轟音が響く。
振り向くと、モニターの中でケルベロスの下半身を前に全身を帰り血で真っ赤に染めた誠亜が凶悪な目つきでこちらを睨みつけている。

「聞こえてるんだろう!!神!!」

モニタの向こうから叩きつけられた声に神はふうむと顎に手をあてて思案の色を見せた。
不敵な笑みを浮かべて言う。

「言ってくれるではないか。お前の力がどれほどのものか試してやろう」

笑い声が響く。
こちらに視線を投げ書かてくる神の顔を見ながらクウネルは笑顔で言った。

「いけませんよ」

「なに?」

二人の視線が火花を散らす。
プレッシャーに空間が軋みを上げるかのようだった。
神とクウネルの意志と意志がぶつかり合う。

相手はまさに神のごとき力を持った存在。
だがクウネルは確固たる自信を持って神に向かって言い放った。
神もその身に宿る自信を感じ取ったのかクウネルの言葉を静かに待った

「面白可笑しく笑いたいのならば痛い目や怖い目に合わせるより、地味に嫌な目や恥ずかしい目に合わせた方が見ていて楽しいのですよ」

「……なるほど確かに!それもあるな!」

神は得心が言ったように頷くとモニタに向かって両手をかざした。
モニタが光り輝く。

「さて誠亜!では貴様の望むとおり趣旨変えと行こう!!」

そのさまを見ながらクウネルは胸中で呟く。

(敵対さえしなければある程度行動を誘導することも可能なようですね)

モニタの中ではバカと刻まれたハンコを持った妖精がネギたちの周りに大量に発生している。
それを見てネギたちは多分に戸惑っているようだ。

神が高らかに叫ぶ。

「そのハンコを体に押されたものは1週間パーになる!すなわち今度のテストは0点!小学校送り確定だ!!」

『なにぃぃぃぃぃぃぃ!!』

モニタの中から探検チームの悲鳴が響いてくる。

(この分なら彼女らが怪我をすることもないでしょう)

しかしテストでいい点を取るために来たバカレンジャーズにとってバカハンコはある意味一撃死だ。
ネギチームは死に物狂いで逃げ始めた。
それを妖精たちが追い立てる。

(まあせっかくですし、これはこれで楽しむとしましょう)








あとがき

グヌフォア!!
なんだこれは!
なんでこんな真面目な話になってしまったのかしら。
はなはだ疑問です。
神サイドですらなんか真面目な話をしだす始末。
一応ギャグは入れました個人的には「むうううううう」と唸ってしまう感じです。
次こそは。
次こそはお気楽ギャグをてんこもりに!!

ちなみに今回誠次がかなり滅茶苦茶なことをやってますが、これは前から言っていた(たぶん)切り札を使ってます。
桜通りの吸血鬼編まで出さないつもりでしたが今回、ちらっと顔見せすることになりました。
いろいろと制約のある切り札だったりします。

ていうか誠亜以上に神がやりすぎ。

不評だったらこの話は書きなおそうかなあなどと考えております。

拙作ですが今後ともお付き合いください。



[9509] 第16話 ティンカーベルってこんな感じ?いやアレはこんなヤバいもん持ってないけどさ
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/09/02 16:01
神と俺のコンイトス












第16話  ティンカーベルってこんな感じ?いやアレはこんなヤバいもん持ってないけどさ













どこか虫を思わせる羽をはためかせるが気持ち悪さは一切ない。
無邪気な表情は素直に愛らしいと認められるものだし、整った顔立ちも妖精の名にふさわしいものだ。
そしてその体は淡く発光していた。
かの有名なティンカーベルに近い姿の妖精だった。
その妖精達にさんざん追い回されるのは何の皮肉だ。

誠次は胸中で毒づきながらも後方から突撃してきた妖精を首を傾けてかわした。
死角からの攻撃をたやすくかわされて眼を丸くしている妖精を思い切りはたき落す。
妖精は地面に叩きつけられることなく光の粉となって弾けて消えた。
この妖精、神の趣旨変更宣言に違わず攻撃力は持ち合わせていない。
だが代わりに凶悪なアイテム携えていた。
それが手のひらサイズの妖精たちが手に持った大きめのハンコだ。
ハンコにはカタカナで『バカ』と刻まれており、このハンコを体のどこかに押されたものは一週間バカになるという恐ろしい代物だった。

安堵する間もなく頭上から隣のアスナめがけて急降下してくる。
アスナは今このかをおぶった状態だし、とても避けられるとは思えない。
自分で二人を抱えて飛ぶのも効率が悪い。
誠次は気づいていないふりをしてアスナの隣を走る。
妖精は別段疑うでもなく、そのままアスナへと襲いかかった。
そしてアスナの頭にハンコが当たる寸前で横薙ぎの手刀で妖精を散らす。
次に来たのはアスナの体の向こう側だ。
アスナの体の影に隠れているつもりなのだろうが、そもそも視覚的に見えるかどうかなど誠次にはあまり関係ない。
気配を消したところで、生き物ならどうあっても存在する氣や氣の流れを見て発見できるのだから

素早くアスナの体を回りこんで妖精に肉薄する。
妖精はばれてるとは思わなかったのか、またも驚愕の表情を浮かべた。
ハンコに触れないように妖精の体を打ちすえ、光に帰す。
ネギに迫った妖精は古菲が、夕映に迫る妖精は楓が撃ち落としていった。
よくまあ人一人抱えたままあれだけの動きができるものである。
誠次は心底感心しながら正面から迫る妖精に手刀を振り下ろした。

「……!!」

驚愕に眼を見開く。
そこにはハンコを盾のように構えてこちらの手刀を待つ妖精の姿があった。
慌てて手刀を止めて代わりに右足を振り上げる。
衝撃に身を貫かれた妖精が光の粉になって消える。
今のは危なかった。
冷や汗ものだ。
ふと視線をずらすと同じように古菲と楓も戦々恐々とした面持ちで走っていた。

「楓。お前らも?」

問いかける。
若干言葉が足りないところがあるが、同じ状況に追い込まれたのなら通じるだろう。
案の定楓は頷いてきた。

「うむ。ハンコを盾にされたでござるよ」

「ワタシもアルよ」

ハンコを盾にして攻撃した手や足にハンコを押す。
一斉に行われたということは、妖精の思い付きではなく計算された作戦だったのだろう。
一度でも仲間がそれにさらさらされれば皆警戒する。
それゆえの同時攻撃。
しかしこれで

「うかつに打ち落とせなくなったわけだ」

皆深刻な顔で押し黙る。
必然、妖精たちの攻撃を躱さなくてはならなくなったのだが、最大の難点は非戦闘員だ。
今までは動物の群れなんかと同じように非戦闘員を戦闘要員で囲んで妖精たちを撃ち落とすことで突破してきたが避けるとなると話がかわってくる。
楓をはじめとした戦闘要員が妖精をよけると、残された非戦闘員がバカハンコの犠牲となってしまう。
さらにはアスナはこのかを背負っているのだ。避けようがない。

必死に頭を働かせながら誠次は足を動かす。
アスナや夕映に合わせているので後ろの妖精たちを振り切ることもできない。
いや正直妖精の速度はそんな速くない。
背中のこのかさえどうにかすればアスナでも避けれる可能性はある。
そこまで考えて誠次は天啓を授かったかのように手を打って叫んだ。

「そうだ!俺がこのかを、古菲が夕映を、楓がまき絵を持って一気に振り切って……!」

「ネギ坊主はどうするアルか?」

古菲に問われて誠次は言葉を止めた。
ゆっくりとネギに向ける。
そして淡々と言った。

「そうか。誰か忘れてると思ったんだ」

「忘れないで下さいよ!」

悲鳴を上げるネギに向かって誠次はいい笑顔でサムズアップする。

「よし!お前は殿だ!」

「殿!?なんでですか?」

9歳の少年にはこの逃走劇はきつかったのか、少し息を切らしながらネギが言う。
それに誠次はネギの眼をまっすぐ見つめながら答えた。

「殿でその身を持って妖精たちの突撃を阻め」

「えええええええええええ!!」

ネギがまたも悲鳴を上げる。
少し涙目になって誠次に詰め寄った。

「そんなことしたら僕がバカハンコ喰らっちゃうじゃないですか!」

それに誠次は沈痛な面持ちで答える。

「生徒のためその身を削るのが教師の仕事だ。潔くパーになれ。なった後も俺が盾として有効活用してやる」

「さりげなくひどいこといってますね!嫌ですよそんなの!」

「別に、どこも、さりげなくないですが」

夕映が息を切らしながらつっこむ。

「ええい!お前はパーになってもさして問題はないだろ!俺達はパーになると大変なことになんだよ!」

誠次がいらだち紛れに怒鳴るとネギもまた叫び返した。

「大変なことって何ですか!?それに僕だってパーになったら授業はできないし大変ですよ!」

誠次はネギの頬を軽くつねりながら声を張り上げる。

「俺達なんぞパーになったら次のテストは0点!そしたら小学校送りだ!」

ネギは負けじと誠次の腕をつねろうと腕に指をかけた。
誠次はそれを見て腕の筋肉を締める。
鋼のように固く締められた腕にはつねるだけの余地がなくなる。
それでもネギは誠次の腕をつねろうと悪戦苦闘しながら言い返した。

「なんですか小学校送りって!?」

誠次の代わりにアスナが答えた。
なかなか体力があるようでこのかを背負いながらの激走だというのにまだ余裕がありそうだった。

「今度のテストで2-Aが最下位を脱出できなければクラスは解散。特に成績の悪いものは小学校に逆戻りだって」

しかし、ネギはその話に驚いたように目を見開いた。
次いで爆弾を投下する。

「そんな話聞いていませんよ!僕が聞いているのは2-Aが最下位脱出できなければ僕が先生をクビになるって話だけです!」

その言葉に全員が凍りついた。
危うく足を動かすのも忘れそうになるほどの衝撃だった。

「「「「「ええええええええええええええ!」」」」」

いくつもの少女の驚愕の叫びが図書館島に響きわたる。
それを誠次はだいぶ冷静に眺めていた。

「なんと……誤情報でござったか」

楓は即座に復帰して咄嗟に飛び込んできた妖精をかわす。
妖精は楓にかわされるとそのままアスナたちを狙うこともなく離脱していった。

アスナが涙目になって天を仰いだ。

「ああもお~!そうと知っていたらこんな人外魔境に来なかったわよ!」

皆言葉にはしないが大体同じ気持ちのようだ。
この場で脚を止めればバカハンコの餌食になる。
それは全員分かっているはずだが、モチベーションの低下は無意識にアスナたちの足を鈍らせていた。
その様子を見つめながら誠次は無表情に言葉を吐き出した。

「あ~そんなお前らに朗報だ。件の噂はとある厄介者の耳に入った。そしてその厄介者は実に乗り気だ。俺達の小学生姿を見たがっている。おそらく学園長が何と言おうと俺達が赤点を取ったら小学校に送りこむだろう」

その言葉にアスナ、ネギ、楓の顔が引きつった。
神を知る連中だ。
だが夕映と古菲は訝しげにしている。

「誰ですか?その厄介者というのは。一個人にそんな真似ができるとは到底思えないのですが」

不審そうに言う夕映にアスナが沈痛な面持ちで首を横に振る。

「駄目なのよ夕映ちゃん。アレがそうと決めたら誰にも止められないわ。それこそ学園長でも法でもね」

「なにものですかその人は……」

アスナの真剣な表情に夕映は気圧されたように小さな声で言った。
今度は楓が答える。
その頬には一筋の汗が浮かんでおり、片目が開かれていた。

「この妖精や先のケルベロスを用意したものでござるよ。正直あの御仁には常識というものが全く通用しないでござる」

さらにネギが通夜の席のような表情で続けた。

「夕映さんには申し訳ないですが、野良犬にでも噛まれたと思ってテストを乗り越えてもらうしかないです」

とうとう夕映も沈黙した。
重苦しい空気が立ち込める。

それを振り払うような明るい声が流れた。

「でもどうするアルか?実際なにか手を打たないとこのままじゃみんなパーアルよ」

その言葉にアスナが誠次に向って声を上げた。

「ほらアレ!さっき誠亜がケルベロスを吹っ飛ばした奴。あれで何とかならない!?」

それに誠次は難しい顔で唸った。

「ならんこともないが……」

「ないが、何よ!」

煮え切らない誠次をアスナが急かす。
しかし誠次はなおもどこかのんびりと答えた。

「つきあってほしければ安全なものに趣旨変えしろって言って趣旨変えされた以上俺も付き合わにゃならんしなあ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょおおおおおお!」

もう泣きそうな勢いで叫ぶアスナ。
それに若干引きながら誠次は手をパタパタと振った。

「い、いやそれにさっきのはいろいろ制約があって。そう多用できるもんじゃないんだよ」

「つまり使えないと?」

アスナよりは幾分冷静に夕映が問うてくる。
誠次はそれに首を振りながら答えた。

「うんにゃ。使えないこともないが無理すると俺が足手まとい化する」

告げられた事実に皆焦燥を含んだ表情になる。
今度はネギが問う番だった。

「じゃ、じゃあ何か他に技はないんですか!?誠亜さんがダウンせずに使えてあの妖精たちを倒せそうな技は!」

誠次は眉間にしわをよせ、前を向いたまま答える。

「ないこともないが……お勧めしない」

「何故、ですか!?」

夕映が少しきつそうに問う。
誠次は頬をかきながら答えた。

「技として研究確立したもんじゃないからな。ちょっとばかし精度に問題が」

「四の五のいってらんないわよ!やって!」

アスナが声を張り上げる。
それでもなお誠次は気乗りしない様子で唸った。

もどかしい誠次の態度に夕映が諭すように言った。

「このままでは私達バカレンジャー全員が小学校送りです。それを考えれば多少のリスクはあまんじて受け入れるべきかと」

誠次は皆の顔を見回す。
気絶しているこのかとまき絵を除く全員が真剣な表情で頷いた。
それに誠次は嘆息すると打って変って真剣な表情で両手を打ち合わせた。

「よっしゃ!そこまで言うんならやってやる!」

皆の顔に安堵の色が浮かぶ。
これで助かる可能性が出てきた。そんな表情だ。

「念のために言っておくが……」

その仲間たちに誠次は一切の悪意なく燃料気化爆弾を投下した。

「40パーぐらいの確率でお前らも爆死するから今のうちに覚悟決めろよ!」

「「「「「待ったああああああああ」」」」」

意識のある全員で誠次に飛びつく。
誠次は両腕を押さえられた状態で困惑の声を上げた。

「な、なんだ急に!」

誠次の腰に組みついた夕映が額にたっぷりと汗を浮かべながら言う。

「待つです!今さらりと凄まじく危険な発言をしたでしょう!」

それにアスナも声を張り上げた。
よほど精神的に追い詰められているのか瞳が点のようになっている。

「聞いてないわよ。爆死するなんて!」

「あれ?言ってなかったか?」

すっとボケたことを言う誠次に右腕に組みついている古菲もかなり早口にまくしたてる。

「精度が悪いからお勧めしないとしか言ってないアル!」

「そういやそうだったか。で、どうする。やる?」

「「「「「「他の方法を」」」」」」

満場一致でそう言う。

次の瞬間、誠次が地を蹴って跳んだ。
全員の後ろに回り込むと一番近くにあった本棚に手をかける。

「オオッ!」

雄たけびとともに腕に力を込めた。
大きな本棚が勢いよく回転して、誠次たちを守る壁となる。
本棚の向こうでこちらの隙をついて突撃してきた妖精たちが一斉に弾け散る音がした。

「走れ!」

そう叫んで自身も疾走する。
しかし本棚など一時の時間稼ぎにしかならない。
飛べる妖精にとって大した障害とならないのだ。

「何か方法はねえのか!!」

苛立ちを含めて怒声を上げる誠次に夕映は声を上げた。

「何か布で手を包んで攻撃するのはどうでしょう!」

一瞬光明が差し込んだように感じたがすぐさま横から否定の声があげられた。
ネギだ。
ネギは子どもゆえまだ短い手足を懸命に動かしながら走る。
やはり魔法の力が無い影響かその走りもどこか拙かった。

「駄目です!たぶん布を巻いたぐらいじゃ防げないはずです。布越しになるだけで効かないのなら服の上からでも効かないはずです。神、じゃなくてあの人がそんな難易度を低くするとは思えません!」

夕映が悔しげに唸る。
誠次もまた焦燥を覚えていた。
こんな時は回転の悪い自分の頭に憤りを覚える。
何か手はないかと思考を凝らす面々に古菲が声を張り上げた。

「布!布アルよ!何か長い布はないアルか!?」

「布ぉ!?」

問い返す誠次の横で夕映が素早く制服の上着を脱ぐ。

「制服の上着でいいですか!?」

差し出されたそれを素早くつかみ取ると古菲は後ろを振り向いた。
そこには既に十体近い妖精が迫っている。

「どうすんだ!?」

そんな布でどう切り抜けるのかさっぱり分からない。
誠次が心配も含めて問うと古菲は自信に満ちた笑みを浮かべた。

「こうする……アルよ!!」

古菲の腕が凄まじい速度で舞い踊る。
それに合わせて手にした上着が鞭のように舞い、槍のように鋭く妖精たち貫いた。
おまけに一瞬たりとも停滞しない。
踊るように次々と布の槍を撃ち出していく。
果敢に攻め込む妖精たちだが古菲という名の城壁はかけらも揺らがなかった。

「おお!凄いですよ古菲さん!」

ネギが歓声を上げる。
皆の顔にも希望が見える。

焦ったのは妖精たちだ。
突破は無理だと思い思いの方向に迂回し始める。
確かに古菲との間にアスナたちを挟んでしまえば布の一撃は使いづらくなる。
だがその程度で抜けるほど古菲は甘くなかった。

後ろ向きに走りながら迎撃していた古菲は前に向きなおって風を裂いて疾走した。

「誠亜!肩借りるアル!」

その言葉だけで古菲が何をしようとしているのか理解して誠次は身を低くした。
跳躍した古菲が誠亜の肩の上に乗る。

舞い踊る布が前後左右、近づく妖精を片っ端から貫き、紙吹雪ならぬ光吹雪を舞わせた。

皆の中心であり他より高い位置に立つことで死角はなくなる。
古菲のやったのはそういうことだ。

舞う光雪を横目に誠次は図書館を駆け抜けた。
できるだけ上半身を揺らさないよう苦心する。
誠次は正式に武術を学んだわけでもないので所詮“できるだけ”にすぎないが、それでもやらないよりはましだろう。

「あともうすぐ!みんな頑張って!」

アスナが前方の出口を見据えて励ましの声を上げる。
だいぶ息が切れてきている夕映も必死になって足を動かした。

出口まであと数メートルというところで誠次は肩の上の古菲に向かって叫んだ。

「古菲!先行け!」

古菲は何も問わずにすぐさま肩から飛び降りて出口へと飛び込んでいく。
それから一瞬遅れて出口に飛び込んだ誠次はすぐ横の壁に拳を叩きこんだ。
そのまま殴り崩して道をふさぐ。
1秒後、妖精たちの激突音が連続して響いた。
パチパチと火花の散るような音が聞こえてくる。
妖精たちの散る音だろう。

妖精たちが追ってこないのを確認して誠次は深く息をついた。
細い通路を抜けると開けた場所に出る。

当然だがここも図書室だ。数階分吹き抜けというわけではないがそれでも天井はかなり高い。
図書室内の本を読むためのものであろう机がいくつもあった。
その机の上に皆ぐったりと横になっている。
胸を大きく上下させながら荒れた呼吸と、わめきたてる心臓を鎮めているのだろう。
それを一瞥して誠次は眼を閉じた。
1分かけてゆっくり、静かに空気を吸い込み、倍の時間をかけて肺にため込んだ空気を吐き出した。
それと並行して体内を整えていく。
例え0,1秒に満たない時間であってもやはり切り札を使った反動はあった。

(最善をもってこれか。やっぱ決闘以外じゃ使わない方がいいな)

嘆息してかぶりを振る。

(いや、こんな愚劣なレベルを最善と言ってる時点で駄目だな。まだまだ俺は下手クソだ。上を目指さにゃならん)

胸中で決意を固めていると、後ろから声をかけられた。

「大丈夫でござるか誠亜殿?」

振り向いてそこにいた楓に答える。
抱えていたまき絵はもう他の面々と同じように机に横たえられていた。

「ああ。俺は大丈夫だよ。それより他の面々はどうだ?」

誠次は体力にはかなり自信がある。
特殊な鍛え方をした肉体自体相当な持久力を持っているし、もう一つのファクターもあわさればよほど無茶をしない限りずっと動き続けることが可能だ。

「本来は……ここで食事と休憩をする予定でしたが……」

息も絶え絶えに言う夕映にアスナが力なく右手を振る。

「休憩だけでいいわ……疲れすぎて食欲わかない」

そのままぐったりと動かなくなった。
その隣では古菲が水筒のお茶を飲んでいた。

「ここは大丈夫なのでござろうか」

油断なくあたりを見回す楓。
このフロアには敵はいないようだが、へのへのもへじは虚空から出現していた。
油断はできない。
だがそれ踏まえた上で誠次は言った。

「大丈夫だろ。たぶんここは“休憩所”なのさ。ここで疲れをいやして次の難関に臨めってことだ」

それを聞いて楓はようやく肩の力を抜いた。
軽く息をついて言う。

「それじゃあ拙者も少し休むでござる」

楓はそう言うと近くの本棚に背を預けた。
他の面々のように無防備な姿を見せないのはさすがは忍者といったところか。

(あれ?忍者じゃないんだっけ?まあいいか)

勝手に自己完結して皆の寝ている机に向かう。
体力に自信があるといっても無意味に立っている必要はない。
椅子を引いてどっかりと座り込んだ。
天井を仰いで、ため息をつく。
こんな大変な探検になるなど寮の部屋を出る前は考えもしなかった。
ふと部屋に残してきたティーの顔が脳裏に浮かぶ。
いまさらながらダイゴの部屋に送ってから来た方が良かっただろうか。
ティーは7歳。一人で留守番ができないこともないが、過去に一度トースターに火を噴かせた経歴を持つ子である。

(あ、駄目だ。心配になってきた)

誠次はポケットから携帯電話を取り出す。
折りたたみ式のそれを開いてボタンをプッシュしようとして圏外になっていることに思い当たって舌打ちした。
苛立たしげにポケットに携帯をねじ込んでぼうっと視線を泳がせる。

天井と本棚を一巡りした視線は眼前のまき絵の寝顔にたどり着いた。
お世辞にも安らかな寝顔とは言い難いが、それでももとが可愛いのでなかなか絵になった。
改めて思うが2-Aは可愛い娘が多い。
ほとんどが美少女と呼べるだけの整った顔立ちをしていた。
むしろ可愛くない娘などいないんじゃないだろうか。

そう考えて誠次はもう一度天井を見上げた。

(ひょっとして俺浮いてんじゃねえか?)

別に不細工だとは思わないが自分の顔は正直どうなのだろうか。
すくなくとも昔から狼のようだと怖がられているこの眼はマイナスファクターだろう。
麻帆良に来てすぐはかなり怖がられたし、高校に入ってからもあまり親しくない面々には睨んでいると誤解された。
それに明らかに中学生をするには向いていない。
楓や龍宮もそうといえるが、彼女らはそれぞれ穏やかさと凛々しさがその美貌を際立てている。
なら自分はどうだろう。
手入れなどほとんどしない髪はお世辞にも艶やかとは言い難いし、前に大浴場でも言われたが可愛い、綺麗と評するには筋肉がつきすぎだろう。
まあ女性としての可憐さと肉体的格を天秤に掛けたら0秒で後者に傾くので特に後悔はないが。
だがとりあえず

「可愛くはねぇな……」

ぼうとした眼差しで呟いた。

何か物音がしたような気がするが、誠次は無視して続けた。

「可憐とは対極だろう」

ごとんと何か固くて重いものを落としたような音がする。
だがこれもまた無視した。

「美人っつうには怖すぎだろうな……」

パキンと何かが砕ける音がする。
強いて言うならばプラスチックのコップを割ったような。

「……………………」

いい加減気になって視線を音の方に向けると、古菲が眼をまん丸にしてこちらを見ていた。
右手の中では砕けたプラスチックの蓋兼コップがたぱたぱとお茶をこぼしている。
誠次はその表情に訝しげに眉をひそめ、自分の考えていたこと、そして口走ったことに思い当たった。
思わず手を振って声を上げる。

「いやいやいやいやいや!今のは別にだな!」

若干頬が紅潮している気がする。
古菲も気まずそうに笑った。

「い、いやあ。別に問題ないんじゃないアルか?誠亜がそんなこと言うとは思わなかったからちょっと驚いたアルが、決して変なことではないアル」

古菲がとくにからかうでもなくスルーしてくるようなので、誠次は安堵の息を吐いた。
だが次の瞬間古菲が強烈な一撃を放つ。

「女の子ならみんなそういうことは考えるアルよ。大丈夫自信を持つアル。誠亜は美人。いうなればワイルド系美女アル」

魂まで凍りついた気がした。
“女の子なら”
“ワイルド系美女”

恐る恐る自分の思考と言葉を振り返る。
どう解釈しても答えは同じだった。


アレは女の思考だった。


「………………………………!!!!!」

声にならない絶叫を上げる。
恐るべきことが起きてしまった。
思考展開に違和感はなかった。
最近それを感じさせる事件に出会っていなかったため気付かなかったが、精神の女化は着実に進んでいたのだ。
誠次自身でも気づかないうちに。じわじわと。

「セ、誠亜?大丈夫アルか?」

心配そうにこちらを見る古菲に大丈夫だと精一杯の見栄を張って誠次は顔を上げた。
無意識に頭を抱えて俯いていたらしい。

強烈な疲労感を覚えて誠次は背もたれに身を預けた。
肉体的には大したことないが精神的には少々疲労していたようだ。
なぜだろう。
そう考えてすぐ答えに行き当たる。
後ろに人がいるからだ。
守らねばならぬ人が。
自分の実戦経験など、故郷の森の2回と麻帆良に来てからの数回、三国志時代での戦いだけだ。
そのすべてにおいて誠次には守らねばならない者がいなかった。
基本一人で戦っていたし、三国志時代の仲間たちは守るどころか守られてしまうほどに強かった。

それゆえに初めての守りながらの戦い。
自分の体以外に気にするものがあるというのが存外神経をすり減らしていたのだろう。

(つくづく未熟だ。俺は)

胸中で毒づき額に手を当てる誠次の耳に小さなうめき声が聞こえた。
手をどけて声の源を見ると、机の上に横たえられたまき絵が身じろぎして、ゆっくりと目を開くところだった。

「ううん……なんかすっごく怖い夢を見た気が……」

軽く体を起こして、手の甲で目をこする。
そして誠次の方に視線を向けた。
茫洋としたまなざしに意思が蘇っていく。

「おはよう。まき絵」

とりあえず挨拶をする。
するとまき絵は改めて誠次に焦点を合わせて言った。

「はうっ」

そして再び気絶する。

「は?」

その反応に誠次が素っ頓狂な声を上げる。
しばし訝しげに眉をひそめた後、自分の体を見下ろしてああと呟いた。
誠次の体は頭のてっぺんから足の先まで返り血で真っ赤に染まっている。
ある種怪物じみた恐ろしさがあった。
一般人かつ、怖がりなところのあるまき絵が気絶しても無理はない。

「洗ってきたらどうアルか?」

「体を洗える場所があるならな」

指を一本立てて言ってくる古菲に、疲れた表情と声音で返す。

アスナたちが復活するまであと数分かかるだろう。
まき絵もそれまで眠らせておけばいい。
誠次はそう完結して、自分も目を閉じた。
今は、今だけは、平和な時と信じて。












あとがき。
アレ?
おかしいなあ。
図書館島探検で考えたネタの半分も入っていない。
一つにまとめると長くなりすぎちゃうので二つに分けることにしました。
そうすると今度はこの話が面白みに欠けるものになってしまったという罠。
無理やり入れるとちょっと長すぎるし……

よって話的に中途半端ですがご許しを。
次はできるだけ早く投稿したいです。

拙作ですが今後ともよろしく。



ふと思ったのですが、誠亜とか神の絵でも描いてpixvあたりに投稿してみようかな。
でも「誰コレ」ってなりそうだし。さらにいうなら正直下手の横好きで画力もデザインセンスもないしなあ……
というか絵描いてる暇があったら次の話を書いた方がいいかもしんないんですけどね。



[9509] 第17話 連なる試練。ちょっ!やめてホントマジで!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/09/05 14:22
神と俺のコイントス












第17話  連なる試練。ちょっ!やめてホントマジで!












足に込めた力が地を蹴りつける。
そしてその力に応じた分だけ体は前へと飛び出す。
体が風を切る感覚は嫌いではない。
速く走れば走るほどこの身が風と共になるのが感じられる。
陸上部なんかに属する人はこの感覚が好きで走っているのだろうか。

頬を撫で風が髪を揺らす感覚に神楽坂明日菜は歓声を上げた。

「私!風になってる~~~!!」

「現実逃避してんじゃねええええええええ!」

後ろで上がった怒声にアスナの意識は現実へと戻ってきた。
周囲の景色が目に入ってくる。
左右を遮る巨大な本棚。
壁のように屹立するそれによって、アスナたちの走るフロアは一本道のレースコースのような様相を呈していた。
相変わらず難しそうな本やら、古びた(価値がありそうなともいう)本がきっちりと詰められているが今のアスナにそれをじっくり観察する余裕はなかった。


ぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅぽみゅ


悪魔の足音が後ろから迫る。
気の抜けるその音は悪魔の足の肉球が奏でる不協和音だ。
本来どこかほほえましくすらある音は、今まさに恐怖の源として君臨していた。
首だけ振り返って後ろを見る。

すぐさまアスナたちを追うものの姿が目に入った。
というか眼に入れざるを得なかった。
わりと大きな通路だがその半分以上を埋める巨大なそれは犬だった。

まき絵が涙目になって悲鳴を上げる。

「あ~ん。なんで私たちがチワワに追われなきゃいけないの~!」

そうチワワだ。
アスナたちを追う捕食者はチワワだった。
ただし巨大な、と前につくが。

「それはきっと俺達が魔法の本を取りに来た侵入者だからだ」

最後尾を走る誠亜が真面目な顔で答える。
その隣をネギがひーこら言いながら走っていた。
誠亜が最後尾を走っているのはいざというときに皆をかばうためだろう。
一方ネギが最後尾を走っているのは単純に魔法の力がないため皆についていけないからだ。

「それにしても大きいな~。ウチこんな大きなチワワ見たのは初めてや」

このかが可愛い鳴き声とともに追いかけてくるチワワを見ながらのんびりと言う。
まあ普通の人間としてはもっともな反応だ。
神を知っている面々からすればこれぐらいやるだろうとどこか納得できるのだが、まき絵や夕映、このかはそうはいかない。
古菲もそうなのだが、なんか彼女にはあっさり受け入れてしまいそうな雰囲気があった。
実際古菲自身、誠亜や楓とともに凄まじい強さを見せている。

このかの問いに誠亜が焦ったようにひきつった笑みを浮かべる。
左手を泳がせて、何かを必死に考えているようだった。

「つまりあれだ。とある研究機関が生み出した実験動物だ。研究機関ジーオーディー。へのへのもへじもケルベロスもそこで開発された生物兵器なんだよ。実験を兼ねて今回魔法の本の警護のために貸し出されたってわけだ」

苦し紛れに適当なことを言う。
だがこのかもまき絵もそれにつっこむ余裕がなかったためか、特に疑われることはなかった。

「大きくてもかわえ~な~」

このかが微笑みながら言う。
いくら可愛くても、もとがチワワでも、これだけの大きさになると脅威以外のなにものでもない。
だからこそ今アスナたちは必死に逃走しているのだ。

「気を許しちゃだめですよこのかさん!いくら可愛くてもあの巨体の持つパワーは本物です!僕達の体なんて簡単に食いちぎっちゃいますよ!」

ネギが真剣な表情で注意を促す。
その光景を想像したのかまき絵が顔を青ざめさせていた。
だがそんな危機感にとらわれる面々に誠亜が暢気な声をあげる。

「いやそれはないんじゃねえかな。安全に趣旨変えすると宣言したあとで出てきたわけだから、つかまっても喰い殺されるってことはないはずだ」

「え、そうなの?」

意外な事実にアスナが問い返す。
すると誠亜が口を開くより早く、天から低めのダンディな声が降ってきた。

『その通りだ!』

突然聞こえてきた声に夕映やまき絵達がきょろきょろと周囲を見回す。
だがどこにも声の主の姿は見えなかった。
アスナにはこの声に聞き覚えがあった。
呂布事件の時やそれ以外の時でもちょくちょく見かけることのあった男の声だ。
この素っ頓狂な、けれども凶悪な罠たちの主、諸悪の根源、終末を描くもの、神だ。

鬚を生やし、髪をオールバックにして渋い声で話すダンディなおじさん。
だがその服のセンスと行動の破天荒さは壊滅的であった。

天からの神の声は続く。

『そのチワワは特別製だ。食われても怪我ひとつせん!』

皆の顔に安堵が浮かび、自然と足が緩む。
だがただ一人誠亜だけは何かを警戒するような表情で押し黙っていた。
彼女はもっとも神の被害を受けている者だ。
その彼女が何かを感じ取っているのならそれをおろそかにするべきではないだろう。

一体何が来るのかわからない恐怖にアスナが冷や汗をかいていると、油断している皆に神の災厄が降りかかった。
神がさらりと地獄の具現のごとき言葉を吐く。

『ただしそいつに食われるとウン○と一緒にケツから出されることになるだろう!!』

「死ぬ気で走れええええええええええ!!」

「「「「「「ラジャー!!」」」」」」

誠亜の絶叫に誰一人迷うことなく答えて今までの数倍の必死さで走り出した。
とうぜんだ。神の言い放った内容は死力を尽くして逃げるに値するものだ。
もしあのチワワにつかまって宣言されたとおりの目にあわされたら一生夢に見る自信がある。

体育祭の徒競争だってこんなには必死に走らない。
遅刻でイエローカードがそろいかけている時だってこれほど必死になりはしない。

皆力の限り走る。
だがそれでもなおチワワの方が速いようだった。
じりじりと距離が詰まる。

楽しそうにこちらを追いかけるチワワを一瞥して、誠亜が低い声で唸った。

「しかたねえ。ここは最終手段を使うしかねえな」

「何か切り札があるんですか!?」

隣を走るネギの顔がぱっと明るくなる。
体力的にきついのもあり、ちらりと見えた希望の光に喜びが隠しきれないのだろう。
それに誠亜は真顔で頷いた。
真剣そのものの声で言う。

「うむ。まずは奴の口にネギを放りこむ」

「ちょっと!しょっぱなからなんかおかしいですよ!」

涙目で悲鳴のような叫びをあげるネギ。
しかしそれを誠亜は子供をあやすように手で押さえて言葉を続けた。

「話は最後まで聞け。飲みこまれかけたネギが奴の口の中で腕をつっぱって奴の口を封じればそれ以上誰かが食べられることはない」

「なに真顔で言ってるんですか!今は冗談言ってる場合じゃないんですよ!」

非難がましい視線を誠亜に向けてネギが咆える。ただでさえ走るのがきついのに叫ぶものだから、小さな体が少しふらふらしていた。

そんなネギに誠亜は包み込むような優しい微笑みを浮かべる。
普段少しきつめの表情をしていることが多いのでこのギャップは強烈だった。
一瞬見とれて黙るネギに普段とは打って変わった優しい声音で言う。

「いいかネギ」

「は、はい」

ネギも毒気を抜かれたような声で答えた。
それを見て誠亜はゆっくりと頷く。
そして言った。

「教師には生徒を守る義務があるんだ」

一瞬意味が分からず思考を停止させるネギだがすぐにその言葉の意味を理解して叫んだ。

「…………!本気ですね!本気なんですね!本気で僕を犠牲にするつもりですね!」

涙を浮かべたいたいけな9歳児を誠亜は笑顔のままで切り捨てた。

「俺はいつだって本気さ」

「余計たちが悪いです!ていうかそれを言うなら誠亜さんにもみんなを守る義務があるでしょう!!」

ネギの言葉に誠亜は微笑みを消すといつもの狼のような眼で、不思議そうな顔を形作って首をかしげた。

「なんで?」

ネギは焦りとわずかな憤りを含めた声でまくし立てる。

「誠亜さんは強いじゃないですか!僕たちまほ……ンンッ!力あるものはその力を弱きものを救うために……!!」

その言葉を遮って誠亜がどこか底の抜けた笑い声をあげた。

「はっはっは。いいかネギ。ぶっちゃけ強者に弱者を救う義務なぞないんだよ。強者は弱者のために強いわけじゃないんだからな。まあそういう奴もいるんだろうが」

「わお!誠亜さん言い切りましたね!しかも笑顔で!さりげなくそのセリフは微外道のかほりがしますよ!」

なんだかネギのテンションが高い。
追い詰められている状況とその先に待つある意味死よりも恐ろしい地獄に精神が昂ぶっているのかもしれない
しかし見る限り誠亜に特別なことを言っているという気負いはない。
当たり前の自分の考えを述べているだけという感じだ。
誠亜の考えは前にちらりと聞いたマギステル・マギの考えとは大きく喰い違っている。
常のネギならば誠亜を諭そうとするのかもしれないが、今のネギにそんな余裕はないようだった。

「さあ!おとなしく俺達のために犠牲になれ!なに、死ぬわけじゃない!」

「いやですよ!何ですか!?誠亜さんは僕に何か恨みでもあるんですか!?」

涙を流しながら叫ぶネギに誠亜は呵々大笑して言い放った。

「はははははは!何を言うんだネギ!お前に恨みなどない!ただ純粋に一切の悪意なくお前を切り捨てているだけだ!」

「むしろ駄目ですよ!!悪意だけじゃなくて情けもないし!!」

ネギの言葉に誠亜は心外だといわんばかりに憤慨して声を張り上げた。

「人を冷酷非情みたいに言うな!」

「自覚もないし!!」

叫びながら最後尾を走る二人を呆れながら眺めているとこのかが頬に手をあてて言った。

「なんや二人楽しそうにしとるな~」

「いやけっこう修羅場だと思うわよ」

汗を一筋流しながらアスナがつっこむ。
二人の言いあいはチワワでは通れない出口にたどり着くまで続いたのだった。












「ああくそ。どっと疲れたわ。やっぱベクトルの違うダメージがかかってたからかね」

言葉とは裏腹に平気な顔で誠亜が言う。
同じように楓と古菲は疲れた様子もない。
つくづく凄まじい体力だ。
アスナもまき絵もこのかも少し息を切らしているというのに。

「僕はもっと疲れましたよ。何せ人身御供にされそうになったんですから」

うらみがましくネギが言う。
途中一度誠亜が本気でネギに足をかけかけたことを言っているのだろう。

深呼吸して息を整えたまき絵がフロアを見渡して小さな悲鳴を上げた。
アスナもまたその声に視線をフロアへと巡らせる。
そこは先ほどとは別の意味で一本道だった。
ひたすらに背の高い本棚がまるで橋のように続いており、その上を歩くようになっていた。
シャレにならない高さで、落ちたらどうなるのか想像したくない。
それはまるで深い渓谷にかけられた頼りない細いつり橋のようだった。
つり橋より良いのは揺れないことか。

まき絵はすでに気圧されている。

『よくぞチワワの試練を突破した!』

空から神の声が響いてくる。
それに無意識に顔をあげた。
別に空中に神がいるでもなし意味のないことだった。
見れば周囲の皆も同じように上を見上げていた。
ただなぜか誠亜は地の底を睨んでいるように下を向いている。

『だが試練はまだ終わりではない!勇者たちよ!見事我が試練を乗り越えてみよ!』

のっけから妙なテンションで語る神に古菲が無表情につっこむ。

「なんか妙なノリになってるアルね」

「乗り切るしかないでござろう。どこにいるかわからぬ故拙者達には手を出せぬでござるしな」

楓が嘆息しながら言う。
アスナは拳を握り締めながら周囲を見回した。
非常に広く開けたフロアで思い出したようにやたらと背の高い本棚があちらこちらに配されたその部屋はおおよそ図書室としての利便性に富むものではない。
なにを考えてこの図書館を作ったのか正直理解に苦しむところだ。

空から神の能天気な声がエコーをかけて響きわたった。

『次なる試練はキューピッドだ!』

意外と言えば意外な内容にアスナは軽い驚きとともに片眉を跳ね上げた。
まき絵がほっと胸をなでおろす。

「キューピッド?よかったぁ。なんか今度は危なくなさそう」

「まあさっきのも肉体的には危なくねえんだがな」

淡々と誠亜が言う。
その顔にはあからさまな不信感があった。

『出でませ!恋のキューピッドォォォォォ!!』

神の叫びが図書館島を揺るがす。

光の柱がアスナたちの前方を貫き、それが甲高い音ともに砕け散ると中から人影が現れる。

それを目にした瞬間アスナたちは全員揃って凍りついた。
3メートルを超す筋骨隆々とした大男が天使っぽい純白の服を着て、頭の上に光の輪を乗っけて立っていた。
手にはピンクのハート型の矢じりを備えた矢を番えた弓を構えている。
背中には申し訳程度に白い天使の羽が生えていた。

「「「「「「恋のキューピッドぉおぉ?」」」」」

異口同音に言う。
どう考えても眼の前のそれはキューピッドと聞いて連想する代物からは激しくかけ離れている。

半眼で頬をひきつらせ、ネギが呟いた。

「神さんは……ものをまともに作れないんでしょうか」

それに全く同じ表情でアスナが答える。

「そうね~。常にこちらの予想とか常識とかの斜め上をついてくるわよね」

その隣でこれまた同じ表情で誠亜が嘆息しながら付け加えた。

「なんか俺はもうだんだん諦め始めてきたよ」

「グオオオオオオオオオオ!」

キューピッドが咆える。
はっきり言ってキューピッドというより魔獣である。
呆気にとられていたアスナたちだが、キューピッド?が番えた弓を引き絞ったのを見て慌てて動き出した。

バラバラに逃げようとして、そこが連なる本棚の上に過ぎないということに気づく。
声にならない悲鳴をあげてアスナはこのかを押し倒した。
伏せたアスナの頭上を凄まじい勢いで矢が通り抜けていく。
同じように楓がまき絵と夕映を伏せさせる。
誠亜がネギの首根っこを掴んで引きずり倒した。
前にいた仲間たちが邪魔で一瞬反応が遅れた古菲が迫りくる矢を見てあわてて身を反らす。
古菲の胸をかすめてハートが風を裂いて行った。

「古菲ちゃん!危ない」

咄嗟に声を張り上げる。
安堵の息をつく古菲の後ろで矢が鋭角に反転して襲いかかっていた。

「へ?」

間の抜けた声をあげる古菲の後頭部に景気のいい音を立ててピンクのハートが突き刺さった。

「古菲!」

ふらりと倒れる古菲を隣にいた誠亜が受け止めた。
肩を掴んで揺さぶる。

「古菲!おい!大丈夫か!」

眼の前で矢が人の頭に突き刺さる光景にまき絵が涙をにじませて震える。
楓は皆とキューピッドの間に立って油断なく巨人を見据えた。

「う、ううん」

かすかな呻きとともに古菲が眼を開く。
その様子に誠亜が安堵の息をついた。

「ああよかった。どうやら今回も危険は少ないようだ……な……」

誠亜の言葉が次第に力を失っていく。
不審に思って覗き込むと誠亜が頬を引きつらせてだらだらと冷や汗をかいていた。
さらに不審に思うと誠亜に肩を抱かれた古菲が瞳を輝かせて……

(輝かせて?)

さらに覗きこむと古菲が瞳をピンクのハートに変形させて誠亜を見つめていた。
体自体もピンクのオーラを纏いだす。

「く、古菲?」

身を襲う嫌な予感に身を震わせる誠亜の手をしっかりと握りしめると古菲はどこか上気した顔で詰め寄った。

『ああ。ちなみにそのキューピッドの矢に当たると、ククッ、最初に見た人間に強烈な恋慕の情を抱くからな』

空から降ってくる、笑い交じりの声に誠亜は思わず叫び返した。

「やっぱりかあああああ!畜生!そんな気がしてたんだ!」

「今ビビっと感じたアルよ!誠亜こそ運命の人ね!」

「とち狂ってんじゃねえ!」

強引に組みつく古菲を力の限り抑えながら誠亜が声を張り上げる。
いかなる力が働いたものか古菲の腕はぎりぎりと音を立てながら誠亜の体に差し迫っていく。

「とうおっ!」

掛け声一閃、古菲は誠亜の腕を弾くとその体に抱きついた。

「ぶぐぉ!」

あまりの勢いに誠亜がボディブローでも食らったかのように苦鳴を洩らす。
しかしそんな誠亜の様子はお構いなしに古菲は誠亜の胸に顔を埋めた。

「ふ、ふふふ……さあ誠亜。このままめくるめく甘美な世界に飛び込むアルよ」

柔らかな胸から顔の上半分をのぞかせながら明らかに正気ではない興奮した声音で古菲が言う。
その気迫に誠亜は息を飲みながら古菲の腕を掴んだ。
背に回されて誠亜の体をがっちりとホールドしている古菲の腕を引きはがしにかかる。

「落ち着け古菲!お前は今神の力で暴走しているだけだ!理性を取り戻せ!」

「ふふふふふふ関係ないアル。関係ないアルよぉぉぉぉぉぉ」

「怖いぞお前!あっ、こらやめろ!どこ触ってる!」

誠亜の指は古菲の腕にがっちりと食い込んでいるが腕自体はびくともしなかった。

「なんだこのパワー!明らかに強すぎだろ!クソ神め!また何か余計な付加効果つけてやがるな!」

なんだかくんずほぐれつ大変なことになりそうな気配の二人にアスナは息をのんだ。
となりではまき絵もまた頬を朱に染めて二人を凝視している。
このかは状況がわかっているのか、頬に手をあてていつもの表情で眺めていた。

「だめやえ~。女の子同士なんて」

「論点そこ!?ていうか助けろよお前ら!」

悲鳴のようなツッコミをする誠亜に夕映が視線をそらしながら答えた。

「誠亜さんの力でびくともしない今の古菲さんを私たちがどうにか出来るわけがないです。別の方法を考えますのでそれまで頑張って耐えてください」

「あれ!?なんか投げやりに聞こえるのは俺の被害妄想か!?くそ!これがネギを見捨てようとした罰だとでもいうのか!だが俺は後悔はしない!後悔はしないが逆恨みはするぜ!人にばちをあてるものそれすなわち神!あとで殴ってやる!」

誠亜はだいぶ追い詰められているようでよくわからないことを口走りだす。
アスナは服の裾を引っ張られる感覚に視線を移す。
ネギが困惑しきった顔で古菲に押し倒されそうになっている誠亜を指さしてこっちを見ていた。

「た、大変ですよアスナさん!止めないと!」

「そ、そうね。なんか今の古菲ちゃん誠亜より力が強くなってるみたいだし、ほっといたらR指定が展開されそうね……!」

視界の端にきらめく一条の光が見えた。
それがキューピッドの撃った矢なのだと気付いたときには、先ほどの古菲の時と同じように景気のいい音を立ててネギの側頭部にハートアローが突き刺さっていた。
ネギの眼はこちらに向いている。


気がつけば。


アスナはネギの頭をわしづかみにしていた。


そのままネギの首をごりっと捻る。


ひねられたネギの視線の先には偶然、古菲に押し倒されかけている誠亜の姿があった。


「おいいいいいいいいいいい!!」

誠亜の悲痛な絶叫が奇怪な図書室に響きわたる。
無情にもネギの体がピンクのオーラを噴き出した。
瞳がピンクのハートに変わる。

「アスナァァァァァァ!!」

涙目になって誠亜が叫ぶ。

「ごごごゴメン!つい!」

咄嗟にやってしまったことで悪気はなかったのだ。
あわてて頭を下げて謝るが誠亜は見ていなかった。
誠亜の意識がネギとアスナに移った一瞬の隙をついて古菲が誠亜を押し倒していたからだ。

古菲は誠亜の体に馬乗りになると左手で誠亜の両の手首を押えて眼を爛々と輝かせる。

「ふふふ。さあここから一気に駆け抜けるアルよぉぉぉぉ!」

「ちょっ!やめっ!ボタン外すな脱がすな手ぇ入れんなぁぁぁぁぁぁ!」

とりあえずなんか見てはいけない気がしてアスナは視線をそらした。
頬が熱くなっている気がする。
まき絵は眼を手で隠しながら指の隙間からガン見していた。

古菲が荒い息をつきながらかなりヤバめな感じで口を開いた。

「抵抗は無駄アル!さあ誠亜の“初めて”ワタシに捧げるアルよ!」

「誰がお前にやるかあああああああ!」

かなり追いつめられ気味な叫び声をあげる誠亜。
だがその渾身の抵抗も今の古菲の前には焼け石に水だった。

もはや一巻の終わり。
その華を散らすしかないのかと誠亜の胸に絶望がよぎった瞬間、力強い声が響き渡った。

「やめてください古菲さん!」

古菲が手を止めて視線をあげる。
声変わりする前の幼い声が今は不思議と力強く頼れるものに聞こえた。
赤い髪を風に揺らしながら、小さな魔法使い、ネギ・スプリングフィールドがそこに立っていた。
魔法を封じてしまい、今は無力な9歳児のはずだ。
だがアスナの眼にはその姿は今までで最も力強く、雄々しく映る。

「ネギ……」

自然と言葉が口をついて出た。
神の生み出したキューピッドの矢を受けながら、その効果に抗い一人の教師として生徒を守るために立ち上がったのだ。
そこには一人の立派な教師の姿があった。
アスナは確かな感銘とともにその小さな、けれども大きな背中を見つめる。
その背中によく知らないはずのマギステル・マギの背中を幻視した。

ネギが凛々しい表情で、力強く言の葉を発す。
その場の誰もがその言葉に耳を傾けていた。



「誠亜さんの“初めて”は僕のものです!!」



どうやら抵抗できてなかったようだ。

(あ、死んだ)

誠亜の眼がである。
なんかもう神は死んだと眼だけで雄弁に語っていた。
いや神が死んでいないからこそこんなことになっているのだが。
ピンクのオーラを纏いながらネギが参戦する。
二人がかりで誠亜を組み伏せ、そして誠亜の体の上で視線をぶつけ合っていた。

古菲が声を張り上げる。

「誠亜は渡さないアルよ!」

「いやそもそもお前のもんでもないし!」

誠亜がかなり追いつめられたツッコミを入れるが古菲は完全に無視した。
ネギもまた負けじと声を張り上げる。

「それはこっちのセリフです!彼女は僕のものです!」

「お前のもんでもねえよ!」

またも悲鳴に近い叫びをあげる誠亜を無視するとネギと古菲は視線で火花を散らせる。

「痛たたたたた!ちょっと手ぇ離せ!俺じゃなかったら骨が折れてるぞ!」

だがやはり誠亜の声を二人は聞かない。
ひとしきり睨み合った後、古菲とネギは全く同時に誠亜の方に振り向いた。
声をハモらせて言う。

「誠亜はどっちのものアルか!?」
「誠亜さんはどっちのものですか!?」

「どっちのでもねえええええええ!」

泣きながら誠亜が絶叫するがそれも二人を止めることはできなかった。
古菲は真剣な表情で言う。

「仕方ないアルね!ならば二人で分けることにするアル!」

「分けるって何だ!分けるって!」

誠亜の叫びはなんかBGMのようになりつつあった。つまり誰も反応しない。
ネギは古菲の言葉に訝しげに眉をひそめる。

「分ける?どういうことですか?」

問うネギに古菲は不敵な笑みを浮かべると人差し指をたてて左右に振った。

「わかってないアルね、ネギ坊主」

古菲は人生の先達としての余裕を滲ませた笑みを浮かべると、拳を掲げて力強く言い放った。

「“初めて”は一つじゃないアル!それを二人で分け合えばいいアルよ!」

どう考えても無茶苦茶な言葉にネギが天の導きでも受けたかのように眼を輝かせる。

「なるほど!」

果てしなく暴走する二人に誠亜が果てしなく悲痛な、悲痛すぎる叫びをあげた。

「なるほどじゃねえ!!てか何されるんだあああああああああああ!!!」

あまりの可哀そうさに駆け寄って手を伸ばす。
しかしアスナの手はネギの体に触れる前に何かに弾かれた。
見えない壁のようなものでもあるかのようだ。
原理は分からないがおそらく神の仕掛けたものだろう。
いまのアスナではどうあっても二人を止められないということだ。

思わず視線をそらすと何かが砕ける音が響いた。
振り向くと、楓が通路である本棚の一部を砕いて膝をついていた。

「やれやれ。軌道が変わる矢というのは思ったより面倒でござるな」

いつの間にかキューピッドと戦っていたらしい。
視線を隣で同じように楓の戦いを見守っている夕映に移す。
夕映はこちらを一瞥すると視線を楓に戻しながら口を開いた。

「どうやらあの矢の効果は弓を壊すと消えるようで。いま現在楓さんが戦闘中です」

「そうなの!?」

夕映が無言でうなずく。
誠亜が救われる可能性がでてきたこといアスナは素直に歓声を上げた。
しかし、夕映は真剣な表情で楓の背中を見つめている。

「ですが時間があまりありません。誠亜さんの貞操が無事であるうちに倒さねば意味がないです」

その瞬間図書館島に悲鳴が響く。

「キィヤァァァァァァァァァァァ」

頭の中のどこかが誠亜の女の子らしい悲鳴を聞くのは初めてだと、そんなどうでもいいことに気づく。

「どうやらこれ以上時間はかけられないようでござるな」

楓が真剣そのものの表情でキューピッドを睨みつける。
キューピッドは番えた弓を引き絞りながら視線を返した。

流れる沈黙。
停滞は一瞬。
楓とキューピッドは同時に動き出した。
楓の体がかき消え、10メートルほど先に現れる。
それと同時に飛翔するハートの矢が楓の額めがけて突き進んだ。

楓は矢に向かって自ら踏み込む。
当たる寸前で首を傾けて矢を躱すと、楓はさらに一歩踏み込んだ。
疾風よりも早く楓の体がキューピッドへと迫る。

しかし矢はそれで終わりはしない。
古菲の時と同じように矢は鋭角に方向転換すると、楓の背中に向けて直進した。

矢は楓より速いらしく、前を行く楓の背中にあっという間に追いついた。
その背中を抉る瞬間、またも楓の姿がかき消える。
キューピッドの眼前に出現した楓は、巨人の手に握られた弓に手を伸ばした。
矢とはわずかに距離が開いている。
第2射の準備はまだだ。

勝った。
そう喜ぶアスナを嘲笑うがごとくキューピッドはこちらの度肝を抜く行動に出た。
弓から手を放して、そのバスケットボールのような巨大な拳で楓の体を打ちすえたのだ。
楓の体が本棚に叩きつけられて、木製のそれを粉砕する。

だが楓は声一つ洩らさない。
それどころか最初からいなかったかのように消えてしまった。
その一瞬前、キューピッドの横手、何もない空中から楓が手を離された弓に向かって飛びついていた。
まるでマンガの忍法でも使ったかのような動きだ。

だがキューピッドもただでは終わらない。
怪物のような雄たけびとともに丸太のような腕を横薙ぎに振るって楓に向かって叩きつけた。
つくづくキューピッドというイメージからかけ離れた存在である。

だが楓の方が何枚も上手だった。
迫る豪腕にいつのまにつかみ取ったものやらキューピッドの放ったハート型の矢を突き立てる。
キューピッドの眼がハート型に変わってピンクのオーラを纏う。
雄たけびとともに掴みかかるキューピッドの腕を身をよじってかわすと、楓はその腕を蹴って弓をつかみ取った。
後ろからキューピッドの腕が伸ばされるが、楓の体は空中でまたもかき消えた。

次の瞬間、本棚の上に現れた楓の手には真っ二つにへし折られたキューピッドの弓があった。

キューピッドが野太い悲鳴をあげる。
あまりの音量にアスナは咄嗟に両手で耳をふさいだ。
フロア全体を揺るがす断末魔が途切れた瞬間、キューピッドの体が砂のように崩れ出した。

それを見届けて楓はゆっくりと立ち上がった。
手の中の弓がキューピッド本体と同じように崩れて消えるのを見て楓は振り向いた。

「とりあえずこれで古菲とネギ坊主は正気に戻ったはずでござる」

楓の圧倒的な動きに呆然としていたアスナは、その言葉に我にかえってネギたちの方へと振り返った。

そして止まる。

そこには微妙な空気を充満させて静止した空間があった。

地に組み伏せられた誠亜は完全に前をはだけさせられていた。
その右手は古菲に、左手はネギに押さえつけられている。

ネギと古菲は微動だにできずに眼をまん丸に見開いて、冷や汗を滝のように流した。
その様子からして暴走していた間の記憶はあるようである。

誠亜は顔を真っ赤に染めながらその狼のような眼に涙を滲ませて二人を睨みつけていた。
いつも気丈で強気な彼女のその表情のギャップはかなり可愛いのだがそんなことを気にする余裕は古菲とネギにはない。

恐る恐る二人は視線を持ち上げる。
ネギの頭の上には誠亜のブラジャーが、古菲の頭の上には誠亜のパンツが乗っかっていた。

さらに恐る恐る視線を下げていく。
先と同じ表情を通り過ぎて視線はさらにその下に。

そこには健康的な肌が必死の抵抗のためか汗ばんで相反する艶やかな色気を持ってそこにあった。

脇腹にかなり深い、まるで獣の爪に引き裂かれたかのような傷跡があり、また少しわかりにくいが胸の谷間にまるで大剣でも突き立てられたかのような大きな傷跡があった。

いや今着目すべきはそこではない。
古菲とネギも現実逃避するのをやめたのか視線を少し上に戻した。
かなり大きな、それでいて大きすぎないとても綺麗な形の肌色の双丘がそこにあった。
しかも何かがそれを鷲掴みにしていた。

生で。

十秒ほどして古菲とネギはそれが自分の手だと認めることにしたらしい。
混乱と困惑、罪悪感と焦燥が加速し、二人の精神をかき乱す。

誠亜は何を言うでもなく黙って二人を睨んでいた。
それがかえって二人の心を打ち据える。
下手に怒鳴るよりも深く抉った。

しばらくして古菲とネギは全く同時に声をハモらせて言った。


「「素晴らしい揉み心地で」」


図書館島にゲンコツが脳天を打つ音が響きわたった。













しばらくして、服を整えその間ずっと土下座していたネギと古菲を立たせたあと、誠亜がこっちが心配になるぐらい疲れ切った表情で言ったのは「山に帰りてぇ」という言葉だった。
それを聞いたネギと古菲が再びスライディング土下座した。










あとがき

ヌゲヴァ!!(謎の悲鳴)
またも終わりませんでした。
考えてあった図書館島での神の悪戯ネタを書いていったら、またも長くなりました。
全部書いても次の話で確実にメルキセデクの書の間に到達しますが、いっそカットしてサクサク話を進めた方がいいのかな?

まあとりあえずそこそこギャグをやれたので少し満足です。
しかし後半はちょっとエロいかな。
原作でも裸でニアミスして間違って押し倒して胸触るぐらいならやってた気がするし、これぐらいなら問題ないと思ったのですが、大丈夫だったでしょうか?
とりあえず、今後はこんな描写はないと思います。

主人公、後半完全戦力外だったですね。

拙作ですが是非これからもお付き合いください。



[9509] 第18話 閉っまるっド~ア~こっゆび挟~んだ~ チャララッ、チャ~チャ~~
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/09/07 08:43
神と俺のコイントス
















第18話  閉っまるっド~ア~こっゆび挟~んだ~ チャララッ、チャ~チャ~~
















そのフロアは池や湖のように水が満たされていた。
天にはいくつかの光源が浮かび、思い出したように本棚が水の中から顔を出している。
ところどころなぜか木まで生えていた。
空の光源は少々弱めで、ライトの明かりがないといまいちあたりの様子が分からない。

太ももまで届く水の抵抗はかなりの重さでもって夕映の足を引っ張っていた。
しかし本当に人外魔境である。
異常に高い本棚の上を歩かせる構造やこの水に沈んだフロアなど、およそ真っ当な設計思想で作られたものではない。
度の過ぎたアスレチックのような移動を強いる図書館などどんなメリットがあるというのか。
いつも図書館島を探検して思っていたことだった。
それは今まで入れなかった深部に入ったことでより強まったといっていい。

一体どんなものがどんな思いでこの図書館をこんな形で生み出したのか。
興味は尽きなかった。

そんな『不思議』への興味もまた夕映が図書館島に魅せられた原因の一つなのだろう。
ここまで深く来れたのはやはりバカレンジャーズの身体能力の高さによるものが大きい。
今までも彼女らのスペックの高さは重々承知していたがそれでおもなお彼女らは夕映の予想のずっと先を行っていた。

今回の不当な試練とやらは彼女らの力がなければ一つとして突破できなかっただろう。
その力はまさに圧倒的。人の頭を軽く握り潰したり、巨大なケルベロスの上半身を跡形もなく吹き飛ばしたり、迫る大量の妖精たちを一体も残さず制服の上着で撃ち落としたり、瞬間移動のように動いたり、まるでマンガの中のような動きだ。
そしてそれを言うなら試練として出てきた生物たちも非常識だ。
脳も内臓もなく動く人間そっくりの人形。
3つ首の犬、ケルベロス。
絵本の中に出てくるような妖精(もっとも絵本の妖精はバカハンコなど持ってはいない。むろんすべての絵本を読んだことがあるわけではないので確証はないが、少なくともバカハンコを持った妖精なんかが出てくる絵本は夕映は読みたいとは思わない)
そしてキューピッド。もっとも3メートルを超す筋骨隆々としたのをキューピッドというカテゴリーに入れていいのかはかなり怪しいが。

およそ現実で考えられる代物ではない。
誠亜はとある研究機関が生み出した実験動物と言っていたが、冷静に考えれば穴はいくらでもある。
そんな研究機関がテストのために図書館島など選ぶ意味が分からないし、エネミーとしてはただの女子中学生に過ぎないバカレンジャーズは脆弱だ。
もっとも予想外に強いのが3人ほどいたわけだが。

それにしても研究機関ジーオーディー。
G・O・D。ゴッドとはなかなかに大それた名前である。
本当にあの生物たちがその研究機関の生み出したものなら神の名を冠するのもおかしくはないが……


そこまで考えて夕映は思考するのをやめた。
急に馬鹿馬鹿しくなったのである。
そんなことを考えているより探検に意識を回した方がいい。
謎の妨害により大分違うものになってしまったが、フロアの形が変わったわけではない。
この探検はいつか自力で潜る時に役に立つ。

一瞬、自分の思考に何か疑問を抱いたが、その違和感も数秒で消えてしまった。
改めて視界に映る光景に意識を向けた。

「やっぱここでも試練があるのかな~」

まき絵が不安そうにしきりに視線を左右に揺らしながら言った。
周囲を注意しているように見えるが、その実、視索範囲は狭そうだ。

その声に反応するかのように天から声が響きわたった。

『ならば期待にこたえて試練をくれてやろう!無論期待されてなくてもくれてやるがな!』

「いい迷惑だ」

「まったくよ」

「言っても無駄なんでござろうなあ」

次々と半眼で言う誠亜とアスナと楓。
なんだか雰囲気的にこの声の主を知っているように見えるのだが気のせいだろうか。
訝しげに眉をひそめる夕映の前で巨大な水柱が生まれた。
何か巨大なものが落ちて来たかのように、周囲に大量のしぶきを飛ばす。

全身に水しぶきを浴びてぐっしょりと濡れながら、夕映は眼前の者に目をこらした。
しぶきはまだおさまらず、水のカーテンに遮られるように落下物の姿は見えてこない。

すると突然夕映の体は襟首をつかまれて後ろに引っ張られた。
その勢いに首がしまって、夕映は呻き声をあげた。

次の瞬間、何かが夕映の体のあった場所を通り過ぎて行った。

「ありがとうございます」

夕映は自分を引っ張って助けてくれた人物に礼を言った。
だが肝心のその人――楓は難しい顔で水柱の中の物体を睨んでいる。
その顔には少なからぬ緊張の色があった。

水柱がおさまり、中のもののその全容が見える。

「うっ!」

誰かが酷く嫌そうに呻く。
だがそれも頷けた。
眼前のそれは十分すぎるほどに生理的嫌悪感を生み出すものだった。

ぬめぬめとした体表、鮮やかすぎる緑色の肌。
ぎょろりとした二つの眼はぬぼうっとこちらを見つめていた。
それが一声鳴く。

「ゲロ」

カエルだった。
3,4メートルほどの巨大なミドリガエルだ。
イボガエルじゃないだけましだがそれでも気持ち悪いことに違いない。
巨大なせいで本来のサイズなら気付かない体の細部まで目につく。
それがまた気持ち悪さに拍車をかけている。

誠亜が舌打ちしながら夕映の前に立つ。
両手の指をバキバキと鳴らしながら巨大ガエルを睨みつける。
水しぶきを浴びたせいで、固まっていた体中の返り血が再び溶けだし、かなり凄惨な姿に見えるのだが、本人は気づいていない。

「ちっ!しゃあねぇ。ぶっ潰すぞ!楓!お前は左から……楓?」

途中で声のトーンを落として誠亜は楓の方に振り向いた。
夕映もつられてそっちを見る。
そこには口元を引きつらせ、顔を青ざめさせた楓の姿があった。
軽く開かれた眼からは隠しきれない嫌悪の情が見えている。

その様を見た誠亜が頬をかきながら問う。

「あ~。ひょっとしてお前カエル苦手?」

それに楓はかくかくと2度頷いた。

「す、すまないでござるが今回ばかりは……」

誠亜は苦笑すると、一転して真剣な表情を浮かべ、一気にカエルへと肉薄した。
蹴立てられた水が柱のように噴きあがり、夕映達の顔を濡らす。

カエルの口からのびてきた長い舌を左手でそらすと誠亜はそのまま渾身の力で右の拳を打ち込んだ。
その威力に誠亜の腕が肩までカエルの体に埋まる。
文字通りカエルの潰れたような悲鳴を上げた巨大ガエルはまるで風船が破裂するようにはじけた。
血肉の代わりに撒き散らされたのは肌の色と同じ緑色の煙だった。

「なっ!」

驚愕の声をあげる誠亜が緑煙につつまれて見えなくなる。
よもや倒されることを前提にした毒攻撃では。
嫌な予感が駆け巡る。

「誠亜!」

思わずアスナが呼びかけると、中から咳きこむ声が聞こえた。

「ゲホッゲホッ!くそっ、なんだこれ!」

激しく咳きこんでいるが、もだえ苦しんでいるわけではない。
毒ではなかったのだろうか。

「大丈夫でござるか誠亜殿!?」

楓が声を投げかける。
その声には若干の焦りと後悔があった。
カエルを嫌がって一人で行かせてしまったことを気にしているのだろう。

煙がゆっくりと晴れていく。
一定の流れがあることからこのフロアにはわずかながら風があるのだろう。

「ぺっ!ああくそ!なんだこりゃ!」

誠亜の声とともにシルエットが見えてくる。
若干の違和感を覚えながら完全に煙が晴れるのを待った。

「何が起きたんだってんだ」

緑のベールが取り払われ、毒づく誠亜の姿がはっきりと夕映達の目に映る。
それがなにか理解した瞬間、夕映を含む全員がそろって短い悲鳴を上げた。

「ヒィッ!」

ばしゃりと水音が響く。
恐る恐る振り向くと、水面に楓が浮かんでいた。
何か悪夢でも見たかのようにきつく瞼を閉じ、口をへの字に引き結んでうなされている。

「か、楓ちゃんが気絶したあああ!」

「うおいっ!なんだその反応は!?」

たまらず声を張り上げる誠亜。
がくがく震えるまき絵を宥めながら夕映は言葉を返す。
だが視線は微妙にずらしていた。

「いえ、なんというかこの反応も仕方ないというべきでしょうか」

誠亜はその言葉にひどく焦ったように言葉を紡ぐ。

「仕方ない!?仕方ないって何だ!ていうか何がどうなってるんだ!?お前らなぜ眼を合わせない!?」

周りを見回すと、皆顔を青ざめさせて視線を誠亜からそらしていた。
それだけ視覚的破壊力が強いのだからしょうがない。
夕映は大きく息を吸うとゆっくりと吐き出した。
心を落ち着かせ、真剣な表情でひたと誠亜を見つめる。

「いいですか。落ち着いて聞いてください。間違っても自暴自棄になってはいけないです」

真摯な声で言う夕映に誠亜はどこか悟ったような、諦めたような声で言った。

「いやもういいから言ってくれ。何となく想像ついたし」

ちらりと誠亜の視線が下に向きかけるのを見て、夕映は慌てて声をあげた。

「駄目です!下を見てはいけません!間違っても水面に映った自分の姿など見ては……」

「いいから言えってば。すでに覚悟は済んだ」

疲れたように言う誠亜に夕映はゆっくりと口を開いた。

「頭がカエルになってるです」

深い深いため息を吐く。
本当に深いため気をついて誠亜は額に手をあてた。
良く見れば手も緑になって、指の先もカエルらしく球のようになっている。

案外冷静に誠亜はあたりを見回した。
水の満ちたフロアにはあちこちに先ほどのと同じ巨大カエルが鎮座してこちらを見ていた。

「なるほど。あいつらを倒すと人をカエル人間にする煙を出すわけか」

誠亜はそこまで言うとフロアの出口を見つめた。
不敵な笑みを浮かべて言う。

「なら簡単だ。カエルを倒さずに一気に出口まで行きゃあいい」

どうでもいいことだがカエル頭の割には非常に表情がわかりやすい。
そう言う点ではある意味愛嬌があるといえるかもしれない。
だからといって自分も同じ目に遭いたいかというと答えは否だが。

『うむ。そう言うと思ってな。カエルにはもう一つ能力を付与しておいた』

空から悪魔の声が降ってくる。
それにカエル誠亜はあからさまに嫌そうな顔をした。
とげとげしい声音で言う。

「なんだよ。また余計なことしたのかよ」

だが天の声はまるで気にした風もなく言葉を続ける。

『無論だ。あっさりクリアされては面白くあるまい』

カエル化というだけで恐ろしすぎるというのにこれ以上何が来るのかと、アスナたちは一様に震えあがっていた。

『あのカエルにつかまって飲み込まれると、煙を浴びた時と同じようにカエル化するのだ!!』

「また嫌な能力を!」

言って誠亜は一度嘆息した。
それでもう切り替えたのか、夕映達を振り向いて声をあげる。

「というわけだ!俺と古菲でどうにか奴らの攻撃を防ぎながら敵中を強行突破する!いいな!?」

強い意志を感じさせる声だが、バカレンジャーズの反応は芳しくなかった。
まき絵が不安そうに右手をあげる。

「も、もし捕まったら……?」

「カエル人間になるんだろうな」

あっさりと返す誠亜にまき絵が凍りつく。
石のように固まったまき絵の隣でアスナが眉根を寄せて言った。

「でも楓ちゃんが気絶してるのよ。二人で防ぎきれるの?」

「さあ?それはなんとも言えねえな」

適当に大丈夫だ、とでも言えばだいぶこちらの心は傾いただろうに。
変なところで素直な奴である。

夕映は表面上は平静を保ちながらこちらを見つめるカエルたちを見回した。
正直夕映とてカエル人間になどなりたくない。
できることなら危険を冒さずにこのフロアを通り抜けたかった。
だがそんな、方法は……。

そこまで考えて夕映は思考を止める。
思いついてしまったのだ。
安全にこの場を通り抜ける方法を。
しかしその方法はあまりにひどかった。
あまりに無責任で自分本位な方法だった。

だが理にかなってもいる。
これを口にすればおそらく、誰も否定しきれずに作戦は通るだろう。
しかし……

夕映が逡巡しているとまき絵がおずおずと手をあげた。

「あの……先にあのカエルをみんなやっつけてから行くのはダメかな?」

「誰が?」

誠亜が問い返す。
問われてまき絵は言葉に詰まった。
視線を古菲の方に向ける。
ご指名を食らった古菲はあわてて手を振った。

「だ、駄目アルよ!布槍を使ったってあの煙の範囲内アル!」

「じゃあ……」

自然と視線が誠亜に集まる。
それは夕映も思ったことだ。
すでにカエル人間化している誠亜ならばもうカエル化攻撃を恐れることはない。
そう考えれば彼女にやってもらうのは妥当な線だ。
だが……

「ま、まあ誠亜さんもう既にカエル人間だし。煙を恐れる必要ないじゃん」

視線をそらしながら言うアスナに誠亜が半眼で告げる。

「丸投げしてるって自覚があるんならせめてこっちの目ぇ見て言ってみろや。つうか2度目以降食らってもこれ以上カエル化が進まないって保証はどこにもないんだぞ」

言われてアスナが気まずそうに視線をそらす。

悩む夕映の前に誰かがすっと歩み出てきた。
赤毛が印象的なその少年はネギだ。
ネギは真っ青になった顔で虚勢を張って口を開いた。

「僕が……代わりに行きます……」

その言葉にアスナがあわてて詰め寄る。

「ちょっと!何言ってるのよネギ!今のあんたじゃ」

「今の僕でもあのカエルたちをひきつけるぐらいはできます。その間にみんなが通り抜けてくれれば」

俯いて言うネギの肩をアスナが強くつかんだ。
揺さぶるようにして顔をあげさせる。

「それであんたはどうなるのよ!あんた一人カエル人間になるつもり!?」

「盛り上がってるところに水差すようで悪いが俺が既にカエル化してんだが」

半眼でつっこむ誠亜には気づかなかったらしく、二人はヒートアップしていく。

「でもっ!僕には義務があるんです!誠亜さんにあんなことをしてしまった僕には、誠亜さんのために戦う義務が!」

「早まっちゃだめよネギ!カエルになるなんて人としてお終いよ!あんたそれでいいの!?」

二人の世界に入りかけているネギとアスナ。しかしそのアスナのあんまりなセリフに誠亜は思わず声を張り上げた。

「おいぃ!お終い呼ばわりか! もっぺん言うが俺が既にカエル化してんだぞ!」

しかしその言葉はアスナたちには届かなかったようだ。
今度は沈痛な表情で古菲が前に出る。

「そういうことなら……ワタシにも戦う義務があるアルよ」

「古菲ちゃんまで!ダメよ、カエル化なんて!女の子ならなおさら!」

「だから俺がカエル化してるんですが!ついでに言うなら今の俺は一応生物学上は女なんだがな!」

かなり怒りの念がこもり始めた誠亜の叫びはやはり届いていない。
古菲とネギはまるで断頭台を前にした罪人のような表情で青ざめ、かすかに震えながらカエルを見つめた。

「それでも……僕はやらなくちゃいけないんです」

「やめなさい!みんなで考えればもっといい方法が見つかるわ!」

どんどんとヒートアップしていくバカレンジャー。

とうとう限界が来たのか、震える声が流れ出た。
青筋を浮かべながら誠亜が唸るように言う。

「もういい……お前ら全員隅っこにでも行ってろ。俺が全滅させてやる」

それに込められた背筋が凍るような怒気に気絶している楓を除いた全員が冷や汗を流しながら直立不動で深く頭を下げた。
声をそろえて言う。

「「「「「ホントすいません」」」」」

直後、誠亜はいくつもの水柱を噴き上げてカエル軍団へと疾走していく。
向こうで連続して緑色の煙が噴きあがるのを見ながら夕映達はあわてて風上に逃げ始めたのだった。
本当に無責任だが、本当に嫌だったのだ。カエル化は。






結局誠亜のカエル化は本物のカエルのように舌が伸びてゲロゲロとカエル語(?)しか話せないレベルまで進んだ。













「ついに……ついに着きました」

這いずるほどにしか高さのない通路を通り抜け、わずかに漏れる光を頼りに天板を押し上げて顔を出すとそこには開けた場所が広がっていた。

今までも図書館らしくないところは多々あったが、ここは最たるものだ。
全体が石材で作られており、とても図書館と呼べるものではない。
まるでRPGか何かのダンジョンだ。
部屋の奥に鎮座する、2体の甲冑像がそれを加速させている。
かなりごつい石像で西洋甲冑の像だ。
片方が巨大なハンマーを、もう片方が大剣を持っている。
強いて言うならば部屋の左右に壁にそって置かれている本棚が図書館らしさだろう。
しかしこの部屋はこれでいいのだ。
いやこうでなくてはならない。
この部屋こそ魔法の本の安置室なのだから。
ボフンという軽い爆発音に振り向くと、緑色の煙を纏ってもとの姿の誠亜が立っていた。
誠亜はぺたぺたと顔を触りながら呟く。

「ふーん。やっぱゴール地点に着いたらもとに戻ったか」

「元に戻れてよかったです」

あとからぞろぞろと仲間たちが出てくる。
少女たちは服についた埃をはたき落してあたりを見回した。

「夕映ちゃん。ここが……?」

問うアスナに夕映は頷いて答えた。

「はい。ここがゴール。魔法の本の安置室です」

皆が互いに視線を合わせる。
わずかに肩を震わせたあと、歓声とともに飛びあがった。
うれし涙を浮かべて互いに抱き合う。

「やった~~!」

「ゴールだ~~!」

「うっ、うっ。やっと試練から解放される……」

皆思い思いに喜んだあと、改めて周りを見回す。

まき絵が感心したように呟いた。

「うわぁ。私これ見たことあるよ。弟のRPGで」

古菲が楽しそうに周りを見回しながら乗る。

「ラスボスの間アルね」

アスナはその部屋を、というより主に石像を見ながら苦笑しつつ言った。

「学校の地下にこんなところがあるなんて」

全くもって不思議な学園である。この麻帆良というところは。
夕映は感慨深げに周囲を見回す。
図書館探検部の大学生たちでもたどり着けていない深部まで自分たちはたどり着いたのだ。

「さて。魔法の本はどこにあるのでござるかな?」

楓の言葉に夕映は我に返った。
そうだった。
本来ここには頭の良くなる魔法の本を取りに来たのだ。
今回だけは探検は手段なのである。

「そうですね。こういう場合宝は部屋の奥、中央と相場が決まっています」

夕映は言って部屋の奥を指差そうとした。
しかし、そこに何があるのか認識するより早く部屋が闇に包まれる。
自分の手さえ見えないというほどではないが、それでも隣にいるはずのクラスメートたちの顔も見えない暗さだ。

突然の闇に慌てたような声が響く。

「な、何!?また試練!?」

不安そうな声に応えるかのように周囲から豪華なファンファーレが鳴り響いた。
戸惑う夕映達の前で一筋の光が降りる。

それはスポットライトだった。

一本のスポットライトが部屋の中央にいつの間にか立っている人物を映し出した。

それは一言で言うならおじさんだった。
頭にダンディな、とつく。
整った眼鼻立ち。
一目で外人とわかる彫りの深い顔つきで、口の上に生やした髭が良く似合っている。


ただし渋い顔のクマのきぐるみを着ているあたりいろいろ台無しだった。


男はくわえた葉巻から煙をうまそうに吸い込み、ゆっくりと吐き出すと低い良く通る声で言った。


「私は……神だ」


何を言えばいいのか。
夕映はあまりのショックに言葉を失い、立ちつくした。
次に取るべき行動も言うべき言葉も浮かんでこない。
ただ黙って眼を見開いて立ちつくした。

それはまき絵も古菲も同じだった。
だが楓とアスナ、ネギは頭を抱えて嘆息している。

神を自称するクマ男は指で葉巻を弾くと(顔だけは)威厳すら感じさせて口を開いた。

だがその喉が何か音を発するより早く雄叫びが部屋を揺るがした。

「どっせぇぇぇいっ!!」

暗闇に乗じていつの間にか間合いを詰めていた誠亜が渾身の力で拳を叩きつける。
いかな力が働いたものやら、石の床が割れるような音が誠亜の足元で響く。

「ぶげらふぁっ!」

血風とともに神とやらが錐揉みしながら吹っ飛んでいく。
誠亜の拳がありえない深さまで顔面に刺さっていたように見えたのだが大丈夫なのだろうか。

「い、いいのですか?アレ」

思わず呟くと隣から苦笑交じりの声が返ってきた。

「うーん。なんていうかあの人なのよね」

意味が分からず首を傾げる。
傾げた後でこの暗闇では意思表示にならないと気づき改めて言葉にした。

「どういう意味ですか?」

「だからさ。今回の試練の元凶。あの人なのよ」

なるほどと納得する。
言われてみれば途中何度か空から聞こえてきた声は確かに今の男のものだった。
ならば誠亜が怒るのも無理はない。
今回の試練ではかなり彼女が被害を被っている。
だがさすがに殺してしまってはいけないような気がする。

「大丈夫でしょうか。今のパンチ。死にかねない威力に見えましたが」

本物よりかなり脆いといっても人体の構造をもとに作られたらしい人形の頭を握りつぶすような人のパンチだ。
だがアスナは特に心配した風もなく答える。

「大丈夫よ。あの人はアレぐらいじゃ死なないわ」

アレぐらいって。何でできているのやら。
若干呆れながら神の吹き飛んでいった方に視線を向ける。

スポットライトの範囲から吹き飛ばされたせいで、神とそれを追って行った誠亜の姿は見えない。

なにが起こっているのか。
眉をよせて眼を凝らした夕映の体を風がなでた。

いや風ではない。
風のような何かだ。
空気の流れではない、だが風と錯覚するような何か。
それを言い表す明確な言葉が見つからない。
だがそれでも夕映の体はちゃんと反応していた。

腹の奥がきゅっと締めあげられるような不安感が走る。
頬を冷や汗が流れおちた。
夕映の心に湧きあがったものが恐怖というもので、先の風のようなものは殺気なのだとようやく思い当たる。
そして間違いなく殺気の出どころは……誠亜。

闇の奥から地獄の鬼のような恐ろしい声が響いてくる。

「ククク。神ぃ。俺は怒ってる。いつもの3倍ぐらい怒ってる。だからいつもの3倍の力で殴るのは当然だよなぁ?」

その声を前にしても神の声に焦りはない。
淡々といつもどおりに口を開く。

「ううむ。どちらかというと威力ではなく回数を3倍にしてほしいのだが。3倍の威力だと確実に潰れぬああああああ!!」

神の言葉を遮って風切り音と肉と骨が砕ける音、さらに石が砕ける音が響きわたった。
しかもその一連の音は連続して響く。
何度も何度も何度も何度も。
秒間5発ぐらいのスピードで鳴り続ける。

「ヒィィィッ!!」

まき絵が震えあがる。
残る面々も大なり小なり顔を引きつらせていた。
黒い視界の中、その音を聞かされ続ける。
今行われてる行為自体は闇のカーテンに包まれて見えない。
だがそれがかえって恐ろしさを増大させていた。
見えないからこそ音からその凄惨な光景を想像してしまい恐怖感が襲う。

破砕音は1分ほどして止まる。
やっと終わった恐怖空間に夕映達が安堵の息を漏らした瞬間、消えていた部屋の明かりが突然ついた。

暗闇に慣れ始めていた眼に光が少し眩しく感じるが、やっと周囲の様子が目に入ってくる。

眼に入ってきたと同時に再び夕映達を恐怖映像が襲った。

人の倒れるような音に視線を向けるとネギが泣きながら気絶していた。
それをアスナが介抱している。

視線を前に戻す。
そこには再び全身を帰り血で赤く染めた誠亜がやけに晴れやかな顔で額をぬぐっていた。
別に汗は見えないので血を拭っているのだろう。

そしてその誠亜の足元には真っ赤に染まった人型の陥没跡があった。
その中にはやはり赤い人型のモノが転がっている。
3メートルほど離れた所にクマのきぐるみの頭の部分が転がっていた。
首から下は見当たらない。
というか人型のくぼみの中にあるのがそうなのだろうがあまり認めたくはなかった。
その惨状から誰もが目を離せずにいる。
古菲が震える声で呟く。

「ネ、ネギの気持ちはよくわかるアルよ。ともすればあの拳が自分に向けられていたんじゃないかと思うと生きた心地がしないアル」

「まったくだ。奴の拳はとても痛いのであまり怒らせないことをお勧めするよ」

何の前触れもなく後ろから聞こえた声に古菲はびくりと震えて振り向いた。
そこにはなぜか無傷の神が先ほどと同じようにクマのきぐるみを着て立っていた。

あわてて視線をめぐらせればクマの頭が転がっていた場所には殺人現場などにかかれる白い線で枠組みが書かれ、人型の窪みには神をそのまま4分の1に縮めたような生命体がメイド服を着て血の跡を掃除していた。

夕映は呆然とそれを眺めた。
確かにあそこでこの男は誠亜に殴られていたはずだ。
そしてこの上ない重傷を負ったはず。
ならば目の前にいるのは何なのだろうか。
どう見ても傷はない。
それどころかきぐるみにすら血の跡ひとつついていない。

「ラ、ラスボスが復活したアル」

混乱のあまりよくわからないことを言い出した古菲に神はからからと能天気な笑い声をあげる。

「はっはっは。私はラスボスじゃないさ。いうなればラスボスより強い隠しボスだ」

そんなどうでもいいことをのたまう。
呆気にとられる一同を尻目に神は言葉を続ける。

「隠しボスというのは総じて異常に強くて相当やりこんでいないと勝負にもならない。だが同じように隠しボスに総じて言えるのは無理に倒さなくてもゲームをクリアできるということだ」

意味が分からず眉を寄せる。
その様子に神は苦笑しながら親指で2体の石像の方を指差した。

「つまりは挑むのなら相手してやらんこともないが、別に私を倒さんでも本は取れるということだ」

言われて、夕映達は視線を石像の方に向けた。
正確には石像同士の間、その奥に飾られた一冊の本をだ。

それは見るかに豪華な装飾をされた一冊の黒っぽいぶ厚い本だった。
眼をさましていたらしいネギがそれを見て驚愕の声をあげる。

「あっ、あれはメルキセデクの書ですよ!信じられない!僕も見るのは初めてです!なぜこんなアジアの島国に!」

その言葉にアスナが驚いたように問う。

「てことはホンモノ……?」

ネギは興奮冷めやらぬように言葉を続ける。

「ホンモノも何もあれは最高の魔法書ですよっ!確かにあれならちょっと頭を良くするくらいカンタンかも!」

ネギの言葉で信憑性を持ちだした話にまき絵が歓声を上げる。
伝説の魔法書とやらのことをなぜネギがそんなに詳しく知っているのかは疑問だが、とにかくこれで希望が見えてきたということだ。

皆口々に歓声をあげながら魔法書に向かって走り出す。
後ろからネギの制止の声が届くが一度走り出した足は止まらなかった。

「あんなに貴重な魔法書、絶対にワナがあるに決まってます!気をつけて!」

それに続いて誠亜の少し呆れたような声が聞こえる。

「そうだなー。ていうか下に台が見えてるし」

「えっ?」

疑問の声をあげる夕映達の足元で何かが起動する音が響いた。
次の瞬間、足元の床の感触が消失する。
慌てて下を向くとそこには下向きに開いた床とそのさらに下にある台の姿があった。

神と誠亜を除く全員が見事にその台に落下する。

夕映は落下の衝撃でぶつけた膝をさすりながらかぶりを振った。

「わ、私としたことが……」

図書館探検には罠がつきものだというのに、ゴールにたどり着いた高揚感と眼の前の魔法の本に流されるままに罠にかかってしまった。

改めて足元を見る。
部屋自体と同じように石でできた台だ。
その上に盤が乗っていた。
盤には五十音が刻まれた大きめのボタンがずらりと並んでいる。
夕映の記憶にちょうどこれに該当する物があった。

アスナが困惑した声で言う。

「コレって……ツイスターゲーム……?」

そうツイスターゲームだ。
お題の文字を押していくゲームである。

「これもお前か?」

「いや。私ではないがなかなかに面白そうじゃないか」

ツイスターゲームの盤を見下ろしながら誠亜と神が話している。
双方ともにアレだけの目にあわされながら何故普通に会話できるのか、はなはだ疑問だ。

『フォフォフォ』

どこからか声が聞こえてくる。
まるで質の悪い機械を通したかのようにくぐもっていた。

声の源に気づき夕映が顔をあげた瞬間、それまで微動だにしなかった二体の石像が一斉に動いた。
互いに武器を交差させて魔法書に続く道を塞ぐ。
そして石像はどこか楽しそうに言った。

『この本が欲しくばわしの質問に答えるのじゃ!フォフォフォ♡』

それを夕映をはじめバカレンジャーズの面々は冷静に見つめる。
その反応に石像は不思議そうに、少し焦燥を滲ませる。

『フォ!?なんだかリアクションが薄いのう』

その言葉にアスナと古菲が目を合わせた。
困ったように言う。

「いやだって。今まで試練とか言ってさんざん非常識なもの見せられてきたんだし……」

それに古菲が頬をかきながら続けた。

「いまさら石像が動いたぐらいじゃ驚かないアルよ」

『そ、そうかの……』

どこか寂しそうに石像が言う。
しかし石像はすぐに気を取り直して高らかに言った。

『と、とにかくこの本が欲しければわしの出す問題に答えるのじゃ!!』

問題と聞いてアスナたちの顔に焦りの色が浮かぶ。
無理もない。
そもそも夕映をはじめとするバカレンジャーの面々は勉強ができなくてこんなところまで来ているのだ。
そんなバカレンジャーにネギが激励の言葉を飛ばす。

「みなさん頑張ってください!問題に答えてあのメルキセデクの書を手に入れられればテストでもいい点が取れます!」

バカレンジャーの顔に覇気が戻る。
そう自分たちは何としてもあの魔法書を手に入れなくてはならないのだ。

でなければネギがクビになり、そして後ろにいるクマのきぐるみを着た男の手によって自分たちは小学校に戻される。

一様に石像の出す問題とやらを真剣な表情で待つ夕映達の耳に低い声の呟きが届いた。

「……ん?メルキセデクの書に頭を良くする効果なぞ無いはずだが?」

錆びついた機械のようなぎこちない動きで夕映は後ろを振り向いた。
顎に手をあてた神の横で誠亜が鋭い目つきで神を睨んでいる。どういうことだ、と視線で問いかけていた。
気がつけば周囲の皆も同様に神を見つめていた。

神はその視線に気づくと、自分の発言を振り返って舌打ちした。

誠亜が嘆息して頭をかく。
そして微妙に疲れた声で言った。

「……帰るか……」

それにアスナが疲労をにじませた声で答える。

「……そうね……」

慌てたのは石像だ。
大剣から片手を離してわたわたと妙なジェスチャーをしだす。

『フォッ!本来そんな効果はないが、応用することでできるのじゃよ!!』

なんだかいいわけくさいことを必死に言いだす。
しかしそれをまたも神がバッサリと切り捨てた。

「いや無理だろう。完全に分野違いだ」

痛い沈黙が場を支配する。
屋内なので風など吹かないはずだが、夕映には寒風吹きすさぶ光景が心の内に見えた。

最初に口を開いたのは誠亜だった。

「よし帰ろう」

それにまたもアスナが答える。

「そうね。各自勉強して乗り切ろう」

『ま、待つのじゃ!』

石像が何やら慌てているがすでに帰還ムードが漂っている。
皆おもむろにツイスター盤の上から通路へとよじ登ろうとしていた。

そんな皆を見てさらに慌てる石像。
しかしそれらすべてを置き去りにクマのきぐるみを着た自称神はどこから出したのか1匹のシャケを剣のように構えて言い放った。
シャケでメルキセデクの書の方を指す。

「役にも立たん本ではモチベーションも保てなかろう!というわけで私が神の力でもって“本当に頭の良くなる本”を用意した!!欲しければツイスターゲームをクリアするがいい!!」

『なんてことをするんじゃ!あのままうまくいけば“良い話”にまとめられたものを!』

その言葉に思わず振り向く。
見れば確かにメルキセデクの書の上に白地に金の装飾をあしらった絢爛な本が一冊浮いていた。
どんなに鈍い者でもわかる神々しいオーラを纏っている。
なにか石像が妙なことを口走っていた気がするが夕映はスルーすることにした。

(まさか本当に!?にわかには信じ難いですが今までの“試練”を鑑みればあながち嘘とも……)

やりましょう。
そう夕映が皆に声をかけようとした瞬間、誠亜の瞳が爛と輝いてかき消えた。
同時に強烈な破砕音が部屋に響きわたる。
突然吹き荒れた突風に激しく揺らされる髪を抑えながら夕映は振り向いた。

そこには粉々に粉砕された、大剣を持っていた方の石像の破片と何が起きたのか理解できていないハンマーを持った石像、そしてその向こうで輝く白い本に手を伸ばしている誠亜の姿があった。

あの一瞬であそこまで移動したというのだろうか。
もしそうならばキューピッドを相手に楓が見せたスピードに匹敵するのではないか。

驚愕に言葉を詰まらせる夕映の隣で神が歯を喰いしばって右手のシャケを振りかぶっていた。
それを見て夕映の胸を悪寒が駆け抜ける。

「危ないです!誠亜さん!」

夕映が警告の叫びをあげるのと、神がその手のシャケを投擲するのは同時だった。

「サーモンバレットォォォ!!」

雄たけびとともにシャケが放たれる。
シャケは神の雄たけびと夕映の警告の声を追い抜き、音速を突破した証である大気の輪を残しながら突き進んだ。

当然だが誠亜には警告は届かない。
だが誠亜は咄嗟にこちらを向くと、驚愕に眼を見開いて怒声を喉の奥に飲み込みながら身をよじった。
シャケが誠亜の体をかすめて後ろの壁に激突し、石の壁を陥没させた。
安堵の息を吐くことはできない。
音速を超えたことによる衝撃波が容赦なく誠亜の体を打ち据える。
砲弾のように吹っ飛んだ誠亜の体が、先のシャケと同じように壁に激突して直径2メートルほどを陥没させた。

「がっ!」

衝撃に肺の中の空気を押し出された誠亜が短い苦鳴を洩らす。
シャケと同時に壁からはがれて地に落ちた誠亜は背中をさすりながら立ち上がった。
視線だけで人を殺せそうな眼で神を睨みながら毒づく。

「神、てめぇ!何しやがる!」

神はそれに腕を組んで鼻を鳴らすと傲然と言い放った。

「フン。言ったはずだぞ。欲しければツイスターゲームをクリアしろと。ズルはいかん」

誠亜はしばし唸っていたが、やがて舌打ちして夕映達と同じツイスターゲーム台に下りてきた。
それを見た石像が口の位置に手を持ってきて咳払いをする。
なんだか夕映には石像が安堵しているように見えた。

『うぉ、ウォホン。では問題を出すぞい。第一問「DIFFICULT」日本語訳は?』

「へ?」

誰かが間の抜けた声を出す。
すると石像はもう一度言いなおしてきた。

『第一問「DEFFICULT」日本語訳は?』

「……なぜに英語?」

呆然と誠亜が呟く。
だが石像は変わらずこちらを見ていた。

戸惑うバカレンジャーにネギの声がかかる。

「みんな落ち着いて!大丈夫です!ちゃんと問題に答えればいいんです!落ち着いて「DIFFICULT」の訳をツイスターゲームの要領で踏むんです!」

しかしアスナは困りきった表情で眉をハの字にする。

「そんなこと言っても!」

まき絵も慌てたように言った。

「ディ、ディフィコロトって何だっけ先生ーーーッ!」

答えようとしたネギを石像が止める。

『教えたら失格じゃぞ』

出鼻をくじかれたネギが言葉を詰まらせる。

「えっ、あっ、EASYの反対ですよっ!えと、簡単じゃない!」

答えの代りにヒントを出すネギ。
しかし今のヒントはあからさま過ぎると思うのだが失格と言われないことからしてギリギリセーフらしい。

ネギのヒントにバカレンジャーが動き出す。
楓が「む」を、まき絵が「ず」を、アスナが「い」を押す。

……むずい。
普通は「むずかしい」である。

しかし外れというわけでも無いので間違いにすることもできない。
石像はどこか呆れたように正解と告げた。

『第二問「CUT」』

石像が次なる問題を出す。

「ちょっとちょっとーっ!」

『フォフォフォ。手を別の所につけたら失格じゃぞー』

慌てるアスナたちを石像は楽しげに追い詰める。
ふと後ろを見るときぐるみ着たダンディオヤジもニヤニヤと笑いながら慌てふためく夕映達を眺めていた。

「これわかるよ。ア、アスナちょっとそこどいてー」

「こ、これなかなかきついわよ」

順調に問題を解いていくバカレンジャーだが、ツイスターゲームの宿命か次第に互いの手足が絡まっていく。

「ちょ、ちょっと誠亜!ぼうっとしてないで!」

「いや、やったことないんでルールがまるでわからんのだが」

「とりあえずそっちの「ひ」を押して!」

最初は軽いものだが次第にその絡み方は複雑になっていく。

『第11問「BASEBALL」』

「うっ、うぐぐぐ。「や」……」

「きゅ、「きゅ」~~」

「う、う、う~~。誰か「う」押して。「う」」

「と、届かないでござる」

「ワタシも届かないアル~」

「あ~くそ。ちょっと待ってろ。今関節外して押すから」

「やめてーー!!あたしが。あたしが押すから!」

あっという間に少女団子の完成である。
複雑に絡み合いにっちもさっちもいかなくなってしまった。
石造りの部屋に少女たちの悲鳴が響く。

「あたたたたっ!」

「キャーーー!」

「死ぬ!死んじゃう~~~っ!」

「問題に作為を感じるです……」

「痛つつ。テメコラ神!何笑ってやがる!」

「やめて誠亜!動かないで~~!」

もうそろそろ限界が近い。
かくいう夕映も異様に反り返らされている今の姿勢は涙が出てくるほどきつかった。

石像が次の問題を主題する。

『最後の問題じゃ』

その言葉はまさに福音。
皆の顔に希望が灯る。

『「DISH」の日本語訳は?』

無茶な体勢に震えながら頭を働かせる。

「えっ……ディッシュ……?」

あと一つというところで失敗するわけにはいかない。
ネギもまたかなり必死にヒントを出す。

「ホラ食べるやつ!食器の!」

「わかった!「おさら」ね!」

夕映の足が「お」を楓の手が「さ」を押す。
後は「ら」を押せばクリア。
念願の頭の良くなる魔法の本が手に入る。
安堵の息をつく夕映の耳にアスナとまき絵の声が届く。

「「ら!」」

これでクリア。夕映はどっと力が抜けてその場にくずおれた。
夕映と絡んでいた楓と誠亜も一緒に倒れる。

体を起こす夕映はネギの呆然とした声に振り向いた。

「おさる?」

良く見るとアスナとまき絵が押しているのは「ら」ではなく「る」のボタンだった。

「ちがうアルよーッ!」

古菲が声を張り上げる。

『ハズレじゃな。フォフォフォ』

石像はそう言うとその手の巨大なハンマーを振りかぶった。
夕映は驚愕に目を見開く。

(なっ!あれを叩きつけるつもりですか!?)

あんな巨大なハンマーが振り下ろされればどれほどの破壊力になるのか想像したくもない。
慌てて飛びのこうとして夕映は足を滑らせた。

(……!私のバカ!)

胸中で自分を罵る。
だが今からでは間に合わない。
夕映は口を引き結んで落ちてくるハンマーを見つめた。
素人の夕映にはそのハンマーが自分に当たるのかギリギリ当たらないのかなど判別できない。
極限の緊張に引き伸ばされた時間の中、ゆっくりとハンマーが落ちてくる。

唐突に、コマ落としの如く一つの背中が現れた。
身長からすると楓だろうか。
そう考えて、その上着にもスカートにも赤い染みが付いているのに気づく。

(誠亜さん?)

「オオァッ!!」

夕映の前で咆哮とともに誠亜の腕が消える。
その瞬間轟音とともに、衝撃が石像を貫いた。
石製の巨大ハンマーごと石像の体が瞬壊する。

『グフォァッ!!』

何か悲鳴のようなものとともに石像の体が吹き飛ぶ。
後に残ったのは石造の膝から下だけだった。

風に髪を嬲られながら夕映は眼前の光景を見つめた。
他の面々も呆気にとられている。

皆が言葉を失う中で誠亜はしばらく石像の残骸を睨みつけると、自分の右腕を見下ろして舌打ちした。

「ちっ。一瞬ずつとはいえ3回目ってだけでもヤバいのに、咄嗟のことでミスったか……」

言いながら右手を開いて閉じてを繰り返す。
だがその動きは妙にぎこちなかった。

「怪我……したのですか?」

思わず言った言葉に誠亜は苦笑して右手を振った。

「大したことじゃねえよ。すぐ直る」

そう言われてしまうとこちらは何も言えない。
夕映には誠亜がどういうことをして、結果腕がどうなっているのかも分からないのだから。
だから夕映は代わりに別のことを言うことにした。

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

頭を下げる夕映に誠亜は腰に手をあてて言った。

「いいっていいって。第一、咄嗟に割って入ってあいつをぶっ壊したけど、ひょっとしたらあの石像、お前にあてる気は無かったのかもしんないしな」

そこで誠亜は眉をしかめると石像の残骸の方に視線を向けた。

「あの石像壊したとき、なんか悲鳴みたいなのが聞こえた気がするんだが……気のせいだろうか?」

その誠亜の背に今まで黙って事を眺めていた神の言葉がかかる。

「私には火曜サスペンスの音楽が聞こえたがね」

「なんだそりゃ?」

訝しげに問う誠亜に神は肩をすくめると、ツイスターゲーム台の夕映達を見回した。

「さて困った。おそらくはツイスターゲームに失敗するとその落とし穴に落ちる手はずになっていいたんだろうが……」

落とし穴と聞いてアスナたちがぎょっと下を覗く。
そんな面々を見下ろして神は右手を上げた。

「仕方ない。私が代わりに落とすか」

そのセリフに全員の顔に緊張が走る。
だが、夕映達の内の誰かが何か行動を起こすよりも神が指を鳴らす方が早かった。

瞬間、夕映達の立っていた台が一瞬で微細な砂と化して崩れ落ちる。
支えるものを失った体が重力に引かれて落ちる中、夕映は腹立たしいほどに暢気な神の声を聞いた。

「あ~。たぶん下に落ちても怪我はせんから、安心してヒモ無しバンジーを楽しむがいい」

いつかあの見た目だけダンディーの頭に百科事典の角を叩きつけてやると胸に誓いながら夕映は落下の感覚に息をのんだ。













おまけ

その日、学園長室。

「学園長。学園長?入りますよ学園長。…………学園長!?学園長ぉ―――――!!」

チャララッ、チャ~チャ~~~









あとがき
どうもすちゃらかんです。
今回もいまいちうまくやれなかった感があります。
といっても、どれだけ書き直しても大なり小なり不満は残るもんなんですけどね。僕の場合。
ちなみにタイトルの「閉っまるっド~ア~こっゆび挟~んだ~」はケロロ軍曹のOPの歌詞の一部、「チャララッ、チャ~チャ~~」は火曜サスペンスの音楽のつもりです(超うろ覚え)

まず謝っておきます。
学園長ファンの皆さん。御免なさい。
別にすちゃらかんは学園長が嫌いなわけではありません。
むしろ好きな方です。
ただなんか書いてたらこうなりました。
(前も似た弁明をした気がする。そしてこれからもする気がする)
誠次に悪気はないのですよ。
ただとっさのことで、思考が後から来ただけで。

わかりにくいかもしれませんが、学園長は石像を壊されてダメージを受けています。
原作で、石像が螺旋階段から落とされて、学園長が額に怪我をしている描写があったので、学園長が中に入っていたのか、操っている石像のダメージがフィードバックしたのかと夢想して書きました。
このSSでは後者のつもりです。

拙作ですが今後ともお付き合いただければ幸いです。



[9509] 第19話 勉強会。そして事情を知らぬ者は走る
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/09/13 13:40
神と俺のコイントス




神は顎に手をあててふむと軽く唸った。
眼前のそれを見下ろして言う。

「なるほど。こうなっていたのか」

「見てるだけなら邪魔だから出て行ってくれ!」

それの隣で焦燥に顔を歪めた男が怒鳴り声をあげている。
神は肩をすくめて顎から手を離した。
もう一度眼前のものを観察する。

場所は学園長室。
適度に高級でされど行きすぎない、つまりは程よく質のいい調度品で構成された趣味のいい部屋だ。
その床に老人が一人倒れていた。
正確には横たえられている。
後頭部が妙に長く、仙人のような外見をした老人だ。
というかぶっちゃけ元始天尊に結構似ているのだが血のつながりがあったりするのだろうか。
まあ仙人どもが子供を作ることなどそうそうない、というかまず無いのでそれはないだろうが。
この老人こそ麻帆良学園の学園長であり、関東魔法協会理事長の職にあるものだ。

本来学園長がいたであろう机には赤い血がべっとりと付いていた。
まあようは吐血したのだろう。
魔法書の間にあったゴーレムは学園長の操っていたものに間違いない。
おそらくはあれが木端微塵に破壊されてダメージがフィードバックしたというところか。

可哀そうだとは思うが、神とてあのタイミングで誠亜が問答無用で石像を破壊して本を取りに行くとは思っていなかったのだし、またハンマーを振り下ろされる瞬間にカウンターで石像を破壊するとも想像できなかった。
よって不可抗力だ。

しかしあの力は一体どういったものなのか。
よそ見していたせいでよくわからなかった。
無論解析をかければ瞬時に分かるのだが、あえて神はそれをしなかった。

「学園長!しっかり!しっかりしてください!」

その男性教諭は必死に学園長に回復魔法をかけている。
どうやら魔法教師だったようだ。
体の魔力を見れば馬鹿でもわかるといえばそれまでだが、正直神はこの教師にさほど興味がなかったのでうわべしか見ていなかった。
誠亜を2-Aに放り込む時に2-Aに関わりのある教師は一通り調べたので、この教師は無関係な魔法教師なのだろう。

もう一度学園長を見る。
それほど重症にも見えないが、まあいいかと神は割り切った。
指を鳴らす。
次の瞬間、ダメージなどはじめから無かったかのように学園長の体が健康体になって現れる。
それを見た魔法教師が愕然とした眼差しでこちらを見ていた。
いままでぴくりともしていなかった学園長はゆっくりと体を起こすと呟く。

「ふう、ひどい目に遭ったわい」

「自業自得と言えなくもないがな」

口元を歪めてそう言ってやると学園長はフォッフォッフォと笑い声をあげた。

「お主も似たようなもんじゃろ」

「問題ないさ。私はまっとうな手段では死なんからな。彼女の怒りをこの身で受けても痛いだけで問題はない」

「詐欺みたいな男じゃのう」

呆れたように言う学園長は鬚をなでるとあさっての方向を向いた。
あちらにあるのは図書館島だ。

視線だけこちらに向けて非難するように言ってくる。

「やってくれたのう……一般人の生徒に思い切り超常を見せつけおって。どうするんじゃまったく」

それに神は半眼で返した。

「ゴーレム動かしていた男のセリフかね、それが」

「程度の問題じゃよ程度の」

綺麗に反撃してくる学園長に神は片眉をはね上げると、嘆息して言った。

「まあ言いふらしたりせんよう細工はしておこう」

それに学園長は渋い顔で唸った。
その顔にはありありと不平の色が見て取れる。

「やれやれ、相変わらず力技じゃのう」

「何か文句でも?」

神が挑戦的に笑うと学園長は嘆息とともに肩をすくめた。

「まあお主がいるとかえって魔法バレをごまかせるのかも知れんの」

どこか自分に言い聞かせるように言う学園長に神は真面目腐った顔で言った。

「なんだ。本気で魔法バレを警戒してたのか。ならまずあの小僧をどうにかした方がいいぞ」

「ネギ君のことかの?」

問う学園長に神は頷くと握った右手の中から手品のようにコーラのペットボトルと取り出した。

「他に誰がいる。アレを放置するとかなりの人間に魔法がばれるぞ」

「ふむ。確かにネギ君には少し迂闊なところがあるが、根は真面目なのじゃよ」

神はふーんと気のない返事をしながらペットボトルのふたを開けた。
炭酸によって一気に膨れ上がったコーラの泡がペットボトルの口からあふれだす。
だがこぼれおちたそれは床の絨毯に触れる前に止まった。
時間を切り取られた写真のように静止している。

神は視線すら動かさずにその泡を操り、自分の右に集めた。
コーラを持っていない方の手の人差し指で泡の塊をつつくと泡は次第に形を変えて小さな少女の姿になった。
コーラの泡の色の肌とコーラ色の髪を持った少女だ。
いうなればコーラの妖精といったところか。
妖精はしばしきょとんとしていたが、神の姿に気づくとシュタッと手をあげて挨拶した。
神も軽く頷く。
妖精は笑顔で手を振ると、無造作に空間に穴をあけて去って行った。

あまりに滅茶苦茶な所業に魔法教師が唖然として口をパクパクさせているが、神はそれを一瞥すらせずに学園長に向かって言った。

「まあ未来の英雄に優秀なパートナーを付けることにもなるかも知れんし、それでいいというなら私は何も言わんが、一応注意した方がいいぞ。ともすれば2-A全員とパクティオー、などということも起こりうるかもしれん」

「さ、さすがにそれはないじゃろ」

「ふむ。確率が低いことは否定せん。あくまで低いだけでゼロではないがな」

言ってコーラを飲みだす神。
別に神が何を飲もうと彼の勝手なのだが、まず神っぽくない姿である。
学園長は真剣な表情で、コーラを飲む神の横顔を見つめるとゆっくりと口を開いた。

「それは全知全能の神としての予言かの?」

「いや。単なる予想だ」

神は即答した。
学園長は表面上は変わらないが、かすかに安堵の色を見せた。
神はコーラを飲みながら何気ないことのように言う。

「たしかに一度はこの世界のたどり着く無限の未来、その全てを見たが何せ数が多いうえに2000年前だ。だいぶ忘れてしまったよ」

平然と未来を、しかもそのすべてを見たという神に内心冷や汗をかきながら学園長は問う。

「もう一度見直せばよかろうに。見えるのじゃろう?」

その言葉に神は苦笑しながら空になったペットボトルを放った。
原子レベルで分解してやる。
その光景に再び魔法教師が息を飲むが感じられたが別に振り向いて表情を確かめる気にはならない。

「2000年前の敗北のおり“全知”は封じられていてな。無理をすれば情報を引き出せんこともないが……」

そこで一度言葉を切って神は悪戯っぽく笑った。

「知らない方が楽しいことも多々あるのだよ。どんな面白いショーも何が起こるのかわかっていては面白さも半減だろう?」

その真理もまたあの敗北がなければ分からなかったのだと思うと不思議と感慨深い。
神はひとしきり笑うと呆れたようにこちらを見ている学園長に軽く手を振ってその場を後にした。

向かうは図書館島。
落とし穴に落ちた誠亜たちはどうなっただろうか。
誠亜が仲間たちをひっつかんで何かやろうとしていたので問答無用で叩き落してやったのだが、まあ大きな問題にはなるまい。
そう自己完結すると、神は手で適当に空間を引き裂いてその中に入っていった。













第19話  勉強会。そして事情を知らぬ者は走る















さんさんと光が降り注ぎ、暖かな陽気が眠気を誘う。
過ごしやすい和み空間にいながら、誠次は眉間にしわを寄せて唸り声をあげた。
難しい顔で目の前の敵を睨む。
強敵だった。
とりあえず熊や鬼よりは強敵だった。
誠次はどうすればこの敵を倒せるのか考える。
いつもの力押しは効かない。
ならば作戦を練らなくてはならない。
だがそれは誠次の最も苦手とすることだった。
もともとあまり頭の良くない誠次だ。
もし誠次に祖父母の頭の良さが少しでも備わっていればこんな敵など問題にもならないのだが、無い物ねだりをしてもしょうがない。
今ある武器だけで乗り切らなければならないのだ。

(考えろ。四の五の言ってないで最善手を導き出せ。さもなくば俺に勝利はない)

胸中で言い聞かせる。
いくつもの解法が脳裏に浮かんでは消える。
何十秒か激闘を繰り広げ、誠次は諦めたように言った。

「わからん」

「じゃあまき絵さんこの問題答えてください」

「は~い」

現在誠次達は絶賛勉強中だった。

地下であるのに外のように明るいその場所は、夕映の話では地底図書館というらしかった。
あたりに世界樹の根が柱のよう張り出し、湖の中に島が浮かぶ。
誠次達はその島の上にいた。
図書館らしく本棚もところどころにあるが、斜めになっていたり水に沈んでいたりでかなり滅茶苦茶だ。

魔法書の間から落とされた誠次達はここに落とされたのだ。
魔法書も手に入れられず、これからどうすればと意気消沈するバカレンジャーにネギが言った言葉が勉強しようというものだった。

たしかにとれなかったものをうだうだ言っても始まらない。
ならば先を見据えて勉強した方がいいのは明白だ。
問題は、他の面々と違って誠次は数日の勉強でどうにかなるか怪しいということだった。

「それじゃあ誠亜さんこれ解いてください」

一人思考にふけっていると再びネギに指名される。
誠亜は非常に嫌そうに顔を歪めた。

「また俺?さっきもやったじゃねえか」

不満げに言う誠亜にネギは困ったような笑みを浮かべる。
右手にチョークをもったまま左手をわたわたと振った。

「しょ、しょうがないんですよ。誠亜さんあまりここ分かっていないようですし」

そう言われてはこちらも言い返せない。
誠次が今やってる勉強をまるで理解していないのは事実だったからだ。

言葉を詰まらせる誠次にネギはあわてたようにチョークで何かを書きだした。

「じゃ、じゃあ少し基礎に戻ってみましょう。これ解いてください」

誠次は言われた通り、黒板に書き出された数式に眼をやった。
まあそれほど難しくない方程式なのだろう。
だが、

「わからん」

誠次は短く告げた。
それにネギが頬をふくらます。

「誠亜さんちゃんと考えてますか?5秒ぐらいで答えが返ってきてますよ」

だが誠次は毅然として答えた。

「甘いな。俺の返答が早いのは俺には解けんと理解するのにそれしかかからないからだ」

「威張らないで下さい!」

かなり駄目なことを自信満々に言う誠次にネギは声を張り上げる。
ネギは一度嘆息すると、黒板に書かれた方程式を消して、また別の式を書きつけた。
とりあえず、前より簡単になったのはわかる。

「じゃあこれを」

「わからん」

今度はネギの言葉を待たずに答える。
ネギの頬がかすかにひきつる。

「あ、あの……ちゃんと考えてから言ってくれないと僕もアドバイスのしようがないんですが」

「いやそうは言われても分からんものは分からんし」

困ったように誠次は持っていたシャーペンを指で弾きあげた。
落ちてきたシャーペンは誠次の指の上で直立して静止する。

ネギは自分の書いた方程式をもう一度見て、恐る恐るこちらに振り向いた。

「あの……本当に全然わからないんですか?」

「うむ」

見れば周囲の生徒も驚いたようにこちらを見ていた。

「これ中一の最初の方の内容なんですが……」

「ん。わからん。つーか数学なんて、数を学ぶ学問のくせにアルファベットが出てきた時点で諦めたし」

もう一度頷いてやるとネギは完全に凍りついた。
アスナも驚いたように言ってくる。

「あたしが言うのもなんだけど、誠亜……中一の頃何やってたの?」

誠次はふむと唸って記憶を探った。
中一のころ何やっていたか。
確か自分がこの麻帆良に来たのが中一の終わりか中二の初めだったか。
その前は……

「山に篭ってたな」

「は?」

アスナがわけのわからないことを聞いたというように問い返す。
それに誠次は何が分からないのかと、逆に不思議そうに返した。

「だから山に籠ってたんだって。3、4歳のころかな?両親が事故で死んで、それ以来ずっと人里離れた山奥の祖父の家で暮らしてたんだ」

いきなり語られた少しヘヴィな話に周囲の面々が気まずそうな顔をする。
だが誠次自身は両親のことは顔も覚えていないので特に気にもならない。
自分にとっての親とは祖父であり、姉であった。

「で、13の時にたまたま山に来た麻帆良の教師に誘われて。俺は反対したんだがじいさんが普通の生活もしてみろっつうんでこの麻帆良に来たわけだ」

呆気にとられる面々を前に誠次はからからと笑いながら続ける。

「だから一度として小学校に行ってねえもんで、基礎が思いっきりすっぽ抜けてんだよな。山にいたころは九九も知らなかったし。むしろよくここまで追いついたと自分を褒めたいぐらいだ」

自分が少なくとも足し算かけ算引き算割り算を普通にこなし、アルファベットも知らない状態からある程度まで英語がわかるようになったのもひとえにダイゴのおかげだ。

かなり根気よく彼とともに勉強したからこそだ。
もっともダイゴもガリ勉するような人種でもないので、自然にだんだんだらけていったのだが。

胸中で親友に感謝の意を示しているとネギが戦々恐々とした面持ちで呟いた。

「きょ、強敵ですね……でもどうにかいい点を取らないと誠亜さん小学校送りになっちゃいますよ」

その言葉に誠亜は激しくだれると机に頬を乗せて言った。

「そうなんだよなあ。でも今さら勉強してもそういい点が取れるとも思えん。だから魔法の本を取りに来たんだが」

「う……悪かったわよ」

アスナが気まずそうに言う。

「いや別に責めてるわけじゃねえよ」

誠次は手を振って答えると、再び黒板の方程式に視線を移した。
やはりわからない。

(まいったな……)

困り果てた顔で手元のテキストを睨んでいるネギを視界の内に入れながら誠次は頭を悩ませた。








やっと空が白み始めた早朝。
新聞配達の原付のエンジンが聞こえたので3時半ぐらいかとあたりを付ける。
何か予感めいたものを感じてダイゴは眼を覚ました。
がりがりと頭をかく。
肩口まで伸ばされた安っぽい金髪がゆらゆらと揺れた。
時計を見るとやはり3時45分ほどである。
ダイゴは周囲を見回して体を伸ばすと大きくあくびした。

テーブルの上には料理雑誌が乱雑に置かれ、キッチンのカウンターには自身で書き記した大量のレシピ帳が並んでいる。
記された料理数ははっきり言って覚えていない。
300を超えたあたりで数えるのをやめたからだ。
きっちりとジャンルごとに仕切りをつけて、すぐに目的のものを取り出せるようにこまめに整理しているのだが、ダイゴは一度覚えた料理は何年経とうとも作り方を忘れることはないのでレシピ帳を見ることはあまりなかったりする。

だがまあ料理を教えてほしいと頼まれたときに貸したりすることも多いので役には立っているので作る意味はあった。
最近になってレシピの割り振りに不満が出てきて、組み替えたいと思いだしたのだが、ルーズリーフではないので組み替えは容易ではない。
26穴パンチの購入を真面目に検討しているところである。
どこにも売ってないので誠次がサイハイソックスを手に入れた裏技を自分も使おうかと思ったり。

ちらりとドアを覗く。
廊下を何かが爆走する音が聞こえる。
ダイゴはそれが何なのかなんとなく理解してドアに向かった。

ノブに手をかけてそれを引く。

次の瞬間ドアの前の小さな人影の突き出した拳が空を切った。
小さな拳が風を生んでダイゴの髪を巻き上げる。

苦笑しつつ言う。

「ティー。そんな勢いで殴ったらドアが壊れるよ」

返事がない。
訝しげにダイゴは眉を寄せた。
見るとティーの肩が小さく震えていた。
がばりと顔をあげたティーの眼には涙が滲んでいる。

「大変だよダイゴ兄ぃ!!セーアが、セーアが帰ってこないんだ!!」

「うんまあわかった。とりあえず落ち着いて順を追って説明してみ」


ティーの話を要約すると、図書館島に行ってくると言って出て行った誠次が戻ってこないということだ。
確かにゆゆしき事態だ。
図書館島の地下にはいろいろ危ない罠もあるとのことだ。
実際ダイゴも昔、ノリと勢いで図書館島に行って飛んできた矢に度肝を抜かれたことがある。
もしかしたら誠次もその罠にかかって……

(なんか適当に乗り越えていきそうな気がするなあ。あ、でもやっぱあいつも矢が刺されば死ぬわけだし……)

誠次が人より強いのは確かだが、それでも誰よりも強いとは言えない。
普通に怪我するし、死にもする。

ダイゴの沈黙に不安を駆り立てられたのか、彼女は混乱を極めたようにその場でぐるぐると回り始めた。
まるで自分の尾を追いかけて回り続ける犬のようだ。
猫耳少女が犬アクションとはこれいかに。

脱線した思考を戻しながらダイゴはティーの頭に手を置いた。
安心させるように微笑む。

「んじゃま探しに行く?」

ぴたりと動きを止めたティーは無言で頷いた。
それを見てダイゴは手をどける。

「うーん。じゃあ学校の方に行ってみるかな。クラスの人と先生に聞けば何かわかるでしょ」

「よし行こう!」

すぐさま踵を返して走りだすティーの首根っこを掴んで引きとめる。
その勢いに掴まれた襟首を視点にティーの体が浮き上がる。
浮き上がっている最中も足はばたばたと空を歩くように動いていた。
なんか似たようなものを見たことがある気がする。
ああ、ヨッシーのふんばりジャンプかと答えに行き着いた気分の良さに内心息を吐きながら、ダイゴは口を開いた。

「こらこらこら。今何時だと思ってんの?今行っても誰もいないっしょ。もう少し待ちなって」

「うう~~~」

ティーは唸りながらこちらを上目づかいに見上げた。
まったくもって可愛い。
何と言う破壊力。
TNT爆薬に換算するとどれくらいだろうか。
おそらく247ネコミミグラムは固いだろう。
ATフィールドも一撃だ。

「寝る!起こしてよダイゴ!」

どこか怒ったようにベッドに潜り込むティー。
それを苦笑とともに眺めながらダイゴは居間のソファーに向かった。
自然な動作でベッド脇の目覚まし時計をセットする。
適当にタオルケットを引っ張り出してそれを体にかけて眠りに落ちた。











「ダイゴ兄のバカーーーー!!」

麻帆良高校男子寮の玄関。
そこに甲高い少女の声が響く。
大きな帽子が可愛らしい金髪の少女――ティーだった。
ティーはのんびりと玄関の扉を潜ってくるダイゴをせかすように腕を振った。
しかしダイゴは両脇にヘルメットを抱えて足で扉を開けている。
そのままのんびりとこちらに向かって歩いてきた。

その動きの遅さがもどかしくてティーはだんだんと足を踏みならす。

「なんで寝坊するんだよーーー!!」

「んー。つい癖でいつもどおりの時間に目覚ましセットしちゃったからだね~」

左手のヘルメットを右手に移し、ヘルメットを器用に片手で二つ持ちながらダイゴが左手で頭をかく。
ティーはあさっての方向を見ながら呟いた。図書館島の方を向いたつもりだが実は逆である。

「これじゃクラスの人たちに話を聞く時間がなくなっちゃうよ」

焦りに眉をハの字にするティーに暢気な笑い声が響いた。

「あっはっはっは。いやいやこれは男子高に行くための時間であって、ここから少し距離のある女子中にはちょっち間に合わないかな~」

「もっと急げーーーー!!」

怒り心頭のティーに向かってダイゴは笑いながらヘルメットを放ってきた。
片手で受け取ってティーはそれを見下ろす。
首を傾げる。

「なんでヘルメット?」

「そりゃかぶるからだよ」

言ってダイゴは木の陰に隠されていたものを引っ張ってきた。
かぶせられている布をはぎとるとその全容が見えてくる。
鋭利さと頑強さを両立させたデザインと、黒いボディが深みを与えている。

「バイク?ダイゴ兄乗れんの?」

ティーは思わず呟いた。
ダイゴは見た目と違って頼りになるが、とても力が強いイメージはなかった。
こんなゴツいバイクを操れるようには見えない。

「乗りこなせてるかは分かんないけど免許は持ってるよ」

言いながらダイゴは驚くほどにあっさりとそのバイクをこちらに持ってきた。
ヘルメットをかぶって後ろの座席を軽く手でたたく。
そこに座れという意味なのだろう。

ティーは言われるままにヘルメットをかぶってパチリと留め具をとめる。
だが大人用なためかティーには少し大きかった。
紐を短くして固定しようと悪戦苦闘していると、ダイゴが手をのばしてさっと調整する。

ダイゴはバイクに跨るとエンジンをかけた。
力強さを感じさせる低い唸りが車体から漏れる。
それはどこか獰猛な獣の唸り声を感じさせてティーは息をのんだ。

ダイゴが視線で乗れと促すので、慌てて車体によじ登りながらティーは問いかけた。

「よくこんな大きなバイク持ってたね」

ダイゴは計器類を一瞥しながらあっさりと答えた。

「ん。料理対決で親父からぶんどった」

「ぶんっ……」

思わず言葉を詰まらせた。
バイクのことはよく知らないが、こんな大きなものだ。
一体いくらしたのだろうか。

「おとーさん可哀そうに」

呟くティーにダイゴはからからと笑いながら言った。

「いいっていいって。俺が獲らなかったら新車の無駄な改造のための財布の肥やしになってたし。有効活用だよ」

「そういうもんかなあ」

「そういうもんさ。さ、出発するぞ。しっかりつかまれ~」

間延びした声に、しかし異様な悪寒を感じてティーは咄嗟にダイゴの腰にしがみついた。
次の瞬間、凄まじい加速度に体が後ろに引っ張られる。

「いいっ!」

加速は終わらない。
風の抵抗がどんどん強くなっていき、ヘルメット越しにも喧しい風切り音が響く。
周囲の風景が恐ろしい速度で後ろに流れて行った。
その様子にある種の不安を覚えてティーは恐る恐る問いかける。

「ダ、ダイゴ兄ぃ?今何キロ出てる?」

「ん~~」

前から声が聞こえる。
それは何か考えるような声だ。

「秘密~~」

おかしい。明らかにおかしい。
先ほどから凄まじい勢いで後ろに流れていく。
車が。
基本車というのは法定速度より少し早く走る。
15キロオーバーまでは取り締まられないんだーとか言いながら。

その車が流れていく。
ゆっくりとではなく、あっという間に。

横を向いていた顔を眼の前の大きな背中に向けてティーは震える声で呟いた。

「ダイゴ兄……ほ、ほーてー速度って知ってるよね?」

「あっはっはっは。難しい言葉知ってるなあティー。大丈夫。知ってるよん」

絶妙な車体さばきで欠片の危なげもなしに車を追い抜いていく。

「大型貨物とかが80キロで、こいつは大型自動二輪だから100キロだったかな~?」

「それは高速だろぉーーーーー!!」

ティーの悲鳴がドップラー効果を残して風を裂いて行く。

流れる風景に恐怖を覚えながらティーはダイゴの腰を更にしっかりとつかむ。

「あれ?」

前から響いてきた間延びした声にティーは顔をあげた。

「ど、どしたの?」

「んー。何か工事中で通れなくなってら」

「んうぇ!」

ダイゴのわきから前の様子を見ると。
かなり前方に工事中を示す通行止めの看板と左に曲がれというしるしが付いていた。

「ん~。面倒だなあ。遠回りじゃないか」

「んなこと言ってる場合じゃないよ!ブレーキ掛けて!減速して!」

一体何キロ出ているのか知らないが、スピードが速ければ速いほどカーブの半径は大きくなる。
このスピードでは間違いなく看板か壁に激突する。

あっという間に視界の中の看板が大きくなる。
風の音も周囲の景色の流れる速さも変わっていない。

つまりは減速していない。

「ダイゴ兄?」

ダイゴの表情はヘルメットに遮られて見えない。
故に彼が何を考えているのかわからなかった。

さらに壁は近づく。

「ダイゴ兄ぃ!」

激突して原型もとどめないほどに破損したバイクと自分たちの姿が脳裏に浮かんでティーは顔を引きつらせた。

「ダイゴ兄ぃぃぃぃ!!」

涙目で叫ぶ。
次の瞬間、体ががくんと傾いた。
気がつけば体の数センチ横に地面がある。

また次の瞬間体の向きが正常に戻った。
恐る恐る後ろを向くと先ほどの看板が90度向きを変えて高速で離れて行っていた。

なにが起きたのかわからずに眼をしばたたかせる。
相変わらず耳に響くエンジンの咆哮と風の音が単調な音楽のようにティーの頭を流れていく。

「曲がっ……た……?」

あの90度のカーブを曲がったというのか。
あのスピードで。

「直線が通行止めなんだから曲がらなきゃダメだろ」

何でもないことのように言うダイゴにティーは軽い頭痛を覚えた。
少なくともまっとうなバイクであんな曲がり方はできないはず。

「ダイゴ兄。これってひょっとして魔法のバイク?」

「これ買ったのは親父だよ。親父は腕はいいけどただの料理人。魔法だか何だか知らんけどそんなもん手に入れられるわけないっしょ」

言いながら、原付をよけようといきなりはみ出してきた対向車を絶妙なハンドルさばきと体重移動でよける。
ティーは戦慄を滲ませて言った。

「ダイゴ兄って……何者?」

「ただの料理人志望の学生さ~」

笑いながらまた車を避け、再び急カーブを謎のカットで曲がる。

「実はあらゆる乗り物を乗りこなせるスーパー高校生とか……」

「ないね~。俺が乗れんのはバイクとチャリと一輪車。車は試したことないや。まだ17だし」

ゆっくりと走る路面電車を一瞬で追い抜いて爆走する。
電車の中、眼をまん丸に見開いてこちらを見る少女の顔が瞬く間に後ろに流れていく。

「その頭は実はカツラで本当は金髪のツンツン頭だったりしない?」

「あはははは。それで北欧神話の狼の名前を冠したバカでかい黒いバイクに乗るわけか。いっぱい剣を収納しているやつ」

「そうそうそれそれ……ってそうじゃなくて。あたいが言いたいのは」

「曲るよ~」

またも謎の技で左折する。
かなり車の数が少ないからこそ良かったが、下手をすれば事故を誘発しかねない。
というかティー達自身が一番事故を起こしそうだ。
そして起きたら十中八九お陀仏である。

「ダイゴ兄。こんなのケーサツに見つかったら一発で免停だよ」

わかっているだろうがそれでも一応言っておく。
ダイゴはしばらく黙るとふと呟いた。

「大丈夫でしょ。これ確か親父の無駄な改造のおかげでパトカーの最高速度より速く走れるし」

「何考えてんの!?」

見つかったら振り切るつもりなのだろうか。思わずつっこむとダイゴは笑いながら答える。

「ホント何考えてんだろね~。自分はきっちり制限速度守って運転するくせに、速く走るための改造するなんてね。意味がわからん」

「ちっが~う!!」

「おまけにボタン一つでナンバープレートその他もろもろを隠せる仕掛けもあんだよね。自分は交通法規破ることないのに」

「ダイゴ兄も見習いなよ!」

するとダイゴは声に驚愕を滲ませて言ってきた。

「え?俺にもこんな意味わからん改造しろって?」

「そっちじゃない!!」

どんどん頭痛がひどくなっている気がする。
しかしそんな中周囲の光景が変わってくる。
女子中エリアに入ってきたということだろうか。

これ以上急いでなど欲しくないが、同時に早くこの時間が終わってほしいとも思う。
そんな二つの思いに、そもそもダイゴが減速してくれればいいのだと気付き、嘆息した。

ふと道路わきの歩道を歩く男性が目に入った。
穏やかな風貌のおじさんだ。
スーツ姿で眼鏡をかけて煙草を口にくわえている。

確かあの人は。
瞬間、ダイゴが手元のボタンを押すとバイクのあちこちで何かが起動する小さな音が響いた。
信じられないことにバイクのカラーリングが変わる、
ナンバープレートもひっくり返ったような音がした。

男がこちらを振り向く。
驚きとともに眼を見開くと男の両手が光った。
次の瞬間男の体が光に包まれる。
男は凄まじい勢いで飛び出してくるとバイクの後ろに回り込んだ。
右腕を伸ばす。
つかんでブレーキでもかけるつもりなのか。
しかしその腕は届かない。
ダイゴが咄嗟に車体を傾けて男の腕をかわしたのだ。

男の姿があっという間に離れていく。
助かったと思う半面、これでまたダイゴは止まらないと落胆する。
しかし眼を伏せたティーの視界で、男は再び一瞬で近づいてきた。

(瞬動!?)

驚愕とともに男を見る。
だが冷静に考えれば当然だ。
咸卦法を使える奴が瞬動を使えないわけがない。
男の手が後部座席の後ろ、荷物を乗せてくくりつけるためのものであろう金具にのびる。

その手が金具を握る寸前、車体が滑り出す。
傾けたのではない。
無理やり後輪がスライドさせられたのだ。
驚愕に眼を見開く高畑の顔を皆がらティーは内心で繰り返した。

(ゴメンナサイゴメンナサイ見逃して~~)

当のダイゴは涼しい顔で一瞬崩れたバランスを整えてさらにアクセルを回して加速する。

「待つんだ!」

高畑の制止の声が響く。
それに答えるようにティーは叫んだ。

「ゴメンナサ~~~イ!!」

あっという間に高畑の顔が遠くなっていく。

「何かトンデモナイ人間がいたね。何あれ?瞬間移動したし」

「いやダイゴ兄もたいがいトンデモだよ」

そう半眼で告げるとダイゴは意外なことを言われたかのように返してきた。

「あははは。何言ってんの。俺は料理が得意な普通の男子高校生でしょうに」

「いや普通の男子高校生はこんなスピードとパワーのバイクを完璧に操れたりしないから」

「高速行けば今ぐらいのスピードいくらでもいるさ」

そう言うダイゴにティーは半眼で告げた。

「ごまかしちゃ駄目だよダイゴ兄。さっきちらっとメーター見たんだから。高速でもとっくに速度オーバーだよ」

「ばれたか~」

おどけた口調で答えるダイゴの声にあるものを感じ取ってティーは小さく問いかけた。

「ダイゴ兄……ひょっとして焦ってる?」

そう問うとダイゴは少し黙った後淡々と答えてきた。

「そうだね。料理コンテストで全然食材が足りてなかったときよりは焦ってるかな」

「そっか」

いつもどおりの暢気な声なので気付かなかったが、やはりこの人も親友の身を案じていたのだ。
ふとくすぐったい感触にとらわれる。
兄同然のダイゴと姉同然の誠亜の絆のようなものがティーには凄く眩しく感じられた。
自分もまたその輪に入りたい。
そんな思いが胸を焦がす。

「ダイゴ兄……」

「なんだあれ?」

ダイゴの声に反応してティーはわきから前を覗く。

500メートルほど前方に謎の物体が浮かんでいた。
人型ではあるが明らかに人ではない。
装甲に包まれた筋骨隆々とした体躯。
背中から生えた4枚の蝙蝠のような大きな翼。
手足には鋭い爪が生え、口には牙が立ち並んでいる。
ねじくれた角の生えたその姿はいうなれば『悪魔』だ。

悪魔はエコーのかかった不気味な声で言い放つ。
かなり距離があるのだが、その声は耳元で放たれたかのようにはっきりと聞こえた。

「ネギ・スプリングフィールドをはじめとする図書館島に侵入した女生徒たちは私が預かった!返してほしくば……」

聞こえた瞬間ティーは自分の中で何かがかっと熱くなるのを感じた。
悪魔の言葉が終るのを待たず、気を纏って力の限り跳躍する。

体を縦に高速で回転させ、その勢いを乗せてまだ何やらしゃべっている悪魔の顔面に強烈な浴びせ蹴りを叩きこんだ。
岩を砕くような感触とともに仮面のような顔の装甲が砕け、悪魔の体を地面に向けて吹き飛ばす。
その巨体が地面に叩きつけられるより早く、悪魔が咄嗟に翼を広げようとするよりも早く一つの影が突っ込んできた。

ティーが跳躍したすぐ後、さらにアクセルを限界まで回して加速したダイゴが小さな段差を使って車体をはね上げる。
盛大なジャンプを行ったバイクの高速回転する後輪がそのスピードのままに悪魔のむき出しの顔面を抉った。

悲鳴も上げられずに錐揉みしながら吹っ飛ぶ悪魔。
だがいち早く着地したダイゴはさらにバイクを振り回す。
前輪を中心に車体が高速で回転し、振り回された後輪が落ちてくる悪魔の体を横殴りに吹き飛ばした。
地面に擦過の跡を残しながらバイクが回転を止める。
その位置はちょうどティーが落下する先だった。
ティーはストンとバイクの後部座席に着地する。

地に落ちた悪魔は頭の前半分と腹が砕け、死んでないにしてもそれなりにダメージは負っているだろう。

「さて、詳しい話を聞きますか」

いつもと軽いノリで、しかし何か冷たいものを含めてダイゴが言う。
しかし、それを言及する気はティーにはさらさらなかった。

ダイゴがアクセルを軽く回したとたんどこかで聞いたような音楽が聞こえてきた。
明るい歌が流れ出す。



そ・う・だ!恐れないんだ。みーんなのた・め・に!あ・い・と勇気だけがと~もだちだ~♪ 孤独って言うんじゃな~い!



なつかしい、頭がアンパンのヒーローのテーマソングが能天気な色とともに流れてくる。
唖然とした表情でティーとダイゴはその歌の聞こえる方に視線を向けた。

なにか妙な重い音も聞こえてくる。

次第に見えてくるその姿にダイゴとティーは口をあんぐりとあけた。
それは物騒な音ともにさらに近づいてくる。
正面に取り付けられた大きなアンパ○マンの顔。
そしてそれにあまりに不釣り合いな凶悪な物体がゆっくりと近づいてくる。

分厚い装甲で構成された四角いボディ。
両脇のキャタピラがキュラキュラキュラと嫌な音を立てている。
生半可な弾丸など傷つきもせず、対戦車ライフルですらもう通じない。
アメリカ軍の主力戦車、M1エイブラムスがそこにいた。
アン○ンマンの鼻部分を貫いて砲身が顔をのぞかせている。
いざとなればそこから時速200キロで砲弾を吐きだすのだろうか。

呆然と見つめるティー達の前で上部ハッチが開き、中からコック帽をかぶったダンディなおじさんが出てくる。
というか見覚えがある。
かつてティーをゾンビで脅かし、それからも誠亜をからかい続けている男――神だ。

神はティー達を無視して倒れ伏す悪魔に向かって叫んだ。

「大丈夫カミパンマン!?今新しい顔をあげるわ!」

言うや否やまた戦車の中に入っていく。
5秒ほどして砲身が機械音とともに動きだす。
そして悪魔の頭に狙いを定めると耳をつんざき、腹の底を揺らすような咆哮をあげた。
強烈な発車音とともに何かが砲口から吐き出される。

気で強化されたティーの動体視力は、凄まじい速度で大気の壁を突き破って進む神の頭をとらえていた。

指一本動かせずにいるティー達の前でアニメの一場面の如く悪魔の頭に神の頭が激突する。
これで頭が入れ替われば完成だ。
もっとも悪魔の体の上に神の頭があってもだいぶ不自然だが。

強烈な激突音が響く。
それとともに撒き散らされた衝撃波がティー達の体を叩いた。
吹き飛ばされそうになる体を大型バイクの重量がつなぎとめる。

ティーはダイゴの腰にしがみつきながら眼前の光景を無言で見詰めた。
ダイゴもまた何を言っていいのかわからず沈黙する。

凄まじい速度で激突した神の頭が見事なぐらいに木端微塵に爆裂したのだ。
悪魔の体もはるか向こうに吹っ飛んでいく。

10秒ほどしてダイゴがぽつりと呟いた。

「散ったな……」

それにティーも無表情に答えた。

「散ったね……」

どさりと何か大きなものが地に落ちる音がする。
それは着弾の衝撃で吹き飛ばされた悪魔の体が落ちた音だ。
そして着弾点には赤いものが飛び散ったあとが広がっていた。

しばらく黙って吹きぬける風の音に耳を傾ける。
すると金属の軋む音を響かせながらハッチが開いた。
顔を見せたバタ子さんコスの神が悔しげに言う。

「ぬう。強度が足らなかったか」

ダイゴは呆れたように嘆息すると仕方なしに問いかけた。

「何やってんのか聞いていい?」

すると神はおもむろに頷いて指を鳴らした。
すると悪魔がぼろぼろの悪魔っぽい案山子に変貌する。

「うむ。悪魔人形を使って遊んでいる。お前らの戦闘能力は全くもって予想外だったので予定と違う形になったが」

ダイゴはそれを聞いて無言でバイクを回転させた。
女子中の方に向ける。

「今は付き合う余裕ないんで行かせてもらうから。壊したところは直しときなよ~」

言ってアクセルと少し回す。
その背中に神の軽い声がかかった。

「ああ。じゃあついでに2-Aの連中に伝言を頼まれてくれるか」

ダイゴがその言葉に振り向いた。
表情はヘルメットに隠れて見えないが眼の中に少しの苛立ちが見て取れる。
大事な友人の危機に焦るこちらの心情などお構いなしに神は真顔で続けた。

「ネギや神楽坂、誠亜をはじめとした連中は現在、緊急勉強合宿を行っている。テストまでには帰る予定だ。無事なので心配しないように、と伝えておいてくれ。心配している奴もいるだろうからな」

その言葉とともにティーの全身をどっと脱力感が襲った。
安心とその他もろもろから来るものだ。
前のダイゴの背中に体重を預ける。
そのダイゴもまたバイクのハンドルに突っ伏していた。

ティーは疲れた声音で一言言った。

「そっち先に言ってよ……」

雲ひとつない蒼天。
それは気持ちのよさとともに、どこか間の抜けた雰囲気を与える。
その下で間の抜けた神の笑い声が延々と響きわたっていた。




[9509] 第20話 実にすばらしい乳達だった
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2010/03/23 01:13
神と俺のコイントス20











第20話  実にすばらしい乳達だった










扉を開けるとどよめきが漏れてくる。
開かれた教室は学校の教室らしくある程度汚れてはいるものの、そこは女子校というべきかわりと綺麗に掃除されていた。
もっとも、ティーは男子校の方には行ったことないので比較できないが。

そこでは数十人の少女たちが思い思いに過ごしている。
昨日見たテレビについて語り合う者もいれば、肉まんを売っている者までいる。
2-Aには何度か来た事があったので、知ってる顔もだいぶある。

「やっぱいいんちょかな」

ネギたちの勉強合宿の旨を伝えるならこのクラスのリーダー、雪広が適任だろう。
ティーは視線を巡らせて彼女の姿を探した。
彼女は長い金髪の持ち主なので目立つと言えば目立つ。

パッと目に入った金髪に視線を向けると、そこにいたのは非常に小柄な少女だった。
といっても7歳のティーからすれば十分に大きいのだが。

その少女はこちらの視線に気づいたのかちらと一瞥した。
少女に見られた瞬間、僅かに体が強張った。
本能が警鐘を鳴らす。
少女は数秒してつまらなそうに視線をそらした。

(なんだろう。変な感じがするな。あの人)

訝しげに眉を顰めているとダイゴの手を握っている右手から震えが伝わってきた。
見上げるとダイゴは愕然とした顔で体を戦慄かせていた。

「ダイゴ兄?」

不審に思って問いかけるとダイゴはがくがくと震えながら答える。

「ば、馬鹿な……クラス全員がBプラス以上の美少女だと……!」

「ダイゴ兄。どこ注目してんの」

つっこみながら苦笑する。
だいぶ付き合ってきてわかったことだがダイゴはかなりの女の子好きである。
よく可愛い子を見てはランク付けしたりしている。
そのままナンパすることもあるがあまり成功率は高くない。

顔立ちは整っているのだが、その軽い雰囲気ゆえだろうか。
しかしダイゴの纏う空気は軽薄というよりもひょうきんと評した方が近く、ナンパもある種の冗談と取られることが多いのだ。
というかダイゴ自身半ばジョークとして言っている節がある。
成功しても食事に誘って、女性を巧みな話術で楽しませ、特になにをするでもなく別れる。
何というか“なんちゃってナンパ”だ。

何とはなしにティーは周囲を見回した。
ダイゴの言うとおり、2-Aの少女たちは皆が皆顔立ちの整った娘達ばかりだ。
それを言うならば誠亜もまたその一人なのだろう。

握っていた手が離されるのに顔をあげるとダイゴは真剣そのものの表情で教室を見回していた。

「94、89.9……信じられん。なぜこんなバストの持ち主たちが中学に、しかも一つのクラスに集められているんだ?ここはアレか?選ばれた者のための楽園なのか?」

低い声で女子たちのバストサイズを上げていくダイゴに半眼でつっこむ。

「ダイゴ兄、スカウターでも内蔵してるの?」

するとダイゴはビシリとこちらを指差すと感心したように言った。

「なるほど。バストサイズを戦闘力と言い換えるわけか。ウマいなティー」

「そんなつもりじゃなかったんだけど」

苦笑するティーにダイゴはまた視線を巡らせた。
だがその視線は顔というより少女たちの胸に向けられている。

「ダイゴ兄。胸はいいからいいんちょを探してよ」

そう告げると少し残念そうにダイゴは頷いた。

「ふむ。まあ名残惜しくはあるけど十分見たし、よしとするかな」

「ダイゴ兄。ちょっとは自重した方がいいんじゃ……」

ジト眼で見つめる。
ティーは軽薄なように見えて実は誠実で優しいこの男のことが誠亜同様好きだったが、この癖はちょっとばかし問題だった。
別段それが嫌いというほどでもないし放っておいてもいいのだが、誠亜がいないときは自分がつっこんでやらないと止まらない気がするのでティーはつっこむことにしている。

ダイゴは深いテーマ性を持った映画を見た評論家のような真面目くさった顔で告げた。

「実にすばらしい乳達だった」

「あたい、そういうことオープンに言うのはどうかと思うんだ」

しかしティーの突っ込みもむなしくダイゴは悔しげに唸る。

「惜しむらくは見るだけでは大きさと形しかわからないことか」

「いやなんで服の上から見るだけで大きさと形が分かるの?」

ダイゴはやはり構わず右手をわきわきと蠢かせた。
なんというかその動きは微妙にいやらしい。

「“弾力”という重要なファクターは見るだけでは完全には捉えられない。やはり直に揉まないと」

「それが許されるのはセーアだけだからね」

ダイゴは手の動きを止めると腕を組んで右手の人差し指を立てた。

「まあ弾力に関しては誠ちゃんのはほぼパーフェクトだから、比較には大きさと形で十分だとして」

「比較しなくていいよ。何?ダイゴ兄はキングオブ乳でも決めたいの?」

少々の皮肉をこめて言ったのだが、ダイゴはやはり気にせず答えた。

「キングオブ乳はおそらく誠ちゃんだね」

「たぶんそれを聞いても喜ばないだろうね。セーアは」

ほめられてはいるのだが素直に喜べないで困っている微妙な顔の誠亜の顔が脳裏に浮かび、ティーは苦笑した。

「いいからいいんちょ探して。ダイゴ兄」

ダイゴは頷くと視線を再び巡らせた。
右へ左へ移しながら淡々と言う。

「で、いいんちょってのはどんな乳?」

「乳!?こういうとき聞くのは普通は顔だよダイゴ兄ぃ!」

思わず叫ぶ。
その声に何人かが振り向いた。
何人か、で済んだのはやはりこの騒がしさのおかげだろう。
振り向いた中には雪広の姿は見えない。
こちらの姿を見た何人かは歩み寄ろうとして、ティーの隣のダイゴの姿を見て動きを止めた。
女子中に男子高校生がいればやはり戸惑う。
女子中エリアはある意味男子禁制の聖域と言えなくもないのだ。
無論実際には男性教諭はいくらでもいるし、生徒だって普通に入れる。
だが男子校生には入りにくさというのは実際にあるようだ。

少女たちはティーとダイゴの姿を順に見比べた後、なぜか生温い笑みを浮かべた。

首を傾げていると振り向いた中の一人、黒髪をサイドでポニーにまとめた少女がこちらを見て眼をまん丸に見開いていた。
それを見てダイゴもまた驚きを瞳に宿す。

ダイゴがゆっくりと右手を持ち上げ、口を開く。

「やあ……」

その瞬間、サイドポニー――刹那が椅子を蹴立てて立ち上がる。
彼女は焦燥に満ちた表情で体に気を纏って、少しだけ重心を低くする。
足もとに気が集中するのが感じられるので、瞬動でも使おうとしているのだろう。

間に割って入ろうかとも思ったが、刹那に殺気はない。
だが一応気を纏い、もうひとスパイスを加えておく。
次に刹那同様足元に気を溜め瞬動のプロセスを踏んだ。
だがそれを炸裂させずにギリギリのところで押しとどめる。
こうすることでコンマ1秒弱だがスタートダッシュが早くなる。
教わって以来練習している技術だが、本来炸裂するべきものを押しとどめるのはかなり難しい。
今のティーに抑えていられるのは1秒か2秒だ。
だがそれで充分。
加速された知覚の中で刹那が残像を残して飛び出してくる。
刹那がダイゴに危害を加えるようなら横から殴り飛ばしてやればいい。
彼女はこちらに全く意識を向けていないので可能なはずだ。

刹那はダイゴの眼前で足を止めると問答無用にその口をふさいだ。
身を寄せて、囁くように、だが有無を言わさぬ口調で詰問する。

「ななな何故あなたがここにいるんですか!?」

「もがもがもが」

返事をしないダイゴにじれったそうに刹那が口を開く。

「だんまりですか……何が目的です?」

「もがももがもが」

胡乱気な視線で刹那はダイゴの顔を見つめる。
そして口を軽く開いた。
軽く見開かれた眼とあげられた眉。
表情からして気付いたのだろうが、ティーは一応言っておいた。

「桜咲。あたい口をふさがれたら何も言えないと思うんだ」

「わ、わかってる!」

刹那が顔を赤らめながらダイゴの口をふさいでいた手を離す。
そしてもう一度問いただそうとして動きを止めた。

恐る恐る周囲を見回す。
つられてティーも視線を巡らせた。

そこには先ほどまでの喧騒がうそのようにぴたりと沈黙してこちらを見つめる2-Aの面々がいた。

誰よりも早く髪を後ろでまとめた少女――朝倉がメモとカメラを取り出した。
それを見た刹那がダイゴの襟首をつかむ。
朝倉が立ち上がる時には刹那はすでにダイゴを連れて教室から走り去って行った。
風を裂いて疾走する刹那とそれに引きずられるように宙に浮くダイゴの姿を呆気にとられて見送る。

出遅れたことを悔やむ朝倉がこちらを向くのを見てティーもまた踵を返した。










何故何故何故何故。
刹那は胸の内で繰り返した。
とぼけた顔で引きずられるその男の顔を見て刹那は唇をかんだ。

髪の色は変わっているがその顔立ちや雰囲気、髪形が同じなのですぐにわかった。
かつて刹那が京都にいた幼い日に、森の中で出会った少年だ。

そして何より重要なのが彼にはアレを見られたということだ。
アレは知られてはならないものだ。
万が一でも周囲に情報が回ったが最後、自分はまた弾かれる。

髪を染め、瞳の色をごまかし、素性を隠してまで隠蔽してきたというのに。

(もしお嬢様に知られたら……)

その未来を想像して刹那は身を震わせた。
足元が崩れ落ちるような強烈な不安感に拳を握り締める。
湧き上がる感情のままに声を張り上げた。

「何故っ!あなたがここにいるのですか!?」

かなりの剣幕で詰め寄ったのだが、眼の前の男――須藤大悟は特に気圧されることもなく軽く笑った。

「ん~。実はある人に2-Aに伝言を頼まれてね」

「そんなわけないでしょう!そんなことでわざわざ京都から来たんですか!?」

そんなウソには騙されない。
絶対に知られたくない秘密を知っている人間の出現に刹那の心は荒れていた。
睨むように見る刹那にダイゴは頬をかくと不思議そうに言った。

「京都?俺はもともと関東出身だよ。小学校から麻帆良暮らしだし」

「へ?」

刹那は言われて動きを止めた。
すぐ前にダイゴの困った顔がある。
親しみやすい空気を纏ったそれなりに整った顔立ち。
明らかに染料の色とわかる金色の髪が雰囲気の軽さに拍車をかけているが、不愉快ではない。

「あんときは京都の親戚の家に行ってただけだよ。言わなかったっけ?」

言われてみるとそんなことを言っていたような気もする。
だがなにぶん幼いころの話だ。
正確には覚えていない。

「じゃあ伝言というのは……」

「実はネギ先生や誠ちゃんとかが今、緊急勉強合宿やっててね。クラスの連中が心配しないようにってね」

その話は一応聞いていた。
一生徒にいちいち知らせる必要はないだろうが、おそらく木乃香を守るという任務上教えてくれたのだろう。
一応魔法使い勢がネギ先生のためにしくんだことなので黙っていたが、ダイゴという一般人がメッセンジャーとして送られたということはクラスの皆に話してもいいということなのだろう。

「そうでしたか。わかりました。私が伝えておきます」

「あ、そう?じゃあよろしく」

言ってダイゴは軽く手をあげて別れの言葉を告げると踵を返した。
ポケットから携帯電話を出してボタンをプッシュしだすその背中に刹那は声をかけた。

「待ってください」

ダイゴが携帯を操作する指を止めて振り向く。

視線で何だ、と問うてくるその顔に刹那は一瞬言葉を詰まらせてから、慎重に口を開いた。

「……あのことは秘密にしておいてもらえませんか?」

その言葉にダイゴは難しい顔で押し黙った。
眉間にしわを寄せる。
その反応に刹那はどきりと胸が鳴るのを感じた。
まずい。
表情からして渋っているように見える。

よく覚えていないのだが、京都で会った時は彼に何か暴言を吐き捨てて走り去ったような覚えがある。
悪い印象を持たれていても不思議ではない。

「あのことって何だっけ?」

やはり素直に頷くつもりはないようだ。
刹那は眉尻をあげながら唸るように言った。

「とぼけるのですか……何が望みです?」

眼の前の男はわざとらしく首を傾げる。
肩まで伸ばされた金髪がさらりと揺れた。
色は安っぽいが髪質自体は悪くないようだ。

「?望み?何、なんか望みを聞いてくれんの?」

なるほどこれで言質を取ろうというわけか。
無害そうな顔をして、その実狡猾な男だったか。
刹那はダイゴの暢気さを装った顔を睨みつけた。
しばらくして悔しげに視線をそらす。

ダイゴはそれをやはり不思議そうに見える表情で見る。

「ん~。よくわからんけど望みを聞いてくれんなら一緒に飯でも食わない?」

なるほど。
そのままなし崩しにあんなことやこんなことをしようというのか。

刹那は警戒に満ちた眼で見る。

それにダイゴは苦笑すると、ふと何かに気付いたかのように上を見上げた。
訝しむ刹那だがやはりつられて上を向いた。

そこには手をクロスさせて顔の前に構え、まっさかさまに落下してくる金髪の少女がいた。

「天空×字けぇぇん!!」

高らかに叫びながらこちらに向けて飛び込んでくる。
あまりスピードがないので2階の窓から飛び降りてきたのだろう。
ダイゴはニコニコと笑いながら一歩退いて、降ってくる小さな体を受け止めた。
そのままそっと地面に下ろす。

「ティー。危ないぞ~。あんな所から飛び降りたら」

するとティーと呼ばれた少女は猫のような瞳を緩めて向日葵のような明るい笑顔を浮かべる。

「大丈夫。あれぐらいの高さなら平気だし、ダイゴ兄が受け止めてくれると信じてたしね」

それにダイゴはからからと笑いながら返した。

「あっはっは。まあ受け止めるのは当然として、受け止めた俺の体が無事で済む範囲にしといてね」

言ってティーの頭をなでるその様はまさに兄妹だ。
刹那は毒気を抜かれたように二人を見つめて嘆息した。

その音に呼応してティーがこちらを向く。

「で、ここで何してたの?今2-Aじゃいろいろな憶測が飛び交ってるよ。刹那が一目惚れして告白しようとしているとか、実はダイゴが親の仇で決闘を申し込んでいるとか、前世で悲運の別れを遂げた恋人同士でびびっと感じ取ったとか」

「なっ!」

愕然と刹那は眼を見開いた。
何故そんな話になっているのか。
自分はただ秘密を明かされる前に彼を連れ出して、秘密厳守を約束させようとしただけだというのに。

「想像力豊かだね。それもまた魅力かな」

となりでのんきに言うダイゴの言葉に少々の脱力感を覚え刹那は眉間を指で揉みほぐした。

それを見ながらティーが首をかしげてもう一度同じ問いをした。

「で……ここで何してたの?」

「ん?なんか刹那が望みを叶えてくれるらしくってな」

「ちょっ!」

そこだけ告げるといらぬ誤解を招きかねないだろうに。
慌てる刹那の前でティーが腕を組んで先ほどとは反対側に首をかしげた。
その仕草は外見の愛らしさも相まってかなり可愛い。

「それはわかったけど、なんでそういう話になったの?」

それにダイゴもまたそっくりの仕草で腕を組んで首を傾げる。

「さあ?なんか突然あのことを秘密にしてくれとかなんとか言って来た」

本当に不思議そうに言う。
ひょっとしてとぼけてこちらに何かを求めようとしているのではなく、本当に忘れているのだろうか。

(いや、そんなことはないはずだ。私と会ったことを覚えていて翼のことを覚えていないわけがない)

白い翼が生えるなどと他の何よりも深く心に残ることのはずだ。
忌み嫌われる人外の証。
化け物の血の具現。
彼女を孤独にした根源。

人間にできるという神の力を知り、リスクを説明された上で考えろと言われたあの夜。
一睡もできずに刹那は悩み続けた。
木乃香を守るため、翼を残し、今のままで生きていくと決めた後も何度も誘惑にかられた。

「あのこと?ダイゴ兄、なんか刹那の秘密知ってんの?」

「秘密ねぇ……」

ダイゴは眉間にしわを寄せて考え込んでいる。
まるで一生懸命記憶を探っているかのように。

「ていうかダイゴ兄は刹那と会ったことあったんだね」

「まあな。昔森で偶然見かけてナンパしたんだよ。そしたらなんか怒られた揚句逃げられた」

それを聞くとティーは何かひっかかったように訝しんだ。
そしてああと手を打って言う。

「ひょっとして前に言ってた、京都で会ってナンパした翼の生えた人?」

その言葉に刹那は眼をかっと見開いた。
殺気を込めてダイゴを睨みつける。

なぜそんなことをあっさり人に言ってしまうのか。
それが人に知られることでどうなるかわからないはずもない。
いや自分などどうなってもいいということだろうか。

腹の底から怒りが沸く。
どうしてそんなにも無神経に言ってしまえるのか。

こちらの態度に申し訳なさそうに眉尻を下げたその顔に向けて刹那はつめ寄った。

しかしその間に小さな体が割って入る。

ダイゴの前に立ちふさがったティーは真剣な表情でひたと刹那の瞳を見据えた。

「ダイゴ兄を怒らないでくれよ」

言ってティーは頭にかぶった少し大きすぎる帽子に触れる。
そして一瞬躊躇して取り払った。

中から現れたものに刹那は足を止めた。
ティーの頭では大きな猫耳がこの上なく自己主張していた。
これが示すのはこの少女もまた。

(亜人……人でない者)

「ダイゴ兄はあたいのためにその話をしたんだ。だから……」

必死に言う少女の姿に咎める気も失せて刹那は幾分視線を和らげてティーの後ろのダイゴを見つめた。

「ああ、翼。翼ね。なるほど黙ってろって翼のことだったのか」

ようやく合点が言ったかのように呟く。
本当にそのことに気づいていなかったかのように。

それに思わず噴き出した。
肩を震わせて笑う。

(変わってないな)

そうだった。
そういえばそうだった。
口元が緩む。
急に小さい頃のあの日のことが鮮明に思い出された。
人にはない翼、そして烏族にはない白い羽に悩んでいたころ、それらすべてを平然とどうでもいいと断じた男。
あの時は受け入れられなくて拒絶した。
化生の血が入っていること、忌色であることが本当にどうでもいいと断じられてしまうものなら今まで一人苦しんできた自分はなんなのか。
眼の前の男のように笑って受け入れてくれない周囲の大多数の人間は何なのか。




『翼?ああ生えてるね。まあそれはどうでもいいとして、どう?俺と遊ばない?いろいろ持ってんだよね。ボールとか。一緒に食事でもいいけど』




拒絶して、逃げだした。
諦めにも似た心でようやく自己防衛を行っていた時に、希望を与えられてはまた期待してしまうではないか。

期待。
振り返ってみれば、自分は嬉しかったのだろう。
嫌悪感を示すわけでもなく、同情して慰めるわけでもない。
真に気に留めもしない。
その自然な形が嬉しかった。

(翼も髪の色や背の高さのような当たり前のファクターと同列にとらえているなら、“あのこと”とだけ言っても分からないのは当然か)

勝手に疑って勝手につっ走っていただけだ。
刹那は自分の行動に苦笑した。

「悪かったな。なんていうかティーも耳を気にしててさ。心を開いてもらうために話したんだ。他の奴には言わないさ」

言って軽く頭を下げるダイゴ。
彼は顔をあげると、少し不安そうにしているティーの頭を撫でた。
すると彼女は安心したように顔をほころばせる。

そのほほえましい光景に刹那もまた口元を弛めた。

この男のことを思い出すたびに刹那はいつも同じ思いに悩まされた。
夜も眠れずに過ごしたことすらある。

ひょっとしたら。

他にも受け入れてくれる人はいるかもしれない、と。

須藤大悟というこの世でただ一人というわけではないだろう。
少数派には違いないけれど他にもいるのではないかと。

そして誰よりも受け入れてほしいのは……

(……このちゃん……)

桜咲刹那の一番の親友で、ある意味心の拠り所ともいえる存在。
人外の血を引いていることの引け目から、今は一定の距離を置いて彼女を守る影に徹しているが、いままでに何度も自分の素性を明かしたいという衝動にかられた。
もし自分のことを告白しても木乃香が受け入れてくれるのなら、自分は小さいころと同じように彼女の“友達”として過ごせる。

実際刹那は今までに何度か木乃香に打ち明けようとした。
しかしそのたびに刹那の足を暗い影がつかんだのだ。


もし拒絶されたら


そんな思いが刹那の心を縛りつけた。
木乃香なら受け入れてくれるかもしれない。
だがもし拒絶されたら自分には耐えられない。

結局言いたかったことを言えず、他愛もない話をして別れるということをしていた。

もしダイゴに会っていなかったら、受け入れてもらえるかもという期待から打ち明けようとすることもなく、完全に木乃香と距離を置いて過ごしていただろう。

どちらが良かったとは一概には言えない。
出会ったせいで悩んでいるのだと考えればマイナスだが、希望がもてているというのは喜ばしいことだ。
かつてのように隣にいたいのに、自分には無理だという諦めとともに鬱屈した気持ちを抱いて影から見守り続けるのはつらい。

「どうかしたの?」

そう問われて刹那は思索から帰った。
眼の前ではダイゴが不思議そうにこちらを見てる。

どうやら知らず二人を凝視していたようだ。
刹那はかぶりを振って答えた。

「いえ何でもないです。それよりも……」

真剣な表情でダイゴの瞳を見つめる。
するとその空気を感じ取ったのか、ダイゴも表情を引き締めた。

「須藤さんはその子をどうするつもりですか?」

ウソも上辺だけの言葉も一切許さない。
本心の身を述べろ、と強いプレッシャーをかける。
しかしダイゴは少々迫力にのまれはしても、欠片の迷いも揺らぎもなく答えた。

「そうだね。折を見て家族に紹介して正式に引き取るつもりだよ」

「ダイゴ兄ぃ」

ティーが瞳を潤ませてダイゴを見つめる。
ダイゴはそれに笑顔を返した。
ひとしきり見つめあって二人はこちらに視線を向けた。
刹那は淡々と告げる。

「大変ですよ」

ダイゴもまた答える。

「もう決めたからね」

刹那はふと笑って踵を返した。

「私はもう戻ります。伝言は私の方でクラスの皆に伝えておきますので。それでは」

「じゃあよろしく刹那ちゃん」

背中にかけれられた言葉に軽く会釈しながら歩く。
数十歩歩いて刹那は肩越しに振り向いた。

そこにはティーに手を引かれて早足に歩いていくダイゴの姿。
それを見つめた後刹那は空を見上げた。

(もう一度このちゃ……お嬢様と話してみよう。打ち明けられるかどうかはわからないけど、とにかく話してみよう)


















勉強合宿も既に数日目。
そろそろ帰らねばテストに間に合わなくなると思うのだが、あいにくとその方法が分からない。

(天井全部ぶち抜いて地上までいけねえかな)

考えて無理だと結論づける。

たとえ成功したとて崩れ落ちた土砂とその上の建物の崩落がどれほどの被害を生み出すのかわかったものではない。

他の連中は今水浴びをしている。
二人ほど本を読んでいるのもいるがどうという問題でもない。

誠次は軽く周囲を見回しながら歩を進めた。
先ほどから気になっていたものがあった。

2度鼻から息を吸った。
他人よりすぐれた嗅覚がかすかな匂いをとらえていた。

臭くはないのだが、なんというか異様に甘ったるい匂いだった。
嗅ぐだけで口の中に3倍に濃縮したガムシロップを流しこんだような甘さが広がる。
ある意味かなり不愉快な匂いだった。

心なしか視界にピンクの靄まで見えだした。



「あーれんふーれんふらふらうーれん!イモリとヤモリがコンフュージョン!!」


その靄の中心。
炊き出しに使えそうな巨大な鍋の前で謎の物体が怪しげな踊りを踊っていた。
両手を前後に突き出し、首を90度横に傾けて腰を激しく左右にシェイクしている。

「あーれんふーれんふらふらうーれん!羊とヤギがランバダ踊る!私は横でジンギスカ~ン!!」

なんだこれ。
誠次は半眼で眼前の光景を見つめた。
怪しげなピンクの靄を吐き出し続ける謎の鍋の周りを、セーラー服を着たダンディなおっさんがその上に適当にマントをはおって踊っていた。
しかもフリルつきのエプロンをつけている。

誠次は無言で周囲の地面を見回した。
5メートルほど向こうに人の頭ほどの大きさの石を見つけ。
大股に歩いていく。
その間も神の怪しげな儀式はえんえんと続いている。
それを横目に誠次は右手で石をつかみ上げた。
指先が石の表面にめり込む。

べきりと石に罅が走る音がするが神は気づかなかったようだ。
そのまま神の側頭部向けて渾身の力で石を投げつける。
空を裂いて弾丸じみた速度で飛んだ石は容赦なく神の頭を抉り、その体をボールのようにあっさりと吹っ飛ばした。

綺麗にトンボ返りのように回転する神を眺めながら、誠次は軽く首を回した。
ごきごきと音を立てる首に手を添えながら近づいていくと、地面に倒れていた神ががばりと起き上がった。
やはりその体はすでに無傷である。

「いきなり何をする?」

非難がましく言ってくる神に誠次もまた非難の意をこめてにらみ返した。

「そういうお前は何やってたんだよ。言っとくが果てしなく怪しいからな、お前」

「ありがとう」

「褒めてねえぞ。念のため言っとくが」

半眼で告げてやると神は顎に手をあててふうむと唸った。
手元の百科事典よりも大きく分厚い本に視線を落とす。
近づいていって表紙を持ち上げるとそこには『簡単お手軽モンスター製作 入門編』と書かれていた。
表紙につけられた帯には『これであなたも立派なモンスタークリエイター。黒魔術初心者でもわかり易い親切設計を志しました』と血文字で書かれている。

「お前今度は何する気なんだよ」

神は眉間にしわを寄せて本のページをめくりながら答えてきた。

「うむ。そろそろテストだろう?それでお前たちを自然に出口へと誘導するためのモンスターを生み出そうとしているのだが……」

鍋の中を覗くとそこではピンクと紫のゲル状の物体がマーブル模様を描いて混ざり合っていた。
ピンク色の方が明らかに多いが、ときおり紫の方が煮沸しておりその度に鼻につんとくる異臭が漂ってくる。

「なんだこれ。こんなもんから生まれるもんなぞ絶対ろくなもんじゃねえだろ」

嫌悪感もあらわに誠次が言うと神は本の角で頭をかいた。

「妙だな。本にあるのと全然違う反応をしているぞ」

「大丈夫なんだろうな。うっかり俺たちじゃ手に負えないバケモンとか出すなよ」

もともと悪い目つきをさらにきつくして睨んでやると神はその視線を振り払うようにひらひらと手を振った。

「その時は私が処理するから案ずるな。この世に私の手に負えんものなぞ9つぐらいしかない」

「えらい具体的だな。微妙な数字がかえって不安を掻き立てるんだが」

何か厄介なものが生まれる前に鍋をひっくり返すか真面目に思案しながら誠次は毒づいた。
折角の地底図書館の清涼な空気を容赦なく汚染する異臭に他の皆が集まるのも時間の問題だろう。

「ううむ。なんかこのまま続けても成功しない気がしてきたな」

「いやむしろ、こんなになるまでその考えに至らなかったお前の頭に俺はとてもびっくりしてるよ」

淡々と告げてやると神は残念そうに嘆息した。
パタンと音を立てて本を閉じると無造作に足元の土を鍋の下の火にかけ始める。
それを眺めながら誠次はふと呟いた。

「そういえばお前、なんだって急にこんなアナログな真似し出したんだ?いつもみたいに神の力でぱぱっと造りゃあいいだろうに」

神は眉をハの字しながら鍋に木製の蓋を乗せた。

「たまには趣向を変えようと思ってな。なれない方法で安全性確保のためにいろいろ混ぜたのが失敗だったか」

「百パーセントそれが原因だな」

相も変わらず蓋の隙間から異臭を放つ鍋を見ながら誠次は言った。

「これ迂闊に地面に埋めたり川に流したりすんなよ。果てしない環境汚染が巻き起こるぞ」

告げる誠次を鼻で笑いながら神は答えた。

「ふん。案ずるな。こんなもの意味消滅をかけてやれば簡単に無害処理完了だ」

自信満々なその姿に多少の感心を覚えながら誠次は言う。

「なんというかお前がいれば世界の廃棄物問題が一挙解決しそうだな」

茶化すように言ってやると神は少々不愉快そうに口元を歪めた。

「どうだろうな。一度一念発起して地中に埋められた、放射性物質とかそういうヤバめのものをあらかた消滅させて回ったことがあるが、10年ほど眠って起きたらもとのもくあみになっていたからな」

「そいつはご愁傷様」

誠次は苦笑しながら言う。
神は一度肩をすくめると表情を一転させ、真顔で右手を持ち上げた。
そして指をならそうとした瞬間、二人の前の鍋が爆裂する。

飛び退いた誠次の鼻先を何かが通り過ぎる。
地面を擦って止まった誠次の眼に映ったのは、何というか非常に見たくない代物だった。

その表面はぬらぬらとした透明な粘液に覆われて、それが時折糸を引きながら地面に垂れる。
うねうねとうごめくその体はどう見ても嫌悪感しかもたらさず、気の弱い女子ならば確実に夢に見る代物だ。
大きさもかなりあり、目算だが中心の団子部分だけで8メートルはあった。

いつの間にか誠次の背後にいた神が驚いたように呟く。

「ふむ……ずいぶんと変わったミノタウロスだな」

「おいコラ!現実みろや!どう見ても触手の化け物だよ!ていうかミノタウロス作るつもりだったのか!?何をどうしたらミノタウロスがこんなんになるんだ!!」

叫ぶ誠次に神は一筋の汗を頬に浮かべた。
ちなみにミノタウロスというのは上半身が牛で下半身が人の化け物だったはずだ。
断じてこんな粘液まみれの触手が無数により集まった物体ではない。

触手の怪物を見ながら神は無表情に言った。

「ふむ。これが命を生み出すという禁忌に触れた人への神の与えた罰ということなのか」

なんか格好つけている神に誠次は半眼で告げる。

「お前がその神なんだろが」

しかし神はそれを無視して右手に持った本に視線を落とした。

「やはり場末の古本屋に1400円で並んでいた本などあてにならんか」

「ウォイ!今聞き捨てならんセリフが聞こえたぞ!なんでんなもん試す気になったんだ!!」

神は片手でその大きな本を器用に開くとあるページを開いた。
横目に見るとミノタウロスらしきものの絵が乗っているのがわかる。
神はそのページのイラストの隣の四角い欄を指でなぞった。

「材料欄に常識的に考えて絶対手に入りっこない代物ばかり並んでいるから怪しいと思ったのだ」

「なぜそこでやめない!?」

「阿呆な人間が考えた方法でどんなミノタウロスが生まれるのか試してみたかったのだろうな」

「猫の好奇心は猫自信を殺すが、お前の好奇心は俺達を困らせるな……」

呻くように言うと神は触手を見つめてポーズをとった。
RPGで勇者を導く老賢者のように厳かな声で言う。

「今こそあの怪物を倒し、その背の向こうの少女たちを守るのだ!」

「ごまかすんじゃねえよ」

声と表情だけならそれらしいが、正直セーラー服にエプロン付けてマントを羽織った姿ではどうやってもしまりっこない。

「だが正味な話、アレはお前が倒さんと少女たちにはキツイ代物だぞ。精神的に」

「俺も目一杯嫌なんだが。ていうかお前がやれよ。お前が作ったもんだろうが」

乗せられるだけの嫌悪の感情を乗せて吐き捨てる。
神がそんなものを気にするはずもないが誠次自身の精神的に吐き出すものは吐き出しておいた方が気が楽なのだ。

神は誠次の言葉には答えずに真顔で触手の怪物を見つめた。
その瞳からは感情は読み取れない。

しばらくして神は顔を触手に向けたまま視線だけをこちらによこして言った。

「いやらしい触手の怪物から逃げ惑うお前らはおもしろそゴホゴホッ……この図書館島探検の締めにはむしろふさわしい気がしてきたんだが、どうだろう?」

「ざーとらしいぐらい本音が垂れ流しだな……どついていいか?」

歯をぎりぎりと噛み合わせながら言うと神は視線を逸らした。

「どつくならあちらにしておけ。きっと面白い……いや愉快なことになるぞ」

「言いなおしたのに全然隠せてねえよ……しょうがねぇな」

嘆息して拳を握ると神の表情に晴れやかな喜びの色が宿る。

「うむ。なんか突っ込んで肩まで埋まるようなパンチとかすると吉だぞ」

神が何かぬかすが、誠次はそれをあえてスルーして無言で神のエプロンをむしり取った。

力任せに丸めて触手の中心に向けて投げつける。
己の射程圏内に入ったエプロンめがけて無数の触手が殺到した。
激しい動きに飛び散った粘液の内の一部が飛んでくるのを見て誠次は軽く横に跳ぶ。

触手たちは一瞬でエプロンを絡め捕るとその粘液を塗りたくり始める。

「おい神」

色のない淡々とした声で誠次は言う。

「なんだ?」

神もまた真顔で答えた。

「俺にはエプロンが溶けているように見えるんだが」

神は溶け崩れていくエプロンに一瞬視線を向けるがすぐそれをそらした。

「……人体に害は無いはずだ」

「やッぱ確信犯か」

震える声で怒気を込めて言うと神はしれっとした顔で続ける。

「触手に嬲られる美女、美少女という絵は男の憧れだという」

「お前殺していいか?」

神は姿勢を変えずにすり足で誠次から後ずさる。
それを同じようにすり足で追う誠次に神は付け加えた。

「まあ正直な話、乙女in触手のエロショーにはさして興味は無いのだが、それを想像して必死に逃げるお前たちは凄く見たい」

「決めたわ。お前殺す」

ばきばきと拳を鳴らして歩み寄ると誠次は神の胸倉をつかみ上げた。

「私に構っていていいのか?あの触手がバカレンジャーズを襲うかも知れんぞ」

「その前に終わらせんだよ。俺自身かなり嫌なんだが、それでもあいつらに比べたら多少は精神的ダメージが少ないはずだ」

そう言って拳を振りかぶると神は視線を逸らして言った。

「すでに切羽つまっていると思うが」

「あん?」

言われて誠次は神の向いている方向、つまりは己の後方へ振り向く。
そこにはいつの間に来たものやらバカレンジャーズの面々が眼をまん丸に見開いてこちらを、というか触手を見ている。

「せ、誠亜殿。それは……?」

皆の思いを代表して楓が問うてくる。
誠次は咄嗟に頭をフル回転させた。
あまり恐怖心をあおらないよう、しかし的確に現状を伝えるにはどういえばいいのか。

「うむ!これがお前たちに課せられた最後の試練だ!服を溶かす粘液を出すこの触手クリーチャーにねろねろぬとぬと嬲られ、あんなことやそんなことやイヤッやめてっ、なことまでされたくなければ逃げ惑うがいい!出口は一か所隠されているがどこかまでは教えてやらん!!」

誠次の努力をあざ笑うかのように神が叫ぶ。
気がつけば誠次の手の中の神はマネキンにすり替わり、その隣で神が腰に手をあててふんぞり返っていた。


30秒ほど沈黙が横たわる。
触手ののたうちまわる音と粘液の跳ねる嫌な水音だけが少女たちの耳朶をうった。

「い……」

そのひきつった声は誰のものか。
それは分からないが数瞬後、少女たちの悲鳴がこだました。

「イヤァァァァァァ!!」

その声に反応したのか。
どう考えても嫌悪感しかわかないフォルムをさらに崩しながら触手がこちらに向けて殺到し始めた。

踵を返して走り出すまき絵の後ろ姿を眼に、軽く舌打ちしながら誠次は自分の服に手をかけた。
やはり自分がやるしかない。
なんか出てくる前に鍋を壊さなかった責任が自分にはある。
連続使用で多少のダメージはあったがもうそれも取れた。
切り札を使えば、アレを叩き潰すこともできるだろう。

手早く制服の上下を脱ぎ捨て、下着姿になる。
どうせ溶かされるのならやはり高い制服は無事に済ませたい。
そういえば男だったころからダイゴからあまり人前で服を脱がない方がいいと忠告されたことがある。
胸と腹の大きな傷跡が他人に良かれ悪かれ強い印象を与えてしまうかららしい。
もっとも誠次はあまり意識して隠したことはないが。

腰だめに拳を構え、大きく深く息を吸う。
眼を見開き、切り札を発動させようとした瞬間、横合いから暢気な声が響いた。

「言っておくがアレは触手一本残さず破壊し切らんと無限に再生するからな」

見れば神が少し顔を受けに向け、胸を張っていた。
額に青筋が浮かぶのを感じる。
誠次は歯をくいしばって神の胸倉を掴み寄せた。
そのまま振りかぶる。

「なに得意げに言ってんだお前はああああ!!」

絶叫して触手の塊に投げ込む。
神の姿は一瞬で触手のカーテンに包みこまれて断片的にしか見えなくなる。

誠次は先ほどの脱ぎ捨てた制服を拾い上げると、呆然としている仲間に向けて声を張り上げた。

「逃げるぞお前ら!!」

その声に我に帰ると全員弾かれたように走りだした。
それを触手の怪物が追いかけだす。

アスナやネギ、このかや夕映を先に行かせ、誠次と楓と古菲が殿を務める。
鉄板なスタイルだ。

伸びてくる触手をはたき落そうとして、両手が塞がっていることに舌打ちする。
軽く斜めに飛んで躱しながら、再び伸びてきた3本の触手を右足で蹴り潰す。
着地と同時に身を反らせて横合いから伸びた触手を躱した。
さらに無理やり身を捩って斜め後ろから突っ込んで着た触手を躱す。
飛び散った粘液が少しづつブラジャーとパンツを溶かしていく。
一瞬顔をしかめると誠次は視界の端から殺到してくる大量の触手に大きく跳躍した。

視線を巡らせると両隣で同じように服の各部を溶かされた古菲と楓が走っている。

こちらの様子を見た夕映が声をあげた。

「アスナさん!誠亜さんの服を持ってあげてください!楓さん!違う方向に逃げて行ってしまったまき絵さんを連れ戻してください!古菲さん、誠亜さん!申し訳ないですがそのままお願いします」

誠次は言われるままにスカートとシャツ、ネクタイを手早く上着で包み、結びあげると前方を走るアスナに向けて放る。
アスナは軽く片手で受け取るとそれを小脇に抱え、横を走るネギの手を引いて走った。

楓の姿が一気に加速し、皆を追い抜いて右の方へと走って行く。

さすがは図書館探検部。なかなかに的確な指示だ。

誠次は走りながら後ろを振り返った。
すると偶然同じ様に後ろを振り返っていた古菲と目が合う。
古菲はこちらの顔を見るとひきつった笑みを浮かべた。

「なんていうか、つかまったら夢に見そうアルね」

それになにか答えようとしたとたん触手の群れの中から低い男の声が響いてきた。

「ぬおおおお!触手が!触手責めが我が身にぃぃぃ!!」

誠次もまたひきつった笑みを浮かべて答える。

「そうみたいだな」

地上まで何メートルか。
その距離がなんだか地上と天界のような果てしない距離に感じられて誠次は嘆息した。







あとがき

お久しぶりです(すいません)。
今回はなかなかに難産でした。
どうにも真面目な話になってしまいがちで、またいいかげんそろそろ図書館島編を終わらせたいなと思い、地底サイドを無理やり終わらせてみようと試みました。
ギャグ分の補充も目的でしたが。

書いてみて今回は特にオリキャラばかり目立っているな、と反省。
次からはもっと原作勢を出さねば。
あと誠亜って胸と腹に傷があるんですよね。
掘り出したイメージイラストにあって思いだしたんですが、風呂場の話で完全にスルーしてます(汗)

拙作ですがどうか見捨てずにお付き合いいただければ感無量です。

ついでにpixivに絵を投稿してみました。
神のイメージイラストです。
といってもあくまで作者のイメージを作者の低レベルな画力で可能な範囲で再現したものなので、それぞれ皆さんのイメージが固まっている人はそれでいいと思います。

タイトル・キャプション検索で

セーラー服着たダンディ

で検索すると出るかと思います。

そういえばpixivって登録しないと見れないんでしたっけ?
でもほかにどんなイラストでも投稿してもいいみたいなところ知らないので。
自分のサイトを作るレベルじゃないし。

ちなみにpixivに登録したニックネームは通りすがりのパンダなのですが別人じゃないです。

ああ。小説も絵ももっと上手くなりたいもんです。





[9509] 第21話 迷探偵エヴァンジェリン アフロに気を取られていたら
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/09/27 15:16
神と俺のコイントス21



質実剛健を地で行く内装の学園長室で、一般人が仙人に対し抱くイメージに近い外見をした好々爺然とした老人が一人机に向かっていた。
近衛近右衛門――麻帆良学園の長は満足げな笑みとともに丸を付けた。
数を数え、点数を計算し、用紙の右上に点数を書きこむ。

今、学園長はテストの採点をしていた。
図書館島地下で勉強合宿を行った者達の答案の採点だ。
彼女らは最後の悪あがきに一夜漬けを行ったらしく、皆で遅刻してきたのだ。
そのため彼女らだけ別室でテストを受けることとなり、採点もまた別となった。
その遅刻組の採点に学園長が名乗りを上げたのである。

ある男のせいで予定されていたものとは随分違うものとなったが、それでもこの補修常連組の点数から見れば十分な成功だと言えるだろう。

「……66、フォッフォッ。どうやらうまくいったようじゃの」

満足げに笑う学園長の視界に一本の腕が映った。
後ろから伸ばされた腕に振り向くとそこにはセーラー服姿のダンディな男が一人立っていた。
気配も魔法の発動も一切感じなかったにも関わらず、確かにそこにいる。
いまさらながら改めてその男の力に驚愕するとともに呆れながら学園長は嘆息した。

「人の部屋に入る時はノックぐらいしたらどうじゃ?」

するとその男――神は涼しい顔で答える。

「したぞ。もっとも強力な認識阻害をかけていたので、音が聞こえたとしても認識できなかっただろうがな」

「意味がないじゃろう」

神は学園長の前に並ぶ答案の中から一枚を抜き取った。
それを眺めて呟く。

「40点か」

学園長は眉根を寄せた。
神が持っているのは風間誠次――今は風間誠亜か――の答案だ。

他の皆が60点以上取っているのに対し、彼女だけは40点という低い点数だった。
まあこれでもいつもよりは微妙にいいのだから合宿の効果もなかったとは言い難いのだが。

「まあ小学校に言ってない奴をそのまま中学校に放り込んでここまで追いついたのだからよくやった方か」

その言葉に学園長は嘆息した。

神は机に広げられた答案を一瞥して言う。

「とりあえず小学校送りは無しだな」

その言葉に学園長は冷や汗を流しながら言った。

「本気じゃったのか?」

すると神はニヤリと笑って答えた。
吊りあげられた口の端が悪戯心をのぞかせる。

「一週間ほどな。ちゃんとバカレンジャー全員分の制服も用意してあった」

言うと同時に手の中にシルクハットを出現させ、その中から次々と初等部の制服を取り出してみせる。
大小様々な制服を足元に落としながらシルクハットを頭にかぶる神に学園長は少なからず戦慄しながら、広げられた答案をまとめた。

「ところで、あれはどうなったのだ?」

指をゆらゆらと揺らしながら言う神に学園長は訝しげに眉を寄せた。
すると神は言葉を足してくる。

「2-Aが最下位を脱出しないと小僧がクビなるという話だ」

「ああ。それなら問題なしじゃ。それどころか1,2位を争うぐらいじゃよ。ネギ君もなかなかにやるのう」

嬉しそうに言う学園長に神はきょとんとしながら言った。

「ん?どちらかというと順位が悪いと小僧がクビだと聞いてクラスの連中が頑張ったからじゃないのか?」

空気を読まずに言う神に学園長は憮然とした顔で言った。

「低成績組の成績アップがやはり一番の原因じゃよ。もともと成績のいい子たちはどうあっても伸びしろが少ないからの」

そんなものか、と頷く神に学園長は小さく息をついた。
背もたれに身を預けて用意してあったお茶をすする。

ふと神があらぬ方向を見ているのに気づき、学園長は片眉を跳ね上げた。

「どうしたのじゃ」

問いかけると顔も視線もどこかに向けたまま淡々と言ってくる。

「なんか学生たちがもう成績発表会を行おうとしているみたいだぞ」

「なんと!それはいかん」

慌てて備え付けの電話をとり、内線で連絡を取る。
近場にいる教師に、成績の発表を待ってもらうよう伝える。
受話器を置いて、答案を持って立ち上がったところで学園長は違和感に気付いた。
もし今のを放っておけば2-Aが最下位と誤って発表され、自分をクビだと思ったネギを中心としてひと騒動起こっただろうに。
騒動を激化させることはあれど、未然に防ぎ沈下する神というのは全くもって異様だ。

なにか悪いことの前触れか?
そんなことすら考えながら学園長は背後に立つ神に問いかけた。

「お主が騒動の芽を摘むなど……悪いものでも食べのかの?」

すると神は忌々しげに舌打ちしながら答えた。

「随分な言われようだが……なに、少々厄介なのに見られているからな。少し大人しくしているにすぎん」

さらりと言われたことに学園長は訝しげに周囲に視線を走らせた。
誰かが直接覗いていれば気配でわかるし、魔法を使われればすぐにわかる。
これでも関東魔法協会の長なのだ。

「見られている感じはせんが」

そう言うと神は鼻を鳴らしてこちらを見下ろした。

「当然だろう。私にすら『何となく見られてる』としか察知できんのだ。お前たち魔法使いにわかるはずもない」

どこか呆れたような言い方に学園長は眉をあげた。
普段隠れている眼がのぞく。

「誰が見ているのかわからんのに何故それが厄介だとわかるんじゃ」

「私の索敵から完全に逃れれられる奴など両手で数えられるぐらいしかおらん。その全てが厄介極まりない奴らだから必然的に今こちらを覗いているのは面倒な相手となる」

神の言葉に急に不安にかられた学園長は眉間にしわを寄せて問いかける。

「大丈夫なんじゃろうな?もしそやつらが攻めてきたりしたら」

「それはないだろうな。基本大人しい連中だ」

神は真顔で答えた後、ちらと視線を反らした。
聞き取れるかどうか微妙な小さい声で言う。

「3人ぐらいのヤヴァすぎるのを除けば」

「聞き捨てならん言葉が聞こえたような気がするんじゃが……」

冷や汗とともに睨む。
すると神はばつが悪そうに口元を歪める。

「まあなんだ。もし来たら台風か何かだと思ってじっと過ぎ去るのを待てばいい。だいたい私にしているのと同じようにな」

いくらか納得のいかないところもあったが、学園長もそれ以上追及することはせずに立ち上がった。
空に浮かぶ、こちらを眺める台風の目を想像して嘆息した。
恐ろしい想像を脳内から追い出し、神は食堂の発表会場へと足を向けた。












第21話  迷探偵エヴァンジェリン アフロに気を取られていたら












今日も今日とてブレザーの制服に身を包んだ小娘たちは何がそんなに楽しいのか、各々好き勝手な話題に花を咲かせている。
その一つ一つが関係性のないものの上にタイミングもバラバラなため、それらの声は騒音以外の何にもなりようがない。
いや、この耳障りなざわめきを騒音以外のものにする方法がひとつだけある。

とても簡単な魔法だ。
呪文も魔力も全く必要ないだれにでもできる魔法。
それはすなわち耳を傾けることだ。
音すべてを聞こうとする、あるいはどの音も聞こうとせずに全ての音を適当に取り入れているから騒音になるのであって、どれか一つをしっかり聞けばそれは一つの会話となり、他はBGMに変貌する。

もっとも彼女――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルには小娘たちの会話に思考容量を割いてやるつもりはさらさらなかったが。

(なにがそんなに楽しいのやら)

今度は心の中で言葉にする。
その楽しそうな笑顔がどうにもエヴァンジェリンには腹立たしかった。
15年もこの麻帆良に縛られ、女学生として過ごさせられている彼女にとっては“楽しい学生生活”というのも既に苛立ちの原因にしかならなかった。

何回も繰り返せば誰でも飽きが来る。
ましてやもとは望んでいなかったことだ。
彼女が600年を生きる吸血鬼の真祖だというのも、今の生活を嫌う原因の一つである。
生まれた時は考えもしなかったし、吸血鬼になりたての頃はそんな余裕はなかったが、自分を狙うものたちと戦ううちに、長く生きるうちに自然と築き上げられて行った彼女のプライド。
それに反することだった。
“闇の福音”などの二つ名で恐れられる自分がこんな能天気な学生どもとともに女学生を延々やらされるなど屈辱以外の何でもない。

もともとは一回だけの約束だった。
卒業するころに呪いを解くという約束だった。
だからこそ我慢したのだ。
一度ぐらい。3年ぐらい付き合ってやるかと。

だというのに彼は来なかった。
どことも知れないところで死んだ。

胸に起こる小さな痛みを振り払うようにエヴァンジェリンは視線を窓の外に移す。



顔が見えた。

左から右に一瞬で流れていくその顔にエヴァンジェリンは眼をぱちくりさせた。
瞬きを終えるともうそこには誰もいない。
ただ向こうの方で何かが甲高い咆哮をあげるのが聞こえた。

『アフロォォォォン!』

あふろ?
何故アフロ?
まったくもって意味不明だがエヴァンジェリンはとりあえずそこは無視することにした。

一瞬のことだったがエヴァンジェリンのすぐれた動体視力はしっかりと見ていた。

とりあえず女だった。
髪の毛が黒いのはわかったが風になびいていたため髪形は分からない。
少々大人っぽい顔立ちで、目つきは正直いって悪かった。

何となく覚えのある顔に似ている。
エヴァンジェリンが眉をひそめていると遥か彼方から何かが響いてきた。

「ぁぁぁぁぁ」

エヴァンジェリンは音の聞こえてくる方向に目を向ける。
そこには小さいが確かに影がある。
翼を生やした首の長いトカゲのような影。
ぶっちゃけるならばドラゴンと世間一般で呼ばれていることだ。
ただし頭がなぜかアフロヘアである。
かなりのアフロだ。

「ああああああああ」

それが凄まじい勢いでこちらに近づいてくる。
ついでに言うならば謎の声もだ。
エヴァンジェリンは軽い驚きとともにそれを見つめた。
何故魔法世界でもないこの麻帆良でアフロが……いやドラゴンが悠々と空を飛んでいるのか。
一応認識阻害はかけられているようだが。

ドラゴンはF1カーも真っ青な速度で校舎にそって飛んできた。
ガラス窓が割れていないので音速は超えていないのだろう。

「あああああぁぁあああああああ」

そして謎のドップラー効果を残しながら通り過ぎて行く。

巨大な物体が高速で通り抜けたことで発生した風はエヴァンジェリンの長い金髪を揺らした。

エヴァンジェリンはドラゴンの飛び去っていた方向に視線だけを向けて頬杖をついた。

今一瞬見えた映像を脳内で整理する。

エヴァンジェリンの眼の前を通り過ぎて行ったドラゴン。
それと同時に聞こえてきた悲鳴。
そしてちらりと見えたドラゴンの口の中で両手を突っ張って飲み込まれまいとしている女の姿。
一度目よりも注意してみたので今度ははっきりと見えた。

たまに狼女と呼ばれるおバカクラス――2-Aの一員、風間誠亜だ。

魔法使い達の間でロキの通称で呼ばれる存在によって男から女に変えられ、高校生だというのに女子中に放り込まれた男、いや今は女か。
なかなかに胡散臭い奴だが、これと言ってエヴァンジェリンの興味を引くものではなかった。
別段女になったことを利用して邪まなことを考えているように見えないので放置している。
なんでもロキに付きまとわれて数々の悪戯をされているらしいが、自分に被害が及ばないのならエヴァンジェリンには誠亜がどうなろうとどうでもよかった。

エヴァンジェリンは欠伸をして視線を教室内の戻す。
すでに外の光景への興味は失せていた。
どうせもうじきこの学園ともおさらばだ。
そうなればロキとも関わることはなくなるだろう。

もう一度クラスメートたちに気のない視線を向ける。
何やら彼女らは最近の噂について話しているようだった。
その中に『桜通りの吸血鬼』というものがあるのに気づいて小さく口元を釣り上げる。

桜通りの吸血鬼の噂というのはこの麻帆良に伝わる数ある都市伝説の内の一つだ。
内容は、夜桜通りを歩いているとボロ布のような黒マントを纏った人影が現れ、道行く人の血を吸ってしまうというものだ。

それで吸血鬼になった人がいるわけではないが、噂としてずっと存在してきた。
なにを隠そうというか隠すまでもなくその犯人はエヴァンジェリン自身である。
そもそもこの学園には自分以外の吸血鬼はいない。
魔法使い達もそれは分かっているはずだがそれでも何も言ってこないのは証拠が掴めないからか、下手に刺激しないよう、あるいは何かに利用しようと静観を決めこもうとしているのか。
一般的な魔法教師は前者だろうが、学園長の狸爺あたりは後者だろう。
だが簡単に利用されてやるつもりはない。
最後に笑うのは自分だ。

「衝撃のぉ!」

唐突に聞こえてきた叫び声にエヴァンジェリンはふと視線を向けた。

「ファーストブリットォォォォ!!」

咆哮とともに炸裂する衝撃音。
それと同時にエヴァンジェリンの視界の中でドラゴンの50メートル近い巨体が地面と平行に飛んでいた。

風を引きちぎって飛ばされたドラゴンは空中で身を翻すと悔しげな咆哮をあげる。

それに対し、誠亜はどうだと言わんばかりに得意げに言った。

「どうだ!ティー直伝。何か技名叫んだら気力20%UPしそう闘法!」

間の抜けた内容の叫びにまた別の間の抜けた叫びが返される。

「ただの回転パンチではないか!」

視線を巡らせればドラゴンと誠亜から少し離れた所にヘリコプターのように大きなプロペラを付けた自転車に乗ったロキがいた。
ロキはしっかりとハンドルを握りしめ、サドルから少し腰を動かして前傾姿勢でペダルを踏みつけている。
ペダルの回転からチェーンを通して伝えられた動力がプロペラを回転させ、自転車もどきを浮かばせていた。

神は歯噛みしながら言葉を発す。

「まったく!何故抵抗するのだ!私はただお前に今日はアフロで登校してほしいというだけなのに!」

「絶対嫌じゃわこのボケが!」

怒声をぶつけあう二人を眺めながらエヴァンジェリンは驚愕に目を見開いていた。

風間誠亜は確かもと一般人。つまりは魔法のことを知らない人間だったはずだ。
たしかに一般人の中には鍛錬で気を扱えるようになる者もいる。
このクラスで言うならば古菲がそれにあたったはずだ。

だが風間誠亜が気を使えるというのは聞いたことがない。
現にエヴァンジェリンは誠亜が気の力を使っているところを見たことがなかった。
魔力は言わずもがな、だ。

確かに誠亜の基礎身体能力は驚異的だ。
通常の人間の観点から見れば超人と言っていい。
だが気や魔力を使えばいくらでもそれを超えることができた。

だからこそ風間誠亜はエヴァンジェリンの興味の対象にはなり得なかった。
あの身体能力にパクティオーによる魔力供給が加われば面白いことになるとは最初考えたが、それも誠亜の戦いぶりを何度か見る機会を得て落胆に変わった。

誠亜は生来の気質からか、直情的で力で強引に相手を叩き潰す戦法しか取れないようだった。
徹底的に教育すればその悪癖も直せるかもしれないが、茶々丸、チャチャゼロという従者をすでに持っていることだしそこまでして手に入れたいとは思わなかった。

だがどうだ。
今目の前であの女はドラゴンの体を殴り飛ばして見せた。
相変わらず誠亜の体には気も魔力も感じられない。
だが良く見ればすぐにわかる。
奴の体を中心に周囲の魔力が乱雑に渦を巻いていた。

「セカンドとラストはどうした!やるなら最後まできちっとやれ!」

「やかましい!切り札がそうぽんぽん使えてたまるか!」

重力に引かれて落ちながら怒鳴り返す誠亜に向けて神が叫ぶ。

「ええぃ!ならば茶番は終わりだ。アフロドラゴン!アフロフレアで奴の頭をアフロにしてしまえ!」

ロキの高らかな叫びとともにアフロドラゴンが炎を吐きだすかと思いきや、ドラゴンは無造作に尻尾を神に向かって叩きつけた。

ロキは絶妙なプロペラチャリさばきでその一撃を躱すと憤慨したように両手を振り上げた。
ハンドルから手を離したせいで一瞬バランスを崩すが、器用に体でバランスを取る。

「ええい!何をするんだアフロヴォッ!」

怒声を遮って吐きかけられたオレンジ色の炎がロキの体を容赦なく飲み込む。
あとには消し済みとなった焼死体が残るかと思いきや、炎がおさまった後現れたのは全体的に煤けて、頭がかなり派手なアフロに変貌しているロキの姿だった。

ケホリと黒い煙を口から吐き出しながらロキが難しい顔で唸る。

「ぬう。ひょっとしてアフロではなくリーゼントが良かったのか?」

アフロドラゴンはなおもずれたことを言うロキを今度こそ尻尾ではたき飛ばすと、未だ自然落下を続ける誠亜向けて空を裂いて飛翔した。
あの速度の突撃を受ければ人よりずっと頑丈な誠亜とてただでは済まない。

アギトを開いて喰らいかかるドラゴン。
その口に並んだ巨大な牙は人間の体などたやすく寸断してしまいそうなほどに鋭い。

だがそれを見て誠亜は一切の動揺も恐怖も見せない。
眦を吊り上げ凶悪に口元を歪めて笑う。

「撃滅のぉ!!」

腰だめに拳を構える。
その体からはやはり気も魔力も感じられない。
だが、何かある。
何か起こる。
少し遠くて見づらいがそれでもエヴァンジェリンはじっとそれを見つめた。

ドラゴンのアギトが誠亜の体を喰いちぎる。
その寸前、咆哮とともに殺意が爆裂した。

「セカンドブリットォォォ!!!」

コマ落としのように誠亜の拳が振り抜かれ、ドラゴンの体が吹き飛ばされる。

錐揉みしながら飛んでいく巨体に誠亜の口元が先ほどとは違う形に吊りあがる。

「なんだ撃てるではないか、セカンド」

その誠亜に上空から声がかかる。
見るとあちこちのフレームが歪んだ崩壊寸前のプロペラチャリを必死に漕ぎながらロキが声をかけていた。

「やかましい!ちょいときついがやってやれねえことはないんだよ!」

「ならばいっそラストも撃ち込んでしまえ。やるんなら最後までやらんとな」

誠亜はその言葉に不敵な笑うと、もう一度右拳を腰だめに構えた。

翼をはためかせて体勢を整えたドラゴンが甲高い怒りの叫びをあげる。
そしてもう一度誠亜めがけて突進した。

「よっしゃ来い!これで打ち止めだ!抹殺のぉっ!」

やはり誠亜の体には魔力も気もない。だがどうやってあの力を引き出しているというのか。
必殺技の名前を叫ぶだのなんだのと、少々おふざけが入っているがそれでも行使されている力は本物だ。
エヴァンジェリンは今この場で誠亜の力を解き明かしてやると言わんばかりに誠亜の姿を凝視した。

ドラゴンは先ほどの焼き直しの如くかなりのスピードで誠亜に向けて肉薄する。
誠亜が咆哮とともに拳を振りかぶる。

「ラストブリッ……!!」

そしてドラゴンの吐きかけた炎に包まれた。

ドラゴンは先ほどと同じように噛みつくと見せかけて、あと少しで拳が届くというあたりでブレスを吐いたのだ。

それを見たアフロヘアーのロキが底の抜けた笑い声を響かせる。

「はっはっは。近づけば殴り飛ばされるとわかってるのに馬鹿正直に近づく奴はおらんわな」

全くもってその通りだ。
やはり誠亜は頭の回転が悪い、と断定しながらエヴァンジェリンは視線を教室の中に戻した。
自然と口の端が吊りあがる。

だがその欠点を補ってあの力は面白い。
この眼で確かめ、そして手に入れるのも一興だろう。
自分の生徒を敵に回してあのぼーやはどんな反応をするのか。
そして奴を人より力の強い一般人程度にしか認識していない学園側の魔法使いがどんな顔で驚くのか。

実に楽しみだ。

くつくつと低く笑うと隣にいた少女が不思議そうにこちらを見た。
そいつからすれば、自分は突然笑い出したように見えるのだろう。
だがこちらに話しかける勇気はわかなかったのか訝しげな顔をしながらも顔をそむけた。

だがそんなものはエヴァンジェリンにとってはどうでもいい。

エヴァンジェリンの耳に入ってくるのは先ほどよりも熱のこもった話し声だ。
内容はやはり桜通りの吸血鬼。

(そうだ。次のターゲットは風間誠亜にしよう)

声には出さず笑う。

奴を襲い、その力を引き出し、見極める。
そしてそれが有用ならば手に入れる。
誠亜はなかなかに気が強そうだが、そういうのを屈服させるのもまた一つの楽しみだ。

奴の力を打ち砕き、その血をすすり、配下にする。
そしてその力が今度はネギ・スプリングフィールドに向くのだ。
この闇の福音の下で。

「マスター。どうかしましたか?」

こちらの表情に気付いたのか前の席に座る従者、茶々丸が問いかけてくる。
耳のアンテナや関節部からわかる通り、彼女は人ではなくロボット。
女性型アンドロイド、ガイノイドだ。
エヴァンジェリンが魔力を封じられたがためにチャチャゼロが動けなった今では彼女の護衛から身の回りの世話まで行う優秀な従者である。

「いやなに。次の満月には風間誠亜を狙うぞ」

「わかりました」

言葉短に応えてくる従者に満足げに頷きながらエヴァンジェリンは背もたれに体重を預けた。
ほくそ笑むエヴァンジェリンの耳に少女たちの噂話が入ってくる。

「それでね~。その吸血鬼って完全なレズらしいよ」

「ちょっと待てええええ!!」

いきなり聞こえてきたとんでもない言葉にエヴァンジェリンはたまらず叫び声をあげる。
かなりの大きさの声だったはずなのだが目の前の髪の毛を右側でまとめた少女――明石裕奈は気づいた様子もなく続けた。

「しかもかなりのおっぱい好きらしいのよ」

「重ねて待てぃ!」

机に手を叩きつけるが話に熱中する少女たちの意識をこちらに向けることはできない。
明石は真剣な表情で右の人差し指を立てると、

「それで血を吸って抵抗できなくした後、たっぷりねっぷりとっぷり胸を揉みしだき」

「んなことするか!」

「とっぷりという表現は間違っているかと」

「茶々丸!そこはどうでもいい!」

数人がこちらに意識を向けたがこちらに背を向ける形になっている明石は身じろぎ一つせずに続けた。
あれか?
奴と自分の間には大気の断層でもあるのか?
かなり真面目にそう疑いながらエヴァンジェリンは詰め寄ろうとする。
その眼前で明石はかなりヒートアップしているようだった。
声を大きくして言い放つ。

「そしてその胸に点数をつけて去っていくのよ!変態ね!」

「誰が変態だ!」

力の限り否定してエヴァンジェリンは肩を上下させた。
いつのまに。
いつのまに自分の噂はそんなわけのわからないものになってしまっていたのか。
ふつふつとわきあがる怒りに肩を震わせる。

話し終えてテンションも落ち着いたのか、ようやくこちらに気づいたらしい明石が振り向いて問う。

「あれ、エヴァちゃん?なんでエヴァちゃんが怒るの?」

「いや、なんでもない。気にするな。それよりもその噂についてもう少し詳しく教えてもらえんかなぁ、明石裕奈ぁ」

黒々としたオーラを背負い、低い、何かを押し殺した声で問う。
こちらの迫力にのまれたらしいその少女はかくかくと頷きながら答えてきた。
後ろの方で宮崎や鳴滝妹がこちらの顔を見て子犬のように震えている。

「あ、いや……あたしも人から聞いた話なんだけど、夜になると桜通りに吸血鬼があらわれて、血を吸うついでに胸を揉むって……」

無意識に詰め寄ってその肩を握る。
指がぎりぎりと少女の肩に食い込むが、少女は悲鳴一つ上げず、だが冷や汗を滝のように流しながら視線を泳がせる。

「そ・れ・で、その吸血鬼について何か分かっていることはあるのか?」

殺す笑みを浮かべたエヴァンジェリンにその少女はとうとう宮崎たちと同じようにぷるぷると震えだす。

他の面々も少しずつ距離をとっていた。
エヴァンジェリンに詰め寄られた少女が助けを求めるように周囲に視線を送るが、周囲の者達は咄嗟に視線をそらす。

少女は唇を噛んで眼尻に涙を浮かべた。
“この裏切り者~”
そんな心の声が聞こえてきそうな表情だが今はどうでもいい。

「質問に答えてもらおうか」

「な、なんか黒い帽子にマントの金髪の女吸血鬼だそうですぅ!!」

半泣きでそう告げた少女から手を離すとエヴァンジェリンは肩を震わせた。

腹の中でどす黒い感情が渦を巻く。
無論エヴァンジェリンは吸血した相手の胸など揉まないし、そもそも獲物の記憶を消しているので自分の姿が噂になるわけがない。
黒いマントに帽子、金髪で女。
これは完全にエヴァンジェリンが吸血行為を行うときの格好に合致する。
これだけならまだしも犯行現場が桜通りに限定されていることから見てもある事実が見えてくるのだった。

つまりは自分の起こした事件の噂にかこつけて、自分の振りをして女の胸を揉んでいる不埒ものがいるということだ。

ただ女の胸を揉むだけならば馬鹿な変態め、で終われたかもしれないが、このエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの顔に泥を塗ったのだ。
ただでは済まさない。
かならずや見つけ出し、己の行動を魂の底から後悔させてやる。

「ククククク」

瞳に怒りの焔をともしながらエヴァンジェリンは笑う。

周囲の少女たちがまた一斉に後ずさるがエヴァンジェリンは気づかない。

「行くぞ茶々丸」

無言で立ち上がって後ろに控える茶々丸とともにエヴァンジェリンは教室の扉に向かった。

扉をその繊手でつかむと苛立ちをぶつけるように力の限り開く。

衝撃に天井付近にたまっていた埃がぱらぱらと落ちてくるがそれが降りかかる前にエヴァンジェリンは廊下へと歩き出していた。

扉をくぐった瞬間何かにあたってエヴァンジェリンは足を止めた。
顔をあげるとそこにはちょうど扉を開こうと手を伸ばした姿勢で固まっている女がいた。

180はあろうという長身と狼を彷彿とさせる鋭い目つき、微妙に煤けた麻帆良女子中の制服に身を包んだ女。
風間誠亜だ。
その頭は見事なまでにアフロヘアになっている。
髪の総体積が2倍近くに増えているように見えるが、エヴァンジェリンはそれにつっこみを入れるような気分ではなかった。

無言でその体を押しのけて歩きだす。
後ろで茶々丸が軽く会釈しているのを振り向きもせずに確かめながらエヴァンジェリンは大股で歩いた。
誠亜はしばらくこちらの様子を訝しげに眺めていたが、首をかしげながら教室へと入っていった。
とたん教室の中から爆笑があふれてくる。
隣の隣のクラスまで届きそうな大爆笑を聞きながらエヴァンジェリンは歩みを進めた。

黒い笑みを浮かべながら高らかに叫ぶ。

「覚悟しているがいい、偽物め。私のもとに這いつくばらせて額がすりむけるまで土下座させてやる!」

廊下の向こうの方で若い女教師が目を丸くしてこちらを見ているがエヴァンジェリンの激情を抑える役には立たなかった。

「マスター。あまり廊下で叫ばれては……」

後ろで茶々丸が戸惑ったように行ってくるがエヴァンジェリンは構わず哄笑を響かせた。

「ハーッハッハッハッハッハッハ!!」

向こうで女教師がどうしたらいいのかとおろおろとしている。
後ろでも高笑いをやめないエヴァンジェリンに茶々丸がおろおろしている。
こうしてまた新たな事件が幕を開けたのだった。














あとがき

どうもすちゃらかんです。
こんどこそギャグを詰め込むぞ、とか考えていたのですが本格的にギャグやる前に話が長くなってしまいました。
でも今回は図書館島ほど長くはならないようにするつもりです。

エヴァンジェリンがネギやオリキャラを襲う前にまたも完全オリジナル展開を挟むというチャレンジ。
うまくやれるか心配ではあります。
小説を書き進めていくと、最初の方で決めた設定がだんだんと薄れて行きそうになるから困ります。
注意しませんと。

ちなみに作中でエヴァンジェリンが誠亜の慎重を180ぐらいといっていますが、三国志で伸びたのでミスではないです。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。


ついでですがまた絵を描いてみました。
またpixivに投稿します。

とりあえずタグに 神と俺のコイントス を入れることですちゃらかん(pixivでは通りすがりのパンダ)の絵がまとめて出るようにしようかと思います。

見てやってもいいという方はタグ検索で 神と俺のコイントス と検索してください。

今回は一応誠亜です。
ただ描いているうちになんかイメージと少し違う感じになってしまいました。
眼つき悪い、ボサボサ黒髪、ちょっと大人っぽい、筋肉質、乳大きめ形よさげというファクターを入れた上でできるだけ美人にしようとして描いたらなんか妙な感じに。
少し髪長めなんで三国志から帰ってきた後ですかね。
イメージと違う、こんなの誠亜じゃないと思うようでしたら気にしないで皆さんのイメージで想像してください。



[9509] 第22話 印象というのはたった一つの文字を足すだけでもだいぶ変わる
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/10/08 09:19
神と俺のコイントス
















第22話  印象というのはたった一つの文字を足すだけでもだいぶ変わる
















立ち並ぶ桜並木。
虫や病気などを避けるため定期的に手入れの人間を雇ってまで維持しているそれは、春になれば費やした労力に見合うだけの絶景を生み出す。
だが今はまだ残念ながら桜色に染まった通りを見ることはできない。
もう少しというところなのだろうが、今だ木々の枝についているのは蕾だった。
レンガかタイルかは知らないが、コンクリートやアスファルトとは一線を画した風情を生む道は、慣れないものからすれば感動ものだろう。
だがすでにここで過ごして15年になるエヴァンジェリンからすれば、小洒落た街灯もヨーロッパの方をモデルにした町並みもすでに見あきて久しい。
嘆息とともに視線を巡らせてエヴァンジェリンは腕を組んだ。
頭の中の情報を整理する意味も込めて口を開く。

「まずわかっていることは犯人は桜通りの吸血鬼の犯人、つまりは私の背恰好を知っているということだ」

そうでなければ黒いボロ布のようなマントなどは真似できても金髪や帽子というところまでは真似できないはず。
エヴァンジェリンは襲った相手の記憶はちゃんと消している。
ならば情報がターゲットたちから漏れたとは思えない。
さらには過去エヴァンジェリンは一度として、偽物と遭遇していない。
つまりは犯人はエヴァンジェリンが満月の日に吸血行動に及ぶことを知っていてその日を避けているということだ。
となればやはり魔法使いか。
自分を快く思っていない魔法使いは多い。
学園長の意向と、自分の力が封印されていることから表向きは容認しているようだが、敵意すら隠さない者もいくらでもいる。

そいつらの仕業とすれば一応つじつまは合う。
嫌がらせとしては下らないが上々だ。

犯人は必ず現場に戻るというが、残念ながらここからわかることはなさそうだ。
魔法を使った痕跡はないが、姿を変えるだけの魔法など大した痕跡は残らない。

エヴァンジェリンは嘆息して腕を組んだ。
とりあえずは茶々丸の調査待ちということになるだろう。
偽物に襲撃された娘たちに聞きこみに行かせているのだ。
ちなみに犯人が魔法使いだった場合顔までエヴァンジェリンのものにしている可能性もあるので彼女自身はいかなかった。

黙考する。
こんなことをしそうな魔法使いは誰か。
学園長とタカミチはまずないだろう。
あの二人は他に比べて自分に好意的だ。
自分に悪感情を抱いている魔法使い。
ぱっと考えて思いつくのはガンドルフィーニあたりか。
生徒も入れるなら高音・D・グッドマン。
だがあの二人は良くも悪くも堅物だ。
こんな方法はとらないだろう。

このまま突っ立っていてもしょうがあるまい。
近くにあった汚れ一つないベンチに適当に腰かける。

何か一瞬、テープの接着面に触れたような感触が尻と背中に広がる。
エヴァンジェリンは盛大に顔を歪めた。
ゆっくりと立ち上がる。
恐る恐る体を捻って己の背面を視界に入れる。
そこには案の定ペンキで白く染まった制服があった。
怒りをこめてベンチを睨みつける。
自分の尻と背中の形にペンキがはげて下の木の色が覗いているベンチの姿がなんだか自分を馬鹿にしているような気がしてエヴァンジェリンは眉間にしわを寄せた。

「ペンキを塗りなおしたなら、警告の張り紙の一つもするのが筋ってものではないのか」

腹立ちまぎれに毒づく。
ベンチに文句を言ってもしょうがないのだが、今日はイラついていたのだ。

「なめおって……ん?」

良く見るとベンチの木材と木材の隙間に長方形のものが見える。
紙のようだ。

隙間から見えた部分に裏返った「ペ」と「キ」が見える。

予想される文は「ペンキ塗りたて」

エヴァンジェリンは大股にベンチの周りをぐるりと回って後ろ側に行った。

「まったく!注意を促す張り紙を見えない裏側に貼ってどうするのだ!」

裏側にたどり着いて案の定あった張り紙を見てエヴァンジェリンは足を止めた。
そこには確かにペンキ塗りたてを警告する張り紙があった。
エヴァンジェリンは震える声で読み上げる。

「……『ペンキ塗りたて(笑)』……何が(笑)だあああ!!」

怒りのままに張り紙を蹴りつける。
白い紙に足跡を刻みながらエヴァンジェリンは鼻を鳴らした。
もう一度靴の裏を叩きつけて何度も捩る。

ぐしゃぐしゃになった、人を小馬鹿にしたような張り紙に少しだけ満足しながらエヴァンジェリンは大きく息をはいた。

「何やってるんだいエヴァ?」

声に顔をあげるとそこには見慣れた顔があった。
穏やかな風貌の、ひげを生やした煙草をくわえた男。
困惑したようにこちらを見ている。

「タカミチか。ふん。なんでもない。ふざけた張り紙に怒りをぶつけていただけだ」

「それはただの八つ当たりだろう」

苦笑して言うタカミチにエヴァンジェリンは舌打ちした。
確かにただの八つ当たりだと思ったからだ。

「で、何か用なのか?」

だからだろうか。
問う言葉はかなり不機嫌だった。

「そういうそっちこそ授業はどうしたんだい?」

「それどころじゃないのでな」

ぶっきらぼうに返す。
何かを逡巡するような色を見せたタカミチにエヴァンジェリンは眉をひそめた。
だがその顔を見ても答えは出てこない。
仕方ないのでエヴァンジェリンは視線を周囲に巡らせた。
聞きこみに行かせた茶々丸はどうしたのだろうか?
そろそろ戻ってきてもいいと思うのだが。

「エヴァ。あまり無茶なことはするんじゃないぞ」

たしなめるような言葉にエヴァは眉間にしわを寄せた。

「ほっとけ」

言葉短に告げる。
言外にこれ以上突っ込んでくるなという意思を込めたのだが、構わずタカミチは続けた。

「エヴァが女の子の胸が好きだったなんて初めて知ったよ」

「おい待てええ!」

投下された凶悪な爆弾にエヴァンジェリンは声を張り上げる。
しかしタカミチはまあまあと仕草で落ち着くように示すとそのまま言葉を舌に乗せた。

「まあ趣味は人それぞれだし」

「いいから待て。弁明の時間をよこせ」

多分に憤りの感情を乗せて呻くように言うがタカミチは取り合わない。

「長く生きていると嗜好が広がっていくものなのかもしれないしね」

「お前の考えていることはきっぱりと誤解だ!」

叫ぶエヴァンジェリンに対し、少し非難するようにタカミチは言った。

「でも見境なく女の子の胸を揉んだりしたら駄目だぞ」

「お前私の言葉聞いてるか?」

眦を吊り上げて言うが、タカミチは嘆息とともに続ける。

「ましてや記憶処理もせずに放っておくなんて」

「少しは私の話も聞け!」

「学園長もあんまり悪さするなって言ってたよ」

「私は無実だ!!」

「あ、予鈴だ。それじゃあ僕はもう行くけど。ほどほどにねエヴァ」

「待たんか!」

「マスター」

立ち去ろうとするタカミチを追って走り出そうとしたエヴァンジェリンに抑揚のない声がかけられた。
振り向くと忠実な従者である茶々丸がこちらを向いて立っていた。
緑の長髪とあからさまなアンテナなど、ロボそのものなのだがそれを言及する奴はあまりいない。
やはりこの麻帆良という街はよく言えばおおらか、悪く言えばおおざっぱといえるだろう。

一瞬去りゆくタカミチの背中に視線をやるが、エヴァンジェリンは仕方なく茶々丸に向きなおった。

「それで、どうだったんだ茶々丸?」

「はい。被害者の証言をもとにすると、姿かたち……服装だけでなく、顔や髪の色、長さまでマスターを真似ていたようです。体格もマスターと同じぐらいでした。ただ声は見ための印象より低かったそうです」

その報告にエヴァンジェリンは小さく頷いた。

「なるほど。姿形は魔法で私のまねをしたが声は地声のまま、ということだな。となれば犯人は女か」

「それと犯人は相当なテクニシャンだそうです。被害者の70パーセントが危うくそっちの趣味に目覚めるところだっとか」

「そんなことはどうでもいい」

どうでもいい付け足しをする茶々丸に半眼で告げて頭に手をあてた。
なんというかこの従者は少々ずれているところがある。
普段は完璧なので忘れがちなのだが。

「マスター。どうしたのですか?」

問われてエヴァンジェリンは呻いた。

「ああ。どうやらタカミチやじじいは一連の事を私のせいだと思っているらしい。頭の痛いことだ。しかもこちらの話を聞こうともしない。おそらく真犯人を引きづって見せてやらんと納得しないだろうな」

しかし、茶々丸は少し困ったように眉尻を下げる。

「いえ、その背中のことをお聞きしたのですが」

言われて自分の制服の惨状を思い出したエヴァンジェリンは荒々しく舌打ちした。

「座ったベンチがペンキが塗りたてでな」

「注意書きなどはなかったのですか?」

不思議そうに問う茶々丸にエヴァンジェリンの中で怒りが再燃する。

「ベンチの背もたれの裏側についていた。ペンキ塗りたて(笑)とか書かれた紙がな」

「そうですか」

もう一度蹴りを入れてやろうか。
かなり真面目に悩みながらエヴァンジェリンが憤りもあらわに眉間にしわを寄せていると、視界の端をOLらしい女が歩いていた。

ピッチリとしたスーツを着こなしたスレンダーな女性だ。
結いあげられた黒髪と横長の眼鏡がきつそうな印象を与えている。
それだけならどうということもないことだった。
だがちょうど死角に当たる反対側でどこか抜けた男の声がした。

「うーん、63点」

振り向くとそこには安っぽい金色に染められた髪を肩口まで伸ばした青年が顎に手をあてて真剣な表情で女を見ている。
その視線をたどると先の女の胸元にたどり着いた。

男がこちらを向く。
その顔には見覚えがあった。
何度かエヴァンジェリンのクラスに顔を出していた男子高校生だ。
風間誠亜の友人であり、彼女とともにティーという名の亜人を預かっている男。

男は今度はこちらの胸を見下ろした。
小さく口の中で嘆息して呟く。

「11点」

肩が震える。

「か…………」

喉からひきつるような声が漏れた。
その男。須藤大悟の向こう側十数メートルにジュースの缶を二本抱えた7歳ぐらいの少女が歩いてくる。
ダボッとした大きな帽子と微妙に丈の長い服がまたある種の可愛さを示している。
その少女の猫のような眼が軽く開かれていた。
こちらの顔を見て驚いている。
たしか木乃香を狙った男に雇われた亜人の少女だったか。
いろいろと苦労をしてきたのだろうが、エヴァンジェリンから言わせれば7歳という幼いうちに人でないことを知ってもなお平然と受け入れてくれる人間に出会い、引き取ってもらえるなどラッキーな方だ。
長く生きてきたからこそわかる。
須藤大悟のような、風間誠亜のような、A組の連中のような人間がどれだけ少数派か。

まあそんなことはどうでもいい。
エヴァンジェリンは口を開いて腹の底から声を響かせた。

「確保ぉぉぉおお!」

エヴァンジェリンが高らかに言うと素早く飛び出した茶々丸がダイゴの両腕に手錠をかけた。

「えええええええ!!」

ティーが驚愕の声をあげる。

ダイゴは不思議そうに手錠を見下ろした。
そして首を傾げる。

「何故に?」

だがその仕草を演技と見てとったエヴァンジェリンは挑発的に笑う。

「ふん。自分の胸に聞いてみるんだな」

ダイゴは眉間にしわを寄せて虚空を睨むと、ああと呟いて告げた。

「11点という採点に不満があるんだな」

「違うわ!なんで胸が小さいと言われただけで逮捕せにゃならんのだ。いくらなんでも私はそこまで狭量じゃない」

そう言い返すとダイゴは手錠につながれた手で人差し指を左右に振った。

「わかってないなあ。大きさじゃなくて点数だよ。女性の胸の良さは大きさだけじゃ決まらないんだよ」

「やかましい。もう既にそのセリフでお前の変人っぷりがわかるわ。もう犯人決定だ。茶々丸連行しろ」

茶々丸に手を引かれて歩きだすダイゴは相変わらず微妙に緊張感の欠如した顔で問いかけた。

「で、犯人って何の?」

「この桜通りで『桜通りの吸血鬼』の噂に便乗して女性の胸を揉んで点数をつけて去っていくという事件が発生しました。私たちはその犯人を探しています」

律儀に応答する茶々丸に、ダイゴは一度頷くと納得したように言った。

「ああなるほど。そりゃ確かに俺は怪しいわ。でも一応俺じゃないからね」

それに乗ってティーもまた声をあげる。
エヴァンジェリンに向かってブーイングしながら。

「そうだそうだ!ダイゴ兄はセーア以外の胸は揉まないぞ!」

いや風間誠亜の胸を揉んでいる時点でかなり駄目だと思うのだが。

「誠ちゃん以外だと、昔馴染みの友人ぐらいしか笑ってすまされないからね。そりゃやれないよ」

しかしエヴァンジェリンはその二人の言葉を鼻で笑うと嘲るように言った。

「ふん。容疑者とその親族の証言など効力無しだ」

フーーッと何やら猫じみた威嚇の声を上げ出したティーを無視してエヴァンジェリンは歩きだす。
その背中を眺めながらダイゴは軽い口調で問いかけた。

「んで。俺はどこに連れて行かれるわけ?」

それにエヴァンジェリンはサディスティックな笑みを浮かべて答えた。

「取調室だ。お前には動機から手段、共犯者に至るまですべてはいてもらう」

すると何故だがダイゴはニヒルな笑みを浮かべた。

「悪いが黙秘権を行使させてもらうよ。ああ、あと弁護士も呼んでもらえるかな」

「くくく。残念だがこれからお前をつれていくのは私の家。そこは私の国。いわば治外法権だ。そこでは容疑者に基本的人権など認められない」

それにダイゴは口を尖らせて唸る。

「むう……なんて横暴」

「そらそら。きついライトとカツ丼がお前を待っているぞ」

適当なしぐさで手招きしながらそう言うとダイゴは瞳を光らせた。

「カツ丼おごってくれるんなら付き合ってもいいかな」

「ダイゴ兄!?そこ喰いつくの!?」

思わずティーがつっこむ横でダイゴは一転して表情を真剣なものにすると、強い意志を込めた声で言った。

「ただしあんまりまずいようなら、俺がホントに美味いカツ丼作って食わせるから」

「燃えるべき場所か違うよ!」

「取り合えずコンビニの安っちいカツ丼弁当が二度と食えなくなるような味を目指すつもりだ!」

「いや違うって!」

掛け合いを始めたダイゴとティーを眺めていると、茶々丸がそっと右手を上げた。
視線で言ってみろと示すと茶々丸は淡々と告げる。

「マスター。彼は犯人ではないと思います」

その言葉にダイゴとティーが振り向いた。
エヴァンジェリンは従者の突然の言葉に片眉をはね上げて問う。

「何か根拠があるのか?」

茶々丸は小さく頷くと続けた。

「須藤さんは4日前の犯行時刻、超包子で食事していました。」

「そうか……」

茶々丸の言葉にエヴァンジェリンは深々と嘆息した。
頭に血が上っている状況であまりに条件に合致する存在がひょっこり現れたせいで彼が犯人だと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。

「すまなかったな。人違いだったようだ」

謝罪の言葉を述べると、ダイゴはからからと笑って手を振った。

「いいっていいって。別になんか不利益を被ったわけじゃないしね」

言いながら上着の胸ポケットに手錠につながれたままの右手の指をつっこむと、そこから細い針金を取り出した。
自然な動きで手錠の鍵穴に突っ込むとそれを見もせずにいじりだす。
2秒ほどしてカチリという音とともに手錠が開くのを多分に呆れを含んだ眼で見ながら、エヴァンジェリンは呟いた。

「ずいぶんと手慣れてるのだな」

「ガキの頃、ルパン三世にはまってた時期に練習してたらできるようになったんだよね」

手錠を茶々丸に返しながらダイゴは針金をまたポケットに戻した。
その横で苦笑を浮かべながらティーが言う。

「ダイゴ兄。バイクといいこれといい無駄に芸が多いよね」

「ん~。多芸なのは父方の家系の血らしいね」

他愛もない会話を交わす二人にエヴァンジェリンは一度咳払いをしてから問う。

「ところで、お前と同じように女性の胸に点数を付けるような人間に心当たりはないか?」

「……親父なんかはそうだけど、ここ1週間ほど海外に行ってるな。4日前にも事件があったんなら違うんじゃない?」

そう言った後、口元に苦笑を浮かべて続けた。

「ていうかあの親父。自分の妻、つまりは俺の母親の胸を至高のバストだと公言して憚らない愛妻家だからな~。他の胸に何となく点数を付けることはあっても手を出すこたないだろうね」

エヴァンジェリンはしばし黙したあと、半眼で口を開いた。

「なるほど。お前の変人っぷりは父親から受け継がれたものだったのか」

「そういうこと」

皮肉をこめて言ったのだがダイゴは笑いながら受け流す。
暖簾に腕押ししているような感覚に軽い疲労感を覚えてエヴァンジェリンは嘆息した。

「んじゃま俺らもう行くけど。そっちも頑張ってね」

「ああ。迷惑をかけたな」

ティーの手を引いて去っていくダイゴの背中に気のない返事を返しながらエヴァンジェリンは腕を組んで空を見つめた。

「マスター。こうなったら夜に張り込みを行うほかないかと」

「それしかないか」

別に夜動くことを忌避しているわけではない。
むしろ夜はエヴァンジェリンの時間だ。
本来吸血鬼であるエヴァンジェリンにとって、昼間に起きていることの方が夜昼逆転生活なのだ。

ただこそこそと身を隠し、くだらない犯罪者一人を待つというのが何となく腹立たしかっただけだ。

「仕方ない、か……」

帰るか。
そう言いかけてエヴァンジェリンは足を止めた。

「まんじゅ~。まんじゅうはいかがですか~」

つい先ほどまでなかった気配が桜通りに出現していた。
振り返ると、スタジアムなどでやっていそうな販売員の服を着た男が旗を立てて何かを販売していた。
吹き抜けるだいぶ暖かくなってきた風に揺れる旗の文字を読み上げる。

『桜通り名物。吸血鬼饅頭』

エヴァンジェリンは口元を歪めた。
呆れてものも言えないとはこのことか。
確かにこの麻帆良は非常に暢気な風潮のある街だ。
メンテナンスのための停電をある種のイベントととらえて乾パンやろうそくを売ろうとしだすなど、年がら年中事あるごとに小さなお祭り騒ぎにしようとする。

だがそれにしてもこの吸血鬼事件に乗じて商売しようなど、商魂たくましいというより不謹慎だ。

一度その顔を拝んでやろうと歩み寄る。
売られているのは桜色の饅頭のようだ。
形も桜の花弁をかたどっている。

「…………」

それを無言で眺めてエヴァンジェリンは拳を握った。
後ろからついてきた茶々丸が同じように饅頭を見て眉をひそめる。

桜色の饅頭には犬歯の長い少女の顔が刻まれていた。
女性の胸のような図柄の間に。

「おい貴様……」

震える声で、いまだにこちらに気づいていないかのようにメガホンで客呼びをしている男を睨みつける。

「なんだねお客様。欲しいならばさっさと買うがいい」

オールバックのヒゲダンディーが意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

「ってお前かああああ!」

渾身のアッパーカットで男の――スタジアム販売員に扮したロキの体を打ち上げる。
錐揉みしながら飛んでいく男の体は空中でくるくると回転すると綺麗に足から着地した。

地に片膝をついたロキは不敵な笑みを浮かべる。

「ふっふっふ。どうやらようやく私の存在に気付いたようだな」

エヴァンジェリンは無意識に制服の内に仕込ませた魔法薬に指をかける。
いつでも魔法を唱えられるようにしながら、ふとロキの言葉に引っ掛かるものを覚えて口を開いた。

「ようやく……だと?」

ロキはゆっくりと頷くと立ち上がった。

「うむ。私はずっとここでお前の様子を眺めていたのだ。ペンキ塗りたてのベンチに座って八つ当たりをし出した所もしっかりと写真におさめさせてもらったよ」

にやりと笑うロキの表情にエヴァンジェリンは頭の中で何かがつながる感覚とともにかっと目を見開いた。

「お前か!あのベンチの張り紙を背もたれの後ろに移して(笑)とかつけたのお前か」

「というかペンキを塗ったのも私だな」

笑いながら言うロキにエヴァンジェリンは即座に跳躍して蹴りを叩きこんだ。
だるま落としのように景気よく吹っ飛んでいくロキの頭。
しかしすぐさま亀の如く頭が生えてくる。

ダメージを与えられずに歯嚙みするエヴァンジェリンを睥睨しながらロキは口の端を釣り上げた。

「私のプレゼントはお気に召したかね?」

「は?」

お気に召すわけがない。
つまらん奴のおかげで愚にもつかん罪を被せられ、タカミチには疑われ、そこに馬鹿にしたような饅頭など販売されてどうしてお気に召そうか。

(ん?)

ある事に気づいてエヴァンジェリンはロキの顔を見上げた。
噛みしめるように言葉を吐き出す。

「おい。まさか一連の事件は……」

「はあーはははははははは!」

こちらの言葉が終わらないうちに笑いながら駆け去っていく。

「やっぱりお前かああああああ!!」

全力で駆けだす。
地を蹴り風を裂いて駆けながら前方を走るロキの背中を追いかけた。
後ろから茶々丸が追従する。
封印されてもまがいなりにも魔法使い。そして吸血鬼。
かなりの速度をだせているはずだが一向にロキとの距離が詰まる様子はない。

舌打ちしてエヴァンジェリンは周囲を見回した。
一般人の眼がないのを確認して魔法を使おうと魔法薬を取り出す。

それと時を同じくしてロキが肩越しにこちらを振り向いた。
必死に追いすがるエヴァンジェリンを見て鼻で笑う。
こめかみに青筋が浮かぶ。
600年。
600年生きてきてこれほどまで腹の立つ嘲笑の仕方は初めてだった。
相手への憎しみや、背景を関係なしに表情だけでこれほどまでに腹の立つ笑い方は初めてだ。

さらにロキは身をひるがえして体をこちらに向けるとムーンウォークで歩き出す。
見た目はこちらに向かって歩いてきているのに体はこちらから離れていく。
確実に走りにくい走り方であるにもかかわらず、速度はかえってあがっていた。

あっという間にロキの姿は豆粒のようになり、そして米粒のようになってしまった。

「詐欺みたいな、奴だな」

肩で息をしながらエヴァンジェリンは毒づく。
後ろでロボット故に息一つ切らさない茶々丸の姿に少々うらやましい気持ちを覚えながらエヴァンジェリンは額に張り付いた髪をかき上げた。
まったくもって弱々しい今の自分の体に文句の一つも言いたくなる
それもこれもすべてこの身にかけられた呪いのせいだ。
これを解くために行ってきた吸血行為だというのに、なんで胸揉み魔の疑いをかけられなければならないのか。
改めてロキへの怒りが膨れ上がる。

「ねぇ~ママ~。あの人背中が真っ白だよ~」

舌足らずな甲高い声にエヴァンジェリンは舌打ちした。
ロキの登場でまたも忘れていたが今自分の背中はペンキで真っ白になっているのだった。
その子供の声に今度は大人の女の声がかかる。

「しっ!指さしちゃいけません。きっとペンキ塗りたてのベンチにでもうっかり座ったんでしょ。いくら間抜けだからって口に出しちゃ可哀そうよ。スルーしてあげなさいこういうときは口を閉ざして心で笑うの」

言葉の内容は一見子供を咎めるものだが、声が完全に笑っている。
むしろ母親側の言葉の方が腹立たしい。
無意識に顔を拝んでやろうと思ったのか、気がついたらエヴァンジェリンは振り向いていた。

見れば4歳ほどの子供を連れた女がこちらを見て笑いをこらえていた。
ロキと同じ顔で。

「だあああああ!」

駆け寄っていって問答無用でその横っつらを殴り飛ばす。
先ほどの声とは打って変わって低い男の声で悲鳴をあげながらおばさんの扮装をしたロキがすっ飛んでいく。
ロキは顔面から地面に激突しながら、すり傷一つない顔で跳ねるように飛び起きた。
顎に手をあてて不敵に笑う。

「ふっ。やるではないか。よもやこの私の変装を見破るとは」

「見破れんわけがないだろう。顔がそのままだというのに」

指をパキパキと鳴らしながら近づくとロキは大きく一歩後ずさった。
なんだかよくわらからないポーズを決めて叫ぶ。

「だが私の仕込みはこれだけではない!見よ!」

叫ぶと同時にエヴァンジェリンの隣を風のように何かが走り抜けていった。
先ほど変装ロキが連れていた4歳ほどの子供だ。
子供は大きく跳躍して空中3回転半ひねりを決めると華麗に着地する。
そしてロキと同じようにポーズを決めるとそのあどけない顔をむしり取った。
怪盗の変装マスクのようにはがれた顔の下からは隣と同じロキの顔が出てくる。

「気持ち悪!」

エヴァンジェリンは思わず叫ぶ。
おばさんの体の上にダンディなひげ親父の顔があるのもなかなかに嫌な絵だが、年端もいかない子供の体の上にロキの顔があるのも相当にきつい絵面だった。おかっぱ頭なのもまたきつい。

だがそんなこちらの感情などお構いなしに二人のロキ顔親子は高らかに叫ぶ。

「さあ、どっちが本物だ!?」

「茶々丸」

エヴァンジェリンが短く告げると茶々丸の右手の肘から先がロケット噴射で飛んでいき、容赦なく母親ロキの頬を深く抉った。
問答無用で吹っ飛んで、大地を10メートル近く滑って止まるロキの姿を見下ろしながらエヴァンジェリンは吐き捨てる。

「どう考えてもそっちだろ。サイズ的に」

だがエヴァンジェリンが倒れたロキに歩み寄るよりも早く、ロキ顔の子供が凄まじい声量で叫ぶ。

「サイクロォォン!!」

それと同時にファミコンで再現したような安っぽいエンジン音とともに一台のマシンが飛び出してきた。
それは車輪を地面に擦りながら子供の前で急停止する。
子供ロキはそれに跨るとムカつくくらいに清々しい笑顔で笑った。
真っ白な歯がきらりと輝く。

「残念だがこっちが本物さ!」

そう告げるとロキは跨ったサイクロン号――仮面ライダーのマシンじみたカラーリングの三輪車のペダルを踏みつけた。
回転する後輪が激しく地面の上を滑り、白い煙を上げだす。

「あでゅー」

言葉とともにロキの体がカタパルトで撃ち出されたかのように加速する。
一瞬で見えなくなったロキと三輪車を呆然と見送りながらエヴァンジェリンはひたすらに沈黙し続けた。

数分ほどしただろうか。
唐突にエヴァンジェリンが笑いだす。
口の端は吊りあがり、満月が近づき力を少しだけ取り戻して鋭く伸びてきた犬歯が唇の間から覗く。

「く、くくくく」

右手をカギ爪のように曲げながら低く笑った。

「逃がさん。逃がさんぞロキ。お前はこの私に喧嘩を売ったのだ。ただで済むと思うな!」

撃ち出した腕を回収している茶々丸に声をかけてエヴァンジェリンは歩きだす。
向かう先は自分の家だ。
そこで整えるのだ。
戦いの準備を。

噴きあがるエヴァンジェリンの戦意に立ち並ぶ木々がぶるりと震えた。






どうもすちゃらかんです。

おや。またも終わらなかった。
どうもすちゃらかんは話をまとめるのが下手なようです。(←今頃気づいた)

なんかエヴァンジェリンのキャラがうまくつかめていない気がする。
ちゃんと漫画読みなおしたのですが……


またもPIXIVに絵を投稿してみました。
今回も出てきたダイゴ君です。

タグ検索で 神と俺のコイントス と検索するとすちゃらかんの絵がまとめて出てくるので見てやってもいいという人は見てください。
ただ上手くはない上に完全に自分絵ですので注意です。

拙作ですがこれからもよろしくお願いします。



[9509] 第23話 迷探偵エヴァンジェリン なんというか斜め上 前編
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fd84c8a4
Date: 2009/10/20 13:06
神と俺のコイントス










第23話  迷探偵エヴァンジェリン なんというか斜め上 前編










エヴァンジェリンは机に頬をついて、虚空を見上げた。
眼の前ではクラスメートの葉加瀬が茶々丸のメンテナンスに精を出している。
黒髪を三つ編みにしておでこを露出させた少女だ。
麻帆良女子中の制服の上に白衣を着込み大きな眼鏡をかけているその少女は、パソコンの画面を見ずにキーボードの上で指を躍らせた。
次々とあらわれては消えていくウィンドウに理解できないものを感じながらエヴァンジェリンは視線を巡らせる。
大学の工学部に設けられた研究室の中であり、あたりにはわけのわからない機械が雑多に並んでいる。
何故だか大量に目覚まし時計が並んでいたり、卵の殻が捨てられた機械もあった。
ところどころ下着が脱ぎ散らかしてあったりするあたり、葉加瀬はこの研究室で寝泊りすることも少なくないのだろう。
そして研究以外はわりとずぼらに違いない。

「うん。特に問題はないわね。じゃあ次は背中を見せて」

その声を9割方聞き流しながら思索にふける。
考えるのはロキのことだ。
眼にもの見せてやると決めたはいいものの、その方法までは考えていなかった。
やはりどうあってもロキの持つ力がネックとなるのだ。
たださえ相手は規格外の存在。
だというのに自分は力を封印され、魔法薬なしにはろくに魔法も使えない状態。

だが、力が足りないと言っても戦いようはいくらでもあるはずだ。

そのためにもまず敵を知る必要がある。

茶々丸に集めさせた情報と己の知る情報を整理する。

ロキ。
そもそもこのロキという名も魔法使い達が便宜上つけた名で、本名は明らかではない。
神を自称する超能力者で。世界各地に出没しては悪戯をするはた迷惑な存在だ。
ただ迷惑な存在で終わらないのがこの男は、人々を救いもするということだ。
災害地にふらりとあらわれてはその力で人を救う。
かといって人類の守護者足るを己に課しているわけでもない。
ロキが救った人間は確かに多いがロキが救わなかった人間も多い。
救う災害と無視するものに規則性はなく、本当にランダムだ。

とりあえず言えることは奴の力が強大だということだ。
氾濫した河川の“水のみ”をひきずりあげて海に叩きこんで水没した街を救い、火山の溶岩流の流れを町から逸らし、疫病のウィルスを絶滅させ、巨大隕石を破壊する。
そんなことをあっさりやってのけるものを相手にするのだ。

(そういえばふざけたドラゴンを生み出していたな)

風間誠亜を襲っていたアフロのドラゴンを思い出し、さらに気分が重くなるのを感じた。
あの男は自分の思うままに生物を生成できるということか。
今のエヴァンジェリンでは普通のドラゴンを出されるだけでだいぶきつくなる。
まさかさすがにないだろうがエンシェントドラゴンなど出された日には逃げの一手しかとりようがない。

…………なんか無謀なことを考えている気がしてきた。

全盛期の力が振るえればまだ戦いようがあったのだろうが今の状態では正直きつい。
どうしたものか。
エヴァンジェリンはかつてない難題に深く嘆息した。

「どうしましたか。マスター」

こちらの表情を見てとった茶々丸が問いかける。
エヴァンジェリンは頬を支えていた手を離した。
どうやら気付かないうちにだいぶ時間がたっていたらしく、少しひりひりとした感触がした
これは頬が赤くなっているだろう。

「どうすればロキを仕留めることができるかと考えていた」

茶々丸はその言葉に表情の読めない顔でしばし黙った後、やはり無機質な声で答えた。

「現在の戦力では戦闘で彼を倒すのは困難かと思われます。停電を利用した結界のダウンを利用すればあるいは」

「それはぼーやのときにとっておく」

ロキへの仕返しは単なるプライドの問題だ。
ネギ・スプリングフィールド襲撃計画とは違い、絶対必要なものではない。

「では呪いを解いたのちに報復するというのはどうでしょうか」

「もっともな意見だが、奴が好き勝手したせいで魔法使い達の意識がこちらに集まり始めている。このままでは計画自体に支障が生じかねん」

口に出して改めてその忌々しさに舌打ちした。

「な、ら、こういうのはどうですか?」

葉加瀬が茶々丸につないだコードを引き抜きながら言ってくる。
彼女は妙に鼻息を荒くして言い放った。

「古来よりこんな言葉があります!目には目を、歯には歯を!つまりは悪戯しかえすんですよ!」

椅子を蹴立てて立ち上がり、眼を光らせて拳まで握る。
その気迫に若干気圧されてエヴァンジェリンは僅かに身を反らすが
葉加瀬は構わず拳を振りながらまくし立てる。

「ああいう手合いは悪戯ばかりしてる分、悪戯されるのには慣れていないんですよ!だからされたらどれだけ嫌なことなのかおもい知らせてやるんです!」

エヴァンジェリンは呆気にとられた顔で問う。
視界の端では茶々丸も少し驚いたように見ている。

「なんかやけに気合が入っているな。恨みでもあるのか?」

葉加瀬はぴたと動きを止めて振り回していた拳を下ろした。
爛々と輝いていた眼はなりをひそめ、代わりに眉間にしわを寄せて不満げに毒づく。

「私たち科学者は法則を追及する人種です。なぜなら科学というものが無数の法則によって成り立っているからです。魔法だって一見出鱈目に見えますが魔法なりの法則に縛られて成り立っています。この世にあるものはすべからく法則に縛られるんです。にもかかわらずロキはそれらすべてを嘲笑うがごとく、己の望むままに作り替える」

言葉を吐くにつれて肩を震わせだす。
そしてついに机に手を叩きつけて吼えた。

「あれは敵です!非科学の権化です!科学者すべての宿敵です!」

「わかったわかった。いいから少し落ち着け」

馬でも宥めるかのようにどうどうといいながらヒートアップした葉加瀬を落ち着かせる。
確かにロキの力に魔法の法則はまったく当てはまらない。
だからこそ、アレに何ができて何ができないのかわからない。

「で、具体的にはどうするんだ?」

エヴァンジェリンが問いかけると葉加瀬は首をぐるりと回してこちらに視線を向けた。
不敵に笑って言う。

「こちらがやられたことと同じことを、つまりは相手の振りをして恥をかかせるということをやるんです!」

「セコイな。正直趣味に合わんのだが」

エヴァンジェリンは一度肺の中の空気を吐き出すと、気乗りしない様子で続けた。

「まあ感情的なものは置いておくとして、誰が奴のまねをするんだ?体格的にできる人間がいないと思うんだが」

問うと葉加瀬は指先で虚空に円を書いた。
何となく魔法をイメージした動きなのだろうということはわかる。

「エヴァンジェリンさんの魔法でどうにかなりませんか?」

「出来んこともないだろうが、私は嫌だぞ。あんな変態の姿で変態的なふるまいをするなど」

「うーん。じゃあうちにある試作段階のロボットでも使いましょう。茶々丸を作る際にできた単なるテストケースなんでろくなスペックじゃないですが、それでも人の真似をするぐらいならできるはずです」

葉加瀬の指し示す方向には、乱雑な機械の残骸の中に適当な成人男性の体格のロボットが壁に立て掛けられている。
関節部分や顔立ちなど、外見の部分だけでも茶々丸に比べるとかなりいい加減に作られているのが見て取れた。
葉加瀬の言うとおりスペックは低いがただ人のまねをするぐらいなら問題ないのだろう。

「ロキの真似の仕方はそれでいいとして、根本的な問題を指摘していいか?」

「はい?」

問い返す葉加瀬にエヴァンジェリンは天井を見上げた。
心の中であの忌々しいロキの顔を思い描く。
あの男が恥と憤りに顔を歪める姿を想像してエヴァンジェリンは視線を下ろした。
半眼で、淡々と告げる。

「あの変態にいまさら恥なんてあるのか?」

「う……」

嬉々としてセーラー服を着るような男だ。
そんな男がいまさらどんな格好を恥じるというのか。

「なるほど。確かに生半可な代物では彼にダメージを与えることはできなさそうですね」

難しい顔で唸る葉加瀬にエヴァンジェリンは腕を組んで告げる。

「計画への障害を排除するならば、奴が一連の事件の犯人だという証拠をつかむだけでも済む。正直効くのかわからん嫌がらせをするよりよほど建設的だ」

「つまりエヴァンジェリンさんはやらないと?」

葉加瀬が不満げに眉間にしわを寄せて言う。
その顔からして明らかに納得が言っていないようだった。

ふと気づいて問う。

「ひょっとして、葉加瀬も何かされたのか?」

瞬間、葉加瀬の背後に黒い炎が燃え上がる。
地雷を踏んだらしい。
少々うかつだったか。

「いえいえ大したことじゃないんですよ。ただあの男が私たちの研究を見て、あっさり現行では存在しない高度な技術を使ったロボットを超能力で生み出して見せたのにちょっとばかしプライドが傷つけられただけで」

瞳を爛々と輝かせて幽鬼の如く呟く。

「ふふふふ。おまけに自分で生み出したロボットのシステムや原理をまるで理解してないって言うんですからふざけた話ですよ。なんで理解もしていないものを作り出せるんですか。本当に科学をなめてます」

放っておくと止まりそうにない葉加瀬にエヴァンジェリンは嘆息とともに告げた。

「とりあえず私は証拠を探す方で動く。奴に目にもの見せたいなら好きにやってくれ。ただ一応気をつけろよ。相手はロキだ。どんな反撃が来るかわからんぞ」

「フ、フフフフフフ。どうぞ健闘を祈りますよ」

完全に妙なスイッチが入っているようだったが、まあ10分もすれば落ち着くだろう。
エヴァンジェリンは適当な挨拶を残して立ち上がった。
茶々丸を連れて部屋の扉へと向かう。
ドアノブをひねって扉のくぐった瞬間、部屋の中から大きな物音が聞こえてきたがエヴァンジェリンは構わず部屋を出た。















「葉加瀬はここか?」

エヴァンジェリンは口に出して問いかけた。
横に控えた茶々丸が是と答えるのを聞きながらエヴァンジェリンは周囲に目をはせる。

常識では考えられない巨樹。
これに比べるなら樹齢7200年とやらの縄文杉もかすんで見える。
近づけばある種壁じみた大きさを持って人を迎えるその威容。
途方もない大きさになりながらその身を腐らせることもなく天高く屹立し、無数の枝をのばしてちょっとした天井を形成するそれは世界樹と呼ばれ、麻帆良の人々に愛されていた。
そのふもとに設けられた公園。
麻帆良の街の者の憩いの場になるはずのそこは今、大勢の人々でごったかえしていた。

あのあとあちらこちらで調査を行ったエヴァンジェリンだったが、一向に手がかりはつかめなかった。
息抜きを兼ねて葉加瀬の様子を見に行こうということにした。
ひょっとすればロキをおびき出せているかもしれないことだし。

その人ごみの中心では一人の男が1人ミュージカルを敢行していた。
数多くの奇異の視線を受けながらもまるで気にした風もなく、熱心に妙な口上とともに大げさな手振りで踊っている。
一見感情豊かに見えるが、その実上辺だけでその声には一切の感情が込められていない。
よくできた合成音声のようだ。

「なるほど。こう行き着いたわけか」

エヴァンジェリンは淡々とそう告げた。

広場の中心で歌い踊る男の顔は腹立たしいロキのものだ。
白タイツにオレンジのカボチャパンツ。
上も間違った昔の王様象のような趣味の悪いデザインの服だ。
しかもなぜかピンクで青の水玉が入っている。
口髭も本物より少し長く伸び、先端がくるくると渦を巻いている。

全く意味のわからない格好だが奇抜さという点では問題ない。
この人だかりがその証明だろう。

その人だかりの端の方に見慣れた三つ編みと白衣を見かけてエヴァンジェリンは近づいて行った。
携帯電話をかけているふりをして偽ロキに支持を出している葉加瀬に後ろから声をかける。

「こういう結論に達したわけか」

葉加瀬はそこで初めて気づいたようにこちらに聞くと眉間にしわを寄せて答えた。

「ええ。なんていうか、いまいちあの人の恥ずかしがることが思い当たらなくて。ちょっとベクトルを変えてこうしてみました」

ケラケラとヤジ馬に笑われている偽ロキを眺めながらエヴァンジェリンは嘆息した。

「まあ妥当な線かもしれんが、これでもし奴が私たちのことなどまるで気づいていなかったら完全に道化だな」

「言わないで下さい。私も思ってるんですから」

眉尻を下げて唸る葉加瀬。
広場の中心では偽ロキの奇劇がますます盛り上がる。
周囲のヤジ馬たちも笑いながらそれを眺めていた。
明らかに可笑しな行動なのだが、面白がりこそすれ侮蔑を見せないのはやはりこの麻帆良の風潮なのだろうか。

だが視線を巡らせてもロキの姿は見えない。

行くか。
そう胸中で呟いて、エヴァンジェリンは踵を返した。

さて。
どうやってロキを探し出すか。
あの男が普段どこにいるかなどエヴァンジェリンは知りもしない。
というか知っている奴などいるのだろうか。
奴の住処を探すのは限りなく無駄な努力な気がする。
どこか遠くの国に邸宅を構え、そこからテレポートで来ているのだとしたら、探しようがない。

ならばあの男のあらわれそうなところでも探すか。
あの男のあらわれそうなところ。
となるとやはり風間誠亜のそばだろうか。
だが、下手に接触して警戒されるのもつまらない。
ともすれば10年に一度の逸材かもしれないのだ。

吸血鬼として永遠に従わせるのは難しいだろう。
ロキが許さないはず。
ひとを男から女に変えてしまう男だ。
十中八九、吸血鬼化しても直すだろうし、刻まれた命令権も軽くキャンセルするに違いない。
だが、多少の期間自分に協力させることはできるはずだ。

たとえば自分が風間誠亜の力を真っ向から打ち砕き、負けを認めさせたらどうだろうか。
おそらく少しの間、少なくともこの学園にいる間ぐらいなら自分に従うのではないだろうか。

『まあ負けたのは事実だし、俺があんたに勝てるようになるまでならある程度協力してやるよ』

なんかしぶしぶそういう彼女の姿がありありと頭に浮かぶ。
別に彼女とよく話すわけでもないが何となく彼女の人柄は感じていた。

「茶々丸。風間誠亜を探しに……」

「これはどぅいうことだあああああ!!」

唐突に響いた声にエヴァンジェリンは振り向いた。
よく通る低い声が降ってくる。
軽い驚愕とともにエヴァンジェリンはそれを見上げた。

広場に立つ街灯。
その中でもひときわ高い所にあるもののうえに一人の男が立っていた。
髪をオールバックにし、口元に髭を蓄えたダンディな男が驚愕の表情で広場を見下ろしていた。
身にまとったセーラー服のスカートが風にはためく。

「な、なんだ!変な奴がまた現れたぞ!」

「ていうか顔同じだし!もしかして双子!?」

「セーラー服!?顔と声はダンディなのにセーラー服!?」

ヤジ馬たちは現れたロキの姿に皆くちぐちに驚愕の声を上げた。
皆、広場の中央で踊るエセキングダンディと街灯の上の変態を見比べる。

「なんてこった、変態紳士同士の対決だ!二大変態大決戦だ!」

エヴァンジェリンの少し前にいた、髪をリーゼントにした男が声を張り上げる。
すると隣にいた、大人しそうな少年が苦笑とともに口を開いた。

「ゴジラ対メカゴジラ。二大怪獣大決戦みたいなノリだね」

その感想はあながち外れではない。
片方は本当にロボットだ。
ロキ対メカロキ。二大変態大決戦。

どうでもいいことを思いながらエヴァンジェリンはロキを見上げる。
どうしたものか。
見つけたはいいがここでは何もできない。
ヤジ馬のせいで魔法は使えない。
まずは奴を引きずり降ろして、人目のないところに連れていく必要がある。
茶々丸に行かせるか。
そう考えて指示を出そうとしたところで、神が声をあげる。

彼は眉を吊り上げ、眉間にしわを寄せて低く唸る。
拳を握って悔しげに叫んだ。

「うぬぬぬぬ!おのれぇぇぇ!!」

携帯電話を耳もとにあてた葉加瀬の口元に得意げな笑みが浮かぶ。
どうやら作戦はうまくいったらしい。

ロキの顔には明らかな憤りの色が見て取れた。

「ぬふぉおおおおおお!」

ロキは雄たけびをあげると天を仰いだ。

振り上げた両の拳を戻し、広場でロキを嘲笑しながら踊るメカロキを指差して叫ぶ。

「おのれ偽物め!!何が目的か知らんが、この私を真似て騒ぎを起こすなどいい度胸だ!」

両手を頭の上で交差させ、体を反らす。
意味不明のポーズだが、まあきっと意味などないのだろう。
さんざん騒ぎを起こしておいて自分がされる側になるとこの反応とは全く度し難い男だ。

「だがあえて言わせてもらおう!!」

ロキはクロスさせた腕を振り抜いて自分の頭上を十字に切り裂く。
それと同時に空間に刻まれた×が眩い光を発してロキの体を包み込んだ。
シルエットしかわからない金色の光の中から力強い声が響く。



「奇抜さがっ、足りん!!!!」



「は?」

それだけ言うのが精いっぱいだった。
エヴァンジェリンとそしてついさっきまでほくそ笑んでいた葉加瀬は同じようにぽかんと口をあけてそれを見つめた。
光がひときわ強く周囲の者の眼をくらませると、そこには変わり果てたロキがいた。

真っ蒼なキラキラテカテカしたボディコンに身を包み、羽根センスを持ったロキがそこにいた。
ご丁寧に頭上にはミラーボールが浮かび、古臭いディスコ音楽がけたたましく天から降り注ぐ。

誰も動けない。
その場にいた誰もが皆唖然として呼吸を止めた。

大気すら動きを止めたかのように風の音が止んでいる。
沈黙を切り裂いたのは甲高い女の声だった。
誰の声かはわからない。
聞き覚えがないので知らない奴だとは思うがそもそもそれを確認するだけの気力はもうエヴァンジェリンにはなかった。

「変態紳士がグレート変態紳士に進化したあああああああ!!」

叫びとともに周囲が一気に騒然とする。

「馬鹿な!この変身でATKがかるく4倍ぐらいに跳ね上がっているぞ」

「なんてこった奴のパワーは底なしか!今までだって十分破壊力抜群だったのに!変身によって跳ね上がった!」

「大変だぞ!奴はまだ変身を2つ残しているらしい!」

「おまけに奴の兄はさらに一回多く変身できるそうだ!」

なんだか妙な方向に話が進んでいっている。
なんだ変身って。
それと奴に兄などいてたまるか。
この世の破滅だ。

ロキは騒ぎに騒ぐ人々を見下ろすと羽根扇子を天に掲げる。

「大衆どもぉお!」

その声に込められた裂帛の気合いにヤジ馬たちの声がピタリと止まる。
人々が微動だにせずに一様にロキを見上げる姿は何かの絵画のようだが、いかんせん。
ロキの姿が馬鹿すぎる。

「奇抜なのはどっちだ!?」

『お前だぁぁぁぁぁ!!』

「可笑しいのはどっちだ!?」

「お前だあああああ!」

何かノリノリで答えるヤジ馬たち。
そして調子に乗った神がさらに踊り出す。
軽快というより喧しい音楽に乗ってヤジ馬たちも躍り出す。

視線をずらすとがっくりとうなだれ、頭を抱えた葉加瀬の姿があった。

それを慰めるようにエヴァンジェリンは言った。

「まあなんだ。こっち方面でアレに挑もうとしたことが間違いだったんだ。お前の技術や発想力が足りてなかったわけじゃない。気にするな」

葉加瀬は落とした携帯を拾い上げると悔しげに歯を噛み合わせながら答えた。

「見事に斜め上に来ましたね。迂闊でした」

「まあ奴を引っ張り出したのは見事だ。次は私の番だ」

言ってエヴァンジェリンは懐の魔法薬に指を伸ばし、後ろに控えた茶々丸に言葉を投げかける。

魔法は人前では使えないが茶々丸なら問題なく動ける。
彼女はすでに普通にこの街に溶け込んでいる。
いまさら彼女というロボットが空を飛んであの変態を叩き落したとして、驚く人間はそういないだろう。

「茶々……」

「ふあはははははは!!分かっているようだなホモ・サピエンス!そんな貴様らにプレゼントだ!」

またもこちらの言葉を遮って響く声に若干の苛立ちを感じながら、エヴァンジェリンはやぶにらみの視線を送った。

その視線に気づいたのかどうかは知らないがロキは一瞬だけこちらに視線を固定すると、またもヤジ馬たちを見下ろして朗々と叫ぶ。


「金髪ロリ美少女のコスプレが見たくないかーー!?」

『見たいぞーーー!!』

「ちょっと待てええええ!!」

力の限り絶叫する。
すぐさま茶々丸がエヴァンジェリンを守るように立った。
その叫びに振り向いて周囲の人間はロキの言っている金髪ロリ美少女とやらが誰なのか理解したらしい。
ますます期待の色を強めてロキとこちらで視線を往復させる。

「む?まさか不満なのか?」

「なんでまさかとか言えるんだこの変態が。その頭を切り開いて中身をまるまる取り替えてやろうか?」

驚愕に軽く眉をあげたロキに不機嫌さをめいっぱいこめて毒づく。
だがロキは悪戯をする子供のような嫌な笑みを浮かべた。

「ふぅむ。だが私としては是非とも金髪ロリ少女コスプレショーを執り行いたいのだがな」

「断固として断らせてもらう」

ロキは顎に手をあてて軽く頷いた。
その口元に浮かんだ笑みがどうしようもない悪寒をもたらす。

「ならば実力行使と行こうか」

「やれるものならやってみろ」

言葉身近に告げて、本格的に魔法を使う準備をする。
人前では使えないのだがそれはあちらも同じだ。
万が一ロキの方があからさまな超能力を使ったならば、おそらく自分が魔法を使ってももろともにロキの“細工”によってごまかされることになるだろう。

「ふむ。残念だがお前に私を止めることは出来んよ」

その言葉の中にかすかな嘲りの色をみてエヴァンジェリンは眉を吊りあげる。

「私をなめるなよ。“私たち”とて本気になればお前とも渡り合えるのだということを忘れるな」

吐き捨てながらロキの行動を一挙手一投足にいたるまですべて探る。
いついかなる攻撃が来ても対応できるよう警戒しながらエヴァンジェリンはロキの顔を睨みつけた。

「無駄だよ。お前がどれだけ私を警戒して守りを固めても意味はない」

「…………」

無言で睨みつける。
好きに言わせておけばいい。
こちらもだてに600年生きていない。
このヤジ馬どもを鑑みて行使できる範囲の力ならいくらでもしのげる自信があった。

ロキはそんなこちらの様子を見下ろしながら口元に不敵な笑みを浮かべる。
右手を頭上にかざすと虚空に浮いたミラーボールが高速で回転しだし、あふれ出た虹色の光がロキの体を包み込む。

「なぜなら!お前の服を直接変えられなくても、私自身がお前の姿に化けてコスプレすればいいからだ!!」

「しまったあああ!!」

悔恨の声をあげるがもう遅い、エヴァンジェリンの、そしてヤジ馬どもの前でロキの姿が光とともに形を変える。
大幅に高さと太さを減じ、ある種非常識な長さの髪がシルエットとして生まれる。

まばゆい虹光がおさまるとそこには『金髪ロリ美少女』の姿があった。
小学生かなにかかと勘違いしそうな身長と細い体躯。
ふくらはぎ近くまである豪奢な金髪がゆらゆらと風に揺れ、意志の強そうな瞳が勝ち誇った光をともす。
麻帆良女子中の制服に身を包んだ、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの姿そのものだった。

ロキがエヴァンジェリンの姿で口元を吊り上げる。

「では挨拶代りだ!メイド服でGO!」

ご丁寧に声もエヴァンジェリンのものだ。

偽エヴァンジェリン(ロキ)の体を再び光が包み込むと、次の瞬間ベーシックなメイド服に身を包んだ姿で現れる。

『おおおおおおおお!』

ヤジ馬たちが驚嘆と歓喜の声をあげる。
その多くは男だが3分の1ぐらい女の声も混ざっているのはなぜなのだろうか。

「お次はこいつだ!ネコ耳セーラー服!」

「やめんか!」

声を張り上げる。
茶々丸がロキを取り押さえようと跳躍するがロキはどこからともなく取り出したバスケットボールを無造作に放ると、さしたる技巧もない投擲にも関わらず茶々丸が叩き落される。
めげずに茶々丸がもう一度飛びあがるが今度はロキが振り向きもせずに投げたボールがありえない軌道を描いて茶々丸に食らいついた。
あの程度のスピードなら茶々丸にかわせないはずがないのだが、まるで吸い込まれるようにボールは茶々丸に激突する。

茶々丸が次の行動を取る前にロキの姿が宣言通りネコミミセーラー服に変貌する。

『おおおおおお!』

さらに熱狂するヤジ馬たちに気分を良くしたのかロキは、媚を売るように次々とポーズをとっていく。

ひらりとロキが身をひるがえすとそれに合わせて紺色のスカートがふわりと舞った。
危うく中のパンツが見えそうになるがギリギリで見えない。
不自然な風にスカートをはためかせながらロキが言う。

「絶・対・領・域!見えそうで見えない神秘の領域!男のロマン!ちなみに仙術の究極の一ではないからしてあしからず!パンチラを期待した男ども!残念だがお前たちに“中”が覗ける確率をゼロにしているからしてポロリはない!」

「ブーブー!サービス足りないぞー!!」

「いやむしろ見えないのがいい!」

ロキとヤジ馬どものテンションは相乗しながら際限なく上がっていく。

「…………っ!」

こみ上げる激情にまかせてエヴァンジェリンは懐から試験管に入った魔法薬を取り出した。
魔法の秘匿が何だ。
あの阿呆を叩き落したあと、すぐさまこの場の全員を眠らせて記憶を消去してやる。

「ぬぁーっはっはっはっはっは!次は何だ!?スク水?ゴスロリ?裸エプロン?ナース?キャビンアテンダント?マンガのキャラでもいいぞ!希望のコスチュームを言うがいい!ぬ?」

唐突に鳴り響いたベル音にロキは笑みを引っ込めると、ポケットから受話器を取り出してそれを耳にあてた。

「なになに。スクール水着の上にセーラー服の上だけ着てネコミミを付けて眼鏡もかけろ?」

「待たんかい!!」

「よかろう!図書館島の匿名希望さんからのリクエストだ。次のコスチュームは……」

サギタ・マギカでロキを叩き落そうとしてエヴァンジェリンは動きを止めた。
ロキがポーズを取る街灯の上。
その背後に人影が舞っていた。
逆光のため顔は見えないが、かなり長身の人物だ。
大きな胸から女だとわかる。

その女は空中でさかさまになりながらそっとエヴァンジェリンの姿をしたロキの頭に手をかける。
頭をわしづかみにされて初めてロキはその存在に気付いたようだった。
頭が完全にホールドされているため振り向けないので代わりに視線だけで振り返る。

その女の瞳が爛々と輝いているのを見て何かを言おうとした瞬間女の腕が回転した。
加減もくそもなく捻りながら自身の体を回転させる。
ゴキゴキと生々しい音を響かせながらロキの体が回転した。
そのまま女は空中で高速の2回転半ひねりを決めて手につかんだロキを地面に向かって投げつける。
弾丸じみた速度で飛んだロキの体が大地に叩きつけられてバウンドした。

女が着地するのとロキが抗議の声をあげるのは同時だった。

「何をする!せっかくいいところだったというのに!」

首がまるまる2回ねじれて100度曲がっている姿で言うロキに女が不機嫌に返した。

「う・る・せ。またお前が馬鹿な真似してるようだから親切にも止めてやっただけじゃねえか」

どうでもいいが自分と同じ姿の者が首をねじ折られている姿というのは正直気分が悪い。

ロキは折れた首を無理やり戻すと、首を骨の軋む音を立てながらフクロウのようにねじれた首を戻した。
2,3度首を動かして調子を確認したあと、軽く地面を足で叩いた。
瞬間、ロキの足元の地面がまるで溶けだすように形を変え、ひとつのキックボードを形成する。
もっとも、通常の2倍近いサイズでエンジンらしきものを積んだものをキックボードと呼んでいいのかは謎だが。

ロキはそれに飛び乗ると手を振りながら晴れやかな笑みで言った。

「では今日のコスプレショーはここまでだ!機会があればまた会うこともあるだろう!アデュー!!」

凄まじい音とともにエンジンが唸りを上げ、タイヤが回転しだす。
地面との摩擦で大量の火花を散らしたのは一瞬。
カタパルトでも使ったかのようにロキの乗ったキックボードが発進した。

その姿が小さくなるのにさしたる時間はかからなかった。


(後編へ)











あとがき


お久しぶりです(申し訳ない)

ちょっと最近忙しかったのと、なんか話がうまくいかずに時間がかかってしまいました。
エヴァンジェリンvs神。
描いているうちに長くなっていったのですが、上手い区切り方が思いつかずそのまま書いてみました。
するとやはり1話にするには少々長い感じになったのでこんな中途半端なところで区切ることになってしまいました。
申し訳ない。
たぶん後編はわりと早く投稿できるかと思います。



[9509] 第24話 迷探偵エヴァンジェリン なんというか斜め上 後編
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:b6948e00
Date: 2010/02/25 16:56
神と俺のコイントス










第24話  迷探偵エヴァンジェリン なんというか斜め上 後編










小さくなっていく己の後ろ姿に一瞬呆然とした後、我にかえって駆けだす。

「茶々丸!」

呼ぶまでもなく駆け寄った茶々丸がエヴァンジェリンの体を抱きかかえて、脚に仕込んだローラーで走り出した。
その速度たるや先に飛び出して行ったロキに匹敵する速度だ。

唖然としたヤジ馬たちを置き去りにエヴァンジェリン達は一気に走りだす。
なにか葉加瀬の声が聞こえたような気がしたが、エヴァンジェリンは構わず茶々丸に進ませた。

地面が、街路樹が、凄まじい速度で流れていく。
車に負けない速度で走行しながら、茶々丸の腕に抱かれたエヴァンジェリンにはさしたる振動は伝わってこない。
改めて己が従者の能力の高さを実感しながらエヴァンジェリンは前方のロキを見た。

エヴァンジェリンと同じ長い金髪を風にたなびかせながら、エヴァンジェリンと同じ顔、同じ声で間抜けな笑声を響かせながら爆走する。

「茶々丸。追い上げろ」

「それは推奨できません。察するにあのキックボードはまだスピードが出ます。今はこちらに合わせてスピードをセーブしていますが追いあげればそれだけ加速します。そうなればバランサーの関係で不利になるのはこちらです。こちらに余裕があるうちに何か策を用いるべきかと」

エヴァンジェリンは舌打ちとともに前方の背中を睨む。
呪文を唱えようとして、となりからかかった声に振り向いた。

「よう。さっきぶり。あのバカになんか用か?」

中学生離れというより女離れした長身。
やはり女性離れして引き締まった体つきをした女だ。
ざんばらな黒髪に肉食獣のような鋭い目つきをして、こちらを見ている。
別に睨んでいるわけでなく単にもともとそういう眼付なのだが、初見では睨んでいるように見えなくもない。
ちなみに少女ではない。
この見た目で少女と呼ぶのは明らかに間違いだ。
龍宮真名や長瀬楓にも言えることだが、身長といい顔立ちといいとても中学生には見えない。
むしろ二十歳だと言われてもあっさり信じれそうだ。
実際この女――風間誠亜はたしか実年齢が17のはずだからあながち間違いではないのだが。

次のターゲットだが、あいにくといまはロキ優先だ。
対ロキ用に魔法薬は十分すぎるほどに用意してきたので、このまま戦闘を行ってもいいのだが可能ならば不確定要素は排除しておきたい。
具体的にはあの自分の姿を真似して好き勝手している大馬鹿者を黙らせたい。

「落とし前をつけるといったところだな」

「ふ~ん。落とし前?さっきのことか?」

風間誠亜は走行する茶々丸の横を平然と駆ける。
それなりのスピードが出ているのだが風間誠亜に気張った様子はない。
すずしい顔で並走している。

「まあそれもあるな」

あいまいにそう告げると誠亜は不思議そうにこちらを見た。

「ん~。やっぱアレか?あの桜通りの吸血鬼が女の子の胸を揉むってやつ」

「なぜそう思う?」

「いやだって吸血鬼ってお前のことだろ?俺だったらあんなわけのわからん噂立てられたらとりあえず殴りに行くけど」

エヴァンジェリンは軽い驚きとともに悪意のない誠亜の顔を見つめた。
調べた限りでは風間誠亜は魔法使いのことを知らない一般人で、魔法の存在を知った後もそれほど魔法使いと親交は深くない。
エヴァンジェリンが吸血鬼だということはわからないはずだが。
エヴァンジェリンは真祖。
おまけに長い時を生きて強大な力を持ったものだ。
今はその力を封じられているものの、いまだに日の光は嫌いなだけで問題なく生活できるし、封印のせいで牙は普段見えない。
外見からわかるものではないと思うのだが。

「私が吸血鬼だと誰かに聞いたのか?」

短く問いかけると誠亜は不思議そうに首を小さく傾げた。

「?見りゃ分かんだろ?」

見てわかるはずないのだが。
何か魔眼のようなものでも持っているのだろうか。
興味をそそられる。
だが誠亜はこちらの反応には気づかないのか前方を走るロキを睨んで口元を歪めた。

ロキはエヴァンジェリン達が並んで走っているのを見ると、かすかに口元を笑みの形にした。

「まあいいさ。あのバカを止めるのは俺の役目な気もするし。手伝ってやるよ。で、確か、迂闊にスピードアップすると逃げられるんだっけか?」

「はい」

淡々と答える茶々丸に誠亜は難しい顔で唸るとぴっと人差し指を立てた。

「つまりはこっちが加速したのに気づいて神があわてて加速しても間に合わないぐらいの急加速ができればいいわけだ」

「具体的にどうするつもりだ?」

問いかけると誠亜は何かを担ぐようなジェスチャーとともに言ってくる。

「バズーカ砲みたいなのにエヴァンジェリンを詰めて発射するのはどうだ?」

「なんだお前は。私を木端微塵にしたいのか?」

半眼でつっこむと誠亜は真顔で返してきた。

「無理か?」

「考えるまでもなくダメだろうに」

嘆息とともに呻いてやると誠亜は苦笑して肩をすくめた。

「んじゃ、俺が行ってあいつ捕まえてくるから後は煮るなり焼くなり好きにしろよ」

「お前があれに追いつけるのか?確かに身体能力は一般人離れしているようだが……」

お前が言ったことができるほどではない。
そう告げようとしてエヴァンジェリンは驚愕に言葉を飲み込んだ。
いつの間にか風間誠亜の体が気に包まれていた。
付け焼刃ではない。
練り上げるのも纏うのもあまりに自然すぎて気付かなかった。
自然な上に速い。まさに一瞬だ。
視線をそらしたわけでも瞬きしたわけでもないのにそれでも見落とした。
まさにいつの間にか纏っていたというところだ。

エヴァンジェリンが何か言う間もなく誠亜の体が加速する。
踏み込んだ大地に罅を入れ、大気を引きちぎって瞬く間にロキの背中へと到達する。
振り向いたロキの顔――というよりエヴァンジェリンの顔だが――が驚愕に染まるのと、その顔面に風間誠亜の拳がめり込むのは同時だった。

遠慮のかけらもなく風間誠亜はロキの顔に打ち込んだ拳をひねりながら地面にたたきつけた。
クレーターのように地面が陥没してさらに周囲に蜘蛛の巣状の罅を走らせる。
粉塵が撒きあがって誠亜の足元、叩き潰されたロキの体を隠した。

重ね重ね言うが今のロキの姿はエヴァンジェリンそのものだ。
それが顔面を叩き潰されるのはかなり気分が悪い。

気がつけばまた誠亜の体からは気が消えていた。

その自然さに感嘆の念を覚えながらエヴァンジェリンは茶々丸の腕から降りる。

「捕まえたぞエヴァンジェリン。あとはやりすぎないように好きにしてくれ」

大根でも持つようにロキの足を掴んでぶら下げてみせる風間誠亜に内心、こいつは分かっていて皮肉としてこんなことをやっているのかと一瞬疑う。
不満げに眉を吊り上げるこちらを見て心底不思議そうに目を瞬かせる誠亜にエヴァンジェリンは嘆息してこめかみに指をあてた。

「礼を言うぞ風間誠亜。茶々丸。逃げられないよう拘束しろ」

「了解ですマスター」

茶々丸が取り出したワイヤーでロキをミノムシの様に縛りあげるとロキがいまさら気付いたように驚愕に呻く。

「ぬっ、ぬうううう!なんたる不覚!まさか風間誠亜が気を扱えようとは!いやまあ使えるだろうとは思っていたんだがまさかこんなタイミングで使ってくるとは思わなんだぞ!」

「別に隠してたわけじゃねえし。単にこれ使うと即死級の威力が出かねんし、使わんでも大抵どうにかなるから使ってこなかっただけで」

地面で飛び跳ねるミノムシを眺めながら誠亜が言う。
だがロキは訝しげに、

「どうにかなるって……負けまくってるじゃないか。私が知る限りへのへのもへじやカエルのようなしょうもないザコにしか勝ってないぞお前」

「うるせえなあ」

言われて誠亜はばつが悪そうに唸った。
だがロキはお構いなしにたたみかける。

「悔しかったら今までの戦績を言ってみるがいい」

言われて誠亜は腕を組んで空を睨む。

「よく覚えてねえな」

「ごまかすでな~い。ごまかすでな~い」

バカにするような声とともにうねうねとうねるロキ。
とりあえず自分の姿で奇怪な動きをされるのが不快だったのでエヴァンジェリンはロキの体を踏みつけて静止させた。
誠亜は不満げに唸る。

「ごまかしてねえよ。“向こう”で毎日手合わせしてもらってたから数えてねえだけで」

「向こう?」

訝しげにエヴァンジェリンが眉をひそめる。
無意識にロキの体から足をどけるとここぞとばかりにロキがえびのように跳ねた。

「今だ!ゴッド縄抜け!!」

ロキが何かよくわからないことを叫ぶと彼の体をがんじがらめに縛っていたワイヤーが意思でも持っているかのように蠢いた。
逃げられる。
そう警戒してとっさに魔法薬を取り出したエヴァンジェリンの前でロキの体からワイヤーが完全に離れる。

そして次の瞬間またロキの体に巻きついた。

「ぬっ!」

再び全身を縛られてロキの体が地面に転がる。
結局ロキは戒めを脱することはできず、縛られ方を変えただけで終わる。

しかしその姿は

「何やってんだお前?」

呆れたように言う誠亜。
山から出てきた自然児らしく、少々知識が人とずれているせいか誠亜にはそれは変な縛り方としか映らなかったようだ。
だがエヴァンジェリンは違う。
拳を震わせて眼下のロキを睨む。

ふたたびロキを縛り上げたワイヤーは俗にいう『亀甲縛り』の形だった。
くどいようだが今のロキの姿はエヴァンジェリンの、つまりは小学生ぐらいの金髪少女の姿である。
ネコミミセーラー服を身にまとった美少女が亀甲縛りされている姿はどうしようもない倒錯感とともに、まぎれもないいやらしさを演出している。

「なんてこった。しっぱいしてきっこうしばりになってしまった~」

棒読みでロキが言う。
おまけに顔には面白がるような笑みが浮かんでいた。

「なんだそのわざとらしい棒読みセリフは!わざとだろう!絶対わざとだろう!」

怒りのままに殺気とともに言葉を叩きつける。
だがロキは気にした風もなくまたも演技過剰に眼を見開く。

「おお!なんてこった!ワイヤーから服を溶かす液体が染みだしてきた!このままではいろいろR指定な絵面になるぞ!」

「やめんか!」

無論茶々丸の出したワイヤーにそんなエロリキッドを分泌する機能はない。
というかもしあったらそれを搭載した葉加瀬に対する認識が大幅に変わることだろう。

「ん~~。ワイヤーがなんか触手っぽいものに変わりそうな気がするなあ」

「やめろと言っている!!」

「惜しむらくは観客が20歳にもならんくせに性欲が枯れてるっぽい狼女だけということか」

「だれが狼女だ」

「そんなことはいいとして今すぐやめろ!あっこら!ホントに触手っぽくなり始めて……ってなんだこの宙に浮いてる大量のビデオカメラは」

なんだかホントに変化し始めたワイヤーに焦燥の念を覚えながら叫ぶと後ろから肩をつかまれた。
振り向くと風間誠亜が首を横に振る。

「いやもうすっぱり魔法かなんかで吹っ飛ばしてやった方が早いぞ。たぶん」

その言葉が聞こえたのか聞こえていないのかロキがさらに調子に乗って騒ぎだす。

「嬉し恥ずかしロリと触手!完全予約生産100本限り!売れる!これは売れるぞ!まあからかいの種にしたいだけで売らんがな!」

「氷爆!!」

誠亜の忠告に従ったというよりは、いい加減怒りの限界を超えたため衝動のままに放った呪文がロキの体を吹っ飛ばす。
炸裂する凍気と爆風がその小さな体を天高く舞いあげた。
















「結局、待ち伏せになるわけか。まったくあの男は……」

エヴァンジェリンは内にたまったフラストレーションを隠しもせずに不機嫌に唸った。
さんざんロキをふっ飛ばしたあと。
いい加減動かなくなったロキにようやく溜飲も下がり、一件落着と家路に就こうとしたところでロキが唐突に言ったのだ。

自分は仕組んだだけで実行犯は他にいる。
そいつにやめさせないと事件は終わらないと。

そしてエヴァンジェリンは桜通りにて真犯人が現れるのを待っているのである。
あたりには既に黒々とした闇がたゆたい、季節がら虫の声もせずにあたりは完全な沈黙に包まれていた。
その静寂が別段大きくもない声を響かせる。

「まあ暇だったし手伝ってやるのはいいんだけどよ」

視線をこちらに向けないようにしながら通りの中央で風間誠亜が言う。
それを木の陰に隠れながらエヴァンジェリンは聞いた。

「なんだ?」

「なんで俺が囮なんだ?」

それが不満というより不思議そうに問う。
エヴァンジェリンは木の影から顔を出さないままに応えた。

「犯人は私と同じ姿をしている。ならばオリジナルである私がいたら警戒して出てこんだろう。現に奴は私が動いていた満月の日は意図して外していた」

「ほうほう」

木の抜けた返事に一瞬こいつ聞いてるのかと疑うが構わず続ける。

「ついでに言うならば真犯人は女の胸を揉むのが好きな奴だ。ならば私よりもお前の方が奴をおびき出しやすいはずだ」

「胸ねぇ」

言って風間誠亜は自分の胸を軽く揉む。
ひとしきり揉んで軽く首をかしげて問うてきた。

「真犯人は女なんだろう?」

「そうだが」

犯人は女だ。
ロキを締めあげて吐かせた情報によれば、偽エヴァンジェリンの女の声というのは実行犯の地声であって、追及者にミスリードを起こさせるためのものではないらしい。

「女も胸に魅力を感じるものなのか?」

「少なくとも私は感じん」

そうかと返して風間誠亜はあたりを見回した。
そして一点で視線を止める。

「おい風間誠亜あまりこちらを見るな。隠れている意味がないだろう」

手を振って向こうを向けと示すが、誠亜は構わず視線をこちらに向けたまま右手を上げた。
こちらの顔を指差す。

「後ろ」

短く告げる声に後ろに振り向こうとした瞬間、エヴァンジェリンの胸に二本の手が伸びた。
指も腕も細い。
子供のような手だ。

手はさわさわとエヴァンジェリンのなけなしの胸を這いまわると出てきたとき同様唐突に引っ込んだ。

振り向くとそこには既に誰もいない。

視界の端で茶々丸が顔に小さく驚きの色を浮かべているのが見える。
見れば両腕をふさぐように茶々丸の腕をホールドした繊手がそのまま茶々丸の胸をまさぐっている。

慌てて茶々丸が振り向きざまに腕を伸ばすと、何者かがその手を無造作に逸らして飛び退っている。
人影はエヴァンジェリン達から距離を取ると同時に街灯の光のもとに入る。

ボロ布のような黒マントに身を包みくろい山高帽をかぶった長い金髪の少女。
ある種人形じみた可憐さを備えた美しい少女なのだが、口元に張り付いた漢らしい笑みがいろいろ台無しにしている。
偽エヴァンジェリン。
今回の乳揉み魔だろう。

「ついに見つけたぞ!ロキに唆されたとはいえ、嬉々として行っている以上有罪確定だ。大人しくお縄につくがいい!」

低く抑えられた声で言うエヴァンジェリン。
その声の端々に腹の底で渦巻く憤りが見え隠れしている。

本気には程遠いが、それなりの殺気をぶつけてやるが偽物は眉一つ動かさない。

腰に手をあてて仁王立ちした偽エヴァはびしりと気持ちいいぐらいの勢いでこちらを指差すと高らかに告げた。

「8点!」

一瞬何のことかわからずに硬直する。
だがその指と視線の指す先、そしていままでのこいつの行動からその点数の示すものに思い当たりエヴァンジェリンはこめかみに青筋を浮かべた。

「残念だけどあなたのバストには2ケタの点数も付けられないわ!いい!?貧乳には貧乳なりの魅力があるかもしれないけど無乳にはそれすらないのよ!わかったかしら!?この無乳!!」

「叩き倒すぞこの変態が!」

だが偽エヴァはもはやエヴァンジェリンから興味を失ったかのように今度は茶々丸を、というより茶々丸の胸を指差す。

「採点不能!ていうか胸の形はあるけど柔らかくもないしそのまんま鉄じゃない。つまらないわ。まあそこら辺完全にモノホンのバストを再現してたらそれはそれで設計理念を邪推しそうだけど……」

次いでエヴァンジェリンは道に中央で呆けている風間誠亜に視線を移して眼を見開いた。

「む、むむむ!」

心なしか瞳がギラリと輝いている気がする。
その危険な輝きに誠亜は口元を引きつらせた。
冷や汗を一筋流す。

「むむむむ。実にいい乳。ブラが色気のないものなのもかえってそそるわね」

「おーい。なんでブラが見えてんだ」

おもわず誠亜がつっこむ。
ちなみに風間誠亜は露出狂じゃない。
ちゃんと服を着ている。
当然ながらブラジャーなど見えない。
透視能力でもあるのか。

「ふふふふふ。是非とも心行くまで揉みしだいてみたいわね」

寮の手をわきわきと卑猥に蠢かせながらいやらしい笑みを浮かべて誠亜ににじり寄る。
頼むから人の顔でそういうことしないでほしい。
怒りとともに疲労感のようなものを覚えてエヴァンジェリンは呻いた。

かぶりを振って意識を引き締める。
もう既にはっきりとわかる。
あれはロキなんかと同じ、まじめに付き合うだけ疲れる類の人間だ。
天性のトラブルメーカーだ。
話すだけ無駄。
さっさと眠らせてロキが与えたという変身アイテムを没収。
ロキに唆された記憶を消去してしまおう。
もともと胸好きではあれど、ロキがいなければこんな犯行には及ばなかっただろうし、ならば彼に関する記憶を消去すれば大人しくなるはずだ。

「リク・ラク・ラ・ラック……」

魔法薬を放って呪文を唱える。
それと同時に茶々丸が茂みから飛び出す。
眼にもとまらぬ速度で偽エヴァに接近しながら拳を引く。

偽エヴァはそこで初めてこちらに気づいたらしく振り向いた。
だがもう遅い。
このタイミング。
少なくとも一般人にどうにか出来るものではない。

だが次の瞬間、エヴァンジェリンの目に入って来たのは茶々丸に取り押さえられる偽エヴァの姿ではなく、何もないところで躓いて派手に転倒する茶々丸の姿だった。
それに少なからぬ驚きを覚える。
茶々丸のバランサーは優秀だ。
いつだったか、茶々丸はハイヒールを履いて、両手に大量のどんぶりを重ねて持って足をかけられても転ばない、と葉加瀬が言っていた覚えがある。
少なくとも何もないところで転ぶようなことがあるとは思えない。

不審に警戒を強めながら詠唱を続ける。

「ライラッグッ……!」

舌に走った激痛にエヴァンジェリンは思わず言葉を詰まらせる。
舌を噛んだ。
これまで何千何万、いやそれ以上に唱えてきた呪文でいまさら舌を噛んだ。
一瞬事実が信じられず、それでも数瞬後に舌打ちとともにもう一度呪文を唱える。

「リク・ラグッ!」

また舌を噛んだ。
なんだ?
エヴァンジェリンは自問する。
舌をかむということが絶対にないとは言えないが、それでも自分は何百年も魔法使いをやっている。
その自分が立て続けに始動キーを噛むなどあり得ることではない。

考えられる可能性は一つだ。
なんらかの妨害が行われている。

偽エヴァは不思議そうにこちらを見ている。
だが表情などいくらでも作れる。
順当に考えればあの女が何らかの妨害をやっていると考えるべきだ。

いったいどんな力なのか。
どうすればやぶれるのか。

思考を巡らせるエヴァンジェリンの前で偽エヴァは背後から手を伸ばしていた誠亜の腕を捻りあげるとそのまま後ろに回り込み、ひざ裏に蹴りを入れた。
膝を折る誠亜の体に腕を回すと偽エヴァは誠亜の豊かな胸をわしづかみにする。
右の胸を上に左の胸を下に。
小さく円を描くように揉みしだきながら、なんだか幸せそうな声をあげる。

「いや~~。いい乳してるわね~」

なんだかやたらテクニカルに風間誠亜の胸を揉みながら偽エヴァが顔を綻ばせた。
ひとしきり揉んで満足したのか偽エヴァは誠亜の胸から手を離すと、ひざを折った誠亜の体を跳び箱のようにとび越えて彼女の眼の前に降り立ち、肩に手を置いた。

反対の手でサムズアップしながら歯を輝かせる。

「128点!実によかったわ!」

「多分に個人的嗜好が混じってる感じがするな」

誠亜はさんざん胸を揉まれたというのに、怒るわけでも恥ずかしがるわけもなく口を開く。
強いて言うならば疲れたような声だ。

実際誠亜は深々と嘆息すると額に手をあてて言った。

「つーか麻美さんでしょ」

すると偽エヴァの顔が面白いぐらい驚きに染まる。
だがすぐに取り繕うと、どこか面白がるような声でそらっとぼけた。

「あら、なんのことかしら?」

誠亜は無言で偽エヴァに近づくと右手を上げた。
その顔に向けて誠亜は無造作に人差し指を突きつける。
眉間に触れるか触れないかというところで止められた指に対し、偽エヴァはひどくむずがゆそうに顔を歪めると首を振って誠亜の指を弾いた。
その反応に誠亜は確信を強めたように頷くと言葉を紡ぐ。

「声は違うけど麻美さん他人の声真似かなり得意だったし、そもそもさっきみたいな訳のわからん現象が起こんのは麻美さん以外いないっしょ。ついでに言うとさっきの俺の胸の揉み方、女友達相手にやってたのと同じですよ」

淡々とだが確実に追い詰めるように並べられた言葉に偽エヴァは観念したように息をつくと肩をすくめた。

指を一度鳴らすと。
偽エヴァの姿が光に包まれ、代わりに二十歳ほどの女性が姿を現した。

微妙に童顔気味でくりくりとした眼が愛らしさを醸し出しており、高校の制服を着れば普通に高校生だと思ってしまうだろう。
身長は平均的な成人女性ぐらいで高くもなく低くもない。
ウェストはきゅっとくびれているのが服の上からでもわかるが、胸の方はいたって平均的だった。
これまた大きくも小さくもない。
適当に服屋にいって適当に店員任せに選んだ服を着ているような、似合っているようで微妙に似合っていない服装だ。
麻美と呼ばれたその女は悪戯めいた笑みを浮かべると誠亜の体をなめまわすように見つめる。

「そういうキミは誰なのかな?私の記憶にはキミに似てる子はいてもキミはいないんだけど?」

言われて誠亜が悔恨に舌打ちする。
麻美とやらが知っている人間だったとして、それをあからさまに言うのはまずかった。
“風間誠次”が知っていても“風間誠亜”が知っているはずのない情報まで口にしてしまっていた。

「風間誠次の親戚の風間誠亜だ。よろしく」

苦し紛れにそういうと麻美はにやにやと笑いながら誠亜に歩み寄る。
身長的に見上げる形になるが立場的には見下ろしていた。

「ふーん。さすが親戚。目なんかそっくりだね」

「そりゃどうも」

あいまいな笑みを浮かべて答える誠亜の唇に人差し指をあてると麻美は眼を細める。

「ていうかキミ誠次君でしょ?」

「何を……誠次は男ですよ」

呆れたような口調を装ってそう言うがどうにもその演技はわざとらしい。
もともと腹芸が期待できる人間ではないがそれでもやはり下手すぎる。

「むふふふ~」

なにか嫌な笑いをする麻美に誠亜が一歩後ずさる。
しかしそれよりも一瞬早く麻美の腕が誠亜の服の前をなでるように一閃されていていた。

パッと開かれる上着。
力任せにボタンをちぎられたわけではない。
きちんと一つ一つボタンがすべて外されていた。
驚愕に呻く誠亜の前でもう一度麻美の腕が振るわれる。

次の瞬間、上着の下のシャツのボタンまですべて外されてその下の肌をあられもなく露出させていた。
ブラジャーすら留め金を外されている。

押さえるものを失いプルンと二つの乳房が震える。
麻美はひどく自然な動作で誠亜の胸の谷間に左手の指を差し入れると人差し指と薬指で乳房を左右に軽く開きながら中指で奥の肌をそっと撫でた。

そこにあるのはまるで鋼の板でもぶっ刺したかのような傷だ。
板にしては傷が綺麗すぎるので刃物によるものだろうと想像できるが、一般人にはそこまでわかるまい。

麻美は次いで誠亜の服の左側を持ち上げると、その下、左わき腹に走る3本の傷を指先でなぞる。

「誠次君とおんなじ所に傷があるのね。こんな偶然ないと思うけど?」

先の誠亜と同じように、すでに確信しており確認のために言っている。
そんな口調だ。

誠亜は降参だと言わんばかりに両手を上げた。

「お察しの通り俺は誠次ですよ。つーか普通不思議に思わんのですかね?男が女になったりしたら」

言う誠亜に麻美はこともなげに答えた。

「べっつに。私だっていま現在摩訶不思議な変身アイテムを持ってるし、そもそもこの麻帆良自体いろいろ不思議なところがあるじゃない。いまさらどうってこたないと思うけどね」

どうやらこの女も須藤大悟のように細かいことは気にしない性質らしい。
無論常識人からすれば細かいことではないのだが、大概麻帆良の奴らは非常識を受け入れやすい精神をいていることが多い。

「談笑しているところ悪いのだが」

エヴァンジェリンは二人の間に割って入った。
二人を交互に睨む。

「お前たちはどういう知り合いなんだ?」

すると麻美は誠亜を指差しながら言った。
普通はそういう場合相手の顔当たりを指差すと思うのだがその指ははっきりと誠亜の胸に向いている。

「弟の友達」

それに続いて誠亜もまた服のボタンを止めながら言う。

「親友の姉」

エヴァンジェリンは眉間にしわを寄せて呻く。

「お前……まさか須藤大悟の姉か?」

「そーよ。須藤麻美20歳。まあもう会わないけどよろしくね」

エヴァンジェリンは帰ってきた言葉に眉尻を吊り上げて噛みしめるように言った。

「須藤大悟め。いるではないか、あからさまな容疑者が。さてはわざと黙っていたな」

険悪な様子に誠亜が冷や汗を流す。

「あ~。たぶんダイゴは忘れてたんだと思うぞ。麻美さんって基本、家ではおっぱい星人なの抑えてるし」

エヴァンジェリンは不機嫌に鼻を鳴らすと視線を麻美に固定した。

「まあいい。どちらにせよお前は己の欲望のために私の名を落としめたわけだ。それ相応の罰を受けてもらうぞ」

判決を下す裁判長の如く言ってやるとなぜか麻美は軽く頬を赤くして身をよじった。

「そんな大人な奉仕を要求されても」

「なんの話だ!」

その仕草に否が応でも妙な連想をさせられてエヴァンジェリンはつっこんだ。
麻美はエヴァンジェリンの頭を撫でながら言う。

「残念だけど私ロリ好きじゃないし」

「違う!だれがそんな罰を与えるか!」

真っ向から否定してやるが何故だが麻美は分かってるんだぞ、といわんばかりに『お姉さん』な笑みを浮かべながらエヴァンジェリンの頬をつつく。
そして自信ありげに自分の胸を叩いた。

「でも一応女の子も守備範囲だからその点は安心して頂戴」

「どんな安心だ!というかどっからそんな話になったんだ!」

「大丈夫。期待は裏切らないわよ~。私結構巧いんだから、女の子相手なら」

「話を聞け!この馬鹿女!」

エヴァンジェリンが怒声をあげると麻美は咎めるように口を尖らせた。

「駄目じゃない。もう暗いのにそんなに大きな声を出しちゃ」

「誰のせいだと思っている!」

麻美は真面目くさった顔で茶々丸と誠亜の顔を見た後答えた。

「少なくとも私のせいじゃないわよね」

「きっぱりとお前のせいだ!」

「あら意外」

真顔でそういう眼前の女に、相手が一応一般人だということを無視して全力ではたきたい衝動が胸を突く。

「お前は……」

低く押し殺した声で言うエヴァンジェリンの言葉を遮って麻美はからからと笑った。

「まあ冗談はさておいて、どんなバツが与えられるわけ?あんまりひどいのならこのままトンズラしようと思ってるんだけど」

そういう本音は口に出すなと言いたい。
だが言っても無駄なのだろう。
脱力感とともにそう感じてエヴァンジェリンは嘆息した。

「ああ。今回の騒動の記憶をというか超能力などに関する記憶を消去する。あとは侘びとしてお前の血をもらおう。それで手打ちにしてやる。なんかもう疲れた」

「血?献血か何か?」

きょとんと問い返す麻美にエヴァンジェリンは上唇を引っ張って己の犬歯を見せつけた。
まるで牙のように伸びたその歯がエヴァンジェリンの素性を如実に語る。
こんな歯を持つ人間など一つしかいない。
それは

「あら。駄目よ歯を研いだりしちゃ。あとでしみるわよ」

あまりの返答に思わずこける。
なんなのだこの女は。
一度本当に精神構造を調べてみたい。

「違うわ!吸血鬼だ吸血鬼!桜通りの吸血鬼の本物だ!」

たまらず吼える。
麻美は相変わらずどこか緊張感の欠如した顔であららと呟いている。

「力を取り戻すために血が必要なんだ。別に殺すわけじゃない。少し多めの献血ぐらい……」

皆まで言う前に、エヴァンジェリンは目の前の麻美ができの悪い大きなテディベアに変わっているのに気付いた。
呆然と見やるといつの間にか麻美の背中がだいぶ遠い所にある。
その背中越しに首だけ向けると麻美は声を張り上げた。

「ごめんね~!あたし吸血鬼にはなりたくないから!あとで誠次君通してお詫びの品送るから勘弁してね~!」

「ふざブッ!」

追いかけようとして何もない地面で派手に転倒して地面とキスする。
タイルで舗装されているため土の地面より大分痛かった。

痛む鼻をさするエヴァンジェリンに諦観の念を含んだ誠亜の声がかかった。

「あ~諦めた方がいいぞ。麻美さんはいっつもああなんだ。生半可な攻めじゃ自称通信教育護身術とやらで防がれるし、麻美さんのスペックじゃあどうあってもさばけなさそうな攻撃しようとすると必ずこっちがミスるんだ。なんかもうある種の呪いの域だよ」

「そんな……でたらめな力があってたまるか」

毒づく。
起き上がると、ちょうど同じ様に茶々丸が起き上がるところだった。
彼女も追いかけようとして転んだのだろう。

「まあ正確には力ではないな。たまにいるんだ。ああいう運命だか幸運だかの女神に愛されているような奴が」

低い声に振り向くといつからいたのかロキがスチュワーデスの服に身を包んでそこに立っていた。
ちなみに今はエヴァンジェリンの姿をしていない。
ロキ本人の姿だ。
多分に頭痛を催す風体だがあえて無視してエヴァンジェリンは無言でロキを睨んだ。

「ちゃんと観たわけではないから推測の域をでんが、凶悪なまでの幸運が問答無用に勝利の運命を手繰り寄せているのかもしれんな。しかしスペック的に差がありすぎてまっとうな方法での勝利がありえぬ故に相手のミスという形で表れる」

「胡散臭いな。ただの一般人がそんな力を持っているとは思えん」

「そのわりにゃ麻美さんちょくちょく負けてるぜ。ゲームなり料理なり、あとおふくろさんに」

信じられない、と表情で示すエヴァンジェリンにロキは右手をパタパタと振って答えた。

「だから力ではないといったろう。女神に愛されているようなものだと。彼女自身の超能力でも何でもないから必ず発動するわけじゃないし、本人にとっての危険度重要度が低いものならさらに働きにくくなる。母親に負けるのは無意識にそれを受け入れているからかも知れんな。一応それ以外の可能性として、確率や運命、因果などを操作すれば似たような現象を再現可能だが……」

ロキはポケットに手をつっこむとそこから6つのさいころを出した。
見える範囲では1の目の代わりに神という文字が刻まれている。

ロキはそれを無造作に放った。
無規則に地面を転がったさいころはやがてすべて神の目を上にして停止する。
確立にして46656分の1。それがいま目の前で起こっている。

「こんな単純な確立操作すら私から見ても“複雑だ”“面倒だ”と思わせるものだ。なんぼなんでも人間の超能力としてひょっこり発現したりはせんよ」

「幸運だと?でたらめにもほどがあるな」

毒づくエヴァンジェリンにロキは首を横に振る。

「そうでもない。所詮ただのラッキーだ。防ぎようがなく、避けようがなく、妨害しようもない攻撃を叩きこめば倒せる。たとえばお前が血が流出するほど強く舌を噛んでも無理やり呪文を唱え、放つ瞬間にくしゃみをしたとしても無理やり照準を合わせ、どんなラッキーが起きても助かりようのない強力無比な呪文を叩きこめばどうにかなる。もっとも一般人相手にそんな真似をするのは倫理やプライドの点でどうかとも思うが」

神の言葉に続いて誠亜が頭をかきながら口を開く。

「まああの人が暴走を始めたら、台風みたいなもんだと思って黙って過ぎ去るのを待つか、須藤家のリーサルウェポンであるおふくろさんに出張ってもらうしかないからな。とりあえずもうやらんとは思うけど一応おふくろさんに連絡して釘さしといてもらうから、ここは勘弁してやってくれ。一応あの人一般人だし。友達の姉貴だし」

エヴァンジェリンはつまらなさげに鼻を鳴らすが、続く言葉に動きを止めた。

「なんだったら俺が代わりにちょっと血ぃやろうか?献血ぐらいなんだろ?」

笑いながら言う誠亜にエヴァンジェリンは口の端を吊り上げる。
挑発的な声音で言った。

「吸血鬼に血を飲ませるということがどういうことなのかわかっているのか?」

「おう。ま、吸血鬼化を防ぐ“カード”があるっつう打算的なとこもあるけどな」

くつくつと笑う。
そんなエヴァンジェリンを誠亜は不思議そうに見ている。
エヴァンジェリンはひたすら振り回されていた今までとは打って変わって、風格すら感じさせる佇まいで告げた。

「ああそれは実にいい提案だ。だが私としてはもう少し色を付けてほしいな」

「どれくらいだ?あんま高いのは駄目だぜ。あいにくとこっちもそれほど潤っちゃいないんでね」

軽口を返してくるが、なにかうすうす感じ取っているのだろう。
口元は笑みを浮かべているが眼は笑っていない。


「私と戦い、力を見せてみろ」

闇色の世界。
白い光で道行く人を照らすはずの街灯すら不安げに明滅する。

「そして私の僕になれ」

エヴァンジェリンは静かに言う。
だがその言葉は長きを生きた吸血鬼の真祖にふさわしい重さでもって聞く者を打つのだった。









あとがき

なんか失敗した気がしないでもないです。
麻美さんの能力がなんだか大げさなものなのは、本来偽エヴァ捜索がもっと長い話になる予定だったので、それに見合うタネを考えた名残です。
麻美さんは実はこの先もう出てこなかったりします。

もとが一つの話だったせいか、いまいち中途半端な話になった気がします。


次の話は正直自分でも問題があると思う設定や展開なので(仮)みたいな感じで書いていくつもりです。

絶対ダメだろコレ、とか思いましたらそう言っていただければ設定変更も視野に入れようかと思います。





PIXIVにまた絵を投稿してみました。
髪が長いチャイナな誠亜の絵と、ネギま読んで「7歳キャラはもう少し幼可愛く描いていいんじゃ」と思ってちょっと描き方変えてみたティーの絵です。

タグ検索で 神と俺のコイントス と検索すれば出てくると思います。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。




[9509] 第25話 ダーク・エヴァンジェル
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fec45ae0
Date: 2010/02/25 16:57
神と俺のコイントス





<注意書き>

前書きやコメントなどでも言ってきたのですが、これでもかというぐらい独自設定全開です。
もうむしろ全壊。
なおかつチート。










第25話  ダーク・エヴァンジェル












あたりはすでにとっぷりと暮れ、太陽のかわりに満月を天に抱いていた。
夜空にはちらほらと星々が輝いている。
その数はやはり都会故に少なく、エヴァンジェリンが昔見てきたような満天の星空というのはここ十数年見ていない。
もうじき春だというのに虫の声はせず、静寂の帳をあたりに下ろしていた。

桜通り。
ある種異様なほど見事な桜並木が道の左右に立ち並ぶ通り。
春になれば生半可な花見スポットなど軽く凌駕する桜色の壁を生むその景色。
エヴァンジェリンが過去幾度となく吸血を行ってきたそこで、4人は向き合っていた。
いや1人は完全に傍観を決め込んでいるので3人か。

吹き抜ける風に桜並木がその枝を揺らす。
枝についたつぼみはもう少ししたら可愛らしい花を咲かせ、道行く人々の心を和ませるのだろう。
そしてすぐに花びらの雪を降らせて散るのだ。

人はそれを見て時の流れと命の儚さを感じるのだろうか。
自分が人間に感じるように。

エヴァンジェリンは眼前に立つ女に向けて胸中で問いかけた。

(お前はどちらだ?風間誠亜。有象無象の儚い命かそれとも……)

誠亜はざんばらな黒髪をかきあげて嘆息している。
鋭い目つきを少し困惑に緩めてこちらの顔を見ていた。
酷く筋肉質なのだが細身である故に服を着るとその様子はわからない。
後ろではスチュワーデス姿のロキがいろいろとぶち壊しにしているが、それは意識から除外しておく。

「力を見せろって……誰かと戦えばいいのか?」

面倒くさそうに問う誠亜にエヴァンジェリンは頷いた。
それに誠亜がもう一度嘆息する。

「私と茶々丸が相手だ。自信がないのなら、どちらかでもいいがな」

少々挑発気味に言ってやったが誠亜は気にした様子もなく手を下ろしてかえす。

「下僕って。そこまでしてやるつもりはないんだけどな」

言外に「お断りだ」と告げる誠亜にエヴァンジェリンは口の端を吊り上げる。

「残念だが私がお前に興味があるというのはもともとだ。須藤麻美の件の詫びがなくともお前にはしかけていたよ」

「つまりはどうあっても俺はあんたの相手をせにゃならんってことか?」

心底嫌そうに言う誠亜にエヴァンジェリンは応と答えた。
誠亜は眉をハの字にして拳を軽く握って見せる。

「正直やる気でねえな。俺が本気でやったらあんたの僕候補リストに載っちまうんだろ?かといって手を抜いたら痛い目見るし、そもそも手抜いたら本気出すまでやり直させそうだしあんた」

「よく分かっているじゃないか。その通りだ。手抜きなど許さん。こう見えても私は長く生きている。相手が本気かどうかなどすぐに見抜けるぞ」

言ってやると誠亜は肩を落として唸った。
助けを求めるように茶々丸に視線を送るが、甘い。
軽く頭を下げて拒絶の意を示す茶々丸に誠亜がますます面倒くさそうに眉間にしわを寄せた。

エヴァンジェリンは苦笑すると助け船を出してやった。
気分は地獄のカンダタに糸を垂らしてやった仏だ。

「そうだな。ならばお前のやる気がでるように条件を付け加えてやろう」

もっとも糸をたどった先にいるのは仏ではなく意地の悪い吸血鬼だが。
なにも知らずに誠亜の表情が明るくなる。

「私に勝てたら僕にするのは無しにしてやる。だがもしあまりにもあっけなく負けたならお前を半吸血鬼化して僕にする」

「……まあ勝ちゃあいいのか」

誠亜は一瞬考え込んだ後、そう言ってポケットから手を出す。
関節を伸ばすように腕をまわし、首を左右に傾けてこきこきと音を立てる。
どうにも男くさい仕草である。
もと男なのでしょうがないと言えばしょうがないのだが。

さて。
どうやらこの女は自分に勝てるつもりらしい。
確かにあの基礎身体能力で気が使えるというのならそれなりに自信をもってもしょうがないが、自信をうぬぼれにしない一線をしっかりと引けているのやら。

「んじゃまあやりますか」

ため込んだ宿題を片付けようとする学生のような気軽さでそう口にする。

エヴァンジェリンはその姿を眺めながら頭の中の情報を整理した。


風間誠亜。
本名は風間誠次。
ネギ・スプリングフィールドが赴任する少し前にロキによって性別を女に変えられ、2-Aに編入させられた男子高校生である。
もともと麻帆良の学生で、彼女がここに来たのは奇しくも同じ中学2年の頃だ。

麻帆良に来る前は学校に通っておらず、山奥の屋敷で祖父と姉と共に暮らしていたらしい。
彼女が山に入ったのは5歳のころ。
両親を事故で失って、祖父に引き取られたようだ。
小学校には行っておらず、そのため学力はかなり低いが持前の身体能力で運動は得意である。

彼女には妙な点が多い。
やはり目を引くのはその身体能力だ。
気も魔力も用いずに、“気を使った刹那などよりは低い”程度の高い身体能力を誇り、幼子とはいえ気を纏った者の攻撃に耐えるほどの頑健さを持つ。
なにをどうすればそんな体になるのかはなはだ疑問である。
そのうえ先ほどわかったことだが気を使えるらしい。
それも高い水準でだ。

さらにはアフロドラゴンとの戦闘などを見るに『切り札』と称される力を持っているようだ。
一瞬“気”がそうかとも思ったがすぐに違うと断じた。
アフロドラゴンとの戦いで風間誠亜は「切り札がそうぽんぽん使えてたまるか」と言っている。
つまりは彼女の切り札はかなりリスクのあるものだということだ。
あいにくと気にはそんなリスクはない。
たしかに気を消耗することは体力を消耗することに通ずるし、練度の低いものなら多少のリスクはあるだろうが、風間誠亜の練度はむしろ高い。
十中八九切り札は気ではない。

(さて。どうやって切り札を出させるか)

やはりエヴァンジェリンが気になるのは誠亜の切り札だった。
たしかにあの身体能力で気まで使えるのは十分魅力的だったが、それを超えるであろう切り札というものを是非とも見ておきたかった。

はっきりと言おう。
今の自分は弱い。
魔力の大半を封じられた現状ではなめられても仕方ない。
一見すれば気を含めた誠亜のスペックで封殺されかねない。

無論彼女の培われた経験と技はそのハンデを埋めて余りあるものだが、それだと逆に油断している誠亜が切り札を出すまえに倒されてしまう。
それでは面白くない。
真の意味で彼女を屈服させるには彼女の切り札を打ち破らなければならない。

だがここにも問題がある。
本当に今の魔力を制限された状態で破れるものなのか。
力を失った状態での戦い方の基本は相手に大技を出させずに封じ込めるというものだ。
いっそ切り札を出されないうちに倒してしまい、あとで主として「使って見せろ」と命令するのでもいいかもしれない。
それだと真の意味で屈服させることはできないが、切り札を使わせたがゆえに負けてしまうのでは本末転倒だ。

魔法薬を指にはさんで持ちながらエヴァンジェリンは誠亜の眼を見つめる。
拳を腰だめに構えて軽く腰を落とした誠亜からは余裕が感じられる。

ミニステル・マギの定番どおりにエヴァンジェリンを守るように立つ茶々丸を見て誠亜は問うてきた。

「茶々丸もやるのか?」

その問いにエヴァンジェリンは笑みをもって答える。

「なんだ?自信がないのか?それとも2対1は卑怯だとでも?」

ならばよほど甘い道をたどってきたのだろう。
もっとも一般人だったのだから多くを望むのも酷だが。
だが、誠亜は首を横に振るとどこか懐かしむように答えた。

「俺は一撃必殺がポリシーなんだが、友人に『たわけたこと言ってんな』ってちょいととっちめられてね。とりあえず1対1の決闘以外では気にしないことにしたんだ。だからお前らが二人で来るんなら俺何撃でも打ち込むけど、いいの?」

エヴァンジェリンは鼻で笑って答えた。

「当然だ。私もお前の友人と同じことをいうだろうな」

一撃必殺というのは確かに格闘家の理想かもしれないが、そもそもそれは手段であるべきものだ。
戦いが長引けば長引くだけ自身が攻撃を受ける可能性は増える。
相手が自分より力が強いならば一撃もらって負けぬよう、弱いならば窮鼠猫を噛むが如き反撃をもらう前にかたをつけるため。
いずれにせよ一撃必殺とは勝利のための手段であるはずだ。
それを目的と混同し、一撃必殺にこだわるあまり敗北するのでは、本末転倒以外のなにものでもない。

僕にしたらそこらへんも修正しなくてはならないか。
胸中で嘆息しながらエヴァンジェリンは誠亜を見つめた。
誠亜もまた真剣な表情でエヴァンジェリンを見る。
誠亜の体が気を纏うのを見て気を引き締める。
茶々丸もわずかに半身になって構えた。

「さて、では私が審判をしようかな」

いつの間にかレフリーのような服装に変わったロキがそんなことを言い出す。
こんな奴の審判などむしろ心配で、無い方がいいのだが言って聞く奴ではないだろう。

「人払いその他は私に任せるがいい。さしあたって言っておきたいのは……」

そこまで言ってロキは視線を誠亜に向けた。
生徒を注意する教師のような表情で言う。

「誠亜。つまらん出し惜しみはするなよ。油断して力を出さぬうちに負けるというのはもっとも情けないぞ。あとで本気を出していなかったなどといっても負け犬の遠吠えだからな」

「うるせえな。んな負け惜しみ言わねえよ」

険悪に唸る誠亜にロキは腕を組む。

「だがそれは本気ではあるまい?」

誠亜はそう問い詰められて決まりが悪そうに舌打ちした。

「はなからカードを全部表にすることもねえだろ」

確かにその通りだが、勝利のための布石として力を隠すのと、相手を侮って力を出し惜しみするのでは全く意味が違う。
今見る限り風間誠亜は後者だ。

馬鹿にされたものだ。
この闇の福音が。
苛立ちに口元を歪める。

そんなこちらの表情などお構いなしにロキが真顔で告白する。

「さてぶっちゃけようか。私はお前の本気が、というか切り札が見てみたい。減るもんでもなし、使ってみろ」

だが誠亜はうるさそうに顔を歪めると毒づいた。

「減るっつうの。体力とか。切り札なしで勝てそうな奴に無理に切り札使ったせいで負けたんじゃ、それこそ間抜けだろうに」

やはりなめられている。
その意識叩きなおしてやらねばなるまい。
そう決めたエヴァンジェリンの顔を一瞥してロキは意地の悪い笑みを浮かべた。

「つまりはそこのロリ娘は本気を出さずに勝てる相手だと?」

「そうは言ってねえよ。リスク負ってまで切り札使わにゃ戦えない相手じゃないと言ってるんだ」

眉間にしわを寄せる誠亜を見つめ、ロキは顎に手をあてて唸った。

「ずいぶんと出し渋るじゃないか。ケルベロスやゴーレム、ドラゴンにはあっさり使ってたくせに」

誠亜はいい加減構えを取るのがおっくうになったのか体を起こして頭をかいた。

「図書館島では俺がちょっと戦力ダウンしても仲間がいたろう。アフロドラゴンは、負けてもアフロになるだけだし後に他の敵が控えてるわけじゃない。でも今回は倒しきれなきゃエヴァンジェリンの下僕。相手は二人がかかりときた。なら堅実に戦った方がいいんじゃないかってことだ」

ロキは真剣な表情で考え込むと、淡々と言った。

「ふむ、正論だな。確かに今のエヴァンジェリンなら無理に危険な橋を渡らない方がいいかもしれない」

ロキはそこまで言うと右手を天に掲げた。
不敵な笑みを浮かべてエヴァンジェリンと誠亜、二人を睥睨する。

「ならこれでどうだ?」

言って右手の指を鳴らす。
パチンと小気味いい音が夜のしじまに鳴り響く。

その瞬間誠亜の眼が驚愕に見開かれる。
そしてそれはエヴァンジェリンも同じだった。

突然色を変えた場の空気と、

己の内から溢れ出てくる膨大な魔力にだ。

「な……に……?」

思わず声が口をついて出てくる。
まるで別荘の中、いやそれ以上に身の内に魔力が満ちる。
これではまるで、

「呪いが……解けた?」

そうこれではまるで封印される前の魔力だ。
だが何故。
自分にかけられた登校地獄の呪いは、かけたナギの魔力の強さも相まって誰にも解けないものと化していた。
それが解かれたというのか。

驚愕に言葉も出ないエヴァンジェリンと誠亜を置き去りに、ロキがびっくり箱に驚いた者を見るかのように意地悪く笑いながら口を開く。

「桜通り周辺の空間をコピーして擬似的な別時空を生み出し、お前たちをそちらに移した。ここは似て非なる桜通りだ。ここまでは呪いや結界の力は届かない」

ロキは腰に手をあてて言葉を失う誠亜を眺めた。
面白がるように言う。

「さて。これがエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。闇の福音。人形使い。不死の魔法使い。600年を生きた吸血鬼の真祖だ」


風間誠亜は指一本動かすこともできずに唖然とした表情でエヴァンジェリンを見つめている。
ロキはその横顔にさらに言葉を投げかける。

「呂奉先とはタイプは違うが彼女もまた間違いなく“最強”のひとりだ。さて風間誠亜。どうする?」

唾を飲み込む誠亜を見ながらエヴァンジェリンはほくそ笑んだ。
これは思わぬ収穫だ。
これならばまず切り札とやらに圧殺されることもない。

存分に誠亜を真っ向から潰すことができるだろう。

さて風間誠亜はこの私を見てどうするか。
格下だと侮っていた相手が実はとんだ化け物だと知ってどうするか。
エヴァンジェリンは瞼をおろして胸の内で笑う。

一気に意識を引き締めるか。
それともこれでもなおこちらの力に気づけないか。
はたまた恐怖に震えだすか。
さらには尻尾をまいて逃げだすか。

ゆっくりと目を開き風間誠亜の姿を視界に収める。

圧倒的な魔力とプレッシャーを取り戻したエヴァンジェリンに対し、風間誠亜は……

「…………っ!!」

笑っていた。
この上なく凶暴に。
餌を前にした飢えた獣のように。
禍々しいことこの上ない笑みを浮かべている。

炯々と輝く瞳の奥には、業火の如き野心が見え隠れしている。

意外な反応だ。
エヴァンジェリンは軽い驚きと共にそれを見つめた。
敵が強力無比になってかえって燃え上がるとは。
ある種のバトルジャンキーなのだろうか。
だが、その割にはあまり殺意や狂気じみたものは感じない。

「おもしれぇ……」

誠亜の喉が声を絞り出す。
その声は興奮に濡れている。

「おもしれぇじゃねえか。こんなにあっさり最強に会えるとはな。ああたしかに。こいつは格別だ。ジョーカーを切るに値する敵だ。死力を尽くすに値する敵だ。まったくもっておもしれぇ」

完全に火のついた様子で言う誠亜にエヴァンジェリンは笑った。
だがすぐにその笑みを訝しげに歪める。

風間誠亜の体が気を失った。
何故今気をはがすのか。

「リクエストにお答えしようじゃねえか。俺の切り札を見せてやる」

言って誠亜は両の手を見せるように掲げた。
その右手に気が収束し、そしてその左手に……待て。

エヴァンジェリンはその左手にためられた魔力に驚愕を覚えた。
気の方はなんの問題もない。
気は何も知らない一般人でも修行次第で会得できる。
古菲なんかがそうだし、この麻帆良にだって程度の差を気にしなければそういったものは数多くいる。
だが魔力は違う。
気が己の中の力であるのに対し、魔力が世界にたゆたう呪術的エネルギーであるためか一般人で魔力が扱える人はそうそういない。
存在を知らないものが自然と扱えるようになるものではないのだ。

いやそれよりも重要なのは片手に気を、もう片方の手に魔力を宿した状態から行われるのは、

「咸卦法……!」

風間誠亜の体が光に包まれる。

エヴァンジェリンは唖然とした面持ちでそれを見つめた。
咸卦法。
気と魔力の合一。
相反する2つの力を融合させ、体の内外に纏って強大な力を得る高難度の究極技法だ。
あのタカミチがエヴァンジェリンの別荘を使って数年かけて会得した技。

なんだこれは。
なんだこの女は。
つまりはあれか?
気も魔力も、そんなものが存在することすら知らない状態から、自力でその力を見つけて二つとも使えるようになったと?
二つの力の性質を把握し、相反するという事実に惑わされずに二つの力を融合させる事でさらなる力を得られることに行き着き、その方法を見つけ出したと?

ふざけている。
まったくもってふざけている。

風間誠亜はこちらの心情などかほども気づかぬ様子で、今度は右手を天に掲げた。
淡々と言う。

「森羅万象これ一切氣より成り立つ。氣とはもっとも根源的な概念であり、物質もそうでないものも突き詰めれば氣に行きつく」

右手の上に二つの巨大な光球が出現する。
惑星の周囲を回る衛星のように誠亜の頭上で踊る二つの球はそれぞれ膨大な気と魔力の塊だ。

「それらを操り、己が肉体を強靭かつ永遠のものとした存在。それを人はかつて仙人と呼んだ」

気と魔力の球が公転をやめる。
ぴたりと動きを止めた力が不自然に揺らめくのを見てエヴァンジェリンは神経を研ぎ澄ました。

「俺の……目標だ」

気と魔力の球に妙な違和感を感じる。
まるでよく似ているが異なる何かになってしまったかのごとく。

「エヴァンジェリン。反物質を知ってるか?」

突然何を言い出すのか。
狙いのわからない質問にエヴァンジェリンは眉を跳ね上げた。
無論知っている。
質量とスピンを同じくし、構成する素粒子の電荷などが逆の性質を持つ反粒子によって成る物質だ。
物質と衝突すると対消滅反応を引き起こし、その質量が膨大なエネルギーとなって放出される。
だがそれがなんだというのか。
反物質を生み出せるとでも言うのか。
だが生み出せたとて使えるわけがない。
そんなものを放てばそのエネルギーはエヴァンジェリンを含め誠亜すら消し飛ばす。

(いや待て。相反する……あの違和感。まさか……)

訝しむエヴァンジェリンに誠亜は不敵に笑うと天にかざした右手を握りしめた。
二つの光球がぶつかりあい、混ざり合って……崩壊する。
全く知らない反応だ。
咸卦法の際に起こる現象とは全く異なる。

溢れかえる膨大なエネルギーに、エヴァンジェリンは反射的に全力で後ろに跳び退った。魔法障壁に魔力を注ぎこみ、さらに前方に氷の盾を形成して備える。
だがいつまでたっても衝撃はやってこなかった。
不審に思い、視線を送るとそこには白い壁が屹立している。
圧倒的な威容でもって立つその壁は進むもの全てを弾く盾のよう。
だがそれは同時に川のごとく停滞することなく流れていた。

「なるほど……それがお前の切り札か……」

蛇を身に纏わせた魔女の如く、エネルギーの奔流を己の周囲で渦巻かせている風間誠亜を見つめてエヴァンジェリンは呟いた。
確かに強力だ。
下手な攻撃はあの奔流にはじかれるし、迂闊に触れればこちらが吹き飛ぶ。
そもそも、エネルギーそのものを支配下に置くなど生半な技術ではないが、誠亜はさも当然のように行っている。

これは当たりだ。
静かに認める。
10年に一度の逸材?
いやそれ以上かもしれない。

強大な力だ。
だが破れぬものでもない。
エヴァンジェリンは確固たる自信で持って右手を持ち上げる。
魔法を放とうとして、動きを止めた。

風間誠亜が苦笑している。

「せっかちな奴だな。こんなん切り札にはならねえよ。こいつはもともと呂布とやりあうために編み出した代物だ。あいつ……いや、あいつら相手に単純にエネルギーをブチ撒けるだけの攻撃なんぞ切り裂かれ、弾かれ、絡めとられるのがオチだ」

苦笑がさらに歪む。
紛れもない凶笑を口で描きながら誠亜は低い声で告げる。

「さあ気合入れろよ。あんたは強い。だからハナから全開で行く。観客、俳優、裏方、何もかもおいてけぼりの早回しショーだ。上演時間はほんの数秒。瞬き一つでついていけなくなるからしっかり睨んで踊りきれ」

瞬転、誠亜の周囲を渦巻いていたエネルギーがその姿を消した。
こちらの視線を遮っていた眩いばかりの光流は瞬く間に立ち消え、あとには拳を引いて僅かに腰を落とした誠亜がいるのみ。
黒々とした夜闇を煌々と照らしあげていた光は風間誠亜の体が発するだいぶ弱い咸卦法の光に変わっていた。

だが吹きつけるプレッシャーはかけらも減じていない。
いやむしろより研ぎ澄まされて突き刺さってきた。

エヴァンジェリンは今度こそ、ここ10年最大の驚きでもってそれを見つめた。
知らず目が見開かれる。

(イカレてる)

そう胸の内で独白した。

そうだ、いかれてる。
まっとうな神経の持ち主のやることじゃない。
前方で吹き荒れる風に髪を揺らす誠亜を見てエヴァンジェリンはそう断じた。
ロキですら驚きをもってそれを見ている。

いったいどこの誰が、
人間が、しかも魔法のことなど一切知らない一般人だった者が、辺り一面を灰燼に帰しておつりがくるほどのエネルギーを体の中に押し込めるなどという真似をすると想像できるだろうか。
あまつさえそのエネルギーをまるで己の血流の如く体の中で高速循環させているのだ。
その奔流の余波が周囲の魔力を引きずりこんでかき回す。
同じ向きに回るところなどなく、常にその体の最適な流れでもって巡る。
それゆえに周囲の魔力の渦の巻き方も全くもって不規則なものとなっていた。
誠亜が『切り札』を使った後、周囲の魔力が酷く乱れていたのはこのせいだったのか。

「まだまだぁ!!」

加速する。

ただでさえ異常な速度で循環していた誠亜の中のエネルギーが目に見えて加速していく。
そして瞬く間にエヴァンジェリンでもとらえきれないレベルにまで加速した。

「イカレてる」

今度は言葉にする。
正気の沙汰じゃない。
力技にもほどがある。
いや力技ですらない。

たしかに似たようなことはエヴァンジェリンもやる。
そもそも、マギア・エレベアは取り込むものや方法は違えど似た性質の業だ。
場合によってはあれ以上のエネルギーを取り込むこともあるかもしれない。
だが、きちんとした術式を組むでもなく、生み出したエネルギーを無理やり体の中に引きずり込んで、純粋な直接制御能力だけで手綱をにぎるなど狂気の所業だ。

言うなればプログラムを組まずに0と1の羅列でコンピューターを動かすようなものである。

ほんの一瞬制御を失敗するだけで周囲もろとも爆死しかねない。

同じ事をやれと言われたらエヴァンジェリンは「不可能だ」と答える。
タカミチでも無理だろう。
コンマ1秒もたずに爆死するのではないだろうか。
そもそもアレは気や魔力のように纏って使えるようなエネルギーではない。
純破壊用とすら言っていいかもしれない。

そもそもこれによってどれだけの力が生み出されるか知らないが、明らかにリスクとリターンの釣り合いがとれていない。

どうしようもない欠陥技だ。
これに比べればマギア・エレベアすら比較的『安全な技』になってしまうのではないか。

出し渋るのも当然だ。
むしろ規模が小さいもので一瞬とはいえ、こんなものをちょくちょく使っていたというのが信じられない。
咸卦法ひとつでも、極めればタカミチほどの力が得られるのだ。
風間誠亜の身体能力なら咸卦法だけでも強力だ。
わざわざこんな技を使う必要がない。
こんなものを編み出さざるを得なかった呂布というのはどれほどの化け物なのか。

誠亜が口を開く。

「さあ……」

「茶々丸!!」

名前を呼ぶ。
皆まで言わずに茶々丸が飛び出した。
完全に出し惜しみなしだ。
ロキを追いかけていた時よりもずっと速い。
すぐさまエヴァンジェリンは呪文を唱え始める。

「リク……」

従者に足止めさせて呪文を唱える。
それが西洋魔術師の基本戦法だ。
無論エヴァンジェリンは接近されても問題なく敵を撃破できるだけの力を持っているが、やはり基本の戦い方は変わらない。

茶々丸が瞬く間に誠亜とエヴァンジェリンの中間地点まで到達する。

誠亜の口が先ほどの続きらしい言葉を紡いだ。

『始めるぜ』

声は聞こえなかったがエヴァンジェリンにはそう言ったように感じた。
そう、エヴァンジェリンの耳にはその声は届かなかった。
いや届くはずがなかったのだ。


風間誠亜の足が地を踏みぬく。
尋常ならざる脚力に地面が木端微塵に砕け散る。
その長身が地面の破砕という代償にふさわしい速度で前へ出る。
2歩目。
これもまた地面を粉砕して誠亜の体を加速させる。

声が聞こえるはずがない。
あの女は自分で発した声を追い抜き、踏み砕かれた地面の悲鳴を遥か後方に置き去りに疾走しているのだから。

物体が、それも人型などという複雑な形状の物体が音速を超えて激走する。
発生した衝撃波が砕けた地面を、さらには左右に立ち並ぶ桜並木すら根こそぎ吹き飛ばして打ち砕く。
誠亜と茶々丸の距離がゼロになるのに一瞬すらかからない。

茶々丸があわてたように拳を振るうがスピードが違いすぎる。
風間誠亜は平然と僅かに迂回して茶々丸を素通りした。
茶々丸の体を誠亜が通り抜けたことで生じた衝撃波がうちすえる。
金属製の体が木切れのごとくあっさりと凄まじい速度で吹っ飛んでいった。

どうするべきか。
エヴァンジェリンは脳を限界まで回転させて考える。
極限の集中力がまるで時を引き延ばすかのような感覚を与え、すべてがスローモーションに動く中、誠亜だけが高速でこちらに向かってきていた。

呪文。
ありえない。
あれが自分のもとに達するまでどれだけの時間があるというのか。
始動キーの一節すら唱えきれない。

無詠唱呪文
今までのようにほんの一瞬だけの起動では分からなかったが、誠亜の体の周囲にエネルギーによる防護膜が形成されている。
アレだけの高速移動をしながら誠亜自身の体が外傷を負わないのはそのせいだろう。
正直生半可な呪文が効くとは思えない。
効きそうな呪文もあるにはあるが、そもそも普通に撃って当たるのだろうか。

運動回避。
できるかもしれないが、できなければ終わりだ。
彼我の速度差を考えると一撃目をギリギリ躱せたとしても、あの速度と反射で放たれる2撃目をかわせるとは思えない。

防御。
一体どう防ぐ。
氷盾?
回り込まれて終わりだ。
魔法障壁?
風花・風障壁をぶち抜きそうな突撃をただの魔法障壁で受けようとする奴がいるとしたら、そいつは馬鹿か自殺志願者だ。

やはり呪文しかない。
意地でもしのぎ切り、強力な魔法を打ち込む。

考えながらも口は動く。

「ラ……」

確信する。
間に合わない。
この一節を唱えきる前に誠亜の拳は自分に届く。

だがここで無様に拳を打ち込まれるほどエヴァンジェリンは甘くない。
防御も回避も捨てて、魔力を限界まで引き出す。
強引に空間をこじ開け、テレポートを敢行する。
無詠唱で。

封印されている状態では決してできない荒技だ。
正直、何度でもできるものではない。

だがその効果は覿面だったらしく、誠亜の拳は空を切った。
風間誠亜の体は信じがたい急制動で一瞬で停止する。
反動でまた地面が砕けた。
破壊された大気の咆哮が誠亜の前方の砕け散った地面を薙ぎ払っていく。
空間を渡った先は誠亜の数十メートル後方。
死角に当たる場所だ。
ほんの少しでも時間が稼げれば取れる選択肢は大幅に増える。
エヴァンジェリンは呪文の続きを口にする。

「ク……ッ!」

瞬間、目の前にある拳に目を剝いた。
喉の奥で驚愕の声を押し殺して必死に頭を横に跳ね倒す。
無理な運動を急に強いられて首の筋肉が引きつるような痛みを発するが構わない。
拳が微かに掠めた頬が皮と肉を削り取られて血をしぶかせた。

「ラ……ッ!」

次の一節を唱えるがその瞬間にはとうに一度頭上まで持ち上げられた手刀が振り下ろされている。

ギリギリで間に合った空間転移で誠亜の右方100メートルほどに出現する。
無茶な連続無詠唱転移に体が悲鳴を上げだす。

「ラッ……」

詠唱は止めぬままに誠亜の姿を視界に収めようと身を捻る。
そして視線を誠亜に向けるとすでに誠亜の眼はこちらを見ていた。

無数の糸を空間にばらまく。
魔力のある今なら半径数キロにわたり、300体以上の人形を操ることもできる。
今は人形はないが、糸だけでも相手を拘束したりといくつもの使い道があるのだ。
そして魔力で強化された糸はそう簡単には切れない。

「ク……!」

仕掛けられた糸をまるで蜘蛛の巣でも払うように引きちぎりながら突き進んでくる誠亜にエヴァンジェリンは舌打ちをしたい衝動にかられた。
だがそれを無理やり押さえこむ。
今は舌打ちする時間的余裕もない。

(ああまったく奴の宣言した通りだ。瞬き一つする暇すらない)

自分の右前方に大量の糸をばらまきながらエヴァンジェリンは身を捩った。
誠亜の拳が半瞬前までエヴァンジェリンの腹のあった場所を貫いていく。
直接は触れていないが、風圧がエヴァンジェリンの服の腹を引きちぎっていった。
衝撃波が体を打ち据えるが浮遊術を応用して自分の体を固定する。
衝撃波を利用して距離をとるという選択肢もあったが、一瞬なりとも体の自由が利かなくなる危険性を踏まえてやめておく。

身を捩る動きを利用して、先ほど右前方に形成した糸の群れの中に体を滑り込ませる。
自分が通り終わると同時にそこに極細の糸による壁を生み出した。

先ほどとは比べ物にならないほど本数を費やしたためかえって目立ち、すぐに見破られかねないが、誠亜には先ほどのでこちらの糸は簡単に引きちぎれるという思い込みができている。
まず間違いなく最短距離を突っ込んでくるだろう。

「ライ……」

案の定突っ込んできた。
そして引きちぎりきれない糸に驚愕を顔に浮かべる。
エヴァンジェリンはそれを眺めながら半歩前に出た。
呪文を唱えながら無数の糸に絡め捕られた誠亜の胸めがけて貫き手を放つ。

「ラッ……!」

いや、放とうとしてぎりぎりで踏みとどまった。
本能がけたたましく鳴り響かせた警鐘のままに、そのまま無理やり倒れこむように自分の体を反らす。

同時に、電気が電線を伝わるような感覚とともに誠亜をとらえていたはずの糸達が一斉にひとりでに解けた。
それを確認した瞬間にはすでに誠亜の右のストレートが唸りをあげる。
大気の壁を突き破りながら突き出された拳が、身を反らしたエヴァンジェリンの体をかすめていく。

「ク……!」

視界の中にあるものをとらえ、エヴァンジェリンは誠亜が追撃の一手を打つ前にテレポートで上空に移動する。
地上戦では不利そのものだ。
上空からの攻撃が有効であると判断しての行動だった。
今までのことから、誠亜はテレポートを終えた一瞬の後にはすでにこちらの位置に気づいていることがわかる。
テレポートも万能の回避方法ではなくなったわけだ。

呪いも結界も影響を及ぼさないここならかなり強力な魔法も無詠唱で放てる。
だが無詠唱魔法すら迂闊に撃たせてくれない猛攻にさらされていたがゆえに撃てなかった。しかし上空なら風間誠亜に浮遊術が使えない以上かなり優位にことを進められるはずだ。

そして今、誠亜の後ろから衝撃波にさらされながらも体勢を立て直し、強引に追いすがってきた茶々丸が迫っている。
誠亜にそれに気づいた様子はない。
すぐれた気配察知能力を持っているように感じたが、ロボットが相手ではきかないのか。

茶々丸が風間誠亜まであと数メートルまで迫った瞬間、誠亜が右足を持ち上げた。
そのまま地面に叩きつける。

そしてまたもエヴァンジェリンの度肝を抜く。
まるで畳返しのように地盤が十数メートルほどの大きさでめくれ上がった。
その上にいた茶々丸が投げだされるように宙を舞う。
すぐさまスラスターを噴かせて体勢を整えようとするが、それより誠亜の方が一瞬早かった。
誠亜はめくれ上がった岩塊を片手でつかむとそれに魔力を纏わせて強度強化し、茶々丸に叩きつけるように投じた。
音の壁を突き破ってフリスビーのように回転しながら飛ぶ岩塊に茶々丸の体が弾き飛ばされる。
鋼鉄のボディが軽くひしゃげ、そのままあらぬ方向へ飛んでいった。

岩塊はそのままゆるいカーブを描きながらエヴァンジェリンめがけて喰らいついく。
咄嗟に左に体をスライドさせて躱した。
出遅れた髪が裁断されるように引きちぎられるがかまわずエヴァンジェリンは呪文を唱える。

ギリギリで“砲弾”を躱すことができたことにかすかな安堵をおぼえた瞬間、エヴァンジェリンは己の眼に入ってきた光景に胸中で怒声を上げた。
地面が隕石でも落ちたかのように陥没し、たった一度の跳躍の反動でそれをなした誠亜が戦車砲すら生温い速度で自分めがけて飛翔してきていた。

テレポートは間に合わない。
浮遊術で限界速で動きながら身を捩る。
だがそれでも足りなかった。
意表を突かれて一瞬判断が遅れたのが悪かったらしい。
突進の威力をすべて乗せた拳がエヴァンジェリンの体を深めに掠める。
体を突き抜ける凄まじい衝撃にエヴァンジェリンは一瞬息を詰まらせた。
腹部から突きあがる激しい痛みに、腹が吹き飛んだのではないかと一瞬本気で心配する。
姿勢制御もできずに錐揉みしながら吹き飛ばされた。

激しく回転する視界の中で、誠亜が偶然自分の前方にあった岩塊に驚くとともに笑い、体を捻って岩塊に“着地”するのが見えた。

誠亜はそのまま岩塊を蹴って地面に向かって跳躍する。
反動で岩塊は上空に向けて砕けながら凄まじい速度で飛んでいく。
地面にクレーターを生んで“着弾”した誠亜が再びこちらを見た。
先程ので味をしめたのか誠亜はもう一度地面に足を叩きつけ、先と同じように地面から10メートルほどの岩塊を引っ張り出す。
それをまた片手でつかむ誠亜を見つめ、先の一撃のダメージか口の端から流れ出す血を拭いながらエヴァンジェリンは毒づいた。

まったくもって滅茶苦茶な奴だ。
未だにリスクと釣り合っているとは思えないが、それでもこれは驚異的だった。
呪文一つ満足に唱えられないほどの速度で、一撃もらえば確実に体が吹っ飛びかねない威力の攻撃が次々と繰り出される。
技巧もクソもないただの力押しだというのに現在進行形でエヴァンジェリンは圧倒されていた。
最初の突進で吹き飛ばされた桜並木の破片がまだ宙を舞っているのを見て呆れにも似た感心を覚える。
体感時間では何分も経っているように感じたのだがその実何秒と経っていないのかもしれない。

マギア・エレベアを使えばもう少しまともな勝負になるはずだ。
スピードとパワーで並ぶことはできなくとも、無理をせずに攻撃を躱せるようになるだけでだいぶ楽になる。
無論勝ることも可能だろうが生半なレベルではだめだ。
そして生半でないレベルの呪文をそもそも唱えきれないのだ。

実際、これだけ無理をして、綱渡りのようにしのぎながらようやく、始動キーを唱えきっただけだ。
そしていい加減瞬間転移もきつくなってきている。
純粋な回避運動でどこまで躱せる?
わかるのは残りの呪文を唱えきる前に自分が砕け散るということだけだ。


さて、スペック差は歴然。
攻撃力は魔法を除けば勝負にもならない。
防御力もあちらに軍配があがる。
さらには誠亜の中の力はいまだ少しずつ加速を続け、誠亜自身もじわじわと速・力ともに上がってきていた。
こんな技が長時間続くはずがないが、いったいどれだけもつか分からない以上時間切れだけを狙うのは危険すぎる。

腹や腕に貰ったところでそう簡単にやられはしないが、僅かに動けなくなるのは間違いない。
その一瞬だけであの拳が自分の頭を吹き飛ばすには事足りる。

どう見ても状況は不利。

だがそれでもなおエヴァンジェリンは笑みを浮かべた。
王者の風格を持って岩塊を振りかぶって投擲する誠亜を見下ろす。

一回り小さいせいか先の投擲以上の速度で飛来する岩塊をぎりぎりまでひきつけて回避する。

躱された岩塊が曲軌道を描いて自分の背後に差し掛かるのを感じながらエヴァンジェリンは右手を振り上げた。

掲げた手の上に巨大な氷塊が出現する。
軽く眼を見開いたあと不敵に笑う誠亜に、エヴァンジェリンもまた同じ笑みでもって返す。




風間誠亜は確かに強い。
正直ここまでとは予想だにしていなかった。

だがそれだけだ。

エヴァンジェリンとて最初から強かったわけではない。
もともとただの小娘だったのがいきなり吸血鬼にされてしまったのだ。
いくら吸血鬼の真祖として高いポテンシャルを持っていたとしても、それを生かしきれるわけがない。
初めのころはむしろ、襲いくる敵の大半が自分より強い敵だった。
格上相手ともいくらでも戦ってきた。
そしていくらでも勝ちをもぎ取ってきた。



いまさらスペックで負けている程度『どうということもない』
久しぶりなので驚いただけだ。




岩塊がちょうど自分と誠亜を結んだ直線上に達そうとするのに合わせて、エヴァンジェリンは右腕を振り下ろした。
人間など軽く押しつぶして余りある氷塊が誠亜めがけて落下する。

だがあの女ならこんな氷塊、薄氷を踏み割るがごとくあっさりと粉砕するだろう。
静かに認めながらエヴァンジェリンは笑う。
悪い魔法使いにふさわしい笑みだった。


(年季の違いを見せてやる)


己の投じた氷塊に追従するように飛翔する。
氷塊に隠れて誠亜の姿は見えない。
誠亜の突撃は音よりも速いので衝撃音からタイミングを計ることもできない。

だが後ろの岩塊が誠亜の跳躍の時を教えてくれていた。
先の跳躍の速度を考え、ちょうど自分を貫いた後岩塊に着地できるタイミングを計れば誠亜の跳躍を読むことはできる。

エヴァンジェリンはのばした手刀を引き絞って構える。

(そして風間誠亜の性格なら間違いなく氷塊のど真ん中を貫いてくる)

渾身の力でもってそれを突き出す。
目の前で氷塊が粉砕された。

氷塊を貫いてあらわれた誠亜が既に鼻先10センチほどにある手刀に目を見開いた。
エヴァンジェリンはかけらの遠慮もなくその腕を突きだしきる。
だがその手刀がその頭とそれを覆う防護膜に突き立つ寸前、強烈な衝撃が腕を貫いた。
骨の髄まで突き抜ける痛みに口元を歪める。
弾きあげられた右腕を急いで下ろしながら、誠亜の左腕が引き絞られ撃鉄を落とされる時を待つ有様を見る。

なんという馬鹿げた反射速度だ。
本当に人間と同じ反射プロセスを踏んでいるのか疑問に思えてくる。
レントゲン撮影したら全く違う人体構造しているんじゃあるまいな。

豪拳が放たれる。
鉄塊だろうと粉砕するだろうそれにエヴァンジェリンは交差するように手を触れさせた。

弾くでも避けるでもない動きに誠亜が一瞬訝しむように眉を寄せるが構わず突き出してくる。
やはり誠亜は武術にはあまり通じていないようだ。

100年ほど前にチンチクリンのおっさんに習った技能。
相手の力を受け流しそのまま相手に返す技。
割と現代ではポピュラーになっているはずなのだが、誠亜に警戒した様子はない。
こちらが何をしようとしているのかまったく分かっていないのか、分かった上でどうにかなると思っているのか。

たとえどれほど強力な力だろうと完全に受け流してしまえば意味がない。


誠亜の腕に触れた瞬間、指先の皮と肉が持っていかれる。


意味がないはずなのだが、度の過ぎた力にはその優位性も揺らぐようだ。
力を入れ過ぎれば指を丸々持ってかれかねない。
だが弱過ぎれば受け流しきれずに拳はこの身を貫く。
繊細な力加減が要求される作業だ。
チャンスは一回限り、リトライはなしだ。

だがエヴァンジェリンはかけらの躊躇もなくそれを行った。
誠亜の体がなすすべもなく回転する。
ただでさえこれをかけられたらそうそう動けるものじゃない。
ましてやここは空中だ。
踏んばるための地面もない以上抵抗などできない。

エヴァンジェリンはそのまま誠亜の左腕を背中側で関節を極めて抑え込む。
力を入れれば入れるだけ痛みを発し、無理をすれば関節が壊れる。
極め技の恐ろしさは力だけでは脱せないところにある。

エヴァンジェリンは今までのお返しとばかりに誠亜の体を抑え込んだまま地面に向かって全力で飛翔する。
そしてそのまま渾身の力で地面に叩きつけた。
地面が粉砕されて無数の破片をまき散らす。

これで倒せるとは限らないが少なくとも突き抜ける衝撃は確実に誠亜にダメージを与えるはずだ。
ダメ押しの一撃を加えようとしたエヴァンジェリンの目の前で風間誠亜の体が動く。
左腕の関節を自ら破壊しながら無理やり戒めを脱して振り向いた誠亜が右の拳を叩きつけてくる。
予想外の行動に一瞬反応が遅れた。
だが極限まで体を酷使してその一撃を身を倒して躱す。
体勢が大きく崩れた中、緊急回避にもう一度転移しようとして愕然とする。

風間誠亜の壊れた左腕がまるで見えない手に操られるかのようにもとの向きに戻る。
バキゴキとおぞましい音をたててあらぬ方向を向いていた左腕が正しい位置関係に戻った。
だが治癒ではない。
拳の向きが明らかにずれているうえに、服の上から見ても肘関節がさらに破壊されているのがわかる。
腕の向きがおかしくなった人形の腕を、てきとうに力任せにもとの向きに直すような行為を眉一つ動かさず自分の体で行う異常。
さらに信じがたいことにその左腕がまるで正常であるかのように正拳突きの軌道で突き出される。
体勢の崩れたところに打ち込まれた完全に予想外の一撃になすすべなくエヴァンジェリンの体が吹き飛ばされた。
強烈な衝撃が体を貫く。
だが、壊れた腕では今まで通りの威力は出なかったらしく、一撃で体が破壊されることはなかった。
ライフル弾を凌駕する速度で吹っ飛ばされながらもエヴァンジェリンは空中で身をひねって体勢を立て直さんとする。
そして殴り飛ばされた自分を今まさに追い抜かんとしてる誠亜と目が合った。

そのままエヴァンジェリンを一瞬で追い抜いた誠亜は、渾身の力で今までと全くの逆方向、つまりは叩きつけられる衝撃波にさらに吹き飛ばされたエヴァンジェリンに真っ向から突っ込む方向に踏み出す。
大地を砕きながら放たれた右の拳が空をぶち抜いてエヴァンジェリンに突き刺さった。

常識はずれの衝撃がエヴァンジェリンの肉体を完膚なきまでに破壊し、唯一無事だった両脚の太ももから先があらぬ方向へと吹き飛んでいく。
跡形もない。
まさに木端微塵だ。
たとえ吸血鬼とてこれほどのダメージを追っては無事では済まない。

そう。
今チェックメイトが決定した。

それを『眼下』に見ながらエヴァンジェリンは薄く笑った。
異様な手ごたえに驚愕の色を顔に浮かべる誠亜の前で吹き飛んだ二本の脚が多数の蝙蝠に変貌して散っていく。

最後の一撃はダミーを構成していた蝙蝠の80パーセント近くを一瞬で粉砕したが、エヴァンジェリン自身にはこれといったダメージなどない。

誠亜が信じられないという面持ちであたりを見回す。
だが、もう遅い。

種は簡単、自分が誠亜の視界から消える瞬間を利用してダミーとすり替わる。
そして自分の存在に気づけないように細工したのだ。

別に難しい術じゃない。
魔法使いなら大抵のものが使える人払いの魔法を少々発展させただけの魔法。
だが、相手の意識を逸らすという原理故に風間誠亜には効果覿面だった。

風間誠亜の気配察知能力はずば抜けている。
自分の正体を見ればわかると言ったあたり、何か人と違うものを“観て”いるのは確かだ。
それはたやすく遮蔽物に隠れた敵や、敵の体の構造なども見通してしまえるのだろう。

だが、だからこそ風間誠亜は見えないということに不慣れなのだ。
見えているのに気づけないなどと想像だにできないに違いない。


苦笑する。

(まったく……150フィート四方という範囲をこれほどまでに狭く感じたのは初めてだ)

150フィート、メートルに直せば約46メートル。
その程度の距離、誠亜ならばそれこそ刹那の時すらかけずに走破してしまう。

風間誠亜の視線がさまよう範囲が狭くなる。
エヴァンジェリンとその魔力には気づけないはずだが、まあおそらくエヴァの魔力による影響で生じた周囲の魔力の乱れでこちらの座標を割り出そうとしているのだろう。


確かに風間誠亜のスピードとパワーは凄まじい。
そして、規模がコレより小さいとしてもその力がエヴァンジェリンが遠目や映像ではその正体に気づけないほど一瞬で発動し、打ち込み、一瞬で解除できるのだから脅威以外の何でもない。だが……


(技もなければ策もない。そんな奴、どれだけパワーとスピードがあろうと怖くないんだよ)

風間誠亜にできるのは自分やタカミチなどに“本気を出させる”こと止まりだ。
力押しで勝ちを拾えるほど戦いは甘くない。


解き放つ。
本能で危険を察知したようだがもう遅い。
これを当てるためにこれだけ回りくどいことをしたのだ。
さらには誠亜の足が突然力を失いその体がくず折れる。
風間誠亜の表情が今度こそ深い驚愕に染まった。


「えいえんのひょうが!!!」


放たれた150フィート四方完全凍結殲滅魔法が風間誠亜を掠めるように無残な有様の大地を凍りつかせる。
吹き荒れる冷気が誠亜の体を完全に凍りつかせるのをエヴァンジェリンは夜天を背に見つめた。











「溶けろ」

ロキの言葉と共に氷漬けになっていた誠亜が解き放たれる。
彼女は今までの凶悪さが嘘のようにくたりと地面に倒れこんだ。
力なく口を開く。

「負けた~。チクショウ。行けるかと思ったんだがな~」

なんだか本当にだるそうだ。
口を動かすのも億劫だと言わんばかりに緊張感のない声で言う。
首も手もぐったりと地面に倒れこむ姿はなんだか陸上げされたタコを思わせる。

それに追い打ちをかけるかのようにロキが言葉を投げかけた。

「いやいや、なかなかいい戦いだったぞ。お前のいかれたブーストには驚いたがやはり経験の差はいかんともしがたいということだな」

言ってロキが指を鳴らすとあたりの景色が一変した。
完膚なきまでに破壊しつくされていた桜通りが瞬きの内にもとの綺麗な姿に戻る。
ロキの形成した擬似時空からもとの空間へと戻ったのだろう。
それと同時に忌まわしい封印が再びこの身を縛りつける。
エヴァンジェリンは無意識に舌打ちした。
だがもうじきこの不愉快な呪いともさよならだ。
そのための強力なカードを手に入れたのだから。
誠亜は悔しげに唸ると視線で自分の足を見つめたあとロキに問いかけた。

「なあ神。俺が動き始めてからどれぐらいだったか?時間」

ロキは問われて顎に手をあてた。
そして答える。

「ふむ……3.64秒ぐらいだな」

その答えに誠亜は納得がいかないように毒づいた。

「おかしいな。3秒までなら普通にもつはずだし、無理して4秒まで動いても後で体が痛くなるぐらいで済むはずなのに。5秒オーバーでもしない限り体が強制的にへばるなんてことないはずなんだけどなぁ」

「負け惜しみは言わないんじゃなかったのか?」

からかうように言うロキに誠亜は心外だと言わんばかりに声をあげる。

「負け惜しみじゃねえよ。予想外の欠陥と今後の改良課題に頭を悩ませてるだけだ」

エヴァンジェリンは半眼でつっこむ。

「改良って……機械じゃあるまいし、せめて鍛錬課題とか修行課題と言え」

「誰が機械だこのやろう」

「あ・る・ま・い・し!」

こちらの言葉を聞き落して憤る誠亜にエヴァンジェリンは自分の言葉の一部を強調して言い直す。
一度咳払いして場を引き締めると、不敵な笑みを浮かべて言った。

「さて、勝負は私の勝ちだ。そしてお前は力を示した。吸血鬼化はしないが血はもらう。そして私のもとで戦ってもらおう。なに、永遠というわけではない。なんだったら私がこの呪いから脱したら解放してやってもいい。それからもたまには協力させるがな」

誠亜はそれを聞いて一度大きく嘆息すると、ゆっくりと口を開いた。視線だけこちらに向けて言葉を吐き出す。

「いまさら拒否はしねえよ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

口で弧を描くとエヴァンジェリンは倒れた誠亜に歩み寄った。

「手付だ。起き上って私に血を捧げてもらおうか」

勝者として、命じる。

動かない。
誠亜はぐったりとしたまま動かない。
まるでうだるような夏のある日、冷房の壊れた部屋で溶けてしまいそうな暑さに呻きながら布団の上で半死人と化した女子大生のような姿だ。

舐めているのか?
こめかみがひくつく。

だがもう一度だけチャンスをあげようじゃないか。

エヴァンジェリンは再度告げる。

「さあ。起き上ってその血を捧げてもらおうか」

「あ゛~~」

だれた声が返ってくる。
まるで36℃を超す真夏日。
立地条件のせいで風が吹かないためサウナのようになった室内で、戦死したヒーロー(エアコンと扇風機)の亡骸を見ながら初期武装(うちわ)一つで無駄な抵抗を続ける女学生のような。

エヴァンジェリンは頬がひくつくのを確かに感じた。
もはや情けは無用だ。
予定より多めに血を吸ってやる。
これだけ頑丈な奴だ、そうそう大事には至らんはずだ。
ああそうにきまっている。

「茶々丸。引きずり起こせ」

言ってから茶々丸が誠亜に吹き飛ばされていたのを思い出す。
見回すとかなり離れたところ、一本の桜の木の根元にボディを大きく歪ませて倒れているのが見えた。

「申し訳ありませんマスター。少々駆動系にダメージが及んでおり、動けそうにありません」

無機質な声の中に申し訳なさそうな響きを含ませて言う茶々丸に、エヴァンジェリンはねぎらいを込めて返す。

「いやいい。お前は無茶をしないでそこで休んでいろ」

言ってエヴァンジェリンは嘆息して誠亜の体を引き起こす。
上半身を起こすだけだというのにそれが異常に重く感じてエヴァンジェリンは眉をしかめた。

「まったく。これだから嫌なのだ。どうしてこうも非力なんだ人間というのは」

ひとしきり毒づいたあと誠亜の首筋に顔を寄せて囁く。

「では血をもらうぞ」

誠亜はかくんと首筋を開けるように首を倒して答えた。

「好きにしてくれ。ただ左肘を持たないでくれると助かる」

言われてエヴァンジェリンは自分が誠亜の完全に壊れた左肘を鷲掴みにしているのに気がついた。
慌てて放して肩に手を移す。

ゆっくりと見せつけるようにエヴァンジェリンは誠亜の首筋に口づけた。
鋭くとがった牙をその肉に突き立てる。

「……」

「……」

見目麗しい少女が同じく見目麗しい女の首筋にかみつく姿はどうにも扇情的で背徳的だ。
まるで一枚の絵画のようなその情景を世界という鑑賞者に長く見せつけるかのように二人は動きを止める。

「…………」

「…………」

エヴァンジェリンの頬が朱に染まり、誠亜の肌も紅潮する。
より見る者の情欲を駆り立てるかのような光景。
その中でエヴァンジェリンがわずかに乱れた息で言の葉を紡ぎだす。


「………………おい」

「………………なんだ?」

問い返す誠亜にエヴァンジェリンは息を整えながら告げた。
僅かに汗のにじむ玉のような肌がまるで情事のあとのような艶やかさを生んでいる。
口元にかかった髪を手でかきわける。

エヴァンジェリンは淡々と告げた。

「風間誠亜…………牙がささらん。力を抜け」

「いや入れてるつもりはねえよ。むしろどこにも力が入んない感じだ。もし筋肉が緊張してるとしたらそれは完全に俺の意思外であるからしてなんとも」

いままでの神聖さすら感じさせる――100%勘違いだが――空気を完膚なきまでにぶち壊しながらエヴァンジェリンは声を荒らげた。

「ええい力を抜け力を!」

「無理だって」

先ほどとは打って変わって、三日ぶりの肉に食らいつくかのような勢いで誠亜の首筋に噛みつくエヴァンジェリン。
唸り声とともにたっぷり30秒近くその体を噛みしめる。

「プハッ。一体何食べたらこんな体になるんだ!」

「ドラゴンのレバーにグリフォンのモツ、鳳凰のササミを天の川の水をソースに食べるとこんな感じになるぞ。当然ウソだけど。アハハハ」

「くだらん冗談言ってないで力を抜け!」

「だから無理だって」

のんべんだらりと返す誠亜に業を煮やしたエヴァンジェリンがガシガシと噛みつきながら掴みかかる。

「ええいくそ!ふぉれならおうだ(これならどうだ)!!」

誠亜の服をたくしあげて右手でその体を出たらめにくすぐった。

「あははははははは!」

誠亜はまだぐてりと体から力を抜いたままそれでも笑い声をあげる。
だがまだ牙は刺さらないようでエヴァンジェリンは首筋に噛みつきながらさらに両手でくすぐりだす。

「ふぇえい!ふぉうだ!ふぉれでふぉうだ!(ええい!どうだ!これでどうだ!)」

桜の木すら戸惑いそうな異様な光景が夜の桜通りにて展開される。
そのさまをにやにやと眺めながらロキは実に楽しげに言った。

「なんという面白吸血風景。先ほどとのギャップがさらにいい!是非に保存を!確か2400兆画素の超高精細デジタルビデオがあったはず!」

「撮るな!失せろ!さもないとこれからの騒動に関わらせてやらんぞ!」

いつもどおりとち狂っているロキに振り向いて怒声を叩きつける。
するとロキはひとしきりブーイングしたあと彼方へと飛び去って行った。

エヴァンジェリンはそれを見送って鼻を鳴らすと誠亜へと向きなおる。
誠亜の脚を曲げ、近づけると靴を脱がせた。
さらに靴下を脱がせる。
ももまでの長さを持つかなり長い靴下であるため非常に脱がせづらい。
おまけに誠亜が完全に脱力しているのもやりにくさに拍車をかけていた。
ようやく靴下を脱がし終えると、エヴァンジェリンは誠亜の首筋に噛みつきながらわき腹と足の裏をくすぐる。
誠亜はただでさえ長身なうえに脚が長いらしく、ひどくくすぐりづらいのだが四の五の言っていられない。

「ふぉんどほそふぉうだ!?(こんどこそどうだ!?)」

今までに増して誠亜が笑いだす。


「あっはハははハはっハはゲプォアッ!!」


そして血を吐いた。
吐き出された血が口と服、そして組みついていたエヴァンジェリンの体を真っ赤に染めあげる。
服や体に染みきらなかった分が地面に紅い花を咲かした。
市販の普通サイズの風船に限界まで水を詰め込んで地面にたたきつけたらこれぐらいの大きさに水が飛び散るだろうか。

一瞬現実逃避していたエヴァンジェリンはあわてて口を離した。

「と、吐血した!?」

驚愕のままに叫ぶ。
だが一方なぜか異様に危機感の欠如した声で誠亜が笑う。

「あはハははグプッ。おっかしいな。大きな制御ミプッ……ミスしたわけでもないのに、なんでここまでダメージを負うんだろゲヴァッ」

「阿呆!喋るな!死にたいのか!」

何度も何度もシャレにならない血を吐く誠亜にエヴァンジェリンは一瞬息をのむ。
本来ならここで魔法使いらしく回復魔法で傷を治してやればいいのだが、あいにくとエヴァンジェリンは回復魔法が苦手だった。
自分がほとんど不死身なため必要にならなかったからだ。

胸中で自分を罵る。
考えてみれば当然だ。
あんな無茶な技、使って平気な方がどうかしているのだ。
だというのに戦闘中あまりに平然と動きまわる誠亜を見るうちにその危険性が頭から抜け落ちかけていた。
思えばぐったりとして動かなかったのは体がダメージを負っていたからだったのだ。

「大丈夫。グォポァ!っふう。これぐらいならまだ死なないはずだから」

「んなわけがあるか!自分の吐いた血の量を見てから言え!」

ふざけたことを言い出す誠亜に怒鳴り返す。
すると誠亜は律儀に視線を下にやって驚いたようにかすかに眼を見開く。

「おや?なんかかつてないほど血が出てるな。クプッ。ホントなンでだロ?どっかぶッ飛んダってわけでモないのにこんなダメーじガ行くなンて……3秒ちョっとでこんなニなるはずナいんだけどナ……」

喉に血がたまって絡み出したのか声が不明瞭になりだす。
耳を澄ますと呼吸音もおかしくなってきていた。
もとの色がわからないほどに真っ赤に染まった誠亜と自分の服、そして地面に広がった大きすぎる血だまりを見て一瞬背筋に寒いものを覚える。
人間の致死量は何リットルだったか。
うすら寒い想像を振り払うようにエヴァンジェリンは声を張り上げた。

「茶々丸!ロキと連絡は取れるか!?」

「不可能です、マスター……我々では彼女の治療は行えません。どうしますか?」

どうする?
自問する。
病院に連れて行ってどうにかなるレベルか?
学園長に連絡すれば治療にたけた魔法使いを派遣してくれるかもしれない。
だが、それをすれば間違いなく自分は危険人物としてマークされるだろう。
計画がつぶれるどころか、更に強固な封印をかけられるか、もっと悪ければ排除するべきだとなるかもしれない。
エヴァンジェリンがこの麻帆良から出られない以上、排除とは必然的に“そういう意味”になる。
一番都合のいいロキとは連絡が取れない。

思考に割ける時間はほんのわずかだ。
やってみせろと自分に言い聞かせる。
戦闘中はアレだけの速度で思考を働かせられたのだ。やってやれぬことはない。

「茶々丸!超に何か役に立つ施設をもってないか聞け!」

超ならばある程度こちらの事情に合わせて事実の隠ぺいもしてもらいうる。
そう踏んでのことだ。

「コプッ……いザとなったら冷凍保存シて明日神が様子見に来たら治させルってのもありダな」

「半死人は大人しくしていろ!」

一喝して茶々丸の返答を待つ。
これがだめなら魔法教師への連絡も視野に入れねばなるまい。
エヴァンジェリンはこれまで生き延びるために数多の命を奪ってきた。
だがそれでも女子供は殺さないようにしてきた。
いまさらそれを破る気もない。
いっそ誠亜の言ったとおり、冷凍保存するか?
ロキならば平然と治してしまいそうな気がする。
かえってその方が可能性が高いのでは。
黙考するエヴァンジェリンに茶々丸の声が届いた。

「マスター。超さんが迎えをよこすと言っています」

その言葉に小さく安堵の息を吐く。

「そうか」

抱きかかえた誠亜の顔を見て口を開く。

「とりあえず超の所に連れていく。奴は一般世界よりずっと進んだ科学力の持ち主だ」

「…………」

誠亜は無言でそれを聞いている。
一瞬何か違和感を覚えながらエヴァンジェリンは言葉を続けた。

「科学者が本業だが、他の分野にも精通している天才だ。まあ安心していい」

「…………」

やはり言葉は帰ってこない。
一瞬、眼を開けたまま気絶してるのではと疑念がわく。

「お前生きてるか?」

言いながら脈をとる。
弱いが十分脈はある。
誠亜の首が小さく縦に動くのを見てエヴァンジェリンは息を吐く。

「…………」

「なんだ?何か言いたいことがあるのなら言え」

そう言うと誠亜は困ったように眉を寄せた。
右腕がぴくりと動くのだが持ち上がらない。
十数秒挑戦して諦めたように腕から力を抜いた。

エヴァンジェリンは訝しげに眉間にしわを寄せた。
誠亜はそれを見て何か悩むように視線をさまよわせる。
一体何を悩んでいるのか。
意識はまだちゃんとあるようだが、体が動かないためかどうにもらちが明かない。
というか今まで散々命知らずにしゃべっていたのになぜ急に黙り出したのか。

ふと嫌な予感がしてエヴァンジェリンは魔力を引き出し、テレパシーで問いかける。

<おい……どうした?>

するとあっさりとした答えが返ってくる。

<ああ通じた。いやなんか血が喉か気管かに詰まっちゃったみたいなんだけど。ちょっと苦しくてさ>

「苦しいなら苦しそうにしろたわけがあああああ!!!」

本日最大の叫びが麻帆良の夜空に響きわたった。

























あとがき

だいぶ期間が開きました。
申し訳ないです。
なんというか家のネット回線そのものが故障しました。
おかげで投稿が全くできませんでした。
一応復活したということで投稿を再開した次第です。

長い。
分かっているのですが、今回は前回のように無理に分けない方がいい気がしてそのままにしました。

独自設定全開。
そもそも神も仙人も氣も、魔気融壊反応(仮称)も超独自。
さらにはエヴァンジェリンが無詠唱で瞬間転移できるかどうかも分からないし、そもそも呪文唱えながら他の無詠唱魔法使えないような。

とにかくつっこみどころ満載というより原材料『つっこみどころ』という感じですが勢い優先で書きました。

前にも書きましたが、とりあえず誠亜の基本コンセプトは超ハイスペックなのになかなか勝てない奴。
今話はその最たる話だったかと。

実はこの話を考えた当時、自分はネギまを学園祭編までしか読んだことがありませんでした。
そのためこの話も一応学園祭編までを予定しています。
キャラクターや設定、細かなところを除いた大まかな話などを考え、さあ書くぞというところで、一応続きも読んでおくかと学園祭編以後を読んでみました。

そこで登場したマギア・エレベアなる技にちょっと驚き。
まさか似たようなのが原作にあろうとは。
まあ大きなエネルギーを体の中に取り込んで戦うなんてのは、みんなのヒーローカカロットも劇場版でやっていることですし、いくらでもある設定なんでしょうが……迂闊でした。

とりあえず、切り札を差別化のつもりで高い制御能力にものをいわせた下手な技術として初期設定より危険度を増大、持続時間を短縮、攻撃力を上方修正しました。
ここで攻撃力を上方修正してしまうのがすちゃらかんの浅さという気がする。

実は一瞬で発動させたバージョンではここまでの威力は出なかったりします。

すちゃらかんの中では気や咸卦法によるブーストは足し算じゃなくて掛け算のイメージです。
だからもとの体を鍛えるとそれだけ強化後のスペックも大きく上がるイメージ。

まあやはりやりすぎ感はぬぐえないのであとで軌道修正する可能性もあります。


拙作ですが今後ともお付き合いいただければ幸いです。



[9509] 第26話 俺!復活!……ん?
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fec45ae0
Date: 2010/02/25 16:57
神と俺のコイントス







椅子の背もたれに体重を預けながらエヴァンジェリンは天井を見上げた。
10年近く使っているが未だに軋み一つ立てない優秀な椅子だ。
作りのしっかりしたログハウスで、窓にはしゃれたカーテンがかかり、木のやわらかな色合いが住む者の心を和ませる。
天井に吊られた電灯も細やかな細工を刻まれた立派なインテリアとなっていた。
テーブルには純白のテーブルクロスがかけられ、その上にはぬいぐるみなどの人形が所狭しと置かれている。
テーブルだけではない。
ソファや窓際など部屋の至る所に人形が置かれている。
一言で言うならばファンシーな内装だった。

彼女の趣味で揃えたものだが、訪れたものは大抵それを見て微妙な表情をする。
闇の福音などと呼ばれて恐れられる者の住まいとしてはイメージから外れるようだ。
裏世界のことを知らない人間なら逆に外見に似合った趣味だというのだろうが、あいにくと魔法とかかわりのない一般人がわざわざ訪れてくるようなことは稀である。

差し込む日の光で明るい室内で天井の模様を眺めながら、エヴァンジェリンは頭の後ろで手を組んだ。

「風間誠亜」

口に出して呟く。
気も魔力もなしで平然と車より速く走り、我流で気や魔力、果ては咸卦法まで使って見せる。
なおかつ我流だというのに付け焼刃には留まらず、裏の世界できちんと学んだものと何ら変わらない高い練度を有していた。

氣と称するものを操り、エヴァンジェリンが600年生きてきて見たこともない魔力と気の扱い方をして見せる。

果てはあの『切り札』だ。
まあうっかりミスして死にかけるなど論外以外の何物でもないが。
それでもあの力が強いことだけは認めなくてはなるまい。
3秒もつ、無理すれば5秒までいけるはずなのに4秒足らずで死にかけたというところに不安を感じないでもなかったが、超の推測によれば3秒もつというのは平均出力での話で、にもかかわらず誠亜が最大出力で3秒以上動いたため大きなダメージを負ったようだ。
そこらへん勘違いしていたのではないかと超は言っていた。

…………
そんな勘違いをするなど、頭のネジが十本単位で抜け落ちているのではないかと思わないでもない。

聞くところによれば子供のころから山の中の屋敷で暮らし、小学校にもいかずに過ごしてきたそうだ。
家族構成は祖父と姉の二人。
両親は小さい頃に事故で故人となっている。
14歳の頃に麻帆良に転入、そして高校2年生のある日、ロキによって女性に変えられて女子中等部2年に移された。
かなりお気楽な性格をしているらしく、常人の3倍近いテンションとノリの持ち主である2-Aでの生活もあっさり受け入れ、中学生暮らしにもそれほど不満を感じていないようだ。
というかむしろ普通に楽しんでいるように見える。
まあ女にされたことはそれなりに気にしているようだったが、それでもだんだんと順応しているようだ。
無論、それらがすべて演技で腹の底では、という可能性も全く無いわけではないが、個人的な見解を述べれば、『それはない』


戸籍を調べさせたところ、風間誠次は風間幸と風間真という二人の一般人の間に生まれた一人息子だ。
そう“一人息子”だ。

戸籍上誠亜には姉はいない。
彼女の言う姉というのはおそらく年上の親戚の娘か血のつながらない姉代りの人物なのだろうと考えれば不思議なところはないが、それでも妙なところはある。
風間というのは母方の姓なのだが、麻帆良に提出された書類には父方の祖父と姉も風間姓で出されているのだ。
ただの偶然なのか、それとも苗字を名乗りたくない理由でもあるのか。

そもそもなぜ父方の家に預けたのだろうか。
近くに小学校すらなく、また義務教育を平然と無視するような人間が引き取った理由はなんだろうか。
風間幸が親戚すじからはぶられていたならば誠亜が引き取られたがらずに、結果いい加減な父方の祖父に預けられるのもわかる。
だが風間幸とその親戚の関係は極めて良好だったようだ。

また、すでにクラスメートには知れ渡っていることだが、彼女の体には傷がある。
傷があるというだけなら和泉亜子という例があるわけだしおかしくはないが、風間誠亜の傷の形状が問題だ。

腹にある3本の傷。
これはおそらく獣か何かにやられたものだろう。
クラスの人間が知る分には幼いころに熊にやられたものらしい。

そしてより問題なのは胸の傷である。
まるで肉厚の剣でも突き立てられたかのような傷跡。
さらに体育の着替えなどでちらりと見たことがあるのだが、胸にあるのと同じような縦長の傷が背中の中心、肩甲骨の間あたりにもあるのだ。
この二つの傷を結びつけるのは簡単だ。
単純に推測するならば、あの傷は肉厚の剣が完全に貫通して出来た傷だとなる。

一般人がそんな負傷をして生きていられるだろうか。
生きていられるはずがない。
必然的に彼女を治療した魔法使いがいることになる。
その魔法使いが彼女を麻帆良に誘ったということだろうか。


「マスター」

かけられた声にエヴァンジェリンは振り向いた。
そこには従者である茶々丸が立っている。
誠亜の攻撃によって手ひどく破壊された彼女だが、修理は意外に早く終わった。
スペアパーツに取り換えるだけで済んだのだ。
緑色の髪を揺らしながら平坦な声音で言う。

「誠亜さんの治療が終わったそうです。迎えに来るようにと超が」

エヴァンジェリンは訝しげに眉をひそめる。
超は施設をフル活用しても全治3週間だと言っていたはずだが。
エヴァンジェリンの記憶が確かならあの戦いからまだ4日しか経っていない。

茶々丸はこちらの表情だけで考えていることを察したようで、こちらが問いを口にする前に応えてくる。

「超さんの予想を上回って、途中から急激な再生を始めたそうです」

「なんだそれは?」

ますます眉を寄せながらもエヴァンジェリンは立ち上がる。
上着を一枚羽織ると、玄関へと足を向けた。
後ろで茶々丸が少しだけ困ったように口を開く。

「さあ。超さんが言うには再生というよりは再構築に近い。いやもっと言えば進化だ、とのことです」

「……まあいい。いってみればわかるだろう」

エヴァンジェリンは嘆息とともに言葉を吐き出すとドアノブに手をかけた。














第26話  俺!復活!……ん?




















おやこんにちは。珍しいですね。あなたがわざわざ来るなどと。

いやなに。少々聞きたいことがあってな。

問題ないですよ。

それはどうも。では聞きたいことなのだが……

ですから、こちらに問題はありませんでした。

は?

ですから何も盗まれていませんし、物騒な話を持ちかけてきた者もいません。答えですよ。あなたの質問への。あなたの聞きたいことは分かっています。だから手間を省いてあげたのです。

そうか……それはどうも

しかし不思議ですね。わたしよりも真っ先に行くべきところがあると思うのですが。なぜわざわざわたしの所に?

…………

あててあげましょうか?

その通りだ。

おや。意趣返しですか?

ああ、そうだとも。

これは一本取られましたね。

おあいこだろう?

そうですね。

ではそろそろ行かせてもらう。邪魔をしたな。

いえいえ。わたしも特に暇というわけではないですが、それほど忙しくはないですからね。

ではな。

ああそうそう。忘れものですよ。



ほらおあいこにしませんと。

??!

21年前の悪戯のお仕置きがまだですよ

ちょっ!待て!申こ……

では、ごきげんよう



















シャッターのような金属の板に覆われた円柱形の大きな水槽。
たくさんのチューブがつながれた椅子。
診療台じみた金属製の台。
他にも常人では何のために使われるのか見た目だけでは分からない代物が大量に並んでいる。
幾つもの機材が乱雑なようで規則正しく並べられた部屋。
部屋の中に並ぶデスクの上のモニターにはよくわからないデータが羅列され、また別のデスクの上には血のような液体の入った試験管が数本並んでいる。

そこの壁際に立つ幾つもの計器につながれた、先に挙げた水槽。
それを前にエヴァンジェリンと茶々丸と超は立っていた。

「なんだこれは?前に来た時はこんなシャッターはなかったはずだが」

金属板の表面を撫でる。
手触り的にはチタンあたりに感じるが詳しくは分からない。

「ああそれネ。誠亜サンが治癒に集中したいから外の情報をシャットアウトして欲しい言うから目隠しと防音を兼ねてつけたヨ」

言いながら超が手元のパネルを操作する。
半透明の板に多数のキーが投影された近未来的な代物だ。
超の指がそのうえで踊るたびに異なる形のキー達が画面上で舞いだす。
数秒して、眼の前の水槽から底の方につながれたチューブを通って蒼い液体が流れ出した。
その流出が終わるのに合わせて金属のシャッターが下りる。
水槽が縦に割れて扉のように開いた。
水槽にわずかに残っていた蒼い液体が零れおちるのに合わせて、ほっそりとした長い脚が出てくる。
床より少し高い場所にある水槽から軽く跳躍して飛び降りると、彼女――風間誠亜は眼を開いて、右手を天にかざした。
相変わらず狼じみた鋭い目つきの中、微妙に緑がかった瞳がきらりと輝く。

「風間誠亜!復活!!」

「素っ裸でポーズをとるな。恥じらいを持て恥じらいを」

半眼で告げる。
まあ治癒促進のための液体の中いたのだからしょうがないのだが、風間誠亜は全裸だった。
豊満な乳房や丸く綺麗な尻、きゅっとくびれた腰、健康的な肌があらわになっている。
男なら垂涎の光景だがあいにくというべきが幸いと言うべきか、ここには女しかいない。
その全身を上から下までじっくりと眺めてエヴァンジェリンはぽつりと呟いた。

「少し筋肉が落ちたんじゃないか?」

「ん~。まあそれなりに無茶な治し方したからな」

言いながら自分の体を見下ろす誠亜。
その体は確かに普通と比べればまだまだ筋肉質だが、今までに比べるとだいぶ筋肉が落ちて女性らしい柔らかさを強めたものとなっていた。
ひとしきり自分の体を眺め、腹と腕に指先で触れてから誠亜はからからと笑った。
腰に両手をあてて胸を張る。

「まあアレだ。筋肉量はだいぶ減ったかも知れねえけどパワーの方はそんな下がってねえはずだから」

「筋肉量が減ってるのにパワーが落ちてないって……それこそどんな魔法だ」

信じられるか、と毒づくエヴァンジェリンに超が苦笑とともに誠亜に綺麗にクリーニングされた制服を渡しながら続けた。

「だから言ったネ。再構築、進化ダト。この人は信じがたいことに自分の体を自分で作り替えたヨ。より強靭なものにネ。筋繊維の単位あたりのパワーが上がれば量が減ても総合的な筋力は低下しない。おそらくもとの高い身体能力もそうやって手に入れたものじゃないカ?」

誠亜は片手で素早くパンツをはきながら残った手で超を指差した。
その下着はきっぱりと女性ものだが、その動きに迷いは全く見られない。
本人がそれに気づいているかどうかは知らないが。

「正解。いや、向こうで超スペックの持ち主(呂布)と本物の仙人(左慈)を“見る”機会に恵まれてね。どうせこんだけ壊れてんだからと一気に作り変えてみた。まあパワーは上がるどころかちょっと下がっちまったが、とりあえず頑丈さは上がったはずだ」

不慣れな手つきでブラジャーをつけ出す誠亜。
口の中で唸り声をあげながら悪戦苦闘する。
その背で艶やかな黒髪がさらりと小さな音を立てた。

エヴァンジェリンはもうひとつの気になっていたことを、いやむしろ筋肉以上にあからさまでわかりやすい変化を示したそれを見ながら問いかけた。

「で、その髪はなんだ?」

「ん?くそっ、このっ、うまくいかんな……そりゃっ。髪がなんだって?」

両手を背中にまわしてホックをかけようと何度もトライする。
関節は十分柔らかいようで腕を回すのには無理な様子はないが、ああいうのはやはり慣れないとうまくいかないものだ。
後ろで止めるタイプは見えないのでなおさら。
その苦戦ぶりを眺めながらエヴァンジェリンはその漆黒の流れを見つめて言う。

「だから、その髪の長さだ。どう考えても4日で伸びる長さじゃない」

言われて誠亜は自分の乳房の上にかかった黒髪を見つめた。
ついこの間まで肩までもいっていなかった男じみた髪型と長さだったにも関わらず、いま目の前にいる誠亜の黒髪は腰まで達している。
普通髪の毛は一か月で一センチぐらいしか伸びない。
明らかに異常な伸び方だ。

誠亜はうまくつけられないブラジャーに業を煮やしたのか力任せにホックをしめる。

「ああ。なんか無理やり治してる最中に伸びた。別に後で切ればいいだけだし特に害はないみたいだからほっといたんだが……なんかきついな……っ」

ぱつんと、軽い音を立てて何かが弾ける。
それに続いて誠亜の胸を覆っていたブラジャーが重力に引かれてまっすぐ床に落ちていった。

誠亜は床の上に横たわるブラジャーと自分の胸を交互に見つめた後、胸を軽く両手で揉みながら眉間にしわを寄せて言う。

「太った?」

「そこは『育った』というべきじゃないカ?女として」

苦笑する超に誠亜はひとしきり胸を睨んだ後、嘆息とともに吐き出した。

「なるほど」

言って、ブラジャーは諦めて無造作にシャツに袖を通す。
素早くボタンを締めていく。
そして胸のところにたどり着いて止まった。
腹のところなどとは違って全く余裕がない。
引っ張るようにしてボタンを合わせるとまた不機嫌に唸った。

「きつい」

やはり胸のところが引っ張られている感があるが、こちらはかろうじて入ったようだ。
スカートを履き、腿までくる長い靴下に片足を通したところで唐突に何かに気づいたように目を見開いてこちらに顔を向ける。
そして焦燥をにじませた声で言い放った。

「いや俺男だから!体は女でも心は男だからあれでいいんだよ!危ねえ。あっさり受け答えしてた……」

「アハハハ。やっと気づいたカ」

「精神の女性化は止まっていないようだな」

意地の悪い笑みを浮かべたこちらを恨めしげに睨みながら誠亜はもう片方の脚にも靴下を履く。
用意された靴に足を突っ込みながら制服の上着に袖を通す。
ボタンを止めてやはり胸が苦しいらしく顔をしかめてボタンをすべて外した。

「よっしゃ!これでよし!」

満足げに言って胸を張り、

またも響いたぷつんという軽い音に凍りついた。
バストのトップに一番近い高さにあるシャツのボタンが弾けて飛ぶ。

憤激に体を震わせる誠亜を眺めながらエヴァンジェリンは顎に手をあてて半眼で言った。

「お前……なんというかかなり寿命を削ってそうだぞ」

髪の毛がそう簡単に何十センチも伸びるわけがないし、胸だって4日ぐらいで成長するわけがない。
確実に何年分か体が年をとっているのではあるまいか。

誠亜はその言葉に真剣な表情で虚空を見つめると一転して明るい表情でこちらに視線を戻した。

「たぶん大丈夫だ。寿命は……どうにかなると思うから気にすんな」

気楽に笑う誠亜に多分に疲労を感じながらエヴァンジェリンは額に手をあてる。
誠亜はそれを気にした風もなく超に向きなおると頭を下げた。

「とりあえずありがとう。お前のおかげで助かった」

素直に礼を言われて超は軽く眼を見開いた後、意地の悪い笑みを浮かべた。
親指と人差し指で丸を作る。

「いやいや。礼には及ばないヨ。まあ何だったら体で払ってくれればそれでOKだがネ」

しかし誠亜はきょとんとした顔で自分より低い所にある超の顔を見下ろすと問いかけた。

「体で?なんか力仕事でもあんのか?」

「ジョークをそんなふうにスルーされると微妙に悲しいものがあるネ」

首を傾げる誠亜に超は苦笑とともにその肩をたたくと気を取り直したように言った。

「そうネ。何か一つ頼みごとを聞いてくれるっていうのはどうカ?」

それに誠亜は頬を掻きながら答える。

「内容にもよるな。突然麻帆良を焼き払えとか言われてもさすがに了承できないぞ」

「そんなコトは言わんネ」

心外だと口を尖らせる超に誠亜は手を振ってごまかす。
ああだこうだと言葉のやり取りを続ける二人。
それを横目に見ながらエヴァンジェリンは茶々丸に目配せした。

茶々丸の瞳が淡く光る。
きづかれぬよう自然な動作で誠亜の体を上から下まで見通す。
スキャニングだ。
これである程度誠亜の体のことがわかるはず。

唐突に誠亜の体が跳ね跳ぶ。
一瞬で2メートルほど右に移動した誠亜は不審そうにこちらの、というより茶々丸の眼を見つめている。

茶々丸の視線が誠亜の体を追う。
だがその瞬間誠亜は左へと跳んでいた。
茶々丸が機械らしい素早い反射で視線で誠亜を追う。
だがそれよりもなお誠亜の体が右に跳ぶのが早かった。

誠亜が跳んで、茶々丸が追って、誠亜が跳んで、茶々丸が追って。
繰り返されるその行為はだんだんとその速さを増していく。

残像すら残して左右への跳躍運動を開始した誠亜の姿を茶々丸の眼が追い続けるが、いつまでたってもとらえきれない。

そのさまを眺めながらエヴァンジェリンと超は同時に口を開いた。

「「リーリーリーリー」」

「違う!」

妙なステップを加えて跳び方に緩急をつけ出した誠亜が器用に反復横とびを繰り返したままツッコミを入れる。
空気的にここらで終わりにするのが常套なのだろうが、律儀に誠亜の体をスキャンしようとする茶々丸はやめる気配を見せない。
それに対応して誠亜もまた跳び続ける。

放っておいたら2時間でも3時間でもやっていそうな二人にエヴァンジェリンは小さく告げた。

「やめていいぞ」




























三度続けて走った静電気にタカミチ・T・高畑は眉間にしわを寄せた。
空には雨雲一つないというのに、あたりでは小さな放電現象が絶え間なく起こり、まるで積乱雲の真っ只中の状況をそのままスケールダウンしたような様相を呈していた。

空には黒々とした色が落とされ、さらに不気味さを増している。

そこは廃墟だった。
都会からも離れ、交通の便も悪いためベッドタウンにもなれなかったさほど大きくもない街。
目立った名物もないため観光地になることもできず、次第に街は寂れ、人々は他の街に移り住んでいった。
過疎化が進むにつれて次々と空き家が増え、ゴーストタウンとなっていたところに大地震が襲った。
日本のような地震大国と違い、滅多に地震の起きなかったその地域では耐震など望めるべくもなく、その街は壊滅的な打撃を受けた。

わずかに残っていた街の人々が壊れきった街をなおすことよりも新たな地で生きることを選ぶのにも深い理由はいらなかったに違いない。

そうしてこの街は廃墟になった。
地割れが起きて大きく崩れた道路。
倒壊した家が立ち並び、残っている家々も大半が傾いてどこかしら壊れている。
学校などのもともと頑丈な建物だけがかろうじて形をとどめ、されど放置された年月に確かに少しづつ崩壊の道をたどっていた。



そう、そこは廃墟“だった”

タカミチは眼前の光景に険しい表情で煙草の煙をくゆらせる。

本来タカミチがここに来るのはもう少し先だった。
何人かの魔法使いとともにこの地に来るはずだった。

人のあまり寄りつかなくなった廃墟に居を構えた魔法使いによる犯罪組織を潰すために。
情報を集め、戦力を整え、着々と進む準備に決行の日を待っていたところに飛び込んできたニュース。
それがこの街についてだった。

誰もが我が耳を疑った。
そんな馬鹿なと口々に言った。

そして状況を確かめるためにタカミチが飛んだのである。
さすがにもうすっかり慣れてしまった長時間フライトを経て、単調な荒野を数時間車に揺られて現地にたどり着いたタカミチの前に広がった光景はあまりにも異様なものだった。

穴が。
黒々とした穴がそこに広がっている。
それだけだった。
さびれた廃墟とはいえ“街”があったはずのそこにあったのは、巨大で深い漆黒の穴だった。
乾いた大地が広がるそこにはだただ焼け焦げた黒い穴があいている。
建物一つ、廃材一つ残っていない。
焼け焦げた大地以外何一つ無かった。
無論そこには生き物はいない。
猫一匹、いや虫一匹いなかった。

それどころか命の息吹そのものが感じられない。
ちゃんと捜査したわけでもないのに「ここには生き物はいない」と断言できてしまう。
そんな異様な雰囲気が漂っている。

話によれば、もうこの街には一般人は住んでいなかった。
居たのは犯罪組織の人間だけだ。
己の欲を満たすために多くの人を苦しめるような連中だったが、それでもなおこれはやりすぎだと感じないでもない。

おそらく彼らは最初から最後まで何も分からなかったのではなかろうか。
何が起きたのか気づくこともなく、走馬灯を見ることすらできずに一瞬で塵一つ残さず消滅した。


知らず表情が険しくなる。
気がつけば煙草が根元の方まで灰になっていた。
スーツの上着のポケットから取り出した携帯灰皿に煙草を入れるとタカミチは嘆息した。

右手を前に差し出す。
すると待ってましたと言わんばかりに多数の小さな静電気が迸った。

「やっぱり雷の魔法かな」

明らかにおかしな現象だ。
強力な雷魔法の余波で、魔法が行使されてから数日が経過してなお大気に雷の力が残ってしまっている。

「千の雷……いや、いくらあの呪文でも街一つ跡形も残さず消滅させるにはそうとうな魔力が必要になる。そんな術者は……」

一瞬英雄とうたわれた男の顔が脳裏をよぎるが、タカミチはすぐに否定した。
彼はすでに死んだとされている。
行方のようとして知れない彼だがこんな真似をするわけがない。

「それにいくらなんでも残骸一つ残さずというのは無理かな」

あまりに広大な黒穴を見つめながら呟く。
常人の視力では穴の向こう側に人が立っていても絶対に見えっこない。
かなり深い穴の底、おそらく地下施設でもあったであろうそこを見下ろす。
コンクリートの欠片も溶けた鉄骨も何もない。
少なくとも地上には廃校があったはずなのだが痕跡すら残っていない。

もう一本煙草を吸おうか考えたところで携帯の呼び出し音が鳴り響いた。
胸ポケットでバイブレーションとともに音を立てるそれを開いて受話ボタンを押す。

聞こえて来たのはよく知る声だった。
顔は映らないが浅黒い肌の自分と同じ魔法教師の顔が脳裏に浮かぶ。

「そちらはどうですかガンドルフィーニ先生」

問いかけると電話の向こうで僅かに息をのむのがわかった。
彼は比較的真面目な、というか真面目すぎるところもある人だが、いつも以上に真剣な声音で言ってくる。

『どうにも信じがたいですよ。自分の目で確認してもなお』

ガンドルフィーニ先生はこことは別の場所に行っている。
同じように自分たち魔法使いが手を出す前に消滅した別の組織の拠点にだ。
ここからは千キロ近く離れたところにある拠点だ。
廃墟を利用していたこちらと違い、山を使っている。

『山一つ、綺麗になくなってます。かなり地下まで消し飛ばされてますからおそらく生存者はいないでしょう』

大きく息を吐きながら問う。

「囚われていたはずの人たちは?」

『全員一番近い村の中で保護されました』

「犯人が事前に保護したということかな?」

『おそらくそうだと思います。ただ彼らは気がついたらそこにいたそうで、犯人の姿も声も聞いていないそうです。ただ……』

言葉を出し渋るガンドルフィーニにタカミチは軽く眉を跳ね上げながら待つ。
数秒ほどして声が再開される。

『監視の人間が、もうじき英雄の息子が仲間入りするだのなんだのと言っていたそうです』

知らず表情が引き締められる。
英雄の息子。
その単語が魔法使いの口から出てきたとすれば、それをネギ・スプリングフィールドに結びつけるのは容易い。

「次の狙いは麻帆良だったってことか……」

口元を歪めながら言う。

「それでも……感謝する気にはなれないな」

『当然です』

もう一度無残な破壊跡を目に収めながらタカミチは問いかけた。

「ところでどう思いますか?」

いろいろと単語の足りていないところがあるがそれでもガンドルフィーニはすぐに返答を返してくる。

『千の雷あたりが怪しいと思いますが……少し気になることがあるんです』

「気になること?」

『近隣の村ではあれは天罰だ、神の裁きが雷となって降り注いだんだって騒がれているんです』

「なるほど」

確かに妙な話だ、山一つ消し飛ばすような威力の雷魔法を雷と認識できるだろうか。
普通に考えれば「一瞬なにか閃光が走ったら山が消し飛んだ」と感じるはずだ。
普通そんな威力の雷など存在しない。
爆弾か何かだと考えるのが普通ではないだろうか。

ふと気づいて電話越しに問う。
何故こんなことを思いついたのかはわからないが、この悪い想像が現実のものだったとしたら正直恐ろしい。

「ガンドルフィーニ先生。そちらで魔法が使われた時刻はわかりますか?」

『二日前の午前2時4分ほどです』

拳を握り締める。
やはりか。
タカミチは眉間にしわを寄せる。

『どうかしましたか?』

問いかけてくるガンドルフィーニにタカミチはゆっくりと吐き出した。

「こちらで攻撃が行われたのもほとんど同じ時間なんだ。つまりは千の雷を、あるいはそれに匹敵する雷魔法を使える人間が二人いる。それか立て続けに2度放てる人間がいるということになる」

電話の向こうで息をのむ音がした。
タカミチはまだ見ぬその人物を脳裏に思い描いてもう一度拳を握りなおす。

『高畑先生。私はもう少し調べてから戻ります。術者がまた戻ってくるかもしれないのでそちらも注意してください』

そう言って切れた携帯をスーツのポケットにしまいながらタカミチは踵を返した。
まとわりつく静電気を引っ張りながら足を進める。


そして唐突に転がり出てきた何かに足を止めた。
凄まじい速度で虚空から現れたそれは地面で数度バウンドし、頭で地面を擦ってようやく止まる。

それはゆっくりと立ち上がると大きく身を反らして伸びをした後、服についた埃をはたき落した。

黒装束に黒ずきんをかぶったなんちゃって忍者な男だ。
だがその顔には見覚えがあった。
彫りの深い顔立ちに髭がよく似合っている男。
髪をオールバックにしているはずだがあいにくと今は頭巾で見えない。
タカミチは唖然として問いかけた。

「ロキ……どうしたんだい、そのありさまは?」

問われた男――ロキはそこで初めてこちらに気づいたように視線を向けた。
そして自分の体を見下ろしたあと周囲を見回して嘆息する。

「気にするな。少々お仕置きされていただけだ」

「おしおきって……」

思わず冷や汗が浮かぶ。
ロキの体は上半身が左半分吹き飛んでいた。
まるで大火力の魔法でも直撃したかのように円形に体が抉り取られ、断面は完全に炭化している。
心臓も脊柱も明らかに吹き飛んでいるのだがロキは平然としていて痛そうなそぶりも見せない。

ロキは自分の体を見下ろしながら口を尖らせた。

「まったく。遠慮のない奴め。私でなければ直らんぞ」

言いながら目を閉じて体に力を入れる。
すると見えるか見えないかという半透明なものがあふれ出してロキの体の欠けている部分を形どった。
それが終わるや否や半透明な部位はまた姿を消し、代わりに立体映像でも投影するような気軽さで肉体が再生していく。

ロキは再生した体を左右に捻り、二、三度拳を握ると深く息を吐きだした。

「まさか11年前の悪戯の仕置きをいまさらされるとはな。確かにあの時妙にあっさり追撃をやめたからおかしいとは思ったのだ。今回もやけに好意的だったし」

呆気にとられて、毒づくロキを見る。
ロキは再生した左手で頭をかいた。
そして眼を見開く。

何かと思ってタカミチが振り向くとそこには無数のボクシンググローブが浮いていた。
鮮やかな赤のボクシンググローブが無数に宙に浮かび、こちらに拳を向けている。
その正面には5文字の日本語が書かれていた。

『八つ当たり』と

軽く見積もっても100個は浮いている。
そのすべてが今か今かと主の合図を待つ犬のように体を揺らしながらこちらを睨んでいた。

「ロキこれはなんだい?」

「私に聞くな。少なくとも今日話を聞きにいった奴はこんなもんはつかわん」

問いかけに帰ってきたそっけない返事にタカミチは嘆息とともにポケットに両手をつっこんだ。
攻撃、防御、反撃、あらゆる行動を即座に行えるよう体から無駄な力を抜く。

「3,2,1……」

テレビ越しに聞いたロケットの発射カウントダウンのような音が鳴る。

「0!」

カウントがゼロに達するとともにグローブたちは一斉に動き出した。
弾丸じみた速度でロキとタカミチめがけて飛びかかる。
空を裂いて迫る拳たちを冷静に見つめながらタカミチは右に向かって跳躍した。
瞬動は使ってないが、それでも咸卦法によって強化された脚力が生んだ速度はかなりのものだ。
タカミチは一瞬前まで自分のいた場所を通り過ぎるグローブを横目にして……衝撃に吹き飛ばされた。

回転する視界に驚愕する。
確かに躱したはず。
それは間違いない。
だが事実としてタカミチの体は吹き飛ばされていた。

1発目を躱した一瞬の隙に別のが当たった。
そう考えるしかない。
タカミチはそんな見え透いた手に引っ掛かるほど間抜けではない。
その自覚はあった。
だが事実喰らったのだからしょうがない。

今まで以上に気を引き締め、迫りくる3つの拳を睨む。
そしてそれがタカミチの頭に食らいつく一瞬前に瞬動で斜め前に跳ぶ。

そして眼の前にあるグローブに喉の奥で驚愕の声を飲み込んだ。
衝撃が顔面を突き抜ける。
一瞬息をつまらせながらも空中で姿勢を整えたタカミチはさらに迫りくるグローブを睨んだ。
数は2つ。
左右に二つ並んで真っすぐ一直線に突っ込んでくる。
どうやらあのグローブは一撃加えたら力を失うらしい。
地面に『八つ当たり』ではなく『済』とかかれたグローブが二つ転がっている。

二つのグローブが軌道を変える。一つは加速しながら高度を下げ、もう一つは減速しながら高度をあげる。
時間差攻撃をしようというのだろうが、あいにくとタカミチの技は非常に出が早い。
手前のを潰したあと奥のグローブを潰すのも容易だ。
地を滑るような低い軌道で迫るグローブに上から豪殺居合拳を叩きつける。
強烈無比な拳圧がグローブを潰して大地を陥没させる。

そして鳩尾に走った痛みと浮き上がる体に眉をしかめた。
目で確認するまでもない。
グローブの一撃が鳩尾に突き刺さっていた。

2発目はまだ着弾まで余裕があると思っていたが、加速したのか。
そう考えて一直線にこちらの顔面に突き進むグローブに悔恨の呻きを洩らす。

強引に体を捻って頭を弾道から逸らす。
だがグローブはその動きにぴったりと追従していた。
豪殺居合拳は間に合わない。
軌道をそらすために居合拳を数発撃ちこむ。
しかしグローブは拳圧の隙間を縫うように全く減速しないで突き進んできた。
足に魔力を込める。
足元で炸裂する魔力と脚力で自身を後方へと跳ね飛ばす。
虚空瞬動と呼ばれる技術だ。

これで一端距離をとって体勢を立て直す。

だがタカミチの目論見はあっさりと崩れ去った。
グローブはなおもぴったりと付いてくる。
タカミチがどれだけ動き回り迎撃しようと、タカミチとの距離を全く同じペースで詰めてくる。
鼻っ面に突き刺さる一撃。
衝撃が脳を通って後頭部から抜ける。
一瞬体をぐらつかせながら、タカミチは視線を巡らせた。

(残りのグローブはどうなっている。ロキは?)

異常なまでの追尾性能だが威力はさほど大きくはない。
タカミチのタフさと咸卦法のポテンシャルを鑑みればどうということもない。

第2波に警戒しながらも素早く周囲の状況を探るそして見えてきたのは。


「ブグフォオウワアアアア!!」


90を超す拳の群れに寄ってたかって殴られているロキの姿だった。

「ゲグフッ!待て待て!昨日喰ったものが出る!」

ロキの悲鳴などお構いなしに拳たちは打ち据える。

「ギブギブギブギブ!」

鋭い拳激はなおもロキの肉体を穿ち続ける。
鈍い音が連続して響き渡った。

「キュグォッッ!!!き、貴様……たちっ!神とて男……そこだけは打たぬが情けというものでは……ないのかぁっ!!!」

股間に痛烈な一撃をくらったロキが額に汗をびっしりと浮かべながら内股で叫ぶ。
降り注ぐ拳の雨に体を何度も地面に叩きつけられるロキ。
だがこのグローブの仕掛け主には情けなどなかったようだ。
あるいは底抜けに意地が悪いのか。

「ぬあああああ!!待った待った!頼むからそこばかり打つのはああああああ!!」

股間に向けて殺到する拳からロキが必死に逃げ惑う。
時にはタカミチですら全く捉えられない高速で動き、時には得体の知れない漆黒の盾を形成し、時には無数の光を放ち、時には空間を歪める。
だがグローブたちはタカミチに襲いかかったとき同様、その抵抗の尽くを無視して確実にロキの股間を打ち抜いていく。

とうとうロキの体がくず折れる。
地面に倒れて痙攣し出したロキに残ったすべての拳たちが一斉に降りそそいだ。

「ぬがあああああ!」

機関銃でも撃ち込まれたかのように一撃ごとに土煙が舞いあがりロキの姿を隠していく。

10秒ほどして静かになった大地を粉塵のカーテンが閉ざす。
少し待って、一向に晴れる気配のない視界にタカミチは嘆息ともに腕を横薙ぎに振るった。
生じた風圧が茶色の煙幕を吹き散らす。

煙が晴れて見えてきたのは無残なまでにズタボロになったロキの姿だった。
忍び装束はただの布切れと化し、顔は見事なまでに腫れあがっている。
大事なところはズボンに隠れて見えないが、まああまり想像したくない。
タカミチはそっと近づくとおそるおそる問いかけた。

「死んだかい?」

「勝手に……殺すな……」

横たわるロキの口から即座に突っ込みが返ってくる。
この様子なら特に問題はなさそうだ。
ロキは億劫そうに立ち上がると、こちらの顔を一瞥してのたまった。

「なんて顔をしているんだ高畑。腫れてるぞ」

「君にだけは言われたくないよ」

苦笑をセットにして返すとロキは自分の顔に手をあてて呻いた。

「むう。これはひどい」

そう言ってロキは首を左右に傾けて筋を伸ばしだしたと思ったら、その頭が唐突にゆっくりと回転しだした。
眼と口が淡いオレンジ色の光を発し、喉は低い妙な唸りを発し出す。
その音はいうなれば電子レンジでものを温めているときの音だ。
ロキの顔が後ろを向き、1回転して前面に戻ってくる。

1回転するごとに顔の腫れが引いていくのを口元を引きつらせて見ながら高畑はぽつりと呟く。

「もっと普通に治せないのかい?」

「はっはっは。別にこの治し方の何が悪い」

チーンと甲高い音を立ててロキの頭の回転が止まる。
それと同時に目と口の出していた光も収まっていった。

そこには完全に傷の治ったロキの顔がそこにある。
あれだけ腫れあがっていた痕跡は何一つ無く、さっきまでボロ雑巾のようになっていたのと同じ人物とは思えない。

服もいつの間にか新品の忍び装束に変わっていた。
何故か色はピンクでスカートっぽいパーツがついているのが気になるが。

自分の姿に満足したらしいロキは一度大きく頷くとなんだか妙な“つまみ”を持ってこちらににじり寄ってくる。
なんというか一昔前の電子レンジのつまみのようなものだ。

「ところで高畑。そのままではせっかくのナイスミドルが台無しだぞ。治してやろう」

非常に遠慮したい。
実に楽しそうなロキの顔とその手のつまみを見るとそんな感情がふつふつとわきあがってくる。

「いや、それよりもさっきのは何だったんだい?」

話題を反らす意味も込めて先ほどの謎の襲撃について問いただす。

「だから私に聞くなと言っているだろう。八つ当たりと書いてあったからして、私の行動から私に報復しそうな者をピックアップしても意味がない。あんな真似ができる人物ということで探しても、さっきの私がダメージと咄嗟のことで反応できなかったという点を踏まえると容疑者が多すぎてどうにもならん。さあそんなことより治療をしてやろう」

しかしロキは口早に答えながらもにじり寄る足を止めない。
なんだかフェンシングの選手のような構えで“つまみ”を握った手をこちらに向けている。

「参考までに聞いておきたいんだけど、どうやって治療するのかな?」

「はっはっは。そんなに気負うことはない。単にこのつまみを付けて捻るだけ。あとは45秒で治療完了だ。今日びの肉まんを温めるのと同じ時間で傷を回復できる便利アイテムだぞ」

「正直それで首が回ったり目が光ったりするのはいただけないんだけど」

ロキが迫る分だけ後ずさる。
進んで退いて。進んで退いて。

タカミチの足が巨大な黒穴の縁にたどり着いた瞬間、ロキが雄たけびをあげる。

「パイルダァァオォォォン!!」

叫びとともに頭に黒いヘルメットを装着した。
ヘルメットの頭の上にはデジカメが固定されこちらの顔を映している。
いつのまにか両手に“つまみ”を持ち、これまたいつのまにか身につけていた腰のホルスターには銃口に“つまみ”のついたリボルバーが挿されている。
忍び装束の上からウェスタン風のジャケットを羽織っていた。

「いぃまこそ!麻帆良学園にて尊敬と畏怖を同時に集めるナイスミドル、デスメガネの珍映像をこのカメラにぃぃい!!」

大事なところに大ダメージを負ったことでタガが外れたのか、アドレナリンに流されるままに体を高速回転させて叫ぶロキにタカミチは顔を引きつらせた。

咸卦法を発動させて跳躍する。
居合拳を打ちこむとロキの体の回転が速さを増し、その拳圧を弾く。

「はぁーはっはははは!」

独楽のようにくるくると回転しながら(なぜか首から上だけはぴったりとタカミチの方を向いたままだが)高笑いとともに追いすがる。

「待つがいい!」

「御免こうむるよ」

タカミチがロキを黙らせて、もともとの目的であった調査を再開するのはそれからきっかり1時間後のことだった。











(急いで付け足した)あとがき

感想でクロス?と戸惑わせてしまったようなのであわてて追加です。(言い訳とも言う)
この作品内ではロキと呼ばれる自称神や仙人が存在します。
また三国志(演戯)の登場人物も実在したという設定です。

仙人のキャラを考えるにあたって封神演義から名前(キャラ?)を借りてきてみました。
前に出てきた呂布も名前と設定の一部だけ借りてきたオリキャラなわけで、今回も普通にやっていましたが、よく考えたら問題でしょうかね。

歴史上の人物や超著名作品のキャラをオリジナル化するという意味で戦国BASARA、三国無双、恋姫無双、バトル封神とかそのあたりの真似をしたという感じです。

今回ちらりと出てきたのは一応申〇豹さんです。
口調が普通にマンガ版と同じようなのは、自分の中でマンガ版のイメージが強すぎたせいでしょうか。
あとこの先ほとんど出ない(予定)なので深く考えなかったってのもあるかもしれません。
そういえば申〇豹が雷〇鞭を持ってるのって安能務氏のバージョンと藤崎竜先生のマンガであって原作にはないんですよね。

拙作ですが今後ともお付き合いいただければ幸いです。



[9509] 第27話 バカな
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fec45ae0
Date: 2010/02/25 16:58
神と俺のコイントス

















世界最大規模の学園都市、麻帆良。
西洋の町並みをモデルにした日本では風変りなそこは、やはり高いところから見ると面白みに欠ける普通の街との違いがよくわかった。
多くの人々の営みを天を突かんばかりの世界樹が見守り、吹き抜ける風も都会特有の濁った感覚が薄い。
これはやはり各所に緑を配し、また近くに大きな山があるせいだろうか。

学園都市というだけあって、ここには多くの学校が林立しているわけで。
そのなかの一つ、女子中校舎の屋上で風間誠亜は腕を組んでいた。

男であっても――もとは男なのだが――長身の部類に入る上背と狼じみた目つき、豊満な胸とくびれた腰、丸い尻からは二十歳ほどの女性にしか見えない。
だが彼女はこの麻帆良中の教師ではなく生徒。
一応表向きは中学2年生、いや3年生だった。
この外見で中学生だなどと誰が信じようか。
むしろ高校を通り越して大学生と思われても何ら不思議ではない。

ところが驚くことに誠亜のいるクラスには彼女に勝るとも劣らない身長やスタイルの少女たちがいたのだ。
おまけに実年齢が17――だったはずだがすでに誠亜自身確証はない――の誠亜と違い彼女らは正真正銘の中学生だというのだから世の中不思議なものである。

誠亜は長い黒髪が風に揺れるままに目の前で不機嫌に唸っている少女を見つめた。
ふくらはぎまで達そうかという豪奢な金髪を誠亜同様風に靡かせながら少女は目を吊り上げてこちらを睨み上げてきている。

小学生じみた小柄さをもつ彼女、エヴァンジェリンと誠亜が同じ学年だとわかる人間はそうそういないだろう。

そこまで考えて誠亜はとりあえず現実逃避するのをやめることにした。
とりあえず現状を整理する。

いま現在自分はエヴァンジェリンに睨まれている。
怒られていると言い換えてもいい。
言葉を投げかけられるわけではないが、纏う空気とその表情がこちらを叱責していた。

原因はやはり数分前の出来事が原因だろう。
今日も今日とて必要以上に賑やかな授業をすべて終え、放課後というフリータイムに突入して幾分かしたころだろうか。

直帰の帰宅部が帰るには遅く、部活に精をだす少女たちが帰るには早すぎる微妙な時間帯。

学園エリアであるがゆえにこの時間帯において無人の空白領域ができたのも頷けるものだった。
本来なら気にもせずに家路につくところだが今日ばかりはわけが違った。
何の偶然かその空白領域にただ二人、誠亜とネギ・スプリングフィールドが居たのである。
おまけにネギは誠亜に気づいていなかった。

なんかいまならいけるんじゃないかとつい気配を殺して忍び寄り、首筋にチョップを打ち込んでしまったのもしょうがなかろう。

誤算だったのは何の前触れもなく、いいんちょの名で親しまれているクラスの委員長、雪広あやかが現れたことか。
「ネギ先生の危機!」とか叫びながら本当に唐突に現れた。
ネギにチョップを打ち込む前に周囲の気配はしっかりと探ったのだが、無論雪広はおろか人の気配は一つとしてなかった。
まあタネを聞いたところでネギへの愛だとかなんとか言われて終わりだろう。

あまりに突然のことで髪を操って自分の顔を隠し、咸卦法を行使して最速で跳躍していた。
おかげで顔や姿を見られることはなかったものの、地面に直径数メートルの陥没跡ができてしまった。
弁償させられないか微妙に心配だ。

やはりこれが原因だろう。
敵の多いエヴァンジェリンにとって魔法使いの警戒を強める行為は看過しがたいものなのだろう。

状況を確認。
神妙な口調で言う。

「悪かった」

謝罪の言葉を述べるとエヴァンジェリンは幾分か表情を緩めて、代わりにため息をついた。
額の髪をかきあげて呻くように言った。

「もうじき満月だ。今日の夜は桜通りで獲物を探すから予定を空けておけよ」

ああと言いかけて誠亜は小さく首をかしげた。
胸に浮かんだ疑問をそのまま問いにする。

「血なら俺ので充分だろ?魔法先生に見つかるリスクを冒してまで、なんでまた桜通りで?」

するとエヴァンジェリンは不敵な笑みを浮かべた。
その表情は人形じみた可憐さをもつ彼女と不思議とよく合い、妖しい魅力を醸し出す。

「今度のは撒き餌さ」

「そうか今度はまき絵か」

何か食い違ったような気がして誠亜は眉根を寄せた。
見るとエヴァンジェリンも似たような表情をしている。
エヴァンジェリンは訝しげにもう一度言ってきた。

「意味は分かっているか?撒き餌だぞ」

「だからまき絵だろ?」

また何か致命的にすれ違ったような感覚に誠亜とエヴァンジェリンは同じように首をかしげた。
とりあえず次のターゲットはわかったが、それを襲う理由が分からない。
誠亜は改めて問う。

「で、なんでまき絵を襲うんだ。たぶん俺の血の方が魔力回復に役立つと思うんだが」

そう問うとエヴァンジェリンはようやく得心が言ったように小さく頷いた。

「佐々木まき絵のほうじゃない。獲物をおびき寄せるために撒く餌の方の撒き餌だ」

誠亜もまた喉の小骨が取れたような晴れやかな顔で答える。

「ああなるほど。するってぇとそれでネギをおびき出すってことか?」

言ってからふと気づいて口を開く。

「ちゃんとネギ気づくのか?やっぱ記憶は消すんだろ。ネギの奴今まで全然エヴァンジェリンのことに気づいてないように見えたんだが、今回も気づかれずに終わるんじゃねえか?」

あの正義感の強い少年が学園の生徒の血を吸う吸血鬼がいると知ったら、即座に自分が何とかしなきゃと息巻いて飛びだしてくるように思えたのだがどうなのだろう。

だがそれはただの杞憂だったようでエヴァンジェリンは腕を組んで答えてきた。

「問題ない。餌の体にあのぼーやなら気付けるぐらいの魔力痕跡を残しておく。さらには吸血後、少しの間人払いの結界を張って発見を遅くしてぼーやが学校にいる間に確実に餌のことが騒ぎになるよう仕向ければ、十中八九解決に乗り出してくるだろうさ」

「俺はどうすればいいんだ?」

「別に誰かと戦うわけじゃないからな。少し離れた場所で警戒していろ。ああ、一応正体を隠せるような格好にしておけよ」















第27話  バカな















瑞々しい乙女の柔肌が並び立つ。
年齢からか艶やかさよりも清々しさを感じる裸体達を前にしながら、というかその風景の一部になりながら誠亜は嘆息した。
すっかり慣れてしまっている自分にだ。

下着姿で腰に手をあてて嘆息する。
小学生じみた連中から自分も含めて大人顔負けのスタイルの持ち主まで多種多様な女性が皆下着姿で思い思いに談笑する。

年頃の男ならば危険を冒してでも覗きたいものなのだろう。
自分がまだ普通に男として過ごしていたころ、修学旅行先で女風呂を覗こうとしているクラスメートがいたのを思い出す。

立ちふさがるガーディアン――誠亜だが。
仲間の気がそれた瞬間瞬きの間に仲間を屠るアサシン――これも誠亜だが。

一人また一人と消えていく仲間たちの屍を越えてヴァルハラ(女風呂)へと突き進んでいく戦士の姿がそこにあった。

まあそんな戦士(覗き)達を一人残らず血祭りにあげて、般若と化した女性陣の前に突き出したのはほかならぬ誠亜だったのだが。
女性陣の頼みで行ったことだ。
客観的に正しい頼みだったし、まあいいかと請け負ったのだが何故だかクラスの男どもに一週間ほど裏切り者呼ばわりされた。
ちなみにダイゴは誠亜と同じように女性サイドについて暗躍していた。


なんだろうか。
思えば自分は比較的女子の側についていたような気がする。
邪まな念はあまりない。
誠次からとって誠爺というあだ名ができるぐらいに性欲は薄かった。
むしろだからこそ女子たちは対男子兵器として自分を度々導入したのだろうか。

もし自分が男のままこの空間に紛れ込んだとして、感じるのは『女子の着替えに男が乱入してしまった』という気まずさだけなのではないだろうか。
クラスメートたちの着替えや裸などにさしたる情動を覚えないのは女になったからだけでなく、もともとというのもあるのかもしれない。

(あ、なんかそう考えたら少し気が楽になったな)

口の端を小さく吊り上げる誠亜は唐突にかけられた声に振り向いた。

「ム!?誠亜、余裕の笑みアルか?」

「は?」

思わず問い返すと色黒で快活そうなダブルシニョンの少女がどこか挑戦的な表情で

「さてはダイエットに成功でもしたアルか?ん~どれどれ…………はっ!」

面白がるように笑みを浮かべていた顔が唐突に驚愕に固まる。
古菲はそのまま誠亜の周りをぐるりと一周すると無操作に胸を掴んできた。
一度軽く握った後、愕然とした表情で叫ぶ。
漫画ならば劇画タッチになっていそうな勢いだ。

「育ってる!」

「いやそんな叫ぶことじゃないだろ」

苦笑とともに言うと、いつの間にか背後に回っていたのか何者かの腕がわきを通って伸びてくる。
二本の腕はそのまま誠亜の胸のトップに白くて細長いひものようなものを押しあてた。
そのままひもは誠亜の体を一周して背中側で交差される。
よく見ればその紐は等間隔にメモリがついていて、目盛には数字が刻まれていた。
メジャーと言うやつだ。

首をひねって後ろを視界に入れると、早乙女が戦慄の表情でメジャーのメモリを凝視していた。

「こ、これは!」

「な、何アルか!?」

すかさず駆け寄った古菲が同じようにメジャーのメモリを覗き込んで真剣な表情で押し黙る。

早乙女と古菲は驚愕に凍りつき、誠亜もまたどうしていいかわからずに動きを止める。
ビデオの一時停止をしたかのような三人を不審に思ったのか、髪を後ろでまとめて散らした少女――朝倉和美が笑みを浮かべて近寄ってきた。

「どうしたの?なんか事件?」

「いや事件って言うほどじゃねえよ」

ようやく動き出すきっかけを得て誠亜は安堵の息を吐くように言葉を返した。
だが古菲と早乙女の表情は誠亜の言葉を否定していた。
どこか沈痛な面持ちで自分を見る二人に朝倉は表情を訝しげに歪めて問う。

「え、何?」

戸惑う朝倉に早乙女はかぶりを振る。

「誠に残念なことだけど……」

それに古菲が続いた。

「今日このときをもって朝倉はNO.5アルよ」

「NO.5?」

首を傾げる誠亜に対し朝倉はバックに雷を走らせて、ゆっくりと古菲の隣へと足を進める。

「なあ、お前ら何を」

「動かないで」

たまらず振り向こうとした誠亜を朝倉の声がぴしゃりと遮る。
その言葉になにか逆らい難いものを覚えて誠亜は言われたとおり背筋を伸ばして前を向いた。

背後からやはり戦慄に満ちた朝倉の声が流れてくる。
何に戦慄しているのかはなはだ不明だが。

「こ、この数字は……」

「これは問題アルね」

「今までほとんど変化のなかった3-Aバストサイズランキングに変動が……」

3人で顔を突き合わせて真剣な声音で話し合う。
バストサイズランキングだか何だか知らないが、少なくともそんなことを話す人間の声音ではない。

ひたすらに誠亜が困惑していると少し向こうでアスナが苦笑いとともにこちらを見ていた。
視線でSOS信号を発する。
だがアスナがこちらに歩み寄ろうとしたとき、丁度測定の順番を告げる雪広の声が届く。
アスナはこちらと体重計でしせんを交互させるが、あとが詰まっていると急かす雪広の声に従って体重計の方へと向かっていってしまった。
あいまいな笑みとともに顔の前で手を立てて謝罪の意を示す。
援護部隊の撤退に嘆息する誠亜の後ろでなおも謎の会議は続いていた。

「そういえば今日初めて気づいたんだけど、誠亜さんの体つき結構柔らかくなったよね」

早乙女の言葉に古菲は頷く。

「うむ。前は鋼そのものだたが、まだ筋肉質とはいえかなり女性らしくなったアル」

朝倉はすこしだけ悔しげだ。

「筋肉が落ちた……いや太ったのかしら?」

「太さはそれほど変わらないように思えるけど」

「いやちょっとふくよかになったって」

「そうアルか?ワタシは筋肉の分細くなったように見えるアルが」

3人は止まらない。
そのまま重大な作戦を考える軍人のような空気を纏いだす。

「まさか不動のトップ3が……」

「そう言えば誠亜のスリーサイズってちゃんと測ったことなかったアルね」

腕が疲れたからというわけではないのだが、いい加減この状況から抜け出したくなって誠亜は振り向いた。
もうやめていいか問おうとして凍りつく。

古菲と早乙女と朝倉が、一様に真顔でメジャーを持ってこちらを見ていた。
何かを言う暇もなく、3人は素早く誠亜の胸と腹と尻にメジャーを巻く。

「……」

胸にメジャーを巻いた朝倉が数字を読み上げる。
夕映とのどかに鳴滝姉妹が振り向いた。

「……」

古菲がウェストに巻いたメジャーが示す数字を読み上げる。
チア部3人娘、明石に雪広が振り向く。

「……」

早乙女がヒップの数字を読み上げた。
なんかいろいろクラスメートたちが振り向いた。

今度こそ困惑に言葉も出ない誠亜の眼前で、古菲達3人はメジャーから手を離さないまま低い声でハモる。

「「「……バカな……」」」

「いやなにが?」

問いかけるが答えはない。
自分のスリーサイズが問題なのだろうが、どう問題なのかいまいちはっきりしない。

「そこの方達。何してるんですの?誠亜さん、順番ですから来てください」

かけられた声に誠亜は一瞬希望の光を見出したかのように顔を輝かせたが、次の瞬間響いた声にその表情を引っ込めた。

「そうか!体重か!」

「何か一つくらい欠点があるはず!この場合きっと見た目に反してかなり体重が重かったりするのよ!」

何故か意気込む朝倉達に気圧されながらも誠亜は体重計に恐る恐る足を乗せた。
すこしずつ体重を移していきながらふと気づいて眉をしかめる。
何故にこんな体重を計るのにプレッシャーを感じなければならないのだ。
絡みつく何人かの視線を振り払うようにかぶりを振って誠亜は両脚を体重計に乗せた。

いつの間にか誠亜のわきから朝倉と早乙女がメーターを覗き込んでいる。

「さあ!何……キ……ロ…………」

尻すぼみに言葉が消える早乙女。
誠亜はそれを不審に思いながら自分もメーターを見下ろした。

その数字をみて、一度目をこする。
もう一度目を開いてもその数字は変わらなかった。

ぽつりと呟く。

「おや。ちょっと重いな」

「「ちょっとじゃない」」

左右の二人が全く同時にこちらに突っ込みを入れた。

呆然としながらも朝倉はどこからともなく取り出した――ちなみに朝倉も下着姿である。本当にどこから取り出したのか。髪の中か?――カメラでメーターを撮る。
そのままこちらの方を向くカメラのレンズを無意識に手の平で塞ぎながら、間の抜けた声を上げた。

「はあ、なるほどねぇ。ひょっとして俺が泳ぎだけは苦手なのってこの重さが原因だったんだろうか」

体積が同じで重さが大きい、つまりは比重が大きいとなれば水に沈みやすくなるのは必然だ。

「重いんじゃないかとは言ったけど、これほどとは……」

今だメーターを睨みながら朝倉が言う。
それとは別に早乙女がヒュー・ジャックマンの似顔絵を手に真顔で問いかけた。

「誠亜さん、ひょっとして全身の骨格がアダマンチウムだったりしない?」

「俺はどこのウルヴァリンだ」

苦笑とともに返す。
ふとエヴァンジェリンの視線がこちらに向いているのを見て誠亜はあわてて体重計から降りた。
彼女の眼は、今は表の方で目立つなと言っていた気がする。

「そういえばまき絵の奴はどうしてんだろうな?」

この場にいないまき絵がまだ話題に上らない。
一応廊下で無意識にこちらの会話に聞き耳を立てているネギの注意をひけないものかと自分で話題に出すことにした。

出したあとで少しわざとらしかっただろうかと後悔する。
どうにも自分はこういう他者の考えや話を誘導するのは得意ではない。
まあ頭を使うこと全般が苦手なのだが。

まあクラスの連中はあまり深く考えずにまき絵について話し出した。

「今日は身体測定だからずる休みしてるんじゃないアルか?」

古菲の言った言葉に鳴滝姉が胸を張る。

「まき絵胸ぺったんこだからね~」

全く自分が見えていないセリフに妹が嘆息とともに言葉を吐き出した。
視線を那波の胸から隣で張られた真っ平らな姉の胸に移し、次に自分の胸に移してもう一度溜め息を吐く。

「お姉ちゃん、言ってて悲しくないですか?ブラもしてないですのに」

ひょっとしてそれは自分にも向けられているのだろうか。
まあ正直胸のある自分が慰めても逆効果な気がしてきた。

それよりも重要なのはまき絵だ。
彼女の話題が上らない。
桜通りの吸血鬼の噂に話が発展すればパーフェクトなのだが。

もう一度自分で話題をあげるか。
あげるとしたら間接的に誰かを誘導した方がいいのだろうか。
悩む誠亜だが、刺すような気配を感じて振りかえった。
その先ではエヴァンジェリンが自然な仕草で小さく首を横に振っている。

黙っていろということか。
言われたとおりに黙っているとクラスメートたちの雑談は自然と桜通りの吸血鬼の話になっていった。

おおもとの噂から麻美のせいで流れた間違った噂、そしてそちらは悪ノリした女子大生の仕業だったという話まで。

吸血鬼の話に鳴滝姉妹やのどかなど気の弱い面々が震えだし、木乃香は吸血生物チュパカブラなる絵を黒板に鼻歌交じりに描き出す。
細い手足にやたらと大きな楕円形の目。
口からは蚊のような血を吸うための管が出ている。
一言で言うなら宇宙人じみた謎の生物だ。
そしてその絵をみて鳴滝姉妹とのどかが再度震えだす。

その様を見た早乙女が眼を光らせ、木乃香の描いたチュパカブラに修正を施し、より肉感的かつ不気味にグレードアップした。
恐怖の度合いを増したのどか達はとうとう眼尻に涙を浮かべ出す。

その時だ、廊下の向こうから高い少女の声が響きわたった。
声からすると和泉だろう。
気配的にも間違いない。

「先生――!大変や!まき絵が……まき絵が――!!」

どうやらうまくいったようだ。
息を吐いてエヴァンジェリンの方を見る。
さも当然と、胸を張る彼女に感嘆の念を覚えながら身体測定の用紙に自分のスリーサイズと体重を書きこもうとして、再び聞こえてきた叫びに動きを止める

振り返ると、和泉の言葉に慌てて窓からドアから顔を出した下着姿の女性たちにネギが悲鳴を上げていた。

誠亜は視線を用紙に戻し、口もとに苦笑いを浮かべて呟いた。

「マセガキめ」


































「え?別行動?」

誠亜は電話越しに聞こえた単語に思わずオウム返しに問い返した。
女子寮の誠亜の部屋である。
別に声をひそめもしないのは、エヴァンジェリンと行動することもあるということでティーをしばらくダイゴの方に預けてあるからだ。

かつては全体的に部屋に転がる物に脈絡がなく、また数も少ない部屋であったが最近はゲームや漫画、あとぬいぐるみが増えつつある。
増えた分はほぼすべてティーの物だ。
ぬいぐるみが小さい猫と大きめの狼ばかりなのには何か意味があるのだろうか。
ちなみにどちらかというと狼の方が多い。
ダイゴの方に行くときに必ずわざわざ大きな狼のぬいぐるみを持っていこうとするので、「必要なのか?」と聞いたところ顔を赤らめて必要なんだと答えてきた。
まあお気に入りなんだろう。
にやにやと、だが微笑ましそうに見ていたダイゴの表情が気になるところではあった。

『そうだ。今回お前は別行動だ』

受話器の向こうから聞こえてくる声に意識をもとに戻す。

『ぼーやは問題なく餌に食いついた。おそらく今日も桜通りに張っているはずだ。そこで私が適当に誰かを襲ってぼーやを引っ張り出す』

誠亜は受話器を持っていない方の手で頭をかくと、戸惑いを込めて口を開いた。
彼女がこの麻帆良に封じられる経緯などを聞いて、エヴァンジェリンの手伝いをしてやろうとだいぶ意気込んでいる部分もあったのだが、見事な肩すかしだ。

「俺はどうすんだ?」

『お前は騒ぎを起こして魔法先生達の注意を他にやってくれ。方法は任せる。まああまり一般人に被害の出ない方法しておけよ』

「わかったけど……そっちは大丈夫なのか?魔力だってまだまだ弱いだろ?」

だがエヴァンジェリンはこちらの心配をよそに鼻で笑う。

『ふん。いくら魔力が弱かろうと10歳のぼーやに負けはせんさ』

「ネギの父親ってたしか凄い魔法使いなんだろ?念には念を入れた方がいいんじゃないか?やっぱ規格外の才能ってこの世にはあるぜ」

頭に浮かぶのは三国志の時代で出会った猛将呂布だ。
こう見えて誠亜は、常人よりずっと高い身体能力を持っている。
気や咸卦法も加えればかなりのスペックを出せた。
にもかかわらず、気を使っても素の呂布に惨敗したのだ。
これならどうだと咸卦法を使ってみせれば呂布は気オンリーでさらにこちらを圧倒して見せる。
魔気融壊で生み出した膨大なエネルギーを撃ち込んでやったら平然と絡め捕り、あまつさえ刃のように研ぎ澄まして撃ち返してきた。

結局彼から一勝をもぎとるまでどれほど挑んだのだろうか。
自分は途中で数えるのをやめてしまったのだが、左慈によれば切り札を編み出すまでに2000弱、編み出してから400弱戦ったらしい。
そんなに戦ったのか正直覚えていない。
呂布に連れていかれた時がだいたい夏ぐらいで、別れを告げてもとの時代に帰った時が冬だったはずだから滞在期間は6か月ぐらいのはずだが、それだと妙に多い気がする。

まあ結局自分が勝てたのは最後の一戦だけだ。
やはり才能と言うのは存在するんだと思う。

『お前が言うと真実味があるな』

エヴァンジェリンの声はどこか皮肉気だ。
何を皮肉っているのか微妙にわからないのでとりあえず真面目に返す。

「だろう?俺はこの眼で鬼才って奴を見てきたからな」

『…………』

受話器の向こうのエヴァンジェリンがなぜか押し黙ってしまった。
嘆息の音を律儀に拾った電話が誠亜の耳にそれを届かせる。

『問題はない。ぼーやにはまだパートナーがいない。パートナーが必要ないほどの魔法戦士なら話は別だが、奴は違う。茶々丸と私で簡単にねじ伏せられるさ』

「ならいいんだが」

『決行時刻の15分前にもう一度連絡する。準備をしておけ』

そう言って切れた電話を戻しながら誠亜は嘆息して近くのソファにかけられた服を見下ろした。

黒の上下に黒のロングコート。
顔を覆う布に胸を隠すためのさらし。
一度これを着て鏡の前に立ったことがあるが、そこにはどうしようもなく怪しい奴が映っていた。
すくなくとも誠亜なら、こんな奴が夜出歩いていたら近づかないか後ろから蹴りいれて警察に連れていく。

服を脱いで胸にさらしを巻きながら舌打ちする。
息苦しいので嫌いなのだがエヴァンジェリンはつけた方が印象を変える役に立つのでつけておけと言っていた。

胸の形が崩れそうなのも嫌いな原因の一つだ。

さらしを巻き終え、漆黒のズボンと上着を着込む。
顔に布を巻いて完全に隠し、最後にロングコートにそでを通した。
引き出しの中に突っ込んであった瓶を取り出してポケットに入れる。
部屋の扉に鍵をかけると、開け放ってある窓に歩み寄ってその窓枠に足をかけた。

気配を探って周囲に人がいないのを確認してそのまま咸卦法を発動させて、跳躍した。
力強さはない。
その変わり、羽根のように軽やかで迅い跳躍だった。

暗闇に閉ざされた麻帆良の道を街灯の光が照らしている。
麻帆良そのものを照らしあげているのは空に浮かぶ丸い月だった。
うすぼんやりとした光にピンク色の桜達が妖しく輝いている。

月明かりの中で軽やかに跳躍した誠亜は街灯に音もなく着地する。
そしてもう一度跳躍する。
エヴァンジェリンと戦った時などに見せた、踏み台を破壊するような力強いものではない。
スピードもかなり劣るものの、それでも一度の跳躍で軽く数百メートルを飛びながら誠亜は夜の麻帆良を駆け抜けた。

女子寮からも桜通りからもかなりはなれたころ合いを見計らって誠亜は地面に着地した。
住宅街の一角にある小さな公園だ。
無論こんな日も暮れた時間帯に公園で遊ぶ子供などそうそういない。
事実ここにはいなかった。

誠亜は咸卦法を解いて目を閉じる。
雑念をそぎ落とし、意識を研ぎ澄ませる。
心をまるで波一つない鏡面のような水面の如く澄み渡らせる。

その作業に自分で思っていたよりもだいぶ手間取ることに若干の焦燥を覚えるが、それもすぐに切り捨てた。
山にいたころは普通にできたのだが、麻帆良に着て微妙に鈍った気がしないでもない。

やはりいろんなものを得た代わりに純粋な無念無想へと至りにくくなってしまっているのだろう。
こんなことでは気や魔力、咸卦法さらには“切り札”と併用できるようになるのはいつの日か。
まあ時間はあるのだから急ぐ必要もない。

誠亜がゆっくりと目を開いたとき、すでにその顔からは表情と言うものが完全に抜け落ちていた。
左慈によればさらに発展させていくと、雑念だけそぎ落とし、必要な部分のみ明鏡止水に近い状態にしながら感情を普通に発することもできるらしいが、まだ誠亜には到底無理だ。

己の体の内、そして外。
隅々まで意識の網を伸ばしていく。
すべての作業を終えて誠亜は右手を掲げた。
決行15分前を告げる知らせとともにトリガーを引く。

“騒ぎ”を引き起こす。
普通の人間ならまず気付かないが魔法使いなら絶対に放っておくわけにはいかない“騒ぎ”を。

誠亜の周囲で魔力が渦を巻き始めた。
渦は加速度的に規模を増し、周囲はおろか大空にまでその腕を伸ばす。
大気中の魔力が竜巻じみた速度で渦を巻いた。
いや地上の竜巻と言うより、海の大渦か。
竜巻は触れたものを吹き飛ばすが、大渦は逆に引きずりこむ。

その点から言って今起きているのは大渦だった。
世界にたゆたう魔力が凄まじい勢いで渦の中心めがけて吸い込まれていく。

その中心こそが誠亜だった。
渦は際限なく周囲の魔力を暴食し、その全てを誠亜へと注ぎ込む。
あっという間にその魔力は自分が本来ためておける魔力量を超えるが構わず取り込み続けた。

魔力は底なしに膨れ上がる。
それは瞬く間に2倍3倍へと増大する。

自分本来の魔力量を超える魔力を体の中に貯め込んでしまうと、普通なら体に異常をきたし、やがては死に至る恐れすらある。

だがまあ誠亜にとってはさしたる問題でもなかった。
魔力なんて体に優しい力でどうにかなるような鍛え方はしていない。
“切り札”に比べればヌルいぐらいだ。

麻帆良の各地で気配が動き出す。
力のある気配だ。
十中八九魔法先生なり魔法生徒だろう。

もう少し引きつけたら移動するか。
頭の中で逃走ルートを描きながら最後の仕上げにかかる。
その時だ。

「ぬあああああああ!!」

謎の悲鳴が響いた。
渦巻く魔力の流れにのみ込まれた何者かが悲鳴をあげている。

沸き起こる驚愕に乱れかける精神を鋼の自制心でねじ伏せる。
百分の一秒で精神を再び鎮めた誠亜の目にその悲鳴の主が見えてきた。

袖のない紺の道着。
背中には丸の中に『魔』の字が書かれたマークが描かれている。
ハゲカツラを被って露出した肌を緑色に塗りたくり、額に2本の触角を付けていた。
しかし顔はまぎれもない神の顔だ。

どこかで見たようなコスチュームに身を包んだ神が悔恨の表情で叫ぶ。

「おのれ魔封波だと!小賢しい真似をおお!!」

今度こそ精神の平常を乱される。
だが誠亜はこれといって焦ることもなく大渦の制御を手放した。

回転していた魔力が縛りを失ってその勢いのままに荒れ狂う。
その影響か凄まじい突風が吹き荒れて街路樹を揺らした。
台風じみた風に髪を靡かせて誠亜は半眼で落ちてくる髪を見つめる。

ぼとりと頭からアスファルトに激突した神はやはり怪我らしい怪我も見せずに平然と立ち上がる。
そして不満そうに口をとがらせるとその表情のまま不満を言ってきた。

「ぬう。付き合いが悪いぞ誠亜」

「いやだって電子ジャーに吸い込まれるピッコロ大魔王みたいに俺の中に入ってきそうで怖かったし」

素直にそう言うと神は服の埃を叩き落としながら笑った。

「まあよい。なかなかに面白いことをやっているじゃないか。魔法使いの連中血相変えて飛んでくるぞ、きっと」

「だろうな。それが目的だ」

言葉短に告げる。
向かってくる魔法使いは5人。
その中に高畑の気配を感じて誠亜は嘆息した。
まともに相手して勝てる戦力じゃない。
切り札も使わない方がいいだろう。
相手の人数が人数だ。
切り札を使って力尽きたところで増援に来られたらひとたまりもない。

そろそろこの場を離れようとした誠亜に神が真剣な表情で肩を掴んだ。

「待て。その格好で行くつもりか」

「そうだけど?」

一刻も早く行きたい状況で呼び止められて苛立ち紛れに応える。
だが気にした様子もなく神はかぶりを振った。

「言っておくがお前の今の格好、果てしなく怪しいぞ」

「わかってるし」

肩を握る手を引きはがしながら言う。
跳躍しようとするとまたしてもロキに捕まった。
『まあ待て』と書かれたマジックハンドがこちらの足を掴んでいる。

眉をしかめながら視線を神の顔に向けると神は無言でうなずいた。
厳かな声で言葉を紡ぐ。

「そんな謎の刺客15号な格好では魔法使い共は手加減なしに攻撃してくるぞ」

「そう……かもな」

なんとはなしにそんな気もして誠亜は歯切れ悪く言う。
だが神はその言葉に我が意を得たりと不敵な笑みを浮かべて指を誠亜の服につきつけた。

「そう!着るならばこれだ!」

それを聞いてから、しまったと後悔する。
問答無用で逃げるべきだったか。
膨れ上がる光に体を包まれ、咄嗟にバックステップで光から飛び出した誠亜は自分の格好を見下ろして呻いた。

紺の半袖のシャツに山吹色の道着。
道着の胸には丸亀マーク、背中には丸の中に界王の二文字が図案化されて描かれていた。
腕にはシャツと同じ色のリストバンドが巻かれている。
髪の毛も金色になっていた。

「これでよし!」

この上なく満足げにうなずく神に誠亜は一言苦言を呈そうとしてやめた。
無駄な労力だと思ったのだ。

「なあ神。俺は正体を隠そうとしてあんな恰好をしていたんだが」

「うむ、案ずるな。その点もちゃんと考えてある」

そう言って神が差し出してきたのは一枚のお面だった。
ドラゴンボールの主人公の顔のお面だ。

どこか期待するような眼差しでこちらを見る神に誠亜は深く深く嘆息した。
腰まで伸びた今は金色に輝く髪の隅々まで魔力を通す。

次の瞬間、誠亜の髪が、前髪の一房を残して一斉に後ろ向きに激しく逆立った。
何のことはない。
魔力や気で糸を操るように自分の髪の毛を操っているだけ。
知り合いの糸使いに教えてもらった技である。

それをみた神が感嘆したように目を見開く。
力強くサムズアップすると、

「わかっているじゃないか!スーパーサイヤ人3とはな!むっ、ならばお面の眉を消しておかねばなるまい!」

神が手をかざすとその手の中のお面の顔から眉が消える。
それを受取ってつけながら、誠亜は驚きと呆れのないまぜになった表情を面の下で浮かべる。

お面だというのに素の状態と何ら変わらない視界が広がり、お面特有のちくちくした感覚がない。
毎度思うのだが、こんなところに気を回す余裕があったらもっと別の方に気を回せと言いたい。

魔法使い達の気配はどんどん近づいてきている。

神が自分もピッコロのお面をつけたところで、とうとう誠亜たちのいる公園へ続く通りの突き当たりに一人の男性が降り立った。
スーツに髭、グラサンのあまり見覚えのない教師はこちらに跳躍しながら素早く指を鳴らした。
風の無詠唱魔法がマシンガンの如く飛来する。

誠亜は隣でやはり楽しげに笑う神に呻きたい気持ちを抑えながら、体の中にたまった膨大な魔力のごく一部を解き放つ。
そのまま収束も増幅もしないで無造作に飛来する魔法たちに叩きつけた。
消し飛ぶ風のつぶて、その残骸たる風を肌に感じながら誠亜は腹をくくることにする。

あとから降り立った穏やかと気弱の紙一重を地で行っていそうな若い男性――瀬流彦先生だったか。確かではない――がこちらを見て戸惑ったように細い眉をひそめる。

「犯人らしき人物を見つけました。え?どんな奴かですか?ええと、その……孫悟空とピッコロです。ふざけてないですよ!コスプレしてるんです、犯人が!」

苦笑とともに誠亜は気を引き締めた。
両手に魔力を集束させる。
今度は増幅込みだ。
まあ魔力にせよ気にせよ、単にぶっぱなす攻撃なんてものが決定打になることはまずないから、景気付けにすぎない。

(さて、行きますか)

せいぜいみんな大騒ぎしてこちらに集まってもらうことによう。

誠亜は口元に笑みを浮かべて二人の魔法教師に向けて駆け出した。









あとがき

後になって気付いた。
原作の身体測定って始業式の日っぽい。
前日は春休みじゃん!と気付いたのですが、まあ始業式の日に身体測定ってのもなんか妙な感じですし。
まあこのSSでは始業式から何日か経って身体測定が行われたのだということにしておいてください(目をそらしながら)

身体測定の日にネギとエヴァの初戦があったとして、次の日にアスナと会話したときに「満月をすぎると」と言って牙のなくなった口を見せています。
満月と言うと大体15日前後、普通始業式は4月8日ぐらいなのを鑑みて、始業式と身体測定、初戦が同じ日じゃなくてもおかしくない……すいませんナマ言いました。ただのいいわけです。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第28話 口は災いのもと
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fec45ae0
Date: 2010/02/25 16:58
神と俺のコイントス








第28話  口は災いのもと








夜の学園長室。
黒々とした闇に満ちたその部屋で二人は向かい合っていた。
白いスーツを身にまとった落ち着いた風貌の男性。
彼――タカミチ・T・高畑は細い四角の眼鏡を押し上げて嘆息した。
今回のことで少しフレームが歪んでしまったのか、やたらとずり落ちる。

彼の前では一人の老人が難しい顔で息を吐いていた。
後頭部が妙に長いこの人こそ、この麻帆良学園の学園長にして関東魔法協会理事長、近衛近右衛門だ。

「それで?原因はつきとめられたかの?」

タカミチは首を縦に振った。
問われているのはここ最近急に麻帆良で観測され出した魔力の集束現象についてだ。
春休みぐらいからだろうか。
麻帆良の各地で大気中の魔力が突然ある一点に集束する現象が立て続けに起こった。
集束した魔力はもとに戻ることなくどこかへと消えてしまう。
街に住む人や動植物にはこれといった問題はないものの、魔力を扱う魔法使いとしては見逃せないことだった。
ただの自然現象ならいいが、悪意ある何者かが魔力を集めているのなら放ってはおけない。
集められた魔力は正直シャレでは済まされない量に達していたからだ。
毎日、何度も行われるその集束をタカミチ達は幾度となく追いかけたが結局その原因を見つけることは出来なかった。
そして昨日。
これまでにない規模の集束を感じ駆けつけたタカミチたちはついにその原因を見つけ出したのだ。
もっとも、追い詰めたと思った瞬間突然尻尾巻いて逃げだした二人についていけず、取り逃がしてしまったのだが。

「確証はありませんが、おそらく一連の現象は人の手によるものです。最初に駆けつけた瀬流彦先生達が言うには件の二人の周囲には何の装置もなかったらしいですから、新手の魔法か何かかと」

「特殊なアーティファクトという可能性もあるのう」

鬚を撫でながら言う学園長にタカミチは頷いた。
アーティファクトなら一言アベアットと唱えるだけでカードに戻すことができる。
駆けつけた時に何もないのも不思議じゃない。

もしそんなアーティファクトが存在したとしたら世界中の魔法使いがうらやむに違いない。
それさえあれば魔力切れの心配なく強力な魔法をいくらでも使うことができる。

もっとも大量の魔力を集めても、それを使いこなせなければ意味がない。
過ぎた魔力を得れば身を滅ぼすことになるのは当然の話だ。

(使いこなせなければ)

胸中で呟いてタカミチは口もとを歪めた。
使いこなせなければ。
十分すぎるぐらいあの『孫悟空』は集めた膨大な魔力を使いこなしていた。
まるで己の手足の延長であるといわんばかりに。

あのとき『孫悟空』に宿っていた魔力はとてつもなく巨大だった。
アレ以上の魔力の持ち主を論じようとしたら、学園長の孫で自分の生徒だった少女近衛木乃香、つまりは極東最強の魔力保持者を引き合いに出さなければならないだろう。

それにしても不思議な魔力の使い方をする相手だった。
まるで魔力を気の様に使うのだ。
魔法を使わず、気の遠当てのように飛ばしてくる。
サギタ・マギカの無詠唱ではない。
あれは遠当ての類だった。
魔法を使った方が強力だろうに。

ひょっとしたら学園長の言うとおり、魔法使いではなく魔法使いの従者なのかもしれない。

ついでに言うならあまり飛び道具を使ってこなかったのも妙な話だ。
あの魔力にものを言わせて遠当てを雨あられと降らされればもっと苦戦したかもしれない。
だがあの『孫悟空』は肉弾戦闘を非常に重視していた。
遠距離攻撃を牽制と迎撃にしか使わなかったのだ。

「それにしてもコスプレとはのう」

顎の下で手を組んで、眉をハの字にしながら学園長は呟くように言う。

「ぶっちゃけロキの仕業じゃと思うんじゃがどうじゃろう?」

それにタカミチも苦笑しながら答えた

「なんというか、とんでもない離れ業をしながらやってることがどこか阿呆らしいあたり、彼を彷彿とさせますね」

頷きながらタカミチはふと気づいて口を開いた。

「片方がロキだとしたらもう片方は誰だったんでしょう?」

「ロキの悪ふざけに一番巻き込まれやすいのは誠亜君じゃがのう……」

そこで学園長は言葉を止めた。
長い眉に隠れた眼を見せながら、

「誠亜君は魔力を使えるのかの?」

「使えないはずです。誠次君として麻帆良に着てから3年以上経ちますが彼から魔力を感じたことは一度も」

コスプレしていた犯人はどちらも気なり魔力なりを使って攻撃してきた。
『ピッコロ』の方に至っては魔法障壁を紙のように貫く螺旋を纏った気のビームを撃ちまくってきた。魔貫光殺砲とか言いながら。
ちなみに声はロキの声ではなかった。
タカミチはよく知らないが、あれがアニメのピッコロの声なのではないだろうか。

「気の方はどうじゃな?」

「そちらも見たことはないですが、あれだけ鍛錬を積んでいる子ですから気は使えても不思議じゃないです」

答えると学園長はふうと一息吐いて背もたれに身を預けた。

「どちらがロキじゃったと思う?」

『孫悟空』と『ピッコロ』。
どちらがロキだったのだろうか。
言われてみれば確かにわからない。

「大気中の魔力を問答無用に操るなんてロキでもなきゃできないと思いますが……」

断定はできない。
微妙な表情で押し黙るタカミチを学園長は視線で促した。

「見た感じ『孫悟空』は女性でした」

ゆったりとした道着のせいで体のラインが分かりづらかったのだが、袖から出た腕と首筋は間違いなく女性のものだった。

「身長は『孫悟空』が180ちょっとで『ピッコロ』は170台半ばぐらいでしょうか」

「それを聞くと、やはり前者が誠亜君で後者がロキのように思えるのう」

「でも姿形ぐらいロキじゃなくても簡単に変えられますからね。それに誠亜君は……」

タカミチは昨日見た『孫悟空』から迸る魔力の波動を思い出しながら否定の言葉を吐く。
だが、学園長はタカミチの言葉を遮って言葉をさしはさんだ。
人差し指を立てる。

「それなんじゃが……前にロキがドッジボールで生徒達を強化したことがあったじゃろう?あれと同じ要領で誠亜君に力を与えたのかも知れん」

「なるほど…………目的はなんだったんでしょう?」

タカミチの言葉に二人の口が止まる。
数秒程沈黙が流れた。
部屋の柱時計の奏でる音色が静かにタカミチ達の耳に飛び込んでくる。

「悪戯じゃろう」

「でしょうね」

嘆息とともに吐き出す。

「謎の人物、謎の現象。必然的に高まっていく緊張感。一体何の前触れだと戦々恐々とする僕らがたどり着くとそこにいるのはコスプレ二人組。唖然とする僕らを見て笑う。実にロキのやりそうなことですね」

「まったくもって迷惑な話じゃな」

学園長は頭に手をあてると小さく息をつく。
鬚がかすかに揺れ、それと同時に学園長は幾分か真剣な面持ちを取り戻して言った。

「悪戯も終わったことじゃし、まあ魔力集束は最低限の人員のみをあてるとして、実はこっちの方が問題なんじゃが」

タカミチも緩んだ気持ちを引き締めて話に耳を傾ける。

「実はここ最近魔力集束現象の方に意識を向けすぎていたのを利用されての。昨日ネギ君がエヴァに襲われた」

「っ!それでネギ君は無事だったんですか?」

学園長はこちらを安心させるように笑みを浮かべて頷いた。
エヴァンジェリンが女子供を殺すような奴ではないのはよく知っているが、何せ15年間封じられた彼女の前にようやく現れた自由の鍵だ。
多少の怪我をさせるぐらいには荒っぽく出ても不思議ではない。

「無事じゃよ。明日菜君が助けに入ってくれたらしい」

その言葉に安堵の息を吐くとともにタカミチは煮え切らない気持ちを覚えて口もとを歪めた。
ネギが無事だったのは嬉しい。
だが彼女――神楽坂明日菜が確実にこちら側に近づいてきているのを改めて感じて、本当にこれでいいのかと自問する。

全てを捨ててようやく手に入れた平穏。
今の状況はそれを捨てて再び戦いの世界に入らせることにつながっているのではないか。

こちらの顔から考えていることを察したのか、学園長は何も言わずに押し黙った。
再び沈黙が学園長室を支配する。
柱時計の振子が刻む音だけが空気を読まずに鳴り響いていた。






















ルームメイトの家庭的な少女によって清潔に保たれた寮の一室。
元が二人部屋だったのもあって、自分と言う追加要素が入ってもそれほど狭く感じないのは幸いだった。
鼻の頭に眼鏡を乗せた赤毛の少年、ネギ・スプリングフィールドはスーツを着ながら溜め息をついた。

「はあ……」

スーツの裾を引っ張って寄ったしわを伸ばし、慣れた手つきでネクタイを締める。
それに合わせて、首筋が疼くような感覚がしてネギは服の上から抑えた。
今は見えないが、そこには昨日エヴァンジェリンに噛まれたところで今も跡がある。
鏡の中の浮かない顔をした自分を見つめてネギはもう一度溜め息をついた。

「はあ~~」

「何よ。ため息ばっかついて」

鏡の中で自分の後ろに立っている少女が少し呆れたようにこちらを見ている。
生徒が学校に行くにはまだ少し早い時間だからか、その服はまだ制服ではない。
普段は鈴のついた髪留めで二つにくくられている髪の毛も今はまっすぐ下ろされていた。

神楽坂明日菜。
ネギのルームメイトの一人だ。
ちなみに家庭的な方ではない、もう片方の方だ。

「いえ僕はどんな顔して学校に行けばいいのかと」

肩を落としてそう言うと、アスナは手に持ったトーストをかじりながら答えてきた。

「さあ?普通でいいと思うけど、とりあえずその辛気臭い顔はどうにかした方がいいかもね~」

「アスナ~。ご飯は座って食べなきゃだめやえ~」

パジャマ姿で調理器具を片付けるこのかの言葉に返事をするアスナ。
昨日自分を救ってくれた彼女に縋るように問いかける。

「でも学校にはエヴァンジェリンさんがいるんですよ。もし襲われたら……」

いくら魔力が封じらているとはいえ歴戦の魔法使い。しかもホンモノの吸血鬼だ。
正直見習いに過ぎない今の自分に勝てるとは思えなかった。

(次に会ったら殺されちゃう……)

血を吸い尽されて干からびた自分の姿がリアルに脳裏に浮かんでネギは身を振るわせた。
だがそんな不吉な可能性など気にもならないのかアスナはこともなげに言う。

「もしそうなったら校内暴力で停学にしちゃえばいいでしょ」

「そ、そんな簡単な話じゃ……」

ネギは思わずほおを引きつらせた。
だが確かに今ここでああだこうだと悩んでいても始まらない。
自分は先生だ。
遅刻するわけにはいかないだろう。
いつの間にか俯いていたらしい。
またしてもため息が出そうになるのを苦労して堪えながら、ネギは顔をあげた。
その頭に優しくてが置かれる。

「だいじょーぶだって。魔法使いは魔法がばれないようにするもんなんでしょ?だったら学校の中では襲ってこないって」

快活な笑みを得壁ながらアスナが言う。
その笑みに力をわけてもらったような気がしてネギは頷いて答えた。

「はい!じゃあ行ってきます。アスナさんたちも遅刻しないで下さいね」










で、登校するやいなや問題の彼女に遭遇してしまうあたり、自分はツイていないのだと思う。
女子中校舎の入り口。
靴と上履きを履き替えるための下駄箱スペースでネギは頬がひきつりそうになるのを堪えながら布を巻いた杖を握り締める。
人の多い学校では魔法は使わないだろうとアスナは言っていたが、不幸なことに少し早いせいか下駄箱付近に人はいなかった。
これなら怖い気持ちに従って時間ぎりぎりまで悩んでいた方がよかったのかもしれない。
というかなんで彼女はこんな早い時間に学校に着ているのだろうか。
そんなせんないことまで考えながらネギは胸中で嘆息した。
ネギは目の前でうすら笑いを浮かべる人形めいた綺麗さを有する少女を恐怖と困惑の表情で見つめた。
絹糸のように細くつややかでありながら、確かな輝きでもって金色を示す長い髪。
とても小柄で華奢な体躯は可憐さと同時に儚さを持っている。
だが、その体から、その眼から発せられるのは魔力を封印されてなお揺るがぬ強者としての貫録だ。
彼女は自分の父親が封印した本物の吸血鬼で、封印を解くために自分の血を大量に必要としている。
万全に程遠いどころか、微々たる力しか引き出せない状態ですら見習いの自分ぐらい簡単にねじ伏せてしまえる歴戦の輩。
そして一番の難点なのは、あろうことか彼女が自分の担当するクラスの生徒だということだろう。

少女――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルはこちらを見て最初に少し驚いたように目を見開いた後、嘲笑を浮かべて言ってきた。

「ほう……驚いたな。てっきり私を怖がってベッドの中で丸くなっているかと思ったが。ちゃんと自分で学校に来れるぐらいには元気があるようじゃないか」

その声に込められた明らかな侮蔑の色に一瞬反目しかけてネギは言葉を飲み込んだ。
確かに自分の中には彼女に対する恐怖が根付いている。
だがそれに負けじとネギはしっかり地を踏みしめて真っ向から彼女を見つめた。

「そんなことありません」

声が震えることもなくちゃんと言いきれた。
そのことに小さな安堵をおぼえるネギに少しばかり不満そうなエヴァンジェリンの声が届いた。

「私が怖くないと?」

にやりと笑うエヴァンジェリン。
犬歯を見せるように笑う彼女に、見えないはずの牙を幻視してネギは頬に一筋の汗を浮かべた。
できる限り感情を表情に出さないようにする。

「怖いです。怖いですけれど……」

そこまで言ってネギは拳を握りしめた。
脳裏に浮かぶのはこれまでに自分の見てきたあの光景達。
かっと目を見開いて拳を振り上げる。
それを顔の前で強く強く握りしめながら高らかに叫んだ。

「誠亜さんに比べたらたいしたことはありません!むしろ可愛いぐらいです!」

ゴン、と何か鈍い音――たとえば何か固めの物が下駄箱にぶつかったような――が響いた気がしてネギは一瞬訝しむ。
だがやはりあたりには自分とエヴァンジェリン以外誰もいなかった。

なんだか表現しがたい凄く微妙な表情をして、ぽかんと軽く口をあけたエヴァンジェリンに向かって捲くし立てる。

「図書館島での淡々と人型人形の頭を握りつぶして返り血に濡れるあの姿!ケルベロスを倒したときの全身を真紅に染めて浮かべた禍々しい笑み!!」

言っているうちにその時の光景が鮮明に浮かび上がり、恐怖に体が震えだす。
エヴァンジェリンを前に頬に一筋だった冷や汗が顔面からだらだらと流れだす。
視線も不安定に揺らいでいた。
震える声で、だがまくしたてる口はもう止まらない。

「極めつけは惚れ薬騒動の時の怒り狂って襲いかかる誠亜さんの鬼の形相!!!」

みしみしと何か軋む音が聞こえた気がしたがヒートアップした精神と口は止まらない。

「あんなに怖いのは僕の人生でもかなり久しぶりでした!確実にトップ3に入ります!あれこそ恐怖の具現です!まるで悪鬼羅刹です!!誠亜さんが将来、二つ名をもつとしたら『テラーウルフ』に違いないと確信しましたもん!!!」

べきりと何かが砕ける音がしてネギは今度こそ言葉を止めた。
音の方を向いたがやはり何もいない。
もし誰かいるのなら魔法についての話はしてはならないと思っていたが大丈夫なようだ。

視線をエヴァンジェリンに戻すと彼女は俯いて小さく肩を震わせていた。
怒らせてしまっただろうか。
泣かせてしまったということは絶対にないだろうが、冷静になってネギは自分の言葉を振り返って深く後悔した。

お前はたいしたことない、といったようなものだ。
よりにもよって吸血鬼に。
怒って当然だ。
だいたい自分の生徒を化け物のように言うなど教師のやることじゃない。
絶対にやってはならないことではないのか。

(ああもう僕のバカ。こんなんだからいつまでたっても一人前の先生になれないんだ)

自分で自分を罵倒し、うなだれるネギ。
途中ではっとして、慌てて顔をあげて杖に手をかけた。
この周囲に人がいない状況で怒らせてしまったのならこの場で襲いかかってくることもあるかもしれない。
だがエヴァンジェリンは侮られたことに対して、気にした様子も見せず、口もとに意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ていた。
一瞬だけ意味ありげな視線を横に送るが、視線をたどってもそこには下駄箱があるだけだ。

訝しむこちらを一瞥してエヴァンジェリンは不敵な笑みを浮かべた。
威厳すら感じさせる声で、

「まあその認識はいずれ改めさせて見せるさ。20年も生きていない小娘などよりこの私の方がはるかに恐ろしいのだと教えてやる」

その言葉のひとつひとつに込められた気迫にネギは思わず息をのむ。
本物の重圧がネギの体にのしかかった。
あらためて理解する。
彼女は本物の強者なのだと。
じっとりと汗でぬれ出した手を握り締め、口を引き結んでその眼を睨みかえす。

だがエヴァンジェリンは突然そのプレッシャーを霧散させると、口の端を吊り上げた。

「ところでネギ先生。いいことを教えてやろうか?」

言いながらエヴァンジェリンは右手の甲でノックするように下駄箱を叩いた。
鈍い音が響き渡る。
するとその下駄箱の影から一人の少女が歩み出てきた。
緑色の髪をしたエヴァンジェリンの従者である絡繰茶々丸だ。

「知っているか?私達のクラスの下駄箱は主にこの棚なんだが……」

言ってエヴァンジェリンは笑みの質を変える。
それはまるで悪戯をするときの神のような笑い方で、ネギの胸にえもいわれぬ嫌な予感を与えた。

「だいたい出席番号の前半と後半で分けられていてな後半がこの棚のこちら側、前半が向こう側なんだ」

何故だろう心臓が早鐘のように鳴り響いている。
うるさいぐらいに心音と自分の呼吸の音が妙に大きく感じられる。

一体なぜこんなことになっているのかわからない。

だが確実に体は緊張していた。
スーツの下の背中が汗で濡れ始める。

「ああつまりは“出席番号9番”は向こう側でな」

妙に重たい足音と、凍てつくような、それでいて焼き尽くすような殺気にネギは油の切れた機械のようにゆっくりと振り向いた。

視界の端に消えていくエヴァンジェリンが楽しくて仕方がないというように笑っている。
代わりに視界に入ってくるのは見上げるような、女子中学生にしては高すぎる身長の持ち主だ。
ざんばらな黒髪は腰まで届き、校舎入り繰りから入ってくる光に反射して艶やかに輝いている。
春休みを開けたらいきなりロングヘアになっていたことに驚いたが、まあそう言うこともあるのだろうと気にしないことにしたのだが。

「実はさっきから向こう側にいたんだよ。風間誠亜がな」

風間誠亜。
ネギの担当するクラスの出席番号9番の生徒。
そして先ほどまでネギが、彼女こそが一番怖い人だと熱弁をふるっていた張本人である。

狼の様な鋭い双眸。
その中で緑がかった瞳が炯々と危険な輝きを宿している。

「あ、あはははは」

ネギの口から洩れるのは乾いた笑い声だった。
顔に浮かぶのはひきつった笑いだ。

それに合わせて誠亜もまた笑みを浮かべた。
少し前にエヴァンジェリンがしたのと同じ犬歯を見せる獰猛な笑い方だ。
それはまさに狼じみていて、吸血鬼であるエヴァンジェリンに匹敵するぐらいよく似合っていた。
口もとに浮かぶのが獰猛ではあっても笑みであるのに対し、その眼は全くと言っていいほど笑っていない。

その表情のままに誠亜が口を開く。

「素敵な形容と二つ名をありがとうネギ先生。俺はどんなふうにお礼をしたらいいと思う?」

出てきたのは猛獣の唸り声のような、怒気に満ちた低い声だった。

「あはははははは」

ネギは目の幅涙を流しながら笑った。
笑うしかなかった。




[9509] 第29話 三匹が行く……行っちゃうの?
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fec45ae0
Date: 2010/02/25 16:59
神と俺のコイントス










施設プールじみた、あまりに豪華すぎる大浴場。
麻帆良女子寮自慢のその大浴場で一人の女がくつろいでいた。
それこそプールじみた広さの湯船の壁に背を預けて、緩んだ表情で天井を見つめている。

性格上、さほど手入れされていないだろうに、それでもきめ細やかな肌や艶やかな黒髪は彼女の綺麗さを際立たせている。
少々鋭すぎるきらいのある狼じみた目を鑑みても十分顔立ちも整っているし、スタイルも非常にいい。
だがまあ彼女に浮いた話というのは聞いたことはない。
もっともあったらあったで問題だろう。

なぜなら彼女はもと男だからだ。
超常の力でもって今は女にされてしまっているが、中身は男だ。
それにもし浮いた話があったとしたら、それは精神的には同性愛になる。
逆に精神的にまっとうな恋愛をしようものなら肉体的にはやはり同性愛になるわけで。
むしろ彼女にそういった事柄が縁遠いものであったのは幸いだったのだろう。

だがまあ刹那と目の前の彼女――風間誠亜の属するクラスは頭に美をつけてもいい少女たちばかりなのに恋人のいる人間はほんの一握りなのだが。

「刹那か」

「ええ」

こちらを一瞥すらしないでそう言ってくる誠亜に刹那は頷きながらその姿を見つめた。
少し前まで鋼のような体をしていたが、今はその雰囲気は少々なりを潜め、代わりに野生動物のように強靭かつしなやかな印象を備えていた。

刹那は訝しげに眉を潜める。
そんな簡単に体つきが変わると思えないのだが、事実彼女の体つきは少し前にニアミスしたころに加えて格段に女性らしくなっている。

いや、というか髪が伸びすぎだろうに。
肩までも届いていなかったはずの髪の毛がなぜに春休みを挟んだら腰に届くまでになっているのか。

ついでに言うと湯に浮かぶ大きな胸も大きくなっているような気がする。

…………何となく釈然としないものを覚えないでもない。

胸の内に湧き上がったしょうもない思いを溜息とともに吐き出すと刹那は問う。

「なぜこんな時間に?」

問いを口にしてから苦笑した。
意味のない質問だったからだ。
彼女は“こんな時間だから”ここにいるのだ。
そのことを知っているものはそう多くないとはいえ、彼女は自分がもと男である負い目からかここを使いたいときは時間をずらして入る。

今は放課後すぐだ。
HRを終えて直行しないとこんな時間には大浴場にはたどり着かない。

だが誠亜は意外にも律儀に答えてくる。

「いやなんか早乙女と朝倉に来るように言われた。とても大事な用だから絶対来るようにって。刹那こそなんでこんな時間に?」

帰ってきた答えは少し予想から外れるものだった。
だが同時に納得する。
問い返されて刹那は静かに湯に足をつけると、誠亜から少し離れたところに座った。

「お嬢様が来るらしいので」

「ああ、護衛か」

誠亜は初めてこちらを見てそう口にする。
その視線は刹那の背負っているものに止まった。
片眉をはね上げて不思議そうに言う。

「風呂に刀なんて入れていいのか?」

刹那はいつもと同じように持っている夕凪を持ち上げると、その鞘の先を誠亜の前に差し出す。
その木製の鞘は、表面は濡れているが内側までは水が入り込んでいない。
さらにはその水気もすぐに流れ落ちて乾いた。

「特殊な術をかけてあるので基本水の中でも平気なんです」

便利なものだなと呟く誠亜の横顔を見ながら刹那は夕凪を背負いなおす。

「誠亜さん、いいんですか?」

誠亜は首を軽く傾げてこちらを見ている。
この様子だと何も伝えられていないのだろう。
刹那は苦笑とともに口を開いた。

「もうじき皆が……」

「おーすっ!よしよしちゃんと来てるわね」

言いかけたところで遮られる。
見れば大浴場入口から早乙女と朝倉が入ってきたところだった。
その身には刹那同様水着を纏っている。
それに続いてぞろぞろと水着姿のクラスメートたちが入ってくるのを誠亜は唖然とした表情で眺めていた。

「なんの騒ぎだよ。ていうか何故に皆水着?ここ一応風呂だぞ」

先頭に立つ朝倉と早乙女は怪しげな笑みを浮かべると、二人同時に手を振り上げた。
そして彼女らが背後に指先を向けると、後ろに立っていた少女たちが横断幕らしきものを広げる。
そこにはでかでかと『ネギ先生を元気づける会』と書かれていた。

「なんだそりゃ?」

やはり意味がわからないというように眉間にしわを寄せる彼女に、早乙女は歩み寄るとその首に腕をかけて再度横断幕を指差した。

「ほら今日何かネギ先生元気なかったでしょう?だからみんなで元気づけてあげようってわけ」

「いやそれはわかるけど……なんで水着で風呂なんだ?」

「ふっふっふ。男なんてみんな女の子の裸に興味津々なのよ。古来より女子の水着で元気にならない男はいないわ!」

拳を握って力説する早乙女。
激しく何かが間違っている気がしないでもないが、彼女らがいまさら何を言っても止まらないのはよくわかっている。

ついでに言うと、相槌を打ちながらも顔によくわからんと書かれている誠亜。
もと男としてそれはどうなんだろうと思わないでもない。

「その元気づける会に3-A五大巨乳を呼ばないわけにはいかないでしょう!」

見れば那波や朝倉、龍宮までいた。もっとも龍宮はひどく疲れたように苦笑していたが。

「元気づけるって……なんかベクトル違わないか?」

ポツリと呟いた誠亜に刹那は苦笑する。
それには心底同意するが、まあ言うだけ無駄である。
誠亜はもう細かいことは気にしないことにしたのか、お湯に肩まで身を沈める。

「五大巨乳っていうと……あと楓がいないな」

「楓ならネギ先生を捕獲に行きましたよ」

「強制参加かよ」

呆れたように呟く誠亜。
彼女は唐突に投げてよこされたものを掴み取ると、それを広げた。

水着だ。
つまりはこれを着て皆と一緒に“元気づけろ”ということなのだろう。

誠亜は手早く水着を身につけるともう一度湯船に深くつかった。
ふとこちらを向いた彼女の視線と刹那の視線が合った。
ともに苦笑したあと二人の口から洩れてきたのはため息だった。















第29話  三匹が行く……行っちゃうの?















鬱蒼と生い茂る森。
春を迎えていよいよ小さな命たちもその活動を再開し始めたその緑の世界。
これが学園都市の中にあるのだから驚きである。
そのある一線を越えた瞬間帰ってきた感触に彼は舌打ちした。

「結界か。俺っちとしたことがとんだミスを」

紡がれるのはまぎれもない人の言葉。
だがそれを口にしたのは人ではなかった。
白い体毛に覆われた細長い体。
短めの足とくりくりとした眼、イタチのように見えないでもないその姿はまぎれもないオコジョだった。

ケットシーに並ぶ由緒正しきオコジョ妖精。
断じてなにか悪いことをしたせいでオコジョに変えられた魔法使いではない。
まあだからといって彼が悪いことをしていないかと言うとそれもまた別の問題なのだが。

「こりゃあもう俺っちが入り込んだことはばれたと考えた方がいいかもしれねえな。こうしちゃいられねえ!早く兄貴を探さにゃ」

意思に瞳をきらめかせ、一歩を踏み出そうとした瞬間、聞こえてきた別の足音に彼――アルベール・カモミールは凍りついた。
恐る恐る振り向くと警官の制服を着た男がこちらを見下ろしている。

外人的な彫りの深い顔立ちと口もとの鬚がいい味を出している。
そこまではいい。
だが着ているのが頭に『婦人』と付く警官の制服なのは何故だ。

(あ……悪夢だ。俺っちの人生でも結構上に食い込む恐ろしい存在だ)

思わず胸中で呟く。
だが謎の男は構わず口を開く。

「連続下着窃盗犯、アルベール・カモミールを発見。ただちに逮捕拘束します」

「なっ!」

警官は手に持った無線機にそう言うと、視線を鋭くした。
カモは本能の鳴らす警鐘に従いその場を飛びのく。
次の瞬間、上空から落ちてきた檻がさっきまでカモのいた場所に突き刺さった。

(マズイマズイ!)

カモは焦燥のままに走り出す。
今のセリフからしてこの警官は魔法関係者。
しかもこちらの素性を理解している。

つかまれば終わりだ。
折角魔法使い達の眼を盗んで極東くんだりまで来たというのに。

「逃がさん!」

後ろから警官が飛びかかってくるのを感じる。
気配だけを頼りにカモは跳躍した。
振り返っていては間に合わないと感じたのだ。

それが幸いしたのか、警官のタックルは空を切り、カモの体は警官の頭をとび越える。
だが次の瞬間、あらぬ方向から飛来した手に掴み取られてカモは苦鳴を洩らした。

締め付けられる感触に呻きながら身をひねってその手の先を見て驚愕に目を見開く。
その手には手首から先がなかったのだ。

「ふっふっふ。捕まえたぞオコジョ」

見れば低く含み笑いをしながら立ち上がった警官の右腕には手首から先がない。
自分の体を掴んだ手が警官の手首へと飛んでいくのを見ながらカモはあきらめにも似た境地で涙とともに見つめた。

「うう。せっかく日本の麻帆良まで辿り着いたのにこんなところで終わっちまうなんて」

あとちょっと。
この麻帆良で、かつて自分を助けてくれたネギ・スプリングフィールドに会い、そのペットにでもなれれば自由の身になれたというのに。

「泣くな鬱陶しい。私は魔法使いではない」

かけられた言葉にカモは眼を丸くして眼の前の男を見つめた。
自分の素性を知りながら魔法使いでないなどと、ならばこの男は誰なのか。
怪訝そうに見るこちらに気をよくしたのか、男は妙なポーズをとる。
そして高らかに言い放った。

「私は神だ!!」

「なんだ変態さんか」

バッサリと言い捨てたカモに自称神は怒るでもなく完全にスルーして言葉を吐いた。

「まあなんだ。ぶっちゃけて言うなら騒動のにおいをかぎつけてきたわけだ」

「こりゃまた一気にぶっちゃけたっスねオイ」

汗を一筋流してつっこむカモ。
だがロキはさもありなんと頷くと、突然厳かな表情と声に切り替える。
その姿は後光すら纏っていた。
だがはっきり言って婦警服着たダンディ親父という時点で何もかもぶち壊しなのだが。

「お前とネギ・スプリングフィールドの出会いは運命の中の重要な歯車の一つ。この私が神としてそれに手を貸してやろう」

神々しいまでのその姿に――後光のおかげでシルエットしかわからないのでかえってそう受け取れた――カモは息をのんで見守る。

黒いシルエットの中、両眼に当たる部分が眩い光を発した。
背負う後光に極彩色の輝きが混ざり、ますます得体の知れぬ何かをこちらの感性に響かせる。

「まあ嘘だがな!!」

「嘘かよ!」

たまらずツッコミを入れながら叫ぶ。
すると神はいつの間にかおさまった後光の代わりに『神』という形のネオンを背に呆れたように言った。

「なんだお前。私が律儀に神の責務を全うするような奴に見えるのか?お前の眼は節穴か?」

「なんでそこまで言われなきゃならねぇのかわからんが……ていうかそれって多分に自分の言動が駄目駄目だって言ってるようなもんだよな」

半眼でつっこむと自称神はからからと笑いながら返してきた。

「はっはっは。不思議な奴だ。見ればわかるだろうに」

まるでそれを気にした様子もない返事にカモは戦慄を滲ませて呟いた。

「こういう自覚はあるくせに改める気が全く無い奴が一番厄介なんだよな。経験上」

ここまで強烈なのはいなかったが、似たような奴なら今までに何度か見たことがある。
自称神はこちらの表情を見て一瞬訝しげに眉をひそめた後、なぜか諭すように言ってきた。

「だがあれだぞ。もし私が神の責務を真面目に果たすような神だったらいろいろと……」

そこまで言って神は言葉を濁らせると視線を虚空で躍らせた。
数秒ほどして顔を下ろす。

「変わらんか」

「なんなんスかいったい。俺っち悪いけど急いでるんだ。悪ふざけなら後にしてくんな」

嘆息とともに踵を返そうとするカモに後ろに立つ自称神の声がかかった。

「まあ待て」

その瞬間体が石になったかのように動かなくなる。
眼を見開くカモの前に回り込むと自称神は先の自分と同じようにため息をついた。

「まったく。最近の若者はどうしてこんなにせっかちなんだか」

「そのセリフは果てしなく爺くさいですぜ」

皮肉のつもりで言ってやったのだが眼の前の自称神はこともなげに頷くと、

「それも仕方なかろう。私ももう2000歳。所々爺くささが出るのは必然かと」

さらりと言い放たれた言葉に一瞬息をつまらせる。
2000歳。
そんな存在そうそういるわけがない。
普通なら大ぼら吹きめと鼻で笑うところだが。
それをさせない何かが目の前の男にはあった。

そういえば、昔聞いたことがある。
千年以上の長きにわたって存在している、神と名乗る超能力者の話を。
時に人を救い、あとはまあだいたい人をからかっているはた迷惑なそいつの名は、

「ロキ!?」

「まあそう呼ぶものいるな」

こともなげに言うロキにカモは一歩後ずさった。
目の前にいるどうしようもなく間抜けな恰好の男は自分をどうとでもできるのだと理解して、緊張に身をこわばらせた。
だが、同時にチャンスだとも感じる。
噂ではロキはドタバタ騒ぎをこよなく愛し、人をからかうことを至上の楽しみとする変人だ。
ともすれば自分の味方につけられるかもしれない。

どう懐柔するべきか。
当社比200%増しで回転速度を上げた脳から答えが出てくるのを待つ。
だがカモの脳が計算を終えるよりも早く、ロキは素早くこちらに一歩踏み出してきた。
そのままカモの前でかがみこむ。

だがそれに先んじてカモは素早く跳躍。
手近な切り株の上に飛び乗った。

別にロキに攻撃されると思って飛びのいたわけではない。

今の行動はロキに必要以上の悪印象を与えることになったかもしれない。
正直いただけないのだがそれでも飛び退かざるを得なかったのだ。

原因はロキの着ている服にある。
ぴったりしたスカート。
ダンディ親父のパンチラなど死んでも見たくないと思うのは不自然なことではないだろう。

飛びのくのが一瞬遅かったら見えていたかもしれない。
そう思うと背筋に悪寒が走るのを止めることはできなかった。

緊張の汗を垂らすカモを一瞥してロキがにやりと笑う。

(確信犯かああああ!!)

声には出さずに絶叫する。
だが、それを顔には一切出さずにカモは口を開いた。

「私が案内してやってもいいぞ。ネギ・スプリングフィールドのもとへ」

またしても先んじられる。
狙っているのではと一瞬疑うが今はそれよりも重要なことがある。
この言葉を信じるのならロキは今一時自分に協力してくれるということだ。
願ったりかなったりではある。

「本当ですかい?」

問うとロキは口の端を吊り上げた。

「もちろんだ。私は魔法使いの味方ではない。面白いことの味方なのだ」

きっぱりと告げるその姿に何か言いようのない疲労感を覚えもしたが、今はこの偶然を感謝するべきなのだろう。
これでネギに会える確率は格段に増したといえる。

「よし!じゃあさっそく出発しましょうぜ。もたもたしていたら魔法使い達が来ちまう」

カモの言葉にロキは大仰に頷くと、人差し指を立てた。

「だがその前にやっておくことがある」

眉根を寄せるカモにロキは意地の悪い笑みとともに跳躍した。

「メタモルフォォォゼ!」

渋みのある低い声で叫ぶ。
それと同時にロキの体を虹色の光が包み込んだ。
ロキの全身が虹色に染まり、シルエットしかわからなくなる。
次いで服のシルエットが弾けとび、ロキの体のシルエットが浮き彫りになった。
森の中だったのになぜか舞うロキの背後は謎の桃色領域と化している。

なんだこの悪夢。

体温が確実に3度は下がったのを感じて、それでも身を震わせることもできずにカモは愕然とした眼差しでそれを見た。
というか見ざるを得なかった。

ロキのシルエットは一度大きくうねった後、一気に縮んで細長い何かを形成する。
最後に細長い虹色のシルエットが弾けると中から出てきたのは、頭の上の部分と顎の下あたりにロキのオールバックと鬚の雰囲気を残した一匹のオコジョだった。

光とともにロキオコジョが地面に降り立つと背後の桃色空間も消失する。
ロキは自分の姿を満足げに見下ろすと不思議そうにこちらを見た。

「どうした?そんなに顔を真っ青にして」

先ほど狙ってパンチラを見せようとしたあたりこれもやはり故意なのだろうか。
何が悲しゅうてダンディなオジンの魔女っ子風変身風景など見なくてはならないのか。
咄嗟のことで目を閉じれなかった自分が憎い。

「はっはっは。ではゆくとしようか」

精神ダメージで気力がマイナス値に突入しそうなこちらのことなどお構いなしに、ロキが歩き始める。
それに重い足取りでついていきながらカモは頭の中の映像を振り払うようにかぶりを振った。

「超天空×字おりゃーー!!」

そして空から降ってきた何かに押しつぶされた。

「ぐぎぇ!」

つぶれたカエルのような悲鳴をあげるカモに降ってきた何かは一瞬驚いたように息をのむと。
打って変って軽いノリで言ってきた。

「ごめーん。下に人がいるとは思わなくて♪」

反省の色が全く見えないその声にカモは上に乗ったそれを跳ね飛ばす。
振り返って力の限り叫んだ。

「んなわけあるか!だったらなんで攻撃用の必殺技の名前叫びながら俺っちの上に落ちてくるんでぃ!」

「そうだぞ!×字おりゃーは感心せん!技名はちゃんと叫ばんと!」

「そこじゃねえだろ!つっこむべきは!」

叫んだあとカモは痛む背中を伸ばしながら目の前のそれを見つめた。
それもまたオコジョだった。
妙にくりくりとした大きめの眼が愛らしさを醸し出している。
声からすると女だろう。

「あ、あんたは?」

全く見覚えのないそいつに、敵か味方か測りかねて問いかける。
オコジョという場合自分と同じようにもとからオコジョであるか、罪を犯した魔法使いという可能性もある。
後者ならば危険人物である可能性もあるのだ。

「気にしないで。私はただの通りすがりの女オコジョよ」

「いやオコジョ妖精がそんな都合よく通りすがらねえでしょ」

「おだまりっ!」

半眼で告げるとその通りすがりの女オコジョはいきなり尻尾を叩きつけてきた。
ノーマークの一撃が容赦なくカモの眼を打ち据える。

「眼がああああ!」

痛みにひとしきりのたうちまわってからカモは涙の滲む眼で睨みつけた。
多分に怒りの念をこめてやったのだがそれを華麗にスルーすると女オコジョは不敵に笑う。

「ふっ!気にしないことね!どうしても呼び名が欲しければマーミとでも呼んで頂戴」

「安直だな」

反省の色の見えないマーミとやらにはいくつか言いたいことはあったものの、それ以上にロキの言葉の方が気になってカモはそちらに視線を向けた。
無駄に複雑なポーズをとったロキオコジョに、一瞬このままトンズラして何もなかったことにした方がいいんじゃと迷うが諦めて問いかける。

「ロキの旦那はこいつを知ってるんですかい?」

ロキは短いオコジョの前足でマーミの方を指すと、

「少し前に私が変身アイテムをあげてそのまま忘れていた奴だ。正体は人間の女だよ」

「その節はどうも~」

手をパタパタと振るマーミにカモは動きを止める。
どんな女なのか少しばかり気になった。
もし美少女だったりするならむしろロキよりもマーミの変身風景の方が見たかった。
心の底から、否、魂の底からそう思う。

その小さな背中にロキの笑いを含む声がかけられた。

「ちなみに結構可愛い」

「ぐっ」

たまらず呻く。
この絶妙なタイミング。
こちらの頭の中が見えているとしか思えない。
歯嚙みするカモとそれを楽しそうに見るロキ。
そして二人のやり取りをそもそも全く気にせず己のペースを崩さないマーミ。
三人いや三匹のオコジョが森の中でがん首突き合わせて声をあげる。

「さあ行くわよ!なんかいろいろ面白そうなところへ!!」

「あんたが仕切るのかよ!?」

「イエス、マム!」

「乗るなよ旦那も!」

まあ緊張感はなかった。

















ズリズリと何かが引きずられる音がカモの耳朶を打つ。
といってもここ数十分ほど聞き続けていた音だ。
それをいまさらカモが取り上げたのは、何度目かわからない不安感に襲われたからである。

「なあ……ホントにこんなんで大丈夫なんスか?俺っちにはどうにも効果があるようには……」

視線を下ろした先にあるのは数色のタイルで構成された地面だ。
色の違うタイル達が単純な幾何学模様を描いている。

「大丈夫じゃないの~?」

「うむ問題ないな」

お気楽という文字だけで構成されたような声で答えてくるマーミ。
どこにその源があるのかわからないが果てのない自信をこめて言うロキ。
しかし奇妙なもので、自身の行動に一片の疑いもない二人の言葉を聞いているとこちらまでなんか大丈夫そうな気がしてくるから不思議だ。

とりあえずカモは首を傾げるのをやめて、眼の前の壁を押す作業にもどった。
茶色の壁を押すと、それだけ壁は前に進む。
ズリズリと摩擦過とともに3人で歩みを進めた。

「なあ旦那。あとどれぐらいなんだ?」

問うとロキは前足を持ち上げ、覗きこんで答えた。
オコジョの腕に腕時計などないのだが

「うむ、もうじきだ。おそらく“これ”を持ち上げれば目的地の女子寮が見えてくるはずだ」

その言葉を聞いたマーミが嬉しそうに歓声をあげる。

「あら女子寮なの?するとぽろりとか期待していいのかしら?」

「無論だ」

「即答かよ」

迷いなく答えるロキにカモがつっこむと、ロキとマーミはなぜだか怒る代わりにひどく嫌らしい笑みでこちらを見つめてきた。

「そんなこと言っちゃって……」

噂話をするおばさんのように片手を口もとにあてたマーミが言うと、同じ仕草とともにロキが続ける。

「お前だって期待しているのだろう?」

一瞬反論しようとして、カモはそれをやめた。
代わりにロキ達と同じような表情を浮かべて、

「まあな。女子寮、女子校、女子風呂。頭に女子とつく女の園に紛れ込んだらやることはきまってらあな」

「「「ふっふっふっふっふ」」」

三人そろって怪しげな含み笑いを洩らす。
そしていざぱらいそへと歩み出そうとした瞬間、急激に明るくなった視界に一瞬目を眩ませた。

三人同時に素早く振り向き、臨戦態勢を整える。

そして見上げた先には、長髪のこざっぱりしたスーツを身にまとった女が半眼でこちらを見下ろしていた。
かけた眼鏡が真面目そうな印象を強めている。

まず口を開いたのはロキだった。
戦慄を滲ませた声で叫ぶ。

「馬鹿な……私のパーフェクトなスニーキングが破られただと!」

その言葉に女は嘆息とともに手に持っている、つまりはさっきまでカモたちがかぶっていた物を突きつけた。
茶色の厚手の紙でできた箱。
俗に段ボールと呼ばれるものだ。

「街道で段ボールがズリズリ動いていたら怪しいに決まっているでしょう。何を言っているのですか」

言って段ボールを一瞬でたたんで近くのゴミ箱に放り込む女。
それをひとしきり見つめた後ロキはニヒルな笑みとともに言った。

「ノーキルノーアラートを達成した私を簡単に破るとは……やるな」

「なんの話をしているのですか、あなたは!」

「いい、センスだ」

「だから何が!?」

叫ぶ女にロキは軍人のようなキャップをかぶるとどこから出したのかオコジョサイズのリボルバーを手に、妙なポーズを取る。

「だがそれだけで私に勝てると思うなよ」

「突然なんですか!どこからツッコめと!?」

声を張り上げる女にロキは意味もなく凄まじい速度でリボルバーの弾を装填していく。

「言っておくが私のリロードはレボリューションだ!」

「会話をしてください会話を!」

とうとうロキオコジョの体を掴み取って叫び出す女。
暖簾に腕押し、糠に釘。
この言葉がこれほどまでに似合う存在もそうそういないだろう。

まんまと振り回されている女に同情の念を少し覚えながらもカモは一歩後ずさった。

「ダ、旦那。そいつは誰なんで?」

喋るオコジョと平然と話しているあたり魔法関係者に他ならないのだが、万が一という希望をこめて問う。
するとロキは女の手に握られたまま器用に体を回転させるとこちらを見下ろして言った。

「うむ。この女は葛葉刀子。この麻帆良に勤める教師で、神鳴流の剣士だ」

「しんめいりゅう、ってぇとやっぱりこちら側の?」

唐突に魔法トークを始めたロキに刀子とやらが素早く視線を巡らせて周囲に人がいないか確認する。
カモも同じように視線を巡らせたが、誰もいない。
見えたのは刀子の胸を真剣な表情で見つめながらバストサイズを読み上げるマーミだけだ。
というか何故わかる。
問いただしたい衝動にかられるが、理性でそれを押さえこんだ。

「うむ。本来西の方に居を構える流派だが、西洋魔術師と結婚してこちら側に来たらしい」

「なるほど」

頷くカモと教鞭を握るロキを刀子がぴしゃりと言葉で打ちすえる。

「あなた達、人のプライバシーを井戸端会議みたいな気軽さで洩らさないでもらえますか?」

告げられて、一瞬目を丸くした後、刀子の指の隙間からサザエさん型のカツラを取り出し、どうやったかは不明だがつかまれたままエプロンをつけてみせるロキに刀子の視線が厳しくなる。

だが構わずロキは続けた。

「その男とも離婚し現在バツいち」

「やめてもらえますか」

頬を引きつらせながらさりげなくロキを握る力を増していく刀子。
だがそんなものではロキを止めることはできなかった。

「一般人の男性と交際中だが、だんだんと迫りくる三十路の壁に再婚を焦る今日このごろ」

「や・め・て・も・ら・え・ま・す・か」

一文字ずつかみしめるように唸る。
それと同時にロキオコジョの体を握る力も加速度的に増大していった。
なんか嫌な音までしだす。
だがそれでもなおロキは真顔のままで言った。

「うむ。そこな年増。ちなみに私の方がよっぽど年増なのは置いておくとして年増。意味もなくもう一度言ってみて年増。確実にもう必要ないがノリで最後にもう一回年増」

「喧嘩を売ってるんですか?売ってるんですね!?なんなら買いますよ!」

こめかみに青筋を浮かべて咆える刀子。
だがロキは不必要に偉そうな態度を崩さず、

「うむ。取引をしようじゃないか」

「さんざん人を扱き下ろしといてどの口でぬかしますか。もう知りません。このまま三匹とも連れていきます」

険悪な表情で唸る刀子の手を当たり前のように抜けるとロキは人の悪い笑みとともに前足を揺らす。

「そういうな。お前にとっても悪い話ではないのだぞ」

「何がですか」

油断なくカモたち3人の動きに目を配りながら、刀子が答える。
ロキは無意味に小刻みに足なり尻尾なりを動かしてその度に小さく反応する刀子を見て笑いながら口を開いた。

「そうだな……お前の恋愛運をあげるというのはどうだ?」

言葉とともにロキの尻尾が指示した方向に視線を移して、とたん刀子は動きを止めた。
一瞬後に、纏っていた強烈な怒気を霧散させ、険悪な表情を瞬く間に穏やかな笑みへと変貌させる。

「女ってすげぇ……」

小さく呟いた言葉にマーミが胸を張りながら答える。

「そうよ。女は化ける生き物なの。今まさに私がしているように」

「いや、オコジョに化けるのはちょっと違うんじゃねえか」

指摘するがやはりマーミは深みのある瞳でこちらを一瞥しただけで気にした風もない。
どうせ意味などないのだろうが。

ロキの尻尾の指し示す先にいたのは一人の男性だった。
だいたい20代なかばぐらいだろうか。
中肉中背。
顔立ちは整っているが、それでもこれと言って騒ぐほどのものでもない。
パリッとしたスーツに身を包んだ姿は“デキる男”という感じだが、今はその表情を優しいものにしている。
パッと見感じるのはしっかりしていそうな奴だ、ということか。

(はは~~ん)

視線をからませる刀子とその男を見てカモは笑みを浮かべる。
二人の表情が、それ以上に人の好意を感じ取るオコジョ妖精の感覚がはっきりと告げていた。

ロキが口にした一般人の彼氏というのがこの男なのだろう。

「たとえばこのようにお前の運が上がれば、いつもは一つ違う道を通る奴が気まぐれにお前のいる道の方へ来たりするわけだ。まあ所詮ただの恋愛運。出会いの場が増えたり運良く邪魔が入らなかったりはしても脈のない奴が振り向いてくれるわけじゃないがな」

ロキの言葉にわずかに逡巡した様子の刀子に男が話しかける。

「ああそうだ刀子さん。よければ今度の日曜に一緒に……」

いわゆるデートの誘いをする男に刀子はにこやかに応答する。
浮き上がってその背に隠れるとロキは小さく告げた。

「効果はあくまで恋愛運を少々。相手の精神には何ら効力を発揮せんので関係が発展するかどうかはお前の努力次第だ。それを踏まえて有効期間は3か月」

「期間後の反動は?」

「ない」

男には聞こえないように小さく言葉を交わすロキと刀子。
彼女は一瞬だけ視線をロキにやると、表面上は表情を変えないまま、口をほとんど動かさずに言ってきた。

「望みは何ですか?」

「この場は見逃せ」

「いいでしょう」

いい仕事をしたといわんばかりの満足げな表情で地に下りてこちらに歩いてくるロキ。
その尻尾が一振りさせると、かすかな光の粉が刀子に降り注いだ。
そしてロキはこの男が浮かべるには毒も裏もない笑みで振り返ると小さく告げた。

「では健闘を祈る」

己の横を通り過ぎるロキといまだに男と話を続けている刀子を一瞥したあと、カモはひきつった表情で呟いた。

「ラブい空気とドライな裏取引が混在してる、とんでもねえカオス空間だったな」
























麻帆良女子寮。
あたりには服を入れるためのかごが並び、その中にはつい先ほどまで麗しの少女たちが身につけていた下着や服が収められている。
その大浴場の更衣室でロキオコジョが無表情に言った。

「うむ。図ったかのように女子風呂だな」

それに続いてマーミがなんだか漢らしい笑みを浮かべながら言う。

「そうね。まるで狙ったみたいだけど、実際私たちはなにも仕組んでないし不可効力よね」

さらにはカモがその横で不敵に笑う。

「へっへ。おぜん立てされたかのようなこの状況。やらねえのは世界と神と女の子たちに失礼ってもんだぜ」

そして3人は重大なミッションに臨む特殊部隊のような、それでいて好物のケーキを前にした子供のような表情で眼前の扉を睨みつけた。

その扉を一枚隔てた先には乙女たちの柔肌がずらりと並んでいるのである。
耳を澄ませば中からは少女特有の高い声が響いてきていた。

「作戦を確認する。この扉を開き、突入すると同時にフォーメーションΖで敵中に飛び込む。いいな」

厳かに告げるロキにカモは十秒ほど押し黙った後、真剣そのものの表情で問いかけた。

「フォーメーションΖってなんだ?俺っち聞いてねえぞ」

だがロキはさもありなんと頷く。

「当然だ。私が今てきとうに考えたのだからな。お前が知ってるわけがない」

「うをい!」

叫ぶカモにマーミがかんらかんらと笑いながら肩を叩いた。

「こういうときはノリで適当にやればうまく行くもんよ♪」

「いやその理屈が通じるのはこの世でもほんの一握りの人間だと思うんだが……」

「おしゃべりはここまでだ」

冷や汗とともに言うカモを引きもどしながらロキは一歩前に出て告げた。

「突入後散開。各自好きなように動け。我々がやろうとしているのは悪だ。手痛い反撃を受けることも十分想定される。各々悔いのないようにやれ!」

「「サーイェッサー!!」」

「では突入!!」

ロキの叫びとともにひとりでに扉が開く。
湯気の立ちこめるその向こうに女性特有のやわらかな体の輪郭が見て取れた。
逸る気持ちとともに足に力を込めるとカモは並ぶ二人とともに大浴場へと飛び込んで行った。













あとがき

…………
一回限りでもう出さないと宣言したのですが……
エロネタだとダイゴ以上に動かしやすいんですよ、彼女。

まあこれといって能力が発揮されてるわけでなし。
多めに見てほしいです。
え?だめ?
そこをなんとか。

カモの口調がわからない。
コミックス片手に書いてもうまくいかないです(泣)

今回の話は飛ばそうとも思っていたのですが、桜通り編は妙に弾けたギャグがやりにくいので入れておきました。
修学旅行編は結構ギャグを思いついているんですけど。


拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第30話 毒を以て 毒を食らわば
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:fec45ae0
Date: 2010/02/25 16:59
神と俺のコイントス












目の前の光景に誠亜は深く嘆息した。
腰まで届く長い黒髪が湯に濡れて輝いている。
出るとこでて引っ込むところ引っ込んだ見事なプロポーションをビキニタイプの水着に身を包んだ女性だ。
脇腹に走る3本の傷跡が少々痛々しくはあるものの本人は全く気にしていない。
実は胸の中心にも傷があるのだが、水着を着ると胸に隠れてあまり目立たなくなる。

ところは大浴場。
花も恥じらう乙女たちが水着姿でみんなの人気者、子供先生を“元気づけていた”。
なんだか強制的に連れてきて、これまた強制的に脱がせて体を洗ったりと相当進路がずれている感はあったものの、これといって実害はないので誠亜は放って置いていた。

今もまた突如乱入した謎の生命体たちに翻弄される美少女達を淡々と見ている。
誠亜の優れた動体視力は、動き回り少女たちの水着を脱がしていく二匹のオコジョの姿をしっかりと捉えているのだがあえて何も言わないし何もしなかった。
何となく元凶はわかっていたし、その想像が正しいのならおそらくある程度やらせないとこちらには捕らえる事も出来ないに違いない。

「あらあら。無駄にいい動きしてるわね~」

絶妙なコンビネーションを見せつける二匹のオコジョを見て感心の声を漏らす。
その声の主を見下ろして誠亜は半眼でつぶやいた。

「で、あんたはそこで何してるんです?」

その視線の先にいるのは一匹のオコジョだ。
妙にくりくりとした大きめの瞳がどことなく女性らしさを感じさせる。
まあそもそも声が女なのだが。

問われてオコジョは口を笑みの形にゆがめると、

「何ってあなた。全世界40億人のおっぱい星人の夢よ」

「どんだけいるんですかおっぱい星人。地球総人口の半分以上じゃないですか」

自信満々に言う女オコジョに誠亜は苦笑とともに返す。
その女オコジョ――今現在。誠亜の胸の谷間にすっぽりと収まっている。つい先ほどまで3-A五大巨乳とやらの胸の谷間を全部試していたが彼女のものが一番気に入ったようだ――が身じろぎするたびにくすぐったい感覚が走るのだが、まあこれもまたスルーしておいた。

「そろそろ自重しないと痛い目見ますよ麻美さん」

「今の私は麻美ではないわ。果てなきおっぱいロードを行く一人の旅人マーミよ」

「適当なこといってごまかそうたってそうはいきませんよ。ていうか「今の私は」っていいかえれば正体麻美さんだっていってるようなもんでしょう」

「うぬぬぬぬ。誠亜クンのくせに気づくなんて生意気よ」

悔しげに唸る女オコジョ――麻美に誠亜は彼女の鼻先をつつきながら告げた。

「まあとりあえず騒ぎを収めようと思うから麻美さんも……」

「ちょっと待って誠亜クン!」

唐突にあげた麻美の大きな声に誠亜は動きを止めた。
すぐ隣にいた刹那も何事かと視線をこちらに向けている。
いくつかの視線を浴びながら麻美は真剣そのものの表情と声で言ってきた。

「ねえちょっとおっぱい両側から押えてみてくれる?」

「何真顔でほざいてんですか」

頬をひきつらせて言う誠亜になぜか麻美は憤慨したように前足を振りながら、

「何を言うの!これは全世界97億人のおっぱい星人の悲願よ!!」

「地球総人口超えた!?」

叫び声を上げた後、口をとがらせる麻美オコジョを見下ろして誠亜は嘆息した。

無言で水着の背中の紐を調節して胸を少しきつく締める。
なんだかよくわからない歓声をあげる麻美オコジョを尻目に誠亜は立ち上がった。
湯が彼女の健康的な肌を流れ落ちていく。
背中に張り付いた髪の毛を一度手で払いのけると誠亜は腰に手を当てた。

「さって一人目捕獲。次に行きますか」

その言葉に隣にいた刹那が怪訝な表情でこちらを見上げた。
それは胸の中のオコジョも同じだった。
目を丸くしてこちらを見ている。
相も変わらず知らないオコジョとまあ知ってるやつの変身だろうと思われるオコジョは少女たちの水着を脱がして回っている。
ならば誠亜の言う一人目とは必然的に麻美オコジョだ。

だが麻美は胸の谷間に挟まれているだけでどこも掴まれていない。
むろん胸に接着剤が仕込んであったり、オコジョを捉える特殊な磁場が出ているわけでもない。
麻美は誠亜の胸の弾力に身を預けながら不敵な表情でこちらを見上げた。

「あらあら、随分な余裕ね。私がその気になったらいつだってここから出て次なる胸に飛び込めるのよ」

「次も胸かよ」

誠亜は眉尻を下げて苦笑すると、今度は半眼で麻美を見下ろした。
口もとに浮かぶのは意地の悪い笑みだ。

「麻美さんもまだまだですね。あんたもう完全に捕らえられてるんですよ」

「なんですって……!」

余裕を崩さない誠亜の言葉に警戒の色を浮かべて麻美がその場から逃れようとする。
だが小さく身じろぎはすれどそのオコジョの体はほとんど動かなかった。

愕然とした表情で麻美が叫ぶ。

「ば、馬鹿な!なぜ体が動かないの!」

体を動かそうともがく麻美。
だが結局その努力が報われることはなかった。

訝しげにそれを見る、誠亜とともにネギ先生を遠巻きに眺めていた龍宮と刹那。
唐突に麻美は何かを悟ったような表情を顔に浮かべると、

「まさか!私の体が、本能がこのおっぱいのぱらいそから逃れたくないと動きを止めているの!?」

思わず脱力して湯に沈みそうになる刹那を横目に誠亜は歩き出した。
相変わらず神らしきオコジョと知らないオコジョは跳び回っている。
右手の指をゴキゴキと鳴らしながら歩く誠亜の胸の谷間で、麻美オコジョは逃げることなどとうにあきらめたのか、まるでそこが自分の定位置であるかのようにくつろいでいた。

「行くのよ!マジンガーセーア!」

「パイルダーオンですか?あんま大声出さないで下さい」









第30話  毒を以て 毒を食らわば









お風呂騒ぎの後いつの間にか部屋に入り込んでいた先の騒ぎの犯人、白いオコジョが実はこの部屋の同居人であるネギの古い知り合いだったときは少々驚いたが、それもオコジョがしゃべることに比べれば大したことではない。

「この娘ですかい?」

アスナと木乃香の寮の部屋。
そして去年からもう一人住人を増やしたその部屋で3人はひとつの座卓を囲んで顔を突き合わせていた。
3-Aの少女たちの顔写真と名前、そしてひと言メモが書かれたクラス名簿のとある写真とにらめっこしながら、そのオコジョは難しい顔で唸った。
オコジョがしゃべるということを平然と受け入れている自分に何か大きな疑問を感じながらも明日菜は一緒になってその写真を覗き込む。

オコジョ――アルベール・カモミールというらしい――の向かいで期待よりも畏怖を滲ませて10歳ほどの少年が真剣な表情で固唾をのんでいる。
この赤毛の頼りなさそうなのが自分の担任教師だというのだから世の中不思議、否、不思議すぎるものである。

カモは顔をあげるとネギの瞳をひたと見つめた。

「うーん。俺っちとしてはあまりおすすめできねぇぜ兄貴」

嘆息とともに言うカモにネギは残念なような、それでいてほっとしたような表情をもって答えとなす。

今彼らが話しているのはミニステル・マギとやらについてだ。
魔法使いの存在を知っている分普通の人々よりは近しいつもりだが、それでも明日菜が“かじった程度”に過ぎないのには変わりない。
なんでも魔法使いにはつきもので、パートナーだとかなんだとか。
よくはわかっていないが、最近は恋人探しの口実にされ始めているといるということは不思議とはっきりと覚えていた。

「そうなんだ……」

言いながらネギが見下ろしているのはやはり明日菜のクラスメートだ。

ざんばらな黒髪と狼を連想させる鋭い双眸。
とても女子中学生とは思えない大人びた顔つきは十分美人と言っていいぐらい整っている。
もっとも今はこの写真よりさらに大人っぽさを増し、さらには大幅に髪の毛を伸ばしているのだが。
風間誠亜。
全体的に男っぽい仕草と完全な男口調が特徴的な少女(?)である。

安堵と落胆を同時に見せるネギにカモもどう声をかけたものかわからないのか、微妙な表情で言葉を紡ぐ。

「俺っち達オコジョ妖精にゃ人の好意をはかる能力があるんだが……正直その娘は兄貴にあんま好意は持ってねえんだよ。嫌ってるって程じゃねえんだが好いてもねえっていうか」

覚悟はしていただろうに、それでも生徒に好かれていないとはっきりと言われてネギは目に見えて落胆の吐息を吐いた。

「まあアンタ好かれるようなことしてないしね」

感じたままに口にするとさらにネギは肩を落としてしまった。
そんなネギの姿を見てカモはあわてたようにまくし立てる。

「あ、兄貴はなんでこの娘がいいって思ったんですかい?ほかにも女の子はたくさんいるじゃねぇか。その中でこの娘を選んだってのはやっぱり」

にんまりと嫌な笑みを浮かべるカモ。
まあ恐らく彼はネギが誠亜に好意を抱いているのではと勘繰っているのだろう。

「兄貴も隅に置けねえな。で、この娘はどんな子なんで?」

だがネギが返したのはカモの想像を大きく外れたものだった。
ネギはひきつった笑みを浮かべると冷や汗をかきながら呟く。

「かなり怖い人かな」

にやにやとした笑いをぴたりと凍らせたカモはひとしきり困惑したあと、問いかけた。

「兄貴……なんで怖い奴をあえて従者に選ぶんだ?」

答えを返そうとしてカモの言葉に納得してしまったのか、ネギが言葉を詰まらせた。
その代わりに明日菜が口を開く。

「強いからじゃないの?」

図書館島でまざまざと見せつけられたことだが風間誠亜はかなり強い。
もちろん古菲や楓も十分すぎるほどに強い。
それは疑うまでもない事だ。
だが、素人以外の何物でもない明日菜には誰が一番強いのかはっきりとはわからなかった。それでも一番インパクトが強かったのは誠亜だ。

楓や古菲の動きも非常に洗練されているようにみえたのだが、誠亜の方が力任せな分ある種の恐竜を前にしたような迫力を感じさせた。

ついでに言うなら、敵に対する容赦の無さもまた彼女を恐ろしく見せる要因の一つだ。
実際は人形だったからなのだろうが、明日菜やネギが人だと思っている者の頭を平然と踏み砕き、握り潰し、手斧で吹き飛ばす様はかなり怖かった。
その返り血に頬を濡らす姿もまたしかり。
思わず助けてもらったというのに非難してしまったぐらいだ。
冷静になった後、後悔したのだが。

カモは強いという発言に首をひねると。

「強いか~。どうなんだろうなそれは。正直言ってパクティオーしちまうと魔力の力で簡単に超パワーを手に入れられるからな。この風間誠亜って娘がどれくらい強いのか知らないが、魔力の恩恵を受ければ一般人相手なら格闘家だって簡単に倒せるぜ」

カモはオコジョの体で器用に人間のように胡坐をかくと誠亜の写真を指さしながら言った。

「だがまあ、もとが良いと魔力で強化した後もより強くなるのも事実だしな。兄貴。この娘はどれくらい強いんで?」

問われてネギは視線を虚空に伸ばした。
彼女の姿を思い出しているのだろう。
瞳が揺らぐ。
そして戦慄の表情とともに言った。

「魔力なしで学校の壁とか天井とかをパンチで砕くぐらいかな」

「…………どんな怪獣ですかい兄貴?」

「怪獣じゃないよカモ君」

苦笑いとともに吐かれた言葉にカモは腕を組んで唸り声を上げた後、どこからともなく煙草を取り出した。
明日菜はそれを無言で取り上げるとそばにあった空き缶に灰皿よろしく押しつけて火を消す。

「そこまで強いとなると確かに魅力的だな。日本の諺にあっただろ?毒を以て毒を制するってやつ」

その言葉にネギは顔を強張らせると、慌てて口もとに指をあてて制止した。
訝しむカモを尻目におそるおそるドアの方へ振り向く。

「駄目だよカモ君。迂闊にそんなこと言っちゃ。毒を食らわば皿までになったらどうするの?」

言いながら立ち上がり、部屋の入口のドアに手をかける。
ネギはしばし逡巡したあと、意を決したようにドアノブを捻った。
ゆっくりと開いていくドア。
少しずつ見えてくるドアの向こうの景色。
何故か明日菜まで緊張しながらその様子を息をのんで見守った。

ドアが開ききりその向こうに誰もいない廊下がたたずむのを見て、ようやくネギとアスナ、そしてカモは息を吐く。
安堵の笑みを浮かべて振り向くネギ。

「すいません。なんでもなかっ」

「よお」

ネギの顔がひび割れる。
現実にはひび割れるはずがないのだが、確かにその様子を網膜に描きながらアスナは口もとを引きつらせた。

ネギの後ろ、扉の影から一本の腕が伸びてきている。
腕の主はゆっくりとその全身を扉の影から表した。
シンプルなデザインのパジャマを着たその女性。
つい先ほどまでアスナたちが話していた名簿の少女。
風間誠亜本人が口で弧を描いてそこにいた。

笑っているように見えるだろう。
その口の形は確かに笑っている。
だがそれでもアスナは今の誠亜を笑っていると受け取ることはできなかった。
眼が、眉が、全身が。
口以外はいっさい笑っていなかった。

ギシギシときしむ音が聞こえてきそうな動きでネギが振り向く。

「ああああの。ひょっとして……」

誠亜はみなまで言わせず、表情を変えずに一度頷くと、

「俺って結構耳がよくてな。ドア一枚壁一枚挟んだくらいだと結構聞こえるんだよ」

その言葉にネギが顔面を蒼白にした。
降りかかるプレッシャーにカモまでもが硬直している。
ちなみに何故か、誠亜の後ろを通りがかった千雨がぴたりと足を止めて眉間にしわを寄せていた。
その頬には一筋の汗が浮かんでいる。
何か聞きたそうに、それでいて聞きたくなさそうに視線をちらちらと誠亜に向けていた。
その視線に気づいた誠亜は少しばかり思考を巡らせたあと、ああと呟いて顔を千雨に向ける。

「大丈夫。通りがかったときにちうたんだのネットアイドルだのと聞こえてきたことについては誰にも……」

口走る誠亜の口に驚くほどに俊敏な動きで手の平を押しあてた千雨は眼をかっと見開いて誠亜に迫る。
首に腕をかけてかなりの長身である誠亜の顔を自分と同じ高さまで引き下ろした。

「お取り込み中みたいだが悪いけどこいつ少し借りてくから」

部屋の入口で呆然としているネギにそう告げると千雨は誠亜を引っ張って歩み去って行った。
言うなよとか秘密だと聞こえてきたが、すぐにその声も聞こえなくなる。
あとに残されたのはドアを閉めることすら忘れて立ち尽くすネギとそれを苦笑いとともに見つめるアスナ、そして難しい表情で再び名簿の誠亜の写真を見つめるカモだけだった。

独白がアスナの耳に飛び込んでくる。

「あの娘っ子は……無理だな」

「僕ってタイミングに恵まれない星のもとに生まれてきたんでしょうか」

そのどちらにも答える意味でアスナは一言だけ言葉を吐き出した。

「……そうね……」













麻帆良という町はとにかく施設的に恵まれている。
故郷の山と麻帆良以外知らない誠亜としてはいまいち実感できないことだが、麻帆良以外の街に出かけたとき、痒いところに手が届かないようなもどかしさを覚えることはしばしばあった。

今誠亜がいる公園も、その恵まれているうちに入るのだろう。
一介の公園風情に小ぶりながらもサッカーのゴールポストやバスケットボールのゴールがあることなどもその表れだ。

神が麻美と謎のオコジョを引きつれて大浴場で大暴れしてから早数日。
意外にも麻美は厳重注意だけで済まされたらしい。
彼女の弟の親友としては嬉しいことだが、これも神の力がかかわっているのだろうか。
あるいは彼女の強運が導いたのか。
誠亜は麻帆良中学の制服に身を包んだまま、その広場にて楽しげにサッカーボールを蹴る少年少女たちを見つめていた。

「フフフフフフフ」

木の陰から顔と体を半分だけ出し、怪しげな含み笑いをする様はこの上なく怪しい。
自分でもそれは感じていたのか、姿勢を変えないまま含み笑いだけはやめて隣に声を投げかけた。

「なあ神。この『体を半分だけ出して含み笑いしながら』ってなんか意味あんのか?」

問いかけた先には紺色のセーラー服に身を包んだすらりとしたダンディ親父が、誠亜と同じように木の影に体を半分隠し、含み笑いをしながら少年たちを見つめている。

言うまでもないが誠亜以上に怪しい。
普通の人間がみたら間違いなく通報ものだ。
神に会う以前の誠亜なら後ろから後頭部に一撃入れた後、10発ばかし蹴りを叩きこんで動かなくなったのを見計らって通報していただろう。
だんだんとこの服装に拒絶反応を示さなくなり始めている自分に危機感を感じないでもない。
だがそんなことなどお構いなしに神は大きく頷いた。

「うむ。間違いない。これが作法だ」

「とてもそうは思えねえ」

口にして誠亜は木の影から身を出した。
隠れていた木に背をもたれさせて眼下の少年たちを眺める。

子供達が遊んでいるのは誠亜たちがいる所より一段低いところだった。
誠亜のいるところは等間隔に木々が立ち並び、さらに引かれた道との境には背の低い木が植えられている。
これが全部桜だったら花見客が来ていたりしたのだろうか。
そんなせんないことを考えながら子供たちの中、人一倍鋭い動きでボールを操る少女をじっと見つめた。
少し癖の強い金髪を伸ばした快活そうな少女だ。
大きな帽子をかぶって動きやすそうなラフな格好をした彼女が楽しそうに駆け回る姿に誠亜は口もとを弛める。
妹同然の少女の姿を視界におさめ、腕を組む誠亜に空気を読まぬ声がかかった。

「で、何ゆえお前は覗き見なぞ?」

横合いからにゅっと顔を出して問う神に、というよりその神の口にした言葉に誠亜は嫌そうに表情を歪めた。
神の顔を押し戻しながら毒づく。

「失礼なこと言うな。覗き見じゃねえよ。普通に見てただけだろ?」

「そうだったか?」

すっとぼけて言う神に誠亜は眉間にしわを寄せる。
誠亜ははじめベンチに座って普通に眺めていたのだが、突然湧いて出た神が「なっていない!」などと力説しだし、その勢いにのまれて神の言うとおりにみょうちきりんな眺め方をすることになったのだ。
覗き見させたのは神自身に他ならない。
まあ乗せられる方も乗せられる方なのだが。

気がつけば神は誠亜同様に木の影から身を出して、なぜか双眼鏡を使ってティーと少年たちを見ている。
無論こちらとティー達の距離は肉眼で見える距離である。
ついでにいうなれば暗視装置までついている。
時間は昼。
暗視装置などなくても普通に見える。
全くもって意味がわからないが、神のわけのわからない行動は今更なので特に気にせずに無視する。

「ふむ。一緒に遊んでいるのは小学生、いや幼稚園児か?」

少年たちは同年齢の女子平均より少しばかり小柄なティーと同じかそれ以下に見えるから神の推測も外れではないだろう。

「で、お前は何ゆえ彼女を見守りに?」

問われて誠亜は視線をティー達から外して空に向けた。
組んでいた腕を何気なく解くとひらひらと落ちてきた木の葉を右手の親指と人差し指でつかみ取る。

「何でもティーに遊び友達ができたらしくってな。ちょいと様子見に」

神はその言葉に眉間にしわを寄せると、

「妹的な存在に甘くなるのはまあ構わんとして、行きすぎると過保護のカテゴリーに入ってしまうぞ」

「過保護ねぇ……」

言われて誠亜はつまんだ木の葉を見つめた。
それをくるくると回転させて気の抜けた表情で押し黙ると、しばししてぽつりと呟いた。

「俺って過保護か?」

問われて神は一度唸ると指を立てて逆に問いかけてきた。

「例えばの話だ。もしティーが人間たちにいじめられ、石を投げつけられていたとしたらどうする?」

「そうだな……」

その情景を脳裏に描く。
途端、腹の底にどす黒い何かがわきあがってくるのとともに眉間にしわを寄せた。
いつも以上に鋭くなった双眸が誠亜の目つきをさらに凶悪にする。
殺気が漏れたのか近くにいた猫がびくりと震えた後、全身の毛を逆立させて悲鳴のような鳴き声とともに走り去っていく。
それを見て、小さく息を吐いて威圧感を霧散させた誠亜は淡々と答えた。

「おしおきコース・董卓スペシャルかな」

「なんだそれは?」

半眼で返してくる神に誠亜は答えを返さずに肩をすくめた。
こちらの瞳を覗きこんだ神が鼻を鳴らして言ってくる。

「お前は十分過保護だよ。私が保証してやる」

皮肉のようで皮肉でないような妙な口調の言葉に誠亜は一瞬訝しむが、真相を推察するのを諦めた。

「私見だが、お前はスーパードレッドノートクラスの過保護だと思う」

「スーパードレッドノート?」

よくわからない単語に誠亜は一瞬眉をしかめる。
すると神はこちらを向かずに無表情に返してきた。

「超弩級を捻って言ってみた。気にするな」

「まあ気にしないけど」

誠亜は返すと視線をティーへと向けた。
気を使ってはいないが、やはりもとから運動神経はいいのか華麗にボールを捌いている。
ティーが見事なフェイントテクを披露すると周囲の少年が歓声を上げた。
誠亜が満足げに笑みを浮かべているととなりから真面目くさった声がかけられる。

「ところで超新星がスーパーノヴァで極超新星がハイパーノヴァというのは安直だと思わないか?」

「いや知らんし」

言葉短に返してやると神は難解な命題に挑んでいるかのように唸った。

「ならばその上にウルトラノヴァがあるのだろうか?」

「重ねて知らん」

神は嘆息とともにかぶりを振ると斜め45度で空を見上げて言う。

「まあ理論上似たような規模の爆発は起こせるらしいのだが……」

「絶対やるなよ」

聞こえてきた物騒な内容に思わず険しい顔で突っ込んだ。
だが神は真面目に取り合わず苦笑とともに言う。

「そんな規模の攻撃が必要になることがまず稀だから心配ないだろう」

「そうそう必要になったらむしろ怖いな」

誠亜もまた苦笑で返した途端、神がかっと目を見開いた。
すさまじい気迫とともに両手を掲げて叫ぶ。

「燃えあがれ我が小宇宙!ギャラクシアンエクスプロージョン!!」

何かの超能力かと身構える誠亜。
右手を神のほうへ向け、周囲にいつでも魔気融壊を引き起こせるよう気をばら撒く。
これである程度の攻撃は相殺できる自信があったが前後の会話の内容が不吉だ。
まさかとは思うが超新星級のエネルギーをぶっ放してきたりはせんだろうか。
もしそうなら自分ではどうしようもない。

冷や汗をかいて凍りついている誠亜をあざ笑うがごとく春に似合わぬ寒風が吹きぬけて行った。
時間差かと周囲に意識を割きながら神をにらみつけて臨戦態勢をとった誠亜と、叫んだポーズのまま動かない神。

神は視線を天に向けたままぽつりと言ってきた。

「むろん冗談だ」

「お前な……」

嘆息とともに苦言を呈そうとして凍りつく。
神の服装が変わっていた。
青のシャツに白のズボン。
シャツの胸には日の丸が刻まれ、背中には適当な番号がプリントされている。
いつの間にか靴もサッカー用のスパイクにと変わっていた。
そして小脇に抱えたサッカーボール。
サッカー日本代表っぽい服装のダンディ親父がニヒルな笑みとともに歯を輝かせる。

「見ているだけはもう飽きた。そろそろ混じっていろいろおちょくろうと思うのだが」

「やめろ」

剣呑な表情で唸るように吐く。
折角ティーが楽しそうにしているというのに何ゆえそれを壊させなければならんのか。
掴んで止めようとした誠亜の腕をするりとかわすと神はにんまりと笑って跳躍した。
高く高く跳躍して太陽を背に伸身の2回転半ひねりを決めて少年たちの中心へと降り立った。

「神っ、降臨!!少年たちよ苦戦しているようだな!私が加勢してやろう!」

高らかに叫ぶ神に少年たちは眼を白黒させる。
当然だ。
突然知らないおっさんが空から降ってきたら誰だって驚く。
ダイゴあたりがいたら「女の子だったら空から降ってきても俺的に問題ないんだけど」とかいいそうだが、彼のようなずれた奴はそうそういまい。

ただその少年たちの間にあってティーだけは別の意味の驚きを顔に浮かべていた。

「あーー!神!なんでここに!?」

少年たちはティーと神が知り合いだと知って少し警戒を解いたようだった。
表情が少し柔らかくなる。
神は意地の悪い笑みをこちらに向けると、ティーに向かって告げた。

「うむ。少しばかり心配性な“お姉ちゃん”についてきて様子を見ていたが、飽きたので混ざろうと思った次第だ」

「お姉ちゃん?」

神の言葉にティーが視線を巡らせる。
そして神を追って歩いてきていた誠亜の顔を見つけると嬉しそうに笑う。

「セーア!」

手をあげて返事しながら、苦笑とともにティーの隣に立つとその頭に軽く手を置いた。
足元にあったサッカーボールをつま先で蹴り上げて反対の手でつかみ取る。
どうしたものか。
誠亜は神の顔を見ながら一人黙考する。
かつてA組でドッジボールをした際は神の力で敵も味方も大暴走だった。
さらには不覚にも自分もうっかり乗ってしまった。
ブーストによってもたらされた強烈な筋肉痛にしばらく2-Aの教室からは呻き声が途切れなかったのをよく覚えている。

ティーなどは体がまだ小さい分ダメージも大きくなるだろう。
なんぼなんでもあれをティーに味あわせるつもりはない。
ついでに言えば周囲にいる少年たちも可哀そうではある。

ふと気がつくと少年たちの一人がこちらを見上げていた。
興味深げにじろじろと眺めまわしてくる。
相当駆け回ったのか、土に汚れた服やすり傷のできた頬がそのわんぱくそうな印象を強めていた。
たしかさっきまでの試合ではティー同様非常にいい動きをしていた子だ。
小学校に入ってサッカー部に入部したらレギュラーになれるのは間違いない。

少年はこちらの顔を指差すとティーに向かって問いかけた。

「ティー。この狼みたいな人がティーのお母さん?」

ティーは一瞬驚いたように目を丸くすると口もとを弛めた。
誠亜は唖然とした顔で立ち尽くす。
ティーの年齢は7歳。
少し小柄なことを考えれば6歳ぐらいと思われても不思議ではない。
仮にティーが自分の子だとするならば、二十歳の時の子だと計算しても自分の年齢は26になってないとおかしいことになる。

(俺はそんな老けて見えるのか?そりゃ中3を自称するには無理があるのは分かってるが)

言葉を失うこちらに怪訝そうな表情を浮かべた少年の向こうで神が実に楽しそうに笑っている。
射殺すような視線に『黙れ』とこめて神へ送るが神はそのメッセージを理解したように頷くと、もう一度噴き出した。
視線をさらにきつくして睨むが神はくつくつと笑って顔を逸らす。

自分が限りなく無駄なことをしているような気がして誠亜は嘆息とともに少年に十分に和らげた視線を返す。

「俺はどっちかっていうとティーの姉だよ、少年」

唐突に脛に走る衝撃に誠亜は訝しげに少年を見下ろす。
少年はこちらの脛を蹴りつけたつま先を抑えてぴょんぴょんと跳ねまわっていた。
突き抜ける痛みに言葉すら出ないようで、眼尻に浮かんだ涙がその痛みの強さを表していた。

脛というのは肉が少なく骨が皮膚に比較的近い位置にある。
だからこそここをぶつけると他以上に強い痛みが走るのだろう。
弁慶の泣き所とすらいわれる個所だ。
だが常人離れした強度をもつ誠亜の骨格のせいで逆に少年のつま先がダメージを負ったというわけだ。
ふすまを蹴るつもりで思い切り鉄骨を蹴ればダメージを負うのは自分の足である。
まあそれと似たようなものだ。

少年が痛がっている原因は普通にわかる。
誠亜が訝しんだのは少年が何に怒ったのかということだ。

首を傾げる誠亜の横でティーが小さく息を吐く。
その顔がどこか残念そうに見えて誠亜は片眉を跳ね上げた。
だがティーはそのことには何も触れず、苦笑とともに言ってくる。

「セーア。優は女の子だよ」

「ああ。それは悪かった」

少年、いや少女の怒っていた理由にようやく合点が行って誠亜は謝罪の言葉を口にした。
誠亜は男だったころは普通に男っぽかったので女に間違われることはなかったし、女に変えられてからは非常に女らしいスタイルなので男と呼ばれることはなかった。
個人的には女とみなされるのには少々納得のいかないところもあったものの、この体は今間違いなく女なのでしょうがないと言えばしょうがない。
だいぶ割り切れてきた。
そういうわけで性別を間違えられた経験はあまりないのでそれが腹立たしいかどうかわからないが、まあ気にしていたということなら謝っておくべきだという判断だ。

優というらしい少女は痛む足を数度振った後、誠亜を睨む。

「いったい何でできてるんだよ、あんたの骨は。アダマンチウム?」

「似たようなことを前にも言われたが……秘密とだけ言っておく」

跳ねまわる優を心配そうに見ていた大人しそうな少年が神に向かって問いかけた。

「ふーん。ティーちゃんの知り合いか~。おじさんサッカー上手いの?」

服装からしてサッカー好きに見えないこともないが、イコールサッカーがうまいとは限らない。
偉そうに加勢してやるだのなんだのとあらわれたのだから聞いておきたいことではあるだろう。
神は自信に満ちた笑みを浮かべて口鬚を整えた。

「無論だ。私が本気になったらロナウジーニョクラスの実力を発揮するのも容易い。なんならキャプテン翼レベルでも構わんぞ」

言ってる意味がよくわからないかったのか、少年は微妙な表情で頷いた。
だが視線をティーと優の方へ向けると決心したように神を見上げる。

「よくわらからないけど……上手いのか。だったらこっち入ってよ!ティーちゃんと優ちゃんが強すぎてぼろ負けしてるんだ」

「うん?構わんが。その二人が上手いならなぜ二人を別のチームにしなかったんだ」

もっともな質問だ。
戦力バランスは均等にした方がスポーツは面白くなる。
ワンマンゲームなぞやっててつまらなかろう。

問われた少年は半眼でサッカーコートとされていた公園の下部の中心に視線を向けた。
その方向を見ると、一人の少年が荒い息で倒れ伏していた。
春先だというのに見事なぐらい汗だくで地面に転がっている。
すらりとした細身でゆるいウェーブのかかった金髪の少年で「水……酸素……」と呻いていた。

大人しそうな少年は半眼でそれを睥睨すると棘のある口調で、

「あそこで転がってるバカがティーちゃんと優ちゃんを一つのチームに入れて自分がそのチームで楽して勝とうとしたんだ」

「で、なぜにあそこで死にかけてんだ?」

サッカーはチームでやるスポーツ。
本来一人二人の上手い人間だけで勝てるものではないのだが、小学生ぐらいまでだと高いレベルの一人だけで何点も取れたりするものだ。
しかしあの金髪の少年が企みを成功させてティーと優を一つのチームに入れたのなら彼は楽して勝利できているはずである。

すると優は呆れたように言った。

「イカサマくじ引きでティーとあたしを同じチームにすることには成功したんだけど、肝心の自分をあたしらのチームに入れる仕掛けをしていなかったらしくて」

「間抜けだな」

誠亜がぽつりと呟くと大人しそうな少年が頷いて口を開く。

「おまけにそのことを堂々と叫んで後悔するもんだからモロバレ。罰としてティーちゃんと優ちゃんのマークを一手に引き受けさせたらああなった」

「なるほど、大変そうだな」

同情するような神のセリフに金髪の少年の瞳が輝く。

「だがぶっちゃけ自業自得。とりあえず無視してサッカーを始めようか。正直私ははよ騒ぎたい」

すぐさま金髪の少年に背中を向けて優たちに語りかける神。
金髪の少年ががくりと肩を落として何やら呟きだす。

「ふ、ふふ。そうさこれは自業自得。楽して結果だけ手に入れようとした僕が悪いのさ。次からはちゃんと頑張るよ。だから今はもう少し休ませてくれシェスタの神様」

「小僧の戯言はてきとうにそこら辺に置いておくとして、チーム分けだが優とやらをこっちに、誠亜をティーのほうに入れよう。戦力バランスはこれで整うだろう。何か異論は?」

金髪の少年をばっさり切り捨てながら、少年少女たちを見回して問う神。
だが彼らは返事をするでもなく、頷くでもなく怪訝な表情で立ち尽くしている。
反応のない彼らに神が首を傾げていると、代表して優が口を開いた。

「“いろん”って何?」

「ああ、そこから説明せんと行かんのか。異論とは反対意見のようなものだ。ないならば各自ポジションにつくがいい」

『はーい!』

優をはじめとした子供たちが思い思いのポジションに散っていく。
意外なことに金髪の少年はふらふらと立ち上がりながら自陣の方に向かっていった。
大人しそうな少年に話しかけ、自分をゴールキーパーにしてくれと頼み込んでいる。
確かにキーパーならあまり走りまわらなくて済む。

低年齢のサッカーだとひとつのボールにみんなが集まって団子のようになる現象が起こったりするらしいので、ますますキーパーの仕事は減る。
もっともティーや優がいる以上キーパーがずっとのんびりしていられるということはないだろうが。

「セーア。頑張ろうな!」

ティーが花のような笑顔とともに言ってくる。
誠亜もまた笑顔で返す。
思えばエヴァンジェリンとの関わりでよく夜中に動くためダイゴの方に預けていたが、思えばしばらく会っていなかった。

「んじゃま思い切り楽しむとしますか」

暖かい空気が二人の間を流れる。
だがそれを問答無用に引き裂く含み笑いが誠亜の耳に届いた。

「ふっふっふっふ」

確認するまでもない。
サッカーのユニフォームに身を包んだ神が意味ありげな笑みを浮かべてこちらを見ている。

「案ずるな風間誠亜。この私がいるのだ。楽しくならんわけがあるまい」

安心どころか不安感しかわかない神の言葉に誠亜とティーはそっくりな仕草で顔をしかめた。

「余計なことすんなよ。特に前にドッジでやったようなことは」

精一杯の毒を乗せて言葉をぶつけるが、神は笑みを崩すことなく言ってきた。

「私にかかればチビッ子サッカーも瞬く間に少林サッカーだ!!」

「やる気満々じゃねぇか!やんなっつってんだよ!」

「はっはっはっは」

「笑ってごまかすな!」

「ララ~ラ~♪」

「歌ってごまかすな!!」

間の抜けた笑い声を公園に響かせる神。
スカートを引っ張る感覚にそちらを向くとティーが心配そうにこちらを見ていた。
安心させるようにその頭をなでてやる。

「さあ試合開始だ!!」

神の叫びとともにどこからともなくホイッスルの音が響く。
ちなみに子供たちはホイッスルなど持っていないし、誠亜も持った覚えはない。
神の手にもホイッスルはなかった。

ティーがサッカーボールを軽く蹴って隣にいる誠亜に渡す。
神は両手を掲げて謎の輝きとともに叫んでいた。

「はははははは!さあ光り輝けゴッドパゥワァ!子供たちに宿……」

左足でボールを受け止め、右足を大きく振りかぶる。
全身の筋肉が限界まで力を引き出されて軋むような音を立て始めた。
全身の力を集約した渾身の一撃を白と黒のボールに叩きつける。

「死ねえええええっ!!」

咆哮とともに撃ち出されたサッカーボールは大気の壁を突き破って一直線に神の顔面へと食らいつく。
激突の衝撃に土ぼこりが舞いあがり、サッカーボールは神の体を吹き飛ばしてなお突き進んだ。
神の体は縦方向に見事な3回転を決めて頭から地面に突っ込む。
ボールはだいぶ勢いを減じたものの、それでも凄まじい勢いで一直線にゴールネットへと突き刺さった。

すぐ横をメジャーリーガーですらまず経験できない豪速球が通り抜ける恐怖に金髪の少年が涙目になって震えているが、まあ今は置いておく。あとで謝っておけばいいだろう。

「おお事故だな」

白々しく言う誠亜に神は器用に腕を使わずに起き上がると糾弾するように叫んだ。

「嘘をつけ!死ねとか叫んでただろうに!見るからに殺る気満々だったろう!」

だが誠亜はその糾弾を真っ向から受けながら両腕を組んで仁王立ちする。

「だぁまぁれえい!家族のためなら鬼にも悪魔にもなり、何が相手であろうと粉砕する!それが風間クオリティ!ドッジの悲劇を繰り返させるものか!大人しくサッカーできんのなら端っこで見学でもしてろ!」

その気迫に神は一瞬気圧されたかのように一歩後ずさるが、すぐに不敵な笑みを浮かべて両腕を横に伸ばして妙なポーズを取る。

「だが断る!意地でも実現して見せよう!チビッ子少林サッカー!」

「ガキどもにあの地獄の筋肉痛週間を味あわせるのはまずいだろっちっとるんだ!」

誠亜が声を張り上げるが神は無視してその場で独楽のように回転を始めた。
一回転するごとに光を発し始める。

「目的のための尊い犠牲!大事の前の小事だ!」

「駄目だろソレ!特に後半!」

不穏な空気を察したのか子供たちが後ずさり始める。
それに気づいているのかいないのか。
神は高笑いとともに回転を速めた。

「止められるものなら止めてみるがいい!まあ止まってなどやらんがな!」

誠亜もまた腰を低く落として右拳を引く。
余計な力を抜いていつでも動きだせるように備える。

「ええい!なら俺も手段は選ばん!全身全霊をもってお前をターミネートしてやる!」

二人の視線が火花を散らし、気迫に大気が歪む。
緊張が極限に達し二人が全く同時に動き出そうとした瞬間、

「あらあら。駄目よ」

流れる声に硬直した。
特に強い口調というわけではない。
おっとりとした落ち着いた口調で発せられたその言葉に誠亜と神は同じように動くことができずに凍りつく。

「前のドッジボールと同じことをしようと言うんでしょう?駄目よ子供たちにそんなことをしちゃ」

振り向いた先にいたのは見覚えのある顔だ。
穏やかな笑みを浮かべた髪の長い少女。
身長は誠亜より低いが胸は誠亜よりも大きい。
にじみ出る母性が彼女を年齢以上に大人びて見せ、下手をすれば誠亜以上に見させた。
これで14、5歳だというのだから世の中不思議なものである。
最近の子は発育がいいとかそんな次元ではない。

那波千鶴。
誠亜のクラスメートの少女だった。
エプロンのようなものを身につけてこちらを見ている。

顔は笑っているのにその体からは凄まじい鬼気が溢れ、周囲を黒く染めていた。

「な、那波?何でこんなところに」

問う誠亜の声にもあまり力がない。
神は回転を止めたそのポーズのままで固まっていた。
重心が妙にずれていて、いまにも倒れそうに見えるが重力に逆らって斜めのまま硬直している。

「その子たちは私がボランティアで保母をしているところの子なの。無茶なことはしないでもらえるかしら?」

決して命令されているわけではない。
だが逆らい難いなにかを含むその言葉に誠亜は無言で頷いた。
殺気をこめているというわけではない。
こと殺気に関して言えば誠亜はもっと上の次元のものを目の当たりにしたことがある。
それだけで人間が簡単に気絶するような代物を身近に何度も感じた。
だがそれとは明らかに質を異にするプレッシャーが誠亜の体を支配している。
『なにか』としか言いようのないものが那波から吹きつけられていた。

こちらが頷いたのを見て那波がその気配を霧散させる。
表情は何も変わっていないが、体重が半分ぐらいになったような感覚を覚える。
ようは重力が2倍になったかのように感じるほどの重圧を受けていたということだが。

子供達を呼び集める那波を見つめながら神が戦々恐々とした面持ちで呟いた。
額の汗を拭う。
その頭はいつの間にか柱のように綺麗に逆立ったヘアースタイルになっていた。

「あ、ありのまま今起こった事を話すぞ。神たる私が逆らってはいけないと思わされていた。さして強い力を持っているわけでもないただの少女にだ。何を言っているのかわからないと思うが、私も何をされたのかわからなかった。貫禄だとか殺気だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったな」

「なんのネタだそれ?」

首を傾げる誠亜に神は戦慄の表情をすとりと投げ捨てると残念そうな顔で嘆息した。
逆立っていた髪の毛はあっという間にもとのオールバックに戻る。

「むう。そうか最近の子は知らんのかこのネタ」

「最近の子がどうか知らんが俺は知らん」

返してやると神は顎に手をあてて考え出した。
年代を考慮にだの相手の知識も考えないと反応が薄いだのと呟きだす神を横目に、誠亜は軽く肩をすくめる。

踵を返そうとして、かけられた声に足をとめる。
見れば那波が笑みを浮かべたままこちらをじっと見つめていた。

「誠亜さん。子供たちと遊ぶのはいいですけれど、ちゃんと加減してくださいね」

「お、おう」

逆らう意味もないので大人しく頷く。
那波はなお数秒こちらの瞳にひたと視線を固定していたが、一言よしと頷いてまた子供達の方へと歩いて行ってしまった。

「まるで子を叱る親だな」

「んー」

ぽつりと呟かれた言葉に誠亜は肯定でも否定でもないあいまいな言葉を返す。
小さい頃に親を亡くした誠亜からするといまいち母親というものがよくわからない。
祖父はやはり祖父で、超然とした空気はどうにも父親という言葉には当てはまらない感じがあった。
自分が小さい頃は姉がよく世話をしてくれたらしい。
誠亜にとってはある種その姉こそが母だとこじつけることもできるのだが、姉はいま目の前にいる那波とは似ても似つかないタイプだった。
まああえて詳しくは言わないが、一言で言うなら『過激な人』だ。
優しく包み込むというイメージとは激しくかけ離れている。
それこそ地球と冥王星ぐらい離れていた。
両手を腰にあてて呵々大笑する姉の姿を思い出して小さく笑う誠亜の隣で、神が那波の顔を見つめながら言う。

「龍宮やお前とは違うタイプの年より老けて見える娘だな」

「老けてる?」

またしても突き抜ける鬼気に神と誠亜は彫像と化した。
先ほどではないにしても黒々としたオーラを纏って那波が誠亜たちの後ろに立っている。

(い、いつの間に)

顔には出さずに驚愕する。
つい先ほどまで誠亜たちの視線の先、子供達の真ん中に立っていたはずなのだが今現在確かに那波は誠亜たちの背後にいる。
その間の動きに気付けなかったことに多分に衝撃を受けながら誠亜は微動だにせずにことの成り行きを見守ることにした。

「ぬう……地雷を踏んだか」

歯の隙間から洩らすように言う神。
彼はゆっくりと振り向いて那波を視界に入れると、神妙な顔で視線を下げた。
ゆっくりと頭を下げ、

「だが案ずるな!お前は若奥様には見えてもおばさんには見えん!」

謝罪をすると思いきやそんなことを口走る。
那波はしばし言葉を探すように押し黙ったが、すぐに眼を爛々と輝かせた。
纏うオーラと相まって何か覚醒したかのような有様だ。

「それって中学3年生の私が『若奥様』な年齢に見えるってことでしょう?」

いつもより幾分低い那波の声に神は口の端を吊り上げると、片眉をはね上げて言った。

「ぬ、気付いたか。やはり誠亜のように簡単にごまかせはせんようだな」

神と那波のバックに雷が駆け抜ける。
雷鳴すら聞こえた気がした。
子供達も息をのんでいる。

「く……クックックックック」

神が笑いだす。
子供達がぎょっとした顔で神を見る。
誠亜もまた神の行動に備えて、臨戦態勢を整えた。

「ホホホホホホ」

小さく那波が笑いだす。
神のとき以上に子供達が顔を引きつらせて那波の顔を見た。

「クククククク」
「ホホホホホホ」

二人の笑い声が風にのって公園を流れる。
膨れ上がる鬼気に二人のバックに魔人を幻視する。
神の背後には三角形のマスクのようなものを付け、タンクじみたものを背負った筋骨隆々とした男の魔人。
那波の背後には目を爛々と光らせた女の魔人。ちなみに何故か両手にネギを持っている。
優とティーが冷や汗を頬に一筋浮かべながら二人を見ていた。
彼女らはさりげなく誠亜の背後に回っている。

誠亜は小さくため息を吐いた。

(止めるか。どうせ神のことだから気が済むまでからかった後反撃を受ける気なんだろうが、ガキどもが怖がってるし)

誠亜が優とティーの肩を安心させるように軽くたたいて右足を前に出す。
その瞬間、神の視線がこちらと那波、そして周囲へと素早く走った。

「ああ!あんな所に極彩色のタンチョウヅルが!」

子供でもいまどきやらないフェイントになぜか誠亜以外の全員がつられて、神の指差す方向を向く。
何か予感めいたものを覚えて誠亜は左足の筋力を限界まで引き上げた。
彼我の距離は10メートルもない。
その程度の距離なら瞬き一つの時間もかけずに詰めれる。
だが強靭な脚力が大地を穿ち、誠亜の体が撃ち出されるよりも神が叫ぶのが先だった。

「ザ・ワールド!!」

一瞬すらかけずに神の姿がかき消える。
慌てて周囲を見回すが神の姿はもうない。
気配を探った末に見つけた位置は呆れるほどに遠かった。

「あいつは……」

駆けだすために重心を落としていた体を起こし、額に手をあてて呻く。
拳を握り締めるとそこから何かを握りつぶしたような感触が返ってきた。
開いてみると誠亜の手にはいつの間にか一枚のメモ用紙が握らされている。

そこには無駄に達筆な字でこう書かれていた。

『私が何をしたのか知りたかったら須藤大悟か早乙女あたりに聞いてみろ。ヒントは星の白金』

それを無言で見つめて誠亜はポツリと呟く。

「ネタが通じなかったのがそんなに不満だったの……か?」

ようやく神がいなくなったことに気づいたのか、子供達が口々に逃げただのひっかけられただのと騒ぎだす。
周囲を見回し、神の姿が無いことを確認して溜め息をついている那波に神の代わりに一言謝っておこうとした矢先、電子音が誠亜のポケットから響いた。
人の行動の出鼻をくじくようなタイミングに舌打ちしたい気分になりながら誠亜はポケットから携帯電話を取り出した。
通話とメールができればいいと機能のシンプルなものを選んだその携帯電話は、着信音まで単純なものだ。
実はデフォルトから弄っていない。

折りたたみ式のそれを開いて画面を見ると、青いバックの画面に着信主の名前が表示されていた。

エヴァンジェリン、と。







[9509] 第31話 今、渾身のお!!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 16:59
神と俺のコイントス









麻帆良の町並みを横目にエヴァンジェリンは不機嫌そうな表情で歩みを進めた。

学園長からの呼び出し。
十中八九吸血行動についてだろう。
まあもともと学園側を誤魔化しきれるとは思っていない。
この学園には吸血鬼は自分しかいない。
桜通りの吸血鬼と自分をイコールで結ぶことなどそれこそガキでもできる。
学園を預かる者としてストップをかけようとするのは当然といえよう。

だが気に入らない。
エヴァンジェリンは口もとを歪めた。
気に入らなかった。
何故このタイミングなのか。
今までだって何度も吸血してきた。
それを直接魔法使いに見られたことはないが、それでも尻尾ぐらいとっくに掴まれていただろう。
いまさらといえばいまさらだ。
ネギ・スプリングフィールドに直接手を出したからだととしても、翌日ではなく今日呼び出されたのが気になる。

さらに気に入らないのはエヴァンジェリン一人で来いと言ってきたことだ。
一人で行く意味がわからない。
茶々丸にも言えない極秘の話?
ありえない。
自分に何かさせたいのだとしたら、それには必ず茶々丸も追従する。
魔力の封印された自分には茶々丸の護衛は必要不可欠だ。
結局、話は茶々丸の耳にも入る。

何か別の目的があると考えても、それは邪推にはなるまい。
一応、茶々丸には人気のあるところを通るように言ったがそれも完璧ではない。
茶々丸にもミスはあるし、魔法使いなら簡単に『人気のない状況』を作れる。
一人のところを不意打ちされれば危険だろう。

呼び出しに茶々丸がいてはいけない理由でも問い詰めるか?
それで彼女を連れていっていいと論破できれば問題はない。
だがあの狸爺のことだから、上手い言い訳でも用意している可能性が高い。

呼び出し自体をボイコットするのも手だが、横にいるタカミチが障害だった。

ふとあることに気づいて、表面上は渋面を作ったまま心の内で笑う。
そうだ、こんなときにちょうどいいカードが自分の手もとにはあるじゃないか。
エヴァンジェリンにとってのジョーカー。
ジョーカーとは強力であるうえに、便利なカードだ。
制服のポケットから携帯を取り出してメールの新規作成画面を出す。
宛先に入力するのは風間誠亜のメールアドレスだ。

一瞬タカミチの視線がこちらに向くが、もともとそちらからは見えないような角度で携帯を持っているので向こうには何をうっているのかわからない。

できれば電話が良かったが、隣にタカミチがいる状態で風間誠亜に茶々丸と行動するように伝えるわけにはゆくまい。
メールで単独行動している茶々丸が襲われる可能性があるので探し出して二人で行動すること、そして関係性をただのクラスメートだと見せかけることを伝える。

だがメールというのは必ずしもすぐに見られるものではない。
もし風間誠亜が着信に気づかず、茶々丸が襲われた後その存在に気付いたとしたら本末転倒だ。

誠亜の電話番号にかける。
なかなか出ない。
そろそろ留守電モードに突入しそうな段階に至って、ようやく反応が返ってきた。

『は~いこちら誠亜。何のようざんしょっ!重てーからもう乗んな~』

後半の言葉に少しエヴァンジェリンは首を傾げる。
なんだか受話器の向こうで子供の騒ぎ声が聞こえる気がした。

「用があるからメールをチェックしろ。それだけだ」

『うーい……誰だ今膝カックンしたの!』

その言葉を最後に通話が切れる。
エヴァンジェリンは携帯をポケットにしまい込むと訝しむようにこちらを見るタカミチに挑発的な視線を送った。

「誰への電話だい?」

受話音量は最初から小さめにしている。
近くにいるとはいえ、誠亜の声が聞こえることはない。

「それを言う必要があるのか?」

そう言ってやるとタカミチは言葉に詰まったように押し黙る。
エヴァンジェリンは鼻を鳴らすと足を止めたタカミチを置いて大股に学園校舎へとむかった。













第31話 今、渾身のお!!












「茶々丸を探せねえ……」

誠亜は一人歩道を歩きながら呟いた。
膝カックンしてきた金髪の少年の頭を“優しく”アイアンクローしてやってから、誠亜は子供達に別れを告げて駆けだした。
茶々丸と合流するためだ。

駆けだしたあと気付いたのだが茶々丸が今どこにいるのか誠亜は知らなかった。
電話をかけようにも茶々丸の番号を誠亜は知らない。
彼女はいつもエヴァンジェリンと一緒にいるので、エヴァンジェリンの番号を知っていれば問題ないかと考えたのが原因だ。

いまさら悔やんでもしょうがない。
これが逆に茶々丸からエヴァンジェリンを探して同行しろと言われたのだったらもう少し簡単だったのだが。

誠亜の気配察知能力はかなり高い。
気配を頼りに街のどこかにいるエヴァンジェリンを探し出すのも可能だ。
だが茶々丸は話が別だった。
気配がないというわけではない。
彼女はロボットだが魂はあるようで、気配もある。
だが機械であるせいか彼女の気配は薄いのだ。
近くにいれば普通にわかるが、遠距離の、しかも多数の気配のなかに紛れ込んだ茶々丸を探すのは非常に難しかった。

神経を研ぎ澄ます。
眼を閉じて視覚情報をシャットダウン。
耳から入ってくる音を意図的に無視する。
擬似的な無音無明の中で世界の中の無数の気配を感じ取る。

「……だめだこりゃ。やっぱ茶々丸の居場所はわからねえわ」

嘆息とともに言葉を吐き出す。
下ろしていた瞼を持ち上げ、無視していた音を再び聞き取りだす。
光を取り戻した世界で誠亜の眼にまず見えてきたのは、不思議そうにこちらを見上げる少女達だった。
かなり幼くみえる。
髪を左右で結んでいるのとお団子にしているそっくりな顔をした二人。
小学生にも見える非常に小柄な体躯を包んでいるのは誠亜が来ているのと同じ麻帆良女子中の制服だった。
片方は気の強そうな目つきでこちらをじっと見上げている。
一方もう片方はおどおどとした様子で気の強そうな法の腕を引っ張っていた。
10歳児程度の体格のエヴァンジェリンと大差ない身長の持ち主である二人は誠亜のクラスメートの鳴滝姉妹だ。

「何か用か?」

問いかけてやると双子の姉の方――風香は我に返ったように手を振った。

「い、いや誠亜って瞳の色緑だったかななあと」

緑は別にありえない色ではなかったかと思ったが、日本人は基本黒髪黒眼なので確かに変わった色かもしれない。
しかし気になるのは自分が眼を閉じたとき風香は後方を歩いていたということだ。
眼を開く少し前に彼女は自分の前に回り込んだ。

彼女が誠亜の瞳の色を気にして足を止めたということはありえない。
おそらく何か用があって誠亜の前に立ったが、眼に入った瞳の色についそちらに気を取られてしまったということなのだろう。

「用はそれだけか?」

問うと風香はあわてたように首を横に振った。
手を数度振り回し、口を開いた

「茶々丸だよ。誠亜茶々丸探してるんだろ?」

頷いて返すと風香は誠亜の右前方、川の下流の方角を指差した。
なんだか妙に水かさが増していて流れも強い気がする。
そんな強い雨が降った記憶はないのだが。

「あたし知ってる。茶々丸あっち歩いていったよ」

言われた方角を向いてみるがやはり茶々丸の気配は掴めない。
まああっちに歩いて行ったからと言って、茶々丸がまだその方角にいるとは限らない。
だが他に情報がないのも事実だ。
そちらに行ってみるか。

誠亜がそう胸中で呟いて歩き出そうとした瞬間小さな手が誠亜のスカートを掴んだ。
見れば風香が意地の悪い笑みとともにこちらを見上げてきている。
彼女はスカートのすそを強く掴んだまま反対の手を差し出してきた。

「なんだこの手は?」

上に向けられた手の平を渋い顔で睨みながら誠亜は呻いた。
風香は分かっているくせにと言わんばかりにウィンクして言ってくる。

「何って情報料だよ。ギブアンドテイクってやつさ」

そういってもう一度さらに手を突き出してくる風香に誠亜は頬を引きつらせる。

「そういうのは情報を口にする前に言うものだぞ」

「ならもう一つの情報を教えてあげるから今度パフェおごってよ」

そう来たか。
誠亜は胸中で苦笑した。

(パフェなら350円ぐらいか。普段金あんま使わねえからそれぐらいの余裕はあるが)

どうしたものかと悩む誠亜。
正直あまり時間はかけられない。
トロトロしていて茶々丸が襲われてしまっては意味がない。

仕方がなく首を縦に振ろうとして、誠亜は続いて聞こえてきた風香の声に首を強制固定した。

「ちなみにあたし達二人にそれぞれ生チョコパフェDXだからね」

「ふざけるんじゃねえですよ。1つ760円のパフェを2つも奢れるか。トータル500円に抑えろ」

そう半眼で告げるが風香は腕を組んで余裕に満ちた目でこちらを見る。

「トータル500円じゃ一番安いのも一人分しか買えないよ。トータルで1000円」

そう告げた風香に誠亜は眉間にしわを寄せて唸る。
金には余裕があるのは確かだが、収入があまりないのも事実なのである。
できるなら余計な出費は抑えたい。

「トータルで700円。これ以上はまけられん」

「よしっ!」

ガッツポーズをとる風香。
怪訝そうに首をかしげる誠亜を無視して、風香は後ろで申し訳なさそうにしている史香に向かって笑顔を向けた。

「これで二人ともパフェ食べれるね。まさか映画で見たまんまの手が通用するとは思わなかったよ」

もしかして彼女の狙いは始めから大きめの数字を提示して妥協すると見せかけて自分の狙いの金額に落ち着かせることだったのだろうか。
気がついてみれば常套手段のような気がする。

……迂闊。
戒めとしてこの出費は甘んじて受け入れることにしよう。

「ま、嘘だけどね」

「何!」

あっさりと告げられた言葉に誠亜は驚愕の声を漏らす。
風香は頭の後ろで腕を組むとからからと笑いながら言ってきた。

「ていうか今の交渉っぽいのやりたかっただけだし。ホントに奢らせるつもりはないよ。というわけで誠亜、奢りはいいから」

「…………」

誠亜は無言で押し黙った。
奢らなくてよくなったのはいいことだ。
だがこのチビッ子(中学生だが)にいいように踊らされたのはいささか情けない。
誠亜は自嘲の笑みとともにもう一度呟いた。

「迂闊……で、情報ってのは?」

いつまでもぐだぐだ言っている場合じゃない。
肩をすくめて問う誠亜に風香は改めて先ほど指差した方角と同じ法を指すと、

「うん。茶々丸が歩いている後ろの方をネギ先生とアスナがこそこそついて行ってたよ。茶々丸がなんかしたのかな?」

首をかしげる風香だが誠亜はもうそちらを見ていなかった。
先に風香がさした方角に鋭い視線を向けていた。
意識の網を伸ばしていくと、やがて覚えのある気配に行き当たる。
間違いない。ネギとアスナだ。

なるほど、今の状況で茶々丸を狙うとしたらネギ以外の誰でもない。
ならばネギを警戒していれば茶々丸を守ることができる。
どうでもいいが風香達にあっさりばれてる尾行は尾行としてどうなんだろうか。
まあ茶々丸にばれないことに意識を割きすぎて周囲にまで気が回らなかったんだろう。

「急いだ方がいいか」

風香の目撃情報からしてネギが茶々丸を狙っているのはほぼ確実だ。
しかもすでに行動に移し始めている。
もう襲撃を始めているかもしれない。
誠亜は踵を返すと、視線だけ風香たちに向けて言った。

「俺は茶々丸に急用があるからもう行くぜ」

「じゃあまた明日ね~」

ひらひらと手を振る風香と小さく手を振る史香。
それに肩越しに手を振って返しながら誠亜は駈け出した。
スプリンター程度の速度で疾走する。
これなら万が一誰かに見られても問題にはならない。
このままネギのほうに近づいて、近くにいるであろう茶々丸と合流する。

そう思った矢先にネギとアスナの気配のあるところで魔力が膨れ上がるのを感じる。
まずい。胸中で毒づく。
これはちょっとした人払いの魔法を使おうとするような魔力ではない。
どちらかといえばこれから戦おうとするかのようだ。
襲撃が始まったか?
誠亜は周囲を一瞥する。

道は一直線。
あまり視界を遮るものはない。
見る限り前方に人影はなかった。
気配もまたしかりだ。
誠亜は視線を背後に向ける。
鳴滝姉妹はすでに手を振るのをやめてこちらに背を向けている。

問題ない。
わざわざ監視カメラなど仕掛けられていたらまずいが、そんなものではとらえられない速度で走れば映像には残らない。
まさか軒先にハイスピードカメラを設置するようなやつはいるまい。

誠亜は地を蹴って自分の体を前に出しながら体内で気と魔力を合一させ、体の内外に纏う。
咸卦法によって強化された強靭な脚力を遺憾なく発揮して誠亜は地を蹴りぬいた。
地面が小さく陥没して、誠亜の体が一瞬にして加速する。
弾丸すら大きく凌駕する速度で風を引きちぎるように誠亜は駆けた。
疾走によって生じた剛風が周囲の家の窓を叩く。
幸い割れなかったようだがもう少し距離が近かったら割れたかもしれない。

またたく間に近づいていくネギとアスナの気配を感じて、誠亜は舌打ちする。
ネギの魔力がさらに強くなっていく。
これは攻撃用魔法を唱え始めたと考えていいだろう。

もう周囲の被害とか言っていられないかもしれない。
全力で大地を蹴りつけようとした瞬間。

「ふぅおおおおおお!」

聞こえてきた低い叫び声に誠亜は思わず肩をこけさせた。
確認するまでもない。
だが一応確認するとセーラー服姿のダンディなオジンが、すさまじい形相をしながらホッピングで追いかけてきていた。
現代において車という形状をしている物には到底出せない速度で走っているのだが、まあこの男――神にはそんなこと関係ないのだろう。
というかホッピングで体が上下するのに合わせてめくれるスカートが非常に目に毒だ。
色っぽいというある種いい意味での目に毒なのではない。
精神破壊力的に目に毒なのだ。
間違ってもその下を見たいとは思わない。

目をそらすようにネギの気配の方向へと目を向ける。
小さな教会のような建物が見えてきた。

「小僧と神楽坂明日菜が茶々丸を襲っているようだな」

必死の形相と全く合わぬ平然とした声で神が言う。
言われなくても想像ついていたが、神が改めて言うならば確実だと思っていいのだろう。

「どうするのだ?助太刀すればエヴァサイドだとばれることになるぞ」

言われて誠亜は眉をしかめる。
意識を加速させて幾度も思考を巡らせた。
時間的には一秒かけずに口を開く。

「教師に襲われているクラスメートを助けるのは不思議なことじゃねえだろ?」

返しながら声には出さずに唸った。
またたく間に近づいた教会に向けて誠亜は一気に跳躍する。
砲弾のごとく空を貫いた誠亜は教会の屋根に着地すると、その勢いで数メートルほど屋根を抉って止まった。

眼下を見下ろすとアスナの攻撃を捌くために体制を崩した茶々丸にネギが魔法を打ち込もうとしているところだった。

「魔法の射手!」

声変わり前の高いネギの声とともに光の球が11個出現する。

(どうする?)

自問する。
割って入る。魔力を放って魔法の射手を叩きつぶす。ネギを叩き飛ばす。
どれが一番都合がいいのか。
あまり大きな力を使うのは魔法使いたちの警戒を招きやすい。
この前のドラゴンボール事件はおおむね神の力の仕業と考えられているらしいからして、今力を見せすぎるのはいただけない。
ネギに過度のダメージを与えるのも良くないだろう。

(やっぱ割って入るか)

自分の体は生半なことでは壊れはしない。
強化してあるならなおさらだ。
やはり割って入るのがいいか。
そう結論づけた誠亜が跳躍のために力を足に込めた瞬間、隣に神が降り立った。
いまだにホッピングに乗っている。
だがホッピングでは斜めである屋根にはうまく乗れなかったらしくバランスを崩して転びそうになっていた。
考えている時間はない。
もう呪文はほとんど完成しているのだ。
誠亜は荒々しい舌打ちとともに倒れ掛かっている神の頭をひっつかむと屋根を踏み砕かんばかりに跳躍する。

「光の11矢!」

ネギの叫びに合わせて11個の魔法の射手が茶々丸目がけて殺到した。
飛び退ろうにも茶々丸はアスナに足払いをかけたばかりで体勢が悪すぎる。
彼女は感情の見えない瞳で迫りくる魔法の射手を見つめると淡々と呟いた。

「追尾型魔法至近弾多数。回避できません」

その声にはどこか申し訳なさそうな響きが含まれている気がする。
そして茶々丸の眉がかすかに歪んだ。

「すいませんマス……」

「どけ絡繰!」

叫びとともに茶々丸と魔法の射手の間に割って入る。
こちらを見ていたネギの顔が驚愕に歪んだ。
アスナもまた同じように目をまん丸に見開いている。
ネギがあわてて何かしようとしているが、それよりも魔法の射手が誠亜の体を穿つほうが早いのは明らかだ。

だが誠亜は口もとに不敵な笑みを浮かべた。
加速させた知覚のせいですべてがスローモーションになっている世界でただ一人笑う。

茶々丸は驚いたようにこちらを見ている。
ネギは驚愕に意識を取られた一瞬のせいで、もう魔法を引きもどせないタイミングだということに気づいて悔恨を顔に浮かべていた。
アスナもまた焦燥に満ちた表情で何かを叫ぼうとしている。

ほとんど眼前まで迫った魔法の射手を睨みながら誠亜は咆哮する。

「甘いわあっ!!」

右手に持っていた神の体を前に差し出す。
それはあたかも神を盾にするかのよう。
だが神からの抗議の声は無い。
いつもの奴ならば「神たる私を盾にするとは不届き千万」とかいいそうなものだが。
そこまで考えて誠亜は目を見開いた。
神の後頭部を鷲掴みにして盾にしているせいで彼の表情は見えない。
だが誠亜は確信をもって言えた。
神は今にんまりと笑っていると。

本当に何の脈絡もなく一陣の風が吹く。
加速した知覚の中において普段と同じように吹く風。
そんなものが自然の風であるわけがない。
誠亜は胸から突き上げる焦燥のままに叫びを迸らせた。

「茶々丸目を閉じろ!!」

言いながら自分も視線を跳ね上げて神の姿を視界の下に弾き出す。
瞼を閉じるには時間が足りなかったのだ。
風はそのまま吹き抜け、



そして神のスカートをめくりあげた。



世界が凍りついた。
冗談抜きにそう錯覚した。
大気中の空気分子すらその動きを止めたかのような極限の静謐がそこにあった。
いや本当に世界は凍りついていたのかもしれない。
その中で誠亜だけが意識を動かしてたのでははないだろうか。
半ば本気でそんなことすら夢想する。

次いでまた別の声が凍りついた世界に響き渡った。

「いやあ~ん♡」

流れ出る声は渋みを含んだ低いよく通る声だ。
その声を発したセーラー服のダンディ親父はいつの間にか両手を頭の後ろで組んで悩ましげに身をよじっていた。


凍りついていた世界がひび割れる。
景色に、物に、人に罅が走る姿を幻視して誠亜は痛ましげに口を引き絞った。

風が吹き抜け終わって神のスカートがもとに戻ると、時が流れを取り戻したように世界が再び動きだす。
神の眼前まで迫っていた魔法の射手たちは一斉にその軌道を急変更してあらぬ方向へと飛んで行く。
その動きはまるで魔法の射手そのものが神に近づくのを嫌がったかのようで、誠亜は言葉を失って目を見開いた。

魔法の射手たちはあからさまにその速度を減じ、小さく蛇行した後とうとう失速して地面に落ちた。
挙句の果てにぴくぴくと痙攣しだす。

なんだこれ。

ひたすらに、ただひたすらに唖然として誠亜は無言で震える魔法の射手を見つめた。
11個の魔法の射手は最後に一度大きくそりあがると、力尽きて大地に倒れ伏して消えていった。

「…………」

「失礼な奴め」

誠亜の前では頭をつかまれた神が視線を消えていった魔法の射手たちに向けて毒づいている。
だがその声は明らかに笑っている。

誠亜は凍りついた面々へと視線を回す。
茶々丸は瞳にかすかに戦慄を浮かべてこちらを見ている。

視線をアスナとネギ達に移して誠亜はさらに眉間にきつく皺を寄せた。
アスナとネギは全く同じ凄まじい表情で凍りつき、全身を危険なぐらいに震えさせていた。
そのネギの足もとでは白いオコジョがネギの顔を見上げている。
たしか風呂場の騒動で見かけたオコジョだ。
3匹のうち麻美でも神でもない方。
オコジョは異様なあり様のネギを見上げて恐る恐る声をかけた。

「あ、兄貴……?」

答えは返ってこない。
遠目にだがネギが白目をむいているように見えるのは気のせいだろうか。

「あ、姐さん……?」

オコジョが少し離れたところにいるアスナに声をかける。
しかしアスナもまた口を半開きにして痙攣していた。


そして全く同時に、

「「ガハァッ!!!」」

吐血した。

「兄貴ぃぃぃぃぃ!!!」

オコジョが絶叫する。
そのまま真っ白に燃え尽きて倒れ伏したネギ達へと駆け寄った。
ネギ達はぐったりと倒れたままピクリとも動かない。
よくわからないが危ない状態なのではないだろうか?

誠亜は冷や汗をかきながら責めるように唸った。

「……お前、なんて恐ろしいまねを……」

だが神は満足げに頷くばかりで取り合わない。

「助けてくれてありがとうございます。ですがあれはかなりむごい手だったかと」

一礼して言われた茶々丸の言葉に誠亜は勢いよく振り向いて拳を握った。

「違う!あれは断じて俺の意思じゃねえ!めくったのは確実に神の小細工だ!」

「惜しむらくはお前たちが躱してしまったことか」

反省の色ゼロで言う神に誠亜は非難の視線を送る。

向こうではアスナとネギの間を走り回りながらカモが二人に声をかけて回っていた。

「兄貴ぃぃ!目をあけてくれえええ!!」

オコジョの悲痛な叫びにネギがかすかに目を開いた。
かすれる様な小さな声で、

「か、カモ君は……なんで……平気……」

「嫌な予感がして咄嗟に目を閉じたんでさぁ!いったい何があったんですかい!?攻撃ですかい!?」

「パ、パ、パンツが……ダンディおじさんの……パン」

そこまで聞いたオコジョ――カモは顔を青ざめさせてネギの言葉をピシャリと遮った。

「そこまでッス!それ以上は言わないで下せえ兄貴!うっかり想像しちまうところだった」

今にも死にそうなネギと何やらうなされて脂汗を大量に流し始めたアスナ。
二人を見て誠亜はぽつりとつぶやいた。

「なあ。救急車とか呼んだ方がいいんだろうか?」

その手にはいつの間にか携帯電話が握られている。
単に高速で取り出しただけだが。
神はネギ達を一瞥したあと小さく鼻を鳴らした。

「アホらしい。私のパンティを見ただけで、内臓が傷ついたわけでもあるまい。適当に看病してやればすぐに治るだろう」

「そうか。いやお前少しは反省しろよ」

言うが、神は笑声を響かせるだけで反応を返さない。
とりあえずネギ達を寮の彼らの部屋に運んでやるか、と歩き出した誠亜の背中に神の言葉がかかった。
振りかえると神は真剣そのものの表情でこちらを見ていた。
あまりの真剣さに首から下のセーラー服というミスマッチコスチュームを忘れてしまうほどだった。
神はゆっくりと頷く。いや意味はわからなかったが。
神はそのまま厳かな声で言い放った。

「ちなみに大人パンツだ」

「聞いちゃいねえ」

たまらず吐き捨てる
真面目な顔をするから何かと思えば、結局神はしょせん神か。
だが神は変わらず真顔で詰め寄ると両手の指でパンツの形を象る。

「黒のヒモ……」

「黙れ」

今度は殺気を込めて言い放つ。
心の底から聞きたくない。
ちなみに先ほどから神が一言いうたびにネギとアスナの体が電気でも流れたかのように跳ねている。
言葉とともに襲いかかる恐怖映像に苦しんでいるのだろう。
胸中ですまんと謝っておく。
誠亜が神を盾にしようとせずに魔法の射手を叩きつぶしていればこうはならなかっただろうというのもある。
まあ言っても聞こえないだろうから声に出して謝るのは彼らが回復してからだ。
彼女らのためにも神は黙らせた方がよかろう。
拳を握っては開いてを繰り返しながら神へと歩み寄る。

神は構わずに口を開いた。

「ちょっとスケ」

甲高い音が鳴り響く。
問答無用で打ち込まれた平手打ちが神の口を打ちすえた。
神の体はそのまま一回転し、また足から着地した。
そのまま演技を終えた体操選手のようなポーズを取ると、周囲から謎の歓声が響く。

神はなぜかニヒルな笑みを浮かべると、

「そんな攻撃は効かんよ」

言いながら頭の後ろに手をまわし、指でちょんまげを作る。
セーラー服のひげ親父が間抜けなポーズで挑発をしている。
正直かなり腹が立ったが、それを抑え込んで誠亜は逆に嘲るように口を歪めた。

「別に倒せなくてもいいからな。効かなくて結構」

神が余計なことを口走らなければ問題ない。
倒せる必要などないのだ。

神はつまらなさそうに眉根を寄せていたが、何かに気付いたようにネギ達を見つめた。

「しかし思いの他威力が高かったな。神たる私もびっくりだ」

神は言いながら右手を持ち上げた。
人差し指と中指を重ね、

「しかたない。少し精神をリフレッシュしてやるか」

神が指を鳴らすと先ほどまで苦しんでいたネギ達が次第に苦しむのをやめていき、起き上がる。
アスナはポケットから取り出したハンカチで顔の汗を拭きとると憔悴した表情で呻いた。

「あ~、ひどい目にあった」

「すまんかった。まさかあんなことになるとは思わなかった」

予定通り謝る。
しかしアスナとネギは憤るほどの気力もないのか力なく手を振るだけだった。
彼らに代わってカモが怒声を上げる。

「やいテメェ!そいつを助けて兄貴に攻撃するたあどういう了見だ!」

敵意に満ちたその目からして、カモが誠亜をエヴァンジェリンの仲間ではないかと思っているのは明白だ。
たとえ思っていなかったとしてもネギの敵として認識しているだろう。

(さて、どう誤魔化すか)

誠亜は一瞬黙考してから、表情を作り上げた。
わけのわからないことを聞いたと言わんばかりの表情……のつもりだったのだがちゃんとできているか定かではない。
感情を隠して嘘の表情を作ることはあまり得意ではない。

「何言ってんだ。妙な魔力の高ぶりを感じて駆けつけたら、ネギ先生がクラスメートを襲ってる。助けに入るのは変なことじゃあるまいに」

こちらの言葉に呻いて言葉を詰まらせるカモ。
どうやらうまくいったらしい。
表情には出さずに内心安堵の息を吐く。
表情に出さないようにしたせいで、今度は無表情になってしまった。
ため息をつきたい気分である。

この分ならネギ達も大丈夫だろう。
万が一魔法先生が駆けつけてきてもつまらない。
そろそろ退散したいところだった。

「茶々丸。買い物があんだろ?手伝うよ」

無論買い物の用があるとは限らない。
単に念のために茶々丸をエヴァンジェリンのもとに送るまで同行する言い訳を適当に言っただけだ。
今にして思えば表向きただのクラスメートである茶々丸に自ら買い物の手伝いを申し込むのは不自然だっただろうか。
だが茶々丸はそれを即座に把握したらしく頷いてくる。
茶々丸は表情薄く口を開いた。

だがそこで聞こえてきたのは茶々丸の声ではなかった。

「ルックアットミィイイイ!!!」

教会前の広場すべてを揺るがすかのような大音声だ。
そして誠亜の目が意思に反して神のほうに固定される。
それはネギやアスナなども同じようだった。
その場の全員の視線を浴びた神は実に楽しそうに口の端を吊り上げた。
両腕を胸の前で交差させた後、勢いよく開く。

「焼きつけよ!我が渾身のパンチラをおおおおお!」

その叫びにその場にいた全員が顔を青ざめさせた。
あわてて顔をそらそうとして体が動かないことに気づく。

「ふぁ……ふぁ……」

そして聞こえてくる不吉な音。
この声はネギ。
そしてこの音はまるでくしゃみをする直前のように聞こえて。

(そういえばネギのくしゃみって人の服を吹きとばしたり、スカートをめくりあげたりしてた……よう……な……)

誠亜の表情が戦慄に歪む。
それはアスナにも心当たりがあったらしく、彼女は力の限り声を張り上げる。

「ちょちょちょっとネギ!やめてよ!絶対くしゃみしないでよ!」

その声はもはや懇願に近い。
だが止めたいのはネギも同じだったようだ。
誠亜の視界の端にいるネギは目じりに涙を浮かべ絶望を顔に張り付けていた。
体が全く言う事を聞かない。
目の前の神に対抗するために悪魔にでも祈らんばかりの心境で、意に反してくしゃみをしようとする自分の体に涙を流す。

「ふははははは!ショウタァァイム!!」

この上なくハイな神の声に誠亜は静かに目を細めた。
ネギが小さくそりかえり、

「はっく……」

出始めたネギのくしゃみ。
深くなる神の笑み。
絶望の悲鳴を上げるアスナ。
だが一瞬早く誠亜は意識を先鋭化させていた。
指一本動かない体の内から一瞬で一定量の魔力と気を引き出す。
それに己の氣を浸透させ、根底に滑り込ませた。
散々繰り返してきたプロセスでもってそれを崩し、“気”と“魔力”を融合させる。
崩壊反応とともに爆裂する膨大なエネルギーを己の眼前で集束、指向性を持たせて撃ち放った。

「メガオ〇ティックブラストォ!!」

文字通り誠亜の目の前から放たれた破壊の力の奔流が、一瞬で神をめくれ始めていたスカートごと飲み込む。
数秒続いた極太の目ビームが消えた後に残ったのは黒こげになった神と、安堵の息とともに地面にへたり込むネギとアスナ、そして小さく息を吐く茶々丸と腕を組んだ誠亜、最後に何も分かっていない猫達だけだった。

誠亜は斜め45度上を見つめながら呟く。

「悪夢は潰えた」

突っ込む余裕のある人間はどこにもいない。
のんきな猫の鳴き声だけが響き渡っていた。









あとがき
お久しぶりです。
なんでしょう。思いのほかうまくいきません。
まあもともとたいしたものを書いているわけでもないのですが……これがスランプでしょうか。

拙作ですがこれからもお付き合い頂ければ幸いです。



[9509] 第32話 天井に潜むもの
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 17:00
神と俺のコイントス






第32話  天井に潜むもの






清潔に保たれたベッド。
その上で頬を上気させてだるそうに眼を緩めているのは年端もいかない少女だった。
ふくらはぎまで届こうかという金髪が純白のベッドの上に広がり、奇妙な模様を描いていた。
フリルのついた可愛らしいパジャマに身を包む彼女の顔を見下ろしながら誠亜は手に持ったウサギカットのリンゴを一つ自分の口に放り込んだ。
オオカミのような鋭い双眸の女だ。
腰近くまである長い黒髪は紐もピンも使われていないというのに頭の後ろで纏め上げられている。
その身を包んでいるのは暗い紺色のオーソドックスなメイド服だ。
フリルやらなんやら大量についたミニスカート型のメイドを服を着せられそうになったので全力で抵抗した。
結果この服になったわけである。

誠亜はもう一つリンゴに手を伸ばそうとして、皿の上のリンゴが既に半分の数になっているのに気付く。
伸ばしかけた手を引っ込めるとベッドの上で不機嫌そうにこちらを睨む少女――エヴァンジェリンを不思議そうに見つめた。

「それにしてもあんたが風邪なんてひくとはなあ」

誠亜が呟くとエヴァンジェリンはさらに視線を鋭くして言ってくる。

「魔力の封じられた状態の私は普通の人間となんら変わらん。風邪だってひくし花粉症も患う」

それに誠亜は手をパタパタと振りながら答えた。
どことなく井戸端会議のおばちゃんがやりそうな仕草である。

「いやそうじゃねえよ。あんたほどの人が大事な計画前に風邪をひくようなヘマをするとはなってさ。そこに驚いてんだ」

大事な用の前はやはり体調管理はしっかりしなければならないもの。
エヴァンジェリンのように長く生きたものならそこらへんミスはしないだろうというのが誠亜の思い込みでもあった。
まあ人間なんだしミスぐらいいくらでもあるだろう。今はそう考えている。

エヴァンジェリンは少しばつの悪そうな顔で眉間にしわを寄せると小さく唸った。

「風呂上がりに薄着でうろついたわけでも腹を出して寝たわけでもない。これと言って落ち度のないのにひく風邪をどう防げというんだ」

「そりゃそうだ」

苦笑とともに頷いた誠亜は、唐突に近くにあったティッシュの箱を取ってエヴァンジェリンに手渡した。
エヴァンジェリンが鼻をすすったわけでもない。
だがエヴァンジェリンは軽い驚きを瞳に浮かべるとそれを受け取った。
鼻をかむと感心したように言う。

「意外と気がきくんだな。メイドの才能があるぞ」

誠亜は肩を竦めると、

「人の気を読むのが得意なだけさ。ある程度のことは気配だけでもわかる」

答えた後、誠亜はふと視線を壁の向こうに送った。
誠亜が時折やる行為だ。
彼女は誰かのことを気にする時に視線をそちらに向ける。
それが近くにいる人ならば問題は無いが、遠くにいる場合傍からみると何を見ているのかわからない。

「茶々丸を一人で行かせて良かったのか?ネギ達の襲撃があったばかりじゃねえか」

視線は茶々丸の方へ向いていたのだ。
もっとも茶々丸の気配は掴みにくい。
家を出る時点からトレースしていたが、途中で間違えていないという保証はない。
誠亜が問うとエヴァンジェリンは鼻を鳴らして答えた。

「昨日の今日でまた襲撃をするとも思えないがな。あのぼーやが自分から闇討ちを提案するとは思えん。茶々丸の話から察すると助言者であるオコジョが唆したのだろう」

そこでエヴァンジェリンは一度言葉を区切ると、小さく肩を震わせた。
顔は笑いをこらえるように歪んでいる。

「乗り気でなかったところに反撃を喰らって手痛いダメージを食ったんだ。すぐにはこんさ」

茶々丸がネギの襲撃のことについて報告した時、最初は不機嫌そうに話を聞いていた彼女は神のスカートめくりの時点で爆笑しだした。
自分がそんな目に逢えば悪夢以外の何物でもないが、他者のそれは笑い話にもなる。
なんだかつぼに入ったらしく、腹を抱えて笑うエヴァンジェリンに、そのときの神の口調を真似して「いやぁ~ん」と繰り返し彼女を笑い死にさせかけたのはいい(?)思い出だ。

「茶々丸の方もほんの数日前と同じミスはしない。ちゃんと人通りの多いところを通っているだろう」

エヴァンジェリンの言葉に誠亜はそんなもんかと頷いた。
一応トレースしている気配は人通りの多いところを通っている。
だからこそ途中で気配を間違えていないか不安なのだが。

「くしゅんっ!」

可愛らしいくしゃみをするエヴァンジェリンに誠亜は眉根を寄せる。

「大丈夫か?」

「ああ、心配はいらん。それにしても忌々しい。魔力さえあれば風邪も花粉症もないというのに」

険しい表情で歯をきしらせるエヴァンジェリンに誠亜は苦笑とともに体重を座っている椅子の背もたれに預けた。

「まあ次の満月まで時間もあるし、それまでには治るわな。花粉症は知らんけど」

花粉症は風邪と違って一朝一夕に治るようなものでもないのでこればっかりはどうしようもない。
まあ満月が近づけばエヴァンジェリンの魔力もある程度回復するので花粉症もどうにかなるだろう。

だがエヴァンジェリンは真面目な顔で押し黙ると、こちらをひたと見つめて言ってきた。

「それなんだが、もう少し早くなるかもしれん」

言われた言葉に誠亜は目を瞬かせる。
そして心底不思議そうに返した。

「満月がか?」

「満月の時期が変わるわけあるまい。計画の実行がだ」

どちらにしてもよくわからないのには変わりない。
満月が近づかないと吸血ができないのに早めにネギを襲ってどうするのか。
言葉に出さないこちらの疑問を見てとったのかエヴァンジェリンは言葉を続けてきた。

「まだ確証はないんだがな。どうやら私をこの麻帆良に縛り付ける呪いとは別に私の魔力を封じる結界があるらしい。それをどうにかできれば満月を待たずにけりをつけられる」

「それどころか、魔力も完全復活するってわけか」

相槌とともに言うとエヴァンジェリンはかぶりを振った。

「恐らく完全復活にはならないだろうな。だが満月などとは比べ物にならない魔力なのは間違いない」

エヴァンジェリンはそこまで言うと口の端を吊り上げた。

「しかもこちらの計画に感づきながらも黙認している魔法使い共の予想よりずっと強い魔力だ。大量に魔力をかき集めたお前の血を定期的に飲んできたおかげでな。おそらく連中慌てて止めに入るぞ」

エヴァンジェリンに負けて、彼女の一時的な従者にされてからというもの、誠亜はよく夜中にあちらこちらで大量の魔力をかき集めていた。
初めてのネギ襲撃のときに魔法使いの気をそらすためにやっていたあれで、大気中の魔力を自分の体内に取り込み、それを込めた血液をエヴァンジェリンに提供していたわけである。
エヴァンジェリンはこちらの顔を見上げるとその細い指を突き付けてきた。

「そいつらを食い止めるのがお前の役割だ」

となると複数の魔法使いを抑えなければならないわけだ。
なかなかに難易度の高い役割だ。
いっそ切り札でしょっぱな潰してしまうか。
潰しきれなかった場合を考えると正直良い手とはいえない。

軽く握った自分の拳を見つめる誠亜の耳にもう一度くしゃみの声が聞こえてくる。
視線をエヴァンジェリンの顔に戻すと彼女は鼻をかんでいるところだった。
頬も上気していて、目にもあまり力がない。
やはりかなりつらそうではある。
誠亜は先ほどまで握っていた自分の右手を見つめると、軽く息を吐いてその手をエヴァンジェリンの胸にそっと添えた。
目を閉じ、深く息を吸ってゆっくりと吐く。

「何をしている?」

怪訝そうに問いかけるエヴァンジェリンの声には答えずに誠亜は意識を澄み渡らせた。
世界の深く深くまで意識を滑り込ませる。
そしてエヴァンジェリンの体の氣の流れを読み取るとそこに意識の腕を伸ばした。
ゆっくりと、慎重にその流れを正していく。
胸の中心から手足の先までじれったいほどに緩やかに流れを整える。

すべてを終えると誠亜は大きく息を吐いて精神を平常に戻した。
下ろしていた瞼を持ち上げるとエヴァンジェリンが驚いたように自分の体を見つめていた。

「少しはマシになったか?」

問いかけるとエヴァンジェリンは感心したように頷いた。
頬の赤みもだいぶとれ、呼吸もかなり安定したものになってきている。
眼もとにも力が戻っていた。

「ああ。しかし驚いたな。何をしたんだ?」

「エヴァの体の氣の流れを整えただけだよ。もっとも治癒魔法でも何でもないから、体の調子をよくして病気を治しやすくするのが関の山だけどな。後は茶々丸の持ってくる薬に期待ってとこか」

自分の体なら病原菌をどうにかするぐらいできるかもしれないが、あいにくと他人の体ではそこまでは無理だ。
基本、他への干渉は自己への干渉より難しい。
三国志時代で出会った左慈が言うには誠亜は特に自己干渉が得意な部類だそうだ。
あの切り札もそのたまものだと。

エヴァンジェリンはふと口もとを緩めると言ってきた。

「まるで仙人だな」

誠亜もまた笑みを浮かべて返す。

「仙人を目指しているもので」

二人して小さく笑っていると軽い鐘の鳴る音が聞こえてきた。
エヴァンジェリン宅の玄関に取り付けられた、呼び鈴だ。

「誰だ?こんな時に」

だいぶマシになったとはいえ、まだ少しだるそうに立ち上がろうとするエヴァンジェリンを手で制して誠亜は立ち上がった。
エヴァンジェリンは病人だ。
まあ期間限定としても従者の自分が行くとしよう。

あいにくと茶々丸はまだ遠い。
誠亜は微妙に皺の寄ったスカートを正すとエヴァンジェリンの部屋を後にした。
階段を降りると2階以上に人形に埋め尽くされたファンシーな部屋が目に入る。
テーブルや椅子に乗せられたそれらを落とさないよう留意しながら玄関扉へと向かうと、そのドアノブに手を伸ばした。
誰か問いかけようとして、誠亜が明ける前にひとりでにあいていくドアに目を丸くする。

「誰かいませんかー?」

聞こえてくる声は覚えのあるものだ。
それに思い当たった瞬間、誠亜は床を蹴りつけて跳躍する。
体は一瞬で天井まで飛び上がり、忍者のごとく天井に張り付いた。
もっとも、滅茶苦茶な握力に物を言わせてつかまっているだけだが。

扉を開けて入ってきたのは10歳ほどの赤毛の少年だった。
鼻先に小さな丸メガネを乗せた彼は部屋の中を見回すと驚いたように言う。

「わわっ!中は結構ファンシーだ。どこが吸血鬼なんだ!?」

周囲を見回す少年――ネギ・スプリングフィールドに上を向くなと心の中で念じながら誠亜は息を殺す。

まったくもって迂闊だった。
これだけの距離まで近づいたのに気付かなかったのは、やはり気配察知を茶々丸の方に集中させすぎていたのが大きい。
どうしたものかと途方に暮れながら落ちないように天井の板のとっかかりを掴む指に力をこめた。

「誰もいないのかな?じゃあどこかに手紙を置いて……」

足音に視線を向けると、戻ってこない誠亜に疑問を感じたのか、エヴァンジェリンが降りてくるところだった。
彼女はリビングにいるネギを見て目を見開いた後、天井に張り付いたこちらにさらに驚愕を顔に張り付けた。

(ヤるか?)

視線で問いかけるとエヴァンジェリンは同じように声には出さずに視線で返してきた。

(やめておけ。適当に追い返すからそのまま張り付いてろ)

一瞬で表情を取りつくろうと、エヴァンジェリンは視線をネギに戻す。
口もとをひき結んで真剣な表情で睨むネギを見返しながらエヴァンジェリンは挑発的に口を開く。

「よく1人で来たな。この場で襲われるとは思わなかったのか?それとも魔力の封じられた私などおそるるに足らんとでも?」

言いながらエヴァンジェリンはどこからともなく魔法薬の入った試験管を数本取り出す。
少しばかり魔力を引き出しながら不敵に笑った。

「魔力が十分でなくとも貴様ごときひよっこをくびり殺すコトくらいわけはないのだぞ」

見た感じエヴァンジェリンの様子に危なげなものは無い。
先の誠亜の操氣による治療は効果があったということだ。

誠亜は僅かずつずれていく自分の指先に口の中で舌打ちした。
このままだと落ちかねない。
忍者のように気や魔力を使って天井に張り付けられれば楽なのだが、その力でネギに気づかれては目も当てあてられない。
その様を察したエヴァンジェリンが口早に問う。

「で、何の用だ?まさか本当に今の私なら簡単に倒せると襲いに来たのか?」

「ち、違います!」

ネギは慌てたように杖から右手を離すと、懐より一枚の封筒を取り出した。
そこには果たし状と記されている。
誠亜はその文自体よりも、その字が子供らしいさほど上手くないものであるのに小さな驚きを覚えていた。
何かと才のある少年だから、字も上手いのだろうという先入観があったのだ。

エヴァンジェリンは一瞬意味がわからないというように眉を跳ね上げると怪訝そうに問い返す。

「何だソレは?」

ネギは中から手紙を取り出してエヴァンジェリンに向けると意気込んでまくしたてた。
ここからではさすがにその内容までは見えない。
距離と文字の小ささ、角度のすべてが見づらさに拍車をかけている。

「果たし状です!僕ともう一度勝負してください!」

そこまで言うとネギは急に『せんせい』の顔になって果たし状を持った手を振りだす。

「そ、それにちゃんとサボらずに学校に来てください!このままだと卒業できませんよ!」

「だから呪いのせいで出席しても卒業できないんだよ」

エヴァンジェリンは半眼で返した後、降ってきた微音に視線を上に向けてきた。
その視線の先、音の出どころである誠亜はずれていく指先に焦燥の色を顔に浮かべていた。
ずれる指とそれを防ごうとする力が天井の板を小さく削っていく。
パキリパキリと音を立てていく天井に小さく舌打ちすると、ピンと伸ばした五指で天井の板をつつくジェスチャーをした。
そして首をかしげる。
天井に指を突き刺してもいいかという問いかけだ。
エヴァンジェリンは一瞬逡巡した後、小さく頷いた。

誠亜はできるだけ音を立てぬよう静かに、だが素早く天井に指を根元まで突き刺した。
メキリと小さな木の悲鳴が漏れ出る。
木の板に五本の指を突き刺した音としては小さいが、ネギの注意を引きかねないことには違いなかった。

だがネギの視線が上に向く前にエヴァンジェリンはその手の魔力を昂らせた。
それを見たネギが両手で杖を掴むと杖を覆っていた布がひとりでにほどける。
まんまとネギの注意をそらすことに成功したエヴァンジェリンは手の中の魔力を握りつぶすと魔法薬をポケットにしまった。
階段の手すりからネギを見下ろして言う。

「いいだろう。日時は追って伝える。それまで精々準備をしておくことだな」

話はこれで終わりだと言わんばかりに手を振るエヴァンジェリンにネギは負けませんよと一言告げて帰って行った。

赤毛の少年教師の姿が扉の向こうに消えてしばしして、誠亜は安堵の息を吐いて天井から手を離した。
ずしりと重々しい音を立てて着地すると天井に指していた指についた木屑を振るい落とす。

「危なかったな」

誠亜が呟くとエヴァンジェリンは非難がましい目を向けてきた。
腰に手を当てて嘆息する。

「様子を見に来てお前がぼーやの頭上で天井にへばりついているのを見たときは驚いたぞ」

その言葉に誠亜は口をとがらせた。

「しょうがねえだろ。茶々丸の方に気を取られてたんだ。っていうかここまで隠れる必要あったのか?」

「万全を期すためだ。ぼーやが見張られている可能性も考慮しなくてはならん。茶々丸もいないうえにチャチャゼロも動けんこの状況であまりことを起こしたくない。ぼーや一人ならまだしも魔法教師たちに襲われて、お前と風邪をひいて魔力も弱い私だけで切り抜けられるか?」

そう言われると何とも言えない。
難しい顔で腕を組む誠亜を見据えながらエヴァンジェリンは肩をすくめた。

「まあ見ていろ。今薬を取りに行かせるついでに茶々丸にあることを調べさせている。結果如何では面白いことになるぞ」

「そうなのか?」

言って誠亜は視線を扉に向けた。
そこから入ってきたのは緑色の髪の毛を長く伸ばした一人の少女だ。
もっとも彼女は人間ではなくガイノイドなのだが。
彼女――茶々丸は入ってくると手に持った薬の入った白い紙袋をテーブルの上に置いてエヴァンジェリンに向き直った。

「マスター。やはり予想通りでした」

茶々丸が短くそう告げるとエヴァンジェリンの顔に満足げな表情が浮かぶ。
だが誠亜には話が全く分からない。
一人置いてけぼりをくらったような気分で無言で二人を見つめているとエヴァンジェリンが口で弧を描きながら言ってきた。

「さっき話しただろう?私の呪いと結界の話だ」

「ああ、あれか。破る方法でも見つかったのか?」

問うとエヴァンジェリンは天井の電灯を指差した。

視線をそちらに向けた誠亜は首をかしげる。
電灯が何だというのだろうか。
エヴァンジェリンはなぞなぞに頭を悩ませる子供に答えを教えるように言葉を紡ぐ。

「電気さ。私の魔力を封じている学園結界には大量の電力が使われている。そこで、明日は何がある?」

誠亜は明日という日の予定を脳裏に並べていく。
数個目でようやく答えらしいものに行きあたった。
だが行きあたって首をかしげる。

「停電か?でも停電だけで結界が落ちちまうってのは不用心すぎるだろ。なにか対策がありそうな気がするが」

病院などだって停電の折には自家発電に切り替えるなどの準備がされている。
ならば学園の安全維持の一つのファクターである結界も同じように対策がなされていそうなものだが。

「無論予備のシステムぐらいあるだろうな。だが、切り替えの瞬間にハッキングによってそれを停止させれば……」

「結界は落ちるってわけか」

ようやく納得がいって頷く。
だがそんな誠亜の様子などもはや見えていないらしくエヴァンジェリンは悪の親玉らしい不敵な笑みとともに高らかに叫んでいた。

「明日こそぼうやの血を限界まで吸い尽くして呪いを解き!『闇の福音』とも恐れられた夜の女王に返り咲いてやる!!」

ハイテンションに高笑いをあげだしたエヴァンジェリンを前に誠亜はぽつりとつぶやいた。

「明日か」

















日も完全に暮れ、あたりが暗闇に包まれたころ合い。
真円にはほど遠い月がぼんやりとあたりを照らしていた。
普段ならばまんべんなく配された街灯によって、少なくとも夜道の足もとぐらいなら問題なく見渡せる程度に明るい麻帆良の街も今日ばかりは濃厚な闇を抱いていた。
メンテナンスのための停電。
本来ならばメンテナンスだろうと何だろうと、事故以外で定期的に停電を発生させなければならないなど都市として不完全だと言わざるを得ないのだが、この麻帆良の人々はこれすらある種のイベントとして楽しんでしまっていた。

「ふむ。一人で来てしまったのか」

「そのようですね」

刀子は隣から掛けられた声に短く答えた。
白い清潔感のあるスーツに野太刀を持ったミスマッチな姿の女性である。
長い髪が風に揺られるままに彼女は視線の先、大浴場にてエヴァンジェリンと向かい合う少年の姿を見つめた。
直接見ているわけではない。
隣の男の魔法によって直接の視線は届かない場所から覗いているのだ。

大浴場にて一人の少年と、二人の少女が向かい合っている。
コートの下に多数のマジックアイテムを忍ばせ、強大なる敵に立ち向かわんとする小さな魔法使い。
かの英雄サウザンドマスターの息子という多くの期待を寄せられる少年である。
彼――ネギは真剣な面持ちで屋根の上から傲然と自分を見下ろすエヴァンジェリンを睨みあげていた。
エヴァンジェリンは黒いネグリジェのような服一枚で背後に従者の絡繰茶々丸を控えさせている。
異様に長い金髪と白い肌が月光のもとで妖艶に煌めき、黒い服との対比が彼女の姿をさらに妖しいものにしている。
そのネギに勝るとも劣らない小さな体躯から漏れ出てくるのは早々お目にかかれないほどの強大な魔力だ。
これに比べれば普段のエヴァンジェリンなどたしかに赤子も同然だろう。

ふと本当に大丈夫なのだろうか、という疑問が胸をかすめる。
エヴァンジェリンが呪いを解くためにネギ・スプリングフィールドを狙っているというのは少し前からわかっていたことだった。
だが学園長は確証がないからと放っておいたのだ。
彼の考えは少し考えれば分かることだ。
このエヴァンジェリンとの1件をネギにとっての一つの試練とするつもりなのだろう。

だが問題は試練で済むかどうかということだ。
強敵に挑む経験は確かな糧となる。
だが負けて血を吸いつくされてしまっては元も子もない。
学園長が言うには、学園結界を一時的に落としただけではネギでは手も足も出ないほどには力を取り戻せないとのことだが、それも絶対ではない。
絶対であったならそもそも自分たちがもしもの時のストッパーとしてここに配されることもないのだ。

「満月の前で悪いが、今夜ここで決着をつけて坊やの血を存分に吸わせてもらうよ」

エヴァンジェリンが余裕の表情で見下ろすと、ネギは杖を握りなおしながら返した。
言葉とともに漏れ出る魔力が風となってそのコートの裾を揺らしている。

「今日は僕が勝って悪いことするのはやめてもらいます!」

ネギの宣言にエヴァンジェリンは口の端を吊り上げると、ゆっくりと立ち上がった。

「気概は十分。これで実力が伴っていれば様になるが……坊やはどうかな?」

からかうように言ったエヴァンジェリンの言葉にネギが眉根を寄せる。
だがネギが何か言うよりもエヴァンジェリンが右手を持ち上げる方が早かった。

「さあ無駄話していてもしょうがない。始めよう」

エヴァンジェリンの言葉に合わせるように茶々丸が一気に跳躍した。
空を割いて砲弾のごとく飛来した茶々丸の拳が一瞬前までネギのいた場所を貫く。
派手に屹立する水柱を眼前にとらえながら、既に飛び退っていたネギは杖にまたがって呪文を唱え始めた。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

だがその呪文が完成するよりも早く水柱を突き破って茶々丸が飛び出してくる。
すぐ眼前まで迫った茶々丸から逃げようとネギは杖を加速させるがそれよりも早く肘の所から射出された茶々丸の腕が杖の端を掴んでいた。
急制動をかけられてバランスを崩しかけたネギを茶々丸は杖ごと湯船に叩きこむ。
派手な飛沫とともに二転三転したネギは慌てて顔をあげた。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」

ネギは聞こえてくる呪文に、エヴァンジェリンと茶々丸のどちらを優先するべきか逡巡する。
そしてコートの裏から数本の棒状のマジックアイテムをまとめて茶々丸に向かって放った。

半分近くを発動前に弾かれてしまうが、それでも残った半分は生み出した剛風で茶々丸の体を吹き飛ばした。

「氷の精霊17頭!集い来りて敵を切り裂け!」

「光の精霊17柱!集い来りて敵を撃て!」

集束する魔力。
二人の魔法が解き放たれるのは同時だった。

「魔法の射手!連弾・氷の17矢!」
「魔法の射手!連弾・光の17矢!」

炸裂した17本の魔法の射手たちが互いに激突して消滅する。
吹き抜ける風が湯船の湯の表面を波立たせた。
ネギの顔に安堵の色が浮かびエヴァンジェリンが面白そうに口を歪める。

一連の動きを見て刀子の隣の男、神多羅木が感心したように呟いた。

「まだまだ拙いが、あの年にしては大した力じゃないか」

刀子は無言でうなずく。
10歳などという年を考えれば、エヴァンジェリンの魔法を相殺できただけでも十分及第点だ。
だが今彼に求められているのはそれ以上。
果たして彼はそれをなすことができるのか。

エヴァンジェリンが蝙蝠をマントに変化させて身に纏う。
空を滑るように飛翔しながらエヴァンジェリンがネギに向かって飛びかかった。

ネギは杖に再び乗ると今度こそ一気に飛び立つ。
口早に始動キーを唱えると眼下のエヴァンジェリンを見据えながら呪を紡いだ。

「風精召喚・剣を取執る戦友!迎え撃て!」

紡がれる呪文とともに生み出されたのは魔力で編まれたネギの分身だ。
8体の分身がエヴァンジェリンの退路を塞ぐように四方八方から殺到する。

駆けつけた茶々丸がエヴァンジェリンの前方から突撃する分身目がけて疾走する。
茶々丸が作るであろう包囲の穴へとエヴァンジェリンが滑るように飛び込んだ。

だが茶々丸が分身を打ち砕く前に別の分身が彼女の背後へと回りこむ。
同時に茶々丸に狙われていた分身がその狙いを茶々丸へと変えた。
これで片方を迎撃しようとすればもう片方の攻撃を喰らう。
戦術としては悪くない。
残る6体も隊列を調整して包囲網を作り直している。
ますます感心する。
やはりセンスがある。
他のどこを探してもこの年でこれほどまでに魔法を使えるものはいないだろう。
ネギの顔にも会心の笑みが浮かんでいた。

だがどこまで行ってもやはり“この年では”とつくのだ。
同年代ではトップクラスでも上の年齢を入れればたちまち下の方へ行ってしまう。
刀子は嘆息とともにそれを見つめた。

挟み撃ちにされた茶々丸はあろうことか2体の分身を無視してネギに向けて方向転換した。
ネギの目が驚愕に見開かれる。
このタイミングで方向転換してもぎりぎり2体の分身の攻撃を躱せない。
それどころか2体がエヴァンジェリンに向かえば、主である彼女を危険にさらすことになる。
にもかかわらず、茶々丸の目には迷いがなく、エヴァンジェリンは不敵な笑みを浮かべていた。
エヴァンジェリンが右手を一閃する。
それと同時に煌めいた何かがすべての分身の首を跳ね飛ばした。
遠目では刀子ですらとらえられない。
だがエヴァンジェリンについてのあらかじめ持っていた知識がその攻撃の正体を刀子に教えた。
糸だ。
魔力で操った極細の糸で分身を切り裂いたのだ。

魔力の塵となって散っていく分身に驚愕の呻きをあげるネギ。
だがその時にはすでに茶々丸が眼前に迫っていた。
慌てて懐からマジックアイテムを取り出す。
だがそれすらも間に合わなかった。
茶々丸の掬いあげるような一撃がネギの足を跳ね上げ、その小さな体を投げ飛ばす。
ネギが杖を頼りに体勢を立て直すより早く、瞬く間に間合いを詰めたエヴァンジェリンがその手をネギにかざした。

「氷結・武装解除!」

ギリギリで行ったレジストがかろうじて杖だけは弾き飛ばされるのを免れさせる。
しかしネギの身に纏っていたコートとそれに大量に納められていたマジックアイテムのほとんどが凍りついて砕けてしまった。
残った杖を無理やり飛翔させてネギはエヴァンジェリンから距離を取る。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!」

10メートル以上距離を離して呪文を唱え始めるネギ。
エヴァンジェリンはそれを一瞥して己もまた呪文を唱えだした。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!」

先ほどの焼き直しのように呪文を唱える二人。
だが先と違うのはネギが太ももにつけていた魔法銃を抜き放って構えているというところだ。
このまま互いの魔法が放たれればエヴァンジェリンの魔法は迎撃され、ネギの魔法だけが届くことになる。
エヴァンジェリンの口もとが歪む。

「光の精霊29柱!」

「氷の精霊29頭!」

二人の魔力が膨れ上がる。
茶々丸がネギの魔法を防ぐためにエヴァンジェリンの前に立つ。

「集い来りて……」

その瞬間、エヴァンジェリンの視線が魔法でその場をのぞいていたこちらに向いた。
彼女の口の端が鋭角に吊りあがる。

マズイ。
そう考える間もなかった。
エヴァンジェリンの魔力が急激に跳ねあがる。
そしてネギの呪文が完成する前に、否、己の呪文すら完成する前にエヴァンジェリンが高らかに声を上げた。

「魔法の射手・氷の29矢!!」

29本の氷の矢が一斉にネギ目がけて飛翔する。
宵闇を切り裂く青い煌めきを前にネギが驚愕の声を上げた。

「なっ!呪文を!?」

慌てて魔法銃の引き金を立て続けに引き絞る。
一直線に駆け抜ける魔力弾が迫る魔法の射手を撃ちぬいた。
一本また一本と氷の矢が砕け散るが、驚きに動きを止めた分、明らかに間に合っていない。
氷の破片のカーテンを突き破って20本近い氷の矢がネギの体に食らいつく。

「うあっ!!」

悲鳴とともにネギの体が吹き飛ばされた。
そのまま大浴場の窓を破って外に弾きだされる。
魔法障壁によって緩和されたとはいえ、魔法の直撃を受けたのだ。
ダメージがないわけがない。
それでもネギは必死に、自分とは違う方向へ弾き飛ばされた杖へと手を伸ばした。

「うっく……杖よ!!」

だが主のもとへと風を裂いて翔けようとした杖は途中でぴたりと動きを止めた。
その周囲にはかすかに月光を反射して光るクモの巣状の糸が見える。

ネギはまだ杖なしに飛べるレベルに達していない。
杖を失えば地に落ちるのは必然だ。
ネギの顔が焦燥の一色に染まった。
苦し紛れに頭を腕で守る。
そのままネギは重力に引かれて地面へと叩きつけられた。

突き抜ける衝撃が彼の小さな肺から空気を押し出す。
痛みに呻きながら立ち上がるネギの目に同じように大浴場から飛び出してきた茶々丸が拳を振り上げているのが映った。

慌てて懐から3本の魔法薬を取り出す。
しかしうち一本は、先ほどの魔法の射手のせいで底が欠けて中身がこぼれてしまっていた。
構わずそれを放る。
2本あれば十分だと判断したのだろう。
拳を突き出そうとしている茶々丸目がけて呪文を唱える。
間に合うかどうか微妙なところだ。
間に合うかもしれないが裏を返せばそのまま打ち倒されかねないということでもある。
しかしネギは間に合う方に賭けることにしたらしい。

そんなネギを前に茶々丸は意外にあっさりと飛び退っていた。
容易くネギの魔法の範囲外に逃れてしまう。
一瞬あっけにとられたネギは即座に意識を切り替えて、手を空中につなぎとめられた杖に伸ばした。

「っ!杖よ!」

杖がその場でもがく様に回転する。
杖は絡まっていた糸をほどくと再び素早くネギへと飛んだ。
茶々丸はまだ攻撃の態勢に入っていない。
ネギが安堵に頬を緩めたまさにその時、後方から歌うような声が響いた。

「不注意だぞネギ先生」

からかうような響きを込めたその言葉にネギが振り返るよりも早く、ネギの後ろに立ったエヴァンジェリンは一言唱えた。

「氷爆」

膨れ上がる魔力が周囲を凍てつかせる冷気と破壊する風を同時に生み出した。
炸裂する凍気と爆風がネギの体を吹き飛ばす。
体の背面を薄く凍りつかせたネギは受け身も取れずに地面を10メートル近く転がって止まった。
今更ながら先ほどまでネギのいた場所、つまりは今エヴァンジェリンのいる場所にネギの杖が飛び込んでくる。
それを一瞥すらせずに受け止めたエヴァンジェリンは手の中でその杖を弄いながら漆黒のマントをはためかせた。

短い嘆息とともに刀子の耳に低い声が入る。

「ここまでだな。学園長からも連絡があった」

神多羅木の言葉に刀子は頷いて腰を浮かせる。
理由はわからないがエヴァンジェリンの魔力が予定よりもずっと強い。
無詠唱魔法を自由に使えるほどに回復しているとなると、正直ネギの勝算は少ない。
体に気を纏って今まで潜んでいた、大浴場からは少し離れた場所にある背の高い塔の屋根の上から風を引きちぎって大きく跳躍した。

3度ほど屋根から屋根へ飛び移ると、魔法によるものではない肉眼による視界にエヴァンジェリンと茶々丸、そして頼りなく立ち上がったネギの姿が入ってきた。
ネギはポケットから出した最後の魔法薬をエヴァンジェリンに向けて放った。

「風花……!」

「茶々丸」

短く告げられた言葉に茶々丸が問い返す。

「いいのですか?」

エヴァンジェリンは答えない。
それが答えだった。

「武装解除!」

風の一撃がエヴァンジェリンの手から杖を弾き飛ばす。
だがエヴァンジェリンのマントははためくだけで全くダメージを受けていない。
これは杖だけレジストせずにわざと弾かせたのは間違いない。
弾かれた杖を手に飛び上がるネギだが、既に茶々丸もまたバーニアを噴かせて飛翔していた。
飛ぶネギを叩き落とさんと茶々丸が迫る。
エヴァンジェリンもまた右手に魔力を集中させていた。

刀子は左手に持った刀の柄に右手を添える。
鋭い気迫とともに気を集中させて抜き放たんとする。

「斬空……」

そのときエヴァンジェリンが視線だけこちらに向けてぽつりとつぶやいたのが不思議と刀子の耳にするりと入り込んできた。

「油断も手加減もするなと言ったんだ。私がするわけにはいくまい」

何のことか、手は止めずに一瞬思考する。

「葛葉!!」

そしてわずかに遅れて跳んでいた神多羅木の叫びに無理やり身をよじった。
視界の中に黒い何かが一瞬映る。
その何かは銃弾すらはるかに凌駕する速度で一直線に刀子へと突き進んできていた。
刀子はエヴァンジェリンに放とうとしていた技を代わりにその乱入者へと向ける。
このタイミング、あの何かが自分のもとに達するよりもこちらの攻撃が放たれる方が早い。

強く握った刀を引き抜き始める寸前、その何か――黒い人影の足もとに気の集束が感じられた。
空中でその状態から放たれるとすれば、

(虚空瞬動。だがそれでも私の方が早い!)

だが居合を放つ刀子の前で黒い人影は予想をはるかに上回る凄まじい加速とともに一瞬で刀子の眼前まで達していた。
驚愕の叫びを飲み込みながら苦し紛れに鞘をその拳に叩きつける。
だが拳は鞘を容易く弾いてそのまま直進した。
人影の放つ拳が刀子の鳩尾に突き刺さる。
凶悪な破壊力が彼女の内臓を撃ちぬき、背中へと抜けていく。
いまさら人影の跳躍の足場になった物が砕ける音が響いてきた。
大気の壁を突き破って吹き飛んだ刀子の体はネギ達のいる方角とはまるで違う広場へと突き刺さる。
地面を小さく陥没させてその体は止まった。

突き抜ける激痛を強靭な精神力でねじ伏せてすぐさま立ち上がる。
右手に刀を左手に鞘を構えて目の前に立つ人影を見つめた。
刀子の左手の鞘には罅が入ってしまっている。
鞘も交えた変則的な二刀流で闘う刀子の鞘は通常よりもずっと頑丈に作られている。
その鞘がここまでダメージを負っている。
もし咄嗟に鞘を拳に叩きつけて威力を減衰させていなかったらどうなっていたか。
背筋に寒いものを感じながら刀子は目の前の人影を観察した。

かなり長身の女だ。
平均的な男よりも大きい。
180はあるのではないか。
腰まで伸ばした艶やかな黒髪を風に揺らしながら、狼じみた鋭い眼でこちらを見据えている。
出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる理想的な体形が服の上からでも分かった。
服を変えればモデルでも通用しそうだ。
だが戦士である刀子はその服の下の体から、ある種の肉食獣じみた気配を感じていた。
ただし、その体を包んでいるのはなぜか暗い紺色のメイド服である。
はっきり言って似合っていない。

彼女の顔には覚えがあった。
ネギの担当するクラスの生徒の一人である、風間誠亜だ。

「大丈夫か葛葉」

遅れて降り立った神多羅木がこちらを案じてくる。
刀子は小さく頷きながら、視線を誠亜から外さぬまま神多羅木に問いかけた。

「先ほどの動き、分かりましたか?」

問うのは刀子の予想を覆して見せた不可解な虚空瞬動についてである。
神多羅木はサングラスの下の視線を誠亜に向けたまま答えてきた。

「虚空瞬動だ。だが右足、左足、右足と一瞬で3連発していた。さらに一発一発も妙に行使される気が強かった」

「強化版と言ったところですか」

油断なく誠亜を見つめる。
予想だにしない邪魔者だ。
このタイミングで割って入ったということはエヴァンジェリンサイドということだろうか。
だとすれば非常に厄介だ。
まず間違いなく自分たちを通してはくれまい。
ネギの方はこのまま放っておけば負けるのはあきらか。
迅速に彼女を突破して救援に行かなくてはならない。

こちらの焦燥など知らんと言わんばかりに誠亜はゆっくりと両の拳を握る。
その体から感じるのは魔力と気の合わさった物。
咸卦法だ。
刀子の知る限りでは風間誠亜は常人離れした身体能力を持っているが、超常の力は使えても気が限度だったはずだが、今目の前にいる彼女は難なく高難度技法である咸卦法を使っている。

誠亜が真剣な表情で淡々と口を開いた。

「分かっていると思うが……ここから先は通行止めだ」

「なら押し通ります」

刀子と誠亜が大地を蹴りつけるのは全く同時。
瞬動じみた速度で疾走し、大気を突き破る誠亜の拳が上げる唸りと、刀子の刀が響かせる甲高い空裂音が夜の月下でぶつかり合った。










あとがき

どうもすちゃらかんです。
またしてもギャグ少なめ。
ギャグを少なくしてどうするという気もしますが、なんというかさすがにそろそろ話を進めたいなと思ってこうしました。
話が微妙に飛んでいるのもそれが原因です。
修学旅行ではそこそこギャグも考えてあるのですが、桜通りではこれ以上ギャグは……思いつかんとです。

拙作ですがこれからもよろしくお願いします。



[9509] 第33話  G
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 17:00
神と俺のコイントス






第33話  G






月光を反射して白刃が煌めく。
風を裂く一閃はしかし、その女が半歩さがることによって躱された。
刀が己の前を通り抜けるのを見るや否や、女は一歩前に出る。
残像を残しかねない速度で行われた踏み込みと共に、弾丸すら凌駕する速度で女の拳が放たれた。
技巧も何もない唯の拳撃であるにも関わらず刀子は加減も何もなく思い切り身を捩る。
そうせねば躱しきれない。
そう感じさせるほどのスピードだった。
相手の拳を紙一重で躱して反撃を合わせる。
よけるための動作が小さければ小さいほど、次の反撃という行動に移るための時間が少なくなる。
だが、紙一重で躱すということは紙一重の差で攻撃を貰いうるということでもある。
目の前の女の拳がどれだけの威力を持つのか。考えるだに恐ろしい。
まず間違いなく一撃もらえば今まで通りの動きはできなくなるだろう。

大気の壁を突き破って拳が迫る。
思っていたよりわずかに速い。このままいけば躱しきれない。
刀子は舌打ち交じりに体を無理やり倒した。
体勢を崩すと反撃がしづらくなるが、そもそも躱せなくては意味がない。

拳が刀子のスーツの腹に触れ始める。
体に鈍く響く衝撃。
スーツの生地が捩じられて千切れかけの悲鳴を上げる。
あと半瞬もあればこの拳は自分の体を穿つ。
しかしその白い布が千切れるよりも、刀子の手元から甲高い唸りとともに斬光が迸る方が早かった。

拳の弾道から刀子の体がかろうじて外れる。
このまま行けば刀子の斬撃は女の体を打ち据える。
拳が刀子の体を打ち砕かないままに。

音らしい音も立てずに鋼の刃が眼前の大気を華麗に一刀両断にした。
大気だけだ。
そこにいるはずの女はいない。
女は既に大きく跳び退っていた。
刀子の斬撃は女の髪の毛一本切り裂けずに空ぶる。

女は着地と同時に左に視線を向けると、両腕をだらりと下に垂らした。
女の視線の先から迫るのは多数の風の刃だ。
本気で放てば金属製の機械すら切断するその風の刃
無論今は切断力を落としているが、それでも喰らえばただでは済まないそれを女は迷うことなくその両の腕で打ち払った。
機関銃のごとく連射される風の刃を機関銃すら凌駕する速度で打ち落としていく。

こんな真似をすれば腕があっという間にダメージで使い物にならなくなりそうだが、女の腕は一向に傷を負った様子を見せない。
それどころか服の袖すら破れていなかった。
注意深く探れば腕の周囲に障壁のようなものが形成されているのが分かる。
魔法使いの魔法障壁のような代物が、気によって腕の回り限定で形成されている。
幾度となく鋼の刃を素手で弾かれた刀子はその感触からすでにそれを確信していた。

風の刃を叩き落とし続ける女目がけて疾走する。
疾風の如く駆ける刀子を横目に女が口もとを苦々しげに歪めた。
いまだ飛来し続ける風の刃と刀子の間で一瞬視線を彷徨わせた後、女は地を蹴った。
打ち落とす者を失った風の刃が女の髪を掠めて背後の遊具を破壊する。
ジャングルジムが一撃ごとにひしゃげて、数撃後には奇怪なオブジェと化す。

刀子は迷うことなく刀を横薙ぎに振るった。
地に大きく罅を入れながら、女の体が銃弾すら凌駕する速度で風を引きちぎって突き進む。
20m近い距離を一瞬で0にした女の拳と刀子の刀が交錯する。
どちらが先に相手の体に喰らいつくか、素人目には分からない。
だが刀子の歴戦の戦士としての勘はほんのわずかに自分の方が早いと告げていた。

行けるか。
自問する刀子の眼前から女の姿がかき消える。
次の瞬間、女の気配が感じられたのは背後からだった。
突き刺すような殺気が刀子の背中の真ん中を貫いている。
この体勢からだと刀子より女の方が早い。
刀子は荒々しく舌打ちするとともに無理やり体を前方に倒しながら身を捩った。
己の背後を視界のうちにねじ込むと、女の狼じみた眼が彼女の瞳に映る。
コマ落としのように女の拳が引き絞られるのを睨みながら、刀子は無理やりに斬光を走らせた。
十分に腰の入った女の拳はこんな苦し紛れの斬撃では弾けない。
精々が威力を半減させるのが関の山だろう。
だが衝撃はやってこなかった。

訝しげに眉をひそめる刀子の前で女は一歩後ずさって刀子の斬撃を躱す。
そして先刻と同じように刃が眼前を通り過ぎた瞬間、再び踏み込んでくる。
だがその拳が振り上げられるより、横合いから風の刃が女に食らいつく方が早かった。
女は舌打ちとともに跳躍する。
瞬動じみた速度で飛び退った女に追いすがるように風の刃が3つ襲いかかる。
女は顔面狙いの風刃を右手で横薙ぎに叩き壊すと、続く腹を横一文字に裂こうとする風刃を右手の返す一撃で粉砕する。
さらに足もとに迫る一撃は軽く跳躍して躱した。

女は唯でさえ鋭い目つきを憤りでさらに険しくして低く唸る。
そして肉食獣のような俊敏さで風の刃の発生源へと疾走した。
己へと駆ける女の姿を見たスーツにサングラスの男――神多羅木の眉が小さく跳ねる。
女が間合いを詰めるよりも早く神多羅木の両手の指が素早く打ち鳴らされた。
高速のフィンガースナップとともに風の刃が無数に夜闇を裂いて疾駆する。

「…………っ!」

女は声にならない唸りを上げるとともに足を止めて、迫りくる風刃を迎撃にかかる。
神多羅木がフィンガースナップを一度行うのと同じ時間で腕を一閃して、風の刃を砕く。
じりじりと、いままでの疾走と比べれば牛歩のごとき遅さで女が歩みを進める。
さすがに、一度迎撃しながら疾走しようとして文字通り足もとをすくわれた後では同じ無謀な突撃はしないらしい。

刀子は素早く迂回するように女の背中へと斜め後ろから迫る。
大上段に構えた一撃を渾身の気迫とともに振り下ろした。

「斬岩剣!」

大岩だろうと軽く切断する鋼刃の一撃が女の肩口目がけて空を走る。
女はこちらを一瞥して口もとを大きく歪めると、その場で体を横に向けた。
迫る風刃を右手一本で次々と叩き落としながら左手で刀子の斬撃を打ち払う。
甲高い激突音とともに刀子の斬撃が弾かれる。
だが間髪いれずに繰り出された鞘の一撃に女は奥歯を噛みしめた。
上体を反らして顎を狙ったその鞘の突きを躱すと女は鋭い左の貫手を刀子ののどもと目がけて走らせる。
一本の槍と化した腕の一撃を刀子は半身になって躱す。
掠めていく指先が刀子の長い髪を僅かに切り裂いていくのを感じながら刀子はその場で体を回転させた。
風に流れる髪の切れ端が月の淡い光に煌めくが、それを眺める余裕は女にはない。
回転の遠心力を乗せた斬撃を放つ刀子に、女は跳び退ろうと足に力を込めた。
だがその瞬間、女の背後に風の刃が突き刺さる。
同じように頭上も地面に平行な風の刃が天井のように塞いでいる。

後ろも上も塞がれた女の左右から鋼と風の刃が襲いかかる。
歯をかみしめた音が聞こえてきそうな形相で女が両の手を左右に突き出す。
その手に集められた気の盾に二つの刃が食らいついた。
炸裂音とともに閃光が迸り、土煙が舞い上がる。

浅く裂けた手のひらから真っ赤な血を流しながら女が笑う。
刀子は軽く眼を見開いた。
女は受け止めた刀の刃をそのまま握りこむと、反対の手で刀子目がけて拳を放った。
どんな力で握られたものか、鉄塊に根元まで突き刺したかのように刀は微動だにしない。
だが刀子はあろうことか躊躇なく刀を、己の獲物を手放した。一歩退く。
拳は僅かに届かない。
だが無理に跳躍すれば、恐らく浅くはあるが一撃打ち込むこともできるだろう。

女はまたしてもダメージを与える絶好のチャンスを自ら放棄する。
途中で拳を引っ込めると、そのまままたたく間に数十メートル跳び退る。
空中で刃を握っていた刀を手の中で回転させて、柄を握る。
そして着地した瞬間、砲弾じみた速度で神多羅木目指して突撃した。
風を粉砕して疾駆しながら神多羅木から放たれた無数の風の刃に向けて、否、その向こうにいる神多羅木に刀子から奪った刀を投擲する。
ライフル弾すら凌駕する速度で投じられた刀が衝撃波を撒き散らしながら空間を穿つ。

しかし、蹴散らされる風の刃たちにも神多羅木の表情を崩すことはできなかった。
神多羅木は無言で無詠唱魔法を迫る刀に撃ち込んでいく。
3度4度と激突した風の刃が刀の弾道をそらし、神多羅木の足もとに着弾させた。
炸裂する衝撃波を魔法障壁で受けながら、迫る女を見つめる。
そして淡々と口を開いた。

「風花旋風 風牢壁」

突如として発生した竜巻が女の体を包み込み、檻となって閉じ込める。
風の壁の向こうから驚愕の叫びが響く。
生半可な風ではない。迂闊に触れれば唯では済まない。
相手の侵攻から身を守る。あるいは今のように相手を閉じ込めるための呪文だ。
さすがにこれは力任せに突き破るわけにはいかないのか、女は出てこない。

神多羅木のもとへ駆け寄って刀子は地面に突き刺さった刀を引きぬいた。
それを構えながら竜巻を見つめて中の女の姿を思い描く。
長い黒髪を風に揺らす狼のような鋭い双眸をした女。
20歳だと言われてもなんら違和感ない、中学3年生ということになっている彼女。
きっぱりと似合わないメイド服に身を包んだ風間誠亜こそが今の刀子たちの大きな障害だった。
刀子達にはエヴァンジェリンにやられそうなネギを救出するという目的がある。
正直言ってこんなところで足止めを食っている場合ではない。
だが誠亜には彼女らにネギの救出をさせるつもりは毛頭ないようだ。
通さないと宣言し、事実通そうとしない彼女を突破せねばネギのもとへは辿り着けない。

ただの、人より身体能力がだいぶ高い人間だと思っていた。
さらには力任せの戦い方しか知らない素人。
障害らしい障害にもならないはずだが、蓋をあけて出てきたのはとんだ難物だった。
気も魔力も無しに高速道路を走れそうなほどの速度を出す肉体が咸卦法によって強化されるのだ。
刀子が地のスペックで劣るのは当然と言えば当然だった。
単純なパワーでは勝負にもならない。
刀子と神多羅木二人がかりで彼女一人と綱引きをやったらどうなるか。
開始直後に軽々と引きずられるのが眼に見えている。
スピードについてもただの跳躍で瞬動じみた速さを見せる。
普通に考えて真っ向から戦えば、いくら技術の差があるとはいえ苦戦を強いられざる相手のはずだ。
2対1という絶対的な数の差をしてなかなかに押しきれないのは彼のスペックの高さゆえだ。

所詮は素人。そうそう負けはしない。だが思わぬ能力の高さに不意を幾度か突かれかけた。
だが風間誠亜が突っ込みすぎて倒されることもなければ、刀子達がそのスペックで押し切られることもない。
この戦いがどちらの勝ちにもならずに奇妙な硬直状態を生んでいる最大の原因が、

「慎重ですね、彼女」

「そうだな」

風間誠亜の意外な慎重さだった。
単純な性格と豪快な動きに似合わぬ慎重さを発揮した誠亜は、打ち込めないリスクが発生するとすぐさま拳を引っ込めてしまうのだ。
そのまま無理に打ち込めばそれなりのダメージを見込めるであろう場面でも慎重を期して引いてしまう。
これのおかげで助かった場面もあるが、これのせいで討ちとれなかった場面も多い。

唐突に膨れ上がった白光に刀子は身構える。
膨大なエネルギーが竜巻の中で膨れ上がり、大量の爆薬を炸裂させたかのような衝撃が竜巻を内側から吹き飛ばした。
粉々になって砕けた竜巻が爆風とともに吹き荒れ、あたりを席巻する。
夜の公園が悲鳴を上げた。
植えられた木々がしなり、葉が吹き飛ばされていく。
金属製のごみ箱が舞い上がり、公園の端の木にひっかかる。
根っこから吹き飛んだシーソーが鉄棒に激突しお互いを破壊した。

まだ彼女には自分たちの知らないカードがあるらしい。
苦い思いでそれを見つめながら刀子は口もとを歪めた。
その刀子に隣の神多羅木がサングラスの位置を直しながら口を開く。

「聞いた話だが、風間誠亜は“一撃必殺”に強いこだわりを持っているらしい」

その言葉に刀子は片眉を跳ね上げる。
視線を当の誠亜に向けると、掲げた右手を下ろして指の骨を鳴らしていた。

「一撃必殺にこだわるあまり、一撃で決められなかっただけで負けを認めるほどだそうだ」

神多羅木の言葉が聞こえたのか、風間誠亜が眉間にしわを寄せる。
その表情からどうやら神多羅木の話が本当のことらしいと確信する。
なるほど、一撃必殺にこだわるからクリーンヒットしないと判断するとすぐさま拳を引いていたわけか。

それならだいぶ与しやすくなる。
あの戦士としての練度では“一撃必殺”など唯のハンデだ。
ならそのハンデを利用し、つけこめばいい。
誠亜の攻撃を完全に躱さなくとも、当たっても倒しきれないレベルのよけ方をするだけで相手が勝手に引いてくれることになる。
逆に偽の隙を見せて誠亜の攻撃を誘発し、それをしのいでやることでも負けを認めさせることができる。

一気にハードルが下がったような感覚を覚えながらも、刀子は油断せずに刀を構えた。
誠亜がクラウチングスタートのように低い姿勢を取る。
そして次の瞬間、瞬動すら大きく凌駕する速度で疾走した。
地面を小さく陥没させて刀子達へと迫る。
それを眼に、刀子は弧を描く様に迂回しながら誠亜へと走った。
同時に神多羅木が素早く指を打ち鳴らし、無詠唱魔法によって生みだした風の刃を誠亜目がけて飛ばす。

闇色の公園で、刃と拳がぶつかり合った。













「お、お姉さま。本当に大丈夫でしょうか?」

後ろからかかった問いかけに高音・D・グッドマンは苦笑とともに振り返った。
長い金髪がさらりと翻る。
あたりは黒一色で薄暗い月明かりしか光源がない。
だがここにかんしては停電中だからではなく、もともと街灯がないからだ。
うっそうと生い茂る森の中、麻帆良という町の端の方に位置するそこを目指して高音は妹分の少女とともに歩いていた。
こんな時間に森にいる人間がいるはずもなく、必然的にそこは小さな虫の声以外はほとんど音のない静寂の空間となっていた。
静寂は自然とそこを歩く者に余計な想像力を喚起するようで、高音の後ろを歩く少女は小さな物音がするたびに不安そうに眉を歪めていてた。

髪の毛を頭の左右でくくった少女は、自分を勇気づけるように手に持った箒を強く握りしめている。
魔法によって作った黒い衣を纏っている高音とは異なり、彼女は普通の制服を着ている。
佐倉愛衣。
高音のことをお姉さまと呼んで慕う少女だ。
この年で無詠唱魔法を使う優れた才の持ち主なのだが、いかんせん少々気弱な所がある。
それを直せれば一気に伸びそうな気もするのだが、ともすれば魔法の上達よりも難しい問題かもしれない。

高音は不安そうにする愛衣を安心させるように微笑む。

「大丈夫です。それにマギステル・マギを目指すものとして無辜の人々が危険にさらされる状況を看過できないでしょう?」

言うと、愛衣も意思を固めたようで頷いた。
高音達が今ここにいるのは麻帆良の人々守るためである。
エヴァンジェリン一味が停電に乗じて学園結界を落としてしまったせいで、侵入者に対する警戒能力が落ちてしまっているのだ。
この麻帆良は霊脈的にも優れ、科学、魔法、さまざまな方面で優れた才を持つ者たちが集まっている。
ここに忍び込み、世からぬことを企む者と言うのは後を絶たないのだ。
本来は学園に張られた結界が侵入者の存在を察知し、魔法使い達に知らせることができるが、結界の落ちた今に限ってはその機能は失われている。
“企むもの”としてはまさに絶好のチャンスである。
実際、何人もの魔法使いや裏側の者が麻帆良の各地で警戒に当たっている。

ところが不思議なことにこの森が警戒対象から外れていたのだ。
普通に考えるなら、見通しもきかず見つかっても比較的追手を撒きやすいそこは絶好の侵入ポイントだ。
そこを警戒しないなど正気の沙汰ではない。
高音は本来召集されていなかったが、この森が無警戒であることを知り独断で警戒任務に乗り出した。
後ろの愛衣は暗い森を歩くこと以上に、やはり魔法教師の補助なしで自分たちのみ動くことに不安があるのだろう。

「そういえばネギ先生のほうは大丈夫なんでしょうか?」

問われた言葉に高音はその細い眉をひそめた。
ネギ・スプリングフィールド。
かの英雄ナギ・スプリングフィールドの息子で多くの期待を寄せられる少年である。
類稀なる才能を持ち合わせる彼は今、一つの試練としてエヴァンジェリンとの戦いを行っているらしい。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルといえば極めて有名な吸血鬼であり、子供に「悪いことをしているとエヴァンジェリンがやってくる」と言い聞かせる風習があったりするぐらいだ。
確か日本のどこかにも似たような風習があったはず。

そのエヴァンジェリンと、天才とはいえいまだ10歳のネギがまともに戦えるのか不安であるのは事実だ。
己を封印したナギへの恨みを込めて、彼が殺されでもしたらどうするつもりなのか。
まあいざという時のために魔法先生を待機させているらしいので問題ないのだろう。

「そちらは担当の魔法先生に任せましょう。それより……」

唐突に言葉を切りながら高音が立ち止まる。
仕草で愛衣にも立ち止まるよう示すと、そっと近くの木の陰に隠れた。
慌てた仕草で高音と同じように木の陰に隠れる愛衣の姿を確認してから、高音は僅かに顔をだして先ほどまで自分たちが歩みを進めていた方向を覗きこんだ。
愛衣が不安げに問いかけてくる。

「どうしたんですか、お姉様」

「静かに。人の声がするわ」

林立する木々が邪魔して姿は見えないが確かに何か声が聞こえていた。
ひそひそと何かを話す声という感じではない。
どちらかというと何か騒ぎが起こっているような雰囲気だ。
侵入者が発見され、戦いが始まっているのかもしれない。
魔法先生はこの森に配備されていないはずなので、いるとすれば自分たちと同じように己の意思で動いている魔法生徒か、あるいは

(偶然遭遇してしまった一般人か……)

もし一般人ならすぐさま助けに入らねばならない。
数秒だけ黙考して高音は決断した。
愛衣に声を投げかけながら木の陰から飛び出す。

「愛衣!いきますよ!」

愛衣の返事を待たずに駆けだす。
なんだかんだでしっかりとついてくるのが彼女だ。
高音は素早く口の中で呪文を唱える。
すると彼女の周囲に10体の人影が現れた。黒装束に身を包んだそれらは高音の使い魔であり、それぞれを彼女の思うままに操ることができた。
使い魔たちを自分と愛衣の回りに配し、周囲からの奇襲に備える。
言葉を叩きつけ合うような騒ぎはまだ聞こえてくる。

愛衣にもついてこれるように速度を抑えながら声のもとへと駆けていく。
しだいにはっきりと聞こえてくる声は、人をいたぶって楽しむような声と悲鳴のような叫びだった。
低い男の声がなじるように声を上げると、若い男女の悲鳴のような懇願が響き渡る。
腹の底に悪党への怒りの念が湧きあがってくる。

「お姉さま!」

結った髪を跳ねさせながら叫ぶ愛衣に頷き、高音は影の使い魔を先行させながら一際大きく視界を遮る大木と大木の間を駆け抜けた。
その瞬間再び響き渡る悲鳴。
高音は即座に影の使い魔の半数を突撃させ、

「や、やめてくれえええええ!」

「ふっははははははは!良いざまだな!この私がしっかりとお前たちの雄姿を故郷の父母や息子たちにも見せてやるから安心するがいい!」

唐突に明らかになる現状に凍りついた。
唖然として動きを止める。
影の使い魔たちも途中で動きを止めている。

そこでは、なにかトリモチのような粘着性の物体に全身をからめとられた20代半ばの男女が悲鳴を上げていた。
白い粘着物体は男女が必死にもがいても、どこまでも伸びて決してその体を離さない。
もがき方を間違えたのか男の方はつぶれたカエルのような奇妙な姿、女の方も複雑なヨガのような姿勢で動けなくなっている。
どちらもそのまま街中を歩いていても何の違和感もないような服装だが、その眼には隠しきれない敵意があふれている。
そしてその前にいるのは見覚えのある人影だった。

髪の毛をオールバックにして、口もとには髭を蓄えた男。
ダンディと言っても良い顔だがあいにくとその体を包んでいるのはセーラー服である。
初見では思わず戸惑ってしまうこと間違いなしな物体。
だが彼の存在を既に知っている高音達魔法使いからすれば……否、やはり戸惑う存在である。

神を自称する超能力者である彼――ロキは実に楽しそうに笑いながらトリモチらしきものに捕らえられた二人を、手に持ったやたらとゴツイカメラに収めている。
シャッター音が響くたびに捕らえられた二人は悔恨と羞恥に顔を赤く染める。
どうやら悲鳴の主は侵入者の方だったようだ。

「ふうははははあっは!幾らまっとうな魔法使いではないとしても、肉親にこの情けない姿を見られるのは恥ずかしかろう!さあもがくがいい!もっと情けない格好になるがいい!」

既にコメディ番組顔負けの情けない姿になり果てているというのにこれ以上さらに何を望んでいるのだろうか。
捕らえられた男の方が悔しげに唸る。

「くっ!俺たちを捕らえたところでことは変わらん。まだまだ大勢の仲間がこの麻帆良に侵入しているからな」

挑発するように笑みを形度って見せる男だが、ロキはカメラのシャッターを切りながらバッサリと切り捨てる。

「わざと開けた警備の穴にあっさり全員で突撃する間抜けがいきがるでな~い!残念だがこの森に入ってきたお前のお仲間5人とその他2人は例外なく森の中で捕まっている!この私の形成した神力結界『ホイホイ』によってな!」

「ホッ、ホイホイだと!?貴様我々を家庭内害虫か何かかと……」

高笑いを天に上げるロキと憤慨した侵入者らしきが叫びあうのを前に、茫然とした有様で愛衣が呟くのが聞こえた。

「ど、どうしましょう……コレ……」

それになんと答えてよいのか分からず、高音もまたあっけにとられて立ち尽くす。
風の音が森に入った直後に聞いた時より間の抜けた音に聞こえた。
森が嘆息している。そんな錯覚すら覚える。

高音は小さくため息を漏らすと表情を引き締めて目の前の変人へと歩みだした。
ロキは構わず侵入者たちをカメラで撮り続けていたが、高音がすぐ後ろまで来ると始めから気付いていたかのように振り向いた。

「何か用かね?」

改めて問われて高音は言葉に詰まった。
そういえば何の用だったか。
彼の姿を見た瞬間、生物としての本能レベルで何か苦言を呈してやろうと思ったのは事実だ。
だが、高音達が今ここにいるのは、結界の停止をチャンスと入ってきた侵入者を倒すためだ。
ロキがやっているのはそれに反することではない。
侵入者を捕らえ、街の人々を守るのは正しいことだ。
もっとも、それを遊び半分というか、完全に遊びでやるのはいささか不謹慎な気もするが。

叱責の言葉がするりと抜け落ちていくのを感じながら、高音は代わりに問いかけることにした。

「何をしているのですか?」

問うと訝しげにロキが眉をひそめる。
そして不思議そうに逆に問い返してきた。

「見てわからんか?」

問い返されて高音は質問を間違えたかと胸中で嘆息した。
いくつかある聞きたいことの内、一番最初に思いついたものを口にしたが、冷静に考えれば問うまでもなくロキは侵入者を捕らえているのだ。
この不可思議な警備の穴を張っていたのだろう。
いや、『わざと明けた警備の穴』という先ほどの言葉からしてあの警備の穴はロキの待つこの森に侵入者を誘導するためのものだったのか。
となれば魔法先生がこの森は警戒しなくていいと言ったのはこのロキが秘密裏に警護するからというわけだ。

失礼、と一言告げようとした高音の前でロキが先に口を開く。

「前衛芸術だ」

「そんなわけがないでしょう!」

気がつけば力の限りツッコんでいた。
だがロキは騒ぐ子供を宥めるように手をかざすと、落ち着いた声音で告げる。

「まあまあ。そう慌てるな。ちゃんと理論武装も用意してある」

「理論武装と言っている時点で語るに落ちているでしょうが!」

「壁に当たって道を断たれたものの無力感と……無力感と……はて何だったか?カップ麺すすりながら適当に考えたものだから忘れたな」

「あまつさえ理論武装すらできていないじゃありませんか!!」

肩で息をして叫ぶ高音にロキは意味ももなく笑声を放つ。

「はっはっは。気にするな。理論武装なぞ所詮屁理屈とさして変わらん。どれだけ言葉で飾り立ててもものの本質が変わるわけじゃないしな」

「自分で言ってどうするのですか!」

神の後ろでは侵入者たちがロキの注意が自分からそれたすきに逃げんとしているが、神力結界とやらは彼らを逃がすつもりはないようだ。
彼らが幾ら体に魔力を込めて逃げ出そうとしてもそのトリモチじみたものはびくともしない。
ロキはそれらを一瞥だけすると、笑顔のままで侵入者たちに告げた。

「もがいても無駄だぞ~。神力結界は人には破れん。力の大小ではなく、そういう風にできている」

だがロキの言葉を鵜呑みにするつもりは無いのか、構わず侵入者たちはもがくことにしたらしい。
凄まじい雄たけびとともに体を起こす。
男の方など顔が真っ赤に染まり、こめかみに欠陥が浮くほどの力を込めている。
体から魔力をあふれさせ、呪文を唱えだすが、やはりロキはのんきにそれを傍観していた。
慌てて影の使い魔を動かそうとする高音だったが、それをなぜかロキが止める。
侵入者たちが呪文を唱え終わると、その魔力が光となって顕現した。
だが光となるだけで何も起きない。
呪文を唱えた本人も唖然としてそれを見つめている。
男の呪文は間違っていない。
魔力の運用も高音の見た限り問題は無かった。
だが、魔法は発動しない。

それを見下ろしながらロキが呆れたように言った。

「だから言ったろうに」

彼はそれでもう男たちへの興味を失ったかのようにカメラをポケットに押し込んだ。
明らかに許容量オーバーのはずの代物がポケットにするすると入っていく姿に目を丸く高音に、ロキは苦笑とともに肩を軽くたたいて言う。

「あとは好きにするといい。魔法教師に連絡して帰るのも、自分たちで森をパトロールするのも勝手だ。まあ森の中のは一人残らず捕まっているがな」

そこまで言うとロキは口の端をにぃっと吊り上げた。
いたずらをする少年のような顔で、その表情のままの声音で、

「私は残りの奴をからかってくる」

そう告げるロキの手には丁髷のついたかつらや鼻つきメガネ、他にも何に使うのか分からない代物まであった。
足もとにはなぜかウナギの入ったバケツもある。
何に使うつもりなのだ。ウナギは。
ロキは高音の隣を通り抜けるとその後ろに控えていた愛衣にも軽く手を振る。
愛衣はどう反応してよいのか分からず、あいまいな表情でそれを見つめていた。

「お待ちなさい!」

高音は声を張り上げる。
今の自分では恐らくこの男を止めることも矯正することもできない。
少々言葉を投げかけたところで何かが変わるわけではない。
だがそれでも高音は口を開く。

「あなたはそれで良いと思っているのですか?」

問われてロキは笑みを引っ込めた。
真面目くさった顔で高音の瞳を見返す。

「ふむ。察するにそれは今の行動に対するものではなく、在り方に対するものと受け取ればいいのかね?」

「そうです」

ひたとロキの瞳を睨み据えて言うとロキもまたはぐらかす様子も見せずにこちらに向き直る。
手に持っていたふざけた品々をまとめてどこかへと消すと、右手を腰に当てて虚空を見つめた。
木々の枝葉の隙間から覗く夜空を見上げ、一瞬表情を歪ませる。
その表情がひどくロキらしく思えず、高音は眼を瞬かせた。
瞬きを終えるころにはロキの表情は唯の真顔に戻っている。

「私が決めた在り方だからな。“良いと思っている”……これでいいかね?」

言って踵を返そうとするロキの横顔に高音は今一度言葉を叩きつけた。
怒気すらこもるそれに、ロキ以上に愛衣が驚いている。
だが言わずにはいられなかった。
彼の話を聞いてから、この麻帆良で目の当たりにしてから常々思っていたのだ。

「あなたはなぜその力を人々のために使おうと思わないのですか?」

「それなりに人命救助もやっているはずだが?まあ目についた範囲だが」

ロキの言葉に嘘は無い。
彼が幾度となく人々を救っているのは事実だ。
だが、それが稀なことであるのも事実だ。
数え切れない悲劇の内、ほんのわずか。まさに彼の言葉通りたまたま目に着いた範囲だ。
苦しむ人々を救うために多くの魔法使いが尽力している。
いまだ力及ばぬ者も、マギステル・マギを目指して己の力を磨きいずれは人々を救う一人とならんとしているのだ。
それでもなお足りない。
救える者よりも救えていない者の方が多いだろう。
魔法使いと言えど人である以上、そして数に限りがある以上限界というものがある。

魔法先生たちと比べると自分の力の未熟さがありありとわかる。
だがその魔法先生たちですらその力は及ばない。

だがこの男ならどうだ?
この男が神だなどと信じているわけじゃない。
信じることなどこれからもないだろう。
だが、彼が個人で災害そのものを止めてしまうほどの力を持っているのは紛れもない事実なのだ。
その力ならば数え切れないほど多くの人々を救えるのではないか?

人間世界に生きる魔法使いの使命は世の為人の為にその力を使うことだ。
いや、魔法使いに限らず力ある者は力なき者の為にその力を使うべきなのだ。
だというのにこの男ときたら有り余る力を人をからかい、迷惑をかけるようなことばかりに費やしている。
それがどうにも許せない。

「あなたが己の私利私欲の為でなく、人々の為に力を使うようにすればどれだけの人々が救われると思っているのですか!?あなたは……」

そこまで捲し立てて高音は急に口つぐんだ。
視線はロキの顔にくぎ付けになっている。
反省するでもなく、憤慨するでもない。
ただ彼はこちらをじっと見つめていた。
心底不思議そうに。
そして口の端を皮肉げに吊り上げて

「面白いことを言うのだな」

「おもし……!」

真面目に言った言葉を“面白い”で済まされて高音の頭に血が上る。
自分は極めて真剣に言ったはずだ。
どうしようもなく真面目な話を。
それを面白いとはどんな神経をしているのだ。
皮肉にしても同じことである。
怒声を発そうと口を開いた高音だが、淡々と述べられたロキの言葉に言葉を喉もとで止めた。

「珍しく世の為人の為に動いた私を止めたのはお前達だろうに」

絶句して動きを止める。
自分は世の為人の為に動いたロキを止めたことなどない。
そもそもロキを噂以外で明確に知ったのは、彼がこの麻帆良に来てからだ。

そして彼がこの麻帆良に来てから世の為人の為に働いたことなどない。
ならばお前達というのは自分と愛衣という意味ではなく、自分たち麻帆良の魔法使いということなのだろうか?
だがそれにしてもそんな事件については全く心当たりがない。

混乱して口をつぐむ高音を一瞥すると、ロキは唐突に姿を消した。
まるで初めからそこにいなかったかのように忽然と。

「お、お姉さま?」

やはりロキの言ったことの意味が分からなかったのか、どこか不安げに愛衣が声をかけてくる。
高音はしばらくロキの消えたその場を睨みつけていたが、一度かぶりを振ると傍らの愛衣に視線を向けた。

「いきましょう。侵入者はここにきて全員捕らえられたとは限らないのですから」

今は目の前のことを片づける。
考えるのはそのあとだ。
木々の間を縫って吹いた風が高音の金色の髪を揺らす。
それはどこか嘲笑っているように思えた。









あとがき

直ったあああああ!
すいません。つい喜びの声を。
お久しぶりです。
突然冬眠なさったパソコンの修理費を稼ごうと短期のバイトを始めたら小説書く時間がなくなる罠。
まあ終わったのですが。

この話ですが、思ったよりも長くなりました。この話で刀子&神多羅木戦は終わらせるつもりだったのですが……
もう少しサクサク話を進めたいと思う今日この頃。
次回はもう少し早く投稿できるといいなあ……というかします。
ちなみにタイトルのGというのは家での黒い悪魔の呼び名です。夏場に出るアレ。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第34話 いちげきひっさつ
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 17:00
神と俺のコイントス





天に座す月は満月には遠いが、それでもなお灯の落ちた街を照らしている。
その淡い光に髪の毛を妖しく輝かせながら一人の少女が傍らの女に視線をやった。
闇に溶け込む黒じみた紺色のメイド服を身に纏った女だ。
輝かんばかりの金髪である自分とは対照的に漆黒の髪を腰辺りまで伸ばしている。
黒々とした夜の中で、その瞳の持つ緑色の緩やかな輝きが目立っていた。
麻帆良の中でもひときわ高い建物の頂上でエヴァンジェリンは眼下の街並みを睥睨した。
西洋の街並みをモデルにして築きあげられたこの学園都市は今はひっそりと眠りについている。
全盛期には遠けれど、それでも普段と比べれば溢れんばかりにエヴァンジェリンの中で唸りを上げる魔力に、麻帆良の中のいくつかの魔力が動きを変える。

その中に狙ったもの――ネギ・スプリングフィールドのものがあることに満足げな笑みを浮かべると、エヴァンジェリンは顔を隣にいる女に向けた。

風間誠亜。
激闘を制して手に入れた臨時戦力だ。
彼女のおかげで自分は魔法使い達の予想以上の魔力を取り戻せたのだし、また魔法使い達の予定にない、妨害の為のカードを手に入れた。
優れたポテンシャルを秘めたカードだ。

「風間誠亜」

静かにその名を呼ぶ。
視線を向けると誠亜は空を見上げていた。
今までに見たことのない表情で空を見上げている。
決して悪い表情ではないが、それがどんな感情を表す顔なのかが思い当たらない。
強いて言うならば真剣な、そういった顔だ。
つられてエヴァンジェリンもまた視線を上にあげる。
全ての電灯が消えているせいかいつもよりも多くの星が見えた。
満天には程遠いが、それでも都会で見れるものとしては決して少ない光の点が夜空に浮かんでいた。

「星が好きなのか?」

問いかけると誠亜は少し驚いたようにこちらを向いた。
空に見入っていた自分に初めて気がついたかのようにどこかばつの悪そうな表情で頬をかく。

「そうだな。けっこう好きだ。特に多ければ多いほど」

一見ガサツなこの女――もとは男か――に星に見入るなどと言う感受性があったことが若干の驚きだ。
エヴァンジェリンは口の端を吊り上げると誠亜に向けてからかうように言う。

「私が呪いを解いた暁には、お前の首根っこをつまんでもっと良い星空の見える場所にでも連れて行ってやろうか?」

冗談交じりに暗にこのまま従者として連れて行ってやろうか、と含めて言ってやると誠亜は苦笑とともにかぶりを振った。

「いや、自分でどうにかするさ」

そこで言葉を発することをやめ、二人ともども視線を地上へと向けた。
ネギへの招待状は上手く届いたらしい。
ネギの、年の割には強力すぎる魔力がこちらへとまっすぐ向かってくる。

「マスター。そろそろ」

背後から声をかけてきたのはエヴァンジェリンの本来の従者だ。
緑色の髪を長くのばし、誠亜同様にメイド服を着ている。
誠亜と違うのはスカートの長さがだいぶ短いということか。
茶々丸という名のガイノイドの言葉にエヴァンジェリンは無言で頷くと、隣で腰を浮かして跳躍しようとしている誠亜に言葉を投げかける。

「風間誠亜。わかっているな?」

「わかってるよ」

誠亜はその言葉だけを残して大きく跳躍した。
足場の屋根に蜘蛛の巣状に小さく罅が入る。
またたく間に小さくなっていくその背中を見送りながらエヴァンジェリンはその人形じみた整った顔に不敵な笑みを浮かべる。
そして振り返らずにすぐ後ろに控える茶々丸へと声をかけた。

「では私たちも行こうか茶々丸。油断はしない。手加減も無しだ」











第34話  いちげきひっさつ











迫りくる白刃を軽く身を反らして躱す。
耳に痛い空裂音を響かせて通り抜けた刃は再び跳ね戻ってくる。
しかし誠亜はそれを一瞥するだけで、あえて無視して目の前の女剣士に対し半身に構えた。。
立て続けに殺到した風の刃を叩き落とす。
炸裂音とともに弾ける風の刃。
かろうじて風の刃を捌き切るが、背後には一本の刀が誠亜の体に食らいつかんと迫っている。
さらには風の刃も止んではいない。
誠亜は己の頭部目がけて飛ぶ風刃をかがみこむように体を前に倒して躱すと、その動きのままに背後から迫る刀の腹を蹴りあげた。

斬撃の軌道を跳ね上げられた女剣士――葛葉刀子の顔に小さな驚愕の表情が浮かぶ。
だが誠亜にそれを喜ぶ暇は無い。
体を低くしている誠亜に対し、今度は低い軌道の風の刃が飛来する。
蹴りの為に伸び来た軸足を一度曲げて、また伸ばして跳ぶのでは間に合いそうもない。
誠亜は前に傾いた姿勢に逆らわず、飛びこむようにして風の刃を躱す。
手から地面に着地し、倒立前転のように身を起こそうとするが、それよりも早く風の刃が誠亜の体を狙って迫っていた。
誠亜は舌打ちとともに、逆立ちしたままでブレイクダンスのように体を回転させて風の刃を蹴り落とす。
だがさすがにこんな滅茶苦茶な体勢で神多羅木の風の刃の猛攻を捌き切れるはずもない。
すこしずつ体を掠め始める刃。
さらには右方から刀子が刀を下段に構えて疾駆してくる。

誠亜は体を支える腕を軽く曲げた。
風の刃の第二波と刀子の斬撃が放たれる。
風を裂く鋼の刃と、本気なら鋼すら裂く風の刃が誠亜の体を食いちぎらんと襲いかかる。
タイミング的には間に合わない。
手での跳躍は当然ながら足でのそれに劣る。
だが誠亜は構わず腕の筋肉をフル稼働させた。
それと同時に両の手の平で集束させた気を炸裂させる。

瞬く間に離れていく地面。
誠亜の頭の数メートル下を、風と鋼の刃が通り抜けて行った。
“手で”瞬動を行って跳んだ誠亜を、先程以上の驚愕を瞳に宿して刀子が睨みつける。
だが神多羅木の方にはあまり驚きは無かったらしい。
停滞なく、すぐさま狙いを刀子の頭上の誠亜に修正してくる。

誠亜は飛翔する風の刃を一瞥もせずに魔力察知だけで把握すると、右足に気を集中させた。
空中でそれを炸裂させ、虚空瞬動によって刀子との距離を一気に詰め、その拳を放つ。
だが刀子もまた立ち直りは早かった。
すぐさま身を捌いて鞘を己の頭上に向けて叩きつける。
だがそのどちらも若干中途半端だ。
身の捌き方も躱しきれるほど大きくないし、鞘の一撃も弾き切れるほど大きくは無い。
しかし誠亜の拳撃の威力を半減させるには十分すぎる。
誠亜は舌打ちとともに拳を途中で止めた。
代わりに無理やり空中で身をひねって足から着地する。
誠亜が拳を引くや否や、いやそれよりも早く刀子は渾身の力を込めて刀を誠亜めがけて叩きつけた。
大気を裂断する一閃は誠亜が着地するよりも僅かばかり早い。
回避の為の行動を小さくとったが故の早さである。
誠亜は咄嗟に胸の前で両腕を盾のように構えるとその腕の周囲の気の障壁を強化した。
さらには硬気功の応用で腕の強度を上げる。

「斬鉄閃!」

鋭い剣気とともに放たれた斬撃は障壁に喰らいつき、それを食い破って誠亜の腕に到達する。
およそ人間の腕に切りつけたのとは程遠い感触に刀子の眉間に皺が寄るが、それでも彼女は無理やり刀を振り切った。
誠亜の体が景気よく吹き飛んでいく。
血風をまいて飛んだ誠亜の体は数十メートル離れたところに落ちた。


空中で猫のように身をひねって足から着地した誠亜は己の腕を見て低く唸る。
剥き出しにされた犬歯が彼女の猛獣じみた雰囲気をさらに強めていた。
肘と手首のちょうど中間あたりの袖が綺麗に裂け、そこから真紅の血が流れ出ている。
両手を握ると、やはり突き抜けるような痛みが走るがこの際無視する。
かすり傷とは到底言えないが動かないほどではない。
痛いだけだ。なら痛みをねじ伏せればいいだけのこと。

誠亜は己の腕から視線を外すと険しい表情で刀子と神多羅木を見た。
白いスーツに身を包んだ美女である刀子と黒いスーツに身を包み、髭を生やしてサングラスをした神多羅木は見るからに対照的な二人だが、その実力は双方ともに確かなものだった。
厄介な相手だ。
胸中で毒づく。
連射の効く遠距離牽制能力を持つ神多羅木と接近戦のプロフェッショナルである刀子。
2対1というだけでもきついのに彼らの洗練されたコンビネーションはますます誠亜の行動を阻害していた。
飛び道具など基本役に立たないと思っていたが、これは考えを改める必要がありそうだ。

さらには刀子達は誠亜の一撃必殺を狙うスタイルを把握し、それを逆手に取った先方にシフトしている。
もともと押されぎみだったが、こちらのスタイルがばれてからは押されているというよりギリギリで踏みとどまっているにすぎなかった。
交錯し相手の猛攻を何とか捌き、完全に捌ききれなくなるとどうにか力任せに距離をとる。この繰り返しだ。
おまけに今さっきのでとうとう手傷を負ってしまった。
腕は問題なく動くがそれでも多少はその力を減じているだろう。
戦力が落ちたならば、再び手傷を負うまで追いつめられるのにかかる時間は今までより早くなるのは必然だ。
そして次はさらに早くなる。

誠亜は奥歯を噛みしめるとともに腰を低く落とした。
刀子が地を蹴る。
神多羅木が両手の中指と親指を打ち鳴らす。

風を巻き込んで奔る風刃を睨みながら誠亜は声には出さずに唸る。

(まだか?)

刀子よりも先に届いた風の刃を後ろに跳んで躱す。
だが風の刃は誠亜の退路を塞がんと誠亜の後方から詰めるように虚空を貫いていく。
これで後ろに跳ぶという選択肢は無くなったわけだ。

ならば横に跳ぶか?
それも同じだろう。
あちらがやりたいのは2人での攻撃だ。両方の攻撃にさらされる位置に誘導されるのは目に見えている。
例えスピードにものを言わせて逃げに徹したとしても、あちらがこちらを倒すことを諦めてネギの救出に向かいだしたらこちらから攻めなくてはならない。

腹をくくって足を止めて前へ踏み出す。
刀子が瞬動を行おうとしているのが見えた。
彼我の距離は30m強。
瞬動3回ほどの距離か。
瞬動の終わり、可能ならば途中でのインターセプト。
こちらのスピードは刀子の方もある程度理解している。当然警戒されているはずだ。
だが、

(一度目の瞬動ならどうだ!?)

刀子の体が瞬動によって劇的に加速する。
足の筋肉が極限の瞬発力で持って誠亜の体を撃ち出す。
地を踏み割って疾走する誠亜の体は、大気の壁を突き破って瞬きの間もかけずに刀子のもとへと達した。
瞬動は一度行うと途中での方向転換が難しい。
できないとは言わないが、それには虚空瞬動などのより難度の高い技が必要になる。
それに瞬動自体の移動速度がなかなかに速いので、瞬動の最中に急に割って入った攻撃に対応するためにはかなりの反射速度が必要だ。

刀子の瞳に驚愕の色が浮かぶ。
だがそれは誠亜もまた同じだった。
打ち込もうとした瞬間、誠亜の目に入って来たのはかなり低い姿勢で頭と心臓の二か所を刀と鞘で守った状態の刀子だった。
これでは一撃必殺を狙うには分が悪い。

こちらが瞬動の途中を狙うのはばれていたらしい。
刀子の驚きは彼女が思っていたよりもずっと誠亜の突進が早かったことに対する驚きだった。
距離的に、一度目の瞬動の終わり際に一撃入れてくるとは思っても、一度目の始めでもう来るとは思っていなかったに違いない。

だがそんなことは微差に過ぎない。
一度目に無理やり割り込むという狙いが読まれ、対策を取られてしまったことに変わりは無いのだ。
誠亜は怒声を飲み込みながら刀子の側面に回り込もうと一歩右前方へ踏み込む。

そこに飛来した風の刃に度肝を抜かれて慌てて体を倒した。
頭上を掠めていく風刃に出遅れた髪の毛の先が数センチ切り裂かれる。
読まれていたのか?
自問する。
だがすぐに否と答えを出した。
刀子が読めなかったのが神多羅木にだけは読まれたというのはまあ有り得ないことではないが、体を倒した誠亜の目に映った光景がその答えを裏付けていた。
風の刃は刀子の一度目の瞬動の軌道上に等間隔に撃ち込まれていた。

(仲間に当たるとか考えねえのか!?)

信じがたいという思いが一瞬湧きあがる。
だがその間にも瞬動を終えて着地した刀子が鋭く刀を一閃していた。

その刀子を見て神多羅木が刀子に構わず魔法を撃ちこめた理由が天啓のごとく閃く。
身長差だ。
刀子は確かにすらりとした美人だが、際立って身長が高いわけでもない。
一方誠亜は180に達するほどの長身だ。
男ですらこれだけの背丈があれば長身と言っていいレベルだ。
刀子が狙って身を低くしていれば、誠亜との高さの差はどれぐらいのものになるか。
あとは刀子の頭より上で誠亜の頭頂より下の高さに撃ち込めばいい。

「斬空閃!」

裂帛の気合とともに銀光が空を断ち、それと同時に迸る気の刃が弧を描いて誠亜へと迫る。
神多羅木の放つ風の刃も今が刻だと誠亜に殺到した。

「クソッ!」

声に出して毒づきながら、気を込めた右の手刀で飛来する気の刃を粉砕する。
同時に体内で練り上げた気を左腕に集め、横薙ぎに振るってぶちまけた。
津波のように走る気の波動が風の刃を相殺する。
だがこの波はすぐに薄れて風の刃の貫通を許すだろう。

だがもう一度同じ技を放つ暇は誠亜にはなかった。
斬空閃を放ってすぐに跳躍していた刀子が袈裟がけに切りかかっていたからだ。
半身になって刃の腹を叩いて斬撃を反らすが、それを読んでいたかのように鞘による突きが誠亜の喉もと目がけて迸る。

(ナロォッ!)

胸中で怒声を上げて膝を曲げて体を沈める。
それはまるでくず折れるかのよう。
だが誠亜の目からは戦意はまだ消えていない。
誠亜は一度軽く身を反らすと体のばねを使って突き出された鞘に強烈な頭突きを叩きこんだ。
硬いものの砕け散る音が宵闇に響き渡る。
誠亜の額からうっすらと血がにじむがそれだけだ。骨の方には罅一つ入っていない。
誠亜の骨格の強度は普通の人間の比ではない。
伊達にウルヴァリン呼ばわりはされていないのだ。

刀子は愕然とした表情で3分の1近く砕け散った鞘を見つめた。
さすがにプロと言ったところか、体までは硬直していないがそれでも体勢を崩してしまっている。
誠亜は刀子の懐へと踏み込む。
否、踏み込むというよりもそれはもはや踏み砕くだ。
踏み出した足で刀子の足を踏みつける。
二人の足もとに無数の蜘蛛の巣状の罅が入り、刀子の喉が苦鳴を漏らす。

相手の機動力を削ぐとともに逃げの一手を踏ませない。
咄嗟に思いついたにしては我ながらまあマシな手だ。
この距離なら刀は非常に使いづらい。なで斬りくらいしかできないだろう。
だが一歩足りない。

あと一歩と言うところで届かない。
誠亜は神多羅木の方から飛来した特大の風の刃に獰猛な唸りを上げる。
フィンガースナップとともに放たれるものとは桁違いだ。
恐らくは詠唱魔法だろう。
腕で打ち払うなどという真似をしたら腕を切断されかねない。
慌てて跳び退ろうとした誠亜の体が急停止する。

いつの間にか刀子の左手が誠亜の服の胸元を掴んでいた。
つい先ほどまでその手が持っていた鞘は捨てられている。

誠亜は焦燥に突き動かされるように頭を回転させる。
この腕を振り払うべきか、はたまた服をちぎってでも無理やりそのまま跳び退るべきか。
前者は間に合わないかもしれない。
後者は千切れなかったらまるまる一手無駄にすることになる。そうなればおそらく間に合わない。
答えを導き出さない己の脳に文句を言いたい思いが湧きあがる。
焦燥のままに頬に汗を浮かべて誠亜は胸中で絶叫した。

(まだか!?)

その瞬間耳元で声が響く。



『頃合イダ!射線ヲ重ネナ!』

何を言うよりも早く誠亜の体は動いていた。
刀子がしているように誠亜もまた刀子の胸倉を引っ掴む。
そしてこの上ないほどに凶暴な笑みを浮かべた。

そのまま刀子の体を引っこ抜く様に持ち上げる。
筋力はこちらの方がずっと上だ。
そして体重もまた誠亜の方が確実に重い。
呂布や左慈をモデルに作り替えた誠亜の体は普通の人間より体重がある。
はっきり言って同じ身長のマッチョな男性ぐらいはある。
パワーとウェイト双方で勝るのだから、双方が相手を動かそうとすればどちらが動くかは明白だ。

悔恨の表情を浮かべる刀子を自分と神多羅木を結ぶ線の上に回す。
端的に言って盾にする。
まさに誠亜へと躍りかかろうとしていた巨大な風刃が慌てて軌道を曲げて、誠亜と刀子を素通りしていく。
そのまま風刃は後ろの方にあった噴水を両断した。
抑えを失った水が天に噴きあがる。

そのまま刀子を盾に突進しようとした誠亜の首が突然圧迫される。
掴まれたままの刀子が足で誠亜の首を挟んでいた。
そのまま刀子は上体を反らし、体のばねだけで足で挟んだ誠亜の体を持ち上げる。そのままあろうことか縦に空中で三回転した。
誠亜という荷物を掴んだ状態でバック宙を決める八日のような動き。
フランケンシュタイナーにも似たその技の名は神鳴流・浮雲、桜散華。
だが誠亜は投げられながらもなお凶笑を浮かべる。

衝撃が地を揺るがし砕いた先に刀子の目に映るのは、180度真上を蹴りあげるかのように右足を地面に叩きつけて頭から叩きつけられるのを防いだ誠亜の姿だった。
小さく呻いて刀を振りかぶる刀子の前で誠亜は体を起こすと両の拳を腰だめに構えた。
そして『切り札』を使うときと同じように気と魔力を集束させる。
それらに氣を滑り込ませて根底を崩し、互いにぶつけ合わせる。
魔気融壊によって生み出されたエネルギーの大部分を体の中に取り込む。
だがそれを高速循環はさせない。
そもそも『切り札』を発動させるにはエネルギー量が小さい。

僅かながら動きを止めた誠亜に、刀子と神多羅木が同時に襲いかかる。
前からは刀子の斬撃が。後方からは神多羅木の魔法が迫る。

『ケケケ。一気ニ決メロヨ』

耳元で響く声に心のうちで分かっていると返しながら、誠亜は右脚を横に直角に持ち上げた。
その足の中では取り込んだエネルギーの一部が高速で回転し、加速されている。
そして加速させたエネルギーを足から噴出させ、己の体をコマのように、竜巻のように回転させる。
生み出したエネルギーの内、取り込まずに周囲にたゆたわせていたものがその回転に吊られて高速で回転を始める。

「なっ!」

刀子の喉が驚愕の叫びを漏らす。
白光の回転体と化している誠亜に神多羅木の風の刃が衝突した瞬間、風の刃は光の竜巻に巻き込まれるように軌道を捻じ曲げられた。
そのままその先にいる刀子に襲いかかる。
予想外の状況にも関わらず刀子は凄まじい反応で頭へと迫っていた風の刃を打ち落とす。
だがいかな葛葉刀子とてそれが限界だった。
残る風の刃が刀子の体を切り裂いていく。
それほど深い傷ではないが、それでも僅かにひるんだ刀子の前にいたのは両の足を地につけ拳を構えた誠亜の姿だった。

誠亜は千載一遇の好機に特別製の左の拳撃を撃ち放たんとする。
だがその時耳元から――黒髪に隠れた耳につけた、補聴器のような形をした小型の通信機から声が響く。

『遅ク撃テ!』

そのままに左拳を突き出す。
受け流された風の刃を受け、体勢が崩れた上に痛みに一瞬硬直した刀子にはそれでもそうそう躱せるものではない。
だが刀子はそれでも躱して見せた。
無理やりに身を捩り、体を倒す。
バランスを考えずに行った回避だ。下手をすれば転倒しかねない。
それに完全に躱せるとも限らない。
だが完全にではなくとも半ば躱されるようなら誠亜は拳を引く。
一撃必殺にこだわる誠亜はそうせざるを得ない。



そう思い込ませるために今までジリ貧だと分かっていながら“ああ”戦った。



岩をも粉砕する拳が刀子の体を抉った。
右胸からはそれたものの、そのまま右肩を打ち抜く。
衝撃が刀子の肩の肉と骨を貫いた。
刀子の顔が今日一番大きく驚愕に歪む。

だが頭の整理をさせる間は与えない。

“二撃目”を打ち放つ。
やるべきことは瞬動と同じ。少しばかり用いられるエネルギーが大きいだけ。
エネルギーが肘で炸裂する。
足で行った瞬動が体を加速させるのと同じように、肘で行った“瞬動”が誠亜の右拳を爆発的に加速させた。
今まで一度も見せていない技だ。
これまでの誠亜の拳をはるかに上回る一撃が、それも来ないと思っていた二撃目が刀子の鳩尾に突き刺さる。
突き抜けるような激痛が刀子の体を駆けあがった。
内臓を打ち据える衝撃に呼吸が乱れる。

まだ終わらない。
二撃目の衝撃で刀子の体が吹き飛び始める前に、既に引き戻されていた左拳が彼女の左肩を撃ち抜いた。

刀子の体が冗談のような速度で吹き飛んでいく。
だが誠亜はその様を一瞥すらせずに体を回転させる。
そして神多羅木を睨み据えると大地を渾身の力で蹴りつけた。
地を小さく踏み割りながら激走する。
銃弾すらはるかに凌駕する速度で疾駆しながら体内のエネルギーをコントロールする。
切り札の時のように極大のエネルギーを滅茶苦茶な加速をかけて複雑に循環させるのに比べればはるかに簡単だが、それでも普通に気や魔力を使うのに比べると難しいのも事実だ。

既に神多羅木のもとから放たれ、誠亜に襲いかからんとする風の刃を狼のような双眸で睨みつける。

「ディグ・ディル・ディリック・ヴォルホール」

神多羅木もまた呪文を唱え始めている。
今までのように足を止めて弾くのはいただけない。
一度相手に体勢を立て直させると何らかの対策を立ててくる可能性がある。
相手はプロなのだ。
意表を突く。そしてたたみかける。
それが“彼女”の提示した作戦だ。

魔気融壊で生み出したエネルギーの内、体内に残っているのは半分にも満たない。
さらにその半分を右腕の中で、回転、加速させる。
風の刃は相変わらず誠亜目がけてマシンガンのごとく突き進んできている。
だが、誠亜は一切減速しないままにその刃へと突撃した。
このまま行けば誠亜の体は無数の刃に切り裂かれることになる。

衝突の寸前に、前に掲げられた誠亜の右腕の中のエネルギーの渦が右手の前に吐きだされた。
高速のエネルギーの渦が盾となって触れた風刃の魔法を片端から弾き飛ばす。
誠亜が遠当ての類、引いては遠距離攻撃を役に立たないと思い込んでいた原因がこれだ。
三国志の時代において、誠亜の友人や敵たちは当たり前のように遠距離攻撃を弾いた。
そして誠亜自身もまた弾けるからこその思い込みだった。

己の無詠唱魔法が弾かれるのを見た神多羅木が距離を取ろうと大きく跳び退らんとする。
体勢を立て直すつもりなのだろうが、させない。

残った魔気融壊のエネルギーを全て両の足に叩きこむ。
右足で地を蹴るのに合わせてエネルギーを炸裂させる。
通常の何倍もの規模で行われた瞬動で誠亜の体がさらに一気に加速した。

「もう一発!」

その声を置き去りにしながら、左足でまたしても強化・虚空瞬動を行う。
誠亜の体がさらに加速する。
跳躍したばかりの神多羅木にはそれを回避する手は無い。
虚空瞬動を使うにも、魔法を使うにも遅すぎた。
全ての加速を乗せた拳が魔法障壁をぶち抜いて神多羅木の体に突き刺さる。
大の男の体が先ほどの刀子すら凌駕する速度で吹き飛んでいった。

大気の壁を破壊して飛んだ神多羅木の体は広場に植えてあった木を数本粉々に粉砕し、据えられていたベンチを砕いて止まった。

大地を削りながら着地した誠亜は身を起こすと周囲を見回した。
刀子は既に奇怪なオブジェと化していたジャングルジムを激突によって完全に粉砕して気絶している。
神多羅木もまた動く気配は無い。

二人が完全に沈黙したのを確認し、誠亜は大きく息を吐きだした。
そして、今までねじ伏せていた腕の痛みに顔をしかめる。

すると見計らったかのように誠亜の耳の通信機に声が届いた。

『ケケ。ヤリャアデキルジャネェカ』

感心しているのか皮肉っているのか分からない声音に誠亜は微妙な表情を顔に張り付けながら言葉を返した。

「もう少し早くGOサイン出してくれても良かったんじゃないかチャチャゼロ。おかげで手傷負っちまったじゃないか」

メイド服の襟元に着けられた地味なブローチがカメラでありマイクである。
通信の相手、エヴァンジェリンの昔からの従者であるチャチャゼロはそのブローチからの映像と音声でこちらの状況を判断して指示を出していたのだ。
今チャチャゼロは誠亜とは別の場所にいる。
そこで刀子達とは別ルートでネギの援護に向かう戦力を封じるために戦っていた。
自分も闘いながら人に指示を出す余裕があるのはさすがだが、彼女のGOサインを待っていたら腕に傷を負うはめになった。
多少の文句を言いたくなってもしょうがないのではないか。
だが通信の向こうのチャチャゼロは鼻で笑うと、

『マヌケ。手傷ヲ負ッタカラコソオ前ガ一撃必殺ニ固執シキッテルッテ思イ込マセラレタンダロウガ』

その言葉に誠亜は言葉を詰まらせた。
確かに言うとおりかもしれない。

本来三国志時代から帰って来た後の誠亜はそれまでに比べると一撃必殺への拘りも若干和らいでいた。
1対1でないならば拘らないとしていたのだ。
さらには戦いに向かう前に、エヴァンジェリンによってきつく言い含められていた。
油断もするな手加減もするな。
一撃必殺にも一切こだわるな、と。

渋い顔をする誠亜にエヴァンジェリンは問いかけた。
誠亜にとって一撃必殺とは何かと。
誠亜が頭の中で答えを作り上げるより早くエヴァンジェリンが断じた。
誠亜にとって『一撃必殺』とは嗜好に過ぎない。嗜好以外の要素をあげるとしても修行の為、力を試す為の枷に過ぎないと。
ぐうの音も出ない。まさにその通りだった。

「これは何のための戦いだ?私が忌まわしい呪いから解き放たれるための戦いだ。私の為の戦いだ。『一撃必殺』はお前の為にしかならないものだ。そして今のお前は私の協力者であり従者だ」

そう言って「全力を尽くせ」と言ってきたエヴァンジェリンの姿は不思議なほどに力強さを感じさせ、かつて呂布を前にしたときと同じ強者の風格を感じた。

エヴァンジェリンの言うことももっともだと、今回は一撃必殺を気にしないことにした誠亜だが、あろうことかチャチャゼロが拘っている振りをしろと言いだしたのだ。
そして合図とともに全力で攻め、相手の意表をついて攻め潰すという作戦を提示してきた。

エヴァンジェリンと古くから共に闘ってきたチャチャゼロの指示だ。
自分の浅知恵などより余程役に立つし、事実2対1で勝利することができた。
少しは自分もこういう“巧さ”を手に入れていかなければいけないのだろう。

誠亜は小さく嘆息するとともにチャチャゼロに問いかける。

「そっちはどうなんだ?」

『当然問題無シダ。仲良くオネンネシテモラッテルゼ』

チャチャゼロの方にも3人ほど行ったらしいが、向こうは問題なく倒せたらしい。
そこはかとなく過激なところのあるチャチャゼロなので、やりすぎていないか若干不安ではあるが。

いくつかの気配の移動を感じて誠亜は顔をしかめた。
ブローチに問いかけを向ける。

「チャチャゼロ。他に誰が残ってる?」

ネギの救出に後どれぐらいの戦力が残っているのか。
それによって自分がどう戦うべきかも変わってくるはずだ。
まだまだ第二波第三波とくるのなら間違っても切り札は使えない。
腕の痛みはやはり集中力を大なり小なり削ぐし、そうなれば当然精度が低下して持続時間も短くなる。

通信機の向こうのチャチャゼロはしばし考えた後答えてきた。

『メボシイ魔法教師は殆ド残ッテネエハズダ。生徒ヲ入レルト多少ハ数ガ増エルガ、結界ガ落チテルセイデソッチノ警戒ニモ人員ヲ割カレテルハズダカラナ。』

そこでチャチャゼロはいったん言葉を切ると、一拍置いて後を続けた。
誠亜はその言葉を聞きながら広場横の小さな林へと視線を固定する。

『一番警戒スルベキハ高畑ダロウナ。アイツ一人来ルダケデダイブキツイ。警戒ニハ戦闘能力ヨリ頭数ノ方ガ重要ダカラ、来ル可能性ガ高イノガマタ厄介ダ』

「そうか……」

誠亜はそれだけ言うと両の拳を開閉して感触を確かめる。
問題ない。9割方力は引き出せる。
いざとなれば無理やり動かせばいい。
エヴァンジェリンとの戦いで折れた腕で無理やり殴ったときのように。

『ドウカシタカ?』

問うチャチャゼロに誠亜は緊張をはらんだ声で答える。

「高畑先生だが……こっち来たみたいだ」

誠亜の視線の先からこちらに向かって一定の早さでやってくるのは紛れもない高畑の気配だ。
いつもの穏やかさは無く、まだ顔も見えないというのにピリピリとした空気が流れるほどの威圧感を感じる。
今から来る高畑は戦士としての顔を持つタカミチ・T・高畑だということなのだろう。

通信機越しにチャチャゼロの舌打ちが聞こえてくる。

『ショウガネエ、一旦退ケ。単純ナ足ノ早サナラオ前ノ方ガ上ダ。合流シテ二人ガカリデ倒スゾ』

普通に考えればそれがいいのかもしれない。
だがそれでもなお誠亜は否定の言葉を吐いた。

「いや、合流は無しだ。高畑先生以外にも急にエヴァンジェリンの方に動きを変えた奴がいる。たぶんネギを助ける要員なんだろ。チャチャゼロはそっちを止めてほしい。速攻で」

『何カアルノカ?』

訝しげに問い返すチャチャゼロに誠亜は弱まり始めた咸卦法を改めてかけなおしながら答えた。

「ふと思ったんだが、この計画は停電を利用したものだよな?」

『ソウダガ?』

「この停電ってどこかが壊れたせいでも何でもなくてただのメンテナンスなんだよ」

『……ナルホドナ』

みなまで言わずともチャチャゼロはこちらの言いたいことを察したのか、口調に苦いものを含めて言った。

『オ前ノ作戦デ行カザルヲ得ネエナ。ダガソッチハドウスル?』

誠亜はチャチャゼロの問いに苦笑を浮かべると、すぐにそれを凶暴なものへと変えた。

「意地でも食い止めてやるさ、決着がつくまでな。そっちを片付けてまだ余裕があったらこっち来てくれ」

言葉の中の誠亜の気迫を感じ取ったのか、チャチャゼロは否定の言葉を口にせずに、茶化すような言葉を投げかけけた。

『シッカリ気張レヨ。一時的トハイエオ前ハ闇ノ福音の従者ナンダカラナ。ミットモナイ負ケ方ナンザ許サレネエゾ』

「肝に銘じるよ」

言葉とともに誠亜は僅かに体を落とした。
体から無駄な力を抜いて瞬発力を高める。

林の木々の間から一人の男が姿を見せる。
白いスーツに身を包み薄く髭を生やした男だ。
眼鏡の奥の目はいつもと違って引きしめられている。
タカミチ・T・高畑。
この学園においてトップクラスの実力を持つ者だ。

頬に汗が一筋流れるのを感じる。
エヴァンジェリンがこの学園における強者として名を上げていた。
大体の戦闘スタイルも聞いている。
今まさに誠亜の目の前にある両手をポケットに入れた状態が高畑の戦闘態勢。

高畑は無言で誠亜へと歩みを進め、あるところで足を止めた。
そこが高畑の技の間合いということなのだろう。

彼は口にくわえた煙草の煙を揺らめかせてこちらの顔を見つめている。
数十秒してようやく口を開いた。

「通してはくれないんだね?」

「ああ」

短く答える。
ここで退くようなら初めから魔法教師相手に大立ち回りなど演じない。
高畑も退くとは思っていなかったのか、これと言って驚きも憤りも見せずにだろうね、とだけ答えた。

そしてかすかに訝しげな表情を浮かべる。

「一つ聞きたいんだけど、誠亜君はなぜそんなにエヴァンジェリンの為に戦うんだい?」

問われて誠亜は考えた。
自分がエヴァンジェリンに従うのは真剣勝負で負けて、その代償として力を貸す約束をしたからだ。
だが、あえて誠亜はもう一つの答えを口にすることにした。
エヴァンジェリンに従う理由ではない。
エヴァンジェリンの為に本気で闘う理由だ。

「……あってもいいと思ったのさ」

苦笑とともに答える。
高畑真面目な表情でこちらの言葉を待っていた。

「俺だったら。大事な奴が、たとえば姉ちゃん達とかダイゴ達が俺の知らねえところで死んだって聞かされたら、自分の目で確認しねえと納得なんて出来ねえ」

そこまで言うと誠亜は空を見上げ、右手を天にかざした。

「これまでどおりここで仲良くやっていくのもよし」

右手を何かを掴むように握る。
何かを掴んだわけじゃない。唯の癖に似たものだ。

「かつてのように夜の女王に返り咲くのもまたよし」

そしてその拳を顔の前まで持ってくると視線を高畑にひたと据える。

「本気で好きだった奴の生死を自分の目で確かめに行くのだってありだ」

右拳を腰だめに構え、

「それを選ぶ権利ぐらいあってもいいと思った。それだけだ」

宣言した。









あとがき

バカな……戦闘オンリーですと!?
何がどうしてこうなったのか。
まあこれでようやく桜通りも終わりに差し掛かることができた感じです。
対タカミチ戦は結構あっさり終わらせるつもり。

拙作ですが今後ともお付き合いいただければ幸いです。



追記
話中の描写でポーカーと大富豪を混同している部分があったので修正しました。
ご指摘どうもです。



[9509] 第35話 勝者と敗者 敗者と勝者 勝者と勝者 敗者と敗者
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 17:03
神と俺のコイントス





第35話  勝者と敗者 敗者と勝者 勝者と勝者 敗者と敗者





眼前の男の腕がポケットから抜き放たれ、凄まじい速さで突き出される。
それと同時に飛来した何かを誠亜は半身になって躱した。
逆の腕からも時間差で放たれた何かは回避行動をとった誠亜の頭にピンポイントに向かってきている。
読まれていたか。
それを右手で叩き落としながら誠亜は荒々しく舌打ちした。
視界の先ではスーツの男、高畑の連撃と共に目に見えない何かが無数に飛来している。
色も無いし、魔力も感じないが、誠亜の鋭敏な五感にはかすかな大気の揺らぎが感じられた。
いわゆる空圧だ。
拳圧を飛ばすというのはそれだけならさほど難しくは無いが、これほどの高速と言うのはなかなか見られるものではない。
三国志時代で出会った賈詡も、頭脳派の癖に蹴りやら拳やらで拳圧や真空刃を飛ばすような奴だったが、スピードでは高畑に軍配が上がるだろう。
感心する間もなく、高畑はポケットから拳を抜き放つとともにそれを突き出し、また一瞬でポケットへと戻す。
その間は僅か一瞬。
常人なら捉えることも難しいだろう。
切り札を使った自分のスピードについていけるぐらいには、知覚を加速させられる誠亜だからこそ純粋に捉えられるに過ぎない。
普通の戦士がこれを見切るには、恐らく心眼とかそういうものが必要になってくるに違いない。

舞い踊る誠亜の腕と高畑の不可視の拳が繰り返し激突し、風となって誠亜の黒髪を撫で上げる。
誠亜は次々と腕の届く範囲に入った拳圧を叩きつぶしていく。
身体能力は負けているつもりはないが、あいにくと自分は効率的に拳圧を撃ち出すための拳の放ち方など研究していない。
そんな自分が高畑の拳圧を迎撃するには、いやがおうにも割増しの威力と速力が必要になっていく。
結果として誠亜は少しずつ押されていた。
誠亜の防御領域が高畑の拳圧に少しずつ削られていく。
拳圧を迎撃する箇所が少しずつ、誠亜の体へと近づいていった。
あと数秒もつか。
そう胸中で目算を立てた瞬間、誠亜は突き抜ける悪寒にその場を跳び退った。
一瞬後に、誠亜の居た場所を凄まじい拳圧が通り抜けていく。
それは大地を削って、その広場に備え付けられていたベンチを根こそぎ粉砕した。
ばかばかしいほどの威力だ。
誠亜は着地と共に体のあちこちで喚く痛みに眉をしかめる。
刀子の斬撃でできた裂傷を始め、何発か貰ってしまった高畑の攻撃のダメージだ。
幸い、戦闘不能になるほどではないが、それでも阿呆みたいに強靭な肉体を持つ誠亜ですら厳しくなるほどのものだ。

誠亜は獣のように唸り声を上げそうな形相で高畑を睨んだ。
彼は相変わらずポケットに両手をいれて、悠然と立っている。

しかし、なぜに手をポケットにいちいちしまうのだろうか?
誠亜は胸中で首をかしげた。
ポケットへの出し入れと言う手間をかけてなお賈詡よりも速いのだから、普通に撃ったらもっと速いのではないだろうか。
そこまで考えてふと思いあたる。
これはもしかすれば、攻撃の正体を相手に掴ませないことで、対応させないためのものなのではないのか。
どんな攻撃かわからなければ、勘を頼りにするほかない。
そしてたいていの場合、勘というのは百発百中ではない。

(まずったな。ならあからさまに撃ち落とさない方が良かったか)

高畑と戦い始め、初手から誠亜は高畑の拳圧弾を躱してしまっていた。
そしてそのあとも捌ききれなくなるたびに、すぐさま大きく跳躍して逃げている。
拳圧弾の間合いも大体把握して、その外側に逃げるような真似もすでにしていた。
高畑が隠す意味なしと判断して普通に撃ちだしたら、今以上に追いつめられることになる。


実際には“居合拳”だからポケットに手を納めているだけなのだが、生憎と居合を刹那が使うのをちらと見たことがあるにすぎない誠亜にはそこまで思い当たらなかった。
エヴァンジェリンから事前に聞いていた話も、拳圧を飛ばすこと、大小2パターンあること、その射程距離などである。
高畑の技の内容は説明すれども居合拳という名前は口にしなかった。
というかし忘れた。
それが故の空回りだ。

凶悪な威力の空圧が空間を貫く。
咄嗟に跳んでよけた誠亜の体を、高畑の反対の手から放たれた大威力の拳圧が襲う。
体を地に倒すように低くしてそれを躱すと、誠亜は拳圧の余波で引っ張られる髪の毛を無視して足を地に滑らせた。
倒れかけた体を無理やりに支え、右の拳を振りかぶる。
その視界には再び迫った高畑の拳圧があった。
車すら平然と原形を残さず破壊するであろうそれに、全身のばねを使って渾身の拳撃を叩きつける。

衝撃が右腕を通して右肩まで突き抜ける。
叩きつけられる風圧に誠亜の体が僅かに地を滑った。
だが破壊された拳圧は誠亜の体を傷つけるほどの威力は出せない。
高畑の大威力の拳圧を打ち砕くことに成功した誠亜だが、それを喜ぶ暇は無かった。
拳圧は次々とこちらに突き進んできている。
瞬動を使って跳躍した誠亜の足の先を拳圧が貫いていく。
金属製の街灯があっさりひしゃげて吹き飛んで行った。

反撃の手を撃とうとして誠亜は目を見開いた。
高畑の左手がまたポケットから抜き放たれる。
小威力の方と比べても明らかなモーションの大きさ。
それは間違いなく大威力の方が来るという前兆だ。
虚空瞬動でもう一度空中で跳躍する。
だが反撃に移ろうとした誠亜の目に、吸い込まれるように自分に向かって突き進む極大の拳圧が映った。

「……っ!」

衝撃が全身を打ち据える。
内臓のすべてを押し潰されるような感覚に誠亜の喉が怒号を吐いた。
突き抜ける激痛が誠亜の動きを阻害する。
不幸中の幸いは喰らったのが空中だったため、幾分か威力が軽減されたことか。
砲弾じみた速度で地面と平行に吹き飛んだ誠亜は、背中から滑り台に激突してそれを木っ端微塵に砕く。
そのまま滑り台の残骸と共にきりもみしながら吹き飛んだ。

「あっがっ!」

喉からひきつったような呻きが漏れる。
地面に激突して罅を入れながら、誠亜は自分の体に鞭打って無理やり立たせた。

そしてもう一度衝撃に包まれた。
悲鳴も上げられずに吹き飛ぶ。
先程のをすら凌駕する一撃に意識がまとめて消し飛びかける。
だがそれでもなお強靭な意志力で意識をつなぎとめた誠亜を待っていたのは凄まじい激痛だった。
全身のいたるところで、ダメージが強烈な痛みと化して叫んでいる。
近くにあった何かの用具を入れるためのレンガ造りの倉庫に激突し、それを跡形もなく破壊しながら向こう側に跳ぶ。
さらに数十メートル吹き飛んだ果てにそこにあった街灯にぶち当たって、根元からへし折って止まった。

痛みに体がまともに言うことを効かない。
深呼吸して精神を落ち着かせようとするが、息を吐く段階に入って誠亜の口から出たのは激しい咳だった。
それと共に血の飛沫が口からとぶ。
さすがに内臓が完全にイっているわけではなさそうだが、それでもダメージが深刻な域に達し始めたことには変わりない。

(肋骨が一本折れてる。ひびだけならさらに2本か)

むしろそれだけで済んだのを喜ぶべきか。
周囲の破壊された物達を見ると真面目にそう思う。
体を起こそうと右腕に力を込めるが、かえってくるのは痛みばかりで腕は碌に体を起こす働きをなさない。

(俺の器のくせにこの程度で音を上げてんじゃねえ。少し黙れ!)

自身の体に怒鳴りつけて、誠亜は全身に意識をいきわたらせる。
がなりたてる痛覚を無理やりねじ伏せて体を起こした。
体を動かすと、さらに大きな激痛が迸る。
だが完全に言うことをきかないわけではない。
折れた腕で殴りつけることに比べればまだ容易かった。
すぐ隣に落ちていた街灯を掴んで杖代わりにして立ち上がる。
だが、足に行っていたダメージが己の体を支えるはずの足を震わせた。
誠亜が震える足を一度地面に叩きつけると、足は己の体を支えるという役目を思い出す。

誠亜は口もとに笑みを浮かべて、がれきの向こうに立つ高畑を見やった。
高畑はポケットに手を突っこんだままこちらを見つめている。

「ここを通して貰えないかな」

反撃に転じようとして、投げかけられた言葉に動きを止める。
最後通告と言うやつか。
これ以上立ちふさがるなら止めをさすと。

「お断りだね」

断ってやると、高畑はこちらの顔をひたと見据えながら言葉を紡いだ。

その瞳には誠亜が思っていたほどの攻撃性を見いだせない。
そのことに多少の訝しさを覚えながら、誠亜はその言葉に耳を傾けた。

「君が戦うのはエヴァのことを思ってのようだけれど、それが本当にエヴァの為になるのかい?」

「言ってる意味がわからねえな。分かりやすく言ってくれよ“先生”」

高畑は片手をポケットから出して見せる。
話している間は不意打ちはしないという意思表示だろうか。

「エヴァはここに封じられているからこそ賞金を取り下げられている。ここから出ればおそらく、また600万ドルの賞金がかけられるだろう。そうすればまた狙われることになる」

誠亜は高畑の言葉に全身に込めていた力を抜いた。
瞬発力を重視した無駄のない力の込め方で立つ。
どうやら高畑は真面目に話をするつもりのようだ。
こちらの油断を誘う作戦ではないと考えていいだろう。
高畑はこちらの動きに一度視線を走らせた後、続けた。

「賞金が目当てでない者も、麻帆良にいるからこそ襲えなかった者たちが一斉に襲い掛かるかもしれない」

思考する。
まあ確かにそうなのかもしれない。
外に出ればまた戦いの日々が待っている。
それは高畑の言う通りなのだろう。

「なるほどねぇ」

納得がいったように頷く誠亜に高畑の視線が僅かに揺らいだ。
説得できたか。
そう考えるとともにまだ救援が間に合うか、ネギの方に意識を少し向けたのだろう。
その様を見ながら誠亜もまた視線をあらぬ方向へ向けた。
それは高畑ともネギとも違う方向だ。
はっきりと言ってしまえば、不思議な力を感じる方だ。
魔力とも気とも違う力。
なぜだかそれが神の力だと分かった。
良くは分からないがシャレにならない類の深さをもつ力なのだと本能が告げる。
神が何を相手にしているのかは知らないが、おおかた侵入者か何かだろう。
結界の消失に合わせて侵入していた者への対処にも魔法使いが回されるという話は事前にエヴァンジェリンやチャチャゼロから聞いていた。

「でもさ。ここにいるからってエヴァは襲われないのか?」

その言葉に高畑が表情を険しくする。
エヴァンジェリンは中学生を延々やらされる屈辱についてはしばしば漏らしていたが、自身の危険に対する文句は述べていなかった。
もっともそんな弱音を吐くたまではないし、自分の単なる取り越し苦労の可能性もあったが、この反応からするとやはりあったのだろう。

「ニンゲンの恨みなんかは、相手が封じられたからって消えるもんじゃないだろ?エヴァンジェリンの安全云々は結局、自分で守るか他に守らせるかの違いだと思うんだよな。エヴァンジェリンだって外出りゃ襲われることぐらいわかっているだろうし、あいつがどちらを選ぶかの問題だと……俺は思う」

途中で言いたいことを言えているのか不安になって語気を弱める。
少し首を傾げると、高畑は難しい表情でこちらを見ていた。

「力を取り戻したエヴァが誰かを傷つけるとは考えなかったのかい?」

「エヴァンジェリンは自分から何もしてねえ奴を殺すような真似はしないと思うけどな。それについては付き合いの浅い俺よりあんたの方がよくわかってるだろう?」

逆に問いかけると高畑は軽く肩から力を抜いて目を閉じた。
言葉には出さないが顔は肯定を示している。

「反撃でやっちまう分は……かかる火の粉は振り払う。誰だってそうさ。自分からエヴァンジェリンに挑んだ奴がどうなるかまでは知らんし。正直言って」

誰かを殺そうとするなら反撃で殺されることも十分にあり得ることだ。
戦うならそれぐらいは考えておかなくてはならないことなのだろう。
むろん、戦争からは程遠い平和な国などではそんな覚悟をする必要などない。
むしろ平穏に暮らしている、将来戦いに赴くつもりもない“無辜の民”が皆そんな覚悟をしていたらそれはそれで恐ろしい。
だが誰かを殺そうと考えて、それを行動に移し始めた時点でそいつはもう“無辜の民”ではないのだ。

高畑はこちらの意思が変わらないと見ると嘆息と共に吐きだした。

「残念だけれど、エヴァは勝てないよ」

その言葉には妙な自信が満ちていた。
ネギの底力を信じているとかそういう問題ではない。
何か確実なファクターを用意しているという口調だ。
順当に考えれば戦闘能力的にネギにエヴァンジェリンを倒せるとは思えない。
ネギの従者となったらしい神楽坂明日菜の力を鑑みてもそれは変わらないことだ。
だがそれでもなおエヴァンジェリンには勝てないというのだから、その策はかなり強力で、戦況を完全に覆せるものなのだろう。
自分を瞬殺して高畑が助けに行くからエヴァンジェリンには勝てないと言っているのか?
それとも他に何か。

さらにはどこか申し訳なさそうな色もうかがえる。
誰に対するものか。誠亜かネギかエヴァンジェリンか。
真相はわからないが、誠亜はそれでもなお不敵な表情で口にした。

「そうかい?」

だが、高畑は誠亜の表情にも言葉にも揺らぐことなく、真剣な表情で告げた。

「ああ、そうだよ」

その言葉に合わせたかのように、街に灯がともった。















麻帆良の街のはずれに位置する、一際大きなつり橋の上で、2人の少年少女が舞っていた。
ある者は漆黒のマントをはためかせ、ある者は木の杖にまたがり、空を飛びながらいくつもの光を交錯させる。

最も空を飛ぶと言ってもエヴァンジェリンはあまり地から離れた高さは飛んでいない。

「魔法の射手・氷の17矢!」

エヴァンジェリンの手から放たれた17の氷の矢が、かすかな湾曲軌道を描きながら一斉にネギへ向けて殺到する。
ネギの魔法はまだ唱え終わっていない。

ネギはまたがった杖に急制動を駆けさせて氷の矢をやり過ごす。
鼻先をかすめる氷の矢に冷や汗をかきながら、カーブを描いて再び己に迫ってくる氷の矢達に懐から取り出した球状の物体を放った。
手榴弾じみた形状をした魔法具は、その実手榴弾のごとく魔力を炸裂させて迫りくる魔法達をなぎ払う。

空高く舞い上がってこちらを見下ろすネギを見上げながらエヴァンジェリンは口の端を吊り上げた。
良くやっている。
皮肉もお世辞も無しにそう感じた。
いかなあの男の息子とはいえ、今の自分なら瞬く間に倒せると思っていたがここにきてネギ・スプリングフィールドは驚くべき粘りを見せていた。
無詠唱魔法を使う自分に簡単に崖っぷちまで追いつめられながら、ずっとその崖っぷちで踏ん張っている。

自分の気質からすると、本来なら自分が上空に上がってネギを見下ろしたいところだが、チャチャゼロの連絡からエヴァンジェリンは地上近くを滑るように飛んでいた。

「魔法の射手!」

ネギの喉が呪文の声を絞り出す。
右手には魔力の光。
エヴァンジェリンはそれを見つめ、己もまた魔力を引き出す。

「光の23矢!」

解き放たれた23の魔弾がエヴァンジェリンへと殺到する。
それらを睨みながらエヴァンジェリンもまた魔法を解き放った。
無詠唱で放たれた23の魔法の射手がネギの放った魔法の射手へと直進する。

また相殺される。
そう判断したネギは大きく高度を上げながら口早に呪文を唱えだした。

「ラステル・マ・スキル……」

だがエヴァンジェリンの放った氷の矢はネギの魔法に激突する寸前に軌道を僅かに捻じ曲げた。
交差する光と氷の矢。
それらは本来の機能通りにターゲットへと襲いかかった。
ネギの目が見開かれる。
その様を軽く笑いながら見つめ、エヴァンジェリンは己が身を右に滑らせた。
突撃を躱された光の矢が軌道を曲げてエヴァンジェリンへと追いすがる。
ネギもまた慌てて杖を加速させるが氷の矢は猟犬のようにそのあとを追いかけた。

またたく間に追いつかれるネギとエヴァンジェリン。
だがその結果は対照的なものだった。

「氷盾!」
「あぐっ!」

かたや出現させた氷の障壁で光の矢を防ぎ、かたやその身に氷の矢の突撃を受けた。
常に周囲に張り巡らせている魔法障壁で多少の軽減はできたものの、その威力の全てを消せるはずもなく、ネギはなすすべもなく杖もろとも橋へと落下していった。

杖で制動をかけたのか、思っていたよりも小さな悲鳴と共に地面に激突するネギの姿を見ながらエヴァンジェリンは右手を掲げる。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」

呪文と共にエヴァンジェリンの魔力が掲げた右手に集束していく。
それを見たアスナが声を張り上げた。

「ネギ!しっかりしなさい!」

だがその彼女も今は茶々丸によって関節を極められ、組み伏せられている。
エヴァンジェリンの障壁を、まるでなかったかのように貫く力など不安要素もあったが、こうして抑え込んでしまえばなんということもない。
ネギはその激励に力を込めて立ち上がる。
震える足を支えるその力はどこから来るものか。
杖をひたとこちらに向けると自身も呪文を唱えだした。

「ラステル・マ・スキル・マギステル」

それを眺めながら、口もとを歪めて呪文の続きを唱える。

「来たれ氷精闇の精!闇を従え……」

今のネギがこれを耐えきれるかどうか。
あの男の息子がどこまでやれるのか。
どこか面白がっていたエヴァンジェリンは、唐突に視界の端に見えたものに眉根を寄せた。
興醒めだと言わんばかりに、それを一瞥する。

そしてエヴァンジェリンは引き出していた魔力を結実させることなく霧散させた。
軽く脱力して来る衝撃に備える。
ネギが突然の寄行に唖然として口を止めた。

エヴァンジェリンの視界の中では、次々と闇に沈んでいた電灯たちが己の職分を取り戻し始めていた。
波紋が広がるように、またたく間に麻帆良の町が光を取り戻していく。
光がともるということはつまり電気が復旧したということ。
言いかえればエヴァンジェリンを縛る結界がよみがえるということだ。

本来の予定からするとあまりに早い。
これは恐らく、風間誠亜が気づき、チャチャゼロの危惧したとおり学園側がネギを救うために停電を強制的に復旧させたのだろう。
もともとこのメンテナンスは行わなければ麻帆良の配電システムが確実にダメになるというものでもない。
当然と言えば当然だ。
東京など麻帆良とは比べ物にならない数の電灯が日々輝いているのに、メンテナンスの為の完全停電など存在しない。
都市の配電施設に停電を必要とする大規模メンテナンスが必ず必要になるなどと言うことはないのだ。
にもかかわらずこの麻帆良においてこのメンテナンス停電が存在する原因はやはり、結界の為に大規模な電力を必要としていることに起因するのであろう。
裏を返せば、結界のことを考えなければ麻帆良も他の都市と同じように停電を必要としない日々のメンテナンスだけで都市の配電を保つことはできるのだ。
つまりは、最悪停電を魔法使い側の都合で急遽取りやめにもできるということ。

己の体を貫く雷のような衝撃に、エヴァンジェリンは喉の奥で悲鳴を飲み込んだ。
痛みにも似た感覚がエヴァンジェリンの体を隅々まで走り回り、手当たり次第に彼女の中の魔力を封じ込めていく。
血管の一本一本を封じられていくかのような、肺を絞りつくされるようなひどい閉塞感に意識がとびかける。
だがそれを気合でねじ伏せると、エヴァンジェリンは無理やりに息を吸いこんだ。
息苦しさが緩和され、闇に包まれかけた視界が開けてくると、ゆっくりと地面が近づいてきているのが見える。
倒れかけている。
それに気づくとエヴァンジェリンは、右足を一歩前へ踏み出して地を踏みしめた。
己の体を支えると、その足に先程までとは全く違う重みがかかってくる。
自身の体の重さから己の魔力が再び封じられたことを真っ先に感じ取り、エヴァンジェリンは口もとを不快そうに歪めた。
溢れんばかりの膨大な魔力は見る影もなく、そこにあるのは10歳のよわよわしい少女の体である。

まだぴりぴりと痛む体に毒づきながら、エヴァンジェリンは静かに吸った息を吐きだした。
ようやく四肢の感覚を取り戻すと、それと同時に視線をネギの方へと向ける。
ネギは突然の状況に戸惑ったように顔をエヴァンジェリンの方に固定しながらも、視線をせわしなく周囲へと回していた。
だが、持ち前の頭の回転の速さで停電の復旧となんらかのかかわりによってエヴァンジェリンの魔力が封じられたことを理解したのか、すぐさま杖をエヴァンジェリンに突き付ける。

「エヴァンジェリンさん!もうあきらめてください!封印が復活した以上、もう戦えないはずです!」

真剣そのもののその表情の中に隠しきれない安堵の色があるのをエヴァンジェリンは見逃さなかった。
安堵と共にどこか納得のいかない部分があるということも。
おおかた自分の力で自分を退け、説得したい部分もあったのだろう。
プライドか。いやこの少年の場合教師として、魔法使いとしての使命感だろう。
これがこの少年の父親だったなら「ラッキー」とかいいながら喜びそうな気もする。
いや、あるいは「余計なことしやがって」と毒づくのか。

エヴァンジェリンはネギから視線を外すと、右手を腰に当てて軽く天を仰いだ。
低く毒づく。

「狸爺め……」

この復旧が人為的なものである可能性には全く気付いていないのかネギは訝しげに眉をひそめた。
それを眺めながらエヴァンジェリンはその顔に不敵な笑みを浮かべた。
警戒したネギが慌てて飛び退く。
まあ正解だろう。
実際あの距離なら飛びこんで抑え込めた。

瞳の中に不安の揺らめきを生みながらネギがこちらを睨みつける。
それを傲然と見下ろしながらエヴァンジェリンは左手を掲げた。
その手の中に黒いものが飛び込んでくる。
茶々丸の投じたそれを受け止めると、エヴァンジェリンは目の前にかざす。
石のような木のような不思議な材質の黒い物体で作られた筆箱ほどのケースだ。
それ自体からは微妙な魔力を感じる代物だが、その魔力はさほど大きいものではない。
まあ当然と言えば当然だ。
このケースが大きな魔力を発していたら本末転倒。不良品だろう。

これがいかなるマジックアイテムなのかと戦々恐々としているネギにエヴァンジェリンは見せつけるようにゆっくりとケースを開いた。

「まったくもってあいつはいい芸を持っている」

声には感心を、顔には苦笑を浮かべてそのケースの中身を取り出した。
ネギの目がこれでもかというぐらいに見開かれる。
エヴァンジェリンが取り出したのは試験管のような形状の一本の透明な筒だった。
中には赤い液体が収められ、ゆらゆらと揺れている。

そして何より驚くべきところは、その液体には信じがたい魔力が内包されていることだ。
あまりの強さに唯の血液であるはずのそれが眩いばかりに赤光を放ち、淡い夜闇を朱色に染めるほどに。
無論どれだけ強大な魔力を持つものであろうと、この程度の量の血液にこんな魔力が宿ることはあり得ない。
それもそのはず、この血は人為的に生み出されたものだ。
風間誠亜という大気中の魔力を直接制御できる存在が、かき集めにかき集めた魔力を己の血に凝縮してわずかずつ採取する。
日を変え場所を変え、毎晩のように集めた魔力がこの中に入っていた。
万が一の為の保険とのことだったが、よもやこんな風に役に立つことになるとは。

エヴァンジェリンは黒いケースを放り捨てる。
あの黒いケースはこの魔力を隠すためのものであった。
こんな代物を隠していると知られれば当然警戒を招く。
そのためにこの魔力を隠蔽する力を持ったケースを使っていたのだ。
唖然として動けずにいるネギにエヴァンジェリンは口の端を吊り上げて笑う。
そして筒の中の血を一息に飲み干した。
瞬間、荒れ狂う魔力がエヴァンジェリンの身を席巻する。
通常の吸血ではありえないほどの魔力が一気に全身に迸った。
封印が再始動した時とは逆に体の内側から押し広げられるような感覚に息をのむ。
それと同時に外側からもエヴァンジェリンの魔力を封じようと結界の圧力が押し寄せた。
内側と外側。
その両方からの圧力に体が悲鳴を上げるが、それでも魔力が一時的に回復し、魔法を使えるということに変わりは無い。
焦燥を表情に溢れさせたネギを見据えながら、エヴァンジェリンは体の負担などおくびにも出さずに言い放った。

「さあぼうや。もうひと勝負といこうか」











再び膨れ上がった魔力に高畑の顔が強烈に強張った。
それを見て誠亜は小さくほくそ笑む。
どうやら保険がきいたらしい。

「俺の考えは変わらねえよ、高畑先生。行きたきゃ押し通って行ってくれ」

言葉を投げかけると、高畑は出していた手を再びポケットに戻した。
こちらの言葉の通りに押し通って行くことにしたのだろう。
誠亜もまた、僅かに重心を落としていつでも飛びだせるようにする。

(さて……どうしたものかね)

油断なく高畑の動きを見据えながら誠亜は思考を巡らせた。
幸い誠亜の動体視力は高畑の高速拳を見てとれる程度には優れているし、大威力の方は小威力のものよりも予備動作が大きくて見切り易い。
じっと見ていれば不意を突かれるということは無いはずだ。

だが隠しようもなく大きなダメージを負っている今の自分で、どうすれば高畑を倒すことができるのか。
切り札を使うのも一つの手かもしれない。
あれを使えばスペックでは完全な差を生みだすことができる。
だが、それだけでは勝てないのはエヴァンジェリン戦で立証済みだ。
あまつさえ、今は体のダメージのせいで、最大出力では到底発動させられそうにない。
不完全な切り札が通用するかどうか甚だ疑問だ。

丁度、いい手が思いつかずに誠亜が眉間にしわを寄せたとき、その声は聞こえてきた。

『オイ、ソッチハドウダ?』

耳につけられた通信機から聞こえてくるのはチャチャゼロの声だ。
あれだけの攻撃を喰らい派手に吹き飛ばされたというのに、通信機は奇跡的に壊れていなかったらしい。

「今現在、高畑先生と交戦中。劣勢だ。そっちは?」

短く、小さく伝えると通信機の向こうからすぐに答えが返ってきた。
その声は少しけだるげで、それ以上に不満を込められていた。

『ドウヤラゴ主人ハ、デキルダケ魔力ヲ結界ニ封ジラレネエヨウニスルノニ手イッパイデ、コッチニ気ヲ回ス余裕ハネェヨウダナ。ヨチヨチ歩クノガ精一杯ダ。悪イガ援護ニハ行ケネエ』

その言葉に誠亜は軽く肩をすくめた。
これで自分でどうにかしなくてはならなくなったわけだ。
チャチャゼロと2人がかりならまだ勝算は高かっただろうが、無い物ねだりをしても意味がない。

『ダガコッチノヤルベキコトハヤッタゼ。救援組ハアラカタ片シタ。残リハソコノ高畑ダケダ。ソイツサエナントカデキリャアゴ主人ノ邪魔ヲスル奴ハイナクナル』

言葉の最中に飛来した拳圧を誠亜は横に駆けだして躱した。
コマ落としのように誠亜がいなくなった場所では杖に使われていた街灯が拳圧に打ち砕かれる。
やはり体の反応が少しばかり鈍い。
痛覚はこらえられても、ダメージで落ちた性能を引き出すのはそう上手くいかないということか。
舌打ちしながら風の流れを引きちぎって疾走する誠亜の耳に、やはり変わらぬ口調のチャチャゼロの声が届いた。

『マアゴ主人モ封印ノセイデ長期戦ニハデキネエダロウカラ、最悪、勝負ヲ引キノバシテ決着ガツクマデ高畑ヲ食イ止メレラレレバイインダ』

迫る空圧に前方に大きく跳ぶ。
誠亜の足先を掠めて拳圧が大気を破壊していった。
少し余裕を持って避けるつもりだったのだが、思いのほかギリギリだった。
その事実に頬を歪めて誠亜は地を蹴る足に力を込める。

「正直あと1発貰ったらヤバい自信があるからなあ。下手に持久戦を狙うのも……」

高畑が誠亜の前方を塞ぐように拳圧を放つ。
無理やり蹴りつけるように足を地面にたたきつけて制動をかけると、誠亜の眼前を空圧が打ち砕いていった。
激しくなびいて視界を塞ぐ髪の毛に気を通してコントールし、邪魔にならないように後ろにまとめると、今度は誠亜は前方に向かって跳躍した。
その一瞬後に誠亜の居た場所を拳圧が穿つ。

足を止めて右拳を引き絞る。
そして渾身の力を込めて打ち出すと、それは飛来していた拳圧と激突して強烈な烈風を撒き散らした。

そして拳を突き出した姿勢のまま、唐突に眉間の皺を消す。
どこか抜けた表情で誠亜は小さく呟いた。

「ああ、そうか」

その表情のまま左の拳を引き、全身のばねで拳撃を再び迫りくる空圧に叩きつける。
砕かれた拳圧が起こす暴風の中で誠亜は淡々とひとりごちた。

「別に勝つ必要は無いんだ」

その言葉を皮切りに表情を一気に引き締めると、両手を左右に突き出した。
右手に気を、左手に魔力を可能な限り集束させる。
そしてその中に氣を滑り込ませると積み木崩しのように根底を打ち崩した。
不安定に揺らめく両手の力を胸の前で叩きつけるように融合させる。
本来なら綺麗に融合し、しなかったとしても反発するだけの二つの力は、互いにもたれるように崩れあって双方ともに消滅した。

その代わりと言わんばかりに、もとにした気と魔力とは比べ物にならない膨大かつ暴力的なエネルギーが溢れかえる。
高畑は始めてみるその現象に驚いたように眉を跳ね上げた。
驚いてくれるなら結構。
それで僅かばかりでも対応が遅れてくれるのなら御の字だ。

誠亜は構わずそのエネルギーを体内に取り込んだ。
そして己が身の内で一気に加速させる。
最もふさわしい流れで、血流のごとく複雑に、紫電のごとく素早く循環させた。
一度ミスをすれば周囲もろとも爆散しかねないが、誠亜は不思議とこういった制御が得意だ。
どちらかというと大気中の魔力を掌握することよりも比較的スムーズに体得できたぐらいだ。

しかし、切り札を発動させたはいいが、やはり完全とは言い難い。
可能な限り上げたはずの出力も70%ぐらいしかないし、体への負担も常より大きい。
本来なら最大出力で1秒半はもつはずだが、今は保って0.5秒といったところか。

こちらの技を見た高畑が愕然と目を見開いた。
咄嗟に跳び退り100mほど距離をとると、ポケットから拳を引き抜きにかかる。
顔は驚いているくせに動きには停滞は無い。
まあそうそう上手くは行かないということなのだろう。

距離をとられた。

相手は既に動き始めている。

時間は保ってコンマ3秒。


十分だ。


誠亜は凶笑を浮かべると、全身に力をいきわたらせた。
そして地を蹴る。
誠亜の足もとから背後にかけての大地が木端微塵に粉砕された。
それとは逆に誠亜の体は絶大な加速でもって撃ちだされる。
一歩目で瞬時に極超音速に達した体は2歩目でトップスピードに乗った。
膨大すぎる衝撃波が大地を、街灯を、根こそぎ砕いて吹き飛ばす。
高畑の拳がポケットから抜きだされるが、間に合いはしない。
驚愕の色を瞳に押し込め、代わりに焦燥をその顔で示す高畑の腹めがけて誠亜は渾身の力で拳を突き出した。
高畑が身を捩るが、圧倒的に時間が足りていない。僅かに半身になるだけで、体を拳の軌道から全く外せていなかった。

戦車砲すら生ぬるい威力の拳が高畑の右脇腹に喰らいつく。
鉄塊だろうと問答無用で粉砕する一撃がその力を高畑の腹でぶち撒けた。
高畑の体が吹き飛ぶ。

誠亜は口の端を吊り上げた。
口もとに浮かぶ笑みを消しもせずに、凄まじい速度で回転する高畑の体を眺める。
その眼には先の高畑以上の驚きがあった。

(なるほどなあ……)

撃ち込んだ右手に返って来たのは異様に軽い手ごたえだった。
誠亜の渾身の一撃を軸をずらしてわざとその身で受けた高畑は、その力を全て受け流し、己の体を回転させる力に変換していた。
視界の右端で回転する高畑が、誠亜の一撃の力を上乗せした一撃を放っているのが見える。
躱せはしないだろう。
あの一撃は威力もスピードも誠亜のものに高畑のものを加えたものだ。
拳を撃ち抜き切った誠亜が躱すには速さも時間も到底足りない。

誠亜は己の後頭部に凄まじい衝撃が走るのを感じながら、意識を手放した。


















高畑は地に倒れ伏す女――風間誠亜を見つめながら、小さく安堵の息を吐いた。
彼女が見たこともない不思議な技を使った後、信じがたい速度で突撃してきたときは驚いたが、どうにか倒すことができた。
内包されていたエネルギーは彼女が気絶するのに合わせて光の柱となって上空へと撃ちだされていった。
もともとそういう風に組んだ技なのか、条件反射的に行ったのかは知らないが、どちらにせよ幸いだった。
起き上がる気配こそないが、胸は上下しているので気絶しているだけだろう。

見たこともない現象。
とても真似する気にはならないブースト。
聞きたいことがたくさんあったが今はそれどころではない。
どんな絡繰を使ったのかは知らないが、結界が戻ったはずなのにエヴァンジェリンの魔力がかなり復活している。
エヴァには悪いがやはり今ネギ・スプリングフィールドを失うわけにはいかないのだ。
彼女の気質を考えたとしても、万が一ということもある。

高畑は踵を返そうとして、膝を折った。
倒れる体を両手で支える。
何が起きたのか理解しようとして、彼はこみあげてきた激痛に低く呻いた。
打たれた腹から凄まじい痛みが伝わってくる。
額からもどっと脂汗が溢れだし、少し動くだけで激痛が走った。
落ち着いてくると他にもあちらこちらに酷いダメージがあるのがわかった。
誠亜の後頭部を打ち据えた右手は微妙に腫れ、骨からも鈍痛が響く。
受け流すために、拳の力をひねる形で受けた背骨からも痛みが走っていた。

「受け流し……きれなかったのか……」

内臓にせよ骨にせよ破損したわけではないだろう。
痛みとて数日で消えるはずだ。
大きなダメージを受けないように受け流したのだ。
それは間違いない。

だが今この時はとても動けそうにないダメージが高畑の体を襲っていた。
動けるようになるまで短く見積もっても数分かかる。

麻帆良の橋の鉄橋の方角。
そこから一際大きな魔力の高ぶりを感じる。
恐らくネギとエヴァンジェリンが決着をつけようとしているのだろう。
その魔力はエヴァンジェリンの方が大きい。

悔恨に満ちた表情でそちらを見つめた後、高畑は視線を誠亜へと向ける。
彼女の口もとにはどこか満足げな笑みが浮かんでいた。
高畑はそれを一瞥して、自嘲の笑みを浮かべた。

「これが試合に勝って勝負に負けるっていうやつかな」

視線をもう一度橋の方角へと向けると、高畑は地に腰をおろして呟いた。

「仕方ない。後は……」

彼も尊敬した英雄の息子ネギ・スプリングフィールドがそう簡単に負けはしないということを。
彼が共に学園生活を過ごしたエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが、彼の知る通りその根底に誇りと優しさを持つ“悪の大魔法使い”であることを。

「信じるだけだ」












あとがき

どうもすちゃらかんです。
またしても期間が開いていしまいました。
今回は一際うまくいかなかった感があります。
なんかやっと桜通りを終わらせにかかれそうです。

正直はっちゃけた話が書きたくなってしょうがない今日この頃。

作中での停電復旧云々はすちゃらかんの妄想です。
原作での設定とはあまり関係有りません。

拙作ですが今後ともお付き合いいただければ幸いです。



[9509] 第36話 全知全能……(笑)とかつけるでない!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 17:03
神と俺のコイントス








慌てて起き上がると、そこには見慣れない天井があった。
などということは無く、視界に入ってくるのは変わらぬ夜空だった。
作戦前に見上げた時と違うのは、街に光が戻ったせいか少しばかり星の数が少なく見えるということぐらいか。
あたりにはもう強大な魔力は無い。
エヴァンジェリンが勝利してもう麻帆良を去ったのか、それとも敗北して再び囚われたのか。
前者なら挨拶ぐらいしていきそうなものだし、後者と考えるべきか。
誠亜は嘆息と共に体を起こす。
はたりと音を立てて体に掛けられていた白い上着が地に落ちた。
恐らくは高畑のスーツの上着だろう。
紳士的というか、律儀と言うか。
誠亜は苦笑と共に顔を上げ、そして目に入ったそれに凍りついた。

「おお、生きていたか」

死んだなどとかけらも思っていない口調で軽く言ってくるその男は神だった。
髭を生やし、髪をオールバックにしたダンディな男だ。
いつもと違うのはその服装が、破滅的な破壊力を持つセーラー服ではないということ。
といっても今の服装がまともかと聞かれれば誠亜は自信を持って否と答えただろう。
というかそもそも服装と言っていいのかすらわからない。

神の体を包むそれは一言で言うなら筒だった。
ついでに言うなら緑色の筒だ。
表面には力強い文字が刻まれ、頭にはノズルがついている。

ぶっちゃけるとスプレーのきぐるみだ。
その表面の文字はこうである。

『ゴキジェット』

誠亜は一度目を閉じて眉間を揉み解すと、ゆっくりと開いた。
そして落ち着いて目の前の光景を分析する。

目の前にあるのはスプレー缶。
巨大なスプレー缶のきぐるみから、顔と手足だけを出した神がそこに鎮座していた。
誠亜は多分に疲労感を滲ませて呻いた。

「何をしている?」

問うと神は真顔で頷く。
いや頷こうとして顔が固定されているために失敗して、肩をすくめた。
もっともきぐるみのせいで殆ど分からないが。

「お前たちの計画で学園結界が落ちたからな。増えた侵入者を捕らえていたのさ。今連行するところだ」

言いながら神が視線で指し示す方向に目を向けると、誠亜はまた微妙な顔で唸った。
そこには妙な箱がある。
かなり大きい。
人が十人近く入れそうな箱だ。
というか実際十人近く入っていた。
箱の側面には穴が開いており、そこから中の様子が覗ける。
箱の内部の底面には粘着性の代物が撒かれており、その中には男女合わせて9人の人間がはらはらと涙を流しながら打ちひしがれていた。
なぜか全員が全員、夏場でおなじみの家庭内害虫のきぐるみを着せられていた。
表面の黒光りする質感や、ぴくぴくと揺れる触角の頼りなさ。
デフォルメしすぎることもなく、かつリアルすぎて気持ち悪さを感じさせるほどでもない。
ゴキのきぐるみにこんな表現をするのもどうかと思うが、絶妙な具合の造形だった。

まあ眼前のそれを簡潔にまとめるならば、巨大ゴキブリホイホイに引っかかったゴキのきぐるみを見た大人たち、というところだ。

半眼で見つめる誠亜の顔に神はなぜか満足げに頷くと、

「ふむ。お前にも分かるか、この見事なきぐるみが」

「俺の顔から何を読み取ったのかは知らんが、まあ良く出来てることは認めてやる」

嘆息交じりに告げると、神は得意げに口の端を吊り上げる。
そしてどこからともなく別のきぐるみを取り出した。

一つは輪郭が緩い、非常にデフォルメされたゴキブリだった。デフォルメしすぎて幼児アニメに出てきそうな可愛らしさがある。ぱっと見、ゴキと分からないほどである。
反対の手に持たれているのは逆にかなりリアルだ。触角の根元や、足の細部、表面の皺まで作りこまれている。その出来には確かな匠の技を感じるが、正直言って気持ち悪い。
しかし何が悲しゅうてゴキのきぐるみの出来を真剣に見ねばならないのだ。
かぶりを振る誠亜を見ながら神は真剣な表情で問いかけた。

「これを見てどう思う?」

「リアル路線とデフォルメ路線だな。正直リアルな方はキモいぞ」

だから早くしまえと暗に含めて言うが、神は気にせず、それどころか手に持っていたきぐるみをこちらに手渡してきた。
しかもリアルな方を。
誠亜は不快そうに口もとを歪めると、そのきぐるみを巨大ホイホイの上に放った。
きぐるみの末路などどうでもいいのか、神は見向きすらせずに語り出す。

「デフォルメし過ぎてもいかん。リアル過ぎてもいかん。求めるのは滑稽さだ。大変だったぞ。実に46回に及ぶ試行の果てに行きついたのが彼らの来ているきぐるみだ」

「何やってんだお前」

呻くようにツッコむ。
それと同時に脳裏で映像を結んだ。
捕らえられた挙句に、46回にも及ぶゴキのきぐるみの着せ替え。
さぞやプライドを傷つけられたことであろう。金やすりでゴリゴリと削るがごとく。
だがまあ侵入者のプライドなど知ったこっちゃないので、誠亜はため息を吐きだして、それ以上言葉を重ねることをやめた。

すると神は不満そうに口を尖らせる。

「むう。つまらんな。もう少し大きな反応が欲しいところだが」

「今日は疲れてんだ。勘弁してくれ」

追い払うように手を振って、誠亜は視線を麻帆良の端の鉄橋の方角へと向けた。
大きな魔力はもう感じられないが、その痕跡は感じられた。
かなり大きな力と力のぶつかり合いがあったのだろう。
誠亜はそちらに意識を集中させた。
だが、さすがに魔力だけではどう決着がついたかまでは分からない。

誠亜はそちらに向かおうと脚を踏み出そうとして、体に奔った痛みに顔をしかめた。
高畑の攻撃を幾度も受け、切り札まで使ったのだ。
やはりそう簡単にダメージは回復しないということか。

こちらに向かってくるいくつかの気配を感じながら誠亜はどっかりとその場に腰を下ろした。
その誠亜を見下ろしながら、神は言葉を投げる。

「どうやらエヴァンジェリンは負けたようだな。すぐにお前のもとにも魔法教師がくるだろう。とりあえず私は通学ラッシュに巻き込まれるまで道に迷うつもりだから、ここで失礼させてもらうぞ」

その言葉に誠亜は気のない返事を返す。

「ひと思いにさっさと連れて行ってやればどうだ?」

だが神は間の抜けた高笑いを残しながら、巨大ホイホイを引きずって歩き去ってしまった。
ホイホイの中から悔しげかつ悲しげな声が響いてくるがとりあえず無視することにした。
見送っていた誠亜は肩をすくめて、地に背を預ける。
再び目に入って来た星を見ながら右手をかざす。
そして握りしめた。
星を掴まんとばかりに、否、星を握りつぶさんとばかりに。

「…………」

手を開いても、当然だが星はまだ光っている。
誠亜はそれを見て自嘲気味に笑った。

「先は長ぇな……」












第36話  全知全能……(笑)とかつけるでない!











抜けるような青空とはこういうのを言うのだろうか。
エヴァンジェリンはカフェテラスの白いテーブルを前に紅茶を片手にそんなことを思う。
各地にチェーン店をもつコーヒーの店で、彼女はもう1時間近くコーヒーを片手に時間を潰していた。
肝心の計画は失敗してしまったが、不思議とそれほど気分は悪くなかった。
悔しさがないわけではない。
またこの学園での退屈な暮らしが続くと思うと億劫なのは確かだが、もう少し付き合ってやってもいいかと思うぐらいには気分が良かった。
コーヒーを一口飲むと視線を左にやる。
そこでは茶々丸が店の列に並んでいた。
エヴァンジェリンが追加の品を買いに行かせたのだが、時間が悪かったのか長い行列にのまれて一向に進まない。
客が多い以上に店員の手際が悪いのだろう。
カウンターで注文を聞いてきた女が、かなり緊張した笑顔を向けてきていたのを思い出す。
おおかた新しいアルバイトなのだろう。

「相席、いいかね?」

後ろから掛けられた言葉にエヴァンジェリンは振り向きもせずに不機嫌な口調で答えた。

「そのふざけた格好をなんとかしたら許してやらんでもない」

声の主はふむと声を漏らすと、エヴァンジェリンの前に回って来た。
すらりとした体躯に精悍な顔つき。髭が似合っている男がセーラー服でハンバーガーショップのトレイを持っている。
悪夢のような格好の男――ロキはトレイをテーブルの上に置くと椅子を引いて腰を下ろした。
服装は無論そのままだ。
当然だがこんな変態と相席などしたくない。
それが見るからに変態だと分かる恰好をしているのならなおさらだ。

「おい」

一言文句を言ってやろうと口を開いたエヴァンジェリンの前で、ロキの服装がパズルを裏返して違う絵にするかのように変わっていく。
セーラー服の紺色がエヴァンジェリンの視界から消えると、そこには赤と白のけばけばしい色をしたピエロの服に身を包んだ神が居た。
どちらにせよ服のセンスが皆無なのには違いない。

文句の代わりに嘆息を口から吐き出して、エヴァンジェリンは頬杖をついた。
ロキの姿を上から下へと眺めていくにつれて、改めて目に入ったトレイの上のあり様に目を丸くする。

「なんだそれは?」

思わず呆けたように問う。
神の持つトレイの上には、馬鹿馬鹿しいほどに大きなハンバーガーと、箱の赤い色にふさわしく通常の3倍の量を持つ特盛りフライドポテト。映画館のポップコーンかと間違える程大きなジュースカップ。
アメリカ臭漂う大きさである。
間違いなく一人で食べる量ではない。

神はエヴァンジェリンの問いに微妙な表情を浮かべると、視線を道を挟んだ反対側のハンバーガーショップに向けた。

「うむ。ちょっとしたジョークで、『ゴッドバーガーセット一つ』と注文したところこんなものが出てきた。高かったぞ」

「ゴッドバーガーってお前な」

そんなふざけた注文をする方もする方だが、こんな巨大バーガーを用意する方も方だ。
だがなぜかロキは、強者をたたえる漢の顔でハンバーガーの包みを開いた。
どこからともなく包丁を取り出すと素早くハンバーガーを4等分する。
だがそれでもなお普通のハンバーガーぐらいの大きさがあった。
つくづく妙な街である。この麻帆良は。

「注文を受けた瞬間、カウンターの娘と奥の店員が目を光らせたから、なんかおかしいと思ったのだ。やりおるわ」

言いながら口の端を吊り上げて顎鬚をなでる。
こいつも感性がずれている。

エヴァンジェリンが今一度ため息をつくと、ロキはハンバーガーを置いて声をかけてきた。

「ところで。やはり負けたのか?」

飲んでいたコーヒーを吹き出しかけて、エヴァンジェリンは咳きこんだ。
睨むようにロキの顔を見据えながら言う。

「引き分けだ」

封印が復活するまでは言うまでもなく、誠亜の用意していた血で魔力補充した後もエヴァンジェリンが常に優位だった。
ただ魔力が抑え込まれきる前にネギを倒せなかったというだけに過ぎない。
だが、あの実力差でネギは良く粘った。
それは素直に認めるところではある。
あの男の息子としての片鱗を見せたということか。
それが腹立たしくもあり、また不思議と好ましくもあった。

「風間誠亜の方も負けたようだな。まあ役目は果たしたようだが」

神の言葉にエヴァンジェリンは口もとを緩めた。
結局ネギとの戦いを邪魔するものは結界以外現れなかった。
従者たちはよくやってくれたと言える。

むしろ誠亜が「勝てなくても役目を果たせる」ことに気付いてそれを実行したのが意外と言えば意外だ。

彼女の戦いぶりを聞く限りは、どうも彼女は手綱を握ってやるものがいるとかなり強いらしい。
それもそのはず。
彼女の最大の弱みこそが、戦い方が下手だということだ。
もし彼女に一流の技巧があれば、力を取り戻したエヴァンジェリンすら倒しうるやもしれない。

(やはり鍛えてみるのも面白いかもしれんな)

そして本物の従者にするのだ。
彼女の魔力収集技能を使ってこつこつ魔力を集めれば、やがてはこの呪いを無理やり解除できる域に達するかもしれない。

思わず緩みそうになる口もとを引き締めると、視界の中心ではロキが何かに気付いたかのように手を打った。
そして両の目じりを指先で吊り上げる。

「そういえば風間誠亜はどうしたのだ?」

その目つきを表現して彼女を指すのはどうなのか。
だがエヴァンジェリンはそこにはツッコまずに答えた。

「今頃こってり絞られているだろうさ」

風間誠亜は今現在学園長室で絶賛説教中だ。
エヴァンジェリンに協力してネギを狙ったことに対する糾弾である。
ガンドルフィーニなあたりの真面目な教師を並べて説き伏せているのだろう。

「お前はどうしたのだ?」

「昨日の内に絞られたよ」

しかし、なんだか主犯である自分より唯の協力者である誠亜の方が長いこと説教されている気がする。
この時間の差は恐らく、誠亜はまだ修正可能だからだろう。
自分は今更言葉を並べたところで大きく改心などしない。
だが誠亜ならばまだ修正可能だと考えるのは無理もない。
まあ実際に可能かどうかは知らないが。
エヴァンジェリンの勘では、誠亜はどちらかと言えば悪サイドに近い気がしたのだが。

「それでお前はこれからどうするつもりなのだ?」

ロキに問われて、エヴァンジェリンは片眉を跳ね上げた。
訝しげにその顔を見返す。
するとロキはつまんだフライドポテトをぴこぴこと揺らしつつ、

「呪いのことだ。諦めるつもりはないのだろう?」

その言葉にエヴァンジェリンは不敵な笑みを浮かべた。

「当然だ。ぼうやの血を使う方法は失敗したが、方法が他にないということもあるまい。それを探す」

決意も新たにそう告げると、後ろから声変わり前の高い声がかけられた。

「人に迷惑のかからない方法なら僕も手伝いますよ」

視線だけ向けると、ネギがコーヒーを乗せたトレイを手にこちらを見ていた。
その隣では神楽坂明日菜が軽く手を振っている。

ネギはそのままエヴァンジェリンとロキの間の席の前まで来ると、ロキの格好に一瞬顔をひきつらせた後、口を開いた。

「こんにちはエヴァンジェリンさん、神さん」

「うむ」

大仰に頷くロキとは対照的にエヴァンジェリンは不機嫌そうに返した。

「気安く挨拶を交わす仲になったつもりは無いぞ」

無愛想に返された言葉にネギが困ったように動きを止める。
それを眺め嘆息すると、エヴァンジェリンは疲れたように手を振った。

「かまわん。なにか用があったのだろう?座れ」

その言葉にネギは喜ぶように表情を緩め、椅子を引いて腰を下ろした。
自分の前と、テーブルの反対側にコーヒーを置く。
その反対側にはアスナが座っていた。
エヴァンジェリンが許可を出す前にふつうに座り始めていたのだ。この少女は。

ネギはロキの格好を改めて一瞥し、苦笑を浮かべた後彼の手元の巨大なハンバーガー達に目を丸くする。
だが触れない方がいいと判断したのか、そのことについては何も言わずに顔をこちらに向けた。

「僕もたくさん勉強してエヴァンジェリンさんの呪いを解く方法を見つけますから、あまり気を落とさないでください」

だがその言葉にエヴァンジェリンは鼻を鳴らした。

「ふん。一体何年先のことになるやら」

皮肉げに言われた言葉にネギが言葉を詰まらせる。
正直今の時点では教師としての仕事に時間を取られて、あまり魔法の勉強をする時間が取れていない。
エヴァンジェリンの呪いを解くには言われた通り年単位の時間が必要になるだろう。

「エ、エヴァンジェリンさんが高校を卒業するまでにはきっと見つけて見せます!」

拳を握ってそう宣言するネギに、エヴァンジェリンは半眼で告げた。

「だから呪いのせいで中学を卒業できないんだって」

あ、と今更気付いたように口をあけて呆けるネギに、エヴァンジェリンは口もとに意地の悪い笑みを浮かべると、

「それともそれは一生見つけられないという意味の皮肉か?」

「ちち違いますよ!」

慌てたように腕を振り回しながらネギが叫ぶ。
その言葉に周囲の客が視線をこちらに向け、ピエロ衣装なロキに目を見開いて硬直した。
しかしそのロキは、人々の奇異の視線などどこ吹く風、むしろ面白がるように言葉を紡ぐ。
その言葉はこれと言って気負ったものもなく、ごくごく自然に発せられたものだった。

「まあ万が一ネギが穏便に呪いを解く方法を見つけられなかったら、私が解いてやってもいいしな」

その場にいたエヴァンジェリンを含む3人の動きが凍りつく。
3人とも愕然とした表情でロキの顔を凝視していた。
一方そのロキはエヴァンジェリン達の反応を面白そうに眺めている。

「そ、そういえば全く考えていなかったが……」

エヴァンジェリンは感情を押し殺した平坦な声で呟くように言う。
頬がひきつり、眉間には皺が寄っていた。
その声に含まれた怒気に隣のネギが僅かに身を引くが構わず続ける。

「お前。ひょっとして私の呪いを解けるのか?」

そう問うとロキは皮肉げに口もとを笑みの形に歪めた。

「ああ、できるとも。私は全知全能の神なるぞ。いかな英雄のかけた呪いとはいえ、解けぬ道理があるまい」

「さっさと言え!それを!というか何故に言わなかった!?」

こちらに詰問にロキははっはっはと間の抜けた笑い声を上げると、さらにいやらしく笑った。

「その方が面白いじゃないか!」

エヴァンジェリンは素早く目の前にあったコーヒーの蓋をあけると、それをロキの腹の立つ笑顔に向けてぶっかけた。
まだまだ熱さを保っていた黒い液体は、一直線に笑うピエロの顔面へと振りかかる。

「眼があああああああ!」

熱いコーヒーを眼球に受けたロキが椅子を大きく傾け、天を仰いで絶叫する。
そのまま後ろに転倒して椅子ごと転げ回った。
痛みにもだえるロキをエヴァンジェリンは怒りもあらわに見下ろす。

「このアホ神が。一世一代の計画だと意気込んでいた私を笑いながら見ていたわけか」

語気も荒く言うエヴァンジェリンをアスナが苦笑と共になだめようと声をかけた。

「まあまあエヴァンジェリンさんも落ち着いて。そもそもそれに気付かなかったエヴァンジェリンさんにだって問題はあるでしょう?」

言われてみればそうだ。
そもそもロキに呪いを解けるかどうか確認もしなかったのは自分だ。
こんな男の力など借りたくないという感情的なところもあったのだろうが、そもそも考えつきもしなかったのは自分の落ち度かもしれない。
それにしても、何故自分はそれに気付かなかったのだ。
嘆息と共に額に手を当てていると、ふとロキの転がりまわる音が聞こえてこないことに気付く。

気になって視線を少し下にずらすと、地面に転がったロキが凄く良い笑顔でサムズアップしていた。
こめかみに青筋が浮かぶのを感じる。

「なんだそのサムズアップは?あれか?ひょっとして私が気づかなかったのもお前の仕業なのか?」

迫力に満ちた低音で告げられた言葉もロキを威圧するには至らない。
ロキは何事もなかったかのように起き上がる。あれだけ転げまわっていたのに、ピエロ服には汚れらしい汚れも付いていない。
彼は井戸端会議のおばちゃんのような仕草で手を振ると、軽い口調で告げた。

「はっはっは。気にするな気にするな。“万が一”お前が私が呪いを解けることに気付いたとしても、どうせ私は断ったしな。面白くないし」

「お前は……一度本気で痛い目にあわせてやった方がいいようだな」

かなり本気の口調で唸るエヴァンジェリンにロキは感情の読めない笑い声を響かせた。
どう止めるべきか困ったようにアスナが眉をひそめる。
だが、唯一人、ネギだけはこの場に似合わぬほど、真剣な表情でロキの顔を見つめていた。

しばらく睨みあっていたエヴァンジェリンとロキは、それに気付いたように視線をネギに向ける。
そのネギの、真剣かつどこか思いつめたような顔に自然と、ロキの顔からふざけの色が抜け落ちていった。
ネギに合わせたかのように真剣な表情で、厳かですらある声音で静かに告げる。

「そんな熱い視線を送られても私はそっちの気は無いぞ」

派手な音と共にアスナとネギがこける。
テーブルにつかまりながら、脱力した体を引き上げると、悲鳴のように叫び声を響かせた。

「違いますよ!僕だってそんなつもりは毛頭ないです!」

だが、叫ぶネギにロキは憤慨したように自分の髪の毛をなでながら吠えた。

「誰が毛根無いだ!私の髪はふさふさだ!」

「そんなこと言ってません」

ネギの叫びにロキは唐突に真顔に戻ると、さも当然と言い放った。

「うむ。知っている」

ごつん、とネギの額がテーブルと激突して鈍い音を立てた。
こける代わりに額をテーブルに打ちつけたネギが、微妙にくじけそうな唸り声と共に顔を上げる。

「あの……神さんに聞きたいことがあるんです」

ロキは頷くとともに答えを返す。

「聞いてやる。言ってみるがいい。10文字以内で」

質問を口の中に用意していたネギはそれを出そうとして、ロキの付け加えたわけのわからない縛りに目を白黒させた。

「え、ええっと……僕の父さんの居場所を……父の居場所を知りませ……where is my……」

必死に質問文を短縮しようとするが、何度考え直しても10文字に収まらない。
頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまったネギを見つめながらエヴァンジェリンはその言葉を待った。
ネギの口にした父というワードが気になったのだ。
ネギの父とはすなわちナギ・スプリングフィールドのこと。
その居場所を今更聞こうとはどういうことなのか。

気になる話題だ。
パニックのあまり瞳の中を渦巻かせそうな勢いのネギに、エヴァンジェリンは助け船を出すことにした。

「ふざけていないで質問ぐらい普通にさせてやったらどうなんだ?茶化すような質問じゃない様だぞ」

だがロキは軽く身を反らして鼻を鳴らす。

「神に頼ろうというのだ。多少は楽しませてもらわねばな。その質問の答えを聞きたいのならお前が10文字以内で聞いてみたらどうだ?」

「不知道父亲的去向吗?」

即答で返してやるとロキの動きが止まる。
ネギは驚いたようにこちらを見ていた。
アスナは全く理解できていないようで、眼を瞬かせている。

「ぬう……中国語とは。やるではないかエヴァンジェリン」

唸るように感嘆の意を示すと、ロキは降参というように両手を上げた。
エヴァンジェリンは伊達に長く生きてはいない。
覚えている言葉の数もそれなりだった。
ネイティブ並みに話せるかと聞かれれば是とは言えないが、基本的な受け答えをするぐらいなら問題ない。

「ありがとうございます。エヴァンジェリンさん」

こちらに頭を下げてくるネギにエヴァンジェリンは鋭く言葉を返した。

「礼より先に答えてもらおうか。何故今更あいつの行方など捜す?奴はもう死んでいる。奴の死の真相を知りたいということなのか?」

だがネギははっきりと首を横に振って答えた。

「違います。言葉のまま、父さんの行方が知りたいんです」

ますます意味がわからない。
既に死んでいるナギの行方を知りたいというのはどういうことか。

それとも……ひょっとしてナギはまだ生きているのか。
知らず、動悸が速くなっていく。
目の前の、あの男と似ているようで似ていない純朴そうな少年から、自分の想像を肯定する言葉が聞きたくてその瞳をじっと見つめる。

ネギは確かな意志を宿した瞳で続けた。

「大人はみんな、僕が生まれる前に父さんは死んだっていうんですけど、僕は会ったことがあるんです」

10歳の少年が10年前に死んだ男に会ったことがあるはずがない。
つまりは、

「6年前のあの雪の夜に、僕を助けて杖を託してくれたのは父さんでした」

自然と涙が溢れてくる。
ナギの笑顔がありありと脳裏に浮かび、身を震わせた。

「父さんはきっと生きています。だから僕は父さんと同じマギステル・マギになって父さんを探したいんです」

あいつが生きている。
サウザンドマスター、ナギ・スプリングフィールドが生きている。
そう心の中で繰り返すと隠しようもない歓喜が胸の内から噴きあがった。

そこからのエヴァンジェリンの行動は速かった。
椅子を蹴立てて立ち上がると、テーブルの上に乗り出し、反対側のピエロの肩を掴んで激しく前後にシェイクした。
周囲の視線を集めているのだが、そんなことはどうでもいい。
衝動のままに叫ぶ。

「おいこらロキ!ちゃんと10文字以内で質問したんだ!質問に答えろ!」

がっくんがっくん首を揺らしながら、ロキが笑った。

「はっはっは。そう焦るでない。サウザンドマスターの行方だったか?」

ロキの言葉を引き出すために、揺らしていた肩を止めると、エヴァンジェリンはじっとその顔を睨みつけた。
はぐらかすことは決して許さない。
その意思を込めて見据える。

ロキは真剣な面持ちでこちらとネギの顔を順繰りに視線でたどると、淡々と告げた。

「知らん」

「…………」

エヴァンジェリンは無言で右手をロキの肩から話した。
そしてロキの前に置かれている4分の1巨大ハンバーガーのうちの一つから黄色いマスタードを細い指先で掬い取る。

その指をゆらゆらと揺らして見せながら感情を押し殺した平坦な声音で告げる。

「答えてもらおうかロキ。さもなくばこのマスタードをお前の眼に塗りたくるぞ」

「お前は私の眼球に恨みでもあるのか?」

頬に冷や汗を浮かべながらロキが呟く。
ロキはマスタードをすくい取った指をそっと押しやりながら静かな声音で答えた。

「知らんものは知らんのだからしょうがあるまい」

「全知全能を名乗るお前が“知らん”だと?とぼけてもお前の眼が痛いだけで何も良いことは無いぞ。キリキリ吐くがいい」

「いやそう言われても、知らんのだし」

「そうか……」

エヴァンジェリンは落胆したように呟くと、すっと身を引いた。
自分のもと居た席に座ると、ごくごく自然な動作で視線を横に移す。
そこにはようやく行列から戻って来たのか、いくつかのドーナッツをトレイに乗せた茶々丸が立っていた。
そして風に流すがごとくさらりと命じた。

「茶々丸。チリソースを調達して来い」

「ぬわぁお!私のお目々が大ピンチ!!それは勘弁してくれ!」

思わず椅子ごと数メートル後ずさるロキを冷たく見据えながら、エヴァンジェリンは言葉を紡いだ。

「ならば答えてもらおうか?どうしても答えられないのなら、私たちを納得させられる理由を述べてみろ」

ロキは眉間にしわを寄せて唸ると、椅子ごとテーブルへと戻ってくる
そして腕を組んで難しい顔をしながら、話し出した。

「私がナギ・スプリングフィールドの行方を知らないのは事実だ。理由はまあ端的に言うならば、実は“今の私”は全知全能ではないからだ」

「全知全能じゃない?」

もともと全知全能だなどと信じてはいなかったが、それに近いでたらめな力を持っているのは事実だ。
そのうえ自身で全知全能を自称していた男の突然のカミングアウトに、不信感以上に意外さを感じて、エヴァンジェリンは軽く驚きの表情を浮かべた。

「詳しくは割愛するが、色々あって私の力は幾らか封じられているのだ。全知に至っては完全に切り離されている。今の私が知っているのは私が見て、聞いて、調べたことのあることだけだ」

「そうですか……」

少しうなだれるネギだったが、すぐに顔を上げると決意も新たに告げる。

「それならそれで、今まで通り僕自身の手で父さんを探します!」

手掛かりは父さんに渡された杖しかないんですけど、と苦笑いを浮かべるネギにエヴァンジェリンは口もとを緩めると人差し指を立てた。

「京都に行ってみるがいい」

その言葉にネギは一瞬呆けたように口をあけて

「京都ですか?京都って言うとあの有名な……えーと、日本のどのへんでしたっけ?」

照れ笑いと共に首をかしげるネギに、エヴァンジェリンは軽く肩をすくめた。

「京都のどこかに奴が一時期住んでいた家があるはずだ。奴の死が嘘だというのならそこに手掛かりがあるかもしれん」

「そ、そうなんですか!?でも困ったなあ。休みも旅費もないし……」

虚空をにらんで眉をハの字にするネギに、アスナが口の端を上げて言う。

「ちょうど良かったじゃんネギ」

「?何でですか?」

「忘れたの?ほら来週あたしたちは」

「そうか!修学旅行だ!」

手を打って言うネギに、エヴァンジェリンはそういえばそうかと気のない様子で呟いた。
生憎と、10年以上中学生をしてきたが、一度として修学旅行に参加できたことは無い。
登校地獄のせいでこの麻帆良から一歩も外に出られないからだ。
その結果、どうせ自分には関係のないことだと、だんだん修学旅行というイベントを気にもしなくなっていった

溢れんばかりの喜色を顔に浮かべて、ネギはしきりに修学旅行について話し出す。
そして、エヴァンジェリンに一言挨拶を残し、アスナを連れて歩み去って行った。
その姿は今にもスキップを始めそうなほどに楽しげだ。

茶々丸の持ってきたドーナッツをかじりながらその背中を眺めていたエヴァンジェリンだが、人ごみの中にネギ達の姿が消えたところでロキの方へ振り向いた。

「で、全知には一切手が届かんのか?」

唐突な問いにロキは軽く目を見開く。
全知とは切り離された、といったにもかかわらず問いを繰り返されたからだ。
だが、生憎とエヴァンジェリンはまだ諦めていなかった。
ロキは肩をすくめると、ジュースのストローから口を離した。

「手順を踏めばある程度情報を引き出せんこともない」

その言葉にエヴァンジェリンの顔に妖しい笑みが浮かぶ。
だがロキは彼女を牽制するように言葉を放った。

「だがしばらく全知へのアクセスはしないことにした」

エヴァンジェリンは顔をしかめるとロキの顔を睨みつけた。
険呑な声音で問う。

「何故だ?」

ロキは嘆息と共に視線を空に向けると、

「“全知”へのハッキングを試みている輩がいることに最近気付いてな」

「ハッキング?」

全知とやらがどういうものか知らないが、ネット回線がつながっているわけでなし。
コンピューターよろしくハッキングができるとはなかなか思えないのだが。

「どうやら私から切り離された結果、私以外にもアクセスしうる物と化しているようでな。調べてみたらどこかの“天才”が何度かアクセスを試みていることが分かった」

「お前確か、この麻帆良に来てからしょうもないことで全知の力を使っていなかったか?」

半眼で告げるとロキは口をとがらせて返してきた。

「仕方あるまい。気付いたのがお前との戦いのダメージから回復した風間誠亜を見た後なのだからな」

「何?」

エヴァンジェリンの眉がひそめられる。
訝しむようにロキの顔を見るが、その表情からは冗談を言っているような感は受けない。
正直ロキの表情と言動の真面目さは結びつかないのであまり参考にならないが。

「仙道として完成するには真理とやらを悟らねばならないらしい」

「は?」

突然初められた仙道講座にエヴァンジェリンは疑問の声を上げる。
仙道の存在自体は誠亜から聞いていたが、全知へのハックと何の関係があるのか。
だがロキはこちらを無視して言葉をつづけた。

「その真理とやらは『己』と『世界』に二分され、さらに『己』は『肉体』と『魂』に二分される。『世界』の真理を悟らねばこの世の理を歪めるような高等仙術は使えないし、『己』の真理を悟らねば自身を永遠の存在に作り替えることはできない、ということだそうだ」

「で?それが全知へのハッキングと何の関係があるんだ?」

問うとロキは両手の指先を左右の目じりに当てた。
そして持ち上げながら言う。
先にも行った誠亜を連想させる仕草だ。

「『魂』の真理は魂を劣化せぬ高次の物に昇華させるために、『肉体』の真理は己の肉体を永遠に老いないものに作り替えるのに必要となる」

作り替える。
その言葉と目の前のロキの吊り上げられた目じりが、エヴァンジェリンの中で結び付いた。

「風間誠亜か!!」

ロキはエヴァンジェリンの叫びに苦笑いを浮かべると、

「奴を女に作り替えるときに、全知から今の奴の体と奴が女であった場合の体についての情報を引き出したのだが。奴め、無意識レベルで全知から己の『肉体』の情報を根こそぎ持っていきおった。ただじゃころばん奴だよ。それで私以外も引き出せるのだと気付いてな。調べてみたら、誰かさんが過去何度もアクセスを試みた形跡があったわけだ」

ロキは深々とため息をつくとともに言葉を続ける

「それで確実な措置が取り終わるまでは全知は使わんことにした」

エヴァンジェリンは一度鼻を鳴らすと、皮肉げに口もとを歪めた。

「まあいいさ。もとより“神頼み”など私の好みじゃないしな。奴の消息は自分でつきとめればいいことだ」

「うむ。まあ頑張るがいい。たぶんその方がお前の為になる」

視線を改めて向けると、ロキはゴッドバーガー(4分の1)を3つ、お持ち帰り袋と書かれた袋にしまいながらこちらを見ていた。
そのままロキはふと気付いたかのように聞いてくる。

「ところでエヴァンジェリン。お前は行かんのか?修学旅行」

「興味無いな。そもそも行く行かない以前に行けないんだよ」

どこかつっけんどんに答えるエヴァンジェリン。
だがロキは怪訝そうに

「そうなのか?修学旅行も学業の一環だろうに」

「ん?そういえば……」

修学旅行とはいえ麻帆良の外に出れないのは分かっているが、何らかの方法で行けるのではないか。
決して表には出さないが、なんだかんだ言っても一度くらいは行ってみたかったのは事実だ。
特に、嫌々ながらも学園生活というものにつきあうつもりだった最初の3年はなおさら。

そう考えて、エヴァンジェリンはこちらをにやにやと笑いながら見つめるロキの姿に気付く。

「何だその顔は?」

やぶにらみな視線で射抜いてやると、ロキは笑みを深めながら言ってきた。

「くくくく。いや別に。存外可愛いところもあるのだな、と」

なにか微笑ましい物を見るような生ぬるい視線をこちらに向けるロキの顔を、怒気を込めて睨む。
だが、エヴァンジェリンは唐突に怒りの表情を引っ込めると、無表情にテーブルの陰に隠して右手を茶々丸の方へ伸ばした。
その手にいつの間に調達したのか、チリソースが手渡される。
エヴァンジェリンは音を立てずに蓋をあけると、素早くテーブルの陰から出してロキの顔面目がけて振りかけた。
飛び出した赤い液体は綺麗な曲線を描いてロキの両目へと突入していく。

「ぬあああああ!目がああああああああ!」

低い男の絶叫とテーブルの倒れる騒音を、踵を返した背中に受けながらエヴァンジェリンは歩み出す。
その行く先は麻帆良学園の校舎であったが、それを指摘し、からかう者はここにはいなかった。










[9509] 第37話 交渉開始だ……ショータイム!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/02/25 17:04
神と俺のコイントス





第37話  交渉開始だ……ショータイム!




昼下がりの学園長室。
唐突に開かれた扉から入って来たのは、非常に長い金髪を歩みに合わせて揺らす少女だった。
真珠のように済んだ白い肌と鮮やかな金の髪の対比が驚くほどの可憐さを生みだしている。だが、その顔に浮かぶのはこの上なく不遜な表情だった。

それを見つめながら学園長──近衛近右衛門は小さく嘆息した。
後頭部がやたらと長い仙人じみた風貌の老人である。
もっとも彼は仙人ではなく、魔法使いなのだが。

「おいじじい……ん?」

麻帆良学園の学園長であり関東魔法教会理事長である彼に対し、全く気負った風もない言葉が投げかけられる。

だがその少女──エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは言葉を途中で止めると、その部屋の先客を軽い驚きと共に見つめていた。
その視線の先に居るのは麻帆良女子中3-Aに籍を置く少女だ。
と言っても、とても少女に見える外見ではないが。
180を超える長身と、鋭い双眸。艶やかな長い黒髪に大人びた顔立ちはどう考えても二十歳ほどの女性にしか見えなかった。
これで中学3年生を名乗っていても、似たようなのがあと2人居るためあまり目立たないというのが恐ろしい。
あのクラスを仕組んだのは学園長自身なのだが、不審に思わない周囲の面々もなかなかにおおざっぱ過ぎる所がある。

風間誠亜。
エヴァンジェリンに真剣勝負で敗北し、今回のネギ襲撃計画に加担していた少女だ。
的確な指示があったとはいえ、驚異的な身体能力で神多羅木と葛葉を下し、高畑を相手に時間を稼いだイレギュラー。
昨日この学園長室に呼び出されて、魔法教師たちにしっかりと絞られたばかりである。

エヴァンジェリンは無言で数秒誠亜の顔を見つめると、淡々と告げた。

「何だお前。完徹か?凄いな魔法教師の説教への執念というのも」

「違うわい」

すかさずツッコみを入れる。
さすがに丸一日説教なんて滅茶苦茶なことはしない。そもそも何をそんなに語るというのか。
だがエヴァンジェリンは軽く鼻を鳴らすだけで表情も変えなかった。軽いジョークのつもりだったのだろうか。
誠亜は苦笑と共に頬をかいて口を開く。

「説教は一応昨日の内に終わったよ。まあ長かったけどな。特にガンドルフィーニ先生。あとガンドルフィーニ先生。もういっちょガンドルフィーニ先生」

何故に3回繰り返すのか。
まあ確かにガンドルフィーニの説教は他の先生の3倍じゃ済まない長さだったが。
学園長は小さく嘆息すると顎の下で手を組んだ。

「誠亜君には話があって今日も来てもらっていただけじゃよ」

「話?」

片眉を跳ね上げて問うエヴァンジェリンに、誠亜はことを分かっているのか分かっていないのか微妙な表情で答えた。

「んー。なんか修学旅行中に襲撃があった場合、刹那とかネギを手伝ってやってくれって頼まれた」

「ほおう?」

興味深げに声を上げるエヴァンジェリン。
彼女に協力した誠亜に大事な生徒を守る仕事を頼むことが意外と言えば意外だったのだろう。
そのエヴァンジェリンを見ながら誠亜が付け加える。

「なんか拒否権はないらしい」

「ああ。罰か」

ちなみに拒否権は無いと言いだしたのはガンドルフィーニであって学園長ではない。
そもそも誠亜相手にクラスメートを守る仕事を頼むのに、そんなことを付け加える必要はないとは思ったのだが。まああの生真面目すぎる男にはそんなことは思いつかなかったのであろう。

絵に描いたような不機嫌さで誠亜を叱っていたガンドルフィーニの顔を思い出して学園長は嘆息した。
話を聞く誠亜の顔を見て、一瞬脳裏に「糠に釘」の言葉がよぎったのはここだけの秘密である。

エヴァンジェリンは意地の悪い笑みを浮かべると、視線をこちらによこしたまま顔を誠亜に向けた。

「ほどほどの所で断りをいれんと、すり減るまで使い潰されるぞ」

「マジでか!?」

「そんなわけないじゃろう!」

大真面目に驚愕の声を上げる誠亜にたまらず学園長は声を張り上げた。
安堵の息を漏らす誠亜にエヴァンジェリンが低く笑い声を響かせる。
彼女はそのままの表情で視線を学園長に向けると問いかけた。

「で、結局どうだったんだ?」

その問いに誠亜が怪訝そうな表情をする。
まあ突然こんな話をされても分からないだろう。
昨日のエヴァンジェリンからの連絡は電話によって行われた。
誠亜が魔法教師にみっちり説教されている最中だったので、彼女にエヴァンジェリンの用件など分かるはずもない。

「何の話?」

疑問の声を上げる誠亜に、学園長は顎鬚をなでながら答えを発した。

「昨日エヴァンジェリンが、修学旅行は学業の一環だということにして参加できないか、と言ってきてな」

得心がいったように頷く誠亜に学園長は顔をエヴァンジェリンに向けた。
難しい表情で手元の紙に視線を落とす。

「確かに可能じゃが……2つほど問題があってのう」

そう言って眉間にしわを寄せる学園長に、エヴァンジェリンは不満そうに口を開いた。

「問題だと?」

学園長は頷くと、椅子の背もたれから体を離した。

「まず方法のことなんじゃが、修学旅行は学業の一環だと呪いの精霊に認識させるには、複雑高度な儀式魔法のうえに専用の書類に5秒に1回ワシ自ら判を押し続けなくてはならんのじゃ」

シャレにならない重労働である。
比喩抜きに“押し続け”なくてはならないため、眠ることもトイレに行くことすらできない。
その困難さに誠亜が諦めの色を顔に浮かべて嘆息した。

「なんだできるじゃないか」

「いや無理じゃろ。修学旅行が何日あると思っておるんじゃ」

淡々と告げられたエヴァンジェリンの言葉に、学園長は冷や汗を浮かべて唸る。
舌打ちするエヴァンジェリンにもしかして本気でやらせようと思っていたのではと、恐ろしい想像が脳裏を走った。
まあ十数年も中学生をやらされているエヴァンジェリンには申し訳ないという気持ちもあある。
そのうえ一度として修学旅行などの学園外行事には参加できなかった彼女だ。
参加させられるものなら参加させてやりたいとも思うのだが。

だがエヴァンジェリンはハンコ地獄を強要しようはせずに、肩をすくめて言葉を紡いだ。

「もう一つの問題と言うのは何だ?」

問われて、学園長は机の上に広げられた一枚の手紙を投げて渡した。
綺麗に回転して飛んでいく紙を受け止めたエヴァンジェリンは、さっと目を通して呆れたように言う。

「まだこんなことをやっていたのか」

既にその手紙の内容について話してあった誠亜は何も言わずに苦笑する。
あれは京都の方に本拠を構える関西呪術協会からの連絡だ。
今年の修学旅行の引率者に魔法教師が一人いるという連絡に対する返事が記されている。

古くからの日本の魔術といえる術の使い手たちの組織である関西呪術協会。
主に大陸の方から入って来た、西洋魔法使いたちの組織である関東魔法協会。
この2つは目下として対立しているというのが実情だ。
向こうの長である近衛詠春と学園長は対立の解消を望んでいるのだが、下の者の感情はそう上手くいくものではない。
結果として、今年は魔法教師――つまりはネギが引率として出向くということを伝えるとあちらは難色を示してきたわけだ。

子供魔法教師一人で嫌がるのだ。
ここで強力な魔法使い、しかも一般的には極悪な吸血鬼として知られているエヴァンジェリンなど行かせたら、大きな軋轢を生みかねない。

エヴァンジェリンはつまらなそうにその手紙をこちらに投げ返してくる。
それを見ながら誠亜が口を開いた。

「あいつならどうにかできるんじゃないか?」

そのあいつというのにすぐさま思い当たったのか、エヴァンジェリンは不満そうに眉間にしわを寄せる。

「なんかあいつに頼むと、凄まじく面倒な対価を求められそうな気がしてならないんだが」

あいつと言うのはまず間違いなくロキのことだろう。
ロキが求めるものと言って思いつくのはやはり“面白いこと”だろう。
そこから考えて、思いつくのは求められる対価は物ではないだろう。
おそらくプライドなどの類のものだ。
だが誠亜は軽くかぶりを振ると、

「いやあ。あいつへんな所でお人よしなところもあるから、意外にたいした対価も求めずにやってくれるんじゃねえか?」

そういうと、彼女は首を回してほぐした後、大きく息を吸い込む。
そして手をメガホンのような形に合わせて口もとにそえると力の限り叫んだ。

「ああああああ!学園長の後頭部が割れてミニ学園長が出てきた!!」

「待たぬか!それではワシがまるでエイリアンみたいじゃろ……」

あまりと言えばあまりの叫びにたまらず声を張り上げる学園長。
だがその言葉を遮って轟くような叫びが響き渡った。

「なぁぁんたるショッキング映像!見ぬわけにはいかあああぬっ!!」

叫びと共に部屋の左の壁に沿うように置かれている本棚の一つがまるで忍者屋敷の壁のように回転して、一人の男が飛び込んできた。
オールバックの髪型に口もとにたくわえられた髭。
ダンディと言っていい顔立ちだが、いかんせん来ているのはセーラー服である。
肩には本格的なテレビカメラが乗せられ、そのレンズをこちらに向けていた。

「準備は万端だ。さあ近衛近右衛門。ぱっくりとやっていいぞ」

「やらんぞい」

たわけたことを真顔で告げるその男――ロキに呻くように言う。
冗談抜きに頭痛を感じて学園長は額に手を当てた。
ゆっくりと回転してもとの位置に戻っていく本棚を一瞥して問う。

「ところであの本棚は何じゃ?ワシはこの部屋にあんな仕掛けを作った覚えは無いんじゃが」

するとロキはテレビカメラから顔を離して何でもないことのように答えた。

「気にするな。こんな時の為に作っておいた秘密通路だ」

こんな時とはどんな時だ、と胸中で呟きながら学園長は非難するように言う。

「この部屋には重要な書類もあるのじゃし、ワシの知らない出入り口を作らんで欲しいのじゃが」

「それなら大丈夫だ。この入口は私しか通れない」

なぜか胸を張るロキに学園長は眉を上げて、もう一度本棚を見る。
こんな改造がなされているなど今まで全く気付かなかった。

「やれやれ。一体いつこんな改造をしたのやら」

小さくつぶやいた言葉にロキがさも当然と答えてきた。

「5年ほど前だ」

「5年って……ワシがその本棚を買ったのが5年前なんじゃが」

胡乱げなまなざしで見る学園長にロキはなぜか得意そうに口の端を吊り上げた。
どこからともなく地味な青色の帽子を取り出して被ると、悪戯の種明かしをする子供のように言う。

「その時に本棚を配達設置に来た配達員の一人が私だ」

「なにをやっとるんじゃお主は」

隠しようもない疲労感を滲ませながら学園長は呻く。
だがそんなこちらの心境などかほども気にかけずに、ロキは無意味な笑声を学園長室に解き放った。
そのロキを見据えながら誠亜が言葉を投げる。

「おい神。お前エヴァンジェリンを修学旅行に参加させられないか?」

その言葉にロキは目を瞬かせた。

「ん?まあ可能だろうが、何が問題となっているんだ?それによってやることが変わるだろう」

何が問題になっているのか分からないのに可能だろうとは、この男らしいと言えばらしいが、大した自信である。
頬をかいて、頭の中で言うべきことを整理しだした誠亜に代わって、学園長は説明することにした。

「エヴァを修学旅行に行かせるには魔法的な問題と政治的な問題があるのじゃ」

「ほう。まず前者は?」

相槌を打つロキ。
その瞳を見据えながら、

「複雑高度な魔法儀式と、むしろこちらが重要なのじゃが、5秒に1回ワシ自ら専用の書類に判を押さなくてはならん。とてもじゃないが修学旅行の間中やることなどできん」

「理解した。後者は?」

「関西呪術協会が、魔法使いが向こうに行くのを嫌がっていてのう。ネギ君一人で嫌な顔をするぐらいじゃ。これでエヴァを行かせたら対立の原因になりかねん」

それを聞き終えるとロキはおもむろに懐から葉巻を取りだした。
それを口にくわえようとしたところで、横合いからのばされた誠亜のしなやかな腕にかすめ取られる。

「禁煙だ」

片手でビー玉サイズまで葉巻を握りつぶす誠亜を横目に、ロキは視線をこちらに向ける。

「何度か学園長なり高畑なりが吸ってるところを見たことがある気がするんだが」

だが誠亜は鼻で笑って、潰した葉巻を部屋の隅の小さな屑籠に投げ込んだ。

「この部屋じゃねえよ。俺の周囲10mが禁煙だ」

「横暴な」

「ちなみにティーの周囲200mも禁煙だから。あの子あの臭い大嫌いらしいから」

「親馬鹿が転じて暴君と化している!?」

叫ぶロキに誠亜はロキの手の中のライターまで回収すると怪訝な表情を顔に浮かべた。。

「ていうかお前、煙草吸ってたっけ?」

ロキはその問いに不敵な笑みを浮かべると、

「男のダンディズムを表現するのに便利なアイテムなのだよ」

「心配するな神。セーラー服なんて着てる時点で、どうあがいてもダンディズムなんて表現できねえから」

断言する誠亜にロキはライターを取り返すとポケットにねじ込んだ。
嘆息と共にこちらを向くと、あっさりと言ってくる。

「後者は簡単だろう。つまりは悪の大魔法使い、吸血鬼の真祖が行くから問題になるのだ。少し小柄な女子中学生キティちゃんが修学旅行に参加しても何の問題もあるまい?」

「キティ言うな。というかどこから出てきたんだその呼び方」

「ひょんなことで知り合ったサンダースさんだ」

不機嫌そうに言うエヴァンジェリンに、振り向きもせずに答えるロキ。
彼はそのまま、どうかねと聞いてくる。

「それはつまり、エヴァに別の一時的な封印を施して力を無くさせておけば文句は言われんと言うことじゃな?」

頷くロキに学園長は気の乗らない顔でふうむと呟いた。
視線をエヴァンジェリンの方に向けると、

「しかし、そうすると今度はエヴァの安全が確保できんじゃろう?麻帆良のように助けに行ける要員もおらんのではなあ」

エヴァンジェリンを恨んでいる者はまだいるのだ。
たとえそれがかかる火の粉を振り払い続けてきた結果だとしても、彼女が魔法世界において悪いことをした子供をしかるときに使われるほどに、悪として広まりきっていることに変わりは無い。
そんな彼女を無力な状態で行かせるというのはいただけない。
ロキはそれを聞いて顎に手を当てて唸ると、何か思いついたように手を打った。

「ふむ。ちょっと待っておれ。何か良い道具があった気が……」

ロキはポケットに右手を突っ込んで何かを探りだす。
その様はポケットの中のどこかにあるはずの100円玉を探すかのよう。
だが十数秒して眉間にしわを寄せた。

「む?確かこの辺にあったと思うのだが……」

ロキは手首まで突っ込んでいた腕を更に押し込み、肘まで押しこむとさらに探り出した。
学園長はその光景に、一旦目を閉じてまた開いた。
だがやはり見えてくる光景は変わらない。
視界には小さなポケットになぜか肘まで突っ込んでかきまわしているロキの姿があった。
空間とかどうなっているのだろうか。真剣にそんなことを考えて学園長はため息を吐く。

「ぬぬぬ……あれ?なんか引っかかってる。何か引っかかっているぞ」

「何やってんだお前?」

誠亜が半眼で呟くとロキは歯を食いしばって腕に力を込めた。

「いや丁度いい道具があったはずなのだが、なにかが引っかかって取れなくてな。すまんが誠亜、力を貸してくれ」

「まあいいけど」

誠亜はロキの隣に歩み寄ると、横合いからロキの腕に沿って自分の腕をポケットに入れる。
同じように肘あたりまで突っ込むと何かを探るように腕を動かした。

「んあ。これか?この金属っぽい塊」

「うむ。それだ」

その光景を眺めながら学園長は手元の湯飲みを取ると、中の緑茶をすすった。
誠亜を呼ぶ前に入れたものなので、だいぶ冷め始めてしまっているがしょうがない。
それにしても、かなりの美女がセーラー服のダンディ親父のスカートのポケットに肘まで手を突っ込んで何かしている光景と言うのは、実に奇妙なものである。
どういう表情をすればいいのか困っていると、ロキはこちらを向いてからかうような笑みを浮かべた。

「案ずるでない学園長。金属と言ってもあれではないぞ。二つある玉ではないぞ」

「ゴフッ!!」

たまらず口の中のお茶を吹き出す。
かろうじてそのお茶の向かう先から重要な書類をどかすことには成功したが、机の上が盛大に濡れてしまった。
エヴァンジェリンも肩をこけさせている。

学園長が何か苦言を呈そうとすると、それよりも早く誠亜が動いた。
不愉快そうに顔を歪めると空いている方の手をロキの股間の前に持って行き、指の関節をゴキゴキと鳴らす。

「気持ち悪ぃこと言ってんじゃねえ。ホントにそっち潰すぞ」

「す……すまん」

その言葉に込められた本気の色にロキが思わず謝罪の言葉を口にする。
きつめの美女である誠亜がそれをするとシャレにならない迫力があった。

しかし、同じ男として今の発言はどうなのだろう。
どちらかと言うとその反応は攻撃的な女性のする反応な気がするのだが。

誠亜はため息を吐いて表情を切り替えると声を上げた。

「じゃあ引っ張り出すぞ~」

肉食獣のようなしなやかな筋肉に覆われた腕に力がこもる。
そしてロキのポケットから何かを引きずり出した。
明らかにポケットの入り口よりも大きなそれは一見して金属製の人の頭だと分かる。

それを見た誠亜が驚愕の叫びを上げた。

「うおい!てめコラ!なんでお前のポケットから西郷さん出てくんだ!銅像の頭、少しへっこむぐらい強く掴んじまってたじゃねえか!」

誠亜は足をロキの右わき腹に押しつけると全身の力で引っ張りだす。
遠慮はまるでない。特に脚の方。

「あいたたたた!待つがいい誠亜!腰が!腰が逝くヌヴァファッ!」

ゴキリという嫌な音と共に引きずり出された銅像は、つっかかりがとれた勢いでそのまま壁に向かってすっ飛んで行く。
それに並ぶように、大小様々な道具がロキのポケットから飛び出した
それは山のように積みあがって学園長室の床を埋めた。
内容については全く規則性がない。
武骨な剣や煌びやかな宝石があったと思えば、なぜかカーネル・サンダース人形まであった

物が一斉に飛び出す反動で反対側に吹き飛んでいたロキは、腰を押さえながら起き上がる。
よろよろと道具の山に歩み寄ると、中から一枚の鏡を取り出した。
手の平サイズの小さな鏡で、細緻な装飾が至る所になされた見事な一品だ。
それをエヴァンジェリンに投げて渡すと、力尽きたように倒れこむ。

「何だ……これは?」

どこか緊張したようにエヴァンジェリンが口を開く。
一目見ただけで分かるその圧倒的な格にエヴァンジェリンもその鏡をどう判断していいのか分からないようだった。
ロキは倒れたまま顔をエヴァンジェリンに向ける。

「所有者に対する攻撃を問答無用で跳ね返す効果を持ったアイテムだ。それを持っておけばエヴァンジェリンの安全を保つことはできるだろう。信頼性については保障する。アメリカの方で戦艦の名前に使われるぐらいだしな……つぁ!」

ごきりと再び生々しい音を立ててロキが立ち上がる。
ロキは上体を回して腰の調子を確かめると、

「まあエヴァンジェリンが封印をかけられることを受け入れれば、だがな」

エヴァンジェリンはその言葉に鼻を鳴らすと、

「ここに居ても同じようなものだからな。封印については受け入れよう。ただし……」

エヴァンジェリンは一拍置くと学園長を見据えながら口を開いた。

「封印はロキにさせる。それなら魔法使い共が封印を解除しないと言い出しても、約束通り修学旅行の終わりに合わせて解除されるだろうからな」

「それがいいじゃろうな」

自分や高畑あたりは間違ってもそんなことは言わないが、言いだしそうな者もいる以上それが得策だ。
ロキを相手に正義を語って何かを強要できる奴がいたら、むしろ見てみたい。

「ではあとは呪いの精霊を誤魔化す方法じゃな」

言う学園長に、ロキはエヴァンジェリンをじっと見つめた。
視線をエヴァンジェリンの周囲にぐるりと巡らせて、

「誤魔化そうとするから面倒なのではないか?いっそ真っ向から説き伏せてしまえば」

わけのわからないことを聞いたというように胡乱げな眼差しでロキを見るエヴァンジェリン。

「説き伏せるって、呪いをか?」

ロキは頷くと、指を鳴らした。
エヴァンジェリンの隣で金色の光が溢れだし、それが次第に人の姿に近づいていく。

「一時的に話がしやすい形を与えてやればよいのだ」

ロキの言葉が終わるころには光は既に変化を終えていた。
そこに立つ者を見てエヴァンジェリンをはじめ、学園長や誠亜が驚愕に目を見開いた。
そしてなぜかロキまでも軽い驚きを示している。

そこには一人の女性が立っていた。
ほっそりとした手足は重いものなど持ったことがないのではないかと思うほどで、可憐なドレスから覗くのは白磁のような肌である。
背まで達するまっすぐなプラチナブロンドの髪が肌の白さに映えている。
それでいて不健康さなど感じさせず、白百合のような儚さと紙一重の美しさを持っていた。
深窓の令嬢、または城から出たことのない姫。
彼女が人間だったら間違いなくその類であろうと思わせられる。

「ふむ。思っていたのとは少し違うが……」

ロキは一人驚きの渦からいち早く脱すると、精霊の前に立つ。
胸の前で拳を打ち合わせると、纏っていた服が弾け飛んだ。
代わりにロキの体を包むのはトランクスのようなズボン一枚である。
そして手には神と刻まれたボクシンググローブ。

「交渉を開始するとするか」

「待て。その格好は明らかに交渉をする格好じゃねえ。むしろ拳で語り合う格好だ」

リングの上のボクサー以外の何物にも見えない格好のロキの肩を掴んで誠亜がツッコみを入れる。
だがロキは何食わぬ顔でジャブで空を切った。

「問題ない。どこぞの黒服ネゴシエーターもいつも最後は巨大ロボットの力押しだろう?」

「ロジャーさんと一緒にすんな!あれが許されんのは毎回巨大ロボットが敵として出てくるロジャーさんだけだよ!!」

叫ぶ誠亜にロキは視線をそらしながら、

「いや別に、ゴツイ怪物が出てくると思ったら華奢な女が出てきたから予定を変更したわけではないぞ」

「セコ!果てしなくセコいぞお前!神としてそれでいいのか!?」

だがロキは誠亜の言葉を無視すると高笑いと共に右拳を振りかぶり、呪いの精霊に向かって駆けだした。

「ふははははは!聞こえん!では行くぞ呪い女!受けよ、我が必殺のコークスクリュー!!」

精霊の眼前まで達したロキは渾身の一撃を放つ。
華奢な女性を相手に遠慮ゼロ。果てしなく大人げない。

「はっ!」

気合一閃。
顔面を穿った一撃が人ひとりの体を綺麗に吹っ飛ばす。
錐もみしながら飛んで行った体は容赦なくそこにあった本棚を粉砕し、壁に半ばまで突き刺さった。
下半身が壁に空いた穴から力なく垂れ下がる。
その様を睨みならが、それをなした張本人――ドレスに身を包んだ呪いの精霊は鼻を鳴らして突き出した拳を引きもどした。

あの威力のパンチを放ったとはとても思えない細腕を腰に当てると憤懣やるかたないというようにこちらを見下ろす。

「なんですかあなた達は?人を勝手に疑似具現させたかと思えばいきなり殴りかかってきて」

「すまん。殴りかかったのはこちらの手違いと言うか、バカの暴走だ」

ロキの方を指さしながら誠亜が呻く。
壁に突き刺さったロキをじっと眺めた後、精霊は嘆息と共に言葉を紡いだ。

「では何の用で?」

学園長は顎の下で手を組むと精霊の目を真っ向から見据えて言った。

「交渉じゃよ」







あとがき

おかしいな。今回でもう修学旅行に突入したかったのに。
気がつけばまたしょうもないネタを書き連ねている自分がいる。
こんなんで最後までいけるのでしょうか。
もう少し話をまとめられるようにならないと、と再確認する今日この頃です。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第38話 いざ出発!アマルンジャー!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/03/02 20:34
神と俺のコイントス






既に白み始めた空が窓の隙間からのぞく。
それを視界の端に、ネギは眼前のそれをじっと凝視した。
数字の並んだ丸い盤の上で二本の針がマイペースに時を刻んでいる。
もう既に何時間もそうして時計を見つめていた。
何時からかと聞かれたなら、昨日ベッドに入った時からと答えるしかない。

ネギはベッドの中でさえわたる意識と共に今か今かと時を待っていたのだ。
京都への修学旅行。
そしてその京都にあるという父、ナギ・スプリングフィールドの一時の住まい。
そこにあるかもしれない父の手がかり。
思わず小躍りしそうなほどの高揚感が彼の小さな体を満たしていた。
さらには京都や奈良といった日本の古都にも前から興味があったのだ。
何百年という時を経てなお立つ木造建築。実に風情があるではないか。

時計の針はもうじき5時半を示そうとしている。
小さな音と共に秒針が回るのに合わせて心のうちで数を数え、ネギは身を小さく揺らした。

5時半。
長針が動き、ベルが鳴りだした瞬間ネギは素早く時計の頭のスイッチを叩いた。
勢いよく起きだして、2人のルームメイトに朝の挨拶をする。
すぐさまスーツに着替えると、昨日のうちに用意してあったリュックサックを背負った。
父から貰った大事な杖も忘れない。
胸の中心から込み上げる喜びを抑えきれず、満面の笑顔と共に声を張り上げる。

「今日は待ちに待った修学旅行の日だーー!」

その声に明日菜とこのかがベッドから起きだした。
特に明日菜の眠たげな顔はもう少し寝かせろとはっきり主張しているのだが、ネギは気付かず言葉をつづけた。

「アスナさん、このかさんおはようございます!今日から修学旅行ですよ!ちゃんと起きてくださいね!」

ぶんぶか腕を振るネギをこのかはほほえましいものを見る様に見つめる。

「実は教員は早めに行かなきゃいけないんです」

修学旅行のしおりを片手に言うネギの言葉に、このかは寝巻のうえにエプロンをつけながら、

「ほな朝ごはんにおむすびでも作ったげるな」

「ありがとうございます」

キッチンに向かうこのかにお礼の言葉を述べながらも、ネギの体はせわしなく動いている。
言いかえればうずうずしていた。
その様はありていに言って「遠足前の小学生」そのものだったのだが、ネギがそれに気付くことはなかった。









第38話  いざ出発!アマルンジャー!









こういう場合どうすればいいのだろうか。
わりと真面目にそんなことを考えながら誠亜は足もとのバッグを睨んだ。
昨日修学旅行の為の荷物を詰め込んだドラムバッグである。
実用性重視な誠亜らしいシンプル極まりない黒い生地で出来ていて、頑丈さは確かなものである。
時間に多少の余裕をもたせて動き始めたため、今すぐ出ないと遅刻するというわけではないが、それでもいつまでものんびりしていられる時間でもない。

誠亜は一度嘆息すると、無言で静かに屈みこんだ。
バッグのファスナーをゆっくりと下ろすと、空いた隙間から少し日焼けした金色が覗く。
そのままバッグの口を開ききると、中から気まずそうなひきつった笑みを浮かべた少女の顔がこちらを見ていた。
猫のような吊りあがり気味の目の中、明るい色の瞳がこちらをじっとのぞきこんでいる。
先程の見えた金色は彼女の癖の強い金髪だった。

「ばれた?」

聞いてくる少女――ティーに頷きながら手を差し出す。
バッグの中から彼女を引き出しながら、苦笑と共に言葉を返した。

「気配を消さなきゃバレバレだぞ。あと……」

小さく唸るティーの顔を眺めながら、誠亜は部屋の隅を指差した。
ティーはそちらに視線をやって、しまった、と呟く。

「出した鞄の中身を隠さなきゃな」

そこには服や筆記用具、しおりなど修学旅行の為の荷物がまとめて置かれていた。

「うーん。詰めが甘かったか」

悔しげに唸るティーは、よしと一言口にして表情を改めると、再びドラムバッグへと潜り込んでいく。

「戻るんか!」

ツッコむと、鞄の中から折りたたまれた別のバッグが出てくる。
これにあの荷物をつめかえろという意味だろうか。
誠亜は腰に手を当てて嘆息すると、静かに告げた。

「ティー……連れて行かないからな」

「ええ!?あたいも行きたいよ、京都!」

驚愕の叫びと共にドラムバッグの口から顔だけを出してくるティー。
ずっと路地裏で過ごしてきた彼女には、旅行に行った経験など存在しないのだろう。
不満そうに頬を膨らませるその姿に、もうこのまま修学旅行に連れて行ってしまおうかと心のどこかが囁いた。
だが心を鬼にして言い含める。

「駄目だ。旅行なら連れて行ってやってもいいが、これは修学旅行なんだ。学生じゃねえ奴を連れていくのは難しいんだよ」

ティーはふくれっ面のまま視線をずらすと、

「どうせ神は付いて行くんだろ?あいつだって部外者じゃないか」

「アイツの場合はなあ……なんていうか誰も止めようがねえし」

苦笑いを浮かべながら、誠亜はティーの頭を優しく撫でた。
表情を引き締めると、真剣な声音で言葉を続ける。

「あとこっちが重要なんだが、なんか京都の方の魔法使いの組織がちょっかい出してくるかもしれねえんだよ。お前をそれに巻き込みたくねえ」

「……うん」

気を落として小さく頷くティーに微笑みかけると、誠亜は口の端を釣り上げて自分の脚を軽く叩いた。

「まあその気になれば京都ぐらい30分で着くから、今度ダイゴと3人で行こうぜ」

「うん!」

今度は花の様な笑みで頷いたティーに誠亜もまた頷き返す。
そして誠亜は視線を部屋の隅の荷物の山へと向けた。
歩を進めようとして、急にその動きを止める。
怪訝に思ったのか、バッグから抜け出してきたティーが誠亜の脇から同じ方角を覗き込み、同じように硬直した。

ティーをその場に残して、誠亜は件の部屋の隅へと歩み寄る。
目の前まで来ると、彼女は無表情にそこを見下ろした。
バッグから抜き出された荷物が積まれているのは先に見たときと同じだが、そのとなりに巨大なリュックサックが置かれていた。
旅行用のドラムバッグよりもさらに大きい、キャンプ用具をまとめて詰め込めそうな代物だ。
誠亜はゆっくりと腕を伸ばすと、その蓋を止める金具を外す。
ティーの時と同じように蓋を跳ね上げると、其処から覗いたのはダンディなおっさんの顔だった。
オールバックの髪型とひげを蓄えた彫りの深い顔立ち。

「ばれ……」

みなまで言わせずに誠亜はリュックの蓋をきつく締めた。
慌てたように蠢くリュックをずた袋の用に肩に担ぐと、振り返りながらティーに言葉を投げた。

「ティー。窓をあけてくれ」

「は~い!」

元気よく答えたティーが寮の部屋の窓へと軽い足音を響かせて走っていく。
めいっぱい開かれた窓のもとへと達すると、誠亜は体に気と魔力を合一させて内外に纏った。

「視界りょうこ~う」

ティーの言葉に誠亜は頷いて大きく体をひねって力をためた。

「ターゲット、空の彼方どっか遠いところ」

誠亜が言葉をつづけると、リュックの中から何か制止するような声が響くが誠亜もティーも動きを止めなかった。

「「発射用意」」

女性としては少し低めの誠亜の声と、子供らしいティーの高い声が綺麗にはもって寮の部屋に響く。
そして誠亜は鋭く息を吐き出した。

「ファイヤッ!!」

咸卦法で強化された強力の限りを尽くしてリュックを斜め45度の角度で天に向けて投げつける。
砲弾すら超えミサイルじみた速度で吹っ飛んでいったリュックは、くぐもった悲鳴を発しながら星となった。

二人で窓の前に立ちながら、ひらひらと手を振って見送る。
おそらく傍迷惑な何かの入ったリュックにぶち抜かれた羊雲が吹き散らかされ、なんだが「覚えていろ」と読めないこともない形になっていた。













「で、こうなるわけか」

集合場所である駅のホームで、誠亜は肩にかけたドラムバッグのひもがずれるのも構わずに頭を抱えた。
そこにいるのはクラスメートたちと幾人かの教師。
関西呪術協会が魔法教師を嫌がったとのことだが、瀬流彦先生もいる。
彼も魔法使いじゃなかっただろうか。
やはりネギだけには任せ切れなかったということか。
クラスメートの集まり方はかなり多いと言えた。
集合時刻の15分前だが、ほぼ全員来ていると言える。
何故だか枕を持っている者までいるのが不思議と言えば不思議だが、今目の前にあるそれ比べれば不思議でもなんでもないだろう。

集合時間を過ぎ、いざ新幹線のホームへと入ったところで、轟音と共にホームの天井が激震したのである。

そして今現在、皆一様に顔を上に向けてポカンと口をあけていた。
その視線の先にあるのはホームの屋根だ。
なんら特別な所があるわけではない。
建てられてからそれなりに時間が経っているのでそれなりに汚れてはいるが、駅として行き過ぎた汚さではない。
作りも色もごく普通のホーム、そして屋根だった。

ならば皆何に気を取られているのかというと、その屋根に何かが突き刺さっているのが気になるのだ。
かなり大きめのリュックサックから、きぐるみのように頭と手足を出した格好の神が、体をまっすぐにのばした状態で屋根に突き刺さっていた。

それを見て周囲の面々はただひたすらに驚き、途方に暮れている。
誠亜も一緒になって途方に暮れたい気分だったがどうやらそれは許されないようだ。
ネギやアスナなど、神のことを知っている面々がこれはどういうことだと今にも問いかけてきそうな顔でこちらを見ている。
だが誰かに問いたいのはこっちも同じである。
確かに力の限り投げ飛ばしはしたが、それだけで麻帆良の外まで飛ぶとはとても思えない。
なにゆえ神はあんなところに刺さっているのか。

さっさとどうにかしてしまおうと、軽く身を屈めたところで刹那が声をかけてきた。

「誠亜さん」

「知らんぞ。たぶんあれはあいつが勝手にやってることだ。スルーしろ。騒げば奴の思うつぼだ」

誠亜は刹那が何か言う前に機先を制するように言葉を述べる。
だが刹那は音もなく誠亜の前を塞ぐように立ちふさがる。

「誠亜さん、あまり無茶なことはしないでください。ここで裏側の力を見せてしまうと麻帆良ほど簡単にはもみ消せません」

「ああ、なるほど」

誠亜は一度頷くと、踵を返してホームの中心の方の柱へと近づいていく。
そして強靭な握力で鉄製の柱を掴んで屋根の近くまで登っていった。
木の枝を伝う猿のようにあっさりと屋根の端まで達すると誠亜は懸垂と言うか逆上がりのように体を屋根の上に持ち上げる。

数メートル先にある、頭から屋根に突き刺さっている神の姿を見て深く嘆息する。
無造作に足を引っ掴んで引き抜く。

そこでぴたりと動きを止めた。
そして不愉快そうに顔をしかめると、頭と足をそれぞれの手で掴んで神の体を持ち上げ、己の膝の上に叩きつけた。
景気のいい音と共に神の体が綺麗に真っ二つにへし折れる。

「あああああ!」

突然の蛮行に悲鳴を上げる面々をしり目に誠亜は二つに分かたれた神の残骸を手にホームへと飛び降りてくる。
その誠亜に浴びせられたのは非難の嵐である。

「せ、誠亜さん!いくら相手が神さんだからってやりすぎじゃ」

「いや待つんだ、ネギ先生。そもそも彼があの程度で死ぬかどうかを考えるべきだ」

「よくも私を殺したなー!」

「ひ、人殺し!?」

騒ぎ立てるクラスメートたち。
そして唖然とする野次馬。
その中に混じって、何食わぬ顔で非難をしている神。

誠亜は無言で手に持っている神を模したマネキンの上半身と下半身を振りかぶると、渾身の力で普通のサラリーマンのふりをした神に叩きつけた。
激突の衝撃にもんどりうって倒れる神に、周囲の面々は今になって誠亜が破壊したのがマネキンで本物が下で野次馬にまぎれていたことに気付いたようだ。

誠亜は疲労感を滲ませながら額に手を当てて呻いた。

「こいつのことは気にしないでくれ。ただの悪戯好きの変人だ」

だがそれだけでは興味はおさまらないのか、ざわめきを起こすクラスメートたち。
口々に神の正体や素性を推察し始める。
このままではいらん騒ぎが起きかねない。

誠亜が視線でネギに助けを求めると、ネギは小さくうなずいて答えた。
手を打ち合わせて周囲の注意を集めると、はきはきとした良く通る声で言う。

「彼が気になるのも分かりますけど、ぐずぐずしていると新幹線が来てしまうので班ごとに用意を始めてください。ほらたまにテレビとかで取り上げられる妙なパフォーマーみたいなものだと思って」

3-Aの皆はいつものノリの軽さであっさりとネギの言葉に返事を返す。
他のクラスもしずなや瀬流彦などが仕切り始めたが、A組ほどあっさりとは行かないようだ。
これはやはり変わり者が多いせいで騒ぎも多いA組と他のクラスの耐性の差か。

「それじゃあ1班全員いますか?」

「いま~す」

ネギの問いの答えたのは小学生とみまごうばかりの小柄な体格の少女だ。
隣には同じ顔をした少しおとなしそうな少女がいる。
1班は鳴滝姉妹とチア部3人組で構成された班のようである。

ネギはそのまま手際よく班の点呼を取っていく。
その段階になって誠亜は初めて重大なことに気付いた。

「あれ。俺何班だっけ?」

さっさと点呼に参加せねば欠席扱いにされるのではないだろうか。
いや、皆の前で屋根に上った自分を欠席していると勘違いはしないだろう。
視線を巡らせて、それぞれ集まっている連中の数を数える。
特別数の少ない班を探すが、残念ながら班の数はバラバラだった。5人の所もあれば、6人のところもある。

「お前は私と同じG班だ。ウェルカムマイワァァルド!」

当たり前のようにいつの間にか後ろにジョジョ立ちで立っている神の言葉に誠亜は低く呻いた。

「違うと断言してやろう。ていうかなんだよG班って。班の名前は数字でつけられてるんだよ」

「7番目の班にして神たる私が班長だ。ならばG班と呼ぶほかあるまい」

「一人でやっててくれ。とりあえず俺は1~6のどれかのはずだ」

しかしなぜだか自分が何班なのか全く覚えがない。
班員となんらかの話をしたことがあるはずなのだが、それすら覚えがなかった。

「何をやっているんだ?早く来い」

記憶を探りながら首をかしげていると、後ろから声をかけられた。
格別低いわけではないのだが、なぜだか妙な迫力を感じさせる声だ。

「あれ、エヴァンジェリン?」

振り向いた先には顔がなく、視線を少し下げたところでエヴァンジェリンの金髪があった。
中学生離れどころか女性離れした長身の誠亜と鳴滝姉妹同様小学生じみた体格のエヴァンジェリンは、身長差が大きすぎて少し下を向かなければ顔が見えない。
エヴァンジェリンは腕を組んでこちらを見上げていた。
学園長の交渉が上手くいき、修学旅行を学業の一環として参加できるようになったのだ。
ちなみに学園長のハンコ地獄も、一日に一回に軽減された。
その後ろにいるのは彼女の従者である茶々丸だ。

「俺、お前と同じ班だったっけ?なんか全然覚えがないんだけど」

「そうだ」

エヴァンジェリンは簡潔に答えると、視線を神に向けた。

「なんだロキ、その格好は?お前が変な格好をしていないのはむしろ変だぞ。明日の天気は雨時々ドリアンとか言われても信じそうなぐらいに変だ」

「果てしなく臭そうな天気だな……それにしても、そこまでか?」

言って神は軽く手を広げて自分の姿を見せる。
ピッチリとしたスーツに黒革の鞄を持つ姿はごくごくまともだ。
もともと顔は良いので、こうしているとベテランセールスマンに見えないこともない。

エヴァンジェリンはそれを不快そうに一瞥すると、とげとげしい声で吐き捨てた。

「まともな格好をすると、まるでお前が変態でないかのように見えて少し腹立たしいな」

「うむ。では今すぐ着替えようか?変わったやつに」

「やめろ。それも鬱陶しいわ」

どこからともなく白い全身タイツを出して言う神に、誠亜は横合いから呻いた。
不満そうに白タイツを揺らす神を無視してエヴァンジェリンに向き直ると、エヴァンジェリンの向こうから刹那がこちらに近づいてきているのが見える。
彼女は刀が入っているのであろう竹刀袋を背負いながらこちらに声を投げかけた。
その後ろには、左目の下にピエロ型のペイントを施した少女が小鳥を肩に乗せて立っている。

「誠亜さん、エヴァンジェリンさん。何やっているんですか?早く集まってください」

「あれ?刹那も同じ班?」

「そうです。私とザジさん、エヴァンジェリンさんに茶々丸さん。それに誠亜さんで6班です」

ますます覚えがなくて首をかしげる誠亜。
やはり全く覚えがない。
くじ引きをして決めたのか、自己申告で班を決めたのかは知らないが、どちらも覚えがなかった。

そんな誠亜を見て、誠亜が何を悩んでいるのか悟ったのか、刹那が苦笑とともに言ってくる。

「班を決めたとき、誠亜さんは神を追いかけて遅刻したせいでいなかったから覚えがないんですよ」

「あ、そうなの?」

そういえば朝から人の寝顔を盗撮に来た神を追いかけて駆けまわっていた日があった。
あの日に班を決めていたということか。
それにしてもなんらかの話ぐらいあってもいいと思うのだが。
自由行動中にどこを巡るかなど、事前に話し合うべきことは多々あると思うのだがそういう話を持ちかけられることもなかった。

「それについては私が説明してやろう」

「それはありがとう。だが気安く人の頭の中をのぞくんじゃねえって前にも言わなかったか?」

にゅっと顔を突き出して言ってくる神に、犬歯を見せるように笑いながら答える。
だが神はそんな威嚇もどこ吹く風で、その場にいる誠亜の班員だという面々を手で紹介するように示した。

「班決めは生徒たちが各々声を掛け合って行われたわけだが、見ての通りこの6班はいまいち乗り気でない余りものーズによって構成された班だ。おまけにお世辞にも社交的とはいえないメンバーぞろい。逆に考えて、このメンバーが女子中学生らしくきゃぴきゃぴ騒いで修学旅行について話しあっていたらかえって異様だろう?」

目を輝かせて京都や奈良の観光プランを駆ける刹那とザジとエヴァンジェリン。
たしかにそれは異様と言えよう。
強烈な説得力に思わず頷く誠亜になぜだか微妙に冷たい視線が向けられた。

「さりげなく失礼なものいいですね。誠亜さんも普通に頷かないでください」

刹那はそう言って嘆息すると、音を立てずに踵を返した。
肩越しにこちらを見ながら、

「もう新幹線が来ます。班ごとに乗り込みますから行きましょう」

刹那の言うとおり、丁度ホームに列車の到着を告げるアナウンスが流れ、白い流線型を持った新幹線がホームへと入ってくる。
扉が開いてどっと乗客が降りると、ネギが先導して乗り込んだ。

「それでは1班から順番に乗り込んでください。新幹線の乗り換え時間は比較的短めなのでできるだけスムーズにお願いします」

小学生か何かのように声をそろえて返事する3-A一同。
参加しないものも当然いるが、なんというかことを素直に楽しむ才能のある連中である。

次々と乗り込んでいくクラスメート達に続き、誠亜達も刹那を先頭に新幹線に乗り込んだ。
扉をくぐって座席エリアに入ると、早速喧騒が誠亜の耳に入ってくる。
視線を巡らせれば、既にお菓子を出し、カードを広げ、ゲームに興じだしているクラスメートの姿。
なんという行動の早さ。そしてこらえ性のなさ。
手際がいいのか落ち着きがないのか、とりあえず誠亜は良い方に受け取っておくことにした。

「で、6班はどのあたり?ていうか俺ほんとなんも覚えがないんだけど、どんだけ俺抜きで決めたの?行き過ぎるとある種のいじめだよコレ」

「なんとなく班が決められた後、桜咲刹那が速攻で全部決めていたな。まあ奴は修学旅行中も近衛木乃香をずっと守るつもりだろうから、観光にはあまり興味がなかったんだろうさ。あの時は私も参加できるとは思っていなかったし、そうなれば茶々丸も欠席だ。すると人数不足で6班は別の班に振り分けられることになる。6班の行動予定など作りこむだけ無駄だったわけだ」

肩をすくめて言うエヴァンジェリンは車両の真ん中あたりの座席に入っていくと、まっすぐ窓際に座した。
その隣に茶々丸が腰を下ろす。
誠亜もまた、エヴァンジェリンの正面の座席に座ると、持っていた荷物を座席の下に押し込んだ。
隣に静かに座るあまり話したことのないクラスメートの姿に、誠亜は記憶の中を探る。
ザジ・レイニーデイ。
とことん無表情な少女で、誠亜は今まで彼女がはっきりと表情を変えているのを見たことがなかった。
動物と一緒に居るのを見かけることが多いので、まあ悪い奴ではないのだろう。
動物と言うのは人の本質を見抜くとよく聞くことだし。

しかし、その理論が正しいとすると猫だろうと犬だろうと百発百中で吠えられる誠亜の姉は悪い奴と言うことになるのだろうか。
まあ家族として彼女が好きな誠亜から見ても、善人とはとても言えない人物なのだが。

そういえばもう一人の班員がいない。
誠亜は立ちあがって車内を見回し、黒のサイドポニーを探す。
探していた人物はあっさり見つかった。
誠亜の席の後ろに刹那は自分の荷物を置いていた。
無駄なものをあまり持ってきていない誠亜よりもさらに小さい荷物だ。

「ああ、刹那はそっちか」

「馬鹿もん!我らが班長になんと言う口のきき方だ!」

なぜか刹那の隣の席で拳を握って叫ぶ神に、誠亜は半眼で唸るように返した。

「うるさいよ。我らとか言うな。お前G班なんだろう」

「細かいことは気にするな。それよりもまずはお前のことだ」

神はかぶりをふると、右手で誠亜をびしと指した。
高らかに宣言する。

「いいか!班長とは班の長。つまりは班で最も偉い者だ!敬意を表してリーダーと呼べ!」

「呼ばなくていい」

「で、リーダー。自由行動はどうするんだ?俺聞かされてないんだけど」

「誠亜さんも呼ばなくていいですよ」

苦笑と共に言う刹那にエヴァンジェリンは背もたれに軽い体重を預けて言ってきた。

「リーダー。私は“久方ぶり”の自由を思う存分満喫させてもらおうと思うんだが、好きに観光させてもらって構わないか?」

「エヴァンジェリンさんまで乗らないでください!どうしたんですか?」

口の端を吊り上げるエヴァンジェリンに、刹那が立ちあがって言う。
エヴァンジェリンの意地の悪い笑みからして、刹那をからかって楽しんでいるのは明白だ。

「マスターには数少ない機会なので、できればマスターの行きたい所を巡りたいのですが。お願いできますか、リーダー」

「茶々丸さん!?」

なぜにこんな状況になっているのか分からないというように困惑の表情で刹那が叫ぶ。
そして味方を求めるように視線を最後の一人、ザジに向けた。
ザジもまた視線を刹那に移すと二人で見つめあう。
数秒してザジは無表情なままでそっと口を開いた。

「リーダーに任せます」

「ザジさんまで!?ていうかザジさんってそんな感じでしたか!?」

途方に暮れた表情で声を飛ばす刹那に、誠亜はからからと笑う。

「お~、ザジがしゃべってんの初めて聞いたな。さすがリーダー。もうこれはリーダーカラーの赤を身につけても良いレベルだな」

くつくつと笑いながらエヴァンジェリンが後に続く。

「クク。なら私はイエローか?」

抑揚は完璧なのに感情が感じられない不思議な声音で茶々丸が続いた。

「では私はグリーンですね」

それに誠亜が続く。

「じゃあ俺がブルーでザジは……ホワイトでいいか。銀髪だし」

「なに真面目に色分けしてるんですか!」

ひとしきり声を張り上げた後、ツッコみつかれたように刹那は額に手を当てる。
だが誠亜もエヴァンジェリンも軽く笑うばかりでまともに取り合わない。

その様を眺めていた神が感心したように口を開いた。

「ふむ。なんだか今日は皆異様にノリがいいな。これも修学旅行効果か」

他の班の面々も皆楽しそうにはしゃいでいる。
修学旅行の魔力は下手な呪いよりも強力なようだった。
ハイテンションな少女たちを乗せて新幹線が走りだす。
一路、京都に向けて。



[9509] 第39話 カエルの尻を見る者達
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/03/06 17:06
神と俺のコイントス






こうして自分が頭を悩ませている間にも、景色は飛ぶように流れていく。
だがその景色とは対照的に、誠亜の周囲の時間は極めてゆっくりと流れていた。
まるでカメの歩みのごときその時の流れに、誠亜は苛立ちと共に並ぶ数字を睨みつけた。
なかなかに揃わない。なんどカードを入れ替えても狙う役が揃わない。
どんな札も単独では大した力にならない。
力を合わせなければならないのだ。

「コール」

無情な言葉が降る。
誠亜は今一度手元のカードを一瞥すると、緊張の面持ちでそれを差し出した。

「10のワンペア」

それと同時に皆もカードを見せる。

「Aと9のツーペアです」

緑色の髪の少女が見せたカードにはAと9が2枚ずつ。
無論10二枚より強い。

「……」

銀髪の少女が無言で見せてきたの9のスリーカードだ。
これまた誠亜の札より強い。

そして目の前の小柄な金髪の少女が見せてきたのは

「フルハウスだ」








第39話  カエルの尻を見る者達








京都へと向かう新幹線の中、期待に胸膨らます少女達は思い思いに時間を潰していた。
談笑するもの、眠るもの。カードゲームに興じるもの。
その中の一人として、誠亜たちはポーカーをしていたのだ。

生徒の様子をにこにこ笑いながら見ていた赤毛の少年――ネギがこちらを見て声をかけてくる。

「誠亜さん達はポーカーですか?」

ああ、と視線もやらずに答えながら、誠亜は配られた自分の手札を眺めた。
まあ悪くない。
数が揃っているのは無いが、クラブが3枚ある。
フラッシュが狙えるカードの揃い方だ。
内心ほくそ笑む誠亜に、後ろの席から覗いていた神が感心したように言った。

「ちなみにこいつは今現在ダントツのビリだ。引きは悪くない癖にこれだけ負けられるのはある意味凄いと言えるぐらいだな」

その言葉にネギが苦笑いを顔に浮かべる。
誠亜は視界の端にその顔を捉えながら、言葉だけネギへと向けた。

「ネギ先生。なんか必勝法とかないか?」

まあ必勝法などあったらゲームとして成り立たないことは分かっているが、それでも聞かずには居られなかった。
ネギはしばし考え込んだ後、人差し指を立てて言ってくる。

「ええと。カードだけじゃなくて相手の様子も見た方がいいですね。相手が強いカードが揃っていそうなら降りることも重要です。逆に自分のカードを読まれないようにするのにも注意しないと、折角いい手が揃ってもそれを読まれて降りられたら意味がないですし」

「なるほど」

頷いて誠亜は敵たちの顔をじっと見つめた。

「……」

茶々丸とザジは全くの無表情で自分のカードを見ている。
駄目だ。
全く表情が読めない。
当然いい手が揃っているかどうかなど想像もつかなかった。
なるほど。
これが本当のポーカーフェイスと言うやつか。

妙な所に納得しながら、誠亜は視線をエヴァンジェリンに向ける。
彼女は不敵な表情でこちらを見下ろしていた。
その表情から考えるなら、彼女の手札は相当強そうに思える。
だが生憎とエヴァンジェリンはゲームを始めてから基本この表情だ。
手札がブタだろうがロイヤルストレートフラッシュだろうが、変わらず不敵な表情を浮かべている気がする。

誠亜は静かに顔をネギの方に向けると、

「ネギ先生。このメンツで表情から手札読めって方が無理だと思うんだが」

「そ、そうですね」

ネギもまた、言った後気付いたのか苦笑している。
それを見た神が、身を乗り出して誠亜の手元のペットボトルのお茶を手に取った。
片手で器用にキャップを外すと、反対の手に持っていた「神」と力強い字で刻まれた湯飲みにペットボトルの中身を注いでいく。
あまりに自然な動作に誠亜は文句を言うことも忘れていた。

「後ろから見ていて思ったのだが、お前は強い手を狙いすぎだな。もっと揃う確率の高い手をだな……」

そこまで言ったところで神の動きが止まった。
怪訝に思って振り返ってみると、湯飲みを口もとで傾けた瞬間で凍りついたように固まっている神の姿があった。

ゲコ。

「は?」

聞こえてきた音に間の抜けた声を上げてしまう。
見れば神の持つ湯飲みから、緑色のカエルが顔を出していた。

「キャーーーー!」

車両内に甲高い悲鳴が響き渡る。
誠亜は咄嗟に立ちあがって周囲を見回した。
その目に入って来たのは阿鼻叫喚そのものだった。
水筒の中から、菓子箱の中から、弁当箱の中から突然飛び出してきたカエルに誰もが皆驚き慌て、パニックに陥りかけている。

緑、緑、緑。
車内のいたるところにカエルたちが溢れかえり、我が物顔で鳴き声を上げていた。
百匹はいるだろう。
こんな数のカエルがいきなり出てくるわけがない
まず間違いなく魔法が関わっているはずだ。

「な、なんですかこのカエルの団体さんはーー!」

「知らないわよ!いきなりそこらじゅうから出て来たのよ!」

アスナの悲鳴にネギはすぐさま第一容疑者に行きあたったのか、鋭いまなざしで神を見据えた。

「神さん何かまた余計なことしませんでしたか!?」

だが神は憤慨したように鼻を鳴らす。

「何を言う。私がいつ余計なことをしたというのだ」

「神さん今すぐ神さんの辞書を貸して下さい!僕が自覚って単語を書き加えます」

「言うではないか。だがこればかりは私は知らんぞ」

「じゃあ誰が!?」

意味がわからない、と悲鳴を上げながら手近なビニール袋にカエルを放り込んでいくネギ。
それをアスナや古菲、夕映などが手伝い始めた。
だが彼女らが手に持ったビニール袋をいっぱいにしてもなお、床にはこれでもかというぐらいにカエルが跳ねまわていた。
夕映は手に持った袋の口を軽く結ぶと声を張り上げた。

「数が多すぎます!誰かゴミ袋のような大きな袋を持っていませんか!?」

「あ!あたし持ってるよ!」

手を上げて答えたまき絵が自分のリュックへと駆け寄っていく。
その横では手にカエルがいっぱいに入ったビニール袋を2つ持った古菲が、己の班の仲間に声をかけていた。

「楓!楓も手伝うアル!」

「羊が一匹羊が二匹。ハハ。羊が一杯でござる~。緑色でも羊でござる~」

「楓ーー!帰ってくるアルーーー!」

脂汗をかきながら視線を窓の外に固定し続けている楓の肩をがっくんがっくん揺らしながら叫ぶ古菲。
その肩を掴む者がいた。
超だ。
彼女は沈痛な表情でかぶりを振ると、

「駄目ネ。子ガエルが口の中に入ったショックで楓の精神は天元突破してしまたヨ。おそらく1時間は戻てこんネ」


訂正。
パニックに陥っている。

「おい!大変だ……ぞ……」

誠亜は自分の班員に視線を戻し、そして脱力した。
隣の席のザジは手の平の上に乗せた一匹のカエルとじっと見つめあっており、慌てる様子は全くない。

茶々丸は荷物に潜り込もうとしているカエルを素早くどけると、ネギ達の手伝いに向かった。

エヴァンジェリンはというと、興味深げにカエルを見ている。
だが良く見るとエヴァンジェリンが見ているのがカエルではないことが分かった。
カエルはエヴァンジェリンの体に触れるたびに小さく弾かれている。
正確にはエヴァンジェリンの体に触れる寸前で、見えない何かに弾かれていた。
彼女が小さく、呟くのが聞こえてくる。

「ふむ。カエルの接触を『攻撃』だと認識しているのか。なるほど、魔力によって悪意と共に編まれた物を攻撃と判定しているわけか。弾くものと弾かないものの境界線がいまいちわからんな」

彼女の手の中では神が渡した小さな手鏡が輝いている。
エヴァンジェリンは感心したようにそれを弄っていた。

そして神はと言うと、

「ぬううううう」

悔しげに唸り声を上げていた。
無数のカエルによってパニック状態の車内を敵でも睨むように見ている。
まあこの男の性格上、一般人を巻き込んだことへの憤りではあるまい。
もしそうだったなら、明日はそれこそ雨の代わりにドリアンが降るだろう。

「この私を差し置いて悪戯だと……こうしてはおれん!私もすぐに悪戯の準備を……」

「しなくていい」

ばっさりと切って捨てると誠亜は後ろを振り向いた。
神の横には刹那はいない。
少し前に車両の後ろの方に歩いて行ったのを感じていた。
これがなんらかの魔法によるものだとすると、十中八九学園長の言っていた関西呪術協会の妨害なのだろう。
味方がこんなことをするわけがないし、先の悔しがり方からすると神も今回のことには関わっていないようだ。
何か手を打つべきなのだろうか。
とりあえず刹那に話を聞きに行くことにする。

車両の床ではだいぶ数の減ったカエルたちを追いかけまわしてネギ達が這いまわっている。
それを横目に車両の最後尾へとたどり着くと、自動扉をくぐってその向こうの乗降スペースへと入った。
そこには刀の入った竹刀袋を背負った刹那が壁に背を預けて立っていた。

「刹那」

「妨害ですね」

声をかけると、何を言うでもなく刹那が静かに言葉を返してくる。
そのあっさりした返答に、誠亜は戸惑うように足を止めた。

「ああ、たぶんそうだけど。いいのか?」

学園長の危惧していた通り妨害が入ったというのに、これといって焦った様子もなく冷静極まりない刹那に誠亜は訝しげに眉を跳ね上げた。

「何がですか?」

問い返してくる刹那に誠亜は右手の人差し指を立てると、それをしばし迷わせた後さきほどまでパニック状態だった扉の向こうへと向けた。

「いや何もしなくてもいいのか?護衛だろ?」

「私はお嬢様の護衛です。クラスを守るのはネギ先生の仕事。手を貸すぐらいはしますが、そこは変わりません」

淡々と告げられた言葉に、誠亜が無言で見つめていると、刹那は片目をあけてこちらを見返してきた。
苦笑と共に言葉を紡ぐ。

「薄情だと思いますか?」

誠亜は口の端を吊り上げると、軽くかぶりを振った。

「うんにゃ。自分にとって大事なもんを優先するのは当然のことさ」

誠亜の言葉に刹那の笑みから苦々しさがかすかに抜ける。

「カエルをばらまいたところで、出来ることはたかが知れています。そこまで警戒することは無いですよ」

こちらを安心させるためか。
わざわざそんなことを言ってくる刹那に、片手を上げて謝意を示すと誠亜は車両に戻ろうと踵を返す。
その目に見えたのは一羽の燕とそれを追って走るネギの姿だった。
かなり必死に燕を追うネギの姿に、怪訝に思ってツバメを観察する。
ツバメは一通の便箋を口にくわえていた。
この状況からしてあのツバメも敵の仕組んだもの。
ならあの手紙は。

「親書……か?」

「でしょうね」

呟いた誠亜の言葉に刹那が嘆息と共に身を壁からはなす。
その手にはいつの間に取り出したのか、竹刀袋から出された野太刀が握られていた。

刹那の腕ならば飛ぶ燕を銜えられた親書を傷つけずに斬ることも容易かろう。
誠亜は燕を捕まえようと持ち上げていた腕を下ろすと、腕を組んでその様を眺めることにする。

そして視界の端に入ったそれに息をのんだ。
壁から人が生えている。
初見で誠亜が感じたのはそれだった。
刹那が身を預けていた方の壁、つまりはネギ達が駆けてくるのと反対側。
そこから見覚えのある変態ダンディが生えていた。
その楽しげに歪んだ表情で神が言う。

「私に任せておけ!」

「うぉい!テメェそんな恰好で何する気だ!」

制止の声は神を止めることはできず、ただ刹那の視線を一瞬こちらにやるのが精一杯だった。
神を見た刹那は面倒くさそうな表情こそしたが、どうも事態を理解していないらしい。
神の今の格好を見てもよく分かっていないようだった。

誠亜は咄嗟に神を引きずり倒そうと手を伸ばすが、そこに神がいないかのように手は神の体を通り抜ける。
幻影かはたまた位相でもずらしたのか。

「誠亜さん!神さん!その燕止めてください!」

向かってくるネギが叫ぶ。
だが神にも頼む時点でネギも分かっていない。
神は今、ボロイ黄色のズボン一丁で手首にはリングをつけ、首には骸骨を首飾りのようにして駆けている。
頭にはハゲかつらをつけ、肌は褐色に塗りたくり、顔と頭に赤い染料でペイントを入れていた。
神は大きく息を吸い込むと身を反らした。

「ヨガフレイム!」

某有名格闘ゲームのヨガマスターそのままの格好の神は、案の定某ヨガマスターまんまの動きで口から火を噴きだした。
止める間もなく炎に包まれる燕。
そして当然のごとく焼け落ちる親書。

「ああああああああ!」

悲痛な叫びを上げるネギ。
そして誠亜と刹那は同時に動いた。
鞘におさめたままの刀と回し蹴りが、綺麗に神の顔へと吸い込まれる。
勢いよく吹っ飛んだ神の体が壁に激突して止まる。
ずるずると壁をずり落ちる神を見下ろしながら誠亜は怒気を込めて言い放った。

「オイこら!親書ごと燃やしてどうすんだ!」

「はっはっは。事故だ事故」

そうとうな威力の蹴りを放ったはずだが、やはり無傷な神はあっさり立ち上がるとこちらに向き直って言い放つ。
その頭をわしづかみにしてアイアンクローをかけてやると、神は軋む頭蓋骨にうめき声を上げた。

ネギは茫然とした面持ちで黒こげになった親書のかけらをつまんで立ち尽くしている。
神は誠亜の手の下で微妙にひきつったニヒルな笑みを浮かべると、余裕に満ちた声を発した。

「案ずるなネギ・スプリングフィールド。こんなことも……あろうかと、私があらかじめ親書を……偽のものにすり替えておいたのだ」

「そうですか。よかっ……」

安堵の息と共によかったと言いかけてネギは眉をひそめた。
きっかり5秒後、

「よくないですよ!いつの間にすりかえたんですか!?」

つめよるネギに神は乾いた笑い声を上げる。
そして鋭くネギの顔を指差し、

「お前が近衛木乃香のベッドに潜り込んで眠っている間だ!」

強烈な爆薬を投下した。
とたん、刹那の纏う空気が張り詰める。
誠亜もつい神の顔を握っていた手を離してしまった。
刹那は言葉こそ吐きださないものの、全身から殺気にも似た気迫を放出している。
素人ながらそれには気付いたのか、ネギが顔を真っ青にしてまくしたてた。

「ちち違います!このかさんのベッドになんて潜り込んでません!僕が間違って潜り込むとしたらアスナさんのベッドです!」

慌てるあまり意外と凄いカミングアウトをしているのだが、ネギはそれに気付いてない。
ただ刹那の纏う空気が和らいだのを感じて一息ついていた。

扉の向こうで、相変わらずのネギ限定地獄耳を発揮した雪広がアスナに詰め寄っているが、そちらに背を向けているネギには知る由もない。
神のいやらしい笑みを見て初めて、自分が叫んだ内容に気付いたようだ。

「いえつまり今のはその……」

慌てふためき両手を振りまわして言葉を探すネギを眺めながら、誠亜は嘆息と共に神に言葉を投げる。

「話を戻すぞ。本物の親書はどうしたんだ?」

神は鷹揚な態度で頷くと。おもむろに車両の中に視線をやった。

「古来より木を隠すなら森の中というだろう。そこで私は考えた。掃いて捨てるほどいるカエル共の中に隠せばそうそうばれんと」

「おーい。隠すの手紙だろ。なんでカエルの群れの中に隠すんだよ。隠せてねえぞ」

半眼でツッコんでやると、神はさもありなんと頷いた。
そして自信満々に胸を張る。

「そう!カエルの中に手紙を隠しても隠せていない。そこで私は手紙をカエルに変化させてカエルの群れの中に隠したのだ!」

「違うだろ!なんだその二度手間!百歩譲ってもすり替えた本物を紙の束かなんかに隠すべきだろ!」

「はっはっは。そこで素直にやらぬのが神たる所以……」

「で、どのカエルですか?」

ヒートアップする誠亜と神に浴びせられた冷やかな声に神の動きが止まる。
刹那の鋭い視線が容赦なく神の体を突き刺していく。
それにネギの視線も加わった。
こちらは刹那ほどの攻撃色を帯びていないが、それが返ってベクトルの違う攻撃力を宿している。

「わからん、と言ったらどうする?」

その言葉に無言でバキボキと指を鳴らす誠亜。
それを見て神は口の端を吊り上げた。

「し、心配するな。ちゃんと区別をつける方法はある」

視線を逸らして言う神に、誠亜は嘆息とともに再び神の頭を鷲掴みにする。
そしてただでさえ女としては少し低めの声をさらに低くして言った。

「どんな方法だ?」

神は頭を握られた状態でうまい具合に頷くと、

「適当に変化させたから体の造作が微妙に甘いはずだ。特に尻。それを目印に探せば」

みなまで言わせずに誠亜は腕に力を込める。
万力すら生ぬるい握力に神の頭蓋骨がたちまち悲鳴を上げ出した。

「ほほおう。つまりお前は俺達に100匹以上いるカエルの尻を見て回れと?見比べろと?」

神は誠亜のアイアンクローからするりと抜け出すと、不敵な笑みを浮かべて言った。
ただしその頬には一筋の汗が浮かんでいる。

「カエルのケツに詳しくなれるぞ。良かったな」

歯を輝かせる神の姿に誠亜は落とすように表情を消すと、神の顔面から手を離した。
素早くその体を担ぎあげると、頭と腿に手をやり腰の部分で真っ二つにへし折らんばかりに力を込める。
一度表情の抜け落ちた顔に憤怒の色を塗りたくると、誠亜は力の限り吼えた。

「お、ま、え、が、やれええええ!!」

「待て待て待て!いかな神とて背骨はそっちに曲がらなあああああああああ!!」

絶叫に何人かがこちらに気がつく。
なにか騒ぎ立てるかと思いきや、そのクラスメートたちはあろうことかどちらかが勝つかにお菓子を賭けだした。
さらにそれに便乗する者もあらわれる。
ついさっきまでカエルパニックのただなかにいたくせに、既に次の娯楽を見つけている己の生徒達を見つめながらネギはひきつった笑みで己の肩の上のオコジョに呟いた。

「カモ君。手伝ってくれる?」

「もちろんだぜアニキ。だがその前に……」

二人は揃って嘆息すると、比喩抜きにみしみしと音を立て始めた神の背骨と、それをなしている一人の鬼へと向き直った。
そして異口同音に告げる。

「「これ止めよう」」








その後、落ち着いた誠亜や神を含めて行われた親書ガエルの大捜索会は、都合3度の見直しの果てにネギ達が諦めかけたところで、ザジの手の平の上で目的のカエルが見つかるまで続いた。







あとがき

かつて……かつて新幹線エピソードに1話使った人がいるだろうか。
少なくともすちゃらかんは知りません。
なんというかここにきて、己の「話をコンパクトにまとめられない」欠点が末期に達していることにようやく気付いた感があります。
やばいです。このままじゃ最後まで終われないかも。
もっと書きたい内容を厳選していく技能を覚えなければと肝に銘じます。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



追加
ポーカーのところでミスがあったようなので修正しました。ご指摘どうもありがとうございます。



[9509] 第40話 BOUZU
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/03/10 14:47
神と俺のコイントス







新幹線が京都に着いた旨のアナウンスを流す。
それなりの時間電車にゆられていたはずだが、少女達に疲労の色は見られない。
やはり修学旅行への期待感が疲れなど忘れさせているのだろう。

というわけで、新幹線からホームに降り立つ少女たちの中で顔に疲労感を滲ませているのは、百数匹のカエルの尻を見比べる羽目になった少年教師とその肩のオコジョ、目つきの鋭い狼女だけだった。

有名な怪獣映画で主人公の亀に破壊されていた駅を出ると、バス乗り場へと直行する。
電車が終わったからと言ってまだ終わりではない。
一つ目の目的地である清水寺へは、バスで向かうのだ。
京都だけでもA、D、H、J、Sの5クラスになる。
1クラス1台なので必然として5台のバスが並ぶことになり、なかなかに壮観だった。

誠亜はかぶりを振って気分を一新すると、麻帆良女子中学校3年A組様という札を下げられた先頭のバスに乗り込む。
そのとき、うしろから声をかけられて誠亜は足を止めて振り向いた。
見えてきたのは輝かんばかりの金髪である。
唯でさえ身長差が激しいのに、誠亜がバスの乗降口の一段目に足をかけているのでなおさら低く見える。
エヴァンジェリンはこちらを見上げながら口を開いた。

「妨害があったようだが、私を当てにしようなどと思うなよ。今の私は一切魔法は使えん」

「OK。あんたは旅行を楽しんでくれ」

言葉短に返しながら、誠亜はステップを上る。
真ん中の狭い通路を通りながら、自分の席を探していく。
比較的前の方に目的の席はあった。
既に通路側に刹那が腰を下ろしており、
斜め前の席にはこのかが座っている。
なるほど、徹底して木乃香の護衛を考えているらしい。

「ちょいとごめんよ」

刹那に一言入れながら、奥の窓側の席に座る。
ぞろぞろと後に続いてきたクラスメートは、ここでもそのハイテンションぶりを遺憾なく発揮しながら己の席を探し出した。

喧騒をBGMに、カエル探しの気疲れを癒そうと体重を背もたれに思い切り預ける。
それを見た刹那は小さく苦笑した。

「ご苦労様です」

「まったくだ。誰かあいつをおとなしくさせてくれんかね」

苦々しく言った誠亜に刹那は注意をこのかに向けながらも、肩をすくめて答えてきた。

「誠亜さんに止められないなら私たちにも無理ですよ」

その言葉に誠亜は嘆息を漏らしつつ目を閉じた。
このまま清水寺まで眠りたい気分だった。

「それでは皆さん乗り込みましたか?各班長、班員が揃っているか確認してくださ~い」

拡声器で増幅されたネギの声がバスにいきわたり、その声に負けぬほどの生徒たちの返事が密閉空間で踊る。
元気すぎる感もあるが、まあ修学旅行の中学生はこんなものなのかもしれない。

思考をそこで停止させ、誠亜は呼吸を静かなものにしていく。
眠りの淵へと急速に落ちていく誠亜に、耳に届く周囲の声も靄がかかったように薄れていった。

その音が完全に消え失せる瞬間、

「え~、本日はマル神興業バスをご利用いただきありがとうございます。自己紹介をさせてもらおう。バスガイドの、神である!!」

靄を切り裂く深みのある低音に、誠亜の意識は問答無用に現実世界へと引き上げられた。
全力で目を逸らしたい気持ちでいっぱいだったが、しかたがなしにそれを見る。
そこに居たのはオールバックの髪型に髭を蓄えた、彫りの深い顔立ちのダンディな男だった。
ただしバスガイドの服装に身を包んだ。

バスの中の時間が凍りつく。
そしてきっかり30秒後、絶叫が重いはずの車体を揺るがした。

『えええええええええええ!!』

3-A一同、口をそろえて叫ぶ。
信じられないという口調の者もいれば、そう来たかという口調の者もいる。
だがそれらすべてを完全に無視して神は己の横を指し示した。

「そして運転手を務める、神であるっ!!!」

『ええええええええええええ!』

紹介されて顔を見せたのは、バスの運転手らしい服装に身を包んだ神だった。
無論バスガイドの服を着た破壊力抜群な方と同じ顔である。

「同じ顔!?双子!?」

「いやでも双子にどうして同じ名前つけるのよ!」

「ていうかなんで男の人がバスガイド!?」

「異様なのはバスガイドをしているところじゃなくて女装してるところでしょ!」

口々に困惑に満ちた声を撒く少女達。
ただ神のことを知っている一部生徒だけが、深く深くため息を吐いていた。

教師として一番前の席に座っていたネギは、素早く立ちあがって神のもとに駆け寄ると囁く様に声をかけた。

「神さん。何してるんですか!?本当のバスガイドさんと運転手さんはどうしたんですか?ていいうかマル神興業バスって。このバスも神さん製なんですか!?」

神はマイクを手で塞ぐと同じように囁く様に返す。
聴覚の優れた誠亜には聞き取れたが、普通の生徒には聞こえないだろう。

「バスならばここに来る途中に、携帯で話しながら運転していたチャラい阿呆の車にぶつけられて大破なさった。バスガイドと運転手はたまたま今日乗るバスに悪戯の仕込みをしに行っていた私が助けたが、現在も気絶中だ」

「そ、そうだったんですか。すいません。なんか責めちゃって」

小さくなってうなだれるネギ。
あの様子だと、『悪戯の仕込みをしに』というフレーズには気づかなかったらしい。

誠亜は今にも死にそうな弱々しい口調で、顔にタオルをかけて呻く。

「刹那。俺は寝るから。何も見なかったから。清水寺に着いたら起こしてくれ」

「現実逃避しないでください。誠亜さんが止めなくて誰が彼を止めるんですか」

「いや正直俺でも止められないから。あいつはあいつ以外に止められないから」

わざと寝息を立て、自分は眠るのだと意思表示し始めた誠亜に、刹那は肘で誠亜の脇腹を軽く突いた。

「一人だけ逃げるなんて虫がいいですよ」

「じゃあお前も一緒に眠ればいいだろ。寝てる人間を起こすんじゃ……」

誠亜の言葉にかぶせるようにマイク越しの神の声が、頭上のスピーカーから降ってくる。

「早速だが、このあたりじゃガイドすることもないゆえ、映画でも見ようか」

どう考えても早速過ぎる。
だがここでツッコんだら負けだ。
一度皆の前であの異常存在にツッコんでしまえば、自分はツッコみ担当として皆に認識されてしまう。
そうなれば安息などありはしまい。
すでに手遅れな感もあるが、今ならまだ魔法関係者と図書館島探検の仲間以外にはそう知られていないはずである。
妙な意地で誠亜は寝息を立てる真似をし続けた。

神は何かを取りだしたようで、プラスチックケース同士のぶつかる音を立てながらマイクに向かって声を流しこむ。

「ええ~。呪○。リ○グ。らせ○。どれかから選ぶがいい!!」

「ちょっと待てい!なぜにホラー!?楽しい修学旅行になんでホラー!?おまけに1時間半見れるわけないから、すっげえ嫌なとこで終わるはめになるだろうが!」

たまらず声を張り上げてから、しまったと口の中で舌打ちした。
一度大声でツッコんでしまえばもはや知らぬ存ぜぬはできない。
バスガイド姿の神の顔に一瞬してやったりという笑みが浮かぶのに歯噛みしながら、誠亜は力なく腰を下ろした。

「では……」

能天気な神の声が耳に入る。それを仕方なく受け入れながら誠亜は痛み出した頭を抱えた。









第40話  BOUZU









京都清水寺。
実際にどんなところか知らないものでも「清水の舞台から云々」のフレーズには聞き覚えがあるであろう場所である。
高い位置に作られたそこからの景色は圧巻の一言であった。
緑色の木々が織りなす風景は人の心を落ち着かせ、胸の内に新鮮な空気を吹き込んでくれるかのようだった。
まあわかりやすく言いかえるなら、カエル騒動のせいでしばらく緑色は見たくないと思っていた誠亜が、それを撤回するぐらいには良い景色だったわけである。
これが紅葉の季節には鮮やかな紅に染まるというのだから、さぞや美しいだろう。
昔の人は本当にセンスがある。

(そうだ。ティーを連れてくるのは秋にしよう)

可愛い妹分の顔を思い出して口もとを緩めながら、誠亜は騒ぐクラスの輪へと近づいた。

「京都ぉーー!」

「これが噂の飛び降りるアレ!」

「誰か!飛び降りれ!」

「おやめなさい!」

それにしても元気なやつらである。
ティーを連れてきたら、にぎやかで楽しい旅行を楽しめただろう。
まあ妨害やら神やらがいるので誠亜の心労が跳ね上がるのはまず間違いないが。

「ここが清水寺の本堂。いわゆる『清水の舞台』ですね」

聞こえてきた淡々としたガイドに誠亜は怪訝な表情で振り向いた。
うちのガイドは変態ダンディ一人だったはずだが。
振り向いた誠亜の目に入って来たのは、怪しげなジュースを飲みながら無表情に寺について語る綾瀬夕映の姿だった。

「本来は本尊の観音様に能や踊りを楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。有名な『清水の舞台から飛び降りたつもりで……』の言葉どおり江戸時代実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く……」

すらすらと語り始める夕映にネギや超が感嘆の意を表情に示す。
早乙女の言葉によれば、夕映は神社仏閣仏像マニアだそうで、もともと博識だがこういう方面へは特に造詣が深いらしい。
だが、ガイドが神という異常な状況ではかえって丁度いいかもしれない。

舞台からの景色に見とれている生徒たちから離れて、誠亜は本堂を回りこんだ。
観光客が見たがる場所からは少し外れた、裏手に当たる周囲と比べると人口密度の少ない場所である。
夕映の話によれば、清水寺のその始まりは西暦800年前後まで遡り、記録に残っている分でも9回の焼失を繰り返したらしい。
今目の前にある建物は1633年に再建されたものなのだそうだ。

その柱にそっと触れながら誠亜は呟く。

「つまりは三百云十年の歳月を経た建物ってことか」

感嘆を含めた言葉を吐き出す。

誠亜はそこで、自分のものではないため息が同じタイミングで聞こえてきたことに気付いた。
視線をそちらにやると、同じように本堂の柱にそっと手を触れているネギの姿があった。

彼もまたこちらに気づくと、はにかむように笑った。

「いやあ、なんていうか感慨深いものがありますよね。木で造った古い建物っていうのがまた。ここを見て、ますます法隆寺にも行ってみたくなりました」

ネギの言う法隆寺という単語を脳内から引き出す。
幸い聖徳太子などとは違って法隆寺については誠亜の脳内にもあった。

「法隆寺っていうとあの現存する世界最古の木造建築っていう?」

「ええそうです。一度火事で燃えてから7世紀後半に再建されたと言われていて、建造から1000年以上たっているそうです」

「なるほどねえ」

楽しそうに語るネギに誠亜が頷いて返すと、ネギの肩のオコジョがなんとも微妙な笑みと共に言ってくる。

「二人揃ってジジイ趣味だな。まあいいけどよ」

「ほっとけ」

眉根を寄せる誠亜にネギは苦笑した。
そしてふと笑みを引っ込める。
その時には誠亜もまた同じ方向を見ていた。

そちらから、バカ笑いを上げながら3人ほどの男子生徒が歩いてくる。
学ランと体格からして、誠亜たちと同じように修学旅行に来ている高校生か何かだろうか?

彼らは右に左にじゃれあいながら歩いてきている。
まるで酔っ払っているかのように歯止めのないテンションは、旅行気分に『酔っている』のだろう。

まあ旅行先ではしゃぎたくなるのは学生の常。
度を過ぎればよろしくないが、逆を言えば度を過ぎないなら黙認すべきか。
とりあえず他のクラスメートと同じように景色でも眺めに行こうかと踵を返したところで、聞こえてきたネギの小さな驚きの声に誠亜は足を止めた。

振り返れば、先程の学生の一人が何かを持って寺の柱に近づいていた。
その手には黒の油性ペン。
残りの2人はひたすらにはやし立てている。

何をするつもりなのかは一目瞭然だ。
文化遺産に落書きとはいい度胸である。
誠亜が呆れ交じりに嘆息すると、ネギが引き締められた表情の“教師の顔”で口を開こうとしているのが見えた。
注意するのだろう。
とりあえず、ネギが口で言ってやめなかった場合止めに入ることにして誠亜は静観を決め込んだ。

「そ……!」
『不届きぃぃぃぃぃ!!』

ネギの喉が声を吐きだし始めた瞬間、甲高い炸裂音と共にマジックを持った学生の体が飛翔した。
誠亜が神を殴り飛ばした時もここまではいかないだろうというほどの勢いで、錐もみしながら吹っ飛んでいく
回転の勢いで、地面に激突してからもコマのようにしばらく高速回転したのち、その学生は動きを止めた。
もうピクリとも動かない。
まあ死んではいないだろうが気絶しているのは疑う余地もなかった。
突然の出来事にネギも誠亜もまた唖然として動きを止めている。
全く状況が理解できていないのは残りの学生たちも同じようだった。
ひたすらに困惑と恐怖を顔に塗りたくって右往左往している。
その前にいつの間にか一人の男が立っていた。
これ以上ないほどにまっすぐと伸ばされた背筋は、壮年に差し掛かりそうなその男の姿に活力を備えさせ、身に纏った僧服は精錬な印象を与えている。

それはどこからどう見ても坊主だった。
袈裟をかけた、どこからどう見ても坊主にしか見えないその男は、手に木製の棒を持っていた。
禅などで、邪念を払うために叩くのに使う警策と言われる道具だ。
なぜか『天罰』と達筆に書かれた警策を手にその坊主は落書きしようとしていた学生の顔を見つめていた。

憤怒の表情で。

そして数瞬後、最初の一人と同じように残るうちの片方が弾け飛んだ。
フィギュアの4回転どころの話ではない。
軽く20回転ぐらいしながら学生の体が綺麗な放物線を描く。

恐怖がピークに達したのか、最後の一人が悲鳴と共に転げまわりながら逃げ出す。
だが坊主が足を踏み出すと、走ってもいないのに地を滑るように一瞬で学生の前へと回り込む。
そして警策を振り上げると、

『天罰!』

大気を揺るがすような気迫に満ちた一喝と共に警策が翻る。
残像すら残すほどの一撃が容赦なく学生の顔面に突き刺さり、学生の体が縦に5回ほど回って地面に頭から激突した。

その坊主は茫然と口を半開きにしているこちらを一瞥すると、唐突に表情を柔和なものに変え、一礼してそっと姿を消す。

「は……何?何アレ?何なのアレ?」

地に落ちるは屍三つ。死んでいないが。
それをアホ面で眺める誠亜とネギ。
だがそれ以外どうしようもなかった。
はり倒された学生を助けに行くことも、見なかったことにすることもできずに、二人はただ立ち尽くす。
その二人に天啓のごとく男の声が降り注いだ。

「ついに来てしまったか、パニッシャー坊主!」

悲しいことに遠の昔に聞きなれてしまったその声の主。
神の姿を思い描きながら振り向き、そして誠亜は呻いた。

「何だその顔は?ツッコんでほしいのか?」

彫りの深い顔立ちのその顔面に横真一文字に赤いあとをつけた神がそこで腕を組んで立っていた。
服装はバスガイド姿からぴちぴちの学ラン姿に変わっている。
どうでもいいが、いつもに比べれば比較的まともなはずの格好なのに、顔が紛れもないおじさんなのと服の丈が明らかに足りていないせいでまたある種のミスマッチ感が溢れかえっている。
出発時にセールスマン風にきっちりした服を着た神を見て、今回は大丈夫かと思ったりもしたのだが、どうやら夢のまた夢だったようだ。

誠亜は嘆息と共に額に手を当てると、仁王立ちしている神に問いかけた。

「で、何なんだ!?パニッシャー坊主って」

神は腕を組んだままゆっくりと頷くと、

「ただの坊主だ」

「「ええええええ」」

不信と言う漢字をそのまま表情に直接変換したらこうなるだろうという表情で、ネギとカモが声を上げる。
それに続く様に誠亜は唸った。

「ありえねえよ。あんなトンデモ身体能力持ってる上に姿を突然消すような奴は“ただの坊主”とは言わねえ。百歩譲ってもBOUZUだよ」

英語的な発音で“坊主”を読む誠亜に、神はこちらの言葉の中の毒など気にもせずに、顎に手をあてて笑った。

「UMA扱いか。まあいい。便宜上アレをこれからBOUZUと呼称することにしよう」

「あの、神さん。あのBOUZUは何者なんですか?」

戸惑いを声に込めながらネギが神に問いかけた。
神は感心したようにネギを見る。

「さすが英語教師。良い発音だな。アクセント滅茶苦茶にでぃすいずあぺ~んとか言ってればよかった時代はとうに終わっていたということか」

「そこじゃないです神さん。今重要なのはそこじゃないです」

話をそらす神の言動を意地でも正道に戻さんとするネギに、神は降参するように両手を上げた。

「ここ最近、実は妙な噂が発生しているのだ。この清水寺で悪戯をしようとすると、何者かに頭なり尻なり肩なりをひっぱたかれるという噂だ。そして一部の者はその前後で怪しい坊主の姿を見かけるという……」

神の語気はどんどんと強くなっていく。
そして拳を握り、瞳に炎を宿しながら高らかに叫んだ。

「そしてついた名前がパニッシャー坊主!年月を経た貴重な寺院を荒らす不届き物に天誅下す寺の守護者よ!まあ名前は私が今テキトーにつけたんだがな!」

ネギは真剣な表情で唸ると、肩のカモと目を合わせた。
カモは一度頷き、

「よくは分からねえが、つまりアレは寺で騒ぐ奴を懲らしめる正体不明の存在ってことだな」

「どうしようかカモ君。捕まえた方がいいのかな?」

眉間にしわを寄せて言うネギに、カモは器用に彼の肩の上で胡坐をかいた。

「たしかに問答無用でひっぱたくのはいけねえことだが、一応やってることが“懲らしめ”なんだよなあ」

誠亜は頭をかいて視線を倒れ伏す3人の学生に向けた。

「警察かなんかに押しつけちまったらどうだ?」

理由がどうあれ、ヒトの頭を気絶するほどの威力で叩いて回る奴がいれば、十分警察が動くに足るだろう。
ただでさえ関西呪術協会の妨害や神などの面倒事を抱えている身だ。
これ以上増やされては重量過多で歩みが牛より遅くなりかねない。
だがその誠亜の考えを神はいともあっさりと否定した。

「いや無駄だろうな」

返された言葉に誠亜は片眉を跳ね上げる。
その言葉を発した神は視線を周囲に巡らせた。
ここがあまり人の目の届かない裏手であるにしても、人が3人吹っ飛んだというのに誰も騒がないのは、やはりこの男が何かしたのだろうか。

まあ面倒事が増やされない分いいかと、自己完結しつつ誠亜は神の言葉を待った。
無駄だと述べるその根拠をだ。

警察が介入するほどのことにはならないということなのか。
あるいは、あのBOUZUが警察の手を巧みにかわせるほどの者なのか。
だが神が示した答えはそのどちらでもなかった。

「幽霊を取り締まる法律などないからな」

「は?」

思わず間の抜けた声を上げる。
誠亜は学生の方、先程BOUZUの姿を見かけたあたりを指でさした。

「幽霊?あんなはっきりと見えたのが?」

とてもじゃないがアレが幽霊などとは思えなかった。
はっきりとこの目に見えたのだ。
他に幽霊を見たこともあるが、その時はもう少し捉えづらいものだった。
だが、誠亜が幽霊という者を完璧に把握しているわけでは決してない。
逆に幽霊だと言うなら先の不可解な出現と消失も納得がいく。
言われてみれば妙に気配も希薄だったかもしれない。

「なんで幽霊が、寺を荒らす人間を懲らしめるんでしょう?」

「それはあれだよ兄貴。きっと悪戯しようとしていた奴に注意して逆ギレで殺された坊さんの霊が、恨みで悪霊になったのさ」

疑問の声を上げたネギにニヒルな笑みと共に答えながら、カモはどこからともなく煙草をノ箱を取り出すと、一本取り出してそれを銜え火をつけようとする。
その煙草をかすめ取ってカモの持っていた煙草の箱に戻しながら、誠亜は納得がいかずに呟いた。

「悪霊って感じの気じゃなかったんだがな」

確かに表情こそ怒り一色だったが、纏う気自体はそれほど淀んではいなかった。
むしろ清いぐらいだ。

すると神は誠亜の言葉を肯定するように頷いた。

「誠亜の言うとおりだ。あれは悪霊ではなく、マナーの悪い観光客からこの寺を守るために守護霊として舞い戻った、昔の僧だ」

「あ゛~」

誠亜が頭を押さえて呻くと、ネギが代わりにその内心を代弁した。

「そうなると、なんだか無理やり祓うのは気がひけますね」

「だがよう兄貴。だからって兄貴の生徒たちが叩き飛ばされるのを黙って見てるわけにもいかねえだろ」

首をひねって頭を悩ませるネギ。
その頭の中では、どうすればことを穏便に納めることができるのか、幾つもの考えが駆け巡っていることだろう。
だが天才少年の頭脳を持っても答えはなかなか出ないようだった。

「騒がなければ良いことだろう」

ぽつりと告げられた神の言葉に、ネギはぽんと手を打った。

「そうですよね。悪いことをしなければBOUZUさんに狙われることもないんだから、それこそ先生として皆に注意すれば」

道が開けたかのように晴れやかな表情で頷くネギ。
顔にやる気を漲らせながら、ネギは皆がいる表の方へと早足に歩いて行った。

その背が見えなくなるまでじっと見つめる。
向こうから届く恋占いだの何だのとネギを誘うクラスメートたちの声を聞きながら、誠亜は淡々と呟いた。

「うちのクラスに騒ぐなって……どんだけ難しいことか分かってんのかね?」

「さあな」

明らかに楽しそうににやけた面をした神に嘆息しながら、誠亜もネギのあとを追うように歩み出した。













「わかってるか兄貴。警戒するべきはBOUZUだけじゃないぜ」

生徒達にせかされながら杖を背に寺の空気を楽しむネギにカモの真剣な声がかかった。
ネギはそれに頷きながら、

「わかってるよカモ君。関西呪術協会でしょ。新幹線でもカエルを使って仕掛けてきたし。ちゃんと注意してるよ」

返すネギにカモは右前脚の指を左右に振ると。

「もう一つ。桜咲刹那だ」

「うーん」

この小さな相棒が言うには、ネギのクラスの桜咲刹那が西のスパイだというのだが、ネギにはそうは思えなかった。
恐らくクラスの生徒に敵がいてほしくないという願望も含まれているのだろうが、それを抜きにしても証拠も無しに疑ってはいけないと思う。

「でもよ兄貴。またエヴァンジェリンの時みたいに襲われたら」

なおも言い募るカモだが、その声を打ち消して前方を行く少女たちの声が石段に響いた。
鳥居のもとで、こちらに手を振ってネギの名を呼んでいる。
ネギと同じぐらい小柄な鳴滝史伽と、先まで話題になってた桜咲刹那と同じように髪の毛をサイドでまとめた明石祐奈。チア部トリオの一人である椎名桜子だ。
他の面々はもう先に進んでしまっているのだろう。

返事を返しながら階段を駆け上がると、最上段でネギを待っていたらしい史伽の姉の風香がすぐ先の石を指差しながら捲し立てた。
手前にある石と20mほど奥にある石を順に指差しながら、

「この石からあの石まで目をつむってたどり着ければ恋が成就するんだって!」

「へ~~」

目を輝かせる少女達に、ネギは微笑みを返す。
やはり女子中学生と言うと、こういった色恋関係のことの方が興味があるのだろう。

金髪の、だがいろんな意味で印象深いエヴァンジェリンとは対照的に、すらりと背の高い“いいんちょ”の愛称で親しまれている雪広が一歩前に出る。

「ではクラス委員長の私から」

この恋占いに挑戦するということなのだろう。

「あー!ずるい。私も行く!」

それを聞いてまき絵が負けじと雪広に並ぶ。

「わ、私もー」

最後に小さな声と共に宮崎のどかが二人から半歩引いた位置に並んだ。
目を閉じて歩みださんとする3人に、ネギは激励の言葉をかけた。

「皆さん頑張ってくださいね」

3人は一瞬呆けたように一時停止すると、次いで瞳を輝かせて返事した。
そして3人同時に歩き出す。
雪広は危なげなく。
まき絵は少しふらふらと。
最後にのどかは大きく蛇行しながら。

その3人を見守っていたクラスメートたちだが、すぐに悪ノリして誰が一番に着くかで賭けを始めてしまった。
そして楽しそうに応援を始める。

神社の恋占いを使って賭け事とは。
ふとBOUZUの顔を思い出して、恐る恐る周囲を見回すネギ。
だが、一瞬空に見かけたBOUZUは困ったような表情こそすれ、怒ってはいない。
安堵に胸をなでおろしていると、唐突に肩から声をかけられた。

「言うねえ兄貴」

声の主のカモに視線をやると、彼はニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。
彼が何について言っているのか分からず、ネギは怪訝なまなざしで見返しながら首をかしげる。

「え?何が?」

するとカモは驚いたように目を丸くした後、深々とため息をついた。

「いや、わからないなら良いんだ」

小さく、大変だなあの嬢ちゃんたちも、と呟くカモにネギはさらに首を傾げるが、耳に届いたどよめきに意識を雪広達に戻した。
見れば、驚くことに雪広がまるで見えているかのようにゴールの石へと一直線に駆けて行くところだった。
慌てたようにまき絵が続いて走りだす。
こちらもまた、まるで目をあけているかのようにまっすぐと走っていた。

「ずるーい!いいんちょ目開けてるでしょ!?」

「ホホホ。まさか!これで私と某N先生との恋は見事成就ですわ!!」

まき絵の言葉に余裕すら持って答えながら、雪広はさらに歩調を速めた。
それに負けじとまき絵もまた大きく足を前に出し、

「へ?」

ネギの視界から一瞬で消えてしまった。

「いいんちょさん!まき絵さん!」

慌ててネギが駆け寄ると、雪広達の消えた場所に正方形の大きな穴があいているのが見えた。
淵から中を覗き込むと、それなりの深さの穴の底にまたもカエルがひしめき合っている。

「キャー!またカエルー!」

「アスナさん!いいんちょさんを!」

悲鳴を上げる二人を、近くにいたアスナと協力して引き上げながらネギは顔を強張らせた。
やはりこれも関西呪術協会の妨害だろう。
だが何のために。
真剣な表情で周囲を見回したネギの目に鋭いまなざしでこちらを見ている刹那の姿が映った。

(刹那さん?やっぱり彼女は……)

ばれないように顔を違う方向に向けながらも視線は刹那に固定する。

「何やってんのよいいんちょ。ズルでもしてバチでも当たったんでしょ」

「なっ!私はズルなどいたしませんわ!」

呆れたように言うアスナと憤慨する雪広。
だがネギはアスナの口にしたバチと言う単語に、弾かれたように視線を上げた。
そこには、こちらを難しい顔でじっと見つめるBOUZUの姿。

「カモ君カモ君!見てるよ!BOUZUさん思いっきりこっち見てるよ」

「おお落ち着け兄貴!まだひっぱたきに来る顔じゃねえよ、あれは!」

語気は荒く、だがひそひそと言葉を交わすネギとカモ。
しばらくして空間に溶けるように姿を消すBOUZUにネギとカモは揃って肺の中の空気を吐き出した。

「はいはい。気を取り直して音羽の滝行こうよ」

アスナの呼びかけに、小走りで移動を開始する少女達。
それについて歩きながら、ネギは顔を軽く青ざめさせて唸った。

「マズイよカモ君。僕のクラスのみんなって、基本元気が有り余ってる節があるから」

「ああ、あのBOUZUの目にとまり易いだろうな」

視線を空にやるがBOUZUの姿は無い。
だがその空の青に隠れながらこちらを見ている気がして、ネギはぶるりと身を震わせた。

「どうしたんネギ君?風邪?」

それを見たこのかが心配そうにこちらの顔を覗き込んでくるが、ネギはお茶を濁すしかなかった。
まさか寺の守護霊に目をつけられていて、悪いことをするとこれでもかというくらいはったおされるんですとは言えない。
苦笑いで誤魔化すと、木乃香は訝しみながらも歩いて行った。

「おー!何かスゴイ混んでるよ!」

祐奈の歓声に顔を上げると、社から突き出た3本の柱から3つの水の流れが落ちていた。
たくさんの観光客が思い思いの流れに柄杓を差し入れてその水を飲んでいる。

早速列の最後尾に並んだまき絵が、神社仏閣マニアだという夕映に大声で問いかける。

「ゆえゆえっ、どれが何だっけ!?」

「右から健康・学業・縁結びです」

慌てず騒がず、だがちゃっかりお持ち帰り用の水筒のふたを開けながら夕映が答える。
すると少女たちは案の定、左の縁結びの滝へと殺到した。
我先にと柄杓を差し込んでいく。

「左・左――!」

「あー、私も!」

「お待ちなさい皆さん!順番を!」

雪広が叱責するが、その表情から察するに委員長としての義務感半分、自分が縁結びの滝の水を飲みたいのが半分と言ったところか。

となりのアスナはそんなクラスメートたちの姿を苦笑いと共に見ていたが、ネギとしては内心気が気ではなかった。

「あ、あの皆さん!他の人の迷惑にならないように!」

必死に注意するが、恋を前にした少女たちを止められるものではない。
次々と縁結びの滝の水を飲むために柄杓片手に突撃していく。
一度飲んだ者も、いっぱい飲めばいっぱい効くかもと繰り返し柄杓で滝の水をすくっていた。

「だ、大丈夫かなこれ?」

ひきつった笑顔でそれを眺めながら小さく問うネギ。
カモはそれにかぶりを振って答えた。
その眉間には皺が寄っている。

「わからねえ。様子を見るしか……そういえばあの誠亜っつう狼みたいな目つきの女はどこ行った?」

「あれ?どこだろう?」

周囲を見回すが、探す姿は見当たらなかった。
金髪の雪広やエヴァンジェリンほどではないが、モデルじみた長身の誠亜も非常に目立つ。
居れば気づくと思うのだが。

「一人で回っているのかな?」

訝しげにつぶやくネギにカモは茶化すように言った。

「狼だけに一匹狼ってか?」

「誰が狼だって?」

瞬間、ネギの眼前に降り立った人影が唸るように言う。
艶やかな黒髪を着地の衝撃に揺らしているのはまさに誠亜だった。
かつて、近くに彼女が要ると気付かずに悪口を捲し立てて酷い目にあったネギは一瞬身を竦ませる。
だが誠亜はそれ以上何も言わずに、真顔で告げる。

「ネギ先生。今すぐ連中に縁結びの水を飲むのをやめさせてくれ。今見てきたが酒が仕込まれてた」

「お酒!?」

思わず素っ頓狂な声を出して驚いたネギは、胸の内の焦燥に突き動かされるままにさっきまで生徒たちが騒ぎながら滝の水を飲んでいた方へと顔を向けた。
そして目に入った光景にがっくりとうなだれる。

そこにはすっかり酔い潰れてしまっている皆の姿。
困惑したように、夕映が水筒を片手に口を開く。

「あのネギ先生。何かみんな酔い潰れてしまったようなのですが」

「ああああああ」

頭を抱えるネギ。
だがその間にも周囲の野次馬たちがだんだんとざわめきだしていた。

「いいんちょ!しっかりしなさいよ!」

アスナが雪広を起こさんと必死に声をかけるが、雪広は一向に起きる気配を見せない。
意識を保っている者たちで酔い潰れた連中を介抱する。
しかし悪いことは重なるもので、生徒たちの様子を見回っていたのか、ネギと同じ引率で来ていた新田と瀬流彦がその場を通りがかった。

「おや?何かお酒くさくないですか?」

瀬流彦の言葉に新田が鼻を動かして大気に混ざった臭いをかぐ。
もし修学旅行の最中に未成年の生徒たちが酒を飲み、さらには酔い潰れて公共の場で眠りこけたなどと言うことがバレたら、修学旅行中止のうえ停学になりかねない。
ネギとアスナは慌てて立ち上がると、瀬流彦たちの視界から皆を隠すように立って力の限り腕を振った。

「いえいえいえ!その、甘酒ですよ甘酒!!」

誤魔化すように笑みを浮かべるが、その笑顔がこの上なく引きつっている自信があった。

新田先生たちは訝しむような表情をするが、何も言わずに去っていく。
だがネギにはほっと一息つく暇すらありはしない。

「ヤベェ!ヤベェって兄貴」

高速でネギの首筋を叩くカモに、ネギは強烈な悪寒を覚えて振り向いた。
そこには目を爛々と輝かせてこちらを見るBOUZUの姿。
心なしか手に持った警策から陽炎のように力が吹きあがっているように見えた。
ネギは機敏な動きで肩のカモをひっつかむと前後にがくがくと振りまわした。

「カモ君!見てるよ!完璧ロックオンしてるよアレ!!」

「落ち着けネギ」

誠亜が宥めるように言うがネギのパニックは止まらない。
激しく揺られながらもカモはしっかりと答えを返した。

「落ち着くんだ兄貴!とりあえず……あれだ!クラスの皆以上の騒ぎを起こしてBOUZUの注意を引くんだ!」

「任せろぉぉぉい!!」

カモの言葉に答えて唐突に響く声。
本堂の裏で話してからずっと顔を見なかった神の声が本当に突然響き渡った。

ネギは何も言えずに硬直する。
神は。
何の前触れもなく表れて、いきなり誠亜の制服のスカートを引きずり下ろした神は、意味もなく歯を白く輝かせていい笑顔でサムズアップする。

時の止まったネギの視界で、誠亜の体がコマ落としのように回転した。
素人目にも、その肉食獣のようなしなやかな筋肉が極限まで力を引き出しているのが見える。

「星になれえええええ!!」

BOUZUすら凌駕しかねない憤怒の表情で誠亜が放った後ろ回し蹴りが、神の顔面を捉え、その破壊力をぶちまける。
砲弾すら凌駕する速度で空へと吹っ飛んで行った神の姿が、またたく間に見えなくなる。
漫画だったら空に星が煌めいていたことだろう。

翻った誠亜の黒髪がネギの鼻先をなでていったのはどんな偶然か。
たまらず吐きだされたネギのくしゃみに合わせて、噴き出た魔力が一陣の風を生みだした。
吹き抜ける風がその場にいた女性全員のスカートを完全にまくりあげる。

(し、しまった!)

あわてて口を押さえるが全て後の祭りである。
BOUZUの目はしっかりとネギを睨み据え、強烈な光を発していた。
慌てふためくネギに、スカートを戻した誠亜の鋭い声が叩きつけられる。

「ええい!不幸中の幸いだ!野郎の狙いが俺たちに移った!逃げんぞ!」

言うが早いや、誠亜はネギの体を小脇に抱えると、かの有名陸上選手、ボルト氏も真っ青な凄まじい速度で駆けだした。

「アスナさん!皆をバスに詰め込んでおいてくださあぁああぁ!!」

「ちょっとネギ!あんたどこ行くのよ!」

ドップラー効果を残しながら去るネギへと悲鳴にも似た声が投げられるが、それにこたえる余裕はネギには無かった。
















「くく。なんや西洋魔術師もたいしたことあらへんなあ」

清水寺での一部始終を眺めていた女は、低く嘲笑うような声で言った。
眼下では少女たちが必死に教師に言い訳をしながら酔い潰れたクラスメートたちをバスに運んでいる。

それに鼻を鳴らして立ち上がると、女は踵を返した。
あまり装飾のないシンプルな着物を着ているが、肩を大きく出したその着崩し方は彼女の姿を妖艶なものにしている。
美人と言ってよい顔立ちで眼鏡をかけているが、むしろ目につくのはその眼鏡の下の鋭い双眸だった。
目つきが悪いだけではない。
その瞳に込められた意思がひどく攻撃的な鋭さを醸し出していた。

天ヶ崎千草。
それが女の名であり、また新幹線や清水寺で行われた妨害の犯人だった。

目的を達成できるほどの大きな混乱にはならなかったが、もともとこれは相手の出方を窺い、次の作戦を立てる足掛かりとしての意味も持つ作戦である。
問題はなかった。

千草は口もとに馬鹿にするようなうすら笑いを浮かべながら振り返る。

「ではまた今度。おバカな西洋魔術師さん」

言葉の中に隠しきれない暗い感情を込めながら挑発的に吐き捨てる。
そして悠然と歩み去り、

『天罰ぅああああ!!!』

「みぎゃああああああああ!」

振り下ろされた警策の一撃にこの日一番の絶叫を轟かせた。
















あとがき

修学旅行編……………………完

いや嘘です。終わりません。
終わられても逆に困ります。

かつて……かつて清水寺エピソードに以下略。

なんというかまとめなきゃと思うのですが、次々とネタを思いついてしまって。
まあ原作がもうすぐはっちゃけづらくなっていくので自然と脱線も減っていくのでしょうが、やっぱ真面目な話より書いていて楽しいんですよね。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第41話 風呂場でのニアミスは王道。つまりはこれも……いや違うか
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/03/15 22:20
神と俺のコイントス










何の変哲もない空家。
別段綺麗なわけでもなく、また人の記憶に残るほど寂れているわけでもない。
例え前を通りかかるものが居ようと、さして気にもせずに通り過ぎてしまうであろう普通の家である。
電気がついていなければ「空家か」で済まされ、ついていたとしても「居たのか」と一言思い浮かべられて以降の記憶に残りもしない。

徹底的に平凡な空き家だった。

そこに今天ヶ崎千草はいた。
長い黒髪は流れるようにまっすぐ重力に引かれ、肩を見せるように着崩した着物にも隙はなかった。

眼鏡の奥の瞳を妖しく、危うく光らせながら、千草は口の端を吊り上げて遠くに見えるホテルの姿を眺めた。
それなりに距離はあるのだが、建物自体が大きいため肉眼でも確認できる。

ここが千草の用意した今日の宿泊場所だった。
今日の夜、近衛木乃香を誘拐する。

関東魔法教会理事の孫であり、関西呪術協会の長。
極東随一の魔力を持ち、自分の計画に無くてはならない重要なファクター。
例えこれに失敗したとしても第二第三の計画は立ててあるが、決して失敗しない意気込みで臨んでも行きすぎることはないだろう。

ついに、あの忌々しい西洋魔術師たちに目に物見せてやるときがきたのだ。
湧きあがる黒い念に千草は奥歯をかみしめる。

そして部屋の中を見回した。

質素なリビング。
既に空き家となっているにもかかわらず電気は付いているのだが、まだ外が明るい今は電気をつける必要もなかった。
千草が今回の計画の為に集めたメンバーが思い思いに時間を過ごしている。

表面の皮のくたびれたソファで刀の手入れをしている神明流の使い手だという少女。
ゴスロリ服を着て眼鏡をかけたその姿はおよそ剣士とは結びつかないが、彼女が確かな剣の腕を持っているのは分かっている。

つまらなそうにシャドーボクシングをしている、頭に犬の耳をつけた狗族の少年。
一見して10歳かそこらの野性的な少年にしか見えないが、立派に気を使いこなし一人の戦士として確立された実力を持っていた。

そしてテーブルで静かにコーヒーを飲んでいる白髪の少年。
これもまた犬耳の少年と同じくらい幼い外見をしているが、彼が見た目通りでないのは一目見たときから漠然と感じていた。
底の見えない不気味さが静かなその白い風貌から漂っている。

見た目は頼りないところもあるが、皆実力者ばかりだ。
準備は万全と言えよう。
これでついに果たせるのだ。復讐を。
どれだけの夜を憎悪に身を焦がしながら過ごしたことか。
今度こそ。
決意も新たに仲間に声をかけようとした瞬間。

「で、これは何をする集まりなのだ?」

唐突にかけられた言葉に千草は頬をひきつらせた。

男性にしては綺麗な、だが決して女性とは間違えられようのない声。
声の源は確かめるまでもない。千草の集めた仲間には成人男性は一人しかいない。
確かめるまでもないのだが、千草はあえてそちらに視線を向けた。
こちらの勢いを削ぎ落すように、のんきな声で問いかけてきたその男への苛立ちを込めて睨みつける。
だが、テーブルのフェイトの向かいに座っている男は気にもならなかったようで、変わらぬ口調で続けてきた。

「いきなり家の者に仕事だから行ってこいと言われて来たは良いが、某は何をすればいいのだ?」

こちらのがんつけなど気にするはずもなかった。
そもそもこの男、こちらを見てもいない。
袴に髷という時代錯誤もいいところの格好をした男は、手元の針と糸を親の仇でも見るかのような険しい表情で睨んでいる。
年のころは二十歳くらいだろうか。
少し線の細い端正な顔立ちをしているのだが、今その眉間には深々と皺が刻まれていた。
良く見れば、繰り返し繰り返し針の穴に糸を通そうとしているのが分かる。

破れた上着を縫うと言い出し、裁縫道具をこの家の押し入れから見つけ出してきたのは今から3時間ほど前だったか。
それからずっと、この男は針の穴に糸を通そうと苦心していた。
それ以来一度として休憩も挟まず指先に集中しているさまはある種異様ですらあった。
信じがたい集中力だが、明らかに使う場面を間違っている。

神鳴流の少女なり白髪の少年なりはそれなりの雰囲気という者を持っているが、この男からは何も感じない。
服装と口調以外はそこら辺を歩いていそうな青年にしか見えない。
コネを使ってまで雇い入れた、真木という剣士一族の剣士だそうだが、こんな姿を見ていると本当に使えるのか不安になってくるのだった。

嘆息を漏らす。

本来はこの男は雇う予定はなかった。
ただ清水寺で見かけた狼のような目をした女。
咸卦法を用いて信じがたい威力の蹴りを放つ姿を見かけたとき、厄介な敵になると本能が告げていたのだ。
さらに一行の中に、悪名高いかのエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルにそっくりな少女まで見かけた。
本物が麻帆良の外に出られるはずがないし、その少女からは殆ど魔力を感じなかったが用心するに越したことはない。

そこで急遽用意した戦力がこの男だった。

男の向かいに座る白髪の少年は、コーヒーカップに落としていた視線を持ち上げると、目の前の男を呆れ交じりに見つめながら呟いた。

「絶望的に不器用だね」

その言葉に男は不満げに口を尖らせた。

「しかたなかろう。これはもう生来のものだ。だがここで負けていては極みになど達せん」

「極みってなんだい?針の穴通しでも極めるのかい?」

白髪の少年が無表情に吐きだした皮肉に男は言葉を詰まらせる。
しばらくして鼻を鳴らすと、再び真剣な表情で針の穴に糸を通す作業に戻る。
ゆっくりと糸を穴に近づけていくが、明らかに5ミリはずれている。
修正しようと男が指先を動かすと糸は反対方向に5ミリ以上ずれた。
また修正しても同じことの繰り返し。

やり始めて十秒ほどしたころ、仮想敵を相手にすばやく拳を撃ち込み続けていた犬耳の少年がちらちらと視線を男の手元に向け出す。
さらに十秒ほどしたころ、少年はじれったそうに鼻の頭に皺を寄せた。
そこからさらに十秒たったあたり。
とうとう耐えきれずに少年が叫ぶ。

「だあああああ!もうええ、じれったい!貸せや真木の兄ちゃん!俺が通したる!」

「待て待て待て待て!ここで退いたら某の負けだ!この針明らかに某に敵意がある!いつもはもう少し上手くいきそうになるのに、この針は希望すら見えん!」

「針が人に敵意なんぞ持つかい!ええから貸せって!兄ちゃんじゃ無理やわ!一生かかっても無理や!むしろ一生を通り越して来世までかけても無理や!」

「来世まで断言!?いくらなんでもそこまで言われたら某でも傷つくぞ!」

針と糸を巡って取っ組み合いを始めた二人を半眼で見つめ、千草は小さく呟いた。

「人選……間違ったかもしれへん」











第41話  風呂場でのニアミスは王道。つまりはこれも王道?











体を包み込む湯の温かさが、じわじわと体の内側まで温めていく。
この内側と言うのは一体どこまでを指すのだろうか。
ネギは己の体を肩まで湯の中に沈めながら肺の中の空気を絞り出した。
緊張していた筋肉がほぐれ、解き放たれた血流が老廃物を押し流す。
体の芯まではおろか、心まで温められるような気すらした。
断言してもいいが、今自分はこの上なくふやけた顔をしているだろう。

「いい湯だね~」

そして表情同様のふやけた声を出した。
ネギの目に移るのは真っ黒な夜空。
そしてそれに散らばめられたいくつかの星々。
風呂に入りながら空が見える。
これはネギにとっては初めての経験だった。
露天風呂という代物がそもそもイギリスにはなかったのだ。
風呂から外が見えるとしてもそれは窓越しだ。

解き放たれた天井と、吹き抜ける風に浸りながら身も心も温まる。
それが露天風呂の良さなのだろう。

幸せ気分に浸っているネギに、共に湯船につかっている白いオコジョ――カモが少々の呆れを込めて言った。

「ホント爺くさいところあるよな、兄貴って……」

カモが手に持ったミニマムサイズのお猪口を傾けると、猪口のなかで月の影を映していた日本酒がさらりとカモの喉へ流れ込む。
猪口の中身を一息に飲み干すと、口もとをぬぐいうまそうに息を吐き出す。

「ぷはあ~~」

「カモ君。おじさんくさいよ」

一矢報いた、と口もとに笑みを浮かべるネギにカモもまた笑みを返す。
二人で少しばかり意地の悪い笑みを浮かべる姿は年相応の少年のようだ。
カモとネギは同時に湯船に深く身を浸すと、くつろいだように吐息を漏らす。

「ホントいい湯だな。これで桜咲刹那の件が無けりゃあなあ」

カモの言葉にネギは不安げに空を睨んだ。
確かに彼女は京都に縁のある者らしいし、魔法関係者だ。
なおかつ、清水寺においてもこちらを何度か見ていた。
一度は敵意すら向けていた。

だが、だからといって彼女がスパイだと決めつけるのはいささか尚早ではないだろうか。
彼女のことをどれだけ知っているというわけでもない。
精々がホレ薬騒ぎと呂布騒ぎのときに少し一緒になった程度だ。
だが、木乃香を守るために、飛ぶような勢いで駆けつけてきた彼女の姿。
あの時は怒り狂った誠亜への恐怖で分からなかったが、思い返してみてもあの時の刹那の表情は本物だった。
本当に木乃香を心配して守ろうとしている顔だった。
そんな彼女が関西呪術協会に与し、木乃香の属するクラスを傷つけるような真似はしないと思える。

(思いたいだけ……かな)

自嘲気味に胸中で呟く。
冷静に考えれば、木乃香を守ることと木乃香を含む3-A全てを守ることは必ずしもイコールで結び付くわけではないのかもしれない。

「気ぃつけろよ兄貴。あいつ、いつも木刀みたいなの持ってるし、魔法使いの兄貴じゃ呪文唱える前に負けちまうよ」

「う~ん。魔法使いに剣士は天敵だよ」

接近戦に持ち込まれた時の魔法使いの弱さは、エヴァンジェリンとの初戦における茶々丸によって嫌というほど分かっていた。
相手がどちらかと言えばオールラウンダーな補助を得意とする茶々丸でもそうだったのだ。
近接戦闘を専門とした剣士が相手ではなおさらだろう。
出来れば戦いたくないものである。
相性の悪い者として、先生として。

そのときだった。
扉の開く音が聞こえてきたのは。
今は教員の時間のはずだし、ここが男湯であることを考えれば入ってくるのは新田か瀬流彦あたりだろうか。

軽い気持ちで振り向いたネギは目に入って来た白い色に戸惑いの声を上げた。
軽く目をこすってもう一度それを見る。

改めて視認して分かったのはそれが想像していた男性教諭ではないということだ。
強い意志を宿していそうなきつめの目つきに、艶やかな黒髪は頭の左側で一つにまとめられている。
小柄で女性らしい凹凸はあまりないが月のように白くきめ細やかな肌は清廉な美しさを宿していた。
ネギのクラスの生徒の一人。
今まさに話題に上っていた桜咲刹那その人である。

ネギは慌てて湯船の中心に座する岩陰に隠れると、囁く様な声で狼狽の声を上げた。

「な、なんで刹那さんが男湯に!?」

するとカモが同じように囁き返してくる。

「男湯じゃなかったんだよ!」

まさか間違って女湯に入っていたのか。
ネギは必死に己の記憶を掘り起こした。
そして確認する。自分は確かに男湯と記された青い暖簾をくぐって来た。

「いやいや、僕ちゃんと男湯に入ったよ!刹那さんが間違えたんじゃ」

「そうじゃねえよ兄貴!ここは混浴だったんだ。入口は別でも中は同じなんだ」

練習時代の小さな杖を取り出し、息をのんで状況を見守るが刹那はこちらに気付いていないようで、風呂桶に汲んだお湯を己の体にかけていた。

「ふむ。これが大和撫子ってやつだな」

鼻の下を伸ばして言うカモにネギはジト目を送る。

「どこ見てるのカモ君」

だがカモは慌てることもなく、ただにんまりと笑った。

「そんなこと言って。兄貴だって最初にあいつを見たときガン見してたじゃねえか。わかってるんだぜ~」

「そ、そんなこと」

ないと言おうとして、ネギは尻すぼみに言葉を飲み込んだ。
カモの言うとおり最初に彼女を見たとき、しばし見とれていたのも事実だ。

「まあそれは良いとして、ここはズラかるぜ。パートナー無しの接近戦じゃ勝ち目なんてねえ」

カモの言葉に頷いて、岩の影を音を立てないようにゆっくりと進む。

その時、ネギの耳に刹那のため息が聞こえてきた。
ため息に引きずられるように刹那の喉が呟きを漏らす。

「魔法使いであるネギ先生なら何とかしてくれると思ったんだが」

その言葉にネギとカモは同時に息をのんだ。
素早く顔を合わせる。
白い体毛に覆われた細長い体。
ヒトとは造作が違うくせに、ヒト以上に表情豊かなその顔が緊張に引きしまっていた。

カモは音を立てずにネギの肩の上に登ってくる。
そしてくりくりとした瞳に目一杯の敵意を乗せて、刹那を睨みつけた。

「兄貴のことを魔法使いだと知っている。怪しいぜ。やっぱあいつはスパイ……」

それを言いきることはできない。
弾かれたようにこちらを見た刹那が拾い上げた小石を指ではじいて露天風呂を淡く照らしていた電灯を打ち砕く。
甲高い音と共に闇に包まれる。

「誰だ!?」

鋭い誰何の声と共に突き刺さるような鋭利な剣気がネギを襲う。
咄嗟に立ちあがって逃げ出そうとするネギ。
だが腰まであるお湯が著しくその動きを阻害していた。

風呂場でまで手放していなかったのか、刹那が刀を握って素早くネギの隠れる岩のもとまで駆け寄る。
その動きは湯の中だとは思えないほど素早い。

小さな音が鳴る。
かすかな、だが澄んだ鈴の音のような音だ。
それが刀の鯉口を切る音だと理解した瞬間、閃光が駆け抜けた。
銀色の光は一文字に空間を刻む。
光の線を上書きされた岩が拍子抜けするほどあっさりと切り飛ばされる様に、ネギは目を見開いた。

「ラステル・マ・スキル・マギステル」

焦燥に突き動かされるままに呪文を紡ぐ。
刹那がスパイであるにしろ、そうでないにしろ、今彼女がこちらを敵と認識していることに変わりはない。
このままでは確かめる前に首と胴体がサヨナラしかねない。

ネギは素早く振り向くと、杖を刹那に向けた。

「風花・武装解除!」

放つ魔法は武装解除。
吹き抜けた風に飛ばされるように刹那の手の中の長大な野太刀が弾け飛んだ。

剣士ならば剣を弾いてしまえば戦力を奪うことができる。
一度膠着状態に持ち込めれば話をする余地ができるはず。
それがネギの狙いだった。
視界の端でカモも小さくガッツポーズをとっている。

だが刹那は一瞬驚きの表情を浮かべはしたものの、すぐさまそれは不敵な笑みへととってかわられる。
まずいと思う間もない。
またたく間にネギとの間合いを詰めた刹那は右手でネギの喉を鷲掴みにした。
空気が絞り出される感覚にたまらず悲鳴を上げる。

「ふぎっ!」

絞殺される。
一瞬そんな怖い想像が脳裏をよぎった。
だが悲しむべきかなそれだけでは終わらなかった。
間髪いれずにのばされた刹那の左手がネギの股間を鷲掴みにする。
男特有の痛みにネギは先を上回る珍妙な悲鳴を上げた。

「ぎゃぴっ!」

刹那はそのまま底冷えするような声で、殺気を放ちながら言い放ってきた。

「何者だ。答えねばひねり潰すぞ」


どちらをですか?

涙目になってネギは震えながらがくがくと首を縦に振る。
潰されるのがどちらにせよ、お終いなのには変わりがない。
終わるのが命か男かの違いだ。

隣ではガッツポーズを取ったままのカモが目をまん丸に見開き、大口を開けて茫然としている。
一瞬の早技に言葉も出ないようだった。

股間に与えられる圧迫とじわじわと這いあがってくる鈍く重い痛みが、麻帆良への就任初日に誠亜によって思い切り蹴りあげられたときの痛みをネギに思い出させる。

「さ、3年A組担任ネギ・スプリングフィールドですぅ!!」

「え?」

悲鳴じみた声で叫ぶと、刹那は驚いたようにこちらを見た。
軽く見開かれた目は、落っことしたように先程までの鋭さを失っている。

「アレ……ネギ先生?」

呆けたように言う刹那にネギは再び首を縦に振った。
そのまま震える声で懇願する。

「あ、あの、話し合いましょう。だから上も下も潰さないでもらえるとありがたいです」

「上も……」

戦士としての無意識的な行動だったのか。
刹那はネギに言われて確かめるように右手を軽く握った。
苦しいほどではないがネギの首に刹那の指の感触が食い込んだ。
剣を握るものにしては綺麗な指の感触が首の表面に与えられる。

「下も……?」

次いで左手を軽く握る刹那。
その感触で自分が何を握っているのか再認識したのか、白い顔の頬にさっと朱がともった。

その時だ。
眩い白光が露天風呂を照らし上げた。
一度だけでなく何度も。
そして同時に響くシャッター音。

「「え……?」」

おそるおそる音の源へと顔を向けるネギと刹那。
向いた先に見えてきたのは、顔以外をすっぽりと覆う黒い全身タイツに身を包み、顔にも何か黒い塗料を塗りたくった髭ダンディだった。
全身タイツによって、引き締まった均整のとれた体つきがありありと見て取れる。

真っ黒タイツの神がこちらを見てとてもいい笑顔で笑っていた。
手にはこれでもかというぐらい立派な一眼レフカメラ。
周囲からの目線を遮るための仕切りの上に腰かけ、こちらを睥睨しながら告げた。

「面白いプレイだな。朝倉あたりが喜びそうなニュースだ」

「ちょっとおおおお!!」

絶叫する。
慌てて両腕を振り回しながら弁明の声を投げつけた。

「違います!僕達は何もしてません!これはちょっとした誤解がですね!」

万が一こんなことが朝倉和美の耳に入ろうものなら、今日の晩を迎えるまでもなくクラス中に知れ渡ることだろう。
それはまったくもっていただけない。
刹那も同じ思いだったのか、

「そ、そうです!私達には何もありません!今のは不幸な偶然と誤解が絡み合って螺旋軌道をっ!」

あまりに慌てたのか途中から良く分からないことになり始めている。

「くっくっく。どういう誤解をすれば風呂場で女子中学生が担任教師の股間を握りしめると言うのだ!?」

鼻で笑って返す神に、刹那は弾かれた刀を拾うことも忘れているようだった。

「敵だと勘違いしたんです!殺気を感じたものでつい!」

「くふはははは!何故そこの小僧がお前に殺気を放つのだ!?下手な弁明はよすがいい!!」

「嘘じゃないです!妨害あるたびに刹那さんがこちらを見ていて。おまけに落とし穴の時は敵意も見せていたから、もしかしたらと思って!」

「あ、あれはネギ先生を見ていたのではなく、その向こうの坊主の霊をですね!」

かわるがわるまくしたてるネギと刹那に、神は顎に手を上げると唸った。

「なるほど、誤解だ、と」

ようやく通じたようで安堵の息を漏らす二人。
だが神は意地の悪い笑顔を浮かべると、壁の上に立って天を大きく振り仰いだ。

「甘い!甘いぞ桜咲刹那!そしてネギ・スプリングフィールド!」

ぎょっとするが止める間もない。
神が天に掲げた指を鳴らす。

「真実がどうあれ、この写真を見たものはそうは思わんのだあああああ!!」

それと同時に先ほどのネギ達を映した映像が天にでかでかと映し出された。

首と股間を掴まれて顔を青ざめさせているネギと、自分がネギのものを握りしめていることに気付いた刹那が顔を赤らめている最悪の瞬間。

「イヤァァァァッ!!」

涙目になって少女のような悲鳴を上げてしまうネギ。
冗談ではない。
もし今、偶然空を見上げている者がいたら、一巻の終わりである。

「神!今すぐあの映像を消せ!さもなくば斬る!」

顔を真っ赤にして歯を剥き出しにした刹那が恫喝するように吼えるが、神の笑みを崩すことはできなかった。
楽しくてしょうがないという笑い声と共に神が指を再び鳴らす。
すると、天の映像が唐突に切り替わった。

「さぁらあにっ!このアングルから撮った写真ならば、もはやアレにしか見えん!!」

その絶妙なアングルで撮られた写真は、ネギの斜め後ろから撮ったものらしく、ネギの首をしめる腕と青ざめた表情が見えない。
見えるのは裸のネギと刹那が向かい合い、刹那がネギの股間を握りながら顔を赤くしている姿だ。

「うわああ!うわあああああああ!」

あまりのことに顔を真っ赤に染め上げ、ひたすらに叫びながら剣を振るって気の刃を飛ばす刹那。
それをひょいひょいとボールでも避けるような気軽さで避けると、神は爆弾を置き去って大きく跳躍した。

「さあて!朝倉はどこだ!?」

「「待てええええええええ!!」」

絶叫と共に湯を蹴立てて追いかけるネギと刹那。
だが今からでは到底神には追いつけそうにない。
どうすればいい。
必死に頭を回転させるがいい方法は全く浮かんでこない。
まったく、1か月ちょっとで日本語をマスターできるようなスペックを持っているくせに、こういう時にこそ働かなくてどうするのだ。
神頼みはできない。その神が元凶なのだ。
自分の脳に毒づきながら、ネギはただ手を伸ばした。

むろん手を伸ばしたところで神を捕まえられるわけではない。
手の平の向こうに白々とした月が輝くのみだ。

だがその月に黒い陰りがあるのを見て、ネギは眉をひそめた。
良く見れば、小さいがその影は人型のように見える。

黒い人影が長い髪を揺らし、月光をバックに空を舞っていた。
炯炯と輝く瞳がぎろりとこちらを、否、神を睨みつけている。

人影が淡くも力強い光を纏う。
次の瞬間、大きな空気の輪を残しながら人影は隕石のごとくこちらへと突撃した。
瞬く間もなく一瞬で神のもとへと到達した人影は、神の頭を鷲掴みにすると一切の減速なく地面へと突貫。
力の限り神の体を地面に叩きつけた。

爆撃でもされたかのような衝撃が周囲を打ち据える。
立ち並ぶ木々は台風でも来たかのように大きくしなり、湯船の湯も津波のように波打った。
轟音が世界を揺るがし、遅れてきた叫び声が爆音のコーラスに飛び入り参加する。

「何しとんじゃ貴様はああああああ!!」

それは間違いなく、ネギの生徒である風間誠亜の声だった。
砕け散った大地の破片がぴしぴしと体を叩く感覚に慌てて目を守ろうと腕をかざす。
立ちこめる土煙が晴れた先に見えたのは。
気をつけの姿勢で上半身を地面に埋め、大地に突き刺さっている神とその隣で目を爛々と輝かせる誠亜の姿だった。

まなじりを吊り上げ、地獄の番犬ケルベロスも裸足で逃げ出すような鬼気と共に吐き捨てる。

「大事なことだからもう一度聞こう!なにやっとんだお前は!ホテルの部屋で窓からあの写真見たときはマジでビビったわ!」

慌てて見上げてみると空の写真は既に跡形もなくなっている。
今度こそ安堵の息を吐きながらネギは腰を落とした。
だいぶ減った湯は湯船の床に座っても腹のあたりまでしかない。

「モガモグモゴガガ」

神は地面に刺さったままで答えたようだが、くぐもっていてよく聞こえない。

「聞こえねえぞー」

誠亜が唸るように告げると、神はしばらく体を抜こうとするかのようにもがいた。
だがどれだけもがいても一向に抜けないことに諦めたのか、しばらくすると動きを止める。

そして次の瞬間、さかさまに直立する神の下半身の中心、股間からにゅっと神の顔が生える。

「「「「キモッ!!」」」」

気がつけばその場にいる神以外の全員の口からそんな言葉が滑り出ていた。
神はそんな反応も気にしないどころか楽しむように、

「ふっふっふ。ただでは転ばぬ神クオリティ。見たか!」

「見たくねえよ。股間から頭生やしたおっさんなど見たくもねえよ」

半眼で告げる誠亜は、大きく嘆息すると、神を睨みながら口を開いた。

「お前アレだろう。あんな目立つことやっていいのか?ここは麻帆良じゃねえんだぞ」

「ふん。どうせ魔法関係者以外の記憶と記録には残らないようにしてある。小僧たちが死ぬほど恥ずかしい思いをする以外何の問題もない」

「問題ありますよ!」

聞こえてきたシャレにならない発言に反撃する。
隣では刹那が刀の鯉口を切っていた。
これはもう文句を言っていいレベルだろう。
文句なしにつらつらと不平不満を並べ立てていいはずだ。

ネギが立ちあがって一歩踏み出そうとした瞬間だ。
唐突に甲高い悲鳴が突き抜けた。
声の源は更衣室の方。
そして今の柔らかな声は間違いなく近衛木乃香のものである。

神への不満も軽く吹き飛んで、ネギと刹那は駆け出した。
3人同時に叫ぶ。

「このかさん!」
「木乃香お嬢様!」
「ハプニングか!?」

一つ混ざっていた不謹慎な男の声にネギは逡巡して足を止めた。
ここは神を止めておいた方がいいのではないだろうか。
このかの身に何かが起こっているのだとして、神の悪戯のせいで面倒なことになってはたまらない。
だが一刻を争う状況であった場合神にかまけている時間が致命的な遅れとなるかもしれない。

悩むネギに彼とは逆、神の方へと駆けだしていた誠亜が叫んだ。

「行け、ネギ!」

「うぉいちょっと待て誠亜!お前一体何する気……」

神の言葉を無視して誠亜は神の目の前まで達すると、右足を勢いよく振り上げた。
天に向けられた足はまるで神の鉄槌のごとく。

「お前は、大人しくしてろ!!」

誠亜は咆哮と共に右脚を振り下ろす。
空を割いてうち下ろされた一撃は容赦なく神の股間の頭を打ち据えた。
いかなる力こめられていたのか、神の体がさらに深く地面に突き刺さる。
あまりの衝撃に、突き刺さる神を中心に蜘蛛の巣状に大きな罅が地面を走った。
股間の頭の根元まで地面に押し込まれた神が悲痛な叫びを上げる。

「ノオオオオオオ!神の股間が!頭が!股間か頭か、否、股間であって頭!頭と股間の痛みが二重にデュアル・インパクトオオオオオオ!!」

痙攣しだした神の声がネギの背にのしかかる。
その悲鳴に、ネギの脳裏に就任初日の悪夢が感覚となってよみがえりかけた。
ネギはそれを振り払うように女子更衣室への扉を開くのだった。







[9509] 第42話 モンキー・オブ・モンキー
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/03/23 15:25
神と俺のコイントス








ところは京都。
自分達のアジトとしていた空き家である。
針の穴と糸を巡る戦いで所々床板が割れているが、それ以外は昼ごろとなんら変わらない。
その場で頭に犬の耳を生やした少年――犬上小太郎は大きくあくびした。
野性味あふれる少年で、十回運動と読書を選択させたら十回とも運動を選びそうな雰囲気を持っている。

そのあくびを見とがめたのか、鋭く帰って来た視線に小太郎はあくびを噛み殺した。
その代わりのように、ざんばらの黒髪の中から突き出た犬耳が小さく動く。
面倒くさげな表情を隠すために小太郎が椅子を回転させて女に背を向けると、彼女――天ヶ崎千草は鼻を鳴らして他の仲間に指示を出し始めた。
千草の言葉にゴスロリ風の服を着た神鳴流剣士、月詠が分かっているのか分かっていないのかいまいち判断しづらいふわふわした笑みと共に返事をする。
ソファでコーヒーを飲む少年――フェイト・アーウェルンクスは振り向きもせずに小さく頷いた。

今日、日が暮れてから、いよいよ近衛木乃香の誘拐計画を実行に移すのだ。
そして彼女の持つ膨大な魔力を使って古の鬼を復活させる。
彼女はその力を使って西洋魔術師に復讐をするつもりらしい。

だがまあ正直言ってその目的や動機にはさほど関心はなかった。
確かに小太郎も西洋魔術師が嫌いだ。
だがそれは彼らが、接近戦を前衛に任せて後方で呪文を唱えるつまらない連中だからだ。
遠距離攻撃をしのいで、呪文を唱える暇も与えなければ敵にもならない。
戦いを好む小太郎としては、正直魔法使いには悪い印象が強い。
彼が望むのはしのぎを削るような打ち合いなのだ。

だが、嫌いだからといって千草のように恨んでいるわけでもない。
そのため、彼女の西洋魔術師に復讐という目的にはそれほどそそられていないのである。
むしろ過程における戦いの方が興味があった。

「ええか。ちゃんと指示した役割を果たしいや」

「うむ。分かっている」

千草が釘をさすように言ったのは、一人の男だった。
まげを結い、袴をはいた古風な男だ。
そのくせ上着の方は袖が西洋風に細い筒状をしており、しかもひじから先を布で固めているのでシルエットは和洋会い混ざった妙なものになっている。

「大丈夫だ。某に任せておくがいい」

自信満々に頷く男。
口調まで古風である。
侍以外にはとても見えない格好で刀を持っているが、生憎と小太郎は彼が刀を抜いている姿を見たことがなかった。
月詠のように手入れをすることもなければ、小太郎のように実際に体を動かしてウォームアップすることもない。

どこか間の抜けた言動から、ひょっとしてこいつは剣士ではないのではないかという考えすら浮かんでいた。

真木宗弥。
それが彼の名前だった。
真木一門は規模やネームバリューでは神鳴流に遠く及ばないが、剣士それぞれが比較的高水準の実力を持ち、中には神鳴流のトップクラスに匹敵する力を持つものがちらほらといる一族らしい。

というのは神鳴流剣士の月詠から聞いたことだ。
ちなみに小太郎は初耳だった。
裏側の剣士連中は名前ぐらい知っているが、裏側でも剣に関わりの薄いものは知らない。
つまりはまあそれぐらいの連中だということだ。

真木は唐突に何かを思い出したかのように手を打つと、扉をくぐろうとする千草を呼び止めた。
胡乱毛な眼差しで見る千草に、気にした様子もなく手に持った物を差し出す。
それを見た千草はひたすらに困惑したように眉をひそめた。
だが、真木の方は特に自分の行動に疑問は感じていないのか、真顔で言い放った。

「潜入任務には必需品らしいぞ。持っていけ」

つい受け取ってしまった千草は、己の手に抱えられたそれに無言で視線を落とす。
その顔から察するに恐らく自分と同じことを考えているのだろう。
つまりはこれが本気かジョークか、だ。

結局、千草はそのまま数十秒ほど固まっていた。
空の段ボールを抱えて。

真木という男が、またさらに分からなくなった瞬間である。











第42話  モンキー・オブ・モンキー









月下の露天風呂。
誠亜は訝しむように周囲を見回した。
自分の突撃のせいで壊れた地面。
湯船の中の岩は綺麗に切断されている。これは刹那の仕業だろう。
衝撃に弾け飛んだ湯はだいぶ深さを減らし、お子様用プール程度の深さになっていた。

だが誠亜が気になったのは別の所だ。
一瞬何かの気配を感じたような気がしたのだ。
自分でもなく、木乃香の悲鳴に駆けつけていったネギ達でもなく。
地面に頭から股間まで突き刺さっている神でもない気配を。
いや、どちらかといえば違和感か。
何度気配を探ろうとしても不審な気配は感じられない。

首を傾げた誠亜が踵を返そうとしたところで、更衣室から再び悲鳴が響き渡った。
一瞬、状況が急に悪天したのかと肝を冷やすが、それにしては悲鳴に緊迫感がなかった。
次いで別の悲鳴が響く。
それは先までの悲鳴とは異なり、少年のものだった。
やはりその悲鳴にも緊迫感はあまりない。

「なんだ?」

「何をしている!」

疑問の声を上げる誠亜に悲鳴とは違って緊迫感に満ちた声が叩きつけられた。
誠亜が心底嫌そうに振り返ると、そこにはいつ脱出したのか神が仁王立ちしていた。
なぜか白タイツの格好の上に白衣を着ている。
ちなみに頭は股間に移ったままだった。
まっすぐ立った神の体の股間部分にさかさまの神の頭が付いている。

誠亜が無性にそこに蹴りを叩きこみたい衝動に駆られていると、神は不敵に笑って手に持った何かを投げつけてきた。
空を割いて飛来する棒状のそれを受け止めると、誠亜は静かに疑問の声を上げた。

「虫取り網?」

神は大きく首を縦に振ると、神託を告げる神官のように厳かに言い放った。

「捕まえるときは『ゲッチュ!』と叫ぶのだ」

ひたすらにいい笑顔で歯を輝かせる神。
股間に頭があるせいか非常に気持ち悪い。
誠亜は深く息を吸い込み、右手に持った虫取り網を振りかぶった。
そして槍投げのように鋭く投じる。

「やかましいわ!」

裂帛の声と共に飛翔した虫取り網はまっすぐ神の股間の位置、すなわち今の神の顔面へと吸い込まれるように突き進んだ。

神は突然の攻撃に目を見開くと、瞬時にその表情を不敵なものに入れ替えた。

「甘い!」

勝ち誇るように叫びながら、一度軽く曲げた体を跳ぶように伸ばした。
それに合わせ、神の首から頭が生えてくる。
まるで亀だ。

これによって虫取り網は神の顔面を捉え損ねてしまった。
得意げにこちらを睥睨する神を、誠亜は無言で見つめていた。

数瞬後、得意げな神の顔が歪んだ。
眉間にしわがより、目が見開かれて口が小さく突き出される。
やがて額に脂汗が滲み、ゆっくりと前かがみに、そして前のめりに倒れていった。

悶絶する神を見下ろしながら誠亜は呆れたように言った。

「頭引っ込めたら股間にダイレクトだろうに」

だがこれで神をしばらく黙らせられただろう。
誠亜は満足げに頷くと、女子更衣室への扉を開いた。

更衣室特有の少しばかりの湿り気はあるが、実に清潔に保たれている。
壁際には多数の脱いだ衣類を入れる籠がずらりと並んでいる。
だが、今この風呂を使っていた女性は刹那だけだったためか、中に衣服が入っている籠はアスナとこのかを含めて3つしかない。
化粧を直すための鏡などが多めなのはやはり女性用だからか。

その更衣室の中心ではアスナとこのか、ついでになぜかネギが下着やタオルを奪い去られて一糸まとわぬ姿で頬を赤らめていた。
ネギの隣ではカモが子ザルにプロレス技をかけられ、必死に床をタップしている。
そしてそれらをなしたであろう子ザルたちが、手に手に下着やタオルを掲げ、3人の周囲を勝ち誇るように回り続けていた。

「何この状況?」

茫然として呟く誠亜。
それとは対照的に、タオルをはぎ取ろうとするサルを叩き落としていた刹那は怒りに身を震わせた。

「こ、この子ザル共!お嬢様に何をするか!」

怒声と共に手にした刀を鞘から抜き放つ。
白い電灯の光に鈍く輝くその刀身にアスナがぎょっとしたように息をのむ。
だが何よりも驚いたのはサルたちだったようだ。
手に持っていた下着を放り捨てると、動物らしい俊敏性で素早く跳躍した。
数匹で瞬く間に木乃香を担ぎあげ、そのまま運び去ろうと駆けだす。
だが、それも神鳴流剣士、桜咲刹那の前では大した意味は無かった。

一瞬でサルたちのもとへと達すると、剣を振りかぶる。
刀を構えるその姿は引き絞られた弓にも似て、込められた力と意思の鋭さを感じさせた。

「神鳴流奥義」

静かに告げられた言葉にサルたちが小さくうめき声をあげる。
あらためて刹那の放たんとしている技が危険なものだと把握したのか、サルたちが表情を険しくした。
だが次の行動を起こすことはできない。
地を擦って滑り込んだ刹那がサルたちの手から木乃香を取り上げる。
木乃香を奪い返されたことに気づいたサルは慌てて飛び退ろうとするが、何もかも遅すぎた。

「百列桜華斬!!」

鋭い剣閃が舞い踊り、大気の裂断する音が幾重にも鳴り響く。
10匹近くいたはずの子ザルたちは、刹那の放った一撃にその身を断ちきられ、小さな紙型となって消え去った。

「ウキ……」

その剣の鮮やかさにネギ達が言葉も発せずにいると、部屋の端で数匹のサルが悔しげに鳴いた。
刹那が刀を抜き放った時、木乃香を担ぎあげに行くのではなく距離を取った奴らだ。

彼らは互いに目を合わせて頷くと、3方に散ってにじり寄るように木乃香へと歩み寄らんとする。
だが、多方向から跳びかかる程度で、刹那の守りを破ることなどできようはずもない。

それをサルたちも理解しているのか、3匹の子ザルの顔には冷や汗が浮かんでいた。
最初は何がしたいのかまるで分らなかったが、どうやらこの子ザルたち、木乃香をねらっているらしい。
関西呪術協会の妨害だろうか。
だがそれにしては間抜けすぎる所はある気もするが、思えば今までの妨害も間抜けといえば間抜けだ。

誠亜はすぐ隣にあった衣類籠を音を立てないように取り上げると、それを彼女の前方、つまりは刹那の背後からにじり寄るサルの背中へと投げつけた。
刹那の背後を取りながら自分の背後は注意していなかったのか、あっさりと籠に捕らえられたサルが慌てて籠を跳ね上げる。
だがその時には既に誠亜はサルの目の前まで移動していた。
悔恨に表情を歪めるサルを容赦なく踏みつぶす。
甲高い悲鳴を残しながら、潰されたサルは紙型へとその姿を戻した。

刹那の隣に立った誠亜はサルたちを睨みながら問いかける。

「どう思う?やっぱ西の妨害か?」

「恐らくは」

真剣な表情で返してくる刹那に誠亜は頭をかきながら呟いた。

「とりあえずこいつら片して落ち着いて考えるか」

ボキボキと両手の指を鳴らしながらサルへと歩みよる誠亜。
するとサルたちは刹那と対峙していたとき以上に顔を青ざめさせて後ずさった。
その様はまるで蛇に睨まれたカエルのごとく。
なんだろうか。
こいつらまで狼女呼ばわりでもするつもりだろうか。

誠亜が一歩近づけば、サルたちは3歩後ずさる。
やがてサルたちの背中が壁にぶつかったところで、唐突に更衣室の扉が開いた。
そして開いた扉から十数匹のサルが殺到する。
刹那と誠亜は一気に気を引き締めると、臨戦態勢を取ってサルたちの出方を窺う。
先程のサル達とさしたる違いはない。
ぬいぐるみ的な可愛さを持つ子ザルたちだ。
唯一違う所を上げるとすれば、先のサルたちが無邪気な表情を浮かべていたのに対し、このサルたちは自信にあふれた顔をしているということか。

どこの特殊部隊だとツッコみたくなるような、一糸乱れぬ動きでこちらを囲んだサル達に誠亜は刹那と背中合わせになるように立った。
その間に木乃香を座らせる。

さっきのサルとは一味違う。
そう感じさせる凄みにも似た何かをこのサルたちは持っていた。
サルだが。

警戒を強めてサルの囲いを睨みつける誠亜の前で、もう一度更衣室の扉が開いた。
余裕を表情として浮かべ、泰然とした歩みで入って来たのはやはりサルだ。
ただ違うのはサングラスをかけ、葉巻をくわえているということか。

無駄に貫禄のあるその猿は、こちらを一瞥するとおもむろに口を開いた。

「ウキィ」

声まで渋い。
なんだこれ。
半眼で眺めていると、グラサンのサルは葉巻から吸い込んだ煙を美味そうに吐きだした。
不愉快な臭いに誠亜の眉間にしわが寄る。

グラサンのサル、略してグラサルは葉巻を口から離すと器用に指で弾きあげた。
口の端を吊り上げ、低い鳴き声で告げる。

「ウキ」

グラサルがリーダー格だったのか、他のサルたちはその泣き声に合わせて瞬時に行動を開始した。
残像を残すほどの早さで右に左に跳ねまわり、誠亜たちの周囲をかけていく。
そのスピードに驚愕を顔に浮かべながら、誠亜は体を落としていつどの方向から攻撃されてもいいように備える。
背後の刹那もまた、誠亜以上に万全な体勢で刀を構えている。

四方八方に飛びまわるサル達。
そのスピードは第一陣とは比較にもならなかった。
常人ではとても捉えきれるものでもない。
刹那も誠亜も常人ではないが数が多い。
油断すれば取りこぼしもあり得るだろう。

侮っていたところに唐突に表れた思わぬ敵に誠亜は歯を噛みしめる。

「ウキキ」

得意げな顔で笑うグラサル。
その背後に瞬時に出現した別のサルがフキダシ型のフリップを掲げる。

『お前たちにこれが見切れるか?』

「サルがナマ言ってんじゃねえ!」

サルたちの跳躍スピードが加速度的に速くなっていく。
来る。
その予感に誠亜は右拳を手刀の形で固めた。
刹那もまた刀を握る手に僅かな力がこもる。

瞬間、グラサルのグラサンの奥で瞳が爛と輝いた。
同時に跳びまわるサルたちの瞳が攻撃的な光をともす。
猿の群れと手刀と野太刀が交錯した瞬間、

「ウキャッ!!」

炸裂音と共に悲鳴が鳴り響いた。
その場にいた全員が硬直する。

視線を向けたその先にあるのは、夏場でおなじみの黒くて脂ギッシュな彼を叩きつぶすおかんのごとく、グラサルを叩きつぶしているアスナの姿だった。

最も黒い彼を素手で叩きつぶす奴がいたら相当な猛者だろうが。

硬直した場に気付いたのか、それをなしたアスナは戸惑うように周囲を見回した。
誠亜の手刀は先頭のサルの眼前で止められ、刹那の刀も途中で止まっていた。
サルの方に至っては重力を無視して空中で動きを止めている。

「え、あれ?駄目だった……?」

不安げに問うアスナに刹那と誠亜は同時に首を横に振った。
釈然としない所があったのは事実だが。

押しつぶされたグラサルは震える腕で指を鳴らした。

「ウ、ウキ……」

地に落ちる腕。
グラサルの後ろで控えていたサルが『てっしゅ~』と書かれたフリップを持って笛を吹いた。
一斉に凄まじい勢いで走りだすサル達、かすめ取るように倒れ伏すグラサルを回収するとそのまま扉や換気窓から飛び出していった。

手刀を止めた姿勢のままで止まっていた誠亜は、その姿勢のまま刹那に問いかけた。
先と同じ問いだ。

「……やっぱ西の妨害か?」

長い沈黙ののちに吐きだされた問いに、刹那もまた長い間をおいて答えてきた。

「……神でしょう」

互いに頷いた後、同時に嘆息する。
誠亜は足もとに落ちていた刀の鞘を足に引っ掛けて軽く蹴りあげると、右手でつかみ取った。
それを手の中で回転させ、鯉口の方を刹那に回して差し出す。
受け取った刹那が感謝の言葉を述べようとしたところで、小さな声が流れ出た。

「せっちゃん……」

その言葉に刹那は驚いたように木乃香の顔を見つめた。
彼女に話しかけられるのがそんなに意外だったのだろうか。
その瞳には戸惑いと緊張が浮かんでいた。

「なんやよーわからんけど、助けてくれたん?」

このかの声にもどこか違和感がある。
何がどう違うと言われても説明はできないが、いつも穏やかで掴みどころのない雲を彷彿とさせる彼女が今は声に力が籠っているように思われた。
まるで意を決して言葉を紡いでいるかのように。

このかは明るい笑顔を浮かべると、優しく、だがはっきりと告げる。

「ありがとう」

その言葉が届いた瞬間。
刹那の頬が火でもついたかのように赤く染まった。
それを隠すように少し顔をそむけながら、彼女もまた少しの逡巡を含んで答える。

「あ……いや……」

彼女は何かを言おうと口を開きかけ、だがそのまま言葉を飲み込んだ。
そして視線を反らして立ち上がり、踵を返したところで唐突に動きを止めた。
ポカンとした表情でじっと見つめてくる刹那に、誠亜は訝しげに自分の顔を触った。
何かがついているわけでもない。
しかし彼女は相変わらずこちらを見ている。
こちらを見ているが自分を見ていない気がして、誠亜は後ろを振り向いた。
だが誠亜の後ろにも特に気になることはない。
壁の向こうにまで意識を向けて気配を探るがやはり何もなかった。
捻っていた首を戻して傾げていると、刹那は小さく吹き出す。

彼女は表情を和らげると木乃香へと向き直り、少し緊張をはらんだ声音で言った。

「お嬢様を守るのは私の……私の望みですから」

「え……?」

呆けたように呟く木乃香。
刹那はそれ以上何も言わずに差し出されたままだった鞘を受け取ると、刀を納めて足早に更衣室を出て行った。

それを見つめていた木乃香がどこか嬉しそうに微笑む。

良く分からないが、二人の関係はそれほど悪いものでもないように見えた。
それでいいことにして、誠亜は刹那が去っていったのとは別の扉、浴室に続く方へと視線を向けた。
神がまだそこにいるかもしれない。
そう思って振り向いた誠亜の目に移る光景。
それは、小さな足跡を体中につけ、もみくちゃになって気絶しているネギの姿だった。

「あれ?ネギ……?」

口をついて出た声は我ながら間の抜けた物だったと思う。













「このかさん、淋しそうでしたね」

そう言ったのはアスナの隣を歩くネギだった。
子供サイズの浴衣に身を包み、上から羽織を羽織った姿だ。
これに関しては自分も同じなのだが。
湯上りの火照りもだいぶ冷め、大浴場の前の休憩スペースでこのかから刹那とどういう知り合いなのか話を聞いた後だ。

このかを部屋に送り、そのあとアスナはネギと共にホテル内を歩いていた。
洋風でありながらも、京都らしく所々に和の空気が取り入れられている。

このかが幼かったころ。
刹那が剣の稽古で忙しくなった為に会えなくなり、ようやく麻帆良で再開したときは、なぜかよそよそしくしか接してもらえなかったそうだ。
話しかけてもあたりさわりのないことを一言二言言って去ってしまう。
そう言っている時の木乃香は確かに淋しそうだった。
だが、

「でも最近はたまに話しかけてくれるようになったって言ってたじゃない。それにこのかのこと守りたいって。嫌ってはいないのよ」

このかが言うには最近、アスナ達が図書館島に潜っていたあたりから時折刹那の方から話しかけてくれるようになったらしい。
他愛もない話を少しして別れるのには変わりないが、それでも刹那が再び歩み寄ってくれたのが嬉しかったようだ。
また昔のようになれるはずだと、そう言っていた。

ネギはそれに頷くと、拳を握って宣言する。

「僕も先生として二人の為に何かできることがあればお手伝いするつもりです」

その肩の上で一匹のオコジョが体を起こした。
素早くアスナの肩へと飛び乗ると、

「まあそれは良いとして、結局桜咲刹那が何者なのかはわからねえままだぜ。敵じゃあねえみたいだが、そこをまず確かめておこうぜ」

「そうね。でも刹那さんどこいるんだろう?」

誰に聞いたわけでもない。
この場にいるカモもネギも、風呂場から立ち去った刹那がどこに行ったのかは知らない。
答えを期待して言った言葉ではなかった。

「奴ならロビーだ。誠亜と何か話しているらしい。さっき珍しい組み合わせを見たと話のタネになっているのを聞いた」

だから答えが返って来た時、アスナは多分に驚きを含んだ目で振り返った。
階段から出てきたのは長い金髪をふくらはぎ近くまで伸ばした小柄な少女だった。
桜通りにおいて激闘を行った相手、エヴァンジェリンにその従者の茶々丸だ。

彼女らもまた、浴衣姿であった。
エヴァンジェリンは手に持った財布から一枚紙幣を取り出すとそれをこちらに押しつけてくる。

「誠亜にそれで日本酒を買ってくるように言っておけ。どうせ見回りか何かでうろつくんだろう?そのついでだ」

まあそうなのだが、関西呪術協会の妨害やら神の悪戯やらでてんてこ舞いな自分たちにやらせなくてもいいと思うのだが。

「欲しいならエヴァちゃんが買えばいいじゃない。ホテルには大人の宿泊客だっているんだからお酒ぐらい売ってるでしょ」

そう答えるとエヴァンジェリンは不愉快そうに顔を歪めた。
マズイ答えだっただろうかとアスナが眉をひそめていると、エヴァンジェリンの背後に控えた茶々丸がそっと歩み出て答えた。

「マスターは先程自分で買いに行ったのですが、ホテルの従業員に見つかって『お酒は二十歳になってから』と優しく諭されてしまったばかりでして」

600年を生きた彼女が小さい子を扱うように諭される。
腹立たしかったことだろう。
二十歳以上ということでは茶々丸も駄目なのには変わりない。
なるほどそう考えれば、エヴァンジェリンのお使いを受けそうでお酒を買えそうなのは誠亜くらいか。

「誠亜ならまず間違いなく買えるだろう。奴は鯖読んでも18が限度。二十歳と名乗ったら疑いもせんさ」

一応中学三年生をやっている娘に対し、ずいぶんな言いようである。
だがそれはアスナも常日頃から感じていたことだったためか、咄嗟に反論の言葉が出てこない。

誠亜に楓、龍宮は3-Aの大人びトリオだ。
身長もスタイルも顔立ちもとても15歳には見えない。
きっと映画館などでは大人料金を取られているに違いない。
身長という点を除けばこれに那波も入るが彼女に関しては決して口にしてはいけない。
老けて見える、というニュアンスの発言をしようものなら、彼女はなにやら重々しいオーラを纏って怖い笑顔を浮かべるのである。

その様を思い出して苦笑していると、エヴァンジェリンは金を押しつけたまま、手を振って歩み去ってしまった。

茶々丸はこちらに一礼してエヴァンジェリンの後に続いていく。

「まったく。エヴァちゃんは……」

呟くと隣でネギが苦笑いを浮かべた。
肩のカモはまだエヴァンジェリンへの警戒が抜けていないのか、彼女らが廊下の角を曲がって姿を消すまで体を強張らせていた。


「とりあえずロビーに行きましょう」

言って先行するネギについてアスナも歩いていく。
途中何度かすれ違った生徒たちに部屋に戻るよう声をかけながら、ロビーを目指す。

そして、カーブを描く大きな階段を下りた先に目的の姿を見つけた。
ロビーのソファで話をしている誠亜と刹那だ。
二人ともやはり浴衣を着ているが、誠亜の方は浴衣の下に黒いぴったりした肌着を身につけているようだった。
浴衣の隙間から見える組まれた脚と首もとにそれが見えた。
その誠亜は微妙にばつの悪そうな表情で頭をかいている。

ロビーにはいくつかの小ぶりな丸テーブルが配され、さらにそれらを囲むようにソファが円形に並んでいた。
時間もそこそこ遅いせいかあるいは刹那か誠亜が何かしたのか、フロントには従業員はいなかった。

「いたいた。桜咲さん……って何話してるの?」

「あ~。なんていうか刹那とネギが妙な誤解をしてすれ違った挙句神にからかわれる原因を作っちまったようでな。どっちとも知り合いだった俺としては一言二言言っておけばよかったかと、な」

「しょうがないですよ。どちらも聞かなかったのですから」

それよりも、と刹那は続けようとして、途中で言葉を止めた。
いや止めざるを得なかった。
ロビーの真上の電気だけが唐突に消え、淡い闇に包まれる。

神の悪戯か関西呪術協会とやらの妨害か。
どちらにしても警戒するに越したことはない。

見れば誠亜も立ち上がり、刹那もまた刀の柄に手をかけていた。
暗闇に乗じての攻撃は紀州の常投手段だ。

だがいつまでたっても奇襲はなかった。
まるでその代わりのようにロビーに流れ込んできたのは、サックスに奏でられるブルースだった。

「「「「は?」」」」

異口同音に4人そろって口を開く。
そして小さなスポットライトと共に玄関扉を開いて入って来たのは、つい先ほど風呂場の更衣室で襲ってきたグラサルだった。
その後ろには黒子のような布をかぶった一匹のサル。

「ウキ」

相変わらず無駄に渋い低音でそう鳴くと、グラサルは銜えていた葉巻を口から離した。
そして煙を吐き出すと、貫禄に満ちた仕草で葉巻を床に投げ捨てる。
グラサルがいまだ消えていないその火を踏み消そうとしたところで、甲高い音がロビーに響き渡った。

投じられた灰皿が床を滑ってグラサルの前まで達する。
グラサルは無言でテーブルに備え付けられていた小さな灰皿を投じた人物、誠亜の顔を見上げた。
誠亜は無言でグラサルを見下ろしている。

「ウキィ」

グラサルは少しさびしそうに鳴くとその灰皿と葉巻を拾い上げた。
それに合わせてロビーの電気が復活する。
どうやら電灯が消えたのはグラサルのダンディズムを演出するためだけのものだったらしい。
グラサルは深々と嘆息すると、葉巻の火を灰皿に押しつけて消すと、近くのテーブルに背伸びして乗せた。

その後、気を取り直したようにこちらを向くと、最初と変わらぬ低い声で告げる。

「ウキィ」

そのグラサルの後ろで、またしても黒子のサルがフキダシ型のフリップを掲げている。
そこには、妙に達筆に『俺達のボスからの伝言、いや挑戦状だ』と書かれている。

黒子のサルがフリップを裏返すと、そこにはまた別の文が。
曰く

『本日、お姫様を頂く。首を洗って待っているがいい。by怪盗ゴッドサル』

「また神か」

疲れたように呻く誠亜に、グラサルは慌てたように鳴き声を上げてくる。

「ウ、ウキウキ!」

その後ろで控えていたサルはグラサル以上に慌ててフリップを裏返してそこに文字を書き連ねていく。

『神ではない』

「いや神さんでしょう」

今度はネギがそう指摘する。
すると黒子サルは先の文字の最後尾に無理やり『ってば!』と書き足して掲げてくる。

「神さんよねえ」

冷や汗をかきながら表情をひきつらせているサルたちに苦笑しながらアスナが言うと、今度はグラサルがフリップに凄まじい勢いで文字を書きつけた。

「ウッキィ」
『神ではない。信じてってば』

ずれたグラサンを直しながら見せてくる。

「いやんなこと言われても」

誠亜が再び呻くと、グラサルは持っているフリップを裏返す。
そこに書いてあるのは、

『そこをなんとか。バナナあげるから』

「いらねえし。だいたい神じゃねえなら誰なんだよ?言ってみな。説得力があったら納得してやる」

バッサリと切って捨てた誠亜に、グラサルはしばし拳を震わせていたが、やがて『伝えたからな』と書かれたフリップを持って一目散に逃げて行った。
サングラスの向こうに涙が光っていたような気がしたが、気のせいだろうか。

なんだか可哀そうに思えてきて、アスナは憐みをもってその背中を見送った。

ひどい頭痛でもするかのように、刹那は額に手を当てて呻いた。

「行きましょう。神がお嬢様を連れ出しているところを出し抜かれて攫われたのでは話になりません」

言うが早いや、彼女は地を蹴って風のように駆けだした。
瞬く間に階段を上り、廊下を駆け抜けていく。
それに送れぬよう駆けながら、アスナは周囲に視線を巡らせる。

就寝時間は過ぎているが、あの3-Aが修学旅行の夜にこんなに静かなのはひとえに清水寺での酒騒ぎによるものだろう。
とくに騒ぐ面々が殆ど酔い潰れていしまったのだ。

明日の朝、自分たちが初日の夜を無為に過ごしたことに気付いて悔しがるクラスメートたちの顔がありありと脳裏に浮かび、アスナは苦笑した。

階段を登り切り、2階の廊下を突っ切った先にこのかの部屋、つまりはアスナ自身の部屋がある。

目的の部屋まで後10メートルというところで、先行する誠亜と刹那が突然足を止めた。
ほぼ全力疾走していたアスナは、急にとまることもできずに誠亜の背中に激突して弾かれた。
さらにそのアスナの背中に弾かれてネギが尻もちをつく。

右手で痛む鼻をさすり、左手でネギを起こしてやりながらアスナは誠亜たちの見ている方を見つめた。
そこには案の定サルのきぐるみを着た人間の姿。

予想どおりなはずのそれを、しかし誠亜もアスナもネギも、そして刹那すらも愕然とした面持ちで見る。
そして綺麗に声をハモらせて戦慄を乗せた声を紡いだ。

「「「「神じゃないだと!」」」」

「なんの話どすか!?」

意味がわからないと、そのサルのきぐるみが叫ぶ。
そのきぐるみの頭部分から覗く顔は神の者には見えない。
彫りの深い顔立ちも、変態の顔にダンディズムを表現しかねない髭もない。
代わりに切れ長の目に眼鏡をかけた黒髪の女性の顔があった。

「何者だ!」

我に返った刹那が刀を手に腰を落として抜刀体勢に入りながら誰何の声を投げつける。
きぐるみの女性は忌々しげに舌打ちするとどこからともなく数枚の御札を取りだした。

これはひょっとしなくても神の関係者ではない。
ならばこいつは何者か。
そう考えたところで、アスナは神の出現のせいでうっかり忘れかけていた存在があったことに気付いた。

(妨害ってやつ?)

関西呪術協会の妨害だ。
彼女が今この部屋の前に居ることと、最初に更衣室で襲いかかって来たサルたちが最後にこのかを狙ったところから考えて、彼女の狙いはこのか。
あのサルたちやグラサルもこの女の仕組んだことだったのだろうか。
それに思い当たったのか、誠亜もまたアスナと同じように真剣な表情を浮かべていた。
低い声で呟く。

「信じられねえ。感じが神と同じだったぜ。まさか神のような類稀なる変態センスの持ち主がほかにもいようとは」

ケルベロスすらものともしない誠亜が、額の冷や汗を拭いながら、恐れすら込めて言った。
どうやら彼女はアスナとは全然違うことを考えていたらしい。

「いきなり失礼な女やな!」

さすがに変態呼ばわりは納得がいかなかったのか、女が声を張り上げる。
だが誠亜は鋭く女を指差すと、

「違うと言うなら自分の今の姿を鏡で見てみろ!変人が一人映るから!」

「そういうあんたはどうなんえ!?そんななりで中学生!?恥を知りやす!むしろアンタは教師の方やろ!」

「なんだその言い草は!今の発言でお前、少なくともうちのクラスのハイスペック人間を後2人敵に回したぞ!」

怒鳴りあう誠亜と女を見ながらアスナは胸中で呟いた。

(ひょっとして、神さんはこれを見越してあたしたちに挑戦状なんて送りつけてきたんじゃ)

そう考えれば自然ではある。
てっきり人に迷惑をかけてばかりの男だと思っていたのだが、もし自分の想像が正しかったとすれば、彼の評価を上方修正しなくてはならないだろう。

きぐるみの女は悔恨の表情をぬぐい去り不敵な表情を浮かべると、手に持った御札を掲げた。

そのときだ。

「ん?誰だ貴様?」

戸惑いと不審の色を込めた言葉と共に交差する廊下から歩み出てきたのは、目の前の女と同じようにサルのきぐるみに身を包んだダンディなおじさんだった。

「「「「やっぱり神だった!!」」」」

またしても声がシンクロする。
その反応に女はひたすら戸惑うばかりだ。
しかし、一方で最初は同じように戸惑っていたはずの神は得心が言ったかのように口の端を吊り上げた。
それに合わせて神の来ているきぐるみの顔も笑みを浮かべる。
芸が細かい。無駄に。

神は両手を持ち上げファイティングポーズをとると、風を裂く鋭いジャブを放った。

「なるほど!さては貴様、私からサル共のボスの座を奪う気だな!?」

「はあ!?何を言うとるんや!?」

「いいだろう!相手になってやる!」

音のツッコみなど意にも介さず、両手を広げて宣言する神。
いつの間に現れたのか、神と女の周囲を無数のサルが埋め尽くしていた。
中にはあのグラサルもいる。
サルたちは口々にはやし立てるような鳴き声を上げた。

その喧騒に包まれながら神は広げた両の拳を握る。

「サルたちもどちらが真のボスが知りたがっているようだ!!」

「なんどすかアンタは!?何が目的や!?」

「さあ勝負だ!戦って戦って、戦い抜いて!勝ち残った方が真のモンキー・オブ・モンキーでああああある!!」

「人の話を聞きぃやああああああ!!!」

絶叫がこだまする。
それを聞きながら、アスナは一つの真理に達していた。
すなわち、

(神さんはどこまでいっても神さんね)

ということだった。












あとがき

方言難しいです。
生まれてこのかた標準語しか使ったことのないすちゃらかんにはどうにも。
方言サイトを6つほど巡りましたが結局良く分かりませんでした。
翻訳サイトで楽をしようとしたら、標準語のまま変わらないか、変わりすぎて微妙にそのキャラの口調じゃなくなるかで。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第43話 駆け込み乗車はご遠慮してくれやがりなさい
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/03/27 06:08
神と俺のコイントス











目標の泊まるホテルを前にした雑木林。
さほど深くもないが、外から中の様子が一目のもとに把握できるほど浅くもない。
春を迎えて葉も茂り、冬に比べればだいぶ隠れるに適した環境になっていた。

そんな林で、フェイト・アーウェンクルスは木の影に隠れるでもなく、ただ無造作に立っていた。
純白の髪の色をした10歳かそこらに見える少年である。
その体には強大な魔力が宿っているはずだが、今はそれは巧みに隠されている。
まあ今回の彼の役割的には当然と言えば当然だ。
先行潜入した千草のフォローをするのが彼の役割だった。

彼自身は近衛木乃香の誘拐と西洋魔術師への復讐など何の興味もない。
自分の真の目的において、極めて邪魔な存在となりうる者の様子見を目的としてわざと雇われただけだ。

だが、この時点で作戦を失敗させるつもりもなかった。
ここで計画に終わられては、何の情報も得られない。

フェイトは小さく嘆息した。
どうやら千草の方は思わぬ妨害のせいで動けない状態らしい。
こちらでどうにかしてやる必要があるだろう。

「ふむ。どうやら某達フォロー部隊が動かなくてはならないようだな」

隣の木の陰から流れて出てきた言葉にフェイトは視線をそちらに向ける。
太めの木の幹にぴったりと張り付き、顔だけを出してホテルの様子を覗いているのは、一応千草の雇った仲間の一人だった。

茶筅髷に袴、一人称は『それがし』。
刀を腰に佩いた時代錯誤なこの男は、フェイトにも正直把握できない男だった。
実力も人柄も。

針の穴に糸を通そうと悪戦苦闘する姿からはとても強いなどとは想像できない。
立ち振る舞いから考えるとそれなりのレベルなのだろうが、実際に刀を抜いている姿も見たことがないのではっきりとしたことはわからなかった。
一定のレベルに達した戦士はそれなりの凄みというものを持つものなのだが、これもまた真木という男からは全く感じられはしない。
千草がたびたび本当に使えるのか悩むのも頷けるというものだ。

人柄に関してもそうだ。
見たところ、お人よしな所のありそうな人物に見えるが平然とこんな誘拐計画に手を貸している。
千草が自分の目的を全て語っていないとしても、まともな感性の者なら少女の誘拐など手を貸そうとは思わない。

探るように見つめていると、その視線に気付いたのかこちらに振り向いてきた。
だが、じっと見ていたことに不信の念は覚えなかったのか、何も言及せずに言ってくる。

「ではフェイト殿作戦開始と行こうか」

そう言って彼が手に持ったのは千草が置いて行ったダンボールだ。
本気でそれを使うつもりなのだろうか。
だが今はそれは重要ではない。
フェイトは別のことを聞くことにした。

「作戦なんてあったかい?」

フェイトと真木がフォローに回る。
そういう計画ではあったが、具体的にどうするかまでは決まっていない。
千草がどの段階でどんなミスをするかわからないのだから事前に詳細な作戦を立てるわけにもいかなかったからだ。

フェイト自信が動けば誰にも気づかれずにターゲットを攫うことなど容易い。
だがここはあえて、真木にやらせてこの男の能力を見極めることにする。

真木は真顔で頷くと、ダンボールを小脇に抱えて腰の刀に手を添えた。

「壁を斬る。突入する。目標を確保。壁を斬る。逃走する。パーフェクトだな。ケチのつけようがない」

ゴツン。
鈍い音が響いたのは自分の額からだった。
あまりといえばあまりの作戦に、フェイトは体をよろけさせ、近くの木の幹に額をぶつけてしまう。
ゆっくりと体勢を戻しながら低く呻いた。

「ケチのつけようがないのはアバウトすぎて作戦として成り立ってないからで、間違ってもパーフェクトじゃないよ」

返事はない。
訝しげに思ってフェイトがそちらに顔を向けると、そこにはすでに真木の姿はなかった。
ついでに言うならダンボールも。

「まさか」

フェイトが目標の泊まっているはずである部屋の窓を凝視する。
すると数秒後、Lサイズのダンボールをかぶった袴の男が開け放たれた窓から飛び出してきた。
ニ階の窓から飛び降りながら平然と着地すると、男はまっすぐ林を迂回するように走り去って行った。

やはりただの天然男だったか。
嘆息と共に一歩踏み出す。
今ので恐らく警戒が強まっただろうが、手はいくらでもある。

「すまんフェイト殿。失敗した」

「構わないよ。むしろ君がいつの間に僕の後ろに回り込んだのか教えてくれないか?」

音も気配もなく後ろに立っていた、かぶったダンボールを持ち上げ顔を見せる男を半眼で見つめながら問う。

「そこはそれ。剣士のたしなみというやつだ」

意味がわからない。
人の背後にいつの間にか立っていることと剣士が何の関係があると言うのか。
こう見えてフェイトはそれなりの実力を持っているという自負がある。
そう簡単に後ろを取らせるつもりはなかった。
例え今は味方なのだとしても。
かすかに警戒を滲ませながら真木を睨みやるが、彼は全く気付いていないようで己の顎に手を当てて低く唸った。

「しかし、何故に失敗したのか。友人は上手くいっていたのに」

心底不思議そうに言うその姿にフェイトは呆れたように指摘した。

「そういうのは積み上げられた技術と経験が重要だろう。うわべだけ真似して上手くいくわけがない」

恐らくその友人というのは、潜入工作の為の特殊な訓練を施された者だろう。
例えその人物がダンボールを使って潜入任務を成功させたとしても、それはダンボールによるものではない。
その人物の能力によるものだ。

「そうなのか?中学時代、某にこれを教えた友人は何の変哲もない女子中学生だったぞ。ゲームとかアニメが好きな」

「……確実にただの悪ふざけだろう。何故そんな言葉を真に受けたんだい?」

すると真木は戦慄を含んだ顔で腕を組む。
何かを思い出すように虚空を見つめると、淡々と答えた。

「いや実際、その友人は『MGSを極めたあたしにこの程度はわけないのだよ』とか言いながら成功させていたからな。そういうものだとばかり」

いろいろと言いたいことはあったが、本能のどこかが触れない方がいいと警鐘を鳴らしていた。
代わりにフェイトは別のことについて尋ねることにする。

「MGS?聞いたことがない言葉だね」

「おそらく英語の頭文字をとった単語であろう。マーシャル……何であろうか?」

ダンボールを畳んで木に立てかけながら、真木は首をひねる。
だが、残念ながらMGSは人気ゲームのタイトルを略したものである。
そういったものに縁のない2人に正解に辿り着ける道理がない。
途中で諦めたのか、彼は腰から鞘ごと抜いた刀を肩に担ぐと、こちらに向けて問いかけてきた。

「さて、次はどう攻めるか。どうするフェイト殿?」

「僕が行くよ。君は退路の確保を」

彼に任せていたら日が昇るまでやっても成功しないだろう。
フェイトは短く告げて呪文を唱え始めた。

とりあえず真木という男は、非常識で天然だ。
それは確かなようだった。















第43話  駆け込み乗車はご遠慮してくれやがりなさい
















「ふはははははは!喰らうがいい!我が必殺のデンプシー・ロール!!」

神は上半身を∞の字の軌道で振りながら、その反動を利用した左右の猛打を叩きこんでいく。
息もつかせぬ神の猛ラッシュにきぐるみ女は顔を守って一撃KOを防ぐのが精一杯だった。
恐らく衝撃吸収能力の高そうなサルのきぐるみを着ていなかったらとうの昔に神のKO勝ちだっただろう。
そしてモンキーオブモンキーの座は晴れて神の物となるわけだ。
正直どうでもいいが。

「甘い!」

だがそう簡単にはいかなかったようだ。
連撃の合間にねじ込まれた一撃が神の頬を捉える。
痛烈なカウンターに神の体がよろけて後ずさった。
カウンターを貰いやすいというデンプシー・ロールの弱点が出てしまった。

しかし女の方もダメージは深い。
互いに肩で息をしながら、睨みあった。

「ふっ!やるではないか!」

不敵な笑みと共に拳で空を切って見せる神に対し、女の方は心底苦々しげに神とその後ろに立つ自分たちへ視線を滑らせる。

それにしても、頭の大きなサルのきぐるみを着た男と女が二人、サルの群れに囲まれてどつき合う。
どうしようもなく異様な光景だった。

だが、好都合でもある。
このまま妨害者を神がつなぎとめ、あわよくば倒してしまえればクラスメートたちの安全は保たれる。

(いまここで二人とも吹っ飛ばしてやったらことは収まるんじゃねえだろうか?)

乱暴な思考で、半ば本気で考えながら誠亜は右手の指の骨を鳴らした。
それに気付いたのか、ネギがぎょっとしたようにこちらを見上げてくる。
何か言われるかと思ったが、実際に声をかけてきたのは刹那の方だった。

「誠亜さん。私はこの隙にお嬢様の方の様子を見てきます。あの女が不審な動きを見せたら……」

小さく頷いて返す。
止めろということだろう。
右手の中指に気を、親指に魔力を籠めて備える。

神が鋭いステップを刻みながら再び女との間合いを詰めるのに合わせて、刹那が素早く飛び出した。
女は一瞬そちらを忌々しげに睨むが、すぐさま打ち込まれた神の強烈な打撃にそれどころではなくなる。
何らかの目的があるにせよ、自分がここで倒されてしょっ引かれたのでは話にならないのだろう。
刹那は打ち合う神と女の横を駆け抜けると、このかの班の部屋の扉を叩きつけるように開けて飛びこんでいった。

それを確認した誠亜は2指に込められた魔力と気に意識をすべりこませ、そのあり方を捻じ曲げる。
不安定に揺らめき、高電圧の掛けられた二極のように紫電にも似た力の先走りを生みながら2つの力が蠢く。
ネギとアスナを巻き込まれないよう自分の後ろに押しやると、誠亜は二本の指を合わせた。

混ざり合い、崩壊した力が大きなエネルギーとなって溢れかえる。
それを右の掌で集束させたところで、女が目を見開いて誠亜を睨んだ。
こちらのやろうとしていることに気付いたのだろう。
神が盾となるように位置を変えるが、それでも十分にダメージは与えられるはずだ。

いつでも撃ち込めるよう右手を掲げる。
その瞬間、轟音が響いた。
今さっき刹那が飛び込んで行った扉を吹き飛ばして、何かが勢いよく飛び出してくる。
人影は反対側の壁を小さく陥没させて止まると、苦しげに呻いた。

「刹那!」

飛び出してきたのは刹那だった。
腹を押さえて激しく咳きこむ。
中に何かいるのか。
慌てて気配を探るが、不審な気配はなかった。
だが妙な違和感がある。
これは自分がエヴァンジェリンとの戦いの中で感じたものだ。

(認識阻害!?)

さらに深く気配を探って誠亜はあることに気付く。
たしかに不審な気配は感じられない。
だがそれと同時にこのかの気配も感じられなかった。

荒々しく舌打ちする。
誠亜の視界の中で女が口で弧を描いた。
そのまま扉が壊され、開け放たれた部屋へと駆けこむ。
それをさせじと誠亜は手の中の力を遠慮なしに叩きつけた。
光の奔流に神が飲み込まれ、そのまま直進した光が女の残影を貫く。
女を討ちとれなかった腹いせのように光が壁を貫いて京都の夜空に消えていった。

「待つがいい誠亜。何故私もろとも?」

微妙にきぐるみを焦げ付かせながら神が唸る。
誠亜はそれを無視して突然のことに呆気にとられているアスナとネギに言葉を叩きつけた。

「行くぞ!このかが攫われた!」

言いながら刹那へと駆け寄り、その体を抱き起こす。
扉から中をのぞくときぐるみの女が部屋の窓から飛び降りるところだった。
窓際には椅子に座って水筒を握りながらすやすやと眠る夕映の姿。
この騒ぎで起きないというのは、やはり眠りの魔法を使われているのだろう。

「ふん。勝負を捨てるか。やはり奴にはボスの座はふさわしくないようだな」

「いやもういいからそれは」

この期に及んでまだサル王合戦を続けている神に半眼でツッコむ。
だが神はこちらの声などまったく聞こえていないかのように視線を下に下げた。
そこに居るのはグラサンに葉巻の無駄に渋いサルだ。
グラサルは神をたたえるように見上げた。

「ウキィ」

渋い鳴き声に、しかし神はかぶりを振った。
サルのきぐるみの頭を脱ぎ去るとそれをグラサルの方へと放る。
きぐるみの頭は空中でその姿を変えると、小さな王冠へと姿を変えた。
王冠はすっぽりとグラサルの頭へと収まる。
神は驚いたように己を見上げるグラサルに漢の笑みを送った。

「だが私にもふさわしくはないようだ。ボスの座はお前に返そう」

「ウ、ウキ」

通じている。
いや神のことだから動物の言葉ぐらい分かってもなんら不思議じゃない気もするが。

「ではさらばだ!!」

やたらと格好よく走り去っていく神。
彼はそのまま5班の部屋の窓から女を追うように飛び降りていった。

「誠亜さん急ぎましょう!」

珍劇による硬直から、いち早く我に返った刹那が誠亜の背中を叩いて部屋に飛び込んでいく。
それに続く様にアスナとネギも駆けだしていった。
誠亜は最後に部屋へと駆けこんだ。
サルたちは腕を振ってこちらを見送っている。
それを微妙な気持ちで受け取りながら部屋の中を突っ切った。

窓際では2階の窓から飛び降りることを逡巡しているアスナとネギの姿。
そういえばネギはあの木の杖がないと飛べないんだったか。

誠亜は駆け抜ける勢いのままに減速せずに二人に突っ込んだ。
二人の体を小脇に抱えて跳躍する。

「ちょちょっとおおおおお!」

襲い掛かる落下感にアスナが悲鳴を上げる。
どうせ跳ぶのだから逡巡など無駄である。
着地に成功するかどうかは抱える誠亜にかかっているし、万が一失敗するとしても彼女等は上に放り投げて怪我はさせない。

ならば人を追わねばならない以上急いだ方がいい。

着地の衝撃が地面を揺らす。
3人分の重みが足にかかるがどうということはない。
二人を地に下ろして、誠亜はあたりを見回した。

遠くに走り去るきぐるみの背中が見えた。

そして近くには地面に頭から突っ込んで流血している神がいる。

「うおい!あんだけカッコつけて飛び降りてこのザマか!」

「い、今はそんなことを言っている暇はない。ここは私に任せろ。早く行け」

苦しげにそう告げる神。
既に女は逃げている。
今更ここでなにをするのかとも思ったが、誠亜はその指摘を飲み込んで女を追うことにした。
女の背中を目指して一気にペースを上げる。
先行する刹那に並ぶがやはりまだ女の背中は遠かった。

「迂闊でした。まさか別動隊がいたとは!」

悔恨に満ちた声でそう毒づく刹那。
さらに速度を上げようとしたところで、アスナが遅れ始めていることに気付いた。
いくら健脚とはいえ、ネギによって魔力を供給されなければ気や魔法で強化された誠亜たちの全力疾走についていけるものでもない。

さらにはあのきぐるみ女、なかなかに速い。
こちらもかなりの速さで走っているのに少しずつしか距離がつまらない。
あのきぐるみには身体能力の補助機能でもあるのだろうか。

アスナを自分が抱えればもう少し全体的なスピードアップはできる。
だがそれでこの差を埋められるかというと、難しい問題だった。

だが誠亜単独なら追いつける。

「俺があいつらの足を止める」

「お願いします」

短く告げた言葉に、刹那が短く答えてくる。

誠亜は一度足を止めると、しっかりと大地を踏みしめた。
その曲げられた足に膨大な気が集まっていく。
その炸裂と共に誠亜は跳躍した。

通常をはるかに上回る気を集束させて行われる特殊な瞬動――縮地无疆。
大地を砕いて行われた超長距離瞬動が誠亜の体を弾丸すら凌駕する速度で撃ち出した。

風を引き裂いて飛翔する誠亜の視界の中で、瞬く間にきぐるみ女の姿が大きくなる。
後少し。
拳を握り構えた瞬間、きぐるみ女の体を飛び越えて何者かが躍りかかって来た。
人影は空中で身を捩って体を回転させると、その勢いを乗せた回し蹴りを放ってきた。
鋭い空裂音と共に放たれた蹴りが誠亜の体に打ち込まれる。
だがそれを大人しく喰らってやるつもりは毛頭なかった。

引いた拳を全力で蹴り足に叩きつける。
その反動で蹴りの主の体を飛び越え、きぐるみ女の頭上を通り過ぎた。

蹴りを殴り落とされた男は涼しい顔で猫のように体を回転させ、腰ほどの高さで逆さを向いていた体を着地前に立て直して見せた。

地を滑った脚が土煙を巻き上げる。
その背中にこのかが居るのを見て、誠亜は踏み出しかけた足を押し止めた。
一瞬で追いついたこちらにきぐるみ女が悔しげに顔を歪めた。

それを一瞥し、誠亜は視線を目の前の男に移した。
髪の毛を後頭部で髷の形に結い、下もズボンではなく袴。
蹴られたときに見えたが、履いているのも靴ではなく草履だった。
シルエットが西洋的なので一瞬では分からなかったが、良く見れば上着も袖が細い筒状をしているだけで襟元は着物のそれだ。
さらに、今は背負ったこのかの腰を支えるのに使われているが、刀まで持っている。

時代錯誤の侍風味な男だった。

なんだろうか。
いいようのない悪寒を覚えて誠亜は足を半歩退いた。
タカミチやエヴァンジェリンから感じるような凄みはない。
だがそれとはベクトルの違う何かを感じたのだ。
ある種、神にも似た何かを。

こいつは厄介だ。
内心でそう呟く。

「むう、良く見れば女子ばかり。もう少し時間があればいろいろと……」

いろんな意味で。
悔しげにしょうもないことを言い出す男に、誠亜は先の呟きに付け加えた。

睨みあうこちらと、追いついてきた刹那たちを見比べ、女が声を張り上げた。

「お嬢様をこっちによこし!アンタはここで足止めをしぃや!」

男はその言葉に従い、木乃香を背中からおろすと女へと手渡す。
女はこのかの体を両手で抱えると一目散に逃げ出して行った。

「あ!待ちなさいよ!」

追いついてきたアスナが逃げる女の背中に叫ぶが女は振り向きもせずに駆けていく。

「さて、では某はここで指令通り足止めをするとしようか」

言って男が女と誠亜の間を塞ぐように立ちふさがった。
気負った様子もなく悠然と立つ姿には余裕すら感じられるが、この男の場合どちらかというと、実力ゆえに余裕があるのではなく緊張感がないだけと感じられる。

大事な者の危機に立ちふさがる男に、刹那が怒りをあらわに刀の柄に手を伸ばした。

「くっ!邪魔を!」

即座に切りかかろうとして、彼女は唐突に手を止める。
男が臨戦態勢に入ったのだ。

張り詰めるような緊張感が場を支配した。
虫の鳴き声すら凍りつくような鋭い剣気と剣気のぶつかり合い。
彼我の距離は10m程。
瞬動一つで埋まってしまう距離だ。
一瞬の油断が速命取りになりかねない距離だった。

男は腰を落として、目を細める。
刹那もまたかすかに身を前傾させ、刀の鯉口を切った。
男は吹きつける殺気をまるでないもののように、悠然と腰の刀に手を伸ばし、

「……おや?」

そこに何もないことに首を傾げた。
恐る恐る後ろを振り向く。
向こうを走るきぐるみ女の手に抱えられたこのか。
そしてそのこのかに下緒が引っかかり、引きずられている刀。

「…………」

「…………」

沈黙が場を支配する。
次の瞬間、男はあっさり踵を返して凄まじい速度で女の後を追いだした。

「ええええええ!逃げた!?」

「チャンスと思っとけ!走るぞ!」

あまりといえばあまりのことにネギが声を張り上げる。
誠亜はそのネギに声を叩きつけながらアスナの体を抱え上げた。
大地に罅を入れて疾走する誠亜に、上半身を揺らさない剣士らしい走りで刹那が並ぶ。
そのすぐ後ろを風の魔法で加速しているネギが走る。彼の肩の上ではカモが振り落とされまいと浴衣の肩にしがみついていた。

前方ではきぐるみ女が追いついてきた男に目を丸くし、さらに追いかけてきているこちらを一瞥してまなじりを吊り上げた。

「真木ぃぃぃぃ!!何やっとるんや!足止めはどないしたん!?」

「いやいやいやいや。刀が無くて剣士にどうしろと言うのだ?刀無しでは某の戦闘能力は99%落ちてしまうぞ!」

「なんなんやアンタ!強いのは刀だけなんか!?」

「失礼な!某の力は某自身の物!その刀など頑丈なだけが取り柄の二束三文のなまくらだ!」

「剣士が自分の刀なまくら言うてどないする!?」

なにやら喧嘩をしだした敵たちを睨みながら刹那が低く呻いた。

「あんな間抜けに出し抜かれるとは……!しかし真木……どこかで聞いたような」

悔しげに唸る刹那だが、あの男の名前が気になったのかするどい表情で黙りこんだ。
真木と言う名前に何か意味があるのだろうか。
誠亜はずり落ちそうになるアスナをしっかりと持ち直しながら脳をフル回転させた。

前方を走る男の姿と真木と言う名前を反芻する。

(真木……真木……侍……真木……袴、着物、刀、髷……真木)

後少しでパズルのピースが組み合わさりそうな感覚に、誠亜は眉間にしわを寄せた。
くしゃみが出そうで出ないときに似たもどかしさが腹の奥で渦巻く。
脳内で踊る単語を口に出していくと、

「髷、真木……髷を結った真木……髷をしている真木……っは!!」

がっちりと噛み合ったピースに、誠亜は清々しさすら覚えて声を張り上げた。

「そうか!お前魔法使いだな!!」

「なにゆえ!?某のどこをどう見て魔法使いと!?20年生きてきて魔法使いと間違われたのは初めてだ!」

肩越しに顔だけ向けてツッコんでくる真木に誠亜は首を傾げた。

「あれ?なんかそんな魔法使いがいるって聞いた気がするんだが。ほら。マゲシテル・マギ」

「マギステル・マギ!マギステル・マギですからね誠亜さん!」

それを目指すものとして譲れなかったのか、眉を吊り上げて指摘してくるネギ。
誠亜は自分の考えが大きく外れていることを知ると、ばつの悪そうに頭をかいた。

「真木……まさかあの真木か?」

その横で、刹那が顔に警戒と危機感をにじませていた。

「知っているのか雷電!?」

「誰ですか雷電って……真木一門と言えば、こと居合に関して言えばトップクラスの一族です。神速の居合で相手を完全に封殺する真木流抜刀術の使い手」

語る刹那の顔に不安が滲む。
真木と言うのがどれほどの物かは知らないが、刹那がこのかを救えないのではという思いを抱かされる程の相手らしい。

「真木流って、神鳴流みたいなもの?」

誠亜に小脇に抱えられたアスナが刹那に問いかける。
刹那は首を横に振るが、それでも表情は晴れなかった。

「規模は大したことはありません。真木はあくまで剣士“一族”ですから。ですが……」

そこまで言って刹那は前方を走る真木の背中を睨みつけた。
まるで仇でも見るように。

「あそこにいるのが真木家現当主なら、私たちでは勝てません。戦わずにお嬢様を救う手立てを考えなければ」

突然告げられた恐ろしい事実にネギが息をのむ。
彼は刹那や誠亜の力を目の当たりにしている。
そしてそこに自分と言う魔法使いを加えてもなお勝てないという相手に言い知れぬ恐れを感じているようだ。

「4人がかりでもか?」

真木がエヴァンジェリンクラスならそれも納得だが、どう見てもあの男はそこまで強力な剣士には見えない。
だが刹那は指が白くなるほどに刀を握り締めながら唸るように言葉を吐き出した。

「私がまだ京都にいたころ、私の師と真木家次期当主――つまりは今の当主と試合が行われた事がありました。当時の私ではとても見切ることのできない攻防でしたが、私の師範をして『こちらが1回斬りつけたころには2回半居合を放ってる』と言わしめるほどの使い手です。とてもまともに戦って勝てる相手では」

「ああそれ兄上。某はその時、しょうもないノリで侵入していた学校のクラスメート達と戦っていたぞ」

痛々しいほどの沈黙が流れる。
風すらも吹くことを忘れたようで、夜闇に響くのは足音だけになった。

静寂を引き裂いたのはきぐるみの女だった。
怒りのあまり、ヒステリックとすらとれそうな声音で怒声を放つ。

「何でバラす!?あっちが勘違いして警戒してくれるんならそれでええやろ!?」

「いやしかしだな。兄上の名を騙るなどとてもとても」

怒鳴る女にそれを軽く受け流す真木。
それを呆れ交じりに眺めながら、誠亜は刹那へと言葉をかけた。

「良かったな刹那。人違いらしいぞ」

「ええ。ですが油断はできません。現当主の肉親ならば、彼もまた優れた剣士である可能性は非常に高いですから」

緊張や不安は薄らいだものの、やはり鋭い警戒心は向けたまま言う刹那に真木がからからと笑いながら、

「そんな買いかぶらんでくれ。真木流の看板なぞ某にはとても背負えん。某なぞ、生来の不器用さのせいで素早く刀を納めようとすると失敗して指を切りそうになるおかげで、まったく真木流の剣が使えん落ちこぼ」

「だから何で自分の弱点を敵にばらすぅぅぅ!?」

もはや絶叫に近い勢いの声。
どこか涙ぐんでいるようにすら聞こえる。
その剣幕にさすがに悪いことをしたと感じたのか、真木は誤魔化すように手を振った。

「落ち着くのだ!もうじき駅。このまま行けば計画は成功なのだろう?それに某の弱点なぞ一太刀放つだけでばれる類の代物ではないか。ここは穏便にだな」

「やかましい!アンタは余計なこと言わんで自分の役目を果たすことだけ考えとき!」

真木の言葉に誠亜が視線を前方遠くまで伸ばすと、そこには確かに駅の姿がある。

同じようにそれを認めると、きぐるみの女は引っかかっていた刀を外して真木に投げ渡した。
刀と共に言葉も投げる。

「足止めをしいや。タイミングはアンタにまかせやす!今度こそしっかりな!」

辿り着いた駅の改札をきぐるみ女達は飛び越えていく。
誠亜たちもまた、切符を買う余裕など無論ないので改札を飛び越えて中に入った。

「ちょっとおかしいわよ。なんで人が一人もいないの?」

違和感を指摘したのはアスナだ。
言われてみると確かに、辿り着いた駅は比較的大きいにもかかわらず、全くと言っていいほどひとけがなかった。
著名な観光地へのJRにおける玄関口だ。
いくら終電間際だからといって一人も人がいないというのは不自然極まりない。
人の気配自体ないので見えないところに隠れているということはないだろう。
あるのはたった三つの気配。
前を行くきぐるみ女と真木とこのかだ。

「人払いの呪符です!普通の人は近づけません!」

刹那が言いながら指し示すのは駅の柱に貼られた一枚の札だ。
仰々しい文字と図で構成されたそれが普通の人間をこの場から排しているらしい。
見れば呪符は駅のあちらこちらに張られていた。

「普通の人間はいないってことは、多少の無茶はやってくるってことか」

厄介だなと呻きながら誠亜はアスナを抱えたままホームからホームへと飛び移る。
駅の一番奥のホームにだけ電車が止まっている。
あれで逃げるつもりなのだろう。
このかを抱えた女が最後尾の車両に飛び込むのが見えた。
まるで図ったかのように発車のベルが鳴り始める。
女の後に続いていた真木は、一度振り返ってこちらを確認すると意外にもあっさりと電車に乗り込んでしまった。
そのままきぐるみの女と共に前の車両へと駆けて行ってしまう。

だがこれは好機だ。
あの男に邪魔されないのならタイミング的にまだ間に合う。
肩越しに後ろを確認する。
ネギも刹那もしっかりとついてきていた。

地を踏みしめて電車のドアへと飛び込む。

「誠亜さん危ない!!」

その瞬間、響く鋭い警告の声に、誠亜は荒々しく舌打ちしながら大きく身を反らした。
アスナの体を放り、敵の攻撃から遠ざける。
降って来た一撃はあろうことか頭上からだった。
空を突き破る勢いでもって、鞘におさめられたままの刀が突き出される。
一瞬前まで誠亜の肩があった場所を貫く刀の残影に誠亜は驚愕を隠せもせずに、息をのんだ。
ついさっきまで確かに真木は女と共に車内を走っていた。
気配も確かにあったから幻影ではない。
にもかかわらず、気がつけば誠亜の頭上から攻撃を仕掛けてきていたのだ。

テレポートだろうか。
だが呪文も無しにそんな真似ができる者がそうそういるのか。
エヴァンジェリンと言う前例はいるが、何よりも信じがたいのは真木が現れた瞬間にも一切魔力を感じられなかったことだ。
呪文なしの転移はできるかもしれない。だが魔力なしでの転移などエヴァンジェリンですら不可能だ。

追撃の突きを鞘の腹を叩いて逸らしながら、誠亜は眼前の真木の姿を凝視した。
得体が知れない。
間抜けな意味ではなく、真剣な意味でもこいつは厄介な相手だ。

突きを逸らされた真木の横合いから刹那が襲いかかる。
だが真木はそれを一瞥すると道を明け渡すようにその場から飛び退いた。
空ぶった夕凪を引きもどす刹那の前で、空気の漏れるような音と共に電車の窓が閉まる。
咄嗟に刀の鞘をねじ込んで扉が閉まるのを邪魔しようとする刹那の眼前で、瞬動で戻って来た真木が鞘に納められたままの刀を振り上げた。
弾きあげられた鞘は扉の動きを阻害することはできず、無情にも扉は閉まる。
真木は仕上げと言わんばかりに手に持った刀を鞘ごとドアに叩きつけた。
金属製のドアが甲高い音と共に歪む。

ちょっとやそっとでは開かないのは明白だが、ならばちょっとやそっとではない力で叩き壊してやればいい話である。
加速し始めた電車に向けて、誠亜は渾身の力で踏みだした。
反動でホームの床が小さく陥没する。
踏み出しと反対の足で踏み込み、振りかぶった右の拳を打ちだそうとしたところで、崩れるバランスに誠亜は胸中で怒声を放つ。

誠亜の踏み込みに正確に足払いをかけていた真木は、狙いのそれた拳を半身になって避けるとそのまま誠亜たちから距離を取るように後ろに跳躍する。

「魔法の射手!光の19矢!」

逃がすまいと放たれたネギの魔法を見つめながら、真木は場違いなほどのんきな表情を浮かべた。
走り去っていく電車をバックにそのまま大きく宙を舞う。

ネギの放った魔法は、高い放物線を描いて飛ぶ真木に追いすがるが、彼は夜空の黒に溶け込むように姿を消してしまった。
その奇怪な光景にネギもアスナも目を丸くして真木の消えた後を見つめている。

刹那は去りゆく電車を噛み砕かんばかりの力で奥歯を噛みしめながら睨みつけていた。
思い出したように流れる終電を知らせるアナウンスが、自分たちを馬鹿にしているようだった。











あとがき

ええっと。原作でのホテル出てから駅に達するシーンってどれくらいのペー(以下略

オリジナルキャラクター真木君。
兄や友人など、いろいろ真木周りのキャラが会話の端々に出てきてますが、『リナ・インバースの郷里の姉ちゃん』みたいなもので彼らはほとんど出てこないと思います。
真木関係で他に出てくるのは一人くらいです。
でも彼らのせいで真木は非常識です。

間抜けなんだか凄いんだかわからない。真木はそんな奴です。

拙作ですが今後ともよろしくお願いします。



[9509] 第44話 電車でGO!
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/04/03 09:57
神と俺のコイントス








夜の静寂を引き裂いて一両の列車が線路の上を走っていた。
通常を遥かに上回るその速さは一体何から逃げているのか、それとも何を追っているのか。

だがまあ、この列車を見た人間はそんなことを考えたりはしないだろう。
このあまりに印象的な列車を見てそんな詩的なことを考える人間がいたら、まず自分の美的センスは人とずれていると思った方がいい。

京都のとある駅を出て、線路をの上を爆走するその列車は一見すれば蒸気機関車のようだった。
だが、これだけの速度で走行しながら煙の一つも出していないあたり、決して蒸気機関車ではありえない。
そもそも蒸気機関車とは基本的に石炭を用い、それを燃やすことによって生みだした蒸気で動く代物だ。
この列車は機関車の形をした電車だと考えるのだが妥当だろう。

無論、この列車を語る上で重要なのは機関車もどきの電車だと言うことではない。

この機関車の最大の特徴というのは何か。
側面にでかでかと書かれた『神』の文字か。
答えは否。

何よりもまずその前面に据えられた人の顔だろう。
機関車トー○スのごとく、機関車の前面の丸い部分に人の顔がついているのだ。
髭を蓄えたダンディなおじさんの顔が。
ぱっと見、妖怪にしか見えない。

そして彼――ネギ・スプリングフィールドは、その機関車につながれた一両の客車の中で一所懸命に自転車をこいでいた。
何故とは言わないでほしい。
これが必要だったのだ。
そしてこぎながら思い切り顔を下に向け、回るペダルを睨んでいる。
何故とは言わないでほしい。
これが絶対に必要だったのだ。

ちなみに機関車の中で自転車をこいでいるのは自分だけではない。
ネギの前で力の限り左を見ながらペダルを踏みつけているのは彼のクラスの生徒であり、ルームメイトの神楽坂明日菜。
そのさらに前で全力で右を睨みながら自転車をこいでいるのは同じくネギの担当するクラスの生徒である桜咲刹那だ。

ちなみにネギの後ろで凄まじい速度でペダルを回し、発電された電気の余剰分を周囲に迸らせているのは、これまた彼の生徒の風間誠亜だった。
そして彼女も決して開かないように、強く目をつむっている。

「ワンツーワンツー!ほれほれどうした!もっと気合を入れてこがんと誘拐犯共の電車に追いつけんぞ!」

聞こえてくる低い声が一つ。
それに合わせて何かが翻るような音が聞こえてくるが、何をしているかはわからない。
想像はつくが確証はないのだ。
なぜならネギは、この声の主が動き始めてからずっと床を睨んでいるのだから。

チェーンが超高速で回る音と放電音を交えながら、後ろから声が届いてくる。

「お前ら。絶対に前を見るなよ。」

恐れすら含む声で言われた言葉に、ネギはためらうことなく頷いた。

「当然です。僕は一度それで酷い目にあってますから」

教会前で起きたあの悪夢は今でも忘れない。
自分の位置からでは見えないが、アスナも顔を青ざめさせていることだろう。

ネギ達が一向に自分を見ないのを認めると、神はつまらなそうに嘆息した。

露出度の高い服装。妙に翻り易いスカート。
両手に持ったボンボン。
チアガールの扮装で両足を大きく上げ下げしながら踊っていたダンディなおじさんが、
不満を全身で表わすようにフィギュアスケートの選手並みの高速スピンを見せている。

完全に浮き上がったスカートの下には、恐らくはこちらの精神を深々と抉りそうな物が待ち構えているに違いない。
無論確認はしないが。

「仕方ない。ここでお前たちの視覚神経に直接映像を叩きこんでやってもいいのだが、それのせいで戦闘不能になっても困るからな」

その言葉にネギは、背筋をうすら寒いものが駆けあがっていくのを感じた。
もし彼が気まぐれを起こしていたら、耐えがたい悪夢が回避不能属性をもって襲ってきていたのか。
冗談ではない。
今回ばかりは天の神に感謝したい気分だった。
いや神に感謝した場合、それは目の前の男に行ってしまうのか。
対価として酷い目にあわされそうである。

しばらく全力でこぎ続けていたせいか、少しばかり息が切れてきた。
荒くを呼気を吐き出すネギに、カモが心配そうに声をかけた。

「大丈夫か兄貴?くそ。俺っちが自転車をこげりゃ手伝ってやれるのに……」

「よい心がけだ」

帰って来た言葉にカモは頬をひきつらせる。
見れば、踊るのをやめた神が拍手をしながらどこからともなくとりだしたシルクのハンカチで涙を拭いていた。
感動しているというアクションを見せたかったらしい。
だが、神の目には涙など流れていないし、何よりも手に持ったハンカチになされた神の自画像の刺繍が気になって、それどころではなかった。

神がおもむろにネギのこぐ自転車のハンドルを叩くと、そこからハムスターの籠などに据えられる回し車が生えてくる。
しかもオコジョ用に少し大ぶりに作られていた。

「存分にこぐがいいぞ」

にやりと笑う神。
その笑みにカモは一瞬逡巡するが、一言気合の声を上げて回し車に飛び込んで行った。
そのまま中で力の限り駆け抜ける。
力の限り駆け抜けすぎて、高速回転する回し車に足を取られて回し車と一緒に回りだしてしまった。

「カ、カモ君?」

回転する視界に三半規管をやられたか、途中で脱することもできずにたっぷりと十数回転したカモが、回し車の中で目を回していた。

「ちょっと神さん……コレあたし達意味あるの?」

ネギ以上に疲労を滲ませて自転車をこぐアスナが疑問の声を上げる。
そう言いたいのも頷ける。
自分たちのこぐ分など、誠亜がこぐ量に比べれば微々たるものだ。
必死にこいでも役に立てていないような不安が付きまとった。

だが神はかぶりを振ると、

「いやいや。意味はある。お前たちのこぎっぷりが誠亜の自転車の発電効率にダイレクトに影響するからな。気を抜いているとあっという間に半減するぞ」

言っているそばから、電車の速度が目に見えて遅くなっている。
後ろの誠亜のペダルの回転速度はなんら変わっていないのにだ。

「ネギ、漕いで漕いで!」

「分かってます!カモ君も回して!」

4人と一匹揃い、必死こいて自転車をこぎ出す。
再び速度を上げていく電車に安堵の域を吐くと、ネギは足は止めぬままに背筋を伸ばした。

神はもとの速さを取り戻した外の景色の流れに感心したように頷くと、車両の先頭へと歩いて行った。
なぜかそこに鎮座している冷蔵庫から数本のペットボトルを取りだすと、こちらへと差し出してくる。

「自転車をこぎ続けて喉も渇いただろう。飲み物の差し入れをしてやろう」

差し出されたペットボトルはあからさまな緑色。
表面には丸みを帯びた文字で商品名が書かれていた。

「飲むがいい。炭酸の抜けたぬるいメロンクリームソーダだ」

「何の嫌がらせですか!」

炭酸の抜けた炭酸飲料のまずさと言うのは全国共通だろう。
おまけにぬるいと来た。あの冷蔵庫は何のためにあるのか。
ついでに言えば、運動している時にメロンクリームソーダなど喉に絡んで不快極まりない。
確実に嫌がらせだ。
なにより神の楽しそうな表情がすべてを物語っていた。

ネギのツッコみに笑いながらペットボトルをポケットにねじ込んだ神に、これまでずっと黙しながら一心不乱にペダルを漕いでいた刹那が毒づいた。

「神さん。遊んでいる暇があったらあなたも漕いだらどうなんですか」

とげとげしい声音に本気の怒りを感じたのか、神は軽く肩をすくめると黙って踵を返した。
そして人力発電にいそしむネギ達の最前列に立つと、床を軽く足で打った。
軽やかな音と共に床が長方形に開き、中から一台の自転車がせり上がって来た。
競輪選手用の特殊なハンドルを有した代物だ。

「では私も漕ぐとするか!」

神が身を翻すと、その服装が光に包まれた。
魔法少女的なプロセスと共に、チアガールの服が光となって弾ける。
次いで光が神の体を包み込んで新たなる服となった。

現れたのはぴったりと体にフィットする黄色に黒のラインが入ったスーツとヘルメット、サングラスをかけた、典型的な競輪選手スタイルの神だった。

神は己の分の自転車型の発電機にまたがると、ペダルに足をかけた。
ハンドルに掛けられていた、車内アナウンス用マイクらしきものを手に取ると、そこへ声を吹き込む。

『え~、当列車は間もなく加速します。ご乗車のお客様はシートベルトをお締め下さい』

実際に駅で流れるような、妙な籠りのある声で告げられた内容にネギは首を傾げた。
どこを見てもシートベルトはおろか座席すらない。
この列車の中にあるのは発電用の自転車と冷蔵庫だけだ。

「シートベルトなんてないですよ」

確認するように問いかけたネギに、神は振り向くことなく腰を持ち上げた。
自転車の立ちこぎの姿勢で、ゆっくりと最後通告を行う。

『シートベルトをお締めになりませんと、命の保証は出来かねます』

「だからシートベルトなんてないですって!どちらにせよ命の保証はないってことですか!?」

『分かっているならいちいち聞くでない!いざ出発!リニアモーターカーなんぞに負けるかああああ!』

次の瞬間凄まじい加速とともに列車は前へと走りだした。
慣性の法則のままに後ろへと吹き飛んだネギの意識は、何か柔らかいような硬いようなものに受け止められたところで一度途切れた。









第44話  電車でGO!









いきなりの数百キロ近い加速に、なすすべもなく吹き飛んできたアスナとネギの体を受け止める。
自分の体を支えるために足を引っ掛けていた自転車のフレームが嫌な音と共に歪んだ。
加速は終えたのか、後ろへと引きずられる強烈な慣性は無くなったものの、無茶苦茶な高速走行が生む激震はいまだに車体を激しく揺さぶっていた。
刹那も床に膝をつけ、床に固定されている自転車を掴んで揺れに耐えている。

横手の窓の外の景色を見るに、神の言ったリニアモーターカー云々と云うのもあながち大げさなものでもないのではないだろうか。
車両最後尾の窓から外をのぞくと、列車の走った後の線路が光に包まれていた。
つまりは走った後に修復しなければならない程の無茶な速度が出ているという事だ。

「無茶苦茶しやがる」

いまさらと言えばいまさらだが、誠亜は苦々しげに呻いた。

少しして、神が声を張り上げた。

「何をぼさっとしている!各員座席につけ!」

「お前のせいだろ」

無責任な事を言う神に誠亜がツッコミを入れるが、神は弁明をするでもなく車両の前の壁を指さした。

其処に虚空に浮かぶように映像が出現する。
SF映画などで見られそうな空間モニター的な代物だ。
その映像にはどうやら誠亜達の乗っている列車の先頭から見た視界が映っているようだった。

神は相変わらず自転車を凄まじい勢いでこぎながら、誠亜だけでなく、気絶しているネギたちにも聞こえそうなほど大きな声で言う。

「敵影捕捉!仕掛けるぞ!」

言われてみれば画面の中心には前を行く電車の姿が見えた。
それがかなりの速さで近付いている。

「ネギ、アスナ!起きろ!乗り込むぞ!」

軽く頬を叩いてやるとネギとアスナはよろめきながら身を起こした。
目を擦りながら言うネギに、誠亜は苦笑と共に口の端を吊り上げた。

「え……もう終点ですか……?」

「いんや、次の駅だ。降りる準備をしろ」

ネギの隣では起き上がったアスナが腰を押さえて呻いていた。
大きく身を反らして体を伸ばしている。
受け止め方が悪かっただろうか。

誠亜は二人の横を通り過ぎると車両の扉を開いた。
そして扉の上の縁に手を掛ける。
屋根に上って先頭車両に移らねば、前の電車に乗り込む事が出来ない。
だが、誠亜が扉を開けたところで、たしなめるような声が掛けられた。

振り向くと、神が自転車のサドルの上でふんぞり返りながら後ろの自転車達を指さしていた。

「何をしている。言っただろう。座席につけと」

「はあ、何言って……」

訝しげに眉をひそめる誠亜の前で、何かを悟ったのか大人しく自転車にまたがっているネギたちの姿。
誠亜もまた、込み上げる嫌な予感に自分のこいでいた自転車へと足を向ける。

だが、残念ながら誠亜よりも神の行動の方が早かった。

「行くぞ!合体だ!!」

神の雄叫びと共に車体が大きく揺れる。
高速走行の時の揺れを激しいと表現するなら、今回のは大きい揺れだった。
大きすぎる揺れに誠亜の身体がよろめき、開け放たれていた扉から投げ出された。

空中で怒号を飲み込みながら身を捻った誠亜はそこが空中で在る事に驚くとともに安堵した。
これが地上だったなら、時速数百キロで地面に叩きつけられているところだ。
即死するなどとは言わないが、かなり痛い事は間違いなかった。

足に気を集中させ、虚空瞬動で地上数十メートルに浮きあがっている列車へと飛び付く。
扉は閉まっているが捕まる場所はいくらでもあった。
機関車型の先頭車両の神の顔が在るところの横に指をめり込ませて張りつく。

一息ついたところで、機関車の先頭の神の顔がやたら気合いの入った顔になっているのを見て誠亜は小さく嘆息した。

再び起きた大きな揺れに誠亜は車体を掴む腕に力を込める。
浮きあがった先頭車両の下に廻り込んだ客車が縦に向きを変え、半ばで折れた先頭車両にドッキングした。
さらに客車の方が二つに分かれ、変形して脚になる。
出来あがったのはロボットの胴体と脚であった。

「何やってんだあいつは……」

誠亜が痛みだした頭を押さえていると、地上から鋭い警笛の音が届く。
ぎょっとして下を見ると、其処にはいかにもヒーローもの臭いカラーリングの新幹線が線路の上を疾走していた。
新幹線の先頭車両に最後尾の車両を直接つないだような代物だ。

側面に神とか書いてあるのであれも神の用意した列車だろう。

風に神をなぶらせながらそれを見下ろし、誠亜は感情の読めない淡々とした声で呟いた。

「なぜあれを最初に用意しねえ」

人力電気機関車などで一生懸命こがされていた自分は何なのだ。

不満げな表情の誠亜をしり目に、新幹線は重力に逆らって飛び上がると連結を解除してそれぞれ機関車の左右に廻り込んだ。
新幹線は、両手を横に伸ばした人間の様に胴体部分にドッキングすると、先端の鼻の様な部分を開く。
其処から出て来たのは鈍い黒色輝くロボットの拳だ。
新幹線はさらに中ほどで二つに割れるとひじ関節を形成する。

これでロボットの四肢がそろった訳だ。
だがロボットはまだ変形を続けるつもりらしく、これまた重力に逆らって数百メートル上空に飛び上がった。

空中で体を一回転させると、足をピンと揃え両手を左右に広げて体を軽く反らす。
まだ何か在るのか。

目を凝らし耳をすませた誠亜は、甲高い音を捉えて眉をひそめた。
音の源に目を向けると、一機の漆黒の戦闘機がジェット噴射の光の尾を引きながら此方に向かって来ていた。

眉間にしわを寄せて唸る。

「なんで、あれを最初に持ってこねえ」

戦闘機はロボットの背中に向けて突っ込むと、激突の直前で急制動をかかけて機体の向きをロボットの背中と平行にした。
やたらとかっこいい音と共にロボットとのドッキングを完了する。
最後に胴体部の機関車、その首の位置に当たる煙突が左右に割れると、其処からロボットの頭部が出現した。

どうやら合体変形は終わりらしく、ロボットは背中のブースターを噴かしながら横に一回転した。
体に掛るGに誠亜の体が外側に向けて引っ張られる。
さらにロボットは両手を一度天に掲げると、力強く振り下ろして腰だめに構えた。
どうでもいいが無駄にダイナミックな動きをしないでほしい。
つかまっているのが大変だ。

ロボットはポーズと共に体の各部から虹色の光を放ちつつ、高らかに宣言した。

『ゴッドロボ!推参!!』
『『ロボットになったあああああ!?』』

神の叫びと同時にネギとアスナの驚愕の声がスピーカーを通して外に放たれる。
叫びの影で、刹那の深いため息もさりげなく聞こえていた。

はためく髪の毛を押さえながら、誠亜は呆れたようにかぶりを振った。
ロボットから視線を逸らす様に地上を見つめる。

目を細めて視線を伸ばすと、電車の最後尾車両の運転席できぐるみ女が唖然とした表情でこちらを見上げていた。
そりゃあ驚くだろう。

誠亜だって驚いている。
神の事をよく知らないものならなおさらだろう。

『さあお前たちも操縦桿を握るがいい!』

『は、はい!』

スピーカから流れる神の声にネギ達が返事をすると。
ゴッドロボとやらの瞳が強い輝きを宿した。

「お前ら待て。あんま無理な動きを……」

するなと言う前に、ゴッドロボは突然の急降下を行った。
眼下を走る電車に向けて突撃した。
きぐるみ女が慌てたように運転室を出て車両へと掛け込んでいく。

どうやら少しでも此方から離れるために前の方の車両へと逃げるつもりらしい。

『神!奴が逃げるぞ!』

切迫した声で言う刹那に対し、神は心底楽しそうに言い放つ。

『フハハハハ!いまさら多少前に逃げたぐらいでどうにかなると思っているのか!甘い!甘いわあああ!』

「悪役くせえ~」

苦笑と共に言う誠亜の前で、ロボットの右の拳が撃ちだされた。
風を切り裂いて一直線に飛んだロボットの手は電車の最後尾車両を鷲掴みにする。
その手首と腕は一本の太いワイヤーでつながれていた。
そのワイヤーが巻き取られて車両が浮き上がる。

これで電車を止めようというのだろう。
荒っぽいやり方だ。

だが最後尾が持ち上がり、後ろから2両目も浮き上がるかという瞬間、鋭い光と共に電車の連結部分が切断された。

2両目は僅かに揺らぐだけで、変わらず走り続ける。
その2両目の入口で、瞬く間にロボットの手もとに引き寄せられる一両目を見つめながら、刀を握る右手をだらりと垂らしているのは袴に草履、髷に刀の時代錯誤な男だった。

彼、真木は丁寧に刀の先端を鞘の入口にあてがうと少し入れた後で素早く鞘に収めた。
その動きは素早いが、刹那のような一瞬の内に行われる高速納刀に比べると雲泥の遅さである。
収められた刀を左手に握りながら右手で列車の入口の縁を掴むと、逆上がりの様に列車の屋根の上に昇った。

その真木に車両の途中の窓を開けてきぐるみ女が声を張り上げた。
次々と起きる予想外すぎる出来ごとに、その声には混乱の色が多分に含まれていた。

「真木!なんとかできはります!?」

あまり期待はしていない様子だ。
当然だ。
こんな現在の科学力では到底実現できない巨大ロボットとの戦い方など熟知している奴がこの世に居たらむしろ見てみたい。

だが真木はきぐるみ女と正反対に何ら気負う様子もなく、笑いながら答えた。

「某に任せておくがいい。この程度ならどうにかなるだろう」

その余裕に満ちた声にかえって不安になったのか、きぐるみ女は不審の眼差しを送った。

「ほんまに大丈夫なんどすな?油断して瞬殺されたとか言わんといてや!」

最高速で走る電車の上に危なげなく立ちながら、真木は軽い仕草で手を振った。

「大丈夫だ!こう見えても某、中学高校在学時はロボ研の作った巨大ロボットとしょっちゅう戦っていたのだ。よほど出鱈目なものでなければどうにかなる!」

体育祭の思い出を語る様なノリで語られた言葉に、きぐるみ女は頬に冷や汗を浮かべた。
戦慄を含んだ声で呻く。

「思ったんやが、アンタのクラスメートって……いや、なんでもないえ」

だが途中で言葉を飲み込むと、女はまた前の車両へと駆け出した。
このかも一緒だろう。
後ろから一両目が切り離され、実質的に最後尾となった二両目の一番後ろで、真木は悠然と刀の柄に左手を添えた体勢でこちらを見つめた。
その姿に対抗心が燃えたのか、神が良い放った。

『どうにかなるとは大きく出たな!ならば見せて貰おうか!』

挑発的な神の声がロボットの頭部から流れる。
ゴッドロボは手に持った電車の車両を放り捨てると、右手を顔の前で強く握りしめた。
そして心底楽しそうな神の声が夜闇を切り裂いた。

『さあお前達!このセリフを気合をいれて叫ぶのだ!』

その神の言葉に、驚いたように、そして嫌そうにアスナが反論した。

『ええ!?なんであたし達がそんなことしなきゃならないのよ!』

それに続いて刹那が非難の声を上げる。

『そうです!ふざけていないで真面目に攻撃を』

だが神はそんな事お構いなしに高笑いと共に返した。

『ははははは!ノリだノリ!ついでに言うならこのロボットの必殺技は基本音声認証だからな!叫ばねば碌な攻撃はできんぞ!』

少女達の悔しげな声がスピーカーから漏れる。
様子見に徹するつもりなのか、真木は自分から仕掛ける事は無くゴッドロボを見据えていた。

いや違う。
ロボットの胸に捕まっている誠亜にも、真木は意識を向けていた。

『さあ、急がねばあちらさんは目的地に達してしまうかも知れんぞ!』

共に乗るネギたちをせかす様に言う神。
だからなんでそんなに楽しそうなのか。

「なんだか懐かしいノリだなあ」

一方、感慨深げに言う真木。
なんだ懐かしいって。

電車とロボの進行方向遠くに見えた駅の存在が決め手となったのか、意を決したようにネギが宣言する。

『わかりました!やります!』

ネギは大きく息を吸うと、力の限り叫んだ。
声からして半ば自棄である。

『僕のこの手が真っ赤に燃える!』

叫びと共に強く開かれた右手が、一瞬で赤熱化した。
涼しげだった夜の空気が熱され、強烈な熱風となって吹き荒れる。
吹きつける熱に肌がじりじりと痛んだ。
身に纏う浴衣がうっすらと焦げくさい臭いを発しだす。

誠亜は舌打ちと共に跳び退った。
ロボットの胸から跳び退り、左手へと飛び移る。

掛け声はまだ終わらないようだ。
アスナが困惑の声を上げていた。

『え!?あたしも!?あーもう、わかったわよ!』

アスナもまたネギと同じように叫んだ。やはり半ば自棄気味だ。

『勝利を掴めと轟き叫ぶ!!』

アスナの叫びに合わせて超高熱を発する右手を振りかぶるロボット。
ついで背中のブースターが大きくその口を開いた。

『ば、ば……』

どもりながら刹那が声を漏らす。
次は刹那の番の様だ。
声だけで相当恥ずかしいのだろうという事が解る。
真っ赤になった彼女の顔がはっきりと思い浮かべられた。

ついでに言うならば、恥ずかしがる面々の顔を見て、顔を喜悦に歪める神の姿も。

アスナ達以上に迷っていた刹那だが、このかを救出するためと、意を決したようだった。
半ばでは無く、完全に自棄になったように腹の底から渾身の咆哮を吐きだす。

『ばぁぁくねつっ!!!』

ゴッドロボのブースターが異様なまでに大きな火を噴いた。
信じがたい加速でもって、焼けた大気の爆ぜる音を引きずりながら電車の上に立つ真木のもとへと達する。

最後の締めに神が技名をとやらを叫んだ。
吹き出していないのが不思議なほどに声に笑いを含みながら。

『神フィンガァァァァ!!』

だが放たれるエネルギーは本物だ。
絶大な熱量を宿す右手が真木へと叩きつけられた。
これだけの熱量だ。人間はおろか下の電車まで軽く破壊しかねない。

だが、その手が鋼鉄の電車を融解させることは無かった。



黒が視界を侵食した。



電車はおろか真木の服すら焦がすこともできずに炎の拳は食い止められた。
突如真木の眼前に出現した漆黒の壁によって。

一切の光を通しも反射もしない黒塗りの盾が巨大ロボットの攻撃を平然と受け止めている。
咄嗟に魔力障壁を形成した誠亜にすら感じられる圧倒的な熱量がほんのわずかすら向こうへと届いていない。

誠亜は愕然と黒い壁を、そしてその向こうに居るであろう真木の姿を睨み据えた。

あの黒い盾はいったいどんな障壁なのか。
魔法かそれとも気の技か。
杖無しで魔法を使うことだって可能だし、あの刀が杖だと言う可能性もある。
気の技ならば剣士が使えてもなんら不思議はない。
確かに真木の体からは気も魔力も感じられる。
だがあんな一瞬で、しかもさほど強いわけでもない気や魔力で今の攻撃を防ぎきれるものだろうか。

弾かれるように下がるロボット。
それに合わせたように黒い壁は薄れていき、向こうに居る真木の姿を映した。

既に刀の切っ先を鞘に添えている真木の姿はやはり無傷だった。
あの障壁は真実、今の神フィンガーとやらを防ぎきったらしい。
刀を鞘に納めた真木は、真顔でふうむと唸った。

「見た目は戦隊物のロボットに見えるが、コクピットはまとめて一か所かそれとも各ましんに分散しているのか。それによって攻め方が変わるなあ」

真木は丁寧に刀を鞘に納めながら軽く跳躍した。

「まあどうにかなるか」

そしてその言葉と同時に姿を消す。
次の瞬間、ロボットのスピーカーから騒ぎ声が響いた。

『えっ!?ちょっ!?アンタなんでここにいんのよ!』

『うむ、秘密だ。おや、これが分離レバーかな?』

アスナの詰問の声にこたえているのは紛れもなく真木の声だ。
つまりは今あのロボットのコクピットに真木が居ると言うこと。

慌てたように口を開いたのはネギだ。

『ああ!無闇にいじらないでください!ただでさえ神さんの作った代物で信頼性に欠けるんですから!』

『失礼な奴だな!私の作ったロボットのどこが信頼性に欠けると言うのだ!』

そして神はどうでもいいことに反論している。

『よし。パージ』

緊張感のない真木の声と共に、ロボットの右腕と両足、背中のブースターパックとなっていた戦闘機が分離する。
空中でバランスを崩し、さらには飛行能力を失って墜落するゴッドロボ。

このまま地面に激突すればただでは済まない。
真木はあの奇怪な移動方で脱出しそうな気がするが、アスナ達はそうもいかない。
神がどうにかするかもしれないが、それでも安心はできなかった。

アレを受け止めるのにはどれぐらいのパワーがいるか。
咸卦法だけで済むか、あるいは切り札が必要になるか。
右手と左手にそれぞれ魔力と気を集束させながら、掴まっていたロボットの左手を足場に誠亜は足をたわませた。

誠亜がまさに跳躍しようとした瞬間、神の勝ち誇ったような声があたりに響きわたった。

『甘いぞ真木とやら!』

その言葉と同時にロボットの左腕が変形した。
振り落とされそうになった誠亜は跳躍を中止してロボットの手にしがみつく。
肘の部分で折れていた腕がまっすぐに戻り、走行がスライドしてもとの形を取り戻す。
拳が車体に引っ込み。左右に下がっていた新幹線の“顔”がもとに戻った。
車内に投げ出された誠亜が顔を上げると、大量の何らかの機械に席巻されているものの新幹線の運転席に当たる場所にもみくちゃになって倒れているネギ達が居た。
神が何らかの機構を使ってコクピットに居たネギ達をここに送り込んだのだろう。

新幹線の形を取り戻した左腕をゴッドロボは銃のように離れていく電車へと向けた。

『行ってこい!』

発射される左腕。
ゴッドロボから完全に切り離された左腕は空中でジョイント部分も変形させ、元の新幹線となると、側面から噴射したブースターで角度を調整すると、地を走る線路へと着地した。
車輪が線路と噛み合った瞬間、猛烈な勢いで車輪が回転しだす。
新幹線はそのまま誠亜たちを乗せてきぐるみ女の乗る電車へと追いすがっていった。

ネギ達を介抱する誠亜の耳に、ゴッドロボのスピーカーから流れるコクピットの会話が聞こえてくる。

『なんと!やるではないか。だが某もそう簡単には……あれ?刀がゴボウに』

『ふはははは!お前はここでリタイアだ!無論私もだがなあああああああ!!』

地面に激突したゴッドロボの胴部は激しく地面を転がり、墜落してきた戦闘機と激突した。
夜の黒を引き裂いて朱色の閃光が迸る。
轟音があたりを揺るがし、噴き上がる粉塵が爆発の規模を示す。
爆散した破片が飛び散り、誠亜たちの乗る新幹線の車体を雨のように打ちつけた。

その惨状を見つめて顔を青ざめさせたネギが呟く。

「あの……あれ死んじゃったんじゃ」

正直どっちもあれぐらいじゃ死なない気がするのだが気のせいだろうか。
だが、誠亜はあえてそれは言わずに視線を前に固定した。

「奴らの死を無駄にするな。行くぞネギ」

みるみる近づいてくるきぐるみ女の電車。
だが、同時に駅も近づいてきていた。

逃がしはしない。
そう胸中で呟きながら、誠亜はご丁寧に“アクセル”と書かれたレバーを一段階上げた。








あとがき

何回書き直したでしょうか。
今までで一番調子が悪かった気がします。
次回はシリアス目。バトル気味です。
どうぞよろしくお願いします。



[9509] 第45話 黒と白
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/04/13 00:34
神と俺のコイントス










深夜の京都。
うずたかい建物を前に堂々と鎮座する幅の広い階段で、女が一人高笑いを上げていた。

「並の術者ではその炎は越えられまへんえ!」

言う女の前には、十数メートルの高さまで煌々と燃える炎が大の字を描いて立ち塞がり、追う少年達の歩みを阻害している。
飛びかかった刹那も、近くに居るだけで肌に焼けつくような痛みの走る炎に思わず足を止めた。
真紅の光に、白地の浴衣が淡く朱色に染まる。

しかし、勝ち誇る女と対称的に、少年の目に焦りは無かった。
彼は練習用の小さな杖を構えると、鋭く呪を紡ぐ。

「ラステル・マ・スキル」

その前に一人の少女が立つ。
そのすらりとした体躯と大人びた顔立ちはとても少女という呼び方とは結び付かないが、この際それは問題ではない。
スパッツと体に密着するタイプの黒いシャツを着、コートのように浴衣をラフに羽織っていている。
腰まで伸ばされた艶やかな黒髪が吹き荒れる熱風に、揺らめいた。

強力な炎を前にかほども揺らがず凛と立つその姿は、まるで王を守る騎士のよう。
彼の守りがあればきっと大丈夫。
そう思わせる力強さがその背中にはあった。
ネギは表情を緩めると、呪文の続きを唱える。

その前で狼じみた鋭い双眸を持った女は口の端を吊り上げると、

「とうっ」

やたら軽い掛け声と共に炎の壁を飛び越えて行った。







第45話  黒と白







誠亜にとって、普通にジャンプすれば飛び越えられる程度の高さしかない炎の壁を、普通に跳躍して越えた。
ただそれだけのことだ。
だが女にとってはそうでもなかったらしい。
誠亜は着地と共に振り向き、怪訝そうに眉をひそめた。
その視線の先では、電車の中で着ぐるみを脱いでいたらしい女が、肩と背中を大胆に出した着物姿で唖然とした面持ちでこちらを凝視していた。

この突破方法が意外だったらしい。
確かに触れればただでは済まないだろうが、誠亜の足を止めるには些か高さが足りていない。平坦なところでマリオの前に動かないトゲゾーを配し、どうだ、と勝ち誇るようなものである。

誠亜が歩み寄るのを見て、慌てて懐から札を取り出そうとする女の背後で、突然炸裂した突風に炎が吹き散らかされた。
その向こうから現れるのは、どこか苦々しい笑みを浮かべたネギである。

ネギは誠亜と女を挟んだ反対側に立つと、いつも持っている杖に比べるとずいぶんと頼りない小さな杖を突きつけた。
その隣にはアスナと刹那がそれぞれ油断なく構えている。

「ここまでです。このかさんを返して下さい」

前を誠亜に、後ろをネギ達に塞がれた女が悔しげに唸る。
何か手を打つとしても、この場に居る4人を同時にどうにかするのは至難の業だ。

「素人と見習いや言うて侮ったらあかんいうことどすな」

女は自嘲気味に笑うと、ゆっくりとこのかを担いでいるのとは逆の手を持ち上げた。
抜き放っていた呪符を足もとに捨てる。
降参を示すようなその仕草に、ネギとアスナが安堵の域を吐いた。

そして女は、左肩に担いでいるこのかの体をそっと下ろすと、刹那の方へと差し出した。
ネギ達とは異なり、油断なく女を睨みながら刹那が一段階段を上る。
まだ女が本当に降参したわけではないと警戒しているのだ。
女はこのかの背中に手を添えて支えながら、刹那の方へとぐいと出す。

刹那がこのかまで後一歩と言う所まで着た瞬間、女が掲げていた右手を曲げて、指先を手首へと伸ばした。
同時に左手で支えていたこのかの体を刹那へと突き飛ばす。
女の右手の動きに刀を抜きかけた刹那だが、突き飛ばされたこのかを支えるために咄嗟に手を伸ばしてしまった。

その一瞬に、女の右手に手品のように数枚の呪符が現れる。
一瞬だったが、袖の中から飛び出してくるのが見えた。
まるでデリンジャーだ。

女の手の中で解放された呪符が二体のきぐるみを生みだした。
現れたのは女が着ていたのと同じように頭がやたらと大きいサルのきぐるみとクマのきぐるみだった。
その愛らしい外見は、とても戦闘用のものには見えない。
遊園地で子供たちに風船を配っていてもなんら違和感のない格好だった。
だがその体に宿る力がそれがただのきぐるみではないことを如実に表している。
2体の内のサルが、出現と同時に誠亜に向けて突撃してきた。
同時に、クマが放られたこのかを浴衣の襟首を引っ掴んで引き戻す。
クマはそのまま引き寄せたこのかの体を地面に放り捨てると、女の攻撃行為に即座に反応して刀を抜き放っていた刹那の、大上段からの振りおろしを受け止めた。
そのやわらかそうな体のどこにそんな硬度があるのか、迫る野太刀を片手でしっかりと受け止める。
甲高い激突音が響き渡った。

地面に投げ出されたこのかだが、その落ち行く先、先程女が捨てた呪符が煙と共に形を変え、数匹の子ザルとなってこのかの体を受け止めた。

誠亜の方に突撃してきたサルは、勢いのままに大ぶりな右のストレートを放ってきた。
空を裂く拳を見据えながら誠亜は素早く右前に踏み込み、振り下ろした左の手刀でサルの右腕をへし折る。
人間の腕とは到底似つかない妙な手ごたえと共に砕けるサルの右腕。
だがこれで終わりにはしない。
誠亜はさらに引き絞った右の手刀をサルの左胸に突き立てた。
弾丸すら凌駕する速度で放たれた一撃は、まさに鋼の槍のごとくサルの体を突き破って背中から抜ける。

「ウキッ!?」

悲鳴を上げるサルに誠亜は口の端を吊り上げた。
だが次の瞬間、驚愕に呻きながら飛び退った。
その誠亜の残影を引き裂く様に、サルの剛腕が通り過ぎる。
出遅れた髪の端をサルの拳が引きちぎっていった。

足を地に滑らせようとして、そこが階段だと言うことを思い出す。
階段を踏み砕いて足を止めた誠亜は、不機嫌そうに目の前のサルを睨みつけた。
左胸に風穴を開け、右腕を妙な方向にだらりと曲げたサルは、痛みなど感じていないかのように左手を引いてこちらを油断なくうかがっていた。

なるほど、冷静に考えれば明らかにぬいぐるみ然とした使い魔が人間と同じ急所を持っている必要などない。
心臓の位置を貫いたからと言って倒せるわけでもないということだ。
これを倒すならピンポイントに急所を狙うより、とにかく派手に壊してやった方がいいということなのだろう。

押し戻された刹那と入れ替わるようにアスナが駆けこんでくる。
それに合わせてネギが一枚のカードを掲げて朗々と唱えた。

「契約執行180秒間!ネギの従者、神楽坂明日菜!」

送り込まれる魔力にカードが輝きを放った。
そしてその魔力と輝きが階段を数段飛ばしに駆けあがるアスナへと伝わる。
夜闇を淡い光で照らしながら、アスナが体にみなぎる力を存分に引き出して跳躍した。
疾風のように突撃した勢いを乗せて、思い切りのいいとび蹴りをクマの顔面に撃ち込む。
高い重心を生む大きな頭部に直撃した蹴りは、容易くクマの体勢を崩した。
だが、よろめきながらもクマが振りまわした腕の一撃に、アスナが慌てたように後ずさった。
そのまま、階段と言う悪い足場に足を取られて転びそうになるのを刹那が支える。

アスナはすぐさま立ち上がりながら、口をとがらせた。

「何よアレ!いまさらぬいぐるみが動いたぐらいじゃそんな驚かないけど、あれも魔法なの!?」

アスナがさらりと言った言葉に、刹那は苦笑を含んで答えた。

「いまさらって……まあ確かにいまさらですが。あれは善鬼と護鬼。陰陽道の一つで、魔法使いで言うミニステル・マギのようなものです」

刹那は視線を数匹の子ザルに担がれたこのかに向けながら、いつでも飛びだせるよう腰を落とす。

「間抜けなのは見てくれだけです。3人とも気を付けてください」

「まあ今ので分かったよ」

刹那の忠告に相槌を打ちながら、誠亜は両手の指の骨を鳴らした。
簡単には死なないということは分かっている。
攻撃の方もあまり楽観視はしない方がいいだろう。

「ちょっと。なんか頑丈そうよアイツ。素手だとなんか心もとないんだけど」

胸を貫かれてもなお動く様子のサルを一瞥して、アスナが不安げに言った。
その言葉に、ネギは何かいいマジックアイテムが無いか己の浴衣を探る。
だが、浴衣などと言うポケットもないものにそうそう便利な道具が入っているはずもない。

すると、ネギの肩の上のカモがネギの右手のカードを指差しながら声を張り上げた。

「兄貴!アーティファクトを出すんだ!」

ネギは天啓を得たように目を輝かせると、手に持っていたカードをアスナに向ける。

「そうだ!アスナさんこれを!」

ネギが唱えた呪文と共に、アスナの手の中に光が集束していく。
闇を切り裂く眩い閃光がまるで剣のような形を取りだした。

「何!?武器なの?」

「魔法使いのパートナーだけが使える専用アイテムがあるんです!アスナさんのアーティファクトの名前は……」

光の収まりと共に、その全容があらわになる。
それと同時にネギはその名を呼んだ。

「ハマノツルギ!」

「おお……?」

最初は期待に顔をほころばせたアスナだが、現れたアーティファクトを目にとめると、その言葉をしぼませていった。

ハリセンである。
現れたのはハリセンだった。
鉄でできていて熊でも撲殺できそうとかそういうことは無い。
普通にハリセンだった。

「ちょっとおお!これでどうしろっていうの!ツッコむの!?」

己の握るハリセンを指差して涙目で叫ぶアスナの姿に、女が嘲るような笑みを浮かべた。
駆けだしながら己を守る2体の使い魔を呼ぶ。

「猿鬼!熊鬼!」

それだけで2体の使い魔は同時に動きだした。
入れ替わるようにサルがアスナへと殴りかかり、クマが誠亜を迂回して走る女を守るように動きだす。
あえて2体を入れ替えたのは誠亜の方を厄介な相手と判断したということだろうか。
それでダメージの少ない方を誠亜に当てたと。

襲いかかったサルに対し、アスナの体を押しのけて刹那が前に出た。
振り下ろされた剛腕をその刀で受け止める。
己の一撃を受け止められたサルが苦し紛れに折れた右腕を振り回して明日菜めがけて叩きつけるが、その一撃も刹那の放った鞘の突きで弾きあげられた。

「ウキッ!?」

驚愕の声を上げて、サルが刹那の次撃に備えようと一歩後ずさった。
だが、それを追うようにアスナが跳ぶ。
魔力の加護を得た脚力で刹那の体を飛び越え、サルの脳天へとハリセンを思い切り振りおろした。
常識で考えてハリセンで叩かれた程度でどうにかなるわけがない。
サルもそう思っていたのだろう。
だが、その場にいた面々の、アスナすら含めた全員の予想を裏切ってハリセンの一撃はサルを粉砕した。
まるで弱った風船が割れるかのように、あっさりとサルの体が砕けていく。

悔しげな声をあげながら風に解けるように消えていくサルの姿に、女が驚愕に目を見開く。

「なっ!ウチの猿鬼があんなハリセンで!?」

自分でも理解できなかったのか、アスナが不思議そうに己の手の中のハリセンをみつめる。
だが、その有用性が頭に浸透すると、そのハリセンを構えて誠亜たちに声をかけた。

「なんか行けそうよ!刹那さん、誠亜!クマは私に任せて……」

サルを一撃で送り返したアスナのハリセンにクマがぎょっとしたように視線をそちらに向ける。
それを見た瞬間、誠亜の体は自然に飛び出していた。
それは、狙っていた獲物の隙を見つけた肉食動物の動きのよう。
指摘されても納得はしないだろうが。

慌ててこちらに拳を繰り出してくるクマの懐へと、誠亜はその腕を弾きながら飛び込む。
そのまま悔恨の声を上げるクマの両肩を鷲掴みにした。
強大な握力が誠亜のしなやかな指をクマの肩へと抉りこませていく。
握りつぶさんばかりに肩を握る誠亜の凶笑に、クマが一筋の冷や汗を流した。

「くぅあ!」

気合一閃。
盛り上がる腕の筋肉。
それが生み出す怪力がクマの体を襲った。
ぶちぶちと凄まじい音と共に、大の大人より大きなクマの体が裂ける。
左右に。
真実ぬいぐるみのように、あるいは動物の肉のようにあっさりと引き千切られていくクマの体。
そしてとうとう股間まで真っ二つに引き裂かれて、左右別々に倒れていく。
クマの左半身と右半身の間から覗く誠亜の姿に、女が顔を青ざめさせた。

クマの残骸が消える前に誠亜はそれを踏み越えながら女のもとへと疾走した。
瞬きほどの時間もかけずに間合いを詰めると、ついさっきクマの体を引きちぎったばかりの右手を伸ばす。
千草が唾を飲んで階段を駆け上がる足に全力を込めた。
使い魔が敗れた以上、女を守る者はいない。
そして近接戦闘で誠亜を相手に女に勝ち目があるかどうかは一目瞭然。

女の顔が焦慮と恐怖に歪む。

だがその瞬間、誠亜は小さな悪寒を感じて右手を止めた。
咄嗟に視線を下に落とすと、誠亜の胸の前に奇怪な水の塊が出現している。

「……!」

その水塊から突き刺さる鋭利な殺気に、誠亜は本能的に右足を跳ね上げた。

その足に、水の塊から変形するように出現した人影の放った拳が突き刺さる。
炸裂する衝撃に誠亜は奥歯を噛みしめた。
痛みが突き上がる。
自分じゃなければ骨にひびぐらい入っているのではないか。
それほどの威力だった。

ガードの為に足を使ったのは失敗だったか。
単に左手より右脚のほうが相手の拳撃に近かったので足で防いだが、片足では衝撃を受け止めきれず、誠亜の体が吹き飛んだ。

階段なかほどの平らな所でようやく止まった誠亜は、いまだ軽いしびれを見せる足に荒々しく舌打ちした。
険しい表情で、眼下において女の前に立つ乱入者の姿を睨みつける。

それは少年だった。
年のころはネギとさほど変わらないように見える。
完璧な総白髪で学生服にも似たデザインの服に身を包み、感情の読めない無表情でこちらをじっと見つめていた。
少年は視線をちらと自分の拳に落とすと、自然体に構えて再びこちらを向く。

「頑丈だね」

「うらやましいか」

軽口を返してやると、少年は肩をすくめてきた。

「誠亜さん!」

助けに入ろうとした刹那の前には白髪の少年とは別に一人、少女が現れていた。
白のフリルをあちらこちらに配した、えらい可愛らしい服装の少女だ。
眼鏡をかけていて、どこかこのかに通じるフワフワした空気を纏っている。
ただ、このかのそれが微笑ましさを感じさせるのに対し、この少女の空気が不気味さを持っているのは手に持った二本の小太刀のせいだろうか。

「どうもお初に~。神鳴流です~」

実際に口を開くと、言葉まで間延びしていた。
どうにも緊張感のない仕草だが、その中に一種の危うさが潜んでいるのが感じられた。
同じように緊張感の無い真木と比べるとそれは一目瞭然だ。
剣士と言うことで剣に例えれば、真木がしっかりと根元まで鞘に納められた挙句、柄頭に値札の突いている刀。
そしてこの少女は鞘がどこにあるのかまるでわからない抜き身の真剣だ。

実際の実力がどちらが上かなど分からないが、感じる危うさでは明らかにこちらの少女の方が上だった。

神鳴流と言うと刹那と同じ流派。
なんらかの面識があったりしないかとも思ったが、軽い驚きを持ってその少女を見つめている刹那の顔を見ると、それもなさそうである。

「お前が神鳴流?まあ確かに今の剣筋はそうだが……時代も変わったな」

年寄り臭い言い方をする刹那。
どうやら月詠の服装は神鳴流としては珍しいものらしい。
まあ古くから続く剣士の一派が皆ゴスロリ服を着ていたら、どこで道を誤ったと聞くところだが。

「月詠いいます。どうぞよろしゅう~」

言いながら構える姿には一切の隙がない。
彼女も見た目に騙されてはいけない類の相手なのだろう。
先のぬいぐるみ共とは桁違いの。
刹那も表情を引き締めて刀を正眼に構えた。

女は援軍の到来に安堵の息を吐き出すと、不満げに唸った。

「フェイトはん。今まで何しとったん?あと少しで怪獣に八つ裂きにされるところやったんやからな」

彼女が指し示しているのは誠亜である。
うむ、ちょっと待て。怪獣呼ばわりは無いだろう。
誠亜的に怪獣と呼ばれるのはサイズが人間を逸脱してからだ。
身長182センチ体重企業秘密の自分はかろうじて怪獣ではない。
さらに言うなら八つ裂きになどしない。
二つ裂きはさっきしたばかりだが。

フェイトは怪獣と言う単語でなぜか迷いなくこちらを見ながら淡々と答えた。

「少し真木の方を確認してきた」

その言葉に女は怒りを修めたようだ。
不満げな空気は晴れていないが、それ以上遅れてきたフェイトとやら達を責めることはしない。
代わりに問いかけた。

「で?どうだったん?真木の方は生きとったんどすか?」

様子を見に行ったフェイトが連れてこない。
これはひょっとすれば真木が死んだともとれる。
ロボット相手の戦闘で、間は抜けていても使える奴だと言うことを真木は証明している。
生きているなら一緒に連れてきているはずだ。

フェイトは仲間の生死にかかわっているというのに、相変わらず無表情なままだ。
小さくかぶりを振る。
その仕草に息をのんだのは女ではなくアスナ達だった。
自分たちの行ったそれで人死にが出たかもしれないと言うのだ。
それはショックを受けるだろう。

「棺桶に入って喚いていたよ」

「は?」

意味のわからない言葉を聞いたように女が魔の抜けた言葉を発す。
フェイトはかすかな感情を顔に浮かべながら、言葉をつづけた。

「ロボットの爆発現場には棺が二つ並んでいた。それを勇者という名札の付いた2等身のハリボテ人形が引きずって歩いていたよ」

小さく吐きだされた吐息に、誠亜はフェイトの顔に浮かぶ感情の正体を悟った。
同じ表情をアスナ達も浮かべていたからだ。
すなわち呆れである。

「出せと言う真木の声に、ロキの声が棺桶から出るには教会に行ってお金を払えとか言っていたから、まあロキの気が済むまで彼は戦線復帰は無理だろうね」

聞く限りでは何だか某有名RPGシリーズを彷彿とさせる状況である。
頭にドと付く感じの。
フェイトは表情を再び消すと、女を急かすように軽く手を振った。

「逆に考えればこれはチャンスだ。ロキが彼に気を取られているうちに退かせてもらおう」

フェイトはそこで言葉を切ってその場にいる面々を一瞥した。

「間違いなく、彼が一番の障害だからね」

女へと至る道を塞ぐように自然に移動した月詠が、フェイトの言葉に合わせて小太刀を構えた。
階段と言う不安定な足場でも危なげなく間合いを調整する様はさすがと言うところか。

「お仕事なので、先輩でも手は抜きませんえ~」

フェイトもまた、構えこそ取っていないが真木と神の現状を語っていた時とは一変して張り詰めた空気を纏いだす。

臨戦態勢に入った護衛達の姿に、女もまた口の端を吊り上げた。
左右の手をそれぞれ反対の腕の袖の中に入れる。

「そうやな。あのわけのわからんのが来る前に……」

とりだした両の手には二十枚近い呪符が握られている。

「終わらせますえ!!」

投じられた大量の呪符が、空中で煙となって中から大量の子ザルを吐き出す。
その大半がアスナとネギに、そして残った僅かなのが誠亜と刹那へと飛びかかった。
それを苦もなく切り捨てる刹那に月詠が左右の小太刀で切りかかった。

だがそれをいつまでも見ている余裕は誠亜にもない。
無造作に、だがそれでいて隙らしい隙もなくフェイトが誠亜へと跳躍する。
瞬く間に間合いを詰めると、左の拳を放ってきた。
少年の見た目とはまるで結びつかない強烈な拳撃が、大気を突き破って誠亜の顔面へと叩きつけられる。
その腕に横合いから右の手刀を叩きつけて弾くと、誠亜は左腕を引き絞った。
そして全身のばねを乗せて突き出す。
鉄塊だろうと軽くひしゃげさせる拳は、同じように放たれていたフェイトの拳と激突する。
二人の足もとの階段が反動で砕け、蜘蛛の巣状に罅を走らせた。
舞い上がった粉塵が薄く誠亜たちの足もとを隠す。

「このかは友達だ。行かせやしねえよ」

凶悪な笑みと共にどすの利いた声で告げる誠亜。
それにフェイトは、誠亜の渾身の拳をあっさりと受け止めたまま淡々と言ってきた。

「君は分かり易いね。ロキや真木宗弥と比べると、格段に」

当然だ。
あれらと比べたら大半の人類は分かりやすい部類に入ってしまう。
だがそれは口にせずに、誠亜は自分の前の少年を睨みつける。
不気味な相手だ。
まず間違いなく見た目通りの子どもなんかじゃない。
氣の流れを見れば分かる。
普通の人間とも、エヴァンジェリンのような吸血鬼とも違う。
何かまた別の……

思考を中断して、放たれたフェイトの回し蹴りを、肘を叩きつけて防いだ。
重い。
誠亜も確かに見た眼以上の強大な筋力を持っているが、外見と結びつかないと言う点ではこの少年にはかなわない。
この小さな体のどこにこんな力が宿っているのやら。
今の肘打ちも、並の者ならサルの腕のようにへし折れていてなんらおかしくない威力のはずだが、フェイトの顔には痛痒の色は見えない。やせ我慢などではないだろう。
砕いた手ごたえもなかった。
彼もまた余程頑丈なのか、はたまた魔法障壁が強いのか。

ふと気づいて、誠亜は小さく呟いた。
今ので二撃目だ。
3対4の戦い。
子ザルを入れればまたさらに変わるが、今ここはフェイトと自分の1対1とも言える。

目の前の少年をひたと見つめる。
フェイトは蹴りを弾かれる勢いに逆らわず、流れるように体を回転させて手刀を誠亜の首筋めがけて放ってきた。
下手な斬撃より余程鋭く風を切り裂くそれを、誠亜は左手の掌で下からはね上げる。
髪を掠めた一撃が、誠亜の黒髪を切り裂いていった。

誠亜は右手の指をピンと伸ばし、一本の槍のように固めて腰だめに構えた。
これを放てば三撃目か。

(まあ……いいか)

どこか底冷えする声で胸の内で呟く。
相手は強い。
今までの交錯だけでもそれはわかる。
おまけに相手はまだ呪文も唱えていない。


『身内』が危機だ。
敵は強い。


“重要度の低い”事柄に構っている余裕はないのだ。


誠亜はフェイトの懐めがけて鋭く踏み込んだ。
石段を罅が疾走する。
誠亜は踏み込みの力と体のひねりを銜えた右手の一刀をフェイトの胸へと迸らせた。
ためらいなく体の中心を狙って放たれた一閃に、フェイトがかすかな驚きの色を見せる。
身を捩って躱したフェイトの服の胸を、誠亜の手刀が小さく切り裂いていった。

躱すために半身になった動きすら利用して放たれたフェイトの拳が、お返しとばかりに誠亜の心臓へと撃ち放たれる。
誠亜は弾丸を凌駕する速度のそれを、身を反らせながら左手で打ち払う。
その手ごたえの軽さに誠亜が目を見開いた時には、既にフェイトの足が鞭のように誠亜の足もとを刈り、普通よりかなり重いはずの長身を軽々と仰向けに倒していた。

倒され、背中を地面につけようとしている誠亜の鳩尾へと、フェイトの拳が放たれる。
えらくあっさりと繰り出される拳だが、その速度を見ればそれがあっさりなどという形容詞が決して似つかわしくない代物だと言うのが分かる。
黙って喰らってやるには少しばかり重そうだ。

誠亜はフェイトの腹へと前蹴りを叩きこんだ。
蹴り自体は彼の差し入れた左腕に防がれてしまったが、問題は無い。
長身の誠亜の脚と小柄なフェイトの腕。
どちらが長いかは論ずる必要すらない。
拳が届かないと判断するやフェイトは誠亜の蹴りの勢いを使って大きく跳び退った。

空中で口早に唱える。

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル」

素早く無駄なく集束していく魔力に、誠亜はフェイトの実力の片鱗を感じて口もとをひきつらせた。

だがすぐさまそれを禍々しい笑みで塗り潰す。
重要なのは相手が強いかどうかではないのだ。
強かろうが何だろうかこのかは守り切る。
それぐらいでちょうどいい。


羽織っていた浴衣を放り捨てる。
そして体を前傾させ、足をたわめて力を蓄える。
右手の指をかぎ爪のように曲げた。


誰に教わった物かは忘れたが、それぐらいの気概で行けば、存外自分の力を120%引き出せたりするものだ。


渾身の力で地を蹴りつける。
撃ちだされた誠亜の体が十数メートルの距離を消滅させるのには、一瞬すらかからなかった。
月下にて、白い少年と黒い女が竜巻の風すら羨む速度で交錯した。



[9509] 第46話 獣の如く
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/04/30 09:56
神と俺のコイントス






すっかり静まり返った夜の線路。
鋼のレールが平行に並んだそこに、一つの棺桶が立っていた。
黒地に銀の装飾が配された、シンプルだがセンスのいいデザインの棺桶だ。
その棺桶が5つの穴をあけて立っていた。

その内の2つから2本の足を、別の2つから両の腕を、最後の一つから頭を出した姿で髭を生やしたダンディ親父は嘆息した。
その姿は四肢を出した亀のように見えないこともない。
見えないこともないだけであくまで人が見て感じるのは変人の二文字だろうが。

棺桶をきぐるみのように着こなしたこの変態こそ、何を隠そう正真正銘の神なのである。
無論それを証明する方法など無いので、聞いた者が嘘だと断ずればこの男はたちまちただの変態に逆戻りだ。

神は嘆息ついでに目の前の地面を見下ろした。
そこには一人の男が倒れている。
髷を結い、袴を履き、靴の代わりに草履を履いた時代錯誤な男だ。
男は目を回して気絶していた。
その周囲には大量の刀剣類が突き刺さっている。

金色に輝く美麗な装飾を施された槍から、武骨ながらも極限までその機能を追求されたかのような静かな美しさを持つ大剣。
多種多様な武器たちに共通するのは、そのすべてが凄まじい力を宿しているということだ。
まるで神話に登場する武具たちを、そのまま本の世界から引っ張り出してきたかのようなある種非現実的ですらある凄みが溢れだしていた。

それを前に、神は手に持っていた一本を放り捨てた。
黄金の柄を持つ、これまた強大な力を感じさせる剣だが、残念ながら刀身が半ばで綺麗に折れていた。
折れたにしては綺麗すぎる断面から考えれば、あるいは切られたのかもしれない。
それほど注意して見ていなかったので分からなかったが。

かつて持ち主が敵の手に渡ることを恐れて岩に叩きつけたら、岩を両断して折れなかったほどの代物らしいが、存外あっさり切り落とされたものだ。

「これで年齢は20歳か。にわかには信じられん」

神は皮肉げに男を見下ろしながら呟いた。
だがすぐさま不敵な笑みを浮かべると、

「だが所詮は20歳。私の秘奥が一つ『バッナーナーノカワ』は防げなかったようだな」

神の言うとおり、男――真木宗弥の足もとには一枚の黄色い果実の皮らしきものが落ちていた。
これこそが神がもつ強力な武器の一つ『バッナーナーノカワ』である。
設置トラップ系のこのアイテムは一見バナナの皮に見えなくもない、というか誰がどう見てもバナナの皮以外の何物でもない外見に反することもなく、踏んだ相手を転ばせることができる神の秘奥の名に恥じることある優れたアイテムなのである。

バッナーナーノカワの半径50センチ以内に踏み入れたが最後、確率・因果・運命の3方から対象を『転ぶ』という結果に問答無用で引きずりこむ悪夢の道具だ。
仙界の宝貝の中でも、厄介さではかなり上に位置する番天印を参考にしたこのアイテムを道具の補助なしで咄嗟に防ぐことができるのなら、仙界においてもそいつは割と上の方に居ると言ってもいいだろう。

つまりはこれを防げなくても恥じることは無いのである。
転じて言えば、バッナーナーノカワと同じ仕組みで、相手を確実に撃ち抜く効果を持った『八つ当たりグローブ』の群れに襲われてなすすべもなくやられた自分もなんら恥じる必要はないのだ。
弱っているところに不意打ちであれだけの数を食らい、平然としのげる奴などいるならば見てみたい。
ただし神自身がすでに面識のある『しのげそうな奴』は除くべし。

ちなみに負け惜しみではないのであしからず。
負け惜しみではないったら。

神は股間の痛みを思い出したのか、少しばかり前傾しながら視線をあさっての方向へと向けた。

「ふむ。フェイト・アーウェルンクスか」

呟きは風に流れて消えていく。









第46話  獣の如く









ビルの隣を走る、幅も広く長さも相当なモノの石段。
そこで幾つもの力が激突していた。
階段の下側では黒髪をサイドでまとめた浴衣を纏った少女とゴスロリな服を纏った少女が刃金同士をぶつかりあわせ、鮮烈な火花を散らしている。

その近くでは、オレンジ色の髪をツインテールにまとめた少女と赤毛の少年が、再び出された大きなクマのきぐるみと大量の子ザル達を相手に悪戦苦闘していた。

そしてそのクマを操る女と気を失ったままのこのかを挟んだ階段の上方では、長く伸ばした黒髪を振り乱しながら一人の女が白髪の少年と拳をぶつけていた。
二人の周囲では巻き込まれた風が悲鳴のような甲高い音と共に吹き荒れていた。

狼の様な鋭い目つきをした女――風間誠亜は厳しい表情で今まさに激闘を繰り広げている少年を睨みつけた。
少年は涼しい顔で誠亜の放った回し蹴りを屈んで躱しながら呪文を口にする。

「石の息吹」

呪文の末尾をフェイトが紡ぐとともに突如として溢れかえった白い煙。
異様な悪寒を叩きつけてくるそれに向かって、誠亜は敢えて逃げる事無く踏み込んだ。
渾身の力でもって右腕を横なぎに振るう。
生じた拳圧は誠亜へと進む煙を一息に吹き散らした。

開けた活路。
少年――フェイトとやらへと続く煙の空白地帯を誠亜は躊躇うことなく駆け抜けた。
大気の壁をぶち破りながら懐へと飛び込んできた誠亜に対しても、フェイトの無表情は崩れない。
フェイトは大砲じみた威力を秘めた誠亜の右の突きを容易く弾くと、がら空きになった誠亜の右脇腹へと拳を放った。
小さな体が生んだモノとは思えないパワーを宿し、風を引きちぎりながら拳は奔る。
だが、それも誠亜の体を捕えることは出来なかった。

その場で身を捩るように体を回転させた誠亜に、フェイトの拳は空を切る。

誠亜はその勢いのまま身体を一回転させると、その勢いを乗せた豪拳をフェイトの顔面に叩きつけた。
回転の軸となった脚の下で地面が抉れるように砕ける。
炸裂する衝撃がガードの為に挟まれたフェイトの腕ごと、その体を吹き飛ばした。
フェイトの身体が凄まじい勢いで縦に回転する。

その動きに、高畑のカウンターを思い出した誠亜は咄嗟に跳び退った。
カウンターを読まれていたと悟ったフェイトは、回転によって上下を逆さにした状態で拳で地面を掬った。

砕けた地面の破片が弾丸並みの速度で誠亜へと迫る。
散弾となって牙をむく無数の礫を睨み据えながら、誠亜は右腕で目を庇いながら体内の気を操作した。
練り上げた気で外からの力に抗し、己の身体を守る技能、硬気功だ。
誠亜の体に喰らいついた礫たちは、殆どなんの傷も付けられないままに弾かれて宙に散る。

誠亜は着地すると同時に地を蹴りつけた。
爆発的な脚力が地面に罅割れを生んで誠亜の身体を前へと押し進める。
並の戦士の瞬動に勝るとも劣らない速度で残像を残して疾走した誠亜は、構えを取ることも無く此方を見つめるフェイトへと突撃した。
フェイトの眼前の地面を踏みこみで砕きながら、誠亜は右手の手刀を放つ。
大木すら軽く切り倒しかねない手刀が大気を裂断しながらフェイトの首筋を襲った。
当たればいかな魔力で強化された人間でも首の骨ぐらいへし折れるだろう。
魔力障壁まで加味すればどうかは知らないが。

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」

呪文を唱えながらフェイトは誠亜の手刀を下から弾き上げると、誠亜の懐へと跳び込んでいく。
そのままフェイトはお返しとばかりに、左の手刀を誠亜の眼球へと奔らせた。
風を引き裂きながら放たれた一閃は一直線に誠亜の目を狙う。
いかに頑丈な誠亜といえ、そこばかりはそうそう鍛えようもない。
常人の眼球よりは遥かに頑丈とはいえ、スーパーマンのよう目に銃弾が当たっても平気などというレベルには到底至っていない。

誠亜は己の急所を狙った一撃に、口の端を釣り上げると軽く身を反らした。
そして身体のばねを使ってフェイトの伸ばされた指先へと額を叩きつける。
頭付近を狙った一撃に対する反撃。
刀子相手には上手くいった手だ。

だが、フェイトは寸前で此方の狙いを読んだのか、すぐさま指を曲げて拳を作った。
誠亜の額とフェイトの拳がぶつかりあう。
衝撃は互いの身体を弾き飛ばし、双方共に地を足で擦って止まった。

「小さき王・八つ足の蜥蜴・邪眼の主よ」

危うく左手の指を4本まとめてへし折られるという危機だったにも関わらず、フェイトの顔には驚きも安堵も無かった。

冷静に呪文の続きを唱えている。
誠亜はフェイトの詠唱を止めようと足を踏み出しかけて、視界に止まったそれに右腕を後ろに回した。

大きな階段。
その端に等間隔に並んでいる街灯だ。
麻帆良のように西洋風に作られた訳でもない飾り気のない街灯だがこの際デザインはどうでもいい。
誠亜はその街灯を鷲掴みにすると、大根でも抜くかの如く引っこ抜いた。
そしてそれを肩の上で構えると、渾身の力で槍のように投じる。
ただでさえ強靭な誠亜の筋力、更には咸卦法によって強化された力をフルに使って放たれた街灯は一条の矢と化して女――月詠が一度呼んでいたのから察すると千草というのか――のもとへと飛翔した。
フェイトが驚異的な反応で街灯へと手を伸ばし、弾道を僅かに逸らした。

フェイト達に足止めをさせているうちにこのかを連れてこの場を去ろうとしていた千草は、ライフル弾並みの速度で己の眼前を貫いた街灯にひきつった悲鳴を喉の奥で上げた。
貫かれた大気が叫びを上げ、千草の髪と着物の裾を吹き流す。

ぺたりと地面に座り込みながらぞっとした様な表情で此方を見る千草に誠亜は禍々しい笑みを浮かべながら疾走した。
間に居るフェイトが、腰を抜かしてしまった千草を一瞥して微かに眉根を寄せる。
しかし何も言うことなく呪文の続きを唱えた。

「その光我が手に宿し・災いなる眼差しで射よ」

フェイトの魔力が膨れ上がる。
呪文が完成したのだろう。
相変わらず嫌な予感全開の魔法だ。
恐らく当たったら最後的な効果でもあるのではないだろうか。
警戒して距離を取らんとする誠亜を、フェイトは無表情に見つめている。

フェイトの手から放たれるであろう呪文を警戒して誠亜は後ろに跳躍した。
さらに足に気を込める。
放たれた魔法を虚空瞬動で避けるためだ。
だが、唱え終わり放たれる筈の魔法が何時まで経っても放たれない。
それどころか、フェイトは魔法を唱えた事など無かったかのように地を蹴って跳躍し、滑るように誠亜へと間合いを詰めて来ていた。
自分を後ろに跳ばせるためのフェイントだったのだろうか。
誠亜は空中で姿勢を整えると、地を蹴るように身体に力を入れた。
右足で気を炸裂させ、それと同時に空を蹴って跳躍する。
虚空瞬動で後退から前進へと急激に動きを変えた誠亜に、拳を振りかぶっていたフェイトが小さく眉を跳ね上げる。
誠亜はその表情に気を良くしながら、今度は左足のもとで気を炸裂させた。
またしても虚空瞬動。
だが先程と違うのが突き進むのが身体全体では無く左足だけだという事だ。
刀子を相手に使った瞬動を応用した拳撃の蹴りバージョンというべきものだ。
誠亜自身の脚力に加え、炸裂する気の力で絶大な加速を掛けられた左足の膝が、タイミングをずらされたフェイトの顔面に叩きこまれた。
凶悪な威力がフェイトの顔面を、そして頭そのものを粉々に打ち砕く。
後に残るのは透き通る水だけだった。

「クソッ!!」

誠亜は荒々しく舌打ちするとその場で身を捩った。
この現象には見覚えがある。
エヴァンジェリンと戦ったときに見た、蝙蝠による分身だ。
恐らくはこれは単なる水の分身なのだろう。

振り返った誠亜の視界に映るのは、もう目と鼻の先に迫っているフェイトの姿だった。
苦し紛れに放たれた誠亜の拳を容易く打ち払いながら、フェイトは振りかぶった右手を誠亜の顔面へと叩きつける。

誠亜の頭を鷲掴みにしたフェイトはそのまま、その小さな体のどこからわいてくるのか分からない怪力で持って誠亜の身体を地面へと叩きつけた。
石段が砕け散り、大きな破片となって捲れ上がる。
さらには小さな破片が周囲に撒き散らされた。

「がっ!」

短く苦鳴をもらす誠亜。
それを見たネギが叫びを上げた。

「誠亜さん!」

同じようにこちらの危機に気付いた刹那が、誠亜を助けに駆け寄ろうとするが、その前に月詠が立ち塞がる。

邪魔だと叫ぶ代わりに渾身の力で刀を振り下ろした刹那に対し、月詠は感情の読めない笑みを浮かべたままその斬撃を受け止めた。
二本の小太刀と一振りの野太刀が甲高い擦過音とともにオレンジ色の火花を散らす。
その光で薄闇を照らし上げながら、刹那は歯噛みして月詠を睨みつけた。

月詠の右の刀が刹那の刀を弾きあげ、左の刀ががら空きになった胴へと走る。
刹那は左手を刀の柄から離すと、月詠の方へと踏み出しながら月詠の刀を握る左手を抑え込んだ。
踏み込みと共に地を滑らせた足で月詠の脚を払いながら刀を握る手に力を入れなおし、月詠の脳天へと渾身の力で振りおろす。
銀光は一直線に迸り、月光の煌めきを受けて鮮烈に輝く。
紙一重で躱した月詠の服のフリルを刹那の斬撃が切り裂いていく。
巻き起こる剣風に布の切れ端を舞わせる月詠はその刹那の斬撃の鋭さに、かえって喜びを覚えたかのように笑みを深めた。
そして今度はこちらの番だと言わんばかりに怒涛の攻め込みを見せる。
狙いをずらし、フェイントを織り交ぜながら繰り出される素早い連撃に、刹那は呻き声を上げた。
二本の小太刀による目まぐるしい連撃を、小回りの利かない長大な刀と素手で器用にさばいていく。
だが、それでも後退はせざるを得なかった。

刹那の助けは期待できない。
あの月詠もなかなかの強敵なようだ。
誠亜は後頭部の痛みを無視して、己の頭を押さえつけるフェイトの腕を右手で掴んだ。

フェイトの小さな手が万力じみた力で誠亜の頭を締め付けるのと同じように、フェイトの腕を握りつぶさんばかりの力を誠亜の腕の筋肉が引き出す。
フェイトの腕の肉にめり込み、骨を軋ませだした誠亜の指にフェイトが一瞬呆れたような表情を浮かべた。

「解放」

小さく告げられたフェイトの言葉と共にフェイトの手から魔力の光が溢れだす。
誠亜は突き抜ける驚愕に目を見開きながら喉の奥で怒声を漏らした。
先程唱え終わったのに発動しなかった魔法。
恐らくアレが今更放たれるのだろう。

(魔法ってのは発動をわざと遅らせられるのか!)

今まで詠唱をしない者や、一瞬すらかけずに詠唱を済ませてしまう者などいたが、そういえば遅延技能などを見たことは無かった。
あからさまに不自然な途中放棄を見せられながら、殴りかかられた時点でそれを一度頭の外へ追いやってしまっていた自分に胸中で罵声を叩きつける。
頭を押さえこまれたまま、その手で魔法を放たれたら躱しようもない。
気や魔力の扱いに長けている誠亜だが、魔法使いではないので特殊な効果を持つ魔法だった場合レジストなどまったくできないのは自明の理だ。
無理やりフェイトの腕を引きはがし、体を回転させてその手の平の先から頭を逃がす。

戒めを脱したことに誠亜が安堵の息を漏らしかけた瞬間、フェイトが誠亜を押さえていたのと逆の手を跳ね上げた。

その手が向けられているのは刹那たちの方だ。
誠亜が悔恨に奥歯を砕かんばかりに噛みしめ、その腕を蹴りあげようとするが僅かに間に合わなかった。

「石化の邪眼!」

狙いを自分だと思い込んでいたこと、それを脱したことによる気の緩み。
その一瞬を見事に突かれた。

迸る一条の光が刹那やネギ達のいる階下をなぎ払った。

刹那と切り結んでいた月詠は後ろに倒れ込むようにしてその光を躱していた。
迸る閃光に、刹那が驚愕の声を漏らすこともできずに必死に体を倒した。
受け身も何もなく階段に倒れ込み、数段転げ落ちる。

ネギは、誠亜を助けようと息巻いていたところに唐突に放たれた自分への攻撃に反応できずに硬直していた。
その体をかばうように、アスナがネギを抱きかかえてフェイトの放った光を背中で受ける。
光は右から左へとアスナ達を一撫ですると、その輝きを消した。

刹那は起き上がるや否や、サイドポニーの黒髪の端が石となって固まっているのに舌打ちした。
慌てて手に持っていた刀で石化した髪を切り落とす。

石化はそこで終わったようだが、完全に石となった切り離された髪が地面に当たって粉々に砕ける。
それを見た刹那が弾かれたように視線をアスナへと向けた。
アスナはネギをかばってフェイトの魔法を受けた。
刹那の表情に焦慮が浮かぶ。

誠亜もまた刹那の髪と同じように砕け散るアスナの姿を幻視して跳ねるように起き上がった。
駆け寄ろうとした瞬間、アスナの浴衣の上半身が石となって砕けた。
その下の肌がひび割れる瞬間を恐れるように誠亜は息をのむ。
駆け寄って抱きとめればそれを防げるわけでもないが、それでも不安と焦燥が誠亜の体を突き動かしていた。

砕ける服の下から見えるアスナの肌。
その色は魔法を受ける前となんら変わらぬ健康的な色だった。
それに誠亜やネギは安心し、フェイトや月詠は逆に訝しむように眉をひそめる。
ひそめながら瞬時に動き出していた。

一瞬の停滞もなくフェイトと月詠が同時に地を蹴る。
瞬く間に月詠は階段を上り、フェイトは降りる。
風を引き裂いて疾走する二人は互いのターゲットを瞬時に交代した。

月詠の両腕から放たれた鋭い斬光を誠亜は気の障壁を纏った腕で弾きあげる。
振りあげた腕をそのまま振りかぶり、全身全霊でもって切り裂く様に手刀を放った。
Xの字に迸る斬閃。
鎌鼬にも似た風の刃が鋼の刃の代わりに迸るが、そういう技を修めたわけでもない誠亜の放ったものだ。
練りも鋭さもまるで足りていない。
舞うように身を転じさせた月詠に容易く躱されてしまう。

だが、月詠を正面からどかすことには成功した。
それで良しとする。

誠亜は月詠が避けるために身を反らしたのとは逆の方へと回り込みながら階下へと走らんとした。
だが月詠は平然と誠亜の眼前に割り込むように斬撃を入れてくる。
誠亜は足を止め半身になって弧を描く斬撃を躱すと、月詠を視界に納めながらアスナ達をもう一度確認した。

その視線の先ではネギ達に襲いかかったフェイトに、アスナの無事にほっと一息ついていたネギ達が慌てて反撃しようと構え始めている。
だが圧倒的に遅い。

かろうじて間に合ったのは刹那だけだった。
横薙ぎに放たれた斬撃は、甲高い空裂音と共にフェイトの肩口へと突き進む。
フェイトはその斬撃を無表情に見つめると、迫る鋼の刃に恐怖も何も感じていない様子で
素早く一歩踏み込んだ。
刹那が月詠にやっていたように、刀を握る手を跳ね上げて刹那の斬撃を防ぐと大気の壁を貫く豪拳を刹那の鳩尾に埋め込む。
喰らいついた拳は込められた威力を存分に発揮し、刹那の体を吹き飛ばした。
弾丸すら遥かに凌駕する速度で一直線に飛んだ刹那の体は、石段の一番下に激突し、大きく一度バウンドして止まった。
あまりの衝撃に刹那はひきつったような息を数度漏らした後、激しく咳きこんだ。
こみあげる激痛に地面に蹲る。

フェイトは刹那を殴り飛ばしたその拳を軽く開くと何気ない動きで身を捌いた。
一瞬前までフェイトの体のあった場所をアスナの振るったハリセンが通り過ぎていく。
浴衣の上半身を石化で壊されたため、浴衣と言う物の構造上帯だけでは下半身の布までは抑えていられなかったのかその姿は全裸だった。
渾身の一閃が躱されたのを見るや、アスナは顔を強張らせた。
その横を宙を滑るようにフェイトがすり抜ける。
アスナの後ろに回り込むと、フェイトはアスナの首筋へと手刀を打ち込んだ。
軽く首を叩いただけのように見えながら、アスナはその一撃で糸の切れた人形のように気を失って倒れてしまった。

「どきやがれ!」

咆哮と共に放たれた誠亜の拳を月詠は上体を横に倒して躱した。
空ぶった誠亜の右腕に、不安定な姿勢から放ったとはとても思えない鋭い月詠の斬撃が喰らいつく。
両側から挟みこむように放たれる斬撃は受けてみる気にはなれなかった。
力の逃げ場がないため、通常の斬撃よりも遥かに深い傷を負いかねない。
拳を引いた誠亜は、代わりに反対の腕で最速の一撃を撃つ。
しなやかな体躯の持つばねが、誠亜の拳に凄まじい疾さを与えた。

音の壁など優に超える超速の拳に、月詠は横から小太刀を叩きつけて軌道を反らした。
頬を掠める一撃に月詠のきめ細やかな肌が小さく血をしぶかせる。
獰猛な呻きを上げる誠亜の視界で、最後の仲間のネギがフェイトによって打ち倒される。
顎を打たれてそのまま地面にくず折れるネギに背中を向けると、フェイトは現在進行形で拳と刃を躱している誠亜たちに視線を移した。

機関銃でも叶わぬ速度と連射で拳が荒れ狂い、つぎつぎと月詠の体めがけて喰らいかかるが、月詠は笑いながらそれを捌いて行った。
小太刀の刃で弾き、腹で逸らし、柄で打ち払う。
単純なスピードでは誠亜の方が上だ。
だが月詠は誠亜の動きを先読みして、一呼吸早く動き始めることで防御を間に合わせている。
そしてあまつさえきっちり誠亜の隙を狙って反撃の剣閃を走らせていた。
三国志の英傑達が切り札を発動させた誠亜に対して行ったのと同じやり方。

誠亜は荒々しく舌打ちをすると迫りくる斬撃へと強引に飛び込んだ。
刀の刃を障壁を纏った手でつかみ取ろうと手を伸ばすが、それを読んでいた月詠はその場で体を一回転させ、遠心力を乗せて逆手に持ち替えた小太刀の刃を誠亜の腹へと突き出してくる。
誠亜は犬歯をむき出しにするような獰猛な表情でそれを睨み据えると、刀の腹に上下から肘と膝を挟み込むように叩きつけた。
すんだ高音とともに月詠の小太刀がへし折れる。

その情景にぽややんとした月詠の顔に驚愕の色が浮かぶ。
そして驚いた表情のままへし折られた刃を蹴りつけた。

「んな!」

誠亜は月詠以上に驚きながら己の眼球めがけて飛んでくる刃を頭を傾けて躱す。
空を割いて飛来し、誠亜の残影を貫いて宙へと消えていく刀身。
それを一瞬目で追いかけた誠亜は、月詠がすぐさま懐へと飛び込んできているのに気づいて拳を構えた。

軽く伸ばすだけで手の届く距離まで迫った月詠の顔面へと、一切の遠慮のない一撃を放つ。
誠亜の肘で気が炸裂し、残像すら残さない速度で振るわれた拳が大気を破壊しながら月詠の体へと喰らいついた。
しかし月詠は前に倒れこむようにその拳を躱し、地を這うような低姿勢で誠亜の足元へと無事な方の刀を叩きつけた。

鋭い剣閃が誠亜の足を半ばで断ち切らんと唸りをあげる。
条件反射的に跳躍してそれを躱した誠亜は、月詠の背中の陰に隠れて飛来していた石の槍に目を限界まで見開いた。
常識的に考えてこれは間に合わない。

だが誠亜は怪物じみた反射速度で、右の太ももと左の肩を狙って風を穿ちながら突き進んでくる石の槍を掴み取った。即座に握りつぶす。
だが一息つく間などない。
立ち上がりながら小太刀を握る腕を振りかぶった月詠が、瞳の中に剣呑な光を宿しながらこちらを見ている。

「ざーんがーん」

その体から刃に集められた気が尖鋭な殺気と共に夜闇を切り裂いた。

「けーん」

間の抜けた声とはあまりにも対照的に、相対するものの命を容赦なく刈り取る死の一閃が放たれる。

ギリギリで気の障壁をまとった腕を間に差し入れた誠亜は、腹部ではじける衝撃に息を詰まらせた。
神鳴流の奥義を放つと見せかけて、月詠の強烈な蹴りが誠亜の腹に抉りこまれる。
重い痛みが脳天までせり上がり、横隔膜を痛打されたことにより呼吸が乱れる。

数十メートル吹き飛ばされた誠亜は、反対側の壁に激突して止まるまで受け身一つ取れずに地面に平行に飛んだ。
コンクリートの壁にひびを入れて止まった誠亜はせき込みながら身を起こした。
筋肉を締めて受けたならそれほどのダメージにはならなかっただろうが、あいにくと今のは完全な不意打ちだ。
ひきつるような痛みの中で顔をあげる誠亜。

そんなこちらを見下ろしながら、ようやく立ち上がった千草が安堵の息を漏らした。
時間も遅く、涼しいくらいのこの場で額の髪を冷や汗で湿らせてこのかを子ザル達から抱き上げる。

「ふう。危ないところだったどすな。フェイトはん。あの女も片づけてしまいや。あいつが一番物騒やえ」

千草は恐れを瞳に宿しながら誠亜を見つめた。
この上ないくらいの警戒心をこちらに向けながらフェイト達へ命令する。
だが、フェイトは雇い主であろう千草の言葉にかぶりを振ると視線をどこかへと向けた。
誠亜でもネギでも明日菜でも刹那でもない。
方角的には誠亜たちが来た方向だ。

「真木がやられたみたいだ。ロキが来る前にここを発とう」

言いながら呪文を唱えだすフェイト。
月光を押し返すかのように膨れ上がる魔力の輝きに、誠亜は痛みを抑えて瞬時に立ちあがった。
転移されてはたまったものではない。
駆け出そうと足に力を込めて、だがその動きを止めた。
視界に移るのはフェイトと月詠。
少しだけ離れた所からクマがどたどたと千草のもとへ駆け寄っている。

正直まずい状況だ。
それは頭の回転の鈍い誠亜でも十分わかることだった。

フェイトは魔法使いでありながら自分と互角以上に接近戦をこなせるほどの使い手だ。
月詠にしてもそうだ。
その強さは歴戦の神鳴流剣士である刀子と比べても遜色ないほど。
クマと千草はどうとでもなりそうだが、二人の少年少女こそが最大のネックだった。

視線を走らせる。
味方は全員間に合いっこない。
ネギとアスナは気を失ったままだし、刹那も長い階段の最下段でようやく立ち上がった所だ。
こちらの現状に気付いているようだからすぐに駆けあがってくるだろうが、こちらに加勢するどころか自分たちのいる所まで登ってくる前にフェイトの魔法は完成する。

どうする?
自問する。
援軍は期待できない。
唯一可能性があるのは神だが、一見お人よしなようでありながら、愉快犯が行きすぎてぐるりと一周しながら歪んで回ってずれた挙句、遥か彼方まで螺旋軌道でぶっ飛んでいる男だ。
確実な援軍として計算に入れていい奴じゃない。

目の前にいる月詠とフェイトを突破し、千草の手からこのかを奪い返す。
それを現状一人でやらなければならない。

切り札を使うか。
毎度悩むがアレを使えばまず間違いなくスペックで完全に勝ることはできる。
文字通りの一撃必殺も可能だろう。
だが、それだけでも勝てないのはエヴァンジェリンとタカミチで立証済みだ。
切り札を使って破られでもしたら、使用後の負担で鈍った自分では間違いなくこの2人を抜けなくなる。

『切り札』より強い技。『切り札』よりいい技。
記憶の中を必死に探る。
その間にもフェイトの呪文は紡がれていっている。
刹那がよろめきながらも階段を駆け上がり始めた。

自分の技だけでなく、いままでに見た他人の技まで頭の中で羅列していく。
手刀による真空刃の形成。
気によって髪の毛を、糸を操る技。
拳撃で生みだした空圧で相手を倒す技。
だめだ。
ある程度真似できそうなものもあるが、それでフェイト達を突破できるか。

技を学ばず使わず、力任せな戦い方だけを選んできたのは自分の責任だ。
より早く高みに登らんと己に貸した枷だ。
それのせいで友達を奪われたとあっては正直どれだけ悔むことになるか。

(頭絞ってひねり出せ!何かあるだろう!)

こうピンチの時にぱっと新たな技を思いついたりしないものだろうか。
そんな馬鹿馬鹿しいことすら考えてしまう。

仙術が自分にも使えれば、どうにかなったかもしれない。
だが生憎と左慈はとうとう自分に仙術を教えてはくれなかった。
良く分からないが禁止されているらしい。
左慈が使っているのを見て勝手に覚えた術も一つだけある。
しかし、正直この状態で蒸し暑い時用の弱冷房用仙術など使っても何の役にも立たない。

切り札以上の技。
そう考えて思いついた物に誠亜は苦々しい表情を浮かべた。

2つほどあるがどれも欠陥技だ。
『切り札』もまだまだ練りの甘い技だが、それと比べてすら欠陥技だ。
役に立つかどうか。
準備を始めてから放つまで1分以上かかる技など何の役に立つというのだ。
やってる間に殺られるだろうし、妨害されなくても放てる段階に達する前に千草達は去ってしまう。このかを連れて。

もうひとつも、使った挙句手痛い反撃を受けた者としてはあまり信用できない。
そもそもどちらも無力な味方が近くにいる状態で使える代物でもない。
人質を救出する際に向いた技じゃない。
どちらかというと群がる敵をまとめて吹き飛ばす時向きだ。

(どうするっ!?)

声には出さずに叫びながら誠亜はこれ以上ないほど頭を回転させた。
どうにか確実にこのかを救える方法を導き出せないか、幾度となく答えを探る。

月詠が一瞬刹那を一瞥した後、誠亜に向けて駆けだす。
それを迎え撃たんと両の拳を腰だめに構える。

(打ち払う受け流す掴み取る握り潰す引き千切る抉り抜くすり潰す踏み潰す消し飛ばす!どれで行けばいい!?ミスなんざ出来ねえぞ!これっきりだ!どう戦えばいい!?)

焦燥に額から汗が噴出する。
今までにない心理に誠亜は叫びたい気分だった。
どうすれば確実なのか分からない。
失敗は許されない。
だが考える時間も足りない。

ほぼ初めての、『身内』がかかった戦い。しかも劣勢。
そのことに誠亜の体を抑えようのない焦りが満たしていた。

刹那はまだこちらに駆けてきているが石段の3分の一も登れていない。
その表情は『必死』の一言に尽きた。
自分など比ではない。
死に物狂いで駆けあがってきている。
それもそうか。
クラスメートの友達という自分と幼いころからの親友と言う刹那では重みが違う。

フェイトの魔法と、攻める月詠と、がっちりとガードを固めるクマと千草。
その姿を目に、刹那の瞳に幾つもの感情が溢れかえり、混濁した。
口もとが誠亜以上の焦燥に歪む。
自分の手が届かない悔しさと、失うことへの恐怖がにじみ出ている。
だがそれを強い決意で押し込めて休むことなく脚を前に出す。
自分も諦めずに走りながら、刹那はその細い喉から夜を揺るがすような叫び声を迸らせた。

「誠亜さん!お嬢さまを!!」

その姿と声を、誠亜は迫る月詠から視線を外してまっすぐ受け止めた。

なぜだろうか。
胸の中の物が一気に流れ出ていったようにすっきりとしている。

誠亜は口の端を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべると足を肩幅に開いて両手を左右に広げた。


ああそうだ。
自分は大事なことを忘れていた。
誠亜は自嘲する。
自分は『馬鹿』だったのだ。
頭で考えてもすぐに答えは出せない。
正しい答えを出せる保証もない。

馬鹿が小難しいことを考えても逆効果だ。
自分には自分のやり方がある。

守ると決めたならただ全力を尽くせばいい。
どの手を使えばいいのかわからないならとりあえず一番強いのを使っておけ。
駄目だったなら全部試せ。
一手試す時間しかないなら十倍速く動いて十手試せ。

何も考えずに前に出ろ。
思いのままに、本能のままに、走り、砕き、喰らい、護ればいい。

誠亜の両手に膨大な気と魔力が顕現する。
それを見た月詠が、瞬動を行おうと集束させていた気を霧散させ、次の一歩をそのまま踏み出す。
中途での方向転換の難しい瞬動をやめて通常の疾走にすることにしたのだろう。
それを一瞥し、その向こうに居るフェイトを見据え、最後にこのかを抱きかかえた千草を睨みつけた。

万象の根源たる氣の操作により気と魔力の在り方を歪める。
そしてその二つを胸の前で叩き合わせた。
混ざり合い、なだれ込むように崩壊した二つの力は一つの暴虐的な力となって夜天を照らす。
表情の変化の少ないフェイトですら驚きの表情をはっきりと浮かべている。
フェイトは魔法陣の光を千草のもとに残したまま、素早く月詠に続く様にこちらへと間合いを詰めてくる。

誠亜は、溢れかえってあたりをまとめて消し飛ばさんとする力達を全て己の体の中に引きずり込むと、血流のごとく複雑に、最適な流れで持って高速循環させる。

それを見た千草が瞳に混沌とした感情をともした。
驚愕やら恐怖やら、ついでに小さな呆れやら。

誠亜は眼前に立ち塞がる敵たちを睨むと軽く脚を曲げて体を前傾させた。
瞳を炯々と輝かせ、体内の力をさらに加速させる。

一瞬の後、閃光と爆音が全てを揺るがした。










あとがき
だいぶ時間が開きましてすみません。
すこしばかり忙しくて執筆が遅れました。
慣れてくればまた余裕は出来てくるんですが。
まあ次はもっと早く更新できるようにしたいです。
うーむ、ギャグが足りません。この戦いが終わったらまた入れたい所。

これからもどうぞよろしくお願いします。



[9509] 第47話 鬼のごとく
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:28d43975
Date: 2010/05/02 17:38
神と俺のコイントス







第47話  鬼のごとく






荒れ狂う。
その様はまさに荒れ狂うとしか形容のしようがない。
あたりを容易く灰燼に帰せるエネルギーが、一人の体の中で複雑極まりない軌道で循環している。
傍から見ればそれは無秩序と言っても過言ではなく、かすかな制御ミスでも爆死しかねないその行為は正気の者がすることには思えなかった。

それでも誠亜は体内で暴れまわるエネルギーを押さえ込み、精細な制御を為す。
荒くれ者の龍の手綱を握って曲芸飛行をさせるかのような離れ業。
誠亜の為すそれに、月詠が目を見開いて歩を緩めた。

月詠はこちらの放つ攻撃を警戒し、そのまま間合いを詰めることなく刀を一閃させる。
刀に込められた気の力が鋭利な刃となって疾駆した。
弧を描く斬撃が、空を裂いて“飛ぶ”。

鋭く迫るそれを、加速した知覚の中でゆったりと映しながら誠亜は身を前傾させる。
そして己の気を脚に集束、魔力をその足が踏みしめる地面に込めた。

体内のエネルギーを生み出す際に行った特殊な気と魔力の運用。
魔気融解と名付けたそれを今度は足と地面を使って行う。

閃光が闇を席巻する。
爆音があらゆる音を飲み込んで打ち消す中、誠亜は獰猛な獣の唸り声のように低く告げた。

「砕いてやる」

瞬動と言う技がある。
気や魔力を足もとで炸裂させ、残像を残すほどの高速で移動する技だ。
比較的ポピュラーな技だが、10m以上の距離を一瞬で詰められるその技は有用性からか多くの戦士に扱われている。

誠亜のこの技も結局はそれと大差ない。
ただ一つ違うことといえば、規模が次元違いだと言うことだけだ。

爆裂するエネルギーの量が違う。
エネルギーが指向性を持たされ、その力を使い手を撃ち出すと言う一点に集約させているため、生みだされる推進力が違う。
『切り札』によって強化されているため、力の炸裂と共に地を蹴る脚力が違う。

結果として
速さが違うのだ。


轟瞬動。


それが誠亜の切り札の上を行く、否、切り札を使った上で行われる、とっておきの一つだ

大地が深く深く穿たれ、瞬壊する。
空間ごとねじ切られるのかと思うほどに、あたりを満たす大気が完膚なきまでに貫かれた。
砕かれる大気の壁。
引きちぎられる風の均衡。

切り札すら問題にならない程の加速でもって、切り札すら遥かに凌駕する高速にて誠亜は爆進する。

その軌道で驚愕に顔を強張らせた月詠が慌てて回避行動とろうとしているが、その程度の反射と速度では間に合いはしない。
先程月詠の放った気の斬撃が誠亜の体表の障壁に阻まれて砕け散る。
コマ落としのように、一瞬すらかけずに眼前まで迫る月詠の腹目がけて誠亜は渾身の力で拳を打ち込まんとする。
どんな堅牢な城壁だろうと紙のように貫き、その向こうの城ごと爆砕する豪拳が少女の腹へと突き進んだ。

(浅いか!?)

高速で流れる情景の中、誠亜は微かにそれを感じた。
月詠の驚異的な生存本能がその体を僅かに捩らせたためか、はたまた誠亜が単に己の速さのあまり狙いを外したのか。
どちらかは今更考えても意味がないし、考える時間もない。

もとからわかっていたことだ。
そう、瞬動と同じなのである。
瞬動が並の者にとって一瞬にしか感じられないように、轟瞬動もまた、切り札に合わせて加速された誠亜の知覚ですら一瞬としか認識できない。

それゆえに相手に避けられれば合わせて当てることができない。
カウンターでも合わせられたが最後、木偶のように喰らう羽目になる。

誠亜の拳の軌道は月詠の体から外れてしまっていた。
浅いどころじゃない。このままでは殆ど当たらない。
だが拳の軌道を修正する余裕など無いことは重々承知。
真芯を捉えられない恐れがあることも分かっていた。

だがそれでも誠亜はこの技を使った。
よりによって全力で、最大規模で行った。

破壊された大地が、遅れて生じた衝撃波にまさしく微塵に砕かれて散る。
戦いの舞台となった大きな階段に隣接する建物の窓ガラスがまとめて砕け散り、等間隔に並び立っていた街灯がでたらめな形状にひしゃげて砕ける。

それを前に月詠は笑った。
誠亜の渾身の拳を躱せたことにだ。

それを前に誠亜は笑った。
月詠の戦闘本能の成した神懸かり的な回避と、自分の攻撃が“ほぼ”完全に躱されたという事実を前に、なおも自分の勝ちだと笑った。

案の定、誠亜の拳は浅くすら当たりはしなかった。
拳は月詠の脇腹の服とその下の肌を掠める。

月詠の口角が僅かに持ち上がりかけ、次の瞬間、吹き飛んで行った。

弾道ミサイルにでもくくりつけられたのかと言いたくなるような勢いで、月詠の体がまっすぐ飛んでいく。

掠っただけの衝撃で、一人の人間の体が弾け飛んだのだ。

笑いかけた顔のまま、驚愕や苦痛の表情を浮かべ直す暇すらなく月詠の体は音の壁を突き破って飛翔し、反対側のビルの3階あたりに、壁を貫通して飛び込んで行った。
さらに何枚もの壁や柱を打ち砕いて止まる。
轟音がビルを揺るがし、開いた穴から粉塵を吐き出す。

轟瞬動の途中で月詠を轢いた誠亜の体は、月詠と千草の中間ほどまで間合いを詰めていたフェイトの体と激突した。
馬鹿馬鹿しいほどのスピードと、生まれる風の牙から誠亜の体を守る障壁。
それが相まって、誠亜の体が一個の砲弾と化す。

拳を振りかぶって撃ち込む時間がないと悟り、咄嗟に地面につけた足を踏ん張り、右手をまっすぐ伸ばして誠亜の突撃の力をそのまま誠亜に返そうとするフェイト。
咄嗟にそれだけの判断をしたのはさすがだ。
だがそれはフェイトの計算違い。
正解を示すなら呂布、この時代で言うなら高畑先生あるいはエヴァンジェリンだ。
轟瞬動の破壊力はその小さな体で受け止めきれるものじゃない。
受け流さなければならないのだ。
受け流して、誠亜自身の力で自滅させる。
それが轟瞬動の正しい凌ぎ方。

誠亜の体に触れたフェイトの腕が容易くひしゃげる。
フェイトの足もとの地面が衝撃を受け止めきれずに砕け散り、バランスを崩したその体を、誠亜の全身が轢いていく。

フェイトの細い腕は根元まで潰され、そのまま肩を胸を上半身を吹き飛ばして突き抜けた。
誠亜は錐揉みして飛んでいくフェイトの下半身の行方に目もくれずに止まることなく飛翔する。

そして今の誠亜にとっても半瞬にも満たない時間にて、千草のもとへと飛び込んだ。
このかを小脇に抱えた千草の数メートル手前に踏み込む。
踏みぬかれた大地が木端と砕けて深く亀裂を走らせる。
砕かれた表面が隆起し、それに足を取られた千草がバランスを崩した。

千草は何も反応を見せられずに、誠亜が切り札を使ったときの表情のまま凍りついている。
その前に立ちふさがっていたクマも指一本動かせずに誠亜を素通りさせ、迫る衝撃波が全てを破壊する様を凝視している。

誠亜は素早く半身になって左手を背後に向ける。
狙うはクマか。
否、クマの向こうの衝撃波だ。

切り札を使って全力疾走するだけでも被害は馬鹿に出来ない。
轟瞬動による衝撃波などいったいどれほどのものになるのか。
それを相殺しなくてはならない。

誠亜は視界の中、衝撃波に打ち砕かれんとするフェイトの下半身を捉える。
そしてその瞬間、突き上げる悪寒に素早く振り返った。
流れる視界の端で、フェイトの下半身が水の塊となって砕ける。

振りかえった先には拳を振りかぶったフェイトの姿。

淡々と、無表情にフェイトは口を動かした。
その動きはまるで誠亜の時間に合わせるかのように速い。

『減速すると思っていたよ』

何気なく繰り出していた今までの拳とは明らかに違う、腰の入った一撃が空を裂いて誠亜の顔面へと迫る。

その拳を打ち払おうとして、誠亜は背後から迫る衝撃波に歯噛みした。
視線だけ向けると、全てを粉砕しながらひた走る風と音の咆哮にクマが消し飛ばされる様がありありと瞳に映る。
そうだ。こんなスピード、千草の少し手前で減速するに決まっている。
せざるを得ない。
さもなくば千草もろとも抱きかかえられたこのかも吹き飛ばしてしまうことになるのだから。

「クソが!!」

誠亜の喉が叫びを上げる。
だがそれが空気を振動させ、他の者の耳朶を打つよりも早く、誠亜の左腕が閃光をぶちまけた。

体内で渦巻いていた力の一部を左腕から放出する。
大地を、壁を、大気を悉く破壊しながら突き進む衝撃波に、膨れ上がったエネルギーが獰猛な獣のごとく喰らいつく。
エネルギーは衝撃波を食いちぎり、打ち砕き、その叫びすら踏みつぶすように霧散させた。
凄まじい突風が名残のようにあたりを吹き払う。

その衝撃波の相殺に一手浪費したタイムラグを利用し、フェイトの拳が誠亜の頭を打ち抜いた。
凄まじい衝撃が誠亜の頭部を突き抜ける。
強烈な威力に頭を支える首の骨が微かに軋み、脳に与えられた衝撃に意識が飛びそうになる。

だが誠亜は己の意識を顎門で食い止めるかのように歯を食いしばり、全身の筋肉をフル動員して踏みとどまった。

「退か……ねえっ!!!」

力任せに、ひたすらにまっすぐ、打ち砕き救うと決めたのだ。
この程度で止まってたまるものか。
後少し前に進めばこのかへも手が届く。

誠亜の視界の中で、フェイトが滑るように後ろに移動する。
切り札を発動させる前に比べれば格段に遅く見える、だが明らかに他とは一線を画した速さでフェイトが僅かに下がった。
だがそれよりも誠亜の方が速い。
そのまま硬直している千草の体を掴むが、生憎と先程フェイトが唱えていた転移魔法を使うよりも誠亜が一撃放つほうが早い。

フェイトが口早に呪を紡ぐ。
その胴に向けて渾身の拳撃を打ち放ちながら、誠亜はさらに踏み込まんとした。
フェイトを砕き、千草を倒し、このかを取り戻す。そのために。

そして誠亜は視界に入るこのかの寝顔に凍りついた。
千草ではなくこのかを掴んでいたフェイトが、このかのほっそりとした体を誠亜の方へと放ったのだ。
フェイトの後ろで千草が非難するように表情を険しくして口を開きかけている。

誠亜は放ちかけた拳を止め、すぐさまこのかへと腕を伸ばした。

千草が刹那に対し隙を作るためにこのかを突き飛ばした際、隙を作られたうえにクマにこのかを回収されてしまったのを思い出しての行動だった。

生憎と一瞬気を取られた。
フェイトに次の一手を許す暇を与えてしまった。
ならせめてこのかだけでも奪い返されないようにしなければならない。

残る敵は2人。千草とフェイト。
千草は完全にこちらのスピードにおいてけぼりの状態だ。
無視しても問題ない。
フェイトは攻撃態勢を取っていない。
むしろこちらから逃げるように、右手を天に向け、背中で千草を追いやりながら後ろに下がっていた。

(右手を天に?)

自分で見たそれに誠亜は訝しげに眉をひそめる。
そして感じる強烈なプレッシャーと、自分の周囲の暗さに顔を跳ね上げた。
その目に移ったのは、上空から凄まじい速度で迫る石柱の姿だった。
ひたすらに大きい。
太さも高さもビルほどあるのではないかと思うほどの巨大な石柱が、誠亜の体を押し潰さんと降りかかってきていた。
誠亜は比較的大柄な方だが、それでもこの漆黒の石柱に比べれば小さな人間風情に変わりは無い。

「冥府の石柱」

これが誰の仕業かは考えるまでもない。白髪の少年、フェイトだ。
だが、

(いつだ!?こんなでかい呪文いつ唱えた!?ついさっきまで転移魔法唱えてたろう!!)

胸中で絶叫する。
まさかこんな呪文を無詠唱で使ったとでも言うのだろうか。
無詠唱魔法を使うと言うのは見た目よりも難しいことだ。
強い魔力と、熟練した技量が必要になる。
神多羅木などが軽々と放っているのを見ると忘れそうになるが、それは確かなことだ。
こんな魔法を無詠唱で使うなどにわかには信じがたいことである。

ふと気付く。
ひょっとして
初めからこの魔法を唱えていたのではないかと。

わざと撤退を臭わせる言葉を口にし、誠亜に今唱えている呪文がテレポート用だと勘違いさせる。
すべて計算ずくでの、厄介な爆発力を持った誠亜を無力化するための仕込み。

「…………!!」

声にならない咆哮と共に誠亜はそこから飛び退こうとする。
いくら石柱が大きいとはいえ、切り札を発動させた誠亜の速度なら簡単に脱することができる。
たとえ石柱が誠亜のすぐ頭上まで迫ってきているとしても。

誠亜は石柱を睨んでいた視線を下ろし、駆けだそうとして目を限界まで見開いた。
そこには先程フェイトが誠亜へと突き飛ばしてきていたこのかが居る。
このまま誠亜が逃げてはこのかは石柱に押し潰されてしまう。
石柱から逃れる最短ルートは後退だが、このかが居るのは誠亜の前だ。

誠亜は慌ててこのかの体を引っ掴む。
そして引き寄せ、このかを連れて降りくる石柱の下から逃れようとする。

その瞬間誠亜は耳に届いた嫌な音と、手から伝わる嫌な感触に顔を青ざめさせた。

誠亜に握られたこのかの腕からミシミシと軋む音が響く。
手からはひどく柔らかい感触が返ってくる。
バターや豆腐どころではない。
ホイップクリームじみた、あまりにも柔らかく呆気ない感触と共に誠亜の指がこのかの腕にめり込んでいた。

反射的に手を離す。
術による深い眠りの中でありながらも痛みに険しい表情をしたこのかの腕は、軽い内出血こそしているがどこも潰れていない。

忘れていた。
人間の体と言うのは時折怖くなるほどに脆い。
気や魔力はその脆い体をたちまち岩のように頑健なものにしてしまうが、それすら打ち砕く『切り札』の力で気も魔力も使っていない者に触ればどうなるか。

このかを救うために手を伸ばして、このかを傷つけてしまっては何の意味もない。
細心の注意とともに優しく引き寄せねばならない。

だが、その時間すら誠亜には与えられなかった。
もう石柱は誠亜のすぐ真上に来ている。
今からもう一度このかに手を伸ばし、彼女を傷つけないようにそっと運んだところでもう間に合いはしない。

「刹那ァ!!」

出来たことと言えば、誠亜の突撃の衝撃波と、それを相殺する時に生まれた剛風に足をとられそうになりながらも階段を駆け上がる刹那へと声を投げることだけだった。












飛んできた声はこの上なく切迫したものだった。
吹き荒れる風とその中に含まれる砂や石の破片から眼球を守ろうと顔の前に腕をかざしていた刹那は、その声に腕を下ろした。

新たに開けた視界に入って来たのは、自噴に顔を歪めて上を睨む誠亜とその隣で倒れ行く気絶したままのこのか。
そして二人を押し潰さんとする馬鹿馬鹿しいほどに巨大な石柱だった。
あれほどの大質量の物体が直撃すればどうなるか、子供でも分かることだ。

刹那は全力で地を蹴る。
気を足に込めて瞬動で一気に誠亜のもとへと、このかのもとへと駆け寄る。

お嬢様を守る。
それは刹那にとって、何よりも強い願いであり、重い誓いだ。
誰よりも大事な親友を守るためなら、裏切り者のそしりだって受けても構わない。
だから自分は京都を離れて麻帆良へと行った。

守らなければならない。守りたいのだ。

近衛木乃香と言う初めての友達を。

気の炸裂による加速が刹那の体を引っ張る。
瞬間的に流れていく景色。
視界の中で一気に大きくなるこのか達と石柱。

あと一歩だ。
彼我の距離は10mあるかないか。
瞬動一回で詰められる距離である。
間合いを詰めて手を伸ばしてこのかを救う。
そうすれば誠亜も逃げられるはずだ。

速すぎて全く捉えられなかったが、月詠を吹き飛ばしたあの突撃などから鑑みるに、お嬢様さえ救いだせば誠亜はどうにか逃げられるはず。

あと一歩。

そう、あと一歩なのだ。

もう一度足に気を込める。

そして“あと一歩”を踏み出そうとした刹那の前で黒い石柱は容赦なく二人の姿を飲み込んだ。

それ自体驚異的な質量とかなりの速度を持っていた石柱が、あまりにもあっさりと誠亜とこのかの体を押し潰す。

誠亜の突撃によって徹底的に破壊され、もはや瓦礫の坂と成りかけていた石段がこれで止めと言うかのように砕け散った。
崩壊した表層が雪崩のように転がり落ち、刹那の足を何度も打つ。
いくつかの破片が彼女の白磁のような肌を傷つけ、赤い血を流させるが刹那は茫然と立ち尽くした。

石柱の激突による衝撃は、石段の上端から下端まで地割れじみた大きな亀裂を無数に走らせる。
蜘蛛の巣状に走ったその罅たちの中心、石柱の突き刺さった地面を見つめ、刹那は顔を歪ませた。

腹の奥で何かが渦巻いている。
気を抜くとこの身を突き破って出てきそうなその感覚を誤魔化すかのように、刹那は石柱へと声をかけた。

「誠亜さん……?」

誠亜からの返事はない。
胸の奥の感情を誤魔化すために声をかけたのに、刹那の中のそれはかえって強くなってしまう。

刹那は手が白くなるほどに強く拳を握りながら、震える声で叫ぶ。
その声はまるで悲鳴のようだった。

「お嬢様……このちゃん!!」

焼けるような痛みと、溺れるような苦しさが刹那の心に去来する。
何も考えられず、ただ駆けだした。
助けに入るためにためられていた気で瞬動を行い、地面に突き立った石柱へと駆け寄る。

「誠亜さん!このちゃん!返事してや!」

無意識に口調がもとに戻っているがそんなことはどうでもいい。
石柱の周囲はその重量と衝撃でクレーター状に陥没していた。
刹那はその斜面を滑るように駆け降りると、溢れだす不安と恐怖に突き動かされるままに叫びながら石柱をどかそうと手をかける。
刹那一人の力でこんな巨石が動くはずもない。
だが、それでも刹那はやらずにはいられなかった。
常識で考えて2人が生きている可能性など無い。

圧倒的な質量による物理的な破壊。
物理防御も障壁による防御も、この魔法には火矢の前の紙の壁に等しい。

防御魔法の中には10tトラックの直撃すら防ぎきるものも存在するが、それでも到底防げはしない。

だが、もしかすれば運よく瓦礫の隙間に入って生きているかもしれない。

諦めるわけにはいかない。
いや諦めたくない。
刹那の大切な人と、それを守るために必死に戦ってくれた仲間を

(諦められるわけがない!!)

夕凪を口にくわえ、両手を石柱の表面にしっかとかける。
例え指の皮が剥けようと爪が剥がれようと肩の関節が外れようと、意地でも持ち上げてやる。
だから、

「返事をしてや!!」

願うように叫ぶ。
そして全身の力を限界以上に引き出す覚悟で持ち上げんとする。

持ち上がった。
あまりにもあっさりと持ち上がった石柱に刹那は呆けたような表情でそれを見つめた。
ほんの数十センチだ。
だが確かに持ち上がった。

触った感触として間違いなくこの柱は石だ。
中身がないハリボテなわけでもない。
確かに見た目通りの重量があるはずの石柱がなぜか簡単に持ち上がる。
一瞬の戸惑いで柱から手を離した刹那の前で石柱が一気に上昇した。

「ッオオオオアアアアアア!!」

地の底の龍が吼えたかのような叫びが地と岩を貫いて夜空を揺るがした。
それに合わせて刹那の目の前で、馬鹿馬鹿しいほど巨大な石柱が2m近くせり上がる。

いや、持ち上げられたのだ。
たった一人の人間の手で。
風間誠亜と言う一人の人間の手によって。

刹那は愕然とした表情で目の前の光景を見つめた。
確かに生きていてほしいと願った。
それは事実だが、よもやこんな助かり方をしていようとは。

誠亜は相変わらずその身の内で膨大なエネルギーを渦巻かせ、天に掲げた両手でフェイトの生みだした石柱を持ち上げていた。
地を踏みしめる足は微かに震えながらも折れることなく、天を支えるアトラスのように己の身と石柱を支えている。

数秒硬直した刹那だが、誠亜の両の目から血涙が流れるのを見るや否や視線を下に下げた。
そこには小さな擦り傷などはあれども五体満足な姿のこのかが倒れ伏している。

このかを連れて逃げることができないと悟った誠亜は、このかを守るためにこともあろうに圧し掛かる石柱を受け止めることにしたのだ。

誠亜の使っていた身体強化術は初めて見るが、それでも負担が大きすぎるであろう技だと言うことだけはわかる。
そのダメージが眼球の毛細血管にダメージを与え始めている。

眼球だけなわけがない。体のあちらこちらにダメージが行っているはずだ。
刹那は飛び込むようにこのかの体を抱き起こすと転がり出るように石柱の下から飛び出した。
このかの体を強く抱きしめ庇いながら、ただコンマ1秒でも早く石柱の下から抜けだすことだけを考える。
石段の残骸である無数の破片に浴衣を切り裂かせながらも刹那は幾度も地面を転がり、動きを止めた。
このかを抱いたまま身を起こし、誠亜へと声をかける。

「お嬢様は助けました!誠亜さんも……」

早く逃げてと言いかけて、顔を上げたことによって見えてきたそれに、刹那は瞳に絶望を灯した。
上空に浮遊するフェイトの頭上に、先程の巨石すら凌駕する巨大極まりない石柱が浮いている。
まるで先の石柱を3本いっしょっくたにまとめたかのような巨大さだ。
そしてそれが既に誠亜を押し潰さんとしている一本へと凄まじい勢いで突撃していた。
まるで釘の頭を金槌で叩くがごとく。

「やめろおおおおお!!」

刹那の悲痛な絶叫を嘲笑うかのように、石柱は2本分、いや4本分の重みと激突の衝撃でもって誠亜を押し潰す。
誠亜の足が一瞬で膝まで地面に埋まり、超重量に耐えきれなかったその体がゆっくりと後ろに倒れていく。

一度体勢を崩してしまえばもう抗うことはできない。
腕の力だけであんなものが受け止められるわけがない。

刹那の叫びに目を覚ましたネギが見たのは巨大な石柱に潰されゆく誠亜の姿。

「え……?」

ネギは一瞬理解しかねて呆けたような声を上げるが、持ち前の頭の回転の速さで一瞬で現状を把握する。
弾かれるように起き上がって呪文を唱え始めるが間に合うわけがない。

鎌首をもたげる諦観の念を押し殺しながら、刹那は石柱から逃げる時に落とした野太刀を拾い上げた。
体内からありったけの気を引きずり出し、己の体と刀に込めていく。

「神鳴流決戦奥義!!」

刹那が知る神鳴流の技の中で、最大威力の技。
刹那自身まだ使いこなせるとは言えない大技だ。失敗するかもしれない。
だが、あの巨大な石柱を壊しうるとしたらこの技しかないだろう。

壊せないとしても横合いからの一撃で石柱を倒すことができれば、誠亜が逃げる時間ぐらいは稼げる。

「真・雷光け」
「来んじゃねぇ!このかを守ってろ!!」

跳躍せんとする刹那を、今まさに潰されそうになっている誠亜が制止した。
足を止めた刹那が視線を上げると、上空からこちらを見下ろしているフェイトと目があう。

自分が助けに入ったら、その隙にこのかを奪うつもりなのか。
動くに動けぬ状況に、刹那の心は逡巡する。

その間も場は動き続ける。
重力と慣性に従って落ちる巨石がこちらの都合に合わせて止まってくれるはずもない。

だが、止まることなく動いていたのは誠亜も同じだった。
彼女はよりによって己の体を守り、強化していたブーストに使われているエネルギーの循環をやめた。
残る咸卦法の力だけではあれは受け止められない。

己の重みに逆らう力を失った石柱は、本来の速度で地球に引かれて誠亜に圧し掛かる。
誠亜はその絶望的な状況の中で、あえて口を禍々しい笑みの形に歪めて石という名の黒い天井を睨みつけた。

石柱の底面を支える右腕をそのままに、左手を右腕に添える。

そしてつい先ほどまで誠亜の体内を荒れ狂っていた力のすべてを右腕に叩きこんだ。
膨大すぎるエネルギーが内側から誠亜の腕を食い破ろうと叫びを上げる。
だが誠亜は生みだされる激痛を強靭な精神力でねじ伏せると、右腕の中のエネルギーを強引に渦巻かせた。
『切り札』の時のような体を強化するための最適な動きではない。
ただひたすらに速く。
それだけを主眼に絶大な加速をかける。

完全に刹那の知覚域を超えた超高速の力の流れが誠亜の腕の中で唸りを上げる。
耐えきれなかったその右腕が、幾つもの傷を刻んで勢いよく鮮血をしぶかせた。
だがそれでもエネルギーの加速は終わらない。
その回転の余波に引きずられた大気中の魔力が竜巻じみた大渦を作りだした。
周囲の瓦礫が吹き散らかされ、天高く舞い上がる。
瓦礫に混ざって千草が吹き飛ばされて飛んでいる。

そして、石柱に押される誠亜の背中が地面に着く瞬間、噴き出す血で自分の肌を濡らしながら誠亜が吼えた。

「砕け散れえええええ!!」

咆哮と共に右手の中の力を解き放つ。
右腕の中で行き場を求めて悲鳴を上げていたエネルギーが、解放された喜びを謳うように舞い登った。

光の奔流は極大と大、二つの石柱を貫く。
石柱に下から上へ無数の亀裂が生じ、その隙間から眩いほどの光が溢れだす。
そしてとうとう石柱が崩壊した。
膨れ上がる光の柱が、石柱を飲み込み粉々に打ち砕く。
そしてその砕片すら喰らいつくして、歪み、渦を巻きながら天へと昇った。
その様はまさに天に昇る龍。

龍は信じがたい速度で突き進み、行きがけの駄賃だと言わんばかりに上空のフェイトへと喰らいついた。
咄嗟に身を躱すフェイトだが、右腕だけは避け損ねて力の奔流にさらしてしまう。
光は舌打ちするように一度大きくうねると、そのまま漆黒の夜空へと消えて行った。

フェイトはそれを見送ると、焼け焦げた己の右腕を一瞥して嘆息する。
そして眼下の誠亜を見下ろした。

既に『切り札』は解かれており、その身を包む光は咸卦法によるものだ。
幾つもの傷を負った右腕はとめどなく血を流し、目からも血の涙を流している。
肩で息をして全身で疲労感を露わにしていながらも、眼だけはギラギラと獰猛な光を宿して空のフェイトを睨みつけていた。

フェイトは唐突に重力を思い出したかのように地面に降り立つと、そっと視線を下ろした。
その先に居るのは千草だ。
誠亜が放った光の余波の暴風に吹き飛ばされたときに頭を打ったようで、眼を回して気絶していた。

それを見たフェイトはもう一度嘆息した。
そして誠亜と真正面から睨みあう。

互いに右腕が使い物にならなくなっているが、まるで気になっていないかのように無言で佇んでいた。

誠亜の出鱈目さに僅かに腰の引けているネギなどを尻目に誠亜は不敵な笑みを作ってフェイトに声をかけた。

「どうすんだフェイトとやら。あとはお前一人だぜ。このかもこっちの手にある」

フェイトは言われて、誠亜と刹那、そしてアスナを起こしているネギに視線を巡らせて肩をすくめた。

「そうだね。僕はただの雇われだ。残り一人になってまで不利な戦いに挑むほどの義理は無い」

その言葉に、誠亜の体から僅かに力が抜けた。
見るからに傷だらけな彼女だが、見ため以上にダメージが重かったのだろう。

その瞬間、刹那の視界の端を何かの残影が駆ける。

「残り一人ならね」

不吉を孕んだフェイトの声を塗り潰すように刹那の喉が警告の叫びを上げる。

「誠亜さん後ろです!」

全く同時だったと言えるだろう。
悪寒に突き動かされるままに刹那が駆け出すのと、
誠亜の腹から鋭い刀身が突き出てくるのは。

「がっ!」

誠亜が背を向けていたビルの、一連の戦闘で大穴の開いていた壁から音も無く飛び出してきた月詠が誠亜の左脇腹に後ろから小太刀を突き立てたのだ。
油断していた誠亜の体は、あまりにもあっさりと殺意に塗れる刀身を根元近くまで受け入れてしまう。
誠亜の口が小さく血を吐き出した。
そのすぐ後ろ、ぼろ布のような服を着、全身に傷を負った月詠がそれでも狂気をはらんだ笑みを浮かべる。

「とりましたえ~」

誠亜の腹を貫いた感触を楽しむかのように舌舐めずりした月詠は傷口を広げるために刀を捻るように柄を持つ手に力を込めた。
だが刀は動かない。

誠亜が己の筋肉で突き立てられた刀を押さえ込み、動かせないようにしているのだ。

口の端から血をこぼしながら、誠亜が月詠以上に凶悪に笑う。

「とったのは俺だな」

言いながら背後の月詠の脳天に強烈な肘打ちを落とす。
直撃すれば頭蓋をかち割られかねない一撃を前に、月詠はなおも笑ったままだった。

「いえ~」

瞬間、刀を握る月詠の手に小さく紫電の輝きが走る
そして次の瞬間、誠亜の腹に刺さったままだった小太刀から凄まじい雷撃が迸った。
電撃は誠亜の体を駆け巡り、神経と肉を焼く。
激痛に誠亜の喉が声にならない叫びを張り上げた。
大電流が誠亜の体を舐め、その体を内側から蹂躙する。

神鳴流奥義雷鳴剣。気によって生みだした電撃で敵を討つ技。
それを腹に突き立てた小太刀で発動させたのだ。
誠亜に躱せようはずもない。

輝きが収まった時には、誠亜はぐらりと身を傾がせていた。
月詠が突き立てていた小太刀を引き抜くと、誠亜の体はそのまま重々しい音を立てて地に倒れ伏す。
赤い命の水を流していく誠亜を見下ろし、月詠が告げた。

「とったのはウチどす~」

「誠亜さん!」

ネギが逼迫した叫びと共に駆け寄ろうとするが、誠亜の前に月詠が刀を構えて立ち塞がる。
血の滴るその刀身を睨みつけて、ネギが怒りと焦りを顔に映した。

「形成は逆転だね。彼女抜きで月詠と右腕を負傷しただけの僕を止められるかな?」

その言葉に刹那は奥歯を噛みしめた。
そうだ。現状自分達だけではあのフェイトを相手取るのは正直厳しい。

つい先ほども彼一人に刹那とネギ、アスナは手玉に取られたばかりだ。

視線を誠亜に走らせる。
小さく痙攣していてとても戦線復帰できる状態には見えない。
それどころかこのまま放っておけば死んでしまいかねない。
腹を串刺しにされたにしては少ないが、今も刻一刻と血液が流れ出て地を濡らしていた。

「彼女の助けは期待しない方がいい。例え意識を保っていたとしても、電撃で全身の筋肉が麻痺していては動けない。生物としてこれはどうにもならない事だ……月詠、ダメージは?」

こちらの希望を切り捨てるように言葉を風に乗せると、フェイトは今度は月詠に問いかけた。
月詠は自分の右の脇腹をそっと撫で上げると、興奮したような声で答える。

「危ないところでしたえ~。あと少し掠め方が深かったら内臓が逝ってました~。でも問題なく動けます~」

這い上がる痛みとすぐ近くまでやって来た死のスリルに酔うかのような仕草にネギとアスナは緊張に唾を飲み込んだ。
この少女が今まで出会ったことのない危険なタイプの人間だと悟ったのだろう。
その顔は、自分の近しい友人が血の海に沈んでいることもあってか酷く青ざめている。

その言葉を聞いたフェイトが眉をひそめた。
呆れたように呟く。

「……人間を相手にしている気がしなくなってくる人だね。本当に」

フェイトはそれでもう誠亜の事は気にしないことにしたのか、こちらへと歩を進めてきた。

「さて……近衛木乃香嬢を渡して貰おうか」

その言葉に、刹那はこのかをネギに渡して夕凪を構えた。
ネギは緊張で額に汗を浮かべながら、歩み寄るフェイトを見据える。

「え?ちょっと……何がどうなってんの?何で誠亜が倒れて……血が……」

衝撃が収まって状況をしっかりと理解し始めたのか、アスナが狼狽の声を上げる。
ネギも自身の内の動揺を振り払うように声を張り上げた。

「落ち着いてくださいアスナさん!今は落ち着いてこのかさんも誠亜さんも助ける方法を考えて……」

だがネギの言葉も今のアスナには逆効果だったようだ。
ヒステリックな高い声で誠亜の方を指差しながら叫ぶ。

「落ち着けるわけ無いでしょ!だってアレ死んじゃうわ……よ……」

その言葉は尻すぼみに消えていく。
アスナは誠亜を指差した姿勢のまま幽霊でも見たかのように目をまん丸に見開き、小さく口をあけていた。
ネギもそれに気付いてアスナの指す先を見て硬直する。
少し前からそれに気付いていた刹那は愕然とした表情でそれを見つめていた。

(なんで……動ける……?)

声には出さずに呟く。
フェイトの後ろ、何かを感じ取ったのか背後を振り返り始めた月詠のさらに後ろ。
立ち上がれるはずがないのに幽鬼のように立ち、悪鬼羅刹の形相で拳を振りかぶる誠亜の姿。
空をぶち破って誠亜の左腕が唸りを上げる。
大砲じみた豪拳が、振り返った先に誠亜の姿をとらえて慌てて飛び退ろうとした月詠の右脇腹に突き刺さった。
爆撃かと紛うような衝撃と轟音があたりを揺らす。

誠亜の足もとが反動で砕け、月詠の腹を突き抜けた衝撃が体の反対側で粉塵を吹き散らす。
あまりに強すぎる力に、誠亜自身の腕の中でメキメキと小さな破砕音を響かせながら、誠亜の拳は先程月詠があと少しで逝くところだったと言いながら撫でた右脇腹を深々と穿った。

月詠が大量の血塊を吐き出しながらくず折れる。
その手から抜け落ちた刀が地面を叩き、甲高い音を響かせた。
月詠の吐き出した血で身を赤く染めながら、誠亜が動かないはずの右腕を握りこんだ。
骨が軋むほどの力に、腕に刻まれた傷から真紅の血が一層激しく噴出する。

再び撃ち出された拳が月詠の左胸へと喰らいつく。
常人のそれを遥かに上回る強度を持つはずの誠亜の骨が軋みを上げるほどの力で放たれた拳が、月詠の肋骨を粉砕する寸前、割って入ったフェイトの腕が誠亜の腕を掴みとめた。
誠亜は凄まじい反射でフェイトの横っ面に拳を撃ち込もうとするが、その途中で糸の切れた人形のように動きを止めてしまった。
その誠亜の鳩尾へとフェイトの蹴りが突き刺さる。
フェイトの蹴りを木偶のように喰らった誠亜は、そのまま真っ直ぐ刹那たちのいる方へと吹き飛んできた。
普段なら空中で体勢を立て直すぐらい平然とやるであろう誠亜は、悔恨の表情を浮かべたまま指一本とて動かせずにいる。
その様はまるで、全身の筋肉が麻痺していることを今思い出したかのようだ。

誠亜の体を受け止めようと手を伸ばしかけた刹那は、飛ぶ誠亜の向こう側から誠亜を盾にするように追従して走るフェイトの姿をとらえて腕を刀の柄に戻した。
そして手を出す代わりに声を出す。

「アスナさん!誠亜さんを!」

「分かった!」

呪文を唱えるネギとその手に抱かれたこのかを背後に、アーティファクトのハリセンを構えたアスナが答えた。
それを確認して、刹那は飛来する誠亜とすれ違った。
誠亜を受け止めるのをアスナに任せて自分がフェイトを食い止めるのだ。
恐らく刹那が誠亜を受け止めれば、その隙を狙ってフェイトは刹那を打ち倒してしまうだろう。

刹那は瞬く間に眼前まで迫ったフェイトの体へと全身のばねを使った横薙ぎの斬撃を叩きつけた。
銀光が大気を切り裂いてフェイトの体へと襲いかかる。
だが、フェイトは己の小さな体躯を利用して斬撃をくぐり抜けると、刹那の眼と鼻の先まで踏み込んだ。
さらにその踏み込みの足でこちらの足を払ってくる。
まずい。この距離では刀は使いにくい。
おまけに刹那の刀は長大な野太刀だ。
超接近戦では特に扱いづらい部類に入る。

バランスを崩す刹那の腹を狙ってフェイトの左拳が撃ち込まれる。
身を捩ってそれを躱した刹那は逆手に持ち替えた刀でフェイトの右の肩口へと突き立てる。
誠亜の攻撃のせいで負傷している右腕こそが付け入る隙だと考えたからだ。
だがフェイトはそれを読んだ。
半身になって刹那の刺突を躱すと、そのまま刹那の腹に強烈なひざ蹴りを撃ち込んできた。
腹腔で炸裂する破壊力に胃の内容物を吐き出しかけるのを堪える。
飛びかける意識の中で、それでも自分を通り過ぎようとするフェイトへと斬撃を放った。
万全の時に比べれば幾分か鈍いものの、それでも十分な鋭さを持った斬撃が袈裟切りにフェイトの背中へと襲いかかる。
それでもフェイトは後ろに目でもあるかのように軽く身を捌いて躱し、そのままネギ達の方へと行ってしまった。

飛来した誠亜を左腕で受け止めたアスナが、誠亜の体の予想外の重さによろける。
アスナは体勢を立て直そうとして、追いすがるように疾走するフェイトを視界に移して眼を見開いた。
よろけた体勢を逆に利用し、左腕に抱いた誠亜と、フェイトとの間に自分の体をねじ込む。

「このおっ!」

そして迫るフェイトへと右手に持ったハリセンを叩きつけた。
たかがハリセンのはずだが、千草のクマを一撃で送り還したその力を警戒したのか、フェイトは体を回転させながらハリセンの一撃を飛び越えた。
そして空中で回転の勢いを乗せた蹴りをアスナの体へと叩きこむ。
アスナの体が誠亜ごと地面に叩きつけられ、地面に罅を入れながらバウンドした。
前方から打ち下ろすように蹴り込まれたせいか、ネギとこのかの方へと二人の体は飛んでいく。
ネギの眼前へと落ちる2人を飛び越え、フェイトはネギへと襲いかかる。
ネギはその様を焦りと共に見つめながら、このかを己の小さな背に隠して呪文を唱える。

「来たれ雷精、風の精!雷を纏いて……」

現状ネギが使うことのできる最大呪文。
フェイトに効くかもしれないのはこれくらいだ。
だが僅かに間に合わない。
だがネギは必死に呪文を唱え続けた。

その時だ。
フェイトの強烈な蹴りに悶絶しているはずのアスナが、跳ねるように飛び起きて、手に持ったハリセンでフェイトの後頭部を痛打した。

アスナが持っているのはあくまでハリセンだ。
それでフェイトにダメージを与えられはしない。
だが、確かにアスナの『ハマノツルギ』は砕いた。
これまでフェイトの身を守っていた魔法障壁を。

表情の薄い人形じみた顔の瞳に確かな驚きを浮かべてフェイトが視線をアスナに向ける。
その驚きは何故自分の魔法障壁をこうも容易く壊せるのかという疑問と、どうしてあの蹴りを受けた彼女が平然と動けるのかという疑問からだった。

その答えに行き当たったのかフェイトが視線を弾かれるように地に倒れる誠亜に向ける。
誠亜は相変わらず碌に動けない状態でありながら、凄絶な笑みとともにフェイトを見上げていた。
月詠に対して打ち込んだ際に己の力で骨にダメージを負っていた誠亜の左腕が中ほどでへこんでいた。
まるで凄まじい強力での攻撃を受けたかのように。

咄嗟に腕をまわしてアスナへの蹴りを代わりに左腕で受けた。
そうとしか考えようがない。

「吹きすさべ南洋の嵐!!」

アスナの一撃が生んだ僅かな時間にネギの詠唱がほぼ終了する。
あとは魔法の名前を唱えるだけ。
しかも今のフェイトは障壁を破られている。
絶好のチャンスだ。
あと一手。

今まさにネギを打ち倒さんと唸りを上げるフェイトの拳を凌ぐことさえできれば勝機はある。

アスナは返す刀でハリセンを打ちつけようとして逡巡した。
なぜか障壁を破ることはできたものの、肉弾戦での直接攻撃を妨害するにはハマノツルギは威力不足だ。

刹那は痛む腹を無視して駆け出す。
だがそれでも間に合うとは思えなかった。

誠亜は雷鳴剣によるダメージで体が碌に動かない。
かろうじて動く左腕もフェイトの攻撃を止められるだけのパワーを出せるかと聞かれれば、答えは否だった。

「ネギ!弾け!!」

誠亜の苦し紛れの叫びが響く。
だが無理に決まっている。
ネギは魔法使い。
それも麻帆良の教師陣に見られるような、接近戦もこなせる魔法戦士型ではない。
あくまで今のネギは前衛をミニステル・マギに任せた典型的な魔法使いタイプだ。

そのネギに、超人じみた身体能力を持つ誠亜とまともに殴り合うフェイトの拳を弾けるわけがない。

「雷の!」

だがネギは、それでも希望は捨てないと、呪文の締めを叫びながら渾身の力でフェイトの拳に腕を横薙ぎに叩きつけた。。

フェイトの拳が僅かに逸れる。
逸れた拳がネギの右肩を浅く打った。
痛みに顔をしかめながらも、ネギはフェイトの胸に左手を触れさせる。

その体には眩いほどの魔力の輝きがあった。
まるで魔力を供給されたアスナのように。

フェイトの顔が今度こそ正真正銘の驚きに歪む。
その顔を見上げながら、誠亜が笑う。
その左手はネギの足を掴んでいる。

走りながらそれを見た刹那は、驚愕の面持ちで飛び退った。
ネギの魔法の邪魔にならないようにだ。

考えられる可能性は一つだ。
動けない誠亜がネギを守れない代わりに己の魔力をネギに纏わせ、ネギ自身にフェイトの攻撃を凌がせた。
契約も無しに魔力を他人に纏わせる。
そんな芸当、少なくとも刹那はこれまで見たことが無かった。
だが現実としてそれは確かに目の前にある。

ネギが天にも届きそうなほどの咆哮を上げた。

「暴風!!」

解放された魔力が吼え猛る。
生みだされた雷と竜巻が、一条の矢となってフェイトの体を飲み込んだ。
雷鳴剣など比ではない強大な雷撃がフェイトの体を焼き、風の牙が吹き飛ばす。

これが最後だと、ネギの魔法が石段のなれの果てを抉り抜く。
暴風に吹き飛ばされた瓦礫が弾丸となってあたりを穿ち尽くした。

全てが収まった後には何も残っていない。
あるのはもとの姿が分からないほどに破壊しつくされた石段と、刹那たち3-Aの面々だけだった。

「やった……の?」

不安そうに言うアスナに答えるようにフェイトの声が響いた。
見上げればそこには水で形作られたフェイトの上半身がその形を次第に崩していっている。

『見事だよ。正直言って君たち相手にまさかここまでダメージを負うなんて考えてもいなかった。ロキもそろそろ来るだろうし、僕等はここで退かせてもらうよ』

言葉に合わせ、倒れ伏していた千草と月詠も水に飲み込まれるように消えていく。
フェイトが回収したのだろう。

それを見つめていたアスナが戸惑いをこめて呟いた。

「えっと……これってあたしたちの勝ちってことでいいの?」

その言葉に刹那は頷いた。
ネギの後ろのこのかの安らかな寝顔を見ると、温かい感情が湧きあがってくる。
このかを守ることができた喜びと、自分とこのかの為に一所懸命に戦ってくれる仲間がいる嬉しさだ。
それへの感謝を込めて刹那は微笑んだ。

「ええ、皆さんありがとうございました」

刹那は屈みこむと、地面に倒れる誠亜の体を優しく抱き起こした。
自分の着ている浴衣の裾を破って包帯代わりにすると、誠亜の腕と腹の傷を止血していく。

「誠亜さんも、本当にありがとうございました」

誠亜がいなければ今回の戦いは乗り切れなかった。
素直にそう思う。

その言葉に誠亜は口の端を吊り上げた。

「気にすんな。俺も助けたかったから戦っただけさ。それよりも……」

誠亜は痛みに顔しかめながらも刹那の肩を借りて立ち上がると、ばつの悪そうな表情を浮かべた。

「神を探そう。皆手伝ってくれ」

その言葉にネギが頷いた。

「そうですね。誠亜さんの怪我を治してもらわないと……」

そのネギの言葉に誠亜は首を横に振る。視線で周囲を示すと、

「これ直させないと大変だ」

完膚無きまでに破壊しつくされた周囲の状況を改めて認識した刹那たちは、異口同音に呟いた。

「「「あ……」」」













あとがき

やりすぎた感はあります。
さすがにやばいかなと小一時間ほど。
ある意味25話すら凌駕するわけのわからん戦闘になってしまいました。
気がつけば原作では酷くあっさりと終わったはずのバトルがとんだ怪獣大決戦になっている始末。
なぜこうなった……
主人公は結局詰めが甘かったですが、まあ頑張ったので勘弁。
動けないはずなのに動いている理由はその内明らかにします。

今後ともお付き合いいただければ幸いです。



[9509] 第48話 自称旧世界の神
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:8312353c
Date: 2010/05/22 10:13
神と俺のコイントス





第48話  自称旧世界の神





団体客用の広間。
畳敷きの底に座卓を並べ、そこに盆に載せた朝食を持ち寄って少女たちが歓談していた。

悔しげに少女たちが口々に言うのは、やはり昨晩を眠って過ごしてしまったことだった。
千草が音羽の滝に仕掛けた酒のせいで酔い潰れてしまった彼女達は、全員爆睡していた。
それは、行事で無くても何かしら騒ぎを起こしている3-Aとしては悔恨の対象だったろう。

昨日の分まで取り戻すと言っている彼女らが何をやらかすのか少しばかり不安ではあった。

その一角で、盆の上の焼き魚を骨も取らずに半分口に放り込み、骨ごと身を噛み砕いて飲み込んでいるのは長い黒髪の女だった。
女子中学生の中にあって、明らかに不釣り合いな長身。
その背中には腰のあたりまでまっすぐと伸びる髪の毛が漆黒の輝きを保っている。
もともと少しばかりきつめの目つきは、不機嫌さを内包することにより少しばかりの範疇を超えていた。
他の少女達と同じく、女子中の制服であるブレザーに身を包んだその姿で、一つだけ異彩を放っているのは右腕のギプスだった。
肘から先をがちがちに固められ、もはや白い円柱になりかけている右腕から、申し訳程度に指が出ている。
青く塗ったらバスターが放てそうな様相では箸など持てるはずもなく、仕方なしにフォークを握っていた。
しかしそれでもやはり格段に食べづらく、前述のような野性味あふれる食べ方をしているという次第である。

「行儀が悪いな」

隣から投げかけられた言葉に、誠亜は不機嫌そうに視線を返した。
そこにいるのは、なぜか割烹着を着たダンディなおやじだ。
相も変わらず何か間違っている服だが、いつものセーラー服よりはマシなせいか幾分まともに見えてくるから困る。

「そう思うんなら、これ治してくれてもいいんじゃねえか?」

言いながらギプスに包まれた右腕を見せる。
神を名乗るこの変人オヤジの力なら、この程度の傷を治すことなどわけないだろう。
にもかかわらず、神がよこしたのは傷の再生を促進するこのギプスだった。

大体右腕は肉はズタズタに裂けたが骨は折れていないのだ。
何故にギプスなのか。
誠亜に不便さを味わわせるためにしか思えない。
むしろギプスをつけるなら左腕だろうに。
もっとも左腕は軽く罅が入っただけだったので治癒促進でもう治っているのだが。
神は給仕のような割烹着に身を包みながらも、一段と豪華な朝食をつつきながら答えてきた。

「痛みがある方が戒めになるだろう。お前の胸と腹の傷もそうだと思ったが?」

「……お前に言ったっけ?」

確かに誠亜の傷は神の言うとおり戒めの意味をもつものだが、それを彼に話した覚えは誠亜には無かった。
胡乱気に見る誠亜に、神は小さく肩をすくめると手に持った猪口から日本酒をあおったあと答えた。

「その傷を治したのは間違いなく普通の医者じゃない。魔法使いかそれに類するものだ。ならば、消せるであろう傷を残した理由は何かと推測したまでだ」

どうやらあれこれ勝手にこちらの過去を探ったわけでもないようだ。
誠亜は鼻を鳴らして食事に戻った。
再び骨をどけることもなく魚を齧る。
愚痴をたれる誠亜に、神が笑い混じりに骨を取ってやろうかと行ってきたのだが丁重にお断りした。
絵面的に嫌だったというところが大きい。

神は反撃の言葉を呑むこちらに気を良くしたのか上機嫌に徳利を傾け、それが空であることに眉をひそめた。
神がその徳利をそっと脇に置くと、畳の一部が小さく隠し扉のように開いてそこから神を小さく2頭身にデフォルメしたような物体が上ってきた。
そのミニ神は空の徳利を持ち上げると、穴へと押し込む。
するといつの間に現れたのか、2体目のミニ神がその徳利を受け取って穴へと帰って行った。

数秒して穴から別の徳利が運び出され、それをミニ神から受け取った神が、猪口へと向かう澄んだ水流を生んだ。

「…………」

誠亜は眉間にしわを寄せてそれを凝視したのち、何も言わずに目をそらした。
代わりに向こうの座卓で食事をしている少女たちを見つめる。

隣り合って食事をする二人の少女は何を言うでもなく黙々と食事をとっていた。
時折言葉を交わすが、互いに言葉一つ発するにも大なり小なり逡巡しているようで、正直言って会話は弾んでいない。

大和撫子という言葉が似合いそうな少女がとなりに座る黒髪をサイドでまとめた凛とした眼差しの少女に声をかけるが、その少女はどこか緊張した佇まいで二言三言返して会話が終わってしまう。

その近衛木乃香と桜咲刹那のやりとりは、会話が弾まないといっても気まずいという風ではなく、むしろ

「初々しいことこの上ないな。まるで初めてのカップルだ。しかも中学生レベル」

「否定は出来ねえな。まあ後半はしょうがねえんじゃねえの?あいつら中学生だし」

互いに歩み寄りを心のうちでは望みながらも、何かが邪魔して踏み出せずにいる。
そんな風に見えた。

神はほほえましい刹那とこのかの姿を見つめながら、猪口の酒を飲み干すとぽんと軽い調子で告げた。

「百合百合んでエロエロんなあんな感じでいやんだめそこはシーンが見られるかもしれんな」

「あ、噴いた」

誠亜の視界の中で、刹那が口に含んでいた水を噴きだした。それを慌てて持っていたハンカチで拭きながら凄まじい目つきで神を睨みつける。
その頬はほんのりと赤く染まっていた。
どうやら聞こえたらしい。

神の発言が聞こえなかったらしく、平然としている木乃香へと意識を移す刹那をひとしきり眺めた後、誠亜はふと思いついたように神を横目に見た。

神はそれに気付き、ご飯を運ぶ箸の動きを途中で止めた。
かなり大きなご飯の塊を箸で無造作に挟んでおり、じき箸から落ちるのは明白なはずだが一向にその時は訪れない。
また妙な力を使っているのだろう。

「お前なんであの戦いの最中来なかったんだよ。お前がいればあんな苦労する事も無かっただろうに」

言いながら右腕のギプスを振って見せる誠亜に、神は似合わぬ真顔で窘めるように言った。

「いかんぞ。すぐさま神頼みというのは。のびたシンドロームになったらどうする」

「それはぞっとしねえな。まあ重要な場面では意外な底力を発揮できそうな気もするが」

「劇場版とか劇場版とか劇場版か。あれは正直劇場版補正が入り過ぎていて、全部のびたの妄想だと推測してみるがどうか?」

「いや誰もそんな身も蓋も救いも根拠ねえ結論は求めてねえだろ」

誠亜は半眼で呻くと、話題を変えることを示す様に両手を軽く打ち合わせた。
というより左手でギプスを叩いたといいた方が正しいか。

「それより実際のところ何で遅れたんだよ。いくら真木が得体がしれないっつってもお前からすりゃたいした事ねえだろ」

誠亜の言葉に神は持っていた箸と茶碗を卓に戻すと、大仰な仕草で頷いた。
まるで神託を告げるかのように厳かな声で、

「恐るべきおちょくるん帝国の女王ゴッデス。その8人の腹心の魔の手から命からがら逃げ出して……」

「嘘ぶっこくな~」

「なら銀河すら握りつぶす強大無比な伝説の龍を相手に、まさしく超銀河級のバトルをだな」

「ぶっこくな~」

「たった300人で20万の敵を打ち砕く、一騎当千のオカマを相手に孤軍奮闘……」

「こくな~」

「むう……どんな話なら満足するのだお前は」

「真・実・を・言え」

不満そうに口をとがらせた神に向かって、誠亜は言葉を一つ一つ噛み締める様に紡いだ。
びしりと持っていたフォークを神の鼻先に突きつける。

「行儀が悪いぞ風間誠亜」

先程神から掛けられたものとほぼ同じ言葉が、別の方向から高い声で掛けられた。
そちらに居るのは誠亜と同じ班員のエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだ。
かなり長い豪奢な金髪と、それと対照的に小学生のように小柄な少女である。
結果としてふくらはぎ近くまで髪の毛がいく彼女は、今のように床に置いた座布団に座ると、髪の毛が完全に床についていた。

髪を踏んだ状態でうっかり立ち上がろうとしたら髪の毛が引っ張られて痛そうだなどとせんない事を考えながら、誠亜は神に突きつけていたフォークを戻した。

エヴァンジェリンはその西洋まるだしな姿形とは正反対に、非の打ちどころのない所作で朝食を口にしている。
その姿を非難がましく見ながら、誠亜は嘆息に合わせて手慰みにフォークを無事な左手でペン回しのように回転させた。人智を超えた速さで回転するフォークに、同班のザジが無表情に視線を向けた。
その視線を己の持つ箸に向けると、誠亜以上に速く複雑に回転させた。

それを目の当たりにした誠亜が驚いた様に目を見開いた後、己の左手の中のフォークをさらに高速回転させる。
対抗するようにザジの右手で踊る箸の数が2本に増えた。

誠亜とザジは互いに目を合わせると、無言で同時にスプーンに手をのばした。

「対抗するな対抗するな」

呆れたように言うエヴァンジェリンに誠亜とザジは同時に指を止めた。
ザジの指で踊っていた箸は吸い込まれるようにザジの右手に正しい箸の持ち方としておさまった。

一方誠亜の回していたフォークはその速度を保ったまま誠亜の手の中から飛び出し、空を裂いて飛翔した。

「あ」
「ごふぁっ!」

誠亜が呆けた様な声を上げるのと、眉間に飛んできたフォークが突き刺さった神が悲鳴を上げるのは同時だった。

スローモーションのように、エコーを掛けながら倒れていく神を見つめていた誠亜は、ミニ神を見た時と同じように見なかった事にするようにして、視線を刹那達へと移した。

彼女等は相変わらず初々しいままである。

「昨日は大変だったらしいな」

声に振り向けば、そこにいるのは湯のみの茶をすするエヴァンジェリン。
その隣に静かに座る茶々丸が、洗練された動きで急須を扱っていた。
彼女の前にも誠亜たち同様一人分の朝食が置かれているが、あいにくとガイノイドである茶々丸にはそれを食することはできない。
形だけの真似だ。

「思ってたより相手が強くてな。まあ木乃香は助けられたし結果オーライだよ」

「強い、か。ぼうやや神楽坂明日菜はともかく、お前や桜咲刹那をして苦戦させるとは。なかなかに厄介な奴がいるようじゃないか」

誠亜の言葉にエヴァンジェリンが苦笑と共に言ってくる。
それに誠亜は眉をハの字にして肩をすくめた。
次戦うことになったら厄介なことになるだろう。

すでに自分のカードは見せてしまった。
『切り札』だけでなく、轟瞬動と壊渦もだ。

とりあえずやはり轟瞬動は封じておくべきだろう。
あれを初見で咄嗟に受け流し、誠亜を地面にたたきつけられるようなのは呂布くらいだと思いたいが、2度目以降となると何らかの対策を打たれる可能性は高い。

難しい顔をして唸る誠亜を横目に、エヴァンジェリンは笑みと共に空になった湯飲みを茶々丸の方へと差し出した。
茶々丸が静かに急須の茶を注ぐ。

野太い悲鳴が上がる。
見れば、深々と刺さるフォークの痛みにのたうちまわっていた神の鳩尾を、妹の朝食のデザートを片手に走り抜けていく風香が踏みぬいて行った。

「お姉ちゃん返してよ~!」

「お腹いっぱいって言ってたじゃん~」

さらに運の悪いことに、続く史伽が神の額のフォークの柄を蹴飛ばしていった。

ミニ神などを行使するために認識阻害をかけていたのがあだとなったのだろう。
深々と刺さっていたフォークが横方向へと蹴り飛ばされる衝撃で、神の眉間の傷はだいぶ抉られたようだった。
だらだらと血を流しながら神が悶絶する。

しかたなしに誠亜は神に歩み寄り、周囲に違和感を与えないようさりげない仕草で神の額のフォークを、長い靴下に包まれた足先で掴み取ると素早く引っこ抜いた。
その途端、神の体が穴のあいた風船のようにしぼみながら部屋の中を縦横無尽に飛びまわった。
ネギ達を始め、楓や龍宮などの裏側に関わりのある面々――すなわち神の弱認識阻害に誤魔化されずに神の事を認識していた者たちがぎょっとしたように顔を強張らせる。
皆、周囲を戸惑わせないよう、必死に平静を保とうとしているが、眼が明らかに飛びまわる神を追いかけていた。

誠亜もエヴァンジェリンも、そしてネギ達も誰も何も言えずに無言で硬直している。
変わらず楽しげに騒いでいるのは、魔法に関わりがないために神に気付いていない者たちだけだ。
誠亜はその惨状を意識から締め出すようにかぶりを振ると、疲労感に満ちた足取りで自分の席へと戻って行った。

「エヴァンジェリンは今回手助けしてくれないんだろう?」

瀬流彦先生などはひきつった表情で神の動きを凝視しているが、誠亜は神の惨状をとりあえず無視することにして、エヴァンジェリンへと顔を向ける。
するとエヴァンジェリンは食事中に比べ、かなりくつろいだ姿勢で首肯してきた。

「そうだ。今の私は魔力もないただの小娘と変わらん。それがこの修学旅行に参加するための条件の一つだったしな」

だから無理だ、というエヴァンジェリンに対し、誠亜は彼女の胸元を指差した。

「でも神からもらった謎アイテムであらゆる攻撃を跳ね返せるんだよな」

「まあそうだな」

相槌を打つエヴァンジェリンに、誠亜はギプスに包まれた右腕と軽く包帯が巻かれているだけの左腕で、何かを持ち上げるようなジェスチャーを行った。
似た動作を挙げるとすれば、親が子供を高い高いするときの動作か。
そのジェスチャーに、エヴァンジェリンが訝しむように眉をひそめた。

そのエヴァンジェリンに誠亜は真顔で告げる。

「それを装備したエヴァンジェリンを盾にすればだいぶ戦闘が楽にならないか?」

「そんな屈辱的な扱いは断固断る」

「ATフィールド展開!ってかんじで。エヴァだけに」

「やかましい」

鋭く切って捨てるエヴァンジェリンに、誠亜は小さく息をついた。
朝食の時間の終わりを告げるネギの声に、誠亜は最後に残っていたデザートのゼリーへと手を伸ばした。
ギプスのせいで碌にものを持てない右手の代わりに左手でゼリーを持ち、歯で蓋をあける。
それを卓に置いてスプーンを伸ばした誠亜に、今まで静かにたたずんでいた茶々丸が淡々と言ってきた。

「誠亜さん。放っておいていいのですか?」

言われて誠亜は嫌々視線を飛びまわる神へと向けた。
飛翔もクライマックスに近づいているらしく、神の体はすっかりしぼんでもとの形が分からなくなり始めている。
それを見つめながら誠亜は半眼で呟いた。

「いやあれはもうどうにかなるもんでもないし」

「私は知らんぞ」

関わりを真っ向から拒否しながらエヴァンジェリンが続く。
その時丁度、神の体が開け放たれた窓から勢いよく飛び出していった。
そのまま神の体は天へと飛んでいくと、やがて大きな音と共に七色の光の粒をばらまいた。

その“花火”は先程までの神に気付かなかった者たちにも分かったのか、一時場が騒然とする。
どよめきの中、なんとも形容しがたい表情で、誠亜とエヴァンジェリンは呟いた。

「たーまやー」

「かーぎやー」











修学旅行二日目の夜。

生徒の一人が教師の一人に告白したりなどと、当人たちにとっては重大極まりない事件なども起こったりはしたが、おおむね問題なく二日目の日程は終えられた。
引率の教師たちにとっては今日はもう終わりにさしかかっている。
だが生徒たちにとってはこれからこそが本番だった。


嵐山ホテルは喧騒の中にあった。
ただでさえ修学旅行客が宿泊した際は、普段とは一線を画した忙しさに従業員は駆けずり回ることになる。
まあ、それでも大事な大量収入だ。
しっかり対応しなくてはならない。

それにこのホテルはよく修学旅行の宿泊地として利用されている。
従業員たちも比較的慣れたものだった。

今回の客、つまりは麻帆良学園女子中学校御一行に対しては、従業員は比較的楽観視していたと言っていいだろう。
なぜなら一日目は学生たちが意外にあっさりと眠りについたからだ。
ごく一部の従業員や客が「爆音を聞いた気がする」と首を傾げたぐらいで、これといった問題も無く一日目を終えた。

だがそれが間違いだったと身をもって知ることになる。
彼らは予期せぬハプニングによって酔い潰れていただけで、決して大人しい連中などではなかったのだ。

初日の分を取り戻せと言わんばかりに、各々が好きなように行動を始める。
怪談大会を開いて部屋に悲鳴を響かせるもの。
恋話に花を咲かせ、黄色い悲鳴をあげるもの。
果ては枕投げを始める者達。

騒ぎを見かねた教師が雷を落とすまで、さしたる時間はいらなかった。
引率の教師の一人である新田によって、部屋から出歩いている者を例外なくロビーに正座させることが宣言され、少女達は悔しげに己の部屋へと戻っていく。

だがこれで終わるはずがないのが3-Aだ。

今度はいったい何をしでかすのか、半分呆れて半分楽しみに思いながら誠亜はホテルの廊下を歩いていた。
既に消灯時間は過ぎている。
教師に見つかれば正座コースなのだろうが、あいにくとただの教師に捕まる程誠亜はのろくは無い。

(ああ、そういえば瀬流彦先生が居たな)

新田と共にいるところを観光中に見かけた穏やかな風貌の男性教師だ。
たしか彼も魔法使いだが、魔法使いが来るのはまずいのではなかったのだろうか。
ネギ一人でいい顔をしなかったと聞いたのだが。

まあやはり、さすがにネギだけに任せるには不安があったのだろう。
最低限の保険はかけておいたということか。

誠亜は改めて意識を研ぎ澄まし、周囲の気配を探った。
魔力を持った存在が幾つか。
いずれも知っている気配だ。
敵がいる様子は無い。

昨日の今日だが敵が来ないとは言い切れない。
警戒は必要だ。
現に今もアスナと刹那がホテル内を見回りしているはずだった。

誠亜は怪我をしたのだから敵が来るまで休んでいろと言われたのだが、正直怪我も殆ど治ったことだしやはり手伝った方がいい。

見回りのシフトに自分を入れるようネギ達に言いに彼用の部屋へと向かっていた誠亜だが、その扉が実際に見えてきたあたりで足を止めた。

そして怪訝な表情でネギの部屋から飛び出してきたその人物を見つめる。

男性の眼を例外なく惹きそうなグラマラスな体を白いスーツに包み込み、長い後ろ髪を三つ編みにして一つに纏めたその女性は、こちらを見て柔和な笑みを浮かべながら窘めるように言った。

「駄目ですよ。もう消灯時間ですから部屋に戻ってください」

その女性の温和な空気に知的な雰囲気をプラスしている眼鏡を無造作に伸ばした手でつかみ取りながら、誠亜は不思議そうに問いかけた。

「何やってんだ?朝倉」

彼女――源しずなの姿をした朝倉は、誠亜の言葉に一瞬頬をひきつらせた。
しずなにしては少しばかり仕草に落ち着きが足りないし、そもそも纏う空気が違う。
あの先生はまさに大人の女性の雰囲気を持っているが、今目の前にいるのは大人の女性の姿をした少女だ。

それによく見れば若干体の凹凸も小さいかもしれない。
これについてはもともと朝倉もその年齢にふさわしくないスタイルの持ち主なのではっきりとは言えないが。
ダイゴのように服の上から見ただけでスリーサイズを把握するような技能は誠亜には存在しない。

だが、はっきりと目の前にいるのは源しずなではないと言えた。
なぜなら、

「ダイゴが変装とか出来る奴なんで俺もある程度見抜けるんだよ。だから誤魔化しても無駄だぜ」

口を開きかけた朝倉の機先を制するように誠亜は言う。
それに観念したのか、朝倉は顔につけていた変装用のマスクを引き剥がした。
下から出てきた朝倉本来の顔には皮肉気な笑みが浮かんでいる。

「ばれたんならしょうがないわね。でもおかげで面白い情報も得られたわ。須藤大吾ダイゴさんって変装もできるっと」

驚くほどあっさりと表情を切り替えると、朝倉は懐から出したメモに文字を書き連ね始めた。
そのまま誠亜の懐へと一歩踏み込むと、手に持ったシャープペンの頭をマイクのようにしてこちらへと向けてきた。

「ついでにダイゴさんについての情報を貰えないかな?変装ってどれくらい上手いの?どこで覚えたの?他に何かできることは?」

矢継ぎ早に繰り出される質問に、誠亜は落ち着けという代わりに手をかざした。
視線を周囲に向けるが、助けになりそうな人間はいない。
消灯時間を過ぎているのだからしょうがないと言えばしょうがない。
この状況で出てくるとしたら、それは見回りに出ている教師たちぐらいだろう。

「先生に見つかってもしょうもない。一個だけ答えてやるよ」

表情を明るくしながら、同時に朝倉は不遜な笑みを浮かべた。
間違いなく誠亜の宣言した、一個だけなどという甘い条件を許すつもりはなさそうだ。
根掘り葉掘り全部聞き出すつもりなのだろう。

麻帆良パパラッチの名は伊達ではないということか。

だが、その笑みに対し、誠亜もまた気圧されることなく口の端を吊り上げた。

「朝倉は俺が転入してからたしか3回インタビューに来たよな?」

「そうね。まあ経歴不明の謎の転入生。記者魂が黙っちゃいないもの」

誠亜が女子中に入れられて間もないころ、教室だけでは飽き足らず、朝倉は何度か誠亜の部屋に突撃インタビューに来ていた。
すさまじい質問攻めは、誠亜に上手く躱しきれるものではなかった。
下手をすれば、言ってはいけない魔法方面の事まで口を滑らせていたかもしれない。

頷きながらメモを取る朝倉の向こうで、外の話し声を怪訝に思ったのかアスナがそっとネギの部屋の扉を開けて顔をのぞかせた。

誠亜はもう一度視線を朝倉へと戻し、彼女の眼がメモの上の文字へと向かっているのを確認すると、言葉と同時に音もなく走りだした。

「その内の2回は俺に化けたダイゴだ」

「へ?」

驚きに眉を跳ね上げた朝倉が顔を上げるが、そこにはもう誠亜の姿はいない。
風よりも速く駆けた誠亜は開きかけたネギの部屋の扉へと飛び込むと、走る際の足音と同じように、注意していなければ分からないほどの小さな音と共に扉を閉めた。

扉越しに廊下の方から、朝倉の悔しげな声が聞こえてくる。
ネタの源を逃したということと、ダイゴの変装にまんまとだまされた悔しさだろうか。
ルパン三世に憧れて覚えた、などというふざけたきっかけの割にはダイゴの変装は完璧だ。
素人に見抜けるはずもない。
多芸もあそこまで行くと一種の芸術である。

朝倉はしばらく姿を消した誠亜の姿を探していたようだが、少しすると彼女は軽い足音と共に駆け去って行った。

ネギに割り当てられた部屋では、ネギとアスナ、それに刹那が眼を丸くしていた。
畳敷きの和室の奥に小さなフローリングのスペースがあり、そこに洋風な椅子と背の低いテーブルがあるのは他の部屋と同じだ。
違うのは畳に敷かれた布団がネギようの一枚だけだということだろうか。

「どうしたんですか、誠亜さん。外で何を?」

「気にすんな。パパラッチを煙に巻いてただけだ」

パパラッチという単語から一瞬で朝倉の顔に行きついたのか、アスナが額に手を当てて呻いた。
同じように苦笑する刹那が誠亜に向かって口を開く。

「ところで誠亜さんは何故ここに?」

「ああ、俺もパトロールを手伝おうと思ってな」

誠亜がそう言うと、アスナは柳眉を下げて言ってきた。
その言葉には心配そうな空気がある。

「大丈夫なの誠亜?怪我は?」

その言葉に誠亜は制服の腹をたくしあげて見せた。
びっしりと『神』とプリントされた薄気味悪い包帯を解き、月詠に刺された傷が完全に塞がっているのを示す。

「そのギプスは?」

アスナが指差したのは、相変わらず誠亜の右手を完全に封じている純白のギプスだ。
誠亜はそれをぶんぶか振り回しながら不機嫌そうに言った。

「怪我はもう治ったのにどうやっても取れないんだよ。神の奴がなんか企んでるのかもな」

それを見たネギがほっと安堵の息を漏らした。
やはりいかに早熟とは言え、10歳の少年にはよく知る者が刃物で刺されたという事実は重荷になっていたのかもしれない。

「じゃあ誠亜さんは、どこか見晴らしのいい場所で外からの侵入者を警戒してもらえますか?誠亜さんの気配察知能力なら下手に歩き回るより有効かと思います」

刹那の言葉に誠亜はおうと頷いて返した。
なるほどたしかに、刹那の言うことももっともだ。
哨戒は刹那たちに任せ、誠亜はレーダーの役割を果たすということか。

刹那は刀の入った竹刀袋を背負い直すと、部屋の扉へと歩いて行った。
先程アスナがしていたように、扉を小さく開けて廊下の様子を確認する。
そして見回りの教師がいないことを確認すると、一度こちらへと振り向いた。

「それじゃあお二人とも、あとはよろしくお願いします」

「私達は木乃香の所に行ってるから。何かあったら連絡ちょうだい」

それに続いてアスナが言い、連れだって部屋を出て行った。
誠亜と共に彼女らを見送っていたネギは、おもむろに小さな卓を部屋の隅から持ってくると、そこに座りこんで手に持っていた物を並べだした。
真っ白な紙を直線で構成された大雑把な人型の紙だ。

そして右手に一本の筆を持つと、気合を入れ直すように腕まくりをする。
かなりの厚さに重ねられた紙の一枚を手元に引き寄せ、筆を下ろす。
紙の上を墨の突いた筆先が躍った。

書き記された文字は

「ぬぎ・すぷりんぐふぃーるど?」

読み上げた誠亜に、ネギは恥ずかしそうにはにかんだ。

「あはは。筆で書くとちょっと緊張しちゃって」

それについては正直誠亜には分かりかねる感覚だった。
基本的に、書道について必ず学ぶのは小学校だ。
中学高校に入って以降は、書道は美術や音楽と選択式になることも多い。

あいにく誠亜は小学校に行ったことが無いので、筆で何かを書くという経験があまりなかった。

誠亜を育てた祖父は、むしろ常日頃から筆しか使わない変わり者だったが、誠亜に筆を使うことを強要はしなかったので、誠亜自身は普通に鉛筆を使っていた。

「これも陰陽術か?」

この修学旅行の中で見かけた、カエルや燕などからそう推測して問う。
するとネギは積み上がった紙の一枚を手渡してきた。

「これは身代わりの紙型といって、名前を書くことによって一定時間身代わりに僕の振りをしてくれるものなんです」

いいながらネギは再び、紙型に己の名前を書き込んだ。
どうやら平仮名で『ねぎ・すぷりんぐふぃーるど』と書こうとしているようだが、実際に書きこまれたのは『み』と『ぬ』の混ざったみょうちきりんな字を含んだ文字列だ。

「あれ?うまくいかないなあ」

雪広あたりが狂喜しそうな可愛らしい仕草で眉根を寄せるネギ。
誠亜はそれを眺めながら顎に手を当てて言った。

「カタカナで書いた方がいいんじゃないか?」

外国人のネギには平仮名よりはとっつきやすいかもという軽い考えで言った言葉だが、ネギは一理あると感じたのか、今度はカタカナで書きだした。

しかし、またしても一文字目が違う文字になる。
『ネ』ではなく『ホ』になっていた。

「うーん」

腕を組んで唸るネギの手から左手で筆を取りあげると、誠亜は紙型を空いた指の先で引き寄せる。

「貸してみ。俺が書いてやるよ」

「面目ないです」

頭をかくネギに頬を緩めながら、誠亜が筆を走らせる。
そして出来上がった字は

「……?これ何て読むんですか?」

その文字を見たネギが不思議そうに首をかしげる。
ネギの問いに誠亜は憮然とした面持ちで答えた。

「これは魔界の文字だ。人間には発音できねえ」

言いながら、出鱈目な図形の集合と化している『ネギ・スプリングフィールド』を隠すように紙型をくしゃくしゃに丸め、部屋に備え付けの屑籠に放り込む。
その表情で全てを悟ったのか、ネギは苦笑と共にもう一本の筆をとりだした。

「ま、まあ、利き手じゃないと上手く書けませんよね。とりあえず紙型はたくさんあるからどんどん書いていきましょう」

慣れない筆。
しかもかたや利き腕で無く、かたや母国語でない。
同じように四苦八苦しながら何枚も書き連ね、二人がようやく『ネギ・スプリングフィールド』と読めるであろう文字を書けたのは数分たったころだった。

「思わぬ苦戦だったな」

「そうですね」

失敗の紙型で埋まりかけている屑籠を見ながら誠亜が呻くと、ネギも凝りをほぐすように肩をまわして頷いてきた。
ネギは筆を卓の端に置き、余った紙型を綺麗にまとめて筆の隣に配す。
そして唯一の成功例を手に持った。

「お札さんお札さん。僕の代わりになってください」

ネギの言葉にこたえるように、紙型が眩い光と共にネギそっくりの人形へと変わった。

「こんにちは。ネギです」

どこか呆けたような表情の紙型のネギが言う。
表情と雰囲気以外は本物と殆ど変りが無い。
余程注視しなければ、ばれることもないだろう。

「おお~、本当に僕そっくりだ」

感心したように偽物の姿を一瞥すると、ネギは杖を手にしながら言った。

「ここで僕の代わりに寝ててね」

「ネギです」

己の名前を言いながら頷く偽物。
返答パターンはあまり多くないようだ。
ネギの命令通り、布団の中に潜りこむ偽物の姿を見届けたネギは、誠亜の方に向き直る。

「それじゃあ僕はもう行きます。誠亜さんの方もよろしくお願いしますね」

「おう」

ベランダから飛び降りていくネギを見送った誠亜は、もう一度布団に入った偽ネギの姿を確認して己もベランダの手すりに足をかけた。

涼しげな夜風が髪を撫でていくのを感じながら、誠亜は手すりの上に立つ。

そこで何かの視線のようなものを感じた気がして一度振り返った。
その視界に移るのは布団の中からこちらをのぞく偽ネギの姿。

視線の主は偽ネギだったらしい。
釈然としないものが残っていないわけではないが、漠然としたそれがなんなのかはっきりとせず、誠亜は結局何も言わずに大きく跳躍し、夜空へと消えていった。




















ネギも誠亜も立ち去った後の部屋。
一枚敷かれた布団の中で、偽ネギが微動だにせずに天井を見つめているその部屋で淡い光が漏れだした。

その出所は、先程ネギと誠亜が失敗した紙型を放り込んでいた屑籠だ。

そこで光と共に捨てられていた紙型が緩やかに人の姿へと変形していく。
屑籠は小さく、少年とは言え到底人が入れるものではない。
そんなところからネギらしき少年がつぎつぎと湧き出してくるのはかなり珍妙で不気味だった。

「ぬぎです」
「みぎです」
「ホギです」

水を吸って膨らむ乾燥ワカメを彷彿とさせるあり様と共に、屑籠が次々と偽ネギ達を吐きだしていく。

すると部屋はあっという間に偽ネギ達で埋め尽くされた。
大量の偽ネギがおしくらまんじゅうをしている異様な部屋において、唐突に布団がしまわれていたふすまが開いた。
そこから現れたのは腹の中心に半円状のポケットを備えた、青と白の未来から来たネコ型ロボットカラーの全身タイツに身を包むダンディなオヤジだ。

その自称旧世界の神は、偽ネギで溢れた部屋を一瞥し、自称新世界の神の浮かべそうなあくどい表情で言った。

「計画通り」

ツッコミを入れる者はいなかった。



[9509] 第49話 星空
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:8312353c
Date: 2010/06/06 21:46
神と俺のコイントス49-2








根城にしている廃屋の一室で、暗い表情で千草が呻く様に言った。

「それで」

リビングに無造作に置かれた、端の擦り切れたテーブルに肘を立てて彼女は額を押さえていた。

その部屋には他にも数人の人物がいる。
総白髪の幼い少年は胸の内を顔に映すことなく手元の古びた書物に視線を落としていた。
風化が進んでいて、少年――フェイトがページをめくるたびにパラパラと小さな欠片を落としている。
タイトルはどうやら漢字による物なようだ。
それだけなら日本の書という可能性もあるが、小さな但し書きまで漢字なので恐らくは中国語の本だろう。
彼はイギリスあたりを歩いていたほうが似合いそうな容貌だが、中国語も読めるのだろうか。
表紙にはくすんでしまっているが、もとは黄色だったのであろう色で禍々しい龍が描かれている。

部屋の端で背中を壁に預け、果物ナイフを片手にその刃の上に乗ったリンゴを睨んでいるのは髷を結った時代錯誤な男である。
刃の上に絶妙なバランスで乗ったリンゴだが、ナイフはそれほど鋭いものでもないのかリンゴの自重で刃に食い込むことは無かった。

その男、真木宗弥は千草の言葉に視線を向けた。同時に小さくナイフを揺らす。
それに合わせてリンゴが音もなくナイフをすり抜けて地に落ちた。
鮮やかな切断面を見せてリンゴが左右に倒れる。
真木はそれを果物ナイフで刺して口もとへと運んだ。

その視線に答えたというわけではないだろう。
千草の言葉はフェイトへと向けられていたのだから。

「月詠の様子はどないや?」

千草の言葉に、フェイトはめくっていた本を閉じた。
舞い上がったほこりから顔をそむけるように千草の方へと向き直る。

「内臓がやられている。治療術師が必要だね。とりあえず石化魔法で状況を止めたから時間が経っても悪化することは無いけど、あのまま戦線復帰はまず不可能だ」

その言葉に千草は深々と嘆息した。

「フェイトはんは治せへんのか?」

「難しいね。そちらに関しては僕は門外漢だ。あなたの方で手配は?」

問いを返したフェイトに、千草はかぶりを振って答える。
その顔には落胆の色がうかがえた。

「手紙やないんや。今日連絡して明日届くってわけにはいかんえ」

そして時間をかけ過ぎるとターゲットを含む学生たちは麻帆良へと帰ってしまう。
千草は気のない表情で残りの二人へと声をかけた。
正直期待はしていない。

犬上小太郎も真木宗弥もそんな強力なコネを持っている人間には見えない。
持っていたとしても、相手がこちらに手を貸してくれる人間である必要があるのだ。
誘拐という悪事を行おうとしているこちらに。

案の定首を横に振る小太郎。
一方その横では、真木が顎に手を当てて虚空を見上げていた。
その仕草は、意外にも心当たりがありそうなものだった。

「某の知り合いに腕のいい医者がいて、たいていの怪我なら治してくれそうだが」

「ホンマどすか?」

見出した希望に表情を明るくする千草。
それに真木は真顔で頷きながら、

「怪我を治すついでに目からビームが出るよう改造されるかもしれんが、それでもいいなら」

「それはもう医者じゃないだろう」

真木の言葉の途中でテーブルに突っ伏した千草に代わって、フェイトが半眼でツッコミを入れる。
その言葉に対し、真木は不思議そうに言ってきた。

「医師免許は持っていたぞ」

「そういう問題では」

「手書きだったが」

「……偽造だね」

深い深い、海溝よりも深そうな溜め息が場を流れる。
突っ伏したまま、呻き声のような声を上げたのは、千草だ。

「つまりは月詠抜きで行かないけないわけやな」

「敵は4人なんやろ。月詠の姉ちゃん抜きでも俺ら4人や。西洋魔術師なんて者の数や無いし、どうにかなるんやないのか?」

そう言うのは、犬の耳を頭に生やした少年だ。
彼もまたフェイトと同じぐらい幼く見える。
野性味あふれる表情を不満げに歪めたその表情。
それは今回の戦いに参加できなかったせいだろうか。

それにしても西洋魔術師は物の数ではないとは大きく出たものだ。
あまり油断されすぎても困るのだが。

この犬上小太郎という少年。
西洋魔術師など雑魚だという妙な偏見を持っている。
接近戦重視の護衛を倒してしまえば、呪文を唱えさせずに殴り倒してしまえばいいと。
だが、無論魔法使いが接近戦が不得意であるなど単なる一般論に過ぎない。
剣の扱いにたけた魔法使いだっていくらでもいるだろうし、拳で闘った方が強いものだっているかもしれない。
レベルが高い者になればなるほど、オールラウンダーになっていくものだ。

千草が何か一言言っておこうとすると、それよりも早く真木が口を開いた。

「西洋魔術師もピンキリだろう。お前さんの言うとおり接近戦はからっきしのも多いが、そうでないのもいくらでもいる」

言いながら彼が指差したのはフェイトの方だった。

「たとえばそこのフェイト殿。私見だが恐らく今ここにいる者の中で一番強いぞ。まだまだ未熟なお前さんや、一点特化が過ぎる某などより余程な」

「未熟呼ばわりか。言ってくれるやないか」

侮辱ととったのか、不機嫌そうに小太郎が唸る。
そして見せつけるように右拳を握った。
それに対し、真木は苦笑と共に手を振る。

「いやいや。気を悪くしたのなら謝るよ。だがそこのフェイト殿に比べたらお前さんは未熟なのは事実。いうなればシェパードとチワワだ」

「ほっほおう」

わざわざ犬に例えて言う真木に、小太郎が身を僅かに前傾させて唸る。
それは獲物にとびかかろうとする獣のよう。
相対する真木もまた不敵な笑みと共に静かに構えを取った。
なぜか構えているのは刀ではなく、リンゴの刺さった果物ナイフだが。

「喧嘩なら後にしい」

ぴしゃりとそう言い放ったのは千草だった。
彼女は頬に汗を一筋流しながら、己の前、テーブルの上に並べられた呪符を睨みつける。

その言葉に真木も小太郎も動きを止めた。
小太郎はやはり不満そうだが、真木は泰然としたものだった。
それを確認した千草は再び口を開く。

「整理するで。最大の障害はあの狼女と神鳴流剣士。これは間違いないな」

この時点ではまず間違いは無いだろう。
ハリセン女の持っていた、式神を一撃で送り還す力は気になるところではあるが、やはり気になるのは神鳴流剣士の完成された安定性と、狼女の圧倒的な爆発力だ。

だが、それを目の当たりにしていない真木と小太郎にはあまり想像はつかないようだった。
真木は怪訝そうな表情で眉を寄せ、小太郎は

「神鳴流は分かるんやが、その狼女って方は強いんか?そうやったらいっぺんやり合ってみたいもんやな!」

獰猛な笑みを浮かべて拳の素振りを始める小太郎。
その眼には、歯ごたえのある敵との血沸き肉躍る戦いへの渇望があった。
鋭い拳撃が幾度となく空を裂き、なぎ払うような回し蹴りが突風を生む。

それを見たフェイトが無表情に呟いた。

「やめておいた方がいいと思うけど。一応忠告しておくと彼女、一度妙なブーストを行うと人間の体ぐらいなら簡単に破壊しそうなパワーを出していたよ。戦うとしたらまともに攻撃を受け止めては駄目だろうね。ガードごと砕けるから」

その言葉に小太郎が素振りの動きを止めた。
凍りついて冷や汗を流し出した小太郎を一瞥して千草は嘆息すると、一度咳ばらいをした。
小太郎も気を取り直したように千草の方へと向く。

「ウチはあの技を封じるには、回りに人のいる状態で仕掛けるんが一番やと思うんやが」

そう言うとともに視線を巡らせ、異論はあるかと問いかける。
石柱を受け止めたあのパワーも恐るべきものだが、最も封じなくてはならないのはあの突進だと千草は判断したのだ。
先の戦いでも、己の発生させた衝撃波で木乃香嬢を傷つけぬよう、手数を消費していた。
一般人でなくとも味方が近くにいるだけで迂闊には使えなくなる技だろう。

千草の問いかけに真木は肩をすくめ、小太郎は腕を組んで首を傾けた。
やはり一度目の当たりにしないと釈然としないのだろう。
一方、フェイトは僅かに眉根を寄せて口を開く。

「あの突進を封じるにはいい判断だけれど、僕は逆に異空間に誘い込んだ方がいいと思う」

千草はそれに怪訝そうな表情をした。
異空間であの女とこちらだけしかいない状況を作ってはあの技が使い放題ではないのだろうか。
その千草の疑問に答えるように、フェイトは続ける。

「彼女の恐ろしさは、ずば抜けたパワーとスピードだ。けれどそれはずば抜けていてもただのパワーとスピードでしかない。空間をどうこうするという方面には弱いだろうからね。僕としてはもう一つ警戒しておきたいのが……」

そこでフェイトは一度言葉を切ると、真木の方をちらと見た。
真木が怪訝そうな表情をする。
フェイトはそれを見て小さく嘆息した。

「ロキだ。悪ふざけだけして何も手を出さないなら特に問題は無いが、正式にあちらに加勢されると厄介極まる。未知数にも程があるでしょう?」

サルのきぐるみを着て騒いだり、巨大ロボットを操る姿を思い出したのか、千草は深刻な頭痛に襲われたようにこめかみを揉み解した。

「真木。あんた確かあの変態と一戦交えたんやったな。どうや?何か分かったことはあるか?」

その問いに真木は苦笑いを浮かべると頭をかいた。

「いや情けない話だが、某は瞬殺されたからな。あまり大したことはわからん。しいて挙げるなら」

そう言って真木は打って変わり真顔になると、

「バナナの皮には気をつけろ」

表情のままの真剣な声で言った。








第49話  星空








ホテル嵐山の中を幾つもの気配が駆けまわる。
こっそりと、そして時に大胆に。
就寝時刻は既に過ぎ、あたりは完全に闇の帳が降りている。
点々と配された街灯の光と、空の月と星がかろうじて地上を淡い光で包んでいた。

新田によって落とされた雷で一度は収まったと思いきや、やはり我らが3-Aは全くめげることなく何か始めたようだ。

実際に動きまわっているのは10人かそこらだが、それ以外の面々も決して眠っていなかった。

「何やってるんだあいつら?」

風間誠亜は怪訝な表情で呟いた。
狼のような鋭い目つきの二十歳ほどに見える女だ。
吹き抜ける風が彼女の腰ほどまでの長さのある黒髪をそっと揺らす。
顔にかかる髪を手で払いのける彼女が仰向けに横たわっているのは、ホテル嵐山の屋根だった。
わざわざ掃除に来るものがいるわけでなし、綺麗とは言い難いがかといって人が来る場所でもないのでそれほど汚くもない。
横になるのに問題は無かった。

感じる気配は全員、クラスメートなり従業員だ。
怪しい気配は無い。

誠亜は体の力を抜いて息を吐くと、意識を空に向けた。
真っ黒な空には月が白々と浮かび、思い出したように星々が小さな輝きを放っていた。
その数は正直いってあまり多くないが、それでも都会の方に比べればずっと多いのだろう。
そういえば夏よりも冬の方が星はよく見えるんだったか。

誠亜はそっと左腕を持ち上げた。
巻かれていた包帯は、既に傷が完治したため外されている。
ほっそりとした指を大きく広げ、まっすぐ腕を伸ばして夜天にかざした。
指の隙間から覗く星空には月が鎮座し、その周りに幾つか星が煌めく。

「たまにやる仕草だが、なんなのだそれは?」

降りかかって来た声に顔を上向かせて己の頭上を見ると、そこには『ハッブル』と書かれた三角巾を頭に巻いた神が立っていた。
動きやすそうな格好でさらにモップを持った姿はまるで掃除婦だ。

なんと答えたものか。
誠亜が答えを探していると、神は小さく肩をすくめて己も空を見上げた。

その表情が神らしくない真剣なものに見えて、誠亜は眼を瞬かせた。
神は表情が乏しいわけではない。
むしろ表情豊かだが、そこには常にどこかふざけた空気が付随していた。

だが今の神の顔に浮かんでいるのは、からかう色も何もない、そのままの神の感情。
それが意外で、誠亜は答えを返すことも忘れてその顔を凝視していた。

「お前は星が好きなのか?」

答えを返さない誠亜に対し、神はそれを気にした風もなく次の質問を投げてきた。
誠亜はようやく我を取り戻したように意識を空へと移す。
そして並び光る星々を見つめながら答えた。

「前にエヴァンジェリンにも聞かれた事があったが、確かに好きだな。特に多ければ多いほど」

「そうか」

神は短く相槌を打つと、誠亜がやるように空へと手をかざした。
ただ誠亜と違うのは、彼女の仕草が星を掴もうとするようであるのに対し、神のそれはまるで星を視界から隠そうとしているかのようだった。

「……私は嫌いだ。特に多ければ多いほど」

その声の中に込められた、ちっぽけな人間と同じような嫌悪と畏怖に、誠亜は今度こそ眼を見開いて驚きを示した。
言葉を失う誠亜に、神は怪訝そうに片眉を跳ね上げる。

「なんだ?」

「いや、なんか意外な気がして。……なんで嫌いなんだ?しかも多ければ多いほど」

神とて心のある存在。
好き嫌いぐらいあって当然だが、星などどうでもいいとは感じても嫌いになる理由があまり無いと思うのだが。
まあ他人の好き嫌いほど理解しがたいものは無いとも言うぐらいだが、やはり気にはなった。

誠亜の問いに神はその表情を一瞬歪めると、自嘲の笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
一言一言噛みしめるように。

「星空が私にとって、魂の芯まで突き刺さる恐怖と絶望を想起させる、終焉の象徴だからだ」

常に、全てを、笑い交じりに煙に巻くこの男の言葉とは思えない、その言葉。
誠亜は不思議と、いつもの仕返しにからかってやる気にはならなかった。

真剣な表情で黙る誠亜に対し、神は自分で肩をすくめると問いを投げてきた。

「お前は何故星が好きなんだ?しかも多ければ多いほど」

普通に考えると美しい満天の星空を好きなことに深い理由など無いだろう。
だが、神の言葉の後に続けるならばそんな言葉は無粋だろう。

誠亜はかざした指の隙間から見える星を見据えながら淡々と答えた。

「星空が俺にとって、魂の芯まで響く憧憬と歓喜を思い出させる、高みの象徴だからだ」

言う誠亜の脳裏に蘇るのは幼い日に見た光景。
夜天という黒いキャンバスに光る砂をまんべんなく敷き詰めたかのような満天の星々。
鮮烈に焼きついた風間誠亜の、否、風間誠次の始まりの空。

「憧憬、か。宇宙飛行士になりたかった、などということではないのだろう?」

「ああ」

答えながら誠亜は苦笑した。
確かに星空に憧れたなどと言えば、宇宙飛行士と結びつけるのも無理はないだろう。
だが、もしそうなら誠亜は「仙人を目指している」などとは言わない。

「俺がまだまだ小さかった頃、事故で両親が死んだ。その時に親戚の人が俺を慰めるためにこう言ったんだ。『お前の両親は星になってお前を見守っている』ってな。ガキだった俺はそれを真に受けて、引き取ってくれた祖父の家のある山で日が暮れてからずっと空を見てた」

「見えたのか?」

神の言葉に誠亜は苦笑を口もとに刻むと軽くかぶりを振る。

「いんや、ぜんっぜん見えなかった。そんな曇ってるわけでもないのに星一つなくてな。おまけに新月だったせいで月すら見えなかった。ツイてねえだろ?」

「ツキだけにな」

にやりと笑って、こちらの投げたボールをしっかり打ち返してくる神に、誠亜もまた小さく笑い声をもらした。
あの時はどうしようもない虚無感に、ただぼうと空を見上げていた。
親を失ったということにいまいち実感が持てず、ただただ空虚なこころを抱えて無言で。

0時を回り、子供が外にいていい時間をとうに過ぎ、それでもなお帰る気が起きずに寝そべっていた。

「そのときだ。突然人の気配がしてな。俺に向かって聞いてきたのさ。『星が見たいか?』ってな」

声の主は見ていない。
だが、地の底から響くような低い声で、森の一角が微かに淡く緑色に光っていたのを覚えている。
そして自分がなんと答えたのかも。

「俺は答えた。とびっきりの星空が見たいって。そうしたらどっかから指を鳴らす音が聞こえてきた」

誠亜の瞳に熱がこもった。
その瞬間に覚えた熱情が再びこみあげたかのように、興奮した声音で続ける。

「そしてその瞬間、空は満天の星空になった。見渡す限り全ての空が、冗談みたいに綺麗な無限の星々で埋め尽くされてな。そいつが去ると星空も消えちまった。俺のした『お前は誰だ』って問いにそいつが去り際に答えたのが」

「仙人だったというわけか」

そう答えを先に言った神に、誠亜は頷いて返す。
それに対し神は、誠亜に向けていた視線を空に向けると大きく息を吐いた。
落ち着きのある声で言う。

「子供だったお前に希望を与えてくれたその仙人に憧れて、同じものを目指したわけか。そしてお前もまた別のだれかに希望を与えるのかな」

この男の発したものとは思えない穏やかな声。
その声に紡がれた言葉に、誠亜は表情を消して天にかざしていた左手を下ろした。

そして笑った。

「俺はそこまでいい子ちゃんじゃねえよ」

神は、自嘲を含んだ皮肉気な誠亜の声に振り向くと、彼女の顔に浮かぶ禍々しい凶笑に驚愕を瞳に浮かべた。

構わず誠亜は獰猛に、凶悪に嗤いながらギプスに包まれた右腕を天にかざす。

「今になって考えりゃ、あれはただの幻術の一種だったんだろうよ」

そして力を込めた。
鈍い破砕音と共に右腕のギプスが粉々になった。
無理やり破壊されたせいで、ギプスに込められていた魔力が一斉に噴き出し、あたりを強烈な風で揺らす。
内側から現れたのは傷一つない誠亜の右腕。

五指をぴんと伸ばし、限界まで広げた手を天にかざして誠亜は言葉を紡ぐ。

「だがあの時の俺にはまるで、星空をゼロから作ったように見えた」

広げた右手の五指をかぎ爪のように曲げ、天を掴むように力を込めていく。
その鬼気迫る笑みと気迫に、神は言葉を紡ぐこともできずに唖然として誠亜の顔を見つめていた。
誠亜の見せた己が内の深いところの一つを。

「そのとき思ったのさ。そんな力があれば、何を敵に回そうとテメェの大事なもんを何一つ奪わせずに守りきれる、と」

そして次の瞬間、誠亜の眼が見開かれ、右手が強く握りしめられた。
それは星を掴もうとするというより、星を握りつぶそうとしているように見えて。

何を感じたというわけでもない。
その行為に何か意味があるわけでもない。

魔法の発動を感じたわけでも、魔力や気による何らかの技の行使を感じたわけでもない。
だがそれでも神は弾かれたように空を見上げた。

何も起こっていない。
当然だ。
起こるわけがない。
自分でも理由のわからない安堵に微かな戸惑いを覚えた神の耳に、誠亜の低い声が届いた。

「俺は……」

低い声だ。
誠亜は女性としては低めの声だがそんなものではない。
明らかな、低い男の声。
もっと言うならば、誠亜が神によって女に変えられる前。

誠亜の喉が紡ぐ声が、“風間誠次”の声に聞こえて、神は凍りついたように顔を空に向けたまま眼だけで誠亜を見た。
その姿は変わらず女のまま。

だが、

「宙を創り、宙を壊す」

その声は紛れもない風間誠次の声。
呆然とする神の前で誠亜が静かに、だが力強く宣言する。

「「そんな高みまで俺は登りつめる」」

その声は誠亜と誠次の混ざったものだった。
呆気にとられた神の前で誠亜は跳ねるように飛び起きた。

そして神をひたと見据え指差すと、今まで神が見たことのあるものの中で最も凶悪な笑みを浮かべた。

「宣言するぜ。まずはお前だ。お前を超えて、俺は極みへと駆け上がる」

その声はもう、神の聞きなれた女声に戻っている。
その言葉に神は一度大きく呼吸する。
再び神が眼を開いた時にはその表情は神らしい、あるいはエヴァンジェリンあたりが浮かべそうな不敵なものになっていた。


そして右手を天に掲げ、高らかに指を鳴らす。


それに合わせ、上空のみで吹き荒れた風がホテルから見える空に浮かぶ雲という雲を吹き散らした。
発された自壊命令が大気中の不純物を悉く消滅させ、一時的にこの場の空を遥か秘境に匹敵する清純な空気へと作り替える。
京都の街の家々や街灯の放つ光は空に吸い込まれる前に中途で消失し、街灯は道をしっかり照らしているにもかかわらず、ホテル嵐山の屋根より上の高度が驚くほどの暗さに包まれた。

その果てに見えてきた光景に誠亜が眼を見開く。
その顔に対し、神は泰然とした態度で以て言い放った。

「空を作り、空を壊す……か」

空を埋め尽くすような満天の星空を背に、腕を組んだ神が厳かに告げる。
その右手が己の服を打ち捨てると、下から出てきたのは白いローブを幾重にも纏った神の姿。

「ではまずこの域からだ」

その姿は神と言うにふさわしい威厳に満ちていた。
あたりの動物や植物、果ては風までもがかしこまったように音を立てるのをやめる。
澄んだ静寂の中で、神は言葉を紡ぐ。

「まずはここ。力を弱めた今の私の座す域まで登ってくるがいい」

己の始まりの空の下で、誠亜は答えた。

「上等……」







[9509] 第50話 深みのあるフランス風味
Name: すちゃらかん◆1dfe3026 ID:8312353c
Date: 2010/06/23 19:03
神と俺のコイントス







ホテル嵐山へと続く一本の道。
日もすでに暮れて久しいせいかかなり薄暗いが、点々と配された街灯によってかろうじて最低限の明るさは確保されている。
そこを一人の少年が歩いていた。
周囲にさりげなく視線を巡らせながら、足早に歩を進める。
その背には布に包まれた一本の大きな杖が背負われていた。
大の大人ぐらいの長さのあるその杖は、小さな少年の体には酷く不釣り合いに見えるが、彼の所作には杖に振り回されるような所は無い。

少年――ネギ・スプリングフィールドは、ふと空を見上げた。
そこには星ひとつ輝くことのない暗い空が広がっていた。
まるで地上と空の間に天井を挟まれたかのように天には光一つない。

その様が己の心中を映し出しているように思えて、ネギは小さく嘆息すると、自分の手を見下ろした。
不健康に細いわけでもない、年相応の手だ。
そう、年相応に頼りない小さな手である。

それを再認識して、ネギは今度は深く嘆息した。
自分は弱い。

先の戦いで痛感したことである。
桜通りから始まったエヴァンジェリンとの戦いでも感じたことだ。
だが、あのときはネギも必死に食らいついた。喰らいつくことができた。

今回はどうだ。
自分は何の役にもたっていない。
フェイトに最後の一撃を加えたのは自分だが、それも風間誠亜の機転あってこそだ。

(僕は……弱い)

今のままでは足手まといにしかならない。
それは魔法使いとして、教師として、そして男として受け入れがたいことだった。

強くなりたい。
ネギの胸の内に、その思いが少しずつわき上がってきていた。

強くなるためには何が必要か。
それを考えたとき、ネギの体に先の戦いの時の感覚がよみがえった。
誠亜によって付与された魔力の力。
ネギの体を守ると同時に、内側からその小さな拳に籠る力を強めるあの感覚。

魔力なら自分にも使える。
魔力を纏うという行為をパクティオー無しに行うという発想は無かったが、誠亜がそれをネギに気付かせてくれた。

(誠亜さんに魔力の扱いを……いやあの人に聞いたら論理性皆無の感覚のみの上に成り立つやり方を教えられそうだし、ここはやっぱり自分で……)

さりげなく失礼なことを考えながらも、ネギの頭脳は自己への魔力付与というテーマを与えられ、急激に活動を高めていく。
様々な方法が脳裏を駆け抜け、その利点と欠点が次々と羅列されていく。

そのせいだろうか、ネギはそれに気付かなかった。

ネギの行く手を塞ぐように人影が立っていた。
ネギと同じぐらいの背格好。
そのシルエットに一瞬襲撃者の中の白髪の少年を思い出し、ネギは身を強張らせた。

だが眼を凝らして見るとその髪の毛は白ではなく赤。
服も学生服じみた白い服ではなく、子供サイズのスーツだった。
重ねて言うならばネギ自身が着ている物と同じ。

ネギはその人影が自分と同じ顔をしていることに気付くと、安堵と共に疑問を覚えた。
身代わりには自分にあてがわれた部屋でネギの振りをするよう言ってあった。
それが何故ここにいるのか。

「どうも。みぎです」

思考に集中し過ぎていたのが悪かったのだろう。
彼はその身代わりが己の方へと歩み寄ってきていることに気付かなかった。
結果として、ネギは悪夢を見ることとなったのだ。








第50話  深みのあるフランス風味







まともなローブ姿の神が指を鳴らすと、地上からの光を遮っていた力の膜が取り払われた。
ホテルの天井に立つ誠亜の眼に、街の光が再び入る。
それに気を取られた誠亜が聞こえてきた足音に振り向くと、そこには踵を返して去ろうとしている神の背中があった。

特に止める理由もないので、誠亜はそれを見送ろうとしたが、ふと浮かんできた疑問を口にする。

「そういえば一度聞きたかったんだが」

誠亜の言葉に足を止めた神は、肩越しにこちらを見ると軽く顎をしゃくって続きを促した。
尊大な態度なのだが、普段と違ってまともな服装をしているせいで、それが違和感なく見えるから困る。

「なんで俺だったんだ?面白そうな奴っていったら、俺じゃなくてもよかっただろう?」

神は初めて会ったとき、面白そうなクラスに面白そうな奴を入れてもっと面白くする、と言っていた。
だが、それで何故自分に行きついたのか。
自分より面白そうな奴ぐらい、いくらでもいると思うのだが。

確かに転入当初は常識の欠如や価値観のズレのせいでかなり問題を引き起こしたが、“面白い”問題かと言えば首を縦に振れないのが現状だ。

神は体ごとこちらに向き直ると、腰に手を当てて瞼を下ろした。
しばしの間黙考し、そして答える。

「打てば響く、というところか。私の悪戯に良い反応を示してくれそうで、かつそれを乗り越えられる精神力と体力を持ち合わせている、というのが大きいな」

「それは褒められてると考えていいのか……?」

何とも言えない表情で眉根を寄せる誠亜に対し、神は意地の悪い笑みを浮かべた。
その笑みに憮然とする誠亜に対し、神は興奮した馬を鎮めるような仕草で手をかざす。

「加えるなら、お前が分からなかった、というところも大きい」

続く神の言葉に、誠亜は片眉を跳ね上げる。
自分を調べて何か都合がいいと感じたから、自分を選んだのではないのか。
その疑問を聞くまでもなく察したように、神が答えてくる。

「私は、生まれたときは全知全能だった。紆余曲折あって、全知とは切り離されることになったが、一度はあらゆる知が私の内にあったのだ。その中には未来に起こりうる無限の可能性もあった」

神はそこまで言うと、肩をすくめてかぶりを振った。

「結末が分かっていては喜劇も面白さが減ずるだろう。長い時の中でほとんど忘れたとはいえ、ふとしたことで記憶が蘇ることもある。前後の出来事というきっかけがあればなおさらな。そこで見つけたのが、お前だ」

「俺?」

指差された誠亜は、驚きに目を見開くと自分でも己の顔を指差した。
神はそれに頷き、

「全知の中において、お前という存在の情報が著しく欠損していたのだ。未来も過去も何一つ情報が無い。かろうじて残っているのは『今』と『肉体』のみ。それもどこまで完全か分かったものではないがな」

「俺の情報が無い?それじゃあ『全知』じゃねえじゃねえか」

「耳が痛いな。だがまあ、そのおかげでお前というファクターを入れることで騒動の成り行きを分からなく出来るわけだ……おっと、時間か」

そう言って神はローブの袖をまくった。
腕時計を見るためによくする仕草だが、まくられた袖から顔をのぞかせたのは腕時計のリストバンドにつけられた高さ40センチほどの柱時計である。
金縁の丸い文字盤の下で、盛大に振り子が揺れていた。
柱にかけられず、腕につけられているのだから、あれも腕時計と呼ばなくてはならないのだろうか。
正直どうみても柱時計だが。

そんな誠亜の胸中の呟きとは裏腹に、神は真面目な顔で言ってきた。

「悪いが私はもう行かせてもらう。マル神習字教室の時間なのでな」

「何だよそれ」

嫌な予感しか感じないその名前に、誠亜は憮然とした表情と声で問いかけた。
だが、神はまるで当たり前のことを説明するかのように、ごく普通の口調で言ってくる。

「聞いての通りの習字教室だ。教師は私。最終的には半紙に書かれた『神』という字から私の分身がにょきにょき生えてくるような字を会得させるつもりだ」

「災厄を振り撒くな。全国の習字教室と習字という文化そのものに謝れ」

誠亜は疲れたようにそう呻くと、ふと気付いたように眉間にしわを寄せて訝しむ。

「ん?なんで全知の中の俺についての情報が欠損するんだ?おい、神……」

自分の拳に落としていた視線を再び上げると、そこには神の姿はもう無かった。
その唐突な消失に誠亜は軽い驚きを顔に浮かべるが、それ以上気にしてもしょうがないと考えたらしい。
小さく鼻を鳴らすと屋根へと腰を下ろそうとした。

その時だ。
誠亜の片膝が屋根との間で起こした音に重なるように、小さな物音が誠亜の耳に届いてきた。
座るのをやめて周囲を見回すが、怪しい人影は無かった。
いや、一つだけ。
ホテルの屋根の縁に、小さな手が一つついていた。
子供の手だ。
その手が予想通りの小さな体躯を引っ張り上げる。
まず見えてきたのは鮮やかな赤毛。

子供で赤毛というとやはりネギだろうが、今彼は見回りに言っているはずだ。
気配的に近づいてきているのを感じてはいたが、ここまで接近された覚えは無い。

だが、とぼけた表情で縁から上半身をのぞかせたその姿はやはりネギと同一のものだった。
ネギ意外でネギの姿の者が存在するとすればそれは、

「身代わりの式神か?でもなんでここに」

疑問の声と共にその“ネギ”のもとへと歩み寄ると、誠亜は“ネギ”の首根っこを掴んで持ち上げた。
やはり身代わりの式神だ。
本物に比べて気の抜けた表情だけでなく、その体を構成する氣の流れからして本物のネギではない。

だが、身代わりは今ネギの部屋で寝ているはず。
そうでなくては身代わりの意味がない。

「お前何やって……」
「誠亜さん」

詰問の声を遮って偽ネギが口を開く。
その真剣な表情に、不本意ながらも鍛え上げられた誠亜の面倒事への直感が警鐘を鳴らしていた。
その予感を裏付けるかのように、ネギの手が誠亜の肩を掴む。

一瞬それに気を取られた誠亜が再びネギを見ると、その顔がかなり大きくなっていた。
俗に言う目と鼻の先というやつである。
ともすれば鼻の先が触れあいそうな近距離だった。

偽ネギが異様ともとれるほどに真剣な表情でこちらを見つめている。
整った顔立ちのネギにこんな距離で見つめられたら、普通の女子はやはり胸の高鳴りを覚えたりするのだろうか。

そこまで考えて、誠亜はホレ薬事件の時に感じた高揚感を思い出して身を震わせた。
そもそも、たとえもと男という誠亜は無論のこと、クラスの女子たちとて10歳の少年に胸ときめかせたりはしないだろう。
いや、実際にどうかは本人達に聞いてみないと分からないが。

ネギに告白したという宮崎のどかあたりならともかく、少なくとも誠亜には少年趣味はない。

だからだろうか。

「キス、させていただきますね」

そんな恐ろしい言葉と共に顔を近づけてきた偽ネギに対し、誠亜のとった行動は極めて素早いものだった。
脊髄を駆け上がるような悪寒と共に、偽ネギの首根っこを掴んでいた手を離す。
そして空いた両の手を左右に伸ばし、渾身の力で目の前の偽ネギの頭に叩きつけた。

偽ネギが犯行に出る寸前で、その利発そうな顔ごと、頭部を左右から挟みこむように叩きつぶす
誠亜の腕が生んだ強大な筋力が偽ネギの頭を見事なまでに四散させた。
血などは出ない。
風船でも割るような気軽さで偽ネギの体は砕け散り、しぼむようにもとの紙型へと戻っていく。

戦々恐々とした面持ちでその様を見つける誠亜の耳に、紙型の最後の声が届く。

「どうも、ホギ・スプリングフィールドでした」

「ホギ?」

首をかしげる誠亜。
ネギではなくホギ。
いったいどんなパチモンだというのだ。
まるで、似せた名前にすることで勘違いした客に商品を売りつけようとする偽ブランドのようだ。

しかし、部屋で寝ているよう命じられていたはずの身代わりが、勝手に出歩いた上に唐突にキスを敢行しようとするとは。
いったい何が起きたというのだ。

万が一、この偽ネギが向かったのが自分ではなかったら、かなり面倒なことになっていただろう。
ネギに強引に迫られれば宮崎ぐらいは受け入れてもおかしくない。
告白一つであれだけ困惑しているネギだ。
これ以上こじれようものなら頭がメルトダウンしてもおかしくない。

雪広なんかに行きついた日には、そのままキャッチアンドマリーになりかねない。

「不幸中の幸いってやつか」

頭をかいて、誠亜は皮肉げに口の端を吊り上げた。
風に舞う紙型を掴み取る。
頭の無くなったそれを指でつまむと、半ばふざけるように呟いた。

「意外と字が下手なのが原因だったりしてな」

右手をギプスに封じられた誠亜と、意外と日本語の字の下手なネギの書いた字だ。
字が正しい意味を持たなかった、などという可能性もないとは言い切れない。

自分達ながら、いったいどんな下手な字を書いたものやら。
誠亜は何気ないしぐさで紙型を裏返した。
そこに書いてあったのはネギの名前だった。
だが、一つだけ文字が違う。
本来『ネ』と書かれているはずの場所に『ホ』の文字があった。

それを目にした瞬間、誠亜ははっとしたように顔を上げた。
先程の偽ネギは何と名乗っていた?
そう、ホギだ。
そして自分は何の偽ブランドだ、と冗談交じりに考えた。

「誰がんなもんを……」

つくったんだ、といいかけて誠亜は息をのんだ。
軽く顔を青ざめさせて目を見開く。
そして数秒後、顔を手で覆うと低くうめき声を上げた。
悔恨の情を練り込んだかのような声で、

「俺たちの書いた失敗作……!」

書いては失敗。
書いては失敗。
それを繰り返して失敗した物は全て部屋の屑籠に放り込んだ。
それらが暴走して、無差別接吻破廉恥存在と化しているとしたら。

「これはまずいぞ。果てしなく。緊急元凶会議が必要だ」

真顔で言うとともに、元凶二号、すなわち誠亜は周囲へと意識の網を伸ばした。
改めて広げられた誠亜の感覚網に、元凶一号、つまりネギの気配が引っかかる。

運がいい。
どうやらパトロールから一度戻って来たところだったらしい。
ホテルからほんの数百メートルの所まで来ていた。

誠亜はそちらへと向き直ると、体に気を纏って疾走。
そして一息に跳躍した。

放物線を描いて地面へと吸い込まれていく誠亜の体。
取り立てて背の高いホテルというわけでもないが、それでも3階はある建物の屋根からの飛び降りはそれなりの勢いを生んだらしく、着地と共に誠亜の足もとが軽く砕けた。

舞い上がった粉塵を手で振り払いながら、誠亜は声を張り上げる。

「ネギ!緊急事態だ!ネギ……」

言葉と共にネギの気配のある方を向いた誠亜。
その目に飛び込んできたのは、一歩遅かったのか偽ネギによって悪夢の接吻攻撃に容赦なくさらされている本物のネギの姿だった。

「き、緊急事態だぁ!」

「んううううう!!」

一歩退いた誠亜に対し、ネギがうめき声による抗議を上げる。
呻き声というのは他でもない。
口を塞がれてしまっているからだ。

しかしまあ、ずいぶんとまあ強烈に濃厚なキスを浴びせられているネギ。
頭にフランス風とか深いとかつきそうだ。
男女でこれをやっていたらそれはそれでインパクトはあるが、男同士、しかも同じ顔でやられているその行為に、誠亜は茫然と立ち尽くした。
精神的ショックで思考が止まったと言ってもいい。

はっと我に返った誠亜が最初に感じたのは、このままではまずいということだった。
精神的ダメージというのは侮れない。
ネギがカモにそそのかされて茶々丸を襲った際に起きたあの悲劇がそれを証明している。
パンチラには物理的破壊力ないにもかかわらず、ネギ達は絶大なダメージを受けて戦闘不能に陥ったのだ。

もしいまここで偽物を引っぺがしたとして、残ったネギは無事で済むか。
答えは否だ。

少しばかり人より回転の鈍い頭をフル回転させて、誠亜は打開策を探りに探った。
逸らした視界の外からなんだか生々しい音が聞こえてくるが、無駄に優れた集中力で以てそれを排除する。

数秒して、誠亜は天啓を得たように目を見開いた。
だがその方法は正直言って簡単な方法ではない。
成功には大きな幸運が必要となるだろう。
誠亜は神にでも祈ろうかと考え、脳裏に晴れやかな笑顔で浮かんできたセーラー服のダンディ親父に、一発アッパーを打ち込んでからそれを中止した。
代わりに仏様に軽く祈ってから拳を握りこむ。

そして地面のうえで重なって蠢いているネギと偽ネギの頭を見下ろすと、裂帛の気合と共に拳を振り下ろした。

「メモリーブレイカアアアアア!!」

風切り音を残して空を疾駆した拳が偽ネギの後頭部を痛打し、砕きながらその向こうのネギの頭部にまで衝撃を貫通させた。
ネギに直接拳は当てていないが、それでも偽物越しに受けた衝撃はネギの脳を激しく揺らす。

軽い爆発と共に空を舞う紙型を素早く掴み取り、ネギの目に留まらないよう誠亜はそれを握りつぶしながら後ろの方へと放った。

ふらつきながら立ち上がったネギに、可能な限り明るい笑顔と共に語りかける。

「大変だったなネギ。危うく偽物に頭をバリバリ齧られて脳髄吸われる所だったんだぞ」

「なんてグロテスクなフォロー入れるんですか!むしろ怖いですよ!というか記憶飛ばせてませんからね!古いテレビゲームじゃないんですから、衝撃を与えたぐらいで都合よく記憶は消えたりしませんよ!わざとらしいフォローがかえって心の傷を塩まみれの手で抉ってますうわああああん!!」

泣きながら捲し立て、同時に激しく両手を上下に振り回す。
パニック気味のネギが落ち着くのを待ち、誠亜はおそろおそる声をかけた。

「大丈夫か、ネギ?なんか一瞬薔薇っぽい光景が見えた気がするが」

「薔薇ですか。僕は地獄を垣間見ましたよ」

どこか薄暗い輝きを灯した瞳で、ネギが陰鬱に呟く。
誠亜はその肩にそっと手を置くと、

「心中お察しして後で歯磨きセットを買ってやろう」

「ああああ。普段とは明らかに違う誠亜さんの優しさが棘になって突き刺さるぅぅ」

「歯磨き粉は薔薇の香りで」

「慰めると見せかけて追い打ち!?」

「いや、優しさが突き刺さるとかいうから。まあそんなことは置いておくとして」

「そんなこと!?」

素っ頓狂な声を上げるネギに対し、誠亜はネギの額に掌を乗せると真下に向かって押さえつけた。

「とにかく落ち着くんだネギ。事態は切迫していると言っていい」

誠亜の真剣な表情に、ネギも幾分か表情を和らげて口をつぐんだ。
単に背骨にかけられた加重に声も出ないだけかもしれないが。

誠亜はネギの頭の上に乗せていた手をのけてやると、重々しい声で告げた。

「どうやら身代わりの札で造ったお前の偽物が暴走しているらしい。原因は不明だが、言えるのは暴走しているのは一体だけじゃないってことだ」

「一体だけじゃないって。身代わりは一体しか……あ!まさか書き損じの!」

さすがに天才少年らしい回転の速さで早くもその結論に達するネギ。
それに頷いて答えると、誠亜は拳を握った。

「ヤバいことになったぞネギ。考えてもみろ。もし俺たちの書いた書き損じが全部暴走して、片っぱしから女の子たちにキスをしかけているとしたら」

「ま、まずいですよ。そんなことになったら……」

誠亜の言葉に、その先にある結末を想像したのか、ネギが顔に焦りを浮かべた。
誠亜もまた同じように胸中の焦燥を表すように頬に一筋の冷や汗を浮かべながら、

「ああ、ネギの頭が弾け飛ぶ可能性があるな」

「えええええええ!!」

予想を遥かに超える物理的ダメージに、ネギが驚愕の悲鳴を張り上げた。
同時に自分の頭を両手で押さえる。
まるで爆発しそうになるのを抑えるように。

「なんで爆発するんですか!?」

詰め寄って顔を近づけてくるネギに対し、先程の偽ネギによるキス未遂の影響で、条件反射的にその顔を叩きそうになるのを抑えながら、誠亜はネギの顔の前で人差し指を立てた。

「いいかネギ。もし暴走した身代わりたちが、さっきの偽ネギがやったことを無差別にやろうとしていたら。お前が受けたのと同じ精神的ダメージをあいつらが受けるかもしれないということだ」

「た、確かに」

「加えるなら、異性間の場合男同士とは違う、極めてシリアスなダメージが生じてしまう可能性がある。ダメージが倍になると考えてみろ!」

「倍!?そ、それは」

「無論、そこまで話が大きくならない可能性もある。たとえばお前がまだ幼い子供だということや、お前に対するあいつらの好意がプラスに働いた場合だ」

顔を青ざめさせるネギに対し、誠亜は安心させるように優しく言葉をかけた。
その言葉にネギが表情を明るくするが、誠亜はそれを撃ち落とすかのように即座に言葉のコークスクリューを放つ。

「だが、お前に好意を抱いていた場合も新たな問題が発生する!それはあいつらが本気になってしまった場合だ!考えてもみろ!身代わりが雪広に件の行為を行ったら!明日にゃお前、白いタキシード着ていいんちょと一緒に教会にいるぞ!宮崎の告白一つで知恵熱出してた奴が、そんなことになったら!しかも複数!お前頭弾けても不思議じゃねえ!」

「ひいいいいい!!」

涙目になって頭を抱えたまま後ずさるネギに、誠亜は腕を組んで仁王立ちして告げた。
朗々とした声が夜の静寂を揺るがす。

「ネギ!元凶たる俺達が今やらにゃならんことはただ一つ!これをやり遂げられなければ後は無い!だが言い換えれば、これをやり遂げ、クラスの奴らの乙女の純情その他を守り切れれば問題無し!」

「おお!」

今度こそ提示されそうな希望に、ネギが誠亜同様に意気込んで詰め寄った。
その顔は偉大な指導者についていこうとする民衆のようで、

「我らの使命はただ一つ!身代わりたちが犯行に及ぶ前に一つ残らずサーチアンドデストロイ!」

「デストロイ!」

まあ実際の所、何気なくやったことが大惨事とはいかないまでも中惨事を引き起こしそうだと知り、追いつめられて思考力が減退しているということだ。
ネギも、そして妙にハイに見える誠亜も。

誠亜は力強い足取りで後ろを振り返り、闇の中にそびえるホテル嵐山を睨みつけた。
その横にネギが並ぶ。

二人の表情は、魔王の城へと挑む勇者のよう。
無意味に気合を入れてホテルを見つめるその姿はひどく滑稽なのだが、今のところ双方それには気づいていないようだった。

「行くぞ」

「はい」

長い黒髪を風に揺らしてまっすぐ立つその姿は、力強さを感じさせる。
隣に立つネギもまた、小さいながらも強い決意をその背中に宿していた。

白々と輝く月に聞かせるように、誠亜が拳を天に突き上げて吼えた。
それに合わせてネギも声を張り上げる。

「ネギ狩りじゃああああああ!!」
「ネギ狩えええええええええ!?」

雄叫びと悲鳴が開戦の狼煙だった。









お久しぶりなすちゃらかんです。
なんというか災難にあいっぱなしな気がするネギ。
学園祭編でネギがアスナにしでかすはずのアレが何故かネギ本人の身に。

おかしいです。
自分、ネギのこと嫌いじゃないのに気が付いたらいじめてる気がします。

神俺のネギは魔法の上達よりも先にアクシデント耐性とツッコミ技能が身に付きそうです。
これでいいのか自分?と少しばかり自問しとります。


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