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社説

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衆院代表質問―これでは判断ができない

 首相の交代は単なる看板の掛け替えか、それとも政治の中身も変わるのか。鳩山政権のどこを引き継ぎ、何と決別するのか。菅政権が発足して初の国会論戦の焦点は、その点にあった。

 だが、きのうの衆院代表質問での菅直人首相の答弁は納得のいくものではなかった。このまま通常国会を閉じてしまうのでは、判断材料もないのに参院選で審判を下せと有権者に迫っているに等しい。再考を求めたい。

 菅首相は財政再建に取り組む姿勢を鮮明にしている。子ども手当の満額支給はあきらめ、財源は保育所の充実などにあてる。超党派の「財政健全化検討会議」の設置を呼びかける。

 そうした姿勢は、鳩山政権に比べれば大きな前進であり、看板だけでなく政治の中身も変わりそうだという期待を有権者に抱かせている。

 しかし、代表質問で菅首相は、3年間の歳出の枠組みを示す「中期財政フレーム」や中長期的な「財政運営戦略」も、経済の「新成長戦略」も今月中に示すと述べるにとどめた。

 消費税増税についても「数日のうちにはマニフェストという形で提起できる」と答えるのみ。材料がなければ、議論の深めようがない。

 そもそも国会の会期延長をめぐる民主党の対応は、鳩山前政権までの悪弊を脱していない。

 首相交代時の慣例となっている予算委員会審議を十分確保するためにも、一定期間延長するのが筋だった。

 民主党は参院選の投開票日が変わらないよう1日だけ延長し、衆参で1日ずつ予算委員会を開く選択肢を野党に提示していた。不十分な延長だが、その提案さえきのう撤回してしまった。

 一問一答形式で論戦を交わす機会を一度も設けないのでは、ボロが出ないうちに参院選を迎えることを狙った党利党略と言われても仕方がない。

 今国会では採決の強行が繰り返された。そんな乱暴な政治手法を菅政権はいの一番に改めなければならない。

 与野党間で丁寧に議論を積み重ね、可能な限り合意を探る。財政健全化検討会議を始動させることができれば、その一歩となるはずである。

 自民党の谷垣禎一総裁が、民主党のマニフェスト撤回が前提としつつも「超党派の議論が必要だ」と指摘し、菅首相が「ややこしい条件を抜きにして一緒に議論しよう」と応じたのは、その芽吹きとみることもできる。

 なのに、その芽をみずから摘むようなことをしてはならない。

 首相交代は看板の掛け替えに過ぎないという野党の難詰に、首相はきのう「これから実際に何が実行されるかをよく見ていただきたい」と応じた。

 だとするなら今からでも遅くはない。わずかでも会期を延長し、予算委員会での論戦に臨んでもらいたい。

政治とカネ―「小鳩」の沈黙を許すな

 民主党の小林千代美衆院議員がきのう、議員辞職を表明した。昨夏の総選挙での違法献金事件の責任をとった。関係者への有罪判決が続き、鳩山由紀夫前首相から「責めをぜひ負って」と名指しされていたのだから辞めるのは当然であり、むしろ遅すぎた。

 鳩山政権を痛撃した「政治とカネ」の問題を、多くの有権者は「民主党よ、お前もか」との思いでみていた。退陣する鳩山氏が「クリーンな政治を取り戻そう」と呼びかけたら、民主党への支持率が一気に回復したのは、この問題への関心の深さを表している。だからこそ、菅政権が首相交代や小林議員の辞職で一件落着のような態度をとっていいわけがない。

 だが、きのうの衆院代表質問で首相は、うしろ向きな答弁を繰り返した。

 たとえば、小沢一郎前幹事長の問題だ。政治資金規正法違反事件で、衆院議員の石川知裕被告ら3人の元秘書が起訴されている。本人は嫌疑不十分で不起訴となったが、検察審査会で「起訴相当」を一度議決され、いまも審査中だ。本人が衆院の政治倫理審査会にすら出席しない現状は許し難い。

 それなのに首相は「幹事長辞任」をもって「政治的には大きなけじめをつけられた」と述べるばかり。検察審査会での審査中を理由に踏み込んだ発言を避け、国会招致も「国会でお決めをいただきたい」としか言わなかった。

 毎月1500万円を母親からもらっていた鳩山氏に関しても同様だ。元秘書の有罪が確定したのに、鳩山氏は何の説明もしていない。「裁判が終わった暁には、できる限り皆様方に使途を説明したい」と語っていたのは何だったのか。これにも菅首相は「総理を辞任されたことの意味は極めて重い」と答えただけだ。

 首相が本気でこんなふうに考えているとしたら、「菅さん、あなたもか」というしかない。新政権への期待も損なわれるだろう。

 荒井聰国家戦略相の事務所費問題も「政治とカネ」に対する緊張感が欠けている事例だ。合法だからいいとか、領収書を出さなかった自民党よりもまし、といった対応ではなさけない。

 われわれが「政治とカネ」にこだわるのは、それが昨年の政権交代に至る政治改革の原点だからだ。

 思い返せば、1988年のリクルート事件が政治に金権腐敗の根絶を迫った。あれから20年余を経て政権交代にたどりついた。それなのになぜ、まだ政治は不透明なカネと縁が切れないのか。この原点をないがしろにしては、政治が信頼されるわけがない。

 このままでは参院選で「政治とカネ」がまた問われる。各党が自浄能力を示せるのかどうか。

 有権者はうんざりしながら目を光らせている。

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