田中龍作

 鳩山由紀夫首相が半年がかりで“公約”を実現した。これまで大新聞やテレビ局などに限られていた首相記者会見を26日からネットメディアやフリーの記者にも開放したのである。

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鳩山内閣総理大臣記者会見・3月26日午後16時~17時、撮影・塩田涼


 鳩山首相は「国民の声をもっと広く聞くために記者会見をオープン化した」と胸を張った。開放と言ってもカッコ付きである。大メディアによって構成される内閣記者会と彼らが所属する社の記者席は95席。これに対して日本インターネット報道協会、フリー、雑誌協会の割り当てはわずか18席だ。ネットは1社1席と制限された。フリー記者は資格を厳しく吟味され、ふるいに掛けられた。ネット記者もフリー記者も質問はできるが内閣記者会が優先される。

 それでもネットメディアとフリーの記者は2人ずつ指名された。ビデオニュース・ドットコムの神保哲生氏は会見のオープン化が省庁によってマチマチであることを指摘した。鳩山首相は「それぞれの省庁によって事情がある…」とかわした。

 筆者は官邸の調整能力のなさを指摘した。普天間、郵政などをめぐって鳩山内閣が迷走するのは、官邸が機能していないからだ。「個人の能力を超えたことを平野官房長官に求めるのは酷だし、国民にとってはもっと悲劇だ。平野官房長官をチェンジすることは選択枝にないのか?」と首相に質した。

 官邸との慣れ合いの上に立つ記者クラブの質問はまどろっこしくて仕方がなかった。これでは国民に真実を覆い隠すようなものだ。記者クラブの弊害である。官房長官に対する個人攻撃のような質問はしたくなかったが、筆者はあえて問うた。慣れ合いの枠を壊さなければ、ジャーナリストによる「記者会見」とは呼べないからだ。

 質問に対して首相は「官房長官は一生懸命やっている…」などと答えた。鳩山氏らしい緩いコメントだった。 

 鳩山氏は野党代表の頃から「民主党が政権を取ったら記者会見をフルオープンにする」と宣言していた。政権発足初日の昨年9月16日、筆者やジャーナリストの上杉隆氏ら総勢7名は、記者会見に出席するために首相官邸に足を運んだ。
 
 自民党政権下では、権力と一体化した記者クラブにより情報が独占されていた。政権交代により広く情報が開示される。『市民メディアにも活躍の場が与えられる』。こう思ったのが間違いだった。会見に出席しようとしたが、官邸の受付で「許可がない」と言われて追い返されたのだった。

 中堅の民主党議員によれば、記者会見の開放をめぐって大メディアから平野官房長官に圧力があった。「記者会見をオープン化すると内閣記者会として鳩山政権には協力できない」と。

 平野氏は「今は内閣記者会と戦争をするわけには行かない」として記者会見を閉ざすことを決めたのだった。

 ネットの普及などにより国民の多くは「官製・横並びの記者クラブ発ニュース」の胡散臭さに気付き始めている。それでも記者クラブという既得権益にしがみつく大メディアは、環境の変化についてゆけず死滅したマンモスを思い起こさせる。

 大新聞やテレビの記者たちには、そうした自覚などないのだろう。朝日新聞の記者は「そもそも記者会見は内閣記者会の主催という経緯がある」とこだわった。記者クラブの中でも最も権威的と言われる内閣記者会の威厳を誇示して首相やその周辺にクギを刺したつもりなのだろう。時代錯誤も甚だしく滑稽でさえあった。

 2010年3月26日、首相官邸での総理記者会見にネットメディアやフリーの記者18名が初めて参加した。フルオープン化に向けて第一歩は記された。


関連記事:【映像】鳩山内閣総理大臣記者会見(2010年3月26日)
http://www.janjannews.jp/archives/2944649.html


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