2009.12.08

【NEW・完全修正版】親愛なる友へ!! 「大山倍達の遺言」について… Part2

物書きは因果な商売である。原稿書きが死ぬ程苦しい癖に、もう体力の限界値を越えている! 精神的飽和状態を迎えていると解りながら、何故か何でもいいから文章を書いて「クールダウン」を図ろうとする。それは、中毒と言ってもいいのかもしれない。
原稿執筆に疲れ果て、気が狂いそうな状態から「脱出」する為にものを書く…。実に不可解なのだが、現実だから仕方がない。
以下の文章も前日掲載した内容と大きくダブる。当然だ。今の私は寝ても覚めても「大山倍達の遺言」の事しか頭にないのだから。というより面倒な他の事は、この際一切考えない事に決めている。
某会の総会稽古も目の前に迫っている。勿論、某会は私にとってかけがえのない「兄弟」たちとの交流の場だ。極真会館の空手を基本に、芦原英幸「直伝」のサバキ、特に裏サバキと、その原点となった大日本武徳会系柔術の技術によって体型立てられている青水流は何があっても残していきたい。
だから極真会館を中心に極真系格技の黒帯、猛者連中が危険極まりない稽古に自ら身を投じてくれているのだ。
青水流に関して私の「夢」は、極真会館館長である我が悪友にして兄弟の松井章圭氏に筋を通し、極真会館と良好な関係のもとでの道場設立だ。
しかし、今の私にはそれどころでない。某会の今後の活動や展開については、取り敢えず最高師範、次席師範、更には幹部たちの合議に委ねておこうとお願いしている。
…まだ仕事の途中ではあるが、明日は極真会館の某重鎮の師範との会合、食事会を控えている。仕事は早めに切り上げ、既にクールダウンの態勢に入りつつ。このコラムを書いている。
繰り返すが、内容は昨日のコラムと重複する。我が友に送る書簡の形で書いた文章を再構成させたものである。
その点をご理解頂きたい。



俺、マジでヤバいかも…。
眠れないのだ。
睡眠導入剤を何個飲んでも1時間で目が覚めてしまう。
頭の中にはいつも原稿がモヤモヤ渦巻いている。
考える事が山ほどあって、腹立つ事も腐るほどあって、オマケに減量中だから食べたいものが好きに食べられず、かなりの欲求不満が蓄積している。
だいたい今日は何月だ!?
何曜日だ?
今は何時なんだ!?
「大山倍達正伝」を書いていた頃から俺は一切季節感、時間の感覚さえ喪失してしまった。倅は「まだあの仕事のリハビリが終わってないのに色んな事があり過ぎたからだ」と言う。
かといって、この半年。俺は殆ど生産的な仕事をしていない。ろくに文章も書いてないのだ。
今になって何かの呪縛から解き放たれたようにPCに向かい出したのだ。まるで強迫観念に襲われるように仕事仕事仕事、原稿原稿原稿…。
原稿書かないと!!

怠惰の罪。
partnerの苦労を理解せずに過ごしてきた罪。
大切な事柄をpartner任せにし、後回しにしてきた罪。
驕り!?
これらのツケが一度に押し寄せてきたのだろう。
終わらない!!
どうあがいても約400枚。第6章は終わらない。オリジナルは200枚弱だったか!? 構成骨格は申し分ない。さすがに俺のpartnerだ。





partnerは徹底した客観的なReportage、documentaryとして本編を書き上げた。つまり「作品」としては十分だ。だが俺は「商品」としての彩りを、花を加えたいと思った。
partnerは勿論、全て資料や証言に基づき「事実」のみを追求しつつ本編を仕上げた。俺はその「事実」の全てに資料や証言を加えたいと思った。
「大山倍達の遺言」は、ともすれば一文毎に「事実無根」と批判する奴らが多数出てくるのが安易に予想がつく。そんな奴らが何も言えないように客観的な資料と証言で「事実」に完全武装しなくてはならないと思った。
何もかも「嘘」だと言う奴らの「嘘」を封じなければならない。一分の隙も許されないと俺は「大山倍達の遺言」という作品の特殊性に拘った。
人間たちの醜く打算や権欲にまみれた争い事を、その原点から争いの過程まで、また表面的事実の地下で蠢く異次元の争い…。
裏の裏まで抉っていかなくては真実は見えてこない。
俺たちの義務は、「ある戦争」の一部始終を、事実のみならず背景や暗闘も含めて全てを明るみにしなければならないところにある。まだ完全に「戦争」は終焉していないが…。
こんな醜悪な人間劇でないならばpartnerのようなすっきりした文章の方が数段読みやすく読後感も悪くないだろう。実に綺麗な文章をpartnerは書いてくれた。
にも拘わらず俺が手を加える度に文章は汚れ、読者の苛立ちは加速化していくだろう。だが、そこにこそ「真実」があると俺は確信している。吐き気がするほどに愚かな魑魅魍魎らによる権謀術数。表面の裏に隠れて闇の策士を気取る奴のまたその裏で、面従背反を企てる連中。騙し合いの連続…。
俺は何としても極真会館分裂騒動の地下に葬られ、封印されようとしている「事実」を白日の下に晒したいと願った。

予想を越えて苦しい作業だ。
Reportageである。documentaryなのだ。
私たちが1つの事象について良い悪いと評論するものでは断じてない。善悪が明白でも、私たちはそこには口を挟まない。可能な限りだではあるが。
全ての判断は読者に委ねるのだ。「真実」の所在も読者に任せればいい。その為の正しい材料を提供するのが私たちの指命なのである。

だから手法が「大山倍達正伝」とは全く違う。徹底的に「事実」のみを追うReportageに徹しようと最初はpartnerと合意した。だからpartnerの文章は映画のように澱みなく流れていく。
でも…。
「それは嘘の物語に過ぎない!」と批判されたらどうする?
確実に「作品」としてはpartnerの文章の方が完成度は高い。だが読者の多くが批判の声を上げた時、記者会見でも開いて資料やデータを提出するというのか?
ならば最初から有無を言わせぬデータをぶちこむしかないのでは!? 俺とpartnerは対立してなどいない。ともに悩むのだ。
そして俺が文章をどんなにグチャグチャにして混乱させても最終的に綺麗に地ならししてくれるのもpartnerだ。だから今の俺は事実を裏付ける証言や資料をやっきになってぶち込んでいる。だが、あまりにぶち込むデータが多過ぎる。
更に言うならば、それらの証言資料が事実を伝えているのか!? 他の資料と比較検討しながら整合性を求め、真偽を正さなくてはならない。

物書きの作業は、そんな疑問や葛藤との闘いでもある。凡人の俺独りでは到底手に追えない。partnerあってこそ可能になるのだ。
「大山倍達正伝」の制作執筆も辛さの連続だったが、まだ書いていて楽しかった。「大山倍達の遺言」は不快感との闘いだ。書き終わっても達成感はないだろう。
ただ俺たちは、このままだと闇に葬られて忘れ去られ、いつしか善人が悪人の烙印を押され、悪人が善人として伝説となる…危険な間違いを糺し、「歴史」を残すという大義名分だけは果たせそうだ。否、それが物書き冥利というものかもしれない。

いつか、本当の「正義」に生涯を捧げたような人物の生涯を追う、爽やかなReportageを書いてみたい…。
俺の些細な夢である。


(了)

samurai_mugen at 07:08│clip!駄文