2009年12月7日 2時30分 更新:12月7日 3時0分
旧日本海軍の大将ら幹部47人が、太平洋戦争を振り返った膨大な証言記録を旧海軍OBらで構成される団体が保管。来年春の刊行を目指し、準備を進めている。戦後、公の場に出ず「沈黙の提督」と呼ばれた井上成美(しげよし)、嶋田繁太郎元大将らが後輩の元軍人の聞き取り調査に応えたもので、昭和海軍の実像を伝える貴重な資料だ。【栗原俊雄】
記録を保管しているのは、旧海軍OBらが構成する財団法人「水交会」(東京都渋谷区)。1956~61年ごろ故・小柳富次元海軍中将らが聞き取り、冊子にしたもので「小柳資料」と呼ばれる。全44冊、400字詰め原稿用紙で約4000枚。元大将が10人、中将が30人(うち陸軍1人)。
嶋田元大将は戦後、外部の取材には一切応じなかったという。だが小柳元中将に対しては能弁で、1941年12月8日の真珠湾奇襲成功後、衆議院で戦況を報告した際に議員の「感激熱狂振(ぶ)り」をみて「これからが難しくなるのだ。肩に重荷を感じ、胸つまる思いであった」と当時の心境を述べている。
また山本五十六連合艦隊司令長官と親しかった井上元大将が、「(山本が)対米作戦に自信がないと云(い)うことであれば、職を賭しても太平洋戦争に反対すべきであった」などと山本の言動を批判している。
栗田健男元中将は1944年10月、連合艦隊が敗れたレイテ沖海戦で主力艦隊を率いた。当初の目的、米軍輸送船団砲撃の寸前まで迫りながら撤退したことが海戦史上の「謎」とされている。栗田は艦隊が連日、米機動部隊の空襲を受け「敵の制空権下では水上部隊の戦闘は成り立たないと思った」と証言。またフィリピンの味方航空部隊が想像以上に脆弱(ぜいじゃく)だったと振り返った。「謎」をとく一つの鍵になりそうだ。
水交会では「小柳資料」は非公開だったが、後世の研究に役立ててもらおうと刊行を決めた。資料の写しは防衛省防衛研究所(東京都目黒区)で01年ごろから順次公開されている。
昭和史が専門のノンフィクション作家、保阪正康さんは「身内に話すという安心感からか、外部には口を閉ざし続けた元軍人たちが、驚くほど多くのことを語っている。昭和の日本海軍の全体像をうかがわせる資料だ」と話している。