2009.12.07
【NEW12/7】 親愛なる友へ!! 「大山倍達の遺言」について…
某月某日
夜空に浮かぶ星に打ち明けよう
この世を去っていく人々の愛情を
ある時は憎しみで意識して遠避ける
狂い始めている歯車にかじりつき
家族を乗り越えたけれど
家族を乗り越えたけれど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
希望を打ち荒ぶ風に打ち明けよう
これから消えていく情熱の行く先を
裏切りが見えた時、恋人は泣き叫ぶ
初めての嘘の後、絶望と結ばれる
人生に躓いた夜
人生に躓いた夜
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
世界中濡らす雨に打ち明けよう
真実が時に不真面目と寝る事を
人間が走り争いが起こる
美しい夢は唇で渇れ果てる
現実と立ち向かっても
現実と立ち向かっても
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
時に追われている自分に打ち明けよう
正直の真似をして、これ以上生きられぬ
この命ただ1度、この心ただ1つ
俺を許してくれ
俺を許してくれ
人間と呼ばれてるけど
人間と呼ばれてるけど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
吉田拓郎の「俺を許してくれ」という歌です。
先日、また大切な人間を失いました。理由はともかくきっとアイツは私を憎んで去っていったのでしょう。
神様に授けられた縁で私のfamilyに入った人間が、例え相手に罪がありtroubleがあったにせよ、何故こうも簡単に離れていくのか!?
監督不行き届きなんてものではなく、きっと全て私の責任に違いありません。
私は人間嫌いです。
私の快活さや微笑みは、自分が気付かないところでマヤカシだと見破られていたのかもしれません。
私は偽善者を憎み、偽悪者を好み、また自身も偽悪者と信じてきました。しかし本当の私は偽悪者ではなく単なる「悪人」に過ぎないのかもしれません。
私は人間嫌いです。
他人に心を開かないのが私の本性です。だからこそ、私は「family」や「兄弟」を信じたいと願ってきました。
幼少時代から孤独の辛さを身に滲みて体験してきたから、私は人嫌いになり自分の殻に閉じ籠るようになりました。外見だけは陽気に振る舞いながら…。
確かに矛盾しています。
しかし、そんな私だからこそ、心の奥底では孤独を畏れ信じるものを渇望してきたのかもしれません。
堪らないほど寂しいです。
眠れないほど悔しいです。
仕事も空手も、人生には壁が付き物です。例え遠回りをしても苦労して前に進むしかないのです。精一杯努力する。努力する事も才能ですが、これも踏ん張り這い上がる事で身に付く能力なのです。
何故、簡単に人生との闘いを放棄してしまうのか!?
辛い時、苦しい時には必ず手を差し伸べると言ってきたにも拘わらず、理由にならない理由を作り、逃げる大義名分を無理に主張して離れていく。
人生は苦しく辛いものです。しかしその苦難に真っ向勝負するしか道は拓けないのです。
しかし…、そんな能書きばかり繰り返す私がウザったいのかもしれません。世の中には貧乏でも家庭的問題を抱えても、リストラに怯える毎日を送っていても、現状に満足している人も多いのでしょう。だから「味方」がいつしか「敵」となり私から離れていくのです。
過去、私のもとから去った皆さんに!
私を許して下さい。
全て私の未熟さ故に招いた結果なのです。
私を許して下さい。
冒頭で紹介した吉田拓郎の歌は、まさに今の私の為のメッセージだと自戒を込めて…。
某月某日
身体中が熱くて喉が渇いて目が覚めた。
今は何時だろう?
また寝て仕事に備えなくてはならない。いい加減に放蕩していた罪の報いです。
「大山倍達の遺言」…。
完全に遅れています。せっかくpartnerが一生懸命書いてくれた原稿を放りっぱなしにしていた贖罪の意味も込めて…私は今こそ自分の限界に挑むのです。
合計1500枚になるかもしれない。核となるpartnerの原稿に膨大な証言や資料を埋め込む作業。「大山倍達正伝」も最初は合計原稿用紙計算で1400枚程度あったものを500枚くらい削った記憶が…。しかし、何とかして証言や資料によって事実をより鮮明にしたいと私は思うのです。
既に15年も前、今や忘却の彼方に押しやられようとしている極真会館分裂騒動。私利私欲に狂った連中がいったい如何なる陰謀を働いたのか? どうすれば、あこれ程愚かな裏切りに次ぐ裏切りが繰り返されてきたのでしょうか…。もはや「悲劇」というより「喜劇」と言った方がいい一連の複雑怪奇な騒動劇。
書くのが厭になる。
うんざりする。
だが、辛くてもやるしかないのだ。私たちは「歴史」を記録する役目を担っているのだから。
批判や敵は増えるだろう。
しかし真実を書けるのは私とpartnerしかいない。
深夜、PCに向かい、資料を見ていると死にたいほどの孤独感に悩まされる。
独りでは何も出来ない男です。partnerがいるから頑張れた。痛いほどpartnerの大切さがわかりました。
とにかく今は「大山倍達の遺言」に専念しよう。この大津波を乗り切れば、きっと先に何かが見えるはず。
精一杯に頑張る!!
信じる事に向かって精一杯に頑張る。狂うほど頑張る。だが孤独だ。
その孤独を忘れるために俺は原稿を書きながら物書きの孤独に逃げる。逃げてはいても、それは自らの肉体と精神との闘いだ。
物書きは自らの才能を蝕みながら作品を生む。もう宿命に委ねるしかない。
また寝ます。
夜空に浮かぶ星に打ち明けよう
この世を去っていく人々の愛情を
ある時は憎しみで意識して遠避ける
狂い始めている歯車にかじりつき
家族を乗り越えたけれど
家族を乗り越えたけれど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
希望を打ち荒ぶ風に打ち明けよう
これから消えていく情熱の行く先を
裏切りが見えた時、恋人は泣き叫ぶ
初めての嘘の後、絶望と結ばれる
人生に躓いた夜
人生に躓いた夜
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
世界中濡らす雨に打ち明けよう
真実が時に不真面目と寝る事を
人間が走り争いが起こる
美しい夢は唇で渇れ果てる
現実と立ち向かっても
現実と立ち向かっても
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
時に追われている自分に打ち明けよう
正直の真似をして、これ以上生きられぬ
この命ただ1度、この心ただ1つ
俺を許してくれ
俺を許してくれ
人間と呼ばれてるけど
人間と呼ばれてるけど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
吉田拓郎の「俺を許してくれ」という歌です。
先日、また大切な人間を失いました。理由はともかくきっとアイツは私を憎んで去っていったのでしょう。
神様に授けられた縁で私のfamilyに入った人間が、例え相手に罪がありtroubleがあったにせよ、何故こうも簡単に離れていくのか!?
監督不行き届きなんてものではなく、きっと全て私の責任に違いありません。
私は人間嫌いです。
私の快活さや微笑みは、自分が気付かないところでマヤカシだと見破られていたのかもしれません。
私は偽善者を憎み、偽悪者を好み、また自身も偽悪者と信じてきました。しかし本当の私は偽悪者ではなく単なる「悪人」に過ぎないのかもしれません。
私は人間嫌いです。
他人に心を開かないのが私の本性です。だからこそ、私は「family」や「兄弟」を信じたいと願ってきました。
幼少時代から孤独の辛さを身に滲みて体験してきたから、私は人嫌いになり自分の殻に閉じ籠るようになりました。外見だけは陽気に振る舞いながら…。
確かに矛盾しています。
しかし、そんな私だからこそ、心の奥底では孤独を畏れ信じるものを渇望してきたのかもしれません。
堪らないほど寂しいです。
眠れないほど悔しいです。
仕事も空手も、人生には壁が付き物です。例え遠回りをしても苦労して前に進むしかないのです。精一杯努力する。努力する事も才能ですが、これも踏ん張り這い上がる事で身に付く能力なのです。
何故、簡単に人生との闘いを放棄してしまうのか!?
辛い時、苦しい時には必ず手を差し伸べると言ってきたにも拘わらず、理由にならない理由を作り、逃げる大義名分を無理に主張して離れていく。
人生は苦しく辛いものです。しかしその苦難に真っ向勝負するしか道は拓けないのです。
しかし…、そんな能書きばかり繰り返す私がウザったいのかもしれません。世の中には貧乏でも家庭的問題を抱えても、リストラに怯える毎日を送っていても、現状に満足している人も多いのでしょう。だから「味方」がいつしか「敵」となり私から離れていくのです。
過去、私のもとから去った皆さんに!
私を許して下さい。
全て私の未熟さ故に招いた結果なのです。
私を許して下さい。
冒頭で紹介した吉田拓郎の歌は、まさに今の私の為のメッセージだと自戒を込めて…。
某月某日
身体中が熱くて喉が渇いて目が覚めた。
今は何時だろう?
また寝て仕事に備えなくてはならない。いい加減に放蕩していた罪の報いです。
「大山倍達の遺言」…。
完全に遅れています。せっかくpartnerが一生懸命書いてくれた原稿を放りっぱなしにしていた贖罪の意味も込めて…私は今こそ自分の限界に挑むのです。
合計1500枚になるかもしれない。核となるpartnerの原稿に膨大な証言や資料を埋め込む作業。「大山倍達正伝」も最初は合計原稿用紙計算で1400枚程度あったものを500枚くらい削った記憶が…。しかし、何とかして証言や資料によって事実をより鮮明にしたいと私は思うのです。
既に15年も前、今や忘却の彼方に押しやられようとしている極真会館分裂騒動。私利私欲に狂った連中がいったい如何なる陰謀を働いたのか? どうすれば、あこれ程愚かな裏切りに次ぐ裏切りが繰り返されてきたのでしょうか…。もはや「悲劇」というより「喜劇」と言った方がいい一連の複雑怪奇な騒動劇。
書くのが厭になる。
うんざりする。
だが、辛くてもやるしかないのだ。私たちは「歴史」を記録する役目を担っているのだから。
批判や敵は増えるだろう。
しかし真実を書けるのは私とpartnerしかいない。
深夜、PCに向かい、資料を見ていると死にたいほどの孤独感に悩まされる。
独りでは何も出来ない男です。partnerがいるから頑張れた。痛いほどpartnerの大切さがわかりました。
とにかく今は「大山倍達の遺言」に専念しよう。この大津波を乗り切れば、きっと先に何かが見えるはず。
精一杯に頑張る!!
信じる事に向かって精一杯に頑張る。狂うほど頑張る。だが孤独だ。
その孤独を忘れるために俺は原稿を書きながら物書きの孤独に逃げる。逃げてはいても、それは自らの肉体と精神との闘いだ。
物書きは自らの才能を蝕みながら作品を生む。もう宿命に委ねるしかない。
また寝ます。
某月某日
少し弱音を吐きますが…。
昨夜は一晩中ずっと資料や証言のcheckに費やしました。もう幾度も目を通したものなのに、そばから忘れてしまいます。ましてやそれら資料がみな散らばって探し出すだけでも一苦労!! partnerのようにちゃんと纏めてない自分の責任です。staffがどうせ現物を会社で整理しているからいいや!! そんな甘さが自分に跳ね返ってくるのです。
朝の10時くらいまでひたすら資料の読み込みに没頭しました。倅は稽古で疲れた体で朝まで私がリライトした原稿をPC画面で推敲してくれました。元々partnerの原稿がしっかり書いてあるのですが、そこに資料を加える事で文章自体の雰囲気が変わってしまう事態を懸念しました。資料や証言に対する説明ならばいいのですが、著書としての意見や主張が入ってしまうのを今回は極力排除するというのが私とpartnerとの了解事項でした。
資料や証言を加えれば当然それらが意味する事の説明解釈が必要になります。でもそれによって読者を著書の考えに導こうと誘導したらそれはもはやReportageではありません。私たちが書く「大山倍達の遺言」はあくまでReportageであり評論ではありません。
その微妙な感覚を倅に読者の立場でcheckして欲しかったのです。結果的に幾つか問題を指摘され、みな頷かされるものでした。
仕事をする間、倅は極力私の傍で見守っていてくれます。PCに慣れていない私を補助するのも目的ですが、私がかなりの寂しがり屋な事を知っているが故の配慮だと思います。猫のミルも決して私の近くから離れずに癒してくれます。
とはいえ、やはり物を書く仕事は私にとってあまりにもハードです。まさに自分の脳ミソや五体を削り取る作業です。
私はただの凡人です。何ひとつ独りでは出来ない人間です。もしpartnerがいてくれなければ作家の孤独には耐えられないでしょう。
職業に貴賤なし! どんな仕事でも辛いものです。だから何も物書きが特別だなんて言うつもりは毛頭ありません。ただ少なくとも物書きが書く「作品」は、物書きの寿命を削り、五体を蝕む犠牲によって生まれるのは間違いないと…。
弟子に書かせてちょいちょいという誇りのない「先生」も少なくないし、作家だか芸能人だかわからない輩も沢山います。しかし純粋に物書きとして作品に臨んでいた人たちは皆、早死にです。
時に吠えるように突っ張った事を言う私ですが、本当は何の取り柄もないただのハッタリ屋です。
ハッタリ屋なりに頑張ってきたのは事実です。しかし如何せん負けん気だけでここまで来ただけの人間です。もうそろそろ限界かもしれません。
それでも、とにかく今は全精魂賭けて「大山倍達の遺言」に専念します。ひょっとするとそれが私の最後の作品になるかもしれません。
私はもう格技の世界で物書きはしたくありません。会社として格技に関わるのはbusinessです。しかし物書きとしては「大山倍達の遺言」が最後と決めています。
新しい世界を書いていくのが夢でした。
でも私には能力がありません。独りでは何も出来ない人間です。
今は何時だか?
昨夜からずっと仕事をしていました。確かに意識は朦朧としています。思考力は半減状態。頭が割れるように痛い。目が霞んで背中には杭を打ったような激痛が走っています。
それでも私は精一杯頑張るしかいのです、死ぬ一歩手前まで自分自身を追い込むしかないのです…。
少し弱音を吐きますが…。
昨夜は一晩中ずっと資料や証言のcheckに費やしました。もう幾度も目を通したものなのに、そばから忘れてしまいます。ましてやそれら資料がみな散らばって探し出すだけでも一苦労!! partnerのようにちゃんと纏めてない自分の責任です。staffがどうせ現物を会社で整理しているからいいや!! そんな甘さが自分に跳ね返ってくるのです。
朝の10時くらいまでひたすら資料の読み込みに没頭しました。倅は稽古で疲れた体で朝まで私がリライトした原稿をPC画面で推敲してくれました。元々partnerの原稿がしっかり書いてあるのですが、そこに資料を加える事で文章自体の雰囲気が変わってしまう事態を懸念しました。資料や証言に対する説明ならばいいのですが、著書としての意見や主張が入ってしまうのを今回は極力排除するというのが私とpartnerとの了解事項でした。
資料や証言を加えれば当然それらが意味する事の説明解釈が必要になります。でもそれによって読者を著書の考えに導こうと誘導したらそれはもはやReportageではありません。私たちが書く「大山倍達の遺言」はあくまでReportageであり評論ではありません。
その微妙な感覚を倅に読者の立場でcheckして欲しかったのです。結果的に幾つか問題を指摘され、みな頷かされるものでした。
仕事をする間、倅は極力私の傍で見守っていてくれます。PCに慣れていない私を補助するのも目的ですが、私がかなりの寂しがり屋な事を知っているが故の配慮だと思います。猫のミルも決して私の近くから離れずに癒してくれます。
とはいえ、やはり物を書く仕事は私にとってあまりにもハードです。まさに自分の脳ミソや五体を削り取る作業です。
私はただの凡人です。何ひとつ独りでは出来ない人間です。もしpartnerがいてくれなければ作家の孤独には耐えられないでしょう。
職業に貴賤なし! どんな仕事でも辛いものです。だから何も物書きが特別だなんて言うつもりは毛頭ありません。ただ少なくとも物書きが書く「作品」は、物書きの寿命を削り、五体を蝕む犠牲によって生まれるのは間違いないと…。
弟子に書かせてちょいちょいという誇りのない「先生」も少なくないし、作家だか芸能人だかわからない輩も沢山います。しかし純粋に物書きとして作品に臨んでいた人たちは皆、早死にです。
時に吠えるように突っ張った事を言う私ですが、本当は何の取り柄もないただのハッタリ屋です。
ハッタリ屋なりに頑張ってきたのは事実です。しかし如何せん負けん気だけでここまで来ただけの人間です。もうそろそろ限界かもしれません。
それでも、とにかく今は全精魂賭けて「大山倍達の遺言」に専念します。ひょっとするとそれが私の最後の作品になるかもしれません。
私はもう格技の世界で物書きはしたくありません。会社として格技に関わるのはbusinessです。しかし物書きとしては「大山倍達の遺言」が最後と決めています。
新しい世界を書いていくのが夢でした。
でも私には能力がありません。独りでは何も出来ない人間です。
今は何時だか?
昨夜からずっと仕事をしていました。確かに意識は朦朧としています。思考力は半減状態。頭が割れるように痛い。目が霞んで背中には杭を打ったような激痛が走っています。
それでも私は精一杯頑張るしかいのです、死ぬ一歩手前まで自分自身を追い込むしかないのです…。