本誌第1号で、著者は『児童虐待~なぜ私は愛するわが子を叩くのか』を執筆した。「闇の中の闇」である家庭での虐待を、自身の問題として探ろうとする著者は、臨床心理士の長谷川博一氏に出会い、2009年8月、大阪で初めてカウンセリングを受けた。その翌日、著者は名古屋在住の「虐待母」にインタビューを試みた。
第1回
似ている。
そう思って、違うところを見つけようとしたが、どうしても同じところに目がいってしまう。
彼女もわたしも素っぴんで、口紅ひとつ引いていない。
彼女はソバージュ、わたしはストレートという違いはあるけれど、髪の長さは同じくらい。
若いころは痩せていたけれど、最近肥ってきたという体型も背格好も、同じくらいだった。
わたしは、彼女と同じ型のワンピースを何着も持っている。
開襟で、二の腕が隠れるくらいの袖で、ウエストが共布のベルトで絞ってあって、ふわっと広がったスカートはふくらはぎが隠れるくらいまである。宮崎アニメの主人公が着ているような、シンプルで少女らしいシルエットのワンピース―。
色と柄は、違う。
わたしがピンクベージュの無地で、彼女が黄色地にペンギン―羽をひろげたり、尻餅をついたり、よちよち歩いたり―ありとあらゆる姿態のペンギンが百羽以上プリントされている。
わたしはペンギンを見ながら、彼女と話をすることになった。
彼女の第一声は「笑ってください」だった。話の途中で繰り返し「もう、笑ってください」と言って乾いた笑い声をあげた。
そして、家族のことを訊ねるたびに、「現家族ですか? 元家族ですか?」と訊き直すのが印象的だった。
彼女は、昭和四十三年十一月二十三日に、名古屋市内で生まれた。
(わたしも、同年の六月二十二日に生まれた)
父親は大工、母親は専業主婦、彼女は四人姉妹の末っ子で、長女とは十一歳も離れている。
住まいは六畳二間の長屋だった。
夕食が済むと、父親は居間の真ん中に布団を敷いて横たわり、母親と四人の姉妹は、布団を囲むかたちでテレビを観なければならなかった。
娘たちの成長とともにさすがに手狭になり、同じ長屋にもう一部屋借りて、三人の姉たちはそちらで寝起きすることになったが、末っ子の彼女は父母といっしょに寝起きをした。