今朝の東京新聞「記者の目」に、尼崎JR脱線事故調査報告書の検証が12月7日から始まる、と書かれています。東京新聞の記者は、「中身を精査、透明性を高めよ」と題し、およそ1,000文字ほどの記事を書いています。
東京新聞の記者だけを批判するつもりはありませんが、記者の目は「節穴」としか言いようがありません。事故原因は、「運転士のブレーキ操作が遅れ、高速でカーブに突入、脱線した」とされ、「現場カーブに新型ATS(自動列車停止装置)を優先的に整備すべきであった」と、調査書が結論付けていると、記者は「解説」していますが、貴社も事故調査委員会も事故の真因を語っていません。
事故調査委員会は、事故の真因が事故以前に行われた運転士への日勤教育という集団的私的制裁(集団リンチ)に起因することを知っています。知っているにも関わらず語らないのは、自公政権時代の鉄道行政の失策が浮き彫りにされるだけではなく、成功したと言われる国鉄民営化に対しても再検証が行われることになるからです。
事故調査委員会と言っても、所詮は旧政権にとって都合のいい人間だけを集めた委員会と考えられます。事故調査委員会は、癒着している経済界や行政に影響を与えないよう、企業の体質や行政の指導には踏み込まない結論をこれまでも出してきました。
明石市の花火大会歩道橋事故も六本木ヒルズ回転扉死亡事故も尼崎JR脱線事故も同じです。真犯人を間違えています。そのことにより、多くの人々に不幸をもたらしていることに日本人はそろそろ気づくべきです。
尼崎JR脱線事故の真因は、日勤教育という集団リンチを恐れた運転士が、遅延を取り戻すためにスピード違反をしたというだけのことです。事故調査委員会は、意識的に問題を複雑化して、国民をごまかそうとしているのです。
私は、ディズニーランドのアトラクションのスーパーバイザーでした。「運行時間を死守せよ」などという、「結果を求める」命令や指示が、運行者に心理的圧迫をかけ、事故につながることをディズニーから叩き込まれてきました。安全運航の実現するためには、このような、「結果を求める」指示や命令は、全く無力であることを教えられて来たのです。
私は、小書「すべてのゲストがVIP」にこのように書きました。
<引用開始>
■ディズニーのすごさ @
ミッキーマウスの誕生から七五年、アニメーションの製作やテ−マパーク運営を通じ「人の気持ち」「人心の機微」を研究し続けてきたこと。それこそがディズニーのすごさだと考えます。
人間の心には善もあれば悪もあります。積極性もあれば消極性もあります。楽をしたいと思う気持ちもあります、楽をしてはいけないと思う気持ちもあります。自分は変わりたいという気持ちもあります、変わりたくないという気持ちもあります。放っておきたい気持ちもあります、放っておいてはいけないと思う気持ちもあります。何かに集中したい時もあります、ぼーっとしていたい時もあります。
この本では、ここまで何回も「ディズニーは……を知っているからです」と述べてきました。なぜ知っているのでしょうか。それは、「人の気持ち」「人心の機微」を研究してきたからこそ知り得たのです。
思い出してください。「人間は限りなく楽な方向を望む。ボタン一つの操作ですべてを解決できる仕組みを望む。そしてそれは人の力を低下させることにつながる」というメンテナンスキャストの言葉を。
<引用終了>
このディズニーのすごさと比較すると、日本の組織の「人を知り、人を正しく動かす能力」は小学生並です。
シンドラーのエレベーター事故も、3年半経った今も結論が出ていません。ディズニーなら15分もあれば、事故調調査は完了したことでしょう。
このように、事故が起きるメカニズムを正しく理解しないと、莫大な社会的費用(税金のムダ)が発生するのです。
長くなりましたので、結論を書きます。尼崎JR脱線事故も「最後のパレード」事件も構図は同じです。集団リンチが多くの人を不幸に陥れたのです。尼崎JR脱線事故の場合は集団ンチを指示命令したのは、運転士の上長たちでしょう。「最後のパレード」の場合は、社会に潜む「匿名テロリスト」に対し「集団リンチモードモードに入れ」と示唆したのが読売新聞です。
日本社会は、キリスト教社会では禁止されている集団リンチが当たり前のように行われています。これは、すべてマスコミの誘導といっても過言ではありません。
私はいつか、日本の集団リンチの横行を止めるべく、「最後のパレード」事件に関し法的手段を取っていく所存です。マスコミを変えなければ、この国は変わらない、それが私の信念です。
参考(尼崎JR脱線事故関連)
「新しい公共」を理解するための一つの歴史観
http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13578786.html