2009年11月29日

映画「ゼロの焦点」の正しい意味とは

「映画は人を成長させる」とつくづく感じました。松本清張生誕100年記念作品であるこの映画の題名の意味を理解された方はどれくらいいるでしょうか。

 


ネットではこの題名の意味がこのように理解されているようです。

 


<引用開始>

「光輝いているのにその明るさは無いに等しい」という意味ですから、虚栄とか虚飾といった言葉に言い換えられます。
名誉ある立場にありながら、それを打ち消すような恥ずかしい過去がある登場人物を、このタイトルで表現したかったのでしょう。


<引用終了>


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1413738584

 


なんだかよく分かりません。題名の「ゼロ」の意味は数字の「ゼロ」であり、そんなに難しく考える必要はありません。つまり、こういうことです。

 


現在 − 過去 =ゼロ

 


キリスト教の洗礼(自らの意志からではない小児洗礼を除く)も簡単に言えば、この公式が成り立ちます。変えることのできない過去に別れを告げ、前だけを向いた新しいスタートラインに立つという意味なのです。

 


誰もが、過去の不幸を忘れたいものです。アメリカのマスコミは広島の爆心地や911テロの標的となったワールドトレードセンター跡を「グランド・ゼロ」と呼びました。当時、新たな出発点と意味で使われたのでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%AD



 

私は、この映画が問いかける最大のテーマは「戦争の悲惨さ」だと実感しました。松本清張は、悲惨な戦争が生み出した不幸な過去を「引き算」し、誰もが新たな出発点に立つべきだということを、この推理小説を通じて言いたかったに違いありません。

 


キリスト教社会では当たり前の、「悔い改めれば、変えられない過去の罪は水に流す(確定された刑を軽くするということではありません)」ということが、日本社会においては「悔い改めても、過去の清算はゆるさない」という、全くさかさまが「通例」になっています。

 


クリントン氏は犯した罪を悔い改め、アメリカ国民にゆるしてもらえましたが、日本社会であれば、決してゆるされることなく、政治生命を奪われていたに違いありません。

 


日本人はそろそろ気づくべきです。アカデミーを獲得した「千と千尋の神隠し」も「もののけ姫」も、「ディズニー・クリスマス・キャロル」も、そして「ゼロの焦点」も伝えたいメッセージは同じです。それは、ひとは「チェンジ」「豹変」できるということです。

 


マスコミによる「過去の関心事」報道に一喜一憂しないで、「これからの影響事」に対応するために自分を成長させていくことに一刻も早く気付くべきなのです。

 


日本人は、過去に執着しすぎです。個人の過去は単なる「話題」でしかなく、人の未来に何も良い影響を与えません。反対に、特に異性の過去に執着することは、心理的に自分を責めるという悪い結果につながってしまいます。

 


今日、教会でこのように教えていただきました。

 


「自分の中には、良い犬と悪い犬という二匹の犬がいる。良い犬を大きく育てれば、悪い犬を食べてしまう。」

 


犬という表現に抵抗があれば、「心の中には、良い自分と悪い自分が同居している。良い自分を伸ばせば、悪い自分は消えてしまう。」と考えるといいでしょう。

 


「良い部分を伸ばすことにより、悪い部分は自然になくなる」というプラス思考の考え方は、ディズニーランドのキャスト教育の基本です。誰でも受け入れられるに違いありません。

 


話が飛びましたが、要は前向きに生きるためには、過去に執着せず、自分の良い部分を出していくことに尽きるということです。

 


この映画は、女優三人の演技も実に素晴らしいものでした。人が成長するためには良い映画を見ることが欠かせない、昨日もそのことを実感しました。