2009年11月28日

竹中平蔵氏のサービス理論とホスピタリティ

今朝のヨミウリテレビの番組に、亀井金融大臣と竹中元総務大臣が出演していました。郵政民営化見直し政策についての、予想された通りの討論となりましたが、竹中氏のサービス理論には決定的な欠点があることにご本人は気付いていないと改めて感じました。

 


竹中氏が理解できていないのは、地方の郵便局は個人にとってのライフラインであるという事実です。日本社会を竹林とし、一軒一軒の家庭を一本の竹と考えると、郵便サービスは、地下でつながっている地下茎なのです。総務省令でも、全国にあまねく設置しなくてはならないとされている、いわば国民が共有する公共財なのです。

 


ですから、郵便局のサービスは公共サービスと考えなくてはならないのです。竹中氏は、「公社時代に(現金を届ける)規定違反があった」と分社化を正当化していますが、それは単なる硬直したサービス理論です。そのようなニーズがあるのなら、手数料を取って行うことも可能ではないでしょうか。元ディズニーランドのスーパーバイザーの私なら必ずそうします。

 


そもそもです。竹中氏はサービスの現場を知っているのでしょうか。氏の理論は公共サービスの理論の延長線上にあり、民営化後のサービスに適応させるのは全くもって間違いであると指摘させて頂きます。民営化後は、人を思いやるホスピタリティが提供できなければ、ビジネスとして成り立たないと考えるのが昨今の常識ですが、竹中氏には全く理解できていません。




 

サービスとは縦の関係においての価値の等価交換であり、同じ料金であれば同じサービスを与えるのが「常識」です。

 


一方、ホスピタリティは一対一の横の関係において幸福の相乗効果をお互いが求め合うものです。つまりホスピタリティとは、鳩山幸婦人が言われる「友愛とは喜びや悲しみを分かち合うこと」と同じ意味の概念なのです。

 


竹中氏はお金でしか換算できないサービス理論で郵便局網を「マス」の視点から見ています。一方、亀井氏は人としての幸せや連帯感を追い求めるホスピタリティ理論で郵便局網を「個」の視点から見ています。

 


日本人に限らず、地球市民は誰もが地下茎でつながっていますが、日本人の地下茎をズタズタに切り離したのが小泉、竹中改革です。郵便局網という人類が共有する地下茎を大事にしないで、人類の幸福などあり得ません。そのことを竹中氏は肝に銘じていただきたいと思います。

 


ここで、この両者が出演した番組に物申します。偏向報道がひどいと酷評されているこの番組の、郵政民営化の見直しに反対か賛成かを聞く街頭インタビューは、都会のコンクリートの上で行われていました。この番組には、亀井氏が熱く語るように、地方の山村で聞きなさいと言いたいと思います。

 


この番組ではありませんが、今朝のテレビ朝日の番組では、ニューヨークの食糧配給現場の悲惨な現状を放映していましたが、なぜ、日本の現状を放映しないのでしょうか。東京の新宿中央公園だけでも、何百人ものホームレスの人々が毎日列をなしていますが、私は、年始の年越し派遣村以外に、食糧配給現場のニュース映像を見ていません。

 


 

ホームレスの問題に対しても郵政民営化の問題に対しても、マスコミはもっと「日本の現場の惨状」を報道するべきです。

 


日本ではホームレスは「負け組」「がんばらなかった人」と分類されますが、ニューヨークの食糧配給現場に並ぶ人を、竹中氏は同様に分類するのでしょうか。ホスピタリティ・マインドが欠落している竹中氏にぜひ聞いてみたいと思います。