フロム市長トゥ市職員 No.353 (2000.1.6)

60年間培った 全てを注いで・・・ 〜還暦の日に心を新たに〜
今年は干支でいうと庚辰の年になります。60年前に生まれた私は60年ぶりに還って きた庚辰の今年、60歳の還暦を迎えました。若い職員の皆さんは昔のことをあまり知ら ないと思いますので、あらためて自己紹介をかねて振り返ってみます。

1940年、昭和15年、皇紀2600年生まれ
私が生まれた西暦1940年は昭和15年、皇紀2600年です。皇紀という年の数え方は 若い皆さんにはなじみがないでしょうが、神武天皇が即位したとされる年を元年として数えて 2600年目にあたる年でした。当時は「皇紀2600年の歌」なども出来て、国を挙げて 祝ったものだそうで、戦時色が濃くなった時代に生まれました。
社会福祉センターのところにあった幼稚園に
終戦の年(昭和20年)は幼稚園に通っていました。消防署の渡部清君、総務部の神田常幸 君は臼杵幼稚園の同級生でした。臼杵幼稚園は今の社会福祉センターのところにありました。
26歳の時臼杵に帰り、29歳で薬学部入学
市浜小学校、西中、臼杵高校を経て、二年浪人の末大学に入学、卒業後は二年間の大企業勤 務の後、臼杵に帰ってきました。いきなり臼杵製薬の社長として会社の建て直しに取り組みま した。会社再建が出来て、昭和44年29歳で福岡大学の薬学部に再入学、5年間学生と社長 の二足のわらじをはきましたが、結局卒業出来ずじまいでした。
35歳で県議に、20年間の県議生活
昭和45年、30歳の時、セメント工場誘致に反対して公害追放市民会議の事務局長を務 め、昭和48年(33歳)から2年間青年会議所の理事長を務めました。 まだ、福大に籍を置いたままの青年会議所理事長でした。昭和50年、35歳の時、大分県 議会議員に。当初の選挙は自民党県連幹事長の吉良さんに対抗して、社会党推薦をいただいて の選挙でした。その後20年間の県議生活の間には皮肉にも私自身が自民党県連幹事長を務め たり、議長を務めたりしました。
55歳で県議引退、57歳で市長に
平成7年、20年務めた県議を引退し、社業に復帰。中国に渡ったり、健康食品を開発した りしていましたが、平成9年1月芝崎前市長が亡くなられたあとの選挙により臼杵市長を務め ることになり今日に至っています。
波乱万丈、市長は天職と心得る
まさに波瀾万丈、変化に富んだ60年間でした。いろいろな経験を積んで蓄えることが出来 た全てを市長職に投入できることは幸せです。もう一度人生を繰り返すことが出来るとして も、60年間研鑽を重ねて最後に臼杵市のお役に立つ人生を歩みたいと考えます。 市民のお役に立つ市役所をつくり、21世紀の臼杵市の明るい姿を実現出来るように今しば らくは60年間に培った全てを傾注して努力を続ける覚悟です。
2000年1月6日、還暦を迎えて