(C)Toss TOSS LAND No. (B総合・教科外学習/2教科外指導/道徳/小学校高学年・中学生)
向井敏明少尉です。(プロジェクターで提示) 1,昭和12年日中戦争の時、南京に攻め入るまでに、百人斬り競争をした。 |
野田『おいおれは百五だが、貴様は?』向井『おれは百六だ!』・・・・・・両少尉《アハハハ》結局いつまでに、いづれが先きに百人斬ったかこれは不問、『ぢやドロンゲームと致そう、だが改めて百五十人はどうぢや』と忽ち意見一致して十一日からいよいよ百五十人斬りがはじまった。 『知らぬうちに両方で百人を超えてゐたのは愉快ぢや。おれの関の孫六が刃こぼれしたのは、一人を鉄兜もろともに唐竹割りにしたからぢや。戦ひ済んだらこの日本刀は貴社に寄贈すると約束したよ。十一日の午後三時、友軍の珍戦術、紫金山残敵あぶり出しに、おれもあぶり出されて、弾雨の中を『えい、ままよ』と刀をかついで棒立ちになつてゐたが、一つもあたらずさ。これもこの孫六のおかげだ』と飛来する敵弾の中で、百六の生血を吸つた関の孫六を記者に示した。 |
発問1 2人は大東亜戦争終了後、昭和22年南京で行われた軍事裁判で、裁かれました。 ア、2人で211人の中国人を殺したのだから、死刑は当然である。 |
2人が処刑されてから、約25年後の1971年。朝日新聞の記者であった本多勝一氏が、「中国の旅」という本を出しました。 そこで、再び「百人斬り競争」について、取り上げました。 |
「『これは日本でも当時一部で報道されたという有名な話なのですが』と姜さんは言って、二人の日本兵がやった次のような”殺人競争”を紹介した。
『M』と『N』の二人の少尉に対して、ある日上官が殺人ゲームをけしかけた。 南京郊外の句容から湯山までの約10キロの間に、百人の中国人を先に殺 した方に賞を出そう。 二人はゲームを開始した。結果は『M』が89人、『N』が78人にとどまった。湯山に着いた上官は、再び命令した。湯山から紫金山まで15キロの間に、もう一度百人を殺せ、と。 結果は『M』が106人、『N』が105人だった。こんどは二人とも 目標に達したが、上官はいった、″どちらが先に百人に達したかわからんじゃな いか。またやり直しだ。紫金山から南京城まで8キロで、こんどは150人が目標だ″ この区間は城壁に近く、人口が多い。結果ははっきりしないが、二人はたぶん目 標を達した可能性が強いと、姜さんはみている。 |
これは、南京にある大屠殺記念館です。 ここには、向井・野田両氏の人形が飾られ、「百人斬り」についての新聞記事が紹介されていま す。 中国では、小学3年生からこの事件について学校で勉強します。そして、このような記念館が、 中国各地に建てられています。 その資金は、日本が援助しています。 |
日本でも、「百人斬り」について授業されています。 1,平成9年5月 みやぎ教育文化研究センターが作成した小学校向け教材「近現代史授業プラ ン」で、百人斬りが授業された。 |
発問2 今までのことを聞き、どう思いましたか。感想をひとことで書きなさい。 |
・中国の人が怒るのも無理はないと思った。 ・2人ともやりすぎだと思った。 ・人の命で遊ぶのはひどいと思った。 ・百人斬りをするなんて、日本もひどいと思った。 ・人をゲームとして扱うなんてひどい。 ・ひどい人達がいたんだなあ。 ・日本は、取り返しの着かないことをやってしまったと思う。 ・人殺しのゲームをするなんて、最低だと思った。 |
作成責任者:千明浩己(TOSS水芭蕉・TOSS群馬ML)
『「インターネットランド(Toss商標)」【通称】Tossインターネットランド、【略称】Tossランド』
インターネットランドはTossの商標です。勝手に使うことはできません。尚,Tossも商標登録済みです。