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箱の家 PROJECT 青本往来記
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2007年04月30日(月)

8時起床。9時に家を出て湘南新宿ラインで逗子へ10時半過ぎ着。駅前で芦澤夫妻と待ち合わせ、車で「72芦澤邸」へ。4年ぶりの訪問である。海の直ぐそばにあるせいか、亜鉛どぶ漬けメッキの鉄部から錆が浮き出している。ステンレス製のドア丁番,ハンドル、錠、郵便受にも錆が浮き上がっている。しかしアルミサッシは何ともない。アルマイト仕上げの耐候性はたいしたものである。駐車場の引き戸が錆のために動かなくなってきたので早急に対応の必要がある。外部のガス湯沸器やポンプなどの機械類にも錆が出始めているが性能には影響はない。室内はほとんど変化なし。集成材軸組とシナ合板にやや赤味がさしてきた程度だろうか。問題の個所の写真を撮って12時過ぎ終了。その後、芦澤夫妻と近くのイタ飯屋で昼食。ビールを飲み、地場の海産物を食べながら歓談。いい気分になって2時終了。バスで逗子駅まで戻り湘南新宿ラインで事務所に4時前着。スタッフが仕事をしている。山根と「124佐藤邸」の打合せ。「住宅建築」の原稿チェック。夜は花巻がまとめた「125栗木邸」の詳細図と展開図チェック。
『数量化革命』を読み続ける。第1部「数量化という革命」を読み終わったが大した発見はない。引き続き第2部「視覚化:革命の十分条件」へと向かう。


2007年04月29日(日)

今日は一日中事務所。午前中は『住宅建築』の原稿チェックと山根がまとめた「124佐藤邸」の実施図チェック。引き続きディテールのスケッチ。軒樋の納まりが難しい。午後、スタッフ皆が出社。栃内は鎌倉の「箱の家」展の片付けに向かう。井上が「128濱中邸」の模型を造り始める。僕は原稿スケッチ。そろそろ本格的に原稿を書き始めねばならないが、いつものように発火しない。夕方、栃内が模型やパネルを持ち帰る。手伝ってくれた栃内の妹さん達に感謝ししばらく歓談。夜は「小美野邸」のスケッチ、読書、原稿スケッチ。10時過ぎに帰宅。『数量化革命』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2007年04月28日(土)

午前中は『住宅建築』の原稿チェック。正午に界工作舎OBの中川君が来所。僕のPCのメールソフトを修復し、新しく購入したデータ記録用HDをセットアップしてくれた。
午後1時半、新井夫妻が来所。「126新井邸」の実施設計打合せ。間口2.7m奥行12.6mのスキップフロアの町家型「箱の家」である。3層で間口が狭いため構造設計に手間取り昨日ようやく確認申請を提出した。少し遅れ気味なので実施設計は何とか早急にまとめたい。4時、濱本氏が来所。「濱本邸」第2案の承認してもらったので設計契約を締結することになった。近い内に模型を製作することを約し、設計契約書の概要を説明して5時前終了。6時、事務所内の清掃。夕食後、再び原稿チェック。連休前なのでスタッフ皆が仕事を続けている。10時過ぎ帰宅。『数量化革命:ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生』(アルフレッド・W・クロスビー:著 小沢千重子:訳 紀伊國屋書店 2003)を読みながら夜半過ぎ就寝。

GA JAPAN 5/6 2007号の巻末に掲載された2つの記事、伊東豊雄の「現代的身体性とアルミ」と隈研吾の「断熱性能と剛性を追求したミニマムな木製サッシュ」を面白く読んだ。前者は化学物質敏感症のクライアントのためのオールアルミ住宅の計画である。自然素材に対しても発症してしまうほどの重症患者に対する究極の健康住宅がアルミ住宅であるという点が興味深い。まだ設計中だそうだが伊東さんがアルミ建築の新しいジャンルをうみ出すことは間違いないだろう。後者は無印住宅の新しいタイプ「MUJIINFILL 窓の家」に関する記事である(http://www.muji.net/ie/)。隈さんは僕が開発した「MUJIINFILL 木の家」を「団塊世代の全共闘的デザイン」と呼び、その記号性を剥ぎ取ったデザインとして「窓の家」を位置づけている。すべてを記号性によって捉えるのは『10宅論』を書いた隈さんらしい視点である。確かに一見すると「窓の家」のデザインは「木の家」よりもずっと洗練されているし、若い世代には受けそうである。しかしすべてを記号として捉える視点は、実はハウスメーカーの販売戦略と同じであり、記号性に注目し記号性を剥ぎ取ること自体が記号的な作業である。したがって隈さんのデザインは結局のところ「記号性を剥ぎ取った記号」になっているといわざるを得ない。「木の家」の記号性は隈さんの指摘する通りだし、僕としては、すべてを記号性において捉えること自体を批判するつもりはない。しかし当たり前のことだが、デザインには記号性では捉えられないさまざまな側面がある。記号性に焦点を当てることによって無視されているのは「木の家」における機能的・構法的・環境的な課題、すなわち一室空間住居、部品化、乾式構法、自然エネルギー利用、メンテナンス性、リサイクル性といったテーマである。平屋根、深い庇、構造体の表現、ボルトの多用、スポットライト、南面大開口、開放的な吹抜といったデザイン・ボキャブラリー(記号性)は、すべてその表現だといってよい。「窓の家」ではそれらすべてが忘れ去られている。「商品化住宅」にとって記号性が重要な条件であることは否定しないが、現代のユーザーはそれだけで住まいを購入するだろうか。もしもそう考えられているのだとしたら、ユーザーも随分舐められたものである。少なくとも「箱の家」のクライアントにはそのような人はいない。「木の家」のクライアントも是非そうあってほしいと期待するばかりである。


2007年04月27日(金)

昨日の酒が残って7時半過ぎに起床。9時前に事務所に出たらすでに龍光寺と栃内が出社している。10時『住宅建築』編集部の中村さんが来所。1月号の「内藤廣特集」の巻頭論文に関するインタビュー。ある程度、頭を整理してはいたのだが明解な感想を述べることはできない。内藤さんの主張は十分理解できるのだが僕にとっては問題が大きすぎる。まともに答えようとすると苦しくなるだけである。問題の本質的な原因は「思想」にではなく「経済」や「制度」のシステムにあるからだ。「ものの考え方」を変えることは確かに重要だが、それだけでは何も変わらない。社会的な発言と自分の行動との乖離はますます広がるだけである。内藤さんの発言は、さまざまな意味で19世紀末のジョン・ラスキンやウィリアム・モリスを連想させる。

正午過ぎ事務所を出て大学へ。1時半から『エコムス』編集部の関口さんにインタビューを受ける。アルミニウム構造が正式に認められてから5年経過したので、今後のアルミ建築の展望について話すという主旨である。先日の「アルミハウス・プロジェクト」では肩すかしを食ったので、その点について具体的な感想を述べた後、現在、アルミ建築は実験段階から普及段階に移行する段階にあることを確認し、今後は設計段階でのシミュレーション、施工プロセスの検証、完成後の性能検証とフィードバックという三つの局面での検討を実施する必要があるという点について話す。話があちこちに拡散したが頭の中は整理できた。3時から専攻会議。新常務委員の高田毅士教授の司会で開催。出席率はきわめて悪い。9月の院試について議論した後4時過ぎ終了。その後、研究室で雑用。5時半大学を出て6時過ぎ事務所に戻る。

夜はいくつかの雑用。『住宅建築』の原稿チェック。10時半、石山修武さんが来所。3年生後期第1課題に関する打合せ。課題内容、チーム分け、スケジュールなどについて確認。課題のガイダンス、中間講評、最終講評は共同で実施することになった。その後赤ワインを飲みながら歓談。0時半過ぎ終了。


2007年04月26日(木)

8時に事務所に出る。いくつかの雑誌に目を通す。またパソコンのメールソフトがおかしくなった。9時過ぎに事務所を出て飯田橋の「ロックビレイ・ビル」の前で阪田誠造さんと待ち合わせ。日本建築士会連合会作品賞の現地審査。10時前から日建設計の山中さんの案内で建物を見学。1階カフェの天井高が高すぎるように感じたが、条例で道路前に引越用の荷解場を確保する必要があり天井高をトラックの高さに合わせたとのこと。構造システムや庇の厚さに拘りが感じられる。室内は玄関ホール、7階、9階を見る。男女トイレの使い分けのアイデアが興味深い。各階に4つのブースがあるのだが、各々に航空機式に洗面をつけ、通路の間仕切を可動にすることで男女比率を変えることができる。11時前修了。12時前に大学着。12時半から学科会議。ほとんど議題がなく1時過ぎ終了。2時から再び学科小会議。議論が紛糾し結論は出ないが方向性は見えてきた。3時から工学系研究科の学科・専攻長会議。こちらも大きな議題はなく5時前終了。

6時前、槇文彦さんが到着。6時過ぎから第1回特別講義。シンガポールの巨大な大学キャンパスから始まり、グラウンド・ゼロの超高層ビルまで約2時間ぶっ続けで最近の外国の仕事を紹介。その仕事量の多さと質の高さに驚嘆する。コンテクストと建築の関係が隠れたテーマである。グローニンゲンの移動パヴィリオンのようにさまざまなコンテクストの中を移動する建築の場合はオブジェ的な造形を追求しているが、それ以外のすべての作品にオブジェではなく「場」をつくろうとする槇さんの意志が感じられる。静かな語り口の中に強烈なアウラを秘めたレクチャーだった。恐らく学生たちも圧倒されたことだろう。8時過ぎ終了。その後、講評室で学生との懇親会。いつになく静謐な雰囲気が漂う。9時半、正門前の居酒屋に移動し夕食。ザワザワした雰囲気のせいか、槇さんのテンションも上がり建築談義で大いに盛り上がる。11時終了。
11時半過ぎに事務所に戻る。古いパソコンを持ち出してメールチェック。しかしメールが溜まりすぎてAir Edgeでは受けきれない。何とかしなければ仕事にならない。


2007年04月25日(水)

10時半大学行き。午前中は書類作成と原稿スケッチ。正午過ぎ、鈴木博之さんと一緒に西武池袋線の飯能へ3時前着。日本建築士会連合会作品賞の現地審査。駅前で建築家の栗林賢次さんと待ち合わせ工務店の車で「飯能の家」へ。生憎の小雨混じりの天気。周りを山に囲まれた谷間の敷地。広大な敷地に開放され大きく縁取られた枠の中に差し込まれた住空間。シルエットは「箱の家」と似ている。しかし大阪の建築家らしいさまざまな素材と仕上が組み合わされた細やかなディテール。光と空気の流れを制御している点が興味深い。機能的に考え抜かれたプランだが、やや空間が細切れな感じがする。リビングでクライアント夫妻、建築家、工務店と歓談。関東の住まいを大阪の建築家に依頼した経緯を聞く。建物全体と外部を見学した後、4時にお暇する。池袋で鈴木さんと別れ本郷へ6時過ぎ着。7時まで再び書類作成。7時からCOCOLABO打合せ。5ヶ月間のテーマ構成について話し合う。プライバシー、子供室、空間のヴォリューム、視線の高さ、家族の記憶などのテーマを列挙しキャッチーなキーワードを付けるようにアドバイス。9時前終了。10時前に事務所に戻る。10時半帰宅。明日の学科会議その他の会議について考えながら12時前就寝。

『第三空間:ポストモダンの空間論的転回』(エドワード・W・ソジャ:著 加藤政洋:訳 青土社 2005)は第2章まで一気に読み通したところで休止。社会空間の理論としては学ぶべき点が多々あるのだが、抽象的に語られる空間論になかなかついていけない。ともかく空間の定義を最大限に拡大し、建築・都市で語られる空間論を、社会学や地理学における空間論に接続する視点について学ぶことはできた。空間について論じるとき、アンリ・ルフェーブル、デヴィッド・ハーヴェイ、エドワード・W・ソジャといった人たちがいずれも三層構造をとっている点にも興味を持った。この視点と建築の4層構造を接合することが当面の課題である。


2007年04月24日(火)

10時、銀座のアルミニウム建築構造協議会へ。「アルミハウス・プロジェクト」発表会。ここ2年間のアルミニウム建築の可能性に関する研究の発表。アルミエコハウスの解体・リユースに関する研究から始まり、アルミハウスの普及に関するサプライサイドとマーケットサイドからの研究、それにもとづくケーススタディという構成。僕にとっては当然アルミエコハウスの解体研究がもっとも興味があるが、ケーススタディの中の汎用部材による新しいアルミニウム構造システムの研究も興味深い。アルミハウスは初期の開発段階から、現在は普及段階に進んでいるが、突破口はなかなか見えないのが現状である。ともかく試作をつくり続けるしかないと思うのだが、アルミ業界にそこまでのポテンシアルがないのがもどかしい。

1時過ぎ大学着。1時半からスタジオ課題の第2回プレゼンテーション。1回目よりもさらに展開している。修士は新しい視点を模索して右往左往しているが、4年生はまるで吸い取り紙のように急速にフラーの核心に迫っている。次のステップは修士と4年生をシャッフルすべきだろう。学生にとっては大変だろうが、僕にとってはだんだん楽しいスタジオになってきた。5時、院生室に行き、ブタペスト・コンペの打合せ。いくつかのスケッチを見る。機能的なプログラムとスケッチとの間に細部にわたる建築的プログラムが必要であること。そのためのブレインストーミングをしたらどうかとアドバイス。佐藤淳さんと高間三郎さんがコンサルティングを了承してくれたので近い内に打合せをすることになった。

6時に事務所に戻る。7時、野川さんと山崎工務店が来所。「123野川邸」の工事契約。明日から既存建物の解体を開始し、連休明けに地鎮祭を行うことになった。その後、界工作舎のスタッフ皆でビールと寿司で簡単な祝杯。10時過ぎ帰宅。『第三空間』を読みながら夜半過ぎ就寝。


2007年04月23日(月)

今日は一日事務所。10時からCIXM工場の定例打合せ。徐々に詳細が収斂してきたが、まだ全体予算が不明確である。来週までには実施設計をまとめねばならない。午後スタッフ全員に昨日のクライアント候補との打ち合わせを報告。その後、読書と原稿スケッチ。難波研M3生からからブタペスト・コンペの要項の翻訳が届く。規模が大きいだけでなく設計条件がかなり詳細に規定してある。まずはこの応募要項を徹底的に読み込み分析する必要がありそうだ。コンペの構造と環境のコンサルティングを佐藤淳さんと高間三郎さんに相談する。都市スケールのコンペなので生半可な知識では対処できない。久しぶりにブックデザイナーの芦澤泰偉さんから電話。『箱の家:エコハウスをめざして』の次の出版計画について相談。『エコハウス』については『住宅建築』の特集をさらに展開する形で進めることで合意。PHP新書『現代建築家案内』は原稿の段階で完全な休止状態である。僕だけでなく千葉さんと山代さんも足踏み状態のようだ。何とか前に進めるようハッパをかけられる。出せば必ず売れることは分かっているのだが、人のことを冷静に書くのは至難の業である。大学の講義録は出版社の方が休止状態。何事もスムースに事は運ばない。連休中に逗子の芦澤邸に伺い相談することになった。

『空間の生産』の第1章と最終章だけを読み終わる。この本だけではよく分からないので、ルフェーブルの社会的空間論を引き継ぎ展開させた『第三空間:ポストモダンの空間論的転回』(エドワード・W・ソジャ:著 加藤政洋:訳 青土社 2005)を読み始める。こちらの方がよほど判りやすい。恐らく翻訳のせいだろう。


2007年04月22日(日)

9時に事務所に出て読書とインターネット検索。アレグザンダー関係の資料を探り論文を拾い読みする。パタン・ランゲージ3部作『時を超えた建設の道』『パタン・ランゲージ』『オレゴン大学の実験』にざっと目を通したら20年以上前の出来事を想い出した。
1979年夏に新刊ホヤホヤの『Timeless Way of Building 時を超えた建設の道』をボストンのハーバード大学キャンパス内の書店で購入した。出版の順序はこの逆だったので、その時には既に後の2著は読んでいた。偶然にも同じ日にリドリー・スコット監督の『ALIEN』を観て強烈なショックを受けた。そしてその夜『時を超えた建設の道』を拾い読みしていた時「生き生きしたパタン」とは逆の「恐怖のパタン」や「苦悩のパタン」「悲哀のパタン」があるのではないかという啓示にも近いアイデアが閃いた。それ以来「生き生きしたパタン」の中には「恐怖・苦悩・悲哀のパタン」が隠されているのではないかという疑問に囚われるようになった。そしてベタな「生き生きしたパタン」だけを追求し続けるアレグザンダーのユートピア的な思想に対して、かすかな違和感を抱くようになった。僕はこのアイデアを『建築的無意識』(難波和彦:著 住まい学体系039 住まいの図書館出版局 1991)にまとめた。都市に「悪場所」や「アジール」が不可欠であるように、人間の生には「呪われた部分」(バタイユ)が不可欠なのではないか。そのようなネガティブな質を含まないパタン・ランゲージには本質的な欠落があるのではないか。もちろん積極的に恐怖や苦悩や悲哀を求める人はいない。しかしそれは「生き生きしたパタン」の中に決して除去できない本質的な「残余」として存在しているのではないか。アレグザンダーのつくる建築がどことなく甘ったるいテーマパークのように見えるのは、それが欠落しているせいではないか。そんな思いに囚われ続けてきた。昨日届いた『THE NATURE OF ORDER』第1巻を読んでもその疑問は拭い去れない。今度のエッセイで何とかこの問題を整理してみたい。

4時半、代々木上原に新居を計画中のクライアント候補が来所。敷地購入を正式に決めたので重要事項説明書と地盤調査書のコピーをもらう。早速、第1案のスケッチに着手することを求められたが、概略をスケッチした段階で風水の診断をすることになった。かつて風水師の店舗+住居を設計して以来の条件である。住宅なので条件はそれほど難しくはないだろうが、今回は直接、風水師に会って話を聞くことになった。

『空間の生産』を読み続ける。第1章「作品のデッサン」を読み終わったところで少々食傷気味になる。翻訳が悪いのかルフェーブルの論旨が曖昧なのか多分両方だろうが、何が言いたいのかはっきりしない。思い切って最終章「開口部と結論」に飛んでみる。


2007年04月21日(土)

今日は一日事務所。花巻がまとめた「125栗木邸」の詳細図と展開図をチェック。昨日の敷地調査の結果をまとめてクライアント候補に送信。直ちに連絡があり明日打ち合わせることになった。久しぶりにスタッフ全員と昼食。アレグザンダーについて話すが、彼らにとってアレグザンダーは完全に過去の存在のようである。午後は読書と原稿スケッチ。5時半、栗木夫妻が来所。「125栗木邸」の実施設計打合せ。詳細は花巻に任せ、スケジュールと工務店について確認。夕食後も読書と原稿スケッチ。

『空間の生産』(アンリ・ルフェーブル:著 斉藤日出治:訳 青木書店 2000)を読み始める。650ページもある大著。まず序文を読み、目次に目を通してから訳者解説で全体像を把握しようとするが、マルクス主義と空間論を結合させようとしている意図は理解できても肝心の空間論の焦点が見えない。とりあえず「空間的実践」「空間の表象」「表象の空間」という3元論を銘記して本文に取りかかる。

Amazonに頼んでいたアレグザンダーの『THE NATURE OF ORDER』第1巻「THE PHENOMENON OF LIFE」(2002)が届く。いつものように全体から部分へと論理を分化させていく構成でとても判りやすい。まず全4巻のタイトルと各巻の目次が紹介され、その後に第1巻が始まる。Wholeness and theory of centers はかつての「全体性とセンタリング・プロセス」と変わりない。Fifteen fundamental propertiesはかつての「12の幾何学的性質」の展開型だろう。「いかにつくるか(how)」ではなく「何をつくるか(what)」を追求している点もまったく変わっていない。というか今やwhatとhowが完全に結合しているようだ。
アレグザンダーは現在進行形で活動しているのだが、僕たちには情報はまったく入ってこない。ジャーナリズムが完全に無視しているからだ。確かに彼の仕事は一見するときわめて反動的に見える。現代の建築潮流とはまったくかけ離れている。とはいえアレグザンダーはバークレーから活動範囲をロンドンにも拡げたらしい。HPをチェックしたら壮大な建築世界を展開している。建築を科学的に捉えようとしている点はバッキー・フラーと同じだが、向いている方向はまったく逆である。アレグザンダーは建築を科学化するのではなく、逆に科学を建築化しようとしている。建築を通して科学の中に価値を埋め込もうとしているといってもよい。しかし彼がデザインする建築には何ともついていけない。果たして彼の方法(how)を彼とは異なるデザイン(what)に結びつけることができるだろうか。これが最終的な僕の課題だが、ともかくしばらく付き合ってみるしかない。
http://patternlanguage.com/
http://www.livingneighborhoods.org/ht-0/bln-exp.htm


2007年04月20日(金)

午前中、事務所。読書と原稿スケッチ。12時過ぎ事務所を出て、先日事務所を訪れたクライアント候補の敷地を見に行く。代々木上原の駅から南へ徒歩7〜8分の閑静な住宅地。東南道路で静かな敷地である。坂を登り切ったあたりなので地盤条件もよさそうである。ライフラインを調べ周囲の写真を撮る。その足で大学へ2時半着。3時から専攻会議だと思っていたら1週間間違えていた。やむなくひたすら読書。5時、ブタペスト・コンペのメンバーがハンガリー語の応募要項を翻訳して持ってきた。全体像はまだ判らないが、提出図書や書類がかなり厳しそうだ。しかしここまで来たら突っ走るしかない。来週には応募要項の翻訳を終え、基本方針を確認した後、5月の連休明けにメンバー4人がブタペストまで敷地調査に行くことになった。7時半に事務所に戻る。夜はスケッチと読書。

『クリストファー・アレグザンダー:建築の新しいパラダイムを求めて』(スティーブン・グラボー:著 吉田朗他:訳 工作舎 1989)を読み終わる。今やパラダイム論は風前の灯だが、別な形で建築界の地殻変動は確実に進んでいる。1970年代後半に『パタンランゲージ』と『時を超えた建設の道』をまとめて以降、1980年になるとアレグザンダーは日本の「盈進学園東野高校」の実現に集中した。1989年にこのキャンパスが完成してからは日本での彼の影響力は急速に弱まっていく。その理由はキャンパスがあまりにオリエンタリズム風のデザインだったからである。要するにポストモダン歴史主義の一種にしか見えなかったのだ。このキャンパスの実現プロセスには多くの僕の友人達が参加し、僕自身は確認申請の責任建築家になった。しかし完成後は僕を含めてメンバーのほとんどはアレグザンダーから離れていった。深くコミットメントした建築家ほどその反動は大きかったように思う。僕自身はといえば1990年代になるとアレグザンダーが否定したモダニズムの再評価へと向かう。とはいえこのキャンパスの設計時からアレグザンダーはパタンランゲージの先に進んでいた。グラボーの本が出版されたのは1983 年だがそこでも次のステップについて紹介されている。パタンランゲージ以後アレグザンダーは施工方法と幾何学的性質(センタリング・プロセス)の研究へと向かう。僕が監訳した『まちづくりの新しい理論』もセンタリング・プロセスの街づくりへの応用だが、最終的な成果は全4巻の『NATURE OF ORDER』にまとめられている。グラボーの本を再読してみて、もしかするとアレグザンダーは僕がもっとも引っかかっているテクノロジーの問題を含めて、モダニズム以前ではなくポストモダニズム以降に進もうとしているのではないかという予感がしてきた。早稲田大に赴任した中谷礼仁さんは新しい研究室でこの本の翻訳を始めているらしい。今日届いたメールで難波研も参加しないかと誘われた。卒論でアレグザンダーを研究したいという学生がいるので何とか参加を検討してみよう。


2007年04月19日(木)

8時過ぎに事務所に出る。花巻がまとめた「107桑山邸」の施工図チェック。10時過ぎに事務所を出て11時大学着。専攻長会議の資料を整理し事務に渡す。新領域M1の学生2人が難波スタジオに参加したいと言ってきた。柏キャンパスなので本郷のスケジュールを把握していなかったらしい。登録が間に合いそうなので受け入れることにする。12時半から学科会議。初めての専攻長会議報告。卒論生の研究室配属が決定。今年も難波研は男性3人である。難波研はなぜか女学生に敬遠される。スタジオ課題には沢山の女学生が参加しているのになぜだろうか。とはいえ今年はドイツとヴェトナムから女性の留学生2人が入室した。2時前から難波研で小会議。3時半M2生の修論エスキス。オランダ構造主義の突っ込んだ研究。しかしまだ突き抜けられない。近代建築の中でインヴァリアント(不変)な構造への指向を歴史的に辿って見ることをアドバイス。5時、松村研の助手Anilir SERKAN氏が来研。インフラ・フリー都市に関する論文の改訂版の説明を受ける。具体性が見えてきたので問題なくオーケー。直ちにコメントをまとめてCOEの担当者へ送信。6時半、真壁智治さんとコスモス・イニシア一行が来研。HPの構成について説明を受ける。5月に立ち上げるので早急に中味を検討せねばならない。7時過ぎから研究室会議。M2の修論テーマ報告とブタペスト・コンペ報告。8時過ぎから新卒論生と留学生の歓迎会。ビールと赤ワインを飲みながらM3生のシュツットガルト工科大学での研究報告。東大建築学科ではなかなか実施できないような実験的研究に感心する。お土産にもらった世界中の酒を飲み比べながら歓談。難波研はついに20人を越えたので廊下まではみ出してしまった。10 時半終了。11時半に事務所に戻る。『クリストファー・アレグザンダー:建築の新しいパラダイムを求めて』(スティーブン・ブラボー:著 吉田朗他:訳 工作舎 1989)を読みながら夜半過ぎ就寝。

駒場の加藤道夫さんから『東大駒場連続講義:知の遠近法』(ヘルマン・ゴチェフスキ:編 講談社選書メチエ 2007)が届く。加藤さんは第2章「遠近法の作図理論の発展・応用・克服」を書いている。プラトンからルネサンスを経て近代建築に至る遠近法理論の変遷を追ったコンパクトだが興味深い論文である。


2007年04月18日(水)

午前中は事務所。9時、銀行に行きコンペ登録料を振り込む。10時過ぎまで読書と原稿スケッチ。10時半三愛不動産の山田氏来所。照明器具や外装のメンテナンスについて相談。特殊な照明器具を使うと後々のメンテナンスが難しくなることを痛感。花巻と「125栗木邸」の詳細について打合せ。防火地域内にあるので構造骨組みをすべて隠さねばならない。初めての経験なので仕上に注意を要する。モノリシックな箱の中にインフィルを置いたようなデザインでまとめる方針を確認。
11時半過ぎに事務所を出てJR総武線小岩駅へ12時半着。駅前で簡単な昼食を済ませ、午後1時改札口で研究室メンバー、コスモスイニシアと待ち合わせ、駅前開発ビル現場事務所へ。建物について一通りの説明を聞く。駅前という敷地条件を考慮して全面的にプレキャスト・コンクリートを採用した高層住宅である。その後、開発ビルの最上階24階へ上がり1.5層分の高さを持つ住戸を見学。屋外廊下は住戸との間に緩衝空間を置いているが全体としてやや貧相な感じ。通路幅と天井高のプロポーションの問題だろうか。住戸内は天井高が4m近い空間に半階分の収納スペースやロフトを差し込み、高さに変化を与えている。集合住宅としては珍しいかも知れないが、戸建て住宅では良くやる方法なのでとくに新しい発見はない。むしろ戸建て住宅とは異なる、もっと思い切った方法があるのではないかと思う。そのためには住戸内だけで考えるのではなく、集合としての1.5層住戸の可能性を考える必要があるだろう。3時前終了。
4時一旦事務所へ戻る。青木茂さんが来所の予定だったが彼が約束時刻を間違えていたのでキャンセル。5時過ぎ大学行き。院生とコンペの打ち合わせ。先週の学科長・専攻長会議の資料整理。7時前、雨の中近くのイタ飯屋へ。大学の同僚と会食。赤ワインを飲みながら教育談義。久しぶりに腹に応える議論を交わす。9時過ぎ終了。10時過ぎに事務所に戻る。しばらくの間は頭の整理。11時過ぎ帰宅。

『形の合成に関するノート』(クリストファー・アレグザンダー:著 稲葉武司:訳 鹿島出版会 1978)を読み終わる。4度目の再読だが何度読んでも発見がある。数学という人工言語を用いて形とコンテクストの関係をここまで客観的・科学的に突きつめたのはアレグザンダーだけだろう。何事もそうだが、ひとつの方法を突きつめるとその方法の限界が明らかになる。アレグザンダーはこの方法を突き抜けてパターン・ランゲージに辿り着いた。パターン・ランゲージは数学的な形式言語ではなく自然言語で語られているからとても判りやすい。しかしその判りやすさをそのまま受けとめてしまえば、アレグザンダーのデザイン思想の一断面に触れるだけに終わるだろう。事実、彼はパターン・ランゲージをまとめた後、次のステップとして「形の幾何学的性質」の追求を開始し、最近では『NATURE OF ORDER』という全4巻の壮大な世界論を展開している。僕としては彼の思想展開を後追いするだけではなく、何とか彼のデザイン思想の可能性と限界をはっきりさせてみたい。


2007年04月17日(火)

午前中は事務所。「123野川邸」がようやく収斂したので工事契約の手続きを進めることになった。結局これまで「箱の家」を最も多く手がけた工務店に決定。ここのところ東京北部の「箱の家」はほとんど同じ工務店に工事を依頼する結果になっている。

午後1時大学行き。ブタペスト・コンペのエスキス。登録料を支払うまでは細かな設計条件が分からないので敷地条件とコンペのこれまでの経緯を分析。明朝、ブタペストの指定銀行に登録料を振り込む予定。
3時半からスタジオ課題の第1回プレゼンテーション。24人のメンバーが10チームに分かれてフラーの仕事について調べた結果を報告。4時からマイケル・ホプキンス事務所のWilliam Taylor、Simon Frazer、南雲、星野の4氏が参加。学生たちの報告はまだ鳥羽口で突っ込みが足りない面があるが、いくつか興味深い発見もあった。ともかく中間講評まではフラーについて徹底的に調査を進める。5時半終了。

6時からビル・テイラー氏による特別講義。野城智也氏の司会で「Context and Continuum」と題しHopkins事務所の仕事の全貌を紹介。Hopkinsの仕事は英国特有のハイテクを英国的伝統に接ぎ木しようとする試みだといってよい。初期の自邸やロード・クリケット観覧席はポップで軽快だが最近になると徐々に重厚な表現になってくる。国会議事堂脇の議員会館Parliament HouseはまさにContext and Continuumを地でいったような名作だが、ガンメタルによる工芸的な出窓によってファサードを構成したBracken Houseは19世紀末のPeter EllisによるOriel Chambersよりもやや鈍重である。ほとんどが公共建築であり公開コンペで獲得した仕事なので社会的認知を得るために苦労しているように感じられる。どことなく保守的で重厚な感じを受けるのは、技術的な側面からサステイナブル・デザインを指向している以上に、英国の保守的な社会の反映なのかもしれない。その意味ではノーマン・フォスターやリチャード・ロジャースの方が突き抜けているが、むしろHopkins事務所の方がボディ・ブローのように持続する建築をつくり続けるような予感もする。いずれにしても今後もto watchの建築家である。いくつか学生の質問を受けて8時前終了。9時前まで講評室で懇親会。Taylor氏もFrazer氏も東大生の質問の的確さに感心していた。9時から正門前の居酒屋で会食。 建築談義で大いに盛り上がる。今回は新丸ビル竣工式出席のための来日だそうだが、彼らは出来上がりにあまり満足していないようでレクチャーでも紹介されなかった。ここにも金融資本主義の影響を見て取れるということか。近日中にロンドンでの再会を約して11時前終了。


2007年04月16日(月)

8時に事務所。原稿スケッチ。8時半、龍光寺が出社。9時前銀行に行き経費振込。10 時CIXM工場定例打合せ。いつものメンバー全員が揃う。建築の詳細打合せ。設備はようやく収斂し本格的な実施設計に着手。カッシーナから平面計画の一部変更希望が出たので大急ぎで検討。石川建設へ鉄骨部材発注指示書を渡す。連休前の予算確定をめざしてピッチを上げる。地鎮祭は5月9日(水)に決まる。
午後、上田宏さんが撮った「箱の家103」以降の写真選択。2時『住宅建築』編集部の中村さん来所。選択したポジ写真を渡した後、坂口裕康さんの写真に目を通す。やはりカメラマンが変わると視点も変わっている。今回の特集の隠れた見所になるかもしれない。その後、図面、説明文などの打ち合わせ。今年新年号の内藤廣特集へのコメントは締切原稿が詰まっているのでインタビュー形式にしてもらうことにする。
4時半クライアント候補来所。僕より少し年上の女性。イタリアとフランスに留学経験のあるデザイナーで小林秀雄、青山次郎、白州正子、石津謙介といった人たちとも交流があった人である。代々木上原に親子3人の住まいを計画しているという。『箱の家にすみたい』を読んで僕を選んだそうだ。ル・コルビュジエの「母の家」が気に入っているという。家相に従うことを要求されたが何とかなるだろう。敷地は代々木上原駅から歩いて5分の密集住宅地。昨日、購入を決めたらしい。早急に敷地調査をすることを約して6時半終了。
夜は読書と原稿スケッチ。石山修武さんに電話。後期の共同設計課題のスケジュールについて相談。近いうちに会って基本方針を確認することになった。

『形の合成に関するノート』を読み続ける。形とコンテクストの関係を「適合:不適合」の概念でとらえ、適合は不適合の除去によってしか把握できないというアレグザンダーの考え方にかすかな違和感を抱くが、自分でもその理由が分からない。試行錯誤による漸進的な改良を思わせるせいかもしれない。ならば出発点となる形はどこから生まれるのかという疑問が生じる。形はコンテクストの分析から(帰納的に)は生まれないし、コンテクストとは無関係な原理から(演繹的に)もたらされるのでもない。形はコンテクストの分析から飛躍して、適合をもたらす可能性のある仮説として不連続に提案される。6章「プログラム」でアレグザンダーはその点を明言している。僕の見るところアレグザンダーの分かりにくさは、彼の発想がいつも「結果が原因を明らかにする」という逆転した構図になっているからである。コンテクストと形の適合:不適合関係は、仮説的な形が提示されなければ分からない。実をいえばコンテクストと形という区分自体が仮説的な形が先行しなければ定義できないのだ。これは構造主義言語学についても指摘されてきた批判である。しかしデザインとは本来そういう行為なのではないか。アレグザンダーはいつも僕たちより一歩先に進み、そこから僕たちに向かって、僕たちの背後にある事象について語ろうとしているのである。


2007年04月15日(日)

8時起床。9時半に事務所に出て午前中は読書。午後は原稿スケッチ。『建築の解体』(磯崎新:著 鹿島出版会 1975)の「クリストファー・アレグザンダー:環境を生成する普遍言語を探る」の章を読む。まだ『形の合成に関するノート』も『パターン・ランゲージ』も翻訳されていない段階で、ここまでアレグザンダーについて詳細な評論を書いている点だけでなく、その後のアレグザンダーの仕事に関する磯崎さんの予感が完全に的中している点にあらためて驚嘆する。磯崎さんはアレグザンダーに関連して同時代のオランダの建築家アルド・ヴァン・アイクがジェフリー・ブロードベント編『建築の意味』に文化人類学的な所見を寄稿していることを指摘している。「構造」というキーワードが当時の時代性を表していることをあらためて確認。引き続き『形の合成に関するノート』の再読に向かう。

マイケル・ホプキンス事務所のナンバーワンであるビル・テイラー氏の講演会が来週火曜日(17日)の夜に開催されるが、早めに大学に来て難波スタジオの見学をしたいという希望が届く。難波スタジオの課題である「バッキー・フラー再発見 Rediscovery of Buckminster Fuller」に興味を持ったとのこと。さすがにフラーの弟子ノーマン・フォスターのかつてのパートナーで英国サステイナブル・デザインの旗手だけのことはある。まだ勉強会の段階だが、スタジオ・メンバーには是非頑張って充実した発表をしてもらいたいたい。


2007年04月14日(土)

午前中は原稿スケッチと読書。「123野川邸」のコストダウン案が最終段階である。濱本夫妻から「濱本邸」第2案に関するコメントが届く。概ね良好な感想だが最終決定は模型を見て判断したいとのこと。井上のスケジュールを調整し5月の連休前後にプレゼンテーションすることを約す。午後1時半、佐藤夫妻と環境研の前助教授、赤嶺助手、M1生が来所。「124佐藤邸」の輻射冷暖房実験に関する打合せ。前さんが冷暖房にかかるコストの詳細な比較シミュレーションをしてくれたので佐藤夫妻も納得し実験を実施することに決定。次のステップに進むことになった。その後、山根と実施設計の打合せ。家具の設計段階になるといつも細かな希望が出てくるが、これがコストに大きく跳ね返る。予算を睨みながら対応しなければならない。今月中に実施設計をまとめる予定。
5時過ぎ、事務所内打合せ。連休前にまとめねばならない住宅が何軒かあるが、CIXM工場のスケジュールがクリティカルである。『住宅建築』のまとめも急がねばならない。大学も夏学期が始まり本格的に動き始めた。研究室の共同研究やコンペが動き始めるのでじっとしている暇はない。
池辺研の先輩、高橋博久さんの教え子である佐々木敏彦さんから連絡があり、高橋さんが名古屋で開催している「博久塾」へ参加を依頼された。名古屋の「箱の家107」が完成する時期に合わせ6月9日(土)オープンハウスの前夜にスケジュール調整を要請。延藤安弘さんが絡んだ企画なので議論が白熱するだろう。断熱材メーカーのアキレスから札幌での講演を依頼される。北海道で「箱の家」がどう受けとめられるか興味がある。7月前半の開催予定である。

中谷礼仁の『セヴェラルネス』(鹿島出版会 2005)のアレグザンダー論を再読する。アルド・ロッシの『都市の建築』やベンヤミンのアレゴリー論と絡めたアレグザンダー解釈は学ぶべき点が多いが、今一歩踏み込みが足りない気がする。それはおそらくアレグザンダーが構造主義人類学や記号学を参照している点を見落としているからだろう。僕としてはアレグザンダーの理論展開をアンリ・ルフェーブルの空間論に絡めて読み解いてみたい気がする。


2007年04月13日(金)

8時過ぎに事務所に出て読書と雑用。10時前に事務所を出て品川10時半発の新幹線に乗車。通路を歩いていたら同級生の松波秀明君に会う。彼も名古屋出張だというので近況について話し合う。名古屋で下車寸前に同じ車両に京都大学の高松伸さんが乗り合わせていることに気付き急いで挨拶。
1時過ぎ「107桑山邸」現場着。すでに花巻が着いている。後藤さんも加わり現場監督、家具屋と打合せの最中。その間、内外部を見て回る。ベランダを除いて外装工事はほぼ終了している。内装は木工事が終了し家具工事が始まるところ。塗装屋が下拵作業中。集成材の骨組は現しだが、絵を飾るためそれ以外はすべて石膏ボード塗装仕上げのフラットな空間である。友八工務店の植田社長としばらく歓談。6月上旬の引渡を依頼。
2時半、後藤さんの車で「121小野邸」現場へ。小野夫妻に挨拶。山根は橋本さんと打合せ中。先日「120大野邸」のオープンハウスに来てくれた現場監督である。主構造の建方が終了し屋根下地と庇の骨組を取り付けている最中。コストダウンのためこの「箱の家」から骨組をLVLに変え、新しい外断熱構法に切り替えている。2階に上がると45センチピッチのLVL梁がトンネル空間の奥行感を強化しているのがよく分かる。スカーフィング部分に見える黒い接着剤の縦染みを仕上段階でどう処理するかがひとつの課題だろう。構造用合板のムラも何とかしたい。鉄骨製の軒樋と縦樋を取り付けると建物全体が鉄骨造のように見える。明日から雨らしいので屋根下地を完成させシートで覆うまでの作業を行う。6時終了。
6時過ぎから上棟式。小野夫妻が用意してくれた料理をいただきながら歓談。最後に記念撮影して7時過ぎ終了。その後、橋本さんの車で今池の小料理屋へ行き「107桑山邸」現場監督の坂部さん「116鈴木邸」現場監督の齋藤さんを交えて夕食。日本酒を呑みながら盛り上がる。明日は竹原義二さんが大阪市大生を連れて名古屋に来るという。9時、後は後藤さんに任せてタクシーで名古屋駅へ。10時前の最終新幹線に乗車。JP山手線の渋谷駅に降りたところで野城智也さんに会う。今日は偶然が重なっているようだ。
12時に事務所に戻る。龍光寺が仕事をしている。メールチェックした後、12時半帰宅。アレグザンダーの『まちづくりの新しい理論』(難波和彦:監訳 鹿島出版会1989)を読みながら1時過ぎ就寝。


2007年04月12日(木)

9時半大学着。東大前駅で鈴木博之さんと会う。10時、研究室にて鈴木、伊藤両教授と歓談。11時、M2生の進路相談。12時半から学科会議。大きな議題はないが、卒論生の研究生配属の第一弾が学生から届いた。難波研は第1段階でメンバーが確定したので面接の必要はなくなった。2時過ぎから工学系研究科教授会。新任の藤田香織助教授と一緒に出席。年度初めの教授会だが出席率はすこぶる悪い。かろうじて委任状によって成立。新年度に着任した24人の新人教員の挨拶。藤田さんも緊張しながら挨拶を済ませる。その後、人事案件の投票。大過なく3時半過ぎ終了。4時から列品館に場所を移し学科・専攻長会議。大量の議題を手際よくこなす松本洋一郎研究科長の手際に感心する。学科会議に報告すべき項目をチェック。5時半終了。建築学科専攻長として毎月2〜3日はこういう会議に出席することになる。学内情勢を正確に把握できることは確実だが、それをどう生かすかは手探り状態である。6時半、研究室会議。留学生3人の紹介。7時コスモスイニシア2人と真壁智治氏が来研。共同研究の説明。院生達はすでに自主的に分担を決めている。来週から本格的に研究を開始する。その後ブタペスト国際コンペの打ち合わせ。M2生+留学生が作成した敷地模型を見ながら概略を説明。5月下旬には敷地調査に行くらしい。来週の予定を確認し8時半時終了。10時に事務所に戻る。

龍光寺と「CIXM工場」の打ち合わせ。鉄骨の発注を急がねばならない。井上と「濱本邸」第2案の打合せ。第1案よりも一段とキレの良い案になった。早速、コメントを添えて濱本夫妻に送信。栃内と「127佐藤邸」の打合せ。明日、確認申請に提出する。明日は花巻+山根と名古屋に行く。「107桑山邸」の現場確認と「121小野邸」の上棟式である。11時帰宅。アレグザンダー関係の資料に目を通しながら夜半過ぎ就寝。


2007年04月11日(水)

6時起床。依然として腹具合が悪く寝不足。7時に家を出て北千住で東武線特急りょうもう3号に乗り相老駅に9時半着。改札口でカッシーナの堀尾さん、電気の田口さん、龍光寺と待ち合わせCIXM社の車で工場へ。10時から社長、他3人の担当者が参加して打合せ。建物内外の動線、開口部、間仕切、設備配置などを逐一確認していく。12時終了。昼食後も電気設備の打合せが予定されていたが僕は先にお暇する。帰りの電車では爆睡。大学に寄ろうと思ったが会議はすでに終わっていたので、そのまま4時過ぎに事務所に戻る。夕方までCIXM工場の図面をチェックし問題点を抽出。夕食後、龍光寺と打合せ。まだまだ残された検討事項は多い。夜は原稿スケッチ。そろそろ『住宅建築』と『10+1』の原稿を書き始めねばならない。


2007年04月10日(火)

昨晩、信濃町のインド料理屋で食べたカレーのせいで夜中に腹痛が始まり、明け方まで何度もトイレに通う羽目になった。おかげで酷い寝不足である。8時半に事務所に出るが依然として腹の具合が悪く何も手に着かない。11時過ぎに事務所を出て正午前大学着。思い立って正門前のカレーの昼食を食べたら腹が落ち着いた。
今日から夏学期本番が始まる。1時から卒論ガイダンス。ここ3年間の卒論テーマと今後展開するテーマについて説明。M2生が提案しているマーティン・ポーリィの『第2機械時代の理論とデザイン』の翻訳についても説明。20人余の4年生が参加。難波研の卒論生になるのはこの内の3人である。来週中には最終決定する。15分で終了。引き続き1時半からスタジオ課題の説明会。課題は『バックミンスター・フラー再発見』。フラーについて研究し彼のデザイン思想を現代に生かすという課題。興味深い作品は今年の建築学会大会で発表する。難波スタジオの登録者は21人だが出席者は25人。スタジオ課題の主旨について説明した後バックミンスター・フラーの仕事について約1時間のスライドレクチャー。昨年の大学院講義の延長である。フラーとカーンの関係についても話す。それにしても留学生を含めてフラーのことを知らない学生が結構いるのに驚いた。建築を勉強していてフラーを知らないとは勉強不足ではないか。『第1機械時代の理論とデザイン』を読んでいない証拠である。2時半過ぎ終了。
3時、留学生とM2生でブタペスト都心開発コンペの打合せ。3ヶ月余りのコンペに研究室で取り組む体制について議論。4時、M2生の修論エスキス。ベンヤミンとル・コルビュジエの関係について研究したいという。僕としてはすでにコンバージョン研究で検討したことのあるテーマだが、修論としてはやや難しいような気がする。ベンヤミンは体系的な研究にもっとも相応しくない歴史家だからだ。とはいえこれまでかなり突っ込んで勉強しているようなので行けるところまで行ってみるようにアドバイス。
6時過ぎに事務所に戻る。急激に眠気が襲う。夕食後はスケッチと読書。『デザインとヴィジュアル・コミュニケーション』(ブルーノ・ムナーリ:著 萱野有美:訳 みすず書房 2006)を読み始める。


2007年04月09日(月)

7時起床。8時に事務所に出る。濱本夫妻から第1案に関するコメントが届く。早速、第2案のスケッチを始める。指摘された条件をいかに昂進させるかが勝負である。10時、CIXM工場の定例打合せ。カッシーナの堀尾氏、石川建設担当者4人、佐々木構造計画の犬飼氏、機械設備の内山氏、電気設備の田口氏、龍光寺、僕の大人数。先週からの経緯を説明。工程のクリティカル・パスは鉄骨構造部材とアルミカーテンウォールの発注であることを確認。その後、各セクションの問題点をリストアップ。実施設計と見積との同時並行作業である。来週までの宿題を確認して11時半終了。引き続き、堀尾、内山、田口3氏との打ち合わせは龍光寺に任せて僕は退席。建築学会へ向かう。
1時半、田町の建築会館へ。日本建築士会連合会作品賞の1次審査。今年から日建設計の櫻井潔と大阪市立大学の竹原義二の二人が審査委員に加わり8人体制になった。全国から届いた140点余りの応募作品に全員で目を通し、その中から投票と議論によって現地審査を行う16点をピックアップ。現地審査の担当者を決める。僕は関東と都内の作品4点、関西の作品4点を見ることになった。5時過ぎ終了。
四谷三丁目の「ハウス&アトリエワン」へ6時前着。まもなく平良さんと中村さんが到着。塚本・貝島両氏の案内で建物を見学。全体的にポップでカジュアルな空間である。鉄骨造とALC版によるデザインと設備的な試みを表現している点が池辺陽の後期の住宅を連想させて懐かしい。見学後、打合せコーナーで座談会。ギャラ間の展覧会の話題からスタートしてPSヒーターを使った輻射冷暖房の話と展開。大学でのデザイン教育の話題はクリストファー・アレグザンダーの話しへと急展開。塚本さんは最近アレグザンダーを勉強し始めたらしい。アレグザンダーについては僕も『10+1』連載の次回に取りあげようと考えていたので考えをまとめるいい機会かもしれない。最近の建築界については塚本さんから「参照枠」の小ささに関する議論が出た。要するにデザインが自閉化しているという批判だが、僕の考えではこれは歴史的視点の欠落に最大の要因があると思う。7時半終了。雨の中信濃町まで歩き途中の小さなインド料理屋でカレーライスの夕食。インドビールを飲みながら平良さん中村さんと歓談。9時前に事務所に戻る。井上に「濱本邸」第2案のコンセプトを伝える。花巻がまとめた「Blaze+坂口邸」第2案の概算見積をチェック。栃内から「127佐藤邸」の事前協議の報告を受ける。CIXM工場の実施設計を界工作舎OBの岩堀が手伝ってくれることになった。10時過ぎ帰宅。

『ネオリベラリズムとは何か』(デヴィッド・ハーヴェイ:著 本橋哲矢:訳 青土社 2007)を読み終わる。ネオリベラリズムと経済のグローバリゼーションとの密接な関係について再認識する。ハーヴェイによれば「ネオリベラリズムは、あらゆるものを金融化し、資本蓄積の権力の中心を金融機関に移すことによって、資本のその他の部門を衰退させる」「ネオリベラリズムの国家は、雇用や社会福祉を二の次にして、資本蓄積を最優先する」。昨今の公共事業の衰退と商業建築の勃興はネオリベラリズムがもたらしたものだ。その意味でネオリベラリズムはポストモダニズムの到着点だといってもよい。こうした政治的、経済的な分析も参考になるが「第3章:空間というキーワード」は建築家にとって必読の論文だろう。アンリ・ルフェーブルが提唱する「物質的空間(経験された空間)」「空間の表象(概念化された空間)」「表象の空間(生きられた空間)」という三層構造と、ハーヴェイが提唱する「絶対的空間」「相対的空間(時間)」「関係的空間(時間)」という三分割を組み合わせてつくられるマトリックスは、空間全般の問題に関する強力な分析装置である。このマトリクスを使ったマルクスの「資本論」の使用価値、交換価値、価値という三つの主要概念の分析は圧巻である。ハーヴェイの所論と「建築の4層構造」とに密接な関係があることは明らかだ。少し時間をかけて考えてみよう。


2007年04月08日(日)

8時起床。頭痛が酷く完全な二日酔い。シャンペン、紹興酒、テキーラをチャンポンで呑んだためだろう。頑張って朝食を摂り9時過ぎに家を出る。10時前、多摩プラーザの「アシタノイエ(小泉自邸)」着。直後に住宅建築の中村さんも着く。玄関前や室内を学生たちが掃除している。玄関で小泉さんが迎えてくれる。6人の学生は小泉研究室修士1年だそうだ。今日は対談の後、小泉研の歓迎・追出しコンパだという。10時10分過ぎ平良編集長が到着。早速、小泉さんに建物を案内してもらう。僕は2年前に見学しているので学生と雑談。10時半から対談開始。小泉さんがサステイナブル・デザインに興味を持つようになった経緯からJIAのハウジング・フィジックス研究会に至るまで、さまざまなテーマについて議論。平良さんも加わり鼎談となる。修士1年生は床に座って話を聞いている。12時過ぎ終了。その後、奥様にサンドイッチの昼食をご馳走になり1時前にお暇する。

2時前、事務所に戻る。栃内が仕事をしている。3時過ぎ宮前さんが来所。一緒に敷地調査に向かう。敷地は小田急線の東北沢駅から北へ歩いて約10分、井の頭通りから手前の密集住宅地。現在は宮前さんの祖母が住んでいる家を2世帯住宅に建て替える計画である。写真を撮りライフラインの状況を確認。敷地境界に不明確な点があるので敷地図をもらった上で計画を始めることを約し4時半に別れる。
夕食後、8時寸前に家族で投票所へ。都知事選への投票を済ませる。疲れが取れないので早めに床に就く。『ネオリベラリズムとは何か』を読みながら11時過ぎ就寝。


2007年04月07日(土)

8時半に事務所に出て、明日の小泉雅生さんとの対談スケッチ。10時半、坂口夫妻来所。面積を縮小しコストダウンを図った「Blaze+坂口邸」の第2案打ち合わせ。基本方針は認めてもらったが、予算についてはまだ不確定とのこと。界工作舎としての概算見積書を作成することになった。午後4時半、佐藤夫妻と環境研の前助教授が来所。「124佐藤邸」の環境実験に関する打合せ。前さんが実験の主旨について説明。これに対し佐藤夫妻は実験プログラムと維持コストに関するシミュレーションを求めた。僕としては環境実験が結果的に性能アップにつながるのであれば拒否する理由はないと考えるのだが、工事金額が明確になるまではリアリティが感じられないのかもしれない。ともかく来週末までに前さんに数字を出してもらい再検討することになった。

打合せの合間にAnilir SERKANの論文を読む。インフラ・フリー(IF)な生活を実現するためのツール(社会、経済、技術、保健、制度、環境)をリストアップし、それによってさまざまなタイプのIF都市の可能性を評価する試みである。最大の課題はIFのツールをどう捉えるかだが、これは最終的に社会全体をどう捉えるかという問題になるので、いささか問題が大きすぎるような感じがする。

6時半、事務所を出て表参道の中華料理屋へ。界工作舎のOB・OGを交え総勢20余人で僕の還暦祝のパーティを開いてくれた。大阪からは寺山君が、金沢からは馬場君が参加。紹興酒を呑みながら大いに盛り上がる。二次会はメキシコ料理屋でテキーラ。酔いつぶれる直前に帰宅したところで記憶が消える。


2007年04月06日(金)

午前中は事務所で今夜のスライドショーを見ながらシナリオをまとめる。花巻と浅草の「Blaze+坂口邸」の第2案の打ち合わせ。工事費を概算してみるがなかなか厳しい。龍光寺が「CIXM工場」の確認申請を提出し昼前に帰ってくる。着工予定以前に確認申請が認可される可能性が難しくなったので、来週初めの打合せで対応策を話し合わねばならない。大急ぎで鉄骨構造に目を通す。いくつか気になる点がある。大急ぎで検討しなければならない。
栃内と午後3時過ぎに事務所を出て鎌倉の「118松田屋本店」に5時前着。今日はギャラリーのオープニングと僕のショートレクチャー。鎌倉や逗子に住んでいる建築家が来てくれた。皆、懐かしい人たちばかりである。中には名古屋や群馬から来た人たちもいる。博多から「箱の家45」のクライアント村岡さんも来てくれた。まずは美味しい蕎麦をいただきながら祝杯。その後6時からシュートレクチャー。気がつくとギャラリー内は人で一杯になっている。終了後お酒を飲みながら歓談。8時過ぎ終了。
歓談中、何人かの建築家から斉藤裕の連続講義について聞かれた。まるで東京大学建築学科が主催しているような風説が流布している。実際は学生の自主開催なのだが、学生たちにはほとんど社会意識がないので間違った情報を流布する結果になった。僕は会場を大学外に移し齋藤さん自身の主催にするよう何度も注意を喚起したが、彼らは依然として事態を理解していないようだ。僕の見通しも甘かったが、誤解を招くような情報を発している齋藤さんにも責任の一端がある。いずれにせよそろそろ明確な警告を発する時期かもしれない。
8時半に会場を発ち村岡さんと品川まで帰る。10時事務所着。山根と「124佐藤邸」の打ち合わせ。11時過ぎ帰宅。

生研の野城教授の紹介で4月17日(火)に特別講義の番外編を開催することになった。講演者はマイケル・ホプキンス事務所のビル・テイラー氏。ホプキンスはフォスター事務所の創設者の一人で英国のサステイナブル・デザインの旗手である。先頃完成した丸の内ビルのデザインを担当しているので英国大使館経由で講演依頼があった。


2007年04月05日(木)

9時半に大学の研究室へ。10時、11号館7階の久保・塩原研究室へ。前専攻長の久保哲夫教授から建築学専攻長の引き継ぎ打合わせ。学科会議、専攻会議、教授会、専攻長会議など出席すべき会議が多くて気が遠くなる。2年間の就任だが、その間に処理すべき重要な課題も多い。ともかくひとつずつ処理していくしかない。引き継ぎが一区切りついたところで事務主任の馬場さんが加わり事務的手続きの打合せ。馬場さんも僕と同じ新任である。12 時半から学科会議。ほとんどの議題は前専攻長からの報告。新専攻長として初めての発議は学部生のジュニアTAと情報担当委員の選定という小さな課題。ジュニアTAの活動は製図室の整理整頓に決定。2時前終了。直ちに3年生の設計課題説明会に途中参加。2時半終了。3時からM2生の修論エスキス。アルド・ヴァン・アイクやヘルマン・ヘルツベルハーといった1960年代のオランダ構造主義建築家の研究を同時代の構造主義人類学の展開として捉えようとする試みだが、隙だらけなのでハラハラする。構造主義の歴史的起源やポスト構造主義への視点が欠けているからだ。残された時間は少ないが期限ギリギリまで問題を精一杯拡大してみるようにアドバイス。時が熟せば問題は自然に収斂するだろう。

4時に大学を出て千代田線の乃木坂で下車し東京ミッドダウンのデザインミュージアム21-21の「安藤忠雄:悪戦苦闘展」へ。入口で安藤さんに挨拶し地下のホールで3年生のためのショートレクチャー。少しずつ観衆が増え200人くらいに膨らむ。その後、展示の説明。6時終了。僕は皆と別れてギャラリー間の「アトリエワン」展へ。閉館時間を過ぎていたが窓口に頼み込み一人でゆっくり見て回る。入口前に置かれた現寸大の「人形劇場」の模型に度肝を抜かれる。屋外テラスには長大な屋台。4階には完成した住宅と計画中の住宅が同じ縮尺で置かれている。リアルなテクスチャーと抽象化との境界を狙った不思議な模型である。ガツンと来る建築ではないが、知的で捻りの効いた空間が展開している。7時前に事務所に戻る。井上と「123野川邸」のコストダウン案の打合せ。ギリギリまで削ぎ落とすがまだ予算に届かない。まずは第一段階として野川さんに報告することにする。山根と「120大野邸」の残工事打合せ。細かな仕事の連続で工務店が十分に対応できないのが心配である。

『建築雑誌』2007年4月号の特集「住むための機械の未来」を読む。石山修武×布野修司×松村秀一×新堀学の4氏による巻頭座談会「居住と住居のあいだ」を興味深く読んだ。対談の直後に石山さんから「あの対談は、要するに「箱の家」批判だね」と言われて気になっていた。いつもながら石山さんの発言は政治的な意図に溢れていて真意を読み取りにくいのだが、煎じ詰めると「現代社会においては住宅の具体的な課題に取り組んでも未来につながる展望は得られない」という主旨だと読める。僕は住宅に関する建築家の意見は当人の住体験や仕事の状況を反映していると考えるので、石山さんは現在のところ住宅設計に展望を見出せないのだと解釈する。そんな時代に喜々として住宅設計に取り組んでいる建築家の気が知れないという批判である。具体的には僕が工業化の課題を池辺陽から引き継ぎ、僕と池辺の間にある剣持聆と大野勝彦の仕事を踏まえていないということでもある。確かにこの点については少し考えてみる必要があるかもしれない。石山さんに対し布野さんの発言は僕の仕事により引きつけて捉えることができるが、都市や地域に対する視点が欠落している点が僕に対する批判といえるだろうか。それにしても両氏とも現代住居に関して悲観的な意見を持っている点が気になる。巻頭座談会が特集の他の記事から浮いて見えるのはそのためだろう。


2007年04月04日(水)

8時に事務所に出る。雑用を済ませた後、事務所を出て大学に9時半着。10時、留学生の推薦状を書く。10時半、松村研の助手Anilir SERKAN氏が来研。インフラ・フリー都市に関する論文の査読を依頼される。最新号の『10+1』46号や『建築雑誌』2007年4月号にも掲載されている論文のテーマである。少し時間をもらって検討することを約す。シュツットガルト工科大学から帰国した難波研M2生と昼食。研究室内のディスコミュニケーションを解消する方法について話し合う。COSMOS INITIAの委託研究やローマ大ワークショップなどのイベントを含めて1年間の研究室活動計画を建てる必要があることで意見が一致。M2生としてリードしてくれるように依頼する。1時から3年生ガイダンス。専攻長としての最初の仕事である。建築界の近況について述べた上で、製図室の清掃の話題へとつなげる。3時からの大学院生ガイダンスと5時からの4年生ガイダンスでも同じことを喋る。合間を見て研究室メンバーに委託研究の資料を送信。界工作舎とメールで仕事の打合せ。5時半過ぎに大学を出て6時半に事務所に戻る。8時から事務所内打合せ。仕事が詰まって来たのでOG/OBへ協力を依頼してみることになり依頼メールを送信。しかし皆忙しいようだ。何とかCADが使えるアルバイトを探さねばならない。


2007年04月03日(火)

8時に事務所に出る。明日のガイダンスで専攻長として喋ることをスケッチする。今年のテーマは製図室の清掃である。学生たちが自主的に清掃する慣習が成立するまで専攻長の強権発動もやむを得ないことを伝える。建築デザインが空間の秩序をつくり出すことならば自分たちの空間に秩序を与えることから出発するのが第一歩だろう。何だか小学生の校長の説教みたいだが、製図室の清掃は僕たちが学生だった頃から変わらない伝統的な課題である。僕が専攻長の間に何とかしたい。

10時、石川建設が来所。龍光寺が加わりCIXM工場の実施設計打合せの第1回目。ゼネコンと共同で実施設計を進めながら工事費を収斂させることによって、厳しいスケジュールと予算をクリアする試みである。残り1ヶ月で着工まで漕ぎつけねばならない。概算見積以降の経過を説明し毎週1回の定例会議を持つことになった。午後1時、真壁智治さんとコスモス・イニシアが来所。難波研との共同研究に関する2回目の打合せ。新しいタイプの集合住宅に関する研究を委託される。具体的には1.5層分の空間を使ってどのようなライフスタイルを提案するかという課題である。コスモス・イニシアは大学院生を中心にした短期間の集中的研究を期待しているが、果たして学生たちが責任を持って研究を展開できるだろうか。久しぶりの委託研究なので挑戦するしかない。早々に提案してみよう。3時、PS工業が来所。山根と一緒に「124佐藤邸」の輻射冷暖房研究についての打ち合わせ。界工作舎からのデザイン上の要求条件と環境研からの研究条件とを伝えて検討を依頼する。前向きに検討する旨の感触を得たが最終回答は今週の金曜日にもらうことになった。その回答を踏まえて今週末の佐藤夫妻との打合せで最終方針を決定する予定。5時、クライアント候補の宮前氏から電話。新居の敷地が上北沢に変更になったので今週末に敷地調査に行くことになった。6時半、カッシーナ・イクスシーの堀尾氏が来所。石川建設との打ち合わせ結果を伝え、今後のスケジュールを確認。夕食後、8時に濱本夫妻が来所。井上と一緒に新井薬師前の「濱本邸」第1案のプレゼンテーション。模型、と図面で案の内容を説明した後、設計要旨にもとづいて仕様、工事予算、スケジュールについて説明。収納スペースと予算が当面の問題である。案を持ち帰って検討してもらうことにする。その後、山根と「120大野邸」の屋外機の位置変更について打合せ。駆け足で走り抜けた一日だった。明日からはいよいよ大学の新学期が始まる。


2007年04月02日(月)

7時起床。8時過ぎに事務所に出る。9時前、銀行行き。年度の変わり目で青山の人の動きが激しい。街中は黒スーツと白ブラウスで溢れている。大学に行けば回帰する時間が展開するのだろうが、今のところ僕の回りでは時間が一方向に流れている。
9時半、栃内が出社。10時前、佐藤さんが来所。栢山の「127佐藤邸」の設計契約の締結。一昨日の「120大野邸」のオープンハウスで「124佐藤邸」の5歳の長女と「127佐藤邸」の4歳の長女の名前が同じ「凛(りん)」であることが分かった。偶然の一致とはいえ運命的な符合を感じさせる出来事である。久しぶりに静かな事務所に戻る。午前中から午後にかけ「濱本邸」第1案設計要旨作成「Blaze+坂口邸」の第2案スケッチ。「箱の家」展のパンフレット作成。原稿スケッチ。読書。

大阪の竹原義二さんから『無有』(竹原義二:著 学芸出版社 2007)が届く。満を持してまとめた力作であることがよく分かる。建築論と作品論を合体させた竹原さんのビルドゥングスロマンになっている。すべてモノクロ写真で通しているところも竹原さんらしい。建築から外へ踏み出そうとする視点が見えない点が唯一不満だが無い物ねだりかもしれない。

『ネオリベラリズムとは何か』(デヴィッド・ハーヴェイ:著 本橋哲矢:訳 青土社 2007)を読み始める。世界中に浸透しているグローバリゼーションとネオリベラリズムとの関係を知りたいと思った。ハーヴェイは地理学者で名著『ポストモダニティの条件』(青木書店 1999)を書いている。政治と経済が空間にどのような影響を与えているかという問題がハーヴェイの中心テーマである。


2007年04月01日(日)

7時半起床。TVを見ながらゆっくり朝食。9時過ぎに事務所に出る。幾つかの雑用。原稿スケッチ。11時過ぎに事務所を出て鎌倉の「118松田屋本店」へ。暖かい日曜日なので駅前は観光客でごった返している。今日は1階ギャラリー・カフェの開店日。「箱の家」展の初日でもある。すでに栃内が来ている。ギャラリーの側壁に添って模型とパネルを並べ中央に机と椅子を置いている。通路がやや狭いので模型の位置を微調整。奥の席では2人の夫人が昼食を食べている。店を経営するNPOメンバーの中村さんと福原さんに挨拶。アイスコーヒーを注文してしばらくぼんやりと街を眺める。ドアを開け放しにしているので通り抜ける風が心地よい。道行く人は皆立ち止まって室内を見るが、なかなか足を踏み入れようとしない。まだ街に馴染んでいないのかもしれない。グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」が流れている。ややテンポが緩やかなのでグールドの死の直前の録音版だろう。選曲の理由を聞くと「この空間に相応しい曲はこれしかないと思った」と言われ、いたく感激。6日(金)の夜にはギャラリーのオープニングパーティと「箱の家」のショートレクチャーを開催する。2時過ぎ栃内と一緒にお暇し3時半に事務所に戻る。

電車の中で『ル・コルビュジエの手』(アンドレ・ヴォジャンスキー:著 白井秀和:訳 中央公論美術出版 2007)を読み終わる。ル・コルビュジエのアトリエに20年以上勤めた建築家によるル・コルビュジエの詩的な評伝である。100ページ余の小冊子だが、読むのに時間がかかったのは一気に読み通すことができないほどヴォジャンスキーの言葉に深い意味が込められているからだ。10年ほど前、僕はル・コルビュジエのヴィデオ評「手と精神」を書いた。同じ「手」といっても僕とヴォジャンスキーの意味するところは少し異なるようだ。僕は手を身体の延長としてのテクノロジーの原型として捉え、精神を喚起する「他者」だと考えた。これに対してヴォジャンスキーは手と精神を一体の存在として捉えている。アンドレ・ルロワ・グーランの『身振りと言語』によれば、人間にとって手と脳は相互作用的に進化した器官である。だとすれば手の延長としてのテクノロジーは集団としての人類の進化をもたらしたと考えることができる。精神とは手の運動が内面化された活動なのである。


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