2009年11月22日

感謝祭と勤労感謝の日の精神

本日、教会の感謝祭に参加しました。クリスチャンになる前は「感謝祭」とは「収穫に感謝する日と勝手に解釈していました。そして感謝祭の本当の意味を知り、自らの無知を恥じました。 


感謝祭に関しては私の言葉で語るより、ネットに書かれている記事を紹介する方がいいと思います。 


<引用開始>
この祝日の始まりは、1621年にさかのぼります。清教徒が干渉されることなく彼らの宗教を実践するために、マサチューセッツ州に移民し、到着した次の年のことです。彼らの約半分の人が亡くなるほどの厳しい冬の後、彼らは近くに住むインディアンに助けを求め、インディアンはとうもろこしや、その他の収穫物の育て方を彼らに教えました。翌年の秋、清教徒は豊かな収穫に恵まれ、この日を祝日として感謝を表すために豪華な食事を催すことにしました。感謝祭の豪華な食事は全国的な伝統になりました。・・・それは、多くのアメリカ人の繁栄に対して感謝することだけが理由ではなく、清教徒が自由を護るために捧げた犠牲への思いがまだそこにあるからです。 
<中略> 

自分の宗教の自由を護るために、命を犠牲にした人々は、どの国にも過去多くあったことだと思います。ドイツでのユダヤ人迫害、日本でもクリスチャンを撲滅するための政府の動きから、キリストの踏み絵などがありましたね。 こうした悲しい出来事と、多くの犠牲者の方々の歴史の上に、今の自由な日本や、その他の国々があることに感謝しています。 
<引用終了>


http://woman.sanin-navi.jp/3969.html

 


確か・・・ターキー(七面鳥)が慣習的に出されるのは、招待されたインディアンがたーキーを持参したからであるという記事をどこかで見たような気がします。 


そして、日本の勤労感謝の日の精神は。 

勤労感謝の日の趣旨

「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」   


 日本の経営者で、どれだけの人がこの精神を理解しているのでしょうか。 


世の中は「金、金、金」のスクルージのようにはなりたくないものです。