コンピュータを立ち上げることを世間では「ブートする」という。「ブートってなんじゃああああ!?」と涙のカリスマ大仁田厚調に疑問に思われる方もいるかもしれない。そうすごまれると怖いので、素直に説明すると、ブートのスペルはboot で、なんのことはない靴のことである。複数形なら boots 、つまりブーツね。なんの不思議も神秘性もない言葉である。しかし、なんの神秘性もないからこそかえって、「なんでじゃあ!?なんで靴のブーツがコンピュータと関係あるんじゃあ?わしはプロレスが好きなんじゃああああ!!!」というより深い疑問が生まれることになる。プロレスはともかくとして、その疑問を持ったことのある人は多いらしく、その証拠にブートの語源について語るWeb ページはごまんとある。
ブートの語源の探索は難しくはない。辞書を引けば、すぐに「ブートストラップbootstrap 」からこの言葉が生まれたことがわかる。ではなぜ、このブートストラップが?多くの解説書は、その理由を以下のように解説している。
「プートストラップ(bootstrap)」は「靴紐」です。靴紐は,革靴でもスニーカーでも,たいていは編み止げ方式です。いちばん下の穴に紐を通して,段々々編み上げていきます。いちばん上の穴を通して,そして紐の両瑞を結んだら完成です。
電源をONした直後のコンピュータから,アプリケーションプログラムを何でも動かせる状態になるまでに,いくつもの小さなプログラムを段階的に実行する方式を,プートストラップと呼びます。
(ラジカルなコンピュータ用語辞典 岩谷宏著 pp.374 - 375)
ところが、これは大うそである。
まず、辞書を調べればわかるが、bootstarp は靴ひものことではない。たとえば、リーダーズ英和辞典を引くと、bootstarpは「《履くときにブーツを引っぱり上げるための》つまみ革」とある。つまり、
のことである。strap が「ストラップ」のことであることがわかれば、靴ひもと全く違うこともすぐにわかるだろう。だいたい、靴ひもは、普通、英語では、bootlace っていわないか?
「いちばん下の穴に紐を通して,段々々編み上げて」いくように「いくつもの小さなプログラムを段階的に実行する」というところが、あまりにもでき過ぎたうそなので、多くの人が引っ掛かり、それが孫引き、ひ孫引きとされていき、ここまでまん延してしまったのであろう。誰が犯人かはまだよくわからないが、一説にはどこかの大学教授ともいわれている。その真偽は確かめていないが、実際に大学教授の中にもこの「民間語源」を無批判に採用している人物もいるので、どこかの時点で権威あると思われる筋が関与していたことは想像できなくもない。
では本当は、どうしての靴の引っぱりひもが語源になったのかを説明したいと思う。私の調べた範囲においては、そもそも話はほら吹き男爵にまでさかのぼる。ほら吹き男爵のエピソードで、底なし沼にはまった男爵が機転を利かせて自分を自分でbootstrap を引っぱって引っぱり上げたという話があり、それに由来しているのだ。つまり、「自分で自分を立ち上げる」プロセスであるコンピュータの立ち上げのプロセスを、「自分で自分を引っぱり上げる」ほら吹き男爵にたとえて、bootstrapという言葉を使ったのである。「自分で自分を引っぱり上げる」印象を与える事柄に bootstrap という言葉を当てるのは欧米ではとっぴな言葉の使い方ではない。たとえば、物理ではクォーク理論の対抗理論でブートストラップ理論というものもあった。
#このほら吹き男爵のエピソードは、「ラジカルなコンピュータ用語辞典」 にも記載されている。なのになんで、引用部のようなことが書いてあるのか不思議でしょうがない。
我々が学校で覚える英単語は、妙に観念的な単語ばかりで、こういう具体的なものの名前の知識が根本的に欠けているようである。そもそもこの混乱の要因は、そこにあるような気がする。