PROFILE
  


弁護士太田宏美

フジテレビ離婚弁護士 法律責任監修
(04.4.15〜6.24)
仕事に臨む姿勢
研修・視察など
スイス・ベルン州裁判所刑事事件傍聴(04/10/10)
・破産管財人実務研修受講(04.3.21)
ベルリン高裁の審理を傍聴(03.8)
イギリスの犯罪被害者支援制度の視察(03.11)
・日弁連の知的財産法研修受講(04/7)(03/7)
・ロンドンで開催の世界女性法律家会議に参加(01.3)
 
ひろみの独り言
やさしい法律講座「ひろみ塾」を主宰
徳島時代のボランティア活動
 
 


 

 


      太田宏美のプロフィール
メディア情報
最近の活動1

・(財)天風会理事長とワイド・トーク。座談内容は、雑誌「天風」16号(2004.10)に「話し合いは、人間と人間の心が一致してうまく行く」と題して掲載される。
ここからどうぞ。
最近の活動2
・フジテレビ離婚弁護士(04.4.15〜6.24)の法律監修(責任)をしました。
  詳しくは
ここをクリックしてください。

打ち上げパーティで出演者の皆様と
大感激です・・・
最近の活動3
WebVisionに記事親の借金、相続時にどうなる?掲載される
親子と夫婦の法律(新日本法規)の改訂・「無効離婚の追認」担当
FM横浜で「事実婚」についてコメント出演
刑事事件で絶対あり得ない執行猶予判決を獲得(求刑懲役6年)
刑事事件で本人が期待しない起訴猶予を獲得
メルマガ法律相談 ご覧になりたい方はここからどうぞ
離婚等の一般民事も当然扱っています。
行政訴訟(住民税賦課の効力)
最近、公益法人に対する課税が強化されています。もっともなケースもありますが、明らかにおかしい事例もあります。現在、国税審判の手続きをしていますが、いずれ訴訟に移行するものと思われる、公益法人課税の事件を代理しています。注目を浴びる事件です。
以前に性同一性障害の方の姓の変更審判の代理をしたことがありましたが、7月16日施行の法律によって戸籍の性別変更も可能になりました。早速、手続きを代理することになりました。
公務災害(労災に相当)審査事件を委員として多数扱っています。

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966年3月京都大学法学部卒業。

当時の法学部は273名の定員に女性は3名。
4年制大卒を採用する大手民間企業はなかった。ワコールですらそうでした。相談にいったゼミの先生には「お嫁にいきなさい」って助言されました。本当の話です。
というわけで、地元に帰ることにしました。

3年と5か月地元徳島県の県庁で行政経験。

県庁もこの年から行政職(上級)に4大卒の女性を採用することになったもの。本当に良かった。どういうわけか、女性が仕事をするのは当然と小さいときから考えていました。
ダントツトップで入庁したとかで大切にしてもらいました。
市町村の行政指導を担当する仕事(地方課)に配属。同時に条例制定の勉強をするようにと総務課の法令係も兼務させてもらいました。 
3年経つとマンネリ。そろそろ結婚しようかなとなりました。
当時はまだ女性は25歳までには結婚しなくっちゃとの強迫観念があったのです。私も囚われていました。ホント。
相手は転勤族。面接で結婚しても仕事は続けますと宣言したのも忘れ、結婚退職を決意。
ところがです。困った事に、婚約者いわく、「折角法学部卒業したんだから弁護士になったら。どこででも仕事できるしね。」ですって。
どうでもいいやとヤケッパチで、受験を決意。

勤務・花嫁修業・司法試験の受験勉強の3役をこなし、 どうにか司法試験に合格。

論文式試験(1週間)のときには、見合いのためと称して年休をもらいました。
論文試験は難しく、もう駄目にきまていると、早速、花嫁修業を再開したのですが、論文式の合格の知らせは料理学校で聞きました。さあ大変。料理の勉強などノンビリしているときではない。口述試験の準備だあ〜。
口述試験の合間には、花嫁衣裳選びをしました。
本当に慌しかったが、試験に合格し、また無事結婚式も終えることができ、良かった、良かった。

1970年から司法修習生。 横浜で実務修習(当時は横浜の官舎に居住)。
1972年弁護士登録。甲府で開業(山梨県女性弁護士第1号)

先に単身赴任中の夫に合流。県の顧問としていろいろおもしろい経験をさせていただきました。籍をおいた事務所の先生は当時80歳でしたが、矍鑠として第一線でご活躍でした。
山梨で長男が生まれましたが、出産の前日まで法廷に立ちました。予定日をすぎても生まれずブラブラしておりましたら、
「じゃ。裁判をやりましょう」なんて気軽に言われ、ほいほいと法廷に出て行きました。流石に長男もびっくりしたのでしょうか。翌日には出てきました。
初めての女性弁護士ということで、地元山梨テレビの一日密着取材を受けました。裁判官の粋な計らいで法廷の撮影も許可されました。大きいお腹をした姿を人前に晒すなどみっともない、なんて当事者になると思わないんですね。本当に不思議な心理です。いい思い出になりました。夫は先に東京に帰りましたが、弁護士の私は、引き受けた事件を途中で投げ出すわけにはいかず、その後3年間東京・山梨を往復しました。

1977年から3年間ロンドンに滞在経験。

思い出が一杯です。夫の海外赴任に伴うものですが、折角の海外。1年間、City Of London Polytechnic のマスターコースで法律の勉強をしました。欧米は資格社会です。会社や大学や法律事務所を1年休暇し、卒業資格をとれば、パートナーになれるとか、教授になれるというので、みんな必死です。英国内はもとよりコモンウェルスからもたくさん来ていました。1クラス20名程度でしょうか。ただでさえ解らない英語なのに、世界各国の訛りがあるのですから、授業についていくのが大変でした。教授だってインド語訛りだったり。ホント大変。海商法や会社法など専門的な法律中心の勉強です。
日本から渉外弁護士さんが1人留学していましたので、この人が唯一の頼り。3、4科目は受講し、試験までも受けました。
本当は受けたくなどなかったのです。渉外弁護士さんすら受けないのですから。
イギリス人の友人に絶対受けるべきだ、ノート見せてあげるよと助言され、とにかく、受講した科目については受験したというわけです。どうなったかって? 受けたものはどうにかなったようですよ。
教訓⇒最初から諦めてはいけない。やればどうにかなるものだ。実際、入学のときも大変だったんです。これは後日機会があればお話しましょう。

そして、夏。1か月のサマースクールに参加。イギリス法一般とEC法について勉強するためです。夏休みを利用して、大陸から 、コモンウェルスから、日本からビジネスマンや留学生など300〜500名。大変な人数です。日本人ばかりと群れておりました。最後にやはり試験があります。このときは迷わず受験しました。終了式の日に5番まで成績優秀者の発表があったとか(私は授業が終わるや否や夏のバカンスに出かけたので欠席)。そして私がその5番までに入っていたというのです。名誉な場面に欠席したのはホントに残念です。
今じゃ、当時もでしたが、英語で試験を受けたり、授業を受けたことがあったなんて、信じられな〜いって感じ。
教訓⇒私ってどこででも生きていけるんじゃないかしら?って思いました。

1983年5月まだ女性が事務所を持つのが珍しい時代に東京都心のど真ん中・虎ノ門に事務所を構えてオーナー弁護士として活動。
1986年4月東京家庭裁判所調停委員

1996年12月徳島弁護士会登録換え。
1997年7月から徳島家庭裁判所調停委員(〜2004.3.31)
1997年4月ひろみ塾開始(〜2003.12)

徳島の5年間は楽しい経験でした。徳島弁護士会の歴史で初めての女性弁護士でした。そういうことで注目されましたが、一方女性弁護士の使い方が十分には理解されていないようでした。法律家とそうでない者とは基本的に大きな違いがあるのですが・・。
ひろみ塾の5年間は充実したものでした。私自身学ぶところがたくさんありました。
また2年間、FM放送で月2回、パーソナリティと視聴者の質問に答える形で法律問題を論じたことも良い経験でした。思いがけない人に聞いてもらっていたことがわかり感激したものでした。
いろんな意味で人間として一回り大きくなったかなと実感しています。
貴重な経験はこれからの人生に大いに役立つことでしょう。

ひろみ塾は社会人を対象とした法律講座で、ボランティア活動として行っていました。

2001年10月東京都公務災害補償基金審査会委員就任(労災の公務員版)

2002年12月第二東京弁護士会に登録換え。再び虎ノ門に事務所を開設する。

海外渡航歴約30カ国(イギリス滞在中にヨーロッパ各国はもとより、ソ連、トルコなどにも足を伸ばす。ベルリンの壁崩壊前の東独も訪問。毎年1回は外国に行くようにしているが、単なる観光ではなく、会議や視察などを含め、検分を広めるように努めています。)

民事、家事、少年、刑事のほか行政事件を専門にしている。税務訴訟も手がけている。
弱者や女性の立場での弁護活動、積極的発言、執筆活動等をしている。


 ロンドンで開催の世界女性法律家会議で
 世界各国の参加者と交流
                

太田宏美法律事務所
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