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がんを生きる:ここに在る幸福/4止 日々の喜び、積み重ね

 ◇1年ぶり復職 病を得て良かったと思えるよう

 11月4日、1年ぶりに職場に復帰した。さすがに少し緊張しつつ、乗り慣れた電車で会社に向かう。しばらくは1日6時間の制限勤務だ。

 復帰といっても、晴れて治療を終えたからというわけではない。この時点で仕事を再開することに関して、周囲の理解は得られるだろうか。がんに対する意識や知識は人それぞれだ。職場や仕事相手の人たちに不安を感じさせたり、余計な心配をかけたりするのではないか。またがん患者といっても、仕事のうえでは何も免除されない。

 1年間、病人として扱われることに慣れた身では、いきなり大きなストレスにさらされるのではないか。不安はつきなかったが、このタイミングで元の生活に戻ることが、心身ともに一番いいと思った。無理をするつもりはない。できるだけ長く生きていたいから。

 職場は大きく変わったことはなく、不景気が進む厳しい状況下でもみんなが生き生きと働いていた。当たり前だが、私一人が死のうが生きようが、何も変わることはないのだ。1年間、何事もなかったかのように、以前と同じく笑い合ったり、夜にはお酒を飲んだりする。

 これからは本格的に厳しい仕事の現場に戻ることになるが、とりあえず帰る場所があったことのありがたさを感じる毎日だ。今のところは体の不調を感じることもなく、完全に病気のことを忘れている時間のほうが多い。このままずっと元気で働き続けたいと思う。

 ステージ4の乳がん患者の場合、5年生存率は二十数%という。気にならないと言えばうそになるが、データは一人一人の人間にとっては意味がないと思えるまでにはなった。そもそも「生存」という言葉自体、寝て起きてご飯を食べ、笑ったり悩んだりするという日常の暮らしにはなじまない。がんにかかった時点で、普通の人間ではなくなったと言われているような気がするのは私だけだろうか。

 言葉はつくづく人を惑わせる。ステージ4の場合は「根治はない」といわれている。そのことを主治医にただすと「一昔前のイメージとは違う。治癒を目指そう」と。その言葉だけで今は十分だと思った。

 治療はこの先もずっと続く。病がこのまま進行しなければ、いずれ抗がん剤からホルモン剤治療へと移行できるだろう。しかし、再度がん細胞が活発になることがあれば、また別の抗がん剤を使うことになるかもしれない。その果てには使える薬がなくなるという事態も待っている。海外では使える薬が日本で認可されるまでに時間がかかる(ドラッグ・ラグ)という問題も、決してひとごとではない。

 発症前は「自分ががんになるはずはない」と思っていた。しかし、今は「自分がなっても何の不思議もなかった」と思う。がんほど個々人で進行が違えば、気の持ちようも違う病気はないのかもしれない。私の場合は人生ゲームのルーレットを回し、たまたま出た数字だけ進んでみたら「乳がんにかかる」のマスだった。それが実感だ。この先は「検診を無事クリア」のマスが続くのか、「新たな転移が見つかり、薬で進行を抑える」のマスが出るのか、あるいは……。

 もちろん、このような淡々とした気持ちが常に続くわけではない。心は時に揺れに揺れる。それでも、この1年でひとつ確実に学んだと思えることがある。人はいずれ死ぬということ以外、確かなことは何もないということだ。

 最近、目の前の光景がくっきりと輪郭をもって美しく見える瞬間がある。いま、ここに「生存」ならぬ「生きている」という喜び。そんな瞬間を積み重ね、この先、10年、20年を元気で過ごすことができたなら、病を得て本当に良かったと思えるだろう。その前に、がんは治る病気になっていないだろうか。【毎日新聞出版局・三輪晴美、45歳】=おわり

 ◇患者の生命脅かすドラッグ・ラグ

 抗がん剤はある程度使い続けると耐性ができ、効果がなくなる。乳がんは薬の種類も多いが、再発・転移患者の場合、進行を抑えるために薬を変えながら治療を続けなければならない。使える薬を使い切ってしまえば、治療の手だてを失うことになる。

 海外で使える新薬が国内承認されるまでに時間がかかるというドラッグ・ラグの問題は、時に患者の生命を脅かす。背景には、安全性の確認に時間がかかることにくわえ、法制度や体制上の課題があると指摘されている。「使える薬がもうない」と医師に宣告されれば、高額な未承認薬を個人輸入するしかない。そんな厳しい現実に直面する患者も多い。

毎日新聞 2009年11月20日 東京朝刊

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