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特集ワイド:新型インフル予防接種 二転三転、ワクチン騒動

 ◇「10ミリリットル容器」の数字マジック--国の「方針」に困惑の現場

 新型インフルエンザが猛威を振るう中、ワクチン不足が懸念され、接種すべき回数や接種できる人数を巡る国の方針も二転、三転。混乱を極めている自治体や医療の現場を歩くと、厚生労働省への不信と不満が、渦を巻いていた。【根本太一】

 「らっしゃいらっしゃい」。青果店の軒先から、威勢のいいかけ声が聞こえる。京王線・幡ケ谷駅(東京都渋谷区)に近い六号通り商店街のビルにある「六号通り診療所」。午後7時を回ってようやく、石原藤樹所長(46)の手が空いた。11月に入り発熱を訴える人が増えたといい、1日約80人を診察。新型インフルエンザのワクチン接種はこの診療所では19日からだが、石原さんは「ほとんど10ミリリットル容器のワクチンしか入荷されない」と疲れ切った表情で打ち明けた。

  ■

 10ミリリットルのワクチン--。

 日本で使われるインフルエンザワクチンはこれまで通常、1ミリリットル容器に入っていた。健康な大人の場合、1回の接種量は0・5ミリリットル。つまり1容器で2人(または2回)分に適用される規格で、医療従事者用に配られた新型対応のワクチンも1ミリリットル容器だった。

 ところが厚労省は9月上旬に突然、一般国民向けに10ミリリットル容器の導入方針を公表した。10ミリリットルなら1回の製造過程で20人(20回)分を作れるため、生産量が大幅に増えるとの理由。なるほど1ミリリットル入りの容器を10本作るより、10ミリリットルを1本作った方が効率的だ。ワクチンが足りないと悲鳴を上げる医療機関も感染・重症化を恐れる国民も、これならひと安心。さすがは日本の医療行政を一手につかさどる厚労省。あっぱれ!

 と思いきや、石原さんは「とんでもない」とかぶりを振った。「机上の計算です。20人分の容器に入っていても実際は16~18人がせいぜいです」。頑張っても18人分の接種が限度と言い切るのである。

 容器に針を差し込み0・5ミリリットル分のワクチンをきっちり抜き取ると、針の内部などに空気が残ってしまう。そこで針の先端から少々のワクチンをピュッと放出することで、空気を吐き出す。そんな場面を見た記憶もあるだろう。

 この時に出るワクチンの量を考えると、10ミリリットル容器で18人分だと石原さんは訴える。1ミリリットル容器には15%増の1・15ミリリットルのワクチンが入っており、1ミリリットル10本なら20人に接種できる。だが10ミリリットル容器には12%増の11・2ミリリットル入っていても、何度も針を刺す間に多くのロスが生じるのだ。

 しかも開封後24時間以内に使い切らなければならない。「10ミリリットルでは1日18人の予約が必要です。15人だけなら3人分は廃棄。予約が19人なら、19人目で使った容器の残り17人分を廃棄するか、19番目の人には再び予約が埋まるまで待ってもらうしかない」

 関係者によると、10ミリリットルの卸価格は2万9000円。対して1ミリリットルは10本で3万円弱。業者のもうけはほとんど変わらない。いったい誰が得をし、誰が損をするのか。

 にもかかわらず長妻昭厚労相は6日の参院予算委員会で「10ミリリットルの容器で出荷すれば、梱包(こんぽう)とか手間が省けて製造量を増やせる」と述べ、より多くの人が早い時期に効率よく接種できるとの見解を披露した。「1ミリリットルでは2回分を注射すれば容器は廃棄処分」などとリサイクル環境問題に論点をそらしたかと思えば「製造会社の1社が1ミリリットル容器で作るとすると季節性インフルのワクチン製造を中止しなければいけないという話なので、ぎりぎりの判断をした」。支離滅裂である。

  ■

 「おそらく医系技官から変な説明を受けたんでしょう。言いくるめられている感じです」と話すのは、東大医科学研究所の特任准教授、上(かみ)昌広さん(41)だ。医系技官?

 「医師免許を持った厚労省の官僚です。資格はあるが現場の実務経験はない。車で言うならペーパードライバーです」。その医系技官が、ワクチンから病院のベッド数、診療報酬まで決める。「医師数の増員に抵抗し、今日の医師不足を招いたのも彼らです」

 上さんによると、ワクチン製造会社は国内に4社のみ。それも「技術は高いが規模は町工場並み」という。小学校での接種率と欠席率に相関関係がなかった▽死亡や障害に至る副作用が一部で表れ、国の敗訴が相次いだ--などで厚労省が学童生徒の集団(義務)接種をやめ、市場が細り大手企業が撤退したためだ。

 実は、米国で新型インフルエンザが流行した76年、ワクチンが約4000万人に接種され、神経系の副作用が多発した。これを機に、国やメーカー、医師などの責任を追及せずに補償される「無過失補償制度」を制定。被害者はこの規定に基づき補償金を受けるか、長い時間と心労を要する訴訟を起こしてより高い賠償金を得るかの選択ができることになった経緯がある。

 しかし日本では、十分な補償を受けられる法定接種とすることに医系技官が抵抗してきた。新型インフルエンザのワクチン接種は、仮に副作用が生じた場合に手厚い救済を受けられる「予防接種法」にも位置づけられていない。「新型のワクチン接種は国策としての法定接種でなく『任意』の予防行為です。優先順位や回数など『はしの上げ下げ』まで指示する法的根拠はありません。国の事業として実施するなら補償も保証すべきです」と上さんは指摘する。

 東京都文京区の「保坂こどもクリニック」。接種希望の電話がひっきりなしにかかってくるが、在庫がなく、予約受け付けは12月上旬まで一時中止状態だ。しかも「掛かり付けの方が優先で、初診の人に回す余裕はないんです」と院長の保坂篤人さん(50)は話す。厚労省は17日になって10ミリリットルの出荷を年内で打ち切る方針に転換したが、当面は出回り、混乱は避けられない。「集団接種にしてくれれば使いやすいんですけど……」

 集団接種にして国民に努力「義務」を課せば、国は体制を整え、国産だけでは足りないワクチンの備蓄も必要になる。しかし、厚労省は国内4社を「護送船団」式で守り抜き、舛添要一前厚労相が主導した海外ワクチンの輸入にも消極的だった。「何かと統制したがる行政」との上さんの言葉で、六号通りの石原さんのぼやきを思い出した。

 「幼児への接種を国は12月上旬からとしていたが、都が半月の前倒しを発表したのは10月28日。しかし11月1日に配布された渋谷区の広報誌では国の当初の方針が印刷されたまま。問い合わせの対応に追われて大変でした」

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t.yukan@mbx.mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

毎日新聞 2009年11月19日 東京夕刊

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