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がんを生きる:ここに在る幸福/2 笑顔の主治医、心ほぐれ

 ◇入院時、「末期」の自覚なく 「3年は大丈夫」

 乳がんと骨への転移が分かり、毎日新聞東京本社を休職し兵庫県の実家に戻った私は、神戸の中央市民病院で乳腺外科の診察を受けることになった。

 長い待ち時間の後、ようやく診察室に通される。必死の形相で訴えかける母を前に、医師は「お母さん、ちょっと落ち着いて」と笑み交じりの顔を向けた。それが主治医との初対面だった。

 「大丈夫。これくらいの骨転移があっても、すぐにゴルフができるようになった患者さんもおるから」

 主治医の余裕のある言葉と表情で、張り詰めていた気持ちが少しほぐれた。診察に続いて胸部のエコー(超音波)検査、組織診。合間に、骨転移の薬(ゾメタ)を点滴してもらう。処置室のベッドで「ようやく治療が始まった」と安堵(あんど)した。

 その夜から入院。治療法は、すぐに化学療法(抗がん剤治療)と決まる。手術は適応外。検査の結果、腫瘍(しゅよう)は左胸のほぼ全体におよぶもので計測もできなかったという。リンパ節転移は多数、さらに両側の胸に少し水がたまっていて「がん性胸膜炎の疑いあり」だった。そして脊椎(せきつい)や骨盤、胸骨など多数の個所に及ぶ「多発性骨転移」。

 かなり絶望的に思えるこの結果は、しかし、当初すべてを聞かされたわけではない。主治医はそこまで明確には告げなかったし、私自身もそれを望まなかった。すでに骨に転移(遠隔転移)があるので、この時点でがんの進行度はステージ4、つまり「末期」だ。がんの知識に乏しかった私は、そのことについても自覚がなかった。

 入院2日目、抗がん剤(タキソテール)の初めての投与。数日はぼんやりと宙に浮いている気分が続いた。そんな中、主治医が笑顔で病室にやって来た。組織診の結果を示しながら、私のがん細胞は「いい薬が使える」タイプだと言う。翌日、早速その薬(ハーセプチン)を点滴してもらう。

 入院は抗がん剤治療の副作用に備えるという名目だったので、3週間して退院することが決まった。そこで主治医から改めて病状と今後の見通しについての説明があった。まず、骨転移により脊椎の神経が圧迫されていて、左半身がまひする可能性があり、しびれなどの症状が出れば手術が必要になること。特に首の骨が折れないよう注意を要すること。がんは脳にも転移する可能性があること。

 最後に「まず3年は大丈夫」と。思わず「え? 30年ではないんですか?」と聞いてしまう。主治医は苦笑しながら「そうやなあ、大丈夫かもしれへん」。

 「かも」か……。しかし数日前までは、余命あとわずかと思っていたのだ。とりあえず希望を示してくれたその言葉に、大いに感謝すべきだったのだろう。

 抗がん剤が効くか否かは、投与してみなければ分からない。退院も迫ったある日、主治医が血液検査の結果を手に、また満面の笑みで病室にやって来た。

 「腫瘍マーカーのほぼすべての値が半分になってる! この分なら、数カ月後には腫瘍も消えるで!」

 初回治療は大きく奏功し、年の暮れ、無事退院することができた。【毎日新聞出版局・三輪晴美、45歳】=つづく

 ◇タイプで異なる治療法

 乳がん治療の際、大きな指標となるのがホルモン受容体の有無だ。受容体のあるがん細胞は女性ホルモンと結合して分裂・増殖することから、ホルモン剤の投与が効果的。また、がん細胞が増殖・転移しやすいたんぱく「HER2」の多さも、治療法に大きくかかわる。乳がん患者の20~30%はHER2陽性で、元来は性質が悪いが、近年、HER2のみを狙って攻撃する分子標的治療薬(ハーセプチン)が現れ、予後が大きく改善された。

毎日新聞 2009年11月18日 東京朝刊

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