2009年11月15日

ディズニークリスマス・キャロルの意味とオバマ氏演説

映画「ディズニークリスマス・キャロル」とはを正しく理解できた人はどれだけいるでしょうか。昨日、この映画を鑑賞した後、若いカップルが「全然意味が分からなかった。」と話すのを聞き、実に悲しくなりました。

 


この映画は、クリスマスの精神とクリスマスの精神を受け入れる人との関わりを描いていています。つまり、クリスマスやキリスト教という「日常」を描いているのですが、そこはディズニーです。精霊(聖霊)という霊的なエネルギーを使い、観客に対し見事に「非日常的体験」を提供できているのです。

 


私は東京ディズニーランドのホーンテッド・マンションのスーパーバイザーを務めたため、「(映画の)このシーンは、ホーンテッド・マンションのあのショーシーンに当てはまる」などと考えながら見ていました。多分、数年後のクリスマスシーズンには、ホーンテッド・マンションはクリスマス・キャロル化されると推察します。(ナイトメアと隔年で)

 


ウォルト・ディズニーはこのような言葉を残しています。

娯楽は楽しいだけでなく、それによって何かを学び取れるものにすべきである。 


東京ディズニーランドで最も教育的であったシンデレラ城ミステリーツアーが、終了理由も明かされずにウォルト・ディズニーを侮辱する人々により強制終了されましたが、そのこととこのディズニー映画の誕生には因果関係があるものと私は考えます。 


なぜならば、ディズニークリスマス・キャロルは、実に道徳教育的な映画であるからです。一言でこの映画を表すと「クリスチャンでなくても友愛精神を受け入れれば、生まれ変わることができる、人生を怯えずに済む」ということでしょう。つまり、幸せになれるということです。 


この映画のテーマは、しょく罪(悔い改めるlこと)による新生(生まれ変わること)です。コマーシャルにあるように、人生を変える精霊がやってくるのですから。 


さらに、この映画の深さは、主役のスクルージ個人への警鐘にとどまらず、貧困を生む思考や、貧困を生みだしている社会へ警鐘を鳴らしていることからも計れます。 


以前にこのブログで、「日本人はだまされている。マッチ売りの少女は貧困により、屋外で凍死した」と書きましたが、まさに、このマッチ売りの少女がこの映画では「貧困」という名前で出てきます。


 そして、その貧困を生みだすのが、「無知」という名の人間です。クリスマスの精神と聖霊という存在を知らず、自分の欲望のままに金の亡者になる、偽りのくちびるで人を責める(苦しめる)悪者たちです。 


スクルージは使用人の生活を思いやらず、富を分かち合わず、感謝もしない、まさにこの国の派遣会社の経営者のような人間でした。7役を務めた(素晴らしかった!)ジム・キャリーは、「自分が愛されていないと感じるがゆえに、自分も人を愛せない」と評しています。 


クリスマスの精神は「愛、思いやり、分かち合い」です。愛に感謝することです。自分を愛し、地下茎でつながっている隣人を愛せば、これからの人生を違うものに変えられるというメッセージをこの映画は発信しているのです。つまり、友愛精神は人を変えられるということです。 


だれもがこのクリスマスの精神である「友愛精神」をもてば、社会から貧困がなくなり、誰もが幸せになれる、そうしなくてはいけないと「世界のディズニー」は声高に主張しているのです。 


昨日は決して変えられません。ロバート・ゼメキス監督も「人間生きていれば悔い改めることができ、未来を変えることができる」ということを伝えたかったと語っています。悔い改め、過去を忘れ(人を責めず)に前だけを見て進むことが大切であると、氏は言いたかったに違いありません。 


最後に、オバマ大統領の演説を読んだ感想を。


 
「チェンジ」を掲げるオバマ大統領は「世界の国々の関係はゼロサムゲームではない、他国の成功を恐れる必要はない。影響力を競うのではなく、協力を深めることによってアジア太平洋地域の発展はもたらされる。」と述べました。 


このことは、「いままではゼロサムゲーム(勝ったか負けたか)であり、他国の成功を恐れていた。」というこれまでの思想をけん制したものです。そして、これからは「対等で相互に尊敬しあう関係として関係を強化し、より深化させたい。」と語っています。 


鳩山首相とオバマ大統領の根幹となる思想、基調となる旋律は完璧に一致しています。それは、ディズニークリスマス・キャロルが伝える(両者が地下茎でつながっていることを前提とした)クリスマスの精神 = 友愛精神にほかならないと私は確信しています。