かつては、時刻から天文についての情報を取り出すとき、
『式盤』と呼ばれる占具を使用していました。
式盤とは、
「天盤」と呼ばれる円形の盤と
「地盤」と呼ばれる盤を組み合わせたもので、
地盤は動かず、天盤が回転する構造となっています。
天盤や地盤には「十干」「十二支」「十二天将」「四つの門」
そして「二十八宿」などが刻まれています。
このような式盤を使用する占術である式占には他に、
太乙神数とか奇門遁甲があります。
六壬神課、奇門遁甲、太乙神数を
「三式」と呼びます(さらに雷公式を加えて四式と称されていました)。
これら三式は、日本においてすでに飛鳥時代に知られていました。
もっとも古い記録には602年の百済僧による招来が記されています。
そして平安から鎌倉にかけて六壬神課は、
陰陽師にとって必修の占術となりました。
陰陽師としてもっとも有名な安倍晴明が
『占事略决』という六壬の解説書を残しています。
占いとしての六壬の特徴は、
自分と相手、自分と物といった二者の関係において明確な回答が得られる点です。
その相互の関係が吉か凶か、
そしてこれから起こる事態を細かく占うことができるのです。
天地盤だけでなく、
そこから導き出される「四課」と「三伝」から
具体的な事柄を占っていくのですが、
天地盤や四課三伝を作成する手続きがとても複雑なのです。
現在、中国や台湾、そして日本で実践されている六壬にも多くの種類があります。
現代日本で知られている占法は中国の『大六壬探源』がベースとなっています。
また同じく六壬の名を持つ「小六壬」という占術があります。
小六壬では太陰太陽暦の日付と時刻から
大安・留連・速喜・赤口・小吉・空亡の「六曜」を出して
その時刻における吉凶を判断します。
ちなみに六曜から「六壬」の名を冠するようになったようですが、
その変遷の詳細は謎に包まれています。
また六壬神課を小六壬と区別するために「大六壬」と呼んでいます。
六壬神課の歴史は古く、伝説によれば紀元前2600年ごろ、
中国の黄帝が九天玄女より伝授されたと伝えられています。
つまり、現存する占いでは、もっとも古い術なのです。
そののち、周の文王や太公望、
そして三国時代に活躍した蜀の軍師・諸葛孔明が利用したと伝えられています。
ちなみに孔明は「六壬類苑」という著作を記しています。
taka