The king of utility players ― 世界のプロ野球史上に名を残す便利屋、五十嵐章人についての資料。
2000年6月3日、大阪ドームで行われたオリックスブルーウェーブ対大阪近鉄バファローズ第9回戦の8回裏にピッチャーとして出場し達成。1974年9月29日、消化試合でファンサービスのため1イニングごとに守備位置を変え達成した高橋博士(日本ハムファイターズ)以来、日本プロ野球史上2人目。
2001年6月22日、ナゴヤドームで行われたオリックスブルーウェーブ対西武ライオンズ戦に、先発4番で出場し達成。4番での出場はこの試合のみ。(なおこの試合で西武・西口からライト越えの2号ホームランを放ち、ホームランを打ったことのない打順は8番だけになる)
2002年4月21日、大阪ドームで行われた大阪近鉄バファローズ対福岡ダイエーホークス第6回戦に、先発8番で出場、ホークス・星野から右中間越え1号ツーランホームランを放ち達成。日本プロ野球史上6人目。通算ホームラン26本目での達成は日本プロ野球史上最少。全ポジション出場と全打順ホームランを両方達成したプレイヤーは世界プロ野球史上初。
パシフィック・リーグ2000年度シーズンで達成。キャッチャー以外の全ポジションを守った。1937年春の倉本信護(阪急)、1974年の高橋博士(日本ハム)に続き日本プロ野球史上3人目。
1995年4月21日、千葉マリンスタジアムで行われた千葉ロッテマリーンズ対オリックスブルーウェーブの第3回戦でブルーウェーブの野田浩司は1試合最多奪三振記録となる19三振を奪ったが、この試合に五十嵐は7回裏、代打で出場。空振り三振で13番目の三振を献上した。
1995年5月21日、福岡ドームで行われた福岡ダイエーホークス対千葉ロッテマリーンズの第9回戦に先発2番で出場。初回、1番の諸積が初球を打ってピッチャーへの内野安打とし出塁後、初球をバントしピッチャーへ犠牲バントを決める。その後初芝がレフトフライ、フランコがセンターへのヒット、インカビリアがサードゴロとそれぞれ初球を打ち、1イニング5者連続初球打ちとなった。
年 | 年齢 | 所属 | 監督 | 出来事 |
---|---|---|---|---|
1986 | 18 | 前橋商業高校 | 3年生でエース投手として第68回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場。前橋商業の出場は57年ぶりで、当時大ヒットしていた高校野球マンガ『タッチ』の作者あだち充の母校であり『タッチ』の舞台となる高校のモデルだったこともあって、無理矢理『タッチ』と重ねあわされて語られる。1回戦は浜田商業に9回5安打9三振1死四球の完封勝利、2回戦は東海大四高に9回5安打4三振2四死球1失点勝利(後にオリオンズ・マリーンズで同僚となる当時2年生の大村巌投手と対戦し4打数ノーヒットに抑える)、3回戦は鹿児島商業に8回16安打3三振2四死球11失点の完投負け。 | |
1987 | 19 | 日本石油 | 高校を卒業し実業団野球の名門、日本石油に入社。外野手に転向。 | |
1990 | 22 | 日本石油 | 1990年度新人選手選択会議でドラフト3位・外野手でロッテオリオンズに指名される。契約金6000万円、年俸650万円(推定)で入団。背番号9。 | |
1991 | 23 | ロッテオリオンズ | 金田正一 | 金田監督に見出され、4月9日の対ファイターズ1回戦に2番ライトで出場、プロデビューを果たす。主にライトで89試合に出場。元ピッチャーらしく強肩を生かし、チームトップの補殺9を記録。 |
1992 | 24 | 千葉ロッテマリーンズ | 八木沢荘六 | ロッテオリオンズはチーム名を千葉ロッテマリーンズへと改称、本拠地も川崎から千葉へ移転。五十嵐は監督が変わったせいか主に2軍暮らし(2軍成績:57試合 打率.239 3HR 12打点)。ショートに転向。1軍では外野手。 |
1993 | 25 | 千葉ロッテマリーンズ | 八木沢荘六 | 主に2軍暮らし(2軍成績:51試合 打率.282 4HR 27打点)。1軍で初めてショートを守る。1軍ではショートでのみの出場。 |
1994 | 26 | 千葉ロッテマリーンズ | 八木沢荘六 | 内野手登録になる(以後ずっと内野手登録)。なぜか一軍に抜擢され、4月9日、パ・リーグ開幕戦である対ファイターズ戦で9番ショートで先発出場。このシーズン、初めて1軍でセカンドを守る。外野を守ることもあった。打撃好調で規定打席には届かないものの打率.281。 |
1995 | 27 | 千葉ロッテマリーンズ | Bobby Valentine | 5月にチーム内に風疹が流行、キャッチャーが定詰雅彦一人の状態だったが、5月7日の対ブルーウェーブ5回戦で、判定について審判に抗議した定詰が退場処分を受けたためキャッチャーが居なくなり、中学時代にキャッチャーを経験しているということで五十嵐がキャッチャーをやらされる。5月9日には初めて1軍でサードを守る。7月20日には初めて1軍でファーストを守る。その結果、守ったことのないポジションはピッチャーだけになる。この年ファースト・セカンド・ショート・サードと便利使いされたが、外野での出場はなし。 |
1996 | 28 | 千葉ロッテマリーンズ | 江尻亮 | ファースト・外野中心で時にはサード・ショートを守り、プロ生活最多の114試合出場。 |
1997 | 29 | 千葉ロッテマリーンズ | 近藤昭仁 | なぜか4月5日、パ・リーグ開幕戦である対ファイターズ戦に3番サードで出場、ホームランを放ち勝利に貢献。しかしその後振るわず出場は30試合に留まり、4年ぶりの二軍暮らし。一軍でのポジションはファースト・ショート・サード・外野。シーズン終了後、ブルーウェーブの渡部高史投手と1対1の交換トレードでブルーウェーブに移籍、背番号は29に。渡部は翌年限りでマリーンズを退団、マリーンズにとっては損なトレードとなった。このトレードについては、五十嵐による球団批判が原因であるという説がまことしやかに語られている。 |
1998 | 30 | オリックスブルーウェーブ | 仰木彬 | やりくり上手で「猫の目打線」と呼ばれるほど打順を頻繁に入れ替える仰木監督に重用され、110試合に出場。主にサードを守るものの、ファースト・セカンド・ショート・外野も守る。打撃では代打で活躍し代打起用30回、25打数9安打1HR代打率.360。 |
1999 | 31 | オリックスブルーウェーブ | 仰木彬 | 佐竹学とサードのポジションを争う。ファースト・セカンドも守る。 |
2000 | 32 | オリックスブルーウェーブ | 仰木彬 | 6月3日対バファローズ9回戦の8回、大差でリードされた場面で何を思ったか仰木監督、ピッチャーに五十嵐を指名。プロで初めての登板であったが、ヒットを1本打たれたものの1イニングを無失点で抑え、1974年の高橋博士(日本ハムファイターズ)以来、日本プロ野球史上2人目の全ポジション出場を達成。また、このシーズンはファーストを中心にキャッチャー以外のポジションを守り、1937年春の倉本信護(阪急)が投手以外の6ポジション、1974年の高橋の全ポジションを守って以来史上3人目となるシーズン6ヶ所以上出場も果たした。 |
2001 | 33 | オリックスブルーウェーブ | 仰木彬 | 背番号をマリーンズ時代と同じ9に変更(前の背番号9は嘉勢敏弘で、投手転向に伴い背番号が28に変更された影響)。このシーズンは主にファーストを守る。5月25日には対バファローズ戦(大阪ドーム)で1995年以来6年ぶり2度目となるキャッチャーとしての出場。打者礒部公一から故意四球のやり方を教わったり、レフト田口壮からの返球を受けタッチアップの三塁走者 T. Rhodes を好ブロックでアウトにしたりと場を楽しませる。6月22日の対ライオンズ戦(ナゴヤドーム)で、プロ初の先発4番で出場、1番から9番までの全打順で先発出場を果たす。さらにこの試合で西口文也からホームランを放ち4番の仕事を果たす(しかし勝利には繋がらず。なお、4番を打ったのはこの一度だけ)。これで8番以外の打順でホームランを放ったことになる。9月26日は対バファローズ26回戦(大阪ドーム)で8番サードで先発出場し、ライトポール際へ大飛球を放つが惜しくもファールになり全打順ホームランならず。この試合でバファローズの北川博敏が代打逆転サヨナラ満塁ホームランを放ち、目前で優勝を決定される。このシーズン、1番と9番以外の7つの打順で先発出場。また、FA権取得。シーズン終了後、内野手を求めるバファローズと金銭トレードが成立し移籍。背番号は39。しかし同じく内野の便利屋、星野修もタイガースから移籍し、記録達成を不安視する意見が聞かれる。 |
2002 | 34 | 大阪近鉄バファローズ | 梨田昌孝 | セカンドのレギュラー水口栄二が怪我で離脱するというチーム状態の中、4月21日、対ホークス6回戦(大阪ドーム)に8番セカンドでこのシーズン初の先発出場を果たす。第1打席でライトポール際へファウルを放ち、記録達成を期待させる。そして第2打席、星野順治が投じる初球、内角真ん中の125km/hの変化球を右中間スタンドへ運び、プロ野球史上6人目の全打順ホームランを達成。世界プロ野球史上初の全ポジション出場・全打順ホームラン達成者となる。しかし、後半戦は二軍暮らし。 |
2003 | 35 | 大阪近鉄バファローズ | 梨田昌孝 | 一軍出場のないまま迎えた10月2日、引退が報じられる。翌3日、古巣との対決となる対マリーンズ28回戦(千葉マリンスタジアム)において7番セカンドで出場。2回の表、ノーアウト満塁で迎えた第1打席において清水直行の投じた4球目の速球をレフトへ放ち、犠牲フライで1打点を記録。守備交代によりそのまま退き、プロ野球プレイヤーとしての生活を終える。 |
所属:1991年ロッテオリオンズ、1992年〜1997年千葉ロッテマリーンズ、1998年〜2001年オリックスブルーウェーブ、2002年大阪近鉄バファローズ
投手 | 2000. 6. 3 | オリックスブルーウェーブ対大阪近鉄バファローズ9回戦 | 8回 |
---|---|---|---|
捕手 | 1995. 5. 7 | 千葉ロッテマリーンズ対オリックスブルーウェーブ5回戦 | 8回 |
一塁手 | 1995. 7. 20 | 千葉ロッテマリーンズ対福岡ダイエーホークス18回戦 | 9回 |
二塁手 | 1994. 4. 10 | 千葉ロッテマリーンズ対日本ハムファイターズ2回戦 | 先発2番 |
三塁手 | 1995. 5. 9 | 千葉ロッテマリーンズ対日本ハムファイターズ6回戦 | 先発7番 |
遊撃手 | 1993. 4. 15 | 千葉ロッテマリーンズ対大阪近鉄バファローズ2回戦 | 9回 |
外野手 | 1991. 4. 9 | ロッテオリオンズ対日本ハムファイターズ1回戦 | 先発2番 |
上記守備位置のほかに、指名打者での先発出場も経験している。
五十嵐は2002年4月20日現在。
五十嵐章人 | 【参考】河埜敬幸 | |
---|---|---|
通算 | 849 | 1552 |
投手 | 1 | 0 |
捕手 | 2 | 0 |
一塁手 | 201 | 111 |
二塁手 | 136 | 860 |
三塁手 | 183 | 180 |
遊撃手 | 102 | 138 |
外野手 | 178 | 223 |
全打順ホームランまでの打順別ホームラン数(達成ホームランを含む)。
1番 | 1本 |
---|---|
2番 | 3本 |
3番 | 1本 |
4番 | 1本 |
5番 | 2本 |
6番 | 7本 |
7番 | 2本 |
8番 | 1本 |
9番 | 1本 |
途中出場 | 7本 |
合計 | 26本 |
全打順ホームラン達成前日までの通算打撃成績。
打順 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|
1番 | 22 | 78 | 18 | 1 | 3 | .231 |
2番 | 85 | 307 | 80 | 3 | 25 | .261 |
3番 | 13 | 42 | 13 | 1 | 7 | .310 |
4番 | 1 | 4 | 1 | 1 | 1 | .250 |
5番 | 32 | 101 | 23 | 2 | 12 | .228 |
6番 | 86 | 275 | 74 | 7 | 34 | .269 |
7番 | 108 | 342 | 73 | 2 | 18 | .213 |
8番 | 60 | 187 | 30 | 0 | 12 | .160 |
9番 | 22 | 63 | 17 | 1 | 5 | .270 |
途中出場 | 419 | 359 | 86 | 7 | 51 | .240 |
合計 | 848 | 1758 | 415 | 25 | 168 | .236 |
2001年度シーズン終了時
年度 | 所属 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁刺 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | ロ | 89 | 175 | 11 | 42 | 5 | 1 | 3 | 58 | 18 | 1 | 1 | 7 | 3 | 9 | 1 | 30 | 2 | .240 |
1992 | ロ | 12 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1 | .111 |
1993 | ロ | 16 | 12 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .083 |
1994 | ロ | 97 | 295 | 33 | 83 | 15 | 1 | 3 | 109 | 24 | 0 | 2 | 9 | 2 | 16 | 2 | 52 | 5 | .281 |
1995 | ロ | 101 | 225 | 21 | 47 | 9 | 1 | 4 | 70 | 18 | 1 | 0 | 13 | 0 | 30 | 0 | 21 | 4 | .209 |
1996 | ロ | 114 | 321 | 32 | 87 | 14 | 1 | 3 | 112 | 35 | 1 | 2 | 13 | 1 | 27 | 0 | 32 | 3 | .271 |
1997 | ロ | 30 | 46 | 5 | 6 | 2 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | 1 | 10 | 1 | .130 |
1998 | オ | 110 | 214 | 17 | 44 | 7 | 2 | 3 | 64 | 21 | 1 | 2 | 7 | 1 | 23 | 0 | 38 | 4 | .206 |
1999 | オ | 85 | 141 | 16 | 33 | 6 | 0 | 2 | 45 | 15 | 0 | 0 | 4 | 1 | 15 | 0 | 25 | 4 | .234 |
2000 | オ | 112 | 180 | 30 | 43 | 8 | 0 | 4 | 63 | 26 | 0 | 1 | 9 | 2 | 30 | 0 | 24 | 4 | .239 |
2001 | オ | 75 | 132 | 19 | 27 | 5 | 2 | 2 | 42 | 8 | 1 | 0 | 5 | 1 | 14 | 0 | 20 | 3 | .205 |
合計 | 841 | 1750 | 185 | 414 | 71 | 8 | 25 | 576 | 168 | 5 | 8 | 69 | 11 | 173 | 4 | 252 | 31 | .237 |
年度 | チーム | 試合 | 完投 | 交代了 | 試当初 | 無点勝 | 無四球 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 勝率 | 打者 | 投球回 | 安打 | 本塁打 | 四球 | 死球 | 三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | オ | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 |
調査中
守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|
一塁手 | 46 | 120 | 10 | 2 | 11 | .985 |
二塁手 | 10 | 13 | 15 | 0 | 3 | 1.000 |
三塁手 | 28 | 16 | 37 | 3 | 2 | .946 |
遊撃手 | 11 | 6 | 14 | 0 | 3 | 1.000 |
外野手 | 12 | 17 | 1 | 1 | 0 | .947 |
投手 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
「うれしいですね。全ポジションの時も二人だったので一人っていうのを作りたかったんで」
「狙ってはいなかった。今までの監督さんにいろんな打順で使ってもらったおかげ。ギネスブック に載せてもらえますか」